« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月の31件の記事

2016年10月31日 (月)

自転車「止まれ」取締、罰則強化

軽車両の一時停止について取り締まりを強化する法制化が閣議決定される見通しとなった。

軽車両とは自転車、リヤカーなどだ。
たいていの家庭がガスや電気で焚く風呂になっており、製材所に薪を買いに行く人は少ない。従ってリヤカーはあまり走っていないから、事実上自転車を標的とした厳罰化である。


現在の道交法でも自転車は「止まれ」の標識で一時停止しなければならない。
東京にも無数の「止まれ」標識があるが、実際に一時停止している住人は十人くらいしかいない。
一時停止とは「車輪を完全に停止させる」ことを言う。
ほとんどの人は、速度を緩めて左右をささっと目視「一時停止した」気分を体現しているに過ぎない。
これは現時点でも違法だ。


自転車は「止まれ」で止まらない。
交差する自動車との衝突事故が多発している。

自転車は歩行者に早変わりする。
車道を走っていて目の前の信号が赤の場合、歩行者に変身して青信号を渡る。

自転車は「横断歩道」で止まらない。
横断歩道の手前では歩行者を優先しなければならないが、その歩行者の目の前に高速で突っ込む。
自転車は横断する歩行者がいる場合、その後ろではなく、前に突っ込む習性があることが調査で判明している。
自動車は、横断者がいる場合、その進行方向5m、後方1mの間合いを開けることが目安なので、これは真逆の行為だ。

さらに、やっかいなのは「一方通行」だ。
自転車の場合「一方通行」を逆行することが容認されている。
道路は自動車を基準に作られているので、一方通行を逆行する側には「止まれ」の標識はない。
標識があっても止まらないのに、標識がない所で止まる人は一人もいない。

自動車のドライバーは、自らが優先道路を直進していて交差点にさしかかると「徐行」する。
そこに一方通行を逆行した自転車が飛び出す。
互いに悪気がないだけに危険だ。


こうした「止まらない自転車」への対策は次の通り。
●交差点カメラ設置。それと連動した警察官の取締
●反則金1回につき30万円
●違反点数を運転免許に反映(未取得者は取得時点で反映)


早ければ来年のハロウィンまでには施行される見込みだ。
くれないと いたずらするよと こどもたち
moto蔵こころの俳句 2010年作品
ハロウィンには誰かにお菓子をあげましょう
「ん?」「ん?」
ともったいつけて
相手が「あぁはいはい とりっくおあとりーと」と言うまで溜めて

|

2016年10月30日 (日)

ジャコランタンは2012年でピークを迎えていた

くれないと いたずらするよと こどもたち
moto蔵こころの俳句 2010年作品
最近はおいそれと俳句も作れない
あのオバサンから「季語がないのは俳句じゃない!」と断罪されそうだ。
いやな世の中である。
しらべるでは2002年から「ジャコランタン」という言葉の普及について調べている。
●キーワード「ジャコランタン」Googleでのヒット数
 2002年10月    500
 2007年10月 24,100
 2008年10月 18,200
 2012年10月 50,500
そして今回調べたところ以下の数字だった。
 2016年10月 53,100
4年前と比べて5%アップ
その前の4年が277%だったことを考えると、日本におけるハロウィンの定着は2012年時点でほぼ達成されていたと言える。
一部の人々が渋谷で騒いでいるが、マナーのよい人たちが楽しむ分には大いにけっこうだと思う。
ただその日、多くの人が渋谷を避けているというのも現実である。
和魂洋才の国、日本ではクリスマス、バレンタインデーと異国の文化をアレンジして取り入れてきた。
プレゼント、チョコ、お菓子をもらった人も渡した人も笑顔になる。
そこに笑顔が生まれるイベントがいくつかあることは、豊かで平和な国の証左。
今日のご飯が食べられない
海抜が0m以下
内戦が絶えず難民であふれている
それらの国で仮装して「Trick or treat?」とやっていたら「Go home!」と言われるだろう。
仮装して表に出る気はないが、楽しそうなので、そこに一枚噛みたい気持ちはある。でも僕にできることと言えば、ここに何か書くことくらいだ。
そこで、エイプリルフール(4月1日)に毎年ウソを書いているように「ハロウィン」でも、なにか気の利いた「Trick」を仕掛けてみたいと思う。
明日までに、思いつけばいいのだが・・・

|

2016年10月29日 (土)

.xlsxは編集のためロックされています。使用者は'Windowsユーザー'です。

顧客台帳.xlsxは編集のためロックされています。
使用者は'Windowsユーザー'です。


会社の共有フォルダーで、任意のファイルを開こうとした時、こんなメッセージが出ることがある。
ユーザーのコンピューターが富士通製の場合
使用者は'FJ-USER'です。
と表示される。


これは、ある日突然、藤井次郎さん(FJ)が入社してファイルを開いているわけではない。
FJ-USERは富士通のコンピューターを使っているユーザーであり、WindowsユーザーはWindowsパソコンを使っているユーザーである。
いずれにせよ'Windowsユーザー'や'FJ-USERユーザー'では、今、誰がそのファイルを開いているかがわからない。


少なくとも、誰が開いているかがわかるようにするには、以下の操作が必要となる。

▼エクセルを開く
↓ ↓
▼ファイルタブ
↓ ↓
▼オプション
↓ ↓
▼ユーザー名 欄に名前を入れる

たとえばユーザー名欄に「moto」と入れた場合
使用者は'moto'です。 と表示される。

こうして、開いているユーザーを特定できる。


ファイルを開いたままお昼ご飯に行ってしまう人がいる。
こういう人は「ファイルを閉じるように」と指摘されたり、エクセルのユーザー名を入力するように求められると、たいてい逆ギレする。
ファイルを「共有」にしたらどうですか?
と話をすり替えたりもする。



このバカ者がお昼に行っている間、あるいは打合せに行っている間も、他の人はそのファイルを編集できない。
それが「台帳」のように、随時複数のユーザーが書き込む必要があるファイルの場合、そのバカ者のせいで、他の人が仕事にならなくなる。


ユーザー名を入れることは、マナー向上にもつながる。
「誰が開きっぱなしで離席したか」がわかるので、皆の顰蹙を買う。
そこで「ファイルを開きっぱなしにさせない」という抑止力が働く。

またどうしても「すぐにデータ入力して外出したい」というような場合、そのユーザーに対して「すみません、1件だけデータ入れたいので、一瞬ファイルを閉じてもらえませんか?」とネゴることもできる。

ユーザー名を入れることで、会社全体の効率があがる。
だが、それを指示することができるのは、部門長などのトップだけである。

ユーザー名を入れることで、自分が作業が遅いことも、ルーズなこともばれてしまう。
できれば、証拠はつかまれたくない。
同僚のmotoさんからの「お願い」程度では、誰も動こうとしないのである。

|

2016年10月28日 (金)

告別式の最後に「人生が二度あれば」をかけてもらえばよかった

「人生が二度あれば」をかけてもらえばよかったかも知れない。
それは葬儀が終わり、平常の暮らしを取り戻した頃に思いついた。

井上陽水のデビューアルバム「断絶」に入っているこの曲は、中学の音楽の先生からLPを借りて聴いた。
陽水が涙ながらに歌うその歌詞に、親が死ぬと言うことの悲しさを初めて想像した。
その歌詞に切なさを感じていた。


その頃、陽水はちょうど親を亡くす世代を生きていたのだろう。
セカンドアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」には「帰郷(危篤電報をうけとって)」という曲が入っている。
危篤電報を受け取り、郷里に向かう電車のなかで、きっと子供はこんな空虚な気持ちになるのだろう。
子供ごころに考えていた。



♪子供を育て 家族のために 年老いた母

「人生が二度あれば」の設定は父65、母64
まだ日本人の平均余命が、今よりぐっと若かった頃の歌だ。
当時、僕の親はまだ若く、自分の親が死ぬという想像力は沸かなかった。
そして、この曲を聴かなくなってから数十年のうちに、親はその設定の年齢を大きく超え、そして死んでしまった。


♪父と母がこたつで お茶をのみ 若い頃のことを話し合う

浄土で2人がそうあって欲しい。

もしも、このアイデアが告別式の前夜、浮かんでいたらどうだったろう。
あまりに辛気くさいので、自ら却下したかも知れないし、どうしても実現させたくなったかも知れない。
4分56秒という尺は許容範囲か。
とにかく、大変なのはこの曲でMCを言わなければならない斎場の司会者だ。
遺族が希望している曲に対して、一刀両断でダメ出しはしづらい。
やんわりと「お母様がお好きだった曲がいいのでは?」と水を向けてきたかもしれない。

いずれにせよ、告別式のエンディングに「人生が二度あれば」が流れていれば、僕はそれこそ「号泣」したかも知れないし、一部の人たちからは「何を考えているのか」と顰蹙を買ったかも知れない。

|

2016年10月27日 (木)

心に響かなかった母のエンディングテーマ

僧侶が帰ると、電子ピアノの弾き語りが始まった。
エンディングテーマだ
事前に司会者から遺族に取材があり、そのエピソードを軸にして故人を送る言葉を詩にする。
それを遺族が希望した曲に合わせて読み上げる。
今回は母が好きだった「川の流れのように」をリクエストした。

前回は父との思い出の曲「今日の日はさようなら」のCDをかけてもらった。
葬儀に帰郷する際、家から持ってきていた。
その曲とあいまって、司会者の絶妙な「作詩」に泣いた。


そして今回、いったいどういう心情が働いたのかはわからないが、泣けなかった。
泣くまいという心理が働いていたこともある。
ただ一つ、感極まらない要因を挙げるとすれば、音楽が「CDではなかった」ことだ。

CDに録音された音源には、歌手の肉声、作り込まれた伴奏があり、心の機微に触れる要素に溢れている。
一方、ピアノ生演奏には歌詞がないし、伴奏も違うので印象は大きく異なる。
母とその曲を聴いた時代を想起させるスイッチがない。。

葬儀の音楽は、CD音源が必要だ。
と学習したが、もうそれを活かす機会はない。



もしも自分が送られる側になったとしたら、どんな曲がいいだろう。
BOSTONの「DON'T LOOK BACK」がいいのだが、それでは司会者が困るだろう。
QUEENの「ボヘミアンラプソディ」では「ちょっと尺が長すぎますね」と斎場のディレクターが渋りそうだ。

ならば、佐野元春の「SOMEDAY」がいい。
自分が歌うのならば「約束の橋」だが、さすがに葬儀で故人が歌うカラオケを流したら、その場の空気が凍り付くだろう。

ドラムの連打からピアノにつづく前奏が流れる。
そこで、この曲を知る人ならば、一斉にスイッチが入るだろう。
司会はどんなMCを入れてくれるだろうか。

その光景を想像したら、自分が悲しくなった。
その当日、もう僕は泣けないのだけど。

|

2016年10月26日 (水)

遺族代表挨拶で原稿を忘れないコツをつかんだ

マイクの前に立ち、こうして見渡してみると、思ったより座席が埋まっている。
明け方、たくさん並んでいる椅子をみて
これが半分も埋まらなかったら寂しいな
と考えていたのがウソのようだ


その会葬者たちに視線は合わせない。
会社のプレゼンではないし、誰かを説得するわけでもないから誰かをマーキングして話す必要はない。
むしろ、誰かの目を見てしまうと、話すことを忘れそうな気がした。

どこにも焦点を合わせず宙を見る。
ただ一つだけ妙なことに、すぐ目の前にご輪番さんと若い僧侶が並んで座っている。
それもこの際、気にしてはいられないので頭から消し去る。
結果的にお二人に話しを聞いてもらったことは、あとで意外な展開となった。



父が浄土に還ってから、私たち遺族は
親が死ぬということについて自問自答を始めました

そして、こうして母が逝きました

私たちはこれまで「誰かの子供」としての人生を送ってきました
これからは「誰の子供でもない」人生を歩み始めます

本当の自立とは何か考えていきたいと思いますので、
どうぞ、皆様の変わらぬご指導をお願い申しあげます



無事に話し終えることができた。
事前に留意しておいたのは「間をとって話すこと」

間をとらないで話すと、文節をつなごうとする心理が働くため、自分が言おうとしていたことから逸脱してしまいがちだ。

1つの話しが終わったら、しっかりと間を取る。
秒数でいえば「3秒」くらいだ
この間は「間を恐れる人」にとってはとてつもなく長い。
そして見る人によっては「話すことを忘れたんじゃないか」ともとれる。
(実際に「途中で話すこと忘れた?」という指摘があった)

しかし、この3秒によって、次に話すことを落ち着いて思い出すことができる。
3秒もあれば大抵の短期記憶は思い出せるものだ。
本当に忘れてしまった時も、常に3秒の間をとっておけば、聞いている側に違和感を与えない。

僕はこうして、遺族代表挨拶で原稿を忘れないコツをつかんだ。
だが、この技術を活かす機会はもうない。



僕がお辞儀をして席に戻った後、
「導師 様 ご退場です」
というアナウンスが入り、2人の僧侶は控え室へと戻っていった。

|

2016年10月25日 (火)

ロンサンドを買いに行って聞いた、美女の意外な言葉

2015年夏の時点で、ロンサンドが売られていることを確認している店は次の通りだった。

本店(そこで作っている)佐世保市大和町843-6
総合、中央、労災、共済の4病院売店
佐世保五番街のエレナ(2015年夏より)
夜店通りのコンビニ「RIC」

2011年までは、佐世保駅構内の土産販売店「生活列車」で買うことができたのだが、店舗が変わってしまい買えなくなった。
これから特急みどりに乗るという時には、駅弁代わりにロンサンドベーコンを買うのが楽しみだったので、これは大きな痛手だった。


さて話は2016年夏
佐世保駅に着いたのは夕刻
佐世保駅はJR日本最西端の駅
九州の西の端ゆえ、佐世保は日が長い。

まだまだ日は高く、しばらく1年ぶりの町を歩くことにする。
といっても目的はロンサンド、目的地は「RIC」である。
四ケ町を通るのは後日の楽しみに取り置き、夜店通りにルートをとって進む。

昔ながらのアナログな夜店駐車場を通り過ぎる頃には「RIC」の青と黄色の看板が・・
見えてこない
その代わりに見えてきたのは緑とオレンジの看板だ。

セブンイレブンに変わっている・・

ということはロンサンドはもう売られていないのだろう
仕入れを本部で統括しているセブンイレブンのことだから、この店だけは独自に地元業者のサンドイッチを仕入れることは考えづらい。

案の定だ
元々ロンサンドや総菜が並んでいた棚はもうない。
念のため、サンドイッチ売り場も観たがロンサンドの姿はない。
セブンイレブンが(委託して)製造販売する銘柄のみが並んでいる。
佐世保まで来て、全国で買えるものを買ったって仕方ないよ・・

少しずつ、心に落胆の潮が満ちる

店内をなめ回しておいて、何も買わずに店を出るのは憚られるので、evianを1本握ってレジへ向かう。
レジにいたのは、推定20台前半、可愛らしい女の子。
一見してアルバイトに見える。
ロンサンドについて尋ねても恐らく「はぁ?ロンサンド?なんですかそれ」といった素っ頓狂な言葉が返ってきそうだ。

代金を支払ったあと、それでも一応尋ねてみる。
するとその回答は予想とは180度違っていた。


RICは2015年11月27日に閉店しました。
その後、セブンイレブンに変わりました。
ロンサンドは仕入れていません。
でもそれに似たサンドがあります。それはお勧めですよ!


溶岩を眺めていて、道行くおじさんに「これは、すごいですね」と声をかけたら、その人は地元の学術調査員(元教諭)だったというくらい驚いた。



くだんの美女(昇格している)の先導で再びサンド売り場へ。
ついさっき「こんなもの買わない」と思ったサンドイッチには「佐世保スイートマヨサンド」という品名がクレジットされていた。

つづく

|

2016年10月24日 (月)

佐世保サンドに参入せよ!

佐世保といえばサンドイッチである。
またまたぁ、佐世保と言えば佐世保バーガーでしょ

・・という書き出しで「 ロンサンドと玉屋のサンドイッチを食べ比べてみた」を書いたのは2010年。
それ以来、ロンサンドと玉屋サンドを追いかけてきた。


しらべるではこれらのサンドイッチを「佐世保サンド」と命名している。
過去に玉屋サンドが1度だけ「佐世保サンド」と冠して売られていたことがあったが、それも壁の張り紙にそう書かれていただけで、商品パッケージには相変わらず商品名はクレジットされていなかった。
それも翌年の夏に帰郷した時には、元通りに戻っていた。



地元ではこれらのサンドイッチは知名度が高く、支持も高い。
「あれは美味しいよね」という人はいても「まずーして食われん」というのは聞いたことがない。
僕は帰郷するとまず玉屋やエレナに行ってサンドを買うし、お昼ご飯も夜食も大半はサンドだ。

なぜか?
それは「佐世保サンド」が東京で売っていないからである。

では、それほど人気の商品ならば、他の業者が続々と類似品を出しそうなものだが「佐世保サンド」に参入する業者は出てこない。

追随すると「あの店は真似した」「せこい」と言われるのがいやなのかもしれない。佐世保の商売人はプライドが高いのだろう(憶測)


真似をすることは信義に反するというのが日本の美徳だが、真似されることで競争が生まれ、話題となり、反響が拡大する。
そういう側面もある。
参入業者が少ないうちは、大きな市場は形成できない。
特に、ネットで一気に情報が世界を駆け抜ける現代社会では、プレイヤーは適度に多い必要があるのだ。



そこに風穴を開ける3番めの走者が参入した。
セブンイレブンである。
あとでしらべてみると、その参入は2010年。
つまり今から6年も前のことだったのだが、その存在を僕が初めて目にしたのは今年、2016年夏。
帰郷して佐世保駅から「RIC」へ直行した時だった。

つづく

|

2016年10月23日 (日)

佐賀のバルーン世界選手権は毎年じゃなかったの?

