2008年9月30日 (火)

一番嫌いな言葉

 4月23日サンジョルディ
 久しぶりに、ここに帰ってきた。

 前回は羽田から直行して私物を置いただけ。わずか一時間でIDOラボに移動した。あの時はただ、フローリングの美しい木目だけが見えていたが、今はKLから僕を追ってきた荷物が置かれて、長い年月、主の帰りを待っていた。

 それ以来、週末の土曜日に帰るようにした。
 二日間ここに缶詰になって、手書きメモをワークシートに打ち込んでいく。
 その日のできごと、その時僕がどう考えたか、後任に伝えておくとよいこと・・
 それらのことを、5cm四方のメモ用紙に書き留めて、机の引き出しにしまっていた。

 三ヶ月もあれば打ち終わると思っていたが、メモを手にすると、その時の記憶が再合成される。
 その時の情景を思い起こす。ついメモを読みふけってしまう。
 読んでいるうちにアイデアが浮かんで、メモにないことを加筆してしまう。
 そうこうしていると、なかなか作業は進まない。

 それにしても、メモに書いた自分の字が読めないのには参った。
 子どもの頃、習字を習っておけばよかったと思う。

 タイムリミットが迫ってきたここ数週間、時間が足りなくなった。
 カテゴリー事例ごとのメモは書ききれず、歯抜けになってしまった。
 平日の夜も IDOラボのパソコンで書きたい衝動に駆られたが、それは思いとどまった。
 この引継書は、後任のあなたと僕だけのものでなければならない。

 幸田さんが私邸に設えてくれたパソコンは画面が大きくて、最近めっきり視力が落ちた僕にはありがたかった。
 冷蔵庫にいつもサンドとカフェオレを入れておいてくれてありがとう。

 初対面の日あなたを見た時、僕は目を疑った。
 僕は橋本に 9つの省から 2人ずつ 18人のスタッフと、IDO法九条「不測時の代理業務」を遂行する候補者を一人、合わせて19人の配属を頼んでいた。

 就任前に、IDOの二期めはやらないと念を押しておいたので、その19人めは後を任せられる人材にしてほしい。それが優先順位一位のお願いだった。
 驚きを顔に出さぬよう、必死に平静を装ったけれど、そんなことは無駄な努力でした。

 就任した日につくった「匿名メールアドレス禁止法」だけが、二人きりのブリーフィングでしたね。
 最初はまさかと思ったけれど、あなたが僕の右肩越を見て話すのを見て驚きました。
 確信するまでに、長い時間はかかりませんでした。
 あなたがどれくらいわかるのかを探るのは、なんだか思議な感覚でした。

 3ヶ月経った頃、あなたが心を読んでいると言えるほど、直近の映像化ができることがわかりました。
 僕は直前、直後の映像化は苦手なので、人の心理を汲むのは他の方法をとっていましたが、あなたはそれを難なくこなしていましたね。

 このファイルのパスワード、引継者の誕生日にしようと思って、「誕生日四桁をパスワードにするのを禁止する法」でヒントを出したのですが、その必要はなかったですね。

 18人の仲間は、最後まで交替することなく勤めてくれて助かりました。
 これまでに、いろいろなタイプの別れを経験しましたが、彼らとのそれは新しいものでした。
 寂しいのだけれども、心は満たされている。
 恐らくもう、会うことはないのだけれど、またすぐにでも、いつでも会えそうな予感がする。
 パソコン通信が始まった頃のオフライン・ミーティングで、誰もが味わっていたような、あの感覚を思い出しました。
 僕らは、人もうらやむように、そう、家族のように機能していたと思います。
 第二期のチームが、どのような人選になるのか、僕も楽しみにしています。

 「音楽は力法」のエピソードは当初ここに書くつもりはなかったのですが、あなたに読んでもらおうと思い、書き足しました。
 旧友と出会った懐かしさに、心が弱くなることが何度もありましたが、凜として揺るがないあなたのたたずまいを見て、それではいけないと思いとどまるのが大変でした。

 日本海の波は白いですか?
 その波の継ぎめにあなたの幸せが見えるといいな。
 風邪をひかないように、気をつけてください。
 ここまで、長文につきあってくれて、ありがとう。
 最後に、僕が一番目と二番目に嫌いな言葉を書いて、終わりにします。

 がんばってください。
 さようなら

                   元IDO 佐野龍一



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月26日 (金)

最後の言葉

 世の中には仕組みを作るのが好きな人もいれば、その仕組みに寄り添っているのが好きな人もいる。
 僕は仕組みを作るのが好きだ。
 できあがった仕組みは早く人に渡したい。
 できないことは学び、できることは人に教える。
 人々が笑顔になれるような仕組みを作る。
 できあがった仕組みからは、潔く離れる。ずっと、そうしてきた。

 「君は仕組みをつくる男だ。君を選んでよかった」
 僕がいなくなった後、誰かがそう言ってくれれば嬉しい。

 「あれ?今日はいつもの集まりはないんですか?IDOが金曜日に私邸に行かれるのは初めてですよね?」
 うん、今日は家で見たいものがあってね。

 黒塗りの車の後部座席は、やっぱり僕には居心地が悪い。
 金曜の17時台、街に繰り出す人たちで最も賑わう時間帯。
 僕がこの街に帰ってきたあの日より、街は幾分騒がしくなった。
 それでも、KLから帰ってきた時の違和感が消えたわけではない。

 私邸に戻った時は、いつも山田SPが先に室内にはいり、安全を確認してくれる。
 山田さんは、なかなかの論客。歯に衣着せぬ物言いが好きだ。
 移動の車は彼と僕との言い放題タイム。
 とても、大臣やメディアには聞かせられないような法案が飛び交う。
 いつも、楽しかった。

 山田さん、合い鍵は持ってますよね?今日、僕はここで眠ります。
 明日は合い鍵でドアを開けて入ってきてください。交替の時、そう引き継ぎを頼みます。

 「引き継ぎですか?申し送りじゃなくて」
 あぁ、そうか。そうとも言いますね。

 二〇三九年九月一七日(土)八時〇三分。
 池田警護官からの連絡により、私邸に入りました。
 窓辺のテーブルに置かれたパソコンにはワークシートが起動していましたが、文書ファイルは存在しませんでした。
 状況の詳細は公安の報告に譲ります。

 前夜、私が帰宅した後の一七時九分、山田警護官に「私邸に行きたいから、車を出してほしい」と連絡がありました。
 IDOは今年四月以降、週末は私邸で過ごしていました。
 一七時三九分に私邸に入られる際、山田警護官に言ったのが、最後のことばです。
 「今日はここで眠ります。明日はかまわないので、鍵を開けて入ってきてください。そう申し送りを頼みます」

 後任の秘書官との引き継ぎ終了後、私も一ヶ月間、休暇を戴きたいと存じます。

                      IDO室   継波千絵

次回【 最終話 】は9月30日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月22日 (月)

空に突き抜けるチューリップの風景

 毎年チューリップの季節が来ると、父が連れて行ってくれたハウステンボス。
 小さい頃は世界のすべてが大きく見える。
 大人になって背が伸びるに連れて縮尺が変わり、世界は収縮する。

 子供心の原風景に、どこまでも続く石畳、はるか彼方で悠然と回る風車、空に突き抜けんとするチューリップが焼きついた。

 父が売店で買ってくれた本に、そのことばはあった。
 “千年の時を刻む"
 そう謳ったのは創業者、神近義邦氏。

 まだ京都議定書もなかった時代に、環境と経済の両立をめざした実験都市は、経済の苦境を乗り越え今も実験を続けている。

 僕の心に、キャッチボールや天下取り、思い思いに遊ぶ笑顔の子供達が住みついている。
 こうしてIDOの5年を振り返ると、多くの法律がその風景から生まれたのがわかる。
 ハウステンボスが海から生まれた街ならば、IDO千法は子どもたちの笑顔から生まれた法律と言えるかも知れない。

 「IDO・・ やめちゃうんですか?」
 えーっ?
 なんでだよ
 「だって、総理が・・」
 そこから先はもう声にならない。
 磯田祐子の大きな瞳に、大粒の涙が出番を待っている。

 あと数秒したら、涙で悲しみに暮れる別れの光景を目にしなければならなくなる。
 次の言葉のために、急いで玉子サンドをカフェオレで流し込んだ。

 今週の金曜はちょっと用事があるから、部活は中止でいいかな?

 5年間で初めての中止提案に、キツネにつままれたような18人。
 絶望にうちひしがれたような空気を察して、幸田さんがつなぐ。
 部活が始まった当初は金曜日だけの参加だったが、そのうち週2になり、この4月以降は毎回参加してくれている。

 「私この週末、実家に帰ってくるから、美味しいもの買ってくるね」
 「へぇなんだろう?」
 「千絵さんの実家って、どこだっけ?」
 「福井のほうだよね、確か?」

 「じゃ、次は月曜日!」
 幸田さんが明るく宣言して、お開きとなった。

 いつものように片づけが始まる。
 いつもより黙々と、現状が復帰されていく。
 残った食糧のうち日持ちするものは冷蔵庫「ライダー」に格納され、賞味期限が近いものは希望者がお持ち帰りにする。

 次が一回飛ばしということもあって、全員がなにがしかのお土産を手にして、それぞれの家族や恋人の元、あるいは誰も待っていない部屋へと帰っていった。

 幸田さん、あなたの機転で、涙の送別会にならずに済んだ。



次回は9月26日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月19日 (金)

赤い糸を紡いだたすき

 川村総理には、赤い紙の映像が見えた。
 このままでは、召集令状は避けられない。
 ルートを替えなければダメだ。

 一年の準備期間を経て、憲法四一条、七四条を改正。
 そして続く世代の総理に糸は紡がれていく。

 総理権限で任命できるIIDO、EIDO。
 そうして現出した無類の好景気。
 内閣支持率は80%台。
 そして、総選挙で獲得した絶対安定多数。

 こうして、法務省単独の特別案件として IDOにつながる水路がついた。
 そして、IDOである僕に、招集礼状を回避するラスト・ランナーのたすきが渡された。

 高橋総理はそれを「赤い糸」と表現した。
 周りで聞いていた中村太一や磯田祐子は、高橋総理には、その道の趣味があったのかと思ったかも知れない。

 今後人口が増加に転じた時、徴兵制が目前の課題だったことが語られることはないだろう。
 そしていずれ歴史が、第一走者であった川村総理の功績に気づく日が来たとしても、総理にレポートを提出した名も無き官僚のことを語る人はいない。
 福岡出身であるということ以外、僕自身、それ以上の詳しいことを知らない。

 その夜の部活は、いつも以上に盛り上がった。
 僕はみんなの顔を心のアルバムに焼き付けようと思っていた。

 「総理がIDOに、君と僕は赤い糸でむすばれている気がするだって!」
 「ぎゃ~、赤い糸って、男と女じゃないの」
 「でも千絵さんっていつも冷静なんだよなぁ。俺なんかちびりそうだったよ」
 「退場~」

 総務省出身で総理協議担当の祐子と太一が再現する実況中継に皆が、つっこみを入れる。
 今日は藤野章子が、僕の好きな佐世保サンドを都庁の帰りに買ってきてくれた。
 佐世保サンドは 2009年に全国区となって以来、あっという間に佐世保バーガーの人気を追い越した。

 呑んだ後のサンドは格別に美味い。
 最初は僕がそう言って一人で食べていて、皆は「サンドですか~・・」と引いていた。
 ところが、試しにヨコからつまんだ章子が「めちゃめちゃ美味い!」と追随。
 それからは、あっという間に全員共通の好物になった。
 コンビニサンドならば、どこのでも美味いのだが、大きな仕事が片付いた日は、章子が「佐世保サンドの日」と決めていて、都庁のショップから買ってきてくれる。
 今では20人前、しっかり買ってこないと「足りない!」とブーイングが出る。

 いつも月水金の午後になると、誰かに外回りの用事ができるらしく、部活のメニューにサンドは必ず入っている。
 今日は初めてリクエストして いなり寿司を買ってきてもらった。

 「IDO、それコーヒーですか?」
 そうだよ。いなり寿司とコーヒーって変でしょ?
 だけど僕はなんでも一度はやってみるんだ。ところがこのいなり寿司とキリマンジャロがなかなかいいんだな。
 一ついいですか?と最後の一つをひょいとつまんで、コーヒーで流し込む章子。うーんと唸っている。

 「あれ、チューリップ。前は赤でしたよね?」
 自分が書いた字に見入っていた中村太一が、黄色いチューリップを見て声を上げる。

 “千年後、この街に子供達の明るい笑顔が響き合う”
 僕の心には、いつもこのことばがあった。



次回は9月22日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月16日 (火)

住基ネットがはき出す、大量の赤い紙

 高橋総理と僕はその日二回め、生涯で六回めとなる、最後の握手をして別れた。
 赤い糸なんて、余計なことを言わなければいいのに。

 高橋総理はFEディレクターを兼務している。
 その在任中に国内の総理を辞めるのは具合が悪いということで、総理としては異例の三期九年続投となっていた。

 その高橋政権も残り 2週間。
 その 3か月後には、10年務めたFEディレクターの任期も終える。
 日本のトップと、アジアのトップ。
 その重責が彼の身体にかけた負担は相当なものだろう。
 高橋さんの今後の健康を祈る。

 「一億人維持法」は、IDO法を成立させた高橋総理の、最後の大仕事であり、彼と法務省の悲願。
 川村総理、水野総理から高橋さんが引き継いできた、大切なバトンだ。

 一通のレポート
 2012年秋、内閣府の一官僚から総理宛に一通のレポートが提出された。
 川村総理が就任した直後という時期だった。
 その要旨は次の通り。

 2004年12月に 1億2783万人でピークとなった日本の人口は、2050年に一億人を割る。2100年には7,000万人を割る。

 最低国防能力を現役 23万人、予備役 7万人と仮定した場合、現役 53,000人、予備役 13,000人が不足する。
 諸外国に予断を与えないためには、2050年、人口一億人割れのタイミングで徴兵制に踏み切る必要がある。

 初めは予備役の徴兵という形で入ってもよいが、人口9,000万人割れのタイミングでは現役の徴兵に切り替えなければならない。

 ただし、我々は真摯に考えなければならない。
 もし仮に徴兵制が敷けたとしても、それは日本が100年続けてきた、子供達に自由な進路を保証する社会からの撤退を意味する。

 「国を守るのは国民の義務です」
 「大韓民国みたいに徴兵制がないから、日本の若者は態度が横着なのです」
 「徴兵制があるくらいの方が、若者はしゃきっとします」
というのは、日本の信義ではない。

 日本が人口を維持するには合計特殊出生率 2.08以上が必要。
 人口一億人割れの前に、お題目ではなく実際に出生率を上げる策を打たなければならない。

 そのレポートの主が誰かを僕は知らない。
 総務省マターである人口対策。
 防衛省、内閣府マターである徴兵制。
 川村総理は、これを国民的議論に訴えることは「究極の無責任」である考えた。

 首尾良く人口増加策が法制化されればよいが、失敗した場合は一億人に責任を転嫁しただけだ。

 横軸の連携が困難な中央省庁
 政局に持ち込もうとする野党
 悲観論をあげつらうメディア
 それに追随して、悲観を楽しむ国民

 議論の間に時間だけが過ぎ、やがて人口は七千万人を切る。誰も責任を取る人はいない。

 そして、住基ネットは、ついに大量の赤い紙をプリンターからはき出すことになる。



次回は9月19日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月11日 (木)

27年越しのリレー

 学校給食法は改正して、義務教育の給食費をタダにした。
 給食は、第二次大戦後の復興期、海外からの経済援助を受けて成り立っていた。

 子供達にとって、生きること=食べることは根源の権利。
 それを再び、政府が面倒をみるというところへ振り戻す。

 従来法は親に支払義務があり、例外として、経済的に支払が困難な場合に限り、地方自治体が肩代わりすることになっていた。
 この「経済的に支払が困難」のような曖昧な定義は、横着の温床。
 十分な能力がありながら、支払わない不届きな親がいた。

 2039年 9月14日(水)
 これら一連の「一億人維持法」に、高橋総理は持ち帰らず、協議のその場で署名した。
 それまでの総理協議では、総理が持ち帰り一週間後に署名するというのが慣例になっていた。

 高橋総理、子どもの昼飯くらいタダで食べさせましょうよ。
 ただでさえ、子どもを生んでくれた親には、勲章でもあげたいくらいなんでしょ?
 何だったら、給食だけじゃなくて、夕飯のおかずも持ち帰りにしましょうか?

 総理を相手にした僕の軽口に、中村太一は顔を引きつらせている。
 磯田祐子は総理の次のことばを待って息を呑む。

 「おもしろいねそれ。ぜひやろうよ。夕飯作る手間が省けるし。
 世の夫婦達に、子どもを生まなきゃ損だ!と思わせなきゃな。
 子どもがいる家庭は、税金タダっていうのはやらないの?」

 それは、あなたの仕事でしょう。

 今度は総理をあなた・・呼ばわりかよ。
 太一が完全にびびっている。
 祐子はキツネにつままれた顔をしている。

 高橋総理が、言葉を続ける。
 「FEに佐野君を呼んだ時から、僕と目指すところは一緒だったからな。
 でも、なかなかこの法案が出てこないから、正直冷や冷やしたぞ。
 忘れてるんじゃないかってね。
 まぁお前のことだから、最後に決めてくれるのはわかっていたけどな。
 なんだか、僕らは赤い糸で結ばれてるような気がするよ。
 最後の最後に花を持たせてくれてありがとう。
 これで危機一髪セーフってことになりそうだな」

 太一と祐子のまん丸になった目に 光が宿る。
 幸田さんはいつもと変わらず、視線を落としてメモをとっている。

 僕は総理の笑顔の肩越しに、子ども達が笑いあう映像を見る。

 総理は 27年越しのリレーを終えた喜びを隠しきれない。
 椅子から立ち上がると、テーブルを右回りで、太一、祐子、幸田さんの順番で握手を求めてくる。
 そして僕の前に来た。

 「五年間、本当にご苦労だった。よくやってくれた。
 君をFEで初めて見た時、僕にはすぐわかった。
 君ならばきっとやってくれる。
 僕らが何も言わなくてもな。
 ずっと信じていた。
 ありがとう。ゆっくり休んでくれ」



次回は9月16日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月 8日 (月)

「子育て女性職場復帰支援法」で労働質が世界一

 二人の場合、組み合わせは 2/1=1
 三人の場合、組み合わせは (3*2)/(2*1)=3

 二人兄弟と比べて、三人兄弟は人間関係のパターンが3倍になる。<br/>
 兄弟が一人多いと言うだけで、子供はとても多くの情報を得ながら成長する。<br/>

 歴代の為政者は皆、税収と労働力確保の観点から「子供をたくさん産んでほしい」と考えていた。
 だが、その優遇策はどれも魅力に乏しかった。

 子供がたくさんいることで、こんなにもお得で、こんなにも楽しいということを、わかりやすく実感できること。
 それが傍目に見て、羨ましく映ることが大切だ。

 「子育て女性職場復帰支援法」では、全企業に産休女性の「職場復帰プログラム」の導入を義務づける。
 本人の申請を待たず、休業前に人事部がプログラムを提案する。費用は国と企業で折半し本人負担はゼロ。

 「人事部の中川です。産休プログラム "エンジェル"の担当をしています。
 まずは出産までの二ヶ月は美味しいものでも食べて、ゆっくりしてくださいね。
 ウェイトコントロールプログラムを作っておきましたから、よかったらダウンロードしてください。
 出産後は三か月くらいからできるブラッシュアップ・プログラムをご提案しますね。
 中田さんはサーバー管理の第一人者ですからね。
 もうそのまんま帰って来てくださればいいんですけど、確かウェブデザインをやってみたいという希望をお持ちでしたよね?
 ビジネススクールと提携しておきましたから、復帰までにはプロになれますよ!
 社内の出産関係の申請は、人事部ですべてやりますからご心配なく。
 わからないことはいつでも私にメールくださいね!」

 育児と並行してインターネットで受講する教育プログラムにより、育児のブランクをブラッシュアップの期間に換える。

 一度、二度と育児休暇を取る度に、女性は不安になるものだ。
 「自分がいなくても会社は回っている」
 「これだけ業績がよければ、自分は居ない方がよいのではないか?」
 誰もが一度はそう思う。
 だが、復帰プログラムにより「会社が自分を待ってくれている」と思えば、頑張れる。

 2000年代初頭、政治と経済の学者は「20代の雇用を奪っているのは、40代、50代である」と言っていた。
 だが、後世の評価は違っている。

 20代の雇用を奪ったのは、30代、40代で子育て帰りの女性だった。
 染色体の構造上、確率的に男より女が優秀だ。
 パートで安く雇える優秀な女性。正社員で高くつく未知数の若い衆。企業の人事部がどちらを選ぶかは言うまでもない。

 だが低いパート賃金のために、日本は優秀な労働力を潜在化させていた。
 「職場復帰プログラム」を全企業で取り入れることで子どもは増え、同時に労働の質は世界一となるだろう。

 職場復帰プログラムの歴史は古く、2002年に銀座化粧品が社内で始め、それを事業化した。
 当時、フリーの記者だった父が、まだ中二の姉に向かって「こん会社はすごか。お前も大きくなったら、こういう会社に入れ」と言っていたのを覚えている。



次回は9月11日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月 5日 (金)

こども3人で毎日、家政婦がやってくる

 日本の人口が天井を打ったのは2004年12月。
 「人口減少に転じた世界」を46年も先取りした。
 国民はこの35年、小さい社会に対応する術を学んだ。
 この経験が、今や世界の模範だ。
 世界中のメディアがそう言い始めたことで、日本国民はようやく、日本人が世界中から期待されていることを実感し始めた。

 そして、僕は最後に「一億人維持法」で人口増加社会への回帰に挑む。

 子どもが三人いる家庭には、毎日、家政婦がやってくる。
 子ども二人家庭は平日の五日間。
 子ども一人家庭でも月水金にやってくる。

 家政婦は言わなくてもやってくる。
 「申請しない人にはあげない」
 という、かつての年金とは違う。

 そのために、住基ネットがあるのだ。
 申請しなければ来ないヘルパー、申請しなければもらえない年金、補助金というのはおかしい。
 そんな不徳をしてきたから、行政は住民といい関係が築けなかった。

 「齋藤様おめでとうございます。
 昨日の今日ですが、私、齋藤様を担当させていただきますケアマネージャーの池田と申します。
 早ければ今日から月水金の週三回、ホームヘルパーがお手伝いに上がります。一日三時間で家事、子守、お買い物まで。他にもご要望があれば、ご相談に乗ります。
 私自身は三人の子どもを育てましたので、わからないこと、不安に思っていることがあったら、何でも聞いてくださいね。
 まずは一度ご自宅に基本プランをお持ちします。いつがよろしいですか?」

 出生届を出した翌日には、家政婦派遣センターのケアマネージャーから電話がかかってくる。
 ケアマネが訪問して、時間帯の希望を聞き、家事なのかベビーシッターなのかといった詳細が決まる。

 家政婦の要員は2000年施行の介護保険法で整備されたケアマネージャーとホームヘルパー資格者。
 かなりの体力を要求される老人介護と違い、育児家政婦には60キロのおじいちゃんを抱える腕力は要らない。

 体力が衰えて仕事をやめた高齢ヘルパーでも、育児家政婦ならば、まだまだできる。
 乳幼児にしてみれば、毎日故郷からおばあちゃんがやってくるようなものだ。
 これで地域の高齢者が、地域の子どもを育てるという枠組みが自然にできあがる。

 FEにいた頃、30キロのタンスを軽々と持ち上げていたアマさんのハブサが「リュウイチが偉くなったら日本にカセイフで呼んで欲しい」と言っていたのを思い出す。
 彼女の暖かくて献身的な仕事ぶりが、この法の下敷きになっている。

 「保育園100%受け入れ法」では 0歳児からの入園希望者に対して、自治体が100%の受け入れ枠を確保することを求めた。
 二人目は保育料半額、三人目以降はタダになる。

 子供は一人より二人。二人より三人。
 これは国の税収たのめではなく、子ども達のためだ。



次回は9月8日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

2008年9月 4日 (木)

もっと想像力を!想像でものを言うな!

 テレビのニュースが大きな事故を報じ始める。
 人は咄嗟に耳をそばだてる。
 「何人死んでくれただろうか?」
 「え、一人?なんだ少ないな。。」

 そこで、我に返る。
 いや、それでいいんだ。自分は何を考えているんだ。

 地震で家が揺れる。すぐにテレビをつけて速報を見る。
 震源は遠く彼方。震度はどれくらいだろう・・
 「震度3? なんだよ、もっといけよ。。」

 長い年月にわたりメディアが報じてきたパターンに、人々は慣れ、麻痺している。
 さらなる刺激を求める心は、一朝一夕には変わらない。

 僕はIDO室メンバーに、もっと想像力を!と言ってきた。
 一方では、想像でものを言うな!とも言ってきた。

 「いったい、どっちなんですか?」と、磯田祐子がつっこんだことがあった。

 答えはこうだ。
 想像をしても連想をしてはいけない。

 あ、おじいちゃんが乗ってきた。席を替わらなきゃいけないな。
 でも、年寄り扱いするなって言われたら嫌だな。
 その隙に隣りに立っているおばさんが座ったら、腹立つし…

 この料金督促者一覧のレイアウトだと、個人信用情報がばればれだな。
 部長に言わないといけない。
 でも、部長が課長を問いつめたら、きっと「取扱を慎重にしていますから問題ありません」って、言い逃れして有耶無耶にするだろうし「誰がそんなことを言ったんですか?」ということになったら、結局こっちが干されるだけだな…

 連想は行動を止める。
 想像したら、次の瞬間に行動する。
 想像はたくさんしなければならない。
 たくさん想像して、たくさん行動するのだ。

 宿題
 高橋総理と最後の協議の日。
 僕が待たせていた宿題を出す日がきた。

 2035年1月1日付で行った最後の「国勢調査」結果を住民基本台帳に入れて、それ以降、人口推移の把握は住民基本台帳でおこなうことにした。
 人口維持自治体と人口減少自治体(過疎地域)の推移は、日次で追うことができる。
 「移民法」による人口密度の均一化は、着々と進んでいる。

 だが、一つだけ解決していない問題があった。

 世界人口が65億人だった2010年のUN予測では、2100年に105億人で天井を打ち、その後、減少に転ずるとされていた。
 元々この手の予測は“一人の女性が二人の子どもを産むだろう"という曖昧な人口補完水準を採用しているため、社会情勢によって大きく誤差が出る。
 2038年のUN予測では、2050年に80億人をピークに減少に転ずるとなっており、ピーク予測は50年も早まっている。

 日本では2050年頃と言われていた一億人割れが、早ければ2039年12月に訪れそうだ。



「独裁者」もくじ

|

2008年9月 1日 (月)

2000人は逝きますね

 2000年代にはいり、回転寿司が外国に普及したために、世界中で魚介類の消費量が格段に増えた。
 だが、相変わらず、商業捕鯨を禁止して、鯨に人類の3倍の魚を食べさせていたために、人間が食べられる魚は激減。
 2030年時点では、豚ばら肉が100g180円と過去30年間ほとんど横ばいなのに対して、さんま一匹800円、鯖一匹1,000円と、およそ5倍になった。

 鰻は2020年以降、シラスの養殖が軌道に乗り、十分に供給されていたので「エビ・マグロを時々食べる法」を作る際、対象としなかった。

 僕が「自給可能食糧自給率100%法」を出したあと、EIDOの施策で、エビ・マグロ同様、養殖業者は法人税を5%減免されている。

 日本で一年間に売れ残る食糧 1311万トン
 世界で一年間に行われる食糧援助 1000万トン

 安全な国産品を食べるよう注意を喚起する。
 小欲知足の心を持って食べ物に接するという目的を持つこの法は、IDO就任直後に「自給可能食糧自給率100%法」を施行した時に、既にアイデアとしてはあった。

 だが、独裁者が就任していきなり「エビを食べるな」などと言い出せば、ただの変人と思われかねない。
 国民の心が一旦離れれば、1000法は駄法となる。

 就任から4年が過ぎ、世の中にIDO法の軸と使命への共感が生まれたからこそ、「エビ・マグロを時々食べる法」のような法律は、違和感なく迎えられた。

 磯田祐子は動かなくなった車エビにビールを呑ませている。
 「跳ねないねぇこのエビ。お疲れなのかなぁ・・」
 高級中華料理屋の再現を狙ったのだろうが、ビールくらいのアルコール度数では、エビは驚かない。

 さっきまで「蒲田の町工場の出先が、マレーシアで100か所を超えました」というニュースを伝えていたbola!ラジオが、短いサイレン・ジングルと共に、臨時ニュース・モードに変わった。
 皆が仕事の顔に替わり、おしゃべりと手を止める。

 臨時ニュースです。
 きょう日本時間17時39分、トルコの首都イスタンブールで地震があり、大きな被害が出ている模様です。現在、アルジャジーラを介して情報を収集していますが、現地で取材に当たっているアルジャジーラの記者によると、1000人近くの人が亡くなった模様です。

 「IDO、これは 2000人はいきますねっ!」
 伊藤君のことばに、情報収集に走ろうとした皆の足が止まった。

 「アルジャジーラの記者っていうのは、多分アレシャンドレのことだと思うんですけど、彼の数字はいつも少なめで、EUのテロの時も、300人の被害者を最初は100人って言ってたんです」

 勉強家である伊藤君の冷静な分析はもう耳に入らない。
 気まずい空気に皆の視線が宙を泳ぐ。

 人の命を
 2000人はいきますね か・・



次回は9月4日に掲載します。

「独裁者」もくじ

|

より以前の記事一覧