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2016年8月15日 (月)

村上春樹と村上龍の共通点

村上春樹は「遠い太鼓」でギリシアの港町カヴァラについてこう書いている。

(以下、引用)
僕は神戸で育ったせいで、こういう地形の場所にくると、なんとなくほっとする。港があって、それを取り囲むようにダウンタウンがあって、それからすぐに山の斜面がはじまり、家々が港を見下ろすように山の上まで並んでいる-そういう場所だ
(引用終わり)

この文章をみて、故郷佐世保の情景とだぶった。
弓張岳にある観光ホテルの喫茶店から見下ろす景色は、まさにこんな感じだ。

ただ、神戸と比べると佐世保の平地は狭い。
ただでさえ狭いうえに米国海軍が一等地を大きく占有しているのでさらに狭い。
スケールでは神戸に劣るが、地勢は同じだ。


海と山が近く、平地は商業化されているという場所では「こら、待て~」「いやよ、捕まえてみてっ」とか言いながら野原をかけ巡るような青春を送ることは難しい。

平地がないから閉塞感が漂っているということはないと思う。
全国にはたくさんの盆地があるし、小さい島がある。
狭い町は枚挙にいとまが無い。

ただ「山」と「海」がセットで暮らしに溶け込んでいるという環境は多くない。
神戸出身の村上春樹、佐世保出身の村上龍には、そういう下地の共通点があるのではないかという仮説が浮かぶ。


名字が同じ「村上」の2人は、互いにどう相手を見ているのか。2人の著作を読む時、いつも心の端っこに探求の目を持っている。
村上春樹は随筆の中で村上龍を時々登場させている。
それは概ね、好意的であり暖かいシンパシーを感じるものだ。
一方の村上龍の書に、村上春樹が出てきた記憶がない。
従って、彼がどう考えているかは藪の中。
もしも、村上春樹がやっているような「Q&A企画」を村上龍がやることがあったら、聞いてみたい。


さて、海と山に囲まれた土地で育った者に、作家の下地となる共通の要因があるや否や。
あるとすれば、神戸と佐世保には多くの文筆家、芸術家を輩出しているはずだ。


「神戸 作家でしらべる
Google先生の一発回答はない。
僕が読んだことがある作家は「中島らも」「村上春樹」しかいない。

「佐世保 作家」はしらべるまでもない
勢古浩爾と村上龍だ。
漫画家で「坂道のアポロン」を描いた小玉ユキ


これでは、仮説を裏付けるデータには不十分だ。
今こうして佐世保の地に立って、考えているのだが、気の利いた裏付けは掘り起こせない。
仮説は仮説のまま、継続課題にしよう。
いつか、肉付けをする要因が見つかればつづきを書きたいと思う。
村上春樹「遠い太鼓」
「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」をギリシア・イタリアで書いた当時の随筆
1993年 新書発売
2015年 Kindle版発売


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