« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月の30件の記事

2007年4月30日 (月)

最後の一枚

 2007年、MR-Sが新車販売を終える時がきた。

 1月9日 V EDITION・FINAL VERSION 発売(特別仕様車 限定千台)
 海外では既に販売終了しているが、日本国内においてもこの千台が売れると、販売終了する。
 1月末、ベース車の生産終了

 このニュースに気付くのが遅れた。
 ただ、年間千台売れるかどうかのMR-Sだけに高をくくっていた。
 まだ3か月、まだまだ売れていないだろう。

 とりあえず、カタログをもらい、気のない商談でもしようかと近くのネッツを訪れる。
 自宅から一番近いネッツ、買うならばココでと決めている。
 この店では以前、MR-Sを試乗したこともある。
 「シーケンシャルを」と言っておいたのに、用意されていたのはMT。
 それよりもショックだったのは、ディーラーの社員が助手席に乗り込んだことだ。
 幌を上げて、見知らぬ男性と狭い車内に二人きりというのは、あまり愉快ではなかった。

 「今日はどういったご用ですか?」
 クルマをおりるとすぐ、店員が声をかけてくる。
 一旦店内に入ると、向こうからは声をかけてこないネッツ。
 だが、入り口ではしっかり対応してくる。
 入り口でも店内でも無関心を装うディーラーもあるが、これにはがっかりする。
 その日に買うわけではないとしても、やる気がないように映る空かした態度は消費者として不満だ。

 MR-Sなんですけど
 そう言うと若い兄ちゃんの表情が曇った。
 「確か・・」
 嫌な予感は当たっていて、先週最後の一台が売れたという。
 カタログも皺が入った最後の1枚。

 1年で千台がやっとのクルマが3ヶ月で千台売れる。
 いかにこのクルマを密かに欲しかった人が多いかを知った。
 マラソン完走に気を取られていた頃、最後の一台が売れていった・・

 しかし、そんな悠長なことは言っていられない。

|

2007年4月29日 (日)

戸棚で眠っていた新幹線

 今回、デコに渡そうと思って用意してきたのは、新幹線のNゲージモデル3台。
 300系、500系、700系が1台ずつ。お子さんが3人なので一人一台。
 去年の夏、愛・地球博に「のぞみ」で日帰りしたデコが新幹線を気に入ったことを聞きつけ、お土産に渡そうと思って用意していた。
 だが、それを手渡すことはできなかった。

 Regalo Deco!
 デコ お土産だよ!

 そう書いておいたマジックの字は、1年間戸だなの奥に仕舞っているうちにかすれてしまっていた。
 お土産に添えたメッセージは
「お手紙読んでくれましたか?
 デコファンクラブのみんなは、CWC、ユーロ、2010W杯の活躍と優勝を応援しています」
 ファンクラブメンバーがポルトガル語に翻訳してくれた。
 お手紙とはファンクラブでデコに送ったエアメール。果たしてデコの手元に届いたのかすらわからない。

 試合が終ってから1時間半を過ぎ、日産スタジアムから流れてきた人までが、ホテル前に合流している。その数はざっと数えて200人は下らない。
 冷たい雨。体温が下がってくる。
 半身をねじ込んだ体勢で2時間が過ぎ、体が悲鳴をあげている。
 もしこれで、プレゼントが渡せなかったら・・

 イメージしたことは、現実を引き寄せてしまう。
 すぐ、その考えをかき消す。
 そして、ファンクラブメンバーの顔を思い浮かべる。
 「みんな、僕に力をください」
 柄にもないことを祈ってみる。

 予定の時間を1時間ほど過ぎた頃、冷たい雨の中、バルサのペイントバスが帰ってきた。
 それと同時に、2列め以降の人垣が強烈に押してきた。
 必死に足を踏ん張る。
 その前ではホテルマンたちが、バリケードを守ろうと必死になっている。さっきまでは視界の邪魔だから他に行って欲しいと思っていたが、ここは踏ん張って欲しい。
 もし、バリケードが崩れるようなトラブルになれば、選手は全員スルーしてホテル内に入ってしまう。

 選手が降りてくる。
 その時、再び後ろと左から押された。後ろから色紙やユニフォームを差し出す手が遠慮なく僕をかすめていく。その拍子にメガネが90度ずれて左耳にまわった。後で考えればよく落ちなかったものだ。

 両手はふさがっていて、メガネを直すこともできない。
 視界ゼロ
 人がさらに密集し、誰が目の前を通っているのかもわからない。



|

2007年4月28日 (土)

バルセロナのフラメンコの夜

 グラシア通りから歩くこと10分。
 エル・パティオ・アンダルスが見つかった。
 お店は地下にあった。

・アシャンプラ地区
・ディアゴナル通りからちょっと北にはいった所
・「ラ・ダマ」というレストランが近くにある
・Carret de Tuset の1本西
・近くに郵便局?(封筒のマーク)がある

 20時開店と聞いていたので20:30に入店するとそれでも一番乗り。
 店員もいないのかと思うほど、がらんとしている。
 2つのコースのうち、パエリアを含む料理コースをオーダー。
 僕が「ノ コモ マリスコス ウノ!」とやると、
「おぉ。わかったぞ。任せときな、東洋の青年」
という目配せでウェイターのおやじが厨房へさがった。

■チップ込みで一人当たり、およそ60ユーロ(約8,400円)
■20時開店
■21:30~フラメンコショー

 サングリアで乾杯。
 大阪の清涼飲料水メーカーはこれをもじったのだろう。
 パンコントマテはこの店が一番美味しかった。
 生ハムなどのお約束料理のあと、メインのパエリアがくる。
 ただし、シーフード抜き。

 シーフードがいなくなったパエリアはまるで具のないおじやのようだった。
 パエリアが焼き飯ではなく、炊き込みであることがよくわかる。

 21:30ということだったが、実際にショーが始まったのは22:00過ぎ。

 ショーは延々と2時間続く。
 時差ぼけしているとかなり眠い。
 長老夫妻とその娘達という風情のダンサー。
 途中で親戚の兄ちゃんみたいなのが加わり、ギター伴奏がはいる。
 やがてギターソロが始まる頃には、ほとんど全員が寝ていた。

 最後に観客一人ずつステージに上げられてダンサーとフラメンコを踊り記念撮影。
 踊りは下手だからみっともないのではなく、照れるからみっともなく映る。という話を聞いたことがあったので、ここは照れることなくフレディ・マーキュリーをイメージしてステージに立った。

 この写真はデジカメ一眼レフで撮影され、お店を出るところでプリント写真を10ユーロで売っている。画像データだったら10ユーロでもいいが・・

 JTBのWebページでは「撮影禁止」となっているが、ショーの間デジカメで撮影していても特に制止はされなかった。
 決して低料金ではないが、安心して楽しめる店。行った日は日本人観光客の姿は他になかった。
 お店では日本語は通じないのでスペイン語か英語で話すことになるが、単語を並べていればおよその意思は通じた。

 こうして「バルセロナの夜」は暮れた。
 あとで知ったのだが、佐野元春の曲とこの街のイメージが合わないのは、かの曲はバルセロナをイメージして作っただけだから。
 かつて彼は「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日というアルバムタイトルは、別に『わたしを月につれてって』でもよかった」と言っていたが、この曲も「熊本の夜」でも「モナコの夜」でもよかったのだろう。

|

2007年4月27日 (金)

みそかつといえば矢場とん

 みそかつと言えば名古屋。
 名古屋の赤味噌は、岡崎城を中心とした保存食の文化。みそかつは八丁味噌を溶かしたたれをかけて食べる。
 みそかつと言えば名古屋の中心、矢場町にある
「矢場とん」
 名古屋に出張した人が詰めかけて地元の人が食べられないという理由で、2004年3月8日に東京銀座店ができた。

 

■東京メトロ「東銀座」駅、A2出口から徒歩2分。

 

■矢場とん本店とほぼ同じメニュー同じ値段。鉄板とんかつが最も高いメニュー。黒豚はない。本店同様「半ソース」をやってくれる。(半分みそ、半分ソース。わらじ、串カツのみ)みそだれお代わりができる。

 

■1階カウンター席、2・3階テーブル席。座敷、個室はない。

 

■わらじとんかつ弁当、串かつなどお持ち帰りメニューあり。電話予約ができる。

 

■Tシャツ、ジョッキなどのオリジナルグッズ、みそかつのタレを販売している。タレは要冷蔵で賞味期限1週間。スタッフ用Tシャツは袖にスタッフと入っている。

 

■毎年8月10日は「矢場とんの日」。

 


 名古屋本店と銀座店の両方に行った人が「銀座は味が落ちる」と言っているのを聞いたことがある。
 恐らく、そういう人は両店舗の皿を並べたら、100発100中でどちらかを当てることができる、神様のような舌の持ち主なのだろう。
 そういう才能があるのならば、料理の道で活かせばよいのに、惜しい。

|

2007年4月26日 (木)

天災は忘れた頃にやってくる。

 2005年から2006年にかけて、関東に大地震が来るとあれだけ怯えていた人たちも今は平穏な暮らしに戻った。
 その2年で備えを終えた人が多い。
 一方では初めから諦めている人も多い。

 日本には安全な場所なんてないよ。
 僕らは活断層の上に暮らしているんだ。

 そう、書籍で活断層地図を見ると、日本中に線が引いてある。
 活断層は今も「大地震を起こしてやる~」と機会を窺っているのだろうか。

 【 かつだんそう 】
 地震により地盤がずれた跡。
 過去にくり返し地震によるずれが起こり、今後もずれ動く可能性がある場所

 活断層の近くで起こるのが内陸直下型地震。
 阪神淡路大震災がこの型の地震だったことで、一般に知られるようになった。
 「活断層」という名の生き物のような断層があって、勝手に暴れ回るわけではない。活断層は物理的には地震跡を示す化石である。

■1つの活断層が起こす地震の周期は千年に一度。
■活断層は日本にはおよそ1500ヶ所ある。
■米国加州には「活断層法(地震断層ゾーニング法)」があり、活断層周辺での地質調査と周知の義務づけ、活断層上から15km圏内を避けて住居を建てるよう定めている。

 住む場所を探す時、家を建てる時は地震関連書籍で活断層の地図を確認するとよい。

ど素人!地震講座



|

2007年4月25日 (水)

大きいあんぱん

 あたりには歩いている人がめっきり増えた。
 歩いていいのならば、僕だって歩きたい。
 でも僕は関門ぎりぎりのペースで走っている。
 みんなどうしたの?もう完走は諦めているの。それとも止まったり走ったりできる人なの?

 初マラソンを走る前、走ったり歩いたりをくり返す作戦を立てていたが、アートスポーツの店員さんにあっさり却下された。
 マラソンは走り続けなければならない。もし走りが止まっても、歩き続けなければならない。だが去年の経験から一度歩き出すと、その次に足がどう反応するかがわからないため、その勇気が湧いてこないことを知っていた。
 今日は走り続けるためにきた。
 いや、走り続けなければ完走できない設定のレースに来ているのだ。

 第二関門は23km大磯西I.C.(復路)
 11時59分(スタートから2時間59分)
 ここを3分ほどのマージンを残して通過
 関門はデジタルの計時板とパイロンが立っているだけのもの。スタッフも二人くらいしか見えず、ここでランナーに「はい、止まって」と言いそうな素振りはみえない。少々はお目こぼしがあるんじゃないかそんな気さえしていた。
 走り始めてまだ一度も後ろを振り向いていない。
 相手のあるレースならば、後ろをふり返る必要もあるだろうが、個人記録だけが勝負の市民マラソンでは後ろをふり返ることに意味はない。
 ただ、この後ろにもまだ多くの人がいるはずだ。本当に関門で止めるのだろうか。
 ペースは上がらない。身体は動かない。

 24km
 右足のすね辺りがつってきた。
 マラソンの世界に入ってこれは初めての痛み。緊張が走る。ただでさえ遅いペース、それさえも守れなくなる。
 少しペースを落としてなんとか、やり過ごせることを祈る。

 25km給水
 5つ持参したうちの4つめのパワージェルを摂り、スポーツドリンクを飲む。

 湘南国際は折り返し後のエイドだけに給食が置かれる。初めての給食。まずアンパンが目に入ったがでかい。エイドのアンパンは1個まるごと置いてあるわけではなく、1個のあんぱんを4つに切るとか、6つに切るというマニュアルに沿って切り分けられている。いくつに切り分けるかという指示が曖昧だったのだろうが、あまりにでかいので差し出した手を引っ込める。結局一つ先のテーブルにあったバナナを取る。お腹が空いているというわけではないが、少しでも多くエネルギーが欲しい。
 この給水がよかったのか、エイドを出ると右足のつった感覚は消えていた。
 恐らく20kmの給水が足りなかったのだ。暑くなってきた時は多めに給水するという学習をした。

 26km
 沿道には私設エイドが増えてきた。
 事前配布資料には「特定の選手へ飲食物など物品を渡すことはできません」とあったが、市民マラソンではこれを禁止するのは野暮というもの。
 時間にゆとりがあれば、その気持ちに応えて受け取りたいのだが、なにせ先を急いでいてその時間がない。

| | トラックバック (0)

2007年4月24日 (火)

佐野元春のコヨーテ

 佐野元春のニューアルバムが発売される。
 タイトルは「COYOTE」
 前作の「THE SUN」から2年11か月ぶり。その前は4年11か月空いていたので、それよりは短かった。11か月というところが韻を踏んでいる。
 「THE SUN」では時代が元春に追いついた。彼がやってきた音楽と時代がマッチして、多くの人が心地よく聴いた。今回はどうだろう。
 元春がまた先へ逃げようとするのか、それとも時代の流れに乗った音楽なのか。
 元春のオリジナル作品はデビュー28年めで14作め。2年に1枚のペース。
 これからもペースは落ちてもいいから、長く歌い続けてほしい。
 彼が歌い続ける限り、彼と彼のファンによるコミュニティはつづいていく。

【 1 】 1980年 「BACK TO THE STREET
【 2 】 1981年 「HEARTBEAT
【 3 】 1982年 「SOMEDAY
【 4 】 1984年 「VISITORS」
【 5 】 1986年 「Cafe Bohemia」
【 6 】 1989年 6月「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」
【 7 】 1990年 「TIME OUT!」
【 8 】 1992年 「SWEET16」
【 9 】 1993年 「Circle」
【 10 】 1996年 「フルーツ」
【 11 】 1997年 「THE BARN」
【 12 】 1999年 「Stones and Eggs」
【 13 】 2004年 「THE SUN」
→「THE SUN」について(しらべるの記事)
【 14 】 2007年 6月13日 「COYOTE」

| | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

MR-Sの歴史

 1999年に発売されてから3年弱。
 2002年8月2日、MR-Sはマイナーチェンジされた。
 価格帯は178~225万。少しだけ値上がりしたがまだまだ安い。

 MR-Sファンの中には1999年を初期型、2002年以降は後期型と呼ぶ人が多い。
 初期型と後期型は前から見て一目でわかる。
 初期型にはないフロントグリルのフォグランプが、後期型には標準で付いている。
 ギアは5速から6速になった。
 2002年の月間平均販売台数は178台(ロードスターは245台)。

 「まちがいだらけのクルマ選び」の徳大寺さんはMR2、MR-Sを絶賛している。
 これだけの楽しいクルマがこの価格帯で買えるのは日本だけだ。その言葉に恋心は募っていった。
 購入を検討しているといつも書いていたが、結局買わなかったようだ。
 テリー伊藤は実際に買って鎌倉を走っていたと「ベストカー」に寄稿している。

 横浜スタジアムのリリーフカーには、助手席を改造したMR-Sが使われている(2007シーズンも使用されている)
 2002年マイナーチェンジの後期型は、玩具のラジコンが発売されている。
 既にメーカー在庫はなく、ネットでも見つからない。


2003年
 6月、ロッテブラックブラックガムのスッキリドライブキャンペーン賞品として黒を基調としたオリジナルデザインのMR-Sが1台製作された。
 2003年の月間平均販売台数は145台(マツダロードスターは127台)。
日本以外での2003年、年間販売実績3,000台。価格273万円。

 2004年2月3日、剛性アップのための改良を施し、重量が30kg増えて1,020kg(6SMT)となる。1トンを超えたため重量税が37,800円から56,700円(初めの3年分の総額)に上がった。Bエディション廃止。
 2004年5月1日、ネッツ、ビスタが合併。Netz取扱車種となる。
12月、ZERO CROWN のCMにボディ黒、左運転席のMR-Sが登場。

2005年
米国での販売終了。日本国内の販売も終了するとベストカー2004年12月26日発売号は書いている。



MR-S講座

| | トラックバック (0)

2007年4月22日 (日)

横浜のスリートップ

 デコにサインをもらった翌日はCWC準決勝
 ファンクラブメンバーのほとんどは日産スタジアムへ向かった。

 僕はと言うとこの日もホテル待ち。
 仕事を終える頃には試合が始まっていた。
 車載テレビで日テレの生中継を見ながら横浜をめざす。
 横浜は冷たい雨。当然、競技場も雨。

 雨の中、バルサは快調に得点を重ねる。
 前半戦を見届けてから、車を駐車場に入れていつもの場所へ。
 先客は5人。6番めに陣取る。
 今日も好位置キープはこれで約束されたも同然。

 そこで目の前に並んでいたのは、1年前のホテル待ちで出会った横浜のスリートップだった。
 去年デコにロエベのピンバッジを渡した日。
 彼らと一緒に選手の帰りを待った。
 列に並び遅れた僕に、3人が「スペースっす」と言って、一人分の場所を分けてくれた。
 そのお陰で去年はデコにお土産を手渡すことができた。

 小一時間、思い出話と近況報告で過ごす。
 「デコファンサイト見てますよ」
 「連絡くれればいいのに」

 大学生と言う彼らはとても爽やかだ。
 僕が大学生のときは、あんなふうに感じは良くなかった。
 彼らならば同じ職場で働いても、世代を超えてうまくやっていけるだろう。

 やがて試合は終り、バルサが4-0で勝ったこと。
 デコがゴールをあげたことが口コミで伝えられる。
 携帯電話の情報力だ。
 すっかり緩んだ緊張感のなか、ホテルの社員がロープを張り、所定の位置への整列を促した。

 気が緩んでいた。
 定位置を品定めしながらゆっくり進む列。
 余裕でどこにしようかな?と進む。
 すると列が止まった。どこからか人が前方になだれ込んだようだ。
 まずいと思った時には、後方の人たちはしっかりロープ前一列目をキープし終わっている。
 慌てて、わずかなスペースに半身をねじ込んだ。

 一番早く並んでいたのに・・
 雨は冷たさを増し、気温はさらに下がって行く。
 選手は試合後の会見が長引いているのか、予定の時間を過ぎても一向に帰ってくる気配がない。

デコファンクラブサイト

|

2007年4月21日 (土)

英語が話せる女性

 バルセロナに行くことが決まった時
「バルセロナの夜」佐野元春 の世界はどんなものだろうと考えた。
 かの曲のようにはかなく優雅な空気が流れているのだろう。

 最後の夜もフリータイムとなった。
 当初、3時間だけと思っていた自由な時間も思いのほかとることができ、この日僕ら一行は3度めのグラシア通り詣でに出た。
 初めて夜のバルセロナの街へ出る。
 いつもはヒルトンからタクシーで行くが、皆が乗ってみたいと言うので地下鉄を使う。ちょっと照明が暗い以外はなんの変哲もない鉄道だった。

 初日にビンソンがいまひとつだったので、ミクシィのコミュニティで取材して別の文具店「KONEMA」を教えてもらった。そちらは低価格のものから超高価格のものまでよく揃っていた。
 ショウウィンドウにオレンジ色のボールペンが飾ってあり、かっこいいので値段を聞くと、プラチナが使ってあるらしくちょっと手が出ない値段だった。
 仲間の一人は
「ボールペンとシャープが1本でついたやつでセンスがいいの」
を頼まれていて、見事に見つかったと喜んでいた。
 アイテム別ではなく、カラー別にディスプレイしてあるのが珍しい。
 色鉛筆専用の差込口がついた鉛筆削りが可愛かったので、色違いで赤と青を買う。

 そうして目に付いたものを片っ端からカゴに入れて行く。
 もう来ることはないだろうからこの機会にと思って買ったモノのいくつかは、数年たった今もおニューのまま引き出しに眠っている。
 こういう場面で使うだろう。
 誰かにお土産が必要になるかもしれない・・・

 旅先での想像力はほどほどにする必要がある。

 お勧めの店の中にあった本屋さん「ハッピーブックス」に入る。
 仲間は誰も興味がなく1分で外へ出てしまった。
 かくいう自分も言葉の壁は厚く、記念に栞を一つ求めるのが精一杯。

 なぜか情熱の国と言われるスペインのイメージを代表するのは闘牛とフラメンコ。
 闘牛はやっていなかったので、フラメンコを見に行くことにする。
 フラメンコが見られて、パエリアが食べられる。そのリクエストにヒルトンの日本人コンシェルジェが回答してきたのは EL PATIO ANDALUZ。

 お腹を空かせようとあちこち歩き回りお店を目指す。
 近くまで来たのだが場所がわからず、
「ペルドーネ! ドンデ エスタ エル パティオ アンダルス?」
と道行く人に尋ねる。だが旅行代理店勤務者の団地でもない限り、世界中どこの街でも店名だけで場所がわかることはない。

 3人めに声をかえた女性が英語を話せた。
 カタランかスペイン語のこの街で英語が話せる人は珍しい。
 空港でもタックスリファンド(税金払い戻し)窓口を尋ねるのに、言葉が通じず困った。
 結局、最後は紙とペンを出して
「エスクリーバロ アキ!」(ここに書いて)

 英語が話せる彼女は「お店のパンフレットはないの?」という。
そうして詳しい道順がわかった。





| | トラックバック (0)

2007年4月20日 (金)

しらべる7周年

2000年4月20日に始めた「しらべる」は今日で7周年

7年間 毎日更新を続けてきた。
365を単純に7倍すると2500ほどだが、実際には1日1記事というわけではないので、記事数はその2倍を超えている。


長く続けていれば、相応に財産が増えるということだ。

当初、特に20という数字にこだわっていたわけではないが、デコと出合った今は何かにつけて「20」という数字との縁ができた。

この20と自分が好きな39を組み合わせた 2039年までは、このしらべるの毎日更新を続けて行きたい。

また、しらべるを読みにきてください。

|

2007年4月19日 (木)

左対左が不利な理由

 プロ野球が開幕している。
 阪神や巨人には相手球団が左投げの先発投手を起用することが多い。

 野球で左対左で打者が不利な理由は
 投手の感情が読めないので、駆け引きの面で不利だから。

 顔の左側は右脳を反映し、感情がよりよく表れる。

 セットポジションで構える右投手は顔の左側を打者に見せているので、感情が読みやすい。
 走者がいるセットポジションの状況では、右投手に対しては左右ともに打者が有利。

 セットポジションで顔の左側が隠れる左投手は、打者が左右どちらでも投手が心理戦においては有利。
 イニングの途中、走者がいる場面で登板するリリーフ投手には左投手が向いている。特に走者が一塁の場合、牽制の観点からも有利。

 身体的な理由ならば、左対左と同様に右対右も打者に不利なはずだが、右対右にはさほど神経質な代打起用が行われない。

■投手が有利な順番

 ①左投手 対 左打者
 ②左投手 対 右打者
 ②右投手 対 右打者
 ④右投手 対 左打者

|

2007年4月18日 (水)

湘南の優しい風

 右足の中指に豆ができたようだ。
 走り始めて初めてのこと。レースの朝はディクトンを塗ってくる。恐らく靴ひもの締め方が緩くて、靴の中で足が遊んだのだろう。だが、豆くらいはどうということはない。気にせずそのまま走るだけのことだ。

 20kmを過ぎれば折り返し点はもうすぐ。
 自動車専用道路なので中央分離帯があるのだが、マラソンのためにそこを開けて折り返し点を作ったと聞いていた。
 そういうことを知らなければなにも疑問を持たないほど、自然な風景の折り返し点が近づいてくる。

 アウトインアウトで大きくコースをとって廻る。
 ちょうどウォークマンからは「果てしない夢を」が鳴っている。
 「長嶋さん走りきってみせますよ!」
 別に長嶋ファンというわけではないが、自分に気合いを入れるためならば相手は誰でもいいのかも知れない。

 雑誌の記事で折り返し点からゴールの江ノ島が見えると読んだ。だんだんと近づいてくる江ノ島が励みになる・・ということだが、海をみやって目に入ったのは霧にかすむような陸地。あんなに遠いのか?まさかそれは違うだろう。きっとあれは江ノ島の先にある半島に違いない。そう思い込んで、二度と海側は見ないことにした。

 折り返すと道は上っている。
 前からの風も感じた。
 だが去年、折り返してから20kmの間、風速25mの風に立ち向かったことを思えば、この風は優しい。

 だが、湘南国際でも風は吹くはずだ。武蔵野線も止まっていた、あの荒川の25mを乗り越えたのだから、怖い風はない。 初体験の風は、勇気を奪っていったが、一度経験したことは、次からはもう怖くない。風がくれば「おいおい、後ろから吹けよ」と突っ込んでやろう。

 前もって、手帳にそう書き込んでおいた。
 これくらいの風、どうってことないさ
 そしてまた自分のペースを刻んでいく。

 生理的イーブンといえども、この上りはかなり足が落ちている。15kmあたりからきれいなピッチを刻む小柄の女性が近くにいた。彼女は実に一定のペースで走っている。僕は平地になれば上げて、上りになれば下げる。その度に抜きつ抜かれつになる。彼女からしてみれば、僕は迷惑なランナーだったかも知れない。その彼女ももう、僕を抜いていくことはなかった。

 有料道路には一般応援者は入れないのだが、沿道に住む人たちが柵の向こうから応援してくれる。
 「がんばれ~」
 その一人一人にうんうんとうなずいて走る。

 ずいぶんとペースが落ちたのが自分でもわかる。
 21kmの距離表示がやってきた。
 1kmのラップが6分ジャスト。
 そんなバカな。そんなに速いはずがない。キツネにつままれたような気分。
 次の22km表示では1kmが10分かかっていた。

 あとで思えば、21km、26km、31kmの表示は明らかにおかしかった。いずれも5km区切りの次の1km。
 距離表示はボランティアの方が看板を持って立っている。足下には距離を表すマーキングもあった。何らかの手違いにしては不思議な法則性だ。
 去年は風の中、おおいに励まされた尾崎豊「遠い空」今年はあまり心に響かない。

|

2007年4月17日 (火)

舌打ち男

 ちぃっ
 舌で「ちぃ」という音を出すことを舌打ちという。

 これを一日中やっている男を「舌打ち男」という。

 一人きりの部屋でやっている分には何も害はない。

 周囲に同僚がいる職場でこれをやられると、周りはとても不愉快だ。

 舌打ち男がその場で一番「えらい人」だと最悪だ。

 舌打ち男が「ちぃっ」とやる度に、部下は
 「自分のことを怒っているのだろうか?」と怯えなければならない。
 「ちぃっ」が聞こえる度に思考が中断される。
 その度に不愉快な人と仕事をしていることを思い出す。
 「なにがちぃっなんだよ!」と言ってみたくなる。
 気にしていると、だんだん気持ちがうつ側に振れてくる。

 舌打ち男は、人望のない人だ。
 誰からも慕われてもいない。
 ”えらい”舌打ち男は学歴、学閥、人脈、何らかの要因でまちがって選ばれてしまった人。

 「ちぃっ」を家に帰ってもやっていたら、家族も見向きはしない。家族に愛されなければ、もう誰からも愛されない。

 舌打ち男は誰にも心を打ち明けられない人。
 不平不満があっても、面と向かって言う勇気がない人。
 だから、舌打ち男は無口だ。
 会議の席では何も喋らない。自らが司会の時でも。
 お陰で会議と言う名の黙祷合戦に付き合わされる。

 あなたは舌打ち男ではありませんよね。

|

2007年4月16日 (月)

MR-S発売

 1999年10月12日、MR-S発売(取扱店 ネッツ、ビスタ)
 MR-Sの登場によりMR2が姿を消した。
 1999年カーオブザイヤーの選考対象車。1位のヴィッツが獲得した518点に対してMR-Sは60点だった。
 価格は168~198万円。ホンダのFRスポーツカーS2000が338万円だから、かなり安い。
 ボディ7色×シート3色が自由に組み合わせられるのはかなり良心的。
 クルマ好きが本当に愛せるクルマを手に入れたい。そういう気持ちに応えるトヨタの姿勢だ。
 幌は手動開閉式、運転席に乗ったまま簡単に開閉できる。幌についている後部の窓はガラス。当時これがビニル製で評判が悪かったロードスターの欠点に、トヨタはしっかり対応した。
 これほどまでにメーカーの良心、懐の深さが体現された車種があるだろうか。
 それは500万円以上を出せばあるのかも知れないが、200万円という価格帯ではこの先もう無いのかも知れない。

 2000年8月、商品ラインにVエディションを追加。
 世界初のシーケンシャル5速マニュアルモデルを追加。
 シーケンシャルMT(Manual Transmission)は左足でクラッチ操作をしなくて済むMT。ギアボックスの[+][-]でギアを上下する。
 ハンドルにもボタンがついていてシフトチェンジができる。当時この技術はアルテッツァ、ハリアーにも搭載された。
 F1マシンに搭載されていた手元でのギアチェンジには憧れた。
 クラッチ操作は要らないがAT車ではなく、ギアチェンジをしなければ走らない。

 今は三菱、マツダも同様の機構を搭載している。そちらはATとの切り替えがボタン一つでできる。
 街乗りではオートマチック、気合を入れたい時はMTとして乗れるマツダや三菱の機構のほうが優れている。
 ハンドルにスイッチがついているため、カーブでハンドルを切っている時はボタンが押しづらい。 直線ではハンドルのスイッチ、カーブでは左手でギアを操作することになる。
 それでも、この機構がついていることが大切なのだ。



MR-S講座

|

2007年4月15日 (日)

DECO20の文字が並ぶ

 最前列、最もバス寄りの位置に陣取っている。
 バスに近いということは真っ先に来てくれる確率も高いが、デコが逆サイドに行った時はノーチャンスになる場所。

 暗闇の中からバスが現れた。
 いつもはオレンジのリムジンバスだが、今回はFIFAがあつらえたのかペイントバス。横っ腹には青地にコオロギ鍋マーク。

 そこで意外なことが起こる。
 いつもとは違いバスは車寄せに斜めに頭を突っ込んで止まった。
 選手たちから正面に僕らの位置が見える。
 バスを降りた正面に僕らがいる。

 夢中ででこすけをアピール。
 バスの中でバルサの選手がでこすけを見て笑っている。
 いつもと同様真ん中あたりでデコがおりてくる。
 ちょっと膨らんだが、デコは僕らのサイドにやってきてサインを始める。
 僕らを通り過ぎた位置あたりで数人にサイン。
 逃してなるものかと必死に叫ぶ。
 「ポルファボール ポルファボール ポルファボール」
 10回くらい連呼した。

 順路とは逆にデコはこちらに向かってサインをしている。
 そして何かぶつぶつ言っている。
 表情はなんだか怒っているように見える。
 僕らに対して何かを言っているようだ。
 「危ないから押すんじゃないぞ。冷静になるんだ」
 と言っているのか、それとも
 「僕らは試合に来ているんだから、おっかけばかりしちゃ困るな」
 と言っているのか。
 どうみても
 「いやぁいつも来てくれてありがとう。明日は応援を頼むよ」
 という平和な内容にはみえなかった。

 そして左の男性のマジックで僕がさしだしたデコ20マーキングの2005-06HOME長袖にサイン。
 まだ右隣りの仲間がサインをもらっていない。
 この日のために巨額の交通費をかけてきている。なんとしてでもここで帰られては困る。

 「ポルファボール ポルファボール ポルファボール」
 また連呼した。
 デコは先の黒マジックで、同じくデコ20マーキングの2005-06HOME長袖にサイン。
 僕のはDECOの上の余白。仲間のは20の金文字の上。
 僕らのユニにデコの文字が並んだ。

 諦めずにいたら、夢は叶う。
 今日はそんな言葉を立証する一日だった。

|

2007年4月14日 (土)

大らかな味のスペイン

 カカオサンパカのアステカは思い出に残る味だ。

 今も風味が脳に刻まれている。
 当時まだ99%、86%という表示のチョコレートが市販される前だったが、恐らくそれを溶かして暖めるとこうなるだろうという味。
 鼻血が出てはいないか、思わず鼻の下にそっと手を当てて確認した。

 バルセロナ滞在期間中に2度、公式パーティがあったが、どこに行ってもパンコントマテが出た。
 パンコントマテはトマトを塗ったパン。
 フランスパンを固く焼きトマトペーストを塗り、オリーブオイルを掛けてある。
 コース料理では始めに必ず出る。
 始めだけでなく、少なくなったと思うと何度でも出る。
 ドレスコードがある店でも延々と出る。
 当然店によってうまいまずいがあるが、最終日にエル パティオ アンダルスで食べたそれはパンがしんなりするくらいにトマトが塗ってあり美味しかった。
 到着した夜にヒルトンバルセロナのレストランで食べたそれは、真っ黒に焦げていて食べものとは思えなかった。冗談で「ブエノ」と言っていたら追加されて困った。

 トマトは日本のそれと違いすっぱくないので、トマトが苦手でもいける。
 食べ慣れぬ味に油断して手を出し続けていると、次々に補充される。
 これを食べていると、次の料理が永遠に来ないのではないかと思うくらい、給仕はこればかり持ってくる。

 スペインといえばパエリア。
 大皿で出てくる店では
 「ノ コモ マリスコス(シーフードは食べません)ウノ!(1つね)」
と言えば、シーフードを抜いて取り分けてくれる。ただし、ご飯だけのおじやになる。
 ちなみに「ティエネマリスコス?」といえば「シーフードが入っていますか?」
 魚介類アレルギーの人は覚えておくとよい。

 飲み物はスペイン名物サングリア。ワインとカクテルを混ぜたような味で呑み易い。
 お菓子やデザートをスーパーで買って食べたがどれもB級な味。ただし値段が日本の半値以下。

 スペインでは何を食べても、まぁ四の五の言わなくてもいいじゃないかという大らかな気分になれた。

| | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

情報起業 参考資料

 「情報企業」ということばで多数の情報が公開されている。情報企業ならば、仕入れが発生しないし設備投資も不要なので、サラリーマンでもできる。実際に読んで試した情報を紹介する。

【 情報起業 】
会社を辞めずに億万長者!」牧野真 オーエス出版社 2004年2月 1,470円
 "情報起業家(インフォプレナー)"という言葉をつくった牧野真の第1作。情報がカネになるという価値観の変動が体験できる。

本田晃一のウェブサイト
「どうしてホームページだけでセミリタイヤできたのか?」メルマガ登録画面が出る。

メルマガ起業1年目の成功術」平野友朗 KKベストブック 2004年3月 1,365円
 メルマガという手段がど素人!にも身近な起業手段であることが書かれている。だがどうしてもこの手の指南本には「書けない人」はやっぱり書けないのではという読後感が残る。

【 eコマース 】
免許皆伝googleアドワーズ道場」小山陽子 インプレス 2004年1月 1,575円(1,500円以上は送料無料)
 事業として販売する物品があり、インターネットで販売している人、これからしたい人は読む価値がある。
 こずかい稼ぎの人は、お勉強としてアドワーズ広告のページを読めば充分。

「バカ売れオンラインショップの作り方」山田雅彦 翔泳社 2004年2月 1,470円
 感想なし。読後1日過ぎた時点で何が書いてあったか思い出せなかった。

eコマース ページの作り方・実例 】
ひめじや.net ”当店で初めてご購入いただくお客様へ”のウェブページ
 ネットで買いに来た人に信頼を得るページの見本といえる。

【 こずかい稼ぎ 】
ヤフオクで儲ける100のルール」桜井もえ/根元亮太 技術評論社 2004年3月25日
 他のヤフーオークション(=ヤフオク)指南本は誰でも知っているヤフオク入門コーナーにページが多く割かれているが、この本はほとんどがアイデア集。

SEO
google Webマスターのためのガイドライン
 google自ら公開しているガイドラインのウェブページ。ここを見ないで先にSEOの本を読んだり、セミナーに行くのはナンセンス。

|

2007年4月12日 (木)

好意があるメールと義理メールの見分け方

 届いたメールを読んで、相手が自分に好意を持っているか、義理メールなのかはここで見分ける。

【 好意があるメール 】
?で終わる疑問形の文章がある。
ため口が混じっている。
「**を見に行きたい」のような直近の希望が語られている。
自分の肉親の話題に触れる。

【 義理メール 】
!で終わる感嘆文が多い。
すべて敬語と丁寧語。
「いつかは○○したい」という長期的な夢が語られている。
自分の配偶者や恋人の話題に触れる。

【 どちらともいえない 】
顔文字を使っている。

 さぁ、あなたも過去に届いた異性からのメールをチェックしてみよう!

|

2007年4月11日 (水)

無料のハイタッチ

 10kmを過ぎてから15kmまでは、ほとんどの曲を鳴っていたことすら覚えていない。
 十分に心のスタミナはあったし、息もきれいにできていたのだが、疲れは始まっていた。

 1km7分、5kmで35分という設定は楽なペースだと思っていた。だが実際には1km7分を少しずつ超えていく。
 10km→15kmのラップは予定より1分遅い36分。この時はあまりたいした問題ではないと思っていた。沿道の応援は徐々にまばらになってきた。

 15kmを過ぎてからもほとんどの曲を覚えていない。
 湘南のコースは直線が多く、はるか前方が見渡せる。視界の中に人の頭がたくさん見える時はフラットか下り。人の身体しか見えない時は上り。そう判断してペースを替えているが、走っているとほとんど上りを走っている感覚がある。
 往路は上っていくコースなのか?それならば復路はぐっと楽になる。それを楽しみに早く折り返したいという一心で進む。

 沿道に「無料でハイタッチしていただけます」というプラカードを持った集団が待っている。思わず笑ってしまった。前にいたランナーに続いて僕も次々にハイタッチしていく。
 その中にいた一人が
「デコ がんばれ!」
 と声をかけてくれた。
 去年の荒川ではデコ20マーキングのバルサユニフォームに反応してくれた人は一人もいなかった。
 今回は「あ、デコだ」と叫んだ子どもが二人。
 「バルサ、ファイト!」と叫んでくれた方が一人。
 CWCのお陰で去年よりもデコが有名になったことを実感する。

 17kmあたりからは自動車専用道路「西湘バイパス」に入る。
 有料道路に上がるまでなだらかな上り。追い風だったのか、さほど辛くはなく上りきる。

 距離表示が近づいてきた。次は19kmだと思っていたら「18」
 9と8を見間違えるのかと、しげしげと見たが何度見ても8。このあたりから意識が揺らいでいたのか・・
 バイパスには防砂林はない。左手に海が間近に見える。だけど景色がどうこうという感傷はない。防砂林で日陰ができるほうがいい。

 早く折り返したい。残り半分を切った。そう思えば気持ちも変わる。
 西湘バイパスに歩行者は入れないので応援はないはずだが、海辺から上がってきた人やサーファーがガードレールを超えてきてじっと見守っている。

 15km~20kmのラップは38分30秒。
 予定より1分30秒しか遅くない。
 まだこの時は、なんの危機感もなかった。



|

2007年4月10日 (火)

立ってはいけない席

 去年、神宮球場にヤクルト対巨人戦を観戦に行った。
 神宮で巨人を見るのはこれが二回目。

 

 前回は民法テレビ局の懸賞で三塁側内野席が当たった。
 松井のホームランが右翼席中段まで飛んだ。
 バットがボールを弾く乾いた音が耳に残った。
 後で知ったのだが、その日は「球音を楽しむ日」
 鳴り物の応援を自粛していたのだった。
 内野席の巨人ファンはおとなしい。
 メガホンを振って応援することもない。少し物足りなかった。レフトスタンドの喧騒に混ざりたかった。

 

 さて二度めの神宮はレフトスタンドに陣取った。
 バックスクリーン裏から外野席に入り右に曲がると、そこはオレンジ一色の世界。
 オランダ代表の応援席かと思った。
 ドイツW杯に1ヶ月行って来たデコファンクラブ仲間によると、オランダ応援団は街でビールを呑んでいてもすぐわかるそうだ。そのあたり一面がオレンジに染まるから。

 

 席はレフトポールぎりぎりだが、視界をさえぎるものはなく内外野が見渡せる絶好の席。バックネット越しに見るのとは違う開放感があり、否が応でも試合への期待が高まる。

 

 試合が始まった。1回表巨人の攻撃
 いきなり前方に壁ができた。
 「8」「24」
 どうやら仁志と高橋のユニフォームだ。
 誰かがホームランを打ったというわけでもない。二人で立ち上がって応援している。
 おいおい、いきなり立つなよ。

 

 試合は初回に先発の内海が7点をとられたが、巨人が逆転して勝った。
 僕は試合をスコアボードで確認していた。
 映像といえば、ビジョンに映しだされるリプレイのみ。
 グラウンドが見えなくて困るのは走者がどこにいるのかがわからない。
 試合を見に来たけれど、グラウンドが見えない人のために、スコアボードにランナー位置表示が必要だなぁと考えていた。

 

 仁志と高橋は一度も座らなかった。
 僕は「8」「24」のレプリカユニフォームの背中を見に行った一日となった。
 ずっと立っていたのはこの二人だけではない。たくさんの巨人ファンが立ったままで応援していた。
 僕がしばらく球場に足を運ばないうちにルールが変わって、外野席では立って応援するのがデフォルト。座りたい人はグラウンドが見えないことに文句を言ってはいけないということになったのだろう。

 

 次から外野席のチケットを買わなければ済むだろうか。
 いや、いずれ内野席でも立ちっぱなし応援団が出現するかも知れない。運悪くその応援団の後ろになったとしたら・・内野席はチケット単価が高いだけにさらに悲惨だ。

 

 この世に立ちっぱなしで応援したい人がいる限り、
 立ってはいけない席が必要だ。

|

2007年4月 9日 (月)

2代目MR2

 1984年春に発売されたMR2は1989年にフルモデルチェンジする。
 ターボ245馬力2000ccと、自然吸気170馬力2000ccの2タイプ。

 動力性能が高すぎてブレーキが効かない、スピンする危険なクルマと批判された。
 だが、そういう批判は乗っていない人が言っていること。
 この車を好きで乗っている人にはまったく関係ない。ブレーキが効かないのであれば、スピードを出さなければよいし、早めのブレーキを心がければよいだけのことだ。自らの運転技術を超えた運転をすれば痛い目にあう。それは一度やってみなければわからない。

 AE86に乗っていたとき、小雨の朝交差点でスピンして危うく歩道につっこみそうになった。でも間一髪でクルマはスピンを終えて被害は無し。結局、自らの乱暴な運転はその後も続いた。一度大きな事故をやらかさないと、わからない人がいるということだ。

 MR2の新モデルに買い換えたいという気持ちが起こらなかった理由は、そのかっこ悪さだ。
 デザインに切れも優雅さもない。
 SV3そのままで出た初代MR2も、今見ればかっこいいとは言えないが、見たことがないデザインという驚きがあった。

 そして1990年、ホンダからNSXが出た。
 980万円という価格のため、購入対象とは思えなかったが、そのかっこよさには参った。このクルマがかっこ悪いと評論する記事も見たが、それは主観の問題。
 NSXをかっこ悪いと評価する人がいる割りに、MR2をかっこ悪いという人はあまりきかなかったのが不思議だ。出る杭は打たれるという気がした。
 NSXはかなりの予約を受けたが、バブルが弾けてかなりのキャンセルを受けたという評判があった。だが、ホンダ社員ではないので真相はわからない。

 1995年10月、東京モーターショーでトヨタからMRJ(4人乗りオープンカー)が発表される。
 デザイン的にはMR-Sに近い。
 このMRJが2009年に発売されると言われる、MR-S後継車の下敷きと言えるかも知れない。
 MRJは市販されることなく、1997年10月、東京モーターショーでMR-Sが発表される。
 そして2年後の秋、ついにMR-Sが発売された。



MR-S講座

|

2007年4月 8日 (日)

デコを待つ4時間

 デコの帰りを待つことにした。
 翌日は準決勝が行われる。
 準決勝、決勝の2試合を観戦するために地方から上京する人も多いだろうし、明日からはホテルに詰め掛ける人も激増するだろう。
 そう考えるとサインをもらえるチャンスは今日しかない。

 4時間あると言っても、4時間ソファに座ってお茶が飲めるわけではない。
 決断したら1時間ほどで列に戻る。
 このタイミングは絶妙だった。
 あと10分遅れていたら、サインがもらえる1列めを確保できなかった。

 かつては一人で待っていた。
 誰と話すこともなく過ごす2時間は辛い。
 だが今日は仲間がいる。
 バスがどのように止まり、デコは何処を歩いてくるだろうとか、明日の準決勝はどうだろうとかデコ談義をしながら過ごす2時間は楽しい。

 佐野元春もデコもそうだが、学校のクラスや職場にその話題で盛り上がることができる人などいない。
 パソコン通信が始まり、初めてコミュニティに入った時、誰もが
「身近に佐野さんの話をできる人が誰もいなかった」
 と言っていた。

 これは10年経った今でも同じ。
 キーワードでつながったインターネットによるコミュニティがなければ、仲間を見つけることはできない。
 そして、コミュニティを見つけても、黙って見ているだけの人には、何も楽しいことは訪れない。
 あっという間に時間は過ぎて、選手が戻って来る時間になった。
 選手の通り道の両側に人垣が整備される。
 デコは今回まだ誰にもサインしていない。
 もしデコがサインするとしても、片方の列だけになる。デコがどちらに来るかで勝負が決まる。
 僕らの列は、バスの乗降口から遠い側。普通に考えればデコが来る確率は低い。

 僕らは声の限り「でっこーっ!」と叫ぼうと申し合わせた。

|

2007年4月 7日 (土)

カカオサンパカのアステカ

 スペインに行く前から旅の思い出は、スペイン風いかしたシャツを1枚買うことに決めていた。
 目をつけていたのはガイドブックに載っていたアルマンドバシ。グラシア通りに店舗がある。
 後にFCバルセロナの選手も愛用していると聴き、無理してでも買えばよかったと思ったが、もしここでシャツを買っていたら、デコファンクラブは作らなかった。
 30分ほど粘ったのだが、どう無理をしても欲しいと思えるシャツがなかった。

 いくつかの店を見て歩く。
 シエスタの時間は店が閉まると聞いていたが、閉まっている店が見当たらない。
 シエスタ中の喫茶店として目をつけていたカカオサンパカへ向かう。

 ガイドブックにも載っているが、決め手となったのはミクシィのバルセロナコミュニティで得た情報。
 チョコレートが美味しく人気が高い店。
 「アステカ」という飲み物がお勧めと書いてあった。

 夕方のお店は混んでいた。行列というほどではないが、数人が順番待ちをしている。数人が列に並び、その間に店内のチョコレート売り場を物色する。ここで買ったチョコレートはお土産で大好評だった。同等品を思い浮かべると日本の半値くらい。

 15分ほど待って4人が座れるテーブルが空いた。
 日本人らしき女性のグループ、地元の高校生世代の若者。若年層の客が多い。
 「アステカってのがお勧めらしいよ」
 と僕が情報を開示したが、誰も乗ってこない。
 結局僕一人アステカ。あとはコーヒー、カフェオーレ・・
 別にバンジージャンプをしろと言っているのではない。
 たかが飲み物一つ、バルセロナまで来て、冒険しない気持ちが僕には理解できない。

 というようなことは言わず、アステカを飲む。
 一口飲んで、これを勧めた人に敬意を表した。
 ありきたりの飲み物を勧めるのに勇気は要らないが、これだけ個性的な飲み物を勧めるとは、かなり吹っ切れた人なのだろう。

 結果的にグラシア通りにはもう2回。合計3回足を運ぶことになった。
 最後に来たときは、別メンバーが二人加わり総勢6人になった。
 そのうち3人がまたロエベで高級バッグを買った。

 6人でまたカカオサンパカに行った。
 僕はアステカを頼まなかったが、初参加の二人はアステカを飲んだ。二度目の3人はやはり飲まなかった。



|

2007年4月 6日 (金)

THE 方法 PC 準備中!

 しらべるでは、人気があるページ「THE方法!」のパソコン版
 「THE方法!PC」を準備している。
 メニュー例は以下のようなもの。
 近日公開です。閲覧無料です。


1対1でパスワードをかけてチャットする
*パスワードを決めて秘密で無料のチャットをする

BCCを表示する
*outlook express でメールの作成時にBCCのボックスを表示させる

IEでページの履歴を削除する
*共用パソコンで自分の ID、パスワードを打った後に消しておく

URLをクリックするとCドライブが開く
・・こういうエラーの回避方法

Webページのアイコンをつくる
*デスクトップにWebページを直接開くアイコンを作る。

アラームメッセージをパソコンに表示する
*つい忘れてしまう要件を画面にばーんと表示!

異常終了の原因をしらべる
*アプリケーションが異常終了した時、いったいなにがあったのかを知っておく方法

一斉にことばを置き換える
*2005年 を 2006年 に修正するファイルが5,000個ある・・というような時に!

ウィルスをばらまかない
*社内的に、ばらまいては洒落にならない人へ・・

「送る」に入れる
*パソコンのコンテキストメニューに入れる方法

画像をトリミングする
*デジカメで撮った写真や画像ファイルの端っこを切る方法

グーグルから不都合な情報を削除する
*自分に不利益な情報がネットに公開されてしまったら・・

クリップアートが物足りない
*自分のイメージぴったりの画像を探し出す方法

原稿用紙を印刷する
*これで文具屋さんに走らなくて済む

下書きの時間を知られたくない
*outlook expressで下書き時間を知られたくない、知らせたい場合は

受信トレイをパスワード付で保存する
*バックアップとしてまるごと取っておくパスワードもかけて。

タイマーでパソコンを落とす
*これでパソコンで音楽をかけながら眠れる

添付ファイルにパスワードをかける
*個人情報を扱う仕事の方は必須

ブラインドタッチが タダでできるようになる方法
*練習ソフトは要らない。これだけ読めばできる。

|

2007年4月 5日 (木)

迷惑メールで失うコスト

 去年9月から会社のメールアドレス宛に届き始めた迷惑メールが1200通になった。 すべて英語で書いてあるメール。

 Outlook Expressでタイトル一覧にクリップマークが付く添付ファイル付き50通(4・2%)
 その内訳はファイル付9 画像(gif)付35 ATT***.txtが6

 恐らくHTML形式メールを意味する ATT****.txt + ATT****.htm の組み合わせが付いているメールは、タイトル一覧でクリップマークが見える場合と見えない場合がある。
 画像は恐らく売り込みたい商品・役務の画像だろうから、悪意のあるファイルは最大9(0.75%)ということになる。
 ただしこれは、悪意のあるメールを遮断するシステムを導入している成果である。そういうシステム投資をしていない会社ではこの比率は上がるだろう。

 Re:
 というタイトルのメールは60通(0.05%)
 無題のメールは0通(0%)

 このことからは「メールを開いて読んで欲しい」という姿勢が窺える。

 およそ6ヶ月で1200通。1日あたり6.7通
 感覚では1日10通は来ている気がしていた。
 この迷惑メールはある日突然届き始めた。
 それまでゼロだったのが、突然コンスタントに届くようになった。

 恐らくほかの社員にも届いているはずだ。
 毎日、削除するだけでも大変なこと。
 メールタイトルの谷間に潜むこの6通を消すのに1人1分として、2000人ならば2000分。1日33時間。平均時給2000円とすると66000円。

 毎日6万6千円。この6ヶ月120営業日で792万円が失われたことになる。

経費節減と言う割には、こういう隠れた無駄に言及する人は滅多にいない。

*引用・転載をお断りします



|

2007年4月 4日 (水)

第一関門

 5kmを過ぎても1km毎の表示はずっと出ている。ありがたいには違いないのだが、事前の案内は「5km毎表示」だったので、5kmごとにラップを測ってペースをとっている。1km毎の計時をしようかと考えたが、この1km毎表示が最後までつづく保証はない。悩ましいところだ。

 僕のような素人ランナーには、1km毎の表示が欠かせない。それが事前にわかっていれば随分と楽だった。

 ずっと防砂林の日陰になっている道路の左端を走る。少しでも体力を温存したい。時々ペースメーカーになる人を探す。自分と同じピッチ、上下動のないコンパクトなフォームで走る人の後につくと走りやすい。ただあまりに近くを付いていくのはマナー違反。5m以上は距離を置く。

 8km過ぎにこどもたちが並んでいたので、こちらから手を出して10人くらいとハイタッチしていく。ようやくハイタッチができた。荒川では結局一度もできなかったので、マラソンランナーとしては初めてだ。これは、最高に気分がいい。やみつきになりそうだ。

 10kmの関門が最大の難関と考えていたので、この辺りは乗りのいい曲をつづけている。10分を読んでいたロスタイムが8分で済んだので、なんとかいけそうな気がする。
 9kmの手前で5つ持ってきたパワージェルの1つめを摂る。給水ポイント10、15、20、25、35km それぞれの少し前で摂ることを計画して、右手に貼ったテープに赤丸をつけてきた。
 前回の荒川と同様、給水ポイントを記したセラポアテープを、給水が終わるごとに1枚ずつ剥がしていく。ゴミは捨てないことにしているので、剥がしたテープはユニフォームのお腹あたりに貼る。このテープをすべて剥がし終えると、ゴールが目の前と言うことになる。

 5km→10kmのラップは予定より40秒遅れの33分40秒。
 いい感じで来ている。あれだけ神経質になっていた10km関門だが、ほぼ予定通りのペースで走れて2分ほど余裕があった。
 10km関門を過ぎてすぐに湘南大橋。昇りがきつくてここは抑えめに行く。去年の初マラソンの時から何度も読んでいる「賢く走るフルマラソン」。その中で今回は「生理的イーブン」を心がけることにしていた。一定のペースで走るのではなく、
 上りでは楽に、下りでは上げる。
 暑ければ落とし、日陰ならば上げる。
 向かい風ならば落とし、追い風か無風ならば上げる。
 走る速さではなく、生理的なきつさを一定にする「生理的イーブン」。今回はこの心がけのお陰で、マイペースで落ち着いて走れている。

 第一 相模川左岸処理場 約10.0km 10時18分
 4つの関門のタイミング毎に鳴るよう、入れておいたバルサのイムノ。
 関門を通過したあとにこの曲が流れればセーフ。こうして聴くイムノは優越感がある。でもここの関門で留められた人もいるということを、その時想像できなかった。



|

2007年4月 3日 (火)

会社を支えるのは

 会社の生産性を支えているのは、7割のダメ社員。(最後までよく読んでくださいね)

 1000人のヒトがいたら700人のヒトは堕落する。
 なぜかといえば、ポストもなく、厚遇もされない。仕事の振り幅も狭い。張り切って提案すればことごとく上司に否定される。

 では優秀な300人が独立して別会社を作れば、今度はその中から210人が堕落する。

 全員を社長や重役にすることはできないので、大人数の組織にはこの問題は付きもの。
 そこで冒頭の言葉に戻る。
 1000人の会社で700人が暗い目をして働いていたら、会社は停滞する。
 700人に心身ともに健やかで、自分自身の価値を認めて毎日働いてもらう必要がある。

 たいしてやりがいのある仕事ではないかも知れない。
 それでも、定型業務こそが会社を支えている。
 定型業務の品質が落ちるということは、会社の質が落ちるということ。

 自称 "選ばれた人"たちは ITILだ、内部統制だ、ERPだとカッコばかりつけている。そういう人は、品質向上に何も貢献していない。
 会社に10年も20年もいて「地上の星」に出られなかったような人。ヒット商品を一つも出していない企画担当者は、口先だけの厄介者。

 自称 "選ばれた人"がやるべきことは、その人の目に映る7割のダメ社員に、明るく楽しく仕事をしてもらうこと。

 自称 "選ばれた人"は、定型業務で会社の質を支えている人たちが、心を病んだり、転部を希望したり、会社を辞めて行くよう 追い込む係りではない。

 「あいつらはダメ社員だから、辞めたほうがいい。替わりはいくらでもいる」
 そう嘯いている自称"選ばれた人"のほうが、本当は要らない人だ。

 本当に選ばれた人は、選ばれなかった人たちの心をいつも考えている。
 本当に選ばれた人は、選ばれなかった人たちをダメ社員とは言わない。

|

2007年4月 2日 (月)

AE86かMR2か

 日本における市販ミッドシップ車第一号はトヨタMR2。
 「MR」はミッドシップレイアウトの略号。

 1983年11月、福岡から東京モーターショーへ出かけた。
 お目当てはヤマハのバイク
 当時ヤマハRZ350という2サイクルのバイクに乗っていた。
 このバイクは「街道レーサーGo」という漫画で「青い流れ星」「ナナハンキラー」と呼ばれていたスプリントバイク。
 ただ速いだけではなく、白地に青と水色のライン(ゴロワーズカラーと呼ばれていた)の優雅なスタイリングが秀逸。2007年の今、市販しても恐らくベストデザインと評価されるだろう。
 性能には美しさが伴わなければならない。

 2輪コーナーには500ccの2サイクルマシン「ヤマハRZV500」が発表されていた。
 500ccといえば当時のワールドGP最高峰500ccクラスの排気量。YZRの市販版といえるこのマシンには心臓が飛び出しそうだった。
 中型免許では500ccは乗ることができないが、そのまま乗って帰りたいくらいだ。
 4輪には興味はないが、せっかく船に乗って晴海まで来たので一応眺める。
 そこに「SV3」という車がトヨタブースに並んでいた。
 当時他にはない斬新なスタイル。自動車に興味がない僕がこの車にはショックを受けた。こんな車も有りなのか。
 普通免許をとってから、まだ一度も車を運転したことがなかったが、SV3には今すぐ乗って帰りたいくらい心奪われた。

 明けて1984年春に発売。同時に発売されたレビントレノAE86と同じ1600ccエンジンを搭載。
 2人乗りミッドシップという斬新さ(MR2)、4人乗れる美しい流線型のFR(AE86)の二者択一。
 結局は車の楽しさよりも、実用性を重視してAE86を選んだ。
 86はそれから9年乗り続け、一度も売りたいと思わなかった。いつもこの車が日本一かっこいいと思って乗っていた。

ミッドシップシリーズは、しばらく毎週(月)連載



|

2007年4月 1日 (日)

サイン係りはイニエスタ

 仕事柄、日ごろは座っていることが多い。
 昨日体重計に乗ったら、体脂肪率が2%落ちていた。
 ここのところ、立ち仕事が続いているからだろう。

 僕は、交通機関や食堂で「並ぶ」ということをしない。
 あるとき、玉子L玉78円の特売に並んだ。
 30分待った
 通常価格は158円
 30分並んで80円のコストダウン

 しかし、それは僕の時給が160円だということ。
 学生時代、佐世保郵便局のアルバイトでさえ462円だったのに。

 その玉子の一件以来、並ばないことにした。
 だから、立って並ぶことはない。
 それが、今週は毎日並んでいる。

 並ぶのは三日目
 バルサ一行が練習に向かうバスに乗り込むところを出待ち。
 今日も「でこすけ」をかざしてデコを呼んだが、彼は誰にもサインせずロープバリケードの両端に並んだファンを尻目に中央の電車道を堂々とスルーしていく。
 デコがバスに乗り込んでしまった。
 そこに今日のサイン係がやってきて、軒並みサインしていく。
 イニエスタだ。
 このところようやくスペイン代表に呼ばれるようになった彼。ワールドカップで彼を起用していれば、スペインはもっといい結果がでたはず。日本が松井を呼ばなかったのと同様、いったい何を考えているのかわからなかった。バルサでは今シーズン、レギュラーを確保しつつある。

 バスの中からデコが見ているかも知れない・・と一瞬思ったが、もう手が動いていた。デコ20をひっくり返して胸の面を出して待つ。
 バルサのコオロギナベの下にモッタが書いていたのが見えたのか、ナイキのスウッシュの下に書いてくれた。

 暖冬といえども、この週横浜は寒かった。
 ホテルの喫茶店でモッタとイニエスタのサインを眺めながら、僕らファンクラブは考え込んだ。
 果たしてこれで帰っていいものか。
 一昨日はモッタに癒されてあっさり帰った。
 ただそれは、もう選手が出てこないとわかっていたから。
 今日はまだ練習の戻り待ちがある。
 しかし、昨日の公開練習の時間をあてはめればまだ4時間近く待たなければならない。



|

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »