« 同窓会に寄せる素朴な疑問 | トップページ | 村上春樹と村上龍の共通点 »

2016年8月14日 (日)

勢古浩爾も村上龍と僕の先輩だった

ある時、僕は暗い目をして過ごすサラリーマンだった。
描いていた未来はなくなり、希望は打ち砕かれている。

ある時は不運を恨み、またある時は不遇を嘆いていた。
しかし、そのことを誰にも話すことができない。
自分1人で戦っていくには、そこに支えとなる言葉を必要としていた。

どこかに僕が探している言葉がないだろうか。
僕は図書館に通い始めた。

通い初めて2年が過ぎていた。
2001年5月、もう何度も見たはずの棚を通りかかった時、そのタイトルが目に飛び込んできた。

わたしを認めよ!
(洋泉社 2000年11月)

なんと身もふたもない、しかし、最も正直な心の叫びに近い言葉だろう。
となりから手が伸びないよう(誰もいないのに)慌てて棚から抜くと、借りて帰ってむさぼるように読んだ。


それが作家 勢古浩爾(せここうじ)との出会い。
それから、長い時間をかけて、今ではすっかりそのファンになった。
その理由を有り体に言えば「歯に衣着せぬ物言いが心地よい」ということになるのだろうが、もっとわかりやすい理由がある。

それは、以前から愛読していた中谷彰宏、村上龍の書を取り上げて一刀両断にしていることだ。

(以下「定年後のリアル」より引用)
わたしがもう読みたくないのは、なにかいっぱしのことをいっているようで、その実、どーでもいいことを、いかにもインチキくさいレトリックで文飾した文章である
(引用おわり)

ちなみにこれは「村上龍」のとある文章を引いたあとの言葉。
村上龍には佐世保北高の先輩ということで、特別なシンパシーがある。
もちろんその著作も面白いものが多い。

「カンブリア宮殿」のエンディングで彼が書くキャプションには、なるほどそういう視点もあるのかと感心することが多い。
だが、斜に構えて読んでみると確かに、だからそれがどーしたの?ということも少なくない。
それを率直なことばで言い切る勢古浩爾の語り口が潔く、心地いい。


【勢古浩爾の略歴】
1947年
大分県生まれ
明治大学卒業

1994年
中島みゆき・あらかじめ喪われた愛

1997年
自分をつくるための読書術

2000年
わたしを認めよ!

2001年
「自分の力」を信じる思想

2002年
まれに見るバカ

2007年
34年間勤めた洋書輸入会社を定年より少し前に退職

2010年
定年後のリアル

2013年
不孝者の父母考-親が死んではじめて気づいたこと-

2014年
定年後7年目のリアル

2015年
68歳 さらなる定年後のリアル



勢古浩爾は正直に自分を掘っていく。
自分のことばにウソがないかを、書きながらも掘り返していき、ウソがあればその場で謝る。
正直、真摯、謙虚なのだけど謙虚を押し売りしない。

サラリーマンを続けながら執筆活動を続けていたということも、共感を覚えることだ。(僕はプロの執筆はしていないが)


勢古浩爾が定年後に書いたのが「定年後のリアル」定年から7年後に書いたのが「定年後7年目のリアル」
そこに「高校時代を佐世保で過ごした」とあった。しらべると、なんと勢古浩爾も佐世保北高の先輩だった。

1947年生まれの勢古浩爾と1952年2月生まれの村上龍は、高校でかぶっていた時代はない。

村上龍、そして僕の先輩である勢古浩爾(呼び捨てにしてすみません)これからも本が出たらKindleで買います。

|

« 同窓会に寄せる素朴な疑問 | トップページ | 村上春樹と村上龍の共通点 »