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2018年12月 9日 (日)

誰に頼まれてもいないのにテニスを教える母

峠を越えて坂を下ってくると見えてくるのが上五島高校。
中学生だった僕には縁がなかったが、父は教諭、姉は生徒、そして母は軟式テニスのコーチだった。





1970年、大阪万博で岡本太郎が「頼まれもしないのに」建てたのが「太陽の塔」
2011年「熊本サプライズ!」で水野学が「頼まれもしないのに」生み出したのが「くまモン」
偉業は「頼まれもしない」ことから生まれる。
それは、信念、使命、実行力を併せ持つ者が担う。

そして、母は誰からも頼まれもしないのに、ここでテニスを教えていた。

恐らく、初めて何処の誰かもわからないおばさんが上下、白いトレーニングウェアにラケットを持って現れた時は、上高の女子は相当びびったと思う。
今ならば、不審者として警備員を呼ばれかねないが、当時は穏やかな昭和の時代。
しかし、その不審なおばさんが「ちょっと打たせて」と言って、ボールを打ち始めた時、きっと彼女たちの目の色は変わったはずだ。
僕は、そんな母の図々しさ、陽気さ、オープンマインドを引き継いでいない。
女子高生たちに受け容れられ、すぐ溶け込んだ母は、そのまま上五島を去る日まで、ここのテニスコートに居着いてしまった。

きっと、幸せな日々だったと思う。
子どもだった僕は、そんなことを微笑ましく見守るというよりは、恥ずかしいから止めて欲しいとさえ思っていた。
これも一種の親の心、子知らずといえるだろう。

土のグラウンドにロープで仕切っただけのテニスコートはもうなくなっていた。どこかに移ったのかも知れないし、もうここでは軟庭をやる人が居なくなったのかも知れない。


上五島高校の正門そばには、学校帰りの高校生がたむろする食堂があった。
建物はそのままだが、それとわかる看板や暖簾はない。エアコンの室外機やBSのパラボラアンテナが辛うじて生活感を醸し出しているが、家の主が今もそこにいるかはわからない。

正門から道路を渡ったところに見慣れぬ黄色い建物があり、そこが榎津から移ってきた国丸書店だった。
僕は懐かしくなり、用事もないのにお店に入り、幼少の面影が残る店主と歓談し「あ、これ最新号ですよね?まだ買ってなかった」と言って、週刊文春を初めて買い求め、280円くらいだろうと思っていたら450円もしてどえらい驚いたが、そこで「やっぱり、やめます」とは言えなかった。


上五島上陸初日、かつて馴染みの商店、友達の家はすべて主が不在となり朽ち果てていた。
あの日と同じカタチで今も息づいているのは、魚目中と上五島高校だけだった。

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