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2013年9月の30件の記事

2013年9月30日 (月)

ロナウジーニョ、カカ、ベッカム 634億円の選手が目の前にいても目に入らなかった日

TVカメラのライトが点灯し、レポーター?が選手を制止。
選手は無表情なまま、ぶら下がりインタビューに応じる。

その選手と僕の間に遮るものは何もない。
「悪いかな」と思いつつフラッシュを焚いて撮影。
634億円の選手たちを前にして撮影したのはこの1枚きり。

しかも、パソコンで拡大するとピンぼけしている。
超小型カメラなので、モニターも超小型。
その場の確認では、ピントの甘さまでわからない。
後に「走る男」と記念撮影した時も、誰だかわからないくらいにピンぼけしていた。

のちにデコの写真はたくさん撮ることになるのだが、記念すべき"初対面"は、まさにピンぼけしたものだった。


この後、エレベーターから降り立つ選手はゼロ。
つまり、彼は最後までレセプション会場に残り、メディアに応対していたということになる。

その後、ファンクラブを作るデコとの1stコンタクトである。

はじめにロナウジーニョが目の前を通過してから、どれくらいの時間が経っていただろうか。
通常、サッカー選手はチーム単位でバス移動する。
選手は部屋から整列して出てくるわけではなく、三々五々に出てきてバスに乗る。
ホテルのエントランスからバスまでは、規制線が敷かれていて、その両脇にファンが整列。

ある人は選手のマーキングが入ったチーム・ユニフォーム。
ある人はトレーディングカード。
思い思いのグッズを手に、お目当ての選手からのサインを狙う。
サインを狙わない人は、カメラを構えている。
プレゼント渡しが目当てという人は少なく、おっかけをしていた頃、プレゼントを渡していたのは自分くらいだった。

1台のバスに乗るわけだから、出発時間が決まっている。
選手はその時間から逆算してエントランスに姿を表すわけだ。
あとで知ることになるのだが、当時、FCバルセロナではロナウジーニョが最後尾の席と決まっていたようだ。
この日は選手が現れる時間に、かなり幅があった。
外の様子はわからなかったが、カンプノウはすぐそばであり、選手はタクシーなどで個別に会場入りしたのかも知れない。

"おっかけファン"はホテル内に入れない。
後にそちらの側に回ることになるのだが、この日は"ホテル内の人"
外で鈴なりになっているファンからすれば、垂涎のポジションだったろう。

FIFAオールスタースマトラ沖地震慈善マッチ
参加選手の移籍市場金額は634億円(4億6000万ユーロ、当時のレート1ユーロ137.8円で計算)と報道された。
全員のユニフォーム前面にはピッチを模った緑地に「FOOTBALL for HOPE」と記したワッペンが刺繍された。
収益金はFIFAとAFCが設立した津波基金に寄付された。

試合結果:世界選抜6-3欧州選抜
デコはポストに当たる惜しいシュートが1本あったが、ゴールはなかった。

その事実を知ったのは、帰国後、サッカー番組の映像による。
この日、選手を見送った後
「今から行ってもチケットなんてないよね」
と仲間は話していたが、サッカー番組で映し出されたカンプノウの座席はガラガラだった。

デコファンサイト

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2013年9月29日 (日)

バルセロナ入りに向けて入念な準備

遡ること3ヶ月前。
バルセロナに行くことになることが決まると、入念な準備をした。

とうに切れていたパスポートを、再度、取りに行く。

次は観光情報。
グラシア通りの見どころ。
シエスタの間に和む喫茶店。
スペインの文具が揃う店。
いかしたスペインのシャツを売っている店。

そして、もっとも力を入れたのがスペイン語の習得。

始めに覚えたのは
「トイレはどこですか?」
「ソーセージをください」
←名物と書いてあった

グエル公園では
「一緒に写真を撮りませんか?」

グラシア通りのバルでは
「ここに座っていいですか?」
「お薦めはなんですか?」

タクシーに乗れば
「ヒルトンバルセロナまで行ってください」
「これはチップです」

立ち回り先で起こる情景を想定。
そこで、必要なスペイン人との会話をしらべる。

これらを単語カードに書き出して暗記した。
成田からフランクフルトまでのフライト中も、繰り返し単語カードをめくっていると、初対面の人々が大変珍しがった。


バルセロナに着いた日、エル・コルテ・イングレス(スーパーマーケット)で「水はどこに売っているんだろう?」と困っていた仲間。
すかさず「炭酸抜きの水はどこですか?」と店員さんに質問。
店員のおじさんは、一瞬驚き

「こっち来いよ」
と僕らを水売場に引率した。

そして、日本から来た仲間たちはバルセロナ滞在中、僕の後をついて回ることになる。
要所要所で通訳代わりになるからだ。

さて、観光とことばについては、入念な準備をしたが、関心がないことは死角のままだ。
サッカーに興味がないので、到着したまさにその時間、最初で最後といえるサッカーの大イベントが行われることなど知る由もない。
当然、チケットを買うわけもない。

これを何かにたとえるならば、バルセロナ五輪閉会式の日にバルセロナに滞在して、それを完全にスルーするようなもの。
目の前を通り過ぎてゆく、移籍金換算で634億円という超一流選手たちを見ても、そこに同化する気持ちはない。

今となっては記憶が漠然としている、その光景をみながら考えていたのは、
「早くチェックインさせてくれよ」
ということだった。

そこに、エレベーターから1人の選手が降り立った。
目の前だ。

当時はしらべるを始めて5年。
このブログ「しらべるが行く」を始める7ヶ月前。
まぁ、話のネタに

一人くらい、絡んでおくかな

超小型のデジカメ「サイバーショットU」をウエストバッグから取り出して、選手に向けた。

デコファンサイト

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2013年9月28日 (土)

目の前でロナウジーニョやカカをスルーした日

2005年2月15日
デコはスマトラ沖地震チャリティマッチにロナウジーニョが選ぶ「世界選抜」の一員として出場。

この日、会議のためにバルセロナに着いた僕らは、空港から会議場のホテルへ直行した。
半日以上、飛行機に缶詰になっていてかなり疲れている。
しかも、主催者の説明によると、何らかの理由でチェックインできないという。

現地時間は夜の8時頃。
これが、お昼過ぎというならばまだわかる。
こんな夜遅くにチェックインできないホテルなんて、日本じゃ考えられないな。
互いにぶつぶつ言いながら、眠い目をこすっていると、そこに現れたのがロナウジーニョ。

あぁ、テレビで見たことがあるな。

サッカーには興味がない僕は、デジカメを持っていたが、当然のようにスルー。
そして当然だが、彼には外国人の顔をしたサッカーファンが群がっていて、ロナウジーニョは
「通してクレよ。試合に遅れるじゃない」(空想)
と言いながら、にこやかにホテルを出ていく。
それにつづく選手はいない。

あとでよくしらべてわかるのだが、この日21時からカンプノウで行われる試合にさきがけ、選手の宿舎でもあるヒルトンバルセロナホテルで、レセプションが行われていたのである。

あとから同行したメンバーのカメラに映っているカカや名前も知らない選手を見せてもらった。
サッカーに関心がある人たちは、入れ食いの超一流選手たちを撮影して回ったらしい。

2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震のチャリティ開催は、2005年1月12日に発表された。
そして2005年2月15日、スペイン・バルセロナのカンプノウ(FCバルセロナの本拠地)で世界選抜対欧州選抜が開催された。

■世界選抜
2004FIFA世界最優秀選手ロナウジーニョ(FCバルセロナ)が選出。

<スタメン>
9 エトー(バルセロナ)10 ロナウジーニョ(バルセロナ)22 カカ(ACミラン)
20 デコ(バルセロナ) 7 中田英寿(フィオレンティーナ)
4 マルケス(バルセロナ)
17 ソング(カラタサライ)5 ラデベ(リース)3 コルドバ(インテル)2 カフー(ACミラン) 
1 ジ ダ(ACミラン)

監督
パレイラ(ブラジル代表)
ライカールト(バルセロナ)

■欧州選抜
2004欧州最優秀選手(バロンドール)シェフチェンコ(ACミラン)が選抜
もしも、MFにバロンドールが与えられていれば、欧州選抜はデコが選んでいただろうか。
ブラジル人のデコが欧州選抜を選ぶのはどうか?という議題でFIFAは悩むことになったかも知れない。

<スタメン>

11 ラウル(レアル・マドリー)7 シェフチェンコ(ACミラン)
10 ジダン(レアル・マドリー)
9 デルピエロ(ユベントス) 23 ベッカム(レアル・マドリー)
6 ジェラード(リバプール)
4 カラーゼ(ACミラン)3 モンテロ(ユベントス)21 テュラム(ユベントス)13 ダイスラー(バイエルン)1 カシージャス(レアル・マドリー)
監督
リッピ(イタリア代表)
ベンゲル(アーセナル)

デコファンサイト

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2013年9月27日 (金)

名残を惜しんでゴール

37km~38km
37kmでカフェイン入りショッツ。
これを最後の給食にする

ポーチに6つ入れて行ったショッツ。
ワイルドベリー、カプチーノが残っていた。
4つしか摂らなかったということだ。

38km~39km
本日の52曲めは「満月に吠えろ」
元気が出る!
「丸顔の月」という歌詞に笑顔になる。
それが勇気に変わる。
この曲、去年は20kmあたりに入れていたが、今年はがんばりどころの終盤にもってきた。

39km~40km
2013年マラソンシーズンの成果は、上り坂をうまく走れたこと。
ステップを小さくして、とことこ走る。
終盤の上りは、周囲の誰よりも速かったはずだ。
後に「上りは苦手なはず」と指摘されるのだが、この時は上りは任せろ!と自認していた。

あと2km
暗算すると、1km8分×2でも、最悪の事態にはならない。
でも気を抜かず。

40km~41km
ラスト2kmにも上りがあった。
ここも慌てずに、小さいストライドを速く回す。

まだ、ショッツが残っている。
万が一足が動かなくなっては・・念のために
と思ったが、面倒なのでやめた。

2012年10月にSONYがウォークマンユーザーを切り捨て、マックユーザーにすり寄った。
そのため、今回のセットリスト作りはSonicStageからx-アプリに乗り換えざるを得なかった。

ところが、x-アプリの不具合が長引き、まともに使えるようになったのは直前のこと。
時間帯に合わせた曲並べをする時間がとれなかった。

あと1kmというフィナーレの場所で鳴ったのは
シカゴ「素直になれなくて」
テンションが下がった。

41~42km
頑張ったのか、頑張っていないのか
風のせいなのか、自分のせいなのか
脳内は混沌していて、不機嫌このうえないのだが、それでもラスト1kmは嬉しくて笑顔。

とくしまのコースは、直前までゴール会場が見えない。
もう400mを切っているのに。
いったい、僕らはどこにゴールするのか?

