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2016年4月の30件の記事

2016年4月30日 (土)

トータルマックス本物と偽物の見分け方

自分のホームページに掲載されている広告をクリックすることはできないので、Google先生を尋ねるとそれはすぐに見つかった。

NIKE AIR MAX 95 ESSENTIAL
品番:749766-009
価格:17,280円

商品名に「TOTAL MAX SC」の名前はないが、これはどこから見てもそれに違いない。
異なる点を探すと2点見つかった。


【1】アッパーのグラデーションレイヤーのうち、最上部がメッシュになっている。
TOTAL MAX SCはオールレザーだった。

TOTAL MAX SCは、蒸れて暑いので夏場には履いていなかった。
今買うと、これから夏に向かうシーズン。
メッシュが入っているならば、夏でも履けるのではないか。


【2】ベロのairmaxロゴが文字・縁取り共につや消しの黒
TOTAL MAX SCは白だった。

かつてTOTAL MAX SC販売当時、入手困難な靴ゆえ、偽物が出回っていた。
コレクターの間では
「偽物と言われる中には、ナイキの委託工場が、裏ルートで流しているものもある」
といったことが、まことしやかに言われていた。

そうして語られていた「本物と偽物を見分けるポイント」の一つとして、このairmaxロゴの色や刺繍の違いが挙げられていた。



ブレイクギアvol.3(1997年3月 徳間書店)には「トータルマックスニセ物・本物の見分け方」が掲載されている。
ビジブルエア、ヒール、インソールなどいくつかのポイントが書かれているが、本物と偽物が並んだ写真を見ても、僕には見分けが付かなかった。
ということは、偽物が単体で売られていて、それを偽物と見破る確率はゼロに近いということだ。



【1】【2】以外は、TOTAL MAX SCと同じ仕様に見える。
価格は15,000円→17,280円
さほど値上がりしていない。

販売しているのは、ナイキ公式ショップ。
そしてAmazon のナイキショップでも取り扱いがあった。

Amazon で取り扱いがある商品には、取り扱い開始日が表示される。
この情報は、その商品が「いつ発売されたのか?」を知る材料として重宝する。
それによると、2016年4月12日
まだ、出たばかりだ。


その時点では、自分の「エアマックス95サイズ」である27.5cmも在庫がある。
しかし、早晩、その在庫はなくなるのだろう。

今まさに、偶然ながら、千載一遇のチャンスに出くわしてしまったのではないか?
それとも、そうやって焦ることこそ、ナイキの思うつぼか。

まずは、慌てて行動をおこさず、一回寝ることにした(笑)

つづく


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2016年4月29日 (金)

ノモマックスの歴史が引き合わせたトータルマックスとの再会

引っ越しのため、コレクションを泣く泣く処分するガレージセール。
始まってから10分足らず。
ぽんぽんと売れていき、15足があっという間になくなった。
あまりに呆気なくて、少し寂しさを感じはしたが、仲間の厚意がありがたく身にしみた。

僕にはちょっと大きくて、あまり履いてないんだ
38,000円で買ったTOTAL MAX SCは、僕より背が高いY君が5,000円で買ってくれた。
その後、彼がその靴をどれくらいの期間履いていたかは、聞いていない。


TOTAL MAX SC、つまりオールブラックのエアマックス95はその後、数回復刻販売されているが、いつも気づくのは完売後。
なかなか復縁の機会は訪れない。
今はもうコレクターではないので、ナイキショップの巡回はしていないし、ナイキアカウントのtwitterはフォロウしているが、こうしたレア化が予想されるモノはtweetされないことがある。



それはある日、突然訪れる。
その日、ノモマックス再販の記事をまとめていた。
ノモマックスは1996年に僕をコレクターに引きずり込んだ重要参考人(笑)

クロストレーニングカテゴリー
当時ドジャースに在籍していた野茂英雄モデル。
マイケル・ジョーダン、ペニー・ハーダウェイ、ミハエル・シューマッハなど多くのスポーツ選手のシグネチャーモデルを出しているナイキが、初めて出した「日本人シグネチャーモデル」である。

長らく、再販されず、恐らく野茂英雄の了解が取れないのだろうなと考えていた。
それが、初代発売から15年後の2011年SS(Spring&Summer)シーズンに再販された。








その後、日本以外では定期的にカラー展開されて、2016年も新色が販売されている。
しかし、ファーストカラーである「ドジャーブルー×白」だけは一度も再販されていない。
これこそは、野茂英雄の了解がとれないのか。
それとも、他のカラー展開で裾を広げて、満を持して「大御所」を登場させようという販売戦略なのか。








「ノモマックスの歴史」をアップロードし終えて、ページの体裁をチェックしていた時だ。
しらべるの広告に「黒いエアマックス95」が表示されていた。

つづく

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2016年4月28日 (木)

15足を売り尽くす スニーカーのガレージセール

TOTAL MAX SCとお別れする日は、ある日突然やってきた。

TOTAL MAX SCは、235%のプレ値で買ってから1年4ヶ月。
足が痛くなるため「履く靴」から「飾る靴」に格下げされていた。

通常、ナイキの靴とのお別れは九分九厘「加水分解」による。
「加水分解」という言葉は、靴コレクターで知らない人はいないが、そうでない人は誰も知らない。
靴のミッドソールが湿気をためて、ぼろぼろに分解することである。



写真は「エアマックス96」が加水分解した時のもの。
加水分解の時期は保管している環境が、多湿か否か。吸湿剤を入れていたか。
頻度高く履いていたかなどによるが、同一環境でも靴によって違う。
早い場合は6年くらいで分解したこともあるし、10年以上保つこともある。

1999年春、TOTAL MAX SCは購入して2年、発売からでも3年程度。
まだまだ、加水分解には早い。
それでも別れなければならなかったのは、引っ越しにより靴置き場が半分になることがわかったからだ。


当時、西川金太郎で用立てた「靴ラック」にはヨコ3×タテ10の30足が飾られていた。
だが新居にはラックをフル設置する場所がなく、タンスと天井の隙間に辛うじて半分を設えるのが精一杯。


15足を処分しなければならない。
当時、ヤフオクが産声を上げていたものの、コトは急を要する。
そこで、僕は15足の靴をクルマに積んで行商に出た。
行き先は職場である。

数人に事情を話すと、異動を知っている仲間が続々と駐車場に集まってきた。
文字通りのガレージセール。

当時、ブームは終わりを告げていたが、コレクター以外の人はいわゆる「スニーカーブーム」の話は知っていても、所有はしていなかった。
いつもは、僕の話を聞くだけだった彼ら。

興味深そうに箱を開けて、品定めを始めた。
別に売るつもりはなかったが、コレクターの性で箱を捨てずにとっておいたのが功を奏した。



ZP9701 asics「ジパング」の異様に目を見張っていたS君。
二年前、正価12,800円で買った靴は3,000円にした。


僕には大きかった AIR ZOOM TURF「シューマッハモデル」は、大柄のBさんが見ている。
それは超人気モデルなんですよ
「かっこいいねこれ、いくら?」
5,000円で売れた。


正価18,500円で買ったリーボックPUMP FURY(紫)はKさんに3,000円で。

1997年に正価19,970円の1割引で買ったPUMP FURY「香港返還モデル」は、T君に7,000円。
1割引の18,000円で買ったシューマッハ「ZOOM SCHU」もT君。
ただし、この靴はクルマ運転用としてとても貴重だったので、これだけは残せばよかったとしばらく後悔していた。

11,000円に対してプレ値の14,800円で買ったAIR LAVADOME(orange)はMに5,000円

リーボックDMX RUNは、元々たたき売りの5,000円で買ったものだったのでY君に2,000円。


待ったなしの在庫処分市ゆえ、第一声から掛け値なしの安価をつける。
事実、中古市場からしても破格な値段だ。
そういう相場は知らない彼らだが、異動する僕への餞別代わりと思ったのか、誰一人値切ることもなく「買う!」と即決。
すぐに財布からお金を出してくれた。

つづく

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2016年4月27日 (水)

荒川マラソン、運命の27km

板橋Cityマラソンのコースは荒川河川敷。
27km地点で「堀切橋」と交差する。
河川敷に整備されたジョギング(サイクリングコース)は橋と交差する地点で2つに分かれる。
1つは橋をくぐるルート
もう1つは橋を通るルート

どちらが下を通すかによって高低差のありなしが変わる。
ここ<復路>27km地点では、高低差のある方を通る。


10年前、初マラソンで「荒川市民マラソン」を走った時は、<復路>が暴逆風だった。
それでもなんとか6km近く走ってきた。
だが、ここの上り坂(高低差8m)を見上げた時、こう考えた。
「ここでムリしたら足を傷めてしまう。だったら歩いた方がいいのではないか」
結局ここで歩き始め、そのままゴール手前50mまでのおよそ15kmを歩き通したのだった。

マラソンを続けてきて10年。
荒川の「27km地点」を忘れたことはない。
どの大会を走っても、27km地点を通過する時は、荒川を思い出す。
いつかもう一度荒川を走り、その時は27km地点で「どうだ、見てくれ。もう昔の自分とは違うぜ」と言いたいと思っていた。


同じ勾配率で上っていく直線。
足は悲鳴を上げていた。
27kmの看板に目をやり、写真を撮りたいなと思ったが、そういう機材は持ち合わせていない。
マラソン11回出場のうち、カメラを持ったのは「東京マラソン」の一回きりだ。
そのレースで失敗したこともあり、それ以降、物見遊山な行為は慎んでいる。


足を使わないよう、肘を強く引いて進む。
それは歩いているほどのスピード。
現に周りは皆歩いているが、彼らより少しだけ速い程度だ。



今回最大の狙いは「おにぎりステーション」だった。
10年前、初マラソンで走った時も、事前に「金芽米」のおにぎりが振る舞われると周知されていた。
しかし、おにぎりが出るエイドに着いた時、既にそこは撤収した後だった。
完走ぎりぎり、ほぼ最後尾では仕方ないな
と思った翌日、東京版の朝刊を開いて愕然とした。

そこには「金芽米のおにぎりがランナーと応援の人たちに振る舞われた」と出ていたのだ。
ランナーだけで個数が終わったのならば、仕方がない。
だが、それを炭水化物を必要としていない近隣住民が食べてしまうなんて。

それ以来、マラソンに出る度「おにぎり」への執着が強い。
それを初めて手にしたのはマラソン5度め「長野マラソン」ゴール後のことだった。

その後「全国健勝マラソン日本海大会」(石川県)でも、ゴール後におにぎりが出た。
10回走って、おにぎりをゲットできたのは合わせて2度しかない。


27.7km 第10給水所
給水所に「おにぎり」が見えた。
あぁ、ここがおにぎりステーションか
おにぎりと言っても、コンビニ弁当で食べやすく俵に型どったご飯程度の大きさ。
念願だったので、トレーから1つピックアップ
海苔は巻いていないし、具もない。
特にそれで力が出たと言うこともないし、味もほとんどしない。
(走っている時は、よほど濃い味じゃないと味覚に訴えない)
でも、エイドでよく出るパンと比べれば、むせることもなく食べられた。

