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2009年1月の31件の記事

2009年1月31日 (土)

ファンが踏み出した一歩 佐野元春公式ウェブサイト

 元春HPが始まって 2年が過ぎた頃、大阪のT氏が
 「元春のホームページを作ろう」
 と言い出した。

 当時、50人ほどのアクティブなメンバーがいたが、ホームページやwwwという言葉の意味を理解していたのは、ほんの数人だった。
 だが、彼の書き込みを読んだ誰もが、なんだかわからないけど、おもしろそうだと乗った。
「何か、これまでにない経験が、待っているのではないか?」という予感があった。

 T氏の談によれば、海外には「ファンがつくるアーティストのページ(ファンサイト)が、いくつかできている」とのことで、その一例として、トッド・ラングレンの名前を挙げていた。
 正直なところ、未だかつて、トッド・ラングレンの曲を聴いたことがないのだが、ファンサイトの先駆けとして、常に新たな挑戦を続ける先駆者として、その名前は深く脳裏に刻み込まれている。

 「元春に持ちかけてみよう」
 そう言うが早いか、T氏は元春にメールを送っていた。
 すると、その数時間後に、元春本人から「一緒にやろう」という旨の返信が届く。
 二つ返事。
 この速さが元春。
 「時代の先端を走ってきた男」
 という言葉は、日本に於いては、元春のためにある。

 そのプロジェクト名は、言い出しっぺ T氏により MIPS と命名された。
 【 みっぷす 】 Motoharu Internet Project System
 Project と System は意味がだぶっているが、T氏が思いついたままに命名され、今も使われている。
 佐野元春は、著書「Diary - Studio Days making of "Fruits"」の中では
 MIPS(Motoharu Internet Project)
とSの語意を省略して書いている。

 元春HPの2.5周年記念オフは、そのMoto's web server のお披露目の場となった。
 初めての、ライブハウスを借り切った大規模なオフ。
 今となっては、思わず「でかっ」と言ってしまいそうな、巨大なプロジェクターが運び込まれ、人工呼吸器のような太いケーブルがさし込まれる。
 そのケーブルの先には、数台のアップルコンピューター。
 ライブハウスはまさに、電気工事現場の様相を呈した。

 夢を夢のままにせず、夢に近づく努力をすることが大切なんだ。
 かつて、元春がレディオショーの最終回で示唆したメッセージ。

 ファンがつくる日本で初めての公認ファンサイトは、
オフラインで集まったファンによる、彼らなりの答えだった。

 2009年現在、SNSでは、無料でいくつでも 会議室「コミュニティ」を作ることができる。
 1992年当時は、年間24,000円が必要だった。
 だが、その費用に見合うだけの友達ができ、経験が財産となったのである。


佐野元春公式サイト Moto's web server



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2009年1月30日 (金)

ニフティサーブのホームパーティ

 1994年冬
 インターネットは産声を上げていたが、まだ誰もがその実態を把握していなかった。

 

 「インターネット」「www」「モザイク」
 今ならあなたは、この3つの単語の関連性を、理路整然と話せるだろう。

 

 え、話せない?
 それでは 解説すると
 「インターネットの情報を表示している技術が www。インターネット=www といってよい。モザイクは1993年当時のブラウザー」

 

 当時、これらの単語は、その意味さえよくわからず、ましてや、どう関連づいているかなど、皆目検討がつかなかった。
 とにかく、パソコン通信仲間で語られていたのは
 「インターネットは、スゴイらしい」
 ということ。
 もちろんそれは、パソコン通信と比べて・・という意味である。

 

 それはかつて、マルチプランが主流だった1990年頃、天然記念物レベルに希少だった、表計算の使い手の間で
 「ロータスは、すごいらしい」
 という会話が交わされていた状況に似ていた。

 

 1994年暮れ、パソコン通信NIFTY-Serveに、元春HPはあった。
 ニフティにはフォーラムという会議室があった。
 これは、ニフティが有志の会員に管理を委託する許認可制になっており、一部の既得権益者が牛耳る不自由なものだった。
 一方「HP=ホームパーティ」というサービスは、毎月2,000円を払えば、誰でもCUGを持つことができた。

 

 Crosed User Group =直訳すると、閉じられたユーザー・グループ
 インターネットなどのコンピューター・ネットワークで、参加が許可されている人だけが利用できるサービス。

 

 「フォーラム」は、ニフティの審査を受けなければ作ることができないが、ホームパーティは、私信扱い(メールと同じ扱い)で、誰でも審査無しで開設することができた。
 ホームパーティは、1997年11月にサービス終了となり、パティオ(月額500円)に移行。
 そのパティオも2005年5月末日でサービスが終了した。

 

 ホームパーティという名称は、今思えば、牧歌的で素敵だ。ただ、その名前ゆえ内容が伝わらないこともあった。
 ある時、熊本に住む元春ファンに、元春ホームパーティに入りませんか?というメールを送ったことがある。すると、その返事には「家が遠いので、なかなか参加できないと思いますので、今回は失礼します」と書いてあった。

 

 今も主宰者のカサノバ氏(通称:店長)が、1992年9月にスタートさせたのが、元春HP。
 「身近に元春のことを話せる友達がいない」
 という共通の飢餓感にぴたりとはまり、全国の元春ファンがここに集った。

 

 東京、名古屋、大阪という拠点ごとに、定期的なオフライン・ミーティングが行われ、実際に会うことで、さらに関係は緊密なものになっていく。
 ・・・と、ここまでならば、他にも例がある話。
 このグループが、日本で唯一違っていたのは、勇気をもって一歩を踏み出したことだ。

 

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2009年1月29日 (木)

日本初の公式サイト インターネットの歴史

 2000年に、しらべるをオープンした当初につくった記事。
「インターネット」には次のように書いている。

インターネット

世界中のコンピューター・ネットワークを相互に接続した状態。

 インターネットとは「ネットとネットをむすぶもの」という意味。
 インターネットという組織・団体はない。

>インターネットという組織・団体はない。
 という記述は、今読むと「なんだよ、そんなの当たり前じゃないか」と思うのだが、2000年初頭には、このような説明が必要だった。

 1999年12月末、郵政省が発表した数字では、当時、インターネットの人口比普及率は 19.1%
 日本のインターネット人口は 2,706万人* となっている。
 * iモードなどの携帯電話利用者を含む

 有名な史実だけをひろった場合の「インターネットの歴史」は以下のようになる。

1969年
米国防総省が、有事にある地点が攻撃を受けても、ネットワークを網の目に張り巡らすことで、通信網が確保できるよう研究をしたこと(ARPAnet)が起源。

1969年9月2日
UCLAでコンピューターをルーターにつないだのが、インターネットの始まり。
*「最新Javaがわかる」藤田一郎 技術評論社 1999年11月25日

1989年
www技術が登場。

1991年
インターネット技術 ARPAnet が民間に公開された。

1993年
ブラウザーMosaicが登場。

 こうして明確な史実だけを見れば、1993年には環境が整い「インターネットが始まった」かのようにみえる。
 だが、インターネットはそれほど、すんなりと浸透したのではなかった。

 そこで、記憶に残る事実を元に書くと「インターネットの歴史」はこうなる。

1993年、インターネットと言えば WWW のことを言うようになった。
事実上、商用のwebは1993年に始まった。

1995年 1月、
阪神淡路大震災が起きる。
一般電話がつながらないのに、インターネット(当時はパソコン通信)は回線が生きていたことで、インターネットが日本で初めて注目された。

1995年11月
Windows95発売

1997年
パソコンによるインターネットが、個人に普及し始めた。

 今でこそ、有名人には「公式サイト」がつきもの。
 だが、インターネット創生期には、その類の者は存在しなかった。

 まだ、ほとんどのパソコンがMS-DOSで動いていた1995年3月13日。
 日本で初めてつくられた「公式サイト」
 それが、佐野元春公式サイト「Moto's Web Server」だった。

つづく



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2009年1月28日 (水)

皇居近くの銭湯といえばバン・ドゥーシュ

東京マラソンを完走したい 【 9 】

 僕がマラソン人生を始めた2006年初頭、すでに皇居はランナーのメッカと言われていた。
 第1回東京マラソンが開催される1年前、2006年2月に皇居を走った。

 当時は皇居RUNについての情報は乏しく、一周が何キロなのかということさえ、わからない。
 腕時計型のGPSを買うのは、その2年後。
 まずは、1kmごとのラップ計測ポイントがどこなのかを把握する必要がある。

 そこでまず、クルマで下見に行った。
 皇居の正面玄関と思われる当たりで、クルマのトリップメーターをリセットして、スタートする。

 →2006年12月13日 皇居と日比谷公園

 つづいて、走った後の着替え場所をネットで探す。
 2007年、第一回東京マラソン後に、いくつかのシャワー付き施設ができたが、当時は銭湯が3つだった。
 そのうちの一つ、皇居外周道路にもっとも近い「バン・ドゥーシュ」に決める。

銭湯:バン・ドゥーシュ
住所:千代田区麹町1-5-4
定休:日曜

 日曜日が休みなので、走るのは土曜日に決める。
 土曜日の午後、銭湯が開く時間を見計らってでかける。
 クルマをコインパーキングに停めて、バン・ドゥーシュへ。

 営業は16時からだが、すでに入り口は開いていた。
 開店前でも、走りに行くための着替えならば入れてくれるのである。

▼400円を払って入る
  ↓
▼脱衣場で走る格好に着替える
  ↓
▼荷物はロッカーに入れる
 ロッカーには鍵がついているが、ロッカーが開いていない時は脱衣かごを使う。
 この日は、すでにロッカーは空きがなかった。
  ↓
▼番台のおばちゃんに「走ってきます」と声をかけて、外へ出る

 バン・ドゥーシュから皇居までは、徒歩5分程度。
 半蔵門の交差点で皇居外周に出る。
 そこから、皇居RUNが始まる。

 竹橋から代官町ICにかけては、登りになるが、さほどつらいものではない。
 一転して、千鳥が淵から半蔵門にかけての下りは、お堀を見下ろす絶景に、かなりの高揚感を感じた。

 銭湯のロッカーは満杯だったが、皇居外周には、ほとんど人が走っていない。
 1km7分程度で走っていて、1kmにつき、5人に抜かれる程度。
 コース上は、快適な走りやすさだ。

 ・・というのは、2006年2月の話。
 現在がどうなのかは、2009年3月に走って、報告する。

 半蔵門で走り終え、皇居外周を外れて、バン・ドゥーシュへ戻る。
   ↓
▼番台のおばちゃんに「ただいま」と言って、再び銭湯へ。
 靴箱には鍵がついている。
   ↓
▼水道でアイシング 体を洗ってからお風呂に入る。
 お風呂は狭い。街の銭湯の中でも、狭いほうである。
 タオルは400円で売っていた。
   ↓
▼着替えて、帰る

 風呂上がりにくつろぐスペースは無い。
 風呂を上がった後、男女での待ち合わせは出口のベンチで。
 ただし屋外なので冬はちょっと寒い。

 皇居近隣に、シャワー付きの施設が増えたというが、それらはいずれも会員制。
 2~3年に一度の「たまには皇居ランナー」には、敷居が高い。
 2009年3月に皇居を走りに行く際は、秋葉原の銭湯「稲荷湯」の利用を予定している。

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2009年1月27日 (火)

法令線を消す 口角を上げる運動

しらべる

 ここに顔のイラストがあります。
 このイラストに2本だけ線を入れて、5歳 老けた顔に
変えてください。

Horei0

 





 老け顔を描く時に入れるのは、法令線。
 ほうれい線と読みます。

 

 法令線は、鼻の両脇から口の両脇にかけて 「ハ」の字に走るしわ。
 法令線は、赤ん坊にも老人にもあります。
 ただ、加齢により目立つようになるのです。

 

 年を取ると、頬の筋肉が落ちます。
 筋肉が落ちると(筋肉の量が減ると)
 頬が垂れます。
 頬が垂れると、法令線がくっきりと現れます。
 法令線がはっきりすると、老けて見えるのです。

 

 鏡を見てください。
 法令線が見えますか?
 見える?

 

 はい、それでは、両方のほっぺたに指を当てて、上に引っ張ってください。
 法令線が消えるでしょ。
 それで、ぐっと顔が若くなります。

 

 ということは、若い顔を保つためには、ほっぺたの筋肉を鍛えればよいということが、わかりますね。

 

 では、どうすれば、ほっぺたの筋肉を鍛えられるでしょう。
 にっこり笑うと、ほっぺたの筋肉が鍛えられますが、一日じゅう笑っていられるほど、世の中は甘くないですよね。

 

 そこで、「法令線消去運動」をご紹介。

 

 べろを鼻の頭につけてみてください。
 え、つかない?
 じゃ、つかなくてもいいです。
 その運動を10回を1セットにして、1日5セット。

 

 さらに、べろを右目や左目につけてください。
 え、つかない?
 ついたら、怖いです。
 斜め上にも、左右それぞれ1日5セット。

 

 これで、法令線が消え、口角が上がります。

 

 嘘だと思うならば、今すぐデジカメを出してください。
 フラッシュをたかずに、顔を正面、右、左からそれぞれ1枚撮影してください。

 

 法令線消去運動を、今日から始めてください。
 10日後に、再び、デジカメで写真撮影して、見比べてみてください。

 

 法令線運動は、場所を選びません。
 でも、本当に人前でやったら、どん引きまくられます。
 一人きりの部屋、トイレの中でやってください。

 

 1,2,3と数をかぞえる代わりに、ありがとうを唱えながらやると、いい気分になりますよ。

Horei1



アンチエイジング事典

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2009年1月26日 (月)

番組予約ができるFMラジオ

 元春がラジオに帰ってくる。
 思い起こせば、かつて「サウンドストリート」の時は、毎週欠かさずに聴いていたわけではなかった。
 聞き忘れるのである。

 当時は既に、テレビならば「留守録」があったが、ラジオにはなかった。
 そこで、目にとまったのが「Radio Mate USB AM/FMラジオチューナー NV-UR001」
 番組予約録音ができる、パソコンに接続して聴くFM/AMラジオ。

■実勢価格:送料込み 7,100円
  Radio Mate USB AM/FMラジオチューナー NV-UR001の販売ページ(amazon)

■発売日: 2008年10月 9日

 機能
■番組予約:時刻指定して録音できる。
a 3月31日23:00~24:00 NHKFM を予約 → できる
b 毎週火曜 23:00~24:00 NHKFM を予約 → できる

■タイムシフト:99分 99分は常時録音している。

 仕様
■録音した音声のファイル形式:MP3/WMA/WAV
 音楽プレーヤーに転送することもできる。
■USB:1.1 / 2.0
■電源:USBポートより供給
■FM:ステレオ対応
■AM:ステレオ非対応
■大きさ:長さ170mm x 幅30mm x 高さ25mm
■本体重量:250g
■対応OS:Windows XP 、Windows Vista ※各32ビット版

 かつて、USBタイプのワンセグチューナーを買ったことがあるが、ほとんど受信ができず、使いものにならなかった。
 その点このラジオは、USB端子に接続はするが、アンテナに特化した商品であり、期待できる。

 元春がラジオに帰ってくるまで、あと2ヶ月。
 それまでには、用立てたい。

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2009年1月25日 (日)

スコラーリのジャンパーとデコのグローブ

 7月にデコの移籍が決まった時、FCバルセロナのミッドフィルジャケットに別れを告げた。CWCでデコが優勝を逃した 2006年12月に買ったもの。選手用のネイビーブルーのやつが欲しかったが、結局それは市販されなかったので、ナイキのホリデーシーズンモデルを買った。このジャケットでは、2度の冬を越したが、高い防寒性能のおかげで、寒さとは無縁の2年間だった。

 さて12月に入り、そろそろ寒さも厳しくなってきている。
 新たな冬の防寒具を手に入れなければならない。

 そこで日曜日の試合、スコラーリがベンチで着ていたコートが暖かそうだったので、それを買うことにした。

 品名:チェルシー2008-09スタジアムジャケットプレミアリーグモデル
 2008-09シーズン、チェルシーの選手とスタッフがプレミアリーグ戦のベンチで着用する防寒具。

■製造:アディダス
■カラー: 黒 青いパイプライン
■実売価格:13,545円
■フードは取り外すことができる。
■背中に大きなスポーツパフォーマンスロゴが入っている。

 防寒性能は十分。真冬でも、シャツの上にこれを着るだけで暖かい。
 ファスナー沿いにマジックテープが付いているので、ファスナーを上げなくても前を開け閉めできる。
 襟は折れない仕様だが、折り曲げて着ることができ、そうすれば顎に当たらない。ナイキのミッドフィルジャケットは襟がまったく折れなかった。
 袖丈が長い。ナイキのミッドフィルジャケットのような手首を袖を束ねるマジックテープは付いていない。
 着丈も長い。
 ただし、胴囲は小さめなので、腹が出ている人は着づらい。
 胴囲に合わせてサイズを上げると、手が全然出なくなる。
 防寒具としての完成度が高い。
 値段は手頃で、ナイキのミッドフィルジャケットよりも 1,000円安い。

 UCL(UEFA Champions League)モデルも平行して販売されている。
 プレミアリーグモデルはチームエンブレムがカラーだが、こちらは単色。
 パイプラインなし。背中のスポーツパフォーマンスロゴが小さい。
 黄色のワンポイントがデザインされている。

 冬場に入ってから、デコが手袋をはめてプレーしているのが気になっていた。
 手の甲にアディダス・スポーツパフォーマンスロゴが付いた黒いグローブ。
 サッカーショップ加茂で尋ねてみると、競技用として売られていたのが「Predator field glove」
 アディダス・プレデターブランドのフットボール・グローブ。

■ゴールキーパー以外のフィールドプレーヤー用
■手のひらには、スローインでボールをグリップするための滑り止めが付いている。
■実勢価格:3,045円(2008年冬モデル)

 テレビで見ていると黒い軍手のように見えるが、このグローブはごつい。
 店員さんに「これ、キーパー用じゃないですよね?」と確認してしまった。
 日々使っていると、通勤の防寒には十分。
 ただし、細かい指先のタッチがつかめないため、靴のひもを結び直す、財布からカードを出すなどの手作業は難しい。クルマの運転にも不向きだった。



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2009年1月24日 (土)

帰ってきた元春に見合うラジオ

 元春がラジオに帰ってくる。

 元春レディオショー
 3月31日(火)復活
 NHK FM
 毎週火曜 23:00~24:00

 かつて、元春の当番は「サウンドストリート」月曜日だった。
 *サウンドストリートは月~金 毎晩22時からの帯番組。

 「ブルーマンデーをぶっ飛ばせ!」
 と元春が言うと、本当に目の前が明るくなるのを感じた。

 「もう、月曜日終わりですけど・・」
 とは、決してつっこまなかった。

 第1回放送では、スタジオライブをやった。
 今、聞き直すと、元春の声の若さに、椅子から転げ落ちそうになる。

 モトハル レディオ ショー♪
 のジングルがいかしていた。
 僕がカセットテープにエア・チェックしておいたそのジングルは、Moto's Web Server が立ち上がる時、その音源として使ってもらった。

 最終回は、落ち着いた元春だった。
 「夢を夢のままにせず、夢にちかづく努力をする」
 という元春のメッセージが、長く座右の銘だった。

 当時、ラジオはカセットについていた。
 まだ、スピーカーが一つだけのラジカセ。

 ソニーのラジカセ「スタジオ1980」が喉から手が出るほど欲しかった。
 玉屋の裏にあるソニーのお店に、スタジオ1980のでっかい張りぼてが置いてあり、これが欲しいですと泣いて頼みそうになった。
 ソニーのウェブサイトによると、70万台も売れたそうだ。

 ナショナルのクーガもかっこよかった。
 その頃BCLブームが来ていて、ベリカードが欲しかった。
 (なんか、時代考証合ってないな)
 ジャイロアンテナを電器屋に行く度に回していた。

 さて、元春がラジオに帰ってくる。
 手元にあるFMラジオと言えば、時計にオマケでついているものだけ。
 どうも、これでは気分が出ない。
 クルマにはFMがついているが、深夜の駐車場で、ぽつんとラジオを聴いているのは怪しい。

 さっそく、元春を聴くためのFMラジオ探索にはいった。
 まずはYahoo!商品検索+ヤフオク込み
 一応AMもついていた方がいい。
 キャラクター、あるいはデザインがぐっとくるものが欲しい。

 FMラジオ AM 元春
 FMラジオ AM キースへリング
 FMラジオ AM デコ

 いわゆる、collaboration radio を探していくが、一件も該当なし。

 スタジオ1980、ナショナルクーガ それぞれレトロ品として、ヤフオクに出てはいるが、どれもジャンク扱い。
 懐古趣味だけで、機能しないモノを持つわけにはいかない。

 そうこうしているうちに、ウィルコムW03につないで、FMラジオを聞く方法があるのではないか?と考えた。
 スマートフォンに使えるものならば、パソコンでも使えるだろう。

 ウィルコム FMラジオ
 そのキーワードが、ぐっとくる逸品をたぐり寄せた。

つづく

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2009年1月23日 (金)

織田裕二の問いかけ「君たちは誰だ?」

昨年夏、フジテレビ系列で放送された連続テレビドラマ
「太陽と海の教室」

織田裕二が生徒に話しかける言葉は いつも
とても、よく練られていて感心した。

まず、問いかける。
少し考える間がある。
生徒に考えさせているのだが、テレビで見ている僕らにも、考える時間がある。
答えを予想してみるのだが、なかなか素敵な言葉が浮かばない。

そして、織田裕二がおもむろに答えを言う。

その「最終回」の言葉を、今も自分に問いかける。

(以下、最終回より引用)

「君たちに問題を出す・・ 」

「十年かけて答えを出して欲しい。 」
「名前、人種、性別、職業、学歴・・ではなく 」

「君たちは誰だ? 」

(引用、おわり)

我々はバルタン星人である
という答えは駄目

「●●第一高校の佐藤です」
「△△株式会社の鈴木です」
「長崎生まれの田中です」
「田中一郎の長女の恵子です」

そうした名刺や固有名詞の属性ではなく、自分を表す概念。

散歩の時、図書館の棚を物色している時
時々、この問いかけを思い出して考えていた。

自分は誰だ?

自分を表すもの
それは「使命」
ある時は「夢」

それは、誰かと比較するものではない。
ゆえに、貴賤はない。
大小もない。
自慢することではないし、卑下する必要もない。

自分に問いかけて、
自分の良心、夢に沿って考えて

自分は■■の実現に向けて歩む人間だ。
社会に★★で役に立ちたい。

それが自分の答えだ。

織田裕二さん、いかがでしょう。
って、人にお伺いを立てることでも、承認してもらうことでもない。



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2009年1月22日 (木)

15年前、財政赤字はいくらだったのか?

 1990年代からしらべるがチェックしてきた日本の借金
"国と地方の財政赤字"の推移は以下の通りである。

【 凡例 】
年月
金額
出典

1992年3月
220兆円
*「日本発、世界大恐慌!」浅井隆 徳間書店 1992年5月

1995年3月
290兆円
*大蔵省筋公表

1996年3月
310兆円
*大蔵省筋公表

2001年11月
743兆円
*財政赤字リアルタイムカウンター

2001年11月
666兆円
*広報東京都2001年12月号

2001年度
666.4兆円
財務省、総務省資料

2002年度末
693兆円
2002年3月、財務省資料

2003年度末
703兆1479億円
2004年6月25日財務省発表

2004年6月末
729兆2281億円
財務省2004年9月24日発表

2005年度末
約774兆円 (小泉メルマガ215号)

2007年末
838兆円
財務省2008年2月25日発表

 ブラックマンデー1987年10月19日から5年後、バブルがはじけた翌年の1992年。
 借金はまだ220兆円なのである。
 それが、1996年から2001年の間に急激に増えている。

 2011年に消費税を上げることになった場合、その責任は「上げた人」にはない。
 その責任は次の人たちにある。

1,借金を加速させた人。
2,そして、その借金を放置した人。
3,借金した時に使った、その金で食った人。

 1,2は主に政治家と官僚。
 3は国民である。

 国民は郵便局や銀行に預けたお金が、自分に回ってきていることに気づかず、それで暮らし、時にはいい思いをしたのだ。

 誰が悪いかという張本人でいえば、政治家と官僚。
 仕組みをコントロールしている人が持つ根本的な責任は重い。

 だが、彼らはそれを認めない。
「歴代の政治家と官僚は、責任を認め、一人1千万円ずつ国に拠出する」
という法律ができる可能性はゼロ。

 ゆえに、現実路線として、消費税を多く支払い、行政サービスや福祉の低下を受け入れ、国の財政破綻を救うしかない。

 2009年は衆議院の総選挙がある。
 いつまでも、政権ごっこで遊んでいる政治家に投票してはいけないのである。



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2009年1月21日 (水)

びっくりたまげた東京マラソン

東京マラソンを完走したい 【 8 】

 第一回東京マラソンの反響は大きかった。

 テレビ中継を見た素人は、次の点にびっくりした。
「人が多い」
「抽選で落ちて、走りたくても走れない人がいる」
 マラソンを走るのに抽選がある。ということが普通では考えられない。
 しかも、落選者は 51,648人である。
 参加費は1万円なので、5億円の売上げを「要りません」と断ったのだ。
 資金繰りにあえぐ経営者の皆さんから見れば、羨ましいことこの上ない。

 沿道で応援した人は、雨の中を走っているランナーが嬉しそうに笑っているのに、びびった。
 42kmも走るのだ。
 10mでもムリ!
 という人が多いのに、42kmである。
 しかも、この雨の中を走ることの、どこがそんなに楽しいのか。

 翌日の朝刊を見た素人は「完走率」に驚いた。
 26,058人が受付をして 25,130人が完走。 96.44%。
 完走できなかったランナーは およそ900人。
 市民マラソン事情を知っていた人ならば、7時間という制限時間に鑑みて、さほど驚かない。
 ただ当日の雨天と極度の冷え込み、素人が大挙してエントリーしているであろうことを考えれば、90%程度かと予測していた。
 だが、出場者は思いの外、きちんと練習をしてきたのだった。

 3万人規模が走った日本初の市民マラソン。
 いったい何万人がびっくりしたかはわからない。
 ただ、その後確実にそこらを走っている人の姿は増えた。

 さて、ボランティアとして現場を見て、大いに士気が高揚したのだったが、1か月後の湘南国際マラソンは完走できなかった。
 第三関門の制限時間にあと3分届かず、記録は「DNF」

 翌シーズンは湘南国際マラソンに再戦を挑むという課題ができた。
 第二回東京マラソンは11か月前の時点で見送ることを決めた。
 「東京マラソンを完走したい」は2年後の目標に棚上げされた。

 東京マラソンが終わって一月半。
 もうすっかりボランティアに出かけたことも忘れていた 2007年4月3日
東京マラソンボランティアセンターより、一通のメール便が届いた。

 なんだろう?
 何かもらえるのだろうか・・
 封書から出てきたのは、ハガキの大きさ二つ折りの感謝状。
 Thank you 12,670
 それによるとボランティア参加者は 12,670人とあった。
 不遜な期待をしたのが、少し恥ずかしかった。

 2007年6月、第二回東京マラソンのエントリー受付が始まる。
 第一回のボランティアに出場優先枠を設けるかは当初「予定なし」となっていたが、ウェブサイトで優先枠なしと明記された。
 第一回で落選した人にも優先枠はない。
 第一回に出場した人も落選した人も、第二回で初めて応募する人も一律に抽選の対象となる。

 8月には二度に渡り、2007年のボランティア従事者を対象に、ボランティア・リーダーの募集が行われた。
 無料ならば応募するところだが、費用がかかるとのことで見送った。

 ボランティアは 9月3日から募集開始。募集定員は前年より 2千人増えて12,000人。
 こちらは抽選ではなく先着順。
 募集開始からおよそ1か月後の 10月1日に締め切られた。

 10月5日、抽選結果の発表が始まる。
 定員より2,500人多い27,500人を当選とした。

 明けて 2008年
 大会2週間前の 2月3日、マラソンコース脇の歩道を使ったウォーキング大会を開催。
 午前 7:30スタートで、ゴール制限時間は16時(8時間30分)

 2月14~16日、東京ビッグサイトで選手受付 (2007年は東京ドームだった)
 受付したのは 27,386人。
 27,500人に一次当選通知を出し、11月12日には二次当選を出して、この人数。
 まさか当たるとは思わずに申し込んだけれど、お金は払わなかったというお調子者が、ずいぶんといたことになる。

[ 東京マラソンを完走したい ]
は東京マラソン2009開催まで、毎週水曜に連載する予定です。



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2009年1月20日 (火)

増え続ける財政赤字のリアルタイムカウンター

 消費税率を上げるのは現実的に仕方がないことだ。
 国と地方の財政赤字が800兆円を超えている。

 そして、今この時も増え続けている。
 その様子はweb上で公開されている「財政赤字リアルタイムカウンター」で、見ることができる。
 「財政赤字リアルタイムカウンター」とは、日本の財政赤字(国=日本政府と地方が抱える長期債務残高)をリアルタイムで表示しているカウンター。
 以下に3例を紹介する。
 数値は700兆円台、1,000兆円台、1,250兆円台とかなり幅がある。

財部誠一のウェブサイト

KH’s Web Site内
 このカウンターはリアルタイムで財政赤字がカウントアップされていくことで危機感を実感できるものだったが、2003年度より数字がカウントダウンされている。つまり赤字が減っていくカウンターとなった。
 2003年7月時点の作者説明によると「今年度から郵政事業特別会計および郵便貯金特別会計の借入金残高が除外されるため、帳簿上は赤字が減っていることになります」とのことだった。
 だが 2004年9月に確認した時は、再びカウントアップに転じていた。

日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタ


 借金はいつか返さなければならない。
 必要なのは、いつから返し始めるのかを明確に決めることだ。
 消費税を上げようとしている人たちは、その時期を決めようと思っている。

 わかった。
 借金を返す必要性はわかったよ。
 でも、それは俺が悪いんじゃないから、俺は返したくない。
 だから、消費税率アップは反対。

 こう考える人が実際には多い。
 多いから、世論調査で反対が半数を超えるのだ。

 ではいったい誰が悪いのか。
 誰が、そんなに借金を作ったのか。
 そんな日本に誰がしたのか。

 現在、800兆円と言われている借金は、いつからそんな金額になったのか。
 今から10年前、15年前はどうだったのか?

つづく

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2009年1月19日 (月)

特別会計で食っている人たち

 確かに財政再建の途は消費税率アップだけではない。
 だが、自称玄人たちに強力な対案があるわけでもない。
 彼らは言葉遊びの一環として、いろいろな方法論をあげつらう。

 議員の削減、公務員の半減、公共事業の見直し、
 特別会計の見直し・・

 そんなことができるならば、とうにやっている。
 だが、それはできない。
 なぜならば、それで食っている人の社会が日本だからだ。

 特別会計にメスを入れるための切り口である「郵政民営化」がいい例だ。
 どれだけの人がこぞって反対したか。
 「郵便局を減らして、おじいちゃんには郵便を出すなと言うのか?」
 などと、訳のわからない作り話をして、邪魔しようとした人がどれだけいたか。
 郵政事業だけでなく、いかに特別会計のカネで食っている人が多いかがよくわかった。

■一般会計
 国が1年間に使うお金の計画。収入は税金と国債発行。
 毎年一月から開催する通常国会で決める。
 一般会計とは別に、官僚のフリーハンドで決める「特別会計」がある。

 日本の予算はざっくりと言って税収50兆円+国債30兆円の80兆円で組まれている。
 実際には国債が30兆円を超えていたが、小泉内閣が「国債30兆円以内」にこだわり続け、2006年には新規国債発行額29.9兆円となった。
 これにより2007年度予算(一般会計)は8年ぶりに80兆円を割った。

■特別会計
 特定の目的のために特定の資金で組まれる予算。
 一般会計(=国家予算)とは別に組まれる。

 "表の予算"である一般会計が80兆円程度なのに"影の予算"である特別会計は200兆円を超える。本当の金額はごく一部の人しか知らない。
 財政投融資は、この特別会計を財源として行われる。

 消費税率アップに反対の人は、他に借金を返す方法はある。
 それは財政投融資などの無駄遣いをしないことだ。
・・と言いながら、そういう人と郵政民営化反対の人が同一人物だったりするのが可笑しい。
 いったい借金を減らしたいのか、増やしたいのか、その思考回路がさっぱりわからない。
 どんなことを言っても、その論理の齟齬を国民は見抜けないと高をくくっているのである。

 「消費税率アップの条文」に反対する人は、選挙に勝ちたい人たち。
 「消費税率アップの条文」に賛成する人は、財政を立て直したい人たち。

 では、なぜ「消費税率アップの条文」に反対すると選挙に勝てるのか?
 それは国民の過半が "消費税率アップに反対" という世論調査結果に見て取れる。
 その人たちが、次の衆議院選挙では「消費税率アップの条文」に反対する人に投票する可能性があるからだ。



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2009年1月18日 (日)

倒れなくなったデコ

11月26日(水)
CL2008-09グループリーグ第5節 ボルドー (away) △1-1
デコは前節のローマ戦(away)でイエローカード2枚をもらっており出場停止。
この試合の結果、グループ 2位に落ちた。
ランパードが2枚のイエローカードを受け、最終節に出場できなくなった。

最終節を残して依然として勝ち抜けが決まっていない。1位通過も危うい。
3節にホームでローマを破った時点では、楽勝の1位通過を確信した。
まかさこういう展開になるとは思わなかった。

この試合の模様はCL戦としては久々に放送されたが、日本では2日遅れの放送。
とても、2日間ネタバレ対策をして待つ気にはなれなかった。

11月30日(日)
プレミアリーグ14節アーセナル (home) ●1-2
オウンゴールで先制したが、オフサイド誤審により同点に追いつかれた。
テリーのイエローカードで流れが変わり、直後に逆転される。

デコは長袖+グローブ。
前半は解説者から「(バルサの時のように)遊ばなくなった」と散々言われる。
そういえばデコは倒れなくなった。
「俺だって倒れずにやれるんだ」
という強い意志をその雄志に感じる。
後半は凡ミスが増え、パスは精度を欠く。
テレビ画面からでも集中力が切れたのが見て取れ、80分に19歳のストフと交替した。

アーセナルはチェルシーと同じく、ロンドンに本拠地を置くクラブ。
ホームグラウンド:ハイバリー エミレーツ・スタジアム(エミレーツはUAEの航空会社)

【  アーセナルの歴史  】
1886年
ロイヤル・アーセナル創立

1913年
本拠地をハイバリーに移転 アーセナルに改名

1992年
ハイバリー・スタジアムからアーセナル・スタジアムに改称。

1996-97
アーセン・ベンゲル監督就任1年め

1999-00
アンリ加入1年め

2000-01
FAカップ優勝 プレミアリーグ優勝

2002-03
オフシーズン、FCバルセロナのカンテラからセスク・ファブレガスを獲得。
この引き抜きについては、未だにバルセロニスタがぶーたれている。

2003-04
22勝16分無敗でプレミアリーグ優勝

2004-05
11節まで49試合無敗記録を続けた。
FAカップ優勝

2005-06
アーセナル・スタジアム(通称ハイバリー 38,548人)を使用するラストシーズン。
その記念にユニフォームにゴールドのナンバーをつけ 「HIGHBURY」「1913-2006」の文字が入った。
CL初のベスト4入り、初の決勝進出、準決勝まで10試合連続無失点を続けた。

5月7日、最終節に勝ちリーグ4位。
5月17日、CL決勝 FCバルセロナ2対1アーセナル
ベンゲルは自らの手腕を棚に上げて、いつまでも「オフサイド誤審で負けた」と言い続け、実にみっともなかった。

5月19日、バルセロナ移籍と思われていた契約切れのアンリと、来期より新たな4年契約を結ぶ。

2006-07
エミレーツ・スタジアム使用1年め。
9月、U-19日本代表FW伊藤翔(中京大中京)が入団テストに合格
シーズン終了後、アンリがバルセロナへ移籍
アンリは前年に移籍していれば移籍金ゼロだったが、契約途中のためアーセナルに巨額の移籍金が転がり込んだ。

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2009年1月17日 (土)

消費税率アップの条文に反対する人たち

「政府の無駄な支出や社会保障費の膨張に歯止めがきかなくなる恐れがある。」

 これは誰がみても警鐘である。
 ではいったい、誰に対して鳴らしている警鐘なのか?
 それは、2009年に行われる衆議院選挙の有権者である。

 前回の衆議院選挙は2005年9月11日。
 衆議院の任期は4年。
 遅くとも9月までには衆議院選挙が行われる。

 「歯止めがきかなくなる恐れがある」というのは、借金を返そうというモラルが放棄されることを意味している。
 人の場合、借金を返さないと、その行く末は 自己破産である。
 国の場合、その行く末は 国家破産である。

 「国家破産」という言葉は書籍・雑誌ではよく使われているが明確な定義はない。
 一つ言えることは  「国家」という人格はいないので 「破産」で苦しむのは、そこに住む国民であるということだ。

 大半の国民が困窮するのである。
 例を挙げれば、"国家が破産" すると、極度のインフレが起こる。
 インフレになると物価が上がる。一方では失業が増える。

 カップ麺1個千円で1日1食という暮らしが、フリーターではなく、一般サラリーマンの生活になる。

 政府は 2009年1月に始まった通常国会に「2009年度税制改正法案」を提出する。
 この法案には2011年からの「消費税率アップの条文」を明記する。

 民主党は 「消費税率アップの条文」を削除した法案を準備している。
 つまり、民主党は 2011年からの消費税率アップに党として反対する。

 自民党の内部にも 「消費税率アップの条文」削除を求める議員がいる。
 いわゆる党内の「造反組」である。
 麻生総理は 「消費税率アップの条文」は閣議決定事項であり、造反はあり得ないとコメントしている。

 借金は返したほうがよいのか?
 まだ、返さなくてもよいのか?
 という話である。

 日本の企業と個人の体力に鑑みて
 今ある 800兆円の借金は 減らしたほうがよいのか?
 それとも、もっともっと増やしても大丈夫なのか?

 それは前者に決まっている。
 "決まっている" と言い切る根拠は、現在の不況にある。
 米国発金融不安で、日本が不況に陥っている。

 日本は普通の体力なのである。
 圧倒的な体力はない。
 日本の企業と個人に 800兆を超える借金をものともしない体力があるならば、世界同時金融不況などどこ吹く風、日本だけは好況に沸いているはず。
 圧倒的な体力があるならば、現在は年間50兆円に届かない税収も、100兆、200兆という金額になっているはずだ。

 日本はそろそろ借金を返さなければならない。

 消費税を上げなければ、プライマリーバランス(=単年度収支)の黒字化は見えてこない。
 ということは、いつまでも借金返済が始まらないということ。
 "赤字増やし放題国家" 状態が続くと言うことだ。

 こうした「消費税率アップはやむなし」という論調をとると、
 「これだから素人は困るよ。
 財政再建の道は消費税率アップだけじゃないんだから・・」
 といって、煙に巻こうとする自称玄人が現れる。

つづく



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2009年1月16日 (金)

プライマリーバランスの黒字化を放棄したらどうなるか

 1月15日の日本経済新聞電子版 Nikkei Net が次のように報じている。

(以下、引用)

財政再建、目標失う 基礎収支黒字化、18年度ずれ込み

 内閣府は14日、政府が財政再建の目標としてきた基礎的財政収支の黒字化が2018年度にずれ込むとの試算をまとめ、自民党に提示した。政府は06年に決めた「11年度の黒字化」を努力目標として残すが、今回の試算では達成はほぼ不可能。財政再建の目標は事実上、なくなる。政府の無駄な支出や社会保障費の膨張に歯止めがきかなくなる恐れがある。

(引用終わり)

 このニュース記事には、どういうことが書いてあるのか。
 今日はそれを考えていこう。

「06年に決めた11年度の黒字化」

 これは2006年度に政府が決めた目標。
 黒字化とは「プライマリーバランスの黒字化」のこと。

 プライマリーバランス primary balance
とは、以下の2つの条件についての均衡状態をいう。

■国の支出が税収の範囲で賄われている
■国債の支払い+利息の支払いが国債の収入の範囲で収まっている

■計算式
 プライマリーバランス=歳入-歳出
 ただし、
・歳入には借り入れを含まない。
・歳出には過去の借り入れの元利払いを含まない。
・単年度で算出する数値

■プライマリーバランスの推移
 2003年度 -19兆6469億円
 2004年度 -19兆 214億円
 2005年度 -15兆9478億円

 小泉内閣は2010年代初頭に国と地方を合わせたプライマリーバランスの黒字化を達成することを目標に掲げていた。
 2006年にはそれが、2011年と明示された。
 小泉内閣より前の内閣では、このような聖域のない細かい見直しを行わなかった。

 つまり、森内閣までは "赤字増やし放題内閣" が続いていたわけである。

 さて 「プライマリーバランスの黒字化」を達成するだけでも大変なことだが、それはあくまで単年度の話。
 プライマリーバランスを黒字化してから、ようやく「借金の返済」が始まるのである。

 それなのに プライマリーバランス黒字化の 「達成はほぼ不可能」
「財政再建の目標は事実上、なくなる」 という。

 もしそうなれば、借金返済の入り口に立つ前に、さらに「エンドレス借金国家」に突入する。
 これはもう、本当に穏やかではない。

つづく



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2009年1月15日 (木)

週末は寒いなか、センター試験です。

 1月17日(土) 18日(日)の2日間 センター試験が行われる。

 センター試験は国公立を中心とした大学入学試験。
 例年、1月の第3土日に行われている。
 入学試験は一大イベント。受験生は学校を休んで受けてもよさそうだが、試験は土日の休日に行われる。
 電車やバスが混まない。学生のアルバイトなどスタッフが確保しやすい。
 といった事由によると拝察する。

 出題はすべてマークシート方式。
 記述式の問題はない。
 2006年より英語にリスニング試験が導入された。
 かつて「ヒヤリング」と言っていた頃の一斉放送によるものではなく、この試験にはICプレーヤーとイヤホンが使われる。
 ICプレーヤーなどの備品は持ち帰ることができる。

 リスニングは配点が50点もあり、とても比重が大きい。
 大学を目指すお子さんがいるならば、この50点のために早い時期からネイティブ・スピーカーの英語を聞き取る力をつけるとよい。
 その手段は 海外留学、駅前留学、英会話教材 と様々だが、如何せん費用がかさむ。
 その点、苫米地英人が発表しているサブリミナルを駆使した方法ならば、費用は 3,000円しかかからない。
*「英語は逆から学べ」

 1979年に始まった「共通一次」が1989年に終了した後、「共通一次」に対して「新しいテスト」という意味で「新テスト」とも呼ばれていた。
 1990年(平成2年)1月に始まり、2009年は記念すべき20回め。
 記念大会として全国各地で盛大な式典が行われる・・ ことはない。
 20回ともなれば、新しくもないので「新テスト」と呼ばれることもなくなっている。

 【 共通一次との違い 】
1,国公私立を問わず全ての大学が対象
2,どの教科、科目の結果を利用するかは各大学の自由。
3,傾斜配点が認められている。

 傾斜配点とは、ある教科の得点に一定の係数を掛けること。
 山形大学工学部は1997年度入試より、センター試験の国語(200点満点)について現代文(100点満点)だけを得点対象として 2倍で計上する傾斜配点を開始。
 しかし、コンピューター・プログラムを変更し忘れたため、現代文は 1倍で計算されていた。

 それが2001年度入試が終わったところで発覚する。
 その発端は、この年に始まった「成績開示制度」
 これを利用した山形大の受験者が、2倍にするなら偶数になるはずの国語の点数が、奇数になっていることを指摘。
 調査したところ、プログラムの改訂忘れが判明した。

 このミスは 1997年から2001年まで 5年間続いた。
 ミスがなければ合格していたのは 5年間で428人。
 大学から当該者への入学の打診に対する返答は「入学する」61、「保留」171、「入学しない」196
(*山形大学まとめ 2001年6月3日現在の数字)

 年度別の回答は不明だが、1997年に被害に遭った94人は、発覚した2001年の春には卒業を迎え社会に出た年齢。
 何を今さら、そのやるせない気持ちを思うと、あまりに忍びない出来事だった。
 一方、ミスがなければ不合格だった 428人は、自分がそうだったかはわからず仕舞いとしても、得体の知れぬ気味悪さを感じたに違いない。

 なお成績開示は、出願時に別途800円を支払うことで受けられる。

 その昔、会場に生徒を引率に来た先生は、こう言って生徒を笑わせた。
「今日、試験問題について情報がはいった」
 まじかよ?と息を呑む生徒
「教科書に載っていることしか出題されないそうだ」・・

 ちなみに現在の試験では、教科書に載っていない時事問題や英単語も出題される。

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2009年1月14日 (水)

優勝ランナーより有名な2位ランナー

東京マラソンを完走したい 【 7 】

 東京マラソン第一回女子の優勝者は誰でしょう?

 この問いには、マラソンファンでも正解できる人は少ないだろう。

 女子優勝:新谷仁美  (国籍:日本、所属:豊田自動織機)
 優勝した新谷は当時18歳で、初マラソン初優勝。
 2時間31分1秒は初マラソンとしては立派でも、世界選手権選考レースとしては低調なタイム。
 新谷はその後も大きな活躍がなく印象が薄い。

 女子2位には谷川真理がはいった。
 タイムは新谷から遅れること18分の2時間49分。
 谷川はエリートの招待選手ではなく、ゲストランナー。
 調子はいま一つだったが、終わってみたら2位でびっくりした。こんなタイムで2位でいいのかと思った・・
 とその著書で語っている。

 谷川真理は元はと言えば普通のOLだった。
 その経歴は いわゆる、陸上エリートではないが、独自の努力でトップアスリートの仲間入りした。
 そしてまた、エリートランナーをリタイアした後は、市民ランナーに戻り、走るライフスタイルを提案し続けている。

 谷川が説く "骨盤を前後に動かす" 練習方法は、素人にもとてもわかりやすい。
 1962年生まれと言うことは、現在46歳。
 年齢を感じさせない風貌は、多くの女性ランナーのモデルになっていることだろう。

■谷川真理の略歴

1962年
10月27日、福岡県生まれ

1991年
東京国際女子マラソンでマラソン初優勝

1994年
パリマラソン優勝 現役時代の自己ベスト2時間27分55秒

1998年
初めての著書「谷川真理のランニング・フィットネス」学研 発売

2000年
1月16日、第一回谷川真理ハーフマラソン開催
以降、毎年1月に開催。

2007年
2月、第一回東京マラソンに 一般ランナーとして参加して女子2位に入った。
この大会はアシックスがメインスポンサー。
ナイキ・ランニングの広告塔的な存在の谷川はテレビに映ることもなく、彼女が 2位に入ったことはテレビを見ていてもわからなかった。

2008年
2月、第二回東京マラソン10kmの部女子2位
8月18日「東京マラソンの走り方」コスミック出版 コースガイド、トレーニングのポイント、最低限のことがまとめてある。

2009年
1月11日、第10回谷川真理ハーフマラソン開催

東京マラソン2009への出場については、谷川真理のホームページにも記述が無く、わからなかった。



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2009年1月13日 (火)

カップヌードルライトとノーマルの食べ比べ実験結果

 カップヌードルライトが店先に並んでいる。

 ライトである。
 ライトなのはカロリーだが、味もライトに決まっている。
 食べれば一発でわかるね。
 きっと美味くないよ。

 そんな自称カップヌードル通の天の声が聞こえた。
 それと同時にライトとノーマルが1個ずつレジかごに入っていた。

Cup_light1

 しらべるでは2008年4月に、カップヌードルがプラ容器から紙容器に移行した際、食べ比べを報告した。
 今回も、前回と同じカップヌードルファン3人にお集まりいただいた。

 レギュレーションは以下の通り。

1.同条件(同じ湯、3分蒸らし、具のとりわけも同じ)で2つの無記名の紙コップに「ライト」と「ノーマル」を取り分ける。
2.試験者はどちらから食べてもよい。
3.一つ食べる度に感想を言い、どちらかを予想する。

Cup_light2



 テスト用に2つのカップヌードルを作って、気づいたことは以下の3点。

1.ライトは必要目安となるお湯の量が20ml多い320ml
2.ノーマルは何度もフタ止めシールが剥がれた。ライトは一度も剥がれなかった。
3.できあがり直後、ライトと比べてノーマルは汁が少なくなっている。

Cup_light3



 では順番に3人の感想を書いていこう。

■サトウさん
[1つめ]
 味が濃い。
 これがノーマルに違いない。
[2つめ]
 スープが薄味野菜スープみたい。野菜ヌードルという言葉がぴったりだ。
 1つめのほうがノーマルである。

■スズキさん
[1つめ]
 あれ・・カップヌードルってこんな味だったっけ?
 どちらなのかは、わからない。
[2つめ]
 あっこれがノーマルだ。
 味が濃い。

■タカハシさん
[1つめ]
 今までとは全然違う
 これがライトだ。
[2つめ]
 (ノーマルって)こんな味だったかな・・
 やっぱりこっちがライトだ。

 さて、予想的中結果だが、3人とも「当たり」

 サトウさん、タカハシさんはノーマル→ライト
 スズキさんはライト→ノーマル
 の順番で食べた。
 1つめを食べた時点で正解を導いていたのはサトウさんだけ。

 食べ比べればはっきりとわかる違いでも、古い記憶との比較では判別は難しいということが言える。

 こうして実際に食べ比べる人は少ないだろう。
 ただ、一度食べ比べた人は、いくらカロリーがライトと言えども、ライトには手が伸びないと推察する。
 数ヶ月後、激戦のコンビニ定番を「ライト」が守っているか注目していく。

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2009年1月12日 (月)

国会便覧はまだ売っています。

 図書館名簿利用制限 続く

 読売新聞1月12日朝刊 社会面に記事が載っている。

・元厚生次官襲撃事件の容疑者が「国会図書館で調べた」と供述したことをきっかけにして、全国98自治体が名簿等の利用制限をおこなっている。(要約)

 記事によると「厚生省名鑑」や中央省庁の職員録などの「名簿」について利用制限が行われているという。

 厚生省というのは2001年に厚生労働省となる前の呼称であり、厚生省名鑑もそれ以前の書物。もう書店の店頭には置いてないが、図書館に行けば見ることができる。

 何らかの規制をしている98自治体には東京都が入っている。
 1月12日、東京都の全図書館の蔵書を調べたところ、"厚生省名鑑"は杉並区と都立図書館に蔵書があった。
 記事によると東京都は閲覧を禁止しているという。

 2004年、田中眞紀子衆議院議員について、政治とは関係のない個人的な事情を「週刊文春」が書いて出版停止になったことがある。
 大半の駅売店は店頭にあった同誌を撤去した。
 この時の東京の図書館の対応は、表紙に注意を喚起する紙を貼り、そのまま閲覧。そして次号発売後は貸し出しもおこなった。

200404_bunsyun

 このように、ケースバイケース。対応は一律なものではない。
 今回「名簿」についての閲覧禁止は、事態の重大性に鑑みて的確なものである。

 読売新聞記事には、「名簿」を閲覧禁止にした措置について、"ほかにも情報入手の手段はある。利用制限は図書館の使命の自己否定" と批判する意見が載っている。

 かつて「日本にはお金がないわけじゃない。だから首都移転に10兆円くらい回したっていいじゃないか」と言っていた先生のことを思い出した。

 いま目の前で、現実的にどういうことが起きているか、どういうリスクがあるのかという考え方を避けて、都合のよい論理と言葉に遊ぶ人の意見は不愉快だ。

 さて以前に指摘した、国会議員の個人情報がまるまる載っている「国会便覧」については、どうだろうか。
 東京都立のある図書館で調べたところ、以前は貸し出しも可能な資料だったが、現在は貸出不可・館内閲覧のみの「参考資料」となっていた。

 ただし「国会便覧」は書店、amazon などでは、今も買うことができる。
 公人受難のやっかいなことが起こらないことを、心より祈る。

2008年12月 1日 (月) 「国会便覧」には自宅住所が載っている

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2009年1月11日 (日)

昔は強かったニューカッスル

11月19日(水)
親善試合 ブラジル6-2ポルトガル (away)
デコ、クリスチアーノ・ロナウドも出場したが大敗。
62分、デコのパスからシマン・サブローサが2点目を決めた。

今、デコがいるチームの中で唯一憂鬱なのがポルトガル代表チーム。
2010年W杯予選の調子は一向に上がらない。
スコラーリが去った後のチームはこれから先まとまっていくのだろうか。
デコにとって恐らくアフリカ大会は、W杯出場最後の機会。
ここで出場を逃すようなことがないことを祈る。

11月22日(土)
プレミアリーグ13節 ニューカッスル (home)△1-1
一度はチェルシーが決勝点をゴールに入れたが、判定はオフサイド。
リプレイで見るとどちらとも言えるもので、試合を行方を決めた大きな判定だった。
デコはフル出場。

J sports 2での生中継は今期二度め。
CLはチェルシーのカードがなかなか放送されないが、プレミアリーグはここまで全戦が生中継されている。ありがたいことだ。

 Newcastle United Football Club
 英国北部最大の都市ニューカッスル・アポン・タイン(略称ニューカッスル)を本拠地とするクラブ。

■ホームスタジアム:セント・ジェイムズ・パーク(52200人)
■1stユニフォームカラー:白×黒縦縞
■国内リーグ優勝4回、UEFAカップ優勝1回(1968-69)  昔は強かったクラブ。

■ニューカッスルの歴史
1881年
設立

1904-05
国内リーグ初優勝

1926-27
国内リーグ4度め(現時点では最後)の優勝

1968-69
UEFAカップ優勝

2007-08
プレミアリーグ12位



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2009年1月10日 (土)

個人情報に疎い警察官

 「じゃ、お願いします」
 警察官はタクシーの運転手ではなく、目撃者の僕のほうに説明を促す。
 え、僕ですか?運転手さんに先に聞いた方がいいんじゃないですか?
 事故当事者、それも怪我を負わせた方を目の前にして話すのは、気まずい。
 警察官はそんなことにはお構いなし。

 「いや、運転手さんからは後で聞きますから。
 まずあなたの住所、名前、電話 ・・・ 」
 個人情報を次々と尋ねて、警察官はそれを白い紙に大きな字で書いていく。
 一部始終をタクシーの運転手が、紙をのぞき込んで聞いている。

 名前、自宅の住所番地、携帯の番号まで知られてしまった。
 これで、タクシー運転手の不興を買おうものなら、面倒なことにならないか。
 不安がよぎる。

 運転者側からみて信号は青
 タクシーの運転手さんが一番右車線から、真ん中の車線へ頭を振りました。
 でも、タクシーはそこで静止していました。
 そこへ、後ろから直進してきたバイクが当たりました。

 10分前のできごとだ。
 まだ、鮮明に覚えている。自信をもって言い切った。
 するとその時だ。
 それまで黙って聞いていた運転手が言い放った。

 「そのとおり」

 そのとおり?
 なにがその通りなんだ。
 それはまるで、他人事のトーン。

 かつて、タクシー相手の事故経験がある。
 CB50Sに乗って渋滞している左脇をすり抜けていた時。
 突然、タクシーのドアが開いて、はじき飛ばされた。
 運転手はこちらに気づいて、自動ドアを止めたのだが、降車しようとした客がドアをどーんと突いたのだ。
 運転手はこう言った。
 「あともう少しで個人タクシーがとれるんだ。事故をやるとそれがダメになる。きちんとするから、警察は呼ばないでほしい」

 今日ここにいる運転手も、明日からの生活で頭がいっぱいなのだろう。
 評論家のように、状況を冷静に分析しているのも仕方がないことか。

 バイクの運転手は救急車で運ばれていき、見守った人たちも三々五々に散っていった。
 「なにかまた聞くことがあったら、電話するかも知れません」
 警察官は礼ひとつ言わず、つづいて運転手からの事情聴取に移っていた。

 ずっとあの一言が気になっていた。
 「そのとおり」
 もしかして、自分は無意識のうちに、目の前にいる当事者寄りの話を作ったのではないか。
 いつも、その後に説明するために、目の前の出来事を分析しているわけではない。
 時間が経つにつれて、本当にその記憶は正しかったのか、自信が持てなくなっていった。
 その後、警察からもどこからも連絡はない。

 非がどれだけ、どちらにあるかは別にして、
 四輪車>二輪車>自転車>歩行者
 という交通強弱者の順により、その責任は配分されていく。

 この日を境に、雨の夜に車を出すのはやめることにした。



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2009年1月 9日 (金)

いなくなった携帯の持ち主

 すいません、携帯の持ち主がいなくなっちゃったんですけど・・
 「はぁっ?」
 救急センターの担当者が呆れている。

 携帯は命の次に大切という人さえいる現代社会において、携帯を他人に渡していなくなる人がいるとは予想外だ。
 「じゃ、あなたの名前を教えてください。それから後でこの電話にまたかけるかも知れないと持ち主に伝えてください」
 そう言って電話は切れた。

 バイクの運転手は横たわったまま。
 人工呼吸、AED、除細動・・
 順番と詳細な記憶がもつれて絡んでいる。
 断片的な知識は役に立たない。

 ストラップに大量に飾りがついた携帯を持てあましているとOLが戻ってきた。
 連れ合いを見送りに行ってきたという。よほど急いでいたのだろう。
 「じゃ、私ここから動けないんですか?」
 まぁ、そうじゃないかと思いますけど、僕はちょっと行くところがあるんですけど・・
 「あぁ、どうぞ。行ってください」

 事故現場を離れて、忘年会の会場にはいる。
 会場にはまだ誰も到着していなかった。
 気持ちが高ぶっている。
 OLは行ってくださいと言ってくれたものの、中途半端に放り出したようで、落ち着かない。

 やがて、やってきた知人に すぐ戻るからと言い残して、再び事故現場へ戻った。
 事故発生から8分。まだ救急車は来ていない。
 雨は強さを増している。

 バイクの運転手は目を閉じて横たわっている。
 さっきこの場所を離れた時よりも、状況が悪くなっているのを察知した。
 医大に通っているという女性と男性が付き添い、手を握っている。
 セミプロの彼らが人工呼吸やAEDの取り寄せを指示しないのだから、脈は安定しているのだろう。

 「救急車遅いっ」
 「だんだん冷たくなってきた」
 「毛布はないのか」
 「あそこに派出所があるのに、まだ警察はこないのか」

 タクシーの運転手が、じゃちょっと行ってくる・・
 と言い残してどこかへ消えた。

 そこへ、白い自転車に乗って警察官 1名到着。
 「タクシーの運転手さんはどこ?」
 えっと、こっちじゃないかな。
 通行人が傍らでハザードを点けたタクシーをのぞき込む。
 いない・・  電話するとか言ってたよね
 えっ逃げたの?

 皆、動転しているのだろう。
 脳で考えたことを、そのまんま口に出す人が少なくない。
 会社名の入ったタクシーを乗り捨てて逃げる運転手がいるかどうか、冷静に考えればわかる。

 「誰か、状況わかる人いますか?」
 警察官の問いかけに、誰も反応する気配はない。
 それを見きわめて 「はい」と立候補する。
 警察官は自転車の荷台に設置されたせんべいの缶々みたいなのを台にして、白い紙を広げる。
 濡れても大丈夫なコート紙なのだろうか。
 警察官が さぁどうぞと筆記の態勢にはいった時、タクシーの運転手が戻ってきた。

 「あんた どこ、行ってたんだ!」
 警察官が大声でどやしつける。
 そこまで強気に言わなくても・・
 警察官もやはり興奮するのだろうか。

 いや、ちょっと電話しに・・

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2009年1月 8日 (木)

雨の夜の交通事故

 ある冬の日
 午後から降り出した雨は、夕方には雪混じりになり
 18時を迎える東京の気温は5度まで冷え込んでいた。

 忘年会の時間まであと5分
 会場の店はもう目と鼻の先。なんとか間に合いそうだ。
 傘を斜めにさして、降り込んでくる雨を防ぐ。
 もう少しで歩行者信号が青に変わる。

 その時だ。
 片側三車線の右折レーンにいたタクシーが頭を左に振った。
 客が急に行き先の変更を指示したのか。
 それとも、歩道から誰かが手をあげたか。
 タクシーはおっかなびっくり、真ん中の車線に頭を出したが、そこで止まった。
 いや、止まっているように見えた。

 そこに50ccのバイクがきた。
 バイクはタクシーに気づかないのか、避けようともせず直進してくる。
 そして、あっという間にタクシーの助手席ドアにつっこんだ。

 転倒したバイクと運転者が僕の足下へ向けて滑ってくる。
 そして1m手前で止まった。

 忘年会シーズンの駅前交差点には30人ほどの人が信号が変わるのを待っていた。
 信号が青に変わり、そのまま立ち去る者。のぞき込む者。
 こういう時、スマートフォンは不便だ。
 電話専用機ならば[1][1][0][通話ボタン]と押すだけだが、カバンから出したところで、暗唱解除して、液晶表示させて、電話モードに切り替え・・
 とてもすぐにはかけられない。

 「誰か救急車呼びました?」
 あたりに問いかける。
 じゃ、私が
 OL風の女性が携帯のボタンを押し始めた。

 タクシーの運転手が降りてきた。
 バイクの運転手の意識はある。
 「大丈夫ですか?」
 「大丈夫なわけないだろ!」
 うずくまったまま声を荒げ、そのまま冷たい雨に濡れるアスファルトに伏している。

 「あの、場所がわからないんですけど」
 件のOLが助けを求める。
 電話を替わり、救急センターへ現在地を伝える。
 忘年会の会場地図に書いてあった番地をいうと、すぐ了解してもらえた。

 さっきの女性に替わってください。
 そう言われて、携帯の持ち主を捜すが、あたりにOLの姿は見あたらなくなっていた。

つづく

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2009年1月 7日 (水)

ケニアから来た日本語を操る実力者

東京マラソンを完走したい 【 6 】

第一回東京マラソン2007 結果

■申込者数:77,521人
■当選者数:25,873人

■受付者数:26,058人
■完走者数:25,130(完走率96.4%)

■天候:雨のち曇り

■ボランティアスタッフ:およそ1万人
■沿道の応援:138万人(それとは別にイベント参加者40万人)
■テレビ中継:CXが生中継 9:00-11:50 平均視聴率:23.6%

 男子優勝:ダニエル・ジェンガ(国籍:ケニア、所属:ヤクルト陸上部)
 ダニエル・ジェンガは 2002年のシカゴマラソンで出した 2時間6分16秒の自己ベストがピークの成績。
 この大会の優勝タイム2時間9分45秒は、5年前のベストタイムから3分30秒遅い。

 ケニアは赤道上にある東アフリカの国。
 自然が豊かで野生動物が多く生息する。
 政情は不安定で、外務省海外安全ホームページによると、
 2004年11月現在、北部に渡航の是非を検討、南部に十分注意の勧告が発出されていた。 2008年12月現在も、多くの地域で「渡航の延期をお勧めします。」「渡航の是非を検討してください。」が発出されている。

■英語表記:KENYA
■人口:3,030万人(2004年)
■面積:58.26万平方km国土は日本の約1.5倍
■北をエチオピアと接する。インド洋にも少しだけ面している。
■1920年に英国領となり、1963年12月12日に独立。アフリカ大陸34番目の独立国。
■国旗:ヨコ黒・えび茶・緑地、中央に盾と槍をデザイン。
■宗教:プロテスタント、ローマカトリック、部族の宗教など
■公用語:スワヒリ語・英語
■通貨:ケニアシリング
■首都:ナイロビ(ナイロビは"冷たい水"の意味)

 20004年の東京国際、2007年の東京と優勝経験を持つダニエル・ジェンガだが、ケニア代表としては一度も五輪に出場できない。
 それだけ強力な選手がケニアには多いということだ。

 整った設備と指導環境。安心して暮らせる豊かな街。
 すらすらと日本語でインタビューの受け答えをするアフリカ出身選手はこれからも増えるだろう。
 サッカーがそうであるように、陸上も国籍取得による日本代表入りを受け入れるとよい。
 この大会は2007年夏、世界陸上選手権大阪大会の代表選考レースだったが、優勝タイムが低調だったことで、代表内定者は出なかった。

ど素人!マラソン講座

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2009年1月 6日 (火)

正月明けの迷惑メールがあっという間に消える方法

冬休みが明けて、メールを受信する。

 新着メール 730通
 迷惑メール 650通

迷惑メールが大半を占めるようになったのは、2005年正月以来。
迷惑メールを1つ1つ消すのが正月明けの恒例行事。
去年までは、この作業に 10分はかかった。

それが、今年は1分で済んだ。

メールを受信すると、最初から 640通が「迷惑メール」フォルダーに振り分けられている。
「迷惑メール」フォルダーを開き、誤った振り分けがないか、タイトルをチェック。
今回は1通も誤った振り分けがなかった。 ※1
迷惑メールをゴミ箱へ移動。これが30秒。

つづいて、受信トレイを開く。
タイトルをチェックして、迷惑メールと思われるタイトル10通をゴミ箱へ移動。これが30秒。

 今回、有効だったのは「英文タイトル迷惑メール」の振り分け
 海外迷惑メールの件名は 半角の英字が大半。
 特殊記号が使われることもない。
 その特徴を元にOutlook Express(またはWindowsメール)で、迷惑メールを別フォルダーに振り分ける設定をする。

【 1 】迷惑メールを振り分けるフォルダーを作る。

フォルダ一覧の ローカルフォルダを右クリック>フォルダの作成
  ↓
フォルダー名を入力して [OK]
【 例 】「迷惑メール」

【 2 】ツール>メッセージルール>メール

1.ルールの条件を指定してください
□件名に指定した言葉が含まれる場合 にチェック

2.ルールのアクションを選択してください
□指定したフォルダに移動する にチェック

3.ルールの説明
指定した言葉が含まれる のリンクをクリック
  ↓
"て" を入力
  ↓
[追加]をクリック
  ↓
[オプション]をクリック
  ↓
○メッセージが次の言葉を含まない場合 にチェック
  ↓
[OK]をクリック
  ↓
"に""を""は"・・と入れる毎に[追加]をクリック ※2
  ↓
[OK]をクリック

指定したフォルダ をクリック
  ↓
【 1 】でつくっておいた 迷惑メール のフォルダーを選択して[OK]

4.ルール名
任意の名前を記入
【 例 】迷惑メール対策
  ↓
[OK]をクリック  これで、完了。

※2【 指定したことば の候補 】

以下のことばを設定することで、通常メールの大半は移動させず、迷惑メールだけを振り分けることができた。

優先順位の高い順に記載

て に を は
の も と お
い す せ
ー(長音)
ア イ ウ エ オ
依 変 連 調 実 理
料 礼 登 報
【 【 [ [  (全角と半角がある)
一 (いち)
フ (カタカナ)
★ ☆

※1 この設定をしても、最初のうちは誤って「迷惑メール」フォルダーに振り分けられてしまうメールがある。そのメールタイトルに含まれるキーワードを ※2に挙げた「指定したことば」に[追加]していく。
 そうして、やがて100%に近い振り分けができるようになる。

 いいや、自分のところには 日本語タイトルの「出会い系」メールが多いぞ!
というあなた。 あまり人には言わない方がいいでしょう。
 痛くもない腹を探られることになります。



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2009年1月 5日 (月)

六本松のBLUENOTE

 結局、RZ350に毎日乗ったのは27ヶ月。
 雨の日も晴れた日も、毎日乗っていたから、その3年は現在の10年にも感じる。

 

 クルマを買ってからは、めっきり乗る機会が減り、クルマ購入後4年でRZは売った。
 走行距離は 17,500kmだった。

 

 RZ350に乗っている間つけていたメンテナンスノートが今も残っている。
 最も走った月は1,563km。この時は九州一周をした。
 最も走らなかった月でも243km。この時は交通事故で2週間入院していた。
 授業が始まると距離が落ち、春休みと夏休みには距離が伸びた。

 

 ガソリン代は最低3,430円/月 最高が16,280円/月
 当時のガソリン単価は1リッター当たり140~150円
 燃費は市街地で 7~8km/l ツーリングで最も伸びた時で17km/l だった。

 

 オイルを循環させる4サイクルと違って、2サイクルはオイルを燃やして走る。
 オイルの補給には、ガソリン代の6分の1程度の費用がかかった。
 オイルとガソリンの混合比は調整次第。バイクにより異なる。
 同じRZ350に乗っていた親友から「オイル?買ってから一度も入れてないよ」と聞いた時は、すぐバイク屋に行くことを勧めた。
 通常は割安なYAMAHAオートルーブ。懐が温かい時はバルボリンを入れた。

 

 六本松にあった BLUENOTE で大半のライダーが入れてたバルボリンだが、僕にはオートルーブとの違いはよくわからなかった。
 家からすぐそばということもあり、BLUENOTEに入り浸った。
 日曜日に美祢に走りに行く日を除いては、いつも誰かが事務所でだべっている。
 作り置きしてある煮詰まったコーヒーをいただき、あまりよくわからない技術的な話や、峠の自慢話に相づちを打った。

 

 「RZ350は低温に弱い」
 と皆が言っていたので、さも自分の意見のように受け売りしていた。
 当時、水冷エンジンのバイクは珍しく、大半のバイクはエンジンにフィンが切ってある空冷エンジンを積んでいた。
 YAMAHAはコストをカットするために、低温対策のサーモスタットをつけていなかった。
 そこで「YAMAHAの技術者も視察に来た」と常連が言っていた BLUENOTE のサーモスタットをつけた。貧乏学生の僕に、5,000円という出費は辛うじて可処分所得の範囲だった。

 

 「バイクはノーマルで乗るものだ」
 というポリシーを公言していたが、実のところは数万円もする部品を買う金が無かった。
 現時点で十分走っているバイクに、さらに投資することの意味が見いだせなかった。
 そんな僕でもフロントフォークにスタビライザー(5,000円)をつけた時は、ちょっぴり改造ライダーの仲間入りをした気がして嬉しかった。
 だが、やはりスタビライザーをつけてどう変わったのかはわからなかった。

 

 まだ DUCATI という名前を誰も知らなかった頃だが、BLUENOTEの主力は DUCATI。皆は「ドカ」と呼んでいたが、僭越なので僕は「どかってぃ」とフルネームで呼んだ。
 事務所のとなりにある 部品やアクセサリーが並ぶ部屋は、輸入バイクグッズに溢れていた。
 いつも Nava のヘルメットを見ては、その値札にため息が出た。確か当時WGPチャンピオンのマルコ・ルッキネリが被っていたモデルだ。
 結局この部屋から手にしたグッズは DUCATI のトレーナー1枚(3,500円)だった。それだけでもバイク通に見られるような気がして、冬になるとそればかり着ていた。

 

 バイクを買ったのはYAMAHAオートセンターだったが、フロントフォークやヘルメットには BLUENOTE のステッカー。
 紺色の地に白抜きで BLUENOTE と書いてあるだけのシンプルなもの。一見してバイク屋のそれとはわからない。
 始めについていた販売店のステッカーはすぐ剥がした。
 今も町を走っている多くの車には「いかにもディーラーです」というステッカーがバンパーに貼ってある。
 あれを貼っておくと、なにかいいことでもあるのだろうか。

 

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2009年1月 4日 (日)

ドログバを大事な試合に出すリスク

11月12日(水)
カーリングカップ4回戦 バーンリー(home) ● 1-1(PK4-5)
これでカーリングカップ敗退。
4冠のうち一番どうでもいいタイトルがまず消えた。
カーリングカップの模様は、11月に入ってからJスポーツが1月より放送すると発表した。
ドログバがゴールを奪った直後バーンリーサポーターからコインを投げつけられ、それを投げ返した。ドログバは国内3試合出場停止となった。
何事も原因をつくったほうが悪い。
だが、相手を貶めるために挑発する悪者が世の中にはいる。
前シーズンのCL決勝では、ドログバのビンタが敗退の遠因となった。
審判が制御しているグラウンド上では、どちらが悪いかではなく、手を出した方が悪いことになる。挑発の言葉は確認しづらいが、暴力は誰が見ても明らか。

頭に血が上り、それが行動に表れてしまうドログバを、重要な試合に出すのはリスクが高い。冬の移籍市場で売っておいた方が賢明だろう。

11月15日(土)
プレミアリーグ12節 ウェストブロムウィッチ (away) ○3-0
デコ半袖ユニ+長袖アンダー+黒手袋でフル出場
ツェフは怪我のために欠場。
68分、故障上がりのバラックが出場。
これで今シーズンのaway戦は7連勝となった。

 West Bromwich Albion Football Club 略称WBA
 英国ウェストミッドランズ州のウェストブロムウィッチ市を本拠地とするクラブ。
 FAカップで5回優勝しており、一部リーグ優勝も1回ある。

■ホームスタジアム:ザ・ホーソンズ(28,000人)
■1stユニフォームカラー:白×紺 縦縞
■ユニフォームメーカー:UMBRO(2008-09)
■チームエンブレムは山査子の木にツグミがとまっている。

1878年
設立
1919-20
一部リーグでクラブ史上一度きりの優勝。
2004-05
稲本潤一が入団。2シーズン在籍した。
2007-08
チャンピオンシップ(2部リーグ)で優勝し、プレミアリーグ昇格を決めた。
2008-09
プレミアリーグ昇格1シーズンめ

 メディア、ウェブサイトによって「ウェストブロムウィッチ」「ウェストブロミッチ」「ウェストブロミッジ」と表記が分かれる。
■Googleにおけるキーワード別ヒット数(2008年11月現在)
 ウェストブロムウィッチ 61,400
 ウェストブロミッチ 4,800
 ウェストブロミッジ 3,800



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2009年1月 3日 (土)

2サイクルのバイクでツーリングして何が悪い

 それにしても小黒川PAから諏訪湖SAまでは命からがらだった。
 寒さに意識が薄れてくる。
 何度も右車線のラインに寄ってしまい、その度に後続車からパッシングを受けた。
 「もうちょっと火に当たっていけ」
 トラックのおいちゃんに言われるまま、ストーブの前で固まっていると、ようやく体が生き返った。

 大阪からの高速代6,700円を支払い、諏訪湖ICで降りる。
 20号線を上り、下諏訪町のユースホステルを目指す。
 19:40 ユースホステル到着

 残してあった夕飯をいただき皿を洗うと、お約束のミーティング。
 何度やっても慣れない。苦手だ。
 だけど「平気だ」という顔をする。
 ノリを求められれば、ノリ返す。
 旅の恥はかきすて。
 子どもの頃、母は僕にいいコトバを教えてくれた。

 この日、他にライダー客はいない。
 ミーティングが終わると話し相手もなく、早々に床に入る。
 布団が暖かい。つい数時間前、雪の中、高速道路を走っていたのがウソのよう。まさに地獄から天国。
 生きててよかった。そう思うが早いか、転がるように眠りにおちた。

 翌日は一転して快晴。
 窓の外に広がる景色を見下ろすと、日光を受けて銀色に光る巨大な円盤が横たわっている。
 それが、前日の寒波で凍った諏訪湖だとわかるまでに 5秒かかった。

 9:10 オーナーに見送られて、お世話になったユースを後にする。
 高速に乗れば、東京までの残す距離は200km。
 前日、神戸から一気に600km走ろうとしたのに比べれば、一日の行程には短すぎる。
 東京には夕方までに着けばよい。
 中央自動車道には乗らず、下道を行くことにした。
 およそ215km 5時間半の道のり。
 昨日の吹雪が嘘のような青い空、暖かい風、空いた道。

 30kmほど走ると山梨県に入った。
 ノンストップで100km走り、大月の手前で1度めの休憩。
 12:45 神奈川
 13:10 東京都にはいった。

 諏訪湖から東京までの道では、一枚も写真を撮らなかった。
 快晴のもと、山林を縫うように空いた道を走るRZ350。
 それを空から見下ろした映像だけが記憶にある。

 一枚の写真から呼び戻される記憶の容量は膨大なハードディスク。
 一枚の写真もないのは、今思えば寂しい。
 たくさんの写真は要らない。
 ただ一枚、ここぞというところで撮っておけばよかった。

 福岡→東京 走行距離 1,270km
 バイク、クルマを通じて生涯で最も長いツーリングだった。

 2サイクルのバイクでツーリングというと、すぐ燃費がどうだとか、2サイクルは走る=エンジンを回さなければだめだとステレオタイプに言う人がいる。
 燃費は懐具合との相談であり、他人にとやかく言われるものではない。
 ツーリングだからレッドゾーン近くまで回さないわけではない。2サイクルは四六時中、回して走らなければならないかのように言うのは、至極ナンセンス。

 RZ350のような2サイクルのスポーツバイクでツーリングをすることが楽しい。
 前傾姿勢で腕が疲れるとか、腰が痛くなるというのは、相対的な比較をした場合の話。
 バイクは人の体で走っている。
 どんな姿勢で乗っても、長く走れば疲れる。

 このバイクが好きで、このバイクだから走りたい。
 ツーリングのためにバイクを選ぶのではない。
 バイクで走る舞台としてツーリングに出かけるのだ。

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2009年1月 2日 (金)

ラーメンの替え玉とユースの連泊

 今日は諏訪湖で泊まっていけというおいちゃん。
 おい、宿を聞いてやれよという指示を受けて、スタンドの兄ちゃんが諏訪湖のユースホステルに連絡をとる。
 もう19時を回っていたが、空きがあった。
 今すぐくれば夕飯も残しておくから。
 そう聞くと急に腹が減った。

 

 RZ350でユースに泊まるのはこれが三度め。
 初回は九州一周ツーリングの高千穂。
 延岡から電話して、夕飯に滑り込んだ。
 ライダーの到着を先客が全員縁側に出て、出迎えてくれた。
 オーナーらしき人が声をかけてきた。
 「うなぎ、食べれますか?」
 その質問の意図がわからず、とまどった。
 てっきり貧乏学生だから、うなぎの料金が払えるか?と尋ねているのだと思った。
 「いくらですか?」
 と聞きたかったが、大勢が見ている前で恥ずかしくて言えなかった。
 ずいぶん後にユースホステルガイドを見てわかったのだが、うなぎは高千穂YHの名物だったのだ。

 うなぎが苦手で食べられない人がいることには、考えが及ばなかった。
 「うなぎはヘビみたいでダメ~」
 という人が世の中にいることを、この時はまだ知らなかった。

 

 2回めのユース泊はその翌日、別府。
 やまなみハイウェイで出会った2人連れのライダーと意気投合して、同宿を取ることにした。
 あいにくの雨に濡れる草千里。
 少し早めに走りをきりあげ、16時にはユース入り。
 一番乗りした三人のライダーを待っていたのは、風呂掃除だった。
 皿洗いや風呂掃除、できることを手分けしてする。
 そうして低料金が保たれている。
 だからあてのない旅先で、その日の宿に困った時、懐を痛めずに食事と寝床を確保できる。
 このような仕組みは経験してみなければわからない。
 「可愛い子には旅をさせよ」
 という言葉の意味がわかった気がした。

 

 特権の一番風呂をいただき、夕飯になる頃には、満床になるほどの大勢の客がやってきた。
 神戸から来たバイク屋に勤めるライダー。
 サラリーマン。
 グループで旅をする女子学生。

 

 夕飯後の皿洗いが終わると、ミーティングはお遊戯。
 なんでこんなことをせにゃならんのか?
 と一人の時には思うのだが、人はその環境に身を置くと「いい人モード」にチェンジできる。
 20代の15人ほどの男女が、旅の恥はかきすてとばかりにお遊戯に興じる。
 恥ずかしさを共有した男女は、見る見るうちに意気投合していった。
 部屋に戻ってからも、ライダー同士で遅くまでバイクの話が続く。
 ただ、僕には専門的な技術用語はなにもわからなかった。
 **のチャンバーは音がどうだとか、キャブのオーバーフローがどうしたという話になると、一人取り残された気がした。

 

 朝起きると、しとしと降った前夜の雨が嘘のように、別府の空は快晴。
 やまなみから同行してきたライダーやバイク屋の兄ちゃん、女子学生らは昨晩のうちに連泊を決めていた。
 マイクロバスを借りて、一日別府巡りをするという。

 

 「連泊」という言葉を知らなかった。
 それは言わば、初めて入った博多ラーメン屋で「替え玉」を知らないようなものだ。
 替え玉ならば、たかが知れている。
 100円程度の予算。ラーメン玉1個の分量。
 替え玉の存在を知った直後でも 「じゃ僕もそれ」と順応することができる。

 

 だが、連泊はそうはいかない。
 1日という時間、これは学生だからなんとでもなる。
 つづいて予算。1泊費用+1日の行動費。そこが厳しい。
 九州一周をぎりぎりの予算でやってきた最終日だっただけに、おいそれと「じゃ僕もそれ」とは言えなかった。

 RZ350で宿を発とうとする僕を真ん中に据えて、皆が記念写真を撮ってくれた。
 今その写真を見ると、当時流行っていた聖子ちゃんカットの女の子が目立つ。そのまっただ中で、ただ一人垢抜けない自分がおかしい。

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2009年1月 1日 (木)

東名と中央の選択

 RZ350でのツーリングは 沖縄一周、九州一周、福岡→東京

 九州→東京ツーリングでは、諏訪湖で凍えそうになった。
 自らの運転で山口県を超えて東に出るのは初めてだった。

 親戚や友達の家を泊まり歩いた最終日。
 その日は神戸から高速に乗り、一気に東京に入るつもりで宿を出た。
 関西は快晴。
 その日のうちの東京入りに、なんの疑念が入る余地もない。

 関西ではさしていた陽が関ヶ原でかげり、愛知県境を超えた頃から雲行きが怪しくなる。
 東名高速と中央自動車道の二者択一が近づいてきた。
 山口より東に出たことがないのだから、もちろんどちらの道も未知の領域。
 「東名はトラックが多く、道が混む。中央はすいていて走りやすい」
 ライダーが集まる喫茶店で、バイク仲間からそう聞いたことがあった。

 陽は暮れつつある。少しでも速い道がいい。
 十年後、中央分離帯に大クラッシュすることになる小牧JCT分岐点。
 ウィンカーを左に出して、中央へRZ350を進める。

 それが失敗だった。

 3月と言えども日がかげると寒い。
 愛知から再び岐阜、小雨がぱらついてきた。
 冬用の防寒つなぎを着込んでいるが、カッパは持ってこなかった。

 そして岐阜から長野に入った頃、みぞれ混じりの雪になった。
 縫い目だらけの防寒具は、至る所から雨が浸水してくる。
 すぐにつなぎからトレーナー、そしてTシャツに水が到達した。
 「トラックは少ない」のかと思っていたら、それでも中央にもトラックはいる。
 バイクで雪道を走った経験はない。ましてや雪の高速など夢で見たこともない。
 時速50kmの最低速度がやっとのRZ350。
 そのすぐそばを遠慮会釈無く、トラックが水しぶきをあげていく。
 ヘルメットのシールドに泥水をかぶる。
 タダでさえ悪い前方視界がゼロにちかづく。
 慌てて、路肩に出て手袋でシールドをぬぐう。
 ほぼ、手の感覚はない。

 意識が遠のいてくる。
 このままでは危ない。
 走り続けなければ東京には着かない。
 その使命感が休憩さえ許そうとしない。

 ガソリンゲージが中間をさしている。
 そうだ。
 給油ということにしよう。

 諏訪湖サービスエリアにウィンカーを出す。
 満タン給油。
 これで東京までのガスは確保した。
 ところが、財布を出そうにも手が動かない。
 「寒いでしょ?」
 スタンドの兄ちゃんが、ゆっくりでいいですよと優しい。

 隣の給油レーンから見下ろしていたトラックのおいちゃんから声が飛んだ。
 「兄ちゃん、死ぬぞ!」
 路上ではこの一言が明快な説得になる。
 無茶な運転、無茶な横断。
 見かねて真っ先に出るのがこの言葉だ。

つづく

 明けましておめでとうございます。

 今年も毎日1篇 書いていきます。

 時々 しらべるが行く を読みに来てくださいね。

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