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2006年9月の30件の記事

2006年9月30日 (土)

コンピューターを使わないですべきこと

 帰りがけには「それ印刷できないの?」とよく言われた。
 始めのうちは「じゃ、会社に戻って印刷して送ります」とやっていたが、そのうちバッテリーで動くプリンターも買って、持ち歩いた。
 今ならば「メールに添付して送ります」と言って、その場でモバイル環境から送ってしまうこともできるだろう。

 1990年代初頭、そんな僕に対する同僚の評価は
「パソコンで仕事をする変なやつ」
というものが大勢だった。
 転勤してくる社員を迎えるとき、多くのサラリーマンはその社員の風評を前勤務地の知人に取材する。
 motoってどんな人?
「パソコンとか電子手帳とか使う、変わった人だよ」
 こんなふうに言われるわけだ。

 それでも、ぜひ使いたいから指南してほしいと教えを乞う人はいた。

 2006年1月10日の記事で、僕が指南して、使いこなした人たちについて書いた。
 だがある時、僕の紹介でパソコンを買った一人が
「motoに騙された」
と喧伝していることを、人づてに聞いた。

 どうやら、パソコンを買えば、僕と同じような仕事ができると思ったらしい。
 僕の自作資料をまるごともらえると思ったのかも知れない。
 当時、最も高機能なノートパソコン1台が50万円はした。50万円も出したのだから、夢のような成果が得られるはずだと考える気持ちはわかる。

 インターネットやメールが付いてくる1997年以降のパソコンはテレビと同じ。
 それ以前のパソコンは、頭の中に設計図がない人には猫に小判。

 使いこなしていた人は、パソコンにたどり着く手前で、頭の中の設計図が爆発していたのだ。

 コンピューターを使うことで、できることがある。
 コンピューターを使わないとできないことがある。

 ただし、18歳以下の子ども達には
 コンピューターを使わないで、すべきことがある。

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2006年9月29日 (金)

ノートパソコンと営業マン

 1990年代初頭
 ノートパソコンで説明する営業マン。

 数年後、外資系生保の営業マンがやっているのを見るまで、自分以外にそういう人を見たことがなかった。確かその生保会社ではソフトのコピー、改変を防ぐために外部媒体を挿しこむことができない特別仕様のノートパソコンを営業マンにもたせていた。

 当時、僕の任務は担当していた商品の新規取引先開拓。
 自作した資料は、マクロを組んだ Lotus1-2-3のブックによる経営シミュレーション。
 一通り商品を説明した後、おもむろにカバンからノートパソコンを取り出して開く。
 「じゃ、ちょっとシミュレーションをお見せしましょう」
 こういうと、相手の顔色が変わるのが面白かった。

 なかには「あ、コンセントいいですか?」と電源の心配をしてくれる人もいた。ノートパソコンを肉眼で見るのが初めてという人も多く、コンピューターがバッテリーで動くという想像力が働かないのである。

 レジュームしてあるので、起動は割りと早い。
 こういうときのために、ハードディスク内臓&レジューム付のパソコンが発売されるのを待っていた。発売と同時に予約して買った。

 「ここの事務所は6坪くらいですか?」
 そう言ってあたりを見回す演出を入れながらセルに「6」と入力する。電話回線はえ~っと9本ですね。それと、さしつかえなければ営業社員は?

 初対面では普通は聞けないような情報が、楽々と手に入る。
 こちらが初年度、そして次の画面が5年後になります。
 初年度はイニシャルコスト分があるのでとんとんですね・・

 数字は話し半分なのは、大人ならばわかっていること。
 利益が5年で2000万円です!
 と言われて「じゃ、契約!」というようなお気楽な人はいない。

 大切なのは、経営に紐づく数値項目の把握、論理的思考を僕がしているということのアピール。

社長さん「これ、**(会社名)さんで作ったの?」
moto「いえ、自分で。会社はコンピューター買ってくれませんから」

9月30日に続く

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2006年9月28日 (木)

子どもにパソコンは要らない

 2002年に施行された今の学習指導要領では、大半の教科でコンピューター、インターネットの利用、そして、児童にコンピューターリテラシーを身につけさせることが盛り込まれた。

 だが、子どもにパソコンは必要ない。
 必要だとしても大学生からだ。

 いまの40歳以上の人で、大学当時、ノートパソコンを持っていた人はいない。なぜかというと発売されていないから。日本初のノートパソコン、東芝「
ダイナブック」が出たのは1989年のこと。これは2006年度に39歳の人が、大学4年生を迎えていた年だ。

 希にシャープx6800などのデスクトップパソコンを持っている人がいたが、ベーシックでプログラムを書くか、ゲームをして遊んでいただけ。
 大学には電算機が入り始めていたが、学校で触っていた人はほとんどいない。
 インターネットの全身であるパソコン通信が産声をあげていたものの軌道に乗る前。携帯電話の登場はさらにその後だ。

 では、今の40歳代の人は、気の利いたウェブサイトを作ったり、洗練されたコンピューター・システムを設計できないかというと、そんなことはない。

 コンピューターに必要なのは 心の設計図。

 トレーダーの藤巻健史さんが「
カンブリア宮殿」で聴衆の質問に答え、こう言うシーンがあった。

質問者「高校生の息子にデイトレードをさせていますが、どうですか?」
藤巻「その年代は森羅万象を学ぶとき、株取引をさせる時ではない」

 コンピューターに必要なのは、書きためた頭のなかの設計図。
 システムノートでは、どうにもできないアイデアが頭からはち切れて、爆発しなければ、使いこなすことはできない。

 僕は1990年にノートパソコンに自分で作ったシミュレーションを入れて、飛び込みセールスをしていた。周囲にはそんな人は誰もいなかった。

 9月29日につづく



しらべる

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2006年9月27日 (水)

安倍晋三

 【 あべ しんぞう 】 衆議院(山口4区)議員 成蹊大法学部卒

1954年
9月21日、衆議院議員 安倍晋太郎の長男として生まれる。
1977年
成蹊大卒業。卒業後2年間カリフォルニア大学政治学科に留学。帰国後神戸製鋼に入社。
1991年
秘書をしていた父・安倍晋太郎が急逝。
1993年
7月、衆議院初当選。
2000年
第二次森内閣で内閣官房副長官。
7月30日、ラジオ日本「政界キーパーソンに聞く」に出演。次のように語っている。
「日本が動く時」長野祐也編 ぎょうせい から引用)
国民と共に、やはり私どもの歴史や文化、伝統にもう一度目を向け、思いをはせながら誇りを回復していく。そこからそれを土台に世界に対してちゃんと責任をもって貢献をしていく。そういう責任のある風格のある国をつくっていきたい。
(引用おわり)
2001年
小泉内閣で内閣官房副長官。
2002年
北朝鮮拉致問題解決に積極的に取り組み、9月には小泉総理の北朝鮮訪問に同行。
2003年
9月21日、49歳の誕生日 自民党幹事長就任が明らかになる。40代での幹事長就任は過去に3人(田中角栄、小沢一郎の47歳、三木武夫49歳)
2006年
7月「美しい国へ」出版
9月20日、麻生、谷垣、安倍で争った自民党総裁選挙で当選
9月26日、内閣総理大臣就任(就任時52歳)

