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2007年12月の31件の記事

2007年12月31日 (月)

2007年 しらべるが選ぶ5大ニュース

1、自民・民主大連立ならず
2、テロ特措法 継続ならず
3、オシム監督倒れる
4、苫米地英人、江原啓之のメディア露出について危険性を指摘
5、佐世保で銃乱射事件


 たとえルールが決まっていても「そのルール通りにやるのはおかしい」とぶーたれてよい。
 そういう見本を国権の最高機関「国会」でやっていることこそがおかしい。

 参議院が与野党逆転しようが、衆議院の優位が憲法で保証されている。
 それなのに衆院での再可決を「強行採決」と悪いことのような名前を付けて呼ぶ人々。
 野党政治家、評論家、メディア・・

 強行でもなんでもないでしょ。それは、ふつー採決でしょ。

 2005年9月の総選挙で野党が大敗したから、そういう状況になっている。
 負けた時、野党の代表がそろって口にしたことば。それは
「催眠術」

「国民をマインドコントロールしちゃいかん」
「小泉催眠術から国民が醒めてくれなかった」
「催眠術をつかってはいかん」

 選挙速報の生放送で、そんな危ない言葉を口にする野党の代表者を見て、開いた口がふさがらなかった。
 有権者が政治家に尊敬されている気はしなかった。

 審判にも勝者に敬意を表さない。スポーツならば二流選手だ。
 負けを棚に上げて、選挙に勝った方が悪い。ズルだと言っているチームが、国民の過半数の尊敬を得る日は遠い気がした。

 それを一気にがらがらぽんしてしまおうという大連立。
 成立しなかったのは惜しい。
 「民主党にはまだ政権を担当する能力があるとは言い難い」
という謙虚な発言はすばらしかった。その言葉にこそ、政権を担当する能力が垣間見えた。

 国と地方の借金が800兆円。
 日本国債の格付けは先進国最低。

 そういうニュースと、将来のさらに質素な暮らしは人々の心で結びつかない。

 政治に圧倒的なスピードが必要な今、大連立は起爆剤だった。
 だが、2008年度予算はまた、小泉政権前の借金先送り、支持者ご機嫌取り路線に舵を切った。

 5大ニュースを選んでいて痛感したのは、相手に敬意を表することの大切さ。
 目覚めぬ人のニュースが多いなか、オシム監督の回復は嬉しかった。
 戦禍を逃れ、平和の国 日本を率いて世界に挑む。その挑戦が途絶えたのは惜しい。
 今からでも遅くないから、もう一度監督に戻してもらいたい。

 それでは、皆さんよいお年を!



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2007年12月30日 (日)

奇妙なシーズンの幕開け

 エトーの負傷には、その要因があった。
 8月7日に横浜で試合を行ったわずか2週間後、エトーは今度はカメルーン代表として来日。
 大分で日本代表と対戦。日本2-0カメルーン
 時差ぼけは、東に向かい時間を遡る移動の方がきつい。CWCで試合の3日まえに日本入りしたリバプール、FCバルセロナがいずれも決勝で敗れたのは、コンディションに大きな要因があった。
 ACミランはその悪しき前例に学び、試合の7日前(決勝の10日前)に来日することで、勝利につなげた。

 8月22日、この日のカメルーンは驚くほど調子が悪かった。
 エトーにはほとんど決定的なボールが供給されず、むしろ中盤まで下がって守備に回る時間が長かった。
 エトーの矢のようなゴールが日本ゴールに突き刺さると思っていたバルサ・ファンと中津江村の皆さんは拍子抜けした。

 前日の8月21日にはフランス代表の親善試合でテュラムも負傷している。
 アンリを入れたらエトー、アビダルを入れたらテュラム・・
 補強した分だけ謀ったように怪我をする。
 奇妙なシーズンの幕開けだった。

 8月30日、CL2007-08 組合抽選会
 入ったのはグループE。リヨン(フランス)シュツットガルト(ドイツ)レンジャーズ(スコットランド)
 前シーズンはチェルシーと同組に入ったことで、あわやグループリーグ敗退の危機に面したことが、ベスト16での惨敗につながった。
 涙のCWC決勝の雪辱を信じていたファンは、大きな失望を味わった。
 今年も強敵リヨンには苦戦するだろう。ファンとしても身の引き締まる思いの組合せとなった。

 8月31日、リーガの移籍期間終了
 デコ放出?が気が気ではなかったシーズンオフに終止符が打たれた。
 まさかデコファンがこんな不安なオフを過ごす日が来るとは想像していなかった。
 これで、ようやく今シーズンを楽しめる心境に入っていける。

 2007年も1年間、毎週日曜日のデコログを読んでいただきありがとうございました。
 また2008年も日曜日はデコログがつづきます。
 デコファンの皆さん、よいお年を!





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2007年12月29日 (土)

日本の弓道(六)

 的に当たった矢は的から、外れた矢は安土から抜いて回収する。
 中には安土まで届かない矢もあり、矢道の芝生にはいって取りに行く。
 回収した矢はぼろ雑巾で安土を拭き取る。この作業は後に経験した焼鳥屋で串を洗う作業に似ていた。
 雨の日は小鳥の羽根が濡れて肌に貼り付くように、矢の羽根もそぼ濡れて痩せる。
 木の矢は湿気を吸い傷みが早い。師範たちは木を使っていたが、学生の大半は耐久性が良いジュラルミンを使っていた。

 他校の選手は矢を拾うついでに、僕の矢をしげしげと見ていた。
 細工がしてあるのではないか?と疑っているわけではなく、木なのかジュラルミンなのか、羽根の具合はどうかを見ていたのだと思う。
 僕の矢は、ご多分に漏れずジュラルミン製。
 矢は4本セットで売っていて、それを引退まで2年間使った。使い込むうちに、羽根は欠けてきてぼろぼろになる。
 試合では1立ち2本を持てばよいので、4本の中から羽根の状態がよい2本は、練習ではできるだけ使わないように気をつけた。

 3年生が引退し、主将として最高学年を迎えた頃、僕を病魔が襲った。
 身体ではなく、心の病。
 原因は慢心と虚栄心。
 それは数十年経った今、そう言えるのであって、当時は技術的な問題が何処にあるのかを探すのに躍起だった。

 弓道の病に「早気(はやけ)」がある。
 心の迷いでパターが打てなくなるゴルフのイップスのように、心が病むのである。
 中てよう、中てようという気持ちがはやると、会が短くなる。
 会とは弓の弦を離し、矢を打ち出す直前のこと。

 技巧の弓道をしていた僕らにわかるよう、イケダ師範は
「会をなるべく長く持ちなさい」
(弦をいっぱいに引いて、離すまでのあいだに静止時間をつくりなさい)
と教えてくれた。
 僕らはその教えを、的をじっくり狙う時間を作るためだと解した。

 早気が進むと、終いには会の型に入ることさえできず、まだ弦を引いている途中に右手を離してしまうようになる。
 見ている方は、突然矢が放たれるのでビックリし、やがて失笑する。

 それまで注目を浴びてきた分、早気を患ってからの弓道は惨めだった。
 そしてちょうど、その頃父から弓道をやめるよう言い渡された。
 父は僕の早気を知っていたのではなく、受験を1年後に控えながら、一向に成績が上がらぬことに業を煮やしたのだった。

 主将を辞し、しばらくは殊勝に帰宅部を装っていたが、すぐジョニー・デップの小屋に戻り早気の克服に取り組んだ。
 こそこそと部活に行く僕を母は、黙って送り出してくれた。

 矢をつがえず、弓を持ち八節を繰り返す。
 なんちゃってで始めたスポーツ弓道。小屋には指導者もいない。自分で考えた単純なリハビリ・メニュー。

 きれいな長持ちの会、力みのない自然な離れ
 放たれた矢が一直線に的を捕らえる。
 その光景に憧れた。

 そして、それはそんなある日に起こった。

つづく





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2007年12月28日 (金)

日本の弓道(五)

 弓道部顧問のイシイは弓道をやったことがない人で、練習には出てこない。
 試合の日だけ引率に来て「リラックスしていけ」と言うだけだ。

 僕らは試合が近くなると、市営バスに乗って市営弓道場に通った。
 有段者の顧問がいる学校は希で、近くの他校の選手も集まってくる。
 初めはライバルの西高も来ていたのだが、西高には立派な弓道場ができて、そのうち来なくなった。

 道場には有段者の師範がいて、無償で指導してくれた。
 師範たちが日頃、何をしているのかに思いをはせたことは無かったが、大半は60歳を過ぎ、会社員であれば定年を過ぎた人たちだったのだろう。

 「もっと胸を張って!」
 そう言いながら、両手で女子の胸を後ろからつかみ、ぐいと反らす師範がいた。胸当てをしているから、絵的に嫌らしさは薄れるのだが「あれもアリなのか?」と僕ら男子は目が点になった。

 「君は大きく、伸び伸びと引いているな」
 イケダ師範はそう言って、今後の伸びしろに期待してくれた。
 「引きすぎなんだよ」とやっかむ先輩がいたほど、イケダ師範は僕を特に誉めてくれた。
 いろいろな師範がいる中で、僕はイケダ師範が大好きだった。
 彼は射場以外ではいつも微笑みをたたえ、力任せと技巧しか頭にない小坊主のような僕らに、わかりやすい言葉で接してくれた。
 今でいう「全然だめ」「なっとらん」といったマイナス言葉の矢が、彼から発せられた記憶がない。

 練習では矢を4本持って射場に入る。
 位置につくと2本を揃えて床に起き2本を持つ。
 これから打つ1本を弓につがえると、次の1本は右手の薬指と小指で筈を握りしめて持つ。テニスプレーヤーがセカンドサービスのボールも一緒に握っているようなものと思えばいい。
 2本打ち終わると、かがんで床に置いた2本を拾う。

 打った後は、替わりばんこに矢取りに行く。
 側道を通り安土のそばまで行き、選手たちがきりよく4本打ち終わるまで、高速で的に突き刺さる矢を間近に見ている。
 的に当たれば「射」「正」と声をかける。
 ゴルフのグリーン上で言う「ナイスイン」のようなものだ。

 「ナイスショット」は、タコ踊りみたいなフォームで打っていても、取引先には全打言わなければならないが、ホールにボールが入ったことを賞賛する「ナイスイン」は誰の目にも明らかな事実。
 言わなければいけないわけではないが、礼儀として定着している。

 きりがよいところを見計らい 「ぱんぱん」 と大きく二拍手してから安土に入る。射手にこれから人が立ち入ることを知らせ、もう打ってはいけないという合図。
 競技と違い、練習では打つ順番もまちまち。一人が退場すると次の選手が空いた立ち位置に入ってくる。矢を回収するためには、矢の切れ目をどこかで作らなければならない。

 それでも何度か、まだ選手が八節の途中なのに矢取りが入り、周囲が大声で退避を促すという光景があった。
 二拍手は、事故を防ぐために欠かせない運用ルールなのだ。

つづく



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2007年12月27日 (木)

日本の弓道(四)

 僕らが袴を揃えなかった最大の要因は、僕らが最後の1校ではなかったということだ。
 27校のうち26校が袴で試合に来たら、さすがに恥ずかしくなって何とかしようと思っただろう。

 小学校の時の自転車も、成長期で急激に背が伸びた後、2着めの学生服もいつも学年で最後だった。
 ずっと欲しくても親には言わないでいた。
 言わないのは我慢できるからで、我慢できるうちは、我慢できるものなのだ。

 ブログのことは親は知らない。
 もちろん、ブログをやっているんだと言っても
 「ふろく?何月号のかね?」(山口弁)
 と言われるだけかも知れない。
 これは、恨み節ではない。
 幼い頃、我慢を知ったことが、今自分の糧となっている。
 ただ、年老いた親にわざわざ耳に入れることではない。

 ヘリゲルは3年の時を経てもまだ、弓術を見いだせずにいた。
 阿波研造師範は、こう説いた。

「あなたはなにごとをも、待っても考えても感じても欲してもいけないのである。術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである。あなたがまったく無になる、ということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」

 「精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい」

 今ならば、少しだけこの言葉に感じることがある。
 人は大概、外を向いているものだ。外を向いているうちは、どこまでいっても幸せにたどり着けない。
 人や金に囲まれて、そこにたどり着いた気持ちになる。
 だが、その渦中にいる時は、日だまりに身を縮めているような幸福はない。
 いつまで続くだろうか、失うことはないのだろうか。失わぬために今なにをすべきなのだろうか。

 心休まる日はない。
 そしてそれは、いつか失われてしまう。
 内を向いている人が幸せになっている。

 4年を経てようやく的に相対したヘリゲルに阿波研造師範はこう説く。

「中てようと気を揉んではいけない。それでは精神的にいることを、いつまで経っても学ぶことができない。あなたがもしそんな技巧家になるつもりなら、私という精神的な弓術の先生は、実際に必要がなくなるでしょう」

 スポーツ弓道の上達をめざす者にとって、初期の伸びしろは特に大きい。
 弓道を始めて1年。
 僕は有頂天にいた。


つづく



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2007年12月26日 (水)

日本の弓道(三)

 弓道と言えば、皆が袴姿を思い浮かべるだろうが、僕らのチームは袴を持たなかった。
 試合に出て5人のうち、2人が袴で3人はジャージというわけにはいかない。
 3年生が引退して、僕らが最高学年になった時、2年生は僕を誘ってくれたタナカを含めて5人になっていた。

 「高体連は高学年優先で出よう」
と、いち早く決めていた僕らに「皆で、袴を揃えよう」という合議は生まれなかった。
 恐らく今時の弓道部は皆、袴着用なのだろうが、当時、袴を履いて試合に出てくる学校は長崎県に27あった弓道部の半数に満たなかった。

 ライバルの西高がいよいよ袴を揃えて試合に出てきた時も、わぁよかぁ~とは思ったが、顔には出さなかった。

 大人になり財力を得て、スポーツはカタチから入るようになった今思う。
 なぜあの時、袴を揃えようと言わなかったのか。

 事実、同じ学校の弓道部女子は1年のうち1か月しか練習に来なかったが、それでも5人しかいない部員 皆で袴を揃えていた。
 僕らも弓道をなめていたと言えるが、女子はその上をいった。
 格好は立派だが、試合で的まで矢が届かないのは、うちの女子だけで僕らは他人の振りをしていた。

 ただ僕らは女子に頭があがらなかった。
 別に女子の更衣室を覗いたのが、ばれたからではない(覗いてないし)
 それは女子に天才ミヤタがいたからだ。
 ミヤタはご多分に漏れず、他の女子同様、試合の1、2週間前になって練習を始める。
 それでも、試合ではめっぽう強く、あれよあれよという間に個人の部で全国大会に進んでしまうのだった。

 試合会場にしか顔を出さない顧問のイシイの顔に
「お前ら、なにやってるんだ」と書いてあったが、
「ごもっともです」とこちらも顔に書くしかなかった。

 僕らが袴を買おうと思わなかったのは、もちろん袴が高かったからだ。
 もしその頃にユニクロがあって、1000円で売っていたら、親に頼んでいた。

 テニスラケットや高機能のランニングシューズと違い、袴は弓道を続ける気持ちがない者にとって、いつかは無用の長物になる。
 買わないで済むならばその方がいい。
 万年中位。最高成績が27チーム中5位という僕らの成績が、袴を着るに相応しいとも思えなかった。

 だが今、長い時を置いて気付いた、その最大の要因はこうだ。

つづく



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2007年12月25日 (火)

日本の弓道(二)

 弓道の団体戦は5人で行われる。
 一人8射。合計40射のうち、いくつが的を射たかを競う。
 直径36cmの的のど真ん中に当たっても1、一番端っこに当たっても1。
 アーチェリーやエアライフルのように中心ほど得点が高いというルールではない。
 丸い的の枠は木でできており、矢が木にめり込んでいれば的中と見なすが、木を砕いて的の外に出てしまった場合は外れ。

 競技は同じチームの5人が並んで射場に立ち、順番に矢を射る。
 ゆえに弓道場は5人がタテに並べる広さがある。

 ところが、ジョニー・デップが出てきそうな森の中の小屋では3人がやっとだった。
 しかも射場と安土(的があるところの盛り土)は平行線を成しておらず、1番と3番の立ち位置では、的までの距離に1mの誤差があった。
 射場から的までの距離は28mだが、いったいどこに立てば正規の距離なのか、果たして1つでも正しい位置はあるのか、それすら怪しい。

 弓道は武道だ。
 礼に始まり礼に終わる。はず

 僕らは神棚に向かいお座なりの二礼二拍手一礼をすると、準備運動もせずに巻藁に向かう。
 巻藁(まきわら)は射場の片隅に置いてある藁を束ねた米俵のようなもの。安土の的に向かう前、型のチェックで矢を射る時に使う。
 そばには姿見(鏡)が置いてある。巻藁から2mほど離れて立ち、備え付けの矢を射る。距離が近いので、巻藁用の矢には羽根がついていない。
 さすがにこの距離で的を外す(藁を外す)人はいないが、それでも課外クラブで教えたど素人の中には外す人がいて、周囲を慌てさせた。

 「日本の弓術」
 オイゲン・ヘリゲル著 岩波文庫

 昭和初期、日本文化を学んでいたドイツ人が、5年間弓術に日本の思想を求めた記録の書。
 当時まだ、弓道は弓術と言った。
 ヘリゲルは日本に来て3年、日本人の思想は禅宗の影響があると考え、弓術に答えを求めて阿波研造 師範に師事。

 初日に巻藁に向かったところは僕らと同じだが、的に向かって矢を放つまでに4年の鍛練を積んでいる。
 僕らがそんなことをしたら、一度も試合にも出ぬまま高校生活が終わってしまう。

 阿波研造は「弓術はスポーツではない」と言った。

 僕らは袴がなかったので学生ズボンで練習にやって来る。基礎体力づくりの腕立て伏せも走り込みもなく、来る日も来る日も矢を打って帰るだけのくり返し。
 そんなスポーツと言えるかも怪しい弓道部の僕らに「弓術はスポーツではない」は我が意を得たりの言葉だが、もちろんそういう意味ではない。

つづく

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2007年12月24日 (月)

日本の弓道(一)

 かつて、毎日 矢を放っていた。
 別に前世の狩猟時代の話しではない。
 高校生の頃だ。

 中学校では転校のために運動の部活が中途半端に終わっていたので、高校ではきちんと一つのスポーツを成し遂げようと思っていた。
 というのは今、記憶を合成して書いていることで、当時はスポーツで目立って女の子にもてたかった。

 4月、公式テニス部に入った。
 初日は雨だった。
 晴れ男の僕としては、これでけちがついた。
 グラウンドが使えず、練習は校舎の廊下を走った。

 まず規定の10往復を終えたが、息は切れていなかった。
 すると、遅れて10往復を終えた3年生のキャプテンがやってきた。

「なに、ズルしてるんだ はぁはぁ」

 つづいて、指立て伏せ30回。やったことがない人は初めは手こずるが、中学ではバレー部だった僕には軽い。難なく終えた時、嫌な予感がした。案の定、キャプテンはまだ地面を見つめながら20回目あたりをやっている。

「ほんとに、やったのか? はぁはぁ」

 翌日、職員室を訪れ、顧問の先生に「やめます」と言ったが、理由は「練習がきついから」ということにしておいた。

 一ヶ月ほど帰宅部にいた。
 月に2500円のおこずかいは、クィーンやブリティッシュ・ロックのLPを1枚買うと消えた。
 学校帰りに友達とボウリングや喫茶店に行くどころか、50円のペプシコーラさえ一緒に飲む余裕はない。
 ミクシィの母校コミュでは柿本のたこ焼きやバードモナミのコーヒーゼリーを懐かしむ話題が出ているが、僕はそういうものがあったことすら知らない。
 まっすぐ帰るだけの帰宅部はヒマだった。

 そうしたある日、中学の時からの同級生タナカが僕を誘いに来た。

「弓道部に入らんや?練習せんでも高体連に出れるばい」

 聞くと、1年生部員はタナカ一人。試合は5人の団体戦で行われるので、入部すれば一年後には自動的にレギュラーが約束されるのだという。
 中学の時は文化部に入っていたタナカが1か月続いているのだから、練習がきついわけでもなさそうだし、高体連に出られるというのがいい。

 その最強のセールストークに応え、その日から練習に出た。
 弓道部は弓道場で練習する。
 場所がないからと言って弓道部が運動場で練習していたら、陸上部は恐ろしくてトラックを走れないだろう。
 だが、この学校に弓道場なんてあっただろうか?

 連れて行かれた場所は運動場に降りる長い階段を右に折れた森の中。
 シークレット・ウィンドウのジョニー・デップが住んでいそうなその森に弓道場はあった。
 僕はそれは何かのぼろ小屋だと思っていた。

 その日から弓術にはほど遠い、スポーツと言うのもおこがましい弓道生活が始まる。

つづく

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2007年12月23日 (日)

リーガ2007-08開幕

 8月19日、デコは右足大腿二頭筋に違和感を覚え練習を休む。
 (2か月後、10月に傷めたのは左足)

 だが、その3日後、欠場と思われていたユーロ2008予選
 アルメニア対ポルトガル戦にはフル出場した。
 アウェイで1-1の引き分け。ここで手堅く得た1ポイントは最後に大きなモノを言った。

 8月26日
 リーガ2007-08開幕戦 1節ラシン(away)

スタメン
GK:バルデス
DF:ザンブロッタ、テュラム、オレゲール、アビダル
MF:ヤヤ、シャビ、イニエスタ
FW:エトー、メッシ、ロナウジーニョ

 開幕時点で非EU圏国籍枠を使うのはロナウジーニョエトー、ヤヤ・トゥーレ
 WOWWOW予定されていた生中継は、放映権を持つスペインの業者とのトラブルにより放送中止となった。

 デコはベンチ入りしたがスタメンを外れ、ラシンに退場選手が出て一人多くなった直後の後半24分ヤヤに替わり出場。
 46分には早速今期1枚目の警告を受けた。

 過去3シーズン、アウェーでのラシン戦は
 2005-06 △2-2
 2006-07 ○3-0
 2007-08 △0-0
 早くもここで、前期に比べて2点を落としたことになる。

 8月29日
 第42回ヨハン・ガンペール杯。FCバルセロナを創設したスイス人にちなむカップ戦。カンプノウに欧州の人気クラブを招く。今年はフィーゴのいるインテル。
 例年リーガ開幕戦の直前に行われるが、今回は開幕翌週のミッドウィークに開催。
 ポスターには顔写真がなかったデコだが、試合にはフル出場。後半24分のシュートはクロスバーに当たった。試合は5-0で勝ったが、エトーが全治3か月の負傷。

 バルサの最前列(FW)のポジションは3人。
 ロナウジーニョ、エトー、メッシにアンリ・・いったい誰を外すのか?
というメディアとファンによるスタメン騒動は、このエトーの怪我であっさり片が付いてしまった。





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2007年12月22日 (土)

マジックハンド

 クリスマス会で呑んでいた時のことだ。誰かが
「マジックハンドが欲しい」と言い出した。

 その人の頭にあったマジックハンドは

Magic 
 駅のホームで、

「落とし物をしたら、自分で拾わないで、係りを呼んで下さい」

 と書いてある、あれだ。

 僕の頭に浮かんだのは

Ultra1
 子どものころ、とても欲しかった一品。
 調べたら名前は「ウルトラハンド」だった。

 滅多におもちゃを買ってもらえなかったから
テレビCMでこれを見た時は欲しくてたまらなかったけど
黙っていた。

 確か、お母さんがいない時に子供が戸棚の上に隠してある
お菓子をウルトラハンドで取って、帰宅したお母さんがびっくり!
みたいなCM

 親にねだらなくても、親が言うコトバの想像が付いた。
「そんなもの、何に使うんかね?」 (山口弁)

Ultra2 ところで「左」の写真は任天堂ウルトラハンドの箱。

子どもが大人の財布をつかんでいる。

これだと、ただの危ないガキだ
今ならば、全国のPTAから抗議必至。

 「電子ブロック」が復刻されているように、子どもの頃欲しくても手に入れられなかった品を、今になって欲しがる大人は多い。

 ウルトラハンドは今でも欲しい。ただ、手に入れても使い道がない。
 なんかあるかなぁ・・
 と考えても、何も思いつかない。

 いつかネタで使おうと思って、こういうものを買っても
その「いつか」はいつまでもこない。

 10数年前に東急ハンズで買った OB杭の実物大模型。押し入れの隅で眠っている。

 レジに並んでいる時は、ゴルフ場で、パートナーが打とうとした時、地面に挿し
 「あ、OBだよ」
と言う場面を想定していたが、その日は未だに訪れていない。

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2007年12月21日 (金)

空港のカレーはなぜ美味しそうなのか

 出発間際にベジタリアンではない僕は
家で何も食べてこなかったことを思うわけだ。
そう、空港ロビーのサンドイッチスタンドで。

 でも僕は嗅覚がデリケートだから、となりのレストランから
流れてくるカレーの香りのせいで、福岡へ行くのを止めるかも
知れないね。

 って止めるわけはないのだが、いつも思う。

 なぜ、空港のカレーは美味しそうなのか。

 ある日、羽田空港の待合いロビーのコーヒーショップにたたずみ、となりのテーブルのおじさんが食べているカレーの香りの中で、その理由をじっくりと考えてみた。
 ネクタイを締めた頭髪がバーコードになったおじさんは、カートを向かいの席に立てかけて、一心不乱にカレーをかきこんでいる。

■空港のカレーは、街のカレーより本当に美味しい。
 食べ比べたことがないので、わからない

■カレーがそこにあるとは思っていなかった。
 空港に食事に行く人はいない。交通の手段として訪れた場所で、食べ物の強い香りを嗅がされることで不意を突かれる

■空港に行く時はお腹が空いている時だ。
 確かに満腹に食べた直後、さぁ飛行機に乗るぞと空港に乗り込んだことはない。

■カレーはどこでも美味しそうなのだ。
 そこが空港だからではない

 4つではキリが悪いのであと1つと、頭をひねっていたら、おじさんはカレーを食べ終えてしまった。
 さじを、それを置いていたナプキンに包み皿に置いた。
 ご飯粒はキレイになくなっているが、さじですくいきれなかったルウが皿にバーコードのように残っている。

 あれを舐めたい

 とはさすがに思わなかったが、もし今おじさんが、皿を舐め始めたら、いいネタができる。
 いや、舐めたことにしてしまおうか・・
 と考えていたら、視線に気づいたおじさんはそそくさと席を立っていった。

 カレーの余韻を楽しみたかったかも知れないのに悪いことをした。
 もうそれ以上、空港のカレーが美味しそうな理由は浮かばなかった。

 いつか、きっと同じ問題意識を持つ同士が、同様の考察をしてブログで発表してくれるだろう。
 そしてその数が100人に達した時、ハウスかS&B食品が「空港カレー」を発売するに違いない。

 早く食べたい。空港カレー

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2007年12月20日 (木)

占いは転ばぬ先の杖

 占いを生活にとりいれたのは平成9年(1997年)だった。
 当時はまだ静かなブームだった六星占術の本を買って来て読んだ。
 そして平成20年も買ってきたので、これで12年12冊めになる。

 風水はそれなりにモノを買うことを伴うので、続けるにはお金との相談になるが、こちらはとりあえず"先生"のところに行かなければ毎年533円の出費で済む。占いとしてはこれは破格の低コストだ。

 六星占術は12の運命周期のくり返し。

種子
緑生
立花
健弱
達成
乱気
再会
財成
安定

陰影
停止
減退

 エクセルにつけている日次の記録には、日付の横の列にこの周期をペーストする。
 毎年、新しい手帖が届くと365日にこれを書き込む。

 こうしておくことで不運を回避できるし、好機を逃さない。
 立花の日には新しいことを始めようと考える。
 陰影から始まる三日間の殺界は、より謙虚な姿勢を心がけるし、事故やトラブルに敏感になる。

 何か不運なことがあった時や、気分が意味もなく優れない時、周期を確認すると陰影の日だということが多い。

 占いは転ばぬ先の杖。
 信じるものでも、頼るものでもない。
 単なる参考情報。
 ただ、参考情報があるとないとでは、未来に備える想像力が大きく違ってくる。





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2007年12月19日 (水)

日本の電子レンジ(2007年)

 電子レンジは息の長い機械だ。
 家電のなかでは、もっとも壊れない。
 使用年数が10年を超えた頃から、ダイヤル式の数字がうまくカウントアップできなくなるが、それでもなんとか使える。
 テーブルという回転する構造を持ちながらこれだけ壊れないのは特筆に値する。

 今使っているのは東芝の製品。
 使い始めたのは、しらべるを開設した2000年よりも、はるか前。
 その後、真剣に研究していないので、しらべるには「電子レンジ」の項目がない。
 そこで電気屋さんを回り、電子レンジについて分析した。

■電子レンジに興味がない間も、店頭に置かれた赤い筐体のシャープ「ヘルシオ」には一目おいていた。さすがシャープ、基礎が違う。次に買うならばこれしかないという威圧感が漂う。

 ところが、ヘルシオが始めたスチーム機能は、今や各メーカーの主要モデルについている。
 そして、シャープ「ヘルシオ」は水タンクが横に付いているため、庫内の横幅が狭い。
 20年前の電子レンジよりも狭い機種もある。これでは、幅の広い皿が入らない。
 真っ先に購入の候補から落ちるだろう。

■パナソニックは温度差がある2つのものを一度に加熱できる。
 通常、電子レンジにはセンサーが1つしかないが、2つ付いている。
 置き場所に線が書いてあり、そこに置くだけ。
 今時の電子レンジにはターン・テーブルはついていないので、置いた場所が変わらない。
 "回らない"ので、2つのセンサーをつけることができるのだ。

 「冷凍ご飯と冷蔵したカレールウを一度に暖めるような場合にいいですよ」
 と言われると、なるほど便利そうだと想像してしまうのだが、果たしてそんなことをする必要に迫られたことがあっただろうかと考えると、記憶がない。

 電子レンジが回らなくなった一つの理由は、手入れを簡単にすることにあるらしい。

■お手入れ機能がついている。
 ただし、全自動ロボットのように拭き取りまでやってくれるわけではない。機械がやるのは汚れを浮き上がらせるところまで。最後に人が拭き取る行程は残っている。
 どのメーカーの機種にも付いているが、パナソニックだけは水タンクにもお手入れ機能が付く。

 最近、職場で冷蔵庫を閉める音がうるさいと思っていたので、ドアが閉まる音をチェックした。

■三菱のトップモデルだけは油圧ダンパーにより、静かにドアが閉まる。
 他はすべて「ばたん!」と音がして相変わらずうるさい。
 もうこれだけで、候補の筆頭に推したい。ただし、内張に石が貼ってある高級機種のため、最安店でも\105,000。

■大半の機種が奥を壁にぴたりと付けられるが、一部の機種では2cmほど離す必要がある。
 これはさほど問題にはならない。

■東芝の売りは、調理後のカロリーを変えられること。
 店員は言う。
 「育ち盛りの子は高カロリーの仕上がり、お父さんは低カロリーというように仕上がりを微調整できるんです」
 ただし一度にはできない。加熱のたびに、微調整をする人がどれだけいるのか疑問だ。
 だいたい、育ち盛りの子供だから、油べっとりのものを食べさせようという親はいないと思う。

 今時の電子レンジで最も驚いたのは、揚げ物ができるということだ。
 「パン粉つけただけで、揚がっちゃうんですか?」
 一瞬、菊池桃子になってしまった。
 切れちゃう冷凍は少々いわくつきだが、こちらは本当に、揚がっちゃうという。
 お肉がもっている脂を使って、パン粉が揚がってしまうらしい。

 揚げ物は衣つけが大変なのもさることながら、揚げた油の始末が面倒。
 電子レンジで揚がっちゃって、カロリーも落とせる。
 (店員さんの説明が本当ならば・・)日本の技術者はすごい。

 至れり尽くせりの日本の電子レンジ。
 世界中の豊かな人は皆、欲しくなると思う。





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2007年12月18日 (火)

社内SEの仕事とは?

 さて「社内SE」700万という値段だが、上場企業で年齢を40歳とした場合、決して高くはない。妥当な金額だ。

 実際の社内SEは、これに残業代を上乗せゲットして暮らしている。
 この広告が、"残業なし"と謳えるということは次の4つが考えられる。

1,大規模開発がない。
2,新規開発も少ない。
3,一般消費者を相手にしたミッションクリティカルなシステムの担当ではない。
4,クレームがほとんど発生しないシステムの担当である。

 PG=プログラマーはどんなコンピューターシステム
であっても、残業の要因がつきまとうが、社内SEで上の4つに当てはまらない場合、残業の必要はない。

 この広告は "残業無し" を謳っているわけだから、上記の4つに該当することになる。ではこの場合、社内SEはいったいどんな仕事をするのか。

1,ユーザー要求による、小規模システム改訂についての分析・定義・設計。
2,既存システムで起きたデータ不整合などの調査。

 この2つにしても、決して難易度が低いと言うことはない。
 ただし、
社内SEは楽なのだ。
 それは相手が身内だからである。

 社外SEでも最近は、どっちが客かわからないような横柄な人が増えたが、半数は超えない。
 社内SEには、そんな人が半分はいる。
 一見物腰はやわらかくても、言っていることは恫喝なのである。

 「それが仕様です」
 「事業部さんが、そう作るように言われました」

 社外の顧客に言えば喧嘩になるような言葉でも、社内のユーザーは二の句が継げず、自ら折れてしまう人が多い。

 そういう楽な仕事で残業なしで700万。
 これはかなりお徳だ。

1,今の会社で人間関係がうまくいっていない。
2,年収が500万以下である。
3,コンピューターは難しそうで自信がないが、人当たりの良さには定評がある。

 この3条件が揃う人はぜひ応募すると良いと思う。

 年収700万ということは夏・冬の賞与が100万ずつとして月給は500万。12で割ると41万。社会保険、税金などを源泉徴収されて手取りは月30万。

 住宅ローンを抱えている妻とこども2人の4人家族ならば、豊かでもなく苦しくもなくと言う収入。
 ただ、日本のサラリーマンの平均年収は400万円台。それからすれば社内SE700万は十二分においしいと言える。




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2007年12月17日 (月)

社内SE700万 残業なし

社内SE年収700万残業なし

 最近ミクシィで見かける、このバナー広告につっこんでみたい。

 この700万が年齢、資格、経験、配偶者・扶養家族の有無などの条件により、どう左右するのかについては、ここではつっこまない。

 まず「社内SE」という言葉の意味だが、社内の基幹系・情報系のコンピューターシステムを担当するSEということである。
 クライアント(ここではお金を負担する主体)は社内の部署。折衝をする相手はすべて同じ釜のメシを食う社員である。

 社内SEという言葉は企業の現場にはない。
 社外SEと言う言葉もない。
 そもそも、社内SEは「SE」と呼ばれることすらないし、SEだと思われていない。さらに言えば、ほとんどのサラリーマンはSEという言葉を使わない。

 「SEくらい知ってるよ」
 という人はたくさんいるが、SEとPGの違い。SEが実際にどどこからどこまでの業務の領域を担当するかを説明できる人はほとんどいないはずだ。

 社外SEはソフト開発会社、ベンダーSIerの社員で、よそ様のクライアント(顧客)からお金をいただく仕事をする。

 営業がとってきた契約の客先に常駐、あるいは定期的に訪問して売り込んだコンピューターシステムについてSE業務をおこなう。
 メーカーで言えば「商品開発」「もの作り」をする人に相当する。
 社外SEの仕事の品質が高ければ、顧客が満足する。
 顧客が満足するということは、クレームもないということで、手離れよくその現場を離れられる。
 また、その実績が営業にとってはセールストークとなり、他の顧客開拓につながっていく。

 ゆえに社外SEは高給取りだ。
 上場企業クラス、年齢40歳ならば1000万を下ることはあり得ないし、2000万を超える人が多いだろう。

 では「社内SE700万」はどうなのだろうか。

つづく

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2007年12月16日 (日)

イニエスタ事件

 「今日プレーできなくても別の日がある。選手は現状を受け入れることを知らなければならない」
 イニエスタはデコへの諫言を、メディアに向けてしゃべった。

 イニエスタはFCバルセロナのカンテラ出身の生え抜き選手。
 身長170cm。身長170cmのシャビ、身長177cmのデコと中盤に並ぶ時、バルサ公式サイトは「ちびっこトリオ」と記述する。

 2002-03シーズン、FCバルセロナトップチームデビュー。
 2005-06シーズンの12月、シャビが故障してから出場機会を得る。
 縦への高速な突破で相手に驚異を与え、エトーロナウジーニョら攻撃陣へのマークを緩めさせる働きをした。

 2006年W杯ドイツ大会にスペイン代表で出場(ユニフォームナンバー13)
 彼をレギュラーとして起用しなかったのは、ジーコが松井を外したのと同じくらいに愚かなことだった。
 2006-07シーズンにレギュラー扱いの選手となり、2007-08シーズンはユニフォームナンバーが24から8に変わり、最も起用されるMFとなっている。

 デコは2006-07シーズン当初の雑誌インタビューで
「イニエスタと組む試合では自分は下がり気味だが、シャビと組む試合は前に出られるのでやりやすい」
とコメントしている。
 また、2007-08シーズン秋の雑誌インタビューでは、カンテラ出身選手のメンタリティがチームの柱となっていると発言したが、イニエスタの名前は挙げなかった。

 1984年5月11日、スペイン生まれのイニエスタ
 1977年8月27日、ブラジル生まれのデコ
 その年齢差7歳。

 いくら生え抜きのレギュラーとはいえ、7つ年下の若者に諫められては、どんな大人でもメンツが立たないというものだ。
 イニエスタ発言はデコファンから見れば、余計な一言だが、イニエスタファンから見れば、チームのために必要な一言だったのかも知れない。

 このイニエスタ事件から学ぶことは、直接言えないようなことは、間接的に言うべきではない。ということである。
 この発言により、デコがバルサのユニフォームで開幕を迎えられるのか?が怪しくなった。
 いつもならば、ネットのニュースに「デコ」の文字を探すのだが、開幕までの2週間は「デコ」の文字がないことを祈りつつ、ニュースサイトを恐る恐る開く日々となった。




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2007年12月15日 (土)

USB残業とファミレス残業の違い

 労働者側が残業手当を求めない無償の残業をサービス残業という。

 はい、お姉さん エビ いいの入ってるよ!もってきな。
 5尾300円!
 え、買う?
 まいど!
 じゃ、1尾 おまけしとくね!

の"サービス"。

スズキさん
「今日仕事のってきたから、9時までがんばりますよ」
部長
「それはありがたいんだけど、7時過ぎて残業させると、人事部がうるさいんだよな」
スズキさん
「わかりました 部長! 7時にタイムカード押してきますから」

 このようにして、会社に2時間の労働をサービスするからサービス残業。
 出勤簿を締めてしまえば、あとの時間は会社からは可視できない。

スズキさん
「今日仕事のってきたから、9時までがんばりますよ」
部長
「それはありがたいんだけど、7時過ぎて
会社にいると、人事部がうるさいんだよな」
スズキさん
「わかりました 部長! つづきは家でやってきますから!」

 こうして、家に持ち帰るサービス残業は「風呂敷残業」という。
 風呂敷に書類をくるんで持ち帰るから風呂敷残業。
 2000年代に入るまでは、全員にパソコンがある会社は希だった。
 仕事は書類でしていた頃の言葉だ。

 会社にいないのだから、この風呂敷残業の工数も会社からは見えない。
 当然、その人の工数実績が正確に把握できなくなる。
 厳密に工数管理をしている仕事ならば、その時は人件費が安く済んでよいのだが、次回以降の案件では見積りが狂うことになる。
 ただ、そんな会社はほとんどないので、風呂敷残業が問題になることはまずあり得ない。

 パソコンが普及してからしばらくは持ち帰るとしたら、書類ではなくFDだった。2005年以降はUSBメモリー。
 今ならばUSB残業だ。

 ビルの管理ルールにより「20時までで退館してください」と言われる会社もある。
 一人でできるならばUSB残業だが、打合せが必要な場合は、河岸を移してファミレス残業が始まる。
 夕飯のかき入れ時にドリンクバーだけで数時間も居座られては、ファミレスも商売にならない。
 いずれ、オフィス街のファミレスは絶滅するかも知れない。

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2007年12月14日 (金)

残業するのは人間だけ

「仕事なんてしてるのは人間だけなんです。アフリカにいくと動物は仕事してないし。キリンは残業とかしてない」
2005年 伊集院静 講演メモより

 残業とは、就業規則に定められた就業時間を超えて仕事をすること。
 労働基準法32条は「会社は従業員に1週40時間、1日8時間を超えて仕事をさせてはならない」と定めている。

 就業規則の「9時5時(=8時間)」を月~金の5日でかけると40時間になる。
 「週40時間」ときいて「冗談じゃない。そんなに楽はしてないよ」という人が多いだろう。

 だがABC(Activity Based Costing)活動で「時間つぶしの仕事」や「自主休憩」をあぶり出してみると、実質労働時間で週40時間を確保するのは意外と難しい。

お昼休み(1日1時間)

トイレ
スケジュールのたて直し
タバコ休憩
3時のお茶
同僚との仕事以外の雑談

携帯に来た私用メールの読み書き
私用電話
インターネットで仕事に関係ないサイトを見る
お昼の早メシ
銀行、郵便局に行く。

 これらをすべて計算に入れた場合、実質労働時間は70%程度。
 週40時間を実質労働するためには、毎日2時間24分。つまり19:24まで残業して初めて「週40時間」なのである。

 それでも日本の会社では、そこまで世知辛くチェックされることはないので、ほとんどの人がこの2時間24分の残業代をゲットしている。

明日につづく



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2007年12月13日 (木)

ネットでは冗談は通じない。

 ネットの掲示板ではネタなのに、シリアスにつっこむ人がいる。

イチロー
いよいよ、オフが今週末になりましたね。
ところで、おやつはいくらまでですか? ^^;)

ケイコ
>イチローさん
 逆に質問なんですが、どこかにおやつは
いくらまでって書いてあったんですか?

サブロー
 おやつなんて、持ってくる人いるんですかねぇ・・
 あまり深刻に悩む問題じゃないと思いますよ。

 ギャグのつもりで振ったネタ。
 自嘲気味に言ったコトバ。
 それがいつのまにか「深刻に悩んでいる」と決めつけられてしまう。

 会ったこともないオンラインだけの関係では、こういうことはよく起きる。
 そもそも人は、行き違いで傷つくためにネットに来ているのではない。
 オフラインで埋まらない心の隙間を埋めに来るのだ。

 って笑うセールスマンか

 人は皆、耳障りのよい言葉を求めている。
 だが、耳障りのいい言葉を発信できる人がまだまだ少ない。

 きっとみんなはわかってくれるだろう
 と思うのが甘い。
 黙っていればいいのだ。

 こういうことの積み重ねが、今、日本のネット掲示板が死んでしまった要因だ。

 このことから導かれるネット掲示板の作法は、

1,想像でものを言って、他人の考えを決めつけない。
2,順接のことばを使う。
3,否定の言葉をいうくらいなら、スルーする。

 あ、ちなみにネットに限らず、人とのコミュニケーションはこういうものですね。



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2007年12月12日 (水)

ちびの話2

 全国の犬ファンの皆さん、お待たせしました。
ちびの話後編です。

 常夏のハワイみたいに乾燥した暑さ
 ちびは小屋の中で日の光を避けていたんだけど、僕がやってくると、すたすたと力ない足取りで、小屋から出てきてくれた。

 やぁ元気かい?ちび
 なんだかつかれてるじゃないか。

 そうなんだ。
 この暑さでもうへとへとだよ。

 そう言ったちびの脇に置いてあるブリキのお椀がひからびている。
 僕は、そのお椀を見てすべてを悟った。

 ちびは「ん?どうしたの?」ときょとんとしている。

 次の瞬間、僕はブリキのお椀を手にとって走り出したんだ。
 あいにく、庭には水道なんてない。

 でも、堤防の向こうには川が流れている。
 その川の支流の小川がその堤防の手前に流れている。

 僕はブリキいっぱいに、小川のせせらぎをすくい取って
大切に一滴もこぼさないよう、そろりそろりと戻ってきたんだ。

 その時の君を忘れない。
 もう数十年経った今も、思い出して今三度
鳥肌が立ったよ。

 僕の姿を見た ちびは首輪につながれた紐が切れそうになるほど駆け寄って、大きく前足を上げて迎えてくれた。

 それはまるで暴れる馬のようであり、モーターバイクのレースで勝ったバレンティーノ・ロッシのウィリーのようだった。

 まぁそんな面倒な描写を小学生の僕は知らないから
とにかく、わっ、これ? 当たり?
 やっぱり。そうだろ そうだろ、な ちび。

 僕はその1年後、父親の転勤に連れられて、フェリーで本土まで3時間もかかる離島に引っ越した。

 ちびのことを、なぜ今日思い出したんだろう。

 もう犬の寿命からして、とっくに天国にいる頃だよね。
 僕は生涯で犬を飼ったことがないし、これからも飼うつもりはないから、ちびが僕にとって最初で最後の犬の友達だった。

 あの頃、犬語翻訳機があったら、どうだったかな。
 でもきっと僕は買ってもらえなかったな。
 科学と学習だって、毎月は買ってもらえなかったし。
 100円のジャイアントロボのソフビはおこづかいを貯めて買ったから。

 でもそれ、ちびと僕には要らなかったな。
 心通じ合う二人に、言葉は要らない
 

なんつって ^^;)



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2007年12月11日 (火)

ちびの話

 世の中には犬と猫が好きな人がたくさんいる。
 ミクシィを数年やっていて、改めてそれを実感している。
 ミクシィでは自分の写真をプロフィール写真にしている人はほとんどいない。

 クルマ好きな人が、マイカーの写真を。
 サッカー好きな人が、応援している選手の写真を使うように、犬や猫が好きな人は、そこに自分を投影した世界が広がっているのだろう。

 それは小学校3年生の頃
 越境入学で近所に友達が少なかった僕は、ある夏の午後
住んでいる県営住宅を散歩していたんだ。
一人でね。

 その住宅は15棟くらいあって、子どもの足で端っこから端っこまで行くのはけっこうな距離があった。
 住宅の東には堤防があって、大きな川が流れている。
 川は僕らの住宅の手前で90°右に曲がっていて、水を堤防にぶつけて向きを変えていく。コンクリートになる前は、よく堤防が切れて、住宅は水浸しになったという。

 夏になると、子ども達はそこで泳いでいた。
 台風の時は水かさが増して、まさに堤防を越えて来そうだった。
 いつもその川は「ざーっ」と流れているのだが、そういう日は濁った水が「どぷぷぷ」と流れていて、それは不気味で怖かった。

 その堤防に一番近い山田さんの家には一匹の犬がいた。
 ちびという名前のね。ちびと言っても体はそこそこに大きかった。

 それぞれが一戸建てだし、そもそも当時はペット禁止という時勢ではなかった。
 でもその住宅で犬がいたのは山田さん家のちびだけ。

 散歩の終着点にちびがいる

 その日はとても暑かったんだ。
 「暑い時は水を飲んではいけない。また汗が出るから」
と体育の先生が言っていた。
 甲子園で「水を飲ませてください」と審判に頼みこんだ投手が、却下されてマウンドに戻されていた。
 今とは価値観が180度違う時代だったから、僕は喉がからからになりながらも、水分補給という考えはこれっぽっちもなかった。

 山田さん一家は子どもがいなくて老夫婦ふたり。
それとちび。

 その日、山田夫妻は朝から出かけていたみたいで
いつも置いてある愛車のカローラがなかった。

 車庫の脇がすぐ家の縁側で、そこにちびの小屋がある。
いつも僕がちびと会うのはここ。
 犬と散歩するという時代でもなかったので、僕はつながれたちびしか見たことがなかった。

 湿度という言葉も知らない。
 からからに干からびたような夏の午後。
 人気はなく、風鈴の音も聞こえない。

 こんな日に、ちびはどうしているだろうか?

明日につづく





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2007年12月10日 (月)

最近ガラスを割ったのはいつですか?

 窓ガラスを壊して回るのは尾崎豊くらいで、普通の人はガラスを割ろうと思って割ることはない。 「あれ?割れちゃった」のである。

 子どもの頃、佐世保独楽を投げて回す特訓をしていたら、独楽がすっぽ抜けて玄関のドアが割れた。
 ガラスのそばでモノを投げるのは危ないと学んだ。

 その数年後、風呂のドアを蹴飛ばしたら、ガラス戸が割れた。
 足の裏を切って病院に運ばれた。
 素足でガラスを蹴るのは危ないと学んだ。

 その数年後、今度は手で風呂のドアを叩いたら、ガラス戸が割れた。
 時代は変わっても、ガラスのもろさは変わらないと学んだ。

 その数年後、僕は熊本県の山奥にいた。
 まだ高速がなかった頃の219号線。
 「助かりません。救急車到着まで1時間」
 という道路脇の看板が、ドライバーに慎重な運転を求めていた。

 まだその頃、携帯電話はない。会社への連絡は公衆電話だった。
 電話ボックスを見つけて、クルマを離れた僕は、そこで、キーを詰めてしまった。
 救急車が来るのに1時間なのだ。恐らくJAFを呼んでも1時間半は来ないだろう。
 近くの河原に降りた僕は大きい石を拾ってきて、窓を割ることにした。

 フロントガラスを割ると、風圧で運転しづらいし、高くつきそうだ。
 後部座席のドアガラスならよかろう。
 ガンガンと窓を叩く。
 ところが10分ほど経っても、窓はびくともしなかった。
 意外とガラスは割れないものだと学んだ。
 (結局JAFを呼んだら30分で来た。田舎では救急車よりJAFのほうが早いと言うことも学んだ)

 その数年後、格子状に針金が入ったサッシを蹴ったら、放射線状にヒビが入った。
 ガラスには割れやすいポイントがあるのだ。靴を履いていたので、キック力も強力だったかも知れない。
 次から蹴る時は、窓枠を蹴らなければならないと学んだ。

 人生の学びは奥が深い (バカは死ななきゃ直らない とも言う)

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2007年12月 9日 (日)

私は続けます。

 チームがアジアにいる8月1日、ムンドのトップは、ユニフォームのコオロギ鍋にキスをする丸刈りデコの写真が飾っている。見出しは
 YO SIGO
 私は続けます
 バルサに忠誠を誓うという健気なアピールだ。

 日本での試合を終えたバルサ一行は、翌8月8日の早朝に離日。
次なる目的地香港へ移動した。

 アジアツアーの最後は8月10日、FCバルセロナ対ミッション・ヒルズ・インビターションⅩⅠ戦(香港スタジアム)

 2006年のツアーはアメリカ。2007年はアジア。
 そして来年2007-2008のオフシーズンにはユーロと五輪が控えている。2006年の失敗に鑑みるならば、ツアーをせず休養に充てると思われる。
 もしそれでもバルサが何処かへ巡業に出るならば、そこは、バルサが最も拡大の必要性を感じている市場だろう。

 バルセロナに戻ったチームに、8月13日デコは半月ぶりに合流した。
 直後の公式インタビューでデコは
「2010年まで契約が残っている。今は誰からもオファーをもちかけられていない」
と答えた。
 2009-10まであと3シーズン。2010オフにはW杯(南アフリカ大会)が控え、それが終わる頃デコは33歳を迎えている。

 8月15日、日本人が墓参りをして、旧友と旧交を温めていた頃、お盆がないスペインではこのオフ、もっとも熱い舌戦があった。
 まず15日、デコがメディアに対して
 「チームに居場所がないならば、移籍先を探す」
 と発言したと報道された。
 だが、インタビュー内容全般をみれば「移籍する気は毛頭ない」といういつものデコ節であり、遠く日本からみていて何ら不安はなかった。

 ところが16日、イニエスタが反論した。





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2007年12月 8日 (土)

揺り戻し

 「ヘルプデスク」という部署に勤めている友達は、ある日今井さんという社員からの問合せの電話に、うまく答えられなかった。
 その時、今井さんからこう言われたという。

 「そこは問合せをしたら何でも完璧に答えるのが仕事じゃないの?全然ヘルプデスクになってないよ。それじゃヘルプレスデスクだ」

 この今井さんに見られる傾向をしらべるでは「揺り戻し」と定義している。

まじめにやっているのに
ルールを守っているのに
お金を出して買ったのに

僕はこんなに・・
だけど相手のこの様はなんだ
こういう心理を「揺り戻し」と呼ぶ。

 自分は誰からも後ろ指さされぬよう努力している。
 人間は誰もがそのように真摯に努力するべきだ。
 努力を怠り、結果が出ていない相手はクズだ。

 こういう「べきべき君」の思考回路は「揺り戻し」によって起こる。

 ある時点まで(あるいは、今もあるテーマにおいては)
自分も不まじめだった。
ルール違反をする横着者だった。
お金がなくて買いたいけど買えなかった。

 だが、何かのきっかけで成長して考えを改める。あるいは状況が変わる。
まじめになった。
ルールを守るようになった。
お金が入って、買えるようになった。

 そうなると、人は自分が好きになる。
 多くの人にキモいと言われている「自分探し」という行為の終点は、この自分を好きになることだ。

 子供の頃から、愛と感謝に満ちた家庭に育った人は、元々他人を攻撃する素養がない。
 ゆえに自分はこんなに努力しているのに報われない。
 他の人も同じように努力するべきという「べき論」思考に至らない。
 このような人に「揺り戻し」は起こらない。

 「揺り戻し君」は成長してどんどんいい人になっていき、ますます自分を好きになる。
 だが、元はといえば「嫌いな自分」がいたことを深層で覚えている。
 ある時、それが他人を攻撃するという形で現れる。
 攻撃しているのは、かつての自分自身。

 揺り戻しを超えることで、幸せが訪れる。
 揺り戻しを超える方法は確かにある。
 だが、それは自ら学ばなければ身につかない。





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2007年12月 7日 (金)

自アポ

 自アポとは営業マンが自分の商談訪問先を自分で電話アポイントすることをいう。

 

 新規のお客さんと会う営業は次の3つに分かれる。

 

 1,見込み客を無差別に訪問することは「飛込」
 2,名簿を見ながら訪問することは「名簿飛込」
 3,事前にアポイントをとる訪問は「アポ」と省略して言う。

 


 一方、代理店、小売店を回るのは「ルート営業」という。
 新規開拓と比べれば、ルート営業ははるかに楽だ。

 

 ルート営業しかやったことがない営業のベテランは、そんなことはないと反論するかも知れないが、じゃ明日から「飛込」をやりますか?と言われたら誰もやらないはずだ。

 


 「年収300万でも幸せに暮らせる」
 と言い張る年収3,000万の人が、年収300万の人から
 「それじゃ、明日から替わってください」
 と言われても、四の五の言って絶対替わらないのと同じ。

 


 訪問販売の会社では、見込み客から商談予約を取り付けることを専門にする「アポインター」を雇う。
 ただしアポインターを置くことで経費が余計にかかる。
 アポインターを置くことができるのは、営業マンが複数以上在籍して、ある程度の売り上げ規模がある企業に限られる。

 

 アポイント(商談予約)をとる方法は九分九厘電話による。
 ゆえにアポといえば「TELアポ」
 テルアポ、テレアポと読む。テレアポが少数派かと思っていたが、Googleで検索すると テルアポ 775、テレアポ 313,000 と圧倒的にテレアポ派が多かった。

 

 TELアポのアポインターを抱える営業部や会社で「アポインターが出すアポ」と区別する言葉が「自アポ」

 


 自アポするのはこういうケース。
■アポインターから上がってくるアポが少なくて、営業マンの行き先がない。
■営業マンが在社時に時間が空いている。

 

 自アポは当然、訪問も自分が行く。
 自身が訪問して無駄足を踏みたくないので、強いアポ(購入意志の有無をよく見極めるアポ)を入れる傾向がある。
 一方、アポイントがとれなくて困っているアポインターは弱いアポ(とりあえず、買わなくてもいいから話だけ聞いてくださいというアポ)をとってしまう。
 そういうアポインターを理詰めで早めに辞めさせるのも、管理者の大切な仕事なのである。

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2007年12月 6日 (木)

炒飯屋構想

 もしも飲食店をやるならば
「炒飯屋」と決めている。

 

 メニューは炒飯だけ
 餃子もない。
 ラーメンもない。
 ごはんもない。
誰も頼まないか 

 

 レタス炒飯、キムチ炒飯といったバリエーションはいずれ検討する。
 スープ炒飯は検討しない。
 カレー炒飯というかドライカレーはいつか二本柱として
 育ててもいいと思う。
 店では出さないが、酢豚をのせた酢豚炒飯は隠しメニューだ。

 

 田舎にぽつんと小屋のような店を構える。
 営業マンやタクシー、トラックの運転手さんが仕事の途中に寄れるように、店の周りは駐車場。
 イメージとしては福岡市西区のはずれの田んぼの中。

 

鈴木さん「炒飯1つ」
moto「あいよ」
鈴木さん「餃子ある?」
moto「いえ、やってないです」
鈴木さん「なんか他にないの?」
moto「炒飯屋なもんで」

 

 客に媚びる場面じゃないので
「すみません」
とは言わない。

 

 ただ、飲食店は客商売だ。
 客に不快感を与える会話はしたくない。だから券売機を置く。

 

鈴木さん「えっと炒飯と、それから・・[炒飯][炒飯]・・炒飯だけかよ」
券売機「・・・」

 

 店員を雇う余裕はないしお金を触らないで済むから一石三鳥だ。
 水はセルフで汲んでもらう。
 コップは紙コップ。洗わなくて済む。
 使い捨ての紙コップは資源の枯渇につながるからといって、環境維持のために使わないという人がいるが、コップを洗って洗剤を下水に流せば水質汚濁、大量に水を使えば資源の浪費だ。
 ものごとは総合的に考える必要がある。

 


 美味しい炒飯は毎日でも食べたい。
 「明日はあの店の炒飯だ」
 楽しみにして食べに来た客の満足げな顔をみたい。
 毎日通ってくれるお客さんが太らないよう、ウーロン茶やジャスミン茶もサービスで置こう。

 

炒飯

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2007年12月 5日 (水)

かまくらと雪合戦

 小学校の時、住んでいた盆地の町では、冬になるとよく雪が降った。

 近所の高校生の兄ちゃんが数人がかりでかまくらを作った。
 その中にこたつを持ち込んで4人でトランプをしていたから、そこそこの大きさだ。
 どうしても、そのかまくらに入れて欲しくて、親に頼んでみかんをせしめて、それを手みやげにして入れてもらった。
 遠い昔のことなので、そこが寒かったか暖かかったは覚えていない。
 そのこたつには電気を引いていたのかもわからない。

 かまくらは雪でつくるドーム状の居室。

 雪のなかに掘った穴の形を「かま」、神様をお迎えする神座を「くら」と呼んだことが語源と推測する。
 神奈川県鎌倉市とは関係ないようだ。

 大人になって、ある冬の日の昼休み。
 かまくらは無理だが、雪合戦には十分な雪が積もった。
 そこで、洒落のわかる同僚数人にメールを流して、雪合戦の招集をかけた。

案内文
雪合戦 開催!
日時:28日(金)12:30~12:45
場所:事務所 玄関前 集合

 メールだけでなく、周囲にも直接声をかけて、巻き込む。

装備
 ジャンパー(本皮はダメ)
 軍手(必須、意外とべちゃべちゃにはならない)

ルール
 個人戦がおもしろい。
 顔から上は狙わないこと(洒落にならない)
 玉はあまり大きくしない(当たると本当に痛い)
 山投げはしない(頭や顔に当たる)
 石を入れない
(いないと思うが)

その他の留意点
 集合場所で雪合戦する。
 集合場所から移動せず、その場所でやっていれば、やっぱりやりたくなって、遅れて来た人も参加できる。

 雪の降った日に雪合戦を呼びかけたら、きっと心の温度が高い仲間が集まってくれる。

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2007年12月 4日 (火)

消えたメールが変えた運命

 11月27日
 お昼にブラウザーでニフティのメールをチェックしていた。

 迷惑メール(3)

 ニフティは迷惑メールを自動的に迷惑メールフォルダーに切り分けてくれる。ブラウザーではこのように確認できるが、メーラーには送信されないので気づくこともない。

 今日も迷惑メールを除外してくれているんだな。
 安心感が漂う。

 ふと、迷惑メールを開けてみたくなった。
 開けると言っても添付ファイルを開けたりしない。ここをクリックしたら1000ドルだと言われても見向きもしない。ただ、差出人とタイトル一覧を見るだけだから危険はない。

 3通のうち1通、友達からのメールが混じっていた。
 危ない・・
 ここに入っていると言うことは、自分がそのメールアドレスを「迷惑メール」に指定したと言うことだ。だが、設定した記憶はない。

 いつもはプロバイダーのアドレスで送ってくる友達だが、その日に限って携帯アドレスだった。
 携帯会社のドメインで、迷惑メールに指定したのだろうか。

 メールを選択して「迷惑メールではありません」をクリックすれば、迷惑指定は解除される。
 危うくメールを消してしまうところだったが、事なきを得た。

 そして、2日後、ニフティからお知らせが来た。

(以下、趣旨を損なわぬように要約)

迷惑メールフォルダー振り分け処理トラブルについて(お詫び)

 この度、お客様がご利用の@niftyメールにおきまして、お客様宛の一部の
メールが誤って迷惑メールフォルダーに振り分けられるトラブルが発生いたし
ました。

 ■発生した事象
  上記の期間、迷惑メールフォルダーで採用している株式会社シマンテック
  の判定システムが、トラブルにより誤判定しやすい状況になっておりまし
  た。そのため、お客様宛の一部のメールが誤って迷惑メールフォルダーに
  振り分けられておりました。

 消えてしまったメールは復旧できないという。

 人生において、大切なメールを受け取らぬまま、
 就職をしそこねた人がいたかも知れない。
 恋人とすれ違った人がいたかも知れない。
 長年の夢がかなう知らせに気づかず、相手を怒らせた人がいたかも知れない。

 消えてしまったメールが紡ぐはずだった運命はそこで終わり、違うルーティングの運命が未来からやってくる。

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2007年12月 3日 (月)

東京マラソン2008の御輿を担ぐのは

 第一回のボランティアは1万人の定員に対して12,670人が集まった。
 用意したユニフォームでは数が足らず、受付が遅かった人には既成品ロゴなしのキャップ、ポンチョが配られた。
 第一回はレース出場の落選が決まってから、申し込むことができたので、第二回(2008年)のエントリー抽選で便宜を諮ってもらえるかも知れないという期待を込めて参加するランナーが多かった。

 第二回大会のボランティアは、前回と違い、抽選結果発表前の募集開始。
 ただ、第一回大会の経験で、ボランティアも大きな感動を味わえること、無償でもらえるグッズは参加者がもらえる記念品よりはるかに豪華であることを知っていたので、応募が殺到すると予想していた。

 そして案の定、ボランティアは申込みの足が速く、募集開始から一ヶ月足らずで定員に達し、締め切られた。

 果たして、前年にボランティア参加した人は、優先的に当選したのか?
 とても気になったので、ミクシィの「目指せ!東京マラソン」コミュニティでアンケートを設置した。
 1か月間の受付で199件の回答があった。

 設問は以下から一つを選択
【 当選 】07も当選
【 当選 】07は落選
【 当選 】07は落選、ボランティア参加
【 当選 】07は応募せず、ボランティア参加
【 当選 】07は応募せず
【 落選 】07も落選
【 落選 】07は当選
【 落選 】07は落選、ボランティア参加
【 落選 】07は応募せず、ボランティア参加
【 落選 】07は応募せず

 詳細な数は著作権に配慮して、ミクシィの「目指せ!東京マラソン」コミュニティを見ていただくことにするが、計ったように均等な分布となり、いかにも無作為抽選ですという結果になった。

 10月25日には大会公式飲料アミノバリューが「東京マラソン2008出場権プレゼント」を始めた。
 前年にはなかった試みで、抽選に漏れたランナー、エントリーしなかったランナーにとって、最後のチャンスとなる。締め切りは12月12日。
 ただ、商品購入が応募の条件となっていることで、少なからず非難もある。

 このように、スポーツと商売を結びつけると、ぶーたれる人がいるのが不思議だ。
 スポンサーが大金を出すから、ボランティアのユニフォームはタダにできるし、ランナーには至れり尽くせりのサービスができる。

 いくら黒字財政の東京都とはいえ、都内・都外のランナー、つまり一部の納税者のために都の予算を使うことはできないから、大会そのものが開けない。

 御輿に乗って楽しめるのは、担いでくれる人ありき。
 たとえ出場枠の10%がスポンサーやメディアの枠でしたと言われても、何ら不思議ではない。
 いつも誰の「おかげ」なのかを考えたいものだ。

→motoのど素人!マラソン講座

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2007年12月 2日 (日)

デコはドコ?

 ソシオ公開練習が終わり、選手がホテルに戻ってくる。
 ホテル前には今日もそこそこの人数のバルセロニスタが詰めかけた。
 いつも尊大な態度のアンリも淡々とサインに応じ、この来日直後に移籍したCLの英雄ベレッチは怪しげな足取りで空を見つめて歩き、誰にもサインせずホテルに入っていった。

 8か月前、僕らにサインしてくれたデコはバスに乗っていない。
 だが、おとなしく家で悲しみに暮れているわけにはいかない。

 僕はデビッド君の想像似顔絵を描き、その上に
「Donde esta Deco?」デコはどこだい?
  と書いたプラカードを選手一行に掲げたが、ロナウジーニョに「なんだそれは?」と戸惑いの表情を浮かべさせただけの成果にとどまった。
 去年の冬には「でこすけ」を見て選手は指を指して笑い、コーチはサムアップしてくれたが「デビッド君」への反応は薄かった。

 バスを降りて端から端のファンにサインペンを走らせていたライカールトが、僕の手前でサインをやめて引き上げた。このことで、ライカールトとデコの間に何か確執があるのでは?という新たな疑問が浮上した。
そんなわけはない。

 8月7日
 FCバルセロナ対横浜Fマリノス(日産スタジアム

 8か月前、エマージェンシーシートを体に巻き、寒さをしのいだ冬から一転、水色セカンドや07-08ホームなど、皆が半袖のユニフォームをまとい僕らは席に着いた。

 試合はエトーが出した、まるでデコのような縦パスをドスサントスが決め1-0で勝利。
 過去2度の親善試合は引き分け。
 2005年6月12日 △3-3
 2005年7月30日 △1-1
 3度めの正直でようやく、マリノスに勝利した。

来日メンバー
GK:ビクトール・バルデス、ジョルケラ、オイエル
DF:ベレッチ、ザンブロッタ、シウビーニョ、テュラム、アビダル、オレゲール、オルモ、マルク・バリエンテ
MF:モッタ、シャビ、イニエスタ、トゥーレ・ヤヤ、クロサス、サストレ、ディマス
FW:エトー、ロナウジーニョ、アンリ、エスケーロ、ドス・サントス、マキシ・ロペス、ボージャン





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2007年12月 1日 (土)

東京マラソン当選者確定

 11月12日、東京マラソンの追加当選者へ連絡が発信された。
 昨年同様、追加分については落選者に連絡はない。
 落選者はミクシィの「東京マラソン」コミュニティのような掲示板で、当選者の書き込みを見て、発表が終わったことを知ることになる。

 これで2万5千人の当選者が内定すると共に、10万人の落選者が確定した。
 この10万人を狙う関東の春マラソンは、3月16日の荒川市民マラソン2008、4月20日のかすみがうらの2つ。
 かすみがうらは東京マラソン開催の翌日、2月18日をエントリー締め切りに設定している。
 東京マラソンをテレビや沿道で見て触発された人や、東京マラソンを不完全燃焼で終えた人をある程度拾うことができるだろう。

【 時系列の記録 】

2007年
3月13日、日程が2月17日と発表される。
4月13日、ウェブページが2008のものに切り替えられた。
6月1日、詳細情報公開
6月17日、エントリー受付開始 募集定員3万人
6月22日、受付開始5日めで定員を超え、抽選となることが告知された。
8月3日、500人のボランティア・リーダー募集。2007年大会のボランティア従事者へ案内。8月~9月に1度終日研修を受け、リーダーへの認定が決まる。研修受講費が2,000円かかる。

8月17日、エントリー締切
8月28日、ボランティアリーダー2度めの募集メール送信
9月3日、ボランティア募集開始(前年は11月募集開始。レース出場落選が決まってから、申し込むことができた)定員12,000人を先着順で締切。
10月1日、ボランティアが定員に達し、締め切り。
10月4日、抽選 定員より2,500人多い27,500人を当選とする。
10月5日、応募者に当落の通知開始。

10月25日、大会公式飲料アミノバリューを提供する大塚製薬が東京マラソン2008出場権プレゼントを開始。

11月12日、補欠当選通知が届き始めた。

12月3日につづく

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