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2018年11月の30件の記事

2018年11月30日 (金)

マラソン大会必勝の戦略

マラソン大会の日。僕は一発やってやろう!と密かに意気込んでいた。もちろん、ダメだった時に恥ずかしいので、そんなことはおくびにも出さない。
小学校の頃から今日まで運動会の徒競走(短距離)で最下位以外を走った記憶がない。何回かブービーはあったかも知れないが。
だが、体育の授業で計る長距離(といっても1500m)のタイムはそれほど悪くなかった。もしかすると、戦術によっては上位に食い込めるのではないか。
出場するのは1~3年の男子。そのうち陸上部の連中は「駅伝の部」に選抜されていて居ない。
およそ100人の出走。上位10位くらいに食い込めれば、クラスをあっと言わせることができる・・

「motoはテストの点だけかと思ったら、足も速いっちゃね」
そんな賞賛の声を妄想しながら、僕には一つの秘策があった。


新魚目町立魚目中学校マラソン大会当日
僕ら100人の魚中男子は校庭のトラックに集合している。
いつもならば、控えめに後方に位置取りするところだが、この日は違う。スタートライン付近最も大外にスペースを見つけ、そこに潜り込む。
朝礼台の上で教頭先生がピストルを打ち、僕らは一斉にスタートする。


40年後の今日、校庭に入れないことはないが、遠慮して校門からのスタートを切る。


教頭による号砲と共に、僕は一気にスパートした
ラストではなく「スタートスパート」だ。
なぜこんなことを思いついたのかは思い出せないのだが、前夜、1人で練った秘策はこうだ。

まず、スタートで一気に差をつける。
その後は通常のペースで走る。
始めに差がついていると、後ろは諦めて追ってこない。
結局、最初についた差を保ってゴールできる。

グラウンドから坂を上って校門を左折。県道に出る。
なんと2位だ。前を往くのは3年生男子。
こんなにうまく行くとは思っていなかったので、ちょっと面食らう。だからといって後ろを待つわけにもいかないので、とりあえず、このまま行くことにするが、えらいことになってしまったなとちょっと後悔している。
少しずつ抜くのならばいいけど、徐々に抜かれるのはかっこ悪いし、精神的によくない。


丸尾の県道は右側が崖になっていて、爽やかな風を受けるが、さほど強風ではない。ジョギングには絶好の景色のよい海辺のコース。だが、もちろん30度を超える五島で走っているのは僕だけだ。


丸尾の海風を受けて道路の右側を走る。
白バイの先導はないけれど、道路は封鎖されているようで、自動車はどちらからもやってこない。
今考えれば、中学校のマラソン大会くらいで幹線道路を封鎖するなんて、新魚目町はえらいことをやるものだ。

三年生の背中を追っていると、少しずつ距離が縮まってきた。
おいおい、優勝もありかよ・・
そう思った時、後ろから猛然としたスピードで人影が割って入った。陸上部の長距離エース(三年生)だった。
先を往く三年生に向かって「おいがひっぱるけん、ついてこい」すると、落ちかけていた三年生のペースがみるみる上がっていく。

おいおい、そんなんありかよ
これが、陸連主催の競技ならば、即座に失格となるところだが、魚目中の大会にそんなルールは存在しない。
なんでも有りなのだ。

ずるいなぁと思いながらも、一位を抜かないで済んでほっとしていた。そういうところが僕の甘いところだ。
似首の折り返しが中間点。


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2018年11月29日 (木)

懐かしの魚目中「農道一周」を走る

五島の旅<2日め>
朝起きて、早々に暑さ対策のウェアに着替えると、ワゴンRに乗り込む。
今日の練習は「五島RUN」走りたいポイントは3つある。
①浦桑坂ダッシュ
②農道一周
③魚目中マラソン大会コース

全行程を走っても距離は10km強だが、気温は既に30度を超えている。つなぎはジョグではなくワゴンRにした。

①浦桑坂到着
始めに坂下り、中口医院から折り返して上り坂ダッシュ。
一度、自分の足で走ってみたい。その夢が叶ったので、すぐに次のポイントへ移動。

②農道一周
魚目中学校の正門前からスタート。農道一周を左周りする。
昨日下見をしていた通り、丸尾から坂に入る。ここは急勾配で一気に農道の高さまで登り切る。コンクリートに日が照りつけて、既にかなり暑い。あたりに人影は無く、丸尾の皆さんは家の中にこもっている。お陰でこんな酔狂なところを見られなくて済む。
魚目中の背後を通り過ぎると、すぐに魚目小に向かって道が下り始める。両脇にうっそうと茂る雑草が陽を遮り、気温がぐっと下がる。

魚目小のグラウンドでは少年野球チームが練習している。僕が子どもの頃、そういうチームはなかったな。あれば入っていたかな。いや「かっこつける男は入れん」と言われたかも知れないな。

県道に出て魚目小の校門を左にみて通り過ぎ、峠を登りきるとそこからは魚目中までの下り。中学二年の時に駅伝選手に選ばれ、ここをへろへろになって走っていた。ここで見ていた一学年下の陸上部女子から「らすとー」と激励されて、急にダッシュしたことを思い出した。
農道一周2.2kmを20分かけて終了。子どもの頃、走っていた光景は思い出せなかった。ただ、ひたすら暑い。

③魚目中マラソン大会コース
中学校一年の時、校内マラソン大会で走ったコース。
校庭のトラックを半周、校門を左折して県道に出る。
丸尾の県道を走り似首で折り返す。今回走ってみて距離は3.80kmだった。校庭には入らなかったので、その分を足しても4.3kmというところか。子どもの頃は長いと感じたコースも、マラソンランナーとなった今は、呆気ないほど短い。


マラソン大会の日。僕は一発やってやろう!と密かに意気込んでいた。もちろん、ダメだった時に恥ずかしいので、そんなことはおくびにも出さない。
小学校の頃から今日まで運動会の徒競走(短距離)で最下位以外を走った記憶がない。何回かブービーはあったかも知れないが。
だが、体育の授業で計る長距離(といっても1500m)のタイムはそれほど悪くなかった。もしかすると、戦術によっては上位に食い込めるのではないか。
出場するのは1~3年の男子。そのうち陸上部の連中は「駅伝の部」に選抜されていて居ない。
およそ100人の出走。上位10位くらいに食い込めれば、クラスをあっと言わせることができる・・

「motoはテストの点だけかと思ったら、足も速いっちゃね」
そんな賞賛の声を妄想しながら、僕には一つの秘策があった。

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2018年11月28日 (水)

人の強さを教えてくれた丸尾の友達

丸尾の町を通り抜ける
浦桑に住んでいた僕にとって、丸尾と似首は学校の向こう側であり、家に遊びに出かけるような友達もいなかった。
丸尾に入ってすぐに精肉店があり、時々両親の買い物に着いてきた。子どもの頃のことなので、野菜よりは肉、魚よりは肉、とにかく肉が好きだったのだが、山口県に住んでいた頃は滅多にお目にかからなかった。それが五島に来た途端、肉の献立が増えたのは、公務員の離島手当により父の給料が増えたことによる。というのを誰から聞いたかを覚えていないが、恐らく母からなのだろう。
五島と言えば「魚が美味い」というのがステレオタイプな連想だろうが、五島に来たことで肉が食べられるようになったことは、つらい日々における一筋の光明だった。


丸尾にはただ1人、同じバレー部(ボールの方ですからね)の友達がいた。名前はユージ。授業中は寝ている僕とは違い、授業はしっかり聞いたうえで家庭学習を欠かさない彼に、僕は二年間の定期試験で一度も勝てなかった。
彼は決して体が大きくはなく、一見すると弱々しく見えたが、僕は彼を学年じゅうで一番尊敬していた。


その日、ユージはクラスのいじめを企画して主導する「いじめ軍団」に中傷を受けていた。軍団が輪になって罵詈雑言を浴びせ、周りは見て見ぬふりをする。こうなると、誰も抵抗できない。大抵は、時間が行き過ぎるのを待つばかりだ。
しかし、その時、彼はこう言い放ったのだ。

「なんちでん言え」

なんとでも言え。言いたいやつには言わせておく。言われなき非難には屈しない。という彼の強い意志を表した短い言葉。
僕はその強さに憧れた。日頃は飄々としていて、時おりおどけた冗談を言うけれど、あまりおもしろくない。でも、そんな彼の芯にある、誰にも負けない不屈の自信に初めて「人の強さ」を見たのだった。

僕が佐世保に引っ越して、高校に進んだあと、ユージとは一度だけ相浦総合グラウンドで行われた高総体(高校総合体育大会)で会う機会があった。相変わらず背が低かった。そして、友好的な相手にはただ、にこにこと笑っている、昔のままの姿がそこにあった。
その後、彼が何処へ進んだか知らない。恐らく、本土の何処かに出て、この社会で一端の役割を担っていることだろう。


似首に着く。似首(にたくび)の名前の由来は以前にも書いたのでここでは割愛する。似首には母が親同士で懇意にしていた同級生の家があるが、僕のほうは五島を出た日から年賀状一枚やりとりしていない。尋ね当てれば、恐らく邪険にはされないのだろうが、それはあまりに身勝手だと思い、似首も素通りする。


青砂ヶ浦天主堂に着く
ちょうど、タクシーをチャーターして観光に来ていたカップルが入っていくところで、それに着いて礼拝堂に入る。教会はどこも同じで館内の撮影はできない。それでも撮っている人がいるのはなぜだろう。観光に際して下調べというものをしないのかな。「るるぶ」一冊でも読むか、ホームページを見れば、そこにルールが載っているのに。





この時点で17:31
東京ならば夏場でもそろそろ日が沈み始める頃だが、日本の西端にある五島ではまだ日が高い。
この近くにある矢堅目公園では「夕日が絶景である」と「Google先生」が教えてくれたが、まだまだ日は暮れそうにないし、一人きりで夕日を見ても肩を寄せる相手も居ない。
夕日は諦めて、懐かしの町「青方」をめざすことにした。

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2018年11月27日 (火)

つくばマラソンに集中していた土日にスポーツ界で起きたこと

つくばマラソンの翌朝
前日が6時起きだったせいか、朝6時過ぎに目が覚めてしまった。
マラソン明けだから、目覚ましもかけず、寝られるところまで寝ようと思っていたのだが、目が冴えてしまっているので、起きることにする。


貯金箱から小銭を握り、マラソン後の楽しみにしていた「甘い缶コーヒー」を買いに行く。
銘柄は2011年~2012年にレース後はこれと決めていたコクビこと「ジョージアコクの微糖」
だが自販機にあったのは「至福の微糖」だった。しばらく買わないうちに、どうやらリニューアルされたようだ。

東京は快晴。春が来たのか・・いや、これから冬だった。レース翌日の天候にこだわりは不要なのだが、やはり、この爽やかな朝は嬉しい。
少し歩きたくなって、つくばマラソンのことが何か出ていないかと思い、コンビニを覗いてスポーツ紙(報知)を買う。



僕がつくばマラソンに集中していた土日の間にも、スポーツ界ではいろいろなことが起きていた。
J1参入プレーオフの一回戦は東京Vが勝利。
これで大宮アルディージャのJ2残留が決まった。
二日前時点では、来季、V・ファーレン長崎が戦う「関東アウェイ戦」の相手は水戸ホーリーホック、栃木SC、ジェフユナイテッド千葉、FC町田ゼルビアの4クラブだったが、これが「5」になった。

その記事の下には「降格決定から一夜あけた」という柏レイソルの記事。柏の17位が確定したのか・・
これで今期ゼイワンで対戦した柏と、来季も対戦することになった。今期関東アウェイ戦で訪れた「7」球場のうち、三共フロンテア柏スタジアムが秀逸だった。ビジターサポーターをおもてなししてくれたのは、柏だけ。
いつかまたゼイワンに戻ってきて、柏に行きたいと思っていた。柏レイソルファン・サポーター
の皆さんには申し訳ないのだが、来季も応援に行ける楽しみができた。
これで2019年長崎が戦う「関東アウェイ戦」の相手は「6」


NPBでは巨人が補強を進めている。
ビヤヌエバ、中島の獲得までは知っていたが、西武からFA宣言した炭谷の獲得が内定しているという。
広島の丸との交渉には原監督が臨んだらしい。
広島かぷーが「広島の文化」だとすれば、巨人は何処の何なのだろう。
負けても勝っても、愛されてきたかぷー。
負けたり、長嶋解任、江川問題といったネガティブな出来事がある度にファンが離れる巨人。勝つとまたその一部が戻ってくる。
かつて勝ち続けていた悲哀。負けても共に歩むファンとの関係づくりが不十分なのだと思う。


鈴木尚広巨人コーチが大阪マラソンを完走したと、写真付きで紹介されている。
昨晩、中村君につくばマラソン完走報告をしたところ「大阪も盛り上がったみたいですね」と返信があった。ネットニュースで大阪マラソンが取り上げられていたらしい。
記事の周りをくまなく探したが、つくばマラソンの記事は何処にも無かった。


最終面に菅野智之の背番号が19から18に替わる。という記事が載っていた。
エースナンバーが二年間不在だったことは、チームに大きな影響があったと思う。
このまま日本に残ってくれればいいのだが・・


するとその記事の下に全三段で広告が載っていた。
「第38回つくばマラソン終了いたしました」
次回は2019年11月24日(日)開催予定です。秋のつくば路でまたお逢いいたしましょう!!

広告とは意外だったが、やはり嬉しい。

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2018年11月26日 (月)

建て替えられた魚目小、そのままの魚目中

僕が通っていた頃は新魚目町立魚目小学校。平成の大合併で中通島(上五島)一帯が新上五島町となってからは新上五島町立魚目小学校。

写真右側に移っている校章はタテに魚が三尾という、昔ながらのもの。門扉の構えも同じだ。

一方、校舎は手前がドームになっており建て直された様子。確かコンクリート色だった校舎は2、3階が薄い黄色に塗られている。これにもきっといわれがあるのだろうが、校舎を黄色で塗るという時点で考える気になれない。

校舎の右側にあった講堂は取り壊されている。その奥に職員用と思われる駐車場。クルマが停められるものならば、降りてみようと思ったが、それは叶わない。
それに校舎が建て直されている時点で、つぶさに見てみたいという興味の対象からは外れた。


ワゴンRでさらに進むと丸尾との峠あたりで左側に上がっていくエントランスが見えた。そこが新上五島町新魚目支所。かつての魚目町役場の移転先だ。住所表記は榎津郷491番地なので、辛うじてかつての魚目の中心としての榎津の面目を保っている。


坂を下ると懐かしい魚目中学校が左手に見えてきた。
校舎、体育館、その間にある技術室などがある棟も、すべて昔のままのようだ。
明日もまたここに来る予定なので、ここはクルマを先へ進める。


丸尾に入って探すのは農道の入口。
僕ら魚中(うおちゅう)の生徒にとって「農道一周」には、忘れられない感慨がある。
部活の終わり掛け、顧問から「さぁ最後に農道一周」と言われると、腹が痛くなりそうだった。
マラソンを走る今となっては、さほどたいした距離では無いと思うのだが、中学生にとってアップダウンがきつい、この周回路は地獄の特訓のように思えたものだ。
今回の五島再上陸では、その想い出の「農道一周」そして、マラソン大会のコースだった「公道似首往復」を走るのを楽しみにしてきた。

今日はとりあえず、その下見。農道の入口をみつけて、そこから農道へ上がる。魚目中の背後を通り、魚目小の脇に出て、公道で魚中の正門に戻ってくる。ワゴンRでそのコース下見を行った。

つづいて、似首(にたくび)へ

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2018年11月25日 (日)

本日、第38回つくばマラソン

「つくば初めて行くんですよね?」
突然なんだろう?と思って、振り返ると、ランナーの先輩高田さんが、おっかなびっくりした表情でそこに立っていた。
前日に「週末はつくばを走りに行きます」と僕が言っていたからだ。

「トイレがすごく混みますから気をつけてください。自分は1時間くらい並んでスタートに遅れそうになりましたから」
自己ベストはつくばで出したという高田さん、わざわざそのことを言いに来てくれたのだった。



東京マラソンが2017年大会からのコース変更で「超高速コース」(日本テレビ談)に生まれ変わる、その前から「つくば」が高速コースであることは広く知られていた。

コースはフラット。気温が低い11月末開催。好天に恵まれる機会が多い。自己ベストを狙いたいランナーにとって御用達の大会である。
東京以降(2007年)に始まった新興人気大会の大半が抽選エントリーとなっているが「長野マラソン」と「つくばマラソン」は依然として先着順の伝統を守っている。
その熾烈なエントリー状況については前述したとおりだ。
つくばマラソンエントリーのコツ



■つくばマラソンの基本情報

・開催時期:11月の第4日曜
・制限時間:6時間
・定員:10,500人
・エントリー方法:先着順
・エントリー期間:一般は7月
・コース:筑波大学をスタート。つくば市内を走り、筑波大学陸上競技場へゴールする1wayコース



■つくばマラソンの歴史

1981年
第一回開催

2006年11月26日
第26回開催。コースが一部変更された
開始時間が10:30から9:30となった
制限時間:6時間(公称)
ただし4時間を過ぎると交通規制が解除され、歩道を走るというのは前年と同じ
出場者 8,548人

2007年11月25日
つくば市政20周年記念第27回開催
参加費:4,000円

2008年11月30日
第28回開催

2009年11月22日
第29回開催

2010年11月28日
第30回開催

2011年11月27日
第31回「エコシティつくばマラソン」開催
定員:10,500人
参加費:5,000円
つくば市在住者の先行枠(1,500人)エントリー実施
10月下旬にはレイトエントリー実施(参加費が7,000円に上がる)

2012年11月25日
第32回開催
定員:10,500人 参加費:5,000円

2015年
第35回 ウェーブスタートに変更

2017年11月26日
つくば市政30周年記念第37回開催
USTREAMで「第37回つくばマラソン」オフィシャル番組を生配信
huluでゴールシーン配信



2018年11月25日(日)
第38回つくばマラソンを走りに来た
ランナーには好レースを、つくば市のボランティアの皆さん、沿道の皆さんが過ごしやすいよう、好天を祈る。

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2018年11月24日 (土)

マラソンレース用イヤホンの条件

五島の旅で10ヶ月ぶりに使ったところ、イヤホンが壊れていた。右耳からしか音が出ない。あれから2ヶ月。もしかして放っておいたら復活するのではないかと捨てずにとっておいたのだが、やはり左耳から音は出なかった。
マラソンまで2ヶ月を切ったので、そろそろ代替品を調達しなければならない。

先日壊れたオーディオテクニカのイヤホンは、当時、マラソン用の条件を研究して「Google先生」に探してもらった。およそ10年使ったので疲れたのかも知れない。

では10年経って、マラソン用イヤホンの必須要件が変わったかというと何も変わっていない。

数時間走り続ける間、音が出つづける。それも確実に。
これが第1条件。

第2の条件は「ボリュームコントローラー」
時々誰かと喋るため・・ではない
セットリストに入れている音楽の中にはリリース年が古いものがある。1990年代までにリリースされたCD音源は、最近のそれと比べて音が小さい。
リマスター盤が出ていたり、有料配信があれば買い直すこともできるが、それも叶わない曲がいくつかある。
そのために、ボリュームは中くらいに合わせてスタートして、音が小さい時や、ここは大音量で聴きたいという時に、ボリュームMAXにする。

第3の条件は取り回しの良さ
音源のウォークマンはウェストポーチに入れる。
そこからナンバーカードの裏を通して両方の耳へ
必須条件は2つ
「コードは120cm以内」
本当は100cmが望ましいが、市販のイヤホンで最も短いものが120cm。
「Y字型コード」
LRそれぞれのコードの長さが同じ。枝分かれがY字型になっている。


これらの条件を踏まえ「Google先生」に「マラソン用 イヤホン」を頼んでみたのだが、前回購入した頃とすっかり時代は移り変わっており、今や「ランニングならば無線~Bluetoothが必須」「耳かけ」という論調になっている。


Bluetoothは論外だ。理由は2つ。
1,充電が持つか心配
そもそもイヤホンを充電しなければならないというのがストレスだ。最長稼動時間をしらべると「5時間」を謳っている。レース前30分あたりから聴き始めると、ゴールする前に音楽が終わってしまう。
2,無線は不確実
5時間しっかり鳴ればまだいいが、何らかのトラブルで一切音が鳴らないというリスクがある。
有線ならばそのリスクはぐんと低くなる。

耳かけについては「それでも外れる、落ちる」リスクは残る。レースではキネシオテープで耳たぶに固定しているので無用の長物。


従ってマラソンレースに求めるイヤホンの条件は10年前と何ら変わらない。
Bluetooth全盛のため捜索は難航したが、数週間かかってようやく見つけ出したのはJVCのHP-F107
・スライドボリューム付
・コード:1.2m Y字型
2007年に発売された商品であり、購入した時点でメーカーは生産を終えており市場在庫のみ。2018年11月に確認したところ、Amazonもヨドバシも販売を終えていた。

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2018年11月23日 (金)

リマインドメールに書くべき4つの要件

リマインドメールに書くべき4つの要件

1.時刻
たいていのメールは「15:00~」のように書かれており、終了時刻が明記されない。
なぜ、終了時間を書かないの?と聞いたことがあるが「早く終わるかも知れないので」と屁理屈が返ってきた。
終了時間を明記しない司会者はへぼだ。元々、時間どおりに進める気がない。
終了時間が書かれていない会議招集は、それだけでテンションが下がる。

2.場所
同じ部署の会議では書かれていないことがある。
「となりの会議室に行ってましたよ(笑)」みたいな自虐ネタを遅刻者に言わせないために、これは書いて欲しい。

3.会議の目的(主な議題)
時間や場所は覚えていても、その日のスタートとゴールがイメージできている人は少ない。それこそ「リマインド」した方がいい。

4.会議資料の在処
社内会議で共有フォルダーがある場合、そのパス
クラウドストレージの場合、そのURL
事前確認資料、課題の提出先は、その都度手元の資料にパス・URLを見に行かずに済むので、これを書いて初めて「リマインドメール」の存在意義があろうかというものだ。

ある時、主催者に「パスを書いた方がいいよ」と進言したところ「パスを書くのはセキュリティ的に問題あると思いますので書いていません」と勝ち誇られてしまった。
いまどき、pathとpass(password)の言葉の違いもわからぬやつには、それ以上、言えることがない。



これら4つの要件は、いわゆる「5W1H」のうちの「4H」である

1.時刻(開始、終了)→when
2.場所→where
3.主な議題(会議の目的)→why
4.会議資料のパス・URL→what

リマインドメールに「who」「how」は要らない。


誰がにあたる「who」は基本的には不要
ただし、役職などの属性により招集される会議では「この会議は原価管理担当者が招集されているのだ」ということを明示するために、書くことが望ましい。
なかには、何度も会議招集メールを受け取っておきながら「メールは来ていたけど、自分は関係ないと思った。主催者はメールさえ送ればそれで仕事が済んだと思っているのか」と詭弁を弄する輩もいるからだ。


どのようにに当たる「how」は基本的には不要
会議をどのように進行して、時間内に結論を得るかは、主催者(司会者)の手腕にかかっている。
実際にはそこが一番危ういのだが。

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2018年11月22日 (木)

リマインドメールが必要な組織とは?

今日もサトウさんに一通のメールが届く。

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本日のミーティング(リマインド)
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売上倍増プロジェクトメンバー各位

お世話になっております。スズキです。
本日ミーティング開催日です。

15:00~

宜しくお願い致します。

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サトウさんが入っているプロジェクトのリマインドメールだ。
サトウさんは、この「リマインドメール」なるものを受け取る度に苦々しく思う。
リマインドなんてされなくたって覚えているし・・



しかし、リマインドメールは後を絶たない。
なぜならば、皆、忘れているからだ。
実際、開始時間に来ている人は半分もいない。
サトウさんは「10分前行動」をモットーとしており、会議が始まる10分前には会議室に入っているが、当然、誰も居ない。
数分して会議の主催者がやってきて、サトウさんの姿を見てびっくりされてしまう。

「え?早いですね」
おまえが遅いんだよと思うが、口には出さない。世間とはそういうところではないと長く生きてきて学んだから。

「なに、してるんですか?」
いったい、ここで何をしているのか?と問われることもある。
見りゃわかるだろ、会議に来てるんだよと思うが、口には出さず神対応。
10分前行動をモットーとしているもので・・

すると「ヒマなんですか?」と言われたこともある。
その時はさすがに、開いた口が塞がらなかった。



時間にルーズなことが文化として定着しているような組織においては、リマインドメールは必要悪。
だが、せっかく出すのならば、ちょっと違うと思う。
サトウさんが考えるリマインドメールの要件は4つある。

1.時刻
2.場所
3.会議の目的
4.会議資料の在処


→詳細解説へつづく

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2018年11月21日 (水)

高木琢也とジョゼップ・グアルディオラ

2018年11月20日、V・ファーレン長崎 高木琢也監督の退任が発表された。
理由は契約期間満了だという。
3日前に2019年シーズンの降格が決まったことにより、契約更新とはならなかった。


高木琢也は長崎県のサッカー強豪校である国見高出身。
国見高は数多くのJリーガーを輩出しているが、高木琢也が国見高出身初のJリーガーである。


■高木琢也の略歴

1967年(昭和42年)11月12日
長崎県南高来郡北有馬町生まれ

1983年
国見高入学
1986年 大阪商業大入学

1990年
フジタ入団

1992年
サンフレッチェ広島とプロ契約
当時のチームメイトに森保一(現日本代表監督)がいた
同年、日本代表選出

1998年~1999年
ヴェルディ川崎に2シーズン在籍

2000年
札幌に在籍 現役引退
国際Aマッチには44試合出場して27得点を挙げた。

2009年
東京ヴェルディ監督

2010年~2012年
ロアッソ熊本監督

2013年~
V・ファーレン長崎監督

2018年
ゼイワンで戦うV・ファーレン長崎を指揮



インタビューでは、好きなサッカー指導者としてジョゼップ・グアルディオラ(愛称ペップ)を挙げている。
ペップはFCバルセロナ、バイエルン・ミュンヘンを経て現在はマンチェスター・シティ監督。いずれのクラブでも国内リーグ制覇を成し遂げている。
多彩な攻撃アイデアで監督としての評価は最高だが、彼がピッチでボールを蹴っているわけではない。実際にプレーしているのは世界トップクラスのタレント軍団である。

高木琢也がトップクラスのタレント軍団を率いたら、どんなサッカーになるだろう。
高木琢也のサッカーをいつかまた長崎で見たい。

新スタジアムで戦う2023年シーズンまで、あと4シーズン。
長崎は次期監督の指導の下でどのような準備ができるだろう。
僕らファン・サポーターにできることは、関心を持ち、応援することしかない。


V・ファーレン長崎ブログ

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2018年11月20日 (火)

2019年、長崎と戦うJ2クラブ

2019シーズン、長崎のJ2行きが決まったので、ここで現時点の2019シーズンJ2のクラブを確認する。


【1】J1昇格の可能性があるクラブ
横浜FC
大宮
東京V

【2】引き続きJ2で戦うクラブ
町田
福岡
レノファ山口
甲府
水戸
徳島
山形
金沢
千葉
岡山
新潟
栃木
愛媛
京都
岐阜

【3】J3降格の可能性があるクラブ
熊本
J3の最終順位でJ2ライセンスがない沼津が2位となった場合「残留」

【4】J3からJ2へ昇格するクラブ
琉球
※あと1枠の行方は、12月2日13:00同時キックオフの最終34節後に確定する

【5】J1から降格するクラブ
長崎
※あと2枠の行方は、12月8日のJ1参入プレーオフの結果により確定する。
関東では湘南と柏に、その可能性が残っている。



来期J2が確定している【2】【4】の16クラブのうち関東(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川)に本拠地を置くクラブは以下の通り。
町田
水戸
千葉
栃木
確定しているのは以上、4クラブ

J1参入プレーオフの結果により、これに【1】の3クラブ(いずれも関東)と【5】のクラブが加わる。
また、J3で30節現在3位につけている群馬にも、2位で昇格の可能性がある。
(鹿児島との勝ち点差は「あと4試合で3」)

従って最大「8~10」最小「6」クラブが、2019年シーズンに長崎が「関東アウェイ」で対戦するクラブとなる。
ちなみに2018シーズンの「関東アウェイ(J1)」は「7」
2018シーズンの「関東J2」は「8」クラブだった。


V・ファーレン長崎ブログ

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2018年11月19日 (月)

ヤキリンゴのパン工場

国丸書店の道路向かいにはパン工場があった。
私の記憶が確かならば・・・鉄川という名前だったと思う。
鉄川という名字は同級生にも2人いたが、2人ともパン屋の子どもではなかった。新魚目町には割と多い名字なのだ。

頭ヶ島天主堂、青砂ヶ浦天主堂など五島、そして九州で幾多の教会を手がけた建築家、鉄川与助は青方村で生まれ、魚目村で暮らしている。


「今日は弁当作れんかったけん、これでパン買ぉていき」
朝、登校しようとすると、母親がそう言ってお金をもたせてくれることがあった。
母にとってみれば、子供に弁当を持たせず見送るのは不徳のいたすところだったのかも知れないが、僕はこの一ヶ月に一度くらいの割合でやってくる「パン工場襲撃」の日がとても嬉しかった。
手のひらに置かれたのは確か20円。菓子パン1つが10円だったので、2つ買いなさいということだ。

家から魚目小までは徒歩2.3km
割と距離があるが、山口にいる時は3km弱の道を通学していた。お陰でこの年になってもマラソンが続けられるほど足腰が丈夫なのかも知れない。
学校まで1kmを切った所で鉄川のパン工場の引き戸を開ける。

ごめんくださ~い
大きな声でおらぶ。
ここはあくまで工場でありパン屋ではないのだ。
奥の方から工場のおばちゃんが出てくる。
ここでは製造を担い、町の小売店へ卸す。本来、ここでは小売りはしていないのだろうが、子どもの僕はそういう社会の仕組みには無頓着で、そこにパンがあるから売ってもらえるものだと思っている。
母も20円を持たせて送り出すのだから、そう思っていたのだろう。
鉄川サイドからすれば、朝の出荷が終わり一息ついたところに、20円を握った小学生が勝手に入ってきて、パンを要求する。可愛い女の子だったら心和むが、小太りで憎たらしい。迷惑だなとは思わないまでも、面倒だなくらいには思われていたのかも知れない。

ヤキリンゴとアンパンください
与えられた選択肢は2つ。そして僕は鉄川のパン屋に来るとヤキリンゴを外さなかった。
ある時はヤキリンゴとジャムパン、ある時はヤキリンゴとクリームパンという具合だ。


さて、懐かしのパン工場、建物はそのままだったが、看板は取り外され、既に稼動はしていない様子。
僕のパン工場再襲撃は成らなかった。
ヤキリンゴ、もう一度食べたかったな

国丸と鉄川、僕が通った榎津の中心が向かい合って廃墟になっている。もうここに用事はないよと榎津が言っている。


ワゴンRをさらに走らせると、左手に新魚目町の役場が見えてくるはずだが、その建物は既になくなったようで、その位置がどこだったかもわからなかった。

丸尾との小高い峠に向けてなだらかに道路が上り始めると、その先に今も変わらぬ魚目(うおのめ)小学校が見えてきた。

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2018年11月18日 (日)

J2最終節 長崎のJ2降格が決まる

2018年11月17日(土)
J2は最終42節を迎えた。
22チームが総当たりホーム&アウェイで戦うので21×2で42節。
最終節は全11試合がすべて14:00の同時キックオフ。
これは特にシーズン3位~6位が「J1参入プレーオフ」の組み合わせに影響するための配慮なのだろう。


■41節終了時点の順位
1 松本山雅
2 大分トリニータ
3 FC町田ゼルビア
4 横浜FC
5 東京ヴェルディ
6 アビスパ福岡


■上位3クラブ 最終節の対戦
松本-徳島
山形-大分
町田-東京V


町田が3位以下となった場合、その時点でJ1でシーズン17位以下が確定しているV・ファーレン長崎の来季J2降格が決まってしまう。

インターナショナルAマッチデーにより、J1はお休みの週末。長崎ファン・サポーターは固唾を呑んでDAZNの画面に張り付いていた。

3つの試合を同時放送するDAZNのJ.ZONE PLUS(J2最終節SP)で見る。
メインフレームは 松本、大分、町田の上位3チームの試合にほぼ固定されている。

<前半>
19分
最初に先制したのはアウェイで戦う大分
大分の相手、山形は前節まで12位で昇格にも降格にも絡んでいない
松本の相手、徳島は前節まで11位で同様
町田の相手、ヴェルディだけが前節まで5位で昇格争いをしている

42分
レノファ山口が先制^^;)
ゴールは50番高井。後半戦、ゴールを外しまくってきたが、最後の最後にようやく決めてくれた
結果的にレノファ山口は最終節の勝利で8位に上がった。
シーズン当初は首位にも立ち、来期のJ1自動昇格の可能性を感じさせていただけに、初夏からの失速、そして夏の移籍でガンバ大阪から、エース小野瀬康介を引き抜かれたことが痛かった。


前半終了。このまま終わると大分>松本>町田
長崎のJ2降格が決まってしまう


<後半>
20分
町田がバブンスキーを投入する

25分
退場者が出て10人で戦っていた7位大宮が先制。引き気味のヴェルディに変化が起こるか

27分
横浜FCが先制 この時点で町田は4位

31分
町田のGKが前に出たところを詰められて、無人のゴールにヴェルディが先制。

33分
町田がロメロフランクを投入

37分
ロメロフランクの超マイナス方向のクロスを大谷が蹴り込んで町田が同点に追いつく。だが、このままでは町田は4位


additional time
山形が大分に追いつく
松本はスコアレスのまま
町田が1点をとれば優勝
一気に局面が緊迫する

+3FK、+4CK
町田は最後に波状攻撃をかけたが引分け。
上位3チームの結果はすべて引分け。
この瞬間、V・ファーレン長崎の1シーズンでのJ2降格が決まった。


■J2 シーズン1~6位
1 松本
2 大分
3 横浜FC
4 町田
5 大宮
6 東京V

3位~6位はいずれも関東のクラブという結果
この中からJ1へ上がれば3つ、そうでなければ4つが来季「長崎の関東アウェイ戦」の相手になる。

入場者は10,013人。今シーズン初の1万人超え
観客席が増設される頃には、さらに観衆を増やすだろう
来シーズンはここに長崎を応援に行く。
願わくば、町田と切磋琢磨して、共にJ1に上がりたい。


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2018年11月17日 (土)

中心地は榎津から浦桑へ。国丸書店の移転

旧道から見下ろすとそこには客船のターミナルらしき建物があった。昔これはあっただろうか。切符を買って人が乗っていたのだろうから、きっと何らかの施設は当時もあったはずだが、切符は母親が買っていたので、まったく覚えていない。
40年前、僕はこの港から五島を後にした。
その日も今日のように空は晴れていて、僕も晴れ晴れした気持ちだった。


榎津には「新魚目町」の役場があり、町の中心だった。
商業においても中心であり、町内唯一の書店であり文房具屋である「国丸書店」があった。
僕はここで全財産200円を投じて、毎月、講談社の「テレビマガジン」を買った。
「仮面ライダー」のファンだったからだ。
口の悪い友達は僕を「仮面ライダーきちがい」と呼んだ。
今でこそ、炎上必死のNGワードだが、当時は「ばーか」というのと同じくらい、人々は気軽にこの言葉を使っていた。
僕が大学生の時には「佐野きち」=佐野元春きちがいと陰で呼ばれていたらしいので、けっこう長いこと、そういう時代だったのだ。

毎月のおこずかいが200円。テレビマガジンも200円。
他にはなにも買わなかった。
では「仮面ライダースナック」はどうやって買っていたのだろう?と今不思議に思ったが、恐らくお年玉を貯めておいて、それを小出しに取り崩して使っていたのだろう。

僕のおこずかいが200円であることが、なぜかPTAつまり、よそのおばさん達の知るところとなり「あそこの家は子どもにたった200円しか渡していない」という陰口が母の耳に入ったことがあった。
僕はそれを母から聞いたが、僕がそれでいいと思っているのに余計なお世話だよね。と笑い飛ばした記憶がある。
子どもの頃から、なんでもかんでも欲しがらず、我慢するということが身に付いていたので、月に一度テレビマガジンが買えるだけで、僕は幸せだった。
もしかして、そういう話しが出ているから300円にしようか?と母が言い出すかと思ったが、それはなかったので、ほんの少しがっかりした。

国丸書店は廃墟となっていた。
ちょっと衝撃だったが、これは翌日、浦桑の上五島高校前に移設されていることを発見した。
新たに旧魚目の、いや上五島の中心にのし上がった浦桑へと、場所を移したのだ。
国丸の移転は、かつての中心地である榎津から、新興かつ唯一の勝ち組となった浦桑へ、栄華が移ったことの最もわかりやすい証左だろう。

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2018年11月16日 (金)

朝刊を夕方に運ぶ新聞のおばちゃん

五島の海は紺碧
潜水艦岩の向こうに有川
背後の山頂に風車
あの風車は、子どもの頃にはなかったものだ




あたり一面、背の高い雑草が生い茂っていて、このフレームを切り出すのには、かなり手こずった。

この場所に立つと僕は新聞配達のおばちゃんを思い出す。
午後3時~4時頃、僕はよくここでおばちゃんとすれ違った。

五島では朝刊は夕方に届いた。
だから、長崎県の朝刊テレビ欄には翌日午前のテレビ番組が掲載されている。そうしないと、離島民は午前中にテレビで何をやるかがわからない。
朝刊が夕方に届くわけなので、夕刊はない。
海がしけて船が欠航すると、新聞も来ない。翌日船が着くと二日分がまとめて配達された。

新聞のおばちゃんは榎津に着いた鯨波丸で運ばれてきたその日の朝刊を受け取り、この道を榎津から浦桑に向けて歩いてきた。
当時は人口1万人弱の町だったので、町内を1人で受け持っていたわけではない。恐らく榎津の一部と浦桑。つまり榎津港を境に南側を受け持っていたのだろう。

おばちゃんは、とても人がよさそうで、ちょっと太っていたけれど、来る日も来る日も歩きづめなので、赤銅色に日焼けしてとても健康そうに見えた。

おばちゃんのお陰で僕はテレビ番組を確認し、昨日の巨人は誰が打ったのかを知ることができた。そんな感謝すべき人なのに、僕はおばちゃんと話した記憶がない。道ですれ違った時には「いつもありがとう」までは言わなくとも「こんにちは」くらい言えなかったものか。今これを書いていて、少し後悔した。
恐らくおばちゃんは僕が何処の誰かを知っていただろう。僕が親しげに話しかければ、きっと喜んでくれただろうな。


かつては路線バスも通った旧道だが、今は人っ子1人いない。すぐに道路の右下に榎津港が見えてきた。
その左側の崖を見上げた所には同級生女子の家があった。女の子の家をくまなくチェックマしていたのではなく、部活を終えて同じ方向に帰るから、自然と家がわかるというだけだ。だから僕が知っているのは2人だけだ。
今もその家はあった。当時からして相当に古びていたが、さらに朽ち果てて、今にもこちらに向かって崩れ落ちてきそうだった。
いまだ、旧友とは出会えない。


今日乗ってきた高速船は榎津には来ない。
かつて客船の「鯨波丸」は有川の後に榎津に入った。
佐世保に行った後、僕らはいつも榎津から帰宅していた。
フェリーは榎津と有川には着かなかった。港の深度が不足しているからだと誰かから聞いて、ずっとそう理解している。
クルマで佐世保に行く時は、奈良尾からフェリーに乗っていたと記憶している。当時、まだ鯛ノ浦の航路はなかったと思う。

佐世保からの客船が着かない榎津は、この時点でとても寂れてみえた。
そして、これから先、さらにそれを確信することになる。

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2018年11月15日 (木)

浦桑坂と潜水艦岩

浦桑から榎津に向かう坂。名前はまだない。
いや、あるかも知れないがわからない。
坂を愛でる文化の東京では、50mもあればすぐ名前を付けて、そこに坂の立て札を立てる。立て札には坂の名前だけが書かれていることもあるが、その命名の由来が書かれていることも多い。
だが、この浦桑の入口に位置する坂には、そんな立て札は見当たらない。
僕はここを「浦桑坂」と名付けている。


浦桑坂は左に浄福寺、右に常楽院。今、Google Mapで知った。距離は150m。子どもの頃、ここを自転車で駆け上ると永遠に思えた距離も、今僕がマラソンの坂ダッシュで使っている坂の半分しかない。
一気に上ってからクルマを降りて振り返る。やっぱりけっこう長い。あの頃、この坂を立ちこぎでなんとか登り切ることに意地を張っていた。自転車を降りて押すなんてプライドが許さなかった。今思えば、おかしなこだわりである。


この浦桑坂で僕は人に大けがを負わせている。
その話は→「五島のいじめ
今でも、その時に投げた石の軌道がしっかりと脳裏に刻まれていて、思い出すとぞっとするので、思い出さないことにしている。


この坂を走りたい
それは、五島に行くことを決めてから思いついた「五島でしたいこと」の一つで、明日、走れる服装を整えて実行しようと決めている。


再びワゴンRに乗り、旧道を行く。道の右側は切り立った崖になっていて、遠くに有川の町、蛤の浜が見える。有川の手前には潜水艦のカタチをした岩が今もそのまま、その場所にあった。40年も経っているので幾分浸食されて小さくなっているのかも知れないが、毎日、登校しながら見ていたこんな岩があったことを、すっかり忘れていた。
僕はこれに「潜水艦岩」という名前をつけることにする。
この岩はGoogle Mapには載っていない。


海沿いに県道32号線が整備されたため、旧道にはほとんど手が入っていない。崖とは反対の山側から雑草が垂れこめ、ただでさえ狭い道を余計に狭めている。
そういえば、この山側にある「山」について、僕は一度も考察したことがなかった。
Google Mapによると「城山」という名前らしい。
魚目小学校のあたりから、この山肌に沿った農道が延びていて、僕が住んでいた上五島高校の裏側あたりに出口がある。
今回の五島滞在中、二度ほどその入口に立ち、この道が何処につながっているのか?行ってみたい衝動に駆られたが、クルマが立ち往生するような険しい道だとリスクが大きいので、思い切れなかった。

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2018年11月14日 (水)

泳げない僕に五島はとてもきつかった

子どもの頃、本土から転校して来た僕は「離合場所」を初めて見て、その名前を聞いた時、なんの違和感ももたなかった。
標準的な日本語を組み合わせた名詞であり、そのような場所があることは理に叶っている。
ところが、五島を離れて数十年後、割と最近になって「離合場所」が「標準語」ではないことを知った。

どうやら発端は2017年12月放送の「ブラタモリ」
その経緯は「Google先生」に尋ねていただくとして、とにかく「離合場所」は九州・山口でしか使われていない用語らしい。

離合場所のある海は、かつて堤防で仕切られた小さな湾になっていて、イルカを追い込む漁はここで行われていた。
夏場になるとこの湾の中で小中学生男子がお盆に開催される「ペーロン競争」の練習をしていた。

「だいでん、はいめっからはおよげんとぞ。ペーロンでおとされてしぬおもいいばすっけん、いやでもおよげるったい」

(誰でも初めから泳げるのではない。ペーロン練習で足の届かない海に落とされて、溺れながら死ぬ思いをしたら、嫌でも泳げるのだ)

よく、こんな調子で死人が出ないものだと、小学生の僕は思った。こんなところで死にたくない。こうして、ペーロンに乗らない僕は、上級生からいつも嫌みを言われるのだった。

離合場所のある側から堤防までは50m足らずだったと思う。
漁船が航行できる程度に深く、金槌の僕はここに泳ぎに来ることはなかった。

五島にいた間で泳いだ(海に浸かった)のは、海とロマンの人間郷「蛤」の海水浴場と、魚目中学校の水泳の授業が行われる、学校前の砂浜だけだ。魚目小学校の水泳の授業が何処で行われていたかは、全く記憶がない。

義務教育を通して、水泳の授業ほど、僕を絶望の淵に追い込んだものはない。今は大人になり、そんな絶望から解放され、こうしてかつて僕を恐怖に陥れた海の前でさえ、ノスタルジーに浸っていられる。
五島にやって来てまだ3時間ほどだが、僕の心には幸せの雪が積もり始めていた。


再び、ワゴンRを走らせて、浦桑の旧市街ともいうべき旧い町を抜ける。
かつてこの100mほどの間には2軒の雑貨屋があったが、跡形も無かった。

ここから一気に急な坂を上る
一直線で同じ斜度をもつこの坂に、特別な名前は付いていないが、僕にとっては想いで深い場所だ。

坂の麓にある中口医院は浦桑唯一の病院だった。今も入口にはその名が書かれているが、今でもやっているのか、外観からは判断できない。

後日「Google先生」に尋ねてみたところ、その病院に関する情報は見つからなかった。

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2018年11月13日 (火)

浦桑にある離合場所

浦桑の散策は、あっという間に終わった。時間にして30分くらいだったろうか。
町自体が狭いのもあるが、僕が知っている同級生たちの誰とも出会えなかったからだ。
こんな時、僕は友達が少なかったのだろうかと自問する。確かに僕は通学する時はいつも1人だった。誰かと一緒に歩くと相手のペースの遅さにいらいらするのだ。
それに、通学路で横一列に並び、集団の中での位置取り、仲間の中での存在感を確認しながら徒党を組むなんて、まっぴらゴメンだった。
心通う友達というものは、それほど多いものではないのだ。そう言って自分を納得させる。


さぁ次は榎津だ。
榎津と書いて「えのきづ」
魚目小学校は榎津にある。
転校生が来ると、田舎者は恥ずかしげも無く、転校生に群がる。
「うんはどこすんどっとや」
(君は何処に住んでいるのか)
浦桑たい!
(生まれつき順応力の高い僕は、第一声から現地の言葉で喋ることができる)
「ここは、えのきづぜ」
(ここは榎津だよ)
え゛?
ここで小学生にして親父ギャグ(当時はダジャレと言っていた)を使いこなしていた僕が一発いく。

絵の傷のついとらんやん
(壁際の額縁を指さして)
どっと田舎者が湧く。

こうして「本土から来たいけすかないお調子者」というレッテルが貼られるのだが、その時はそんなことはわからなかった。だって僕は子どもだったから。



カーナビは要らない。
榎津を目指し、ワゴンRに乗ってかつては海沿いだった道を往く。すると海沿いの道に出た。
あれ?おかしいな
僕が知っている道ならば、ここから浦桑の町中を抜けて、中口医院のところから急な坂を上るはず。
そういえば、海沿いに新道ができていると「Google先生」が言っていた。これは新道なのだ。

Uターンして旧道への入口を探しに戻る。
入口を見つけ、旧道に戻ると懐かしい「離合場所」に出た。
今年の春先からずっと、これを写真に収めたいと思っていたのだ。

浦桑の海沿いの道は、道幅が狭いため、路線バスと一般車両が行き交うことができない。
ほとんどの場所はガードレールもなく、僕は毎朝「よく誰も海に落ちないよな」と思いながら、その海沿いの道を歩いていた。
一時間に一本程度だが、西肥バスがやって来ると、対向車線のクルマはこの「離合場所」に入って、バスをやり過ごす。




写真中央に見えているのは川ではなく海。その右側は埋め立てて作られた陸地。
左側の道路から海に向かって台形のようにせり出しているのが「離合場所」で、そこだけはガードレールが敷設されている。
新魚目町でこのような海にせり出すカタチの離合場所があるのは、浦桑だけ。
その中で今も残っているのは、ここ一カ所のようだ。


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2018年11月12日 (月)

雑貨店と仮面ライダースナック

かつて「仮面ライダースナック」を買っていた雑貨屋は、普通の民家に変わっていた。
ジャイアンの母親が「このちんぽばくれれ、がはは」と笑っていた店だ。
ちんぽとは赤いウィンナーソーセージのことで、ジャイアンが弁当に持ってくるランチジャーには確かによく赤いウィンナーが入っていた。ウィンナーといえば運動会の弁当でしかお目にかかれぬご馳走だったが、ジャイアンの家はこのあたりでも羽振りがよいようだった。ただ、この雑貨屋で売っているウィンナーはなんだか変な味がして、僕はいつもジャイアンの弁当をみて、あれは本物じゃないと思っていたが、口には出さなかった。子どもの僕にもそれくらいの良識は備わっていたのだ。

当時まだコンビニなるものは佐世保にもない。
浦桑にはスーパーさえない。週末になると僕の家族はクルマに乗って青方のスーパーへ買い物に行った。
だから、僕にとって青方(あおかた)はうきうきする場所だ。
雑貨屋というのは、食料、日用品を幅広く扱う店。今はその役割をコンビニが担っている。
ある時、この雑貨屋は家事で全焼してしまった。僕にとって貴重な買い物店が閉まっていることは、ライダーカード集めに支障をきたした。

なぜならば、母から「仮面ライダースナック購入禁止令」が出ていたからだ。
当時「仮面ライダースナック(20円)」をカード蒐集のために購入して、お菓子を捨ててしまう風潮があり、問題になっていた。インターネットはなかったので、全国的にどの程度問題になっているかはわからないが、少なくとも人口1万人弱の新魚目町でも問題になっていた。
買うことが禁止されているので、家族と買い物に行った時には泣く泣く見送るしかない。なにせ田舎では「仮面ライダースナック」の入荷はとても少なく、目の前にある時に買っておかないと、次はいつ買えるかわからなかったのだ。

ある日、ゲットした「仮面ライダースナック」を自転車の前かごに入れ、ほくほく顔で自転車を漕いでいると、向こうから父と母が乗ったクルマが来たことがある。僕に気づいて手を振る両親。僕は必死に前かごに体をかぶせて、笑顔を作った。幸い、その晩、掟を破ったことについてのお沙汰はなかったので、この子は何をしているのだろうと思ったかも知れない。

再び雑貨店が新装なると、僕は早速お店をのぞいた。あいにく「仮面ライダースナック」の入荷はなかったが、ご祝儀がてら30円のかっぱえびせんを買った。するとおばちゃんが「これサービス」と言って、かっぱえびせんの30円袋をもう1つ持たせて暮れた。
開店祝いのえびせんを開けると、焼け焦げた煙の匂いがした。

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2018年11月11日 (日)

少しずつ心に失望の雪が積もる

<32節>
11月10日
V・ファーレン長崎-横浜Fマリノス
トラスタ
横浜はチーム最多得点のウーゴビエイラが出場停止。
長崎は負傷欠場していた徳重健太が3試合ぶりに帰って来た。

<前半>
試合開始から12分、DAZNの画面がまともに映らない。14時キックオフのゲームが重複しているせいだろうか。

13分
横浜が裏をとる。ゴール前に詰めていた遠藤を飯尾竜太朗が倒してPK。キッカーは伊藤。右に跳んだ徳重が手に当てる。ポストに跳ね返ったボールに誰よりも速く翁長聖が詰めてクリア。今日も翁長聖の予測が冴えている。

15分
スペースに走り込んだ飯尾竜太朗がフリーでシュート。GKの右をゴロで狙ったが飯倉が手に当てる。
結果的にはこのシーンが長崎が勝つための「二度の好機」の一つとなった。

24分
慶太がスペースに走り込んで角度のない所からシュート。飯倉キャッチ

27分
伊藤のシュートを徳重がかき出す。
攻撃のリズムはここまでずっと横浜

32分
ゴール前で磯村がFKをセット。トリックプレーで澤田が右からクロス入れるが跳ね返される。

<後半>
長崎は高い位置でプレスをかけ、ボールを奪うのだが、そこから先の精度が低い。
疲れているのか、動きにキレが見えない

19分
横浜が決定的好機。これは入っただろうと思ったがクロスバーに当たりクリア。もう3点入っていてもおかしくない。神がかり的だ。

24分
磯村に代えて島田譲

25分
横浜がGKからビルドアップしていくボールを奪う。島田譲ファーストタッチのシュートは芯を食わずポスト。
これが今日「二度めの好機」アイデアと技術と幸運がセットで揃えば長崎に2点の機会が与えられていた。
どんなに劣勢でもボールがつながらなくとも、それでも勝つことはある。しかし、この日、長崎はその機会を逸した。

29分
ゴール前の混戦伊藤の足に当たって角度が変わりゴールに転がり込む
0-1
ここまでの神がかり的な堅守からすれば、なんと呆気ないゴール

30分
武蔵に代えてファンマ

32分
慶太がイエローをもらう

34分
慶太に替えて大本祐槻

13226
40分
今日初めて島田譲が蹴るCKは惜しくも押し込めず

41分
続けてのCK、ファンマのヘッドは芯に当たったが左へ外れる。

これほどまでボールを奪われ、つながらない長崎。あまり記憶が無い。選手達の心に少しずつ失望の雪が積もり始めていて、それが知らず知らずのうちに、その本来の力を奪っているように見える。
これで17位以下が確定した。
でもまだ終わりじゃ無い。あと2試合はいつもの長崎を見せてほしい。


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2018年11月10日 (土)

居住放棄、廃墟

「ピー」
僕が窓から顔を出して、音楽のリコーダーを吹く
すると石橋君がワイヤレスマイクのスイッチを入れる
互いにラジカセのFMラジオで予め決められた周波数で、その電波を受信する。

NHK連続テレビ小説「半分、青い」で鈴愛が律を笛で呼ぶシーンがあるが、あれを40年前に僕と石橋君はリコーダーとワイヤレスマイクでやっていたのだ。
だから「半分、青い」で初めてそのシーンを見た時は、北川悦吏子にパクられたかと思った(うそです)


ある日、僕がラジカセを抱えて一番受信がいい場所を探しながら「今日は電波のよーなかねぇ」と言っていた時、突然、電気が走り、目の前が真っ白になった。これまで生きてきてこんなことは二度しかない。一度は一時停止義務不履行のクルマに跳ねられて気絶した時。そして、もう一度がこの時だ。
「なんが、電波かっ」
振り返ると父が新品の運動靴を手に持って立っていた。子どもに運動靴を買って来たから渡そうと思ったら、その相手は勉強もせず、ラジカセを持って踊っている。かっとして、靴で頭を殴りつけたのだった。

世の中には「手を上げる父」と「手を上げない父」がいる。
そのことを知ったのは数十年後だった。子どもは父を選べない。自分の父が自分の父親像であり、その父が手を上げるならば、父親とはそういうものだと理解するのである。



石橋君の家は昔のまま、そこに建っていた。
もしかして、まだ住んでいるのでは?と思って玄関に回ってみる。
ずいぶん年老いた石橋君が怪訝そうに僕の顔をのぞきこむ。「昔近くに住んでいたmotoだけど・・覚えてないかな」すると、おぉ久しぶりやね、どげんしたと・・

この数ヶ月、そんな妄想を二三度したと思う。現実は違っていた。
表札はそのままだが、門扉が鎖でぐるぐる巻きになっていた。すべての窓は雨戸の上から板が打ち付けられ、既に誰も住まなくなってから10年以上は経過しているだろうと思われた。
もし、彼がまだここにいてくれたら、とりあえず僕がこの旅で思い描いていた「1人くらい誰か友達に会えたらいいな」はここで達成できたのだが。


再びワゴンRに乗り込み、埋め立て地ではない古くからの浦桑の町に踏み入れてみる。

当時、人気者だった女の子が住んでいた家、表札はそのままだが、ずいぶんと朽ち果てていた。居住放棄されてから10年とは言わないだろう。

僕が一番仲良くしていた原君は、一緒に役場に通って「新魚目町名字ランキング」を作った仲間。
当時、魚目町には55世帯の原さんがいた。彼もその1人。
かつて原君の家があったあたりは区画が変わっていて、その当時でも相当旧かった家屋は見当たらなかった。そのあたりに原さんという表札の家はあったが、あの原君とは限らないので、訪ねるのはよした。

僕と一緒に、僕の父から英語を習いに来ていたジャイアンの家もそのまま、そこにあったが、表札すらなく廃墟と化していた。彼は本土の大学に進んだと風の便りに聞いたが、きっと、そのまま本土のどこかに家族を呼んで暮らしているのだろう。いや、僕のようにもう両親は浄土へ発たれた後かも知れない。

僕がアワビにあたってエレファントマンのような顔になった日「そげん、おちこまんと。じきになおるよ」と励ましてくれたトモコの家は玄関の扉が開いていて、生活の息吹があった。遠目に表札をみると名字もそのまま。
しかし、今もまだここに居るとは限らないし、女子の家を訪ねるのは憚られた。

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2018年11月 9日 (金)

8万人いた人口が、今は4分の1

高校の職員住宅という、50年経ってもインスタ映えしそうにない被写体に対していろいろな角度から一眼レフを向けていると、1人の男が怪訝そうにそれを見ていた。

決して怪しい者ではない
そう主張するために、少し話しかけておくことにする

ここは職員住宅ですよね?父が教師だったので40年前に住んでいたんですよ。
すると、その男は学校の先生で、その父親は僕の姉に教えていた先生だと言うことがわかった。

住んでおられた頃は8万あった人口も今は4分の1に減ってます。浦桑だけが地価が上がっているけど、あとは寂れてますよ。

海を渡って来たよそ者には、きちんとした標準語で話す彼。
相手が五島弁で話せば、僕もイントネーションを変えて、応じるだけの記憶はあるのだが、終始標準語で短い会話を終えた。
彼の言葉の意味を、この後、懐かしい町を足でなぞりながら、思い知らされることになる。


僕が住んでいた職員住宅は、今風の間取りでいえば「3K」にあたる。
玄関をはいると一階に風呂、便所(和式)、台所、4畳半の居間。
両親は夜になると机を片付けて、ここで寝ていた。
うなぎの寝床のような台所では、母が釣ってきたうなぎを捌いていた(一回だけですけど)
全長60cmもあるうなぎを釣り上げた母は、漁港のそばで育ったせいか、釣りのセンスに長けていた。まな板にキリで鰻の頭を打ち付けて捌く姿をみて、この人はなんでもできるんだなと子供心に感心した。
いつもは親子丼が入るどんぶりの器に、臨時で登場したうな丼が盛られた映像を今でも思い出せる。


階段を上って二階には二部屋。
四畳半を姉が使い、六畳を父と僕が使う。
父は机と書棚を置いていたが、そこで仕事をするということはなく、いつもテレビがある一階の居間でテストの採点や、授業の準備をしていた。
従って、六畳は僕の個室とも言えた。
部屋の窓からは田んぼと、級友の石橋君の家が見えた。

石橋君とは、それほど気が合うというわけではなかったが、彼の方が僕よりも後に引っ越して来たので、互いによそ者として通じるものはあったと思う。
彼の家は、いわゆるお金持ちらしく、新築の二階建てはなかなか立派だった。
彼がお金持ちだと実感したのは、僕の持っていないモノをいろいろと持っていたことによる。

僕は買ってもらえなかった中一コースを彼は毎月買っていて、僕は発売日には彼の部屋を訪れて、英語のアンチョコを見せてもらった。当時、中一コースには、後に「教科書ガイド」と呼ばれる、教科書の答えが付録で付いていたのだ。

フォーライフレコードから吉田拓郎が「となりの町のお嬢さん」を出した時、僕は「RKBベスト歌謡50」にリクエストしてエアチェックしていたが、彼はシングルレコードを持っていた。

ただ、なぜか僕はワイヤレスマイクを2本持っていて、一つを彼に貸していた。
あらゆる音が出る機械には、すべて「線」がついていた wired の時代において、wireless は僕らの冒険心を刺激した。

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2018年11月 8日 (木)

絞られた17位争い

11月6日(火)
珍しく火曜日にJリーグが行われた。
試合消化が1つ少なかった名古屋。
週末に鹿島がACL決勝2ndレグを戦うために、前倒しに付き合わされた恰好の柏。
長崎にとっては、降格争いのターゲットチームである2チームである。

メンバーを落とせない柏にとってみれば中2日での連戦。
しかも、次はC大阪戦まで18日も日程が空く。
ACLに出る鹿島のとばっちりを受けたと考えるべきか、ターンオーバーで主力を温存した鹿島が相手であることを僥倖とみるべきか。

C大阪0-1名古屋
柏2-3鹿島

名古屋はアウェイながら、終始気迫のこもった走りをみせ、セレッソにいいカタチを作らせなかった。
柏は一旦2-1とリードしたものの、鹿島の地力に敗れた。


この結果、既に「奇跡」と呼ぶレベルに入った長崎残留シナリオはこうなった。

▼町田がJ2で2位以内
(17位が自動降格ではなく、J1参入プレーオフ出場に変わる)
   ↓   ↓
▼長崎が柏を逆転して17位に上がる
   ↓   ↓
▼12月8日、J1参入プレーオフを戦い引分け以上の結果を残す

そのためには、この時点で柏より1つ残り試合が多い長崎は32節で横浜F・マリノスを相手に勝ち点3を積み上げなければならない。
この対戦、春の1stレグはW杯中断前の最終戦として行われた。


<15節><回想>
5月19日
横浜F・マリノス5-2V・ファーレン長崎
日産スタジアム

この試合は、V・ファーレン長崎にとって岐路になった。
前節で名古屋に勝ち、勝ち点17で12位につけていた長崎(この時点ではマリノスは勝ち点14)
好調を見せつけ後半早々には、翁長-澤田-ファンマ-慶太と今期最も美しいワンタッチパスが決まり2-1とリード。さらに追加点の好機を迎えた後半3分、その分岐点が訪れる。
これが、僕にとって今期の3大「腹立たしいシーン」の第1位だ。


ファンマが右サイドを突破
長崎はゴール前に詰めた厚みも十分
いい球が入れば3-1か!
そう想った時、横浜のDFデゲネクがファンマの背後から腰に両手を回し、後ろにひき倒した。

これはアントニオ猪木が得意とする「原爆固め」ジャーマンスープレックスホールドそのものだった。
このプレーは「正々道々」とプレーする長崎にとって、とても痛手になった。
だからと言って、長崎の選手は誰ひとり、審判に詰め寄ったり、相手のユニフォームを掴んで引き倒したりしない。

我々はプロレスではなく、サッカーで戦う。
それが、長崎を応援する者として、このチームを誇れる一つの要素である。


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2018年11月 7日 (水)

上五島で一番やりたいこと

40年ぶりに訪れる浦桑の町はまったく別ものだった。
ただ、海を埋め立てて新しく作った陸地なので、ここが浦桑だとは思えない。思いのほか、栄えている町というところだ。

三泊でお世話になるホテルメリッサ
駐車場は先着順とあったので、一旦チェックインした後にクルマで外出したら、クルマを停められなくなるんじゃないか?という不安があったが杞憂だった。
先着順というのは、アスファルトで区画された駐車場のことであり、そこが満車になったら、その先の護岸沿いの広場に停めてくださいとのこと。
そう、五島ではそこらじゅうに空き地があり、自由にクルマを停めている。

船でとなりだった原君が言っていたとおり、確かに五島には駐車場というものがない。
ここで言う駐車場とは時間貸しの有料駐車場のこと。五島に滞在した間で、入口にゲートがある駐車場を見たのは一度だけだった。

三泊の料金を支払う。クレジットカードが使えたのはこことレンタカーとスーパーマーケットの三度だけ。他ではどこもカードが使えず、帰りがけには現金が乏しくなっていった。

ひとまず部屋で旅の荷物を解く。
この瞬間がいい。
ビジネスで出張の機会がなくなった今、こうしてホテルに宿を取ることは滅多にない。
窓から見下ろす浦桑の町は、旅マラソンで訪れるどこにでもある日本の風景。離れ小島に来ているという趣はない。


テレビを付けると甲子園をやっている。
かつては民放2局だったが、今は4局になっている。
ベッドに腰をおろして、これから夜までの計画を立てる。

まずは、一番やりたいことを先にやってしまおう

そう決めると、再びワゴンRに乗りこんだ。
最初の目途は、かつて4年間を家族とともに暮らした家がどうなっているかだ。

上五島高校のグラウンド沿いに、かつて通学したクルマが1台やっと通れる道を往く。
かつて住んでいた二階建ての妻帯者向けの職員住宅は建て替えられて、三階建てになっていた。
かつてはそれぞれが二階建ての6戸だったが、各階に玄関があるところをみると、こちらが独身寮に替わったのだろうか。

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2018年11月 6日 (火)

僕の岩場

蛤の写真を撮り終えると、再びワゴンRに乗って国道384号線に戻る。このあたりの細かい道は、事前に「Google先生」に教えてもらった。先生はなんでも教えてくれる。旅の計画を立て、旅に思いを馳せる時、とてもありがたい存在だ。

ある作家の講演で、その作家先生は「ネットが普及して、人々はネットで見て行った気分になり、自分で行こうとしなくなった。由々しきことだ」と話していた。その場で聴いている時は、確かにそうだなと思った。実際にそういう人もいるだろう。だが僕は違うようだ。旅が決まってしまえば、必要以上の下調べは「ネタバレ」になるので控えるが、旅の気持ちを固めるまでは、道しるべの役割を果たしてくれる。



七名トンネルを抜けると右手前方に海が見えてきて、いよいよ懐かしの町が近づいたことがわかる。
その先にもうひとつトンネルが見えてきたが、これが新道であることを「Google先生」から教えてもらっている。
そのトンネルの手前から細い道へ右折。そこからが僕が知っている旧道だ。

道が左にカーブするところで浦桑が見えてきた。
このシーン、この瞬間を数十年、思い描いてきた。
だから、ここは写真の一枚でも撮らねばなるまい。




錆びたガードレールの手前と、遠くに見える山と港は自然にできた土地。中央に見えるまっすぐに伸びる護岸の区画が人工に埋め立てられた新しい浦桑だ。ここでは「新浦桑」と呼ぶことにする。


僕はここでどうしても確認したいことがあった。
僕の岩場はまだあるのだろうか?

かつて、僕の級友である五島の子どもたちは素潜りであわびやサザエをとった話しを自慢していた。
泳げない僕は潜ることもできないが、ただ一つ例外があった。それがウニ。当時、ウニは比較的浅い場所にいた。膝まで浸かって海に入ったところにもウニがいたのだ。

学校から帰ると僕はマイナスのドライバーを一本、自転車のカゴに放り込んでその岩場をめざす。道路から岩場まで降り、膝まで浸かった所にいるウニをドライバーでこそぎ落として捕る。
そして岩場に置いたウニをドライバーで2つに割り、黄色い部分を指ですくいすするように食べた。ウニは水のようだ。
子どもの頃から瓶詰めのうにを食べ付けていた僕は、ウニは固いものだと思っていたから、この体験は衝撃だった。

秋の波が強いある日、僕はいつものように、この岩場にやってきた。ウニはいつもより深い場所にいた。普段着の半ズボンで来ている僕は膝上まで浸かるのが限界。手を一杯まで伸ばしてウニと岩の間にドライバーを差し込もうとした時、強い波が来た。僕はとっさに踏ん張ったが、右手に持ったドライバーを離してしまった。ドライバーは光を反射しながらゆっくりと沈み、僕の腰の深さあたりで停まった。

僕はドライバーを岩場でなくしたことを、母には言わなかった。幸いDIYとは縁遠い我が家では「最近、ドライバーがないね」という話しもないまま冬が終わり、春になった。

久しぶりに岩場に来た僕にはドライバーがない。
今年のウニはどのあたりにいるのかな?
そう思って海をのぞきこむと、そこに銀色に光るものがみえた。

「あなたがなくしたのは金のドライバーですか?」
いえいえ、その鉄のドライバーです。自分で自分につっこんで僕はそれを慌てて回収した。
ひと冬の波を耐えて、その場所に留まりつづけ、干潮の今、僕の前に再び現れたドライバー。心なしか少し錆びてはいたが、僕は奇跡を観た気がした。





ガードレールから身を乗り出して真下を見下ろすと、その場所は手つかずでそこにあった。
新浦桑は完全に埋め立ててしまったのではなく、本来の海岸線はそのまま「川」として残しているようだ。
岩場まで降りてみようとは思わなかった。
そこに、その場所があったという感動を一瞬味わった。
もうそれは一瞬のこと。その気持ちはそこへ置いていく。

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2018年11月 5日 (月)

あと一歩、鳥栖のゴールが遠い長崎

サガン鳥栖のメインスポンサー「サイゲームス」は今期で契約を終了する。
親会社の「サイバーエージェント」が来期、町田の経営権を持つ。広告でお金を出すだけならば、複数クラブと関わりがあっても規約には抵触しないが、経営資源を集中するのは自然な流れといえる。
報道によると、サイゲームスは鳥栖市にベストアメニティスタジアムの改修費を寄付するという。


<31節>
11月4日
サガン鳥栖-V・ファーレン長崎
ベストアメニティスタジアム

キックオフの2時間前、J2の上位6チーム同士が対戦した。
町田2-1福岡
横浜FC3-1大分
松本1-0東京V

この結果を受けての順位(40節)
1位 松本(73)
2位 大分(72)
3位 町田(72)


鳥栖は晴れている
鳥栖は金崎夢生が欠場(理由は非開示)
長崎は直前2週間の練習で公開したのは1日のみ。
システム変更が予想される。


<前半>
長崎は4-4-2(4バック)で試合に入る

6分
相手DFの連係ミスに平松宗が詰めたが足が届かず
大声で歌い続ける長崎サポーター
権田が治療する間も、長崎のチャントはつづく
2,000人のサポーター、今日は決意が違う

21分
高木監督が黒木聖仁に指示を出し、3バックに変更

33分
翁長聖のロングスローから飯尾竜太朗がシュートするが権田の正面

37分
高橋が澤田を停めてイエロー
FKバイス
ゴールマウスの右隅に蹴ったが権田が楽々キャッチ

40分
ゴール前のボールに驚異的跳躍でGKより先に跳んだ翁長聖
後から跳んだ権田にぶつかりイエロー。クリーンなプレーが身上の翁長は今期初のイエロー。デビューした昨年もシーズン全42試合に出場してイエローは3つしかもらっていない。

ところが、権田が怒り翁長聖のユニフォームをつかんで引き倒そうとする。1つのボールを巡るプレーであり、ラフプレーでもない。
両チームの選手が2人の距離を離す

+2
ファンマのヘディングシュートを権田がビッグセーブ

+5
澤田の突破を小林とめてイエロー


<後半>
5分
翁長聖のクロス、ファンマのヘッドは右へ外れる

14分
増田卓也が真上に弾いたボールを原川に押し込まれて0-1
ここで高木監督はFWを二枚替え
ファンマに替えて武蔵
平松宗に替えて慶太

23分
慶太のシュートは権田が正面でキャッチ

25分
オマリーが田上大地の顔をはたくファウル
田上に対して何度も同じことを繰り返すオマリー
審判は見ていないが、DAZNのカメラにはしっかり映っている

33分
混戦から田上大地シュート上にふかす

36分
翁長聖の鋭いクロスを慶太がボレーシュートまたも権田が弾き出す

43分
磯村に代えて米田隼也

終始異様な雰囲気の中、選手の懸命さに胸を打たれた。
徳俵から足を踏み外した長崎。だが、僕らは応援の声を停めない。
こうして打ちひしがれることもあるが、またいつか、喜びの涙に暮れる日も来る。


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2018年11月 4日 (日)

V・ファーレン長崎J1残留への展望 J初体験の秋に思う

2018年4月11日、7節でようやくゼイワン初勝利を挙げたかと思うと、いきなり4連勝。この時点で進捗率は144%だった。

ここでいう進捗率とは、ゼイワン残留必達ポイントに対しての達成度合いをいう。
2017年、ゼイワン残留下限だった15位の勝ち点「33」をターゲットとして、それを試合数で割った数字に対して、進捗を表している。
10節でのターゲット値は「9.7」これに対して勝ち点は4勝2分で「14」従って、先の144%となる。

ゼイワン残留は余裕だな。
シーズンが始まるまで、J1報道を一度も見たことが無かった僕は「長崎がダントツの降格候補」という下馬評をまったく知らなかった。
当時、高田明社長が冗談とも本気ともわからぬ言い回しで口にしていた「A・C・L」(4位以内)もあり得ると思っていた。

しかし進捗率は、10節終了時の144%がピーク。
夏場に向けて漸減し、ついに22節、お盆のトラスタ鹿島戦で100%を切った(98%)
その後も連敗がつづき、25節終了時には87%と最低を記録。

だが、秋(降格危機)の声を聞くと盛り返し、30節ジュビロ磐田戦を終えた時点では勝ち点29、ターゲット値29.1でほぼ100%となっている。


J2に降格するのでは?
そう考えることがある。
勝負ごとなので、思い通りにいくこともあれば、そうならないこともある。
ただ一つ言えることは、来期がゼイツーだったとしても、僕は長崎の関東アウェイ戦全戦に応援に行く。
ゼイワンとは異なるスタジアムに往くことになるが、それも長い目でみれば、よい経験だったと思えるだろう。


ゼイツーとなったチームはどうか。
素人の僕が考えるだけでも、次の不安がある。
1.主力選手が離脱する
2.いい選手が取れない
3.ぬるい戦いでは、チーム力が上がらない

今年、好きになった選手たちが、ゼイワンのクラブに移っていくのは辛いだろう。ただ、その体験がないので、実際にどんな気持ちになるのかはわからない。いつか、他球団に移った選手が挨拶に来た時、暖かく拍手を送り、チャントをちゃんと歌えるだろうか。

いい選手が取れないのは仕方がない。
ただ、長崎には2023年の新スタジアムが控えている。
新スタジアムでゼイワン長崎の一員となりたい選手たちが、長崎と共に戦ってくれるのを祈る。
それには、地元の雄、高木琢也監督の存在は欠かせない。

ゼイツーの戦いがぬるいのは、今年初めてDAZNでJ1、J2の試合を観るようになった初心者の僕にもわかる。
誰よりも走り、前に出てプレッシャーをかけるチームはJ2にもいる。
何が違うかというと、ボールを停める、正確に蹴るという個々の能力。全般にボールの扱いがアバウトだ。ミスをしても相手もミスで応じてくれて、結果オーライという場面が少なくない。


とまあ、いろいろなことは考える。
きっとファン、サポーター、誰しも同じだと思う。
今はまずターゲット値「33」をクリアして、自力だろうが他力だろうが、来季もゼイワンで戦える長崎を信じる。


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2018年11月 3日 (土)

蛤事件

レンタカーは2日間借りる。
レンタカーは五島観光のマストアイテムらしく、ホテルを予約した際、真っ先に進められた。
五島に鉄道はない。路線バスはるものの、島内に点在する観光地(ほとんど教会だが)をくまなくカバーしていないし、路線はあっても本数が少ない。

お金を払おうとしたら後払いだった。
レンタカーで後払いというのは初めてだ。
ガソリンの軽自動車で、ゆっくりと有川の町へ出る。
子どもの頃、いつも父が運転する車の後部座席に座っていたので、こうして運転席にいるのは妙な感慨がある。


浦桑に向かう途中、蛤の海水浴場でクルマを停める。
子どもの頃の白砂青松(はくしゃせいしょう)のイメージとは少し違っていたが、遠浅なのは変わらない。





「蛤」というと、どうしても「蛤事件」について、触れないと気が済まない。「Google先生」も知らない、ローカルな事件。とはいえ、僕がその事件を目撃したわけでもないし、新聞に載ってもいない。
いかがわしい話しが大好きな級友の城田君が教えてくれた話しだ。もしかすると都市伝説かも知れない。いや田舎伝説か。

彼がいう「蛤事件」はこうだ。
ただし、よい子の皆さんが読んでいるかも知れないので、かなり表現はぼかしている。

その日は、夏の海水浴シーズンではなく、蛤海水浴場に人影は無かった。
白砂にはつきものの青松(防砂林)に一組の男女がいて、時を過ごしていた。
すると何かの拍子に女性に異変が起こり、男性を巻き込んで困った状態になった。
結局、自力ではどうすることもできず、ヘリコプターで本土の病院へ搬送された。

話しはそれだけだ。中学生だった僕には、それがどういうことかよくわからなかった。
ある日、蛤の浜を訪れた僕は、防砂林に「****禁止」の立て札を見た。そこにどんな言葉が当てはまるのかもわからなかったが、あぁ城田君が言っていたことは本当だったんだなと独りごちたのだった。


ようこそ・・・海とロマンの人間郷へ

蛤浜海水浴場入口の国道には、こう書かれた看板が立っている。

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2018年11月 2日 (金)

五島産業汽船

有川に着いたら五島うどんを食べてからレンタカーと決めていたので、レンタカーの予約時間まで30分が空いた。

すると、ターミナル一階におあつらえ向きの施設があった。
「鯨賓館ミュージアム」
こう見えても捕鯨ファンだ。
有川がかつて捕鯨で栄えた町だったことは知らなかったので、ひとつ勉強しようじゃないか。

DVDで放映されていた「有川の捕鯨のしくみ」は、とても興味深かった。
高台にある鯨見(くじらみ)~鯨を見張る物見~で鯨が近海を通りかかると、一斉に出航。追い込む船、銛を打ち込む役割、とどめを刺す役割、仕留めた後の運搬方法まで。

子どもの頃、浦桑の浜で見たイルカの追い込み漁を思い出した。魚目小学校では、その日、イルカがあがるとなると、授業が中止され、全校生徒が浦桑の浜まで見学に行く。
その凄惨な光景は子どもにはきつい。なぜ、父親たちはこうしてイルカを殺さなければならないのか。それを身をもって体験させ、考えさせるのだ。


期せずして鯨の歴史を学び、ちょうどレンタカー予約の時間。
レンタカーはホテルから紹介された五島産業汽船。フェリーターミナル内に窓口がある。それもそのはずで五島産業汽船は後発で五島航路を就航させた海運会社。
僕がそれを知ったのは、五島から帰って2ヶ月後の10月だった。


2018年10月初旬、五島産業汽船が当面全航路を運休することを決め、10月2日から運休していると報じられた。

佐世保と上五島をむすぶ定期船は老舗の九州商船(1911年設立)が1日に2便、フェリーと高速船を1便ずつ運航している。

一方、五島産業汽船(本社・長崎県新上五島町)は1990年に設立され、歴史は30年に届かない比較的新興の業者。


朝日新聞DIGITALでは五島産業汽船の運行休止について
「長崎と五島結ぶ定期船、突然運休 地元どうしたら・・・」と見出しを立てたうえ"新上五島町へ向かうフェリーに乗る予定だった男性会社員"の話として「先方と約束があるのにどうしたらいいのか」というコメントを載せている。
記事では九州商船の存在には触れていない。


この記事を読んだ読者にどんな印象を与えたいのかが見え隠れする。
これでは、上五島への航路が途絶えたかのような印象を読者に与えはしないか。
記事に登場する男性会社員は、急いでいるならば、九州商船の便で上五島へ渡ったはずである。戸惑ったかも知れないが、五島に渡れないわけではない。


定期船が止まるということは、人の行き来ができなくなるだけでは済まない。
食料をはじめとするあらゆる物資が絶たれることを意味する。
Amazonもメルカリも新聞も届かない。
空路の定期便があれば、少々費用がかさんだとしても代替手段となり得るが、上五島空港は2006年に休港したままだ。

船が止まると言うことは、島の暮らしを根本から揺るがす。
その重大さを考えて、読者が受ける印象を考慮しなければならない。

五島産業汽船の航路は、10月19日、元従業員らでつくる同名の新会社「五島産業汽船」が長崎-鯛ノ浦間を再開した。

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2018年11月 1日 (木)

そっちか!

そっちか!

そっちか!は、相手の反応が核心を外れている時のツッコミ。いつの頃から常用されるようになったかは不明だが、2010年代以降だと思う。

そっちか!に非難のニュアンスはない。
嫌いな相手、敵対する相手には使わない。現代社会ではそういう相手に対しては、その場はスルーして後で「陰口」を言う。
その手段は口頭に加えてラインなどのネットツールが使われる。
面と向かって「そっちか!」という時の顔は誰もが笑っている。そういう意味では、現代には珍しい健全なコミュニケーションワードである。

「そっちか!」を言われる時、たいてい、その相手はわざと核心を外している。すなわち「ボケている」
核心を外すボケに対して、お約束のツッコミが「そっちか!」なのである。


最近思わず「そっちか!」とツッコンだことがある。
ただ、目の前にいない相手、ネット・ニュースに触れた時だ。


2018年10月27日
阿部守一 長野県知事が「自転車利用に関する条例(仮称)」の今年度中の制定を目指す方針を明らかにした。
条例では運転者の賠償保険加入を義務づける方針。
長野県の自転車人身事故は928件(2017年)

同様の条例は、2015年に兵庫県が制定して以来、全国12自治体に広がっている。

東京都の場合、年間の自転車人身事故は6,210件。負傷者5,405人、死者8人。数値は大きいが条例の話しはまだ聞かない。


このニューに「そっちか!」とつっこんだのは、
1,実効性が低い
2,手の付けやすいところに着目している
3,核心を外している
以上3つの理由による。


1,実効性が低い
これらの条例には罰則規定が無い。
自転車保険料は、ネットで最安価格をしらべると、年払いでおよそ2,000円。
自動車保険に比べるとずいぶん安いが、そもそも、自転車ライダーには、保険に金を掛けるという認識はない。
2,000円ぽっきりで済めばいいが、自転車は長く乗るもの。
5年乗れば1万円。10年乗れば2万円の出費になる。
罰則がないのであれば、大半のライダーが、条例を知っていてもスルーするだろう。


2,手の付けやすいところに着目している
現実に死傷事故が起きており、損害賠償のために多額の負担を強いられるライダーがいる。
「転ばぬ先の杖として保険に入りましょう」というアプローチは反対を受けにくい。
人をはねることを前提にして、皆さん保険に入りましょうというのは順番が逆だ。


3,核心を外している
ものごとの本質として、まず、自転車ライダーに正しい行動を求めるべきである。
それには「教育」が必要である。
現在は「周知」努力もほとんどしていないに等しい。
「周知」では、行き届かないと考えるならば、免許制度に踏み込めば良い。


免許制度となれば、条例ではなく、道交法の改正という「全国」の話しにしなければならない。
今「自転車保険」を条例化した12自治体は、核心を外しているが、その努力に「意味が無い」わけではない。その努力をたたえたい。
核心を突いた策すなわち法律を作ることができるのは、唯一の立法機関である国会の皆さんである。

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