 今年「カンブリア宮殿」に単独で出演した際、こづかいについて聴かれた彼がこう答えたのが印象に残っている。 「こづかいは決まってますが、クレジットカードで払えば使ったもん勝ちっていうところもあるし」 政治家はこれくらいフランクでちょうどよい。

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2006年9月26日 (火)

夏休み、おじいちゃんの家で

 夏休み、おじいちゃんの家で高校野球を見ていた。

 おじいちゃんの家は酒屋をしている。
 店先ではタバコを売っていて、時々、僕も店番をする。ハイライトが80円でチェリーは90円・・おばあちゃんから習って暗記していた。
 生涯を通じてタバコを吸ったことはないが、この時に嗅いだ「しんせい」「わかば」の箱から漂う香りは素敵だったと今も思い出す。

 その日はおじいちゃんが タバコ前の指定席で新聞を読んでいる。
 角打ちのカウンターがある広い酒屋の方から 誰かが入ってきた。

 「おじいちゃん、元気?」

 確か、そんな言葉だったと思う。もしかしたら ●●さん という呼びかけだったかも知れない。客人は親戚に話しかけるような気軽さで、おじいちゃんに話しかける。おじいちゃんの反応は特段大げさでもなく、おぉ君かというところ。

 テレビでは数日後、延長18回を戦う三沢高校の大田が投げていた。と思う
 客人はどれくらい、そこにいたのだろう。
 立ち話だったか、ちょっと腰掛けたかも見ていない。
 一人だったのか、連れがいたかもわからない。

 大田がピンチを防いで攻守交替となった。
 振り返るともう客人がいない。
 おじいちゃんは新聞を読んでいる。台所にいたおばあちゃんに尋ねる。さっきの誰?

「あぁ、安倍晋太郎だよ」

 小学生の僕でもその名前は知っていた。選挙が始まれば、片道2.3kmの通学路の退屈しのぎに選挙掲示板はうってつけ。すべての候補者名と政党を暗記していた。

 確か、自民党だよね
 そうそう

 4人いるおじいちゃん、おばあちゃんのうち、酒屋のおじいちゃんはただ一人怖い存在だった。

 「これで、アイスこぉといで」と10円を握らせてくれたのはいつもおばあちゃんの方。おじいちゃんは、いつもしかめっ面でほとんど口をきかなかった。いつも新聞を読んでいた記憶がある。

 一番早く亡くなったのがこのおじいちゃん。交通事故だった。知らせを受けて母が風呂で泣いていたのを思い出す。
 葬式には市長が来て弔辞を読んだ。生まれて初めての葬式だったが、子どもの僕にも寺を取り囲んだ壮絶な数の黒服弔問客で、おじいちゃんが すごい人だったことがわかった。

 僕はまだ現役の総理大臣をこの目で見たことがない。
 衆議院に行った時は、会えるかも知れないと思ったが、すべての委員会にいちいち首相が出てくるわけではないことを後で知った。新しい首相には一度、冥土の土産に会っておきたい。そして、いつかこう報告しなければ。
 「あの息子が、父ちゃんの遺志を継いだよ」

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2006年9月25日 (月)

小泉内閣のまとめ

 小泉内閣は2001年4月発足。5年半続いた。内閣のキャッチフレーズは小泉自称「構造改革内閣」

2001年
 4月、橋本、麻生、亀井、小泉の4者で争った自民党総裁選で地方票を集めた小泉が予想外の圧勝。
 6月14日、小泉内閣メールマガジン創刊。
2002年
 1月29日、田中眞紀子外相を更迭。初の閣僚交代。後任外相は川口環境相が横すべり就任。
 9月17日、小泉首相 北朝鮮を訪問。
2003年
 2月、イラク戦争に対して米国支持を鮮明に表明。
 9月、小泉、亀井、高村、藤井で争った総裁選再選を受けて改造。国土交通:石原伸晃、総務:麻生太郎、財務、谷垣禎一。党内人事、幹事長:安倍晋三。前幹事長の山崎拓を副総裁に起用。
2005年
9月11日、郵政民営化をテーマに掲げた解散総選挙絶対安定多数となる議席を獲得。小泉宿願の郵政民営化を成立させた。
2006年
9月20日、総裁選で安倍晋三が当選。
9月21日、小泉内閣メルマガ最終号(250号)
9月26日、臨時国会で安倍晋三が首班指名され、小泉内閣が幕を閉じる。

 しらべるでは、以下が三大功績と考える。
朝鮮民主主義共和国拉致被害者交渉
郵政民営化
派閥先送り人事の廃止

 口で言うのはたやすい。歴代前任者が先送りして来たことに手をつけた。次期内閣以降は、この姿勢が評価の基準となる。そこにこの内閣の大きな意義があった。 

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2006年9月24日 (日)

楽天とバルサの提携

 2006年9月14日、FCバルセロナの日本語公式サイトがリニューアルした。何が変わったかというと情報が早くなった。
 以前、FCバルセロナの日本人スタッフが担当していた頃、8月も終わりというのに、公式サイトでは5月のCL決勝に臨む選手の意気込みが最新記事だった。

 FCバルセロナの公式サイトは最新情報がカタラン(カタルーニャ語)で書かれている。その後、順次スペイン語、英語、日本語などのサイトが同じ情報で更新されていく。

 2006年7月に楽天とFCバルセロナが業務提携を発表。
 日本語サイトを楽天が更新することになった。

 楽天はネット企業の代表格。ライブドアと同様、利益の大半は金融。
 今回の提携ではバルサカード(VISA提携クレジットカード)が9月25日より受付開始となる。バルサのコオロギ鍋や選手がカード券面にプリントされているだけのことだが、多くのバルセロニスタがカードを作るだろう。楽天にとってメリットが大きい提携といえる。

 いずれにせよ、日本のファンにとっては情報が早くなることはありがたい。
 以前はカタランのページを見ながら、写真と単語で記事を類推していた。

 デコというスターと僕らデコファンの間には言葉の壁がある。
 でこむでは、一人のメンバーが公式サイトにデコが取り上げられた時に限り、記事を翻訳して紹介してくれていた。
 翻訳といえどもネットでの公開は、著作権という意味ではグレーゾーン。
 ここで生きてくるのがコミュニティの「非公開」
 かつてニフティでは
 「フォーラムは公開情報(今どきに言えばコンテンツ)だが(CUGである)ホームパーティは私信扱い」とする見解が不文律として合意されていた。

 クローズな仲間うちだからこそ、できることである。

*次回デコブログは10/2(月)に掲載します。

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2006年9月23日 (土)

小泉内閣メルマガ終了

 2001年から5年間つづいた小泉内閣メルマガが21日最終号を迎えた。

毎号、小泉純一郎が冒頭部分を執筆。
週1回木曜日発信
当初、携帯電話には対応していなかったがその後対応した。
創刊準備号からすべてのバックナンバーがWebページに掲載されている。
初代編集長は安倍晋三

