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2018年6月 4日 (月)

2005年 バルセロナで中田英寿と間違われた日

男が「Nombre?」と尋ねる
ここはバルセロナなので当然スペイン語だ。

僕は単語カードを作って習得してきた流ちょうなスペイン語ですかさず応える。
「Me llamo Moto 」

きみ、名前は?
僕の名前はMotoです


だが、男は手に持っていたA4の白い紙をのぞき込んで訝しむ。
男が手にしているのは、どうやら宿泊者リストのようだ。
そしてリストの1行を指さして僕に詰問する
「NAKATA? NAKATA?」

おまえ、中田英寿だろ?嘘言うなよ
というわけだ
本人の顔も知らないくせに、よく言うよまったく



これは2005年2月、僕が中田英寿に間違われた日のことだ。
その日は2004年に起きたスマトラ沖地震のチャリティマッチがカンプノウ(バルセロナ)で行われており、僕が宿泊するヒルトンバルセロナに選手たちも宿泊していた。

ベッカム、カカ、ジェラード、中田英寿といった当時移籍金換算で634億円の選手たちと同宿だったわけで、レセプション後には一階ロビーに出てきた選手たちのサインが「入れ食い」状態だったが、サッカーに興味がなかった僕は
「あ、ロナウジーニョだぁ。テレビで見たことあるぅ」
と暢気に驚いていた。


当時、そんな僕が唯一見るサッカーが「日本代表」
Jリーグは見ないけれど、代表の試合だけはテレビで応援するという、よくいる日本国民だったわけだ。


その翌年ドイツでW杯が行われる。
日本代表のエースは中田英寿
中田英寿にとっては3度め、そして「現役最後」と想われるW杯だ。


中田英寿
なかた ひでとし
MF 右利き

1977年1月22日
山梨県甲府市生まれ
9歳からサッカーを始める

1995年
11球団が競合「もっとも上下のしがらみがなくプレーできる環境」という理由でベルマーレ平塚入団
契約金1,000万円

1996年
アトランタ五輪出場

1997年
20歳で日本代表入り
W杯予選でカズに替わって日本のエースとして認知される

1998年1月4日
「書かないで」と前置きして語った「君が代」の感想を、朝日新聞が紙面に掲載して大問題になる。
これを機に中田のマスコミ不信が始まった。

1998年6月
フランスW杯出場
(日本代表のW杯初出場)

1998年7月
イタリアセリエAのペルージャに移籍
移籍金5.2億円
ユニフォームナンバー7


1999-00
かつて在籍した湘南ベルマーレ(当時J2)を個人スポンサード

2000年1月13日
冬の移籍市場で、セリエAのASローマに移籍
移籍金18億円
ユニフォームナンバー7

つづく

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