ただ、佐倉朝日健康マラソンと違って、最後に上り坂がないことはわかっているので、それだけは安心。

42km~ゴール

いつもながら、音楽で励まされる。
違う言い方をすると、音楽が脳に刺激を与え、運動能力を呼び起こす。
マラソンレースに音楽は不可欠。
今日の条件下、4:30で走るには、サブ4の走力が必要だ。

ゴール会場は陸上競技場。
ボーダーラインのタイムと戦っているわけでもない。
のんびりと観客のスタンドを見渡して、このレースに名残を惜しむ。
なんのドラマもない、平凡なゴールだ。
こんなレースだと、終わりが寂しいな。

ゴールの右側にある計時を見やり、顔をしかめる。
恐らく、オールスポーツのカメラマンが向こうから撮っているのだろうが、なんの象徴でもないこのシーンの写真は買わないと思う。
いつかサブ4を狙う日がきたら、気の利いたポーズでも練習しておこうと思うが、ここではただ、GPSのSTOPボタンを押下する。

結局、靴まで全身が映った写真が他になく、ゴール地点の写真は買った。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月26日 (木)

いいレースにいい写真、ダメレースにダメ写真

32km~33km
[リタイアバス]のプラカードを持った女性が、コース右側からこちらを見つめている。
勧誘しているわけではないが、思わず乗ってしまいそうで怖い。
縁起でもない。
リタイアバスは、1度でこりごりだ。

目をそらして、そちらを見ないようにする。
そんなランナーの気持ちを察してか、プラカードの見せ方が控えめである。

33km~34km
コースは吉野川に別れを告げて、町なかのコースへと右に折れていく。
ここは、記録を諦めていないランナーにとって、ひとつの節目となる場所。

2時間台の記録を競うトップ選手の場合は、記録を狙うために、極力曲がり角を減らす。
だが、ど素人ランナーには曲がり角が必要だ。

曲がる度に、さぁ次はどんなコースだろう。
広いか、狭いか
上りか、下りか
どきどきして、脳が目覚める。

そこが、走りやすそうなコースならば、よし、いける!とスイッチがはいる。
ただ、今日の場合、もうこの先がどんなコースでも、スイッチが入るのは難しいと感じていた。

34km~35km
NHKロンドン五輪放送で、感動を増幅させた名曲
「風が吹いている」
イントロのSEに鳥のさえずりが入っていたのか・・・
高揚するね

諦めないで走ることが大切だ。
諦めると、時間が長くなる。
あと5km
さすがに早く終わりたい。

35km~36km
左膝に力が入らなくなった。
力が戻るまでペースを落とす。
1kmほどで元通りになった。

こんな時、なぜ左なのか
なぜ左だけなのか
わからない

体には経路がある。
痛くなる場所、張る場所があれば、そこにつながる原因があるはず。
だが、それは素人にはわからない。

スポーツ医学を極めた人ならば、わかるかというと怪しい。
体のことは、何とでも言えるからだ。
言われた言葉が、ホントかウソかなんて誰にもわからない。

36km~37km
オールスポーツ撮影ポイント
さぁ今回もいい写真を撮ってもらわねば・・
前のランナーとのスペースを作る。
カメラの前では苦笑い
このレース内容には、苦笑いが似合う。

ところが、後日、オールスポーツの写真にこのカットは見つからなかった。
これまで8レースの経験で言えることがある。
不思議なことだが、いいレースにはいい写真が撮れていて、ダメなレースにはダメ写真しか残っていない。
レースはダメだったけど、躍動感のあるすばらしいカットが残っていた・・
なんてことは1度もない。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月25日 (水)

風を味方にしないマラソン

26km~27km
24kmまでずっと逆風に耐えてきた。
堤防の上、つまり土手の上を走るから、風を遮るものがなかったのだ。

折り返せば、この強風が後ろから吹く。
それを楽しみにしてきたランナーに、愕然とする事実が突きつけられた。

折り返してゴールを目指す。その道は、なんと堤防の下。
土手が風を遮っていて、追い風は来ない。
交流を拒んだようなぬるい空気が、その場に滞留して蒸し暑さを醸し出している。
なんてことだ。
さらに気持ちが沈む

逆風の区間は風よけのない場所を走り、
追い風の区間は、風よけのある場所を走る。
陸上競技者にとって、これほどいけずなコースはない。

27km~28km
正午の天候は「晴れ」気温13度北西の風7m
天候、気温ともにマラソンとしてはベストコンディション。
追い風として受ける7mもこのうえない。
だが、土手が遮っていて、その恩恵はない。

28km~29km
レース後、GPSのデータを見ると、27~30kmは、コースが下っていたことがわかる。
だが、走っている時にその実感はない。
タイムは逆に落ちていくばかりだ。

Koteisa_tks


29km~30km
佐野さんが「君が愛しい~」と歌う
「La Vita e['] Bella」
これは、ランナー向けのニューソング。
「星の下路の上」に次ぐ、ランニング向きの曲を作ってくれたら…
その願いは、この曲で叶っている。

今回、初めてセットリストに入れた、きゃりーぱみゅぱみゅ。
軽快で楽しい曲調が、終盤の疲れた脳を元気づけてくれるか?と思っていたが、脳の反応は至って普通。
運動中の脳にとって、曲調もさることながら、歌詞の意味が重要なのだ。

30km~31km
30km到達。
この10kmは見ていなかったが、勇気を持って、ペース表を見る。
迫り来る最悪の事態を回避するためだ。
このまま、ずるずると「へろへろRUN」になってしまうと、それは現実になる。それは避けたい。

Coursew とくしまは太平洋に面したマラソン


31km~32km
荒涼とした田畑を見ている。
今、走っているこの位置から遠くまで見渡せる。
ということは、景色を遮る建物がないということだ。
今、どこかに避難しようということになった時、高い場所は・・
どこにもない。
田んぼにたった一つぽつんと建っている立方体の建物。
コンクリートでできていて、窓はない。
外壁沿いに階段が設置されて高い位置のドアにつながっている。
しかし、入口の門扉には鍵がかかっていて、誰もそこにあがることはできないのだろう。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月24日 (火)

鶴屋百貨店の売場は日本一かモン!

11:55
くまモンスクエアの視察は25分間で、一旦切り上げる。
さっきまで行列をしていた廊下は閑散としている。

この日から一か月後。
この文章をまとめるために、メモを整理していて気づいたことがある。

並んでいた時、僕らは入場を待つ列に並んでいると思っていた。
だが、そうではなかった。
くまモンショー
(繰り返しますが、そういう名前ではありません)
が終われば、入場制限が解除される。
そうすれば、ビル内の廊下に並んでいる程度の人数ならば、入場できるだけの容量がある。
僕らは、くまモンの出待ちをして、ハイタッチ&写真撮影をするために整列していたのだ。

さて列に並んでいた時、右手にくまモンの看板が目に入っていた。
鶴屋百貨店の東館にある、くまモングッズ売り場だ。
くまモンスクエアはテトリアくまもと鶴屋・東館の1階に入っている。

くまモンTシャツを着た僕。
特に珍しそうに見る人はいないが、お店の人にはカモが来たモンと思われたかも知れない。
地元の人は、誰もこんなわかりやすい服装をしていない。
今日この街で、くまモンを着ている人を見たのは、ショーウィンドーに映った自分だけだった。

鶴屋・東館のくまモン売場面積は、今回の旅で見たなかでは最も大きかった。

鶴屋百貨店を出ると、すぐとなりに県営有料駐車場。
なんだ、こんな近くに駐車場があったのか。

最初の1時間320円
以降30分ごと50円
昼間は上限の打切はない。

この値段ならば、くまモンスクエアからは少し離れているが、さっき停めてきた駐車場のほうが安い。
まずまずの選択だったかなと納得。

外気は35度。
空気が乾いていて喉がカラカラ。
こまめにOS-1で吸水する。

少し回り道になるのかも知れないが、アーケード街の中を往くことにする。
佐世保の四ケ町と比べると道幅が広い。
だが、それほど暑さが和らいでいない。
直射日光を受けているわけではないのに・・・


遠くから見える、くまモン
天井からぶら下がっている。

近づくとそれには、無数のLEDが埋め込まれている。
夜になると、きっとキレイだモン

Plaza



数日後、四ケ町を歩いていて、なぜ熊本のアーケードが暑いと感じたかがわかった。
四ケ町は、道幅が狭い分、両脇の店舗から流れ出る冷気が、通りを覆っている。
だから、夏でも少し冷んやりとしている。

一方、熊本のアーケードくらい道幅が広いと、両脇の店の冷気では、通りを冷やすには足りないということだった。

まぁ、この話とはあまり関係ないけどね。

くまモンのひみつ

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2013年9月23日 (月)

くまモン営業部長室でくまモンと記念撮影だモン

くまモンスクエア限定グッズを確保。
さぁ次はどうする?

ビューポイント4 軽食コーナー
くまもとのおいしい食材を使ったフード&ドリンクがあるんだモン。
事前にチェッくまーしておいたデコポンジュースはおさえて置きたいところ。

デコポン(DEKOPON)はへたが盛り上がった、ミカンに似た果物。
盛り上がったところが凸なので、デコポン。

熊本県芦北町の名産品で、生産量は熊本県が全国一。
デコポンプリン、デコポンゼリー、ジュース、缶詰などが商品化されている。

かつてデコがバルサに所属していた頃、デコがデコポンのかぶり物をかぶってデコポンのCMに出てはどうかと、絵コンテまで描いたが、JA熊本果実連に直訴する寸前で思いとどまった。

デコの出演料はとても高額で、割に合わないから却下されることは目に見えていたからだ。
今となっては、くまモンがデコポンをはじめとした熊本名産品をPRしてくれるので、その必要もない。

さて、デコポンジュース。
一緒に売られているアイスを食べている人が多い。
行列は、くまモン営業部長室の脇の通路まで伸びている。
外は35度。
グッズよりもアイスなのだ。
まぁいいか。これは諦めよう。

つづいて、ビューポイント1 くまモン営業部長室。
ここでお仕事してるんだモン!
確かにくまモンがお仕事している。

行列はさほど長くない。
列に並びながら、ポストに投函するお手紙を書く。
表には「直訴状」
内容は企業秘密だ。

室内に入ると、グループごとに順番に記念撮影。
くまモンに寄り沿うようにポーズを撮る。
待っている次の人は、フレームに映り込まないよう、少し離れて待っている。
さすが、日本人。
礼儀正しい!

ところが、前に並んでいたグループが、くまモンが座っていた椅子を動かし、くまモンの向きを変えた。
予め考えてきたシチュエーションで、撮影しているのだ。

部長に何をする!
誰も声には出さないが、周囲に微妙な空気が流れる。

Butyo 
前の人が付けた手形だモン


最後のビューポイント2は交流スペース(ステージ)
熊本県が生産高日本一のい草を使った畳が敷き詰められている。
これは休憩用の椅子?
それとも、これがステージ?
それは、数時間後のココロだモン。

一通りくまモンスクエアをチェッくまーし終えたところで、まだ3時からのショーまでは3時間近くある。
クルマは駐車場に停めたまま、徒歩圏内のポイントをチェッくまーすることにする。

くまモンのひみつ

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2013年9月22日 (日)

くまモンスクエア限定!オリジナルグッズ販売をチェッくまー!

くまモンスクエアをつぶさにチェッくまー!
ということで入室。

あぁこれがスクエアか
想像していたのは、すりガラスの向こうにくまモンの居室があり、それがくまモンスクエアの全体であるというもの。
実際には、くまモン営業部長室はその一角。

あたりを見回して、どのように回るか作戦を立てる。
こんな時は、瞬時にどこに目指すモノがあるかを見極めるコレクター動体視力が役立つ。

人が集まりそうな所。
混みそうなところは?
空いているうちにまず、そこを優先しよう。

ここだ
パンフレットによると
ビューポイント3 オリジナルグッズ販売

Shop

人はモノを買えば、お金を払う。
人が多ければ、レジに並ぶことになる。

"待つ"という時間ほど、もったいないものはない。
目的を達するには、待つことが唯一無二の行動である場合は仕方がないが、待たないで済む方法があれば、そちらを選ぶ。

ここにしかないくまモングッズをゲットできるモン。
いわゆる、限定販売だ。

ここでしか買えないものを買う。
これは、コレクターの鉄則。
あちこちのお店に行くより、今日、予算を集中投下するのはここでしょう。

欲しいなと思った品は迷わず手にとっていく。
仮にそこで600円のグッズを見送ったとする。
だが、600円は日常生活で、なにかを倹約すればすぐに捻出できる金額。
後になって、あぁなんであの時、600円を惜しんだのだろうと悔やむ。
それならば、欲しい!
と思った感覚を頼りに買うことを決断していく方がいい。

レジでお金を払う。
クレジットカードは使えない。
もしも使えたら、さらに財布の紐が緩むところだ。
折り曲げるとくまモンがカラシ蓮根をくわえた絵になるウチワをいただく。

再び、見逃したものがないかをチェッくまー
そこで、シールを発見。

18体のくまモンがアソートされたシールシート。250円
これは、洒落がわかる友だちへお土産に持とう。
再びレジへ。
カウンターの置物を撮影していると、お兄さんがパソコンのディスプレイを閉じてくれた。
「こんなにたくさん、ありがとうございます!」
親切で熱心なお兄さん。
あなたに幸せが訪れますようと、心で祈らずにいられない。

2013年9月、同様の趣向で作られたくまモンシールが、東急ハンズでカレンダーを買った客に配られていた。

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2013年9月21日 (土)

元春ホームパーティ21周年

元春ホームパーティ
略称:元春HP
はもうすぐ21周年。
今日は都内に仲間が集まって「20周年記念オフ」を開く。

元春HPは、かつて佐野元春公式サイト「Moto's Web Server」をたちあげた佐野元春ファンのコミュニティ。
今でこそ、いくつかのファンサイトやコミュニティがあるが、元春とつながっている点が他と異なっている。

1992年9月23日
NIFTY-ServeのFROCKで活動していた「店長」が、数名のメンバーと元春ホームパーティを立ち上げる。

1994年
元春が讀賣新聞で「教会のそばの公園で待つ MOTO」
と告知したゲリラライブの日は、ネットで情報交換した仲間が現地へ駆けつけた。

現代は、彼が何処で誰と何をしたということまで、御丁寧につぶやく人がいる環境。
見ず知らずの人が書いた情報を何の反応もせず、また誰かに伝えていく。

20年前、CUGでこんなことをしていたのは僕らだけ。
互いがどきどきわくわくを共有し、共感した。

1995年 3月13日
元春HP内有志のグループMIPSが、佐野元春、ソニーと共同で公式ウェブサイト「Moto's Web Server」を立ち上げた。

1997年
@niftyのホームパーティサービス終了に伴い「パティオ」サービスに引越。名称はそのまま元春ホームパーティとした。
原宿「ルイード」で5周年記念オフ開催。

2002年9月21日、都内で10周年記念オフ開催。

2004年9月
@niftyのパソコン通信サービス終了をにらみ、ミクシィのコミュニティとして「元春ホームパーティ」を開設。

2013年9月21日
20周年記念オフ開催

僕らは20年前、佐野元春というキーワードで集まった。
そこにあるのは共感。
佐野さんはかつて言った。
「共感が大切なんだ。でも1番難しいんだけどね」
どんなキーワードの下に集まったとしても、人が2人3人と集まれば、これは、永遠のテーマだ。

かつて、佐野さんに贈ったビデオメッセージをこう締めくくった。
「50になっても、60になっても佐野さんが歌い続けてくれる限り、僕らはずっと友だちでいられるでしょう」
それから19年。
今は少し違う。
「60になっても、70になっても^^;)佐野さんが歌い続けてくれる限り、僕らはずっと共感の大切さを追い求めるでしょう」

佐野元春の歴史

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2013年9月20日 (金)

フィルム・ノー・ダメージ これは微動だにせず 向き合う映画

電気ビルのホール
玄関で彼女を待っていた。
チケットを買った2ヶ月前には、仲が良かったのだが
最近はほとんど音信不通。
仕方ないな、1人で見るか
そう思って席へ戻ろうとした時、柱の陰で
ここにいるんですけど・・
と言わんばかりにこちらを見た。


30年前、誰と来たかを思い出しながら、開演を待つ。
今日となりにいるのは、見知らぬおじさん二人組。
向こうからみれば、見知らぬおじさん一人きり。ということになる。


盗撮は犯罪です。
繰り返し、手を変え品を変え、告知が流れる。

映画の予告編がつづく。
「そして、父になる」
はぜひ観たいと思う。

それにしても、もう開演時間をとうに過ぎているが、なかなか始まらない。

じりじりじり・・
わざと残したのか、30年前の時点でわざとなのか、
古いフィルムですよということを知らせる、ノイズが流れると
ようやく、30年前の世界へ回帰が始まる。

阿川佐和子のベストセラー「聞く力」でデーモン木暮が語っているのだが、ヘヴィメタでボーカルが高い声で歌うのは、低い声では演奏に埋没して聞こえないからだ。

それは、ロックでも同じこと。
低い声のボーカリストでは、スピード感が生まれない。
シャウトがないロックは、想像しづらい。
ロックは速く、高い必要があるのだ。

小田和正の声が高いのは、誰にも明らかだが、
桜井和寿の声も、かなり高い。
しかも、その高さで2時間歌うから、大丈夫なのかと観ていて心配になる。
尾崎豊も高かったし、フレディ・マーキュリーも高かった。

そして、27歳の元春
高い、速い
そして太い

「誰も上手いねと言ってくれなかった」
と元春は言うが、それは謙遜だ。
ハードランドは、上手くてスゴイ。

そこに、暴力的な自信に溢れた表情。
タイトで汗のグラデーションに滲むスーツ。
間違いなく、元春は一世一代のアイドル・ロック・スターだったな。

30年を超えて、ずっと今でもファンでいる理由を思い出した。
日頃は好青年
しかし、ステージに上がると豹変、すごさを見せつける。

その落差を当時、元春が言っていた言葉は

Hip & Cool

時に熱く、しかし冷静に。

この言葉をなぞろうと、ずいぶん努力をしたと思う。
村上龍がよく「現代の若者には、成功のモデルがいない」
といったことを言う。

こうして、30年前、元春のアーカイブを目にした時、確かにそうかも知れないと初めて納得した。

映画館に来る前は、手拍子を打ちたい。いや一緒に歌いたい。
そんなことを考えていた。
だが、ぴくりとも動けなかった。

この映画は、正座こそしないものの、微動だにせず、真剣に聞き入るものだ。
歌ったり、騒いだりするのは、現在の元春ライブに行けばいい。

佐野元春の歴史

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2013年9月19日 (木)

生涯でもっともバロンドールにちかづいたデコ、伝統の壁に阻まれる。

FCポルトで積んだ実績により、デコを欲しがらないクラブはないという状況になった。
当初は同じFCポルトからチェルシーへ移籍するホセ・モウリーニョ監督と行動を共にするという説が有力視された。
実際にチェルシーとの契約交渉も進んでいた。
だが、デコが行きたかったのはFCバルセロナ。

「バルサは、何も言ってきてないの?」
デコが代理人にけしかけると、すぐに話は進んだ。

2004年7月
リーガ(スペイン国内リーグ)FCバルセロナに移籍。
移籍金1,500万ユーロ(およそ20億円)
2007-08シーズンまでの4年契約
ユニフォームナンバー20

ポルトガル代表でつけていた「20」がそのまま、FCバルセロナでのナンバー。
ポルトで付けていた「10」は、デコより1年早くFCバルセロナにやってきたロナウジーニョが付けていたからだ。

結局、このあと所属したチェルシー、フルミネンセ共に、デコのナンバーは「20」
およそ10年間「20」を背負ったことになる。

入団直後、デコは「FCBarcelona on tour Japan2004」で初来日。

FCBarcelona on tour Japanとは、FCバルセロナが日本市場拡大のためにおこなうプロモーション・ツアー。
Jリーグクラブとの親善試合がメインだ。

ただし、デコは来日直前に街で起きたトラブルに巻き込まれて負傷。
試合には出場しなかった。

2004-05
デコのFCバルセロナ、1stシーズン。
チームのMFとしては、若きシャビがいたが、リーガ2004-05開幕からレギュラーとして出場する。

2004年12月14日
2004年のバロンドールはシェフチェンコ(国籍:ウクライナ、クラブ:ACミラン、位置:FW)が受賞。

次点デコ
CLを制覇したFCポルトの主軸としての活躍が評価された。
デコが選手生活で最もバロンドール(当時は欧州MVP)に近づいたシーズン。

ballondor
プロサッカーの年間最優秀選手賞に与えられる金色のサッカーボール(テルスター)を模したトロフィー。

2006年までの選出方法
欧州のプロサッカーリーグでプレーする選手が対象。国籍は不問。UEFAに加盟する各国記者の投票で選ばれる。

2007年からの選出方法
プロサッカーリーグでプレーする全選手が対象。世界各国記者の投票で選ばれる。

*以降3年の受賞者

2005年
11月28日、ロナウジーニョが受賞。
2006年
11月28日、カンナバーロが受賞。
2007年
12月2日、世界最優秀選手の第1回はカカが受賞。


2004年当時はまだ「バロンドールはFWに与えるもの」という伝統があった。
FCバルセロナのシャビはワールドサッカーキング 2005/12/1 号インタビューで「バロンドールはFWの選手が受賞するものだから・・」と語っている。
MFのデコはその壁に阻まれてしまった。

つづく

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2013年9月18日 (水)

デコとロナウド、ユーロ2004でメジャー大会デビュー!

2004年6月
ポルトガル代表に入ったデコは、初めてのメジャー大会である「ユーロ」に初出場する。

「ユーロ」は、UEFAが主催する欧州選手権。
国別対抗戦であり、出場するのは各国の代表チーム。
W杯の欧州限定版といえる。
開催は4年に1度。W杯と2年ずらして行われる。

ユーロ2004(第13回大会)は、ポルトガル開催。
デコが所属するチームとしては、母国開催となった。

ポルトガルの監督はブラジル人のルイス・フェリペ・スコラーリ。
W杯2002(決勝:横浜)では、優勝したブラジルの監督だった。

ポルトガルには、フィーゴ、デコ、マニシェ、リカルド・カルバーリョ、パウレタといった各国のビッグクラブで活躍する選手が揃っており、優勝候補と位置づけられていた。

ところが大会直前、主力であるフィーゴとルイ・コスタが、またもデコの代表入りに不快感を表明。
デコが沈黙を守ったことで、内紛には至らなかったが、とてもチーム一丸とは言えなかった。

デコは初戦こそ先発をルイ・コスタに譲ったが、後半から攻撃的MFとして初出場。
同じく後半から、クリスチアーノ・ロナウドもユーロにデビューした。
初戦は0-1でギリシアに敗れてしまう。

つづく第2戦以降は、10番のコスタに替わり、20番のデコが攻撃的MF(日本ではよく司令塔という)のレギュラーとなった。

ベスト8のイングランド戦はPK戦までもつれ、デコが1番手で蹴り、成功させている。
デコが代表公式戦のPK戦で蹴ったのは、この一度きりである。

決勝は、グループリーグの初戦で敗れたギリシアが相手。
ポルトガルのMFは、左からロナウド、デコ、フィーゴが並ぶ豪華な布陣。
この形はW杯2006までつづいた。

試合は57分にギリシアが先制。
相手の長所を消すことに徹したギリシアは、デコにマークを二人つけるという異様な策を打つ。
そのリアクション・サッカーに、ポルトガルの華麗な攻撃サッカーは敗れた。

ユーロ終了後、デコは移籍先を探す。
それは、夢だった欧州ビッグクラブへの挑戦。
ただし、FCポルトには強い愛着を抱いており、後の2006年10月には「現役生活をFCポルトで終えたい」と話している。
結果的には、それも叶わなかった。

つづく

デコファンサイト

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2013年9月17日 (火)

デコにあったインターコンチネンタルを制する大きなチャンス

当時、欧州と南米のクラブチームナンバー1を決める大会は「トヨタカップ」
別名インターコンチネンタルカップ。
欧州と南米のクラブ選手権優勝チームが1試合のみでクラブチーム世界一を決める。

出場するのは以下の2チームだけ。
開催国は、中立地であり、トヨタ本社がある日本。

■欧州代表:UEFACLチャンピオン
■南米代表:リベルタドーレスカップ チャンピオン

1981年に第1回を開催。
最終回は2004年
トヨタカップ対戦成績:欧州13勝、南米12勝。

2004年12月12日
トヨタカップ最終回
横浜国際競技場で開催。

欧州代表のFCポルト(ポルトガル)が南米代表オンセ・カルダス(コロンビア)に勝利。
最終回を飾った。

ただし、デコはこの5ヶ月前にFCバルセロナに移籍。
既にチームを後にしていた。

結局、デコはトヨタカップ、クラブワールドカップのタイトルを一度も手にできなかった。
FCバルセロナでは1度、出場したが涙を呑んだ。
フルミネンセでは、コパ・リベルタドーレスを制することができなかった。

あの時あと1年、FCポルトに残っていれば・・・
覆水盆に返らずである。

2003-04シーズン
デコはUEFA最優秀選手、最優秀MFに選ばれる。
この名誉あるタイトルを獲得したのは、この1度きりである。

デコファンサイト

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2013年9月16日 (月)

パソコンのメールをケータイで読む方法

パソコンのメール(OCNやニフティなど)
をケータイで読む方法は、どうやっているのですか?

友だちから質問が来たのでまとめてみました。


パソコンのメールソフトは、POPで設定していると思います。

POP(ぴーおーぴー)と読みます。
ポップではありません。
初めてメールの設定をした時に、
なんだか楽しそうな名前だなぁ~
POPがあるなら、ROCKもあるのか?
とつっこんだ人もいるでしょう・・・

POP:Post Office Protocol
メール受信の通信規約(プロトコル)の名前。

 POPサーバーに 受信したメールを貯めておき、ユーザーはそこからメールをダウンロードする。
ダウンロードするとそのメールはサーバーから削除される。
このようなメールをPOPメールという。

 POP3、POP4という表記の「3」や「4」はPOPのヴァージョンを表している。


さて本題ですが、IMAPという方式を使います。
Internet Message Access Protocol
メールサーバーに存在するメールを閲覧する、メール受信方式です。
メールサーバーに残っていないメールは、見ることができません。
詳しくは後で述べます。


IMAPは、パソコン用のメールをケータイで読むときに使う代表的な方法。
ケータイ・スマホ側の設定に必要な情報は、パソコンメールを提供しているプロバイダーのウェブサイトで開示しています。

IMAP 設定方法 OCN

といったキーワードで探してみてください。

以下は、パソコンに入っているメールソフトの設定方法です。

前提
ケータイはIMAP、パソコンはPOPで運用する

●パソコンのメールソフトで「サーバーにメッセージのコピーを置く」にチェックを入れる。
●サーバーから削除する*日後(日数を入れる)

こうしておくと
・パソコンで受信した後も、*日間はケータイでそのメールを受信できる。
 ただし、新規着信のマークはつかない。

・*日後にケータイのメール一覧から消える。

・*(日数)の設定を変更すると、次回ケータイで受信した際、反映される。
 「5日後」から「1日後」に変更した場合、2日前~5日前のメールがケータイの一覧から消える。

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2013年9月15日 (日)

東京五輪2020が変えた、子ども達とその親、7年の光景

こどものいる光景
こどもを取り巻く光景

そこで明らかに状況は変わっている。

町を歩いている時それは何も感じない。
通勤電車に乗っていても、駅を見渡しても感じない。
都営線の駅に「応援ありがとう」のポスターが1枚増えただけだ。
職場で働いていても、誰もそれを口にしない。

そこには子供がいないからだ。

子供のいる風景は違う。
お子さん、サッカーしてましたよね?
オリンピック出られますね。

そんな話題を振ることができる。
これまでならば、天気がいいですね?とか暑くてたまらないですね?
最近呑みに行ってますか?
そんなことしか思い浮かばなくて、そんなことならば話しかけるのはやめておこうと思っていた。

そうですね。
うちの子はちょうど2020年には20歳なんですけど
でも所属しているクラブでもレギュラーが取れていないし
それでも、7年後の自分はどんなだろう?と言っています。
スポーツ関連の学校に進んで、何らかの形で関わりたいと言い始めましたね。

近所の子供に老夫婦が声をかける。

ケイコちゃん、オリンピック出たらいいね。

まだ、5歳の子供だ。
7年後には12歳。
そんな年齢で出られる競技はない・・
なんて言うのは無粋。

えぇ、開会式には

その子のお母さん、笑顔で答えている。
皆が笑顔になった。

そこにいるのは、子ども達。

子ども達がいるところで、明らかに状況は変わった。
それは子ども達が変わろうとしているからだ。
子供がしらけているのに、親だけが盛り上がっていたらアホに見える。

これから7年で、人生のなかでとても難しい小学校、中学校、高校という時期にさしかかる子供はなんて幸せなんだろう。

自分が夢を持つことができる。
周りが夢を持っているので、自分ものっていける。

周りが夢をもっているので、派閥やいじめや誹謗中傷、そこへ向かうエネルギーが軽減する。
自分は五輪に夢を感じなくても、自分の夢へ進む道を邪魔する勢力が減る。
人生に不要な修行を積まなくて済む。

今から遡ること7年、10年前
熟慮のうえ、子供を産んだご夫婦の皆さん
多くの苦労があったと思う。
そして、それは正解だった。

2020年東京五輪

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2013年9月14日 (土)

これだけは、とくしまマラソンが日本一?

21km~22km
中間点で、タイムとペース表を確認する。
最後まで最善を尽くすことを諦めてはいない。
だが、本日の目標タイムに届かないことは痛いほどわかっている。

最後まで、必死に走る。

それだけが今日のレースに残された最後の誇りだ。
そう決めたら、ここから先、ペース表で遅れを確認するのをやめることにする。

22km~23km
足下になにか落ちている。
asicsのキャップだ。
持ち主は風で飛ばされた帽子を追う気力もなかったのだろう。

僕が拾っても、どうしようもないよな。
そう思った時だ。
前を走っていた女性ランナーが、しゃがんだかと思うと帽子を拾って走り始めた。
まさか、これから落とし主を探すの?
すると、その先にあったエイドでオトシモノですよと渡していた。
あの気持ちの余裕、ボランタリーに頭が下がる。

Map_tks 左端の折り返しは24km地点

24km~25km
24kmちょうどでようやく、折り返しの橋に着いた。
君をずっと待っていたんだよ。
でも、ちょっと来るのが遅かったよね。
橋に話しかける。

橋の上は交通規制されておらず、通常通りクルマが走っている。
ランナーは歩道を走る。
橋を渡り終えるとすぐに左折。
いよいよ待ちに待った"後半"だ。

さっきまでは間近にいた観客が、規制されたガードレールの向こうにいてクリアな道ができている。
そこから先は一気に下り。
人が見ていると、つい調子に乗ってしまうのは子供のころからの悪いクセ。
急にやる気が出てスピードを上げる。

「おぉっ速い」
誰に言ったのかおじさんの感嘆が聞こえたが、自分の脳が作りだした錯覚かも知れない。
それにしても、ここだけ突出して人が多い。
団体バスでやってきたのかと思うほどの人だかり。

25km~26km
空っぽになっていた右手のグリップ給水ボトルを捨てる。
去年片方だけ捨てたところ、バランスが悪くなったようでレース中に肩が凝ってしまった。
今年は空っぽになっても最後まで両方持っていようと思ってきたのだが、予定が変わった。

このレースの目標が曖昧になった。
脇目もふらずに歯を食いしばって走る展開ではなくなっている。
多くのランナーは、沿道の皆さんとハイタッチをしている。
ハイタッチをするには、どちらか片方の手を空けなければならない。

コースの右側に寄って、右側の人とハイタッチ。
子どもを重点に。
沿道に応援に来た皆さんが、ハイタッチを構えている率は、全国のマラソンでここが日本一なのではないか?

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月13日 (金)

トレイントレインにジャンプを決める余裕

17-18km
ここで風が止む。
まだ気力は残っている。
記録への執着も捨てていない。
ここまでにできた借金は大きいが、後半に何が起こるかわからないじゃないか。

21キロで折り返した途端、どえらい追い風が吹くかも知れない。
それによって、絶好調モードに入れるかも。

現時点では、体がどのくらい疲れているのかわからない。
ただ一つ言えることは、今年も後半に借金を背負ったレースになることが確定した。
これで3期連続だ。

2011年の「全国健勝マラソン日本海大会」
2012年の「佐倉朝日健康マラソン」
後半は必死に走り、激しく疲れた。
また、この後、あれをやらなければならないのかと思うと、がっかりした。

18-19km
風が止んだと思ったのはぬか喜び。
一転して強風が再開された。
結局、この前の1kmのラップを上まわることは二度と無かった。
ついに7分台。

それにしても、折り返しの橋が見えてこない。
21キロで折り返しならば、もう遠くの視界にとらえても良さそうな頃。

19km~20km
ランナーが走っている土手は高い。
太平洋に注ぐ吉野川、その河口に近いこのあたりは、歴史の必然として土手を高く、高く積んできたのだろう。

はるか下に見下ろす民家の前に椅子を出し、見上げて手を振る人々。
さっきから、前を行くランナーが右を見て走っていたのは、それに応えていたのだ。

20km~21km
♪栄光に向かって走る~
聞き慣れた歌詞、かき鳴らすギター
ロックバンドの生演奏だ
「トレイントレイン」

すると前を走っていた推定40歳のランナーが
ブルーハーツばりのジャンプを決めた。
笑った
ロッカー達と一緒に。

中間点は目の前、それなのに折り返しの橋はどこにも見えない。
そうだ。
折り返しは、21kmと思っていたのは勘違い。
川を渡り、折り返して向きが変わる橋は、24km地点だったのである。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月12日 (木)

聴きに行く映画「フィルム・ノー・ダメージ」 プレビュー

1つの映画を2度映画館で見るのは生涯初めて。
間もなく、その経験をすることになりそうだ。

30年の時を超えて、revisited するのは
「フィルム・ノー・ダメージ:佐野元春 & THE HEARTLAND」

1983年、時代に先駆けて佐野元春が作ったドキュメンタリー映画の再上映。

1983年「ロックンロールナイトツアー」、ツアー最終日、中野サンプラザのライブを16mmカメラで撮影。
ニューヨークに旅立つ前の元春が、日本でのライブ活動を映像でファンに残したいと考えて記録した。

そして、元春がニューヨークへ発った後、その年の11月、全国の小ホールで上映された。
日程はほぼ1日に限られており、当時「フィルム・コンサート」と呼称していた。

福岡での会場は、渡辺通にある電気ビルの小ホール。
小規模の講演や、上映会に使われていたホールだ。

時は流れて、2013年9月7日
全国のシネマコンプレックスなどで封切り。
スケジュールはおよそ2週間。
大半の会場では、9月20日で終了となる。

このフィルムは、マスターが消失したとされていたが、元春から「ぜひ見つけて欲しい」という要望があり、近年、SONYの倉庫で発見された。

画質はデジタルリマスター。
試写を見た元春は「かなり明るくなった」と言っているが、それはこの目で確かめよう。

かつて、CS放送の東映映画チャンネルが「仮面ライダー旧1号」をデジタルリマスターして放映したことがあったが、明るい、鮮やかという印象はなかった。

ビデオテープの明るく詳細な画像に慣れている現代人は、リマスタリングしても、キレイだと感じなくなっているのだ。

この映画は見に行くことが主眼ではない。
聴きに行く映画だ。

マルチ・トラッキング・テープ(24ch)で録音されていた音源が別途残っており、それを5.1chサラウンドにリミックス。
これを映画の音声として使用している。

5.1chサラウンド(ごーてんいっちゃんねる さらうんど)とは、以下に記す6個のスピーカーを使うサラウンドステレオ方式。

■前方中央
■重低音専用
■前方 左・右
■後方 左・右

重低音専用スピーカーは全体の低音を担当しているので、1チャンネルとしてカウントしない。
ゆえに6chではなく5.1と表現される。

公開館のひとつ、立川シネマシティでは、ファンを招待して音響調整見学会を開いた。
映画の音自体がすごそうなのに、音にこだわった設備で鳴らすと、どんなスゴイことになるかわからない。
映画を見るために立川に行くのはちょっと遠いので、川崎チネチッタの券を買った。

30年前、若く激しく、誰もが「スゴイね」と言った頃の元春。
黙って座って見ていられるだろうか。
周りをきょろきょろ見回して、隙あらば叫んでみようか。
手拍子は打っていいのか・・・

そんなこと、映画館に聞くわけにもいかない。

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2013年9月11日 (水)

出待ちの衆に愛想を振りまく、くまモンをチェッくまー!

11:30
くまモンショーが終わったようだ。
入場制限を受けて、出待ちしていた皆の衆から一斉に歓声があがる。

くまもーん!
わー、きゃー
そう叫びながら、みんな笑っている。
目が三角になっている人はいない。

遠くに黒い物体を視界にとらえた。

Km1
ハイタッチを待つ


おぉっ、ついにナマくまモン

うわっ、ほんとに丸い(笑)
それに可愛い
なぜ、そんなに顔が笑っているように見えるのか。

その昔、折り曲げると伊藤博文が笑って見えると言って、スナックのお姉ちゃんに千円札を折って見せる人がいたが、これもあのような目の錯覚なのか。
あるいは計算され尽くした3次元造形の妙なのか。

この出待ちで目指せるのは「ハイタッチ」と「写真撮影」
二兎を追う者は一兎をも得ず
これは、デコおっかけで学んだ出待ちの鉄則。
ハイタッチを捨てて、写真撮影に専念した

ということにしておこう^^;)

目の前を通り過ぎたくまモンは、玄関を出るところでふり返り、皆に愛想をもうひと絞り振りまく。

Km3 どうです、この熱狂


くまモンが営業に出かけ、その姿が見えなくなったところで、くまモンスクエアの入場制限が解かれていた。

当初の予定では、うまくいけば、11時のくまモンショーを見た後、県民百貨店や熊本城へ流れる予定だった。

このまま、くまモンショーを見ずには帰れないモン


この時点で、あと4時間粘る腹は決まっていた。

そうと決まれば腹ごしらえ。
ではなく、くまモンスクエアをつぶさに
チェッくまー!

くまモンのひみつ

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2013年9月10日 (火)

くまモンスクエアのサービス精神!くまモン出待ち

白いワイシャツを着たチームくまもんの係員がやってきた。

くまモンはこの後、ここを通って営業に出かけます。
ここに並んでおられる方は、ハイタッチ、写真をお撮り頂けます。

おぉっ!

行列の衆から歓声があがる。
いよいよ、ナマくまモン目撃の一瞬がやってくるのだ。
東京から来た甲斐があった。

ここでも、チームくまモンがファンの気持ちに立って、運用をよく練っていることがうかがえる。
チームくまモンの皆さんが、3月のメディア発表後、会議を重ねている映像が浮かぶ。



もしくまモンが、くまモンスクエアから直接、控え室に入ってしまうような導線になっていたら?
「入場制限」されて、外で待っていた人は、くまモンが間近にいながら、肩すかしを食うことになる。

遠くから来た人も居るだろう。 はいっ^^;)
この日を楽しみにしていた子供も多いだろう。
くまモンを見に連れてってやるぞ!
その使命に燃えたお父さん、お母さん。

誰もが、係員の説明を受けて、笑顔になった。

後でわかるのだが、くまモンがくまモンスクエアを退出した際、今度は室内に居た人に「退出制限」がかかる。
つまり、くまモンが廊下を通り玄関から出て行く間は「入場制限」で閉め出された人たちだけにくまモンがサービスするのである。

これは、コンサートで言うところの、楽屋からの「出待ち」だ。
サッカー選手ならば、競技場から出てバスに乗り込むまでの「出待ち」

通常、出待ちの3大イベントは
「サイン」「写真」「プレゼント渡し」

さて今日のこの場面ではどうか。
まず、これだけの人がいる中でサインは難しい。
サッカーチームならば複数の選手がいるため、短時間にある程度のサインが書ける。
しかし、くまモンは1人だ。

プレゼントを渡すというのも微妙だ。
まぁ、そこは深く考えないことにしよう。

結局、くまモンスクエアに詰めかけた人々はここでハイタッチ、写真撮影、あわよくば
「むーぎゅーからのーカプッ」
を狙う。

これは、くまモンがツィッターで誕生日のユーザーにリプライする決めぜりふ。
「ハッピーバースデーむーぎゅーからのーカプッ☆」
むーぎゅーはハグ。カプッは頭を噛むことである。

くまモンスクエアからは、電子キーボードの軽快なイントロが流れてきた。
思わず、体が動き出しそうになる。
「くまもとサプライズ!」だ。
くまモン体操を踊る曲だが、曲名は「くまもとサプライズ」
それにしても、これを作ったボンボ藤井という人は、どんな人なのだろうか。

(ネットには書いてありますが・・)
いや、そういう意味じゃなく、とてつもなく可能性を秘めた人だということだ。

家族連れは、代わりばんこに列を離れて
中の様子を写真に撮っている。

Screen
室内で撮影


ただし、室外からはくまモンが立っているステージはほぼ死角になっており、まともな写真は撮れなかっただろう。
モニターに映った映像を映してきた人もいたが、モニターに映っているのはショーとは関係がない過去映像だ。

くまモンのひみつ

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2013年9月 9日 (月)

滝川クリステルが起用された理由 貢献したポイントとは

滝川クリステルはかつて、斜め45度の角度でニュースを読んでいたタレントである。

1977年10月1日
パリでフランス人の父親、日本人の母親の間に生まれる。

2000年
契約社員として共同テレビ入社

契約社員とは、期間や業務内容などに何らかの制限がある労働契約。
法的にはこの言葉はない。
正社員と同等の労働をしている場合、同等の待遇を受ける権利がある。

2002年10月
フジテレビの深夜ニュース番組「ニュースJAPAN」のキャスターとして出演開始。

2003年
出演から一年後、カメラアングルを斜め45度に変更。

「モナリザを参考にした」という斜の構えとほほえみ。
従来のニュースキャスターにはなかった芸風。
初めて見た時は、目が点になった。

実家に帰ってテレビを見ていた時、初めて滝川を見た姉は
「なに、これ? おかしい」
と笑い出した。

異国人どうしの父母の間に生まれた子どもを日本では「ハーフ」と呼んできたが、近年「ダブル」という呼称が使われ始めている。
滝川は自らを「ハーフではない。ダブルです」と言っている。

2007年
12月、斜め45度アングルを休止する。

そっくりさんタレントの幸サヘル(本名サヘル・ローズ 1986年10月23日生まれ イラン出身)が年末年始のテレビ番組で物まねを披露、脚光を浴びた。

2008年2月11日
斜め45度アングルを再開。

2月「やっぱり滝川クリステルは斜め45度がいいのだ!」小倉淳 講談社~が出版される。
全編、滝川のことを書いた本ではない。
テレビ局の表現について、内側から描いた好著。メディアで創作活動をする人は読む価値がある。
その1章で滝川の斜め45度について分析している。

2009年9月26日
ニュースキャスターとしての出演が最終回を迎えた。

2009年10月
資生堂「TSUBAKI」でCM初出演。

2010年4月18日
「Mr.サンデー」出演開始

2013年
東京五輪2020年招致活動の招致アンバサダーとしてプレゼンに登壇。
流ちょうなフランス語は、一部のIOC委員から絶賛された。

オリンピックはフランス人のクーベルタンが考案した。
IOC委員にはフランス語を話す人が多い。
日本の「おもてなし」をアピールするスピーカーとして、流ちょうなフランス語を話す滝川が起用された。

フランスは2024年にパリ五輪開催を目指している。
もしも2020年がマドリッドに決まれば、同じヨーロッパでの連続開催になってしまい、可能性が薄まってしまう。

フランス語圏のIOC委員は、2020年には欧州以外の開催地を希望していたはずだ。
2016年は南米初のリオ五輪。
そうなると、2020年はアジアかアフリカしかない。

フランス語圏のIOC委員にフランス語で語りかける滝川の存在は、開催権獲得の大きなポイントを稼いだと言えるだろう。

2020年東京五輪

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2013年9月 8日 (日)

おめでとう!東京五輪決定!3度めの開催権獲得! 東京五輪の歴史

2013年9月8日5時
ブエノスアイレスの現地時間 7日17時20分
2020年に開催される第32回夏季五輪の開催地が発表された。

東京は、2016年夏季五輪につづいて、2大会連続の立候補。
度めの開催となる。

1度めの開催は、1964年(昭和39年)
だが、それは開催権獲得
度めでのことだった。

1936年 昭和11年
第12回 1940年夏期五輪の開催地が東京に決定。
これが1度めの権利獲得。

1939年
前年の日中戦争により、多くの国が参加をボイコットする見通しとなり、開催を返上。

1955年
第17回 1960年夏季五輪に立候補したがローマに敗れた。

1959年
第18回 1964年夏期五輪の開催地が東京に決定
得票数:東京34 デトロイト10 ウィーン9

1964年 昭和39年
10月10日、東京五輪開会式
開会式の日付が、その後長らく体育の日となっていた。
開会式の10日前には、東海道新幹線が開業している。

2005年9月
東京都が2016年夏期五輪の招致を表明。

2009年10月2日
IOC総会で 2016年夏期五輪開催地がリオデジャネイロ(ブラジル)に決まった。

それからわずか数日後の2009年10月11日
長崎・広島が共催での立候補を発表。

つづいて翌月の11月9日
石原慎太郎東京都知事が、開催地への立候補を表明。

2010年1月14日
JOCが2都市共催は難しいと判断したのを受けて、長崎市が立候補の取りやめを発表。
これに対して広島市長は取りやめが「当然の流れ」とコメントした。

2011年6月17日
スポーツ基本法が成立したこの日、石原慎太郎都知事が招致を改めて表明。

2011年9月1日
日本としての立候補地が東京に確定。


2013年9月8日
IOC総会で投票

3:57(日本時間)
3つの候補都市が表示されていた画面から、東京が消える。
1度めの投票経過が「マドリッドとイスタンブールのタイブレーク」と説明され、日本の関係者に「落選か?」と戦慄がはしる。
しかし、すぐに「東京は1位で勝ち抜け」だったことがわかる。

東京42 イスタンブール26 マドリッド26 棄権1

4:02
決戦投票 49-45 でイスタンブールが勝ち抜け。
すぐに東京、イスタンブールの決戦投票がおこなわれた。

5:20
開催地発表
封筒を開封したロゲ会長
ロゴマークをカメラに向けて取り出し、ひっくり返したところにかいてあったのは
TOKYO 2020
「とうきょう」
ロゲ会長の無表情で、素っ頓狂な棒読みと、TOKYOの文字を確認した日本に歓喜が爆発した。

一旦は落選?という喪失感を味わっただけに、まさに地獄から天国。
これ以上はないというドラマチックな投票推移となった。

決戦投票は 60-36 棄権1


みなさん、おめでとうございます!
これから、いろいろと楽しくなりますね! ^^)

2020年東京五輪

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2013年9月 7日 (土)

デコ、微妙なUEFAカップと、最高峰UEFA CLを制覇!

