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2016年5月の31件の記事

2016年5月31日 (火)

過去の経験を登録しておく「ATOK先生」

ボランティアをしているので外向的に見られますが、実はのんびりした性格なんです。

これは一つの例えですが、このような言い方をする人がいます。
「外交的」と「のんびり」は対比された概念としては、少しずれがありますよね。

それは対義語になっていないよ!
とつっこむ。

その時つい「ついぎ」ごと言ってしまいそうになります。
対義語を「ついぎご」と読んでしまうこと、ありませんか?

対をなすという時の読みは「ついをなす」なので、つい「ついぎご」と読んでしまいがちですが、対義語という名詞の読みは「たいぎご」です。

対義語の定義は「互いに反対の意味を持つ、対をなす言葉同士の関係」です。

■対義語の例
矛⇔盾
義務⇔権利
基幹系システム⇔情報系システム



「ついぎご?たいぎご?」
この「どっちだったかな」には既視感があります。
確か、前にも同じことで悩んだ気がする。

その時、その悩みをそのまま放置して先送りすると、一生、言い間違いをしなければなりません。
僕の知人には「諸刃の刃」と言い続けている人が居ます。
もう10年くらい。

ATOKに「もろはのやいば」と入力すると、赤い字で≪諸刃の剣(つるぎ)の誤用≫と教えてくれます。
その人はATOKを使っていないのでしょう。



「たいごぎ?ついぎご?どっちだっけ?」
そんな時、皆さんだったらどうしますか?
パソコンが目の前にあれば、Googleるのではないでしょうか。


僕の場合、まずATOKに尋ねます。
「ついぎご」とタイプすると、初期値では「津異義語」と変換されます。
ここで、これは明らかに違うなとわかります。
しかし、正確な知識を得るために、国語辞典を引くか、Googleらなければなりません。

そこで、次回から同じことで時間をかけなくて済むように、一度悩んで解決したことを単語登録することにしています。


「ついぎご」と入力すると・・・
ついぎ語ではありませんよ。たいぎ語です。

これで「おぉ、過去に自分は学習していたのだな」とわかります。

■他に登録している例
ぼうびろく →そういう言葉はありません。備忘録です
しゃないひ →社内秘と言う言葉はない!社外秘

「Google先生」は世界中の人々に親しまれていますが、親切で的確な回答をくれる先生ばかりではありません。

一方「ATOK先生」の場合、講師は自分自身。
正確かどうかは担保されませんが、少なくとも、自分が一度は納得した情報です。
しかも、パソコンがインターネットに接続されていなくても回答してくれるので、待ち時間ほぼ「ゼロ」

皆さんにも「ATOK先生」のご利用をお勧めします。


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2016年5月30日 (月)

企業には知られていないルールが多すぎて、それで切れる人が少なくない

岐阜の温泉でえらい目に遭って以来、佐藤さんは扇風機の風が苦手になった。
ほんの少し当たるだけならばよいのだが、数分間にわたり風を受け続けると、動悸が激しくなってきて、とてもその風に耐えられなくなる。

だが、幸いなことにと言うか、当然というか彼の家には扇風機はない。
会社にも、そして彼が通う地下鉄桜通線にも扇風機はない。
あるのはエアコンだけだ。
だから「扇風機恐怖症」が彼に何らかの実害を突きつけると言うことは皆無だった。



佐藤さんの会社ではビル管理会社が電力を緻密に計算しており、パソコンの台数、エレベーター、電灯数まできちんと管理されている。
それによって、年間の計画を立て、必要最低限の電力をいかに安く調達するかという分析に回している。

従って、個人が家電品を持ち込むこと、使用することは禁止されている。
ただし、禁止されていると言っても、総務部が決めたビル管理ルールであり、それに違反したからと言って懲戒の対象になるわけでもないし、ボーナスの評価にも影響しない。



そもそも、そういうルールがあることを知らない人のほうが多いくらいだ。
企業にはさまざまなルールがある。
就業規則、出張規程、セキュリティ規定、ビル管理規則、コンプライアンス規定・・・
だがそれらは、どこかに見に行かなければ見られないものが多い。
いちいち紙で配るのは、就業規則くらいのものだ。
従って、一度や二度、周知したくらいでは、ほとんどの人が目にしない。
そんなルールがあるということすら知らない人が多い。

そして、ルールを知らない人はそれが「ルール違反だ」と指摘されると「そんなルールは聞いていない」
「どこに書いてあるのか」そして「いつ周知したのか」と畳みかけてくる。

つまり「オレ様にルールができたことをきちんと伝えたのか?あぁ?」と言ってくるのである。
さらに悪質になると「そんなルール守っていたら、仕事にならんだろう?オレ様に仕事をするなって言うんだな?」と来る。

バカは死ななきゃ治らない



佐藤さんは、家電は禁止だということをバカ造に伝える気にはならなかった。
彼の反論が瞬時にイメージできたからだ。
だからといって気を遣うことはない。

「その風が僕に当たらないようにしてくれないか?」
若造はひとこと「はぁ」と言ってスイッチを切った。
これでいいんだろ?と言わんばかりに。


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2016年5月29日 (日)

扇風機恐怖症

佐藤さんの会社では朝8時にエアコンの運転が始まる。
それは9時の始業時間にやってくる社員たちを「冷えた会社」で迎えることで、心地よく1日を始めてもらおうという会社の気配り。

かというと、そうでもなくて、同じ電気代を使うならば、その方がクレームが少ないからだ。
8時からの1時間、余分に電気代がかかるが、その分は就業時間内の設定温度をこっそり上げて、取り戻している。
そして、その方が就業時間内にまんべんなくエアコンをつけるよりは、格段にクレームが少ない。

責任逃れの知恵と言えなくはないが、働く側にとってみれば、朝来た時に涼しくていい気分になり、錯覚とは言え1日を不満なく過ごせることは、いいことである。


その日も、暑い1日が始まっていた。
NHKの天気予報では「名古屋はこの夏、最初の真夏日になる」と言っている。
出社してパソコンにログオン。
仕事を始めた佐藤さん、始業して40分ほど経ったところで、ある違和感に気づく。


左腕に風が当たっている。
エアコンの吹き出し口は天井にあるが、いつも風を感じるほどのエアコンが入っていた試しはない。
しかもこの風は後方から時おりやってきて、去って行く。

細かいことを気にすまい・・・
そう思い直した佐藤さんだが、さらに20分ほどしたところで気分が悪くなってきた。
もしや?
と思って振り返ると、そこには扇風機。
ゆるやかに回る小型の扇風機は、120度くらいの広角で首を振っている。

やはり、そうか。
佐藤さんは独りごちる。

そう、彼は扇風機恐怖症なのである。


それは遡ること10年前、家族旅行で岐阜の温泉旅館に泊まった時のことだ。
家族が寝静まったあと、彼は蒸し暑さに目を覚ました。
とても古びたその宿にエアコンはない。
あるのは、縁側に1台の扇風機。
彼は「弱」のスイッチを入れて涼んでいるうち、そのまま眠ってしまった。


次に目覚めたのは2時間後。
彼は強い吐き気に襲われて目覚め、そのままトイレにかけこんで吐いた。
彼のカラダはすっかり冷えていて、心臓は自身の軽率さを戒めるように強く打ち続けていた。

<最終話へ>

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2016年5月28日 (土)

「23度男」が繰り出すエアコン・ハラスメント

その日、愛知県はこの夏一番の暑さになると、NHKの天気予報が告げていた。
佐藤さんの会社は中区錦の一等地、ビル街のど真ん中にある。
当然、エアコンは完備されており、内勤の佐藤さんにとってみれば、悪評高い「名古屋の暑さ」も事務所に入ってしまえば、違う世界の話しだ。
家に帰ると息子と娘が「暑さぱねぇ」「アイスがうまいでかん」などと言うのを、他人事のように微笑ましく見守っている。


ところが今年、佐藤さんにはいつもと違う夏が訪れていた。
勤務先の会社で、遅まきながらスーパークールビズなるものが始まったのだ。
新年度を迎えると、グループウェアで「GWあけの5月9日より、冷房の温度設定を1度上げる」というニュースが掲示された。

佐藤さんは特段、暑がりではない。
その変更は取るに足らないことのはずだった・・・

5月下旬、GWが明けて冷房の設定が変わってから一ヶ月が過ぎようとしていた。
GWの頃はまだ、冷房そのものが入らない日もあったが、ここに来て、室内でも冷房なくしては耐えられない状況になっている。



朝9時、始業のベルが鳴る。
管理業者がはいっているビルにおいて、冷房は始業よりも1時間程度、早く稼働を始める。
大半の入居企業が9時始業ならば、8時起動という具合だ。

社員はぎゅうぎゅう詰めの桜通線を出て、9時前にやってくる。
その時、社内がヒンヤリとよく冷えている。
「あぁ、社内は涼しいな。ここに居る限り極楽だ」
人の脳は単純で、最初にそう思い込むと、その思い込みは持続する。

しかし、ビル管理会社は9時を過ぎると、段階的にエアコンの設定温度を上げていく。
それは人が気づかないよう、小刻みになめらかに行われる。
一度、涼しいと思い込んだ社員たちは、それに気づかない。

朝9時に冷えていない会社では、社員は
「あつっ!なんだよ冷房入れてんのかよ」
と総務部にどなりこむ。

人の脳は単純なので、その不信感は1日じゅう続く。
「この会社はエアコン代をけちっている」
と思い込んだ社員は、いつもエアコンが冷えているかを気にし始めて、少しでも暑いと感じると、すぐに総務部にクレームを入れるようになる。



各フロアにエアコンのスイッチがあり、独自に温度設定を変えられる会社では、一部の暑がりが「23度」といった極端に低い設定にしてしまう。
外回りをする社員がいる職場では、特にそうなり勝ちだ。
しかしその傍らでは、寒さに弱い内勤の女性が膝掛けや毛布にくるまって仕事をしている。


「23度」にしてしまう人がエライ人の場合、それはパワハラと呼びたくなるような暴虐な行為だ。
だが「23度男」はエライ人に限らない。
どちらかというと、親に甘やかされて間もない、若造にその傾向が強い。
その場合は、エアコンの虐めだから「エアハラ」とでも呼ぶのだろうか。

暑がりの若造はたいてい太っている。
その若さですでに美意識を放棄したのか
あるいは「節制」という言葉が出てきた国語の授業を寝ていたのか。
それだけ腹に厚い脂肪を巻いていたら、さぞかし暑かろうと同情も起きる。


そして、佐藤さんの苦悩はそんな若造によってもたらされた。

<続編>へ

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2016年5月27日 (金)

「とと姉ちゃん」に惹かれる理由

「とと姉ちゃん」を毎日楽しみにしている。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」
2016年4月3日放送開始
2016年10月1日最終回(156回)


主演の高畑充希は、2013年度後期のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」で、杏演じるヒロインの義妹役として出演していた。

前半は意地悪い姉に遠慮してほとんど口をきかない地味な女だったが、市場で「焼氷有りマスの唄」を歌ったところから陽転。明るいキャラクターとして人気を博した。
過去作の出演者が主演を努めるのは「花子とアン」→「まれ」の土屋太鳳パターンと同じ。



ドラマは昭和5年の静岡県を舞台に始まり、やがて父親代わりをつとめながら生き抜く「常子」が激動の時代を生き抜く物語。


■脚本:西田征史(原作なし)
■主題歌:宇多田ヒカル「花束を君に」



ここまで、このドラマに惹かれる要因は、子供たち3姉妹が母親に敬語を使っていることだ。
そして末娘の美子が、おてんば(男勝りの活発な女の子)ながらも、姉や母に対して、わがままを言わず礼儀正しいことだ。

おてんばの女の子は、たいがい、跳ねっ返り娘として描かれるし、現実の世の中では大半がそうだ。

利口でありながらも、節度をわきまえる。
大人の女性であれば、それは「いい女」として賞賛されるのだが、この若さで(子供だけど)これだけ人間ができているのを見ていると嬉しくなる。

よそ様のこと(テレビですが)ながらも、見ていて清々しい。
ほほえましい。

エンターテインメントは実生活ではなし得ないことを、代わりに達成してくれる。
出会えないような素敵な人たちと出会わせてくれる。

日々の暮らしにどきどき、いや、笑顔すらなくても、そこに行けばそれがある。
それがエンターテインメントの役割の一つである。


世知辛い話をテレビで見たくはない。
気持ちのよい人々だけがいて、胸の空くような話を見たい。

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2016年5月26日 (木)

ブログが3900日つづいた理由

今日でこのブログ「しらべるが行く!」は3900日を迎えました。
毎日1話で連載を続けているので、3900日連続更新ということになります。
ブログの場合「更新」というよりは「投稿」と言った方がいいかも知れませんが、本体の「しらべる」が5900日連続更新と言っているので、それに合わせています。


なぜ、こうして毎日ブログを更新するのか?
答えは特にありません。
「文章を書くことが好きだから」ということならば、毎日である必要はないですからね。


では毎日、続けられる理由はというと、それは僕の小学校時代にあります。


小学校に上がった時、母が僕に「毎日、日記をつけなさい」と提案してくれたのです。
僕が通っていた盆地の小学校では「見つけた勉強」と言って、自由なテーマでなにか1つのことをおこない、それを毎日担任に提出するという習慣がありました。
その題材として、母は日記を薦めたわけです。


ずいぶん前のことなので、詳細は覚えていないのですが、母は提案と同時に既に日記帳を買ってきていて、僕に手渡した映像が浮かびます。


初めての日記帳
見開き1ページで1日分。
上半分は「絵」が書けるような空白。
下半分はマスではなく、縦罫だけが入った文章を書くスペースでした。


きょうはかえりにとしょしつにいきました。
こどもはだれもいなくて、としょの先生だけでした。
シャーロック・ホームズの5をかりました。
ぼくはホームズとワトソンがだいすきです。


恐らく、こんなことを書いていたのだと思います。
読者は先生だけ。
朝、教室にある先生の机に日記帳を置きます。
すると、先生は休み時間や昼休みなどに、全員の「見つけた勉強」を見て、講評を入れ、放課後の「反省会」(終わりの会のこと)で返してくれるのです。


先生が赤ペンで書いてくれるコメントが楽しみでした。
友達の「見つけた勉強」は概ね、漢字の書き取りのようなものでした。
だから赤で二重丸、三十丸がついているだけ。
でも、僕の場合、日記なので、二重丸というわけにはいかなかったのでしょう。


先生にしてみれば、手のかかる生徒だったかも知れませんが、それなりに楽しんでくれたのではないでしょうか。


いつも「しらべるが行く!」を読みに来ていただきありがとうございます。
皆さんが楽しんでいただけるような文章を、これからも書いていきたいと思っています。

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2016年5月25日 (水)

教師生活30年で初めて手を挙げた教諭 殴られた僕がその30年後に思うこと

今日は給料日です。
毎月25日は大半の民間企業において、月給が振り込まれる日。
だと思いますが・・

違うっていう方いますか?
ちょっと手を挙げてみてください。

・・・・・

あぁけっこう居ますね
公務員が (笑)


僕は生まれてこの方、始めに給料日として覚えたのは21日でした。
父が地方公務員で学校教諭だったからです。

「教諭」は幼稚園・小・中・高校などの正規の教員。
「教師」は学問・技術などを教える人です。

マンガ「ど根性ガエル」でひろしの担任の町田先生が、激高すると「教師生活25年っ」というのが口癖でしたが、あれは正確に言うと「教諭生活25年」と言うべきところです。
どうでもいいことですが。

それで思い出したのですが、高校に入りたての頃、ちょっとした悪戯心で担任を怒らせてしまい、殴られたことがありました。

その時、その先生が「教師生活30年。生徒に手を挙げたのは初めてだ」と言われました。
僕は、30年もずっと温厚な教諭だったのに、そんな心にもない荒っぽいことをさせてしまい、申し訳ないと思っていたのですが、クラスメートの数人はその台詞を聞いて、必死に笑いをこらえていました。

あとで「なにが可笑しかったの?」と尋ねると「町田先生かと思った」のだそうです。



あれから数十年、滅多に思い出すことがなかった出来事ですが、いま風呂に入りながらこのことを思い返して、ふと考えました。

もし、あの時先生が
「こう見えても僕にも家庭があって、守らなければいけないものがあるんだ。生徒の君からみれば頼りない一教師かも知れない。それは僕の不徳のいたすところだ。だが、まだこの学級は始まったばかりだし、これから互いに会話をして、よりよい場所にしていかないか」

というようなことを言っていたら・・・
恐らく僕らは、頼りないヘボ教師改め、なかなか話せる、ひとかどのオトナと思っただろう。
もしかすると、それは伝説となり、卒業後も長く交流が続くような関係になったかも知れない。


だが、現実は「メガネをとれ!」と言われて僕が殴られて、周りは先生と僕に落胆した。
そして1年間にわたり、クラス運営は台風が通り過ぎた後の相浦の海岸のように、流れ着いた材木が浮かび、海水は濁り、よどんだものになった。


母校は佐世保でおこなう同窓会とは別に、東京でも年次総会をおこなう。
そこには、OB会からのリクエストで「人気教師」が遠く佐世保から招待される。
既に退役してから数十年経った先生たちは、すっかり老人の体だが、その弁舌は時を超えてよみがえり、懐かしい話に一夜の花が咲く。

でも「その先生」が話題に上ることはなく、もちろん、招待もされない。


人は衝撃的な出来事に接した時、それが好機であるという嗅覚が効く人と、そうでない人に分かれているのだろう。

かっとなるようなことを言われた時、それをいかに逃げずに、真っ向から、冷静で的確な言葉で切り返せるか。
それができれば、ずいぶんと自己評価は上がると思う。


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2016年5月24日 (火)

1,800円投資。ユーロ2016でわくわくすることにした。

最近どきどきわくわくする機会がとても減っている気がします。
まぁ、人生の後半に突入しているわけですから、それは仕方ないのですが。

ただ、仕事にメリハリがなくとも、別に色恋沙汰がなくても、映画や小説といったエンターテインメント、スポーツであればどの年代の誰にだって、楽しむ機会があるわけです。
ただし、少々金銭的な制約があるので、完全に機会均等とは言えませんが。


さてそこで、2ヶ月間 1,800円で楽しめるわくわくどきどきに加わることにしました。
サッカーファンならば、もうピンと来たかも知れません。
そう「ユーロ」が6月10日から開幕するのです。


ユーロは4年に1度開催される欧州地域限定、フットボール国別対抗戦。
世界中の国別対抗戦はW杯。それとは2年ずらして開催です。
ということは、夏季五輪と同じ年。夏季五輪の1ヶ月前に開幕します。


前回のユーロ2012までは出場国が16カ国だったため、6月中旬に開幕して7月の第1日曜日が決勝でした。
今回は6月10日開幕。7月10日決勝です。


WOWOWはインターネット申込みの場合、申込み月と翌月まで1,800円で視聴できます。
ということはユーロ開幕前、6月1日に加入。
その日からしばらくは「映画」や他の「スポーツ」などが見られる。

そして「ユーロ2016全試合放送」を見て、7月末までに解約すると、1,800円以外一切費用がかからないのです。
欧州フットボールファンにとって、こんなお得な話があるでしょうか。


でも、ここ数大会、ユーロには既存テレビ局も注目しており、過去3大会はTBSが地上波放映権を獲得。
前回の場合31試合中11試合を放送しました。
もしも、地上波で主な試合が見られるのならば、1,800円すら払わなくて済むことになります。

僕の場合、ポルトガルの試合さえ見られればいいのですが、地上波だけでは全部を見ることはできませんでした。



今大会は参加国が16→24となり、試合数は31→51に増えました。
地上波放映権を獲得したのは、今回はテレビ朝日。
しかしグループリーグの放送予定はわずか6試合。ポルトガル戦は日本時間19日のオーストリア戦のみ。あと2試合は放送がありません。
もしも、グループリーグで敗退してしまった場合、1試合しか見られないわけです。


それならば2ヶ月見られて1,800円!WOWOWの出番です。
6月1日になったら、ネットから申し込む。

そして、およそ1ヶ月にわたる「ユーロ2016」をどきどきわくわくするために、よく予習したいと思います。

デコがユーロ2008でポルトガル代表を引退してからも、ロナルドがいる限り、ポルトガルには愛着があります。
もしかすると、現在31歳のロナルドにとって、今回が最後のユーロになる可能性もあります。
しっかり見ていきたいと思います。

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2016年5月23日 (月)

言葉が見つからない (最近メディアでよく目にするキーワード)

言葉がみつからない

人はどんな時この言葉を使うのだろう?

まさに言葉が見つからない時だよね



最近、誰かに向かって「言葉が見つからない」と言った記憶が無い。
もし言ったことがあったとしても、それは、開いた口がふさがらないような誰かの体たらくに直面して、それをユーモアを携えて揶揄するといった状況だっただろう。



震災で親友を亡くした若者
残虐な事件で誰かが死んだことについて意見を求められた町の人
余命を宣告され、あとに残す子供たちを思う親


そういった人たちが、メディアから向けられたマイクに向かってこの言葉を使い、それが報道される機会を、このところ立て続けに目にした。



言葉がみつからない

それは、読書量とか国語力、語彙が豊富、貧困ということとは別次元に存在する言葉なのだ。

無念
それを言い表すことは、なかなか難しい。


もの書きのプロは、そこに言葉を見つけることが商売であり、その役割を担っている。
だが、アマチュアは、いつでもそう思った時に、その言葉を使ってよいのである。

言葉がみつからない

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2016年5月22日 (日)

「幸福を見つめるコピー完全版」にも収録されなかった2つのエッセイ

「幸福を見つめるコピー完全版」を読み始めた。
それは単行本「大人の迷子たち」に収録されなかった5つのエッセイを手に入れるためである。

「幸福を見つめるコピー」は、2009年にコピーライター岩崎俊一が初めて上梓した著書。
岩崎俊一62歳の誕生日に出版された。

初めての本が出るのが62歳。
それを聞くと、まだまだ自分も間に合うなと思う。
もちろん高名なコピーライターと、無名の民間人ではそこへたどり着くまでの前提条件が大きく違うわけだが。


「大人の迷子たち」は東急電鉄のフリーペーパー「SALUS」に連載されたエッセイをまとめた書籍。2014年10月初刷
連載は2010年に始まり、岩崎俊一が亡くなる2014年まで。
書籍にはSALUSから47篇、全49話が収録されている。

発売後(校了後)から岩崎俊一が亡くなるまでの間にSALUSに掲載されたエッセイ、すなわち書籍未収録の5話が今日のテーマだ。


もちろん、SALUSのバックナンバー(2014年9月号~2015年1月号)を読めば、その5話を読むことはできる。
だが、期せずしてわずかにこぼれ落ちたそれらの随筆を、どこかの誰かが拾い集めてまとめてくれいないか。きっとそれくらいの気が利く編集者がどこかの版元にいるだろうと考えていたのだ。


単行本に収録されたのは締めの関係でSALUS2014年8月分まで。
SALUS2014年9月号から岩崎俊一逝去のため最終稿となった2015年1月号までの5話が単行本に収録されていない。

そのリストを見ながら「幸福を見つめるコピー完全版」をめくる。
恐らくその5話がこの中の何処かにあるはずだ。


SALUS2014年9月号 第50回
タイトル「人間という肩書きで、生きようと思う。」
定年とともに肩書きで生きることをきっぱりやめた友人の物語

これは300ページに収録されていた。


SALUS2014年10月号 第51回
タイトル「別れがつらいのは、大人だけじゃない。」
転勤族の親が、その子供を思う気持ちが足りていないことを顕在化している。

この話は収録されていなかった。


SALUS2014年11月号 第52回
タイトル「刺せば血が出る器物などない。」
療養生活での執筆。盲導犬への傷害事件を「器物損壊」とする現在の法律に異議を唱える。
紙面見開き右ページには単行本「大人の迷子たち」の広告が載っている。

これは092ページに収録


SALUS2014年12月号 第53回
タイトル「我が輩の恩人は漱石である。」
42年前出せなかったラブレターを引き、夏目漱石の「こころ」が書く仕事への原点だったことをしたためる。

104ページに収録


SALUS2015年1月号 第54回(事実上の最終回)
タイトル「昭和30年代を目撃した人間の責任。」
"この連載が始まって丸5年になろうとしている"と書き始める。
本の出版(「大人の迷子たち」)と、自身が手がけた西武池袋本店での「昭和展」が続いたことを偶然と記す。
"昭和30年代と平成20年代の両方を知る人生。僕が書き残すべきことはとても多いと思っている。"と結ぶ。

このエッセイも収録されていなかった。


結局「大人の迷子たち」出版後5話のうち、2話が収録されていない。

単行本「大人の迷子たち」にはSALUSから47篇が収録されているが、その時点で連載は49回であり、そこでも2篇がこぼれている。

こぼれ落ちた4篇
無名の民間人は、どうせならば「コンプリート」にすればいいのにと思うのだった。


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2016年5月21日 (土)

最悪なのは、女が2人いる会議

男ばかりの会議は、とても退屈する。
誰もがベストを尽くしていない。
思いつきで、馬鹿なことを言う者が多い。
内職したり、寝ている者さえいる。

上田次郎がこの有様を見ていたら
「なぜベストを尽くさないのか!」
と一席ぶつことだろう。

若い男たちが来る会議は始末に負えない。
ガキどもがつるんでやって来て、始まるまでの間、ペチャクチャ喋っている。
おばさんか!とツッコみたくなる。
まだ大人にも男にもなりきれていない時代。
それは、誰にでもある。
いつも、喋り続けているやつは背が低い。
何かそこには、相関関係があるのだろうか。



理想の会議は、女が1人いる会議だ。

大勢の男の中に女が1人入ると、男ばかりの会議とはがらっと違う空気になる。
男の姿勢が変質するからだ。
男は女の前ではヒーローになりたい。
プレゼンスを示したいのだ。

男たちの口数は少なくなる。
乾坤一擲、自分の最大価値が発揮できる場面で、びしっと決めたい。
だから、慎重にその一瞬を見逃さぬよう、他人の話をよく聞き、千載一遇の機会をうかがう。
会議は緊張感にあふれたものになる。



女ばかりの会議もいい。
正確に言うと、そこに自分という男も1人いる。
肩肘を張らず、ざっくばらん。
男ばかりの会議と比べると、格段に笑顔にあふれている。



最悪なのは、男たちの中に女が2人いる会議かも知れない。
女はイメージでものを考える。
男は理屈で考える。
左脳と右脳の違いだ。

ある女がイメージを膨らませて話す。
だんだんとそのイメージに酔い始める。
それは妄想と呼ばれている。

すると、もう1人の女が「私も妄想していいんだ」と勘違いしてしまう。
年齢も立場も忘れて、すっかり、サラリーマンの衣を脱ぎ、1人の女としてのだらけた話が始まる。

そこに懸命な女が同席していることもある。
(女が3人)
だが、懸命な女は妄想に付き合わない。
2人の女が繰り広げる妄想の掛け合い漫才をみて、徐々に口数が減る。


妄想におぼれる男はもっと見苦しい。
ということも、付け加えておきます。


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2016年5月20日 (金)

ピスケに見る、モノ購入決断のプロセス

有楽町のロフトにカナヘイコーナーができたと聞いたので、僕はピスケを見に行くことにしました。
聞いたと言っても、ロフトに友達はいないので、有楽町ロフトのツイートをカナヘイがリツイートしたのを見たわけです。

有楽町というのは特別な町です。
田舎者にとって、なんともその酔狂な名前は、東京の懐の深さを感じさせます。
フランク永井が「有楽町で会いましょう」を歌っていた頃、僕はまだ父のほうにいましたが、生まれ落ちたあとに聞いたその曲で、幼少の頃、その町に特別な感情をもっていたことを覚えています。


有楽町には大きな新幹線があります。
別に巨大な新幹線オブジェがあるというわけではありません。
有楽町は「東京駅」のとなり駅。
この2駅は徒歩圏内と言えるほど近く、東京駅を発車したての下り新幹線は、ゆっくりと走っています。
ガード下やJR在来線のホームからその異様は、とても大きく見えるわけです。


そして、有楽町にはロフトがあります。
ロフトはビックカメラ別館跡にできたのですが、確か2002年頃には、違う店だったと思います。
なんだか思い出せませんが。


カナヘイのツイートを見た時、この日たまたま有楽町に用事があったことを神に感謝しました。
さて、やってきたロフト有楽町店。

ツイートでは、確かとても目立つところにあると書いてあった記憶があるのですが、お店に入ってもそこにそれらしきモノがありません。

あれ、おかしいな。
展示コーナーはもう終わったのかな。

そこで、すぐ目の前にいた黄色い制服の女子店員に尋ねます。

カナヘイの展示って何処ですか?

すると、女子店員即答です。
「カナヘイ?やってません」

そうですか。
にこにこと笑って僕は自分で探すことにしました。
少しお店の奥に進むとそれはど真ん中にどーんとありました。

展示という聞き方が悪かったかな。
というより、カナヘイという単語に「?」マークだったのかも。


ネットでチェックしていた史上最大の市販ピスケグッズ「もちっとクッション(ピスケ)」を両手で抱え上げてみる。
初老の紳士(自分で言うか)が神々しいピスケを見上げている絵は、ちょっとキモかったかも知れない。

50cmのピスケは、低反発まくらのような感触。
ぬいぐるみは汚れに弱いが、ポリエステル素材なので手入れが楽そうだ。
と考え始めて、やばくなってきたので元に戻す。

■実勢価格:5,616円
■発売:2016年2月13日
■メーカー:グレイ・パーカー・サービス



文具は大半が既に購入済みだったので、初めて見た「カナヘイグラスタンブラーピスケ」(製造エーワークス)を購入。
これならば、しばらくは「PUTITTO ピスケとうさぎ 奇譚クラブ」を飾ったあと、夏のグラスとして使える。

僕らは「買ってみたけど、使う場面がなかった」という経験を山ほどしている。
その点「食」に関するグッズは、購入後がイメージしやすく、購入の決断につながると思う。


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2016年5月19日 (木)

メールに書く「了承」と「了解」の使い分け

この件はサトウ部長にご了解を得ています。

このメールはサトウ部長のご了承を得てお送りしています。

誰かに向けてメールを送る時「あなたの上長に既に話しは通していますよ」という断り書きをすることがある。
それを書かないと、相手の対応が悪いからだ。


何を勝手なことを言っているんだ?
そもそも、筋が違うだろう。
上を通せ


教諭に無理難題をぶつける父兄には「モンスターペアレント」という言葉があるが、こういう人は「モンスターヒラ社員」である。


モンスターヒラ社員は、いろいろなことを言ってくる。
失う立場がないから強い。
エライ人を相手にしたら、なめくじのようにしぼむのだが、相手もヒラ社員だと水を得た魚。
日頃、誰にもえらそうにできないので、ここぞとばかりにえらそうにする。



そこで「佐藤部長には事前にご了解いただいているんですよ」と言うと、さっきまでモンスターだったのが、突然借りて来た猫になる。
とても従順なので、話しが混乱せず、スムーズに事が運ぶ。

だったら、始めから「このメールはサトウ部長のご了承を得てお送りしています」と書き始めた方が、話が速い。
モンスターヒラ社員に、エラくもないのにエラそうにして恥をかかせなくて済む。


さて、この時そこに書く「了承」と「了解」これはどちらが妥当なのだろうか。

■了承
相手の申し出や事情などを納得して承知すること

■了解
ものごとを理解して承認すること


【例】を挙げて説明しよう。

「スーパークールビズは5月23日からおこないますが、草履履きは禁止です」
といったことを、サトウ部長に認めてもらったとする。
この場合は、了承がなじむ。

「防災訓練にかかる予算10万円を支出してよい」
といったことを、サトウ部長に認めてもらっているならば、それは了解がなじむ。


承認事項が「決裁」と呼べるか、それに等しい場合のみ「了解」
通常は、物腰の柔らかさ、謙譲の意味合いを出す意味でも「了承」が適切だろう。


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2016年5月18日 (水)

生活道路で速度取り締まりができる「小型オービス」

宮崎県で大沢誉志幸を熱唱して、覆面パトカーのお世話になってから数十年が過ぎた。
加齢により運転が慎重になったのか、ここ十数年、反則切符を切られていない。

そういえば、しばらく「ねずみ取り」を見ていない。
「自動取り締まり機」通称オービスも増設されていないようにみえる。
あまり、遠出しなくなったせいもあるだろうが、取り締まり自体が減っているというのが、実感だ。

それでは、運転マナーが格段に向上したのかというと、むしろ逆だと思う。
一時停止の標識で「車輪を完全に停止」しているクルマは滅多に見かけない。
片側一車線の道では、センターラインを超えて走る車が激増している。

路上駐車車両がある場合、そちら側の走行車が駐車車両の後ろで待機して、センターラインの向こうから来るクルマが通り過ぎてから、ウィンカーを出してはみ出して追い越していくのがマナーだ。
しかし、そういうクルマは滅多にいない。

目の前にクルマが停まっていれば、対向車両が来ていてもお構いなし。
躊躇なく(ウィンカーも出さず)センターラインを超えてくる。
対向車が止まらなければ正面衝突だ。

自分さえよければいいというドライバーは格段に増えている。
(東京の場合です)


幼稚園、小中学生の通学路は生活道路。
だが、幹線道路の渋滞を嫌った車両が、そうした道路を通勤に使っている。
生活道路なので、制限時速は30キロなのだが、そんな標識はお構いなし。
目測で50キロは出ているだろう。

子供たちは歩道を歩いているから安全。
かというとそうではないことは、全国で起きている「クルマが通学の子供たちに突っ込んだ」事故が証明している。

だが、速度取り締まりをしようにも、違反車両を取り調べるスペースがない。
結局「生活道路ではねずみ取りはない」とドライバーは高をくくっている。



2016年3月25日、小型「スピード違反取り締まり機」の運用が始まった。
見た目は、道路標識の先端に監視カメラに付いているよう。
岐阜県、埼玉県で全国に先駆けて採用した。
東京都も採用を検討している。


いわゆる「小型オービス」である。
オービスなので、その場で捕まえるスペースは要らない。
後日、車両保有者に呼び出し状が届く。
違反を無視すれば車検が通らないので、逃れるのは難しい。


15km以上~20km未満は1万2千円
20km以上~25km未満は1万5千円

商店街、生活道路に切れ目なく監視カメラが普及しているように、この小型オービスが通学路に設置されれば、子供たちの安全に寄与することだろう。

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2016年5月17日 (火)

覆面パトカーという名前はいかしている

福岡の太宰府インターから高速に乗る。
高速と言っても、日本にある高速道路は「東名」と「名神」で、あとは自動車道路である。
九州自動車道を一路南下する。
鳥栖を過ぎるまでは片側3車線
久留米の手前で1つ減って2車線になる。

それでも、日頃はさほど渋滞しない。
八代インターで降りて一般道路、国道219号線に移る。
別に高速を降りたいわけではなく、当時は八代までしかつながっていなかったのだ。

ほとんど信号がなく、クルマも少ない晴れた午後。
「助かりません。救急車到着まで1時間」
といった道路脇の看板にびびりながら、睡魔と戦う。
そんな時は、カーステレオから流れてくる音楽に合わせて、絶唱するのがいい。
歌いながら眠れるという人は、なかなか居ないものだ。



ループ橋を経て「えびのインター」から再び、高速へ。
そこから先は宮崎自動車道。
ここは、さらに輪をかけてクルマが少ない。

ある日のこと。
ついつい睡魔に負けてしまい、うとうとしながら走っていた。
もちろん、完全に寝ているわけではない。
まずい!
ふと我に返ってみると、さっきまでと違う車線を走っていた。

片側2車線の左側「走行車線」をゆっくり走っていたのに、気がつくと右側の「追い越し車線」を走っていたのだ。
慌ててバックミラーで後方を確認したが、視界の届く範囲に後続車はなかった。


それ以来、宮崎自動車を走る時は、気合いを入れて歌いながら走ることに努めていた。
その日、友達が買ってきてくれたパイオニアのカーステレオから流れていたのは大沢誉志幸の「クロール」
夏場にはぴったりの歌。

くろーるぅ♪
曲がサビにさしかかった時、バックミラーにやたらと接近しているクルマが映った。
いつもならば、後続車自体が珍しい。
これだけ空いているのだから、こんなに寄せなくても、さっさと追い抜いていけばいいのに。
そう思ったら、助手席のおじさんがなにやら叫んでいる。

カーステレオから大沢誉志幸を大音響で鳴らしていたため気づかなかったが、彼はマイク装置を使い僕に話しかけていたのだ。

福岡ナンバー****、停まりなさい!

それは、初めてみた「覆面パトカー」だった。
別に運転手がミル・マスカラスのように覆面をかぶっているわけではない。
警察車両なのだけど、パトカーのように黒と白で塗り分けていない。
一般車両の装いで、正体を隠しているから覆面パトカー。

確かに、ミル・マスカラスの正体は謎だった。
(一応)
謎だからこそ、好奇心をかき立てられて、ファンになったのだ。

そんな「覆面」を名乗るなんて、なかなかいかしたネーミングではないか。

などと言っている場合ではなく、路肩に駐車を命じられた僕は、覆面パトカーの後部座席で薄給にはつらい金額をつきつけられて青くなったのだった。

つづく

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2016年5月16日 (月)

価値観を変える猫

サトウイチロウは埼玉の中堅都市に暮らしている。
妻と子供と3人暮らし
数年前、3人で住むにはちょうどよい間取りと、手頃な価格の分譲マンションが気に入り、通勤は遠くなるがこの地に移り住んだ。

この住居を契約する際、管理組合の取り決めを読んでいて、彼はある文章に目をとめた。
「ペットは小動物1匹まで可」

彼は特に動物が好きでも嫌いでもない。
同僚がパソコンの壁紙を愛犬にしていれば「かわいいですね」と共感を寄せるし、SNSで知人の女性がネコに入れあげた投稿をしていても「いいね」はする。
その程度だ。

自分が飼うつもりはないが、小動物ならば、さほど迷惑を被ることはないだろう。
彼はそう独りごちて、一瞬でその文章から目をそらした。


それから5年。
特に可も無く不可も無い新居暮らしが続いていたある日。

朝起きて着替えていると、ウ゛ー、ゴロにゃーごという声が聞こえてきた。
彼の部屋はマンションの6階部分。
野良猫が階段を上ってきて鳴くとは思えない。
窓を開けようとすると、その声は止んだ。


数日後、彼はその声の正体を知る。
休日の午後、近くを散歩して帰ってきた時、家の前にさしかかった所で彼は何かの物体に蹴躓きそうになった。

彼が慌ててその物体を乗り越えると、それはけだるそうに隣戸のわずかに空いた隙間から、中に入っていった。

隣の飼い猫だった。
そこらじゅうを徘徊しないよう、首にリードが付けられていて、その長さはちょうどサトウさんの寝室前の廊下あたりに届く。


その日から、彼は朝に夕に、隣猫のごろにゃーごに悩まされることになった。
マンションの廊下といえば、共用部分である。
たとえ「ペットは小動物1匹まで可」という取り決めがあったとしても、それは専有部分内に限られるというのが常識だ。

共用部の廊下にリードでつないだペットが寝転んでいるという状況に、彼は戸惑った。
何度か、隣の住人に「鳴き声がうるさいのでリードを短くしてもらえませんか」と言おうと思ったらしい。
でも彼はいまだにそれが言えない。

隣人に対して、自分が迷惑しているということをそれとなく伝える手段はないか?
それなりに小さなアクションはしてみたらしいが、廊下猫はつづいているという。


角度を変えた見方をすることで、新しい事に気が付く。
そして、事態は動き出す。
彼は今、新しい見方が降りてくることを待つことにしたという。


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2016年5月15日 (日)

第5弾 村上春樹Q&A メール祭り(案)

「村上さんのところ」を読み始めて10ヶ月。
ページナンバー50509
それは突然始まった。

「時刻は23時58分59秒です。」
村上春樹が回答文章の中でカウントダウンを始めたのだ。
その時刻は受付終了日である2015年1月31日深夜。
(ただし回答は5月に書かれている)

続いてナンバー50838 37465通目
「ラストの質問です」

ラスト??

僕はかなり狼狽した。
ラストと言われても、既読率はまだ44%
ここで終わったら、後の56%はどうなるの?


ナンバー50853
すると、そこから先は「テーマ別目次」
「1:好きな人がいます」からテーマ毎に収録したページだった。
つまり残り56%は既に読んだものを並び替えた「リプライズ」
再登場だったのである。

従って、一通りの通読としては44%時点で終了ということになる。
これを知っていれば、ファンレターも流し読みせず、英語も飛ばさずに(笑)真剣に読んだのに。
(また、読めばいいのだが)
こうして2016年5月のある日、期せずして読了日は訪れた。


テーマ別目次の最後は「00村上春樹より」
ここを最後に読んで終わりにする。

すると、その後に「お楽しみ」として、この企画作品に携わったスタッフによる「編集後記」があった。
そして、いよいよKindleには既読率100%が表示された。


去年の8月18日、書籍版「村上さんのところ」を読み終え、翌日Kindle版を購入して着手。
この265日間に読んだ、他の本は506冊。

実に通常速度ならば半年分の時間をかけて1冊の本を読んだことになる。
終わりは呆気なかったが、これほどまでに生活に染みこんで付き合った本は最初で最後になるだろう。


遅れてきた「村上春樹Q&Aファン」としては、できれば一度はその「祭り」に参加したい。
だが、今回のメール祭りであまりにメールが多かったことで、村上春樹はかなり疲弊したようだ。

文中で村上春樹はこう書いている。
(以下引用)
これとまったく同じ形式でやることはできないと思いますが (もう一度やったら確実に死にます ) 、何かうまいフォ ーマットを考えたいですね 。
(引用おわり)


「村上春樹Q&A本」に掲載されたQ&A数

2000年8月
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」282

2006年3月
「これだけは、村上さんに言っておこう」330

2006年11月
「ひとつ、村上さんでやってみるか」490
2015年7月
「村上さんのところ」電子3716 紙473


第5弾の「村上春樹Q&A」企画が実施されるとしたら、それは1人1通400字限定(今回は1,200字)といったレギュレーションで行われるのではないか。

しらべる(案)
1,始めにメールアドレスを登録(フリーアドレス不可、プロバイダー・キャリアドメインのみ)
2,名寄せした後、応募アドレスへ「投稿券(ID)」「URL」を連絡
3,応募者は「URL」にアクセスして「メールアドレス」「ID」でログインして投稿。
投稿は1回限り。同IDでは二度めはログインエラーとなる。


今回はKindle版で見ただけでも、名前を覚えてしまった人がいるくらい、1投稿者が大量のメールを送っている。
そこを1人1通に制限することで、より多くのファンが「メール祭り」に参加できる。

次回はぜひ、そこに自分も1通の質問を送ってみたい。
もう今から、その質問を考え始めている。


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2016年5月14日 (土)

「ノルウェイの森」で落伍して「ライ麦畑」でつかまる

2016年1月
「村上さんのところ」Kindle版を読み始めてから5ヶ月が過ぎようとしている。
ちょうど、1年前の今頃、このweb企画「村上さんのところ」が開催されていたのである。

1年前の僕は村上春樹が読者とQ&A企画をやっていること。
それも15年前の2000年からやっていることなど、まるで知らない1ファンだった。

初めて村上春樹を読んだのは2001年5月「ノルウェイの森」
ベストセラー作品であると聞いていたからだ。
しかし、読んでいて僕には物語の情景が浮かばなかった。
心に響かないと言うことだ。

同様の意見は「村上さんのところ」でも多数寄せられている。
「かつて、読んだ時にはよくわからなかった」
「自分は好きなのだが、知人が難解だと言っている」
といったことだ。

そうか、僕だけじゃないんだ。
少しほっとした。
それと同時に15年が過ぎた今、もう一度読んでみると案外、面白く読めるのではないかという予感が沸いた。


ではなぜ僕が村上春樹ファンなのかというと、2003年に村上春樹が翻訳した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が面白かったからだ。
割と有名な作家が、外国の名作を翻訳するということが珍しくて、手に取った。

邦題「ライ麦畑でつかまえて」は1961年に野崎孝が翻訳したのが日本語訳の初出。
僕は松田聖子の「いちご畑でつかまえて」を先に聴いていたので、この物語への予見が強くて困った。



その後、代表的な長編小説「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」そして「1Q84」へと進んでいった。


他にも僕がまだ見ぬ村上名作がたくさんある。
「国境の南、太陽の西」
「羊をめぐる冒険」
「アンダーグラウンド」

質問を寄せるファンが挙げる my favorite one
によく挙がっている過去の作品。
ぜひ、読んでみたい。
今読んでいるこの本が終わったら・・


ところが、これが終わらない。
そうこうしているうちに、季節は春になった。
読み始めてから、4つめの季節だ。
これは1年じゃ終わらないな・・
そう思い始めていた時だ。


読み始めてから足かけ10ヶ月前となったある日、その日は突然に訪れた。

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2016年5月13日 (金)

ファンの書いたところは読み飛ばす「村上さんのところ」

「村上さんのところ」kindle版は、村上春樹初めての電子書籍。
電子書籍というのは、たいがいの場合、書籍版と同じ内容を電子化するのだが、この企画は電子書籍オリジナル。

3716のQ&Aを完全収録。
このうち473問を厳選した書籍版を先に読んでいたので、それに比べて内容は平凡。
ベストアルバムを先に聴いて、後から「それ以外」を聴いているような感覚。
悪くはないのだが、物足りなさを感じてしまう。

ただ、書籍と違って好都合なのは、Kindleアプリを入れたiPhoneでも見ることができることだ。
通勤、1人でゴハンといった、ちょっとした空き時間。
見るものがない時の暇つぶしに村上春樹。
それも延々と
これは、なかなか心地いい。



【「村上さんのところ」時系列の記録】

2015年1月15日
ウェブサイトでメール受付開始

2015年1月31日
受付終了 メール総数37,465通

2015年3月31日
当初のウェブサイト終了予定(1ヶ月延長)

2015年4月30日
回答公開終了

2015年5月13日
ウェブサイト閉鎖

2015年7月24日
「村上さんのところ」単行本、電子書籍同時発売
ウェブサイト期間限定復活公開




2015年秋
読み始めてから3ヶ月を過ぎていた。
読めども読めども、既読率を表す数字は進まない。

10%を超えたあたりから、ファンの質問は速読するようになった。
そこは、村上語録ではない。
いわゆるファンレターだ。

今回の企画では、村上春樹本人がすべてのメールに目を通すという約束が、ファンとの間に取り交わされている。
村上春樹が熟読するのは既定路線なのだが、一読者の僕までもが、他人の書いたファンレターを熟読する責務はない。

既にその時点で、英語の質問は読み飛ばしていた。
なぜならば、英語の質問には村上春樹も英語で答えているからだ。

村上春樹は小説家でありながら、翻訳家でもある。
小説、随筆執筆の合間に翻訳に取り組むことは、彼の趣味でもあるらしい。

こうした英語でのやりとりは、書籍版「村上さんのところ」には収録されていない。
Kindle版は横組みであるのに対して、書籍版は「縦組み」
収録しようにも、レイアウトの制約がある。

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2016年5月12日 (木)

村上春樹が読者の質問に答える企画を15年前からやっていることを初めて知った

1冊の本を去年の夏から読み続けている。
俗に言う「積ん読」ではない。
ほぼ毎日、読んでいるのだ。

僕が読むのが遅いわけではない。
1年に千冊の本を読んでいるのだから、速読と言える。


書名は「村上さんのところ」という
村上春樹がファンの質問に答える企画本である。

村上春樹は過去、定期的にこうしたファンの質問に答えるイベントを設けてきた。
そしてそれが書籍として出版されている。


過去のQ&A企画本

2000年8月
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
朝日新聞社

2006年3月
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
朝日新聞社

2006年11月
「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
朝日新聞社

2015年7月
「村上さんのところ」新潮社


従って、今回の「村上さんのところ」は第4回。
版元は前回までの朝日新聞社から新潮社に替わった。


始めは書籍しか目に入らなかったので、書籍を手に入れた。

読み始めてしばらく経った時、これは「どえらい本」なのではないかと思い始めた。

1冊の村上小説を読んで汲み取れる深い気づきが、ダイジェストのように詰め込まれており、まさに「村上ヒーリング効果」が高い本になっている。
村上春樹に信頼を寄せる人にとって、その効果は大きい。

郷里の先輩、村上龍も信頼しているし、芸術家の村上隆も信頼している。
子供の頃、クラスにいたムラカミ君は要領を得ない男だったが、オトナになってから出会った3人のムラカミを僕はいずれも信頼している。


書籍版「村上さんのところ」は、村上春樹の名言がぎっしり詰まっている。
すぐに過去3作も読んだ。
最も古いものは15年前の出版だが、内容が古いとは一切思わなかった。

読書で得た忘れがたい言葉を、しらべるの「読み返したい言葉」にアーカイブしているが、最近のそれはほとんど、村上Q&A本からのものである。


書籍版を読んだ後、Kindleで「村上さんのところコンプリート版」が出ていることを知った。
希望価格は2,000円+税だが、電子書籍は再販価格維持制度の適用外なので、値引きして売ることができる。
amazonでの売価は1,800円

Kindle上の表示では全体で10万ページを超えている。
Kindleは1つのページに対して、異なるフォントで複数のページを用意しているので一概には言えないが、仮に3万ページとした場合、1ページあたり0.06円。2万ページとしても0.09円。

どう考えても、これを買わない手はないのではないか?
ということで即ゲット。
Kindleだから、欲しいと思った瞬間に届く。
ところが、これがとんでもない事態の始まりだった。

つづく

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2016年5月11日 (水)

新社会人の男性サラリーマンに贈る言葉

この春に社会に出た男性の皆さん
ゴールデンウィークでは、一息付けたでしょうか。

大変ですよね

これまで、こんなに規則的に拘束される日々は経験がないから、4月からの一ヶ月間は疲れたでしょ?
それでなくても、周囲に気を遣わなければならないし、ゆっくり静養したいのに「歓迎呑み会」は続くし。

きっとGWは寝正月もとい「寝GW」だったのでは?
今のうちは「寝る体力」があるから、いくらでも寝られますよね。
寝過ぎると、せっかくの休みがもったいないと思うかも知れませんが、カラダが求めている休息はとった方がよいですよ。


僕は社会に出る時、今は亡き父親から
「はじめの3年で勝負が付く。3年は死ぬ気で働け」
と言われました。

今思うと、その言葉は正しかったと思います。
当時、僕はその意味をこう解釈していました。


(当時)
新入社員として入ってきた若者が使えるかどうか?
会社の偉い人や先輩が、僕らのお手並みを拝見している。
そこで、スタートダッシュをして実績を残す。
そうして「実力を証明」することで、高い評価を勝ち取る。
その高い評価により、自分は出世街道に乗れるのだ。


身もふたもない表現ですが、正直な気持ちです。
そして数十年が過ぎた今、その言葉が正しかったと思うものの「自分の解釈は少し方向がずれていた」と思うのです。


(現在)
新入社員として入った自分が、どこまでできるのか?
それはまさに「死ぬ気で働かなければ」わからない。
そこで、スタートダッシュをして実績を残す。
そうして、自分自身に「実力を証明」することで、自信を得る。
その自信により、自分は前に進んでいけるのだ。


恐らく定年退職まで、あなたはサラリーマンとして働くでしょう。
健康でよりよい人生となることを祈っています。


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2016年5月10日 (火)

できれば通勤のない世界に行きたい

ゴールデンウィークが明けて、仕事に復帰した日
仕事に行くまでは、会社で起こるできごとを思い描いて、不安を抱いたりするのだが、そうして1日が終わってみると、自分にとって厄介だったのは、通勤途中で出会う高齢者だと思う。


その日は雨が降っていて、誰もが傘を差していた。
地下鉄の駅に向かい、前のおじいさんにつづいて入り口へ入ると同時に傘をたたむ。

すると、ばふ、ばふ、ばふ
前のおじいさんが傘を閉じて開く動作を三度繰り返して、水気を払った。

階段を上ってきた若い女性が顔をしかめている。
それでなくても、雨の日は路面が滑りやすい。

階段で雨粒を散らしたら、危ないじゃないか。



電車はほぼ満員。
それでも座ることができた。
隣にいたおばさんが、ホームの案内放送を聞いてから慌てて降りていったあと、おばさんが乗ってきた。
僕のとなりには人が1人十分に座れるスペースがある。

僕は、きちんと一人分のスペースを守っている。
カラダというのは、考え方一つで縮めることができる。
骨盤を締め、背を丸め、肩をすぼめれば、カラダが大きくても、人はコンパクトに収まる。

さて、乗ってきたおばさん、めざとく僕のとなりをみつけると、シートにくるりと背を向けたかと思うと、腰の位置から50cmの落差で落ちてきた。

どしーん
その光景をマンガに描いたならば、恐らくこういう擬態語がつく。

そして尻が僕のひざに乗った。
正確にいうと、尻が2cm、僕のひざに食い込んだ。

そんなにカラダの接触を求めているのだろうか。


世の中の人は、腹筋が足りない。
マラソンで次は自己ベストだ!と気合いを入れているような人でない限り、毎日10回の腹筋を日課にしたりはしない。

腹筋が弱いから、自分のカラダを支えられない。
だから、高い位置から座席までの50cmを「落下」するしかないのだ。

腹筋が強い人ならば、ゆっくりとしたモーションで、プリウスが近づいてくる時のように、静かに座席に着地することができる。



雨の日はバスも混んでいる。
バス停には、人があふれていて、屋根のある部分に入りきれない。
それでもおじいさん、おばあさんは間隔をめいっぱい空けて列をつくる。
誰もが、屋根の下に入って傘をたたみ、乗車に備えたい。
しかし、そうした周りの人を思いやる気持ちは持てないようだ。


車内では2人がけに、一人ずつ先客が座っている。
おじさんは、カラダをめいっぱい大きく拡張して座る。
「ここは、ムリだろう?オレはカラダがでかいからな。別に一人でのんびり座りたいわけじゃない。カラダの大きさは仕方ないだろ?」

カラダというのは、考え方一つで広げることができる。
骨盤を開き、またを開き、ふんぞり返れば、1.5倍くらいの横幅になる。

そうした中で、一人のおばさんの隣りをめざす。
ところが、おばさんはカーディガンの裾を隣の座席まで広げて、2座席占有を主張している。

腹筋を使いゆっくり座るモーションに入ると、すーっと裾をたぐり寄せた。


やがて僕が降りる1つ手前のバス停にさしかかる。
おばさんがそわそわし始めた。降りるのか?
しかし、バスは停まったが、カラダをこちらに向けるばかりで、黙っている。
立ち上がり道を空けると、だからマナーが悪い人は嫌になるわと書いた険しい顔で降りて行った。

口はないのか?
と言えば角が立つ。

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2016年5月 9日 (月)

ヤフオクがあるから、僕らはモノを捨てられない

真っ赤なキースヘリングのTシャツ
胸にはベイビー、バックはイコンドッグが吠えている。
NYのポップショップで買った。
もう20年は着ていない。
でも貴重な品だ。
ずっと、物置にある「衣類」段ボールの一番底にある。


バンダイガシャポン「仮面ライダーV3」編
17年前、コンプリートで買った際、予備で1つ買った。
いつか、プレ値で売れるのではないかと。
でも、大量生産されたモノがレア化しないことは、すぐに判明した。
未開封のまま
自分の分は別に1組ある。



これらに共通すること。

実用していない。
思い出の品というわけではない。
僕はそれらを目の当たりにして「ときめかない」
長く、そこにある。

だったら捨てればいいのに。
捨てたくても簡単には捨てられないパソコンや家電と違い、捨てようと思えば週2回の「燃やすゴミ」に出せる。
週2回もチャンスがあるのだ。


1年を52週として「燃やすごみの日」は100回はやってくる。
それが20年となると、これまで2,000回の捨てる機会を見送ってきたことになる。


その理由は、よくわかっている。
それは、そのモノを久々に掘り起こした時、脳が考えていることだ。

「ヒマになったら、ヤフオクで売ろう」


レア化していないモノは、元値では売れない。
よくて元値の3割。
たいがいのモノは捨て値にしなければ、入札0件で流され続けることになる。

たとえば1,500円で20年前に買ったものが100円で売れたとする。
たとえ100円と言っても、梱包は丁寧にしなければならないし、投函や連絡の手間暇は慎重を要する。

そんな労多くして、巧少ない行為ができるのは、毎日が日曜日の隠居生活が来てからだろう。


もしも、この世にヤフオクがなかったら
僕はモノを捨てることに躊躇しない。


ヤフオクができて、世の中の人は欲しいモノを確実に、そして時には思った以上に安価で手にできるようになった。
また、手に余るモノを、欲しい人に引き渡して、幾ばくかのお金を手にできるようになった。

過去17年。ヤフオクのない暮らしは考えられない。
でも、もうモノは要らないと考え始めると、その存在が僕の心に重くのしかかっている。

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2016年5月 8日 (日)

ダイシン百貨店 今日、閉店

大田区の庶民に親しまれてきた老舗の百貨店が、今日閉店する。

遡ること11年前、2005年大晦日には「ダイシン久が原店」が閉店した。
地域住民にとって、そこは買い物の場であると共に憩いの場所だった。

当時、久が原店単独では黒字だったが、ダイシン百貨店全体が借金を抱えていたため、久が原店を閉店してその土地を売る必要があった。


1階:食品、花
2階:衣類
3階:日用品、薬局、電化製品
4階:書籍、玩具、文具、食堂、ゲームコーナー
屋上:多目的広場

そして駐車場
まさにこの地域における「憩いの殿堂」だった。

4階の食堂は、ゆるい空気の空間。
お年寄りは昼間から瓶ビールを手酌で呑み、子供には150円のソフトクリーム。
180円のアイスコーヒー一杯で、何時間でもくつろぐことができた。

3か月ほど前から閉店セールが行われ、閉店間際には棚ががらがらになっていた。



2005年大晦日閉店

2006年
西山敷社長就任。
本店以外を売却して経営を建て直した。


2011年2月
大森の「昭和館」閉館。
昭和館はいわゆる旧館。この建物が昭和館という名前だということは、閉館報道で初めて知った。

2011年2月25日
新館一部オープン
ダイシンといえば大衆食堂だが、当時は食堂がなかった。

2011年7月7日
西山社長の著書「下町百貨店ダイシンはなぜ、不況に強いのか」出版

当時、ダイシン店頭では売却した本店隣接地が、売却時の約束とはちがうマンション建設計画にすり替わったとして抗議するキャンペーンを展開していた。


2012年
新館全面オープン。
ダイシンならではの食堂が復活。



2016年4月
各フロアには「売り尽くし」の垂れ幕や張り紙。
ただし、久が原店が閉店した時のように、全品割引というわけではない。
いきなり棚がすべて空っぽにならぬよう、徐々に割引対象品目を拡大していた。
名物の食堂は4月中に閉店するためか、長蛇の列ができていた。


2016年5月8日
経営不振のため閉店

2016年6月
跡地はドンキホーテの店舗ができる。

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2016年5月 7日 (土)

ナイキ女性店員は、過不足なく親切で感じが良い

かつて、ノモマックスを求めて毎日のようにナイキショップにテルアポをしていたことがある。
しかし、店員の台詞は判で押したよう。
来る日も来る日も「入荷予定はありません」


時は流れて現代
「95エッセンシャル」について、ナイキショップの見解は
「27.0、27.5ともに在庫あります」
「取り置きもできます」

ここまで来て、見送るのは難しい。
この時点で観念した。

幸いというか、オールブラックの靴は通勤で使える。
週末にしか履けない通常の靴と違い、日用品でもある。

日々使うものに優先的にお金を使う

これが、長年、コレクターをやってきてたどり着いた見解だ。
頻度高く使うものならば、そのモノを所有している喜びを確認する機会も多い。
滅多に使わないモノは、眺めていると、本当にこれでよかったのかと疑問がわく。



2016年4月の「AIR MAX 95 ESSENTIAL」は全5種が発売されている。
オールホワイトモデルは、なかなかかっこいい。
1997年にこれを見たら、即ゲットしていただろう。
でも今は、この靴を履いていける場面がない。
二年前に買った黄色のフォームポジットも、まだ2回しか履いていない。
滅多に使わないモノは、後回しだ。


いつもながら、ナイキショップの女性店員は過不足なく親切だ。
客にはそれぞれ、試し履きのルーチンがあり、それを見守ってくれる。
客が迷っても、求めてもいないのに、余計なアドバイスや情報を提示したりしない。

たいがい、うるさいのは男だ。
ランニングショップに行くと、おまえホントに走ったことあるのか?というような知ったかぶりの情報を上から目線で放ってくる。


「AIR MAX 95 ESSENTIAL」は少しだけ大きめな作り。
エアマックス95シリーズでいつも27.5cmを履いているが、今回は両方を履き比べたうえで27.0を選んだ。


意外なことに、タグには「使用用途:カジュアルシューズ」とあった。
エアマックスなのに、ランニング用ではないということか。
あるいは、最近のナイキはすべて、こう書いているのか。

左444g 右450g(27.0cm)
マラソン用に使っているランニングシューズと比べて、決して軽くはない。
むしろ重い靴だが、それだけミッドソールがしっかりしているということだ。

およそ20年前、TOTAL MAX SCのふかふかの履き心地を、カラダが覚えている。
今度はどんな履き心地なのだろう。
新品の靴から漂う接着剤の香りが消えた頃、実戦に投入するのが楽しみだ。

おわり

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2016年5月 6日 (金)

トータルマックスを2つ取り寄せて1つ返品する?

トータルマックスとの再会から一夜明けた。
現代社会では関心があることは、忘れようとしても忘れられない。
それは、ブラウザーを開けばわかる。

自分が関心をもってしらべた事柄については、それに関するモノや役務がバナー広告で突きつけられる。
しらべたものが商品そのものである今回の場合、画面に表示される複数の広告すべてに黒い靴が表示されていた。


Amazon のナイキショップではサイズ毎の残り在庫数がわかる。
潤沢に在庫がある場合「在庫あり」表示だが、在庫僅少になると数量表示に切り替わるのである。

27.0cm(US9)残2
27.5cm(US9.5)残5

過去に「エアマックス95」復刻イエローグラデを買った時は、サイズ選びに失敗している。
ナイキショップに「なんちゃって並行輸入店」がトラックを横付けにして、根こそぎさらって行った日の夕方、顔なじみの店主から「急遽入ったから抽選にするけど、1個もってってください」と言われ、試し履きもせずに買ってしまったのだ。

その時のサイズは27.0
小さすぎて、ほとんど履けなかった。
95を買うならば27.5がデフォルトだが、モデルによっては大きいものがある。


その反省もあり、1999年に出たAIR MAX'95SC通称「ヒッコリーブラック」は27.5を買った。
既にブームが去っていたため、発売後しばらく経ったナイキショップに3割引で売られており、つい買ってしまった。
先に書いた「15足ガレージセール」の1週間前のことであり、さすがにこれは売らなかった。
しばらく仕事用として履いていたが、ほんの少しだけ大きく、とても履き心地が悪かった。


イエローは27.0で小さかったし、ヒッコリーブラックは27.5で大きかった。
今回の「95エッセンシャル」
予感としては、27.0がジャストサイズか。
できれば、両方を履き比べたい。


在庫は僅少
ナイキの場合、再入荷はないと考えていい。
年4回のシーズンカタログで注文をとり、受注した分だけを売り切る企業方針だからだ。
(1997年当時そうだった。恐らく今もそれは同じだろう)

もしかすると、ここで決断しなかったことを後で悔やむかも知れないぞ。
2つ取り寄せて、1つ返品するか?
ナイキ公式ショップ、Amazon には「返品無料キャンペーン」の文字。
そんなことができるのも、あとわずか・・

考えていると、次々に脳が計画を具体化していく。
いや、まだ自分は購入を決めたわけじゃないぞ。
ふと我に返り、その考えをゴミ箱に捨てる。
「動かなくて正解」
過去にそういう経験を何度もしてきている。

エアマックス1つ買うにしても、人生経験は活かされていた。


その翌日
そういえば、今回の「95エッセンシャル」
ネットでは見ているが、リアルな店舗でも売っているのかをまだ確認していない。
とりあえず、一度、ナイキショップに電話だけしてみるか。
それで売っていなければ、あきらめも付く。

つづく

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2016年5月 5日 (木)

スポーツボランティア 親子5kmランがおもしろい

ある晴れた休日
僕は皇居にボランティアに来ていた。

清掃ではない。

皇居は2005年頃から、ランナーのメッカとなっている。
メッカでわかりづらいならば、ランナーの伊勢神宮だ(余計わからんか)

皇居は、その外周を1周5kmの歩道が周回している。
途中には一度も信号がない。
従ってランナーにとっては、とても走りやすい。
もともと江戸城なので、周囲はお堀。
ランナーに限らず、水辺は誰にも均等に、心地よい爽快感を与えてくれる。


「コースはどうなっているんですか?」
今日、初めてのランニング大会出場、そして初皇居という女性から質問を受ける。
皇居は左回りであること、大会は桜田門から中へ入ること。
多少、上り下りの高低差もあるが、どれも急なものではなく、ほどよい心拍数の上下が返って心地よいこと。

そういったことを手短に話すと、とても安心してくれた。



この日の大会、いくつかの競技のなかに「親子5km」があった。
親子が走る場合「リレー」の場合と「伴走」の場合がある。
圧倒的に多いのは後者。

日頃、走るのが趣味というお父さん・お母さんが精悍なのは当然だが、幼稚園児や小学生が5kmを走ろうというのだから、やはり皆、ひとかどの子供に見えて頼もしい。


父と子がゼッケンをつけている親子。
母親がカメラを取り出したので「撮りましょうか?」と申し出る。
お願いしますと言った母
「実はもう1人いるんです」

そう言ってベビーカーから乳幼児を抱っこして4人で並ぶ。

「久しぶりの家族写真」

母親が言った言葉が心に残った。
小さい子供を2人、3人と子育て中のお母さんは大変なのである。
きっと自分の趣味も楽しみも、さておき、今は子供のために多くの時間を費やしていることだろう。
そんな母親にとって、子供の成長は中核的な楽しみ。
その記録を撮ることは、掛け替えのないことだ。
カメラマンの責任は重い


なかなかいい構図の絵で撮れた。
画像を確認したお母さん、お父さんに見せて「いいね」
とても喜んでくれて僕もうれしかった。


「親子5km」の競技が始まる。
親がランナーとは限らない。日頃走っていない親もいるのだ。
めちゃ速い男の子が、千鳥ヶ淵から快走してきた。
それに遅れること10mでお父さん
息子に「もっと速く」と叱られている。

苦笑いでも浮かべているかと思ったら、父は全然笑っていない。
気温は25度。日差しが強い。
洒落にならない状況なのである。

泣きじゃくる娘の手を引いて歩いて来た母。
この暑さのなか、幼稚園児が5kmも走らされたら、泣きたくなるほうが普通だと思う。
なんとか、なだめる母。
あと少しだよ、がんばって!
よその人も少し一緒になだめてみた。


この日、一番驚いたのは、父と子が走る動画を撮りながら伴走する母。
子供が小さいということは母親も若い。
よそ行きの小ぎれいな服装。ローヒールパンプス。

その格好で5km走ってきたのか・・
ある意味、あなたが一番スゴイのではないか。
目が点になった。


30組の親子がいれば、そこに30通りの「家族」がある。
これから先、ボランティア大会を選ぶ時の1要素に「親子ラン」の有無を入れようと思う。

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2016年5月 4日 (水)

完封されない強運のオレンジタオル

一週間前には「くもり」だった予報も、前日には「晴れ」に変わり、迎えた4月29日「昭和の日」は快晴。
絶好の野球日和となった。
・・はずだった

天気がいいからと言っても、油断せず寒さ対策は怠らない。
下着は上下ヒートテック(ただし極暖ではない)
ブレスサーモの手袋、薄手のウィンドブレーカーを羽織る。
ネックウォーマーもつけようかと迷ったが、もう季節は晩春を迎えようとしている。さすがにそれはやり過ぎだろうと思いとどまった。

ハンカチ代わりにオレンジのハンドタオルをポケットにねじ込み、野球のチケットを確認して神宮球場を目指す。
拭いてよし、振ってよし。大手新聞社から定期購読の景品でもらったこのハンドタオルは、野球観戦ではとても重宝している。
このハンドタオルを持って球場に行くようになってから、一度も振れなかったことは一度も無い。
つまり「完封されない」縁起のいいタオルと言うことになる。



外苑前駅3番出口を地上に出たところで、アラブさんと待ち合わせ。
彼もしっかり、ウィンドブレーカーを着込んできている。
ただ一点、僕と違うのは手袋をしていないことだ。

このあたりは野球観戦客を見込んだ軽食の露店が軒を連ねている。
球場内で軽食を買うと、牛丼680円よりといった予算だが、ここでは焼きそば300円より。
ペットボトルは150円。
ビン・缶は持ち込み禁止なので、入場口で紙コップに詰め替えなければならないが、ペットボトルの持ち込みは規制されていない。


今回購入した座席はB指定席の2階ネット裏
2階席とはいえ、スタンドの傾斜がきつい分、投手の球筋も見えるくらいグラウンドが近い。
屋根がついているので、小雨の時もカッパを着なくて済む。
お気に入りの場所だ。


肝心の試合はポレダの乱調により、見所のないものになった。
打線も石川の前にバットが芯を食わない。
バットがボールに衝突する音がよく聞こえるのも、この席のいいところなのだが、いい音がするのはヤクルトの打者ばかり。

お寒い打線もさることながら、僕らを苦しめたのは春の強風だった。
神宮球場はスタンド座席に風が吹き込まない。
そう思って油断していたのだが、ネット裏二階席だけは、スタンド上限よりも上に出ていて、強風をもろに受けるのだった。

