2018年10月14日 (日)

黒島のことを僕はなにも知らなかった

佐世保港から有川に向けて出航してから30分
右手に黒島が見えてきた

黒島はこの夏、世界遺産に登録された佐世保市の島。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の1つ「黒島の集落」がある。


今回の旅で訪れる頭ヶ島のようなこぢんまりした島ではなく、島内に旅館・民宿もある。
信仰の拠点である黒島天主堂の見学は、頭ヶ島天主堂などと同様に長崎の教会群インフォメーションセンターの公式サイトから事前連絡が必要。

相浦桟橋から「フェリーくろしま」で50分
島内はレンタサイクル(予約可)で回る



【黒島の歴史】

1954年
佐世保市に編入

2016年
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の1つとして「黒島の集落」が世界文化遺産に登録推薦された

2018年
3月封切映画「坂道のアポロン(実写版)」ラストの教会シーンは黒島天主堂で撮影された

2018年6月30日
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された


僕は佐世保市に住んでいたが、すぐそばにある黒島のことはまったくと言っていいほど知らなかった。名前は聞いたことがあるという程度だ。
「坂道のアポロン」ロケ地巡礼の一環として、いつか訪れてみたい。

従って、目の前にある島を見て「あっ黒島だ!」とわかる訳もなく、スマホのグーグルマップで「あの島はどこだろう?」と検索したのである。

飛行機に乗っていると、電波を発信する機器ゆえに、この機能は使えないが、船の場合、制限はない。
今、船がどのあたりを走っているのか。どのような航路を縫って進むのか。遙か遠くにかすんで見える島は何処なのか。船旅にはいつの間にかそういう楽しみができていた。これはいい。

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2018年10月 8日 (月)

五島に向かう船旅でとなりに座ったのは

できるだけ日陰を選びながら鯨瀬ターミナルに入る。
有川へ向けた出航まではあと1時間半。
九州商船の窓口は閉まっているが、その前には5人の乗客が並んでいる。
「11:40に開けますから予約ナンバーを言ってください」
係員がアナウンスする。

予約ナンバー?
ウェブサイトで乗船予約はしたけれど、そんな番号は聞いていないぞ。
その場から、長崎市の局番で始まる予約センターに問い合わせると予約ナンバーを教えてくれた。


それから待つこと1時間。出航30分前になると、ようやく乗客が集まってきた。
30分前に来ても全然問題なかった。
みな五島の人かな?
見るからに観光客という感じの人は、僕以外にいない


10分前から乗船が始まる。
ガラガラのような立体的な荷物は、廊下の荷物置き場で預かってくれる。僕のダッフルバッグは足下に置くように言われる。


海が見えるよう選んでおいた窓際の座席17Hは最前列だった。
進行方向右側は、この時間日陰になる。

12:40
「2便シーエンジェル」は定刻に佐世保港を出発した。

となりの席に、出航ぎりぎりに乗って来たのは20代の男性。
若いのに礼儀正しく、朴訥な好青年だ。
ハラ君(仮名)は本土に就職していて、年に一度の里帰りなのだという。

なぜそんなことを知っているかと言うと、僕が話しかけたからだ。

「この船って甲板には上がれるんですかね?」
船旅の醍醐味は甲板に立ち、360度見渡す限り陸地がない景色を愉しむことだ。
そして今日は「冷たい部屋の世界地図」を聴こうとiPhoneに入れて来た。

「いつも寝ていくから、わからないんですよ」
ハラ君は答えを知らなかった。
まぁ、それは帰りの船でもいいか。


僕は中学校の時以来、数十年ぶりに五島を訪れることを話し、彼は僕が子どもの頃よく通ったお店のお孫さんだということがわかった。

でも、彼の貴重な睡眠時間を削ってはいけないので、話しはそこまでで遠慮した。

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2018年9月19日 (水)

2018年夏、一年ぶりの佐世保駅

外は35度、容赦ない佐世保の太陽が照りつけていて、とても日向には居られない。
上五島行き高速船の出港まではまだ2時間もあり、一旦、佐世保駅内に避難する。

熱中症対策として瀬上薬局でアクエリアスを購入
エレナでロンサンドを買ってお昼にしようかとも考えたが、せっかくなので、有川に着いてから五島うどんを食べることにして昼を抜く。


佐世保駅構内を散策して「V・ファーレン長崎」の文字を探すのだが「Vの字」もない。

ちなみに、この一週間後、改札内に入ると、そこにはHOME GAME開催ご案内ボードがあった。
そのとなりには、選手たちのサイン寄せ書き。



応援しよう!というならば、駅構内や入口にも、V・ファーレン長崎の本拠地であることを示す目印が欲しいところだ。



駅構内には去年はなかったカフェができていた。
東口には「日本最西端佐世保駅JR」の木彫り看板。
当初は改札内に投げやりに置かれていたモノだが、数年前、改札手前に移り、ついに駅の外に出た。
観光名所としてアピールできるならば、遠慮せずにいくぞという佐世保駅の気合いを感じる。
木彫り看板右側に見えるボードも新設されている。


鉄道駅日本最西端は松浦鉄道の「たびら平戸口」であり、佐世保駅は「JR駅日本最西端」なのだが、そういう細かいことを説明するのは、もうやめにした様子。

東口を出てすぐ左側に、去年はなかった「顔出しボード」
一見すると、以前からあるログキットのボードが1枚増えたかのようだが、これは「えきマチ1丁目」のもの。

日本じゅうにある「顔出しボード」の中でも、構図の楽しさはトップクラスだ。
「!!!」と「HELP ME!!」にはまる人の表情は"お約束"なものでいいが、右上「O」の位置にはまる人の顔づくりが、その写真の品質を決めることだろう。


ちなみに、佐世保駅の正面入口(みなと口ではない方)は「東口」という名前なのだが、地元の人でそれを知っている人は恐らく10%もいないだろう。

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2018年9月18日 (火)

速い!長崎空港→佐世保駅 乗合ジャンボタクシー

長崎空港から佐世保港へ移動する

海上空港である長崎空港に、鉄道は乗り入れていない。
行き先がハウステンボスならば「海路」もあるが、佐世保港(JR佐世保駅)の場合、選択肢は陸路のみとなる。

方法は「路線バス」または「ジャンボタクシー」
今回は乗合ジャンボタクシーを予約した。
費用は路線バスと比べて100円高いだけ。
路線バスのように、停留所に停まらない分、所要時間は格段に短い。
(ウェブサイトでは「バスより20分~40分も早く到着」と謳っている)
ただ、その速さに少々恐怖を感じることになるのだが・・


ジャンボタクシーの出発時刻は、空路の便から余裕を持って乗り継げるように設定されており、V・VAREN PORTでゆっくり買い物を済ませてから乗り場に着くと定員8人の2番乗りだった。
荷物を後部トランクに入れてから、予約しておいた名前を告げて、現金で1,500円を支払う。


この日、長崎の気温は35度。
今回の旅では東京と比べて、概ね3度~4度、高かった。
窓ガラスには遮光フィルムが貼ってあるのだが、窓に近いだけで暑い。
定刻の3分前、若い女の子2人組がやって来て満員となり、定刻どおりの出発。


出発するとすぐに、車は高速に上がり、女の子は2人とも首を傾けて爆睡にはいる。
若い子は、どこでも寝れていいな・・

白いカッターシャツを来たビジネスマンはiPADで仕事を続けている。
するとiPADおじさんの携帯が鳴る。
マナーモードにしておいてよ・・
女の子が2人とも起きる

「あ、おつかれさまっす」
出るのか・・
「いま、向かってます。かけなおします、すいませーん」
電話の相手には詫びたが、我々には一言もない
女の子は何事もなかったように、すぐに爆睡に戻る


それにしても、とばすなぁ
まぁ高速道路だから、ここはとばすところなんだろうけど
あっと言う間に大塔のイオンが見えてきた
一年ぶりに佐世保に帰ってきたという感慨がない


ジャンボタクシーは佐世保駅の裏側、港に面した「みなと口」に着く。
これは速いし、料金も手頃でいい
これから先、あまり機会はないと想うが、佐世保⇔長崎空港の移動ではこれ一択と言ってもよさそうだ。

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2018年9月17日 (月)

日本ではここだけ? V・VAREN PORT

ダッフルバッグを受け取ると、7ヶ月前に長崎空港ルートを選択した僕を褒めてあげたい、そんな場所が待っている。

一般的に空港というのは、到着ロビーが下の階(大抵グラウンドレベル)になっていて、到着した旅客はそのまま交通機関に乗り換えて移動していく。

ところが、僕は一階の到着ロビーから二階の出発ロビーへ上がる。
ハウステンボスの売店が見える。
いつもならば、吸い込まれるように入店するところだがスルー。
その先に目指す店の幟がみえてきた。


V・VAREN PORT
V・ファーレン長崎のオリジナルグッズショップ
バルセロナ空港にはFCバルセロナのグッズショップがあったが、それ以外でフットボールクラブのショップが最寄りの空港にあるのを知らない。


まずは蒐集している「顔出しボード」の写真をゲット。
事前にツィッターでチェックしておいた。


今回の旅では、この「顔出しボード」が思いのほか「豊作」となった。
観光地には「顔出しボード」がお約束として定着すれば、これは新たな「cool Japan」になるかも知れない。


お店の人に承諾を得てから、店内を撮らせていただく。


それほど広くない店内だが、これまでジャパネットの公式通販やスタジアムのグッズ販売では見たことのない品が、数多く並んでいる。
ひと昔前の僕ならば 「コンプリでゲットだぜ!」
となるところだが、数年前のくまモングッズ集めでちょっと懲りている。
今も使わないまま仕舞いこんでいるくまモン達。
使わないモノを余らせてしまうストレスは、自分自身にボディブローのように効いてくる。

・他では売っていない
・どうみても実用的

この2つの条件に合う商品が「スクラッチワッペン」

V・ファーレン長崎ユニフォームをヴィヴィくん仕様にする

いくつか種類があったので「コンプリでゲットだぜ!」病をこらえて、1つだけにする。
予備を買っておけば「誰かのお土産に使える病」も封印。


このショップは羽田-長崎の航空チケットを予約した1月にはまだなかった。
4月にオープンした時は、自分の「長崎ルート」選択を何度も褒めたのだった。

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2018年9月 9日 (日)

海から生まれた町 ハウステンボス

佐世保に帰る時はいつも福岡空港に降りて、JR特急みどりに乗り換える。
福岡と長崎では航空運賃に1万円近い差がある。
博多からの特急はおよそ2,000円
長崎空港からのバスはおよそ1,500円
トータルでは福岡に降りた方が、およそ1万円安い。
所要時間はほとんど変わらない。

それなのに、今日長崎空港に降りることにした理由は覚えていない。
予約した1月の時点では、いつもと違うことをしたかったのだろう。
ただ、結果的にその選択は僕を喜ばせることになった。


べた凪の大村湾を眼下に、ソラシドエアは次第に高度を下げる。
長崎空港は、大村湾に浮かぶ箕島を埋め立てた世界初の海上空港として、1975年に開港した。
従って、着陸直前まで海の上を飛び続ける
この前、ここに降りた時の目的地はハウステンボスだった。
空港とハウステンボスは大村湾で「海つながり」
空港からは陸路を通らず、海路で入国できる。
関東、関西からハウステンボスを訪れる人には、必ずこの「海からの入国」を進めることにしている。
ハウステンボスは「海から生まれた町」
大村湾から入ると、その成り立ちが最もわかりやすい。



長崎空港の手荷物受け取り場には「鹿島アントラーズサポーターの皆様ようこそ長崎へ!正々道々」と横断幕がかかっていた。
出た!敵を油断させることで定評のある長崎のおもてなし(笑)
よくみると「鹿島アントラーズ」のところは張替式になっていた。
僕は後に写真を確認して気づいたので、大半の人は気づかないかも知れない。


預けておいたダッフルバッグが回転台に乗って出てくるのを待つ間、モニターに映し出されるハウステンボスの広告を見ている。
「絶対に走らないでください」
というコピーの映像は、ビキニや海パンの男女が開門と同時に園内のビーチをめざすというもの。

一応言っておくと、ハウステンボスは海辺の町ではあるが砂浜はない。それを仮設とは言え、作ってしまうところがスゴイ
ハウステンボスはいったい、どこまで往くんだ?
どこへ往こうとしているんだ^^;)
ずっと応援しているファンとして、ただ1つ言えることは、そこに集う、勤める、想う、すべての人にとって、町が賑わうことはありがたい。
あの時なくなっていたら、何もかもが終わりだったのだ。
改めて、澤田秀雄社長にお礼を申しあげる。

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2018年9月 8日 (土)

旅のカメラ GRIIか一眼レフか?

2017年の暮れ、新たに1台のカメラを買った。
有楽町のビックカメラで1時間ほど、暇を潰す必要が生じた僕はカメラ売り場に立ち、来夏の五島の旅を想像していた。



小さいのにあっと驚く写真が撮れるカメラってありませんか?

旅先で想い出に残る一枚に出会いたいが、一眼レフは重たい。
コンパクトでバッグから取り出してすぐ撮れる。ところがどっこい、高画質
そんなイメージをビックカメラの店員にぶつけてみた。

「ありますよ!」
店員はそういうと、速歩きでCanon売り場からリコーの売り場に僕を先導した。

そのカメラは「GRII」
Get Real 2
コンパクトサイズながら、23.7×15.7mmCMOS撮像子(APS-C相当)を使っている。だから、いい写真が撮れるのだという。


帰宅してからしらべると、リコーの「GR」シリーズは、コンパクトカメラ市場で確固たる地位を築いている様だった。

【GRの歴史】

1996年
GR1 発売

2005年
GR DIGITAL 発売 5.9mmF2.4レンズ

2013年5月
APS-Cを搭載したGR 発売 18.3mmF2.8レンズ

2013年8月
解説書「RICOH GR パーフェクトガイド」インプレス

2013年9月
解説書「GRエボリューション」枻出版社

2013年10月
GR Limited Edition グリーンボディ 5,000台 限定販売

2014年6月
技術解説書「今すぐ使えるかんたんmini RICOH GR基本&応用 撮影ガイド」技術評論社

2015年7月17日
GRII 発売

2015年10月23日
GRII Premium Kit 1,200セット 限定販売

2015年10月26日
GRII初の解説書「リコー GRII WORLD―GRはGRを超えてゆく。」日本カメラ社

2016年3月
GRII Silver Edition 3,200台 限定販売


「GRII」概要
■1,620万画素
■発売:2015年7月
■実勢価格:62,800円



GRIIを7ヶ月使って、さてどのカメラを五島に持っていくかを考える。

GRIIとGRとの主な違いは「Wi-Fi機能」でスマホに写真を転送できることと「スマホで操作できる」こと(アプリGR Remote使用)
ただ、結論から言うとこの2つ、まったく使っていない。
17種類の画像エフェクトは楽しい。マクロが10cmまで寄れるのは及第点。

どのカメラにも言えることだが、多機能製品は使いこなせば楽しいだろうが、大多数のユーザーはその操作を覚えている時間がない。
従って、宝の持ち腐れになるものが大半だ。


撮像子がよくても、やはり一眼レフの深みには及ばない
自然の風景を撮る旅では、望遠できないのは致命的
五島上陸は、これが最後かも知れない。
結局、かさばるけれど一眼レフ+スナップ写真はiPhoneという構成で臨むことにした。

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2018年9月 7日 (金)

ダンス・ダンス・ダンス

羽田を発っておよそ20分「あたまを雲の上にぃだぁしぃ」の歌でお馴染み、頭の黒い富士が雲から頭を出している
雪は冠っていない。
真夏だから
恐らくあそこには、おびただしい登山の隊列ができていて、向こうからはこの機体に向けて手を振っているかも知れないが、こちらからは蟻ンコの粒ほどにも捉えることができない。
人は小さいな


羽田から1時間
となりの二人ともよく寝ている
いいなぁ
最近、人前で寝れなくなった
今日は、五時間半しか寝てないのに
途中二度目が覚めたのに


「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)を読み始めた
村上春樹はこの小説を1986年~1989年、欧州で暮らしている時に執筆した。
その頃の記録は随筆「遠い太鼓」として発表されている
東京を出る前に、いま一度遠い太鼓を読み直しておいた。
書いている村上と、書かれた村上作品、その両方をほぼ同時に楽しむ
それはとても示唆に富む考察になるだろう


「ダンス・ダンス・ダンス」Kindle版は8月3日に発売されたばかり。
これで「村上Kindle」は31タイトルになったが、大半は随筆と短篇集であり「ダンス・ダンス・ダンス」のような長編小説は、同時発売の「国境の南、太陽の西」と2タイトルだけである。



■Kindleで読める村上作品(電子化発売順)
村上さんのところコンプリート版(Q&A)
走ることについて語るときに僕の語ること(随筆)
遠い太鼓(紀行文)
ラオスにいったい何があるというんですか?(紀行文)
意味がなければスイングはない(随筆)
やがて哀しき外国語(随筆)
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(小説)
ロング・グッドバイ (翻訳小説)
アンダーグラウンド(ノンフィクション)
風の歌を聴け(小説)
1973年のピンボール(小説)
羊をめぐる冒険(小説)
女のいない男たち(小説)
レキシントンの幽霊(短編集)
パン屋再襲撃(短編集)
TVピープル(短編集)
スプートニクの恋人(小説)
雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行(紀行文)
辺境・近境(紀行文)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく(対談)
みみずくは黄昏に飛びたつ(被インタビュー)
大いなる眠り(翻訳小説)
さよなら、愛しい人(翻訳小説)
高い窓(翻訳小説)
プレイバック(翻訳小説)
リトル・シスター(翻訳小説)
回転木馬のデッド・ヒート(随筆であり小説)
水底の女(翻訳小説)
国境の南、太陽の西(長編小説)
カンガルー日和(短篇集)
ダンス・ダンス・ダンス(長編小説)



この旅で読む本として、満を持して買っておいた
「ダンス・ダンス・ダンス」は上巻344+下巻339ページ(新書)
その嵩といい重さといい、とても旅に持って来られる代物ではないが、Kindle版をiPhoneに入れているので質量も重量も0cm、0グラム
今や、旅の度に何冊持っていこうかと思い悩んでいた時代はネタ噺になった。

だが、結果的にこの旅で「ダンス・ダンス・ダンス」を読み進めたのは1ページ。つまり、機内モードで開いたこのページ限り。
五島から佐世保、そして初めてのトラスタ。
7泊8日の旅は、それなりに忙しかったということになる。

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2018年9月 5日 (水)

埋め立てられた浦桑

去年、旅マラソン用にあつらえたダッフルバッグ(50L)1つにまとめた旅の荷物をからって、早朝の空港へつながる駅へ向かう。

さぁこれから一週間、よろしくお願いします。
わくわくはいいけど、心配はよそう。リラックス^_^

旅の神様に挨拶を済ませると、昨日までの重苦しい気持ちが少し軽くなった。
もう旅は始まっている。僕は一歩踏み出すしかないのだ。


40年ぶりに訪れる五島
いったいどんなになっているだろう
わくわく

ということはない。
今はGoogle mapというありがた迷惑な仕組みがあり、現地に行かずとも、その場所を確認できてしまう。

10年ほど前、Google mapで住んでいた家の住所を検索したところ、浦桑の海はすっかり埋め立てられていて、母、姉とうなぎを釣りに行った場所は陸地に変わっていた。

そして、その数年後、ついにGoogle street viewの車が上五島に入ったようで、その場所を二次元の立体図でも見ることができるようになった。

だが、Google mapでは体感できないのが垂角0度~90度の世界
それを思うと、少しわくわくしてきた。



羽田から長崎は、ソラシドエアとANAの共同運航便。
僕は「非常口」の席を指定してしまったらしく、足下に荷物が置けないし、椅子はリクライニングしない。
そして、万が一の非常時には、真っ先に逃げることは許されず、滑り台を降りる乗客の手助けをしなければならない。
きっと、僕はその役目を立派にやるだろう。
そういう性格だから
別に出しゃばりというわけではない
偽善者でもない
それは「役割」の問題であって、目の前に「君の出番だ」という役割がぶら下がっていると、それに食いつかずにはいられないのだ。
でも、今日に限って言えばその役割が生じないことを願いたい。

非常時の手伝いについて書かれたパンフレットを熟読して手順を確認していると、となりの兄ちゃんが「荷物は上の棚に入れなさい」とCAに注意された。
最後にやって来たそのとなりのおじさんは、案内放送があった後で、同じことを注意された。
みんな、人の話をきかないんだ・・


ソラシドエアが離陸態勢に入ると、となりの兄ちゃんが大股を開き、寝る体勢に入った。
その膝が僕の防空識別圏を侵犯している。
彼は僕等の国境にある肘掛けを使い、肘で僕の肘を小突く。
肘掛けについていえば「通路側の人が使う」というマナーなので、それに異存はないのだが、厚い脂肪から、生暖かい体温と、湿り気が伝わってくるのには違和感がある^^;)

まぁ気にしない
いつものことだ
電車でも飛行機でも、日本人男性の多くは、座席を獲得した途端に股を開く
股関節の柔らかさをアピールしたいか、よほど、金玉が大きいのだろう
僕は心で、その名を呼ぶ

よっ金玉野郎!

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2018年9月 3日 (月)

40年振り、五島へ

40年ぶりの上五島上陸まで一週間
僕の心は憂鬱な雲に覆われていた。
旅の前はいつもこうなのかも知れないが、そういった記録をつけていないのでわからない。
次の旅のために書き残しておこう。

3泊4日の旅
手配済みなのは交通手段(飛行機とタクシーと船とレンタカー)と宿泊先、そして頭ヶ島天主堂見学の事前連絡。

それ以外には何も決まっていない
どこでご飯を食べるか、何処と何処を訪れるか。
誰かと会う予定もない。
そもそも、40数年前を最後に連絡が途絶えた級友たちと連絡を取る術がない。
もしかすると、NTTの電話帳でも繰れば、友達の名前の1人や2人出てくるのかもしれない。

中学の時同じクラスだったmotoだけど、覚えてないよねぇ
今度、あれ以来初めてそちらに往くのだけど、よかったら昔話でもどう?

電話をかけて、こんな感じで切り出せば、それほど邪険にはされないと思う。
だが、僕にはそれができない。
心の底に、友達を大事にしてこなかったこと、いや絞り込んで言えば、友達づきあいを大切にしてこなかったことが、引っ掛かっている。

今は亡き人たちに手を合わせる時も、そうした気持ちがある。
なにを今さら。
生きている時、もっと話しろよ


自分への懲罰というわけではないが、自分が懐かしむ時だけ連絡をするなんて、都合が良すぎるだろう?
それはやってはいけないんじゃないか?
歯止めがかかる。


あまり準備していないので、予定もそれほど決めていないんだけど
40年ぶりに懐かしめればいいかな

郷里の姉にそうメールを入れた
共に五島で暮らした家族はもう姉しか残っていない。


五島にはまたいつか往きたい
それは僕の中では数十年来の既定路線だった。
子どもの頃、暮らした町を訪れるというのは、転勤や転校を繰り返すことで友達を失ったことと引換に得られる「特権」のようなものだ。

懐かしい町で、昔と変わったこと、変わらないことに接して、遠き懐かしき日々に思いを馳せる。
なんと素敵なことだろう。

そういえば数年前、そろそろ五島に行きたいと切り出した時、母が目を輝かせていたのを思い出す。
僕はまだその時ではないと思っていて、その話題をそれ以上は膨らませなかった。
またひとつ、心の澱に淀んでいたものを掘り返してしまった。

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