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2008年8月の31件の記事

2008年8月31日 (日)

プレシーズンからレギュラーのデコ

 7月29日の親善試合を終えて、チェルシーは
オーナーの母国ロシアへ移動。

8月1日
ロシア鉄道カップ
ロコモティフ・モスクワ戦 フル出場 1(PK4-5)1で敗退

8月3日
ロシア鉄道カップ
ACミラン戦 後半から試合終了まで出場 5-0で勝利(後半2-0)

 プレシーズンマッチ5試合を終了。
 通算成績は4勝1敗
 90分を戦った中での敗戦はなし。

 デコは
 フル出場 2
 途中までの出場 2
 途中からの出場 1

 5試合すべてに起用されている。
 プレシーズンで控え扱いされた前シーズン
とは雲泥の差だ。
 スコラーリは「デコを使う」という明確な
メッセージをチームに示している。
 チェルシーという選択は、デコにとってと
ても幸せなものになりそうだ。

 リーガ(スペイン)は8月の最終週に開幕
するため、プレシーズンツアーを終えてから
3週間の空きがあった。
 プレミアリーグ(イングランド)は、8月
中旬と開幕が早い。ツアーを終えたこの時点
で、開幕までもう2週間を切っている。

8月4日
 デコがつけていたFCバルセロナの20番は、
ダニエウ・アウベスがつけることが発表された。

 ぜひともアウベスが活躍してレギュラーを
取り、CL決勝の舞台で新旧20番がピッチに居
並ぶところを見たい。

 いよいよプレミアリーグ開幕。
 優勝請負人デコが臨む
 デコにとって初めてのプレミア制覇
 チェルシーにとって初めてのCL制覇

 デコに故障がないことをサッカーの神様に
祈る。



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2008年8月30日 (土)

受け取れ星人 現る!

「はい、motoさん、回覧」

目の前から書類を渡す人がいる。

会社の席は、前の人と向かい合って座っている。
二人の間には間仕切りがあり、それは、辛う
じて目線が合う程度の高さに設定されている。

そして今、間仕切りの向こうから、ぬっと手が
出てきた。中空に回覧板が浮いている。

「受け取れ」星人だ。

手を出して、キャッチしなければ、相手は
いつまでも、回覧板を差し出していなければ
ならない。

いったい何様なのだろうか。

これは大震災の炊き出しのおにぎりではないし
お正月のお年玉でもない。
必ずしも、手渡しが礼儀ではない。

仕事中、両手はキーボードの上に置かれている。
その仕事の手を止めて、手を出すことを相手
は求めている。

「仕事を中断して、これを受け取れ」
ということになる。

思考が中断されて、効率が落ちることもさる
ことながら、そもそも感じが悪い。

僕が書類を渡す時は、席を立ち相手の横まで
行く。そして、
「鈴木さん 回覧、ここに置きます」
と小声で言う。

「受け取れ」星人は、がさつだ。
机の引き出しを大きな音を立てて閉める。

「受け取れ」星人は、品がない。
会社の机で「しゅひ、しゅひ」と大きな音を
立ててコンビニ弁当を食べる。

でも「受け取れ」星人は、根は悪い人ではない。
しかし、反省は知らない。
だから、いつまでもがさつで下品なままだ。

あなたの会社にも一人くらい「受け取れ星人」
がいるだろう。

その人に教えてあげよう。
「あなたのことが、ブログに書いてありましたよ」



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2008年8月29日 (金)

呼び出しに応じなければ、虐めはエスカレートする

 学校の先生と、クラスの女の子から人気があった銀次は、不良グループの格好の餌食となっていた。
 「賞をとって、調子に乗っている」
 「女にちやほやされて、いい気になっている」
 そう言っては、銀次を放課後の屋上に呼び出した。
 呼び出しに応じなければ、翌日さらに、虐めはエスカレートするだけのこと。
 銀次は逃げることなく、呼び出しに応じ続け、抵抗することもなく、いたぶられ続けた。

 毎日のように死刑台に向かって、階段を上っていた銀次の映像。
 僕に精神の体力がつくほどに、その一コマ、一コマは薄れていくのだが、消しゴムで消すようにきれいには消えない。
 今も、銀次の残像がうっすらと残っている。

 あの絵はおいが持っとぉとよ。ずっと誰にもやられんて隠しとった。
 この店に来ると、ゴマ鯖の後にいつも食べる「地鶏皮の酢の物」をつまみながら、僕は打ち明けた。

 「よかよか、あんたが持っとくとが一番よか。あん子もそいがよかろう。銀次はいつでん、兄ちゃん、兄ちゃんってついて回りよったけんね」
 母のことばを継いで、姉も頷いてくれた。
「そうたい。あんたら仲んよぉして羨ましかったよ」

 僕の使命である「日本人が真っ当に生き、他人のために役立とうと思う社会にする」は、ことばを替えると、人々が少ないことに満足し、身の丈で生き、他の人や他の国を脅かさない社会。

 誰もが横着をせず、人に迷惑をかけることを恥じる真摯さを持つ。
 そして、その日本人の姿勢が世界中の人から尊敬される。
 ある一定の人々がそう考え始めたら、ある時点を境に一気にその流れは広がる。僕はこの五年間で、その流れに棹さす役割を果たそうと思い、やってきた。

 連想
 お盆休み明けの水曜日、クラブ活動の日。
 今日は年に一度、お国自慢のお土産が出そろう日。
 この日はお昼の立法ミーティングから、メンバーの笑顔が多い。

 郷里の上五島に帰ってきた永田久美子はかんころ餅を持ってきた。
 早速、田中一徳が囓りつく。
 「あぁあ、それ焼くとよ」
 「はよ言わんか。固か~。こないだのからすみは煮たらいかんていうし、長崎ん食べもんはナマかと思おうが」

 博多出身の田中一徳と、五島出身の永田久美子。
 二人は「九州弁普及大使」を自認していて、全国どこに出張しても九州弁で通しているらしい。
 部活のメンバーもおもしろがって真似している。

 「IDOは訛り、でませんよね?」
 なんにでも興味津々「なぜなぜゆうこ」の異名をとる磯田祐子がつっこむ。

 そうだね、子供の頃に転校が多かったからね。
 転校したその日には、その土地のことばで喋っていたから、順応力がついちゃったんだ。
 今もこうして博多の一徳には博多弁が出そうになるし、章子には山口弁が出そうなんだよ。
 昔はいじめ禁止の校則もなかったから、アクセントが違うっていうだけで虐められたからね。

 「へぇ、IDOって山口にもいたんですね」
 本当ならば、食いつきたいネタなのだろうが、言ったあと表情がくもった僕を、章子は気遣っている。

 祐子が躍り食いの車エビを指でつついている。
 一徳が車エビの養殖をしているという熊本の親戚からもらってきた。
 おがくずを敷いた発泡スチロールの箱を、博多から飛行機の手荷物で持ってくるとは恐れ入る。

 「私、今週食べてないから、いただきまーす」
 「あ、俺は実家で出たな・・」

 「エビ・マグロを時々食べる法」は、エビは週一、マグロは二週に一度を越えて食べないように求めている。



次回は9月1日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月28日 (木)

東京スカイツリーの絵

 「博多の街はおかしゅうなりよる、九州の東京になってどげんする」
 父は持論を紙面に載せた。
 会社はそれを行政に喧嘩を売ったと考えた。
 父は「読者に本当のことを言うとが俺の役目たい」と譲らない。
 父は子供の頃からの夢だった新聞記者を辞めた。

 フリー記者になってから、家族の生活は楽なものではなかったが「国立ならなんとかする」と、僕を大学までやってくれた。

 老いた父の姿を想像したことはなかった。
 僕の周りの友達はどうだったのだろうか。
 もし、想像することがあったら、きっと矍鑠とした老人を浮かべただろう。
 それ以外は思いつかなかったはずだ。

 かつて、世の中のすべてのことに刺さるかと思われた、父の舌鋒は見る形もない。
 父がその輝きを失ってからのさし呑みは、親孝行としては片手落ちだったと思う。
 杯を重ねるごとにメートルを上げる、気持ちよい酒を呑ませてやりたかった。

 「あん絵はよう描けとったなぁ。お前 39か。ならヤツは今頃 37たいな。生きとってくれりゃあなぁ」
 ことばは嗚咽にかわる。
 今頃になってそれば言うとや、おやじ・・・

 14歳になった僕は、家族の前では初めから姉と二人兄弟だったかのように振る舞った。
 僕は大丈夫だと強がって見せることが、この家族の中で、僕の務めだと突っ張っていた。
 だが、心ではいつも怒っていた。

 親父、なんで銀次にもうちょっとようしてやらんかったとか。
 銀次はいつも僕のお下がりを着ていた。
 たまには自分だけのおニューが欲しかっただろうに。
 笛もハーモニカも僕のお下がり。
 僕が小学校のうちは、お互いの時間割とにらめっこして、音楽の時間には、笛の受け渡しで、互いの教室を行き来した。
 僕が中学に上がると、笛が専用になり、体操服が 2枚になったと喜んでいた。

 銀次は愛くるしい顔をしていて女の子から人気があったが、その分男友達には疎まれた。
 絵が抜群にうまく、風景画は天才かと思えた。
 東京に来て描いた東京スカイツリーの絵は東京都の金賞をとった。

 「金ばとったけん、今度から金次って呼ばんばね」
母は茶化して喜んでいたが、銀次の笑顔は心なしか弱々しかった。

 なんで兄ちゃんに言わんかったとか。そげん頼りなかったとか俺は。
 お前んごたっとは弱虫って言うったい。
 いや、悪かとは俺たい。
 自分ばっかいい思いして、親には一回も、俺の分ば銀次にもしてやってくれとは言わんかった。

 来る日も来る日も堂々巡り。
 怒っていなければ、心が保たなかった。

 死んだ子の年をかぞえて 25年。
 父もまた、日々そのことを悔やんでいたのだと知った。

 フリーライターになって 5年、一家 5人を食わせるために父はあれだけ嫌いだった東京に来た。
 少しでも原稿の依頼をとるためだ。

 小六の銀次は「Jリーグのチームがたくさん見られる」と言い「東京は楽しか」と笑っていたが、友達には恵まれなかった。



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2008年8月27日 (水)

森脇健児の熱いファン、寒いファン?