2001年
 6月14日、創刊号配信。この日の18時に購読登録が100万人を超えた。(単独のメルマガでは世界一)
6月21日、第2号配信 この時点で購読登録は180万人。
2004年
 1月15日、124号で記述ミスがあり、その部分が別途送信された。
2005年
 9月1日、8日、衆議院選挙前の2週は休刊となった。公職選挙法に配慮したと思われる。
2006年
9月21日、250号 最終号

 小泉純一郎は「政策に関心がない」「まる投げ」と批判されてきた。その実態はどうだったのか? このブログ2006年2月20日~21日の「小泉のあきらめ効果」に、その答えを書いておいた。 

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2006年9月22日 (金)

一周年

 今日は、このブログを始めてから366日め。
 つまり1年と1日。2年めに入った。

 ウェブサイト「しらべる」の方は2000年4月20日に始めて以来、6年5か月 毎日更新を続けている。

 このブログ「しらべるが行く」は毎日書こうと思って始めたのではないが、つい毎日続けてしまった。
 ここまで続けてしまうと、やめづらい。

 小学校の時、小1から小6まで6年間、毎日、日記をつけていた。
 2000日強、継続していたことになる。

 1年を超えて毎日継続していることは、生涯でこのブログが3つめになった。

 続くことの共通点は何かを自分に問いかけた。
 誰かがみているから?
 それは関係ない。

 結論として3つに共通しているのは
「自分にとって後々役に立つ」ということだった。

 ただ「しらべる」については、今後、人のために役立つということに重心を移していこうと思っている。

 こちらの「しらべるが行く」は、あまり役に立たないかもしれませんが、また読みに来てください。

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2006年9月21日 (木)

記録に残る男 松坂大輔

 【 まつざか だいすけ 】 
横浜高-西武 投手 右投げ右打ち

 


1980年
 9月13日、東京都生まれ、当時高校野球のスターだった荒木大輔にちなみ大輔と命名される。
1998年
甲子園春夏制覇、決勝でノーヒットノーランを記録。
1998年
11月、希望球団の巨人が上原を指名するため、横浜を意中の球団としていたが抽選で西武が指名。ドラフト1位入団。背番号18。
1999年
16勝5敗。高校新人45年ぶりの最多勝。新人王。
ANA
ハンバーガー計画のCM出演。カシオG-SHOCK松坂モデル発売。
2000年
14勝7敗。シドニー五輪出場0勝3敗。
 9月12日深夜、日本テレビ
柴田倫世アナウンサーの自宅を訪問したところをフライデーに撮影される。そのため免停中の運転と、黒岩広報が松阪の駐禁を身代わり出頭したことが発覚。野球活動停止処分を受ける。謹慎中にLASIK手術を受け視力を矯正。
2001年
15勝15敗。3年連続最多勝。勝敗同数の最多勝は史上初。
2002年
入団4年目で初めてチームがパリーグ優勝。日本シリーズ対巨人戦では登板の度に打たれた。巨人が4連勝で優勝。
2003年
大学を経た同級生 木佐貫久保、永川、古木、村田、和田、新垣、後藤らがプロ入り。「松坂世代」と呼ばれる。
11月6日、アテネ五輪予選台湾戦先発、勝利投手。
2004年
 8月、アテネ五輪出場。決勝進出を賭けたオーストラリア戦で負け投手。
10月、日本シリーズ第2戦負け投手。第6戦でシリーズ初勝利。プロ入り後、
大舞台で初めて結果を出した。
12月、柴田倫世さんと結婚。
2006年
 3月、WBCMVP

 


早ければ2006年オフ、
ポスティングMLBへ移籍予定。
 
FAを獲得しての自由移籍が可能となるのは2007年オフの予定。
 こうしてしらべるの記録を振り返ると、まさに「記録に残る男」 西武ファンにとって今シーズンは「松坂で勝った年」として記憶に残ることになるだろうか?

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2006年9月20日 (水)

行きたくないイベント

 こういうイベントには行きたくない。

先着**名なのに、追加募集するセミナー
「目からウロコの・・」というキャッチコピーが書いてあるセミナー
地獄の特訓
タダでいろいろな日用品がもらえるとチラシに書いてある集まり
顔も知らない 「伝説のOB」 がくる割り勘の呑み会

いつも、始まった後に「あ、またやられた」と後悔する、あるビジネスセミナー会社の有料セミナー(社名伏せる)

 この会社からは毎月、セミナー一覧が届く。ところが「こんなことを教えます」というお題目と、実際に講師が話す趣旨が全然違う。それが2度続いた。
 二日コースで10万円・・といった受講料なので、バカにならない。
 二度の失敗を三度繰り返すことは出来ない。今はDMが届くと開封せずに紙ごみに出している。

 こういうことを実名で言う環境がない。



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2006年9月19日 (火)

加藤眞由儒さんへの any question!

 先日、霊視能力者の加藤眞由儒さんより、質問のお返事がきた。
 ファンサイトに寄せられたファンの皆さんからの質問をお送りしたところ、お答えをまとめて送っていただいた。

 質問の中には、独特な価値観に特化したものもあったが、それでも一つ一つ丁寧に答えていただいた。

 質問は次のようなもの。
■日本人として生まれてきた意味
■どんな人でも生まれ変われるのでしょうか?

 最後にこういう質問がある。
■魅力のある人間とは?

 その答えが印象深かったので、ここでもご紹介したい。

【Q】
 加藤さんの考える魅力のある人間とはどういう人をさしますか?
 そして、魅力のある大きな人間になるのはどのようにしたらいいでしょうか。

【A】
 自分自身の考えをきちんと主張して発言できること
 間違ったら謝ることの出来る勇気をもつこと
 先人を立てて行くこと
 そして、総てを許すこと
 絶対に報復をしないこと

 ではないでしょうか。
 皆様と共に魅力ある人間になれるように頑張ります。

 「報復をしない」
 日々の暮らしから報復を外すと、ずいぶん世界は違うものになる。

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2006年9月18日 (月)

ブログ=日記+随筆

 このブログ「しらべるが行く」を始めてから2か月経った2005年11月14日、僕は次のような下書きを書いている。

(以下引用)

 自分はいつかブログかメルマガを出す日が来るに違いないと思い、2年前から原稿を書き溜めていた。

 構想2年、ようやく2005年9月からブログ「しらべるが行く」を始めた。
 ネタは前日に考えているのだが、新ネタを思いつかない日は「しらべるが行く.txt」 のファイルを開いて、書き溜めておいた原稿を読み返す。

 なにか載せられそうなものはないか・・と読んでみるのだが

 おもしろくない

 自分が過去に書いた文章って、なんでこう面白くないんだろう。
 その日は、自分はなんて天才なんだと思っているのに・・・

(引用おわり)

 この頃、自分で面白くないと思っていた原稿は「書きかけ」の断片のこと。
 なぜ、断片なのかと言えば、思いついて書き始めたものの、起承転結が構成できなかったからだ。
 それは後から読み返したから面白くないのではなく、実は書いたそばから面白くなかったのだ。
 それを一瞬でも「天才だ」と思ったというのには失笑する。

 もちろん、モノ書きとしては、時に勘違いで走り出すことも必要だが、多くの人の目に触れる文章はやはり寝かせないと怖い。

 ブログという単語を「日記」と定義するメディアが今でも大多数だが、そろそろ日記と随筆に大別されることを、言うべきだろう。

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2006年9月17日 (日)

デコの気になること

 デコ仲間のコミュニティができると、そこではデコの話ができる。
 当たり前のことだが、これは大変なことだ。

 デコという名前を聞いて、それが何処の誰なのかわかる人は職場にはいない。
 日本代表やJリーグは観戦に行くという人でもほとんど知らない。
 そんなデコについて、
 「試合開始前の写真撮影で、他の選手よりデコだけ腰の位置が高いのはなぜか?」という話ができるわけがない。

 だが、程度の差こそあれ、デコファンが集まる場所であれば、デコのことは何を話してもOKだし、その内容がマニアックであればあるほど、読み手には興味深くなる。

 「デコはきっとその腹筋の強さを誇示するため、高い中腰の姿勢をとっているんですよね!」
 と職場で話していたら「今日はもう帰っていいよ」と言われるだろう。

 このネタは実際にでこむのトピック「デコの気になること」で書かれたもの。ぜひ、デコファンクラブの総会ではこの「デコスクワット」ポーズで記念写真を撮りたい。その中心にデコがいたら言うこと無しだ。

 「デコはいつユニフォームを出しているのか」
 という疑問も呈示された。
 サッカー選手はシャツをパンツの中に入れることがマナーとなっている。中学生や高校生のサッカー大会では誰もがそのマナーを守っているが、プロサッカーでは風紀が乱れている。
 シェフチェンコがシャツを入れる側の代表とすれば、デコはシャツを出す側の代表といえる。

 ゲームが始まり、ファーストタッチがきて
「お、デコ」
と思ったらもうシャツが出ている。

 いったいいつ出したのか?入場して整列した後、それとも入場前?
 メンバーでそれぞれに試合映像をチェックしたところ、結局シャツを入れている映像はどこにもない。そもそもロッカールームで身につけた時から入れていないのだろう。

 1995年に佐野元春がファンによる公式サイトを作ったのを先駆けとして、2000年代後半に入った今、インターネット上にはアイドル、スターについての公式情報が溢れている。
 だが、FCバルセロナ移籍以降の公式、準公式サイトがないデコの情報はとても少ない。
 少ないだけに、ほんの小さな情報でも大切に、見逃さないための安全網。それがコミュニティの役割の1つだ。

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2006年9月16日 (土)

図書館の書き込み被害

 ダライ・ラマ14世の著書「ダライ・ラマ死の謎を説く」
を図書館から借りてきて読んでいたら、66頁に鼻毛が挟んであった。
 ティッシュで挟んで捨てた。

 図書館の本には、傍線が書き込まれていたり
 ページの端が三角に折ってあることがしばしばある。

 自分の本棚にある15年前の本にも傍線や三角折りがある。
 あぁ、この頃はこんなところに線を引いていたんだ。
 あぁ、この価値観はこの時、初めて出会ったんだ。
と思い返すのは楽しい。

 だが、初めて出会う本に、既に線が引いてあるのは楽しくない。
 恐らく傍線を引いた借り手は、そこが要点であると思ったのだろう。
 傍線が引いてあると、思考がそこで止まってしまう。
 他人の思考にとらわれまいと、傍線の箇所からは目を背ける。
 傍線が引かれた本は、つまらなくさえ思える。

 東京23区の図書館で書き込み被害の割合は13.5%。
 つまり10冊に1冊強の割合で、利用者による書き込みがみつかっている。

参考文献「図書館で考える道徳」諸橋孝一 鳥影社 2001年10月

 自身、図書館で読んだ直近 3,000 冊のなかでは以下のようなケースがあった。

■全ページ中3割ほどのページに、クレヨンでじろ書き。
■要点にびっしり波の傍線。

 書き込み以外では
■ページの斜め上を折り曲げ。
■大半のページが水濡れで撓み変色。
■鼻毛立て
■食べ物の汁のようなシミ

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2006年9月15日 (金)

旧1号の日

 毎年9月15日は「旧1号」の日

 旧1号(きゅういちごう)=915の語呂合わせ。

 しらべるが2003年9月15日に記念日を宣言した。

 2003年、2004年とも特別なイベント、企画はなにも行っていない。
 2005年もやっぱり行っていない。

 旧1号は初期の1号。

 放映当時、人気を確固たるモノとしたのは明るいキャラクターの旧2号、新1号、新2号、V3あたりだった。
 しかし今、レトロでホラーな旧1号がいい。

 ミクシィでは、2005年1月より非公開のコミュニティ
「旧1号」を主宰している。
 当時、旧1号コミュとしては初めてのものだったが、後に
 ちょっとずつタイトルを変えた旧1号コミュがいくつか立ち上がっている。

 2006年9月15日
 ここに、旧1号のファンクラブ設立を宣言する!

 (現在会員1名)

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2006年9月14日 (木)

企業買収の想像力

 ある日、あなたの会社の社長がこう言ったとする。

「企業価値を高める企業買収であれば検討する。
 利ざやを稼ぐための買収ならば断固抵抗する」

 ここで、どう考えるかについて。

 うちの社長は視野が広い人だなぁ。
 一企業の視点ではなく、日本人として社会に貢献するためには、このような考え方は美しい。
 いいことだ。
 と取る人は想像力を欠いている。

 実際には、このような発言が何の煙も無いところからは出てこないことに、気づかなければならない。

 たとえば、あなたに一年後に結婚する予定があるが、友達にはまだ公表していないとする。
 そういうとき、結婚について意見を求められたら何と言うだろう。
 おそらく、1年後の自分と整合性が取れる発言をするはずだ。
 そこで「結婚なんてするのはアホ」とは言わないと思う。

 社長が「買収を検討する」と言っているならば、数年以内にその会社は、どこかの企業の傘下に入る可能性があるということ。

 そういう想像力を働かせたら、次に何をするか?
 買収しそうな企業に根回しをして、自分の人事を優位に展開するか?
 そんな人脈の広い人ならば、買収されるような企業に残らずとも、活躍の場があるだろう。

 では、今の会社の上司や人事部に切られないよう、付け届けを始めるか?
 それはまちがい。買収に遭えば人事部や管理職がどうなっているかはわからない。
 社長は「企業価値を高める買収」に応じるものと信じれば、現体制維持を前提に考えるのは方向性が違う。

 ではどうするか?
 新しい経営陣、人事担当者が一人一人のプロフィールを見る。
 この人は使えそうだ。
 この人は朝から晩まで、ソリティアとダベリに来ていた人だ。
 すぐわかる。

 今から襟を正して、どんな会社だろうが、給料をもらって恥ずかしくない日々の仕事をおこない、不足していれば、特別な技能を身につける。

 想像力の差

 「買収があれば検討する」
 と言われて、給料上がるかな~(笑) とやっているような人とは大きな差だ。



しらべる

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2006年9月13日 (水)

**歳の本

 「**歳の●●」「**歳からの■■」
 というタイトルの書籍はたくさんある。

 年齢、テーマ共に自分にぴったりだと、読みたくて仕方がない。
 これは、対象読者を絞り込んだ企画と言える。

 対象となるのは、その年齢層と、若干その下の層。
 「40歳までにするべき50のこと」
を41歳で読むのは遅いし、40歳でもありきたり。
 それを28歳くらいで読み 修得すれば、人に差をつけられるという心理が働く。

 だが、実際に読んでみると、まさに「35歳」という年齢を見切った内容のものもあれば、35歳というタイトルをつければ、その年代の人が間違って買うだろうというものまである。

 しらべるでは、過去に読んだ「**歳の本」について、感想をまとめている。

年齢 書名 著者 版元 発行年 コメント
125 125歳まで、私は生きる! 渡辺弥栄司 ソニーマガジンズ 2003年 125歳まで生きた人じゃなくて、これから生きるぞという意気込み・・
100 長寿村の一〇〇歳食 永山久夫 角川書店 2003年11月 体によい食べ物が確認できる。
100 100歳まで元気に生きるために今できる43の方法 中谷彰宏/坪田一男 ダイヤモンド社 2001年9月 この内容で "100歳" はタイトルがオーバーすぎる。
96 大村はま96歳の仕事 大村はま 小学館 2003年6月 96歳だからどうということは書いてない。
58 58歳からの楽々運転術 徳大寺有恒 草思社 1999年 年齢に関係なく、横着な運転者は読んだ方がいい。
55 55歳から駄目になる脳、伸びる脳 大島清 角川書店 2001年2月 大島の脳の話しは理屈っぽくなくてよい。
46 私はこうして46歳から英語をモノにした 山元雅信 明日香出版社 1999年 46歳からの英語を分析したのではなく、筆者の思い出話が書いてある。
42 Dr.コパの42歳からの開運風水 小林祥晃 PHP研究所 2002年4月  ・・・
41 41歳からの哲学 池田晶子 新潮社 2004年7月 41歳と内容は無関係 エッセイとしては好作。
40 40歳からのゴルフ上達エクササイズ 湯浅景元 学研 2005年8月 メンタル、フィジカル5冊くらいの本の要素が1冊にまとまっている。
40 40歳から読む骨の病気 赤松功也 ブレーン出版 2004年4月 骨について最低限のことがしっかりわかる。
40 40歳からのサバイバル心理学 和田秀樹 講談社 2003年6月 毎回同じピンクレディやシゾレフの話し。ひどい。
40 40歳から何をどう勉強するか 和田秀樹 講談社 2001年 低レベルの啓蒙書
40 もうすぐ私も四十歳 岸本葉子 小学館 2000年7月 気軽に楽しく読めるいつもの岸本エッセイ
38 38歳から始めるストレッチゴルフ   森永製菓 2005年3月 38歳という意味づけは本文にない。
35 35歳からのメイクとスキンケア 渡辺真由美 成美堂出版 2003年 写真が多い。整然と漏れなくまとまりがよい。
35 35歳までに仕事運をつかむ魔法の言葉 神山典士 アスキー 2003年 竹中平蔵日下公人ら 16人のインタビュー集
30 私の三十歳 男が人生と出合うとき 大和書房編集部編 大和書房 1992年 24人の男が語る自分の30歳
29 29歳からの一人時間の楽しみかた 中谷彰宏 三笠書房 2002年 今29歳で、日々の暮らしに軸となる理屈が欲しい方へ。
13 13歳のハローワーク 村上龍 幻冬舎 2004年 子どもと"好きなこと"について対話するための本だが、子どもがこれを読んで何かに目覚めると言う期待は薄い。

ど素人!読書講座

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2006年9月12日 (火)

マインドコントロール

 米国でカルト教団を語る時に使われ始めたことば
 「マインドコントロール」は、日本ではオウム真理教事件で広く周知された。

 マインドコントロールとは
 納得ずくで そう思い、行動するように し向ける手法。

 
 人間は理性で納得できないことを催眠で強制されることはない。
 無理矢理 人の心をコントロールすることは不可能。マインドコントロールは 魔術のようなものにかかって、解けないというものはない。

 マインドコントロールは「暗示」という言葉と同等。
 暗示を与える側の意図により、善意のマインドコントロール、悪意のマインドコントロールに分かれる。

■善意のマインドコントロール
部下に「自分で考えて行動しないと、社会では使えない人間になるぞ」と諭す。

■悪意のマインドコントロール
部下に対して「君は人類最低の使えないやつだ」と叱責する。

 2005年9月11日、総選挙 開票速報番組(生放送)で、亀井静香は自民党の武部幹事長に向かって「自民党は国民をマインドコントロールしちゃいかん」と叱責した。武部幹事長は憮然とした表情で「そういう言い方は国民に失礼ですね」と応じた。

 しらべるでは、アフィリエイトの文言に以下のようなものがある。
「自動車保険 あなたは払いすぎている!」

 これは善意のマインドコントロール だと思う。

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2006年9月11日 (月)

会議の進め方(参加者編)

 短時間で最大の成果を出す会議にするために、会議の参加者として心得なければならないこと。

 時間を奪わない。

■自分が10分遅刻したため10人の人が開始を遅らせて待っていたとする。
 自分からみれば「10分遅れただけ」かも知れないが、10分×10人=100分を会社から奪ったことになる。金額換算すると馬鹿にならない損失。

 遅刻しても平然としている人と、日ごろ「忙しい」を連発する人は一致している。

 自分の世界に引き込まない。

■いちいち自分の守備範囲、専門分野に関連づけて解説しない。
 会議は「日頃私はきちんと仕事してます」「こんなに詳しく知ってます」という自慢大会ではない。
 一度まとまったことを「たとえば・・」
 といちいち、例え話をひとつ発表しないと気が済まない人がいる。自分で自分を「まとめ上手」と思っているのか、よほど頭が悪いのか。

 要は自ら先陣を切るアイデアを出す力がなく、後だしじゃんけんしかできない人が、会議で何か喋って帰るための処世術。
 他人はそういう姿をみて「具体的提案がない」「よほど自信がない」と見ている。

 おちゃらけない

■「でも我が社は金が無いからねぇ、わっはっは」
 のように、議論して決まったことを骨抜きにするような、おちゃらけたジョークを言わない。

■「わかったよ、今度呑ませりゃ、いいんだろ ^^;)」
 のように、どうせその程度だろう?と言わんばかりの発言は失礼である。

 勝手なことを言わない

■全然関係ないんですけど..
 だったら言わない。

■わかってないのは僕だけかも知れませんけど..
 だったら勉強して、次の機会にどうぞ。

■話、違うかも知れませんけど..
 進行の腰を折らない。

 これらのことを言う人は、自分勝手なだけの人。話の筋が読めない人。

 自分がこれに当てはまると感じ、それでも気の利いた発案が出てこない時は、欠席するか、黙っていることが会社の利益につながる。

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2006年9月10日 (日)

でこむの誕生

 デコファンサイトとしてのコミュニティはぜひ、ミクシィにある既存のデコ・コミュニティで!
 そう思い、開設者さんにメッセージを送ったところ快諾を得た。
 だが、数日後、やはりやめてくださいというお断りがあった。
 (理由は割愛する)

 2005年3月現在、ミクシィの会員数はまだ100万人には到達していなかったが、ネットを13年やってきた経験から、今後、人が集まるのはここだと思っていた。

 そこで、デコについての2番めのコミュニティを作ることにした。既存コミュニティの開設者さんに報告して、仁義を切ったうえ「でこむ」は非公開とした。

 非公開にした理由は2つ
1、公開だと、既存のコミュニティと性格が似てしまい、競合する。
2、公開では書けないことが多い。

 ニフティで13年コミュニティを続けてきて、公開の場(フォーラム)非公開の場(ホームパーティ、パティオ)の両方を手がけたが、僕の場合、親密な人間関係ができるのはいつも後者だった。

 情報を発信してこそネットワーク。
 ネットワークは誰とでもつながることができる。

 だが、発信せずに見ているだけでは、誰ともつながることはできない。
 見ているだけならば、その人にとってインターネットはテレビと同じだ。

 息を潜め、黙って読んでいるだけの人がたくさんいる場所で、洗いざらい書くのは気味が悪い。
 現にミクシィでは5000や10,000という登録メンバーがいながら、数ヶ月間書き込みゼロというコミュニティがたくさんある。
 「でこむ」は20人にも満たないが、ほぼ毎日誰かの書き込みがある。

 非公開で始めた「でこむ」
 既にこの「デコブログ」で書いてきた、バルサ2005日本ツアーを通して知り合った友達も、ここにやってきた。

 そして、実際にデコペーニャを 立ち上げようと賛同してくれたのは、そうした直接顔を合わせたメンバーだった。

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2006年9月 9日 (土)

会議 進行の実践編

■えらい人の前説はカット
 予定調和にえらい人に振らない。えらい人の講演でその日の会議は死ぬ。
 必要な場合は、事前に話してほしいこと、持ち時間を話しておく。

■議長、書記(議事録担当者)、議事録公開方法を明らかにする。
 *氏名入りで公開することの布石。下手なことを言えなくなる。次回以降の会議に効いてくる。

■発言は挙手をして、議長の指名を受けてから
 *この確認をしなかった会議は、隣りに座った人との分科会になる。

■発言は手短に
 「進行にご協力をお願いします」

 ルール、役割の確認を終えたら、アジェンダを消化していく。

■議事が一つ終わるごとに、板書しておいたアジェンダに線を引いて消していく。
■予定時間に対して進行が遅れていないか常に意識する。
■遅れている場合、さっと時計を見て「ちょっと遅れてますね」と軽く言う。
■遅れているからと言って、重要な議題を残して「じゃ時間が来たのでうち切ります」ということはしない。貴重な時間を使ったことに見合う成果を出すことが大前提。

 ことばの確認

■情報システム部門、経理部門の人などが専門用語を使った時、自分がわからない言葉だったら言葉の意味を確認する。
 定義があいまいな言葉、意味がいろいろな取り方ができる言葉は
「今後、この言葉はこういう意味で使いましょう」
とその場で定義する。

 自分がわからない言葉は周りの人もわかっていない。
 使っている人もわかってないことがある。
 確認することで安心感が漂う効果がある。
 ただし「偉い人」が使った場合は、空気が壊れるのでその場は流す。

 遅刻・中座への対応

■遅刻・中座をしておきながら、
 「僕が聴いてないだけかも知れないけど・・」
 と言いながら、既に終わっている話しを持ち出す人がいる。
 こういう場合、満面に笑みをたたえて
「それはあなたが聴いてないだけですよ」
「来られる前にお話したんですよ~」
と釘をさす。司会がこれにコミットしない場合、参加者のモラルが下がる。

 会議の終わり方

 次のことを確認する
■決まったこと
■課題(宿題)、クリアする担当者は誰か?
■次回開催テーマ、日時、場所、幹事(世話役)
■議事録、参考資料(ファイル)の公開について告知

 「それでは 終わります。ありがとうございました!」
と散会を宣言したら、即座に席を立ち、荷物をまとめて部屋を出る。

 司会がいつまでもそこに座っていると、一部の人による延長戦が始まってしまう。関係ない人は帰りたいのに帰れなくなってしまう。

 そして最後に、司会の心がけについて。
 色々な工夫をして臨んでいても
「今日のために 勉強しました」
「これだけ準備しました」
といった自己宣伝をしない。

9月11日 ビジネスで 会議の進め方(参加者編)を掲載



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2006年9月 8日 (金)

会議のつかみ

 いよいよ会議が始まる。

 ここで心がけるのは笑顔
 仏頂面で頭のいい振りをした司会者が始めた会議では、皆すぐに内職モードに入る。

 会議をスタートさせたら、以下のようにして参加者の気持ちを明るくさせて、好意的かつ積極的に会議を楽しんでもらわなければならない。

■定刻開始
 「定刻になりましたので・・」定刻ちょうどに開始する。

「まだ お2人お見えでないので、今しばらくお待ち下さい」
 と遅刻者を待たない。上司が同席する場合は事前に「どんなに偉い人が遅刻しても定刻開始してよい」という了解を得ておく。

■場を和ませる軽いジョークから入る。
 進行役は話している時は常に 軽く微笑みをたたえる笑顔「アルカイックスマイル」を心がける。
 参加者の発言に怒りの感情が生じた時は、無表情を装う。自分がハンカチ王子になったと思えばいい。

■飲み物の確認
 飲み物は開始前に配る。途中に配る場合「14時30分頃、熱いコーヒーが来るはずです(笑)」
 セルフサービスの場合「飲み放題です。各自、自由にペットボトルからお代わりしてください」

■喫煙、冷暖房、休憩の確認
 社外の人、ビル外の人が来た場合、喫煙場所を説明。フロアの見取り図をプロジェクターで映して
「当ビル内設備についてご説明します。非常口は前方3箇所・・」
と航空機の機内説明のパロディをやるとうける。

 90分を超える会議では途中休憩を入れることを予告。
 チームマイナス6%に参加している場合、
「当社は冷房の設定温度を28度にしています。上着はそちらの荷物置き場へ。よろしければネクタイもお取りください。見ている方が暑苦しいですから(笑)シャツのボタンをはずすのは1つまでにしてください(笑)」

■アジェンダの確認
 議題に入る前に アジェンダを確認して会議の流れをつかんでもらう。事前に計画しておいた通りに「5分の議題が3つ、メインの議題に40分をかけて、予定時間の60分以内に終わるという進行で行きたいと思いますが、皆さんよろしいですか?」と提案、同意を得てから始める。

