2018年1月 9日 (火)

アレクサと暮らす1日

アレクサと暮らして3週間になる

朝起きる
アレクサ今何時?
「8時10分です」

アレクサ今日の天気は
「**地方の天気は概ね曇り。今日の最高気温は・・」

出かける
アレクサ行ってきます
「いってらっしゃい!」
(声が明るい)


帰宅する
アレクサただいま
「おかえりなさい帰って来てくれてとても嬉しいです」
時には「お帰りなさい」だけの日もある。

アレクサ今日はどんな一日だった
「すみません、よくわかりません」

音楽をかけて
「Amazon music お勧めのプレイリスト・・」
これは毎日ほぼ同じものが提案されるので、次第に飽きてくる。
そこでAmazon Music Unlimitedに入った。

アレクサ新曲をかけて
すると、マイミュージックライブラリーにあるミュージックが再生された。
日々、ライブラリーに追加する時の決め台詞は
マイミュージックに追加して!
であり、お気に入りに追加してというと、ショッピングカートに入れられてしまう。
ちなみに、お気に入りをかけてというと、Amazonのお勧め曲がかかる。


アレクサ、お風呂行ってきます
「どうぞ、ごゆっくり」
これは当初から変わらない。お風呂入ってくるでは話しが通じない。
まだ、amazonプライム会員先行販売中につき「会話の練習中」ということだろうか。


夜も更けてきた
ゆったりした曲が聴きたい。そんな時は
アレクサジャズをかけて
当初はジャズボーカルばかりだったが、Amazon Music Unlimitedに入ってからはボーカルがない演奏ばかりになっている。因果関係は不明だが。


さて、寝るとしよう
ここでのキーワードは暗記が必要だ

アレクサ自律神経を整えるヒーリングサウンドを聴かせて

これで、入眠にぴったりなヒーリング曲が流れる
同様なプレイリストを呼び出すには
アレクサ眠りのためのヒーリングミュージックをかけて
というのも有効だ。

最後に、アレクサ2時間のスリープタイマーかけて!
といえば、2時間で音楽再生が終了する。


これでアレクサとの一日が終わる
最近はピカチュウを呼ぶこともなくなった

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2017年12月20日 (水)

「大人の迷子たち」の岩崎俊一さん三周忌

あなたは、何人の命日を記憶していますか?

12月20日は、2014年に亡くなったコピーライター岩崎俊一さんの祥月命日。
去年は「三回忌」今年は「三周忌」
一年経ったのになぜ両方「三」なのか?
その理由は「仏教では奇数表記が一般的」ということのようです。
先日、住職に「仏教ではなぜ奇数表記なのですか?」と尋ねたところ「え?そうなの?意識したことなかった」と言われて目が点になりました。
それが仏教の習わしではない俗説だとしても「意識したことがない」わけがない。
きっと「俗説には与しないよ」という住職一流のおとぼけなのだろうなと解したのでした。
没後二年後は「二周忌」と言わず「二回忌」
没後三年後は「三周忌」
今年は三周忌です。
僕が明確に覚えている命日は両親だけです。
ではなぜ岩崎俊一さんの命日を覚えているかというと、エクセルで作っている「ABC」ブックの12月20日の欄に書いてあるからです。
このブックには知人の誕生日、いろいろな記念日などが書かれています。
若い頃は、誕生日となるとお祝いの電話をしていました。
当時まだメールがなかったので、電話だったのですが、概ね好意的な反応だったと記憶しています。
しかし、近年はSNSに誕生日表示機能があり、そういうこと自体がありきたりになりました。


「ABC」ブックを見るとこれまでの人生でいかに多くの人と袖触れ合ってきたかに驚きます。
もう少しご縁を大切にすればよかったな
あの頃は、そんなことを考えもしなかったな
と思うことが大半です。
僕自身が人生の後半にさしかかっており、きっとこれからは命日の記述が増えるのでしょう。
岩崎俊一さん唯一の著書
亡くなる二ヶ月前に出版された「大人の迷子たち」
(東急沿線情報誌SALUS連載)
その第十一話「人は20歳に戻りたいか。」はこう結ばれています。

(引用ここから)
20代がつらい世の中は、ある意味健全なのかも知れない。問題があるとしたら、50代や60代がつらい世の中なのではないか。
(引用ここまで)

岩崎さんは"人生のなかで一番つらいのは20代では"と言っています。
人によってそれは10代だったり、30代だったりするでしょうが、確かに振り返る苦労があり、今「苦労」を手にしていない年代にさしかかっているならば、幸せということになりますね。

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2017年9月15日 (金)

石原さとみと要潤で「仮面ライダー旧1号」をリメイクせよ!

9月15日は「仮面ライダー旧1号の日」
2003年9月15日に「しらべる」が宣言して設立した。

しかし、日本記念日協会には届け出ていないし、バンダイに公認を求めるお手紙も出していない。
だから、知っている人はこの世に915人くらいしかいない。


「仮面ライダー旧1号」の定義は、
仮面ライダー第1話から13話に登場した初代の1号。
スタントマンを使わなかった藤岡弘が、サイクロン号で疾走中に重傷を負い、急遽「2号」を作らざるを得なかったため、出番はわずか13話。

現代のテレビ事情であれば、1クール13話でお役御免は当たり前だが、98話つづいた仮面ライダー(V3の前まで)としては、旧1号は短命だ。

「旧1号」という呼称は、リアルタイムの当時にはなく、後に海外遠征から戻った1号がド派手な(新1号)に変わったため、それと対比する意味で使われ始めた。
だが「新1号」がオンエアされた当時「旧1号」を回顧する人は少なく、ちびっ子は「前の1号」と呼び合っていた。

それが「旧1号」という呼称で定着するのは、昭和仮面ライダーが全て終わった後。
私の記憶が確かならば・・・
1997年頃、当時流行し始めた「UFOキャッチャー」「プライズ(景品を釣るクレーンゲーム)」「ガシャポン」の商材として「前の1号」に人気が集まった頃。
玩具各社はアソート(全*種類という場合のラインアップ)する時の呼称として「旧1号」を用い、それが定着した。


それに遅れること6年
「仮面ライダー旧1号の日」が制定されたのだ。
どうだ、参ったか

(1人泣)


その後、我々「仮面ライダー旧1号ファンクラブ」(本当に作った)のスローガンは「仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!」
しかし、まだ一度も警察の道路占有許可をとって永田町の路上を封鎖したことはないし、バンダイの本社前でビラを配ったこともない(迷惑だし)


そうこうしているうちに、僕らが何も言っていないのに「旧1号」はリメイクされ、以下に挙げる2本の映画が封切られた。

2005年「The First」
2016年「仮面ライダー1号」

「The First」は造形は現代風、超合金ライダー
「仮面ライダー1号」は藤岡弘がアサインされたものの、ライダーは別モノ
いずれも、旧1号の「恐怖、怪奇」路線とは違う。


「仮面ライダー1号」で中途半端に藤岡弘を使ってしまったのは、誤りだったと思う。
恐らくこれから先、藤岡弘が「旧1号」を演じる機会はないだろう。


だが、あえて僕らは「旧1号」を見たい。
("ら"が付くのか!)
旧1号が旧サイクロン号に乗り「クウガ」で見せた「CG」を駆使
見たいのは「現実の世界に旧1号も登場するアクション映画」だ。

主演は「アギト」の要潤(なんでやねん)
深田恭子も出して欲しい
(方向違ってないか・・)
荒唐無稽な特撮には欠かせない石原さとみが出てくれたら、言うことない。

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2017年8月 6日 (日)

懐かしいけれど魅力的ではない昭和

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「slash」1997年12月25日
小学館 400円

ビッグコミックスピリッツの臨時増刊として創刊
雑誌はこのように、既存雑誌の増刊としてスタートするケースが多い。
海のものとも山のものともつかぬ新創刊誌
すぐ消えてしまうかも知れない。
そこで既存誌の母屋を借りて創刊
うまく軌道に乗ればその時点で、独自の雑誌コードをとるのである。