代走「走る男」は一人あたり、1.5kmを走り、
たすきをつないでいく。

放送で、代走「走る男」が
たすきをリレーするシーンの傍らに映っていた
グレーのマイクロバスに、待機中「走る男」
たちが乗っている。

午後の部が始まり、1時間を過ぎた頃
バスの中では、有志の音頭取りで、自己紹介
が始まっていた。

番組を見始めたきっかけ
自身の走歴
きょう参加した理由
そして、森脇健児さんへの思い

森脇さんには、息の長いファンがついている。
ずっと彼を応援してきた人の語りは熱い。
僕には、森脇さんへの熱い思いがない。

僕らはよく
「浦和レッズのファンは"熱い"」
といった言い回しを使う。

思い入れが深く、レアな情報までくまなく
チェックしている。
ただし、ファンだからと言って、無条件に
礼賛するわけではなく、一家言ある。
"熱い"ファン像とはそういうもの。

しかし、冷えたファン、寒いファンというのが、
いるかというと、それは違う。

ファンという概念に
熱い、寒い
長い、短い
そうした格差を冠するのは、なじまない。

ファンはファン
ここでいえば、森脇健児というキーワードで
出会った仲間。家族のようなもの。
その家族のなかで、差別化を図ろうとする
意図には賛成できない。

得てしてメディアはそのような構図を仕組む。
僕はそれには乗らない。
あるいは、見て見ぬふりをする。

午後の部が出発する前、番組スタッフより
森脇さんが、今日のゴール地点に駆けつける
ために新幹線に乗ったと知らされた。

会えることはもちろん嬉しいが、今日こうして
代走に参加できただけで十分であり、その
知らせにも特別な感慨はなかった。

不定期で続く

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2008年8月26日 (火)

父親が過去の存在になる時

 就任早々の「アットマーク禁止法」のブリーフィングで、谷村総務大臣から「休日は増やさないんですか?」と尋ねられたことがあった。

 ある日突然増やしますよ!楽しみにしていてくださいと言っておいた。
 ブリーフィングで話した内容は大臣筋の話しとしてメディアに伝わる。

 2035年10月に発売された 2036年のカレンダーには、決まったばかりのお盆連休がしっかり刷り込まれていた。
 やればできるのである。

 この法律を施行して以来、IDO室のメンバーは、正月は東京で家族や恋人と過ごし、お盆は墓参りで故郷に帰るようになった。

 2039年は 8月13日土曜日からの五連休。
 先月、幸田さんらと四人で来た鉄なべに今日は母と姉の三人で来た。

 母は父が体を壊したのを機に博多に戻り、今は姉夫婦と暮らしている。
 母と姉には、僕はFE法務ディレクターを辞したあと、法務省の閑職に就いたことになっている。
 帰省する度に、痩せて貧相になった、子どもとはたまには会っているのか、米を持って帰れと言われるのにも慣れた。

 「こないだの博多マラソンにIDOが来たろうが。IDOも佐野って名乗ったらしかよ。まさか、あんたやなかろうね」

 違うよ。
 それ以上言うと見透かされそうで、ただ笑っていた。
 「母がテニスをしていた」と喋ったことを悔やんだ。
 母は話しを替えたが、僕がIDOであることを気づいている。姉は無頓着な人で、その点は大丈夫。

 「IDOやったらこんな所に一人でこんめえもん」
 姉がけたけたと笑う。
 二人のSPがカウンターで餃子を食べているが、母と姉は気づかない。

 先月この店に来て以来、すっかりゴマ鯖ファンになったSPの二人は、お盆だから鯖はないよと言うとがっかりしていた。
 「目立たないよう夏らしい格好を用意しました」って、タンクトップと短パンで警護するSPを初めて見た。

 親父と二人で来たとさね。
 これが親子三人で会う最後の夏になる。
 僕は10年前の話しをすることにした。

 「豊橋は三河です。名古屋じゃありませんから」
 豊橋市出身だという水野君は、人から名古屋出身と言われると怒る。
 総合日本商事の出先は愛知支店とは言わず名古屋支店だったし、僕はつい愛知を名古屋と言ってしまう。
 愛知に住んだことがない僕は、尾張、三河ということばは知っていても、それがどこからどのあたりを指すのかすら怪しい。

 だが、誰もが自分の生まれ故郷に、こだわりがある。

 福岡市は、かつては札幌や仙台と並んで、転勤族に人気の高い街だった。
 1990年、よかとぴあの跡に福岡ドームができたあたりから、おかしくなり始め、今では東京と何ら変わりない。どこにでもある大都会になってしまった。
 人がよそ者に温かく、食べ物がおいしいという良さは失われていないが。

 親父が死んだ年の夏、KLから野暮用で里帰りした。
 その時もここでゴマ鯖をつついた。
 鯖の刺身にゴマ、醤油をふり、わさびを添えて食べる小鉢は父の好物。
 父とさしで呑んだのは、それが初めてだった。父は70歳、僕は39歳。

 「札幌や仙台んごと、転勤族がそんまま家ば買ぉて住む街じゃのーなったろうが。いわんこっちゃなか。だいもなんもわかっとらん」
 そう吐き捨てた父の声がおかしい。
 父の目に涙が溜まったのに慌てた。
 凜とした父の姿と声、男の子はそのイメージを持ち続けて大人になる。
 それが、失われた時、父は過去の人になる。



次回は8月28日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月25日 (月)

マラソン法をつくった理由

平和台競技場に集った人々は、再び静まりかえっている。

 僕がこのマラソン大会を始めたのには訳があります。
 僕の父は晩年、すっかり元気をなくしていました。
 母は若い頃からテニスをしていたせいか、今も元気です。
 僕は考えました。四〇代、五〇代に運動を続けていれば、六〇代、七〇代もずっと元気いっぱいでいられるんじゃないかって。
 それならば、歩く、走る、一番簡単で、安くて、誰にでもできるマラソンがいいんじゃないか。

 皆がにこにこ笑っている。うんうんと頷いている。
 ただ、清水さん(50)が泣いている。
 おいおいここは泣く場面じゃないぞ。

 でも、42キロはちょっとやり過ぎだったかな?
 (一同爆笑)
 でも絶対大丈夫。
 今日初めて42キロを目指す人は、皆、どきどきしていると思いますが、やり遂げた時は大きな財産が身に付きます。
 完走できたら、きっと明日から自分はもっとやれる、まだまだいけると思うようになります ・・
 皆さん、どうか夢をあきらめないで

 「ありがとうございました。でもこの暑い中なんでウィンドブレーカーなんか着てたんですか?」
 大会公式スポンサー、ウルトラスポーツ社のジャケットを着ている中野君が聞いてきた。
 ウルトラスポーツ社は好きじゃないからね。

 答えの意味を解せないで、額の上に?マークが浮かんでいる中野君に導かれ、いったんアスリート控え室に入る。

 そこで半月マーク入りのウィンドブレーカーを脱ぎ、目標タイム 5時間のブロックに混ざる。
 そこに前ポルトガル代表監督のセニョール・デコが待っていた。
 前年のW杯で来日した時に、優勝できたら来年一緒に走ろうと約束していた。
 現役引退前に6ヶ月、Jリーグの川崎でプレーしたこともあって、日本びいきの彼を懐かしむ人が今も多い。

 「なんだか、随分偉くなったらしいな。いいスピーチだったよ」
 白くなったひげの口元が、皮肉っぽく笑っている。

 えぇ、またやっちゃっいましたよ。
 最後の一言が余計なんだよなぁ。俺はメンターかってね。
 でも普通に「がんばってください」が言えないんですよねぇ。

 冠スポンサー「ウルトラスポーツ社」のロゴと、ゼッケンナンバー「2039」の下に隠れているが、マラソンはいつも 20番 DECO とマーキングされたユニフォームで走る。

 僕から国民へ語りかける最初で最後のことばを、
 故郷の博多で言えて良かった。

 お盆休日法
 「お盆休日法」により、八月一三、一四、一五と前後する土日はお盆休み。
 土日と重なった分は繰り越すので、一三日が火曜日の年を除いては毎年五連休になる。

 僕が子どもの頃は、休日ができてもカレンダーと手帳業界に配慮して、適用は二年先だった。
 お盆を五連休にするのを二年も先送りしたら、田舎で児孫の帰りを待つおじいちゃん、おばあちゃんに待ちぼうけを食わせてしまう。同法は2035年9月に施行し、翌年から適用した。



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2008年8月24日 (日)

マレーシアまで来たデコ

7月1日
 ユーロ決勝の翌日
 入団会見でデコのチェルシー生活がスタート。
 まだ、この時点では背番号は発表されなかった。

7月5日
チェルシー2008-09モデル1stユニフォームが
日本のショップに入荷。
デコにとって、チェルシーで初めてのユニフォーム
当然、事前予約しておいた。

 デコの背番号も決まっていないが、この時点
ではアディダスのマーキング仕様もわからない。

 マークの仕様は変わったばかりということで、
変わらないだろうというのが店員さんの見込み。
 仕様が変わらないかを確認してもらったうえ
で取り寄せてもらうことにする。

 数字が2桁か1桁かがわからないので、とり
あえず、現在の仕様で 2桁の料金を支払う。

7月17日
この日、チェルシーの公式サイトでプレシーズン
キャンプが始まった模様が伝えられる。
そのトップにあったのは、なんと胸に19の番号
がついたジャージを着るデコの写真。

これからは、デコの日を毎月19日にしなければ・・
と気持ちを切り替えた数時間後のこと。
チェルシー公式サイトで、デコの背番号が20
に決まったことが発表され、チェルシー公式
ショップで、デコのユニフォームが20のマー
キングで販売開始された。

7月23日
プレシーズン初戦 広州での親善試合 GUANGZHOU 戦に先発して62分まで出場。4-0で勝利。

7月26日
親善試合 Chengdu 戦 フル出場 7-0で勝利。

7月29日
親善試合 マレーシア選抜戦 先発して64分まで出場 2-0で勝利。

 スコラーリ監督はデコを使い続けている。
 懸案のバラックは、まだ合流していない。
 コンディションが悪いということになって
いるが、ユーロに出ていたのはバラックだけ
ではない。

 そんなことよりも、マレーシアといえば極東。
 日本まであと少しの場所。
 デコも日本に寄りたかっただろうし、僕らも
デコに会いたい。

 チェルシーはまだ日本ツアーを行っていない。
 ウェブサイトも日本語版はない。
 公式ショップも他国のショップが、おかしな
日本語に翻訳したものがあるだけ。

 ぜひとも、チェルシーに日本に目を向けてもらいたいところだ。
 これから、対策を考えなければならない。



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2008年8月23日 (土)

上下に揺れるのぞみN700系

N700系で行く品川博多の旅【 6 】

 N700系は名古屋に近づいている。
 
 新幹線は左側通行。
 対向車は右側前方からやってくる。
 対向車の風圧を最も感じるのがE列。

 E列を選ぶ大きな理由は、二人掛けということ。
 窓際はA列もあるが、右側にBC列の二人がいると、出入りがおっくうだし、閉塞感が強い。
 また午前の新幹線では、A列側は日が当たるため、まぶしい。
 景色どころではない。

 3人掛けは不人気なのだろう。
 A,B,Cすべてが空いている席もある。

 700系では、B列の椅子の横幅が広げられた。
 B列がもっとも大きく、A,C,D,E 列の座席幅は同じ。

 そしてこの N700系では、A,C列の幅も広げられた。
 座席の横幅が広い順はこうなる。
 B>A,C>D,E

 A,C列の横幅は広がったが、D,E列の横幅を削ったわけではない。
 通路の広さも同じ。
 通路を削ったら、車内販売が通りづらくなってしまう。
 もちろん、車体の幅は増やせない。

 そこで、削ったのは壁。
 700系と比べて、N700系は壁が薄くなった。
 その分、壁の強度を維持するために、窓が一回り小さくなっている。

 壁を削ったものの、荷棚のスペースはゆったりしている。
 ボストンや手押しカートを置いている人がいるが、天井側にまだ余裕がある。

 空いているうちに、A,B,C,D すべての席に座って、横幅の違いを体感したいという欲求にかられたが、大人げないのでやめた。

 座席前のテーブル位置には、前後の車両までの施設図がある。
 ゴミ箱の位置が書いてあるのがよい。

 1つ前は11号車。
 1編成16車両のうち、11号車のみに設置されている「多目的室」をチェックしようと狙っていた。

 名古屋に着く前に、トイレと多目的室のチェック。
 トイレが広い。かまくらの中のようだ。
 多目的室には「在室中」の赤いランプがついている。

 この多目的室の利用は、どのような運用ルールになっているのか。
 それが、わからないので、開けるわけにもいかず、席に戻る。
 通路を歩いていると上下に揺れる飛行機のよう。
 左右に揺れるのならばわかるが、なぜ鉄道が上下に揺れるのかが不思議だ。

7:15
 今日3度めの車内販売カートがやってきた。
 弁当の乗車を控えているので、ココはスルー。
 果たして、山陽路に入ってから、スジャータのアイスは売りに来るだろうか。


不定期で続く



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2008年8月22日 (金)

人前に出たIDO

 野田 福岡県知事の話は時間どおりに終わり、号砲まであと10分。
 司会の女性のアナウンスがはいる。
 「それでは、ここで臨時ゲストの登場です。ではよろしくお願いします」

 「まぁだ あっとか。もう話はよかぞぉ」
 清水さん(50歳)が叫び、どっと周囲が沸く。

 ちょっとごめんなさい。
 僕はランナーをかき分けて進む。
 雑踏の中には一本の道が見えていて、それは水路のように僕を導いている。
 糸をたぐるようにして、ランナーの樹海を抜けたところに幸田さんが立っている。

 「はい、サングラス」
 受け取ったサングラスをかけてみると、ジャストサイズ。

 放送席に一礼して、朝礼台の後ろに回り込み、階段を一気に駆け上る。
 ランナーは目標タイム別に、2時間台から6時間台までのブロックに分かれて並んでいる。
 荷物は預け終えていて、あとはスタートラインにつくばかり。
 野田知事と僕は共に身長180センチ。
 スタンドマイクはぴたりと顎の位置に決まった。
 さっきまで知事の顔を大写しにしていたスーパービジョンのスクリーン映像は消されている。

 IDOの佐野です。きょうは博多マラソンば走りに来ました。

 競技場の音がセミ時雨だけになった。
 短い命を凝縮して、時を惜しむかのように喧しいセミたち。

 ひと呼吸あって「おーっ」という喚声が彼らの声をかき消す。
 まばらなスタンドで、一斉に携帯のカメラを取り出す観客たち。

 「あいた、カバンは預けっしもたばい」
手ぶらのランナー達が地団駄を踏む。

 今日のコースは福岡県庁のスタッフが博多
らしいコースにしようと一生懸命考えたものです。
 県警と市民のドライバーも快く協力してくれて、
土曜日というのに七時間の交通規制ができました。

みんな、今日は晴れてよかったねっ!

