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2007年2月の28件の記事

2007年2月28日 (水)

実は細いQちゃん

 夜になって、録画しておいた「東京マラソン」を見た。
 このところ、マラソンはいつもハードディスク録画で見る。

 生で見て楽しいスポーツはサッカーだけ。
 正確に言うと「飛ばしどころが少ないスポーツはサッカーだけ」
 プロ野球は全体の3分の2で、プレーが止まっている。
 マラソンはスタートからゴールまで一度もプレーは止まらないのだが、ペースメーカーがつき始めて以来、30kmまでの「団体ジョギング」に見るところはない。
 ペースメーカーが外れるまで、映像を飛ばしに飛ばしても何も起こらない。観戦になんの支障もない。
 記録を出すためのペースメーカーだが、付き始めたここ数年のレースで、まだ一度も世界最高のレースをみていない。
 今回のトップ争いは、30kmまでと思っていたペースメーカーが25kmで外れたため、2位以下がジェンガのスパートについていけないという、なんとも情けない展開になった。

 この制度を早くやめないと、マラソンをやる人は増えても、テレビで観る人はいなくなるだろう。

 東京マラソンでは、テレビがトップアスリートと市民ランナーを交互に映し出したため、市民ランナーがとてもゆっくり走っているように見えたはず。
 有森裕子の走りをテレビで見ると、5時間ペースのジョギングのように見えたが、あれでも2時間50分。かなり速い。

 今回、最後尾ランナーのロスタイムを引いた制限時間は6時間40分。
 これを42.195で割ると、9.47
 1kmを9分29秒ペースで刻めば完走というペース。
 実際に歩いてみるとわかるが、1km9分30秒はかなり速い。それを42回繰り返すのは難しい。

 マラソンは
 どんなにゆっくり走っても、速く歩くより速い

 品川折り返しの画面で超スローペースに見えた市民ランナーでも、ほとんどの人が1km8分以内のペースで走っている。

 谷川真理と市橋有里を映して欲しかったが、協賛スポンサー アシックスへの配慮なのか(谷川はナイキの広告塔的な存在、有森はアシックスと契約)、本人の希望なのか、観ることができなかったのは残念だった。

 フジテレビの中継では、遠めの映像しかなかったが、給水所でのボランティアとランナーのふれあいなどは、ハンディカメラで撮った映像を見たい。

 昨日、生でみて「細い、若い」と思った瀬古さんも、テレビカメラに収まると「太い、老けた」姿に戻ってしまった。
 Qちゃんをみて「太い」「別人だ」と思った人がいたと思うが、実際はもっと細いのだろう。

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2007年2月27日 (火)

勇気のハイタッチ

 フルマラソンランナーの荷物を積んだトラックは、予定より25分遅い9時10分頃。ちょうど号砲とほぼ同時にお台場へと出発して行った。
 締切を過ぎても、最後の1個までランナーの荷物を積み込んだのだ。

 前から2台めのトラックがスピーカーのコードをひっかけて、あわや音響設備をなぎ倒すかとヒヤリとしたが、別のドライバーが気づき、けたたましく警笛を鳴らして事なきを得た。
 皆が口々に「よく、あの細いケーブルが見えていたものだ」と感心する。いかなる時も、集中力を切らさないで前を見据えているドライバーなのだろう。

 トラックを見送るとすぐ、サトウさんと二人で階段をかけ上り、スタート地点へ。
 3万人の洪水のようなランナーに「がんばれ~」と叫びながら、右端を走ってきたランナーにハイタッチ。

 すると、我も我もとランナーが右に寄ってきて、僕のハイタッチに並ぶ。
 まるでゲストのQちゃんか谷川真理状態。
 「一度やってみたかった!」という女性
 恥ずかしげに手を出す男性
 僕が気づかなくて、出しかけた手を引っ込めた方。

 去年の荒川、前を行くランナーがハイタッチするのを見て、じゃ僕もと寄って行ったら、手を引っ込められて恥ずかしかったのを思い出す。

 50人ほどのランナーとハイタッチ。
 こんな僕のハイタッチでも、少しは勇気になったと思う。

 人垣がまばらになり、そして途切れた時、時計をみやると9:29
 3万人が19分で通過したのには驚いた。
 片側3車線、合計6車線の威力だ。

 ランナーを見送ると、身体が震えているのに気づいた。
 その震えが止まったのは、1時間ほど暖を取ってからだった。

 「来年は、きっとコース上で会えるでしょう」
 サトウさんと握手して別れた。
 さらに応募者は増えるかも知れない。それでも僕らはきっと来年の今日、コース上を走っているだろう。

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2007年2月26日 (月)

ランナーに「行ってらっしゃい!」

 サトウさんは静岡から前泊してボランティアにやってきた。
 応募したけれど外れたこと、来年の出場を目指していること、出場できないならばせめてボランティアで参加を!という気持ちまで、すべて僕と同じ。
 とても気さくな方で、すぐに意気投合して、僕らはいいチームを組んだ。

 サトウさんはお兄さんがフルに出場している。
 ランナー向け資料の話しは、お兄さんからの情報。
 サトウさんがポンチョ、キャップ、ネームホルダーの3点セットをもらったのを見せると「俺たちより、いいじゃないか」と笑ってつっこまれたと言う。

 荷物はアシックスが提供した専用のビニル袋に入れなければならない。袋に書いてある番号とゼッケンを照合して預かる。
 ランナーのゼッケンは前1枚のみ。背面のゼッケンはない。省力化なのか、それとも、もしかして個人情報保護なのか?
 走っていて後ろからゼッケン番号を見れば、その人がどのくらいの目標タイムでエントリーしているかがわかる。それは一つの目安になるのだが、今回はそういうことはできない。

 その前面ゼッケンを東京メトロのポンチョが隠してしまう。
 これで一番困ったのは、写真屋さんだ。
 マラソンでは写真販売店が、膨大なデジタル写真を撮影して、後にランナーに販売する。その時、ゼッケンで検索して自分の写真があるかを探すのだ。
 ゼッケンが隠された今大会、写真屋さんは途方に暮れるか、怒りに震えているかも知れない。

 湘南国際も前ゼッケンだけだったらいい。
 それならば、デコ20のマーキングをゼッケンで隠さずに済む。

 予定では荷物預かりの締切は8:30だったが、実際には8:50頃まで受け付けた。
 予定していた手順とは違っていたかも知れないが、誰ひとり文句ひとつ言わず、笑顔で必死に動いていた。
「ここに来た荷物は、全部自分で受ける」
 それくらいの気合いを、ほとんどの人が持っていたから、何も問題はなかった。気合いが入っているから怪我もなかった。

 すべての人に
「雨があがるといいですね」
「行ってらっしゃい」

と声をかけた。がんばってくださいと言うつもりだったけど、初めの人に口をついて出た言葉をずっと続けた。

 そうだねぇ、でも雨はしかたないよ。
 苦笑いの人。笑顔の人。緊張を崩せない人。どう反応していいか戸惑った人。さまざまだ。

 外国人ランナーに Good luck! と言ってサムアップしようと思ったら、OKサインを作ってしまった。日本人はこっちに慣れているからなぁ・・
 2人めの外国人には、サムアップが決まって、相手もにっこり。ちょっと嬉しかった。

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2007年2月25日 (日)

4枚のプラカード

 CWCが近づいてきた。
 日テレは宣伝に余念がない。
 10月にはデコファンクラブメンバーが皆で協力して、デコに二度目のエアメールを送っていた。しかしデコからの返事はなく、12月の声を聞いてもデコファンクラブは特にこれという準備もせずに過ごしていた。
 そんなある日、日テレからデコファンサイト宛に取材依頼が入った。

 ある番組の中で、サッカーファンを追いかけるという。
 3本のVTRの3番めということで、DECO ROOM が取材を受けた。
といっても日ごろ飾っているのは、デコのユニフォーム3着ほど。
 カメラが入った日は、デコがバルサに来てからの全種のユニを壁に飾り、そのうちの1枚を仮面ライダー旧1号に着せた。頭が大きいため、一度マスクを外してから着せるのは大変な作業だった。脱がせるのもひと苦労のため、取材から2ヶ月過ぎた今も、まだ旧1号はユニフォームを着たままでいる。

 この取材に間に合うよう4枚のプラカードを作った。
 17日の決勝戦、4人で [D][E][C][O] とかざすためのもの。
 作ろうというアイデアだけがあったが、取材が入ったため実際に作ることにした。

 ダンボールを切り、厚い紙を当てて[D][E][C][O]と書く。
 裏側が寂しいので、裏には「でこすけ」「凸(2枚分割)」「20」をデザインした。
 これが、はまった。

 「でこすけ」はデコの似顔絵を参考にして、書き起こしたもの。
 結局、オンエア当日、どういう理由かはわからないが、3本めのVTRだけが流れなかった。
 だが、この取材のためにつくった「でこすけ」が、大活躍することになる。

 CWCウィークを翌週に控えたこの時点では、決勝の観戦以外には具体的なプランはなく、月曜日を落ち着いて迎えていた。

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2007年2月24日 (土)

ルフトハンザの空旅

 搭乗後すぐに食事とドリンクのメニューが配られるのはけっこう楽しい。
 食事は二者択一。ただし4度の食事のうち3度までは、ビジネスクラスで人気メニューが消えてしまい、エコノミーな僕らには選択肢が無かった。
 得体の知れない魚の照り焼きは遠慮したかったが、魚は魚だった。
 日本そばが乗っていたが、そばアレルギーの僕は当然手をつけず。うどんにすればいいのに。

 ルフトハンザは・・
■乗務員が英語で話しかけてくる。
■日本人乗務員が乗っていることもある。

■とにかく寒い。

■アルコールは別料金ということはない。ずいぶん前に海外に長旅をした時はビールは別料金だった。

■無線LAN対応のパソコンを持参すればどのクラスに乗っても機内で有料インターネット接続ができる。

 日本人女性の乗客だけが、自席で化粧を直していた。

 飛行機はフランクフルトに着いた。
 「シェンゲン協定」によりドイツで入国手続きをすると、そこからは国内旅行扱い。スペインでは入国審査がない。

 The Shuengen acquis
 人の移動に関して国境チェックを廃止する協定。
 EU域内の移動時、旅券審査を廃止する協定。EU25か国のうち15か国が加盟している。

 1985年、ドイツ、ベネルクス三カ国、フランスの5か国で運用開始。2004年末現在、アイスランド、イタリア、オーストリア、ベネルクス三カ国、ギリシア、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、フランス、ポルトガルの15か国が加盟。
 協定国同士の国境では検問を行わないという取り決めだが、検問をしている所もある。
 旅程表によるとフランクフルト空港で1時間待ち。ドイツといえばビールとソーセージ。やはりフランクフルトが食べたい。果たして空港で食べられるのか?

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2007年2月23日 (金)

東京マラソンボランティア開始

 目覚まし時計は4時を指している。
 FCバルセロナ目覚まし時計は大音量で、この時計に替えてから起きられなかったことがない。

 前日に書いておいて手順どおりに準備をしながら、時間を書き込んでいく。
 納豆+玉子+ごはん一膳
 洗面
 テーピング
 着替え

 計算外だったのは、前日洗髪していて耳に水を入れてしまったこと。
 朝起きても耳の中で水がごろごろと転がっている。
 確か、しらべるに対処方法が載っていた。
 自分のサイトをしらべる。
 記事は2001年3月。前回耳に水が入って耳鼻科を訪ねた時の記録があった。それを一読したら安心できた。
 ここで2分の遅れ。

 今日のボランティア活動はウォーキングも兼ねているので、一つとなり駅の始発電車を目指す。
 ところが、駅までの距離を読み違えていて、予定時間になっても駅が見えてこない。ここで期せずして5分間のジョギング。
 予定通り5:50には集合場所、荷物受付のトラック前に到着。
 雨は土砂降りに近く、皆傘をさして無言で点呼を待っている。

 点呼を受けてからの初仕事は導線づくりのためのコーン確保。
 だが、取りに行った所定の場所にそれはなく、手ぶらで引き返す。
 6:30には日通のトラックの幌が開き、コーンも届いて準備が整う。

 7:00頃には早くもランナーがやってくる。担当するトラックは一般参加の中ではトップランナー達。ランシャツ+ランパンまたはロングスパッツにハンドウォーマー・・ど素人の僕とは、出で立ちからして違う。

 受付が始まってしばらくすると、主催スタッフからランナー向けポンチョが届く。東京メトロのロゴが入ったビニル製。透明ではないため、これではゼッケンが見えなくなる。 「これなら、僕らも紛れ込んで走れるね!」仲間とそんな会話をした。
 翌日ランナーに尋ねたら、これはスタート前の暖を取るために用意されたらしいが、当日は雨のため、そのまま合羽代わりになってしまったとか。

 「ポンチョあげましょうか?」
 と言うと、ランナーのみんなはありがたそうに
 「えぇ?いいんですか~」
と地獄で仏に出会ったような顔をする。
 別に僕らが用意した訳じゃないんだけど、なんだかいいことをした気がする。

 「荷物は他のトラックで預けたんですけど、ココでもらってもいいですか?」 ランナーは皆、律儀だ。
 僕はもっと、横柄な人や気が立っている人がいるだろうと予想していたが、外れた。

 傘は預かることができないという決まりなので、折りたたみ傘はしまってもらい、荷物からはみ出す場合は、処分してくださいと言うしかない。でもランナーは少し恨めしそうにするものの、すぐ理解してくれる。皆さん 競技者とボランティアの関係をわかっている。

 「8号車ってどこですか?」
 この手の質問が多い。ランナー向け資料にはトラック番号を図示した資料が入っていないと、サトウさん(仮名)が教えてくれた。

 つづきは2月26日(月)



マラソン講座

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2007年2月22日 (木)

黄色いポンチョ

 ボランティア説明会の受付も荷物チェックがある。
 入場すると既に次回の部のボランティアが集まり始めていた。

 てっきり説明会は観客スタンドで行うのだと思っていたら、スタンド裏のコンコースに折りたたみ椅子が並べてあった。うどんや野球グッズを売っているあの廊下。
 バルサのミッドフィルジャケットを着ていたので寒くはなかったが、次回を待つ間30分立っているのは退屈だった。
 別に早く来ないと座れないというわけでもないので、時間少し前に入っていればよさそうだ。

 説明会はブロック分けしてあるが、隣のブロックはすぐ真横。
 僕はスタート荷物預かりなのだが、一番右端に座っていたため、隣のゴール地点の説明のほうがよく聞こえた。

「完走者にはメダルを渡します。16時を過ぎたら渡しません」
「(ゼッケンがFで始まる)女性にはお花を渡します」
 ふむふむ。そっちのメモばかりとっていた。

 いくつか質問が出た。
 その中には「始発でも間に合わないんですけど」というものもあった。
 これには、来て下さいと言うしかありません。あとは前泊とか・・というお返事。まさかボランティアのために前泊はないでしょう?と思っていたら、翌日実際にそういう人と友達になったから、世の中は分からない。

 予定通りに説明が終わると、ユニフォームの受け取り。
 事前の説明書では僕らはSTAFFと書いた「赤」のポンチョのはずだったが、その場では全員に COURSE MARKER と書いた「黄」のポンチョが配られた。手違いじゃないのかな?
「へぇ、赤じゃないんだ?」
という人もいたが、特に誰も疑問を持たず、ポンチョと名札ホルダー、そして東京マラソン2007ロゴ入りのキャップ(グレー)それから、クオカードとパスネットを受け取って終了。
 二日間の交通費で、足が出ることはない程度の配慮がなされていた。

 東京ドームをあとにすると外は晴れ。
 都心で行われるマラソンのプレイベントとしては最高の立地。
 明日は走るわけでもないのに、心が燃えたぎるのを感じた。

 入場前の12時台には、コース下見バスが運行していたが、それは終了してアシックス銀座店へのシャトルバスのみが運行されていた。

 去年、荒川を走る前はコースを一度見ておきたいという衝動に駆られていたが、フランク・ショーターの著書で
「コースを見てしまうと、その距離に負担を感じてしまうから、見ない方がいい」ということが書かれていたし、最近の瀬古さんの著書にもそのような記述がある。
 コースはその日、初めて見る新鮮さがあるから、走っていて飽きないのだ。

 今回は一ヶ月後の湘南国際マラソンの予行演習として、前日の夜から本番と同じ行動をすることにした。
 就寝は21時。ただし、明日は集合時間が早いので、湘南に行く日よりも1時間早い4時起き。いい予行演習になる。

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2007年2月21日 (水)

東京マラソンEXPO

 東京マラソン前日の17日(土)午後
 ボランティア説明会に参加した。

 場所は東京ドーム
 16日、17日とランナーの事前受付、EXPOが開催されている。
 この大会は当日エントリー受付は行わない。
 3月に第一回が開催される湘南国際も同様に前日受付のみ。荒川は当日受付がある。
 マラソンに慣れたランナーならば、前日と当日二日も足を運ぶのは億劫なもの。
 ただ運営側はシンプルになる。

 東京ドームという場所のアサインがいい。
 都心のど真ん中の立地。ふだんあまり立つ機会のない東京ドームのグラウンドレベルに入り、エントリーを済ませて、EXPOのメーカーブースで情報を仕入れる。

 一般的なマラソンであれば、これらはすべて屋外で行われる。
 屋根がある東京ドームならば、天候に関わらず、ゆっくり過ごすことができる。
 東京ドームを後にする瞬間、ほとんどのランナーが自分が都心を走ることを肌で感じ、心にスイッチが入るだろう。
 ボランティア参加の僕でさえ、1ヵ月後に控えた自分のマラソンに向けて動機付けができた。

 ドームには1時間早く着いて、EXPOを見学する。
 一般の人でも無料で入場できる。入場券は入り口付近の窓口で配っていた。
 各社の記念グッズが並んでいる。
 自分が走るのならば、無理をしてでも何か一つ買うのだが、無理をしないで買えるほど魅力的なグッズは見つけられなかった。
 イベントではいつも記念ボールペンを買うのだが「完走記念ボールペン」だったのでやめた。あれはきっと東京ビッグサイトではたくさん売れるだろう。

 「瀬古利彦サイン会」の看板を見つけた。
 マラソンファンになったきっかけは瀬古さん。
 著書は先日読んでしまったので、改めてサインのために買う気にはならないが、一度間近に瀬古さんを見たい。幸い、サインの列に並ぶ人以外に人垣はなく、至近距離まで近づけた。
 テレビで見ると太って老けた印象があった瀬古さんだが、ナマの瀬古さんは若くて細い。メガネをかけていなかったせいもあるだろう。
 グラビア女優が言っていたが、テレビは2倍くらい太く映るというのは本当だ。
 かつて、テレビで見ても細かった瀬古さんは、いったいどれだけ細かったのか。

 アシックスのブースにはラストラン有森裕子への寄せ書きの布とマジックが置いてあった。せっかくなので、おつかれさまでした!と一言だけ書いた。あまり親しくないない人に書く寄せ書きは難しい。

 出口に向かおうとしたところでミズノの女の子がチラシを撒いていた。
「ユニフォームに穴を開けないホルダーです!」
 おぉそれこそは、僕が去年探していたものだ。

 FCバルセロナのユニフォームで走る僕は、ゼッケンをつけるために安全ピンで穴を開けるのが嫌でたまらない。
 すぐ売り場に買いに行った。600円。
 「強風にも耐える」と書いてある。
 去年、荒川では風速25mの風にゼッケンを飛ばされたランナーが大勢いた。果たしてこのホルダーは湘南の風には耐えられるだろうか。

 東京マラソンのゼッケンには安全ピン用のパンチ穴が開いていない。
 購入したランナーにはその場で、ゼッケンに穴を開けていた。

 ボランティア説明会は40分前から受付が始まる。その時間になったので一旦ドームの外へ出て、40番ゲートから受付に向かった。

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2007年2月20日 (火)

東京マラソン翌朝

 今朝、起きて真っ先に考えた

 3万人のランナーたちは、今朝起きてなにを考えているか

 晴れた空を見上げて
「これが昨日だったらなぁ」
と思った人もいるだろう。

 いや、雨だからこそ思い出深い一日になった
と考え直す人もいるだろう。

 苦労は多いほど、あとでネタになる。

「絶好のコンディション、最高の運営、ダメなのは僕の身体能力だけでした」
では語りネタにならない。

 世界歴代2位の記録を持つアスリートでさえ寒さで棄権する大会を、僕は凍えながら走りきったんだ。そういう意味では僕は世界一だね。

 完走した皆さんには、そう言える権利がある。

 96%のランナーが完走したという数字は、多くの人にとって驚きを持って迎えられるはずだ。

 僕も去年の初マラソン前に、荒川の完走率が96%もあるのを見て、なにか数字のトリックがあるのではないか?と邪推したほどだ。
 マラソンに備えて少しでも練習を積んだ人が、7時間以内にゴールするのは驚きではなく、当たり前のことだ。

 ただ僕がこのように言えるのは、一度42kmを完走した経験があるから。
 この経験が一度もないうちは、
 途中で飽きるんじゃないか。
 足がつって走れなくなるんじゃないか。
 お腹が痛くなるんじゃないか。
 不安で仕方がない。

 この不安があるから、楽しい。

 始めから勝つことがわかっているプロ野球
 OKの返事が確実な告白
 約束された出世

 そんなことの何が楽しいのか。

 フルマラソンを完走した推定25000人ほどのうち、初完走した人たちは今朝、昨日とは違う世界に気づいただろう。

 マラソンは完走した日よりも、次の日
 そして、それからもずっと、心に大きな自信と充実感が広がっていく。

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2007年2月19日 (月)

東京マラソンの笑顔

 僕は広い荷ほどき場を想像していた。

 東京マラソン フルマラソンの手荷物の話し。

 積み込む時は1台のトラックに、およそ千個の荷物を積む。
 トラックの荷台は10区画のカーゴに仕切られている。

 僕らボランティアは、ゼッケン番号と荷物のシールを照合して受け取り、番号ごとにそれぞれの区画の荷台のところまで持っていく。
 それを日通のスタッフが受け取って、カーゴに放り込んでいく。

 積み込んだ順番と、取りに来る順番はまったく違うので、あのままではピックアップにものすごい時間がかかる。
 トラックは晴海に着いたら、一度荷ほどき場のようなところに荷物を広げて、ランナーが着くまでに仕分けをするのだろう。

 ただ、この強い雨。
 屋外では荷物もスタッフも濡れてしまうし、屋内だとランナーが靴を脱がなければならない。
 屋根付きの広い荷ほどき場所が確保できていたら、いいだろうけれど。
 そういう場所が確保できたら、すばらしい運営だと国内外から絶賛されるだろうな。

 9:10に荷物のトラックを見送りながら、そんなことを考えていた。

 夜のテレビ番組で
「荷物難民や~」
と叫んでいるランナーの姿が映された。
 見ると、あの積んだままのトラックで荷物を渡している。

 完走して疲れ切った身体で荷物を15分も待つのは辛い。
 来年、自分が走る立場としては、そこだけは気になったが、ほかは何も文句の付けようがない運営だった。

 トイレに30分待ち?
 それは普通です。
 トイレに並んだからスタート時間に間に合わない?
 別にトップアスリートじゃないんだから、数分遅れてもなんの支障もありません。

 きょう、スタート地点を見ていたところ、意図的に遅く出て行くランナーは皆無だった。去年荒川では、ずいぶん遅くきてハイスピードで追い抜いていくランナーが多かった。
 第一回めということで、横着な人もいなかったということだろう。

 笑顔は笑顔を呼び、怒りは怒りを呼ぶ。
 東京マラソンは、スタッフも選手も笑顔だった。



マラソン講座

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2007年2月18日 (日)

3万円のチケット

 2006年W杯が終わった。
 一ヶ月、ポルトガル戦に帯同していたメンバーが帰国するのを待って、初めてのデコファンクラブのオフを東京で開催した。

 ポルトガル優勝を信じていたので、都内のポルトガル料理店に予約を入れておいた。優勝の乾杯は成らなかったが、ベスト4でもすごい。僕らデコファンはベスト4に乾杯した。

 2005年のオフシーズン、FCバルセロナは2度も日本にやってきた。
 2006年はW杯があったため、プロモーションツアーは無しかと思っていたが、経営陣がアジアと並んで注目している北米市場開拓のため、W杯に出場した選手たちはほとんど休みも取れず、メキシコ、米国のツアーに参加した。

 プレシーズンツアーはなかったが、バルサは日本にやってくる。
 次なる目標は4ヵ月後のCWC
 観光ではなく、本気モードのバルセロナが来日する。
 本気モードの一度めはトヨタカップという名称だった頃の1991年冬。バルサは南米のクラブに負けた。
 そして六大陸王者決定戦と趣向を変えた今回が二度め。

 デコの来日はこれが4度めだが、本気モードのデコ来日は初めてだ。
 8月初旬にはFIFAによるチケット発売が始まる。
 メンバーのうち4人が3位決定戦&決勝(カテゴリー1価格3万円)を並んで見ることにした。
 あってはならないことだが、万が一バルサが準決勝で負けても、このチケットを買っておけば3位決定戦のバルサを見ることができる。
 非常にファン思いというか、商売上手というか、うまい売り方だ。

 過去に買ったなかでは法外に高いチケットだが、欧州王者バルサが世界一を賭けての真剣勝負を間近に見て、クラブ史上初の世界一タイトル獲得という歴史に立ち会う。
 その対価としての3万円は致し方ないところだ。

 迎えた2006-07シーズン
 エトー、メッシの戦線離脱もありCLグループリーグで危うく敗退という綱渡りはあったが、リーガは首位をキープ。不揃いな戦力としては至って堅調、ファンとしては緊張感の薄い3か月はあっという間に過ぎ、12月が近づいた。

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2007年2月17日 (土)

成田エクスプレス

 バルセロナ便の出発は10時。
 午前に成田を発つと、夕方にはバルセロナに着く。
といっても時差が8時間あるので実際には夜中に着く。

 成田での集合時間に余裕を持って家を出た。
 「えきねっと」で成田エクスプレスの指定券は予約済。

 東京駅から成田エクスプレスに乗り換え、あとは55分寝ていれば着く・・
 と簡単に考えていたら、東京駅の成田エクスプレスの乗り場がわからない。
 始めに京葉線の方へ行ってしまった。
 京葉線までの順路は延々と廊下がつづく。駅員さんがいないので途中で道を聞くこともできない。
 ようやく駅員さんを見つけてホームを尋ねたときには、出発まであと10分。東京駅を全力で走る羽目になった。

 フランクフルトまでのフライトはおよそ半日。
 高原によって「エコノミー症候群」が有名になって以来、初めての長旅。
 けっこうびびっていたが、11時間のうち一度トイレに立っただけで、あとは手足をストレッチしただけで、なんとか発症せずに済んだ。

 前日TSUTAYAに走って買ってきた「For the future」Do As Infinityを入れてきて、それを何度も聴いた。できればアルバムを買いたかったのだが、フライト前夜にリリースされたNEWアルバムは依然としてCCCD。しかたなく、普通盤のシングルを買った。

 前回の長旅の頃はウォークマンは世に出ていたが、まだカセット。
 いま、100円ライター程度の大きさに数千曲が入るのは嬉しい。日本は世界を便利にしていく。
「それによって途上国が産業を失う」
などと憂鬱を競うように論う人がいるが、そういう人は電化製品を家から全部捨ててから言うといい。

 ルフトハンザはANAと提携しているので、ANAのマイレージが溜まるのだそうだ。半券を残しておけば後でマイル入れてもらえるとか。大事に持って帰ったのだが、有効期限は半年だと知らず、切らしてしまいもったいなかった。

 キャビンアテンダントはほとんどドイツ人。
 食事を運んできたアテンダントに僕が「ダンケ!」と言うと「ありがとう」と返されてなんだか変な気分だった。

 トイレに立った時、思わずスペイン語の十八番
「ドンデ エスタ エル セルビシオ?」
と言いそうになったが、Where is the bathroom? と咄嗟に言い換えた。

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2007年2月16日 (金)

時間は使うほど増える

 「忙しい」と思う時 時間がない
 と人は言う。

 時間はないのだろうか?

 東京マラソンの制限時間は7時間
 あなたは7時間走れますか?あるいは歩けますか?
 僕も去年7時間を走る前は、実際に7時間も走れるのだろうか。飽きるんじゃないか。一つのことを7時間も続けるなんて、心が保たないんじゃないかと思っていた。

 そう。7時間は長い。
 でも、1日は24時間だからもっと長い。

 運は使えば使うほど増えるけれど、
 最近思う。
 時間も使えば使うほど増える。

 この間まで数ヶ月、提出課題に取り組んでいた。
 その間、読書量はいつもより増えたし、睡眠もいつもより多く摂っていた。
 何かのテーマがあって、それに時間を費やしているのだから、時間は減りそうなものだが、実際には時間は増える。

 時間が増える理由は、ただ、時間を使ってるのではなくて、自分が時間をコントロールしていることにあるとわかった。

 テレビの前に座って過ごす時間。
 周りの同僚が帰らないから、なんとなく座っている残業。
 いつものおつきあい。
 そういう時間を使っていたら、あっという間に時間は減る。

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2007年2月15日 (木)

セーラー服おじさん 安穂野香

 名古屋にセーラー服おじさんがいる。
 名古屋の人には知っている人が多い。
 全国的にはあまり知られていないが、テレビっ子には知っている人もいる。

 名前は安穂野香
 「あほのかおり」と読んだ友達がいたが「あんほのか」と読む。

 1961年福岡県北九州市生まれ。3歳の時から愛知県へ。
 中学校の音楽教師を経て「ビートルズを超えるため」という動機で音楽家に転身。
 かつては警備員で生計を立てながら、名古屋の中心地・栄セントラルパークで1日おきにストリート・パフォーマンスを続けていた。時おりホール・コンサートも開催していた。
 当時「Tonight」「元気が出るテレビ」「特ホウ王国」などにとりあげられた。またhide(故人 元 X)の名古屋市民会館でのライブに、客席からラジカセを抱えて飛び入り参加。その模様がhideのライブビデオに収録されている。

 2001年頃は「寿司の五一」で定期的にピアノコンサートを行いながら音楽活動を続け、2002年からは「ジャンルを超えた音楽の基本を大切にする音楽教室」を主宰。

 しらべるを始めたのは2000年4月からだが、2003年以降、しらべるに対してメディアからの取材希望が届き始めた。以下はそのご縁で実現した企画。

■2003年9月
 CBCローカル「ユーガッタCBC」番組内「シーンを追え!」コーナーで"あの人は今何をしているのか?"というテーマで登場。

■2004年5月
 10日26:28~26:58(11日 2:28~)名古屋のTV番組「R(ロード)指定」に登場。

■2004年8月
 「広告」2004年8月号 博報堂の名古屋特集で紹介される。

■2004年9月30日
 名古屋市「東山クラブBL」でミニ・ライブ出演。
 以後、これを機会に不定期でライブ活動を行っている。

■2005年5月20日
 ナゴヤ鶴舞「DAYTRIP」ライブイベント出演

■2006年4月26日
インターネットTV「コ→chan けいめい 恋愛ハレンチ学園」出演

 かつて音源はカセット、VHSビデオのみだったが、2006年5月、安さん初めてのCD「セーラー服おじさん安穂野香」12曲入り1500円がインディーズ・レーベルから発売された。
 それに合わせて6月~8月には、東京・大阪・名古屋の三大都市でライブをおこなった。

 CD発売前から商業的ウェブサイトに支援を受け始めたようで、もうしらべるへの取材要請はなくなった。

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2007年2月14日 (水)

東京マラソンボランティア

 第一回東京マラソンまであと4日
 抽選で外れたので出場は叶わなかったが、ボランティアで参加する。

 ランナーは17日(土)東京ドームで前日エントリー受付
 レース当日18日のボランティアは17日、東京ドームで直前説明会。

 すでにボランティア説明会は1月に数回行われているが、忙しくて行けない場合、最低でもこの直前説明会に出る必要がある。

 10月21日に案内が告知された時にすぐ申込み、資料を取り寄せた。
 その後、活動希望日、場所のアンケートを返信。

 希望は「日比谷公園10km走ゴール地点」としておいたが、1月に届いた通知では「新宿出発地点フルマラソンランナーの荷物受付」となっていた。
 日比谷公園は希望者が多かったということだろうか。

 できれば、レース沿道の整理や、給水ポイントを担当したかった。
 マラソンを走った時を思い起こすと、給水ポイントのスタッフがとても印象に残っている。

 荷物受付はというと、あまり記憶になかった。
 荒川の場合、ゼッケン番号で荷物置き場の区画が分かれていて、入口でチェックはあるが、荷物は自分の手で棚に置く。

 今回、東京マラソンはスタートとゴールが違う場所。
 荷物受付は6:00集合。9:10過ぎにランナーが出て行ったあと、トラックに荷物を積み込んだらおしまい。解散は11:00となっている。

 ユニフォームとなるポンチョの上には、なにも羽織ってはいけないという決まりになっている。長袖のインナーと薄手のジャケットを用意する必要がありそうだ。

 18日は、一人でも多くの人に頑張ってくださいと声をかけてあげたいと思う。声をかけるなと指示されない限り。

 次週は「東京マラソンボランティア」感想 の予定

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2007年2月13日 (火)

結膜下出血

 朝起きて鏡を見ると、片方の眼の半分が真っ赤になっている。

  前にそういう人を見たことがある。
 その時は強く打ったのか、喧嘩でもしたのか、はたまたひどい眼病なのかと思った。

 結膜下出血は、歳を取って血管がもろくなることで起こる。

 冷たい外気に触れた時
 強く眼をこすった時
 激しい咳をした時
 何かのきっかけで血管が破れて、血が結膜の下に溜まった状態が結膜下出血。
 結膜炎ということばが有名だが、こちらは充血ではなく出血。

 専門書では「1~2週間で自然に治る」「自然に吸収される」と書かれている。吸収されるとは、血がどこかに引いていくこと。
 病院にかかる必要もないと書いてあるが、実際には多くの人が検査を受けるだろう。
 それほど見た目がすごい。

 片目でしか起こらないので、人と話す時は斜めの角度をとる。
 左目の耳側が赤いならば、人と正対した時は右を向き加減で話す。
 これを逆にやると、相手はどえらい怖い。
 ターミネーター2のようでびびる。

 この症状は一度起こると、何度も繰り返すことがある。
 目をこすらないというのは当然として、血管を強くする食事を心がける必要があるだろう。



4年後の結膜下出血

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2007年2月12日 (月)

