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2007年8月の31件の記事

2007年8月31日 (金)

東京マラソン2008

 第二回東京マラソンはエントリーが締め切られて、ランナーは10月の抽選発表を待っている。
 また間もなく、去年よりも2ヶ月早くボランティアの募集が始まる。

2007年3月13日
競技開催日程が2月17日と発表される。

4月13日
ウェブページが2008のものに切り替えられた。

6月1日
詳細情報公開

6月17日
エントリー受付開始 募集定員3万人
 第一回大会のボランティア従事者に出場優先枠を設けるか否かは「予定なし」となっていたが、公式サイトで「優先枠なし」と明記された。
 ボランティアに参加した人のなかには、第二回で優先的に出場権が得られることを目論んでいた人が多かった。
 第一回で落選した人にも優先枠はない。第一回に出場した人も落選した人も、第二回で初めて応募する人も一律に抽選の対象となる。
 ただし、コンピューターシステムを使えば、電話番号、氏名、住所で任意のデータを引き当てることは容易なこと。優先枠の有無について、本当のところはわからない。

6月22日、受付開始5日めで定員を超え、抽選となることが告知された。

8月3日
500人のボランティア・リーダー募集。
一都三県に住む2007年大会のボランティア参加者へメールで案内した。
8月~9月に1度終日研修を受け、リーダーへの認定が決まる。研修受講費が2,000円かかる。

8月17日
2ヶ月間のエントリー期間が終る。

8月27日
二度目のボランティア・リーダー募集
「第一回が好評につき、案内する地域を広げた」
と文面にあるが、好評でリーダーの枠が埋まったならば、もう案内はしないはず。
 第一回参加者の声として次のような内容が紹介されていた。
「前回参加した時のリーダーが頼りなかった。自分ならばもっとやれると思った」
 この文面を読んで賛同する人が、講習を受けてリーダーになったとしたら、そういうリーダーの元では働きたくない。

9月3日
ボランティア募集開始
2007年大会は2006年10月21日募集開始。
レース出場落選が決まってから、申し込むことができた。
前回は定員10,000人で募集。先着順締切ではなく12,670人が集まった。
今回は定員12,000人で先着順締切。
ボランティアは無給だが、心に大きな財産が残る。
また無給とは言え、交通費程度のプリペイドカードが支給されるし、キャップ、ポンチョといった買えば1万円はするかと思われるユニフォームが支給され、返却の必要がない。
ランナーの当落が通知される10月より前に、ボランティアの先着枠が終る可能性もある。

2008年2月14~16日
東京ビッグサイトで選手受付(2007は東京ドームだった)
2月17日(日)レース開催

 2007年2月に第一回「東京マラソン」が行われて以来、街で走る人がめっきりと増えた。
 こうして、健康で美しい人が増えることは素晴らしいことだ。

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2007年8月30日 (木)

中小企業とは?

 さて一つ質問です。

 中小企業の説明として正しいのは、A,B,Cのどれでしょう?

A 製造業その他 20人以下
  商業・サービス業 5人以下

B 製造業 30人以下
  小売業 20人以下
  サービス業 10人以下

C 資本金3億円以下または従業員300人以下の会社。
  卸売業=1億円以下または従業員100人以下
  小売業=5千万円以下または50人以下
  サービス業=5千万円以下または従業員100人以下

 正解は一番下にあります。

1963年 中小企業基本法施行 「資本金1億円以下」
1999年12月 同法 改正施行 「資本金3億円以下」

 上記設問の選択肢 A は「小規模企業」の定義(中小企業基本法)

小規模企業
製造業その他 20人以下
商業・サービス業 5人以下

 日本の経済を支えてきたのは「モノ作り」。
 それを支えているのが中小企業の英知である。
 銀行をつぶしてはいけないと言われるのは、銀行がつぶれると、融資を受けられなくなる中小企業がたくさんあり、中小企業が連鎖的に倒産するからである。
 日本の全事業所に占める中小企業の割合は99.7%。

 「銀行がつぶれたからと言って、税金を投入するのはけしからん」
とテレビにつっこんでいる人は大企業の皆さんということになる。

 銀行をつぶしてはいけないが、税金を投入した銀行の社員にボーナスを払うのはやめた方がいいだろう。

答えはCです。

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2007年8月29日 (水)

技術の進歩と製品

 技術の進歩をある時点で止めてできたのが製品。

 技術は毎日進歩する。
 どこかの時点で進歩を止めないと製品はいつまでも作れない。

「最新の技術の製品」とは、"製品の仕様を固めた時点において最新技術" の製品であり、消費者の手に届く頃、研究室における技術はさらにその先へ進歩している。

 「買ったすぐ後に、新しいものが出た」
 ということになるのを怖がっていては、いつまでも製品を買うことはできない。
 そう言わないためには、あなたがその製品に求めるミッション(使命)を明確にして、その使命を果たせるものであれば買えばよい。

 たとえば "携帯電話でテレビを見る" ことをミッションとするならば、今すぐ買うことができる。
 ただし、一日に12時間見たいと思っている人はまだ買うことができない。
 いつかはきっと、連続12時間ワンセグを視聴できるような小型大容量バッテリーが開発されるだろう。
 "携帯で1日に12時間テレビを見る"ことをミッションとする人は、その日を待てばよい。

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2007年8月28日 (火)

最近、二千円札を見ましたか?

 二千円札は沖縄サミットを記念して、2000年7月19日に発行された日本銀行券。
 発行されてから7年が過ぎた。

 財布には いつも二千円札が一枚入っている。
 だが使うことはない。
 霊視能力者の加藤眞由儒さんが金運について話された時に
 「財布に このお金は使わないと決めたお金を入れておくとよいですよ」
と聞いて以来、その役目をこの二千円札に託している。

1999年10月5日
小渕首相が沖縄サミットまでに発行するよう指示。
新額面紙幣の発行は1万円札以来42年ぶりだった。
デザインは、おもてが「沖縄守礼の門」、うらが「源氏物語絵巻」第38帖「鈴虫」と紫式部。

2000年7月19日
発行
発行2日後、おもての番号が左上はJ、右下がLとミスプリントされた紙幣が9000枚、うち三重県の地銀支店から流通したものが5000枚あることがわかった。

2000年9月13日
裏向きの通し番号が写った紙幣が神戸市でみつかったが、大蔵省印刷局は「他の紙幣のインキが写ってしまうことも含めてあり得ない」とコメント。

2002年7月18日
発行後2年、日銀は3億枚が流通し4億5千枚が金庫に眠っていると発表。
コンビニに設置されたATMで2千円札対応機が増えたため、少しは出回り始めた。

2004年11月
新千円、五千円、壱万円が発行された。

2007年3月末
日銀が8億8000万枚製造したうち7億2405万枚(82%)を日銀本支店で保管していると公表。
2002年7月には3億枚が流通していたのに、2007年3月では1億6千万枚しか流通していない。1億4千万枚が日銀に「返品」されたことになる。

 小売店での支払いではまったくと言ってよいほど流通していない。
 地方都市では見ることもない。
 確実に入手するには預金払い出しのときに銀行窓口に並ばなければならない。

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2007年8月27日 (月)

初めてのオフ

 ネットのオフに初めて出る時は誰もが緊張する。

 日本では伝統的に、インターネットをやっている人=パソコンおたくという予見がある。

 恐らく日常の社会では通用しないような暗い人たちが、暗い目をして集っている。そんな情景が目に浮かぶ。
 だから多くの人は参加しようとは思わない。
 意を決して参加表明をしたとしても、前日は緊張して眠れない。
 当日は待ち合わせ場所に着くまでに、何度も帰ろうとする。
 待ち合わせ場所にそれらしき人を見つけると、そこで帰ってしまう人もいる。
 残念でした。
 ここまでの人は、とても貴重な体験を放棄しています。

 日常の世界にこんな人はいるだろうか?
・同じ趣味を持つ、または同じ芸人や創作者が好きで、そのテーマについて掘り下げた会話ができる。
・その場の雰囲気を読みながら建設的な提案をしたり、盛り上がるようにリードする。

 オフの場にはこういう人がたくさんいる。
 理由はこうだ。
・共通の話題がある
・勇気を持って見知らぬ人との出会いを求めるような人だから、人に対して心を開くことができる人

 趣味も生い立ちも主義・主張、考え方の傾向も違う、ただ会社が同じ、ただクラスが同じというだけの人と話が合う方が不思議だ。

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2007年8月26日 (日)

不安で長いオフ

 6月9日
 リーガ37節エスパニョール(カンプノウ)△2-2
 バルサの逆転優勝はサラゴサにかかっていた。そのサラゴサがレアル・マドリーと引き分けてくれた。だが、バルサも本拠地で引き分けてしまった。前シーズンはアトレティコに苦杯をなめたが、今シーズンの鬼門はエスパニョールとなった。
 レアル・マドリーは先に引き分けで試合を終えていた。そこに、バルサが引き分けた一報がはいると、首脳陣は優勝が決まったかのようにはしゃいだ。それを見た最終節の対戦相手、マジョルカの選手はかちんと来た。マジョルカにはバルサからレンタル移籍しているマキシ・ロペスもいる。最終戦、マジョルカの奮起に一縷の望みがかけられた。

 6月17日
 リーガ最終節(38節)ジムナスティック(away)○5-1
 バルサはアンラッキー・オレンジを着て5ゴールを決めた。
 だが、マジョルカは先制したものの逆転され、マドリーと引き分けることができなかった。
 バルサはレアル・マドリーと勝ち点76点で並んだが、直接対戦成績が1分け1敗のため、三連覇を逃す。
 デコはFCポルト在籍時から続けていた国内リーグ連覇が4で止まった。

 そして南アフリカで開催された親善試合 マメロディ・サンダウンズ戦が今シーズン最後の試合。
 恐らくこれがバルサ最後の試合になると思われたエスケーロが決勝ゴールを挙げ、2-1で勝利。

 ポルトガル代表にはカップ戦もなく、W杯があった前シーズンと比べれば、デコはゆったりしたオフを迎える。
 2006-07を通して振り返ってみると、12月に日テレがイチ押しでデコを扱った以外には、デコのトピックスが少ないシーズンだった。

 優勝を逃した6月、デコはその心境を「ワールドサッカーマガジン」の月一連載「辛口ランサメント」最終回に寄せている。
 この発言は不安で長いシーズンオフの口火となった。

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2007年8月25日 (土)

教えてあげられないこと(男性編)

 教えてあげたいが、余計なお世話だと逆切れされるかもしれないので、教えてあげられないことがある。

食事を口を開けて食べる。
 
"ひゅし、ひゅし"とかきこんで "にっちゃにっちゃ"噛むのは側にいて気分が悪い。
口を開けて食べると音が出るということに気づかない人がいる。


貧乏揺すり。
 
 自分で気づいていないのが不思議。

大股開き座り。
 
男は股間を冷却する必要があるため股を開くらしいが、おっさん丸出し。イチロー選手にも教えてあげたい・・

鼻毛抜きまくり。
  没頭しているので本人は恥ずかしい行為だと気付いていない。おまけに立てるし・・

口が臭い。
 
 距離をとって欲しい。喫煙者のそれは筆舌に尽くしがたい。

身体が臭い
 
お風呂入ってないでしょ~

脇が濡れている
 
 汗かきならば、ランニングシャツはやめて半袖シャツにしては?

"つぁっ" という合いの手。
 
 お前は原辰徳か?

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2007年8月24日 (金)

陰口を誘発する人との接し方

 面と向かって言わずに陰で言うから陰口。

 直接言わせずに陰で言わせる方法は、
 相手が異を唱えた時に、言下に反論し否定することだ。

 その相手は、次からは直接言いにくくなる。
 せっかくの諫言も「誰がお前のために、言ってやるものか」ということになる。

 その鬱憤は自分がいないところで発散される。

 否定した側が上司ならば、部下は二度と諫言しなくなり、はけ口を陰口に求めるかうつ病にかかる。
 上司は周囲を仮面イエスマンでがっちり固めることができる。

 「陰で言うくらいなら直接言って来い!」
 と威勢のいい人に限って、この方法をうまく活用しているので、より陰口を誘発する。

 陰口は言われる側も傷つけるが、言う側の魂を台無しにする。
 陰口を誘発する人と向き合うことは難しい。
 他人は変えられないからだ。

 その人のことは忘れるしかない。
 いくら誘発されたからと言って、まんまとそれに乗り、闇との会話である陰口の世界に堕ちてはいけない。

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2007年8月23日 (木)

非公開、公開コミュニティの書込数比較

 CUGとは closed user group の略語。
 意味としては「パスワードを知っている人限定の情報交換の場所」というところ。

 メリット
・参加させたい人だけ入場を許可することができる。
・秘匿性の高い情報を安心して書きやすい。

 デメリット
・メンバーが増えにくい

 ネットワーク上のCUGはパスワードを毎回入れるのが面倒だ。
 だが、ミクシィの非公開コミュニティの場合は、コミュニティに入る認証がないので、一旦承認されていれば、公開のコミュニティと使い勝手は変わらない。

 今ミクシィで作っているコミュニティのうち、公開と非公開は半々。
 公開のほうが非公開よりも10倍人数がいるが、書き込みは10分の1以下と少ない。
 自分が非公開で開設しているテーマで、公開のコミュニティがある。そちらは50倍のメンバーがいるが、書き込み数は50分の1よりはるかに少ない。
 参加者一人あたりに換算すれば、50分の1×50分の1なので、公開コミュニティの書き込みは、非公開コミュニティの2500分の1ということになる。

 誰が読んでいるかもわからないネット上で、レアな情報を書く人はいない。
 ネットのコミュニティでは、数を増やすことに意味はない。
 コミュニティが有意義なものに発展するか否かは、いかに「書ける人」「情報を持っている人」をメンバーとして獲得するかにかかっている。

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2007年8月22日 (水)

歳をとると時間が速く過ぎる

 幼稚園の頃住んでいた町を訪れると、町が小さく見える。
 身長100cmの高さで見える景色と、身長170cmで見える景色が違うからだ。

 40歳を過ぎた人どうしが
 「最近、時間が過ぎるのが速くない?」
 と話すことがある。

 子どもの時と比べて、大人になると心理的な時間がゆっくり過ぎるようになる。
 相対的に物理的な時間を速く感じる。
 心では4日ほどしか経っていないのに、実際には5日が過ぎ週末になっているというような場合がこれに当たる。


*参考文献「大人になるとなぜ1年が短くなるのか?」一川誠、池上彰 宝島社


 歳を取ると時間が速く進む理由。
 歳をとると時間に順応する能力が高まり、時間を短く感じるのである。

 学校の暮らしに慣れていない小学校の時は6年が長かった。
 だが、学校に慣れた中学校、高校の6年間は小学校の6年よりも少し短く感じているという場合。
 会社に入って初めの3年は長く感じたが、勤続20年を過ぎてからの3年はあっという間という場合がこれに当たる。

 歳をとると「経験済み」のことが「未経験」を上回る。
 未経験のことは、その数日前からどきどきしてあぁでもない、こうでもないと不安や期待に考えを巡らせる。そういう時間は長い。
 だが一度経験しまうと、二度めからは同じことをしているのに、時間は短く感じる。

 どこかに忘れ物をして取りに戻る道は長く感じるが、そこからの戻り道は短く感じる。

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2007年8月21日 (火)

MLの隆盛

 メーリングリストとは、佐藤さんが「メーリングリストのメールアドレス」ににメールを送ると、登録している10人にメールが届く。
 10人のアドレスを一つ一つ書かなくて済むから便利だ。
 メールを一斉に送る方法としては、メーラーのアドレス帳にグループで登録しておくという方法もあるが、アドレス帳はウィルス・プログラムに悪用される恐れがあり、使うこと自体が危険だ。

 そのメールを読んだメンバーの一人、鈴木さんが、それに対する意見を書き、メールに返信するとそれも10人に届く。

 掲示板でも同様の会話ができるが「メール」「掲示板」と目配りする場所が二つに分かれると、大概の人は「掲示板」を見ようとしない。
 そのため、MLは登場して10年。業務連絡の手段として隆盛を極めている。 本来ならば、討議は掲示板で行うほうがわかりやすい。合意が形成される過程が誰の目にもわかりやすい。
 MLのここに来ての隆盛は、実務は理想通りの仕組みで動くとは限らないということの好例だ。

 YAHOO!イーグループが長くこのサービスを続けている。
 http://www.egroups.co.jp/

■【メーリングリスト】1つのグループ用のアドレスに、メールを送ると、メンバー全員に瞬時に同じメールが配信される。
■【アーカイブ】すべてのメールや添付ファイルは、ウェブ上で保存され、メンバーだけで見れるようにしたり、一般に公開することもできる。
■【予定表】グループ内のメンバー間で共有できる予定表。ライブやイベント、番組出演情報などをみなさまで書き込んだり、その予定をメールで、自動的に事前通知することもできる。
■【共有フォルダ】さまざまなファイルをグループ内で共有することができる。
■【投票】イベントの日時やアンケート、グループ内の決め事をメンバー全員の投票で、簡単に決めることができる。

*この紹介文はイーグループが始まった頃、営業担当者からメールで配信されたもの。

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2007年8月20日 (月)

小欲知足

 支社長の怒鳴り声にお昼時の平穏な空気は破られた。
 「コレを見てみろ」
 弁当の蓋をあけて中身を示す。
 そこには、そぼろで彩られた三色弁当の姿があった。

 三段弁当→三色弁当
 この期に及んで、なぜこんなことを間違うのか。

 「すぐ連絡を取れ」
 当時誰よりも早く入手していた携帯電話で名古屋に電話を入れる。
 「三段弁当じゃなくて三段弁当だったんだけど」
 「・・・・」
 それがどうしたんですかと言わんばかりに黙り込む担当者。
 「支社長が怒っていて、なんとかしろって言ってるんだ」
 「どうしたらいいんですか?」
 三段でも三色でも、無償で提供を受けた昼食にけちをつけるのははしたない。 こんな交渉はしたくはないが、その場の空気は凍り付いている。
 結局、そのレストランでの追加注文をすべて旅行代理店が負担するということで電話を切った。

 「なんでも追加注文していいそうです」
 そう言うと支社長は溜飲を下げ、おばさん達は色めき立った。食べ始めていた三色弁当の蓋を閉じて、カフェテリア方式のメニューを次々にテーブルに運び始める。

 幹事は6人のチームで引き受けていて、男女3人ずつ。だが実質は僕一人がすべてを仕切っているようなもの。
 幹事チームのおばさんは
 「幹事だったから出遅れてメロンがなくなった」
 と僕にクレームを付けている。

 北海道の旅は財布持ちの旅。
 「夕張ソフト」の看板があれば
 「幹事~」
 「ラベンダーアイス」の垂れ幕が有れば
 「幹事~」
 行く先々で甘い物を発見する度、幹事が呼ばれてお金を払う。
 寿司屋に行けば、いくら丼は出ないのか、ウニ丼はないのか?
 いざ用意できるとなれば「両方食べたい」
 結局全員がひとしきり寿司を平らげたうえ、うにいくら丼を注文する。

 夕張メロンの小売店に行けば、交渉の達人が出てきて
 「40個買うから6000円を4000円にしろ」
 とやっている。

 自分が安く済ませることは、他人が生業を削ること。
 人の金を当てにするものは、人生を捨てるようなもの。

 この旅で撮った写真では、僕は一度も笑っていない。
 この旅を通してもっとも手を焼いた人たちはいずれもその後、悲惨な人生を送ったり、若くして人生を終えている。

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2007年8月19日 (日)

デコ坊主

 5月10日
 コパ・デル・レイ準決勝2ndレグ ヘタフェ(アノエタ)●0-4
 今期獲得をめざしたタイトルとしては、CWC、CL、リーガに次いで4番目に重要なタイトルも敗退が決まった。

 5月13日
 リーガ34節ベティス(カンプノウ)△1-1
 勝ち点66でレアル・マドリーと並ぶ。今期の直接対戦成績が1分け1敗のため2位に落ち、自力優勝が消える。
 本拠地での引き分けは大きな失態だったが、レアル・マドリーも戦力が整っているわけではなく、まだ十分なチャンスがあると思われた。

 5月20日
 リーガ35節アトレティコ・マドリー(ビセンテ・カルデロン)○6-0
 この試合は勝ち点0もやむなしと考えられていた。2005-06、2006-07と2シーズン続けてホームでも勝てなかった苦手のアトレティコをアウェイで破ったことは、バルサの底力を実証した。結局はリーガがバルサに転がり込むことを予感させる勝利。

 5月23日
 デコが坊主頭で練習に現れた。日本ならば全員から「お初」攻撃をうけるところだ。ここであと2~3人が坊主頭で続けば、チームの結束はさらに強まり、優勝の確率はぐんと上がってくる。だが、おそろいのTシャツを着ることには抵抗のない面々も、お揃いの坊主頭になってまで、チームの空気を変えようとする者はもう現れなかった。デコの男気はチームに伝搬しなかった。ここが最後のチャンスだった。デコにつづく坊主が一人もいなかった時点で、勝負はついていた。
 5月26日
 リーガ36節ヘタフェ(カンプノウ)○1-0
 アウェイでは伸び伸びと攻撃的なバルサだが、ホームでは渋い試合が続く。またも命からがらの勝ち点3をひろう。

 6月5日
 カタルーニャ杯決勝 エスパニョール(ノバ・クレウ・アルタ・スタジアム) 試合スコア1-1 PK戦5-4でバルサが優勝。
 最終決戦前、落としたメンバーどうしでの接戦。トップメンバーどうしで戦えば、圧倒的な差をつけてくれるものとバルセロニスタは信じていた。

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2007年8月18日 (土)

悲劇の三段弁当

 イトウさんは、この会社に来る前に別の会社の経験がある人だ。
 彼は脅迫、強要にならぬよう慎重な言い回しでこう切り出した。

「僕もいろいろと旅行の交渉は見てきたけれど、普通こういう場合はキャンセルですよ。そうしたらもうこのツアーは商品価値はないわけで、抑えていた旅館や飛行機がパーにならないためには投げ売りするんですよね。まぁ僕の経験から言って普通ならば半額。今回のケースならば3掛けかな」

 僕は同じ社員としてとても恥ずかしかった。
 自分たちが7割引で旅行に行くために、そこまで言うという下品さに呆れた。 もちろん、無言のプレゼンスを示している支社長への点数稼ぎという側面が大きいのだろう。
 ただカンタンに結論だけ言うと、この人はその数年後、大出世を遂げたかというとむしろその対極の道を歩んでいる。

「3掛けですか・・」
 さすがに詫びる側の課長さんの表情にも不快感があらわになった。
 うつむいたままの担当者。不手際があったとはいえ、よくやってくれている彼が可哀想だという一念で時が過ぎるのを待つ。

 結局、その日の交渉は結論を見ず、後日旅行会社から提示された条件は、元値の7掛けとなる値引き。そして千歳空港での昼食の提供だった。
 担当者が作ってくれた旅程表には、こう書かれていた。

 初日昼食 千歳空港 三段弁当

 これが悲劇の第二章の幕開けとなる。
 幹事の真摯さをアピールするために暑いなかジャケットを着込んで臨んだ旅行初日。旅行会社からの添乗員は契約社員の女性が付いていた。

 僕らは千歳空港のレストランへとたどり着いた。
 テーブルにはすでに弁当がセットされている。だがその弁当の器を見た時に少し違和感があった。
 全員をテーブルに座らせる。

「席は決まっているの?」
 決まってるわけないだろ?ここは学校給食か?とは言わず
 いえ、自由席ですよ。空いているところにお願いします。と感情を殺して応対する。**さんと席が離れたとぶーたれる声が聞こえたその時、

「motoぉっ!」
支社長の怒声が、店内にこだました。

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2007年8月17日 (金)

旅行代理店さんとの交渉

 ある時僕は名古屋支店にいて、慰安旅行の幹事だった。
 ほかの支店では経験がないのだが、名古屋での幹事経験はそれは大変有意義なものだった。

 他の支店にいた時、旅行参加者は幹事には敬意を払っていた。
 同額の旅費を自腹で払って参加しているのに、片やあれこれと他人の世話まで焼かなければいけない幹事に対しては、暖かい視線とねぎらいの言葉が付きものだった。
 だが、名古屋はそうではなかった。

 幹事は旅行参加者の下部、いやもっと差別的な名詞がふさわしい扱いだった。
 まず幹事は立派な「旅の小冊子」を作らなければならない。
 小学生じゃないんだから、自分が行く場所くらい自分で「るるぶ」でも買うか、図書館で調べたほうがはるかに楽しいと思う。
 などと言ったら幹事失格どころか人間失格の烙印を押されるので、口に出しては言えない。

 この旅の滑り出しはとても肝心で、"下部となって働きます"という意思表示があるか無いかで、旅の難易度は大きく左右される。

 ところが不運なことに、日本でも最大手の旅行会社がダブルブッキングで飛行機の予約をしくじったという連絡がはいる。

 ここから苦行が始まった。
 本来の旅程ならば、知床に直接飛ぶところを、その飛行機を抑えていなかったために、千歳に降りて乗り継ぎすることになるという。それによるロスタイムはおよそ3時間。

 本来ならば、降りることのない空港に降りて、しばらく散策できるとあれば、それもまた旅の楽しさだと僕は内心思っていたが、会社の空気は倒産の危機を迎えたかのように緊迫の度合いを高めていた。

 担当者だけでは埒が明かないと言うことで、その大手代理店の課長と担当者が呼びつけられた。
 応対するこちらのスタッフは支社長、幹事の僕、そして自称交渉の達人サトウさん。
 低頭で詫びる二人に対して、支社長は無言のプレゼンスで不快感を示す。
 あぁでもないこうでもないと屁理屈をこねて、何かを引き出そうとするサトウさん。
 しびれを切らしてと言うか、ここが頃合いとみたか相手の課長さんが
「どうすればいいんですか?」
 と泣きを入れる。

 そこで交渉の達人イトウさんが吠えた。
 あ、犬じゃないんだから吠えていません。
 冷静な口調で信じられない言葉を口にした。

(つづく)

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2007年8月16日 (木)

佐世保と言えばコーヒーゼリー

近年、佐世保と言えばハンバーガー

手作りのハンバーガーであれば、佐世保バーガーと名乗るだけで人が並ぶ。

佐世保に初めてマクドナルドができた頃、町に出ると「きょうはマクドナルドで食べようかね」というと、ずいぶんと豪勢な気分がした。個人が経営している手作りのハンバーガーショップは、高いし、美味しいかどうかの評判もわからないし、客がはいっていないので入りづらいし、見向きもしなかった。

今、その時代を耐えて生き残った、一部のお店が商売繁盛の風を享受している。

 来年には佐世保と言えばサンドイッチになっているかも知れない。

 だが今年、佐世保と言えばコーヒーゼリーなのだという。この風説、地元の友達に聞いても知っている人、知らない人に分かれる。以前、メディアが「佐世保では知らない人はいない おでんタネ 人工衛星」というのを取り上げていたが、僕も含めて地元の人は誰も知らなかった。メディアは平気でネタ話を作り上げるのだ。

 さてコーヒーゼリーが佐世保というのは、米軍基地がある港町ということで、気分としてはわかる。確かに驚異的な**を誇るお店もある。近年このお店は地元の人達の間でもクチコミで広まりつつある。だが、白十字パーラーのチャレンジパフェのようにメジャーな存在とまではいかない。お店は開くとすぐ満席に近くなるが、かと言って人が並ぶほどではない。

 さて、この夏「佐世保と言えばコーヒーゼリー」は定着するだろうか。

 「サンドイッチといえば佐世保」と並んで、これも来年の夏、帰ってきた時にチェックしよう。

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2007年8月15日 (水)

佐世保玉屋のサンドイッチ

玉屋のサンドが有名なのは知らなかった。
ミクシィでマイミクさんの参加コミュニティの中に
「玉屋のサンドイッチ」
というのがあった。

佐世保の玉屋といえば、佐世保市民にとって愛着のあるデパート。
ジャスコができてからしばらくは、町の主役の座をジャスコに譲っていたが、今また変わらぬ佐世保らしさの代表として主役の座を取り戻している。

玉屋と言えばラウンド菓子
数十種類のお菓子が廻っているからラウンド菓子
好きなものを選び、量り売り。
いつもはラウンド菓子を買って素通りしていたその一角に玉屋のサンドイッチ売り場があった。

このお盆に行くと、売り場の奥には座って食べられるテーブルが置いてあった。
「佐世保サンド」
という画用紙一枚に書いた貼り紙があり、そこでテーブルに積んだサンドイッチをお姉さんが売っている。一箱525円。

玉屋のサンド知ってる?と佐世保市民に尋ねると、全員知っていた。

確かに美味しい。
スプレッドに特徴がある。どんな味かというと、甘くできあがったマカロニサラダを食べた時の味。マヨネーズに塩を絡めたのだろうか。

具はいわゆるミックスサンド。
冷蔵庫にしばらく入れて冷やしてから食べても美味しい。

玉屋のサンドはここでしか食べられない。
「佐世保サンド」なる命名をするということは、玉屋はあわよくば全国展開でも狙っているのだろうか。一年後、玉屋のサンドがどうなっているか、また来年の夏チェックしたい。

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2007年8月14日 (火)

パソコンとコンピューターシステムはどちらが高等?

 会社で使っているコンピューター・システムはそれぞれに漢字辞書が違う。
 日本中のコンピューターが、まったく同じ電子的な漢字辞書を使っているわけではない。
 パソコンとインターネットが普及して以来、世の中のど素人!は、どのパソコンでも使える漢字は同じだと思っている。

 いま、目の前に見えているパソコン画面ひとつとっても、そこに映っているものは
1,パソコンのソフト
2,インターネット
3,会社内のコンピューターシステム
 と大きく3つに分かれる。
 もちろん、それぞれに使われている漢字辞書が違う。

 以下はある日のユーザーとコンピューターシステム担当者の会話である。

ユーザー
「漢字が出なかったから、IMEパッドで漢字を出して入力したら、何もしていないのに突然エラーになりました」

システム担当者
「システムの漢字辞書に存在しない漢字はエラーになります。
 登録できません。IMEパッドで引き当てても、エラーになります。
 このように、変換して出なかった漢字を、どのように登録するかについて、運用ルールを決められるとよいと思います。
 たとえば、氏名の場合は存在しない漢字は " ひらがな "で入れておくのはどうでしょう。平仮名で入っていれば、ユーザーが目で見て分かりやすいです。その漢字に近い漢字を入れておくと、そのことが誰にもわからなくなります。そしてDMを出した時に、お客様からの『漢字が違う』というクレームにつながります」

ユーザー
「そんなんじゃ全然意味がないですよ。
 名前は大切なんだから、漢字が出ないのは致命的だよ。
 だってパソコンでは出たものが、コンピューターシステムで出ないなんて変でしょ」

 ど素人!の頭の中では、パソコン<コンピューターシステムという図式ができている。パソコンは日用品だが、コンピューターシステムはプロがしっかりと設計して作っているのだから高等なはずだと。

 そういうユーザーは、こう考えてみるとよい。
 マイクロソフトという世界でも有数の利益を挙げている企業が全社をあげてつくっているソフトと、そこそこの利益しかあげていない一企業のコンピューターシステム部門が総力も上げずに作っているシステム。
 いったい、どちらが優れていると考えるのが自然か。

 有名私立中の入試に出したら、正解率99%は行きそうな簡単な問題である。


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2007年8月13日 (月)

地方都市

 福岡に来ている。

 昔よく買い物に来たダイエー・ショッパーズを歩いていて

 あ、地方の空気だと思うことがあった。

 ショッピングストアに流れる地方のゆるい空気

 この光景を見ると地方に戻ってきた気がするんだ。

 なぜそう思うのだろうと観察してみる。

 人通りの少なさ。 商品陳列ケースの間の通路の広さ

 あとはそこにいる人が醸し出す空気。

 東京にいると、あちこちで人が怒っている。

 車に乗っている人は車に。自転車に乗っている人は車に。

 車に乗っている人は自転車に。歩行者は歩行者に。

 傘をさしていない人はさしている人に。

 歩行者はタバコを吸う人に。歩きタバコの人は周りの人に。

 表だって怒っていないのは、商売がかかっている側の人達。

 その溜め込んだ怒りがまた、街に返ってくる。

 地方には老人が多い。あ、今いるところが病院だからか

 東京で一番の怒りんぼは老人だ。地方の老人はどうなのか観察してみよう。

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2007年8月12日 (日)

最後の冠

 3月10日のリーガ26節は今年2度めのクラシコ(カンプノウ)
 リーガエスパニョーラ・プリメーラ(一部)は20クラブチーム。対戦は19カード。それをホームとアウェイ1試合ずつで38節=38試合。特定のチームとのリーグ戦での対戦は、年間にわずか2試合しかない。
 NPBならば「伝統の一戦」巨人対阪神は年間20試合以上行われるが、こちらの伝統の一戦=クラシコはわずか2試合。
 今年、敵地ベルナベウではバルサは敗れている。となれば本拠地カンプノウでのこの試合は勝利が求められるところだが、3-3の引き分け。
 それも3度リードされて、3度追いつくという綱渡りのもの。ゴールはすべてメッシ。怪我の多いこの選手は2006-07シーズン、試合に出られないということでチームの足を引っ張った。試合に出て足を引っ張るグジョンセンのような選手と違い、批判にさらされることがないが、メッシがいればCWCだって勝っていただろう。

 3月18日リーガ27節レクレアティーボ(away)はエトーが2ゴールを決めて圧勝。この日は敵地だが1stユニセフ を着用している。

 国際Aマッチデーをはさみ、2週間空いた4月1日リーガ28節デポルティーボ(カンプノウ)は2-1で順当な勝利。だが格下相手に地元での慎重な戦いは続く。

 4月7日リーガ29節サラゴサaway)は1stを着用させてもらったものの0-1の敗戦。サラゴサは6月9日にはマドリーに対してベルナベウで引き分けてくれた。

 4月22日リーガ31節ビジャレアル(away)は1stを着て0-2で敗戦。敵地で星を拾えない日々が続く。

 4月24日親善試合 アルアハリ(エジプト カイロ)4-0で勝利。今季2度めのサードユニ着用。バルサがアフリカ市場に力を入れているのは明らか。カンテラには多数のカメルーン人がいる。その観点からエトー放出はあり得ないことはこの時点でわかっていた。

 4月29日32節レバンテ(カンプノウ)に勝利。

 5月5日33節レアル・ソシエダaway)1stを着て2-0の勝利。勝ち点65で単独首位を守る。シーズン当初から守り続けた首位。CWC、CLとビッグタイトル2つを失ったが、このリーガというタイトルだけはバルサが防衛するのだとバルセロニスタの誰もが信じていた。

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2007年8月11日 (土)

元春の奇跡と都久志会館

 既にコンサートは3分の2を過ぎている。
 ファンは座ったままで、彼の音楽を思い思いに楽しんでいる。
 一時はどうなることかと思った元春と博多っ子の1stミーティングだが、この時間帯には、そろそろ終わることが名残惜しくなりそうな予感を漂わせていた。

 ピアノの前に立った元春が、叫ぶ。
「これは僕の3枚目のシングルなんだけど、もし知っている人がいたら一緒に唄って欲しい」
 ピアノが「ガラスのジェネレーション」の前奏を刻む。
 その時に奇跡が起こる。

 もうたまらないとばかりに、最前列の聴衆が立ち上がる。
 僕らもそう思っていたんだと、その後ろの博多っ子が続く。

 人々が立ち上がっていく動画は、人がまるで綺麗な波を打つようだったと、僕の脳は記憶している。

 博多っ子と元春の情熱がぶつかって、爆発した瞬間。
 時を惜しむかのようにオールスタンディングとなった会場で、残りの時間が進む。ふと後ろをふり返ると、立ち見の席まで人が入っている。

7月のチケット発売時には、いま一つだった人気もこのわずか3か月でぐーんと伸び、この都久志会館を埋めたようだ。

 事実、この半年後に行われた浄水通りにある郵便貯金会館でのコンサートは、同じ岩田屋プレイガイドで、発売日に開店1時間前から並んで、買えたのは14列が1枚。半年前、発売1週間後に7列目がペアで残っていたことからは隔日の感があった。



 「昨日、広島で喉を痛めて、医者からはアンコールは2回までって言われていたんだ。でも、まだ歌いたいんだ!」 

3度目のアンコールに応えてステージに戻り、絶叫する元春。

 「うぉー」
 「いいぞ~元春」

 さっきまで、親戚の里帰りコンサートだった会場は、わずかの間にプロレス会場に変わったようだ。

 元春に福岡に初めて来た時のこと、覚えていないですよね?と水を向けると「都久志会館!(つくしかいかん)」
 と目を輝かせて、即答してくれた。

 彼はその後、郵便貯金ホール、サンパレス、国際センター、市民会館の順番でホールを転々としていくのだが、キャパシティが小さいこのホールはこれが最初で最後だった。

 いや、もしかするとこの先いつかまた、この場所に戻ってくるかも知れない。
その時は、この時同行した後輩を連れて、駆けつけたいと思っている。

「東から来た男」おわり

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2007年8月10日 (金)

ピアノマン元春

 都久志会館の夜。音は驚くほど大きかったが、その心地よさに酔った。
 中でも驚いたのは「二人のバースデー」のピアノ。
 コンサートのピアノはこんなに素敵な音なのか。この日、ギターよりも、サックスよりも、僕はこのピアノの音にしびれた。

 デビュー間もないこの頃、元春はステージで「ギターマン」と「ピアノマン」の顔を使い分けていた。
 「小川洋子対話集」(幻冬舎 2007年1月刊)によるとこの頃は「あんなこともできる、こんなこともできる」というところを見せたかったのだという。
 さっきまで、ギターを抱えて飛び跳ねていたロックンローラーが、スローな曲では突然椅子に座り、ピアノを奏でる。その優雅な変わり身にすっかり参ってしまった。

 ファンは相変わらず全員が座ったままだが、2枚のアルバムで慣れ親しんだ曲が続くに連れて、コンサート会場は親戚の甥っ子の里帰りコンサートのような、アットホームな空気に包まれ始めていた。

 ピアノマン元春が「Do what you like」のイントロを弾き始める。
 すると3秒で元春が指を止めた。
 いったい、なにが起きたのか?
 皆が固唾を呑んだ瞬間、彼は神妙な顔つきで、元春と聴衆の線をさえぎっていたポカリスェットのボトルを掴み、30cm脇に置きなおした。
 僕の顔が見えないだろ?
 とばかりに、にっこり笑う元春。
 ファンはどっと笑い、暖かい笑顔に包まれた。

 そして、このピアノマン元春に奇跡の時間帯が訪れる。



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2007年8月 9日 (木)

「きーん」と響くコンサート音量

 曲は進み、元春はサビで「デリデリデリケート!」と歌っている。
 皆の頭には相変わらずの???マーク
 なんだ、この歌は。
 普通ならば、名刺代わりは「アンジェリーナ」か「ガラスのジェネレーション」だろう。

 そう、オープニングは「彼女はデリケート」
 この時はまだ「ナイアガラトライアングル2」が出る前で、この曲を誰も知らない。
 ただ僕は2コーラスの終わりがけで、沢田研二のアルバムに入っていた曲を思い出した。
 そのアルバムもまた「Heartbeat」の録音を僕に頼んだあつこ先輩からの依頼だった。佐野元春はジュリーのアルバムに「Vanity Factory」など3曲を提供していた。そうと知って聞いてみれば、確かにコーラスに元春の声が入っている。だが、この時僕らはそんなことは知らない。

 「この人、カバーもやるんだ」
 そう思った僕は、隣りにいた?マークの後輩に「これ、ジュリーの曲だよ」と叫んでいた。

 ファンは静かだったが、音はでかかった。
 僕は腰が抜けるほど、この音量に驚いていた。
 この「コンサート音量」に慣れるには数年を要した。
 慣れるまでは、コンサートが終わって数日は耳が「きーん」と鳴ったままだった。耳に残る音の残像と共に、頭にはアラレちゃんが駆け回る姿が浮かんだ。
 人間の身体はたいしたもので、この音量に対応できるようになった今は、年に一度しかコンサートに行かなくても「きーん」に悩むことはなくなっている。

 26年に渡り、元春のツアーに皆勤してきた。
 実際に、音が最も大きかったのは「ロックンロールナイトツアー」
 その頃にはもう随分と、コンサート音量には慣れていたが、それでもこのツアーの音は大きかった。ハウリングもひどくて、ギターが歪む音は大きいというよりも不快だった。
 国際センターで行われたライブで、大型スクリーンが設置されていたことがあった。モニターにはステージの元春が映し出されるのだが、時々、ナイター中継の映像が混じっていた。あまりの音の悪さに辟易した僕は、スクリーンに映る原辰徳の打席を見ながら、また打てないんだろうなぁと考えていた。
 その後のツアーでは、音の悪さに参ってしまうことはなくなった。PAを司るエンジニアによって、音は大きく変わるのである。


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2007年8月 8日 (水)

最前列の異端児

 地下鉄で帰れる距離の人はそれでもよいが、北九州や久留米から来ている人だっているわけだから、コンサートの時間は後ろに押すよりは、時間通りに始まったほうがいい。

 元春はファンのこういう声にはとても敏感な人で、ある時は時間どおりに始めたりする。かと思うとサラリーマンの方は開演に間に合わないからと言って開演を19時にしたりもする。
 ある時、福岡サンパレスで行われたコンサートでは、18:30ぴったりに1曲めがスタートした。
 それまでいつも開演を待たされた僕は、どうせ今日も遅く始まるのだろうと高をくくり、ロビーで記念グッズを物色していたら「ワン、ツー、スリー、フォー」 と元春がカウントをとる声がホールから聞こえてきて、慌てて飛び込んだ。

 19時が近づいた頃、照明が落ち、暖色の光景が暗闇へと替わった。

 ハートランドのメンバーが歩いて出てきて定位置につくと、聞いたことのないオープニング曲の前奏が始まった。
 聴衆の頭には「?」マークが浮かんでいる。
 1曲めのつかみに失敗したコンサートは、後半までその後遺症が残る。この日はまさにそういうスタートだった。
 激しいリズムのスピードが上がったところで、一人の兄ちゃんが右袖から走って出てきた。
 まん丸いサングラスをかけている。

 変なやつが来た・・

 聴衆はさらに引いてしまった。
 お見合い写真では、実直で穏やかな人格を想定していたところに、やってきたのは、得体の知れないお調子者だったという、少しやるせない気持ちすら去来した。

 聴衆は全員座っている。
 初コンサートの僕はそういうものだと思っている。
 すると、最前列にいた男がたまらずに立ち上がって、ものすごいリズムで踊り始めた。元春とは1mくらいの距離で正対して、まるでダンス合戦だ。
 このまま放置すると、その周囲に邪悪が広まり、暴動が起こるかも知れない。そう察知してか、すかさずアルバイトの係員が男にタックルをして席に座らせた。あたりに安堵の空気が流れる。

 今、こうして読むと、なぜ座らせたのかが不思議だが、この時は博多の平和を守るためには、異端児は黙らせなければいけないという空気だった。



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2007年8月 7日 (火)

遅れる時間の意味

 穏やかな暖色の照明に包まれたホールは、収穫祭を迎えた秋の農家のようにのどかな空気を漂わせている。
 座席は前から7列め、多少右側の通路に面した2つの席。これならば、トイレに行く時に便利だなと考えた。後輩を左手に座らせ、スポンサーの僕がトイレに近い席に陣取る。
 今ならば、ファンクラブ枠で取ってもなかなか取れない、ステージを間近に感じる7列めだが、今記憶の中にあるステージ上の元春はずいぶん遠いところにいた気がする。位置は中央から少し右寄りだが、記憶の中の映像は、客席の右端から元春を捕らえている。26年の時間を経て、記憶が再合成されたせいだろうか。

 学芸会で見たそれのように、開演前は緞帳が下りているものと思っていたが、席につくとそこからはドラムセットやスタンドに立てかけられたギターが見え、アンプにはパイロットランプが灯り「しー」というヒスノイズを漏らしている。
 無数のランプがとてもキレイだ。今はJIS規格で稼働している電気製品のランプの色は緑に統一されているが、記憶に眠る映像の、この時のランプは赤だった。

 時計の針は6時25分を指している。
 さっきまでは、隣の後輩と喋っていたが、次第に口数が減る。
 いよいよ開演の6時半

 ・・・始まらない

 父からもらったオメガの腕時計を見る。
 おかしい。
 元春は来ていないのだろうか。
 体調を壊したか、何かトラブルでもあったのか?
 数時間後にわかるのだが、体調を壊したか?という心配はある意味、当たっていた。

 コンサートが開演時間に始まらないものなのだということは、後に経験を積むに連れてわかった。
 映画も演劇もスポーツの試合も、興業というものは常に決められた時間に始まる。週末のサッカーの試合が土曜日なのか、日曜日開催なのかがその週に入らないとわからないスペインでさえ、いったん開催日が決まれば、試合は定時に始まる。

 だが、コンサートは違う。
 この"間"にはいったいどんな意味があるのだろうか。
 聴衆をじらすことで、期待感を煽るのか。
 ミュージシャンは時間通りに始めるような人種じゃないのさ、ベイビーと言いたいのか。
 まさか、30分は遅れるものだという「博多時間」を地でいったわけではないだろう。


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2007年8月 6日 (月)

ナマとレコードの関係

 何も後ろめたいことは無くても、検査は緊張する。
 高校の手荷物検査以来だ。
 こういう時、僕は必要以上に潔白を主張しようとする。

 入り口の検査官に向かってまず、チケットをかざす。
 当時はまだすべてのチケットはプレイガイドで売っていて、そのチケットもミュージシャンが独自に工夫を凝らしたもの。
 元春も後にロックンロールツアーではチケットに凝るのだが、この時はまだ、プロとしてやっていけるかを模索していた頃。特にオリジナリティのない、ありきたりの券面だった。

 「カバンは開けて入場してください」

 携帯もデジカメもPDAもない時代。
 バッグすら持っていない僕は、チェックしてもらう手荷物がない。
 ポケットから財布を取り出して、中身を見せようとしたが、
「行って行って」
とばかり、似合わないスーツを着たアルバイトの兄ちゃんに、しっしっと追われてしまった。

 ロビーに入ると、テーブルにレコードを並べて売っていた。
 コンサート会場で売るレコードにはもしかして、元春の直筆サインでも入っているのだろうか?
 興味津々で覗き込んでみたが、特に何の変哲もない普通の「Heartbeat」や「Back to the street」だ。

 プロ野球中継でスタンドのファンが映ると
「テレビでやっているのに、なんでわざわざ行くかね」
と言う人がいる。
 ナマで見るということは、レコードを超えるものを求めて、レコードだけでは我慢できないという人が起こす行動だ。
 レコードを持っているようなファンだから、ここに歌を聴きに来ているのだろうに、なぜそこでレコードを売るのかが不思議だった。

 その日、ツアーパンフレットがあったかどうかはわからない。あったとしても、そこで本物が見られるのに、わざわざ写真入りの本を買う人がいるのか・・と、見向きもしなかっただろう。



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2007年8月 5日 (日)

遅すぎたラッキー・イエロー

 監督や選手は慎重に悲観的なコメントを述べていたが、バルセロニスタが奇跡を祈って迎えた3月6日CLベスト16第2戦リバプール(アンフィールド)
 カンプノウでは強く、ホームでは弱いというバレンシア監督時代のベニテス監督のジンクスを地で行き、リバプールは狙い通り0-1の敗戦。
 2戦合計2-2だが、アウェイゴールルールによりバルサの敗退が決まった。

 アウェイゴール・ルールはホーム&アウェイ方式の競技で、勝ち・引き分け、合計得点までが並んだ場合、アウェイ戦でのゴール数を2倍で計算する方法。
 ホーム&アウェイのノックアウトでは、勝ち、引き分け数だけでなく、合計得点数までが並んでしまうことが少なくない。そこで、得点が難しいと考えられている敵地でのゴール(アウェイゴール)が多い方を勝ちとするルールができた。
 このルールにより、本来積極的に攻めるホームで消極的になったり、本来慎重に守るアウェイで積極的になったりと、戦術に与える影響が大きい。
 バルサはまさにこのパターンにはまるチームで、敵地では思いも掛けぬ快勝を果たすが、その一方、カンプノウでは渋い結果が多い。

 この日のバルサは驚いたことに、サードユニを持ち出した。
 蛍光イエローは前シーズンのCL決勝トーナメント、敵地でチェルシー、ACミランを破ったラッキー・ユニフォーム。
 サードユニフォーム着用は2005-06シーズンには1度もなく、2年ぶり。慣例によりバルサは当シーズンのセカンドユニフォームを次年度のサードユニフォームとして使う。前々シーズン、バルサは沼色のサードユニでチェルシーに敗れている。
 お台場FCBOTIGAの兄ちゃんが「肝心な試合は全然勝てていない」といったあの沼色を着た試合だ。

 前シーズンにCLを制したクラブはユニフォーム・ナンバーを金色にする。アーセナルのようにCLは制していなくても、スタジアムの変更という節目を記念して「金」にするクラブもある。 
 さらにバルサユニには、シーズン途中からクラブ史上初の「胸ロゴ」ユニセフロゴが入っている。

 この夜、アンフィールドに現れたバルサメンバーは、蛍光イエロー+ユニセフロゴ+金文字のユニフォーム・ナンバー。
 このユニフォームがFCBOTIGAで売られたのかは知らないが、黄色地に金文字が映えて、コレでもかと言うほど派手な仕上がりだった。だが、試合の結果は日本での敗戦につづく2つめの逸冠となる悲しいものだった。

デコファンサイト

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2007年8月 4日 (土)

常識を壊して楽しむ男

 そそくさと屋内に入ろうとすると、入口では係員が「バッグを開けてください」とがなっている。
 コンサートの模様を録音させないためらしい。
 2年前の1979年にソニーからウォークマンが発売されていて、そこそこに普及しつつあったが、それは録音できない機械。
 録音できるウォークマンなど誰も持っていない。
 「小型ラジカセ」というカテゴリーの機械は、その5年ほど前から世の中に存在したが、英和中辞典ほどの大きさであり、荷物チェックで必ず見つかってしまうものだ。

 この日の数年後、RKBのアルバイトでマイケル・シェンカー・グループ公演に来た。公演終了後、客としてきていた高校の同級生と偶然出くわした。
 「さぁ今から長崎に帰るまで、これば聴かんば」
 そう言って、彼は僕に録音機を見せていた。1982年あたりから急速に録音できるウォークマンが普及したのだろう。
 当時はまだ「海賊版」という商売が生業となった時代。MTVもなければ着うたもない。テレビに出ない音楽家の音源はレコードと海賊版しかない。
 日本初のミュージック・クリップ、カセットブック、ホームページ。後にこうした音楽家の新たな情報発信チャンネルはすべて佐野元春から始まっている。

 録音機は手荷物検査場で見つかっても、永久に没収されるわけではなく、一時預かりとなるだけで、お帰りの際には返してくれる。少々のリスクを背負ってでも、コンサート会場での録音という行為は、ファンを誘惑した。
 だが、いざ録音が成功したとしても、ファンというもの、音楽家に対して後ろめたさを引きずるもの。

 それだけに後年、元春が「サウンドストリート」で
 「ファンの一人が貴重な音源を送ってくれました」
とさらりと言って会場で録音したテープを放送した時、ファンはひっくり返った。
 佐野元春は常識を壊して楽しむことも、ファンに示してきた。



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2007年8月 3日 (金)

天神の都久志会館

 都久志会館には来たことがなかった。
 というよりも、コンサート会場に来たことがなかった。
 さらに言えば、コンサートは生まれて初めての経験だった。
 高校の予餞会でプロを目指しているという軽音楽サークルの三人組が「異邦人」を歌うのを聞いて、世の中にはこんなに唄がうまい人がいるのかと驚いたのがそれまでに見た唯一のステージ経験。

 デコと出会うまで、サッカー・スタジアムに足を運ばなかったように、強い動機付けとなる対象が現れなければ、人はその場所へ赴かない。
 だから未だに歌舞伎座に行っていないし、大相撲も観戦していない。

 元春、九州初上陸の日
 6時の開場に間に合うよう、地下鉄に乗って天神へ向かう。
 いつもならば、何処に行くのも50ccのバイク。電車賃を払って天神に出ることはない。ただ、この時は長期の免停中だった。自動二輪中型の自動車学校に行く道すがら、一発免停となるぴったり55km/hでねずみ取りにかかった。
 お陰で自動車学校の卒業検定では、試験管から「はい、免許証出して」と言われて、免許証代わりの赤切符を出さなければならなかった。
 地下鉄で天神に出るのは、部活の呑み会かコンパの時くらい。
 そのせいか、よそ行きで幸せな気分。そして、少しだけ緊張していた。

 都久志会館は、いつも買い物に行くFUTATAやダイエーのすぐそば、一本通りを隔てた所にあった。
 そういう意味では、福岡で最も街の中心に近いコンサート会場。
 この22年後、ここ天神では、通りであぐらをかいて歌う少女YUIがプロへのスタートを切っている。

 会場に着くと、待たずに屋内に入ることができた。
 都久志会館は街の中心にあり、屋外で人を待たせるほどの広いエントランスはなかった。
 もちろん、コンサートそのものが初めてなので、なんの疑問も抱かず、当然のようにすいすいと入ろうとした。



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2007年8月 2日 (木)

東から来た男

 1981年10月、佐野元春は九州に上陸した。
 台風は西から上陸するが、元春は広島でのライブを終え、関門海峡を越えて上陸した。
 Welcome to the Heartland tour
 佐野元春初のコンサート・ツアー

 「motoくん、これ録音しておいて」
 部活の先輩あつこさんは下宿にプレーヤーがない。
 僕は子どもの頃からオーディオファンで、下宿にはトリオのアンプ、ダイヤトーンのスピーカー、TEACのデッキ、そしてテクニクスのプレーヤーがあった。

 録音しながら聴いて気に入れば、個人で楽しむ範囲内で自分の分もテープに落とす。
 「Heartbeat」に針を落として流れてきた「ガラスのジェネレーション」
 五十嵐浩晃みたいで聞きやすいな。一応落としておこう。
 この決断がその後つづく27年のファン生活の始まりだった。

佐野さんとの出会い

 岩田屋プレイガイドで発売後1週間の時、手に入れた7列め、ほぼ中央の席。

「今度、佐野元春のコンサートのチケットがあるんだけど、行かない?」

 当時、博多では佐野元春の名前を出して誘っても、食いつきはゼロ。
 もちろん誘っている男に最大の原因があるのだが、とにかく、誰ものってこない。
 直前の週まで、各方面に折衝を続けたが不調に終った。
 せっかくのチケットを使わないのはもったいない。
 結局、隣りの席は親友(男子)が陣取ることになった。

 映画は女の子と二人で行くものだという、先祖代々の教えを守ってきた僕は、コンサート界の厳しさに接し、この結果にかなりがっかりしていた。

つづく

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2007年8月 1日 (水)

手軽で安い地震情報は

 いよいよ2か月後、10月1日に一般情報公開される「緊急地震速報」を、事務所や家庭でも受信できる機械が「デジタルなまず」

販売元:3Softジャパン

大きさ:親機131mm×158mm×53mm 子機 62mm×78mm×28mm

販売価格:親機99,750円 子機17,850円
 田の字型マンションならば親機1台でよいだろうが、2階建ての一軒家ではこども部屋にも子機が必要になる。

維持費:毎月1万円
 2007/7/26現在、3softジャパンのウェブサイトには維持費の記載がない。
 新築マンションの付加価値として設置され始めているが、年間12万円も余計に維持費がかかる家を買いたくない。

インターネットにつながる環境が必要
 無線受信機ではないので、避難所へ持って行き余震に備えることには使えない。外出時にはなんの役にも立たない。

 地震が来そうになったら、携帯電話で警報が鳴る。
 初期登録費用は3,000円程度、月額利用料は500円程度。
 求められているサービスはそういうものだ。
 年内には多少の廉価版が発売されるらしいが、それでも月々1万円では個人家庭には厳しい。

 なお10月の一般情報公開以降「震度5弱」以上の場合、NHKのテレビ・ラジオでも情報が放送される。
 個人家庭では、NHKを見ることが手軽な地震対策となる。

 今日1日は171番 地震留守番電話を体験できる日です。



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