« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月の31件の記事

2006年7月31日 (月)

島田歌穂

 学生の時、ミニコミ誌を作っていた。
 学校の情報、周辺地域の情報を掲載する、学校に特化したタウン
誌のような内容のもので、年5回発行して無料配布する。

 ロットリングで起こした手書き原稿を街の印刷屋さんに持込み
(活字ではなく)ダイレクト印刷をしてもらう。
 まだ、ワープロは世の中になかった。
 支出(印刷代)はすべて広告収入で賄う。
 2人のチームを作り手分けして近くの商店街に広告掲載をお願い
して回る。一番小さい枠で1,500円。一番高い裏表紙が1万円。
 「必ず出すから、毎回おいでよ」
と言ってくれるお店もあり、そういうお店は部員皆で通っていた。
 総額5万円以内の収入と支出で回る、ささやかな仕事。それでも
広告の入りが悪い時は心配になった。

 無料ということもあり、学生からは好評だった。
 7,000人の学生に対して4,000部を印刷。手渡しと生協
のカウンターに置いてもらうだけで、いつも数時間ではけた。
 一度だけ有料化(50円)してはどうかという議論をしたことが
あったが、それに見合う記事を書く自信がない、そういうプレッシ
ャーのないのんびりした雰囲気でやりたいという意見が大半を占め
た。当時はなんと、気概のない人たちかと思ったものだが、今は
それも自然だと思える。

 取材には必要経費が出るわけではない。実費は手出し。
 自分でアイデアを出し、編集会議にかけて、ページをもらうと
取材に走る。
 松田聖子の高校時代を追うという記事では、彼女が高校途中まで
在籍した久留米市の信愛女学園にバイクを飛ばした。

 高校と短大が併設されている信愛女学園。
 下校時間に校門前で待っていると、松田聖子と同級生だったと
言う大学1年生の声もひろうことができた。
 (記事内容は割愛)

 ある時、その学校のマスコット・ガールという触れ込みで、アイ
ドル・デビュー間もない島田歌穂がやってきた。
 東京のアイドルが九州の大学のマスコットというのもおかしな話
だが、そういうご都合主義には目をつむり、ライブイベント前の楽
屋に取材を申し入れた。

 雑誌づくりは、こういう役得がおいしいところ。

 その時の記事を今、読み返してみると、顔から火が出るような質
問、つまり、既存の芸能誌が聞きそうな質問ばかり。
 いやな顔ひとつせず、笑顔で応じる島田歌穂。

 取材の終わりには、取材班と一緒に記念写真。
 何を勘違いしたのか、僕は島田歌穂の肩に手を回している。
 土地の名士やプロモーターと言えども、そんなことはしないだろ
う。なぜ、そんな不届きな行動をとったのか、わからない。

 常識がないとは、恐ろしいことだ。

|

2006年7月30日 (日)

ユニセフのメッセージ

 加藤久氏はバルサファンのツボを心得ている。ファンが聞きたい
ことだけを、ピンポイントで畳み掛けていく姿が頼もしい。

 広告付ユニフォームは、いつ頃見られるのか?

Alfons
 環境がそれを許した時だ。我々は急いでいない。環境が熟したら。
 質と量が整わなければない。
( Munoa がとなりで"大丈夫か?"って顔で見ている)

加藤
 バルサのユニフォームに広告が入るのは、世界が最も注目する
イベントだと思う。
 (そりゃ、言い過ぎだっての)

Alfons
 あくまで状況が許した時になる。副会長個人としては、僕はロマ
ンティックな人間なので、ロゴの付いてないユニを着続けるのがいい
のでは?
(僕が真っ先に拍手、続いて会場から大きな拍手。Alfons これに手を挙げて応える)

早川
 アジアツアーについて言うと、選手達の長旅での疲労を考えると
本当にいい試合ができるの?と思う。それでも日本にくるのはなぜ?

Esteve
 疲れについては、過密スケジュールと関係がある。それはサッカー
協会の要望だ。私どもとしてはアジアツアーが重要なので、それを
1位に置いて行動したい。
 この夏アジアでの試合は2回。トレーニングは朝夕の2回に限定
している。
(6月の来日はカウントに入れていないようだ)
 去年もこの季節に日本に来てリーガで優勝した。こういうリズム
を今後も続けたい。
(2006年も来るという意味かと思ったが、2006年はアメリカツアーを実施。アジアツアーは無しだった。ただしバルサはCL優勝チームとして12月に来日する)

Munoa
 日本がどう重要か?
 それを決定する前に5つの国を分析した。
 その分析で、日本には1,300人という、スペイン以外では最
も多いソシオがいた。
 グッズ販売、コンテンツ配信契約をした最初の国だった。
 グッズは一番買ってくれている。
(スペイン国外で?それとも世界で一番か?は不明)
 初めて外国のツアーを行ったのも日本。
 ほかにもテレビとの契約、肖像権、放映権などの要因がある。
( 法治国家=契約社会の日本は、知的所有権が確立されている。それがビジネスを行ううえで重要な要素だ・・というニュアンスに聞こえた )

加藤
 地域に根ざす、地域の子供達を育てる。バルサはその方法論を
持っている。そのノウハウをぜひ日本で紹介できる場所、機会を
作って頂きたい。

Alfons
 子供たちを立派なプレーヤーに育てるのはバルサの重要な任務だ。
 若者を育てるため、(カンテラの選手は)合宿に住みサッカー、
規律、哲学を学んでいる。
 この哲学を学ぶために、選手も一緒にスタジアムに出て学んで
いる。サッカーのもつ寛大さなど。
 バルサというのは100年という歴史を持ち、地域に根ざして
いる。強い連帯感を誇る。子供達の教育について世界の子供達に
ついて連帯感をもっている。アフリカの子供達、メキシコの子供達
にも援助をさしのべている。そういう連帯感を通じて我々の哲学
を子供達に教えている。
 最高の選手を育てることについてはNo.1だと思う。

 一年後の今になってわかることだが、この講演の中には既に
ユニフォームメッセージ
ユニセフとの提携
 のヒントが語られていた。

19:33
 バルサ経営陣は横浜へ移動するため退席。

 お楽しみ抽選会~一等はバルサ05-06HOMEユニフォーム
 当たった女性は「Tシャツが当たった!」と知人に自慢していた。

19:42 終了

( )内は筆者のコメント

|

2006年7月29日 (土)

エクセルブックが開かない

 'books.xls'にアクセスできません。ファイルは読み取り専用であるか、または読み取り専用の場所にアクセスしようとしています。または、サーバー上に保存されているドキュメントから応答がありません。

 ある日、読書記録をつけている エクセルブックを開こうとする
と、ファイルが開かなくなった。
 以前のバックアップは?と探すと3か月前。
 日々、記録は増えているので、3か月分はとうてい思い出せない。

 ここから復旧への道が始まった。

 まず、インターネットで検索し次の方法を試した。
ワードで開く。
 同じエラー・メッセージが出た。

Microsoft Excel Viewer をダウンロードして、開く。
 同じエラー・メッセージが出た。

エディター(秀丸)で開く。
 開くことはできたが、ファイルはぐちゃぐちゃで元の体を成していなかった。

「エクセルファイルを修復する」というキーワードで検索、出てきた業者に見積りを依頼した。
 復旧できなければ無料、できた場合2万円といわれた。2万円は高いので見送った。

 そして、最後に市販のファイル復旧ソフトを試した。
 ファイルは開けなかった。

 結論:諦めた。その後は、極力バックアップを取るようにしているが、毎日とっているわけではないので、よい対応とは言いがたい。


|

2006年7月28日 (金)

本好きな小学生が増えたのか

 「全国の図書館での児童1人当たりの年間貸出冊数が過去最高を
記録した」と毎日新聞が書いている。

 2004年度、18.7冊
 7月21日、文部科学省 社会教育調査中間報告
 同調査は3年ごとに実施

(以下、引用)
 本好き小学生の増加について、同省生涯学習政策局調査企画課は「活字離れが指摘される中で、総合的な学習や理科、社会の授業で与えられた課題に本を使って調べる学習に加え朝の読書、図書館との連携など学校現場の取り組みが功を奏しているのではないか」と分析している。
(毎日新聞) - 7月21日
(引用終わり)

 2002年に施行された学習指導要領により「総合的な学習の時
間」が始まった。
 子ども達は課題を与えられると、学校の図書館や街の図書館、
本屋さんに走り、資料を集める。
 子ども達が本と接する機会が増えたという点では、国の取組みが
功を奏しているという分析は正しい。

 だが、この記事が「本好きの小学生の増加」という書き出しなのは
おかしい。
 図書館の貸し出しが増えるということは、必ずしも「本好き小学
生の増加」を意味しない。
 本好き小学生が増加というには、
「全国10万人の小学生に聞きました。あなたは本が好きですか?」
というアンケートを経るべきだ。

 また、図書館の貸し出しが増えたということについていえば、
本屋で買わずに、図書館で借りる人が増えたのではないか。

 図書館には一部のコミックや雑誌も置いてある。雑誌について
は、前号以前のバックナンバーを借りることができる。さすがに
「少年ジャンプ」は置いていないが「コロコロコミック」やアニメ
専門誌などは置いてある。

 当然 18.7冊にはそれもカウントされている。

 この記事では、小学生の貸出冊数 18.7冊について
「国民1人当たり年間貸出冊数(4.5冊)の4倍強という多さだ」
とも紹介している。

 自分の財布で本が買える大人と、そうでない子供を比べて 4.5倍。
これをもって「小学生は本が好き」という論調にまとめられたこの記事
には、学ぶことが多い。

|

2006年7月27日 (木)

索引

 会社のパソコンに蛍光灯が映りこんでいる。
 映らないように液晶の画面を替えると、今度は画面が見辛くなる。

 「映りこみ防止シート」のようなものがあるといい。
 ASKULのカタログを探してみた。

 "反射防止" であるかな


はん
はんし

半紙?

職場で「前年比 一二〇% 必達」とか書くのかな・・

反射では出てこない。

 プライバシーフィルターと似ているから、そのページにあるかな


ふら
ふらい・・

フライ返し

フライ返し?
誰がそんなん買うんや!

