2019年3月30日 (土)

牛だって殺したことがある?イルカ

「なごり雪」
そして、イルカといえば、これを聴かないと「金返せ」と数人が言いそうなヒット曲
僕は双眼鏡を取りだし、厳しい眼差しでのぞき込み、イルカがどんな表情で歌っているのか確認する。

でも「4Kテレビとか絶対買わないでください」と言うイルカに配慮して、すぐに鞄に仕舞う。

目を閉じてみる
ずいぶん長い間、EP盤、カセット、PCM、CD、パソコンと時代の流れに沿ったデバイスで聴き継いで来た曲が、今目の前で、同じ空気の振動できこえている


そして、夫である神部和夫さんと巡業?した時に生まれたことを紹介して最後の曲へ
「いつか冷たい雨が」

この曲は「イルカライブ」のエンディングに収録されていて、僕はこの曲を聴いてイルカの大ファンになった。

♪牛だって殺したことがありま~すぅ

あれ?この曲ってそういうワイルドなテイストだったっけ
「中野で生まれ育った」と言っていたけど、実家は畜産農家だったのか?
でも、確かにそう聞こえたよな・・

この謎は翌日カラオケで、この曲を歌って解けた。
正しくは「虫だって殺したことたありま~すぅ」である
曲の前半に「牛や鳥やお魚も人間のためにあるのよ」という歌詞があったため「牛だって殺したことがある」と聞こえたのだ

イルカが牛を絞めるところを想像してしまった、私を許してください^^;)

ここでイルカが袖に下がり本編が終了
時計を確認すると、係員が告げた終演時刻まで、さほど時間がない。恐らくアンコールはそれほど長いものではないのだろう。
一口だけ水を飲み、すぐにアンコールの拍手に参加する。


ステージに照明が戻り、イルカと太田裕美が再登場
ずいぶんカジュアルな服装にお色直ししている
太田裕美がパンジーを履いているかは確認できなかった\^^)オイオイ

2人で歌う今日3曲めは「翼をください」
オリジナルはイルカがシュリークスの一員として歌手デビューした1971年「赤い鳥」がシングル発売した。

アンコールは1曲限り
歌い終えると、割とあっさり、2人は仲良く袖に消えた
これでいい。
名残惜しくないわけではないが、だらだらとステージに居残る演出は見飽きている。これくらい、あっさりしていていいのだ。
一期一会
これきりかも知れないし、また会いに来るかも知れない
もう心はここに残さないので、僕らは明日もまた、違う自分を探しに行く

20:35終演
グッズ売り場に開演前よりも多くの人が群がっているのを尻目に、まだ寒さ厳しい二月の中野へと飛び出した。

おわり

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2019年3月29日 (金)

イルカのソロタイム

イルカ、再登場


この日、2曲目のジョイント
「Walking in a winter wonderland」
かつてエルビス・プレスリーやロッド・スチュワートなどが歌っていたクリスマスソング・スタンダード



太田裕美が袖に消えようとする


イルカが「裕美ちゃん、まだ帰らないでね」と声をかける
太田裕美は「え、そうだっけ?」と言って引き返そうとする


イルカが「いやいや、まだお家に帰らないでねって意味だから」というと「また段取り間違えたかと思った」と照れ笑いして、太田裕美、今度こそ袖へ消える



ここからはイルカソロタイム


「まあるいいのち」
聴衆にも合唱を求める
皆、声が繊細でキレイだ
ウィーン少年合唱団かと思った


まぁ率直に言えば、声が小さいということである
誰1人立ち上がらないのは、皆が分別ある十分な(十分過ぎる?)大人だから。
そして、あまり大きい声で歌うのは恥ずかしい、周りにも迷惑だしというところも大人の分別なのだろう。
従って、あまり盛り上がりはない。
ただ、大半の人が盛り上がりたくて来ている訳じゃないだろうから、これでいい



「サラダの国から来た娘」
この歌が聴けて嬉しい
僕がイルカの音楽ファンになったきっかけは「なごり雪」のヒットだが、イルカのファンになったきっかけはLP「イルカライブ」
「春」に続いてA面の4曲めに入っていたこの曲で、僕はその人柄に魅せられた


ライブアルバムに収録されたこの曲では、曲の途中で「終わった」と勘違いした客が拍手をしてしまい、場内が笑いに起きる。
歌い終えたイルカは「二度拍手をしていただきまして・・ライブ(アルバムの収録)だからねぇ・・あとでちょっと来てもらおうかな」と語り、場内が暖かい空気に包まれる。



「海岸通」


イルカは、スタンドに固定されたギターについて話す
「歳をとると、けっこう重くて・・」
これは他の歌い手では見たことがない、ひと目見てイルカとわかる。



私は生まれも育ちも中野でして、まだ中野ブロードウェイもなくて、中野サンプラザも取り壊されるということで、こうしてここで歌えるのも不思議な縁だなぁ


そう語った後、結婚、子育て、介護、死と巡り会ってきた人生を織り込んだ「人生フルコース」を歌う。

 




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2019年3月28日 (木)

太田裕美 ソロの部

♪ねぇ友達ならきいてくださる?

ピアノに座った(ピアノの椅子ですよ)
太田裕美が歌い出したのは「赤いハイヒール」
「木綿のハンカチーフ」大ヒットの次作で1976年6月に発売された。
その次作「最後の一葉」(1976年9月)までのシングル三作は、太田裕美が最も世間から絶賛を受けた時期といえる
当時、初めて聴く「イントロなしでいきなり唄い始める曲」に僕は衝撃を受けた
曲の入りとしては、この翌年1977年に発売されるQUEEN「We will rock you」で受けた衝撃にも匹敵する

ここでMCを入れた後、2曲続ける
「袋小路」
「雨だれ」
「袋小路」は3枚めのアルバム「心が風邪をひいた日」(1975年)に収録されている曲でシングルではない。
「雨だれ」は1974年、シングル発売された太田裕美のデビュー曲
デビューから1977年までは、すべての楽曲を松本隆/筒美京平が手がけていた。

ここで長めのMC
全体的に音楽:MCではMC比率が高い
がつがつと音楽を聴かせるコンサートというよりは、ファンミーティングのような空気だ
彼女がいつもこの比率でやっているのかはわからないが、僕はこれがいい

つづいて「NHK」がらみで2曲
「恋のうた」
NHK連続テレビ小説「ひよっこ」終盤、みね子(有村架純)の恋が始まったところで挿入された劇中歌
この曲は amazon music などで配信されている。
彼女は「甘い恋」の歌い手としてオファーを受けたことの喜びを話す
「金平糖」
2011年12月~2012年1月「NHKみんなのうた」で放送された曲

そして、太田裕美「ソロの部」の大団円へ
「私のコンサートに来て、この曲を聴けなかったら金返せって感じですよね?」
そう言って「木綿のハンカチーフ」

そして最後に「さらばシベリア鉄道」
松本隆作詞、大瀧詠一作曲
大瀧詠一ファンにとっては、太田裕美が歌っていた印象が薄いのだが、はじめに歌ったのは太田裕美。
1980年11月に発売された。
1981年、大瀧詠一が一世を風靡した名盤「A LONG VACATION」に収録された。
♪君は近視、眼差しを読み取れない
翌日、You Tubeで見直していて、こんな歌詞だったことを初めて知った。ずっと「君は厳しい眼差しを・・」と思っていた・・

 




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2019年3月27日 (水)

「あの素晴しい愛をもう一度」

開演時間から過ぎること二分
客電が落ちる

以前から気にしていたことだがATOKでは「きゃくでん」で変換すると「客殿」が唯一の候補であり「客電」とは変換されない。
広辞苑七版には載っており「劇場で、客席の照明。」とある。
ということで、今、単語登録した。

まず始めにバックミュージシャンが現れて演奏を始める
そこに、連れ添って銀座に買い物に来た女友達のような2人組
イルカと太田裕美が腕を組み、ちょこまかと小走りで登場
2人のコミカルな動作に会場の氷は一気に溶ける
一気に温度が上がったが、観客の誰かが立ち上がることはない
(これは最後までそうだった)

前の人が立ったら、後ろの人が見えないじゃない
そんな、一般社会の常識がここでは適用されている
お陰で体力を消耗せずに、およそ2時間を過ごすことができた
40年来ようやく見ることができた待望の勇姿
しかも2人同時だ
僕からは後ろ頭しか見えていないが、会場が笑顔に包まれているのがわかる

「あの素晴しい愛をもう一度」
北山修(作詞)加藤和彦(作曲)が1971年に発売し、長らく歌い継がれているフォークソングの名曲。
オープニングは2人で歌う。
遡ること数十年
大学二年生の学園祭
部活動対抗「のど自慢」に出場した時、一回戦の課題曲がこの曲だった。
チームは先輩のカズさんと同級のモコちゃんと僕
直前に舞台の袖で、高音と低音の担当を決めるというにわか仕立てのコーラスだったが、二回戦へ進むことができた
二回戦はソロを任された僕が西松一博の「シーボニアランチ」を熱唱
しかし、ここで敗退
僕の歌唱力を買って、選んでくれた仲間に合わせる顔が無い
そして、自分の評価を決めるのは自分ではないということを初めて知った苦い想い出だ。
なんで、あんな曲選んだのかな
全国的には無名に近い、博多のミュージシャンがアルバムに入れている、カラオケもない曲(カラオケテープは自分で作った)
観客も審査員も、そして、部活の仲間の頭上にも「?」マークが浮かんでいるのがみえた・・


そんなことを考えていたら、曲が終わりがけにさしかかっていた

いかん、目の前の一分に集中しよう

ここでイルカが袖に消える

 




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2019年3月21日 (木)

一目でわかるイルカポジション

「イルカ&太田裕美~青春のメモリー~ジョイント」
開演まであと15分
ステージに緞帳は下りておらず、ステージの設営が見て取れる。
中央にグランドピアノ
その脇にスタンドマイク
こちらは「太田裕美エリア」か
ピアノの右側に、もう一本のスタンドマイク
そこにはギターが斜めに固定されている
そこは間違いない「イルカ・ポジション」だ

「20時40分です」
客の質問に係員が答えている
恐らくそれは終演の時間なのだろう
コンサートにおいて終演の時間を質問できること、係員がそれに正直に答えることを初めて知った。
今度、どこかで聞いてみようとは思わないけれど。

イルカは一昨年「45周年」を終え、太田裕美は今年が「45周年」
自分もその大半をファンとして過ごしてきての初対面。しかも2人同時。しかし、気持ちが高まらない。
恐らく、なにか他のことで頭がいっぱいなのだ
ただ、せっかくの機会
目の前の一分に集中しよう
幸せなひと時を過ごそう

となりには背の高い同年代の男性がやって来て座った
この人が前の席でなくてよかった
背は高いけれど太っていなくて、贅肉が肘掛けを乗り越えて熱気と共に迫ってくる恐れがないことに安堵した。
彼がマスクをしているのは、予防だろうか、あるいは風邪、または花粉症か。
僕は今、ここで絶対に風邪をひけないタイミングなのだが、コンサートというのは逃げるわけにはいかない。
かと言って、予防のためにマスクをつけるのも何か違う気がする。
ひととおり客席が埋まってきた
前に座ったのは白髪の女性2人組
座高が低いので、視界を遮られずに済みそうだ。
それぞれ別々にやって来て「久しぶり」と言い合っている
1人は会場特典のイルカ直筆サインのカードを見ている。
グッズ販売コーナーでは、イルカがツアーグッズを持ち込んでいたが、太田裕美は市販のCDのみで特別なものなかった。
この年齢になると男性2人で連れ添ってどこかへ出かけるというのは、どこか気恥ずかしさがある。
それに比べると、女性は絵になる。
どうだ、文句あるか?
と言われても、なにも文句が無い
歳をとるに連れて、友達が増えていくかに見える女性は無敵だ。
羨ましい。いや、ずるいとさえ思う。
そして、この後、ステージ上でも、そんな2人組を見ることになるのだった。

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2019年3月18日 (月)

アレクサがプレイリストを作れるようになるまでの1年4ヵ月

アレクサが久しぶりに進化した

このところのアレクサといえば、すべりまくってユーザーを凍り付かせるジョークばかり修得していた。
そのため、届き始めた頃は、毎週わくわくして開封していた「今週のAlexa活用ガイド」も、はじめの数行で出色のトピックスがなければ、ゴミ箱に直行させていたのだ。


3月15日(金)に届いたメールでは、一回スクロールしたあたりに次の記述があった。

「アレクサ、プレイリストを作って」
Alexaに話しかけて、自分用のプレイリストが作れるようになりました

本当なのか?
プレイリストをなんとか作らせまいと、あれだけインターフェースを複雑化していた「Amazon Music」のことだ。
また、話しかけても「ごめんなさい今はできません」というんじゃないか。

恐る恐る話しかける
「アレクサ、マイプレイリストを作って」
つい、いつもの習慣で「マイ」を入れてしまった。
なぜならば、作ったプレイリストをAlexaにかけてもらう時には「アレクサ!マイプレイリストの**をかけて」と正確に言う必要があるからだ。

仮に「落ち着く」というプレイリストを作っていたとする。
「プレイリストの落ち着くをかけて」とAlexaに頼むと、彼女は「カフェクラシックピアノソロ集」を再生する。
自分が作ったプレイリストを聴きたいならば「マイプレイリストの落ち着くをかけて」と頼まなければならない。


「アレクサ、マイプレイリストを作って」
「はい新しいプレイリストは何というプレイリストにしますか?」

おぉちゃんと動いた(笑)
そこですかさず「ロック」とか「お気に入り」と答えないと、Alexaはすぐに帰ってしまう(霊媒師か)

つづいて、プレイリストに入れたい曲をリクエストする。
「アレクサ、Charの気絶するほど悩ましいをかけて」
「Charの気絶するほど悩ましいシングルバージョンを再生します」

お、あるのか^^;)
曲がかかっている途中で
「アレクサ、
「お気に入りプレイリストに気絶するほど悩ましいシングルバージョンを追加しています」

しています・・なの?
しました・・じゃないの?
なんか、怪しい

だが、マイプレイリストを再生するとしっかり入っていた。
このプレイリストは従来からある「プレイリスト」そのもので、PCアプリで曲を出し入れできる。

2017年11月に発売されてから、ここまで来るのに1年4ヵ月。
いろいろ、大変だったんだね、アレクサ

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2019年3月13日 (水)

ハートランドへの手紙 #4

佐野さん、誕生日おめでとう!
確か1956年生まれだから63歳ですね。

1990年代、佐野さんが50になっても60になっても歌い続けて欲しいと思っていたので、60を過ぎた今も「The Hobo King Band」「COYOTE BAND」という2つのバンドで交互に活動するという離れ業をやってくれて、とても嬉しく思っています。

実際そんなこと、誰も考えつかなかったし、もしかして誰かがやりたいと思っていたかも知れないけれど、それを実際にやってしまうのは、常に「開拓者」として時代をリードしてきた佐野さんの「求心力」あってこそ。


1956年生まれということは、前回の東京五輪1964の時は8歳、小学2年生。江戸っ子の佐野さんは、おらが町で開かれている五輪期間をどのように過ごしていたのでしょう。

国立競技場や代々木体育館へ出かけたでしょうか
あるいはマラソンの沿道で場所取りをしたでしょうか

来年は佐野さんにとって二度めの「おらが町での五輪」がやって来るのですが、佐野さんはどのように過ごすのでしょうか


率直にいうと、佐野さんにはあまりスポーツのイメージがないのです。
佐野さんが泳いで鍛えていることはファンの間では有名ですが、実際に「最近テニスにはまっているんだ」とか「東京マラソンを走ったよ」といった話しを聞いたことがありません。

見るスポーツについても、かつて野茂英雄さんが現役の頃、彼に曲を贈ったり、球場に足を運んだというトピックスがありましたが、その後ぴたりと話しがない。

本業としても、この曲は「野球をイメージした」とか「部活で芽生えた恋を歌った」なんてものはありません。
「星の下路の上」はアップテンポで、1km6分程度のペースでレースを走るのに好適なのですが、元々スポーツを意識した歌詞でも曲でもありません。


佐野元春×スポーツ

なにかヒントはないか?と「Google先生」に尋ねたら2017年9月、日刊スポーツの記事が出て来ました。見出しは
「短髪に8キロ減の佐野元春、呼吸するように音楽語る」

あぁ佐野さん8キロも痩せてたんですね。
どうりで2018年2月のライブで見た時に、なんか感じ違うなと思いました。
「どこか、体悪いのかな」と心配してしまいました。


来年は佐野さんにとって2度目の地元五輪
できれば、佐野さんが東京に居て、呼吸して生まれた歌詞に、切ないBeatが乗った曲が聴きたいと願っています。

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2019年3月 1日 (金)

シベリアのような中野サンプラザ

「今年は地球温暖化により、冬は短めで終わることにしました」
東京を管轄するお天気の神様は、そう言って「寒の戻り」無しで2月を終えようとしていたが、それでも18時を過ぎると冷え込んできた。いつになく風が吹いているせいで、そう感じるのかも知れない。

中野の風に吹かれながら、僕はあんこを挟んだ「シベリア」のようなカタチをしたビルを目指す。
そのビルは、中野ブロードウェイを出てすぐ、大通りの向こう側に見えた。

僕のように地方育ちの人間にとっては、サンプラザ中野には馴染みがあっても「中野サンプラザ」には縁が無い。
ずいぶん前「近々取り壊される」と元春仲間が話していたと思うが、そのビルはまだ立派にそこに建っている。


中野サンプラザが取り壊されることについては、この日イルカもMCで言及していた。過去記事によると2018年4月に中野区長が「2024年前後に解体」と表明している。


正面からではなく、脇の入口から入ると、そこは、コンサート会場というよりは、結婚式が立て込んでいる斎場といった塩梅だ。

壁に仕込まれた「会場のご案内」ボードには「キリンビバレッジ中央経営協議会」「2019春の商品展示会」と並んで「イルカ&太田裕美~青春のメモリー~」が記されている。

ただ、一階を埋めている人々が、いったい何処にやってきたのかは、その年代が極端に偏り集中していることで一目瞭然だ。


17:57
ほどなく開場の時刻となり、その集団は階段で二階へ上り始める。こんなに大勢の人に階段を上らせて、皆さん、足腰は大丈夫なのだろうかと不安になりながら、こんなところで将棋倒しに遭いたくないので、左寄りの手すりを確保して登る。

登り切ったところでは、割と年配の係員が切符を切って、場内の入口を叫んでいる。
都心のコンサート会場でよく見かける黒服の若者は皆無。
フライヤーは渡されなかった。もちろん、手荷物検査もない。

席に着く前にトイレに行くと、これがまた階段で階層が深い。
女子トイレに限らず、男子トイレも行列だ。
男子トイレで人が並んでいるコンサート会場を初めて見た。
誰もが「近くて」心配なのである。


ワンドリンク制というわけではないが、乾燥対策として売店で150円のお茶を買う。
コンサート会場でありがちな、気取った透明のプラコップでもらって立ち飲みではなく、ペットボトル売りで客席に持ち込めるのが実直でよい。


前から18列め。
持参した双眼鏡が活躍しそうな距離感はあるが、それほど見づらいということはなさそうだ。
座席は通路に面した端っこ。両隣りの席が1つ少ないということはそれだけリスク要因が少ない。

コンサートでは、3時間弱の時間を見知らぬ人と間近で過ごす。足を組んだり、境界線をはみ出してきたり、臭かったり、肘掛けを使われたりするのは、あまりいい気分ではない。

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2019年2月27日 (水)

イルカと太田裕美の歴史ミックス


1950年12月3日
イルカ 東京都中野区で生まれる

1955年1月20日
太田裕美 東京都荒川区で生まれる

1971年
3月、イルカ 女子美術大学生活デザイン科卒業
イルカ シュリークスの一員としてデビュー

1974年
太田裕美 シングル「雨だれ」でデビュー
1977年まではすべての楽曲を松本隆/筒美京平が手がけていた

イルカ シングル「あの頃の僕は」でソロデビュー

1975年
2月、太田裕美 1stアルバム「まごころ」リリース
12月21日、シングル「木綿のハンカチーフ」が大ヒット
ここからシングルヒットがつづく

イルカ かぐや姫の「なごり雪」をシングルカバーして大ヒット。一躍有名になる。その後、南こうせつ、風、荒井由美、さだまさしらと共に「ニューミュージック」ブームの中心となった

1976年
ライブアルバム「イルカライブ」リリース

1977年
4月、イルカ アルバム「植物誌」リリース
12月3日、イルカ 絵本「ちいさな空」①青い傘のノエル(小学館)発表

7月、太田裕美 アルバム「こけてぃっしゅ」リリース
涼しげな夏を歌う最高傑作のアルバム。1991年にCD選書として廉価でCD化された
当時、太田裕美は芸能誌のインタビューで「20年後に控えるノストラダムスの予言による世界滅亡を想定して子供は産まない」と話していた

1978年1月
絵本「ちいさな空」②不思議草 発表

1978年2月
絵本「ちいさな空」③おやすみなさいをする前に 発表

1978年12月
イルカの長男 冬馬(とうま)くん誕生

1980年12月3日
イルカ 絵本「ちいさな空」④ジェレミーの木 発表

1982年
太田裕美 8ヶ月間ニューヨークに住む

1985年1月26日
太田裕美 結婚

1988年
太田裕美 遊佐未森の1stアルバム「瞳水晶」に「花ざんげ」2ndアルバム「空耳の丘」に「夢のひと」を作詞作曲して提供

1989年
太田裕美 遊佐未森「ハルモニオデオン」に「空色の帽子」を作曲提供(作詞は工藤順子)

1996年
太田裕美 ライブ活動を再開

2000年
8月28日、著書「太田裕美白書」出版
写真、インタビュー、音楽について太田裕美の全記録

イルカ 夫の介護のため北海道の旭川に移住

2002年
太田裕美 NHK朝の連続テレビ小説「さくら」出演

2003年
太田裕美 靴メーカー「パンジー」の広告に起用される

2004年
10月22日、静岡県富士市で太田裕美が伊勢正三・大野真澄とジョイントコンサート。これを皮切りに「なごみーず」としての活動が始まる

2006年
太田裕美 ベスト9曲アルバム「999 Best 太田裕美」発売
11月、オリジナルアルバム「始まりは“まごころ”だった。」リリース

2007年3月
イルカの夫・神部和夫さんが亡くなる

2008年
イルカの長男 神部冬馬が「小さき者」で歌手デビュー
3月、愛する家族との私生活を書いた著書「もうひとりのイルカ物語」マガジンハウス 出版

「太田裕美 オール・ソングス・コレクション」発売

2017年1月
東京国際フォーラムで「イルカ45周年 青春のなごり雪コンサート」太田裕美、小田和正、南こうせつ、小椋佳 ほかがゲスト出演

8月、太田裕美 NHK連続テレビ小説「ひよっこ」劇中歌「恋のうた」の歌手として起用される

2019年
太田裕美 デビュー45周年
2月21日「イルカ&太田裕美~青春のメモリー~ジョイント」公演

歌手デビューはイルカが2年早い
しかし、ソロデビューは揃って1974年
そして、代表曲「なごり雪」「木綿のハンカチーフ」の発売は揃って1975年
何かと縁が深い2人。いよいよ「2人だけの共演」の日がやってきた。

つづく

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2019年2月20日 (水)

イルカ&太田裕美~青春のメモリー~

子どもの頃、ジャイアント馬場が好きでいつもテレビで全日本プロレスを見て応援していた。しかし地方都市にプロレス興行が来る機会はほとんどなく、千載一遇のチャンスが来た時には、お小遣いが足りなかった。そうこうしているうちに、馬場は鬼籍に入ってしまった。


一方、アントニオ猪木は嫌いだった。
それは月刊ゴングに掲載されていた記事で、日本プロレスから2人が独立する際、猪木が裏切り行為を働いたという主旨の記事を読んだからだ。
まだインターネットは産声もあげていない時代なので、それがどこかで「物議を醸して」いたわけでもないし、誰かが「いかがなものか」と言っていたわけでもない。ただ、子供心に芽生えていたちっぽけな正義感が「猪木憎し」と思わせたのだ。
後世になり、それには他説があり、必ずしも猪木だけが狡猾だったわけではないと知った。だが、その頃にはもう猪木は引退していた。


結局一度も馬場をこの目で見ることができなかった「馬場ロス」は僕に反省と課題をもたらした。
長い間好きな人を、現役のうちに見ておかねばならない。
後悔先に立たず。
そこでここ数年、井上陽水、サザンオールスターズ、ミスチルといった「長い間好きだけれど、まだ一度も生で見ていない人」を一度だけ観に行くことにしたのだ。


明日はイルカと太田裕美が「2人だけの初共演」を果たす。
それは僕にとって、ずっと見たかった馬場と猪木が団体の枠を超えて同じリングに上がるのを目撃するようなもの。対戦相手はシークとブッチャーだ


イルカは「なごり雪」がヒットして以来、お気に入りの歌手
かつて「イルカライブ」をカセットに録音して、テープがすり切れるまで聴いた。テープはSONYの「HF90」で、片面にはイーグルスの「ホテルカリフォルニア」が入っていた。
今思えば、よくわからない取り合わせだが、カセットは決して安くは無い貴重な資源。たまたまイーグルスの次に借りたLPだったというわけだ。


太田裕美はかつて、僕のアイドル
姉が持っていたLP「こけてぃっしゅ」(1977年)のジャケットに映る清楚なお姉さん、今もそのジャケットを見ると「胸キュン」してしまう
このアルバムは曲が粒よりで、40年経った今でも時々聴いている。


「フォーク」という同じカテゴリーに属するイルカと太田裕美は、日頃から共演の機会が多い。
それは互いのコンサートへのゲストであったり、多数のグループが出演する企画コンサートでの共演だった。
だが、2人だけのジョイントコンサートはこれが初めてとなる。


【公演の記録】
2018年11月上旬
チケット販売各社で先行販売

11月20日10時
一般発売

2019年2月21日
18:00開場
18:30開演

つづく

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