バルーン世界選手権って毎年やってるんじゃなかったの?

いつもは特急みどりで佐賀県を素通りしている僕は、その程度の知識しか持っていなかったのでしらべることにしました。

きっかけは呑みに行った店でもらったパンフレット。
そこには「佐賀市では19年ぶり3回目の熱気球世界選手権を開催します!」とありました。

え?これって毎年じゃないの?
そこでしらべてみると、以下のことがわかりました。

●国際航空連盟(FAI)加盟各国の代表選手による熱気球競技の世界大会
●1973年の第1回大会からほぼ2年に1度開催
●開催地は、国際気球委員会(CIA)定例本会議での投票で決定される


2016年大会について

2014年3月
スイス・ローザンヌで開催された国際気球委員会総会でアルバカーキ(アメリカ)を抑えて、佐賀(日本)での開催が決定された

2016年10月28日(金)
第22回熱気球世界選手権 開幕 公式練習

10月30日
開会式

10月31日~11月6日<日>
競技実施

11月7日
閉会式



開催場所は佐賀市嘉瀬川河川敷および佐賀平野
主催者は期間中、120万人の観客動員を見込んでいます。
佐賀県の人気イベントとして有名な「有田陶器市」が120万人~130万人ですから、佐賀県を代表するイベントと言ってよいと思います。

佐賀市では毎年秋に開催している「バルーンフェスタ」は「バルーン」が登場するイベントでした。
毎年この時期限定でJR長崎本線に「バルーンさが」駅が開業しているので、てっきり毎年「選手権」が行われているのかと思っていました。

熱気球世界選手権が佐賀にやってくるのは、第9回(1989)第13回(1997)に続いて3回目。
次はまたいつくるかわからないので、ぜひとも観ておきたいところです。

|

2016年10月22日 (土)

司会者が告別式の順番をまちがった そのとき、僕は

導師二人の読経はハーモニーを奏でて眠りを誘う。
喪主の僕でさえそうなのだから、日頃、大変な仕事をしている人、家事に追われている人の中には、実際に数分間気を失った人がいるのではないだろうか。


告別式では喪主の僕だけが導師の前に出て焼香する。
僧侶に一礼、祭壇に一礼、焼香して帰り際、会葬者に一礼。
事前に習ったとおりの手順で、そつなくこなす。
こんな時、背筋が曲がっていたり、歩きながら礼をしたりすると、いかにも素人という感じでみすぼらしい。
(別に素人でもいいのだが)
立ち止まり「止まれ」の標識でおこなう一時停止のように、完全に動作を停止して一拍。背筋を伸ばして深いお辞儀。
お辞儀の深さはBABYMETALのMOAMETAL、YUIMETALに習った。
礼儀正しさは、どんなに若い人からでも学ぶことができる。


会葬者の焼香が一巡して、鐘が連打されて読経が止まる。
ここで、想定外の事態が起きた。
司会者が弔電の紹介に移ったのだ。

事前に手渡されたメモによると
8.導師退場
9.弔電紹介
10.遺族代表あいさつ

弔電を導師に聞かせてどうするっ
と司会者にツッコム
前日のあいさつが首尾良くいっていたので、今日は自分を信じてゆったりと構えている。
さぁ、ここで導師退場
そして、僕の出番


と思ったら、予想外の展開が起きた。
「ここで遺族を代表して喪主のmotoがご挨拶いたします」
と僕が紹介されてしまったのである。


えぇ~、そりゃないだろう
だって、目の前に導師が二人たたずんでいるんだぞ。
今日は導師の講話すらないのに、僕が導師に講話してどーする!

「すみません、導師の退場が先ですよ」

などと言う僕ではない。
ここは、社内の月次打合せではないのだ。
流れのなかで、流れに沿って、役割をこなすのが喪主の役割である。


席を立ち、セッティングされたスタンドマイクの高さを1cmだけ調節する。
別にその1cmはどうでもよいのだが、これが僕が話す時のルーチンなのだろう。
昨日も今日も、無意識のうちに、マイクの高さを調節してしまう。

|

2016年10月21日 (金)

「ご輪番さん」とは?

告別式のために書いておいた「遺族代表あいさつ」の原稿に目を通す。
一応ポケットに入れてはいるが、斎場に入ってからメモを見ている喪主というのは奇妙だ。
告別式は故人を見送る儀式であり、喪主が上手く挨拶するイベントではないからだ。
1度通して目で追い、よし大丈夫だと自分に暗示をかけて、メモを仕舞う。
その場でゴミ箱に捨ててもよいのだが「万が一」完全に頭が真っ白になった時は、取り出して読み上げるためにポケットに温存しておく。


通夜と違って、告別式は開会の時間に合わせて一気に人が増える。
母の知人は、あくまで母の知人であり僕が顔を見て何処の誰だとわかる人はいない。ここで暮らしている遺族には、同僚や友人がやってくるが、遠くから葬儀のために帰郷した僕には、そういう人もいない。

誰に挨拶することもなく、喪主の指定席へ向かう。
入り口で斎場係員に呼び止められ、式次第を手渡された。
肝心の挨拶の順を確認する。

導師退場→弔電紹介→遺族代表挨拶
焼香の間、読経した導師が退場してから、通夜ではなかった弔電の紹介。
弔電については全文紹介するもの、芳名だけ読み上げるもの、そしてその紹介順について確認を受ける。
弔電紹介が終われば、僕の出番ということになる。

僕が着席すると間もなく定刻。
佐世保駅を出発する特急みどりと同じくらい正確に司会が告別式の開会を告げる。
つづいて導師入場。

通夜では導師は一人だったが、告別式は二人。
通夜で「お香」の話をしてくれた僧侶に加えて、ご輪番さんが入場してくる。

ご輪番さんという言葉は「前回」初めて知った。
浄土真宗東本願寺の檀家である親戚が、偉そうな(態度がでかいという意味ではない)僧侶に向かって「ごりんばんさん」と呼んでいた。

なんじゃそりゃ
舌を噛みそうだし、言いづらい
「住職」のように慣れ親しんだ呼び方ではだめなのか?
だめらしい。

「ご輪番さん」は、全国津々浦々にある東本願寺の別院を統轄する役職。
定期的に人事異動があって「輪番」で赴任してくるので、敬称をつけてこう呼ぶ。
前回は受け売りの言葉を知ったかぶりして使うのに抵抗を覚えたが、今回はもう慣れた。

|

2016年10月20日 (木)

涙雨

通夜の夜は更ける。
我が家の貸し切りとなった広い斎場には、立派な祭壇に季節の花。
その中心に母が横たわる。

両脇には故人や遺族と縁がある組織から届けられた花輪
そして明日の会葬者数を想定して並べられた椅子
その一番後ろの列に腰掛けて、ぼんやりする

ここは夜通し照明が落ちることはなく、24時間ろうそくと渦巻き線香のおかげで寝ずの番もいない。
空調が効いた凜とした空気のなか、あまりに広い空間は今晩、母一人のものとなる。スリッパを履いた僕はその光景を目に焼き付ける。



二日目の控え室は、日頃あまり会うことのない遺族と親族が語らう場となっていた。
こんな時「世話やきなおばちゃん」「話し好きのおばちゃん」の存在がある。
いつもは、ちょっと面倒だなと思うのだが、こんな時、場の空気を明るく牽引できる人の存在はありがたい。

もしも、誰ひとり口を開かず、開いたとしても故人の悪口や、最近神経痛がひどくてといった愚痴を言われた日には、まさにリアル悲劇の場になってしまう。
故人を思い悲しい気持ちになるのは、明日の告別式から火葬に至る中で十分にその機会がある。

身内用に注文しておいた仕出しの大皿は、肉類のオンパレード。
子供のころ、葬儀といえば「まずい」精進料理と決まっていた。
火葬が終わると一転して、肉やエビが踊る豪華な食事に変わる。
それで、僕らは「精進」という言葉を習った。

巻き寿司といなり寿司が大量に残っている。
それは親戚に持ち帰ってもらった。



告別式の朝がきた
天候はあいにくの雨
というよりも、土砂降り。
明け方にはけたたましい雷鳴がとどろき、日本の西の端には滅多にこれない人たちが墓参りに行こうとしていた出鼻をくじく。

僕はスリッパを履いたまま玄関を出て、空に念じる。
どうか、1時間だけ上がってください。
それでも、雨脚は衰えるそぶりを見せない。


告別式が始まる時間から逆算して、タイムリミットが来た。
墓参りは中止しましょう。
僕が親戚に声をかけた時、姉が「今あがったよ」と部屋に入ってきた。

雨は1時間だけあがり、無事墓参りを済ませ、親戚が再び斎場に戻ったところでバケツをひっくり返したような雨が再開した。
雨はこの後、夕刻までつづき、会葬者を濡らし、火葬後の法要に残った親戚を濡らした。

親戚の誰かが「涙雨じゃね」と山口弁で言った。

|

2016年10月19日 (水)

