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2005年10月の31件の記事

2005年10月31日 (月)

MR-Sハイブリッド

 どうやら2005年の東京モーターショウに MR-Sハイブリッドは出ていないようだ。

 ミッドシップで 2シーターのスポーツカーに乗りたい。でもフェラーリと NSX には手が出ないし、買ったとしても毎日気が休まらないと思う。

 できれば一度オープンカーにも乗りたい。
 ハンドルの手元でギアチェンジできるシフトにも一度乗ってみたい。

 これをすべて250万円ほどで叶えられるのがトヨタMR-S

 これまでに三度試乗したし、コレクターアイテムも集めている。

 1995年の東京モーターショーで展示された4シーターのミッドシップMRJが1997年のショウでは2シーターとなり、1999年にMR2の後継車 MR-Sとして発売された。2002年にはマイナーチェンジされ 2004年にも改良し、熟成が続いている。
 いいぞ、トヨタ 売れないクルマだけど、世界中に一台しかないこのコンセプトがスゴイ。
徳大寺有恒さんもずっと買いたいと言っていた(けど買ってない)
 そのMR-Sの生産が終わる。

 だが、2004年2月に「ベストカー」三推社 が、「
トヨタ ミッドシップハイブリッドスポーツカーを開発中」と報じた。スポーツカーでエコしてどうする?というステレオタイプな反応が寄せられたようだが、三菱が開発中の電気自動車 Eliicaの例もある。電気=遅いはもう古い。今にF1のレギュレーションが変わり、電気自動車がレシプロエンジンを置き去る日がくるかも知れない。

 MR-Sハイブリッド これほど合理的かつ魅力的なクルマはないと思う。市販されれば、どの日本車よりも世界に誇れる一台になるはずだ。しかし、自動車ファンの間でもほとんど注目されていない。

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2005年10月30日 (日)

カンプノウはがら空き

 「今日は思い切りゲームをエンジョイするよ」(たぶん)

 インタビュアーの質問にどこの言葉かもわからないコトバで少しだけコメント。(あとで考えれば、チーム帯同中の取材なのでスペイン語と思われる)
 テレビクルーが離れた後は、デジカメを構えた数人の男性ファンに囲まれるが、イヤな顔もせず(かと言ってにこりともせず)撮影に応じ、 Senol.
カンプノウへ向かった。この後、選手は一人もレセプション会場から出てこなかったので彼は最も遅くまでプレスに応対していたのだろう。

 この後、結局チェックインまで2時間近く待たされるのだが、どうやら先のファンやスタッフが時間延長したのが理由だったようだ。前日から泊まってこの日はずっとロビーで張っていたのだろうか。その数ヶ月後に、日本でのバルサ宿泊ホテルに投宿していたファンの話しをきいて、そういう方法があるのを知ったが、この時点では目の前で写真を撮っている人達がいったいどういう人なのかまで、考えもしなかった。

 21時にはカンプノウで
FIFAオールスタースマトラ沖地震慈善マッチが始まるのだが、その頃僕たちはチェックインを待たせているお詫びとしてホテルが用意してくれたその日、いったい何度めだかもわからない食事のテーブルを囲んでいた。

 バルセロナは21時だが、日本から着いたばかりの僕らにとってそれは翌日の5時。意識ももうろうとしていて誰も「せっかくだからサッカーを見に行こうよ」と言い出さない。きっと、スーパースターの集まる試合だから満席でチケットは余っていないだろうとこの時は思っていた。
 ところが、帰国して「やべっちFC」でこの試合の模様を見たところ、映し出された観客席の2階部分には誰も座っていない。そこで初めて、取り返しのつかないことをしてしまった・・と後悔の念が募った。



デコファンサイト

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2005年10月29日 (土)

夢占いに意味はあるか?

 人はをいつも見ているのだが、ノンレム睡眠の時のもの、眠りが浅くなった状態(起きる直前)のものをよく記憶している。記憶しているから「夢を見た」と認識できるのである。
 起きたらすぐに夢の内容を書き留めておいて「夢占い」本で調べると、自分でも掴んでいなかった心理状態がわかり面白い。

 僕はナツメ社の
「夢占い事典」ルナマリア著 を常備している。さすがナツメ社という一冊で整然とよくまとめられている。

 買ってすぐの頃、"
地震に遭った時に、食べようとしたある食材が腐っていた"という夢をみた。早速「夢占い事典」でひいてみると 「古い価値観にとらわれている暗示」 とあった。言われてみるとその頃は出世競争に盲進していて、なかなか昇進できないことに大きなストレスを感じていた。

 夢はお昼頃に思い出そうとしても思い出せない。書いておいたメモを見てさえ「こんな夢みたかな?」と思うほど記憶は急速に薄れている。まずは起きてすぐに書かなければ夢分析は始まらない。

 ところで、心理学の創始者
フロイトは1900年に著書 「夢判断」 で "夢の持つ意味は一人一人違う "と書いている。彼は夢に一定の意味を見いだすことはできないのだというのである。

 夢分析や夢占いに意味を見いだしている人には冷水となる論説だが、どの見識を採用するかは、1人1人が自分で決めることであり、一つの正解があるわけではない。フロイトが言うから正しいと皆が言うのであれば、明日から僕もフロイトと改名したいくらいだ。

 占いは予言ではなく指針である。

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2005年10月28日 (金)

ダメなプレゼンとは?

 僕はSEになってからは6年になるが、その前は長く営業をやっていた。以前はパソコンを持参してプレゼンをする立場だったが、今は専ら聞き手になった。
 ベンダーの営業がきて Power Pointでプレゼンしてるのをみてると「
おいおい、ソコはなんとかしろよ~」と教えてあげたくなることがしばしば。
 自分も営業の時は あんな風にやっていたのかなぁと思いつつ、いつも書きとめている。

Power Pointのスライドにないことをべらべらしゃべる。
  スライドショーが始まると聞いている人の意識はスクリーンに集中する。そこにない言葉は理解できない。

自社の概要がくどい。
  シェアが大きい会社にありがち。規模が小さい会社には、会社の素晴らしさの説得に入る人がいる。

本題からどんどん外れて話す。
  自らの商品とノウハウに酔う。

デモに来たのにコンセプトをだらだら話して「早速ですが」とデモに入った時には時間が半分過ぎている。
  全然、早速じゃないんですけど

相手が聞きたいと言ってないことに時間を多く割く。
  客が聞きたい話に時間を割いてもらいたい。。

時間をオーバーする。
  途中で「時間過ぎてますけど」と言えないだけなのに・・

 この逆をやれば、上手いプレゼンと言うことだ。

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2005年10月27日 (木)

クィーン 九電記念体育館

 クィーンは「華麗なるレース」からリアルタイムで聴き始めた。
 その頃、RKBラジオのCMでは「ボヘミアンラプソディ」の「ままぁ~」のサビにつづいて「クィーン来日公演決定っ」とやっていたが、クィーンはステレオで聴くものであって、見るものではなかったので「へぇ、クィーンが福岡に来るんだぁ」というくらいに聞き流していた。

 当時はベイシティローラーズがブームで、ベイシティのスタジオライブやKISSのライブ映像がNHKの土曜夕方の特番で放映され
「ジーン・シモンズの火がすごい」

「パット・マッグリン、客席に手を振ってるのにギターが鳴っているぞ」
と目を皿のようにしてみていた。
 
エアロスミス、クィーンを含むこの4大グループが揃って全盛期を向かえていたことで世はいわゆるロックブーム。クィーンファンはベイシティファンを馬鹿にし、そのクィーンファンをイーグルスファンが「クィーンは おんな子どもの聴くもんばい」と馬鹿にするといった会話が中学生の男子と女子、時には男同士の仲を険悪なものにしていた。

 その後、
佐世保北高のフレディ・マーキュリーと呼ばれていた僕は大学に行ったら、ぴた・もっこりスーツ を着てロック・ボーカリストとして活動するために14キロのダイエットを成功させたが、学歴だけで一流企業が出世コースを約束してくれる大学には入れなかったため、ロック・バンドを断念し勉学の道をすすもうと心に誓っていた。

 ロック・ボーカリストの夢もとうに忘れてしまっていた頃、あのクィーンが来日した。
 「三度のメシよりクイーンが好き」
だった頃の僕だったら、発売と同時にチケットをゲットしただろうが、その後に出会った
佐野元春に関心が移ったことと、クィーンのアルバム「ワークス」が惨憺たるできだったことで、「あぁ、クィーン来てるんだよなぁ・・」という程度の認識にとどまっていた。


 
クィーン来日公演の初日となった九電記念公演は散々な入りとなった。この入りに怒ったクィーン側は 「明日の公演のキャンセルも辞さない」 という構えをとった。(RKBアルバイト Y氏 談)



つづき →タダでQUEEN


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2005年10月26日 (水)

山口で天ぷらといえば

 僕が子供の頃、山口では天ぷらといえば角天のことだった。
 10円を握りしめて近所の雑貨屋で「おばちゃん天ぷら一枚」とたのむ。1枚8円だったので、2円のおつりと油紙に包んでくれた天ぷらを受取り、帰り道にそのままかじる。これが僕の毎日のおやつ。2円のお釣りを積み立てて4日に一度は2枚買える。その日は朝から贅沢な気分になった。

 
五島列島に引っ越してからは、近所の蒲鉾工場が揚げたてを小売りしてくれるので、また通った。何日もかけて盆地の町まで運ばれてきたものと違い、作りたての味は格別で忘れられない。近年、平戸でこうして売っているのを食べたがなんだか違う。もちろん、舌が肥えていなかった子供の頃の美味しい記憶は美化され勝ちだから、子供の頃の味を超えることはないのかも知れない。

 今も
九州に帰った時にマルキョウに寄ると「角天」「丸天」が3枚98円で売られている。

kaku

 そのまま食べても美味いし、少しあぶるとさらに美味い。天ぷらとタマゴをハムエッグと同じ要領で焼くと「天ぷらエッグ」。これがまた美味い。

 天ぷらは東京では売っていない。東京で天ぷらのことを話しても誰もわからない。だいたいは「それってさつま揚げでしょ」と言われる。
 牛蒡も人参も要らない。欲しいのはただの天ぷら。東京でも売って欲しい。

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2005年10月25日 (火)

しらべるの人気アイドル

 しらべるは始めてから5年になるが、最初の頃はほとんどアクセス数が伸びなかった。

 それが少しずつ伸び始めたのは、それまでのディレクトリー型検索一辺倒の時期が終わり、全文検索エンジンから飛んでくるユーザーが増える頃から。
 それまではトップページの「アクセス数」が人気の指標だと思っていたのだが、個々の「ページビュー」を伸ばせばよいのだということに気がついた。

 始めにページビューが伸びたのが「吉岡美穂」 まだバラエティにもCMにも出ていない頃で、情報が少ないためかなりの訪問者があった。しらべるには音楽から政治まで20を超えるカテゴリーがあるのだが、しばらくは グラビアアイドル達のエンターテインメント記事が上位にくる時代が続いた。

 その次に来たのは「柴咲コウ」 しらべるは自分の興味と関心のアンテナがしなったネタだけをとりあげているのだが、ポンズダブルホワイトのCMはとても印象的だった。ただその名前を知った時は「なんで、ばあさんみたいな名前なんだろう」と不思議だった。今も芸名の由来は知らない。

 次は「菊川舞菊川怜の妹である。姉は東京大学だが、妹も東工大と言えばかなり優秀である。記事の中身は申し訳ないくらいに薄いのだが、露出度が低く、情報不足の人ゆえによく見られていた。

 マメグこと松本恵、今は松本莉緒も一時期、安定してビューが出ていた。一旦引退していた理由は米国イラク攻撃を思わせるようなご都合主義で笑った。最近は昼メロに出ているらしい。

 女子アナ記事も人気だ。松本志のぶ石井詩織は、なだらかに安定している。柴田倫世久保純子は結婚してしまうとぱったり足が止まった。魚住りえは離婚したのでまた足が伸びた。クボジュンは当初、そっくりさんAV女優の記事とリンクしていたが、子供達が見るかも知れないので外した。
 しらべるのページビューを見て、あ、この人離婚でもしたのかなと気づくこともたまにある。

 ちなみに最近の人気記事は「奥菜恵

 2002年まではしらべるで見る限り人気記事はアイドル系に集中していたが、その年を境に偏りがなくなった。僕は 2002年が常識的な情報を探す層がインターネット全文検索エンジンを使いこなすようになった元年と見ている。

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2005年10月24日 (月)

宇宙の果てはどうなっているのか?

 宇宙はどこまであるんだろう?

 子どもの頃、宇宙には果てがないと友だちから聞いていた。

 でも果てがないなんてあり得ない。きっと「宇宙の果て」というところには、厚いコンクリートのような壁があるのではないか。しかし、その壁の厚さはどうなっているのか、その壁がさらに果てしなく続いていたら・・・ 何度もこのパターンで疑問自答 *1 をくり返し考えた。よく天文学者にならなかったものだ。

 大人になって、このテーマについては完全に忘れていた。そんなことを悩む気持ちはとうに忘れた。

 すると今日「宇宙はどこまで広がっているか」という本に出会った。子どもの頃の疑問に対して、なんだそう考えればよかったのかと、ほっとさせてくれるような答えがそこにあるような気がした。

 さっそく読んでみた。

 ・・・

 
宇宙はどこまであるかということについては、タイトル以外には 何も書いてなかった。

 「結論」という章もあるのに ”宇宙はどこまで広がっているか”についての仮設すら書かれていてなかった。太陽までの距離とか、星までの距離のはかり方の歴史とか、そういうことを書きたかった本らしい。

 著者は外国人で、和訳された本なので、版元の担当者がつけた邦題なのだろうが、本をなめている。

 本なんてこんなものですよ、内容とタイトルが関係なくてもまぁいいじゃないですかという価値観で仕事をしているのだろう。

 今もう一度よくみたら「宇宙はどこまで広がっているか
」と書名の末尾にはがついていた。なんだ、東スポ並のギャグだったのか。。。 ひどい

*1 疑問自答はしらべるの造語です。

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2005年10月23日 (日)

FIFAスマトラ沖地震慈善マッチ

 ヒルトンバルセロナのロビーは間接照明で薄暗い。
 そこにエレベーターから閃光と共に1人の選手が降り立った。
 と思ったらTVカメラのライトだった。

 今でも理由が分からないが、たくさんの選手が通過していったなかで、この時だけデジカメを持って駆け寄った。ホテルの中はファンは入れないのでその輪に加わったのは宿泊客だろう。その数は10人もいなかった。
 インタビュアーが「まぁちょっとここで止まって」との行く手を遮る。と僕の間に遮るものは何もない。悪いかなぁと思いつつもフラッシュを焚いてシャッターボタンを押した。

DSC03077

 

あとで見たら見事にピンぼけしていた。


 
2005年2月15日、バルセロナのカンプノウでFIFAスマトラ沖地震チャリティマッチが開催された。この試合は前年のバロンドールシェフチェンコが率いる「欧州選抜」と、同じく前年のFIFA世界最優秀選手ロナウジーニョが率いる「世界選抜」の対戦。移籍市場換算で634億円のスーパースターが慈善基金のために一堂に会した。日本からは中田英寿が出場している。

 今でこそこうして語句解説リンク付の文章が書けるが、バルセロナに着いた時点では「その日なんかそういう試合があるらしい」という程度の認識で、ましてやその選手達が同じホテルに居るとは知る由もなかった。

 21:00からカンプノウで行われる試合にさきがけ、選手の宿舎でもあるヒルトンバルセロナホテルの地下1Fではレセプションが行われていた。
 地下に降りる階段には、事件の現場に警察が貼るような立ち入り禁止のテープが張り巡らされておりエレベーターにも警備員が配置されている。VIPの選手を守る任務の彼らはきっと選ばれた人達に違いない。
 階段とは反対側にあるエレベーターが開きは僕らが"足止め"を食っていた一階に姿を現した。

 インタビュアーの制止に足を止めたがコメントを始めた。



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2005年10月22日 (土)

生チョコの真実

 10月12日に寝る前のチョコは痩せると書いたが、チョコはやはり起きている時、ブラックコーヒーと一緒に食べるのが美味い。

 冬になるとそろそろコンビニに<冬季限定>生チョコが並びはじめる。各社が勢ぞろいしたのは1999-2000の冬シーズンからだが、僕は1993年頃名古屋のヒマラヤで「美術館の石畳」を食べるのを楽しみにしていた。バレンタインデーのお返しなどにもこれを買っていた。小さいのに1,000円だから自分のおやつには向かないが、"かさばらず、高くて、美味い" という旅先へのお土産の美学にぴったりはまる。名古屋のヒマラヤは名駅付近に「ヒマラヤ美術館」を開設しているので、並んだチョコを石畳になぞらえ、「美術館の石畳」というオリジナルを開発したのだとずっと思っていた。

 一方、1993年に発売された明治製菓の「メルティキッス」が、生チョコの元祖であるという認識ももっていた。

 両方、違った。

 生チョコをつくったのは神奈川県平塚市スイス菓子の店「シルスマリア」の小林正和シェフで、全国に200種類くらいある「○○の石畳」や「公園通りの○○」という生チョコの名前もこの店に由来していた。明治製菓の「メルティキッス」も小林シェフが明治製菓の坂戸工場で開発したようだ。

 ということで取り寄せて食べてみた。

nama 

 いや、これは違う。今まで食べていた○○の石畳とか、□□キッスと違う。妙に甘く作り込まれた味じゃないところがいいし、どこかのやつみたいに粉が飛びまくらないのもいい。生まれた頃と製法が変わっていないというこの味でこそ、生チョコは生チョコなのだろう。東京のショップでも売っているところを探さねばなるまい。次は紅茶の生チョコ「アールグレイ」をチェックしたい。コーヒーを入れたのも作ってもらいたいものだ。

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2005年10月21日 (金)

会社で開けるか?

 Webページをつくる時、会社で開けるか?
に注意している。


 ミクシィのオレンジ色の画面は有名すぎて、とても会社では開けない。それならばGREEのほうがシンプルで、ちょっとしたイントラネットの情報ポータルサイトに見えなくもない。今は一人勝ちのミクシィといえども、栄華が続くとは限らない。

 なぜ会社で開けるかに注意するか?というと、会社で見ている人が多いと推察するからである。時間帯分析、曜日別分析をみる限り平日の昼間が圧倒的に多い。

 もちろん主婦が見てるのかも知れない。
 そうだとしたら、奥様向けの昼メロに近いノリのページを増やさなければならない。


 サイドバーで縦方向にバナーがあったりすると、どこまでスクロールしても広告がついてきて、会社では見れない。広告を出す側はそれが狙いなのだろうが、それは浅はかだ。

 背景色は白。色がついているだけで遊んでいるとわかってしまう。

 内勤の場合、60分につき10分は休憩をしたほうがよい。パソコンに向かっていれば目と手首と脳が疲れるので休憩は必須だ。座り続けていると、血液が滞って良くない。

 タバコを吸う人は今は「分煙」と称して、堂々と休憩できる。
 60分に10分どころか、もっと休んでいる人もいるように思う。

 だが、タバコを吸わない人には堂々と休む手段が認められていない。
 もし、僕が毎時50分に文庫本を出して読み始めたら、周囲は非難の視線を送るだろう。休憩なのだから、10分くらいメールやWebをチェックしてもいいと思うのだが、なにせ「休憩」=さぼりと考えているステレオタイプな人が多いから、堂々とWebを見れる人はまだまだ少ないだろう。

 ということで、この「しらべるが行く」も会社で見れるようなデザインになっているのです。

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2005年10月20日 (木)

西松一博

【 にしまつ かずひろ 】 ミュージシャンであり音楽プロデューサー。

 西松一博は1981年、ファーストアルバム「GOOD TIMES」(ビクター)でデビューした。
 「シティ情報ふくおか」のレコード紹介を読んだ僕は、さっそく近くの貸しレコード屋から借りてきて録音した。誌面では確か "上質な日本のAOR" といった紹介がされていたと思うが、まさにそのもの。当時の僕は、前年にデビューした佐野元春を聞き始めて間もない頃だったが、この時点では両者の甲乙は付けがたいと思えた。

 しばらくして天神のライブハウスでファーストライブがあった。やはり数ヶ月前に初めて「Welcome to the Heartland tour」で福岡(都久志会館)入りした佐野元春でライブ初体験をした僕は、あの熱狂をこの夜にも期待した。

 演奏はレコードそのままの内容で好演だったのだが「あの頃はステージで死んでもいいと思っていた」佐野元春とはカラーが違う。淡々と歌い終えると、普通にお辞儀をして楽屋へ消えていった。客電は暗いままだったが、アンコールの拍手は起きなかった。西松がステージから向かって左側の袖に下がる際、ちらっと客席を横目で見た表情が「えっ本当に帰っていいの?」 と言っているようにみえた。

 このことは僕のホームページ「しらべる」に書いている。
 西松一博でYAHOO!を検索すると「しらべる」が一番目に表示される。人は誰でも一度は自分の名前を検索してみたくなる。(まだやったことがなかったら、今やってみて!→YAHOO!

 西松本人もきっとこの記事を読んで苦笑いをしたに違いない。

 デビューアルバムは大変な秀作でありながらも、全国的にはほとんど名が売れず、この名盤はその後CD化もされていない。

 1985年に出たセカンドアルバム「貿易風物語」は好作ではあるのだが、デビューアルバムのクォリティで待っていた僕には、どこにでもある普通の楽曲ばかりに聞こえた。

 ・・というくだりも 「しらべる」に書いているので、彼はきっと気を悪くしただろう。
 彼は今、出身地である博多の音楽学校で講師をしている。

 ミクシィには西松一博のコミュニティがあるのだが、参加者は二人だけである。



しらべる

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2005年10月19日 (水)

誕生日コレクター

 僕はいろいろなモノを集めるコレクターだが、モノだけでなく誕生日や記念日も集めている。

 営業1年生の時、宮崎の取引先でたまたま社長の奥様の誕生日を知り、それがきっかけでとても贔屓にしてもらえるようになった。確かに誕生日って誰かが覚えていてくれると嬉しいよな..と言うところから始まり、手帖に書き込んだ。ただ、手帖だと毎年 手書きで転記しなければならない。これはけっこう手間だった。

 1990年代にはいって、Lotus1-2-3で毎日の記録をつけ始めた時にそこに書き込むことにした。これならば翌年になったら、その列を366行コピーするだけで済む。

 こうして”集め”始めて随分になるが、未だに埋まっていない日がたくさんある。100日くらいは埋まっていない。先日、ここ数年行き来がない人を別の列に移動させたら、250日くらいが空白になってしまった。

 親しい人の誕生日にはメッセージを送るのだが、それに対しての反応はさまざま。特に男は九分九厘反応がない。ある時、それを女性に話したら「それは気持ち悪いよ」と言われた。なるほど、そうだったのか。 いや待てよ。男同士だからじゃなく、僕が気持ち悪がられているのかも知れない。

 人は、常に自らを省みる姿勢が必要である。


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2005年10月18日 (火)

靖国トリック

 大阪高裁(二審)が小泉首相の靖国参拝を違憲と判断した判決が確定した。

 マスコミはこういいきる。*
 文脈は事実のようだが、ここには言葉のトリックがある。

 この言葉から連想されるのは 「小泉首相の靖国参拝が違憲という判決が確定した」ということだが、実際にそんな判決は出ていない。
 出た判決は「原告の損害賠償を棄却する」である。その判決文のなかで「靖国参拝は宗教行為だから違憲だ」と指摘があったということだ。

 裁判所はなぜ判決以外に、こういう「判断」や「指摘」をするのだろうか。裁判官は、原告の訴えに沿った結論を言うのが仕事ではないのか。

 靖国参拝が宗教行為なのは当たり前だ。裁判所が "判断" するまでもない。
 だって、靖国神社は宗教法人なんだから。
 宗教法人の施設を参拝すれば、それは宗教行為だろう。
  (靖国問題が一般人にわかりにくいのは、ここにポイントがあるので、これは改めて書こうと思う)