 プライバシーフィルターはあったけど、そのページに「映りこみ
防止シート」はなかった。
 "映りこみ"も索引にはない。

 小口のツメをぱらぱらとめくっていると「OAフィルター」の
ページがあり、そこに目指すものはあった。

 サンクレスト サンフィルターNF 15型液晶用 ¥2,580

 Webでは自由なキーワードで情報を探すことができる。
 索引をつけた情報は、索引に工夫が必要になる。
 直感的に浮かんだ言葉が索引にないと、使い手は不便を通り越し
腹立たしささえ感じる。

 しらべるは、自分が探す時の言葉で索引に載せるようにしている。

 一例を挙げれば 「東海道・山陽新幹線の座席」という記事は
「さ」 座席
「し」 新幹線の座席
 のように、50音もくじ 「さ」と「し」にも載せている。

|

2006年7月26日 (水)

しゃら くぅ~

 名古屋から仕事で津や伊勢(三重県)に行く時は、いつも近鉄に乗って行く。

 その日は休日出勤で10時頃名古屋を出た。

 その便はがらがら。
 同じ車両に乗っているのは僕以外には、若い兄ちゃんの団体が1組だけ。
 名古屋を出て四日市を過ぎた頃から、兄ちゃん達ががやがやと騒ぎ始めた。
 僕には妙な正義感があって、いつもならば、
「おい、うるさいぞ 」
と注意するところだが、相手は当時珍しかった金髪の4~5人組。危ないので、やめておいた。

 その日は津で展示会。
 「津」のホームに降り立つと、高校生女子が大勢で待ち受けている。
 どうやら、目当ては件の金髪の兄ちゃん達らしい。

 降りてきたその兄ちゃん達を、女子がきゃーと喚声を上げて包囲する。

 こういう時、女子に話しかけるのは得意なので、あれ誰?ときくと
 親戚にはしたくないようなネジの外れた音程で
 「しゃら くぅ~」

 あぁ、あの時々新聞に名前が出てる "しゃらく "というバンドのことだな。へぇそいつらだったのか。まぁいいや、遅れるから早く仕事いこっと。一秒たりとも立ち止まらず、その場を立ち去った。

 当時僕が「しゃらく」と思い込んでいたのが、まだシングルベッドが出る前のシャ乱Qだった。

|

2006年7月25日 (火)

船旅の終わり

 着岸を見届けると部屋に戻り、下船OKの放送を待つ。

 下船OKが出た。
 重いスーツケースを抱えて階段を上り、事務局の見送りでいよい
よ船を下りる。
 タラップには事務局スタッフが一列に並んでいる。
 新聞取材ですっかり顔なじみになったスタッフが「motoさ~ん」
と、ビートたけしの「冗談じゃないよ」と同じ動きで手を振って
いる。そこで立ち止まり、握手を交わす。
 これだけ仲良くなったとはいえ、今後の人生で再会を果たすこと
はないだろう。一瞬見つめあう間があったが、互いに再会を誓う
言葉は口にしなかった。
 「お元気で」

 二週間ぶりに、日本の地を踏む。
 入管は係官が「何も買ってないでしょ?」と書類を受け取っただ
けで、ほとんどスルーパス。

 宅急便デスクから自宅に荷物を送り、渡辺さんはそこで別れる。
飯塚さんはしばらく船から出てこなかったので挨拶できず。

 東京駅八重洲口行きの臨時バスが出ている。
 仕舞いこんでいた携帯電話を取り出し、JRエクスプレスカード
窓口に電話をかけて、森さんと二人分の「のぞみ」を予約。

 東京駅で平島さんと別れ、改札で芦田さんと別れる。
 久々に日本のスポーツ新聞を買って「のぞみ」に乗り込む。

 新幹線 いつもの楽しみであるホットコーヒーを買い、しばらくは
スポーツ新聞を広げたり、森さんと話をしていたが、森さんが眠り
につく。
 名古屋まで96分の電車の旅は、13日間の船旅の後のせいか、
あっと言う間に感じた。

 この頃はまだ、パソコン通信としてのメールだけの時代。
 洋上の仲間達とは、その後、何度か年賀状をやりとりしたが、
それも数年で途絶えた。

 船上ではゆったりと時間が過ぎていたせいか、日常的な時間の流
れが短く感じる。
 しばらくはこの時間感覚に浸っていたい気もする。

 長い旅を終えた。
 この間、小さいことにこだわらず、人のことに腹を立てず、常に
前へ出て、参加し、引っ張り、話しかけ・・・
 そういうことを迷わずにできたことに自信を持った。

 この気持ちを日常の中で持ち続けていくことが、これからの課題。
 簡単なことのようだが、これが難しい。
 ただ、何をすればよいのかが、単純明快になったことが大きな
収穫だった。

(洋上研修 連載 おわり)



しらべる

|

2006年7月24日 (月)

デジタル機器のない時代

 いよいよ13日間の旅、最後の日を迎えた。
 今朝も昨日に続いて、7時の目覚まし時計が鳴っても、同室の二
人は起きあがらない。
 朝食では初めてお粥を食べてみた。
 ブロックリーダーが同じテーブルに座り
「最近はポルノ雑誌を買う人が減った」と言う。
 ひと昔前は、海外旅行といえば、男が買うモノは、酒とそれと決
まっていたらしい。
 そんなことで、遠い目をしないでもいいのにと、少し引いてしま
った。

 レストラン前に大判の写真が張り出される。
 1枚1,000円!
 研修の間、プロカメラマンがずっと僕らを撮り続けていたが、こ
ういうことだったわけだ。自分が大きく映っていたカクテル教室で
の写真を1枚だけ買う。
 この年の春にカシオからQV-10が発売されていたが、それを
初めて見たのはこの旅の後。

 この年の1月、阪神淡路大震災があった後、僕は携帯電話を買っ
た。まだ、周囲にほとんど持っている人はいなかった。当時、海外
で使えるサービスはなかったので、旅の間、ずっとしまっていた。
もちろんカメラはついていない。

 この年の暮れに Windows95 が出た。
 ノートパソコン(OSはMS-DOS)を持ち込んだ僕はとても
珍しがられた。今でこそ、会議の参加者が全員パソコンを持ち込む
光景は珍しくないが、当時はパソコンを持ち込むだけで、よほどの
変わり者か、会議そっちのけで内職をしていると思われていた。

 今でこそ当たり前のデジタル機器は何もなかったが、では何かが
損なわれていたかと今考えても、それを見つけることはできない。
 ビデオカメラをずっと回している人もいたが、きっとほとんど見
ていないだろう。
 手元に残っているのは数枚の写真だけ。それでも今はっきりと
映像を呼び出すことができる。

 解団式
 皆の拍手が一体となって、旅の終わりを惜しんでいるように聴こ
えた。また一方、大きな自信もそこに感じられた。

 12時から最後の食事。
 献立表にカツカレーと書いてあったが、ただのカレーだった。
 トンカツを香港で積み忘れたのだろうか。
 でも最後にカレーが食べられて、嬉しかった。

 船が晴海に入る。デッキに出て接岸を見届ける。
出迎えがいる人が羨ましい。

|

2006年7月23日 (日)

ユニフォームに広告を付けるか?

 パネルディスカッション

 講演の後は、パネルディスカッションの予定だったが、バルサ
経営陣が予定より30分早く横浜へ移動することになったらしく
【 Q&A 】形式に変更された。

 

質問者
加藤 久氏(ヴィクサーレ沖縄代表、サッカー解説者)
早川 武彦氏(一橋大学大学院教授 スポーツ産業論)

 

早川
 これまでピッチの上で学んできたが、こうしてピッチの外で文化
を支える交流を図れることは大きな意味があると思う。
 Jリーグも力をつけていて、今回の欧州クラブの親善試合では
レアルやマンUを下すまでになっている。
 バルサを支えるカタルーニャの文化と交流することで、文化を学
ぶことができると思う。

 

加藤
 マーケティングの世界戦略でなぜ日本なのですか?日本の魅力とは?

 

Esteve
 日本、米国をターゲットにしている。
 一番力を入れているのが日本。
 米国はサッカー文化発展のスピードが速くない。
 日本はサッカーへのハートが熱い。2002年W杯も開催した。
そのハートはますます熱くなっていると思う。

 

加藤
 バルサではいかにしていい選手を連れてくるのか、選手の見極め
はどのように決定するのか?

 

Alfons
 執行部が手続きを行う。私たちの哲学がある。経済、社会、スポ
ーツ面で活力のある選手を獲得する。
 チキスポーツ幹事長、ライカールト監督が選手を選ぶ作業に当た
る。選手にはバルサの価値観を共有して欲しい。
 彼らは持ち場でよく働いてくれるのはもちろんだが、それと同時
に、人間的に優れていることを求める。
 バルサのサラリー体系を受け入れることも必要だ。
 固定給、成果給の比率は、一般論として固定が60%、成果が40%

 

加藤
 ユニフォームの胸に広告を付けてない。これはなぜなのか?
これからもつける可能性はないのか?

 

Alfons
 これまで広告を付けたことがない。今の執行部が広告を付ける
決断をくだしたこともご存じだと思う。相手は質と量が優秀な団体
でなければならない。いま最終的な段階に入っている。

 

加藤
 広告付ユニフォームは、いつ頃見られるのか?

|

2006年7月22日 (土)

修行の旅

 今日は珍しく同室の二人の起きるのが遅い。
疲れが溜まってるのかな。
 昨晩から履いている紙パンツは、どうやら耐久性に問題があると
いうことがわかる。

 二日ぶりの研修チーム・ミーティング。
 ミーティング場所は自由。僕らは全員海パンを着込んでプールデ
ッキに集まり、白いデッキチェアを車座に集めて話し始める。

 今日のお題は「定年前後の夢」
 一人ずつ、夢を発表していく。僕が挙げたのは
 「ハウステンボスのワッセナー(分譲住宅)を買って住む」
 ほとんど売れてしまい、もう残りわずかだが、この夢はずっと手放せない。

 右腕が日焼けでけっこう痛い。
 昼休みは食事をパスして日光浴。あとで僕がトンカツの次に好き
なうなぎだったと聞き、しまったと思う。
 研修最終日はブロックリーダーの方針で淡白な内容に終始する。
お陰でゆったりできた。

 18:00 いよいよ450人のお別れパーティ
 グループ活動が主体なので、2週間を同じ船で過ごしても、それ
ほど友達は増えていない。
 それでも、新聞部、運動会というプラスアルファの役割を通じて
知り合った方々とは、深い関係が築けたと思う。

 19:30からトップラウンジでF-2グループの打ち上げ。
 ここに来て 最年長の Hさんが温かい目で見てくれることが多く
嬉しくなる。
 初めのうちは「うちの会社はご褒美旅行なんだ」という彼との間
に、大きな溝があった。だが、僕が何事にも責任をもって当たる
姿をみて、少しずつフォロウしてくれるようになった。
 ああいう存在感があって暖かい上司もいいもんだなと思う。

 21時からは新聞の打ち上げ。
 皆、時間どおりに集合。事務局総括も参加してくれて総勢7名。
1時間あまり歓談する。

 どんなことも心で思っているだけでは伝わらない。
 話しかけて、言葉にして初めて伝わる。
 言葉にしなければ、何も始まらない。
 時には "余計なことを言った"と後悔することもあるけれど、
 それでも僕はこう信じていたい。

 この3年半後、山田は東急の駅で旅立っていった。
 "変わっている" と言われることが多い僕を認めてくれる、数少
ない理解者だった。

 山田、今頃どこで修業の旅を送っている?
 あの夏は、いい船旅だったよな。

 長かった洋上研修もあと1日。
 450人の団員は皆、明日の家族や恋人との再会を楽しみに今夜
は眠ることだろう。

|

2006年7月21日 (金)

船上の休日

 今日は1日、船上でお休みの日。
 今回の旅で もっとも贅沢な1日。

 朝6時に起きてプールデッキへ。まだ人影もまばら。
 プールサイドのデッキチェアを楽々確保。
 思いのままに寝たり、本を読んだり。
 朝食はパスしてカロリーメイトで済ませる。

 「新聞の取材で機関室に入れるけど、行かない?」
 新聞部員が誘いに来てくれた。こののんびりモードを手放せなく
てパス。
 一度だけスコールがきて、雨宿りしたが、おおむね天候は良好。
日本が近づいてきて、ラジオでは RBC沖縄放送が入る。
 結局、青い空の下 6時間を過ごす。

 ひと泳ぎしたあとの昼食が美味い。
 売店で「おりえんとびいなす」オリジナルネクタイを買う。旅先
ではいつも記念のネクタイを買うことにしている。
(10年後にクールビズの時代がきて、宝の持ち腐れとなる)

 13:45 シャワーを浴びて、運動会の設営に集合。
 そこを中座して新聞取材で「バックヤードツアー」へ。
 メンバーは編集4人と事務局コンビで6人。
 料理長の案内で厨房や食料庫を見学。
「釜に張った天ぷら油が5cm傾くと、3割の人が(船酔いで)
食事をパスするんですよ。」
という料理長の話しが興味深い。

 取材を終えてデッキに上がると、運動会はもう始まっていた。

 ここからは実行委員。アームレスリング大会では決勝戦の笛を吹く。
 運動会の締めは有志の阿波踊り。笛や太鼓のテープに合わせて
踊りが始まるとあっという間に大きな阿呆の輪ができた。

 蒼い海、青い空、白い雲、お祭りの青いはっぴに笛太鼓。

 この気分を何かに例えるならば 映画「男はつらいよ」の縁日の
ワンシーン。僕はこの瞬間に感じた幸せを今も手に取るように思い
出すことができる。

 テレビではNHKの衛星放送が入り、相撲を見ている人もいる。
 運動会の後は新聞の編集に集まる。
 山田を中心にもう2号の運動会速報を仕上げてしまっている。
 この速さには恐れ入る。そして、3号、4号までがほぼできあがった。

 17時からはトップラウンジで行われる60分のカクテル教室。
 バラライカ、ロシアン、おりえんとびいなすなど4種類のカクテ
ルを練習し、皆がシェイクしたものを試飲する。シェイクの動作は
習ってみれば意外と簡単。

 既に眼下ではデッキディナーが始まっている。
 プールサイドの縁に陣取りグループF-2の皆と食事を楽しむ。

 今回の旅では洗濯がきちんとできるか不安だったため、使い捨て
の「紙パンツ」を買ってきた。幸い洗濯機は十分に使えたので、出番
はなかったのだが、せっかくだから履いてみることにした。トラン
クスがさらに心もとなくなったような感じで落ち着かない。

 その後、再度新聞部で集まる。
 20時からは運動会実行委員の打ち上げだったが、新聞を書いて
いて出られなかった。

 時差をさらに30分修正し、時計は日本時間に戻った。 

|

2006年7月20日 (木)

おい、なんで会議があるんだよ。

 6:30起床で早番の朝食へ。今日は洋食。
 壁には共同通信による昨日のトップニュースやプロ野球の結果が
掲示されている。

 ミーティングは「船の衝突ゲーム」
 船が衝突したという設定でチーム活動のスキルを競う。僕らのグ
ループは団体の得点が最悪でちょっと考え込んでしまった。
 こうしたチームワーク面で結果が出ないのは、僕と森さんが押し
切り過ぎているのだろうか?

 揺れが出てきてけっこう辛い。
 船は横揺れはそうでもないが、前からやってくる波に真っ向から
波に乗り上げては落ちる縦揺れが一番きつい。胃の中のものが全部
上がって来るような気がする。遊園地の「フライングカーペット」
のような揺れといえば、わかるだろうか。

 7月のこの時期、東シナ海は日本に向けて風が吹くので、僕たち
のコースはこれでもべたなぎのコース。晴海から南下するコースじ
ゃなくてよかった。

 衝突ゲームの後は 個人ワークに入り、プールデッキで日光浴を
して過ごす。お昼も食べに行かず、ずっと午後の研修の前まで寝る。
陽が射したのは数分で雨も降っていたが、自然に身を任せると揺れ
も気にならなかった。

 午後も個人ワークでスタート。再度着替えてきてプールサイドに
陣取り、パソコンで資料を作る。少し日に焼けた。

 グループミーティングに入る。
 今回のグループリーダーという役割は、4月のプレミーティング
で自ら手を挙げた。僕は人見知りがきつく、中心にいるか、壁の花
になるかどちらか極端になる。こういう機会に壁の花じゃしょうが
ないので、自らまん中に躍り出てみた。

 早番だと夕食はあっと言う間にやってくる。
 蟹の甲羅揚げなど食べれないモノは、出会って10日、すでに
"歩く食欲"と呼ばれていた仲間がキレイに平らげてくれる。

 シンガポールのガイドブックに
 「日本人にはカニがまるごと入ったラーメンがお勧め」
というキャプションがついていたが、ライターの浅はかさに参った。
いくらカニが好きな人でも、そんな書き方をされたらいい気はしない。

 20時より「ミロよ!びいなす」の取材。
 まず、船長と皆のアイドル、スチュワーデスの齋藤さんに来ても
らう。この頃は飛行機の客室乗務員をスチュワーデスと呼んでいた。
船の上でもそう呼ぶらしい。

 1時間ほどインタビューしたところで、中座して運動会打合せへ。
 ここでは、皆が牽制し合って総合司会が決まらない。僕にとって
は朝飯前の役回り。やってもよかったが、何もかも僕がやるべきで
ないと大人しくしていた。

 再び新聞部に戻るとインタビュー・ゲストは事務局総括に替わっ
ていた。
 22時でインタビューを終え、メインバーでお酒をご馳走になり
ながら、話のつづき。

 研修を厳しくし過ぎると人が集まらない。かと言って研修内容を
落し過ぎると「洋上研修」ではなく、慰安旅行になってしまう。
 450人の確保と、研修内容の精選の狭間で、苦労しておられる
事務局のお話が聞けた。

 僕の会社はレポート提出で選考を受け、自己研鑽のために参加す
るのだが、よその会社の人に聞くと "**周年勤続のご褒美" とい
う位置づけのところが多かった。
 テーマミーティングが始まると
 「おい、なんで会議があるんだよ。聞いてないぞ」
と、事務局に怒鳴り込むおじさんが、実際に毎回いるのだそうだ。

 時差調整で時計を30分進める。いよいよ日本が近づいてきた。

|

2006年7月19日 (水)

香港最後の夜

 マカオから一旦、帰船。
 思い思いに過ごす船上の夏の夕暮れ。

 五島列島に住んでいた頃、船は乗り込むと、いずれ港を離れてし
まうものだったが、この船は何日もここにいる。船という住みかに
戻ってくる暮らしも今日で最後。

 夜は仲間4人で「楓林閣」を目指す。
 前日の食事は2軒とも広東料理だったので、今日は四川料理。
 店は空いていてすぐ座れた。ガイドブックにあったおすすめの品、
えびちり、スープ、マーボ豆腐などを頼む。お茶が美味しい。僕は
えびアレルギーなので食べられないけれど、えびちりは必ず頼む。
その料理の見た目と、食べている仲間の顔が美味しそうだ。
(仲間の顔を食べるわけじゃないよ)
 一人あたり2,500円。ポークの団子、マーボ豆腐、スープは
確かに美味かった。今回、香港では3度フリーの食事機会があった
が、いずれもヒット。店を決めた僕は、仲間から感謝の言葉をもら
った。

 外に出ると強い雨と雷。軒先をつたって雨をしのぎながらセブン
イレブンにたどり着く。オリジナルの傘がわずか29.5HK$。日本
ならば千円はするだろう。
 日本には売っていないハデハデのセブンイレブン柄。大人でも楽
に二人入れる!

