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2010年6月の30件の記事

2010年6月30日 (水)

W杯における、誤審とCL決勝敗退のジンクス

6月26日
ベスト16
ウルグアイ 2-1 大韓民国
ポート・エリザベス

グループリーグで無失点だったのはウルグアイとポルトガルのみ。
予選でプレーオフを戦ったチームで、ベスト16に残っているのも この2チームのみ。
ウルグアイは大陸間プレーオフ、ポルトガルは欧州プレーオフの末、出場権を獲得した。
薄氷を踏む思いを経験した両チームには、逆境での強さも備わっているはずだ。

大韓民国はベスト16に残ったチームでは、グループリーグの失点が最多の6。

グループリーグの失点(多い順)
12 朝鮮民主主義共和国
6 大韓民国 オーストラリア デンマーク

ワーストにアジア3チームの名前が並んでいる。
アジア枠4.5は多すぎることが、早晩 FIFAの議題に上るだろう。

最少失点と最多失点チームの対決は白熱した接戦となったが、惜しくも大韓民国は次へ進めなかった。

6月27日
ベスト16
ドイツ 4-1 イングランド

この試合はイングランドを応援していた。
なぜならば、ポルトガルにとってドイツは相性が悪いからだ。
2006年W杯では、3位決定戦で負けた。
2008年ユーロでは、ベスト16でバラックのファウルシュートの前に敗れた。
できれば、直接当たる前にどこか他の国に負けてほしい。
しかし、副審のゴール見落としに救われたドイツは、難なくイングランドに勝ってしまった。
ボールを目で追うことを仕事にしている審判でさえ、この体たらく。
人の動体視力はこの程度だということだ。


6月27日
ベスト16
アルゼンチン 3-1 メキシコ

2試合つづけての誤審が出た。
アルゼンチンの先制点は明らかなオフサイド。
試合を止めて副審と協議したにもかかわらず、主審は判定を覆さなかった。
メキシコの選手があれだけ抗議しているのだから、たぶんオフサイドなんだろうなと思いつつも、審判はルールによってビデオを確認することができない。
予断で判定を変えるわけにもいかず、判定はそのまま。
「おいおい、ちゃんと見ててくれよ」
副審に対して一番そう思っていたのは主審だろう。

一発勝負のノックアウトで最も大切なのが先制点。
それをFIFAランキング上位の国にプレゼントするのだから、試合にならない。
アルゼンチンは無理のないゲームでベスト8へ進むことができた。

2002年W杯、数々の誤審に恵まれた主催国は、ベスト4でトルコに敗れた。
2008年ユーロ、ファウルシュートでベスト8に進んだドイツは、決勝でスペインに敗れた。
2010年W杯、手を使って出場権を得たフランスは、内輪もめしたうえにグループリーグで敗退した。

自らに有利な判定を得て勝ち進んだチームが、最後まで勝ち通した例は 21世紀に入ってからはない。
今大会、手を使ったブラジル、誤審の援護を得たドイツ、アルゼンチンがカップにたどり着けば、それが初めての事例となる。


2008年、ドイツのバラックは 5月のUEFA CLに続いて ユーロの決勝で敗れた。
同一シーズンにクラブと代表の決勝で連敗したのは、2006年 UEFA CL、W杯のアンリと同様。

「CL決勝で負けた選手が、代表で決勝に出ると負ける」
果たして二度あることは、三度あるか?
今回それになぞらえると、CL決勝で敗れたのはバイエルン・ミュンヘン。
そのメンバーの11人が、決勝トーナメントに勝ち残っている。

●オランダ
FW アリエン・ロッベン
MF マルク・ファン・ボメル

●ドイツ
FW ミロスラフ・クローゼ
FW マリオ・ゴメス
MF トーマス・ミュラー
MF バスティアン・シュヴァインシュタイガー
MF メーメット・エキッチ
DF ホルガー・バトシュトゥバー
DF フィリップ・ラーム
GK イェルク・ブット

●アルゼンチン
DF マルティン・デミチェリス

6月29日
今日もネットでニュース検索。
これが、今回のW杯からの新たな日課になっている。
試合結果、プレビューなど、最新の情報を知るにはこの方法が一番。
Google Newsをキーワード「デコ」で検索
"最新" をクリック
"デコ欠場" の文字はもう見たくはないが、試合前のスタメン発表で初めて「i」マークを見るのは辛い。
デコのニュースがないと、次は「ポルトガル」で検索。

見つかるのはスペイン側のコメントが大半。
ポルトガル側は情報統制が徹底しているのか、アトレティコ・マドリー(リーガ=スペインリーグ)に所属するシモンのコメントがあっただけ。
リーガに在籍している4人にとって、できればスペインとの対戦は避けたかっただろう。

リーガに所属しているポルトガル選手
●レアル・マドリー
DF ぺぺ

●アトレティコ・マドリー
FW シモン
MF ティアゴ

●バレンシア
DF ミゲル

岡山県のモルテンがつくり、アディダスブランドで供給した試合球「ジャブラニ」は 「縁日で売っているまりのようだ」と選手から不興を買っている。
たとえそれがどんなボールだろうが、選手にとっての条件は平等であり、プロとして道具に不平を漏らすとは情けない。
Jリーグでは3月から、ジャブラニを試合球として使っていた。
これを平等というのかは、あまり話題に上っていない。

日本がパラグアイに勝ち、ポルトガルがスペインに勝てば、長年の夢「日本対ポルトガル」
個の力ではなく「和」の力で戦う両チームの対戦は、決勝にこそ相応しかったが、組み合わせゆえ仕方ない。
日本がんばれ!
ポルトガルがんばれ!


デコファンサイト


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2010年6月29日 (火)

スペイン代表サッカーの歴史

スペインのサッカー(futbol)
・プロサッカーのリーグはリーガ・エスパニョーラ(LFP)
・カップ戦はスペイン国王杯(コパデルレイ)

シーズンスケジュール
 夏に始まり、初夏に終わる欧州スケジュール。
 8月、スペイン・スーパーカップ(前シーズンのリーガ、コパデルレイの勝者が対戦)
 8月末~5月、リーガ
 6月、コパデルレイ決勝

スペインは強い自治権を持つ州のゆるやかな集合国家。
カスティーリャ、カタルーニャ、アンダルシア、バスクという4つの地方が独自の民族性をもつ。
元々、国をあげて1つの代表チームを応援する風土ではない。

バルセロナ市があるカタルーニャ地方は「カタルーニャ代表」を国際的に認めるよう求めており、定期的にカタルーニャ代表を招集して対外試合を行い実績を作っている。

地域を代表するクラブチームによる国内リーグ戦やカップ戦と比べると、スペイン代表への注目度は低い。
そんなスペイン代表が再び強豪の地位を取り戻したのは ユーロ2008だった。

●スペイン代表の歴史

1950年
W杯 4位
これが、2006年以前でのW杯最高成績。

1964年
第2回ユーロでユーロ初優勝。
ユーロは4年に一度、W杯と2年ずらして行われる欧州選手権。
欧州の国と地域の代表チームが出場する。

1992年
バルセロナオリンピック優勝

2002年
W杯 準々決勝で敗退。
後に誤審を認めて辞職した副審らにより 2つのゴールが取り消され 試合は0-0 の後、PK戦で敗れた。
スペインの監督、選手が抗議のコメントを並べた中、FCバルセロナのプジョルは「微妙な場面で正確な判定は難しい。審判はW杯レベルだったと確信している」と自重したコメントを残した。DFプジョルは3大会連続で2010年大会にもレギュラーで出場している。

2006年
W杯 ベスト16でフランスに敗退。

2008年
ユーロ2008で、ユーロ 2度目の優勝。
決勝戦でドイツと対戦し、1-0で勝った。

2010年
W杯 グループリーグの成績 勝ち点6
 0-1 スイス
 2-0 ホンジュラス
 2-1 チリ

出場チームが欧州に限られるユーロでは時々強いが、W杯ではぱっとしないのがスペインの特徴。
今回も着実に失点しており、状態は悪い。

結果を短絡的に求めるサッカーではなく、プロセスの美しさにこだわる。
そんなプレースタイルが似ているポルトガルとスペイン。
その対戦は、今大会の「観ていて楽しい」ベストゲームになる可能性が高い。

2004-05から4シーズンをスペイン(FCバルセロナ)で過ごしたデコ。
母国ブラジル戦には出場できなかったが、今度こそ出場して欲しい。

W杯2010

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2010年6月28日 (月)

スペインの大まかな歴史、スペインサッカーの歴史

6月25日
H組第3戦
スペイン 2-1 チリ

優勝候補筆頭に名前が挙がっていたスペインが、グループリーグ敗退の危機に瀕しながら、H組を1位で勝ち抜いた。ベスト16の対戦相手はG組2位、イベリア半島の隣国ポルトガル。

ポルトガルはかつてスペインに占領されていた時代がある。占領されていた側の国民が、そのサッカーでの対戦でどのような気持ちになるかは、身近にも引ける例があるところだ。

スペインの大まかな歴史

9世紀
バスク人が欧州で初めて捕鯨を始める。
現在クジラは主食ではなく、IWCでは日本と逆の立場、商業捕鯨再開に反対している。バスク人とはバスク州出身の人。バスクはスペインの一つの自治州であり、バスクという独立国家があるわけではない。

1580年
ポルトガルを併合
積極的に他の大陸を植民地化してきたライバル国、ポルトガルを侵略してその領土をも獲得した。

1640年
ポルトガルがスペインから独立。

1940年頃
フランコ総統による独裁政治が始まる。

1941年
第二次世界大戦では、ドイツの援軍として「青い旅団」を送りソ連と戦った。

1943年
「青い旅団」は2年で撤退。
第二次大戦で国内が戦場とならなかったことが、戦後にサッカー強国の地位を手に入れる一因となった。

1959年
ETA(バスク祖国と自由)が組織される。

1975年
フランコ死去 ファン・カルロス1世が即位し王政復活

1978年
スペイン新憲法公布

1982年
社会労働党が政権の座につく。

1986年
ECに加盟。同じ年にポルトガルも加盟している。

1992年
バルセロナ市で夏季五輪開催。有森裕子が「初めて自分で自分を褒めたい」という明言を残した。

1996年
総選挙で社会労働党から国民党へ政権が移る。

1998年
9月、ETAが無期限停戦宣言

1999年
12月、ETAがテロ再開

2004年
3月11日、首都マドリーで列車同時爆破テロ。スペイン政府はETAの犯行と断定。
3月14日、総選挙で国民党が社会労働党に敗れて政権交代。

つづいて、スペインサッカーの歴史

1889年
スペイン初のクラブ、クレアティーボ・デ・ウエルバ創立。

1898年
アスレチック・ビルバオ創立

Athletic Club de Bilbao
スペイン バスク州(Vascongadas)に本拠を置くリーガのフットボールクラブ。
バルセロナがユニセフのロゴをつけた後も、クラブチームでは唯一ユニフォームの胸にスポンサーをつけていないクラブだったが、2008-09シーズンからスポンサーがついた。

バスク人を親に持ちカンテラ(選手を育成する下部組織)で育てた選手だけしか入団させないという地域帰属意識の高いクラブチーム。

スペイン国王杯23回優勝。
FCバルセロナの25回に次いで2番目に多い優勝回数。
ただリーガ、国王杯共に1983-84シーズンを最後に20年以上優勝から遠ざかっている。

リーガ創設以来、二部に一度も落ちていないのはバルセロナ、レアル・マドリーとビルバオの3チームだけ。
スペイン・ナショナリズムの象徴レアル・マドリーとの対戦は、バスク人の誇りを賭けた激戦となる。

1899年
FCバルセロナ創立

スペイン国内ではレアル・マドリーと共に人気を二分するクラブ。
リーガはほとんどのシーズン、この2つのクラブで優勝を分け合っている。
特筆に値するのは、入団したいサッカー選手が後を絶たないこと。
日本プロ野球において「結局、みんな巨人に入りたいのか・・」という他球団ファンの覚めた目があるように、欧州サッカー有名選手にはバルセロナに入りたい人が多い。
デコもかつてはその1人。
2004年、FCポルトからチェルシーへの移籍がまとまりかけていた時、代理人を通じてFCバルセロナに獲得意志がないかを照会した。
今大会では、MFシャビ、イニエスタ、DFプジョルがレギュラーで出場している。

1902年
レアル・マドリー創立

スーパースターを集めることから「銀河系軍団」=ギャラクティコ と呼ばれるクラブ。
かつてはベッカム、ジダンが在籍。
2009-10からはロナウド、カカをメンバーに加えた。
2010-11シーズンからはホセ・モウリーニョが指揮を執る。
モウリーニョは 2003-04にポルト(当時デコが在籍)2009-10にインテルでUEFA CLを制しており、3クラブでのCL制覇を狙う。
カスティーリャ地方のマドリー、カタルーニャ地方のバルセロナは仲が悪い。
その気分を引き継いで、日本のバルセロニスタもマドリー嫌いの立場をとる人が多い。


