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2011年7月の31件の記事

2011年7月31日 (日)

ネックになるのは「みずほ」

東日本大震災の2日後、九州新幹線は開通した。
震災後は日本全体が自粛ムード一色。
おめでたい九州新幹線の開通は、ほとんど露出することがなかった。
しらべるであれだけ注目していた新鳥栖駅のマスコット「トッスィ」も、その後ぱたりと名前を聞かない。

さて、この夏の旅をどうするか。
まず始めから決まっていたのは、デビューした「みずほ」「さくら」そしてこれまでは八代~鹿児島間でしか乗れなかった800系「つばめ」に乗ること。

2010年は「100系 300系 500系 700系 レールスター N700系に一日ですべて乗る品川-博多の旅
東海道・山陽を現役で走っている車種、全部を乗り継いだ。
今回もそれに匹敵する、華のあるテーマが欲しい。

Zenbu 2010夏、乗り継いだ6車種

全部・・
そうだ!
去年が全部の車種ならば、今度は全部の"ダイヤ"に乗ればいいじゃないか。
そこでタイトル
「こだま のぞみ ひかり みずほ さくら つばめに一日ですべて乗る品川-新鳥栖の旅」

東海道・山陽・九州を走っている現役ダイヤすべてを乗り継ぐ旅の始まりだ。

まずは、大方針
さくら、みずほ、つばめは山陽・九州でしか走っていない。
従って、残るのぞみ、ひかり、こだまを新大阪までにクリアする。

東海道エリアは去年と同様なので、しらべるまでもない。

▼品川
 こだま(300系)
▼新横浜
 のぞみ(N700系)
▼名古屋
 ひかり(700系)
▼新大阪

今回は"全ダイヤ"にこだわる旅なので、車種は何系に乗っても良いのだが、せっかくだから東海道を走っている3車種を乗り継ぐダイヤを選んだ。

ここで、ネックになったのが「みずほ」
しらべると、みずほは朝夕しかダイヤが組まれていない。
みずほの一番列車は新大阪6:00発のみずほ601号。これは当然間に合わない。
6:00始発「のぞみ99号」で品川を出ても、新大阪を7:50発のみずほ603号には間に合わない。

みずほ第3便は、新大阪17:59発のみずほ605号。
全ダイヤの旅を完成させるには、夕刻に新大阪を発つ行程にせざるを得ない。

▼新大阪
 みずほ(N700系S編成)
▼広島
 さくら(N700系S編成)
▼博多
 つばめ(800系)
▼新鳥栖

新大阪を発つのが17:59ならば、日中はゆったりと時間がある。
そこで、今年も2カ所で途中下車。
今回は名古屋、大阪を観光することに決める。

最後に、みずほ→さくらの乗り継ぎ駅を考える。
みずほ603号の停車駅は新神戸、岡山、広島、小倉。
みずほにできるだけ長く乗りたいが、さくらも小倉→博多の20分では寂しい。
乗り継ぎは広島に決める。
一時間ほど待ち時間があるので、夕飯にお好み焼きを食べることができそうだ。

新幹線講座

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2011年7月30日 (土)

いいタイムが出る!という視点で考察した、マラソン大会評価

ランナー高橋尚子は著書「メタボだってマラソン完走」で次のようなことを書いている。

「現役を引退した私には、生涯にわたって自分の記録を破るチャンスはない。記録という点において、私はマラソンの持つ一番の醍醐味を味わうことができない。
 でも、市民ランナーのみなさんには、これから次々に目標達成の瞬間が訪れます。これは本当にうらやましいことです」

五輪で金メダルという頂点に上り詰めたランナーゆえ、これから先のランナー人生のなかで、記録短縮という一番の楽しみを失った悲哀がある。
一方、我々、市民ランナーには記録更新の楽しみがある。



マラソン完走
歩かずに完走
5時間制限レースの完走
サブ4
サブ3・・・
その合間にある自己ベスト

いったい、いつまで"記録を目指すランナー"でいられるのか。
記録が頭打ちになる日が来たら、練習で目を三角にするのはやめて、観光がてらの旅ランナーになろうか。
それは、ずっと先の話であって欲しい。
5時間を切った後、このように考えるようになった。

6度めのマラソン「全国健勝マラソン日本海大会」では、いいタイムを出すには大会を選ばなければならないということに気づかされた。
コースの難易度によって、タイムは最大15分は上下するというのが、このコースを走った実感だ。

あるマラソン大会に初めて出場する場合、いくつかの選択ポイントがある。
「制限時間がゆったりしているから」
「景色がよさそうだから」
「まだ走ったことがない大会だから」
「人気の大会だから」
「走りやすいコースという評判だから」
「走れる大会が他にないから」
そうして走った大会が6つを数えた。

そこで、出場した大会について、独自につくった基準で相対評価をつけていくことにした。
当面は"記録を目指すランナー"なので「いいタイムを出す」ということに評点を絞った。

*数字が高いほど高い評価。
*出場6大会中の相対評価 どの項目も最大10、最小1をつけている。

  大会名 コースの混雑 アップダウン 交通規制
安心感
エイド
ランナー支援
・評点に表れないこと
・要注意事項
1 長野マラソン2010 7 9 8 10 10 スポーツ応援文化が成熟した大会。
2 湘南国際マラソン2007 4 8 10 8 6 日影が無く暑い。コースが単調。
3 かすみがうらマラソン2008 5 6 9 3 9 沿道で素朴な応援がつづく。
4 第36回全国健勝マラソン日本海大会2011 10 1 3 7 4 暖かい運営。のびのび走れる。復路が逆風。
5 東京マラソン2009 1 7 8 6 1 知人に注目される。
6 荒川市民マラソン2006 2 10 1 1 7 往路に渋滞で歩く場所あり。復路が強い逆風。

春にしか走らないので、すべては春の大会。
ここには「テレビ中継がある」とか「途切れない応援」「風光明媚な景色」といった観点はない。
そういう点で、最も記録が狙えるのは長野。
記録が頭打ちになった時は「長野マラソン」を、もう一度走りたい。

ど素人!マラソン講座

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2011年7月29日 (金)

強引な あなたも「宝くじ」を買わなければいけない理由

宝くじに当たると言うことは"有名にならずにお金が入る"ということだ。こんなに、いい話は他にない。

税引き後の手取りで3億円を手に入れるような境遇になると、有名になってしまうことが避けられない。

って、ちょっと強引だったですかぁ~♪
今日は歌付きでお送りしています。

スポーツ選手になる。
事業で大山を当てる。
なにかを発明する。
著書がベストセラーになる。
3億円拾う。

いずれにしても、それはメディアの知るところとなり、有名になってしまう。

って、ちょっと強引だったですかぁ~♪

有名になりたい人は、世にたくさんいるが、それは"有名税"をまだ知らないからだ。
有名になればメディアに取材される。
手の内が知れれば、それはすぐに真似される。
名前と顔が露出すれば、ねたまれ、たかられ、最悪の場合、犯罪に巻き込まれるリスクもある。
有名になって得をすることは、なに一つない。

って、ちょっと強引だったですかぁ~♪

そこで、宝くじ。
3億円当たったら、ただ黙っていればよい。
知人や友人、職場の同僚はもちろんのこと。
家族にだって、内緒にしておいたほうがよい。
死後に遺産が見つかって、遺族一同あらびっくりというくらいでちょうどよい。
生前に遺産目当てですり寄る子ども達を見るのは辛い。

って、ちょっと強引だったですかぁ~♪

3億円当てるためには、連番10枚3,000円の投資で済む。
抽選日まではこうして、当たった時いかにして、リスクを回避しながら生きていくかを考える。
大金を手にした時こそ、人の真価が問われる。
そこで、どのような人間に生まれ変わるかによって、この世に生まれた価値も大きく変わっていくのだ。

って、ちょっと強引だったですかぁ~♪

せっかくだから、考える時間は多いほうがいい。
抽選日の10日前に買えば、1日300円で非日常の問いかけを自分に課すことができる。
サマージャンボ販売は今日まで。
抽選日は8月9日です。
あなたも買いましょう。

って、ちょっと強引だったですかぁ~♪


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2011年7月28日 (木)

河村たかしファン希望の一番星 則竹勅仁

2011年5月25日
大村秀章知事と河村たかし市長が、名古屋高速道路の利用料金を15%値下げする実験を、7月よりおこなうと発表した。
名古屋高速は1990年代後半から2005年の愛・地球博に間に合わせるため、急ピッチでつくられた道路。
その速さは驚異的だった。
開通当初の料金は一律600円(部分開通区間を除く)
空いていてとても便利なのだが、もったいなくてなかなか乗れなかった。
今回の割引幅はわずか 15%であり「安いから乗っていこう」とは思えない。

6月初旬
市議会議員 則竹勅仁が、受取拒否を宣言していた「費用弁償」を実際は受け取り、その一部を借金返済などに当てていたことが報道された。

費用弁償とは、市議会議員がまだ掛け持ちだった時代に、市議会にとられて本業に充てられなかった時間を"弁償"する意味で制度化されていたお金。
現在では実質、交通費の性格を持ったお金である。

河村たかしは国会議員当時から「費用弁償」を問題視しており、その秘書出身の則竹もそれに倣い、選挙公約として費用弁償の受取拒否を掲げてきた。
そして、河村たかし市長の下、名古屋市議会議員への「費用弁償」は2010年3月に廃止された。

かつて市議会議員駆け出しの頃の則竹は、費用弁償の受取を拒否したことで、"ええかっこをするな"とばかりに、全会一致で所属政党の会派から追い出された。
そこを、同党員・河村たかしの取りなしでなんとか党籍剥奪だけは逃れ、たった一人で「民主党クラブ」という会派をつくり、市議活動をしてきた。
そして7年後の2010年12月、自ら民主党の党籍を離れて、河村たかしが結成した「減税日本」に移籍してきたのである。

"則竹問題"発覚後の河村たかしのコメント「泣けてきた」と同様、河村たかしファンとして落胆した。
則竹は河村たかしファン、希望の一番星だったのだ。

貧すれば鈍する。
政治家は金に困るような人がやるものではないということを証明してしまった。

河村たかしの持論として、政治家論は2つある。
1,政治家は職業化してはいけない。
2,政治家は公僕。ボランティアのような立場が望ましい。

安定した収入源(職業)がなく、自らの生計を立てられない人がボランティアはできない。
政治を職業として食おうとするから、しがらみが生まれ、金に鈍することがある。

政治家として河村持論を遂行するには、金に困らない境遇ありきなのである。

則武は6月6日、市議会議員を辞職した。

河村たかしを追っかけるがね 目次

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2011年7月27日 (水)

統一球とヘッドスピード

2011年シーズンより導入された統一球により、NPB前半戦の戦況は一変した。
打者の本塁打は激減、打率も3割打者が数えるほどしかいない。
その一方、投手は防御率1点代が続出している。
だが、後半戦の様相は変わるはずだ。

後半戦のキーワードはヘッドスピードである。

スイングスピードとは少し違う。
バットの先端が移動する速さがヘッドスピード。

ゴルフではヘッドスピードを上げて(=ヘッドを走らせて)ボールを遠くに飛ばすため、スイングや体調に応じてシャフトの固さを調整する。
野球のバットは軽くすれば、振りは速くなるがヘッドスピードが上がるとは限らない。
ある部分だけを軽くするなどして、重心を変える対応が実際にとられ始めている。

前半戦、飛ばない統一球が、それでも飛ぶケースとして次のことが言われてきた。
1.前でさばく(投手寄りで打つ)
2.引っ張り方向の打球

前でさばくということは、ヘッドスピードが最高値に達した状態でボールに当たっているということ。
その位置は投手寄りであるため、打球方向は引っ張り方向になる。
引っ張った打球が飛ぶのではなく、遠く飛ぶ打球はその方向しかないと言うことだ。

ヘッドスピードは出ていなくても、本塁打を捨てれば打率を上げることはできる。
これまでは外野フライだった打球が、内野手の頭を越えたあたりに落ちるからだ。

7月20日現在(前半終了時)
セリーグ打率上位ベスト10に入っている打者には本塁打0の打者が3人、1本の打者が2人。

打率順/名前/本塁打数
1 マートン 7
2 青木宣親 0
3 長野久義 11
4 宮本慎也 0
5 畠山和洋 11
6 ブラゼル 7
7 平野恵一 0
8 ハーパー 9
9 荒木雅博 1
10 渡辺直人 1

本塁打も打つ高打率の打者と、本塁打を捨てた高打率の打者が鮮明になっているのがわかる。

そして、内野の頭を超える打球になりやすいのは、低めの球だ。
上位球団で高打率の選手は、その安打のほとんどが低めから生まれている。

「投手は外角低めへのコントロールが生命線」
「低めへコントロールできない投手は、プロでメシを食っていけない」
こうした過去の常識は、前半戦については当たらなかった。

ストレートを低めにコントロールできる好投手ほど、本塁打を捨てた打者に徹底的に打たれていた。

元々、飛ばない球を使って優位を築いていたチーム、本塁打を捨て安打の確率を上げる方法を見抜いていたチームがここまでリードしている。
後半は追うチームの選手が「僕は低めをヒット」「僕はバットを改造して本塁打」というように対応し始める。
どのようにチームと個人の成績が遷移するか、大いにたのしみである。


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2011年7月26日 (火)

解決!コンポーネントを一時停止しています。

「コンポーネントを一時停止しています。」 解決編

まずは、キーワード"コンポーネントを一時停止しています"で状況を探る。
どうやら、同じ悩みを持つ人は自分だけではないようだ。

つづいて「ウィルスセキュリティZERO」のメーカーであるソースネクストのウェブサイトへ行く。
   ↓
総合サポート クリック
   ↓
ウィルスセキュリティ クリック
   ↓
キーワードから探すに "コンポーネントを一時停止しています" すると

該当なし

そ、それはないだろう・・
そうか。ウィルスセキュリティZEROユーザーの皆さんは、自己解決の志を持った人ばかりで、わざわざメーカーに泣きついたりしないのだろう。

よし、ここは自分も自分で当たりをつけて、解決への道を進もう。

右ペインにある"最新のインストールプログラムのダウンロード"をクリック
   ↓
→ダウンロード後の再インストール手順 を開いて読む
   ↓
シリアル番号を入力
*購入した時のパッケージに、製品シリアル番号の紙が入っている
   ↓
ファイルダウンロード クリック
   ↓
デスクトップに保存
ファイル名:VS_ns.exe

ここからは、パソコンでの作業。

デスクトップに保存したVS_ns.exe をダブルクリック
快投されて「VS」というフォルダーができる。
   ↓
RemovalToolというフォルダーを開く
   ↓
VSRemTool.exe を右クリック>管理者として実行
   ↓
ウィルスセキュリティを削除する クリック
   ↓
実行中・・・に変わってから ・・・
10分なんだか動いている気配がない
タスクマネージャーで見ると一応「実行中」
ウェブサイトに「2~3分」なのか「2~3時間」なのか、目安が書いてあるとよいのだが、あっさりと次画面の説明が書いてあるだけだ。
他のソフトを起動しようとしても立ち上がらない。
結局20分で諦めて、強制終了をかけた。

「コンポーネントを一時停止しています。」から
今度は「実行中・・・」か・・
思いの外手強いぞ、ウィルスセキュリティZERO

こうして、追い込まれる展開になればなるほど、自分の中で楽しくなっていった。
by 永里優季(所属クラブ:ポツダム/ドイツ)
女子サッカーW杯決勝後の談話より

なわけないだろっ

つづいて、考える。
Removal Toolは、つまるところアンインストール・ツールだろう。
ならば、コントロールパネルから既存のバージョンを削除するのも同じではないか。

コントロールパネルを開き「ウィルスセキュリティ」という名前のソフトをアンインストール。
途中でエントリー情報を保存しますか?と聞いてきたので「はい」で進める。
アンインストールは、拍子抜けするほどあっさりと1分で完了した。

つづいて、ダウンロードしたファイルにあった Setup.exeをダブルクリック。
これもわずか3分。その後の登録(ここでもシリアル番号の入力を求められた)まで含めても5分。
何事もなかったかのように終えた。
タスクトレイにあるウィルスセキュリティZEROのアイコンを右クリック、この製品についてをクリックすると、バージョンは 11.0 正常にバージョンアップができている。

問題を先送りすることでストレスを抱えていた、この3週間はもったいなかった。
案ずるより産むが易し。
信じて進むことが大切である。

Vvup

バージョンアップがうまくいった翌日から、起動する度に、このダイアログが出るようになった。果たしてこれは、いつ解消するのか・・・

THE 方法!PC

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2011年7月25日 (月)

地上アナログ放送→地デジ移行の歴史を振り返る

ただいまの時間をもって、地上アナログ放送は「砂嵐」となった。

地上アナログ放送は、地上テレビ塔経由のアナログ電波によるテレビ放送。
2011年7月24日に終了した。

これに伴い、いくつかのアナログ電波塔も役割を終えた。
東京タワーはFMや一部の地デジに使われるが、名古屋の名古屋TV塔は電波塔としての役割を終えた。
愛知県の地デジは、瀬戸デジタルタワー(瀬戸市 245m)から放送されている。
6月30日、名古屋市議会において、河村たかし市長は
「テレビ塔を取り壊すつもりはない」
「できたら名古屋市でなく、民間の人に買ってほしい」
と述べている。

■地デジ移行の歴史

2000年12月1日
BSデジタル放送開始。
地上波よりも3年早く始まった。

BSアナログも並行して放送される。
BSアナログ放送は、元祖"衛星放送" 通称BS。
NHK2波とWOWOWの3局。

2003年6月5日
家電メーカーのトップを切って、東芝が地上デジタル放送対応TVを発売。
この時点では受信方式が未定のため、10月以降に配布されるメモリーカードで受信用ソフトを書き込むという仕様だった。

2003年12月1日
地上デジタル放送開始。
移行期間はおよそ8年。

これ以前は「地上波デジタル放送」と"波"がはいっていたが、地デジ開始と共に"波"がとれて「地上デジタル放送」で呼称が統一された。

アナログからデジタル放送への移行期間は、英国では15年をみている。
それに比べて、日本の8年は短いため「絶対にやれっこない」と断言する人も少なくなかった。

開始日に放送されていたのは東京・大阪・名古屋のみ。
順次全国に拡大していった。
デジタル放送開始後も、アナログ放送がサイマル放送(同内容別ルート配信)で放送される。

2006年
全都道府県で地デジが始まった。

2007年
人工衛星BS-2が寿命を迎える。

2011年7月23日
Gコードの新聞テレビ欄掲載が終了。

Gコードはジェムスタージャパン社が付番していたテレビ番組のコード。
新聞のテレビ番組欄に掲載されていた。
これをビデオデッキ、DVDレコーダーに打ち込むと録画予約ができた。
それまでは、開始・終了時間とチャンネルを設定していた。
Gコードの登場により、録画したのに再生してみたら違うチャンネルを録画していた・・という失敗がなくなり、ありがたかった。

Gコードに替わるのは、地デジではEPG。
Electronic Program Guide
テレビ電波に乗って送られてくる電子番組表。

録画機の「番組表」機能でEPGが表示される。
ただし、EPGは番組の選択に手間取るうえに、番組情報の受信に時間がかかる。
Gコードの簡易さに追いつくのが待たれる。
また、1週間先までではなく、2週先まで予約ができるようになると、旅行の時にありがたい。

2011年7月24日正午
地上アナログ放送終了
画面には、放送終了のメッセージが出た。

2011年7月25日0時
アナログ放送の画面は砂嵐に変わった。BSアナログ放送も終了した。

東日本大震災の被災地、岩手、宮城、福島の3県はしばらくの間、地上アナログ放送がつづく。

7月25日の朝刊から、テレビ欄の並び順が替わった。かつてNETという名前だったテレビ朝日は、アナログ放送では10チャンネルだったが、デジタル放送では5チャンネルが割り振られた。

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2011年7月24日 (日)

コンポーネントを一時停止しています。

コンポーネントを一時停止しています。

もうこのダイアログと3週間くらい向き合っている。
そろそろ、下宿代を払ってもらいたいくらいだ。

コンポーネントを一時停止しています。
は、ソースネクストが出しているウィルス対策セキュリティソフト「ウィルスセキュリティZERO」のバージョンアップで出るメッセージ。

「ウィルスセキュリティZERO」の売り文句は
更新料無料!
一度買うと、あとはお金がかかりません。
というものだ。

ウィルス対策ソフトは欲しい。
でも、他のソフトは5,000円以上する。
そこに現れたこのソフトは、すぐに売上げナンバー1になったらしい(ソースネクストがそう宣伝している)
さてこのソフト、更新料は無料だが、アップグレードは有料。
どういうことかと言うと
「あなたがパソコンのOSを変えたら、その対応版は有料ですよ」
ということ。
VISTAを使っている場合、MicrosoftによるVISTAのサポートが終わるまでは、ウィルスセキュリティZEROも更新料がかからない。
Windows7にOSを変えた時は、その対応版へのアップグレードが有料と言うことだ。

2009年に購入した時は「ウイルスセキュリティZERO 3台まで使える新版」が3,220円だった。
2011年7月現在、Amazon では「ウイルスセキュリティZERO 3台まで使える新パッケージ版」が1,300円で売られていた。

ウイルスセキュリティZERO (3台まで使える新パッケージ版)

さて、話は「コンポーネントを一時停止しています。」に戻る。
ウィルスセキュリティZEROは 2011年6月8日より、Ver.10から11への"無償"バージョンアップが始まった。
ウチにも7月始め頃、その順番が回ってきた。
パソコンを起動するとすぐ、バージョンアップのダイアログが開く。
肯定的選択をしながら作業を進める。
すると「コンポーネントを一時停止しています。」というダイアログが出た。

しばらく待つ。
なにも変わらない。
5分ほど待ったが、何も起こらないので強制終了。
すると、バージョンアップの行程は終了できたのだが、他のソフトが起動しなくなり、Windowsのシャットダウンすらできなくなっている。
仕方なく、リセットスイッチで再起動する。
危うい。

そうして、来る日も来る日も
「コンポーネントを一時停止しています。」と向き合う。
ある日、その画面のまましばらく、パソコンを離れてみた。
しかし、2時間後に戻った時も「コンポーネントを一時停止しています。」画面に変化はなかった。

ソースネクストの「ウィルスセキュリティZERO」は他社ソフトに比べて安い。
しかし、メーカーから送られてくる無料ソフトのご案内メールは数が半端ではない。
そして一つでも申し込むと、今度はクーポンサイトから頻繁にクーポンのお薦めメールが届く。
それに対応する時間もバカにならない。

そして、今回の「コンポーネントを一時停止しています。」
いくらソフト代が安いとはいえ、自分の時給を考えたら、これでは割に合わない。
パソコンソフトは、ストレスなく動くものであって欲しい。

だからと言って「ウィルスセキュリティ0」に見切りをつけて、他社製品に乗り換えたとしても、その製品がストレス無く動くという保証はない。
3週間ほど「コンポーネントを一時停止しています。」と向き合った後、重い腰をあげて、解決に乗り出した。

つづき

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2011年7月23日 (土)

「思い」を披瀝して「議論を待つ」 えーかっこしーの人たち

ある日、政界から白羽の矢が立った僕は、ヤトーの党首に就任しました。

 

国会は希に見る迷走状態。
それもすべては、震災と原発が発端になっています。
早速、復興対策委員会で質問に立った僕はこう述べました。

 

がれきの処理にさらに公的資金をつぎこむ
二重ローンを救済する
被災地を国が買い上げる

 

次から次に被災地に手をさしのべるプランが出ては、見かけ上肯定されています。
しかし、それらは決定ではなく
「早急の議論を待つ」
「積極的な議論を待つ」
「慎重な議論を待つ」
ということばかり。

 

つまり、話し合いをしてみたら、どっちに転ぶかわからないけど
"僕はどーんと救済しようと思ってるからね、きみぃ"
と言っているに過ぎないのです。

 

なにかにつけて「議論を待ちたい」という人のことを僕は
「えーかっこしー」
と呼ぶことにしています。

 

(ひっこめー) とよぶ声あり

 

ヨトーの党首
大学教授
報道番組のニュースキャスター

 

みんな、口を揃えて
「議論を待つ」
「議論を待って」
「議論を待ちたい」

 

民間の会社でも「議論」と「プロセス」を口にする人に、ろくな人は居ません。
それは、えーかっこだけして、ものごとの終わりを見届ける気のない人の言葉遊びに過ぎないんです。

 

さて、数々の被災者に"寄り添った"復興案。
その財源といえば公的予算。公的予算と言うのは、すべて日本国民が払う税金です。

 

いま、財源確保のために期間限定で増税するという案でいこうと、世論が収れんされつつあります。
「消費税でとると被災者にも痛みが及ぶから、所得税と法人税でとりましょう」
という"議論"をしようという方もおられるようです。

 

これはどういうことかというと、低所得者と赤字の企業は税金払いませんから、そういう人すなわち被災地の人から取るのはやめましょうということです。

 

(日本版ノブレスオブリージュかっ)とよぶ声あり

 

仮にそういう法案が通ったとします。
全国の税金を納めているサラリーマンと事業者が、東北のためにお金を払うわけです。

 

では、そこに東海で大震災が起きたとします。
今度は東海の人も、税金が払えなくなります。
東北の人だって、まだ余力は戻っていないでしょう。

 

だんだんと、負担を支えている人の比率が減り、その人たちの暮らし向きも悪くなっていく。
さぁそこに、関東でも大震災が起きました。

 

つづいて、関西、九州・・・

 

今、被災者に"寄り沿った"立場を公にして、次々に支援策を唱えて、議論を待つ皆さん。
なぜ今なのですか?
神戸の震災の時には、どうして言わなかったのですか?
新潟中越の時は、なぜ言わなかったのですか?

 

百歩譲って「過去に言わなかったけれど、歴史に学んだから、今言うのだ」ということを[OK]するならば、あなた方は、同じことを東海、関東・・全国の震災が起きる度に言い続けなければならないんです。
できますか?

 

「思い」を披瀝して「議論」を待って、えーかっこ。
いつまでも、そんなことは通用しません。

 

そこで、まず「地震」と「原発」の復興を切り離しましょう。

 

これまでも、そしてこれからも続くであろう「地震」への対応
今回初めて起きて、これから先のことは我々の手に委ねられている「原発」の対応

 

我々、立法府はすべての日本国民に平等となる法律をつくらなければならないのです。

 

3月に起きた2つの災害は、確かに未曾有のことかも知れません。
誰もが想定外だったでしょう。
しかし、こんなことは、もうたくさんというわけではなく、
こんなことがこれから始まるのです。

 

しらべる

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2011年7月22日 (金)

新しい航海

マラソンを始めて6年
出場6回めのレース
今回は何も後悔が残らないレースとなった。十分な練習をして、持てる力を残らず出し切った。そして、いくつかの新しい発見があった。

●マラソンは中止になることがある。
去年まで、青梅や荒川が中止になるのを横目で見ていた。
長い間、準備をしてきてレースが中止になるなんて。
参加者の皆さんは、どれだけ落胆しているだろう。
想像してみたが、その気持ちはわからない。

そして、今年は自分がそれを体験する番になった。
来年からは、予備のレースを視野に入れておこう。
今回は"自粛ムード"という番外の要因であり、中止が早めにわかったことで代替大会を見つけることができた。
だが、通常マラソンが中止になる理由は"荒天"であり、わかるのは前日か当日。
中止になってから代替大会を探しても、次のシーズンになってしまう。

Sakura 中止になった佐倉から送られて来た

●マラソン・レース中のマメを克服した。
対策は、指に合わせてセラポアテープを立体裁断して貼るだけというシンプルなもの。
こんなにうまくいくのならば、もっと早くやればよかった。

6度目の正直なるか?今度こそマラソンのマメ対策

●ニュートンは今回限り
フォアフットに突起がある特殊な靴、ニュートン。
ニュートンでマラソンを走ってみて、それがタイムアップにつながったとは思えない。
かと言って、決してタイムが落ちるわけではない。
自分が、ニュートンと契約していて、ふんだんに靴を供給されるプロ選手だったら、この次もニュートンで走るかも知れない。
だが、そうではないので、次はまたソーティスーパーマジックに戻す。

●フラット+常歩走法
NSVA主催 宇佐美彰朗のランニング・クリニック」の受講に端を発して始めたフラット歩法、そしてフラット走法。
これに「常歩走法」を組み合わせた走り方を、次のシーズンではさらに体に覚え込ませたい。
慎重にニュートンに慣れていく

Kaga GPSのデータ

14+3週の練習、これまでで最も厳しいコース
今回は思い出深い大会となった。
この大会の成果は、30km過ぎからの粘りに尽きる。
自分の力を信じて、がんばり抜けたことが大きな財産となった。

妄想の世界の住人となり、ものごとを悪く考えるのをやめる。
想像力をいいことだけに振り向ける研究をしよう。
誰かがそれを教えてくれるだろうか。
意外な人が、その答えを知っているかも知れない。

Koku

 おわり


震災→中止→日本海へ

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2011年7月21日 (木)

もうすぐ2012年

2011年も半分が過ぎた。
時が過ぎるのは早いものだ。
あと5ヶ月寝れば2012年。
噂の2012年だ。

いつもココロの片隅にある。
2012年はどんな年になるのか。
2013年1月は、どんな世界が目の前に広がっているのか。

日々、研究に余念がない。
研究したからと言って、答えがわかるわけではない。
だって、未来はまだきていないんだもん。
と江木俊夫風にけつをまくったところで
ある十五夜の晩、僕はベランダに出た。

おぉなぜだか、首には日本人観光客のようにカメラをぶら下げているぞ。
研究はしているのだが、この一眼レフってやつは未だによくわからない。
夜だから夜景モードにすれば、なんとかなるだろう。

Yakei1

22時58分3秒
おぉ、映った
シャッター速度が遅かったな

ぶれて余計な光が映っちゃったぜ
次は、もうちょっと脇を締めよう

Yakei4

22時58分48秒
2枚飛ばして、これは4枚目
肉眼ではほぼ真っ暗なのだが、さすがに一眼レフ
漆黒の闇のヨゾラに濃淡を捕らえているぞ

Yakei5

22時59分34秒
46秒後、5枚目のシャッター
ビルの地平線には雲も映っている。
よし、月もぶれていないぞ
上出来の1枚だ。

Yakei6

22時59分44秒
10秒後、6枚目のシャッター
うん、きちんと撮れている

結局、シャッターは8回切ったが、何枚撮っても夜空は代わり映えがしないので、そこで観測はおしまい。
部屋に戻ってアイスでも食べよう。
明日からまた、時々、思い出しては研究していこう。
未来はもうそこまで来ている。

2012年

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2011年7月20日 (水)

帰りの飛行機が満席の理由

小松空港は昨日着いた時よりも賑わっていた。だが、旅マラソン・ランナーらしき人はみかけない。
目を付けておいた売店で松葉屋の「月よみ山路」を買う。
事前に小松駅、加賀温泉駅でも売っていることを確認していたが、結局見かけたのはこの売店だけだった。

 

1本630円
栗蒸し羊羹
蒸してある分、栗羊羹よりもさらにもっちりしている。
お土産用に多めに買っておいたが、自分で2本食べた。

Tsukiyomi

この時、手袋がないことに気づく。
1997年ナイキショップに日参していた頃、少しでも店員に顔を売ろうと思って買ったもの。ずっと大切に使ってきた。
小松駅、小松バス、小松空港
後日問い合わせたが、出てこなかった。
今も心残りだ。

125048

「ハサミとか持っていませんよね?」
手荷物検査員が尋ねる。
はい!堂々と答えたが、X線カメラにしっかりハサミが映っていた。
そうか、テーピング用のハサミだ。
「機内では出さないでくださいね」
そりゃそうだろね

 

機内は満席。
金沢って人気なんだなぁ・・
そう思っていると、機長の挨拶で謎が解けた。
「本日は久しぶりにたくさんのご予約をいただきました」
なんて実直な機長さん!
そう。この時、震災から1ヶ月。
日本中が自粛ムードで観光地には閑古鳥が鳴いていたのだ。

 

3人掛けの真ん中。いつもならば、両脇から肘掛けを使われてストレスが溜まるところだが、今日は両脇共に20代と思われる女性。2人ともこちら側の肘掛けを使わない。

 

中谷彰宏の著書「超一流の仕事術」には次のように書いてある。
「ひじかけは通路側を使うのがマナー
 ただし、真ん中の人は両方使ってよい」
この二人は、そのマナーを把握しているのか?だとしたらスゴイ
日本も捨てたもんじゃない。
しかし、両脇の肘掛けを使うのは気が引けて、結局両方使わずに小さくなっていた。

 

肘掛けは誰のもの?

 

ハイタッチ数 20人
走りながら撮った写真 0枚
ゴールまでに聴いた音楽 75曲
食べ物をいただいた私設エイド 0人
路上に捨てたゴミ 5

 

これは、去年のレース「長野マラソン2010」のデータ
今年の「全国健勝マラソン日本海大会」は

 

ハイタッチ数 1人
走りながら撮った写真 0枚
ゴールまでに聴いた音楽 68曲
食べ物をいただいた私設エイド 0人
路上に捨てたゴミ 0

 

 

 よく頑張ったなぁ
 上りで歩きたくなった時、自己ベストは危ういかと思った
 なんとかぎりぎり
 自分に顔が立った
 コースによって、結果が全然違うと知った
 祭りの後の寂しさがある

震災→中止→日本海へ

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2011年7月19日 (火)

小松の親分さん

マイクロバスには、まだ3人しか乗っていない。
恐らく、定員いっぱいになるのを待って発車するのだろう。
京ぽんを出して、早速マラソンの感想メモを打ち込んでいく。
さすがに走りながらメモをとるわけにはいかない。
走り終えた後すぐに取るメモは、後でブログを書く時に、脳から記憶を取り出すインデックスとなる。

タイトル:またやってしまいました

自己ベストこれは誇っていい
ほんと歩きたくなった。30くらいの登り
表にない高低差次々に
目の前に集中しよう思ったら表がなくなっていた
逆算表もしまう
ジョージアあって嬉しい自販機必要
おじさんハーフ折り返し?最後おいかけた。握手
更衣室三人
遠くの山に雪気づかなかった
海見えたのは最後右折一瞬
柔流真っ白 筋肉痛ない
あれだけ出た右ふくらはぎ痛出ず
ハイタッチ少年と 感動すると筋肉けいれんしそうになる
最後の3キロずっと恐怖だったけどたいしたことなかった
お帰りなさいで油断思いの外上り長い
トラック一周必死
自己ベストかえらい違い必死
憧れのトラック一周楽しめず
すぐ退出トラック大の字できず
椅子座りおじさんまた来てください。。

忘れないうちにと、メモに没頭していたこの時
この大会が 感動のフィナーレを迎えていることを知らなかった。

表彰式の後、会場から送迎バスまでの間に大会関係者が並び、歓声で見送ってくれるのだ。
後にそれを知り、いたくがっかりした。
がつがつとバスに急ぐから、大きな感動の財産を刻み損なったじゃないか。

これからもマラソンの旅はつづく。
一つでも多くの大会をこの目で見たい。
一通り春マラソンを走ったら、いくつかの大会をリピートする。
「お見送り」を受けるために、ここにはもう一度帰ってこなければならない。

加賀温泉駅で目をつけておいた鯖寿司を買い求める。
JR電車にランナーの姿はなく、湯治客と金沢に遊びに行くのか高校生が占めていた。

「ボタンおさなきゃ」 途中の駅では高校生どうしでつっこんでいる。ドアの開閉を乗客がおこなうこの仕組みは、まだ導入から日が浅いのだろうか。

Dsc06625 ホームからも見える観音像

小松駅でロッカーに入れておいた旅の荷物をピックアップ。
二年連続の旅マラソン。手順は手慣れている。

Dsc06610 新幹線を待つ小松駅

小松駅から小松空港へ向かうバス。
通り過ぎる小松の町並みを見ながら、そういえばツーステップで♪小松のおやぶんさん♪をやるのを忘れていたと思い出した。

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2011年7月18日 (月)

ピザポテト明太マヨ味を今頃になって、評論する。

2011年2月、ピザポテトの明太マヨ味が期間限定で発売される。
しらべるの読者の方から事前に発売情報をいただいた。

さっそく発売日の夕方、駅前のファミマへ。
「明太マヨ」の札がついた列が空っぽになっている。
つづいてセブンイレブン。
ここは、棚すらない。

まずいぞ。はやる気持ちで最寄りのローソンへ。
いつも限定品の菓子が置いてあるエンドには、ぽっかりと空間ができている。
しまった、既にピザポテトファンに買い占められたか・・・
ところが、それは早合点。
ローソンは新製品を入れ替える曜日が決まっていて、それは「明太マヨ」待ちの空間だったのだ。

翌日にはふんだんに並んだ明太マヨを、あちこちの店で買う。
限定品はあるうちに押さえる。
コレクターの悪いクセが出た。
帰宅する頃には、明太マヨを5袋抱えていた。

Pizza1

しかし、5袋には理由がある。
時はちょうどマラソン準備中。
カロリーが高いピザポテトを含め、スナック菓子を断っている。
マラソンが終わり、初めて食べる頃には、限定期間が過ぎてもう買えなくなっているだろう。
食べてみて美味しいことがわかっても、もう買えないというのは悔しい。
そのための買い置きである。

さてマラソンも終わり、晴れて明太マヨの開封式。
ここは、やはり来賓として「ピザポテト」様にもお越し頂いた。
ピザポテトファンのサトウさん、スズキさんも来ている。

Pizza2

写真では右手の明太マヨの方がチーズがたくさん乗っているが、袋全体をみると、明太マヨのほうがチーズの乗りが悪い。

1枚ごとにチーズの乗りに大きな差異があるのが、ピザポテトの特徴ではあるが、明太マヨの方は"チーズあり"の比率が低いとみた。

「明太の分、チーズけちりましたね」
スポンサーはついていないので、遠慮無くスズキさんが言う。

Pizza3

「明太の味する?」とサトウさん。
「うーん、言われなかったらしないかも」
どうやら、明太の味が薄いようだ。
刺激の強いスナック菓子になれた現代人には、ちょっとパンチが弱い。
結局、スズキさんとサトウさんに集中的にピザポテトを食べられてしまい、明太マヨ係を引き受けることになった。

明太マヨは、メジャーなコンビニからは姿を消した後、6月末にはローソン100で「期間限定100円」で販売されていた。
来年以降、明太を強化しての捲土重来を期待したい。

ちなみに、7月発売「赤いピザポテトディアボロ風」は、味が濃くて、チーズ量も申し分なし。
とても満足した。

Pizza

ピザポテトの歴史

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2011年7月17日 (日)

20番を追ってきた男

「ハーフ何分で折り返しました?」
声の主は、少し年上風の男性ランナーサトウさんだ。

2時間7分です
「あぁやっぱりね。僕は2時間だったんだけど。ちょっと前半飛ばしてしまって。
最後はその20番を必死に追っかけていたんだけど、追いつけんかった」

マラソンを終えて、人から話しかけられたのはこれで二度め。
一度めは 第1回湘南国際の時。
「それ、デコのサインですか?」
背中の20番に書かれたサインを見て、声をかけてくれたのは、僕と同様DNFでバスに収容された仲間だった。

失格者の烙印

アップダウンきついですよね~
「けっこう後半、足にくるね~」
サトウさんとはしばし、コース談義を交わした後、
また、次がんばりましょう!
次回レースの健闘を誓い、握手して別れた。

時はまだ4月、体育館の中に入ると、中はひんやりとしている。
更衣室にいたのは3人。
それも僕が着換えているうちにいなくなった。
とにかく、どこに行っても混んでいるということがない。

「レース直後」と名前を付けてあるパックに、レースウェアをたたんで仕舞う。下着の「CW-X柔流」は塩分で真っ白になっていた。

受付でもらったパックを開封する。
おにぎり引換券、お楽しみ抽選券を発見。そういえば、抽選券の締切が間もなくだと放送が聞こえていた。抽選が終わるまで待つより、先を急ぎたいので、そのままパックに仕舞う。

去年は隣りにいたおばさんに思い切り、エアサロンパスを吸わせてしまったが、今年は誰に気兼ねすることもなく"しゅーしゅー"と吹きまくる。

レース中あれだけきつかったというのに、不思議なほど筋肉痛がない。
部屋中がサロンパスで充満したところに後続のランナーが帰ってきた。
いかがですか、明日が楽ですよ。
久光製薬の社員に成り代わり、彼にサロンパスを勧める。
遠慮がちに"しゅー"と吹いた程度で、ありがとうございますと缶が戻ってきた。

荷物をまとめて更衣室を出ると、体育館では表彰式の後、抽選会が始まっていた。
しばらく入口から、中の様子を眺める。
一等は温泉宿泊券。
地元ランナーには嬉しいご褒美になっただろう。

Dsc06620

マラソン大会では、シャトルバスは混むものと相場が決まっている。まだ抽選会が続いているうちに、その場を離れて先を急ぐ。

体育館を出ると空はいい天気。
炊き出しのテントから、おばちゃんの声がかかる
「おにぎり、もってって。引換券は出さなくていいよ。ほら」

マラソン後のおにぎりは、いつも楽しみ。これが二度め。
マラソン大会主催者の皆さんには、ぜひゴール後はバナナではなく、おにぎりを振る舞ってもらいたい。

一つ受け取ると、余りぎみなのだろうか、お土産、お土産と2つ手渡そうとするのをやんわりお断りする。
駅か空港で食べるつもりだったが、なにせ、レース中30分に一回摂っていたショッツの効果は抜群。
120kcal×6=720kcal
満腹感があって、とても何か食べたいと思わない。
これはひょっとして太ったかなと思ったが、帰宅して体重を計ると2kg減っていた。
おにぎりは家まで持って帰って、夕飯になった。

Onigiri

運動公園の出口には、ちょうどマイクロバスが停車していた。
この時はこれがピストン輸送中だと思っていて、すかさず乗り込んだ。

これが、この大会唯一の後悔を生んでしまう。

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2011年7月16日 (土)

ペースメーカーとの会話

ゴールラインを2歩過ぎたところで、時計を止める。
自己ベストという最低限の目標を守った。
ガッツポーズは心の中だけにした。

ゴールしたランナーはすぐに順路に沿って、競技場の外へと誘導される。
去年の長野のように、場内でしばし余韻に浸ることはできなかった。

上り階段でつんのめってこけた。
正面には給水テントが待ちかまえている。
今日初めてのスポーツドリンクだ。
椅子が3つ出してあったので、どっかと腰を下ろす。

ぎつかっだ~

公衆の面前で大声を出してはいけないと躾けられてきたが、ここは42kmを走ってきたランナーの甘えだ。
笑顔で見守るテントのおじちゃん、おばちゃんが言う。
「いいところでしょ?また来てくださいね」

そうですよね。走りやすいし、もっとたくさんの人が来ればいいのにですね。
おじちゃんによると、特にランナーの定員は設けられていないが、いつもこれくらい(400人弱)の参加者にとどまるらしい。

大会談義に花を咲かせていると、隣の椅子に1人の女性が座った。
そのグレーのシャツに見覚えがある。
折り返しまでペースメーカーにしていたスズキさんだ。

ずっとペースメーカーにさせてもらってました。
へぇそうなんですか
きつかったですね。
そうですね
聞くと、スズキさんも東京からの参加らしい。
もしかしたら、僕と同様にお目当ての大会が中止になったのかも知れないが、あまり詮索するのは不作法なので、それ以上は聞かなかった。

ありがとうございました
スズキさんが立ち去った後、スポーツドリンク2杯めのお代わりを飲み干し、礼を言って立ち上がる。

そこで、思い出した。
そうだ。ウエストポーチには500円玉が入っているんだ。
4年前のかすみがうらマラソン以来、走る時はいつもポーチに500円玉を1枚いれている。
かと言ってレース中に買い食い(飲み)したことはない。

今回はこれで買いたいものがあるぞ。
スポーツセンターの入口にコカコーラの赤い自販機が見えている。
果たしてアレはあるだろうか?

ジョージアヨーロピアンコクの微糖
きつい練習をした日は、ナチュロで買い求めて一気飲みしていた缶コーヒーだ。

あった!
節電の観点からみて、確かに世に自販機は多すぎるが、他に店がないこういう場所では、自販機が必要だ。

今度は自販機前のデッキチェアに陣取り、ぐいっと飲み干す。
やはり美味い。
のどごしの苦さは、いつも以上だ。

ヘッドホンからは、セットリストの最終曲「In this country」Robin zander が流れてきた。
かつてF1中継(CX)のエンディングで使われていた曲。

人知れずナルシストになる。
コースアウトして悔しがるアラン・プロストの気分になっていると、背後から声がした。

震災→中止→日本海へ

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2011年7月15日 (金)

競技場へゴール 自己ベストへ最後の難関

41-42km
あと1kmの看板を過ぎた。
安堵、感慨、なにも交錯しない。自己ベストを出せるか、その不安が支配している。

 

ゆず「栄光の架け橋」
♪決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んできた道だ♪
ゴールまであと数分。これはいい選曲だった。

 

ここで、右手にカメラマンがいた。
All spotsのカメラマン?
お約束の「もうすぐ撮影ポイント」の看板はなかったぞ。

 

いつもならば、周囲からぽっかり空いたスペースに走り込んでピンで映る絵作りをするところだが、あたりには誰も走っていない・・
後から見た写真にも確かに周囲には一人もランナーが映っていない。
過去6大会で、フレームに他の誰も映っていない写真というのは初めてだ。

 

心に余裕はある。二年連続、今年もにこにこ笑顔で映る。
カメラ目線をするのだけはやめておいた。

 

結局この時のカメラマンは業者ではなかった。
All sportsの撮影ポイントは、スタート直後の「中央公園口」交差点、ラストの競技場への上り、フィニッシュラインの3カ所だった。

 

Dsc06604 交差点を右折

 

待望の「中央公園口」の信号を右折。
競技場へと駆け上っていく。
マラソンランナーにとって競技場への接続路は、最高の晴れ舞台だ。
中央分離帯で分けられた左側を通行。
歩道で待っていた女性が「お帰りなさい!」と声をかけてくれる。
嬉しい
その一言が身にしみる。

 

終わったな・・

 

Dsc06603 

 

つい、ほっとしてまった。
これがいけなかった。
思いの外、上り坂が長かったのだ。
上っても上っても競技場が見えてこない。焦った。
まさか、ここで歩いてしまうのか
ここで、必死の「打ち出の小づち走法
一生懸命に拳を小づちのように振る。
長い上りのため、この1kmは7分6秒かかった。

 

Dsc06601 

 

必死の思いで上り終えて、右に曲がるとすぐ競技場。
ここには再び、大勢の観衆がいて声援を飛ばしてくれる。
「頑張れ~」「ラスト~」
トラックで競り合う相手はいない。
少しでも距離を節約しようと最も内側を走る。
残り半周
内側の縁の段差に足がぶつかり転びそうになった。

 

あぶないっ

 

必死で態勢をたてなおす。
3,990円を投資したブレスレット「パワーバランス」が、ここで少し役だっただろうか。
転んでいたら、自己ベストが危ういところだ。
冷や汗を心にかきながら、慎重にダッシュに戻る。

 

憧れの競技場ゴール。歓声のなかのトラック一周。だが、残念ながら楽しんでいる余裕はない。

 

42-ゴール
最後の直線。必死に腕を振る。
たぶん自己ベストは大丈夫なはず。
ゴールラインの右手にあるデジタル時計でタイムを確認する。大丈夫だ。

 

時計をにらんだ目が必死。口が半分開いている。左手には給水グリップが握られている。蹴りは弱いものの、一本の線の上を走っている。
右手で大会関係者が笑顔で拍手している・・・
all sportsがゴールライン上で撮ってくれた写真。
今、額に納まっている。
今回も長野につづいて、2L版を2カット購入した。

 

震災→中止→日本海へ

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2011年7月14日 (木)

まぜるな!

あなたは混ぜるのが好きですか?

大勢で食事に出かけた時のことだ。
注文したサラダに具材がトッピングされている。
それを、予告もなくいきなり混ぜ始めるサトウさん。
混ぜ終えて
「さぁどうぞ」
あぁ、一日一善
いいことした~
と顔に書いてある。

今日は3ヶ月やってきたプロジェクトの最終回。
ブレインストーミングから始めて、そこで出た案を一つ一つ検討してきた。
そしていよいよ答申がまとまったという時だ。
それまで、ほとんど居るかいないかもわからなかったカトウさん
すっくと立って一言いった。
「費用対効果が気になるねぇ」
議論は、振り出しに戻る。

夏になると一斉にカップやきそばが発売される。
冬はラーメン、夏はやきそばが売れるからだ。
3分待って、お湯を捨て、液体ソースをかける。
その時、いきなり箸で混ぜ始めるスズキさん。
「ソースの色が全面均一化するまでは食べてはいけない」
と躾けられたのだろう。

お昼ごはんどき、同僚たちが思い思いに買ってきた食事やお弁当を囲む。
その一人、セトさんはいつもマイカップ持参。
それも陶器
給湯器からお湯を汲んできて、自前のインスタントコーヒーを作る。
コーヒーを入れ終えて、さぁ飲むのかと思ったら、そこから彼の儀式が始まる。

ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

10m先から聴いてもわかると言われたのはQUEENだが、セトさんの儀式は20m離れていてもそれとわかる。
カップの底にさじを付けて回すから、あぁいう轟音が出る。
いい加減、瀬戸物削れてるんじゃないか?

まぜるな!
という言葉は嫌いだ。
品がない
だから口には出さない。

僕は混ぜない。
トッピングが乗っているところ、そうではないところ。
完璧とは言えないまでも、みんなでようやくまとめた成案。
ソースがかかっていて黒いところ、白いところ。
混ぜないほうがいい。

ただ、セトさんのごりごりはいい加減、周囲にいらだちが募ってきた。
今に誰かが「まぜるな!」と言うかも知れない。
でも、言われるまではきっと混ぜ続けるだろうし、混ぜるなと言われれば「混ぜることのどこが悪い?」と言い返すかも知れない。


しらべる

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2011年7月13日 (水)

後の暮らしを支えることになる、終盤の粘り

37-38km
全国健勝マラソン日本海大会のコースはワンウェイ折り返し。
同様なレイアウトは、過去に2度経験がある。
ただしその2回、荒川(現・板橋City)と湘南がほぼ一直線だったのに対して、ここのコース取りは複雑。
行きと帰りは同じ道を走っているのだが、向きが逆だとまったく違うコースに見えた。
あとで振り返ればそれは新鮮と言えるが、走っている時は先が見えず不安だった。

あと5kmの看板が見えた。
この大会の距離教示は5kmごと。最後だけはあと5km、3km、2km、1kmの看板がある。
ここからは、数字が減るのが楽しみだ。

38-39km
相変わらず、周囲には誰も走っていない。
山間を抜ける下り坂は日影になっていて涼しい。
まだまだ足は残っている。
ここ数ヶ月、走る度に右ふくらはぎが痛くなっていたのだが、今日は一度も痛みが出ない。
僕の足よ、君らはなんというやつだ。
下り坂に助けられて、このラップは6分30秒。
自己ベスト更新成るか?
はらはらドキドキのレースが続いているが、エネルギーの使い残しがないよう目の前の走りに集中できている。

去年の長野で、ゴールまでイーブンペースで走りきった自信が支えている。
今年はさらに上の練習をしてきた。
ここに来て、不測の"失速"という文字は頭の中にない。
マラソンは走る度、不安が1つずつ消えていく。
今となっては、その不安も楽しかったと言えるが、やはり、ランナーとしては「いい走り」ができるようになっていくことが嬉しい。

39-40km
いよいよ、ずっと恐れていた残り3kmにさしかかる。
ここでまた、失速を食らえば自己ベストの目が消えてしまう。
ところが、思っていたほど上り坂一辺倒というわけではなかった。
スタート前に見た高低差図のイメージが、強く焼き付いていただけだったのだ。

3741

Mr.childrenの「GIFT」
この曲はゴールした後に聞こうという願いをこめて、この時間帯に入れた曲。
だが、目の前にあるのは「あと3km」の看板。
目標に対して3km届かなかったんだな…
この時、後ろから僕の背番号「20」を必死に追っていた人が居た。
もちろん、見ず知らずのその人のことを僕が知るはずもない。

40-41km
遠くにパトカーが停まっている。
交通規制をする警察官が見えてきた。
ランナーが通る度に、交差する道路のクルマを停めているのだ。
コースを沿道の人が横切るのは見たことがあるが、クルマを通すのは初めて見た。ランナーが少ない大会ならでは。
クルマを停めてくれた警察官に会釈して、交差点を突き抜ける。

ついさっきまで、永遠かと思われた苦しさ。
しかし、もう競技場が近づいている。嘘のようだ。

♪見たことのない場所へ くねくね道を進め♪
「ただいま」大貫亜美
1997年テレビアニメ「はれときどきぶた」エンディングテーマ。
懐かしく軽快な曲が少しゴールへ背中を押してくれた。

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2011年7月12日 (火)

日清悲願の「カップライス」第三世代 「カップヌードルごはん」

かつて、カップライスという商品があった。
発売はカップヌードルの発売から4年後の1975年。
チキンラーメン、カップヌードルを世に出した日清食品創業者の安藤百福が、政府から余剰米の消化をもちかけられて商品化。
チキンライスドライカレー、エビピラフから赤飯に至るまで7種類が発売された。

世界初の即席麺「チキンラーメン」
世界初のカップ麺「カップヌードル」
これら歴史的商品を世に出した日清食品だが、当時、袋麺・カップ麺は各社の参入により安売り合戦となり、薄利多売となっていた。
安藤百福はカップライスを、カップヌードルに取って代わる主力商品と目論んでいた。

1981年頃、一時的に再販されていたカップライスを食べた。
福岡のスーパーでみかけたのはドライカレー、エビピラフの2種類。
お湯を注いだかと思うとすぐに捨てる。そのまま3分ほど米が蒸れるのを待つと出来上がり。
カップライスは美味かった。
特にドライカレーは洋食店で食べるそれと同等の味。ざらざらと舌にまとわりつくカレー粉の食感を今も覚えている。

ただし、高かった。
100円で買えるカップヌードルに対して、カップライスは160円~200円。
販売は不振を極め、1975年の発売直後に撤退を余儀なくされた。
単品損益で大幅な赤字になったこともさることながら、市場を読み違えたカップライスの失敗は、安藤百福にとって大きな心の痛手となった。

カップライス撤退の翌1976年、後のロングセラーとなる「UFO」「どん兵衛」が安藤百福の次男、安藤宏基によって世に出ている。

カップライス撤退から34年後、創業者安藤百福が亡くなった2年後、日清の悲願とも言える「カップライス」二代目が発売される。

2009年3月
GoFan(ゴーハン)
五目チャーハン
シーフードパエリア
スパイシージャンバラヤ

初代カップライスと違うのは、電子レンジを使うところ。
ごはんを温めるのではなく、炊くという視点に切り替えた。
水を入れて、電子レンジで5分待つと出来上がり。
この商品はヒットには至っていないが、2011年現在も販売をつづけている。

そして、2010年夏には三代目「カップライス」と言える「カップヌードルごはん」を近畿でテスト発売。
その販売好調を受けて、2011年7月25日、間もなく全国販売が始まる。
調理方法はGoFanと同じく、電子レンジ調理。
価格は258円になると推定する。

Gohan

創業者の安藤百福がなし得なかった「カップライス」の成功。
いよいよ、その時が近い予感が漂う。
出たらスグ試さなければならない。

ラーメンの歴史

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2011年7月11日 (月)

今はまだ道の上にいて、未来を変えることができる。

34-35km
音楽のセットリストが一巡した。
ここからは、特に勇気づけられる曲をもう一度入れた「リプライズ・タイム」
だが、マラソンお気に入りの
「星の下路の上」佐野元春
「キセキ」GREEEEN
も耳に届かない。

あぁ、歩きたい。
いや、歩くのだけはダメだ。
歩けば目標タイムどころか、自己ベストの目が無くなる。
3大会つづけてきた"歩かずに完走"が途絶えるのは、これから先の日常生活にダメージが大きすぎる。

走りつづけていればチャンスがある。
歩いたら、そこで可能性はなくなる。挑戦は終わりだ。
ここを乗り越えることにより、次のマラソンまでの1年、自信を持って生きられるのだ。

もしも、ここで足を止めてしまっていたら…
考えたこともないが、考えるとぞっとする。
ラップタイムは6分台に戻った。

海陸風は海と陸の温度差で吹く風。昼は海から陸へ。夜はその反対に吹く。この時、海からの風が少しは後押ししてくれたのかも知れない。

35course

35-36km
「サクラ咲け」嵐
♪振り向くな後ろには明日はない 前へ前へ♪
その歌詞に励まされる。
「前」という言葉はランナーにエネルギーを注入する。
上り坂は無理をするな。
歩かなければそれでいい。
上りは休憩だと思え!そう自分を励ます。

走りながら、ずっと恐れていることがある。
それは、ラスト3kmが上りということ。
レース序盤まで見ていた高低差図によれば、最初の3kmはなだらかな下り。
ということは、1ウェイ折り返しのこのコースの場合、ラスト3kmが上りと言うことになる。
そこまでに、貯金をしておかなければ。
それは、とてつもない重さで心にのしかかっていた。

3437

36-37km
コースが下りに変わる。
その勢いをもらって駆け下りる。
どんな力でも借りる。
できれば、この下りが永遠に続いて欲しい。
この日のために、下りでも強く走れるよう高低差走をこなしてきたのだ。
高低差がある場所は、山側がひさしになり、日が翳る。
体をすり抜けていく風が心地よい。

下った後、コーナーを抜けた先に待っているのは上りか、下りか?
できればその先も平坦であって欲しい。
上りで休んだ分、下りはがんばりどころだ!

二度めの「fanfare」Mr.children
♪悔やんだって後の祭り もう昨日に手を振ろう♪
そうだ。その通りなんだ。
これから先の暮らしで、自己ベストをクリアできなかったことを悔やみ続けるわけにはいかない。
頑張るのは、今この時。
今はまだ道の上にいて、未来を変えることができる。

ここでのがんばりは、このレースを終えた後ずっと、自信というカタチで心を支配している。

震災→中止→日本海へ

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2011年7月10日 (日)

第6回札幌・豊平川市民マラソン

皆さん、毎日暑いですね。
7月9日の東京は容赦ない日射し。
"日射し"というより"日刺し"と書きたいくらいの暑さでした。
こういうのを殺人的な暑さというのでしょう。

こんな暑い日は、外を歩くだけでも頭痛がしてきます。
できるだけ屋外活動は避けて、家でゆっくりしたいと思いますよね。

そんな暑さのなか、東京の街には至るところでランナーを見かけます。
こんな暑い中を走らなくても・・
と思うのですが、天候に関係なく走ることが好きな人、習慣になっている人は現実にいるのです。

あなたは、この暑さの中、外を走りたいと思いますか?
大半の人は「いいえ」と言うでしょう。
ところが、こんな季節に「マラソン」が開催されているのです。

陸上には「シーズン」というのがあって、9月から4月がマラソンシーズン。
5月から8月がトラックシーズンです。

気温が高い夏は長距離レースには向かないため、5月~8月に開催されるマラソンはほとんどありません。
ただし、例外が北海道。

・オフシーズンのマラソン ( )は制限時間
5月 北海道洞爺湖マラソン (5時間)
6月 六無月東京喜多(北)マラソン (6時間)
7月 札幌・豊平川市民マラソン (7時間)
8月 北海道マラソン (5時間)

オフシーズンに開催される4大会のうち、3大会が北海道開催です。

2011年7月10日(日)開催
第6回札幌・豊平川市民マラソン
定員:1200人
参加料:5,000円(前回より1000円アップ)
そのうち100円を東日本大震災の義援金に充てると事前告知している。

このマラソンは、豊平川河川敷の右岸・左岸を走るということもあって、制限時間はゆったりと7時間。
北海道札幌市で開催されるど素人御用達のマラソン。

予報ではスタート時刻10時の天候はくもり、湿度はおよそ90%。
去年の大会が気温21度のなかで行われているので、東京のように30度超えということはないでしょうが、それでも十二分に過酷な条件です。

この大会に、ランニング仲間のタナカさんが出場すると知らせがありました。
タナカさんは走歴は長いのですが、これまでのレース経験は最長でもハーフマラソン止まり。
マラソンは初出場。

よりによって、この時期に・・・
暑さ、初マラソンという二重苦を果たして乗り越えられるのだろうか。
タナカさんが肉親だったら、すぐに止めるところです。

しかし、自分が出場する立場だったらどうか。
戦闘モードに入っている時に「やめろ」とか「ムリをするな」という言葉は聞きたくないし、危険だと言われるのは縁起でもない。

とにかく、気温が上がらないこと、日が"刺さない"こと、湿度が下がること、ほどよい風が吹くこと。
グッド・コンディションをお祈りしています。


マラソン講座

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2011年7月 9日 (土)

一番苦しかった1km まさかの8分台?

31-32km
2kmほど前から、新しいペースメーカーは「Mr.アスリート」
ウルトラマラソン・ランナーのような黒いコスチュームで身を固め、体中にまとった筋肉が褐色に日焼けしている。
本来ならば、僕の前を走っているようなレベルの人ではないのだろうが、今日はどこかに不調を来しているのか、時々休み休み走っている。
それでも、走り出すとやはり速い。
みるみる間に視界から消えそうになる。
しかし、すぐ休むのでまた、目の前に迫ってくる。
こういう上級者風のランナーは、抜くのがおこがましくて困る。

片野海水浴場のそばでコースは90度右折。
ここが第二関門で、制限時間は3時間30分。
まさか関門にひっかかるとは思っていないので意に介さなかったが、終わってから時計を確認するとマージンはわずかに12分だった。

右折する寸前、左手に日本海が見えた。
「全国健勝マラソン日本海大会」
大会名に日本海を冠しているが、日本海が見えるのはこの一瞬だけ。時間にしてわずか3秒程度だ。
海を見ながら走ると、さぞかし気持ちいいんだろうなと初マラソンの前は思っていたが、実際にマラソンを走ってみると、景色などどうでもよい。
マラソンのコースを選ぶ基準としては、かなり優先順位が低い。

07:04.3
32-33km
32kmを過ぎた。ということはおよそ200m走るとあと10km。
10kmといえば、練習でいつも走っている。
どうってことはない距離だ。

今年もZARD「負けないで」が流れてきた。
これから先の長い人生、マラソンに音楽を持ち込む限り、この曲はデフォルト。
マラソン・セットリストには、欠かせない。

♪負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる♪
って、まだ目の前じゃないんですけど・・ZARDさん

この1kmも上り坂。
再び、ラップタイムが7分台に落ちた。
だが、きついのは僕だけじゃない。
ついに、Mr.アスリートが完全に歩き始めた。そのヨコを素人の僕が追い抜いていく。
小声ですいませんと言った。 結局彼が最後のペースメーカー。この後、僕の前には同じペースで走るランナーは現れなかった。

33-34km
今日のレースで最高に苦しかった 1km
どこまでもだらだらとつづく上り。
GPSの高低差データがそれを裏付けている。

3334

ストライドは30cmにも満たない。
歩いているような速度。

足を動かせ!動かすだけでもいいぞ。前へ進め!必死に心にムチを入れる。だが、弱気が僕を襲う。
まさか、ここで歩くのか?・・・
周りには歩いている人もいる。 いや僕は違う。

まさか、自己ベストの更新もできないのか?・・
恐怖感が身を包む。なんのために、4ヶ月も走ってきたのか。これまでで、最高の準備だったじゃないか。それなのに・・・
いや、いけない。恐れていては体が止まってしまう。今は、自分ができることをするんだ。それに集中しよう。

この1kmのラップは7分56秒。
時計は一切見ていないので気づいてはいないが、まさかの8分台。その一歩手前。

だが、ここからがこの日のマラソンのハイライトとなる。


震災→中止→日本海へ

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2011年7月 8日 (金)

言い訳を地域性に求めたのは誤りだった。

僕ら二人は荷物置き場と化した手狭な応接室に通された。

「すみません。すぐ戻ると思いますから・・」

現代ならば、携帯に電話をかけて捕まえるところだろうが、当時はそれがない。
彼女も、きっと心細かろう。
僕らはただ、今ごろ無邪気にお昼を食べているであろう鈴木社長を待つしかない。

受付嬢が置いていった、ぬるい麦茶を前にたたずむ二人。
サトウさんはさっきから無言のまま。
心なしか、頭から湯気が立っているように見える。

そこで、この事件は起きた。
というか、起こした。

何とかして、この場を取り繕いたい。
沈黙の重さに絶えかねた当時の僕は、こう口を開く。

「あのぉ、福岡には博多時間というのがありまして。約束の時間に30分くらい遅れる風習があるんですよ」

へぇ~そうなんだ。それは長閑な風習だねぇとは言わず、
サトウさんの顔が、さらにひきつった。
そして、また静寂が訪れた。

あいたっ、今日やったかね
受付嬢に責められている鈴木社長の声が、ドアの向こうから聞こえてきた。

しばらくすると、いやぁ、すんまっしぇんと言いながら、鈴木社長が入ってきた。
サトウさんは「こういう時は訪問を受ける側が先に座っておけ」とは言わず、非礼を責めることもなく、品のいい言葉遣いで商品の特長を説明し、事務所を辞した。
その後、2軒の訪問先では、約束通り社長が待っていて、暖かく迎えてくれた。

もちろん、博多時間なるものがあるわけがない。
約束は信頼。
それを大切にする人と、そうでない人がいるだけだ。

そうして何事もなかったかのように、半日のプロモーション活動が終わると、サトウさんは飛行機に乗って東京へと帰って行った。

それから数ヶ月後、冷や汗をかいた夏の出来事もすっかり忘れていた初秋の候。
あのサトウさんと会社の上層部が交わした会話が耳に入った。

「九州の若造から "遅刻は博多時間だから仕方ない"と言われた」

サトウさんがお怒りになるのは、ごもっともだ。
僕が悪い。
時間を守らない人は、ビジネスマンとして失格。
自分はそう思っていたが、まさか得意先の鈴木社長にたいして、ビジネスマン失格の烙印を押すわけにもいかない。
つい、その場を取り繕おうとして、地域性にすり替えた話をしてしまった。

サトウさんの抗議は、上司から先輩とツークッションを介して僕に伝えられた。
お咎めは無し。
この件が戒めとなり、以後、地域性を言い訳に持ち出すことを自らに禁じた。
会社の暖かさを痛感すると共に、耳の痛い情報が自分に伝えられたことに感謝した。

もう数十年前のことだが、今も思い出して顔から火が出た。ぼーっ
不始末の論拠を地域性に求めたのは誤りだった。
だから、地域性を言い訳に持ち出す人を、とやかく言えない。

日本には特別な力を持った人たちがいて、間もなく、いくつかの新聞社と放送局が「終わり」になる日が来るのか。
ただ、見守るしかない。

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2011年7月 7日 (木)

福岡の営業マン

ある時、僕は福岡の営業マンだった。

その日は休日出勤。
季節は初夏
その年初めて、芥屋の海岸にでも行こうと思っていたのに、上司から仕事を命じられたのだ。
任務は有名人のプロモーションに帯同する案内係。

サトウ(仮名)さんという有名人から、商品のプロモーションをすべく
自ら有力者の事務所を回りたいと申し入れがあった。

休みの日に有名人のおもり役など、誰だってやりたくない。
そこで、下っ端の僕にそのおはちが回ってきたというわけだ。

訪問先へのアポイントは、先輩社員が済ませてくれていた。
僕は東京から飛行機でやってくるサトウさんを板付で迎え、クルマに乗せて、有力者を回るだけ。
それくらいなら、なんとかなるだろう・・

はじめは、そんな安易な気持ちでいた。

ごく当たり前のことだが、飛行機は定刻に着いた。
到着ロビーにサトウさんが現れる。荷物をお持ちしますと申し出ると「いや、そんなことはいいから」と断られた。
顔が笑っていない。
元々、気むずかしい人なのか、それとも商品の売れ行きが悪いせいなのか。

人と会ったら30秒以内に仲良くなれ
それがダメなら、その商談は失敗と思え

営業の神様からそう教わっていた。
つかみを失敗したことで、心に緊張の黄色信号が灯る。

二回りは年齢に隔たりがあるサトウさんとの間には、厚い氷が張り詰めている。僕が運転する営業車は重苦しい空気のまま、1軒めの訪問先に着いた。
そこは、この地域一番の有力者の事務所。
さすがに有名人のサトウさんといえども、客先で気むずかしい顔はすまい。
とりあえず、そこで風向きが変わるはずだ。

しかし、その期待は裏切られる。

事務所に入り、受付嬢に13時に鈴木社長とアポイントしていたことを告げる。
「し、少々お待ちください」
少し噛みながら、受付嬢がいなくなる。
勘弁してくれよ・・
血の気が引いて、夏なのに寒気が走る。
やがて戻ってきた彼女は、信じられない台詞を言った。

「すいませ~ん、お約束やったとですよね・・鈴木はさっきからちょっと出てまして。恐らく食事と思います。

間もなく戻ると思いますので、しばらくこちらでお待ちください」

まさか、この業界では博多のドンとも言われている鈴木社長が、約束を忘れたといのうか。前日に確認の電話を入れておくべきだったか・・・

こんな時は、率直な気持ちを言葉にするのが、結果的にみて賢明な態度となる。だが、そんなことがわかるのは、まだずいぶんと先の話。

この場をどう取り繕うか・・ そう考えたのがいけなかった。

つづく


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2011年7月 6日 (水)

耐久レースへ

26-27km
見渡す限り、前には誰も走っていない。
マラソン6度めにして、こんなことは初めてだ。
先頭を走るランナーの気分。
アテネ五輪で先頭を切っていた時の野口みずきはこんな感じだったのだろうか。
だが爽快感はなく、頭に血が上っている。
平地は歓迎なのだが、平地には陽を遮るものがなく暑い。

27-28km
27kmは、今日のレースを占う分岐点だ。
去年の長野では、27kmの千曲川を越える橋で、辛さが抜けたことが実感できた。
そこからゴールまでの15kmは、経験したことのない快走。
ずっと笑って走っていた。

「ランナーズハイって経験ありますか?」
何度かそう質問されたことがある。
あの時がそうだったとは言わないが、それに近い感覚は味わったことがあると答えている。

さて今年の自分はどうか。
まだ足は残っている。
意識も十分冷静さを保っている。
悪くないんじゃないか? もしかして、去年の再現か?
そう思うと少し嬉しくなった。
しかし、去年よりも目標を1時間高い所に置いている分、楽しくはない。

30course

28-29km
コースはクランク状に二度左折。
折り返しから東向きに走ってきたが、ここからしばらくは西向きに変わる。
ここで日が翳ったのか、あるいは日よけがあったのか、少し涼しく感じて体が楽になったのを覚えている。
マラソンにおいて、向きが変わる、交差点を曲がるということは、大きな気分転換になる。
道幅は狭い方が走りやすい。
"道幅が狭くて走りづらかった"という人がいるが、それは道幅に対して参加者が多すぎるのである。

46曲め、松沢進の「白虎野の娘」が鳴っている。
数日前、セットリストに加えた新曲に心がリフレッシュする。

29-30km
湘南国際マラソン2011のTシャツを着ているランナーを追い抜いた。
インクがにじんだ不良品ではないか?と騒ぎになったTシャツ。
襟元のメッセージは10種類。
「ジブンのすべてをコースに刻め。」
そのメッセージに勇気づけられた。

苦しさはやがて消える。あきらめた事実は永遠に残る。
これも 10種類ある湘南2011Tシャツメッセージの1つ。
その言葉が、頭をもたげ始める。

2030 GPSが記録した高低差データ

30-31km
平坦な道は見通しがよいが、上り下りの場所では、コースが曲がっていて見通しが悪い。
その分山側の斜面が日陰になる。
これは不幸中の幸い。
前が見通せないことは、とても助かった。
もしも、だらだらと上る坂が、ずっと向こうまで見通せていたら、気力がもたなかったかも知れない。
長い上りがつづき、このラップは7分を超えた。
去年の長野では、すべてのラップが6分台。
7分台は一度もなかった。

走っている時は、一切手元のラップを見ていない。ただ、見るまでもなく、ここでがくっときた。マラソンは一転して耐久レースとなっていく。


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2011年7月 5日 (火)

眼が真っ赤になった。でも僕は慌てない。

鏡を見ると眼が真っ赤になっていた。

充血ではない。
まさに血の海に染まるという表現にあたる。
見た目が醜い。
新人のマリちゃんも、同僚のスズキさんも、誰もが一瞬息をのみ、眼を背ける。

街で喧嘩してきたわけじゃないよ。
決して、ばっちぃものじゃないよ。
普通の人ならば、赤い眼に心がブルーに染まるだろう。

しかし、僕は慌てない。
なぜならば、これが2度目だからだ。

こんな時まず始めに過去の記録を紐解く。

2007年記事「結膜下出血」



それは、4年前のことだ。

>この症状は一度起こると、何度も繰り返すことがある。

4年前の僕はそう書いているが、4年ぶり2度め。
自分はそれに当てはまらなかったようだ。

「何度も繰り返す」と書いたのは、取引先のサトウさんがそう言ったからだ。
4年前、眼が真っ赤になった僕を見るや、
「ちょっと、待ってて」
そう言い残した彼女は、給湯室へ向かった。
目が点になりながらしばらく待っていると、
あつっ
と言いながら、サトウさんが蒸しタオルを持って戻ってきた。

「これをしばらく眼に当てると直りますよ。熱いけど我慢してね」

できるかっ
と思ったが、せっかくのご厚意を無駄にできないので、しばらくタオルを眼に当てて話す。
彼女はわりと頻度高くこの症状が出るという。
営業職なので、人と会うときは速効で直さなければならない。
そこで編み出したのが "蒸しタオル療法"というわけだ。

ほんとに熱かったが、この方法は自分には向かないようだった。

4年前は、あまりのグロテスクさに恐れをなして都立病院に駆け込んだ。
眼科医の見立ては「異常ありません。1週間で治ります」
薬もなし。
結局、2週間で眼は元の白に戻った。

前回は朝起きると赤くなっていたが、今回は就寝直前。
どんな時に起こるかは一定していない。
出血女王?サトウさんくらい頻繁になると
「あっ、来そうだな」
というのがわかるそうだ。


 →眼もくじ

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2011年7月 4日 (月)

向かい風 blowin blowin  ^^*)

20-21km
ペースメーカーにしていたスズキさんが第6給水所で完全に立ち止まった。
きついのは、自分だけではなかったのだ。
後で振り返ればわかることだが、この時はそういう想像が働かない。
きついのは自分の力不足なのでは?と疑いながら走っていた。

21-22km
21.097kmで折り返し。
中間点の目標タイムに対しては5分遅れ。
去年の長野マラソンのように、27km過ぎからペースアップできるようであれば、まだ諦めるのは早い。
今日はどんな自分が現れるのか。
走ってみなければわからない。
折り返してからしばらくは上り坂。ペースが上がらない。

「日本海」という名前だが、九分九厘景色は山と田園。遠くをみやれば山頂には雪が残っていたのだが、走っている時は気づかなかった。

22-23km
下り坂になったので、ペースを戻す。
「それゆけBaby」桑田佳祐 が流れてくる。
♪追い風 blowin' blowin' ♪
そうだ。今日はまだ風の影響を受けていない。
追い風が来てくれればいいな・・・
と思った途端、逆風が吹き始めた。

かなり強い。
当日の気象記録をみると、正午は北の風7m。
復路のコースはほとんどが、北北東から北東向き。風よけのない平地部分は逆風にこらしめられることになった。

23-24km
風の影響で前の1kmより20秒ペースが落ちて6分20秒。
こうして文章で読んでいる皆さんは、"向かい風にむかって走る"というイメージがつかめないはずだ。
扇風機を「最強」にして、あたりながら読んでいただくと、少しはその辛さが伝わるかも知れない。

むこうからへろへろになったランナーがやってくる
最後尾と思われる彼に檄を飛ばす。
「ファイトっ」
人のことを言っている場合か

24-25km
この1kmはさらに20秒落ちて 6分40秒。
QUEENの「'39」が流れてきた。
この曲を39番めに入れるのがお約束。
去年の長野マラソンでは、この曲が遠くに臨むアルプスの景観にマッチしていたな。
ここで少し気分を変えよう。
視界を広げて、遠くの自然に目を凝らす。

それにしても平地は逆風がきつい

神様 風 逆っ!

25course

25-26km
25km地点で北陸自動車道のガードをくぐる。
周りを走っている人がほとんどいない。

出場6レースの出場者数
荒川市民   18,000人
湘南国際    6,600人
かすみがうら 9,800人
東京    30,000人
長野     8,500人
全国健勝日本海 400人

これまでに出た大会では、出場者が桁違いに少ない。
走っている時は特になんとも思わなかったが、後で振り返るとこれがいい。
上五島で中学のマラソン大会を走っていた時のような長閑さ。
人気のない道をランナーだけが、歯を食いしばって走っている。
それを通りがかりのおばちゃんが応援してくれる。

震災→中止→日本海へ

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2011年7月 3日 (日)

マラソンでペースメーカーが必要な日と、そうでない日

マラソンにはペースメーカーが必要な日と、そうでない日がある。

必要でない日の状況
●目標ペースを楽々クリアできる走力が備わっている
●コースが平坦
●天候がベストコンディション

必要な日の状況
▲目標ペースに応じた走力がない
▲コースが厳しい
▲天候が悪い

今日は後者。
誰かに着いていかないと、ずるずると失速してしまいそうだ。

まずは前を走っている人の中から、少しずつ間隔が広がっている人を見つける。
歯を食いしばって、しばらく一定の間隔を保つように走る。
手元のGPSで1kmあたりのペースを確認。
5:50/km
目標レースペースならば、その人がペースメーカー。
こうして失速しないためにも、ど素人ランナーにはGPSが欠かせない。

大概、ペースメーカーは離れていってしまう。
見えないくらいに間隔が開いてしまったら、次のペースメーカーを見つける。
その繰り返し。

3kmほど前からペースメーカーはグレーのシャツを着たスズキさん(仮名・東京から参加)
小柄な彼女は、上下動の少ない効率の良いフォームでピッチを刻んでいる。
フォームが美しいランナーは、ペースメーカーとして理想的。

それでも、着いていけずに間隔が開いてしまう。
もうダメかな
ほかの人を探そうかな
と思っていたら、スズキさん
私設エイドに立ち止まった
腰に手を当てて水を飲み、礼を言って再びコースインした所は僕の目の前。
助かった。
これでまた、しばらく着いていける。

18-19km
走っている最中に感動すると、筋肉が痙攣しそうになる。去年の長野でも同じことがあった。さっき、わんぱく少年とハイタッチをした後から少し調子がおかしい。心持ちペースを落として、心と体のリズムを一定に戻す。

「Power of music」絢香
都会的なこの曲と、目の前の風景の誤差が可笑しい。

マラソン大会を走った感想として
「途切れない沿道の応援に励まされました」
と言う人がいる。
しかし、沿道の応援が100万人を超える東京マラソンでさえ、まったく途切れない訳ではない。
そういう印象をもったということだ。

その視点でいけば、ここ全国健勝マラソン日本海大会は
「途切れないことがない沿道の応援」
応援を受けることが珍しい。ほんの時々である。

しかし、応援が途切れないことは美徳ではない。
応援は、ほんのわずかでもいいのだ。

マラソンを走り始めて6シーズン、一度だけ練習中に「がんばれ~」と声をかけてもらった。
多摩川のジョギング/サイクリングロード
70歳以上と思われるおじいちゃん、犬を連れていた。
マラソンはいつも一人の世界。
それが二人になるだけで、大いに励まされることを知った。

「デパートに買い物に来たついでに見ていくか」
という 100万人も嬉しいが、今日加賀の地で
「年に一度のマラソンだから、応援しよう!」
と家から出てきてくれた 1,000人も、同じくらい嬉しい。

19-20km
第5給水所で水をもらう。
どのエイドにもスポーツドリンクはない。
欲を言えばきりがない。水があれば十分。

21course

前半戦最後の上り。
ここで1kmのラップは6分を超えて、6分22秒まで落ちた。

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2011年7月 2日 (土)

結婚して「入籍しました」という人に「日本の情け」

友達がブログに書いている。

「披露宴は来月ですが、先に入籍は済ませました」

こういう場合「おめでとう」とコメントをつけるのが、友好的かつ一般的な態度である。
おめでとうを言うほど親しくないならば、イイネボタンを押すだけでもいい。

まちがっても、幸せムードに水を差すようなことを言ってはならない。
たとえば、次のように。

・・・
結婚おめでとう!
ところで、
一般的な初婚の場合、届け出は「婚姻届」であって「入籍届」じゃないよ。
「入籍」というのは、
1,出生
2,養子縁組
3,離婚などにより子供の戸籍を移す
4,戸籍筆頭者との結婚
などのこと。

4,の「戸籍筆頭者」というのは、
・結婚後に名乗る氏を持つ者
 結婚してつくる新しい戸籍の氏を、元々名乗っていた人
・分籍した者
 結婚以外の理由で、親の戸籍を外れて、新たな戸籍を持っていた人

だから、結婚した時に「入籍する」のは
・バツイチの人と結婚して、その姓を名乗る
・親元を離れて暮らしていたか、勘当されて1人の戸籍を持っていた人と結婚して、その籍に入る
といった場合だけです。

こどもは結婚すると、親の戸籍を除籍されて、新しい戸籍を作るのです。
新郎のイチロー君と新婦のはな子さんが、二人で新しい戸籍をつくる。
それを、戸籍を作るから「作籍」という言葉はないけれど、入籍とは言いません。

芸能人が「入籍しました」と言い、週刊誌もその通りに報道するから、誰も違和感を持っていないと思うけれど、大半の結婚において「入籍」はありません ・・・


「こういうことを教えてくれる人はなかなかいない。相手のためになるから、自分が悪者になってでも教えてあげるのだ」
と思っても、幸せムードに浸っている人で、その気持ちを斟酌して感謝してくれる人物はそういない。

世の中は、正しい知識で回っているわけではない。
漢字を読みまちがっても、言葉の用例が違っても、スルーしてあげるのが武士の情。
それが「日本の情け」なのである。

エライ人や高学歴の人が漢字を読みまちがうと、確かに可笑しい。
「意外と常識がないな」と思う。
しかし、いくら可笑しくても、笑うのは心の中にとどめ、顔は涼しくしていなければならない。

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2011年7月 1日 (金)

会議の司会者が15分前に来なかったら、何が起こるか?

会議の司会者は、遅くとも開始15分前には会場に入っていなければならない。
司会者には会議が始まる前に、会場でやることがたくさんあるからだ。

会議資料の配付
あるいはアジェンダの板書
デモやプレゼンに使うパソコン、プロジェクター、LAN設備のセッティング。
その準備だけでも10分はかかる。

機械が順調に動けばよいのだが、プロジェクターが調子が悪い、LANがつながらないという事態は頻繁に起こる。
不具合の場合、パソコン保守担当者やネットワーク管理者を呼ばなければならず、復旧には最低20分を見ておかなければならない。



コンピューター・システムの講習やデモでは、ネットワーク接続が必須。
その場合、30分以上前の会場入りが必要となる。

自分が15分前に来ればいいかというと、それだけでは済まない。
15分前に会場に入るためには、会場が15分前に空いている必要があるのだ。
15:00から会議が始まるのに、前の会議が 15:00に終了するならば、準備時間はゼロということになる。
会議室を押さえる際は、準備に要する時間を見越して、開始時間よりも前倒しで予約する必要がある。

早く来なければいけない理由は準備だけではない。
司会者はその会議を乗り切る、仕切り通すという意欲を示さなければならないのだ。

一番乗りの参加者は10分前にやってくる。
その彼は「10分前・15分前行動」の実践者。
人の時間を奪わないという意識が高く、時間を大切にしない人は二流と考えている。

もしも、彼が会議室に来た時、まだ誰も来ていなかったら
「あぁ、いつもの司会者レベルだな」
と独りごちる。
そこに司会者が現れて
「いやぁ、早いですね」
と言われると、お前が遅いんだよと心でツッコム。
「ヒマなんですか?」
とでも言われたら、定年まで口をきくのをやめるし、その人は岩だと思うことにする。

そういう彼が会場入りした時、既に司会者が会議室で準備を始めていたら・・・
「おぉ、なかかなやるな」
と緊張感が沸く。
論理的に建設的な意見をいう人は、とても少ないわけで、彼のような意識の高い参加者を味方につけることが、会議を円滑に進めるために必要だ。

会議は言うまでもなく定刻に始めなければならない。
それなのに、ぎりぎりにやってきた司会者の準備が間に合わず、定刻になってもまだパソコンとにらめっこしていたらどうなるか。

おいおい、司会者
定刻だろ?
何やってんだよ?
準備悪いんじゃないか?

などとは誰も言わない。
日本は優しい人の国だから。
世間の風はいつも暖かい。

準備に没頭している司会者を尻目に参加者が始めるのは、
「雑談大会」である。
緊張感や意欲は吹っ飛んでしまう。

そして、ようやく準備が整い、そろそろ始めますと言うと、参加者は優しくニコニコして雑談を止める。
その一見、友好的な空気に包まれて、司会者が言う。

「いやぁ、全然準備してなくて」
「出ようとしたら電話がかかって来ちゃって」
「前の会議が押しちゃって」

参加者は皆、そうかい大変だったねと、世間の暖かい風を送る。
こうして、司会者がぎりぎりにやって来た会議は、始まった時に終わっている。

ど素人!プロジェクトマネジメント講座

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