 いよいよ香港ともお別れ。
 スーパーで香港$を使いきろうと、電卓とにらめっこしながら、
ドリンク+ツマミを買う。靴下も買う。それでも仲間たちは使いき
れず、隣りのお土産ショップで買い物。渡辺さんが$を持て余して
いたので、僕が円と交換で買い上げて消化してあげる。

 今日は新聞ミーティングはお預け。
 バー「267」で少し呑んで、23時の出航をデッキから見る。
 テープを2本投げてみた。夜景を写真に収めて船首に出る。
 「もう船上から、この香港の夜景を見ることはないだろうね」
と森さんと話す。定年退職してよほどの蓄えでもない限り、あり得
ないだろう。

 「人を幸福にしない日本というシステム」という書籍の題名が
頭に浮かんだ。
 日本は土地や家、車、衣食住、何もかもが高すぎる。このシステ
ムはどこかで誰かが変えることはないのだろうか?それは全く不可
能なのだろうか?
 いずれにせよ、こうした船旅の機会を得たことは貴重であり、
感謝しなければならない。

 日記を書きながらの晩酌の肴は、最後のスーパーで買った香港の
かっぱえびせん。味が妙に抜けていて、噛むと口の中でなぜかひん
やりする。シンガポールで買ったバーベキューフレーバーのかっぱ
えびせんは、そういえば美味しかった。

 出航してしばらくの間、船がけっこう揺れている。あとは日本を
目指す旅。3日後には鹿児島沖を通る。
 

|

2006年7月18日 (火)

香港寄港地活動最終日

 6:00起床。飯塚さんに弁当を取ってきてもらい部屋で朝食。

 

 7:00集合でパスポートをピックアップしてマカオへ出発。

 

 ガイドの山崎さんが「スリに気を付けて!」としきりに言うので
地元の人が皆スリに見える。

 

 マカオ行きジェットホイル「ターボキャット」はオール指定席。
 禁煙だしゆったりとしていて快適。ただ、猛烈にエアコンが効い
ていて寒い。売店でホットコーヒーを確保してくつろぐ。ガイドブ
ックで今晩の食事場所を研究しているうちに眠ってしまった。

 

 マカオ到着。
 教会の焼け跡の見学に始まり、中華人民共和国との国境へ。
 マカオは香港に遅れること2年、1999年12月にポルトガル
領土から中華人民共和国に返還。向こう50年は経済、政治特別区として現状
が保護される。
 有刺鉄線と、海のような川の向こうに見える中華人民共和国領。そこは経済
特別区ということで近代的なビルが立ち並んでいた。
 人々は国境を超えて電気製品を売りに行くのだそうだ。
 ちょうどイミグレーションに Panasonic のテレビを積み込む人が並んでいた。

 

 観光コースに組み入れらている貴金属ショップで買い物。
 壁パネルのジャッキーチェンと記念撮影。香港といえばジャッキー・
チェンだらけかと思っていたのに、結局ジャッキーを見たのは、
このパネル1枚きりだった。

 

 誰もが陸地にいても「揺れているような気がする」という。
 こんなに長く船上で暮らすことは誰もが初めてなのだ。
 人間は日頃、三半規管を使い環境にうまく順応しているんだなと
改めて感心する。

 

 昼食はホテルのバイキング。
 洋食系とデザート、まずまずの充実でデザートを多めに楽しむ。
少し体重が気になる。
 それにしても誰もがバイキングとなると、皿にあふれんばかりの
料理を盛ってくる。

 

 マカオといえばカジノ。
 遊び方の説明を聞いて解散。まず300HK$ほどスロットにトライ。
だが単純作業でつまらない。対面で賭ける「大小ゲーム」では100
HK$づつ3カ所に張って、2つを当て$100勝った。これは面白い。
次にハウステンボスに行ったら、またカジノにはまりそうだ。

 

 帰りの通関。
 長い列ができているというのに、ゲートを3分の1は閉めている
のには参る。「香港居人」と書かれたゲートの隣りの「Visitors」
に並ぶのがベスト。うまくいけば空いているそちらに移してもらえる。
 帰りのターボキャットも冷房が強烈で、ホットコーヒーを買うと
なぜかカフェオーレにされてしまった。それも寝ている間にボウイ
が勝手に片づけていた。

|

2006年7月17日 (月)

値切る時間が惜しい

 収穫がなかった男人街を後にする。
 次は地下鉄で1駅乗って、何度も道を尋ねながら、女人街へ。
 街で道を尋ねても、香港では英語が全然通じない。
(食堂のウェイトレスも同じ)
 ようやく、婦人警官らしき女性をみつけて教えてもらった。

 

 女人街はとにかく何もかもが安い。
 香港返還のTシャツが29$、どらえもんのコピー時計が
29HK$
 香港では、売値は交渉で負けさせるのが当たり前と聞いていた。
 そこで、時計を二つで2HK$値切った。
 だが、交渉するのもあほらしくなるほど、元々が安い。

 

 皆、疲れがピークに達していたので、早々に船へ戻ることにする。
 地下鉄の券売機はおつりが出ない。駅員に両替を頼むと嫌な顔。
キヨスクで豆乳みたいな飲み物を買って両替。これがどえらいまずい。

 

 地下鉄を降りてからオーシャンターミナルまで徒歩。だが、そこ
から先、船がどこに停泊しているのかがわからず15分ほど迷った。

 

 コンビニで買ってきたファイブミニプラスでリフレッシュした後、
ツアーデスクで夜の食事のお勧めを聴く。

 

 一休みして、19時頃から夜の部に出発。
 勝手に列を離れて買い物を始めるは
、それを探しに行った人も
帰ってこないわ、皆の身勝手ぶりには参った。
 ようやく見つけたと思ったのに、しばらく歩くと あるメンバーが
奥様ホットライン「バッグどれにする?国際電話」を始める。
携帯電話ではなく、公衆電話なので、皆そこから動けない。
 皆、たまらず、待ち合わせ場所を決めて解散。

 

 僕は森さんと連れ立ってデパートへ。「やせる石鹸」の値段を下見。
 マクドナルドに入ってコーク。疲れていただけに美味しい。店内
は地元の人とアメリカ人が多い。

 

 DFSで再合流。
 ツアーデスクで聴いたお勧めの店「糖朝」へ。
 一人一品+デザートで 全部で253HK$ これは安すぎる。
 日本語のメニューもあり注文も安心。ビールは「青島ビール」を呑みたいというと、店員さんが近くのセブンイレブンから買ってきてくれた。7.5HK$の値札がそのまま貼ってある。それを勘定書には15HK$と記入。それでも良心的だ。
 牛肉のお粥、焼きそば、汁そば、そして名物のデザートまで、なんでも美味かった。日本人の客は皆無。地元の若い娘たちが集まるようで、さながらモデル会社の食堂のよう。この店は香港に行くすべての人に勧めたい。

 

 スーパーで買い物。ビールや地元の牛肉麺(カップ麺)を買う。
ビールは7HK$からとめちゃくちゃ安い。やはり旅先のスーパーは楽しい。22時過ぎに帰船。

 
 

|

2006年7月16日 (日)

確信と不安

 ポルトガル代表が主力を5人落としたにもかかわらず、FIFA
ランキング4位のメキシコを破りグループリーグ3連勝となった日、
僕はポルトガル優勝に確信を持つことにした。

 僕はサッカーの神様ではないので、僕が確信を持ったから、ポル
トガルが勝つというものではない。
 これは僕の心の問題。

 「確信を持つ」の反対は「不安を持つ」

■確信を持つ
 きっとうまくいく
 きっと勝つ

■不安を持つ
 うまくいかないかも知れない
 勝てないかも知れない

 「結果」は確信を持っている人にも、不安を持っている人にも同様
にやってくる。

 誰もが、よい結果に喜び、悪い結果に失望する。
 「結果」が訪れた時、確信を持っていても、不安を持っていても、
その心のありように変わりはない。

 悪い結果から自分を守るために、悲観的な想定をすることを心理
的防衛機制といい、実際に、そういう思考をする人が大変多い。
だが、心理的防衛機制をかけた人はそこで思考停止してしまい、
それは努力を怠ることにつながる。

 それならば、確信を持っていたほうがいいではないか?

 確信を持っていると、なにごとにも笑っていられるし、心を強く
持てる。
 不安を抱えていると、顔色は悪く、心は弱くなる。

 不安を持っている時は
 「なに、外してるんだ!マニシェ」と目を吊り上げていたのが、
 確信を持っていると
 「おいおい、マニちゃん 次たのむよ~」と笑っている。

 確信を持てば、人はその確信の実現に向けて動き出す。
 ポルトガル優勝といったテーマで、僕にできることは少ない。
 だが、テーマが身近なこと。たとえば、仕事、恋愛、スポーツ、
夢であれば、より多くのことができる。

 不安より確信!
 デコファンになったことがきっかけで、そう学ぶことができた。

 スコラーリ率いるポルトガルが、二年後のユーロに勝ち、引き継
いだモウリーニョとデコの師弟コンビが南アフリカの地で、ワールド
カップ・トロフィーを掲げる。
 まだ4年ある。一人一人のファンにできることも少なくはない。

|

2006年7月15日 (土)

香港に到着

 わずか3時間睡眠で起きる。
 ビール3本の酔いが全然抜けていない。
 なんとか朝食を取るが、なんとも寝ぼけた調子。

 船は香港の湾にはいった。
 8:00予定の接岸は、香港側から先乗りしてきた水先案内人が
慎重すぎたため 9:15になる。
 船長があんなに慎重になることはないんだと文句を言っている。

 上陸してバスに乗り込む。
 とにかく日差しが強い。蒸し暑くてたまらない。
 まず、タイガーバームパークへ。

 ガイドの林さんはまじめな人柄で
 「スリに気を付けて」
 「物売りに騙されないで」
としきりに警告してくれた。

 海底トンネルを通って香港島にわたり、高台の展望台から香港の
街を見おろす。所狭しと高層ビルが並ぶ。林さんの説明によると
香港では地震がないので、耐震はほとんど考慮されていないらしい。

 企業視察を終えて、最初のお目当てである飲茶へ。

 給仕が次々に「これはどうだ?」と持ってくる。
 大食漢の一人が、それを全部受け取って食べ続けている。勘定書き
が怖いので 「そろそろやめておいたら?」と皆が牽制する。
 だが、思いのほか安く、一人チップ込み150HK$で済んだ。

 一人がシンガポールに続いて、ここでもシャネル詣でをしたい
と言うので、一同 ペニンシュラホテルへ。
 そこからノーザンストリートを徒歩で北上する。バスのエンジン音、
ブレーキのきしむ音をメインにものすごい騒音。バスの2階に当た
りそうなほど、せり出した看板・・・
 まさにイメージ通りの香港の姿が目の前にある。

 男人街の散策にはいる。
 セブンイレブンに最近人気の新聞「アップルデイリー」の空の
ラックだけが置いてある。朝早く売り切れるらしい。記念に欲しかった。
 水槽に魚やしゃこを泳がせていて、それを調理して食べさせる食堂
がたくさんある。ちょっとグロテスク。

