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2008年6月の30件の記事

2008年6月30日 (月)

世界に一つのおもしろい教科書

 五 二〇のカテゴリー

 KLに橋本が来た日から3ヶ月、FEの残務を片付けつつIDOの5年間を見据えていた。
 5年間の1000日で1000の法律を作ろうとまず決めた。
 ただ、任期を終えて1000法をふり返った時、特定の分野に偏っているのは具合が悪い。そこで「日本国用語集」でも使った20のカテゴリーを設定して、バランスよく立法できているかをチェックすることにした。

 「法令web」トップページは、20のカテゴリーで目次を設けている。
 国民の一人一人に「自分も法律を考えてみようかな?」と思い立ってほしい。その想像力のスイッチを入れるたたき台として、20のカテゴリーが立っていることはよかったと思う。
 カテゴリー分類は、国民が法律の概念に合わせるのではなく、法律が暮らしに寄り添うという発想で、国民の側に立って考えた。商法・刑法や政治・経済・司法といった、国民生活の実態とは関係のないカテゴリーは立てていない。
 この章では各カテゴリー毎に、僕が気に入っている法律を挙げてみたい。

 audio entertainment visual 音楽・エンターテインメント・映像
 【音楽は力法】
 企業には1日1曲以上音楽を流すことを求めた。25歳以上の人は1日1曲音楽を聴くか、歌わなければならない。
 音楽パッケージを買って、所有することにステータスを感じるのは23歳まで。それ以上の年代は、たまに気に入った曲をシングル・ダウンロードするだけだ。
 それまで肌身離さず音楽と接していた人も、23歳を過ぎると音楽から疎遠になる。
 就職すれば最初の5年は遮二無二働かなければならない。恋もして、結婚をする。結婚して育児をして落ち着いた頃、再び音楽のある生活に戻ってくる人もいるが、そのまま音楽のない老後へ向かう人も多い。
 目標法であり、問題提起法のひとつ。
 かつて、音楽に救われた経験から立法した。

 僕は総合日本商事で3年間、サラリーマンを経験後、ユニセフの教育ソフトプロジェクトに参加するためにニューヨークへ渡った。32歳の時だ。
 当時の僕は、本にも音楽プレーヤーにも見向きもせず、プロジェクトに没頭していた。
 「国際連合児童基金」ユニセフは、1946年の設立当初「国際連合児童緊急基金」という名称だった。ユニセフは第二次大戦直後、子どもを飢餓から救うために急遽結成された組織であり、問題が解決すれば解散するという点では国連難民高等弁務官事務所と同じ位置づけ。
 設立7年後に“緊急”の文字はとれたが、90年経った今も飢餓は解消せず解散していない。
 僕は総合日本商事でビジネスソフトを成功させた余勢を買って、ユニセフには教育ソフト「世界の社会」を作りに行った。

 16歳で化学式を教える国があれば、識字率が50%に届かぬ国もある。国語、算数、理科の分野はユニセフとは土俵が違う。
 僕は世界の子どもたちが、本やコンピューターで学ぶ「世界の社会」のソフトを作りたかった。
 「社会」の教育はおもしろさに欠ける。
 歴史の流れは、地誌的な要素による必然性が作用している。
 そこを無視してヨーロッパから始めましょう。次はアフリカですという教え方は、単なる編集の都合に過ぎない。中一で地理をやって中二で歴史、中三では公民です。これは座布団型ですが、別の学校ではパイ型もあります・・それは学校の都合に過ぎない。

 なぜ「社会」はおもしろくなかったのか?
 なぜオランダと長崎が、歴史の中で関われたのかを考えてみるといい。
 オランダと日本が関わるためには、まず交通の便が確立していなくてはならない。
 島国である日本へのアクセスは海路しかない。ということは、オランダにはヨーロッパからの航海に耐える造船技術がなくてはならない。道中には海賊の攻撃もあるだろうから、反撃して撃沈する大砲の技術、砲弾が当たって船が沈まないことも重要だ。

 では船の動力は何か。当時は産業革命前。当然、動力は風と潮の流れと人力。
 風を読む技術も必要だし、乗組員の食料も必要。そしてオランダの港から長崎の港までの間に補給基地となる港も必要。その時、オランダはどこまでを侵略して、どれくらい広い領土を持っていたのか。自国の港以外に、いくつの外交関係を持つ国の港を確保していたか。他国に寄港するにはことばの問題も出てくる。通訳はいたのか、何語を使っていたのか。

 こう考えた時、歴史を学ぶとか、地理を学ぶとかで教科を分けているのが、誰の都合なのかという疑問が湧く。というより全然おもしろくないということがわかる。
 “おもしろい教科書を作ってはいけない”という法律はないはずだ。
 だが、外から文科省を見ていると、僕が入って行ったとしても、好きな教科書を作らせてくれそうにはない。
 そこでユニセフでつくることにした。
 当時のユニセフが、伸びないODA、出口のない飢餓に悩み、新たな動機付けを必要としていたことも好都合だった。

 ユニセフからプロジェクト・リーダーを拝命した「世界の社会」は順調に進む。
 大日本商事で成功させたビジネスソフト「セールスマッピング」で組んだスーパーワーク社が、ソフトウェアの自社開発を申し出てくれた。
 1年の折衝の末、列強七か国~米国、英国、フランス、スペイン、オランダ、ポルトガル、イタリアに三か国を加えた一〇か国から代表ライター20人が決まる。そしてさらに1年後、ようやく1次リリース「1500年~1700年編」のレビューを終えた翌日、1人の女性ライターが自ら命を絶った。



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2008年6月29日 (日)

ユーロのネタバレとデコの移籍先(ネタバレ無し)

 ユーロ2008も、31試合中30試合が終わり、決勝を残すのみ。
 このところ、録画しておいた試合を、翌晩に見る日が続いた。

 ユーロの試合結果は見たくないけれど、デコの移籍情報はチェックしたい。
毎日がネタバレ対策に神経を使う一ヶ月だった。

 「ネタバレ」という言葉は、2005年にミクシィが飛躍的に会員を伸ばした頃から、日常的に聞くようになった。
 1980年にはネタバレという言葉はなかった。
 1990年代に、パソコン通信が普及し始めてから、本、ドラマ、映画の結末をネット上に書く場合は、タイトルに工夫をするよう求められた。
 1995年以降、これにコンサート・ツアーのセットリストが加わった。

 佐野元春が全国10都市でコンサート・ツアーを行うとする。
 最初の会場に行った人が、ネット上に「アンコールでサムデイをやってくれました」などと書いてしまうと、残りの9会場に行く人は、一気に興ざめしてしまう。
 ネットワークのコミュニティがこの世に登場する前は「身近に佐野さんのことを話す相手がいなくて」というのが悩みだった。
 だが、ネットワークの登場で、全国に話し相手ができた。
 ファン同士でしかわからない、レアな話題を共有することはとても楽しい。だが、話し相手がいるがゆえの新たな問題、ネタバレが登場したのである。

 結果を知りたくない人がいる一方で、結果を知っていれば、それについて熱く語りたいというのも人情。
 そこで、ネットワークの住人は「ネタバレあり」「ネタバレなし」でトピックを分けた。佐野元春公式サイトを立ち上げた「元春HP」の場合、ネタバレコミュニティを別につくった。

 2000年代に入りブログが始まり、2005年からミクシィで日記が普及すると、人々はタイトルに「ネタバレあり」を宣言する工夫を始めた。
 もちろん、仲間にメールを送る場合も、同様である。

 こうして、インターネット、夕刊紙、情報の遮断に細心の注意を払ってきたが、結局のところ、デコはユーロが終わるまで去就を明らかにしないと決めていたようだ。

 憶測報道を総合すると、デコの行き先はチェルシーで決まりと思われる。
 チェルシーから誰が出て行き、デコ以外に誰が入ってくるかも興味深い。

 FCバルセロナのグラディオラ新監督は、会見で「ロナウジーニョ、エトー、デコの3人は戦力として計算していない」と述べた。
 100年を超える歴史で、まだ 2度しか欧州CLを制していないクラブが、そのうち 1度の主力となった 3人に送る言葉としては、少々品がないと思うが、そう言わせるだけの不満が、彼にはあるのだろう。

 できることならば、ロナウジーニョ、エトー、デコが3人揃ってチェルシーに移り、2008-09CL決勝でバルセロナと相対するのを見たい。
 生え抜きのグラディオラが、外様の3人を排して作り上げる、統制のとれたバルセロナは、かなり手強いだろう。

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2008年6月28日 (土)

スジコとアスタキサンチンのサプリはどちらが得か?

 こどもの頃、佐世保から船で3時間の離島に住んでいた。
 後に廃港になる空港も、まだできていない頃だった。

 クラスメートの九割は漁師のこども。
 当然、泳ぎは上手い。

 夏休みになると、近所の子どもは毎日、海で泳いでいて、男女を問わず真っ黒。
 色白の女の子なんて、存在しない。
 その中に違う星からやってきたかのように、真っ白い僕がいた。
 僕は「水恐怖症」で、泳げなかったのだ。
 二学期になり、真っ白い顔で学校に行くと、真っ黒な女の子から、白い目で見られる。

 8月の終わり頃になると、たまっている宿題よりも、そのことの方が憂鬱だった。
 当時はまだ、日焼けサロンという言葉はない。
 「冒険王」に広告が載っている、通販の「日焼けライト」が欲しくてたまらなかったが、冒険王がやっと買える程度のおこずかいでは、それは叶わなかった。

 ところが、オゾン層が地球から撤退しつつある昨今、事情は180度変わってしまった。
 容赦なく地上に到達する紫外線は、肌にメラニン色素を定着させる。それをしみ(肝斑)という。
 「外に出る前に日焼け止め」は今や、老若男女を問わぬ常識になりつつある。
 子どもの頃の僕にしてみれば、日焼けを止めるなんて、なんてもったいない話だろう。

 2002年、ハイチオールCが「体の中からきいてくる」と宣伝していた。
 薬局には各社のビタミンC剤が並び、「効能;シミ・そばかす」とうたっていた。
 3ヶ月分のビタミン剤の値段は、2002年当時、ハイチオールCで¥11,400、最も安いビタミンC剤で¥3,000。最も安いビタミンCを買ってきて、夏のプールシーズン前から飲むよう心がけた。

 今もビタミンC剤は「飲んで直そう」と言っているが、はっきりとわかるシミは、ビタミンCで消えることはない。薬剤師に尋ねたところ「薄くなるかも知れないという程度」
 それさえも、3ヶ月以上服用しないと可能性がない。
 女性ならば、塗って隠すことが現実的な選択だ。

 2007年夏、からだの中からではなく、外から塗るシミ防止の製品が出た。
 アスタキサンチンというサケ、マスに多く含まれている成分が、シミの定着を緩和するという。
 因果関係はわからないが、2007年末以降、スジコが以前より高くなった。

 今年に入り、写真メーカーがアスタキサンチンの化粧品を出している。
 ファンケルは以前から、サプリで販売している。
 スジコとアスタキサンチンのサプリはどちらが得か?を検証したので、興味のある方はお読みください。

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2008年6月27日 (金)

「週刊法律」「週刊新法」「週刊法律ニュース」

 週刊誌
 1 週刊法律 90万
 2 週刊新法 70万
 3 週刊法律ニュース 40万

 これが2039年 4月の部数ランキング。
 僕は三誌とも私費で定期購読している。名古屋生まれの水野淳一は「買うのはもったいない」と言って、いつも部活の時にここで読んでいる。
 IDOが作る法律を解説する週刊誌は三誌。就任した2034年10月に「週刊法律」が創刊。3か月後に「週刊法律ニュース」。1年後に「週刊新法」が出た。

 誌面では条文・罰則・ポイント、法律の意図、見込まれる効果などを図表やイラストを使って解説している。あとは、専門家のコメント、芸能人の声、立法後の社会の変化を分析するなど、各誌がアイデアを競っている。
 「週刊新法」には学生の時の仲間がいる。「報道署名法」により、雑誌はすべて署名記事となったので、名前を見てすぐわかった。「週刊新法」は、一つのテーマについては、毎回同じ図を使うようにしていて、これがとてもわかりやすい。
 図については、総合日本商事にいた時、他人がリーダーを務めるプロジェクトで、とても苦労したことがあった。

 「サンジョルディに本と映画を売ろうプロジェクト」は、1980年代に失敗したプロジェクトの40年ぶりのリバイバル。
 まずはデイリービュー10,000以上のブログ・アイドル200人に、マンツーマンで専属ライターを張り付ける。ライターがブログに合った作品レビューを書き下ろして、それをアイドル自身のことばとしてブログに書いてもらう。それを読んだ女の子が、キャンペーン・バナーから商品を男の子に贈ると、ペアで「文豪セルバンテスの故郷スペイン・カタルーニャ 14日間の旅」が当たる。ブロガー側にはメリットとして、5割り増しのアフィリエイト収入がはいる。
 長期の休みをとることができて、小銭を持っていて、恋愛まっただ中という18歳から22歳女性をターゲットにした企画そのものはよかった。

 だが、プロジェクトマネジメントがひどかった。
 進行表だけもでPND、時系列、マイルストーンの3つ。費用対効果の試算表は4通り。業務フローは3通り。マニュアルは3人の担当者がそれぞれ、ウィンドウズとマックとリナックス環境で作るので、ソフトも全部違う。極めつけはプロジェクト組織図。プロジェクト・オーナー、マネージャー、リーダーがそれぞれ別々に作るから3種類。僕の役割は 3つの表ですべて違っていた。
 メンバーはわずか10人だが、いずれも「できる男」と言われていた精鋭揃い。だが、それがよくなかった。僕が、書式やプラットフォームを統一しようと言うと、異口同音「そんな枝葉末節にこだわるならば、僕は降りるよ」と言い出す始末。
 キャンペーンは 2か月遅れで開始にこぎ着けたが、始まった頃には、学生は春休みの計画を立て終えており、見向きもされなかった。

 プロジェクトで、メンバーの共通理解を得ること。
 メディアを通して、国民の共通理解を得ること。
 この二つの本質は同じ。
 共通理解を得るためのポイントは軸を動かさないことだ。

 仕事の軸となるのは資料、図表のフォーマット。
 一つのテーマを語り継ぐとき、ずっと同じフォーマットを使い続ける。上下左右の軸を替えてはいけない。できれば色も変えない方がいい。人は間違い探しが好きだ。二つの絵には七つの違いがありますと言えば、皆喜々として探し始める。フォーマットを固定して、前回と変わったところはどこかを探す。人はそのような思考に慣れている。
 「週刊新法」には、そこのところをわかっている記者がいるのだろう。

 毎週、最低5つは出てくる新しい法律を知らないと、いつ収監されるかわからないというわけではないだろうが、法律週刊三誌はよく読まれている。すべての公立図書館とほとんどの喫茶店、美容院などが常備していて、磯田祐子や別府京子が言うには、皆、争うように読んでいるそうだ。

 「へぇ、今度はこんなのできたんだぁ」 (たくさん作るからね)
 「これこれ、こういうの欲しかったんだ」 (通販じゃないっての)
 「IDOって、オタクっぽいよね」 ( … )
 いつも、祐子と京子が“街の声”を拾ってきて教えてくれる。法律というキーワードで、人々が社会のことを会話している。レベルなどは問題ではない。こういう状況を作りたかったので、微笑ましく聞いている。
 「法令web」のページでは、すべての法律がキーワードで全文検索できるようになっている。ただし、官報のような刷り物、解説書の類は一切作らない。そこは報道各社、版元の腕の見せどころとして残してある。

 部活に終わりの時間は決まっていない。
 ただいつも20時をまわると、自然発生的に後かたづけが始まる。コップやお皿は使い捨ての物は使わず陶器を使っている。皆が故郷や旅行先から名器ばかり買ってくるので、見る人が見たら怖くて触れないような食器を平気で重ねて流し台に運ぶ。ここでは、俺の方が洗う皿が多いとか、私はこの間も洗ったのに損だとか言う人はいない。
 中締めの挨拶や一本締めがあるわけではなく、片づけが終わると「お疲れさまでした」「失礼します」と一声かけて、それぞれの家族や恋人の元へ帰って行く。
 ただ関西三人娘の一人、西直子の挨拶だけが違う。
 「さようなら」
 僕はどきっとする。もう二度と会えないような恐怖を覚える。彼女にとっては、そのことばがしっくりと来るのだろう。さようならと言われていつも、あぁと答えを濁してしまう。

次回は6月30日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月26日 (木)

東大と九大の差

 東京大学
 「IDOは東大の法科ですよね。どうして東大だったんですか?」
 田中一徳と僕は同じ博多の生まれ。法曹を目指すだけならば、東大じゃなくてもよかったのでは?と彼の顔に書いてある。

 僕は東大を目指したというのでも、弁護士・検察官・裁判官を目指したっていう訳でもないんだ。中学校の頃を境に、遠くにある何かを目指すようになったというか。それが具体的に何というのは、僕にもずっとわからなかったけどね。その場所につづく水路が東大、東大法科大学院の横を通っていたと言う感じかな・・

 僕の中学・高校時代はまだ、電子ゲームが脳に与える悪影響については仮説の域を出ていなかった。
 友達は皆、複数のゲーム機を親から買ってもらい、四六時中ゲーム攻略に余念がなかった。
 一方、姉と僕の娯楽と言えば、図書館で借りる本とCD。図書館では最新のヒット曲はなかなか順番が回ってこなかったが、それでも3か月ほど待てば借りることができた。そこにない場合、都内じゅうの図書館から取り寄せてくれる図書館のお陰で、僕は少しだけ東京が好きになった。
 カラオケやゲームセンターに行くことはできないので、姉と僕はいつも家にいて、本を読み音楽を聴いた。父が30年前のブリティッシュロックバンド、クィーンが大好きだった影響で、姉も僕もロックを好んで聴いた。

 高校の時には、年間300冊くらいはビジネス書を読んでいた。中でもプロジェクトマネジメントの本はためになり、高校の時からPMBOKを暮らしに取り入れていた。
 生徒会長として学園祭を取りしきる時、小林麻央似のクラスメートに告白する時、東大の受験勉強も、いつもPMBOKに準拠したPNDを作り、優先順位・並行作業・マイルストーンを確認した。当時の日比谷高校は都立のトップ校だったが、周囲には僕ほど計画性のある友達はいなかった。

 恐らく、後任のIDOも東大出身者が選ばれるだろう。選挙で選ばれる政治家と違い、書類審査で就く要職は東大が独占している。そのことに早く気づいた人。実際には大学を受験する18歳以前に気づいた人には、その選考レースに加わるチャンスがある。

 田中一徳は地元の修猷館高校から九大に進んだ。九大は九州のトップ校であり、学費の負担も私立に比べて格段に軽い。ご両親は福岡市南区大橋で 30席ほどの焼鳥屋を営んでいる。親御さん思いの田中君は、なんの疑念もなく九大一筋で勉強に励み合格した。

 「えーっと皆さん、今日は私がおごります。こん息子が九大に入りました。いつでん、皆さんからよぉしてもろたお陰と思うとります。よかったら今日は心おきのう呑んでってください。ほら、お前もなんか挨拶ばせれ」
 父親はたいそう喜び、合格発表の日、来客すべてに酒をふるまったという。親元から大学に通い始めた田中君は、それまでしてきたのと同じように、部活がない日は店にはいり、キャベツを切り、注文を受けた。バイト代は受け取らなかった。学生アルバイトには一年も勤めれば、焼きを任せていた父親だが、田中君には決して焼かせなかった。何度か「俺にも焼かせんね」とせっついたという。

 「お前はよか」
 お前にはお前の道があろうが。とお父さんは言いたかったのだろう。
 親が子離れした、いい関係だと思う。

 一心不乱に参考書と問題集に向き合った高校時代と比べて、大学では時間にゆとりができる。彼は小学生の頃、大好きだった小説を読む暮らしに戻った。
 大学一年の夏休み「青春の門」を読んだ彼は、大きな後悔をする。主人公が筑豊の町を出て、東京の大学を目指す物語。そこには、高校までの自分が思い描くことのない世界があった。彼の世界は関門海峡の手前までであり、九州の東京は博多だったのだ。
 彼は悔しかった。もっと早くこの本を読んでいたら違っていた。東京の大学に行きたかった。
 だが、それを両親に話すことはなかった。心に思ったことを隠さずに言えば自分は楽になる。だが自分には、それを聞いた人をがっかりさせたり、思い悩ませる、そんな権利はない。彼はそのことを学んだのもまた、大学時代に読んだ一冊の本からだったと言う。

 子どもには、可能性がある。ただそれは、選択肢を提示された子どもに限られる。だから、より多くの情報を親から子どもに伝えてほしい。
 それを実現するために、彼は文部科学省に進む。そして入省8年めの年、IDO室総合選抜に応募した。

 幸田さんも東大出身で、ここに来る前は文科省にいた。
 いつも建設的な提案を出してくれる田中君を見ていて、ひょっとして彼が 19番めの人なのではないか、これは橋本から僕への謎かけなのではないかと考えていた時期もあった。
 九大出身の田中君が、この先IDOに就く可能性はないが、彼は十分にその資質を備えていると思う。

「独裁者」もくじ

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2008年6月25日 (水)

プレイングフォー

「7番アイアンっていつ使うの?」【 15 】

「いやぁ、いつも谷にボール落とすんですよねぇ」
と口に出して言うと嫌われる。

 山岳コース(山にあるゴルフ場)には谷、小川、池、崖、林があり、海辺のコースには、海そのものがある。それらはハザード、あるいは(OB区域を省略して)OBと呼ばれる。

 「ゴルフは自然との戦い」と言う。
 僕は言ったことがないが。
 ヘビとマングースのように、誰も実際に戦ってはいないのだが、自然のせいでスコアが悪くなるので、戦いと言うことにするようだ。

 そこに谷があり、ボールが落ちるかも知れないことは、見れば誰だってわかる。
 ただ、左脳でそう考えれば、そのイメージが右脳に入力されて、ボールは谷底へ転がっていく。
 だから、誰もが谷のことを忘れようとしているのだ。

 それを「谷!谷!谷!」
 と連呼されると 「ママでも金か?」とつっこみたくなる。

 ラウンドでは「不安」と「反省」を他人と共有しようとしてはいけない。
 不安を声高に叫び、失敗をうじうじと嘆く人は、ただ単に迷惑なだけだ。

 理想的なのは、不安を持たず、一切反省をしないこと。
 不安はそのまま結果となって現れる。
 反省は次の悪い結果を誘発する。反省は家に帰ってスコアカードを眺めながら、ゴルフ日記に書くとよい。

 コースの途中に深い谷があると、素人は永遠にその谷を越えられない。
 そこで、ゴルフ場が編み出した秘策が「プレイング4」
 ゴルフを始めた頃、この言葉が大好きだった。
 この言葉に、ゴルフ愛を感じる人が他にもいるようで、何度かこの名前を冠した喫茶店や、スナックを見かけたことがある。

 プレイングフォーとは、ティーグラウンドから打ち出した第1打がOBとなった時、あらかじめ決められた前進位置から第4打として競技を継続すること。

 ゴルフ本来のルールはあるがまま。すなわちOBになれば、その場所から打ち直さなければならない。
 元の位置からの打ち直しが、ナイスショットになる保証があればよいが、素人にはムリ。いつまでも前に進むことができず、後続のゴルフ客がプレーできなくなる。
 そこでどのゴルフ場も、独自のルール「ローカルルール」を作る。
 その一つがこの、進行を早めるための「プレイングフォー」

 ティーグラウンドの目の前が谷になっているホールでは、みすみすボールを谷底に捨てるのがもったいない。
 こういう時のために、ゴルフショップで中古の安ものボールを用意しておく。
 ゴルフショップに行けば、いろいろな銘柄の中古ボールが10個パック1,000円くらいで売っている。どうやって、これらの中古ボールを集めるのかは、公表されていない。
 これらのボールを買ってきて、マジックで 「谷用」とでも書いておけば、仲間が笑ってくれるかも知れない。

 だが、得てして、谷のホールにやってきた時には、1個400円くらいする高いボールしかなかったりする。
 谷の向こうには、前進4打の打ち出し場所が見えている。
 「ぼく、プレイングフォー」
と、幾度か打つ前に申告したが、一度も許してもらえなかった。きっとゴルフ場が中古ボール業者と、裏で組んでいるのだろう。

7番アイアンっていつ使うの?もくじ

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2008年6月24日 (火)

痰を吐いたらマイナス1000ポイント

 法務省の藤野章子は、FEの法務チームで働くという目標を持っていて、FE経験者の僕に、たくさんの質問をする。

 FEの仕事、IDOの仕事・・・どっちがいいかではなく、どう違っていたかな?って考えるようにしているよ。
 たとえば、宝くじを買ったとするよね。結果的に当たったか外れたか、章子だったらどっちがいいと思う?
 「え、いや、そりゃぁ、当たったほうですけど・・」

 そんなに、びびらないでいいよ。僕だってそうだよ。
 切れ長の美しい目をした章子が、あぁよかったと涼しく目を細める。

 たとえば、宝くじが外れてしまったとするよね。僕はそんな時、どう違っていたかなと考えるんだ。
 もし3億円が当たっていたら、僕はまじめに働いたかな。当たる前は 10%はユニセフに寄付するぞって思っていたけれど、ちゃんと寄付したかなって。
 あのままFEでプロジェクト・リーダー的な仕事をしていたのと、今みたいに、ただアイデアだけ出して、それがそのまま通る現状は、何が違うのかなって。
 違いをみつけて、違う経験ができることを喜ぶんだ。
 だから、あの頃はよかったという風には思ったことはないよ。
 かと言って、自分で選んだルートだからと言って、今の道がベストだとは思わないようにしている。どちらに転んでも、僕は真っ当に生きていたさ。水路を泳ぐボラのようにね。

 さっきまで、さば寿司を頬張っていた国交省の伊藤修が質問する。
 「それにしても先週の“街で痰を吐いたらマイナス1000ポイント”ってのは細かくないですか?」
 立法ミーティングだけでなく、部活でも伊藤修は遠慮がない。"大変失礼ですけど""こう言ってはなんですが"と言った前置きも、ローカルルールで禁止されているからだ。

 確かに細かい。大抵の人が「なぜ、唾じゃなくて痰?」と目が点になるらしい。
 こういう些末な法案を書いていると、よく連想にはまる。
 痰を誰がどこで吐いたなんて、いったい誰がチェックするんだ?
 唾と痰の定義はどう違うんだっけ?
 それを定義するのは、厚生労働省かな。
 でも、道路に吐くと、管轄は国交省か?
 考えていたら「俺ってバカじゃないのか」と思えてきて、やっぱり止めておこうと思う。でも、そんな時、目の前に貼ってある紙を見る。

 「人間として正しいか?」

 うん、正しいな。やっぱり施行しよう・・
 初めに決めた軸が、いつも見えるところに貼ってある。すると、こういう時、自信を持って前に進むことができる。

 じゃ聞くけどさ、仮に伊藤君がいつも街で痰を吐いていたとするよね?
 彼は、吐きませんけどねと言いつつ、今度は鳥栖の焼麦(シウマイ)にとりかかっている。
 するとある日、bola!の滝川寛子キャスターみたいな女性が現れて、君は恋をする。
 うんうん!さもありなんと、藤野章子が頷いている。
 そしたら次の日から街で痰を吐くのを止めたりしないかな?

 「うーん、そうですねぇ・・」
 大ぶりな焼麦をもぐもぐと頬張りつつ、彼は今ひとつそのシチュエーションが目に浮かばないようだ。
 けどさ、結婚して子どももいるような、世の中の一般的なおじさんには、滝川寛子のような恋人は現れないわけだ。現れても口説く権利がないし。
 幸田千絵さんがくすっと笑う。彼女が笑ってくれると僕は、その話が成功を収めた気分になる。

 歳を取って、外からの大きな刺激を得ることができなくなった人は、自分自身で価値観を変えなきゃいけないし、自分で善悪に気づいてもらわなきゃいけないんだけど。
 ま、バカは死ななきゃ直らないっていうかね・・

 僕がつくる細かい法律について、"超管理社会"だという批判がある。だが、実はそれは性善説で、各々が自らを律している理想社会が前提になっている。
 今の地球の何処にそんな場所があるのか、僕はないと思う。



次回は6月26日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月23日 (月)

技術革新独裁者と経済政策独裁者

 日本国民、一度目の思考停止は1980年代だった。
 人は目標を失えば思考を停める。三度のご飯が腹一杯食べられるようになり、80歳まで生きられるようになる。家を持ち、便利な電気製品と車も手に入れた。次に、人々は外に出てエンターテインメントを満喫する。受動的に生きていても、使い切れないほどのお金が入ってくる。こうなると、自分で考えろという方が無理な話だ。
 だが、思考を停めたという自覚は誰にもない。

 次の10年、いわゆる失われた10年と言われる1990年代。人々はあれ?おかしいなと思っていた。
 メディアは連日、一面で悲観論をぶちあげ、国民の不安を煽った。

 消費税は今すぐ30%にしても手遅れで、日本は破たんします。
 国民負担率は2020年には90%を超え、所得の四分の三を国に治めなければなりません。
 デフレの後にインフレが来るのは当然ですが、物価は5倍になるか10倍になるか見当もつきません。給与はインフレに連動して上がりますが、物価上昇に追いつくことはありません。
 政府は株券電子化でタンス株を無効にしましたが、新券発行で日銀券も無効にするかも知れません・・・

 2000年代にはいり、景気は上向いたが、メディアが悲観論を唱え続けた。国民は怯えるばかり。おとなしくしていれば嵐は過ぎてくれるのか。この嵐は終わらないものなのか。身の回りにそれを、わかりやすい言葉で教えてくれる人がいない。

 しかし、思考を停めない者も、政官財学それぞれの場にいた。
 彼らは「何も失われていない」と訴え、実際に道筋を示してみせた。

 国と地方の財政赤字は一千兆円ある。もし、日本人が叡智を持たぬ国民で、優れた技術もサービスもなく外国が見向きもしない国ならば、その暗い顔が似合う。しかし、現実は違っていて、日本の技術とサービスはこれからさらに外貨と内需を獲得する。それによって国の借金は適正な範囲まで縮小する。ただし、借金が減ってきたからと言って、誰かが国の金を当てにするならば、再び過去20年を繰り返す愚に陥る。
 国民が小欲で足るを知り、自分にできる努力をする。そうすれば、何も恐れることはない。「あなた達は何を恐れているのだ」と外国の人は不思議がっているのだ・・・

 2000年の中央省庁改革を皮切りに、政府は規制を緩和し、官が民を押さえつけていた構造を改革した。その改革は「弱者切り捨て」「格差助長」だと批判を受けた。だがスポーツにおいて、判定に不服を言うのはいつも敗者であるように、立法・行政においても、不服を申し立てるのは、いつも不利益を被る者たちだ。
 当時、国民は構造改革と言われてもちんぷんかんぷんだった。
 「構造は改革してもいいが、改革は構造してはいけない」
というテレビコマーシャルがあったが、誰も笑えなかった。
 当時の改革を非難していたのが誰だったかを見れば、誰に不利益だったかがわかる。企業と国民はその輪に加わっていなかった。

 そうして2010年頃、実情を把握した国民が多数となった。
 思考が再会し、歯車が再び回り始める。
 規制緩和で仕事の振り幅が広がった民間企業による、魅力あるものづくりとサービスが加速した。世界一金庫にあった現金と、世界一サーバー上にあった金融資産を元手に、国民はたくさんお金を使った。そして内需は税収となった。

 税収が増えても緊縮財政をつづけたため、一時期一千兆円を超えた国と地方の財政赤字は、1998年水準の500兆円まで圧縮された。その政府に投票を続けたのは、当時「歴史に学び、世界一賢くなった」と言われた日本国民だ。

 かつて「弱者切り捨て」「格差助長」を論っていた学者は、しばらく静かだった後、こう時代を総括した。
「2010年からの戦後第二の復興を我々は折り込み済だった。ただ、これは失われた10年を取り戻したに過ぎない。課題は次の10年である」
 皮肉なことにその予測だけが当たり、2020年代、人々は再び思考を停めた。

 日本の政治は官僚が担当している。
 これはもう80年来、変わらない。(1955~2035)
 州知事ら首長に多大な権限を与えてうまくいっていた米国に倣い、2010年代までに欧州各国が制度を変えた。日本は2012年に道州制を敷いたが、官僚主導の流れは変わらなかった。短命で交替する首長では所詮、地方に引っ越した“世界一優秀な官僚”に対して多勢に無勢だった。

 首長をチーム化する必要があった。
 総理大臣権限の細分化が必要だった。

 まず2015年に川村総理の任命により、技術革新IDOが生まれた。
 2019年にはFEが設立される。世界の工場となった日本を擁し、豊富な海洋天然資源をもち、20億人というEUの4倍の人口を持つFE。
 日本の総理大臣には、東アジアのリーダーシップが求められた。

 2029年には、水野総理の任命により経済政策IDOが生まれた。
 そして2034年、FEディレクターを兼務する高橋内閣の絶対安定多数のもと、IDO法が成立した。
 IDO法を可決したのは国会だが、実際に一番やりたくて、実現に奔走したのは法務省の官僚だ。
 IDO法成立に対してメディアと学者は「超管理社会の到来である」と警鐘を鳴らした。ただそれはいつもの紋切り型な理屈であり、もちろんIDO法の主旨は違う。

 IDO法はね、皆で守るルールをてきぱきと決めよう。そして、自分たちのルールは皆で守ろうというのが基本スタンスなんだ。最初のうちは「独裁者」って言葉が一人歩きして、歴史上の専制君主のイメージとだぶらせた人がたくさんいたけど、僕がつくるIDO法を見て、三ヶ月くらいで、そう言う人はいなくなったよね。

 今日は章子が一重の目をぱっちり開いて起きていた。
 「FEの法務ディレクターと、IDOはどっちがおもしろいですか?」



「独裁者」もくじ

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2008年6月22日 (日)

デコのユーロ2008終戦

 デコのユーロ2008が終わった。
 スコラーリ、デコの優勝請負人コンビは、ポルトガル協会が掲げたベスト4入りという目標を達成できなかった。
 大会を2連敗、ドイツ戦で終えるのは、2006W杯とまったく同じ。

 不思議なほど、代表戦は過去の戦績(相性)に左右される。
 ポルトガルが相性の悪い、ドイツ、イタリア、フランス、ギリシア。このいずれかと当たれば、負ける可能性は高い。フランスとギリシアはグループリーグで消えたが、ドイツとイタリアは、それぞれのグループ2位で辛うじて残った。そして、順風満帆で進んでいたポルトガルが、ドイツに負けた。
 ベスト16で負けようが、決勝で負けようが、負けは負け。ポルトガルは前回の準優勝国であり、ベスト4だからよくやりましたというレベルで語られるチームではない。

 2006年W杯、ポルトガル 直接の敗因はアンリ(フランス)のPK狙いの倒れ込み。
 今回はバラック(ドイツ)の反則ヘディング・シュート。偶然当たったのではなく、明らかに両手で押している。
 アンリの場合、狡猾だが悪ではない。バラックは悪だ。
 バラックは試合後「我々のプレーは勝利にふさわしかった」と語ったが、あなたのプレーはそうではない。

 今シーズン、因縁のアンリと同じ釜のメシを食ったデコは、来シーズン、バラックと同じチームになるかも知れない。ゲームメーカー同士で、腹に一物あれば、ロッカールームは盛り上がらない。そこをスコラーリが考えるだろう。

 ドイツはグループリーグでの不調が嘘のように、よく好機をつくっていた。
 1点差のロスタイムに、呑気にラウンジでたばこに火を付けている監督が、ベンチ入り禁止だったことも勝因かも知れない。
 監督がベンチに戻った途端、選手が動かなくなったら洒落にならないだろう。

 ポルトガルは4試合を戦い、デコは3試合に出場した(温存1)

 2006W杯でのデコは怪我、出場停止、温存が1試合ずつあり、7試合中4試合の出場に止まった。
 W杯直前の2005-06シーズンは、FCバルセロナがリーガ、CLの2冠を達成。シーズンを通してフル稼働したデコはとても疲れていた。
 一方、2007-08シーズン、デコは故障勝ちであったこと、シーズン当初から控え扱いを受けたことで、出場試合が激減。デコはユーロ前「あまり試合に出ていないお陰で状態はいい。本当はもっと試合に出たかったが」と語っている。
 コンディションはとてもよかった。

 2006W杯ではイラン戦でイエローカードをもらい、メキシコ戦は大事をとり欠場。
(メキシコ戦でグループリーグが終了し、警告は清算された)
 オランダ戦で一度に2枚のイエローカードをもらい退場。次のイングランド戦が出場停止。
 一方、今回のユーロでは警告ゼロ。
 前回の反省をふまえ、ファウルをもらわぬよう慎重なプレーぶりだった。審判にもその姿勢が理解され、ボールにいったタックルをファウルに取られるようなことが一度もなかった。

 デコのプレーはよかったが、ポルトガルは負けた。

 チェルシーがスコラーリ監督就任を発表したのが、水をさしたかも知れない。
 リカルドは神懸かり的なスーパーセーブがなく、ドイツ戦でも目の前のボールを止められなかった。
 シモンはゴールにこだわり、ぎこちなかった。友達にゴールを決めることを約束しているかに見えた。
 ロナウドをもってしても、新球ユーロ・パスを手名付けることはできなかった。
 2006W杯のロナウジーニョがそうだったように「●●の大会」という呼び声は外れるものだということを、立証してしまった。
 ボジングワ、ぺぺは目を見張る能力を見せた。2010年W杯では期待できる。
 デコの裏で動くゲームメーカー、モウチーニョは風貌と身のこなしはデコそっくりだったが、輝きのあるパスは出せなかった。
 永遠の課題であるCFは、またも永遠の課題として残った。

 チームのデコ依存症は依然として変わっていない。ポルトガルの次なる勝利のために、デコが重要とは言わないが、いないよりもいた方がいいことは自明だろう。
 だが、ブラジル人スコラーリが去ったチームで「外国人」デコが、どのように処遇されるかは不透明だ。

 デコには2010年W杯(32歳)、そして2012ユーロ(34歳)にも出て欲しい。
 優勝請負人デコが、まだ手にしていないタイトル、W杯、ユーロ、CWC を諦めないで欲しい。

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2008年6月21日 (土)

MACアドレスを調べてください

「MACアドレスを調べてください」

 あ、僕はWindowsだから、関係ないよ。
 と思った方。まだ、帰らないでください。

 それは
 「僕はA型だから、B型肝炎にはかからないよ」
 と言っているのと同じです。

 MACはマッキントッシュのマック(アップルコンピューター)ではありません。
 MACアドレス=Media Access Control アドレス

 MACアドレスは世界中のパソコンにあります。
 正確を期して言うならば、インターネットが普及した後に、製造されたすべてのパソコンの中にあります。
 パソコンに限らず、ネットワーク対応の周辺機器(プリンターやスキャナーなど)にもあります。

 IT用語事典で「MACアドレス」の解説を読んでも、専門用語をつないで書いてあるので素人には意味不明です。あれを理解できる人は、100人に1人でしょう。

 しらべるの「MACアドレス」の定義は、次の通りです。

 ネットワークに接続するパソコンと周辺機器に、製造時に付けられる固有番号。

 すべてのネットワーク対応のパソコンと周辺機器に、唯一無二な番号がついています。

専門用語で言えば・・・
 「イーサネットカードの番号」または「ネットワークカードの番号」
   ↓
 イーサネットカード(ネットワークカード)とは、イーサネット(LAN)に接続するためのカード。
   ↓
 カードと言っても、クレジットカードの形をしているわけではなく、ボード上に配置されたチップ(部品)の集まり。

MACアドレスとIPアドレスは、どう違うのか?

 IPアドレスはインターネット上での、そのパソコンの番地。
 MACアドレスは、すべてのパソコンに製造時に付与される番号。

 IPアドレスはプロバイダー、ネットワーク管理者が決めて、そのパソコンに割り振る番号。
 MACアドレスは世界で統一された規格で割り振る番号(後から変えられない)

LANではない、自宅のパソコンはMACアドレスは使っていないのか?
 IPアドレスはパソコンの内部で、MACアドレスに変換が行われる。
 MACアドレス無しでは、いかなるネットワークにもつながらない。
 インターネットが普及した後に製造されたパソコンでは、MACアドレスがないパソコンはない。

 どうですか?
 MACアドレスを理解できましたか?

 ところで、素人が自宅でパソコンを使っている限り、MACアドレスを意識することはありません。この言葉を知らなくても、何も困りません。

 だったら、書くなよ

 今、つっこんだ方。その通りです。ここでお帰りください。
 って、今日はもう終わりですが。

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2008年6月20日 (金)

ハンカチの仕事 ぞうきんの仕事

 幸田さんは補助的事務作業を、卒なくこなしてくれる。
 総合日本商事の時の島田さん、FEでのリン。日々の仕事を支えるスタッフに恵まれた時は、すべてがうまくいった。ユニセフにいた時は、何もかも自分でやらなければならず、それが大きな失敗の遠因にもなった。

 法務省の時は「自分はクリエイティブな仕事をするタイプ」と、訳のわからないことを言う事務方がいて困った。
 自分はなんとかなタイプというやつにろくなやつはいない。
 こういう人は、事務作業を“雑用”と見なして敬遠する。

 雑用を嫌う人がとても多いのは、仕事を頼む側に原因がある。
 日頃から、その人の仕事の価値を認める。あなたがいるからこんなにうまくいく。あなたは欠かせないのだ。そうことばにして感謝を伝える。

 別に作り話をする必要はない。ありのままをことばにするだけだ。
 そういうことばがない人に限って、余所でいい人キャラを演じて引き受けてきた無理難題を、どさっと部下に押しつける。

 部下をハンカチで使うか、雑巾で使うか。
 トイレで手を洗えば、誰もがハンカチを使う。しかし、誰かがげろを吐いたら雑巾を使う。ハンカチでげろを拭く人は滅多にいない。

 仕事を頼む時、これはハンカチの仕事だろうか。雑巾の仕事だろうかと考えてみる。いつもハンカチでできるきれいな仕事ばかりではないだろう。誰もがやりたくない雑巾の仕事も多い。雑巾の仕事なのに、ハンカチを使うきれいな仕事のように頼まれたら心は荒む。
 ハンカチと雑巾の違いをわきまえて、ことばを尽くしてくれる人に出会えば、人はどんな仕事も雑用だとは思わない。

 組織はそれを名称でごまかそうとする。
 人が嫌がる定型作業の部署には、かっこいい仕事かと錯覚させるように、コンタクトセンター、プリントセンター、サポートデスクと言ったカタカナ名称が付けられる。作業従事者の名称もオペレーター、プランナー、アドバイザーのようにカタカナ名称が使われる。

 名称をカタカナにするまでもなく、定型作業は重要だ。組織活動は定型作業の質の集積なのだ。定型作業従事者の質が、その組織の質を決める。一生のうちヒット商品の一つも出さずに終わる“クリエイティブな”企画担当者や、いい人キャラの管理職ならば、誰にでもできる。

 “てにをは”は直していいよ。ここを直しましたという報告も要らないからね。

 法令以外の文書は、推敲・校正ともに幸田さんに一任している。
 「あの私、秘書と言ってもやることは事務員だと思っていますので、何なりとおっしゃってください」
 初対面の日、IDO室幸田千絵とだけ書かれた名刺をくれた。開口一番のことばに秘めた聡明さを今も覚えている。
 僕は戸惑った。間違いじゃないのかと考えた。秘書はてっきり五つくらい年下の男だと思っていた。

 国家公務員は、不祥事以外でメディアに取り上げられることはない。功績があっても表舞台に立つことはなく、国民も官僚個人に関心を持つ機会はない。だがIDO秘書となれば話しは違う。人知れず苦労も多い。

 「知る権利を拡張しない法のお陰で、そんな苦労なんて何もないんですよ」
 彼女はいつも笑って言うだけ。尾行され、写真を撮られていることを、僕には伝えない。

 僕はフットメザでは、依然として全勝を続けている。
 IDOラボのロッカーには、リアルゲームがしまってある。野球盤、サッカーゲーム、ボウリングゲーム。子どもの頃、父が「お前くらいん時、これで遊んだったい。まだ、そん頃はテレビゲームもなかったけんな」と言って、オークションで買ってきた。父はコンピューター・ゲームが嫌いだ。そんな父の影響で、僕はコンピューター・ゲームをやったことがない。

 1/1仮面ライダーの「リュウちゃん」はかなり違和感があるが、フットメザのテーブルはインテリアとして、このラボにとけ込んでいる。
 フットメザはブラジルでは、老若男女誰もがやっているテーブルゲーム。日本に入ってきたのは2005年と古いが、「移民法」施行でブラジル人を集中的に受け入れた磐田市で灯がついた。

 「デコはいいパス出しますねぇ」
 僕は11個のボタンにFCバルセロナ第2期黄金時代の選手シールを貼っている。攻撃は常に20番のMFを起点にする。

 小欲知足
 就業後の集まりが始まっですぐ、この集まりを部活と呼ぶようになった。
 何にでも名前をつける習慣は、僕から皆に普及した。
 部活では、お互いを名前で呼ぶ。公私のけじめをつけるというような堅苦しい理由ではなく、その方が僕らは親密になれるからだ。

 メンバーは僕の昔話を聞くのが楽しみと言ってくれて、僕の話を「おじいちゃんの寝物語」と呼んでいる。藤野章子は実際に抱き枕を持ってくる。僕が話し始めるとソファ右端の定位置に陣取り、枕に寄りかかって聴いている。本当に寝てしまうこともあったが、彼女はここで仮眠してから、週5回、語学学校に通っていたのだ。

 「IDOは座右の銘って、何かありますか?」
 こんな投げかけから、僕の話しが始まる。

 僕の父は福岡で新聞記者をしていたんだけど「少欲知足」ということばが好きで、よく新聞のコラムにも書いていたんだ。
 "少なく欲することで足るを知る"と書いて小欲知足。
 いいことがあった時、とてつもなく幸福な状況に遭遇した時、あえて多くを望まず、欲張らない。するとその状況が去ってから、あぁ、もっと大きな幸せが訪れていたんじゃないか。もったいないことをしたのかな?って思うよね。でも、欲を出すことで逆の目が出て、何もかも台無しにしていたかも知れないよね。
 人生はルーティング
 どっちのルートをとった方がいいかは、自分で考えるしかない。
 小さな幸せに心を安住させて、前を見据えている人に、きっとまた、未来からいい風が吹いてくる。僕はそう思っているんだ・・・

 IDOにたどり着く糸は、予定されていたわけではない。選択により、僕がたぐり寄せた。
 部長になりたい。いい男をつかまえたい。そう願っているが叶わない人と、実際にその糸をたぐり寄せる人の違いは「修業」というキーワードにある。
 経過、結果すべてが修業であり、人生は修業に始まり、修業に終わる。
 修業中の人は左遷されても、恋人にふられても「いやぁ、この修業はたまらんなぁ」「でも次はいいことあるかも」と自分を支えることができる。

 2010年代、日本は「世界の工場」と呼ばれ始めた。僕は2020年までの10年、この頃の日本が好きだった。あの10年、多くの日本人が自分の頭で考え、自分の足で動いていた。

次回は6月23日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月19日 (木)

12月19日は、部活記念日

四 部活

 12月19日は部活記念日。

 「こころの記念日法」は、何か一つ心に残るできごとを記念日にして、手帳に書くことを求めている。最低一つであり、いくつあってもよい。

 「僕が独裁者になったら」は本来、立法提案に限定したウェブページだが、それ以外のメールも届く。
 「作文が苦手で、文章を書くということがなかった娘が、お父さんの誕生日を記念日にするから手帳を買ってくれと言ってきました」
 「IDOのお陰で売れ残っていた 2034年の手帳がたくさん売れて、一息つきました」
 別に感謝メールの受付窓口ではないのだが、それも楽しく読んでいる。

 「IDO、今度、みんなと一緒に忘年会でもいかがですか?」
 就任して2ヶ月がたった12月19日。立法ミーティングを終えて退室しようとした中村君が、恐る恐る声をかけてきた。
 大臣からはよく「一献いかがですか?」と誘われる。
 猪口をひょいと持ち上げて口に運ぶ“一杯どう?”は、茶碗を左手に右手の箸をかき込む“メシいかない?”と並んで、僕が嫌いな仕草だ。

 「環境に優しい自動車を考える会」「日本を歩いて踏破する異能倶楽部」といった団体から、意見交換会の打診がある。意見交換は大いにけっこうだが、なぜか料亭やリゾートホテルが会場にアサインされている。

 気の置けない仲間と呑むのは楽しい。サラリーマン時代「平民」で鶏軟骨の唐揚げを一つ頼み、それだけで何時間も呑んでいた。IDO室の仲間と行くことができたら、どんなにいいか。

 ありがとう。でも、あんまり外を出歩いてないからね。それに警備の人も大変だろうし。
 「そうですよね。失礼しました」と言おうとしている中村君の左肩越しに、色とりどりの丸い映像が浮かんだ。思わず唾を呑んだ。
 そうだ。ここで、ピザとってやろうか?

 その日の午後5時を回ると、残業禁止法により職場を閉めだされた面々が集まってきた。
 IDO室のメンバーは、立法ミーティングが終わると再び、それぞれの省に戻って仕事をしている。
 警備室に根回しして、ピザとカツサンドのケータリングを手配したのは、発起人の中村太一。
 「ここのカツサンド美味いですよ。知ってました?一個一個パックしてあるから、干からびないんですよ」
 僕の一番の好物がとんかつなのは、幸田さんしか知らないはずだから偶然の一致だろうが、細かい配慮がすばらしい。

 「多かったかなぁ?」
 磯田祐子はコンビニの手巻き寿司を大量に持ち込んだ。
 「おまえ、いったいどこから買ってきたんだよ」
 「夕方、都庁だったのね。そしたら太一が電話してきて、コンビニ一軒分買ってこいって言うじゃない。もうびっくらこいちゃったわよ」
 どこのことばだよ?その場が爆笑に包まれた。

 それ以来、就業日の月・水・金。5時をまわると、皆が思い思いのおやつと飲み物を持ってIDOラボにやってくる。
 最初はコンビニとケータリングだけだったが、会を重ねるごとに、珍品発掘合戦と化していく。
 旅行や出張の予定が入ると、ネットにかじりついて土地の名産品を調べ始める。皆、帰って来るまで内緒にしていて、開陳された品がレアなほど賞賛を浴びる。

 僕が買った巨大な「ライダー」には、いつも次の出番を待つ備蓄品が詰まっている。
 ライダーは冷蔵庫の名前。その隣りに仮面ライダーの1/1フィギュアが置いてあるので磯田祐子がそう命名した。1/1フィギュアは子どもの頃からの夢で、社会に出て最初のボーナスを全額つぎこんだ。軽自動車が買えそうな金額だったが、僕は一点豪華主義。自分にとって価値が高いモノを、少しだけ置きたい。
 IDOが仮面ライダーでもなかろうと、初めは私邸に運んだが、すぐ橋本に許しをもらってラボに運びこんだ。冷蔵庫より古くからいるのでライダーについた名前が「リュウちゃん」で、冷蔵庫が「ライダー」とややこしい。

 ライダーは社会に出てから三つ目の冷蔵庫。
 冷蔵庫だけはいつ買っても技術革新に恐れ入る。母の実家は狭い家で、冷蔵庫の隣りではうるさくて眠れなかったと言っていた。今は音がしないのは当たり前だが、ドアを開け放してもほとんど温度が上がらない。
 「だれね?まぁた冷蔵庫のドアが開いとったよ」
子どもの頃は、よく母に叱られたものだった。

 巨大な庫内は20に仕切られていて、20人のメンバーそれぞれの置き場所が決まっている。
 時々、夜中に腹が減って、人の備蓄品を食べそうになって怖い。

 「祐子、ばろくのてしちでいいんだよね?」
 「やった~、いのしかちょう!」
 「あんた、可愛い顔して、えげつないね」

 ブリーフィングテーブルでは、関西三人娘が花札をしている。耳に飛び込んでくる単語が懐かしい。
 FEでもそうだったが、ここでも話し合いのテーブルは、楕円形のテーブルを入れてもらった。
 戦陣を組むかのようなコの字やロの字型では、身構えてしまう人が多いが、円卓を囲むと、不思議と誰もがにこにこ笑顔になる。

 場六の手七なんて、よくそんなことば知ってるね?
 「そうですかぁ?うちの母が教えてくれたんです。三人でやる時は場に六枚、手に七枚配るから、ばろくのてしちって言うのよって」
 まさか大臣たちも、ここで花札をやっているとは思わないだろうね?
 「週刊法律に“IDOラボで賭博発覚”って出たりして!でもIDOが『知る権利を拡張しない法』を作ったから平気です!」
 公務員または公人における公私の私については、知る権利を濫用しないという目標法により、公私のけじめさえついていれば、メディアが刺さることはなくなった。

 「千絵さん、花札はいります?」
 週に一度、金曜日だけは幸田さんも参加する。
 就任した時からずっと、秘書は幸田千絵さん、後に継波千絵さん。一度も替わっていない。
 IDO就任から三年経った時、法務省から交替の打診があった。後任は入省 3年目25歳の女性だという。それだけ年下の女性というのは接した経験がない。幸田さんより一回りも下だ。

 それに幸田さんは、僕が求めた条件に見合う19人めのスタッフではなかったのか。この19人めの条件こそが、最も重要なものだった。橋本と法務省の連絡がうまくいっていないのだろうか。人事の真意をはかりかねた。
 新しい人間関係は時にして重荷となるが、それも試練と考えれば得るものもある。
 ただ人が替わると言うことは、築いてきた伏線が消えてしまうということでもある。残る任期はあと2年。気心が知れた人のほうがいいからという理由を伝えて、幸田さんを残してもらった。



「独裁者」もくじ

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2008年6月18日 (水)

右脳ゴルフと左脳ゴルフ

「7番アイアンっていつ使うの?」【 14 】

ボールを打つ動作に入ることをアドレスという。
このアドレスに入った時、何を考えているかで、ナイスショットになるか、ミスショットになるかが決まる。
つまり、打つ前に勝負はついているのだ。

「さっきの球は右に曲がったから、右膝の送りが早いのかも知れない。今日はトップ(ボールの頭を叩き、ボールが地面を這うように転がること)が多い。テークバックの時に左の肘が曲がっているのかも知れないから、肘を曲げないようにしよう」
こうして、複数のチェックポイントを掲げていると、結果は畏れていた通りのものになる。

 打つ前に考えるのを止めれば、まだよいのだが、調子が悪い時は、自分に技術指導しながらスイングをしている。これでは体は動かない。

 こういう人のゴルフを「左脳ゴルフ」という。
 左脳は論理を司る脳。
 入社試験や、センター試験の受験会場では大いに活躍してもらいたいが、スポーツの最中には向かない。
 運動している体は、左脳の論理に負けて、自由を制限されてしまう。

 左脳ゴルフでは、持っている力さえ出し切れない。
 ただでさえ素人なのに、さらに輪をかけて、運動レベルが下がるのだから、結果がよいはずがない。

 下手なのは仕方がない。しかし、
 下手が、上手くなろうというのは、練習場でやってくること。
 下手が、上手くやろうというのは、間違いである。
 下手は下手なり、現状の100%を発揮することを、考えるとよい。

 そこで、1980年代に登場した言葉が「右脳ゴルフ」
 右脳はイメージを司る。

 強い弾道で遙か彼方へ延びていくボール。
 クラブがボールの芯を捉えた音。

 アドレスで、こうした好結果を想像する。
 想像できたら、間髪を入れずにスイングにはいる。
 もちろん、ゴルフ理論は考えない。

 右脳ゴルフで結果がいいとは限らない。
 だが、実力以上に悪くなるわけではない。

 もちろん、ゴルフはなにも考えなくてよいのではない。
 体を動かす時以外、書籍や映像でゴルフ技術を研究している時は、しっかりと左脳ゴルフをする。
 学んだことを手帳に書き留めておいて、練習場で打ってみる。

 すると、いい球が打てる。
 その記憶をゴルフ場に持ち込み、右脳ゴルフを展開するのだ。

7番アイアンっていつ使うの?もくじ

スポーツ |

2008年6月17日 (火)

憲法41条、74条の改正

 16:00 公布・施行
 その日、公布する法律を法務省文書課にメールする。
 その後の手続きは法務省がおこなう。
 かつて、国会は国の最高機関で唯一の立法機関だったが、現在は国会とIDOが法律を作っている。

 国会では衆議院が先に審議して参議院に回す。現在、国会は独立した立法機関であり、そこで決まった法律にIDOは関与しない。一方、IDOは立法独立決裁責任者であり、IDO法には国会は関与しない。施行日時を条文に定めた法令以外は、公布即日施行される。

 川村政権が 2年目を迎えていた2014年1月、国民投票で憲法四十一条、七十四条が改正された。
 一見何の変哲もないこの無難な改正こそが、20年後のIDO法の布石となっている。当時、僕は東大法科大学院の一年生。司法試験に備えながら、この経緯を見守っていた。

 憲法四十一条
「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」
 この旧条文は、2014年に「国会は、国を代表する立法機関である」となった。
 三権分立なのに国会が「最高機関」なのは、元々理にかなっていない。学者達は、国民を代表する国会に敬意を表しているだけで、法的な“最高”を意味しないという“美称説”を唱えたが、法律の素人には屁理屈に聞こえた。

 また、立法の“法”を広義に法令と見立てた場合、条例・政令・規則なども範疇となり、国会が“唯一”の立法機関であるというのはおかしいという論理を構成し“唯一”も外れた。

 2014年当時、メディアが盛んに「政治家は職業化しており、司法はその御機嫌伺いとなっている。三権分立は名ばかり」と国民に周知して、世論が反発していた時代背景があった。国民投票では、四十一条改正の賛成票は74%に上った。

 憲法七十四条
「法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。」
 この条文は「手続き法」であり、本来陽が当たるような条文ではない。
 2014年の改正で「法律及び政令は、議会の決議によって成立する」と改められた。

 たとえば、連立与党が法律を採決したとする。国会では決まったが、総理大臣と国務大臣は違う政党で、どちらかが署名を拒否するかも知れない。四十一条改正で「唯一」がとれる分、七十四条で議会の力を強めてバランスをとった。
 この時、歯止めとして存在がクローズアップされたのが八十一条。
「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」
 この条文がある限り、立法府の暴走はあり得ないと説明された。
 いわゆる違憲立法審査権は、従前どおり国会法、そしてIDO法に対しても効力がある。

 IDOラボは法務省の管理物件。独立立法府が行政に間借りしていることになる。法務省がその気になれば、監視カメラや盗聴装置を仕掛けることもできる。
 この間借りは僕が、就任条件として橋本に出したお願いの一つ。予めIDO法に規定されていたわけではない。
 法律が犯罪の抑止効果となるのと同様に、誰にも後ろ指を指されない、ガラス張りの環境にIDOを置くことを、自ら申し出た。

 僕の所持品はすべて秘書の幸田さんが管理している。
 お小遣い帳はつけていないが、クレジットカードの利用明細も渡している。現金で大きな買い物をする時は、幸田さんに頼むことにしている。
 パソコンや映像音響装置は法務省の資産だが、唯一僕の資産は引き出しにしまった紙切れのメモ。これだけはどんな電子装置でも盗めない。

 法案を書きながら、その時考えたことを書き留める。
 立法ミーティングで、メンバーの言葉にヒントを得て書き留める。
 本を読み、思いついたことを書き留める。
 寝がけに思いつくことも多く、枕元にはメモとペンを置いている。朝起きるとメモが枕元に散乱している。

 いつか整理しようと思っていたが、とりかかることができず、5年分ため込んでしまった。
 詳細な自叙伝にするつもりはない。ただ、世界で初めてのIDOが、5年の任期をどのようなロードマップで過ごしてきたかを、大まかに記しておくのは有意義だろう。
 任期も残りわずかとなったので、ようやくこうしてとりかかっている。



次回は6月19日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月16日 (月)

報道士法

 報道を歪めていたのは、"支度"を"しど"と、平気で読み誤る若手アナウンサーではなく、ニュースを選んでいた役職者たちだ。

 報道士試験は面接と論文。報道の使命、見識の広さを問うだけのものだ。
 報道各社の経営者はこの法律を喜んでくれるかと思ったが、いたく不評だった。受験前から落ちると観念したのか、要職者がこぞって報道から管理部門へと転部を志願したと聞いた。

 学科試験があるわけでもないので、まず落ちることはない。
 これはふるいに掛ける試験ではなく、資格によって誇りを持ってもらうための試験。実際に落ちたのは論文を白紙で出した人、面接で黙秘した人だけだ。
 長年メディアに携わって来た方々には、憤懣やるかたない制度であることは分かる。ただ、次世代のメディア業界を夢見る人たちに、メディア本来の自由、使命を考えてもらうために制度化した。

 月水金以外はすることもないので、夜はずっと活字を読んでいる。
 報道士法について、メディアはこぞって「言論の弾圧だ」とする論調を載せた。

大手新聞社が掲載した世論調査結果
 報道士法は表現の自由を制限すると思う 70%
 報道士法は知る権利の侵害につながると思う 65%

IDO室 意識調査ウェブ(非公開)
 報道士資格化に賛成である 89%
 報道士法は廃止すべきである 5%

 調査対象の属性の違い、サンプリングの違いで結果はこうも異なるという好例だ。

 谷村総務大臣の「女性アナ発言」を聞いて、メディアと政府を切り離す必要性を痛感してつくったのが「JNW法」
 政府から独立した独立通信委員会(Japan Network and Wave)を設置。総務省の許認可権である電波を始めとして、メディアとインターネットに関するあらゆる管理を行うことにした。

 独立通信委員会の元で立ち上げたニュース放送局 bola!(broadcasting ola!)のモデルは、1996年に設立されたカタールのアルジャジーラ。
 当時の首長シェイフ・ハマドの支援を受けた事実上の国営放送でありながら、政府の肩を持つことなく中立公平を維持している。国王がつくるアラブの視点を持つメディアには、世界中のメディアが学んできた。
 「bola!法」により、地上波キー局、衛星局は毎年10人(任期5年) 地上波地方局は毎年2人(任期3年)のスタッフを bola!に出向させることを課した。

 bola!は、事実上の放送学校となった。
 現場からアジアの視点で報道する。使命はそれしかない。
 記者には時間だけがアサインされ、どのようなニュースを流すかは現場にいる記者に委ねられる。人間として正しいか、真っ当に生きるとは何かを考え、他人のために役立つ人がいれば、行って話しを聞く。

 世界じゅうで認められている自動車や鞄メーカーの社員に「会社に忠誠を尽くせ」という社是は要らない。愛国心は標語や法律では生まれない。法律で国を守れと言えば、国民は反発し、さらに心は離れる。
 日本ブランドに誇りを持つことができれば、国民には自然と愛国心が生まれる。

 日本は過去40年ほとんどの期間で、世界一のODAを拠出してきた。発展途上国を支え、貧困問題を縮小してきた。今は100万人が、技術供与・指導の任務で海外にいる。
 「世界の工場」と言われ始めた2010年代以降、工作機械、工作技術は日本の独壇場。世界の工場は日本の設計図で動いている。日本のものづくり無くして、今日の便利な世界は成り立たない。

 2000年代、低賃金で手を動かす国が「世界の工場」と呼ばれていたが、2010年代に日本が呼ばれたそれは違う。工作機械が基本労働を無人化する。すると人は要らなくなるのではなく、より創造的な仕事に就くことになる。
 一方「世界の工場」は、日本が優秀な工作ロボットをつくる度に、世界中のどこかで人々が職を失うということも揶揄している。ただ、それを補って余りある技術支援をしてきたことが、今、世界で最も尊敬される国という地位を築いている。

 1980年代以降、日本の電子技術は同盟国軍を支えており、その圧倒的な戦闘力は敵対国の兵器市場をせん滅し、戦う意欲を減退させた。
 どれだけ血を流しても、平和を達成できなかった世界の中で、日本は戦わずして戦い無き均衡をもたらした。自衛隊の隊員減少が社会問題として表面化しないのは、日本の電子技術に遠因がある。

 bola!は視聴率や部数という数字に捕らわれることなく、アジアの視点で自由に伝える。
 事実を正確に伝えるだけで、日本人は自信を持つことができた。学者は日本社会の病理を論い嘆いてきたが、最近すっかり静かになった。
 bola!という名前は、スペイン語のオラ!=やぁ!が語源だと思われているが、僕は出世魚のボラにちなんで命名した。



「独裁者」もくじ

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2008年6月15日 (日)

ポルトガル A組1位通過

ポルトガルが好調なスタートを切っている。プレーはいつもながらの機転と技術が組み合わされたもの。だが、今回特筆に値するのは、他国と比べて格段にフェアなプレーぶり。結果如何を問わず、後にこれは高く評価されるだろう。

ユーロ2008が開幕して1週間。

わずか1週間なのだが、開幕戦のことはもう遠い昔のことのように感じる。

人は歳を取ると、時間の流れが速く感じるようになる。
これは、日常に起こる出来事が、経験済みのものごとばかりで、難なくかたづけられるからだ。

デコファンになったのは 2005年2月、FIFAオールスタースマトラ沖地震慈善マッチの日に、デコと出会って以来なので、ユーロは初体験。
このためにWOWOWに入ったので、連日深夜から明け方にサッカーを見るという暮らしも初めて。
新鮮な日々が続くと、人は時間の流れが遅くなるということを実感している。

さて、我らがデコのいるポルトガル。
グループリーグ3試合のうち、1試合を残したところで、グループリーグ1位通過を決めてしまった。
2006年のW杯ドイツ大会も、1試合を残して勝ち抜けを決めたが、今回がその時と違うのは、1位通過を決めたということだ。

2006年のW杯、グループリーグ第3戦メキシコ戦、スコラーリ監督は、故障上がりのデコを休ませたが、さほどメンバーを落とさなかった。
これは、まだグループ2位の可能性があり、2位になった場合、ベスト16の対戦相手がアルゼンチンになる可能性が高かったからだ。

その点、今回は1位通過を決めている。
A組1位は 6月19日20:45(日本時間20日 3:45)マッチ25 に進み、B組2位と対戦する。
ちなみに、TBSはこの試合を放送しない。
マッチ25の勝者が進む、準決勝も放送しない。
TBSだけでユーロを見ていたら、ポルトガル戦を見られるのは決勝だけだった。
WOWOWに入ってよかった。

今大会からルールが変わり、グループリーグから準々決勝に進んだチームのイエローカードは清算されない。
第3戦で1枚もらった場合、準々決勝に持ち越されて、そこで1枚もらうと、準決勝が出場停止になる。
ただし、新ルールにより、準々決勝までに1枚もらっていたイエローカードはそこで清算されて、準決勝には持ち越さない。

前回までのルールでは、準決勝までにイエローカードを1枚もらっていて、準決勝で2枚めを受けると決勝が出場停止となる。
万が一、デコロナウドが決勝に出られないということになれば、サッカー界全体にとって大きな損失だ。
というのは、デコファンの立場だが、決勝をベストメンバーで戦えるようにするという、このルール変更を考えた人は素晴らしい。

「ちょっと考えれば、誰でもわかるよ」
ということを、誰も考えないから、長い年月、不都合が営々と続く。
こうした、ちょっとした工夫で、誰もが幸せになれるルール変更、仕事の進め方は、身の回りにたくさん眠っている。それを掘り起こして、実現できるかは組織のリーダー次第なのだ。

前回までは、イエローカードはグループリーグに置いていけた。
だが、このユーロでは準々決勝まで、イエローカード貯金が続く。
ゆえに、グループリーグ第3戦を調整モードで戦えることは、より大きな意味を持つ。

今晩(日本時間16日 3:45)のスイス戦
スコラーリ監督がどの程度、メンバーを落として戦うかが興味深い。

さて、そのルイス・フェリペ・スコラーリ監督が7月1日より、チェルシーFC監督に就任すると発表された。
チェルシーとしては、チーム作りで遅れをとらないために、少しでも早く発表したかったのだろう。
それが、ポルトガルのグループリーグ1位通過決定と同時というタイミングになった。

元々、スコラーリ監督とポルトガルの契約は、2008年のユーロ終了まで。
2006年のW杯終了後に2年延長した。退任は既定路線と言えば、その通りだ。
ただ、ポルトガルファンとしては、あと2年続けて、2010年W杯の優勝を花道にしてほしかった。

ブラジル人デコにポルトガル国籍取得を勧めたのは、ポルトガル人のホセ・モウリーニョだが、デコを代表で起用しつづけたのは、ブラジル人のスコラーリ。

デコがポルトガル代表入りした時は、外国人の代表入りに反対する人たちがいた。
デコの後には、同じくブラジル人のぺぺも代表入りして活躍している。
ポルトガル・サポーターには、今更、外国人不要論を持ち出す人はいないだろうが、スコラーリが代表を去ることで、何が起こるかわからない。

ただ、どんな思惑も、スポーツ選手はそのプレーですべてを払拭することができる。
力を示すことができる。
そこが、サラリーマンとは違うところだ。

ユーロ2008が始まって2試合で、デコを見る目は大きく変わっただろう。
いや、変わったというよりは、戻ったという表現が近い。
現所属クラブ。次の所属クラブ。それぞれが、裏返しの感想を持ったはずだ。

現所属クラブは「これで、高く売れる」「でも、ちょっと惜しかったな」

次の所属クラブは「これで、値段上がっちゃうなぁ」「でも、何としてでも欲しくなった」

デコの次なる戦いは、 6/25 準決勝(ポルトガル-B組2位)
当初、予想の相手はポーランドだったが、クロアチアの好調により、準決勝の相手と予想していたドイツが順当なところとなっている。ただし、ポーランド、オーストリアにも可能性はある。オーストリアがB組2位となり、開催国の面目を保つならば、ポルトガルはスイス、オーストリアと共催国2連戦となる。


第一主催国のA組に入ったため、決勝トーナメントの3試合はいずれも HOME 扱い。
1stの赤いユニフォームを着る。

その前に、グループリーグ第3戦スイス戦では、これまで通りの正々堂々、クリーンな戦いで、スイス人とメディアのサポートも手に入れたい。

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2008年6月14日 (土)

不良SEを見分ける方法

 Power Pointのスライドショーを見ている。

 話しているのは、ITベンダーの営業担当者。

「ご清聴 ありがとうございました!」
 プレゼンが終わり、彼がひときわ大きい声で謝辞を述べた時、画面にはスライドショーの最終ページが表示されていた。

EOF

 えおふ?
 いーおふ?

 その場にいる人は、誰もつっこまない。
 それを不思議とは、思わないらしい。


 EOF=End Of File
 EOFは 本来、コンピューターシステムでやりとりするデータ・ファイルの終端を表すコード。
 EOFは プログラムのコードであり、人間が見るスライドショーに記述するのは不適切だ。

 EOFは ユーザーのわかりやすさよりも、自己満足を優先する SEや、ベンダーの営業担当者が使う。

 スライドショーの最終ページに EOF と書いている人は、ユーザーの目線でものごとを見ていない。
 こういう人が関わるシステムの品質は低い。
 こういう人が売り込むシステムを導入すると、とても使いづらい。
 ただそれは、ユーザーが使い始めてみなければわからない。

 分析、定義、設計、製作、テストというコンピューター・システムの創生期では、彼らのカッコイイ言葉が飛び交い、ユーザーは夢を描いているからだ。
 実際に運用が始まると、どんだけ使い辛いかが初めてわかる。

 そこで初めて、ユーザーが文句を言っても遅い。
 すべては創生期において、カッコイイ専門用語で説明済みだからだ。

「仕様どおりですよ」
「あなたが、そのように作るように言ったのですよ」

 そんな技術者に頼んだ自分がバカだった。
 そんな後悔をしないためには、ユーザー目線で仕事をしてくれる人を見極めなければならない。

 EOF はその基準の一つ。
 スライドショーの最後に EOF を書いている人とは、そこで縁を切らなければならない。
 それは、仕事に対する横着さのバロメーターであり、口で言って直るものではないからだ。

 ユーザー向けの資料に I/Fと書く人も同様。こうして、思い出していくと、技術者が疑問を持たずに使っている専門用語は、まだまだありそうだ。
 いつか「不良SEを見極める方法」としてしらべるの 1ページにまとめたいと思う。

ど素人!IT用語事典

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2008年6月13日 (金)

スパイ防止法

 「雪だるまも、もう何十年見てないかなぁ」
 こうして過去を思い出してもらう質問は、初めての客には必ず尋ねている。記憶を辿ることが真ならば、創作は偽。記憶を辿る時、どちらに視線を散らすかを知っておくことは、その人を推し量るとき一つの目安になる。
 チューリップと東京スカイツリー、2枚の絵を僕の背後の左右にかけているのは、そのためである。

 僕はと言うと、来客の右肩の上を見て話す。時々不審に思った客が後ろをふり返ると、そこには視力測定のランドルト環。最近、めっきり視力が落ちましてねと言えば
「パソコンばかり見ているからでしょう」
と笑い話で終わる。

 スパイ防止法は60年来、内閣府の喉に刺さった骨だった。
 日本にはCIA、MI6、モサド、KGBに類する諜報機関がない。その一方、海外から訪れるその道の方々を取り締まる目的法がない。

 国防は情報戦。規制法があってもおかしくない。そこで、立法のテーブルに乗せると、メディアと野党から洗いざらいの説明を求められる。だが国防に関わる事柄は何でも説明できるわけではない。すると「説明責任を果たせ」と2000年代に登場した、日本政治の停滞を招いたキーワードが登場する。
 議論は遅々として進まぬまま、委員会設置にも至らない。こうして「スパイ防止法」は、検討はするものの立ち消えになる繰り返しだった。

 その煩わしさを僕が肩代わりした。IDO法の中でも最も目新しさのない法律だが、尊敬する高橋総理との再会の手みやげには手頃だった。

 この内容でよろしいですか?
 「うん、ありがとう。最初の総理協議はこれできたか」
 会話は5分で終わり、僕らはその日2度目、人生で4度目の握手をした。
 高橋総理はいつもと変わらぬクールな表情で、これからもよろしく頼むな。そう言いながら幸田さん、中村君、磯田さんを一瞥して引き上げていった。
 その顔には、わかっているだろうな?と書いてあった。

 僕は独裁者なので、有権者からの陳情もなければ、支持団体からの圧力もない。法案審議のために委員会に出ることもない。外交と行政、司法の責務を持たない僕には行事も係争もない。
 立法ブリーフィングが、僕が世間と直に接する唯一の場であり、インターネットの「僕が独裁者になったら」が国民の意見を聞く唯一の場である。
 僕はメディアと接触することもない。

 父は福岡の新聞社に勤めていた。
 僕が小学校3年生の時に、会社を辞めてフリーのライターになった。そのお陰で、僕は3度の転校を経験した。忘れられない出来事もあった。
 父が会社を辞めた理由は、社会部から政治部への異動を命じられたこと。普通のジャーナリストならば、喜びそうな異動だが父は違った。

 「新聞はウィークエンダーじゃなかとぞ。あいじゃ万国悲惨ショーやんかや、お前。何が楽しゅうてから、殺したとか盗んだとか潰れたとか書きよっとか。それば許すとか許さんとか、お前は神かって?だいたい漢字も読めんごたっとが新聞記者かて」

 言葉の中に出てくる、いくつかの固有名詞の意味がわからなかったが、何を怒っているのかは、子どもの僕にも伝わってきた。父はスポットライトが当たらない、町の頑張り屋さんを取りあげることに生きがいを感じるという、一風変わった記者だった。

 IDO就任1か月後には「報道士法」により、メディアの報道記者資格「報道士」を設けた。

 売れるから、視聴率が獲れるからと言って、悲惨または悲観的なニュースばかりを取り上げる。その姿勢はかつて1990年代を「失われた一〇年」に仕立てあげた。
 確かに、その10年に失ったものは多かったかも知れない。だが、一方でそれを補う新しい芽もあった。メディアが片方だけを強調したから、その10年は失ったことになったのだが、誰もが何を失ったのかよく分からなかった。

 メディアが作った悲観ムードが、内需に冷却水をかける罪は大きい。
 連日一面を飾る政界や官僚の不祥事、絶対潰れないと言われた企業の倒産、悲観的な経済予測。悲惨な事件の度に語られる、日本人が壊れ始めたという根拠もない仮説。

 「終身雇用の時代は終わりました」
 2000年代、メディアは一斉にそう書いたが、会社からそう言われた人はいなかった。

 「子供達の教育を考え直す時に来ています」
 凄惨な事件が起きると、原因を教育に求める人と、戦争につながるからと言って教育基本法の改正に反対したり、歳出削減を叫び、教諭の増員に反対する人は、いつも同一人物だった。

 メディアが日本はダメだと言うから、そんな気がしてくる。
 メディアが言わなければ、職場の同僚、家族、恋人どうしで
 「いやぁ、日本は失われた一〇年だったねぇ」
 「僕たち、壊れてるねぇ、最近」
という会話をすることはない。

 「報道士法」により、報道士資格をもたない者は、新聞・TV・ラジオ・インターネットにおいて、ニュースを読むこと、その制作に携わることができない。

 「女子アナがいないと画面に華がなくならないかなぁ。あ、失敬。ここだけの話しですから」
 史上最悪の失言として、IDO室内で語り継がれている、谷村総務大臣の「女子アナ発言」だ。

 思わずきっとにらみつけた祐子に、たじろいだ谷村総務大臣の読みは、後に大きく外れた。
 2039年7月末現在、報道士試験合格者のうち59%が女性となっている。今や、ニュースの選定から原稿起こし、スタジオでニュースを読むのも、現場からのレポートも、ほとんどが女性だ。

次回は6月16日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月12日 (木)

総理とのブリーフィング

 IDO就任以来、いつでも、誰とでも「会話」することを心がけてきた。
 人と人は交渉ではなく、会話でつながっていると知っていたからだ。

 流ちょうに専門用語を並べているうちは、いい関係は築けない。
 心が通えば、警戒を解いて会話ができる。腹を割って話せば、結論は速い。
 だから僕は、初めて会う大臣とは気軽な会話から入る。

 お天気の話
 大臣の出身地の話
 今朝のニュース

 特に出身地の話を振ってあげると、驚いたようにこちらを見て、それからにっこり笑ってくれる。
 学生時代に「全都道府県制覇」という掲示板を立ち上げて、47すべての都道府県に一泊以上した。だから、どこでも、ネタを振ることができる。
 九州の人は茨城と栃木の違いがわからないし、東北の人は九州が9県あると思っている。
 道州制が施行されてからは、さらにマイナーな県の注目度が下がり、郷土が話題に上ることが少なくなっていたのだ。

 空気が和むと、ちょっといいですか?全然関係ない話しなんですけど..と雑談していく大臣もいる。
 関係ない話しは要りません。と即座に切り捨てるのは簡単だが、それでは世知辛い。心の中だけ、関係ないなら言うなぁ!とつっこんで、何でしょうか?と聞くことにしている。

 立法を陳情していく大臣もいる。
 弁護士経験5年という、神奈川二〇区の小西大臣は、自由刑について議論を挑んできた。
 「ところでIDO、ご存じかと思いますが..」
 知らないっつーの・・
 「自由刑の一本化については、長年、法曹界で議論が続いてきましたが一向に埒があきません。懲役には定役があり、禁錮には定役がない」

 専門用語好きだねぇ、おまえは「煙巻き君」だな?
 煙巻き君はIDO室用語。専門用語を速射砲のように撃って、相手を煙に巻く議員や官僚を指す。

 「そもそも、禁錮に定役が科されていないのは、政治犯のような名誉拘禁には、労働を科すべきでないという考えがあるのですが、これは、とても労働を卑しむ思想なわけです。この際、IDOのお力で、自由刑の一本化をご検討されては、いかがでしょう?」

 確かに現代においては、少々わかりにくい概念かも知れませんね。でも確か禁錮囚も請願すれば定役に就くことができますよね。囚人の立場から見たとき、それほど大きな問題ではないように思います。
 自由刑の区別は長い伝統を持っているようですし、どうしても片を付けたいと言うのであれば、やはり伝統に則って法曹界で議論された方が、後腐れがなくてよいのではないでしょうか?

 法曹の資格は取ったが、実務経験のない僕の見識を試したかったのだろう。まさか、農林水産大臣の口から自由刑一本化の話しが出るとは思わなかった。所管分野にもっと力を入れた方がよいと思う。

 知っていることは、間違いを恐れず即答する。知らないことは調べる。
 僕が知らないことについて問題提起を受けた時は、七日以内にお返事をすることにして、お帰りいただく。

 ブリーフィングを終えると、幸田さんが録音データを関係省庁に送る。すると24時間以内に、専門スタッフのコメントと提案が付いて戻ってくる。法制化しない場合は文書で回答し、法制化する場合は、再度、問題提起をされた方にブリーフィングに来ていただく。

 IDO室では、こうして大臣からの提言で立法する案件を「天ぷら」と呼んでいる。
 天ぷらとは昭和の時代からの政治の隠語。手際よく法律を国会にあげていく国対委員長をこう呼んでいた。
 IDOに就任して以来、立案から七日以内にあがらなかった天ぷらはない。

 総理とのブリーフィング
 僕の立法管轄には、内閣府、防衛省、国家公安委員会は含まれていない。
 立法ブリーフィングと越権協議は、関係する九省庁の大臣を相手におこなう。 唯一の例外は、内閣府専権事項の場合に来て頂く内閣総理大臣。

 当日のブリーフィングについては、法案名称だけを24時間前に参考人(大臣、総理大臣)に伝える。
 総理に初めて来ていただいたのは「スパイ防止法」だった。

 クリスマス前なのに今日も暑いですね。僕らの世代は、辛うじて冬は寒かったって知ってますけど、今の子供達は雪合戦も知らないんですよね。高橋総理は雪合戦はやりましたか?
 「うーん覚えてないけど、雪だるまと映っている写真はあったかな」

 総理は僕の左肩越しに東京スカイツリーの絵を見ながら考えている。
 そこには、小学生が描いた東京スカイツリーの絵が額に入っている。
 「素朴な絵ですね、どなたが描かれたのですか?」とよく聞かれる。
 東京都のコンクール入選作品らしいですよ。そういつも曖昧に答える。作者の名前は右下の隅っこに小さく書かれている。作者の記憶は頭の隅っこにうっすらと残っている。消しゴムで消そうとしても消えることはない。

 右肩越しの壁には、青空を突き上げる赤いチューリップの写真。
 僕がまだ小さかった頃、家族でチューリップを見にいった。それは春になると新聞記者だった父が、年に一度だけ連れて行ってくれる家族旅行だったらしい。
 チューリップは春の風物詩。子どもの頃チューリップは春咲く花と習ったが、地球の気温が上がったため、春のチューリップは五日と保たなくなった。気温がたまに10度を切ることもある冬になると、チューリップは2週間ほど花をつける。

「独裁者」もくじ

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2008年6月11日 (水)

2~3本持って走れ!

「7番アイアンっていつ使うの?」【 13 】

その日、最初にゴルフをするホールをスタートホールという。
一般的なゴルフ場は18ホールで構成されており、9ホールずつの「アウト」と「イン」に分かれている。
アウトについたホール番号は1~9
インについたホール番号は10~18

通常はアウト→インの順番で回るのだが、そうすると午前中はインがガラガラになってしまい、もったいない。
そこで、アウトスタートの組とインスタートの組をつくる。
そうすれば、18ホールに最大限のお客さんを入れることができる。

打つ順番は、スタートホールでは、占い棒のようなくじを引いて決める。
次のホールからは、前のホールの打数が少ない人から順番に打つ。
打数が同じ場合は、さらにその一つ前のホールで打った順番に倣う。

ゆえに、ど素人は4番めが指定席。
野球ならば超一流の順番だが、ゴルフでは最低の順番である。
たまに、諸先輩を差し置いて1番になろうものならば、宴席で部長の上座に座ってしまったような、居心地の悪さを感じる。

第一打がナイスショットの場合は、打ち終わってから、歩いてよい。
小鳥のさえずり、聞き放題。
仲間との優雅な会話、し放題。

しかし、左右に大きくボールが曲がったり、チョロした場合は、クラブを"2~3本持って"全力疾走しなければならない。
この"2~3本持って"が、重要な心得だ。
初めのうちは、これがわからなくて、次打用のクラブを1本だけ、キャディバッグから抜いていこうとする。そこでベテランゴルファーからの指導がはいる。

「2~3本持って走れ!」

キャディさんは1組に1人しかいないので、4人分の面倒を見なければならない。
4人のキャディバッグを積んだ電動カートは、ボールがきちんと前に飛ぶ人たちの近く、標準的な位置にある。
カートはキャディさんが運ぶ。
キャディさんがど素人の世話でカートを離れる時は、残り3人の誰かが、代わりにカートを押すのがチームワーク。
少々、上達すると、この"代わりに押すカート"すら、誇らしい。

ボールの頭を打って、ボールがすぐそこに転がることを「チョロ」という。
チョロを打つような人は、その次もチョロを打つ確率が高い。

ゴルフで一番恥ずかしいのは、ショートホールの第一打、次の組が見ている前でのチョロ。
ショートホールでは、渋滞のため、次の組が追いついて、見物していることがある。もうちょっと、茶店でゆっくりしてくればいいのにと思う。

そこでチョロをやると、2~3m前方に転がった球を、あるがままの状態で打たなければならない。

ゴルフは "あるがまま" の状態でのプレーが基本。
ただし、ティーショット(第一打)だけは、ティーアップできる。
ティーはゴルフボールのスタンド。ティーを地面に挿して、その上にボールを置くことをティーアップという。中古車買取センターの会社名ではない。

上級者はアイアンで打つショートホールのティーショットは、ティーアップせずに打つ。
だが、ど素人!は少しでも打ちやすいよう、ティーアップする。
しかし、チョロした後の第二打では、もうティーアップできない。

次組の見知らぬ人の冷たい視線の中で打つ、第二打は辛い。
結果はどうでもいいから、とにかく、ボールを前に進めて、その場を離れたい。
ある時、そんな一心で打った無心の第二打、7番アイアンがボールを芯で捕らえた。
ボールを最後まで、しっかり見て打った。
その行方を追い視線を左に向けた時、140ヤード先のグリーンでワンバウンドしたボールが、カップに消えるところだった。

ショートホールのティーグラウンドから1打で入れば、普通ならばそれはホールインワンという。
このど素人め!と思って見ていたギャラリー(見物人の総称)は一瞬どよめき、見知らぬど素人!のホールインツーに、拍手を送ってくれた。

チョロの次打がナイスショットならば、その次は7番アイアンでいいかも知れない。
だが、次打もまたチョロの場合、5番アイアンが必要かも知れない。
次打がバンカーに入ってしまえば、SW(サンドウェッジ)が必要になる。

3通りの結果によって、カートまでクラブを取りに行っていたのでは、タイムロスが大きすぎる。
ゆえに、ど素人は"2~3本持って" ボールの位置へ急行する。
「お金を払っているのは俺だ」
と思ってはいけない。ゴルフは紳士のスポーツだから。
キャディフィーは4人が払っていることを、忘れてはならない。
キャディさんには、余計な手間を取らせないようにしなければならないのだ。

ど素人!の2~3本とは、7番アイアン、9番アイアン、PW(ピッチングウェッジ)が基本。
7番アイアンを持ってきたのに
「やっぱり、ここは10ヤード足りないから6番が欲しいな」
と思ってはいけない。

今あるもので、できることをする。
これが、ど素人ゴルフの基本。ゴルフ全般に言えることだ。
しかし、ゴルフにはまっている時は、これができない。

タイガーの目の覚めるような弾道
ハニカミ王子の豪快なスイング、
無いものをねだり、身にもついていない無理なスイングで、さらに泥沼にはまっていくのである。

7番アイアンっていつ使うの?もくじ

スポーツ |

2008年6月10日 (火)

立法ブリーフィング

 ・名字の君呼び、さん呼び
 入省歴の上下を問わず、就業時間中にお互いを呼ぶ時は、男は名字の君付け。女は名字のさん付けで呼ぶ。
 「ちゃん呼び」は禁止した。
 上司が一部の部下だけを「佐野ちゃん」と呼ぶことがある。本人は親しみを込めているだけなのだが、親しみを込められなかった傍の人にはとても感じが悪いからだ。
 さすがに僕を佐野君とは呼びにくいだろうから、僕は「IDO」と呼んでもらっている。

 ・遠慮なくつっこむ
 立法ミーティングで僕が出した法案には、遠慮会釈なしにつっこでもらう。遠慮されると、些末なものごとについての法律が出しづらくなる。

 千日で千法を作るのが自らに課したノルマだが、千日満遍なくアイデアが出るわけではない。
 そこで、アイデアが出ない時のために、法案を書きためておくことがある。溜めておいても国民が困らないようなことだから、些細なことが多い。
 目標法「テレビは夜八時まで法」などは、その一つ。
 子どものテレビは夜八時まで。八時過ぎに見たいテレビ番組があれば先に勉強を済ませて、お風呂に入る。
 「今日は 7時から宿題をやるから、8時から ワールドカップ予選 を見てもいいでしょ?」
と子どもが言えば、そこは親子での話し合い。土日は時間制限を設けていないので、録画して週末に見せる家庭も多い。こうして、ほとんどの子ども番組は録画で見られているため、CM明けまで展開を引っ張ったり、CM明けも導入を繰り返したりという手法は絶滅した。

 「これって、ブリーフィングは文科省ですよね。多摩川大臣はなんかひとこと言いそうですよね」
 「家庭の問題を法で裁くのか!ってね」
 文科省から来た田中君と別府さんのつっこみがはいる。物言う分別のある彼らの、自由なツッコミからアイデアが膨らんでいく。
 結局、同法では「テレビは八時まで守りましたカード」のハンコが一か月埋まると、100ポイントを付与した。
 「おじいちゃんが『夏休みになるとラジオ体操のカードを、ハンコで埋めるのが楽しみだった』って言ってたんですよ」
 という田中君の言葉がきっかけになった。

 毎週水曜日は、犯罪統計を見ながらのミーティング。
 殺人、強盗から道での痰吐きまですべての犯罪は、その日の入力分が日次で集計され、関係省庁の権限保有者が閲覧できる。この情報の国民への開示は一月と七月の年二回とした。過去分については、1970年以降のデータをCSV形式で開示した。

 凶悪犯罪は、日本が「世界の工場」と呼ばれ始めた2010年以降減り続けており、2035年に僕がIDOに就任した後も、その流れが続いている。
 高度成長、バブル、失われた一〇年、世界の工場、思考停止の一〇年と、それぞれの一〇年期に冠がついている。
 過去70年の犯罪数推移と時代の冠には、どのような因果関係があるのだろうか?それを国民に考えてもらいたい。それが1970年という、かなり昔のデータから開示した理由だ。

 15:00 ブリーフィング
 午後三時からの一時間は立法ブリーフィング。各省庁の大臣がIDOラボにやってくる。

 ブリーフィングに呼ぶ方の呼称を「参考人」とした。参考人という呼称は衆議院、参議院でも使われているが、ここでは少しルールが違う。
 衆参各委員会では、規則により参考人は議員に質問することができない。ただ質問を受けるだけだ。
 それでも時々、規則を曲げて委員長に質問を迫る人がいる。衆参のインターネット中継で見ていると、それはそれで面白いが、衆参の規則は変わらない。

 一方、IDOの立法ブリーフィングでは、参考人は法案について質問をすることができる。
 立法内容のブリーフィングは、所管省庁の大臣を相手に行う。官僚の出席は禁止。僕はメディアとは直接接触しないので、この場が唯一、世間との接点となる。これは、就任条件として橋本に出した四つのお願いの一つ。

 まず、僕からのプレゼン。手書きのメモをスクリーンに映し出す。
 総合日本商事で、僕がつくったソフト「セールスマッピング」も使わない。
 上げ足をとられぬよう周到につくるスライドショーは、ここでは必要ない。
 人間の脳はいったん視覚に訴えられると、ことばは聞こえなくなる。すると画面に書いていなかった文言を口頭で補足しても頭に入らない。ブリーフィングは十分な理解を得ることが目的なので、それでは困る。

 2000年代には猫も杓子もプレゼンに使っていたスライドソフト。グループウェアという電子的なスケジュール管理。隣りに座っているのに会話もしないワークフロー(電子決済)..
 先進国のビジネスマン達は、時間をハードディスクに捨てているだけということに気付くのに、20年を要した。失った時間は実にもったいなかった。もし20年前に、僕が独裁者になっていたら、スライドソフト、ワークフロー、そしてERP禁止法を出していただろう。

次回は6月12日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月 9日 (月)

意識調査ウェブ

 「仮面ライダーの定期的な再放送をお願いします」
 東京都・曽我さんの意見は笑って却下した。

 僕と曽我は昭和を知らない世代だが“ヒーローは昭和にしか存在しない”という持論を立証すべく「東大ヒーロー研究会」を立ち上げた。学校から予算もつかない愛好会なので、行動力だけが命。

 「ウルトラマンをAタイプでリメイクせよ!」
 「九月一五日を仮面ライダー旧一号の日に認定せよ!」
といった横断幕をつくっては、バンダイの埼玉工場に座り込みに行って、ひんしゅくをかっていた。昔の仲間は、時々こうして酔狂な法案を送ってくる。

 「意識調査ウェブ」は、国民の意見を聞きたい時に使う、ボランティア・ネットワークとして立ち上げた。
 国民の有志が得意分野を事前に申し出る。
 20のカテゴリーについて、それぞれ1,000人、合計2万人が登録している。報酬として日本ポイント制度から1,000ポイント付与される。

 僕が質問を投げかけると、IDO室員が15分以内にアンケートページを立ち上げて、60分以内には少なくとも 100人以上の意見が集まる。
 アンケートページが更新されるのは、いつも午前11時頃。ポイント狙いの人たちは、その時間になると画面の前で待ちかまえているらしい。

 18人のIDO室員は、出身省庁の事務所に席を置いている。
 幸田さんへの連絡はすべてメール。
 午前中は幸田さん以外の人と顔を合わせることはない。
 IDO室の電話は発信専用であり、終日電話のベルが鳴ることはない。

 午前中の三時間は一人で法律を考える時間。これが、一日で最も幸せな時間だ。
 こういう時、上司がいないことを実感する。
 今この瞬間にも、おかしな上司に囲まれた人がたくさんいる。
 そのうちの数人は、恨みを文章にまとめている人もいるかも知れないし、せっぱ詰まった人は、ビルの非常階段に出て、落ちたら痛いだろうなと考えているかも知れない。

 法務省、そしてサラリーマン時代、いい上司に恵まれる時もあれば、そうでない時もあった。
 順境の時には、上司からのストレスがないことを日々、感謝しなければならない。
 しかし、逆境の時にはどうすることもできない。部下は上司を選べないのだ。

 「アホ上司禁止法」はすべての上場企業が対象。
 管理職の人事評価に、部下からの評価を10%以上、組み込むことを求めている。
 施行当初、メディアは「部下を接待する上司が現れるのではないか?」と危惧していたが、現実には、そんなわかりやすい上司は現れなかった。

 12:00のチャイムが鳴ると昼休み。この日初めての食事。
 就任当初は、昼食をとりながら打合せをしたいという要請が入っていたが、すべてお断りした。
 お昼はサンドとカフェオレ。ついでにスポーツ新聞も・・といきたいところだが、この界隈にはコンビニがない。かといって「永田町にコンビニを設置する法」を作るというわけにもいかない。IDOになって淋しいのは、コンビニに行けないことだ。
 初めの一か月はIDO室のメンバーが誘いにきて、国会の食堂まで足を運ぶこともあったが、その後は独自に取り寄せたお弁当を、IDOラボで食べている。

 13:00 立法ミーティング
 15:00までの2時間は、立法ミーティングに充てる日が多い。
 いつもはIDO室の20人が出席する。参考資料や意見が欲しい場合、当該の議員、官僚、参考人に来てもらう日もある。

 IDO室のスタッフを、各省から男女9人ずつと要求したのは、それが社会の現実というものだからだ。

 2019年10月、僕はFE設立事務局から法務省には戻らず、民間の総合日本商事に移った。
 3年間、総合企画部にいたが、身の回りはなぜか男ばかりだった。受注センターや発送センター、地方の出先に行くと女ばかりなのに...

 ある時、僕は発見した。
 男ばかりの会議に一人でも女が入ると、会議の質が変わるのだ。
 ほとんどの男は、男ばかりの会議には“仕事の鬼”の顔で入ってくるのだが、女が混ざる会議では“戦う勇者”の顔で入ってくるのだ。

 考えてみればわかることだ。我々が住んでいる社会は男女ほぼ半々。
 それが、密室に男ばかり集まれば空気が変成する。心が鬼になっても仕方がない。
 メンバーの経歴を入省8年未満に限定したのは、社会に近い人達だから。
 学校を出て間がなく、学んだ情報が新しい。まだ既得権に縁が薄く、それに固執するよりも壊して新しくした方が自分たちに有利なことを知っている。

 IDO制度の生みの親は、もう少し上の世代の官僚たち。
 本来ならば、ご苦労された官僚の中からIDO室員を人選したい。ただ、千日で千法をつくるというスピード感を出すために、こういう人選にした。

 IDO室の掟
 IDO室では、20人で守るローカルルール「IDO室の掟」を共有している。
 これは独裁者の僕が決めるのではなく、幸田さんを含めた20人がアイデアを出し合って決めている。

 ・長音使用の遵守
 IT技術者に限らず、コンピュータ、サーバという長音省略がすっかり社会に定着している。だが1991年の内閣告示は、英語の語末の-er,-or,-arなどに当たるものは、原則としてア列の長音とし長音符号「ー」を用いて書き表すことを推奨していた。
 IDO室員は、長音をきちんと書くことを申し合わせ、法令の記述も同様にしている。

 ・質問に質問を返さない
 質問をされたら、端的な答えを返す。少々質問の意図が不明瞭でも、意図するところをくみ取って答えを言う。質問に対して反論という形での返事をしない。

 ・いつも大変お世話になります禁止
 部内のメール、文書はいきなり要件から書き出す。辞書登録していたり、テンプレートで始めから入っているような、気持ちのこもっていないことばは使わないことに決めた。
 文末で要求に念押しする形での「よろしくお願い申し上げます」も禁止。

 ・必要以上の敬語を文書に使わない
 IDO室のメンバーはきれいな日本語を使う。会話はそれでよいが、文書に書くのは時間が惜しい。文書ではお互いに対する敬語、謙譲語を省略する。僕あてに文書を出すのは幸田さんだけだが、あまりに気軽な文体なので、他の人が見たらぎょっとするだろう。



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2008年6月 8日 (日)

ユーロ2008ポルトガル優勝と詰める男

今日、デコ2度目のユーロが始まる。

ユーロとはフットボールの欧州選手権。
ユーロは4年に1度、W杯と2年ずらして開催される。

1960年にフランスサッカー協会会長アンリ・ドロネーが発案。
第1回「ヨーロッパ・ネイションズカップ」という名前で開催された。
1968年に今の「ユーロ」に名称が変わった。

この数週間、民法を見ていると、しきりにWOWOWのCMが入るので、ユーロという単語は相当に浸透したはずだ。
CMやメディアの報道では「ユーロは世界最高クラスの戦術」と表現されている。
これは、アジアやアフリカも出場するW杯に比べて、欧州の戦術は洗練されているということを意味している。

スポーツ大会では、準決勝や準々決勝で優勝候補同士が対戦すると「事実上の決勝」と表現するメディアがある。
それと同じだ。
ブロガーは「ユーロはW杯よりレベルが高い」と言い切ることができるが、メディアの場合は件の表現になる。

いずれにせよ、欧州のメディアが言うのならばわかるが、日本のメディアが自らそれを言うのは自虐的だ。

2003年当時、デコはポルトガルのフットボールリーグ「スーペルリーガ」のFCポルトに在籍していた。
1997-98シーズンより、ブラジルからポルトガルに渡り、居住5年が経過していたデコは、ジョゼ・モウリーニョ監督(当時FCポルトの監督、2008-09シーズンからはセリエAインテルの監督)のすすめでポルトガル国籍を取得。

2003年3月には、ブラジル人フェリペ・スコラーリが監督をつとめるポルトガル代表に招集された。
他国籍選手に国籍取得させて、ポルトガル代表に迎えるのは、デコが4人め。
この手を使うのが初めてというわけではなかったが、地元メディア、フィーゴをはじめとするベテラン選手は反対の意思表示をした。
ただ決して、批判はデコに対してのものではなく、ポルトガルサッカー協会の手法に対してだった。

そして、代表初出場の親善試合、ホームでのブラジル戦。
デコが決勝ゴールをあげて、ポルトガルは37年ぶりにブラジルを破った。
ブラジル人監督と、ブラジル人デコによる、ポルトガルの進撃がここから始まった。

2008年5月現在、FIFA国別ランキング9位。
今でこそ、ポルトガルは強豪国の一つと思われているが、2002年にアジアで行われたワールドカップまでは、長い低迷が続いていた。

W杯出場は以外と少なく過去4回。1966,1986,2002,2006
2006は初めての2大会連続出場だった。
ブラジルコンビが代表入りしてからは、ユーロ2004で準優勝、W杯2006でベスト4 とまずまずの結果を残している。

今回のユーロ2008では、キャプテンはヌノ・ゴメス、副キャプテンはクリスチアーノ・ロナウド。
「外国人」のデコはキャプテンには選ばれない。

前回のユーロ2004で代表デビューしたロナウド。
W杯2006ドイツ大会で、一躍人気者になった。
この間終わった2007-08シーズンでは、所属クラブのマンチェスター・ユナイテッドでCL優勝。12月には初めて、巡業ではなく公式戦(CWC2008)で来日する。
今大会は「ロナウドの大会」になると、メディアは期待を寄せている。
だが、2006年W杯、リーガとCLの2冠を制して望んだロナウジーニョが不調だったように、疲れているロナウドに多くは望めない。ただ、ロナウドには疲れていても蹴ることができるフリーキックがある。

ユーロ2004では、ゴール前のフリーキックは、フィーゴとデコが蹴っていた。しかし、どれも上に吹かしてしまい、得点の期待は持てなかった。
2006W杯より、その場面はロナウドの独壇場となっている。

デコは「1年間たっぷりと休養が取れたお陰で、コンディションがいい」とメディアに語っている。ニュースで伝えられていたのは「故障による欠場」だったが、実際には、出たくても出してもらえなかったようだ。

カラダの切れがいい時のデコは、相手から徹底的にマークされる。派手さはないが、球を隠すようなドリブルは、相手のファウルを誘う。ミドルシュートも多用するので、相手は後ろからのファウルで止めざるを得ない。ゆえに、デコは圧倒的に被ファウル数が多い。

被ファウル王のデコがもらったFKを、ロナウドが蹴る。揺れて落ちる球をキャッチできるGKは希で、弾いた球にシマンが詰める。このパターンがポルトガルならではの得点源。
しかし、2006W杯準決勝フランス戦、先日の親善試合グルジア戦。いずれも詰め損なっていた。
ポルトガル勝利のポイントは、この「詰める男」である。

ポルトガルが入ったA組は、共催国のひとつスイスの組。
B組にはもうひとつの共催国、オーストリアが入った。
A組は決して楽ではないが、グループリーグを勝ち抜けた場合、準々決勝、準決勝で当たる可能性がある難敵はドイツ、ポーランド。
特に分が悪いイタリア、フランス、そして天敵ギリシアとは決勝まで当たらない。

準決勝までにポーランド、ドイツを破り、決勝の相手がオランダだった時、ポルトガルとブラジルコンビのユーロ初優勝が見えてくる。

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2008年6月 7日 (土)

江ノ島に戻れなかった湘南国際マラソン

 第3回湘南国際マラソンのエントリー受付が 2008年5月22日に始まった。

 湘南国際マラソンは2007年3月に第1回が行われた。
 神奈川県で開催されるマラソンは、以前から多摩川フルマラソンがあり、2つめのマラソンとしてスタート。
 スタート/ゴール地点は江ノ島。
 西湘バイパスで折り返す1ウェイコース。
 コースの一部は箱根駅伝のコースとも重なっている。

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 湘南と言えば、サザンオールスターズ(2008年8月で活動休止)
 湘南とは、鎌倉から南の海辺の地域を言う。
 稲村ヶ崎から江ノ島、片瀬海岸あたりの一帯。
 湘南という地名はない。江ノ島にある港には、湘南港という名がついている。
 湘南の最寄り駅は、小田急線「片瀬江ノ島」、江ノ島電鉄「江ノ島」、湘南モノレール「湘南江の島」

1664年
大磯の「鴫立庵」に湘南発祥の石碑が建立された。

1994年
自動車の湘南ナンバーができた。海岸沿いでは藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市。全部で7市4町が対象。

2003年
平成の大合併で「湘南市」構想があったが、実現しなかった。

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 湘南海岸の国道はいつも渋滞している。
 その国道を独占して走り、湘南のシンボル江ノ島でゴールする。
 地元の人に限らず、魅力的なコースだ。

 ところが、2008年3月に開催された第2回大会では 3つの変更があった。

1.距離を30kmに短縮。
 台風による 西湘バイパスの道路陥没が理由とされた。

2.スタート/ゴールは江ノ島ではなく、大磯プリンスホテルに変更。
 「より大規模な大会にするため」という理由が公表された。

3.ナンバーカードが郵送に変わり、前日受付がなくなった。

 3はとてもよいことだが、1,2はとても残念な変更だった。

 さて、5月に発表された 第3回大会の要項では、3つの変更があった。

1.距離を 42.195kmに変更。
 西湘バイパスが復旧したため。

2.3月開催を 11月開催に変更。(2008年11月16日開催)

3.ナンバーカード郵送を廃止。前日受付が復活。

 スタート/ゴール地点については変更がなく、大磯での開催。
 江ノ島に戻ることはなかった。

 江ノ島には救急車が入れない。というのが表向きの理由。
 ゴール直後にランナーが倒れた場合、救急病院への搬送が難しく、リスクが大きいと言うことだ。

 江ノ島につながる江ノ島大橋は、対面通行だが2車線ある。それとは別に舗道がある。
 救急車を入れる必要が生じた時、コースを 1車線規制して、救急車を通せないことはない。
 「救急車が通ります。左側に寄ってください」
 そう言われて、道を空けないようなランナーはいない。
 また、江ノ島にはヘリポートもある。

 第2回の開催地が大磯に変更された本当の理由と、今回も江ノ島に戻らなかった理由は同じだろう。
 もちろん、より大きな大会にするためというものではない。

 開催月を3月から11月に変更した理由は、5月26日の記者会見で河野太郎実行委員長が、次のように述べた。
 「3月開催だと、近隣の大会と日付が近くなる。ランナーからの要望もあった」

 近隣の大会とは、東京マラソンと荒川市民マラソンのことである。
 東京マラソンは2008年までは2月開催だったが、2009年からは3月開催となる。
 荒川市民マラソンと、湘南国際マラソンは、この2年つづけて同日開催だった。

 2009年 3月15日 荒川市民 湘南国際
 2009年 3月22日 東京

 こうしてみれば、確かに日程が密集しているように見える。
 だが、東京マラソンは出たくても、滅多なことでは当たらないレースだ。
 東京マラソンは抽選で落選するものと想定すれば、関東で春に走れるマラソンの選択肢は、3月の荒川と4月のかすみがうらの2つだけということになった。

 ナンバーカードの郵送廃止は、時代の流れに逆行している。
 前日受付にする理由は、地元に金を落とすため。
 ランナーに対して、レース当日だけでなく、前日にも現地入りを義務づければ、それだけお金がおちる。
 遠方からの参加者は宿泊せざるを得ない。

 関東の市民マラソンでは、東京、荒川も受付を要する。
 かすみがうらだけが、郵送方式を採用しており、現地入りは当日の1度で済む。

 事前にナンバーカードが届くと、自宅でゆっくりと準備することができる。
 荒川市民マラソンには、当日受付があるため、現地入りは1度で済むが、当日その場で受け取るのは慌ただしい。

 参加者の希望ではなく、主催者の都合で決める大会には賛同できない。
 それでも、東京マラソン効果で生まれたマラソンブームの折、9,000人というエントリー枠は、いっぱいになるのだろう。

 江ノ島にゴールできたのは、第1回だけになった。
 第1回の完走者だけが、その誇り高き思い出を語り継ぐことになりそうだ。



ど素人!マラソン講座
素人が制限時間5時間以上のレースを完走するための情報集です。

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2008年6月 6日 (金)

僕が独裁者になったら

 草案作成
 8:59 幸田さんが入室。9:00始業。
 一日の仕事は「僕が独裁者になったら」のメールと「意識調査ウェブ」のレポートを読むことから始まる。
 業務連絡のメールは一通もない。外部からの相談はIDO室員が受け、それを幸田さんがまとめて、口頭で伝えてくれる。
 僕は立法の独立決裁者であり、予算の執行、残業や交通費の承認といった決裁事項は一つもない。

 「僕が独裁者になったら」は「個人提案法」によりウェブ上に開設した目安箱。広く国民から法案を募っている。
 1日平均200通のメールが届く。ただ国民の大半は、まさかIDO本人が第一閲覧者だとは思っていない。法務省の官僚が予備審査をして、選ばれた案だけがIDOに上げられると思っている。

 愛知県にお住まいのKさん(40歳、男性)は、ある夜いつものように名古屋の広小路通りを走っていた。すると前を走っていたドライバーが窓を開けたかと思うと、タバコの灰をトントンと落とし始めた。
 しばらく繰り返し、終いにはタバコをぽいっと投げ捨て、路面に火の粉が散ったという。
 何かに燃え移ったら危険だし、だいたい車内を汚したくないから灰を外に落とすという根性が気にくわない。死刑にして欲しい。というご意見だった。

 ウェブで投稿される法案の大半が、プルダウンメニューの「適当と思われる量刑」では、死刑を選択している。
 第三者には些細なできごとでも、当事者は大変怒っているということがよくわかる。

 この意見を取り入れて施行した「タバコポイ捨て禁止法」は罰金30万円とした。民間人がデジカメで現場を押さえれば常人逮捕、または通報により後日警察官が逮捕できるようにしたので、デジカメを常備する人が増えた。
 カー用品メーカーからは、サンバイザーに挟んで取り付けるデジカメが発売された。画質は200万画素、メモリーは10枚撮影可能で一個1,000円。この商品はその後、道路で痰を吐いた人や、自転車の三人乗りなどの常人逮捕用に改良されて、ヒット商品になった。
 そして、この法律は施行三か月後に改正して、罰金を30万円から5千円に下げた。

 人がルールと向き合う時、一番困る反応はルールに寄りかかることだ。
 ルールに反発して抗議するという行動は、人と社会を活性化する。
 ルールづくりはIDOに任せておけば安心だからと、何も考えないのは困る。

 僕は真っ当な人が安心して暮らせる社会にはしたいが、真っ当な人が腑抜けになるのは見たくない。
 そこで一度決めた法律でも、後から罰則や科料を変えた。

 一度「タバコのポイ捨てはやばい」と思った人が、30万円から5千円に値下げされて、どう考えるか。
 これ幸いとぽいぽい捨て始めるのか、それとも、お金ではない道徳で自律できるか、そこで横着と真っ当の道が分かれるのだ。

 「私のおじいちゃんは週に三回、病院にとうせきに行っています。
 でも病院の前にはバス停がありません。
 バス停は病院から 200m離れているそうです。
 おじいちゃんは歩くのがきついと言っています。
 ある時、病院の先生に『どうしてバス停が遠いんですか?』と聞いたら、病院が建つ前から近くの公民館のバス停があったので、500m以内にはバス停が作れないのだそうです。

 私はおかしいと思い、学校で担任の松尾先生に言いました。
 先生もそれはおかしいと言って、市役所にお手紙を持っていこうということになりました。
 クラスみんなで書いたお手紙を持って、市役所に行きました。
 市役所の人は『けんとうします』と言いました。

 これでバス停ができたら、おじいちゃんは喜んでくれるだろうなと、わくわくしながらお返事がくるのを待っていました。
 でもお返事はなかなか来ませんでした。
 学級会では、みんながいいと思うことは、すぐその場で決まります。
 市役所にいる人たちは公務員といって、みんなのために役に立つことをする人だとお母さんが言っていました。
 だから、きっとすぐ決めてくれるだろうと思っていたんです。

 三か月ほどたってから、学校にお手紙がきました。
 『けんとうした結果、バス停を作ることはできないです』
と書いてありました。バス停の間は500mあけなければいけないということと、病院の前がカーブになっていて、見とおしが悪くて危ないのですということでした。
 私は、病院の前に並んでいるタクシーや、お迎えの車が道をふさいでいることの方が、よっぽど危ないと思います。
 『これからも意見があったらどんどん言ってください』
と書いてありましたが、私たちクラスのみんなはがっかりしました。

 でも、松尾先生が私に『あとで職員室に来なさいと』いうから行きました。
 すると、先生は『これは先生が言ったというのは内緒にしておいて欲しいんだけど、IDOさんならば法律をすぐ変えてくれるかも知れないから、メールを送ってみるといいよ』と教えてくれました。

 私のおじいちゃんだけでなく、たくさんの人が困っています。IDOさん、法律を変えてください。よろしくお願いします」

 章子ちゃん(一〇歳、女性)からのメールを読んで、
 先生の名前書いとるやん!
とつっこんだ 5時間後に「市民交通における距離規制を禁止する法」を施行。
 バス停の間隔は500mといった条例、規則を禁止した。
 地方自治体案件は総務大臣との「越権協議」となる。
 その日の午後は予定を入れ替えて、谷村総務大臣に来てもらった。
 谷村大臣には「一つ貸しですよ」と言われたが、わかりましたとにっこり笑って、合意した。

 何が貸しで、どう借りを返すのかは、わからない。
 ただ、細かいことにつっこんで、時間を失うことは、結局、受益者のためにならないということを、国連とFEの仕事でよくわかっていた。
 先進国の背広を着た人が、些末な言い争いをしているさなかに、ある地域では、ばたばたと人が死んでいるのである。

次回は6月9日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月 5日 (木)

法律をつくる軸と使命

 ことばの定義はシンプルなだけではなく、日本の現実に即していることが求められる。
 首都ということばを例にとると、次のような違いがある。

首都
国を治める役所があるところ
(従来の辞典)

首都
行政府(内閣)がある都市。
2035年元旦に法制化された首都は東京。
(日本国用語集)

 言い切りの定義をまず書く。
 改行した後、補足事項を書く。
 当初、旧来の辞典に慣れている学者達からは「説明不足だ」「素人感覚にも程がある」という批判が相次いだ。
 それは、この用語集が慎重な言い回しや、注釈を付けずに書いているからだ。
 詳細に注釈をつけると結論、答えが見えにくくなる。
 専門用語で三つ編みにした官僚ことばは、一般人には理解できない。
 だから、言い切りの定義にこだわる。
 定義には例外がつきもので、重箱の隅をつつき始めたらきりがないのだ。

 夢に向かって努力する人
 =自らの使命を見つけて、実現に向けて努力する人がいる。
 それには普遍的なことばが必要だ。だが、ことばを習得するためには、圧倒的な知識を必要とする。それには、とても長い時間がかかる。
 この日本国用語集は、短時間で知識を習得する一助となる。
 そして、その内容には国のお墨付きがあるから、あげ足をとられることがない。

 人は「発信する人」と「評論する人」に分類される。

 評論に特化した人の攻撃は、発信者を疲弊させる。
 「あげ足とり禁止法」は、他人に不愉快な思いをさせる権利を制限する目標法。日本人が悪意に満ちた反論を恐れず、のびのびと発言できる社会を目指した。

 他人の上げ足をとってはいけません。
 反論は建設的な対論を持つ人に許される行為です。
 ものごとの本質の議論に対して、枝葉末節の議論をぶつけて混ぜ返すのはやめましょう。
(あげ足とり禁止法)

 一連の立法効果により、2038年のSR値は 39対61となり、34ポイント改善した。

 法律を作る軸と使命
 法令の開示はシンプル第一とした。
 従来法の条文は、まず見出しで始まり、条立て、章立てで列記されている。
 だが、中には条がなく項だけのものもある。
 中には「第一条ノ二」と「第一条二項」は別ものであるという、紛らわしいものもあった。

 そこで「法令公開法」により、IDO法はすべてハイフンつなぎに簡易化した。
 国会とIDOがつくる新設法令は、同一体系で採番されてカウントアップしていく。
 従来法は1条1項1号という旧表記のままなので、ハイフンつなぎのIDO法はひと目でそれとわかる。

 また従来法では、条項を跡形もなくする時は「削る」。その条項の中身を無いことにする時は「削除」と書いていた。これもややこしかった。

 従来法では、法令の条文は途中が抜けると、後続の付番を繰り上げる。
 一〇〇条ある法律の第三九条を「削る」と四〇条から一〇〇条はすべて、条の番号を繰り上げなければならない。

 コンピューター・システムの世界ならば論理削除(ユーザーからは見えなくなるが、ディスクには残っている)が当たり前。物理削除(完全消去)するのは証拠隠滅する時だけだ。
 新設した法令公開法では、無効とした条文は「削除」に統一した。その条文が欠番になるだけで、繰り上げ作業は無しとした。

 IDO法の名称や条文には、ほとんど外来語がない。
 わかりやすさからすれば、外来語を使った方がよい。その方が何も考えずにすんなりと耳に入ってくる。
 だが、法令はCMのキャッチコピーとは違う。
 日本に暮らすのならば、カタカナを日本語に言い換える妙を楽しんでもらいたい。
 もちろん“ミッションクリティカル=信用でき、消失すると甚大な影響がある”のように、日本語に言い換えると難解になるものは、外来語のまま使う。そこは臨機応変に対応した。

 「法令ウェブ公開法」により、全法令を法務省が「法令検索ウェブ」として公開した。
 従来法の場合、民法一条一章一項は、
 
http://www.*****/minpo/1_1_1.html
 IDO法の場合、民法1-1-1は、
 
http://www.*****/minpo/1-1-1.html
 ウェブで法令を見た場合、アンダーバーが従来法、ハイフンがIDO法というように簡単に見分けがつく。

 本来、憲法とは国と国民の約束を記した文書。
 国が国民に保証することや、国民に示す規範をしたためている。

 一方、法律は、憲法に沿った、人と人、国民同士の約束に当たる。

 だが、その約束の中身は「人を殺したら死刑かも」といった、罪刑ありきで処罰が規定されたものであり、なかには罰則がない法律も多い。

「NHKの受信料は放送法で支払義務があるけれど、罰則がないから払わなくても平気だよ」
という身勝手な解釈がそこに成立する。罰則がないのならば、法に従わなくてよいという人は少なくない。
 IDO就任時、自らの指針として、三つの軸、一つの使命を決めた。

 三つの軸
  一、人間として正しいか
  二、横着者の権利を制限する
  三、支配者の権益を作らない

 使命
 日本人が真っ当に生き、他人のために役立とうと思う社会にする。
 その社会の実現が僕の使命。これに見合う法律を作り、見合わない法律は作らない。

 三つの軸・一つの使命は、紙に書いて、執務机のコンピューター・ディスプレイのアームに貼った。5年経った今、日に焼けて縁の色が変わっている。

 僕が軸とするこれらの指針は公にしていない。ことばがそこにあると、人は思考を止める。ことばがあると、すべてわかったような気になってしまう。
 真実は想像の中になければならない。

三 IDO短信

 居室で 8:00に起きる。これまでの人生では通勤時間 10分ということはあったが、さすがに通勤時間 1分はない。
 私邸まで帰れば、往復で1時間を失う。警備も大変だ。
 ここにはトイレもあるし、ゆっくり湯船に浸かることはできないが、シャワーもついている。
 法務省に尋ねるとここで寝てもいいと言うので、二万円で折りたたみベッドを買ってきて、執務室の隣にある居室を住処にした。

 8:15 IDOラボに入り「アンパン」でコーヒーを淹れて飲む。
 アンパンはコーヒーメーカーにつけた名前。KLにいた頃の愛用品を持ってきた。渋皮を取るミル付きの機械を買い足して、ミルが二台になった時、アマさんのタバサの提案で名前をつけた。ニューヨーク時代から使っていたミルは「ドスサントス」と命名した。

 アンパンは住んでいた住宅街の名前。今となっては、アンパンでコーヒーを淹れるなんて紛らわしい名前をつけたと思う。
 KLでは変圧器をつけていたが、今は外している。電気製品は日本製しか使ったことがない。

 コーヒー豆は、ストレートとブレンドを各一種類ずつ、毎週届けてくれるブルースターコーヒーと年間契約している。
「自給可能食糧自給率一〇〇%法」により、自給可能な農産物はオール国産になったが、コーヒー豆は今も輸入が続いている。

 ここに来てからは出張というものがなくなった。
 毎朝同じところで起きて、コーヒーが飲めることに、いつも幸せを感じていた。
 出張がない人に、この気持ちは理解しづらいだろうが、家族がいる自宅に毎日帰れることは、とても幸せなことだ。

 朝食は中学生の頃から食べていなかったが、26歳の時、朝食は有害であるという説に出会って以来、自信をもって食べなくなった。
 「朝ごはん条例」を施行する町があるくらいで、日本では“朝食必要説”が圧倒的優位だ。
 でも僕は、自分が信じるものを取り入れる。だからといって、他人には押しつけない。

 IDOラボでの飲食は、すべて自前。
 自分のお金があるのだから、誰にも後ろ指をさされず、好きなものを買うという当たり前のことをしている。



「独裁者」もくじ



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2008年6月 4日 (水)

戦略的に配置される茶店

「7番アイアンっていつ使うの?」【 12 】

 キャディさんはいろいろなことを知っている。
 そのゴルフの攻略法ならば、キャディさんでなくとも、何度か同じコースを回れば誰でもわかる。
 しかし、キャディさんだけが知っていることがある。

 それは、その日のピンの位置。
 グリーンのホールに立ててあるのがピン。
 正確に言えばホールの位置だ。

 ホールの場所は、毎日変わる(変わらないゴルフ場もある)
 場所が変われば、攻め方も変わる。
 100を切る程度のレベルになると、ピンの位置をキャディさんに聞くようになる。
 120前後のゴルファーが「今日のピンは?」と聞くことを、日本では僭越という。
 ピンの位置はキャディ・マスター室が管理している。キャディ・マスター室には、18ホールそれぞれのピン位置を図示した紙が置いてあることもあるが、欲しくてももらえない。

 ゴルフコースにはハザード(障害物)と総称されるバンカー、池、小川などがある。
 コースの攻略を難しくすることで、ゴルフ上級者はプレーが楽しくなる。
 ど素人にとっては、余計なお世話以外の何者でもない。
 ハザードについて、メディアは「戦略的に配置されている」という形容をする。

 戦略的といえば、忘れてはならないのが茶店だ。
 プロツアーのテレビ中継では茶店が映らない。
 だから、ゴルフをテレビで見るだけの人は、茶店のドラマを知らない。

 茶店は、次がショートホール(パーが3打のホール)で、前の組がつっかえて、待ち時間ができる地点に戦略的に配置されている。
 ほどよく喉が渇いたゴルファー、朝ご飯をしっかり食べて来なかった人は、
「おぉ、茶店、茶店」
 と喜々として駆け込んでいく。
 おでんを食べる人、ポカリスエットを飲む人、ビールを飲む人。

 ゴルファーは財布を貴重品ロッカーに預けているので、コース内では現金を持っていない。
 茶店の決済は、スコアカードに記されたナンバーと、自著のサインでおこなう。

 「ここは、これにつけて」
 4人のうちの年長者や気前のいいスポンサーが、こう言うまで、サインするのは待った方がいい。
 茶店に入る前にトイレに行く、手を洗う、注文するのを悩む。
 こうした戦略的遅延行為により、スポンサーの出現を待つ。

 「あと、キャディさんに何か」
 茶店に寄ったら、キャディさんに付け届けするのがゴルフ界のしきたり。
 スポンサーが代表で、ナンバーカードを出すと茶店の店員が、じゃこれをと言って、ポカリスエットなどを渡してくれる。
 この時なぜか、冷蔵庫からではなく、後ろの棚から出すことが多い。
 パチンコ屋の景品みたいに、あとで換金するシステムなのだろうかと、いつも不思議だったが、一度もそこはつっこめなかった。

 店員さんから渡されたポカリスエットを、番頭格の若者がキャディさんに渡す。
 ここではスポンサー自ら、プレゼンターになることは、みっともないということになっている。

 「えぇ、これは、年長者で皆から一目置かれている、スズキ部長からです」
と言った余計な講釈をしてはいけない。自分が払ったわけではなくても
 「よかったら、これ、どうぞ」

 キャディさんは、こちらが一から十まで話さずとも、まるっとお見通しなのだ。

 ある時、ありがとうと ポカリスエットを受け取ったキャディさんが、その場で缶を開けて飲んだことがあった。
 換金疑惑を頭に描いていたので、呆気にとられた。
 あぁそれならば、冷えたのをもらってくればよかった。
 飲み干したキャディさんの笑顔は、とても爽やかで可愛かった。

 プロツアーのテレビ中継でも
 ジャンボ尾崎が、ハニカミ王子に
 「おぅ、ここはこれで」
 とやって、ポカリスエットをおごるシーンを映してもらいたい。

ジャンボ「おでんも食うか?」
王子「はいっ 玉子 大好きなんで」
ジャンボ「マスターズ ・・ 頼むぞ」

 こんなドラマがあれば、今日からゴルフも泣ける物語だ。

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2008年6月 3日 (火)

日本国用語集

 日本の教科書法
 生涯学習は臨教審が提唱し、1988年に生涯学習局ができたが、持続的で成功した試みとは言えなかった。

 日本のサラリーマンは、学校卒業まで集中して教育を受け、その後は定年まで働き続ける。
 会社と社会を経験してこそ、見えてくる学びの種は多い。
 科学技術は大きく進歩するため、学校に通っていた頃の知識はすぐに古くなる。
 しかし、ほとんどの人は学校を卒業した時点で、学ぶことをやめてしまう。
 社会人が再び学校に戻って学ぶ「リカレント教育」という概念は、1980年代に登場して、定着せずに消えてしまった。

 小学生から大学生には、学校の教科書があるが、社会人になると手元に教科書がない。
 社会に出てからの時間は、学校にいる時間より数倍も長い。

 財政投融資とはどんな制度だったのか、なぜスペイン語を話す国が多いのか、アフリカの国境線はなぜ直線なのか・・
 ふと疑問が湧いた時、手にとれる教科書があれば、社会に目を向ける人が増えるはず。

 「日本の教科書法」では、文科省が年次版「日本の教科書」を作成して、毎年 4月20日に全戸配布する。国語、算数、社会、理科の合本。国語と社会により多くのページを割いている。
 署名記事ではないが、社会科の「国際社会と日本」のページ前文は僕が書いている。

 1980年代までの日本政府は、軍事費が割安に済む分を公共事業に回していました。
 しかし、事業の決算をしなかったので大半が赤字になりました。国と地方の財政赤字は 1,000兆円を超えました。
 国が使い込んだ郵貯、年金は別の名目で国民に払ってもらわなければなりません。福祉目的という説明で増税が行われ、医療費と年金の負担も増えました。
 2000年代に入ると、中央省庁改革が行われ、特殊法人の資金源を断つために郵政民営化が行われました。
 国内が大変なんだから、海外に援助するなど以ての外という政治家、国民が多く、日本のODAは減額が続きました。
 2010年代に入ると、日本は「世界の工場」と呼ばれるようになりました。
 工作機械、ソフトウェア、運用技術という工業の三本柱が日本の独壇場となったためです。
 日本が何かを作るたびに、世界のどこかの国で産業が消えるという図式が生まれました。
 日本への風あたりは強まり、政府はODAをGNP比 0.7%拠出するという1970年のUN決定を、40年遅れでようやく承認しました。

 日本の発展はアジア各国の羨望の的でした。
 できれば、日本にアジアのリーダーシップをとって欲しい。そうアジア諸国は考えていました。
 2019年、日本はようやくその声に応え、かねてからオブザーバー的な参加に留めていたEAECを改組。より実戦的な極東経済共同体(FE)を組織したのです。

 巻末には前年の統計資料が載る。
「企業別研究開発費ベスト100」「企業別違法行為摘発件数ワースト100」は就職活動をする者にとって、重要な指標となっている。

 日本国用語集
 2034年当時の日本には、自らのことばで普遍的な価値を定義して発信する人は、ほとんどいなかった。
 誰もが中傷や批判、否定を恐れ、ネットでの情報発信を控えていた。
 インターネットが普及している国の、情報発信と受信を対比した指数「SR値(Send and Receive値)」では、日本は先進国最下位。
 2030年まとめでは、発信対受信が 5対95 となっていた。

 易しい文章が書けないのは、知識が足らないのだ。 小泉信三

 文章は答えである 文章の目的は「わからせる」「長く記憶させる」ことだ 谷崎潤一郎
            (ことばの定義法前文)

 人と人はことばでつながっている。
 ことばは笑顔を引き出すこともあれば、ナイフを引き出すこともある。

 IDOという制度の成否は、国民がことばにこだわりを持ってくれるかで決まると、僕は考えていた。
 そこで、国民が共有する用語集として「ことばの定義法」により「日本国用語集」を立ち上げた。

 素人はものごとを複雑にする。プロこそがものごとをシンプルにできる。
 素人は曖昧な知識と想像でものを言うため、話しがややこしくなりがちだ。
 一方、プロこそがその深い知識をもって、易しいことばで語るべきなのだが、そういうプロが少ない。
 言質をとられることを恐れて、難解な文章を書いてしまう。
 素人を煙に巻くために、確信犯的に専門用語を多用するプロも後を絶たない。

 このようなわかりづらい社会では、日常会話はスムーズに運ばない。
 話し合いは平行線を辿り、何も決まらない。
 人と人、異なる会社、役所、組織の折衝に時間がかかるのは、圧倒的な知識でその場をコントロールする人材が不足しているからだ。

 日本国用語集では、あらゆることばは短い言い切りの形で定義される。
 作るのは国。
 「あげ足とり禁止法」により、上げ足をとる人はいないので、クレームを恐れて、言い訳を並べる必要もない。

 国民は、知りたいことばが載っていなければ「このことばおしえて帳」に、リクエストを書き込めばよい。

 制作主幹は法務省。
 各省庁に編集担当者を配置した。それぞれの省庁はさらに専門家と契約を結び、新語・流行語についてはインターネット技術を使い、一般投稿も求めている。

 サービスレベルは、法務省があることばについて定義を要求してから、60分以内に回答を公開することを求めている。

 「参考人」「政府筋」「官尊民卑」といった政治用語から「録臭機」「絶対発毛」といった最新のヒット商品まで、国民の誰かが疑問に思ったことばはすべて収録されていった。



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2008年6月 2日 (月)

日本ポイント制度

 住民基本台帳番号の先駆けは、1970年に検討された統一基本コードだった。
 当時の参議院議員中山太郎氏が「一億総背番号」を提唱した。
 彼が25年後の社会として想定していた社会は、その実現に50年を要した。
 想定より実現が25年遅れたのは、一億総背番号(住基ネット)の安定稼働に40年を要したためだ。
 一旦住基ネットが稼働すると、そこからの道のりは平坦で、一気に電子政府化が進んだ。

 提唱された当初“国民背番号制”と聞くと、背番号を背負った国民が隊列を組んで戦場へ行軍するシーンを浮かべる人が多かった。
 メディアが「いつか来た道」というテロップをつけて、そのようなイメージ映像を流したからだ。

 住基ネット反対派の論拠は 2つに集約されていて、1つは情報漏洩の危険性、もう 1つはプライバシーの侵害。
 コンピューターなくして一億人もの管理ができないことは、2000年代には日本国民の共通理解となっていた。
 2002年に運用開始した住基ネットの主キーは住民基本台帳番号。コンピューターシステムはユニーク(唯一無二)な番号を振らなければ、システムが成り立たない。

 「セキュリティは大丈夫か?」
 法務省時代、僕にこう言った上司がいた。
 永遠の課題と言われていた行政・司法の住基ネット相互乗り入れを研究していた時だ。
 僕は、はい!と即答した。

 俺は心配したからな。お前が大丈夫って言ったんだからな。俺は知らないぞ。
 上司は言外にそう言っていたのだ。
 責任者が責任を部下に押しつける。こういう言い回しが、いかに無責任な態度かを、言っている本人は気づいていない。
 これから初めてやることがすべて“大丈夫だ”とわかっていたら、世の中から失敗はなくなってしまう。

 不思議と、セキュリティ云々を心配する上司に限って、スタンドアロンとネットワークの違いさえ理解していなかった。
 自分の仕事のことなのに、コンピューターという機械が介在すると、それは“コンピューターのこと”になってしまうらしい。
 コンピューターのことは自分の専門外であり、どんな事態が起きようとも責任は自分にはない。このような責任逃れが、2000年からの20年間、職場という職場で諍いの種になっていた。
 日本はいち早くこれを乗り越えたが、これを乗り越えた国は、2039年の現在でも、まだまだ数えるほどだ。

 税金を無駄に使うな! 公務員を減らせ!
と言いながら、住民をコンピューターで管理するなというのは、論理が破たんしている。
 技術の進歩と、法整備による不正への厳罰化により、2020年には、住基ネットに関するセキュリティの懸念は去った。

 残っていた懸念は2つ。
 徴兵制に使われるのでは?
 年金未納者のあぶり出しに使われるのでは?

 反対する者は憂鬱を論う。
 結論を言えば、使うに決まっている。
 問題なのは使うことではなく、徴兵制が実施されるような事態を迎えることであり、年金未納という違法行為の方だ。

 確かに、面と向かって「お前を管理する」と言われたら違和感を覚える。
 だが、久しぶりに訪れたホテルで「佐野様ご無沙汰しています」と言われると気分がいい。管理されて嫌なこともあるが、嬉しいことだってある。
 僕は背番号が、真っ当に生きることを保証する目的に使われる。その実例を早急に示すべきだと考えた。

 日本ポイント制度
 IDO就任の翌週「日本ポイント制度法」を公布、三ヶ月後より同法を施行。日本ポイント制度を開始した。

 1999年から始まった地域通貨と、2000年から各地で試行されていた時間預託制度を統合。これを国全体で運用し、社会福祉に限らずあらゆる分野に適用する。

 1999年に滋賀県で「おうみ」が誕生して以来、最初の10年で400~500。2030年には1,000と言われる地域通貨が存在していた。
 この“と言われる”が妙だった。

 IDO室のメンバーに調べさせたところ、中央省庁はどこも地域通貨の実態を正確につかんでいなかった。
 「地域通貨統合法」を施行して、まず地域通貨の概要、サービスと地域通貨の交換比率を、自治体から財務省に届けさせた。

 住民個々のポイントは、それぞれの自治体で管理する。
 既存の地域通貨から日本ポイント制度への読み替え作業は自治体の仕事。
 長崎県北部の地域通貨「あご」の場合、老人の慰問が「1あご」ならば、国民ポイント制では3000ポイント。

 これら一連の作業を 3ヶ月で終え、1円=1ポイントの日本ポイント制度がここから始まった。
 顕彰すべきことには、賞金ではなく「ポイント」。
 軽犯罪のペナルティとしては、懲役の軽いものという意味で「役務」を定義した。

 犯人検挙や消火・救命に貢献した場合は、10,000ポイントが付与される。
 こうして、あらゆる「お役立ち活動」はポイント化する。そのポイントは、時間預託リストに掲載されたサービスを受けるという形で利用できる。

 軽犯罪を犯した場合はマイナス・ポイントが付与される。
 マイナスが10,000ポイントを超えた時点で、一週間以内に決められた役務を消化しなければならない。
 ただし、役務消化が義務づけられるのは軽犯罪によってマイナスとなった場合のみ。
 お年寄りが、時間預託サービスの買物代行を頼み続けると、ポイントがマイナスになるが、そういう場合はマイナスとなっても構わない。

 外国には、ボランティア活動 50時間といった罰則規定がある。
 懲罰活動に“自発的でほとばしるもの”という意味を持つボランティアということばは似合わないので、僕は役務と名付けた。役務と言っても、やっていることは「お役立ち活動」と同じ。傍目には両者の違いはわからない。
 お年寄りの買い物代行をしている人が、ボランティアでやっているのか、軽犯罪の役務としてやっているのかは、傍でみている人にはわからないのだ。

 制度の対象者に年齢の上下制限はなく、まさに、ゆりかごから墓場までの制度。
 ポイント管理は、住民基本台帳番号を主キーとしたデータベースでおこなう。 国民は日本ポイント制のウェブサイトで、自分のポイント状況を確認する。
 そのウェブサイトへのログオン・パスワードは1年に1度、変更しなければならない・・といった、面倒は廃止した。
 住基ネットの安全性を技術面から高めることで、そういうユーザーにかける負担を減らせるのだ。
 「責任逃れ隊」のお役所、企業内のシステム担当者には、ユーザーのせいにできる部分を残そうとするところがあったが、そういう風土を一蹴したかった。

 同時に「SSO(シングルサインオン)法」により、すべての行政サービスと、民間サービスへのログオンは住基番号+個人別共通パスワードとした。
 これで日本人は、いろいろなIDやパスワードを覚えなくてよくなった。



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2008年6月 1日 (日)

FCバルセロナ 2008年3月

3月1日(土)
リーガ26節アトレティコ(away)●2-4
デコ、ヤヤはCLに備えて休養。マドリーとは5点差となっている。

3月4日
CL 2007-08ベスト16第二戦 セルティック(カンプノウ)○1-0
デコフル出場。何度かシュートを打ったが、ゴールは決まらなかった。

3月5日
レアル・マドリーがCLベスト16でローマに敗れた。
これでマドリーはリーガに専念できる。バルセロナはCLとリーガ、そして国王杯。依然として三冠の可能性を残しているが、後で考えてみれば、三兎を追わなければならないということになった。

3月9日
リーガ27節ビジャレアル(カンプノウ)●1-2
今シーズン、カンプノウでの敗戦はクラシコに次いで2度め。
マドリーとは 8点差に広がった(残り11戦)この3位チームからの敗戦が、CL本戦出場権(2位以内)を逃すきっかけとなった。
デコはウォーミングアップ中に右足のふくらはぎに痛みを覚え、出場しなかった。

3月16日
リーガ28節アルメリア(away)△2-2
後半47分サンチェスが出場。デコは出場していない。
メンバーを落とし、リーガは捨てたのかと思われる陣容で戦った。

3月17日
クラブがデコの離脱(右足ふくらはぎの故障)を発表。

 試合後、アンリがメディアにコメントしている。
「最初に僕がこのチームに来た時は、サムエル、ロニー、グディ、チャビ、プジー、皆僕を助けてくれたね」
 何の変哲もないコメント。デコとは何の関係もない。
 だが、このコメントこそが、デコとアンリの関係を象徴している。
 アンリが入団して以来、デコとアンリは互いについて語ったことがない。
 デコ out -アンリ in という交代場面でも、目を合わさず、にこりともせずハイタッチをするだけ。ハグはしない。

3月19日
国王杯準決勝第2戦 バレンシア(away)●2-3
これで国王杯敗退が決まった。
今シーズン、監督交代、主要3選手を干すなど、混乱がつづいたバレンシア。
この後、決勝戦に勝ち、国王杯を手にした。
結果的には、国王杯、CLとバルサを準決勝で破ったクラブがカップを手にした。
身びいきで言えば、バルサが準優勝とも言える。

3月23日
リーガ29節バジャドリード(カンプノウ)○4-1
86分ボージャンに替わり、ペドロ・ロドリゲスが出場。
レアル・マドリーがホームでバレンシアに敗れ4点差に縮まる。

3月26日
親善試合 ポルトガル1-2ギリシア
スコラーリ監督が就任して以来、ユーロ2004で2度、そしてこの試合と、ギリシアに3度めの敗戦。
デコは怪我のため、招集されていない。

代表戦では、不思議なほどに相性が結果に結びつく。
ポルトガルが、オランダ、イングランドに強いように、ギリシアはポルトガルに負けない。
ユーロ本戦では、ギリシアが相性の悪い国と当たり、敗退することを祈るしかない。

3月29日
リーガ30節ベティ(away)●2-3
ビジャレアルに抜かれて、3位に転落した。
だが、この時点ではまだ、バルセロニスタはリーガ、CL2冠の夢を捨ててはいない。



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