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2008年1月の31件の記事

2008年1月31日 (木)

話し合うことと、力はどちらが正義なのか?

 ある学級でのできごとです。

 その日、学級会でクリスマス会の会費について話し合いました。

 実際にかかる費用は一人あたり100円でしたが、クリスマス会とは直接関係のないPTA費を25円上乗せしていました。
 これは長いこと続いていた、この学級のルールであり、いずれ見直すことになっていました。

 今日がその見直しの会議です。

 学級の6割を占める「賛成派」は、今後も25円の上乗を続けようと言っています。
 その理由は、25円がなくなると、PTAが混乱するからだと言います。
 でも、いったい「混乱」とはどのようなことなのかは、言いません。

 推理すると、PTAの人たちは、その25円をとても頼りにしているようです。
 そのお金がなくなると、色々なことが立ちゆかないらしいのです。

 ただ、25円を頼りにしているのは一部のPTAだけ。
 どうやら、その25円のお金は一部の人たちの懐に入る仕組みの様子。
 その他のPTAは25円を値下げして欲しいと思っています。

 でもやっぱり賛成派は「重大な混乱を来すことは避けなければならない」と言うばかりで、要領を得ません。
 理屈が通るならば、きちんと本当のことを話したほうがよいと、学級の皆が思っているのですが、本当のことはなぜだか、言ってはいけないようなのです。

 とても不思議なのは、賛成の人だけでなく、反対の人もそこには突っ込まないということです。
 共にPTAに弱みでもあるのでしょうか。

 さて、残る4割の「反対派」は、25円の上乗を継続することに反対。
 悪しき慣習は断ち切るべきだと言っています。

 折しも、いろいろな品物が値上げになっていて、去年100円だった費用は、今年は125円かかりそう。
 25円の上乗を続けると、一人あたり150円集めなければなりません。

 いよいよ、先生が廊下を歩いてきました。
 先生が教室に入ってくると、学級会の始まりです。

 いきなり多数決はとりませんが、話し合いをした後、最後は挙手による多数決でどちらかに決まるでしょう。
 6割のグループは、4割の反対派が十分に納得がいくまで、話し合いをしたいと言っています。
 あくまで、ルールに則って話し合おうと言っているのです。

 ところがなんと、4割の反対派は、教室のドアを封鎖して先生を教室に入れないという手段に出ました。
 数に任せて多数決で押し切るのは「数の暴挙」だと言うのです。

 学級会が始まれば、最後は6割のグループが押し切ってしまう。
 それならば、学級会が始まらないよう強行手段に訴えるしかないということです。

 多数決でものごとを決めるのが民主主義だと学校では教えていました。
 力に訴えてそれを阻止することは戦争といい、よくないことだと教えてきました。

 でも実際には、多数決が暴挙で、力が民主主義を守ることだと、学んだ人もいたのです。

 大人が教えたように、子供は学ばないのでしょう。

 また、そういうご都合主義な子供が演じる見本を、その次の世代の子どもはどう見るのでしょう。





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2008年1月30日 (水)

Times Club タイムズクラブ

 今から10年前、名古屋で Timesに停めた時のことだ。
 駐車料金が200円と表示されたので、500円玉を入れた。
 おつりは出なかった。

 しばらく待った。
 でもおつりは出なかった。
 何が起きたか、理解できなかった。

 機械には500円玉、100円玉、10円玉の絵が描いてある。
 500円玉が使えるということだ。
 それならば、お釣りも出るだろうと考えた。

 Timesに問い合わせると、その絵は 500円玉が使えるという意味であり、おつりが出るという意味ではないということだった。
 だが、わかりづらいことは事実であり、申しわけないということで、お釣りの300円と Timesのロゴが入ったクリアファイル、クリップが送られてきた。
 とても、血の通った対応をしてくれる、いい会社だと思った。
 それ以来、Timesの黄色い看板を見ただけで、プラスの感情が起こるようになった。

 あれから10年。
 そのステーショナリーも賞品にラインアップされている Times Club を見つけた。
 パーク24が運営するコインパーキング「Times」のポイント制度。
 Timesに置いてあるパンフレットをみて、ウェブサイトから申し込むと、カードが送られてくる。

現金払い。クレジットカード支払いではない。
 精算ボタンを押した後、お金を入れる前にカードを機械にさし込むとポイントが付与される。

100円で1ポイント
賞品の一例:1000ポイントで、1000円のギフト券
ポイントの有効期限:翌年10月末まで
 元旦に停めた場合が最長で、1年10か月。

 1000円の賞品を得るためには、10万円分停めることが必要になる。
 東京都内の場合、ほとんどの Timesは15分か20分で100円。
 15分100円で計算した場合、250時間停めると10万円。
 10万円の利用で、1000円の賞品が手に入る計算になる。

 2008年1月1日からポイントを溜め始めた場合、2009年10月31日までに250時間停めないと、1000円のギフト券にたどり着けない。
 22か月で割ると、1か月あたり11.36時間。
 毎月4,500円を Timesに停め続けることができるのは、ルート営業マンかよほどの遊び人だろう。


 会員サイトのポイント確認画面では、利用年月日、駐車場名(タイムズ***)、金額がリスト表示される。
 後から駐車場の名前を確認する時には便利。
 といっても、確認して何になるかと言われると困る。


 ポイントを溜めることに拘りすぎると、不測の事態が起こる。
 ダッシュボードからポイントカードを探している間に時間が過ぎて 100円カウントアップしてしまうと、元も子もない。失った100円をポイントで取り戻すには、1万円分(25時間)停めなければならない。

 考えただけで具合が悪い。


 賞品に交換されぬまま期限が切れたポイントは、タイムズクラブより交通遺児育成基金へ寄付されることになっている。
 企業の利益を厚くするのではなく、社会貢献する姿勢がすばらしい。

 ポイントを溜めて放っておけば寄付される。
 このポイント制度は社会貢献のためと考えるのが、よさそうだ。





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2008年1月29日 (火)

人前で読むのに抵抗がある本

 本は書名が表紙と背表紙に書いてある。

 表紙には書名が書いてあるので、内容によっては、電車や職場で読む時には表紙を隠さなければならない。

 また書名が背表紙に書いてあるので、本棚に立てておくと家族に見られてしまう。
 これは隠しようがないので、図書館でその場で読む、読んですぐブックオフに売るといった工夫が必要になる。


 「仕事を征服し、女にモテる強い男を作る法」大島清 1996年12月

 なんという下品でわかりやすいタイトルか。
 ただし、手に取りづらさを乗り越えて読んでみると、内容が確か。
カップ麺をなぜ食べてはいけないか?
・夜食はなぜいけないか?
残業する脳のメカニズム・・
 など現代人の悩みを大脳生理学の見地から論理づけた傑作。

 著者の大島清は1927年広島県生まれの医学博士。
 東大卒 京都大学名誉教授 愛知工業大学客員教授
 脳の理論をわかりやすく書いた著書が多い。

 「上司から脳を守れ」大島清 1998年12月
 こちらも職場では読めないが、困った上司に悩まされている方は読んでおくとよい。


「離婚の手続きとすすめ方―これで万全」2006年1月
 転ばぬ先の杖として学んでおきたい・・。ただ、それだけでも、やはり家には置けない本。
 家族に余計な不安を与えてしまうし、駆け引きをしたい人の場合、手の内がばれてしまう。
 職場、電車とどこにもこの本を読む場所はなく、カバーをかけてもらって早々に読み終え、処分しなければならない。


「うつかも知れない 死に至る病気とどう闘うか」磯部潮 光文社 2006年4月
 これは職場では読めない。
 うつ病と聞いただけで、厄介者のように扱う上司が少なくない。
 心療内科医には、この本に書いてあるような良心的な医者もいれば 「これからベンツに乗ってゴルフに行くんだから早く帰れよ」と言わんばかりの医者もいる。
 臨床心理士 磯部潮が "自分がうつ病になったら、このような診療を受けたい" というクリニックの事例は、病院選びの指針になる。


「身近に亡くなりそうな人がいたら読む本」市川愛 2006年6月
 これは親と同居していると読めない。
 だが老いた親は本棚の裏側まで掘り返さないだろうから、読んで隠しておけばよい。
 葬儀、戒名、お墓、相続
 親が高齢にさしかかる40台になったら、さらりと読んでおきたい。


 こうした、人前で読むのに抵抗がある本に書いてあるような情報は、必要に応じてとても知りたい情報である。

 身近に詳しい人がいるかというと、なかなかいない。
 インターネットで調べても、情報の属性に信頼が置けない。

 その点、書籍は後々係争にならぬよう、編集者が慎重に精査してから発売されている。
 人目に触れぬ工夫をしてでも、確かなものはやはり本ということになる。

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2008年1月28日 (月)

旧1号ビッグマスク賞当たる

 「お客様お持ち帰り用」と書いた方のくじを渡される。
 携帯サイトにアクセスすると、ダブルチャンス賞として、声優サイン入りの「電王ビッグマスク賞」が当たるらしい。

 携帯電話会社とつるんで儲けるために、携帯サイト限定にした企画は非常に迷惑だ。
 あざとい。

 はぎ取ったほうのクジを握った兄ちゃんは表情一つ変えず、景品コーナーに向かう。
 なんだ景品は奥から出てくるんじゃないのか。
 てっきり、店頭にあるのは展示用見本だと思っていた。

 彼のあまりの無造作ぶりに一瞬、もしかしてという予感がよぎる。
 すると兄ちゃんは景品コーナーから一番大きな箱を手にして、レジに戻ってきた。
 確かあの位置にあったのは旧1号。
 でもまさか、もう一つのビッグマスク「電王」じゃないよな・・

 でかいなぁ
 という顔をしながら袋に入れますか?と尋ねる兄ちゃん。
 一等が当たるという非日常なできごとに対して、あくまで日常モードで対応をつづける兄ちゃん。
 僕のほうから口火を切った。

moto「それって一等ですよね」
兄ちゃん「あぁはい。おめでとうございます」

 兄ちゃんが笑顔をみせて、ようやく晴れがましい表彰式が始まった。

兄ちゃん「これ最後の一つですよ。でも旧のほうですけど・・」

 その旧が欲しいのだ。
 実は仮面ライダー旧1号のファンクラブ会長なんです。
 と言うと、引かれてしまう。

moto「いやぁこっちが欲しかったんです。嬉しいなぁ(標準語)」

Dsc05524 「この喜びを、真っ先に誰に伝えたいですか?」

とは、聞いてくれなかった。

 セブンイレブンで一番大きなレジ袋に入れても、取っ手がつかめない。
「ここ、持っても大丈夫ですよ」
 プライズの取っ手を持つよう促す兄ちゃん。
 3億円の宝くじが当たった時の練習だと思い、辺りを警戒しながら家路についた。

 仮面ライダーのマスクは、少しでも見る角度が違うだけで、別人の顔を見せる。

Dsc05532  朝からイメージしていた、並べた写真を撮る。
 ディスプレイのほうが背が低いので、本を敷いて高さを調節する。

 案の定、大きさ、型ともに全く同じだ。

 違うことといえば次の2点
1,クラッシャー上(マスク上側に付いている部分)の塗装がビッグマスク賞のほうが濃い緑で塗ってある。

2,アンテナは違う色。長さ、角度が違う。ただし、素材は同じで、両マスク共に「タイプA」の先にストッパーがないデザイン。

 Oシグナル、Cアイ共に同じ。塗色も同じ。
 差異は見られない。

 ディスプレイはマスクがスタンドに固定されているが、ビッグマスク賞は取り外しができる。スタンドに収めるとぴたっと決まり、左右上下の向きが変えられる。

 ゲットしたてのグッズは、しばらく目の前に飾って置くのが常だが、ビッグマスク賞はその日のうちにショウケースの「旧1号置き場」へ。

 コレクターは手に入れるまでがストーリー。
 靴や時計のように、使いこむ楽しみがない観賞用グッズは、あっという間にショウケースに埋没してしまった。





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2008年1月27日 (日)

非EU圏選手枠

 9月22日
 リーガ4節セビージャ(カンプノウ)○2-1
 デコはフル出場し、86分に今期3枚めとなるイエローカードを受ける。

 9月26日
 リーガ5節サラゴサ(カンプノウ)○4-1
 デコは先発出場したが、73分にドスサントスと交代した。
 デコ、イニエスタ、シャビに次ぐMF4番手の地位をドスサントスが固めつつある。

 9月29日
 リーガ6節レバンテ(away)○4-1
 デコフル出場し、4点めとなるメッシのゴールをアシストする。
 故障していたカルレス・プジョルが後半から今期初出場。一方、このゲームでヤヤ・トゥーレ負傷した。

 10月2日
 CLグループリーグ2節シュツットガルト(away)○2-0
 今期通算3度め、CL初のセカンド水色ユニ着用も、勝利を納める。不運のオレンジ伝説の二の舞は踏まなかった。

 10月7日
 リーガ7節アトレティコ・マドリーカンプノウ)○3-0
 デコフル出場。そして16分に先制ゴール。今期公式戦の初ゴールであり、本当に久しぶりのデコゴール。61分には4枚めのイエローカードを受けた。

 10月17日
 エトーがスペイン市民権を獲得。
 今期に入ってロナウジーニョ、ドスサントス、エトーが立て続けに二重国籍を獲得したことで、この時点で非EU枠を使うのはヤヤ・トゥーレ1人だけとなった。


 非EU圏枠とは、EU以外の国籍を持つ選手の登録枠。

 「二重国籍」とは、外国から来た選手が、その土地の市民権を取得した状態を言う。

 出身国籍でA代表経験がある場合、引き続き出身国の代表として出場できるが、新たに市民権を得た国の代表には入れない。代表経験がなかった場合は、召集された場合に、本人が選択することになる。

 デコはブラジル出身で、ポルトガル国籍を取得し、ポルトガル代表として出場している。
 ブラジルは非EU圏だが、ポルトガルはEU圏なので、非EU圏枠は使わなくて済む。

 二重国籍となり新たに市民権を得た場合、その国のプロサッカーリーグに国内選手として登録できる。
 リーガには、非EU圏選手は出場3人、登録4人までというルールがある。
 それまで非EU圏枠を使っていた選手がある日、市民権を得て非EU圏枠の制限から外れることで、クラブは新たな非EU圏選手を獲得できるというメリットがある。

 選手本人にもいくつかのメリットがある。
 ひとつは、出場登録される確率が上がり、出場機会増につながる。
 もうひとつは、クラブから見て触手を伸ばしやすい選手ということになり、移籍市場での価値が上がるというものだ。

 ロナウジーニョはブラジルとスペインの二重国籍。代表はブラジル、リーガではスペイン国内選手。
 リオネル・メッシはアルゼンチンとスペインの二重国籍。代表はアルゼンチン、リーガではスペイン国内選手。
 サミュエル・エトーはカメルーンとスペインの二重国籍。代表はカメルーン、リーガではスペイン国内選手となる。

 バルセロナの主力フォワードがそうであるように、欧州サッカーでは、非EU圏国籍選手の戦力比重が大きい。



WOWOW公式サイト
WOWWOWでリーガ2007-08ユーロ2008 を見ることができる。

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2008年1月26日 (土)

旧1号ビッグマスク賞

 2007年暮れ、セブンイレブン店頭で「一番くじ仮面ライダーシリーズ~栄光のライダーマスク編~」が展開されていた。

 いつものセブンイレブンに入って、目が一点に固定された。
 どでかいブリスターパックに入った旧1号
 思わず膝を折り、腰を落として一等の「旧1号ビッグマスク賞」を観察する。

 マスク台には変身ベルトがあしらわれている。マスクの大きさは原寸の二分の一か。
 ただ原型は、2007年2月に発売された仮面ライダーマスクディスプレイと同じにみえる。
 クラッシャー部分の塗装が、てかりのある緑であるところが酷似している。

 1回500円
 一番くじシリーズは「空くじ無し」なので、外れた場合の景品もチェック。
 旧1号ものは他にはない。
 これならば、もらってもいいかなと強いて言えるのは、骨戦闘員ボールペン。

新入社員のマリちゃん「へぇ、かわいい」

moto「これは仮面ライダーの戦闘員で、骨戦闘員と言うんだ。バイクに乗って戦うマシン戦が得意なんだよ。初期の戦闘員はベレー帽をかぶっていたし、こうして覆面を被ってからも黒戦闘員、赤戦闘員といって胸には骨の図柄が書いてなかったんだ」

 残念ながら、こんなツッコミをしてくれる新人のマリちゃんが僕にはいない。
 この骨戦闘員ボールペンをゲットしても使う場面がない。
 RPGから我に返り、ここは様子を見ることにした。

 ヤフオクで検索すると既に多数の出品があった。
 落札価格は 2,000円台から 3,000円台。
 旧1号のプライズが高値を呼ぶことは滅多にないので、これでも高い方だ。
 同種の「ライダーマスクディスプレイ」の時はプライズとして流通量が多かったため、ヤフオクでは 1,200円でも買い手がつかないことがあった。

 メーカーは「ライダーマスクディスプレイ」と同じバンプレスト。
 これは同じ型から起こしたものと考えるのが妥当だ。
 ほぼ同じ物に、送料まで含めると4,000円弱を払うのはばかばかしい。
 見送りを決めた。

 1月某日
 この日の占いは、最も幸運と出ていた。
 なんだか一つくらい、勝負手を打ってみたいと思っていた。
 夕闇が迫った頃、一つのアイデアが浮かんだ。

 よし、今日のトレーニングはウォーキングにして、最後にあのセブンイレブンに寄って「一番くじ」を引こう。
 狙いは「骨戦闘員ボールペン」だ。
 防衛規制が働き、ここでは1等を除外している。

 およそ3kmのウォーキングを終える頃、セブンイレブンが見えてくる。
 速歩のままでは怪しい人だと思われるので、お店の5m手前でシフトダウンして、ふつうの速さに切り替えて入店。

 いつも「一番くじ」が置いてあるエンド(売り場の端っこのこと)をチェック
 ない!

 くじが無くなっている。
 これを楽しみにして来たのに。

 いや昨日まではあったから、まだ倉庫にはあるに違いない。
 店員さんに言って、一回だけ引かせてもらおう。
 もしかしたら、骨戦闘員は末等だから、他の景品が当たっても替えっこしてくれるかも知れない。
 レジに向かう・・

 レジ前にあった。
 旧1号マスク、骨戦闘員ボールペン ちゃんと置いてあった。
 「あと残りわずか」と昨日まではなかった、手書きの紙が貼ってある。

moto「これ一つしたいんですけど」
兄ちゃん「あぁはい、このカードを持ってレジにお願いします」

 レジから出てきてカードを指し示してくれた。親切な兄ちゃんだ。
 これがクジなのか?と思いながらも、無頓着に一番手前にあった1枚を引いてレジに置く。
 ナナコで支払を済ませると、兄ちゃんが後ろから小さな箱を取り出して、僕に差し出す。
 「どうぞ」

 おぉやはり、こうして引くのか。
 右手には今買ったばかりのカフェオレやパンを持っていた。
 一瞬右手で引きたくなったが、左手を箱につっこむ。

 「あと残りわずか」のクジは、確かに少なかった。
 一番上にあったクジに触れた時の、箱の底までの距離から推測して15枚ほどか。

 一番最初にコレと思ったものを引く。それが僕の流儀。
 だが最近はうまくいかないことが多い。
 一旦底まで達してすくいあげた時、人差し指に触れたクジが
 「今日は僕が君のクジだ」
 と言っているようだった。
 時計は五時を指していた(全然関係ない)

 くじを自分でめくり、兄ちゃんに渡す。

 「こちらどうぞ」

1/28につづく

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2008年1月25日 (金)

旧1号マスクの変遷

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 箱を開けると出てきた中味はこれだった。

 なんだこれは?


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 表紙では、かまきり男より背が高かったはずだが・・



 これまでに商品化された旧1号マスクは以下のとおり。

仮面ライダー旧1号1/1マスク
ゼネラルプロダクツ ガレージキット
時期不明
1/1マスクの発売はこの一度きり。

RMW001 仮面ライダー旧1号1/2マスク
レインボー造形 コレクターグッズ
2001年

RMW020 仮面ライダー旧1号1/2マスク
レインボー造形 コレクターグッズ
2004年

仮面ライダー マスクディスプレイ~仮面ライダー旧1号編~
バンプレスト プライズ
2007年2月発売 2007年暮れから2008年初頭に販売された「一番くじ仮面ライダー栄光のライダーマスク編」旧1号ビッグマスク賞のマスクは、これと同じ原型と思われる。(詳しくは次回に記載)

RMW 仮面ライダー桜島1号1/2マスク
レインボー造形 コレクターグッズ
2007年3月発売

ライダーマスクコレクション
 食玩 2007年発売
 旧1号(TYPE1) がラインアップに入っている。ノーマル台座と、台座が光るタイプのものがある。旧1号食玩では珍しく品薄でヤフオクで高値を呼んだ。

 今回ハイパーホビー2008年1月号に同梱されたのは、このライダーマスクコレクションの(TYPE2版)

 TV撮影に使われた旧1号マスクには次の3つのタイプがある。

Aタイプ(またはタイプ1)
アンテナ:ストッパーなし
アッパーマスク:深い青緑
Cアイ:薄い赤
クラッシャー:青緑
構造:部品はマスク、クラッシャーの2点。クラッシャーには内側にかぶる帽子がゴムでつながっている。目の下の黒い部分が半透明になっていて、ここから視界を取る。
被り方:まずクラッシャー+帽子をつけてから、マスクを被りクラッシャーをアッパーマスクにはめ込む。
アゴがほっそりしている。横から見るとアゴを引いたようなライン。
仮面ライダー旧1号1/2マスクはこのタイプのレプリカ。

Bタイプ(またはタイプ2)
アンテナ:先端にストッパーが付いた
アッパーマスク:青緑
Cアイ:薄い赤、薄いピンク(2種類あり)
クラッシャー:青緑 えらが張っている
このタイプはリペイントして旧2号に使われた。

桜島
アンテナ:ストッパーあり
アッパーマスク:黒に近い紺色
Cアイ:濃い赤
クラッシャー:濃い緑
被り方:アクションで外れないようにアッパーマスクを顎に固定するゴムバンドが付いた。新1号、新2号、V3もこの方法が採られている。


 これはこれで、貴重なTYPE2のミニチュアマスク。
 やはり、本屋で見つけてよかった。
 徳間書店さん、また次の企画に期待しています。

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つづく





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2008年1月24日 (木)

旧1号とハイパーホビー

 商品の分量を多めに錯覚させるための、容器の工夫を上げ底という。

 アイスやプリン、駅弁まで食品には特に多い。
 カップヌードルは麺を傷つけず、出来上がりの時に具が上に乗っていて見栄えばよいという理由で麺が底から2センチほど浮いている。日清はこれを「中間保持」と説明している。

 ファンケルのシャンプーは長い筒に入っているが、実際は半分しか入っていない。なぜあんな高下駄を履かせるのかがわからない。
 あの高さをよしとする消費者がいるのだろうか。

 中味の保護などの理由はあるのだろうが、買ったほうにしてみれば、上げ底とわかった時はやはり興ざめする。

 内容量が表示されている製品の場合、それも一つのテクニック。
 長年、売り手と買い手はその慣習のなかにいるので、その技巧を以て断罪されることはない。

 だが、消費者に錯誤を与える意図が明確な場合はどうか。

 月刊誌「ハイパーホビー」(徳間書店)は仮面ライダー旧1号に関する唯一の情報源と言ってもいい定期刊行物だ。
 この度発売された「ハイパーホビープラス」では「仮面ライダー旧1号の現在を語る」という特集も組まれている。
 本格的な旧1号関連造形物を4点輩出したRMW(レインボーマスターワークス)は、この雑誌で毎号、情報がリリースされていた。

 ここ数年、雑誌が売れなくなっているなか「特別付録」をつけることが有効な売り方として定着している。
 元々、雑誌に大きな付録をつけることは物流業者に嫌われていて、書店も面倒な梱包作業を伴う付録を疎んじていた。

 大きな研究教材がつく ある小学生向け月刊誌は、その付録のために書店物流から閉めだされ、学校や直販組織で売っていた。

 だが、本に続いて雑誌も売れない今、背に腹は代えられない。

 ハイパーホビーでも不定期に特別付録がつく。
 以前に企画された「仮面ライダー旧1号ファイティングポーズのキーホルダー」は元からあった型にキーチェーンをつけただけと言えばそれまでだが、特別価格を払っただけの満足感があった。

 旧1号ではないが、ショッカーライダー3号青マフラーは、これがなければHGコアを以てしても6人偽ライダーが完成できない貴重な品。本当に買ってよかったと思う。

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そして2007年の暮れ、ハイパーホビー2008年1月号が書店に並んだ。

「特別同梱付録 仮面ライダー旧1号」 (TYPE2)

のクレジットが表紙にあり、どデカイ写真が目に飛び込んできた。

 ハイパーホビーでは、表紙に載っているデカイ写真が付録ではなく、実は読者限定販売商品ということがある。それが付録なのか、プレミアム販売商品なのか、慎重に表紙を手にとり精査する。

 どうやら、写真の旧1号が付録であることは、間違いないようだ。

 興奮を抑えられない。今日この本屋にぷらっと立ち寄ったことを神に感謝した。この時、写真とふろくの箱の大きさを見て、頭にはこんな映像が浮かんでいた。

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*縁日で買った500円のお面 右は大きさ比較のためのMIY

 つづく





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2008年1月23日 (水)

出世の意味 責任者とリーダー

 以前「カンブリア宮殿」に産業再生機構の3人が出演していた。
 彼らがつくった「会社の危なさチェック 10項目」を見ていた。

「7つ以上、当てはまったら専門家に相談してください」

 7つ以上該当したら、会社はかなりやばい状態にあるということだ。
 彼らは、実際に"やばい会社"を再生する仕事をしてきたプロ。
 その洞察力は信頼に足るはずだ。

 さて10項目を聞きながら、指折り数えていったら、両手がぐーの手になってしまった。

 彼らは言う。
・高学歴のエリートは修羅場をくぐってないから使えない
・優しい上司が出世するけど、使えない

 サラリーマンならば、誰もがうなずくことだけれど、本当のことを言ったら干されるだけなので、誰も言わない。
 だから、当たり前のことだけれど、こうして堂々と言われると
「わっ、スゴイこと言うなぁ」
と驚いてしまう。

 でも、高学歴のこころ優しい上司その本人は、この番組見ていても、
「いやぁ、ありがちだなぁ」と他人事のように思うのだろう。

 まぁ、そういう中で、サラリーマンは皆、我慢して暮らしています。
と、これから社会に出る人に向かってアドバイスする人はあまりいない。

 率直に言って、一流の大学を出たくらいでは出世できない。
「超」がつかないと。

 一流・・くらいの人の場合、
 どこまでも性善説で、いい人キャラで、人と人の調整だけは死ぬほど巧い。
 そして世の中のどのような不条理に対しても、決して文句を言わず、改革してやろうと意気込まず、頑張らない人に対しても事を荒立てず、我慢強く笑っていられる・・
 そういう人ならば、出世できる。

 でも出世とは、責任者=管理者になることだというのが、若いうちはわからない。
 正確に言えば、責任者(マネージャー)とリーダーの違いがわかっていない。
 出世するとリーダーになれるのだと誤解している人が多い。
 この違いを理解することで、会社のなかで自分がどういう職制を目指すかが見えてくる。

 責任、権限というものは、あった方がいい。その方がやりがいがあるのだと、いつ誰に刷り込まれたのかわからないが、多くのサラリーマンがそう思っている。

 「責任」とは何かというと、部下に一定の働きを会社に提供させる責任。
 決して出世とは、おもしろい仕事ができる権利を手に入れることではない。
 責任者の仕事は、おもしろい仕事ではなく、おもしろくない部下のお世話をすること。

 ただそれをわかっていない責任者も多い。
 おもしろい仕事を全部自分がやって、人の管理をしない。
 こういう上司の部署ではトラブル、諍い、うつ病、サボタージュが絶えない。

 こういう上司の見分け方は簡単。
 トラブル、諍い、心身の疲弊、さぼりの事例を報告すればわかる。
 責任の意味を理解していない上司は、
「そんな話し聞きたくなかったな。耳に入れないでくれよ」
「そんな後ろ向きなことに捕らわれず、もっと前向きな話しをしようよ」
という姿勢を取る。

 責任者がリーダーの仕事をしていると部署はぐちゃぐちゃ。

 ここで誰かが言う。
「本当にそんなつまらない仕事だったら、責任者のなり手がいなくなるよ!」

 僕はこう答える。
 いえ、そんなことはありません。
 人間は権力大好きですから。
 心配しなくても次から次に、若い世代にそういう人が誕生してきます。

 起業して、一発当てて、40才でリタイアとか言っている若者がいるけど、あぁいう自分が豊かになることだけ考えていて、社会との関わり、社会の発展を蹴飛ばしていくような人がたくさんいるのが、その証拠です。

 肩書きではなく、仕事の質で人が付いてきてしまう
 それがリーダーである。





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2008年1月22日 (火)

日本の弓道(二〇)

 オイゲン・ヘリゲルは長く技巧としての弓道から脱することができずにいた。
 的に中てるには、中てようとしなければ中らない。
 そう言い張った。

 そんな、ある日のこと。
 阿波研造師範はヘリゲルを自宅の道場に招く。

 阿波研造は真っ暗闇の中、射場に立つと、
 甲矢を的の中心に。続く乙矢を甲矢の筈に中てて見せた。

 この奇跡的な事実に接したヘリゲルは、師の言葉を盲信することに答えがあったことを見いだす。
 その後は、理屈を唱えず、一心不乱に稽古を積み、やがて阿波研造師範から、師範として認められた。
 免許皆伝だ。

 中てようとするうちは中らない
 人は誰も志半ばにして、師のことばを疑う

 師のことば
 あるいは自らを師とするならば、みずからの信念
 それを盲信する
 疑わない

 そうすれば軸がぶれることはない

 「だまされたと思って・・・」
という助言のしかたがあるが、人はなかなか騙されると思っていては、行動に移せない。

 信じるものに従う
 その暗示を自らにかける者が道を開く

 ただ、誤った道を選ばないようにする。
 そのために必要なものが、幾多の経験である。
 経験なくして、直感も判断もない。

 2007年の夏、ジョニー・デップの小屋はまだそこにあった。
 安土は痩せて崩れ落ちていたが、ヤブ蚊が多いのは変わらない。
 野球部が着替えに使っているのか、ユニフォームやソックスが散乱していた。
 100m離れた場所には立派な弓道場。

 遠い後輩が言うには、ここ数年、弓道部は団体で全国大会にも出ているという。
 なんちゃって弓道部は今や立派なスポーツ弓道部になったようだ。

 だが、スポーツ弓道と弓術はかけ離れている。
 高校・大学では試合があり、チームから結果を求められる。そして何よりも自らが強く結果を求める。それはスポーツとしての弓道。

 かつてオイゲン・ヘリゲルが求めた弓術は、酸いも甘いも噛み分けた大人の時間にこそ、あるのではないか。

 いつかもう一度バイクで走りたい。
 いつかマラソンを完走したい。
 いつか日本の隅々まで旅をしたい。

 人生の後半にさしかかり、人は心の底に沈んだ夢を掘り起こそうとする。

 かつて高校、大学で弓道を修めた人の心に、今眠っている弓術への憧憬。
 やがて一人、そしてまた一人とそれを現実に変えていくのかも知れない。

(終わり)

 長い間、読んでいただきありがとうございました。
 書籍化のお誘いをお待ちしています。

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2008年1月21日 (月)

日本の弓道(十九)

 小学校の頃、住んでいた盆地の町で僕らは毎晩、遅くまでソフトボールで遊んだ。
 その時、一学年上にイケダ君がいた。
 小学生ながら、高校生でも通用しそうな背丈をもつ彼は、左打席に入ると、ピッチャーが投げるすべての球をホームランにした。

 その3年後、漁港の町に転校していた僕にイケダ君が右目を失明したという話が伝わった。
 中学で野球部に入ったイケダ君は、早くもプロのスカウトが見に来るほどの活躍をしていた。
 ところが、ある日近くで素振りをしていた同級生のバットが目に当たったのだという。
 その後、イケダ君に会う機会があった。彼は昔と変わらず泰然自若として、心を乱していないように見えたが、同級生はそれ以来、ずっと嘆き続けていると聞いた。

 世の中には悪気があって人を傷つけてしまう人がいれば、本当に悪気はなかったのに、不幸にして悪い結果を迎える人もいる。
 特に小さい子どもに言うのは酷かも知れないが、それは想像力の欠如に他ならない。

 この次に何が起こるかという予測。
 この行為が引き起こす可能性のある幸不幸。

 あの時、もう少し想像力があれば。
 そう思うときは、いつも後の祭り。
 また、そこから出直すしかない。

 肝心なことは、その経験に学べたかどうか。

 

(明日最終回)

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2008年1月20日 (日)

奇妙なシーズンの気配

 9月5日
 カタルーニャ杯準決勝 ジローナ○3-2
 後半の45分間、16歳のイスラエル人 FWガイ・アスリンがトップチームの試合に初出場した。いずれ、この事実は何度もスポーツ記事に書かれることだろう。

 9月9日
 国際Aマッチデー ユーロ予選
 ポルトガルはホームに、グループ首位のポーランドを迎える。
 デコはフル出場。
 アウェイではポーランドに敗れている。
 グループ1位通過のためには勝って勝ち点3が必要だったが、2-2の引き分けにとどまった。

 9月11日
 カタルーニャ杯決勝 ヒムナスティック・タラゴナ●1-2

 カタルーニャ杯はスペインカタルーニャ地方に属するサッカークラブのナンバー1を決めるカップ戦

 2002-03、2003-04、2004-05は3年連続でFCバルセロナが優勝。

 2005-06は、2006-07シーズンにはいった9月5日に行われ、エスパニョールがバルセロナに1-0で勝ち優勝。

 2006-07は、6月開催。バルセロナがエスパニョールを破り優勝。1シーズンに2度決勝が行われた。

 そして今回 2007-08シーズンは9月開催。ヒムナスティックが2-1でバルセロナを破り優勝した。


 9月12日
 国際Aマッチデー ユーロ予選
 ポルトガルは2週つづけてホームで戦う。
 オシム監督の母国セルビアモンテネグロと1-1。
 デコはスタメン出場して、77分に交代。
 ホーム2連戦で勝ち点6を得て、首位に立つという目論見は大きく外れた。
 現時点ではグループ2位だが、3位ではユーロ本戦に出場できない。
 まさか、デコ最後のユーロが予選敗退・・ファンに悪夢の予感がよぎる。

 9月16日
 リーガ3節オサスナ(away)△0-0
 水色セカンドユニフォームのお披露目となったこの試合。開幕戦につづいてアウェイ2戦連続引き分けに終わる。
 デコはフル出場、31分に警告を受けた。
 ドスサントスとアンリがリーガ先発で出場した。

 9月19日
 CLグループリーグ1節リヨン(カンプノウ)○3-0
 デコフル出場
 88分ドスサントスCL初出場
 89分ボージャンCL初出場(史上最年少)

 強豪インテルを相手に5-0で圧勝したガンペール杯
 格下相手に落としたカタルーニャ杯
 勝ちを拾えないリーガ、アウェイ戦

 そして、もっとも難敵と思われたリヨン相手の快勝。
 まるで2つの別のチームが戦っているよう。
 バルサの2007-08 はつかみ所のない、奇妙なシーズンになりそうな気配がしてきた。

WOWOW公式サイト
WOWWOWでリーガ2007-08ユーロ2008 を見ることができる。

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2008年1月19日 (土)

ITILとの向き合い方

----- Original Message -----
From: "サトウケイコ"
To: "スズキイチロウ"
Sent: Sunday, January 20, 2008 10:05 AM
Subject: Re: 通常受注についてのお願い

 届いた業務メールの中にこんな記述があった。
 サトウケイコは事業部門のユーザー
 スズキイチロウは問合せ窓口の社員

 ルールはこう決まっている。
 ユーザーが業務依頼をする場合「窓口」のML
宛てにメールを出す。

 だが、サトウケイコはそのルールに則らない。
 「窓口」宛てにお願いすると、却下されるようなケースをスズキイチロウ個人にねじ込んで来るというのではない。
 サトウケイコは文書管理とか、ITILとか、そういう形式にとらわれた業務フローを無視しているのだ。
 確かにその気持ちはよくわかる。

 ITILを入れたために、喧嘩が絶えず、家族的だった会社がお役所 兼 戦場と化してしまった会社が多いはずだ。

 イギリスはそれを「ベストプラクティス」と銘打って世界中にまき散らす。
 アメリカもその普及に血眼になる。

 ITIL命(いのち)の人々が何を狙っているか、まだわからない人がいる。
 部下もITIL病に感染しなければ、サラリーマンとしての地位を失ってしまうので、積極的に自らを洗脳する。

 だからITILは止(と)める人がいない。
 だからITILは止(や)めようという人がいない。

 ITILによって得られるものは大きい。
 仕事の効率がよくなり、ストレスが減ることも多い。
 自称"職人"には仕事を抱え込み、手の内を明かさなかいことで、居場所をキープしようとする人がいる。
 そういう人に、仕事の中身を無理矢理公開させるための外圧として、ITILは好適だ。

 ITILを学び、四の五の言わず一度やってみる。
 そこから、職場に合うものを残し、合わないものに無理に合わせようとしない。
 その姿勢が大切なのだ。

 件のサトウケイコのように、はなっから参加しないという人は、サラリーマンを辞めて、世界が自分中心に回る会社でも起業したほうがよい。

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2008年1月18日 (金)

日本の弓道(十八)

 何の余韻も残らない地味な弓道の後だというのに、女子二人はニコニコしてそこにいる。
 イタリア人ならば、電話番号を聞かないのは失礼だと思ったかも知れないが、僕は九州の西のはずれの田舎者なので、なぜ、帰らないのかが不思議だった。

 クラブは終わったんだから、早く帰って欲しいなと、顔に書いていたら、何かをあきらめたかのように「ありがとうございました」と言って帰って行った。
 「足下に気をつけて」
 森のジョニーデップ小屋から校舎へ戻る道は、ちょっとした獣道だが、僕はまだそんな気の利いた言葉を持っていなかった。

 まだ、弓道部の後輩たちは顔を見せていない。
 小屋を目隠ししている林の向こうから、グラウンドでアップを始めた陸上部のかけ声が聞こえてきた。
 ふつうの運動部には準備運動、アップなるものがあるが、僕らの弓道部にはない。
 後にまともになった弓道部では「逆さか」という伝説のしごきがあったらしいが、僕はその意味すらわからない。腕立て伏せの体勢で階段を逆に登るのだろうか。

 矢立てから、かつての盟友を抜き取る。
 試合用に温存していた甲乙の2本も、あちこち羽根が欠け落ちている。

 安土から矢を取ってきたマツモトが矢道を戻ってくる。
 右手には彼が駆使していたグラスファイバーの弓。

 ここにはマツモトと僕の二人きり。

 「いやぁ参った。あんた 本番につよかね」
 高体連最後の4立ちを終え、僕は惜しくも届かなかった5割を惜しむ気持ちと、早気の割にはよくやった方だという安堵の気持ちを交錯させながら、帰り支度をしていた。

ヤマダ3
僕 3
サトウ4
マツモト2
スズキ5

 エースとしての活躍が期待されたマツモトは2中。5人のなかでは最低の結果に終わった。
 僕は決して「本番で実力を発揮するタイプ」などという気持ちの悪い人間ではない。
 だが所在なげな彼の言葉には、あえて反論せず「そんなことないよ」とだけ答えた。

 結果は自分の実力ではない。ただ大舞台に弱かっただけだ。
 彼は心の中で、そうやって自分を慰めていたのだろう。

 課外クラブも2学期になる頃には、すべてのクラブ員を的に向かわせる。
 「一度弓道をしてみたかった」という運動万能な人は、この学校にはいないようで、矢が的に中ることはなく、その大半は安土を大きく超えて森に消えるか、矢道に落ちた。

 いくつかの矢を森で見つけ、矢道に落ちた矢を拾う。
 僕もつっかけを履いて矢道に降りて手伝っていた。

 もう二度と、早気に苦しまなくても済む。
いっぱしの先生気取りで向き合う弓道に、居心地の悪さは感じられなかった。
 
 

つづく

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2008年1月17日 (木)

日本の弓道(十七)

 弓道では左利きが有利。
 弓を押す左手は弓手(ゆんで)というが、弓を押す手と書いて押し手ともいう。
 人が日常的に使う言い回しは「弓を引く」だが、弓は引くものではない。弓は押すものであり、引くのは弓ではなくて弦(つる)である。
 押し手が弱いと矢の軌道は安定しない。
 キロ数が重い弓を押すためにも、左腕の力が強い左利きが有利というのが、僕らの定説だった。

 プロゴルフのテレビ中継を見ると、ギャラリーがティーグラウンドの両側に所狭しと並んでいる。
 映像の錯覚もさることながら、ギャラリーはティーの目の前にいるように見える。
 もしプロがシャンクしたら、ボールは至近距離からギャラリーを直撃し、怪我人がでるだろう。
 いやプロに限って、そういう可能性はゼロに等しいという信頼関係あってこそなのだと独りごちる。

 だが、ここにいる弓道家の場合、恥ずかしながらその信頼には耐えない。
 もし矢こぼれしたまま、右手を離していたら・・
 今頃、矢道の両脇に並ぶギャラリーの列に矢が飛び込んで、怪我人が出ていたかも知れない。
 よく、あんな危ない場所で見ていられるものだと、こっちが怖くなるが、まさか「フォアー」と叫びながら打つわけにもいかない。

 練習中、二度ほど弦を引きすぎたために矢が弓につっかえたことがある。
 一度は師範が駆け寄り、矢を定位置に戻してくれた。
 一度はそのまま離してしまったが、矢はその場にカランカランと音を立てて落ちた。
 実際には、取り落とした矢はそうは遠くに飛びはしない。

 解説書によると、こういう場合、矢が折れて体に刺さることがあると書いてある。
 その点からも、高校生の僕らにはジュラルミンが好適だったと言える。

 甲矢を○にしてこれで、7射3中。
 乙矢に夢の5割がかかる。

 1立ち× 地獄
 2立ち◎ 天国
 3立ち× 地獄
 4立ち○ 天国

 めまぐるしく地獄と天国を往復してきたが、不幸にも8射めの乙矢を前にして、僕はまた3立ち目と同じ「神さまからのプレゼント待ち受けモード」に入ってしまった。

 高校生活最後の一矢。
 結果を怖れず、求めず、虚心坦懐、無我の境地で臨む。

 わけがない。
 無心と言う言葉は知っていたが、その入り方は知らなかった。
 心を静めることが無心の入口だと、この時は思っていたが、実際には無心はそんな方法論では手に入らない。

 「どうかお願いです。高校生活を夢の5割で終わらせてください。どうか中りますように。そうすれば支えてくれたお母さんにもいい報告ができます」
 この際だから、いろいろな人を動員して祈る。

 ただ、ただ幸運を祈った。
 そして高校生活最後の八節。
 早気が突然治るわけもなく、大三からほんの少し引き分けたところで、*手は弦を離した。

 祈った 狙った  外れた

 あっと声が出た。
 僕の矢はゆっくりとした放物線を描く。
 あっと言い終わって、しばらくしてから的の右上15cmほどの安土に突き刺さり、僕はもう早気と戦わなくてよくなった。

 ジョニーデップ小屋が紅の葉に包まれ始めた頃、
 水曜日の6時間め、僕らはいつもの場所にいた。

 週に一度の「課外クラブ」
 いつもの部活とは違うものを経験させようということなのか、趣旨のよくわからない50分。
 全校生徒は、運動部と文化部の中から興味本位で1つを選び、それを1年間続ける。

 顧問のイシイが弓道の素人ということもあり、素人クラブ員の指導は弓道部員が交代で立つ。
 その日はOBの僕とマツモトにお鉢が回ってきた。

 2年間使っていたジュラルミンの矢は、練習用として道場に寄贈していた。
 寄贈というのは、おこがましいぼろぼろになった矢。
 それでも、練習用の矢は多ければ多いほどいい。
 練習用の矢を買う学校予算は一円もないのである。

 水曜日は放課後に職員会議が行われる。
 大人の会議というものが、どんなものかを知らなかった。
 今思えば、あの職員室のレイアウトでは、話が通り辛かっただろうと思う。
 一方的に教頭や教務主任がしゃべっていたのか。

 チャイムが鳴ると、ホームルームはなく、クラブ員はそれぞれの部活や帰宅へと散っていく。
 最後まで二年生の女子が二人残っていた。
 一人は通学のバスで毎朝隣りのバス停から乗ってくるから、よく見かける顔だ。
 二人とも何を話すでもなく、手持ちぶさたですと顔に書いて、佇んでいる。

つづく

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2008年1月16日 (水)

日本の弓道(十六)

 何が夢の5割だ。
 残りは2本とも中てなければならんじゃないか。
 神さまからの頂き物、果報は寝て待て、棚からぼた餅、他力本願・・
 それらの悠長な考えに浸り、二射を無為に費したことが悲しかった。
 いったい、どこをみているのか。

 学生だった僕にうまく愛は語れなかった。
 と歌うのは甲斐バンドの「バス通り」だが、
 学生だった僕に、他を見ず、自分の心と向き合うという思考はなかった。

 「最後は勝ちたいという気持ちが強かったほうが勝つ」
 「勝ちにこだわる」
 「楽しみたい。すると結果がついてくる」

 現代ならば、メディアが奏でるこうしたスポーツ訓に、さらに頭が混乱するところだが、学生だった僕に
 「開き直る」
 という言葉しか浮かばなかったことは、結果的に幸いした。

 午後の時間の流れは速い。
 人生の後半になると、人は時間の流れを速く感じるようになる。

 子どもの頃は新たな経験が、未来から過去へ怒濤のように流れてくる。
 逆上がりができないで延々と地面を蹴る時、
 次から次にスケジュールされる試験に立ち向かう時、
 その時間は永遠に思われた。

 だが、多くのことが経験済みとなった大人の時間では、ほとんどの出来事は日常となる。
 相対的に、時間は速く流れるように感じられる。
 午前で一日の流れに身体が慣れた午後、四立ちめは瞬時に訪れた。

 四立ちの甲矢(はや)
 引き分けたところで矢がこぼれた。
 妻手(右手)のひねり具合、取りかけの深さ具合が悪いと、矢が弓手(左手)から落ちてしまう。
 弓道の初級者にはよくあることだ。

 矢を床に取り落としてしまうと、それは失として扱われる。
 残りは2射、もう1つもおろそかにできない。

 こういう時、弓道家は顎で矢をしゃくり、妻手のひねりを使って弓手に乗せる。
 落ち着いて対処すれば、なんということはない動作。
 だが、早気の僕にとっては一大事だ。
 こぼれた矢を上げる動作が難なくできるのは、両手が会の位置に降りて、矢が頬の前に納まってこそ。

 ところが、僕と来たら引き分けの最中にも、いつ妻手が弦を離すかわからない。
 矢がこぼれたままで妻手が離れたら・・

 あの体育館裏のできごとが繰り返される。
 矢は床を転がり、メガネが飛んで矢道に落ちる。
 ギャラリーはざわめき、競技が中断される。
 メガネを拾うために、審判が下駄を履いて矢道に入るだろう・・

 矢が的に届かない女子をみて、苦虫を噛んでいた思いを、一堂に会している長崎県高校弓道選手の皆さんに味合わせてしまう。

 頬で矢をしゃくれる位置まで必死で引いた。
 幸い僕の顎は、人よりも少しだけ角張っている。
 この顎は後にアントニオ猪木の物まねで役に立った。

 弓道では的は右目で狙う。
 弓の左側に半円で見える的を、弓に近い側にある右目を主眼として狙う。
 ただし、これは後に弓道解説書で知ったことで、指導者のいない僕らの弓道部では主眼などお構いなしだった。

 ようやく顎に当たる位置に降りてきた矢を弓手に乗せると、早気の僕に残された時間は少ない。

 すかさず的を探しフォーカスを合わせる。
 とりあえず、ここだ

 これはあとから合成した記憶であり、その時、左脳は停止していた。
 事なきを得て、空を飛んだ矢はハエが止まるような放物線を描いて的の中心からやや上に当たり"ぼすっ"という音を立てて、何重もに張られた的紙を貫いた。
 僕は左利きだが、目は右利きだったのだ。

つづく





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2008年1月15日 (火)

日本の弓道(十五)

 弓道部の一つ上の学年では、男女の主将どうしが微笑ましい関係にあった。

 小学生のうちは好き合っていることは隠すものだが、高校になるとそれがステータスに替わる。

 つきあい始めると、堂々と一緒に下校したり、これ見よがしにいちゃついてみせるカップルが多いなか、この二人はつかず離れず、ジョニー・デップ小屋では好きあっているという素振りもみせない。
 それが傍で見る者には、八重歯の可愛い女子主将の一方的な片想いなのかとさえ思われた。
 豪快な性格とワイルドなルックスを持つ男子主将は、僕が少しでもそのことに触れると
「後輩にバカにされよるばい」
と細い眼をさらに細くして、ふてくされて見せた。

 この二人を「美女と野獣」に例えるならば、ミヤタと僕は「美女と珍獣」くらいにはなれるかも知れない。

 「ミヤタさん、日本史のノートいつも真面目に書きよるよね。おいあんまりとっとらんけん、一日貸してくれん?」
 「うん、よかよ」

 僕の心にバレンシア・オレンジが飛び散る映像が流れた。
 当時テレビでそんなCMをやっていた。
 バレンシアがスペインはバルセロナに近い海辺の都市名であることは、数十年経って知ったが、この時以来、バレンシアと聞くだけで前向きな気分になる。

 だが、ミヤタは意外な行動に出る。
 僕がしめた!と心で拳を握った瞬間、ミヤタは右手に消しゴムを握った。
そして、ダッシュでノートを消し始めた。

 あんた、なんば、するとね
 とつっこめるはずもない。
 まったく意味不明な行動だが、あのノートを一日分析すれば、その謎も解けるはず。
 僕は数分間、消し続けるミヤタを見ない振りして、黙祷を捧げていた。

 分析の結果わかったのは、ミヤタは授業中、陸上部のタカギのことを考えていたと言うことだ。
 タカギは男も惚れるいい男。ルックスの良さもさることながら "あいつを嫌いなやつはこの学校には一人もいない" と言われるほどの、人間性を持っていた。   「ナイスラン」
「**くん、ファイト!」
 少女の儚い恋心が、白いノートの罫にうっすらと残っていた。

 美女は珍獣でなく、美男を求めていたのだ ・・・

 そうした、心のかすり傷を瞬時に過去に置き去り、僕らに次の出番が回る。
 そして、お昼過ぎの3立ちを終えた時、僕らの弓道部にはほとんど会話がなくなっていた。

*3立ち6射終了
ヤマダ 2
僕   2
サトウ 3
マツモト1
スズキ 4

 主将のサトウ、2階建て打法のスズキがそれぞれ1中を得たのみ、1、2、4番の掲示板に×が書き込まれた。
 この時点で団体戦上位進出の可能性は消えた。

 団体戦といえども、弓道は個人のスポーツ。
 敵となるチームの状態に左右されることはないし、相手との駆け引きも心理戦もない。
 屋内競技であるため、天候に左右されることもないし、立ち順による運不運も限りなくゼロに等しい。

 誰かのせいにできる要素はどこにもない。
 ただ、僕らに力がなかった。

 奇跡はつづかなかった。
 相も変わらぬ早気フォームから射た甲矢(はや)は的の遠く右上、乙矢もまた同じ安土に刺さった。

 なんだ?中んないじゃん
 乙矢が僕の意に沿わぬ場所に収まったのを視認した時、なにかに裏切られたような気持ちが通り過ぎ、それは間もなく強い焦りに替わった。

つづく





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2008年1月14日 (月)

結婚式の余興

 ある昼下がり 結婚式が行われていた。

 男性が野の花を摘んだ花束を女性に捧げ求婚する。
 女性はイエスならば、そこから一輪を抜き取り、男性の胸ポケットに挿す。
 これをブーケ&ブートニアという。

 それを披露宴で参列者を前に演じてみせるのが、ブーケ&ブートニアセレモニー。
 ちょっといかしていて、心に残る。

 なんて甘い。
 今時、そんなことではお笑い界は許さない。

 「皆さん、欧州にブーケ&ブートニアという習慣があるのをご存じでしょうか。
(説明部分省略)
 今日は皆さんにご提案があります。
 ここで花婿いや、サトウイチロウさんが 改めて、花嫁いや、スズキケイコさんにプロポーズを

 「ちょっと待った」
 少し遅れて
 「ちょっと待った」

 マジ受ける若い世代
 どん引きする新郎の母
 目が点になっている新婦のおばあちゃん。

 二人の間男?の手には、いつの間に用意したのか小ぶりな花束が握られている。

 「司会者も聞かされていない 段取りですが・・」  ととぼける司会

 「さぁいったい花嫁は誰を選ぶのでしょうか。まさか、映画のようなワンシーンに皆さんが立ち会うことになるのでしょうかっ
 ではここでいったんコマーシャルです」

 「うまい!」 ツッコム間男

 「では、ケイコさんいかがでしょうかっ??」

 誰にしようかなぁと、小首をかしげる 演技を入れつつ、やっぱり順当にね・・ と新郎イチロウ君へと歩を進めるケイコさん。

 そして、約束通りイチロウくんの花束から一輪の菊を左手で抜き取って
左隣のタナカ君のポケットに差し込んだ。

 「花嫁っ、プロポーズを受ける相手に渡すんですよ!」
懸命な振りして、フォロウする司会者

 「え、そうなん 説明きいとらんかった」
 ぼける花嫁。
 さっき入れたタナカ君のポケットの花を
 「こっちがええねんけどなぁ」
 と名残惜しそうに抜いて、イチロウ君のポケットへ。

 と見せかけて、イチロウくんの花束からデイジーをどさっと摘んで、ポケットに詰めるだけ詰め込む。

 「まぁ、今日はこれくらいにしといたろ」

 そこの大阪府、独身のあなた。
 やりたくなったでしょ?

 え、ネタがくどくて めんどくさい?

 じゃ、今日はこれくらいにしといたるわ。





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2008年1月13日 (日)

2つの栄冠

 ユーロはW杯から遅れること30年、W杯スウェーデン大会でブラジルが初優勝した2年後の 1960年(昭和35年)に始まった。
 第1回は「ヨーロッパ・ネイションズカップ」という名前で開催。
 開催国フランス、ソビエト連邦が優勝。
 第3回から現在の通称ユーロに変わった。

 2000年 第12回
 ベルギーとオランダで初めての共同開催。フランスが優勝。

 2004年 第13回
 ポルトガルで開催
 2002年W杯、開催国操作による不運な判定に泣いたあと、2003年1月、ポルトガルはW杯優勝監督ルイス・フェリペ・スコラーリを招聘。そのブラジル人監督の誘いでブラジル人デコは母国ブラジル代表を諦め、ポルトガル代表入り。デコはユーロ2004で国際舞台に登場した。

 2004年6月12日
 ユーロの開幕戦はA組主催国の試合が組まれる。
 ポルトガル1対2ギリシア
 後半開始からエースのMFルイコスタに替わりデコがユーロ初出場。同じく後半開始からクリスチアーノ・ロナウドも出場。この時デコ26歳、ロナウド19歳。デコがはロナウドより7.5歳年上だが、国際舞台では同期デビューである。
 第2戦以降はルイコスタに替わり、全戦デコがレギュラーでトップ下に入った。

 予選リーググループAは、1位ポルトガル、2位ギリシア。
 6月19日のブルガリア対デンマーク戦は、ゴール裏が岩肌のスタジアム ブラガ・ムニシパルで開催されている。

 決勝はA組から勝ち上がった2チームの対戦となる。
 7月4日、決勝 ポルトガル0対1ギリシア
 デコはその系譜ににユーロ制覇の一行を書き損ねた。

 そして今年2008年 第14回ユーロは2度めの共催。オーストリアスイスで行われる。

 今年31歳を迎えるデコはこれが最後のユーロになるかも知れない。
 クラブチームでの栄光は残すところ、CWC制覇のみ。
 「優勝請負人」デコが乞われて入ったポルトガルという代表チームで獲得すべき栄光は2つ。
 2008ユーロ、2010W杯だ。

 だが2007年9月、ポルトガルはまだユーロ本戦出場が危ぶまれる位置にいた。





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2008年1月12日 (土)

かなんかで

 「明日の作業なんだけど、佐藤さんと鈴木さんかなんかでやってもらえるかな?」

 こういう言い方をする社会人がいる。

 その心は
 「作業は佐藤さんと鈴木さんにやってもらいたいんだけど、もしかしたら違う人に頼むべきなのかも知れない。でもそこのところがよくわからないから、もし違っていたら、あとはそっちで適当に頼むよ。作業が終わりさえすれば、文句言わないから」
 というところだ。

 こう言われた佐藤さん、鈴木さんはどう思うだろう。
 「あなた達に任せる」
 「あなた達が適任だ」
 「あなたしかいないから、頼むよ」
 と言ってくれれば意気に感じて取り組める。
 その作業がたとえトイレ掃除であっても、四の五の言わずにやらなければいけないと思う。
 (最近はお金が入ってくると言うことで、トイレ掃除というと喜ぶ人もいる)

 ところが「かなんか」である。

 佐藤という一人の人間と 「かなんか」 が同格なのだ。
 「よくわからないからとりあえず」
 「まぁ誰でもいいけどとりあえず」
 とても、人としての価値を認められている気がしない。

 作業そのものの格付けもよくない。
 それがとても汚れた仕事のように感じられるのだ。
 世の中のすべての仕事が、いかしたカッコいい仕事でないことは、長く社会にいれば誰もが知っている。

 かっこよくなくていいから、その仕事の意義を高めて欲しいのだ。
 その仕事をあなたがすることで、傍の人が楽になる。助かる。
 それをやるのが、あなたたちなのだ。その一言があれば・・

 これが、人をハンカチで使うということだ。
 人の使い方には「雑巾」と「ハンカチ」がある。

 まき散らされた汚物をハンカチで拭く人はいない。
 「誰か、雑巾もってきて」
 と言って、雑巾で拭くはずだ。

 「かなんかで」と言われた人は、まさに
 「そこらの雑巾もってきて」
 と言われたのに等しい。

 汚物はどこまで行っても汚物であることには変わりない。
 要は、それを拭く仕事を雑巾に頼むか、ハンカチに頼むかという、心配りの違いが、人の心に浸みるのだ。

 いつもはキレイな仕事しかしていないハンカチに、どうすれば汚れ仕事を引き受けてもらえるだろうか? と考えてみる。 

 では、どう言えばいいのか。

 「明日の作業ですが、佐藤さん、鈴木さんで引き受けていただけると、ありがたいのですが、どうでしょう。もし、他に誰か適任の方がいるなら、自分から頼みますから、教えてください」

 さて、こうやって 指摘されると 「かなんか。。」と言った上司は だいたい
 「いや、心の中ではそう思っていたんだけどね」
と言う。

 こういう上司ばかりの会社では、読心術を持った人じゃないと、良好な人間関係は築けない。

 人事部は新卒の採用条件に 「読心術の能力」を入れなければならない。専門学校では「読心術マスターコース」が流行るだろう。





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2008年1月11日 (金)

日本の弓道(十四)

 「やりましたね」
 立ち位置を替わってくれた気のいい後輩、ヤマダが声をかけてきた。
 彼はここまで4射2中と好調を維持している。

 一年前の高体連、僕は部内の競射では4位につけたが、その時は「3年生優先出場ルール」があり、この舞台を踏むことはなかった。
 ただ一人、二年生でこの舞台を経験したヤマダが、この経験を来年につなげて欲しい。
 などとは微塵も思わず、団体入賞のために、もっと中ててくれればと思っていた。

 27校すべての2立ちが終わった時点で、団体戦は同点5位につけた。
 後半に上位入賞、あわよくばインターハイ出場への夢をつなげる好位置だ。

 この時、2立ち目を◎にして途中交代の悪夢を払拭した僕に、今度は「5割」の夢がちらつき始めていた。

 我がなんちゃって弓道部では、皆が「5割」にステータスを置いている。
 自身、これまでに出た部内の競射、年間4度の公式戦、西高との練習試合を通じて、一度も5割の壁を破っていない。

 高校弓道最後の大舞台を夢の5割で終わる。
 伸び伸びと弓を引き高く評価された時代から一転、途中退部や、早気のリハビリという紆余曲折を経た、我が弓道人生も終わりよければすべてよし。

 残る2立ち4射で2本を的に中てれば、それは現実になる。
 お母さんと呼びかけ、殊勝に弓を引いて数分も経っていないのに、僕は欲望の渦中にいた。

 「残り4射のうち2本も外せる」
 この時、そう考えていた。
 「残り4射のうち2本も中てなければならない」
 そうは考えなかった。

 早気の僕には中りこそが奇跡であり、その奇跡を4回のうち2回も起こすと考えると具合が悪い。
 あとの2中は、狙いにいくものではなく、神様からの頂き物のような感覚があった。
 それは◎を記録した乙矢が的に突き刺さった時、感じたもの。
 あと、2中・・

 競技は間断なくつづいている。
 各校は空いた時間で、思い思いの場所に陣取って、弁当を広げている。
 僕らの弓道部は、3立ちの出番までの時間で昼食をとる。
 旅館であつらえた弁当はおにぎりとタクアン、そして魚フライ。マヨネーズはついていなかった。

 スポーツドリンクもペットボトル飲料もない。
 水やお茶にお金を出すという価値観のない時代。
 僕らは水道の水を飲んで、胸焼けを押さえた。
 ほっとひと息をつくと、今朝までの追い詰められた気持ちは何だったのかと思えた。
 予想外の不振で口数の少ないマツモトを除いては、皆の顔もゆるんでいる。

 天才少女ミヤタは、途中出場できないことが確定した補欠タナカのことを気にしていた。
 「出してあげたらいいのに。タナカくん、よく中てるのにね。」
 僕の耳にも充分届く大きさの声だったが、僕は聞こえない振りをした。

 タナカはお世辞にも弓道が上手くはなかった。
 もし3年生優先出場ルールを堅持して、彼を起用したとしても、今よりよい結果が望めるとは誰も思っていなかった。

 なぜ、ここに来てそんな理の通らないことを言うのか。
 議論で負けることはことの他、嫌いだったが、その疑問は飲み込んだ。
 大事な試合中に、互いの心を乱すべきではない。
 と思ったのではなく、彼女はとても可愛かったのだ。

 2年の時は同じ授業で日本史を習うことがあった。
 密かに彼女を慕っていた僕は、ある日、彼女からノートを借りる作戦に出た。
 その申し出を快く彼女が受けてくれれば、それは何かの始まりになるような気がしたのだ。

つづく





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2008年1月10日 (木)

日本の弓道(十三)

 大三から少し引いたところで離す弓は変わらない。
 高い位置から山なりの放物線を描いた早矢は、的の中心から右上に突き刺さった。
 つづく乙矢は、的の中央やや上寄りに刺さった。

 捉が記録された時、どよめきが聞こえた。
 「あの型で中ることがあるのか・・それも連続で」
 それは弓道の体を成していなかった。ただ結果だけを求めて脳が計算し、両腕に出した指示の産物。
 この◎は早気を患った後、初めての捉だった。

 前夜、これでつかんだと思えたのは、こういうことだったのか。
 ここまで来たら、一夜にして早気が治るわけでもない。
 総ドスで終わるくらいならば、型へのこだわりを忘れて、的に向かうしかない。

 射場から出てきた僕に、控えていたタナカが声をかけた。
 「やったじゃん!すごい、すごい」
 彼は口でそう言いながら、無邪気に飛び跳ねている。
 まるで、自分のことのように喜んでいるように見える。

 ありがとうと応えたが、僕には彼の言葉が不思議だった。
 僕が総ドスを食らえば、替わりに自分が出られるかも知れない。
 僕がタナカの立場だったら、できれば外して欲しいと願っただろう。

 確かにそれを、言葉にはしない。
 そして、捉を出した正選手に、やったな、おめでとう
とは言えても、身体は飛び跳ねるのを拒否するだろう。

 二立ち20射を終えて的中10。
 我が弓道部は俄然、上位進出への勢いを得た。
 5番に立つスズキは4射3中で個人優勝への可能性をつないでいる。
 ただ一人、本来ならば稼ぎ頭になるべきマツモトが計算外だった。

 最も強い弓を駆り、最も直線的な軌道を描くマツモトの矢は、一度外れ始めると修正が効かなかった。
 どれも的枠のわずか5cmほど右下に集まる。

 「それだけ一か所に打てるのなら、5cm左を狙えよ」
 顧問のイシイがそう言った。チームメイトの僕らも、同じことを言いたかったが黙っていた。
 それができない弓道というのもあるのだ。

 マラソンはメンタルのスポーツだ。
 言葉でもなんとなくわかるが、実際にやってみると、その意味がよくわかる。 だが、メンタルが強い、メタボリック症候群の人が、練習もせずに42kmを走れるかというと無理だ。
 正確に言えば「マラソンはフィジカル7割、メンタル3割のスポーツ」なのだ。

 弓道もメンタルのスポーツだ。
 そして正確に言うならばフィジカル3割、メンタル7割のスポーツ」なのだ。
 傍で観ている人が言うように、矢を射る毎に信念を曲げることができたら、それを賢い弓道というかも知れないが、求道の半ばにある者として、それはできないというこだわりもある。
 人はそれを「頭が硬いだけだ」と言うかも知れない。
 そして、その通りかも知れない。

 だが、バカが死ななきゃ治らないように、頭の固さもそうは簡単に治らない。頭の固さを乗り超える時間というものが必要なのだ。

 前半の二立ちを終え、最も成績が悪いのが、最も期待の高いマツモトということもあり、指揮官のイシイは言った。
 「今日は交替なしでいこう。団体戦もいけるぞ。スズキはミヤタみたいに個人でインターハイにいけ」

 そのまんまやないか!

 というツッコミは当時まだ、この世に存在していなかった。
 ただ、もしそれがあったとしても、それを言えるほど、僕らには信頼関係がなかった。

 前年には、2年生でインターハイに進んだ天才少女ミヤタは、今年は女子の主将。だが、半数近い矢が矢道に落ちるメンバーを引き連れての心労がたたったか、冴えない中りに終始していた。

*2立ち4射終了
ヤマダ 2
僕   2
サトウ 2
マツモト1
スズキ 3

つづく





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2008年1月 9日 (水)

日本の弓道(十二)

 僕らがお金を出し合って見る番組は、多数決でナイター中継に決まった。
 試合は在京の贔屓チームがリードしていた。
 このまま勝ってくれれば、明日の競技に勇気が湧く。なんとか逃げ切って欲しい。
 だが、長崎県で野球が好きと言えばもうこのチームしかないわけで、結果がどっちに転んでも、誰かが有利になるといったことではないのだと、見ているうちに気付いた時、エースが外人に逆転ホームランを打たれ、そこでアナウンサーのナレーションとは異なる意思をもったテロップが流れ、番組は終わった。
 長崎は「一部の地域」だったのだ。

 100円玉でテレビが映る時間いっぱいまで、僕らはエンドロールを見ることはない映画を見ていた。

 映画が終わると、僕らは枕は投げずに、6つ並んだ布団の上で口々に明日の意欲をぶつけ合った。

 「残り全部中てる」
 「5割は任せて欲しい」
 「明日は中る気がする」

 いつ「メンバー替わるか?」とイシイ顧問に言われるかわからない。
 中間の4射が終わるまでは、誰も心の中にある不安を表に出せない。弱音は吐けないのである。

 僕も何か強気なことを言いたかった。
 だが、あと6射で3つは中てるといった口約はできない。

 「今日で、つかんだ」
 何年もやってきて、今さら何をつかむのか知らないが、少なくともその時僕はそう思っていた。

 最後の一人が喋らなくなるのを確認すると、僕らは眠りに落ちた。
 翌朝、長崎は快晴だった。

 運命の二立ち。
 温存してきた早矢と乙矢に声をかける。
 「たのむぞ」
 もちろん声に出した時点で、おかしくなったと思われるので、無言で語りかける。

 頼むぞと言われて、金属製の物体が頼まれるわけがない。大人になった今ならば、もっと増しな声のかけ方を知っているが、この時はもう矢に思いを込めることしか思いつかない。

 初日は1本を中てた先頭のヤマダが外した。
 団体戦では、前の矢が安土に届いてから、次の射手が打ち起こしにはいる。
 一定の制限時間を超えた時だけ、同時に射ることが指示される。

 つづいて打ち起こしに入る瞬間、矢に頼むだけでは足りなかった僕は、思わず小声で呼んだ。
 「お母さん」
 そう言った瞬間、瞼が滲んだ。
 父の命令で退部した後も、毎晩帰りが遅い僕に、母は一度も理由を質さなかった。
 弓でメガネを吹っ飛ばした時も、すぐに同じタイプのメガネを買ってくれた。
 途中からは、父も気付いていたはずだ。
 だが、無断で部活に戻ったことは、あれから長い年月を経た今も、一度も話題にのぼっていない。

 母にこの矢を捧げると思っていたわけではない。
 力を借りたかったのだ。
 この時は、ただ結果が欲しかった。

 ここまでやって来た弓道生活の締めくくりを、××で途中交代にはしたくなかった。

 我が弓道部の二立ちめが終わった時、掲示板の二番にはがはいっていた。

つづく





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2008年1月 8日 (火)

日本の弓道(十一)

 僕らの弓道部は学生ズボンの上に、学校名が入った白いトレーナーという、いつもの出で立ちで長崎の弓道場に立った。

 二年生のヤマダが一番前に立ち、つづいて僕、主将のサトウ、怪力のマツモト、二階から打ち下ろすスズキと並ぶ。
 競射の順でいけば5番めの僕が、先頭に立つところ。
 だが、目の前には神棚と座敷があり3人の審判が鎮座して、こちらを睨んでいる。

 早気の僕が目の前で打とうものなら、注意を受けるかも知れない。
 その位置だけは勘弁だ。
 ヤマダは遠足コースになっている佐世保市を見下ろす山から毎日下りてくる、とても気のいい男で、快く場所を替わってくれた。

 初日は1立ち2射のみ。
 途中交代は通常4射を終えてからだが、それが明文化されているわけではない。
 もし一人だけ×を食らえば、いつも動物園のワニのような目で何を考えているか読めないイシイ顧問が、交替を求めてくるかも知れない。
(二本外した時の表記は×印になる。二本中てると◎)

 それでもこの時、僕は弓道家だった。
 神聖な射場に立ち、精一杯、弓道の型を試みた。
 おかしな型で的に中てては申し訳ない。
 弓道生活の最後に、納得のいく型で終わりたい。

 この時の僕をサッカーに例えるならば、ゴールを目の前にしてキーパーと1対1になったセンター・フォワードが
 「さぁここで右膝を10度折り曲げて、0.2秒で右足を70度外に開いて、ボールをインサイドに捕らえたら、左45度の方向に秒速2mの速度で振り抜こう」
 と考えながら、シュートしているようなものだ。

 左脳でフォームを気にしながら結果が出るスポーツはない。
 応援に来ていた他校の女子高生から
 「わっ!もう打った」 「なに、あれ?」
 と顔を見合わせるなか、僕の早矢は的より1mほど高く、乙矢は1m右に外れた。

 ×を食らったのは僕だけではなかった。
 あと一人、ポイントゲッターであるはずの、怪力のマツモト。
 彼はこの試合がまだ2度目の公式戦だったのだ。
 彼の口からいつもの大口が消えていた。

 僕はこわばった顔をつくり、心で しめしめ と思っていた。
 団体戦では10射4中という可もなく不可もないスタート。
 もしも他の4人の調子が一斉に揃い、初日を終えて上位を窺う位置にいたら・・イシイは僕に交替を告げたかも知れない。

 一本中てていれば・・
 晴れぬ心のまま、弓と矢筒を肩にかけると、僕らは路面電車に乗り、繁華街からは遠く離れた旅館をめざした。

 これが修学旅行ならば、しばしの自由時間を得て浜の町に出る。
 好文堂で立ち読みして、松翁軒のカステラを買い、ツル茶んのトルコライスは腹に溜まるから諦めて、夕食会場の中華街「江山楼」に向かう。こってりスープのチャンポン、濃厚な味に焼けた炒飯・・・

 だが、僕らは学校の予算で試合に来ている。
 マヨネーズをかけた魚フライがメインの夕飯を食堂で食べ、二人がやっとの風呂に交替ではいると、皆でお金を出し合いテレビをつけた。
 NHKニュースを見るほど、僕らは国のことを思う高校生ではなかった。
 民法は2つしかないが、僕らは民法が4つある県があることを知らなかった。
 大人の干渉をうけず、チャンネルを選択できることに、僕らは大きな自由を感じ、少し大人になった気がした 
(わけないだろ)

つづく





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2008年1月 7日 (月)

日本の弓道(十)

 例年、高体連には3年生が優先で出場するという慣例があった。
 だが、僕らはあえてその特例を廃し、全員参加の一発勝負で5人を選ぶことにした。
 上位3人の力が高いレベルで安定しており、うまくいけば団体入賞が狙えると考えたからだ。

 競射は県北大会で個人5位にはいったスズキ、怪力のマツモト、主将のサトウが頭一つ抜け、それを二年生のヤマダが追う展開。
 的に中てるどころか、満足に弓を引くこともできない僕も、泣き言を言ってはいられない。
 今日初めて弓を引いた人が射るとこんな感じだろうという、引きの浅い型でなんとか的を狙う。
 結局、6位の2年生を僅差で制して、5位にすべり込んだ。

 選手登録は5人と補欠1人。
 補欠登録されたのは、ただ一人落選した3年生。僕を「練習せんでも高体連に出れるばい」と誘ってくれたタナカだった。

 試合ではいつも、前半の4射を終えた時点で成績の悪い者が、補欠と交替することになっていた。4射を終えて0または1中ならば九分九厘、前半でお役御免となる。
 男子の個人優勝者は8射8中か7中で競っていたが、僕らのなんちゃって弓道部では「5割」が夢のライン。
 8射で4射中てられれば、その試合はとても充実感を持って終えることができる。
 しかし早気持ちの僕には5割どころか「全どす」野球でいえば4タコの可能性が最も大きい。

 イケダ師範は一向に早気が直る気配のない僕に、いつもと変わらぬ暖かい笑顔で接してくれた。
 6月の高体連まであとわずかとなった日、その師範から意外な言葉を聞いた。
 「来月には、今勤めている会社をやめて、田川の会社に移ることになりました。
 君たちが高体連を終えて報告に来る頃には、もういません。
 頑張ってください。応援しています」

 田川は井上陽水が育った所だということは知っていたが、その地名を聞いてその町をイメージできなかった。
 田川は「青春の門」の舞台。
 もしこの時に読んでいたら、大学は早稲田に行きたい、東京に出たいと強く思っただろうが、その本を手にしたのは、福岡での大学生活にどっぷり浸かった後だった。

 親方日の丸の公務員を父にもつ僕には、イケダ師範の言葉が意味するところがよく飲み込めなかった。
 仕事というのは一度就いたら、変わらないものだと思っていた。
 会社勤めの人は、年をとってからも会社を変わるものなのかと訝しんだ。
 イケダ師範はいつもと同じように笑っていたが、心なしか淋しそうにも見えた。
 僕はどんな言葉が適当なのかがわからずに、そうなんですか淋しくなりますというのがやっとだった。

 今思えば、経営難で大幅な人員整理を行っていたその造船会社のことだ。ある程度の年齢に達していたイケダ師範は、再就職口の斡旋を条件に、肩を叩かれたのかも知れない。
 リストラという言葉が登場したのは、まだまだ後のこと。
 高校生の僕はただ、我が心に寂しさを感じるだけ。相手の気持ちを思いやるには至らなかった。

 その年、高体連の弓道は長崎市の街中にある道場で行われた。
 会場は競技によって県内の持ち回りで行われる。

 試合は初日に1立ち(2射)。2日めに3立ち(6射)が行われる。
 27校が8射ずつならば、1日で終わる競技だが、長崎県は離島が多い。
 教職員は若い頃に一度、管理職に上がる時にもう一度、離島勤務を経験しなければならない。女性の中には離島勤務を嫌い、隣りの佐賀県に勤める人もいる。
 離島からの船は、長崎または佐世保まで片道3時間。便数も限られる。
 一日で8射を終える競技だと、離島の学校は前後泊で二泊しなければならなくなる。
 27校の中に離島の高校があったのかを覚えていないが、全競技で横断的に日程を組むため、僕ら弓道部も旅の恩恵にあずかることができた。

 佐世保市開催の場合、二日間家からの往復になるところだが、僕らの弓道が一泊せざるを得ない遠い街で行われることを神に感謝した。

つづく





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2008年1月 6日 (日)

久々の賛辞

 9月2日(日)FCバルセロナはナイキとのスポンサー契約を5年延長(2017-18シーズンまで)
 デコはアンブロとの契約を打ち切ると言われていたが、今シーズンも依然としてアンブロのスパイクを履き続けている。このことがナイキの不興を買っているのではないかと推察する。
 ナイキが編集したビデオ、2冠達成の2005-06シーズン名場面集にデコの姿がなかったことは、何かの嫌がらせなのか?とデコ本人が2005-06のシーズンオフに語っていた。

 9月2日、リーガ2節ビルバオ(カンプノウ)○3-1
 デコはリーガ今期初スタメン。26分に今期2枚めの警告を受け、66分イニエスタと交代。
 この試合でドスサントスがリーガ公式戦に初出場した。

 「デコは今最高の状態を取り戻しつつある。ビルバオ戦ではチームにリズムをもたらした。彼は誰もが持ち得ないような特別なものをチームにもたらすことができる重要な選手だ」

 かつて、デコ獲得の報に接したライカールトは
 「デコ? 信じられない!」
 と最大級の喜びを表現してくれた。

 試合後に出された、監督のこの賛辞は、いつもの位置にまだデコがとどまっていることを久々に確認させてくれる嬉しいプレゼントとなった。

 この後リーガは2週間の休み。インターナショナルAマッチデーにはいる。
 この一週間、欧州出身選手にとってはW杯と同じくらい重要な決戦。ユーロ2008予選が大詰めを迎える。
 EUROはUEFAが主催する欧州選手権。欧州のサッカー代表チームナンバー1を決める大会。

4年に1度、W杯と2年ずらして開催。
 W杯後、その年から翌年にかけて予選。W杯の翌々年(2年後)各国のリーグ戦が終わった後、初夏に本大会を開催。
開催国は予選免除(W杯と同様)。
前回優勝国の予選免除はない。





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2008年1月 5日 (土)

ITとICT

 今日はまず、質問します。
 あなたは ICT という言葉を知っていますか?

 さぁ、どうでしょう・・
 、そこの東京都の主婦の方、知らない?
 そうですか。
 大丈夫、あなたが普通です。

 【 あいしーてぃー 】 Information and Communication Technology
 情報通信処理技術

 なんだ、ITにCが入っただけじゃないの。
 また、どうでもいいような言葉を、暇な人がつくったのね?

 そう思ったあなたは正しい。その通りです。


 【 あいてぃー 】 Information Technology
 情報処理技術

 ITは 1999年冬から流行り始めた言葉。
 1990年代初頭に流行したSISとの違いは、LANが一般的なものになったこと、インターネットが登場し、これらを前提とした技術である点。
 EC(電子商取引)、Business Intelligence を実現するための技術の総称が IT。

 1999年冬、初対面のコンピュータ技術者同士が、話題の切り口を求めて
 「世の中、IT一色ですねぇ」
というように使っていた。
 2000年に就任した森総理大臣が「イット」と誤読、以後、正しく読めるようになってからは、これでもかとばかりに IT(アイティー)を連呼して流行らせた。
 「IT革命」は2000年の流行語大賞に選ばれた。
 表彰式で壇上にあがったのは当時18歳だった木下斉。この言葉を作ったのは彼ではないが、「この言葉のコンセプトに最も合っている」という理由で選ばれた。


 ITとICTは同意語。
 ITという言葉は、使われ始めた時点でインターネットを前提としており、通信の意味も含まれていた。
 「ICTのCは ユビキタス社会のコミュニケーションだ
と言い張る人がいるかも知れないが、ユビキタス社会なんてどこにもない。我々が住んでいるのは人間社会だ。

 2005年、総務省は「IT大綱」を「ICT大綱」に改名した。
 総務省は2007年には「ICTを環境にやさしく活用するために」というガイドラインを発表している。
 IT(ICT)と言えば経産省、環境といえば環境省の縄張り。
 総務省は「居場所づくり」「自分探し」に必至のようだ。


 2007年、一部のコンピューターシステム従事者が ICT を使い始めているが、一般のサラリーマンはほとんど使わない。
 ITとICT、どちらを使うかは個人の自由。
 もし「これからはICTだよ」と力む人がいたら「新しい言葉をよく知ってるねぇ」と暖かい声をかけてあげたい。

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2008年1月 4日 (金)

日本の弓道(九)

 弓道生活は残り少なくなっていた。
 高体連が6月、前哨戦となる県北大会が5月。
 そのための選手選考は4月末。

 いつまでも早気のリハビリをしてはいられない。
 早く的に向かわなければ。僕は焦った。
 メガネをすっ飛ばして以来、素引きさえも怖かった。

 何の確証もお墨付きもないまま、素引き生活を2月ほどで切り上げると、再びジョニーデップ小屋に戻り、的に向かった。

 矢と矢筒だけは自分で買うが、かけ(右手につけるグローブのような装具)と弓は学校の備品を使う。
 先輩が引退する頃には、お目当ての弓を狙ってお座敷取りとなる。
 「俺の弓はおまえに譲るぜ」
 「お前にはこの16kgは無理ばい」
 中には「この弓は記念に俺がもらう」などと言う先輩もいて、僕らを呆れさせた。
 僕らの弓道部では、先輩が後輩に禅譲するのは伝統でも誇りでもなく、この弓だけだった。

 3年生が引退して主将となった僕の希望は最優先で扱われ、グラスファイバー製16kgの弓を引き継いだ。
 当時まだグラスファイバー製の弓は学校に1本しかなく、誰もが憧れていた。 16kgというのは弓の重量ではなく、しなりの強さを表している。キロ数が上がるほど反発力は強くなるが、筋力も必要である。

 強い弓から打ち出された矢は直線に近い軌道で飛ぶ。
 弱い弓から打ち出された矢は山なりに飛ぶ。
 高い確率で的に中てるには強い弓が有効だ。
 だが、弓は力まかせに引けるものではない。
 言葉にして言うならば、力を抜いて引かなければならない。

 大きな力を必要とするのに、力を入れてはいけない。
 そこには高い技術を要する。

 だが、指導者もなく論理を語るアドバイザーを持たない高校2年生はそんなことは知らない。
 スポーツとしての弓道をやっていた僕は、これだけ中っているのだから、さらに強い弓を引いて、たくさん中てたいと考えた。この選択が早気へとつながったのだ。

 リハビリに入る時点で16kgの弓は、怪力と言われていたマツモトに譲っていた。
 主将になった時、帰宅部だった同級生3人を入部させた。団体戦を戦うには僕とタナカ、そして1年生だけでは心許なかったからだ。

 怪力のマツモトは16kgの弓を操り、まさに矢のような弾道?で中てまくった。
 長身のスズキは弱めの弓を使ったが、二階から打ち下ろすような放物線で手堅く中てた。
 僕が休部という扱いとなった後、主将を任せたサトウは、身体こそ小さいが論理に長け、物理学を弓道に持ち込んでいるのかと思うほど、無理のないフォームでよく中てた。
 最も弓歴の浅いこの3人が、あっという間に弓道部の実力ベスト3となった。

 僕は一般的な女子が使うのと同じ12kgの弓で射場に立つ。
 かつて使っていたものよりもさらに弱い弓から放たれる矢は、まるで手で投げたグライダーを見るかのように頼りなかった。
 竹を合わせてできたその弓は、寝ていても引けるほどの弱いしなりだったが、僕の早気はまったく治っていなかった。
 それどころか、日に日に状態は悪くなる。ひどい時には大三の位置からほんの少し引き分けたところで離してしまうことさえあった。

 そうなるともう弓道の体を成さない。
 心身ともに型が崩れているのだから、我が矢が的を射るわけもない。

 3年生、最後の高体連に向けた部内選考の時がきた。
 僕らの弓道部の伝統で、選手選考は競射のみの一発勝負。
 調子が悪かったとか、風邪を引いていたいった、泣き言は一切通らない。もちろん、僕のほうが型がキレイだとか、僕の方が級が上だという言い分も通らない。

 僕の弓道は今も二級止まり。まだ伸び伸びと引いていた時期に、二度試験をうけた。そろばんは8級からだったが、弓道は3級から。試験でよい型を見せ、しかも的に中てれば、飛び級もあるのだが、二度ともひとつも中らなかった。

 僕は本番に弱かったのだ。

つづく

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2008年1月 3日 (木)

日本の弓道(八)

 早気を患った射手にとって、長くもった会、無心の離れ、残心は憧れ。
 かつて、伸び伸びと弓を引いていたイメージに戻りたい。

 ただでさえ手狭なジョニー・デップ小屋では、的にも巻藁にも向かわない素引きの射手は肩身が狭い。日々、腕を上げていく仲間を尻目に、的に向かうことができない惨めさを否が応でも感じてしまう。
 そんな時に見つけた一人きりの練習場は、かつてのイメージを思い起こさせてくれた。

 緩やかな動作で八節が進んでいく。
 大三からがいよいよ問題のステップだ。
 右肩から先の力を抜き、弦を肘で引いていく。

 野球でバッターが実際には腕で打っているのに「腰で打つ」と言う感覚と同じで、弓道の指導者は腕で引くのではなく「肘で引く」という言葉をつかう。

 ランナーズハイという言葉は、ほとんどのマラソン・ランナーは本に書いてある幻想の言葉だと知っているが、この日の僕には天からまさに「弓道ハイ」といえそうなイメージが降りていた。

 晴れやかな心で弦をいっぱいに引いた。
 その手を離すと、矢は素直な心を映すようにまっすぐに28m先を目指し、36cmの的の中心を射る。
 力を解きはなった弓は、左手を軸にきれいに返り、弦は左手の外側に収まる。

 ばちっ

 すごい音がして右耳がしびれた。
 瞬時にガラスが粉々に割れる音がした。

 2秒ほど全身が固まった後、すぐ辺りを見回した。
 誰も見ていなかっただろうか。
 目撃者がいないことを確認すると、痛む右耳を押さえながら、飛んだものを回収する。

 かけていたメガネが体育館の壁に当たった後、地面に落ちていた。
 初めてのメガネは3年使った。
 まだ一年しか使っていないスチールフレームのメガネは、レンズが割れ落ち、フレームはぐにゃぐにゃになった。

 あの時と同じだ。
 小学3年の時、下りの坂道で止まりきれず自転車でこけて大けがをした。
 傷んだ左足よりも、曲がったハンドルよりも、まず最初にきょろきょろと辺りを見渡した。
 誰も見ていないことを確認すると、あまりの痛さに涙が出た。

 親に連れられて駆け込んだ外科で、先生に言われた。
「誰も見てないと思ったら、安心して泣きたくなっただろ?」
 読心術者かと思ったが、先生は病院の屋上で休憩していて、一部始終を見ていたのだった。

 こんな細かい心理描写が心に焼きついたのは、それをなぞって解説した人がいたからだ。
 恩着せがましくてはいけないが、言葉を持たない子供には、その心理描写を大人が替わりにしてあげるのがいい。

 番えていない矢の替わりに、弦は耳からメガネを弾き飛ばして、きれいに弓返りの位置に納まっていた。
 2500円の小遣いではメガネの弁償もままならない。
 母は喧嘩じゃなかろうね?とだけ確認すると、替わりのメガネ代をくれた。

 
 高校生活最後、そして弓道生活最後の、快心の会がこれだった。

 結局、半年を過ぎても早気は克服できぬまま、僕は高校3年生の春を迎えていた。

つづく

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2008年1月 2日 (水)

日本の弓道(七)

 弓道のフォームは八節と呼ばれる基本動作で構成されている。
定位置についてから矢を射終わるまでの8段階の動作それぞれに名前がついている。

第一節 足踏み 
定位置に足を決める。

第二節 胴造り 
麺作りではない。下腹に力を込めて土台を固める。

第三節 弓構え 
「ゆがまえ」と読む。左脇に抱えていた弓を両手で持ち、体の前に構える。

第四節 打ち起し 
弓を両手で上に上げる。この時はまだ引いていない。

第五節 引き分け 
左手で弓を支え、右手で弦をいっぱいまで引く。この動作の途中には大三(だいさん)というステップがある。正面に打ち起こした弓を平行を保ち的に向かって移動させる。この時右手は若干、弦を引いている。大三をしっかり停める型、ほとんど停めない型があるが、僕らは大三をしっかり停めるほうを習った。

第六節 会 
いっぱいに弦を引いた状態。

第七節 離れ 
弦を握っている右手を開く(矢が飛び出す)

第八節 残心 
矢を射終えて、両手がまっすぐ左右に伸びた状態。このポーズを何秒保持しなければ減点とか、そういうルールはない。弓道では昇段試験は八節の内容を問われるが、競技では的に中った結果だけが問われる。

 「弓を引く」と言うが、実際に引いているのは弦である。
 弦をいっぱいにひいた時、右手の位置は的から見て、右耳にほぼ重なる。
 その右手を離すのだから、物理的には一定の確率で弦が耳に当たる。
 だが、そこには矢が番えられているため、弦は右耳をかすめて外側を遠回りする。
 弓を支える左手の力が弱いと、弦が耳をかすめる。
 女性は弦の通り道に胸が突起しているため、上級者を除いては、胸当てをつける。

 フォームが悪い時は、よく耳に当たった。
 冬場は耳がかじかんでいるので、当たるとたまらなく痛い。
 そんな時は鉢巻きを耳に引っかけて巻き、的に向かった。

 矢をつがえないで八節の動作を練習することを素引きという。
 素引きでは矢がないので、弦を引いた手を離そうものなら、弦は耳どころか顔面を直撃する。
 素引きでは弦をいっぱいに引く「引き分け」の動作を終え「会」に入ったところで、弦を握った右手を開かず、初期の位置に戻さなければいけない。

 その日、ジョニー・デップの小屋を出て、体育館の裏にいた。
 そこは、不良が善良な生徒を呼び出すのに好適そうな場所。人通りはなく、誰から見られることもない。
 その進学校は荒れた学校ではないので、もちろんそういうよからぬ用途には使われていない。
 僕は一人、誰から見られることもなく、八節の素引きを繰り返していた。

つづく

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2008年1月 1日 (火)

文筆家

 ある日、あなたの友達が
「作家をめざしている」
 と言い出したら、どんな気持ちになるだろうか。

 応援しているよ
 がんばってね
 本が出たら知らせて
 一冊買うよ。その時はサインしないでね。ブックオフに売れなくなるから。

 多くの人が、こうした承認や冷やかしの言葉を贈るだろう。

 その人が、日頃からブログやミクシィ日記などを公開している人だったら、その文章について何か一言コメントするかも知れない。

 あなたが書く文章は読みやすいからね。
 いい視点をもっているから、きっと成功するよ。
 この程度の文章で作家なんて、バカじゃないの。

 最後の一つは、心にしまうはずだ。

 版元で編集の仕事をしていた。
 なんでも書きさえすれば売れそうな、有名人である。
 自費出版につぎ込む金が余っていて、自費でもなんでも本さえ出れば自分自身を作家と認められる。

 このいずれにも当てはまらない人が、作家を目指す道は、次から選ぶことになる。

 1,地道に版元に持ち込む。
 2,新人賞で入選する。
 3,何かをやらかして有名になる。

 2001年に国会に呼ばれた話を書いて1を試したが、どの版元ともご縁がなかった。
 新人賞は3回落ちた。
 今年は何かをやらかす・・わけにもいかない。

 毎日なにか書いてウェブにアップロードすることを7年続けている。
 今できることを、地道にやっていきたい。

 あけましておめでとうございます。今年も「しらべるが行く」を
 よろしくお願いします。



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