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2013年3月26日 (火)

なぜ大学の卒業式に出なければならないのか?

なぜ大学の卒業式に出なければならないのか?

それは、歳を取ってから出ておけばよかったと思うからである。

学校には入学式と卒業式が付きもの。
大概の人はその両方に出席する。

大学の卒業式が高校までの卒業式と違うのは、個人の出番がないところである。
よほどのマンモス高校でない限り、卒業証書は1人ずつ手渡される。

スズキイチロウ!
以下同文

最近では以下同文も言わない高校もある。
それでも、1人に1度、壇上に上がる晴れ舞台がある。

ところが、大学にはそれがない。
数千人規模の卒業生に1人ずつ、証書を手渡していたら陽が暮れてしまう。
なかには、キャンパス内のホールや体育館では収容できない学校もある。
卒業生が1万人を数えるようなマンモス大学では、日本武道館を借りて2デイズ。
まるで矢沢永吉だ。

その他大勢にまみれた卒業式にいったい、どんな価値があるのか。
そう問われたら、わかりませんと答える。
価値があるのか?と疑問を持つような人は、既に価値がないと値踏みしている。
そういうひねた人に認めさせるほどのたいした価値は想像できない。

部活に入っていた人ならば、下級生がお祝いをしてくれる。
胴上げをしてくれるかも知れないし、花吹雪をかけてくれるかも知れない。
祝おうという人がいるのに、そんなの意味ないよとトンズラするのは、自ら人付き合いを難しくする。
恐らく、そのような人は社会に出ても、人間関係に大いに苦しむはずだ。

大学の卒業式を回想する。
その日既に、遠くにある会社で新人研修が始まっていたため欠席した。
会社側は、どうぞ休んで行ってください。旅費は出ないけど。と言っていた。
数人を除いて、同期生達は会社を休んで、それぞれの卒業式に出た。

お金がないから仕方ない。
それ以上は考えなかった。
そして、長い年月を経た今、思う。
決して安くない航空券代金も、親に頼めば貸してくれただろう。
しかし、なにも考えず、ただその日を見送った。
それが、今思い出せるすべてだ。

出席していないので、映像が浮かばない。
卒業式で脳内を検索すると、会場となった体育館の外観が浮かぶだけ。
学長の挨拶もない。
お祝いの笑顔もない。
あるのは、後に実家に届いていた卒業証書とアルバム。でも写真は1枚も映っていない。

部活の後輩たちがお金を出してあつらえたという記念品もない。
行き場のない記念品を、後輩のスナオ君がせしめて喜んでいたと後で聞いた。
かように、卒業式にはろくな記憶がない。

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