2016年4月13日 (水)

「ポートホールン長崎」が持つ2つの強み

西海市が公開した「長崎オランダ村」跡
Aゾーンにある西海市のカウンターで署名すると、首から提げる入館証を渡される。
入場にお金はかからない。
園内に商業施設はなく、自販機もない。
真夏だったこともあり「お水とか大丈夫ですか?(持っていますか?)」と念を押された。

2012年、2014年の二度とも、園内に他の入場者はなく貸し切りだった。
かつて「芋を洗う」とまでは言わないが、人の笑顔と嬌声にあふれていた町(村か)に響くのはセミの鳴き声ばかり。

ボードウォークに寝そべらんばかりに、建物、オブジェ、海が独り占め。
くまモンショーを最前列で見た時と同じく、僕がのぞきこむファインダーには、どのアングルにも誰も映り込まない。
こんな贅沢なこともあるのかと幸せを噛みしめつつも、やはり、ここに誰もいないことがもったいないという気持ちが勝った。


さぁ、二年ぶり今年も貸切しに行くかなと思っていた時。
YAHOO!ニュースアプリに設定した「長崎県ニュース」に、待ちに待った記事が載った。


2016年4月16日
「ポートホールン長崎」オープン


旧長崎オランダ村施設再生事業としてオープンする、市民交流型レジャー施設。
運営するのはホーランドビレッジ(本社 西海市)
総面積16万4千平米のうち、約1万平米を西海市から10年間無償で借り受ける。



この施設には、抜群の強みがある。
それは、人々にとっての「わが心のオランダ村」
それぞれの心の中に、この村を訪れた時の暖かい思い出が潜んでいる。

そして、この村の建物もボードウォークも、多少朽ちたとはいえ、今も魅力をたたえたままそこにある。
オランダの(ヨーロッパの)町並みの良さは、少し朽ちたくらいのほうが味わいが出るところ。
ハウステンボスもできてすぐの頃は「新しすぎて違和感がある」と言われたほどだ。

2014年8月 "貸切"で撮影

たとえば、このオブジェにしても、ずいぶん長く放られていたとは誰も思わない。
こんな魅力的な町並み(村並み?)が、手つかずでそこにある。
(今回、オープンに当たり改修にお金はかかっている)

かつて全盛で賑わった時の思い出。
変わらぬ町並み。
こんな強みは、他のどこにもないのではないか。



入場料は無料。
飲食店、美術館、イベント広場で構成される。
地元の人たちが地域密着型で進めるこの事業は、この世知辛い世の中に一風の清涼剤となり、地域の人を呼び込むのではないか。


オランダ村跡地は3つの区画で呼ばれている。
Aゾーン:西海市が利用
Bゾーン:ポートホールン長崎
Cゾーン:ハウステンボスが利用を計画中

H.I.S.澤田秀雄さんが手がけて以来、超V字回復のハウステンボス。
海でつながるこの「村」と再び、縁を結んで欲しい。

セミの声響く貸切の村ではなくなったが、人の笑顔で賑わう村に、この夏は必ず訪れるつもりだ。

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2016年4月12日 (火)

いよいよ、長崎オランダ村が再び動き出す

1980年代、博多に住んでいた僕らがドライブがてら出かけるところといえば「オランダ村」だった。
そこには、未だかつてない驚き、ときめき、くつろぎがあった。

その後、日本じゅうに国名を冠した「○○村」ができるのだが、その先駆けとなったのが「長崎オランダ村」である。


オランダ村を造ったのは、長崎ハウステンボスの創業者である神近義邦。
バブルの最中に東京の料亭が取得した広大な土地に、彼とその仲間が自ら切り開いて造った「村」だった。

1983年7月にオープン
自然の地形を利用した大村湾に出現したオランダの町並みは、人々を魅了した。
あまりに魅了し過ぎて、週末ともなると接続する国道は大渋滞。

そこで佐世保市が持て余していた針尾工業団地をオランダ村の駐車場にして、そこから海路、西彼町のオランダ村までピストン輸送しようという試みが浮上する。
神近義邦が針尾視察に訪れた際、思い立ったのが現在のハウステンボスである。


ハウステンボスはオランダ村のコンセプトを発展させて、オランダの国作りに学びながら、江戸の知恵、日本のハイテク技術で造った本物の「町」
その証拠にハウステンボスの住所は「佐世保市ハウステンボス町1-1」である。


公称4,000億円を投じたハウステンボス・コンセプトの前では、さすがのオランダ村も分が悪い。
1992年にハウステンボスがオープンした後も営業を続けていたが、やがて閑古鳥が鳴くようになり、2001年10月に閉園した。


かつて、人々の笑い声が響いた海辺のリゾート地は、鉄枠にはサビが浮き、エスカレーターには蜘蛛が巣を張り巡らしていった。


そんなオランダ村跡地に転機が訪れるのは、閉園2年後の2003年12月。
西彼杵郡西彼町が地域振興基金1億9400万円を充てて、16万4千平米の敷地を買収。
再利用に向けて動き出した。


2004年5月
長崎オランダ村復活音楽祭開催。

2005年3月19日
レストラン、ショッピング、ブライダルが三本柱とする商業施設「CAS ViLLAGE」がオープン。
しかし、7ヶ月後の10月3日、自己破産を申請して閉園した。

*ポートホールン長崎の坂本社長は、このことを「過去のことがあるから不安に思う人も多いと思う」と開業発表会見で語っている。


2010年
平成の大合併で西彼町が遷移した西海市が動き出す。
敷地のうち「Aゾーン」と呼ばれるエリアに市役所西彼総合支所を移転。

2012年5月23日
旧オランダ村を公園として無料公開。


2012年夏、2014年夏の二度、この「貸切の公園」を訪れた。

つづく


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2016年3月 8日 (火)

博多が人をひきつける理由(二)

全国的には「博多」とは、福岡県の県庁所在地「福岡市」の通称。
地元では那珂川から東側、博多駅寄りの通称である。


東京では、愛知県という地域を「名古屋」と呼ぶことが多い。
「名古屋は元気だよね」という人はいても「愛知は元気だよね」という人は居ない。
「名古屋市」という実在の地名が、愛知の代名詞となっている。

一方「博多」は実在する地名であるが、それは区画としての町名レベルであり、行政の市町村ではない。
それでも人は「博多」を名乗る。
博多の出身者は「生まれは博多です」と言い、かつて住んだ者は「博多に10年住んでいました」というように、地域の代名詞として使うことが多い。
そこには「博多」に住んだ誇らしさがにじんでいる。


かつて住んでいた「名古屋」では、住んでいる人たちが自ら「名古屋は大いなる田舎」と表現していた。
スケールは大きい街だが、そこに住んでいる人は「すました都会人」ではないという意味だったと思う。
誰もが「食べ物が不味い」「人がけち」と自虐的だったが、それでも卑下はしていなかった。


名古屋の美味いものは?と聞かれたら、すぐに「手羽先」「味噌煮込みうどん」「味噌かつ」「櫃まぶし」(人によっては「あんかけスパ」)と指が折れる。
一方、博多はそういうものは少ない。それでも博多の特長を挙げる人が「食べ物が美味しい」という。
それは、素材が新鮮で、何を食べても美味しいからだ。


転勤族のサラリーマンが赴任した先で、終の棲家を求めることがある。
その代表的な土地は「札幌」と「仙台」
何の縁もないのに、なぜ?と尋ねると、奥さんが強く望んだという声が異口同音に聞かれる。
その後も転勤は続き、旦那は単身赴任。
奥さんと子どもが、奥さんにとって縁のない土地で暮らしている。
この2つの土地に住んだことがないので、その理由はわからない。
ただ、女性からみて強く惹きつけられる要素があることは間違いない。

一方、転勤族が「博多」で家を買ったという話は聞かない。
それは、博多の魅力を体験した者にとっては不思議なことだ。



「博多」は、街のスケールは三大都市圏に較べて小振り。
だが、その小振りな街のあちこちに、他のどこの街にもない空気があり、人を惹きつける。

その理由をデータで証明はできないが、こう推察している。
それは「博多美人」と言われる女性たちのセンスの良さ、気品、強さと弱さを併せ持つ柔らかさ。
それを支えている「博多モン」と呼ばれる男衆の剛気。
そのバランスにあると思う。

惹きつけられるのは男女を問わない。
それを感じるのは、同じ九州という根っこ、血筋にある人なのかも知れない。


今から数十年前、いつかこの街を去らなければいけないことがわかっていた。
柳橋の市場から城南線を流れるクルマをみて、今この瞬間を羨ましく思う未来がいずれ訪れるのだろう。
と考えていた。


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2016年3月 7日 (月)

博多が人をひきつける理由(一)

去年、20台の女性と博多についての話題になった。
きっかけは忘れたが、互いの出身地を話していた。
彼女は鹿児島県の離島出身。
僕が博多に住んでいたことがあると言うと、彼女の目が輝いた。

「いつか博多に移り住もうと思っているんです」

僕にはその輝きの意味が痛いほどわかった。
応援したくなった(しないけど^^;)


博多は誰もが憧れる魅力の街なのだ。
現状では、そこに「九州の人にとって」という冠がつく。
それはなぜかというと、九州の人にとって誰からみても、そこが「都会」であり、人が集まる場所だからだ。

人類は集中と離散を繰り返してきた。
世の中が活況を呈している時は離散。
そうでない時は都市に集中する。

なぜならば、都市に集積されたあらゆる資産は、そこで生きていくのにはとても便利かつ魅力的だからだ。
懐が温かい時は、時おり交通費をかけて「プチ集中」に参加すればよいが、そうでもない時には、そうも言っていられない。
それは、雇用が都市により集まるからだ。


東京、名古屋、大阪の人からみて「博多」は魅力的でないのかといえば、そうではない。
ただ「知らない」「元々関心がない」だけである。

これら三大都市圏の人からしてみれば、スケールダウンした都市の「博多」にいったい何があるのか?がイメージできないのだ。



【 交通 】
■山陽新幹線終点、JR在来線の駅「博多」がある。
■高速道路 福岡都市高速が走っている。
■地下鉄一号線、二号線が走っている。
■地下鉄「博多」と「福岡空港」間は所要時間5分
■「福岡空港」は大都市圏の中では最も市街地に近い。


【 施設 建物 店舗 】
■博多駅ビル再開発で、2011年にJR博多シティができた。阪急百貨店、東急ハンズなどが入っている。
■コンサート専用ホール「福岡サンパレス」がある。


【 食べ物 】
■歓楽街「中洲」がある。
■中洲、長浜、国体通りなどに屋台がずらりと並ぶ。
■博多発の名物「もつ鍋」「鉄なべ(餃子)」がある。
■銘菓は伝統のある「博多ぶらぶら」近年に登場した「博多通りもん」
■博多土産の代表格は「辛子明太子」


【 三大祭り 】
■5月のGWに福岡・博多を練り歩くどんたくが行われる。
■7月15日に櫛田神社で博多祇園山笠が行われる。
■9月に箱崎宮で「放生会」が行われる。


【 行政 / 歴史 】
■福岡県では、博多(福岡市)と北九州市が政令市。


 【 スポーツ 】
■「福岡国際センター」で大相撲九州場所(冬場所)が行われる。
■早良区百道、かつては海だった埋め立て地に「ヤフオクドーム」があり「福岡ソフトバンクホークス」が本拠地を置く。

つづく

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2016年2月19日 (金)

「みどり」と「九十九島みどり」 その違いとは?

11:14
佐世保発
「九十九島みどり90号」は佐世保から博多まで2時間14分が予定されている。
往路に乗った「みどり」の所要時間は1時間53分だったので、21分も遅い。

佐世保-博多間を走るJR在来線特急ダイヤは「みどり」
そのうち、お盆の臨時列車に命名されるダイヤが「九十九島みどり」である。

使用車両は「みどり」と同じ783系。
料金も同じ。
なにか一つくらい特別な趣向があるかと期待していたが、方向幕のダイヤ名まで、何もかもが「みどり」と同じだった。

違いと言えば、ホームの掲示板に表示されるダイヤ名、そして所要時間ということになる。




2013年5月6日
初めて「九十九島みどり」のダイヤ名で、九十九島みどり99号が運行された。
それ以来、GWやお盆に増発される佐世保始発のダイヤに冠されている。



前方に遠ざかっていく佐世保の街並み、いい眺めだ。
佐世保から最初の停車駅「早岐」まで、電車は後ろ向きに進む。
だから、景色が前方に遠ざかるのである。
早岐からは進行方向が変わり、今来た佐世保へは戻らず、Y字型の右手、佐賀方面を目指して出発する。


早岐ではいきなり10分停車。
ここから先は「単線」がつづく。
ただでさえ、待避時間が多いうえに、日頃のダイヤにねじこんだ臨時列車ゆえ、さらに待ち時間が長いようだ。

早岐駅には、にわか仕立ての新しいホームが増設されていた。


長崎新幹線は2008年4月、武雄温泉-諫早間が着工。
2022年開業を目指している。
使用する車両はフリーゲージトレーン(FGT)

「新鳥栖」(新幹線の駅)から「武雄温泉」までは、軌間を狭めてJR在来線を走る。
「武雄温泉」を出たところで、軌間を広げて新幹線専用軌道を「長崎」に向かう。


佐世保市のある「県北」はこの計画から、取り残されている。
ただし、FGTであれば在来線を通って「佐世保」に乗り入れることもできるはず。
当然ながら「複線化」や「線路強度の向上」そして「信号システム」などインフラ投資は必要だが、夢物語ではない。

新大阪発-ハウステンボス・佐世保行き
そんなダイヤができれば、地元にとっては夢が広がる。

早岐に停車した10分の間に、新ホームをみて、そんなことを考えていた。

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2016年2月16日 (火)

佐世保から東京へ買って帰る食べ物

佐世保にはハウステンボスがある。
2015年は「TDL」「USJ」に次いで、テーマパーク集客数第3位に上がった。
2位の「USJ」とは大差があるが、佐世保という位置に鑑みれば大健闘といえる。

「TDL」には関東圏
「USJ」には関西圏
という大市場=大きな人口がある。
ハウステンボスにはそれがない。

東京からは960km
等距離を北に引くと「旭川」とほぼ等距離。
旭川にあるレジャー施設と地の利は同じということだ。


ハウステンボスの発展はめざましく、もう「復活」をとうに通り過ぎている。
次々に新機軸が打ち出されるが、1年に1度来るくらいではとても着いていけない。
なんとか着いて行けそうな「カステラカフェ」で、いつもの友だちと旧交を温める。




猛暑の中、アイスコーヒーと冷やしたティラミスはとても美味しかった。
来年もまた彼の笑顔が見たい。




旅も終盤となり、お土産の確保にはいる。
お菓子は同僚に人気が高い「ぽると」
佐世保でしか買えないところがいい。
今年は「まごコロぽると」というミニ版が発売されていた。

■6個入り540円 12個煎り1,080円
■発売:2015年3月20日


従来のぽるとは会社の手土産にするには単価が高かったが、まごコロぽるとは1,080円で12個入っているので、数量が必要な会社の手土産として好適。
専用のパステルドット・パッケージは若年層向けの土産として映える。




後日談を書くと「まごコロぽると」は会社用としてはよかったが、自家用としては少々物足りず、結局いつも1度に2つ食べていた。


毎年恒例「サンポー焼豚ラーメン」チェック。
今年は「ねぎ」が出ていた。







ネギの香りが立ち上って、これもまた美味い。
今年は「ネギ」を多めに買って、宅急便に詰めた。


帰京の日、姉がクルマで佐世保駅まで送ってくれる。
佐世保駅とは少し離れているが「五番街」で下ろしてもらった。
特急「みどり」でロンサンドを食べようと思ったからだ。
ちょうどこの夏から、五番街のエレナでも売り始めた。
だが残念ながら、この日は入荷しない日だった(つまり「ロン」の定休日)

「みどり」車内で食べる「ロンサンドベーコン」は格別。
できれば、佐世保駅構内での販売が復活して欲しい。

復活と言えば「松僖軒」がなくなって以来途絶えていた佐世保名物駅弁「レモンステーキ弁当」が匠庵(しょうあん)によって復活していた。
以前「松僖軒」があった場所で売られている。

「九州産黒毛和牛使用」とあった。
1,200円+税




博多までのダイヤは「九十九島みどり」783系
また来年!佐世保の緑と青空が見送ってくれる。
この夏の愛読書「村上さんのところ」を読みながら、帰京の途についた。

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2016年2月12日 (金)

「あんでるせん」のテレポーテーションは成功しているのか?

この店の「カレー」や「ハヤシ」は「レトルト食品ではないか?」とネットで喧伝されているが、そんなんどうでんよか。
だがサンドイッチだけは、そんな疑念がはいらない。
ゆで玉子が粗く入っていて、とても美味しかった。
こういう時、若い人ならば「ふつーに美味い」と言うのだろう。




皆の食事が終わった頃、幸せな緊張が店内に張り詰めている。
「早めにトイレを済ませてくださいね」と奥様が声をかける。
ショーが始まる前に、各自がレジに立って食事の清算を済ませる。


奥様の仕切りで観客席の設営と整列。
カウンター席は椅子に座っていられるが、2列め以降は「立ち見」
椅子に座っていれば、楽ちんかと言えばそうでもない。
肩越しに後ろの人がステージ(カウンターの中)を見るために、左右に動けないのだ。

少しでも椅子をずらすと、すぐに奥様から「椅子を動かないでください」と指導がはいる。
従って、ほとんど身じろぎもできないに等しい。
病み上がりの身体で、長丁場に耐えられるか不安が募っている。


14:30
準備万端整ったところにサイキック店主が登場する。
今回は過去2回と較べると、進行が遅かった。
客が自由に注文するから、作るのに時間がかかったのかも知れない。

こうして見ると、あぁこういう顔だったなと思い出すのだが、半年も経つと「Mr.オクレみたいな顔だったよなぁ」くらいにしか思い出せない。
もしかすると、記憶を消されているのではないか^^;)


病み上がりだという意識が過剰だったのか、ショーの途中に気分が悪くなった。
ここで倒れると、店主は心配するだろうし、他の客は興ざめだろう。
場の雰囲気を壊すまいと、OS-1ゼリーをこまめに摂りなんとか3時間の長丁場を乗り切った。
正直なところ、早く終わらないかと考えていた。


客がちぎったトランプの破片をテレポーテーションで、その客の自宅に飛ばすという趣向がある。
あの人の家には、そのトランプが届いているのだろうか?
1度、トランプをちぎる役に選ばれたいと思う。


「量子テレポーテーション」の研究では、1996年に古澤明が世界初のテレポーテーションを成功させている。
しかし彼が目指すのは「モノ」の移動ではない。
「光と鏡で作りだした量子に電圧をかけて、もう一対の量子を作る」ことである。


モノのテレポーテーションは、量子物理学では立証の途にもついていない。
ここ「あんでるせん」のマスターはそれをやってのけるという。
それを、僕の目で検証したい。


量子論では「宇宙は心を持っていて人の心を読み取り、その願いを実現する」ことを科学的に立証している。
ここ「あんでるせん」で、何かが見えてくるか否かは、心を開くことができるかがポイントなのだろう。


過去2度、ショーはおよそ2時間半程度だった。
いつも通り、店主が曲げたスプーンを手に店を出たのは17:30。
去年より1時間遅い。
(この3年、16:00→16:30と段々遅くなっている)


3時間という圧倒的な「現実」を見せられて、同行した2人の親せきはとても喜び、夜は「浜かつ」で美味しいとんかつをご馳走してくれた。

「きっと何か仕掛けがある」とか「前もって客の情報を調べたんじゃないか」といった、ひねた方向に話がいかず、少しほっとした。

来年もまた来たい。
果たして親せきは「また行きたい」と言ってくれるだろうか。
それとも「1回見たら十分」と言うだろうか。

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2016年2月11日 (木)

3年連続3回めのサイキックマジック「あんでるせん」

川棚も 昔と今じゃ かわったな

この町を訪れた観光客は、この川柳を口にしなければならない。
そう川棚町条例で決まっている。
わけないが、とにかく今年も川棚にやって来た。


長崎県外にお住まいの皆さんは「川棚って何処???」
と?マークが3つくらい灯いていると思うので、ここで川棚について説明しておこう。


村上龍が「日本のエーゲ海」と讃える風光明媚な大村湾に面している。

・・・

と言ったきり後が続かない
(ここで、こっそりぐぐってみる)

「孔雀荘」「しおさいの湯」
となりの市に住んでいたが、昔はそんな名前聞いたことがなかった。


やはり、川棚といえば「あんでるせん」だ。
温泉や海水浴、キャンプ場ならば、全国どこにでもある。
キレイな海も、のどかな山も。

だが「あんでるせん」だけは、日本中のどこにもない。
ここだけにあるのだ。
そんな希少価値だというのに、川棚町観光サイトでは紹介されていない。
(ページ内検索でヒットしない)


デニッシュが有名なパン屋さんではない。
あちらは広島市が本社である。

「あんでるせん」は日本で唯一「四次元マジックパーラー」を名乗る喫茶店である。
その名はクチコミだけで、全国に轟いている。
いわゆる知る人ぞ知る存在。
全国から「不思議なもの」「怪しいもの」「超常現象」「サイキック」愛好者が集う。

店内に入ると壁じゅう、所狭しと芸能人のポラロイド写真が貼ってある。


♪帰りたくなったよ~♪

これが千葉県や神奈川県にあるのならば、さもありなんだが、ここは日本の西の端っこ。
福岡空港に降りて、電車を乗り継いで来ると3時間以上かかる。
長崎空港に降りて、バスに乗っても小一時間はかかる。
そんな辺鄙な何もない(川棚の皆さんスミマセン)町に、全国からここを目指して人々が押しかけている。

これこそが「オンリーワン」最強の観光スポットである。


「あんでるせん」に来るのは3年連続3回め。
マジック(というよりサイキック)ショーは、大筋でいつも同じ内容だが、何度見ても大きな驚きがある。
去年までは1人寂しく見ていたが、今年は親せき2人を誘い、3人でカウンター席に陣取る。

僕がショーを見て驚くこと以上に、親せきがどのような反応を見せるかが楽しみで仕方ない。
僕がサイキックをやって見せるわけではないが、2人が驚けばそれはなんだか僕の手柄のような気がするのだ。


11:00開店(集合時間)
お盆ウィークのこの時期、来客はすべて「予約客」
電話予約の際「集合時間に遅れないように」と釘を刺されている。

シャッターが開くと、ぞろぞろと階段を上り二階の店へ。
この時、早く入ろうが遅く入ろうが関係ない。

事実上、事前予約で決まっている所定の席に着き、食事メニューを注文。
カレーライス、ハヤシライスと来て今回はミックスサンド。
厨房に1人立つのは、サイキックな店主自身。
この時点では、表に姿を見せていない。
最初の2年は、手間がかかる品は避けていたが、周囲を見渡すと自由にミックスサンドなどを注文していたので、今年は遠慮なくサンド+アイスコーヒーにいった。

カウンター客は座ってみられる特等席であることから、食事+ドリンクの注文を求められるが、求められなくてもそれくらいはお金を払いたいと思っている。

つづく

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2016年2月10日 (水)

佐世保一辛いカレーブラックで褒められる

佐世保に帰ってきて最初のお目当ては、今回初めて行くカレーの「ブラック」
友だちの中村君が、僕に佐世保ならではの土産を頼もうと思ってネット検索したところ、カレーのブラックが1番上に出てきたのだという。


ブラックは、佐世保では一番辛いと評判のカレー屋さん。
と言うより、自らそう名乗っている。

店は四ケ町アーケードの佐世保駅寄りのはずれにあり、アーケードからも見える位置。
その曰くありげな佇まいに惹かれ、店を遠巻きにすると「佐世保で一番辛いカレー」の看板。
数年前から気になっていたのだが、1人では入る踏ん切りがつかない。
だからこそ、中村君からの指令は、まさに渡りに船となった。



佐世保市下京町3-4
24時間営業 不定休
33席


歴史のある店に初めて訪れる時、人は誰でもaway感を抱く。
しかも一人客。
一眼レフを持っていて、十分怪しい。
従って、カウンター席の1番手前に遠慮がちに座る。


「どちらからですか?」
いかにも、ブロガー然としているからか。
東京からです。と応えると軽く驚いてくれた。
(でも、里帰りなんですけど)


看板メニューは「ブラックカレー激辛カレー」
もちろん、それを注文する。
少しでも辛さが緩和されるのでは?と期待して「玉子」をトッピング。
カレー屋さんだが、メニューにはあらゆる"喫茶店献立"が載っていた。



カレーの黒さは生きたイカのスミ。
はじめは緊張していたせいもあって、さほど辛くない。
だが、舌を通過するカレーの量が増すほどに、腔内が辛さでしびれてきた。
この写真を見ると、半年過ぎた今でも、あの辛さが脳内に蘇ってくる。


日頃、辛さには強いと自負していて、CoCo壱番屋では「6辛」を食べたことが自慢だ。
それでも食べ終えて、通常の感覚に戻るまで数分かかった。
店員さんに「早い方ですね」と褒めてもらう(多分)
やはり、何であろうと褒められると嬉しい。


店主によると2015年で39周年。
「激辛カレー5皿挑戦、水無し、20分以内無料」は通算で84人が成功しているという。
1976年からここにあったことになるが、これまで一度も来たことがなかった(と言っても大半の店がそうだが)


中村君からのミッションである「レトルトがあったら買って来てください」は、店に入った瞬間に諦めていたが、念のために尋ねてみる。
案の定、製法は極秘なのでレトルトなどは作っていないとのこと。
「でも、東京に帰る時、前もって言うてくれたら冷凍で用意しますよ」
と言ってくださった。

秘密の方はいいんですか?
と言いそうになったが、心に仕舞った。


また一つ、佐世保に帰る楽しみが増えた。
来年はカツでも乗せて、カツカレーにしてもらおう。

そういえば、1年前と変わったこととして、シュークリームのオブジェでお馴染みの「蜂の家」がなくなっていた。
親友に取材したところでは、サンプラザに移転したらしい。

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2016年2月 9日 (火)

村上龍が言うほど、佐世保は衰退していない。

ホームに上がり、車両基地の方角を見やると
全部、N700
東海道かっ
とツッコンだ。

ホーム(博多方)先頭まで行くとそこには「N700R(S)」
JR西日本保有が「N700S」N700系7000番台
JR九州保有が「N700R」N700系8000番台
この位置からでは、編成記号は読み取れないので、どちらかはわからない。

保有会社が遠目からでもわかるのは「700系」のみ。
先頭車運転席側面に「JR700」の文字があれば「JR西日本」保有。なければ「JR東海」保有である。

そして右側に西日本のスター「500系」
「500系」を見られてこそ、ここに来た甲斐があろうというものだ。




13:47
博多南線博多行きにアサインされたのは「レールスター」
博多からやって来て折り返す。
乗車した3号車の乗客は僕1人の貸し切りだった。


14:32
博多発→佐世保 みどり15号

16:25
佐世保着


九州の陽は長い。
お盆前のこの時期だと、この時間はまだ真っ昼間だ。

駅の裏から出て五番街へ。
五番街のバルコニーから港を見下ろすと、違和感のある物体が飛び込んできた。

でかっ
いつの間にこんなでかい客船が着くようになったんだ?

しらべると、2015年4月に三浦岸壁で水深や岸壁幅を拡張する浚渫工事が完了。
大型客船が接岸できるようになったという。
同時に入出国手続きを行う国際ターミナルが供用を開始していた。


佐世保北高出身の村上龍は「おしゃれと無縁に生きる」の中でこう書いている。
(以下引用)
わたしの故郷・佐世保に帰省すると、街の変わりように愕然とする。子どもの姿がなく、歩いているのはほとんどが老人だ。地方の現状はだいたい似ている。
(引用おわり)

恐らく盆・正月といった帰省した人が多い時期ではない閑散期に帰省して、子どもが学校に行っている時間にアーケード街を歩いたのだろう。

とても佐世保の現状が、衰退したいくつかの地方都市と似ているとは思えない。
本当に衰退している街には、大型客船は入らないし、巨大テーマパークなどないものだ。


1年に1度帰って来ると、街の変化に目が停まる。
それが衰退だったら哀しいし、発展だったら嬉しい。


五番街から四ケ町へ歩き、ロンサンドを買って帰る。




この美味しさで350円。
これが通勤途中のコンビニで売られていたら、年間100回は買うと思う。

つづく

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