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2008年5月 9日 (金)

これがコーヒーカップヌードル(写真付)だ!

 コーヒーカップヌードル挑戦の日
 カップヌードルはノーマルな醤油味に決めた。
 いやそういう常識にとらわれるのはよくないと思い、いったんはカレーにしようかと思ったが、今回は自嘲した。

 もう売っていないプラ容器カップヌードルを使うのはもったいないので、紙容器のカップヌードルを買ってきた。

 この挑戦は何度もやるようなことではない。
 作業は慎重を要する。
 そこで、前もってつくる手順を書き出すことにする。

 コーヒーはモカ・ブレンド。理由はない。
 ドリップ・パック1つでは充分な湯量と味が確保できないとみて、2パックを使う。
 料理は水に始まり、水に終わる
 そんな話は聞いたことないが、水はアルカリイオン水
 水は沸騰すると空気が抜けてしまう。おいしいコーヒーを淹れる時と同様、沸騰する手前で火を止める。

 本日の行程で懸念されるのは、沸騰直後のお湯ではないコーヒーで、果たして麺がほぐれるのか?ということ。
 ただ、いつもカップヌードルは 2分半の固麺で食べ始めるくらいなので、少々の固さはご愛敬だ。

 コーヒーを作る過程で極力、熱を下げないため、カップには別に沸騰させたお湯を張り、温めておく。そして、2パック分のコーヒーを淹れるため、このセットを2つ用意。
 手際よく、コーヒーを淹れる。
 豆を蒸らすための20秒を今日は15秒に短縮する。

 ここでこの手順の破たんに気付いた。
 そうだ、コーヒーをカップヌードルに直接淹れればよいのだ。

Coffee_cup_noodle2

 一刻を争うため、ドリップパックは1つでカップにお湯、じゃなくてコーヒーを満たす。
 入れてみると、案外、黒くない。
 見た目は一見、ふつうのカップヌードルだ。

 そして、待つこと3分

Coffee_cup_noodle1

 これが、世界初(ただし写真付)
 コーヒーカップヌードルだ!

 カップから妙な香りが漂う。なんだ、これは?
 まず、箸で麺をすくい、音を立てて、ひと息にすする。
 ふぅ~ ず ず ず
 ラーメンを食べる幸せは、この瞬間に凝縮されている。

 印象はカップヌードルとさほど変わらない。
 イカスミスパゲッティを初めて食べた時の感覚に似ている。
 見た目で、これは絶対無理と思うのだが、食べてみると、ふつうに食べられる。ただし、特段、イカスミだから美味いとも思えない。どうして、スパゲッティにイカスミなの?と不思議に思う。

 コーヒーラーメンをメニューに入れているお店があるが、お客はまさにイカスミ感覚になるのだろう。

 カップヌードルは中間保持により、できあがりの見た目がよい。
 えびの赤、玉子の黄、肉の茶色
 さて、我がコーヒーカップヌードルはどうか?

 ふんわり黄色い玉子にコーヒーの茶が、うっすらと浸みている。
 寒い冬、味が浸みて、コーヒー色がついた玉子のおでんを思い出す。
 えびは染まりやすい性格のようで、珍しく黒みがかっている。

 肉は単独で噛みしめると肉の味がする。
 えびは、魚貝類特有の後味があり、染まりやすい外見とは違い、えびらしさを保っている。
 玉子は元々玉子の印象が薄い具材のため、コーヒーに染まったのかどうかが、わかりづらい。

 麺を食べ終えた。
 ふと我に帰ると、コーヒーで作ったことを忘れていた。
 そもそも、初めからコーヒーの味はしていなかった。

 期せずして、ここで、この企画のクライマックスがやってきた。

 いつもはカロリーと塩分を気にして、汁を飲むのは一口だけと決めている。
 残りの汁は流し台に捨てる。
 底に沈んだ肉やえびの欠片、胡椒粒が惜しい。あまりに惜しいので、箸で肉片の転落をせき止めて、食べたりもする。

 ところが、今日は最後の一滴まで飲みたいと思っている。
 なぜならば、食後のコーヒーは、人類が始まって以来、長く愛されてきた習慣だからだ。

 いつもならば、食事を終えた後、コーヒーを別に注文するか、喫茶店へハシゴしなければならない。

 コーヒーカップヌードルには、その煩わしさがない。
 食べ終えた時、そこには「はい、お待ちどう」とコーヒーが待っている。
 自宅であれば、カップを洗う必要もない。
 ということは環境にも優しい。

 まいった。
 コーヒーカップヌードルは意外と普及するかも知れない。
 論文として、日本ラーメン学会に発表しておいた方がいいのではないか?
 今、コーヒーカップヌードルを商標登録するか、真剣に考えている。

 と頭の中で、速くも原稿ができあがる。

 食後のコーヒータイム。
 だが、汁は汁だった。コーヒーではない。
 最後の一滴まで飲んだ。
 塩がきつい。
 しばらく飲んでいないうちに、カップヌードルは塩が増えたのか。それとも紙容器変更時に塩を増やしたか。いや、自身が減塩に気をつけているため、塩辛いと感じたのかも知れない。

 最後までつきまとったのは、香りへの違和感。
 経験のない香りだ。
 想像で言うならば、賞味期限を数年過ぎて、変質したカップ麺はこうかも知れないというような香り。
 薬膳にありそうな香りでもあり、どこかの銘柄のスナック菓子にこんな香りがあった気もする。

 かつての世界初の試み、さしみカレーは他人に勧められるような発見がなかった。
 そして今回もまた、読者の皆さんに新たな価値観を提案することはできそうにない。

 食べ終えて、20分が過ぎたのに、まだあの違和感のある香りがそこらに漂っている。カップに残った香りを嗅いで、過去の記憶を照会したが、脳は答えを返してこなかった。

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