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2009年4月の30件の記事

2009年4月30日 (木)

河村たかし 4年遅れの出撃だがね!

2004年
7月、初めての著書「国破れて議員あり」徳間書店 発表。

 対立の構図は「自民党」対「民主党」ではなく「税金を払っている人」対「税金で食っている人」とする。
 地方議会には、ほとんど議会にも出ず、巨額の給料を受け取る「職業化」した議員がはびこる。
 地方議会議員は、ボランティアでやるべき。タダでも、なり手はいくらでもいる。
 自分が市長になって、市議会議員を半分にする。

この本を読んで、彼に魅了された。
彼にはビジョンがあり、私心がない。
その反対の政治家が多いなか、なんとすがすがしい人物であろうか。

ただ、彼が提唱する地方議員改革は、メディアが報道しないため、聖域になっている。
実際に、彼の改革ビジョンが、政治家に受け入れられないことが、半年後に明らかになる。

2004年10月27日、2005年春の名古屋市長選挙への立候補を表明。

2005年1月4日、民主党の推薦がとれず名古屋市長選出馬取りやめ。

2005年4月、民主党は名古屋市長選で、河村たかしからの推薦依頼を断り、自民党と相乗りで現職市長を推薦。
この時点で民主党は「改革」する気がないことが確認された。

政治に絡んでいる人の常識とは、こうである。
「地方議員を半分にするなんて、身内を切るような乱暴なやつに、政治は任せるわけにはいかん」

だが、一般人の常識とはこうだ。
「365日、毎日働きづめというなら、まだしも、半分以上を休んでいるならば、議員は半分でもいいのではないか」

愛知県にいた時、ある市会議員と知り合った。
彼は先祖代々の事業を営む企業の社長で、昼はゴルフ。夜は副業を営んでいた。そして、市会議員もやっているという。
そして、市会議員だけで、民間のサラリーマンを遙かにしのぐ給料を得ていた。

東京のメディアは、河村たかしを民主党が推薦しなかった一件を取り上げることはなく、国民は誰も知らないまま、河村たかしのビジョンは頓挫した。
この時、民主党が旧態依然とした体質から脱していれば、ここから河村の改革がスタートしていたのだ。

この4年は、あまりに大きい。
河村は4つ歳を取り、地方改革は4年遅れた。

2005年9月11日、郵政民営化を争点に、保守が大勝した総選挙で、河村は 5回目の当選。
初めて10万票を獲得した。
党首選立候補を試みたが、20人の推薦が集まらず出馬もできなかった。

2005年9月「報道ステーション」での1シーン
民主党首選の候補である前原、菅が生出演している。

そこに、テレビ電話で出演した河村たかしが登場。
河村が話し始めると、二人は笑い出した。

キャスターの古舘が怪訝そうに「どうして笑うんですか?」と突っ込みをいれると、前原は 「いや、名古屋弁が出てるから」 とお茶を濁した。
前原の表情はそれまでの緊張が完全に緩み 「河村さん、お呼びでないですよ」 と言わんばかり。
鳩山、小沢に推されて、旧自民党的流れで党首になった前原に改革ができたのか。
結論は、もう皆さんご存じの通りである。

2006年
9月、2冊めの著書 「おい河村!おみゃぁ、いつになったら総理になるんだ」KKロングセラーズ 発表

2008年
9月「この国は議員にいくら使うのか」角川書店 発表

2009年4月26日の名古屋市長選の話に戻る。
2005年の市長選で、河村たかしの立候補を民主党が認めなかったように、この選挙は81年に渡り、国政の与野党第1党が相乗りする、無風選挙だった。
かつて、改革する気はなかった民主党が、今度は河村たかしを推薦した。
これで、名古屋発の政治が、一気におもしろくなった。

河村は今度ばかりは「市議会議員半減」とは言わず「市民税 10%減税」と、河村にしてはソフトな公約で、政治家のご機嫌をうかがった。
公約を守る男なんて、彼には期待していない。
彼は、公約もしていないのに、とことんやる男だと期待している。

今回、名古屋市長選の投票率は 50.5%。
前回が 27.5%だから、23ポイントも上がっている。
これほど、ポイントが上がるのは、例がないのではないか。

同時期に行われ、森田健作が当選した千葉県知事選挙の投票率は 45.5%、その前回は43.3%である。

河村たかしが喚起する「政治への関心」
それこそが、一人一人の幸せにつながるのである。

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2009年4月29日 (水)

名古屋から、河村たかしの革命が始まるんだわ

しらべるが選ぶ2009年の重大ニュース第1位は、恐らくこれに決まりである。

名古屋市長選で、前衆議院議員の河村たかしが初当選

新聞の片隅にぽつんと出ていた見出しで、このニュースを読んだ人がいるかも知れない。
端的な事実でいうと、民主党が「推薦」する河村たかしが、自民・公明が「支持」する候補を破ったということ。

そうか。民主党の勢い、衰えていないな・・・

いや、違う。そうではない。
名古屋市長選、そして、河村たかしを巡る過去は、相当に複雑なのである。

この選挙結果の衝撃は、一地方都市の行政にとどまらない。
自称「総理をめざす男」 河村たかしが、いよいよ、日本改革に向けて動き出した。

河村たかしは政治家である。
越前リョーマのチームメイトではない。
越前リョーマの友達はテニスプレーヤーだが、こちらの河村たかしは、名古屋市の旭丘高校で、バドミントン部のキャプテンだった。
政治家としての支持について、初めに立場を明らかにすると、政党、個人ともに支持していない。
それでは、なにかというと、河村たかしの活躍に期待する一ファンである。

初めて、河村たかしを知ったのは、衆議院の委員会が散会した後のこと。
彼が僕の席にきて、話しかけた。
「君はどこに住んどるんだ?」
僕が明らかに年下とは言え、初対面の相手に向かって、ずいぶんな口のきき方だ。
「名東区です」

そう答えたあとは、彼が、一方的にその委員会における、彼の立場を話し、早々に立ち去っていった。
横柄なおやじだ・・
その時は、ただそれだけの印象に過ぎなかった。

■河村たかしの略歴

1948年
11月3日生まれ、愛知県名古屋市出身。
旭丘高から一橋大に進む。

1989年
衆議院総選挙、愛知一区に無所属~自民党推薦~で初立候補し落選。

1993年
衆議院総選挙、愛知1区に日本新党から立候補、初当選。
以後、新進党-自由党-民主党と党籍が変わる。

1999年
住民基本台帳番号の議論では、国民背番号は「国民が国の囚人となる」として反対。

2002年
6月、国会等の移転に関する特別委員会 委員長に就任。
委員長特権を返上し、税金の無駄遣いをやめたため、民主党の国対から委員長を外される。
税金の無駄遣いをやめると、民主党は責任を問い、クビにしたのである。

2002年6月、河村は、名古屋刑務所事件についての資料を作成する。
名古屋刑務所刑務官が、放水で受刑者を死亡させたと言われた事件について、民主党は公開放水実験を行っていた。
だが、それは水圧を 10倍にした「捏造実験」だった。

「民主党の実験は、冒頭陳述の水圧0.6kg/cm2の10倍の水圧6kg/cm2で行われたものであり、国民に誤解を与えた点を素直に認め、お詫びするとともに事実を訂正すべきである」
民主党によるでっちあげを、民主党籍の河村たかしが、追及した。

だが、菅直人はこの件について謝罪しなかった。
この公開実験でテレビに出た民主党議員が、後に偽メール事件を起こすことになる。
ここで襟を正さなかったことと、後の「偽メールでっちあげ事件」による民主党の信頼失墜は、無関係ではない。

河村たかしは、2003年まで「国会等の移転に関する特別委員会」の常連メンバーとして、愛知・岐阜地域への首都移転推進に取り組んでいた。
ただ、彼の選挙区である愛知1区=名古屋市は、候補地「愛知岐阜地域」に含まれていない。
それもあって、彼はこの案件には、それほどの肩入れはしていない。
2002年7月に首都移転がうやむやになった後は、議員年金廃止を訴え、年金問題へとシフトしていく。

つづく





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2009年4月28日 (火)

出撃!メイドカフェ @home cafe

いざ、メイドカフェに出撃!
なのですが、その前に、腹ごしらえです。
別に、こしらえなくてもいいのですが、コース取りの都合上です。

メイドカフェの老舗「@home cafe」が入っているビルのそば、信号がない横断歩道を渡ったところにチチブデンキがあります。
看板が小さいので、よく見ないと見落とします。
その角を曲がったところにあるのが「おでん缶 自販機」

おでん缶も、この3年で定着した新しい文化。
ここチチブデンキの自販機コーナーが元祖。
Google mapをチチブデンキで検索すると、地図が出ます。
おでん缶を開けると、こんにゃくが串にさしてあり、その串を使って残りのおでんを食べます。
だから、箸やからしは置いてありません。
おでん缶自販機の隣には、ラーメン缶自販機もあります。

今や、おでん缶自販機は至るところに点在しており、YAHOO!、Googleで「おでん缶 自動販売機」で検索すると、自販機の地図が見つかります。

路上でおでん缶を食べれば、どんなに気高い人でも、この街に同化できます。
その勢いで、いよいよ「@home cafe」へ。

この人気店は、3年前に来た時は、2時間待ちでした。
結局、諦めて、他のメイドカフェに行ったのです。その店も30分待ちでした。
その店は、料金が安く手頃ではあったのですが、
「ご主人様お帰りなさい」
「ご主人様いってらっしゃいませ」
を、コスプレのメイドが言うだけという、普通の喫茶店でした。
なんだ、メイドカフェってこんなものか・・と思ったものです。

それでも、メイドカフェはまだ廃れていない。
ブームも3年過ぎると文化です。

萌え文化の象徴、メイドカフェ。
行列はありませんでしたが「@home cafe」はほぼ満席でした。

60分で700円+1オーダーという料金。
それ以外、ここには、店の趣向について書かないことにします。
映画の結末を書くようなものだからです。

「帰宅」から「お出かけ」まで、客を満足させるための仕掛けに満ちている。
店を出た時、みな笑顔。
なるほど@home cafeが人気を維持している理由がよくわかりました。

女性だけで来たグループ。
きっと「一度行ってみようよ!」と申し合わせて来たのでしょう。
男一人で来た若者。
常連らしき彼にとって、ここはスナック代わりのようです。

今、スナックと書いて、それってまだあるのか?とちょっと不安になりましたが・・

きっと、すべてのお客さんが「楽しかったよ」「一度行ってみるといいよ」と、誰かに伝えることでしょう。ただ常連の彼は、秘密にするかも知れません。


@home cafeで食事をしなかった場合は、お腹が空いています。空いていなくても、仲間で集まったのだから、呑みながら語りたい。
そこで、お勧めしたいのは、夜は居酒屋の「都利久」です。とりきゅうと読みます。
@home cafeから、おでん缶のチチブデンキの自販機を通り越し、しばらく歩いた所にあります。
途中には、アキバの伝統ファーストフード「ケバブ」のスタンド販売店もあります。

さて、都利久。
もつ丼や親子丼、定食メニューがあり、食事もできるし、鶏串カツやつくね、だし巻きを肴に呑むこともできます。
呑んだ最後に、ミニ丼で締めることもできます。
美味しいし、安い。そして何より、お店の方の心根がいい。

ラジオ会館、おでん缶、@home cafe、都利久 これだけで所要時間は、3時間から3時間半。総費用は 5,000円弱というところ。

さぁ、今度はあなたが、アキバの幹事になる番です。
なんて、誰に言ってるんでしょうねぇ・・

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2009年4月27日 (月)