 原告は"小泉首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けた"という台湾人116人を含む計188人。損害賠償は棄却され敗訴したが、同判決が "靖国参拝を憲法の禁じる宗教的活動と認めたこと" を評価し、11日後に上告を見送り判決が確定した。

 確定したのは「損害賠償しませんよ」という原告側の敗訴であって 「小泉靖国参拝が違憲ですよ」ではない。

 横着でずるい大人の皆さん、ことばのトリックはやめましょう。子供が真似をします。


*10月17日の報道ステーションでは、VTRのバックで「大阪高裁で違憲判決が出たばかり」とナレーションを入れ、画面スーパーで「大阪違憲判決から見る小泉総理の靖国参拝」と出し続けた。突っ込まれたら逃げが打てる巧妙な表現だが、視聴者の中には「小泉靖国参拝を大阪高裁が違憲とする判決をくだした」と受け取った人がいたのではないか。

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2005年10月17日 (月)

靖国参拝

 2005年8月14日、終戦記念日の一日前に靖国神社を参拝した。終戦記念日を外したのは別に、誰かに配慮したのではなく、15日は月曜日で仕事があり、14日は日曜日で何の予定もなかったからだ。

 カーナビに設定すると市谷の駅の地図が出た。市谷にはよく仕事で来ているのだが、テレビでよく出てくる 靖国神社がココにあるとは思わなかった。地方から東京に引っ越してくると、よく 「あぁテレビでやってたところだ~」という風景に出くわす。

 午前11時に到着。九段坂上の交差点にある駐車場(30分毎200円)には2台待ちですぐ入れた。お盆の日曜日だというのに、思ったほど混んでいないようだ。人の流れに沿ってというほど、人は歩いていなかったが、一度90度右に折れると靖国の拝殿に着いた。当然だが入場料はかからない。いつもテレビに映るのは政治家が(拝殿の奥にある)本殿に昇殿して参拝し、到着殿へと帰っていく回廊の絵なので、一般参拝する拝殿は初めてみた。

 翌日は数十万人の人出ということで、拝殿につづく参道が渋滞しているのをテレビでやっていたが、この日は一人待ちくらいで、賽銭を入れ参拝することができた。僕はポケットからではなく財布から賽銭を出したが、こころの問題なので金額は書かない。

 おみくじ1回100円、献花1本500円。とりあえずおみくじだけ引いた。凶だったらそのあたりの木に結わえるが、そうではなかった。昇殿参拝は個人、団体の受付がある。僕は昇殿はしない。

 遊就館 1階ロビーには売店がある。"いかにも靖国神社"といったわかりやすい靖国グッズはなかった。ペナントや提灯を買う趣味はないし、菊のご紋入りグッズも集めていない。

 "靖国神社"と名入れされただけの、ごく普通のボールペンがあったので大量に買った。これはその後、里帰りした時に配ると、「おぉ~」という人あり、にっこり笑う人あり・・となかなか受けがよかった。今の日本では最もコスト・パフォーマンスの高いお土産かもしれない。

 本殿の右奥、靖国偕行文庫の建物に無料休憩所がある。
 境内のあちらこちらに大きな木陰があり涼しい。人々はベンチに座り休んでいる。自販機は観光地価格ではなく、標準小売価格の値段。沿道脇には売店が少しあり、靖国せんべい、靖国宮饅頭が売られていた。



しらべる

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2005年10月16日 (日)

ロナウジーニョと3メートル

 担当しているコンピューター・システムの世界会議は、メーカーの本国であるイスラエル開催を軸に検討されていた。しかし、イスラエルは日本外務省の海外危険情報で「渡航延期勧告」が出ている。恐らく先進諸国のイスラエルへの対応はどこも同様だろう。そこで欧米人が集まりやすく、しかも、カンファレンス開催の諸費用が安いバルセロナが会場になった。

 欧州はオランダ以外に興味がない僕にとって、イスラエルに行けないのであれば、あとは何処でも同じこと。バルセロナはオリンピックがあったことと、佐野元春の「バルセロナの夜」しか知らない。だいたい遊びに行くわけじゃないし、フリータイムはグラシア通りで2時間だけと聞いていたので、スペインのいかしたシャツでも買えればいいな・・くらいで、それ以上の期待感はなかった。

 スペインは観光立国で、観光客数は世界第2位(5,200万人:2002年)。国際観光収入も世界第2位(4兆円:2002年)、日本は500万人で、0.4兆円なので、人数・収入ともスペイン10分の1に過ぎない。

 EUにはシェンゲン協定があり、EU圏内であれば一度入国手続きをすればよい。僕たちはドイツで入国し、国内便に乗るような感覚でバルセロナへ乗り継いだ。

 西の方角へ移動すると時差を追いかけるため一日が長くなる。成田をお昼前に出て15時間ほどの移動をしてきたのに、着くとまだ夜のとばりが降りてきたばかり。これは疲れる。

 バルセロナの空港からはチャーターされたバスでホテルに移動する。バスを降りて荷物を受け取り「さぁこれで、やっと休める」と思ったら、ホテルの入口には黒山の人だかりができていていた。

 「え~っ、チェックインが渋滞するのかよ」
 と、憂鬱になりながら、カートを押していくとコートで厚着したドアマンが「早く入れ」と
スペイン語で怒鳴りながら、手招きをする。

 「お、日本人は特別扱いか?」と訳のわからないことを考えつつ、ロビーに駆け込むと FIFAなんとか と書いた受付デスクがあり、その周囲には 「私は、エグゼクティブです」 と顔に書いてある外国人が余裕に満ちた笑顔でたむろしている。

「 どうしたんだい?ジェニー、今日は御機嫌 斜めだね。」
「 あら、あなたが今日はまだ 私をキレイと言ってくれていないからよ。」
 彼らの会話を通訳するとこうなる 
にちがいない

 ホテル側の説明によるとどうやら、この人たちのせいで僕らの部屋へのチェックインが遅れるらしい。

 日本からの時差8時間を修正すると、スペイン時間は19:00過ぎ。と言っても日本では午前3時なわけで、意識が朦朧としている。まさか、この人たちが移籍市場換算で 634億円のスーパースター集団 だとは知らなかったので、あちこちでフラッシュがたかれていても参戦する気にもなれずにいた。

 そこへ、ロナウジーニョがにこにこ笑顔を振りまきながら
 「通してよ、試合に遅れちゃうじゃない」たぶん)
と通り過ぎた。サッカーと言えば日本代表のW杯絡みの試合をテレビで見るだけでそれ以上の興味はない。それでも、ロナウジーニョだけは顔と名前が一致する。そこが、この選手の偉大なところでもある。 その5か月後、3m以内に近づくことができない目に遭うとは思わないので、時差ぼけで朦朧とする意識の中、まだカメラを構える気は起こらなかった。

 そこに閃光と共に現れた1人の選手がいた。

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2005年10月15日 (土)

SEは不要になる

 村上龍がエッセイ「ハバナ・モード」で次のように書いている。

(以下引用)
コンピューターシステムのシステムエンジニアは、特別に才能がある一部のプロを除いて、あと10年もすれば不要になる。あらゆるプログラミングは一巡して完了するし、インドなどの安い労働力がさらに台頭してくるからだ。
(引用おわり)


 SEをやっている人間として、これに同意する。
 コンピューターシステムは企業内情報システム部の手作りの時代が終わりへ向かい始めている。
 大手ソフト会社のパッケージソフトを購入し、それに自分の会社を合わせる時代が始まったのだ。
 中小企業は初めから自作コンピューターシステムなんて組むお金はないので元からそうである。

 これまで自らの会社のノウハウ(コアコンピタンス)を外に出すわけが行かないと自前の組織を抱え、自分達の業務は独特なものだ!と勘違いして、オリジナルのシステムを組んで来た人たちが、その齟齬に気づき始め、もうこのまま改訂し続けることは蟻地獄にはまることだと危機感を抱いていた。
 そこに、ベストプラクティスという錦の御旗で外資系のベンダーが攻勢をかけているのだ。

 パッケージソフトはドイツの大手ソフト会社データベースは米国の会社、OSは米国とフィンランド、サーバーは米国。
 さらにパッケージソフトを導入する人材も居ないから、コンサルという米国の会社に勤める礼儀知らずの日本人達が乗り込んでくる。

 村上龍が言う「一部のプロ」の大半はこのコンサルということになる。
 僕が大嫌いな「勝ち組」という言葉は彼らのためにあるのだろう。

 小泉政権以降の日本政府は科学技術については正しい舵取りをしたが、自前のIT産業造りはやろうとしていない。誰かに遠慮しているのだろうか。


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2005年10月14日 (金)

PHSを使う勇気

 PHSは電車の優先座席付近でも使えるのだが、僕はそこでPHSを使う勇気がない。PHSから出る電磁波は携帯電話の10分の1。PHSは病院で医者が首から下げているくらいだから、どこで使っても問題はないのである。でも使う気にはなれない。

 「なに携帯つかってんだよ」「いえ、これピッチなんで・・」「はぁっ?というやりとりを空想しただけで滅入ってくる。
 「PHSは電車でも使えます」と宣伝しても売上が伸びるとは思えないからウィルコムだってわざわざお金かけて啓蒙活動はしないだろうし、例え社会に周知したところで「なに使ってんだ?」という人はいなくならないだろうから、京ぽんユーザーもわざわざリスクを冒してまで使いはしないだろう。「安全マーク」のステッカーでも作ればいいのにと思ってみても、「そんなんじゃ、わかりにくいし、それを携帯に貼る人がきっといるよ」と言われて前に進まない。
 でも、そうやって社会の鈍さをあきらめてかからないといけないところが切ない。

 アステルが「もうすぐやめます」と止める2か月前に手紙を送ってきたのにはびっくりしたが、これでPHSを続けるのはウィルコムだけになった。それにしても未だにピッチというと「つながらないからなぁ」というステレオタイプなことを言う人が居るのには閉口する。2005年度末のウィルコム人口カバー率は99%だし、つながらないのはドコモのPHSの話しである。噂には聞いていたが、実際に営業マン16人にドコモPHS+@FreeDを持たせたところ、大阪のど真ん中で本当につながらなくてびっくりした。ウィルコムとドコモでは電波の方式が違うのだが、一般の人にそんなことはわからない。どちらも同じPHSだとしか思わない。

 PHSを使っていて不自由なのは "自分の電話機をなんと呼ぶか" に悩むことくらいだ。「070はピッチじゃん」とつっこまれたくないから「携帯」とはいいにくいし、だからと言って、自ら「ピッチ」と言うのはなんだか自虐的な気がする。仕方なしに「電話機」とか「電話」とか言っている。

 あとはウィルコムに足りないのは、災害伝言板機能だけである。


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2005年10月13日 (木)

災害後三日間

 災害後、三日間は「自分でなんとかして欲しい」と東京都は言っている。三日間を乗り切るための備えを、重要と考える順に5点ほど。

飲料水
 新潟県中越地震では被災地が過疎地だったため、飲料と食料は比較的はやく十分な量が供給されたが、大都市部の震災ではそうはいかない。自衛隊や自治体の給水車には限りがあるので「行政は何もしてくれない」と思ってちょうどよい。家族一人当たり10リットルを用意しておくとよいだろう。スーパーで500円ほどで売っている6本入り1ケースだけでもいい。一番よくないのは、「やばいよね~」 と口では言いつつ、全く用意しないまま、その日を迎えることだ。

缶詰・カロリーメイト
 缶詰は荷物が水に浸かっても大丈夫。カロリーメイトは小さい割にカロリーが高い。匂いがしないし目立たない。避難所でも周囲に「食べてるぞ」という感じを与えずに食べられる。家族一人当たり三箱あれば死ぬことはないだろう。

トイレを流す水
 阪神淡路での学習により、新潟では比較的早い時期から仮設トイレが十分に行き渡った。自衛隊、ほかの地方自治体からも運び込まれ、トイレ前で順番を待つ姿は見かけなかった。だが、人口過密の首都圏ではこうはいかない。仮設トイレが十分に設置されるまで、自宅のトイレが使えるよう、風呂の残り湯をいつも張った状態にしておくとよい。ただ、マンションで下水管が破損した場合は、トイレを流すと他の住民に迷惑がかかる。流せるからといって、不用意に使いつづけないよう気をつけたい。

ブルーシート 段ボール ビニル袋
 行楽や花見で下に敷くブルーシートは、避難所での場所を確保するために重宝しそうだ。油性マジックで大きく名前を書いておく。ガムテープも一緒に置いておく。段ボールがあると、避難所や車中泊で目隠しに使えるし、床に敷けば防寒対策になる。日頃は玄関上の棚に置くか、クルマに積んでおく。スーパーでもらうビニル袋は非常時はトイレ代わりになる。

171番 地震留守番電話
 家族同士の連絡、親戚・知人への無事の知らせはこちら。パスワードを設定する方法もある。練習することはできないが、事前に使い方を確認しておくとよい。

震災の備え

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2005年10月12日 (水)

寝る前のチョコは痩せる

 寝る前にチョコを食べると痩せるのではないだろうか?

 寝る前にチョコを食べた翌朝、体調がいいのはなぜだ?
 しかもお腹が妙にすっきりしている。
 体重だって前日比±ゼロか、むしろ減っている。

 成人が1日に消費するカロリーは1600kcalとか2000kcalと言われているが、その二割はが消費する。一日中デスクで考えごとしてて、体を動かしていないのに体重が減るのはそのためだ。

 以前、脳は糖分を唯一のエネルギー源とするので、「おやつに甘いものを摂るとよい」とテレビでやっていたので、しばらく仕事しながらチョコをたくさん食べていたら、どえらい太ったことがあった。しらべてみると、"糖分を唯一のエネルギー源"はウソで、その糖分にしても「砂糖」のことではなく、おにぎりなどでも摂れるブドウ糖のことだった。よほど、砂糖やお菓子を売りたかったのだろうか。情報には色々な角度があるということである。

 僕が寝ている時も 脳は起きていて、1日で収集した情報を整理している。コンピューターシステムで言えば「夜間バッチ処理」。パソコンでいえば「ディスクのクリーンアップ」にあたる。

 もしかすると、寝る前チョコによる糖分補給で脳の夜間バッチ処理の効率がよくなって、たくさんのエネルギーを消費しているのではないか?

 基本的には 就寝間近に固形物を食べると、消化にエネルギーを取られるのでよくない。男性は髪の発育にもよくない。だが、なめていれば自然に溶けるチョコは胃にも負担が軽い。カロリー摂取というマイナスを補って余りあるメリットがあるのではないか。

 近々、チョコと健康を考えるフォーラムで発表しようと思う。
ありません ^^;)



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2005年10月11日 (火)

もらって嬉しくない年賀状

 今年もそろそろ年賀状のシーズンがやってくる (はやっ)
 僕は数年前から 【 もらっても嬉しくない順 ワースト10 】 ランキングを作ってしらべるに掲載している。今日はその2004年版を紹介しよう。

1. 印刷業者に頼んで印刷+宛名はパソコンで印刷。
究極の手抜き。パソコン宛名印刷に挑んだのは尊敬したい。

2. 印刷業者に頼んで文字だけ印刷しただけのもの。
よくあるパターン。そういう人なんだなぁ・・

3. 毛筆(自筆)で「謹賀新年」とか書いただけ
字がうまいのは尊敬できる!

4.文面は印刷なのに、宛名面だけ、毛筆ですごく気合いが入っている
自分の宛名は読んでないんですけど・・

5. 「年賀状作成ソフト」のテンプレートに、住所・名前を入れただけのもの
4年前はこれが多かった。今もこれだと怖い。

6.干支の画像ファイルとことばを組み合わせてパソコンで作ったもの
しかもCD-ROMは図書館から借りてたりして

7.印刷した年賀状に「今年もヨロシク」と一言だけ手書きしたもの
それじゃ中学生でしょ

8. 自作の版画・絵を印刷しただけ
いまなぜ版画なのか・・

9. プリントショップの厚い紙でできた「こどもの写真」のフォト年賀状
子どもを見たいのじゃなく、今のあなたを見たい!

10. 「奥さんとこどもの写真」のフォト年賀状
奥さんが綺麗なのは去年から知ってます。

 さて、あなたは第何位だったでしょう?