 日本にいる時もゲームセンターがあれば、UFOキャッチャーを
必ずチェックする。だが、香港のゲームセンターにはそれはなく
スロットが並ぶだけの怪しい雰囲気だったので、早々に退散。

|

2006年7月14日 (金)

ミロよ!びいなす

 7:40に起床。今朝は和食。魚は鮭。
 9時からのチーム・ミーティングはプールサイドのデッキチェア
に集合。時々泳ごうと思い海パンをはいていくがあいにくの荒天。
 発表資料の仕上げを終え、飯塚さんが読み上げ練習。
 お世辞にもうまくないが制限時間ぴったりだったので
「すごい!プロ!」と皆が絶賛する。誉められると彼も
「どこか、気を付けるところ無いかな?」
とその後、素直に耳を傾けている。

 お昼休み、部屋でパソコンに向かいこの日記を書いてくつろぐ。
冷房の効きすぎで頭が痛かったけど、昼寝をしたら少し楽になる。

 午後は各チームの発表を聴く。
 その後、香港寄港地活動の説明会を最前列で聴く。

 夕食としては初めての和食。
 アレルギーの「えび」や苦手の「いか」が出てあまり食べられな
かった。僕の会社の宴会では、あわびのステーキ、えびフライ・・
といった人気メニューを2倍食べられる僕の隣りはいつも人気の席
となっている。

 船内の夜
 ほとんどの人はバー、デッキ、それぞれの部屋に集まって飲み
明かす。そんな中僕たちは20時から「新聞サークル」の初会合。

 「晴海に着くまでに、最低1回は発行してくださいね」
 と言い残し、21時に事務局スタッフがどこかのパーティへと
消えて行った。
 そこからなんと僕ら4人は「第1号を今日作ってしまおう!」
と意気投合する。山田も含めて4人のうち2人はクリエーター。
 彼らは皆が出した題材をてきぱきと紙面に割り付けていく。

 山田がペーパーセメントを持ってきていたのには皆が受ける。
 新聞のタイトルは僕がふと口にしたジョークがそのまま命名された。

 おりえんとびいなす号の新聞だから・・
 「ミロよ!びいなす」
 あまりのベタさに自分で引いてしまう。

 23:30に完成し事務局に持ち込むと、一同びっくり仰天。
 ビールを1人1本ずつプレゼントしてくれた。

 部屋に戻ると他の同居人はどこかで飲み歩いているらしく、まだ
帰ってきてない。
 13日間の行程も7日を終わり、残すところ6日となった。

 この旅はとても貴重な体験であり、あと6日悔いのないよう精力
的に色々なことを吸収したい。
 1時前、渡辺さんが帰ってきたので、できたばかりの「ミロよ!
びいなす」を見せて香港でのショッピング談義。ビールを飲みながら
3時過ぎまで話す。



|

2006年7月13日 (木)

川原の石

 まとめながら、話し合いを否定していく森さん。
 見回すと、メンバーの表情に戸惑いの色がみえる。
 ここでリーダーの僕が調整に出るべきなのか?

 それまで、ほとんど発言のなかった渡辺さんが切り出した。

「後から 勝手に変えていくんじゃ、話し合った意味がないよ」
皆も追随する。

 日頃、会社内では思っていても言えないことが多い。
 だが、ここにいるメンバーはお互いにしがらみがなく後腐れもない。
 ここでは、言いたいことを言えるんだ!
 そういう解放感が皆の心に芽生える。

 今日も昨日に続いて「指名発言」は求めなかった。
 しかし、共同作業を仕切って行くには、自分の能力不足を痛感
せざるを得ない。

 夕涼み~
 とりまとめで疲れていたので独りになりたかったが、思い直して
皆を誘いビールを買ってデッキに出る。
 大海原で夕風に吹かれると、先ほどの険悪な雰囲気はもうどこに
もなく、夕日が沈むまでの一時を皆、幸せな気分で過ごす。

 事務所という建物を使わず、川原の石に座って話し合えば、僕ら
の会社という枠組みはもっと、うまくいくかも知れない。

 夕食はコース料理。飯塚さんはワインを3杯も呑んで20時には
寝てしまった。明日もきっと早く起きるのだろうと思うと気が重い。

 同じ会社から来た山田が「新聞サークル」に誘ってくれたので
二つ返事で入る。
 新聞記者になるのが子どもの頃の夢だった。
 中学まではいつもクラスでは新聞係りだった。

 新聞社という枠組みには入れなかったが、子どもの頃にはなかっ
たインターネットというものができて、今は生涯学習のWebサイト
を作っている。

 船内テレビでは、香港上陸活動時の説明会が中継されている。
 ベッドに寝転がり、それに見入っていると、山田が過去の船上新
聞のコピーを持ってきた。

 この「洋上研修」では「新聞サークル」が船上のできごとを新聞
にまとめ、1回だけ発行するのが慣例になっているらしい。

 翌日の第一回「新聞サークル」のミーティングに備え、過去分の
コピーとにらめっこしながらアイデアをまとめておいた。

 この時、これが山田との最初で最後の共同創作になるとは思いも
しなかった。



|

2006年7月12日 (水)

後だしじゃんけん

 ニフティがサーバー不調のメンテナンスを理由に、ココログサー
ビスを一時閉鎖したため、12日はアップロードできませんでした。
一日遅れで掲載しています。(moto)

 6日め
 午前中は団長による基調講演。朝のスタートが遅い。

 ゆっくり寝ようと思って遅く目覚ましをかけておいたのに、同室
の二人が早起きなのには参った。

 朝食は今日も洋食。フランクフルトソーセージに好感が持てた ^^;)
 事務局スタッフ二人の隣りに座りサークル活動、コンパの話を聞く。
 日頃はリゾートホテルに勤める方だけにてきぱきとした、はっき
りとした話し方をする。元々素質もある人なのだろうが、その環境
に寄るところが大きいのだろうと感じる。

 基調講演が始まる前に洗濯機に洗濯ものを放り込んでおく。
自販機の洗剤は売り切れていた。洗濯1回分量ごとにパックになっ
た洗剤があると便利だろう。事前の情報では、洗濯機の数が少ない
と聞き心配だったが、ブロックリーダーが融通をきかせてくれて、
研修の空き時間に「洗濯行ってきていいよ」と言ってくれるので助
かる。

 午後は希望者で操舵室を見学。
 「どなたか操縦してみませんか?」
 船長が言うので、冗談かと思って「はい」と手を挙げたらマジだ
った。他には誰も手を挙げていない。
 見学者の代表として船の舵をとることになった。

 「舵取りをする」という言葉は誰もが気軽に使っているが、実際
にこのような大型客船の舵を取る経験をする人は少ない。

 ど素人が450人の命を預かる舵をとっていいのか?
 と思いつつ、指示に従い手動パイロットに切り替える。
 恐る恐る操舵かんを左へ5°切る。本当に恐ろしい。
 真剣に、舟が転覆したらどうしようと思う。

 操縦桿はほとんど動いていないがすぐインジケータは5°を指す。

 操舵室は天井が低く、見える視界はヨコに広い。
 見渡す限りワイドな紺色の海。そこにはブイひとつ、目標はない
ものの、船がぬぅっと左へ旋回するのが横Gでわかる。
 居合わせた見学者から 「おぉ~」と歓声があがる。

 船の操舵と言えば、お日様みたいな形をした舵を
 「おもかじいっぱい~」とか言いながら、ぐるぐる回すやつかと
思ってたが、F1のハンドルを大きくしたようなものだった。

 おやつタイムの後はチームミーティング。今日は森さんに困った。
 最後に提案資料をまとめる係りの彼、ミーティング中は引き気味
で口数が少なかった。しかし、いざまとめに入ると態度が一変した。
自分のいいように、それまで話し合ったことをひっくり返していく。
いわゆる"あと出しじゃんけん"

 自分が目指す答えに誘導するための、合理的な方法なのかも知れ
ないが、それまでやってきた皆はたまらない。



|

2006年7月11日 (火)

滅私奉公

 昨日、ここで
 早い時間帯、主審がFWにシミュレーションで警告を出せば、試合は正々堂々としたものになるだろう。
 と書いた通りの展開になり、ほらきたと思ったら
 主審がシミュレーションをPKにしてしまったのにはこけた。

 デコのW杯が終わった。
 スコラーリ、デコの優勝請負人コンビは目標を達成できなかった。
 ポルトガルは7試合を戦ったが、デコの出場は4試合に留まった。

■グループリーグ
①アンゴラ戦 故障のため欠場
②イラン戦 先制ゴール
③メキシコ戦 イエローカードを持っているため大事を取り欠場

■決勝トーナメント
オランダ戦 先制点につながる右クロスを入れる
イングランド戦 累積警告2回で出場停止
フランス戦 
ドイツ戦 

 初戦はいきなり驚異的なデコゴール、2戦めも得点をお膳立て。
 しかし、準決勝以降は結果が出なかった。

 ネット上のライターはこぞって「デコが不調」「デコ厳しいマークで仕事できず」と書いたが、実情は少し違う。
 開幕前の6月8日、同僚のコスチーニャ(チェルシー)とぶつかり、右足を負傷したのが最後まで尾を引いた。

 毎試合、スポーツドクターの治療を受け、3位決定戦は、あの弱音を吐かないデコが「今日のドイツ戦には出ないほうが良いと思う」と言うほど状態は悪かった。
ESCRIBE DECO (デコブログの翻訳)

 それでもポルトガルファンのためにデコは出た。フル出場した。
 それがデコだ。

 FCポルト時代の恩師ホセ・モウリーニョはオランダ戦の後「デコほどチームのためにファウルも厭わず体を張れる選手はいない」と絶賛した。

 未だ思い通りの選手が揃わず、理想とはほど遠いサッカーで勝ち続けるかつての恩師は、2年前、デコが袂を分かったことを快くは思っていないはず。
 1年前 デコは、バルサのプレースタイルがモウリーニョのそれに似ていると言われ「僕らはあんなリアクション・サッカーをした覚えはない」と辛辣に言いはなった。

 それでもこの二人の信頼関係は損なわれていない。
 デコがバルセロナ残留を明言したことで、クラブチームでの再会は先に伸びたが、もしかすると2010年W杯予選を一緒に戦うことになるのかも知れない。

