2009年12月23日 (水)

安全に、高速のSAで寝る方法

旅に出る3ヶ月前の5月、SAで寝るための情報収集を行った。
防犯の意味で人気のない場所は避けたい。
そこで、24時間オープンのコンビニがあるSAをピックアップ。

次は車内で寝る工夫
クルマをコンビニの前に停める。
一晩寝ると車内はかなり暑くなるので、窓は5mmほど開けておく。
貴重品が外から見えないように隠す。
ドアロックして、エンジンを切ったら、キーをポケットにしまう。

椅子はほとんど倒れないので、できるだけ前にスライドさせて、リクライニング角を稼ぐ。
夜行バスで寝ると思えば、それも苦にはならない。
あとから友達に「あのクルマでどうやって寝たのか」と突っ込まれたのが嬉しかった。

Miyajima 7:40
起床
5時間で目覚める。なんだか寝た気がしない。
広島の空は快晴。昨晩の喧噪が嘘のように、人気がない。

歯ブラシとタオルを持って洗面を済ませる。長距離トラックドライバーになった気分。
お土産に買おうと思っていた、変わり種のもみじ饅頭は跡形もなくなくなっていた。
次に入荷するのは2時間後と聞き、ノーマルのもみじ饅頭を買う。

7:55
いよいよ、長かったこの旅も最終日のスタート。
無事の旅 しっかりと目の前に集中しよう。
エンジンスタートボタンを押すと、カーナビは東京まであと826kmと表示した。

Mascat 9:40
吉備SAで休憩
岡山県ご当地マスカットソフト 300円の看板に惹かれ、この旅3つめのソフト。
旅の始まりは「うどん」にこだわっていたが、いつの間にかこだわりは「ソフト」に移っている。どだい、真夏にうどんにこだわることに無理があった。


マスカットのほのかな香りがするソフトは、つぶつぶ氷の舌触りが珍しい。

長崎県民のひいき目かも知れないが、大村湾の「びわソフト」 ハウステンボスの「チューリップソフト」のほうが美味かった。
10:00 に車内に戻るとハンドルが焼けている。早くも暑い。
東京のゴールまであと 658km
今日も暑くて長い一日になりそうだ。

真庭PAの鯖寿司
勝央SAの岡山地鶏親子丼
をチェックしていたが、スルーして先を急ぐ。
少しでもゴールまでの距離を減らしたい。

「神戸JCT 渋滞15km」
ここまで順調に来たが、近畿エリアはそう簡単に通してくれそうにない。
11:18
三木SAで休憩
クルマに戻り、ハンドルにかけたバスタオルを外し、エンジンスタートボタンを押す。エンジンがかからない!
慌てて、鳴りかけた音楽を消し、エアコンを落とす。車内に静寂が漂い、血の気が引くのがわかる。

バッテリーはこの旅の直前、ネッツの安心10険を受けた際、新品に替えてきたばかりだ。
それでも、この猛暑ではダメだというのか。
保険会社チューリッヒのロードサービスを呼んだところで、小一時間のロスタイムになる。
途方に暮れた。



高速1000円で行く東京-九州の旅日記

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2009年12月22日 (火)

高速に横たわる、真夜中のキリン

九州自動車道に別れを告げ、関門橋から先は中国自動車道。
23時を回っても、まだ渋滞は続く。
時速70km~90kmで巡航する赤いブレーキランプの隊列。
晴れてはいるものの外は暗く、見通しは悪い。
左側走行車線の住人となり、無理な運転はしない。

こんな時、前を定速で走るペースメーカーがいると楽だ。
一定の車間距離を置いて、相手に失礼のないよう後ろに着く。
できれば相手はプロのドライバーのほうが安心だ。
下関JCTから30分ほどは「九州○○運送」のお世話になる。

美東SAまで2kmの看板を確認して、3度目の休憩を決めた。
心地よかった位置を失うのは惜しいが、集中力を維持するためにも1時間に1度の休憩を、自らに課す。
さようなら、九州○○運送さん ありがとう
そう声に出した、前のトラックも左にウィンカーを出した。
これは奇遇だ。嬉しい ・・・ いや