しらべる

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2005年10月10日 (月)

スナフキンのUFOキャッチャー

 僕はUFOキャッチャーの神様と呼ばれていた時代がある。もう随分前のことだ。

 まずは機械選び
 ヨコ面にも体が入る機械をえらぶ。奥へアームを移動させる時、ヨコに回ると見やすい。あと必須なのは店員が近くにいること。店員がいないとクレーンに紐がひっかかった時とってもらえないし、どうしても獲れない時に「もう1000円使ったんだけど・・ちょっと場所変えて」って泣きつくこともできる。

 ■事前の計画
 プライズのどこをはさむかを明確に決める。はさむよりひっかける方がとれることが多い。箱の穴、ひもやリング、ベルトなどひっかかる部位があったらそこを狙う。
 狙い場所を決めたら、アームが狙いの所に入りこめるかを見極める。両隣りにびっしりプライズがある場合や、隣りのプライズが高い位置にある場合、それに当たってアームが狙いの位置に行けない。意外と獲りやすいのは、隣りのプライズとダブルでつかむ技。一つでは滑ってしまうプラ容器入りのゴジラネクタイをこの手で2個取りしたことがある。このネクタイの単価は50円である。(後述する)アームが重さに耐えるならば、二個獲りは美味しいというだけでなく、一個獲りよりも手堅いのである。

 最近は100円で確実に獲れるモノしかやらないが、プライズコレクターだった頃は、欲しいプライズと出会うと「隣の邪魔ものを3回でどけて、ターゲットを掘り起こし、500円で獲れなかったらやめる」と予算も決めていた。

 ■コイン投入
 アームを左右と奥行きそれぞれどこまで動かすかを決めたらコイン投入。その位置のガラス面を人差し指で押さえて目印にする。ここでポイントは「絶対取れる!」と脳に言い聞かせること。事前にきちんと計画したら、実際にボタンを離す指令は右脳がおこなった方が結果がいい。ごちゃごちゃ左脳に考えさせていたらタイミングがずれてしまう。自分を信じていない時は獲れないと言っていい。
 一度めでアームのはさむ力、プライズの重さを見極める。プライズの重さに対してアームの力が弱い場合、何度やっても取れない。超特大のぬいぐるみをぽつんと置いている機械がある。狙い通りにアームがはまるのだが、つり上げる力が弱くて持ち上がらない・・こういうことを平気でしている店には次から行かない。

 ただ理屈抜きのこともある。
 ある日、女の子とゲームセンターに行き、5つくらい楽勝のぬいぐるみを獲ったところで「このスナフキン、かわいい~」とねだられてしまった。しかしその機械ではスナフキンはアームの届かない位置にいた。
 翌日、営業で訪れた田舎町でスナフキンを発見。次のアポイントまで1時間あるので「絶対獲る」と長期戦を覚悟でスタート。周囲にいるやつを片づければ700円くらいか、でも獲れるまで止められないし・・という曖昧な気持ちがよくなかった。 そして700円でスナフキンは手中に収まった と思ったら、ぬいぐるみの谷に転げ落ちてしまった。ムーミン谷の住人だからと言って寄りによって谷に落ちなくても・・結局4,600円。その日はこの金額にうちひしがれたが、長い年月を経て、このネタを何度も使い回したことを考えれば安い投資だったかも知れない。

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2005年10月 9日 (日)

デコのW杯

 2006年W杯の欧州予選グループ3でポルトガルの出場が決まった。

 

 ポルトガルは2002年の日韓W杯では優勝候補と言われながらも、開催国と同じグループにはいり、その対戦で二人が退場処分となり敗れ、決勝トーナメントへは進めなかった

 

 四年に一度行われる欧州の代表戦、ユーロ 2004は母国で開催し、決勝に進んだが、ギリシアに敗れた。この時からルイコスタに替わりポルトガルのゲームメーカーとなったのがデコである。

 

 2004年当時、デコはブラジル出身だがポルトガルリーグ「スーペルリーガ」のFCポルトで活躍しており、2003年にポルトガル国籍を取得してポルトガル代表となった。日本の報道ではよく「帰化」という言葉を使うが、帰化には民族に同化するという意味が含まれる。国籍を取得することを、一律に「帰化」という言葉で表現するのはどうかと思う。

 

 2006年はデコにとって初めてのW杯。彼は「ずっとW杯が夢だった」と以前に語っていた。

 

 2006年W杯、ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、ウクライナ、そしてポルトガルの中からベスト4が出ると僕は予想する。

 

 2004年ユーロ以降、ポルトガル代表から引退していたのに、予選突破が確実になってから代表に戻ってきた7番の選手は、さも自分が予選を戦ってきたかのように振る舞っているが、ポルトガルファンは誰がこのチームの柱なのかをよく知っている。日本人に名が売れているからと、ポルトガルといえば7番の記事ばかり書いているサッカー雑誌には呆れる。

 

 この夏、28歳になったデコにとってのW杯は1回ないし2回。特に今回はピークで迎えるW杯だけに、リーガやCLで大きな故障がないことを祈る。

 

 来年の7月にはドイツの新聞がDECOの文字で埋まり、加賀まりこさんや日本のデコファンは「ほらね」と一人ごちることになるだろう。

 

→デコファンサイト

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2005年10月 8日 (土)

FCバルセロナに欲しい

 村上ファンドが阪神タイガースに上場を提案したと聞いた時、彼はソシオのような組織を大阪でやろうとしているのかと思った。

 FCバルセロナは世界で唯一、百年を超す歴史の中でユニフォームスポンサーを付けたことがないクラブ。ソシオという組織の会費収入、彼らによる年間指定席購入がクラブの安定財源となっている。 ところが、2005-06シーズンからある国の五輪委員会とスポンサー契約するという報道が出たため、ファンはそのロゴが入る前にと、急ぎ足で新シーズンのユニフォームを買いに走った。だが、この案件については 7月に東工大で行われた Alfons Godall  バイスプレジデントの講演を聴いて永遠にないと直感した。 (以下のURLに講演記録メモを掲載、著作権は東工大にあります)

2005年7月29日 「新生FCバルセロナのマネジメント」講演メモ(於:東京工業大学)

 バルサの累積赤字は300億円未満。だがこれは UEFA CL で優勝し、世界の売上トップ5に入れば解消できる範囲。メッシに200億円という契約途中破棄違約金をつけた時には、「ラポルタはん、あんさんって人は」と思ったファンが10人はいたと思うが、このくらいの金額ならばメッシやロナウジーニョを売るまでもない。

 また五輪委員会というクライアントに限って言えば、版権管理に力を入れる企業が版権の法律が不備な国と組むことはないと考える。バルサは肖像権、テレビ放映権といった旧態の権利に留まらず、Barca toons という アニメキャラクター、携帯電話コンテンツ配信(日本が世界で初めて)に力を注いでいる。版権で商売をする企業は、GONZOがそうであるように、法律が不備の国とは商売をしないものだ。

 法律が整備されていてコンテンツで商売できる国、日本。バルサ・グッズが一番売れている国、日本。しかし、バルサのこの国での人気はまだまだ下火である。バルサとしては日本がナンバー1市場でも、先行したマンUやレアルマドリーには及ばない。ただその分、伸びしろは大きい。

 日本のバルセロニスタの中には 「選手はオフにはゆっくりバカンスに行って欲しいから、アジア遠征は考えものだ」 と他人の休みの心配までする人が少なからずいるようだが、クラブが年に一度、最重点市場のツアーを外すわけがない。W杯があろうが、ユーロがあろうが、どの夏もバルサは日本の地を踏むはずだ。選手にしても治安がよく、口うるさいファンの目もなく、安心して朝まで遊べる国へのツアーは何よりのバカンスと思っているのではないか。

 今後、日本市場、日本のファンがバルサを支える時代が訪れ、続くだろう。

 それには、早い時期にリーガ専門の月刊誌が欲しい。(月刊バルセロナが欲しいくらいだ) バルサが全戦確実に見れる保証が欲しい。(最近はWOWWOWがバルセロナ全試合放送と宣伝している) 現実的には有料放送だろうが、できれば地上デジタル局にそれを望む。そして、何より世界市場での売上アップのために、CLでの優勝が必要なのである。

 トヨタ自動車もきっとそれを望んでいるだろう。

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2005年10月 7日 (金)

松井、巨人移籍

 原辰徳が巨人監督に復帰した。もう今度は敵将の胸に抱かれて泣くようなことはないだろう。

 来期、巨人が優勝するためには松井秀喜が必要である。これからMLBへ行くための腰かけで所属している上原高橋由伸は投打の柱となり得ない。

 ただ、松井移籍の可能性は薄い。高橋由伸との交換トレードに活路を見いだせるかという程度。ヤンキースがワールドシリーズで優勝し、松井の目標がMLBにおいて一つ減るかどうかも重要な要素だ。

 ところが、原辰徳の就任会見のコメントに2つ気になる言葉があった。

チーム作りの方向性は?