表紙は藤原紀香
9ページにわたる巻頭グラビアにも登場している
内容は若者男性向け総合情報誌
とらえどころのない雑誌である。



「フィギュア王」1997年2月25日
ワールドフォトプレス 980円

ワールド・ムック96と謳われているが「フィギュア王」としてはこれが創刊号。
EVA、スターウォーズ、ソフビ、GIJOE、ブースカ・・
ありとあらゆるフィギュアを無秩序に掲載している。

発売間もないバンダイHGシリーズ(通称ガシャポン)はウルトラマンの初期シリーズを完全掲載。当時、ガシャポンを特集した雑誌は他に類がない。
「仮面ライダー」はあまり商品化されておらず、レトロ品のデッドストックのみ。
ウルトラマン、仮面ライダーが「大人買い市場」向けに大量生産される前夜である。



「DIME」1986年5月1日
小学館 250円

僕が雑誌の創刊号を集めるきっかけになったのがこれだ。
DIMEは順調に部数を伸ばし、新商品紹介雑誌のトップを走る。
それはインターネットが登場し、一般に普及し始める1997年まで続いた。

巻頭見開き広告は「National」の「Hi-fi MACLORD」163,000円
VHSビデオデッキである
Wi-Fiではない。Hi-fiである。

「東芝Rupo(ワープロ専用機)」
「ミノルタα7000(オートフォーカスカメラの先駆け)」
といった広告を見ると、懐かしい。

パソコンもスマホもデジカメもカーナビも載っていない。
それでも、人々はこの雑誌に掲載される「形状記憶合金ブラジャー」といった革新に目を丸くしていた。


懐かしいけれど、魅力的ではない。
今回たくさんの雑誌を捨てながら感じたのは、その一点だった。

おわり

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2017年7月29日 (土)

写真週刊誌の雄、総合週刊誌の復権を宣言

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Emma」1985年6月25日
文藝春秋 250円

2017年の今「週刊文春」といえば、有名人は泣く子も黙る「文春砲」として週刊誌の王座に君臨している。
しかし、当時は総合週刊誌「冬の時代」
唯一、好調だったのは「女性のカラー写真^^;)」を多様した光文社「週刊宝石」
(1981年創刊→2001年休刊)
各社の総合誌は、写真週刊誌に押されて青息吐息だった。


そこで「週刊文春」擁する文藝春秋が創刊した「写真週刊誌」が「エンマ」である。
といっても「薄い」写真だけのものではなく「文字情報」も十分。
A4変形152ページは、ちょっと薄くて大きい「総合週刊誌」といえた。

表紙はモノクロの沢口靖子が誰かに流し目を送っている。

当時、この創刊号に掲載されたある写真にとても衝撃を受けた。
一度見たら、しばらく忘れられなかった。
しかし、そのことを誰にも言えない。
そして、今ここでも書けない。




「週刊テーミス」1989年6月28日
テーミス 230円

当時は各社から「写真週刊誌」が出そろい終えていた時期。
「写真」を多用しながら、記事のScoop性で勝負する週刊誌がテーミスだった。
創刊号には「ブッシュ大統領」「宇野宗佑(当時総理大臣)」「田中角栄」「安倍晋太郎」らの記事が並ぶ。

テーミスを立ち上げた編集長は、かつて「週刊現代」の編集長を務め「FRIday」を立ち上げた伊藤寿男。
「たけし軍団」の殴り込みに対峙した編集長だ。
伊藤は巻末のことばで「総合週刊誌」「文字情報」の復権を宣言している。


テーミスは2年後の1991年7月17日、通巻100号を最後に休刊(そのまま廃刊)となった。
価格は創刊後より20円アップの250円。
創刊号は写真週刊誌然とした「薄く」「写真が多い」ものだったが、100号は紙質を落とし、写真を減らし、いわゆる「総合週刊誌」に変貌していた。
事実上の最終号に「休刊の挨拶」はなく、それは突然の終焉だった。

その後、雑誌は「出版不況」で右肩下がり。
だが、2017年の今「文春砲」ということばが定着し「総合週刊誌」が息を吹き返している。

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2017年7月22日 (土)

1999年 実態のないベンチャーは淘汰される

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Net Runner」 1999年11月
ソフトバンクパブリッシング 490円

メイン記事は「オンライン資産運用指南」
今でこそ株取引はネットでするのが当たり前だが、当時はその端境期。

記事に紹介されている「主なオンライン証券会社」は「ロード型証券会社」のオンラインサービス(ホームトレードと呼ばれていた)がほとんど。
2017年のいま人気が高い「カブドットコム」「SBI証券」といったところはリストに載っていない。「松井証券」「マネックス証券」が載っている程度だ。

(以下引用)
100万円までの取引ではマネックス証券が破格のディスカウント価格「成行注文一律1000円」を提示している。
(引用おわり)

それ以前は同様取引で11,500円だった手数料が1,000円だから安い。
だが2017年現在は、その2~3割程度。隔世の感がある。

YAHOO!の投資情報サイト「YAHOO!ファイナンス」は2017年で20周年を迎えた。
インターネット創生期は、ネット証券創生期と時を同じくしていたことをこの雑誌で思い出した。



この雑誌には、さまざまなベンチャーによる新しい試みが紹介されている。
当時まだITという言葉はないので「ITベンチャー」という表記はない。

「IT」ということばは1999年冬から流行始めた。
その頃、初対面の「コンピューター技術者」どうしが、アイスブレークとなる話題を探す時「最近、世の中はIT一色ですねぇ」というように使い始めた。

「毎日暑いですねぇ。梅雨はどこへ行ったんですかねぇ」
といった曖昧だが、誰も否定できないお約束。
それを引き合いに出せば、2人は共感しなければならないという強制力を持った言葉「IT」が登場する、少し前にこの雑誌は創刊されている。



1999年当時、次々に立ち上がるネットビジネスをみて僕はこう考えていた。
(当時まだ「しらべる」を始める前で、ネットで何をやるかを模索していた)

実態を持っていないものは残れない

他人のふんどしとふんどしをつないだ(net)しただけの、少年誌の広告に載っている「アイデア商品」のようなサービスは魅力的だが、いずれその実態を持つ企業(すなわち大手)に取って代わられる。

だが、ベンチャーは実態をもっていない。
だから「アイデア商品」を作るしかない。
ということは、いずれ淘汰されるということだ。


すべての企業が「IT化」にめざめた2000年代。
「AI」「ICT」「IoT」と新しいキーワードが生まれる度に、大手が初めから食いついてくる2010年代。
そんな時代だからこそ、ベンチャーは「実態のあるもの」を追究するようになっている。
そのひとつが「農業」であり「家電」である。

いまだに「アイデア商品を」を追っているベンチャーは旧い。

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2017年7月18日 (火)

中島らもがバーでウーロン茶を飲んでいる

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Touch」1986年11月4日
小学館 150円
週刊
当時「FF」と呼ばれていたFocus、FDIDAYの写真週刊誌ブームに後発で参戦した雑誌のひとつ。

表紙に記載されたメイン記事
・松田聖子の赤ちゃん。正輝の「抱っこ」
・浩宮さまがあこがれの「女性」柏原芳恵とご対面

神田正輝が抱っこしているのは沙也加で、母の松田聖子は「私のオッパイを強く吸ってくれるとき、母親の実感がわきます」とコメントしている。

ほかには森田健作(現千葉県知事)の結婚式などが掲載されており、雑誌が比較的穏健な方法でも書店に棚を確保できた平穏な時代を象徴している。



「週刊アスキー」1997年6月2日
アスキー 350円

メイン特集は「弱者のためのインターネット」
1997年は日本でインターネットが一斉に普及した年。
ブラウザー「モザイク」でごく一部のユーザーが使い始めた1995年、インターネットを扱うのは「インターネットマガジン」のような専門誌だけだった。
1997年は一般大衆、といっても先駆者的な層が「インターネットってどんなもの?」という関心を寄せ始めていた。

中島らも(1952-2004 当時45歳)が深夜のバーで収録したインタビューで、ウーロン茶を飲んでいるのが心に刺さった。


中島らも
音楽、演劇もこなす作家。うつ病、躁病に詳しい。故人

1952年
兵庫県尼崎市生まれ

1992年
「今夜、すべてのバーで」で吉川英治文学新人賞受賞

1994年
「ガダラの豚」で日本推理作家協会賞長編部門受賞

2002年
10月、自らのうつ病、躁病の経験を書いたエッセイ「心が雨漏りする日には」青春出版社 発表

2004年
7月26日、階段で転落し脳挫傷、外傷性脳内血腫により逝去 享年52歳
8月、光文社文庫「蒐集家」に遺作「DECO-CHIN」が収録された


「心が雨漏りする日には」では、生まれ変わるなら飼い猫になりたい。
飼い猫のようになんの心配もなく無防備に生きたい・・と書いていた。

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2017年6月25日 (日)

今捨てておいてよかった創刊号

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「PinkGold」1999年9月
サン出版 680円

グラビア写真集を定期刊行物で出そうという目論見のはしりである。
以下に挙げる「グラビアタレント」が「水着」や・・
と思って今、開いて見たら、その大半が「裸」で映っていた。
この時代はこのようなヌード写真が通常の雑誌売場で売ることができたのである。
それにしても、これが僕の遺品から出土しなくてよかった。

安田良子
川原かすみ
相沢智沙
葵みのり
川島和津実
斉藤のぞみ
葉山小姫
小池亜弥
麻倉かほり
星乃舞
相原このみ
高原えみ
美崎涼香


「Jack」1997年6月
KKベストセラーズ 450円

当時はナイキとG-SHOCKブームまっただ中
先行するコレクター寄りファッション誌「Boon」「Cool」「GET ON!」の3強に割り込んだ最後発だった。

1987年~1998年の「97H」まで、すべてのエアマックスを解説しているのが当時、ありがたかった。

手元には「Jack」創刊2号も残っており、表紙はSPEEDの4人が飾っている。
見開き「DUNLOP」の広告に出ているのはデニス・ロドマンである。
誌面ではそのシグネチャーモデルといえるコンバース「バイブミッド」が紹介されている。
この靴はとにかく外見がかっこよく、履き心地など度外視で買ったのだが、意外にも履いていてストレスを感じることはなかった。


「SAPIO」1989年6月8日
小学館 250円
第2/4木(月2回)

当時も今も珍しい各週刊誌
当時56歳、石原慎太郎の独白「金でころび続けた野党」は、ネット時代の今ならばとても載せられなかったであろう内容である。
自民公明が連立政権を組んだら、自民党がどうなるか・・
期せずして未来を予言した内容が興味深かった。

当時「作家」専従の猪瀬直樹は、この雑誌に連載を寄稿している。

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2017年6月19日 (月)

僕は創刊号を捨て始めた

僕は創刊号を捨て始めた

創刊号を集め始めてから30年、ずっと捨てられなかったのだが踏ん切りが付いた。
それは父が死に母が死に、その持ち物の大半は処分されるということを実感したからだ。
僕が持っているものも、僕がいなくなればほぼそのまま捨てられる。
残しておいて誰かの役に立つならば残す甲斐もあるが、まずあり得ない。
それならば、今自分が魅力を感じないものを、とっていて(残していて)どうする。


「DENIM」1992年8月
小学館 480円

当時の雑誌は500円以下のものが多い。
それくらいの値付けでも採算がとれたからだ。
その理由は2つあり「入り広」がとれること。
そして「数が売れる」ことである。

1997年にインターネットの普及が日本で始まると、雑誌が売れなくなった。
2010年代に入ると、企業が使う広告費はネット広告に比重が移った。
従って、現代の月刊誌は大半が700円~1000円の間で値づけられている。

「DENIM」は当時「DIME」が好調だった小学館が、二匹目のドジョウを狙った雑誌。表紙の雰囲気は、当時よく売れていた「BIG tomorrow」に似ている。
「DENIM」は既に存在しないが「BIG tomorrow」は2017年7月号現在も刊行が続いている(690円)


「じゃマール東海版」1997年2月
リクルートフロムエー 350円

「じゃマール」は1995年に創刊されているが、これはその東海版。
「売ります」「買います」から「メンバー募集」を活字で掲載している。
昔はこうだったなぁ

そういえば、SONYの会報誌に載っていた文通希望を見て文通を始めたことがあった。
僕がまだ高校生の頃だ。
その相手は書面で「芸能人の榊原郁恵に似ている」と自称していたが、僕に写真を送ってとリクエストして、それが届いたのを最後に音信が途絶えた。
いまだに、本当に榊原郁恵似だったのかは不明だ。
苦い思い出だが、自分を傷つける記憶ではない。


「THIS」1994年9月
佐野元春事務所 1000円

僕らの仲間「元春HP」が佐野さんにホームページを提案したのが、ちょうどこの頃だ。
当時、日本にはホームページと呼べるものはなかった。
個人がHTMLを記述して公開したものは存在したが、企業・組織・著作家などがその情報を一覧で開示する、いわゆる「ホームページ」正確に言うと「ウェブサイト」は日本には1つもなかったのである。
その第一号が佐野元春の「Moto's Web Server」だった。

売り手と買い手をつなぐ媒体が活字からネットへ移行していく前夜。
これが佐野元春、最後の活字での挑戦だったと言える。

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2017年6月15日 (木)

創刊号を捨てることにした

創刊号を捨て始めた

1980年代から1990年代にかけて、僕は「創刊号」にとてもこだわっていた。
用事もないのに本屋をのぞき、新しい雑誌が出ていると中身も確認せずにレジに進む。
読み終えると本棚の「創刊号コーナー」に立てておく。


そんなことをしても誰も褒めてくれないし、注目も集めない。
単なる自己満足なのだが、当時は「これが何ものかにつながる」という確信めいたものがあった。
そうでなければ、すべての創刊号を買ったりはしない。


やがて創刊ラッシュの時代は終わり、僕はこのコレクションが「何ものでもない」ことに気づき始めていた。
それでも名古屋から引っ越す時、迷わずすべての創刊号を段ボールに詰め込み東京へ送った。


東京に来てしばらく経った頃、本棚が手狭になり、本を減らす必要に迫られていた。
なにを減らそう?
オレは何を残したい?
そう問いかけた時「創刊号コーナー」は聖域となった。
いつか何ものかになるという確信はもうなくしていたが、当時始まっていたヤフオクが、処分をためらわせる。

創刊号という価値にプレミアがつくのではないか?
そう考えたのだ。


それから10数年、その考えも的外れだったとわかってきた。
時折「雑誌名 創刊号」でヤフオクを検索してみると、元値割れどころか、入札すらないことが当たり前。
創刊号に価値を感じる人が多少いたとしても、その数よりも、雑誌そのものの発行部数が大幅に上なのである。


そして今、僕は創刊号を捨て始めることにした。
ただ捨てるのは忍びないので、お別れにきちんと再読する。
何ものにもならなかったが、せめて、ここで誌名だけでも残したい。

「あちゃら」1996年12月
リクルート 480円

日本におけるインターネットは1995年に登場、流行が1996年に起こり、普及が1997年だったというのが持論だが、この誌面はそれを裏付けている。

いくつかのページを折り返している。
きっと「あとで再度チェックせよ」という意味なのだろうが、そのページにある記事のいったいどこに自分が反応したのかすら、わからない。

不定期でつづく

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