2017年3月20日 (月)

コンビニで発見!理想の図書館バッグ

2003年、ダイソーで315円で買った「図書館バッグ」は数年前から傷みが目立っていた。
そろそろ買い換え時だなとなにげにダイソーを覗く。
だが、2003年以来、そのカバンは売られていない。

ダイソーに行く度に、カバン売り場をチェックする。
しかし、どれもポケットすら付いていない。
こんなことになるならば、2つ買っておけばよかったと思う。
だが、買った時は「ダイソーなのに300円もするのか」と思っていたのだ。
とても10年後に困ることなど、想像できなかった。



いよいよ、底に穴が開きそうになったので、ネットで探し始める。
だが、先に述べたように「図書館バッグ」という一大市場はない。
いくつかヒットするカバンはあるが、見るからに幼児向けであったり、こちらの要求仕様を満たすものがない。


ここで【5】価格が安い【6】キャンバス地 という制約を外し、巡回先を一般のカバン屋に拡大する。

街に出た時に、カバン屋があったら入る。
「ある程度、値が張ってでも買うぞ」と値札を気にせず、チェックするのだが【3】「外側に蓋なしポケット付き」のトートバッグというのは、一つも見当たらない。


ポケットに入れるのは「貸出カード」だけではない。
ちょっとしたメモをとる「リングメモ」
筆記用にペンホルダー付きのペンを挿しておく。
東京では大半の図書館に駐車場がないので、近所のコインパーキングで支払うための「100円玉」や図書館でコピーをとる時の「10円玉」も入れている。
ポケットは「図書館バッグ」になくてはならない機能なのだ。


あらゆる流通ルートで「図書館バッグ」を探し始めて半年ほどが過ぎた頃、ついにその後任を見つける。
それは、意外にもコンビニにあった。


出版不況と言われて久しい。
もう30年くらい前から言っている。
その言い訳は古くは「活字離れ」
その後「インターネットの登場」
そして、ここ数年は「スマホ代」
スマホ代が高いから、人々は本にお金が使えないというのだ。

それならば、本ではないものを売ればいい。
そうして、近年流行しているのが「付録」商法である。
本来、版元や書店が扱うのは「書籍」と「雑誌」なのだが、付録ならばカテゴリーが自由になる。


立ち寄ったコンビニの雑誌売り場に「MonoMax」
表紙にはBEAMSのBIGトートバッグ

【1】マチがある=大丈夫そう●
【2】ヨコ長=ほぼ正方形なので▲
【3】外側に複数のポケット付き=●
【4】間口が広い=トートだから大丈夫だろう●
【5】価格が安い=890円●
【6】キャンバス地=高級素材と書いてあるが多分●


使い初めて3ヶ月。
ヨコ長ではないのと持ち手が長いため、普通に持つと地面をぞろ引くのが難点だが、他は及第点。
何より890円という価格でこの品質はお買い得だった。

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2017年3月19日 (日)

理想的な図書館バッグとは?

一週間に一度、図書館に足を運び利用限度いっぱいの本を借りてくる。
本を運搬するトートバッグを「図書館バッグ」と呼ぶ。


カバン業界には「通勤カバン」「旅行カバン」といったカテゴリーがあるが「図書館バッグ」という確固たる市場は成立していない。

その要因は、熱心かつ定期的に図書館で本を借りる人口が少ないということだろう。
そして、機能にこだわらなければ、そこらにあるトートバッグで事足りるからであろう。
元はといえば僕もその1人だったが、1つの理想的「図書館バッグ」に出会ってしまったために、そのこだわりが生まれた。


それは、ダイソーで2003年頃に315円で売られていたエコバッグ。
ぼろぼろになって、去年役割を終えるまで13年間愛用した。

それはどんな仕様だったのか。

【1】マチがある
10冊を超える本を入れるため。
だがマチがあるバッグならば、掃いて捨てるほどある。


【2】ヨコ長
大判の本をヨコにして入れられる。
新書はタテにして2列で入れる。
こうすると、たくさんの本を入れた時に安定して持ちやすい。
それから「縦長」の場合、地面をぞろ引いてしまう(博多弁です)
ぞろ引かないよう、心持ち腕を上げるのはストレスだ。