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2016年4月26日 (火)

マラソンコースで砂利道はやめて欲しい

20km
予定していたペースに対して3分の貯金が残ったまま。
二つめのジェルを摂る。
今回レース中に摂るのは3つ。
10km毎に1つずつ。

ただ結論から言うと、ちょっと少なかった。
かつて最高では6つ摂ったことがある。
そのレースは未だに自分にとってのベストレース。
もちろん、成功レースの要因はジェルをたくさん摂ったということだけではない。
だが、それくらい摂っても大丈夫ということではある。

今回はいつも胸焼けがして苦しくなる「shotz」のカフェインタイプを1つだけにした。
代わりに使ったのは、ランニングショップ店頭販売で薦められた「Mag-on」
グレープフルーツ、梅を1つずつ。
その効果は諮りようがないが、粘度が低く胃に負担がかからなかったことだけは事実。
次回レースでは「shotz」2つ+「Mag-on」2つをベースに考えよう。


折り返し点には大きなコーンが立っている。
今からちょうど10年前、初マラソンの時と同じ光景。
あの時は、中間点だというのにあまりにカラダが軽く、自分はマラソンの天才なのではないか?と考えていた。

でも、それは勘違い。
武蔵野線が止まるほどの強風に<往路>は背中を押されていたのだった。
<復路>はそれを逆風で受けて撃沈した。

さて今日はというと、幸い風は弱い。
若干の逆風には違いないが、あの日の暴風に比べれば、涼しくてむしろ歓迎と言いたいくらいだ。


折り返して、22kmのラップも順調そのもの。
(走っている時はタイムは見ていない)


23kmのラップは10秒ほど落ちている。
走路が工事改修中で石がごろごろと転がっているのだ。
不良路面が200mほどつづく。

一定の路面を走ってきたランナーにとって、路面条件が変わることは問題を抱える要因。
まず、走りのリズムが崩れる。
そして、砂利に大粒の石が多い場合、それをもろに踏んで筋肉にダメージが残る。
「佐倉朝日健康マラソン」を走った時は、終盤に非舗装路があり、ソールが薄い靴を履いていた僕は罰ゲームかと思うほど足が痛かった。


日が照ってきて暑い
走る向きが変わり、後頭部に照りつけてきた。
数人のランナーは<復路>に入ると、キャップを後ろ前にかぶり直した。
僕もそうしたいのはやまやまだが、僕のキャップ(asics XTC145)にはサイドから後ろに日よけが付いている。
前後をかぶり直すことができないのだ。

薄い布の日よけでは防ぎ切れないほど、この時間帯の日照りはきつかったが、その後しばらくすると、日は陰り、しのぎやすくなった。


26.5kmからは再び走路が狭くなる。
<往路>14.5kmからの再現だ。

ここでラップタイムががくんと落ち始める。
そして10年前の鬼門「27km」が迫ってきた。

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2016年4月25日 (月)

陸連審判とハイタッチ


15.1kmの千住曙町橋梁が近づく。
道幅は狭くなり、未舗装路もある。
だが、ほとんどのランナーは急いで先へ行ってしまった。

渋滞で歩ける・・
と思っていたのに、歩いている人を抜いていけるスペースが辛うじて空いている。
当てが外れたが、まぁよしとして走り続ける。


いちばんタフな靴を選んで
また装飾のない服を着て
音楽は俺の頭の中で鳴らしてく

Mr.childrenの「I wanna be there」は、まさにマラソンレースを走りながら、ヘッドホンで音楽が鳴っている今の境遇にぴったり。
とても勇気づけられた。

一方では、当てが外れた曲もある。

走って転んで寝そべって
新しい明日が待っている

AIの「みんながみんな英雄」
走っている時に聴きたくな歌詞だ。
勇気づけられそうな予感がしていたが、裏目だった。


Charの「A Fair Wind」は初マラソンから11回つづけてセットリストに入れている。
荒川の川辺を眺めながら、初めて自然の中でレースをしていた時、この曲が流れていた。同様に11回連続で入れている曲には次のものがある。

佐野元春「星の下 路の上」
さぁ、これからペースを上げるぞというタイミングで、流れてくるととてもテンションがあがる曲。

ZARD「負けないで」
これは僕に限らず、音楽を聴いているほぼすべてのランナーが入れているだろう。


今回、初めて入れた中でとてもよかった曲は次の通り。
miwa「キットカナウ」
miwa「ストレスフリー」
Rev.from DVL「君がいて僕がいた」


渋滞で歩かずに済んだので、ここでマージンだった3分がそのまま貯金になった。
走路が再び3.5m幅に戻り、ほぼマイペースで走れる状態になった。

心拍数「148」の閾値を守り、順調に巡航している。
あとでmiCoach SMART RUN(MC)の記録を見ると、15kmと17kmのラップがベスト。
給水所に寄るラップが多少、落ちるものの20kmまで、予定通りのラップを刻めている。


早くも折り返しが近づいてきた。
荒川のコースは「行って来い」なので、折り返しがほぼ中間点でもある。
もう半分終わったのか。
これは、後半の逆風がなければ、かなりいいレースで仕上がるのではないか?
期待が膨らんでいる。


少しずつ気持ちが上がってきていた時、左手に馴染みの顔が見えた。
知人のAさんだ。
知人の彼はリタイア後、陸連の審判をしていて、僕が大会ボランティアをする時に、よくご一緒している。

Aさんっ!
大声で呼ぶと、彼も瞬時に気づいて
「おぉ、おつかれさん」
といって、僕が差し出したハイタッチに応えてくれた。

とっさに手が出てしまったが、陸連の審判員にハイタッチなんてしてよかったのだろうか。
あとで考えて、ちょっと可笑しかった。

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2016年4月24日 (日)

一回り大きいトータルマックスで足を傷める

初めまして。TOTAL MAX SCの掲示を拝見しました。
まだ売れていないならば、お尋ねしたいと思います。
自分はNOMO MAXは27.5がジャストサイズなので、28.0は大きいかと思うのですが、つくりは大きめですか?小さめですか?


大人気のTOTAL MAX SCが3万円台。
「すみません、もう売れてしまいました」
という返事が来るのが普通だろう。
そう考えていたところに、戻ってきた返事は意外なものだった。


大丈夫ですよ
自分もいつも27.5を履いています。試しに履いてみましたが、この28.0は少しゆとりがある程度で、十分に履けると思います。


2010年代の今ならば、売りたいがばかりの方便かと疑うかも知れないが、当時、パソコン通信で出会った人に悪い人はいなかった。
誰もが明るく真摯な人。
世の中の誰もが「パソコンをしているヤツは暗い」と思っていた。
僕自身もそう思っていた。
だが、それは自分の目で見ていなかったからだ。
もしもパソコンをする人が皆暗いならば、現代の日本は暗い人集団ということになる。


冷やかし半分だった気分が、本気半分に替わった。
ちょうどその日は、スポーツオーソリティの抽選結果が店頭で発表される日。
それを確認してから考えよう。
そういうワンクッションが入ることで、購入スイッチが入りやすい。
やるべきことはやった。
十分に考えた。
そう自分を納得させる材料ができる。
自分で自分の外堀を埋めていくのだ。


数時間後、当選者のリストに名前はなく、外堀は埋まった。
僕はすぐ出品者に購入の意思を伝えるメールを送っていた。



「大丈夫ですよ」
と言われたTOTAL MAX SCだったが、届いた靴は実際には大きかった。
当時のエアマックスには土踏まずのパッド(アーチパッド)が付属していて、それを左右ともに入れて履いたが、それでもつま先の余りはどうしようもない。


大きい靴を履くと、足が靴の分まで頑張らなければいけない。
人は拇指球あたりで地面を押して前に進む。
靴はそれに合わせて、その部分が十分に屈曲するよう設定される。

ところが大きい靴では、拇指球が靴の屈曲位置と合わない。
靴が曲がってくれない分、足が頑張って地面を押さざるを得ない。
そうして、足を傷めてしまうことがある。

なんとか無理くり履いていたのだが、使い始めて1年4ヶ月後、この靴を履く度足が痛くなり、履くのをやめたのだった。

つづく

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2016年4月23日 (土)

売れてはいけない通販広告のトータルマックス

TOTAL MAX SCを知ったのは、当時、複数の月刊誌が出ていた「コレクター雑誌」の通販広告だった。
Boon、Cool、GETON!、ブレイクギア、そして後にJACK(1997年6月号創刊)
これらの誌面を書店で見定めて、とびきりのホットニュースが出ている雑誌を買っていた。

世はまさに(と言ってもコレクターの世界に限られるが)「ナイキブーム」と「G-SHOCKブーム」が並行していた時期。
誌面の主軸はそれらの新製品、あるいはデッドストックが何処で買えるかと言うことだった。



さてTOTAL MAX SC。どの広告を見ても、4万円を切って掲載している店はない。
「NOMO MAX」は15,000円→28,000円のプレ値で買ったが、TOTAL MAX SCは元値の3倍を超えている。
さすがにそれに手を出すことは、自我が許さない。


NOMO MAXを買う時に巡回した店をくまなく回ったが、どこにもない。
そんなある日、郊外型スポーツ店「スポーツオーソリティ」でTOTAL MAX SCの「抽選販売」を受け付けていた。
ここはプレ値で売る店ではないので、当たれば正価で買うことができる。
応募用紙に記入して応募箱に投函した。

当時は同時ブームだった「G-SHOCK」ではこのような「抽選販売」があちこちで行われていた。
後にG-SHOCKの抽選には何度か応募することになるが、靴の抽選に参加したのは、これが最初で最後となった。



1997年、インターネットが普及し始めていたが、まだヤフオクはない。
ニフティのコレクターフォーラムでは、販売情報を知ることができたが、とっておきの情報は公の場に書いたりはしない。
後には、ネットを通じて仲良くなった人どうしで情報や、モノを融通しあうということもあったが、この時はまだそんな仲間もいない。


通販広告で出会ってから6日め。
ニフティの「売ります・買います」掲示板の件名にTOTAL MAX SCを見つけた。
そこは「売ります」と「買います」が混在している掲示板。
ニフティの会員ならば、誰もが閲覧することができた。

TOTAL MAX SC
38,000円
US10(28.0cm)

安い・・(いや、安くないぞ^^;)

正価の2.5倍だというのに、通販広告相場を見ていた僕には安く見えたのだ。
あまりの欲しさに。


今ならば、4万~5万円台というプレ値では、誰も手を出さなかったとわかる。
「並行輸入品」だから大量仕入れ品ではない。
恐らく1点。あっても2点。
サイズという概念がない「G-SHOCK」などとは違い、靴には「サイズ」という厄介者がある。
いくら欲しくても、ジャストサイズ27cmの人が29cmを買ったりはしない。
しかも、時計と違って、靴は劣化が速い。
短いスパンで売り切ってしまわねばならない。

雑誌広告に出して、虎の子の1点があっさり売れてしまっては、商売としてうまみがない。
プレ値のTOTAL MAX SCを撒き餌にして、寄ってきた客に他のモノを買ってもらう。
そのために、雑誌に載せるプレ値は「すぐ売れてしまう値段」ではいけないのだ。

掲示板を見た僕は、すぐに売り主にメールを送った。

つづく

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2016年4月22日 (金)

黒いから会社で履けると、トータルマックスに吸い寄せられる

1995年から1997年にかけて、いわゆる「エアマックスブーム」が絶頂期を迎えていた。
売れていたのはエアマックスだけではない。
ナイキは次から次に、誰も見たことがないような斬新な靴を世に送り出していた。

世はまさに「ナイキブーム」
ナイキという名前が付くだけで何でも売れるのではないか?
なんだったら、絹ごし豆腐にスウッシュ(ナイキのロゴ)をあしらって「ナイキエア豆腐」として出したら、ファンが爆買いするのでは?
そんなことさえ、思うほどナイキの勢いはすさまじかった。

そのブームを牽引した靴は「イエローグラデ」
AIR MAX95のファーストカラーで、アッパーがイエローからグレーにグラデーションする美しいデザインだ。
あまりに手に入らないため、この靴を履いている人の靴を脱がせて奪う「エアマックス狩り」という言葉もできたほどだ。


そして、もう一つナイキ製品への渇望をかき立てていた靴があった。
それが「TOTAL MAX SC」いわゆるトータルマックスである。

SCというのは「スポーツクラシック」の略で、ナイキでは過去モデルを色違いで復刻する時に用いるコードネームである。


エアマックスというのは、ナイキのランニングカテゴリーのトップモデル。
1990年頃から、1年に1度モデルチェンジされるようになった。
モデル名称はAIR MAXだが、コレクター雑誌ではそこに西暦年号が冠されて「エアマックス95」のように呼ばれる。


1996年
1995年に発売された「エアマックス95」の展開は既に終わり、ティアドロップスデザインのエアマックス96(96は一度も復刻されていない)が市場には展開されていた。
その年の10月に発売されたのが「TOTAL MAX SC」

その後、現代に至るまで数多く復刻されてきた「エアマックス95」SCの第1号である。
アッパーはオールレザー。
カラーはアッパーからソールまでオールブラック。
当時、こうした仕様の靴は他になく、ファンは発売の噂を聞きつける度に、開店に並んだのだった。


1997年初頭、ようやく初めてのスポーツシューズ「AIR NOMO MAX」を手にした僕は「Boon」に掲載される、並行輸入店の広告でこの靴を知ることになる。

価格はいずれも4万円~58,000。
(ナイキの正規販売店の正価は15,000円)

今ならば、ナイキショップまたは、正規販売店に絞り込んで張っていれば、正価で買えるということを知っているが、当時は靴業界(ナイキ業界)の慣例がわからない。
「並行輸入」という言葉を知ったのも、まだ後のことだ。


並行輸入とは、正規代理店以外の店による輸入。
ナイキ、アディダス、リーボックなど外国のスポーツメーカーはいずれも「**JAPAN」という日本法人を置いているから、本来「ヤナセ」のような正規輸入代理店のようなものは存在しない。

靴業界における「並行輸入」とは、すなわち、海外の靴屋から買い付けてきて割高な値段「プレ値」で売ることを指していた。

中には、同じ名古屋市内のナイキ直営店で、エアマックス発売日に店の前にトラックを横付けして、根こそぎ買って「仕入れ」それを「プレ値」で売るという「国内並行輸入」の店もあった。


自分は世の中の「ブーム」に乗っかるほど軽薄ではない。
「NOMO MAX」はダイエットのための散歩用という大義名分で、自分を納得させた。
だから、靴は1足あれば十分だ。

そんな誓いが、TOTAL MAX SCの画像を見て揺らいでいる。
いや、この靴ならば真っ黒だから、会社に履いていけるな。
営業にとって靴は消耗品だ。
走るための靴だから、健康にいいはず・・

「靴は2足でやめておけばいい」
もう止まらない

つづく

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2016年4月21日 (木)

お気に入りの喫茶店が閉店する

たまにしか来ていないけれど、この場所は僕の拠り所。
それなのに、お気に入りの喫茶店が閉店する。

ここに来るのは年に4~5回程度か
それでも、ここに来ることは、マラソンシーズンにがんばる励みの一つになっている。
終わったらまた、土曜日は早起きして、あそこに行ける。
その自由に憧れる。
憧れる情景が身近にあることは、貴重なことだ。



たまにしか来ないので、勝手な言い分だが、続けていてほしかった。

ここに来た時は、ウィンドウ越しにデパートの売り場を見下ろせる席が常席。
迷路を複数のパックマンがうごめくテレビゲームのように、売り場のあちこちでたくさんの買い物客が違う方向に歩いている。
時折、顔を上げて、しばらくそれを眺めている。

階下は賑わっているが、ここはいつも閑古鳥が鳴いている。
だからこうして、特等席をいつもとることができる。
周りに人が少ないということは、独りで過ごす僕にはありがたい。
だが、経営的には難しいだろう。



ノートパソコンと本を交互に開いて、ブレンドコーヒーを飲む。
本を読んで気づいたことを、書き留めておく。
しばらく書いたら、また本を開く。

ここでの気分は、家でいつものようにパソコンに向かっている時とは明らかに違う。
「煮詰まる」という感覚がないのだ。

長い時間、文章を書いていると、脳の回転速度が落ちてくる。
ここではそういうことがない。

いつもは思いつかないようなアイデアを思いつくこともある。
環境の違い、入ってくる情報の組み合わせが違うのだろうか。

家にいるとつい、ネットを開いてしまい、当てもなく時間を過ごしてしまうことがある。
ここでもテザリング環境はあるのだが、今開いているアプリに集中できる。
日頃、断片的に思いついては、メモも取らず消えていたことが、ここでカタチになることもある。


人生には、知らなくていいことが、あふれている。
人生には、切り替えスイッチが欲しい。
人生には、喫茶店が必要だ。

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2016年4月20日 (水)

しらべる16周年

2016年4月20日
しらべるは、おかげさまで16周年を迎えました。

開設から毎日更新を続けているので、5864日連続更新です。
しらべるでいう「更新」は既存記事の更新ではなく、新規記事の追加のことです。
もちろん、既存記事の更新もしていますが、必ず1日1つ以上、新規記事を追加することをもって「連続更新」と謳っています。


開設から2,000日めに始めたのが、このブログ「しらべるが行く」
こちらは1日1話。
新しい記事を書いています。
過去の記事はさすがに直していません。とてもそんな時間はないので・・
従ってこちらは3,864日連続更新です。


明日からは17周年に入るのですが、この先に控える1年は、しらべるにとって未曾有のイベントが控えています。

それは「しらべる」を置いているニフティホームページサービスの終了です。
置き場所がなくなってしまうので、違う場所に置かねばなりません。
現在の予定では、ニフティが代替として推奨しているlacoocanに移行します。

タイムリミットは9月末。
5ヶ月かけて、じっくり準備しようかと考えているところです。

置き場所が変わると言うことは、URLも変わります。

今ならば http://silabel.o.oo7.jp/
そのサブフォルダーに納められていますが、これがドメインごと変わってしまうわけです。
ニフティでは、移設後も一定期間はリダイレクトと言って、旧アドレス→新アドレスの転送をしてくれるそうです。


しかし、一番危惧しているのは、GoogleやYAHOO!の格付けです。
Googleがいったいどのような基準で、それぞれのウェブページを格付けしているかは不明です。
それを研究した本はたくさん出ていますが、その基準自体が移り変わっているようですから、そこを研究しても仕方ありません。

ただ、もしも一定のページビューを集めている累積数字、つまり「歴史」に重きが置かれているとしたら。
今回の移設は、その「歴史」をゼロに戻してしまうのですから、大きく評価を落とすことになりかねません。


今、GoogleやYAHOO!で「しらべる」というキーワード検索すると「しらべる」が一番に出てきます。
果たして移設した場合、どうなるのでしょう。


ちなみに、このブログ「しらべるが行く」については、ニフティのサービス変更はなく、(恐らくしばらく)ずっとこのままです。

来年の今日、21周年の時、しらべるの評価はどうなっているでしょう。
それは、来年の今日、お話しましょう。

これからも「しらべる」と「しらべるが行く」をよろしくお願い申しあげます。
時々思い出して、読みに来てくださいね。

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2016年4月19日 (火)

コレクターが陥る思い込みの罠

数量限定品が手に入らない場合、コレクターが向かうのは「ヤフオク」である。
1998年以前の場合、パソコン通信の掲示板に頼るしかなかったが、手に入る確率は低かった。
1999年以降、ヤフオクが始まってからは、欲しいと思ったモノはたいていそこにある。
過去に流通したものには、なかなか出てこないモノがあるが、今まさにリリースされた限定品であれば、出ないことはない。


早速「リラックマにっこりグラス」で探すと、すでに数十個が出品されていた。
やはり、皆さん、手に入らないで困っているのだな・・
この時、そう思ってしまったのが、いけなかった。


いくつかの出品をウォッチ指定して、その中から手頃な価格で数時間後に終了する出品に入札。
めでたく落札できた。
潤沢な数量が出品されており、競争相手も応札で食い下がる必要がなかったのだろう。
送料込みで1,000円には届かなかったが、手に入らないモノなのだから仕方ない。納得の出費だ。


出品者から届いたグラスはしばらくの間、そのまま飾っていた。
まだ、スタンプを集めていたからだ。
せっかくここまで集めたのだから、もう一つ、今度はノーマルの「リラックマグラス」をゲットしよう。
コレクター用語でいう「コンプリ」である。


それから10日後、毎日のようにBOSS缶コーヒー(時々タリーズ)を飲んでいたので、スタンプが30個になった。
ノーマルの方は、引き換え期間内ならば必ずもらえるので、急ぐことはない。
でも、引っ張ることでもないので、30個たまった時点のレシートをロッピにかざす。

そこで「5,000円のクオカード抽選」というオプションもあることを知ったが、ここは「コンプリ」で「リラックマグラス」を選択。


これもお願いします
プリントされた引き換え券をレジに差し出すと、レジのおばちゃんから意外な言葉が返ってきた。

「どっちにしますか?限定のもありますけど」

え゛

思わず、見本のリラックマグラスが2つ並んでいるショウケースを見る。
青い「にっこりグラス」の下にある「あと*個」は台紙ごと剥がされている。
そんな態度を見て彼女が追い打ちをかける。

「あぁ、アレは剥がしちゃったんで」

意味わかんねぇ
こちとら、無いっていうから、ヤフオクで買ったんですけどぉ

銀魂の主人公、坂田銀時ならば、こう畳みかけただろうが、僕は3次元の人間である。
これから先、またLAWSONさんにはお世話にならなければならないので、苦笑いをするに留めておいた。

結果的に、今ここに2つの「にっこりグラス」が並んでいる。



「コンプリはどうしたんだ!」

いや、「ある」と言われるとやっぱり「限定に弱い」もので・・・
コレクターは限定品を目の前にして、見送ることができない生き物なのである。

この夏は、このグラスで飲むお徳用アイスコーヒーが、さぞかし美味しいことだろう。

まぁ、たまにはいいか

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2016年4月18日 (月)

セブンやファミマに行けなくなるLAWSONの戦略

遡ること2年、コリラックマを求めてLAWSONをハシゴしたことがある。


LAWSONではパン、デザートなどに付いているシールを40枚集めると、リラックマやキティちゃんなどの絵柄がついた食器がもらえるキャンペーンを年中おこなっている。

期間中であれば、シール40枚を台紙に貼って持って行けば必ずもらえる。
だが、先着数量限定でデザイン違いの食器が設定されることがあり、2年前はそれを求めて数店舗を走り回ったのだった。


時は流れて2016年。
サントリー製の缶コーヒーを買うと、レシートが長くなる。
そこには商品1個につき1個のスタンプが印字されている。
30個集めると、リラックマグラスがもらえるのだという。

この趣向は既知であったが、過去にはグラスをもらったことがない。
3ヶ月ほどの間で、サントリーの缶コーヒーばかり30個も買うことはないからだ。


ある日僕は弁当を買いにLAWSONに来て
ショウケースの上を見て立ち止まった
すてきなグラスが飾ってあった 青いグラス
(井上陽水「限りない欲望」の節で)


あぁ、あのグラスにコーヒーを注いで、パソコンに向かう休日の朝は気持ちいいだろうな。
そのグラスを使う情景が浮かんでしまったのだ。


すると、もう止まらない。
次の日から、缶コーヒーはサントリー製品。
ジョージアを手にしていたのに「あ、しまった」と棚に返したこともあった。

LAWSON、ファミマ、セブンと、その日の気分で行き分けていたコンビニも、その日からLAWSONにしか行けなくなった。
同じサントリーの缶コーヒーをファミマで買っても、スタンプはもらえないからだ。

これは、うまい戦略だ。
というより、それにはまっている自分は、まさに飛んで火に入る夏の虫。
企画担当者の思うつぼだな。
まぁいいか。


ある日僕は弁当を買いにLAWSONに来て
ショウケースの上を見て立ち止まった
すてきなグラスが飾ってあった 青いグラス
の下に貼ってあった「あと**個」の紙がなくなっていた。

先着数量が終わってしまったのだ。
家のそばにあるLAWSONも同じだ。
「あと**個」の台紙から根こそぎ剥がされている。

もしもここで、すでに30個のスタンプを持っていたら、2年前のようにあちこちのLAWSONをハシゴするところだが、その時点ではまだ13個。
青いグラスは諦めることにした。
通常の方法では・・

つづく


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2016年4月17日 (日)

マラソンの日 長野マラソン2016

今日は「長野マラソン」
走るランナーの皆さんがうらやましいです。

陸上では「マラソンシーズン」=ロードレースシーズンは9月から4月。
5月からは暑くなり長距離には向かないため、短距離・中距離中心の「トラックシーズン」に移行します。

だから、この4月第3週「マラソンの日」に行われる大会は市民マラソンのオオトリと言えるわけです。
ただし、シーズンと言っても厳密な定義ではないので、もちろん5月に行われる大会もあります。そちらに出る方は気を悪くしないでください。


「マラソンの日」はしらべるの造語で、4月第3週、もっとも市民マラソン大会が集中する日を指します。
2016年は以下の大会。

「かすみがうらマラソン(茨城)」
「長野マラソン」
「加賀温泉郷マラソン(石川)」
「前橋・渋川シティマラソン(群馬)」
「佐渡トキマラソン(新潟)」
「津山加茂郷フルマラソン(岡山)」

以前は「とくしまマラソン」もこの日でしたが、2016年は次週に行われます。


中でも「長野マラソン」は屈指の人気大会。
定員よりも「希望者」が多い大会は全国にいくつかありますが、長野マラソンだけが「先着順」
ほかはすべて「抽選」です。

先着順の場合、エントリー開始日の一瞬で勝負がつきます。
だから、本当に出たい人だけが、その日パソコンや電話の前に集う。
だから、出たい人が出られる確率が高いのです。

「抽選」大会の場合、受付に幅がありますから「うっかり忘れていた」ということがなく「当たってから考えよう」とか、ヘタをすると「当たったら、走りだそう」という人がいたりします。
そうなると、本当に走りたいランナーが走れる確率は低くなるわけです。


長野マラソンはそういう意味では、マラソンブームに流されない正統な大会。
(他が邪道だと言っているのではないですよ)
エントリーしていなくても大会前日になると、長野市に宿をとって、翌日に備えている緊張感がよみがえってきます。

長野マラソンの魅力は、長野市が醸し出すスポーツ大会の緊張感。
長野五輪を取り仕切った町ゆえ、それが運営や町の人にまで、染み渡っているのだと推測しています。

だからこそ、あの緊張感に身をおける人が羨ましい。


さて今回は第18回大会。
長野マラソンは5回ごとにコースをリニューアル(微修正)していくので、このコースでは3回め。
僕は前のコースのほうが好きだったので、21回になったらまた行きたいと思っています。

今大会初めての取り組みは、3時間30分以内のタイムを申告した場合、それを証明する資料を事前送付しなければならないこと。
長野マラソンは制限時間が「5時間」
日本陸連主催であり、サブ3、サブ4狙いのランナーが多数出場するハイレベルな大会です。

過去の大会では、遅いランナーがタイムを過小申告して前方ブロックに並び、後ろから来た速いランナーが追い抜く手間がかかること、危険があることが問題視されていました。
これは今や全国どこの大会でも言えることですが、出場者を増やしたいため、定員を多めに設定する傾向があります。
長野マラソンが現在のコース幅で1万人を走らせる限り、不平は収まらないと思います。


過去7年の天候は以下の通り。
今年も好天、そしてゴール後の長野行きバスの待ち時間が短くて済むことをお祈りします。

■2015年4月19日:晴 12度 *9時現在
■2014年4月20日:くもり 9.3度 *スタート時
■2013年4月21日:雪 0.4度 *スタート時
■2012年4月15日:晴れ 最高気温15度
■2011年4月17日:晴れ 最高気温14度
 (この年は東日本大震災の影響で中止)
■2010年4月18日:晴れ 最高気温13度
■2009年4月19日:晴れ 最高気温23度

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2016年4月16日 (土)

とんかつの歴史

東京はとんかつ屋が多い。
東京の人は知らないかもしれないが、とんかつに辛子が添えられて出るのは東京独特だ。
博多から上京して就職した僕は、はじめの一ヶ月、都心から離れた安ホテルに仮の宿を取り、毎日とんかつばかり食べていた。

他においしいと思えるものがなかったからだ。
博多は素材が食を支えている街。
そして、慣れ親しんだ西日本の味付けから、浜松を超えて東日本のエリアに移ったこともあったのだろう。


それは十数年後、博多から名古屋に移り住んだ時にも、繰り返された。
その時は、はじめの一ヶ月間、毎日「味噌かつ」ばかり食べていた。

美味しかったからだ(笑)

どえりゃーうまいでかんわ

などと言いつつ、毎日食べていたら一ヶ月で2kg太った。



「とんかつ」は豚肉に衣をつけて揚げたたべもの。
昭和40年代の代表的なごちそう。

とんかつの歴史

1872年
明治天皇が肉食を解禁、日本の肉食文化が始まる。

1899年
煉瓦亭が「ポークカツレツ」をメニューに載せる。

1921年
新宿の王ろじが「トンカツ」の名前でメニューに載せる。

「とんかつ」という名称の元祖としては他に、
1929年のぽんち軒
1932年の楽天(上野)
を挙げる文献もある。


とんかつは、豚(トン)+カットレットを合成して名付けられた。
カットレットとは、子牛の骨付きの切り身に、塩こしょうをして、小麦粉・卵黄・パン粉を付けて、バターで両面を焼いた料理。
豚のカットレットだからトンカットレット、略してとんかつである。


「昭和40年代のごちそう」だったとんかつだが、平成20年代の今はそうでもない。
子供達にごちそうと言えば?と尋ねれば「焼き肉」「ハンバーグ」「寿司」と言った答えが返ってくる。
それらに共通するのは、外食の人気メニューであり、家庭でも「冷食」「中食」で手軽に出せるということだ。



「とんかつ」は下ごしらえの手間、油を管理する手間。
通常の献立と比べれば、2倍の手間暇がかかる。
新しい油を投入しても、とんかつを5枚も揚げれば油の鮮度が落ちてしまい、6枚目のとんかつを割り当てられると、悲しい思いをする。

「まい泉」のようなとんかつ専門店で揚げてもらい中食しようとする。
揚げたての香りは、気絶するほど悩ましいが(Charか)帰宅して皿に盛った頃にはべしゃっとした残念な食べ物に変わっている。

「とんかつ」が家庭の食卓に乗ること自体が減っている。
それならば、とんかつファンは表へ出なければならない。

つづく


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2016年4月15日 (金)

わが心の期日指定メール

期日指定メールを外すことにした。
それは、ニフティのメール・オプションサービス。

ニフティのWEBメール(ブラウザーで読み書きするメール)画面で送信の操作をする。

メールを一通り書いたあと、画面下にある「送信日時」にチェックを入れると、日時の窓が開く。
そこに月日時間を指定して、送信する。




4月20日1時を指定した場合、そのメールは一旦「期日指定」フォルダーに入る。
設定した日時までに内容を修整することもできるし、送信を取り消すこともできる。
設定日時になると、相手に送信される。

@niftyがまだパソコン通信「Nifty-Serve」だった頃は、メールのヘッダーに「sdate:960401」のように指定すると、年月日指定で送ることができた。
当時はまだ20世紀だったので、西暦を末尾2桁で表現するシステムが主流だった。



この機能で一番の思い出は、2週間の海外出張の間、担当事務の女性に毎日ファックスを送ったことだ。

出張といっても、その間ずっと洋上にいる仕事。
当時、携帯電話は持っていたが、海外では使えなかった。
メールは「パソコン通信」ユーザーが個人的に使っていたが、会社では使われていない。
従って、送り側は「期日指定メール」受け取り先は「FAX」という組み合わせになる。

ニフティのメールはヘッダーに「f:電話番号」を記述することで、ファックス送信ができたのである。

予め、その日立ち寄る港での出来事や、船の上での生活を空想でしたためた原稿を2週間分「期日指定」しておいた。


帰国してから、届いたファックスを見せてもらった。
タイムスタンプはいずれも明け方。
彼女はそれを家宝のように大事にとっていてくれた。
毎朝、僕がそれを送信していると信じて疑わなかったのだ。

遠く異国の洋上、船の中にあるファックスの機械から送信ボタンを押している僕の姿を想像していたのだろう。



パソコン通信時代は「無料」だった期日指定メールは、プロバイダーサービスに移行後は毎月「100円」になった。

もう、通信環境のない所に出かけて、誰かにFAXを送ることもない。
Googleカレンダーがパソコン、スマホで同期できる現在、自分へのリマインドメールはもう要らない。
それでも100円を払い続けたのは、通常のメールソフトでは実現できないこの機能に「100円分」の夢があったからだろう。


最近、支払い明細を見る機会があって「100円」払っていたことを思い出した。
いくら夢があっても、さすがに忘れているものにお金を払っていては金運が落ちそうだ。外そうと思ってニフティの中をしらべると、どこにも解約の入り口がない。
問い合わせたところ、メールでのみ受け付けているとのこと。
申し込むと即日停止。
日割りはないので、月末まで待って手続きをすることにした。



本を片付けていて、つい読んでしまうことや、写真を整理していて見入ってしまうことがある。
今回も、こうして書いているそばから、やっぱり外すのはもうしばらく様子を見たくなってきた。
残された半月で、なにか新しい使い途がみつかるといいのだが。


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2016年4月14日 (木)

気配りの人が人生を50時間節約する方法

世の中は情報化社会
2000年頃から、ホワイトカラーの会社はほとんどが「1人1台」時代を迎えた。
パソコンの話しである。

2016年に入社する新卒の社員たちは「会社からパソコンが貸与されます」と言われても、なにも驚かない。
表情すら変えない。
大学生の時は、レポートの提出など余程のことがない限り、パソコンを使ってこなかった彼らも、会社の仕事はパソコンで行われていると知っている。
「昔は伝票にカーボン紙を敷いて、下の紙に写るよう筆圧をあげて書いたものだ」と言われても、愛想笑いすらしない。。

友達との連絡はラインだったかも知れないが、会社に入れば連絡はメールを使う。
社会人である限り、荷物を運ばない日はあっても、メールを読み書きしない日は、これから先ほとんどないだろう。



パソコンを使い始めて27年
今日、 様を辞書登録した。

先日、パソコン引越の際に確認したところ、ATOKのユーザー辞書には1万4千を超える「単語登録」がされていた。
自分はまずまず、ヘビーユーザーだと思う。

メールを書く時に使う言葉もほとんどは登録済みだ。

いつも大変お世話になります。
お尋ねの件について、ご連絡します。
よろしくお願い申しあげます。

このような定型句はそれぞれ「いつも」「おたずね」「よろ」で複数のパターンが登録されている。
だが、 様だけは盲点だった。


それ自体は単語登録するまでもない「単漢字」である。
だが、そこに付随する「ひと手間」がある。

メール本文はまず、相手の宛名から始まる。
いつもの相手はすべて登録してあり「すずき」とタイピングすると
「鈴木一郎」と変換される。
そこに、様をつけて、1行めが完成する。

その時、名前と様の間に半角スペースを入れている。
その方が見栄えがいいからだ。
メールは[宛先]の相手だけでなく、ほかに[CC]の人たちも読むことが多い。

鈴木一郎様 よりは
鈴木一郎 様 の方が見栄えがいい。

そこで「 様」を辞書登録した。
「半角スペース+様」である。
これで、スペースを打つ一手間が減った。

名字の後に[半角スペース]を入れるのにかかる時間は、およそ1秒。
全角スペースならば0.3秒で済むが、それでは間延びする。


1日20通のメールを出す場合、1日「20秒」
年間240営業日として「1時間20分」
大卒社員が38年勤めるとして「50時間40分」
(1日100通出す人ならば、253時間20分)


時間の節約もありがたいが、毎回いい品質のメールが作れることの意義が大きい。
新卒の皆さん、そうじゃない皆さんも、ぜひ「  様」を「さま」という読みで登録しましょう。
これを読んだ方が、10,000人やってくれれば・・・


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2016年4月13日 (水)

「ポートホールン長崎」が持つ2つの強み

西海市が公開した「長崎オランダ村」跡
Aゾーンにある西海市のカウンターで署名すると、首から提げる入館証を渡される。
入場にお金はかからない。
園内に商業施設はなく、自販機もない。
真夏だったこともあり「お水とか大丈夫ですか?(持っていますか?)」と念を押された。

2012年、2014年の二度とも、園内に他の入場者はなく貸し切りだった。
かつて「芋を洗う」とまでは言わないが、人の笑顔と嬌声にあふれていた町(村か)に響くのはセミの鳴き声ばかり。

ボードウォークに寝そべらんばかりに、建物、オブジェ、海が独り占め。
くまモンショーを最前列で見た時と同じく、僕がのぞきこむファインダーには、どのアングルにも誰も映り込まない。
こんな贅沢なこともあるのかと幸せを噛みしめつつも、やはり、ここに誰もいないことがもったいないという気持ちが勝った。


さぁ、二年ぶり今年も貸切しに行くかなと思っていた時。
YAHOO!ニュースアプリに設定した「長崎県ニュース」に、待ちに待った記事が載った。


2016年4月16日
「ポートホールン長崎」オープン


旧長崎オランダ村施設再生事業としてオープンする、市民交流型レジャー施設。
運営するのはホーランドビレッジ(本社 西海市)
総面積16万4千平米のうち、約1万平米を西海市から10年間無償で借り受ける。



この施設には、抜群の強みがある。
それは、人々にとっての「わが心のオランダ村」
それぞれの心の中に、この村を訪れた時の暖かい思い出が潜んでいる。

そして、この村の建物もボードウォークも、多少朽ちたとはいえ、今も魅力をたたえたままそこにある。
オランダの(ヨーロッパの)町並みの良さは、少し朽ちたくらいのほうが味わいが出るところ。
ハウステンボスもできてすぐの頃は「新しすぎて違和感がある」と言われたほどだ。

2014年8月 "貸切"で撮影

たとえば、このオブジェにしても、ずいぶん長く放られていたとは誰も思わない。
こんな魅力的な町並み(村並み?)が、手つかずでそこにある。
(今回、オープンに当たり改修にお金はかかっている)

かつて全盛で賑わった時の思い出。
変わらぬ町並み。
こんな強みは、他のどこにもないのではないか。



入場料は無料。
飲食店、美術館、イベント広場で構成される。
地元の人たちが地域密着型で進めるこの事業は、この世知辛い世の中に一風の清涼剤となり、地域の人を呼び込むのではないか。


オランダ村跡地は3つの区画で呼ばれている。
Aゾーン:西海市が利用
Bゾーン:ポートホールン長崎
Cゾーン:ハウステンボスが利用を計画中

H.I.S.澤田秀雄さんが手がけて以来、超V字回復のハウステンボス。
海でつながるこの「村」と再び、縁を結んで欲しい。

セミの声響く貸切の村ではなくなったが、人の笑顔で賑わう村に、この夏は必ず訪れるつもりだ。

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2016年4月12日 (火)

いよいよ、長崎オランダ村が再び動き出す

1980年代、博多に住んでいた僕らがドライブがてら出かけるところといえば「オランダ村」だった。
そこには、未だかつてない驚き、ときめき、くつろぎがあった。

その後、日本じゅうに国名を冠した「○○村」ができるのだが、その先駆けとなったのが「長崎オランダ村」である。


オランダ村を造ったのは、長崎ハウステンボスの創業者である神近義邦。
バブルの最中に東京の料亭が取得した広大な土地に、彼とその仲間が自ら切り開いて造った「村」だった。

1983年7月にオープン
自然の地形を利用した大村湾に出現したオランダの町並みは、人々を魅了した。
あまりに魅了し過ぎて、週末ともなると接続する国道は大渋滞。

そこで佐世保市が持て余していた針尾工業団地をオランダ村の駐車場にして、そこから海路、西彼町のオランダ村までピストン輸送しようという試みが浮上する。
神近義邦が針尾視察に訪れた際、思い立ったのが現在のハウステンボスである。


ハウステンボスはオランダ村のコンセプトを発展させて、オランダの国作りに学びながら、江戸の知恵、日本のハイテク技術で造った本物の「町」
その証拠にハウステンボスの住所は「佐世保市ハウステンボス町1-1」である。


公称4,000億円を投じたハウステンボス・コンセプトの前では、さすがのオランダ村も分が悪い。
1992年にハウステンボスがオープンした後も営業を続けていたが、やがて閑古鳥が鳴くようになり、2001年10月に閉園した。


かつて、人々の笑い声が響いた海辺のリゾート地は、鉄枠にはサビが浮き、エスカレーターには蜘蛛が巣を張り巡らしていった。


そんなオランダ村跡地に転機が訪れるのは、閉園2年後の2003年12月。
西彼杵郡西彼町が地域振興基金1億9400万円を充てて、16万4千平米の敷地を買収。
再利用に向けて動き出した。


2004年5月
長崎オランダ村復活音楽祭開催。

2005年3月19日
レストラン、ショッピング、ブライダルが三本柱とする商業施設「CAS ViLLAGE」がオープン。
しかし、7ヶ月後の10月3日、自己破産を申請して閉園した。

*ポートホールン長崎の坂本社長は、このことを「過去のことがあるから不安に思う人も多いと思う」と開業発表会見で語っている。


2010年
平成の大合併で西彼町が遷移した西海市が動き出す。
敷地のうち「Aゾーン」と呼ばれるエリアに市役所西彼総合支所を移転。

2012年5月23日
旧オランダ村を公園として無料公開。


2012年夏、2014年夏の二度、この「貸切の公園」を訪れた。

つづく


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2016年4月11日 (月)

「市民マラソン」ますますマナーが悪くなる大会、良くなる大会

10kmを過ぎたあたりで、追い抜いていく人とこちらが追い抜いていく人の数が同じになった。
抜いていく人のナンバーは最後尾の「O」ではない、それより前のブロックが多い。


つまり彼らは、遅く来てぎりぎりまでトイレに並び、整列せずに待機。
最後尾「O」ブロックのランナーが通過した後に、コースインした人たちだ。

大量のランナーがそうして整列しなかったため、最後尾からスタートしたにもかかわらず、ここまで大量のランナーに抜かれたのである。


渋滞していて追い抜くのもストレスだが、最後尾からスタートしたのに、大量のランナーに抜かれるのもストレスだ。

レース20分前に整列するというルールは守られていない。
「整列しないランナーは失格」とでも打ち出さない限り、彼らはまた来年もルールを守らないだろう。
ただし、そんなことをしては集客に影響する。

人気が高く抽選になるようなレースは、主催者も強気のルール運用ができるので、マナーはさらに良くなっていく。

一方、人気に翳りのあるレースは、ルール運用が甘く、ますますマナーの悪い人が集まる大会になっていく。
それが、2016年現在の市民マラソンである。



12kmを過ぎたところから、ラップタイムが改善している。
これはカラダが動き始めたということではなく、事前に立てておいた作戦。
15kmにさしかかる手前では、少し飛ばしておこうと思っていたのだ。


左手に持っていたグリップ給水ボトルのスペシャルドリンクも飲み終えた。
気温が上がってきて、お日様も顔を出している。
いい陽気だ。
ゆえに少し暑さを感じ始めている。

13.7 第5給水所からは、皆さんと同じように給水のお世話になる。
今回すべての給水所にレーズンが置いてある。
自宅に届いた配布資料の中に「カリフォルニア・レーズンキャンペーン」のチラシが入っていた。
レーズンがマラソンに効くという話を、これまでに読んだ数百冊のマラソン書籍で見つけたことはない。
効果はさておき、嫌いじゃないのでひとつかみもらっていく。
だが、ランナーがそれぞれつかみとっていくこの方式。
潔癖症の人じゃなくても、少し違和感があるだろう。



15.1kmの千住曙町橋梁通過のため道幅が狭い
(往路復路とも)
14.5km から走路が徐々に狭くなり、最大3.5mあるコース幅は、最小2m幅になる。
これが700mつづく。

10年前にここを走った記録には「15km過ぎから渋滞。徒歩区間になる」とある。
「ここで歩いて休める。だからその手前はちょっと速くいこう」
それがレース前の作戦。

ここでは「3分のロスタイム」を見ている。
「自己ベスト」や「サブ4」といった目標のあるレースならばとんでもない話だが、今日はマラソン人生初めての「楽しむマラソン」どうということはない。

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2016年4月10日 (日)

マラソンに「リアルタイム光学式心拍計」が欠かせない理由

5km
ようやくあたりにスペースができている。
もう「靴を踏まれないか恐怖症」も忘れてよさそうだ。
かつて「次はサブフォー」と意気込んでいた頃とは、ずいぶんかけ離れたタイムだが、今日は「マラソンを続けること」がテーマ。

手術明けのシーズンも「歩かず走りきった」実績を作りたい。
そして、何度も手術明けというほど体調が悪いわけでなく、体はどこにも不調を来していない。
カラダは丈夫なのにセーブする。その分、今日のレースは気楽だし、その分楽しめるのではないかと予感してこのあたりは走っていた。


エイドが近づいたところで、今日一つ目のジェルを摂る。
6.6km 第二給水所
ここで、ジェルの空き袋と右手に持ったグリップ給水ボトルを捨てさせてもらう。
まだ、給水コップのお世話にはならない。



ここから10kmまでは7分30秒で走ろうと決めている。
miCoach SMART RUN(MC)はリアルタイムのペースを表示しているが、これは当てにならない。
そこには6分50秒と表示されていても、1km毎のラップは7分30秒程度。
「時間」は正確に「距離」はほぼ正確にとれているので、恐らく加速度センサーといった機能に問題があるのだろう。

ガーミンのGPS「フォアアスリート」を使っている時、こんなことはなかった。
リアルタイムペースを確認しながら走ると、1km毎のラップもその通りに落ち着いていた。
いつかまた、目をつり上げてタイムを削る日が来たら、ガーミンに戻す必要があるかもしれない。


リアルタイム・ペースが当てにならないので、リアルタイム心拍数を指標として走ることにする。
練習で出ていた数値を参考にすると、148程度が自分の「ニコニコペース」
「ニコニコペース」は福岡大学田中宏暁教授の著書「賢く走るフルマラソン」で提唱されている。

この本はマラソンシーズンに入ると、必ず一度読み返している。
もう10回以上読み返しているので、さすがに新たな発見は少なくなっているが、忘れていて再確認することは多い。
猛烈な練習量をこなす訳でもないど素人ランナーが、最大限の結果を出すための必読書である。


心拍数を一瞥して148前後であればキープ
145あたりに落ちていれば少しアップ
150を超えていたらダウン

これで、生理的イーブンペースが維持できる。
かと言ってラクをしているほど、低負荷ではない。
こうして正確な「ニコニコペース」で走ることで、ほどほどの速さを維持しつつ、後半に向けて体力を温存できる。
「光学式リアルタイム心拍計」はマラソンレースには欠かせない。


できればガーミンの「正確な速さ」が「心拍」を兼ね備えてくれるといいのだが。

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2016年4月 9日 (土)

改善の方向が間違っている板橋Cityマラソン


スタートラインにはゲストの土佐礼子
(アテネ五輪、北京五輪出場)
10年前に「荒川市民マラソン」を走った時は、確かゲストはいなかったと思う。
その時の模様は、石原良純の司会で、後日1時間番組が放送された。
まだ東京マラソンが始まる1年前。
すでに東京マラソン開催はプレスリリースされていたが、さほど市民マラソンブームだったわけではない。

番組は荒川放水路のなりたちを紹介しながら、ランナー、大会を支える人たちを取り上げていた。
特定のランナーを密着取材して、くさい「涙のゴール」ドラマを見せられることもなく、とても清々しい作りだった。
今回、そうしたテレビ取材はない。



右手袋は外している。
miCoach SMART RUN(MC)のスタートをタップするためだ。
MCの液晶画面は液晶保護シートを貼った上から、手袋でタップしても反応しない。
スタートラインをまたいだところで確実にスタートをタップ。
すぐにポーチから手袋を取り出してはめる。

手袋は2011年シーズン以降はずっと「Nishiレギュレーション ランニンググラブ」黄・赤・紺の3色を持っていて、靴の色に合わせて使い分けている。
マラソンでは、暑くなって来た時に体温を下げるために、手のひら側がメッシュになっている必要がある。

通勤では「MIZUNOランニンググラブJ2JY4507」を使用している。
これはスマホ操作がしたい時には、指を露出させることができて便利。
ブレスサーモなので、極寒時にも手が冷たくない。
その代わり、ランニングでは暑すぎて向かない。


1km
あぁもうマラソンが始まっているんだな
今、僕はマラソンの本番の中にいるんだな
そんな当たり前のことが、改めて考えてみると不思議で仕方がない。
まだ、始まったばかり。淡々と走ることに徹しよう。

最初の1kmは 8:04
いつものマラソンに比べたら格段に遅いが、今日は5kmまでは8分で走ろうと決めている。目標は「歩かず完走」だから。


そう決めてはいたが、マラソン本番ということもあってか、カラダはそれ以上に動く。
その後はずっと7分30秒程度で刻んでいく。
予定していたペースよりも、少しずつ貯金ができていくことは、悪い気分ではない。

だが、そういう僕をたくさんのランナーが追い抜いていく。
まだまだランナーは密集しており「靴を踏まれないか恐怖症」の僕は、どきどきしながら走っている。


両手には「グリップ給水ボトル」
中身はレプレニッシュのOS-1割り。
のどが渇くたびにちびちびと飲んでいく。

4.2km 第一給水所
まだ片方のボトルすら飲み終えていないので、ここはパス。
ランナーたちは一斉に給水に立ち寄る。

この大会は全部で15カ所の給水所があるにも関わらず、第一給水所までの距離がとても長い。
ランナーはスタート前の整列、ロスタイムと1時間ほど給水できていない。
ランナーの健康を第一に考えるならば、第一給水は1kmか2kmのところにつくった方がよい。
だが、そういう改善はまったく見られないのが、この大会の特徴である。

「ランナーの声を聞いて、シャーベットをゴール後に変更しました」
と宣伝しているが、努力の方向が間違っていると思う。


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2016年4月 8日 (金)

2021年 仮面ライダー50周年こそ、仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!

仮面ライダー」の放送開始から1年後の1972年4月「仮面ライダースナック」が全国発売される。
テレビで見ることができるのは「2号」のみ。
ライダースナックの付録「仮面ライダーカード」でのみ見ることができる「1号」は、粗削りだった。

中に入っている殺陣師の首が見えているし、開いたクラッシャーの隙間からは人の顔が見えている。髪の毛もはみ出している。
上着は革ジャンを羽織っただけで、ふつうの人が着ている風情だ。
(コンバーターラングは付いているが)

当時、人気絶頂だった「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」が完全な造形で、すきのないプロップだったのに対して、放送初期の「1号」は粗が目立った。

「人間が中に入っています」ということを、公然の事実として隠していない。
ライダーカードに載るスチール写真では、わざとそういう粗を見せているかのよう。
「特撮なのに、そんなことでいいのか?」
虚構を信じる心、真実を知っている心が激しく揺さぶられた。


こうして出会った"気になる存在"1号。
大人になって「旧1号」と再会した時、子供の頃にはなかった、時間と経済力を手にしていた僕らは「旧1号コレクター」にまい進していくのだった。


さて2016年の「仮面ライダー1号」設定は次の通り。

「本郷猛は、長年にわたり、日本そして海外で悪と戦い続けてきた。ある少女の危機を知り、急遽日本に帰国した猛は、仮面ライダーゴースト/天空寺タケルら仲間たちと出会い、仮面ライダーに変身し、ショッカーに立ち向かう」

44年も戦い続けて来たというのは、無理矢理ではないか。
もうちょっと、現実的な設定だったら共感もできようというものだが。


プロモーション映像には、懐かしい「骨戦闘員」や人気の怪人「シオマネキング」「ガニコウモル」の姿も見える。
肝心の「1号」の配色は「桜島1号」と合わせたところまでは許すが、バンダイの超合金玩具のようだった「The First」をマッチョにしたような造形。
サイクロン号はカラーリングに「旧サイクロン」の風情を残しているが、まったくの別もの。


僕らは「旧1号」を見たい。
旧1号のようなものを見たいのではない。
藤岡弘が演じることはいいが、ライダーのデザインを変えてしまっては、それは旧1号ではない。

2005年に「The First」
2016年に「仮面ライダー1号」
2021年の50周年には、今度こそ三度目の正直で「旧1号」のリメイクを見たい。


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2016年4月 7日 (木)

仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!

仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!
とは言ってきたけれど、それじゃちょっと違うんだよなぁ・・

僕らは「仮面ライダー旧1号の日」を制定し、「仮面ライダー旧1号ファンクラブ」を作ったが、まだ一度もバンダイ本社の前で座り込んだり「仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!」とシュプレヒコールをあげたことも、チラシを撒いたこともない。



2016年3月26日、東映系映画館で「仮面ライダー1号」が封切られた。

1971年4月3日「仮面ライダー」放送開始から45周年の記念作品である。
その放送開始当初、第1話から13話まで登場したのが「仮面ライダー旧1号」

ただし、放送開始時点では「1号」という名前ではなかったし、2号を出す予定もなかった。
ところが、第10話「よみがえるコブラ男」編のエンディングで、藤岡弘がサイクロン号で走り去る際に重傷を負い、撮影ができなくなった。
当時、本郷猛こと藤岡弘はスタントマンを使わず、自分が「仮面ライダー」のコスチュームをまとい演じていたのだ。

11話から13話は藤岡弘が登場しない内容でつなぎ、第14話から急遽登場させたのが佐々木剛演じる「仮面ライダー2号」
当時、人気絶頂だった俳優、佐々木剛が演じたことで、視聴率が低迷していた「仮面ライダー」は一気に人気番組になった。



翌1972年元旦、怪我が癒えた藤岡弘が本編に復帰。
外国から帰国したという設定で「1号」が再登場する。
その風貌は手が加えられ、クラッシャーの緑が濃くなり、Cアイは真っ赤になった。
ただし、この時まだ「仮面ライダー旧1号」という呼称はない。
ただの「帰ってきた1号」である。

後にこの時のコスチュームは、ロケ地にちなみ「桜島1号」と呼称されるようになった。
それは、はじめファンが呼び始めたものが定着し、2000年代に入ってからは、コレクター商品でもその呼称が使われ始めた。



「旧1号」の呼称が登場するのは「1号」が完全リニューアルした後。
「2本線」が入り、明るい色彩に生まれ変わった「新1号」が出てからである。
それも、はじめはファンが呼び始めたものであり、それがコレクター商品にも使われるようになったのは、1997年頃だったと推察する。


当時「仮面ライダー」は19時台に放送されていたが、山口県にいた僕はそれを見ることができなかった。
当時、たいていの地方都市には民放が2局しかない。
山口県では"最新"の「仮面ライダー」は放送されておらず、平日夕方に数週間遅れで放送されていた。

一度だけ「仮面ライダー」の放送時間、1チャンネル(本当にチャンネル)に合わせてみたことがあるが、遠く福岡県のKBCから届く電波は微弱で、オープニングロゴと大写しになったライダーは、砂の嵐に沈んでいた。



僕らのまわりで「仮面ライダー」が話題になり始めたのは、放送から半年ほどが過ぎた頃。初めて見たのは「キノコモルグ」にライダー2号が負けて、ショッカー基地に拉致されて終わる回だった。
従って「仮面ライダー2号」から見はじめた、遅れてきたライダーファン。

大人になってから、リアルタイムでは見ていなかった「旧1号」の方に入れあげることになったのは、それが、子供心に「気になる存在」だったからだ。

つづく


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2016年4月 6日 (水)

靴を踏まれないか恐怖症<後編>

もう後ろから来るランナーに靴を踏まれたくない

そう思って、先を急ぐ。
ところが、10kmあたりで異常なほどに心拍数が上がっていることに気づく。
(このレースからリアルタイム心拍計を使い始めた)

おかしい。
練習ではこんなことはなかった。
とにかく、理由がわからない。
頭が混乱する。


結果は大失速。
半年かけた万全の準備も、1人の心ないランナーによって台無しになることがある。
こんなことがある。
それもマラソンだ・・
と達観するには、あまりに口惜しい。



そして今「靴を踏まれないか恐怖症」は日常生活にも影を落としている。
それは、ある日の出来事から始まった。

電車を降りた僕は、コンビニで買い物したレジ袋を提げて家路を急いでいた。
夜のとばりが降りた住宅街の歩道。
電車の駅でもなければ、商店街でもない。
「痴漢が発生しました」
という看板が出ているくらい、人通り少ない場所だ。

さすがの僕も、こんなところで靴を踏まれるとは思わず、歩くことを謳歌している。
すると、後ろから「ぐにゃり」
かかとは完全に靴から脱げた。

「すみません」
振り返ると推定年齢20代の女性。
手にはスマホを持っている。
恐らく、スマ歩していて、僕が前にいることすら気づかなかったのだろう。

な、なんで??
呆気にとられて、目が点になった。
相手が若い女性だからというわけではなく、怒るスイッチすら入らないほど呆れた。



それから僕の「靴を踏まれないか恐怖症」が始まった。
通勤の駅で靴を踏まれるのだ。

データをとって、エクセル日記につけているわけではないが、感覚的には週2~3回は踏まれている。
長野マラソンの時のような「ぐにゃり」というものではない。
アウトソール(靴底)の出っ張りに足がかかる程度。
「甘噛み」とでも言えるようなものだ。


確かにラッシュアワーの駅は、人が密集している。
人々は黙々と隊列に従い、各の職場へ向かう。
外国人は「日本の駅は靴音しかしない」と驚くらしい。
それでも、前の人の靴を踏むほど間合いを詰める必要はないはずだ。



僕だけなのだろうか?
考えてみても始まらない。
総務省「統計情報」で「日本人が一年間に靴を踏まれる回数」を出してくれればと思う。
靴に問題があるのか?
通勤に履いているのは、ナイキ、美津濃、NBのスポーツシューズ。
総じてアウトソールが分厚く、ナイキフリーの場合、少々後ろにせり出している。

歩き方に問題があるのか?
ストライドが大きい、あるいは、送った足が流れているのか。

いや、後ろから来る人の問題だろう。
前の人と踏み出す足を合わせていれば、踏む方が難しい。
小学校の運動会で行進したように前の人の「右」「左」しっかり見て欲しい。
ムリか・・・

「足を踏まれたサラリーマンが、怒ってトラブルになった」
というニュースが自分発で出ないよう、気をつけなければならない。
抽象度を上げれば、こんなことは気にならないはずなのだから。


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2016年4月 5日 (火)

靴を踏まれないか恐怖症

「靴を踏まれないか恐怖症」を患ったのは今から2年前。
「長野マラソン」でのことだ。

スタートのピストルが撃たれ、ランナーはゆっくりと歩き始める。
1万人を超える出場者ゆえ、行列は長く、僕がいる後方ブロックからスタートラインまではずいぶん距離がある。


このレースに向けて、僕は万全の準備をしていた。
練習で走った距離は過去8回のレースを上回る。
それだけではない、今回は筋肉の強化トレーニングもおこなった。

そのメニューは三村仁司さんに作ってもらったもの。
三村仁司さんと言えば、五輪金メダリスト高橋尚子、野口みずき、銀銅メダリスト有森裕子の靴を手がけた職人。

ちなみに「こけちゃいました」のバルセロナ五輪8位谷口浩美の靴もこの人。
給水所で靴を踏まれ、靴が脱げて転倒した谷口。
一瞬このまま裸足で走ろうかと考えたらしいが、思いとどまり、靴を拾いに戻り履き直して再スタートした。
レース後、三村さんに「脱げる靴をつくっちゃいけませんよ」と言ったという。


この時、僕が「長野マラソン」で履いた靴は「三村プレミアム」と言って、三村仁司さんの採寸によるカスタムメイド。
靴だけで言えば、五輪選手と同様の態勢と言うことになる。



万全の準備を裏付けるように、練習ではタイムも出ており、予測タイムは「自己ベストを15分短縮」と出ていた。
長野のコースは若干、手直しが入ったものの4年前に一度走っている。
その時は、生涯最高といえる好レース。
後半に伸びるネガティブスプリットで、27km過ぎからずっと笑って走った。

唯一の不確定要素は天候だったが、当日は「晴れ」気温も10度程度。
もう失敗することを想像するのが難しい。


だが、1人の若者に靴を踏まれて事態は暗転した。
それは後ろからやってきて、先を急ぎ、人垣を縫うように抜いていく男子ランナー。
「ぐにゃり」と音が聞こえそうなくらい、しっかりと踏みつけられた。
一瞬かかとが半分くらい脱げたと思うが、そこは谷口浩美に「脱げる靴をつくっちゃいけませんよ」と言われた三村さん。
脱げない靴に仕上がっていた。


だが、あとで思えばいっそのこと脱げてしまった方がよかった。
脱げなかったために、そのまま走ることができたのだ。
踏まれた右足は締め付けが緩くなり、やがて右足は靴の中で大きく遊び、酷い血マメになった。
(治るのに1年かかった)


一度踏まれると、また踏まれるのではないかと疑心暗鬼になる。
ゆっくり走っていれば、抜かれる時に踏まれる恐れがある。
今日は万全に仕上げている。よし、それならば始めから飛ばすか・・・
もっともやってはいけないと、ここ数年かけて学んで来たことが「靴を踏まれないか」という恐怖で、頭から飛んでしまった。

<後編>へつづく

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2016年4月 4日 (月)

靴を踏んで抜いていった男の氏名

8:59 ファンファーレが鳴り響く。
ここでランナーから雄叫びが上がるのは、荒川ならでは。

9:00 号砲が鳴る
制限時間、関門との戦いをしていた頃は、号砲と同時に時計を起動していたが今は違う。関門を気にせず走れるようになったのは、6回目のマラソンから。
それ以来、時計はスタートラインを跨いだ時に押している。


はじめは中央に位置取りしていたが「靴を踏まれないか恐怖症」の僕は気が気ではない。まだ誰もが歩いている。
すると、軽く靴を踏まれた。
かかとが浮きそうになるほどではないが。

靴を踏んだ若者(男 推定24歳)はそのまま僕を抜いて、前のわずかに空いたスペースに割り込んでいく。
「板橋Cityマラソン」はナンバーカードを前後に1枚ずつ付ける。
ナンバーカードには「漢字氏名」も書いてあり、そこには・・・
さすがに覚えていない(笑)


市民マラソンでは順位は発表されるものの、順位を競うものではない。
公式記録は号砲からの時間(グロスタイム)だが、個々人はロスタイムを引いた「ネットタイム」を指標において走る。

こうして、わずかな隙間を縫うように前を急ぐ理由は、前方に「ツレ」が居るか、あまりに遅くて途中の関門が心配であるかだろう。

市民マラソンでは、コース封鎖時間帯を最低限に留めるために途中関門があり、閉鎖時刻までに関門を通過できなかったランナーは、そこで即刻競技中止となる。
そしてその関門時間は号砲からの経過時間(グロスタイム)であり「ロスタイム」は加味されない。

申告タイムが遅いランナーほど、後方ブロックスタートになるので、遅いランナーほど不利。関門の制限時間は死活問題だ。



さらに靴を踏まれるリスクを少しでも減らそうと、次第に右に寄って右端に位置を移した。
スタートライン付近のコース右側、10年前と同様にゴミ袋が設置されていた。
そこで「スタート袋」を捨てさせてもらう。

ランナーにとって、ゴミ箱あるいは、ゴミを受け取ってくれるボランティアは実にありがたい。
次に来るエイドのゴミ箱までゴミを持って走ればいいことなのだが、早くゴミが片付けばそれだけ走りに集中できる。

だから、自分が「支える」ボランティア側に回った時は、レジ袋を持つことにしている。
レジ袋を持っていると、マナーのよいランナーが寄ってきて「お願いします」「ありがとうございます」と礼儀正しく、ゴミを手渡してくれる。
ランナー通過後のコースには、スポーツジェルの切り口など無数のゴミが落ちている。

高速道路上のコース監視員の場合、微細なゴミでも残すことは許されないので、目を皿のようにして路面をチェックする。
ゴミ箱のない普通のコース上(しかも高速道路)によくもこんなに捨てられるものだと呆れるほどだ。



ようやくスタートラインが見えてきた。

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2016年4月 3日 (日)

5時間30分で「最後尾」 荒川は超高速レースになっていた

スタート前70分
まだトイレに並ぶ人はまばら。
マラソンでは「洋式」と紙が貼ってあるトイレが人気者。
(どこでもそうか)
大半の人がCW-Xなどの加圧タイツを履いており「和式」でしゃがむのは、脚が鬱血してきて辛いのである。
その列ですらわずか5人待ち。数分で自分の順番が来た。


整列エリアも、人影はまばら。
ナンバーカードに書かれている整列ブロック「O」を目指す。
「O(おー)」は最後尾のブロック。
昨日、初めて大会案内を見てたまげた。

俺ってそんなに遅かったっけ?
RUNNETのマイページにログインして自分が申告した予想タイムを見ると「5時間30分」

つまり「板橋Cityマラソン」にエントリーした17,000人は九分九厘が「5時間30分」以内で走る人ということだ。
7時間制限大会では、これまでに経験したことのない超高速レースだ。

初参加した10年前も今も「7時間制限」は変わっていないのだが、年月を経て「高速レース」に変貌したと言うことになる。
まぁ、速い人たちには先に行ってもらってかまわない。


40分前、恒例の「VESPA PRO」を摂る。
初マラソンから今回まで、いろいろな試行錯誤をしては「マラソン講座」に書いてきたが、すべてのレースで変えていないのはこの「VESPA PRO」のみ。
やめたことがないので、効果のほどはわからないが、グリコーゲンを温存してくれるという700円のこのサプリを止める勇気はない。


20分前、miCoach SMART RUN(MC)をクイックスタートモードに変える。
いつもはなかなかGPSが捕まらないが、さすが荒川河川敷、垂角45度はしっかり確保されており、瞬時に準備[OK]
MCをレースで使うのは3度めだが、今回は初めて「マラソンモード」
過去2レースは「通常モード」で42.195kmを走りきって、バッテリーが残っていた。
ところが今回は、事前のチェックで「通常モード」ではとても、ゴールまで保たないことがわかっている。

15分前「スタート袋」から「HONEY STINGER GINSTING」「PowerGel グリーンアップル」を取り出して摂る。
スタート15分前にジェル2つも、初マラソンから続けている。
去年は粘度の高いジェルで胸焼けしたので、今年は軽いものにして正解だった。


10分前、ウォークマンのスイッチオン!
今回はおよそ6時間のセットリスト
例年になくライブに多く行った1年間だったゆえ、充実の内容だ。
いつもならば「35kmあたりで"負けないで"(ZARD)」のように、計算して順番を決めるのだが、ここ数年うまくいった試しがないので、今回はまったく計算しなかった。


開会式のセレモニーをスピーカーで聴いている間も、荒川の風は容赦ない。
防寒用のポンチョを羽織って来るべきだったか。


Oブロック後方に陣取っている。
僕の後ろにはほとんど人がいない。
これは、2年前の長野マラソンで脱げそうなくらい靴を踏まれてしまい「靴を踏まれないか恐怖症」の僕にとっては好位置といえる。

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2016年4月 2日 (土)

蓮根から20分 板橋Cityマラソン

初マラソンで走って以来、荒川市民マラソンは二度目の参加。
前回は「浮間舟渡」で降りて、送迎バスに乗った。
今回、朝は送迎バスなし(帰りのみ)

大会案内では「浮間舟渡」「蓮根」2つの最寄り駅が案内されていて、ともに「徒歩15分」と記されている。

今回は「蓮根」に降りた。
「おはようございま~す」
改札を出ると、大会ウェアを羽織ったボランティアが2人立っていた。
駅から会場の荒川までは一本道。
交差点ごとにボランティアが2名ずつ立っていて、安心感がある。

会場へ向かうランナーたちの足下をみると、タグをつけている人がほとんどいないのに気づく。
余計な荷物を持ちたくないので、走る靴を家から履いてきたし、終わったらその靴で帰る。
パックは「旅マラソン」で使っている「テルス25(25リットル)」ではなく「ION20(20リットル)」を背負ってきた。

だが、皆さんの靴にはタグが付いていない。
大半のランナーが背負っている荷物は「25リットル」から「30リットル」
恐らく、あの巨大な荷物の中にタグの付いたレースシューズが格納されているのだろう。



駅からの所要時間は20分。
「長野マラソン」もそうだったが、主催者が提示する徒歩時間は、かなりの速歩が基準になっているようだ。
会場入りは号砲の105分前。
十二分にゆとりが持てる時間だ。


土手下の道は夜半に降った雨でべちゃべちゃ。
はじめ、ここを走るのだろうと思い、コース取りを算段していたが、実際のコースは舗装されている。

当初は「くもり一時雨」だった予報は、大会が近づくにつれて快方に向かい、今朝の天気は「くもり」
予報は終日「晴れ」と出ている。
去年「静岡マラソン」でずぶ濡れになったので、雨が降らないだけでも、うれしくて仕方がない。

ただし、わずかだが、荒川の風が吹いている。
風が吹いていて肌寒い。
目論見では土手の階段に座ろうと思っていたが、体温を下げないために、靴を脱いで着替えテントに潜り込む。
時間が早いこともあり、まだ十分にスペースがあった。

テント内の地べたは土がむき出しではなく、くまなくブルーシートが敷いてある。
マラソンにはいつもレジャーシートを持参しているが、これは親切だ。
と思ったら、ところどころシート上に水たまりができていて、靴下が濡れた。
参ったな、こんなところに落とし穴があるとは。
しばし、靴下を脱いで吸水性タオルにくるんで水を吸わせる。


ヘッドホンをセラポアテープで耳に固定。
ウェストポーチを付けて「スタート直前グッズ」を入れたレジ袋を残して、荷物を預ける。
まだ誰もが準備中で、荷物テントに人影はまばら。
テント入口でビニル袋を受け取り、ナンバーカード末尾の数字テントに荷物を置いた時、スタート前70分。
これほど時間にゆとりのある準備は初めてだ。

時間のゆとりは、心のゆとり。
スタート前の緊張が解けていく。


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2016年4月 1日 (金)

魔法のような「顔用プリンター」

有給休暇をとったある日の午後
久しぶりに「ホームセンター」の駐車場にクルマを入れた。
週末はいつも混んでいて、駐車場も入場待ちのクルマで渋滞している。
従って、ここは平日に訪れたい場所だ。


ずいぶん来なかったうちに、店内は様変わりしていた。
店の右側半分は「ペット」とその用品売り場と貸していた。
犬がわんわん吠えているかと思うと、飼育が難しいと言われている熱帯魚が水槽で泳ぐ。
その足下をニシキヘビが移動していく。
動物好きな人たちは、ここにいるだけで半日いても飽きないだろう。
逆にいえば、動物が苦手な人はここには、もう来ないだろう。


奥に進むと製材コーナー。
そこでは大型の機材を使って職人が木材を裁断している。
以前、ここで天板を買った時は「直線しか切りません」と言っていたが、今は縦横無尽。
客の要望に応じて、曲線や直角を切り出している。

出来上がった木材を受け取った客は、手書きしてきた図面と見比べて満足そう。
DIYファンの人は、見ているだけでも楽しい光景。
だが、高級家具に囲まれて暮らしている人は「何がそんなに嬉しいんだ?」と怪訝な顔をするだろう。


家電売り場では、実験段階の「顔用プリンター」の実演が行われている。
30秒顔をつっこむだけで化粧が完成するという魔法のような機械だ。

予め顔を認識させておく。
そして、ファンデーション、アイシャドー、口紅の濃さ、色などを選択して設定完了。
あとは顔をつっこんでスイッチを押すだけ。

平日ということもあり、試していたのは一人で買い物カートを押して来た、いかにも暇そうなおばあさん。
「あまり動かないでくださいね」
店員が声をかける。
そんなことを言われても、老人は足腰が弱い。
じっと一箇所に立っていることは、健常な若者にだって難しいものだ。
おばあさんは、ゆらゆらと顔の位置が動いている。

これは、いったいどんなことになるのか・・
その場に足が釘付けになった。
とっくに、所定の30秒は過ぎているはずだが、終了を知らせるブザーが鳴らない。
店員の表情にも、うっすらと焦りの色がみえ始めている。
それでも「動くな」と言われてからのおばあさんは、店員の忠実な下部となり、微動だにしない。
どれくらいの時間が経っただろう。
化粧終了を知らせる、鈍い音のブザーが鳴った。
安堵の笑顔を取り戻す店員
固唾を呑む群衆(僕ひとりだけど)

おばあさんが「顔用プリンター」から、そーっと顔をぬいた。
店員ができ映えを確認する。
というよりも、火傷をしたり、ひどいことが起きていないか、おばあさんの安全を確かめているように見える。

「綺麗ですよ」
店員が声をかける。
そうかね。そう言いながら店員が持っている手鏡を受け取ったおばあさんが、こっちを向いた時、僕の心に過去数十年間、感じたことがなかった衝撃が起きた。
さっきまで「北林谷栄」だったおばあさんが「ソフィア・ローレン」になっていたのだ。

2016年
4月1日記す

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