 皆反応しきれず、やや小さく
 「おーっ」

 ロック歌手か
 すべった僕に、IDO室のみんながバカ受けしている。
 今日は幸田さんの笑顔が大きい。



次回は8月25日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月21日 (木)

ゴマ鯖は4人で5つ

 ゴマ鯖五つね
 「え? 四人さんですよね」
 あ、ごめん。僕が二つ食べたいから。

 今頃、IDO室の18人は福岡市南区の「大橋本陣」で呑んでいる。
 「うちの鳥皮はかりかりで美味いですよ」
 焼鳥屋の長男、田中君のことばには心惹かれたが、走る前の日は呑まないんだと言っておいた。

 本当のところは、博多に帰ったらゴマ鯖と決めている。
 「IDOラボのフルメンバーが博多に行くのに、私だけ行かないってのは無しですから」
と幸田さんが言い出したのは昨晩。

 二人きりならば、僕にとって10年ぶりのデートだったが「表で待機しますから」というSP二人も、近くにいた方がガードになるよと言って一緒にテーブルを囲んだ。
 「鉄なべ」のゴマ鯖は、豊後水道で獲れた鯖と五島で獲れた鯖、どちらかその日揚がった方が鉢に乗る。
 僕には五島で泳いでいる姿がみえた。
 あなたにも、五島の海が見えていたのではないだろうか。

 明けてマラソン大会当日。博多の空は快晴。
 博多マラソンの開催日は観光戦略として、山笠期間中の土曜日開催で固定される。
 締め込みで粋に決めた男衆をちらほらと見かける。

 「法被は脱いで下さい。ゼッケンが見えんばダメです」
 「せからしか。山笠のあるけん博多たい」
 「だめです」

 「なんか、マラソンていうとは難しかね。まぁよかたい。どうせトラック一周したら帰るっちゃけん」
 しぶしぶ法被を脱ぐ清水さん50歳を、仲間が「声が大きい」と唇の前で人差し指を立てて諫めている。

 さっきから壇上では、野田県知事の挨拶が続いているのだが、ランナーはストレッチかMUTに余念がなく、ほとんど誰も聞いていない。

 「実行委員」と書かれた腕章を左手に巻いた中野君が、僕をみつけて、さり気なく横にすべり込んで来た。右手にウルトラスポーツ社のウィンドブレーカーを持っている。

 あれ、中野君は走らないの?
 「えぇさすがに」
 これですからと、腕章をこちらに見せる。
 「それより、IDO 博多の皆さんに一言どうです?」
 そうだね。いいの?

 僕は即答する。何もかも予定されていたかのように。

 さぁ驚いている場合じゃない。彼は間髪を入れずインカムに叫ぶ。
 「こちら中野。進行岩橋へ。来賓挨拶一つ入れて。この後すぐ!」
 「こちら岩橋です。中野さん。誰がですか。きいとらんですよ。なんて言えばいいとですか?」
 「ここで臨時ゲストですって言うとけ!」



「独裁者」もくじ

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2008年8月20日 (水)

一度も走ったことがない男

「僕、走ったことがないんですよ」
サトウさん(仮名)がいう。
そのコトバが嘘でないことはすぐわかった。

日頃、走っている人とそうでない人を見分ける
ポイント。それは靴。

マラソン・ランニングをしている人の靴は
ランニング・カテゴリーまたは、マラソン
専用シューズ。
メーカーは圧倒的にアシックスが多い。
マラソン用品では、アシックスがもっとも
よく売れている。
東京マラソンのメインスポンサーもアシックスだ。

テニス、クロストレーニングの靴を履いている
人もいるが、これは「その他のスポーツの人」
さすがにバスケット・シューズの人はいない。

そして、サトウさんの足下を見やると、彼は
ごく普通のスニーカーを履いていた。

「めちゃくちゃ不安です」
そりゃそうだろう。
マラソン・ランナーにとっては寝ていても
走れそうな1km。
だが、素人にとっての1kmは長い。

僕がマラソンに向けて 1ヶ月のウォーキング
を経て、初めて走った時は 50m でやめたく
なった。

素人は「走り方」がわからないのだ。
素人が走り出すと、小学校の時、50m走に出た
時と同じフォームで走り出す。
これでは、誰だって 42km は走れない。

ゴルフをやっていた頃、他人からしたり顔で
レクチャーされるのは、実に嫌なものだった。

だが、走ったこともない人が、いきなり1km
走るのは無謀だ。
しかも今日は炎天下。テレビカメラも回る。

そこで、お節介を承知のうえ、2つのアドバイス
を送ることにした。

マラソンど素人の僕が言うことである。
周りのマラソン・アスリートに聞こえたら
恥ずかしい。
小声でそっとささやいた。

「まっすぐ立った状態から、前に体を倒して
いくでしょ。我慢しきれなくなって、片足を
出すよね。その繰返しで走るといいよ」

「今日は1kmだから、初めの100mは これでもか
ってくらい、遅くはいるといいよ。それで調子
がつかめてから、ペースを上げたらいいよ」



不定期でつづく


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2008年8月19日 (火)

ホステスに汗を拭いてもらうマラソン

 あり得ないことではあるが、IDO退任後の僕がテレビ番組に出演して
「IDO千法の中からどれか一つ、お気に入りの法律を挙げてください」と聞かれたら…少し考える振りをして、こう答えるだろう。

 うーんやっぱり「マラソン大会法」ですね。
 あれで国民に本当の笑顔が戻りましたから。あの時は、昔のマラソン選手のことばではないですが、初めて自分を誉めたいって思いましたね。

 そう言って、初老の僕は遠い目をしてうっすらと涙を浮かべる・・
 こんな場面をこの五年間で百回は妄想した。

 法律を考えている午前のひととき、思考が宙を遊ぶ。
 こんな時の僕は無防備に笑い、東京スカイツリーの絵を眺めている。
 隣りで幸田さんが、視線を交差させて、素知らぬふりをしている。

 去年までは住民票のある千代田区を通る東京マラソンに出ていた。
 この大会は2007年の開始当初こそ、倍率三倍の抽選になる人気大会だったが、東京五輪以降は定員の三万人以下で推移している。

 僕は市民ランナーの顔で走るので、仰々しくはしないが、一応警備が四人付く。
 文字通りガードランナー四人。
 日ごろのトレーニングはステップ運動。
 外を走ることが難しい僕のような者には、屋内でできるステップ運動はもってこい。
 初めてマラソンを走った2029年以来、ずっと続けている。

 ガードランナーを務めるSPには、僕の予定ペースを事前に伝えておく。
 ペースメークされるとおもしろくないので、とにかく僕に合わせてもらう。
 彼ら四人は、大会三ヶ月前から皇居を走りこんでいて、五時間前後で走る僕に、余裕の表情で伴走している。

 2039年からは故郷の博多でも、市民をあげてのマラソン大会を立ち上げる。
 田中君の九大の同級生、中野君がIDOラボを訪ねてきた。

 福岡県庁の中野君は「第一回博多マラソン」のコース選考委員。
 コースを決めたら、現場を調整して回るという飛び込み営業のような仕事だ。
 周辺の商業施設はマラソンの日は売り上げが激減する。
 2000年代に立ち上がったマラソンのなかには、地元商店街の反対でコース変更を余儀なくされた大会もあったほどだ。
 しかし、中野君が言うには、地元の商店主は皆、諸手を挙げて賛成してくれて「なんで、ウチの前ばとおさんか?」とお叱りの声が出たほどだという。

 市民マラソンでは沿道住民の暖かい声援、工夫を凝らしたエイドが盛り上がりの決め手となる。
 中野君は、博多出身の僕と田中君に、コースの知恵を借りたいと言う。

 櫛田神社の境内は走りたいね。
 「福岡タワーに上るってのはどうですか?」
 階段を登るマラソンは世界初だね!
 香椎宮の境内はコースのそばだよね。あそこもいいね。
 「長浜の市場でラーメンば出したら?」
 チャーシュー麺だったら食べちゃうな。って食えるか!
 あと天神の地下も走りたいな。地下コースは世界初じゃない?
 「中洲の女ん子たちに、おしぼりで汗ば拭いてもらうとはどうね?」

 いつもと違う男の臭いを嗅ぎつけて見に来た関西三人娘が、田中発言に呆れている。

 中野君は一通りメモを取り終えると、山笠はここ数年雨にたたられているから、天気が心配ですと顔を曇らせたかと思うと、へろっと言った。
 「IDO、博多ば走りませんか?」
 いいよ
 彼は誰かさんと違って、録音はしていなかった。



次回は8月21日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月18日 (月)

老人医療負担はこれで問題ではなくなった

 40代、50代に運動をしておけば、寝たきりになるリスクが減る。
 それならば、費用がかからず、じょうず下手の技術を問わないスポーツをすればいい。
 有酸素運動のマラソンは、体脂肪、コレステロール値を下げ、血管を強くする。生活習慣病のリスクも低くなる。
 健康保険は本人負担が五割となり、保険負担と本人負担が同額というところまできた。この40年、政府は国の負担を減らすことを軸に考えてきた。

 僕は国の負担を減らすのではなく、病人を減らすことにした。

 「マラソン大会法」はすべての地方自治体に、一年に一回以上のマラソン大会の開催を求めている。
 コースの25%以上が通っていれば、その自治体の開催(共催)と認定。
 競技はマラソンと10km以上のセカンドレースの二つを行う。

 それまでは、ちびっ子の大会でもマラソンと呼んでいて、42.195キロの競技は「フルマラソン」ということばを別に与えていた。これは日本だけのことなので「日本国用語集」にはこう定義した。

 マラソン 公道を42.195km走る陸上競技。

 国民は一年に一回以上レースに出場する。完走できなくてもよい。出場しないとマイナス一万ポイント。例外はない。

 三年に一度、住民票のある地域主催のレースを走れば、あとの年はホノルルでもバルセロナでも世界のどこで走っても構わない。
 それから、三年に一回以上は出場に替えて、地元大会スタッフとしてボランティアをしてもらう。

 年一ランナーで目先を変えたい人は、地元出場、地元ボランティア、他地区出場のローテーションとなる。

 不自由な世界では例外をつくる。
 医師の診断書を出せば出場免除だと。

 超管理社会では罰則をつくる。
 一万円の罰金だ、保険証取り上げだと。

 僕のつくる社会には、そこに緩やかさがある。
 日本ポイント制度の存在がそれに寄与している。やはりポイントはポイントだった。

 施行後の四年で、病人だけでなく太った人が減り、日本人は皆明るく、若く、スタイルがよくなった。
 洋服・外食・娯楽と内需は拡大したが、病院に払っていたお金を回しただけなので、誰の懐も痛んでいない。

 病院は本当に手当を必要とする人々の手に戻っている。



「独裁者」もくじ

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2008年8月17日 (日)

FCバルセロナ 2008年6月~8月

オフシーズン 5月
エジミウソンが退団、ビジャレアルへ移籍。
ザンブロッタが退団、ACミランへ移籍。

5月27日、セビージャからセイドゥ・ケイタ(国籍:マリ)を獲得
バルセロナにとって6人めのアフリカ人選手。ただしそれはトップチームの話であり、カンテラには多数のアフリカ人選手を抱えている。アフリカとの関わりを重要視しているのだろう。そういう観点からすれば、2010年W杯の「顔」であるエトーを手元に置いておきたいはずだ。

5月27日、アーセナルのMFフレブと基本合意に達した。フレブはインテルへの移籍が有力視されていた。

5月28日、マンチェスター・ユナイテッドからジェラール・ピケを獲得

5月28日
WOWOWでリーガ総集編が放送された。デコは映像の端々に映ってはいたが、トピックス、解説陣からはデコのデの字も出なかった。
WOWOW解説陣にとって、デコは過去の人であり、彼が不調だったことの影響すら語る意味もないと考えたようだ。

5月30日、ジオバンニ・ドスサントスが退団、トットナムへ移籍すると報じられた。
バルセロナからのレンタル移籍の申し出を断っての完全移籍。グラディオラやイニエスタが、出て行く側には「それなりの理由がある」と言っているが、出て行く側にも、声にしない言い分があるのだろう。
クロアチア代表の主軸ルカ・モドリッチも獲得したトットナムは、チェルシーにとって手強い相手になりそうだが、ドスサントスの活躍を祈る。

6月7日~6月29日
ユーロ2008
5月28日に確定したメンバーに、バルセロナから8人が入った。
ポルトガルデコ
フランス:アンリ、アビダル、テュラム
スペインプジョルシャビイニエスタ
イタリア:ザンブロッタ

7月1日
デコのチェルシー移籍が発表された。

7月14日
プレシーズンキャンプ初日の会見。
バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ新監督は「ロナウジーニョ、デコ、エトーは戦力として計算していない」と発言したことについて弁明。
「3選手の価値を下げるような印象を与えたのであれば、この場を借りて謝罪したい」と述べたが「だれもが彼らの今後に関するクラブの意図に気づいていたと思う」と付け加えた。

 みんなが思っていたのだから、僕が言ったことだけ、問題視しないでよという本音が見え隠れする。
 新監督は、前監督のライカールトとは、役職者としての心構えが180度違うようだ。

 メディアの街角インタビューで「日本の政治は誰がやっても同じだよ」と答える人がいる。
 だが、それを総理大臣が「日本の政治は誰がやっても同じです」とコメントしてしまっては、品がない。その発言によって存在価値を否定される人が少なくない。

 特別な立場にいる人は、誰かを貶めることにつながる「それを言っちゃおしまい」な発言は慎まなければならない。

7月16日
ロナウジーニョACミラン移籍が発表された。

7月31日~8月6日
FCBアメリカツアー2008

 これで3年つづけてきたバルセロナ記事はお終いです。
 バルセロナ・ファンの皆さん、おつきあいいただきありがとうございました。
 2009年5月には、CL決勝戦でお会いできることを夢見ています。



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2008年8月16日 (土)

レインボウブリッジを走る男

あぁココを渡るというイベントがあったのか・・
これから始まる代走「走る男」の段取りで頭
がいっぱいで、そこにレインボウブリッジが
あることを忘れていた。

東京マラソンでも、コースに組み入れること
が検討されたレインボウブリッジ。結局はその
高低差のためにタイムが悪くなることを嫌い
コースから外された。
そのために、東京マラソンは新宿~日比谷~
品川~銀座~浅草と沿道の大声援に励まされ
つつも、ゴール間際の一番つらい所を寂しい
豊洲あたりからお台場に入ってくる。
現コースにしても、終盤に橋の上り下りが続き
決して楽ではない。

レインボウブリッジが高いといっても、高さ
は100mに満たない。
今となっては、レインボウブリッジを外した
その理由も怪しいものだ。

バスはランナーを追い越して、たすきリレー
地点で待機する。
次に走るランナーだけがバスを降り、走り出す
前のインタビューを受ける。そして、スタッフ
が携帯のカメラで写真を撮る。
インタビュー映像がどれだけ使われるかは、
まだ放送されていないため不明だが、携帯で
撮った写真はすぐさま「走る男」ウェブサイト
にアップロードされていく。
放送は3週間先でも、情報はリアルタイムで
番組を応援しているファンの元へ届く。
そして「走る男」森脇健児さんも、この模様
をWebで追っていた。

代走「走る男」とマイクロバスは一路、南西
に進路をとり横浜を目指す。
名簿順で走る順番が読み上げられ、出番の目安
がわかると心に余裕ができた。

バスの中はほどよくエアコンが効いていて快適
そのもの。走る格好をしてバスに乗っていると
かつてマラソンで収容車に乗せられた苦い思
いがよぎるが、今日は晴れ舞台を待つバス。
気分はこの天気よりも晴れている。

「走る男」は次々に1.5km~2kmの距離を終えて
バスに帰ってくる。その額、首筋に猛烈に汗
が噴き出しているのが見える。
「あぁあ、もう終わっちゃったよ」
と軽口をたたく者はいない。
たかが1km、どんな悪条件でも走れないわけ
がない。そんな自信に溢れる「走る男」たち。
「うわっ暑そう」
「やばいね」
などとそれでも余裕の表情。

ただ一人、そこに例外がいた。

不定期で続く

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2008年8月15日 (金)

品川出発

N700系で行く品川博多の旅【 5 】

 いよいよ旅、当日
 のぞみ99号発車の20分前に品川駅新幹線コンコースに到着。
 5:40と朝早い時間なのに、ぱらぱらと人が出ている。

 品川駅は「ホームには売店はありません」
という看板が出ているので、コンコースの売店でお茶を買おうと思っていたが、店員さんが一生懸命、スポーツ新聞の梱包をほどいている。
「開店は5時50分です」というので、諦めてホームに降りる。

 乗車する12号車から1号車までは遠いので、16号車(最後尾)の位置へ。
 運転席に回り込み、写真を1枚。そして編成を確認するためだ。

 編成番号は自動車でいうナンバープレート。鉄道ファンの必須チェックポイントらしい。
 一般的にいえば、同じN700系ならばどれもおなじだろうと思う。
 だが、同じ車種でも、改良が加えられている。自動車でいうマイナーチェンジだ。
 個々の車両は製造年月により外観、性能が微妙に違う。その違いを知り、目で見て、体感するのが「通」の楽しみなのだ。

 5時50分、けたたましい電子音のベルが鳴り響くなか、のぞみ99号が入線してきた。
 のろい
 実にのろのろとホームを滑っていく。
 きしきしと線路がなる。始発駅ならではの前奏曲を奏でていく。

 運転席に記されたこれから記号は「Z16」
 この記号がどのような系譜を持つのかを知らない。
 だが、一応鉄道ファンらしく、編成確認から入ってみた。

 車内販売で買おうと思っていたが、ホームにあった自販機でお茶を確保。
 150円 それほど割高ではない。
 結局、焼売どころではなかった。
 のぞみ99号と焼売は無縁と言うことだ。

 6:00 無事出発
 博多まで4時間45分の旅が始まる。ガーミンフォアアスリート(GPS)を時計スタンドに立てて窓辺に置き、スタートボタンを押す。飛行機ならば「電子機器の使用はお控えください」と言われるところだが、新幹線では電子機器の制限はない。
 乗り心地は、特に変わった印象はない。
 座席は両窓際のA,E席だけが埋まっている。

6:05 GPSが衛星を捕まえて距離表示がスタートしていた。

6:11 新横浜 14.6km
 横浜からの乗客でC,D列が埋まり始めたが、僕の隣のD列は空席。これで名古屋まではゆったりと過ごせる。

6:23 初めての車内販売ワゴンがやってきた。
 今日の課題、弁当2つ、コーヒー、アイスのうちまずコーヒーを確保。
 300円
 おいしい
 以前はポットのなかで煮詰まったようなコーヒーの時があった。口に広がる苦みが心地よい。
 後の祭りだが、このコーヒーと同時にアイスを買えば、より楽しめたと思う。 窓の外は曇っている。

6:26 長いトンネルを走行中、車内が揺れて窓辺に置いたフォアアスリートが落ちてきた。

6:46 126km 「静岡駅を通過」のテロップが流れる。
 なに?静岡?ということは、富士山を見逃してしまった。
 窓の外を見やると曇り。いずれにせよ富士山は見えなかっただろう。

 それにしても窓が汚い。
 前日に雨でも降ったのか。水垢がまんべんなく視界を遮っている。
 外に出て、窓を拭きたくなった。

不定期で続く



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2008年8月14日 (木)

第一回博多マラソン

 「結婚制度について」 意見数二九〇 調査日 六月二三日
                      継波千絵

 意識調査ウェブの結果は、幸田さんが意見タイプ別にまとめて報告してくれる。ふと見ると、署名が幸田ではなくなっている。
 姓、替わったんですか?
 「あ、はい。六月二〇日に転籍しました」
 つ・ぎ・な・み・さん?
 「いえ、つ・ぎ・は・と読みます。珍しい姓ですが、実家の近くには一〇軒くらいあるんですよ。あ、でも呼びにくいですよね。今まで通り幸田でいいですよ」
 つ・ぎ・は・ち・え なんだか、今までと違う人みたいな気がして、それまでの姓で呼ばせてもらうことにした。


 八 最後のことば

 博多マラソン
 今年は「第一回博多マラソン」を走ることに決めた。

 子どもの頃、弟の銀次とよくノックをした。
 野球が好きだった僕は本当はキャッチボールがしたかった。
 父は僕にはグローブやバットを買ってくれたが、銀次の分も買ってくれと僕は言えなかった。
 小四の時、高橋尚子がサングラスを投げるのをテレビで見た。
 あのかっこいいサングラスをいつか自分も使ってみたいと思った。
 中一の時、追い上げられる野口みずきにはらはらしながら兄弟三人で応援した。
 どうか無事に逃げ切れますように。
 銀次は一心不乱に祈っていた。

 マラソンは憧れだった。
 テレビでは二時間で終わる42kmも、子どもの僕らには永遠の距離に思えた。  自分がその距離を走れるとは思えなかった。

 東京に引っ越してから、僕と銀次は時々、荒川の土手を走りに行くようになった。
 今日は京成本線の陸橋まで、今日は千住新橋まで。少しずつ距離を伸ばした。

 風が強い日、僕らは風に乗ってどこまでも行ける気がした。
 だが帰りは地獄の向かい風。
 JRは風速25mで電車が停まる。
 そんな日は走っても走っても体が前に進まない。
 風に煽られて銀次が何度か土手から落ちた。

 そんな時「いい加減にしろ!風」と二人で風につっこみながら、僕らは家路を急いだ。
 「いつか、42kmほんとに走れるかも知れないね」
 二人がそう思い始めた冬。相棒を失った僕の心からは、ゴールテープが消えた。

 25年後の2029年。
 ポルトガル代表が親善試合でマレーシアを訪れている。
 FEとユニセフが主催した歓迎パーティ。
 FE法務ディレクターの僕は、仕方なくVIPリボンをつけて、パーティの終了時間が来るのを待っていた。

 「フットボールは嫌いなの?」
 僕があまりに退屈そうに見えたのか、ポルトガル代表のデコ監督が英語で話しかけてきた。彼はブラジル生まれだと秘書官のリンが言っていた。

 かつてスペインと共に世界各地で覇権を競った国だけに、ブラジルを初めとしてポルトガル語を話す国が少なくない
 僕はユニセフの四年で身につけたポルトガル語で切り返す。

「独裁者」もくじ

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2008年8月13日 (水)

代走「走る男」たち、出発

午前の部は新船橋~お台場の国際展示場まで。
その21人に何やら紙が配られている。
紙は夕方のゴール地点、横浜みなとみらいの地図。
ここで一旦解散して、夕方に自力で集合して
もらうらしい。

午後の部の僕らはゆっくり起きて、お昼に
やってきた。だが、午前の人は、朝早く集まり
お昼に一旦解散。そしてまた、夕方に自力集合。
まる一日仕事で大変だったと思う。

初めにまず、テレビ局のスタッフ、ランニング
マガジン「クリール」編集部の方からのブリ
ーフィングを聞く。
「今日はごらんの通り、走るには適さない天候
です。決して無理をしないでください」

確かに暑い。まさに炎天下。ほとんどの地面が
舗装されている東京は、熱の逃げ場がない。

テレビで見慣れている「走る男」のフラッグが
登場する。森脇さんがその日の走りを止める
場所にそっと置くフラッグのオブジェ。
これは皆が一度はさわってみたい。
「はい、どうぞ」たちまちリレーが始まる。
W杯のワールドカップ、CLのビッグイアーよろしく
すべての「走る男」の手をフラッグが渡り歩く。
カメラで写真を撮る者あり、材質を確かめる
者あり、さすがに口づけをする人はいなかった。

午後の部最初の二人は、午前の部から回って
きた方。午前は距離が不足して、二人の「走る男」
に出番が回ってこなかった。

拍手で送り出したスターターを、ハンディカム
片手にディレクター OさんがMTBで追う。
Oさんは今日の全行程55kmをMTBで走る。
この炎天下、ただ走るだけでもきついのに、
ハンディカムで絵を押さえ「走る男」に話し
かけなければならない。
いったい、どういう体力をしているのだろうか・・

出番待ちの「走る男」を乗せたマイクロバスも
第一走者の後から少し遅れて、お台場を出発。
そこでガーミンフォアアスリートの start
ボタンを押した。

この時一人を除いて、ランナーの関心事は
「いったい自分は何km走らせてもらえるのか?」
ゴールの横浜まではおよそ30kmだという。
そして今バスに乗っているのが22人。
単純に計算すれば一人あたり1km~1.5km
日頃から走り込んでいる「走る男」たちに
とってみれば、あまりに短い。お日様は南の
空から照りつけているものの、まさに朝飯前
の距離である。

「二人伴走という形で2倍走らせて欲しい」
現にこんな希望が出発前に「走る男」から
出ていた。

お台場の中で、二番手のランナーに交代。
ようやく「走る男」たちの脳内で、段取りが
理解され始めていた頃、眼前にレインボウ
ブリッジが迫ってきた。



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2008年8月12日 (火)

政治家とメディアがつっこんではいけないこと

 国民には知られていないが、公共工事は必ず費用対効果を見積もっている。

 かつて「試算表は存在しません」と言っていた官僚がいたが、それはただ嘘を言っているだけだ。
 どんなに小さな工事でも国土交通省のスタッフが、詳細に精査した資料を作る。
 そして試算により、費用に対して効果が“二倍"と算出された工事だけが行われる。
 「二倍」なのである。
 素人はこれを聞いても、にわかに信じない。
 トントンは一倍だから、その二倍といえば、大きく利益が出ることを意味する。
 赤字とは一倍を切ることである。
 官僚が「二倍」と資産した事業だけが、日本では行われる。
 だから、日本には赤字は一円もない・・

 はずなのだが、なぜか1千兆円の赤字がある。
 誰が、どのようにごまかしているのかについては、政治家もメディアも詳しくつっこんではいけないことになっているので、誰もが口をつぐんでいる。そして、時間が過ぎれば「水に流す」ことになっている。

 「費用対効果がトントン?そんなことでは血税は使えませんよ。
せめて効果が二倍はないとね」
 官僚が涼しい顔で言ってのける。

 そして、赤字の道路、施設が残る。
 血税は特定の人達の生業となる。
 そしてすべて、水に流す。

 僕は五年の月日の大半を、新しい法律づくりに費やした。
 従来法の廃止・決議の廃止は、首都法を含めても数えるほどしかない。
 「時間がなかった」というのは言い訳にはならない。
 痰を吐くなとか、路駐をするなという法律に費やす時間。
 部活や読書に充てる時間を削れば、逃げ切った人から金を取り返す法をつくることはできた。

 僕には総理と二人のIDOへの遠慮があった。
 既存の勢力への畏れがあった。
 国民が僕を支持しているという甘えもあった。
 独りの力でできることには限界があるという開き直りもあった。

 逃げ切りを許さないことが、不正の根本を断つ。
 人間として正しいか、それを、どこまで追いつめるべきなのか。
 後任となるだろうあなたは、どう考えるだろうか。

 残り三ヶ月。僕は最後まで“愛のカテゴリー"に悩んでいる。



次回は8月14日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月11日 (月)

首都移転、絶滅しない恐竜

 学校教科書では明治政府の時に皇居が京都から東京に移ったことが前回の遷都として扱われている。
 だが、京都から東京に皇居が移った時、それは遷都とはいわず僥倖、つまり天皇の旅行と呼んだ。東京に遷都したという宣言は誰もしていないので、天皇はいまだに旅行中ということになっていた。

 国を治める役所があるところ
 首都を国語辞典で引くとこう書いてある。
 国を治める役所は、日本では東京都千代田区永田町にある国会議事堂であろうし、その国会がある東京都が日本の首都であるというのは国民の過半が認めるところ。だが、日本には首都という定義はなかった。
 1923年(大正12年)の「帝都復興に関する勅書」、1950年(昭和25年)の「首都建設法」~1956年廃止~には、首都は東京であると解釈しようと思えばできる文面があった。
 1956年の「首都圏整備法」では東京をはじめとする一都七県が「首都圏」と定義されている。だが、いずれも「日本の首都は東京とする」とは書いていない。

 1990年に衆参両院で採択された「国会等の移転に関する決議」により“首都"は移転することが決まっていた。これに首都防衛側の東京都は、時代錯誤のプロジェクトだと“首都移転"を恐竜になぞらえて抵抗する。移転準備は粛々と進む。

 2002年5月 挑戦者決定 三候補地を一つに絞り込む
 2002年 東京対移転候補地の比較考量(プレーオフ)
 2014年 新都市で国会開催
 2034年 新都市の人口56万人(岐阜県想定)

 だが早々に恐竜が自滅した。
 タイムリミットの二〇〇二年五月に三つの候補地の綱引きに決着がつかなかった。
 記者会見の席でささやかに移転見送りが発表されて、小さく新聞に載った。

 だが、法律で廃止しない限り恐竜は絶滅しない。決議は四九年の時を越えて生きてきた。

 当時の国民は政治に関心がない。衆参の委員会は一九九〇年代からインターネットで生中継されているのだが、誰も見ていない。
 国民が知らないところでは「おらが故郷に首都持ってこい」という冗談のきつい国盗り合戦が行われていた。

 「日本は法治国家だから、国会で決まったことはやってもらう」
 当時、国会の特別委員会でこう語った県知事がいた。在任中は 
 「国家のためだ。首都が移転すればパラダイムが替わる」
と熱っぽく語っていたが、退任後メディアに登場した時はなぜか“首都機能移転"の看板は下ろしていた。
 「水に流す」という文化を持つ日本では、その人が過去に何を言い、どのような行いをしていても、それをいつまでもあげつらうことはしない。



「独裁者」もくじ

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2008年8月10日 (日)

FCバルセロナ2008年5月

4月29日
CL準決勝第2戦マンチェスターユナイテッド(away)●0-1
1月27日リーガ21節ビルバオ(away)スコア△1-1 以来、3か月ぶりに水色のセカンドユニフォームを着用。ここまでこのユニフォームではすべて勝ちか引き分け。一度も負けていない縁起のいいユニフォーム。バルセロナはこの日のために温存しておいたのか。

失点はゴール前でザンブロッタのパスがスコールズに渡り、美しいミドルシュートを打たれてしまった。
これまで、開幕前にFCBarcelona on tour Japanを組んだシーズンは、必ずリーガUEFA CLのタイトルを手にしてきた。今シーズンそのジンクスは消えた。

CL敗退により、12月の来日はなくなった。リーガ2位を確保しなければ、夏の来日の可能性もない。ただツアーが組まれたとしても過去日本ツアーは隔年であり、順番から行くと2008年夏の来日見込みは薄い。前回、日本でデコと会えたのは2006年12月のこと。次はいつになるのか不透明になった。
デコはフル出場。2本シュートを外した。試合後のインタビューでは「来期は栄光を取り戻したい」と残留への意欲が滲む発言をしたが、これがバルセロナでCL最後の試合となった。

5月4日
リーガ35節バレンシア(カンプノウ)○6-0
カンプノウでバレンシアに勝ったのは7年ぶり。いかに苦手にしてきたかがわかる。
2007-08シーズンは内紛でずたずたになったバレンシアだが、2008-09は再び、結束してバルセロナを苦しめることだろう。
ビジャレアルも勝ち、2位との4点差はそのまま。レアル・マドリーの優勝が決まった。

デコは先発出場 25分に警告を受け累積5枚となり、次節クラシコが出場停止となる。78分グジョンセンと交替。エトーも累積5枚目の警告を受けた。
この警告が故意であるとして、後のイニエスタ発言につながっていく。

5月7日
リーガ36節クラシコ(away)●1-4
3位以下が確定し、予選免除のCL出場枠を失った。
フランク・ライカールトが築いたバルセロナの黄金時代が終わった。

リーガの風習に習い、優勝決定の翌節、相手チーム選手が優勝チームの入場時にビクトリーロードをつくる。今シーズンはその役割をバルセロナが担うことになった。
デコとエトーは前節で累積警告5回となり出場停止。

5月8日
クラシコ敗戦の翌日、フランク・ライカールト解任。後任はバルサB監督グラディオラと発表された。

5月11日
リーガ37節マジョルカ(カンプノウ)●2-3
試合前、5位セビージャとは6点差。セビージャに勝ち点で並ばれる可能性があるが、直接対決で1勝1分のため、5位に落ちてCL予選出場権を失うことはない。マジョルカは6位と3点差の7位。6位までに与えられるUEFAカップ出場権がかかっている。

ライカールトのカンプノウでの最終戦は、UEFAカップ出場に望みをつなぐマジョルカの戦意が上回り、後半ロスタイムでの逆転負け。
敗戦によりアトレティコ・マドリーと64点で並んだが、直接対決が○3-0、●2-4でバルセロナが上位の3位を維持。

この試合前、デコは胃腸炎のため自宅療養と発表されていたが、先発出場。
カンプノウのバルセロニスタから、デコにブーイングが浴びせられ、これがデコ移籍の大きな要素となった。
デコは前半だけで退き、後半からはボージャンが入った。これがバルセロナで最後の出場試合となった。

5月15日
デコが記者会見で「イングランドかイタリアのクラブへ移籍する」と明言した。

イニエスタは、マジョルカ戦でデコにブーイングが起きたことについて「仲間として残念に思っているが、観客がそうするには常に正当な理由がある」と会見で話した。

イニエスタは、これまでもデコに対して辛辣なコメントを繰り返してきた。
バルセロナ生え抜き選手として、クラブとカタルーニャの意向を代弁しているつもりなのだろう。同様の態度は、やはり生え抜きの新監督によっても、後日繰り返されることになった。



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2008年8月 9日 (土)

最終ランナー 行方不明!

集合の12:30より10分前に着くと、既に
14人が集まっていた。
「走る男ご一行」様といった旗が立っている
わけではないが、30度を超える暑い日に、
ランニングウェアの男が14人も いれば、
これは違うと思う方が難しい。

「もしかして、走る男ですか?」
尋ねるとみんなが、にこにこと笑って
「そうです」「こんちは!」
次々に声をかけてくれた。

これには、驚いた。
たいがいネットのオフというのは、はじめの
うちは皆手探りで 反応が薄いもの。
しかも今日は、互いに初対面。
コミュニティみたいに、前もって会話してもいない。
(まぁこれはオフじゃないけど)

森脇さんを囲む人たちには、この時点で既に
「いい人モード」が共有されていた。
僕も出遅れぬよう「こんちはっ」と大きく返事。

つづいて現れたのは、CW-Xに身を包んだいかにも
アスリートな女性。
午前の部は二人、午後の部は紅一点の「走る女」
いきなり、準備運動・・
僕はこの4ヶ月走っていないのは当然として、
アキレス腱伸ばしすら1回もやっていない。

「走る女」はつづいてハイドレーションパックに
水を詰め始めた。走りながらチューブで給水できる、
ウルトラやトレイルの装備。 気合いが入りまくっている。

そこに「てっちゃんです~」と男性が現れる。
皆が「おぉ」と歓声をあげる。
見るからに芸人さんみたいなので、とりあえず、僕もあげる。

だけど、誰だかわからない。
そばにいた人に「すみません、誰ですか?」
ときくと栃木の回で伴走を した方らしい。

「走る男」は10局のオンエアタイミングが
まちまちなので、30日(水)にテレ玉で登場
したらしいが、テレビ神奈川では 代走した当日
夜の放送だった。

そのてっちゃんが
「進行が遅れていて30分押しているから、今飲み物もってきます」
とアナウンス。これで僕はてっきりテレビ局
の人だと思いこんだ。
やがていかにも放送局の人という感じの女性
が飲み物を抱えてきたので この人もスタッフ
だろうと思ったら、栃木のいちご農家の娘さんだった。
(その夜の放送を見てわかった)

いただいた飲み物を飲み、近くにいた人と歓談
していると、午前の部のランナーが国際展示場駅
に姿をみせた・・
と思ったら、スタッフのバスと、そこらを
ジョギングしていた おじさんだった。

アンカーのランナーがいない!
そう。先導車がつくわけではないので、たすき
をかけたランナーがいなくなってしまったのだ。

バスから降りてきた午前の部の21人、午後の
部の22人で、手分けをしてあたりを捜そう
としたら、皆の背後から最終ランナーが登場。

42人とスタッフが、列をつくりハイタッチで迎える。
これで代走「午前の部」が終了した。

不定期でつづく

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2008年8月 8日 (金)

パクリは許さない法

 十分すぎる実績、卓越した人格、無失点。
 この三拍子が揃えば学歴を逆転した出世もあり得る。
 だが、大半の人が40歳を境に訪れる挫折にしばし、苦しむことになる。

 数字で実績が表れない管理部門では、初めから逆転はあり得ない。本当のことを教えてくれる人はいない。
 ただ、出身校重視は一概に悪ではない。東京大学を出た人と、二流大学を出た人では、学友のレベルに差があるため、社会人としての素養に格段の差がつく。組織を越えて連携する時には、その学友が大きな力を貸してくれる。

 人事部の評価基準が明快であれば、真っ当な努力ができる。
 盆と暮れの年に二度、部長の奥様が喜びそうな食材を探して、お取り寄せ通販カタログとにらめっこする時間を、自己研鑽に充てることができる。
 部長職以上の就任条件に「出身校」が明示されていれば、二流大学出身者は会社一途で時間を浪費せずに済み「会社」と「社会」半々のつき合いができる。

 通達後に明示された評価基準では「我が社は情意評価オンリーです」という企業もあった。お取り寄せ通販の売上は、この通達後、3年連続で10%ずつ伸びた。

 経済政策全般に独立決裁権を持つEIDOは、15年前に誕生したIIDOと比べると、格段に仕事の振り幅が広い。
 業界によっては不利益を被ることもある。
 無党派票で安定多数を確保した水野総理の人気があったから、EIDOは生まれた。

 渡邉EIDOを「独裁者」と揶揄するメディアがあるが、彼の実像は違う。
 渡邊さんは権限を持つ人には厳しいが、身内や部下を大切にする人情派。
 個室を持たず、経済産業省内の大部屋に席を置いて、いつも周囲に満遍なく声をかける。
 そうすることで省内の動機付けは否が応でも高まり、EIDO制度は機能しているという。
 「ポイントは席だね。籍じゃなくて席。顔が見えない人のためには誰も働かないよ」

 こうした経産省のことは「昭和ヒーロー研究会」の曽我が随時教えてくれて、FEにいる時から知っていた。
 僕はIDO就任要請を受けた日、橋本に今のIDOラボという形態を頼んだ。
 ラボという形をとり、18人のスタッフは籍と席を午前と午後で移動する。

 独立立法室というミッションクリティカルな性格のため、ラボを法務省や総務省の大部屋に置くというわけにはいかなかったが、概ね希望の形になった。

 経済産業案件もIDOの立法管轄に含まれるが、水野総理の後を受けた高橋政権では、渡邉EIDOが経産大臣を兼務しているので、僕はその分野を手控えてきた。 そんな中、数少ないEIDO承認案件の一つが「パクリは許さない法」だ。

 個人や中小企業が特許や実用新案を登録しても、大企業は黙って商品化してしまう。
 それを知って訴えても、裁判が終わる頃には技術が古くなっているし、賠償金は雀の涙。こうした横着者の行動は制限しなければならない。 個人や中小企業の権利を迅速に立証する制度が必要だった。

 まず、すべての特許、実用新案の情報は「工業所有権ネット」を作り、インターネットで誰もが検索できる状況に置いた。
 法人には新商品や役務を開発する場合、法務部や特許課が工業所有権ネットで類似案件を調べる義務を課す。
 これで「知らなかった」は通らない。

 政府から独立した「日本通信委員会」に届け出た業者が運営する「パクリ防止・立証センター」には法的な立証能力を与える。
 特許、実用新案を持つ個人、中小企業は立証センターと契約する。そして、企業にぱくられたと思ったら立証センターに連絡する。立証センターはパクリ企業に対して、任意の手続きをおこなう。

 「パクリは許さない法」という法令名称はIDO室田中君のアイデア。
 僕が考えた名前は、特許立証法だった。

 「特許等立証法では、いったい誰のために何を立証するのか、法のココロが見えにくいですよ」
 確かに田中君の言うとおりだ。
 このネーミングが発端となり、後の法令名称は一般人にわかりやすい、砕けたものになっていった。

 首都法
 2039年元旦をもって、日本の首都は東京にした。
 それまで、日本には首都はなく、歴史上の首都は京都だった。



次回は8月11日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月 7日 (木)

全企業を対象に「人事評価基準公開」を通達

 戦後の日本が、国際競争力の高い国に育ったのは、官僚の主導によるところが大きい。
 官僚が精査した法案を族議員が国会で通す。
 こうして外国との競争分野では、日本にとってのご都合主義を軸にして国内産業を守ってきた。

 そして、国家が体を成した後、官僚は自らへの成功報酬として、国の金が自分達に回る仕組みを作った。
 インプットされる財源は財政投融資。アウトプットのご褒美は天下り。
 この国をつくった功労者の官僚が、豊かな老後を送ることはよい。仕組みを作った功績は、いつの世でも讃えられ、応分の評価と報酬を受けるに値する。

 だが、先達が作り上げた国を維持しているだけの「その後の官僚」達の濡れ手に粟はダメだ。
 第二次世界大戦直後は、国の仕組みを作るために、優秀な人員を中央省庁に集める必要があった。だが今、その必要はない。
 国家公務員が大卒就職先の一番人気という状況がおかしい、と気づかなければならない。

 僕は独裁者であり、議論や交渉で相手を打ち負かす必要がない。
 ただ、会話をするだけだ。
 会話をしたら、後は自分が決めるだけだ。
 だが、越権立法案件だけが違う。
 ブリーフィング後、一週間以内に総理大臣が署名すれば公布。総理が署名しなければ法案は流れる。

 谷村総務大臣はブリーフィングで反対したが、一週間後「天下り禁止法」が公布・即施行された。
 施行二ヶ月後、今度は「天上り奨励法」の越権立法協議で再び谷村大臣に来てもらった。

 天上り奨励法
 国家公務員の採用枠のうち、30%以上を民間法人経験者に充てる。公務員ではない職場経験がであれば、誰でも受験できる。

 谷村大臣は何を言っても無駄と思ったのか「特に意見はありません」という意見以外は、一言も口をきかずにIDO室を後にした。

 任期は残すところ三か月。
「すべてのIDO法を三ヶ月で見直す法」が廃止されない限り、次のIDOが維持を明言しない法は三ヶ月後にはすべてなくなる。

 IDOは留任するのか?
 僕が退任して、IDO千法はすべて消えてしまうのか?
 僕が「すべてのIDO法を三ヶ月で見直す法」を廃止して、IDO千法を残すのか?
 正解を知っているのは、僕とあと二人ないし三人ということになる。

 EIDO
 僕がIDOに就任する5年前の2029年、水野総理の任命で就任した渡邉EIDOにより「思考停止の10年」は終止符を打った。
 「経済を動かしているのは人。私は経済が人を動かすのではなく、人が経済を動かす社会を作りたい」
 渡邉EIDOの金字塔は、企業の人事評価制度に切り込んだことだ。

 彼は全企業を対象に「人事評価基準公開について」という通達を出した。
 この行政指導は、四つの人事評価基準の明文化と社員への公開を求めた。

一、学歴出身校
二、成果評定の数値基準
三、情意評価判定基準、
四、資格評価基準

 このうち直属上司の感情が入るのは情意評価だけ。
 通達であり、法令ではないので強制力はないが、言外に感情で評価する幅を狭めよと求めているのは明白だ。

 企業の人事部は「学歴重視」で「出世コース」のレールを敷いていることを否定してきた。
 元々、公平にチャンスを与えるつもりはなかったのだが、それが社員にばれると動機付けが難しくなる。
 就活の学生が「御社の評価基準は?」と尋ねると、判で押したような答えを返していた。
 「うちは実力主義です。学歴は関係ありません。今どき学歴にこだわっていたら競争に勝てませんからね。力がある人を登用します。上司におもねる人ではなく、リーダーシップを取れる人を求めています。それにうちは、のどかなくらい自由な社風なんですよ。学閥とか派閥ということばには縁がないんです」

 学生は本当の答えを聞こうと思って質問していたのではない。
 その会社の真っ当さを探っているのだ。答えは既に「会社四季報」で役員の出身校を見て知っている。

 「上司におもねる人を認めない」
 と人事部が口にする会社があれば、それはすばらしい会社だと感動するのではなく、人事部がわざわざ口にして牽制しなければならないほど、情実にまみれた会社であると考えるのが妥当だ。

 「超がつかない一流大学」と「二流大学」を出た人も「学歴社会」であるとは知っている。それでも、真っ当に頑張りさえすれば「偉くなれる」と信じて20代、30代を過ごす。



「独裁者」もくじ

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2008年8月 6日 (水)

代走 走る男

 その日はバルセロナ旅行仲間との蒲田オフ
 ただ、1通のメールを待っていた。

 テレビ番組「走る男」代走の当選通知。
 深夜24時までに連絡がなければ、落選。
 連絡はおそらくメールあるいは、携帯にかかってくるだろう。

 「走る男」はタレント森脇健児が、自らの足で北海道洞爺湖から沖縄首里城までの2,500kmを1年をかけて走るドキュメンタリー。
 生中継ではないが、ほぼ同時進行で毎週放送されている。
 ただし、8月1日現在でUHF10局だけの放送にとどまっており、この日蒲田に集まったメンバーに 「走る男って知ってる?」
と尋ねても、誰も知らなかった。

 放送では森脇が「ぜひ伴走に来て欲しい」 と呼びかけており、公式サイトでは次回の出発日時、場所が公開されている。
 だが、東北編ではなかなか反応がなく、番組が始まってから2ヶ月、6月に入ってから、ようやくぽつりぽつりと伴走者が現れるようになった。

 収録は平日が主なので、東京に入ってきた時は会社を休んで、駆けつけるつもりだった。
 テレ玉(埼玉)千葉テレビ(千葉)TVK(神奈川)が放送している首都圏東京では、恐らく相当な人数が伴走することだろう。

 マラソン出場を始めて3年が過ぎたが、これまで誰かと一緒に走ったことは1度しかない。もちろんレースはいつも一人で、音楽を聴きながら走っている。

 「誰かとペースを合わせる」という作業は苦手だ。
 会社に入り立ての頃は「マイペース男」というニックネームがつき、そう言われると嬉しかった。
 バイクのツーリングも、初めの頃は2台で行ったが、いつも相手とはぐれてしまうので、やがて一人で行くようになった。

 ましてや、喋りながら走るのはきつい。
 レース本番では、チームでだべりながら走っている団体に出くわすが「僕たち余裕です」と自慢されているようで、感じが悪い。
 どうせ、こっちは人と話す余裕はありませんよ。

 さて、その森脇健児が7月末に首を痛めたという。
 公式サイトで第一報を読んだ時は、しばらく放送を休止して、ゴールを先延ばしするのだろうと考えたが、放送業界はそうもいかないようだ。

 二日後には「代走募集!」の告知が出た。
 新船橋~横浜 区間の代走者を探しているという。
 募集期間はわずか1日。発表はその日じゅうに通知。連絡がない場合は落選。

 「伴走」は想定していたが「代走」は予想外だ。
 代走といえば鈴木尚広(巨人)のように、人一倍速く走る人がやるものだが、この代走は「一人1km程度をゆっくり走る」とあり、間口が広い。

 代走日は三日後だが、日曜日なので問題ない。
 9:30 新船橋駅集合 というのも、マラソンレース当日に比べれば、余裕のあるスケジュールだ。
 すぐに、メッセージを添えて応募のメールを送った。

 トイ道楽で仮面ライダーをチェックして、予備が欲しかった滝のHGをゲット。

 餃子の街蒲田でも、特に炒め物がうまい「イ尓女子」(ニイの漢字が出ない) 6人で行ってたらふく食べて、一人2,500円。
 いつ行ってもこの安さと美味さに驚く。店はいつも満席だ。

 美味しいものを食べて、仲間のガンダムの話に耳を傾けている最中に、マラソンのことを思い出すほど器用ではない。携帯はカバンにしまったままで、代走のことはすっかり忘れていた。

 ほかの5人と別れたあと、メールをチェックする。
 - 着信2通 -
 お、きたのか?
 だが、1つは「ヤフオクの評価が上がりました」というお知らせ。
 あとの1つはメルマガだった。

 やっぱりな
 何となく、今回は落選の予感が頭から離れなかった。
 なにせ、番組が放送されている大都市圏だ。放送されていなくて、伴走者すら現れなかった県とは事情が違う。

 「日頃走っている経験者を歓迎します」
と募集要項にあったが、東京マラソンだけでも25,000人が走るのである。
 「マラソン経験3回」程度のキャリアは珍しくなかったのだろう。

 電車を降りて、改札でSuicaをタッチすると残額が200円しかない。
 新船橋までの交通費は往復2,000円なので、それをチャージしておこうと思っていたが、その必要もなくなったので、とりあえず半分の1,000円にした。

 家に帰ると知らせが届いていた。
8/3 12:30
りんかい線 国際展示場のロータリー

→つづき

ど素人!マラソン講座

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2008年8月 5日 (火)

国家公務員を目指す人がいなくなる

 太田IIDOは、池田氏に「ガン細胞限定攻撃装置」プロジェクト・リーダーを依頼したその足で、奥様の池田恵子氏が勤務する名古屋ケアセンターへ乗り込んだ。

 「あなたの決断に、日本人の未来がかかっているんです」
 今もその第一声は語りぐさになっている。
 名古屋ケアセンターの大橋社長は突然の来訪者に「東京から、やばい筋の御仁がこりゃーしたなぁ」と思ったという。
 幸い大橋社長は、大きい話と人に頼られることが三度の飯より好きな人だった。
 まもなく、池田恵子氏には新居から10分の位置に建てた名古屋ケアセンター(NCS)東京支店と、主任マネージャーのポストが用意された。
 その後、支店長となった池田恵子氏は今も変わらず、電動自転車で職場までの道を走っている。

 太田IIDOは「メディアが世の中を悪くしている」が持論。
 「失われた10年はメディアがつくった。日本を支えているのは内需であり輸出ではない。だから日本は我が道をゆけばよい」

 その痛快な語り口に、僕は少なからず影響を受けている。
 IIDOが誕生した2014年春、僕は法科大学院の二回生。川村さんと太田さんに感銘を受けた僕は、司法試験をパスしたが、法曹へは進まず、法務省に進むことを選択した。
 僕がたぐり寄せる糸は、また違う映像をコマ落としで映し始めた。

 現在四代目のIIDOである棚澤さんは「録臭機」の生みの親としてノーベル科学賞を受賞した経歴を持つ。
 科学技術分野のリーダーは人材の枯渇が言われて久しい。棚澤さんは次を頼める人が見あたらないと、いつもこぼしている。
 「次世代教育法」が将来、人材確保という意味でその一助になればいいと思う。棚澤さんの目の色が黒いうちは、技術革新分野に僕に「越権」する出番はない。

 天下り禁止法
 IDO法により、行政への越権立法はブリーフィングで協議したうえ、最終的には総理大臣の署名が必要となる。
 任期は残り五か月。初の越権立法協議として「天下り禁止法」を問うことにした。

 企業は天下り、渡りの受け入れ禁止。検察庁の内偵で発覚した場合、企業は一律一人あたり一〇億円の罰金。本人はすべての年金資格を二〇年間停止。

 天下り先ポストの格は、現役最終ポストの格付けが反映される。官僚はおいしい老後のためにも、出世にこだわる。
 「女子アナが見られなくなってしまう」の失言で、独立通信委員会の生みの親となった谷村総務大臣は、思ったことがすぐ口に出るという難点はあるが、ものごとをシンプルにできるプロの大臣だ。
 彼との「天下り禁止法」を巡るやりとりは次のようなものだった。

 「IDOは現実主義者だと拝察しています。ここは誤解を恐れず、現実的な意見を申し上げます。
 天下りは社会的必要悪です。天下りを禁止すれば、出世したい人がいなくなります。そして、官僚のモラルが下がる。中央省庁が機能低下する。すなわち国の機能が低下します。それに、国家公務員を目指す人がいなくなることだって、あり得ます」

 なるほど。そして、僕が考える道筋は違います。
 僕が考える出発点は、公僕として国民の役に立ちたい、この国をもっとよくしたいという有志が国家公務員になる。
 中央省庁は国民のために機能する。従って、出世は争われないし、天下り先も要りません。

 「それは理想論でしょう」

 ご意見はよくわかりました。

 一見、かみ合っていない議論にみえる。
 それは、僕が相手のことばを「しかし」「お言葉ですが」のように逆説で受けて、反論しないからだ。
 勇気を持って、諫言してくれた相手には、敬意をもって接するという姿勢を貫いている。
 最後に決める責任は僕にあり、そのプロセスでいたずらに相手を傷つけるのはよくない。

 官僚は優秀だ。
 「最も成功した社会主義国」と揶揄される戦後の日本をつくったのは官僚である。

 だが「官尊民卑」ということばがあるように、悪者に分類されがちで世間に誤解されている。だが、彼らは公僕としての立場をよくわきまえている。
 法律が変わり、世の中が変わることに目ざとい。襟を正すスピードは世界一速い。
 たとえ昨日まで税金で飲み食いしていても、一旦、メディアから誰かが叩かれれば、次の日からバス代さえ使わずに「近いから歩きます」と言う。
 罪を憎まず自分を憎まずだった人は、自らが罪人側に認定されると、極端に罪を憎む側に転じるものだ。



次回は8月7日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月 4日 (月)

技術革新独立決裁責任者

 七 越権

 IIDO
 技術革新独立決裁責任者IIDO(Innovation Independent Decision Officer)の誕生は世界に衝撃を与えた。
 工作機械で世界一となった日本が、同様に他の分野も押さえてしまうのか?各国政治・経済の首脳に戦慄が走った。

 「科学技術会議」が内閣府でスタートした2001年が、日本の科学技術再立国元年とすれば、IIDOが誕生した2014年が、日本に「世界の工場」の冠がついた元年だ。

 2001年の科学技術改革では、産官だけでおこなってきた議論に、学が加わった。このプロジェクトがあったから、今日、日本はナノ・バイオ・ITと三本の柱を保っている。
 だが、いくつかの問題は、なかなか解決しなかった。
 研究投資が民間頼りであること。
 省庁が横軸で協力しないこと。
 異能の人材に特別待遇ができないこと。
 技術革新は、日常の小さな作業の積み重ね。秘訣はない。
 技術革新は、ハードやソフトがするのではなく、人がする。
 ゆえにすべてはプロジェクト・リーダーとなる人材で決まってしまう。
 成功のポイントは、経歴や学歴を問わず、広い母集団の中から
最適な人材を迎えることに尽きる。

 IIDOは当時の川村総理が独断で任命した。苦労人の川村さんは二世でも族議員でもない。ただひたすら庶民の気持ちで政策を説いていた。
 「公務員の給料は半分でいい」
が口癖だったが、それは退任後20年たった今、ようやく二割減ったところだ。

 川村さんは総理よりもIDOをやりたかったのだろう。ただ当時の与党は安定多数をようやく確保した議席数だったし、その年一月の国民投票で憲法四一条と七四条を改正したばかり。そこでIDO法案をぶつけたら、憲法改正の意図がばれてしまい、未来永劫にIDOは誕生しなかっただろう。

 川村さんは賢明かつ私心のない人。近未来日本の繁栄のためにIIDOをつくり、日本の信義のために数十年先を見越してIDOの布石を打った。後者については二〇年後にささやかな評価を受けることになるが、当時はよけいな説明ひとつせず、その真意を黙して語らなかった。

 川村政権が二期六年を終えた時、僕はKLのFE設立委員会にいた。一年後にはFE設立を控えている。
 僕は川村さんがFEディレクターとして来てくれるものと思っていた。川村さんがやりやすいルールと体制をつくる。それが僕の動機付けだった。

 だが、川村さんは就任要請を固辞した。表向きは体力的理由としていたが、法務省内では、憲法四一条、七四条の改正が原因だとわかっていた。
 意図がみえない改正。多大な労力とお金を使いなぜ改正したのか。
 2011年、歴史的な憲法初改正で前政権は名を残していた。
 「川村もただ歴史に名を刻みたかったのではないか?」
川村さんが打ち立てた金字塔に似合わない評価が残った。

 川村さんが任命した初代IIDOの太田さんは、切れ味鋭い人。
 いつも予見を持たず、個別案件ごとに任意に処遇を決めていた。
 就任後の初仕事は「ガン細胞限定攻撃装置」
 ナノ・バイオ・IT、各分野の叡智の集約が求められた同プロジェクトでは、名古屋大学の池田教授に目を付けるや、年収2億円、研究棟から徒歩5分の住居を用意した。

 彼の切れ味はここからだ。
 池田教授の奥さん池田恵子氏は、名古屋でケアマネージャーをしていた。

 ケアマネ資格の受験にはホームヘルパー実務経験五年を要する。
 ケアマネになった後も、最初のうちは受け持ち軒数も少なく、ヘルパーを続けながらの仕事となる。

 亭主は大学の研究棟にこもりきり。三人の子育てをしながら、朝から夕方までケアマネとヘルパーの掛け持ち。子どもが寝静まると、パソコンに向かいケアマネの書類をつくる。ケアマネ専任となった時、ヘルパーになった日から10年が経っていた。

 「とてもありがたい話しなのですが・・
 家内がなんと言うか。家内がライフワークにしていることが、最近ようやく軌道に乗ってきたところなんですよ。僕が独りで行くしかないかなぁ」



「独裁者」もくじ

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2008年8月 3日 (日)

FCバルセロナ 2008年4月

4月1日(火)
CL 2007-08ベスト8第1戦 シャルケ04(away)○1-0
デコは故障した当初、この試合で復帰する見通しだったが、回復が十分ではないとして招集されなかった。

4月6日
リーガ31節ヘタフェ(カンプノウ)△0-0
デコは復帰せず。2位に戻る。レアル・マドリーとは7点差
讀賣新聞朝刊に「ロナウジーニョが今期絶望」と報じられた。

4月9日(水)
CL 2007-08ベスト8第2戦 シャルケ04(カンプノウ)ベスト4進出を決める。

4月12日(土)
リーガ32節レクレアティーボ(away)△2-2
この日、ロナウジーニョのACミランへの移籍が報道された。デコは依然として、故障中として召集されていない。

4月19日(土)
リーガ33節エスパニョール(カンプノウ)△0-0
首位マドリーとの勝ち点差11の3位。この試合以降、選手の口から一斉に「リーガは難しくなった」というコメントが出始めた。まだチャンピオンズリーグで勝ち残っており、そちらに集中するからよろしくというメッセージ。このように、各選手が口をそろえて発言を転換するのは、まるでクラブから、そう話すように指示が出ているかのようだ。

4月23日(サンジョルディ
CL準決勝第1戦マンチェスター・ユナイテッド(カンプノウ)△0-0
クリスチアーノ・ロナウドが、開始早々のPKを外してくれて命拾い。
デコは先発出場して1カ月ぶりの復帰。球捌き、被ファウルにいつものデコぶりを見せた。77分にアンリと交代。メインスタンドのファンは立ち上がり拍手を送った。アンリとは軽く手を合わせただけ。

 この時期に発売されていたワールドサッカーダイジェストは「ロナウジーニョデコの移籍はもはやアンタッチャブルではない」と書いている。
 スペインのフットボールジャーナリストは、ロナウジーニョの一派としてデコの放出は確実という書き方をしている。

4月26日(土)
リーガ34節デポルティーボ(away)●0-2
後半12分ヤヤに替わり出場。43分警告を受ける。
3rd オレンジ ユニフォームを着用する最後の試合。
焦点はリーガ優勝から2位確保に移った。3位で終わると8月にCL予選を戦う必要が生じ、プロモーションツアーに出られなくなる(実際には予定通りアメリカツアーが組まれた)
2位ビジャレアルとは4点差。直接対決では8節27節いずれも敗れており、勝ち点で1点上回る必要がある。残り試合の対戦カードを比較すると、バルセロナの2位確保は大変難しくなっている。

残り4節の相手
●ビジャレアル 65点
Hヘタフェ 15
Aレクレアティーボ 16
Hエスパニョール  9
Aデポルティーボ  7

○バルセロナ 61点
Hバレンシア 13
Aレアル・マドリー  1
Hマジョルカ 10
Aムルシア 19
*右端数字は34節終了時の順位



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2008年8月 2日 (土)

旅を想う旅

N700系で行く品川博多の旅【 4 】

 JRの駅に発券にきた。
 えきねっとで予約した切符は、えきねっと対応の券売機で受け取ることができる。
 クレジットカードを入れると、予約している件名が表示されて、暗証番号を求めてくる。
 これはクレジットカード固有の暗証番号。
 日頃、サインで買い物をしている人は、ここで慌てるかもしれない。

 暗証番号が認証されると、切符1枚とクレジット利用控えが1枚、券売機からはき出される。
 乗車するのは12号車だった。
 N700系は16両がそれぞれ専用設計になっており、トイレがない12号車の乗車定員は、16両の中で最多の100人である。
 この券が都区内の最寄り駅から使えるのか、念のために確認しようと思ったが、みどりの窓口にはたくさんの人が並んでおり、気が引けるのであきらめた。

 号車がわかったところで、それをお弁当屋さんに連絡する。
 名古屋駅での弁当の受け渡しの手はずを整えるのだ。
 「12号車進行方向に向かって後方の扉にお越しください」とすぐ返事が届いた。
 これで「びっくりみそかつ」と「抹茶ひつまぶし日本一弁当」を確保した。
 ひつまぶしのお茶は別に買う必要があるのか・・
 気になっていたが、あまり、細かいことを言っても悪いのでやめた。
 あとは、7:29に名古屋に着く頃に居眠りしないよう、気をつけなければならない。

 6:00発の「のぞみ99号」に乗るためには、朝は4時起き。
 いつもより4時間早い。
 そこにもってきて、崎陽軒のシウマイとビールをやってしまっては、静岡県に入ったあたりから大阪くらいまで、寝てしまいそうだ。
 シウマイをあきらめるか・・これは当日まで、判断しかねる。
 当日は、目覚まし用に、アラーム機能付きのG-SHOCKを使うことにする。

 品川 6:00発に間に合うよう接続する電車はそう多くない。
 ジョルダン乗り換え案内で、複数のルートを検討する。
 万が一、乗り遅れた時の次発でも、ぎりぎりセーフになるルートを選択する。

 当日の朝、私鉄の電車が止まっていないかというのも、心配だ。
 これは、私鉄の系列会社が運営しているケーブルテレビで、電車運転情報の番組を見つけた。

 荷物は身動きを軽くするために、宅急便で送ることにした。
 最低限の身の回り品、情報機器を ION20 に入れていくことにする。

 電車内では、トイレに立ったり、弁当を受け取りに行ったりして席を離れる。
 その時、荷物をどうするかも悩ましい。
 リュックくらい背負っていけないこともないが、名古屋でリュックを背負って席を立てば、隣のD列の人は「お、降りるのか?」と思うだろう。
 その5分後、弁当を抱えて戻ってきた時、窓際に陣取ったD列の人と顔を合わすのは、気まずい。

 そこで、ワイヤーロックを鞄に入れた。
 細いワイヤーを、3桁の暗証番号でロックする鍵が束ねている。
 これならば、荷物も安心。

 あとは、当日を迎えるばかり。
 わずか、4時間45分の旅だが、ここまでこの旅を想う時間で、ちょうど博多に着いてしまった頃だ。

不定期で続く



【 第1話 】N700系で行く品川博多の旅
【 第2話 】びっくりみそかつと櫃まぶし日本一弁当
【 第3話 】のぞみ号E列確保


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2008年8月 1日 (金)

後任のあなたへ

 プロジェクトマネジメント
 「FEの法務ディレクターの時と、IDOはどっちがおもしろいですか?」
 僕にそう聞いた藤野章子は、きっとIDOの仕事のほうがおもしろいと想像していたのだろう。

 法律が施行されると、ブリーフィングを受けた省庁が一斉に準備にとりかかり、法が求める制度を、開始期限に間に合わせてくれる。

 教諭定期試験を例にとれば、試験問題出題者の選定、日程と会場のアサイン、該当者のリストづくり、全国の教育委員会への周知、手順書の作成といったことに予算をくわえた“5W2H”のプロジェクト・マネジメントだ。

 こうして、自分が言ったことを、他の誰かが手足のように動いて実現してくれる。そんなことがおもしろいわけがない。
 それをおもしろそうだと想像する人は、人がこの世に生まれてきた「使命」を勘違いしている。

 実務のほうがおもしろい。
 ユニセフで、FE(極東アジア経済共同体)で、そして総合日本商事で、プロジェクト・リーダーほど、やってみておもしろい仕事はなかった。

 マネージャーは上からの指示を下に伝えるだけだが、リーダーは、自ら考えて動く人を育て、その人がやりやすい環境づくりをしなければならない。人が自律的に動かなければ、プロジェクトは必ず失敗する。

 FE設立委員会を辞した後、サラリーマンを経験したかった僕は、総合日本商事の門をたたいた。こういう時、東大の看板は大きい。二つ返事で採用が決まり、希望通り、企業間の提携事業(アライアンス)を担う総合企画部に配属された。
 世界標準となっている営業ソフト「セールスマッピング」は、この時、僕が企画した商品だ。
 ワークシートに数字を入れると日本地図に数字が入る。任意の都道府県をクリックすると色が変わって、にょきにょきと棒グラフが立ち上がる。さらにそれぞれの棒をクリックすると、その県の市郡地図に遷移する。
 これを使えば10分そこそこでマッピングした資料ができる。僕が入社した時、総合企画部ではその資料を作るのに、のべ15時間をかけていた。
 手書きの図やメモを即座にオブジェクト変換するプラグイン「イージースライド」も僕が長年、不便に感じていたことを形にしたものだ。
 「セールスマッピング」と「イージースライド」は現在、20か国にライセンスされており、その版権収入だけで総合日本商事は毎年70億円を稼いでいる。

 僕がアイデアを出し、企画審査を通るとプロジェクトが下達される。異なる部署から適材を選抜して、チーム組織図が作られる。
 リーダーの僕はキックオフミーティングを召集する。集まってきたメンバーは「あぁこんな人がウチの会社にいたんだ」「あの娘とは一度、話してみたかったんだ」などと口々に言い合っている。

 プロジェクトは有期の非定常業務。日頃の上下関係やしがらみのない仲間と“会社のため”というごく当たり前の目標に向かって、遠慮なくものを言うことができる。
 各部署で仕事をしていると、この当たり前なところが歪んでしまう。
 昇進と賞与評定のために、上司には逆らわない。
 後々の仕事がやりにくくなるのを恐れて同僚とは議論しない。
 部署の利益を出すために、自部門の経費を全社負担に付け替えたり、自分たちの雑用を減らすために、多額の費用をかけてシステムを外注したりする。

 一方、プロジェクトはお祭りのようなもので、一度でもリーダーを経験した者であれば、きっとやみつきになる。
 だが今のIDOの仕事には実務がない。法律を考え施行してしまうと、この仕事はそこで終わり。仕組みを作るところが一番楽しいというのに、なんと味気ないことか。

 好き勝手に制度を決めて、あとはまる投げしているだけだと言う人がいる。
 頭にはくるけれど「だったから、替わりましょうか」というわけにはいかない。
 今、僕の立場は独りで法律をつくる独裁者。組織では責任者には“立場”があり、その“立場”は演じ切らなければならない。

 こう見えてもなかなか辛いんだよ、いつでも替わってあげるよといった、お子様のおちゃらけを、責任者が言うべきではない。

 誰に言うこともないこの思いは、本来墓場まで持っていくべきものなんだけど、同じ糸をたどる後任のあなたにだけは伝えておこうと思う。



次回は8月4日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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