ライブで心を解き放つ勇気を与えてくれるのは

【第12話】

開演前に予想した通り、ホームベース側が正面ステージだった。
3人は時おり、向こう側のステージに回ることはあっても、大半の曲を「正面」で歌っている。
僕らがいる側はその恩恵に預かることができた。
ということは、残り240度の側にいる人たちは、あまり肉眼で3人を捕らえられないということになる。

この二日間の映像はWOWOWで放映されるし「デロリアン」で発売される。
天井カメラなど、機材の都合で「正面」を決めなければならない事情と推察する。
座席により、運不運が分かれたということになる。



できるだけステージ上にいる「現物」を見ることにした。
大型モニターをみれば表情のひとつひとつまで読み取れるが、それはあとから映像作品で確認できる。
今ここでしか見るしかできないものを見る。
メインステージに並んだその小さな3人の姿が目に焼き付いている。
正面の座席が当たり幸運だった。



8 NO RAIN, NO RAINBOW

ギターの音色に聞きおぼえがある
そうだ、今聴いているこの音は、子供の頃からQUEEN、レインボー、X-JAPANと聴きついで来た音なのだ。
ブリティッシュ、ヘヴィメタル、レコードで聴いて1人部屋の中でエアギターをかき鳴らしていた。
そういえばヘヴィメタルのライブ参戦は初めだった。
目の前に、愛してきた音がある。

翌日の報道を見て、この日会場に訪れたファンは40代が多く、上は70代までいたと知った。

ベビーメタルは演奏が上手い
曲がいい
歌が上手い

ここまでならば、過去にもそういうヘビーメタルバンドはいた。

ダンスがみごと
ルックスがいい(可愛い)

この「5拍子」そろったパッケージがベビーメタル。
これまで世界中で誰もやったことがないマーケティングなのである。



9ド・キ・ド・キ☆モーニング

10 メギツネ

SUがキツネ面で顔を覆い「ソイヤソイヤ」とYUI、MOAの煽りで場内が一体化する。
日本の各地に伝わる伝統的な祭り囃子を取り入れたロック。
日本には神輿を担ぐ人と、そうでない人がいる。

これまで自分は後者であり、町内会でお祭りが行われていても沿道で傍観してきた。
日本人ならば体の芯にはあっても敢えて向き合ってこなかったリズム。

それがライブという機会を得て、解き放たれる。
来週、秋祭りがあるから「僕も神輿を担がせてください」という勇気はまだない。
(ずっと持てないかも知れない)
もしも、今日が「ぼっち」参戦ならば、もっと静かにしていたかも知れない。
解き放つ勇気を与えてくれるのは、一緒に聴きに来てくれる友達なのだ。

|

2016年10月18日 (火)

紅月でどこまでも音階を上げるスーメタル

【第11話】

1 BABYMETAL DEATH

二階席も一斉に立ち上がり、右手を突き上げる。
去年Mr.childrenに行って以来、流れに乗ることにした僕は、積極的に右手を突き上げる。
左利きなので、本当は左手を上げる方が自然なのだが、となりの人とぶつかってしまうため右手を上げている。
できれば「左利き専用エリア」を設けてほしい。

この曲で始まる映像をたくさん、見てきたので「スーメタルです」と自己紹介しているかのようなこの曲で始まると、さぁいよいよだという気持ちになる。



2 あわだまフィーバー
3 ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト
4 META!メタ太郎

メタ太郎はとても好きな曲
どうしても聴きたかったのでこの日のセットに入ってくれて嬉しい。
あと1曲は「THE ONE」だが、これはまたの機会のお楽しみとなることが確定している。


5 Sis. Anger


6 紅月-アカツキ-

「あかつきだ~」
お約束SU-METALの絶叫で血液が逆流する。
この曲を演る日に来れた僥倖を噛みしめる。

この曲は後半にいくほど、オクターブが上がっていく。
それでもSU-METALは、楽々と音階をあげていく。

それは数十年前「ステンドクラス」の1曲め「エキサイター」でジューダスのメタルゴッドが
stand by for exciter
の4連呼をオクターブを上げて締めていたのを思い出させた。

あんな高い声が、出ていたのはいつまでだったろう。
あんな高い声で、歌い通せたら気持ちいいだろう。


7 おねだり大作戦

モアとユイが二人で歌うコミカルな曲。
この間、SU-METALはステージから姿を消す。
水を飲んで、のど飴でもなめているのだろう。

この曲は「さくら学院重音部」の頃からの曲で、ネットの書き込みによると
「まだ、やってるし」
「この日で封印」
といった意見が多数みられる。
幼さ満載の歌詞ゆえ、今の彼女たちにそぐわなくなっており、そろそろ歌い納めだということらしい。

しかし、どんな音楽家にもそのような曲はある。
かつて佐野元春は「つまらない大人にはなりたくない」と歌う「ガラスのジェネレーション」を封印した時代があった。
10代から20代前半にそう歌っていたものの、実際に大人になってしまったのに「大人になりたくない」はないだろう・・という気分からだ。
しかし、封印は解かれるためにある。

|

2016年10月17日 (月)

ベビーメタルファンは時間を守る人たち

【第10話】

その後、最前列は売られていないことがわかった。二階席からの転落防止のためだろう。これで実質2列め。

コルセットがもらえたので、記念品はこれで満足。
コンコースでもグッズ販売を行っていて、そちらは並ばずに買える状況だったが、物販をのぞきに行くのはやめた。



18:40
辺りを見回すと、ぎっしりと座席が埋まっている。
巨人戦では試合開始前に、こんなに人が集まっていることはないから、あまりの集まりの良さに違和感がある。
BABYMETAL ファンは、時間を厳守いや「10分前行動」を遵守する「時間と約束を守る人」たちなのかも知れない。

そんなことを考えていると、アリーナには骸骨のコスチュームに身を包んだ一団が、ファンに気合いを入れて回っている。
ドーム内に流れているのはヘビーメタル。
ヘビーメタルといえば、ジューダス、ブラックサバス、アイアンメイデン、X、聖飢魔IIくらいしか聴いてこなかった僕には、知らない曲ばかりだ。
ヘビーメタル界には「四天王」と位置づけられたバンドがあることを後に知ったが、名前を知っているバンドは1つもなかった。


コバメタルの紙芝居が始まる。

【コバメタル】
BABYMETALを構想し、バンド、振り付け師、作詞作曲家といったパッケージを1つ1つパズルを組み立てるように作り上げた人。BABYMETAL所属事務所であるアミューズの社員。

【紙芝居】
BABYMETALライブにおける映像によるMC

前日のRED NIGHTとこの日の2日間で、2枚のアルバムの全曲をやることが告知される。
従って、以下の曲がこの日、演奏されないことが確定した。

≪BABYMETAL WORLD TOUR 2016 LEGEND -METAL RESISTANCE- RED NIGHT≫
Road of Resistance
ヤバッ!
いいね!
シンコペーション
Amore - 蒼星 -
GJ!
悪夢の輪舞曲
4の歌
Catch me if you can
ギミチョコ!!
KARATE
Tales of The Destinies
THE ONE

BABYMETAL WORLD TOUR 2016 LEGEND -METAL RESISTANCE- BLACK NIGHT
今年4月に英国で始まり、22会場45万人を動員してきたワールドツアーのラスト。
開演時間の19時から遅れること5分で幕が開いた。

|

2016年10月16日 (日)

喪主の挨拶で緊張しない方法

僕に続いて遺族、親族、弔問者が順に焼香する。
彼らは焼香を終えると、帰り際に僕らに挨拶をする。
僕らは最前列の席に座ったまま、黙礼する。

通夜という場所がら、悲しい場面なのだが
悲しい顔をつくるのもおかしい。
仏頂面をするほど、機嫌が悪くもない。
だからといって、にこにこ笑っていては
「この人は喜んでいるのか?」
と皆が訝しがるだろう。
従って消去法的に、無表情を貫く。

すべての弔問者の焼香が終わる頃「焼香がお済みでない方はお進みください」とアナウンスが入る。
その後の静寂を察して、導師は読経を終了する。

それから導師のお話。
お話があるのは「通夜」のみ。告別式にはない。


この導師の話は「前回」も聞いたことがあるが、木訥な語り口でなかなか味わい深い。
いつも、お斎の席では「いいお話だったね」と親戚じゅうの話題になるほどだ。
誰もがその話に聞き入るなか、一人だけ、そこに集中していない人がいた。

僕だ

原稿は一通り頭に入れてある。
本番の挨拶でメモを読み上げたりしない。
それでも別にかまわないのだが、自分の美意識が許さない。

人前でメモを見ることすらしない。
人前では何事もないような素振りをみせておいて、いざ挨拶にたてば、要点を押さえて手短に話す。
それでこそ、聞き手の感動を呼び起こそうというものだ。
別に感動させる必要はないのだが


台詞を忘れてはいないだろうか
途中で言葉に詰まったりしないか
そんな心配をしていると、読経やお話が頭に入ってこない。

こんなことではだめだ。
今日は母の通夜であり、僕の発表会ではない。
目の前の一分に集中する
自分を信じる
これこそが、緊張しない方法と言える。
そう踏ん切りをつけたら、導師の話が心に落ち始めた。



導師は「焼香」について話す。
インドでは、誰かに会いに行く時、それぞれが自分のお香を持参するのだが、日本ではそれが根づかなかった。
葬儀においては、お香を用意してもらう代わりということで「香典」という呼ばれるようになった。
焼香は皆さんが故人に会いに来たよと言う挨拶という意味なのだ。



焼香が終わると導師が退場
そこで遺族代表挨拶となる

本日はお忙しいなか、弔問いただきありがとうございます

原稿にはそう書いてあったが、僕はこう述べた
本日は母に会いに来ていただき、ありがとうございます。

それ以外は、余計なアドリブを入れることなく、予定していた通りの原稿を話すことができた。
シン・ゴジラの台詞のように2倍の速さで喋るのはお手のものだが、今日はいつもの2分の1の速さで話した。

|

2016年10月15日 (土)

焼香はお香を拝まないように

田舎では新聞に「おくやみ」欄があり、すべての故人情報が掲載される。
都会でどうなのかは知らない。
日頃、新聞をくまなく読んでいないので。ただ恐らく東京で同じことをやっていたら、それだけで紙面が尽きてしまいそうだ。
故人の氏名、死亡日時、通夜の日取りと会場、告別式の会場、喪主氏名
締め切りまでに判明した長崎県内すべての故人が掲載される。
親戚の話によると、田舎の人は毎日この欄を欠かさずに見ているという。
互いに欠礼のないよう、リサーチする必要があるのだそうだ。
目を皿のようにしてこの欄を見ているのは、主に老齢の方々ということになるが、これを生業としている方もご多分に漏れない。
互助会、葬祭場、記念品、そして年金や保険組合の方。
金融機関の皆さんも恐らく見ているのだろう。
その証拠に、告別式の翌日から一斉に玄関のベルが鳴り、いろいろな業者が来訪した。
法要のお斎で使う仕出し業者さんは、弁当見本を現物で持ってきて驚いた。
「前回」にはなかったことだ。
朝ゆっくり起きると、ちゃぶ台に数種類の弁当が積まれていて、親戚が手配したのかと思った。
イベントとしての通夜は、仕事をしている人が仕事を終わって駆けつけても間に合う時間に設定されている。
だが、その前から弔問者が次々に訪れる。
早めに来て、我々遺族と話をして、亡骸に会い言葉をかけていく。
そして、イベントとしての通夜が始まる前には帰って行く。
このわずかな時間のために礼服を着込み、女性であればそれなりの身繕いをして来ていただけることは、とても有り難いことだ。
通夜の儀式が近づいてくると、親戚の数が増え始める。
あと30分ほどになると、遺族が前方に立ち「弔問者」を迎えて一礼する。
ちなみに通夜は「弔問」であり、告別式=葬式は「会葬」である。
挨拶のとき、ここを間違えないよう、原稿には赤字で書いた。
通夜が始まる。
導師(つまりお坊さん)が入場し、お経をいただく。
お経に続いてすぐ、喪主が先陣を切って焼香なので、ぼーっとはしていられない。
しかし、お経に聞き入っていて、終わった時には少し意識がもうろうとしていた。
別に寝ていたわけではないが。
焼香は二回お香をつまんでくべる。
そして、前方に(これはお坊さんに対して)一礼して合唱する
お香を目の高さに上げて拝む人がいるが不要だ。
誰かが始めたから、皆が粗相のないようにと真似をしているのだろう。
ほかの宗派のことは知らないが、少なくともうちの宗派ではやらないので、事前に斎場の係員から「お香を拝まないように」と釘を刺された。
僕がやったことが皆さんの見本になるので重要だ。
焼香を終えて振り返った時も、礼はせずさっさと着席するよう言われていたので、その通りにする。
はじめに誰かがやると、あとの皆が真似をする。
なかには、遺族らしき人のグループに満遍なく礼をする人もいる。
中学校の卒業式じゃないので、あちこちに礼をする必要はないのだ。

|

2016年10月14日 (金)

通夜の遺族代表の挨拶

これまで葬儀に花を贈ったことはあるが、業者にお任せなので、具体的にそれがどう取り扱われているのかは知らなかった。

いつも葬儀を依頼している斎場の場合、花は一律料金で受けている。
花とスタンドなどの什器設置費込み。
花を見て「この会社の花は高そうだな」などと思っていたのは、的外れだった。
なぜ、こうしたことがわかるかというと、葬儀費用の請求書明細に献花の明細が載ってきたからだ。
もちろん支払いは贈った側が支払っているのだが、代金が済みの場合「済み」これから振り込みの場合は印なしの伝票が付いていた。
大企業の場合、花を贈る業者?の会員に入っているらしく、割引がなされていた。

名古屋ではパチンコ屋の開店から、ホテルで行う各種パーティにおいて、誰もがほぼ勝手に花を持ち帰る。
佐世保の場合、斎場から「お持ち帰りください」というアナウンスがあり、それぞれ出棺後に持ち帰るようだ。



通夜の遺族挨拶は喪主である自分の役割。

まず骨子を建てる
・本日はお忙しいなか「ご弔問」いただきありがとうございます。

・私は故人の**の**です(自己紹介)
 喪主が老母のような場合は「喪主に代わりまして、お礼のご挨拶を申し上げます」と添える。

・故人の死について
 病気療養をしていたのかという状況
 死亡日時
 享年

エピソード

・告別式の案内
 告別式は明日午後*時より**で執り行います。

・食事を用意している場合
 ささやかですが、別室にお食事をご用意しましたので、母の思い出話などお聞かせ願えればと思います」

・本日はありがとうございました。



模範原稿は斎場からも手渡されるが、それは一度見てどこかにしまいこんだ。
「書かないと覚えない」し、時々読み返すために、原稿を紙に書き出す。
こんな時「消せるペン」フリクションは便利だ。
今回、一連の葬儀、その後の手続きを書き出す時、フリクションはとても役にたった。
これも、自分にとっては七年前になかった「技術革新」である。

|

2016年10月13日 (木)

貸し切りの斎場

母は静かに僕を待っていた。
いや、本人に聞けないので、待っていなかったかも知れない。
装束は通常、故人がつけるものではなく、生前大好きだったスポーツのユニフォーム。
こんな服装をした死者を初めて見た。
とてもいい選択だと思う。

遺影もそのスポーツをしていた頃のユニフォームと帽子。
帽子をかぶっている遺影というのも初めてみたが、母らしくていい。

数ヶ月前に見た、衰弱して顔色の悪い母ではなく、そこには安らかでちょっと若返ったような母が眠っていた。
聞くところによると、しわが伸びるため、肌がつるつるになり、そう見えるらしい。



やがて、親戚も引き上げて、斎場の控え室の畳の間は、母と僕だけになった。
押し入れから布団を出して、自分の寝床を作る。
母が寝ている枕がおそらく「北」を指しているのだろうから、僕はそれとは反対側に枕を置いた。

24時間ろうそくをチェック。
技術革新により、寝ずの番をしてろうそくや線香を絶やさないようにする必要はなくなっていた。
そういえば、父の時もそうだったような気がするのだが、あの時はなぜか、ずっと父のそばで朝まで起きていた。
直前に「寝ずの番」という映画をみていたので、遺族はそうするものだと思い込んでいたようだ。
そういえば、あの時、寝ずの番をする僕に親戚が向ける視線は不思議そうだった。

渦巻き線香を取り替える。
朝食が7時に来るらしいので、それまでの6時間は十分に保つ。

母の顔を見て「おやすみ」と声をかける。
すると、つるりとした顔の母が、なにか言いそうな気がした。

いやいや、怖いから、それはやめて ^^;)

真っ暗にするのは、やはり、この日にはそぐわない気がして、電気をつけたまま眠りについた。
そのせいで、疲れがあまりとれなかった気がする。


通夜の朝が来た。
通夜までは、まだ12時間もある。
朝食をとったあと、親戚が準備に戻ったので、もうひと寝入り。

次に起きた頃には、斎場の係員も次々に出勤
花屋さんが献花を運び入れる。
弔電が届く。
その都度、受け取りの署名をする。

田舎にある斎場は、会場も1つだけ。
きょうと明日、我が家の葬儀だけがおこなわれる。
そうした貸し切りの場所に、慌ただしく、人が出入りする1日が始まった。

|

2016年10月12日 (水)

遺族代表挨拶のプレッシャー

博多を出て鳥栖を過ぎると、線路は佐世保・長崎へ向けて右折する。
鳥栖を出てすぐ、2011年に九州新幹線ができてから建てられた新鳥栖の駅に停まる。
新鳥栖を出た頃には、あぁ旅の人になってきたなと感じる。
いつも旅スイッチが入るのは、九州に着いて電車に乗り換えた頃だ。

七年前、まだこの新鳥栖駅はなかった。
その時、長崎本線に切り替わったところで、電車が西に向かって走り出すと、亡骸となった肉親との対面は、いったいどんな感じなのだろう?と考え始めた。
親戚の葬儀で死体を見たことはあるのだが、自分の親のそれを見るということが怖いと感じた。
いったい自分は今、どんな顔をしているのか?
記録したくなり、一眼レフで自撮りした。
今思えば、自分のことしか見えていない証左である。


今日はそれはない
いつもこんな時、自分が冒してきたいくつかの失敗が走馬燈のように駆け巡っていた。
だが、小さな失敗は、自分への関心を薄めれば見えなくなる。


明日の遺族代表スピーチを考えなくては。
前回の記録を探してみる。

今回、遺族同士の会話において、七年前に父を亡くした時の一連の行事を「前回」と言うことが多かった。
父や母の死を「回」で表現するのは不謹慎かと思うのだが、やはりその言い方が互いにわかりやすい。
はじめのうちは「前回、いや父の時はね」とためらいながら言っていたが、次第に自然に「前回」を言うようになっていた。



前回のスピーチは「しらべる」にその骨子が見つかった。
「父を亡くすという初めての経験」を自分の「次回」の備忘録として記録しておいた。
数人の方がそれを見て、少しでも参考になればと思う。

もちろん、父に対する私的なエピソードはウェブページに書いていないが、そこは自分で覚えている。
この骨子に、母とのエピソード、そして今の気持ちを乗せていけばよいだろう。

遺族代表挨拶は七年前に経験しているし、日頃から人前で話すことは苦にならない性分だ。
「挨拶がうまくできるだろうか」
というプレッシャーを感じないで済むのは助かる。
こういった特質も父と母から受け継いだものだ。


明日は通夜
寝ずの番になるかも知れないので、佐世保に着くまでの間を寝ることにする。
終点駅への旅は、安心して寝ていけるのが助かる。

佐世保は九州の西端、つまり日本の西端にある。
JR佐世保駅は「日本最西端のJR駅」
ちなみに最西端の鉄道駅は松浦鉄道(MR)の「たびら平戸口」である。

今朝亡くなった母はすでに病院を出て、斎場に運ばれている。
亡き母の棺が待つ斎場に着いたのは、東京を出てから8時間後だった。

|

2016年10月11日 (火)

その日のための準備

1時間遅れたスカイマーク便の搭乗が始まる。
スカイマークの機内は中央廊下をはさんで左右3席の6席
搭乗案内は窓際>中央>通路側の順で行われる。

あとから来た人が「ちょっとすみません」と言って、その人の膝越しにすり抜けていく、いつもの光景がない。
とてもいい運用方法だ。
2ヶ月前に乗ったスターフライヤーはこうではなかったと思う。


すでに乗り込んでいた窓際の隣人は、むき出しにした素足を組んだ20代前半女子。
相撲取りのようなおじさんも困るが、こういう人も隣人としてあまり歓迎ではない。

後からやってきた、通路側の隣人は上品なおばあさん。
すみませんとこちらに一礼して、体を折りたたんで腰掛ける。
あまりに小さくて、いすの半分も使っていないように見える。

携帯がははおばさんといい、ショートパンツ足むき出し女子といい、いろいろな女性と旅の縁があるものだ。


福岡空港は2ヶ月前に降り立った時とは、様相が異なっていた。
大規模なリニューアルを行っているようで、あちこちが目隠しされている。
ターミナル前のロータリーに入る車は規制されており、地下鉄に出るまでの通路もずいぶんルートが変わっていた。


JR九州のサイトですんなりと1時間後のダイヤに変更ができていたおかげで、スムーズに博多から佐世保行き特急「みどり」に乗ることができた。
JR九州では車内販売がないので、夕飯代わりの軽いものをコンコースのファミマで買おうと思っていたら、ファミマがなくなっていたのが計算外。
しかたなく、ホームの売店でメロンパン1個とりんごジュースを買う。
空港で食べたサンドイッチにつづき、これが今日最後の食事。


午前中は仕事に出て、留守中の仕事をそれぞれに割り振り、目処がついたところで帰宅して準備。
すぐに家を出てきたので、途中ではなにも食べる時間がなかったし、食べることも忘れていた。

こんな時は、あとから振り返ると大きな「うっかりミス」をやっているものだが、今回は図書館に返す本を忘れていただけで、大きな失敗はなかった。

父のときは余命宣告からおよそ3ヶ月、日々を「父が逝ってしまう」というため息と戸惑い。そしてそのためにできる空白期間のための準備で毎日が過ぎた。
一方、今回は容態が悪いと言われてからわずか1日。
なんの準備にも取りかかれていなかった割には、まずまず段取りしたことになる。

|

2016年10月10日 (月)

暇になると心が沈んでくる

期せずして旅に出ることになった

いつもならば、月日に余裕を持って航空券を買うのだが、今日の今日に買うとどのくらいの料金なのか予測がつかない。

このところ夏の帰省に利用しているスターフライヤーは羽田-福岡が軒並み3万円台。
これならば新幹線の方が安い。
だが、気が急いているときの新幹線はつらいものがある。


しばらくご無沙汰していたスカイマークで、なんとか23000円のチケットを確保できた。
ところが、羽田空港についてみると、使用する飛行機が遅れていて待合室で1時間の足止め。ついていない。

接続して博多から佐世保へ向かう電車に間に合わなくなった。
JR九州のネット予約にアクセスすると、1時間後の特急みどりに変更ができた。
こういう慌ただしい時に、すいすいと手続きができるJR九州のサイトには安心感がある。


ほっと一息
残り50分は何もすることがない。
Kindleで最近買った本を読み始める。

さっきまでは人影もまばらだった待合室も徐々に混んできた。
右となりにはおばさんらしき人影が座った。

すると突然、おばさんが携帯電話で話し始める。

「用事はないんだけど、1時間待ちでさぁすることがないとよ。
あーんそれはいいんだけど、あーん、あーん、どはは」

中村玉緒か

この人の子供じゃなくてよかった。
亡き母は一度も携帯を持たなかった。
メールは一度もしていない。


さっきまでは気が張っていたが、こうして何もすることがないと心が沈んでくる。
そこに、傍若無人なおばさんの下品な笑い声が突き刺さる。
おばさんの話は20分続いた。

話し終えた後、iPadを取り出して大音響で動画を見始めた。

どぅがんなっとると
いたたまれず、僕は席を立った。
去り際に顔をみると、おばさんと目が合った。
特に下品ではない顔立ちで、なにか?という戸惑いの目をしていた。

|

2016年10月 9日 (日)

非日常を記録する

父が浄土に還って
しばらく時間が過ぎた

初めて親を亡くすという経験を通して
とても多くのことを考えてきた

父はその死をもって、子供に
「人の死」
という実感を教えた


そして、母もまた浄土に還った。
親を亡くす経験は2度目であり、
慣れているとまで言わないが、既知のことである。


なにかの違いがあるとすれば、それが
母であるということ。


父親に対して感じていたことがあり、父親の死で感じたことがある。
大半は自身の「親との向き合い方」に対する自問自答だった。

そこで、多くのことを自分に問いただしたから、今度はそれとはまた違う、新たな自問自答があると思う。


父を先に亡くし、後から母を亡くす
それぞれがどう違うことなのか。

順番が逆だったらどうだったのだろう。

考えは尽きない。

ただ、こうした非日常のなかで、そうした自らに降りかかる「自問自答」をできるだけ、記録しておきたいと思う。

それが、少しでも誰かの役に立てばいいと思う。

|

2016年10月 8日 (土)

一般的な幸せ

母を亡くすと言うことについて、まだ実感がわかない
実感はきっと喧騒が過ぎ
ふとしたなんでもない瞬間に沸くのだろう。


母親はその子供に無償の愛を注ぐという
(一般的には)

思い返してみると、いつも、
どの場面でも母はそうだった。


その時々には「今まさに愛情を受けている」という指さし確認は行わなかったが、思い出してみてそうではなかった場面はないのではないか・・

というのも、まだ
ゆっくり思い返す時間がない。


母から受けた愛情に応える
ことばを贈らなければならない。


一般的でよかった。
一般的は幸せだ。

|

2016年10月 7日 (金)

母とちゃんぽん

母の愛は絶対だった。
いつも僕を支持してくれた。

それを失ってしまうと言うことは
いったいどんなことだろう

あまり考えたことはなかったし
考えたくもなかった


でもそれはある日、突然
訪れる。


母は町の食堂で僕たちとちゃんぽんを食べた。
僕らが小さい頃は、食べている途中、僕らの椀に向かって、自らの椀から肉を箸でつまんで放ってくれた。

なんだかはしたない行為のようだが、僕らはとてもうれしかった。
最近、時々そのことの意味を考えている。

父がなくなった後、母と一緒にちゃんぽんを食べた。
もう母は肉を放ってはくれなかった。
おいしいね
と言って一緒に食べた。

|

2016年10月 6日 (木)

キンドルで村上春樹を読むという新しい趣味

かつてよく「多趣味ですよね」と言われたものだが、最近はあまり言われなくなった。
人との交流が減っているのかもしれない。
というような、辛気くさい話をしたいわけではなく、今日は趣味の話だ。


この夏、新たな趣味が加わった。
ほんの少しお金はかかるけれど、そこから得られる喜びからすれば「安い」とも言える程度の出費だ。

その趣味は「村上春樹をキンドルで読む」
去年の今頃、村上春樹初めての電子書籍「村上さんのところ」を読み始めた。
期せずして半年もかかってしまったのだが、その間、いつも傍らに村上春樹があった。


Kindleのよいところは、1度だけ「Kindle」のハードを買いさえすれば、あとはデバイスが多様であると言うことだ。

通勤では「iPhone」
帰宅して夕飯を食べながらは「Kindle」
パソコンが目の前にある時は「PC」


たとえば、帰宅途中電車の中では「iPhone」で読む。
帰宅して「Kindle」のスイッチを入れる。
しばらく待つと
「motoさんのiPhoneでは 3054 を読んでいました(18:45)移動しますか?」といったメッセージが出る。
「はい」をタップすると、さっき電車で読み終えた位置が表示されて、つづきを読むことができる。

3つのデバイスがいずれもインターネットにつながっていることで、このような夢のようなライフスタイルが手に入ったのである。


「村上春樹のKindle本」は、次々に出版されている。

2015年7月
村上さんのところコンプリート版
(書籍とは違う内容を含む)

2015年8月
走ることについて語るときに僕の語ること(随筆)

2015年11月
遠い太鼓(随筆)

2015年11月
「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集 電子特別版

2015年11月
意味がなければスイングはない(随筆)

2015年11月
やがて哀しき外国語(随筆)

2015年12月
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(小説)

2016年2月
アンダーグラウンド(ノンフィクション)

2016年7月
風の歌を聴け(小説)

2016年7月
1973年のピンボール(小説)

2016年7月
羊をめぐる冒険(小説)


さすがに過去に書籍で読んだ本を買い直す気はしないが、未読だった本は楽しく買って読む。
図書館で借りることは容易なのだが、本と比べて「Kindle本」の携帯性は抜群である。

電車につり革につかまって読む
寝る前にベッドに寝転んで読む
こんなことができるのは、片手で読めるKindleならでは。

なお、定額読み放題の「Kindle unlimited」には、村上春樹本は含まれていない。

|

2016年10月 5日 (水)

あれから7年、格納男が提示する新たな技術

「共有フォルダーに格納しました」と言う格納男を俎上に載せたのは2010年11月だった。
あれから7年
時は流れて、今や「共有フォルダー」は企業において欠かせないツールとなった。

2010年当時は、まだそんなもの使わなくたって、それほど困らないよ。
それにそこに「格納」されたモノは、大半が2度と日の目を見ないゴミだらけじゃないか。要らないぽんと思っていた。

だが、この7年で状況が変わった。
それは、セキュリティ対策だ。

かつて、仕事になくてはならないツールとして誰もがひれ伏したツール「メール」
それが今や、企業や組織攻撃ツールの主役である。

「メールに添付して送る」ということほど危ういことはない。
それでもまだ、8割くらいのサラリーマンは何の疑問もなくメールに添付して送っているはずだ。
そもそもそういう人には「営業秘密」という概念がない。



「営業秘密」とは、不正競争防止法で保護が企図される企業活動の源泉となる重要情報。
「不正競争防止法」1993年の改正で規定された法律用語。
顧客名簿(個人情報)、設計図、マニュアルなどがこれに当たる。


営業秘密の定義
1.秘密として管理されている
2.事業活動に有用
3.公然と知られていない
この3つをすべて満たすもの


企業ではよく「秘密情報」という曖昧な言葉が使われるが、秘密情報は法律用語ではない。企業が独自に守るべき情報を規定する時に使われる用語だ。


営業秘密と企業秘密の関係は営業秘密<企業秘密。
企業秘密の方が範囲が広い。
そのうち、不正競争防止法上の要件(上記:営業秘密の定義)を満たすものが営業秘密である。

2014年7月に発覚したベネッセ事案の裁判において、被告は持ち出した個人情報が「十分に秘密として管理されておらず、営業秘密に当たらない」と主張している。



秘密を秘密として管理しているか?
管理していなければ、持ち出されても、裁判で不利になることもあるのだ。

秘密を秘密として管理する場所としての「共有フォルダー」
社員どうしのファイルのやりとりを、危険な「メール経由」にさせないための「共有フォルダー」

しかし、その情報にたどり着くまでの不安定さは7年前と、何ら変わっていない。
そこで、格納男から1つの技術が提示された。

|

2016年10月 4日 (火)

東京マラソンまで23週 「股割り」から始める

東京マラソンが当たった週末
本番まではまだ23週間ある。
例年ならば、まだ基礎トレーニングさえ始めていない時期だが、今年は少しずつ準備を始めている。

ここ数年、タイムが落ち続けている。
加齢をはじめとしたいろいろな要因はあるだろうが、これまで「当たり前のようにやってきたことを何か変えなければならない」と思っている。

例年の準備はこうだ。
14週間前から走り始める。
1度に走る距離は10km~20kmのあいだでまちまち。
距離だけを決めた「距離走」
時間だけを決めた「LSD」
内容はたいてい、この繰り返し。
以前は急な上り坂をほぼ全力で走る「坂ダッシュ」をやっていたが、手術明けだったこともあり去年はやらなかった。
準備体操やクールダウンは一切なし。

練習内容に変化はつけているつもりだが、結局のところ「トータルでどれだけ走ったか」が達成の指標になっているのは否めない。

今シーズンは史上最高距離を積んだ。いける!
今回は400kmなので、それなりかな?

いわゆる「距離偏重」である。
これは恐らく、ほとんどのランナーがそうなのではないだろうか。


何かを変えなければならない。
何かを変えても、なにも良くならないかもしれないが、何も変えずにいれば「加齢」の分だけ自己ベストは遠のいていく。


そこでまず見直したのは、カラダ作り
「体幹を鍛える」というテーマで書かれた本を、片っ端から読みあさる。
だいたいどの本にも同じようなエクササイズが載っている。
この手のものの大半が椅子などの「道具を使う」ものか、地べたで行うものだ。

僕にとって「地べたで行う」ことは敷居が高い。
部屋がそれほど広くないので、足を投げ出して座る、寝転ぶというところから動くというものには二の足を踏んでしまう。
恐らく、始めたとしても長続きしない。
日頃、ふとした空き時間に気軽に数回できるものでないと、取り組むのは難しいのである。

そうした観点で見つけたのは「ひざの高さに腰を落とす」動作。
これを「股割り」と呼ぶことにする。
高校生の頃は「カラダが柔らかい」ことが自慢だったが、今は見る影もない。
特にあぐらをかこうとした時に股が開かない。
これが「股関節が硬い」ということだろうか。


股関節が柔らかくなると、ストライドが伸びる?
あるいは同じ歩幅でも、力を使わずに足が前に出てくれる?
そうなれば、マラソンのように同じ動作を繰り返すスポーツでは大きな改善が見込めるのではないか?

これらはすべて素人考えの仮説。
まずは走りはじめるまでのおよそ2ヶ月続けてみて、初めて走った時に「いつもとは違う感覚」あるいは「タイムアップ」があるかを検証することにした。

|

2016年10月 3日 (月)

BABYMETALのスタンドに広がる「五〇台の巣」

【第9話】

17:30
開演まで90分の東京ドーム場内は照明が暗く、スモークが焚かれていて全体に煙っている。終演後の場内が煙るならばわかるが、まだ何もやっていないのに煙っているというのは普通ではない。
この不健全なムードは、これまでに経験したコンサート、ライブではなかったものだ。
この演出は、ステージが強烈な光で照らされた時のギャップを作り出すためだろうか。


2階三塁側8通路3列
野球で言うならば「ネット裏」ホームベース後方からやや三塁寄り。
最前列ならば「立たなくても見られる」のだが、BABYMETALは「ちょっと疲れたからスローバラードは座って休もう」というライブではないので問題ない。
前方にバスケットボール選手の団体が山脈を作られるようなことはないので、3列というのは好位置だ。

セカンドベース後方に設置されたセンターステージからは3方向に向かって花道が延びている。こちらから見ると、センター側のそれは見えず、一塁と三塁に向かって扇が開いたように見える。
BABYMETALがどの位置で「実演」するかは不明だが、音楽公演の通例から言って、ホームベース側のこちらが正面であることは疑いづらい。