「胸に秘めた思いはあるが、まだ試合が残っており、日本シリーズもある。時期尚早だと思う。」

戦力補強について

「一番大きいのは日本人。次が外国人で、その次が新人選手」

 え、日本人? 今年FAで大物いたっけ?

 というより、そういう補強こそ、原の嫌うところでは・・ 前回の任期では、原は松井秀喜のFAで連覇を失い辞任した。そんな小さなことに彼はこだわっていないだろう。ただ、一緒に戦う巨人を愛する同志が欲しい。それは阿部慎之助二岡智宏かも知れないが、小久保ではないだろう。

 イチローも今年は故郷に錦を飾る、いいタイミングではないだろうか。

*原辰徳のコメントは読売新聞10月6日朝刊より



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2005年10月 6日 (木)

地震直後、いかに身の安全を守るか

 家で寝ている時に起きることに絞って備えている。

 まずは、地震が起きた瞬間。
 倒れて来る家具で圧死したり、頭部にダメージを負わないことが先決。

 ベッドの隣りには、本棚とガラスのショウケースがあるので、これは2つとも壁に打ちつけた。初めはモルタルの壁にネジを打っていただけだったが、不安になり、当て木を壁に打ち付け、それにネジ止めした。その作業のとき、先に打っていたネジを抜こうとしたら、手でスポっと抜けた。こんなんじゃ震度5でもダメだっただろう。(2005年7月23日の震度5では、ガラスケースの中のものは、バイクの大キャストモデルが1つ倒れただけだった)

 それでも家具は倒れてくるかも知れない。頭がある位置に倒れて来るのは本棚。だがメジャーで測ってみたら、もし倒れても本棚はベッドの反対側にあるテーブルで止まり、頭上に30cmほど隙間ができることがわかった。これならば、頭を強打することはなさそうだ。

 揺れが収まってからの第一歩。
 万が一ショウケースが倒れガラスが飛散した時のために、ベッドのそばに靴。というか、靴を集めていて部屋には靴屋さんのような靴ラックがあるので、30足から選べる。ただ、地震直後に「どれにしようかな~」と迷ってはいけないので、一番近いスタンドに、これと決めた一足を置いてある。生地がゴアテックスでトレッキングにも使える仕様のナイキマイノット。新潟の被災地に赴いた時はこれを履いた。左足に靴下、右足に軍手が丸めて入れてある。

 枕もとには懐中電灯。めがねはハードケースに入れて枕もとのそば。

 不安といえば、部屋のドアが開かなくなること。ドアが開かないと屋外への避難どころか、他の部屋へ行けなくなる。ちょっと心もとないが、スパナやプライヤーなどの簡単な工具は部屋にあるので、いざという時はそれでこじ開けるつもりだ。
 どうしてもドアが開かない時に備えてガラスショウケース下のストック棚には 缶詰、ミネラルウォーターを入れた。

 次なる課題は ② 地震後三日間、いかに生命と生活を維持するか である。

(このつづきはカテゴリー一般をクリックしてご覧ください)

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2005年10月 5日 (水)

ITベンダー語

 SEにはみんなの言葉を使うSEと、自分の言葉を使うSEがいる。

 みんなの言葉とは・・
 プロジェクト仲間の前であれば、プロジェクトで定義された用語。データの正式名称。
 ど素人のユーザーやお客さんの前では、専門用語を一般の言葉に置き換えたことば。

 自分の言葉とは・・
 自分が好んで使うIT用語。一部の業界人しかわからない専門用語。

 自分の言葉を使う人は始末に終えない。

 ITベンダー社員は、本当にこんな風に話す。

「フロントからバックオフィスまでが一丸となってワントランザクションごとのTCOをオーダーのステータスごとにシミュレートすることで業務プロセスを可視化してナレッジベースでシェアフォルダマネジメントする必要があります。
グローバル
ではこれは最もオーソライズされたコンセプトになっています。
 
コモディティについてサプライヤーをはじめパートナー企業とサプライチェーンコラボレートしアライアンスすること、従来のERPに加えCRMSFAと連動したセキュアなポータルウェブサイトを構築しCTIIVRを導入したコンタクトセンターとのシナジーでCSにフォーカスすることがBtoBに限らずB2Cでも勝ち組となるランドマークです。
 
インテグレーションを考慮したベストプラクティスへの取り組みは、ASPアウトソーシングを視野に入れたうえで、レガシーとのインターフェース、コンポーネント、問題のグレード、セグメンテーションの見直しから始まります。
 ●●●
スィートワールドワイドなサポート、カスタマイズについてのベストプラクティスのコンサルで、レガシーとシームレスベストエフォートワンストップソリューションロードマップクライアントにご提案します。

 正月に里帰りしたら、親戚の前でもこの言葉で話してもらいたい。きっと親戚から縁を切られるだろう。

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2005年10月 4日 (火)

うなぎ人生が変わる店

 うなぎ人生が変わるお店を紹介したい。

 僕は柳川、本吉屋の「蒸籠蒸し」 名古屋、以ば昇・大友の「櫃まぶし」と各地の独特な美味いうなぎを食べてきた。ビッグコミックに美味い!と紹介された 寿々き も行った。

 うなぎカレーを食べたことがあるだろうか?
 カレーチェーン「CoCo壱番屋」はテーブルに置いてあるハガキでいろいろなトッピングのリクエストを受け付けていて、ある夏「うなぎカレー」をリクエストしたところ、採用されたことがある。

 家でもボンカレーを食べる時は、時おり うなぎを買ってくる。
 「鯖カレー」とか魚入りカレーがどうしてもダメだと言う人でなければ、普通に美味しく食べれると思う。

 この夏、銀座の「矢場とん」に「矢場とんの日」に行ったところ、1000円の食券が当たったので、330円の「みそだれ」を買ってきた。賞味期限が短いので、毎日あれやこれやと「みそだれ」が合う食べものを模索したところ、一番しっくりきたのが「みそうなぎ丼」。

 ごはんにうなぎを乗せて、暖めた「みそだれ」をかけるだけ。うなぎに附属しているうなぎのタレはかけない。
 これはもう、人類4千年の歴史で食べ継がれてきたのかと思うくらい、違和感がない。

 さて、前置きが長くなったが、僕のうなぎ人生を変えたのは愛知県知立市(ちりゅうし)にある「井谷屋(いがや)」のうなぎ。
 うなぎ養殖の生産量一位の県は?と聴かれたら、"うなぎの浜松" を擁する静岡県と答える人がいるかも知れない。現実には、静岡のトップの座を愛知県が奪い、その後、2001年に鹿児島県に移っている。
 その愛知県一番の生産地、一色町(いしきちょう)産のうなぎを仕入れて、ふつうに焼いているのが井谷屋のうなぎ。腕がいいとか、タレが美味いとかじゃない。それじゃ人生変わらない。

 もう、うなぎが違う。

 これまで連れて行った人の感想が似ていて面白い。「変な言い方だけど、これって、○○みたい」 そう、うなぎと思えぬ食感に皆 驚くのだ。

 名古屋に出張に行くことはあっても、名古屋駅からかなり遠いので、もう6年は行ってない。その後も、多くのひとのうなぎ人生を変え続けているのだろうか?

 もし僕が「メントレレストラン」に出演するような立場だったら、まちがいなく 三品の一つに入れる。そしてゲストカードはコレにする。TOKIOにばれたら僕が食べれないので、このことは言わないでね。 ^^;)

unagi_ufo

うなぎカレーUFOも美味い



うなぎカレー

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2005年10月 3日 (月)

NPBがつまらない理由

 日本のプロ野球「NPB」がつまらないのは敗者の美学が成り立たないからではないだろうか。

 スポーツには勝者があり、敗者がある。かつて2002年の日韓W杯において、審判がいくつもの相手のゴールを取り消して勝ち進んだ国があった。負けた国スペインのメディアや選手は激怒したが、DFのプジョル(バルセロナ)は「微妙な場面で正確な判定は難しい。審判はW杯レベルだったと信じている」と言うことができた。心の中は裏腹でも、いずれ歴史がどう判断するのかはその時点ではわからないし、自分の判断とは反対に転ぶことがあるかも知れないのだ。こういう時、負けた側は辛うじて「大人の発言」をすることができる。

 2004-05のCLでチェルシーに敗れたフランク・ライカールトもそういう1人。初戦に微妙な判定で敗れたホセ・モウリーニョは、試合後、「審判とライカールトが密談していた。」と発言した。 だが、同様に微妙な判定で第2戦を敗れたライカールトは 「審判の判定に文句を言うのは、往々にして負けたほうの側だ。」と述べた。つまり何を言っても負け惜しみの範疇に過ぎない、負け惜しみを言うくらいならば、もっと素晴らしいプレーをすればよかったのだ!ということを賢者は口にするのである。

 セリーグのセーブ王、岩瀬(中日)は投球中にモーションを止める。「一連の動作で投球を完了しない」 つまり、モーションを止めるのは不正投球だと野球規則に書いてある。最優秀防御率の三浦(横浜)もそう。今年、優秀な成績を挙げた多くの投手に共通するのは、不正投球をしているということである。

 投手にモーションを止められても、打者に圧倒的な技術があれば、それを打ち返すことは可能だ。また、投手はモーションを止めなくても、いい投球はできる。悔しかったら自分達のチームもモーションを止めたらいい。・・・ここまでならばまだ、負け惜しみの範疇であり、百歩譲って、賢者は負けを認められる。

 だが、NPBがスゴイのは「来年から厳しく(違反を)とる」と言っていることだ。

 アマチュア球界から「プロがルールを守ってくれないと球児に示しがつかない」とクレームがついたことが、来期、ルールを厳格に適用することにしたきっかけらしい。

 サッカーでシェフチェンコだけハンドし放題だったり、テニスでシャラポワだけは、2回で相手コートに返せばよい・・ そんな不公平はあり得ない。今あるルールを誰にも公平に適用することでスポーツも、社会も成り立っている。

 投球動作は止めた者勝ちです。悔しかったらもっと練習して打ち返しなさい。でも、ルール違反だということはわかっているので、来年からは駄目にします。

 なぜ、悪いとわかった時点で正せないのか。

 フェラーリが勝てないようにF1のレギュレーションを変更したり、ホームラン打者が少ないチームが使用球をシーズン途中から低反発球に変えたり、こうしたスポーツの枠を超えた虚々実々の駆け引きも、スポーツ・ファンは楽しむ度量をもっている。

 NPBはそれを見越したうえで 「ルール違反もスポーツだ。」「勝つためには何をしてもいい。」 ということを教えたいのだろうか。

 実社会でルールを守らぬ横着者にやるせない思いをしている人々が、スポーツの世界に求めているものは、こういうルール無視の戦いではない。

 改革は夢のような秘訣の実行ではなく、小さい改善の積み重ね。一つ一つの姿勢の甘さに、もうこの集団には未来がないことが見えてしまう。

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2005年10月 2日 (日)

イスラエルで留年

 ふるくからイスラエルに関心があった。

 落合信彦が書くノンフィクションで、イスラエルについて読んだのがきっかけだ。
 その情報意識の高さで四方を敵に囲まれたイスラエルの独立を守っているとある。
 まだパソコンも無かった時代に「情報」を武器にしているのが興味深かった。

 卒論では、ついそういった情報意識について触れてしまったところ、採点した教授がつけた評価は「C」 まわりは全員A。危うくイスラエルのせいで留年するところだった。

 



 長い歳月が過ぎ、僕はイスラエルの会社がつくったシステムの担当になった。表敬訪問という名のセールスで、イスラエル人の社長が僕を訪ねて来るというのでヘブライ語の単語カードをつくった。普通なら「Nice to meet you Mr.」とやるところを「シャローム!」と受付で迎えたら「なんで、兄さん、しゃべれるのん」とびっくらこいていた。

 

 でも「彼女の名前はケイコです」とか「また会いましょう」とかしか練習してなかったので、会談はずっと英語。

 英語は苦にならないのだが、通訳の女性が同行していたので、仕事を奪ってはいけないと思い、日本語を使った。(真に受けないでくださいね)

 


 僕が要件定義はとてもあなたの部下の提案がすばらしく、順調に進んだと話し、イスラエル社長が英語で答える。彼の目を見て「はは~ん」とか言いながら、すべて分かっているという顔をして、話し終えると通訳の女性の方をみて「なかなかいい訳だねぇ」という顔をするのはとても疲れた。

 

 僕は情報に対する意識が高いイスラエルに、ぜひ一度行ってみたい。といったことを話したところ
「ぜひ来なさい。今度招待しよう」
と、とんとん拍子に話しが進んだ。

 そして、数ヶ月後、まだ肌寒い2月、自主規制が浸透して義理チョコの1枚さえ来なかった日の翌日、僕が降り立った空港は
バルセロナだった・・

 

なんでやねん!

 


(このシリーズのつづきはカテゴリー デコ をクリックしてご覧ください)

 

デコファンサイト

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2005年10月 1日 (土)

メキシコといえば?

 タコス、テキーラ、ルチャリブレ、ソンブレロ、
 メキシコといってもこんな言葉しか思い浮かばない。
最近はこれにマルケス(FCバルセロナ)が加わった。

 最近食べたメキシコ料理店のタコスにはハードシェルとソフト
シェルがあり、ソフトシェルは生春巻きみたいで今イチだった
が、ハードシェルはぱりぱりしてて美味しかった。やっぱりタコ
スは硬いほうがいい。
 一緒に行った友達が「コロナビールを呑む時は、指で栓をして
逆さにするとライムが沈む。でもビールの水圧がかかるのでけっ
こう難しい。」と教えてくれたけど、そんなん簡単じゃんと内心
思ったので、友達がトイレに行った隙にやってみたら、確かにけ
っこう難しかった。

 メキシコ国民はスペイン語を話すらしい。
 というかメキシコ以南の南米の国はポルトガルが宗主国のブラ
ジルがポルトガル語(=ブラジル語)を話す以外は、すべてスペ
イン語らしい。(と思っていたら、例外もあるよとミクシィ友達が教えてくれた)

 でもなんと言っても、メキシコといえばミル・マスカラス
 1000の顔を持つ男、プロレスラーのミル・マスカラス。映
画にも出ていたらしい。覆面かぶって。
 小学生の頃はクラスの友達と 「ほんとは覆面は300枚くら
いしかないんじゃないか?」とか、「素顔を入れたら1001の
顔というのが正しい。」と論争していた。

 僕は子供の頃から覆面が大好きで、今もかぶりものを集めてい
る。マスカラスのマスコットマスク(サテン生地・600円)、
原寸大マスク(タオルのような生地・2000円)がゴング誌上
で通販されたことがあって、おこずかいをはたいて買った。結局
2つとも数年後ゴングの「売ります・買います」コーナーで売っ
てしまったので手元には無い。原寸マスクは今ならばサテン生地
の立派なものがどこかのプロレスショップで手に入りそうだが、
マスコットマスクはとっておけばよかったと思う。いろいろなモ
ノを集めてきたけど、そういえばマスカラスモノが残存していな
い。63歳のマスカラス、5年前日本でも試合をしていたようだ
ったが、もうそろそろ1100の顔を持つ男くらいにはなったの
だろうか。それにしても1000はスゴイ。僕などはせいぜい
つの顔と2枚の舌を持つ男
が精一杯だ。

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