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2017年7月の31件の記事

2017年7月31日 (月)

東京駅は見えないけど、東京駅にゴールする東京マラソン

レースはいよいよ、行幸通りへ
このレースもあと123mで終わる

オールスポーツから買った「この日の1枚」は、ここで撮られたもの
・全身が映っている
・フォームがまとも
・変な顔をしていない
・他のランナーがかぶっていない
というすべての条件をクリアしたうえで、後方にぼんやりと東京駅が映っている。


「東京駅でゴール」というけれど、ランナーは一度も東京駅を目にしない。
行幸通りでは東京駅を背にしてゴールまでの123mを走るからだ。
従って、ここで撮られた写真には後方に東京駅が映り込む。
ここが、もっとも東京マラソンらしい撮影スポットと言えるだろう。

今回初めて大会ロゴも入れてもらった。
これまでは「いかにも」な感じがして敬遠してきたが、入れてみると悪くない。
「TOKYO 2017」といつのレースかが一目瞭然なのがいい。


いい写真が撮れたのは、比較的空いているコース右側を選んだことが功を奏した。
まだ、諦めていなかったのである。
スピードを落とすことなく123mをラストスパートしてゴールの電子音を聞いた。


ラスト1kmを「全力疾走」したわけだが、本日のベストラップからは20秒遅い。
疲れている時に脳が認識している「全力」は、実際のところあまりタイムは出ていない。
それでも、最終盤までよく頑張った
この日初めて、自分を褒めてやりたいと思った。



ゴールして歩き始める
ストライドは通常の半分。
それ以上に広げると、着地で激痛が走る
こんなに足が痛くて、よく走っていたものだと感心する

荷物受取の会場は日比谷公園
皇居のお堀沿いのウォーキング
どこかのウォーキングクラブの月例会ならば、なかなかの名コースなのだが、今日はそんな気分じゃない

日比谷通りの片側を使ったランナーの導線は「ご褒美ロード」と化している。
両脇のボランティアが、次々にモノを手渡してくる

ポカリスェット
クリスタルガイザー(水)
カロリーメイト
ランチパック
フィニッシャータオル
断熱ジャケット
完走メダル
バナナ

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2017年7月30日 (日)

東京マラソン 856mのビクトリーロードを無駄にする

こりゃ、ムリだな
答えはわかっていた
だが、諦めきれない
受け入れられない
何か奇跡でも起こる?
いやそんな訳ない

でも、なにかの間違いかも知れない
ダメだとわかったからと言って、ここでへらへら笑って走りたくはない
ここまで「いいレース」だったことが、台無しになる

とりま、できることを。
残り1kmから、再点火してダッシュした

しかし道幅は狭く、大団円に酔っているランナーの足並みは鈍い
またしても空いていたのは、コースの左端
排水のため傾斜がついており、足をくじくリスクもある
だが、そこを往くしかない

沿道の応援は耳に届かない
人々の顔に輪郭がない
まるで、観衆の書き割りに挟まれた道路を走っている

もちろん、ハイタッチしている場合じゃない
ずっと楽しみにしていた「ビクトリーロード」は台無しになった

わずか856mのビクトリーロードはとても長く感じられた。
恐らく、ここを楽しんで走れたら、あっという間なのだろう。
概ね満足だった「東京マラソン新コース」で、唯一ここに悔いが残った。

あのビルの向こうが「行幸通り」か?
そう思ってそこまでいくと、まだ「丸の内中通り」がつづく
ゆずではないが「どんだけ長いねん」と突っ込みたい


最後のエネルギーも潰えようかという頃、ようやく人の流れが見通せなくなり行幸通りが見えてきた。

ビームスの前で42km
あと195m
時計を確認する暇はない

行幸通りは道路の真ん中に幅広い舗道があり、いつもはポールとチェーンでクルマが侵入しないよう規制している。
この日はそれらの設備を取り払い、ランナーが行幸通りの舗道に突入する。

交差点を左折すると行幸通り
そこからゴールまでは123m
ゴールは「日比谷通り」の「和田倉門」交差点上に設けられている。

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2017年7月29日 (土)

写真週刊誌の雄、総合週刊誌の復権を宣言

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Emma」1985年6月25日
文藝春秋 250円

2017年の今「週刊文春」といえば、有名人は泣く子も黙る「文春砲」として週刊誌の王座に君臨している。
しかし、当時は総合週刊誌「冬の時代」
唯一、好調だったのは「女性のカラー写真^^;)」を多様した光文社「週刊宝石」
(1981年創刊→2001年休刊)
各社の総合誌は、写真週刊誌に押されて青息吐息だった。


そこで「週刊文春」擁する文藝春秋が創刊した「写真週刊誌」が「エンマ」である。
といっても「薄い」写真だけのものではなく「文字情報」も十分。
A4変形152ページは、ちょっと薄くて大きい「総合週刊誌」といえた。

表紙はモノクロの沢口靖子が誰かに流し目を送っている。

当時、この創刊号に掲載されたある写真にとても衝撃を受けた。
一度見たら、しばらく忘れられなかった。
しかし、そのことを誰にも言えない。
そして、今ここでも書けない。




「週刊テーミス」1989年6月28日
テーミス 230円

当時は各社から「写真週刊誌」が出そろい終えていた時期。
「写真」を多用しながら、記事のScoop性で勝負する週刊誌がテーミスだった。
創刊号には「ブッシュ大統領」「宇野宗佑(当時総理大臣)」「田中角栄」「安倍晋太郎」らの記事が並ぶ。

テーミスを立ち上げた編集長は、かつて「週刊現代」の編集長を務め「FRIday」を立ち上げた伊藤寿男。
「たけし軍団」の殴り込みに対峙した編集長だ。
伊藤は巻末のことばで「総合週刊誌」「文字情報」の復権を宣言している。


テーミスは2年後の1991年7月17日、通巻100号を最後に休刊(そのまま廃刊)となった。
価格は創刊後より20円アップの250円。
創刊号は写真週刊誌然とした「薄く」「写真が多い」ものだったが、100号は紙質を落とし、写真を減らし、いわゆる「総合週刊誌」に変貌していた。
事実上の最終号に「休刊の挨拶」はなく、それは突然の終焉だった。

その後、雑誌は「出版不況」で右肩下がり。
だが、2017年の今「文春砲」ということばが定着し「総合週刊誌」が息を吹き返している。

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2017年7月28日 (金)

勘違いで目標達成を逃す

ゴールの「行幸通り」に続く直線「丸の内中通り」は856m
僕らは、この856mのためにおよそ「42km」を走って来た
なんとドラマチックな設定だろう

はい、そこ違いませんか?
42.195Kmから856mを引いたら「41.339km」じゃないんでしょうか?

いやいや、それが違うんですよ・・

ゴールの「行幸通り」を間近に控えた僕は、僥倖の極致を味わうはずの場所で、奈落に落ちた。


「丸の内中通り」にはいるとすぐに「あと1km」の看板が出る。
そこで、初めて「トータルタイム」を確認すると、目標のネットタイムまであと5分しかない。

え゛なんで?
さっきまで5分くらい貯金があったよね?

答えはすぐにわかった
ランナーはコースの距離よりも多めに走っているのだ。
マラソンの公式距離は、自転車でコースの最短距離を計測する。
もしも距離が不足していた場合、記録は公認されないため、計測は慎重に行われる。

かつて「第1回横浜マラソン」では距離不足があった。
「横浜マラソン」はコース中に高速道路を含む。
日頃、自転車は高速道路に上がれないため、レース直前まで公式計測ができなかったのである。

東京マラソンは、一般公道のみのレース
事前に「42.195km」を満たしていることが確認されている。
「あと1km」の表示も正確なもの。

しかし、走っている方が正確ではない。
エイドに立ち寄るためにコースを斜めに走る
交差点や折り返しでオーバーランする
(中にはレース中、トイレに行く人もいる)

一方、GPSはほぼ正確
走った距離を的確に捕捉している。
ここ数年使っていた「miCoach SMART RUN」は、距離が実際より多めに計測される難点があったが、今年から戻した「ガーミンForeAthlete」には一日の長があり、計測距離は信頼できるもの。

従って「ゴールタイム予測」アプリは正確に「42.195km」地点への到達時間を表示している。
ところが僕は「あと1km」にさしかかった時点で、既に42kmを走り終えていたのだ。

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2017年7月27日 (木)

マラソン応援 ハイタッチ講座

ペニンシュラ東京の前で待っていた沿道の皆さん
僕が手を挙げると、すぐに察して左手を構える

「いぇい」「いぇい」
何がいぇいだかよくわからないが、とりあえずハイタッチだ
三番めに「いぇい」のおじさんが、どーんとタッチを押してきた。


ここで、皆さんの後学のために書いておきますが・・
沿道の皆さんは、ハイタッチを押してはいけません
選手が怪我します

沿道の皆さんは静止していますが、ランナーは走っています。
そこでハイタッチを押し込まれると、肩を後方に持って行かれるのです。
ペースが乱れるだけでなく、脱臼の恐れもあり、危険ですからやめましょう。

東京ドームの勝ち試合後、巨人の選手がエキサイトシートの観客にハイタッチする映像が流れます。
あれを見ていると、たいていの選手は利き腕ではない方でハイタッチしています。
仕方なく利き腕を使う場合、内心びびっているのがブラウン管(液晶か)越しにわかります。

幸い、観客は手をゆるやかに構えているだけ。
ハイタッチを押し込むような人はいない様子。
恐らく、球場係員が「ハイタッチの時は、手を動かさないでください。間違っても押し込まないでください。選手生命が絶たれる恐れがあります」と脅しているのでしょう。

箱根駅伝や東京マラソンの沿道では、警官や警備員が「コース上に出ないでください」と注意していますが「ハイタッチを押し込まないでください」とは言いません。
次回、応援にお越しの際はよろしくお願い申しあげます。
以上「マラソン応援講座」でした。
さて、話しはコースに戻ります。



ザ・ペニンシュラ東京を過ぎて左折
「丸の内中通り」へ
いよいよ、ここが東京マラソンのクライマックスだ。
実際に走ってみて、それを痛感した。
これまでに走った12度(9大会)のどの区間よりも、ここを走る価値がある。

直線856mの目抜き通り
普段は一方通行(1車線)のため、道幅が狭い
その両脇に三重、四重の人垣が連なる
まさに「ビクトリーロード」
世界中のどのマラソンにも、これ以上のビクトリーロードはないと思う。

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2017年7月26日 (水)

41km日比谷 初めてコース上でデコと会う

40→41km
40kmの計測エリアを過ぎるとすぐ40km給水所
ここが、今日最後のエイド
あと2kmだから、もう水はいいか・・
と思ったが、わりかし空いていたので、コップをかっさらいひと口喉を潤す


ここで、前方にFCバルセロナのユニフォームを着たランナーを視界にとらえた。
2年ほど濃厚にファンをやっていたので、ブラウグラナの縦縞をみると、即座に脳がユニフォーム分析に入る。

ナンバー「20」「DECO」デコだ!
ナンバーが「金」であるところをみると2015-16シーズンの1st

※フットボールクラブはビッグタイトル獲得の翌シーズン、金色のナンバーをマーキングして1シーズンを戦う。バルサは2014-15シーズン「リーガ」「UEFA CL」のニ冠を制覇している。

僕はあれと同じユニフォームに、デコのサインをもらった。
(2016年12月、CWCで来日した際、宿泊ホテルにて)
マラソンでは一度だけ「湘南国際」で着て走ったことがあるが、それが生涯唯一の「関門で止められたレース」となった縁起の悪い1枚だ。

そんなことが3秒で脳裏をよぎったが、今はレース中。
そんな昔話を妄想している場合ではない。


マラソンを始めて12年、コース上でデコユニのランナーと出会ったのは初めてだ。
デコが引退してはや3年6ヶ月
彼にも一方ならぬ、デコへの思い入れがあるのだろう。

ランナーは日比谷の右折に備えて、右斜めに走っている。
右側から追い抜きざま「デコ同じですね」と短く声をかける。
しばらく雑談でもしたいところだが、ゴールはすぐそこ。

別に彼と競争しているわけではないのだが、僕はなぜかここでスパートした^^;)

目標クリアが確実になり気が緩んでいたが、いざスピードを上げてみると案外いける。
まだ余力があったのか
よし、ここは持てる余力を残さぬよう、先を急ごう。


41km地点の先に日比谷公園の交差点が迫ってきた。
あの角を曲がるといよいよクライマックス

すずなりの観客
今日一番の人口密度だ

そんな皆さんに、アマチュアスポーツ観戦のネタ話を提供しようと、沿道に一番近いコースをとり、左手を挙げる

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2017年7月25日 (火)

うんこ漢字ドリルに触発されうんこをまとめる

日本では、人前で堂々とうんこを口にできる時代が来た。
(食べるのではない)

うんこ解禁
せっかくなので、これまでこっそりと作っておいたうんこ記事をまとめておこう。

以前、うんこのことは「便」と言わなければならなかったが「うんこ漢字ドリル」が出た今、堂々とうんこと書くことができる。



うんこ(食べもののカス)が排泄されるのは、食べてから24~72時間。
前の晩に食べたものが、朝にはもう出ているということはない。

成人はおよそ3~4キロのうんこを体内に貯めている。
便秘の人だと5~6キロ。
従って「宿便」は最大2キロ以内ということになる。


宿便(fecal impaction)は誰もがその言葉を知っている割には、身の回りに見た人がいない不思議なうんこ。


「宿便」について書いてある本によると、宿便の定義は次の通り。
大腸にとどまったままのうんこ。
大腸の壁にこびりついた食べ物のカス。
水分が大腸まで行き届かず、うんこが固くなると起こる。


体内に2キロもあるのならば、出しておきたいと思い「宿便が出る」と謳っている「薬草」や「お茶」を試したことがある。

確かに「養麗健茶」というお茶の場合、初めて飲んだ時には、写真に撮りたくなるような壮絶な量が出て感動したが、いわゆる「真っ黒」な宿便とは違った。



大腸に届いた消化物のカスがうんことなって排泄される。
食べる量が少ないと小腸までで吸収されてしまうのでうんこは出ない。

うんこが出なくなる症状を「便秘」という。

ストレスで大腸が鈍くなっている時、うんこが出づらくなる。
早く出そうと思って「ウォシュレット浣腸」ばかりしていると、直腸を鈍感にしてしまいうんこが出ない一因となる。


過去十数年の中で、便秘になった時期があり、いろいろと便秘解消策を試した。
その中で有効なものは以下の2つである。

・ヨーグルト「R-1」を毎日1本飲む
・朝決まった時間帯になったら、便意はなくともトイレに入る


うんこの80%は水分。水分を多めにとるほど便通はよくなる。
うんこの匂いは有毒ガス。
積極的に嗅がないほうがよい。

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2017年7月24日 (月)

東京五輪まであと3年


去年の7月24日から毎年7月24日に「東京五輪まであと*年」というタイトルで、折々の五輪archiveをしています。
今回はその第2回。


メイン会場となる新国立競技場は2016年12月11日に着工しました。
こちらは、自分ファーストの都知事に介入されることはありませんでした。
さすがにメイン会場の進捗を妨げたら大変なことですから。

大成建設の山内隆司会長は起工式で「短い工期で国内でも過去に例がない難しいプロジェクトだが、新技術を駆使して工期内に完成させる決意だ」と語りました。
期待しています。
工事に従事するすべての皆さん、がんばってください。
草むしりのボランティア あったら、手伝います(笑)

その後、工事について、メディアはほとんど触れていません。
恐らく来年の今頃には、進捗が報道されることでしょう。



リオ五輪では水泳、陸上、卓球、器械体操には「東京五輪で金」を期待できるホープが登場しました。
あと3年に迫った今、それ以外の競技については見えていません。
それもそのはず。
一般人がスポーツ選手のホープを知るのはメディアが報道してこそです。
概ねそれは「五輪の放送が始まってから」ですから。
さすがに地元開催なので、これから3年、メディアが多くの候補選手を報道してくれるでしょう。


「しらべる」では、過去に金メダルを取ったことがない競技、中でも「女子の卓球」に期待したいと思います。

1年前は「伊藤美誠に期待」と書きましたが、この1年で平野美宇が取って代わりました。
世界に類を見ない「鉄壁のホカバ育成」を敷いている日本卓球には、有望選手が目白押し。
卓球用語集
3年後には今はまだ「卓球王国」でしか見たことのない選手が、五輪の舞台に立っているかも知れません。



去年の今頃「あと4年」を切った直後。
不祥事で退いた舛添要一の後任を決める東京都知事選挙が行われました。
そこで選ばれた都知事は政争のために、過去に決まったことを蒸し返しては結局「元の鞘」ということを繰り返し、五輪準備を遅延させました。

その都知事も東京五輪の直前に任期が切れます。
それがよかったのか、悪かったのか・・
まだ見通せないですね。


去年「メディアは東京五輪の恩恵を受ける割には、五輪をたたくことに熱心なのが不思議」と書きました。
1年が過ぎ、メディアの「東京五輪批判」のトーンが影を潜めつつあります。

・あまりに悲観的過ぎて、ユーザーに顰蹙をかった
・これ以上叩くと、大会主催者との関係にヒビが入る

こういった理由が考えられます。
これからますます、前向きな「五輪礼賛」報道が増えるでしょう。



大会を「支える」スポーツボランティアについて、1年前と同じく明確な動きはありません。
ただ、スポーツボランティア講習会などで「東京五輪をターゲット」にしていることがぼちぼち語られています。
去年の今頃はまだ「禁句」でしたから。

去年の段階で、東京都は「募集は2018年から」と言っていたので、来年の今頃には要項が出るか、募集が始まっているかも知れません。


大会を「見る」については何も動きはありません。
いわゆるチケット争奪戦は2019年からでしょうね。

来年の今日につづく

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2017年7月23日 (日)

うんこ漢字ドリルに触発される人たち

日本も堂々と人前でうんこを口にできる時代が来た。
いや食べるのではない
世界中をみてもうんこを堂々と口にできる国は他にないのではないか。
もうこれは文化的先進国だ。

テレビ東京の「WBS」では大江麻理子アナがニュースの生放送で堂々とうんこを口にしている。
食べたのではない

このドリルに言及する時、人は誰でも堂々とうんこを口にできるのだ。
何度もいうが食べるのではない



「日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学*年生」は文響社が2017年3月に発売した漢字ドリル。
すべての設問に「うんこ」が入っている。
教科書で教える漢字を収録しているので、すなわち学習指導要領対応ということになる。
別に学習指導要領で「子ども達に身近なうんこをモチーフにした教材を作りなさい」と言っているのではない。

■対象:小学1~6年生
■学年ごとに1冊、全6冊
■価格:各1,058円


このドリルの存在を初めて知ったのは山手線の車内広告だった。
ひと目見た瞬間「うまいことやったなぁ」と感心した。

小学生用の教材を作っている版元の編集者ならば、誰もが「やられた」とほぞを噛んだはずだ。
噛まなかった編集者がいたとしたら、残業ばかりしてヒット商品の一つも出さない者に違いない。


幼児から小学生は「うんこ」とか「おなら」といった言葉が大好き。

たった今まで仏頂面をしていた子どもに向かって「うんこ!」と叫んだ途端に笑い始める。
幼児の場合、笑いが止まらなくなる。

もし、電車の中で泣きじゃくる子どもに手を焼いているお母さんがいたら、駆け寄って「うんこ!」と叫んだらきっと泣き止む。
「うんこ!うんこ!」と連呼したら大爆笑だ。

子どもは楽しい
お母さん大助かり
乗客にっこり

一躍車内のヒーロー
になるか、次の駅で降ろされるかのどちらかだろう。



●「うんこ」と「おなら」児童教育書籍

2013年10月23日
白泉社がtupera tuperaの「うんこしりとり」発売

2016年4月27日
白泉社がtupera tuperaの「おならしりとり」発売

2017年3月18日
「日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学*年生」6冊同時発売

2017年5月
うんこ先生の顔出しボードがイベントで登場。以後、主要書店の児童書コーナーで見られるようになった



2017年6月7日
「うんこ ノート Dot Grid Notebook: 日本一楽しいノート」発売

2017年7月27日
水王舎が「まいにちおならで漢字ドリル 小学3年生」発売



失礼ながら文響社の名を、うんこ漢字ドリルに際して初めて聞いた。
きっと小回りのきく、風通しのよい版元なのだろう。

大手版元では、編集者が「うんこを例文にした漢字ドリル」の企画書を持って行くと、部長から「今日は帰っていいよ」と言われるだろう。

うんこの1文字を改変したおかしなドリルが出ないことを祈るばかりだ。

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2017年7月22日 (土)

1999年 実態のないベンチャーは淘汰される

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Net Runner」 1999年11月
ソフトバンクパブリッシング 490円

メイン記事は「オンライン資産運用指南」
今でこそ株取引はネットでするのが当たり前だが、当時はその端境期。

記事に紹介されている「主なオンライン証券会社」は「ロード型証券会社」のオンラインサービス(ホームトレードと呼ばれていた)がほとんど。
2017年のいま人気が高い「カブドットコム」「SBI証券」といったところはリストに載っていない。「松井証券」「マネックス証券」が載っている程度だ。

(以下引用)
100万円までの取引ではマネックス証券が破格のディスカウント価格「成行注文一律1000円」を提示している。
(引用おわり)

それ以前は同様取引で11,500円だった手数料が1,000円だから安い。
だが2017年現在は、その2~3割程度。隔世の感がある。

YAHOO!の投資情報サイト「YAHOO!ファイナンス」は2017年で20周年を迎えた。
インターネット創生期は、ネット証券創生期と時を同じくしていたことをこの雑誌で思い出した。



この雑誌には、さまざまなベンチャーによる新しい試みが紹介されている。
当時まだITという言葉はないので「ITベンチャー」という表記はない。

「IT」ということばは1999年冬から流行始めた。
その頃、初対面の「コンピューター技術者」どうしが、アイスブレークとなる話題を探す時「最近、世の中はIT一色ですねぇ」というように使い始めた。

「毎日暑いですねぇ。梅雨はどこへ行ったんですかねぇ」
といった曖昧だが、誰も否定できないお約束。
それを引き合いに出せば、2人は共感しなければならないという強制力を持った言葉「IT」が登場する、少し前にこの雑誌は創刊されている。



1999年当時、次々に立ち上がるネットビジネスをみて僕はこう考えていた。
(当時まだ「しらべる」を始める前で、ネットで何をやるかを模索していた)

実態を持っていないものは残れない

他人のふんどしとふんどしをつないだ(net)しただけの、少年誌の広告に載っている「アイデア商品」のようなサービスは魅力的だが、いずれその実態を持つ企業(すなわち大手)に取って代わられる。

だが、ベンチャーは実態をもっていない。
だから「アイデア商品」を作るしかない。
ということは、いずれ淘汰されるということだ。


すべての企業が「IT化」にめざめた2000年代。
「AI」「ICT」「IoT」と新しいキーワードが生まれる度に、大手が初めから食いついてくる2010年代。
そんな時代だからこそ、ベンチャーは「実態のあるもの」を追究するようになっている。
そのひとつが「農業」であり「家電」である。

いまだに「アイデア商品を」を追っているベンチャーは旧い。

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2017年7月21日 (金)

東京マラソンの仮装大賞はピコ太郎か

日本陸連主催の東京マラソンや長野マラソンでは、仮装が禁止されている。
だが、もしもこの大会に「仮装大賞」があれば、恐らく目の前にいる彼はその有力候補だろう。

左手にリンゴ、右手にはペンを持っている。
衣装もキンキラキンの「彼」そのもの。
ランナー同士は同じ向きで走っているので、顔が似ているかはわからない。

ピコ太郎~

沿道から声がかかると、彼は立ち止まり、リンゴにペンを刺してみせる。
沿道は大喝采

ご苦労なことだ
根っからのエンターテイナーでもないと、42.195kmを走りながら、あそこまでできない。
流行が移り変われば、彼はまた新たなコスプレでレースに参戦するのだろう。

僕はここで彼を置き去りにして行くが、ここまではずっと僕の前を走っていたということだ。
あの暑苦しい格好でも、そこそこのペースで走る。
沿道から声が飛べば、涼しい顔で応えて一芸見せる。
彼こそ「一流の仮装ランナー」である。



ちなみに、本日この私も一応、くまモンのキャップをかぶり「プチ仮装」のつもりである。
その成果はというと「くまモ~ン」と声をかかったのは20回。
内訳は女性14、男性6
(数字はイメージです^^;)
いつものキャップ(asics XTC145)をかぶっていたとしたら、沿道の声援は(応援に来てくれた友達の)1回だけだ。
仮装強し!
くまモン最高
被ってよかったくまモンキャップ

すっかり味をしめてしまった



38→39km
この区間はエイドがあり、-15秒
観客が多い
東京タワー帰り?
あるいは増上寺の観光客だろうか


39→40km
この区間はエイドなしで、ラップは最速に近いペースを取り戻す。

目標クリアはまちがいないな

そう独りごちている
日比谷からの南行きをよくもちこたえた。
37kmの「スパート動議」からのペースアップで、貯金もできただろう。

残りは「楽しんで」いこうか
少し気が緩んできている

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2017年7月20日 (木)

37km 異変が起きた

泉岳寺で折り返すと、残りあと6.195km
難関と目してきた「富岡参り」をしのぎ
「銀座」はいまひとつ盛り上がらず
「日比谷」でやる気を失いかけ
それでも、思い直してなんとかここまできた。


37km過ぎ
ここで異変が起きた

「行っちゃっていいですか?」
脳による「スパート動議」である。

「スパート動議」の定義は以下の通り。
・体力が残っている
・残り距離が少ない
という状況で、体力を温存せず全力を注ぎ込む提案。
体力が残っていないのに、スパートせざるを得ない状況は該当しない。
(これが、いつものパターン)

マラソンを始めてから12年12レースめだが、このスパート動議は滅多にない。
2010年の「長野マラソン」以来、これが2度めだ。


終盤のコースは「過労」の皆さんがコースを塞いでいて、それを抜いてくポイントが少ない。
コースの左側、つまり観客の目の前に一筋のすき間があった。
進路を見つけると、僕は一気に加速した。

次々に先行する人々を抜いていく。
まるでテレビのマラソン中継で「バイク」が前のグループまで一気に加速する映像を見ているかのようだ。

スピード差があるため、1人1人の特徴を確認することもない。

ちなみに、ゆっくり走っている時は、装備やフォームなどをチェックしている。
「ウェストポーチは前に付けたら、走りやすいのに」
「よく、そんなフォームで走れるなぁ」
といった具合だ。


東京マラソンは氏名で検索すると、ランナーのラップタイムをしらべることができる。
あとで確認すると、ちょうどこの頃、知り合いを追い抜いていたが、気づかなかった。

知り合いは初マラソン。
僕よりも1時間くらい速いタイムを目標に掲げていたが、最初の5kmを高速でつっこみ、最後の5kmはその2倍かかっていた。
典型的な素人の走り方だ。
(ということは、本人には言っていない)


37→38km
この1kmのラップは直前のそれより「-40秒」
この日のベストラップとなった。
(この1km区間にはエイドはない)

過去11回走ったマラソンで、ベストラップが最も遅い区間だったのは「長野マラソン2010」の27→28km。
今回はそれを大幅に更新した。

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2017年7月19日 (水)

35kmの壁なんかない!快調に泉岳寺折り返し

33km
日比谷で一旦投げかけたものの、やる気を取り戻し、このラップもなんとか持ちこたえている。
日比谷通りに別れを告げ、右折して第一京浜へ。
品川から向かい風が吹いてきた。

今が向かい風ということは、ここを耐えれば折り返しの後は追い風だ。
ラストスパートが追い風の方が助かる!
すぐに前向きな考えが脳に起きる。
ということは、まだまだ頑張れるということだ。


33km地点の給水所で手間取り、次のラップタイムは20秒落ちた。
あとでラップタイムを見れば「だったら、エイドに寄らなきゃいいじゃん」と思う。
だが、実際に走っていると気温が上がっている状況下のラスト10kmでエイドをパスするのは怖い。


35km
このラップは直前より20秒改善
つまりガチガチのイーブンで走れている。
「ゴールタイム予測」アプリに切り替えて確認。
このままいけば、目標タイムの範囲内だ。

今日の僕に「35kmの壁」はない。
それは、他人からそう言われ、それを盲信した人にだけある。
ただ、30kmの壁はあったけどね・・


品川の折り返し地点に来た。
思いのほか早い。
足に負担をかけないよう、できるだけ大きく回る。
「折り返し点」のポール周辺は、少しでも距離をロスしたくない人でごった返している。
「足踏まれるんじゃないか恐怖症」なので、とてもあの渋滞の中は走れない。


あれ少し向かい風だ・・
風向き変わったのか

折り返せば追い風と思っていたのに、向かい風に少しがっかりする。
だが、この風は第一京浜から再び日比谷通りに戻る頃には止んでいた。


折り返してすぐが36km
エイドに寄ったが、ラップタイムは-8秒に留まった。
なぜかはわからない。
そのエイドのリーダーが特別、うまくハンドリングしていたのかも知れない。

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2017年7月18日 (火)

中島らもがバーでウーロン茶を飲んでいる

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Touch」1986年11月4日
小学館 150円
週刊
当時「FF」と呼ばれていたFocus、FDIDAYの写真週刊誌ブームに後発で参戦した雑誌のひとつ。

表紙に記載されたメイン記事
・松田聖子の赤ちゃん。正輝の「抱っこ」
・浩宮さまがあこがれの「女性」柏原芳恵とご対面

神田正輝が抱っこしているのは沙也加で、母の松田聖子は「私のオッパイを強く吸ってくれるとき、母親の実感がわきます」とコメントしている。

ほかには森田健作(現千葉県知事)の結婚式などが掲載されており、雑誌が比較的穏健な方法でも書店に棚を確保できた平穏な時代を象徴している。



「週刊アスキー」1997年6月2日
アスキー 350円

メイン特集は「弱者のためのインターネット」
1997年は日本でインターネットが一斉に普及した年。
ブラウザー「モザイク」でごく一部のユーザーが使い始めた1995年、インターネットを扱うのは「インターネットマガジン」のような専門誌だけだった。
1997年は一般大衆、といっても先駆者的な層が「インターネットってどんなもの?」という関心を寄せ始めていた。

中島らも(1952-2004 当時45歳)が深夜のバーで収録したインタビューで、ウーロン茶を飲んでいるのが心に刺さった。


中島らも
音楽、演劇もこなす作家。うつ病、躁病に詳しい。故人

1952年
兵庫県尼崎市生まれ

1992年
「今夜、すべてのバーで」で吉川英治文学新人賞受賞

1994年
「ガダラの豚」で日本推理作家協会賞長編部門受賞

2002年
10月、自らのうつ病、躁病の経験を書いたエッセイ「心が雨漏りする日には」青春出版社 発表

2004年
7月26日、階段で転落し脳挫傷、外傷性脳内血腫により逝去 享年52歳
8月、光文社文庫「蒐集家」に遺作「DECO-CHIN」が収録された


「心が雨漏りする日には」では、生まれ変わるなら飼い猫になりたい。
飼い猫のようになんの心配もなく無防備に生きたい・・と書いていた。

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2017年7月17日 (月)

ホタル少年団に入れなかった(後編)

話しがアンモナイトに逸れてしまった。
「ホタル少年団」の話しに戻そう。


別に「ホタル・ラブ」(なんか怪しい)な少年ではなかったし、蚊に刺されながら掃除なんてしたくない。
それでも、その秘密結社(ではない)に入りたかった。
非日常な世界に憧れたからだ。
それに「選ばれし勇者たち」みたいで、かっこよかった
(ヨシヒコか)


だが、僕は「ホタル少年団」に入れなかった。
「ファーストミットを買って欲しい」と言って、その熱き思いと意義を母に訴えた時のような記憶がないので、その理由は家族の反対ではないと思う。

恐らく「小学5.6年生」と「中学生」といった年齢制限があったのだろう。



「ホタル少年団」に入れなかった僕は、年に一度の「ホタル祭り」で夜の1人歩きを経験する。
町の名士や衆議院議員が挨拶した後は「誰やそれ?」と容赦なく突っ込まれそうな、テレビでは見たことのない演歌歌手が、誰もが知っている森進一の歌を歌う。
(半分、想像です^^;)


井上陽水のご両親とは違って
「これで、好きなものでも食べておいで」
と臨時のおこずかいを持たせてくれるような親ではなかったので、喧噪を見て聞いて楽しめばそれが贅沢。
少年団の連中は、その任務へと向かい、僕は1人家に帰るだけ。
ほんの少しだけ、何かやり残したような気持ちになって、再び2kmの家路についた。


事件はそこで起きる。
歩き初めて1kmが過ぎると、住戸も途絶え、田んぼに挟まれた県道の一本道。
ふと気づくと、10mほど後方に怪しい人影。

一度振り返り、チラ見すると年配のおじさんの様子
だが、怖くてガン見できない。
ひたひたと一定の距離を保ち、僕の後ろを着いてくる。

日頃、経験のない夜のひとり道
街灯もなく、滅多に車も通らず、あたりは真っ暗
世の中にまだ「誘拐」という犯罪が割に合わないと知れ渡る前の時代。
つい最近も、児童が誘拐された事件をテレビで言っていた。


僕は生涯の中でなんどか、意味不明な行動を取っている


狙われたぁ
それやから狙われたやないね~

突然、大声を上げると、泣きながら一目散に走り出した。
当時、GPSを持っていたら「1km5分台」くらいのペースだったと思う。

おじさんは着いてこなかった
後日、近所のおじさんが「突然、走り出して驚いた。怖い思いをさせたかも知れない。悪いことをした」と詫びてきたのを母から聞いた。


いったい「狙われた」ことを誰のせいにしたかったのか、未だによくわからない。
その日、泣きじゃくりながら帰宅した僕を迎えた母が、なんと言ってなだめたのか。
もう尋ねることができない。

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2017年7月16日 (日)

ホタル少年団に入れなかった(中編)

しつけが厳しい家に育った僕は(と言ってもこれが標準だと思うが)夕方の5時までには帰宅しなければならなかった。
その町には書道や珠算、絵画教室もあったが、学習塾はなかった。
従って、塾に行くために夕方から外出するような子どもは居ない。

近所の仲間と野球をやって、5時になったら家に帰る。
「僕はどうして親が決めたルールに従うのだろう」
と、疑念を感じたことはなかった。

それが、年に一度「ほたる祭り」の日に限り、夜間外出が許される。
盆地の町には似つかわしくない「越境入学」をしていた僕は、川を越えた隣り町からお祭り会場の広場までの2kmを歩いて会場に向かった。



越境で通っていた小学校には「ホタル少年団」という組織があった。
夏が近づき、ホタル・シーズン前になると、その秘密結社は結成される。
というのは嘘で、学校で公募される。

全校集会で「今年もホタル少年団を結成します。希望者は担任の先生に申し出るように」
といったふうに周知される。

その任務はというと、実はよく知らない。
(入ってないので)
ただ、仄聞によれば、ホタルの生態を観察したり、ホタルが生息する川べりを掃除していたようだ。



このホタルが現れる川は、今でもゲンジボタルが生息することで有名だ。
「町の南側を流れている」と先に書いたが、その後、川を渡った南側に「道の駅」などが整備されたため、今では町の真ん中を流れていることになる。

その川が右に90度曲がったところで、隣り町との境。
僕はその境の外、土手のそばに住んでいた。
川が曲がるということは、大雨の時には土手が切れる恐れがある。
僕が住んでいた場所は、昔はよく水につかったと聞いた。

だから、大雨が降って水面が上がると怖かった。
一度だけ、水面が土手の際まで上がった時などは、生きた心地がしなかった。


そして、その川を受け止める土手で僕はよくアンモナイトの化石を拾った。
掘るのではない。拾うのである。
川べりの土手には、よくアンモナイトが転がっていた。
一度に全部拾い尽くしたと思っていても、数日後にはまた落ちている。

誰かがアンモナイトを撒いているとは思えないし、不思議だったが、見つける度に拾って帰り、秘密基地に埋めているせんぺいの缶缶(山口ではこう言う)にため込んでいた。

大人になって、ふと気づいた時にはその缶缶は持っていなかったので、きっとアンモナイトに飽きて、どこかに捨てたのだろう。

数年後、佐世保玉屋で開かれていた化石展でその場所で出土(拾っただけだと思う)したというアンモナイトが展示されていた。

つづく

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2017年7月15日 (土)

ホタル少年団に入れなかった(前編)

年配の人は、夏がくれば思い出すのは遙かな尾瀬らしいが
僕は夏がくれば「ホタル少年団」に入れなかったことを思い出す。

現在「ホタル少年団」をGoogle先生に尋ねると、茨城県の小学校を教えてくれるが、そこではないっぺ。
(奥茨城村弁)


こどもの頃、住んでいた山口県の盆地の町はホタルで有名だった
ホタルしか有名ではなかった
平成の大合併で「町」が消滅した今もそれは変わらない。

今も年に一度「るるぶ山口」で確認するのだが、その町について掲載されている情報は「道の駅」とホタル博物館(そんな名前だったと思う)だ。

昔から田んぼはたくさんあったが、当時は「農産物のブランド化」という概念はなかった。
養蚕とか織物とか、あるいは木工品といった特色のある産業もない。
社会科見学で訪れたのは「北九州工業地帯」だった。
「若戸大橋」に上れて嬉しかった記憶しかない。
(なぜか、吊り橋が大好きだった)


今でこそ「るるぶ」に載るような観光施設があるが、昔はそれもなかった。
「たった2つ」という言い方もできるが、2つも載っているという見方もある。
「るるぶ」に載っているのは、旅で行きたい「観光スポット」
そのスポットが一つもなくて「るるぶ」に何も情報が載っていない町や村は、日本じゅうにたくさんあるのだ。



その町の南側を流れる川には夏になるとホタルが現れた。
と言っても「よい子は5時を過ぎては遊んではいけません」という町なので(世の中もそうだったと思う)ホタルを目撃する機会はほとんどなかった。

それが年に一度、ホタルを目撃できる日が訪れる。
「ほたる祭り」だ。


町の中心にあるスーパーマーケットのとなりに広場があり(日頃は空き地だったと思う)そこに特設ステージをつくって、祭りは行われる。
広場には「ヨーヨー釣り」や「金魚すくい」といった夜店も並ぶ。

特に花火が上がるわけではない
(たぶん町にはそんな予算がなかったのだと思う)
司会者が町の名士を紹介して、挨拶する。
つづいて「衆議院議員」だという来賓の先生が挨拶する。


総選挙のポスターで見て、その顔は知っていたので「有名人を見た」ことが嬉しかった。
なにせ、その町で有名人など見たことがない。
芸能人が押しかけ、ポラロイド写真にサインするような超能力者が経営する四次元パーラーはないし、ここでしか食べられないような★★★(星みっつ)のグルメ店もない(たぶん)

僕はこの町に10年ほど住んでいたが、ここで見た有名人はこの議員だけだ。
(名前は克明に覚えているが割愛)

つづく

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2017年7月14日 (金)

泉岳寺参り 突然やる気がなくなった

片側4車線はあるだろうか。
道幅が広い
ランナーはまばら

あぁ今から泉岳寺まで行かなきゃならんのか・・
旧コースは田町あたりまで行けばよかったが、新コースは泉岳寺まで行かなければならない。その片道5km


折り返しコースの往路はきつい
今居るこの場所に再び帰ってくるために、長い距離を走らなければならないという状況は、動機付けが難しいのだ。

急にやる気がなくなってきた
「銀座ロス」か?
賑わいの銀座が終わり、東京駅ゴールというクライマックスまで、10kmに渡って楽しみがない。

足が止まり始める
まぁいいじゃない、ほどほどで


31km
前方をくまモンが走っている。
いや、くまモンの着ぐるみは売っていないので「くまモンなりきり帽子」とフリース着ぐるみを着た兄ちゃんだ。

くまモン!頑張れ
沿道から声がかかると、彼と僕のどっちが応援されているのかわからない。
(たぶん彼のほうだ)


手元のリアルタイムペースを見る。
特にペースは落ちていない
なんだ、悪くないじゃん
そうだ、やさぐれてる場合じゃないぞ

急にやる気が戻って来た。
とにかく、ここで借金を積みますのはダメだ。
目標タイム達成につなげるために、なんとかしのいでいこう。
気合いが入るとラップは一気に10秒上がった。


32km
都営三田線「御成門」の駅を過ぎると、右手に東京タワーが見えてくる。
2009年に走った時は、デジカメを取りだして写真を撮った。
でもその写真をあとで見た記憶がない。
その時、ここは10km過ぎの序盤戦。
そばを走っていた松村邦洋が倒れるというアクシデントがあった。

ここもオールスポーツの写真が多かったが、どれも333mのタワーてっぺんまで入れる画角にこだわり、僕の身長は2Lサイズの1/3程度。
そういう記念写真を希望している人もいるのだろうが、僕は違う。
買う写真は、自分の大きさが2Lサイズの7/10は欲しい。

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2017年7月13日 (木)

東京マラソン 銀座が盛り上がりに欠ける理由

銀座でばっちりの1枚が撮れたと確信した瞬間は2度。
ところが、後日、できあがった(公開された)写真の中には、これという1枚がなかった。銀座エリアの写真は5枚あったのだが、どれも僕の姿が小さい。

どの写真も、東京マラソンの名所を意識してか被写界深度を深くとり、ランナーが埋没している。
「信号の表記が読める」程度のピントにしたため、肝心のランナーがのっぺらぼうになっているのだ。
一枚だけ大きく映っていたが、腰から上のみのショット。
マラソンで買う写真は、そのレースの記録写真でもあるので、履いている靴まできちんと収まっていなければならない。



「日本橋」→「銀座四丁目」のおよそ1.5kmが、東京マラソンにおける「銀座パレード」
ただ、心なしか盛り上がりに欠ける気がした。
その理由は何だろうか。

カラダがきつかったわけではない。
ラップタイムは10秒程度上がっている。
これは、銀座でいいところを見せようという邪心からだ。

沿道の応援が少ないのだろうか。
確かにオールスポーツの写真で見ても「途切れない応援」が定評の東京マラソンにしては、応援が「途切れている」所が散見される。
声援もおとなしい。


ただ、思い起こせば2009年大会でも日本橋から銀座四丁目は割と静かだった。
一方、銀座四丁目を左折して歌舞伎座の前から築地にかけての応援は熱かった。
その町や通りに拠ってお出かけの客層が違い、それが応援にも反映しているのだろう。


新コースは「銀座四丁目」信号を「右折」
あぁ、もう銀座が終わってしまった・・
といいつつ、交差点を直角に曲がると、ついスピードを出してしまう悪い癖が出た。
「曲がり角心理学」の専門ではないが、曲がり角には人を狂わせる魔物が潜んでいると思う。


右折してすぐ30km
東海道新幹線のガードをくぐる。
2009年3月のレースでここをくぐった時は、ちょうど頭の上を500系が上京してきた。
2010年2月末で東海道新幹線から引退した500系は、現在8両編成に改修されて、特殊仕様の列車にも使われながら、山陽新幹線で余生を送っている。


その先は「日比谷」交差点
ここから泉岳寺まで行って折り返し、またここに戻って来て、クライマックスの東京駅行幸通りゴール。
左折して品川をめざす道が始まる。

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2017年7月12日 (水)

「バーチャルパートナー」と「ゴールタイム予測」を確認

「浜町中ノ橋」交差点を右折
いよいよ、最大のお楽しみ「銀座」かと思ったらまだ違う。
銀座を待ち焦がれて走るこの区間、少しずつ心に落胆の雪が積もる。

交差点を曲がりしばらくしてモスバーガー前が「27km」
「my壁」の27kmを迎えたこの時、どんな心理状態だったかというと・・・
これから銀座を走る期待感で「27km」のことはすっかり忘れていた。
よく言えば、目の前の走りに集中できていたということである。


27.7kmあたりで日本橋を渡る。
といっても上を首都高6号線が覆っているので、日本橋をくぐると言った方がニュアンスが近い。
「茅場町一丁目」の交差点を右折した先が28km。


ここでガーミンForeAthlete 735XTJ」の画面をバーチャルパートナーに切り替える。
設定したペースに対して若干、遅れている。
だが、終盤に「ランナーズハイ」がやってくれば、十分挽回できる範囲だ。


つづいてもう一画面フリックして「ゴールタイム予測」を確認。
目標タイムよりも30分ほど速い。
このアプリ仕様は「現在のペースを維持した場合のゴールタイム」を算出しているのであり、あくまで参考。
実際にそのタイムでゴールできるかは眉唾だ。

しかし、さほど悪い状況ではないようだ。
調子がいい時というのは、このように「だいたいこんな感じ」で走ることが多い。


均一のペースを守って28kmを通過。
本日の10km地点だった「日本橋」交差点に戻って来た。
ここを左折すると、永代通りに別れを告げ、そこは憧れの町「銀座」
といっても銀座に来たのは、2009年の東京マラソンで走って以来だ。
潤沢な資金を持って衝動買いができる階級でないと、なかなかこの町には足が向かない。

2016年大会までの旧コースでは銀座を2回走るコースだったが、新コースでは1回限り。
従って全車線を使うので、ランナー1人あたりに与えられるスペースが大きく、ゆったりと走ることができる。


俄然、オールスポーツの撮影ポイントが増える。
やはり、東京マラソンの記念には銀座の写真を買い求める人が多いのではないか。
かくいう僕も前回出場の時は、数多くの写真から銀座での1枚を買った。
今回もできれば「銀座の一枚」をと思っている。

撮影ポイントが近づくと、前方と距離をとり「ピン」で撮ってもらえるスペースに潜り込む。
2度ほど「これは決まった」と思える瞬間があった。

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2017年7月11日 (火)

応募に費やす時間が惜しい

応募は止めなければならない


休日の朝起きて、昨晩届いているメールをチェックする。
大手チケット販売会社から「電話番号認証をしないと抽選に参加できないぞ」というメールが届いている。
いざという時に困りそうなので、対応することにする。

しかし、手順がきちんと書いていない。
仕方なく公式ウェブサイトからログインを試みるが、ログインできない。
「ID」「パスワード」が違います。

この手続きに30分



つづいて、たまっていた郵便物から大手クレジット会社のジェミッツはがき(DM)をとり出して開く。
「1,000万円キャッシュバック」
「参加登録:必要」
とある。エントリーするだけでチャンスがあるならば・・
スケベ心が働いて、対応することにする。

しかし、手順がきちんと書いていない。
仕方なく公式ウェブサイトからログイン。
今度はログインできたのだが、新たにパスワードリマインドの質問を3つ入れなければ、先へ通してくれない。

設問はプルダウンメニューからの選択に限られていて、自分で決められない。
「初めて買ったCD」なんて、誰が覚えているんだ・・
「一番好きな都市」なんて、移り変わっていくだろう?

この手続きに30分


つづいて、昨晩立ち寄った大手コンビニでもらった応募券をチェック。
(700円以上買うと1回くじが引ける)
モノが当たるなら嬉しいが、応募券は受け取りをためらう。
このあとに控えている面倒と、それに見合う対価が得られないことが容易に想像できるからだ。

こちらはスマホでQRコードを読み取りアクセス。
ここまでの手順は容易だ。

しかし、応募にはユーザー登録が必要で、新規登録すると「そのメールアドレスは既に登録されている」というエラーが返った。
パスワードリマインドのやりとりをして、ようやくシリアル番号の入力にたどり着く。
しかし、応募コースを選ぶ段階になって「応募券一枚ではB'zのタオルしか当たらない」ことがわかり断念。

この手続きに30分


ここまでに費やした1時間30分
僕は何かを得た気がしない。

いつか、プレミアなチケット参戦に参加できるかも知れない。
ついでにエントリーしたTDLのチケットが当たるかも知れない。
あと応募券を1枚追加すれば、電気ポットが当たるかも知れない。

そんな不透明な対価のために1時間30分
これは、見合わない。

予期していなかった「応募」に付き合うのは、もう止めなければならない。

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2017年7月10日 (月)

誰も「ポルトガル頑張れ」と言ってくれない

「蔵前一丁目」の交差点を左折すると間もなく25km
ここから銀座までのおよそ3kmはコースがイメージしづらい。
これは旧コースを走った2009年の時もそう感じた。

ランドマークがないため「次の目印」がないことと、コースが何度か向きを変えるため方向感覚が狂うのだと思う。

今、自分はどこに向かって走っているのだろう?
マラソンを走っていて、目標を見失うことは命取りになる。

それでもこの3km、あとでラップを見ると±6秒以内で刻んでいた。


2009年に走った旧コースでは、このあたりは30km地点。
神田川のほとりで「私設エイド」していた女性からチョコレートを1粒もらった。
スーパーで売っている「お徳用チョコ」だ。
それまでハンガーノックを起こして、まさに眠りそうになっていた僕はこのチョコで脳がよみがえり、この後の銀座で復活したのだった。


前回のレースでは、デコがチェルシーに居た時だったのでチェルシーの上下ユニで走った。
沿道から5人の方が「チェルシーがんばれ」と声をかけてくれた。
そして、このあたりで飴を配っていた女性が「あ、チェルシー・・の人、がんばって」と言ってくれたのが、可笑しくて心に残っている。

今日は「ポルトガル・ユーロ初優勝」を記念して、ポルトガル代表2006年W杯セカンドユニ(黒)を着てきたのだが、誰も「ポルトガル頑張れ」とは言ってくれなかった。



そして、レースを占う「27km」がやってきた。
マラソンランナーは「35kmの壁」が大好きで、そこをどう乗り越えるかに熱心である。
だが、それは自ら壁を作り出しているのだと思う。
僕に言わせれば、今回の練習は大半が10kmまでだったから「10km」だって壁だ。
練習の最長距離は「WRJハーフマラソン」なので、中間点の壁もある。
「壁」を言い出せば、あらゆるところに「壁」がある。

2時間から7時間まで幅広いレベルのランナーが行っているマラソンという競技において、一律に「35kmの壁」を論じるのには抵抗を感じる。



僕が「27km」を意識するのは、初マラソンの「荒川市民マラソン」で27km地点の上りで走るのを諦め、ゴールまで歩いたことから始まっている。

ところが、生涯ベストレースの長野マラソン(Ver2コース 現在はVer3)では、27kmで千曲川の橋を渡ったところで「今日は行けるぞ」という確信が芽生えた。

そして、荒川市民マラソン改め、去年の「板橋Cityマラソン」では、またしても27kmの上りで足に来て失速してしまった。
そういう意味では27kmが「my壁」と言えるかも知れない。

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2017年7月 9日 (日)

25km 富岡八幡宮参りを無事終える

21km
富岡八幡宮前で折り返して、しばらくいくと中間点。
「レースの中間点」にはなんの感慨もないが、最大のヤマ場と目していた「富岡参り」が半分を過ぎたことに安堵感がある。
だが、まだ先は見通せない。

今回の練習内容は、従来とは根本的に違うものだった。
走行距離を伸ばすことは一旦忘れて、負荷をかける練習の比率を上げた。
その分、距離も練習時間も短くなっている。
時間が短いと言うことは、心理的には「楽」である。
できれば楽して、速く走りたい。

このレースの結果がよければ好事例になるし、悪ければ、考えが甘かったということになる。
もちろん吉と出る方法論をとったつもりだが、1度、それを証明するまでは吉凶はわからない。


22km
対向車線から黄色い「はとバス」がやってきた。
最後尾の収容車だ
一度乗ったことがあるので、そこに乗っている人の気持ちが痛いほどわかる。
特に滅多に当たらない東京マラソンの場合、その悔しさは格段に増すだろう。


23km
日が照っている
暑い
できるだけ抽象的なことを考えて、エネルギーの消費を抑える。
でも少しだけ、先ほど応援に来てくれていた友達が、道路を渡ってまた声をかけてくれるのでは?と思っていて、歩道に近い側を走る。
しかし、友達はそのままうなぎでも食べに行ったか、道路の反対側に渡れなかったか、二度と現れることはなかった。


24km
体力に余裕があれば、ここらで自然とラップタイムが上がって来るところ。
レースでは、余裕がなくなると時計をこまめにチェックしなくなる。
「まぁいいかぁ」
という態度になりがち。
今日は大きく崩れてはいないだけで、ぎりぎりで耐えているという印象だ。


「蔵前一丁目」に戻って来た。
この交差点でコースが左折
これで富岡八幡宮折り返し「富岡参り」の9kmが終わった。
ヘタをすれば、この9kmでレースが終わってしまう。
すなわち目標を見失う恐れがあると危惧していた。
だが、なんとか持ちこたえている。

一方では「富岡参り」を無事クリアすれば、レースを占う目安である「27km」へ向けて、大きく視界が開けるのでは?という期待感もあった。
だが、無事に終えた割には、その高揚感がない。

とりあえず、レースはまだ続いていて、次のステージへの挑戦権を得たというところだ。
ただ、後でタイムを見て知ることだが、この1kmは前のラップよりも15秒改善している。
走りながら感じていたほど、状態は悪くなかったと言うことだ。

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2017年7月 8日 (土)

後日訪れた折り返し点

富岡八幡宮は江戸三大祭りが行われる深川の総鎮守。
2001年に伊能忠敬の銅像が建立されており、1度は訪れてみたいと思ったきり、そのままになっていた。
まさか、こうして走って来るとは思ってもみなかった。

と言ってもレース中、境内に入って「伊能忠敬の銅像はどこですか?」とやっている場合ではない。
レースの3週間後、主催者からもらった「1日フリーパス券」を利用して訪れた。



「東京マラソン折り返し地点」
といった標識の前で記念写真を・・
と思ったが、そんな目印はどこにもない。
過去にその類の標識を見たことがあるのは、箱根駅伝の往路ゴール(復路スタート)地点だけである。




「東京マラソンの折り返しって、ここですか?」
近所の商店のおじさんに尋ねて、写真を1枚。
もちろん、一見なんの変哲も無い片側2車線の道路。
東京マラソンは、画面右側から走ってきて、ここで右に 転回、再び右側へ走って行く。

境内から見て正面の位置で、写真下には敷石が映っている。
中央分離帯がないので、折り返し点を作るには都合がよかっただろう。

中央分離帯があると折り返し点が作れないかというとそうでもなく「第1回湘南国際マラソン(1度限りの旧コース)」では西湘バイパス(自動車専用道路)の中央分離帯を撤去して折り返し点を作ったことがある。


■富岡八幡宮の歴史

1624年
建立
1875年
芭蕉神社創建
1895年
横綱力士碑建立
1923年
関東大震災で消失
1956年
現在の社殿が建立された。
2001年
鳥居の脇に伊能忠敬の銅像建立
伊能忠敬が測量の旅に出る前に参拝していたことに因む。




伊能の銅像は折り返し点から入ってすぐの所にあった。
といっても、大会翌日から参道が改修工事にはいり、訪れた日は側道からしか入れなかった。

さて、マラソン走行に話を戻そう

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2017年7月 7日 (金)

富岡八幡宮エリアにいた3人の友達

20km手前の給水所に寄る
もうマラソン初心者ではないので、一番手前のテーブルにつっこむような無茶はしていない。
できるだけ、空いていそうな前方テーブルに狙いを付けている。

だが、東京マラソンに限って言えば、ランナーが多いことで見通しが悪く、いったいどこまでこのエイドのエリアが続いているのかがわからない。

行き過ぎて、水が捕れないでは元も子もないので、少々混んでいるテーブルでも手を打たざるを得ない。

後で聞いたのだが、ラン仲間の友達がこのエイドで給水ボランティアをしていたそうだ。
お互いに走っていることも、ボランティア出勤も知らなかったので、気づくことはなかった。


給水所に寄ったため、ラップタイムは前の1kmと比べてマイナス20秒。
給水所のロスタイムが大きいのは、大規模マラソンの宿命なのだろうが、せめてマイナス10秒にして欲しい。
ほかの大会よりも「+10秒」ロスするとなると、14回立ち寄れば140秒=2分20秒の差。
「サブ4」「5時間切り」のボーダーラインで走っているランナーにとってはきつい。
走りで2分20秒上げるのが容易でないことは、ランナーならばわかるだろう。

せっかくコースは「高速コース」に生まれ変わったのだ。
ここもなんとかして欲しい。

実務に当たっているボランティアはベストを尽くしているので、これが改善されるかは運用設計者が、給水タイムロスを「問題点」と思うかどうかに拠るだろう。



20kmを過ぎると道路の両サイドに人垣ができていて、折り返し点が近いことがわかる。
20.5km、折り返し点は思っていたよりも、呆気なく訪れた。

富岡八幡宮を左手にみて、折り返す。
と言いたいが、実のところよくわからなかった。

レースの翌週、歌合戦の相棒である仲野君が、ここで応援していたと聞いた。

「朝テレビを見ていて、行ってみたくなり、ふらっと来たんです。まさか、motoさんが走っているとは思わないから、特に気に留めなかったです」
それは僕も同じだ。


期せずして東京マラソンの難所「富岡参り」エリアに3人の友達がきていたということになる。

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2017年7月 6日 (木)

30年ぶりに選んだ2つめの吉田カバン

東急ハンズで30年前に買った「×」のロゴが入ったカバン
それが吉田カバンというメーカーのものであることを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
吉田カバンのウェブサイトを見たところ、その品は現在も販売されていた。

LUGGAGE LABEL
品番:951-09244

■メーカー公式サイトの説明
(以下引用)
1984年の発表以来「赤バッテン」の愛称で親しまれてきた、LUGGAGE LABELブランドを代表する人気シリーズ。
(引用ここまで)

底面側のファスナーを開くとマチが広がり、さらに大量の収容ができる。
荷物が少ない時はコンパクトに使える。
プライベートな利用では、長い間メインバッグとして愛用した。

もし他にこれというものが見つからなければ、再び「赤バッテン」もアリだな。
色は通勤や冠婚葬祭でも使えるよう「黒」にしよう。



JRと私鉄が乗り入れる駅ビルの商業施設に入っている吉田カバンに来た。
日曜のお昼、こぢんまりした店内には4人の客がいた。

一点でも見落とすまいと、コレクター動態視力を駆使して、棚から棚へと視線を滑らせていく。

これはと思うものを手に取って「取っ手」があるかをチェック。
小さめのバッグは盗難防止のコードで棚と結ばれていて、試すのが難しかった。

POTERと呼ばれるラインでは「取っ手」代わりに使えるフック付きのものがあったが、容量が小さすぎる。
他を探そう。

この店には「赤バッテン」は置いていなかったが、それに似た大きさのバッグに目が留まる。
容量は十分。

外面は両サイドにファスナーの収納がある。
そして、なんとバッグの底に「取っ手」が付いていた。

「取っ手」を持つとバッグは逆さまになる。
中に入れたものは、バッグの中で天地がひっくり返る。
ふつうならばあり得ない発想だ。
こんなバッグ見たことない。

だが、ショルダーベルトを使わず「手持ち」したい人にとって、これはありがたい。
中に入れるのはスマホ、財布といった天地がひっくり返っても問題ないものばかり。
これは、いいんじゃないか?
即ゲットじゃないか?

吉田カバンの場合、直営サイトで買ってもAmazonで買っても値段は同じ。
それならば、受け取りの手間暇がない店頭買いがいい。


PORTER LIFT
品番:822-06129

仕様
■サイズ:W245 H145 D45mm
■実測重量:263.3g(付属品のない状態)
メーカーサイトでは380g表記

取り外しできる付属品2点
■キーフォブ(キーホルダー)
■牛ステア(肩掛け紐)


吉田カバン公式サイトによると、この品は4色展開だが、店頭にあったのは2色。
もしも「ゴールド」を見ていたら、目移りしていたかも知れないが、当初の予定通り冠婚葬祭で使える「黒」が買えたのはよかったと思う。
選択肢が少ない方が、よいこともあるのだ。

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2017年7月 5日 (水)

吉田カバンの実店舗に買いに行く理由

ここ数年、捜し物の買い物は、大半がネット通販になった。
「こんなものないかな」と思い立ったらすぐ検索。
量販されているモノならば、安い店まで見つかるからだ。

お目当てのモノがない場合、お店に足を運ぶと無駄足になるが、ネットの場合、時間は無駄にしても実際に足を運んでいない分、無駄な時間が短い。


ただ、ネット通販にもマイナス点はある。
一つは「受け取らなければならない」こと。
大抵は再配達になるので申し訳ないし、荷物が来る時間には正装して(パジャマ以外の着衣で)待たなければならない。
家族に内緒で大きな買い物をする時などは、見つからないようドキドキするという人も多いだろう。
(と他人事のように書く)


もう一つの難点は「大きさ」「使い勝手」がよくわからないということだ。
靴の場合「大きさ」が合わないことは致命的であり、ネットでは買えない。
ナイキ公式の場合、一ヶ月間返品送料無料となっているが、そうこうしているうちに必要なサイズが品切れしてしまうことがある。
その点、実店舗ならば複数サイズの在庫を取り置いてもらい、フィッティングして買うことができる。


「カバン」もネットでは買えないものの一つだ。
なにせ、種類が多すぎる。
自分はこういうものが欲しいという「ユーティリティ」「容量」「仕様」をネットで検索できるサイトがない。

それでも一応、ネットで探してはみる。
30年ほど前に買ってしばらく愛用していた「×」のロゴが付いたカバン。
後に「吉田カバン」というブランドが確立されて、日本を代表するカバンメーカーになっているのは知っているが、有名になってからは何も買っていない。

吉田カバンのサイトはこれでもかというほど、品数が多い。
用途で分類されているので、絞り込みは比較的容易なのだが「こんなものないかな?」にピタリとはまるモノはなかった。

では、どういうモノが欲しいかというと次の通りだ。

●手持ちしたいので「取っ手」あるいは、その代わりになるものが付いている。
ブリーフケースを抱え込むように持つのは、じじむさくてかなわない。
ブリーフケースを見ただけで、スナックでお姉ちゃんを食事に誘っている中年男を連想するのは僕だけだろうか(たぶん)

●スマホ、PASMO、メガネ、財布など最低限のモノが入れば良い
●PASMOはカバンから出さずタッチしたいので、外側に面した収納スペースがある


30年前「×」のロゴが入ったカバンを買ったのは東急ハンズだったが、今は単独の店を構えている。
吉田カバンの店に初めて足を踏み入れた。

つづく

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2017年7月 4日 (火)

マラソンに友達が応援に来るジンクス

18km過ぎ
沿道の皆さんと心を通わせる余裕がないため、中央分離帯寄りを走る。
「富岡参り」を終えるまでは、目の前の1分に集中する。


「motoさ~ん」
そこに沿道から声がかかった。
前日「応援に行くかも」と連絡があった友達の声だ。
応援に来ると聞いていたが、42.195kmの何処に来るかは聞いていなかった。

恐らく来るとしたら、銀座の繁華街やゴールの行幸通りといった、目抜き通りだろうと思っていたので、歩道から一番遠いところを走っている。

気づいて、声の方を見た時にはもう真横の位置。
友達の姿はランナーの波の向こう。
ここでコースを横切れば大顰蹙、駆け寄って親交を温めるのは難しい。
せっかく来てくれたのに申し訳ないが、ありがと~と手を振ってそのまま先へ行かせてもらった。


実は友達の応援には不吉なジンクスがある。
マラソンに友達が応援に来てくれたことは2度。

一度めの湘南国産マラソン(第1回)は、ゴールの江ノ島で友達が待っていたが、途中関門でせき止められた僕は収容バスでの帰還となり、友達の前を通ることはなかった。

二度めは東京マラソン(2009)銀座の手前で待ってくれた友達と握手をしたのは、よかったが、そこから急速に失速してしまった。

前者は練習不足(練習で50kmしか走っていなかった)後者はハンガーノック(給食を失敗した)であり、友達が悪いのではない。
ただ、二度とも結果が悪かったことで、それ以来、友達に応援をせがむような言動はやめることにした。

ただ今回は、終わった後になって数人から「言ってくれれば応援に行きたかった」と言ってもらった。
それだけ東京マラソンは東京近辺の人にとって「絡みたい」イベントになっているのである。これは2009年に参加した時にはなかったことだ。



19km過ぎ
道路の右側から大音響で「恋」が鳴っている。
そこでは「例のダンス」が行われているのかも知れないが、僕はその振り付けを覚えていないし、なにより脇目を振る余裕がない。

流行歌ということで「恋」は今日のセットリストに入れてきたが、やはり、星野源に特に思い入れがないため、心に響かなかった。

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2017年7月 3日 (月)

東京マラソンでメッセージをもらう作戦は失敗だった

左手にはめた腕時計にメッセージが届いた。
主催者の意向によりスマホを携行しており、そこに届くショートメッセージがガーミンForeAthlete 735XTJに表示されるのだ。
だが、小さい画面には意味不明な文言が見えるだけ
なんだろう?
結局、この日4~5通のメッセージが届いたが、すべて同じ文言。
あとで確認すると、これはショートメッセージのヘッダー部分だったようだ。
画面をスクロールすれば、その下にある個々のメッセージを確認でいたのだが、マラソンを走っている最中にそんな小難しいことをしている余裕はない。
そのメッセージもこの「富岡参り」あたりを最後にぴたりと途絶えた。
「皆さん、送るのに飽きたかな」
走っている時はそう思っていたが、実は早々にiPhone5のバッテリーが終わっていたのだった。
太陽光の下で見やすいよう「画面の明るさ」を「自動調節」にセット。
いざという時にすぐ見られるようロックも解除しておいた。
そのため、中間点あたりでバッテリーが0%となったのである。
東京マラソンが防災対策としてランナーにスマホ携行を求める必要はないのでは?
言われなくても、持ってくる人は持ってくるのだし。
こうして「メッセージをもらって、気持ちを立て直す」作戦は完全に失敗に終わった。
もう二度とやることはないと思う。


17km過ぎ
1つめの橋がやってくる。
上りは手を低く下げて、うつむいて走る。
心拍数を上げないよう、歩幅もピッチも落とすのでタイムも落ちる。
橋を上りつめたら、今度は下り。
「ここでタイムを稼ぎたい」という気持ちは自宅に置いてきた。
手を完全に下げて、ひげダンスでもするかのように両手で地面を押さえるような気持ちで走る。
タイムは上がらないが、その分、心拍数も上がらないので休むことができる。
「下りは休憩だ」と思うことにした。
「富岡参り」はこれを8セット
淡々と繰り返す
この9kmで足を使わないこと
タイムを稼ごうと思わないこと
感情を抑えて、ただここをしのぎ切る。
ここでレースを終わりにしてしまわないこと
先に「好レース」の可能性をつなげること
粛々、黙々、淡々と前へ

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2017年7月 2日 (日)

富岡八幡宮を外したら、東京は超高速コースになれる

雷門を右折すると前方やや左に東京スカイツリーが見える。
東京に住んでいると、割とどこからでも見えるのでありがたみに欠ける。
雷門に比べると、撮影で立ち止まるランナーは少ない。

すぐにまた右折して元来た道に戻る。
前回2009年に走った時にも感じたことだが、ここは「一服感」を感じる。
雷門周辺で狭くなっていたコースが急に広くなること、あるいは建物で日が遮られているのか。


いよいよ新コースの難関と捉えている「富岡参り」が始まる。
なぜ、そう思うかというと、直前ニッテレの特番でそのように伝えていたからだ。
しかし、特段「心臓破りの坂」があるわけでもない。
小さい橋を4つ渡るため、往復で8度。
細かいアップダウンが繰り返される。
それだけのことだ。

しかし、そこが難所としてクローズアップされるほど、それ以外が超楽勝コース(メディアは超高速コースと言っている)ということなのだ。

「これくらいたいしたことないね」
ケニアから来た優勝候補がテレビの中で言う。
そりゃそうだろう。だが、僕ら素人ランナーにとっては、細かいアップダウンは要注意だ。

とにかく16km過ぎからはじまり、25km手前まで。
ここを「しのぎきる」ことが、今日の最大のテーマ。
ここさえ乗り切れば、あとはなんとかなる。

気温が上がってきており、日差しを感じている。
今日は5年ぶりにサングラスを止めて、ふつうのメガネで走っている。
沿道の皆さんと目と目を合わせ、心を通わせるためだ。
その分、日差しから受けるダメージは増える。


16kmを過ぎた。
いよいよ、新コース(第2部)最大の難所へと左折していく。
ここから富岡八幡宮まで片道4.5km、往復9km
主催者がウェブサイトに置いているコースムービーで見ると、画面が上下するのがわかる。
何度か川を越えるためアップダウンが連続する。

この日、キプサングが2時間3分58秒で走り「東京は高速コースに生まれ変わった」らしいが、ここ「富岡参り」を外したらそれこそベルリンマラソンに匹敵する「超高速コース」になれると思う。

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2017年7月 1日 (土)

橋本環奈が千人に一人ならば、齋藤飛鳥は何人なのか?


現状、ダンスでは橋本環奈(元Rev.from DVL)が齋藤飛鳥(乃木坂46)よりも一日の長がある。
だが、今、課題としているのは違う。

橋本環奈が「千年に1人の美少女」ならば、齋藤飛鳥は何年に1人なのだろうか。

橋本が「千年」で齋藤が「800年」
橋本が「千年」で齋藤が「1200年」
あるいは、2人とも「千年」

それこそ「総選挙」でもあれば、相対的な数値化はできるのかも知れないが、所属組織が違う2人が、投票で雌雄を決することはあり得ない。
あるアイドルグループが行う「総選挙」は、あくまで身内イベントである。
プロレスでいえば、1団体の興業なのに「ワールドリーグ戦」と命名していた日本プロレスのようなものだ。
(プロレスで言わなくても・・)


ここは裁定が下らないので(仮)に
橋本が「千年」で齋藤が「800年」ということで話しを進めよう。

ここで問題となってくるのは、橋本環奈、齋藤飛鳥に次ぐ決定的美少女はあと1,000年登場しないのか、あるいは1,800年なのかということだ。
もちろん、そんなことはない。

現に橋本環奈が1,000年と言われ始めたのが2013年11月5日。
Rev.from DVLの東京初上陸と言われる「花やしき」でのイベントで撮影された「奇跡の1枚」がネット上で話題となった時だ。
(イベントは11/3。話題になったのは二日後)

あれからまだ4年も経っていないぞ。
そうなると、橋本環奈は「4年に1人の美少女」ということになってしまう。

齋藤飛鳥
1998年8月10日生まれ

橋本環奈
1999年2月3日生まれ

同学年の2人は、この世にほぼ同時に生を受けている。
ということは「1年に2人の美少女」が登場したわけであり、早く生まれた齋藤飛鳥が「半年に1人の美少女」ということになる。

これでは「千年に1人」のはずが、ずいぶんありふれた美少女になってしまう。
そもそも「千年に1人」というフレーズが一人歩きしたのは、ananの取材記事に「千人に一人のアイドル」とあったことに始まる。
ananは決して"飛ばし"てはいないのだ。

「千年」と「千人」ではえらい違いだ。
しかし、今度は橋本環奈が「千人に一人のアイドル」ならば、齋藤飛鳥は何人に一人なのかという新たな課題が生まれる。

(仮)に橋本が「千人」で齋藤が「800人」ということにすると、次に決定的な美少女が登場するのは、芸能界にアイドルが1,800人デビューする頃ということになる。
それは3年後かも知れないし、5年後かも知れない。


歌って踊る橋本環奈を見ることが難しい現在、齋藤飛鳥には、その独自のスタイルを貫き、独特のゆらぎ(1/s)の世界を究めて欲しい。
齋藤飛鳥に変顔は要らない。

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