スペイン国王杯「コパ・デル・レイ」が始まる。

1913年
スペインサッカー連盟RFEF設立。

1929年
国内プロリーグ戦「リーガ」が始まる。
日本では「リーガ・エスパニョーラ」と呼ぶ人が多い。

1936-1939
市民戦争のためリーガが中止される。

1960年
ルイス・スアレス(バルセロナ)がスペイン人で初めてバロンドールを受賞。

1982年
W杯スペイン大会開催。イタリアが優勝。
大会史上唯一3ラウンド制で行われたこの大会。
スペインは一次リーグは突破したが、二次リーグで敗退。
決勝トーナメントには進めなかった。

1998-99
FCバルセロナ100周年の年、バルセロナのホームスタジアム「カンプ・ノウ」でCL決勝開催。
しかし、リーガのクラブは決勝には進めなかった。

1999-2000
リーガクラブ同士がCL決勝で対戦。
レアル・マドリー 3-0 バレンシア

2001-02
レアル・マドリーがCL 9度目の優勝。
スペインクラブとして通算10度めの優勝(あとの1回はバルセロナ)

2005-06
FCバルセロナがCL 2度目の優勝。

2008-09
FCバルセロナがCL 3度目の優勝。



デコのW杯2010

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2010年6月27日 (日)

3試合無失点 堅守ポルトガルが2位通過

G組第3戦 ポルトガル-ブラジル

もしやデコがベンチ入りするかと期待していたが、前戦につづいてデコとアモリムに「i」マーク。
故障あがりのブラジル人ペペ(レアル・マドリー)が初出場。
ブラジル人FWリエジソンは起用されていない。

ポルトガルはホーム扱い。
ホームの前試合と同じ赤いジャンパーを着用。

ブラジル人のペペもポルトガル国歌を歌っている。
ロナウドも神妙な顔で歌う。
寝ていたり、笑ったり、態度が不真面目だと国内で批判があったのかも知れない。どこかの国の五輪選手を思い出した。

ホームのポルトガルは1stユニフォームだが、パンツは2ndの白。
こんな取り合わせで着ているのは初めてみた。

【 前半 】

14分 同時進行のもう一試合で、コートジボワールが先制点を挙げて1-0。

15分 ルイスファビアーノがペペを倒し、この試合最初のイエローカード。

17分 チアゴのシュートは充分に枠へのコースが開いていたが右にはずれた。
ポルトガルは1トップでロナウドを残して、引いて守る。
こんなポルトガルを見るのは初めて。
ただでさえ堅守のポルトガルが引くのだから、かなりの安心感がある。

24分 ポルトガルのロングボール。これを通したら危険とみたジュアンが手で止めてイエローカード。
「レッドじゃないのか?」と抗議したドゥダに返す刀でイエローカード。
抗議してカードが変わることはないのに、不用意だ。
審判がカードをポケットに仕舞ってから言えばいいのに・・
ロナウドのFKは大きく上に抜けた。

30分 ブラジルのシュートがゴールを舐める。遠目には入ったように見えて冷や汗。エドワルドが辛うじて触ったボールがポストに当たった。

39分 ペペがメロにファウル。イエローカード。

40分 ロナウドが遠目からシュートを放つがGK正面。

43分 メロがペペに報復のブロックでイエローカード。

44分 ドゥンガ監督はイエローカードをもらったメロを下げて、ジョズエを入れる。

ロスタイム1分
ロナウドのロングシュートが右にはずれた。

【 後半 】

ハーフタイムの交替なし。
ポルトガルのキックオフ。

3分 ロングボールにロナウドが走りこみCKを得る。後半早々ポルトガルは攻撃のペースを上げている。ここで1点を取り逃げ切るプランとみた。

7分 ロナウドのFKはペペの足に当たり、コースが変わって上へはずれる。この試合で最も惜しかった場面。

9分 ドゥダ→シモンに交替

13分 シモンのシュートはGK正面。

14分 ロナウドが1人で右サイドに攻め込む。DFのクリアがGKの前に転がったところにメイレレスが詰めてシュート、左に外す。

18分 ペペ→メンデス
ポルトガルは依然としてラインを上げて、攻め続けている。

22分 ロナウドのFKは誰も触ることなく大きく右へ抜ける。3本のFKを得点につなげられなかったロナウドは、この後FKキッカーを下りた。

32分 シモンのクロスをロナウドがシュート、左へはずれる。

36分 シモンが蹴ったFKは相手DFに当たる。

37分 バチスタ→ラミレス
38分 メイレレス→ベローゾ
40分 ファビアーノ→グラフィチ

42分 ルシオのシュートはGK正面

ロスタイム5分

46分 DFに当たり変化したボールをGKエドワルドが間一髪さわって掻き出す。

48分 ペナルティエリア内でチャンス、ダニがGKと交錯。

カカは消化試合を利用してカードの清算と休養。
ロビーニョを休ませ、出来の悪いブラジル。
一方は、失点を避け手堅く勝ち点1を狙ったポルトガル。

ファンが期待していたノーガードの打ち合いを見るべくも無く、試合終了の瞬間、ブブゼラ音のカットに成功したのかと思えるほどの静寂が訪れた。

コートジボワール 3-0 朝鮮民主主義共和国
ポルトガルは勝ち点5として、自力で2位通過を決めた。3試合無失点はA組1位のウルグアイとポルトガルの2チームだけ。

最後まで、デコがテレビに映ることはなかった。
ベンチにいなかったのかも知れない。

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2010年6月26日 (土)

日本対ポルトガル 対戦の可能性が出てきた

6月22日
南アフリカ2-1-フランス

欧州予選プレーオフのアイルランド戦の延長では
「手」まで使って勝っておきながら、いざW杯に出場したらチーム内で子供のけんか。
プレーオフで、アンリの「手」に敗れたアイルランドの人たちは呆れているだろう。

6月24日
またしても、ショックなニュースだ。

「ケイロス監督がデコをブラジル戦にも起用しない考えを示した」
(AFP)

その理由はわからない。
ポルトガルサッカー連盟のウェブサイトでも、デコについては触れていない。

確かに、いつもはデコの控え役チアゴが、今大会は好調だ。
年齢はデコより4つ下。
ポルトガル人。
朝鮮民主主義共和国戦では2ゴール(チーム最多)。今はチアゴを使う時なのかも知れない。

だが、サッカーは逆境に苦しむ時にこそ、経験が問われる。
いずれ、デコが必要な局面はくる。
決勝トーナメントを見据えて、臀部の故障で大事をとった。
そんな理由であることを願う。

それにしても、夢の対決。
ブラジル人のデコがブラジル相手に躍動する姿を見たかった。

6月24日
スロバキア 3-2 イタリア

前回大会準優勝のフランスにつづき、前回優勝のイタリアがグループリーグで敗退した。
注目すべきはスロバキアの正確なパス回し。
前半途中から急に精度が安定して、それが試合終了まで持続した。

決して専守防衛ではない。
常に高い位置にFWを3人置き、MFはセンターラインあたりでボールを奪いに行く。
決勝トーナメントを戦うチームにとって、厄介かつ旬なチームが現れた。

今大会ここまでの中では、コートジボワール対ポルトガル戦の後半と並び、この試合の終盤はおもしろかった。

6月24日
日本 3-1 デンマーク

W杯直前の5月、デンマークの調子があがらないことが伝えられていた。
そして、ついに調子があがらないままグループリーグ3位となり、敗退が決まった。

欧州予選は 9組に分かれて戦い、各組の1位が自動的にW杯出場権を獲得。
9組のうち成績上位の2位8チームがプレーオフを戦い、さらに4チームが決まる。

デンマークと言えば、欧州予選 1組で1位となったチーム。

1組で戦ったチームは、ポルトガル、スウェーデン、デンマーク、ハンガリー、アルバニア、マルタ

ポルトガルが2位でプレーオフに回り、ボスニア・ヘルツェゴビナを破って出場権獲得。
FCバルセロナのイブラヒモビッチを擁するスウェーデンは3位で出場できず。
デンマークは このような、前回出場 2国を押さえての1位である。
(デンマークは 2006年大会は出場していない)

しかし、予選終了からは 8ヶ月が過ぎていた。
6月の第1週まで最悪の状態だった日本が、第2週に入って好調に転じたように、代表チームの戦力は水物。
予選では強豪国だったデンマークも、本戦では普通の国に過ぎなかった。

日本がグループEを2位通過したことで、ポルトガル-日本 対戦の可能性が出てきた。
ポルトガルがG組を2位通過、両国がベスト8に進んだ場合に実現する。

6月25日
G組第3戦 ポルトガル-ブラジル

勝てばグループ1位。
引き分ければグループ2位
1点差負けの場合、コートジボワールが朝鮮民主主義共和国戦で8点差勝ち以下でグループ2位。
コートジボワールとの残る1枠の争い、ポルトガルの優位は動かない。

勝ち上がった場合、決勝トーナメント初戦 ベスト16の対戦相手はH組。
ただ、4時間半後に行われるH組の順位は不透明だ。
スペインが1位通過してくると予想していたが、今や2位通過も危うい。
スイスがホンジュラスに勝ち、チリ-スペイン戦が引き分けの場合、スペインは敗退が決まる。
いずれにせよ、スペインにユーロ2008優勝の時の勢いがない。

ポルトガル、ブラジルは先のことを考えることなく、目先の好カードを楽しむことができそうだ。
ポルトガルに出場停止選手はいない。ブラジルはカカが出場停止。

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2010年6月25日 (金)

ベンチにいたデコ

G組第2戦
ポルトガル - 朝鮮民主主義共和国

【 後半 】
1分 チアゴのシュートはGKがはじく。

2分 ロナウドがシュートをふかす。

9分 アルメイダ、メイレレス、シモンと渡ったボール。シモンがGKと1対1。股を抜いて2点めのゴール。
試合はようやくポルトガルにとって余裕の展開になった。

11分 コエントロンのクロスをアウメイダがヘッドで決めて3点め。

12分 相手チームは2人選手交代
見えない携帯電話の指示により、引いて守ることなく得点を奪いにくる。
"攻めてくる"相手との試合は、実力差がそのままスコアに現れる。
ケープタウンに降り注いでいた雨があがる頃、スコアが大きく動き始める。

15分 ゴールが待たれるロナウド、自ら持ったチャンスボールをチアゴにパス。チアゴが4点めのゴール。
チアゴは充分に働いている。
試合後「デコの欠場で出番が回ってきたわけだが・・」と意地の悪い質問に対しては取り合わず、それは関係ないと一蹴していた。

19分 この試合最大の見せ場が訪れる。
ベンチに座るデコがテレビに映った。
「あ、デコだ」
世界中のデコファンがこの試合でもっとも大きな声をあげただろう。
デコはどこにいるのか?
ホテルでテレビを見ているのか?
もう南アフリカにいないなんてことはないだろうか・・
この瞬間に疑心暗鬼の4文字が一瞬にして吹っ飛んだ。

「前回2006年大会はデコが中心のチームでした」
CXのアナウンサーがコメントする。
過去形で語られるのはもの悲しい。

22分 コエントロンとロナウドがパス交換でゴールに迫る。コエントロンに打たせたシュートは右へはずれた。

24分 先制ゴールを挙げたメイレレスがベローゾと交代。
この当たりからそろそろロナウドが心配になってきた。
累積警告である。
コートジボワール戦でイエローカードをもらっているので、あと1枚もらうとブラジル戦が出場停止になる。
カカもロナウドもいないのでは黄金カードが泣くというもの。
だが、ケイロス監督はロナウドを代えない。

25分 左ウィング位置から切れ込んだロナウドがシュートを放つ。今度こそと思われたがクロスバーに当たる。

26分 ロナウドのシュートはGK正面。実況アナウンサーの興味はロナウドのケチャップがいつ飛び出すかに絞られている。

28分 シモンがドーダと交代
29分 朝鮮民主主義共和国3人目の交代
31分 アウメイダがリエジソンと交代
これで両チームともに3人の交代枠を使い終えた。

32分 お役ご免となりベンチに戻ったアウメイダとデコがハイタッチ。
「あと2、3点いけたんじゃないか」
とでも言っているのだろうか。デコは茶目っ気たっぷりにアウメイダをからかっている。

雨降って地固まったのかはわからないが、どこかの国のように雨降って土砂災害にならずに済んでよかった。

36分 DFのクリアミスをリエジソンが奪いゴール。
GKとポストの間、小さいすきまに正確なシュート。頼もしい。

43分 大爆笑の瞬間が訪れる。
ロナウドが背中でトラップする曲芸ゴール。
本人苦笑い、お茶の間大笑い。
両チーム44年前の対戦で 0-3 の劣勢から4ゴールをあげたエウゼビオさんが観客席でサムアップ。

44分 チアゴがヘッドで決めて7点め

2戦を終わり、決勝トーナメント進出はほぼ手中にした。
次はようやく実現したブラジルとの黄金カード。
デコが代表入りして以来、親善試合では対戦しているが、W杯では初対戦。
デコファンがずっと楽しみにしていた母国との対戦。

ケイロス監督
どうかデコを使ってください!



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2010年6月24日 (木)

手を使うサッカーの国の命運は ?

6月20日
G組第2戦
ブラジル 3-1 コートジボワール

ポルトガルはコートジボワールと 0-0 で引き分けている。
そのチームに 3-1 で勝ったブラジルの方が、ポルトガルより強いかというと、それは違う。

勝ち点 1でよしとして引いて戦うチームと、勝ち点3 をとりにいくチームは全く別のチーム。
サッカーでは相手が "攻めてきた" 場合に初めて、本来の実力差が結果に反映される。

むしろ、注目すべきなのは失点。
ブラジルは2戦とも 1点を失った。
これは互角のチームが "攻めてこなかった"場合、相対的に得点よりも失点の可能性が高まることを示している。
ブラジルは前回の2006年大会、準々決勝でフランスに敗れた。
その試合、引いて守るフランスのゴールを割れず、カウンターで右サイドを快走したアンリのゴール1発に沈んでいる。

コートジボワール戦の2点めは、ルイスファビアーノがアンリ顔負けのハンドリングであげた。
「あれはわたしの聖なる手が助けてくれたゴール」
悪びれずに言ってのける彼のチームに、数週間後、どんな結果が待っているかが興味深い。

後半43分、相手選手の挑発にのったカカが続けて2度の警告を受けて退場。
これで、カカはポルトガル戦に出場停止となった。
不可解なのはカカを挑発したコートジボワールの選手。
カカを退場させることは、2位通過のライバルであるポルトガルに利することを想像できなかったのだろう。

相手がベストメンバーで来てこそ名勝負。
ようやく実現したポルトガル-ブラジルの好カードにカカが水を差した。

6月21日
G組第2戦 ポルトガル - 朝鮮民主主義共和国

アモリムとデコに負傷欠場を示す「i」=injury
マークがついている。
ケープタウン強い雨
前の試合は白。今日は赤いジャンパーを着て登場するポルトガルチーム。
いろいろなウェアを売りたいらしい。

今日はブラジル人のデコとリエジソンが国歌の列に並んでいない。
オール・ポルトガル人の面々は、口を大きく開けて歌う。
ロナウド、今日は起きていて歌いながら笑っている。

ジャンパーを脱ぐと、今大会初めて着る赤の上下 1stユニ。
オレンジがかった赤があでやか。
思わず1枚欲しくなる。

【 前半 】
ポルトガルのキックオフで試合開始。

4分 ペナルティエリアまでやってきたカルバーリョのシュートは、きちんと当たらず。

6分 コーナーキックをフリーになったカルバーリョがヘッドであわせたが、左ポストに当たる。コースは広く開いており、隅を狙いすぎた。

序盤は朝鮮民主主義共和国があわや先制ゴールというシーンを何度かつくる。
点を取った後に、引いて守られると厄介なことになる。
ポルトガルは前に出すぎず、慎重にチャンスを待っている。

22分 メイレレスのシュートが左に外れる。

28分 右サイドのシマンからデコの代役チアゴへパス。チアゴがゴール前に流し込む。そこに走り込んだメイレレスが先制ゴール。
これが、ポルトガルに落ち着きをもたらす。

34分 メイレレスの放ったシュートは左へ外れる。
ロナウドの1トップにフォーメーションが変わる。

38分 メンデスがイエローカードを受ける。

前半終盤は、一方的に押し込みつつも、追加点を奪えぬまま終了。
ケープタウンの雨は降り続いている。

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2010年6月23日 (水)

監督を尊重して結果を出した日本が世界を驚かせる!

6月19日
フランス代表チームからチェルシーのアネルカが追放された。
スポーツの祭典であるW杯で「追放」とは穏やかではない。

フランスは17日のメキシコ戦に敗れた。
この試合のハーフタイム、ロッカールームでアネルカがドメネク監督に暴言を吐いたと、チームの誰かがメディアにリーク。
二日後、フランスサッカー協会がアネルカ追放を発表した。

この2年間、チェルシーの試合でアネルカを見ている限りでは、彼はとてもバランス感覚に優れた人物に見える。
その彼が暴言を吐いたとすれば、その問題点はとても根が深いと推察する。

6月19日
デコ 練習に姿を見せず。
ポルトガル広報発表
「デコは18日の練習で左の腰をひねったことで痛みが残っているため、室内練習を行なっている」
ケイロス監督批判から4日後の練習欠席。
雨降って地固まることを祈っていたが、なんだか、雲行きが怪しくなってきた。

6月19日
オランダ 1-0 日本
日本にとって 1点差負け狙いのこの試合。
狙い通りの結果を得た。これで、デンマーク戦は引き分けでもよくなった。
試合前、予想を尋ねられた解説者たちの誰もが
「勝ち点1 いや うまくいけば3」
と口をそろえており、誰ひとりとして
「2点差負けはダメだが、1点差負けならば成功」
と本当のことを言わなかったのが可笑しかった。

6月20日
翌日に朝鮮民主主義共和国戦を控えた練習。
この日もデコは姿を見せていない。
ケイロス監督がデコ欠場について言及する。
「デコは重要な選手だが、チーム全体で解決できる」

報道では「第3戦のブラジル戦へ回復を優先させる」とだけ付け加えられている。
本当に故障なのか?
監督批判の影響ではないのか?
第3戦には本当に出てくるのか?
そういった憶測に与する文面は見つからない。

6月21日
フランスチームが練習をボイコット

この日、フランス選手一行が練習場に着いたとたん、主将のエブラがデュボーネ・フィットネスコーチと口論。
コーチが練習場から引き上げる。
すると、選手一行は練習をせずに、乗ってきたばかりのバスに乗って宿舎へ引き返した。
ドメネク監督のエアタオル、見納めの日が近い。

W杯は4年に一度。
今日がダメならまた明日。
今週ダメでも、切り替えて、また来週といったリーグ戦とはわけが違う。
負ければ、早くても次は4年後。

旬の期間が短いサッカー選手にとって、一生に一度あるかないかの晴れ舞台。
見る側にとっても、クラブチームの枠を超えて応援できる4年に一度の機会。

多くの人々が楽しみにしているW杯が、追放、ボイコットという血なまぐさい言葉で塗られるのは残念だ。
諸悪の根源は監督の適性にある。
経験に裏打ちされた戦術面での引き出しの多さ、それに尊敬すべき人徳を併せ持つ監督を選んでいればこうはならない。
大半の人から尊敬されていない監督を選ぶ、その国のサッカー協会の罪だ。

だが、悪いことばかりではない。
尊敬できなくても、尊重はできるからだ。

今大会の日本のように、選手が不満を封印して、自らとサポーターのために 団結しているうちに、好結果がついてきたという実例もある。
メディアに対し、自らの進退について「冗談」を言う監督が尊敬されているわけがない。
サッカー番組で監督の印象を聞かれた日本代表選手が「監督はびっくりするくらい、いろいろなことを知っているから勉強になる」と語った。
サッカーでは褒めるところがなくても、物知り博士だと持ち上げる。
その尊重する姿勢が健気だ。
元フランス代表のジダンは「ドメネク監督に好感を抱いたことはないが、監督として尊重した」と過去を振り返っている。

日本がデンマーク戦で引き分けて決勝トーナメントに進めば、その大人の姿勢が "世界を驚かせる"ことになるだろう。



デコファンサイト

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2010年6月22日 (火)

5時間台はジョギング 4時間台はランニング

たすきをぎゅっと締め終えると、ゆっくりと走り出す。
リレーエリアの出口で、GPSフォアアスリートの[スタート]ボタンを押す。
ここから先が、2区の公式タイムとして記録される。

荒川河川敷を上流にさかのぼって走る。

なんか、変
走り始めてすぐ、異常に気づいた。
宙に浮いて走っているような気がする。
手の振りと足の運びがばらばらだ。
もしやと思いGPSを確認。
すると、1kmあたり 5分40秒ペースを表示している。

頭では、最初の1kmは 6分0秒ペースで入ろうと思っているのだが、周囲が速いため、つられてペースが上がっていたのである。
ほんの少しペースを落とす。

早くも喉が渇いてきた。
右手に持ってきた LG21のボトルで給水。
すっすっはーはーはー
困った時の「丹田呼吸法」
これで、落ち着いた。

ひと通り周囲のランナーのスタートダッシュが終わったところで、周りには誰もいなくなった。

最初の1kmは 5分40秒
周囲のランナーにはおいていかれたが、入りとしてはまずまずのペースだ。

GPSは見ずに、自分がいける範囲のペースで足を進めていく。
このあたりから、僕を置いていったランナー達に1人、2人と追いつき始める。
2kmのラップは 5分30秒
計ったように 10秒刻みで上がっている。
自分は脳で描くペースを正確に体現できるようになったのか・・
これは、ランナーとしてのレベルが一つ上がったということではないか。
嬉しい。

折り返しのパイロンを回る頃には、周りは自分よりペースが遅いランナーばかりになった。
終盤に抜いていくレースはいつでも楽しい。
次々に後続に抜かれながら、やっとの思いでたどり着くゴールは苦しい。
叶うものならば、長野マラソンのような、終盤が楽しいレースをいつもしていたい。
3kmのラップは 5分19秒

気温は25度
給水所にランナーが群がっている。
持ってきたボトルはとっくに飲み干していた。
コップ一杯の水をもらって先を急ぐ。
まだ、余力がある。
4kmのラップは 5分12秒

10秒ずつラップを詰めてきた。
最後は5分0秒まで上げるか・・
だが、ここで体力の限界がきた。

これだけの気温の下で走るのは初めて。
例年、4月までにマラソンを終えるとそこからは長い冬眠に入る。
そもそも、5月に走ることが初めてだ。

5kmのラップは 5分12秒
歯を食いしばり、なんとかペースをキープ。
第三走者へたすきを渡して、今日の役目を終えた。

結果的には4人のメンバーのうち、1kmあたりのタイムは自分が最も遅かった。
当たり前だが、マラソンと5kmでは走り方が違う。
5分ペースで5kmを走りきる。
それにはインターバル走が必要だ。
だが、5時間を切るマラソン練習にインターバル走は不要。

ただし、サブ4となれば話は違ってくる。
サブ4ランナーは颯爽と走る。
4時間台のマラソンは観衆にはジョギングに見えるが、3時間台のマラソンはランニングに見える。

身の丈の範囲で徐々にペースを上げる走りをできた満足感が心を満たす。
その心の隅っこで、颯爽と走りたいという気持ちが芽生えた。



ど素人!マラソン講座

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2010年6月21日 (月)

デコとポルトガル協会 雨降って地固まる

6月15日
【 試合後 】

ロナウドのインタビュー・コメント
「勝てなかったのは運が悪かっただけ」

彼にしてみればこれは冷静なほうだ。
こういう動じない姿勢はキャプテンとして好ましい。選手一同、この引き分けを前向きに捕らえることができる。

デコのメディアへのコメント
「失敗は45分で勝とうとしたことだ。それが僕たちを疲れさせた。負ける可能性もあった」
「後半の試合の運び方は正解ではない。ロングパスは解決策にならない」

そして先の「僕はウィングじゃない」である。

ケイロス監督のメディアへのコメント
「我々は優位に試合をコントロールした。相手はただ守ってカウンターをしただけ。勝利への意欲を持っていたのはうちだけだ」

コートジボワールは指揮系統が明確なチーム。
この結果は、ブラジル、ポルトガルの2チームが勝ち抜けるとは限らないことを予感させる。
この試合で白黒がつけば、ブラジルとそのチームがG組を勝ち抜く目処が立つところだった。
ところが引き分け。
ポルトガル、コートジボワールが勝ち抜けて、ブラジルが予選リーグで姿を消す可能性も出てきた。
3チームが勝ち点4で並んだ場合、ブラジル-朝鮮民主主義共和国戦、ブラジルが終了間際に奪われた1点が雌雄を決するかもしれない。

6月16日
ポルトガル協会からデコのコメントが出た。

「試合後のコメントは、興奮した瞬間に出たものだった」
「監督との間で何も問題がなかったし、采配に疑問を持ったこともない。これからもない」

このコメントがフリーの取材からではなく、ポルトガル協会から出たことが重要だ。
チームの和を乱しかねない発言に対して、組織としてしっかりとした対応をする。
それができていることやよし。
後は次戦でデコがグッドパス、ナイスゴールを決めてみせればよい。
そうすれば、雨降って地固まる。

6月16日
カメルーンが日本に敗れて以来 今大会2度め、それを上回る番狂わせが起きた。

H組 スペイン 0-1 スイス

スイスの決勝点は後半7分
味方GKのキックを一瞬でゴールにつなげる速攻だった。

負傷がつたえられていたイニエスタはスタメン出場したが、もはやキレキレのイニエスタではなく、終盤に負傷交代した。

ベストメンバーのスペインでも、堅守のチームを相手にすると得点できないチームになる。
攻撃力はいま一つだが、堅守のポルトガルにとって好材料のゲームとなった。

初戦に負けたとはいえ、スペインがグループリーグで姿を消す可能性は低い。
ただ、グループ1位で通過する既定路線が狂った。

G組2位はベスト16で H組1位のチームと当たる。
H組はスペインが1位通過することを見越して、G組のブラジル、ポルトガルは1位通過を目指している。
だがスペインがスイスに敗れたことで、遮二無二 グループ1位を目指す必要がなくなった。
むしろ、1位になったほうが地獄ということもある。

スイスに敗れたとはいえ、地力に勝るスペインのほうが手強い。
ベスト16が行われる6月28日、29日までには調子を上げてくるはずだ。



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2010年6月20日 (日)

デコ「僕はウィングじゃない」

G組第1戦コートジボワール - ポルトガル
【 前半 】

ホーム扱いのコートジボワールは 1stユニフォームの黄色。
アウェイ扱いのポルトガルは 2ndユニフォームの白。

グラウンド上には、半袖の選手と長袖の選手が入り交じっている。
デコは長袖。

8分 この試合最初 左からのCKをデコが蹴る。

10分 ロナウドのロングシュートがポストに当たる。
無回転で落ちるシュート。球が伸びてふけてしまうことが多い新球でも、この軌道で打ててしまうところがさすが。

黄色いユニフォームは画面左側、自陣に引いている。
完全なカウンター狙い。

21分 ロナウドを倒したデメル、倒されたロナウドが言い争う。
デメルのファウルは見過ごしていた主審がやってきて、両者にイエローカード。
ポルトガルサッカー協会は試合後、処分の取り消しを求めた。

20分~30分 一方的に攻められる。
ポルトガルはパスミスが多い。雨で球足が止まるのだろうか。
身体が重いのか、動きが悪い。

ロスタイム1分、後ろで回して0-0で前半を締めくくった。

【 後半 】
ハーフタイムの選手交代なし。
コートジボワールがたてつづけにゴール迫るチャンスつくる。
雨が強くなってきた。

5分 デコがFKを蹴る。
GK前をかすめるいいボールだったが、惜しくも味方に合わず。

9分 ダニーに替わりシモンが入る。
ここでデコは2列め右サイドにポジション・チェンジを指示された。
デコは試合後、こう語る。

「監督から右サイドへ開けと言われたが、僕のキャリアでは一度もやったことがない。僕はウイングじゃない」
メディアに対してデコがコメントしたことは、スポーツ報知WEB版が伝えている。

この時間帯、両チームが激しく攻め合い、勝ち点3点を取りに行く。
見ているほうが息苦しい。

12分 デコが左奥深く進入。エンドラインぎりぎりからクロス。
リエジソンが頭で当てたが、勢いはなく GKが楽にキャッチ。

15分、MFチアゴがベンチ前に呼ばれる。
チアゴと聞いてある予感がした。
いったい誰が変わるのか。MFと言われただけで、デコじゃないかと気が気じゃない。
今日のデコは随所に好プレーもあるが、球をとられる場面がいつもより多いし、カラダが重そうでスピードがない。

16分 やはり交替はデコ。
無表情でラインをまたぐデコ。
デコは前回2006年大会でも 初登場のイラン戦で途中交代している。
その時は後半35分。2-0でリードした局面。
その時も後任はチアゴ。

あの時は、スコラーリ監督が出迎えて青ビブスをデコに手渡し、先制ゴールをあげたデコの労をねぎらった。
今回、そのような光景は見られなかった。

20分 コートジボワールは、カルーに替わりドログバがはいる。
ギブスをつけて出場したことについてケイロス監督は「ルールでは、例えば選手が指輪をしてプレーすることも認めていないはずだ」と試合後に批判した。

そのドログバ、出場したものの腕が振れないため まともに走れない。
これでは全然怖くない。
このあたりからポルトガルのめまぐるしいシステム変更が功を奏し、ポルトガルが攻勢に転じる。

26分 ボールが相手ゴールに吸い込まれたが、その前にファウルで笛が鳴っておりゴールならず。

35分 ロナウドのFKは落ちずに、ゴール上に外れる。

40分 FCポルトのMFメイレレスに替わり、ベンフィカのFWアモリム(17番)がはいる。

44分 アモリムがシュートを打つが、大きく上に外れる。

ロスタイムは3分。
45分を回ったところから、一方的にゴール前で攻められる。
48分を回ったところで、コートジボワールにCKを与える。
ラストプレーとなるであろうCK。
万が一にも決められたら地獄だ。
これをなぜかコートジボワールはショートコーナー。そこで長い笛。
万が一のカウンター失点を嫌い、敵陣深く攻めておきながらゴールを狙わず、引き分け狙いのショートコーナーだった。

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2010年6月19日 (土)

410年!日蘭交流の歴史

つづいて、自分たちで国をつくったオランダの主な歴史

1581年
 北部ネーデルラント7州が「オランダ連邦共和国」として独立宣言

1600年
 帆船デリーフデ号が日本に漂着 日蘭国交が始まる。
 デリーフデ号を再現した帆船が、長崎ハウステンボスのオレンジ広場に停泊している。

1609年
 東インド(後のインドネシア)に総督を置き、植民地支配を始める。

1795年
 フランス革命軍に全土を制圧され滅亡。フランスの保護国「バタヴィア共和国」となる。

1806年
 「オランダ王国」と改名。フランスの従属国となる。

1814年
 民衆が蜂起して、北部・南部ネーデルラント(現在のオランダ・ベルギーの場所)に「ネーデルラント王国」が発足。

1830年
 南部ネーデルラントがベルギーとして独立。

1940年
 ナチスドイツがネーデルラント王国を占領。

1944年
 ベネルクス関税同盟をむすぶ。これが後のEEC発足のたたき台になった。

1945年
 連合軍によって占領から解放される。

1949年
 NATO結成と同時に加盟。

1950年
 東インド植民地がインドネシア共和国として独立。1609年以来の植民地支配が終わる

1958年
 欧州経済共同体(EEC)発足にあたり、重要な役割を担う。

そして、最後に日本とオランダ 国交の歴史。

1598年
 オランダのロッテルダムをエラスムス号など5艇の帆船が出航。途中、4隻は引き返したり行方不明となるが、エラスムス号改めデ・リーフデ号だけが積み荷の毛織物の貿易のため日本を目指した。

1600年
 4月19日、デ・リーフデ号に乗ってウィリアム・アダムス(後に三浦按針)が大分県の臼杵湾に漂着。

1609年
 7月25日、朱印状(通商許可証)が発行される。同年、平戸にオランダ商館が開設される。徳川家康は商館を浦賀に置くことを希望したが、初代館長ジャックス・スペックスが平戸港を気に入っていたため平戸に置かれた。

 この史実が長崎とオランダの交流、オランダ村・ハウステンボスの建設というストーリーにつながっている。

1641年
 鎖国のため商館が平戸から出島に移る、幕府は交易相手を清国とオランダに限定。

1843年
オランダ国王が徳川家慶に鎖国の危険性を説く書簡を送る。

1858年
 修好通商条約締結

1859年
 出島の商館閉鎖

2000年
 日蘭国交400周年。長崎市~平戸市の国道が「オランダロード」として整備される。

2009年
 日蘭通商400周年

2010年
長崎市の出島復元が完成予定。

オランダの皆さん、これからもよろしくお願いします。

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2010年6月18日 (金)

オランダという国の予習

オランダの正式な国名はネーデルラント。
Netherlands
W杯や五輪では NED と略称表記されている。

 

この国を日本はオランダと呼んでいる。
日本語の「オランダ」はポルトガルから伝わったもの。
日本ではそのまま国の呼称となったが、国際的にはオランダという名称は使われていない。

 

■人口:およそ1500万人
■面積:4.1万平方km
■首都:アムステルダム
■宗教:キリスト教
■公用語:オランダ語

 

ネーデルラントは「低地の国」という意味。
オランダはライン川スヘルデ川マース川が北海に注ぐ三角州にできた国。
国土の4分の1が海抜0m以下。
治水と灌漑に国民ひとりひとりが取り組んで国ができあがった。
「地球は神が創ったが、オランダはオランダ人が創った」
という言葉が、ハウステンボスの「ホライズン・アドベンチャー」で紹介されている。

 

神様ではなく自分たちで国を作ってしまう人たちだから、この国はかなり変わっている。

 

その1
●国民の外国語力が高い!

 

英語が話せる人が国民の77%、ドイツ語=59%、フランス語=15%

これには古くから貿易と海運で生計を立てなければならず、外国語が必須だったという背景がある。

 

その2
●ソフトドラッグ、売春が違法ではない

 

犯罪を地下に潜らせるよりは、適度に容認して目に見えるところで管理しようという賢策だ。
売春が違法でなくなったのはまだ日が浅く、2000年10月からのこと。

 

その3
●日曜日はお祈り

 

スポーツではサッカー以外にモータースポーツファンが多い。
オランダで開催されるMotoGPは通称「ダッチTT」TTは Tourist Trophy
WGPやF1の決勝は日曜日に行われるが、オランダで行われるこのレースの決勝は土曜日に開催される。
オランダ国民は大半がキリスト教徒。
キリスト教の安息日(休日)である日曜日は休むものという風習が依然として根強く残っているのだ。
オランダでは日曜日は大半のお店が閉まるし、レースの決勝も日曜日ではなく土曜日に行われる。

 

アッセンにあるアッセンTTサーキットは直線が少なくライダーの技術が問われるコース。
日本の鈴鹿サーキットはアッセンTTを参考にしているためレイアウトがよく似ている。

 

その4
●女王が粋

 

4月30日はオランダの「女王の日」
ただし、この日はユリアナ"前"女王の誕生日。
日本でも天皇が即位すると天皇誕生日が推移するように、オランダでも本来は国王が変わると新国王の誕生日が祝日となる。
ところが、この国の女王はちょっと違う。
現ベアトリクス女王の誕生日は1月31日だが、その時期は "寒くて外で騒げないのがかわいそう" という女王の配慮で、前女王の誕生日のままになっている。

 

その5
●労働法の芸が細かい

 

3つの労働形態を法律で定義している。
 1,フルタイム労働 通常の雇用
 2,パートタイム労働 時間制限のある雇用
 3,フレキシブル労働 期間限定の人材派遣や臨時雇用

 

1993年
 週労働時間の3分の1以下のパートタイム労働に対しても最低賃金を適用するよう、労働法を改正した。

 

1996年
 労働時間差による差別を禁止する法律ができた。
 これによって、パートタイム労働の差別が禁止された。

 

これらの法律によりワークシェアリングを実現しており、失業率が低い。

 

 

つづく

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2010年6月17日 (木)

帰化という言葉の軽さ

6月11日
はデコ記念日

2005年2月にバルセロナのヒルトンでデコと出会い、カンプノウのFCボティガが買ってきたデコのユニフォームに東京でサインをもらった日。
あの日から5年間、マラソンに着て走った日を除き、いつも壁にかけている。
最近はデコのユニフォームを着て、表を歩くこともめっきり少なくなった。

6月12日
ザ・ゴールがディエゴ・モッタのレアル・マドリー移籍の可能性について報じている。
デコと同じ時期にバルセロナに所属したブラジル人コンビ。
デコはかつてインタビューで、チーム内で最も気の合う仲間としてモッタの名を挙げていた。
バルセロナ退団後、アトレティコ・マドリー、ジェノア、インテルと渡り歩き、2009-10シーズンはモウリーニョ監督の下、インテルでCL、セリエA、コパイタリアの三冠を達成した。

かつて、フィーゴがバルセロナから直接、宿敵レアル・マドリーへ移籍した時、バルセロニスタは露骨な嫌がらせをした。
後にハビエル・サビオラもレアル・マドリーへ移籍したが、この時は戦力外扱いでレンタル先セビージャを経ての移籍だったこともあり 同情の声が多かった。
モッタの場合もバルセロナを戦力外となって後にしており、フィーゴの時のようなことはないだろう。

6月15日
G組第1戦コートジボワール - ポルトガル
試合開始:日本時間23時
地上波NHKG、スカパー! が生中継した。

コートジボワールは、6月4日の日本との親善試合でFWドログバが田中のキックを受けて右手を骨折。
出場が危ぶまれている。
ギプスをして出場することを、審判団が認めたと報道されている。

同組にブラジルがいるため、この試合でどちらかが勝ち点3を挙げれば、グループ2位以内をほぼ手中にする。
その時点でG組の結果が見える。

NHKGの放送にはいるとすぐ、ドログバがベンチスタートだとわかる。
なんといっても プレミアリーグ 2009-10シーズンに最多得点記録をつくった得点王。
そんな危険なFWは、いないに超したことはない。
ドログバの代役は、プレミアリーグのポーツマスに所属するディンダン。
日頃、欧州サッカーをみていて、あまり国籍を意識することはない。
こういう時、至るところに、国外選手がいたことを知る。

デコ、スタメンに名を連ねる。
NHKはリエジソンを帰化選手と紹介した。
日本のメディアは気軽に「帰化」という言葉を使う。

●帰化の意味
1.外国の国籍を取得して、その国の国民になること。
2.日本国籍を取得すること。

日本国籍取得については、日本に最低5年住むこと、素行がよいことなどが条件として国籍法に決められている。
日本語の「帰化」は日本国に同化するという意味もあり、国籍を取得することと民族に同化することは別ではないかという見解により、帰化という言葉を使わないよう配慮する人もいる。

今回のポルトガルチームには、ブラジル人でポルトガル国籍を取得した選手が3人いる。
デコ、ぺぺ、リエジソンだ。
サッカー選手は代表という仕事のために、便宜上 国籍を取得するのであり、身も心もその民族に同化する人ばかりではない。
日本にやってきた外国人に対して「帰化」と言い切るのも "上から目線" でいやな言い回しだが、外国籍を外国人が取得したことまで「帰化」で片付けるのは、言葉へのこだわりがなさ過ぎる。

カメラがスタンドに陣取るポルトガル・サポーターを映し出す。
国旗が真横にたなびいており、風が強いことを知らせている。
冬の南アフリカ、現地はかなり寒いようだ。
身体を冷やさぬよう、両チームの選手ともに白いグランドコートを着て出てきた。
これで、グランドコートが売れる。
このメーカーの社員は、アフリカの寒さに感謝したことだろう。

ホーム扱いコートジボワールの国歌に続き、慣れ親しんだポルトガル国歌が流れる。
注目はデコの口。
一瞬歌っているかのように口を動かしたかに見えたが、やはり歌っていないようだ。
2003年にポルトガル代表入りした際、これを批判したフィーゴから「いずれ、国歌くらいは歌えるようになるだろうけど」と、メディア経由で嫌みを言われた。
サッカー選手は勝利に貢献するいいプレーをしてなんぼ。
国歌を歌おうが歌うまいが関係ない。
数人のポルトガル人選手は声たかだかに歌っている。

キャプテンマークを巻き、端っこに立っていたポルトガル人 クリスチアーノ・ロナウドは・・・
寝ている。

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2010年6月16日 (水)

這ってでもEKIDENカーニバル

EKIDENカーニバルまであと二日。
オムロン電子体温計による計測では、平熱より0.5度高い。
個人でエントリーするマラソンならば、自分の意志ひとつで出走を取りやめることができるが、駅伝はそれができない。
ここが、チーム競技の難しいところ。
幹事に心配をかけぬよう、熱が高いことは伏せて「体調はいまいちですが、当日は這ってでも行きます」とメールする。

身体の免疫力を落とさないよう薬は控えてきたが、友達からの「投薬して熱を下げたほうがいいよ」のアドバイスを受けて、パブロンに手を出す。
これで当日朝を平熱で迎えることができた。
心拍数は54、まずまずの数値だ。

Ekiden1 会場は荒川河川敷。
土手を下り会場の人混みに向かって歩いていると、初マラソンの荒川市民マラソンを思い出す。

サトウ監督が場所取りしておいてくれたシートに荷物を置き、4人で身支度を開始。
4走者ともに、前1枚のナンバーカードをつける。
ナンバーカードは区ごとに色違い。
たすきにはタイム計測用のICチップが縫い込まれている。
参加賞はスポーツタオル。
4枚ともロゴが色違いになっている。

荷物預かりテント、更衣テントも設営されているが、特に必要はなかった。

あたりを見渡すと、おびただしい数の仮装ランナー。
ナース、医者、患者といった仮装と言うよりは、コスプレのチーム
デビルマン、ドラえもんといったキャラクターチーム
そして、圧倒的に多いのが女装。
世の中には、これほどまでに女装したい男が多いのか・・・

Ekiden2 9:00 号砲
並び順は早いもの勝ち。
ICチップ計測によるネットタイムが採用されるので、競技結果にロスタイムはカウントされない。

先着1600チームの募集に対して、この日は1300チームが参加している。

1300チームが一斉に走って、果たしてたすきリレーができるのか?
次走者を見つけるのは至難の業では?
初参加の我がチームにとって、これが唯一不安の種。
二日前、サトウ監督が「頭に大きなリボンをつけよう」と言い出した時は、必死に慰留した。
どうやら、サトウ監督は仮装したかったようだ。

Ekiden3 さて、当日の現場。
写真奥に見える「中継所」はA~Hまで分かれており、前後の走者が互いに見付けられないという混乱はほとんどなかった。
なかなか見付からない場合は、スタッフがメガホンでナンバーを呼んでくれる。
リレーブロック区間のタイムも競技結果に加算されるので、上位をめざすならば、できるだけ早くみつける必要がある。

第一走者のサトウ監督が出発。
おそらく10kmを50分ほどで戻ってくるだろう。

それまでの間に 2kmのアップ。
マラソンでは一切アップしないし、屈伸運動さえしない。
その代わり、最初の5kmがアップ代わりだ。

だが、今日のレースは 5kmで自分の受け持ちが終わる。
これでは調子が出る前に終わってしまう。

1km6分30秒程度のジョグだが、500mも走らぬうちから喉が渇く。
気温が高いのだ。
9時の気温は22度。長野マラソンの時よりも すでに10度高い。

9:45
そろそろ、サトウ監督が戻ってくる頃。
第3走者のタナカさん 「25分くらい(で戻ってくる)?」
・・いや、30分くらいだと思っててください。
長野マラソンは、すべてのラップを 6分00~6分30で走った。
5km25分は不可能ではないが、体調と相談すればリスクが高い。
ど素人ランナーの僕としては、5km30分でも褒めてもらいたいくらいだ。

サトウ監督が予定通り、50分で戻ってきた。
タイムは堅調だが、へろへろで目はうつろ。
「2周目がきつかった~」
周回コースは2周めがきついのだ。
自分は1周でよかった。


たすきを受け取ると、きゅっと絞って肩と腰の位置に固定する。
駅伝はテレビ番組「走る男」で、森脇健児の代走をつとめて以来2度め。
あの時は、たすきを絞るということを知らずに走りだし、10m走ったところでたすきがすとんと地面に落ちた。
その時初めて、たすきは絞って固定するものだと知ったのである。
テレビで「箱根駅伝」を見ているだけでは、これはわからなかった。



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2010年6月15日 (火)

W杯 ポルトガルのケイロス監督がもつ南アフリカの地の利

6月7日
デコの移籍先として名前があがっているフルミネンセは、アウェイのアヴァイ戦に3-0で勝利。
7節を終えて5勝2敗 勝ち点15
勝ち点17のコリンシアンズ、セアラにつづいて 3位の好位置につけている。

これで、ブラジル・リーグは中断。
W杯休みに入る。
再開は7月16日のバルエリ戦。
その頃、このチームにデコがいるのだろうか。

6月8日
なに~っ?
と日本人ポルトガルファン1,000人(推定)
がつっこむニュースが飛び込んできた。

練習中にナニが肩を負傷。
代わりにベンフィカのルベン・アモリムが招集された。
ナニ~とファンが悲鳴をあげたこの日、親善試合ではダニーが活躍する。

6月8日
ポルトガル3-0モザンビーク
現在はポルトガル国籍を取得しているカルロス・ケイロス監督(57歳)は、1953年3月1日モザンビーク生まれ。
その母国との対戦。

ナニが登録を抹消されたのを受けて、この試合に出場したのは「10」番を背負うダニー。
後半7分、デコのスルーパスによく反応して先制点を挙げた。

2点めはダニーのアシストをウーゴ・アルメイダ
3点めもロナウドのシュートのこぼれ球に詰めたウーゴ・アルメイダ

ロナウドはこの試合も得点なし。
W杯予選から継続している連続無得点を、この日も断ち切れなかった。
(ユーロ2008の後は、親善試合でPKを一度決めたきり)

6月10日
二日前、ポルトガルと親善試合をしたばかりのモザンビークが、今度は日本と対戦。
・・・するはずだったが、モザンビークチームが「ポルトガル戦のダメージがあり試合ができない」という理由でドタキャン。
日本は急遽、ジンバブエに声をかけた。
ジンバブエはFIFAランキング110位。
6月2日にはブラジルと対戦して、0-3で敗れている。
日本とジンバブエの30分×3の変則練習試合は、0-0の引き分け。

6月10日
カルロス・ケイロス監督とクリスチアーノ・ロナウドがマンデラ元大統領の自宅を訪問した。
ケイロス監督は 1999年から3年間、南アフリカ代表監督を務めており、2002年W杯出場権を獲得している。だが、直前に解任されW杯には出場できなかった。
プロフットボーラーとしての経歴はモザンビーク国内リーグのみで、ポルトガル国籍を取得してからの指導者生活が長い。

■カルロス・ケイロス 主な指導者歴

1989年~
U-20ポルトガル代表監督
1989、1991 FIFAワールドユース選手権2連覇

1993年
ポルトガル表監督(1度目)
1994W杯出場を逃し、1年で解任された。

1996年
Jリーグ 名古屋グランパス監督

1997年
UAE代表監督

1999年
南アフリカ代表監督

2003年
レアル・マドリー監督
シーズン4位に終わり1シーズンで解任。

2004年~
マンチェスター・ユナイテッドのアシスタント・コーチに2度めの就任(4シーズン務めた)

2008年7月~
ポルトガル代表監督(2度目)

ケイロス監督にとって南アフリカは3年間、指揮を執った国。
この貴重な「地の利」を活かして、W杯初出場での優勝を祈る。

W杯ポルトガル デコのW杯2010

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2010年6月14日 (月)

荒川でEKIDENカーニバル

長野マラソンまであと一ヶ月となったある日、
ランナー仲間のサトウさんから1通のメールが届いた。

サトウさんはサブ4ランナー。
尊敬するこの道の先輩である。
ここ数年はかすみがうらマラソンの常連。
「コミュニティの管理者のくせに、出ないなんて問題あるよ」
と僕をいつも責める。

今年、かすみがうらは記念すべき第20回大会。
本来ならば出たいところだが、長野マラソンと同日ではどうしようもなかった。

「5月9日に駅伝があります。よかったら参加しませんか」

日頃の不義理もあるし、駅伝という作業に興味がある。
長野マラソンの3週間後という日程もいい。
もう疲れはとれている頃だし、脚力もさほど落ちていないだろう。
特別な調整をしなくても出られそう。
気軽にOKの返信を送った。

「EKIDENカーニバル」は年3回シリーズで開催される、一般市民ランナーの駅伝大会。
東東京、西東京、大阪の年間3大会が行われる。

東東京は5月、西東京、大阪は秋に開催される。
今回、お声がかかったのは東東京大会だ。

会場は新荒川大橋緑地。谷川真理ハーフマラソンと同じ場所。
コースは戸田橋と新荒川大橋の間を往復する。
2区と4区は1往復
1区は2往復
3区は1.5km地点からの折り返し

 参加メンバー
1区 10km サトウ監督 サブ4ランナー
2区  5km moto 4時間半ランナー
3区  3km タナカさん サブ4ランナー
4区  5km スズキさん マラソン経験なし

たいていの駅伝大会は4人1組。
出場した「ロングの部」は4人で23kmを走る。

スタートは9:00
サトウ監督は7時からの受付に並び、ナンバーカードとたすきを受け取り、レジャーシートを敷いて場所取りまでして、集合場所のJR赤羽駅まで戻ってきてくれた。
幹事役が大変なのは花見と同じだ。

爽やかな絵に描いたような五月晴れ
絶好の駅伝日和
赤羽の駅に降り立った僕はすがすがしい気分

だったかというと、そうではなかった。
長野マラソンの疲れは思った以上に長引いていて、ついに1週間前には風邪を引いてしまった。
今回のマラソンシーズンは珍しく一度も風邪を引かずに済んだ。
マラソンも5年めとなると、随分カラダが強くなったのだと油断したのかも知れない。



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2010年6月13日 (日)

W杯 ポルトガル日程 ブラジル人のデコがブラジルに立ち向かう

6月3日
カメルーン戦後の取材でモウリーニョについて問われたデコは、次のように答えている。
「モリーニョは世界一の監督。クリスティアーノ・ロナウドは世界一の選手。この2人が一緒になれば、あらゆる快挙が可能だろう」

デコ本人が言わないから、ここで言おう。

デコは世界一の司令塔。
この3人が一緒になれば、あらゆる快挙が可能だろう。

6月4日
ブラジルリーグ、カンペオナート・ブラジレイロをチェック。
欧州リーグは 8,9月に始まり5月に終わるが、ブラジルリーグは5月に始まり12月に終わる。
今、ブラジルをチェックするのにはわけがある。

デコが移籍先候補として名を挙げたフルミネンセは、6節を終えて4勝2敗、勝ち点12で3位につけている。
4位までが2011年のリベルタドーレス杯にコマを進めることができる。
リベルタドーレス杯で優勝すれば、クラブワールドカップに出場できる。

クラブワールドカップ 2011年大会は3年ぶりに日本に戻ってくる。
そうなればデコ5年ぶりの来日。
2007年夏、FCバルセロナ日本ツアーの来日を、David君誕生のために急遽キャンセルした時以来の機会となる。
まだデコの去就もわからぬ今だが、フルミネンセの健闘を祈る。

6月4日
親善試合 日本 0-2 コートジボワール
3日前にはポルトガルがカメルーンと対戦して、日本に教材を与えた。
そして、この日は闘莉王がドログバの右腕尺骨を骨折させて、W杯出場を絶望にした。

カメルーンにエトーがいてもいなくても、あまり影響はないが、コートジボワールにドログバがいるといないでは大違い。
ドログバはチェルシーに所属。デコ、バラックと同じ32歳組。
恐らくこれが最後のW杯となる。
バラックに次いでドログバまでもが、直前の親善試合で怪我を負わされてしまった。
悲運なことだ。
あとはデコがベストコンディションで初戦のグラウンドにいることを祈る。

W杯ポルトガルの日程
*日本時間

■グループリーグ第1戦
6月15日(火)22:30
コートジボワール-ポルトガル
開催地:ポートエリザベス
地上波NHKが生放送

■グループリーグ第2戦
6月21日(月)20:00
ポルトガル-北朝鮮
開催地:ケープタウン

■グループリーグ第3戦
6月25日(金)22:30
ポルトガル-ブラジル
開催地:ダーバン

スカパー!は20試合を独占生中継する。
その20試合に含まれた試合を生で見たいならば、スカパー!に入る必要がある。

ポルトガルのグループリーグ3試合は、スカパー!独占の20試合に含まれていない。
3位決定戦を除く 決勝トーナメントのすべての試合は、スカパー! 以外でも放送される。
ポルトガル戦を見るために、スカパー!に新規申込みする必要はなさそうだ。

グループリーグではG組を1位突破することが望ましい。
2位突破の場合、ベスト16の対戦相手は H組の1位。
H組は スペイン、スイス、ホンジュラス、チリ
1位は九分九厘スペイン。

G組1位となれば、ベスト16の相手はH組の2位。
相手はスイスまたはチリの可能性が高い。
その後、スペインとは決勝までは当たらない。

グループリーグ突破でよければ、第3戦のブラジル戦は互いに無理せず引き分け狙いでよい。
だが、互いに頂点を目指す両国としては是が非でも1位で勝ち抜けなければならない。

デコにとっては母国との対戦。
かつて、ポルトガル国籍を取得しての代表デビュー戦の相手はブラジル。

2003年3月29日、国際親善試合
開催地:ポルトガル ポルト市
ポルトガル 2-1 ブラジル
2003年1月、ポルトガル代表監督に就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督の就任2戦目にして初勝利の試合。

【 試合経過 】
前半8分、カウンターから一気に右サイドを突破したセルジオ・コンセイソンが中央へセンタリング、パウレタが中央で合わせ、ポルトガルが先制

61分、セルジオ・コンセイソンに替わり、デコが代表初出場。

65分、ロナウジーニョが PKを獲得。このPKをロナウジーニョ自身が決め同点。

80分、デコがFKを獲得。この判定に ロベルト・カルロスが抗議して退場。デコがFKを直接ゴールして勝ち越し。

ブラジル人のデコがポルトガル国籍を取得してポルトガル代表入りすることに対して、フィーゴを初めとする数人の選手がメディアを通して批判していた。

デコはデビュー戦で祖国相手に決勝点を決め、ポルトガルにとって 1966年W杯以来37年ぶりの対ブラジル戦 勝利をもたらし、代表入りについての批判を封印したのだった。

ブラジルを破って決勝トーナメントに進み、再び決勝もブラジルと戦いたい。

デコの2010W杯

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2010年6月12日 (土)

東京への帰路 ほぼ日手帖への書き込み

長野マラソン2010を走る!23話

長野駅に着くと、二日間、拘束しつづけたコインロッカーから荷物を引き取る。
結局、コインロッカーが満杯なのではないかと心配し続けたことが、このマラソンプロジェクトで一番大きな労力の無駄だった。

長野駅の土産物ショップで土産物を見る。
わさびを買いたかったが、売っていたのは1品だけ。
それも最後の1本。
よく考えてみれば、わさびは松本の名産なのだ。
松本と長野といえば、名古屋と豊橋くらい離れている。
(よけいわからんって)

この時買い求めたわさびは、とても美味かった。しばらくの間、納豆に辛子の代わりに混ぜておいしく食べた。

買い物メモ通りの土産物を手中にして、最後に缶コーヒーとスポーツ新聞を買うと、レース終了の13時から3時間後にとっておいたあさまにぴたり。

Asama ホームに下りると、あさまは既に入線していた。
新幹線ファン「写真派」としては、先頭車両の写真は欠かせない。
かと言って一番遠い一号車まで歩くのは無理。
赤いライトの最後尾を撮影。
東京行きは8号車が最後尾。
あさまのボディは、ツートーンのシャチみたいだ。
帰りも「えきねっと」で予約しておいた窓際の席。
行きがけはおじさんだったが、復路は推定年齢30歳の女性。
マラソン帰りなのか、観光帰りなのか、そこまではわからない。

軽井沢を出発すると、席に「峠の釜めし」が届く。
日本レストランエンタプライズで電話予約しておいた。
容器を残したいので、復路で買った。
そこそこにお腹も空いている頃だろうから、夕飯代わりに食べるつもりだったが、食べずに持ち帰る。
隣りに女性が座ると、緊張して食べられないのである。

旅の荷物から、ほぼ日手帳を取り出す。
4月18日のページに枠を作っておいた。

レースが終わったら電車の中でここに結果を書こう!

 完走
 やったぞ
 会心のレース
 よくできました!

レースが失敗したら、このページを悲惨な気持ちで開くんだろうな。
と考えては打ち消してきた。

好結果を得て、車窓の景色を楽しむ列車の旅はこの世の楽園。
長野を出ると2時間で、もういつもの町でコンビニの前に立っている。
新幹線にしてよかった。

さぁ4ヶ月節制してきた間、我慢していたものを食べよう。
寿司とアイス。
生ものは食あたりのリスクを排除するため、アイスはカロリーを押さえるために手を出さなかった。
今日はとりあえずこの二つ。

これから、日増しに実感が沸くだろう。
完走と"ダメ"とじゃえらい違いだ。

ハイタッチ数 700人
走りながら撮った写真 20枚
ゴールまでに聴いた音楽 84曲
食べ物をいただいた私設エイド 5人
路上に捨てたゴミ 0

これは、去年のレース「東京マラソン2009」のデータ
今年は・・・

ハイタッチ数 20人
走りながら撮った写真 0枚
ゴールまでに聴いた音楽 75曲
食べ物をいただいた私設エイド 0人
路上に捨てたゴミ 5

得たものはとてつもなく大きい。
だが今はまだそれが、どのようなものなのか具体的に整理できていない。
それは何だったのかを考えていこう。
立ち止まって考える時、その題材となるのが「成功」なのだ。



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2010年6月11日 (金)

焼そば弁当5

全国のカップ焼そばファンの皆さん
10ヶ月のご無沙汰でした。

焼そば弁当4

コンビニやスーパーで新しいカップやきそばを見つけては、お昼の弁当に試すこの企画。
その後も、週1回ペースで研究を続けています。
それでは、さっそく2009年8月以降に登場したやきそばを見ていきましょう。

■明星 明星まぜそばチーズ&塩ダレ味 9点

香辛料がふんだんに入っていて、見た目でも美味しそうに見える。
十分にこってりしたチーズ味。
2008年4月に出た明星「まぜそば」の採点は4点。
当時、ラーメンを**杯食べた男も当てにならないと思ったものだが、今回のまぜそばは違った。
2009年11月
しかし、現在店頭で見ることはない。

■日清 UFOポークカレー 7点
カレーはそこそこに濃厚。
キムタクがカップヌードルの宣伝で連呼している「コロチャー」がしっかりと入っている。
ご飯と食べたい。
2010年6月、今まさにコンビニに並んでいる。

■マルちゃん<東洋水産> 昔ながらの焼きうどん 6点
カップやきそばではナンバー1を独走する「昔ながらのソースやきそば」の姉妹品。
ゆえに期待は高かった。
かつお風味のやきうどんは素朴で美味い。
だが具におもしろみがない。
そして、カップ焼きうどんに共通していることだが、量が少ない。
他メーカーのカップ焼きうどんと似通っていて、抜きんでたところがない。
カップ焼きうどんは、美味しくする抜け駆け禁止が業界で申し合わされているのではないか・・
2009年11月

■マルちゃん 夏のときめき焼きそば 5点
カップやきそば業界としては異例の水色のパッケージ。
さて、どこが夏なの?
というところが研究の焦点だが、ゆず胡椒で味を付けたというだけ。
さほど驚きのない味だった。
2010年6月、コンビニ店頭に並んでいる。

■スーパーカップ大盛り焼そば焦がし醤油バター味 明太入りふりかけとマヨネーズ仕立て
 5点
商品タイトルの長さがその難点を言い表している。
いろいろな味が混ざって、どれも中途半端。
どの味を楽しんでよいのかわからない。
2009年11月

■エースコック 中華街の五目焼そば 4点
特にどこの中華街のどの店の焼きそばを再現したというわけではない。
どこが中華街やねん!
とつっこんで終わった。
非ソースやきそば。
2009年9月

■日清 まぜそば辛味噌しあげ 4点
これまでに、お昼に食べても美味しかった「まぜそば」はない。
油がべたつく「まぜそば」は、時間をおいてお昼に食べるというこの企画には向かない。
だから、まぜそばに罪はない。
2009年9月

■サッポロ一番 男の焼きラーメン 4点
肉が大きくなった。
いかにも焼きラーメンという味。
オリジナルの再現性は高いがおいしくない。
ということは、元々・・・
2009年12月

■エースコック 想夫恋 3点
初めて福岡市で想夫恋の焼そばを食べた時を思い出した。
なんの味なのかがわからない。
想夫恋焼そばという味なのだろうが、これにはまることは難しい。
2009年9月

■サッポロ一番 焼き肉のたれ焼きそば 2点
エバラ監修のソース使用とパッケージに書いてある。
だが、焼き肉のたれの味はしない。
味はキムチ焼きそばそのもの。
そもそも「キムチやきそば」という食べ物が美味しくないので、こういう点数になった。
2010年5月
今もまだコンビニ店頭に並んでいる。

■明星 鬼どろそば 1点
あなたはいったいどんなそばなのか、
味付けの意図に賛同できない。
麺をすする時の「どぷっ」という液体音が気持ち悪い。
2010年1月

■日清 UFO ローストポークオイル入り贅沢仕上げ 1点
ソースにうまさを感じない。
生の紅ショウガも焼け石に水。
ふりかけに混ざっている微量の胡椒だけがよかった。
胡椒がカップやきそばに合うのは、他の人気商品が実証している。
2010年3月

Yakisoba5

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2010年6月10日 (木)

長野マラソンが人気の理由

長野マラソン2010を走る!22話

着替えを済ませたところで
ポーチからおにぎりを取り出して頬張る。
しっとりタイプ しっかり包装されたコンビニ仕様
やはり、おにぎりは空腹時のほうが美味い・・

ゴール会場のオリンピックスタジアムから長野駅までは、無料シャトルバスが出ている。
だが、ネットの掲示板によると、去年は乗車まで30分かかり、しかも座れないとあった。

それならば、最寄りの駅まで歩こうと、JR篠ノ井駅までの順路、長野駅に向かう電車のダイヤを調べてきた。
でも、篠ノ井まではとても歩けそうにない。
待ち時間を覚悟で、シャトルバスの列に並ぶ。

Olympics バスを待つランナーを観察しながら待つこと、16分で乗れた。
係員が座席数の人数で列を区切るため、座れないということもない。
マラソン大会はこうして、毎年改善されていく。

座席に座り、スマートフォンを取り出して、ここからメモを取り始める。

やったぜ
こんないいレースになるとは思ってなかった
最後まで追い込みペースでいけた
音楽も全部覚えてる
ファンファーレは歌った
そこからギアが上がった・・・

ロス6分これは助かる
ここでできた4分の余裕ずっと増えも減りもせず
後ろからQちゃん
速い
ハイタッチできず

記憶が新しいうちに、できるだけ多くのキーワードを書き留める。
それがこのブログ「長野マラソンを走る」になった。

長野マラソンのどこがいいの?

事前に聞いていた評判は
 ・自然の風景
 ・高低差が少ない、走りやすいコース
 ・途切れない沿道の応援
 ・FINISHER タオル

そして、今日自分の答えが見つかった

それは人
町に安心感
優しさ、人情があふれている。

長野オリンピックを催した経験により、人々にスポーツボランタリーが根付いている。
だから、長野マラソンは人気大会である。
ランナーの間で「長野」のイメージはとてもいい。

だが、すべてのボランティア、町の人が無条件にこの大会を支援しているわけではない。
長野県はあの県知事の後遺症に悩んでいる。
地方都市の疲弊も例外ではない。

これだけの手厚い支援をランナーにしていただいた。
次はできれば、ボランティアの皆さんにも手厚い待遇をお願いしたい。

長野マラソン2010を走る! ブログのもくじ

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2010年6月 9日 (水)

W杯まで2週間「チームはもっとよくなる」

6月1日
親善試合 ポルトガル3-1カメルーン ポルトガル開催
ホームのポルトガルは白いセカンドユニフォームを着ている。
遠路お運びいただいたカメルーンチームに敬意を表して、1stユニフォーム着用権を譲ったのか。

それよりも、現実的な理由はセカンドの白を売ることか。
ポルトガルはW杯本戦グループリーグ3試合のうち、2試合がホーム扱い。初戦だけがアウェイ扱いだが、コートジボワールのユニフォーム色とかぶらないため 1stを着る可能性がある。
2006年大会ではアウェイ扱いの試合も1stを着たため、セカンドの「黒」を着る機会は一度もなかった。そもそも 1stと同じ濃色をセカンドにしたことが誤りだったのだが。
恐らく「黒」は大量に売れ残ったのだろう。
本当の理由は風の中だが、2010年のニューモデル発表後、ポルトガルは「白」を着続けている。

髪を短く切ったデコが登場する。
胸のナンバーは、予選終盤につけていた10番ではなく20番。
この日はW杯出場選手登録締め切り日。
恐らく、今日着ている背番号がそのまま本戦の登録番号。

10番は後半から途中出場した FW ダニーがつけていた。
前回2006年W杯でも、デコは直前まで10番をつけていたのに、本戦では20番。
10番をつけたのは ウーゴ・ヴィアナだった。

ブラジル人のデコは、ポルトガルから見れば外国人。
W杯本戦での10番はポルトガル人がつけるという不文律があるのならば、せめてもっと有望な選手につけてもらいたい。

2006年に10番をつけたウーゴ・ヴィアナは 2010年W杯には招集されていない。
2008年ユーロで10番をつけたモウチーニョも選から漏れている。

この日、積極的にペナルティエリアに侵入して2ゴールをあげたメイレレス。
今回のW杯でいえば、16番をつけるメイレレスこそが10番にふさわしい。

「W杯に出ない」とくだを巻いていたカメルーンのFWエトーはキャプテンマークをつけて出場。
審判への抗議で警告を受けた直後、5番ドゥーダへの危険なタックルで2度目の警告を受けて退場。

カメルーンの偉いOBが「エトーはまだ何も成し遂げていない」というのは正しい。
事実、その通りだ。
エトーが主力となってから一度も主要大会で好成績を収めていない。
それをふまえたうえで、2010年W杯では頼むぞエトー!
という励ましだと受け取ればよいのだ。

南アフリカ大会のポスターに起用されたエトーだが、相変わらず目線が低く、本戦でも期待できない。
かつて大分にやってきたエトーを擁するカメルーンに日本は楽勝した。
その再現はたやすく見える。
カメルーンを押さえて、グループ3位になるかも知れない。
日本代表ファンにとってはありがたいことだ。

しかし、この退場により急遽あつらえられた国内壮行試合(紅白戦)で、エトーが偉いOBと握手でもすれば、日本の勝ち目は薄くなる。

後半36分、ナニが絶妙のループシュートを決めて3点め。
ロナウドは周囲を活かす動きで好機を作っており、本戦での活躍を予感させた。

デコはフル出場。
パスカット
決定的なカウンターとなりうるロングボール
ゴール前へのスルーパス
ワンタッチでのボールはたき

どれをとってもデコは錆びていない。
W杯での活躍
そしてその先のシーズンにも光が見えた。
出場機会さえあれば、まだまだデコはデコのままだ。

デコ試合後の談話
「W杯初戦まであと2週間ある。チームはもっと良くなるだろう」

W杯2010 ポルトガル代表

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2010年6月 8日 (火)

マラソンとおにぎりとエアサロンパス

長野マラソン2010を走る!21話

時計を止めて、レフトポールに向かって順路を進む。
気がつくと右足をひきずっている。
これでよく走れたものだ。
エイドで水をかぶってしまったのは左足。
ついでに右足にもかければよかったか・・

Finisher ボランティアの女子が FINISHER と書いたタオルをかけてくれる。
念願のタオル
これが完走の証
Tシャツは参加賞だから誰もがもらえるが、タオルは完走しないともらえない。

ゴール後、タオルをかけてもらえるのは長野マラソン人気の理由の一つ。
2009年からは東京マラソンもこれに倣っている。

「混雑しますから、立ち止まらずに進んでください」
そう言われても、走り終えたランナーが三塁側内野席のフェンス前で座っている。
誰もが暖かい日射しの元で余韻を楽しんでいる。
その胸に去来するのは長かった準備期間
辛かった練習

少しだけ座ろうか
いや立つのが難儀になりそうだ。
フェンスによりかかってしばし、ぼーっとする。
観客席を見渡すと、そこそこに人が入っている。

空は晴れていて暖かい。
レース後、こんなに暖かいのは「湘南国際」以来。
あの時は完走Tシャツももらえず、茫然自失のまま芝生に大の字になっていた。

レフトポールの通路から順路に沿って進む。
まず最初に待っていたのは、ペットボトルのスポーツドリンク。
さほどカラダが水分を求めていない。そのことが、気温がさほど上がらなかったことを物語っている。

クッキー、アミノバリュー、次々と手渡される。
バナナがないのはよい。
生ものはその場で食べなければならず、欲しくない人にとっては無用になる。
かすみがうら2008ではゴール間際、
東京2009ではゴール後にバナナを配ったが、あれは配る場所がまちがっていた。

レース中ずっとスポーツジェルをとりつづけていたので満腹。これ以上はもう受け取るのはよそうと思った時

「はい、おにぎりになります」

あ、はい・・・ 素直に受け取った。
資料で見た時に、どうせ今回も手に入らないだろう、
期待しないようにと忘れることにした おにぎり。
ずっと食べたかった、マラソンのおにぎり。
五度目の正直で、やっと初おにぎり。

食べ物はすべて受け取ってポーチに放り込む。
ボランティアは高校生ばかり。
とても、親切にしてくれた

ウェストポーチからウォークマンを取り出して音楽を止める。
「Life」ステファニーが流れていた。
その次の曲がセットリスト最終曲
「GIFT」 Mr.children
ゴールした後、晴れがましい気持ちで聴こうと、5時間ちょうどに鳴るよう入れておいた。
あそこで音楽を止めずに、最後の「GIFT」まで聴けばよかったと二日後に気づいて悔やんだ。

今も「GIFT」を聴くと感傷的になる。
この時に聴いていたら泣いていたな
高い目標を達成した時にこの曲は似合う。

5時間制限のレースを完走する
これがど素人!マラソン人生の最高峰と考えてきた。
この先、それを超える山に僕は登るだろうか。
もしその時が来れば、この曲をゴールで聴きたい。

シューレースをアイレットから外して(=靴紐を穴から外して)RCチップを外す。
ボランティアに頼めば、外してくれるのはわかっていたが、近くにあった教室机によりかかり、なんとか自力で外す。

右足を引きずりながら歩く身には、競技場から荷物受け取り場所までの道のりはとても遠かった。

更衣室にあつらえられた体育館には入らず、お日様の下、芝生の上で着換えることにする。
やはりマラソン後は、お日様の下が似合う。

よく頑張ってくれた両足、腰、背中に
思い切り、エアーサロンパスを振りかける。
去年の東京マラソンではレース後に久光製薬がミニ缶を配っていた。
それを一缶使い切ると、翌日の筋肉痛がまったくなかった。
その威力に着目し今回は自分で買ってきたが、筋肉痛は三日残った。
今思うに、去年は足を使う前に空腹で足が止まったのだ。

「うゎ、思い切り吸い込んでしまった」
風にのったサロンパスが隣りにいた女性を直撃。
聞こえるように、大きな声でつっこまれた。

ど素人!マラソン講座

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2010年6月 7日 (月)

笑顔を届けてくれた2人の女の子

長野マラソン2010を走る!20話

42km
最後の写真撮影スポット
1回のマラソンで買う写真は1枚と決めている。
写真はウェブサイトで公開されてみなければ、うまく撮れた1枚があるかがわからない。
ここでも入念に位置取り。

前を女の子が走っている。
自分以外のランナーはほとんどへろへろになっているが、その中でただ1人バネのある蹴りで颯爽と走っている彼女。

彼女の後ろにできたスペースを活かして、自分の前に空間をつくる。
その時だ。

彼女がカメラに向かって左手で力こぶポーズ
右手で指さして
「どんなもんだい!」

これにはうけて笑った。
レース4日後、公開された写真。
僕は大爆笑している。
37km地点の作り笑いとは、明らかに笑いの大きさが違う。
狙い通りのピン写真はこの2枚。
結局、写真は2枚買った。

長かった直線がようやく終わり、左折して競技場の接続路へ。
ここにも大勢の応援の皆さんがいて、拍手に包まれる。

かつて、瀬古利彦が平和台競技場に凱旋するシーンをこの目に焼き付けて以来、競技場にゴールするのが夢だった。
「かすみがうらマラソン」のゴールも競技場だったが、こぢんまりとした競技場にはエントランスのトンネルがなく、呆気ないほどあっさりと場内につながっていた。

重要なのはトンネル。
スタンドの下を抜ける暗がり。ランナーを包む一瞬の静寂。
それが場内に入った途端、割れんばかりの拍手に変わる。

暗きょをくぐる前、時計をみる。

5時間ぎりぎりになった時のために、NHKのテレビ放送でトンネルからゴールまでの区間タイムを計っておいた。
2009年大会、男子1位の選手は40秒、女子1位の選手は1分。
プロの女子が1分だから、自分の場合 "必死の思いで走って1分" という目安を頭に入れていた。
ラストスパートしようか・・
いや、それよりも、この残り少ない歓喜の時を ゆっくり楽しもう。

スタンド下のトンネルには大勢の子供チアガールが待っていた。
彼女たちの必死の応援は、トンネルにこだまして僕らランナーの胸を打った。
誰もが彼女たちを見やり、ある者は「ありがとう!」と言い、ある者はお礼の拍手を送る。

トンネルを抜けるとそこは・・

野球場だった

"地面が柔らかい・・

そうだった。ここは野球場だった。
映像では知っていたが、足下の固さまではわからない。

一面に敷かれているのは野球用の人工芝。
それもかなり柔らかい。
これじゃ、どのみちスパートは無理だった。

ライトポールの脇から場内に入り、ライトからレフトへ向かって一周。
ホームベース付近に設けられたゴールへ。

あと30m
向こうから女の子がやってくる。
なんと、Qちゃん逆走ハイタッチだ。
すかさず、右端に寄ってハイタッチ。

制限時間まで、時間と体力を残した余裕のゴール
感極まることはない
ガッツポーズは苦手だ。

一度も歩きたいと思わず、
気を失った時間もなし。
自主給食が功を奏し、脳が最後まで筋肉にフル稼働を指令した。

Gps_nagano

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2010年6月 6日 (日)

W杯2010 ポルトガルの目標はベスト3

5月23日
DFぺぺ(クラブチーム:レアル・マドリー)の復帰見通しが立ったことが伝えられた。
リーガ14節のバレンシア戦で、右ひざ前十字じん帯を断裂。
6か月リハビリを続けていた。
ポルトガルにとって、ぺぺの攻撃参加は大きな武器。
これでまたひとつ、ベスト4超えの階段を上った。

5月24日
親善試合 ポルトガル 0-0 カーボベルデ
ポルトガルのコビーリャで開催。
この試合まで、カーボベルデという国の名前を知らなかった。
カーボベルデ共和国はアフリカの西側、大西洋に点在する島国。
1975年まではポルトガル領に属していた。
公用語はポルトガル語。
ポルトガルサッカー協会は、調整段階の初期だけに怪我がないよう無理をしないで済む相手を選んだ。
それでも、相手を完封したうえで、2、3点は取れるというプランを描いていただろう。

結果的にFIFAランキング3位の国が、117位の国とホームで引き分けたということは、ポルトガルの選手たちにとっていいクスリになった。

5月26日
FIFAランキング発表
1位 ブラジル
2位 スペイン
3位 ポルトガル

2009年11月、W杯出場を賭けたプレーオフ直前は10位だった。
W杯出場を決めた時点で5位に上がり、4月からは3位。
5位まではわかるが、そこから上は、いったいどんな材料があって、順位を上げているのかよくわからない。

いずれにせよ、1位と3位のチームが同じG組で戦い、そのうちどちらかが 2位のスペインとベスト16で当たる可能性が高い。
いったいどれだけ、死の組み合わせなのか。
だが視点を変えれば、ベスト16を乗り切った後の、ベスト8、ベスト4、決勝の3試合は比較的楽になると言える。

2010W杯南アフリカ大会
ポルトガルの目標はベスト3。

2006年ドイツW杯
ポルトガルの成績は 4位。

準決勝ではフランス アンリの「尻もちPK」にやられた。
そのアンリは今回「手も使う」選手に進化しており、かなり手強い。
できればもう当たりたくない。

3位決定戦は、開催国ドイツに敗れた。
その2年後、ユーロ2008でもベスト8でドイツに敗れた。
その時、ファウルで決勝点をあげたバラックはもういない。

*デコブログ次回は6月9日(水)です。

デコの2010W杯

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2010年6月 5日 (土)

デコ「移籍先はW杯後に決断する」

5月15日
第129回FAカップ決勝 ウェンブリースタジアム
ポーツマス ○1-0
チェルシーはFAカップ2連覇 6度めの優勝
最多優勝はマンチェスター・ユナイテッドの11度。

デコは前シーズン、一度もFAカップ戦に出場しなかった。
今シーズンは、出場していたが、決勝ではベンチ入りしなかった。

今シーズン、チェルシーでの最後の出場は、4月25日、プレミアリーグのストークシティ戦となった。

ポーツマスMFケヴィンのタックルを受けたバラック(国籍:ドイツ)は、負傷して途中交代。
全治8週間と診断され、結局は6月1日発表の最終メンバーから漏れた。

年齢的にみて、デコ同様バラックにとっても、南アフリカ大会は最後のW杯。
悔やんでも悔やみきれない。
その事態がデコの身に起きていたら・・・
そう考えたらぞっとする。

と言ってもまだ安心はできない。
2006年W杯直前のこと、デコは練習中に味方のタックルを受けて負傷。
グループリーグ初戦 アンゴラ戦を欠場した。
どこに、どんなリスクが転がっているかはわからない。

5月18日
ロイターがデコ本人の記者会見の内容を伝えている。

「フルミネンセと来季の移籍について交渉した」
「移籍の可能性は大きいが、現時点で発表することはない」
「W杯後に決断する」

これで、W杯が終わるまで、ニュースの監視から逃れられる。
去年も九分九厘インテル移籍と思っていたが、結果は違った。
しばらくは、デコ最後のW杯を楽しむことに集中しよう。

2009年12月12日、プレミアリーグ16節エヴァートン戦が行われた週。
デコは、お父さんの具合が悪いという理由でチームを離れたことがあった。

32歳という若さでの欧州撤退。
デコは完全な撤退ではなく "一時的な撤退" だという旨のことを言っている。
ブラジル帰国は、父の具合が理由の一つかも知れない。

また、移籍先はブラジルだけとは限らない。
モウリーニョがレアル・マドリー監督に就任したとなれば、師弟関係にあるデコに白羽の矢が立つことはないか?
メディアが伝えるモウリーニョの獲得リクエストにデコの名はない。
一方、デコはバルセロナの街とクラブを愛している。
バルサ在籍時は、宿敵レアル・マドリーに対して好戦的な態度をとってきた。
これはエトーにしても同様である。

ごく普通に考えれば、デコのマドリーへの移籍はあり得ない。
だが、モウリーニョ指揮の元、ロナウドとの連携で相手を翻弄する姿も見てみたい。

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2010年6月 4日 (金)

菅直人の歴史

菅直人は東京工業大学出身、民主党の政治家。
東工大と言えば、理系の東大。
理系としては日本で最難関の大学だ。

1946年
山口県宇部市生まれ。

1980年
衆議院初当選。

1994年
新党さきがけに入党。

1996年
自民、社会、さきがけ連立内閣で厚生大臣。
薬害エイズ問題で謝罪。
o157食中毒が起きた時は、かいわれ大根を食べるパフォーマンス。
パフォーマンス大臣のさきがけとなった。

1996年
9月、鳩山家の資金で、鳩山兄弟と共に民主党を結成。

2002年
党首選挙に勝ち、民主党代表に就任。

2003年
6月、名古屋刑務所刑務官が受刑者を死亡させた事件について、意図的に水圧を上げたねつ造パフォーマンスとなる公開放水実験を行ったことを謝罪しなかった。
この公開実験で、テレビに出てやらせレポートをした民主党議員が、後に偽メール事件を起こす。

10月
「総理大臣の器―「菅」対「小泉」マニフェスト対決」幻冬舎 出版。
小泉純一郎と自分を比較して総理の器を論じた本ではなく、タイトルと内容は別ものだった。

11月、衆議院総選挙。
菅はかつて議員の世襲を批判していたが長男が出馬。選挙では政権奪取できず。

2004年
1月、ペパーダイン大学を出たと言い張る古賀潤一郎議員の学歴詐称を 党籍除籍処分でお茶を濁す判断。

4月28日、年金を管轄する厚生大臣当時の1996年1月~10月国民年金が未納だったことを公表。
「行政上の誤りがあった」として自分には責任がないという姿勢をとった。

5月7日、年金法案で3党合意したところで、自民党福田官房長官が年金未払いの責任を取って辞任。与党戦略にはまったが、辞任せずという姿勢をとった。

5月10日、民主党代表辞任表明。

2006年
4月、代表選挙で小沢一郎に敗れる。その後、代表代行就任。

2009年
政権交代をテーマにした2009年8月の総選挙で政権獲得。
国家戦略室担当に就任。

2010年
民主党代表選挙に出馬。

こうして見ると一目瞭然だが、管が"責任を取る側" だったのは、薬害エイズだけ。
その後、民主党に籍を移してからは、菅直人の歴史イコール責任逃れの歴史である。

菅直人は論戦になると「しかたないなぁ」という顔をしてにっこりと笑う。
だが、その笑みはいつも蔑みを含んでいる。

能面がアフレコで喋っているような姿はこりごりだが、慇懃な笑みを見る機会が増えるのは心地よくない。



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2010年6月 3日 (木)

鳩山由紀夫がばらまいた、重い「思い」伝染病

2010年6月現在
日本は重い伝染病にかかっている。

「思い」病だ

「思い」とは、
立派なことを言いながら、それを個人的な意見だと予防線を張り、立場としての責任を曖昧にする狡猾なことば。
「行動」がまちがっている人が「言動」で自己を正当化するためのことば。

 思いを口にする人の特徴は次の通り。

■自己顕示欲が強い。
■責任感が乏しい。
■言葉が軽い。

「思い」病は、2009年夏以降、急速に広がりを見せた。
そのいくつかをたどってみる。

2009年10月14日
鳩山首相が、過去最高44兆円の国債発行にあたって
「赤字国債は本来なら発行すべきではないが、税収の落ち込み具合を勘案する必要がある。赤字国債は発行したくないという基本的な思いはある」

2010年1月23日
東京都江戸川区で7歳の男児が親から暴行を受けて死亡した事件
校長「もっと注意深くしていればという思いがある」
文科相「教育現場に、感度が低いという思いがある」

2009年12月27日
自民党 谷垣禎一総裁
国民新党の亀井静香が天皇陛下に向かって「権力の象徴であった江戸城にお住まいになるのはお立場上ふさわしくない。京都か広島にお住まいになってはどうか」と提言したのを受けて、テレビ番組で発言。
「陛下はちょっと行ってくる、とおっしゃって東京に行ったままになっているが、京都にお帰りになっていただきたいという思いはある」

2010年3月9日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍普天間基地移設問題について
「命のかかわる話であればあるほど、当然、政府として首相として意思決定には覚悟をもって臨むべきだ。それが進退だとかどうだとかいう野党の思いに必ずしも乗る必要はない」

2010年5月4日
民主党 鳩山由紀夫首相
「すべてを県外にということは、なかなか現実問題として難しいということに直面をしております。ぜひ、沖縄の皆様方にも、またご負担をお願いをしなければならないなと、その思いで、今日もまいった次第でもございます」

言うまでもなく「思い」病の発端は、2009年に政権をとった民主党 鳩山由紀夫の口癖。
この便利な言葉は伝染力が強い。
言行不一致の人にとって、これほど便利なことばはないからだ。

2010年には、無責任な人たちの間に急速に蔓延した。
感染源は要職を去っても、その終息にはしばらく時間がかかる。
日本に無責任をばらまいた責任こそ"重い"

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2010年6月 2日 (水)

メールがいきなり飛ばないようにする方法

書きかけのメールを開いたままで、何かのキーを触った時、メールがいきなり飛んでしまったという経験。
あなたにもあるはずだ。

メールを書いている時に[Ctrl]+[ Enter ]を押すと、メールは送信されてしまう。

相手から来たメールに[返信]をクリック
さぁ返事を書こうという時に誤ってこのキーに触れると、元の文面だけのメールを相手に送り返してしまう。

慌てても後の祭り。
お詫びのメールを送る羽目になる。

このお詫びメールで
「すみません。メールが勝手に飛んでしまいました」
と言ってはいけない。
被害者は送った側ではなく、送られた側。
こんなことを言えば、なんでも他人のせいにするお子様社会人と思われるだけだ。

そこで、メールを書いている途中に誤って送信しないための策。
3年前からこの方法に変えた。

■準備

ツール>オプション
 ↓
[送信]タブ
 ↓
"メッセージを直ちに送信する" のチェックを外す
 ↓
[OK]

■メール作成の操作
メールを作成する
   ↓
[Ctrl]+[Enter]を押下
つづいて、もう一度[Enter]を押下

これで、メールが送信トレイに置かれる。

この時の操作は
[送信]をクリック→[OK]をクリックでも同じなのだが、それだとマウスを使わなければならない。
マウスに右手を移動させる分、時間をロスする。
キーボードだけで操作できるほうが、作業効率がよい。
   ↓
送信トレイに置かれたメールは、
次回、送受信ボタンをクリックした時に送信される。
送受信をクリックするまでは、送信されない。

*Outlook Express、Windowsメールで検証した。



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2010年6月 1日 (火)

マイランナガノが突きつける颯爽としていない走り

長野マラソン2010を走る!19話

41km
35kmから40kmの5km区間では、順位を350位上げてた。
350人を抜いたと言うことになる。
颯爽とした快走だ。
きっと、風を切っているように見えるだろう。

自分ではそう思っていたが、レースから1ヶ月後、勘違いだとわかった。

5月末、申し込んでからちょうど30日で「マイランナガノ」が届いた。
「マイランナガノ」は長野マラソンのランナー向けに販売される、個人別編集映像を収録したDVD。
信毎フォトサービスが企画制作する。
価格は2,850円
送料が840円かかって、合計では3,690円。

申込時にビブナンバー(ナンバーカードのナンバー)を連絡すると、RCチップのデータを元にして、以下4地点の映像が収録される。
■中間点
■30km
■35km
■フィニッシュ地点

最初から買うつもりのランナーは、前日の受付会場ブースで「意気込みメッセージ」を収録する。

以前は値段が5,000円以上だった。
いつの間にか、値下がりしたようだ。
いつから値下がりしたのかは、しらべたがわからない。
高いので、すっかり頭から切り離していた。

写真撮影ポイントには、しっかり対応したが、DVD撮影ポイントはお愛想なしで先を急ぐ。
ところが映像を見ると、急いでいるのに速くない。
颯爽としていない。
風を切っていない。
1km6分20秒の走りは、走っているほうにとっては快調なペースだが、見る側にとっては「とぼとぼ走り」なのだ。

走る人と走らない人の間には「ランナーの川」が流れている。
川の向こうに渡った人と、対岸で見ている人には相反する価値観がある。
走らない人は、川の向こうで走っているランナーを見て思っている。
「あれって走ってるの?歩いてるんじゃないの?」

だから、もう少し颯爽と走りたい・・

あと2kmを切った。
沿道の応援の皆さんが、歩道から車道に下りてきている。
歩道との段差で直線だった境目が、奥に行くほど膨らんで曲がっている。

子どもが歩道から段差をすとんと飛んで下りてくる。
それを見ただけで怖い。
ランナーは予期せぬ動きに対応できない。
ぎっくり腰になりそうだ。
できれば、沿道の皆さんは大きな動きはしないで欲しい。

二度めの「fanfare」を声に出さずに歌う。
4か月間聴くのを我慢していたこの曲で、今日はゴールか。

それにしても最後の直線が長い。
競技場は見えているが、なかなかエントランスが見えてこない。
いつものマラソンのように、今にも倒れそうではないが、もうそろそろ終わりにしたい。
終盤が辛いレースになった時は、この直線がかなり辛く感じるだろう。

「fanfare」を歌い終わった。
天候は感じない。
空は晴れているが、強い日射しが痛いとは感じない。

サンキャップ、ハンドウォーマー、CW-Xのロングタイツ
カラダの大半はお日様から隠している。
肌の露出は顔だけ。
日焼けは火傷。肌を隠したのは気温対策だったが、結果的には疲労の低減につながったようだ。



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