悔やんでも後の祭り。
きっと、ビールは売れないだろうな
ホットコーヒーでも売りに来ればいいのに
試合そっちのけで、家路を夢見ていると、はや9回表

二死二塁 打者長野
スマホをズボンのポケットから出して、ウィンドブレーカーに仕舞う。
帰り支度ではない。
次に起こすアクションの準備だ。

長野の打球は、巨人打線としては「今日イチ」の快音を残してあわやレフトスタンド。
その一歩手前で落ちた。
悠々とホームインする坂本勇人。

スタンドを埋めた左半分の観客は、早くもタオルを振っている。
僕も遅れまいと参加する。

神宮名物傘の舞:4回(得点時と7回の攻撃前)
巨人ファンのタオル振り:1回


完封を逃れたことを僥倖と言い合い、5回めの傘の舞を見る前に、僕とアラブさんは家路を急いだのだった。
体温は手から下がる。手袋をしていない彼は、僕以上に神宮の寒風を体感したことだろう。

教訓
4月の屋外球場は来るもんじゃない

試合の2日後、村上春樹「村上さんのところ」(コンプリート版)を41%読み進めたところに次の一文があった。

「仕事に疲れたときにはだいたい音楽を聴いています。夏場であれば神宮球場に行ったりもします」

なるほどね・・

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2016年5月 3日 (火)

またも菅野智之を見ることができなかった

2016年のペナントレースが開幕した。

野球界には報道で使われるが、ファンは使わない独自の用語が多い。
この「ペナントレース」もその一つだ。

リーグ優勝球団には「ペナント」が授与される。
そのペナントを争奪するのでペナントレース。

フットボールには「カップ戦」という言葉がある。
リーグ戦日程とは別に、リーグ戦成績に加味しない大会をこう呼ぶ。
ワールドカップ(ジュール・リメ杯)を争うのがワールドカップ(そのまんま)
日本では「ナビスコカップ」「天皇杯」などがそうだ。

野球にはそういう「カップ戦」はない。
「交流戦」はリーグ戦成績に組み入れられる。
オールスターゲームは、そもそも戦うチームの枠組みが違う。
一旦、リーグ戦が始まったら、終わるまで、レギュレーションの違う試合は組み入れない。


「いよいよ、ペナントが始まったね」
「おぅ、血が騒ぐぜ」

こんな会話をしている野球ファンを見たことがない。
ファン同士の会話では「ペナント」の代わりに「野球」「シーズン」と言ったことばが使われる。

ただ、こうした「ブログ」などの一方通行メディアにおいては、よりイメージしやすい言葉が予定調和だ。
恐らく、大半の人はこうして10行以上使うほど、気に留めていないはずだ。



2016年のペナントレースが開幕した。
巨人の開幕投手は菅野。ここまでは予定通り。
だが翌週に異変が起きた。
菅野が中5日で木曜日の試合に先発したのである。

巨人は先発投手が枯渇していた。
マイコラス、大竹、内海といった先発候補が揃って二軍にいる。
期待された新人の桜井俊貴も、わずか1試合で二軍に落ちた。

菅野、高木、ポレダ、田口、今村
彼らはよく頑張っていて、防御率も低い。
でも名前だけをみた時、この先本当にこれでいいのだろうかと思ってしまう。


今回もまた菅野が観られないのか。
そんな時、菅野が神宮球場で初勝利を挙げた。
これで楽しみもなくなったし、まぁいいかと思っていた時、またも事情が変わってきた。
4月14日に起きた熊本地震である。

巨人は4月18日熊本、19日鹿児島で主催試合を開催予定だったが、いずれも事情により中止となった。
この試合の振替はできれば、シーズン終盤に同じ場所で組んで欲しい。


4日間の空白を経て開催された4月22日のDeNA戦
「3試合連続完封」に挑んでいた菅野が、マメをつぶして降板。
(2回につぶれていたが、7回までは無失点に抑え、自ら交替を申し出た)

この状況ならば、ムリせず中6日で「29日神宮で菅野」
そう期待は膨らんだが、菅野は前日の28日、中5日で阪神戦に登板してしまった。
しかも、二試合連続で澤村拓一に「勝ち」を消される始末。

がっかりぽんだ

予告先発という制度は、ファンサービスとして行われているが、早くからチケットを買っているファンには、なんの恩恵もない。
いつになったら、菅野智之を見ることができるのだろう。

つづく

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2016年5月 2日 (月)

そうだ、神宮 行こう

今年は、神宮球場でナイターを見ることにした。
神宮にはもうずいぶん行っていない。

最後に行ったのは、神宮の試合が終った後、阪神の敗戦で優勝が決まった試合以来だから、2008年以来ということか。

行かなかった大きな理由は、ここ数年ユニフォームがもらえる「橙魂」の試合を中心に行っていたからだ。
しかし、毎年のように似たようなオレンジのユニフォームをもらっても、溜まるばかりで使い途がない。
2016年の橙魂チケットには参戦を控えた。

もう一つの理由は、演出がうるさいことだ。
神宮球場はヤクルトスワローズの本拠地。
攻守交替の合間に大音響で「ゴーゴースワローズ」という応援の演出が入る。
これが、実にうるさい。


ところが、2016年は久しぶりに行ってみようと思った。
それは、久しぶりに屋外球場の爽やかな風を感じたかったから。
というのは表向きで、本当の理由は「村上さんのところ」を読んだからだ。

「村上さんのところ」は作家村上春樹がファンとメールで交流した内容を収録した著作。
ダイジェスト版が書籍で、コンプリート版が電子書籍で発売されている。

そこで初めて、村上春樹がヤクルトファンであると知った。
時々、神宮球場の外野席で観戦していると知った。
村上春樹は「小説を書こう」というインスピレーションを、ここ神宮球場で受けたことを本書で明かしている。

だからと言って、敵陣のライトスタンドに討ち入って、村上春樹に会おうというのではない。
一度、あの傘振りに参加してみたいというのはあるが。


こうして、いろいろな状況がぴたりと符合して「そうだ、神宮 行こう」と思ったわけだ。
幸いなことに、僕には「野球」と「花見」ならば付き合うよと言う仲間が数人いる。
そこで、2016年シーズン・スケジュールが発表されるとすぐに、神宮の巨人戦を検討した。
野球の試合終了は早くても21時。遅ければ22時を回ることすらある。
できれば「明日は休みだ」という弛緩した気持ちで観たい。
「休前日」を条件に探すと「4月29日」「4月30日」に絞られた。


ここで一つの懸案を思い出す。
「そうだ、菅野 観たい」
浪人というリスクのある道を選んでまで巨人に入ってくれた選手には、特段の思い入れがある。
江川、元木、そして菅野
浪人という形ではなかったが、内海、長野も同様に曲折を経ている。

2012年シーズンから巨人に入った菅野だが、まだ一度もその登板日に当たっていない。
「3年間、神宮で一度も勝てない菅野」が神宮で初めて勝つ試合を観られたら・・
そう思って金曜日の試合を選んだ。

例年、開幕戦は金曜日
菅野は九分九厘、開幕投手になるであろう。
そして、例年巨人は先発を「中6日」で回している。
ということは、順当に行けば、4月29日(金)は菅野の登板日になるはず。
3月初旬、プレオーダーでチケットを購入した。

ところが、開幕早々、その目論見は早くも崩れるのだった。
つづく

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2016年5月 1日 (日)

41年経った今、新しい「カルメン・マキ&OZ」

新人大学生にとって、春は希望に胸膨らませる時期だ。
特に親元を離れてひとり暮らしを始めた学生にとって、そこには自由しかない。

今も大学が発行する月刊誌に触れると、その時の情景がよみがえる。
大枚をはたいて買ったサムエルソンの経済学、ブックケースに入った2分冊から漂う紙の臭いすら覚えている。

そんな時、この音楽に出会ったのだった。


大学1年の時、僕は「間借り」と呼ばれるところに下宿していた。
民家の2階が大学生用の個室となっている。
1人にあてがわれるのは4畳半の畳だけ。
トイレ、キッチン、洗濯機は共同。
風呂は大家さんが住む1階の風呂を借りる。


下宿には同じ学校に通う大学1年生が8人。
(その下宿は誰もが1年で出て行くため、毎年このパターン)
その中に下関から来たサトウ君がいた。

高校の頃、佐世保北高のフレディ・マーキュリーと言われていた僕(注:言っていたのは2人)はロックばかり聴いていたが、サトウ君はフォークソング中心。

そんな彼が「チャゲアスはええぜ」と言って貸してくれたSONYのグレードが低い90分カセットテープには「風舞」
そしてB面に入っていたのが「カルメン・マキ」だった。

「風舞」はとてもよくできたアルバムであり、フォークは敬遠していた僕もすぐに好きになった。
パソコンで音楽を聴くようになった時も、真っ先にCD化されていた「風舞」を手に入れたほどだ。


それから13年、中古レコード店にカメラを据えたNHK「72時間」で、外国から来たコレクターがカルメン・マキを絶賛していた。

そうだ、カルメン・マキ聴こう

しらべるとそのアルバムは「カルメン・マキ&OZ」
1975年1月21日発売
1989年CD化

(1)六月の詩
(2)朝の風景
(3)Image Song
(4)午前1時のスケッチ
(5)きのう酒場で見た女
(6)私は風

6曲だが、総演奏は43分21秒


新しい
でも作られたのは41年前。
本当は古いはずだ。そういう場合「普遍的」と言うことになる。

他のカルメン・マキもそうなのだろうか?
そう思って、ベストも聴いてみたが、そこにあるのは70年代の音楽だった。

このアルバムだけが「今の音楽」なのだ。


舞台女優から「時には母のない子のように」で歌謡曲歌手となり、ロックに転向したものの暗中模索が続いていたカルメン・マキ

それが1975年、何かの拍子に加治木剛、春日博之の楽曲、カルメン・マキの歌が共鳴し、突然変異を起こしたとしか言いようがない。

歌だけでいえば、現代のsuperflyが引き継いでいるが、このアルバムの世界観をまるごと引き継いだバンドはない。

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