2008年9月30日 (火)

一番嫌いな言葉

 4月23日サンジョルディ
 久しぶりに、ここに帰ってきた。

 前回は羽田から直行して私物を置いただけ。わずか一時間でIDOラボに移動した。あの時はただ、フローリングの美しい木目だけが見えていたが、今はKLから僕を追ってきた荷物が置かれて、長い年月、主の帰りを待っていた。

 それ以来、週末の土曜日に帰るようにした。
 二日間ここに缶詰になって、手書きメモをワークシートに打ち込んでいく。
 その日のできごと、その時僕がどう考えたか、後任に伝えておくとよいこと・・
 それらのことを、5cm四方のメモ用紙に書き留めて、机の引き出しにしまっていた。

 三ヶ月もあれば打ち終わると思っていたが、メモを手にすると、その時の記憶が再合成される。
 その時の情景を思い起こす。ついメモを読みふけってしまう。
 読んでいるうちにアイデアが浮かんで、メモにないことを加筆してしまう。
 そうこうしていると、なかなか作業は進まない。

 それにしても、メモに書いた自分の字が読めないのには参った。
 子どもの頃、習字を習っておけばよかったと思う。

 タイムリミットが迫ってきたここ数週間、時間が足りなくなった。
 カテゴリー事例ごとのメモは書ききれず、歯抜けになってしまった。
 平日の夜も IDOラボのパソコンで書きたい衝動に駆られたが、それは思いとどまった。
 この引継書は、後任のあなたと僕だけのものでなければならない。

 幸田さんが私邸に設えてくれたパソコンは画面が大きくて、最近めっきり視力が落ちた僕にはありがたかった。
 冷蔵庫にいつもサンドとカフェオレを入れておいてくれてありがとう。

 初対面の日あなたを見た時、僕は目を疑った。
 僕は橋本に 9つの省から 2人ずつ 18人のスタッフと、IDO法九条「不測時の代理業務」を遂行する候補者を一人、合わせて19人の配属を頼んでいた。

 就任前に、IDOの二期めはやらないと念を押しておいたので、その19人めは後を任せられる人材にしてほしい。それが優先順位一位のお願いだった。
 驚きを顔に出さぬよう、必死に平静を装ったけれど、そんなことは無駄な努力でした。

 就任した日につくった「匿名メールアドレス禁止法」だけが、二人きりのブリーフィングでしたね。
 最初はまさかと思ったけれど、あなたが僕の右肩越を見て話すのを見て驚きました。
 確信するまでに、長い時間はかかりませんでした。
 あなたがどれくらいわかるのかを探るのは、なんだか思議な感覚でした。

 3ヶ月経った頃、あなたが心を読んでいると言えるほど、直近の映像化ができることがわかりました。
 僕は直前、直後の映像化は苦手なので、人の心理を汲むのは他の方法をとっていましたが、あなたはそれを難なくこなしていましたね。

 このファイルのパスワード、引継者の誕生日にしようと思って、「誕生日四桁をパスワードにするのを禁止する法」でヒントを出したのですが、その必要はなかったですね。

 18人の仲間は、最後まで交替することなく勤めてくれて助かりました。
 これまでに、いろいろなタイプの別れを経験しましたが、彼らとのそれは新しいものでした。
 寂しいのだけれども、心は満たされている。
 恐らくもう、会うことはないのだけれど、またすぐにでも、いつでも会えそうな予感がする。
 パソコン通信が始まった頃のオフライン・ミーティングで、誰もが味わっていたような、あの感覚を思い出しました。
 僕らは、人もうらやむように、そう、家族のように機能していたと思います。
 第二期のチームが、どのような人選になるのか、僕も楽しみにしています。

 「音楽は力法」のエピソードは当初ここに書くつもりはなかったのですが、あなたに読んでもらおうと思い、書き足しました。
 旧友と出会った懐かしさに、心が弱くなることが何度もありましたが、凜として揺るがないあなたのたたずまいを見て、それではいけないと思いとどまるのが大変でした。

 日本海の波は白いですか?
 その波の継ぎめにあなたの幸せが見えるといいな。
 風邪をひかないように、気をつけてください。
 ここまで、長文につきあってくれて、ありがとう。
 最後に、僕が一番目と二番目に嫌いな言葉を書いて、終わりにします。

 がんばってください。
 さようなら

                   元IDO 佐野龍一



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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2008年9月26日 (金)

最後の言葉

 世の中には仕組みを作るのが好きな人もいれば、その仕組みに寄り添っているのが好きな人もいる。
 僕は仕組みを作るのが好きだ。
 できあがった仕組みは早く人に渡したい。
 できないことは学び、できることは人に教える。
 人々が笑顔になれるような仕組みを作る。
 できあがった仕組みからは、潔く離れる。ずっと、そうしてきた。

 「君は仕組みをつくる男だ。君を選んでよかった」
 僕がいなくなった後、誰かがそう言ってくれれば嬉しい。

 「あれ?今日はいつもの集まりはないんですか?IDOが金曜日に私邸に行かれるのは初めてですよね?」
 うん、今日は家で見たいものがあってね。

 黒塗りの車の後部座席は、やっぱり僕には居心地が悪い。
 金曜の17時台、街に繰り出す人たちで最も賑わう時間帯。
 僕がこの街に帰ってきたあの日より、街は幾分騒がしくなった。
 それでも、KLから帰ってきた時の違和感が消えたわけではない。

 私邸に戻った時は、いつも山田SPが先に室内にはいり、安全を確認してくれる。
 山田さんは、なかなかの論客。歯に衣着せぬ物言いが好きだ。
 移動の車は彼と僕との言い放題タイム。
 とても、大臣やメディアには聞かせられないような法案が飛び交う。
 いつも、楽しかった。

 山田さん、合い鍵は持ってますよね?今日、僕はここで眠ります。
 明日は合い鍵でドアを開けて入ってきてください。交替の時、そう引き継ぎを頼みます。

 「引き継ぎですか?申し送りじゃなくて」
 あぁ、そうか。そうとも言いますね。

 二〇三九年九月一七日(土)八時〇三分。
 池田警護官からの連絡により、私邸に入りました。
 窓辺のテーブルに置かれたパソコンにはワークシートが起動していましたが、文書ファイルは存在しませんでした。
 状況の詳細は公安の報告に譲ります。

 前夜、私が帰宅した後の一七時九分、山田警護官に「私邸に行きたいから、車を出してほしい」と連絡がありました。
 IDOは今年四月以降、週末は私邸で過ごしていました。
 一七時三九分に私邸に入られる際、山田警護官に言ったのが、最後のことばです。
 「今日はここで眠ります。明日はかまわないので、鍵を開けて入ってきてください。そう申し送りを頼みます」

 後任の秘書官との引き継ぎ終了後、私も一ヶ月間、休暇を戴きたいと存じます。

                      IDO室   継波千絵

次回【 最終話 】は9月30日に掲載します。

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2008年9月22日 (月)

空に突き抜けるチューリップの風景

 毎年チューリップの季節が来ると、父が連れて行ってくれたハウステンボス。
 小さい頃は世界のすべてが大きく見える。
 大人になって背が伸びるに連れて縮尺が変わり、世界は収縮する。

 子供心の原風景に、どこまでも続く石畳、はるか彼方で悠然と回る風車、空に突き抜けんとするチューリップが焼きついた。

 父が売店で買ってくれた本に、そのことばはあった。
 “千年の時を刻む"
 そう謳ったのは創業者、神近義邦氏。

 まだ京都議定書もなかった時代に、環境と経済の両立をめざした実験都市は、経済の苦境を乗り越え今も実験を続けている。

 僕の心に、キャッチボールや天下取り、思い思いに遊ぶ笑顔の子供達が住みついている。
 こうしてIDOの5年を振り返ると、多くの法律がその風景から生まれたのがわかる。
 ハウステンボスが海から生まれた街ならば、IDO千法は子どもたちの笑顔から生まれた法律と言えるかも知れない。

 「IDO・・ やめちゃうんですか?」
 えーっ?
 なんでだよ
 「だって、総理が・・」
 そこから先はもう声にならない。
 磯田祐子の大きな瞳に、大粒の涙が出番を待っている。

 あと数秒したら、涙で悲しみに暮れる別れの光景を目にしなければならなくなる。
 次の言葉のために、急いで玉子サンドをカフェオレで流し込んだ。

 今週の金曜はちょっと用事があるから、部活は中止でいいかな?

 5年間で初めての中止提案に、キツネにつままれたような18人。
 絶望にうちひしがれたような空気を察して、幸田さんがつなぐ。
 部活が始まった当初は金曜日だけの参加だったが、そのうち週2になり、この4月以降は毎回参加してくれている。

 「私この週末、実家に帰ってくるから、美味しいもの買ってくるね」
 「へぇなんだろう?」
 「千絵さんの実家って、どこだっけ?」
 「福井のほうだよね、確か?」

 「じゃ、次は月曜日!」
 幸田さんが明るく宣言して、お開きとなった。

 いつものように片づけが始まる。
 いつもより黙々と、現状が復帰されていく。
 残った食糧のうち日持ちするものは冷蔵庫「ライダー」に格納され、賞味期限が近いものは希望者がお持ち帰りにする。

 次が一回飛ばしということもあって、全員がなにがしかのお土産を手にして、それぞれの家族や恋人の元、あるいは誰も待っていない部屋へと帰っていった。

 幸田さん、あなたの機転で、涙の送別会にならずに済んだ。



次回は9月26日に掲載します。

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2008年9月19日 (金)

赤い糸を紡いだたすき

 川村総理には、赤い紙の映像が見えた。
 このままでは、召集令状は避けられない。
 ルートを替えなければダメだ。

 一年の準備期間を経て、憲法四一条、七四条を改正。
 そして続く世代の総理に糸は紡がれていく。

 総理権限で任命できるIIDO、EIDO。
 そうして現出した無類の好景気。
 内閣支持率は80%台。
 そして、総選挙で獲得した絶対安定多数。

 こうして、法務省単独の特別案件として IDOにつながる水路がついた。
 そして、IDOである僕に、招集礼状を回避するラスト・ランナーのたすきが渡された。

 高橋総理はそれを「赤い糸」と表現した。
 周りで聞いていた中村太一や磯田祐子は、高橋総理には、その道の趣味があったのかと思ったかも知れない。

 今後人口が増加に転じた時、徴兵制が目前の課題だったことが語られることはないだろう。
 そしていずれ歴史が、第一走者であった川村総理の功績に気づく日が来たとしても、総理にレポートを提出した名も無き官僚のことを語る人はいない。
 福岡出身であるということ以外、僕自身、それ以上の詳しいことを知らない。

 その夜の部活は、いつも以上に盛り上がった。
 僕はみんなの顔を心のアルバムに焼き付けようと思っていた。

 「総理がIDOに、君と僕は赤い糸でむすばれている気がするだって!」
 「ぎゃ~、赤い糸って、男と女じゃないの」
 「でも千絵さんっていつも冷静なんだよなぁ。俺なんかちびりそうだったよ」
 「退場~」

 総務省出身で総理協議担当の祐子と太一が再現する実況中継に皆が、つっこみを入れる。
 今日は藤野章子が、僕の好きな佐世保サンドを都庁の帰りに買ってきてくれた。
 佐世保サンドは 2009年に全国区となって以来、あっという間に佐世保バーガーの人気を追い越した。

 呑んだ後のサンドは格別に美味い。
 最初は僕がそう言って一人で食べていて、皆は「サンドですか~・・」と引いていた。
 ところが、試しにヨコからつまんだ章子が「めちゃめちゃ美味い!」と追随。
 それからは、あっという間に全員共通の好物になった。
 コンビニサンドならば、どこのでも美味いのだが、大きな仕事が片付いた日は、章子が「佐世保サンドの日」と決めていて、都庁のショップから買ってきてくれる。
 今では20人前、しっかり買ってこないと「足りない!」とブーイングが出る。

 いつも月水金の午後になると、誰かに外回りの用事ができるらしく、部活のメニューにサンドは必ず入っている。
 今日は初めてリクエストして いなり寿司を買ってきてもらった。

 「IDO、それコーヒーですか?」
 そうだよ。いなり寿司とコーヒーって変でしょ?
 だけど僕はなんでも一度はやってみるんだ。ところがこのいなり寿司とキリマンジャロがなかなかいいんだな。
 一ついいですか?と最後の一つをひょいとつまんで、コーヒーで流し込む章子。うーんと唸っている。

 「あれ、チューリップ。前は赤でしたよね?」
 自分が書いた字に見入っていた中村太一が、黄色いチューリップを見て声を上げる。

 “千年後、この街に子供達の明るい笑顔が響き合う”
 僕の心には、いつもこのことばがあった。



次回は9月22日に掲載します。

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2008年9月16日 (火)

住基ネットがはき出す、大量の赤い紙

 高橋総理と僕はその日二回め、生涯で六回めとなる、最後の握手をして別れた。
 赤い糸なんて、余計なことを言わなければいいのに。

 高橋総理はFEディレクターを兼務している。
 その在任中に国内の総理を辞めるのは具合が悪いということで、総理としては異例の三期九年続投となっていた。

 その高橋政権も残り 2週間。
 その 3か月後には、10年務めたFEディレクターの任期も終える。
 日本のトップと、アジアのトップ。
 その重責が彼の身体にかけた負担は相当なものだろう。
 高橋さんの今後の健康を祈る。

 「一億人維持法」は、IDO法を成立させた高橋総理の、最後の大仕事であり、彼と法務省の悲願。
 川村総理、水野総理から高橋さんが引き継いできた、大切なバトンだ。

 一通のレポート
 2012年秋、内閣府の一官僚から総理宛に一通のレポートが提出された。
 川村総理が就任した直後という時期だった。
 その要旨は次の通り。

 2004年12月に 1億2783万人でピークとなった日本の人口は、2050年に一億人を割る。2100年には7,000万人を割る。

 最低国防能力を現役 23万人、予備役 7万人と仮定した場合、現役 53,000人、予備役 13,000人が不足する。
 諸外国に予断を与えないためには、2050年、人口一億人割れのタイミングで徴兵制に踏み切る必要がある。

 初めは予備役の徴兵という形で入ってもよいが、人口9,000万人割れのタイミングでは現役の徴兵に切り替えなければならない。

 ただし、我々は真摯に考えなければならない。
 もし仮に徴兵制が敷けたとしても、それは日本が100年続けてきた、子供達に自由な進路を保証する社会からの撤退を意味する。

 「国を守るのは国民の義務です」
 「大韓民国みたいに徴兵制がないから、日本の若者は態度が横着なのです」
 「徴兵制があるくらいの方が、若者はしゃきっとします」
というのは、日本の信義ではない。

 日本が人口を維持するには合計特殊出生率 2.08以上が必要。
 人口一億人割れの前に、お題目ではなく実際に出生率を上げる策を打たなければならない。

 そのレポートの主が誰かを僕は知らない。
 総務省マターである人口対策。
 防衛省、内閣府マターである徴兵制。
 川村総理は、これを国民的議論に訴えることは「究極の無責任」である考えた。

 首尾良く人口増加策が法制化されればよいが、失敗した場合は一億人に責任を転嫁しただけだ。

 横軸の連携が困難な中央省庁
 政局に持ち込もうとする野党
 悲観論をあげつらうメディア
 それに追随して、悲観を楽しむ国民

 議論の間に時間だけが過ぎ、やがて人口は七千万人を切る。誰も責任を取る人はいない。

 そして、住基ネットは、ついに大量の赤い紙をプリンターからはき出すことになる。



次回は9月19日に掲載します。

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2008年9月11日 (木)

27年越しのリレー

 学校給食法は改正して、義務教育の給食費をタダにした。
 給食は、第二次大戦後の復興期、海外からの経済援助を受けて成り立っていた。

 子供達にとって、生きること=食べることは根源の権利。
 それを再び、政府が面倒をみるというところへ振り戻す。

 従来法は親に支払義務があり、例外として、経済的に支払が困難な場合に限り、地方自治体が肩代わりすることになっていた。
 この「経済的に支払が困難」のような曖昧な定義は、横着の温床。
 十分な能力がありながら、支払わない不届きな親がいた。

 2039年 9月14日(水)
 これら一連の「一億人維持法」に、高橋総理は持ち帰らず、協議のその場で署名した。
 それまでの総理協議では、総理が持ち帰り一週間後に署名するというのが慣例になっていた。

 高橋総理、子どもの昼飯くらいタダで食べさせましょうよ。
 ただでさえ、子どもを生んでくれた親には、勲章でもあげたいくらいなんでしょ?
 何だったら、給食だけじゃなくて、夕飯のおかずも持ち帰りにしましょうか?

 総理を相手にした僕の軽口に、中村太一は顔を引きつらせている。
 磯田祐子は総理の次のことばを待って息を呑む。

 「おもしろいねそれ。ぜひやろうよ。夕飯作る手間が省けるし。
 世の夫婦達に、子どもを生まなきゃ損だ!と思わせなきゃな。
 子どもがいる家庭は、税金タダっていうのはやらないの?」

 それは、あなたの仕事でしょう。

 今度は総理をあなた・・呼ばわりかよ。
 太一が完全にびびっている。
 祐子はキツネにつままれた顔をしている。

 高橋総理が、言葉を続ける。
 「FEに佐野君を呼んだ時から、僕と目指すところは一緒だったからな。
 でも、なかなかこの法案が出てこないから、正直冷や冷やしたぞ。
 忘れてるんじゃないかってね。
 まぁお前のことだから、最後に決めてくれるのはわかっていたけどな。
 なんだか、僕らは赤い糸で結ばれてるような気がするよ。
 最後の最後に花を持たせてくれてありがとう。
 これで危機一髪セーフってことになりそうだな」

 太一と祐子のまん丸になった目に 光が宿る。
 幸田さんはいつもと変わらず、視線を落としてメモをとっている。

 僕は総理の笑顔の肩越しに、子ども達が笑いあう映像を見る。

 総理は 27年越しのリレーを終えた喜びを隠しきれない。
 椅子から立ち上がると、テーブルを右回りで、太一、祐子、幸田さんの順番で握手を求めてくる。
 そして僕の前に来た。

 「五年間、本当にご苦労だった。よくやってくれた。
 君をFEで初めて見た時、僕にはすぐわかった。
 君ならばきっとやってくれる。
 僕らが何も言わなくてもな。
 ずっと信じていた。
 ありがとう。ゆっくり休んでくれ」



次回は9月16日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年9月 8日 (月)

「子育て女性職場復帰支援法」で労働質が世界一

 二人の場合、組み合わせは 2/1=1
 三人の場合、組み合わせは (3*2)/(2*1)=3

 二人兄弟と比べて、三人兄弟は人間関係のパターンが3倍になる。<br/>
 兄弟が一人多いと言うだけで、子供はとても多くの情報を得ながら成長する。<br/>

 歴代の為政者は皆、税収と労働力確保の観点から「子供をたくさん産んでほしい」と考えていた。
 だが、その優遇策はどれも魅力に乏しかった。

 子供がたくさんいることで、こんなにもお得で、こんなにも楽しいということを、わかりやすく実感できること。
 それが傍目に見て、羨ましく映ることが大切だ。

 「子育て女性職場復帰支援法」では、全企業に産休女性の「職場復帰プログラム」の導入を義務づける。
 本人の申請を待たず、休業前に人事部がプログラムを提案する。費用は国と企業で折半し本人負担はゼロ。

 「人事部の中川です。産休プログラム "エンジェル"の担当をしています。
 まずは出産までの二ヶ月は美味しいものでも食べて、ゆっくりしてくださいね。
 ウェイトコントロールプログラムを作っておきましたから、よかったらダウンロードしてください。
 出産後は三か月くらいからできるブラッシュアップ・プログラムをご提案しますね。
 中田さんはサーバー管理の第一人者ですからね。
 もうそのまんま帰って来てくださればいいんですけど、確かウェブデザインをやってみたいという希望をお持ちでしたよね?
 ビジネススクールと提携しておきましたから、復帰までにはプロになれますよ!
 社内の出産関係の申請は、人事部ですべてやりますからご心配なく。
 わからないことはいつでも私にメールくださいね!」

 育児と並行してインターネットで受講する教育プログラムにより、育児のブランクをブラッシュアップの期間に換える。

 一度、二度と育児休暇を取る度に、女性は不安になるものだ。
 「自分がいなくても会社は回っている」
 「これだけ業績がよければ、自分は居ない方がよいのではないか?」
 誰もが一度はそう思う。
 だが、復帰プログラムにより「会社が自分を待ってくれている」と思えば、頑張れる。

 2000年代初頭、政治と経済の学者は「20代の雇用を奪っているのは、40代、50代である」と言っていた。
 だが、後世の評価は違っている。

 20代の雇用を奪ったのは、30代、40代で子育て帰りの女性だった。
 染色体の構造上、確率的に男より女が優秀だ。
 パートで安く雇える優秀な女性。正社員で高くつく未知数の若い衆。企業の人事部がどちらを選ぶかは言うまでもない。

 だが低いパート賃金のために、日本は優秀な労働力を潜在化させていた。
 「職場復帰プログラム」を全企業で取り入れることで子どもは増え、同時に労働の質は世界一となるだろう。

 職場復帰プログラムの歴史は古く、2002年に銀座化粧品が社内で始め、それを事業化した。
 当時、フリーの記者だった父が、まだ中二の姉に向かって「こん会社はすごか。お前も大きくなったら、こういう会社に入れ」と言っていたのを覚えている。



次回は9月11日に掲載します。

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2008年9月 5日 (金)

こども3人で毎日、家政婦がやってくる

 日本の人口が天井を打ったのは2004年12月。
 「人口減少に転じた世界」を46年も先取りした。
 国民はこの35年、小さい社会に対応する術を学んだ。
 この経験が、今や世界の模範だ。
 世界中のメディアがそう言い始めたことで、日本国民はようやく、日本人が世界中から期待されていることを実感し始めた。

 そして、僕は最後に「一億人維持法」で人口増加社会への回帰に挑む。

 子どもが三人いる家庭には、毎日、家政婦がやってくる。
 子ども二人家庭は平日の五日間。
 子ども一人家庭でも月水金にやってくる。

 家政婦は言わなくてもやってくる。
 「申請しない人にはあげない」
 という、かつての年金とは違う。

 そのために、住基ネットがあるのだ。
 申請しなければ来ないヘルパー、申請しなければもらえない年金、補助金というのはおかしい。
 そんな不徳をしてきたから、行政は住民といい関係が築けなかった。

 「齋藤様おめでとうございます。
 昨日の今日ですが、私、齋藤様を担当させていただきますケアマネージャーの池田と申します。
 早ければ今日から月水金の週三回、ホームヘルパーがお手伝いに上がります。一日三時間で家事、子守、お買い物まで。他にもご要望があれば、ご相談に乗ります。
 私自身は三人の子どもを育てましたので、わからないこと、不安に思っていることがあったら、何でも聞いてくださいね。
 まずは一度ご自宅に基本プランをお持ちします。いつがよろしいですか?」

 出生届を出した翌日には、家政婦派遣センターのケアマネージャーから電話がかかってくる。
 ケアマネが訪問して、時間帯の希望を聞き、家事なのかベビーシッターなのかといった詳細が決まる。

 家政婦の要員は2000年施行の介護保険法で整備されたケアマネージャーとホームヘルパー資格者。
 かなりの体力を要求される老人介護と違い、育児家政婦には60キロのおじいちゃんを抱える腕力は要らない。

 体力が衰えて仕事をやめた高齢ヘルパーでも、育児家政婦ならば、まだまだできる。
 乳幼児にしてみれば、毎日故郷からおばあちゃんがやってくるようなものだ。
 これで地域の高齢者が、地域の子どもを育てるという枠組みが自然にできあがる。

 FEにいた頃、30キロのタンスを軽々と持ち上げていたアマさんのハブサが「リュウイチが偉くなったら日本にカセイフで呼んで欲しい」と言っていたのを思い出す。
 彼女の暖かくて献身的な仕事ぶりが、この法の下敷きになっている。

 「保育園100%受け入れ法」では 0歳児からの入園希望者に対して、自治体が100%の受け入れ枠を確保することを求めた。
 二人目は保育料半額、三人目以降はタダになる。

 子供は一人より二人。二人より三人。
 これは国の税収たのめではなく、子ども達のためだ。



次回は9月8日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年9月 4日 (木)

もっと想像力を!想像でものを言うな!

 テレビのニュースが大きな事故を報じ始める。
 人は咄嗟に耳をそばだてる。
 「何人死んでくれただろうか?」
 「え、一人?なんだ少ないな。。」

 そこで、我に返る。
 いや、それでいいんだ。自分は何を考えているんだ。

 地震で家が揺れる。すぐにテレビをつけて速報を見る。
 震源は遠く彼方。震度はどれくらいだろう・・
 「震度3? なんだよ、もっといけよ。。」

 長い年月にわたりメディアが報じてきたパターンに、人々は慣れ、麻痺している。
 さらなる刺激を求める心は、一朝一夕には変わらない。

 僕はIDO室メンバーに、もっと想像力を!と言ってきた。
 一方では、想像でものを言うな!とも言ってきた。

 「いったい、どっちなんですか?」と、磯田祐子がつっこんだことがあった。

 答えはこうだ。
 想像をしても連想をしてはいけない。

 あ、おじいちゃんが乗ってきた。席を替わらなきゃいけないな。
 でも、年寄り扱いするなって言われたら嫌だな。
 その隙に隣りに立っているおばさんが座ったら、腹立つし…

 この料金督促者一覧のレイアウトだと、個人信用情報がばればれだな。
 部長に言わないといけない。
 でも、部長が課長を問いつめたら、きっと「取扱を慎重にしていますから問題ありません」って、言い逃れして有耶無耶にするだろうし「誰がそんなことを言ったんですか?」ということになったら、結局こっちが干されるだけだな…

 連想は行動を止める。
 想像したら、次の瞬間に行動する。
 想像はたくさんしなければならない。
 たくさん想像して、たくさん行動するのだ。

 宿題
 高橋総理と最後の協議の日。
 僕が待たせていた宿題を出す日がきた。

 2035年1月1日付で行った最後の「国勢調査」結果を住民基本台帳に入れて、それ以降、人口推移の把握は住民基本台帳でおこなうことにした。
 人口維持自治体と人口減少自治体(過疎地域)の推移は、日次で追うことができる。
 「移民法」による人口密度の均一化は、着々と進んでいる。

 だが、一つだけ解決していない問題があった。

 世界人口が65億人だった2010年のUN予測では、2100年に105億人で天井を打ち、その後、減少に転ずるとされていた。
 元々この手の予測は“一人の女性が二人の子どもを産むだろう"という曖昧な人口補完水準を採用しているため、社会情勢によって大きく誤差が出る。
 2038年のUN予測では、2050年に80億人をピークに減少に転ずるとなっており、ピーク予測は50年も早まっている。

 日本では2050年頃と言われていた一億人割れが、早ければ2039年12月に訪れそうだ。



「独裁者」もくじ

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2008年9月 1日 (月)

2000人は逝きますね

 2000年代にはいり、回転寿司が外国に普及したために、世界中で魚介類の消費量が格段に増えた。
 だが、相変わらず、商業捕鯨を禁止して、鯨に人類の3倍の魚を食べさせていたために、人間が食べられる魚は激減。
 2030年時点では、豚ばら肉が100g180円と過去30年間ほとんど横ばいなのに対して、さんま一匹800円、鯖一匹1,000円と、およそ5倍になった。

 鰻は2020年以降、シラスの養殖が軌道に乗り、十分に供給されていたので「エビ・マグロを時々食べる法」を作る際、対象としなかった。

 僕が「自給可能食糧自給率100%法」を出したあと、EIDOの施策で、エビ・マグロ同様、養殖業者は法人税を5%減免されている。

 日本で一年間に売れ残る食糧 1311万トン
 世界で一年間に行われる食糧援助 1000万トン

 安全な国産品を食べるよう注意を喚起する。
 小欲知足の心を持って食べ物に接するという目的を持つこの法は、IDO就任直後に「自給可能食糧自給率100%法」を施行した時に、既にアイデアとしてはあった。

 だが、独裁者が就任していきなり「エビを食べるな」などと言い出せば、ただの変人と思われかねない。
 国民の心が一旦離れれば、1000法は駄法となる。

 就任から4年が過ぎ、世の中にIDO法の軸と使命への共感が生まれたからこそ、「エビ・マグロを時々食べる法」のような法律は、違和感なく迎えられた。

 磯田祐子は動かなくなった車エビにビールを呑ませている。
 「跳ねないねぇこのエビ。お疲れなのかなぁ・・」
 高級中華料理屋の再現を狙ったのだろうが、ビールくらいのアルコール度数では、エビは驚かない。

 さっきまで「蒲田の町工場の出先が、マレーシアで100か所を超えました」というニュースを伝えていたbola!ラジオが、短いサイレン・ジングルと共に、臨時ニュース・モードに変わった。
 皆が仕事の顔に替わり、おしゃべりと手を止める。

 臨時ニュースです。
 きょう日本時間17時39分、トルコの首都イスタンブールで地震があり、大きな被害が出ている模様です。現在、アルジャジーラを介して情報を収集していますが、現地で取材に当たっているアルジャジーラの記者によると、1000人近くの人が亡くなった模様です。

 「IDO、これは 2000人はいきますねっ!」
 伊藤君のことばに、情報収集に走ろうとした皆の足が止まった。

 「アルジャジーラの記者っていうのは、多分アレシャンドレのことだと思うんですけど、彼の数字はいつも少なめで、EUのテロの時も、300人の被害者を最初は100人って言ってたんです」

 勉強家である伊藤君の冷静な分析はもう耳に入らない。
 気まずい空気に皆の視線が宙を泳ぐ。

 人の命を
 2000人はいきますね か・・



次回は9月4日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月29日 (金)

呼び出しに応じなければ、虐めはエスカレートする

 学校の先生と、クラスの女の子から人気があった銀次は、不良グループの格好の餌食となっていた。
 「賞をとって、調子に乗っている」
 「女にちやほやされて、いい気になっている」
 そう言っては、銀次を放課後の屋上に呼び出した。
 呼び出しに応じなければ、翌日さらに、虐めはエスカレートするだけのこと。
 銀次は逃げることなく、呼び出しに応じ続け、抵抗することもなく、いたぶられ続けた。

 毎日のように死刑台に向かって、階段を上っていた銀次の映像。
 僕に精神の体力がつくほどに、その一コマ、一コマは薄れていくのだが、消しゴムで消すようにきれいには消えない。
 今も、銀次の残像がうっすらと残っている。

 あの絵はおいが持っとぉとよ。ずっと誰にもやられんて隠しとった。
 この店に来ると、ゴマ鯖の後にいつも食べる「地鶏皮の酢の物」をつまみながら、僕は打ち明けた。

 「よかよか、あんたが持っとくとが一番よか。あん子もそいがよかろう。銀次はいつでん、兄ちゃん、兄ちゃんってついて回りよったけんね」
 母のことばを継いで、姉も頷いてくれた。
「そうたい。あんたら仲んよぉして羨ましかったよ」

 僕の使命である「日本人が真っ当に生き、他人のために役立とうと思う社会にする」は、ことばを替えると、人々が少ないことに満足し、身の丈で生き、他の人や他の国を脅かさない社会。

 誰もが横着をせず、人に迷惑をかけることを恥じる真摯さを持つ。
 そして、その日本人の姿勢が世界中の人から尊敬される。
 ある一定の人々がそう考え始めたら、ある時点を境に一気にその流れは広がる。僕はこの五年間で、その流れに棹さす役割を果たそうと思い、やってきた。

 連想
 お盆休み明けの水曜日、クラブ活動の日。
 今日は年に一度、お国自慢のお土産が出そろう日。
 この日はお昼の立法ミーティングから、メンバーの笑顔が多い。

 郷里の上五島に帰ってきた永田久美子はかんころ餅を持ってきた。
 早速、田中一徳が囓りつく。
 「あぁあ、それ焼くとよ」
 「はよ言わんか。固か~。こないだのからすみは煮たらいかんていうし、長崎ん食べもんはナマかと思おうが」

 博多出身の田中一徳と、五島出身の永田久美子。
 二人は「九州弁普及大使」を自認していて、全国どこに出張しても九州弁で通しているらしい。
 部活のメンバーもおもしろがって真似している。

 「IDOは訛り、でませんよね?」
 なんにでも興味津々「なぜなぜゆうこ」の異名をとる磯田祐子がつっこむ。

 そうだね、子供の頃に転校が多かったからね。
 転校したその日には、その土地のことばで喋っていたから、順応力がついちゃったんだ。
 今もこうして博多の一徳には博多弁が出そうになるし、章子には山口弁が出そうなんだよ。
 昔はいじめ禁止の校則もなかったから、アクセントが違うっていうだけで虐められたからね。

 「へぇ、IDOって山口にもいたんですね」
 本当ならば、食いつきたいネタなのだろうが、言ったあと表情がくもった僕を、章子は気遣っている。

 祐子が躍り食いの車エビを指でつついている。
 一徳が車エビの養殖をしているという熊本の親戚からもらってきた。
 おがくずを敷いた発泡スチロールの箱を、博多から飛行機の手荷物で持ってくるとは恐れ入る。

 「私、今週食べてないから、いただきまーす」
 「あ、俺は実家で出たな・・」

 「エビ・マグロを時々食べる法」は、エビは週一、マグロは二週に一度を越えて食べないように求めている。



次回は9月1日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月28日 (木)

東京スカイツリーの絵

 「博多の街はおかしゅうなりよる、九州の東京になってどげんする」
 父は持論を紙面に載せた。
 会社はそれを行政に喧嘩を売ったと考えた。
 父は「読者に本当のことを言うとが俺の役目たい」と譲らない。
 父は子供の頃からの夢だった新聞記者を辞めた。

 フリー記者になってから、家族の生活は楽なものではなかったが「国立ならなんとかする」と、僕を大学までやってくれた。

 老いた父の姿を想像したことはなかった。
 僕の周りの友達はどうだったのだろうか。
 もし、想像することがあったら、きっと矍鑠とした老人を浮かべただろう。
 それ以外は思いつかなかったはずだ。

 かつて、世の中のすべてのことに刺さるかと思われた、父の舌鋒は見る形もない。
 父がその輝きを失ってからのさし呑みは、親孝行としては片手落ちだったと思う。
 杯を重ねるごとにメートルを上げる、気持ちよい酒を呑ませてやりたかった。

 「あん絵はよう描けとったなぁ。お前 39か。ならヤツは今頃 37たいな。生きとってくれりゃあなぁ」
 ことばは嗚咽にかわる。
 今頃になってそれば言うとや、おやじ・・・

 14歳になった僕は、家族の前では初めから姉と二人兄弟だったかのように振る舞った。
 僕は大丈夫だと強がって見せることが、この家族の中で、僕の務めだと突っ張っていた。
 だが、心ではいつも怒っていた。

 親父、なんで銀次にもうちょっとようしてやらんかったとか。
 銀次はいつも僕のお下がりを着ていた。
 たまには自分だけのおニューが欲しかっただろうに。
 笛もハーモニカも僕のお下がり。
 僕が小学校のうちは、お互いの時間割とにらめっこして、音楽の時間には、笛の受け渡しで、互いの教室を行き来した。
 僕が中学に上がると、笛が専用になり、体操服が 2枚になったと喜んでいた。

 銀次は愛くるしい顔をしていて女の子から人気があったが、その分男友達には疎まれた。
 絵が抜群にうまく、風景画は天才かと思えた。
 東京に来て描いた東京スカイツリーの絵は東京都の金賞をとった。

 「金ばとったけん、今度から金次って呼ばんばね」
母は茶化して喜んでいたが、銀次の笑顔は心なしか弱々しかった。

 なんで兄ちゃんに言わんかったとか。そげん頼りなかったとか俺は。
 お前んごたっとは弱虫って言うったい。
 いや、悪かとは俺たい。
 自分ばっかいい思いして、親には一回も、俺の分ば銀次にもしてやってくれとは言わんかった。

 来る日も来る日も堂々巡り。
 怒っていなければ、心が保たなかった。

 死んだ子の年をかぞえて 25年。
 父もまた、日々そのことを悔やんでいたのだと知った。

 フリーライターになって 5年、一家 5人を食わせるために父はあれだけ嫌いだった東京に来た。
 少しでも原稿の依頼をとるためだ。

 小六の銀次は「Jリーグのチームがたくさん見られる」と言い「東京は楽しか」と笑っていたが、友達には恵まれなかった。



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2008年8月26日 (火)

父親が過去の存在になる時

 就任早々の「アットマーク禁止法」のブリーフィングで、谷村総務大臣から「休日は増やさないんですか?」と尋ねられたことがあった。

 ある日突然増やしますよ!楽しみにしていてくださいと言っておいた。
 ブリーフィングで話した内容は大臣筋の話しとしてメディアに伝わる。

 2035年10月に発売された 2036年のカレンダーには、決まったばかりのお盆連休がしっかり刷り込まれていた。
 やればできるのである。

 この法律を施行して以来、IDO室のメンバーは、正月は東京で家族や恋人と過ごし、お盆は墓参りで故郷に帰るようになった。

 2039年は 8月13日土曜日からの五連休。
 先月、幸田さんらと四人で来た鉄なべに今日は母と姉の三人で来た。

 母は父が体を壊したのを機に博多に戻り、今は姉夫婦と暮らしている。
 母と姉には、僕はFE法務ディレクターを辞したあと、法務省の閑職に就いたことになっている。
 帰省する度に、痩せて貧相になった、子どもとはたまには会っているのか、米を持って帰れと言われるのにも慣れた。

 「こないだの博多マラソンにIDOが来たろうが。IDOも佐野って名乗ったらしかよ。まさか、あんたやなかろうね」

 違うよ。
 それ以上言うと見透かされそうで、ただ笑っていた。
 「母がテニスをしていた」と喋ったことを悔やんだ。
 母は話しを替えたが、僕がIDOであることを気づいている。姉は無頓着な人で、その点は大丈夫。

 「IDOやったらこんな所に一人でこんめえもん」
 姉がけたけたと笑う。
 二人のSPがカウンターで餃子を食べているが、母と姉は気づかない。

 先月この店に来て以来、すっかりゴマ鯖ファンになったSPの二人は、お盆だから鯖はないよと言うとがっかりしていた。
 「目立たないよう夏らしい格好を用意しました」って、タンクトップと短パンで警護するSPを初めて見た。

 親父と二人で来たとさね。
 これが親子三人で会う最後の夏になる。
 僕は10年前の話しをすることにした。

 「豊橋は三河です。名古屋じゃありませんから」
 豊橋市出身だという水野君は、人から名古屋出身と言われると怒る。
 総合日本商事の出先は愛知支店とは言わず名古屋支店だったし、僕はつい愛知を名古屋と言ってしまう。
 愛知に住んだことがない僕は、尾張、三河ということばは知っていても、それがどこからどのあたりを指すのかすら怪しい。

 だが、誰もが自分の生まれ故郷に、こだわりがある。

 福岡市は、かつては札幌や仙台と並んで、転勤族に人気の高い街だった。
 1990年、よかとぴあの跡に福岡ドームができたあたりから、おかしくなり始め、今では東京と何ら変わりない。どこにでもある大都会になってしまった。
 人がよそ者に温かく、食べ物がおいしいという良さは失われていないが。

 親父が死んだ年の夏、KLから野暮用で里帰りした。
 その時もここでゴマ鯖をつついた。
 鯖の刺身にゴマ、醤油をふり、わさびを添えて食べる小鉢は父の好物。
 父とさしで呑んだのは、それが初めてだった。父は70歳、僕は39歳。

 「札幌や仙台んごと、転勤族がそんまま家ば買ぉて住む街じゃのーなったろうが。いわんこっちゃなか。だいもなんもわかっとらん」
 そう吐き捨てた父の声がおかしい。
 父の目に涙が溜まったのに慌てた。
 凜とした父の姿と声、男の子はそのイメージを持ち続けて大人になる。
 それが、失われた時、父は過去の人になる。



次回は8月28日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月25日 (月)

マラソン法をつくった理由

平和台競技場に集った人々は、再び静まりかえっている。

 僕がこのマラソン大会を始めたのには訳があります。
 僕の父は晩年、すっかり元気をなくしていました。
 母は若い頃からテニスをしていたせいか、今も元気です。
 僕は考えました。四〇代、五〇代に運動を続けていれば、六〇代、七〇代もずっと元気いっぱいでいられるんじゃないかって。
 それならば、歩く、走る、一番簡単で、安くて、誰にでもできるマラソンがいいんじゃないか。

 皆がにこにこ笑っている。うんうんと頷いている。
 ただ、清水さん(50)が泣いている。
 おいおいここは泣く場面じゃないぞ。

 でも、42キロはちょっとやり過ぎだったかな?
 (一同爆笑)
 でも絶対大丈夫。
 今日初めて42キロを目指す人は、皆、どきどきしていると思いますが、やり遂げた時は大きな財産が身に付きます。
 完走できたら、きっと明日から自分はもっとやれる、まだまだいけると思うようになります ・・
 皆さん、どうか夢をあきらめないで

 「ありがとうございました。でもこの暑い中なんでウィンドブレーカーなんか着てたんですか?」
 大会公式スポンサー、ウルトラスポーツ社のジャケットを着ている中野君が聞いてきた。
 ウルトラスポーツ社は好きじゃないからね。

 答えの意味を解せないで、額の上に?マークが浮かんでいる中野君に導かれ、いったんアスリート控え室に入る。

 そこで半月マーク入りのウィンドブレーカーを脱ぎ、目標タイム 5時間のブロックに混ざる。
 そこに前ポルトガル代表監督のセニョール・デコが待っていた。
 前年のW杯で来日した時に、優勝できたら来年一緒に走ろうと約束していた。
 現役引退前に6ヶ月、Jリーグの川崎でプレーしたこともあって、日本びいきの彼を懐かしむ人が今も多い。

 「なんだか、随分偉くなったらしいな。いいスピーチだったよ」
 白くなったひげの口元が、皮肉っぽく笑っている。

 えぇ、またやっちゃっいましたよ。
 最後の一言が余計なんだよなぁ。俺はメンターかってね。
 でも普通に「がんばってください」が言えないんですよねぇ。

 冠スポンサー「ウルトラスポーツ社」のロゴと、ゼッケンナンバー「2039」の下に隠れているが、マラソンはいつも 20番 DECO とマーキングされたユニフォームで走る。

 僕から国民へ語りかける最初で最後のことばを、
 故郷の博多で言えて良かった。

 お盆休日法
 「お盆休日法」により、八月一三、一四、一五と前後する土日はお盆休み。
 土日と重なった分は繰り越すので、一三日が火曜日の年を除いては毎年五連休になる。

 僕が子どもの頃は、休日ができてもカレンダーと手帳業界に配慮して、適用は二年先だった。
 お盆を五連休にするのを二年も先送りしたら、田舎で児孫の帰りを待つおじいちゃん、おばあちゃんに待ちぼうけを食わせてしまう。同法は2035年9月に施行し、翌年から適用した。



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2008年8月22日 (金)

人前に出たIDO

 野田 福岡県知事の話は時間どおりに終わり、号砲まであと10分。
 司会の女性のアナウンスがはいる。
 「それでは、ここで臨時ゲストの登場です。ではよろしくお願いします」

 「まぁだ あっとか。もう話はよかぞぉ」
 清水さん(50歳)が叫び、どっと周囲が沸く。

 ちょっとごめんなさい。
 僕はランナーをかき分けて進む。
 雑踏の中には一本の道が見えていて、それは水路のように僕を導いている。
 糸をたぐるようにして、ランナーの樹海を抜けたところに幸田さんが立っている。

 「はい、サングラス」
 受け取ったサングラスをかけてみると、ジャストサイズ。

 放送席に一礼して、朝礼台の後ろに回り込み、階段を一気に駆け上る。
 ランナーは目標タイム別に、2時間台から6時間台までのブロックに分かれて並んでいる。
 荷物は預け終えていて、あとはスタートラインにつくばかり。
 野田知事と僕は共に身長180センチ。
 スタンドマイクはぴたりと顎の位置に決まった。
 さっきまで知事の顔を大写しにしていたスーパービジョンのスクリーン映像は消されている。

 IDOの佐野です。きょうは博多マラソンば走りに来ました。

 競技場の音がセミ時雨だけになった。
 短い命を凝縮して、時を惜しむかのように喧しいセミたち。

 ひと呼吸あって「おーっ」という喚声が彼らの声をかき消す。
 まばらなスタンドで、一斉に携帯のカメラを取り出す観客たち。

 「あいた、カバンは預けっしもたばい」
手ぶらのランナー達が地団駄を踏む。

 今日のコースは福岡県庁のスタッフが博多
らしいコースにしようと一生懸命考えたものです。
 県警と市民のドライバーも快く協力してくれて、
土曜日というのに七時間の交通規制ができました。

みんな、今日は晴れてよかったねっ!

 皆反応しきれず、やや小さく
 「おーっ」

 ロック歌手か
 すべった僕に、IDO室のみんながバカ受けしている。
 今日は幸田さんの笑顔が大きい。



次回は8月25日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月21日 (木)

ゴマ鯖は4人で5つ

 ゴマ鯖五つね
 「え? 四人さんですよね」
 あ、ごめん。僕が二つ食べたいから。

 今頃、IDO室の18人は福岡市南区の「大橋本陣」で呑んでいる。
 「うちの鳥皮はかりかりで美味いですよ」
 焼鳥屋の長男、田中君のことばには心惹かれたが、走る前の日は呑まないんだと言っておいた。

 本当のところは、博多に帰ったらゴマ鯖と決めている。
 「IDOラボのフルメンバーが博多に行くのに、私だけ行かないってのは無しですから」
と幸田さんが言い出したのは昨晩。

 二人きりならば、僕にとって10年ぶりのデートだったが「表で待機しますから」というSP二人も、近くにいた方がガードになるよと言って一緒にテーブルを囲んだ。
 「鉄なべ」のゴマ鯖は、豊後水道で獲れた鯖と五島で獲れた鯖、どちらかその日揚がった方が鉢に乗る。
 僕には五島で泳いでいる姿がみえた。
 あなたにも、五島の海が見えていたのではないだろうか。

 明けてマラソン大会当日。博多の空は快晴。
 博多マラソンの開催日は観光戦略として、山笠期間中の土曜日開催で固定される。
 締め込みで粋に決めた男衆をちらほらと見かける。

 「法被は脱いで下さい。ゼッケンが見えんばダメです」
 「せからしか。山笠のあるけん博多たい」
 「だめです」

 「なんか、マラソンていうとは難しかね。まぁよかたい。どうせトラック一周したら帰るっちゃけん」
 しぶしぶ法被を脱ぐ清水さん50歳を、仲間が「声が大きい」と唇の前で人差し指を立てて諫めている。

 さっきから壇上では、野田県知事の挨拶が続いているのだが、ランナーはストレッチかMUTに余念がなく、ほとんど誰も聞いていない。

 「実行委員」と書かれた腕章を左手に巻いた中野君が、僕をみつけて、さり気なく横にすべり込んで来た。右手にウルトラスポーツ社のウィンドブレーカーを持っている。

 あれ、中野君は走らないの?
 「えぇさすがに」
 これですからと、腕章をこちらに見せる。
 「それより、IDO 博多の皆さんに一言どうです?」
 そうだね。いいの?

 僕は即答する。何もかも予定されていたかのように。

 さぁ驚いている場合じゃない。彼は間髪を入れずインカムに叫ぶ。
 「こちら中野。進行岩橋へ。来賓挨拶一つ入れて。この後すぐ!」
 「こちら岩橋です。中野さん。誰がですか。きいとらんですよ。なんて言えばいいとですか?」
 「ここで臨時ゲストですって言うとけ!」



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2008年8月19日 (火)

ホステスに汗を拭いてもらうマラソン

 あり得ないことではあるが、IDO退任後の僕がテレビ番組に出演して
「IDO千法の中からどれか一つ、お気に入りの法律を挙げてください」と聞かれたら…少し考える振りをして、こう答えるだろう。

 うーんやっぱり「マラソン大会法」ですね。
 あれで国民に本当の笑顔が戻りましたから。あの時は、昔のマラソン選手のことばではないですが、初めて自分を誉めたいって思いましたね。

 そう言って、初老の僕は遠い目をしてうっすらと涙を浮かべる・・
 こんな場面をこの五年間で百回は妄想した。

 法律を考えている午前のひととき、思考が宙を遊ぶ。
 こんな時の僕は無防備に笑い、東京スカイツリーの絵を眺めている。
 隣りで幸田さんが、視線を交差させて、素知らぬふりをしている。

 去年までは住民票のある千代田区を通る東京マラソンに出ていた。
 この大会は2007年の開始当初こそ、倍率三倍の抽選になる人気大会だったが、東京五輪以降は定員の三万人以下で推移している。

 僕は市民ランナーの顔で走るので、仰々しくはしないが、一応警備が四人付く。
 文字通りガードランナー四人。
 日ごろのトレーニングはステップ運動。
 外を走ることが難しい僕のような者には、屋内でできるステップ運動はもってこい。
 初めてマラソンを走った2029年以来、ずっと続けている。

 ガードランナーを務めるSPには、僕の予定ペースを事前に伝えておく。
 ペースメークされるとおもしろくないので、とにかく僕に合わせてもらう。
 彼ら四人は、大会三ヶ月前から皇居を走りこんでいて、五時間前後で走る僕に、余裕の表情で伴走している。

 2039年からは故郷の博多でも、市民をあげてのマラソン大会を立ち上げる。
 田中君の九大の同級生、中野君がIDOラボを訪ねてきた。

 福岡県庁の中野君は「第一回博多マラソン」のコース選考委員。
 コースを決めたら、現場を調整して回るという飛び込み営業のような仕事だ。
 周辺の商業施設はマラソンの日は売り上げが激減する。
 2000年代に立ち上がったマラソンのなかには、地元商店街の反対でコース変更を余儀なくされた大会もあったほどだ。
 しかし、中野君が言うには、地元の商店主は皆、諸手を挙げて賛成してくれて「なんで、ウチの前ばとおさんか?」とお叱りの声が出たほどだという。

 市民マラソンでは沿道住民の暖かい声援、工夫を凝らしたエイドが盛り上がりの決め手となる。
 中野君は、博多出身の僕と田中君に、コースの知恵を借りたいと言う。

 櫛田神社の境内は走りたいね。
 「福岡タワーに上るってのはどうですか?」
 階段を登るマラソンは世界初だね!
 香椎宮の境内はコースのそばだよね。あそこもいいね。
 「長浜の市場でラーメンば出したら?」
 チャーシュー麺だったら食べちゃうな。って食えるか!
 あと天神の地下も走りたいな。地下コースは世界初じゃない?
 「中洲の女ん子たちに、おしぼりで汗ば拭いてもらうとはどうね?」

 いつもと違う男の臭いを嗅ぎつけて見に来た関西三人娘が、田中発言に呆れている。

 中野君は一通りメモを取り終えると、山笠はここ数年雨にたたられているから、天気が心配ですと顔を曇らせたかと思うと、へろっと言った。
 「IDO、博多ば走りませんか?」
 いいよ
 彼は誰かさんと違って、録音はしていなかった。



次回は8月21日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月18日 (月)

老人医療負担はこれで問題ではなくなった

 40代、50代に運動をしておけば、寝たきりになるリスクが減る。
 それならば、費用がかからず、じょうず下手の技術を問わないスポーツをすればいい。
 有酸素運動のマラソンは、体脂肪、コレステロール値を下げ、血管を強くする。生活習慣病のリスクも低くなる。
 健康保険は本人負担が五割となり、保険負担と本人負担が同額というところまできた。この40年、政府は国の負担を減らすことを軸に考えてきた。

 僕は国の負担を減らすのではなく、病人を減らすことにした。

 「マラソン大会法」はすべての地方自治体に、一年に一回以上のマラソン大会の開催を求めている。
 コースの25%以上が通っていれば、その自治体の開催(共催)と認定。
 競技はマラソンと10km以上のセカンドレースの二つを行う。

 それまでは、ちびっ子の大会でもマラソンと呼んでいて、42.195キロの競技は「フルマラソン」ということばを別に与えていた。これは日本だけのことなので「日本国用語集」にはこう定義した。

 マラソン 公道を42.195km走る陸上競技。

 国民は一年に一回以上レースに出場する。完走できなくてもよい。出場しないとマイナス一万ポイント。例外はない。

 三年に一度、住民票のある地域主催のレースを走れば、あとの年はホノルルでもバルセロナでも世界のどこで走っても構わない。
 それから、三年に一回以上は出場に替えて、地元大会スタッフとしてボランティアをしてもらう。

 年一ランナーで目先を変えたい人は、地元出場、地元ボランティア、他地区出場のローテーションとなる。

 不自由な世界では例外をつくる。
 医師の診断書を出せば出場免除だと。

 超管理社会では罰則をつくる。
 一万円の罰金だ、保険証取り上げだと。

 僕のつくる社会には、そこに緩やかさがある。
 日本ポイント制度の存在がそれに寄与している。やはりポイントはポイントだった。

 施行後の四年で、病人だけでなく太った人が減り、日本人は皆明るく、若く、スタイルがよくなった。
 洋服・外食・娯楽と内需は拡大したが、病院に払っていたお金を回しただけなので、誰の懐も痛んでいない。

 病院は本当に手当を必要とする人々の手に戻っている。



「独裁者」もくじ

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2008年8月14日 (木)

第一回博多マラソン

 「結婚制度について」 意見数二九〇 調査日 六月二三日
                      継波千絵

 意識調査ウェブの結果は、幸田さんが意見タイプ別にまとめて報告してくれる。ふと見ると、署名が幸田ではなくなっている。
 姓、替わったんですか?
 「あ、はい。六月二〇日に転籍しました」
 つ・ぎ・な・み・さん?
 「いえ、つ・ぎ・は・と読みます。珍しい姓ですが、実家の近くには一〇軒くらいあるんですよ。あ、でも呼びにくいですよね。今まで通り幸田でいいですよ」
 つ・ぎ・は・ち・え なんだか、今までと違う人みたいな気がして、それまでの姓で呼ばせてもらうことにした。


 八 最後のことば

 博多マラソン
 今年は「第一回博多マラソン」を走ることに決めた。

 子どもの頃、弟の銀次とよくノックをした。
 野球が好きだった僕は本当はキャッチボールがしたかった。
 父は僕にはグローブやバットを買ってくれたが、銀次の分も買ってくれと僕は言えなかった。
 小四の時、高橋尚子がサングラスを投げるのをテレビで見た。
 あのかっこいいサングラスをいつか自分も使ってみたいと思った。
 中一の時、追い上げられる野口みずきにはらはらしながら兄弟三人で応援した。
 どうか無事に逃げ切れますように。
 銀次は一心不乱に祈っていた。

 マラソンは憧れだった。
 テレビでは二時間で終わる42kmも、子どもの僕らには永遠の距離に思えた。  自分がその距離を走れるとは思えなかった。

 東京に引っ越してから、僕と銀次は時々、荒川の土手を走りに行くようになった。
 今日は京成本線の陸橋まで、今日は千住新橋まで。少しずつ距離を伸ばした。

 風が強い日、僕らは風に乗ってどこまでも行ける気がした。
 だが帰りは地獄の向かい風。
 JRは風速25mで電車が停まる。
 そんな日は走っても走っても体が前に進まない。
 風に煽られて銀次が何度か土手から落ちた。

 そんな時「いい加減にしろ!風」と二人で風につっこみながら、僕らは家路を急いだ。
 「いつか、42kmほんとに走れるかも知れないね」
 二人がそう思い始めた冬。相棒を失った僕の心からは、ゴールテープが消えた。

 25年後の2029年。
 ポルトガル代表の歴史が親善試合でマレーシアを訪れている。
 FEとユニセフが主催した歓迎パーティ。
 FE法務ディレクターの僕は、仕方なくVIPリボンをつけて、パーティの終了時間が来るのを待っていた。

 「フットボールは嫌いなの?」
 僕があまりに退屈そうに見えたのか、ポルトガル代表のデコ監督が英語で話しかけてきた。彼はブラジル生まれだと秘書官のリンが言っていた。

 かつてスペインと共に世界各地で覇権を競った国だけに、ブラジルを初めとしてポルトガル語を話す国が少なくない
 僕はユニセフの四年で身につけたポルトガル語で切り返す。



次回は8月17日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月12日 (火)

政治家とメディアがつっこんではいけないこと

 国民には知られていないが、公共工事は必ず費用対効果を見積もっている。

 かつて「試算表は存在しません」と言っていた官僚がいたが、それはただ嘘を言っているだけだ。
 どんなに小さな工事でも国土交通省のスタッフが、詳細に精査した資料を作る。
 そして試算により、費用に対して効果が“二倍"と算出された工事だけが行われる。
 「二倍」なのである。
 素人はこれを聞いても、にわかに信じない。
 トントンは一倍だから、その二倍といえば、大きく利益が出ることを意味する。
 赤字とは一倍を切ることである。
 官僚が「二倍」と資産した事業だけが、日本では行われる。
 だから、日本には赤字は一円もない・・

 はずなのだが、なぜか1千兆円の赤字がある。
 誰が、どのようにごまかしているのかについては、政治家もメディアも詳しくつっこんではいけないことになっているので、誰もが口をつぐんでいる。そして、時間が過ぎれば「水に流す」ことになっている。

 「費用対効果がトントン?そんなことでは血税は使えませんよ。
せめて効果が二倍はないとね」
 官僚が涼しい顔で言ってのける。

 そして、赤字の道路、施設が残る。
 血税は特定の人達の生業となる。
 そしてすべて、水に流す。

 僕は五年の月日の大半を、新しい法律づくりに費やした。
 従来法の廃止・決議の廃止は、首都法を含めても数えるほどしかない。
 「時間がなかった」というのは言い訳にはならない。
 痰を吐くなとか、路駐をするなという法律に費やす時間。
 部活や読書に充てる時間を削れば、逃げ切った人から金を取り返す法をつくることはできた。

 僕には総理と二人のIDOへの遠慮があった。
 既存の勢力への畏れがあった。
 国民が僕を支持しているという甘えもあった。
 独りの力でできることには限界があるという開き直りもあった。

 逃げ切りを許さないことが、不正の根本を断つ。
 人間として正しいか、それを、どこまで追いつめるべきなのか。
 後任となるだろうあなたは、どう考えるだろうか。

 残り三ヶ月。僕は最後まで“愛のカテゴリー"に悩んでいる。



次回は8月14日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月11日 (月)

首都移転、絶滅しない恐竜

 学校教科書では明治政府の時に皇居が京都から東京に移ったことが前回の遷都として扱われている。
 だが、京都から東京に皇居が移った時、それは遷都とはいわず僥倖、つまり天皇の旅行と呼んだ。東京に遷都したという宣言は誰もしていないので、天皇はいまだに旅行中ということになっていた。

 国を治める役所があるところ
 首都を国語辞典で引くとこう書いてある。
 国を治める役所は、日本では東京都千代田区永田町にある国会議事堂であろうし、その国会がある東京都が日本の首都であるというのは国民の過半が認めるところ。だが、日本には首都という定義はなかった。
 1923年(大正12年)の「帝都復興に関する勅書」、1950年(昭和25年)の「首都建設法」~1956年廃止~には、首都は東京であると解釈しようと思えばできる文面があった。
 1956年の「首都圏整備法」では東京をはじめとする一都七県が「首都圏」と定義されている。だが、いずれも「日本の首都は東京とする」とは書いていない。

 1990年に衆参両院で採択された「国会等の移転に関する決議」により“首都"は移転することが決まっていた。これに首都防衛側の東京都は、時代錯誤のプロジェクトだと“首都移転"を恐竜になぞらえて抵抗する。移転準備は粛々と進む。

 2002年5月 挑戦者決定 三候補地を一つに絞り込む
 2002年 東京対移転候補地の比較考量(プレーオフ)
 2014年 新都市で国会開催
 2034年 新都市の人口56万人(岐阜県想定)

 だが早々に恐竜が自滅した。
 タイムリミットの二〇〇二年五月に三つの候補地の綱引きに決着がつかなかった。
 記者会見の席でささやかに移転見送りが発表されて、小さく新聞に載った。

 だが、法律で廃止しない限り恐竜は絶滅しない。決議は四九年の時を越えて生きてきた。

 当時の国民は政治に関心がない。衆参の委員会は一九九〇年代からインターネットで生中継されているのだが、誰も見ていない。
 国民が知らないところでは「おらが故郷に首都持ってこい」という冗談のきつい国盗り合戦が行われていた。

 「日本は法治国家だから、国会で決まったことはやってもらう」
 当時、国会の特別委員会でこう語った県知事がいた。在任中は 
 「国家のためだ。首都が移転すればパラダイムが替わる」
と熱っぽく語っていたが、退任後メディアに登場した時はなぜか“首都機能移転"の看板は下ろしていた。
 「水に流す」という文化を持つ日本では、その人が過去に何を言い、どのような行いをしていても、それをいつまでもあげつらうことはしない。



「独裁者」もくじ

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2008年8月 8日 (金)

パクリは許さない法

 十分すぎる実績、卓越した人格、無失点。
 この三拍子が揃えば学歴を逆転した出世もあり得る。
 だが、大半の人が40歳を境に訪れる挫折にしばし、苦しむことになる。

 数字で実績が表れない管理部門では、初めから逆転はあり得ない。本当のことを教えてくれる人はいない。
 ただ、出身校重視は一概に悪ではない。東京大学を出た人と、二流大学を出た人では、学友のレベルに差があるため、社会人としての素養に格段の差がつく。組織を越えて連携する時には、その学友が大きな力を貸してくれる。

 人事部の評価基準が明快であれば、真っ当な努力ができる。
 盆と暮れの年に二度、部長の奥様が喜びそうな食材を探して、お取り寄せ通販カタログとにらめっこする時間を、自己研鑽に充てることができる。
 部長職以上の就任条件に「出身校」が明示されていれば、二流大学出身者は会社一途で時間を浪費せずに済み「会社」と「社会」半々のつき合いができる。

 通達後に明示された評価基準では「我が社は情意評価オンリーです」という企業もあった。お取り寄せ通販の売上は、この通達後、3年連続で10%ずつ伸びた。

 経済政策全般に独立決裁権を持つEIDOは、15年前に誕生したIIDOと比べると、格段に仕事の振り幅が広い。
 業界によっては不利益を被ることもある。
 無党派票で安定多数を確保した水野総理の人気があったから、EIDOは生まれた。

 渡邉EIDOを「独裁者」と揶揄するメディアがあるが、彼の実像は違う。
 渡邊さんは権限を持つ人には厳しいが、身内や部下を大切にする人情派。
 個室を持たず、経済産業省内の大部屋に席を置いて、いつも周囲に満遍なく声をかける。
 そうすることで省内の動機付けは否が応でも高まり、EIDO制度は機能しているという。
 「ポイントは席だね。籍じゃなくて席。顔が見えない人のためには誰も働かないよ」

 こうした経産省のことは「昭和ヒーロー研究会」の曽我が随時教えてくれて、FEにいる時から知っていた。
 僕はIDO就任要請を受けた日、橋本に今のIDOラボという形態を頼んだ。
 ラボという形をとり、18人のスタッフは籍と席を午前と午後で移動する。

 独立立法室というミッションクリティカルな性格のため、ラボを法務省や総務省の大部屋に置くというわけにはいかなかったが、概ね希望の形になった。

 経済産業案件もIDOの立法管轄に含まれるが、水野総理の後を受けた高橋政権では、渡邉EIDOが経産大臣を兼務しているので、僕はその分野を手控えてきた。 そんな中、数少ないEIDO承認案件の一つが「パクリは許さない法」だ。

 個人や中小企業が特許や実用新案を登録しても、大企業は黙って商品化してしまう。
 それを知って訴えても、裁判が終わる頃には技術が古くなっているし、賠償金は雀の涙。こうした横着者の行動は制限しなければならない。 個人や中小企業の権利を迅速に立証する制度が必要だった。

 まず、すべての特許、実用新案の情報は「工業所有権ネット」を作り、インターネットで誰もが検索できる状況に置いた。
 法人には新商品や役務を開発する場合、法務部や特許課が工業所有権ネットで類似案件を調べる義務を課す。
 これで「知らなかった」は通らない。

 政府から独立した「日本通信委員会」に届け出た業者が運営する「パクリ防止・立証センター」には法的な立証能力を与える。
 特許、実用新案を持つ個人、中小企業は立証センターと契約する。そして、企業にぱくられたと思ったら立証センターに連絡する。立証センターはパクリ企業に対して、任意の手続きをおこなう。

 「パクリは許さない法」という法令名称はIDO室田中君のアイデア。
 僕が考えた名前は、特許立証法だった。

 「特許等立証法では、いったい誰のために何を立証するのか、法のココロが見えにくいですよ」
 確かに田中君の言うとおりだ。
 このネーミングが発端となり、後の法令名称は一般人にわかりやすい、砕けたものになっていった。

 首都法
 2039年元旦をもって、日本の首都は東京にした。
 それまで、日本には首都はなく、歴史上の首都は京都だった。



次回は8月11日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月 7日 (木)

全企業を対象に「人事評価基準公開」を通達

 戦後の日本が、国際競争力の高い国に育ったのは、官僚の主導によるところが大きい。
 官僚が精査した法案を族議員が国会で通す。
 こうして外国との競争分野では、日本にとってのご都合主義を軸にして国内産業を守ってきた。

 そして、国家が体を成した後、官僚は自らへの成功報酬として、国の金が自分達に回る仕組みを作った。
 インプットされる財源は財政投融資。アウトプットのご褒美は天下り。
 この国をつくった功労者の官僚が、豊かな老後を送ることはよい。仕組みを作った功績は、いつの世でも讃えられ、応分の評価と報酬を受けるに値する。

 だが、先達が作り上げた国を維持しているだけの「その後の官僚」達の濡れ手に粟はダメだ。
 第二次世界大戦直後は、国の仕組みを作るために、優秀な人員を中央省庁に集める必要があった。だが今、その必要はない。
 国家公務員が大卒就職先の一番人気という状況がおかしい、と気づかなければならない。

 僕は独裁者であり、議論や交渉で相手を打ち負かす必要がない。
 ただ、会話をするだけだ。
 会話をしたら、後は自分が決めるだけだ。
 だが、越権立法案件だけが違う。
 ブリーフィング後、一週間以内に総理大臣が署名すれば公布。総理が署名しなければ法案は流れる。

 谷村総務大臣はブリーフィングで反対したが、一週間後「天下り禁止法」が公布・即施行された。
 施行二ヶ月後、今度は「天上り奨励法」の越権立法協議で再び谷村大臣に来てもらった。

 天上り奨励法
 国家公務員の採用枠のうち、30%以上を民間法人経験者に充てる。公務員ではない職場経験がであれば、誰でも受験できる。

 谷村大臣は何を言っても無駄と思ったのか「特に意見はありません」という意見以外は、一言も口をきかずにIDO室を後にした。

 任期は残すところ三か月。
「すべてのIDO法を三ヶ月で見直す法」が廃止されない限り、次のIDOが維持を明言しない法は三ヶ月後にはすべてなくなる。

 IDOは留任するのか?
 僕が退任して、IDO千法はすべて消えてしまうのか?
 僕が「すべてのIDO法を三ヶ月で見直す法」を廃止して、IDO千法を残すのか?
 正解を知っているのは、僕とあと二人ないし三人ということになる。

 EIDO
 僕がIDOに就任する5年前の2029年、水野総理の任命で就任した渡邉EIDOにより「思考停止の10年」は終止符を打った。
 「経済を動かしているのは人。私は経済が人を動かすのではなく、人が経済を動かす社会を作りたい」
 渡邉EIDOの金字塔は、企業の人事評価制度に切り込んだことだ。

 彼は全企業を対象に「人事評価基準公開について」という通達を出した。
 この行政指導は、四つの人事評価基準の明文化と社員への公開を求めた。

一、学歴出身校
二、成果評定の数値基準
三、情意評価判定基準、
四、資格評価基準

 このうち直属上司の感情が入るのは情意評価だけ。
 通達であり、法令ではないので強制力はないが、言外に感情で評価する幅を狭めよと求めているのは明白だ。

 企業の人事部は「学歴重視」で「出世コース」のレールを敷いていることを否定してきた。
 元々、公平にチャンスを与えるつもりはなかったのだが、それが社員にばれると動機付けが難しくなる。
 就活の学生が「御社の評価基準は?」と尋ねると、判で押したような答えを返していた。
 「うちは実力主義です。学歴は関係ありません。今どき学歴にこだわっていたら競争に勝てませんからね。力がある人を登用します。上司におもねる人ではなく、リーダーシップを取れる人を求めています。それにうちは、のどかなくらい自由な社風なんですよ。学閥とか派閥ということばには縁がないんです」

 学生は本当の答えを聞こうと思って質問していたのではない。
 その会社の真っ当さを探っているのだ。答えは既に「会社四季報」で役員の出身校を見て知っている。

 「上司におもねる人を認めない」
 と人事部が口にする会社があれば、それはすばらしい会社だと感動するのではなく、人事部がわざわざ口にして牽制しなければならないほど、情実にまみれた会社であると考えるのが妥当だ。

 「超がつかない一流大学」と「二流大学」を出た人も「学歴社会」であるとは知っている。それでも、真っ当に頑張りさえすれば「偉くなれる」と信じて20代、30代を過ごす。



「独裁者」もくじ

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2008年8月 5日 (火)

国家公務員を目指す人がいなくなる

 太田IIDOは、池田氏に「ガン細胞限定攻撃装置」プロジェクト・リーダーを依頼したその足で、奥様の池田恵子氏が勤務する名古屋ケアセンターへ乗り込んだ。

 「あなたの決断に、日本人の未来がかかっているんです」
 今もその第一声は語りぐさになっている。
 名古屋ケアセンターの大橋社長は突然の来訪者に「東京から、やばい筋の御仁がこりゃーしたなぁ」と思ったという。
 幸い大橋社長は、大きい話と人に頼られることが三度の飯より好きな人だった。
 まもなく、池田恵子氏には新居から10分の位置に建てた名古屋ケアセンター(NCS)東京支店と、主任マネージャーのポストが用意された。
 その後、支店長となった池田恵子氏は今も変わらず、電動自転車で職場までの道を走っている。

 太田IIDOは「メディアが世の中を悪くしている」が持論。
 「失われた10年はメディアがつくった。日本を支えているのは内需であり輸出ではない。だから日本は我が道をゆけばよい」

 その痛快な語り口に、僕は少なからず影響を受けている。
 IIDOが誕生した2014年春、僕は法科大学院の二回生。川村さんと太田さんに感銘を受けた僕は、司法試験をパスしたが、法曹へは進まず、法務省に進むことを選択した。
 僕がたぐり寄せる糸は、また違う映像をコマ落としで映し始めた。

 現在四代目のIIDOである棚澤さんは「録臭機」の生みの親としてノーベル科学賞を受賞した経歴を持つ。
 科学技術分野のリーダーは人材の枯渇が言われて久しい。棚澤さんは次を頼める人が見あたらないと、いつもこぼしている。
 「次世代教育法」が将来、人材確保という意味でその一助になればいいと思う。棚澤さんの目の色が黒いうちは、技術革新分野に僕に「越権」する出番はない。

 天下り禁止法
 IDO法により、行政への越権立法はブリーフィングで協議したうえ、最終的には総理大臣の署名が必要となる。
 任期は残り五か月。初の越権立法協議として「天下り禁止法」を問うことにした。

 企業は天下り、渡りの受け入れ禁止。検察庁の内偵で発覚した場合、企業は一律一人あたり一〇億円の罰金。本人はすべての年金資格を二〇年間停止。

 天下り先ポストの格は、現役最終ポストの格付けが反映される。官僚はおいしい老後のためにも、出世にこだわる。
 「女子アナが見られなくなってしまう」の失言で、独立通信委員会の生みの親となった谷村総務大臣は、思ったことがすぐ口に出るという難点はあるが、ものごとをシンプルにできるプロの大臣だ。
 彼との「天下り禁止法」を巡るやりとりは次のようなものだった。

 「IDOは現実主義者だと拝察しています。ここは誤解を恐れず、現実的な意見を申し上げます。
 天下りは社会的必要悪です。天下りを禁止すれば、出世したい人がいなくなります。そして、官僚のモラルが下がる。中央省庁が機能低下する。すなわち国の機能が低下します。それに、国家公務員を目指す人がいなくなることだって、あり得ます」

 なるほど。そして、僕が考える道筋は違います。
 僕が考える出発点は、公僕として国民の役に立ちたい、この国をもっとよくしたいという有志が国家公務員になる。
 中央省庁は国民のために機能する。従って、出世は争われないし、天下り先も要りません。

 「それは理想論でしょう」

 ご意見はよくわかりました。

 一見、かみ合っていない議論にみえる。
 それは、僕が相手のことばを「しかし」「お言葉ですが」のように逆説で受けて、反論しないからだ。
 勇気を持って、諫言してくれた相手には、敬意をもって接するという姿勢を貫いている。
 最後に決める責任は僕にあり、そのプロセスでいたずらに相手を傷つけるのはよくない。

 官僚は優秀だ。
 「最も成功した社会主義国」と揶揄される戦後の日本をつくったのは官僚である。

 だが「官尊民卑」ということばがあるように、悪者に分類されがちで世間に誤解されている。だが、彼らは公僕としての立場をよくわきまえている。
 法律が変わり、世の中が変わることに目ざとい。襟を正すスピードは世界一速い。
 たとえ昨日まで税金で飲み食いしていても、一旦、メディアから誰かが叩かれれば、次の日からバス代さえ使わずに「近いから歩きます」と言う。
 罪を憎まず自分を憎まずだった人は、自らが罪人側に認定されると、極端に罪を憎む側に転じるものだ。



次回は8月7日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年8月 4日 (月)

技術革新独立決裁責任者

 七 越権

 IIDO
 技術革新独立決裁責任者IIDO(Innovation Independent Decision Officer)の誕生は世界に衝撃を与えた。
 工作機械で世界一となった日本が、同様に他の分野も押さえてしまうのか?各国政治・経済の首脳に戦慄が走った。

 「科学技術会議」が内閣府でスタートした2001年が、日本の科学技術再立国元年とすれば、IIDOが誕生した2014年が、日本に「世界の工場」の冠がついた元年だ。

 2001年の科学技術改革では、産官だけでおこなってきた議論に、学が加わった。このプロジェクトがあったから、今日、日本はナノ・バイオ・ITと三本の柱を保っている。
 だが、いくつかの問題は、なかなか解決しなかった。
 研究投資が民間頼りであること。
 省庁が横軸で協力しないこと。
 異能の人材に特別待遇ができないこと。
 技術革新は、日常の小さな作業の積み重ね。秘訣はない。
 技術革新は、ハードやソフトがするのではなく、人がする。
 ゆえにすべてはプロジェクト・リーダーとなる人材で決まってしまう。
 成功のポイントは、経歴や学歴を問わず、広い母集団の中から
最適な人材を迎えることに尽きる。

 IIDOは当時の川村総理が独断で任命した。苦労人の川村さんは二世でも族議員でもない。ただひたすら庶民の気持ちで政策を説いていた。
 「公務員の給料は半分でいい」
が口癖だったが、それは退任後20年たった今、ようやく二割減ったところだ。

 川村さんは総理よりもIDOをやりたかったのだろう。ただ当時の与党は安定多数をようやく確保した議席数だったし、その年一月の国民投票で憲法四一条と七四条を改正したばかり。そこでIDO法案をぶつけたら、憲法改正の意図がばれてしまい、未来永劫にIDOは誕生しなかっただろう。

 川村さんは賢明かつ私心のない人。近未来日本の繁栄のためにIIDOをつくり、日本の信義のために数十年先を見越してIDOの布石を打った。後者については二〇年後にささやかな評価を受けることになるが、当時はよけいな説明ひとつせず、その真意を黙して語らなかった。

 川村政権が二期六年を終えた時、僕はKLのFE設立委員会にいた。一年後にはFE設立を控えている。
 僕は川村さんがFEディレクターとして来てくれるものと思っていた。川村さんがやりやすいルールと体制をつくる。それが僕の動機付けだった。

 だが、川村さんは就任要請を固辞した。表向きは体力的理由としていたが、法務省内では、憲法四一条、七四条の改正が原因だとわかっていた。
 意図がみえない改正。多大な労力とお金を使いなぜ改正したのか。
 2011年、歴史的な憲法初改正で前政権は名を残していた。
 「川村もただ歴史に名を刻みたかったのではないか?」
川村さんが打ち立てた金字塔に似合わない評価が残った。

 川村さんが任命した初代IIDOの太田さんは、切れ味鋭い人。
 いつも予見を持たず、個別案件ごとに任意に処遇を決めていた。
 就任後の初仕事は「ガン細胞限定攻撃装置」
 ナノ・バイオ・IT、各分野の叡智の集約が求められた同プロジェクトでは、名古屋大学の池田教授に目を付けるや、年収2億円、研究棟から徒歩5分の住居を用意した。

 彼の切れ味はここからだ。
 池田教授の奥さん池田恵子氏は、名古屋でケアマネージャーをしていた。

 ケアマネ資格の受験にはホームヘルパー実務経験五年を要する。
 ケアマネになった後も、最初のうちは受け持ち軒数も少なく、ヘルパーを続けながらの仕事となる。

 亭主は大学の研究棟にこもりきり。三人の子育てをしながら、朝から夕方までケアマネとヘルパーの掛け持ち。子どもが寝静まると、パソコンに向かいケアマネの書類をつくる。ケアマネ専任となった時、ヘルパーになった日から10年が経っていた。

 「とてもありがたい話しなのですが・・
 家内がなんと言うか。家内がライフワークにしていることが、最近ようやく軌道に乗ってきたところなんですよ。僕が独りで行くしかないかなぁ」



「独裁者」もくじ

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2008年8月 1日 (金)

後任のあなたへ

 プロジェクトマネジメント
 「FEの法務ディレクターの時と、IDOはどっちがおもしろいですか?」
 僕にそう聞いた藤野章子は、きっとIDOの仕事のほうがおもしろいと想像していたのだろう。

 法律が施行されると、ブリーフィングを受けた省庁が一斉に準備にとりかかり、法が求める制度を、開始期限に間に合わせてくれる。

 教諭定期試験を例にとれば、試験問題出題者の選定、日程と会場のアサイン、該当者のリストづくり、全国の教育委員会への周知、手順書の作成といったことに予算をくわえた“5W2H”のプロジェクト・マネジメントだ。

 こうして、自分が言ったことを、他の誰かが手足のように動いて実現してくれる。そんなことがおもしろいわけがない。
 それをおもしろそうだと想像する人は、人がこの世に生まれてきた「使命」を勘違いしている。

 実務のほうがおもしろい。
 ユニセフで、FE(極東アジア経済共同体)で、そして総合日本商事で、プロジェクト・リーダーほど、やってみておもしろい仕事はなかった。

 マネージャーは上からの指示を下に伝えるだけだが、リーダーは、自ら考えて動く人を育て、その人がやりやすい環境づくりをしなければならない。人が自律的に動かなければ、プロジェクトは必ず失敗する。

 FE設立委員会を辞した後、サラリーマンを経験したかった僕は、総合日本商事の門をたたいた。こういう時、東大の看板は大きい。二つ返事で採用が決まり、希望通り、企業間の提携事業(アライアンス)を担う総合企画部に配属された。
 世界標準となっている営業ソフト「セールスマッピング」は、この時、僕が企画した商品だ。
 ワークシートに数字を入れると日本地図に数字が入る。任意の都道府県をクリックすると色が変わって、にょきにょきと棒グラフが立ち上がる。さらにそれぞれの棒をクリックすると、その県の市郡地図に遷移する。
 これを使えば10分そこそこでマッピングした資料ができる。僕が入社した時、総合企画部ではその資料を作るのに、のべ15時間をかけていた。
 手書きの図やメモを即座にオブジェクト変換するプラグイン「イージースライド」も僕が長年、不便に感じていたことを形にしたものだ。
 「セールスマッピング」と「イージースライド」は現在、20か国にライセンスされており、その版権収入だけで総合日本商事は毎年70億円を稼いでいる。

 僕がアイデアを出し、企画審査を通るとプロジェクトが下達される。異なる部署から適材を選抜して、チーム組織図が作られる。
 リーダーの僕はキックオフミーティングを召集する。集まってきたメンバーは「あぁこんな人がウチの会社にいたんだ」「あの娘とは一度、話してみたかったんだ」などと口々に言い合っている。

 プロジェクトは有期の非定常業務。日頃の上下関係やしがらみのない仲間と“会社のため”というごく当たり前の目標に向かって、遠慮なくものを言うことができる。
 各部署で仕事をしていると、この当たり前なところが歪んでしまう。
 昇進と賞与評定のために、上司には逆らわない。
 後々の仕事がやりにくくなるのを恐れて同僚とは議論しない。
 部署の利益を出すために、自部門の経費を全社負担に付け替えたり、自分たちの雑用を減らすために、多額の費用をかけてシステムを外注したりする。

 一方、プロジェクトはお祭りのようなもので、一度でもリーダーを経験した者であれば、きっとやみつきになる。
 だが今のIDOの仕事には実務がない。法律を考え施行してしまうと、この仕事はそこで終わり。仕組みを作るところが一番楽しいというのに、なんと味気ないことか。

 好き勝手に制度を決めて、あとはまる投げしているだけだと言う人がいる。
 頭にはくるけれど「だったから、替わりましょうか」というわけにはいかない。
 今、僕の立場は独りで法律をつくる独裁者。組織では責任者には“立場”があり、その“立場”は演じ切らなければならない。

 こう見えてもなかなか辛いんだよ、いつでも替わってあげるよといった、お子様のおちゃらけを、責任者が言うべきではない。

 誰に言うこともないこの思いは、本来墓場まで持っていくべきものなんだけど、同じ糸をたどる後任のあなたにだけは伝えておこうと思う。



次回は8月4日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月31日 (木)

国民を信頼させておいて揺さぶりをかける

 三ヶ月見直し法
 IDOの任期は五年。
 就任して一年が経過した頃から、国民が僕に依存し始めているのを感じた。
 すべてIDOがうまくやってくれる。任せておけばあと四年は安心という空気だ。

 平和の保証は総理の専権事項、技術開発の舵取りはIIDO、経済政策の道筋はEIDO。
 そして、真っ当に生き、他人のために役立とうと思えば、それが自分に返ってくることを僕が保証している。
 格差や不平等のイメージを煽ることに終始していた2000年代ならば、今の時代は「希望の時代」と定義されただろう。
 しかし実際には、保証に満ちた社会は怠惰な社会。平和もない希望もない国でこそ、国民はスリリングな毎日を送ることができる。そのままでは「思考停止の一〇年」を再現することが容易に想像できた。

 日本にIDOが生まれ、理想の国を作ることが計画ではない。
 それまでの世界とIDOの作る世界。IDOが作った世界と、その後の世界。それぞれの糸をどう紡ぐか。
 それを国民が考える体験を、この実験国を舞台に行うことが計画。これがIDO生みの親である高橋総理の想定にはない、僕だけの計画だ。

 真っ当に生きている人は、どんな法律ができても罰せられることはない。もし僕が、痰を吐いたら死刑と決めたとしても、痰を吐かない人は死刑になることはない。横着か、真っ当かの違いだけがそこにある。

 僕が立法する度に、レアケースを開陳して反論する人々が、日本中のあちこちにいた。
 彼らは怒り・苦しみ・辛さを自ら吸い寄せている闇との会話者。世の中が変わらないと、自分が変わらないと思い続けている。
 2012年以降「自分が変われば、世の中が変わる」そう気づいた人は、もう随分先に行っているというのに。闇と会話すれば人生を無駄に費やすだけなのに・・・
 この言葉は闇との会話者には届かない。

 就任後一年が過ぎた 2035年10月。「僕が独裁者になったら」に届くメールの30%が僕へのお例メールになり、提案がめっきり減っていた。
 週刊法律三誌には、IDO礼賛の記事が並び、早くも四年後の留任を求めていた。
 まだ一年しか終わっていないという時に。

 僕はおもしろくなかった。IDOは夜警の番人として生まれたのではない。
 就任後一年三ヶ月が過ぎた2036年2月「三ヶ月見直し法」を施行した論拠がここにある。
 すべてのIDO法は、IDOまたは国会が維持手続き、修正をしない場合、三ヶ月で白紙に戻る。人々は手に入れた安心を三ヶ月で失い、自らの頭で考えなければならなくなった。
 三ヶ月後、それまでにつくった390法のうち、39の法令がなくなった。
 「三ヶ月見直し法」の規定に則って「殺人を禁止する法」も廃止されたが、だからといって、一斉に殺し合いが始まることはなかった。

 そう。誰も悪いことをしたいわけではない。
 法律は社会で生きていくうえで、やってはいけないことなどを決めたものだと思われがちだが、従来法の多くは、自由を奪うことを目的とした「自由法」。
 社会の規範は法律の中にではなく、自らの心の中にある。法が消えた時、人はそれに気づく。真理を灯火とすれば、法は空なのだ。

 実は就任当初から、このタイミングを計っていた。
 初めから、すべての法令を三か月で見直すという「自主的な安全弁」は考えてあった。
 ただ、最初は隠しておいた。そして、国民が僕を信頼して、安心しきったところで揺さぶりをかける。この策は当たり、再びたくさんの提案が舞い込むようになった。



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2008年7月29日 (火)

若い世代の無軌道ぶりは許せない。

 六 見直し

【公共の場所で迷惑をかけない法】
 「公共の場所で迷惑をかけない法」は公共の場所で、音楽・ゲーム・馬鹿笑い・大声で周囲に迷惑をかけてはいけないと定めている。
 どれくらいが大声なのか、それは真っ当な心があればわかる。
 IDO法には「30デシベル以上が大声です」といったサブマニュアルは一切ない。
 通報により逮捕されると、国家公安委員会が管理する前歴データベースに登録される。
 店舗・施設側には30分以内に警察または自警団に通報する義務がある。裁判員制度開始の10年後に成立した自警団法により、地域には有志の自警団が組織されている。IDOにとって国家公安委員会は管轄外だが、自警団で活動される方には、日本ポイント制度による表彰ポイントを付与している。

 「いつも日曜日の朝九時になると、近くの図書館に行き、本を読むのが楽しみです。朝の時間帯は空いていて、ゆったりとした時間が流れています。ただ、土曜日が六時間授業になったせいなのか、このところ、日曜の朝が高校生で混むようになりました。
 彼らは思い思いに音楽を聴き、電子ゲームをしていたかと思うと、それをリンクスピーカーでバーチャルにして流したりするのです。突然、臨場感のある音楽が流れ、周りの人もびっくりします。
 しかし、IDOが次世代教育に力を入れて以来、若者は増長しています。義を見てせざるは勇無きなり。私は言うことは言う男です。
 注意したところ『俺たちがこれから養ってやるんだぞオヤジ』と言われました。図書館NPOの人たちも見て見ぬふりです。嫌ならば行かなければいいと言われるかもしれませんが、我々の給料は10年前から二割減っており、図書館は唯一の娯楽なのです。あのような若者が日本を背負うわけがありません。抜本的な対策を望みます」

 この法は、東京都の公務員Kさん(56歳)から「僕が独裁者になったら」に寄せられた意見を元に考えた。Kさんは妥当と考える量刑欄は、プルダウンメニューから死刑を選択していた。
 5年間やってきて、このような意見はとても多かった。

 自分はささやかに、真っ当に人生を歩んでいる。だから若い世代の無軌道ぶりは許せない。IDOは手ぬるい。もっと法律で若者を縛るべきだ。

 怒りとつきあうのはよくない。闇に住むもう一人の自分と会話を始めると、人はさらに闇を引き寄せてしまう。
 心の闇と会話して、連想の世界でいくら人を責めても、明るい展望はみえてこない。むしろ、さらに悪い状況を引き寄せるだけだ。
 闇との会話を始めたら、自らそれに気づき、打ち切る習慣、打ち切る技術を身につける必要がある。

 だが怒りが努力の原動力になることもある。
 時に怒りとつきあうことが、横着者と対峙する力となる。かつて、国民の金を自分に回して、豪邸や外車を買った人たち。罪刑法定主義にあぐらをかいて、法令にない犯罪で生業を得た人たち。そういう人たちを皆が水に流してはいけない。時に怒る人も社会には必要だ。

 Kさんのような、邪魔者は法で縛れといった“法万能主義”が、全体主義につながるから危険だとは、僕は思わない。ただ社会を「自分が良くしよう」という気概のない人が、法に頼るのは健全ではない。
 とは言えども、常識や倫理が廃れた世の中だからこそ、IDOが誕生した。
 だから健全な社会規範を僕がつくる。より多くの国民がそれを信頼してくれるようになった時、一人一人が愛を持って、社会の人に接することができるようになるだろう。

 ただし、それは5年ではできない。
 日本人が真っ当に生き、他人のために役立とうと思う社会の実現は、次のIDOの時代に委ねることになった。
 僕は法令内容が性急なものにならぬよう心がけてきた。次のIDOのあなたに、国民の動向をみて見直してもらいたい。



次回は7月31日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月28日 (月)

結婚禁止法と離婚禁止法

 『結婚禁止法』
 結婚の廃止。結婚してはいけない。ただし同棲はあり。
 主旨は今までの結婚という概念につかり、愛の営みのない生活、家と家のつきあいに縛られず、独立した個人を保ち、愛のある者だけが共に暮らす。愛がなくなれば離れるということ。
 一緒にいたいと思ったら、愛を育む努力をする。
 先人は“結婚は誤解で結ばれて、理解で暮らしていくもの”と言った。親子は血がつながるが、夫婦の血は永遠につながらない。本来、結婚とは壮絶な努力の連続だ。
 同棲が五年以上を経過すると、財産分与と相続については、従来法の結婚の定義を適用する。

 『親子離籍法』
 子供が同棲を始めたら、子離れしたという認識で子どもは親から離籍する。
 親は子供を育てる過程に喜びと幸せを享受する。老後に子どもからのお世話は享受しない。女が相手の家に入り、義父母の面倒や親戚付き合いをすることから解放する。
 もちろん、離籍しても親子の同居はできる。同居できず身寄りがなくなる親には国が福祉政策で対応する。

 『一夫多妻・一妻多夫法』
 一夫一妻制にくわえて、一夫多妻と一妻多夫を認める。ただし経済力がない者にはその資格を与えない。
 納税証明書をもって自治体に申請する。基準は税込み年収一千万円で二人、二千万で三人の配偶者を持てる。納税状況により、年収が下がった場合は、適宜人数が可変する。

 『離婚禁止法』
 第一子が満三歳を迎えたら、最終子が満二〇歳になるまでの間、離婚を禁止する。
 家族は最高の教育機関であり、父母からのバランスのよい指導があってこそ、健全な人格が形成される。
 そして人間として、子どもの気持ちになって考える。自分がこの世に命を与えた子どもを、放り出してよいか。自分が子どもの時、両親が離婚していたら、自分はどういう気持ちになっていたか。

 このように、僕の想像を超える提案が日々投稿された。
 結婚をしてはいけないという法を考えては消し、離婚をしてはいけないという法を考えては消す。一対一ではない夫婦関係はうまくいくのか・・・

 そして今この時も、苦心しながら結婚生活を続けようとしている人がいる。僕がなにかを立法化すれば、それを契機に壊れてしまうものもある。悪意のある横着者をこらしめる法律ならば逡巡しないが、結婚生活を続けている人たちは犯罪者ではない。

 愛というテーマは余りにも、連想することが多い。このテーマだけは、後先を考えずに決められない。歯切れの良さが僕の取り柄だが「愛」だけには歯切れが悪い。
 五年かけて、何も答えが出せなかった原因を分析すると、ここにたどりつく。

 愛は独りで考えるものではないということだ。



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2008年7月25日 (金)

新・三億円事件

 traffic 道路交通
 道路交通法は、再周知の観点で改正した。

 横断歩道で歩行者に待たせたら、罰金50万円。
 従来法でも信号のない横断歩道では歩行者が優先であり、車が一時停止して、歩行者を渡らせなければならない。だが、実際には歩行者が停まって車を通していた。

 【起点加害者賠償責任法】
 路駐していた車が原因で事故が起きた場合、全ての賠償責任は路駐していた車の保管義務者が負う。
 あの「新・三億円事件」は2038年も押し迫った12月に起きた。

 千葉市の会社員袴田さんは、ハッピーバーガーで100円のコーヒーを飲んでいた。
 お店の駐車場は満車だった。隣りにコインパーキングがあったが、そこに停めると15分100円。ゆっくりしているうちにコーヒーより高くついてしまう。

 お店の前の通りは、片側三車線の広い道路。
「少しくらいいいだろう」と思って路駐した。取り締まりが来たら、すぐ車に戻れるよう、車が見渡せる窓辺の席に座る。
 冬の夕暮れ、さっきまで差し込んでいた西日が落ち、帳が下りる。
 袴田さんは読みかけの文庫本に指を挟み、しばし車の速い流れを見ていた。
 「ついてないなぁ。昨日洗車したばかりなのにな」
 昨日の夜半に降った雨で汚れた袴田さんの車が、闇に沈んでいる。

 その時、マイカーの右手から観光バスが視界に入ってきた。その奥には1台のタンク・ローリー。
 バスの運転手は、二回りは年下と思われる可愛いバスガイドの方を見て笑っている。
 バスガイドから、視界を前方に戻した運転手が、路駐した袴田さんの車を捉えた。
 「危ない!」間一髪、運転手は急ハンドルを切って、袴田さんの車をかわした。

 危なかった・・
 運転手が胸をなで下ろした瞬間、すぐ右下に原付がいた。
 やばっ!
 すぐさま、ハンドルを左に切り返す。
 大型車で最もやってはいけない、瞬時の切り返し。本来ならば、プロはまずやらない。

 原付に乗った若者は、ひらりと右にかわした。幸い、右から後続車は来ていなかった。
 だが、若者のバイクすれすれに、バスはゆっくりと横転。横倒しのまま滑っていく。
 袴田さんには、薄暮に散る火花が花火に見えた。
 滑走したバスは 30m先で 底を後ろに見せて停まった。車の底には光を反射する保安部品が何もない。
 店の客が一斉に、窓ガラスに顔をすりつけた。
 バスは、三車線をせき止めるように塞いで停まっている。

 けが人は出ただろうが、人が死ぬほどではないだろう。
 もしも、人が死のうものならば「起点加害者賠償責任法」が適用されて、えらいことになる。
 袴田さんは、とっさに店内を見回した。
 今、この店にいる誰かが、あの車を僕が停めていたことに気づいているだろうか。
 何とか逃げられないか・・

 横着者の算段が頭をよぎった瞬間、袴田さんは、生まれて初めての爆音を聞いた。
 3億1千万円。
 違法行為は免責のため、保険は一切下りなかった。
 観光バス1台、炎上したタンクローリー1台、死者3人、重軽傷30人、道路復旧費。洗車が不要になったマイカー代は含んでいない。

 大きな負担になる恐れがあるから、違反はやめようと思わせる一般予防法。
 従来の車両放置違反は 5万円程度で済んでいたが、この法では実際に3億円かかることもある。路駐する人はいなくなった。

 【自転車運転免許法】
 長崎県の上五島では70年前から、小学生に免許制度が敷かれている。
 道幅が狭く、路線バスと乗用車がすれ違う時は、100メートル間隔で儲けられた離合場所で互いをやり過ごす。海沿いの道路にはガードレールがなく、運転を誤ればフグと友達にならなければならない。そんな環境では、自転車乗りにも一定の技術が要求された。

 自転車免許法試験は、一本橋・スラローム・八の字・交差点通行・直進と制動、実技五種目50点と学科試験50点、合計100点満点で80点を取れば合格。
 運転免許証の原付の隣りに「自転」がはいった。
 原付のように普通車に無条件でついてくるわけではなく、必ず自転車運転免許試験をパスしなければならない。反則金の点数制度、更新もすべて乗用車等の運転免許と連動する。

 通行人の洋服をひっかけたり、車両に傷をつけても、小回りが利くのをいいことに当て逃げする自転車が多かった。
 逃げたら自転車も自動車と同罪。同法では、逃走した自転車を通報して逮捕に結びつけた場合、協力ポイント10倍で 5万ポイントとした。

 【  】
 日本国用語集のカテゴリー数は20。だが5年間ついに一つも立法できなかったのが love 愛。
 こんな法律を作ってくださいウェブの「僕が独裁者になったら」に、結婚制度についての法案が来ない日はなかった。



次回は7月28日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月24日 (木)

PK廃止法

 mind こころ
 【更正寛解施設法】
 刑法三九条を廃止した。
 旧刑法三九条は、精神鑑定の見解が心神喪失ならば無罪、心神耗弱ならば刑が軽減される法律。

 人を殺した時に心神喪失状態にあったと鑑定されると、責任能力がなかったということになり無罪になる。
 被害者となった側からすれば論外の法律だが、心神障害者の人権擁護の側からすれば不可欠の法律。
 廃止議論の歴史は長く、裁判員制度が始まってからは、国民の大半がその問題点を認識していた。

 心神喪失者が無罪では、国民は安心して暮らせない。有罪にしただけでは、再犯の恐れがある。そこで受刑能力によって行き先を換えることにした。
 心神喪失の状態にある者が犯罪を犯したならば、寛解を目指す。そのために、刑務所、少年院、精神科、福祉施設、この四要素を組み合わせた六通りの更生緩解施設を設立した。

 Sport スポーツ
 【PK廃止法】
 「2035年シーズンより、フットボールのルールからPKを廃止したい」
 僕がそういうと、スポーツ担当の谷村総務大臣は穏やかな口調で「それだけはやめた方がいいですよ」と切りだした。

 守備側が自陣ペナルティエリア内で直接フリーキックに相当するファール(10種類)を犯した場合、当該選手は退場となるが、試合はGKのゴールキックで再開される。審判がオブストラクションをとって試合を流した後にゴールが決まれば得点が認められる。

 谷村大臣は、僕が提示した素案の善し悪しには言及しなかった。
 「相撲のルールを変えるならまだしも、イングランドで生まれたフットボールのルールを変えるのは、敬意に欠けるような気がするんですよね」
 僕は敬意という言葉に弱い。
 敬意こそが、進化した生物の証。敬意なき人はどこかに進化を置き忘れたのだと僕は思っている。

 女子アナ発言でひんしゅくを買った谷村大臣は、いつもいなり寿司みたいな色のセカンドバッグを持っているので、IDO室のメンバーは“イナリ”と呼んでバカにしている。だが、失敗に学び、僕との接し方に変化をつけてきた。この時は「バカは死ななきゃ直らない」の例外として、死なないでも直るバカがいるのだと感心した。

 「相撲がビデオをいち早く取り入れたように、スポーツ全体にビデオを取り入れるってのはどうですか?」
 「PK廃止法」は、谷村大臣が持ってきた私案を元に僕がひねりを加え「スポーツデータ二次判定法」となった。

 審判に判定を委ねるあらゆるスポーツでは、映像記録装置による映像、電気的なセンサーを二次基準として採用する。
 フットボールであれば、ゴール前の競り合いでディフェンダーを押していなかったか?
 野球であれば、観客がボールを触ったのがフェンスの内外どちらだったか。
 あらゆるスポーツで、ビデオとセンサーの導入が検討され、結果的に同法の適用を受けなかったのは、マラソンだけだった。

 2000年以前は、団体競技の勝敗を左右するのは個人能力の総和と考えられていた。
 2000年代に入り編成、監督の能力、チームのバランスの良さに重心が移った。フットボールで言えば、資金力に任せて、ストライカーばかり補強するようなチームは勝てなくなった。
 すると、2000年代の国際試合では、PKの 1点による 1対0の試合が目立ち始める。
 ファンはそこで気がついた。試合を決めていたのは、選手でも監督でもなく審判だったのだ。

 「倒れずに行けたけど、PKがもらえるならば、もらっておこうと思って」
 「PKでも、とりあえず、勝ててよかった」
 プロ選手が堂々とこうコメントする。それを子供達が読む。
 倒れないバランスよりも、相手に足を出させるフェイントが重視される。
 ストライカーは居残りシュート練習を減らして、相手に足を出させる「居残りPKゲット練習」に時間を費やすようになった。
 スポーツとはこういうものだ。美しさは要らない。勝たなければ誰の記憶にも残らない。ファンはとりあえず勝てば喜んでくれる。
 自分だけがよければよい大人、ご都合主義を学ぶ子供。
 誰も警鐘を鳴らさない。だがIDOは鳴らすことができる。
 僕にしかできないことは、何でもやろうといつも思っていた。



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2008年7月22日 (火)

痴漢逮捕協力法

living 暮らし
【痴漢えん罪防止法】
 痴漢は被害者が唯一の目撃者であることが多く、他の性犯罪と比べてえん罪率が高い。その気はないのに、手が胸に当たったというだけで 5年の懲役と職を失うのはきつい。

 同法では被害者が現場で第一声を上げること、現場に居合わせた人は駅員に氏名と住民基本台帳番号を言い残す義務を課した。証人としてより多くの情報を得るためだ。ただし、捜査段階で協力義務はなく、えん罪裁判となった時だけ、証言義務が発生する。

 痴漢は常人逮捕が可能で、警察官でなくとも誰でも身柄を拘束できる。
 だが、触られた男を駅員に突き出せる女性は少ない。そこで「痴漢逮捕協力法」により、被害者が「痴漢です」と周囲に一声かけた時、居合わせた人に逮捕協力義務を科した。
 逮捕した人には日本ポイント制度により 1万ポイントが付与される。痴漢既遂者の量刑は懲役 5年以上。「痴漢防止法」により、見張りを立てるなど計画的な犯行の場合、共犯者もすべて同罪。また裁判で被害者と加害者が同席しないなど、被害者の個人情報保護と心情に配慮した。

 一連の痴漢対策法施行前の2034年時点で、鉄道通勤電車の70%に女性専用車両があった。そして同法施行により、痴漢にまちがわれたくない、痴漢被疑者を逮捕する自信がないという男性から「女性とは乗りたくない。男性専用車両も作ってほしい」という要望が鉄道各社に多数寄せられた。
 その結果、通勤電車は先頭から女性専用車、男女共用車、男性専用車が交互に編成された。
 「痴漢防止法」施行後、バス各社は男性専用バス、女性専用バスを走らせていたが、ただでさえ少ない便数がさらに減るので不評だった。そして法施行1年後、一台のバスを半分で間仕切りしたバスが開発された。ワンマン運転で後部の料金確認ができないため、100%プリペイドカード支払となった。前が男性、後ろが女性。女性が後ろなのは、進行方向に向かって後ろだと、男性客からじとーっと見られることがないためらしい。

 【かんたん説明法】
 社会保険庁年金ホームページのサービス「もらえる年金額メール」は、同庁の全ウェブページの中で、最もページビューが多い。
 自営業・サラリーマンの種別、住基番号を入れると10分以内に指定したメールアドレス宛に回答が届く。このサービスは「匿名メールアドレス禁止法」が前提となり実現した。

 「これから60歳まで毎月2万円ずつ支払うと、61歳から死ぬまでの間、毎月5万円もらえます。あなたが支払う掛け金総額は480万円。80歳まで生きたとして総額1,140万円を受け取ることになります」

 従来の情報開示では、年金は絶対大丈夫。自分で勉強して試算してくださいというだけで、かなり調べないと自分がいくらもらえるのかがわからなかった。
 「かんたん説明法」は、すべての国と地方のサービスについて、簡易かつ数字が一目瞭然の説明を求めている。

 「社会情勢により流動的です。だから、数字は言えません」
 これでは心が通わない。国民の側の足かせとして「あげあし取り禁止法」があり、善意の説明に対して、悪意で言質をとる行為は禁止されている。

 【犯罪被害者と災害被災者の報道規制法】
 犯罪被害者と被害者周辺への取材を一部規制。被害者の氏名・所属する団体等・住所の報道、写真の掲載を禁止した。

 「ご遺族のお気持ちをお察しします。私にも家族がいます。このような取材が悲しみを増幅させるかも知れません。しかし、エゴかも知れませんが、一人の報道に携わる者として、この悲しみを多くの人々に知ってもらう必要があるのではないかと思うのです」

 そういうのを、まさにエゴというのだ。

 暴力や危険運転致死で家族を殺された被害者宅に報道陣は押し寄せる。
 優しいことばで取り入って、大切な写真を“借りて”帰る記者がいる。
 写真を借りる目的は掲載だけではなく、他社に写真が渡らないよう(つまり、自社が独占するために)に遺族から取り上げること。同法では取材を通しての写真・物品の借り受けを禁止した。

 また事件現場ではメディアの人、機材、車両によって被害者の救護、捜査に大きな支障が出る。節度ある行動をしてもらうために、現場では独立通信委員会が配布している社名入りビブスの着用を義務づけた。

 葬式に行けば“涙の絵・怒りと哀しみのコメント”がとれることはわかっている。現場に赴く時、いったい何を考えているか。記者クラブにリリースを取りに行く時と同じノリで行っていないか。

 犯罪の背景を問い、対策を考えるならば行き先が違うだろう。
 被害者親族にいったいどんなコメントを期待しているのか。

 「そうですね。貧富の差が拡大し犯罪が凶悪化するという状況を冷静に分析して、日頃から危機管理意識を高めておく思慮がわれわれ遺族一同に欠けていたかも知れません。これを機会にいま一度身の回りのことを考え直してみたいと思います。国民の皆さんには今回のことを他山の石として、より想像力を高めて日々の暮らしを送っていただければ、亡くなった者も浮かばれると思います」

 遺族は普通、そんなことは言わない。



次回は7月24日に掲載します。



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2008年7月18日 (金)

命を守るためにIDOが決断する

 リベロから来たボールをアタッカーにバックトスした瞬間、見たことのない映像が脳内を流れた。
 なんだ、今のは?
 あたりをきょろきょろと見回した時、監督の叱咤が飛ぶ。
 「リュウイチ!ぼーっとするな!」

 バレーボール部の練習を終えて帰宅すると、いつもは灯っている玄関の電気が消えていた。
 胸騒ぎが襲う。アパートは空っぽ。
 食卓の上には「銀次を探しに行く」という姉の走り書き。

 さっき僕の頭に浮かんだ映像には、学校の屋上のような場所と赤いチューリップが見えていた。
 カバンを放り出すと、急いで靴を履き直し、闇に沈む冬の校舎に駆けつける。
 正面玄関を突っ切って、まっすぐに裏庭の花壇をめざす。
 そこに、銀次が大事にしていたチューリップがあったはずだ。

 凜と咲く冬のチューリップをなぎ倒したその塊を、最初に僕が見ることになった。

 難しい場面に立った時「もしも、ここが砂漠だったら」と考える。
 (砂漠に立ちつくす子ども 空っぽになったペットボトルを右手に握りしめている)
 あるいは、爆撃機からミサイルが降り注ぎ、逃げまどっている自分を想像してみる。
 (焼け野原で、やせこけた子ども達)
 食べるものもなく、水もない。今まさに命を奪われようとしている。そんな時、人は本能的に生きようとする。

 「逆縁自殺を認めない法」施行時に制作して配信したイメージ映像の一コマ。
 涙の筋が乾き、砂漠に立ち尽くし夕陽をにらむ少年。
 画面が暗転し、ディゾルブで白抜きの文字が浮かび上がる。

 自分の力で生きる権利がある君が、死んでいいはずがない

 【AED法】
 本来AED(自動体外式除細動器)は実習を受けていなくとも、音声ガイドに従えば操作できるように設計されている。だが、AEDを知らない人が、救命作業をした事例はない。存在を知らない人には、ただの箱に過ぎなかった。

 2004年のAED一般解禁以降、公共設備に配備され始め、東海大震災の経験を経て、2030年には公的施設すべてに配備された。だが2034年の「心室細動事例調査報告書」によると、そばにAEDがあるのに使用されず、救急車の到着を待っているうちに亡くなったケースが60%もあった。
 10分で死に至る心室細動で、救急車を待っていては助からない。

 「AED法」では、50席以上の私立施設への設置、スポーツチームでの常備を義務化。
 解禁当初 3社だったメーカーは、現在19社となっている。
 AED製造メーカーには、厚生労働省の専門チームが張り付いており、より素人に使いやすい改良を求めている。
 許認可権を新設しないという僕の軸に則り、価格管理はしていないが、どのメーカーも真摯な低価格で出して頂いている。AEDメーカーさんには足を向けて寝られない。
 そして、AED実習を国民の義務とした。罰則はないが助け合いの精神を根っこに持つ日本人だけに、敏感に反応した。
 実習では三大救命措置のあと二つ、CPR(心肺蘇生術=人工呼吸、心臓マッサージ)も紹介する。同法施行後、CPRによる救命事例も、全国で毎年二千件以上報告されている。

 2000年には年間 4万件を超えていた心室細動による突然死は、2030年は3.5万件。「AED法」施行1年を経過した2036年は 2万件となった。
 人口が2005年より減少に転じており、一概に比較はできないが、当該死者数は著しい減少を見せている。日本は2030年以降、心室細動死者において、対前年減少率世界一を続けている。

 土地が高すぎて都市の過密が問題になった1980年代。
 食糧問題の観点からも、人口が減ることを歓迎する人たちがいた。
 しかし、2010年代にはいり、国の仕組みが維持できないとわかると、そう考える人はいなくなった。

 人口が減り続ければ、やがて国の信義を保てなくなる日がくるかも知れない。
 人の命を救うことは、日本の信義にもつながっている。

 こうした目標法には、免責例外やサブマニュアル的なチェック基準を設けていない。
 自治体は実習を主催するが、出欠も受講率の統計もとらない。
 国民の義務ではあるが、義務を果たさぬからと言って、自由を奪われることもない。
 心に訴えることが法の目的であり、行為には焦点を当てない。
 要は"管理のための管理"に、のめり込まないこと。
 "管理のための管理"は、公務員に新たなお役所仕事を生む。公務員には税金というお金がかかっている。実効性の乏しい仕事にお金を使うのは、止めなければならない。

 命を扱う法律は、誰かが決断しなければ前に進まない。
 1997年に成立した臓器移植法は、立法化が検討された日から制定まで13年の歳月を要している。
 当時「時間をかけて議論を尽くすことは尊いことだ」と学者達が言っていた。
 だがそれは、皆が責任を取るのを恐れていただけだった。

 「臓器移植は医学の永遠の課題です。倫理に照らし慎重な国民的議論が必要です」
 「私の子どもは親の肝臓を移植すれば助かると言われていました。でも先生から法律で禁じられていると、手術を断られて死にました」

 倫理 対 感情
 倫理を盾に、一見最もらしく、実は出口のない議論をして、お互いよくやったとたたえ合う予定調和な人たち。政治家と学者はそれで済む。
 だが、人は感情で生きている。命をつなぎ止めるために、その法律を必要としている人。一日千秋の思いで成立を待つ人は、涙声で訴える。

 人の命がかかっている時、求められる法律は、倫理・論理なにかが欠落していても、それをIDOが決断するよう、心がけた。



次回は7月22日(火)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月17日 (木)

逆縁自殺禁止法 痰にまみれるグローブ

 「なぜ死んではいけないの?」という子どもの無垢な問いに、親が明快に答えるのは難しい。
 だが「逆縁自殺を認めない法」が施行されたことで、一つの回答例として「法律で罪になるから」という選択肢ができた。
 国が自殺を認めない姿勢を打ち出すことは、利こそあれ一害もない。
 それでも死にたい人は死んで行く。だが、死人に鞭打つ罰則はない。

 同法は行為に注目した法ではあるが、条文では自殺、自傷という行為に注目するのではなく、親が「つらい」「それ以外に途がない」という心に寄り添うことを求めた。

 2036年1月の施行時には、最終項に「対象を40歳未満とする」という条文をつけた。対象の下限を設定した法律はあっても、上限を設定した法律はこれが初めてだった。そして、三か月後の改正でこの最終項を削除した。
 「週刊新法」に竹田記者がこう書いている。

 逆縁自殺禁止法の第三項目「40歳未満とする」が削除された。逆縁自殺に限って禁止するという法律は、目標法というIDOが提唱する新たな概念について、国民的議論を巻き起こそうという狙いが垣間見える。
 ただ、逆縁に限定したことは理解し難い。誰かが自殺すれば、親に限らず、子、友人、知人みなが悲しむのだ。目標法として禁止を謳うならば「自殺禁止法」とするのが、衆目の一致するところだろう。今回ばかりは、自殺で肉親を亡くした人を中心に非難の声が高まっている。
 百歩譲って法律の意義は後世の評価を待つとして、今回削除された最終項は、施行時から不可解だった。40歳という年齢を設定することに、いったいどんな意味があったのか。
 40歳と言えば、その両親は概ね70歳を越えている。高齢者が希望の灯火とするわが子を、自殺という形で失う。その孤独な心中は察するに余りある。逆縁を悲しむ気持ちは、年代を超えた普遍のもの。法曹界にとどまらず、各界から疑問の声があがっていた謎の第三項は三ヶ月で姿を消した。

 穿った見方をすれば、第三項はもともと国民に問題を提起するための条項だったのではないか。法律に上限年齢を定めるという新たな取組。40歳を越えた年齢での自殺では、悲しむ両親が老いているのだという想像力。確かに、多くの国民が新たな二つのテーマについて、考えさせられることになった。いつものことだが、IDOの心を知る術はない。

 記事の向こうに、東大「昭和ヒーロー研究会」の仲間、竹田のVサイン映像が見えた。おとぼけ振りはなかなかのものだ。彼は意図的に「衆目の一致するところ」「声がある」といった"曖昧メディア語"を多用して、読者を揺さぶっている。一方的に、相手をやりこめるのではなく、メディアもこの程度ですよと内情を晒してしまう。もう何年も会っていないが、僕らは糸電話のようなもので、いつも話していた気がする。

 最終項を削除した意図は竹田の言う通り。
 初めに40歳という年齢を設けていたのは、同世代を生きる仲間へのシンパシー。
 一度や二度の挫折くらいで死ぬなよ。だけど、三度も四度も挫折が続けば、死にたくもなるよな。十分に頑張って、責任を果たして来たんだ。自分の命をどう扱うかまで、法律で決められたくはないよな。子どもと大人は違うんだから。
 ただ、子どもには、生きて欲しい。

 「今日の放課後、屋上に来い」
 地獄に突き落とされるような命令を受けて、過ごす午後の2時間。
 屋上に行けば、辱めにあうことが約束されており、逃げて帰ろうものならば、さらなる辱めが約束される。
 放課後までの途方に暮れる長い時間。死刑台に上るかのような屋上への階段。 カバンに入れていたグローブは兄からの借り物。

 「ウルトラスポーツか。なんや、田舎もんがかっこつけて。ちょっと使いやすくしてやろうか」
 一人が右手を入れるポケットに唾を垂らす。ほらお前も、グローブは三人の間を一巡する。
 「あ、痰のほうが手に馴染むかも」
 二巡めは「なかなか痰が出ないな」と2倍の時間がかかる。
 「どうかな、銀ちゃん。ちょっと試してみてよ」
 まるで親友に語りかけるように、言葉に親しみを込める執行人たち。
 痰にまみれたグローブは青白く濁る。ぬるぬるとして、痰に宿っていた体温を感じることもなく冷たい。

 にいちゃん、ゴメンよ
 にいちゃん、さようなら・・・



「独裁者」もくじ

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2008年7月15日 (火)

移民法は帰化を求めず

 日本人と協調し、この地に生業を見つける者を歓迎する。
 犯罪行為を働くものを排除する。

 権限を与えられた者は権限の獲得ではなく、組織の繁栄のために働く。元々、日本は出稼ぎの対象国ではなく、ずっと住みたい国として、海外の人々が羨望のまなざしで見ていた。
 それは、日本の文化・環境・豊かさによる。だが一番大きな理由は、真っ当な外国人に対しては、日本人がとても優しく受け入れるということだ。

 日本人には島国根性などない。日本人を脅かす外国人に頑ななだけだ。礼節とルールに則った外国人には暖かい。

 「こんにちは佐野さん。この冬も寒くならないね」
顔を合わせるごとに、挨拶と笑顔を欠かさない外国人。

 「なに、見てるんだよカス」
という目でガンを飛ばす日本人。

 どちらの人に温かい気持ちになるか。どちらの人と同じ町で暮らしていきたいか。想像してみればすぐにわかる。
 暖かく迎えられ、定住権を得て、外国人は一生懸命に働く。それは、日本の繁栄につながっている。

 過疎地域では、それぞれ外国人の誘致に工夫を凝らしている。
 西欧人に人気の高い京都に近い兵庫県わかさ町では、週末には無料の京都散策バスツアーを組み、多くの外国人家庭を誘致した。

 移民法施行からこの4年で、旅行会社の企画商品「外国人永住者向けバスツアー」は全国に広がった。
 漁師の町、長崎県ごとう町では、漁業熟練者の多いベトナムに目を付けて、小学校の授業にベトナム語を取り入れた。
 町では毎週水曜日にベトナム語教室、土曜日には日本語教室が開催される。
 今では、町役場の会議室に入りきれず、近隣の魚目小学校の体育館を使っている。

 「ベトナム人街のような地域ができてしまうと、日本人の警戒感が首をもたげて、関係がうまくいかない。そのような垣根を極力つくらないように努めた」という原町長の言葉は、全国の自治体に大きな教訓となった。

 こどもの教育は、外国人家族にとって大きなネックである。
 世界の子供達を世界の大人が育てるという視点に立った対策が必要だ。
 たとえば「ベトナム人学校」のような私設校に通うには、年間平均50万円がかかる。授業料が払えないから学校に行かず、教育を受けない外国人の子供達。それでは、次世代の日本を支える人材として不安がある。

 外国出身子女への教育は、過疎自治体教委の腕の見せどころであり、現在のところ「ベトナム人学級」のような別編成方式と、通常クラスに出身国別に編入する方式に大別されている。
 新卒の教員採用試験では、外国子女クラス要員として別枠を設け、任意の外国語試験をおこなう自治体が増えている。その実情に合わせ、外国人クラス担任には毎月 3万円以上の手当を支給する「外国人クラス担任手当法」を施行した。

 「移民法」施行から3年経過時点の永住権取得者は20万人。この数値は施行時に厚生労働省が試算した通りだった。
 労働力を求めて、過疎地域と言われていた町や村に、企業の工場や電算処理センターが進出する。人が増えたことで、娯楽産業が進出する。
 そうして税収が増え、医療予算がつく。隣り町まで行かなければならなかった小児科や産婦人科の医者を、好待遇で呼ぶことができるようになった。

 従来法の国籍法では、日本に最低 5年住むこと、素行がよいことなどを条件に帰化を認めていた。
 日本語の「帰化」には日本国に同化するという意味もあり、国籍を取得することと民族に同化することは別ではないかという見解により、帰化ということばを使わないように配慮する人もいた。
 だがメディアとブロガーには問題意識がない人が多く、外国人の日本国籍取得=帰化ということばで片付けられてきた。

 果たしてアジアから日本に定住先を求めてきた人たちは、日本国の一員として徴兵された時、喜んで戦うだろうか。ブラジルから来たストライカーはセレソンを相手に、心に一点の曇りなく戦っていたのだろうか。
 「移民法」は労働力の確保を目的とした法律であり、一定の基準を満たした外国人に永住権取得を認めるが、帰化は求めていない。

 life 命
 【逆縁自殺を認めない法】
 親より先に死ぬ(逆縁)自殺を禁止する。親はこどもの辛さ、寂しさに寄り添う義務を負う。
 親より先に逝く自殺を禁じたのは、それが人として守らなければならない最低限のルールだと思うからだ。
 目標法であり、罰則はない。



次回は7月17日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月14日 (月)

公に尽くす動機 私欲のための動機

 health
 【小児科、産婦人科倍増法】
 小児科医、産婦人科医は名誉国民とする。ただし2010年以降に就職した者に限る。
 1990年代から、小児科医、産婦人科の不足が問題視され始めた。
 2010年に「小児科産婦人科特例法」が制定されて、医師の税制が優遇されたが、2020年までの10年期で医師の数は10%の伸びに留まり、同法は廃止された。

 「小児科、産婦人科倍増法」では当該医師・施設の所得、不動産を非課税とし、当該医療裁判の被告となった場合、専門の国選弁護人をつけ、裁判費用を国で負担した。
 名誉国民の称号を与えたのは、医師を目指す学生に、公僕としての働きを頼むというメッセージ。

 国民の暮らしを支える職業を公僕と呼ぶ。その職を目指す動機は人によって違う。次に挙げる6つの職業は特に二面性が強い。

 公に尽くす動機
1,子どもの教育に燃えているから、先生になる
2,公正な社会を築きたいから、弁護士になる
3,地域の役に立ちたいから、地方公務員になる
4,国の役に立ちたいから、国家公務員になる
5,地域をよくしたいから、代議員になる
6,人の命を救いたいから、医者になる

 私欲のための動機
1,地元で就職できて安定しているから、先生になる
2,世間体が良くそこそこに儲かるから、弁護士になる
3,地元で暮らせて安定しているから、地方公務員になる
4,給料が高く安定していて老後もおいしいから、国家公務員になる
5,利権に預かることができるから、代議員になる
6,いい暮らしができるから、医者になる

 公務員・弁護士・代議員は希望者が多く、なり手がいなくて困るということがない。
 だが、医者はなり手がいなくなると困る。

 2000年代、医療費の負担率が上がった時、メディアと野党は「医療の切り捨て」と言った。
 誰も言っていないのに「お年寄りは死ねというのか」と作り話をしていた。

 医療負担を上げざるを得なかったのは、当時の為政者が非情だったのではない。その前の時代に、みんなのお金を使ってしまった人がいたのだ。

 夜な夜な勝ち組の仲間と集い、高級外車に乗り、セキュリティ会社に守られる暮らし。本当にそれが公僕の志で、目指していたことか?
 人に羨まれ、妬まれる暮らしが望みならば、その公僕に国民の声は届かない。

 2010年代からの20年。公僕が小欲をもって、公に尽くす。
 この当たり前の価値観は遠い距離を超えて、日本のあちこちに芽吹いていた。だが、それが国民の共通理解になることはなかった。

 僕がやるべきことは、真っ当に働く彼らに、お天道様はいつも見ていると声をかけることだ。僕はブリーフィング以外では世間と接していない。一人一人に激励のメールを送る代わりに、法令でささやかな声援を送る。

 labor 労働
 【移民法】
 労働力の確保、過疎対策、二つのテーマを「移民法」で解決した。

 日本が2004年12月をピークに人口減少に転じて30年が過ぎていた。
 人口減少は、地方の過疎化を加速した。
 2017年度から導入された道州制により、国と地方の行政の枠組みは変わったが、過疎地域が過疎地域であることは何ら変わらない。

 労働力確保策としては、外国人定住者を、公式に移住者として認める政策が度々議論されていた。
 ただ、外国人は都市部に集中して住む傾向があるため、永住権の基準を緩和しただけでは、過疎対策が片づかない。

 移民法の前文には、こう記している。



「独裁者」もくじ

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2008年7月11日 (金)

世界が真似できない「故障率公開法」

 日本国民一人当たりが飲むペットボトル飲料(500ml換算)は、1993年には 8日に1本だったが、2035年には1日1本になった。

日本におけるペットボトルの生産量
1993年  12万トン
2004年  51万トン
2035年 100万トン

日本におけるペットボトルのリサイクル Recycle 率
1993年  0%
2004年 47%
2035年 57%

「リサイクル率は伸びています」と環境省は説明するが、それは数字のトリック。
リサイクルされないペットボトルは増え続けている。
1993年  12万トン
2004年  27万トン
2035年  43万トン

「リサイクル率」とは、リサイクル施設に持ち込まれた率であり、その86%(2035年実績)はリサイクル施設を経由しただけで、ごみ焼却場に向かう。そのため、再利用 Reuse されたペットボトルの量はさらに少ない。
1993年  1万トン
2004年  3万トン
2035年  5万トン

ペットボトル事業に使う石油(製造、リサイクル、焼却の合算)
1993年  26万トン
2004年 188万トン
2035年 300万トン

 Recycle や Reuse では追いつかない。Reduce が必要だということは、2010年時点で大半の国民がわかっていた。だが、製造業界の反発は必至。国民には清涼飲料で食べている人も大勢いる。票に捕らわれずに行動することは、政治家には難しかった。

 「ジュース容器は紙パック法」は施行直後、メディアが反論したが、すぐに缶やペットボトルに劣らぬ強度と機能を備えた紙容器商品が出てきた。従来の自販機がそのまま使える紙容器飲料もできた。
 清涼飲料各社は概ね協力的で、荒れる子ども、環境という社会問題に対する日本企業の潔さ、即座に対応する高い技術力は、世界中のメディアから称賛を受けた。

 このように非行や社会悪の発生原因に対して「科学的なデータ」に基づいて規制することは、議会制民主主義の国では不可能とされてきた。
 「そのデータは信憑性が低い」
 「データがねつ造だった時は、誰が責任をとるのか」

 票にもならない仕事で、責任を取らされたらたまらない。
 だったら、止めておくかということになる。
 だが、僕は違う。独裁者だから。僕は投票で選ばれていない。
 僕はまず動く。法律を作って施行する。それで実効性がないとみるや、優秀な官僚たちが、僕から言われなくても、検証資料を上申してくる。そこには仮説に基づく検証、実際のデータ、代案、すべてがある。
 僕はそれをみて直ちに見直す。官僚たちは提出した資料がすぐ法律に反映されることで、さらに一層張り切ってくれた。

 hard モノ
 【故障率公表法】
 家庭電化製品メーカーは、品番ごとに故障率をウェブサイトで公開しなければならない。
 A社のメモリーチップは 5年以内に50%が壊れる。B社のフラッシュディスクレコーダーは、全社平均の2倍壊れる..こうした情報を消費者は知ることができなかった。

 2011年にテレビ放送がデジタル化されると、なぜか翌年から一斉に家電メーカーの不祥事が報道され始めた。C社が修理代を事業計画に組み入れていたことが発覚したのを皮切りに、家電 5社が同様に年間予算に組み入れていたことがわかった。
 人がそこにいる限り、組織は予算を立てなければならない。企業で事業計画を立てるのは当たり前のことだ。だが、ひとたび悪いと言われれば、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しと徹底的に叩かれる。
 C社はサービスセンターを独立採算にしたのが間違いだったが、どこかの会社が叩かれるまでは、それが会社を揺るがす不祥事になるとは、誰も想像できなかったのだろう。

 施行直後に「故障率の公開は企業経営を困難にする」と論じた雑誌があった。
 だが、それはすぐに的外れであることが明らかになる。
 日本の家庭電化製品は世界一壊れにくい。外国のメーカーに故障率公開は真似ができない。故障率を公開したことで、さらに日本製品への信頼は高まり、外国工場生産、輸出分を合計すると販売量は25%伸びた。
 消費者への情報開示が目的だったのに、瓢箪から駒で輸出を伸ばしてしまい、EIDOと経産省からお褒めの言葉を戴いた。
 懸念を表明した件の雑誌ではその後、同法についての論評を見かけない。



次回は7月14日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月10日 (木)

おやつ禁止法

 IDO室での法案ミーティングでは、この法律が一番うけた。
 「6月21日はコスプレの日にする!」と言った途端、19人中2人が椅子から転げ落ちた。そのリアクションがとても嬉しかった。そして、猛烈な質問攻めにあった。関連提案数も、恐らくこの法律が一番多かっただろう。

 「基本的なことなんですが、どうしてコスプレなんですか?」
 関西三人娘の一人、経産省の西直子が大阪弁イントネーションでつっこむ。

 人には好きか嫌いかがあると思うんだ。
 こういうことは好きだけど、これは絶対パス!まるで運命で決まっているかのようにね。人は宿命の元に生きるけれど、運命は決まっているわけじゃない。毎日、目の前に訪れる分かれ道を、右に行くか左に行くかって選んでいく。そのルーティング次第で、運命は自分が変えていく。
 日本人の大半が、コスプレなんて一生せずに終わるのが人生だと思っている。だから、ちょっと風穴を開けてみるのはどうかなって思ってね。

 「それ、今つくったんでしょ?」西直子との掛け合いがつづく。
 あ、わかった?
 IDO室が結成してしばらく経つと、彼らもつっこみどころを心得てきて、ミーティングはいつも笑いに包まれる。法律の話しは、辛気くさい顔をしてしなければならないという法律はない。人が笑顔になれる法律だと思ったら、少々奇抜でも、みんなに諮るようにしていた。

 「きっと毎年同じコスプレになりますよ。来年は“二年連続同一テーマは禁止”の一文を入れましょう」
 そうだね
 「特定の部位を露出したい人が、出した場合、それはコスプレですか?」
 「あれはコスチュームとは言わないだろう」
 コスチュームでプレイするのが基本だから、脱ぐだけというのは禁止した。

 僕としてはコスプレ=ハロウィンという月並みな設定は避けたかった。最初に6月21日と提案したのは、6月は祝日が一つもないし、梅雨でうっとうしいから、何か楽しいことでもとしよういうことだ。今イチ弱いなぁという彼らの顔色を見ながら、じゃ  4月4日はどう?と水を向けると、何かの映像がよぎったのか、全員が一斉に首を横に振った。そうしてIDO室メンバーの武士の情けで、無難なコスプレが許される唯一の日、ハロウィンに落ち着いた。

 food 食糧
 【クジラをもっと食べる法】
 日本は農産物輸入量世界一を続けてきたが「自給可能食糧自給率100%法」により、自給できるものまで海外から入れるのをやめた。
 農産物に高い関税をかけると、外国からは保護貿易だと非難され、国内からは農民の票欲しさだと揶揄される。
 だが、世界には食糧問題というものがある。世界には、太りすぎが死亡原因第二位の国がある。一方では、依然として世界の40%の人々は満足に食べていない。
 「クジラをもっと食べる法」では、日本漁船で捕獲できる魚の輸入もやめた。

 施行当初、漁獲量が減っているのに、輸入をやめてどうするという批判があったが、これはクジラを捕ることで解消できた。
 1853年、鯨油を潤滑油に使っていた大国が来航。捕鯨寄港地確保のために、日本に開国を迫った。だが時代が変わり鯨油が不要になると、1982年には環境団体と手を組んで、商業捕鯨停止を決めた。

 農林水産省の努力が実り、2033年にようやくIWCで賛成国が4分の3を超え、50年ぶりに商業捕鯨が復活した。
 50年間獲らなかったためにクジラは増えつづけ、人間の3倍の魚を補食していた。
 「漁獲量の激減は、クジラを捕らないからだ!」
 かつてIWCの席で、どれだけ農水省がデータを元に主張しても、太りすぎでたくさんの人が死んでいる国は耳を貸さなかった。

 「クジラをもっと食べる法」の条文には、クジラをたくさん食べましょうという文言はない。
 日本漁船が捕獲できる魚の輸入を中止する。
という一文があるだけだ。輸入で魚が入ってこない。だからまず、クジラを獲る。クジラを獲れば、クジラによる魚の捕食が減る。そして、漁獲量が増える。結局、魚の輸入は不要となる。日本人は以前より安く、日本の漁師が獲った魚を食べられるようになった。
 これら立法の意図は、室内ミーティングとブリーフィングでしか話していない。謎かけのような法令は、メディアが大きく取り上げて話題になり、クジラを食べることで、魚はもっと食べられるということが伝わった。

 【おやつ禁止法】
 子どものおやつを禁止した。小学5年生から大学院までの就学者に、間食を与えてはいけない。本人が購入することは規制しない。
 幼少期、ご褒美として食べものを与えられていた子どもは、大人になってからも食べ物に依存する。
 「このチョコとポテチが、今日のご褒美なの」
 「あとでお菓子が入らなくなるから、ご飯要らない」
 ジャンクフードに依存した人生は暗い。いつも食べている人は太っているし、顔が辛気くさいのですぐわかる。本人も自覚しているのだが止められない。
 菓子メーカーには、次世代を担う日本の子ども達の育成という視点から、三食のなかで摂る製品の開発をお願いした。これには、田中一徳と西直子が所属省庁の文科省、経産省と粘り強く折衝して、二つの省による連名文書を作ってくれた。

 また“ジュースの過剰な摂取が暴力につながる”というデータを参考にして、18歳未満へのジュース販売を禁止した。隠れて飲むところまでは規制できないが、それは従来から禁止されていたタバコと同じ。売った側に役務 5万ポイントを科した。
 ミネラルウォーターと烏龍茶は禁止しなかったが、糖分のはいったスポーツドリンクは禁止。小売店団体から経産省に対して、わかりづらいから改善して欲しいと陳情があったので「販売規制飲料赤パッケージ法」で禁止飲料のパッケージは赤系統の色、そうでないものは赤を使わないとした。

 IDOは業界団体とパイプを持たないので、各省からの報告はIDO室の各省担当者経由で、立法ミーティングに上げてもらっている。
 環境カテゴリーの「ジュース容器は紙パック法」により、缶ジュース、ペットボトル飲料の製造は禁止。炭酸飲料に限り、ペットボトルを認めた。



「独裁者」もくじ

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2008年7月 8日 (火)

10月31日は「コスプレの日」

【教諭レベル維持法】
 数学の授業で、先生が生徒から解法の誤りを指摘される。
 国語の授業で、先生が生徒から誤字を指摘される。
 このようなことは1990年代から始まり、2000年代には研修の強化策が実施された。

 「先生たちは、お前らと違って忙しいんだ!」と居直る出世・命のエリート教諭たち。
 「へぇそうなの初めて知ったわ。すごいね!先生が知らないこともっと教えて」
生徒と一人の人間として接していく新米女性教諭。
 元アイドルの竹本梨香が主演した2010年のテレビドラマ「三年C組イカサマ先生」この人気番組で、教諭の体たらくぶりが、おもしろおかしく世間に知れ渡った。

 1991年度より、すべての小中高で学級定員が45人から40人となった。2012年度からは30人学級が実施された。
 少数指導をめざして2001年度から教職員定数改善計画が始まり、5年で252,500人の教諭を増員。2010年からの5年計画では5万人を増員した。
 行政の施策により教諭の“量”は足りており、新卒の質も落ちていない。落ちていたのは"既存の教諭の質"だった。

 「教諭レベル維持法」により、新規採用合格者は、学校卒業後に 1年6か月間「教諭学校」で研修を受ける。修了後の9月に赴任先へ仮配属されて、半年後に正式配属となる。またすべての教諭を対象に、5年に1度、教員免許試験の更新試験「教員定期試験」を行う。

 これは裁判官・検察官・国家公務員・地方公務員も同様で、それぞれの分野に関する基礎学科試験を受け、得点率が80%に満たない者は資格を停止され、再試験に回る。再試験は1か月に1度で、3ヶ月行われるが、その3度のチャンスでパスできない場合、直近の一般採用試験に回ることになる。

 この法律は珍しく、公布から施行までの間隔を広く空けた。
 2035年4月に公布。教諭学校の開校と第一回定期試験(初年度は60歳代から)は2037年度スタート。2年の準備期間を与えている。目的はレベルの維持であり、人員整理ではないからだ。

 中学の同級生だった俵山は、山口県とよだ町で中学校の数学を教えている。SNSのとよだ町コミュニティで30年ぶりに再会した。
 とよだ町は蛍で有名な町。毎年夏にはホタル青年団が結成されて、川の清掃や蛍の生息調査を行う。ホタル青年団のリーダーを、もう10年務めているという彼は、もっぱら、趣味の登山と豊田湖での釣りに精を出しているとプロフィールに書いていた。

 「教員定期試験」の対象は、10歳刻みで降りていく。2039年の今年、40歳代の俵山に定期試験の順番が回ってきた。5月の試験で落ちた彼は、8月の3次追試でもパスできず、9月の一般教員試験に回った。だが「教員定期試験」と比べれば、新採用の教員試験は格段に難しい。資格停止中は授業を持たない管理職を除いては出勤できない。彼は今、宅配便会社で荷分け作業のアルバイトをしながら、9月の一般教員試験に備えているという。

 「学校だけならええけど、部活やボランティアもあるけえ、俺ら、勉強やらする時間ないほよ。IDOさんは、もうちょっと現場を知ってもらいたいんやけどなぁ」
 IDO法による守秘義務のため、僕がIDOであることは身内にも伝えていない。

 「教員定期試験」で実施する科目は、その教諭が実際に教壇に立つものに限られる。専門科目の教諭はその科目。小学校でクラス担任をもつ教諭は算数、国語の2教科のみ。
 3次追試での俵山の得点は69点。同時期に行われたとよだ中学校1年生の定期試験「数学」の平均点は72点だった。出題内容こそ多少違うものの、教える側である俵山のレベルは、教え子並みということになる。
 俵山は自分の学校だけでなく、地域の子どもたちまで目配りしている。言わば真っ当に生きている男だ。その真っ当な男から職を奪うのは忍びない。倹約を強いられる家族は不憫だ。
 だが、彼は自分が公務員であるということを忘れてはならない。俵山は労働の対価として自分に投入されている税金が、いったい何を期待しているのかという原点に戻ってほしい。

 festival 祭り
 【コスプレ外出の日法】
 毎年10月31日は、コスプレで外出しなければいけない。

 コスプレのテーマは自由。サラリーマンはいつものスーツではなく、コスプレで電車通勤しなければならないし、教諭はコスプレで授業をしなければならない。目標法の1つであり、遵守しない者はマイナス1,000ポイントとなる。

 施行後、初のコスプレの日となった2035年10月31日。
 鉄道とバスは朝から混雑していた。乗車率は平日の20%アップ。
 ホームは人で..いや着ぐるみで溢れていた。

 いつもは体の密着を厭わぬ男女が、この日はなぜか人と間隔を置いている。いつもの電車に乗れずに見送るサラリーマン。遅刻件数は史上最高を記録した。
 「いやぁ長女が、これが一番無難だって言うからね」
 圧倒的に東急ハンズで買ってきた、黒いアフロヘアと革ジャンでラッパーのつもりというコスプレが多い。東急ハンズが売り出した「コスプレの日セット」の中では、これが398円で一番安かったからだ。
 女性はハロウィンお約束、黒いマントを羽織った魔女が多い。
 この日のためにサマンサタバサが発売した、ジャックオーランタン型トートバッグを5人に1人が持っている。いろいろと物いりだろうからと、かなりの廉価で発売してくれた。
 「これって毎日使ってもいいかなぁ」20代のOLはとても嬉しそうだ。

 こういう時、話し相手がいる人は幸せだ。
 年の頃、50歳前後、冬服セーラー服の紳士は、なぜそこに至ったのだろうか。
 それが人生の夢だったのだろうか。
 眉間に深いしわを刻み、誰に向けるでもない怒りを満面にたたえて独り立ちつくす。
 何度でも言いたいが、なぜ、セーラー服なのだろう。僕が子どものころ、そういうおじさんが街で歌っていたことはあるが・・・

 出勤時の独りぼっちがよほどこたえたらしい。
 夕方5時のチャイムが鳴ると、残業禁止法により加業のないサラリーマンたちの間では、退社方角別の集団下校ならぬ「集団帰宅」が催行された。

 「横浜方面、入沢さんについてきて!」
 「千葉方面はどこ、え゛っ? もう行っちゃったの?そんな殺生な~」
 施行2年めからは、計画的に出勤の集団出社も企画されるようになった。

 コスプレの日、全国の小学校はパニックに陥っていた。
 全校集会は警察署から借りてきた「ピーポ君」で決めた校長の訓辞で始まる。

 「おはよう!ピーポくんです。あ、ちがうか」
 ピーポ君の声色に、この時点で多くの子どもが腹痛を訴えた。

 ほとんどの女性教諭は、レオタードで授業をしている。
 いやよく見るとスクール水着だ。
 水着だとコスプレにならないと思ったのか、スパンコールをふりかけて、手にはボールやリボンを携えている。新体操のつもりらしい。
 よく見るとリボンではなく鞭の先生もいる。鞭はいかんでしょう鞭は...

 男性教諭はほとんどがボンデージや、昔はやったフレディ・マーキュリーのぴたもっこりスーツだ。

 「コスプレの日」を作った時、僕は肝心なことをすっかり忘れていた。
 かつて、佐賀で姉の結婚式に出た時、教諭仲間がコスプレの寸劇を始めたことがあった。先生のMCがはいる。
 「佐野先生おめでとうございます!今日は教員一同でオリンピックを再現して、お祝いに花を添えます」
 ここで帰りたくなった。

 海パンでじゅうたんの上を泳ぐ男性教諭。
 レオタードでラインダンスを踊る女性教諭。
 それのどこがオリンピックなのか。

 僕と同じ公務員とは思えなかった。
 彼らにも恐らく羞恥心というものはあるのだろう。だが、僕の考えるそれとは格段に次元が違う。羞恥心という概念も、多様なのだということを学んだ。

 WEBの投書箱「僕が独裁者になったら」には、翌日全国の小学生から「先生のコスプレだけは禁止する法を作ってください」という意見が2,000通ほど寄せられた。父兄からは「公務員は変態をしてはいけない法をお願いします」という投書が200通ほど寄せられた。利害関係に疎い子どもの方が、言いたいことが言えるのだ。
 IDOを5年間やってきてこの法ほど、人と人の板挟みに苦しむ中間管理職の痛みがわかったことはない。



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2008年7月 7日 (月)

独りを慎ましく生きる人が社会を想う

 education
 【次世代教育法】
 僕は独裁者であり、スローガンや公約を掲げて国民に支持を呼びかける必要がない。ただIDO室のメンバーとは、IDO法の軸、IDOの使命と並んで、目標とする社会像を共有している。
 「千年後、この街に子供達の明るい笑顔が響き合う」
 子どもの頃に本で読んだ言葉がずっと頭の隅にある。今は毛筆で東京スカイツリーの絵の上に貼ってある。僕の字はミミズが這うような字というとミミズに申し訳ないくらい読みづらい。自分で書いたメモもその日のうちは、記憶を辿ってなんとか読めるのだが、数日も経つと、書いた時の状況を映像化しないと読むことができない。
 就任して最初の正月。書道二段の中村君に書いてもらった。

 ポートランド州立大学の学生キャロライン・デビッドソンは、このサイケデリックな半月のシンボルマークをデザインして、報酬はたったの35ドルだった。でも彼は誰も手に入れることのできない誇りという財産を、その心に刻んだ。一方君は、水野君が名古屋で買ってきた、その赤福一つしか手にすることはできないけれど、その胸に大きな誇りを刻んでくれるかな?

 ジャケットのスポーツメーカーのロゴをこれこれと指さして、僕が笑いながら言う。筆者の中村君は赤福を頬張ったまま、メモを取る仕草をして「今のいただきます」とおどけてみせた。メンバーとのかけ合いも随分とこなれてきた。

 次の社会は 次の世代の子どもたちが 自ら考えてつくるべきだ。
 先人は「児孫のために美田を買わず」と言った。遺産は子どもの脳の中に残すもの。
 「青春22海外留学制度」により、22歳未満の者は国費で海外へ短期留学できる。渡航費、6ヶ月間の基本生活費は相手国別に定めた金額を貸し付ける。返済は就職後、無利子で最長10年。施行後の1人当たり貸し付け平均額は84万円なので、毎月1万円ずつ返済していけば、7年で完済する。

 帰国後には、4,000字のレポートを提出する。文科省審査で、100点満点の60点以上とれば2割引、70点で3割引。80点以上とると全額返済免除となる。
 僕もすべてのレポートに目を通している。日本の良さを発見する者、新たな世界観を会得した者、親の大切さを痛感した者まで様々。彼らの活力はまぶしい。
 公表していないが、年間でおよそ1,200人が全額免除を受けている。1割引の者まで含めておよそ20億円の予算。この予算は未来への投資。次世代の彼らが社会に還元してくれる。
 日本は2000年の法整備で、海外からの留学生受け入れ10万人水準をクリアしていたが、海外への派遣には国としての道筋がなかった。

 「留学を通じて、親の有り難さがわかりました」
というレポートにヒントを得て「独り暮らし法」を施行した。
 22歳未満の者には留学で親元を離れる機会を設けたが、23歳以上にも親離れする機会が必要だ。
 2036年4月1日の施行時点で、30歳未満の者(2006年4月2日以降生まれ)は、40歳の誕生日までに1年以上の独り暮らしを経験しなければならない。独り暮らしの開始と終了に特別な届け出は不要。自治体が住民基本台帳で自動的にチェックする。

 朝は目覚まし時計をかけて自分で起きる。ゴミは自分で分別して出す。ご飯は自分でつくる。公共料金は自分で支払う。風呂掃除と便所掃除は自分でする。掃除機は自分でかける。洗濯は自分でして干して取り入れてたたんでタンスにしまう。食糧からトイレットペーパーまで自分で買ってくる。

 独り暮らしをしたことがある人にとっては当たり前のことを、経験しないで死んでいく人がいる。人は独りの時にしか成長できない。独り暮らしは心穏やかな時間よりも、深い孤独に沈む時間の方が長い。
 独りでいる時間を慎ましく生きることができて初めて、他人のために役立とうと決意することができる。



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2008年7月 4日 (金)

パワーハラスメント規制法の廃止法

 【パワーハラスメント規制法の廃止法】
 2000年代のデフレを克服した日本企業は、効率至上主義、内部統制、法令遵守というたくさんの鎧をまとった。
 その結果、外国資本のIT企業が莫大な利益を上げたが、日本企業は活力を失った。
 傾きかけた英国で生まれたITILが、熟成した叡智を持つ日本国民に不要なことは冷静に考えればわかるのだが、何せ似非エグゼクティブは、形にはまった論理に弱い。

 未曾有の業績をあげながらも、自由に考えることが禁止され統制された企業は活力を失い、笑いが消えた。
 2020年代には「出世はアホがするものだ」という現在の価値観が定着した。
 高い給料と引き替えに「部下の世話」という雑用がのしかかるライン。
 そこそこの給料でやりたい仕事を極めるスタッフ。
 後者ならば「加業」もなく、夕方の5時には会社を出て、友達や家族と多くの時間を過ごすことができる。
 2020年代は、人間の評価は会社の中にあるのではなく、社会の中にあるのだということが、明らかになった十年だった。

 誰もがラインを嫌いスタッフをめざす。プロジェクトマネジメントを学び、プロジェクト・リーダーには手を挙げるが、マネージャーにはなり手がない。
 そしてスタッフに権威を振りかざすラインは、日本からいなくなった。そんなことをしても誰も相手にしないし、仕事が回らない。2012年に制定されて、過去の遺物となっていた「パワーハラスメント規制法」を僕が廃止した。

 computer コンピューター・情報処理技術
 【誕生日 4桁をパスワードにするのを禁止する法】
 すべての公的機関、金融機関と上場企業が提供するコンピューター・システムに対して、誕生日付 4桁とパスワードをぶつけて、エラーチェックするロジックの導入を義務づけた。ユーザーは誕生日をパスワードに使うことはできない。

 電話番号の末尾 4桁については、パスワードに使わないことを努力義務とした。電話番号は公的データベースでは管理していないので、一律にロジックで網が掛けられない。ただ、従来から個々のウェブサイトでは、電話番号末尾 4桁をパスワードに使わせないロジックを入れている。

 「誕生日をパスワードにするなんて、今どき、そんな人いるんですかねぇ」
 立法ミーティングの席で、伊藤君が嘲るような口ぶりで言うと、18人のうち 3人が下を向いていた。

 ecology 環境
 【環境維持法】
 企業には、事務所の屋上緑化 50%以上を義務づけた。
 またすべての新築物件とリフォームでは、ソーラーパネル発電か風力発電による自家発電装置の取付を義務づけ、関連部品とソフト代は消費税を非課税とした。

 これにより、マンションの発電所化が進んだ。
 従来は、電気を電力会社に売ることは一戸建てでしかできなかった。通常はマンション内で各戸に配電して従量課金し、余剰発生時のみ電力会社に販売する。それまでは、論理的には可能でもニーズがないため、コンピューター・システムを開発する業者が現れなかった。同法を契機にマンション向け電力管理システムが開発された。

 地球に住む生物は環境に寄り添って生きている。その中で、人間だけが環境を変える能力を持っている。
 一万二千年前、大阪湾から瀬戸内海にかけての一帯は森だった。
 大角鹿やナウマンゾウが暮らす湿地帯。それが、急激に気温が上がった数百年の間に海に沈んでしまった。
 もし、瀬戸内が海に沈まなければ、鳴門の渦巻きも早鞆の瀬戸の急流もなかった。四国の人々はたくさん橋を架けることなく便利に暮らしていただろうが、橋の代わりに、使われない文化施設の税負担に苦しんでいたかも知れない。

 現代人は環境を変える能力を持っている。
 瀬戸内は天変地異によって海に沈んだが、20世紀以降の地球温暖化は人為的なものだ。
 地球46億年の歴史に対して、人類の歴史は原人以降で50万年。地球の一生を24時間に換算すると、人類は生まれてまだ 9.4秒しか経っていない。そんな人類が地球を大きく変えていく。

 2008年から2012年の4年期で、日本は京都議定書の約束である「温室効果ガス-6%を2%しか達成できなかった。排出権国際取引、国際技術協力でみなし3%をようやく確保するに留まった。
 環境プログラムISO14001が1996年に制定されて以来、日本の企業、組織は取得件数世界一を続けている。2035年現在の3万件は、2位ドイツの 9千件を3倍引き離している。

 ISOやITILのような文書定義そのものには意義がある。ただし、その利権を維持するための権威づけに僕は与しない。
 このような行動規範としての規格は、なくても人がそのように動くべきであり、消滅することが望ましい。だが、問題解決のための臨時機関であるユニセフやUNHCRがそうであるように、長い間、問題が残っていると、いつの間にか、維持することが使命に替わる。IDO法では、支配する側の新たな権益は作らないという軸に沿って、サブマニュアル的な規格は一切作らなかった。

 環境対策の一つの柱は国による法律からのアプローチだが、もう一つの柱は、国民が自らライフスタイルを変えること。
 「環境を思う消費者法」は「ゴミを買わない。少なく買う習慣を身につけましょう」という前文で始まる。
 買い物にはマイバッグの持参、レジ袋拒否が義務となっているが、実際に取り締まりが行われるわけではない。お店側も、手ぶらで来た人に袋を出さないわけにはいかない。そこで日本ポイント制度と連動させた。
 レジ袋を断った消費者がクレジットカードまたは住基カードをレジにかざすと、レジ袋拒否の 5ポイントが加算される。同様にして、グリーン購入法特定調達品目を買うと売価の 1%がポイント加算される。いずれも2007年頃から、個々の大手スーパーがやってきたことを、国としてとりまとめた。
 こうして、法律を遵守した人が得をするという空気が生まれれば、2009年に裁判員制度が始まってから蔓延した「法を守った方が損だ」という発想がなくなっていく。

 2000年以降、毎年300億枚消費されていたレジ袋は、ほぼゼロになった。贈答用途として紙袋は規制しないため、紙袋の消費量、年間およそ28億枚は変わっていない。
 ポイントはポイントだった。



次回は7月7日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年7月 3日 (木)

民間には、仕事の計画をしない人がいるんですか?

 「残業禁止法」によって残業はなくなったが、自主的な「加業」ついては支援法をつくった。
 従前の「残業」に払っていたお金は、企業が余分に払っていたお金。誰もが 7時間で済むことを水増しして残業を作り出す。残業とは「残った業」ではなく「残した業」この人件費は馬鹿にならなかった。

 残業を禁止する一方で、「加業手当」の制度化を法人に義務づけた。残業と加業を見極めるためには、仕事の質を評価する人事考課制度が必要になる。それまで、仕事を時間でしか裁量できなかった企業が、工夫を凝らして、内容まで可視化できるようになり、日本企業の質はさらに高まった。

 然るべき加業に払うお金は、企業の生産性を高める。
 大半の人には「残業禁止法」は、サラリーマン保護の法律と映ったようだが、同法は企業財政の改善に大きく寄与した。

 旧態依然とした残業はできなくなり、基本的な定常業務だけの事務所は、17時には閉まってしまう。その帰結として、仕事帰りに街へ繰り出す人が増えた。外食レジャー産業、エンターテインメント、ハード、ソフト、金がよく回り、内需が高まった。

 残業禁止の次は「有給休暇消化法」により、有給休暇の完全消化策の実施を企業に課した。これにより大半の企業が、管理職の査定項目に部下の有休消化率を加えた。

「えっ?有給休暇?仕事は大丈夫だよね。そこは自己責任で頼むよ」
 部下が有休取得を願い出ると、以前は嫌みを言うのが仕事だと思っていた上司が「おぉ、そうか!まだあと7日も有休残ってるぞ!がんばって、休んでくれよ」と指折り数えて、せっつくようになった。

 ただ、これらの目標に対して、それでも権利を行使しないサラリーマン。制度の運用を妨げる管理職はいた。彼らは「残業を減らせば、人は人らしく暮らせる」といった根拠もない、紋切り型の改革と誤解したようだ。
 僕の狙いは、限定された就業時間内に仕事を終えようと、仕事の「計画」を立てる人が増えることにあった。

 「
 文科省の別府京子が僕に質問した。IDO室のメンバーは皆、官僚経験しかない。彼らは予算と計画に基づいて動いており、計画がないという事実がイメージできない。
 民間企業では、朝会社に来た時に、その日の計画がないサラリーマンが大変多い。管理部門には手帳を持っていない社員もいる。上流から流れてきた量をこなすだけ。量が少なければ、インターネットを見て遊び、多ければ、残業をすればいいと思っている。

 「忙しいよ。替わってよ。仕事終わらないよ。朝から全然メールが減らないよ・・」と苦り切った顔で多忙を自慢している、自称キーマンが大勢いた。彼らの仕事が終わらないのは、重要な仕事を抱えているからではない。自分が何の仕事をしているかを把握していないだけだ。だから、上流から流れてくる「会議の予定」「メール」を嬉しそうに、すべて受け入れてしまう。

 僕は大学在学中に日本効率協会の講習を受けて、社会に出てから20年間、毎日ABCをつけている。Activity Based Costing は行動管理を元に、自分にしかできない戦略的業務、他人に任せられる定型業務を分け、戦略的業務に特化することを推奨している。ただ、僕はそんな肩肘張ったことはしていない。

 この資料は17分でできるな。
 このシステムは、1人日 6万円の業者を入れて、30人日でリリースできる。
 この会議に出たら、60分のうち45分が無駄になる。
 この人との10分の雑談は、後々無駄にならない。
 この人と話すのは、1分でも無駄だ・・・

 ただ記録を付けているだけなのだが、始めて5年経った頃から、時間の読みが正確になった。今は2時間の仕事でも1分と誤差がない。

 日本のサラリーマンの時間を奪っているのは会議だ。
 全会一致、全員で薄く責任を分担する風土を持つ企業では、日々、お通夜のような会議が続いている。そうかと思うと独演会もある。

 こんなことを言ってはいけませんが..
 全然関係ないですが..
 遅れてきて言うのもなんですが..
 合意はとれていませんが..
 個人的意見ですが..

 民間の会議には、ルールが存在しない。業績の悪い企業の会議はまさに、子どもの「会社ごっこ」だ。
 そもそも、会議はなぜ必要なのか。
 会議の目的は「二人以上で話し合うこと」
 ということは、一人の独立した決裁責任者がものごとを決めれば、会議はしなくて済む。決めるべき立場の人が、アイデアも気概もないために、人を召集する。それが民間の会議だった。

 「日本人はもっと家庭を大切にしてほしいなって思います」
 残業禁止法は、横浜市の主婦Nさんの投書からつくった。元はと言えば、男性をターゲットにした法律だったが、家庭を大切にすると言う点では、働く母と子どもの時間を増やすことに大きな効果があった。

 一方、会社は出たけれど、家に帰らない男女が街に放たれる。彼らにはお金もさることながら、新たな友達が必要だ。社会人生活が長くなった者にとっての出会いの場は、30年前に日本に入ってきたSNS。
 そこでは、情報の発信ができない者、話しがつまらない者は相手にされない。そしてオフラインで会う機会を得たとしても、デブ・禿げ・青春卒業者は、気恥ずかしくてその場に出られない。美容・体系・服装に気を遣う人が増え、日本人はここ数年かっこよく綺麗になった。

「独裁者」もくじ

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2008年7月 1日 (火)

SNSで知り合った東大の彼女

 世界に一つの教科書ソフト「世界の社会」の編集は、平坦な道のりとは言えなかった。
 ライター同士で、意見の対立が絶えない。
 日頃は温厚で分別ある学者や歴史小説家なのだが、特定の事実について、これだけは譲れないというこだわりを発端にして、諍いが起こる。そうなると、プロジェクトルームは、500年の時を越え、さながら銃をペンに持ち替えた戦場と化す。本当にペンをダーツ代わりに投げた学者もいた。
 亡くなったジェシカが、ある国のライターから、人種、性別、史実に関する陰湿な脅迫を受けつづけていたことを死後に知った。

 中学校での哀しい事件から20年。もう同じことは繰り返さないと自信があった。自分の能力を発揮できなかったことに愕然とした。
 世界の子ども達が、僕らの作ったソフトで目を輝かせる未来、世界が産業革命を迎えようとして、町が騒がしかった500年昔の映像、そればかり見ていて、目の前にいる人の映像を見てあげられなかった。

 人生で二度目、またも予期せぬ挫折だった。
 ジェシカのご両親は僕を怨むだろう。僕がこのプロジェクトを起こさなければ、彼女が死ぬことはなかった。僕が彼女を注意して見ていれば、手を打つことはできた。またも、身近な人が死を選ぶことを止められなかった。僕の力は社会には活かされていたかも知れないが、目の前の人を救えなかった。こんな僕に生きて行く価値はあるのか。次こそは僕の番ではないのか。
 僕は闇との会話にはまっていった。

 そんな時、僕を救ってくれたのが、next wave さんの言葉だった。
 彼女とは 6年前、SNSの東大法科大学院コミュニティで知り合った。東大に入ったばかりという彼女は、先輩OBの僕をとても尊敬してくれた。

 リュウ、元気ですか?
 辛いときの脱出方法。難しいよね。
 前に少し話したけど、私、高校のとき軽いうつになって、
 学校を休んでばかりいたのね。
 その時、親友のマリ子ってコが
 『何もできないなぁって時は音楽を聴くといいよ!
 ダマされたと思って聞いてみな』って、言ってくれたの。

 音楽はいつも聴いてたつもりだったけど、
 言われてみれば、辛くなってからは、ご無沙汰してたの。
 それで聴いてみたら、なんだかとっても楽になったのね。
 今だって凹んだ時は、今のリュウみたいに何もできなくなくなるけど..
 そういう時こそ、無理をしてでもプレーヤーのスイッチを押すの。
 音楽は不思議でね、聴いてるだけで不思議な力が湧いてくるよ。
 音楽お勧めです。やってみて!
 あんまり頑張らないように!
                     next wave

 彼女はどこか、人の心を見通しているようなところがあった。それは、僕に近いものに思えた。それを、糸でつながっているというのかも知れない。彼女の助言はいつも的確だった。
 僕は23歳頃まで毎日のように聴いていた音楽を、買い集めて聴いた。音楽の力は絶大だった。音楽を聴き、本を読んでいると、その間は時の流れが穏やかになり、闇との会話をせずに済んだ。

 「今できることをやればいいよ」
 彼女の言うとおり。音楽は、何ごとも起こらない平穏な今、この時こそが幸せなのだと教えてくれた。
 どんな状況にあっても、人は音楽を聴くことはできる。気力を振り絞る必要はない。ただ、スイッチを押すだけだ。

 出会ってすぐから、彼女に一度会いたいという気持ちが募った。彼女も僕が「会おう」ということばを待っているのではないか?そう何度も自問自答した。でも結局、一度も誘わなかった。そして、僕はニューヨークへ渡った。
 僕がユニセフでの敗戦処理を終え、クアラルンプールのFEに出戻りした年の秋、彼女から「結婚します」というメールが届き、連絡は途絶えた。
 僕はその姿を追うことなく、忘れることを選んだ。

 音楽は力。
 その力は深い絶望の淵にいる時だけ、威力を発揮するのではない。
 日々、音楽を暮らしに取り入れることで、心に青春を維持できる。

 business ビジネス
 【残業禁止法】
 2010年、サラリーマンの平均帰宅時間は、
 米国 17:30
 日本 21:00
 3時間半の開きがあった。
 25年後の2035年には経済情勢を反映して、
 米国 18:30
 日本 20:30
 その差は2時間に詰まってきた。
 そして「残業禁止法」施行後は、日米共に18:30となった。

 平均退社時間は17:30。会社は早く出ても、住宅事情は急には変えられない。首都圏の通勤時間は依然として平均70分であり、そこが短縮されない限り18:30の壁は破れない。



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2008年6月30日 (月)

世界に一つのおもしろい教科書

 五 二〇のカテゴリー

 KLに橋本が来た日から3ヶ月、FEの残務を片付けつつIDOの5年間を見据えていた。
 5年間の1000日で1000の法律を作ろうとまず決めた。
 ただ、任期を終えて1000法をふり返った時、特定の分野に偏っているのは具合が悪い。そこで「日本国用語集」でも使った20のカテゴリーを設定して、バランスよく立法できているかをチェックすることにした。

 「法令web」トップページは、20のカテゴリーで目次を設けている。
 国民の一人一人に「自分も法律を考えてみようかな?」と思い立ってほしい。その想像力のスイッチを入れるたたき台として、20のカテゴリーが立っていることはよかったと思う。
 カテゴリー分類は、国民が法律の概念に合わせるのではなく、法律が暮らしに寄り添うという発想で、国民の側に立って考えた。商法・刑法や政治・経済・司法といった、国民生活の実態とは関係のないカテゴリーは立てていない。
 この章では各カテゴリー毎に、僕が気に入っている法律を挙げてみたい。

 audio entertainment visual 音楽・エンターテインメント・映像
 【音楽は力法】
 企業には1日1曲以上音楽を流すことを求めた。25歳以上の人は1日1曲音楽を聴くか、歌わなければならない。
 音楽パッケージを買って、所有することにステータスを感じるのは23歳まで。それ以上の年代は、たまに気に入った曲をシングル・ダウンロードするだけだ。
 それまで肌身離さず音楽と接していた人も、23歳を過ぎると音楽から疎遠になる。
 就職すれば最初の5年は遮二無二働かなければならない。恋もして、結婚をする。結婚して育児をして落ち着いた頃、再び音楽のある生活に戻ってくる人もいるが、そのまま音楽のない老後へ向かう人も多い。
 目標法であり、問題提起法のひとつ。
 かつて、音楽に救われた経験から立法した。

 僕は総合日本商事で3年間、サラリーマンを経験後、ユニセフの教育ソフトプロジェクトに参加するためにニューヨークへ渡った。32歳の時だ。
 当時の僕は、本にも音楽プレーヤーにも見向きもせず、プロジェクトに没頭していた。
 「国際連合児童基金」ユニセフは、1946年の設立当初「国際連合児童緊急基金」という名称だった。ユニセフは第二次大戦直後、子どもを飢餓から救うために急遽結成された組織であり、問題が解決すれば解散するという点では国連難民高等弁務官事務所と同じ位置づけ。
 設立7年後に“緊急”の文字はとれたが、90年経った今も飢餓は解消せず解散していない。
 僕は総合日本商事でビジネスソフトを成功させた余勢を買って、ユニセフには教育ソフト「世界の社会」を作りに行った。

 16歳で化学式を教える国があれば、識字率が50%に届かぬ国もある。国語、算数、理科の分野はユニセフとは土俵が違う。
 僕は世界の子どもたちが、本やコンピューターで学ぶ「世界の社会」のソフトを作りたかった。
 「社会」の教育はおもしろさに欠ける。
 歴史の流れは、地誌的な要素による必然性が作用している。
 そこを無視してヨーロッパから始めましょう。次はアフリカですという教え方は、単なる編集の都合に過ぎない。中一で地理をやって中二で歴史、中三では公民です。これは座布団型ですが、別の学校ではパイ型もあります・・それは学校の都合に過ぎない。

 なぜ「社会」はおもしろくなかったのか?
 なぜオランダと長崎が、歴史の中で関われたのかを考えてみるといい。
 オランダと日本が関わるためには、まず交通の便が確立していなくてはならない。
 島国である日本へのアクセスは海路しかない。ということは、オランダにはヨーロッパからの航海に耐える造船技術がなくてはならない。道中には海賊の攻撃もあるだろうから、反撃して撃沈する大砲の技術、砲弾が当たって船が沈まないことも重要だ。

 では船の動力は何か。当時は産業革命前。当然、動力は風と潮の流れと人力。
 風を読む技術も必要だし、乗組員の食料も必要。そしてオランダの港から長崎の港までの間に補給基地となる港も必要。その時、オランダはどこまでを侵略して、どれくらい広い領土を持っていたのか。自国の港以外に、いくつの外交関係を持つ国の港を確保していたか。他国に寄港するにはことばの問題も出てくる。通訳はいたのか、何語を使っていたのか。

 こう考えた時、歴史を学ぶとか、地理を学ぶとかで教科を分けているのが、誰の都合なのかという疑問が湧く。というより全然おもしろくないということがわかる。
 “おもしろい教科書を作ってはいけない”という法律はないはずだ。
 だが、外から文科省を見ていると、僕が入って行ったとしても、好きな教科書を作らせてくれそうにはない。
 そこでユニセフでつくることにした。
 当時のユニセフが、伸びないODA、出口のない飢餓に悩み、新たな動機付けを必要としていたことも好都合だった。

 ユニセフからプロジェクト・リーダーを拝命した「世界の社会」は順調に進む。
 大日本商事で成功させたビジネスソフト「セールスマッピング」で組んだスーパーワーク社が、ソフトウェアの自社開発を申し出てくれた。
 1年の折衝の末、列強七か国~米国、英国、フランス、スペイン、オランダ、ポルトガル、イタリアに三か国を加えた一〇か国から代表ライター20人が決まる。そしてさらに1年後、ようやく1次リリース「1500年~1700年編」のレビューを終えた翌日、1人の女性ライターが自ら命を絶った。



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2008年6月27日 (金)

「週刊法律」「週刊新法」「週刊法律ニュース」

 週刊誌
 1 週刊法律 90万
 2 週刊新法 70万
 3 週刊法律ニュース 40万

 これが2039年 4月の部数ランキング。
 僕は三誌とも私費で定期購読している。名古屋生まれの水野淳一は「買うのはもったいない」と言って、いつも部活の時にここで読んでいる。
 IDOが作る法律を解説する週刊誌は三誌。就任した2034年10月に「週刊法律」が創刊。3か月後に「週刊法律ニュース」。1年後に「週刊新法」が出た。

 誌面では条文・罰則・ポイント、法律の意図、見込まれる効果などを図表やイラストを使って解説している。あとは、専門家のコメント、芸能人の声、立法後の社会の変化を分析するなど、各誌がアイデアを競っている。
 「週刊新法」には学生の時の仲間がいる。「報道署名法」により、雑誌はすべて署名記事となったので、名前を見てすぐわかった。「週刊新法」は、一つのテーマについては、毎回同じ図を使うようにしていて、これがとてもわかりやすい。
 図については、総合日本商事にいた時、他人がリーダーを務めるプロジェクトで、とても苦労したことがあった。

 「サンジョルディに本と映画を売ろうプロジェクト」は、1980年代に失敗したプロジェクトの40年ぶりのリバイバル。
 まずはデイリービュー10,000以上のブログ・アイドル200人に、マンツーマンで専属ライターを張り付ける。ライターがブログに合った作品レビューを書き下ろして、それをアイドル自身のことばとしてブログに書いてもらう。それを読んだ女の子が、キャンペーン・バナーから商品を男の子に贈ると、ペアで「文豪セルバンテスの故郷スペイン・カタルーニャ 14日間の旅」が当たる。ブロガー側にはメリットとして、5割り増しのアフィリエイト収入がはいる。
 長期の休みをとることができて、小銭を持っていて、恋愛まっただ中という18歳から22歳女性をターゲットにした企画そのものはよかった。

 だが、プロジェクトマネジメントがひどかった。
 進行表だけもでPND、時系列、マイルストーンの3つ。費用対効果の試算表は4通り。業務フローは3通り。マニュアルは3人の担当者がそれぞれ、ウィンドウズとマックとリナックス環境で作るので、ソフトも全部違う。極めつけはプロジェクト組織図。プロジェクト・オーナー、マネージャー、リーダーがそれぞれ別々に作るから3種類。僕の役割は 3つの表ですべて違っていた。
 メンバーはわずか10人だが、いずれも「できる男」と言われていた精鋭揃い。だが、それがよくなかった。僕が、書式やプラットフォームを統一しようと言うと、異口同音「そんな枝葉末節にこだわるならば、僕は降りるよ」と言い出す始末。
 キャンペーンは 2か月遅れで開始にこぎ着けたが、始まった頃には、学生は春休みの計画を立て終えており、見向きもされなかった。

 プロジェクトで、メンバーの共通理解を得ること。
 メディアを通して、国民の共通理解を得ること。
 この二つの本質は同じ。
 共通理解を得るためのポイントは軸を動かさないことだ。

 仕事の軸となるのは資料、図表のフォーマット。
 一つのテーマを語り継ぐとき、ずっと同じフォーマットを使い続ける。上下左右の軸を替えてはいけない。できれば色も変えない方がいい。人は間違い探しが好きだ。二つの絵には七つの違いがありますと言えば、皆喜々として探し始める。フォーマットを固定して、前回と変わったところはどこかを探す。人はそのような思考に慣れている。
 「週刊新法」には、そこのところをわかっている記者がいるのだろう。

 毎週、最低5つは出てくる新しい法律を知らないと、いつ収監されるかわからないというわけではないだろうが、法律週刊三誌はよく読まれている。すべての公立図書館とほとんどの喫茶店、美容院などが常備していて、磯田祐子や別府京子が言うには、皆、争うように読んでいるそうだ。

 「へぇ、今度はこんなのできたんだぁ」 (たくさん作るからね)
 「これこれ、こういうの欲しかったんだ」 (通販じゃないっての)
 「IDOって、オタクっぽいよね」 ( … )
 いつも、祐子と京子が“街の声”を拾ってきて教えてくれる。法律というキーワードで、人々が社会のことを会話している。レベルなどは問題ではない。こういう状況を作りたかったので、微笑ましく聞いている。
 「法令web」のページでは、すべての法律がキーワードで全文検索できるようになっている。ただし、官報のような刷り物、解説書の類は一切作らない。そこは報道各社、版元の腕の見せどころとして残してある。

 部活に終わりの時間は決まっていない。
 ただいつも20時をまわると、自然発生的に後かたづけが始まる。コップやお皿は使い捨ての物は使わず陶器を使っている。皆が故郷や旅行先から名器ばかり買ってくるので、見る人が見たら怖くて触れないような食器を平気で重ねて流し台に運ぶ。ここでは、俺の方が洗う皿が多いとか、私はこの間も洗ったのに損だとか言う人はいない。
 中締めの挨拶や一本締めがあるわけではなく、片づけが終わると「お疲れさまでした」「失礼します」と一声かけて、それぞれの家族や恋人の元へ帰って行く。
 ただ関西三人娘の一人、西直子の挨拶だけが違う。
 「さようなら」
 僕はどきっとする。もう二度と会えないような恐怖を覚える。彼女にとっては、そのことばがしっくりと来るのだろう。さようならと言われていつも、あぁと答えを濁してしまう。

次回は6月30日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月26日 (木)

東大と九大の差

 東京大学
 「IDOは東大の法科ですよね。どうして東大だったんですか?」
 田中一徳と僕は同じ博多の生まれ。法曹を目指すだけならば、東大じゃなくてもよかったのでは?と彼の顔に書いてある。

 僕は東大を目指したというのでも、弁護士・検察官・裁判官を目指したっていう訳でもないんだ。中学校の頃を境に、遠くにある何かを目指すようになったというか。それが具体的に何というのは、僕にもずっとわからなかったけどね。その場所につづく水路が東大、東大法科大学院の横を通っていたと言う感じかな・・

 僕の中学・高校時代はまだ、電子ゲームが脳に与える悪影響については仮説の域を出ていなかった。
 友達は皆、複数のゲーム機を親から買ってもらい、四六時中ゲーム攻略に余念がなかった。
 一方、姉と僕の娯楽と言えば、図書館で借りる本とCD。図書館では最新のヒット曲はなかなか順番が回ってこなかったが、それでも3か月ほど待てば借りることができた。そこにない場合、都内じゅうの図書館から取り寄せてくれる図書館のお陰で、僕は少しだけ東京が好きになった。
 カラオケやゲームセンターに行くことはできないので、姉と僕はいつも家にいて、本を読み音楽を聴いた。父が30年前のブリティッシュロックバンド、クィーンが大好きだった影響で、姉も僕もロックを好んで聴いた。

 高校の時には、年間300冊くらいはビジネス書を読んでいた。中でもプロジェクトマネジメントの本はためになり、高校の時からPMBOKを暮らしに取り入れていた。
 生徒会長として学園祭を取りしきる時、小林麻央似のクラスメートに告白する時、東大の受験勉強も、いつもPMBOKに準拠したPNDを作り、優先順位・並行作業・マイルストーンを確認した。当時の日比谷高校は都立のトップ校だったが、周囲には僕ほど計画性のある友達はいなかった。

 恐らく、後任のIDOも東大出身者が選ばれるだろう。選挙で選ばれる政治家と違い、書類審査で就く要職は東大が独占している。そのことに早く気づいた人。実際には大学を受験する18歳以前に気づいた人には、その選考レースに加わるチャンスがある。

 田中一徳は地元の修猷館高校から九大に進んだ。九大は九州のトップ校であり、学費の負担も私立に比べて格段に軽い。ご両親は福岡市南区大橋で 30席ほどの焼鳥屋を営んでいる。親御さん思いの田中君は、なんの疑念もなく九大一筋で勉強に励み合格した。

 「えーっと皆さん、今日は私がおごります。こん息子が九大に入りました。いつでん、皆さんからよぉしてもろたお陰と思うとります。よかったら今日は心おきのう呑んでってください。ほら、お前もなんか挨拶ばせれ」
 父親はたいそう喜び、合格発表の日、来客すべてに酒をふるまったという。親元から大学に通い始めた田中君は、それまでしてきたのと同じように、部活がない日は店にはいり、キャベツを切り、注文を受けた。バイト代は受け取らなかった。学生アルバイトには一年も勤めれば、焼きを任せていた父親だが、田中君には決して焼かせなかった。何度か「俺にも焼かせんね」とせっついたという。

 「お前はよか」
 お前にはお前の道があろうが。とお父さんは言いたかったのだろう。
 親が子離れした、いい関係だと思う。

 一心不乱に参考書と問題集に向き合った高校時代と比べて、大学では時間にゆとりができる。彼は小学生の頃、大好きだった小説を読む暮らしに戻った。
 大学一年の夏休み「青春の門」を読んだ彼は、大きな後悔をする。主人公が筑豊の町を出て、東京の大学を目指す物語。そこには、高校までの自分が思い描くことのない世界があった。彼の世界は関門海峡の手前までであり、九州の東京は博多だったのだ。
 彼は悔しかった。もっと早くこの本を読んでいたら違っていた。東京の大学に行きたかった。
 だが、それを両親に話すことはなかった。心に思ったことを隠さずに言えば自分は楽になる。だが自分には、それを聞いた人をがっかりさせたり、思い悩ませる、そんな権利はない。彼はそのことを学んだのもまた、大学時代に読んだ一冊の本からだったと言う。

 子どもには、可能性がある。ただそれは、選択肢を提示された子どもに限られる。だから、より多くの情報を親から子どもに伝えてほしい。
 それを実現するために、彼は文部科学省に進む。そして入省8年めの年、IDO室総合選抜に応募した。

 幸田さんも東大出身で、ここに来る前は文科省にいた。
 いつも建設的な提案を出してくれる田中君を見ていて、ひょっとして彼が 19番めの人なのではないか、これは橋本から僕への謎かけなのではないかと考えていた時期もあった。
 九大出身の田中君が、この先IDOに就く可能性はないが、彼は十分にその資質を備えていると思う。

「独裁者」もくじ

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2008年6月24日 (火)

痰を吐いたらマイナス1000ポイント

 法務省の藤野章子は、FEの法務チームで働くという目標を持っていて、FE経験者の僕に、たくさんの質問をする。

 FEの仕事、IDOの仕事・・・どっちがいいかではなく、どう違っていたかな?って考えるようにしているよ。
 たとえば、宝くじを買ったとするよね。結果的に当たったか外れたか、章子だったらどっちがいいと思う?
 「え、いや、そりゃぁ、当たったほうですけど・・」

 そんなに、びびらないでいいよ。僕だってそうだよ。
 切れ長の美しい目をした章子が、あぁよかったと涼しく目を細める。

 たとえば、宝くじが外れてしまったとするよね。僕はそんな時、どう違っていたかなと考えるんだ。
 もし3億円が当たっていたら、僕はまじめに働いたかな。当たる前は 10%はユニセフに寄付するぞって思っていたけれど、ちゃんと寄付したかなって。
 あのままFEでプロジェクト・リーダー的な仕事をしていたのと、今みたいに、ただアイデアだけ出して、それがそのまま通る現状は、何が違うのかなって。
 違いをみつけて、違う経験ができることを喜ぶんだ。
 だから、あの頃はよかったという風には思ったことはないよ。
 かと言って、自分で選んだルートだからと言って、今の道がベストだとは思わないようにしている。どちらに転んでも、僕は真っ当に生きていたさ。水路を泳ぐボラのようにね。

 さっきまで、さば寿司を頬張っていた国交省の伊藤修が質問する。
 「それにしても先週の“街で痰を吐いたらマイナス1000ポイント”ってのは細かくないですか?」
 立法ミーティングだけでなく、部活でも伊藤修は遠慮がない。"大変失礼ですけど""こう言ってはなんですが"と言った前置きも、ローカルルールで禁止されているからだ。

 確かに細かい。大抵の人が「なぜ、唾じゃなくて痰?」と目が点になるらしい。
 こういう些末な法案を書いていると、よく連想にはまる。
 痰を誰がどこで吐いたなんて、いったい誰がチェックするんだ?
 唾と痰の定義はどう違うんだっけ?
 それを定義するのは、厚生労働省かな。
 でも、道路に吐くと、管轄は国交省か?
 考えていたら「俺ってバカじゃないのか」と思えてきて、やっぱり止めておこうと思う。でも、そんな時、目の前に貼ってある紙を見る。

 「人間として正しいか?」

 うん、正しいな。やっぱり施行しよう・・
 初めに決めた軸が、いつも見えるところに貼ってある。すると、こういう時、自信を持って前に進むことができる。

 じゃ聞くけどさ、仮に伊藤君がいつも街で痰を吐いていたとするよね?
 彼は、吐きませんけどねと言いつつ、今度は鳥栖の焼麦(シウマイ)にとりかかっている。
 するとある日、bola!の滝川寛子キャスターみたいな女性が現れて、君は恋をする。
 うんうん!さもありなんと、藤野章子が頷いている。
 そしたら次の日から街で痰を吐くのを止めたりしないかな?

 「うーん、そうですねぇ・・」
 大ぶりな焼麦をもぐもぐと頬張りつつ、彼は今ひとつそのシチュエーションが目に浮かばないようだ。
 けどさ、結婚して子どももいるような、世の中の一般的なおじさんには、滝川寛子のような恋人は現れないわけだ。現れても口説く権利がないし。
 幸田千絵さんがくすっと笑う。彼女が笑ってくれると僕は、その話が成功を収めた気分になる。

 歳を取って、外からの大きな刺激を得ることができなくなった人は、自分自身で価値観を変えなきゃいけないし、自分で善悪に気づいてもらわなきゃいけないんだけど。
 ま、バカは死ななきゃ直らないっていうかね・・

 僕がつくる細かい法律について、"超管理社会"だという批判がある。だが、実はそれは性善説で、各々が自らを律している理想社会が前提になっている。
 今の地球の何処にそんな場所があるのか、僕はないと思う。



次回は6月26日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月23日 (月)

技術革新独裁者と経済政策独裁者

 日本国民、一度目の思考停止は1980年代だった。
 人は目標を失えば思考を停める。三度のご飯が腹一杯食べられるようになり、80歳まで生きられるようになる。家を持ち、便利な電気製品と車も手に入れた。次に、人々は外に出てエンターテインメントを満喫する。受動的に生きていても、使い切れないほどのお金が入ってくる。こうなると、自分で考えろという方が無理な話だ。
 だが、思考を停めたという自覚は誰にもない。

 次の10年、いわゆる失われた10年と言われる1990年代。人々はあれ?おかしいなと思っていた。
 メディアは連日、一面で悲観論をぶちあげ、国民の不安を煽った。

 消費税は今すぐ30%にしても手遅れで、日本は破たんします。
 国民負担率は2020年には90%を超え、所得の四分の三を国に治めなければなりません。
 デフレの後にインフレが来るのは当然ですが、物価は5倍になるか10倍になるか見当もつきません。給与はインフレに連動して上がりますが、物価上昇に追いつくことはありません。
 政府は株券電子化でタンス株を無効にしましたが、新券発行で日銀券も無効にするかも知れません・・・

 2000年代にはいり、景気は上向いたが、メディアが悲観論を唱え続けた。国民は怯えるばかり。おとなしくしていれば嵐は過ぎてくれるのか。この嵐は終わらないものなのか。身の回りにそれを、わかりやすい言葉で教えてくれる人がいない。

 しかし、思考を停めない者も、政官財学それぞれの場にいた。
 彼らは「何も失われていない」と訴え、実際に道筋を示してみせた。

 国と地方の財政赤字は一千兆円ある。もし、日本人が叡智を持たぬ国民で、優れた技術もサービスもなく外国が見向きもしない国ならば、その暗い顔が似合う。しかし、現実は違っていて、日本の技術とサービスはこれからさらに外貨と内需を獲得する。それによって国の借金は適正な範囲まで縮小する。ただし、借金が減ってきたからと言って、誰かが国の金を当てにするならば、再び過去20年を繰り返す愚に陥る。
 国民が小欲で足るを知り、自分にできる努力をする。そうすれば、何も恐れることはない。「あなた達は何を恐れているのだ」と外国の人は不思議がっているのだ・・・

 2000年の中央省庁改革を皮切りに、政府は規制を緩和し、官が民を押さえつけていた構造を改革した。その改革は「弱者切り捨て」「格差助長」だと批判を受けた。だがスポーツにおいて、判定に不服を言うのはいつも敗者であるように、立法・行政においても、不服を申し立てるのは、いつも不利益を被る者たちだ。
 当時、国民は構造改革と言われてもちんぷんかんぷんだった。
 「構造は改革してもいいが、改革は構造してはいけない」
というテレビコマーシャルがあったが、誰も笑えなかった。
 当時の改革を非難していたのが誰だったかを見れば、誰に不利益だったかがわかる。企業と国民はその輪に加わっていなかった。

 そうして2010年頃、実情を把握した国民が多数となった。
 思考が再会し、歯車が再び回り始める。
 規制緩和で仕事の振り幅が広がった民間企業による、魅力あるものづくりとサービスが加速した。世界一金庫にあった現金と、世界一サーバー上にあった金融資産を元手に、国民はたくさんお金を使った。そして内需は税収となった。

 税収が増えても緊縮財政をつづけたため、一時期一千兆円を超えた国と地方の財政赤字は、1998年水準の500兆円まで圧縮された。その政府に投票を続けたのは、当時「歴史に学び、世界一賢くなった」と言われた日本国民だ。

 かつて「弱者切り捨て」「格差助長」を論っていた学者は、しばらく静かだった後、こう時代を総括した。
「2010年からの戦後第二の復興を我々は折り込み済だった。ただ、これは失われた10年を取り戻したに過ぎない。課題は次の10年である」
 皮肉なことにその予測だけが当たり、2020年代、人々は再び思考を停めた。

 日本の政治は官僚が担当している。
 これはもう80年来、変わらない。(1955~2035)
 州知事ら首長に多大な権限を与えてうまくいっていた米国に倣い、2010年代までに欧州各国が制度を変えた。日本は2012年に道州制を敷いたが、官僚主導の流れは変わらなかった。短命で交替する首長では所詮、地方に引っ越した“世界一優秀な官僚”に対して多勢に無勢だった。

 首長をチーム化する必要があった。
 総理大臣権限の細分化が必要だった。

 まず2015年に川村総理の任命により、技術革新IDOが生まれた。
 2019年にはFEが設立される。世界の工場となった日本を擁し、豊富な海洋天然資源をもち、20億人というEUの4倍の人口を持つFE。
 日本の総理大臣には、東アジアのリーダーシップが求められた。

 2029年には、水野総理の任命により経済政策IDOが生まれた。
 そして2034年、FEディレクターを兼務する高橋内閣の絶対安定多数のもと、IDO法が成立した。
 IDO法を可決したのは国会だが、実際に一番やりたくて、実現に奔走したのは法務省の官僚だ。
 IDO法成立に対してメディアと学者は「超管理社会の到来である」と警鐘を鳴らした。ただそれはいつもの紋切り型な理屈であり、もちろんIDO法の主旨は違う。

 IDO法はね、皆で守るルールをてきぱきと決めよう。そして、自分たちのルールは皆で守ろうというのが基本スタンスなんだ。最初のうちは「独裁者」って言葉が一人歩きして、歴史上の専制君主のイメージとだぶらせた人がたくさんいたけど、僕がつくるIDO法を見て、三ヶ月くらいで、そう言う人はいなくなったよね。

 今日は章子が一重の目をぱっちり開いて起きていた。
 「FEの法務ディレクターと、IDOはどっちがおもしろいですか?」



「独裁者」もくじ

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2008年6月20日 (金)

ハンカチの仕事 ぞうきんの仕事

 幸田さんは補助的事務作業を、卒なくこなしてくれる。
 総合日本商事の時の島田さん、FEでのリン。日々の仕事を支えるスタッフに恵まれた時は、すべてがうまくいった。ユニセフにいた時は、何もかも自分でやらなければならず、それが大きな失敗の遠因にもなった。

 法務省の時は「自分はクリエイティブな仕事をするタイプ」と、訳のわからないことを言う事務方がいて困った。
 自分はなんとかなタイプというやつにろくなやつはいない。
 こういう人は、事務作業を“雑用”と見なして敬遠する。

 雑用を嫌う人がとても多いのは、仕事を頼む側に原因がある。
 日頃から、その人の仕事の価値を認める。あなたがいるからこんなにうまくいく。あなたは欠かせないのだ。そうことばにして感謝を伝える。

 別に作り話をする必要はない。ありのままをことばにするだけだ。
 そういうことばがない人に限って、余所でいい人キャラを演じて引き受けてきた無理難題を、どさっと部下に押しつける。

 部下をハンカチで使うか、雑巾で使うか。
 トイレで手を洗えば、誰もがハンカチを使う。しかし、誰かがげろを吐いたら雑巾を使う。ハンカチでげろを拭く人は滅多にいない。

 仕事を頼む時、これはハンカチの仕事だろうか。雑巾の仕事だろうかと考えてみる。いつもハンカチでできるきれいな仕事ばかりではないだろう。誰もがやりたくない雑巾の仕事も多い。雑巾の仕事なのに、ハンカチを使うきれいな仕事のように頼まれたら心は荒む。
 ハンカチと雑巾の違いをわきまえて、ことばを尽くしてくれる人に出会えば、人はどんな仕事も雑用だとは思わない。

 組織はそれを名称でごまかそうとする。
 人が嫌がる定型作業の部署には、かっこいい仕事かと錯覚させるように、コンタクトセンター、プリントセンター、サポートデスクと言ったカタカナ名称が付けられる。作業従事者の名称もオペレーター、プランナー、アドバイザーのようにカタカナ名称が使われる。

 名称をカタカナにするまでもなく、定型作業は重要だ。組織活動は定型作業の質の集積なのだ。定型作業従事者の質が、その組織の質を決める。一生のうちヒット商品の一つも出さずに終わる“クリエイティブな”企画担当者や、いい人キャラの管理職ならば、誰にでもできる。

 “てにをは”は直していいよ。ここを直しましたという報告も要らないからね。

 法令以外の文書は、推敲・校正ともに幸田さんに一任している。
 「あの私、秘書と言ってもやることは事務員だと思っていますので、何なりとおっしゃってください」
 初対面の日、IDO室幸田千絵とだけ書かれた名刺をくれた。開口一番のことばに秘めた聡明さを今も覚えている。
 僕は戸惑った。間違いじゃないのかと考えた。秘書はてっきり五つくらい年下の男だと思っていた。

 国家公務員は、不祥事以外でメディアに取り上げられることはない。功績があっても表舞台に立つことはなく、国民も官僚個人に関心を持つ機会はない。だがIDO秘書となれば話しは違う。人知れず苦労も多い。

 「知る権利を拡張しない法のお陰で、そんな苦労なんて何もないんですよ」
 彼女はいつも笑って言うだけ。尾行され、写真を撮られていることを、僕には伝えない。

 僕はフットメザでは、依然として全勝を続けている。
 IDOラボのロッカーには、リアルゲームがしまってある。野球盤、サッカーゲーム、ボウリングゲーム。子どもの頃、父が「お前くらいん時、これで遊んだったい。まだ、そん頃はテレビゲームもなかったけんな」と言って、オークションで買ってきた。父はコンピューター・ゲームが嫌いだ。そんな父の影響で、僕はコンピューター・ゲームをやったことがない。

 1/1仮面ライダーの「リュウちゃん」はかなり違和感があるが、フットメザのテーブルはインテリアとして、このラボにとけ込んでいる。
 フットメザはブラジルでは、老若男女誰もがやっているテーブルゲーム。日本に入ってきたのは2005年と古いが、「移民法」施行でブラジル人を集中的に受け入れた磐田市で灯がついた。

 「デコはいいパス出しますねぇ」
 僕は11個のボタンにFCバルセロナ第2期黄金時代の選手シールを貼っている。攻撃は常に20番のMFを起点にする。

 小欲知足
 就業後の集まりが始まっですぐ、この集まりを部活と呼ぶようになった。
 何にでも名前をつける習慣は、僕から皆に普及した。
 部活では、お互いを名前で呼ぶ。公私のけじめをつけるというような堅苦しい理由ではなく、その方が僕らは親密になれるからだ。

 メンバーは僕の昔話を聞くのが楽しみと言ってくれて、僕の話を「おじいちゃんの寝物語」と呼んでいる。藤野章子は実際に抱き枕を持ってくる。僕が話し始めるとソファ右端の定位置に陣取り、枕に寄りかかって聴いている。本当に寝てしまうこともあったが、彼女はここで仮眠してから、週5回、語学学校に通っていたのだ。

 「IDOは座右の銘って、何かありますか?」
 こんな投げかけから、僕の話しが始まる。

 僕の父は福岡で新聞記者をしていたんだけど「少欲知足」ということばが好きで、よく新聞のコラムにも書いていたんだ。
 "少なく欲することで足るを知る"と書いて小欲知足。
 いいことがあった時、とてつもなく幸福な状況に遭遇した時、あえて多くを望まず、欲張らない。するとその状況が去ってから、あぁ、もっと大きな幸せが訪れていたんじゃないか。もったいないことをしたのかな?って思うよね。でも、欲を出すことで逆の目が出て、何もかも台無しにしていたかも知れないよね。
 人生はルーティング
 どっちのルートをとった方がいいかは、自分で考えるしかない。
 小さな幸せに心を安住させて、前を見据えている人に、きっとまた、未来からいい風が吹いてくる。僕はそう思っているんだ・・・

 IDOにたどり着く糸は、予定されていたわけではない。選択により、僕がたぐり寄せた。
 部長になりたい。いい男をつかまえたい。そう願っているが叶わない人と、実際にその糸をたぐり寄せる人の違いは「修業」というキーワードにある。
 経過、結果すべてが修業であり、人生は修業に始まり、修業に終わる。
 修業中の人は左遷されても、恋人にふられても「いやぁ、この修業はたまらんなぁ」「でも次はいいことあるかも」と自分を支えることができる。

 2010年代、日本は「世界の工場」と呼ばれ始めた。僕は2020年までの10年、この頃の日本が好きだった。あの10年、多くの日本人が自分の頭で考え、自分の足で動いていた。

次回は6月23日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月19日 (木)

12月19日は、部活記念日

四 部活

 12月19日は部活記念日。

 「こころの記念日法」は、何か一つ心に残るできごとを記念日にして、手帳に書くことを求めている。最低一つであり、いくつあってもよい。

 「僕が独裁者になったら」は本来、立法提案に限定したウェブページだが、それ以外のメールも届く。
 「作文が苦手で、文章を書くということがなかった娘が、お父さんの誕生日を記念日にするから手帳を買ってくれと言ってきました」
 「IDOのお陰で売れ残っていた 2034年の手帳がたくさん売れて、一息つきました」
 別に感謝メールの受付窓口ではないのだが、それも楽しく読んでいる。

 「IDO、今度、みんなと一緒に忘年会でもいかがですか?」
 就任して2ヶ月がたった12月19日。立法ミーティングを終えて退室しようとした中村君が、恐る恐る声をかけてきた。
 大臣からはよく「一献いかがですか?」と誘われる。
 猪口をひょいと持ち上げて口に運ぶ“一杯どう?”は、茶碗を左手に右手の箸をかき込む“メシいかない?”と並んで、僕が嫌いな仕草だ。

 「環境に優しい自動車を考える会」「日本を歩いて踏破する異能倶楽部」といった団体から、意見交換会の打診がある。意見交換は大いにけっこうだが、なぜか料亭やリゾートホテルが会場にアサインされている。

 気の置けない仲間と呑むのは楽しい。サラリーマン時代「平民」で鶏軟骨の唐揚げを一つ頼み、それだけで何時間も呑んでいた。IDO室の仲間と行くことができたら、どんなにいいか。

 ありがとう。でも、あんまり外を出歩いてないからね。それに警備の人も大変だろうし。
 「そうですよね。失礼しました」と言おうとしている中村君の左肩越しに、色とりどりの丸い映像が浮かんだ。思わず唾を呑んだ。
 そうだ。ここで、ピザとってやろうか?

 その日の午後5時を回ると、残業禁止法により職場を閉めだされた面々が集まってきた。
 IDO室のメンバーは、立法ミーティングが終わると再び、それぞれの省に戻って仕事をしている。
 警備室に根回しして、ピザとカツサンドのケータリングを手配したのは、発起人の中村太一。
 「ここのカツサンド美味いですよ。知ってました?一個一個パックしてあるから、干からびないんですよ」
 僕の一番の好物がとんかつなのは、幸田さんしか知らないはずだから偶然の一致だろうが、細かい配慮がすばらしい。

 「多かったかなぁ?」
 磯田祐子はコンビニの手巻き寿司を大量に持ち込んだ。
 「おまえ、いったいどこから買ってきたんだよ」
 「夕方、都庁だったのね。そしたら太一が電話してきて、コンビニ一軒分買ってこいって言うじゃない。もうびっくらこいちゃったわよ」
 どこのことばだよ?その場が爆笑に包まれた。

 それ以来、就業日の月・水・金。5時をまわると、皆が思い思いのおやつと飲み物を持ってIDOラボにやってくる。
 最初はコンビニとケータリングだけだったが、会を重ねるごとに、珍品発掘合戦と化していく。
 旅行や出張の予定が入ると、ネットにかじりついて土地の名産品を調べ始める。皆、帰って来るまで内緒にしていて、開陳された品がレアなほど賞賛を浴びる。

 僕が買った巨大な「ライダー」には、いつも次の出番を待つ備蓄品が詰まっている。
 ライダーは冷蔵庫の名前。その隣りに仮面ライダーの1/1フィギュアが置いてあるので磯田祐子がそう命名した。1/1フィギュアは子どもの頃からの夢で、社会に出て最初のボーナスを全額つぎこんだ。軽自動車が買えそうな金額だったが、僕は一点豪華主義。自分にとって価値が高いモノを、少しだけ置きたい。
 IDOが仮面ライダーでもなかろうと、初めは私邸に運んだが、すぐ橋本に許しをもらってラボに運びこんだ。冷蔵庫より古くからいるのでライダーについた名前が「リュウちゃん」で、冷蔵庫が「ライダー」とややこしい。

 ライダーは社会に出てから三つ目の冷蔵庫。
 冷蔵庫だけはいつ買っても技術革新に恐れ入る。母の実家は狭い家で、冷蔵庫の隣りではうるさくて眠れなかったと言っていた。今は音がしないのは当たり前だが、ドアを開け放してもほとんど温度が上がらない。
 「だれね?まぁた冷蔵庫のドアが開いとったよ」
子どもの頃は、よく母に叱られたものだった。

 巨大な庫内は20に仕切られていて、20人のメンバーそれぞれの置き場所が決まっている。
 時々、夜中に腹が減って、人の備蓄品を食べそうになって怖い。

 「祐子、ばろくのてしちでいいんだよね?」
 「やった~、いのしかちょう!」
 「あんた、可愛い顔して、えげつないね」

 ブリーフィングテーブルでは、関西三人娘が花札をしている。耳に飛び込んでくる単語が懐かしい。
 FEでもそうだったが、ここでも話し合いのテーブルは、楕円形のテーブルを入れてもらった。
 戦陣を組むかのようなコの字やロの字型では、身構えてしまう人が多いが、円卓を囲むと、不思議と誰もがにこにこ笑顔になる。

 場六の手七なんて、よくそんなことば知ってるね?
 「そうですかぁ?うちの母が教えてくれたんです。三人でやる時は場に六枚、手に七枚配るから、ばろくのてしちって言うのよって」
 まさか大臣たちも、ここで花札をやっているとは思わないだろうね?
 「週刊法律に“IDOラボで賭博発覚”って出たりして!でもIDOが『知る権利を拡張しない法』を作ったから平気です!」
 公務員または公人における公私の私については、知る権利を濫用しないという目標法により、公私のけじめさえついていれば、メディアが刺さることはなくなった。

 「千絵さん、花札はいります?」
 週に一度、金曜日だけは幸田さんも参加する。
 就任した時からずっと、秘書は幸田千絵さん、後に継波千絵さん。一度も替わっていない。
 IDO就任から三年経った時、法務省から交替の打診があった。後任は入省 3年目25歳の女性だという。それだけ年下の女性というのは接した経験がない。幸田さんより一回りも下だ。

 それに幸田さんは、僕が求めた条件に見合う19人めのスタッフではなかったのか。この19人めの条件こそが、最も重要なものだった。橋本と法務省の連絡がうまくいっていないのだろうか。人事の真意をはかりかねた。
 新しい人間関係は時にして重荷となるが、それも試練と考えれば得るものもある。
 ただ人が替わると言うことは、築いてきた伏線が消えてしまうということでもある。残る任期はあと2年。気心が知れた人のほうがいいからという理由を伝えて、幸田さんを残してもらった。



「独裁者」もくじ

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2008年6月17日 (火)

憲法41条、74条の改正

 16:00 公布・施行
 その日、公布する法律を法務省文書課にメールする。
 その後の手続きは法務省がおこなう。
 かつて、国会は国の最高機関で唯一の立法機関だったが、現在は国会とIDOが法律を作っている。

 国会では衆議院が先に審議して参議院に回す。現在、国会は独立した立法機関であり、そこで決まった法律にIDOは関与しない。一方、IDOは立法独立決裁責任者であり、IDO法には国会は関与しない。施行日時を条文に定めた法令以外は、公布即日施行される。

 川村政権が 2年目を迎えていた2014年1月、国民投票で憲法四十一条、七十四条が改正された。
 一見何の変哲もないこの無難な改正こそが、20年後のIDO法の布石となっている。当時、僕は東大法科大学院の一年生。司法試験に備えながら、この経緯を見守っていた。

 憲法四十一条
「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」
 この旧条文は、2014年に「国会は、国を代表する立法機関である」となった。
 三権分立なのに国会が「最高機関」なのは、元々理にかなっていない。学者達は、国民を代表する国会に敬意を表しているだけで、法的な“最高”を意味しないという“美称説”を唱えたが、法律の素人には屁理屈に聞こえた。

 また、立法の“法”を広義に法令と見立てた場合、条例・政令・規則なども範疇となり、国会が“唯一”の立法機関であるというのはおかしいという論理を構成し“唯一”も外れた。

 2014年当時、メディアが盛んに「政治家は職業化しており、司法はその御機嫌伺いとなっている。三権分立は名ばかり」と国民に周知して、世論が反発していた時代背景があった。国民投票では、四十一条改正の賛成票は74%に上った。

 憲法七十四条
「法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。」
 この条文は「手続き法」であり、本来陽が当たるような条文ではない。
 2014年の改正で「法律及び政令は、議会の決議によって成立する」と改められた。

 たとえば、連立与党が法律を採決したとする。国会では決まったが、総理大臣と国務大臣は違う政党で、どちらかが署名を拒否するかも知れない。四十一条改正で「唯一」がとれる分、七十四条で議会の力を強めてバランスをとった。
 この時、歯止めとして存在がクローズアップされたのが八十一条。
「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」
 この条文がある限り、立法府の暴走はあり得ないと説明された。
 いわゆる違憲立法審査権は、従前どおり国会法、そしてIDO法に対しても効力がある。

 IDOラボは法務省の管理物件。独立立法府が行政に間借りしていることになる。法務省がその気になれば、監視カメラや盗聴装置を仕掛けることもできる。
 この間借りは僕が、就任条件として橋本に出したお願いの一つ。予めIDO法に規定されていたわけではない。
 法律が犯罪の抑止効果となるのと同様に、誰にも後ろ指を指されない、ガラス張りの環境にIDOを置くことを、自ら申し出た。

 僕の所持品はすべて秘書の幸田さんが管理している。
 お小遣い帳はつけていないが、クレジットカードの利用明細も渡している。現金で大きな買い物をする時は、幸田さんに頼むことにしている。
 パソコンや映像音響装置は法務省の資産だが、唯一僕の資産は引き出しにしまった紙切れのメモ。これだけはどんな電子装置でも盗めない。

 法案を書きながら、その時考えたことを書き留める。
 立法ミーティングで、メンバーの言葉にヒントを得て書き留める。
 本を読み、思いついたことを書き留める。
 寝がけに思いつくことも多く、枕元にはメモとペンを置いている。朝起きるとメモが枕元に散乱している。

 いつか整理しようと思っていたが、とりかかることができず、5年分ため込んでしまった。
 詳細な自叙伝にするつもりはない。ただ、世界で初めてのIDOが、5年の任期をどのようなロードマップで過ごしてきたかを、大まかに記しておくのは有意義だろう。
 任期も残りわずかとなったので、ようやくこうしてとりかかっている。



次回は6月19日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月16日 (月)

報道士法

 報道を歪めていたのは、"支度"を"しど"と、平気で読み誤る若手アナウンサーではなく、ニュースを選んでいた役職者たちだ。

 報道士試験は面接と論文。報道の使命、見識の広さを問うだけのものだ。
 報道各社の経営者はこの法律を喜んでくれるかと思ったが、いたく不評だった。受験前から落ちると観念したのか、要職者がこぞって報道から管理部門へと転部を志願したと聞いた。

 学科試験があるわけでもないので、まず落ちることはない。
 これはふるいに掛ける試験ではなく、資格によって誇りを持ってもらうための試験。実際に落ちたのは論文を白紙で出した人、面接で黙秘した人だけだ。
 長年メディアに携わって来た方々には、憤懣やるかたない制度であることは分かる。ただ、次世代のメディア業界を夢見る人たちに、メディア本来の自由、使命を考えてもらうために制度化した。

 月水金以外はすることもないので、夜はずっと活字を読んでいる。
 報道士法について、メディアはこぞって「言論の弾圧だ」とする論調を載せた。

大手新聞社が掲載した世論調査結果
 報道士法は表現の自由を制限すると思う 70%
 報道士法は知る権利の侵害につながると思う 65%

IDO室 意識調査ウェブ(非公開)
 報道士資格化に賛成である 89%
 報道士法は廃止すべきである 5%

 調査対象の属性の違い、サンプリングの違いで結果はこうも異なるという好例だ。

 谷村総務大臣の「女性アナ発言」を聞いて、メディアと政府を切り離す必要性を痛感してつくったのが「JNW法」
 政府から独立した独立通信委員会(Japan Network and Wave)を設置。総務省の許認可権である電波を始めとして、メディアとインターネットに関するあらゆる管理を行うことにした。

 独立通信委員会の元で立ち上げたニュース放送局 bola!(broadcasting ola!)のモデルは、1996年に設立されたカタールのアルジャジーラ。
 当時の首長シェイフ・ハマドの支援を受けた事実上の国営放送でありながら、政府の肩を持つことなく中立公平を維持している。国王がつくるアラブの視点を持つメディアには、世界中のメディアが学んできた。
 「bola!法」により、地上波キー局、衛星局は毎年10人(任期5年) 地上波地方局は毎年2人(任期3年)のスタッフを bola!に出向させることを課した。

 bola!は、事実上の放送学校となった。
 現場からアジアの視点で報道する。使命はそれしかない。
 記者には時間だけがアサインされ、どのようなニュースを流すかは現場にいる記者に委ねられる。人間として正しいか、真っ当に生きるとは何かを考え、他人のために役立つ人がいれば、行って話しを聞く。

 世界じゅうで認められている自動車や鞄メーカーの社員に「会社に忠誠を尽くせ」という社是は要らない。愛国心は標語や法律では生まれない。法律で国を守れと言えば、国民は反発し、さらに心は離れる。
 日本ブランドに誇りを持つことができれば、国民には自然と愛国心が生まれる。

 日本は過去40年ほとんどの期間で、世界一のODAを拠出してきた。発展途上国を支え、貧困問題を縮小してきた。今は100万人が、技術供与・指導の任務で海外にいる。
 「世界の工場」と言われ始めた2010年代以降、工作機械、工作技術は日本の独壇場。世界の工場は日本の設計図で動いている。日本のものづくり無くして、今日の便利な世界は成り立たない。

 2000年代、低賃金で手を動かす国が「世界の工場」と呼ばれていたが、2010年代に日本が呼ばれたそれは違う。工作機械が基本労働を無人化する。すると人は要らなくなるのではなく、より創造的な仕事に就くことになる。
 一方「世界の工場」は、日本が優秀な工作ロボットをつくる度に、世界中のどこかで人々が職を失うということも揶揄している。ただ、それを補って余りある技術支援をしてきたことが、今、世界で最も尊敬される国という地位を築いている。

 1980年代以降、日本の電子技術は同盟国軍を支えており、その圧倒的な戦闘力は敵対国の兵器市場をせん滅し、戦う意欲を減退させた。
 どれだけ血を流しても、平和を達成できなかった世界の中で、日本は戦わずして戦い無き均衡をもたらした。自衛隊の隊員減少が社会問題として表面化しないのは、日本の電子技術に遠因がある。

 bola!は視聴率や部数という数字に捕らわれることなく、アジアの視点で自由に伝える。
 事実を正確に伝えるだけで、日本人は自信を持つことができた。学者は日本社会の病理を論い嘆いてきたが、最近すっかり静かになった。
 bola!という名前は、スペイン語のオラ!=やぁ!が語源だと思われているが、僕は出世魚のボラにちなんで命名した。



「独裁者」もくじ

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2008年6月13日 (金)

スパイ防止法

 「雪だるまも、もう何十年見てないかなぁ」
 こうして過去を思い出してもらう質問は、初めての客には必ず尋ねている。記憶を辿ることが真ならば、創作は偽。記憶を辿る時、どちらに視線を散らすかを知っておくことは、その人を推し量るとき一つの目安になる。
 チューリップと東京スカイツリー、2枚の絵を僕の背後の左右にかけているのは、そのためである。

 僕はと言うと、来客の右肩の上を見て話す。時々不審に思った客が後ろをふり返ると、そこには視力測定のランドルト環。最近、めっきり視力が落ちましてねと言えば
「パソコンばかり見ているからでしょう」
と笑い話で終わる。

 スパイ防止法は60年来、内閣府の喉に刺さった骨だった。
 日本にはCIA、MI6、モサド、KGBに類する諜報機関がない。その一方、海外から訪れるその道の方々を取り締まる目的法がない。

 国防は情報戦。規制法があってもおかしくない。そこで、立法のテーブルに乗せると、メディアと野党から洗いざらいの説明を求められる。だが国防に関わる事柄は何でも説明できるわけではない。すると「説明責任を果たせ」と2000年代に登場した、日本政治の停滞を招いたキーワードが登場する。
 議論は遅々として進まぬまま、委員会設置にも至らない。こうして「スパイ防止法」は、検討はするものの立ち消えになる繰り返しだった。

 その煩わしさを僕が肩代わりした。IDO法の中でも最も目新しさのない法律だが、尊敬する高橋総理との再会の手みやげには手頃だった。

 この内容でよろしいですか?
 「うん、ありがとう。最初の総理協議はこれできたか」
 会話は5分で終わり、僕らはその日2度目、人生で4度目の握手をした。
 高橋総理はいつもと変わらぬクールな表情で、これからもよろしく頼むな。そう言いながら幸田さん、中村君、磯田さんを一瞥して引き上げていった。
 その顔には、わかっているだろうな?と書いてあった。

 僕は独裁者なので、有権者からの陳情もなければ、支持団体からの圧力もない。法案審議のために委員会に出ることもない。外交と行政、司法の責務を持たない僕には行事も係争もない。
 立法ブリーフィングが、僕が世間と直に接する唯一の場であり、インターネットの「僕が独裁者になったら」が国民の意見を聞く唯一の場である。
 僕はメディアと接触することもない。

 父は福岡の新聞社に勤めていた。
 僕が小学校3年生の時に、会社を辞めてフリーのライターになった。そのお陰で、僕は3度の転校を経験した。忘れられない出来事もあった。
 父が会社を辞めた理由は、社会部から政治部への異動を命じられたこと。普通のジャーナリストならば、喜びそうな異動だが父は違った。

 「新聞はウィークエンダーじゃなかとぞ。あいじゃ万国悲惨ショーやんかや、お前。何が楽しゅうてから、殺したとか盗んだとか潰れたとか書きよっとか。それば許すとか許さんとか、お前は神かって?だいたい漢字も読めんごたっとが新聞記者かて」

 言葉の中に出てくる、いくつかの固有名詞の意味がわからなかったが、何を怒っているのかは、子どもの僕にも伝わってきた。父はスポットライトが当たらない、町の頑張り屋さんを取りあげることに生きがいを感じるという、一風変わった記者だった。

 IDO就任1か月後には「報道士法」により、メディアの報道記者資格「報道士」を設けた。

 売れるから、視聴率が獲れるからと言って、悲惨または悲観的なニュースばかりを取り上げる。その姿勢はかつて1990年代を「失われた一〇年」に仕立てあげた。
 確かに、その10年に失ったものは多かったかも知れない。だが、一方でそれを補う新しい芽もあった。メディアが片方だけを強調したから、その10年は失ったことになったのだが、誰もが何を失ったのかよく分からなかった。

 メディアが作った悲観ムードが、内需に冷却水をかける罪は大きい。
 連日一面を飾る政界や官僚の不祥事、絶対潰れないと言われた企業の倒産、悲観的な経済予測。悲惨な事件の度に語られる、日本人が壊れ始めたという根拠もない仮説。

 「終身雇用の時代は終わりました」
 2000年代、メディアは一斉にそう書いたが、会社からそう言われた人はいなかった。

 「子供達の教育を考え直す時に来ています」
 凄惨な事件が起きると、原因を教育に求める人と、戦争につながるからと言って教育基本法の改正に反対したり、歳出削減を叫び、教諭の増員に反対する人は、いつも同一人物だった。

 メディアが日本はダメだと言うから、そんな気がしてくる。
 メディアが言わなければ、職場の同僚、家族、恋人どうしで
 「いやぁ、日本は失われた一〇年だったねぇ」
 「僕たち、壊れてるねぇ、最近」
という会話をすることはない。

 「報道士法」により、報道士資格をもたない者は、新聞・TV・ラジオ・インターネットにおいて、ニュースを読むこと、その制作に携わることができない。

 「女子アナがいないと画面に華がなくならないかなぁ。あ、失敬。ここだけの話しですから」
 史上最悪の失言として、IDO室内で語り継がれている、谷村総務大臣の「女子アナ発言」だ。

 思わずきっとにらみつけた祐子に、たじろいだ谷村総務大臣の読みは、後に大きく外れた。
 2039年7月末現在、報道士試験合格者のうち59%が女性となっている。今や、ニュースの選定から原稿起こし、スタジオでニュースを読むのも、現場からのレポートも、ほとんどが女性だ。

次回は6月16日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月12日 (木)

総理とのブリーフィング

 IDO就任以来、いつでも、誰とでも「会話」することを心がけてきた。
 人と人は交渉ではなく、会話でつながっていると知っていたからだ。

 流ちょうに専門用語を並べているうちは、いい関係は築けない。
 心が通えば、警戒を解いて会話ができる。腹を割って話せば、結論は速い。
 だから僕は、初めて会う大臣とは気軽な会話から入る。

 お天気の話
 大臣の出身地の話
 今朝のニュース

 特に出身地の話を振ってあげると、驚いたようにこちらを見て、それからにっこり笑ってくれる。
 学生時代に「全都道府県制覇」という掲示板を立ち上げて、47すべての都道府県に一泊以上した。だから、どこでも、ネタを振ることができる。
 九州の人は茨城と栃木の違いがわからないし、東北の人は九州が9県あると思っている。
 道州制が施行されてからは、さらにマイナーな県の注目度が下がり、郷土が話題に上ることが少なくなっていたのだ。

 空気が和むと、ちょっといいですか?全然関係ない話しなんですけど..と雑談していく大臣もいる。
 関係ない話しは要りません。と即座に切り捨てるのは簡単だが、それでは世知辛い。心の中だけ、関係ないなら言うなぁ!とつっこんで、何でしょうか?と聞くことにしている。

 立法を陳情していく大臣もいる。
 弁護士経験5年という、神奈川二〇区の小西大臣は、自由刑について議論を挑んできた。
 「ところでIDO、ご存じかと思いますが..」
 知らないっつーの・・
 「自由刑の一本化については、長年、法曹界で議論が続いてきましたが一向に埒があきません。懲役には定役があり、禁錮には定役がない」

 専門用語好きだねぇ、おまえは「煙巻き君」だな?
 煙巻き君はIDO室用語。専門用語を速射砲のように撃って、相手を煙に巻く議員や官僚を指す。

 「そもそも、禁錮に定役が科されていないのは、政治犯のような名誉拘禁には、労働を科すべきでないという考えがあるのですが、これは、とても労働を卑しむ思想なわけです。この際、IDOのお力で、自由刑の一本化をご検討されては、いかがでしょう?」

 確かに現代においては、少々わかりにくい概念かも知れませんね。でも確か禁錮囚も請願すれば定役に就くことができますよね。囚人の立場から見たとき、それほど大きな問題ではないように思います。
 自由刑の区別は長い伝統を持っているようですし、どうしても片を付けたいと言うのであれば、やはり伝統に則って法曹界で議論された方が、後腐れがなくてよいのではないでしょうか?

 法曹の資格は取ったが、実務経験のない僕の見識を試したかったのだろう。まさか、農林水産大臣の口から自由刑一本化の話しが出るとは思わなかった。所管分野にもっと力を入れた方がよいと思う。

 知っていることは、間違いを恐れず即答する。知らないことは調べる。
 僕が知らないことについて問題提起を受けた時は、七日以内にお返事をすることにして、お帰りいただく。

 ブリーフィングを終えると、幸田さんが録音データを関係省庁に送る。すると24時間以内に、専門スタッフのコメントと提案が付いて戻ってくる。法制化しない場合は文書で回答し、法制化する場合は、再度、問題提起をされた方にブリーフィングに来ていただく。

 IDO室では、こうして大臣からの提言で立法する案件を「天ぷら」と呼んでいる。
 天ぷらとは昭和の時代からの政治の隠語。手際よく法律を国会にあげていく国対委員長をこう呼んでいた。
 IDOに就任して以来、立案から七日以内にあがらなかった天ぷらはない。

 総理とのブリーフィング
 僕の立法管轄には、内閣府、防衛省、国家公安委員会は含まれていない。
 立法ブリーフィングと越権協議は、関係する九省庁の大臣を相手におこなう。 唯一の例外は、内閣府専権事項の場合に来て頂く内閣総理大臣。

 当日のブリーフィングについては、法案名称だけを24時間前に参考人(大臣、総理大臣)に伝える。
 総理に初めて来ていただいたのは「スパイ防止法」だった。

 クリスマス前なのに今日も暑いですね。僕らの世代は、辛うじて冬は寒かったって知ってますけど、今の子供達は雪合戦も知らないんですよね。高橋総理は雪合戦はやりましたか?
 「うーん覚えてないけど、雪だるまと映っている写真はあったかな」

 総理は僕の左肩越しに東京スカイツリーの絵を見ながら考えている。
 そこには、小学生が描いた東京スカイツリーの絵が額に入っている。
 「素朴な絵ですね、どなたが描かれたのですか?」とよく聞かれる。
 東京都のコンクール入選作品らしいですよ。そういつも曖昧に答える。作者の名前は右下の隅っこに小さく書かれている。作者の記憶は頭の隅っこにうっすらと残っている。消しゴムで消そうとしても消えることはない。

 右肩越しの壁には、青空を突き上げる赤いチューリップの写真。
 僕がまだ小さかった頃、家族でチューリップを見にいった。それは春になると新聞記者だった父が、年に一度だけ連れて行ってくれる家族旅行だったらしい。
 チューリップは春の風物詩。子どもの頃チューリップは春咲く花と習ったが、地球の気温が上がったため、春のチューリップは五日と保たなくなった。気温がたまに10度を切ることもある冬になると、チューリップは2週間ほど花をつける。

「独裁者」もくじ

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2008年6月10日 (火)

立法ブリーフィング

 ・名字の君呼び、さん呼び
 入省歴の上下を問わず、就業時間中にお互いを呼ぶ時は、男は名字の君付け。女は名字のさん付けで呼ぶ。
 「ちゃん呼び」は禁止した。
 上司が一部の部下だけを「佐野ちゃん」と呼ぶことがある。本人は親しみを込めているだけなのだが、親しみを込められなかった傍の人にはとても感じが悪いからだ。
 さすがに僕を佐野君とは呼びにくいだろうから、僕は「IDO」と呼んでもらっている。

 ・遠慮なくつっこむ
 立法ミーティングで僕が出した法案には、遠慮会釈なしにつっこでもらう。遠慮されると、些末なものごとについての法律が出しづらくなる。

 千日で千法を作るのが自らに課したノルマだが、千日満遍なくアイデアが出るわけではない。
 そこで、アイデアが出ない時のために、法案を書きためておくことがある。溜めておいても国民が困らないようなことだから、些細なことが多い。
 目標法「テレビは夜八時まで法」などは、その一つ。
 子どものテレビは夜八時まで。八時過ぎに見たいテレビ番組があれば先に勉強を済ませて、お風呂に入る。
 「今日は 7時から宿題をやるから、8時から ワールドカップ予選 を見てもいいでしょ?」
と子どもが言えば、そこは親子での話し合い。土日は時間制限を設けていないので、録画して週末に見せる家庭も多い。こうして、ほとんどの子ども番組は録画で見られているため、CM明けまで展開を引っ張ったり、CM明けも導入を繰り返したりという手法は絶滅した。

 「これって、ブリーフィングは文科省ですよね。多摩川大臣はなんかひとこと言いそうですよね」
 「家庭の問題を法で裁くのか!ってね」
 文科省から来た田中君と別府さんのつっこみがはいる。物言う分別のある彼らの、自由なツッコミからアイデアが膨らんでいく。
 結局、同法では「テレビは八時まで守りましたカード」のハンコが一か月埋まると、100ポイントを付与した。
 「おじいちゃんが『夏休みになるとラジオ体操のカードを、ハンコで埋めるのが楽しみだった』って言ってたんですよ」
 という田中君の言葉がきっかけになった。

 毎週水曜日は、犯罪統計を見ながらのミーティング。
 殺人、強盗から道での痰吐きまですべての犯罪は、その日の入力分が日次で集計され、関係省庁の権限保有者が閲覧できる。この情報の国民への開示は一月と七月の年二回とした。過去分については、1970年以降のデータをCSV形式で開示した。

 凶悪犯罪は、日本が「世界の工場」と呼ばれ始めた2010年以降減り続けており、2035年に僕がIDOに就任した後も、その流れが続いている。
 高度成長、バブル、失われた一〇年、世界の工場、思考停止の一〇年と、それぞれの一〇年期に冠がついている。
 過去70年の犯罪数推移と時代の冠には、どのような因果関係があるのだろうか?それを国民に考えてもらいたい。それが1970年という、かなり昔のデータから開示した理由だ。

 15:00 ブリーフィング
 午後三時からの一時間は立法ブリーフィング。各省庁の大臣がIDOラボにやってくる。

 ブリーフィングに呼ぶ方の呼称を「参考人」とした。参考人という呼称は衆議院、参議院でも使われているが、ここでは少しルールが違う。
 衆参各委員会では、規則により参考人は議員に質問することができない。ただ質問を受けるだけだ。
 それでも時々、規則を曲げて委員長に質問を迫る人がいる。衆参のインターネット中継で見ていると、それはそれで面白いが、衆参の規則は変わらない。

 一方、IDOの立法ブリーフィングでは、参考人は法案について質問をすることができる。
 立法内容のブリーフィングは、所管省庁の大臣を相手に行う。官僚の出席は禁止。僕はメディアとは直接接触しないので、この場が唯一、世間との接点となる。これは、就任条件として橋本に出した四つのお願いの一つ。

 まず、僕からのプレゼン。手書きのメモをスクリーンに映し出す。
 総合日本商事で、僕がつくったソフト「セールスマッピング」も使わない。
 上げ足をとられぬよう周到につくるスライドショーは、ここでは必要ない。
 人間の脳はいったん視覚に訴えられると、ことばは聞こえなくなる。すると画面に書いていなかった文言を口頭で補足しても頭に入らない。ブリーフィングは十分な理解を得ることが目的なので、それでは困る。

 2000年代には猫も杓子もプレゼンに使っていたスライドソフト。グループウェアという電子的なスケジュール管理。隣りに座っているのに会話もしないワークフロー(電子決済)..
 先進国のビジネスマン達は、時間をハードディスクに捨てているだけということに気付くのに、20年を要した。失った時間は実にもったいなかった。もし20年前に、僕が独裁者になっていたら、スライドソフト、ワークフロー、そしてERP禁止法を出していただろう。

次回は6月12日(木)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月 9日 (月)

意識調査ウェブ

 「仮面ライダーの定期的な再放送をお願いします」
 東京都・曽我さんの意見は笑って却下した。

 僕と曽我は昭和を知らない世代だが“ヒーローは昭和にしか存在しない”という持論を立証すべく「東大ヒーロー研究会」を立ち上げた。学校から予算もつかない愛好会なので、行動力だけが命。

 「ウルトラマンをAタイプでリメイクせよ!」
 「九月一五日を仮面ライダー旧一号の日に認定せよ!」
といった横断幕をつくっては、バンダイの埼玉工場に座り込みに行って、ひんしゅくをかっていた。昔の仲間は、時々こうして酔狂な法案を送ってくる。

 「意識調査ウェブ」は、国民の意見を聞きたい時に使う、ボランティア・ネットワークとして立ち上げた。
 国民の有志が得意分野を事前に申し出る。
 20のカテゴリーについて、それぞれ1,000人、合計2万人が登録している。報酬として日本ポイント制度から1,000ポイント付与される。

 僕が質問を投げかけると、IDO室員が15分以内にアンケートページを立ち上げて、60分以内には少なくとも 100人以上の意見が集まる。
 アンケートページが更新されるのは、いつも午前11時頃。ポイント狙いの人たちは、その時間になると画面の前で待ちかまえているらしい。

 18人のIDO室員は、出身省庁の事務所に席を置いている。
 幸田さんへの連絡はすべてメール。
 午前中は幸田さん以外の人と顔を合わせることはない。
 IDO室の電話は発信専用であり、終日電話のベルが鳴ることはない。

 午前中の三時間は一人で法律を考える時間。これが、一日で最も幸せな時間だ。
 こういう時、上司がいないことを実感する。
 今この瞬間にも、おかしな上司に囲まれた人がたくさんいる。
 そのうちの数人は、恨みを文章にまとめている人もいるかも知れないし、せっぱ詰まった人は、ビルの非常階段に出て、落ちたら痛いだろうなと考えているかも知れない。

 法務省、そしてサラリーマン時代、いい上司に恵まれる時もあれば、そうでない時もあった。
 順境の時には、上司からのストレスがないことを日々、感謝しなければならない。
 しかし、逆境の時にはどうすることもできない。部下は上司を選べないのだ。

 「アホ上司禁止法」はすべての上場企業が対象。
 管理職の人事評価に、部下からの評価を10%以上、組み込むことを求めている。
 施行当初、メディアは「部下を接待する上司が現れるのではないか?」と危惧していたが、現実には、そんなわかりやすい上司は現れなかった。

 12:00のチャイムが鳴ると昼休み。この日初めての食事。
 就任当初は、昼食をとりながら打合せをしたいという要請が入っていたが、すべてお断りした。
 お昼はサンドとカフェオレ。ついでにスポーツ新聞も・・といきたいところだが、この界隈にはコンビニがない。かといって「永田町にコンビニを設置する法」を作るというわけにもいかない。IDOになって淋しいのは、コンビニに行けないことだ。
 初めの一か月はIDO室のメンバーが誘いにきて、国会の食堂まで足を運ぶこともあったが、その後は独自に取り寄せたお弁当を、IDOラボで食べている。

 13:00 立法ミーティング
 15:00までの2時間は、立法ミーティングに充てる日が多い。
 いつもはIDO室の20人が出席する。参考資料や意見が欲しい場合、当該の議員、官僚、参考人に来てもらう日もある。

 IDO室のスタッフを、各省から男女9人ずつと要求したのは、それが社会の現実というものだからだ。

 2019年10月、僕はFE設立事務局から法務省には戻らず、民間の総合日本商事に移った。
 3年間、総合企画部にいたが、身の回りはなぜか男ばかりだった。受注センターや発送センター、地方の出先に行くと女ばかりなのに...

 ある時、僕は発見した。
 男ばかりの会議に一人でも女が入ると、会議の質が変わるのだ。
 ほとんどの男は、男ばかりの会議には“仕事の鬼”の顔で入ってくるのだが、女が混ざる会議では“戦う勇者”の顔で入ってくるのだ。

 考えてみればわかることだ。我々が住んでいる社会は男女ほぼ半々。
 それが、密室に男ばかり集まれば空気が変成する。心が鬼になっても仕方がない。
 メンバーの経歴を入省8年未満に限定したのは、社会に近い人達だから。
 学校を出て間がなく、学んだ情報が新しい。まだ既得権に縁が薄く、それに固執するよりも壊して新しくした方が自分たちに有利なことを知っている。

 IDO制度の生みの親は、もう少し上の世代の官僚たち。
 本来ならば、ご苦労された官僚の中からIDO室員を人選したい。ただ、千日で千法をつくるというスピード感を出すために、こういう人選にした。

 IDO室の掟
 IDO室では、20人で守るローカルルール「IDO室の掟」を共有している。
 これは独裁者の僕が決めるのではなく、幸田さんを含めた20人がアイデアを出し合って決めている。

 ・長音使用の遵守
 IT技術者に限らず、コンピュータ、サーバという長音省略がすっかり社会に定着している。だが1991年の内閣告示は、英語の語末の-er,-or,-arなどに当たるものは、原則としてア列の長音とし長音符号「ー」を用いて書き表すことを推奨していた。
 IDO室員は、長音をきちんと書くことを申し合わせ、法令の記述も同様にしている。

 ・質問に質問を返さない
 質問をされたら、端的な答えを返す。少々質問の意図が不明瞭でも、意図するところをくみ取って答えを言う。質問に対して反論という形での返事をしない。

 ・いつも大変お世話になります禁止
 部内のメール、文書はいきなり要件から書き出す。辞書登録していたり、テンプレートで始めから入っているような、気持ちのこもっていないことばは使わないことに決めた。
 文末で要求に念押しする形での「よろしくお願い申し上げます」も禁止。

 ・必要以上の敬語を文書に使わない
 IDO室のメンバーはきれいな日本語を使う。会話はそれでよいが、文書に書くのは時間が惜しい。文書ではお互いに対する敬語、謙譲語を省略する。僕あてに文書を出すのは幸田さんだけだが、あまりに気軽な文体なので、他の人が見たらぎょっとするだろう。



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2008年6月 6日 (金)

僕が独裁者になったら

 草案作成
 8:59 幸田さんが入室。9:00始業。
 一日の仕事は「僕が独裁者になったら」のメールと「意識調査ウェブ」のレポートを読むことから始まる。
 業務連絡のメールは一通もない。外部からの相談はIDO室員が受け、それを幸田さんがまとめて、口頭で伝えてくれる。
 僕は立法の独立決裁者であり、予算の執行、残業や交通費の承認といった決裁事項は一つもない。

 「僕が独裁者になったら」は「個人提案法」によりウェブ上に開設した目安箱。広く国民から法案を募っている。
 1日平均200通のメールが届く。ただ国民の大半は、まさかIDO本人が第一閲覧者だとは思っていない。法務省の官僚が予備審査をして、選ばれた案だけがIDOに上げられると思っている。

 愛知県にお住まいのKさん(40歳、男性)は、ある夜いつものように名古屋の広小路通りを走っていた。すると前を走っていたドライバーが窓を開けたかと思うと、タバコの灰をトントンと落とし始めた。
 しばらく繰り返し、終いにはタバコをぽいっと投げ捨て、路面に火の粉が散ったという。
 何かに燃え移ったら危険だし、だいたい車内を汚したくないから灰を外に落とすという根性が気にくわない。死刑にして欲しい。というご意見だった。

 ウェブで投稿される法案の大半が、プルダウンメニューの「適当と思われる量刑」では、死刑を選択している。
 第三者には些細なできごとでも、当事者は大変怒っているということがよくわかる。

 この意見を取り入れて施行した「タバコポイ捨て禁止法」は罰金30万円とした。民間人がデジカメで現場を押さえれば常人逮捕、または通報により後日警察官が逮捕できるようにしたので、デジカメを常備する人が増えた。
 カー用品メーカーからは、サンバイザーに挟んで取り付けるデジカメが発売された。画質は200万画素、メモリーは10枚撮影可能で一個1,000円。この商品はその後、道路で痰を吐いた人や、自転車の三人乗りなどの常人逮捕用に改良されて、ヒット商品になった。
 そして、この法律は施行三か月後に改正して、罰金を30万円から5千円に下げた。

 人がルールと向き合う時、一番困る反応はルールに寄りかかることだ。
 ルールに反発して抗議するという行動は、人と社会を活性化する。
 ルールづくりはIDOに任せておけば安心だからと、何も考えないのは困る。

 僕は真っ当な人が安心して暮らせる社会にはしたいが、真っ当な人が腑抜けになるのは見たくない。
 そこで一度決めた法律でも、後から罰則や科料を変えた。

 一度「タバコのポイ捨てはやばい」と思った人が、30万円から5千円に値下げされて、どう考えるか。
 これ幸いとぽいぽい捨て始めるのか、それとも、お金ではない道徳で自律できるか、そこで横着と真っ当の道が分かれるのだ。

 「私のおじいちゃんは週に三回、病院にとうせきに行っています。
 でも病院の前にはバス停がありません。
 バス停は病院から 200m離れているそうです。
 おじいちゃんは歩くのがきついと言っています。
 ある時、病院の先生に『どうしてバス停が遠いんですか?』と聞いたら、病院が建つ前から近くの公民館のバス停があったので、500m以内にはバス停が作れないのだそうです。

 私はおかしいと思い、学校で担任の松尾先生に言いました。
 先生もそれはおかしいと言って、市役所にお手紙を持っていこうということになりました。
 クラスみんなで書いたお手紙を持って、市役所に行きました。
 市役所の人は『けんとうします』と言いました。

 これでバス停ができたら、おじいちゃんは喜んでくれるだろうなと、わくわくしながらお返事がくるのを待っていました。
 でもお返事はなかなか来ませんでした。
 学級会では、みんながいいと思うことは、すぐその場で決まります。
 市役所にいる人たちは公務員といって、みんなのために役に立つことをする人だとお母さんが言っていました。
 だから、きっとすぐ決めてくれるだろうと思っていたんです。

 三か月ほどたってから、学校にお手紙がきました。
 『けんとうした結果、バス停を作ることはできないです』
と書いてありました。バス停の間は500mあけなければいけないということと、病院の前がカーブになっていて、見とおしが悪くて危ないのですということでした。
 私は、病院の前に並んでいるタクシーや、お迎えの車が道をふさいでいることの方が、よっぽど危ないと思います。
 『これからも意見があったらどんどん言ってください』
と書いてありましたが、私たちクラスのみんなはがっかりしました。

 でも、松尾先生が私に『あとで職員室に来なさいと』いうから行きました。
 すると、先生は『これは先生が言ったというのは内緒にしておいて欲しいんだけど、IDOさんならば法律をすぐ変えてくれるかも知れないから、メールを送ってみるといいよ』と教えてくれました。

 私のおじいちゃんだけでなく、たくさんの人が困っています。IDOさん、法律を変えてください。よろしくお願いします」

 章子ちゃん(一〇歳、女性)からのメールを読んで、
 先生の名前書いとるやん!
とつっこんだ 5時間後に「市民交通における距離規制を禁止する法」を施行。
 バス停の間隔は500mといった条例、規則を禁止した。
 地方自治体案件は総務大臣との「越権協議」となる。
 その日の午後は予定を入れ替えて、谷村総務大臣に来てもらった。
 谷村大臣には「一つ貸しですよ」と言われたが、わかりましたとにっこり笑って、合意した。

 何が貸しで、どう借りを返すのかは、わからない。
 ただ、細かいことにつっこんで、時間を失うことは、結局、受益者のためにならないということを、国連とFEの仕事でよくわかっていた。
 先進国の背広を着た人が、些末な言い争いをしているさなかに、ある地域では、ばたばたと人が死んでいるのである。

次回は6月9日(月)に掲載します。

「独裁者」もくじ

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2008年6月 5日 (木)

法律をつくる軸と使命

 ことばの定義はシンプルなだけではなく、日本の現実に即していることが求められる。
 首都ということばを例にとると、次のような違いがある。

首都
国を治める役所があるところ
(従来の辞典)

首都
行政府(内閣)がある都市。
2035年元旦に法制化された首都は東京。
(日本国用語集)

 言い切りの定義をまず書く。
 改行した後、補足事項を書く。
 当初、旧来の辞典に慣れている学者達からは「説明不足だ」「素人感覚にも程がある」という批判が相次いだ。
 それは、この用語集が慎重な言い回しや、注釈を付けずに書いているからだ。
 詳細に注釈をつけると結論、答えが見えにくくなる。
 専門用語で三つ編みにした官僚ことばは、一般人には理解できない。
 だから、言い切りの定義にこだわる。
 定義には例外がつきもので、重箱の隅をつつき始めたらきりがないのだ。

 夢に向かって努力する人
 =自らの使命を見つけて、実現に向けて努力する人がいる。
 それには普遍的なことばが必要だ。だが、ことばを習得するためには、圧倒的な知識を必要とする。それには、とても長い時間がかかる。
 この日本国用語集は、短時間で知識を習得する一助となる。
 そして、その内容には国のお墨付きがあるから、あげ足をとられることがない。

 人は「発信する人」と「評論する人」に分類される。

 評論に特化した人の攻撃は、発信者を疲弊させる。
 「あげ足とり禁止法」は、他人に不愉快な思いをさせる権利を制限する目標法。日本人が悪意に満ちた反論を恐れず、のびのびと発言できる社会を目指した。

 他人の上げ足をとってはいけません。
 反論は建設的な対論を持つ人に許される行為です。
 ものごとの本質の議論に対して、枝葉末節の議論をぶつけて混ぜ返すのはやめましょう。
(あげ足とり禁止法)

 一連の立法効果により、2038年のSR値は 39対61となり、34ポイント改善した。

 法律を作る軸と使命
 法令の開示はシンプル第一とした。
 従来法の条文は、まず見出しで始まり、条立て、章立てで列記されている。
 だが、中には条がなく項だけのものもある。
 中には「第一条ノ二」と「第一条二項」は別ものであるという、紛らわしいものもあった。

 そこで「法令公開法」により、IDO法はすべてハイフンつなぎに簡易化した。
 国会とIDOがつくる新設法令は、同一体系で採番されてカウントアップしていく。
 従来法は1条1項1号という旧表記のままなので、ハイフンつなぎのIDO法はひと目でそれとわかる。

 また従来法では、条項を跡形もなくする時は「削る」。その条項の中身を無いことにする時は「削除」と書いていた。これもややこしかった。

 従来法では、法令の条文は途中が抜けると、後続の付番を繰り上げる。
 一〇〇条ある法律の第三九条を「削る」と四〇条から一〇〇条はすべて、条の番号を繰り上げなければならない。

 コンピューター・システムの世界ならば論理削除(ユーザーからは見えなくなるが、ディスクには残っている)が当たり前。物理削除(完全消去)するのは証拠隠滅する時だけだ。
 新設した法令公開法では、無効とした条文は「削除」に統一した。その条文が欠番になるだけで、繰り上げ作業は無しとした。

 IDO法の名称や条文には、ほとんど外来語がない。
 わかりやすさからすれば、外来語を使った方がよい。その方が何も考えずにすんなりと耳に入ってくる。
 だが、法令はCMのキャッチコピーとは違う。
 日本に暮らすのならば、カタカナを日本語に言い換える妙を楽しんでもらいたい。
 もちろん“ミッションクリティカル=信用でき、消失すると甚大な影響がある”のように、日本語に言い換えると難解になるものは、外来語のまま使う。そこは臨機応変に対応した。

 「法令ウェブ公開法」により、全法令を法務省が「法令検索ウェブ」として公開した。
 従来法の場合、民法一条一章一項は、
 
http://www.*****/minpo/1_1_1.html
 IDO法の場合、民法1-1-1は、
 
http://www.*****/minpo/1-1-1.html
 ウェブで法令を見た場合、アンダーバーが従来法、ハイフンがIDO法というように簡単に見分けがつく。

 本来、憲法とは国と国民の約束を記した文書。
 国が国民に保証することや、国民に示す規範をしたためている。

 一方、法律は、憲法に沿った、人と人、国民同士の約束に当たる。

 だが、その約束の中身は「人を殺したら死刑かも」といった、罪刑ありきで処罰が規定されたものであり、なかには罰則がない法律も多い。

「NHKの受信料は放送法で支払義務があるけれど、罰則がないから払わなくても平気だよ」
という身勝手な解釈がそこに成立する。罰則がないのならば、法に従わなくてよいという人は少なくない。
 IDO就任時、自らの指針として、三つの軸、一つの使命を決めた。

 三つの軸
  一、人間として正しいか
  二、横着者の権利を制限する
  三、支配者の権益を作らない

 使命
 日本人が真っ当に生き、他人のために役立とうと思う社会にする。
 その社会の実現が僕の使命。これに見合う法律を作り、見合わない法律は作らない。

 三つの軸・一つの使命は、紙に書いて、執務机のコンピューター・ディスプレイのアームに貼った。5年経った今、日に焼けて縁の色が変わっている。

 僕が軸とするこれらの指針は公にしていない。ことばがそこにあると、人は思考を止める。ことばがあると、すべてわかったような気になってしまう。
 真実は想像の中になければならない。

三 IDO短信

 居室で 8:00に起きる。これまでの人生では通勤時間 10分ということはあったが、さすがに通勤時間 1分はない。
 私邸まで帰れば、往復で1時間を失う。警備も大変だ。
 ここにはトイレもあるし、ゆっくり湯船に浸かることはできないが、シャワーもついている。
 法務省に尋ねるとここで寝てもいいと言うので、二万円で折りたたみベッドを買ってきて、執務室の隣にある居室を住処にした。

 8:15 IDOラボに入り「アンパン」でコーヒーを淹れて飲む。
 アンパンはコーヒーメーカーにつけた名前。KLにいた頃の愛用品を持ってきた。渋皮を取るミル付きの機械を買い足して、ミルが二台になった時、アマさんのタバサの提案で名前をつけた。ニューヨーク時代から使っていたミルは「ドスサントス」と命名した。

 アンパンは住んでいた住宅街の名前。今となっては、アンパンでコーヒーを淹れるなんて紛らわしい名前をつけたと思う。
 KLでは変圧器をつけていたが、今は外している。電気製品は日本製しか使ったことがない。

 コーヒー豆は、ストレートとブレンドを各一種類ずつ、毎週届けてくれるブルースターコーヒーと年間契約している。
「自給可能食糧自給率一〇〇%法」により、自給可能な農産物はオール国産になったが、コーヒー豆は今も輸入が続いている。

 ここに来てからは出張というものがなくなった。
 毎朝同じところで起きて、コーヒーが飲めることに、いつも幸せを感じていた。
 出張がない人に、この気持ちは理解しづらいだろうが、家族がいる自宅に毎日帰れることは、とても幸せなことだ。

 朝食は中学生の頃から食べていなかったが、26歳の時、朝食は有害であるという説に出会って以来、自信をもって食べなくなった。
 「朝ごはん条例」を施行する町があるくらいで、日本では“朝食必要説”が圧倒的優位だ。
 でも僕は、自分が信じるものを取り入れる。だからといって、他人には押しつけない。

 IDOラボでの飲食は、すべて自前。
 自分のお金があるのだから、誰にも後ろ指をさされず、好きなものを買うという当たり前のことをしている。



「独裁者」もくじ



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2008年6月 3日 (火)

日本国用語集

 日本の教科書法
 生涯学習は臨教審が提唱し、1988年に生涯学習局ができたが、持続的で成功した試みとは言えなかった。

 日本のサラリーマンは、学校卒業まで集中して教育を受け、その後は定年まで働き続ける。
 会社と社会を経験してこそ、見えてくる学びの種は多い。
 科学技術は大きく進歩するため、学校に通っていた頃の知識はすぐに古くなる。
 しかし、ほとんどの人は学校を卒業した時点で、学ぶことをやめてしまう。
 社会人が再び学校に戻って学ぶ「リカレント教育」という概念は、1980年代に登場して、定着せずに消えてしまった。

 小学生から大学生には、学校の教科書があるが、社会人になると手元に教科書がない。
 社会に出てからの時間は、学校にいる時間より数倍も長い。

 財政投融資とはどんな制度だったのか、なぜスペイン語を話す国が多いのか、アフリカの国境線はなぜ直線なのか・・
 ふと疑問が湧いた時、手にとれる教科書があれば、社会に目を向ける人が増えるはず。

 「日本の教科書法」では、文科省が年次版「日本の教科書」を作成して、毎年 4月20日に全戸配布する。国語、算数、社会、理科の合本。国語と社会により多くのページを割いている。
 署名記事ではないが、社会科の「国際社会と日本」のページ前文は僕が書いている。

 1980年代までの日本政府は、軍事費が割安に済む分を公共事業に回していました。
 しかし、事業の決算をしなかったので大半が赤字になりました。国と地方の財政赤字は 1,000兆円を超えました。
 国が使い込んだ郵貯、年金は別の名目で国民に払ってもらわなければなりません。福祉目的という説明で増税が行われ、医療費と年金の負担も増えました。
 2000年代に入ると、中央省庁改革が行われ、特殊法人の資金源を断つために郵政民営化が行われました。
 国内が大変なんだから、海外に援助するなど以ての外という政治家、国民が多く、日本のODAは減額が続きました。
 2010年代に入ると、日本は「世界の工場」と呼ばれるようになりました。
 工作機械、ソフトウェア、運用技術という工業の三本柱が日本の独壇場となったためです。
 日本が何かを作るたびに、世界のどこかの国で産業が消えるという図式が生まれました。
 日本への風あたりは強まり、政府はODAをGNP比 0.7%拠出するという1970年のUN決定を、40年遅れでようやく承認しました。

 日本の発展はアジア各国の羨望の的でした。
 できれば、日本にアジアのリーダーシップをとって欲しい。そうアジア諸国は考えていました。
 2019年、日本はようやくその声に応え、かねてからオブザーバー的な参加に留めていたEAECを改組。より実戦的な極東経済共同体(FE)を組織したのです。

 巻末には前年の統計資料が載る。
「企業別研究開発費ベスト100」「企業別違法行為摘発件数ワースト100」は就職活動をする者にとって、重要な指標となっている。

 日本国用語集
 2034年当時の日本には、自らのことばで普遍的な価値を定義して発信する人は、ほとんどいなかった。
 誰もが中傷や批判、否定を恐れ、ネットでの情報発信を控えていた。
 インターネットが普及している国の、情報発信と受信を対比した指数「SR値(Send and Receive値)」では、日本は先進国最下位。
 2030年まとめでは、発信対受信が 5対95 となっていた。

 易しい文章が書けないのは、知識が足らないのだ。 小泉信三

 文章は答えである 文章の目的は「わからせる」「長く記憶させる」ことだ 谷崎潤一郎
            (ことばの定義法前文)

 人と人はことばでつながっている。
 ことばは笑顔を引き出すこともあれば、ナイフを引き出すこともある。

 IDOという制度の成否は、国民がことばにこだわりを持ってくれるかで決まると、僕は考えていた。
 そこで、国民が共有する用語集として「ことばの定義法」により「日本国用語集」を立ち上げた。

 素人はものごとを複雑にする。プロこそがものごとをシンプルにできる。
 素人は曖昧な知識と想像でものを言うため、話しがややこしくなりがちだ。
 一方、プロこそがその深い知識をもって、易しいことばで語るべきなのだが、そういうプロが少ない。
 言質をとられることを恐れて、難解な文章を書いてしまう。
 素人を煙に巻くために、確信犯的に専門用語を多用するプロも後を絶たない。

 このようなわかりづらい社会では、日常会話はスムーズに運ばない。
 話し合いは平行線を辿り、何も決まらない。
 人と人、異なる会社、役所、組織の折衝に時間がかかるのは、圧倒的な知識でその場をコントロールする人材が不足しているからだ。

 日本国用語集では、あらゆることばは短い言い切りの形で定義される。
 作るのは国。
 「あげ足とり禁止法」により、上げ足をとる人はいないので、クレームを恐れて、言い訳を並べる必要もない。

 国民は、知りたいことばが載っていなければ「このことばおしえて帳」に、リクエストを書き込めばよい。

 制作主幹は法務省。
 各省庁に編集担当者を配置した。それぞれの省庁はさらに専門家と契約を結び、新語・流行語についてはインターネット技術を使い、一般投稿も求めている。

 サービスレベルは、法務省があることばについて定義を要求してから、60分以内に回答を公開することを求めている。

 「参考人」「政府筋」「官尊民卑」といった政治用語から「録臭機」「絶対発毛」といった最新のヒット商品まで、国民の誰かが疑問に思ったことばはすべて収録されていった。



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2008年6月 2日 (月)

日本ポイント制度

 住民基本台帳番号の先駆けは、1970年に検討された統一基本コードだった。
 当時の参議院議員中山太郎氏が「一億総背番号」を提唱した。
 彼が25年後の社会として想定していた社会は、その実現に50年を要した。
 想定より実現が25年遅れたのは、一億総背番号(住基ネット)の安定稼働に40年を要したためだ。
 一旦住基ネットが稼働すると、そこからの道のりは平坦で、一気に電子政府化が進んだ。

 提唱された当初“国民背番号制”と聞くと、背番号を背負った国民が隊列を組んで戦場へ行軍するシーンを浮かべる人が多かった。
 メディアが「いつか来た道」というテロップをつけて、そのようなイメージ映像を流したからだ。

 住基ネット反対派の論拠は 2つに集約されていて、1つは情報漏洩の危険性、もう 1つはプライバシーの侵害。
 コンピューターなくして一億人もの管理ができないことは、2000年代には日本国民の共通理解となっていた。
 2002年に運用開始した住基ネットの主キーは住民基本台帳番号。コンピューターシステムはユニーク(唯一無二)な番号を振らなければ、システムが成り立たない。

 「セキュリティは大丈夫か?」
 法務省時代、僕にこう言った上司がいた。
 永遠の課題と言われていた行政・司法の住基ネット相互乗り入れを研究していた時だ。
 僕は、はい!と即答した。

 俺は心配したからな。お前が大丈夫って言ったんだからな。俺は知らないぞ。
 上司は言外にそう言っていたのだ。
 責任者が責任を部下に押しつける。こういう言い回しが、いかに無責任な態度かを、言っている本人は気づいていない。
 これから初めてやることがすべて“大丈夫だ”とわかっていたら、世の中から失敗はなくなってしまう。

 不思議と、セキュリティ云々を心配する上司に限って、スタンドアロンとネットワークの違いさえ理解していなかった。
 自分の仕事のことなのに、コンピューターという機械が介在すると、それは“コンピューターのこと”になってしまうらしい。
 コンピューターのことは自分の専門外であり、どんな事態が起きようとも責任は自分にはない。このような責任逃れが、2000年からの20年間、職場という職場で諍いの種になっていた。
 日本はいち早くこれを乗り越えたが、これを乗り越えた国は、2039年の現在でも、まだまだ数えるほどだ。

 税金を無駄に使うな! 公務員を減らせ!
と言いながら、住民をコンピューターで管理するなというのは、論理が破たんしている。
 技術の進歩と、法整備による不正への厳罰化により、2020年には、住基ネットに関するセキュリティの懸念は去った。

 残っていた懸念は2つ。
 徴兵制に使われるのでは?
 年金未納者のあぶり出しに使われるのでは?

 反対する者は憂鬱を論う。
 結論を言えば、使うに決まっている。
 問題なのは使うことではなく、徴兵制が実施されるような事態を迎えることであり、年金未納という違法行為の方だ。

 確かに、面と向かって「お前を管理する」と言われたら違和感を覚える。
 だが、久しぶりに訪れたホテルで「佐野様ご無沙汰しています」と言われると気分がいい。管理されて嫌なこともあるが、嬉しいことだってある。
 僕は背番号が、真っ当に生きることを保証する目的に使われる。その実例を早急に示すべきだと考えた。

 日本ポイント制度
 IDO就任の翌週「日本ポイント制度法」を公布、三ヶ月後より同法を施行。日本ポイント制度を開始した。

 1999年から始まった地域通貨と、2000年から各地で試行されていた時間預託制度を統合。これを国全体で運用し、社会福祉に限らずあらゆる分野に適用する。

 1999年に滋賀県で「おうみ」が誕生して以来、最初の10年で400~500。2030年には1,000と言われる地域通貨が存在していた。
 この“と言われる”が妙だった。

 IDO室のメンバーに調べさせたところ、中央省庁はどこも地域通貨の実態を正確につかんでいなかった。
 「地域通貨統合法」を施行して、まず地域通貨の概要、サービスと地域通貨の交換比率を、自治体から財務省に届けさせた。

 住民個々のポイントは、それぞれの自治体で管理する。
 既存の地域通貨から日本ポイント制度への読み替え作業は自治体の仕事。
 長崎県北部の地域通貨「あご」の場合、老人の慰問が「1あご」ならば、国民ポイント制では3000ポイント。

 これら一連の作業を 3ヶ月で終え、1円=1ポイントの日本ポイント制度がここから始まった。
 顕彰すべきことには、賞金ではなく「ポイント」。
 軽犯罪のペナルティとしては、懲役の軽いものという意味で「役務」を定義した。

 犯人検挙や消火・救命に貢献した場合は、10,000ポイントが付与される。
 こうして、あらゆる「お役立ち活動」はポイント化する。そのポイントは、時間預託リストに掲載されたサービスを受けるという形で利用できる。

 軽犯罪を犯した場合はマイナス・ポイントが付与される。
 マイナスが10,000ポイントを超えた時点で、一週間以内に決められた役務を消化しなければならない。
 ただし、役務消化が義務づけられるのは軽犯罪によってマイナスとなった場合のみ。
 お年寄りが、時間預託サービスの買物代行を頼み続けると、ポイントがマイナスになるが、そういう場合はマイナスとなっても構わない。

 外国には、ボランティア活動 50時間といった罰則規定がある。
 懲罰活動に“自発的でほとばしるもの”という意味を持つボランティアということばは似合わないので、僕は役務と名付けた。役務と言っても、やっていることは「お役立ち活動」と同じ。傍目には両者の違いはわからない。
 お年寄りの買い物代行をしている人が、ボランティアでやっているのか、軽犯罪の役務としてやっているのかは、傍でみている人にはわからないのだ。

 制度の対象者に年齢の上下制限はなく、まさに、ゆりかごから墓場までの制度。
 ポイント管理は、住民基本台帳番号を主キーとしたデータベースでおこなう。 国民は日本ポイント制のウェブサイトで、自分のポイント状況を確認する。
 そのウェブサイトへのログオン・パスワードは1年に1度、変更しなければならない・・といった、面倒は廃止した。
 住基ネットの安全性を技術面から高めることで、そういうユーザーにかける負担を減らせるのだ。
 「責任逃れ隊」のお役所、企業内のシステム担当者には、ユーザーのせいにできる部分を残そうとするところがあったが、そういう風土を一蹴したかった。

 同時に「SSO(シングルサインオン)法」により、すべての行政サービスと、民間サービスへのログオンは住基番号+個人別共通パスワードとした。
 これで日本人は、いろいろなIDやパスワードを覚えなくてよくなった。



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2008年5月30日 (金)

匿名メールアドレス禁止法

 彼女は、相手が理解するのに十分な単語だけで話す。
 言い訳のための付け添え、あげ足をとられぬよう先回りした言い回し、いわゆる官僚的なことばは使わない。

 あえてあと一言を言わない。
 その潔さは、あなたを信頼していますというメッセージだ。
 寄せられた信頼に、人は信頼で応える。言い訳は言い訳を呼び、あげ足取りをする人には、あげ足取りが返ってくる。彼女は人と人が信頼し合うことの本質を、よく理解している。

 IDO任期の5年間、就業日で1,000日。毎日、最低 1つの新法を作る。IDO千法、その記念すべき第 1号は、あとに続く新法の礎になるものにしようと思っていた。

 匿名メールアドレス禁止法
 メールアドレス取得時は、住民基本台帳番号の登録を必須項目とする。
 メールサービス事業者はアドレス申請画面で、住基番号を必須としなければならない。
 事業者は、申込みを受けると、住基ネットセンターに照会データを送る。
 センターは 10分以内に回答する。インターフェースのデータ項目は「住民基本台帳番号」「氏名漢字」のみ。
 ここでデータの不整合があった場合、メールアドレスは発行できない。不正申請者には、マイナス50万ポイントが付与される。

 また事業者は、検察官の求めがあった場合、犯罪に使われた恐れのあるメールアドレスについて、登録全情報を開示しなければならない。
 一人でいくつでも取得でき、ほとんどが匿名登録されていたフリーアドレスは「フリーアドレス破棄法」により、3か月以内に全廃する。

 29年前の2005年には、特定電子メール法が施行されて「発信者の詐称」「迷惑メールの送信」が禁止されていた(一年以下または 100万円以下の罰金)
 しかし、匿名のフリーアドレスには規制が無く、それがネット上で個人、企業の誹謗中傷に利用されてきた。

 気味の悪い匿名社会は、真っ当な人々から、情報発信意欲を奪った。

 「ゲームが脳に悪い?根拠はあるのか?」
 「外国人移住者を受け入れたら、ますます田舎が寂れるだと?地方をバカにしてるのか?」

 フリーアドレスから発信されるあげ足とりを嫌って、ブログの書き手は全盛時の3分の1。3百万人代に落ち込んでいる。

 情報発信側は、企業Webページのブランドを背負っている。
 フリーアドレスのブラックメーラー達は、相手が強く反論できないことにつけ込み、言いたい放題をくり返す。こんな横着者から真摯な著作者を守らなければならない。

 @禁止法
 「アットマーク禁止法」では、2035年2月以降、メールアドレスに@の使用を禁止した。既存のメールアドレスを一掃するためだ。
 @に替わる記号は凸。
 これ以降、すべてのメール事業者は、@を含むメールアドレスから発信されたメールを、迷惑メールとして、メールサーバー側で削除しなければならない。
 僕のアドレスは ido凸ido.jp となった。

 会員から個人情報を取得しているプロバイダーが発行したメールアドレスは、@を凸に置き換えるだけで使うことができる。
 フリーアドレス業者にはドメイン名(@から右側の部分)の変更を義務づけ、旧フリーアドレスのドメインも削除対象とした。

 2000年代から凹む(へこむ)が、落胆を表すことばとして広く使われるようになった。僕はこの日本特有の凸という文字に、メールが人を楽しい気持ちにさせるという願いを込めた。

 また、迷惑メールの巣窟である海外サーバー対策として、後に設置した「独立通信委員会」の管轄下、国内外すべてのサーバーを登録制とした。
 安全が確認されていないサーバーからのメールは、すべて水際で削除する。登録されている海外サーバーに限り@アドレスを通すようにした。

 電子政府
 僕が法務省に入った年に成立した電子三権法により、日本政府は 2020年に電子化を終え、世の中はコンパクトになった。そうしなければ、国と地方の財政は破たんしていた。
 中央省庁と地方公共団体の公務員数は、2010年ピーク時の半分に減った。
 ただ、住民による電子投票だけが普及していなかった。

 「インターネットや携帯が使えないお年寄りはどうする?」
 こういう議員が全国にいたからだ。いつの世でも、こうして反対するのは、導入されると困る人達だ。

 投票率が高い高齢者層だけに、政治家が過敏になる時代は終わりにしなければならない。
 マクロで見て環境・食料・エネルギー。
 ミクロで見て年金・税金。
 地球も国もボロボロにしておいて、次世代のこども達に「はい、ひどい国になっちゃったけど、後はよろしく」と渡す訳にはいかない。最悪でも現状維持で渡すためには、誰かに気兼ねしてはいられない。

 すべての投票を電子化する法
 2034年度いっぱいで、すべての投票を電子化した。
 「お年寄りはどうする」
 そう、ご心配いただいた政治家の声にも答えなければならないので、投票方法の訪問指導を制度化した。
 全国に350のNPOが設立され、その中心メンバーは主婦。
 原資は日本ポイント制度。指導一回は3000ポイント。
 指導といっても、携帯電話、地上デジタルTVのいずれかが、ほぼ全家庭に普及していたので、内容はごく簡単なもので、技術料と言うよりは世間話料といえた。



 次回は6月2日(月)に掲載します。



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2008年5月29日 (木)

FE 極東アジア経済共同体

 「お役所的な言い方で悪いけど、正式決定はIDO法で、就任一か月前までに告示するということになっている。悪く思わないで欲しいんだけど、実は今日の同時間帯にあと八人の候補者と会っているんだ。9月1日に辞令が届くので、そこのところはよろしく頼む」

 そこのところね..
 橋本の口ぶりからすれば、他の八人はダミーで、お前で決まりだからということだろう。後は口の堅さが最終試験というところか。
 そう思った時、橋本の肩越しに、にっこり笑う女性の映像が見えた。
 物静かなたたずまい。見たことのない笑顔。恐らく、近いうちに出会う人なのだろう。

 2034年9月1日、就任 1ヶ月前IDO法による告示リミットの日。
 KLにいる僕の元に、IDO就任の辞令が届いた。

 独立立法決裁責任者 佐野龍一 東京大学卒 福岡県出身
 2034年10月1日、IDO法が施行され、初代IDOが告示された。

 同法施行後も、総理大臣の権限は従来と変わらず、条約・行政・立法に及ぶ。
 IDOは立法に特化した、独立決裁責任者と位置づけられた。

 日本の六法である憲法・民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法のうち、憲法は国会と国民投票で決める。条約は政府が外国と約束してきて、国会が批准を判断する。
 法律の細目を決めた命令である政令(内閣)、省令(中央省庁)、地域住民に対する規制である条例(地方自治体)、国会議員規則(国会)、最高裁職員規則(最高裁)については従来通り。
 IDOが独立決裁する法律は民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法の五法。ただし、行政・司法に踏み込む立法については一定の制限がある。

 FE
 極東アジア経済共同体(Far East)は、EAECを発展的に解消して、2019年9月に組織された。
 2034年現在、24の国と地域が加盟している。
 東アジアの経済共同体は、マハティール元マレーシア首相のライフワークったものだ。それに敬意を表するという意味もあって、本部はマレーシアの首都、KLに置かれた。

 マレーシアは、マレー系、中国系、インド系と三つの民族が共に暮らす国。
 ラーマン初代大統領がマレー人以外を排除せず、華人とインド人にも権限を分割したことで、共存の国ができあがった。

 差異を楽しむ文化があれば、人は楽しく豊かになれる。
 首都の都市名クアラルンプールはマレー語で「濁った川が交わるところ」
 玉石混淆のこの街こそが、アジアの拠点にふさわしい。
 当時の石井総理が本部を東京に置くと言い続けていたら、設立そのものが流れていたかも知れない。

 僕は設立前の一年間、法務省からFE設立準備委員会に出向した。
 外務省が各省に吸収されて以来、海外プロジェクトは餅は餅屋で人が派遣される。任務はFE法の草案固め。

 着任してまだ間もない頃、その「お茶会事件」は起きた。

 当初、発展途上国は、FE拠出金を各国のGDP応分負担とする国連(UN)方式を主張した。これに対して日本は各国一律を主張。途上国にしてみれば、ノブレスオブリージュよろしく、お金持ちこそ応分の責務を果たせということだ。
 僕は反論した。

 援助とはまず、5歳までに 30%以上の子どもが命を失っている、シエラレオネやアンゴラのような国にすべきものです。それから次にODA。そういった援助の拠出額をGNP比率で義務づけようと言うのならば話しはわかります。
 ただ、今話し合っている拠出金は日々の運営費であり、会費のようなものです。
 これから手を合わせて経済共同体を作ろうという時に、会費をケチろうなんてせこいでしょう。皆が同じテーブルについて、同じお茶を飲みながら話すならば、皆で同じお茶代を出すのが五分と五分のつきあいというものです。

 言ったあと、しまったと思った。
 拠出金と食糧援助を一緒くたにした言い方もさることながら、各国の代表を相手に“せこい”は品がなかった。
 僕は自分の失言を引きずる人間だ。一度、やらかすと 5年くらいずっと悔やんでいる。
 この時のことばは僕の心に錨を降ろし、ことある毎に再登場して僕を責めた。

 結果的に日本の主張が通り、拠出金は一律負担と決まった。
 一年後、FE発足パーティの席。
 折衝のテーブルを並べた連中が、グラスを片手にやってきた。
 「あの時のリュウイチの“せこい”には笑ったけど、悪い印象は持たなかったよ。日本の政治家は何を言っているのか、意味がわからないけど、日本の外交官は、はっきりとモノを言うからね。ただ、あまりに英語が流ちょうなんで、ちょっとだけむっとしたかも知れないな」

 博多の実家には、日本文化大好きを自認する、変な外人がよく出入りしていた。
 英語がぺらぺらだった父譲りなのか、高校の頃から発音がいいねと、よく外人に誉められた。英語の歌が得意だったから、ロックボーカリストになって、ステージで「準備はいいかい?」と言ってみたかった。

 「でも、どうしてFEに残らないんだ?日本にレディが待っているのか?だったら、こっちに呼べばいいじゃないか」

 日本には誰も待っていない。逆に僕がKLで待っていたのだ。
 僕は言葉が過ぎることも多かったけれど、それは、ここに来て働く人の仕事をやりやすくするためだ。
 その成果としてFE法には、かなり日本の主張が盛り込まれた。

 そして、来るべき人が来ないとわかった時、けじめとして、このFEプロジェクトから一旦離れることにした。自分で仕立てた、自分に都合のいい環境に身を置くことは、僕の流儀に反するからだ。

 ただ表向きはそうだが、理由は別にもある。それは僕の生き方にある。
 いつの頃からか、僕の人生の使命は、仕組みを作ることだと思っている。
 その時、次は日本に戻って、民間人すなわちサラリーマンをやってみたかった。

 KLから日本への機内で、橋本が今回のIDO選考の経緯を教えてくれた。

 「まず最初に外したのは、見るからに例の国の息がかかってますという奴だな。それから、政治・経済・労働・宗教、各組織の経験者。あとは、国内で立法と司法の経験者、これも外した。
 それで残った中から、今度は官僚まぁ特に法務省な。民間・UN・経済共同体、できるだけ異なる立場を経験していること。あとは、お前にはちょっと言いにくいけど、いろいろな人生経験。そしたら、こうなった」
 こうなったって、そんなの俺しかいないじゃん。

 「お前、何か知ってたのか?昔からそうなんだよな。すべてを見透かしてるみたいで、お前といると、気味が悪い時があるんだ」
 選ばれた理由の中には、こういう一言が欲しいと思っていた言葉は含まれていなかった。僕のこだわりに過ぎない言葉だが。

 7月に交渉に来た時、橋本に「就任の四条件」を出しておいた。
 その中で特に念を押したのが、スタッフ19人体制だ。
 IDOをやるからには、毎日最低一つは法律をつくりたい。
 千日で千の法律。
 それに耐える支援体制として、9省庁から男女1人ずつ、合計18人をつけて欲しい。ただし、経歴は入省8年未満。そしてあと1人、調整役の秘書を入れて、合わせて19人。

 「いつ考えたんだよ?こっちは今日初めて打診に来てるんだぞ?ほんと気味悪いな、お前は。相変わらず…」
 変わってるけどね。
 橋本はどんなジョークにも、滅多に笑わない。
 「自分をカリスマに見せる方法」という本に、カリスマはあまり笑わない方がいい。と書いてあって、それを忠実に守っているんじゃないのか。
 東大・法務省・総合日本商事と僕が行った先々には、笑わない日本人がたくさんいた。
 それに比べるとUNや、ここFEの仲間はよく笑う。

 二 軸と使命

 もう作って、いいんですよね?
 「えぇ」
 幸田千絵さんがにっこり笑う。
 二十歳の頃は、中学生に間違われたというのは無理もない。
 童顔の笑顔は目元が涼しい。

(明日につづく)

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2008年5月27日 (火)

独裁者誕生

一 独裁者誕生

 2034年9月30日、独裁者の第一候補として、羽田空港に降り立った。
 東京は秋の長雨が続いていると聞いていた。滑走路のあちこちに水たまりが見える。
 社会に出てから、節目の日に雨が降った記憶がない。法務省の入省式、ユニセフの任務でニューヨークに発った日、僕が行くところに雨は降らない。
 
 クアラルンプール(KL) まで来てくれた橋本と、小坂を含めても総勢五人という控えめな出迎え。
 大袈裟にしないところに好感が持てる。
 まだ、僕が独裁者になるることは公になっていない。大げさな警備は注目してくださいと言っているようなものだ。
 整備員、グランドホステスに扮した五〇人の警官が、通路を固めていたと聞いたのは、空港を車が出てからだった。
 僕には人の気配がしなかった。
 アジアから帰国する度に強くなる静けさ。熟成された統制なのか、人々がその気配を消す術を身につけて暮らしているのか。

 「モノレールで行くんじゃないの?」
 待機していた黒塗りの車を前にして、帰国一発目のギャグを飛ばしたが、橋本は笑わない。
 羽田からまず私邸にはいる。小坂が探してくれた都内の二LDK。
 アンパン地区で借りていたコンドミニアムに小坂を連れて行き、その荷物が入る広さの部屋を頼んだ。KLに住んでいた五年間は家具を増やさないことを心がけていたので、週三回来てもらっていたアマさんのハブサは、掃除が楽で物足りないとこぼしていた。

 たった一つの希望として、窓から東京スカイツリーが見える部屋をリクエストした。
 「東京スカイツリーのライトアップは平日の22時までだそうです。ご存じと思いますが、環境省の指導でそれ以降はダメなんですよ」
 僕は夕暮れ時、ほのかな灯がはいった東京スカイツリーが好きだ。

 交渉
 2034年7月、
 クアラルンプールの初夏は雨期まっただ中。窓から見えるKLタワーにスコールが打ちつける。それでも僕が事務所を出て帰宅する頃には、雨はあがるだろう。

 前日の午後、橋本から電話があった。
 「明日の五時に、そこに行きたいんだけど、空いてるかな。できれば内々で話しがしたいんだけど」
 背後には発着便の英語のアナウンスが流れている。橋本の語気は強く、ノーの返事は聞かないというオーラが電話越しに見える。KL新空港からFE事務所までは車で一時間とかからない。この一日で他に何か用事を済ませて来るのか。橋本は面談の要件を言わなかった。

 七月中には日本の衆議院で独立立法決裁責任者法(IDO法)が可決される見通しとなった。
 日本は第二次世界大戦後、一貫して議会制民主主義をとってきた。国会は立法機関として機能してきたが、審議から法制化までに時間がかかり過ぎている。

 そこで今回のIDO法は、国民の暮らしにとって緊急度の高い法令を、独立した立法決裁者が迅速に決めていこうという試みだ。
 野党は徹底抗戦の姿勢をみせていたが、ここに来て長期の審議拒否にはいっている。与党は絶対安定多数確保しており、会期切れの七月末までには可決される見通しとなった。
 一日の仕事は、アルジャジーラのチェックから始まる。
 今朝のアルジャジーラ電子版が、そう伝えていた。

 執務室には、すでに秘書のリンと、書記官のナレンドラが席につき、日本からの来客を待っている。

 かき氷が食べたいなぁ

 僕がつぶやくと、華人のリンはまん丸い瞳の前で、かき氷をかき込むポーズを作る。ミルク金時が、東京大学の法科大学院を出たリンのお気に入りだ。

 リンがかき氷の器を抱えて飲み干した時、内線電話が鳴った。
 「午後4時55分入館」
 ナレンドラが声に出して時間を取る。

 「相変わらず自転車が多いな」
 チャンギから入ったの?ジョホールバル辺りはまだそれほど裕福じゃないからね。五年前にFE本部ができてからも、地元にはあまり金が落ちてないし。車で走っていると一番怖いのは自転車なんだよな。

 成田から直接KLに入れば七時間で来る。わざわざチャンギから入り、車でジョホールバルに出て電車に乗り換える。典型的な隠密行動はメディア対策なのだろう。
 連れも後輩の小坂一人きり。いつもの交渉ごとならば、もっと人数をかけて来そうなものだ。橋本は僕がジョホールバルの地名を出した時に、ちらっと視線をよこしたが、スルーして続ける。

 「日本も同じだよ。今年にはいってママチャリの三人乗りで子どもが四人死んでる。ガイドラインとか出したって全然ダメだよ。こうも同じことが続くのは、テレビで事故の報道を見ても、自分には関係ないって思うんだろうな。俺たちが子どもの頃よくあった、パチンコ屋の駐車場で赤ん坊を死なせる親と一緒。バカ親に生まれた子どもが哀れだよ」

 橋本の視線は、僕の右にいるインド系のナレンドラ書記官を捕らえている。人払いしろって言ったのに・・と顔に書いてあるが、ここはFEの敷地内なので、規則により書記官と秘書の同席は譲れない。
 そういう、規則を意地でも曲げないところがお前らしいよと書いた橋本の顔は、緊張して蝋人形のように血の気がない。

 朝、なに食べた?
 「えっ、朝?あぁラッフルズでカレー食べたかな。なんで?」
 昨日はシンガポールにいたと、言い張りたいのだろう。今朝、KLセントラルでカレー食べてたじゃんというツッコミはやめておく。
 いったん間をおく橋本。今度は僕の左に座っている秘書、華人のリンを一瞥して切り出した。

 「ニュースで聞いていると思いますけど」
 おいおい、急に敬語かよ。普通に話そうよ。もしかして、独裁者のこと?

 「いや、独立決裁責任者だ」
 いたずらっぽく水を向けてみたが、橋本はにこりともしない。一瞬ゆるんだ空気を逃すまいとばかりに速攻で来た。

 「それなんだけど、どう思う?」
 うん、やってもいいよ。でも、他にもっといい人いなかったの?

 「え?やってもいいよってお前。まぁ確かにその通りなんだけど。
ほんとか?武士に二言はなしだぞっ。録音したからな」

 江戸時代かよ。だいたい、他人んちの事務所で勝手に録音するなよ。お前の右ポケットのレコーダーと、小坂の携帯で録音してるのは知ってたけどさ。

 ようやく橋本の顔に血の気が差した。
 “交渉”は一分。僕に腹芸の習慣はない。
 僕はどんなに大切なことでも、考えずに決める。
 小さい頃は慎重な性格だったが、中学校の頃から考えずに決めることにした。そうすれば相手に驚きを与えられる。人が一日に 6万回考えるとすれば、従来は100ステップで1案件を決断していたのを、1ステップで決断する。そうすれば、脳の容量にゆとりが生まれ、また、他のことに使うことができる。
 出した答えが正しいか、間違いか。恐れていては時間が惜しい。迷ったために取り返しのつかないことになることがある。だから自分を信じて決める。結果はそこそこに良ければ十分だ。

 独立 independent
 決裁 decision
 責任者 officer

 独立決裁責任者法、通称IDO法は一週間後、第231通常国会の会期残り 4日というところで成立した。野党は 7月に入ってからずっと審議に応じておらず、衆参ともに欠席。与党の強行採決という形になった。

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 「独裁者」は2007年に、ある新人賞に応募した小説です。
 数回に分けて、連載します。 (次回は 5月29日です)

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