中谷彰宏

【 なかたに あきひろ 】 「読みやすい」と形容される作家。

 

 1959年4月14日、大阪府堺市生まれ。
 東京大学の受験に3度失敗、2浪で早稲田に入学。
 博報堂にCMプランナーとして8年在籍後、中谷彰宏事務所設立。
 毎月3冊~5冊のペースで新刊を出し続ける。2003年3月に500冊と紹介されていたので、単純計算すれば現在は650冊ほどか。
 大学生時代に4000本の映画を見たことがその土台になっている。

 

 大学生・20代には「面接の達人の人」として有名。
 中谷彰宏は「メンタツは就活学生の3人に2人が読んでいる」と本に書いている。
 ここ7年ほど、毎年新卒に一度でもメンタツを読んだことがあるか?と尋ねているが「10人に1人しか読んでいない」という謎の書籍。

 

 南青山アイクリニック坪田一男医師の施術でレーシック手術を受けた。
 2002年~2004年の9割方の著書では「ボーリングでは・・」が出てきた。

 

 2004年11月の「運に愛されるトライ美人」にアムウェイ・ビジネス世界ナンバーワンの中島薫さんが・・を初め、アムウェイに関するエピソードが2ヶ所に出てくる。
 2004年12月の「明日は、もっとうまくいく」に"アムウェイ世界ナンバーワンの中島薫さんは・・"という記述が出てくる。

 

【 これまでに読んだ300冊からお勧めの7冊 】

 

■29歳で自立を目指す女性には~
29歳からの一人時間の楽しみかた」(三笠書房、2002年)

 

■自分の将来を知りたい人は~
占いで運命を変えることができる」(説話社)
 冒頭、
加藤眞由儒を取り上げている。この著作は2005年に文庫化されるが文庫には加藤眞由儒の連絡先は掲載されていない。

 

■18歳、20歳、22歳の新社会人には~
入社3年目までに勝負がつく77の法則」(PHP、1995年,PHP文庫、1998年)

 

■30代~40代、将来が不安な人には~
大人のスピード勉強法」(ダイヤモンド社、2000年)

 

■ロングバケーションのお供には~
自分に出会う旅に出よう」(PHP文庫、1996年)

 

■金銭感覚に新たな指針を求めている人は~
金運が強くなる50の小さな習慣」(PHP、2000年)

 

■自分は運が悪い、開運したいという人は
運は使えば使うほど増える」Dr.コパ共著(PHP、2001年)

 

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2007年2月11日 (日)

PKとダイバー

 PKは得点となる可能性が高い。
 フットボールは得点が少ない競技であり、PKによる得点のみで1-0という試合も珍しくない。
 PK獲得のために、意図的に相手選手の足にひっかかる選手が年々増えている。

 W杯準決勝ポルトガル対フランスは1-0でフランスが勝利。
 決勝点はアンリがPKを獲得、デコが尊敬しているジダンが決めた。

 ペナルティ・エリアに侵入したアンリの前で、リカルド・カルバーリョがバランスを崩して尻餅をついた。
 アンリはこの時、転がっているボールの方ではなく、尻餅をついて高く上がっているカルバーリョの足の方へ進んだ。
 そして、足に引っかかり、この世が終わるかのような悲しい顔をして倒れた。
 2~3秒のできごとだから、ゆっくり考えたわけではない。
 日ごろからPKを狙う気持ちがなければ、この動きはできない。

 バルサの選手ではデコは置いておいて、エトー、ロナウジーニョ共に少々のことでは倒れない。倒れても審判がPKを取ってくれないかも知れないから、自分で決めるんだという強い意志を体の強さが支える。
 アンリにも体の強さはあるが、その意志がない。

 2006-07CLにおいて、セルティックの中村俊輔は、倒れてPKを得た試合後に次のようにプレスに話した。
「倒れずに行けたが、もらえるものはもらっておこうと思って」

 これからプロを目指すユース世代は、横着な見本に倣わないで欲しい。
 相手を吹っ飛ばしてでも進むエトーやロナウジーニョ、足が出ていたらひょいひょいと飛び越えていくメッシの方がかっこいいこと、ファンは喜ぶことを知って欲しい。

 デコは大げさな倒れ方でファウルをアピールすることから「ダイバー」と書いている記事がある。だが、デコのダイブをペナルティ・エリア内では見たことがない。彼はペナルティエリアの外でプレーする選手なのだ。

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2007年2月10日 (土)

バルセロナ会議

 バルセロナには会議出席のために行く。
 仕事なので、街を散策する時間はわずかしかない。
 会議日程をみると、到着翌日に観光があり、15時頃から夜のウェルカムパーティまでが唯一のフリータイム。わずか3時間程度。

 そこで観光コースの終点グラシア通りに残り、3時間を過ごす作戦を立てて下調べ。
 まず、気の利いた文具を入手すべく、有名な文具店を1つチェック。
 つづいて、旅の記念としてスペインのシャツ。アルマンドバシというブランドを買うことにする。後にこのブランドがバルサ選手のお気に入りであることを知った。
 そしてお土産としてのお菓子。空港のお土産ショップのようなところではなく、街のお菓子屋さんみたいなところで、地元の人に人気のあるお菓子を買いたい。
 そこで、有名だというお菓子屋さんをチェック。

 調べていると、ガイドブックには14:00~16:00前後はシエスタでお店が閉まると書いてある。
 せっかくのフリータイムと重なるのは大打撃だ。
 そこでシエスタでも開いているであろう喫茶店、バルをチェック。
 お店が閉まったら、そこで時間を過ごすことにする。

 その候補の1つにそのチョコレートショップ「カカオサンパカ」があった。
 このお店には結果的に2度訪れることになる。

 仕事気分九割、観光気分一割で臨んだバルセロナ旅行じゃなくて、会議。
 次週からの土曜日、数回に分けて旅日記を連載します。

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2007年2月 9日 (金)

仮面ライダー旧1号「脱出」

 S.I.C.魂コレクターズ HERO SAGA Vol.1:脱出
 仮面ライダー旧1号本郷猛の改造手術シーンを再現した模型。

 S.I.Cシリーズ初のジオラマ
 価格:3万9900円
 2007年2月17日発売

 サイズ: 500(幅)×400(奥行き)×500(高さ)ミリ
 重さ:約11.5キロ。
 フィギュアのサイズ:約18センチ
 旧1号フィギュアはマグネット内蔵で台座に固定。
 立ちポーズの旧1号フィギュアも付属。
 ショッカー科学員3体付属
 手術台の照明(2カ所)と手術台奥のショッカーエンブレムは、ライトオン/オフが可能。

 2006年7月に概要が明らかになった「潜入」
 発表直後にはどこの玩具販売サイトでも「予約中止」となった。

8月1日
ホビージャパン9月号に紹介される。

9月1日
ホビージャパン10月号に詳しく紹介される。

12月20日
12月下旬発売となっていたが、予約しているショップに確認したところ、発売が2007年2月に延期されたと回答があった。いつの間にか、商品名が「潜入」から「脱出」に替わっていた。

2007年
2月5日、販売店に入荷回答が出る。注文に対して4%だったという販売店があった。
これを受けて販売店から予約者に回答が出る。多くの予約者が「入荷数ショートのため予約を取り消します」というメールを受け取っただろう。

2月7日、バンダイの会員サイト「ハピネット」で予約を受け付けたが、瞬時に予定数を終了した。直営サイトでの顧客囲い込みの策かと思ったが、それにしては放出した数量が少なかった。品薄にして煽り増産するのか、それともこのまま初回限定で終えるのか。バンダイの出方に注目したい。

2月17日、発売

 現在、オークション市場には二通りの販売者がいる。
「入荷を確実にした販売者」
「入荷を見越して先物売りしている販売者」
 発売まで一週間、四万円の標準価格が、どういう動きを見せるかに注目しようと思う。

S.I.C.魂コレクターズ・ヒーローサーガ Vol.1 脱出 Amazon.co.jp 注文ページ


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2007年2月 8日 (木)

各位様を指摘しますか?

 ビジネス文書の宛名に「各位様」と書く人がいる。
 「各位の皆様」というのも見たことがある。
 そういう自分も以前は「各位様」と書いていた。

 各位の意味は「皆様方」
 各位様と書くと「皆様方様」
 各位の皆様と書くと「皆様方の皆様」
 ということになる。

 たとえば会社の佐藤さんが「各位様」と書いたメールを同僚の伊藤さんが読んだとする。
 伊藤さんは黙ってはいられない性格というわけではなく、常に自他を共にみている人。相手のことも自分のことと思い、間違っていることがあれば教えてあげようと考えている。

伊藤
「佐藤さん、宛先の各位様だけど様は余計だよ。各位は皆様方って意味だから、各位様だと皆様様になっちゃうよ。どうしても様をつけるなら担当者様各位みたいに前につけるといいよ」

 伊藤さんがこう指摘する。
 その時の佐藤さんがあなただとしたら、あなたはどういう反応をするだろうか。

A「そうなんだ。教えてくれてありがとう。また何か気づいたことがあったら遠慮なく教えてね」
B「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
C「あぁそれね。知っていたけど、つい間違ってしまった」
D「それは知っているけど、みんながそう書いているからそのほうがいいでしょう」

 恥をかくのは自分。
 常識がない人だと思われるのも自分。

 人々は平穏を求めている。
 耳障りのよい言葉を待っている。
 現代の社会では
「なんでも遠慮なくつっこむこと!」
というローカルルールでも決めない限り、互いにまちがいを指摘することは難しい。

 おおむね、まちがいを指摘する人は煙たがられる。
 各位様と書き間違えている人がいても、誰も指摘しない。
「恥をかくのはその人だし、知ったことじゃないよ。
 教えてあげたのに逆切れされたら割に合わないよ」

 そして、自他を同じにみて教えてあげること自体は尊いことだ。



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2007年2月 7日 (水)

賢く走るフルマラソン

 ジョギングを始めて1ヶ月、週4~5回のペースで走って来た。
 距離は5km
 そろそろ42kmに向けて、伸ばして行かなければ

 生涯で走った経験がある最長距離は高校の「マラソン大会」での10km
 その時は前半の飛ばし過ぎがたたり、後半はへろへろ。いったい自分がどれくらいの距離を走っているのかもわからなかった。
 事前の練習では3km程度しか走っていなかった。

 42kmを走るのならば、せめて通しで30kmくらいは走らなければならないだろう。
 レースまで50日を切ったので、練習距離を伸ばす。
 7km、8km その時ひざと足に違和感が走る。
 未経験の痛み。

 翌日、整形外科を訪ねた。所見は
「無理して走っちゃだめだよ。1ヶ月は休みなさい」

 医師には50日後に初マラソンを走ることは言わなかった。
 医師の言うとおり、1ヶ月休んだら、残りは3週間。
 とても間に合いそうにない。

 だましだまし走るしかないだろう。
 やはり2ヶ月半で完走をめざすというプランでは、無理があったのか。
 落胆した気持ちで、2ヶ月前に読んだ本をもう一度手に取っていた。

「賢く走るフルマラソン」田中宏暁 ランナーズ 2005年3月
 マラソンの常識と言われていることを論理的に検証した本。
 トレーニング開始初期に読めば、方向性を間違わない。
 大げさな言い方をするならば、初心者はこれを読まなければ、間違った練習を積み失敗への道を選ぶことになる。

 この本を読み、ランニングフォーム、練習の負荷、食事などのプランを作った。
 ただ一度めを読んだ時には読み落としていた情報があった。
 それは「故障した時の対応」
 2ヶ月前、自分が故障をするとは思わなかったので、脳に情報が取り込まれていなかった。

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2007年2月 6日 (火)

ブティファラと生ハム

 スペインのガイドブックを見ていて、真っ先に目に留まったのは、サグラダ・ファミリアでもグエル公園でもなく、ブティファラだった。

 ブティファラはスペインのソーセージらしい。
 旅行後に知ったのだが、FCバルセロナのホームスタジアム、カンプノウの名物でもあるらしい。

 バルに呑みに行った時「ブティファラ ポルファボール!」
これは多用することになりそうだ。
 鼻が高いスペイン女性のウェイトレスに、ブティファラを注文する東洋人。
 スペイン語を使うなんて、ちょっといかしているわとウィンクされる・・

 結論から言うと「ブティファラ ポルファボール」は一度も旅の会話に出てこなかった。
 どこのバルにも生ハムはあったが、ブティファラは見なかった。

 生ハムが好きだという人は多い。
 スペインではスーパーの精肉コーナーには塊で天井からぶら下げてあり、量り売りしている。
 日本にお土産で買って帰る人も多い。
 でも僕は美味しいとは思わない。

「たまたま食べたのが、まずいハムだったんだよ」
 という人がいるが、よけいなお世話だ。
 まずいとは言わないが、美味しくないものは美味しくない。

 バルセロナ滞在中、ほっぺたが落ちるほど美味しいものはなかった。
 もう一度あれを食べたいと思うものもない。
 ただ、バルセロナに行く人がいたら、これは勧めたいというものがある。

つづく

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2007年2月 5日 (月)

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しらべるの記事は時々、カテゴリーのフォルダーを引っ越す。
引っ越した時は、元のURLに自動的にページを移動する
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画面の前で実際にジャンプしてくれた人が一人くらい
いるだろうか。

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2007年2月 4日 (日)

ブラジル戦のシナリオ

 スコラーリのW杯二連覇
 デコのW杯初優勝を阻んだのは、フランス代表アンリだった。

 ポルトガルはイギリスを破り準決勝に進出。
 もう一方のグループではフランスがブラジルを破り、準決勝に進んだ。1-0の決勝ゴールを決めたのはアンリ。

 デコファンのシナリオはこうだった。
 デコはブラジル生まれ。18歳でポルトガルに渡り、ポルトガルで一流選手まで上り詰めた。ポルトガルに恩返しするために、ポルトガル国籍を取得してセレソンへの未練を断った。
 デコの代表デビュー戦は2003年3月29日ブラジルとの親善試合。
 デコのFKが決勝点となり2-1で勝った。
 ポルトガルがブラジルを破ったのは37年ぶり。
 デコの代表入りについて、フィーゴを初めとする数人の選手がメディアを通して批判。デコは必ずしも歓迎されていなかった。だが、祖国相手に決勝点を決めたデコをファンは認め、フィーゴは批判を封印した。

 スコラーリもブラジル人。前回2002年大会では祖国ブラジルを率いて全勝で優勝している。優勝後、ポルトガル監督に就任した。

 デコとスコラーリ、二人のブラジル人が祖国を倒して決勝に進む。
 勝ち負けは別にして、この試合を一番見たかった。

 だが、セレソンは調子が上がらぬまま、アンリの一撃に敗れた。

 アンリとは因縁があった。
 2ヶ月前、デコのいるバルセロナとCL決勝で対戦。
 バルセロナが勝ったのだが、アンリは判定に不満を表明し続け、バルセロナを賞賛しなかった。試合前はバルセロナ移籍濃厚と言われていたが、試合翌日、アーセナル残留を発表した。

 そして迎えた準決勝、ポルトガル対フランス戦
試合は開始早々、あっけなく決まってしまった。

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2007年2月 3日 (土)

節分の思い出

子どもの頃、早く大人になりたい
歳をとりたいと思っていた。

節分の日だけ。

歳の数だけ、豆が食べられる。
プレーン大豆はいくつでも食べて良いと親に言われていたが、砂糖で包まれた豆は歳の数しか回ってこない。

親は40粒とか食べられる。
僕は9粒とかで終わってしまう。

大人になった。
豆はとてもそんなには食べられない。

子どもの頃、自分の豆を早々に食べ終えて
「あぁもう終わってしまった」
という顔をしていると、父が少し分けてくれた・・

と言いたいが、そういう記憶はない。
父は、あの大量の豆を全部たいらげていたのか。
よほど、豆が好きだったのだろうか。

この夏に里帰りしたら、聞いてみなければならない。

皆さんも、いらっしゃったらご両親に、子どもの頃の節分について、尋ねてみてください。

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2007年2月 2日 (金)

高千穂のうなぎ

 宮崎県高千穂のユースホステルは夕飯にうなぎが出ることで有名
とガイドブックに書いてあった。
 僕はそれを知らずに立ち寄った。
 大学四年の春。今ならば卒業旅行としゃれ込むところ。時間はあるけどお金がない僕は、バイクに着替えを積んで友達やユースを渡り歩く一人旅。

 その日も、日が暮れてきたので近くにあったユースに電話をかけた。
「今ならば、ちょうどう一人分空きがありますよ」
 まだ陽はあったが、ほとんどの泊まり客は既に到着していて、バイクのエンジン音を聞きつけて皆が縁側から顔を出す。
「こんばんは~」
 実はユースホステルに泊まるのはこの日が初めて。
 いったいどういう雰囲気の場所かを知らない。
 いきなり、見知らぬ男女大勢に声をかけられて戸惑っていた。
完全に冷静さを失った。

 エプロンをかけた、スタッフらしき人が人垣から顔を出して、僕に聞いてきた。
「うなぎ、食べられる?」

 うなぎ、たべられる?
 どういう意味なんだろうか
 うなぎは高級品だ。僕は大学の4年間うなぎを食べた記憶がない。
 その前いつ食べたかもわからない。
 うなぎという食べ物があったことさえ、忘れている。

 きっとうなぎは高いのだろう。
 僕は見るからに貧乏そうな学生だし、スタッフは僕がうなぎ代を払えないのではないかと心配しているに違いない。
 僕が「いいえ」といえば「それじゃぁ目玉焼きね」と言ってくれるのだろうか。

 どういう意味ですか?
 冷静に考えれば、そう聞き返せば済むことだ。
 だが縁側から鈴なりになって僕を見つめる人々の前で、それが言えなかった。
 「は?はぁ」

 夕飯はうな丼だった。
 割増料金を取られるかと思い、はらはらしていたが、料金はふつうだった。
 食後に茶碗を洗ったので、値引きしてくれたのかと思ったが、それはどこのユースでもよくある光景だった。

 うなぎの主成分はビタミンA・B1・B2・カルシウム・脂肪・たんぱく質・鉄・ナトリウム・リンなど。老化を防ぐ健康食でもある。

 鰻の幼魚はシラス。人工孵化の実験が行われているが実用化はしていない。
 人工孵化が成功して国産の美味しいうなぎが安く食べられるようになる日が待ち遠しい。



しらべる

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2007年2月 1日 (木)

CAIアレルギー

 【 しーえーあい 】 Computer Assisted Instruction
 「キャイ」「カイ」とは読まない。1980年代は「CIA」(米国、中央情報局)と言いまちがうオヤジが後を絶たなかった。

 コンピューターを使った教育。
 大人の実務修得から子供の教科学習まで、様々な分野で使われている。
 2000年代に入ってから、履修者が教育コンテンツで学ぶ学習方法として e-learning という言葉が登場した。
 e-learningとCAIは同意語。ビジネスの現場では、e-learningが使われており、CAIという言葉は聞かない。

 e-learningは、比較的内容が平易な、初期の研修に向いており、いちいち、講師を調達しなくて済むというメリットがある。
 CD-ROMで提供されることが多く、Webページ上でも提供されている。
 ただし、日々の業務で使うマニュアルには e-learning は向かない。内容が起承転結になっており、知りたいことだけを即座に知るには不便なのである。

 CAIという言葉は、主に学校教育、生涯教育の現場で用いられている。

 1992年施行の学習指導要領により、1995年(平成7年)までにすべての小・中・高校にパソコンが入った。それらのパソコンのOSは大半がMS-DOSであり、活用されぬうちに古びてしまった。

 2002年施行の学習指導要領で、ほとんどの教科にコンピューターとインターネットの利用を規定した。

 簡単に言うと、ハードが先に入り、ソフトは10年後に入ったのである。

 10年間、コンピュータールームに集められた、モノ言わぬ機械を、教科指導の先生方はどのように見ていただろうか。

 その10年に、文部省が言わなければいけなかったことがある。
「コンピューターは教科学習の理解を補完する道具です。決して先生の代わりになって教える機械ではありません。コンピューターには教材(ソフト)が必要です。ただし、それをコンピューターのプログラミングができない一般の先生が作ることは無理です。教材業者がつくる出来合いのソフトの中から、あなたの指導を補完できると思うソフトを選ぶ目を養ってください。その購入費用は国が面倒をみます」

 日本では「教育は人間がやるもの、機械に教育を任せられない」という勘違いをした教師が多く、CAIは遅れている。欧米では25年前にそういう時期を終え、今は「テクノロジーは教育をよりよくするための手段・道具」という健全な認識が育っている。

 教諭(学校の先生)は授業目的であれば、ソフトをコピーすることが著作権法で認められている。しかし著作者の利益を侵害するような複製は認められない。(著作権法第35条等)



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