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2008年2月28日 (木)

角松敏生

1960年8月12日生まれの角松敏生は、貸しレコード屋創世記にデビューしたミュージシャンである。

1981年6月
シングル・アルバムデビュー。
この年に貸しレコード屋の全国展開が始まっている。


1982年
アルバム「WEEKEND FLY TO THE SUN」発表
雑誌「ポパイ」でアルバムと同じタイトルのテーマ特集が組まれ、そこで紹介された。

当時、コンサートホールの2Fから見渡すと、客席は8割方女性で埋まっていた。
ライブ中にステージで酒は呑む、トークショーを始める・・と、独特と言うよりはわがままなステージぶりだった。


1991年秋
福岡サンパレスのライブで爆弾騒ぎ
一旦入場して開演を待っていたファンは、理由についての説明もなく一旦外に出された。
1時間遅れで開演して
「爆弾予告だよ。俺みたいな売れないやつを狙うなよな」

こう語る彼はとても嬉しそうにみえた。
この時期、彼はライブのMCでこう言っていた。
「昔のファンは僕だけ見てくれたのに、最近は他の人の音楽も聴いているから許せない」
「禿げたらもうやらない」


1993年1月27日、
全国引退ツアーをおこない 日本武道館公演を最後に引退。(後になって"凍結"という言葉に置き換えている)
ついに髪が来るべきところまで来たのかと思っていた。

1997年
覆面バンドAGHARTAで出したシングル「WAになって踊ろう」が大ヒット。

1998年
角松敏生としてのリリース活動再開「Time tunnel」発表

2000年
「The gentle sex」「存在の証明」発表
彼は1993年に引退しておきながら、いつの間にやらこれを"凍結"という言葉に言い換え、この凍結期間を「すべてはこのアルバムの布石だった」と語った。

妙につじつまを合わせるような発言は潔くなかった。
仮面ライダーでさえ、ここまでのご都合主義過ぎはやらない。

角松ファンにしてみれば、活動再開は何より嬉しかったに違いない。

それでいいのだ。
少々のことがあっても、支持し続けるのがファン。
何かあるごとに「もう信じられなくなりました」とか「ついていけなくなりました」とか 「お別れの時が来たようです」などと、自分の方が主役だと勘違いしているような人はファンではなく「リスナー」である。

またこの頃、角松は雑誌インタビューで 佐野元春など1980年前半デビュー組の不振、サンプリングの普及、モーニング娘、浜崎あゆみらのメガヒット手法を憂う発言をしていた。
わがままに映るが、言っていることはとてもまともな人なのだ。

2001年8月22日
デビュー20周年コンサートが台風で中止になる。

2003年
8月「Summer 4 Rhythm」発表。
11月15日、初期活動を総括するライブ開催(横浜アリーナ)

2004年5月
有料オフィシャルサイト「TOSHIKI KADOMATSU Official Members Site」開設~月額840円

2006年発売のオリジナルアルバム「Prayer」のジャケットで見る限り、髪はまだまだ大丈夫な様子。
これからまだしばらくは、ファンの期待に応え続けることだろう。



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