とすれば、これは日本武道館の二階席正面に陣取るのと同じかな。
ちょっと遠いか


そんなことを考えていると、仲野君がやって来た。
カレはコルセットを二つ折りにして握っている。
そんな持ち方して絶縁していなければいいけどと心配になった。


今回、チケットを2枚申し込んだ後、当たりもしないうちから参戦仲間の招集に入った。
難航を極めると考えたからだ。
僕は、まだBABYMETALを知ってから一週間しか経っていない。
今見ておかなければという衝動で「先行予約」してみたものの、参戦先の場所は敷居が高い。
恐らく周りはコアなファンばかりで、それは僕よりも1ついや2世代下の人たちだろう。
そこに「ぼっち」参加するのは不安過ぎる。
だからこそ見切り発車で2枚にしたのだが、僕の周りにBABYMETALファンがいるわけがない。ましてや、そんな酔狂につきあってくれる好意的な人がいるとも思えなかった。


まず始めに、アラブさんにそれとなく「BABYMETAL」の反応を探ってみたが「ANIMETALは聴いたことがありますが、メタルはあまり聴いたことがないです。BABYMERTALは名前は聞いたことがありますが、今度聴いてみます」という返事だった。

そうだ、これはHEAVYMETALなのだった。
そういえば、自分も聖飢魔IIはCDを聴いていたが、HEAVYMETALのライブに行ったことはない。
コレは難航するぞと思った矢先、2番めに声をかけた歌合戦仲間の仲野君はあっさりと「おもしろそうですね。音楽ならなんでもいいですよ」と一枚かんでくれた。
彼はBABYMETALは名前は聞いたことがあるが、一度も聴いたことはないという。

チケット当選後はもっぱらYou Tubeで予習したという。
お金をかけてCDを借りてこなくても、ネットにつなげば公式映像が見放題。
音楽はまさに視覚の時代に移り変わっている。
いくら「昔の名前」があったところで、今の風貌、今の声がどうなっているかはすぐにばれる。
長きにわたるデフレを経て、日本人は支出に対して、確実に対価を回収できるものにしかお金を使わなくなった。
実演者にとって、You Tubeはカタログであり、試金石となっている。


右となりに座ったのは僕より年上のおじさん。
大きなリュックを背負ってのぼっち参加だ。
そこで、あたりを見回してみた。
すると、そこに広がっていた光景は「五〇代の巣」であった。

全員が五〇代というわけではなく、どう見ても四〇代より下が薄い。
中には六〇代、七〇代も散見される。

BABYMETALは二〇代、三〇代が客層の軸と予想していた。
「スタンド席だし、たまたま、このあたりに冷やかしの人たちが固まったんだな」という程度でさほど気にはしなかった。

【ぼっち】
ライブに1人で行くこと。SNSに書き込む際に使われる。

|

2016年10月 2日 (日)

BABYMETALのコルセットをGetだぜ

【第8話】

ゲート41に上る階段はがらがら
ここで怪我でもしたら、BABYMETALを見損なってしまう。
雨の中を歩いて来た人達の靴で濡れただんだんに滑らないよう焦りを押さえて急ぐ。

手荷物のクチをあらかじめ開けて「手荷物検査場」を通過。
チケットを提示すると、係員がバーコードリーダーでスキャン。
瞬時に感熱プリンターから長さ20cmに及ぶチケットがはき出された。
ここまで並んでいる人はゼロ。
あまりのスムーズさにキツネにつままれた気分(「キツネに包まれた」は誤用)でいると、その先で待ち構えていた女性にコルセットを渡された。

おぉ今日ももらえるのか。
昨日配られたことは知っていたが、二日目は来て見なければわからなかった。

コルセットは交通事故で追突されてむち打ちになった人など、首を傷めた人が首に巻く医療器具。
かつてX-JAPANのYOSIKIが激しいドラム演奏で首を傷め、コルセットを巻いてプレイしたことに因み、ヘドバンを伴うHEAVYMETALライブ参戦では、象徴の品と位置づけられている。


【ヘドバン】
ヘッドバンギング HEAVYMETAL音楽に合わせて、頭を激しく上下に振る動作

【コルセット】
ヘドバンの衝撃から首を守るため、首に巻くバンド。2014年3月の武道館公演でも来場者全員に配られた。



「コンサート」「ライブ」でありがちな「フライヤー」は無し。
友達から頼まれていたWOWOWのチラシはなかった。
この二日間「BABYMETAL WORLD TOUR 2016 FINAL」の模様はWOWOWで放送される。
(僕はその告知でこの公演を知った)
現時点では放送日、放送内容の詳細は明らかにされていないが、BABYMETALファンをWOWOWに取り込むために、この日なんらかのフライヤーが配られるのではないか?というのが友達の読みだった。

【フライヤー】
flyer 音楽イベントの宣伝チラシ クレジットカード会社の郵送物に入れる宣伝物もそう呼ばれる。「チラシ」といえばいいのに、この言葉を知っている人は「フライヤー」を使う。周りは「チラシのことだよなぁ・・」と思いながらも聞くに聞けない。その空気を察しながらも「あぁチラシのことです」とは誰も説明しない。

コンコースで女の子が170円の
紙パック飲料を立ち売りしている。巨人戦では見かけない光景だ。
90分の短期決戦なので水分がなくてもいいかと思っていたが、誰も買う人はなく、すぐに買える状況だったので、お茶を1つ購入。
これは正解だった。
90分とはいえ、運動量が多い。時折給水できることで、よいコンディションを維持できた。
入り口でペットボトルが規制されていたかは、特に気づかなかった。



入場に際して、身分証明書の提示が必要だったのは着席した後にチケットを見て気づいた。
チケットが届いてから、この日まで券面を一度も読まなかったのだ。
従って、提示を求められても免許証など身分を証明するものは何も持ち合わせていなかった。
初日の混雑により、そこが簡略化されたのかどうかは知らないが、無事入場できてよかった。


巨人の「橙魂」でオレンジユニフォームをもらった時は、入場すると同時に頭からかぶるのだが、コルセットはコンコースを見渡しても10人に1人くらいしか付けていない。
そのまま手に持って席へ向かう。

座席は二階スタンド最前列から3列め。
スタンドとしては、まずまずの席ではないだろうか。
台風の余波をしのいできた傘を座席の下に寝かせて着席。

水道橋の駅で降りて、ここまで15分
呆気ないくらい、すいすい来られた。

|

2016年10月 1日 (土)

2016年9月現在、BABYMETALの集客力は11万人

【第7話】

2016年9月20日
枕崎では1時間に115mmの記録的豪雨をもたらした台風16号は、そのまま東進して東京を襲うと予測されていた。
そのまま進めば、ちょうど「BLACK NIGHT」の開催時刻にぶつかってしまう。
どうか、中止にだけはならないでほしい。
そうした55,000人の願いをお天道様(いや、キツネ様)が聞き入れて、台風16号は早い時間帯に温帯低気圧に変わった。
それでも、依然として雨は強い。


初めてBABYMETALをこの目で見る日がやってきた
恐らく「一瞬」に感じるだろう90分が、もうすぐそこに近づいてきてしまった
もっとゆっくり、この一瞬を「みらい」にとっておきたかった。
楽しい時間が「過去」になるのが、今からもう残念でならない。


山手線から中央線に乗り換えると、同じ車両には20歳くらいの女の子が一人だけBABYMETALTシャツを着ていた。
ぼっち参戦だろうか。所在なさそうに体を折りたたんで座っている。


水道橋の駅を降りて、できるだけ雨の直撃を受けないルートを選んで東京ドームへ向かう。ナイター観戦の日ならば、歩道まで行列が伸びているマックは、閉まっているのか?と思うほどひっそりとしている。
夕飯にはまだ早い時間だし、公演はわずか90分だから九時前には終わる。
ここは、腹には何もいれず先を急ぐ。
なぜならば、初日「RED NIGHT」では「水道橋の駅から入場までに1時間程度かかった」というネットの書き込みを見ていたからだ。


チケットに書かれているゲートは「41」
あとで考えてみれば、この時点で「東京ドームの二階席」であることはわかっていたわけだ。
BABYMETALのファンクラブは、Webメンバー制度の「THE ONE」
僕はまだ「ファン」というわけでもなく、物見遊山な一聴衆に過ぎない。
「THE ONE」には入っていないので、チケットはイープラスの先行予約で当選したもの。
第一希望の「9月19日(敬老の日)」が外れ、平日の「9月20日」が当たった。
9月20日のチケットは、直前までイープラスの一般販売で売られていたし、当日は見切れ席が15時から販売された。

二日とも参戦するファンの重複はあるものの、この時点でBABYMETALの集客力は「ほぼ11万人」だったと言えよう。


「二日間のライブは全く異なるセットリストで演奏する」
ということを事前にリークしていれば、コアなファンは「連続参戦」を決めていたはずで、二日めのチケットも早々に完売していたはずだ。
そういう点では「遅れてきたファン」へと裾野を広げることができて、長い目で見ればとてもよかったと思う。


東京ドームが近づくと、そこには傘をさした行列が伸びていた。
ゲートはまだ遠いが、ここから並ばなければならいのか・・
「ゲート41なんですけど、ここに並ぶのですか?」
メガホンでがなっていた係員が一息ついた隙に尋ねると、いえ、それは向こうですと言われた。
結局あれが入場の列なのか、物販の列だったのかはわからない。

|

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »