2008年12月 5日 (金)

キスもハグもない家庭に育つと

 その役者が苦手である。
 CS放送でこれからどの映画を見ようかと選んでいる時、出演者リストに彼の名が出ているだけでパスする。

 きっかけは軽自動車のCM
 そのCMはシリーズもののストーリー展開になっている。
 登場人物はボクサーの兄と妹。

 兄が妹に「お前デートでもして来いよ」と声をかける。
 どうやら、妹はいつも兄の練習に付き添っている様子。

 妹が焦点がぼけた遠い目で言う。
 「お兄ちゃんみたいな人がいたらね」

 その途端 兄は、水を得た魚のように元気を出してシャドーボクシングを始める。
このシーンだ。

 このフォームがあまりにもひどい。
 おまけに 口から「しゅっ しゅっ」と言っている。
 ボクサーなのに、動揺すると下手になる情けない兄貴であるという役作りなのか、
 実際にセンスがないのか・・・
その境界がわからない。

 だいたい、なぜ「兄ちゃんの夢が妹の夢」なのか
 自分に妹がいなくて、軽自動車の購入を検討したことがない男性にとっては、意味不明だろう。
 このCMのターゲットは、妹のいる兄貴なのか、それとも兄貴のいる妹なのか。
 それらのターゲットの人には、このキャッチコピーが共感を呼ぶのか。

 そもそも、シャドーボクシングが嫌いだった。
 学生の時、学食で久しぶりに会った仲間に
 「このこの」
と言いながらパンチを繰り出し、ボクシングの真似をする男がいた。

 心底、彼の気持ちがわからなかった。
 真夏でも零下5度くらいに感じた。

 いきなり、肩をもむ人も同類である。
 体育会系でバンカラな人に多いかと思うと、気が弱そうで虚勢を張って生きている人が、突然肩を揉んできてびびる。
 腰が引けていて 「肩なんか揉んで、今の僕大丈夫なのかなぁ」と、反応を探っているのが伝わり、痛々しい。

 然るに、彼らはスキンシップ三昧の家庭に育ったのかも知れない。
 体と体の接触、それに類する行為が親愛の情を表すとすり込まれたのか。
 キスもハグもない家庭に生まれ、育った人間にはわからない。

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2008年10月 7日 (火)

カンゴロンゴにNEWSを!

 10月5日(日)23:00~
 地上波NHKで「カンゴロンゴ」が始まった。
 以前、スポットで放送されたことがある内容が、レギュラー化した。

 結論からいうと、これは人に勧めたくなるプログラムだ。

 「世直しバラエティー カンゴロンゴ」
 サブタイトルに「バラエティ」を冠しているが、日本を壊滅に追い込もうとしている「バラエティ」とは一線を画している。

 第一回は「給食費未払い問題」を取り上げた。
 どのようにして、給食費を払わない親の心に迫るのか?
 そういう視点で見ていると、なかなか巧い。
 実際に給食費を支払っていない親が見たら、心に迫るものがあると思う。

 あとは、いかにして「給食費を支払っていない親」に、この番組を見せるかである。
 日曜日の23時台といえば、他にも見たい番組はたくさんある。
 BS、CSに入っていれば、スポーツ、映画の強力プログラムが同時間帯にひしめく。

 しかも、NHK
 給食費を支払っていない親が、この番組を見るとは思えない。
 これから、様々な世直しプログラムを放送していく時、その「直される側」に位置する横着な皆さんは、この番組を見ていないだろう。

 この番組は、出演者のひとり、宋文州のメルマガで知った。
 数あるメルマガの中で、着信拒否せず、ゴミ箱直行せず、きちんと読む唯一のメルマガ。
 ソフトブレーン創業者、宋文州(国籍:中華人民共和国)の視点は、公平でユニーク。
 本当のことを、わかりやすく書く。
 講演もおもしろいが、もの書きとしての能力は傑出している。

 その宋文州が、メルマガの中で 「カンゴロンゴ」をよくするためのアイディアを待っているという。
 そういう視点でも、第一回を見た。

 そして、結論をいうと、この番組にNEWSが必要だ。
 嵐でもいい。

 女性タレントは夏川純がレギュラーであり、女優のきれいどころを毎回ゲストで出していくことで、男の興味は引ける。
 だが、ゲッツのダンディ坂野と猿岩石の有吉では、女の興味は引けない。



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2008年9月15日 (月)

仮面ライダー旧1号の日

 毎年9月15日は、仮面ライダー旧1号の日。

 旧1号(きゅういちごう)=915の語呂合わせ。

 しらべるで、2003年9月15日に記念日を宣言した。
 だが、宣言しただけで2003年、2004年とも特別なイベント、企画はなにも行っていない。

 2005年1月、ミクシィにコミュニティ
「仮面ライダー旧1号」を開設。
 この時点では、ミクシィ唯一の旧1号コミュニティ。
 つまり、初めてのコミュニティである。

 ミクシィのガイドラインでは、コミュニティを作る時には、同様のコミュニティが既にないかを検索することになっている。
 それに則るならば、今も旧1号としては唯一のコミュニティのはず。
 だが、現実にはたくさんの旧1号コミュニティがある。

 世の中には、自分中心のコミュニティ(ここでは人と人の関わりの意味)を作りたいという人が一定数いる。
 そういう人が集まって、一つのコミュニティを作れば、大きな力を発揮するのだろうが、現実にはそうはなっていない。

 2006年9月15日「仮面ライダー旧1号」ファンクラブ設立宣言。
 これも初めてであり、いまだ唯一の旧1号ファンクラブ。

 そして、2007年、2008年 いずれも特別なイベント、企画は行っていない。

 いつか、仲間でバンダイ本社前に旧1号を着て集まり、座り込みたい。
「旧1号をオリジナルのプロップでリメイクせよ!」
「9月15日を旧1号の日と認めよ!」

 旧1号ファンクラブは、いつも仲間の参加を待っています。
 でも、全然、熱く萌えていません。

仮面ライダー旧1号情報
ミクシィのコミュニティ「仮面ライダー旧1号」


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2007年10月17日 (水)

謎の女 菊池桃子

 雑誌「Momoco」と共に世に出た菊地桃子(本名:西川桃子)は今年で39歳。
 TBS系列で放送中の「山田太郎ものがたり」に出演。
 7人の子供を持つ母親役を演じていて、ふっくらした体型が役にはまっている。

1968年5月4日、東京都品川区生まれ。

1983年10月、ニッポン放送「パンツの穴」に出演。

1983年11月1日、月刊誌「Momoco」(学研)創刊。
イメージガールとして毎号のように表紙やグラビアを飾る。
1枚1枚の写真で別人かと思わせるほど表情が違い、15歳の少女と大人の顔を併せ持つ謎めいた印象を与えた。

1984年3月、映画「パンツの穴」主演。

1984年4月、シングルレコード「青春のいじわる」で歌手デビュー。

1988年2月、ロックバンド「ラムー」結成、ボーカル担当。
1stシングル「愛は心の仕事です」発売。
人気が低迷しつつあったため勝負を賭けたのかも知れないが、この謎のプロジェクトにより、築いてきたタレントイメージが平凡なものになってしまった。

1995年5月1日、プロゴルファー西川哲と結婚・入籍。

2002年8月 三菱冷蔵庫「切れちゃう冷凍」のCMに出演。
切れちゃう冷凍はなぜ切れちゃうのかが謎だったが、謎の女菊池桃子はここから主婦タレントとしての地位を確立していく。

 大崩れしないタレント菊池桃子もいいが、40歳を過ぎたら再び謎の存在ぶりを発揮して、ファンをあっと言わせてもらいたい。





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2007年10月16日 (火)

スター誕生ではない

 鈴木保奈美 工藤静香 
 酒井法子 雛形明子 
 西村知美 田中美奈子 
 杉浦幸 畠田理恵 
 志村香 木内美歩 矢部美穂

 割と有名な女性歌手、女優、タレントの皆さん達。
 このメンバーのデビューのきっかけが、皆同じだということを知っていますか?
 「スター誕生!」でも「ホリプロスカウトキャラバン」でもありません。

「Momoco」
1983年11月創刊(1984年1月号)
1993年12月1日休刊(1994年1月号=通刊120号が最終号)

 歌手デビュー前の菊池桃子を前面に出した誌面作りでスタート。
 創刊号の表紙は、ほっぺをぷっくり膨らませてにっこり笑う菊地桃子。
 雑誌名はモモコだが菊池桃子の専門誌というわけではない。

 読者ターゲットは学研の「BOMB!」(ぼむ)の上の年代。
 Momocoはよく売れて、その好調時にはさらにその上の年齢層を狙った「上級生」という月刊誌をスタートさせたが、これは短命に終わった。

 読者が身近にいる可愛い娘の情報を寄せ、編集部が撮影して掲載する「モモコクラブ」は多くのアイドルを輩出。
 素人女性の入浴写真で構成する「バブルシャッター」は後の”読者投稿雑誌”の先駆けとなった。

 冒頭に挙げたメンバーはこのモモコクラブ出身者。
 掲載された女性には通しで「出席番号」が振られていて、ノリピー酒井法子は1482番だった。


人物事典(音楽・芸能・スポーツ・ホビー)



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2007年6月12日 (火)

唐木恵子 春野恵子

 【 からき けいこ → はるの けいこ 】 タレント→浪曲師

1973年
 7月22日、東京都生まれ

1991年
高校3年生の10月から本格的に「東大に入るための勉強」を開始。現役合格。彼女の著書によれば、"その学校に入るための効率の良い勉強法" があるという。著書にはケイコ先生が選んだ効率のよい受験勉強に役立つ参考書リストが掲載されている。

1997年
東京大学教育学部卒業。出版社に就職。

1999年
出版社を退社。役者を目指して芸能事務所に所属。

2000年7月~2001年4月
「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系列)の企画「東大一直線」でアルカリ三世 坂本ちゃんの家庭教師「ケイコ先生」となる。
 女優志望で同番組のオーディションを受けたことでスタジオ見学に招かれ、そこで「拉致」され企画に参加した(ことになっている)。

2001年
 4月14日「受験坂本ちゃん屁の河童」日本テレビ 出版。
ドラマ「救命病棟24時」(CX)出演
10月6日~ TBS情報番組「リアルタイム」司会担当
11月15日
「ケイコ先生の合格のルール」朝日出版社 出版

2002年
 1月、唐木恵子のウェブサイトを開く。

2003年
大阪 境の浪曲師 春野百合子に弟子入り。浪曲師 春野恵子として修業を始める。

 現在は浪曲師としての今をブログで公開している。

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2007年2月15日 (木)

セーラー服おじさん 安穂野香

 名古屋にセーラー服おじさんがいる。
 名古屋の人には知っている人が多い。
 全国的にはあまり知られていないが、テレビっ子には知っている人もいる。

 名前は安穂野香
 「あほのかおり」と読んだ友達がいたが「あんほのか」と読む。

 1961年福岡県北九州市生まれ。3歳の時から愛知県へ。
 中学校の音楽教師を経て「ビートルズを超えるため」という動機で音楽家に転身。
 かつては警備員で生計を立てながら、名古屋の中心地・栄セントラルパークで1日おきにストリート・パフォーマンスを続けていた。時おりホール・コンサートも開催していた。
 当時「Tonight」「元気が出るテレビ」「特ホウ王国」などにとりあげられた。またhide(故人 元 X)の名古屋市民会館でのライブに、客席からラジカセを抱えて飛び入り参加。その模様がhideのライブビデオに収録されている。

 2001年頃は「寿司の五一」で定期的にピアノコンサートを行いながら音楽活動を続け、2002年からは「ジャンルを超えた音楽の基本を大切にする音楽教室」を主宰。

 しらべるを始めたのは2000年4月からだが、2003年以降、しらべるに対してメディアからの取材希望が届き始めた。以下はそのご縁で実現した企画。

■2003年9月
 CBCローカル「ユーガッタCBC」番組内「シーンを追え!」コーナーで"あの人は今何をしているのか?"というテーマで登場。

■2004年5月
 10日26:28~26:58(11日 2:28~)名古屋のTV番組「R(ロード)指定」に登場。

■2004年8月
 「広告」2004年8月号 博報堂の名古屋特集で紹介される。

■2004年9月30日
 名古屋市「東山クラブBL」でミニ・ライブ出演。
 以後、これを機会に不定期でライブ活動を行っている。

■2005年5月20日
 ナゴヤ鶴舞「DAYTRIP」ライブイベント出演

■2006年4月26日
インターネットTV「コ→chan けいめい 恋愛ハレンチ学園」出演

 かつて音源はカセット、VHSビデオのみだったが、2006年5月、安さん初めてのCD「セーラー服おじさん安穂野香」12曲入り1500円がインディーズ・レーベルから発売された。
 それに合わせて6月~8月には、東京・大阪・名古屋の三大都市でライブをおこなった。

 CD発売前から商業的ウェブサイトに支援を受け始めたようで、もうしらべるへの取材要請はなくなった。

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2007年2月12日 (月)

中谷彰宏

【 なかたに あきひろ 】 「読みやすい」と形容される作家。

 1959年4月14日、大阪府堺市生まれ。
 東京大学の受験に3度失敗、2浪で早稲田に入学。
 博報堂にCMプランナーとして8年在籍後、中谷彰宏事務所設立。
 毎月3冊~5冊のペースで新刊を出し続ける。2003年3月に500冊と紹介されていたので、単純計算すれば現在は650冊ほどか。
 大学生時代に4000本の映画を見たことがその土台になっている。

 大学生・20代には「面接の達人の人」として有名。
 中谷彰宏は「メンタツは就活学生の3人に2人が読んでいる」と本に書いている。
 ここ7年ほど、毎年新卒に一度でもメンタツを読んだことがあるか?と尋ねているが「10人に1人しか読んでいない」という謎の書籍。

 南青山アイクリニック坪田一男医師の施術でレーシック手術を受けた。
 2002年~2004年の9割方の著書では「ボーリングでは・・」が出てきた。

 2004年11月の「運に愛されるトライ美人」にアムウェイ・ビジネス世界ナンバーワンの中島薫さんが・・を初め、アムウェイに関するエピソードが2ヶ所に出てくる。
 2004年12月の「明日は、もっとうまくいく」に"アムウェイ世界ナンバーワンの中島薫さんは・・"という記述が出てくる。

【 これまでに読んだ300冊からお勧めの7冊 】

■29歳で自立を目指す女性には~
29歳からの一人時間の楽しみかた」(三笠書房、2002年)

■自分の将来を知りたい人は~
占いで運命を変えることができる」(説話社)
 冒頭、
加藤眞由儒を取り上げている。この著作は2005年に文庫化されるが文庫には加藤眞由儒の連絡先は掲載されていない。

■18歳、20歳、22歳の新社会人には~
入社3年目までに勝負がつく77の法則」(PHP、1995年,PHP文庫、1998年)

■30代~40代、将来が不安な人には~
大人のスピード勉強法」(ダイヤモンド社、2000年)

■ロングバケーションのお供には~
自分に出会う旅に出よう」(PHP文庫、1996年)

■金銭感覚に新たな指針を求めている人は~
金運が強くなる50の小さな習慣」(PHP、2000年)

■自分は運が悪い、開運したいという人は
運は使えば使うほど増える」Dr.コパ共著(PHP、2001年)

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2006年7月31日 (月)

島田歌穂

 学生の時、ミニコミ誌を作っていた。
 学校の情報、周辺地域の情報を掲載する、学校に特化したタウン
誌のような内容のもので、年5回発行して無料配布する。

 ロットリングで起こした手書き原稿を街の印刷屋さんに持込み
(活字ではなく)ダイレクト印刷をしてもらう。
 まだ、ワープロは世の中になかった。
 支出(印刷代)はすべて広告収入で賄う。
 2人のチームを作り手分けして近くの商店街に広告掲載をお願い
して回る。一番小さい枠で1,500円。一番高い裏表紙が1万円。
 「必ず出すから、毎回おいでよ」
と言ってくれるお店もあり、そういうお店は部員皆で通っていた。
 総額5万円以内の収入と支出で回る、ささやかな仕事。それでも
広告の入りが悪い時は心配になった。

 無料ということもあり、学生からは好評だった。
 7,000人の学生に対して4,000部を印刷。手渡しと生協
のカウンターに置いてもらうだけで、いつも数時間ではけた。
 一度だけ有料化(50円)してはどうかという議論をしたことが
あったが、それに見合う記事を書く自信がない、そういうプレッシ
ャーのないのんびりした雰囲気でやりたいという意見が大半を占め
た。当時はなんと、気概のない人たちかと思ったものだが、今は
それも自然だと思える。

 取材には必要経費が出るわけではない。実費は手出し。
 自分でアイデアを出し、編集会議にかけて、ページをもらうと
取材に走る。
 松田聖子の高校時代を追うという記事では、彼女が高校途中まで
在籍した久留米市の信愛女学園にバイクを飛ばした。

 高校と短大が併設されている信愛女学園。
 下校時間に校門前で待っていると、松田聖子と同級生だったと
言う大学1年生の声もひろうことができた。
 (記事内容は割愛)

 ある時、その学校のマスコット・ガールという触れ込みで、アイ
ドル・デビュー間もない島田歌穂がやってきた。
 東京のアイドルが九州の大学のマスコットというのもおかしな話
だが、そういうご都合主義には目をつむり、ライブイベント前の楽
屋に取材を申し入れた。

 雑誌づくりは、こういう役得がおいしいところ。

 その時の記事を今、読み返してみると、顔から火が出るような質
問、つまり、既存の芸能誌が聞きそうな質問ばかり。
 いやな顔ひとつせず、笑顔で応じる島田歌穂。

 取材の終わりには、取材班と一緒に記念写真。
 何を勘違いしたのか、僕は島田歌穂の肩に手を回している。
 土地の名士やプロモーターと言えども、そんなことはしないだろ
う。なぜ、そんな不届きな行動をとったのか、わからない。

 常識がないとは、恐ろしいことだ。

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2006年4月24日 (月)

村上龍のカンブリア宮殿

 村上龍佐世保北高校の先輩なので、著書はすべて目を通す。

 4月17日よりテレビ東京で「カンブリア宮殿」が始まった。

 「プロジェクトX」の司会が村上龍と小池栄子になったような番組。
 そういうと悪意を感じるかも知れないが、僕はこの番組の54分間のうち2度感動した。

 まず最初は企業の人事担当者100人を聴衆として並ばせ、トヨタの張副会長をスタンディング・オベーションで出迎えたこと。張さんが目を白黒させていた。
 これはIT企業がユーザー企業向けに開催する
カンファレンスに似た趣向。カンファレンスでは旬の評論家や経営者をスピーカーとして呼び、ユーザーに聴かせる。最後には質問コーナーもある。
 イベントではよく行われるパネル・ディスカッションの生中継とも言える。

 村上龍のここ7年くらいの著書を読んでいるファンならば、彼がいかに上手く言葉を選んでいるかがわかる。彼には飾りがない。思考停止をした人びとへの哀しみがある。

 視聴率を取りに行った番組づくりという臭さもない。

 NHKがプロジェクトXを打ち切ったのは間違いだ。
 日本国民はもっと誉めてもらいたがっている。
 せっかく、頑張っている人を誉めて皆で自信を共有する番組だったのに、マンネリになってきたからやめてしまった。
 NHKはボロボロになるまで、やることができる唯一の局なのに、これでは
新庄剛志と変わらない。

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2006年1月27日 (金)

ガッツポーズという言葉の始まり

 1970年代、中山律子を中心キャラクターとした大ボウリングブームが起きた頃、その言葉は生まれた。

 プロレスがそうであったように、ピーク時にはいくつものテレビ中継レギュラー番組があり、国民の多くが中山、須田、並木の熱い女の戦いに熱中していた。
 当時「ガッツボウリング」(学研~既に休刊)というボウリング雑誌があった。

 ボウリングでは、(中谷彰宏か・・)
 素人ボウラーでもストライクやスペアの時は振り返ってみんなに向かって、喜びを表現しなければならない。狙ったピンを外せば、悔恨の情を見せることも強いられる。これが、人づきあいの下手な人には大変な苦痛になっている。

 70年代、そういったポーズはプロによって確立される。
 TV中継のアナウンサーは、ストライクをとってポーズを作るボウラーの姿を表現することに四苦八苦していた。

「中山、喜びを爆発っ、今日三つ目のダブル!」
「須田、満面の笑顔で右手を90度折って、斜め後方に引いた!」

そんなばかな

 そしてある時、一人のアナウンサーが咄嗟のアドリブで、雑誌名を拝借
「中山、ガッツポーズ!」と言ったのがガッツポーズという言葉の始まり。

 ガッツ石松が登場したのは、その後。ガッツ石松が「ガッツポーズ」という言葉の元祖ではない。
 だが、そう信じこんでいる人は、言い張って聞かない。

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2005年10月25日 (火)

しらべるの人気アイドル

 しらべるは始めてから5年になるが、最初の頃はほとんどアクセス数が伸びなかった。

 それが少しずつ伸び始めたのは、それまでのディレクトリー型検索一辺倒の時期が終わり、全文検索エンジンから飛んでくるユーザーが増える頃から。
 それまではトップページの「アクセス数」が人気の指標だと思っていたのだが、個々の「ページビュー」を伸ばせばよいのだということに気がついた。

 始めにページビューが伸びたのが「吉岡美穂」 まだバラエティにもCMにも出ていない頃で、情報が少ないためかなりの訪問者があった。しらべるには音楽から政治まで20を超えるカテゴリーがあるのだが、しばらくは グラビアアイドル達のエンターテインメント記事が上位にくる時代が続いた。

 その次に来たのは「柴咲コウ」 しらべるは自分の興味と関心のアンテナがしなったネタだけをとりあげているのだが、ポンズダブルホワイトのCMはとても印象的だった。ただその名前を知った時は「なんで、ばあさんみたいな名前なんだろう」と不思議だった。今も芸名の由来は知らない。

 次は「菊川舞菊川怜の妹である。姉は東京大学だが、妹も東工大と言えばかなり優秀である。記事の中身は申し訳ないくらいに薄いのだが、露出度が低く、情報不足の人ゆえによく見られていた。

 マメグこと松本恵、今は松本莉緒も一時期、安定してビューが出ていた。一旦引退していた理由は米国イラク攻撃を思わせるようなご都合主義で笑った。最近は昼メロに出ているらしい。

 女子アナ記事も人気だ。松本志のぶ石井詩織は、なだらかに安定している。柴田倫世久保純子は結婚してしまうとぱったり足が止まった。魚住りえは離婚したのでまた足が伸びた。クボジュンは当初、そっくりさんAV女優の記事とリンクしていたが、子供達が見るかも知れないので外した。
 しらべるのページビューを見て、あ、この人離婚でもしたのかなと気づくこともたまにある。

 ちなみに最近の人気記事は「奥菜恵

 2002年まではしらべるで見る限り人気記事はアイドル系に集中していたが、その年を境に偏りがなくなった。僕は 2002年が常識的な情報を探す層がインターネット全文検索エンジンを使いこなすようになった元年と見ている。

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