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2014年11月15日 (土)

父とビフテキ

確か、それはまだ小学生低学年の頃だ。
山口県の温泉地にある旅館で僕は父が食事を終えるのを待っていた。
父はそこでひと仕事を終え、旅館の主人から少し遅い夕飯を供されていた。

食事を終えていた僕は、父を迎えに来て、その畳部屋の入り口に正座している。

父の皿に乗っているのは、見たこともない肉の塊。
それが、ビフテキというものだということは、すぐにわかった。
ビフテキという名前は聞いたことがある。

その頃、地上最高のごちそうであると信じて疑わなかった「とんかつ」よりも、上位にあるらしい。
なぜ、上位かというと、一度も食べたことがなかったからだ。

毎日、どのようなものが食卓に乗っていたかを覚えてはいないが、とんかつが1度食卓を飾ると、再会まで1ヶ月は開いたことだけは覚えている。

ましてや、ビフテキなるものは未知のものだ。
小学館の「小学*年生」や学研の「*年の科学」にビフテキ特集が載ることはなかったので、その姿を見たことがない。

まだ見ぬ強豪ジン・キニスキーと並んで、ビフテキはまだ見ぬあこがれ。
早く一度食べてみたいと思っていた。

その日が来た。
今日がそのチャンスだ。
迎えに来てよかった。
滅多に父を仕事先に迎えることはなかったので、その幸運を食べ物の神様に感謝した。

だが不運なことに、旅館の主は、その場で雑談を展開していた。
もっぱらその息子の行く末についてだ。
どうでしょう?
うまくいきますかね?

そんなの関係ない!
というギャグはまだ、この世に登場していないので、ただひたすら、聞き流す。

正座した足がしびれてくる。
別に正座を義務づけられているわけではないのに、なぜか、その日は膝を崩せない。
日記を読み返したわけではないが、それが、何かを期待してのことだと言うことは容易にわかる。

厳しい父のことだから、人前では、みっともないことはしない。
「おい、食べるか?」の声はかからないだろう。

僕ら家族だけにしてくれれば。
父も鬼ではない。
愛する息子にビフテキのひと切れを分け与えたいと思う。
それがおやごころだ。

だが、本当のところはわからない。
もしかすると、父としても数年ぶりのビフテキで、僕がそばにいて羨望の眼差しを送っていることが見えていなかったかも知れない。
父が鬼籍に入った今となっては、それを聞くこともできない。

子どもの頃の出来事は、こうして突然思い出す。
あの時、親はどう思っていたのか。
聞いてみたい。
だが、遺影の父にいくら語りかけても答えは雲の上。

これは、認知症を患った親にも言えることで、親が言葉をもって相対してくれることの貴重さを、これからも幾度となく痛感するのだろう。

結局、その日ビフテキは口に入らず仕舞い。
それから、数十年が過ぎた。

つづく

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