みんなで、秋葉原のメイドカフェに行こうよ

今日は、世界のサブカルチャーの中心、秋葉原に来ています。
秋葉原では、ここを押さえるというポイントを、これからレポートしましょう。

仲間との待ち合わせは、JR秋葉原駅 電気街口改札を出たところ。
改札は人でごった返していますが、それほど広くはないので、見つからないということはありません。

出で立ちは、必要に応じて走れるよう、歩きやすい靴。
背中にはデイパックがお約束です。
デイパックが必要なほど、たくさん買わないよと思うかも知れませんが、両手が自由だと、この街の空気が違って感じられます。
デイパックを背負うことで、街に同化できるのです。

改札からみて右に進むと、いったいここはどこだ?と思うくらい、街の風景が変わっています。
ここは、改札からみて左に進み、駅の外に出ます。

懐かしい秋葉原デパートはもうありません。
包丁の実演販売もありません。
コンタクトレンズ屋さんの店頭で、店員がラップで呼び込みをしています。
ちょっと、入る気がしません。

ラジオ会館裏手の店をぐるっと一周。
そこで、この街がこの3年で大きく変わったことに気づきました。

「この街は、ホビーにシフトしたんだ」

そうです。
秋葉原といえば、電気の街でした。
カメラを買うならば新宿。電子機器を買うならば秋葉原と相場は決まっていました。
しかし、今やネット時代。
秋葉原をくまなく歩かずとも、カカクコムで日本中の電気屋さんから、一番安い店を探すことができます。

そこで、電気に見切りをつけ、あるいは、電気屋さんが撤退して「萌え」のサブカルチャーの街に変貌したようです。

3年前に来た時は、プライズやガシャポンの単品を探すには、ラジオ会館くらいしかありませんでした。他にも店はあったのですが、それは点在なのです。

今は、それが「線在」になりました。
来る店も来る店もホビーです。
ガンダムです。美少女です。フィギュア、ソフトです。
個人の出品を代行販売する、ガラスボックスもいくつかの店で見られました。

さて、本題に戻りますが、まず秋葉原に来て、最初に行くのは「ラジオ会館」
かつては、入りづらい雰囲気の雑居ビルでしたが、今はどでかいネオンを構えて、明るく入りやすい雰囲気です。

今や萌え文化の旗手「海洋堂」や、フィギュア大手「コトブキヤ」のショップがあります。それから、プライズ、ガシャポンの単品販売店。
3年前と違うのは、美少女フィギュア店が増えたことです。

つづいては、メイドカフェ。
メイドカフェは有名ですが、実際に行ったことがある人はまだまだ少ないようです。
メイドカフェの話をすると、男女関係なく、皆くいついてきます。
「たまには、集まろうよ」と言っても興味を示さない人でも「みんなで、秋葉原のメイドカフェに行こうよ」と言うと、身を乗り出してきます。

つづく

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2009年4月26日 (日)

デコとヒディンクの価値観

3月7日
FAカップ6回戦準々決勝ベスト8 コベントリー (away)○2-0
デコはベンチ入りせず。
ポルトガル代表仲間、デコに20番を譲ってくれたパウロ・フェレイラが、十字靱帯損傷で今期絶望と報じられた。
8月31日以来、故障で離脱していたエッシェンが後半から出場。
リカルド・カルバーリョがベンチ入り。シーズン大詰めに向けて、ベストメンバーが揃いつつある。

3月10日
CL2008-09ベスト16 第2戦ユベントス (away)△2-2
ベスト8進出決定。
デコはベンチ入りしなかった。
試合前に会見したヒディンクは「リアクションサッカーはしない。動くサッカーが好きだ」と語っていた。
かつてバルセロナにいた時のデコが「僕らはリアクションサッカーをした覚えはないよ」と言ったことがある。
メディアから、モウリーニョ監督率いるチェルシーとバルセロナのプレースタイルが似ているのでは?と問われた時のことだ。
デコとヒディンクの価値観は、同じ方向を向いている。
ただ、デコの足が言うことを聞いていない。

3月15日
プレミアリーグ29節 マンチェスター・シティ(HOME)○1-0
デコ久々のスタメン。
一度ペナルティエリア内への決定的なパスを打った。
ところが、前半40分には、早くもベレッチと交替。
まさか、デコのプレーが不甲斐ないとでも言うのか?
デコは観衆に向かって拍手をしてラインをまたぐ。
実況アナウンサーは、故障でもない限り鼻っ柱を折るような交替はよくない。プライドを利用しなければと話す。
結局、後に負傷だが軽傷であると報じられた。
そして、ここからデコは長い長いお休みに入ってしまう。
ヒディンク就任からプレミアリーグは 4戦4勝。

3月21日
プレミアリーグ トットナム(away)●0-1
ヒディンク監督就任後、初黒星。
デコはベンチ入りしていない。
マンUが連敗。差を詰めるチャンスの週だったが、逆にリバプールに抜かれて、3位に落ちた。

2週つづけて、ミッドウィークに試合がない。
故障中のデコにとって、日程だけが救いだ。
翌週は、インターナショナルマッチデーでプレミアはお休み。
ポルトガルは、ホームにスウェーデンを迎える。
グループ3位に低迷しているポルトガル、そろそろエンジンをかけなければならない。



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2009年4月25日 (土)

本当に、3分でわかるETC

 Electronic Toll Collection system
 有料道路自動料金収受システム

 ETCは、料金所をノンストップで通過できるので、渋滞緩和に役立つ。

 ETC装置とICカードは、1対1で認証されていない。
 それゆえに、ETC対応ICカードを交換した場合、なにも設定せずにすぐ使える。

 ICカードはクレジット各社がセールスしている。
 たいていの場合、ETC用のICカードは、発行も、年会費も無料である。
 ただし、年会費無料だと思って、油断していると、後から有料化するカード業者がある。
 それについては、また別の機会に。

 貯まるポイントが有利なカード会社から、 ICカードを発行してもらうとよい。
 ICカードが届いたその日から、ETCの機械にはなんの設定もせずに使える。
 ETC装置に挿し、緑のランプが点れば、それでOK。

■ICカード
 手持ちのクレジットカードのままではETCには使えない。新たにカード会社への申込みが必要。
 ICカードはクレジット機能のない専用のものが一般的。なかにはクレジットカード機能と兼ねているカードもある。
 ICカードは別のクルマの車載器にも挿して使うことができる。
 盗難防止のために、クルマを降りる時はカードを抜いた方がよい。

 ETCをつけているクルマは、料金が割引になる。

 高速道路は、0-4時に乗っていると3割引。
 0~4時の間、たとえ 1分でも料金所と料金所の間にいればよい。
 どこかに出かける時、3:59にインターを入れば、割引の対象となる。

 費用はおよそ、2万円。
・料金を払うためのICカードをセットする「通信機」:1~2万円。
・取付工賃:およそ8千円
・セットアップ費用~「道路システム高度化推進機構」へのクルマの登録費用:2,625円。
 取付は配線に自信がある人ならば、自分でもできるが、セットアップは、指定された取扱店でしかできない決まりになっている。

 カー用品やカード会社が「実質0円キャンペーン」と銘打っているが、小さく
「取り付け工賃は別途必要」と書いてある。
 自分で配線する人でなければ、どのキャンペーンでも取り付け工賃はかかる。
 工賃は、最も安いパターンで8千円程度。

■機械の構成
 アンテナ、本体の2つがある。
 本体にETC用のICカードを挿す。
 アンテナはミラーの裏側あたりのフロントガラスか、ダッシュボード上につける。
 本体は、足元など目立たないところに付ける。
 本体はグローブボックスの中につければ、見た目もすっきりするし盗難防止になる。

 ETCレーンには開閉バーがあるため、減速しなければならない。
 減速の目安は20km/h以下とされている。
 通信機を搭載していない車がまちがえて進入すると、支払いができないので、バーは開かない。
 開閉バーを突き破るわけにはいかないので、後続車に迷惑がかかる。
 初めてETCを通る時の緊張感は、運転免許をとって以来、最大のものである。

■開閉バーが開かないのはこんな時
 ・ICカードの期限が切れている。
 ・ICカードが利用停止になっている。
 ・車載器にICカードを挿していない。
 ・ICカードが正しく挿されていなくて、車載器に認識されていない。

 東京都がかつて計画していたロードプライシングは、当初、このETCを使って集金することが検討されたが、車に有料のステッカーを貼る方式に変わり、その後計画そのものが頓挫した。

ETCについては、いつか近いうちに つづく



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2009年4月24日 (金)

年間1億円、効率を上げる方法

仕事で発信するメールには、同じ文面の「お決まりの文章」がいくつかあります。
たとえば、以下はその一つ。

佐藤様

いつも大変お世話になります。早速ですが、
申請をいただいておりました、権限の登録が完了し、ご利用できる状態になりましたので、お知らせします。
後続の処理と、関係者へのご連絡をお願いします。

コンピューター・システム部 第二課
佐藤太一郎

この「お決まりの文章」を、一日10通送信するとしましょう。
さて、あなたは、このメールを10通送るのに、どれだけの時間をかけているでしょう。

考えるより、体験したほうが、わかりやすいです。
秒がわかる時計を、パソコンの傍らに置き、
「メモ帳」や「ワード」をたちあげて、上記例の文章を打ってみてください。

はい、どうぞ


さて、何秒かかったでしょうか。
僕は15秒でした。

恐らく、今打ってみた方の中で、15秒で打てた方はいないと思います。

秘密は辞書登録。
ATOKのユーザー辞書に、いつも使う短文を登録しているのです。


いつも →

 いつも大変お世話になります。早速ですが、

けんげんの →
 申請をいただいておりました、権限の登録が完了し、ご利用できる状態になりましたので、お知らせします。

こうぞくの →
 後続の処理と、関係者へのご連絡をお願いします。

CP→
 コンピューター・システム部 第二課

st→
 佐藤太一郎


「申請をいただいておりました、権限の登録が完了し、ご利用できる状態になりましたので、お知らせします。後続の処理と、関係者へのご連絡をお願いします。」
この文章は、1つの単語として登録できる長さなのですが、メールによっては、文章の展開が変わるため、状況に応じた「短文の部品」として使える範囲を登録しているのです。

コンピューター・システム部 第二課
佐藤太一郎
この2行も、1つの単語として登録できますが、そうすると、マウス操作によって「課」の後にマウスポインターを合わせて、クリックするという時間のかかる動作が発生するため、別々に登録します。


読み の登録ですが
「けんげんの」「こうぞくの」というように、接続詞までを含んでいることに気づかれますよね。
これは「けんげん」「こうぞく」で登録してしまうと、実際に「権限」「後続」だけを変換したい時に、
申請をいただいておりました、権限の登録が完了し、ご利用できる状態になりましたので、お知らせします。
とだらだらと長い文章が出てしまうのを防ぐためです。
人間は、予測できる生き物なので「けんげん」と打てば「権限」が出ると予測して、瞬時にエンターキーを押してしまいます。


申請をいただいておりました、権限の登録が完了し、ご利用できる状態になりましたので、お知らせします。
という意図しない変換候補が出ていても、エンターキーを押す指は止まらないことが多い。
結局、誤変換してしまった長い文章を消すのに、時間がかかってしまうのです。


さて、辞書登録で、どれくらいの時間を節約できるかという話に進みます。
登録語を使ってのタイムは15秒でしたが、それを使わないで打ったところ 60秒かかりました。
1回につき、45秒。
同様のメールを10回で 450秒。

ただし、メールはこの例のパターンだけではありません。
あなたのメーラーの「送信済みアイテム」を見てください。
あなたは、1日平均何通のメールを送信しているでしょうか。


辞書登録により、メール1通あたり45秒短縮
仮に1日30通送信するとすれば、1350秒 22.5分の短縮になります。

サラリーマンの会社で、従業員の時給平均が 2500円とした場合、
1日1人あたり、937.5円の効率アップ。
従業員が1000人の会社ならば、1日で937,500円
年間200営業日として換算すれば、年間で1億8750万円です。

従業員 1万人のマンモス企業ならば、年間10億円の効率アップです。

さぁ、ジャストシステムの法人営業社員の皆さん、このトークでATOKを企業に売りましょう。



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2009年4月23日 (木)