 デコほどチームのため、ファンのために働く選手はいない。
 日本には滅私奉公という言葉があるが、まさにデコにぴったり。2006-07シーズンではレギュラーとなるであろうメッシに数多くのラストパスを供給し、きっと日本のライターが「メッシ奉公」と書くに違いない。

 デコほどチームワークを重視する選手も珍しい。彼は常々「ロッカールームの盛り上がりが強いチームには不可欠」と言う。
 このW杯期間中、彼はバルサメンバー10人の誰かがワールドカップを掲げてくれることを願っていた(そのラストランナーは自分自身となった)
 彼はいつもバルサの仲間を思っている。退場になったデコとジオが仲良く観戦する絵はテレビ、雑誌で何度も取り上げられた。
 ただ一人、ピッチの戦いを根に持ってしまったファンボメルが謝罪して、しこりを残さないことを望む。

|

2006年7月10日 (月)

決勝を前に

 197の国と地域が参加したワールドカップ
 数時間後には優勝チームが決まる。

 選手の能力の集積は、サッカーの勝敗を決める要因の3分の1に過ぎない。

 二番目は「監督の能力」
 対戦型の団体スポーツでは、監督の能力が大きな比重を占める。

 団体スポーツにおける監督の仕事は「選手の育成」「臨戦の采配」2つの段階に大分類される。

 リッピ、スコラーリと言えども、国見高校を率いてW杯を勝つのは難しい。だが、選手が一定のレベルにある場合「臨戦の采配」が勝負を決める。

 「臨戦の采配」とは次の2つ
・選手が持てる力をすべて出せるように仕向ける。
・敵味方の調子、戦術のかみ合わせで的確な指示を出し、交代枠を使う。

 サッカーは人間が最も制御に利用する「手」を使えない難儀なスポーツ。足で小さい枠を捉えるゴールという「奇跡」の回数を競う。
 いかに味方の奇跡の確率をあげ、敵の奇跡を防ぐか。それを統制できるのはピッチを俯瞰している監督だけ。
 ジダン、中田英寿やデコのような司令塔のことを、よく「ピッチ上の監督」と言うが、全力で10km走ったうえに、冷静な分析をするのは難しい。

 三番目は「審判の能力」
 サッカーはゴールという「奇跡」の回数を競う。
 奇跡はそう多くは起こらない。
 試合が、たった1度の奇跡で決まることが多い。
 そして、サッカーの場合、審判がその奇跡を強制発動する権限を持っている。 PK(ペナルティキック)だ。

 今大会の決勝トーナメントでは、PKだけの1-0で決まった試合が2つあった。
 1回戦イタリア対オーストラリア 延長突入直前のラストプレーでのPK。決して悪質なプレーではなく、決定的チャンスでもなかった。
 準決勝フランス対ポルトガル アンリは点を取りに行かず、PKを取りに行った。

 点よりもPKを取りに行く選手たち、PKを与えたり与えなかったり、ご都合で軸がぶれる審判たち。
 真面目にやるのはバカですよと、世界中の人びとに教える教科書のようだ。

 その点、三位決定戦で上川主審がポルトガル選手のハンドを取らなかった判断は光った。メキシコ戦のマルケスのように完全に浮いた手に当たればハンドだが、体のそばにある手にボールが当たった場合までPKにしていたら、選手達はボールを枠に入れるのではなく、相手の手に当てる特訓に入るだろう。

 高いレベルの大会になればなるほど、選手個々の能力の集積では勝負は決まらない。
 低いレベルの審判は、自ら判定勝ちを決めてしまう。

 決勝戦の主審はアルゼンチンのオラシオ・エリソンドさん。
 イングランド、ルーニーの股間踏みつけを退場にした審判。
 早い時間帯、彼がFWにシミュレーションで警告を出せば、試合は正々堂々としたものになるだろう。

 どちらが負けても、負けた側が判定に不服を言わないで済む試合で、有終の美を飾ることを望む。



|

2006年7月 9日 (日)

2005-06シーズンの戦いとW杯の行方

 以下に挙げるのは、W杯ベスト8各国についてのあるデータ
何のことだか、わかるだろうか?

フランス 10
イタリア 5
ポルトガル 6
ドイツ 5

ブラジル 7
ウクライナ 0
イングランド 5
アルゼンチン 3

 これは各国代表23人に含まれる、2005-06シーズン欧州8大プロサッカーリーグ(※1)で優勝したクラブに所属する選手数。

 フランスは最多の10人。
 その10人以外に、レアル・マドリー所属のジダン、アーセナル所属のアンリがいる。

 ベスト9~16の国では以下の通り。
スウェーデン 2
メキシコ 1
オーストラリア 2
スイス 1
エクアドル 0
オランダ 6
ガーナ 2
スペイン 4

 こうしてみるとベスト8と、ベスト9~16の格差がはっきりする。

 このグループではオランダ、スペインの数字が多い。
 オランダはポルトガルに敗れ、スペインはフランスに敗れた。この2国は組み合わせに泣いたと言える。

 決勝トーナメントは明らかにイタリアのブロックが楽な組合せだった。
 組合せが各国の力量に応じたものであれば、オランダ、スペインがベスト8に勝ち上がり、ウクライナがベスト8にはいることはなかっただろう(ウクライナの1回戦の相手はスイス)

 「その年に優勝したクラブチームに所属している」
ということを、以下のようにネガティブに捕らえる考え方もある。
・1年間、無理をして戦ってきている。
・国内リーグを制覇するようなクラブはCLにも出ていて過密日程である。

 確かにコンディションが悪いというデメリットはあるだろう。デコがベスト4にただ一人残ったものの、バルサの10人は一人も決勝に進めなかった。リーガを制したうえに、CLの激戦を5月17日まで戦っていたことを、主要因として挙げるライターは少なくないだろう。(ビッグイヤーを争ったアーセナルのプレミアリーグは、FIFAの規定よりも1週間早い5月7日に全日程を終えている)


 しかし、それ以上に次のメリットもある。

 その年に優勝しているということは、
①優秀な監督の指導を受けている。
②優秀な仲間からよい影響を受けている。
③勝つ経験を間近に積んでいる。

 「勝ち運を持っている選手」という漠然とした概念があるが、その根拠はこのようなことである。

 決勝を前にフランスとイタリアの内訳を、みてみよう。

フランス23人

GK LANDREAU Mickael Nantes
DF BOUMSONG Jean-Alain Newcastle
DF ABIDAL Eric Lyon
MF VIEIRA Patrick Juventus
DF GALLAS William Chelsea
MF MAKELELE Claude Chelsea
MF MALOUDA Florent Lyon
MF DHORASOO Vikash Paris St-Germain
FW CISSE Djibril Liverpool
MF ZIDANE Zinedine Real Madrid
FW WILTORD Sylvain Lyon
FW HENRY Thierry Arsenal
DF SILVESTRE Mikael Manchester Utd.
FW SAHA Louis Manchester Utd.
DF THURAM Lilian Juventus
GK BARTHEZ Fabien Marseille
DF GIVET Gael Monaco
MF DIARRA Alou Lens
DF SAGNOL Willy Bayern Munich
FW TREZEGUET David Juventus
DF CHIMBONDA Pascal Wigan
MF RIBERY Frank Marseille
GK COUPET Gregory Lyon

イタリアの23人

GK BUFFON Gianluigi Juventus
DF ZACCARDO Cristian Palermo
DF GROSSO Fabio Palermo
MF DE ROSSI Daniele AS Rome
DF CANNAVARO Fabio Juventus
DF BARZAGLI Andrea Palermo
FW DEL PIERO Alessandro Juventus
MF GATTUSO Gennaro AC Milan
FW TONI Luca Fiorentina
MF TOTTI Francesco AS Rome
FW GILARDINO Alberto AC Milan
GK PERUZZI Angelo Lazio
DF NESTA Alessandro AC Milan
GK AMELIA Marco Livorno
FW IAQUINTA Vincenzo Udinese
MF CAMORANESI Mauro Juventus
MF BARONE Simone Palermo
FW INZAGHI Filippo AC Milan
DF ZAMBROTTA Gianluca Juventus
MF PERROTTA Simone AS Rome
MF PIRLO Andrea AC Milan
DF ODDO Massimo Lazio
DF MATERAZZI Marco Inter

 イタリアには、最後までユベントスと優勝を争ったACミランの選手が5人いる(ネスタはグループリーグ第3戦で負傷)
 一方のフランスには、最終節まで優勝を争うような "惜しい2位" を体験した選手はいない。

 このデータが有意義であるならば、両チームの戦力は五分五分ということになる。
 だが、このデータはあくまで、選手個々の要因。
 サッカーの勝敗を決める要因としては、それは3分の1に過ぎない。

※1 リーガ プレミア セリエA ブンデスリーガ エールディビジ リーグ1 スーペルリーガ スコットランドプレミアリーグ

|

2006年7月 8日 (土)

洋上の初日

 洋上に出て初めての朝を迎えた。

 朝食は初めて洋食。
 コーヒーは美味かったけど、あとは普通の味。

 食後には避難訓練。
 実戦に備えて、財布だけを持ち出しボートデッキへ出る。

 Fブロック役員の簡単な打合せ。
 「運動会」スタッフに指名されたので二つ返事で受諾。
 ほとんどの人は役割を任されることから逃げようとする。

 同じ会社の尾崎も運動会スタッフに入り、皆が
「君の会社は積極的だね!」と冷やかす。

 いよいよグループ活動がスタート。
 第一回チームミーティング。

 チームは7人構成
 初めはお互い名前がわからないだろうと思って、机に立てる名札を作ってきた。

 しかし、シンガポールでの3日間で、お互いに名前を覚えてしまい単なる小道具になった。
 皆が名札に笑う。
 この笑い、ちょっとした驚きが会議への参加意識を高めるのだ。

 まずはKJ法もどきで、ペーパーへの課題の書き出しから始める。
(ブレイン・ストーミング)
 テーマはシンガポールで訪問したA社視察レポート。
 皆から題材を出してもらった時点で、レポート執筆担当の森さんに後を任せる。

 昼食は「そば」
 僕はそばアレルギー。日頃僕の周りにはいないのだが、このチームにはあと一人そばアレルギーがいた。
 二人で "別の釜でゆでたうどん" に替えてもらう。
 そばアレルギーの立場からすると、そばと同じ釜でゆでたうどんには神経が過敏になる。それをわかってくれるシェフはたいしたものだ。

 献立は 3食チラシとうどん、昼にはちょっと重い量。
 空いていた左隣りの席に電話会社から来たSさんが座る。
 仕事の内容。出向先から派遣されて、この旅に参加したことなどを話す。
 船内の売店で職場の皆さんにお土産のボールペンを買う。
 船内で通用する あと清算のカードが発行されており、現金を持ち歩かないで済む。

 午後のミーティング
 なかなか皆のエンジンがかからない。
 それでも指名発言は求めず、皆の自発的な流れを待つ。

 元々、会議の進行には自信があったが、それでも改めて専門書を読み研究してきた。そこには
「(意見が出ないようですので)○○さんどうですか?」
という指名発言をすると、参加意識を引き出せないとあった。

 停滞した状況を打開するために、コーヒーブレイクを挟む。
 レストコーナーには、各種飲み物に加えてクッキーまで用意されている。
 さすがに企業研修のプロが運営するだけあって、手慣れている。

 デッキに出ると外は晴れていて日差しが痛い。
 そこには青い空、どこまでもつづく濃紺の海
 それしかない。
 嬉しくなってくる。

 ミーティング再開
 議論のポイントが「情報化」に絞れてから、ようやくアイスブレイクする。
 だが、初期時点のブレイクには失敗したと言わざるを得ない。

 森さんが日頃SEとして現状分析、解決といった仕事をやっていると聞き、森さんの仕切りにある程度任せてみる。
 プレゼンを組み立てて行く手際の良さはさすがプロ。
 この人と出会えただけでもこの旅は価値があった。

 この旅は「洋上研修」と銘打ってはいるものの、参加する企業によってその意識は千差万別。
 スキルアップの場として精鋭を送り込む会社があれば、勤続30周年のご褒美と位置付けている会社もある。
 「なんで、会議があるの?」
 と言い出すツワモノモいる。
 その意識の違いが、当初のギャップを生んでいた。

 渡辺さんは船酔いで辛そうながら、模造紙への清書をせっせとやってくれている。
 平島さんは時々、この人は意外と鋭いんじゃないかと思わせるようなことを言う。
 発言のほとんどないお笑いおじさん芦田さんも「何でも言って下さい。何でもやります」と言う。
 少しずつだが、乗り遅れちゃいかんというムードが出てきた。

 18時のタイムアップ間際までしっかり話し込み、翌日へ持ち越す。

 夕飯は大広間で歓迎パーティ。
 急いで衣服をクリーニングを出した後、パーティに備えて久々のジャケットを羽織る。やはり気分がひき締まる。
 450人が一堂に会したパーティ会場は「狭い」の一言。
 船長、団長や事務局のスタッフ、おなじFブロックの方々と名刺交換する。森さんと連れだって会場を縫うように記念撮影をして回る。

 パーティ後、部屋に備え付けのシャワーを浴びる。
 結局初日以来、芋洗い場のような大浴場には行っていない。

 皆は呑みに行ったが、僕は「運動会」打合せ。
 ここはストレスが溜まる場となった。
 会議を私物化する人がいて、一人であれこれとしゃべりまくる。
 事務局の人が言ったことを「もう一回確認したい」と復唱させる。
 傍若無人とはこういう人を言うのだろう。
 こういう、一人で喋り続ける人のけん制方法を本で読んでいたのだが、思い出せなかった。
 それに、僕はこの場の進行役ではない。

 22時には皆が夜食に行くというので、ここはつきあいのいいところを見せようと思い食堂へ。
 毎晩この時間になると夜食(有料)のメニューが船内放送される。
 今日のメニューは「ちゃんぽん」
 「ちゃんぽん」といえば銅座の江山楼。炒飯も美味いんだよなぁ・・
と長崎の味を知る僕としては、味についてはノーコメントだが、量が少ないという点が気に入った。
他の日にはカレーライスを食べたが、これも適度な量がよかった。

 その後、隣の部屋で静かにビデオを見ながら過ごし(Hではない)
23:30には部屋でパソコンに向かい、この日記をつける。

 今晩から上段のベッドに移動。

|

2006年7月 7日 (金)

シンガポールを出港

 7:15起床、朝食の鯖が美味しい。
 おかずは魚が変わるだけであとはさほど代わり映えがしない。

 今日は視察スケジュールは無し。
 マレーシア・ジョホールバール観光へ出発。

 マレーシアはタイのバンコクからパタヤに向かう道でそう感じたのと同じような貧しさを感じる。国境を越えるモーターバイクの群を見ていると余計にそう感じられた。

 シンガポールに戻って自由行動。
 MRTでひと駅乗って、メリディアンのDFSへ。
 新興宗教かと思うようなおかしな若者の集団に鉢合わせ、嫌な気分になる。

 「How can I go to *** ?」
 今日も道を行く人に道を尋ねる。皆親切でフレンドリー。
 街を歩くたいがいの人は英語が通じる。
 シンガポールに行った後に他の非英語圏の国へ行くと、英語が通じないのがもどかしく感じる。

 船に戻っての夕食後の一時
 芦田さんのとぼけたキャラクターは皆を笑いの渦に巻き込んだ。

 23時、出航。
 シンガポールに別れを告げる。
 最上階のデッキに上がりシンガポールとの別れを惜しむ。
 見送る人がいるわけもない異国の地なのだが、大勢の地元の人から無数のテープが投げ込まれる。船の門出がこんなにいいものだとは思っていなかった。
 中学校の時に五島列島から佐世保へ引っ越す時もテープを投げてもらったが、これだけのテープに埋もれると否が応でも気分が高まる。
 日本では七夕の夜だが、そんなことは誰一人覚えていない。

 しばらくは誰かれの部屋に集まって、ビールを飲み続け00:30に散会。
 「おりえんとびいなす」は静かなエンジン音を上げて次の寄港地、香港をめざす。

 楽しくてなかなかいい仲間を得て、この旅の成功が既に約束されているような気がするのは気が早いだろうか?
 いよいよ僕らの「洋上研修」が始まる。



|

2006年7月 6日 (木)

ラッフルズホテル

 8:25出発 大手家電A社の現地法人に企業見学へ

 

 社長の話 要約
~日本からの企業進出は2,000社。綺麗な水や、部品調達など
進出に必要なインフラ(社会基盤)が整備されている。
日本からの来訪者は年間110万人。居住者は2.1万日本人学校
生徒2,800人(1カ所では世界最大)。
シンガポールは不況知らずで毎年10%以上の経済成長を続けている。
労働集約産業は近隣諸国(タイ、マレーシアなど)へ移転をするこ
とを政府が推奨している。
EDB=政府系投資会社から出資を受けており役員が派遣されている~

 

 午後は自由行動。
 僕らのチームは免税店の前で皆バスを降り、タクシー2台に分乗して電気街「シムリムスクエア」を目指す。
 タクシーがつかまったのがバラバラだったことと、さらに運転手が全然道を知らなくて、再合流に40分を要す。

 シムリムスクエアのファストフード店で昼食。
 ビーフヌードルに餃子をのっけてもらう。なかなか素朴な麺で美味かった。でも本当を言うと、少し海老の味がして気分が悪かったが、顔には出さなかった。
 集合時間を1時間後の15時に決めて、解散し自由散策
にはいる。

 

 確かにMacは安かったが、事前に読んだ資料にあったようなマルチメディアに燃えるナショナリズムは感じられなかった。
 楽しみにしていたシムリムスクエアには欲しいものは何も無し。
 何一つお土産にしたいという物もなかった。

 

 再度集合後、ピープルズタウンへ。
 今度はタクシーが2台一度に捕まり無事移動できた。

 

 ここは地元の人向けのショッピング街。
 確かに安いのかも知れないが魅力的な品はなかった。
 店員は声を掛けるでもなく「何か場違いな奴が来たな」と言う感じで遠巻きにしている。僕らが近づくとその場の会話が途切れ、通り過ぎると再び嬌声を上げるというシーンが幾度かあった。

 

 続いて、タクシーでラッフルズホテルへ。
 エントランスを堂々と入っていくと、いきなり「宿泊客オンリー」の立て札。

 

 「How can I Go to the museum ?」
とフロントに尋ねると親切にマップをくれて教えてくれた。

 

 ラッフルズホテルのショップやミュージアムは、どれだけ長く居ても飽きないほど素敵な雰囲気。
 他のメンバーはあまり関心がなさそうだったが、僕はもっとゆっくり見ていたかった。スーベニアショップでお土産を選び、自分用にはTシャツを買った。このTシャツは長く愛用していたが、よれよれになって、最後は泣く泣くお別れをした。

 

 1Fのオープンカフェで午後のお茶にする。
 僕はコールドカフェを注文。
 愛煙家達はアイスクリームを食べながら、ここぞとばかりに器用にタバコを口に運ぶ。
 右手でアイスを口に放り込んでは手を止めて、左手のタバコを吸う。その必死な光景に爆笑した。

 ウェイトレスに「Where is the rest room?」と尋ねると返事と共に「Have a nice day !」という笑顔が返ってきた。
 ここは、高級感という威圧感のない、これぞリゾートと言えるホテル。

 

 夕方から、ニュートンサーカス(屋台街)へ。
 ここは、客引き合戦が見苦しい。近く閉鎖されるそうだが当然であろう。こちらの焼鳥、サテに付いていたソースは大変美味しかった。

 

 MRTでひと駅だけ戻り「オーチャード」へ。
 大手鉄道会社から来たメンバーは、興味津々で最前列車両に陣取るが運転席は目隠しされていて見えない。
 乗車券(プラスチックカード)を記念に持ち帰りたいと駅員に交渉していたが叶わず、数人は初乗り運賃のカードを別途買い求めていた。


|

2006年7月 5日 (水)

セントーサ島

 3時間睡眠。
 日本を出る前にできた口内炎の状態は最悪に思えた。

 朝食はチーム交代制で大食堂でとる。初日は和食、軽めに済ませる。

 土砂降りの雨の中、シンガポール市内観光へ。ズボンがびしょ濡れで気持ち悪い。
 ガイドの機転で植物園やインド人街はバスから降りずに見学。
 シンガポールといえばマーライオン。ここだけはバスを降りて記念撮影、あまりに小さいのに驚く。

■ガイドの話要約
~シンガポールの国土は淡路島ほどの面積、人口310万人、76%が中華人民共和国系、土地は政府からの99年レンタルであり人々は土地を借りて物件を建てるため比較的安い。ほとんどの国民が政府の建て売り住宅に居住している。~

 正午には解散となり、午後は自由視察。
 船に戻ってすぐチームF-2で集合してセントーサ島へ向かう。
 ジェットコースターみたいなケーブルカーにはびびった。

 楽しみにしていた海底水族館はまずまず。シンガポールの歴史をつづる蝋人形館では、日本軍がここまで来て占領していたことを知る。しかしこの街では、ソウルを歩いている時の刺すような視線を感じることは一度もなかった。

 夜はオプションツアーのマレー料理へ。予想していた通りまずかった。
 夜行性の動物の生態を見るという世界唯一の「ナイトサファリ」は、日本人女性によるきめ細かなガイドで楽しめた。コンセプトが面白い。夜の熱帯雨林の中を進むのは大自然に包まれる感じで異次元の気分。

 そしてこの日の最後はチームリーダーとしての初仕事~食堂に設営された本部に赴き、全員帰船、点呼の報告を済ませる。門限の22:30を破った場合、報告を怠った場合、翌日はチーム全員が船外外出禁止となるので責任が重い。
 主催者側のチェックは適当なもので、気合を入れていた僕は拍子抜けする。

 今日もまた呑む。港のそばのスーパーで買ったつまみ、そして船内の国産缶ビール。船内は免税になるらしく日本の市価よりも100円安い。

|

2006年7月 4日 (火)

二週間の船旅

 集合場所のTCAT(東京シティエアターミナル)へ向かうバス乗り場で大阪支店の佐藤君と会う。都市高速の中にターミナルを作るなんて東京はただ者じゃない。

 船の上や異国では「活字」が不足するのが心配だったが、本は買ってこなかった。

 3か月前に顔合わせしていたチーム F-2組のメンバーと再会の挨拶を交わす。

 一生に一度であろう2週間の船旅。 真ん中にいても、壁の花でいても同じ2週間。それならば、真ん中でいこうと、F-2組のリーダーに自ら名乗り出た。メンバーは皆、渡りに舟と賛同してくれた。

 行きはJALチャーター便。しかし全席、喫煙OKだったのには参った。

 機上の7時間は意外と短く感じた。 かつて、飛行機に12時間乗っていたことがある。人は一度経験をしたことは、次から短く感じるようになる。

 着陸の直前、飛行機の中で時計を1時間遅らせる。

 シンガポールは暑くて蒸す。ハワイとタイを足して割ったような印象だ。

 空港から舟の待つ港へ直行。部屋に入った後、ミーティングルームで弁当(焼きおにぎり+漬け物)が出た。食べながら荷物の受取を待つ。

 これから2週間、相部屋の3人で、僕が用意してきたベッドのくじをひく。ベッドは下の段2つ、上の段1つ。誰もができれば、下の段を使いたい。公平になるよう、4~5日で場所をローテーションする”あみだくじ”を作ってきた。

 大浴場は混んでいて芋洗い状態。450人の客船とは思えない狭さ。明日からは、もう入りたくない。

 風呂上り、同室の渡辺さんが早速買い込んできた150円の缶ビールをやって 3:30に就寝。

 結局、この旅で一行450人はビール消費本数の新記録を打ち立てることになる。

旅行・地域のカテゴリーで連載



|

2006年7月 3日 (月)

そしてデコが残った。

 同一シーズンで国内リーグ、CL、W杯の三冠を制したのは1973-74、バイエルン所属の西ドイツメンバーだけ。

 今大会、7か国の代表に散らばって出場したバルサ選手10人にはそのチャンスがあった。

 準々決勝イングランド対ポルトガル
 主審はアルゼンチン人エリゾンドさん。アルゼンチンが昨晩、敗退したことで出番が回ってきたのだろうが、英国人は複雑な心境だろう。

 後半17分、ルーニーがクリスチアーノ・ロナウドを引っ張った後、軽く押したところ一発レッドカードで退場。ニッテレは「あれでレッドカードは厳しすぎる」という論調で伝えた。同局はその後のニュース番組でもルーニーがロナウドを押したVTRを流し、英国人サポーターの
「レフェリーに問題がある。ルーニーは理由も無く退場になった」
というコメントを流していた。

 生中継では伝えられていなかったが、試合終了からおよそ3時間後、6:00のNHKニュースは、ルーニーが倒れたポルトガル選手の股間を踏みつけている映像を流して「相手選手を踏みつけて退場となった」と報じた。
 ルーニーが足を降ろした所に股間があったのではなく、ルーニーは巧妙に股間を踏みに行っている。そして倒れていた選手は股間を押さえて痛がった。サッカーの場合、あそこには何もガードを入れていないので、本当に痛かったのだろう。

 遡ること2か月。
 4月末のプレミアリーグ、ルーニーはチェルシーのフェレイラ(ポルトガル代表)のタックルを受けて右足甲を骨折した。因縁はここに繋がっていた。

 ルイス・フェリペ・スコラーリW杯12連勝。
 12連勝どうしの対決を期待したブラジルは11連勝で大会を後にした。

 決勝はイタリア対ポルトガルになるという予感がする。

 プレミア2年連続得点王アンリ+現役生活集大成のジダンが勝つか、優勝請負人スコラーリ+デコのブラジル・コンビが勝つか、ほとんどの人が予期していなかったストーリーの舞台が整った。

 ただひとつ、負けを判定のせいにする選手に後で文句を言われぬよう、正確で公正なレフェリングを望む。

|

2006年7月 2日 (日)

バルサ スポーツ面の改革

 Esteve 「スポーツ面の改革」の話しが続く。

 ソシオを増やすためにサービスアップをした。チケットは買いやすい価格にした。
 スポンサー、サプライヤーの獲得 携帯へのコンテンツ配信も戦略の一つでした。
 経費削減~ 選手のサラリーに手を付けた。それだけでなく一般的なコストも削減しました。
経営陣の全面的な刷新をおこなった。
前期は欧州で13位だった収入が、今期は7位になった。
来期は25800万ユーロを獲得して5位に付く。
こうした改革により、マイナス面をプラスにしスポーツ面の改革もできるようになった。
2004-05のリーガ優勝は経営が功を奏した。
さらに攻撃的な経営をする
優勝した時はバルセロナの街に100万人があふれた。
収入、財務におけるいろいろな戦略が功を奏した。
ウェブサイトに関しては、以前は3項目だったがいまは20項目になっている。
欧州で2番目にファンが多い。
ウェブサイトへの訪問客は4万人。 期間の言及なし 試合をみてくださる方が25%増加した。
未来へのチャレンジ
グローバリゼーション、チームの力伸ばすことが重要。
この7月29日(土)には日本で4つの欧州クラブが試合をする。このように競争が高まっているが、我々がここにくる価値はというと、それはサッカー関連商品を売ること、スターが見せる質の良いプレーにある。
 選手にはスポーツ面での活動に第一義を置くよう指導している。
持続的成長をもたらすことを約束をしたい。
それぞれの国にあったサービスしたい。
社会的、一般的な活動を広げていきたい。
課題
産業としての規制、組織化
(リーガ、CL、国王杯など)過密スケジュールで試合が行われていて、その上にナショナルチームの召集もある。
コストコントロールが重要 契約金などもそのコントロール下におく。
我々がこうしてオフィスでやっている仕事は、結局は選手が勝ってくれないと意味がない。
ですので最後にリアルなサッカーの映像をお届けして終わりたい。
ありがとうございました。

 ここで、2004-05シーズンの名場面映像が流れる。

 2006-07シーズンのユニフォーム発表会の席。シーズンを振り返る名場集のビデオにデコの姿はなかった。それがチェルシー移籍か?とマスコミを色めき立たせてしまった。デコもおかしなことだ、とコメントしている。

 この日、名場面集の映像にデコが映っていたかは記憶がない。

|

2006年7月 1日 (土)

ずっと前からわかっていたこと

 サッカー日本代表がオーストラリアに終盤、逆転されて負けた。
 メディアやブログのライターは一斉に言う。

「名将 ヒディンク・マジック炸裂!」

 マジックじゃないでしょ。
 負けている展開でフォワードを何枚でも入れてくるのは、4年前からわかっている。

 手を打たない監督ジーコ、おかしな手を打つベンゲルに共通するのはカリスマ性があり、選手に尊敬され選手を育てることには長けているが、ゲーム中の戦術に疎いこと、冷静な采配ができないこと。

 通信社がそのように配信しない限り、大きな放送局や新聞社がそう伝えることはない。
 だが、個々のライターは雑誌やWebの記事でそう書いてきた。

 川淵キャプテンは、W杯直前に発売された初めての著書「虹を掴む」で前々監督トルシエを非難している。

 ジーコを選んだことについては "日本サッカーの長期戦略上、こういうことを期待した"というような明確なポリシーはなく、

 "ジーコがやってくれたら、嬉しいなぁ"
 "ジーコにやらせてみたい"
と思っていて、ダメ元でオファーしてみたら、OKの返事がきてびっくり。

・・という状況だったと受け取れる内容を書いている。

 川淵キャプテンが "2050年までに再びW杯を日本(単独)開催し優勝する"とした「JFA2005年宣言」を出したのは、2005年元旦のこと。
 ジーコを選んだ2002年の時点では、まだ長期戦略が固まっていなかったのだろう。

 2002年W杯が終わった秋、版元各社は返品の山を抱えていた。
 「W杯の影響で本が売れなかった」
 というのが、その理由として挙げられた。

 W杯が日本で開催されることが決まったのは、昨日や今日ではなかったはずだ。

 「デコの代役不在が弱点」
 これはポルトガルを評するメディアとブログのライターが口を揃えて言う。
 スコラーリ監督は、今大会、既にデコ不在の試合を2度勝っている。

 ずっと前からわかっていたことは、想像力がある人にはずっと前からわかっているのだが、そうでない人には、結果が出てからでないと、わからない。

*参考文献「虹を掴む」川淵三郎 講談社 2006年6月



|

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »