« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »

2018年12月の31件の記事

2018年12月31日 (月)

日本IWC脱退

1位
日本IWC脱退

日本政府は12月25日、IWC脱退を閣議決定した
英断である
このニュースを読売新聞夕刊の一面トップに見つけた時、そう思った。
その理由は以下の2つに集約される。


1,調査に基づく行動
捕鯨反対国は停止理由の一つに、一部鯨種の絶滅を挙げている。
これに対して日本の主張はこうだ。

①調査によると鯨は増え続けている
②増えすぎた鯨が人間の3倍を超える魚を捕食、人間が食べる分の漁獲量が減っている(ピーク時の半分以下)

つまり、長年捕らないために増え続けた鯨が大量に魚を食べるために連鎖バランスが崩れており、人類の食糧確保に支障を来すレベルまで来ているということだ。
日本は調査データを根拠として提案を続けてきたし、IWC脱退後もオブザーバー出席(議決権のない出席)して、情報提供を続ける。


2,食文化への干渉
1948年に設立されたIWC(国際捕鯨委員会)は、1982年に商業捕鯨停止を採択した。
それ以降現在まで、捕鯨は調査捕鯨と規制対象外の鯨に限られてきた。
元水産庁官僚である小松正之氏は、その著書で「哺乳類保護を叫ぶことが動物愛護団体という国内の票田獲得につながっている」と指摘している。

哺乳類だから食べてはいけないという理屈は通らない。
それを言うならば、捕鯨に反対しているオーストラリア、米国は牛肉食を禁止しなければならない。

頭脳が高等だから食べてはいけないという理屈は通らない。
仮に国際愛犬委員会という組織があったとする。
(国際的な組織は国際畜犬連盟FCIのみ)
もしそこで「犬食停止」が採択された場合、犬食を食文化としている国はなんというだろう。
恐らく、そういう国は不利益な採択が成された時点で脱退するだろう。
日本は商業捕鯨停止の「採択」からIWC「脱退」まで、36年にわたり「再開」への努力を続けて来た。


【IWCの歴史】
1948年
国際捕鯨取締条約に基づいて設立

1982年7月23日
商業捕鯨一時停止を決議

1999年
1992年には5か国だった捕鯨推進国が、日本、ノルウェー、ロシア、 大韓民国など14か国に増えた。
*規約改正には4分の3の賛成が必要

2004年
年次総会で日本は南極海の禁漁区撤廃を提案。投票権を持つ53か国中、賛成19、反対30、棄権2、欠席2。捕鯨推進側は19か国まで伸びた。

2018年
捕鯨支持41、反捕鯨48


日本は、脱退したからと言って好き放題捕るわけではなく、IWCが算定した枠組みに則った量に留める。変わるのは、捕獲の主体が民間に移り、場所が調査捕鯨の南氷洋から、近海(EEZ)に移るということだ。

スーパーの惣菜コーナーに廉価の「くじらフライ」が復活する日が待ち遠しい。


今年も「しらべる」「しらべるが行く!」を読んでいただきありがとうございました。
2019年も時々読みにきてください。お待ちしています。
よいお年をお迎えください!

|

2018年12月30日 (日)

箱根駅伝で履くヴェイパーフライ 4%快走つづく

しらべるが選ぶ2018年5大ニュース
2位
ヴェイパーフライ4% 快走つづく

2019箱根駅伝で東洋大、東海大などの選手が履いている「白」実際にはグレーに見える靴がヴェイパーフライ 4%

2017年7月に発売されて、マラソンシューズの主役をadidasから奪ったナイキ「ヴェイパーフライ 4%」の快走が続いている。

2018年2月の東京マラソンでは設楽悠太が日本記録を樹立。
日本陸連から1億円の賞金をゲットした。
9月には大迫傑がその記録を更新(2時間5分50秒)またも1億円をゲットした。

そもそも日本記録を出したくらいで一億円という賞金が設定されていたのは、2002年に高岡寿成が出した記録を16年にわたり誰も破ることができず、世界最高と大きく差がついていたからだ。

一度、誰かが破ったら、そこで取り下げるべきであり、大迫傑も「本当にもらっていいのか?」と内心戸惑っているに違いない。
賞金は現在も取り下げられておらず、2019年3月の高速コース「東京」で、設楽悠太がたった1秒でも大迫傑の記録を更新すれば「また1億」
それは、いくらなんでも主旨が違う。


「世界」では、9月のベルリンマラソンでエリウド・キプチョゲが2時間1分39秒を出し、1分台に突入した。
キプチョゲは2017年5月、トラックを42.195km走る試み「breaking2」では2時間0分25秒を出しており、あとはコースと気象条件次第で1時間台が見えてきた。


設楽悠太、大迫傑、エリウド・キプチョゲ
いずれも「ヴェイパーフライ 4%」ユーザーである。
テレビで放送されるマラソン、駅伝では、スタートラインに並んでいる選手の大半が同じ色の靴を履いているので、いかに支持されているかが一目瞭然。

日頃からこの靴を履き、この靴向きの「フォアフット走法」が修得できる者ならば、タイム向上の確率が高いことは、もはや誰も否定できないだろう。


箱根駅伝では東海大学、東洋大学などが2018年大会から着用しており、2019年大会はさらに増える見通し。
2015~2018大会を4連覇している青山学院大学は「adidasタクミ戦ブースト」ユーザー。
ただし、この靴をみていた三村仁司は2017年にadidasとの契約を解消して、現在はニューバランスで開発に当たっている。
青山学院大学が5連覇すれば「走るのは靴じゃない。俺たちだ」ということになるだろうが、それは元々選手の力量が高いからである。

ヴェイパーフライ4%でタイム向上が見込める「フォアフット走法」のランナーがいて、個人的に履きたいと思っていても、学校毎の契約であるため、それは叶わない。



ヴェイパーフライ 4%は2018年7月に「第2世代」モデルのヴェイパーフライ4%フライニットが出た。
ミッドソールより下の性能は同じで、アッパーにフライニットを採用した。

「第1世代」「第2世代」それぞれで1レースずつ走ってみて、走りの性能は変わらないが、アッパーの差は大きい。
マラソンレースのスタート直前は、シューレース(靴紐)の締め方に過敏になる。緩くてもきつくてもいけない。途中で締め直すことになれば1分はタイムロスするので、ベストの締め具合を探して、何度も試行錯誤するものだ。
ところが、フライニットはそこがアバウトで済む。
シューレースが少々緩めでも、アッパー全体が足の甲にぴたりと吸い付くのである。


素人には契約のしがらみがないので、お金があれば誰でも履くことができる。
ただし、発売から1年半、依然として入手は難しい。販売数が極端に少ないのである。ふらっと店に行って「これください」と買うことはできない。
従って、市民マラソンでこれを履いている人はほとんど居ない。

2018年の暮れ、12月20日には「ヴェイパーフライ 4%フライニット」の2ndカラーが発売された。ナイキ公式ネット通販は即時完売。ただ、ナイキ原宿では「先着順販売」が行われた。
(2017年初代モデルの2ndカラー以降「抽選販売」が続いていた)
箱根駅伝で注目を集めたあと、この2nd「白」モデルの再販が行われるだろう。
2019年、ナイキがどれくらいの量を市場に送り出すかに注目したい。

|

2018年12月29日 (土)

V・ファーレン長崎30点 スポーツを支える文化

3位
V・ファーレン長崎ゼイワンで30点

初めてゼイワンに昇格したV・ファーレン長崎は、勝ち点30を獲得したが18位(最下位)となり、1年でJ2降格となった。
J1史上、最下位の勝ち点30は史上最高。2018年のゼイワンはクラブの力が拮抗し、最終節まで6クラブに降格の可能性が残るという激戦だった。
「ゼイワン」とはクラブの経営者である高田明社長が「J1」と言う時の訛りで、長崎のファン・サポーターだけが「ゼイワン」を常用している。

長崎のチームスローガンは「正々道々」
フェアプレーに徹し、苦境にも下を向かず立ち向かう。
FW澤田崇は一年間を無警告で終え、ゼイワンのフェアプレー賞を受賞した。

被爆県である長崎は平和を旗印としており、スポーツを通して平和をアピールしている。
2015年からは期間限定で「平和祈念ユニフォーム」を着用。
毎年、異なるデザインのユニフォームを作る。
2018年はサンフレッチェ広島もこれに倣い、8月の対戦は「ピースマッチ」と銘打って行われた。



長崎はゼイワンで最下位
ということはゼイワンカテゴリーでは「弱いチーム」ということになる。
それでは、J2に戻るとファンはいなくなるのかというとそうではない。
そこで問われるのが「支えるスポーツ」文化の成熟度合いである。

「弱いから応援しない」
「有名な人(上手い人)がいないから応援しない」
そう考える人が一定の割合でいることは確かだ。
そういう人は、スタジアムに足を運ばないだろうし、DAZNにだって入らないだろう。

弱くても応援する
有名な人が出て行っても、残ってくれた人、来てくれた人を応援する
そう考える人が、少しずつ増えている


これから先、V・ファーレン長崎にはサッカー専用スタジアム建設という希望が待っている。
手倉森誠新監督は「J1で優勝争いをする」と宣言している。
ただ、強くなった時に集ってくる人は、弱くなるとまた離れて行く人だ。

高田明社長は常日頃「サッカーには夢がある」と言い続けている。

勝っても負けてもいい
平和な日本だから娯楽がある
それに一喜一憂できる
それこそが夢だ
その夢を共有する人が増えたところに「文化」が生まれる

長崎に、日本に「スポーツを支える文化」が根付く日に向けて、何ができるかを考え始めた2018年だった。

|

2018年12月28日 (金)

しらべるが選ぶ2018年の5大ニュース

2018年は激動の一年だった
と語るメディアは少ないと思う。
激動か否かは相対的なものであり、個人によって事情は異なる。ただ、世界を見渡してこの一年を激動と呼べるならば、そのメディアは「煽りが命」か「何もないところに、さも何かあるようにでっち上げるねつ造メディア」ということになる。


5位
AIの停滞

2018年1月11日、SONYが新型AIBOを発売した。
1999年6月に発売した犬型ロボットは入手することが難しく、11月の再販でも即時完売した。
しかし、その後、売行は低迷し2006年3月末で生産を終えていた。
今回はものづくりSONY復活のイメージリーダーとして、12年ぶりの再販。

我が家にも一台(一匹?)と思い、AIBOを家に迎えて暮らす(飼う?)ための費用をしらべた。
初期費用が30万円、これに毎月の維持費、保守契約を入れると5年で50万円を超える。

そして、AIBOは喋らない
愛らしく、まさに犬のように振る舞う
でも、喋らない
僕が欲しいのは話し相手だ。
高価ならば、広く普及して値段が下がるのを待つ。


一方、AIスピーカー「アレクサ」は日々、進歩を続けている。
進化というほどではない。
世界中の「問いかけ」を学習して、受け答えできるパターンを増やしている。
一例を挙げると、以前ならば「明日、雨降る?」と尋ねると「明日の天気は?」という問いかけと同じ答えである「翌日の天気・最高気温・最低気温」が返っていたが、今は「雨が降ることはなさそうです」という答えが返るようになった。

AIおしゃべりロボットは、この一年、進化していない。
2019年には、そろそろ「本気で買いたくなる」あるいは、高いけれど「いつかは●●」と思えるロボットの登場を期待したい。


4位
史上初米朝首脳会談

2018年が始まった時、ドナルド・トランプ米国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が握手をするとは夢にも思わなかった。
2017年には、一発お見舞いするぞと挑発し合っていた二人である。
この会談の実現は、世界は予定調和の時を終え、今や何事も不可能では無いと思わせた。

「会談の成果が出ていない」と批判するのは的外れだ。
現にこうして今、人々は「地政学的リスク」に怯えていない。

|

2018年12月27日 (木)

「龍馬巡礼マニア」に譲りたい「坂本龍馬ゆかりの広場」

事前にウェブサイトから申し込んでおいた頭ヶ島天主堂の見学予定時間まで、まだ随分時間があるので、先に「坂本龍馬ゆかりの広場」に回る。

子どもの頃、この辺りの道は何処も30キロ制限だったと思うが、今はどこも50キロ制限になっている。
確かにあの頃は、海沿いでガードレールがない場所もあったし、昔と今とでは国交省の考え方も変わっている。
今は一定期間の安全が確認されれば、良識ある利用者の自覚に委ねるという流れなのだと思う。

ゆっくり走っていると、後ろから来たタクシーが追い抜いて行った。
狭い五島、そんなに急いで何処へ行く・・
と思ったら目的地は同じだった。


銅像の龍馬は練習船ワイル・ウエフ号が遭難した辺りを向いて合唱している。
頭になにか黒いものが乗っている。帽子か?
と思ったら、とんびが飛び立っていった。
僕は鳥学者ではないが、しばらく上空でぴーひょろろと鳴いていたので、きっとそうだろう。




全国にある龍馬ゆかりの地を巡る「龍馬巡礼マニア」がいたら、今この場所に立っている立場を譲ってあげたいものだ。
この場所が高知にある龍馬像のように歴史あるものではないことは知っているし、僕は時間が余ったから来ただけだ。
そして、全国ゆかりの地をコンプリートしたい人にしてみれば「五島」という場所は難関の一つだろう。
なにせ、この銅像のために、船に乗って海を渡らなければならない。
上五島空港はとうに休港している。

それにしても暑い
陽を遮るのは龍馬の銅像だけ
お休み処はないし、高知のように「龍馬銅像のミニチュア」を売っている売店もない。買わないけど
先着していた観光客のおじさんは角刈りの運転手から説明を聞くと早々に次の目的地へと去って行った。
(次の目的地も一緒だったが)
僕も熱中症になる前に、龍馬にそいぎねと言って、少し早いけれど頭ヶ島へ向かった。


前日、高速船でくぐった頭ヶ島大橋でクルマを停めて、頭ヶ島海峡(勝手に命名)をのぞき込む。
頭ヶ島側からは大陸棚のように岩場がせり出していて、深くなっている部分はとても狭い。高い位置からみると10mほどに見える。実際は20mほどか
あそこを高速船が通ったのか・・
改めて、船長は(九州商船は)チャレンジャーだなと思った
流れは速そうだし、僕だったらカヌーだって漕ぐのは怖い。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月26日 (水)

衝撃!!ランニングが育毛に!!

衝撃!!ランニングが育毛に!!
いつの頃からか、一日に届くメールの九分九厘は業者からのメールになった。
日に一度タイトルを確認して「delete」を連打、ゴミ箱に直行させる。
タイトルが興味深いものは、残しておいて内容を確認する。
その日、一通のメールに目が留まった
ランニングが育毛になる!?≪今日からできる薄毛対策!!【アンファーストア】
シャンプーを購入しているアンファーからのメールだ。
定期的に購入しているので、お得なクーポンをチェックマしているが、記事内容を読んだことはなかった。
ランニングならば、やっているぞ
ただし、マラソンレース前の4ヶ月限定だけど
いったい、どこが育毛によいのだろう?
<以下、抜粋して引用>
ランニングを行うと、筋肉の稼働によって、血流が促進されるので血行改善に!
そして、筋肉を使うことで深い眠りにつきやすくなり、頭皮のターンオーバーや髪の成長に必要な成長ホルモンも充分に分泌されることで髪の成長も順調になるのです!
<引用終わり>
なるほど、やっててよかったランニング
確かに、マラソン会場でバーコード禿げの人はあまり見ないな。もちろん多くの人が帽子を被っているからというのもあるが、更衣テントでも「わぁ、逝ってるなぁ」という人は少ないと思う。
これを早速、べっぷちゃんに話してみた。
べっぷちゃんは同年代の旧友で、今年久しぶりに再会し、先日はBABYMETALカラオケに行った。
つまり、再会して話してみたら、互いにBABYMETALファンだったということだ。
ただ、一度きりしか参戦していない僕とは違い、彼は国内あちこちで行われるライブに参戦するという。
久しぶりに会ったべっぷちゃんの頭は、かつての面影(髪型の外形)を残しているものの、頭皮が透けていて、まるで老人のようだった。同じような頭皮を何処かで見たことがあるなと思ったが、その時は思い出せなかった。
彼は依然として毛髪を保っている僕をみて残念そうだった。
「motoは逝くと思っていたんだけどな・・」
僕は若い頃から、発毛について研究と実践を重ねてきたし、それをネタとして発言していたから、きっと、禿げると思っている旧友が少なくない。
再会した途端「motoさんは禿げてくれると思っていたのに」と露骨に言い放たれたこともある。
「禿げ仲間になるはずだったのに、抜け駆けはずるい」
ということらしい。気持ちはわかるが、それがどれだけ失礼な物言いか、自らを見つめることすらできない。それほど「脱毛」は冷静さを失わせるのだろう。

ランニングが育毛にいいらしいよ
僕が言うと、べっぷちゃんは即座に反論した
「汗をかいて頭が蒸れたら、その方が不潔だよ」
もちろん、僕は反論はしない。
もし、君が言う通りならば、ランニングだけではなく、通勤でも帽子を被っている僕は、君よりも禿げているはずだろ?とは言わない。
NHKのニュースは神のお告げだと思っているような思考停止した人たちには、何を言っても始まらない。

再会後、べっぷちゃんは僕が取り組んできた発毛メソッドをひと通り聞き出したが、それをネタにして笑いものにしただけだった。
BABYMETALカラオケで「4の歌」を完コピ(自称)して歌う姿をみて、そうだ、何処かで見たことがあると思ったのは、名古屋の友達、安穂野香さん(セーラー服おじさん)だと思い出した。

|

2018年12月25日 (火)

ルーテル市ヶ谷の教会で遊佐未森ときよしこの夜を歌う

花の二重唱(銀河手帖)
グノーのアヴェマリア

クロ
かつて「NHKみんなのうた」に提供した曲
歌詞がこれほどまで頭に入ってくる曲は珍しい
猫を飼ったことがなく、猫が好きでない人でも、猫と暮らした人に感情移入できるから、きっと、猫を飼ったことがある人にとっては、とてももの悲しい曲なのだろう

Angel snow
NHKの子供番組「天才てれびくん」の音楽コーナーに提供した曲で、遊佐未森のアルバムでは「TRAVELOGUE~遊佐未森 sweet and bitter collection」に(mimori version)として収録されている。
「この曲を私がステージで歌うのは初めてだと思います」と言われてこの曲が始まると、え、そうなの?もう何度もやっているような気がした。それほどに「TRAVELOGUE」を聴きこんだ時期があったということだ。


カリヨンダンス
曲を紹介すると、観客が沸いた
「もうヘイ!を言う気満々ってことですね」
そうだ。僕だってやる気だ
この間のつくばマラソンでセトリに入れた。この曲がかかると思わず「へい!」と小さく声に出し、笑いながら走ったのだった。
今日は遊佐がドラムではなくミニ鉄琴を叩いている
三人しかいないから、いろいろなことをやらなければならない
観客の手拍子の音が一段と大きくなる
空気が暖まってくる

ん?
いやそれどころじゃない。暑いぞ
クリスマス会が進行するに連れて、人々の熱気の行き場がなく気温を押し上げている。
その熱気を空調が逃がしてくれればいいのだが、どうやら暖房にセットされているらしく、MIZUNOの発熱素材ブレスサーモに会場が包まれたような熱気になっている。
ナイキのエアロロフトジャケット(ダウン)を脱ぎたいが、脱いでも置く場所がない。終わるまで、あと少しの辛抱だ


あっという間に迎えた終演の曲は「ロカ」
三人編成だが、それは冷蔵庫の残りもので仕上げた炒飯のように、いつもと変わらず、なんの遜色も無い

20:22 本編おわり

アンコールの求めに対して、割とすぐにtico moonの二人が登場する。二人で演奏するのかな?と思ったら、少し遅れて遊佐未森がお色直し無しで登場。

「暑いよね?誰か涼しくしてくれませんか~」
遊佐の呼びかけに、誰も反応しない。
僕らは「ははは」と力なく笑うしかない。
恐らくこの場にいるのはステージの三人、そしてバックヤードで操っている音響・照明さん
会場の係員は事務所でテレビでも見ているのだろうか

アンコールは1曲
「きよしこの夜」の一番を遊佐が歌い、二番はtico moonが演奏。三番は観客が歌う
フォーライフ「クリスマス」アルバムの泉谷しげるみたいに歌ってしまいそうな衝動を抑えるために、ウィーン少年合唱団を頭に浮かべ清らかな気持ちで歌う


20:35 終演
恐らく会場側から求められた撤収時間が21:00なのだろう。
遊佐未森が左の袖に見えなくなったのを確認して、すぐに市ヶ谷の駅へと歩き出した

本日はMimori Yusa Christmas Concert 2018 pianoel教会篇にお越しいただき、ありがとうございます。お帰りに・・

そんな場内放送は流れなかった

おわり

|

2018年12月24日 (月)

クリスマスコンサートで遊佐未森と歌うサイレントベルズ

遊佐のピアノではなく、吉野友加が弾くHarpで前奏が始まる。耳を澄ますとつま弾く指先よりも音が多い。どうやらリズムマシンも使っているようだ(定かではない)

古賀森男のパートはギターの影山敏彦が歌うのだろうと思っていたが、彼はマイクをセットしていない
もしかして「Silent Bells」は客席の男が合唱するのがお約束なのか?
もちろん、そんなわけはなく、実際に男性パートを唄い始めたのは吉野友加
「女二重唱」の「Silent Bells」だ


これもなかなかいいな
男性ボーカルがきちんと歌ってしまうと、ある意味、僕の夢は壊れていたかも知れない
僕はこの曲を聴きたいだけでなく、歌いたかったのだから


「一緒に歌ってくれる方?」
遊佐未森が客席に問いかける
僕はすかさず左手を挙げる
他には誰も希望者はいない
「じゃ、そこのおじさん」
これまで、遊佐未森のコンサートに足を運ぶ度に、何度、妄想したかわからない
でも病気だと思われるので、誰にも言わないことにしている


何なら僕が歌いましょうか?
その準備はできていたが、声はかからなかったので、声に出さずに古賀パートを歌う
それは夢にまでみた遊佐未森との「Silent Bells」デュエットだった。

中洲のキョウコちゃんと「ふたりの愛ランド」をデュエットし時も幸せだったが、それはちょっと意味が違う
今日の幸せはその上を往く経験がないものだ
至福の時間とはこのことをいうのだろう
声には出していないが、僕には低くナイーブな男性ボーカルが聞こえる。それは僕が彼女と一緒に歌っている声
もしかして、本当に声が出ていたら顰蹙だが・・
およそ6分の夢の時間は、あっという間に過ぎていった。
この曲がまた聴けるならば、このためだけにチケットを買う価値がある。


LIVE DAMには「The Hobo King Band」の演奏で歌う「約束の橋」(佐野元春)やBABYMETALと共に歌う「イジメ、ダメ、ゼッタイ」(これは単なるライブ映像)のように、憧れの歌い手と競演できる趣向がある。

古賀森男のパートだけ音を抜き、遊佐未森とデュエットできる映像カラオケがあれば、一曲一万円だって惜しくない。
実際には千円くらいにして欲しいが^^;)
第一興商の企画担当者の皆さん、ぜひご検討よろしくま!
ちなみに現時点「Silent Bells」はカラオケそのものが遊佐未森のラインアップに入っていない。

| | コメント (0)

2018年12月23日 (日)

30年めにして初めて聴けた「Silent Bells」

この日に先立つこと5日前、2018年12月15日(土)12月16日(日)には鎌倉で公演している。
Mimori Yusa Christmas Concert 2018 "pianoel"~鎌倉篇~
鎌倉 歐林洞ギャラリーサロン

歐林洞(おうりんどう)は鎌倉に本店を置く洋菓子店。松屋銀座や東急百貨店などに出店している。

歐林洞ギャラリーサロンの収容人員は100人で、市ヶ谷ルーテルの半分。
遊佐はこの日のMCで「忘年会のような雰囲気だった」と紹介していた。
「鎌倉にも行かれた方?」という問いかけにあまり手が上がらなかったことに対して「ふーん、そんなもんなんだぁ」と謎の疑問を呈していた。
遠く長崎から来た方も居たというのに、東京からは来ないんだなぁということに率直に驚いた様子。
200人ですらけっこうアットホームなのに、100人というのはまさにクリスマス会そのもの。それはそれで行きたかった。


すたすたと歩いてきた遊佐未森はスタンドマイクの前で立ち止まり
「こんばんは遊佐未森です」
と俵孝太郎みたいなMCはせず、いきなりアカペラで唄い始める。
アイルランド先住民の言葉で歌う先住民の歌。


2曲めより tico moonの影山敏彦(G)&吉野友加(Harp)が登場
遊佐はピアノに腰掛けて「川」を弾き語り
9月の30周年「P E A C H T R E E」では、これがアンコールのラスト曲だった。


「クリスマスといえばこの曲ということで」
3曲めにして早くも「Silent Bells」
初めて遊佐未森のコンサートに行った日から20余年、一度もライブでは聴くことができていなかった曲
待ち焦がれていた瞬間はあっさりと訪れた


「Silent Bells」は遊佐未森によるクリスマスソングの傑作
日本ではクリスマスソングといえば山下達郎の「クリスマス・イブ」の「一強」時代が続いているが、僕は「Silent Bells」が「二強」に値すると思っている。

フェビアン、古賀森男との共同制作(作詞・作曲・歌とも)で1989年11月22日に、遊佐未森6枚めのシングルとして、ブックレットがついた特製二つ折りパッケージで発売。


発売当時のシングルCDは2000年代には希少化し、2002年12月、蒲田の中古CDショップ「えとせとら」で3,400円で販売されていた。インターネット普及後は、Amazonなどで中古ショップが一堂に価格比較できるようになり、ずいぶん価格が落ち着いている。

アルバムでは1998年に出た2枚めのベストアルバム「mimomemo」で初収録。

2014年にCDとストリーミングで発売された「Do-Re-Mimo the singles collection」には前奏ピアノ付きのシングルバージョン(6分11秒)が収録された。
moraのサイトでは1曲257円でダウンロードできる。
「mimomemo」収録分より音量が上がっており「古い曲だから、その曲だけ音が小さくなる」ことがなくなった。

|

2018年12月22日 (土)

ピアノ発表会のように現れる遊佐未森

ルーテル市ヶ谷教会の壁面には、お城のお堀端にある古いホテルのようなシンプルなイルミネーションが架かっている
大通りから一本入った路地に人影はまばら
今日のクリスマスコンサートの参加者は200人
会場が開くのを待つ人の群れは、マンション自治会の総会程度のささやかなものだ
我先にと入り口付近へ割り込む人はいない
開場は少しだけ遅れ、まずはロビー開場
もちろん、手荷物検査はない
フライヤーを受け取りロビーに進むと、すぐにあたりを見回して、グッズ売り場のテーブルを見つけた
ピアノアルバムってありますか?


mimori yusa 「piano album」
¥2,000(税込)

1 noon recess
2 緑の時間
3 …snow…bird…snow…
4 a floating stroll
5 木もれ日
6 灯火
7 小さな夜

※コンサート会場限定発売


いつもの遊佐公演は、名古屋ウィメンズマラソンと同日開催になってしまったマラソン大会のように、男・男・男で埋め尽くされる。
いつも思う。女性はどこへ往ったのか?恐らく、女性ファンは女性限定の公演に出かけるのだろう
ただ今日は少々違っている。いつもならば9:1の比率が7:3くらいにはなっている。
僕と同じように一人きりで来ている男が多い。30年もファンをやっていると、徐々に仲間は欠けていく。
1997年の名古屋公演で最前列のチケットをとってくれた「遊佐仲間」はもう居ない。
身の回りで「遊佐未森」を聴いているという人と出会ったことはないし、何度かネット上の友達に「遊佐未森行く人いない?」とご機嫌を伺ってみたがスルーされた。
歳をとってから、新たな親友をつくるのが難しいように、遊佐未森仲間を作る願いは叶いそうにない。


席に着くと、思いのほかステージが近い
先行に外れて一般販売だったので、後方座席を予想していた僕は、ひーふーみーと列をかぞえてみる。
(列表示はアルファベット)
七番め 近い 名古屋以来だ
やはり、双眼鏡を持ってこなくて正解だった。

場内にはpiano albumから「noon recess」が流れている


教会のホールを使ったコンサート
ステージの上空からは、森永小枝チョコをいくつか重ねたような十字架が垂がっている
Charが来ていたら「公園の小枝を大切に」と注意しそうだ
あれが落ちてきたら怖いなと思ったが、数本のワイヤーで補助固定されているのを確認して安心した。
スピーカーは公演のために持ち込んだらしき小型のものが左右毎に2個程度。
右奥にはイルミネーションをセットしたクリスマスツリーが飾られている。
きっとここぞというところで点灯するのだろう。


開演時間を少し過ぎて、客電がおちるとファンファーレもなく、遊佐未森がたった一人ですたすたと現れた
「一番、遊佐未森さん」と呼ばれて出て来た発表会の子どものよう。
あるいは、上品なお家に招かれたクリスマス会の始まり
そんな錯覚に陥り、笑って拍手をした

|

2018年12月21日 (金)

一人きりのクリスマス 遊佐未森コンサート

チケット、財布、Suica、双眼鏡
明日は一人きりのクリスマスコンサート
山下達郎の「クリスマスイブ」が脳内に流れる中、9月の30周年コンサートに行った前日の記録を開き、備品をチェックする。

チケットとSuicaを財布に入れる。
遊佐仲間は居ないので「前OFF」も「後OFF」もない。
現金は記念グッズが販売されていた場合に備えて、最低限の金額を入れておく。

今年1月に買った双眼鏡は、コンサートではいつも重宝した。
(NPBやJリーグ観戦には不向きだった)
明日はどうしようか。

30周年の時はステージが遠かった。
もしも、遊佐の代わりに菊池桃子がそこに立っていたとしても、肉眼ではわからないほどの距離。
双眼鏡をのぞいて初めて、おぉ確かに本人だ。今はこんな感じになったのかということがわかった。

しかし、今日は会場が狭い。
調べたところルーテル市ヶ谷ホールの収容人員は200人
肉眼でも十分、本人であることが確認できそうだ。
その近さで双眼鏡をのぞいていて、変態おじさんと思われたらイヤだ。
双眼鏡は荷物から外すことにした。


Mimori Yusa Christmas Concert 2018 pianoel~教会篇~
30周年を迎えた遊佐未森が教会で開く、今年最後のクリスマスコンサート
およそ200席分のチケットは「即日SOLD OUT 」しているという。

2018年9月23日
Mimori Yusa 30th Anniversary Concert “P E A C H T R E E”(東京EX THEATER ROPPONGI)の際、入場時に配られたフライヤーの中に、そのお知らせが封入されていた。

クリスマスコンサートならば「サイレントベルズ」を演るのは間違いないだろう。
そう思った僕は、5年に一回ペースの遊佐未森を年2回聴きに行く決断に至る。
先行抽選には外れたが、一般発売時刻に買うことができた。


迎えた、クリスマスコンサート当日の12月20日
アレクサによると「最低気温は6度」極寒というほどではない。会場内ではジャケットを羽織っていれば、寒さに凍えるということはないだろう(この読みは外れることになる)

18:15の開場より30分前に着いた時、会場には既に10人ほどの人が集まっていた。
17:30より30分間のグッズ先行販売が行われており、販売テーブルをチェックマする。
特に今日買わなければならないというものは見つからない。
右端にあった卵形のシークレットボックスに入った物体が目に留まる。これは何ですか?と尋ねると二種類の桃キャラクターのバッジ。
どちらが出るかわからないこのバッチをコンプリしたくて、いくつも買う羽目になることを想像して、身震いがした。
危ない、危ない


一旦、外に出てtweetをチェックマすると「ピアノアルバム」なるものがこの日、販売されていることがわかった。
初耳だ。恐らく30周年の時に場内で流れていたあのピアノのことだな。しかも「会場限定」
値段はいくらだろう?
発売時のリリースでしらべると2,000円。手頃だ。
これは早く買わないと売りきれるかも知れない。
そう思うといてもたってもいられない。
すぐにテーブルに戻ったが、既に18時を回り、販売は終了していた。

|

2018年12月20日 (木)

長崎の皆さんに買って欲しい G-SHOCK V・ファーレン長崎モデル

2018年12月7日に企画発表されてから4日後の12月11日「G-SHOCK V・ファーレン長崎モデル」が発売された。
振り返ればわずか4日なのだが、待っている間は北風の冬を通り越して、桜満開の春が来てしまうんじゃないかと思うほど、待ち長かった。


■品番:DW-5600VVAREN-1JR
■通販価格:送料込16,848円

モデルは予想どおり「スピードモデル」
カラーは意外にも黒
長崎モデルならば「青とオレンジ」をモチーフに、青いベルトとオレンジの文字といったデザインだと予想していた。

黒いスピードモデルは、G-SHOCKではまさにクラシック。
これならば何処でも使えて使い勝手がいい。お通夜の会葬につけていっても、特に目くじらを立てられることはない。
幅広い層に買ってもらえるよう、あえて、大人しく地味なイメージにしたのだろう。
長崎モデルが15番めとなる歴代のJリーグコラボの中でも、地味さでは右に出るものがいない。


注文してから5日後。配送時にトラブルがあって、予定日を一日過ぎて手元に届いた。
2000年代までに出たベーシックなG-SHOCKモデルは、どれも仕様が共通化されており、今さら説明書を見るまでもない。
ハコから出した時点で、時刻は合っていたので、すぐに使い始めることができた。


予想外だったのはELに文字がセットされていたことだ。
ELとはエレクトロ・ルミネセンスの略。初期のG-SHOCKから搭載されているバックライト(照明)のことである。
右下のボタンを押すと、V・ファーレン長崎のチームスローガン「正々道々」の文字が浮かび上がる。

ELはイルカクジラモデルであれば、イルカ・クジラ。佐野元春VISITOR'Sモデルであれば、キース・ヘリング風のノックするベイビーのイラストといった絵柄が使われる。

ただし、ELには寿命があり、ある程度の年数を使っていると、電池が入っていても光らなくなる。もちろん、その頃には買った頃の新鮮な高揚感もなくなっているので、光らなくてもさほどがっかりはしない。


「G-SHOCK V・ファーレン長崎モデル」は数量限定販売だが、その限定数は公開されていない。
限定数がきちんと捌けて「さすが長崎」と言われたい。

2019年シーズン、ゴール裏に駆けつけたファン・サポーターが「な・が・さ・き!」と突き上げた腕には黒いスピードモデルが巻かれている。
そんな光景を見るのが待ち遠しい。


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月19日 (水)

BABYMETALに欠けてはならない最後の要素

僕の中でのBABYMETALは半分終わっている
その半分は何かというと「LIVEのBABYMETAL」
2016年9月に参加した東京ドーム公演「Black night」で僕は初めてBABYMETALに参戦し、その任務を終えた。
それ以降、一度だけ赤坂BLITZ公演に申し込んだが、当然のように外れた。

東京ドームや日産スタジアムで豆粒のような3人と巨大なモニターを凝視するショーはLIVEとは言い難い。
それは、式典であり儀式のようなものだ。
全員で同時に右手(僕は左手)を振り上げ、ジャンプし、かけ声をかける。それを嫌いじゃないけれど、一度で十分だ。


では終わっていない半分はというと、彼女たちの活動のすべて。
今も引き続き行われている公演。そして映像と音楽パッケージ。
それは、他を圧倒するほど魅力的なものであり、時折見上げる夜空の月のように、そこにあるだけで優しく輝いてて、僕らを幸せな気分にする。



■2016年9月以降のBABYMETALの歴史

2016年12月
RED HOT CHILI PEPPERSのイギリスツアー4都市7公演に、スペシャルゲストとして参加

2017年7月~8月
「BABYMETAL 5大キツネ祭り in JAPAN」赤坂BLITZ、Zeppで男、女、10代、60歳以上など客層を限定した公演を行う

2017年12月2日・3日
「BABYMETAL<LEGEND - S - 洗礼の儀 ->」
広島グリーンアリーナ
SU-METALの20歳を記念した出身地「広島」での凱旋公演
YUIMETALが「体調不良」のため欠席し、MOAMETALと2人でのライブアクトとなった
だが、YUIMETALは二度と戻ってこない

2018年1月9日
神バンドのギタリスト藤岡幹大が逝去
2018年12月30日に天体観測中高所から落ちて療養していた

2018年3月
水野由結、菊地最愛が高校卒業

2018年5月
YUIMETAL「不在」でワールドツアーが始まる
アミューズは、この時点でYUIMETALは「復帰未定」とアナウンスしていた
ステージはフードフィギュアを加えた7人構成(BABYMETAL THE CHOSEN SEVEN)で展開された
その中には Saya 平井沙弥がいた

2018年10月19日
YUIMETAL 水野由結の脱退が発表された

2018年12月
3人編成公演で平井沙弥がYUIがいた位置に入った
平井沙弥は 2019年、BABYMETALが「3人編成」に落ち着いた時、そこに入る有力候補者となった。


BABYMETALが愛される理由は「優れた楽曲」「優れた演奏」「優れた3人(dance&vocal)」が三位一体であることだ。
どれか一つでも欠けていれば、今日の名声はなかっただろう。
ただ、その中でも最も重要な要素、これから先、欠けてはいけないもの、それは「楽曲」である。

ライブに行くだけのゆとりがない
近隣で公演がない
チケットが手に入らない

こうした、BABYMETALファンにとって「楽曲」の水準が維持されるか否かが、これから先もBABYMETALファンであり続けるための分水嶺といえる。

|

2018年12月18日 (火)

ヤキリンゴと40年ぶりの再会

上五島には、これぞ「上五島に行ってきました」という「ばらまき菓子」がない。
佐世保ならば「ぽると」博多ならば「通りもん」名古屋ならば「ゆかり」のような、職場の同僚が「おぉこれこれ、美味いんだよね」と喜んでくれる定番だ。

菓子選びは先送りして、次に酒器を探す。
五島には特に有名な窯はないが、地元で作られた酒器があれば買って来てと頼まれていた。
お店のおばちゃんに尋ねると「五島には焼き物はないですねぇ」と難色を示したが、奥にいた男性店員が「頭ヶ島にだったら窯がありますけどね・・」と思い出してくれた。
ちょうど、これから頭ヶ島に行くので詳しく聞かせて欲しいと頼むと、窯のホームページを印刷してもたせてくれた。
しかもカラーで。


店頭で発見したヤキリンゴパンが、この日のお昼ごはん
閑散としている「五島うどんの里」の休憩所に陣取り、懐かしい味を缶コーヒーで愉しむ
ヤキリンゴの奥付に、製造はパンランドかんちゃんとあった。
先ほどヤキリンゴのとなりに並んでいた「パンランドかんちゃん上五島りんごぱん」バッジも同じパン屋のものだ。
懐かしい味との再会
マーガリン、アップルプレザーブなどで味付けたクリームは昔と変わらない。ヤキリンゴは基本的にはリンゴが入っていないパンだが、甘く煮たリンゴを入れた品種も売られているらしい。

【ヤキリンゴの歴史】

1955年頃
長崎市 思案橋のパン屋 東洋軒(2014年閉店)がヤキリンゴを製造販売

1962年
福岡県大野城市のリューユーパンが「ヤキリンゴ」を発売。大ヒットとなり、その名前が知れ渡った

1960年代半ば
上五島で複数のパンメーカーが製造を始めた

2017年
リューユーパンが具材にリンゴを入れた「ヤキリンゴデラックス」を発売

ヤキリンゴは長崎では広く親しまれているが、九州以外ではあまり知られていない。


パラソルの日よけが強い日差しを遮り、そこに海風が吹き込む
世の中には不安、悩み、リスクというものがあることを思い出すことが難しいような幸せに包まれた。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月17日 (月)

五島のお昼はヤキリンゴパン

五島の旅<2日め>
2005年にマラソンを始めて以来、ずっと楽しみにしていた「農道一周」「マラソン大会2位入賞コース」を走り終えて、ホテルに戻って来た。
シャワーを浴びて、明日のRUNに備えてランニングウェアを洗濯し終えると、お昼が近くなっていた。


ホテルの廊下は閑散としていて、ほかの客とすれ違うことはない
ここが埋め立てられたのはいつ頃なんですか?
フロントに立っている、とても感じがいい女性に尋ねてみた
「私が中学校の頃には、もう埋め立てられていたと思いますから・・**年前くらいですかね」
自らの生涯を振り返ってわかりやすく教えてくれた
その分、あまり詳しくは突っ込めなかったが

浦桑の海が埋め立てられたのはいつ?
「Google先生」に何度か尋ねてみたが、いずれも回答は得られていない。こういう時、ブラタモリだったら、町の歴史を研究している学芸員が出てきて即答してくれるのだろうが「Google先生」は、まだそこまでには至っていないらしい。


フロントに鍵を預けてホテルの外に出る
暑い
からりとした暑さ
でも嬉しくなる
けっこう今、幸せじゃない?

あえて、自分に問いかけておく
不幸には高いアンテナと同じくらい、幸福のアンテナも高くしなければならない。これが幸せだと自分に覚えさせる


今日の予定は15:30に申し込んでいる頭ヶ島天主堂の見学。
時間が決まっている予定、つまり予約はこの旅でこれきり。
それまでにはまだ3時間ある。
お昼は有川でうどんでも食べよう。


ワゴンRで浦桑を出て七目トンネルを抜けると、そこには昨晩訪れた竹酔亭の本店がある。
お昼はここにしようと思い、右折して駐車場に入ったが、店内に一杯の人が見えたので見送る。


有川に着いて「五島うどんの里」へ
ここはお食事処「うどん茶屋 遊麺三昧」と特産品の売店。
売店は上五島では最大の売り場面積で、品数ももっとも多い。ちなみにその次に多いのは有川フェリーターミナル内の売店。
昨日、魚目と青方を一巡してそのことがわかっていたので、この空き時間を利用してお土産の「一次審査」に臨む。

「五島うどん」は外せない。ただそれは竹酔亭の製品と決めている。
それに続く五島ならではの名産品といえば「かんころもち」

「かんころ」はサツマイモを切って干したもので、かんころ餅はサツマイモ、餅米、砂糖で練った餅。
子どもの頃、時々、母が焼いて食べさせてくれた。
子どもが好む類いの味ではないので、当時、あまり美味しいとは思わなかった。
現在は商業化されていて、いろいろな味付けの商品が外郎のようなパッケージで売られていた。

かんころ餅のとなりには、懐かしいものが並んでいた。
昨日、榎津では襲撃し損ねた「ヤキリンゴ」だ。
いろいろな菓子パンの一つとしてではなく、これだけが一角を占めているところをみると、今や「五島の名物」として一端のパンに昇格したのだろう。

買い求めたうえで、お店の方に了解を得て、写真を撮らせてもらう。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月16日 (日)

V・ファーレン長崎×G-SHOCK ベースは「スピードモデル」

【JリーグコラボG-SHOCKの歴史】
つづき

■名古屋グランパス
DW-6900
17,280
2017年8月
25周年

■清水エスパルス
DW-5600
16,740
2017年10月

■柏レイソル
DW-5600
16,740
2017年10月
1,000個(先着)

■セレッソ大阪
DW-5600
17,280
2018年5月

■大宮アルディージャ
DW-5600
16,200
2018年8月
1,000個(先着)
20周年

■サンフレッチェ広島
DW-5600
18,360
2018年9月
25周年

■湘南ベルマーレ
DW-5600
16,200
2018年10月
50周年

■ジュビロ磐田
DW-5600
15,000
2018年11月
Jリーグ昇格25周年


ベースとなるG-SHOCKは、2017年、名古屋グランパスのDW-6900を最後に、それ以降の7クラブはすべてDW-5600。
それはG-SHOCKコレクターの間では懐かしい「スピードモデル」である。
「スピードモデル」というのは、沖縄の歌手グループとのコラボではなく、映画「スピード」で主人公のキアヌリーブスが身につけていたことから、そう呼ばれ始めた。

G-SHOCKのシグネチャーモデルには2通りあり、一つは「佐野元春 VISITORS20周年記念」のように企業・組織とカシオがコラボしたもの。
もう一つは「松坂モデル」や「ジェイソンモデル」のように、コレクター雑誌やコレクターが命名して呼んでいるものである。
Jリーグクラブモデルは前者のコラボモデルである。


直近、コラボモデルを作った7クラブのベースが同じであること、公表されている16,200円という価格からして、ベースがDW-5600であることは、間違いないだろう。

そして、日々、V・ファーレン長崎公式サイトをチェックマしていた12月11日、ついにオンラインショップで発売された。



V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月15日 (土)

G-SHOCK×Jリーグ コラボモデルは「14」

「Jリーグのクラブ名+G-SHOCK」のキーワードで「Google先生」に尋ねてみる。
すると、意外にも既に14クラブでG-SHOCKのコラボモデルが作られていることがわかった。


【JリーグコラボG-SHOCKの歴史】

■クラブ名
ベースモデル
価格
発売年
公表された限定数

(発売順)

■ガンバ大阪
DW-6900
13,440
2006年6月
1,000個(先着)

調べうる限りでは、ガンバ大阪が初代G-SHOCKコラボクラブということだった。
DW-6900をベースに作ったのはガンバ大阪、札幌、名古屋、横浜FMの4クラブだけである。


■浦和レッズ
G-100REDS-1BMJF
2007年
5000個
2006年優勝記念モデル

優勝記念モデルとして発売したのは、後にも先にも浦和レッズだけ。限定数5,000も史上最多。さすが「文化の域」に達しているクラブだ。


■コンサドーレ札幌
DW-6900
15,750
2013年9月 500個+300個追加(先着)

初回限定数を公表した後、追加販売したのは札幌だけだった。


■ベガルタ仙台
DW-5600
16,200
2016年7月
1,000個(抽選)

■フロンターレ川崎
DW-5600
16,200
2016年9月
1,000個(抽選)
25周年

Jリーグが創立25周年を迎えたこともあり、ここからいくつかのクラブが「25周年記念モデル」を作っている。
「抽選」を明示しているのは仙台と川崎だけ。


■横浜F・マリノス
DW-5600
17,280
2017年7月
25周年

トリコロールカラーが楽しい配色。最もカラフルで、遊びに満ちたデザインだ。半袖の季節には、この時計をつけて出かけるのが楽しいだろう。
横浜F・マリノスはこれ以前に
DW-6900ベースのモデルも発売している。



V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月14日 (金)

G-SHOCK×V・ファーレン長崎 見なかったことにする

失意のJ2降格決定からひと月も経っていないというのに、V・ファーレン長崎ファンは、未来に向けて夢を抱き、ニコニコしている。
まだ、主力選手の来期契約についてのニュースも出ていないというのにである。

2023年に長崎市にサッカー専用スタジアムができることは、半年前からわかっていたし、このクラブの航海が長い崎まで視界良好であることは、高田旭人、高田明親子という強力で正確な羅針盤の存在により担保されている。

従って、気分を入れ替えるだけで、誰もが笑顔に戻れる。
そのきっかけは、手倉森誠氏が監督に就任し「ものすごい強さで(J2を)勝ちたい」と堂々と言ってのけたことだった。



高田親子と新監督による、自信と夢に溢れた会見が行われた数日後のファン感謝DAYで「G-SHOCK V・ファーレン長崎モデル」の発売が発表された。

年末のいろいろと物入りな時ゆえ、財布の紐をぎゅっと締めていた僕も「G-SHOCK」と言われると、穏やかではいられない。
初めの一日は「見なかったことにしよう」と思ったが、その決意は一日もたなかった。
翌日からは、もう気になって仕方がない。


かつて、苦い想い出がある。
2004年「佐野元春 VISITORS20周年記念G-SHOCK(G-SHOCKGW-300BTMO-1JR)」が出た時のことだ。
1997年から始めた「G-SHOCKコレクター」の道から、一旦足を洗っていた僕は、大好きな「G-SHOCK」×「佐野元春」という、10年前ならば、一週間前から時計店の前にレジャーシートを敷いて並んでも惜しくないアイテムを、あえて「見なかったことに」した。
そして、しばらくして、やっぱり欲しいと思った時には、もう何処を探しても売っている店がなかった。限定350個だったのである。


「G-SHOCK」×「V・ファーレン長崎」
見なかったことにするか?
即ゲットに舵を切るか?
まずは、周辺事情からしらべることにする。
詳しくしらべることで「見送る理由」が見つかることもあるし「見送らない理由」が見つかることもある。


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月13日 (木)

参考になりましたは禁句だと思う

参考になりましたは禁句だと思う
もしも、言ってもいいとしたら、それは目上の人から目下の人。教える側から教えを乞う側という場合だ。



あなたは営業マンで、パワーポイントの資料をパソコンに入れて、売り込み先の企業にプレゼンにやってきた。
最も嫌われる「我が社の沿革」から入ったりせず、相手が知りたいこと、期待していることを、相手の立場で考え、起承転結でまとめてきた。
プレゼンは終始和やかなムードで進み、渾身一滴の決め台詞で締めた。

決まった

そう思った時、相手のお偉いさんがすっくと立って一言言った。

「いいねぇ。参考にさせていただきますよ」



あなたは社内の経営会議で、事例発表を命じられた。
過去一年間取り組んできた業務改善が、徐々に実を結んで来ており、それが経営陣の目に留まったのだ。
エライ人が嫌う、不必要なアニメーションは使わず「社内プレゼンの本」で研究した、シンプルな構成でまとめた。
発表中、経営陣は誰もが熱心で、珍しく居眠りしている人も、持ち込んだパソコンで内職している人も、スマホでメールしている人もいない。

一年間頑張ってきてよかった
充実のフィナーレで終わろうとした時、社長が書類に目を落としながら言った。

「ご苦労さん。参考にするよ」



あなたは部下から業務手順についてアドバイスを求められ、時間をとって説明することにした。
いつも使っている手順書に、ヒントやポイント、参考資料を盛り込んだスライドショーをまとめた。
部下は一つ一つの言葉に頷き、時折「スゴイですねぇ」「さすがだなぁ」という合いの手を入れてくる。
最後に激励の言葉で締めた。

部下は感激してうるんだ瞳でこう言った。

「参考にします」

|

2018年12月12日 (水)

参考という言葉の響き

参考という言葉と出会ったのは、中学の時に買った参考書だった。
子供の頃から学習塾には一度も通ったことがなく、勉強というのは教科書と辞書とノートでするものだと思っていた。
といってもそれは中間試験と期末試験の前日のみ
年6回、日数にして15日程度行われる試験前日、いわゆる「一夜漬け」の15日だけのことだが。


高校受験が近くなった時、そろそろ日頃から勉強する必要に迫られて、いわゆる教材を買うことになった。
かと言って、僕が住んでいた上五島には教材の訪問販売員は回ってこなかったので、書店で売っているものから選ぶ。
そこには教科書ガイドがあったが、それはおいといて「参考書」と「問題集」があった。

春先になると書店業界は「学参シーズン」を迎える。時期でいうと2月頃から始まり、3月には本格的になり、4月の第1週末をピークに、4月いっぱいまで続く。
学参シーズンに売れるのは参考書、問題集だけではない。教科書ガイドもあるし、学校が指定または推薦する「英和」「和英」「国語」「古語」といった辞典もある。

僕がよく行く書店も、この時期はいつもよりも売り場を広げ、各版元が知恵を絞った最新版の「学参」が並んだ。



「参考書」は教科書の内容に図版や、試験に出るポイントという視点による角度を変えた説明などが載っている。教科書を理解する「参考」になる書ということだ。
「問題集」というやつは、ひたすら「おいこら、解いてみろ」と言うだけで、愛想が悪い。僕は一度開いただけで嫌いになった。

大抵の子どもたちはそうして「参考」という言葉を、自らのものにしていったのだと思う。
「参考」になるものはよきものであり「参考」にすることは悪いことではない。
「参考」は決してネガティブな意味合いを含まないし、響きも悪くない。
それが大抵の人が築き上げたこの言葉への印象と言えるだろう。

つづき

→参考になりましたは禁句だと思う

|

2018年12月11日 (火)

五島うどんに改宗する

竹酔亭は、ますだ製麺が経営する五島うどんの製麺所であり食堂。店舗は本店が七名(ななめ)にあり、支店の浦桑カミティ店と2店舗


■ますだ製麺の歴史
1976年
創業

1988年
竹酔亭本店オープン

1989年
ますだ製麺 設立

1995年
竹酔亭浦桑カミティ店オープン


お盆前の金曜日18時。暖簾をくぐると店内はほぼ満席。
となりのテーブルでは老夫婦が「地獄炊き」を愉しんでいる。地獄炊きとは卓上に鍋を置き、目の前でうどんを8分茹でる。それを出汁にとって食べるもの。旅のガイドブックによると、地獄炊きは「2時間前までに予約が必要」とあった。
井之頭五郎と違い、僕は1人で食堂に入るのが苦手だ。
「おぉ熱湯に耐えかねてうどんが踊っている。これぞまさにうどんの地獄絵図」などと考えていたら、口に出して言ってしまいそうで怖い。ただでさえ、歳をとってから独り言が増えているのに。
従って、独りきりで鍋をつつくのはためらわれたので、予約は見送った。

ほどなく、注文した肉うどんが運ばれてくる。
旅の食事にしては、味気ないかな。一口運ぶまでは、さほど期待感はなかった。
ところが、ひと口流し込んでみて、目を見張った。
喉ごしがいい。

五島うどんは小麦粉、天然塩、水で生地を練り、椿油を塗るのでコシが強い。そして、箸にかけて引き延ばして作るので、細くて断面が丸い。
という理屈はわかっていたが、これほどまでとは思わなかった。
そして、汁が意外だ。
アゴ(トビウオ)で出汁を取った汁が、辛くない。
子どもの頃の記憶で「アゴ=辛い」というイメージがあった。何回か母が作った五島うどんも、汁が辛かった。
しかし、今飲んでいる汁は、優しい風味に溢れている。
だから、名物になったのか。
2000年代に入って「五島うどん」がブランド化して以来、あれのどこがいいのだろうと思っていた。
これならば、わかる

上に乗っている牛肉は甘く味付けられていて、その肉汁がアゴの出汁に混じり合うと、絶妙な味加減になった。


明日もここでいいな・・
今度は違うメニューを食べてみたい
すっかり「五島うどん派」に改宗した僕は、事前にチェックしておいた蒲鉾、天ぷら、ビールを買い、幸せな気分で家路(ホテル路?)に就いた。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月10日 (月)

上五島の名物といえば

40年暖めていた念願の再上陸
懐かしい町、魚目(うおのめ)
一通り、この目で見たかった景色を見終えてホテルに戻って来たのが18時過ぎ。

1人旅ゆえ、旅の夜になんの予定もない。
さぁ夕飯はなにを食べよう
今、俺はなにが食べたい?
旅の夕飯ならば、土地の名物、地域のブランド食材を軸に考える。
上五島ではなにか?
美味しい魚、いや、魚は何処の港に揚がるかで価値が上下するだけで、新鮮な魚ならばいい。特に上五島の魚だけが特別というものではない。
では、肉はどうだ?
旅のガイドブックによると、五島にはブランド牛「五島牛」があるという。
そこで「上五島 五島牛ステーキ」で何度も「Google先生」に尋ねてみたのだが、先生の辞書にそれは載っていないらしい。

僕は思うのだが、最近の「Google先生」は「まとめサイト」を寵愛する傾向が見受けられる。
検索して上位にヒットするページには、総花的に情報をまとめたものが並ぶ。
情報が多すぎる。
自分が「上五島」で「五島牛ステーキ」が食べたいと思っているのに、先生は「五島列島から探しなさい。あとは君次第だ」と突き放す。

僕が欲しいのは「ピンポイントの情報」であり、wwwとはそういうニーズに応えるものだと思っている。だが、先生のアルゴリズムとは少々、考えが違うようだ。


では、上五島ならではの食べ物はなにか?
その答えは一択だった。
幸い、ホテルから歩いてすぐの場所に、その店があった。
浦桑が上五島の中心になっているとは思わなかったが、そのお陰で夕飯と買い物には不自由しない。
「昔住んでいたから」という理由で浦桑に宿をとったのだが、それが地図のない旅にはベストの選択だった。


日本の西端にある五島の日暮れは遅い。
外はまだ陽が沈んでおらず、ホテルメリッサの玄関を出ると、程よい風が頬に当たる。
あぁ、幸せだ

目指す店は徒歩5分の所にあるスーパーマーケット「カミティ」の中にある。
スーパー巡りは旅の楽しみの一つだ。
特に注目するのは「塩干」(えんかん)売り場

塩干本来の意味は、魚介類を塩に漬けてから干したものだが、スーパーでアルバイトしている時、干物に限らず、魚介を原料にした加工品の一帯が「塩干」と呼ばれていた。
ATOKの変換候補にも入っていない、一般には馴染みのない言葉だ。

魚のすり身を使った天ぷら、蒲鉾。あるいは地域のソウルフード。それらは、ホテルに戻って独り晩酌の即戦力。
煮たり、焼いたり、暖めたりせずに食べられる。

一通り棚をさらい、今日の即戦力をスカウティングしてから、上五島名物の暖簾をくぐった。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月 9日 (日)

誰に頼まれてもいないのにテニスを教える母

峠を越えて坂を下ってくると見えてくるのが上五島高校。
中学生だった僕には縁がなかったが、父は教諭、姉は生徒、そして母は軟式テニスのコーチだった。





1970年、大阪万博で岡本太郎が「頼まれもしないのに」建てたのが「太陽の塔」
2011年「熊本サプライズ!」で水野学が「頼まれもしないのに」生み出したのが「くまモン」
偉業は「頼まれもしない」ことから生まれる。
それは、信念、使命、実行力を併せ持つ者が担う。

そして、母は誰からも頼まれもしないのに、ここでテニスを教えていた。

恐らく、初めて何処の誰かもわからないおばさんが上下、白いトレーニングウェアにラケットを持って現れた時は、上高の女子は相当びびったと思う。
今ならば、不審者として警備員を呼ばれかねないが、当時は穏やかな昭和の時代。
しかし、その不審なおばさんが「ちょっと打たせて」と言って、ボールを打ち始めた時、きっと彼女たちの目の色は変わったはずだ。
僕は、そんな母の図々しさ、陽気さ、オープンマインドを引き継いでいない。
女子高生たちに受け容れられ、すぐ溶け込んだ母は、そのまま上五島を去る日まで、ここのテニスコートに居着いてしまった。

きっと、幸せな日々だったと思う。
子どもだった僕は、そんなことを微笑ましく見守るというよりは、恥ずかしいから止めて欲しいとさえ思っていた。
これも一種の親の心、子知らずといえるだろう。

土のグラウンドにロープで仕切っただけのテニスコートはもうなくなっていた。どこかに移ったのかも知れないし、もうここでは軟庭をやる人が居なくなったのかも知れない。


上五島高校の正門そばには、学校帰りの高校生がたむろする食堂があった。
建物はそのままだが、それとわかる看板や暖簾はない。エアコンの室外機やBSのパラボラアンテナが辛うじて生活感を醸し出しているが、家の主が今もそこにいるかはわからない。

正門から道路を渡ったところに見慣れぬ黄色い建物があり、そこが榎津から移ってきた国丸書店だった。
僕は懐かしくなり、用事もないのにお店に入り、幼少の面影が残る店主と歓談し「あ、これ最新号ですよね?まだ買ってなかった」と言って、週刊文春を初めて買い求め、280円くらいだろうと思っていたら450円もしてどえらい驚いたが、そこで「やっぱり、やめます」とは言えなかった。


上五島上陸初日、かつて馴染みの商店、友達の家はすべて主が不在となり朽ち果てていた。
あの日と同じカタチで今も息づいているのは、魚目中と上五島高校だけだった。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月 8日 (土)

上五島一の都会、青方の跡形も無い

子どもの頃は運転をしていなかった僕にも、この中通島の中で相対的な青方の位置はわかる。
もしも、道を間違ったとしても、この狭い島の中だから、取り返しの付かないような遠くへ行ってしまうこともない。それに時間はたっぷりある。ワゴンRにカーナビはついているが、目的地をセットせずに走り始めた。

魚目、青方、有川の間はよく父のクルマで通っていたが、青砂ヶ浦天主堂から青方に向かう道は初めて通る。
県道170号線はクルマもまばら。両脇の家屋もまばら。そして、人はもっとまばら。
10分ほど走ったところで、さすがに「本当にこの道であっているのかな」と不安になり、カーナビを確認したところ、青方はもうすぐそこだった。


懐かしい青方の町に着いた。
一見して町の印象は変わらない。
まずはスーパーマーケットがあった場所へ。
そこは、一週間の買い出しによく家族でやってきた。
ある週末、店の入口に上五島初!カップヌードルの自販機が設置され、ヤングオーオー!で「カップヌードル」なるものに興味津々だった僕は、すぐに母にねだり、カップヌードルとの初対面を迎えた。
自販機にはお湯を入れる機能も付いているが、まずは、じっくり観察するために持ち帰る。試しに振ってみると「からから」と音がして、どえらいびっくりした。
基本的にラーメンなわけだから、容器を振ると「ぬるぬる」と反応速度が悪いマウスのような緩慢な移動があると思っていたのだ。
「からから」の正体はエビだった。エビが乾燥した状態で入っていることに、子どもの僕は二度驚いた。


しかし、スーパーマーケットはシャッターが閉まっていた。
シャッターの色は真新しい肌色で塗られており「本日定休日」と貼り紙がでていれば、なんだ休みなのかと思うところだが、店名を示す看板などは一切無く、そこが空きテナントであることは疑いない。

つづいて、商店街へ回る。
入口にある酒屋はずいぶん古くからやっているような佇まいだが、子どもの頃、酒には興味が無かったし、父も家では一滴ものまなかったので、ここがかつて酒屋だったかの記憶が無い。

その先にはレコードや本を売っている店があったが、シャッターが閉まっている。店名を示す看板は欠け落ち、シャッターは節々が錆びている。閉店しましたの貼り紙があるわけでもなく、そこが商店でなくなってから、長い年月が経っていることを物語っている。

かつて、週末になると、スーパーでお菓子を買ってもらい、上五島で一番、品揃えのいい本屋で、春になれば参考書を買った。
上五島最大の都会「青方」は、今、朽ちて静まっている。

それ以上、その場に立ち留まる理由もみつけられず、今来たばかりの青方を後にして、浦桑に戻ることにする。
懐かしい賑わいの町「青方」の跡形がないことは、僕の気持ちをとても沈ませた。
だが、そこに感情移入する理由はない。僕が住んでいたのは、現在、上五島の都会に昇格した浦桑なのだ。

かつて、鶴田友美やミル・マスカラス、フレッド・ブラッシー、そしてもちろん、ジャイアント馬場らが「ジャイアントシリーズ」でやってきた青方体育館の姿は見つけられなかった。
青方小学校の横を通り過ぎ、青方と浦桑を隔てる峠(国道384号線)を登り切った時には、もう青方ショックのことは忘れていた。

上五島ブログもくじ

|

2018年12月 7日 (金)

引越と言えば、柔らかいうどん

6年ぶりに引っ越しの手伝いをした。

引っ越しと言えばうどんだ
本来は「引っ越しそば」だけど、そばアレルギーだから。


大学生の時、時々お世話になった工務店のアルバイトでのことだ。
僕は特別な手に職、足に職の無い極めて一般的な大学生だったので、そのアルバイトでは専ら社長が担う作業の助手を務めていた。


その日の目的地は熊本市内。
まだ、くまモンはこの世に生を受けていない時代なので「今日は熊本」と言われても、なんの感慨も無い。

社長が運転する軽トラックの助手席に乗り込み、太宰府インターから九州自動車道へ上がる。

うどん食べていこう
社長がいきなり最初のPAにクルマを入れる。
今でこそ基山は大規模なSAだが、当時は小さな建物とトイレがある小さなPAだった。

うどんか・・
そばだったら、ムリですというところだが、うどんは食べられるし、好きでも嫌いでもない。
社長の有無を言わせぬ剛毅な口調に、あえて抗う理由はない。

基山のうどんは有名で、特に名物はかしわうどんだ。
券売機には「かしわ」「きつね」「たぬき」「天ぷら」といったボタンが並んでいる。
しかし「なんにするね?」と問われて、つい遠慮して素うどんと応えた。
僕は過剰に遠慮する人間なのだ
遠慮しすぎて、相手が気を悪くするくらい遠慮する
だから、僕になにかを振る舞いたい時は、断ってもくじけずに三度くらい勧めて欲しい
と、ここでこんなことを言っても仕方ないが


つつがなく熊本での仕事を終えて福岡の事務所に戻る。
アルバイト代は、その日の終わりに、現金で手渡される。

今日は4300円。そいで、うどん代を引いて4000円ね。

せこい
20年近く生きてきて初めて耳を疑った。
博多ではいろいろな社長さんの元でバイトしたが、皆気前のいい人ばかり。仕事が終わって呑みに連れてってもらう時も、仕事の途中、ご飯に行く時も僕がお金を払ったことはない。
だから、働いて昼ご飯代をひかれたのは初めてだった。
最初からあとで引かれるとわかっていたら、自分の好きなものを食べたかった。そう思ったが後の祭りだ。

その社長さんは、広島県人だった。
最後のアルバイトは、その社長さん一家が福岡の事務所をたたみ広島へ引っ越す手伝い。
幸い、荷物を積み込むだけなので、うどん屋に誘われずに済んだ。


引越の手伝いをしたが、お昼に食べたのはイートインのパンだった。近くに美味しそうなうどん屋がなかったからだ。
だから、翌日はどん兵衛かきあげうどん。5分のところ12分待って食べる。博多のうどんみたいににょろにょろになって美味しかった。マラソンに向けて節制している時は、食べるのが憚られた大きなかき揚げは、汁に浸けずバリバリと頬張っては、うどんをずるずるとかき込む。日清はいいものを作ると思う。いつか、このかき揚げを食べずに保管しておき、その次のどん兵衛で「二枚食い」の夢を叶えたい。

|

2018年12月 6日 (木)

彼の存在があってこそ、僕らは安心して、クラブの未来に夢があることを確信できる。

2月23日に平塚に見に行った日から9ヶ月あまり。
ゼイワン1年生のシーズンが終わった。


試合後インタビュー
鈴木武蔵
PKはいつも練習しているんで、決める自信はありました
小さな目標だが、降格が決まってからは勝ち点30に乗せるという目標でやっていたので、よかった

高木琢也監督
残念だった。勝つチャンスがあった。
点をとったあと落ち着いたプレーができれば。
30というのは節目。よく頑張ってくれた
(ファンサポーターへのメッセージを)
たくさんの言葉では無く、ただ感謝しかない。ここで過ごした時間はとてもよかった。

監督と選手たちが異口同音に言う「小さな目標」は、ゼイワン残留という目標と比べた、控えめな言い回しなのだろう。だが「29」と「30」は大きく違う。
マラソンで「5時間0分」と「4時間59分」くらい違う。
節目の閾値を超えて往ったことはプラスの記憶になるのだ。

最終節は本拠地最終戦でもあり、試合後にシーズン終了セレモニーが行われる。
DAZNはこうした映像をしっかり流してくれるところが嬉しい。
分刻みのプログラムで進行する既存放送では、こうはいかない。


冒頭、高田明社長が挨拶に立つ
どこのクラブのセレモニーでも最初は球団代表が話すと相場は決まっている。
僕らのクラブは、みんなが大好きな高田明が話す。
ある時は敏腕経営者、ある時は名演説家、そしてスタジアムでは気さくなサッカー仲間。
なんと素晴らしく、誇らしいことか。
そして、忘れてはならないのは、スポーツ文化を軸とした街作りという長期ビジョンを描いている高田旭人社長の存在。
彼の存在があってこそ、僕らは安心して、クラブの未来に夢があることを確信できる。



私は悔いを残していません。
これほどまでゼイワンで戦ってくれた選手に誇りをもっている。
一年でゼイワンに復帰しなさいというファンの思いが、今日の最高の試合をしてくれたんだと思います。

高木琢也監督はもっと高見に行けると思いませんか?
いかがですか?皆さん

ここで火災報知器がアラートを鳴らす
「2階の火災探知機が作動しました」
しばらく微妙な間が訪れたあと
「確認したところ大丈夫でした。高田社長つづけてください」
みな笑顔

以前は「ぶいふぁーれん」と呼ばれていた。今はベスト3に入るくらい注目を浴びていると思います。
最後は「来年一年でのゼイワン復帰をお誓いし挨拶とします」と締めくくった。

続いてキャプテンの髙杉亮太
降格という結果になってしまいましたが、まだ先に未来があります。皆様と一緒に輝かしい未来へと進んで往きたいと思います。
最後はしどろもどろになって、皆が笑いに包まれる。


オオトリは高木琢也監督
J1残留ができず申し訳ない気持ちでいっぱいです。
6シーズンに渡る長崎の時間は最高の時間でした。
私のもとに来てくれた117人の選手に感謝しています。

えーを言わない滑舌の良さ。張りのある声。
いつまでも聞いていたい

最後は「明日からこのチームのファンとして見守っていきたいと思います」そう締めくくった


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月 5日 (水)

アンフェアな圧力に屈することない鈴木武蔵を誇りに思う

最終節
V・ファーレン長崎-清水エスパルス

<後半>
田上大地のゴールで3-2とリードしたのもつかの間。
2分後の16分には、金子が速攻を押しこんで同点
ここまでは入れると入れられる展開
一度も清水に先手を取らせていない
しかし、ここからの30分は異なる展開へ移行していく

20分
澤田崇に替えて中村慶太
今年は澤田のおかげでどきどきする速攻を何度見られたことかわからない。
信じられないような速さと技術をまだ見たい

23分
バイスの枠内シュートは六反がセーブ

26分
バイスがボールのないところで鄭を倒してPK
長崎の選手は主審に食い下がったりせず、参ったなという表情
徳重が手に当てたがゴールイン
この試合初めて清水がリードする
3-4

33分
FKのボールに中原、慶太、バイスが構える
中原が壁に細かい指示を出し、バイスが蹴るが壁に当たる

36分
武蔵が奪ったボールを慶太が1-1でシュートするが、またも六反に止められる

39分
今度はバイスが倒されてPK
清水の選手たちは審判に猛抗議
キッカーは鈴木武蔵
すると清水の6番竹内涼が武蔵の前に立ちはだかり何やら話しかける。

諫早で寿司の美味しい店知ってる?
あとでヴィヴィくんのサインもらえるかな?
J1なめるなよ
決めたら承知せんぞ

発想が貧しい僕にはこれくらいしか、その内容を想像できないが、いずれにせよ、長崎の選手ならばこんなことはしない。
かつて、カズがセットしたPKのボールに唾を吐いたジーコを思い出した。
なぜあのような行為に警告が出ないのかが不思議だ。

しかし、武蔵は冷静
六反は左へ跳び、武蔵のキックが右へ突き刺さる
4-4


additional timeは5分
+1分
中原彰吾に替えて島田譲

+5分
CKの守備をしのぎ、速攻かと思ったところで試合終了


引分けで勝ち点1、これでシーズン勝ち点を「30」に乗せた
全力で打ち合う見応えのある試合だったが、一部の選手の非紳士的態度は残念だった。

つづく


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月 4日 (火)

前ちゃん、前田悠佑選手 忘れるわけないだろ!

V・ファーレン長崎にとって初めてのゼイワンを戦い終えた二日後の12月3日(月)
真っ先にシーズンオフの契約終了が発表されたのは「前ちゃん」だった。

僕の知り合いにも「前田さん」「前沢さん」という「前」で始まる名字の人がいるが「前ちゃん」と呼ばれているのは、皆から愛されている人だけだ。
社会的には成功していても、いけ好かない人は「前田くん」と呼ばれている。

前ちゃんはとても愛すべき人で、V・ファーレン長崎ファンの皆さんから愛されていた。
といっても、ゼイワンの今シーズンはレギュラーだったわけではないので、今年初めて応援したファンにとって、馴染みは薄い選手だ。

僕にとって前田悠佑との出会いは「JリーグサッカーキングJ1元年夢への挑戦」という一冊まるごとV・ファーレン長崎特集の雑誌に載っていた記事。
その中で前ちゃんは髙杉亮太と共に、長崎の全選手を対談形式で紹介している。

翁長聖についての部分を引用する。
(引用ここから)
前田
ちょっとだけ、ガラが悪そうな顔をしていますけどね
髙杉
髪型のせいじゃない?髪型と髪の色でそう見えるんじゃないかな。
前田
怖い感じですね(笑)
(引用ここまで)

シーズン前にこの雑誌を読んだ頃は、誰1人個性を掴んでいなかったのでピンと来なかったが、1シーズン応援した後で読み返すと可笑しい。

ただ、僕が前田悠佑に注目するようになったのは、V・ファーレン長崎全選手の出身校をしらべるうちに、彼が西南学院大学卒唯一のJリーガーだと知ってからだ。


西南学院大学というのは、関東では無名に近い。
「鹿児島の大学ですよね」
となんの躊躇も無く言う人が少なくない。
よほど、日本史をまじめに勉強したのだろう。

ちょっと知っている人の中には「九州の青学」と呼ぶ人もいるが「和製ベーブルース」とか「浪速のロッキー」みたいで、心に響かない。

西南が無名なのは九州にあるというだけではなく、トピックスとして取り上げられることがないからだ。
偏差値は九州の私学ではトップクラスだが、関東・関西のトップクラスよりは劣る。
大きなスポーツ大会で勝つことはないし、有力なスポーツ選手がいて、活躍することもない。

僕が知っている西南出身者で、広く知られているのは「everything」で有名なミーシャくらいだろう。
チューリップの財津も西南だが、それを言うと表情が緩む人が多い。恐らく脳内には「ピアノ売ってちょーだい」というフレーズとレオタード姿が浮かんでいるのだろう。
(それは財津一郎)

NPBには西武にいた蓬莱昭彦(1979年ドラフト4位)がいるが、目立った活躍はないまま1987年に中日に移籍、1988年に引退している。

前田悠佑は西南学院大学卒で、前にも後にもただ1人のJリーガー。
国見高校初のJリーガーだった高木琢也監督が退任し、時を同じくして前ちゃんも退団が決まった。


多くのファンから惜しむ声が聞かれるが、それはチームのスタッフ、選手たちからも同じだろう。
チームスタッフになる日が来れば、それは心強い。

できれば、来期もJ1、2、3どこかのクラブでチームのため、献身的に尽くす姿を見ていたい。今はDAZNがあるから、現地には行けなくとも、全試合をコンプリートで観ることができる。
もしも、そのクラブが関東に来るならば、前ちゃんを見るために出かけたい。マーキングしたユニフォームは買えないかも知れないけれど。


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月 3日 (月)

ついにゼイワン最終節

<34節>
12月1日(土)
V・ファーレン長崎-清水エスパルス
トラスタ

ゼイワンの最終節は全試合が同時キックオフで行われる。
来期はJ2に戻る長崎にとって、これがJ1最後の試合。
もちろん「さしあたって」ということであり、大半のファンはそれを願っている。

大本祐槻が5試合ぶりのスタメン
前節、途中出場で復帰した中原彰吾がスタメン復帰

試合前のキックインセレモニーは、トランスコスモススタジアム長崎の所在地、諫早市出身の体操選手内村航平が行い、華麗な「床」の演技で場内を沸かせた。
翁長聖がすごいなと感心している。



<前半>
5分
最初のCKは中原彰吾
すばらしいキックに澤田が合わせたが惜しくもクロスバー
中原彰吾の独創的パスで長崎が攻め込む時間が続く

7分
中原2本目のCKも鋭いボール
彼が後半ここまで出られなかったことが、本当に惜しまれる

27分
中原のFKから大本祐槻がシュートするが大きくふかす
中原の質の高さに目を見張る。一方、大本祐槻の品質が低い

清水の時間帯がつづいていた35分
ハーフウェイラインで奪ったボールを一気に武蔵が突進、ナイスコントロールしてゴール
武蔵今期10得点め
武蔵の魅力は、なにも期待していない局面を一気に歓喜に替えてしまうところだ。
来季も武蔵の背中で歌いたい。

41分
磯村のパスをファンマが胸で落とし、澤田が1対1でシュートしたがGK六反に止められた

42分
ゴール前にいいパスを通されて石毛が押し込む。同点

+1分
前半のラストプレー
翁長聖のロングスローを直接ファンマがヘッドでたたき込む
2-1で折り返し


<後半>
8分
ファンソッコの無回転シュートを徳重健太がセーブ

12分
清水の10番白崎に決められて同点

14分
左からのCKも中原が蹴る
これがまたいいボール。ファンマの頭にぴたり。
ファンマのシュートはカットされたが、こぼれたところを田上大地がボレーで押しこむ
3-2
今期、平塚でゼイワン初ゴールを挙げた田上。少ないシュート機会を高い精度で決めてくれる。
アウェイのジュビロ磐田戦で、ゴール後に磐田のサポーターに向かってガッツポーズした時には思わず笑った。彼もきっと「やばっ逆だった」と冷や汗をかいたことだろう。

つづく


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月 2日 (日)

飯尾竜太朗 ついにゼイワン初ゴール!

<33節>
11月24日
ガンバ大阪-V・ファーレン長崎
パナソニックスタジアム吹田

中村慶太が累積警告で出場停止
黒木聖仁、髙杉亮太がベンチに入っていない
(黒木は最終節もベンチ外)
後半戦はずっと、怪我で欠場が続いていた中原彰吾がベンチに入っている。


<前半>
9分
レノファ山口から引き抜いた小野瀬康介が先制ゴール
シーズン序盤、J2のトップ争いをしていたレノファ山口は、6月から調子を落とし、そして小野瀬康介を抜かれたことで、決定的なダメージを受けた。
一方、ガンバ大阪は小野瀬康介加入の頃から、調子をあげていき、現在は連勝を「8」としている。

42分
翁長聖のクロスがこぼれてきたところにいたのは飯尾竜太朗。胸トラップで落として振り抜くと、ボールは対角線のサイドネットに突き刺さった。
飯尾竜太朗、ゼイワン初ゴール!
万感の思いを込めて、静かに強くガッツポーズを取る。


<後半>
6分
中村にJ1での初ゴールを決められてしまう

15分
前線に残り攻撃参加していたバイスのシュートは、枠を捉えていたが東口が止める

17分
島田譲に替えて、久しぶりの中原彰吾が入る

18分
早速、その中原がFKを蹴ったが、これはGK東口まで直接届いてしまった

19分
プレーが停まったところで、カメラが切り替わった先には、飯尾竜太朗が座り込んでいる。
左足ふくらはぎを押さえており、筋肉を傷めた様子。
そのまま大本祐槻と交替となった。
シーズンを通して、右サイドを駆け回り、翁長聖と両サイドバックの攻めを愉しませてくれた飯尾。
J1でゴールを挙げることができて、本当によかったと思う。
29分
武蔵が奪って送ったボールをファンマが左足サイドキックでコントロールシュート。惜しくもポストを激しく直撃する

34分
澤田に替えてハイロ・モリージャス


ガンバ大阪 2-1 V・ファーレン長崎
長崎はよくまとまった試合をした。

EURO2016でイングランドを破ったアイスランド。そのサポーターが勝利後におこなった儀式が「バイキング・クラップ」
その後、ガンバ大阪サポーターが採り入れたのが「ガンバクラップ」
21年ぶりクラブ記録に並ぶ「9連勝」を祝った。


V・ファーレン長崎ブログ

|

2018年12月 1日 (土)

スタートスパートの結末

もちろん当時は「あと2km」とは知らないし、GPSもないので自分がどれくらいのペースで走り、心拍数がどれくらいなのかもわからない。今日は3.8kmを33分かける超スローペース。あの日はどれくらいで走っていたのだろう。キロ6分くらいのペースだろうか。


丸尾で一度下ったあと、魚目中に向かって最後の上りを終えると、いよいよ右折して校門をくぐる。あとは200mトラック1周を残すのみ。


今日の練習は校門をくぐって終わり。
ここでトラックを走って、あの想い出をなぞろうかと思ったが、やはりやめておく。


丸尾のあたりで、後ろから誰かが迫っているのを感じていた。そして校門をくぐったところで、三年生が背後に迫ってきた。応援している三年が「抜ける」と声をかける。相手が運動音痴と思われている僕だと知っているだけに、逆転は当然という論調の声援がとぶ。
そういえば、今思い出してみると、僕への応援がない。
いや、実際はあったのだけど聞こえなかったのか。敵の声援はくまなく聞こえているのに。

三年生が横に並んだ
ダメかな、弱気の虫が出る
でも、ここまできての3位はいやだ
競技場に入ってから抜かれるほど、気分の悪いものはない
どうせならば、食い下がろう
スタートスパートで勝負をつけたつもりだったが、仕方なくラストスパートへ
必死に歯を食いしばる。首を左右に振り、危ないくらいに。血管が切れるくらいに。恐らく、これほどのスパートは生涯で他に経験が無い
トラックの周回に入ると、少し距離が離れた。さらに歯を食いしばっていく。すると相手は着いて来れなかったらしく、最終コーナーで外側からかぶせてくる者はいなかった。

丸尾の県道でペースメーカーの陸上エースは離脱しており「1人で走って来ました」と何食わぬ顔で校門をくぐった三年生は既にゴールしていた。
僕はつづいての2位。
生涯において、運動大会でとった順位としては最高のものである。

級友はかつて僕をひ弱な坊ちゃんと呼んだ。
だが、この日を境に周囲の僕を見る目は変わった。

一年後、中学二年で迎えたマラソン大会では、僕は陸上部でもないのに「駅伝」の選手に選ばれてしまった。
マラソンの部を走る級友に、僕の戦略をこっそり教えると、彼はその年の優勝者となった。


マラソンランナーとなった今「スタートスパート」は禁忌中の禁忌だが、あの頃は、それが最強の策だと信じていた。

お兄さんより
よい子の皆さんは危険なので、真似をしないでね。

上五島ブログもくじ

|

« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »