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2006年11月の30件の記事

2006年11月30日 (木)

震災日ごろの備え

 あれだけ騒いでいた首都圏直下地震は2006年も起きないまま、年が暮れようとしている。2005年暮れには、真剣に備えていたが、すっかりのど元過ぎて、熱さを忘れてしまった。

 しらべるでは、震災対策をまとめている。
 震災対策の本と、新潟でのボランティア活動体験を元にしている。

■日頃の備え
・玄関上に物資をまとめたリュックを置く棚をつくる。
 ホームセンターで「突っ張りくん」を買ってくれば誰でも簡易に作れる。
・ベッドの近くに靴を置いておく。靴はアウトドア用のスポーツシューズ。アウトソールがワッフルソールで滑りにくいもの。水溜りを歩くことがあるので、アッパー素材はゴアテックスのものがよい。靴の中には靴下、軍手、マスクを入れて左右の靴ひもを結んでおく。
 地震直後、家の中に散乱したガラスなどで足を切ることが多いので、大地震が起きたら、すぐ靴を履く。
・マンションは玄関ドアにトップローラーを付ける。
 マンションは地震で玄関が開かなくなると避難経路がない。

NTT171の使い方を家族、親戚で確認しておく。
 NTT171は平時には使えないが、毎月1日だけは、どの地域でも体験利用することができる。実際に体験しておくのと、頭で知っているのとでは、ずいぶん違うものだ。

■地震が起きて避難で家を空ける時
・電気のブレーカーを落とす。
 電気の復旧時に通電火災が起こることがある。
・ガスの元栓を閉める。

■地震後、自宅での生活に備えて
・水をいっぱいに張った状態で持てる大きさのバケツ・ポリタンク
 近くの川などから水をくんできて水洗トイレのタンクに入れて使うため。

 次回、12月4日掲載「優先順位の高い物資編」

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2006年11月29日 (水)

しらべる、歩く、走る

 2005年11月23日
 図書館の新刊コーナーに立ててあった
「40才からのフルマラソン完走」梅方久仁子
 この1冊から僕のマラソンは始まっている。

 マラソンは見るものだ。
 42kmを走れるわけがない。
 だから、42kmを走れたら、どんなにすばらしいだろう。
 どれほど、自分を誇らしいと思うだろう。

 この本は、それが可能だと言いたいのか?
 そして、1時間後には、マラソンが「しらべる」対象に加わった。

 (以下引用)
 かなりの急ぎ足なら、1kmを10分くらいで歩けます。この速度で42.195kmを歩くと、7時間2分で到達します。
 (引用おわり)

 この文章がスイッチだった。
 それまで、マラソンはアスリートならば2時間台、市民ランナーは、同僚が「揖斐川を4時間で走った」というのを聞いて、それが目安になっていた。

 7時間で歩いても完走・・

 既定の価値観が崩れた。
 そして、荒川市民マラソンというのは、7時間制限だという。

 この本は、その後、ウェア、靴、アスリートウォッチなどの紹介がつづく。カタチから入る者にとって、42kmという偉業を成し遂げるために、力不足をモノの機能で補っていくという灯りも見えた。

 この時はまだ、完走を遠くに見据えていた。
 2006年に荒川の5kmに出て、2007年に完走。漠然としたイメージはこうだ。

 12月7日にウォーキングを始め、2006年元旦に初めて1kmの距離を走る。あまりのきつさに100mでやめたくなった。その2か月後、荒川マラソンを完走した。

 調べ始めて4か月、歩き始めて3か月、走り初めて2か月
 これから、毎週水曜のここ「しらべるが走る」で、その軌跡を書いていきたい。



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2006年11月28日 (火)

万引き専門家を名乗る条件

 日本にはあらゆる物事について、専門家がいる。

 もし、あなたが「万引き専門家」をこれから名乗るなら。
 その条件を挙げてみたい。

■万引きを捕まえたことがある。

■万引きで捕まったことがある。

■万引きをしたことがある。

■万引きをされたことがある。

 この4つの条件が揃えば、ひと通りの評論ができるだろう。

 この中では「万引きをされたことがある」が難しい。
 目の前で万引きをしているのがわかっているのに、報復が怖くて手が出せなかった。ということだからだ。
 月に一度の棚卸をやって「今月はロスが多いなぁ。万引きかなぁ」というのでは万引きは語れない。

 喜怒哀楽、4つの角度からの経験が、洞察を深くする。
 補導員を10年やった人よりも、万引きで捕まえた少年に自殺されてしまった店主の方が、瞳の色が深い。

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2006年11月27日 (月)

男前豆腐店と慎重な性格

 僕は慎重な性格だ。

 地上の星にスポットライトを当てる「プロジェクトX」終了後に始まった、空の星にスポットライトを当てる「カンブリア宮殿」は、明るい日本の道が遠くまで続いていることを、確認させてくれる。

 そこで、出会った一人「男前豆腐店」社長。伊藤信吾。

 もの作りの原点を極めていく姿が、サマンサタバサの社長共々、マネーとITに浮かれて、自分のためだけに金持ちになりたい起業家と、鮮明なコントラストを描いている。

 でも、まだ、男前豆腐を食べていない。

 ある給料日前の日曜日、食品売り場でクレジットカードが使えるジャスコに行ってみた。そこには、男前豆腐店「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」があった。
 おぉこれが、ジョニーか。初めて見た。

 手にとるかというと、取らなかった。じーっと見た。
 今は給料日前で納豆(3個78円)の優先順位が高いというのもあるが、まだ機が熟していないと思った。その時買ったジャスコの納豆は、どのストアブランドよりも美味かった。

 豆腐売り場には、ジョニーもどきの変わった名前の豆腐が並ぶ。
「男前豆腐店」の隣りには「三和豆友食品」。
 ジョニーの成功に追随した業者か?まったく、なんということだ。

 明くる日、伊藤信吾の著書「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」を、じっくり1時間以上かけて読んだ。いつもの速読からすれば、6倍も遅い。
 どうやら「三和豆友食品」は伊藤信吾の父が経営する豆腐会社。伊藤信吾もかつて、そこに勤めていた。関東に卸す「男前豆腐」は茨城「三和豆友食品」の工場でつくり、関西に卸す「男前豆腐」は京都「男前豆腐店」の工場で作るという棲み分けをしていたようだ。

 だが、2006年5月に父親が退任し、今は「男前豆腐店」との接点はなくなっている。
 「男前豆腐店」は2006年10月から山梨県の清里にも工場を構え、関東に供給を始めた。
 それで「三和豆友食品」と「男前豆腐店」が並んでいたのだった。

 奥が深い。

 回転寿司が世界中の人々を幸せにしつつある反面、日本人はマグロの取り分を減らされようとしている。
 食糧危機は切実となり、商業捕鯨が再開されるだろう。
 そして、"おいしい健康食品""罪悪感のないデザート"というブランドを確立した「男前豆腐」が、数年後には、マクドナルドに「豆腐バーガー」のパティや「豆腐スイーツ」を供給していることだろう。

 もう、次回、ジャスコで会った時、君をカゴに入れないなんてことはしない。

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2006年11月26日 (日)

DECOM JAPAN スタート

 2006年4月20日、デコ選手初の日本ファンクラブ DECOM JAPAN がスタートした。

 このファンクラブは、入会金、会費を徴収しない。
 その緩やかな連帯は、スペインを思わせる。 わけないか

 会費を支払うファンクラブでは、その対価として、チケットの優先予約、会報誌、特別イベントへの参加といったメリットが与えられる。
 DECOM JAPAN では、そういったメリットは何もない。

 確か、チェックインなら笑顔を見せるだけ・・という歌があったが、入会手続きは会則を読み、了承したうえで「入ります!」とメールするだけ。

 入会後のコミュニケーションはミクシィのコミュニティ「でこむ」
 ファンクラブ設立を機に、ファンクラブメンバー限定とした。

 そこで、クラブ活動に参加しなければ、恐らく何も起こらない。
 ただ「確か、入っていたよなぁ」と思う程度だろう。

 特別なイベントがあったとしても、メンバー全員にご案内と言うわけではない。そこが、会費制ファンクラブとの一番大きな違い。

 そもそも、公認されてもいないファンクラブに、特別な力はない。
 特別なイベントは、メンバー一人一人の熱い気持ちの集積で手に入れるものなのだ。

 静かなスタートを切った DECOM JAPAN
 一ヶ月経った頃に、UEFA・CLの決勝戦がやってきた。
 2年前、FCポルト(当時スーペルリーガ、現在は bwinliga )でCLを制覇しているデコ。

 優勝請負人デコの真価が発揮されるか?
 バルサ移籍が噂されるアンリは、どのような活躍をするのか?
 試合はスカパーと地上波フジテレビで生中継される。
 緊張してその朝、3:45のキックオフを迎えた。

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2006年11月25日 (土)

エアマックスの2006年問題

 1997年に「ナイキ読本Vol.3」でノモマックスに出会ったのがきっかけで、靴コレクターの道に入った。

 1998年~1998年にかけては、60足ほどの靴を収集した。
 そのうち「マックスAIR」ソールのナイキシューズは15足ほどある。

 2003年頃から、それらの靴の加水分解が始まった。

 加水分解とは、靴のミッドソールが湿気をためて、ぼろぼろに分解すること。加水分解が起きた時点で、靴の寿命は終わり。

 そして2006年、購入後8年以上の8足のうち、6足がエアソールの周囲から加水分解した。
 平均すると製造後8年。

 靴は靴屋さんのような壁ラックを作って保管している。什器はディスプレイの店、馬喰町の西川金太郎で揃えた。湿度が高いわけではない。保管状況としては「並」程度といえる。満遍なく履くよう、履いた靴のデータも管理している。

 マックスエア以外の靴、ナイキ以外の靴でも、ミッドソールとアウトソール(地面に接する部位)が剥離することはある。だが、接着剤でつけると多少、延命できる。マックスエアの場合、修復は不可能。

 1998年にピークを迎えたナイキブーム。その絶頂期に売れたマックスエアの靴が一斉に2006年に加水分解する。これは、コレクターにとっての2006年問題だ。

 しらべるでは、2004年に提唱したもう一つの「2006年問題」がある。(12月2日につづく)

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2006年11月24日 (金)

佐野 迷語録 炸裂

 「アフリカのツメ」第2クール以降も、さらに元春の迷言がつづく。

第15回 7月15日
桃ちゃんが「行き止まり」から帰ってくると
冬野が一人外に縁台をだして花火をしている。
冬野
「夏の臭いがして来るとね~無性にやりたくなるんだ」
「彼女」がかかるなか、冬野と桃太郎が花火を続ける

冬野
「彼女の心の中にもう花火はあるよ」
桃太郎「はぁ」
冬野
「あとマッチで火を付けるだけだよ」
桃太郎「そのマッチが難しいんですよね」
冬野
「マッチはこうやってつけるの」
と普通にマッチを擦ってつけてみせる
桃太郎「マッチはたとえ話ですから」
冬野
「まだまだ子どもだな桃ちゃんは」
花火に火を付けようとする冬野、でもなかなか火がつかない。
冬野
「反対かな?反対だよね?」
冬野、歯を食いしばって苦笑い

第16回 7月22日
桃太郎が冬野は佐野元春ではないかと疑い始める。
ロビーで桃太郎→冬野のロングインタビュー
冬野は必死に、僕は佐野元春ではないと 白を切りとおす。
「サムデイ」をわざと調子っぱずれに歌うのが笑えた。
結局、正体は不明のまま終わる。

第18回 8月5日
庭にテーブルを出してベジタブルドリンクを作っている冬野。
野菜をジューサーに放り込みスイッチを入れるが、できあがったのはほとんど野菜のまま。
風花ママの台本にケチをつける桃太郎に
冬野
「あの台本は僕が書いたんだよ。今度そんなこと言ったらほんとに耳そぎチョップだよ」
 しかし一度ならず二度までも、佐野元春はそんなにジャイアント馬場ファンだったのか?

第19回 8月12日
 従業員オーディションSP
 すべてのオーディションが終わったところにギターケースを抱えて現れる。
「あぁごめんごめん遅れちゃって。今から自己PRしたいんだけど」
と言いながら、ギターを取り出してロックンロールをやろうとする。
桃太郎「ここでやっちゃダメですよ」
と必死に止めるが、
冬野
「けっこう得意なんだけど」
とギターを構えてポーズを決め、食い下がったところでエンディング。

第21回 9月9日
 真っ赤なシャツに赤いキャップ。ボールとグローブを持って登場。
冬野、グローブを桃太郎の前に投げて、
「外は雨降ってるけど、ひと汗かかない?」
桃太郎「あめ?」
外は明るく、SEは蝉の鳴き声・・ロケ前の練習では雨が降っていたのだろう。
スタジオ外で桃ちゃんとキャッチボール。コントロールが定まらずその度に桃ちゃんはボールを取りに走らされる。
冬野
「楽しいね」
桃太郎「楽しいっすね」冬野
「キャッチボールって不思議だよね。二人の距離次第で全然変わっちゃうんだから」
桃太郎「言われてみれば、そやなぁ」
冬野
「離れて初めてわかることってあるんだよね」
桃太郎「離れて初めてわかること・・」と考えていると頭にボールが当たる。冬野駆け寄って
「あ、桃ちゃんごめんごめんごめん。大丈夫?ちゃんと見てなきゃダメだよ。はぁ~」

 エンドロールでロケ前のキャッチボールの練習風景が流れる。
佐野
「キャッチボールなんて久しぶりだよ」
今田「何年ぶりっすか?」
佐野
「15年ぶり」
今田「どこのファンすか?」
佐野
「近鉄バッファローズ」
今田「いま、話題の」(当時は球界再編の最中)
佐野
「僕は阪神が優勝した時、西武球場いたよ」

第22回 9月16日
 アバンタイトルで早くも登場
 桃太郎夫妻の居ぬ間に今村がとった寿司をつまんで
冬野
「うーん、いい寿司だね。僕が知ってるすし屋のおやじはね、シャコのことガレージって言うんだよ」
今村「そ、そんな人いないっすよ」
冬野
「いや、ほんとにいるんだよ。今日からシャコのことはガレージって呼ぶことにしよう、チャッピー」
と言って立ち去る。
今村「冬野さん、なぜそれを・・」
 仮の姿を冬野が知っていることにうろたえる今村

つづく 次回は12月1日掲載 佐野語録最終回

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2006年11月23日 (木)

ラスト1マイル

 目標達成まであとわずかのところに待ちかまえる難題。

 90%までは誰でもできるが、最後の10%のところが大変でありそこを乗り越えたものが目標を達成する。そんなゴールまであとわずかとなったところに待ちかまえている難所、ポイント。

【 例1 】
 コンピューター・システムの開発では、1%未満のレアケースを潰すために全体の20%~30%の工数がかかることがある。
 実用面で言えば99%の出来なのだが、最後の1%はなかなか終わらない。