ログイン認証に意味不明なアルファベットを入れる理由

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 このような、意味のないアルファベットと数字の羅列を、ユーザーに入力させるウェブサイトがある。
 2004年から増え始めた。

 これは、実際に人間が操作しているかどうかを確認する目的を持つ。
 コンピューター・プログラムは、実際に画面を見ながら、その通りに文字を打つという芸当はできない。
 それができるのは、人間だけ。
 自動実行プログラムを走らせて、不正な行為を働こうとするユーザーを排除するための策である。

 サービスの認証は「ID」「パスワード」の2点セットで行われるのが一般的。
 この意味不明アルファベットは、ウェブサイトの中で、特別にチェックをかけたいページに進むところで待ちかまえている。

 ただ、セキュリティ技術の向上により、この無粋な策は影を潜めつつある。
 以前は、この仕掛けをしていたサービスでも、今は使わなくなったものを、いくつか見かける。

 現在は、ブログへのコメント書込機能に見られる。
 課題として与えられるものも移り変わった。
 5年前の、アルファベット・数字混じりではなく、5桁程度の数字になっている。
 善意のユーザーに、負担をかけない配慮と言える。

 自動実行プログラムを使い、放送禁止用語に組み入れられているような言葉を、連呼・・ いや、ネットの場合だから大量に「連書」するようなハッカーがいる。
 自分に都合の悪いことが書かれていた場合、それをサイクリックアウト *1 の彼方へ葬る。
 あるいは、ブログ作者への嫌がらせ。

 これらの数字が、悪意のある来訪者の歯止めとなる。

*1 サイクリックアウト
 インターネットの掲示板、コミュニティで、発言が古いものから順に消えていくこと。
 消えてなくなったことを、サイクリックアウトという。
 今はなくなった@niftyのパソコン通信サービスを例に取ると、掲示板は512、フォーラムは999発言が最大表示数で、一杯になると古いものから順に削除されていた。(フォーラムにはサイクリックではなく、999に達するとそれ以上書けないというものもあった)
 ディスク容量に限りがあった時代の仕様。
 ハードディスクが安くなり、webサーバーに潤沢にディスクが使えるようになってからは、古いものを消すという仕様は、なくなっている。

 ここに、最大掲示数が1000の掲示板があったとする。
 そこに、誰かが「さとうさんは昨日、女子高校生と歩いていた」と書く。
 さとうさんは、その書込が掲示されていると、都合が悪いと仮定する。
 そこで、さとうさんは自動実行プログラムを使い「すずきさんはおたんこなす」という発言を1000書き込む。
 最大掲示数は 1000なので「さとうさんは昨日、女子高校生と歩いていた」という発言が、サイクリックアウトする。

 こんなに、一生懸命、説明することか・・



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2009年4月22日 (水)

花と東京マラソンと日比谷公園

ある時、僕は、東京マラソン2007のボランティア説明会に出ていた。
ボランティア・リーダーが、担当拠点ごとにボランティアを集めて、仕事の内容を説明する。
僕が参加した「新宿出発地点フルマラソンランナーの荷物受付」班の隣では、ゴールゲート班の説明が行われていた。

「ゴールした後、女性だけに、花束を渡します」

メダルだけでもびっくりだが、花束までとは、大盤振る舞いだ。
そこで、僕は思った。
どうやって、男女を見分けるのだろうか?
ランナーは、目深に帽子をかぶり、CW-Xなどのロングタイツをはくと、男女の見分けがつかない。
ゴールしたランナーに向かって
「すみません、女性ですか?」
と確認するのは、難しそうだ。

答えはすぐに説明された。

「女性は、ゼッケンの数字の前に F がついていますから、F がついている人に渡してください」

その場がざわめき、安堵した空気が流れた。

この花束について、東京マラソンを開催にこぎつけるまでの実質的な責任者、遠藤雅彦は著書「東京マラソン」で、次のように書いている。

(以下引用)
シカゴマラソンのフィニッシュ会場には、花束を売っているブースがあります。
~中略~
東京マラソンのフィニッシュ会場で花束を売るブースを出しても、たぶんあまり売れないでしょう。そこで、まず配ろうと考えました。マラソンを完走した人には花束を贈るという習慣が根付くまで、何回かは配る必要があると思ったのです。
(引用おわり)

なかなか美しい話だ。
ところで、東京には100年前にも、似たような話があった。
かつて、日本初の公園「日比谷公園」を作った時のことだ。

1900年頃、日比谷公園の設計者である本多静六は、公園の設計図に門を書かなかった。
すると、市会で猛烈な反対を受けた。
「なぜ各門に門を設けないのか、夜間に花や木を盗まれてしまう」

これに対して、本多は反論する。
「公園の花が盗まれないくらいに国民の道徳が進まねば日本は亡国だ。公園は公徳心を養う教育機関の一つになるのだ。私は公園にたくさん花を植えて、国民が花に飽きて盗む気が起こらないくらいにするのだ」

今となっては、公園に門がないのは当たり前。
公園に花を盗みに行く人はいない。
だが、歴史が始まる前の価値観は違っていた。

さて、東京マラソンの花束の話に戻る。
結論から言うと、ゴールした女性ランナーへの花束は、第1回限りとなっている。
第2回、第3回では配られていない。
だからと言って、花束を買って贈る習慣が根付いたわけでもない。
第3回のゴール地点には、花束を売っているブースは見あたらなかった。

遠藤雅彦は、第1回を限りに、東京マラソンの担当から外れている。

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2009年4月21日 (火)

彼女がラーメンをすする時

中華料理屋で女の子と相席になったのつづき

もちろん、鼻をかんだ彼女を直視したりしない。
まったく聞こえていないよと、微動だにしない。

なるほど。私はラーメン屋に女を持ち込んでないのよ。
という気概の表れに違いない。
わたしゃ、気ぃつかってないから、お互い、面倒なことは無しだからね。
鼻水が、そう言っているように聞こえた。

ことん

水が置かれた。
大将が、どうぞと言って僕の目を見る。
ありがとうございます。
と言っておきながら、水があることを次に思い出したのは、8時間後だった。

さほど待つこともなく。
中華スープの先導を得て、炒飯が目の前に置かれた。
ショウケースの見本そのままの姿。

まずは、中華スープに沈んでいたレンゲを手に取る。
ここは食堂なので、スープは手前に向かってすくうが、最低の身だしなみとして、音は立てない。
思ったよりもスープの味が濃い。
炒飯に中華スープ。
お約束だが、別にそんな約束、守ってもらわなくていい。
炒飯についている中華スープが絶品。
そんな話は聞いたことがないし、実際にあったとしたら、面倒な話だ。

ウェディングケーキに入刀するように、できるだけ山を崩さぬよう、炒飯にレンゲをさしこむ。
表面はあまり焦げていない。山はあっさり、柔らかく崩れた。
かすかな落胆が心に広がる。
だが、ご飯は十分に火が通っていて熱い。

今日は写真を撮ろうとは、はなから思っていなくて、カメラも持っていない。
それがよかった。
炒飯の写真を押さえるという使命が課せられていたら、今頃、冷や汗が出てしかなかっただろう。

かすかに見える豚肉
赤いのは蒲鉾のみじん切り。
エビじゃなくて、よかった。

こうしている間にも、次々と客が回転する。
もちろん、マットが引いてあって、前回りをしているのではない。
背後から、客の男が注文を叫ぶ。

担々麺
・・・
たんたんめん!
え゛っ?
た ん た ん め んっ!

なんだ、おじいちゃん、耳が遠いだけか。

美容師は、雑誌に目を落とす時間、ラーメンをすする時間の7:3の比率を守っている。
僕は少しだけ落ち着きを取り戻して、時々、レンゲを休めて文庫本を先に進める。

山がかなり崩れて、4分の1を残すだけになった時、炒飯の下から、店名と電話番号が現れた。
市内局番が3桁。まだ4桁化する前から使っている、息の長い皿なのだ。
もしそこにマジックで 3 と書き足してあったら怖い。

ずっ ずっ
ラーメンをすする音がさっきより小さくなっている。

もしかして、僕の上品な食べ方に気後れしたか。
それは悪いことをした。

最後のひと山は、皿を持ち上げる。
レンゲで最後の一粒までをすくい、口に運ぶ。
いつものことではあるが、久しぶりの炒飯。
今日は特に、行儀よく締めたかった。

ずっ ずっ ずっ
彼女が奏でる子気味のいい音を聞きながら、店を出た。
桜散る商店街に、春の風が吹いていた。

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2009年4月20日 (月)

しらべる9周年

いつも、しらべるを読みに来ていただき、ありがとうございます。

2000年4月20日に始めた しらべる は、今日で9周年。

毎日更新は、これで、連続 3287日になりました。

この日数は、フリーソフト「MD電卓」で計算しました。閏年もあるので、このソフトは、長い年月の日数計算に、とても便利です。

しらべるには、数千ページの情報があり、それぞれのページがどれくらい、読まれているかは、ざっくりと把握しています。

この9年は、CGIプログラムを組み込んで、自分で集計していたのですが、最近、Google Analytics ~グーグルアナリティクスと読みます ~を使い始めました。

これは、それは強力なツールで、いろいろなことがわかります。

その中で、一つ驚いたのは、ノーリファラーの比率が、想像をはるかに超えていたことでした。


ノーリファラー no referer とは、リンク元がない、ウェブサイトへの来訪のことです。
ウェブサイト来訪者分析ツールの、リンク元分類の一つで、その他の主なものは「検索エンジン」です。


ノーリファラーとして分類されるのは、以下の3つです。
1,ブックマーク
2,メーラーに届いたメールに書いてあるURLをクリック
3,ブラウザーのアドレスバーに、URLを直打ち


実際には、ノーリファラーの大半は、1のブックマークでしょう。

このブックマークによる来訪者と、検索エンジンからの来訪者の比率はどうなっているのか?
Google Analyticsを始める前は、考えたこともありませんでした。
ノーリファラーという言葉も、知りませんでした。


後追いで、普通ならばこれくらいだろうと考える推定値に対して、しらべるの来訪者に占めるノーリファラーの比率は、2倍を超えていました。

これまでも、ブックマークをしてくださっている方が、そこそこにいるのではないかと推測はしていました。
試しに、YAHOO!でキーワード しらべる を検索してみてください。
他のウェブサイトと比べて、決して少なくないブックマーク登録をしていただいていることを、これで知りました。


そして、Google Analyticsで知ったノーリファラーの数値。
ブックマークして見てくださる方が、こんなに多かったとは。
とてもありがたいことです。

こうなると、ノーリファラーなんて呼び捨てにはできません。
今から、ノーリファラー様 と呼ぶことにしました。

Google Analyticsでは、来訪者の国が、世界地図に表示されています。
日本はもちろんですが、アメリカやイギリス、そしていくつかの国から毎日、アクセスがあるようです。恐らく海外で暮らす日本人の方なのでしょう。

ただ、世界地図を見るのは楽しいのですが、今後のウェブページ作りには、参考になりません。
ちょっと難しそうですが、日本地図で、都道府県別に表示してくれると助かります。

お、鳥取県ちょっと弱いな。
よし「鳥取カレー」のページを、てこ入れしよう。
なに、福島県のアクセスが増えているぞ!北東には足を向けて寝られないな・・.

また、これからも、しらべるを時々、見に来てください。

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2009年4月19日 (日)

ヒディンクマジックの歴史

 フース・ヒディンク Guus Hiddink
 サッカー指導者 ロシア代表監督-チェルシー監督兼務
 打つ手がことごとく当たることから、メディアはその用兵を「ヒディンクマジック」と言う。

1946年
11月8日、NETHERLANDSで生まれる。

1967年
オランダのフットボール一部リーグ「エールディビジ」でプロデビュー

1982年
15年で現役引退

1987-88
オランダのクラブ「PSV」監督
チャンピオンズカップ~現在のUEFA CLで優勝

1998年
オランダ代表監督 W杯フランス大会ベスト4

2001-02
大韓民国代表監督
W杯 極東アジア大会ベスト4

2005-06
6月、オーストラリア代表監督
ドイツW杯 ベスト16

2006-07
7月、ロシア代表監督就任

2007-08
6月、ロシアはユーロ2008でベスト4

2008-09
2月、ロシア代表監督と兼務でチェルシー監督就任。
2月21日、初采配のプレミアリーグ アストン・ヴィラ戦は勝利で飾った。

恐らくヒディンクは、チェルシーに1つから3つのタイトルをもたらしたうえ、5月末でクラブを去る。
そして来年、2010年には南アフリカで、ロシアをベスト4以内に導くだろう。

2月28日
プレミアリーグ27節 ウィガン (home) ○2-1
ロスタイムにランパードの決勝ゴールで勝ちを拾う。
これで、リバプールを抜き、2位に上がった。
デコはベンチ入りせず。

3月3日
プレミアリーグ28節 ポーツマス (away) ○1-0
ヒディンク就任以来、チェルシーは勝ち続けているが、試合消化が1試合少ないマンチェスター・ユナイテッドとの差は、7点差からまったく縮まっていない。
デコは依然として、ベンチ入りしていない。
英紙には、シーズンオフ放出予定と書かれ始めた。
その一つは、ユヴェントスが、ネドベドの後釜として、670万ユーロのオファーを出すと報じている。

レギュラーとして迎えられるならば、イタリアも修行の一環としてよいかも知れない。
ただ、デコの夢であった、バルセロナ、プレミアリーグ、そして心の故郷、FCポルト。
活躍の場は、その中に与えられることを望む。

Jリーグもあるけど・・

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2009年4月18日 (土)

東京タワーと名古屋テレビ塔と東京スカイツリー

 東京タワーの夜間点灯色が、よく変わる。
 そんな色もできるのか?というような色になる。
 4月20日までは、IOC委員の来日に合わせて、2016年 東京オリンピック・パラリンピック招致活動応援「東京タワー五輪ダイヤモンドヴェール」の点灯。
 18:30から24:00の間、五輪の5色のイルミネーションが点灯する。
 期間限定と言われると、つい行ってみたくなる。
 でも、そんなことに、いちいちこだわっていたら、時間が足りなくなるので、しらべるだけにしている。

正式名称:日本電波塔
設計:内藤多仲
高さ:333m

 東京タワーは、首都圏に地上波アナログ放送を配信する電波塔。
 パリのエッフェル塔より18m高く、完工当時は世界一の高さだった。
 1996年に完成した、マレーシアの首都クアラルンプールにあるTVラジオ電話の電波塔 KLタワーは地上421m。
 2009年3月現在、世界一高い塔は、カナダのCNタワーで553m。
 610mの東京スカイツリーが完成すると、それを抜いて世界一となる。

東京タワーの最寄り駅
 JR 「浜松町」
 東京メトロ日比谷線 「神谷町」
 都営三田線 「芝公園」
 都営大江戸線 「赤羽橋」
 東京メトロ南北線 「麻布十番」


1958年12月22日、報道機関に公開
1958年12月23日、完工式 ~この日が完成日となっている。
12月24日、一般公開開始 2005年公開映画「ALWAYS」の第1作では、クリスマスの夜、雪にしずむ東京タワーを描いていた。
 東京タワーは日本で一番古いテレビ塔ではない。
 名古屋市の中心地、栄にある名古屋TV塔は、4年早い昭和29年の完成。
 こちらが、日本で最初に建てられたTV塔。

高さ:180m(名古屋セントラルタワーズは245m)
完成:1954年6月29日。
 設計は、後に東京タワーを手がけた内藤多仲。この時期のテレビ塔のほとんどを設計した。
 東京タワーと同様に、入場料を払うと、エレベーターで展望台へ上がることができる。
 ただし、絶景というほどでもない。地元の人はあまり行かない。
 塔のふもとはセントラルパークという公園になっている。


 そして、現在、首都圏の地上デジタル放送の電波塔として、東京スカイツリーが建設されている。

2001年5月
「建設の最有力候補地は秋葉原、JR秋葉原駅近くに山手線をまたぐ形で建設」と報道された。
その時点で、2003年からの試験放送開始には間に合わなかった。
当時は、報道により高さは 707m、600mとまちまちだった。
名称もしかりで、新東京タワー、第二東京タワーと表記している雑誌があった。当時の仮称は「すみだタワー」

2005年3月
読売新聞は「墨田・台東地区が有力」と報道。
参考文献:読売新聞 2005年3月29日朝刊社会面

2006年3月14日
建設用地が墨田・台東地区に決定したと報道される。
高さ610m 東武鉄道が建設し、各放送局が使用料を支払う。
参考文献:読売新聞 2006年3月14日朝刊

2008年6月10日名称が「東京スカイツリー」と発表された。

総工費見込み:500億円
デザイン監修:安藤忠雄 澄川喜一

 2011年12月の完成まであと2年半。
 公式ウェブサイトによると、現在の高さは 11.8m となっている。
 一桁見間違えたかと思った。

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2009年4月17日 (金)

中華料理屋で女の子と相席になった

無性に炒飯が食べたかった。
商店街に確か、中華屋さんがあったはずだ。
店先のショウケースに蝋細工の見本が並んでいた。

食べ物屋はこうでなきゃと思うのだが、かと言って一度も入ったことがない。
ドアは磨りガラスになっていて、店内の様子はわからない。

炒飯を食べると決めて家を出た。
それなのに、100m手前で、やっぱりコンビニで弁当を買って帰ろうという(案)に、差し替えようとしている。

あった、あった。
店の位置を正確に把握しているわけではない。
あったと思っていた店が、つぶれて無くなっていたというのは、よくあることだ。
ショウケースで炒飯の存在を確認する。
小振りな炒飯 値段は650円。
今日の「炒飯を商店街で食べるぞ」プロジェクトの実施を、脳が指令する。

ドアはボタンを「押してください」と書いた自動ドアだった。
初めて見る店内。
なんと満席だ。
テーブルがこんなふうにぎっしり並んでいるとは思わなかった。
けっこう流行っている店なのか。
満席だから、ここは帰るしかない。弱気の自分が免罪符を発行しそうになる。
いや、何のためにここまで来たのか。
この機会を逃したら、あとあとまで引きずるかもしれないぞ。

いらっしゃい

心のディベートに3秒かかったため、店の人に見付かってしまった。
大将らしきおじいちゃんが、そちらへどうぞと目線を送る。
視線の先には、4人がけのテーブル。
こちら向きで20代とおぼしき女の子が一人。
その小さい体に似合わぬ大きな器のラーメンを傍らに雑誌を読んでいる。

炒飯ひとつ食べるのに、とても緊張していることを悟られぬよう、案内に素直に従う。
できるだけ目が合わぬよう、彼女の斜め向かいの椅子を引く。
すいません
彼女は会釈に応えたかどうかわからない。

できるだけ抽象的な存在でいようと決めた。


一度座ったあと、再び左に10度椅子を引き直す。

こぢんまりとした商店街
一人きりでやってきてラーメンをすする彼女。
美容院の店員といったところか。

炒飯ください
え゛っ?
ちょっと言うのが早かったのか。
まだ、大将は注文を聞く態勢にはいっていなかったようだ。
ちゃーはんください。

あー、はい 炒飯一丁!

一丁って、あなたが作るんじゃないのか。
奥からは時折、おばちゃんの声がする。
食べ物屋といえば、ガンコオヤジが厨房にいて、にこにこおばちゃんが配膳係と相場が決まっているが、この店は逆なのか。
あるいは、ガンコオヤジ夫妻が調理して、引退した先代が配膳を引き受けたのか。

文庫本を取り出す。
炒飯を待つ間を持たそうと思い、本棚から一冊抜いてきた。

ずっ、ずっ、ずっ
小刻みにラーメンがすすられていく。
最近の若者は、このリズムでラーメンをすすることが条例で定められているのか。

ラーメンは、音を立てて食べると美味い。
でも、長くすすれば、汁は飛ぶし、一度にほおばれない。
変におしとやかでなく、かつ、機能的。
彼女が美容師ならば、きっと、気の利いたカットをするだろう。

びむ~っ

美容師がいきなり、鼻をかんだ。

4月21日につづく

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2009年4月16日 (木)

メダルとタオルとバナナ

東京マラソンを走りながら書いた 【 17 】

 

あぁあ、終わっちゃったよ

 

呆気ない終わり。
余力を残した低調なレースにため息が出た。
ランナーの職業病、ラップの時計を止めるのも忘れた。

 

しばらく歩いてから時計を止める。
走行距離 43.62km

 

Dsc06100
スタートラインまでの465mを差し引いても、960m余分に走っている。
一番の要因は、常にハイタッチをするために、左端を走り交差点を大回りしていたこと。次に前のランナー・・ではなく、ウォーカーを抜くのに、蛇行して走ったことがあげられる。

 

ゴール後は、ランナーがベルトコンベアーに乗っているような流れ作業。
手順が洗練されている。

 

まず、チップを靴から外してくれる。
東京マラソンでは結束タグでチップを靴紐に結わえる。
この方法は初めて見た。
これまでに出たマラソン大会では、靴紐を一旦アイレットから外してチップを通すため、外す時も靴紐をかなり解かなければならない。
今後は、この結束タグ方式が他の大会でも標準となっていくだろう。

 

外したチップを手渡されて、それと引き替えに完走メダルがもらえる。
ボランティアが一人一人のランナーの首にかけてくれる。
メダルをかけてもらうなんて、生涯で初めての経験だ。

 

おめでとうございます
ありがとう

 

土砂降りの雨のなか、そこかしこで、同じ会話が繰り返される。

 

続いて、特大のスポーツタオル。
これが、今大会もらった物の中では一番嬉しかった。
ランナーは我先にと受け取り、びしょ濡れになった髪を拭いている。
東京マラソンを開催にこぎつけるまでの実質的な責任者、遠藤雅彦は著書「東京マラソン」で、第1回では、タオルはコストが高くつくため、配れなかったと書いていた。
それだけに、タオルがもらえるなんて、思っても見なかった。
その代わり、第1回では、女性限定で配っていた花束は見かけなかった。第2回に出場したランナーによると、第2回でも花束はなかったそうだ。

 

バナナ、みかん、東京の水ペットボトル
とにかく、腹が減っている。バナナをすぐに剥く。
隣りで頬張っていたおじさんに「あまり食べ物なかったですよね?」と水を向けると、そうだっけという顔で笑っていた。

 

雨は小降りになっている。
久光製薬の社員がエアサロンパスを配っている。
傍らで椅子をタオルで拭いて、今ここでどうぞと勧めてくれる。
「今やっておけば、明日が違いますよ」
それは、的を射ている。
ミニボトルを1缶使い切ったお陰で、翌日の筋肉痛は驚くほど軽いものだった。

 

荷物受け取りは迅速。
第一回で、散々待たせた反省を元に、改善されていた。

 

ビッグサイト屋内の広いホールが、着替え場所に用意されている。
これで、3回のうち2回が雨にたたられた東京マラソン。この会場をゴールに選んだことが功を奏している。
ただ、マラソンの後は、晴れた空の元、芝生に寝ころびたい。

 

着替えたところで、ゴールに4万個のおにぎりが用意されているという話を思い出した。
4度めの正直。今日こそはおにぎりにありつきたい。
だが、それらしき姿はどこにもなかった。

 

3月23日
快晴
なんだよこれ 空につっこむ。

 

そして、今日も風が強い。
それにしても昨日のレース。
参考にならなかった。
あれくらいの調整ならば、どれくらいのタイムが出るという相関が見えない。
しかしながら、また一つマラソンを知った。
いくら脚力があっても、腹が減ったら走れない。
そういうマラソンもあるのだ。

 

来年のレース「長野を走る」と決めていた気持ちが少し揺れていた。

 

ユニフォームと靴を洗う。
マラソン用品を元の位置に戻す。
日常へ戻る。
祭りの季節が終わった。

 

ハイタッチ数 700人
走りながら撮った写真 20枚
ゴールまでに聴いた音楽 84曲
食べ物をいただいた私設エイド 5人
路上に捨てたゴミ 0

 

やっぱり、いつかまた走りたい。
ここを超える楽しいコースはないのではないか。
その前に、次の挑戦が待っている。

 

【 おわり 】

 

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2009年4月15日 (水)

使わない手はないTSUTAYAディスカス

 無料お試しキャンペーンに参加して、最初は、思わず「さ」で始まる2文字の名詞を言いそうになったTSUTAYAディスカス。
 それが、2週間で「慣れると楽しいサービス」に変わった。

 2か月が過ぎた今は、
「安くて便利、DVDとCDを借りる習慣がある人ならば、使わない手はない宅配レンタルサービス」
に株が上がっている。

 概要
■DVDと音楽CDが借りられる。
■返却すると、すぐ次のDVD、CDが送ってくる。
■新作も借りられる。
■発売前の新作も予約リストに入れられる。

 発売前の2作品を、早めに予約リストに入れておいたところ、発売後数日で送ってきた。
 店頭に赴き、すべて「レンタル中」で無駄足を踏んだのは、もう昔のことだ。

■郵便で送ってくる。
■返却は、切手を貼らずに郵便ポストに投函する。
■送料は往復とも、サービス料金に含まれている。

■料金は「レンタル8」の場合、1ヶ月に8枚借りて 1974円。
 1枚あたり 250円。
 「レンタル8」の場合、追加レンタルをしない設定にしておけば、その月に8枚を借りた時点で、ストップがかかる。
 追加料金を払わされることもない。
 そして、月が変わると、供給が再開される。

 DVD/CDの予約方法
■ホームページで作品検索して、予約する。
■ホームページで、在庫状況を見ながら、借りる優先順位を決める。

 一旦★マークがついて喜んでも、その時、自分がレンタルしていて時間が経つと、また★マークが●マーク以下に戻ってしまう。
 どうしても、これが見たいという時は、予約を2作品を超えて入れないことだ。
 他に予約を入れていないと、送るものがない。
 TSUTAYAディスカス側としても、いくら固定料金をもらっているとはいえ、何も送らないというのは、世知辛い。
 それでは、顧客との信頼関係が築けないと、考えているように推測する。

 予約を2タイトルだけにして待つこと数日。
 三日月マークだった人気作品が、急遽★に変わって、回ってくるということが何度かあった。

 一度見たいと思っていた旧作がたまっている時には、うってつけのサービス。
 アダルト作品を店頭で借りるのが、恥ずかしいという人には、もってこいのサービス。

 見たい作品がなくなって来たな・・
 そう思ったら、一ヶ月単位で休会することもできる。

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2009年4月14日 (火)

足がほんとに痛いと思うけど、がんばれ!

東京マラソンを走りながら書いた 【 16 】

あと2kmの看板の脇を通過。
ボランティア・スタッフから声がかかる。
「がんばれ! あと3km!」
おいおい、違うだろ
名探偵コナンの声で、つっこんでしまった。

残り2kmといえば、いつものマラソンならば、嬉しい知らせ。
だが、中盤に寝ていたような今日のマラソンでは、複雑な気分に包まれる。

実際に、雷門から銀座へ戻る際、日本橋交差点の左折では 「ここで、寝よう」と思った。
これだけ意識が低下していても、走れるのだから、目をつぶっても走れると思えたのだ。
この試みが成功すれば 「睡眠完走法」として、マラソン学会に発表できる・・
目を閉じようとして、すんでの所で思いとどまった。
直前に、私設エイドで、チョコをもらっていたおかげだ。
あそこで、目を閉じていたら、突然ばったりと倒れ込んで、周りの人をびっくりさせただろう。

「大丈夫か?」
駆け寄るボランティア。
いやいや、すみません。大丈夫です、ちょっと寝ながら走ろうと思って・・・
きっと、走り疲れて、おかしくなったと思われただろう。

去年、かすみがうらを走った時のような、ゴールの遠さを感じない。
かすみがうらは最後の最後まで、どこがゴールなのか、わからなかった。
後でコース図を見ると、ゴールまで700mの地点が、残り3kmぐらいに感じていた。
かつて、福岡国際を平和台で見て、競技場でのゴールに憧れていた。
かすみがうらのゴールは、その競技場なのだが、作りが小さくて、直前まで気づかない。
いつかは、巨大な競技場のゲートをくぐって、トラックに飛び込みたい。

ガイドブックには「40kmを過ぎると、もうアップダウンもない。ゴールを目指すだけ」と書いてあった。
よし、これで終わった。あとは、ゴールするだけだ・・
大嘘だった。
首都高速湾岸線を立体交差するため、りんかい線「国際展示場」駅のところでもう一度登り坂。
それで本当に坂は終わり。あとはフラットな道。
ここにきて、雨脚が強くなり、前が見づらい。
この雨の中、傘も差さず応援してくれる沿道の皆さんがいる。
こんなに雨が降っているのに、なぜ?

応援は、叫びに変わっている。
「完走できるぞ!」
あの、制限時間まで、あと1時間あるんですけど・・
きっと、マラソンを走ったことはない方なのだろう。

「足がほんとに痛いと思うけど、がんばれ!」
彼もランナーで、マラソン終盤の激痛を乗り越えたのか。
終盤のこの位置に陣取って、その具体的な応援。
可笑しくなって、気持ちが軽くなった。

皆、気持ちが一つなのだ。
応援の皆さんも、僕らと一緒に走っているんだ。

できるだけ、ゆりかもめの高架下を走り、雨をしのぐ。

ゆりかもめと別れを告げ、東京ビッグサイト前を左折。
そこにも、土砂降りのなか、沿道はすずなりの人。

ずっとコースの左端を走ってきた。
ここは、左端には人がいない。
隊列からぽつんと一人離れて、残りわずかとなったコース上にいる。

少しでもタイムを詰めようと、そこそこにペースを上げる。
ゴール間際のラストスパートが、突然死につながることは、何度も本で読み、いくつかの大会では主催者から注意が喚起されていた。
全力疾走したところで、得られる目標は、もう残っていない。

東京ビッグサイト東の交差点を右折すると、そこはゴール・ロード
テレビ局だろうか。誰かにインタビューしている音声が聞こえる。
まだ3時過ぎというのに、夕闇迫るスタンド前を駆け抜ける。

過去2回は、テレビで見ていたゴールの映像。
カメラはいつもゴール側からの絵をとらえている。
逆から見る映像に、特に感慨はなかった。

次回は4月16日

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2009年4月13日 (月)

4度めのZARD「負けないで」

東京マラソンを走りながら書いた 【 15 】

35kmで聴こうと思っていたロッキーのテーマ。
これだけ体力が残っている35kmも珍しい。

私設エイドで、なにやら暖かいものを配っている。
このあたりの人は皆歩いていて、立ち止まり暖を取っている。
暖かくて、美味しそうなのだが、さすがに走りながらでは、飲めそうにない。
残念だが、横目で見送る。

翌日、バラエティ番組で、この私設エイドが取り上げられていた。
みそ汁と、おにぎり1500個を振る舞ったらしい。
個人で1,500とはすごい数だが、もちろん、6時間ランナーには遠い夢である。

入船橋の信号を右折すると、道路は上り坂。
最大の難関とされている佃大橋だ。
レース前は、どんなに辛い坂になるだろうと考えていたのだが、違った。

私設チョコで復活したため、ここに来て、足が元気なのである。
佃大橋の上りは、全員歩いていた。
極端に言っているのではなく、実際に走っている人が、僕以外に一人もいない。
そこを、ちょいとごめんよと声をかけながら、縫うように走っていく。
本来、上り坂は、生理的イーブンを期するため、ペースを落とすもの。
しかし、ここに来て、絶好調の足は、平地よりもペースを上げて進んでいった。

今回は、ほとんど鳴っていた音楽を覚えていない。
それでも、いつも心に響く歌がある。
88曲中、63番めにいれた
「負けないで」ZARD
この歌だけは、いつも、特別な思いで聴く。
前奏が鳴ると、朦朧としていた意識が戻ってくる。

♪負けないで、もう少し、最後まで走り抜けて♪
♪負けないで、ほらそこに、ゴールは近づいてる♪

ランナーのために作ったとしか思えない。
自宅でパソコンに向かっている時、この曲を聴くと、レース終盤の苦しい呼吸のなか、歯を食いしばって走り続けた記憶がよみがえる。
今回は、34km地点で鳴るように入れたが、次回はもう少し後ろ。39kmあたりに入れよう。
入り船橋の手前で、沿道からもロッキーのテーマが聞こえてきた。
ランナーから苦笑いが漏れる。
確かにぞろぞろ歩いている姿に、この曲は似合っていない。

佃大橋の真ん中で36km
37km、朝潮大橋
春海橋を左折
豊洲二丁目の信号をゆるやかに右カーブ
応援は、まばらになることはあっても、途切れることがない。
元々人口は多くない地域。地元の人は総出してるんじゃないか。
臨海地域の応援が薄いという風評を知って、わざわざここに駆けつけたと見て取れる人もいる。

Dsc06099

東雲橋を渡ると39km
そこを過ぎると、雲がさらに厚みを増した。
応援に来ていた学生が「おいおい、真っ暗になっちゃったよ」と空につっこんでいる。

東雲一丁目を右折すると40km。
40kmのタイムは、予定より15分遅れ。
終盤に足が残っていたため、この5kmラップは、予定より1分速い。



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2009年4月12日 (日)

干されなかったデコ

2月14日 (土)
FAカップ 5回戦 ワトフォード(away)○3-1
ヒディンクはまだ着任していない。
この試合は1試合限定で、スキンヘッドのレイ・ウィルキンス コーチが指揮を執った。ドログバ、アネルカが揃ってスタメン。これか今期、ウェストブロムウィッチ戦につづいて2度め。マンシェンがトップチーム初出場。

デコはベンチに入っていたが出場せず。
後半先制されたが、アネルカの3ゴールで逆転勝ち。

観客席でヒディンク監督とアブラモビッチオーナーが並んで観戦。
ヒディンクはアネルカの3点めに拍手を3回した以外は、にこりともしなかった。
テレビカメラが狙っているのを承知のうえ、クールさを装っているように見えた。

2月21日(土)
プレミアリーグ26節 アストン・ヴィラ(away)○1-0
ヴィラ・パークでは、1998-99シーズン以来の勝利。
ヴィラを抜いて3位に上がった。
フース・ヒディンク監督が初采配、初>勝利。

デコはベンチスタート。55分にカルーと交代して出場した。

ヒディンクが、デコをどう処するか気がかりだった。
スコラーリ一派として、冷や飯を食うのではないか・・・
スタメン落ちにはがっかりしたが、ラインでボールを持って待っているデコが映った時、
「あっデコだ」
と叫んでしまった。
デコはよく走り、プレーの精度も上々。
ただし仲間が、デコ・アイデアを忘れてしまったようで、デコのパスがころころと無人のグラウンドを抜けていくシーンが数回あった。
90分には見事な左サイドからの進入で、決定的なセンタリングを入れた。
輝きを取り戻したデコ。
いよいよCL決戦。これからのシーズンが楽しみだ。

2月24日
デコがハムストリングの故障で2~3日の休養が必要と、公式ホームページで発表。

2月25日
CL2008-09 決勝トーナメント
ベスト16 第1戦ユベントス(HOME)○1-0
12分ドログバがゴール。
デコはベンチ入りしなかった。
CLの場に、優勝請負人デコの姿がないのは、寂しくて仕方がない。



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2009年4月11日 (土)

マラソンの応援で力をもらうということ

東京マラソンを走りながら書いた 【 14 】

歌舞伎座を過ぎ、築地四丁目の交差点に向かう道。
銀座に繰り出した買い物客は、静かに僕らマラソン・ランナーを見守っている。

そこに人はたくさんいるのに、静かだ。
皆さん、それじゃ、つまんないでしょ?
どうです?ハイタッチでもしましょうよ。
今日、家に帰ってから、お茶の間で「走ってる人とハイタッチしてきたよ」って言えるし、参加した気がするでしょ。
なんたって今日は「東京が一つになる日」ですから。

沿道いっぱいに左に寄り、こちらから大きく手を振りかぶる。
すると、そのうちの一人がハイタッチに応える。
すると、その連れのおばちゃんの手が出る。
その2m先のおばちゃん、その旦那のおじちゃんも。

エイドでハイタッチ・ラインをつくってくれたボランティアのおかげで、レース後に試算したハイタッチ人数は 700人。
ハイタッチをしようと待ちかまえてくれた人が 600人。
その気はなかったのに、こちらが迫ったのが 100人。

たくさんの力をもらった・・

そう、書くと思っているかも知れないが、本当のところはよくわからない。
応援を受けると嬉しい。
ハイタッチをすると楽しい。
だけど、それによって、元気もりもり、脚力がんがん・・
ということはない。
応援がなければ、あそこでつぶれていた。
なんてこともない。
そもそもそんな柔では、6時間も歩かずに、走れない。

一つ言えることは、応援もハイタッチもない道を、6時間も走ることは難しいということだ。
そんな道には、給水所がないし、5cmのバナナすら出ない。
信号で止められたり、自転車にぶつかったりもする。路上の段差に常に神経をとがらせなければならない。

ランナーのためにしつらえたコースがあり、信号はすべて青。
2.5km毎に水を配ってくれる人、バナナを配る人がいる。
沿道で、声援を送ってくれる見知らぬ大勢の人がいる。
そんな特別待遇が、参加費の高い大会でも1万円、安ければ5,000円で受けられるのである。

ゴルフが趣味でも、コースに応援のギャラリーはいない。
ナイスパットを決めても、4人が「ナイスイン」と言ってくれるだけ。
国体や日本選手権という場で、声援を受けるのは一部のアスリート。

素人が、見知らぬ大勢の人から応援を受ける、唯一のスポーツ。
それがマラソンなのである。

築地4丁目を左折すると35km
予定していたタイムからは、16分遅れ。
この時点で、昨年のかすみがうらマラソンより、タイムが悪くなることがわかった。

いよいよ、ここからが自分のマラソン
35kmまでは東京の名所と、大観衆がつくってくれる。
ここから先の 7.195kmは自分でつくる。

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2009年4月10日 (金)

銀座での復活

東京マラソンを走りながら書いた 【 13 】

32km
日本橋を過ぎて、再び銀座の中央通りに戻る。
時刻はまだ 13:40
いつもの日曜日ならば、まだまだこれからという時間帯だが、雲は厚さを増し、二度めの銀座は、夕闇の街に変わっていた。
ここまで来れば、ゴールまでの道のりは頭にある。
銀座和光から築地までの道は、庭のようなものだ。

マラソンも終盤にはいると、応援の趣向が変わってくる。
そのメッセージに、より具体性が増してくる。
私設エイドも増えるのだが、プラカードも増える。

「楽しんで!」
楽しんでと言われて、あ、そうだったと思い出す。
レース前は、かなり楽しめると自信があったのだ。
だが、楽しむというのは、楽しむ力があってこそ。
たとえ東京だろうが、下関海響だろうが、力がないマラソンは苦しい。
今日の僕には、まだ楽しむだけの力がなかった。

「明日は仕事だ」
マラソンは日曜日なので、当然、翌日は月曜日。
お休みを取っていない人は、いつものように早起きをして、筋肉痛の足をひきずり、仕事へと向かう。
それにしても、きつい一言だ。

「ナイスラン」
いや、すみません。こんなへぼな走りして・・

こうして、プラカードにつっこみ、一頻り考える。
世の中にはプラカードを作ったことがある人と、そうでない人がいる。
一見簡単なことのようだが、段ボールを切って、マジックで書くだけでも、それ相応の手間暇がかかる。
それをカバンに入れて、電車に乗ってくるのだ。荷物はかなりかさばる。
普通の人ならば、思い立っても、やっぱりやめておく。
それを、突き抜けて、こうして掲げられたプラカード。
一つ一つ大切に、すべてを読み、評論しながら走った。

ハイタッチは続けている。
すると、ハイタッチ待ちで並んでいる手の中に、チョコレートや飴が握られている。
素手 素手 素手 チョコ 素手 飴・・
これは、新しいスタイルだ。
ちょっと面食らった。
ハイタッチをしていると、突然チョコが出てくる。そのままハイタッチしようとすると、チョコを払い落としてしまいそうで、思わず手を引っ込める。

「もらってくれない・・」
と嘆いている女性の声が聞こえた。
まぁ、まぁと友達が慰めている。

34km
銀座四丁目を左折
時刻は14時。
この時、突如、体に力が戻ったのがわかった。
チョコレートと飴が効いたのだ。
脳が防衛機制を解き、体にエネルギーの使用許可を出した。

歌舞伎座の前は、黒山の人だかり。
その中に、歌舞伎のコスプレで応援しているそ~さんがいる。
大見得を切って、おまかせあれ~っとでも言っているかと思ったら、あの格好でふつーに立っているのが可笑しい。
挨拶をして、再び走り始めた。

次回は4月11日



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2009年4月 9日 (木)

耳に水が入ったら

入浴中、左の耳に水が入った。
シャンプーをシャワーで、洗い流していた時だ。

ほんの一瞬、左の耳をいい角度で水流が直撃した。
時間にして 0.5秒
それでも、人を悩ませるには十分な水量が侵入する。

前回、耳に水が入ったのは、2005年2月。
今回同様、シャワーが左耳を直撃した。

子供の頃、川で泳いでいてよく水が入った。その時は、熱い石を耳の裏に当てていたが、あいにく家には熱い石を常備していない。
タオルを熱く蒸して当てたが、水は出ていってくれない。
ネットで調べても、的確な解決方法は見あたらなかった。

その夜は、水が入った方の耳を下に向けて寝た。
しかし、朝起きてもまだ、耳の中でごろんごろんと音が鳴っている。

中耳炎というのに、なるのではないか?
心配になって、耳鼻科の門をたたく。
実際に門はないので、すみませんと言って保険証を出した。

先生は耳に、なが~い綿棒をつっこんだ。
ぐわっ そんな深く・・
思わず、体に力がはいる。
綿棒を抜くと、ずいぶん楽になっていた。

先生の説明はこうだ。

・蒸発するのを待てばよい。 通常はそれで治る。
 概ね、半日ほど活動していると水が蒸発して治る。
・水は鼓膜のそばに到達している。
・耳の中でごろんごろんと音がするのは、水が動く音。

・どのように水が入っているか?
 耳の穴は下に向かって「く」の字型に曲がっていて、そこにたまっている。鼓膜の前で止まっている。

前回の記録が残っていたので、今回は慌てずに済む。
耳鼻科には行かず、蒸発を待つ。
試しに、家にあった綿棒で拭き取りを試みたが、これはダメ。
鼓膜は、家庭用綿棒が届くようなところではなかった。

念のために、左を下にして就寝。起きても「ごろごろ」という音がするのは変わらない。
通勤や、仕事をしている時は頭が傾いていないので、気にならない。
14時間経過、頭を傾けるとまだ耳の中で音がする。

15時間28分を経過した時、左耳が抜けたような感覚が走る。
お、蒸発か?
試しに、頭を左に振って戻してみたところ、もうごろんごろんは聞こえなかった。

耳鼻科に行くか?
半日過ぎても、または一晩寝ても治らない場合、中耳炎の経験者は耳鼻科へ行った方がよい。
鼓膜に穴が開いている人は、鼓膜よりさらに内側へ水が入り炎症を起こす。

中耳炎経験者ではない場合は、24時間までは蒸発を待つとよい。
中耳炎などの経験がない人は、放っておけば治るのだが、耳鼻科へ行けば鼓膜のところで止まっている水を拭き取ってもらえる。
その際、かなり奥まで細い綿棒を突っ込む。

耳鼻科の先生が言うには「素人がこれをやると、外耳炎を起こす危険性がある」とのことだった。

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2009年4月 8日 (水)

東京マラソンは走りづらい。

東京マラソンを走りながら書いた 【 12 】

ここで、東京マラソンで、一番嬉しかった出来事を書こう。
それは、後半のエイドにあった。

僕ら6時間前後のランナーが30kmを過ぎる頃、大半のエイドは、規模が縮小されている。
エイドに詰めている水色のジャンパーを着たボランティアのうち、半数は手が空いている。
そんなエイドにさしかかった時だ。
にこにことこちらを見ながら、ハイタッチを待つ、水色の隊列が見えた。
手が空いたメンバーが、ハイタッチしながら、応援の声をかけてくれる。
迷わず、近寄った。
まるでホームランを打ったバッターがベンチに凱旋したかのように、20人ほどの隊列に、タッチしていく。
一人一人の笑顔がなんと、愛くるしいことか。
一人一人に「ありがとう」「ありがとう」と声をかけていく。
なぜだかわからないが、どこでも、女の子の列が先に並び、その後に男の子の列が並んでいる。

水を渡しているスタッフも、コップを渡しながら、必死に声をかけてくれる。
「いけ」
「がんばれ」
それで、いいんだ。
こんな時、ていねいな言葉遣いは要らない。
気合いのこもった言葉が、心に響く。

ランナーに気合いを注入しながら、ペットボトルからコップに水を注いでいる兄ちゃんがいた。
「がんばれ、チェルシー・・おっ、デコ いけ~」
嬉しかった。

今回のレースでは、5人の方が「チェルシーがんばれ」と声をかけてくれた。
31km過ぎで飴を配っていた女性が「あ、チェルシー・・の人、がんばって」と言ってくれたのが、可笑しくて心に残った。

いくつかのエイドでは、ランナーが続々と来る合間を縫って、ほうきでコップを掃いている青年がいた。一刻も早く紙コップを片付けたいのだろう。
あれはできれば、すべてのランナーが通過してからの方がいい。
遅いランナーは特に疲れていて、目の前のボランティア一人よけるのも、大変なのだ。


31km
浜町中の橋の交差点を右折。
コースレイアウトが頭に入っていないので、なぜここを右折なのか。その先はどのように道が続くのかがわからない。
後で地図を見ると、茅場町から築地までの4kmは、長方形の3.5辺をなぞるように、四角く走っている。
初めての市街地コースを走る時、コース像がつかめないことは、精神的な負担が大きい。特に疲弊したレース終盤では、なおさら。
次に新たな市街地レースを走る時は、コース図を穴が空くまで見ておかねばなるまい。

東京マラソンは走りづらい。
銀座から雷門、再び銀座へと戻る、この区画を走っていて、それは確信に変わっていた。
もっと正確に言うならば、5時間半以上のタイムで、なおかつ、歩かずに走り続けるランナーにとって、東京マラソンは最高に走りづらい。
なぜならば、見たこともないような大量の人が一斉に、歩いているからだ。

かすみがうらマラソンでも、終盤はたくさんの人が歩いていたが、走るコースには困らなかった。
東京マラソンは、かなりコース幅が広いのだが、半端ではない人数が歩いて、コースを埋めている。まさに、縫うように走らざるを得なかった。

さらに、歩くマナーも悪い。
突然、立ち止まる。
コース上でストレッチをする。
歩いていたかと思うと、後ろも確認せずに走り出す。
コース脇に寄る時に、後ろも見ず、斜めに歩く。
初マラソン・ランナーが多い所以だろう。

ゴルフ場に行けば、やれ、ラインを踏むな。足をひきずって歩くな。
人がアドレスに入ったら、動くな。
打ったら、ボールまで クラブを3本持って走れ・・
と散々、先輩からマナー教育を受ける。
どんなスポーツでも、ルールとマナーは先輩や指導者から、後進の素人へと伝わっていく。

その点でいうと市民マラソンは、そもそもスポーツなのか、イベントなのかが曖昧だ。
「僕はオリンピックに出るわけじゃない。マラソンを楽しんでいるだけだ」
そういうランナーは多い。
ただ、せっかくスポーツの場に顔を出しているのだから、その競技に先達から受け継がれてきた、ルールやマナーにどっぷりと浸かってみるのはどうだろう。

東京マラソンというスポーツは、まだわずか3回。
ルールとマナーは、未だ、発展途上である。

次回は4月10日

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2009年4月 7日 (火)

神田川でチョコレート

東京マラソンを走りながら書いた 【 11 】

27km
このあたりで、人形焼き 1万個を配る。
毎回恒例、あんこ抜きの人形焼き。いずれ、荒川のシャーベットのように、名物給食としてかぞえられるだろう。
それにしても、3万人が走るというのに、あまりに少ないではないか。
荒川のシャーベットは、最後の一人まで行き届くよう、用意されている。
老舗の業者一社に依頼していて、一度に3万個を用意するのは難しい。。
といった理由なのだろうが、そこはなんとかして、最後の一人まで、口に入ることを望む。

僕が27km地点を1万位以内で通過するわけはなく、人形焼きは最初から諦めていた。
狙うは、ゴールにある4万個のおにぎり。

マラソンのエイドで、一度おにぎりが食べたい。
そう思うきっかけは、初マラソンの荒川にある。
前日受付で受け取った広告チラシによれば、レース当日、金芽米のおにぎりがふるまわれると書いてあった。
きっと、マラソンを走りながら食べる、おにぎりは格別美味いに違いない。
だが、レース当日は風速20mの逆風。
おにぎりどころではなかった。

完走した翌日、新聞紙上に、こんな記事が載った。
「金芽米のおにぎりがランナーに配られ、応援の人たちにもふるまわれました」

すっかり、その存在すら忘れていた金芽米。
速いランナーが食べてしまったならば、諦めもつく。それを、応援の人が食べてしまったと聞いてショックを受けた。
楽しみにしていたのに・・・
食べ物の恨みはしつこい。

次の年の湘南国際では、おにぎりはみつけられなかった。
その次は「施設エイドが充実」が謳い文句の「かすみがうら」
もちろん「私設」と書くのが正しいのだが、なぜか、主催者の資料には「施設エイド」と書かれている。
ここでも 「かすみがうらマラソンコミュニティ」の仲間から、おにぎり発見の報告はあったが、やはり、僕が通過する頃は、売り切れた後だった。
4度めの正直。3万人に対して、4万個のおにりぎり。
今日こそは、おにぎりにありつけそうだ。

28km~30kmもタイムは8分台後半。
お腹がへこんでくるのがわかる。
「お腹と背中が・・くっつくぞっ」
思わず、NHKお母さんといっしょの歌を口ずさんだ。

雷門から銀座への戻り。
ここにきて、チョコレートや飴を差し出している人が増えた。
ここは、積極的にもらっていかなければ・・
とにかく、何か食べなきゃ

30km
30kmの通過タイムは予定より、9分遅れ。

神田川のほとりで、チョコレートをもらった。
一度もらうと、次は何がもらえるのか、気になって仕方がない。
ほとんどの私設エイドでは、食べものをトレーに入れている。
トレーをのぞき込むまでは、何が入っているかわからない。
しげしげとのぞき込んでおいて、やっぱり要らないというのは失礼だろう。
遠目からみて、チョコレートだったら迷わず近づいて行って、1つもらう。
できれば、ピーナッツやアーモンドが入っていない方が嬉しい。
ピーナッツが、歯に詰まるのだ。

チョコレートかと思って近づいたら、飴ということもある。
それでも1つもらう。
飴を噛んでしまう僕は、口に入れた 3秒後には、もう飴をかみ始めている。

封を切ったゴミはポーチに入れる。
すると、私設エイドの先には、必ずボランティアスタッフが、ゴミ袋を構えていてくれるのだ。
「ほら、今もらった飴の袋、ここで捨てていきなよ」
今回、ボランティアスタッフの気遣いで、これが2番めに嬉しかった。

次回は4月8日



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2009年4月 6日 (月)

空腹で失速した理由

東京マラソンを走りながら書いた 【 10 】

 

レース直後、給水は不可欠だが、すぐ何かを食べなければ、体が壊れるというわけではない。
食べ物はゴール後ではなく、走っている最中にこそ欲しい。

 

さらに言うならば、ゴール後に配った3万本を差し引いても、バナナはまだ3万本ある。
3万人に対して1カ所で配ったのならば、1人あたり1本は行き渡る計算になる。
それが、なぜ バナナは 5cm だったのか?
推察するに、バナナを2カ所で配ったのではないか。



2カ所に置けば、速いランナーが2カ所で取った場合、遅いランナーには行き渡らない。
第一回大会では、人形焼きを2カ所で配り、一部の速いランナーにしか行き渡らなかったことがあった。
今回、給食エイドは4カ所と周知されていたが、そのうち一カ所には何もなく、空っぽになったバットだけが積まれていた。

 

だが、空腹で失速したのは、大会主催者のせいではない。
自分のせいだ。
その伏線は、6週間前に変えたレーシングシューズにあった。

 

新しいマラソンシューズ

 

今回新調した靴「ソーティスーパーマジック」は、大手スポーツチェーンで買った。店頭のPOPに、この靴は「サブ3向け」と書いてあった。
靴を買いに行った日のことだ。
スーパーフィートをカットする作業の間に、レースに持参するサプリを調達した。
過去3年、毎回持参しているのは「ベスパプロ」と「パワーバー(Gel)」を3つ。
レース直前に「ベスパ」を摂り、脂肪優先使用を体に指令する。
レースが始まってからは、3度に分けて「パワーバー」を摂る。
これまで、レース中に空腹を感じたことはなく、今回も前例を踏襲するつもりでいた。
するとパワーバーの味を選んでいた時、別の店員さんが声をかけてきた。

 

「こういうのも出てますよ」
彼が指し示したのは「VESPA HYPER」

 

ベスパはレースで、脂質を先に使い、糖質を後半に温存するためのサプリメント。
練習では、脂肪を優先的に使っても、練習後の食事で脂肪から充填されてしまう。
「VAAM」や「ベスパ」を常用しても、ダイエット効果はない。
あるのは、体が目を覚ますのが速いと言う効果程度だ。

 

だが、限られた時間内で最大限のエネルギー源を確保したいマラソンでは、グリコーゲンをセーブして、脂肪を先に使うベスパが有効だ。

 

■レース前30分に飲む。
■レース途中に飲んでも、かまわない。
■VESPA はドーピングには当たらない。

 

VESPA HYPERは、VESPA Proの水分を減らして小型化した。
この小ささは、ポーチにいろいろな物を入れて走る、素人ランナーには魅力だ。
成分は、プロポリスを使うVESPA Proと同じ。
VESPA Proにはついている、りんご味がついていない。
VESPA Proは、80mlで735円なのに対して、VESPA HYPERは9gで630円。

 

「パワージェルじゃなくて、これを3つ入れて行くという手もありますよ」
彼は言う。

 

そうか、その手があるのか。
もうこの時点ですっかり ベスパ・マジックにはまっていた。
そして、レース当日、空腹で失速するまで6週間、その論理の破綻に気づかなかった。

 

VESPAは、元々体内にある脂肪を利用するための飲料であり、新たな栄養を供給しない。
マラソンを5時間以上かけて走る素人ランナーは、栄養を外部から摂り、空腹を補う必要がある。
この理屈は後で考えてみれば、簡単なことだが・・

 

東京マラソンを一回、棒に振ったが、お陰で貴重な経験をした。

 

27km
腹で息をして、失速の理由がわかると、気持ちが切り替わる。

 

道が細くなり、前方に雷門が見えた。
ほとんどのランナーが、立ち止まり、カメラを出している。

 

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2009年4月 5日 (日)

デコの言論

2月7日
プレミアリーグ25節 ハルシティ(home)△0-0
ツェフ欠場。
冬の移籍で入団したばかりのクァレスマが初先発。
クァレスマはいくつかの創造的なプレーを見せた。
50分、デコはベンチでチュッパチャプスを舐めている。
スペインにいるうちに、スペインの飴「チュッパチャプス」のファンになったのだろうか。
飴を舐めていたかと思うと、72分にバラックに代わって出場。
しかし、デコがトップ下で攻撃を組み立てるシーンは見られず、後半は得点の予感がしなかった。

ホームでの痛い引き分け。
これで、首位と7点差の4位。プレミアリーグ優勝は遠のいた。

2月9日
チェルシーが公式サイトで、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の解任を発表。
デコは「驚いた。もう少し、チャンスが与えられるべきだった」と率直に語る。
それは誰もが心に思っていること。
だが、明日は我が身、もの言えば唇寂しと、口をつぐむ人が多い。
デコは、そこが違う。

いずれにせよ、この先、デコは使ってもらえるのか。デコファンが愕然とするニュースだった。

2月11日
チェルシーが公式サイトで、フース・ヒディンクの監督就任を発表。
現役ロシア代表監督であり、クラブチームとの兼務になる。

2月11日
インターナショナルAマッチデー ポルトガル 1-0 フィンランド
home ポルトガルのファロで開催。
デコはフル出場。ロナウドがPKを決めた。

同じ日、日本代表はホームでオーストラリアと対戦して引き分け。
前半、まだ足が動いていた時の松井のパスの冴え。
遠藤の正確なミドルシュートは優れていた。
一方では、相変わらずシュートを大きくふかす高校生みたいなプレーヤーが、選ばれていて落胆した。

翌日、2月12日の読売新聞朝刊
解説委員の李国秀は「岡田監督が指揮する限り、これ以上は望めない」と一刀両断。
2月12日夕刊では、記者が署名記事で「岡田監督の練習は、単調で工夫に欠ける」と批判した。
アイデアマンの名監督の後任ゆえ、大抵の人は見劣りする。
しかし、その大抵の人の中でも、この現監督に対して、読売グループは我慢できないという姿勢を打ち出した。

大手新聞社が、公然と批判した。
次は、大手を振って、ブロガーとファンがつづく。
これから、岡田に対する風当たりは、遠慮のないものになっていくだろう。
一般の書き手にとって、大手メディアの論調は後ろ盾になるのだ。

それまで、言いたいことも言わず、黙っておいて、読売が書いたから、さぁ僕もと言うのは、書き手としてはしたない行為である。
デコがそうであるように、誰もが思っているからではなく、自分が思っていることを言うのが、言論だ。



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2009年4月 4日 (土)

マラソンは、腹で息をする

東京マラソンを走りながら書いた 【 9 】

25kmの通過は予定より、4分遅れ。

歩きたい

もう、すっかり、レースを投げ出していた。
目標タイムに、こだわる気持ちがもてない。
かと言って、収容バスや、制限時間という、せっぱ詰まった戦いもない。
「目標タイム」という、なんとでもなる基準が外れてしまうと、自分を支える柱がなくなった。

東京マラソンは応援が多いから、楽しいだろう。
都心の道路を走るのは、気持ちがいいだろう。

そんな、気持ちはとうの昔にない。
どんな、マラソンも辛いものなのだ。
いったい、なんのために練習をして、マラソンをやっているのか。
今日を終えて、再び、走り出せるというのか。
マラソンを続ける理由はあるのか。

しかし、最後の一線があった。
それは去年、かすみがうらマラソンで手に入れた勲章。
死にものぐるいで勝ち取った 「一度も歩かずに、完走」
それをここで、止めてしまったら、もう何もかもが終わりだ。
自分を認められなくなる。

初マラソンでさえ、27kmまでは走り続けたというのに、今日はまだ25kmじゃないか。
そんなことが許されるわけがない。

そこで、丹田呼吸を入れた。

▼3拍吸う
   ↓
▼6拍で吐く
   ↓
▼吐き終えた時、丹田(へそ下5cmあたり)に、30%ほど息が残っていると考える。
   ↓
▼繰り返す。

 本来の丹田呼吸は、5秒吸って、10秒吐くという、もう少し長いパターン。
 だが、走行中はそれでは苦しいので、3回吸って6回吐くパターンにする。
 ずっと、丹田呼吸で走るわけではない。

 上り坂を終えて、息が上がった時、苦しいなと感じた時に、丹田呼吸をする。
 丹田に手を当てて「ここだよ」と自分に言い聞かせると、イメージがしやすい。
 お腹を押さえていると、応援の人が心配そうに見つめるが、それは勘弁してもらう。

 1月の大阪国際女子マラソンで優勝した渋井陽子が「腹で息をするのを、忘れなかったのがよかった」
と言っていた、あれである。

丹田に手を当てたことで、はっと気づいた。
極端にお腹が凹んでいる・・・
マラソン前、あらゆる嗜好品を断ち、減量に努めた。
それにしても、こんなには、腹はへこんでいなかった。
そこで、この無気力の正体に思い当たった。

その手前、22.3km、今日初めての給食エイドが見えてきた時だ。
すかさず駆け寄り、バナナを目指す。
すると、バットに入っていたバナナは長さ5cm程度のもの。

そうか、食べやすく小さくカットしてくれたんだな。
皮も剥いてあるし。
あれを、2~3切れ、手渡してくれるんだろう。

手を出すと、バナナを1切れ手渡された。

えっ?これだけ?
せめて2切れじゃないの?

大会前の報道によれば、ドールが、栄養価の高いラカタンバナナを6万本提供すると伝わっていた。
それを読んで、十分食べられるという安心感があった。
2007年の第一回大会ではバナナが足りなくなったことが、大きく取り上げられた。
まさか、そんなことが再現されるとは思えない。

残念ながら、それは再現された。
今大会では、バナナはゴールしたランナーに1本ずつ配られた。
だが、ゴールしてからは、一息ついてからゆっくりと自分で好きなものが食べられる。
事実、ビッグサイトのコンビニ「ファミリーマート」のおにぎり、サンドイッチの棚は、空っぽだった。

次回は4月6日

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2009年4月 3日 (金)

ばか笑いする人に、いい人はいない

今日もとなりの部署から、ばか笑いが聞こえている。
そこには、ばか笑いするスズキさんがいる。

はははは

あ~ぁ

と続きそうな、気の抜けた、渇いた笑い。
会話の口調とは、オクターブが変わり、職場の静寂を打ち破る。
その部署の人たちは、そのばか笑いをOKしているのか、スルーしている。


セミが短い一生を、精一杯鳴き尽くすように
幼い雛が、えさは僕にと鳴くように
スズキさんは、その笑いがいつ、どのような気持ちで、始まったのか
もう覚えていない。
今や、ばか笑いも生活の一部。
ばか笑いが自分自身の色になっている。


謙虚に生きている人は、自らの存在を誇示する行動はしない。
人に優しい人は、周囲の雰囲気に配慮する。

ばか笑いをする人は、
自分はここの主で、この空間を支配していると、考えている。
ゆえに、入社・着任したその日、異動したその日から、ばか笑いする人はいない。
ばか笑いは、ある程度、古株になった時に始まる。
(着任した日からばか笑いするのは、本当のばか)


あるいは、空間の支配者になろうとしている。
自分は誰もが認める明朗な性格で、ここでは、ばか笑いを許された立場にいる。そう喧伝しているのだ。


ここは寄席や、宴会中の居酒屋ではない。
皆が静かに仕事をしている職場。
大笑いがなじまない場所だ。


静寂を破るばか笑いを繰り返す人は、謙虚さに欠け、内心は人をバカにしている。
それは、とても、みっともなく、みすぼらしい行為だと、スズキさんが、僕の友達だったら言う。

「その笑い方は、あなたを知らない人が聞くと、ちょっとびっくりするよ」
でも、スズキさんとは口をきいたことすらない。

ばか笑いをやめさせる方法はないか。

1,直接、本人に言う
 それが筋である。

でも、後々の影響を考えると、言えない。
幸い、口をきいたことさえないので、仕事で実害を被ることはない。
下駄箱はないので、上履きにチョークの粉を入れられることもない。

それでも、
「motoさんって人に 笑うなって言われたのぉ。余計なお世話よね。基本的人権の侵害じゃない?」
くらいのことは、吹聴されるだろう。

めんどい

2,その部署にいる親しい知人 サトウさんに頼んで、意見してもらう。

だが、サトウさんに悪い。
サトウさんは、物事がよくわかっている人だから、僕の名前を出すことはしないだろうし、そうすれば、矛先がサトウさんに向くかも知れない。


3,イントラネットの掲示板に書き込む
それじゃ、中学生だ。


4,本人に聞こえるように、他の同僚との会話で「ばか笑いは、感じ悪いよね」と話す。
陰険であり、自分が後悔しそうだ。


5,ラジオ番組に、ばか笑いをやめて欲しいとはがきを書く。
恐らく、ラジオは聞いていないだろう。


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2009年4月 2日 (木)

(謎)の銀座での失速

東京マラソンを走りながら書いた 【 8 】

予定していた20kmの通過タイムから、およそ2分遅れている。
どこで遅れたのか、見当がつかない。

今日、二度目の日比谷公園を過ぎるとコースは右折して、そこは21km地点。
ここからは、いよいよ銀座をめざす。
日比谷~品川~日比谷の折り返しは、なんとなくもの悲しい空気が流れていただけに、迫り来る繁華街 銀座に心が躍る。

ペニンシュラホテルを左にみて、正面には新幹線のガードが見える。
そこに、右手から矢印のように鋭利な姿が現れた。
おぉ、500系だ!
500系とは、JR西日本が開発した流線型の造形が美しい新幹線車両。
税法上、試作車扱いにするため、16両×9編成しか作られていない。

1997年3月にデビューして以来、その9編成すべてが東京-博多間の「のぞみ」に使われてきた。
東海道では異彩を放つグレーのボディ。
まるで、戦闘機が線路を走っているような、異様な形状。
鉄ちゃん、鉄子、その子供に 絶大な支持を受けている車両だ。

だが2007年7月、さらに速い N700系車両が登場して以来、窓際においやられ、現在「のぞみ」運用は一日2本。
500系と遭遇することは、大変にレアなのである。

東京駅が近いため、徐行する500系。
時速 8kmで走る僕。
しばらくは、その美しいフォルムを見上げながら走る。
よっぽど、カメラを取り出そうかと思ったが、その気力はなぜか沸いてこない。

銀座インズの上に作られた無料の高速道路「東京高速道路」をくぐると、一気に人が増えた。
歩道には鈴なりの人。心なしか、女性が多い。

和光、三越がある銀座四丁目の交差点を左折。
ここは、写真を撮ろうと思っていたポイントだったが、どうにもカメラを出す気力がない。
ウォークマンからは、銀座で聴こうと入れてきた遊佐未森「地図をください」が、予定通りに聞こえている。
何もかも、予定通りのはずなのに、何かが狂い始めている。
ただ、その正体に、気づかない。

一度、経験を積んだ今ならば、どう対処すればよいかが想像できる。
だが、経験のないことは、想像ができなかった。

Dsc06096

巨人が日本一になるとパレードをする銀座中央通り。
その1km強の直線が、全然、楽しめなかった。
確か、銀座を過ぎれば日本橋、そこでは佐野元春「約束の橋」を聴くはずなのだが、なかなかピアノの前奏がかからない。順番を入れ間違えたのだろうか。

21kmから24kmまで、急激にペースが落ちた。
それまで刻んできたラップよりも、1分以上遅い。
訳のわからぬまま、レースは続いていく。

日本橋を右折すると、茅場町で左折、そしてまた浜町中の橋の信号を左折。
頭の中に入っていた日本橋から雷門までの道のりは、ほぼ直線だった。
いったい、今どこを走っているのか、頭が混乱する。
雷門はどこだ。
雷門が待ち遠しい。
雷門に行けば、何かが変わる、自分の位置を取り戻せる。
その一心で走り続ける。

24→25km区間で7分台があった以外は、軒並み8分台の後半。
計画では、35km過ぎて、失速した自分に許していたペース。
14kmも早く、失速が訪れてしまった。

次回は4月4日

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2009年4月 1日 (水)

ゴミを捨てるエコマラソン

東京マラソンを走りながら書いた 【 7 】

品川折り返し
できるだけ、応援のそばを走ろうと思い、大回りする。
背中に追い風を感じているわけでもないのに、体がエアポケットに入ったように軽い。

15→16kmは向かい風のため、8分4秒だったが、
折り返した 16→17kmは、6分56秒。

空は曇っている。
体調は悪くない。足は鈍っていない。
だが、得たいの知れない重苦しさがあった。
それは、街のもつ空気なのか。
あるいは、何らかの不調が体に忍び寄っているのか。

再び、日比谷公園が近づいた頃、対向車線に「収容」と書いたはとバスがやってきた。
東京マラソンのコースは、東京の見所を巡っているので、その日、はとバスは商売あがったり。
そこで、大会車両として、はとバスが採用されている。
窓越しに見える、DNFランナーがうつむいて見える。
「こわい~」
思わず、声に出た。

2年前、僕はあのバスに乗った。
湘南国際31.3km関門から、ゴールまでの10km。
自分の足で走ることなく、バスで走った。

「これから、10km先まで行くんですけど、バスがいいですか?それとも走りますか?」
と言われれば、世の中の大半の人はバスを選ぶ。
ランナーでさえ、日常生活で、その二者択一の場面を迎えたならば、バスに惹かれる。

だが、レースの開催時間中、ゴールまで走りたい時に、強制的に乗せられるバス。
その無念は、経験した者でなければわからない。
まだ、人影もまばらなバスの席にゆったりと座り、彼らは、自分に起きていることが、まだ受け入れられないでいるだろう。
車窓越しに、先を行くランナーを見やる。
苦しそうに走るランナーが、どれだけ羨ましく感じることか。

この先、制限時間の厳しいレースでは、再び、バスとの競争もあるだろう。
だが、バスから逃げるスリルがあるレースのほうが、マラソンは楽しい。
この日のレースは、退屈だった。

後で思い返した時、この18km~20kmあたりのことを、思い出せない。
この時は、特に疑問を持たずに走り続ける。
道路の左手に見えていたはずの東京タワーも、一度も目に入らなかった。

20kmを過ぎる。
収容バスが通り過ぎた後の道路は、道路封鎖解除に向けて、片付けが始まっている。
エイドにはすべて立ち寄る。
水だけのエイドでは、ボランティアのユニフォームが水色。
アミノバリューがあるエイドでは、オレンジ。
コップの色だけではなく、ユニフォームの色まで違うのは初めて見た。
6時間台で走るランナーが通る頃、すべてのエイドは紙コップのゴミ山を走る。

マラソンでは、一切ゴミを捨てない。
もちろん、つばを吐いたりはしない。

「東京マラソングリーンプロジェクト」に賛同して、緑の靴紐や、リストバンドをはめてはみたものの、ゴミは投げ放題。そんなランナーのどこがエコなのか。

いつか、どこかのマラソン会場で「紙コップが一つも落ちていなかった」というニュースを聴きたい。
簡単なことだ。
そうしようと、決めるだけだから。

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