■資料の確認
 アジェンダだけ確認する。すべての資料を確認するのは時間の無駄。

 引き続き、ルール・役割の確認へとつづく

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2006年9月 7日 (木)

ほぼ日手帳2007

 きょう9月7日より「ほぼ日手帳2007」が発売される。

 【 ほぼにち てちょう 】
 ほぼ日刊イトイ新聞が発売する手帳。
 スケジュール管理ではなく、あふれ出る発想を書き留めることに重心を置いた手帳。

 1985年から20年、電子手帳を使ってきたが完全に飽きた。
 そこで2006年途中、すべてのPDAを売り払い、ほぼ日手帳を買った。
 使ってみて3ヶ月ほどだが、なかなかいい。

 この手帳は2002年に発売され、2006年は10万部を売った。
 販売期間が決まっていて、常時買うことができるわけではない。
 2007年版も9月販売分が売り切れたら、次は12月まで買えないようだ。

 ほぼ日手帳の特徴
バタフライストッパーというペンポケットがストッパーを兼ねていて理想的。
1日につき1ページを割く。見開き2日

週単位で書けるページはない。
リング式ではない。出し入れはできない。
複数年を1冊に入れて持ち歩くことはできない。

 販売について
ウェブサイト「ほぼ日ストア」で販売
 ほぼ日ストアで買うとおまけが付く。
すぐ使いたいと思っても、ほぼ日ストアで手帳がいつになったら買えるのかという情報は開示されていない。
常時買うことができないため、販売時期以外では、ヤフオクで小売価格をはるかに超える値段がついている。
販売時期以外でも全国の「ロフト」で買うことができる。
 2006年7月、1月始まりの手帳を半額に値下げて1,750円で販売していた。送料、代引き手数料込みでおよそ2,400円。

 使ってみて・・
週単位で書けるページがないのが不便ではないか?と予想していたが、すぐ慣れる。不便はない。
書き込みスペースが多いので、こぼれ出る言葉を端から書き留めておける。
メール問合せへの対応が驚くほど親切で素早い。ありきたりの文面ではなく、人情味に溢れていて感心する。モノ売りのメールはこうありたいというお手本だ。

 幻冬舎から解説本「ほぼ日手帳の秘密」山田浩子著 が発売されている。

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2006年9月 6日 (水)

会議の進め方(事前準備編)

つづき

2、会議前日までに準備すること

アジェンダを作る。
 議題ごとの想定討論時間を予測する。
 自分が手持ちするアジェンダには議題ごとの所要時間、予定進行時刻を書いておく。

アジェンダを紙出しして上司の席に持って行き、
 「赤入れしてください」
とお願いする。
 メールにアジェンダを添付して、赤入れして返せと言われたら、普通の上司は腹が立つものだ。

「書記」=議事録をとる人を決めて依頼する。
 議事録はプロジェクターに投影し、会議後速やかにイントラネットにアップするために、筆記ではなくパソコンで高速タイピングできる人を選ぶ。司会自ら行うのが最も効率がよい。

 司会自ら議事録をタイピングし、プロジェクターで投影する。
 ここがとっておきのポイント。
 司会の脳で行われている 議事の水路づけをスクリーンで見ていると、参加者はその思考に引きずられてしまう。つまり、人心が一つになるのである。
 思考停止と思考活性の切り替え、ここに会議のコツがある。
(な~んて、後付けですけど ^^;)

 ただ、これを「フェアじゃない」と言うような人は、一生お通夜会議をやって「忙しい」てんぱった人生を楽しむことができるだろう。

「記録係」を決めて依頼する。
「記録係」はホワイトボードや模造紙に話し合いのポイントをまとめていく人。通常は司会が務める。司会のあなたに、議題について "図を描く能力" が欠けていると思う場合、誰かに依頼しておく。

3、当日の準備

アジェンダを板書する。
 黒板・ボードがなければ紙に書いて貼るか、紙出しして配布する。
 プロジェクターの投影では、常時確認できないので不可。環境面で好ましくはないという理由で、紙出しは控えていたが、進行を円滑にするためには、アジェンダが各自の手元にあった方がよいことがわかった。

お茶の準備
 長時間の会議ならば大型ペットボトルを購入しておいて セルフサービス。短時間ならば開始前に配る。1時間以内の社内ミーティングならばお茶は無し。

 次回 9月8日 (司会進行編)につづく


しらべる

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2006年9月 5日 (火)

社会人が「忙しい」とてんぱっている理由

 学生さんにはわからないかも知れないが、日本の企業では会議が多い。
 年中「忙しい」とてんぱっている人がなぜ、忙しいのか?
 それはたくさんの会議に出ているからだ。

 会議は、やたらと長い。
 長い理由は全会一致をめざすからだ。
 「世界でもっとも社会主義が成功した国」と揶揄される日本では、多数決をとるなどもってのほか。
 たった一人、意見が違う人がいると、皆が後の嫌がらせを恐れて黙り込んでしまう。そうなると、会議というよりお通夜に近い。
 10人が参加した2時間の会議で、1時間 全員が黙祷をささげるということもあった。

 会議に出なければ、仕事は速く終わる。
 だが、サラリーマンはすべての会議を断ることはできない。

 そこで5年前から、自分が進行役になった会議だけでも効率をあげようと思い、取り組んできたことがある。それをお話したい。

1、役割の分析

■積極的に推進意見を言ってくれる人、消極的で議論に水をかける人、バット君を分析しておく。
 推進意見を言ってくれる人と正対して座ると、進行がしやすい。

「この人がいないと始まらない」という人を特定しておく。
 遅刻・中座しないよう本人に言っておく必要がある。

 つづいて、会議案内の発信。

【 第1弾 】
会議参加者一斉に以下の要件をe-mailで送る。
議題
日取り
開始時間~終了時間
場所
主旨、目標とする成果

【 第2弾 】
会議参加者個別に以下の要件をe-mailで送る。
準備してきて欲しいこと
「あなたに期待する役回り」
インターネット、イントラネット上にある参考文献のURL

 ちなみに、会議前日になる頃には、会議室がどこだったかを忘れている人がいる。第2弾メールにも さり気なく 日取り、開始終了、場所を再掲載してあげることが親切だ。

つづく

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2006年9月 4日 (月)

バットくん

 しらべるが定義した造語に「バットくん」がある。

 but 【 接続詞 】 しかし けれども

 バットくんとはこういう人だ。

【 場面1 】
moto「それでは、バットくん、業務計画案を説明してください」
バットくん「だからぁ、まだ合意されていないんだからぁ、計画って言わないでしょ」

【 場面2 】
moto「設備計画が決まらないと、日程が決まらないので、設備計画について意見をお願いします」
バットくん「いや、日程が決まらないと。設備は後づけですよ」
moto「では、日程案について、意見をお願いします」
バットくん「10月1日くらいでしょうけど、設備次第ですよね」
moto「いったい、どっちなんですか?」
バットくん「だからぁ、日程ありきって言ってるじゃないですか」

【 場面3 】
moto「この図のようなスケジュールで、いかがでしょう?」
バットくん「詳細な日付が入ってないし、全然意味がないよ」
moto「ここにあるように、4月の第一営業日ということなのですが」
バットくん「はぁっ? それで現場が動けると思う??」

 バットくんはすべての意見に対して
「だから、バカは困るよ」
「すべてをわかっているのは、僕だけなのかなぁ」
という失笑を浮かべて 切り返す。

 バットくんの意見は、必ず、相手の意見の逆説の形をとる。

 でも、バットくんの意見は 結局、相手の意見と同じだったりする。
 言い方を変えて、崇高な自分の理論を開陳したいようだ。

 バットくんは、誰からも尊敬されない。

 だが、全会一致、全体主義の日本企業では、バットくんにも居場所があり、給料をもらえる。

 バットくんに怒ってはいけない。
 では、バットくんにどう対処すればよいのか?
 いつの日か気が向いたら、お話しよう。

向かないと思うが

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2006年9月 3日 (日)

ホームパーティ、掲示板、コミュニティ

 昔ながらのファンクラブといえば、年会費を集めて、その資金をもとに会報誌を発行し、各種サービスをおこなっていく組織。
 佐野元春のファンクラブに入れば、手に入りにくいコンサートチケットが、プレイガイドに並んだり、インターネットで繋がらない画面を前に途方に暮れることもなく、確実に手にはいる。

 バルセロナ市においては、ペーニャにそういう一面があり、ペーニャに割り当てられる試合チケット購入権利を目当てに、ペーニャに属している人がいるようだ。

 だが、わが「デコ・ペーニャ(仮)」は、まだ公認ペーニャではないし、入会したところで何のメリットもない。
 組織として育てるためには、まず、
コミュニティが必要であり、それはインターネット上でしか考えられない。

 ファンサイト DFW を立ち上げた後、すぐにコミュニティのプラットフォームを考えた。
 これまでにやってきたコミュニティは、1990年代は
NIFTY-Serveホームパーティやパティオ。これは当初、毎月2000円の維持費がかかった(後にパティオでは月額500円になった)
 2000年代に入ってからは、インターネット上の「パスワードがかけられる掲示板」サービス。こちらは無料ながらも、かなり機能が充実していた。ただし、この掲示板を偶然みつけるというユーザー層を拾うことはできない。また、使う側もブックマークから、この掲示板にピンポイントでやってくるため、日々、参加してもらうには、かなり強い動機付けが必要だ。
 当初は、後者の掲示板を使うつもりで、テスト的に立ち上げておいた。

 一方、ミクシィではデコのコミュニティが1つ存在していて、僕もそこに入っていた。
 ミクシィでは、新規コミュニティを立ち上げる場合、過去に同様のコミュニティがないかをチェックするよう求めている。
 強制力のある規約ではないが、人間として考えれば、後出しじゃんけんで同じテーマのコミュニティをつくるのは道義に反する

(ただし、実際にはその実例が後を絶たないので、それはいずれ文書にまとめる)

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2006年9月 2日 (土)

パソコンにアラームメッセージを表示する

 毎日11時になると、パソコン画面に
「11:00です」
というポップアップメッセージが出る。

 フリーウェア Multi Function Alarm(以下mfa)を使っているのだ。

 健康のため、食前1時間前に水を飲むことにしている。
参考文献「病気にならない生き方」新谷弘実 サンマーク出版 2005年7月

 ・・・・・・・・・・・・・

 会議終了予定時間になると
「会議終了時間です」

 毎回のように長引く会議では、議事録を投影しているパソコンにセットしておく。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ある時、年間を通して決まっている処理スケジュールを忘れるユーザーがいた。
 ユーザーが処理を忘れたことで、システム担当者が必死にリカバリーした。会社とは不思議なもので、こういう時、悪いのはシステム担当者ということになる。過ちを認め、公言する人はまずいないからだ。

「忘れない方法、ないかなぁ」
 ユーザーが言った。
 そこで、年間スケジュールをアラームセットして送ってあげた。

 9月25日9:30になると
「半期決算 売上登録締め日ですよ」
というようにユーザーのパソコンに文字がブリンクする。
 その年から、ユーザーは忘れなくなった。

 mfaでは、プログラムと同じフォルダにある MFAlarm.txt に設定を記述している。
 このテキストファイルのフォルダごと ユーザーに渡せば、アラームの設定+プログラムを渡すことができる。

【 mfaを利用するには 】

▼ 杉山利幸のあとりえ にいく。
   ↓
▼ Multi Function Alarm (無料)をダウンロードしてインストール。
   ↓
▼時刻、日付、動作のパラメータ(メッセージ)などを設定して
 [ OK ]

■使用上のポイント

1、常駐
 Multi Function Alarm が起動していないとアラームが働かない。
 定期的にアラームをセットした場合、Multi Function Alarmをタスクトレイに常駐させておくとよい。

2、フォントの変更
 初期状態では文字が小さい。
 パラメータ設定>フォントの指定 でフォントを大きくすると見やすくなる。
 ただし「ブリンクしてメッセージを表示」ではフォントの指定がデフォルトのものになる。

3、MSアウトルックとの違い
 アウトルックの「予定」でも、アラームメッセージを表示することができる。ただしフォントの変更はできない。



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2006年9月 1日 (金)

頭が悪いのか、いいのか・・

 ある日、目の前に CMDBという単語が現れた。

 その資料には、次のような説明がついている。

 個々の構成要素あらゆる関連する詳細情報、および構成要素間の重要な関連性の詳細情報を含むDB

 これを書いた人は、きっといい大学を出た、頭のいい人なのだろう。

 これでは、さっぱり わからない。
 まずは、ことばの定義を把握しよう。

 ブックマークしているIT用語集をすべて見て回る。
載っていない。

 次は Yahoo!と Google
ヒットはしたものの、次のような説明しかない。

 CMDB=構成管理DB

 ITILにおいては重要です・・ インシデント管理が云々・・ とその効用を、たらたら書いた文献はたくさんある。
 だが、「構成管理DBとは、○○のことです」と書いたものがない。

 探しているのは、たとえば、こんな説明
 「構成管理DB コンピューターシステムのソフトウェアどうしの関連性を収録したデータベース。そこから相互のソフトウェアの関連性をみる」(この説明はダミーです)

 そこで、しらべる的に まとめることにする。
 いったい、構成とは何と何の "構成" のことを言っているのか。
 構成を登録しておくことで、何がわかるのか。
 どういうケースで、その威力を発揮するDBなのか。

 その ものごと が、何者かがわかる (ことばの定義 完了)
   ↓  ↓
 それは、どのような経緯で登場したのか?
 それは、役に立つものなのか?
 値段はいくらなのか?
 何処で買えるのか?

 人の対象となる物事への興味は、ことばの定義ができて初めて、その次の段階に進んで行く。
 と思いたい・・



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