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2007年3月の31件の記事

2007年3月31日 (土)

ロエベで独りぽっち

 観光が終ると、今回のバルセロナ会議で唯一のフリータイム。
 15時にグラシア通りでおろしてもらい、有志4人で散策にはいる。

 まずは文具がそろっているというビンソンへ。
 他の3人は興味がないようなので、僕一人で店内を足早に見て回る。
 いきなり棚にキース・ヘリングの玩具を発見!幸先がいい。
 しかもラスト1。展示品だけに手垢で汚れているが仕方ない。
 一緒に置いてあったくたびれた箱に押し込んでカゴに放り込む。

 だがここまでだった。
 店内を一巡して、迷わず放り込んだのはこの一品止まり。
 これでも、バルセロナで一番小物が揃っているとガイドブックに書いてあった店だ。
 バルセロナの人が東急ハンズに来たら、びっくりして腰を抜かすだろう。

 一緒に来た仲間3人は「ロエベ ロエベ」と先を急ぐ。
 初めて聞く名前だ。
 バッグがたくさん並んだ店に入ると、男3人が一斉にメモを取り出して品定めを始める。
 彼らには悪いけど、率直に言って気味が悪かった。

 やがて一人が「これください」と言うと、あとの二人も同じものを頼んだ。
 日本円に換算して7万円ほどのバッグ。
 「安い!」
 彼らの言葉に僕は目が丸くなる。
 それまでクールだった店員に笑みが宿る。
 ちょっと倉庫に取りに言ってくるわと(多分)言いつつ、他の店員に目で合図を送るが、僕にはその目が
「3人揃ってよく同じもの買うよね、この人達」
と言っているように見えた。

 日本で買うと二倍はするらしい。
 僕はただ一人手持ちぶさたに店内を見回すだけ。
 僕には高級ブランドのバッグを持つ趣味も、贈る趣味もない。
 それでも僕は、上流のバスに乗りそびれた中流の侘びしさを感じてしまい、いたたまれなかった。

 その後、ヤンコというまた聞いたことがない店で、一人が靴を買った。
 やはり日本の半値だという。
 一足くらいローファーでも買うかなと思ったが、スポーツシューズにはうるさい僕も革靴には疎く、リーガルとの違いが見いだせなかった。

 そして続いて、アルマンドバシ。

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2007年3月30日 (金)

ミッドシップとは?

 ミッドシップとは何か?
 後輪の車軸の前にエンジンを置き、後輪を駆動する自動車の通称。

 F1の車はミッドシップ。市販しているフェラーリもミッドシップ。
 重心が車の中央にあるため旋回性がよく、曲がるのが楽しい。
 エンジンが後ろにあるため、ラジエーターへの空気吸入孔がボディの横(ドアの後ろあたり)にある。

 2007年3月現在、日本メーカーにミッドシップ車はない。三菱「i」はカタログにはリアミッドシップと書いてあるが、エンジンは車軸の上にあり、ディーラー社員は「後輪駆動」と呼んでいる。
 唯一のミッドシップ車だった トヨタMR-Sは2007年1月より発売した「ファイナルバージョン」が完売し、販売が終了した。あとは受注分を7月まで作り、そこで生産が終る。

 ミッドシップ車終了を記念してトヨタはMEGA WEBでミッドシップスポーツヒストリー展を開催中。(2007/3/20~2007/6/17)
 F1に参戦しているもう一つの日本メーカーであるホンダはビート、
NSXを製造中止して以来、ミッドシップ車を作っていない。

 MR-Sはトヨタ製、「ミッドシップ」「オープン」「2シーター」スポーツカー。
 MR2の後継車。先に発売されていたホンダ
S2000、マツダロードスターの対抗車種。

 MR-Sがいよいよ残り1000台で製造終了すると聞いた。
 終了の予定は 7月とトヨタのホームページに書いてある。
 1000台といえば、この車の年間販売台数に近い数だけに、まだまだ大丈夫だろうと高をくくっていた。
 ところが3月下旬の日曜日、近くのネッツに行くと
「この間、最後の1台が終わりました」
 という。カタログも最後の1枚だった。

 つづきは4月2日



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2007年3月29日 (木)

スマートではない家電とは?

 きょうはなぞなぞです。

 圧倒的に短所が多く、スマートさを欠く電化製品。

 って、なぁんだ?

 答えは明日。

 ではなくて、この下

 正解はホット・カーペット。

【 短所 】
■フローリングと色が合わない。
■座っているとお尻が一カ所だけ熱い(座布団を敷かないと座っていられない)。
■座っているうちに位置がずれてくる。
■プラモデルを作るときに接着剤をこぼしたら、表面がただれる。
■寝てしまうと低温やけどをする。
■たためないので夏は仕舞い場所に困る。というか仕舞えない。

【 長所 】
■エアコンのように、部屋が乾燥しない。

 ぶーぶー言いながら、それでも使っている人は実在する。

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2007年3月28日 (水)

余裕の5km

 ファンファーレが鳴ったようだ。
 ウォークマンのボリュームは「13」
 音量は低くしてあるのだが、周囲の喧騒で号砲が聞き取れない。
 時計が9:00を回ったのでストップウォッチを起動する。ここで時計のスタートが1分ほど遅れてしまった。
 相変わらず行列は徒歩で進む。

 その向こうに Qちゃんが見えてきた。
 さすがファイテン協賛。Qちゃんは12時にスタートする「10kmの部」ゲストランナーだが、朝から来て皆を応援してくれている。
 ランナーに向かって絶え間なく手を振るQちゃん。皆がQちゃぁ~んと叫び手を振っている。Qちゃんがいたことで、そこがスタート地点だとわかった。
 スタートラインを超えるとセンサーがRCチップを感知する音がして、皆一斉に走り出す。

 走り出してすぐウェストポーチの揺れが気になる。
 腰の低い位置に落としてしのぐ。だがこれは、5本入れてきたパワージェルが一本ずつ減るごとに、問題なくなった。

 事前に確認したところ、湘南の距離表示は「5km」ごと。
 素人ランナーにとって、1km毎のペースが確認できないのは辛い。
 だが、ルールの元でおこなうのがスポーツ。
 5kmラップ表を用意して、ペースブレスレットに巻いてきた。
 始めのペースだけはゆっくり入りたかったので、2.1kmの陸橋を目印にしてそこまでの標準タイムを書いた紙をセラポアテープに乗せて左手に貼っておいたのだが・・

 2kmの距離表示が出ている・・
 ここだけなのか?

 何はともあれ、そこでペース確認。13分30秒。
 かなりゆっくり入ったつもりなのだが、それでも30秒速い。

 元気のあるうちに応援の皆さんとハイタッチしようと狙っているが、誰も手を出していない。

 湘南国際の給水所は5km毎に1回の 8箇所。これはかなり少ない。
 荒川マラソンの時は4.1kmの第1エイドに行く前にのどが渇いた。
 だから、今日は2kmあたりで飲もうと思い、病院でもらった薬のプラボトルにダカラを入れてきた。
 「ゴミはゴミ箱へ」と言うのが、僕のマラソン・ルール。
 ゴミを路上に捨てるのは、ランナーの特権と思っている人がいるが、僕はこのルールを守ることにしている。
 だが、早速はずしたキャップを落としてしまった。
 この持参給水のお陰で、第1エイドまでの脱水感はこなかった。

 沿道にはほぼ切れ目なく地元の人が応援に出ている。後で思えば公道を封鎖して走っていたんだなぁと思うが、その時はそういうことは考えていない。

 いつも走っている近所のコースと比べると、格段に走りやすい。
 自転車も人も飛び出して来ないし、段差もないし、一時停止で左右を確認しなくてもよい。
 恐らく、ランナーの多くは練習より本番の方が、速く走ることができるだろう。
 7歳くらいの子どもが必死に応援してくれるのが見えたので、ハイタッチしようと手を出したが
「え、なに?」
 きょとんとした顔でスルーされてしまった。

 5km通過ラップは予定通りの34分。10分と織り込んでいたロスタイムが2分少なくて済んだ分、2分の貯金がある。

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2007年3月27日 (火)

SAPといえば・・

 さっぷと言えばボブ・サップ
 だがIT業界ではさっぷといえば、SAP

 【 えすえーぴー 】 コンピューターソフトの開発、販売をおこなうドイツの会社名。
 ソフトウェアでは世界最大手。
 「さっぷ」と呼ばれること多いが正式には「エスエーピー」
 社員に尋ねたところ"さっぷ"は愛称でもなんでもない。

1972年
SAP(ドイツ)設立。

1992年
10月、SAPジャパン設立。

2002年
10月、SAP製品の日本国内導入企業数が1,000社を突破。

2003年
2002年度日本国内CRM分野の売上シェアがシーベルを抜いて1位になったとする試算をある調査会社が発表。
シーベルは数字のトリックだと反論。
SAPはカンファレンスや営業活動で「1位を獲得した」とさらっと言っている。

2004年
ESAへの取り組みを始める。
7月、R3を改訂、SAPECC出荷開始

2005年
ESRをリリース。

参考文献
「SAP完全解説2005」日経BP 2005年1月

 SAPはERPソフトとしては世界一売れている。
 今からでも遅くない。
 ある程度歴史のある企業では、導入を思いとどまることを勧めたい。
 それが一番のコストダウンになる。



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2007年3月26日 (月)

二人の師

 社内に二人の師がいる。
 この二人には、最初の赴任地で出会った。
 サトウさんとスズキさん

 入社して粋がっていた僕でさえ
「この二人にだけは、敵いそうもない」
と思っていた。

 いくつかの教えのうち、スズキさんの教えにこういうのがある。
 飲み会で酒癖が悪い人がいた場合の対処法。

 「絡まれる前に、絡め!」

 この教えはよく使った。
 酒癖の悪いやつがまだ酔いきれていないうちに、酔ったふりをしてこちらから先制攻撃で絡むのだ。
 これはとても有効だった。

 さて、時は現代
「えーっと」
「くそつ」
「なにやってるんだろうなぁ」
「あ゛~っ」
「きゅっきゅっきゅっ」

 一日中独り言を言っている。
 近くに座っている同僚。
 とても気が散るし、うっとうしい。だが上司なので独り言をやめてくださいとは言えない。
 さて、先の教えに沿うならば

「独り言には、独り言を返せ」

 なに、言ってるんだろうな、ったく
 げっ
 ばっかじゃないの

 といった独り言を返せば、ちょっとは効果があるだろう。
 でもなぁ、こちらまで暗くなるよね。それじゃ

 そこで、もう一つ、今度はサトウさんの教え
「レベルの低いやつと喧嘩するな」
「その相手はお前が相手にするレベルのやつなのか?
 レベルの低いやつと喧嘩するなよ。相手と同レベルに堕ちるぞ」

 さてそこで、独り言上司
 やはりここは、柳に風を決めるしかないだろう。
 明日から、耳栓でも買って来ようかな。
(あ、まだ争おうとしている ^^;)

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2007年3月25日 (日)

でこすけ、ムンドに載る

 20:30に選手が引き上げたあと、デコと数人の選手が残り、シュート練習を行った。
 練習開始時こそ、寒そうで身体が丸まっていたデコだが、90分身体を動かすと、かなりスピード感がでてきた。

 デコは主にゴールの左側にボールを置き、右足で両隅を狙う。
 確かエスケーロ、グジョンセンが一緒に蹴っていたが、枠を捕らえる確率はデコが圧倒的に高い。

 居残り練習は20分ほどつづき、その間に大半のファンはバスの出待ちをするためなのか、スタンドを後にしていた。
 デコの練習を最後まで見届けてこの日は僕らも解散。

 終始でこすけのプラカードを膝に抱えて声援を送ったが、デコがこちらを見ることはなかった。
 地球温暖化のはずだが、12月の等々力はかなり寒かった。

 明けて翌日ファンクラブ仲間からメッセージが届いた。
 スペインのバルサ寄りスポーツ紙「ムンドデポルティーボ」の一面にでこすけと僕らの写真が載っているという。
 web版を見ると確かに載っている。
 そういえば、スペイン人らしきカメラマンがしきりにスタンドの写真を撮っていた。

 ミクシィで知り合ったバルセロナに住む知人に、ムンドに載ったよと知らせると「今朝バルで新聞を読んでいて、この似顔絵似てるねぇ」と仲間と笑いあったそうだ。彼は僕と面識がない。

 日曜日の決勝では、日産スタジアムのレストラン四季彩ででこすけを持っていたら
「あ、それってムンドに載ってましたよね」と声をかけられた。

 でこすけは徐々に本領を発揮し始めていた。
 翌日バルサは練習のみ。
 僕らはホテルでデコが練習へ出かけるのを待つことにした。

 今回のお目当ては2006-07HOME長袖にサインをもらうこと、そして昨年渡すことができなかった新幹線のダイキャストモデル3台のお土産を手渡すこと。
 この長袖ユニで3か月後の湘南国際マラソンを走る予定なので、まずはサインが欲しい。

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2007年3月24日 (土)

ゆっくり造るサグラダ・ファミリア

 バルセロナに行く前にスペインの美味しい食べ物をチェックしていたら、どうやら生ハムというのがうまいらしい。
 生ハムというと、あのメロンに巻いたやつしか思い浮かばない。
 なんだかあのいけ好かない食べ方に賛同できない僕は腸詰めに照準を絞り、真っ先にこの言葉を覚えた。
「ブティファラ ポルファボール」
(腸詰めください!)

 だが実際にはタパタパにタパスしに行っても、フラメンコを見に行っても皆が食べるのは生ハムばかり。
 僕は生ハムには全然期待していなかったのが、その味はというとその期待通りだった。 固いゴムを噛んでいるような食感がとてもハムとは思えないし、脂身がくどい。どうせならイベリコ豚の生姜焼きとか、イベリコとんかつが食べたかった。
 生ハムを美味い美味い!と食べている人は、本当に心からそう思っているのだろうか。
 さて、バルセロナの街はなんだか妙に居心地がよかった。
 グエル公園の駐車場から見えた近隣のマンションはとても感じがいい。

 僕は昔からマンションに住むなら
・直線的なデザイン(直方体)
・外形から出っ張り凸がない
・外装色は茶系
と決めていて、この光景はイメージに近いものがあった。
 その外観はカタルーニャの青い空と、とてもマッチしていた。

 グエル公園の出口では、お約束のトカゲの写真を撮ったが、ガイドによるとそれはトカゲじゃなくて龍なのだという。
 日本に帰ってから誰に話してもトカゲと思っていたようで、中には口角泡を飛ばしてトカゲだと言い張る人もいた。
 だが、龍である。

 モンジュイックの丘からみた景色で印象に残ったのは、妙な形をした黒い建物(水道局)
 そして、最も観光した気分がしたのはサグラダ・ファミリア。
 わざとゆっくり作っていつまでも「工事中」を謳い文句にするところが、観光立国スペインらしくてよい。
 出口のお土産ショップでは、狙っていた通りのミニチュアハウスを買った。自宅のガラスショウケースの置き場所も決まっている。測ってきた高さともぴたり。
 ハウステンボスに行く度に800円のミニチュアハウスを買って街を造っている。今はドムトールンの隣りにサグラダファミリアが立つ。
 ただ、日本で包装を明けると塔の先端がいくつか欠けていて、補修して自ら完成させるところがまた、サグラダファミリアらしくてよかった。

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2007年3月23日 (金)

専業主夫でも分割されます。

 2007年4月以降に成立した離婚による「年金分割」で対象となる年金は厚生年金(公務員の場合、共済年金)だけ。
 国民年金は対象外。

 分割対象となる年金期間は、夫が厚生年金に加入していて、かつ妻が専業主婦(第3号被保険者)である期間。
 婚姻前後は対象外。共働き時期は対象外。

 サラリーマンの夫と結婚して20年、ずっと専業主婦だったという妻は、まるまる20年が強制分割による折半の対象期間となるが、その起算は2008年4月から始まる。
 昨日書いたとおり、2008年3月以前の期間については夫との話し合いにより比率が決まる。首尾良く夫の理解が得られても、婚姻期間20年の「夫の厚生年金、納付記録」が2分割されるだけ。離婚後、元の夫が老後にさしかかった時、その受け取る厚生年金の半額がもらえるわけではない。

 来月から始まる年金分割は、離婚後の妻にとって、ないよりはあった方がいい制度。話し合いにより分割の道が開ける。話し合いが付かなければ、家庭裁判所に分割比率の判断を仰ぐことができる。
 だが、それほど多くがもらえるわけでもない。

 2008年4月以降に20年専業主婦をした後、2028年に離婚する妻。
 そういう人にはメリットがある制度。
 これから結婚する人が安心して結婚できる制度と言える。
 これも少子化対策の一つとなり得る。

 2007年4月まで離婚を切り出すタイミングを計っていた人は、蓋を開けてみてびっくりする人もいるだろう。

 専業主婦だけでなく、専業主夫でも同様に分割は受けることができる。
 これから男性の第3号被保険者が増えるかも知れない。

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2007年3月22日 (木)

年金分割

 2003年より3年連続で離婚件数が減少した。
 1991年以来、右肩上がりだった離婚がなぜか減り始めた。
 世の中には愛があふれているのかも知れない。

 というように言う人は見かけない。
 誰もが「年金分割」を見据えて、妻たちがなりを潜めているのだという。

 いよいよあと10日。
 4月の声を聴くと、ここぞとばかりに
 「実は離婚したいんだけど」
 と妻たちが切り出すのだろうか。

 だが、よく調べていれば、そういうことはあり得ない。

 この制度は、誰でも年金が折半になるのではない。
 これまでに数十年、我慢して家庭を守った人に大きなメリットがある法律でもない。

■対象となる離婚成立時期
 2008年4月1日以降の離婚
 *2007年4月以降一年間に成立した離婚では、すべての期間が「合意分割」合意分割とは、夫婦の合意または裁判所の決定による分割。
 *2008年4月以降に成立した離婚では、すべての期間が「強制分割」

2007年4月1日以降の離婚→合意分割
2008年4月1日以降の離婚→強制分割

■合意分割
 話し合いで最大2分の1までを分割してもらうことができる。

■強制分割
 強制的に2分割される。

■強制分割の対象期間
 2008年4月1日以降、妻が専業主婦(第3号被保険者)だった期間。

 つまり来月離婚しても、その先には夫との話し合いが待っており、法律で強制的に年金を折半にしてくれるわけではない。
 あと1年待って2008年4月以降に離婚しても、2008年3月以前の年金分割については「合意分割」であり、話し合いで比率を決めることになる。
 現在、結婚して19年だとすれば、来年4月に離婚した場合、強制分割の対象期間は最後の1年のみ。20分の1に過ぎない。

明日につづく



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2007年3月21日 (水)

第一回湘南国際マラソン

 前日に受け取った冊子によると、出走者の70.6%は神奈川県民。続いて東京都民(17.3%)
 フルマラソンの申込者は7,644人。
 これに10kmの参加者を入れるとおよそ11,791人。
 Qちゃんが10kmの部を走る。

 東海道線で藤沢をめざす。
 荒川の時は電車に乗るとランナーで満杯だったが、今日は人影はまばら。前日にもらった「湘南国際マラソン」のロゴ入りスポーツバッグに荷物を入れてきた人がちらほら。
 荷物はランナーパックに入っていた透明のビニル袋に入れ、そこにナンバーカードのシールを貼って預ける。なかにはこのバッグが荷物預け用だと思った人がいたかも知れない。
 参加賞がこのバッグ。完走証がTシャツと聞いている。
 バッグはいつも使えるものではないので、Tシャツがお目当て。
 案内図には「完走賞引き替え所」があるが、いったいどうやって完走を証明するのだろう?もしかして、完走賞は名ばかりで全員がもらえるのだろうか?

 2×2の4人がけに一人で座って窓辺の景色に目をやる。
 途中の駅から剣道部の女子が大勢乗ってきてわいわいやっている。
 日差しが強い。
 剣道部の面々は「まぶしい!」と上着をかぶって寝入ってしまった。
 ランナー達はいない。まだこの後の電車なのか。

 藤沢駅では、昨日まで Suicaが私鉄に乗り入れていなかったため、一旦出口を出て切符を買ってから再入場した。今日はSuicaでらくらく乗換。

 江ノ島大橋から西の空をみやると快晴。すっきりとした空に富士山が映えている。
 江ノ島会場に着くとさすがに賑わっている。
 前日は午前10時の受付開始と同時に着いた。まだどこのブースも準備ができていなくて、やっているのはファイテンだけ。コーヒーを振る舞ってくれるブースがあり、雪も舞っていて暖まりたかったが 「11時からです」
 陽は射しているが、風が強くて寒い。バルサのミッドフィルジャケットを脱いだら凍えそうだ。ぎりぎりまで荷物を預けず、暖を取らなければ。

 更衣テントがあったので、そこに潜り込む。
 出入りは地べたに這いずらなければならなかったが、お陰で風が吹き込まなくていい。
 ワールドサッカーマガジン付録のレジャーシートを持ってきて良かった。マラソンの時はいつもこれが役に立つ。シートを広げてゆっくりと準備。
 ユニフォーム上下は着てきたし、テーピングは家で済ませてきたから、準備と言ってもベスパを飲んで、ヘッドホンを耳に固定するくらい。東京マラソンの前日イベントで買った「安全ピンの要らないゼッケンホルダー」は、使ってみると期待はずれ。ユニフォームの生地が安全ピンよりも傷むことが分かった。結局ランナーパックに入っていた安全ピンを使う。

 上だけはジャケットを羽織ったまま、荷物置き場へ進みナンバーカードの番号テントに入り、そこでジャケットを仕舞い荷物を置く。
 ビニル袋は大きくて助かった。かさばるジャケットも楽々収まる。東京マラソンボランティアで受け取った荷物用の規定ビニル袋はこの半分程度の大きさだった。

 8:30 ここでトイレへ。仮設トイレは混んでいなくて一人待ちですぐ使えた。給水所でコップ一杯の水をもらう。
 国道134号線の交通規制が始まっていて、ランナーは隊列を組んだ江ノ島大橋から国道のスタート地点へ向けて移動を始めている。

 8:50 予定どおりここで音楽にスイッチを入れる。
 隊列はロープで2列に区切ってあり、前の方に並びたい人は右列に進む。
 高揚感はない。ただ寒い。
 去年は半袖ユニで終盤寒かったので、今年は長袖にした。
 ランシャツ、ランパンの人はわずか。ほとんどのランナーが長いパンツと長袖、さらにウィンドブレーカーを着込んでいる人も多い。
 大会公式ウィンドブレーカーを買った人は、ナンバーと名前を書いておけば、スタート後数カ所に回収係りが立っていて、レース後に返してくれるというサービスをやっている。これは気が利いている。

 列につくといきなり皆が走り始めた。えっもう始まっちゃうの?
 と思うと、すぐにまた徒歩に変わった。

 2曲め「ポルトガル国歌」を聴きながら、CWCでデコがサインくれた時のこと、寄せ書きをしてくれたファンクラブ仲間のことを思い起こしていたら、感傷的になった。

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2007年3月20日 (火)

三菱のスポーツカーに期待する

 2006年の冬、三菱自動車のディーラーを訪ねた。
 三菱を訪ねるのは7年ぶり。
 以前は三菱GTOを利用していたので、行きたくはなかったが、よく訪れた。行くと帰りの交通手段はバスだった。

 今回はiのカタログが目的。
 ハウステンボス・ファンからの情報で、iのカタログはハウステンボスで撮影されたという。

 玄関を入るとすぐの一番いい場所にiは置いてあった。
 いきなりカタログくださいも不躾なので、まず係りの説明を聞く。
 駆動はリア・ミッドシップつまりミッドシップだという。
 MR-Sが2007年度中に販売中止になるため、日本におけるミッドシップはiだけということになる。
 ミッドシップとは素晴らしい!きっときびきび走るでしょうねと賛辞を送ったところで、カタログをもらう。

moto「この撮影、ハウステンボスですよね」
係り「あぁそうなんですか。ヨーロッパそっくりに作ったんですよね」
 一般人としては、十分な知識だ。

moto「このエンジンレイアウトでスポーツカーだったら買いたいですね」
係り「いいですね」
moto「エリイカみたいな電気自動車だったら最高ですね」
係り「研究はしているんですけど、充電の問題がありますからね」

 ミッドシップでスポーツカーのスタイルで電気自動車
 できれば4人乗り
 こんなクルマが登場したら、なんと素晴らしいことか。

 すると2007年3月、三菱がiをベースにした電気自動車を開発していると報道された。
 20分の充電で100km走れる。
 バッテリーを床下に配置したので4人乗れる。

 あとは、スポーツスタイルにまとめてくれればよい。
 トヨタがハイブリッドスポーツを高級車に位置づけようとしている今、頼みは三菱だ。 トヨタ傘下のダイハツには、HVSをMR-Sの基本仕様を継承したクルマとして発売することを期待したい。



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2007年3月19日 (月)

会議に女が入ると

 いつもは男ばかりの会議に、女が一人はいると・・

いつもの5倍喋る人がでてくる。

現実を離れたかっこいい話しが議論される。

いつも喋らない人が喋る。(でもやっぱり内容はお粗末)

誰も寝ない。

議題と無関係の自慢が始まる。

終りが延びる。

お茶が出る。

思わず本当のことを言ってしまい、あとで干される人が出る。

本当のことを言った人が、次からその会議に呼ばれなくなる。

干された人は可愛そうだが、その勇気ある指摘は実現し、結局会社のためにはなる。

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2007年3月18日 (日)

ソシオ公開練習

 バルサ来日二日めは、等々力スタジアムでソシオ公開練習が行われた。
 このイベントに行くのは初めてのこと。
 想像していた光景は、選手がファンのところまでやってきてサインをしたり写真を撮ったり、まぁそこまでしないとしても間近で見ることができる。このようなものだった。

 ソシオが通されたのはバックスタンドのみ。
 早く並んだ人から入場して自由に座る。
 僕らデコファンクラブは最前列をキープしてご満悦。
 今日ももちろん「でこすけ」を持ってきた。

 19時を回り、バルサの選手が入場してくる。暖冬とはいえ12月の川崎は寒い。選手はロングタイツ、長袖のトレーニングウェアに固めて鈍く動き出す。
 ランニング、ロンド(ボール回し)
 ロンドを見るのはこれが初めて。

 だが、選手とファンの距離は遠い。
 等々力は陸上トラックがあるため、最前列といえどもようやく顔が判別できる程度。デコは向かって左側のロンドにいて、そこにはロニー、ドスサントスもいる。

 ファンは至って静か。
 ずっと歌ったり、跳ねたりしているのはいただけないが、そういう定型の応援スタイルがないと、こういう時はすることがない。
 バルサには唯一イムノ(Can't del Barca)の合唱という応援があるが、それを歌える人は希。
 ちなみに僕は先日の日テレの取材に合わせて、覚えておいた。
 高校生の頃は、どんな歌も自然に覚えたものだが、大人になってからはよほど気合いを入れないと覚えられない。しかもカタルーニャ語。どうしても舌が回らないところもある。
 それでも一度覚えたものは、定着していてこのバルサ・ウィークでは意外なところで役に立った。

 カタルーニャからツアーでやってきたと思われる人々が独自の応援をして盛り上げようとする。しかし、リズムがわからず僕らはついていけない。

 そうこうしているうちに、パス&シュート練習、そして小雨降る中ミニゲームへと進む。

 ここで一気にトップスピード
 明らかに速さが違う。
 ゆっくりとホームを離れた新幹線が、一気に300km/hに乗ったようだ。 肉眼で追うことが難しいとさえ思える。
 そして90分が経過。
 結局、選手は一度もファンに向かって手を振るでもなく、そそくさとロッカールームへ引き上げていった。

 一部の選手を除いて

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2007年3月17日 (土)

ラスト4デジット

 バルセロナのホテルでインターネットをする場合、LAN端子またはモデム内蔵 どちらでもOK。ヒルトンも壁に100BASE-Tと並んで、モデムジャックがあった。
 コンセントはCタイプのアダプター(200円程度)があればよい。変圧器は要らない。

 「アルギエン アブラ ハポネス?」
 電話に出たフロントマンは、今は来ていないけれど、もう少し待ってくれたら日本人スタッフが来るから・・といった意味のことを言った。
 それはそうだ。バルセロナはまだ5時台。

 その助けは当てにせず、もう一度よく手順書とにらめっこ。

 BUY INNTERNETのページにクレジットカードナンバー等を入れる。カードナンバーの次のボックスに入れる"last 4 digit"というのがずっとわからなかったが、クレジットカード裏面署名欄に記されている数字の末尾3桁を打ってみたら、認証が通った。
 日本ではクレジット決裁といえばカード番号16桁。それに続く番号は裏面だけに3桁で印字されているが馴染みがない。ラスト4デジットと言われれば、普通は16桁のカード番号の末尾4桁のことだと思う。
 大半の日本人がここで途方に暮れる数時間を失うことだろう。

 手続きが成功するとID、パスワードが表示される。これをコピーしてテキストファイルとして保存しておく。これを忘れてしまうと後から接続できない。
 アクセス費用は決して安くないので、集中して使うようにする必要がある。

 朝、集合場所に行くと他の皆も早く目覚めてしまい、インターネットでもするかと試みたのだが、例の「last 4 digit」のところでギブアップしていた。

 背の高い兄ちゃんがチェックアウトしていて、日本から来た女性二人がサインをもらっていた。
 誰なの?と話しかけると、面倒くさそうに
 「すてぃーぶん・じぇらーと」
 3か月後にはビッグイヤーを掲げる彼だが、僕はまったく興味が持てず、なんかお菓子みたいな名前だなと思っていた。

 今回は会議に来ているので、この日だけが観光に充てられたオフ。
 他国の参加者は会議前日入りだが、日本からの一行には、会議二日前にバルセロナ入りして観光が用意されている。



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2007年3月16日 (金)

夕暮れのゴール

 41km
 40.1キロ最後のエイド。それまで「あれは、なんだろう?」と気になっていた白い物体を一つほおばる。
 得体の知れないものは不安で手が出せないでいた。
 飴をすぐ噛んでしまう僕でも、これは噛むに噛めない。あとで大会資料を確認すると「ぶどう糖」だったようだ。

 これでエイド地点を書いたテープをすべて剥がし終える。一般的なマラソンでは5kmごと8箇所にエイドがあるが、荒川はさらにきめ細かく15箇所。どこにエイドがあるかを書いたテープを右手に貼っておいた。
 15ヶ所すべてのエイドを利用した。
 3か月前までは「僕は水分を摂らないでも大丈夫なんです」と嘯き、コーヒー以外は一滴の水も飲まなかったのが嘘のようだ。

 

 42km
 ゴールでは完走記録証に載る写真が記録される。
 27キロからずっと歩いて来たのだから、今日は歩いた姿で映ろうかとも思ったが、もしもこれが最後のマラソンになったとしたら・・と思い直し、最後は走ってフィニッシュすることにする。
 42という数字は日本ではゴロが悪いと敬遠されている。戦時中死線(4線)を越えるという縁起担ぎで5円玉を懐に忍ばせる兵士がいたと言う。42の線を越えたところにゴールがあるのも、日本人がマラソンに惹かれる一つの理由なのか?・・とそんなややこしいことを考える余裕はなかった。

 

 ゴール
 42キロの看板を超えるとまばらになったとは言え、応援の観客が残っている。残り195mさぁ走ろうと思ったが、その195mが走れない。足がダメになったら元も子もない。あと100m
 よし、気合いだ!と声をかけて走る。幸い足は悲鳴を上げず、走れる。

 

 目の前にゴールが迫る。
 だが、夕暮れが迫り視界は暗くぼやけている。
 ゴールテープがあるわけでもない。制限時間ぎりぎりに駆け込むランナーへのお座なりな拍手も聞こえない。フィニッシュはデコゴールのガッツポーズで決めようか、いや、やはりグリコポーズか?と考えていたが、そういう雰囲気ではなかった。普通のランニングフォームでゴール。

 

 ゴールの瞬間を記録する写真機の位置は通り過ぎていることを見越して、時計を止める。
(実際にはゴールの瞬間、直後2枚の写真が記録証に入る。2枚めに時計を止めているところが映っていた)

 

 タオルを持って駆け寄る人は居ない。
 係りのおじさんが
 「完走おめでとう」
 「6対0で勝ったよ」
 と声をかけてくれた。嬉しい。レース中、ゴールしたら泣いちゃうんじゃないかと思っていたが、ただ淡々としていた。

 

 ん、6対0?
 あぁそうか今日はWBCの決勝だったんだ。でもなんでゴール直後にそれを???
 僕がマラソンに没頭していたここ数日、多くの人は野球に熱中していたのだろうか。それとも僕が着ているFCバルセロナのユニをみて、野球も好きにちがいないと思ったのか。

 

 完走後のランナーは広いグラウンドに誘導され、そこでチャンピオンチップを回収される。しゃがんで外すことは42キロを走った足では難しいことを皆知っていて、足もとに跪いて外してくれるのが申し訳ないが、心遣いが嬉しい。

 

 順路に沿って進むと「あらかわ水紀行」というペットボトルの水を配っていたので受け取る。この空きボトルはその後1年間、ミネラルウォーターのボトルとして愛用した。これでマラソンの手続きは終了。あとは預けておいた荷物を受け取るだけ。テントに入ると荷物置き場はがらんとしていた。

 

 座って着替えるのは難しいなと思っていたら、ベンチを発見。急に寒さが実感された。そして着替えて歩き出すと、足が前に出なくなっていた。30分前まで「歩くなんて楽をして・・」と思っていたが、よくこの足で歩いていたものだ、僕の足よ、よく頑張ったなと声をかけた。

 

 レース1週間前まで、ずっと不安だった。
 10kmしか走ったことがないのに40kmが走れるものなのか?
 だが、短いとは言えこの3か月は誰にも負けないくらい、マラソンのための階段を上った。
 完走率96%という数字の4%に僕が入るとは思えない。
 10km=1万mの持ちタイムから推測するタイムは6時間23分。これもぎりぎりなんとかなる数値だ。

 

 僕は考えた。明確な不安がないことが不安なのだと。
 不安を感じているのは明確な困惑がないからだ。膝の故障、落ちない体重・・と言った明確な困惑はなに一つない。ならば、いたずらに不安にとらわれる必要はない。不安があれば、微々たるこの力、その100%すら引き出せない。

 

 最後の数週間は食生活から睡眠、生活全般において僕が守り通した誓いがある。それは「今できることをやる。できることは何でもやる」
 経験は力。今僕はまた一つそれを手にした。

マラソンを走りながら書いたブログ一覧

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2007年3月15日 (木)

35km過ぎの関門

 36km
 35キロというのは、たいていのマラソン本に”大きな関門”と書いてあり、スタミナが切れて足が止まる所ということになっている。
 だがこの風の中、足が止まっているのか、風で留められているのかがわからない。
 歩き始めた時、遅くとも35kmあたりからは再び走って終わりたいと考えていたが、足の状態を考えると残り7キロはとても走れそうにない。
 4つ持参した最後の「パワージェル」を流し込み第13エイドへ。
 ここは荒川名物「シャーベット・ステーション」
 どんなことがあってもこれだけは食べてやる!と決めていたのでそそくさと取りに行く。するとバットに並んだカップのうち10個に1個くらいしかさじが付いていない。
 「さじ付きのを」と言いながらそれをとる。あとの人はあれを飲んだのだろうか?
 氷がさくさくしたのを想像していたが、実物は溶けてゆるいアイスみたいだった。
 まだバナナを一度も食べてないので、それも記念に一つ取る。

 37km
 強風で37キロの距離表示が倒れていて気づかなかった。
 1キロ毎のペース確認が命綱なので、これは痛い。

 「負けないで」ZARD~ 負けないで、ほらそこに、ゴールは近づいてる♪
 「遠い空」尾崎豊~ 風に吹かれて、歩き続けて、信じてみつめた遠い空♪
今の状況にぴったりはまった歌詞に驚く。

 ゴールするまで一度も「完走できないんじゃないか?」とは思わなかった。
 完走のために大事に行こう。膝に痛みが出ないように・・とは考えた。膝や足が痛む可能性は予測していた。けれども、それで完走できないという不安とは一度も出会わなかった。

 38km
 あと5kmを切る。
 ここから「あと*キロ」看板が始まる。
 もう再び走り出そうという選択はすてた。
 この状態で走り出して足がどう反応するかは未知のこと。今日僕がやらなければいけないのは「完走」。
 このラップは11分37秒。38キロを終え6時間1分。1キロ13分で歩けばゴールに間に合う。

 頼む、最後まで持ってくれ、足よ。そう足に声をかけ
 「あ、足も俺か」と自分につっこんでいる。"

 39km
 第14エイド、このあたりのエイドではZAVASの赤い紙コップにも水が入っている。売り切れたのだろう。
 あんぱんが並んでいる。事前にリストを見た時に、マラソン中にパンはないだろう?と思っていたが、ここまで来れば、一通り食べてやるという気持ちになっている。
 運動会で出るような、あんぱんを想像していたが、5個入り128円で売っているミニアンパンを4つに切ったものなので、量的に苦にはならない。"

 40km
 40キロの関門を踏む。皆のチップがセンサーに反応して「ぴっ、ぴっ」と音がする。ノートパソコンをモニタリングしている係員。間もなくあのパソコンから GTMails が配信されるはず。誰か速報を見てくれているだろうか。
(結局、送信は失敗していた)

 このあたりで撮影された僕の写真(写真販売サイト)を見ると、陽が射して影が映っているが、暗く寒かった記憶しかない。風で左目はほとんど開かなくなっていた。
(目が白く濁り元に戻るまで半日かかった。翌年はレンズ面積が広いメガネを使うことにした)



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2007年3月14日 (水)

コース上を散歩する住民

 31km
 30.1キロ第11エイド。
「給水および給食」リストによると、ここに唯一「おにぎり」があったらしいが、僕が行った時には見あたらなかった。荒川静香が宣伝している金芽米を食べてみたかった。
 後で新聞で読んだところ、おにぎりはたくさん作られて、ランナーだけでなく応援の観衆にもふるまわれた・・という。
 遅いランナーは食べてないんですけど・・

Itabashi 30kmあたり

 4時間35分を経過して、128MBの音楽プレーヤーは曲が一巡。二度めの「ヘイジュード」が流れてきた。
 エナジータブを取る度、だんだんと取る量が増える。3つ口に含んで残りはポーチに投げ込む。

 32km
 あれ?ゼッケンを付けてない人がいる
 と思ったら、コース上を住民が散歩している。向かい側からはジョギング中のランナーともたくさんやってくる。
 ここは日頃、近隣の皆さんの憩いの場であり、マラソンの日はほぼ一日、ランナーに占有されてしまう。一般市民がコースのど真ん中を悠然と歩く気持ちもわかる。
 ウォーキングに切り替えてからは31、32km区間だけが10分台。あとはすべて11分を超えた。

 33km
 5時間を過ぎた。あぁ5時間もずっと、こうして走ったり歩いたりしてるんだ。これは現実なんだなぁ。
 ずっと空想の世界だったことが、体験を通して僕の想像力に組み込まれていく。あぁ三ヶ月間やってきたことがあと2時間で終わってしまう
(と、強がり半分で思いこむ)

 一度、立ち止まり、ひざのテーピングをセラポアから、伸縮テープに交換。
膝をやってしまった時に固定するために持ってきたが、幸い今日は膝の痛みが全く出ない。

 34km
 強風で背中のゼッケンが飛んで安全ピンだけが残った人、風でちぎれたゼッケンを手に持って走る人。記念にどうしても持ち帰りたいのか。
でもちぎれる瞬間をキャッチできるわけもないので、自分でちぎったのだろうか。
(終わってみると、自分の背中のゼッケンも傷みがひどかった)

 左足はけっこう痛くなっているが、右足はほとんど痛みがない。
 「右足、お前、すごいな」
と言ったあと、左足がすねないように
 「いや、お前もよくやってくれてる。ほんとにありがとう」
と左足をねぎらう。

 まばらになったランナーにもう会話はない。

 35km
 オリンピックに行く前の選手が「楽しんできます」と言って非難されていたことがあった。
 競技を楽しめるか否かは、当日の心の状態次第。
 事前準備がきちんとできた人が「楽しみたい」と言っているだけのこと。目くじらを立てることではない。

 走りながら考えていたのは、楽しむのではなく、楽しいのであるということ。楽しもうと思って臨んでいても、本番で心身の状態が悪ければ、全然楽しめない。
 正確に言うならば
 「きちんと準備はできたので、当日楽しいといいなと思います」
となるだろう。

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2007年3月13日 (火)

走りが途絶える時

 26km
 第9エイドにエナジータブらしきものがあったので恐る恐る3つとる。お菓子のジューシーそっくりの色・形。味も似ていた。

 マラソンの道に入るまでは、とぼとぼ走るくらいならば歩いた方が速いのでは?と思っていたが、実際にはどんなにゆっくりでも走る方が速い。
 気が付けば、周囲のランナーは皆歩いている。僕だけが走っている。辛くても1キロ10分を切れるうちは走らなければ。脳内で合理的な判断力よりも意地が勝っている。
 ただ1キロ10分を超えたらそこからは歩ける・・という免罪符が提示される。次の計時でいっそのこと10分を超えて欲しいと願う気持ちが起こる。だがこのラップは9分48秒。
 25.4km手前で3つめの「パワージェル」。"

 27km
 走りつづけてきたマラソンが終わる時がきた。
 行く手に昇り坂が見えてきた。後で確認するとわずか8mの高低差だが、その坂を上れる足の状態ではない。
 坂の手前26.9キロ
 時間にして3時間53分で歩き始める。27キロ時点の目標ペースは4時間1分なので、これでもまだ8分の貯金がある。

 28km
 4時間が経過。あぁ4時間か、もうそんなに経ったのか
 ポーチに3個入れてきたキャラメルの一つをほおばる。キャラメル一つでさえ、ペース配分を考えている。荒川はエイドが充実しているので持ってくる必要はないのだが、欲しい時に手元にあると安心感がある。包み紙が風で飛ばされてしまう。ゴミは一つも落とさないと決めていたが、振り返る力がない。

 29km
 26キロ過ぎからゴールまで、2曲を除いては、後で曲リストを見ても、聞いた覚えがない。それほどに疲弊していた。音楽は耳には届かないが、僕の意識を支えていたのだろう。

 30km
 辛い時、それが辛くないように感じるイメージトレーニングをしておいたせいか、強風にも笑いがこぼれる。強風に体が全然前に進まないし、寒くて凍えそうなのに、それが可笑しくて仕方ない。
 へらへら笑いながら進むランナーは沿道から気味悪がられるかと思ったが、このマラソンではごく一部のポイントを除いて応援は皆無。こんな風の強い日に吹きさらしの河原に来る人は少ない。

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2007年3月12日 (月)

逆風の始まり

 21km
 20.2キロの第7エイドでは初めてスポンジを取り、両膝と足首を冷やす。いつもテレビ観戦していて、これを一度やってみたかった。

 荒川土手はずっと同じ景色で殺風景と聞いていたが、初めて訪れる土地の風景は新鮮。遠くに見える高速道路。何度もくぐる鉄道や車道の陸橋。河川敷のゴルフ場が走っている真横にある。今日はプレーしている人はいない。僕のようなゴルファーがプレーしていたら、危なくてとても走れない。

 暑すぎず、絶好のマラソン日より。
 ただ、この時は気づかないが翌日に炎症を起こすくらい日焼けしていた。僕の場合、走ってる時間が長いからなぁ・・"

 22km
 折り返し点。
 でっかいパイロンをぐるっと大きく回るのが夢だった。
 今その一つをクリアした。大会の折り返し制限時間は3時間30分。僕の目標は3時間。その予定どおり2時間58分58秒で折り返した。

 もう楽しくて仕方がない。
 あぁあと半分でマラソンが終わってしまう。
 せっかくだから楽しまなくちゃ!この時はそう思っていた。

 だが、この1キロは8分32秒。折り返した途端まともに受ける向かい風に足が止まる。

 23km
 右腕には目標タイム6時間23分のレースペース表と、7時間のデッドエンドから11分、13分、15分ペースで歩いた場合を逆算した表を貼っている。
 23kmから2つの表を見比べながらのレースが始まる。

 風の抵抗を少しでも減らそうと足元を見つめ前屈して進む。地面ばかり見ていたので23キロ表示を見落としてしまう。ペースが確認できないと、次の1キロが心許なく長い。"

 24km
 24kmの看板はしっかりと確認。2キロ分のラップを2で割るとおよそ1キロ9分。風の影響だけではなく、急激に足が前に進まなくなった。
 心配していたのは膝、足の裏の決定的な痛みだが、幸いまだそれはない。オーダーメイドしたインソールの効果は絶大だ。

 次に想定していた足の付け根の痛み、徐々に大きくなってくる。それには事前に効果的な対処方法を探し当てることができなかった。"

 25km
 「希望」佐野元春~声を出して歌う
 "墓参りの準備で街の市場に立ち寄った~♪"
 冬山で遭難しそうになったら眠ってはいけないと言うが、歌わないと寝てしまいそう。近くを走っていた人は?はかまいり?と目が点になったかも知れない。

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2007年3月11日 (日)

モッタに癒される

 ファンクラブの僕らの叫び声はデコに届いたようだ。
 視界のすみに「でこすけ」も捉えていたのだと思う。
 「今日はしかたないよ」
 デコはうつむき加減、サングラスをかけていて表情は窺えないのだが、口元がほんの少し笑っているように見えた。

 あぁあ・・
 かざしていたデコユニを下ろして落胆する僕達。

 その時左の方から、そのあたりの全員にサインしてやってくる選手がいた。
 デコがクラブ内の親友と語っていたモッタ。
 だが最近彼はインタビューに答える時はロナウジーニョの名前しか挙げないのが少し不満だ。

 モッタは淡々とマジックペンを受け取っては、ファンが差し出すあらゆるものにサインしていく。モッタのマーキングが入ったユニはなく、皆それぞれのマーキングが入ったユニフォーム、ノンマーキングのユニフォームの胸側をかざす。サイン色紙、トレーディングカード・・

 僕らはすかさず、デコ20のユニを裏返して胸側をみせ
「モッタ!」
 モッタは表情ひとつ替えず、僕から黒マジックを受け取る。まず僕のユニにサイン。そして仲間のユニにサイン。そこでペンを返してもらった。
 するととなりの件のおばさんがいつの間にか「メモ帳」を出して突き出している。

 モッタが僕に眼でサインをよこす
「おい、ペンがないぞ。貸してやれよ」
 僕が再度、マジックペンを差し出す。おばさんのメモ帳にペンを走らせて、僕にペンを返すとそこで人は途絶え、モッタはフロントへと消えた。

おばさん「あの選手は誰なの?」
moto「モッタです」
おばさん「かっこいいわねぇ。映画俳優みたい」

 彼女の指摘はいいところを突いている。
 アイドル的ルックス偏差値に重きを置かない補強をしているバルサには珍しいイケメンのモッタ。
 来日前のインタビューでは
「日本では女の子のファンが多いんですよ」
と記者に言われて、ほんと?知らなかったな。女の子が・・
と絶句していたモッタ。
 確かに女の子・・のファンが多いと思っただろうか。

 モッタ優しいねぇ
 僕らはデコにスルーされたものの、モッタに癒されて宿舎を後にした。
 日本に着いた日のデコはサインの気分ではないということが、これで確定した。

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2007年3月10日 (土)

ホテルでインターネット

 僕らを待たせていたのはFIFAのスタッフと宿泊客
 その日はスマトラ沖地震のチャリティマッチがホテルから徒歩20分のカンプノウで行われる。
 サッカーファンとなった今ならば、気絶しそうなほどのメンバー、移籍金換算で合計650億円の選手たちがすぐそこにいた。
 まず最初ににこにこ笑いながらロナウジーニョが出かけていった。
 しかしそれ以外の選手はまったくわからない。1年ほど経ってから撮っていた写真の被写体がカカ(ACミラン/ブラジル代表)だとわかったくらいだ。

 この詳しいお話は一昨年10月に書いた。
 →ロナウジーニョと3メートル

 ホテルはヒルトンバルセロナ
 部屋でインターネットができる!らしいのだが
「地球の歩き方」によると"モジュラージャック完備"とあった。
今時モデムか・・

 きょう4度目の食事が終わると、22時に近所のスーパー「エル・コルテ・イングレス」が閉まるというので仲間と買い出しに行く。
 水3本、ヨーグルト2個、缶入りピーナッツを買って3ユーロ(420円)程度。物価安いなぁ。レジのお姉さんが打ち間違ったのかと思った。

 長い長い一日を終え、寝たのは現地時間1時。28時間起きていたことになる。
 それなのに、体内時計に5時に起こされてしまった。
 日本時間ならばお昼過ぎ、普通ならば起きている時間なのだ。

 疲れているはずなのに眠れない。
 そこでネット接続を試みることにした。
 デスクの壁についていたのは10BASE-Tの端子。モデムではなかった。ケーブルも備え付けてあったので、英語の説明書を読みながら試みる。
 まず、少しびびったのはJCBが使えないこと。使えるのはAMEXやVISA。カバンの隅っこに入れておいた予備のカードがVISA提携で助かった。
 だがしばらく、格闘したがクレジットカード認証の受け方がわからない・・

 仕方なくフロントに助けを求める。
 「アルギエン アブラ ハポネス?」
 さまざまな状況を予測して作っておいた単語カードのうちの1枚。
 「日本語を話せる人はいませんか?」

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2007年3月 9日 (金)

スポーツを「楽しみたい」

 16km
 渋滞によるタイムロスは6分30秒ほど。つづく1kmは7分26秒。一度歩いた後だが、ラップは落ちていない。
 ウェストポーチには手で切れるテーピング用テープ、パワージェル4袋、チタンテープ、キャラメル3個、音楽プレーヤー。
 渋谷アートスポーツの方が「ポーチは絶対前につけなきゃダメです。後ろだとお尻に当たって走り辛いですよ」と教えてくれた。僕はそれまで後ろにつけていた。
 走りながらランナーを見ていると10人中9人は後ろにつけている。
 「教えてあげたい~」
 何度もそう思い、とどまった。

 17km
 この1kmは7分5秒。いけるところまでいける気がしている。
 今日はとことん走り通すことを目標にしよう。
 走る趣味を持つ会社の先輩が「自分の中では、歩いたら完走とは思わない」と言っていたが、僕はそんなことはない。歩いても転がっても完走は完走。ただ、今日はできることなら、ゴールまで走り通してみたい。そんな気持ちになっていた。

 18km
 1月に書いた小説では、このあたりで左足の故障が再発、とりあえず22kmまで頑張って救護所に駆け込むというストーリーを書いた。それを一瞬思い出したが、3歩走ってすぐ忘れた。

 19km
 クィーンの「39」2039年の未来を歌ったと言われる、クィーンデビューから39番目の収録曲。
 僕はこの数字にこだわりがある。できれば今日も、6時間39分でゴールしたい。

 20km
 このラップは7分35秒。10kmまでと思っていた1キロ7分30秒ペースで2時間頑張れた。手元の表では目標の6時間23分ペースより10分ほど速い。
 マイミクさんに推薦してもらった「超特急」「陽はまた昇る」はテンポがよい曲で明るい気持ちになれた。
 20はデコの背番号。「20」の距離表示と記念写真を撮りたいと一瞬思う。だが、今日はそういう場合ではない。いつの日かカメラを片手にのんびりと走ってみたい。そういうことを「**を楽しみたい」と言う人もいる。スポーツを楽しむというのは、そういうことではない気がして、この言葉に違和感がある。20kmを過ぎたこの時はまだ、それは単なる違和感だった。



マラソン講座

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2007年3月 8日 (木)

マラソン途中の渋滞

 11km
 レース前には、10kmを過ぎた時に未知の距離への恐れを感じるのでは?と思っていたが、不思議とそれがなかった。
 不安をワイプアウトするメンタルトレーニングをしておいたのが少しは役に立った。

 12km
 これまで河川敷のコース道幅いっぱいを使って走っていたが、センターラインから左に寄るよう規制される。
 しばらくすると、対抗車線から先頭の選手がやってくる。
 速い!
 別世界のスピードで精悍だ。隣を走っていた女の子たちが
「かっこいい」「感動した」
と言い合っている。このあたりはまだ、仲間同士で笑いあう声が聞こえる。"

 13km
 続々とランナーが帰ってくる。ゼッケンナンバーが4桁のアスリートたち。だが、それに混じって5桁ゼッケンの選手も多い。60歳は超えているように見える方も大勢いる。

 僕はしばらくそのランナー達をじーっとみていた。
 彼らは別世界の人間じゃない。同じ人間なんだ。僕にできないはずがない。そう思うことで、自分の可能性を大きくできる気がした。
 「君を連れて行く」佐野元春 ~神戸の震災を象徴する曲。あの頃の映像が流れてくる。震災前夜、名古屋で一緒に遊んだ神戸の友達二人、当時は彼と彼女だったが今は一児の両親になった。あれから11年。

 14km
 ここまでタイム的には快調なのだが、疲れを感じ始めていた。
 ただそれを認めたくはなかった。
 まだ、こんなところで歩き出すわけにはいかない。何キロまで走り、残りは歩くと決めているわけではない。体との相談だが、僕には経験という過去の財産がない。

 15km
 10kmを過ぎてもコンスタントに7分20秒前後をキープしている。
 前方を見やると人が溜まっている・・ 渋滞?
 「あ~ぁ、止まっちゃったよ」
 隣の人が言う。まさに渋滞。
 確かに事前資料で「走行上の注意」として15km付近で道幅が狭くなることがアナウンスされていた。しかし、まさかマラソンの途中で渋滞で止まるとは・・
 スタートのロスタイムはネットタイムからは差し引かれるが、レース内での渋滞はロスタイムとして計算されない。マラソンも何が起こるかわからないスポーツなのだ。

 だが、これが僕には幸いする。
 辛くなり始めていた足の付け根の痛みが、大きく腿を上げて歩くことで和らいでくれた。

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2007年3月 7日 (水)

荒川、人気の秘密

 6km
 練習で意識していた体の前傾をした途端、急にペースが上がる。
 前に体を倒して足を着いた姿勢をイメージすると簡単にできる。
 初心者でもすぐによいフォームになる。一緒に走っていた周りのみんなの間を縫ってすいすいと体が前へ進む。
 この1kmは唯一の6分台。まだまだいけたが、体に負担がかかるので自重してすぐやめる。

 

 7km
 6.7kmで2度目のエイド
 今度はスポーツドリンクがある。協賛している明治製菓のZAVAS。水は青いコップ、ZAVASは赤いコップに入っていてわかりやすい。
 Mr.childrenの Everything it's you がかかる。まだ周りにはたくさんの人がいるので声に出さずに歌う。

 

 8km
 沿道にはトイレがたくさんある。このあたりまではトイレの列が長い。スタート前に行けなかった人たちなのだろうか。ここでもご多分に漏れず、トイレではないところで済ませる人が多い。

 

 9km
 第3給水(9.1km)の前に1つめのパワージェルを摂る。
 アートスポーツの店員さんの薦めで、今回のレースではポーチに4種類各1つずつ入れてきた。1つ262円
 ペースト状で粘度が高いので給水の直前がいい。
 荒川はエイドの前に「給水所まで300m」の看板が出ていてとても助かった。ここらが市民マラソンとして人気が高い秘密だと思う。

 

 尾崎豊の「遠い空」は懐かしい選曲。楽しい気分で口ずさむ。この時は復路でこの曲をどんな気持ちで聞くかは知る由もない。

 

 10km
 僕以外でサッカーユニを見たのはJリーグのものを一度だけ。スペインの白いのを着ている人がいなくてよかった。巨人上原のユニを着た兄ちゃんが居た。この日がWBC決勝戦だったことはゴール後に知ることになる。彼は、その思いを込めて一緒に戦っていたのだろうか。

 

 人生で走った最長距離は高二の「マラソン大会」で走った10km。へろへろで走る高校生の写真が机の前に1枚ある。隣りに飾っていたQちゃん優勝の「ただいま」のカード(ファイテン作成)が、レース前日2回も落ちた。縁起でもないとその度に拾ってそっと元に戻す。
 今回の練習で走った最長距離も10km。
 ここから先は「なんとなるはずだ」の世界。

 

 初マラソン直前の不安はここに集約されていた。未知の世界にいったい何が待っているのか?怖くもあり、楽しみでもある。

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2007年3月 6日 (火)

荒川2006スタート

 start
 1分前のファンファーレがなり、選手から歓声があがる。
 さぁ楽しむぞという気持ちに嬉しくなる。
 僕は自分の位置へと向かう。

 Webでエントリーする際、目標タイムを6時間39分としたら、最後尾のスタート。去年は最後尾のロスタイムは28分なので、僕にとっての制限時間は7時間ではなく6時間30分。6時間23分を目標タイムとしてペースを計算して、ペース表を入れたブレスレットを巻く。

 start line
 9時ちょうど、スタートの号砲が鳴る。
 ラップタイムをとる時計を起動させてから、音楽プレーヤーにスイッチを入れる。マラソン向きの曲を友達から推薦してもらって入れてきた。
 1曲めは「ヘイジュード」スタンドに陣取ったブラスバンドの演奏にかき消される。
 2曲めは「Love2000」だが、Qちゃんと違い僕は踊り出さなかった。
 スタートラインまでのおよそ500mをとぼとぼ歩く。すると思いの外早くスタートのゲートに着いた。ロスタイムは16分。最大で30分を読んでいたので、ここで14分助かった。

 いよいよ3か月、本を読み、道具を買い、体のケアをして、歩き、走り、メンタルトレーニングもした僕のマラソンが始まる。感じたことのない高揚感に包まれる。

 1km
 スタート後数キロは渋滞してペースが上がらないと聞いていたが、僕の場合、10kmまでは、1kmあたり7分30秒ペースで走るという程度なので、最初から予定ペースに乗れた。
 荒川マラソンは1km毎に距離表示があるということなので、ペースが把握できてよい。・・・と思っていたら、いきなり1km表示の看板がなかった。
 バルサのイムノ Cant del Barca!
 カンプノウでバルサが入場する時にかかる曲。ここでバルサコールの一つでも欲しいところだが、沿道の応援を見渡してもブラウグラナのユニフォームに反応している人は皆無。少しくらいは反応あると思ったんだけどな。

 2km
 2kmの表示で予定ペースどおりに走れていることを確認。
 「星の下路の上」佐野元春は、さぁ行くぞと気分が乗ってくる。
 マラソンを走ってみてわかったが、マラソンに向く曲には
「楽しい気分になる曲」
「励ます曲」
 の2つのタイプがある。
 この曲は「楽しい」部門のナンバー1。

 3km
 このあたりから、側道に出てストレッチしている人が出始める。
 僕も準備は十分とは言えないけど、僕の上をいく強者がいるのだ。
 ゼッケン番号16***番台は恐らく6時間30分~7時間を申告した選手。

  荒川は前後に1枚ずつゼッケン(マラソンでは、ナンバーカードという呼称が一般的)をつけるので、後ろから数字を見て、それぞれのペースを確認する。
 若いゼッケンの選手で、のんびりスタートしておいて、追い抜いて行く人が多い。チャンピオンチップで計測するので、それでもネットタイムは正確に出るのだ。
 コブクロの「待夢磨心」
 こういうリズミカルでコミカルな曲は走っている時にはとてもいい。

 4km
 早くも喉が渇く。4.1kmにある第一給水が待ち遠しい。
 レース30分前にも100cc程度は水を飲んだが、もう少し飲んでおいたほうがよいのかも知れない。お腹が痛くなるのが怖くてつい控えてしまったが、レースではお腹が痛くなるのは重大な問題にはならない。しばらくすれば、やり過ごすことができる。
 左手には15ヶ所の給水ポイント(エイドステーション)の距離を書きこんだチタンテープ。エイド2つ毎に剥がせるようにしておいた。これが段々減っていくのが楽しいのではないかという工夫。

 Charの「A fare wind」はまさに自然のなか風を背に受けて走るのには絶好の曲。2002年4月からニュースステーションのテーマ曲に使われ、発売日にTSUTAYAに買いに走った。
 「For the future」Do As Infinity は去年バルセロナへ行く時、機内で聞きながら行った。あの頃、バルセロナのユニフォームを着てここを走っているとは夢にも思わなかった。

 5km
 初めてのエイドに到着。
 スポーツドリンクが欲しかったが、ここは水だけしか置いていない。二口飲んで水を捨て紙コップをゴミ箱へ。
 地元のボウイスカウトや自治会の子供達が「頑張ってくださ~い」と声を張り上げて応援してくれる。とても嬉しい。
 ハイタッチしている列に僕も参加したかったが、照れくさくてできなかった。



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2007年3月 5日 (月)

マラソン・バージンの皆さんへ

 3月4日讀賣新聞に「見るのが好きなスポーツ」の世論調査結果が載っている。調査日はまさに東京マラソンが行われた日を含む2月17日・18日。
 男性は1位プロ野球、2位高校野球、3位マラソン
 女性は1位マラソン、2位プロ野球、3位バレーボール

 昨年の同調査では、マラソンは男性の2位、女性の1位だった。
 マラソン人気は引き続き堅調と言える。

 3月18日(日)には関東で2つの市民マラソンが開催される。
 ひとつは第10回を迎える制限時間7時間の大会「荒川市民」
 もうひとつは第1回となる制限時間5時間40分の「湘南国際」
 僕は今年は湘南国際に向けて準備を進めているが、去年は初マラソンとして荒川を走った。

 まだマラソンを完走したことがない「マラソン・バージン」(ナイキの造語)の皆さんへ、去年の荒川レース記録を今日から数回でご紹介します。

 荒川2006当日

 昨晩は21時に寝た。まさかこんなにすんなり眠れるとは思わなかった。目覚ましの5:30ぴたりに起きてテーピング。
 朝食は昨日までのカーボローディングから一転、高タンパク、高脂肪食品をということで納豆、メンチカツとごはん少し。
 直前1週間の食事法は「賢く走るフルマラソン」(田中宏暁著 ランナーズ刊)に倣った。

 自宅を出ると曇り。雨は降っていない。傘を持たずに済むのは助かる。だが途中からは雨が落ちてきた。新宿で埼京線に乗り換える前にキヨスクで傘を買う。池袋に向かう沿線はかなり強い降り。もしかして今日は雨中のレースになるのか・・と思ったら、赤羽あたりから雨があがる。おいおいと空に突っ込む。
 どうやら僕の晴れ男は本物らしい。

 前日受付で一度訪れているだけに、かなり心にゆとりがある。
 浮間舟渡の駅から出ている無料送迎バスに乗る。とにかくエネルギー温存のためには一歩でも少なくしたい。今回のマラソンを前に「賢く走るフルマラソン」を5回読み返した。この本のお陰で本当にいい準備ができた。田中宏暁教授によると
「レース前のウォーミングアップはナンセンスなのに、皆しゃかりきに走っている」
という。確かに皆深刻な顔で走っている。
 また最近発売された「マッスルユニットトレーニング」(加瀬建造著 ベースボール・マガジン社刊)ではストレッチは危険な行為でやるべきではないという。ということで、レース前は着替えただけ。準備体操も無し。

 レジャーシートを敷いてデコ20のユニフォーム+バルサのパンツに着替える。
 そして運動前30分~60分で摂る「ベスパ」エネルギー源として脂肪から先に使ってくれる魔法の飲料。マラソンのエネルギー温存には欠かせないし1袋735円はこの際高くない。

 スタート前20分になり、荷物置き場へ。ゼッケンの末尾1桁の番号がついたテントへ行く。係員がゼッケンをチェックしているので、選手以外は立ち入ることができない。
 荷物置き場の外で「ここに荷物を置いていたんですけど・・」と青い顔をして係員に尋ねている選手がいたが、係員は「置いておくとなくなります」と言うだけ。盗難が起きたのだろうか、少し残念。

 トイレには長い列ができている。号砲まであと12分。
「早くスタート位置に移動してください」
と係員にメガホンで連呼されても、誰も列から外れない。男性ランナーは近くの草むらに向かって・・
 僕も一瞬その誘惑に駆られたが、デコのネームを背負ってそんなことができるわけがない。トイレを出ると8時57分、スタートの3分前。



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2007年3月 4日 (日)

うつむいたデコ

 バルサがやってきた。
 デコファンクラブのメンバーと待ち合わせをして、ホテルで到着待ち。
 ここでの作戦は、作ってきたプラカードでデコの注意を引いて、寄ってきたところでサインをもらおうというもの。

 相当な人出ではあったが混乱もなく、ファンは整然と到着を待つ。ホテル側は過去に欧州クラブの宿泊を経験しており、手馴れているようだ。
 ファンとコミュニケーションをとりながら、着々と準備が進んで行く。

 僕の右側には、おっかけでよく見かける青年がいる。彼はサインマニアでトレーディングカードファイルには、欧州サッカー選手のサイン入りカードをたくさん入っている。
 その隣りには、偶然居合わせたおばさんがいる。

おばさん「これはなんの列なの?」
青年「いや、サッカーっす」
おばさん「もしかしてロナウジーニョとかも?」
青年「そうっす」
おばさん「じゃ見れるかなぁ。サインもらえるかしら。でも紙が・・」

 そう言ったおばさんは、レストランの紙ナプキンを取り出して、これにとか言って青年を呆れさせている。

 待つこと2時間バルサ一行を乗せたバスが着く。
 早くにスタンバイしたので、好位置をキープしている。あとはデコの出方次第。
 前回の来日時は全員スルーだったが今回はどうか?緊張が走る。

 まずチームスタッフが降りてくる。
 そして若手の選手。17歳のジオバンニ・ドスサントスの姿も見えるが、彼は誰にもサインをしていないようにみえた。
 誰かが近くにやってきた。よく見慣れた顔。サビオラだ。
 左手のほうから順番にサインしていく。
 だが、僕らはサインをもらわない。
 別にデコに義理立てしているというわけではなく、構えているのがデコ20のユニフォームだからだ。
 サビオラに限らず、他の選手に20番のユニに書けというような非礼はできない。
 とにかく、デコが通るまでは20をかざしてデコを待つ。

 すると「デコ!デコ!」とファンの叫び声があがった。
 サビオラのむこうにかすかにデコが見えた。
 デコは両脇に並んだファンの列に視線をやらず、花道のど真ん中をスルーしていく。
 サングラスをかけたデコはうつむき加減。
 ついに僕らの目の前にさしかかる。
 僕らは「でこすけ」をかざして、デコ~と叫んだ。

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2007年3月 3日 (土)

僕らを待たせる人たち

 偏西風が強かったのか、西へ進路をとった飛行機は1時間遅れてフランクフルトに降り立った。
 乗り継ぎ時間はわずかに10分。
 シェンゲン協定による入国を済ませると、フランクフルトを探す間もなく、バルセロナ便に搭乗しなければならなかった。
 飛行機内は完全禁煙のため、スモーカー達はそれでも寸暇を惜しむように喫煙コーナーで激しくタバコを吸い込んでいる。
 彼らが税金を納めてくれるお陰で成り立っている経済なのだから、飛行機内にも焼肉屋のような「無煙ロースター室」をつくり、そこで吸ってもらえばよいのに。

 バルセロナに向かうわずか2時間の間にも飲み物とサンドイッチが出た。焼いたパンにチーズやハムをはさんだもの。日本にはないので珍しい。

 日本を朝の10時に出て、およそ15時間の移動をしてきたが、時刻はまだ夕方6時。 空港から宿泊ホテルのヒルトンバルセロナまではチャーターしたバスで移動。
 バスが着くと各自で重い荷物をガラガラと押しながらエントランスへ進む。

 すると、何やら鈴なりの人だかり。
 もしかして、チェックインに行列?
 と一瞬うんざりしたが、どうやら状況が違う。
 分厚いオーバーを着込んだドアマンがスペイン語で何やら僕らに怒鳴る。
 手振りを見ると「お前らは特別だから、早く入れ」と言っているようだ。
 列に並ばずに済むのか、これはラッキーと思いつつ指示に従う。

 だが、順調だったのはここまで。
 会議主宰会社の説明によると、前の客がチェックアウトしていなくて部屋に入れない。しばらく待って欲しいという。

 ロビーにはいかにもセレブです。と言わんばかりの外国人の男女がいて、
「やぁジェニー、今日も天使のようだね」
「あら、あなたのジョークは進歩がないわね」
 といった会話を交わしている。

 彼らがたむろしている場所に、受付らしきものがありそこには
FIFAと書いてあった。

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2007年3月 2日 (金)

社会人になる皆さんへ

 最近は就職活動も早いけれど、新入社員研修も早いそうですね。
 3月に入ったばかりというのに、もう研修が始まったという話を耳にしました。

 

 会社に入ったら、5年間は必死に働いてください。
 そうすれば、幸せな社会人生活を送ることができます。
 出世、昇進というためではなく、自分自身が仕事のできる社会人として老いるまでやっていくには、スタートの5年を大切にしなければなりません。

 


 ここでがんばることができれば、自分が頑張れば、社会ではどの程度通用するということがわかります。頑張ることができなかったら、その目安を見つけることができず、転職を繰り返すことでしょう。

 

 自分が5年間頑張ろうと思ったのは、父親から
「最初の5年が勝負だ。必死に働け」
と教えられたからです。

 


 皆さんには、よい参考書があります。
 社会に出て15年近くたった頃、京都の中小企業の社長さんが教えてくれました。
 中谷彰宏の
「入社3年目までに勝負がつく77の法則」
 その社長さんは、新入社員に限らず全社員にこの本を配り、読ませていると言っていました。
 さっそく本屋さんで買って読みましたが、この本は新卒のときに限らず、何年たって読んでも、ためになる本です。ぜひ買ってください。文庫は480円です。

 


 一つだけ、アドバイスをするとしたらいつも手帳を持っていて、上司と先輩がいうことはさくさくとメモを取りましょう。
 粋がっているうちは
「聞いたことは、その場で全部頭に入っているよ」
と思いがちですが、そんなことはありません。全部忘れます。

 それから、新入社員がメモを取っていると可愛いもので、しばらく様子を見て任せてみようと思うのですが、メモをとっていなければ、腹立たしいし、一から十まで口を出したくなるものです。
 電子手帳は20年使いましたが、あれはダメです。パソコンでメモを取るなんてもってのほか。5年早いです。

 

 これから、よい社会人生活を送ることができるといいですね。

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2007年3月 1日 (木)

96%の完走率

 東京マラソンの96%という完走率は、マラソン経験のない人々に驚きを与えただろう。
 一見ゆっくりに見える走りでも、制限時間内に完走して、メダルをかけてもらえる。沿道では137万人が応援してくれる。

 3万人のランナー
 1万人のスタッフ
 137万人の応援

 これはもう、全員Qちゃん状態
 Qちゃんは2時間半しか応援を受けられないが、市民ランナーは
「7時間Qちゃん状態」

 2月18日を境に、マラソンはテレビで見るスポーツから一転して、自分でもできそうなスポーツになった。

 マラソンから一夜明けた月曜日。
 職場では、出場した同僚の周りに話しの花が咲いた。
 「雨は気にならなかった」
 「浅草あたりでは食べ物が残っていなかったけど、沿道の人が食べ物をくれて、泣きながら走った」

 確かに終盤の給食が品切れだったと聞くと、想像しただけでぞっとする。
 自分はそのためにパワージェルを4つ、ポーチに入れて走っている。
 それに加えて、アンパンやバナナを食べても食べ過ぎということはないし、一向に腹にはたまらない。昼ご飯抜きで7時間近く走るのだから、少々食べても大丈夫。

 話しの輪の中では、マラソンが抽選であるということ。5万人が落選したことに驚き
「来年は当選して、ヤフオクで売る」
というバ・じゃなくて、見識の浅い人もいたが、皆から一斉に攻撃されていた。
 話しの外では「*人が病院に運ばれたんですよね!」となんだか、おめでたいニュースでも語るかのような20台女性もいて、世の中には様々な人がいるものだと、また勉強になった。

 来年は出場したい。走り始めたいという友達がいる。
 僕の話を聞いて、来年はボランティアをしてみたい。という人もいる。
 僕が着ていた黄色いコースマーカーのユニフォームを見て、とても羨ましそう。

「来年はボランティアが抽選になるんじゃないの?」
 真剣に心配していた。
 抽選はないだろうが、先着順なので10月に募集が始まったら、すぐ申し込んだほうがいいよと教えてあげた。

- 東京マラソン ボランティアのお話 終わり -

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