それにしても、PAまでまだ1kmはあるはず。
ちょっと左へ出るのが早くないか?
と思った次の瞬間、前方に異物を捕らえた。
しゃがみ込んだキリンのように見えるのは、道路をふさいで停まる高級外国車。
ハザードが点滅している。
手前に、タイヤが外れて転がっている。
それでしゃがんだ動物のように見えたのだ。

やばい!
前車に倣い間一髪、左の路肩に出る。
この間わずか2秒のできごとだが、スローモーションのように悠々と避けることができた。

バックミラーで確認すると、後続のクルマも次々に左右に真夜中のキリンを交わしていく。この夜中に、ドライバーの集中力はたいしたものだ。

この旅最初にして最大の危機を脱して美東SAで休憩。
山口JCTでは山陽自動車道と分岐する。
当初計画では、いろいろな道を通りたいと思い中国道を予定していたが、NEXCOのウェブサイトで検索すると、中国道は2時間も余計にかかる。
ここは山陽自動車道を選ぶことにする。

0:25
山陽自動車道 富海PAで4度目の休憩。
去年夏、マルハハンバーグを求めて走った徳山西ICを通過。

1:00
本日宿泊の第1候補、下松SAに到着。
この時間でもSAはほぼ満車。立錐の余地もない。
高速1000円の威力は半端ではない。
とても、落ち着いて寝られそうにない。
もうちょっと行こう。

1:54
宮島SA到着
駐車スペースは2割ほど空きがある。
夜も更けてきた。
明日また早く走り始めるためにも、ここを本日の終点とする。

ミネラルウォーターの確保に売店へ入ると、そこには人の群れ。
「真昼か?」とツッコミを入れた。
お土産を選ぶ人、食堂はフル稼働。店員は当然のような顔をして、うどんをざるから器に移している。
翌朝買おうと、もみじ饅頭の品定めをしてクルマに戻った。



高速1000円で行く東京-九州の旅日記

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2009年12月21日 (月)

週末のハイウェイ

20:15
余命を告げられた父を見舞い、佐世保を出発。
来年の里帰りの時、もう父はいないだろう。
これが今世の別れになる。
黙り込んでいる父の手を取り、心でお別れを告げた。

日付が月曜日に変わる前に、武雄料金所を超えておかねばならない。
佐世保から武雄までの西九州自動車道は 「高速1000円」が適用される NEXCO3社の道路ではない。

さらに、福岡ICと太宰府IC間の通行止めも予断を許さない。
もしも雨が降って通行止めになった場合、そこで「高速1000円」がとぎれてしまう。

確実に「高速1000円」圏内に入るには、日付が変わる前に、福岡ICを超えることが必要だ。
そのために、日付変更まで3時間の余裕をもって「佐世保みなと」インターに乗った。

この旅で何度も往復した西九州自動車道。
佐世保駅すぐそばの「佐世保みなと」ICから さらに県北に向けて延びつつあるが、その足取りは重い。
米軍基地あたりまではほぼ完成しており、来年の夏には走ることができるだろうが、その先は新政権によって仕分けに会うかもしれない。

無事、武雄インターを越え、長崎自動車道に流入。
ここからは NEXCO3社の道路。
間違えて、北九州や阪神の高速に行かない限り、休日上限 1000円が適用される。
ただ、なぜだかわからないが、武雄→東京は2600円。1000円というわけではない。

いつもの「Music stylist」ではなく、ウォークマンにいれてきた「2009九州」セットリストを聴く。
カーナビ選びの最優先ポイントは「外部入力端子付き」だったが、この端子にウォークマンをつなぐことは滅多にない。

鳥栖JCTが近づいてきた。
天候は晴れ。
ここまで、クルマは順調に流れている。
友達に教えてもらった Ann Sally の「週末のハイウェイ」が流れてきた。
しっとりとした夜、快調なエンジン音をあげて走る高速
そこにお気に入りの音楽
今、とても幸せな気分に包まれていることを自覚する。
別れの切なさが薄らいでいる。

鳥栖JCTから九州自動車道に乗ると、ぐっと混んできた。
基山あたりは、片側3車線がクルマでぎっしり埋まっている。
カーナビは東京までこの旅が「あと1104km」であることを表している。

無事、福岡ICを通過
これで高速1000円圏内にはいった。
あとは行けるところまで行って睡眠を取る。

この旅スタートから 3308km
めかりPAで、基山に続いて2回目の休憩
クルマを下りると、関門橋のライトアップが美しい。
カメラを撮りに戻り、急いで歩道橋に駆け上がると・・・

Kanmonkyo

23:00でライトアップは終わってしまった。




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2009年12月15日 (火)

高速は日曜に乗れば必ず1000円なのか?

Kanmonkyo

小月インターから中国自動車に乗り、ほんの少し走ると下関インター。
そのすぐ先に関門橋。


九州の人間にとって、下関インターを過ぎてこの橋が見えてきた時の高ぶりは、何度通っても変わらない。

 九州自動車道を八幡インターで下りて、国道200号線を南下したところにあるのが飯塚市。
井上陽水の出身地 嘉穂郡(現在は飯塚市に編入されている)の西隣り。
現在は飯塚市とはいえ、陽水が飯塚市出身に括られるのは違和感がある。
YUIの出身地 新宮町(現在は合併して古賀市)の南東に位置する。
飯塚といえば、前総理大臣麻生太郎の出身地。
女優 肘井美佳の出身地である。
彼女が今後、飛躍を遂げた時、この町は一躍脚光を浴びることだろう。

この町に住む妹のところへ母を送り届ける。
オールド・ガールズトークは二人に任せ、カメラを持って町へ。

Kaho お目当ては飯塚きっての進学校、嘉穂高校。
夏帆のカホではなく、島田歌穂のカホでもなく嘉穂である。
そんなのどうでもいいが

写真のベストスポットを探して、学校をくるりと一周したが、まるで要塞のよう。
どこからも校舎を臨むことができなかった。

翌日は東京へ向けての出発日。
今日はウチでゆっくりと寝ておきたい。
なぜ泊まっていかないのだという、おばちゃんの主張にやんわりと断りを入れた。

かつて営業でこの町を回っていた頃はまだ一部のみだった八木山バイパスは、とうに福岡インターまで延びていた。
九州自動車道、長崎自動車道はお盆とはいえ夜の時間帯は混雑もない。
なんの思い出も感慨も残らぬうちに、佐世保インターを下りて長い一日が終わった。

明けて佐世保最終日
昼間のうちに白十字パーラーで帰省土産の買い物を済ませ 「玉屋サンド」の食べおさめにて、この旅の思い残しは何もない。あとは東京まで無事にこの旅を終えることに集中する。

高速は日曜に乗れば必ず1000円なのか?
これは、復路の日程を組むうえでの最重要ポイント。
事前に NEXCOに問い合わせた。

結論から言うと、NEXCO3社の高速道路から出なければ 1000円。

日曜日に高速に乗る。
日付が変わり<月>になる。
もし途中一度でも NEXCO3社以外の道路に出ると、そこで1000円適用が途切れる。
再びNEXCO3社の高速に戻っても、そこから先は平日料金。

【 1000円が適用されるケース 】
日曜日 佐世保インターから高速に乗る
   ↓
途中で日付が変わり、月曜日になる
   ↓
九州道~中国道~名神~東名 を走る
   ↓
東京インターでおりる。

*全路線に 日曜日の料金が適用される。

【 1000円が適用されないケース 】
日曜日 佐世保インターから高速に乗る
   ↓
途中で日付が変わり、月曜日になる
   ↓
九州道~中国道~阪神高速~名神~東名 を走る
   ↓
東京インターでおりる。

*途中で、NEXCO3社以外の道路である「阪神高速」を利用しているので、そこから先は平日料金が適用される。

 極力混雑する日曜を避け、なおかつ料金は 1000円適用になる。
そのために日曜の深夜に高速に乗り、月曜日を使って東京へ行く。
 下調べでルートを出し、その経路すべてがNEXCO3社の道路であることを確認しておいた。

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2009年12月14日 (月)

心の故郷 豊田町西市のアーケード

「ほたるの里ミュージアム」に入る。
そこは、町の図書館のようであった。

Hotaru 入場料400円を払い、館内に入る。
一転してそこは、愛・地球博のスペイン館のようだった。

 ホタルの一生をリアルなオブジェで見せていく仕掛けは、我が田舎にしては上出来。ホタルの生態をしっかり学べる。

 でも遠来の客を呼べるかというと、ちと弱い。
いつしか目線が、親戚の食堂をみるような角度になっている。
 足早に展示室を抜けると、さてお楽しみ記念グッズ売店・・・
と思ったらどこにも売店がない。
係の人に聞いてもない。


ほたるフィギュアも木屋川ジオラマも、ホタルボールペンすらない。
ここで懐かしの思い出グッズをゲットしようと目論んでいた当てが外れた。

 商売っ気のないミュージアムを後にして、すぐそばにある「道の駅」へ。
ここはとても同じ町内とは思えないほどに混んでいた。
駐車場は満車。
店内は人で溢れている。
 ここにもホタルキーホルダーなどの豊田オリジナルは皆無。
「そういうの、やってないんですよ」
とお店の人がすまなさそう。
観光地でよく見かけるネコのキャラクターと地元のコラボ商品も、まだまだ全国津々浦々をカバーしているわけではないようだ。

売店で売っていたコロッケを2つ買う。
母とおいしい、おいしいねと言って食べる。

 懐かしい西市の町をクルマでゆっくりと巡る。
通っていた西市小学校。
昔友達とふざけていて壊した池の白鳥のオブジェ。
池ごとなくなっていた。
かつて校庭があった場所に校舎が移り、小学校の4年間を過ごした旧校舎は更地に変わっている。

小学校から家まで 2.3kmの通学路をなぞる。
子供の足に、往復 4.6km の道のりは長い。
このお陰で、今も時にはマラソンを走る、しっかりとした足腰ができた。

油がしみこんだ床の図書館が懐かしい町役場。
今は下関市役所支所になっている。

Fukumoto その向かいにある体操着を売っていた文具店。
月に一度学校に「科学と学習」を売りに来てくれた。
建物は同じ場所にあったが、とうの昔に閉店した様子。

町で唯一の本屋も昔の場所にあったが、お盆で閉まっているのか、閉店してしまったのか、外見からは判断できない。

昔のままに営業していた福本菓子舗で、親戚へのみやげに「ほたる饅頭」を買う。 忙しそうだったので、看板にある「いのしし饅頭」とは何かを聞きそびれた。

Arcade この町唯一のアーケードは今もその姿を残していた。
年に一度佐世保に行くと、あの四ケ町の長いアーケードが羨ましかった。

それでもこのトタンを被せただけのアーケードが、西市に暮らした人にとっては思い出の場所。
残っていて嬉しい。
そこにあった、町で一軒きりのオモチャ屋はなくなっていた。

 朝6時に佐世保を出て、下関、西市と駆け足で日程を消化。
 お昼前にはこの日最後の目的地、福岡県飯塚市に向けて、心の故郷・豊田町西市を後にした。



高速1000円で行く東京-九州の旅日記

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2009年12月 7日 (月)

弁当をひっくり返した思い出

 2005年2月13日、平成の大合併で下関市と豊浦郡四町が合併し下関市となった。
 豊田町のカタチは白地図でみると北海道に似ていた。
 それも今は下関市の一部、懐かしい境界線を見ることもない。

 下関インターから小月インターまで高速に乗る。
 小月からは昔、慣れ親しんだ道。
 かつて父が運転するスバル360の後部座席から見た道を、自分の運転で走る。
 中国自動車道のガードをくぐると、すぐに田園風景が広がる。ここは時が止まったかのように何も変わっていない。
 その当時、田んぼの中に突如現れた豪邸を「あの家」と名付け、通りがかる度に誰かが「あ、あの家」とツッコンだ。
 あの店、あの橋、あのカーブ
 車窓に現れる目印で、目的地が近づくのを感じていた。
 いつもと同じ本田路津子やベンチャーズの曲だけが流れる車内。僕らは娯楽に飢えていたのだろう。

Gesan  左手に華山(げさん)があることを確認する。あいにく雲がかかり、頂上は拝めない。
 山だけはさすがに「数年前取り壊して、駐車場になりました」ということがない。
 標高713m 物心ついて初めて高さを覚えた山。
 毎年、西市小学校ではこの山に登る日があり、全校生徒が 713mの頂上を目指した。

 ある年の華山登山。麓付近にある徳仙の滝でのお昼のこと。
 楽しみにしていた弁当箱を開けた途端、バランスを崩して中身をひっくり返してしまった。
 必死に何か一つでも救おうとしたがかなわず、青コケにまみれたリンゴや卵焼き。
 もったいないという気持ちより、恥ずかしさが先に立った。
 すぐさま拾い集めて箱に戻すと何ごともなかったかのように、ゴミ箱に捨てた。
 お腹が空いたことよりも、せっかくのお弁当を台無しにしてしまったことにうちひしがれた。

 そのことは誰にも言わず、心にしまった。
 華山の姿をみて、ずいぶん昔のことを思い出した。
 今助手席で外を眺めている母に、今更言うことでもないなと独りごちた。

 豊田下小学校を過ぎて旧道へ左折する。
 グーグルマップができてすぐ、懐かしい町を検索した時に、町の東側を抜けるバイパスができたことを知った。
 バイパスができると、急速に旧道沿いはさびれる。
 西市の町はどうなったのか。

 小学校時代を過ごした家は建て変わり、またその家も火事で全焼して今は2世代後の家が建っている。
 数十年ぶりに尋ねた幼なじみタロウの家で、その父が教えてくれた。
 玄関を出てきた時、あまりにタロウに似ていたので「タロウ?」と叫んだら苦笑いしていた。

Photo  木屋川の土手に登る。
 子供の頃、背丈の数倍あった土手も今は昔。
 土手の手前から立ったままで、向こう岸が見えそうだ。

 雨が降った直後にしては、木屋川の水量は少なく、懐かしい月照橋(げっしょうばし)も昔のままの佇まい。

 夏休みはこの川がプール代わり。向こう岸までたどり着くのは決死の思いだった。

 月照橋を渡り西市の町中へ入る。
 小1の時担任だった先生、いつも仲良く帰った友達。
 一軒ずつ訪ねてみたいと思う。

M  「ほたるの里ミュージアム」は町の東側、田んぼだった所にできていた。
 建物は上空から俯瞰するとホタルのカタチなのだが、人の高さでみるとなんだかよくわからない。
 お盆なのだが、駐車場にクルマはまばら。
 混んでいる場所が好きなわけではないが、あまりの閑散とした空気にたじろいだ。



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2009年11月30日 (月)

漁港で栄えた下関

長かったこの旅も残り三日
移動に費やす二日を除くと、この日が最後のドライブ。
助手席に母を乗せて、下関まで 207kmの墓参り。

崖崩れで閉鎖されていた太宰府-福岡間は数日前に復旧していた。
だが雨が強まると、再び通行止めになることがアナウンスされている。
今日は、いつもより雨量の基準が厳しい。
佐賀平野はあいにくの雨。広域交通情報は 赤い文字で「太宰府-福岡 通行止め」を表示している。

あ~通行止めだよ
そう言って左を向くと、早くも船をこぐ母
寝てないよと言わんばかりに、かぶりを振って
「それかね、どうするんかね」
と反応する。

幸い鳥栖JCTを過ぎる頃に雨があがる。
現場に通りかかると、既に規制は解除されていた。
佐世保から下関は 高速一本で 2時間45分。

かつて家族4人、スバル360に乗って旅をした頃は一日がかりだった。
父が運転
母が助手席
後部座席で僕は左、姉が右
8トラックのカーステレオでは本田路津子がかかっていた。
今ならばハードディスクに入った2000曲。たった今聴いた曲が次にかかるまでには、ずいぶんと間が空く。
だが、8トラックカセットではその日のうちに何度も同じ曲がかかる。
本田路津子の歌詞は、すっかり暗記してしまった。

 下関は 関門海峡に臨むフグの水揚げで有名な市。山口県下関市
 下関は漁港で栄えた町。大洋漁業(現在はマルハニチロ)の本社が、当時は下関市にあった。 大和町の漁港は僕らイトコ軍団の遊び場。年に一度、本家に集まった僕らは、テレビの甲子園に飽きると、貨物列車の引き込み線を越えて漁港に進入。魚を入れる大きな木箱に入って遊んだ。

1949年
大洋漁業が経営するプロ野球球団 大洋ホエールズ設立
下関市民球場に本拠地を置いた。
その後 1953年からは大阪球場、のちに川崎球場。現在は横浜ベイスターズとなり横浜スタジアム(横浜市)が本拠地となっている。

1970年
関釜フェリー就航 東大和町の海辺を埋め立てて、フェリーの港ができた。
かつては、現在ベスト電器のある場所から先が海だった。
子供の頃は、よくそこからクラゲを眺めていた。

1973年
関門海峡に関門橋が開通した。

2001年 4月
新下関水族館 海響館オープン。

2003年 6月
下関市、豊浦郡4町(豊浦町、菊川町、豊北町、豊田町)の1市4町で合併協議開始。
新しい市は人口30万人、面積715キロ平米を想定。中核市の指定が受けられる規模。

2005年 2月13日
豊浦郡4町と合併。名称は「下関市」人口29.7万人

2006年 1月7日
下関駅東口駅舎が放火により全焼した。

2008年
11月16日、第1回下関海響マラソン開催

 下関ICから墓地まではカーナビが頼り。
山中の入り組んだ場所でも、迷うことがない。この時は、数ヶ月後にはお墓を探し歩くことになるとは思ってもみなかった。お墓が誰によって運営されているのか、そんなことを考えたこともなく、当然のごとくお寺が運営しているに違いないと考えていた。

Toyota1  今回、懐かしい下関市内の散策はパス。
 墓参りを済ませると、子供の頃に暮らした「ほたるの町」豊田町をめざした。



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2009年11月25日 (水)

ハウステンボスのジオラマとミニチュアハウス

H1 ハウステンボスほど、カメラを持ったら止まらなくなる場所はない。
1つ撮ったら、またもこれも。
念のため、もう1つのアングルで・・

カメラを持って商店街に出ると、1枚を切り取るのは容易だ。
それほど絵になるフレームがないのである。

H3 ところがここハウステンボスでは、とても1枚を切り取ることはできない。
今ここに載せる写真を選ぶにも、あれも外せない。これも見て欲しい。結局これだけたくさんになってしまう。

ホライズンアドベンチャーは、ハウステンボスの中核となるアトラクション。
ハウステンボスが母とするのは、国土の4分の3が海抜0以下というオランダの町。

ハウステンボスが父とするのは、江戸の治水の知恵、そして最先端をいく日本の環境技術。
ハウステンボスから水というテーマは切り離せない。
おじいさんの語りを聞くと、あぁこの町に戻ってきたのだと思う。

H5 Kiraraは2005年の愛・地球博三菱未来館で上映されていた「もしも月がなかったら」をもってきたもの。
かつて「ノアの劇場」があった建物がIFXシアターに衣替えした。
内容が勉強になるし、何よりこれほどスケールの大きい映像は珍しい。
この建物の楽しみは、アトラクションが終わった後。
一番後ろの席に陣取って、上映終了の合図を聞くとジオラマに一番乗り。

はぁ、これが家に欲しい・・
いつもここで10分くらい憩うのである。
以前は素通りする人が多かったが、今は誰もが立ち止まりカメラを向けていく。

H4 太陽が西に傾く頃、ハウステンボスの方とお茶をする。
場所はドムトールン麓ユトレヒトにある「プリュ」
ホテルヨーロッパ・クオリティをお手軽価格でのスィートを味わえるという新しい人気スポットである。
今は一ヶ月後に控えたマイケル・ジャクソン追悼イベントで忙しいらしい。


ハウステンボスが復元した帆船 観光丸は出張で横浜に行っているとのこと。主のいない港は、大きな海の景色を見せていた。
最新のお勧めや、ショップ情報を得て再び夕暮れの町へ。

H6 散策も終わりに近づくと出国棟へ向けて、買い物にはいる。
フィギュアヘッドのミニチュア
そしていつものミニチュアハウス
お店の方に了解を得て写真を撮った。

既にどれとどれを買ったのかはおよそ記憶にあるが、そろそろ脳の容量をこえつつある。
今回は一回り大きいハウスにする。これならばダブっていないと自信がある。
次回の入国時は所持品リストをつくってこよう。

最後はスキポール
オランダの国際空港の名を冠している出国棟のお土産ショップ。
この町への名残惜しさを、買い物の手間がしばし忘れさせてくれる。

タンテアニーのチーズケーキ
オリジナルビール
ソーセージ
会社向けに数の多いお菓子
手帳に書き出しておいたお土産リストをチェックしていく。

H7

締めはいつものチューリップアイスヨーグルト味
甘くないのはミックスですよと言われたが、まる一日歩きつづけたカラダは、とびきり甘いやつを要求していた。

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2009年11月20日 (金)

独創的なエッシャーを創るハウステンボス

ハウステンボスに行くたび、ミニチュアハウスを1つ買う。
やがてそれは町になった。
町の建物を数えると、どうやら僕はこの町に30回近く訪れているらしい。
回数では到底かなわないファンが多いが、オープン以来、訪問を欠かした年はない。
お盆の墓参りに行かない年はあったが、ハウステンボス参りは必ず帰省のプログラムに入っている。

10:00 入国
ディズニーランドならば「イン」「パークイン」だが、ハウステンボス・ファンはハウステンボスの園内に入ることを「入国」と呼ぶ。
ハウステンボスはネーデルラント(日本名オランダ)の町並み、江戸の街作りの知恵を活かして佐世保につくった環境実験都市。
まぁ、こんな言い方をするのも今では僕くらいなもので、一般的には「テーマパーク」である。
ハウステンボスでは2008年から「ボタニカル・リゾート」というキャッチフレーズを使っている。

11:00 ミステリアス・エッシャー
 マウリッツ・コルネリアス・エッシャーは、だまし絵で有名なオランダ人版画家。
平面の正則分割手法を編み出し、人の目を欺く作品を多く作りだした。

1898年
オランダ生まれ。

1953年
神奈川県立近代美術館の「現代オランダ版画展」で、日本で初めてエッシャーの版画が紹介された。

1961年
「滝」発表

1968年
8月から18週にわたり「少年マガジン」の「ふしぎ特捜隊」という企画でエッシャーの絵が紹介された。

1972年
74歳で逝去。

1986年
甲賀正治がエッシャー財団のヤン・フェアミュレンからコレクションを7億円で購入。以後、エッシャー展を各地で開催する。

 1992年、ハウステンボス開園と同時にこの 「ミステリアスエッシャー」がオープンした。
 ここはエッシャーの世界を体験する3Dアトラクション。
 主人公の少女ティルが「永遠の滝」を目指す愛と勇気の物語。
 日本語吹き替えは西村知美が担当している。
 このエンディングテーマを聴くと、あぁここに帰ってきたんだと幸せな気持ちになる。 いつか自分の葬式の日には、この曲で送って欲しい。

E1  

現在、日本ではハウステンボスが商品化権を保っており、フィギュア、グッズを販売している。
 2006年にはガチャポン「だまし絵フィギュアコレクション」大型フィギュア「ハウステンボスエッシャーフィギュアコレクション」が発売された。

 永遠の滝」伝説のモチーフは、1961年10月作のリトグラフ「滝」
 作品の原寸は380×300mm

 メビウスの帯の原理で永遠に流れつづける滝は、平面のリトグラフでは描くことができても、立体化することは不可能。
 立体であるこのフィギュアは、水路がつながっていない。


E2  だが、見る側が目の高さ、角度を工夫することで、あたかも永遠の滝であるように見える。

 ハウステンボスでは日光に当たると滝の色が変わるTシャツ、お湯を入れるとマスキングが外れて絵が浮き出るマグカップなど 独創的な「永遠の滝」グッズを販売している。
 他にも、人面鳥の栓抜き、でんぐりでんぐりのフィギュアなど、エッシャーの世界を知る者にとってはたまらない立体化されたグッズがある。

 この日は、この町の最深部にある宮殿「パレスハウステンボス」でエッシャー展をやっていた。
 エッシャーについて大変詳しいという係の方を訪ねて行ったが、あいにくの不在。
 入り口にいた係の方に尋ねたところ、ハウステンボスのコレクションは甲賀コレクションを買い取ったものではなく、オランダのエッシャー財団から購入したものだそうだ。



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2009年11月16日 (月)

佐世保散策

旅の合間の一日
先祖の墓参り
墓参りといっても行くのはお寺の納骨堂。
この時点では、自分が行く寺の宗派も知らないし
納骨堂と墓に関する知識もなにもなかった。
さらに言えば、数年前まではお盆を外して帰郷することが多く、墓参りにもあまり行かなかった。
この2ヶ月後には、仏教と寺、葬儀と墓について、否応がなしに多くのことを学ぶことになる。

いつもならば父を連れて食事に出る。
今年は病院に見舞った後、一人で散策。

Kitako かつて住んだ家の前で、今のクルマと写真を撮る。
佐世保北高の撮影は、ミクシィに佐世保北高コミュニティをつくって以来のお約束。

Eki かつて住んだ五島列島へ出る船着き場。
新しいターミナルが2つできて、古い建物はなくなっていた。
この旅のこだわり「うどん」を構内に見つけたが、このこだわりもここで捨てた。

船着き場から佐世保駅を臨む。西九州自動車道の高架が景色に加わって久しいが、いつになったら開通するのか。

四ケ町へ
遠くに住む佐世保っこで、帰省時にこの町へ出ない人はいないだろう。

Hachi シュークリームのオブジェが目を引く蜂の家。
50年のロングセラーというジャンボ・シュークリームは買ったことがあるが、レストランにはいったことがない。


有名らしい「蜂の家」のカレー。
近年、東京にも出店したというその味はいったいどれほどのものか。
それを確かめにいく。
隣の「鳥きん」は焼き鳥がうまい店。佐世保で焼き鳥に行くならば、ココと決めている。団体で行ける座敷もあるし、2~3人に好適なカウンターテーブル席もある。
卵焼きを頼むのを忘れてはいけない。

蜂の家はお盆ウィークということで、あいにく満席。
名前を書いてと言われて、ウェイティング・リストに書いて待つ。
その間、10人ほどが入っていったが、お店はそれを看過していたので、予約の人なのだろう。
しばらくして、レストランをのぞき込むと、あちこちに空席が見える。あれも予約席なのか? さすがに15分経ったところで、これは永遠に待つことになると危機感がつのり、店員さんに尋ねたところ
「は?空いてますけど」
客で来て「は?」を言われるとは思わなかった。名物のカレーにたどり着くには、苦難が多いのだ。

Dsc06221 ネットの書き込みによると、このカレーを楽しみに、帰省する度に足を運ぶ人も少なくない。

確かに美味いカレーだ。
このカレーを父に連れられて幼い頃に食べていれば、自分も同じことをしていただろう。
辛さはほどほど。CoCo壱番屋換算で一辛程度。一点豪華主義で鎮座する、大きく切った牛肉。

数日前、博多で思い立った「黒田庵のカレーを再現したい」気持ちに加え、こういうビーフカレーも作りたいという考えが肉付けされた。
そして、この夏を境にカレー作りの趣味に突入することになる。

この町を散策するようになって長いが、初めてジャスコに寄らなかった。
一方、ここ数年白十字パーラーで「ぽると」を買うようになった。
およそ43年の歴史をもつ、息の長い銘菓。
その名前はポルトガルのポルト市にちなんでいる。
ワイワイ貿易をのぞくのもこの町のルーティン。
だが、コレクターを12年もやっていると、たいがいのモノは手に入れてしまい、新たな発見がないのが寂しい。

四ケ町のはずれにあるのが玉屋
今日も玉屋のサンドイッチを買う。
そのレシピヒントをネットに書いている人がいるが、サンドイッチほど手間がかかり、保管が難しいものはない。
サンドを買って帰る。
母と姉が笑顔でお茶を入れる。
帰省の幸せな光景に、すっかりサンドイッチが馴染んでいる。

駐車場のヨコにあるお店で「チロリアン」を買う。去年買った時の記憶と比べると、格段にクリームの量が減っていた。

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