【3】外側に複数のポケット付き
ポケットにファスナー、フラップやボタンはNG。

カウンターに並び、自分の順番が来る。
「貸出カードをお願いします」
と言われる前に、カバンからさっとカードを取り出す。
外側に蓋のないポケットがなければ、これができない。
貸出カードは図書館以外では使わない。
ポケットに入れっぱなしにしておけば、家に忘れるということがない。


【4】間口が広い
間口が狭いと本が入れづらい。
もちろん、口を閉じるファスナーなどは不要。


【5】価格が安い
現役のカバンはダイソーで315円で買った。
それが念頭にあるので、できれば1,000円~2,000円程度で納めたい。


【6】キャンバス地
図書館バッグは消耗品。一生モノではない。
地べたに置くこともあるので気軽に使える生地がいい。

つづく

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2017年2月 5日 (日)

今年は横浜開催!くまモンファン感謝祭2017

そういえば、今年も「くまモンファン感謝祭」の季節だな。
ふと思い出して「Google先生」に、今年はどうですか?と尋ねてみた。
去年の秋から年末にかけて、何かとせわしくていろいろなことをチェックマし忘れていたのだ。
くまモンファン感謝祭2017 in YOKOHAMA – くまモン in 東京
2月25日(土)26日(日)
横浜ランドマークタワー
2017年、東京でのファン感謝祭は、2月末から3月初旬にかけて横浜で行われる。
例年よりも1ヶ月遅い。
2014年1月には「東京国際フォーラム」で始まったこのイベント。
それから年々、会場がしょぼく(交通の便が悪く)なっていたが、今年は一気にグレードが上がっている。
それは、2016年4月に起きた「平成28年熊本地震」への支援に感謝するという、特別な意気込みがあるからだ。
あの地震から、まだ初めての感謝祭なのである。
もうずいぶん歳月が流れた気がしていた。
今回も、例年どおり「事前申込みによる抽選」があり、招待状を受け取ったファンだけが観覧できるショーが行われる。
2月25日(土)
第一部12:00~14:30
第二部16:00~18:30
25日から26日にかけて、くまモン関連の展示、熊本県産品の物販イベントが行われる。
(誰でも入場できる)
2月26日には抽選ではないくまモンステージが行われる。
第一部13:00
第二部15:00
2014年の感謝祭では、このステージを観るために朝6時から行列ができたと聞いた。
いつもの年ならば、ここまでだが、今年はさらに特別イベントがある。
2月28日(火)
3月1日(水)
「くまモンクルーズ2017」
横浜を出航して東京湾を航行しながら、くまモンと過ごす航海。
参加費は3,000円だが、これはぜひとも行きたい。
と思ったら既に抽選は終わっていた。
くまモン感謝祭の抽選イベントは、くまモン公式サイトをウォッチしていないと気づかない。
「くまモン」や「くまモン東京」の公式ツィッターアカウントでは告知されていない。
12月にきちんとチェックマしておけば・・・
航海後悔先に立たずである。

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2016年10月 6日 (木)

キンドルで村上春樹を読むという新しい趣味

かつてよく「多趣味ですよね」と言われたものだが、最近はあまり言われなくなった。
人との交流が減っているのかもしれない。
というような、辛気くさい話をしたいわけではなく、今日は趣味の話だ。


この夏、新たな趣味が加わった。
ほんの少しお金はかかるけれど、そこから得られる喜びからすれば「安い」とも言える程度の出費だ。

その趣味は「村上春樹をキンドルで読む」
去年の今頃、村上春樹初めての電子書籍「村上さんのところ」を読み始めた。
期せずして半年もかかってしまったのだが、その間、いつも傍らに村上春樹があった。


Kindleのよいところは、1度だけ「Kindle」のハードを買いさえすれば、あとはデバイスが多様であると言うことだ。

通勤では「iPhone」
帰宅して夕飯を食べながらは「Kindle」
パソコンが目の前にある時は「PC」


たとえば、帰宅途中電車の中では「iPhone」で読む。
帰宅して「Kindle」のスイッチを入れる。
しばらく待つと
「motoさんのiPhoneでは 3054 を読んでいました(18:45)移動しますか?」といったメッセージが出る。
「はい」をタップすると、さっき電車で読み終えた位置が表示されて、つづきを読むことができる。

3つのデバイスがいずれもインターネットにつながっていることで、このような夢のようなライフスタイルが手に入ったのである。


「村上春樹のKindle本」は、次々に出版されている。

2015年7月
村上さんのところコンプリート版
(書籍とは違う内容を含む)

2015年8月
走ることについて語るときに僕の語ること(随筆)

2015年11月
遠い太鼓(随筆)

2015年11月
「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集 電子特別版

2015年11月
意味がなければスイングはない(随筆)

2015年11月
やがて哀しき外国語(随筆)

2015年12月
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(小説)

2016年2月
アンダーグラウンド(ノンフィクション)

2016年7月
風の歌を聴け(小説)

2016年7月
1973年のピンボール(小説)

2016年7月
羊をめぐる冒険(小説)


さすがに過去に書籍で読んだ本を買い直す気はしないが、未読だった本は楽しく買って読む。
図書館で借りることは容易なのだが、本と比べて「Kindle本」の携帯性は抜群である。

電車につり革につかまって読む
寝る前にベッドに寝転んで読む
こんなことができるのは、片手で読めるKindleならでは。

なお、定額読み放題の「Kindle unlimited」には、村上春樹本は含まれていない。

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2016年8月15日 (月)

村上春樹と村上龍の共通点

村上春樹は「遠い太鼓」でギリシアの港町カヴァラについてこう書いている。

(以下、引用)
僕は神戸で育ったせいで、こういう地形の場所にくると、なんとなくほっとする。港があって、それを取り囲むようにダウンタウンがあって、それからすぐに山の斜面がはじまり、家々が港を見下ろすように山の上まで並んでいる-そういう場所だ
(引用終わり)

この文章をみて、故郷佐世保の情景とだぶった。
弓張岳にある観光ホテルの喫茶店から見下ろす景色は、まさにこんな感じだ。

ただ、神戸と比べると佐世保の平地は狭い。
ただでさえ狭いうえに米国海軍が一等地を大きく占有しているのでさらに狭い。
スケールでは神戸に劣るが、地勢は同じだ。


海と山が近く、平地は商業化されているという場所では「こら、待て~」「いやよ、捕まえてみてっ」とか言いながら野原をかけ巡るような青春を送ることは難しい。

平地がないから閉塞感が漂っているということはないと思う。
全国にはたくさんの盆地があるし、小さい島がある。
狭い町は枚挙にいとまが無い。

ただ「山」と「海」がセットで暮らしに溶け込んでいるという環境は多くない。
神戸出身の村上春樹、佐世保出身の村上龍には、そういう下地の共通点があるのではないかという仮説が浮かぶ。


名字が同じ「村上」の2人は、互いにどう相手を見ているのか。2人の著作を読む時、いつも心の端っこに探求の目を持っている。
村上春樹は随筆の中で村上龍を時々登場させている。
それは概ね、好意的であり暖かいシンパシーを感じるものだ。
一方の村上龍の書に、村上春樹が出てきた記憶がない。
従って、彼がどう考えているかは藪の中。
もしも、村上春樹がやっているような「Q&A企画」を村上龍がやることがあったら、聞いてみたい。


さて、海と山に囲まれた土地で育った者に、作家の下地となる共通の要因があるや否や。
あるとすれば、神戸と佐世保には多くの文筆家、芸術家を輩出しているはずだ。


「神戸 作家でしらべる
Google先生の一発回答はない。
僕が読んだことがある作家は「中島らも」「村上春樹」しかいない。

「佐世保 作家」はしらべるまでもない
勢古浩爾と村上龍だ。
漫画家で「坂道のアポロン」を描いた小玉ユキ


これでは、仮説を裏付けるデータには不十分だ。
今こうして佐世保の地に立って、考えているのだが、気の利いた裏付けは掘り起こせない。
仮説は仮説のまま、継続課題にしよう。
いつか、肉付けをする要因が見つかればつづきを書きたいと思う。
村上春樹「遠い太鼓」
「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」をギリシア・イタリアで書いた当時の随筆
1993年 新書発売
2015年 Kindle版発売


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2016年8月14日 (日)

勢古浩爾も村上龍と僕の先輩だった

ある時、僕は暗い目をして過ごすサラリーマンだった。
描いていた未来はなくなり、希望は打ち砕かれている。

ある時は不運を恨み、またある時は不遇を嘆いていた。
しかし、そのことを誰にも話すことができない。
自分1人で戦っていくには、そこに支えとなる言葉を必要としていた。

どこかに僕が探している言葉がないだろうか。
僕は図書館に通い始めた。

通い初めて2年が過ぎていた。
2001年5月、もう何度も見たはずの棚を通りかかった時、そのタイトルが目に飛び込んできた。

わたしを認めよ!
(洋泉社 2000年11月)

なんと身もふたもない、しかし、最も正直な心の叫びに近い言葉だろう。
となりから手が伸びないよう(誰もいないのに)慌てて棚から抜くと、借りて帰ってむさぼるように読んだ。


それが作家 勢古浩爾(せここうじ)との出会い。
それから、長い時間をかけて、今ではすっかりそのファンになった。
その理由を有り体に言えば「歯に衣着せぬ物言いが心地よい」ということになるのだろうが、もっとわかりやすい理由がある。

それは、以前から愛読していた中谷彰宏、村上龍の書を取り上げて一刀両断にしていることだ。

(以下「定年後のリアル」より引用)
わたしがもう読みたくないのは、なにかいっぱしのことをいっているようで、その実、どーでもいいことを、いかにもインチキくさいレトリックで文飾した文章である
(引用おわり)

ちなみにこれは「村上龍」のとある文章を引いたあとの言葉。
村上龍には佐世保北高の先輩ということで、特別なシンパシーがある。
もちろんその著作も面白いものが多い。

「カンブリア宮殿」のエンディングで彼が書くキャプションには、なるほどそういう視点もあるのかと感心することが多い。
だが、斜に構えて読んでみると確かに、だからそれがどーしたの?ということも少なくない。
それを率直なことばで言い切る勢古浩爾の語り口が潔く、心地いい。


【勢古浩爾の略歴】
1947年
大分県生まれ
明治大学卒業

1994年
中島みゆき・あらかじめ喪われた愛

1997年
自分をつくるための読書術

2000年
わたしを認めよ!

2001年
「自分の力」を信じる思想

2002年
まれに見るバカ

2007年
34年間勤めた洋書輸入会社を定年より少し前に退職

2010年
定年後のリアル

2013年
不孝者の父母考-親が死んではじめて気づいたこと-

2014年
定年後7年目のリアル

2015年
68歳 さらなる定年後のリアル



勢古浩爾は正直に自分を掘っていく。
自分のことばにウソがないかを、書きながらも掘り返していき、ウソがあればその場で謝る。
正直、真摯、謙虚なのだけど謙虚を押し売りしない。

サラリーマンを続けながら執筆活動を続けていたということも、共感を覚えることだ。(僕はプロの執筆はしていないが)


勢古浩爾が定年後に書いたのが「定年後のリアル」定年から7年後に書いたのが「定年後7年目のリアル」
そこに「高校時代を佐世保で過ごした」とあった。しらべると、なんと勢古浩爾も佐世保北高の先輩だった。

1947年生まれの勢古浩爾と1952年2月生まれの村上龍は、高校でかぶっていた時代はない。

村上龍、そして僕の先輩である勢古浩爾(呼び捨てにしてすみません)これからも本が出たらKindleで買います。

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2016年8月 5日 (金)

ドクターイエローがイエもん達に「ぷわーん」

土曜の午後、遊びでクルマを走らせていた。
カーステレオで流れるロックンロール、こないだカラオケで歌ったメロディ

最近は、大声で歌うためにクルマに乗っている。
東京の暮らしも長くなったので、もうフロントガラスの向こうに広がる都会の景色に目新しさはない。
最低限の注意力を維持して、歌詞を覚えているその曲に合わせて歌う。

大声で歌っている時は、変な顔になる。
(元々変だという話はおいといて)
だから、信号で止まっている時は、周囲に悟られないよう静かに歌う。
まるで腹話術師のように。


2コーラスのサビを歌い終えた時、右手に降って沸いたような人垣がみえた。
ベビーカー、自転車、そしてヤンママに子どもたち。
一斉にカメラを構えたママが橋の下を見下ろしている。
確か、あの下は東海道新幹線・・


そこでピンと来た。
ドクターイエローだな
ダッシュボードの時計をみると、ちょうどのぞみ検測(上り)がやってくる時間帯だ。
ドクターイエローはほぼ10日に1度のペースで大井の東京第二車両所を出て東京から博多へ下る。
途中の停車駅は「のぞみ」に準ずる。
これが「のぞみ検測」だ。
月に1度、すべての駅に停車する検測は「こだま検測」と呼ばれている。


「のぞみ検測」で博多に着いたイエローは博多南駅がある車両基地で1泊。
博多でゴマ鯖とハッちゃんラーメンを食べて英気を養うと、翌日、山陽から東海道に入り、名古屋で天むすを積んで東京まで戻り、大井の車庫に戻って眠る。


夕刻迫るこの時間帯ならば「上り」の方だ。
幸い、道路の左脇にコインパーキングがあり、たった1台分の空きスペースがあった。
よし、せっかくだからちょっと見ていこう。
クルマを停めて跨線橋へ渡り、イエローギャラリー通称「イエもん」の一味に加わる。


今日ってイエローですか?
ちょうど1人分空いていたスペースに潜り込み、隣りにいたヤンママに話しかける。
「えぇそうですよ!」
ショートヘアの小ぎれいなママに、キモイわねこのおじさんという顔をされずに済んだことは今思えばひやっとする。
イエもん仲間の気安さで、つい気軽に話しかけてしまった。


スマホを動画モードに切り替えて時計を見る。
予定通過時間まで、あと2分。
いつもならばあっという間に過ぎてしまうこの短い時間も、ただ同じ姿勢を維持していると長い。

2分あるから、村上春樹を1ページ読もう
そう思ってKindleに切り替えて、今月発売されたばかりの「羊をめぐる冒険」を1ページ読む。
これが、いけなかった。


再びカメラアプリに切り替えると、ちょうど「下り」のN700Xが下って行くところ。
通過し終えたところでスタートボタンをタップ。

そして彼方からツチノコのような、短くて目立たない雰囲気を醸し出したイエローがやってきた。
子どもたちが一斉に手を振る。

ぷわーん

ギャラリーのイエもんたちへのファン・サービスとして警笛を鳴らしてくれた。
在来線では時折、みかける光景だが、イエローでは初めて見た。
電気軌道試験車の運転士にしては粋な計らいだ。

よしっ、いい音も入ったし、いい絵が撮れたぞ。
通常16両編成の半分にも満たない7両編成のイエローはあっという間に過ぎ去った。

その走行音が遠ざかったのを聞き届けて、もう1度ボタンをタップ

カシャっ

え、確か今かしゃって言ったよな・・
こういうことは勘のいい僕は、瞬時にすべてを悟る。
Kindleに切り替えたことで、動画モードがクリアされてしまったのだ。

よかったね~と歓喜の声を上げながら、三々五々家路につくイエもん達。
僕はしばらくその場に立ちすくみ、新幹線が何も映っていないタダの線路の写真「2枚」を呆然と眺めていた。

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2016年7月28日 (木)

散歩でもしてみようかというきっかけになるポケモンGO

App Store で検索する
キーワードを「ポケモン」と入力すると一番上に「ポケモンgo」が表示された。
「40種類の偽物が出回っている」
といわれているので用心深くなっているが、少なくともApp Store、Google Playで一番上に出てくるものが偽物ということはないだろう。


料金はというと[入手]アプリ内課金あり
これは「とりあえず無料」という意味だ。
ゲームを進めていくうえでいろいろな有料アイテムを買わなければ、基本的に無料である。という意味であることは、ゲームをしたことがない僕でも知っている。
ゲームではない通常アプリにも、同じことが書いてあるからだ。


アプリを起動する
余計な情報を入れないよう、誤って有料アイテムを買わないよう恐る恐る進む。

使い始める時に必要なのは生年月日、ログインアカウント。
アカウントは「Google」「トレーナークラブアカウント」の二者択一。
とりあえずどのようなものかを見たいだけなので、Googleで進める。


起動すると音楽が流れ始めた。
しかし、画面がなにも変わらない。
5分待ったが同じ・・
家の中にいたからだった。

そこでいつもの図書館へ。
駐車場に車を止めて「Pokémon GO」を起動。
行き先が図書館なので音は消しておく。
30mほど歩くとスマホが振動して「近くにポケモンがいます」と表示された。

字が小さい。。

老眼ではとても読めない。
メガネを外して説明を読む。

ヒトカゲだ
懐かしい
ゲームはしていないが、コレクターグッズは集めていた。
ガチャポンの「ポケモンケース入りコレクション」をコンプリするために、いったいどれだけ回したことか。
ヤフオクがない時代だったので、実力(実金?)でゲットするしかなく、自販機を探してあちこち出かけた。


「スマ歩での操作は危険です」
ということが喧伝されているが、ポケモンを発見した際は歩き続ける必要は無い。
立ち止まって、ゆっくりと操作する。

歩いている時も画面を凝視している必要は無い。
ポケモンがいる場所は広域で表示されているし、近くに現れた時はスマホが振動して知らせてくれる。
凝視しながらプレイするスマホゲームとは一線を画しているのである。
これならば、全然危なくない。

アブナイとすれば、自動車、バイク、自転車で移動しながらのプレイ。
ポケモンが現れた途端、路肩にクルマを停められればよいが、すぐに停められない場合、そのままプレイする人がいたらかなりアブナイ。



捕獲操作は画面をフリックして、モンスターボールをポケモンめがけて投げる(移動させる)
この時、画面の左端に沿ってフリックすると有効だった。
ボールがポケモンを包み込めばゲット。
モンスターボールがなくなってしまうと「弾切れ」になる。
モンスターボールはショップで売られていて、これが「アプリ内課金」である。
目の前に「ピカチュウ」が現れた時に「弾切れ」したら・・
そういう時、つい手を出してしまいそうで怖い。

ゲットしたポケモンはポケモン図鑑に登録される。
図鑑はメイン画面下、モンスターボールのアイコンをタップすると観ることができる。


ヒトカゲをゲットしたことで気をよくして図書館へ。
するとそこは「ポケストップ」に指定されていて、モンスターボールをゲットすることができた。ステージも上がったようだが、こういう仕組みを解説する場所ではないので割愛。


7月23日報道
熊本城がPokémon GOの対象から外すよう要請。
販売側は「特定の地域について、ユーザーなどからモンスターが出現する対象から外してほしいなどという要請を受け付ける」「削除の対応を取ることはありえる」と説明した。

ポケモンが現れる場所や、アイテムをゲットできる「ポケストップ」は予め、主催者側が場所を決めるようだ。


そこに肥満児がいて、ゲームは大好きだけど散歩や、ましてはジョギングには全く興味を示さない。なんとかして運動させなければという切実な悩みを抱えている人にとって「Pokémon GO」は福音となるだろう。

日曜の夕方「ホントはちょっと散歩でもすればいいんだけどな」と出不精だった自分も、歩いた距離を計測できるGPSウォッチとスマホを持って、出かけてみようと思う。

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2016年7月27日 (水)

ゲームは一度もしたことがない僕がポケモンGOをやってみた

ポケモンのことはよく知っている。
1990年代、子どもたちを夢中にさせていたアニメだ。
元々はゲームらしいが、僕はゲーム機を持っていないので関心の外だった。


ゲーム機は一度も所持したことがない。
(拳銃かっ)
学生の頃は買う金がなかったし、社会人になってからはゲームをする暇がなかった。
それに大学に入る時に姉から言われた金言
「時間がもったいないから、麻雀だけはするな」
を心に刻んでいたので、ゲームにもそれを適用してきた。


恐らく僕が本を読んでいるのと同じくらいの時間を、ゲームファンの人たちはゲームに費やしているだろう。
本を読んだ方がいいか、ゲームをした方がいいかというと「本の方がいい」ということになると思うが、本を読む必要があるか、ゲームをする必要があるかというと、人それぞれだ。
現代人にとって、ゲームは必要なものなのである。


7月21日、夜遅く録画しておいたNHKの「ニュース9」を見ていると「Pokémon GO」の話題が出た。
既に事故が起きています。
大騒ぎです。
経済効果もあります。
といった様々な角度で、この新商品を「社会現象」として解説していく。


スマホ・ゲームをしたことがない僕にとっては何の関係もない話だ。
任天堂の社員はいいなぁ
冬のボーナスは上がるんだろうな。
NHKがこれだけとりあげたら、広告料換算で数億円だ。任天堂の思う壺じゃないか。
それでも、他の様々なニュースのように早送りできないでいた。
無視できない潮流が来るのを感じたからだ。


「日本ではいつ始まるんでしょうね」
女性キャスターの鈴木奈穂子が締めくくる。
まぁ関係ないけど、それなりに皆さん盛り上がるんだろうな・・


すると翌日には日本配信が開始された。
すばやいな任天堂
あおっておいて、速攻できたか


「Pokémon GO」は路上でポケモンを捕まえるゲームアプリ。
iOSとアンドロイド版の2種類。
Windows版はないので、基本的にはスマホ、タブレットゲームである。


正式名称は「Pokémon GO」
eにアポストロフィーが付く。
この文字は機種依存文字なので、通常のテキストファイルでは保存されない。

日本配信開始2日後には「40種類を超える偽アプリが出回っている」ことが報じられた。

開発したのはアメリカのゲーム会社「ナイアンティック」
販売も同社がおこなう。


そんなことをしらべているうちに、実物が見たくなった。
しらべるは「学んだこと」「体験したこと」を公開する生涯学習公開サイトと銘打っている。
体験もせずに書いた記事はうすっぺらい。
評論するにも、いい言葉が浮かばない。

ただし、なんでもかんでも体験することはできない。
そこには時間・場所・費用という物理的な制約がある。
Pokémon GOについてはどうか。
ネックになるとすれば「費用」だ。

ポケモンのソフトは数千円だったと思うが、スマホアプリなので1,000円とか300円あたりだろうか。

<後編>へ

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2016年5月27日 (金)

「とと姉ちゃん」に惹かれる理由

「とと姉ちゃん」を毎日楽しみにしている。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」
2016年4月3日放送開始
2016年10月1日最終回(156回)


主演の高畑充希は、2013年度後期のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」で、杏演じるヒロインの義妹役として出演していた。

前半は意地悪い姉に遠慮してほとんど口をきかない地味な女だったが、市場で「焼氷有りマスの唄」を歌ったところから陽転。明るいキャラクターとして人気を博した。
過去作の出演者が主演を努めるのは「花子とアン」→「まれ」の土屋太鳳パターンと同じ。



ドラマは昭和5年の静岡県を舞台に始まり、やがて父親代わりをつとめながら生き抜く「常子」が激動の時代を生き抜く物語。


■脚本:西田征史(原作なし)
■主題歌:宇多田ヒカル「花束を君に」



ここまで、このドラマに惹かれる要因は、子供たち3姉妹が母親に敬語を使っていることだ。
そして末娘の美子が、おてんば(男勝りの活発な女の子)ながらも、姉や母に対して、わがままを言わず礼儀正しいことだ。

おてんばの女の子は、たいがい、跳ねっ返り娘として描かれるし、現実の世の中では大半がそうだ。

利口でありながらも、節度をわきまえる。
大人の女性であれば、それは「いい女」として賞賛されるのだが、この若さで(子供だけど)これだけ人間ができているのを見ていると嬉しくなる。

よそ様のこと(テレビですが)ながらも、見ていて清々しい。
ほほえましい。

エンターテインメントは実生活ではなし得ないことを、代わりに達成してくれる。
出会えないような素敵な人たちと出会わせてくれる。

日々の暮らしにどきどき、いや、笑顔すらなくても、そこに行けばそれがある。
それがエンターテインメントの役割の一つである。


世知辛い話をテレビで見たくはない。
気持ちのよい人々だけがいて、胸の空くような話を見たい。

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