UEFAカップという名前は2008-09シーズンまで。
2009-10シーズンからは「欧州リーグ」という名前になっている。
UEFA CL(チャンピオンズリーグ)に出場できなかった次点のチームが中心となっておこなうカップ戦である。

欧州のクラブチームナンバー1を決める大会はチャンピオンズリーグ。
では、欧州リーグは何を決めるのか?

答えは何も決めないである。
存在理由は、UEFAとクラブチームの収入アップというところだ。

これを日本プロ野球(NPB)にたとえるならば、
クライマックスシリーズの1stステージで敗退した2チームと、セパ両リーグの4位チームの合計4チームで、日本シリーズならぬ「日本リーグ」を開催するようなもの。

そのやるせない根拠に立脚したカップ戦であることを、主要新聞が詳しく言うことはない。
「日本の**、欧州リーグで優勝に貢献」
といった記事を見て、わぁすごいな、それにしても、サッカーファンは誰も盛り上がってないなと思った人がいることだろう。

2003-04
デコはFCポルトで、ユニフォームナンバー10を背負う。
スーペルリーガ2003-04優勝

2004年5月
UEFA CL優勝(デコにとって初めてのUEFA CL優勝)

「UEFAチャンピオンズリーグ2003/2004 ポルト優勝への軌跡」
というDVDが発売されている。
映像118分 販売価格4,700円

そのパッケージキャプションを引用する。

(以下引用)
シーズン当初、ポルトを優勝候補に数えるサッカーファンは極めて少なかった。
しかしポルトはその前年、UEFAカップ優勝、国内リーグ戦優勝、国内カップ戦優勝という三冠を達成、
確かな実力を持ったチームであることを証明していた。
そして03/04シーズン、モウリーニョ監督のもと一戦ずつ進化を続け、
ついに欧州一のクラブへと成長していった。

本作品ではまず1998年からの5年間のポルトの活躍を紹介、
そして03/04シーズンのCL出場
グループステージからファイナルまで、7チームとの全13試合を徹底紹介。
デコ、マッカーシー、コスタら主力選手とモウリーニョ監督、そして敗れ去った強豪選手たちのインタビューを随所に織り交ぜ高生、優勝の軌跡を追いかける。
(引用おわり)

ポルトとデコのファンにとっては、とても貴重な映像。
現在は中古市場の流通を探すしかない。

amazon販売ページ

デコファンサイト

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2013年9月 6日 (金)

デコ25歳、ブラジルではなく、ポルトガルという選択

1998-99シーズン
FCポルトはスーペルリーガで優勝する。
これは、デコにとって初めてのスーペルリーガ優勝であり、プロ入り後初のリーグ優勝経験である。

デコはその後、所属したすべてのクラブで優勝を経験している。

 ・FCバルセロナ リーガ
 ・チェルシー プレミアリーグ
 ・フルミネンセ カンペオナート・ブラジレイロ

デコが「優勝請負人」と呼ばれる所以である。

デコはFCポルトで6シーズン プレーする。
デコはホセ・モウリーニョ(13-14シーズンはチェルシー監督)を師と仰いでいるが、同じチームで過ごしたのは、この時だけである。

2002-03
2月、ホセ・モウリーニョ監督の勧めにより、25歳のデコはポルトガル国籍を取得。
ブラジル代表入りを諦めて、ポルトガル代表入りを目指すことにする。

ブラジル出身で他国籍を取得した選手は少なくない。
ブラジル代表入りするのは難関だからである。

■ブラジル出身で他国籍を取得した選手

1989年
ラモス瑠偉→日本に帰化
1997年
呂比須(ロペス)ワグナー→日本に帰化 1998年フランスW杯出場。
2001年
三都主アレサンドロ(アレックス)→日本に帰化 2002年日韓W杯出場

2003年
マルクス闘莉王(トゥーリオ)ユウジ ムルザニ田中→日本に帰化 2004年アテネ五輪出場

2005年4月
デルレイ(当時29歳)→ポルトガル国籍取得
2007年
ペペ→ポルトガル国籍取得
2009年
リエジソン→ポルトガル国籍取得


2003年3月
国籍取得の翌月、デコは初めてポルトガル代表入り。

3月29日
母国のブラジルを相手にした親善試合で代表初出場。
決勝のFKを決めて、ポルトガルを2-1で勝利に導いた。

デコをポルトガル代表に入れることには、ポルトガルの中心選手フィーゴを始めとして、反対する者が多かった。
デコは、初出場で結果を出し、その批判を封じ込めたのである。


デコは2010年W杯で、当時のカルロス・ケイロス監督に干されてしまい、最後のW杯をベンチで過ごした。
それでもデコは代表引退会見で「ここでたくさんの友人と出会えた。幸せだった」と語っている。

異国のチームで代表入りしたことで、デコは代表チームとしては真価を発揮しきれなかった。
だが、ブラジル代表にこだわりつづけたとして、ブラジル代表の中心選手になれたかというと怪しい。

2002-03シーズン
FCポルトは、UEFAカップでも優勝する。

デコファンサイト

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2013年9月 5日 (木)

トイレ、ホッチキス、胃薬、誤算つづきだ

10-11km
10kmのタイム
この数ラップのがんばりがあって、借金は1分に縮まった。
これでも、前年の佐倉朝日健康マラソンより26秒速いのだが、そんなことは走っていてわかりっこない。

ナンバーカードにホッチキスで留めておいたアミノダイレクトを1つちぎり、封を切って顆粒を口に頬張る。
グリップ給水ボトルのスペシャルドリンクで流し込む。

11-12km
おさまっていたかと思った逆風が、ここに来て強まってきた。
目標ペースよりもキロ20秒遅い。
逆風はこれほどまでに、ペースを落とすものなのか。

初マラソンの荒川市民マラソンは、中間点で折り返してゴールまでが逆風。
近隣のJRが停まるほどだった。
あれに比べれば、こんな風くらい、実力でカバーだ・・
と思っていたが、どうやら認識が違っていた。

初心者でもベテランでも、逆風に遭えば、大きくタイムを失うのである。
文字にするとこれだけのことだが、時分で経験して初めてわかることだ。

12-13km
下腹部に妙な感覚がはしる。
まさか
尿意だ。
トイレに行きたい・・
マラソンを7回走って、これまでトイレに行きたいと思ったことは1度もない。
なんでだ。
今回はOS-1を常用して、利尿作用を抑えていたはずなのに。

13-14km
風はおさまるどころか、次第に強さを増してきた。
今日のとくしまマラソンはバッド・コンディション・レースであると、命運が決されたようだ。

風でナンバーカードが音を立ててばたつく。
前に1枚、後ろに1枚
気にしてはいられないが、ストレスには違いない。
この大会に、背のカードは不要では?

14-15km
ホッチキス留めしたアミノダイレクトは、ウエストポーチと腹の間にさしこんでいたが、風で暴れてタコの足のように振る舞っている。
ホッチキスで停めたのは大失敗。
もう2度とやるまい。

気が散るので、ナンバーカードからちぎって、ウエストポーチにしまう。
数えてみると1本は、落ちてなくなっていた。

15-16km
15kmで確認した目標ペースからの借金は3分。
中間点まであと6km。
これ以上、借金を増やすと、後半がかなりきつくなる。
ここらが、デッドラインだな・・
とにかく、気持ちを切らさず、辛抱だ。

16-17km
さっきから、げっぷが出て困った
ここ数日、高価な胃薬を飲んだというのに

朝のフィッシュカツ2枚は多かった
来年はもう、揚げ物はよそう

辛抱がつづく。
この3kmは、まったく同じラップを刻んでいた。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月 4日 (水)

風のようにQちゃんが、抜いて行った

4-5km
吉野川を渡りきって、西行き。
ここからは中間地点まで延々と川を上っていく。
この1kmの高低差は6m以内。

フラットなコース!
と言われていても、本当にフラットなコースはない。
マラソンは公道を走るスポーツ。
フラットで走りやすいというレースでも、GPSが記録した高低差は地震計の針のように、細かく上下しているものだ。

グリップ給水ボトルでこまめな給水を摂る。
レプレニッシュをOS-1で割ったものを、両手に持ってきた。

45 4-5km区間


5-6km
5kmで手元のスプリット・ブレスレットを確認。
字が見えない・・
去年まで見えていた字がよく見えなくなっている。
来年のレースでは、5km毎だけに絞って、その分フォントサイズを上げることにしよう。

そんなことを考えながら走っている。
メモを取りたいが、そうもいかない。
レース中ずっと独り言を録音してくれる、超小型ICレコーダーが欲しい。
そうすれば、まさに"走りながら書いたブログ"だ。

6-7km
ラップは目標どおりで安定している。
だが、渋滞は相変わらず。
河川敷のコースは、荒川市民マラソン(現・板橋Cityマラソン)もそうだが、序盤は渋滞が激しいもの。
それにしても、とくしまマラソンの渋滞は半端ではない。
コースの許容範囲に対して、定員を多く取りすぎなのではないか。

7-8km
じぐざぐ走りはしたくない。
そういう余計な体力消耗は、後半に疲労となって効いてくる。
プロのマラソン・レースでも、序盤に余計な動きをした選手から順番に脱落していく。

できるだけ直線的に追い抜くためには、道路右端、まさに崖っぷちの所を行くしかない。
しかし、少しでも右側が空くと、さらに後ろから追い抜きランナーが来る。
スペースを求めた熾烈な戦いだ。

8-9km
後ろのほうがざわめいたかと思うと、Qちゃんが抜いて行く。
速い!
ランナーとハイタッチをしながら、声をかけていく。
となりに来たが、グリップ給水ボトルを両手に持っているのをみて、タッチなし。
手持ちの給水はグッドレースの生命線。
仕方ない。
少し残念だった。

時計の針は10時を回った。
などと言うのは、後でデータを見ながらのことであり、レース中、暦日時分とは縁がない。

9-10km
風だ
とくしまマラソンのように一定方向の"行ってこい"レースでは、片道が追い風の場合、片道が向かい風。
理想は無風。
追い風の助けは要らない。とにかく逆風はゴメンだ。

恐れていた風は前方からやってきた。
向かい風。
どうか、一瞬で止みますように
祈りつつ、下を向いて走る。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月 3日 (火)

4時間台に並んだのに、5時間ペースで走る人たち

スタートラインまでは、混んでおりウォーキング。
スピーカーからQちゃんの声がする。
「がんばって!」
「行ってらっしゃい!」

「怪我しないように」
それを言うなっての

ニューハレXの、感じがいい。
足首がしっかりと固定されていて、安心感がある。

スタートラインをまたいだところで、スタートボタンを押す。
GPSの記録によると9時6分31秒。
すなわち、4時間30分あたりの列に並んだ場合、ロスタイムは6分30秒ということになる。
このタイムは、他の大会と比較してごく平均的なものだ。

0-1km
はじめの1kmは、道がすごく狭い。
片側1車線、対向2車線の道を片側しか使っていない。
これは、全車線を使ったほうがよい。

極端なスローペースに驚く。
これまでに走ったどの大会でも、スタートから皆けっこうスピードを出していくのである。

「マラソンはいきなりとばしてはいけません。これでもかというほど、スローで入った方がタイムはよくなります」
というスロースタート説が浸透したのか?

皆飛ばさない。
いや、飛ばせないのだ。
入りの1kmは7分44秒もかかってしまった。

1-2km
道路は左折して橋へと向かう。
なだらかに上り始める。
あまりにペースが遅い。
せめてキロ7分以内に入れたいのだが、前が空いていない。
「通ります」
声をかけてから、わずかな隙間をついて、追い抜いていく。

それにしても4時間前半の列に並んだ人が、こんなに遅いペースで走っていていい訳がない。
このペースでは、終盤に上げたとしても5時間切りがやっとだろう。

2-3km
やがて前方に吉野川大橋が見えてくる・・
と言っても橋そのものは見えない。

ジェットコースターかっ

思わず道路につっこむ。
まさに、スタートしたばかりのジェットコースターが最高地点まで、カタカタカタカタと音を立てて進んでいく、あの景色と同じ。
道路の先に見えているのは青い空しかない。

空を見たら気が滅入る。
こういう時はひたすら地面を見て、平地だと思って淡々と走ることに努める。


3-4km
3km地点は橋の上で迎える。
ここまでまだ1度も、1kmラップが7分を切っていない。
予定ペースから、いきなり2分の借金。
去年はここでエンジンをかけずに気長に行ってしまい失敗した。
橋が下りにさしかかってからは、猛然とスピードを上げていく。
ようやく、この日初めて6分台に入れることができた。

逆風再び!とくしまマラソンを走る!

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2013年9月 2日 (月)

くまモンもんは森高千里が歌う!

くまモンスクエア 入場制限中

Ks

ツィッターでつぶやく
ツィッターはライブでこそ輝くツールだ。
人は本意、不本意に関わらず、不自由な日常を生きる。
それは生きるため。
家族を養うため。

そして、時々、非日常
その感動を、輝きを記録に残したい。

くまモンと会える時間(以下、簡略にくまモンショーと記します)は30分。
11時30分までは、この列は動かない。

15時の会の整理券でもくれるといいんだけどな。。

10分ほど過ぎると「くまモンもん」の歌が始まっている。
この曲はこの時点で「くまもとサプライズ」と並んで2大くまモンソング。
2013年9月25日には、くまモンもん(DVD付) として発売される。

くまモンもん(DVD付)

ディスク:1 
1. くまモンもん 
2. くまもとサプライズ!<くまモン体操> 
3. くまモンもん <オリジナル・カラオケ> 
4. くまもとサプライズ! <オリジナル・カラオケ> 

ディスク:2 
1. くまモンもん (MusicVideo) 
2. くまモンもん (振付映像) 
3. くまもとサプライズ! (振付映像) 

DVDを見ながらみんなで「くまモン体操」を踊る。
くまもとサプライズカラオケをかけて、それぞれのご当地・会社・グループの替え歌で歌って踊る。

くまモン映像はYou Tubeで公開されており、一人で見るならば無料で見ることができる。
だが、大勢で体を動かそう、みんなで歌おうという時にはディスク・パッケージの使い勝手がいい。

いろいろな使い方ができるお得な2枚。
これで1,289円。
もちろん、すぐ予約した。

ちなみに、くまモンもんは特に熊本出身の歌手、森高千里が歌っている。
そのニュースは、記者会見映像で見た人がいるかも知れない。

も・り・た・か・・
と聞いただけで、
くまモンっ、くまモンっ♪
と歌う、彼女の甘い声が脳内に流れた人がいれば同志である(笑)

この歌の表記は「くまモンもん」
くまモンモンではない。

そもそもの話として、くまモンはくまもんではないし、クマもんでもない。
くまがひらがなで、モンがカタカナ。

ここのブランドイメージに、くまモンはこだわっていて、ツィッターでダイレクトメッセージを送ったフォロワーが「クマもん」と表記していると
くまモンだモン
と訂正を入れるのを忘れない。

名前を覚える
名前を間違えない
人づきあいの基本だが、おろそかにしがちだ。

つづく

くまモンのひみつ

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2013年9月 1日 (日)

くまモンスクエア、到着!

セブンイレブンで買ったスクイーズボトルの缶コーヒー。
開ける時に吹き出してしまい、黄色いTシャツを汚している。
ちょうどシミになったあたりが、くまモンの両足の間。
なにやら、落としているみたいで微妙な位置だ。

そんなことを考えながら、小走りにくまモンスクエアを目指す。

ここか!

Uramon


と思ったら裏口。
ちなみに、このガラスの向こうは、くまモン営業部長室。
陽が照りこまない時間帯はブラインドが開いており、デスクに向かっているくまモンを背後から見ることができる。

正面入口から入るんだモン
くまモンのガイドに従い、正面にまわる。
炎天下、地面がやけて暑い。
正面の側からは、くまモンスクエアはココ!という道しるべは何もない。
閑散期には、ここがそうであることはわからないだろう。

もうすぐそばに、くまモンがいる。
はるばる、ここまでやってきた。
どきどき、わくわく
人生がこんな時間の連続ならば、それはそれは幸せだろう。


時刻はちょうど11時。
夏休み期間中は、11時と15時、1日2回くまモンが登場する。
その第一回目が始まる時刻。

すでに目の前まで、行列が伸びてきている。
やはり、ダメか
マイクを通した、MCの声が漏れ聞こえてくる。
案の定、もう入れない。

くまモンスクエアまでは、まだ少しだけ距離がある。
列の最後尾に並んだ人が、現状を確認することは難しい。

「ちょっと見て来る」
家族連れで来たグループは、誰かが列に残って代わりばんこに様子を見に行くことができる。

「大きなモニターがあるだけよ」
「みんな、モニターば写しよった」

偵察隊からもたらされる情報を、ありがたくヨコから聞いて、状況を把握する。

ここで、偵察隊のお母さんが「モニターがあるだけ」と勘違いしたのは、くまモンの立ち位置が、外からは死角になっていたためである。

行列に並ぶ人のために、行列の最後尾あたりの壁に1枚だけ、お知らせの紙が貼ってある。

お知らせ
入場制限の実施について

本日「くまモンスクエア」は、
混雑が予想されており、安全確保のために
入場制限を実施いたしております。

列にお並びいただいても「くまモンスクエア」
内への入場に時間を要したり、
短い時間のみの入場となる場合があります。
あらかじめご了承ください。

中寄せした文章も、こうして屋外で読む時は読めるなぁ・・
プレゼン資料の箇条書きを中寄せにする人は、何を考えているのだろうと日頃思っていたことを思い出している。

ヒマだ

つづく

くまモンのひみつ

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