【 例2 】
 光ファイバーは全国に張り巡らされている。
 そして、そこから各家庭に線を引き込むところで、マンションによっては工事許可がおりないという問題がある。

 サービス提供側からは「最後の1マイル」でも、ユーザーからみるとこれがクリアされないと話にならない「最初の1マイル」

 ユーザーはこの1マイルがクリアされないことで、99%の努力に対して「全然意味がない」とあっさり切り捨てる。

 ラスト1マイルの存在を双方が認識していれば、人と人はよい関係を築くことができる。



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2006年11月22日 (水)

湘南国際に吹く風

 Qちゃんが失速してしまった。
 五輪に向けて、再起を期待したい。

 同じ日曜日、関東のあちこちで、ハーフマラソンがおこなわれた。
 知らない人は知らないだろうが、5kmや10km、ハーフの大会は実に多い。日本では「マラソン大会」のない週末は、ほとんどない。

 知人から「戸田を走った」「埼玉を走った」と聞くことが増えた。
 ただ、僕はマラソン以外を走るつもりはない。走ることは嫌いなのだ。

 マラソンは42.195kmの競技の名称だが、日本では小学校の2km走でもマラソン大会と呼ぶ。そのため、マラソンをフルマラソンと呼ばなければならないが、しらべるでは、マラソンはマラソンと表記している。それ以外は長距離走大会としている。

 2007年の春マラソンは東京の再抽選にも引っかからなかったので、湘南国際を走ることに決めた。
 今年、荒川を走ったので、次は道路を走りたいと思っていた。

 第1回湘南国際マラソンの開催日。大学生による100艇ほどのヨットレースが江ノ島で行われる。単に日程がバッティングしただけのことだ。いつもはヨットマンが停める駐車場が、マラソンのイベントスペースになるので、停められないらしい。ヨットマンにしてみれば、長年やっているレースなのに、突然、始まったマラソンに場所をとられて、えらい迷惑だろう。

 湘南国際は江ノ島を出て、海辺を西に走って折り返すコース。ずっと、海が見える絶景のコースかと思っていた。すると、地元ヨットマンが、防砂林が続いているので、かなり西のほうへ出ないと海が見えないという。早く言って欲しかった。

 ヨットマンは、その季節、湘南の風は北から吹くという。その通りにいけば、終始、ランナーが受けるのは横風になる。
 今年、荒川で風速25mの向かい風に、ノックアウトされそうになったので、向かい風にならないのは、ランナーにとっての追い風だ。

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2006年11月21日 (火)

最初で最後のON対決

 ダイエー球団は、1998年秋に2000年日本シリーズ時の福岡ドームを押さえず、脳神経外科学会大会に明け渡した。このため2000年の日本シリーズ、最初で最後の 対決は変則日程となった。

 パリーグ優勝後、王監督
「この日程はうちに有利」
とコメント。この人らしい、立場がわかっていないおとぼけ発言だった。

 試合は東京ドームの1,2戦を福岡ダイエーが連勝。
 城島は「東京ドームは狭い。(広い)福岡ドームに来て欲しい」と、暗に福岡に来れば、さらに実力差が歴然とすると言いたげなコメント。楽勝ムードに浸っていた。

 移動日なしの第3戦を巨人が上原で勝つ。
 そして、移動もないのに、福岡で2日間のお休み。
 4,5戦を福岡で巨人が連勝。
 東京ドームの第6戦も巨人が勝ち、4連勝で優勝を決めた。

 シリーズ後、ある巨人選手は「連敗のあと移動日で間隔が開かず、いろいろと考えることなく第3戦に臨めたことは大きかった」とコメントした。

 NPBコミッショナー事務局は、日本シリーズ終了後の11月6日、ダイエー球団に対して3,000万円の制裁金を課した。

 また、11月17日に 巨人、ダイエー両球団から発表されたトレードは、当初、吉永幸一郎大野倫+金銭で進められていたが、巨人が変則日程を快く受け入れたことへの謝意として、ダイエー側が金銭を辞する形で1対1トレードとなった。


【 2000年 日本シリーズ日程 】
 日付   本来の日程    2000年の日程
21日(土)第1戦(セ本拠) 第1戦(セ本拠)
22日(日)第2戦(セ本拠) 第2戦(セ本拠)
23日(月)移動日      
第3戦(福岡ドーム)
24日(火)第3戦(パ本拠) 
休養日
25日(水)第4戦(パ本拠) 
休養日
26日(木)第5戦(パ本拠) 
第4戦(福岡ドーム)
27日(金)移動日      
第5戦(福岡ドーム)
28日(土)第6戦(セ本拠) 第6戦(セ本拠地)
29日(日)第7戦(セ本拠) 第7戦(セ本拠地)

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2006年11月20日 (月)

口に出さないとわからない

 恋愛中のハジメ君とサユリちゃんが揉めている。

ハジメ
「なんで、こないだの飲み会来なかったの?」
サユリ
「はぁ~っ?留守電に "先に行くから" って入ってたけど、なに?あれ」
ハジメ
「いつもは、駅前のマックで待ち合わせだけどさ、飲み会の時って何も腹に入れずに行きたいから、改札で落ち合うことにしてるじゃん。別に言わないでもわかってることだし。それで、ずっと待ってたけど、来ないから、先に行くぞって入れたんだよ。まじ腹たったんだよな」

サユリ
「それって、言わなきゃ、わかんないでしょ?」

 あなたは、ハジメくん、サユリちゃん、どちらに感情移入できただろうか。

 このようなことは、仕事の場面でも、よく起こる。
 職場で、鈴木さんと佐藤さんが揉めている。

鈴木さん
「メールに添付ファイルが3つ付いてましたけど、これって中身どう違うんですか?データに重複があるし。会議では "未処理データを送る" ことになっていましたから、このファイルに入っているのは、すべて未処理データなのですよね?」

佐藤さん
「え?重複があった?あぁそれは、先月のやつかな。それは古いやつで、状況が途中で変わったでしょ?それは、みんなの共通理解だから、分かっていると思っていたけどな。
すべて未処理データかというと、状況が変わっているから、未処理ばかりとは言えないし・・そもそも、それは上の判断であって、僕が判断できないからね」

 さて、あなたは、鈴木さん、佐藤さん、どちらに感情移入できただろうか。

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2006年11月19日 (日)

デコ検定

 3か月が過ぎ、FCバルセロナからの返事は諦め、デコファンクラブを立ち上げることを決めた。
 発足日は、デコのユニフォームナンバー20に因み、しらべる6周年の日でもある4月20日。

 発足に間に合うよう、デコ検定を整備していた。
 デコ検定は2005年の11月に「でこむ」で問題を募り始め、Web上にアップロードしていたのだが、誰にも告知をしていなかった。当時は問題数も少なく、当然だが、自分で解くと楽々100点がとれていた。

 でこむメンバーからは、次のような問題が寄せられた。

【 Q 】次のうちデコとポルトでプレーしていないのは?
シモン・サブロサ
リカルド・カルバーリョ
マニシェ
コスティーニャ

【 Q 】ポルトガル代表として出場したデコについて。
    W杯では1得点。では、EURO2004では?
    アシスト数も含めて考えてみて下さい。
0得点1アシスト
0得点2アシスト
1得点1アシスト
1得点2アシスト

【 Q 】2006年W杯で、デコのウォームアップパートナーは?
Cロナウド
マニシェ
コスチーニャ
フィーゴ

 3つめの質問などは、ドイツでポルトガルの全試合を観てきた人にしか、出題できない問題だ。

 デコ検定は、以下の3段階。膨大な問題数から毎回、設問が変化するので、今は作った自分でも満点がとれないことがある。

初級合格
 ↓
中級合格
 ↓
上級合格
 ↓
デコマスターとして認定

 結局、4月には間に合わなかったが、6月のデコ、W杯初出場の日に合わせて、デコ検定を公開した。
デコ検定はこちらから

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2006年11月18日 (土)

エアマックスの歴史

 エアマックス(airmax)はナイキのランニング・シューズ。
 コレクター雑誌、ファッション雑誌では「スニーカー」と呼ばれているが、ナイキの商品カテゴリーは「ランニング」他には、クロストレーニング、バスケット、テニス、ベースボール、ACG(all condition gear)などがある。
 「エアマックス」はナイキ、ランニング・カテゴリーのトップ・モデルに与えられる商品名。

 ミッドソールに、位置により違う圧の空気を注入。それを透明の窓から見えるようにしている。

 1987年、第1作発売。
 その後、ほぼ1年に1度のペースでモデルチェンジ。
 ナイキは1年に4シーズンを展開する。最初のシーズンのカラーリングは「ファーストカラー」3ヵ月後の次のシーズンでカラーリングが変わると「セカンドカラー」と雑誌で表記される。メンズ、ウィメンズはサイズ、カラーリングが別々の展開。シーズンによっては、メンズのカラーリングがかっこよかったり、ウィメンズがよかったりする。1996年ウィメンズの白×青のティアドロップはとても色合いが良く、サイズが合えば履きたかった。

 エアマックスを一躍有名にしたのは1995年モデル、メンズのファーストカラー。イエローからグレーに段階的に色が変わっていくデザイン。通称「イエローグラデ」
 大人気のこの靴を履いていて、不良少年に靴を奪われる事件、通称「エアマックス狩り」の報道がブームの火に油を注いだ。

 1996年~1997年、ナイキブームは頂点を迎える。
 この頃、ナイキの靴は、エアマックスに限らず、ほぼすべてのモデルが入手困難になるという事態が起きた。
 これは、ナイキの買取発注が6ヶ月前の発表会で行われるためだ。
 スポーツ店、靴屋さんの仕入れ担当者は、6ヶ月先の需要を見越して発注する。突然ブームが来て、品薄になったところで、追加発注は効かない。
 コレクターの中には、少々サイズ違いでも、仕方なく買い求める人もいた。

 「自分もエアマックスなるものを一度、履いてみたい」
と思うならば、1994年以前モデルの復刻版がよい。スポーツ店、ナイキショップやヤフーオークションで探すことができる。

 ナイキは、オリジナルカラー、または新たなカラーリングで復刻する靴にはモデル名称に SC (スポーツ クラシック) と表記している。
 ナイキは、ブームが去った後、売上確保のために膨大な種類の1995年SCモデルを発売してきた。ゆえに街で一番多く見かけるエアマックスは、1995モデルとなっている。

 1998年にはいると、急に靴は売れなくなり、市場にだぶついた在庫は捨て値で処分された。売れなくても、半年前に強気で注文した靴は容赦なく、倉庫に届くのである。

 パテントの終了とブームの終焉により、1999年FALLシーズンでは、AIRMAX がカタログから消え、代わりにAIR TUNED MAX が登場した。

次回11月25日に続く



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2006年11月17日 (金)

元春「アフリカのツメ」語録

 今回は佐野元春「アフリカのツメ」名場面、迷語録を振り返る。

第1回 4月8日
 イラク日本人人質事件でニュースが延長されたため、15分遅れ。初回からいきなり録画派泣かせでスタート。
 玄関先で従業員が絡んでいるところに"冬野ライオン"が外出から戻ってくる。後姿の白髪アタマでそうわかる。前方から顔がアップになり「サムデイ!」のサビがかかる。特に台詞はなく靴を脱ぐような素振りをした後、そのまま階段を上って(部屋に戻って)いく。

第3回 4月22日
 OLコスプレ客に呆気にとられている従業員の前に現れ
「OLはピンボールと同じだね。
 アフターファイブは予測もつかない」
と初めて2文節以上の台詞を言って出かけていく後ろ姿に「サムデイ」。
 ここらで、意味不明なワンフレーズ客という位置づけが固まってくる。
第4回 4月29日
 CM明けにいきなり「ぴゅー」という風と共に登場
「誰もが心にジャックナイフを持っている」
と言って桃太郎の肩をぽんぽんぽんと叩いて外出。
 1分後に再登場して、
「優しい人のナイフほど鋭いんだよ」

第10回 6月10日
 落ちこんだ今村を立ち直らせようスペシャル
 第5回の占いスペシャル」以来の完全バラエティ。今回は冬野も聴衆の後列右端に陣取る。桃太郎が
「まさか冬野さんに来ていただけるとは思いませんでした」
と振ると "いや、参ったね" という苦笑いを浮かべるだけで終始無言。

第12回 6月24日
勘定場の裏で勝手に座り込んでメモにペンでなにか書いている。
冬野
「マヨネーズ、マルチーズ、なんか似てるなぁ」
桃太郎「あのちょっとあの従業員が入るとこですから勝手に入んないで下さいよ」
冬野
「次に生まれ変わるならマルチーズがいい」
桃太郎「え、なに?」
冬野
「愛するより愛されたい。そうだろ桃ちゃん!」
桃太郎「まぁ、そう」
冬野
「マヨネーズ、リプリーズ」
桃太郎「リプリーズ?」
冬野
「・・オヨネーズ」
桃太郎「お、なつかしい。麦畑」
そのままCMにはいる。

第13回 7月1日
(前振り)
フロッグインのロビーにて
桃太郎が結婚指輪をしていないことに気づいた風香
風香「桃ちゃん、結婚指輪は!」
桃太郎「あっ...クリーニングに出してある。...ちょっとノゲイラの料理見てくる」
と言って退室。風香が向き直すと、ロビーのソファーにはいつのまにか冬野が座っている。
風香「あの、ちょっとお聞きしたいんですけど、どうして男の人って、わかりやすい嘘をつくんでしょうか?」
冬野
「男はね、ちょっと頭の悪いところがあって、子犬みたいに嘘をつくところがあるんだよ」
風香「子犬...ですか?」
冬野
「子犬の目を見ていると、何でも許せちゃうって気がする。...桃ちゃん、子犬だよ」
と言って何かメモを取る。


つづく 次回は11月24日掲載

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2006年11月16日 (木)

電話があったことだけお伝えください

 同僚に営業の電話がかかってくる。
 今席を外していますと応えると
「改めますが、電話があったことだけお伝えください」
という人がいる。

 

 これを言う人は、電話をかけたという証拠を残したいわけだ。
 ただ、電話をかけた回数をアピールすれば、それが商談の成否とリンクしていると思っているのではないだろう。
 責任逃れをしたうえ、相手に圧力をかけたいのだ。

 


 後から「見積もりはどうなっていたっけ?」と客に言われたとする。
「いえ、実はお電話したんですけどご不在で。そのことでお聞きしたいことがあったんです」

 こう言えば、自分に落ち度がない。
「電話があったことをお伝えください」はその証拠作りだ。
 また、何度か電話したのに捕まらなかったのはあなたの方だ。という圧力にもなる。

 

 取次ぐ側としては「戻られたら、折り返し電話をください」と言ってくれたほうが助かる。
これならば取次ぎはこの一度で済む。

 

「改めますが、電話があったことだけお伝えください」
をやられると

 

1,その電話
2,電話があったことをメモに書いて伝達する
3,またその人から"改めた"電話を取り次ぐ

 

という最低でも3つの手間を取られる。
3つでは済まないことも多い。
 「電話をください」が恐れ多いならば「改めます」だけでいい。これでメモを伝達する手間が一つ減る。

 

 この台詞を言う人は、今ふうに言えば「てんっぱっている」のだ。

 この台詞をいう人とは、付き合いたくない。
 この台詞を言っているうちは、相手との人間関係がうまくいっているとはいえない。

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2006年11月15日 (水)

高橋尚子の姿勢

 マラソン人気を築いたのは瀬古
 今のブームを築いたのは高橋尚子である。

1972年
 5月6日、岐阜市生まれ。
1994年
大阪学院大学卒。小出義雄監督に師事 リクルート入社。入部歓迎会で裸の体じゅうにアルミ箔を巻いて「オバケのQ太郎」を歌ったことから「Qちゃん」のニックネームがつく。 1997年
小出監督と共に積水化学に移籍
1998年
アジア大会 2時間21分47秒(日本最高)で優勝
2000年
 3月、名古屋国際マラソンで優勝、五輪代表権獲得。
 9月24日、シドニー五輪女子マラソン「金」メダル
 陸上女子全体でも初めての金メダル。ゼッケン「2338」、タイム2時間23分14秒(五輪記録を16年ぶりに更新)リディア・シモンをサングラスを投げた後のスパートで振り切った。
10月27日、国民栄誉賞受賞が決まり30日受賞。
2001年
 2月10日、著書「風になった日」幻冬舎 発表
 2月18日、青梅マラソン 1時間41分57秒(日本最高)で優勝
 *青梅は男女共に30kmレース
 4月2日、日本陸連がプロ資格を承認。

 9月30日、ベルリンマラソン 世界最高記録
 ゼッケン「F9」 タイム2時間19分46秒。
 ペースメーカー2人、ガードランナー3人を付けた。
 翌週のシカゴマラソンに2週連続出場を志願したが陸連に却下され、そのレースでキャサリン・ヌデレバ(ケニア)~高橋と同い年~が2時間18分47秒を出し記録更新。
(現在、女子マラソンの世界最高は2003年4月13日、ポーラ・ラドクリフ(英国)が出した2時間15分25秒)

2002年
 9月29日、ベルリンマラソン優勝 ゼッケン「F3」 タイム2時間21分49秒。ペースメーカーはつけなかった。
11月、肋骨疲労骨折。
2003年
11月16日、東京国際女子マラソン出場、2位に終わり、結果的にアテネ五輪代表を逃す。
2004年
 3月15日、アテネ五輪代表3人枠から漏れる。
2005年
 5月末でスカイネットアジア航空との契約が切れ、新たにファイテンと契約。RAKUWAネックブームの発端となる。
 6月、小出監督の元を離れチームQを結成。
11月20日、東京国際マラソン優勝

2006年
11月19日、東京国際マラソン出場 このレースで勝てば2007年の世界選手権に出場できる。またそこで勝てば、2008年の夏季五輪に出場できる。


 「もう勝ち負け(という動機付け)では走れない」
 そう語る高橋の生きる姿勢は、現代人にとっての多くのヒントを含んでいる。

 2004年アテネでは野口みずきが金メダルを獲得したことで、高橋を外したことの是非は有耶無耶になった。
 高橋にはぜひ2008年五輪で金メダルをとってもらいたい。
 その時は陸連の皆さんが、何らかの責任を果たしてくれるだろう。

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2006年11月14日 (火)

焼き鳥は博多

 焼き鳥と言えば博多である。
 全国にはまだ認知されていない。

 博多の焼き鳥が美味しいのは当たり前のことなので、博多の人はそれを声を大にして言ったり、観光名物にまつりあげたりしない。

 焼鳥のネタというと、豚バラ、鶏の四つ身、鳥皮、肝、つくね・・・とせいぜい10種類くらいだが、博多の焼き鳥は違う。

 以下に挙げるような串がショーケースにずらりと並ぶ。
 もちろんどれも美味くて、しかも安いので女性客が圧倒的に多い。家族連れにも人気が高い。
 居酒屋の一種ではなく「焼鳥屋」というジャンルの外食産業が確立している。

 人気の店は複数の店舗を展開し、昼間に1カ所で仕込み(串差し)を行い、値段を安くしている。

【 博多の焼鳥 】 これまでに見たことがあるもの

しそ巻き ニンニクの茎巻き えのき巻き にら巻き 手羽先 
じゃがいも ピーマン ピーマン肉詰め 椎茸 茄子 とうもろこし
うずらの玉子 赤いウィンナー 粗引きウィンナー 角天 
こんにゃく 厚揚げ豆腐 ぎんなん すずめ とんそく 
牛下がり 牛タン 牛すじ はつ 白 うなぎ ししゃも 
えび いか げそ 貝柱 豚足

 注文を終えると、飲み物と一緒に大皿にキャベツが出る。ざくっと切って、薄い酢醤油に浸しておいたもの。串でキャベツをつつきながら待っていると、その上に焼きあがった焼き鳥が乗るという寸法。

 博多の焼き鳥屋で1年ほど働いた。
 初めの2~3日、ハツとタンの見分けが難しかったくらいで、ネタはすぐに覚える。数年のベテランになると焼かせてくれるのだが、僕はアサリのバター焼きどまりだった。

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2006年11月13日 (月)

アフリカのツメ

 日本テレビの深夜ドラマ。2004年4月8日放送開始。木曜日夜放送、時間はその週によりまちまちで録画予約が面倒だった。2005年3月放送終了。

 佐野元春、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが初めてTVドラマに準レギュラー出演した。

■ドラマの設定
 東京の古い旅館「フロッグ・イン」が舞台。おかみ(井川遥)とその入り婿(今田耕司)が主役。毎回その宿泊客がトラブルのネタを持ち込むという展開。
 番組公開ホームページによると佐野元春の役どころは「先代の頃から泊まっている客」となっている。それじゃ下宿でしょって。

■回数を追うごとの感想
 2回終了時点:あまりにもストーリーがつまらない。番組打ち切りとなるか?
 3回めからバラエティ要素を加え、少しだけメリハリがでてきた。
 第5回は占いスペシャルとして、完全にバラエティ番組となった。
 第6回は通常ストーリー・・やはりこれだとつまらない。エンドロールでは楽屋で今田とくつろぐ佐野の映像が流れる。新譜「月夜を往け」のシングルを今田にプレゼントした様子。
 第7回、ピザに顔をゆがめる井川遥の顔がすごい。井川はこの番組で3枚目の芸風を拡張した。
 第8回、放送打ち切りはないところまできたが、通常の進行部分はつまらない。
 第11回、加藤夏希、井川遙の女の戦いに花音ちゃんも絡み、盛り上がってきた。当初あれだけつまらなかったのが嘘のように、木曜の夜が楽しみになっている。
 第12回、パパイヤ鈴木とモックンのマヨネーズ対決。初期のつまらない筋立てが嘘のよう。1クールで終わらず延長してもらいたくなってきた。
 第13回、布教で全国行脚中だが、実は酒好きの修道女コンビ国生さゆり=シスター・アンジェリーナ、城之内早苗=シスター・ジュジュがゲスト。命名はもちろん佐野元春の曲名から。
 第15回、番組は予想に反して2クールめに入っていて、フロッグインが改装される。
 第24回、本編で次回からの新コーナーを告知した。
 第25回、リニューアル。なんと40分に拡大された。

 佐野さんの汚点になるかと思われた番組が、いつしかロングランの道を歩み始めていく。 次回は番組で生まれた 佐野さん語録をピックアップする。

 次回、元春連載は11月17日

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2006年11月12日 (日)

Nos apontamos a estabelecimento de um Deco Pena .

 2005年11月20日、毎月20日をデコの日に決めた。
この時、既に対外的名称としては DECOM JAPAN を表記していた。

 制定記念のその日、コミュニティ「でこむ」に集うメンバーで「デコペーニャ」設立の作戦を話し合う。
 この時点ではバルサ公認のペーニャという形にこだわっていた。ファンクラブという選択肢は議論に出ていたものの、すぐ消えた。

 デコ・ペーニャを思いついたきっかけは、次の文献である。

「レアルとバルサ」光と影の章148頁 

(以下引用)

 いまではスペインの大きなクラブに所属するどの選手も自分の名にちなんだペーニャをもっていて、発足記念の夕食会に参加するのが普通だ。目当ての選手がクラブを離れても、メンバーが互いにうんざりするか医者に断酒を勧められるかするまで、ペーニャは存続することが多い。

(引用おわり)

 アイドルをキーワードに仲間が集う。
 そのアイドルが存在する限り、仲間は強い絆で結ばれる。
 コミュニティは、アイドルとの距離を詰めるための手段になってしまっては、存続自体が難しい。結果が出ないとすぐ、人心がばらばらになるからだ。
 コミュニティは、存続していれば必ずチャンスが来る。

 

 コミュニティにはわいわい盛り上がるクラブ活動、日常的な交流、オフラインミーティングが必要だ。

 

 そんな思いも載せた趣意書=規約は、FCバルセロナの日本人スタッフ宛に日本語で出した。
 そこには、設立の趣意書に加えて、どのような目的で活動を行うのかを克明に記した。
 これは、アドバイスいただいた諸先輩のおかげで思いついたことだ。ペーニャの設立には費用こそかからないものの、膨大な書類が必要と聞いていた。それに耐えうる論理武装をして備えようと思っていた。

 

 結論を言うと返事は来なかった。
 そのまま、年を越し、やがて桜の三月がやってきた。

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2006年11月11日 (土)

ミクシィの歴史

2004年
 2月22日、プレオープン
 3月3日、オープン

2005年
 1月27日、プレミアムサービスを始める。
 2月1日、コミュニティのIDが100,000(ID:100000は HARDCORE HOLLY)となる。
 3月3日、一周年 会員数40万人。コミュニティ数 98,382
 3月6日、コミュニティがネットで 100,000を超える。
 8月1日、会員が100万人を超える。100万人の時だけミクシィ主宰のイベントがあった。
 9月29日、最新情報欄に項目毎に非表示を設定する[CLOSE]ボタン、読みたくないマイミクの日記を非表示にする機能ができる。
10月下旬、連日どこかの機能に障害が発生する。
12月6日、会員が200万人を超える。
12月7日「Web of the Year 2005」年間総合大賞受賞

2006年
 2月8日、mixiニュース機能リリース。右側に幅が広くなった。
 5月30日、迷惑メッセージ通報機能リリース
 6月28日、mixiミュージック公開
 7月24日、機能要望受付開始
 8月9日、アクセスブロック枠増加6→12
 9月14日、会員数570万人 東証マザーズ上場、募集価格150万円、翌日295万円で初商い。9月19日最高値325万円、1か月後は200万円で落ち着く。
10月18日、ページタイトルが付く。ブラウザーの表示履歴で個々のページが判別できるようになった。
12月4日、携帯アドレスでもユーザー登録が可能になる。

 2005年春から暮れにかけて、相乗効果で一気に会員を伸ばした勢いはすごかった。
 そして、依然として地方には「ミクシィってなに?」という人が多い。
 リアルな世界で十分事足りている人には、楽しいことはわかっているけれど、時間が惜しいから首をつっこまないという層もいる。
 まだまだ「量」を展開する余地はある。

 だから、ミクシィは安泰ということはない。
 今はまだ、SNSという新しい枠組みの先住者利益を享受しているに過ぎない。

 SNSプラットフォームを提供する業者があり、誰でも明日からSNSを立ち上げることができる。
 大手もまだまだ参入が続く。YAHOO!が手がけたYAHOO!デイズはミクシィに歯が立たなかった。この次は、親会社のソフトバンクが始めた「マイスペースドットコム」が、どこまで "予想外" な展開をみせるかが、楽しみである。



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2006年11月10日 (金)

座って聴くライブ

2002年
 1月、鎌倉芸術館 live album「In motion 2001 植民地の夜は更けて」
 3月21日「ナイアガラ トライアングル VOL.2 - 20th anniversary Edition」
 5月22日「'Someday' Collector's Edition」~「Someday」オリジナル+「Someday」当時にレコーディングされた未発表曲等を収録したボーナスディスクの2枚組。
10月5日、「radiofish」(東京FM)でDJ復帰。
*毎週土曜日夜8時から1時間のFMラジオ番組。
10月、ZEPTOKYOでファンクラブメンバー限定ライブ ~ 座ってじっくり聞かせる好感の持てるライブ。佐野さんと共にファンの年齢層もあがっており、何が何でも立ちっぱなしという聴き方はつらくなっている。定期的につづけてもらいたい。

2003年
6月~7月「Milk Jam Tour」に出る。
11月15、16日、鎌倉芸術館スポークン・ワーズ”In motion 2003「増幅」”
12月、アサヒ本生アクアブルーのCM 伊勢谷友介と共演。「蒼いっすねぇ」「蒼いねぇ」篇オンエア開始。
12月、シングル「君の魂 大事な魂」(ライブでは sail on という題で歌われてきた曲)を発売。

2004年
 2月5日、VISITORS 20周年記念G-SHOCK 型番:GW-300BTMO-1JR 発売。ソーラー&電波の「The G」をベースにしたオリジナルモデル。限定350個が完売した。
 2月25日「VISITORS 20th Anniversary Edition」 生産限定盤 CD+DVD 発売。
 4月8日、初のドラマレギュラー「アフリカのツメ」放送開始。

 元春がドラマ?
 なぜ今、テレビレギュラー?
 ファンは戦々恐々として放送開始を待った。

 次回、元春連載は11月13日

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2006年11月 9日 (木)

仕事のことがわからない人たち

 ここに漢字がわからない 佐藤さんという人がいるとする。
 佐藤さんは情報システム部に
「売上を集計するコンピューター・システムを作ってください。機能は・・」
とシステム要求する。

 佐藤さんの要求どおりにコンピューター・システムができる。

 しばらく経って、佐藤さんがコンピューター・システムを全く使っていないことが聞こえてくる。

 どうしたのですか?と情報システム部が尋ねると佐藤さんはこう言う。
「僕は漢字がわからないんです。だから怖くてボタンが押せないのです」

 このケースで佐藤さんが
「僕は 漢字は素人なんだ。情報システム部が使えないシステムを作った」
 と言うことはないだろう。もし言われたら情報システム部はこう反論する。


 「それは佐藤さんが漢字をわかっていないのであって、コンピューターの知識とは関係ありません。漢字(がわからないこと)についてはユーザーの佐藤さん、あなたの問題でしょう。情報システム部にそれを言われても困ります。僕らはコンピューターのプロですが、あなたの漢字の指導員ではありません」

 さて、ここで「漢字」を「仕事」に置き換えて読んでみよう。

 ここに(自分の)仕事がわからない 佐藤さんという人がいるとする。
 佐藤さんは情報システム部に
「売上を集計するコンピューター・システムを作ってください。機能は・・」
とシステム要求する。

 佐藤さんの要求どおりにコンピューター・システムができる。

 しばらく経って、佐藤さんがコンピューター・システムを全く使っていないことが聞こえてくる。

 どうしたのですか?と情報システム部が尋ねると佐藤さんはこう言う。
「僕は仕事がわからないんです。だから怖くてボタンが押せないのです」

 このケースで佐藤さんが
「僕は仕事の素人なんだ。情報システム部が使えないシステムを作った」
 と言うことはないだろう。もし言われたら情報システム部はこう反論する。

 「それは佐藤さんが(自分の)仕事をわかっていないのであって、コンピューターの知識とは関係ありません。仕事(がわからないこと)についてはユーザーの佐藤さん、あなたの問題でしょう。情報システム部にそれを言われても困ります。僕らはコンピューターのプロですが、あなたの仕事の指導員ではありません」

 しかし、現実には自分の仕事を理解していないことを
「コンピューターのことはわからない」
「情報システム部が使えないものを作った」
と言い換えて、情報システム部が何とかしろと言ってくる人は実在する。

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2006年11月 8日 (水)

荒川マラソン2007

 10月31日で湘南国際マラソンのエントリーが締め切られた。
 現時点ではエントリー数が確定していないため公表されていないが、恐らく定員7,000人に近い数字が出るだろう。
 これで東京の25,000人と合わせて32,000人が走ることが確定した。
 2006年、関東の春マラソンは荒川だけ。その荒川を走ったのは18,452人(前日と当日に受付した実数)だったので、この時点で14,000人ランナーが増えたことになる。

 残る3つめの春マラソン、荒川も動き出した。
 10月21日より受付開始。
 11月初旬 昨年の参加者にパンフレットが郵送された。
 定員は例年どおり先着15,000人。この定員が埋まるようならば、マラソンブームは本物だ。

 11月中旬に東京マラソンの追加当選が発表されてから、数字が動き出すだろう。東京の落選が確定したランナーに残されている春マラソンの選択肢は荒川だけ。東京を落選した52,000人から湘南国際の7,000人を差し引くと45,000人。その3人に1人が申し込めば、定員が埋まる。

■第10回荒川市民マラソン in Itabashi
■3月18日(日)9:00スタート
■制限時間:7時間
■参加費:5,000円(前回は4,500円)
■募集定員:先着順15,000人(前回同様)

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2006年11月 7日 (火)

あいみつ

 合い見積もり
 複数の業者から見積りを取り、安い方に決めようと言う気分を表す。
 質よりも費用優先の意識を打ち出す時に使う言葉。

 既にガチガチの本命業者があるが、後で癒着を問われてはいけないので、疾しいことは何もないという証拠作りにも使われる。

 あいみつを取るほうは言い訳を確保できてよいが、かませ犬で見積り作成に時間をとられる業者がかわいそう。

 「数社の見積もりをとりましょう」という事を「あいみつ!あいみつ!」という言葉で表現する人がいる。
 「あいみつは取ったのか?」と居丈高に言う人もいる。

 こういう人は、その人生の中で業者を選定する側にしか立ったことがない人。そこには人情が感じられない。人間としては思いやりに欠ける言葉。

 引っ越し業者を決める時、新車を買う時、あいみつをとることは有効な手段だ。品物や役務が同等であることが担保されている場合、値段は安いに越したことはない。毎月引っ越す人、新車に買い換える家庭はないだろう。ゆえにあいみつには少々、業者が気を悪くしても構わないという前提がある。

 だが、社会は人と人の信頼で成り立っている。
 お金のために信頼は不要だというあいみつ気分は、人道に反している。

 この文章ではわかりやすい「業者」という言葉を使ったが、僕は日常「業者」という言葉を使わない。さんをつければいいと思っているアホがいるが「業者さん」とも言わない。
 業者さんではなくお取引先。外注さんではなく協力会社。言葉を換えれば態度も変わる。そうした真摯な態度には信頼関係を結びたいという気持ちがにじむ。そうして信頼関係が築かれていく。

しらべる

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2006年11月 6日 (月)

2027年早生まれを狙う

 丙午の年はなぜ出生数が少ないのか?

 丙午(ヒノエウマ)の年に生まれた女性は男を食い殺すという迷信がある。
 生まれてくるのが女の子だった場合、将来、結婚相手を見つけた時に、相手の親が縁起を担ぐ人だったら反対されかねない。
 そのリスクを避けるために、その年を出産計画から外す親がいるために出生数が減る。

 前回の丙午は昭和41年(1966年)
 その前後の出生数は以下の通り。

1965年 182万人
1966年 136万人 ※丙午
1967年 193万人
1968年 187万人

 丙午の年は前後に比べて50万人、出生数が少なかった。

 丙午は60年に一度(例外あり)次は2026年
 1996年生まれの女性(2006年度の小4)が30歳で子どもを生もうとした時、そこにさしかかることになる。

 1966年当時、これをリスクとみる人が多かったことを数字が裏付けているが、これをチャンスと見た人もいた。
 数が少ないということは、受験は楽勝になる。
 小子化でなだらかに児童数が減っている現在とは違い、たった1年だけ瞬間的に数が減る。これでは大学は大幅な定員減ができない。
 就職活動においても、競争が緩いことは否めない。

 かつて歯科医を目指したものの、受験に失敗した経歴を持つ井上陽水は、1975年頃のエッセイで次のように書いていた。

 丙午の子供達が大学受験を迎える(1985年)入試で再度歯科医を目指し、彼らと机を並べたい。

 結局「氷の世界」もたくさん売れたし、彼にその必要はなかったようだ。

 さて当たり前のことを言うと、2026年は丙午だが、2027年は丙午ではない。
 だが、2026年12月も、2027年1月も2026年度である。
 2027年早生まれはおいしそうだ。

 その頃まだ4月入学制が維持されていれば、2027年1月~3月にピンポイントで出産するためのサービス事業が成立するかも知れない。

 小学生女子をお持ちの親御さんは、今から頭に入れておくとよいだろう。

 西暦年を60で割って46余る年が丙午。
 【 例 】
 2026÷60=33 あまり46

*参考文献「1億総背番号」中山太郎 日本生産性本部 1970年12月

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2006年11月 5日 (日)

デコペーニャ規約

 2005年11月頃、デコペーニャ設立にむけて準備をしていた。
 まずはFCバルセロナと連絡を取る必要性があった。
 我々がデコ選手を思い、なおかつFCバルセロナを思っている気持ちを伝えなければ、何も始まらない。

 説得には資料が必要であり、組織には規約が必要である。
 まずは、規約づくりに取り掛かった。

 「30分でできる ファンクラブの規約集」
 といった書籍は存在せず、WEBを検索しても参考となる文献は見つからない。
 結局、なんの下敷きもなく、思いのたけを並べては直す作業を繰り返し、10数条からなる規約を織り上げた。

 ポイントは バルセロナに対して権益を主張しないこと。デコを応援する仲間であると言うこと。

 スペイン在住者でつくるペーニャの場合、クラブからチケット購入枠が割り振られる。あらゆる類のペーニャとしての権益は一切求めないことを謳った。

 そして応援する期限はデコがサッカーとの関わりを終えるまでとした。
 デコが現役を引退し、コーチになり、解説者になる。そのサッカー活動を終え、デコが隠居した時が DECOM JAPAN 解散の日だ。

 このことは、バルセロナのスタッフがきちんと読めば、評価が分かれる部分だろう。
 規約にそうは書いていないが、デコがポルトに移籍すれば、ポルトのデコを応援するということ。その時点で DECOM JAPAN とバルセロナの縁はなくなる。

 いろいろな危惧はあったが、これらの規約をまとめたWebページ(日本語)のURLを、FCバルセロナの日本人スタッフが読むと言われているアドレスへ送った。
 あとは反応を待つことになる。

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2006年11月 4日 (土)

うなぎバーガーを商品化して!

 東名高速・浜松PAで販売されているうなぎ入りバーガー。
 商品名はピザ風うなぎハンバーガー。310円(1999年確認価格)

 具がほとんど入ってなくておいしくない。うなぎも小さい。
 自動販売機で売っているハンバーガーに似ている。一度話の種に食べれば充分。名古屋市内の名古屋三越星ヶ丘店でも買える。
(2000年4月記)

 2001年5月9日、当時放送されていた深夜番組「Tonight」が「うなぎの宮田(名古屋三越星ヶ丘店8階)が始めた」と紹介した。
(2001年5月記)

 しらべるに書いている「うなぎバーガー」記事は以上で、最終更新は2001年5月のまま5年が過ぎていた。もうこのまま、更新することもないだろうと思っていた。

 すると、小説新潮2006年9月号「食日本紀」にうなぎバーガーが登場した。
 群馬県にうなぎをハンバーガーにする食べ方があると紹介している。

(以下、本文の意味を損なわぬよう抜粋して引用)

 名古屋の「うなバーガー」よりも古いらしい。宣伝もなにもしていないどころか、家族で食べるときのやり方だから、知る人も少ない。

(引用おわり)

 このような曖昧な根拠で、古い新しいを言うのは素人ブロガーレベルだ。
 ネタとして何を書いても自由と言うことだろうが、引き合いに出しているのが実在の商品である。片や家庭料理。これは感心しない。
 実在の商品を相手に「こっちの方が古い」というのは、アイデアの盗用を連想させる。
 「スマップの大ヒット曲は、数年前に僕が作って家のなかで歌っていた」
と言っても誰も相手にしない。

 ただし、上記記事の論点は「うなバーガーの本家はどこか」ではなく、うなぎをハンバーガーにすると美味いということ。鰻職人が「鰻の好きな食べ方はハンバーガーにしたやつ」と語っているので、美味いに違いない。
 ぜひ、マクドナルドで商品化してもらいたい。

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2006年11月 3日 (金)

元春20周年 武道館

1997年秋
「THE BARN」発売に先駆け、初めての全国ライブハウスツアー。席はなく、オールスタンディング。
アルバム曲のほとんどを演奏。発売前の発表会のような趣向。1時間近くフィルムを映写した後、ライブが始まる構成。

 佐野元春のライブかと思ってきたのに、始まったのはフィルム。それも延々と1時間近くに及ぶ。
 「えっ今日はフィルム・コンサートなの?」
 聴衆の心に生まれた疑問が確信に変わりそうになった頃、バンドが登場。皆、胸をなでおろした。
 名古屋2daysの二日めは、初日で要領を得ているので、フィルムの間は座り込んでビールを何本も呑んで待つ。元春を前にして酒を呑んだのは2度目だ。
 客席が近い分、いつもよりトーク&ジョークへの反応が厳しい。

元春
「レコーディングの間、来る日も来る日もオーガニック料理だったんけど、仲間は抜け出してステーキを食べに行ったらしい」
moto
「すてーき~」 場内ややウケ
元春
「ちっ」

 ステージの元春と掛け合いが成立したのは、これが最初で最後になるだろう。

12月、オリジナル11作目「THE BARN」

1999年
 8月、オリジナル12作目「Stones and Eggs」
 8月「佐野元春語録 1980-1999 」城山隆 メディア・ファクトリー発売。

2000年
 2月、special album「The 20th Anniversary Edition」
 3月11日、デビュー20周年ライブ(日本武道館)

 ラストのMC「これからもよろしくね」という言葉に違和感があった。
 これまで佐野さんのライブには、このように哀願がはいった台詞はなかった。バックグラウンドは、僕たちサポーターには関係ない。佐野さんの変化を感じ、それを受け入れる合意が皆を笑顔にしていた。

11月22日、20周年記念盤「GRASS」
12月、ポエトリーリーディング集「Spoken Words Collected Poems 1985-2000」

2001年
 9月18日、アメリカの同時多発テロに寄せて「The Light」をMWSで発表。

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2006年11月 2日 (木)

インクジェット年賀はがき

 パソコンのプリント用にインクが乗りやすく加工した お年玉付き郵便はがき。インクジェットプリンター用だが、ふつうにペンで書くことにも支障はない。

【 インクジェット年賀ハガキの歴史 】

1997年
発売。

1999年末
近年、通常の年賀状は売れ残るようになっていたが、インクジェット年賀状だけは完売した。
同じインクで試した場合、従来の再生紙年賀状では色がくすむ。
1999年末、インクジェット年賀状が品切れした後、再生紙にプリントした見本のみを掲示して「充分な画質です」と謳って販売していた郵便局があった。とんでもないことである。

2000年末
6億6200万枚を発売、ほぼ完売。セブンイレブンでは「インクジェット、早くも品切れ」と掲載した朝日新聞の記事を発売数日後から店頭に掲示していた。

2002年末
14億枚発売。全体が38億6,500万枚なので36%。3分の1を超えた。

2003年末
19.5億枚発売。全体は44.5億枚なので44%を占めた。年を越しても売れ残った。

2004年末
22億6,609万枚発売。全体は43.5億枚なので52%。ついに半分を超えた。
「インクジェット紙光沢年賀はがき」1枚65円×1億枚を、首都圏エリア限定で初めて販売。

2005年末
22億7,000万枚発売。全体は40億8,500万枚なので55.5%。

2006年末
22億3,000万枚発売。全体は37億9000万枚なので58.8%を占める。
1997年の発売以来、発行枚数は右肩上がりだったが、初めて発行枚数が前年を割った。年賀はがき全体に対する占有率の右肩上がりは、依然として続いている。

 数年前から、10月末になると郵政公社に勤務する親戚から電話がくるようになった。 販売枚数のノルマがきついのだそうだ。
 送料、振り込み手数料を個人負担してでも、ノルマを捌かなければならないとは、世の中は厳しい。

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2006年11月 1日 (水)

東京マラソンのボランティア

 東京マラソンのボランティア受付が始まっている。

10月17日
 公式サイトには情報が掲載されていなかったので、東京マラソン落選通知のメールにあったボランティア窓口に電話を入れた。
 ようやく要項ができたところで、これから郵送するところだという。住所を告げて到着を待つ。

10月20日
 東京マラソンボランティアセンターより要項が届いた。
 東京マラソンの公式サイトで情報が開示された。

 資格・技能については 語学、手話、医師、看護師 を書き込む欄がある。このような項目をみると、人のために役立つ技能が浮き彫りになる。

 参加希望日は2月16日、17日の東京マラソンEXPO2007、18日の大会当日からチェックする。

 大会当日は「スタート会場」「10kmゴール地点」「フィニッシュ会場」などからチェックする。

 チーム参加もOK。一人では寂しいという人は友達と一緒に申し込むことができる。

 10月に届いたレース出場の落選通知には、次のように書いてあった。

※ボランティアに申込された方が追加当選され、ボランティアを辞退する場合にはお手数ですが、ボランティアセンターへご連絡をお願いいたします。

 レース出場に望みをつなぎつつ、大会ボランティアという初体験にも惹かれている。

 12月に事前説明会、1月に活動内容が明示されて、正式申し込み、直前説明会、そして当日。このまま追加当選通知が届かなければ、この活動報告をここで書いていきます。



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