2019年9月29日 (日)

僕は「デリコの聴衆」にとても、驚いた。

客電がおちた
そこに二人の人影
時計を見る 19:03
Jリーグかと思った^^;)
設えた椅子に腰掛けると、KUMIが短く挨拶して演奏を始める

「123」
2017年リリース、現時点では最新アルバム「LOVE YOUR LOVE」より

原曲通り、アコースティックギターのイントロが、いきなり洪水のように場内を包む。
そこにKUMIが唄い始めると、さっきまで場内に充満していた音は、彼女の声に道を空ける。

聴衆は立たない よしっいいぞ!
聴衆は手拍子しない おぉ、いいじゃないか

今日のライブで、僕が存分に音楽の力に浸ることができたのは、この2行に記した要因に尽きる。
最高の聴衆だ

簡単にいえば「音楽がわかっている」
これは、欧州サッカーファンが、欧州の観客を評して言う時の「サッカーがわかっている」というニュアンスに近い。
彼らは基本的に静かに戦況を見守り、キラリと光るプレーに拍手を、頂けないプレーには敵味方に拠らずブーイングする。

試合の間、飛び跳ねて、歌って、相手のバックパスにブーイングして・・
それが、楽しいことは否定しない
実際、僕はV・ファーレン長崎が関東にやって来た試合のゴール裏でそうしている。

しかし、一般的に考えれば、戦況が俯瞰できるメインまたはバックスタンドで座ってじっくり見た方が、サッカーを楽しめることは自明だ。

さて、ここ「デリコの聴衆」は静かにKUMIとNAOKIの演奏に聴き入っている。
手拍子がない方が、音が澄んでいて、彼らの音楽が混じりけの無い清音で耳に届く。
しかし、これまでに見聞きしたコンサートでは、例外なく「お約束」「予定調和」の拍手があったし、これに「総立ち」「一斉投げ釣りポーズ(後述)」がセットで付いてくることもしばしば。
全体主義に洗脳されたかのように、皆で同じことをする聴衆には、疑念を禁じ得なかった。


てんきゅーとKUMIが短く言ってすぐ次の曲へ
「Birdie」
同じくアルバム「LOVE YOUR LOVE」より

「Hello」
2004年アルバム「LOVE PSYCHEDELICOⅢ」より
ここまで、決してスローバラードが続いたわけではないが、聴衆は微動だにしない。どうやら、今日はこれでいけそうだ。
幸せな気持ちに包まれる

LOVE PSYCHEDELICO Premium Acoustic Live“TWO OF US" Tour 2019

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2019年9月28日 (土)

デリコの開演を待つ間、スピーカーについて語り合う

最前列で2階から入場。
階段を降りて始めにドリンク代の500円と引換にメダルを受け取る(交通系ICカードも使えた)
昭和の時代には公演のお約束だった「手荷物検査」は平成の時代で絶滅しており、もう行われていない。令和は「検査を知らない子どもたち」の時代になるだろう。

B2フロアにあるドリンクバーに直行して、ペットボトルのお茶を受け取り、B3フロアへ降りる。

座席は前から10番めあたり、最も左寄りの座席。
端っこに通路があるだろうと思ったら、壁ぎりぎりまで座席を設けていて一番奥まった席だった。
これは人が埋まる前にトイレを済ませておかねばと、荷物を置くや否や廊下に出る。
トイレの場所を尋ねると、サンボマスターのボーカルの人に似ている兄ちゃんが、にこにこしながら言う。
「あそこを左に折れて奥なんですけど、ちょっと分かりづらくて。また近くで聞いてください」
駅から徒歩10分くらい離れているかのような案内だが、実際にそのトイレはわかりづらかった。

戻ってくるとまたサンボマスターから声がかかる
「わかりましたか?」
親切だ。愛想がいいじゃないか。客商売はこーじゃなくちゃ。

開演まで、まだ50分近くある
「ほんとに2人みたいですね」
NAOKIとKUMIのために、ステージにセットされている椅子2つ。
仲野君が言う
「このステージセットと少ない人件費で、全国20カ所なんてぼろ儲けですね」
そうだね、原価率低いよね・・
この時は僕も疑うことなく同意したが、それは大いなる誤りだと後で気づくことになる。

「いいですね。楽しくなってきました」
仲野君がそう言っているのは、場内に流れているBGMに起因する。クラプトンやビートルズ、any old rock'n roll
「アコースティックギターがきゅっきゅっと鳴ってますよね」
それから、しばらくはオーディオ・スピーカーについて語り合った。
僕は中学の頃からオーディオにはまり、自分のおこずかいができた大学からは、スピーカーはダイアトーンDS25BⅡ、アンプはトリオ、カセットデッキはTEAC、プレーヤーはTechnicsを揃えていた。
やがて大人になり、音楽から離れた時代にそれらはすべて処分してしまったが、今でも有楽町のビックカメラに行けば、スピーカーの前で、しばし指をくわえている。
今はかつてのダイアトーンやヤマハのような「顔」のスピーカーがなくなったな。お、このJBLはそれに近いかも。でも、これを鳴らすにはアンプが必要だし、そもそも置く場所がない・・

いま、音楽を鳴らしているのは数年前に買った「BOSE M2」パソコン用の小型スピーカーだが、住宅事情のため、それさえも存分に鳴らせていない。大きいスピーカーを存分に鳴らしたいが夢のまた夢。
一方、最近、新築マンションに引っ越したひとり暮らしの仲野君は3LDKの間取りを持て余しているという。
それだったら、やり放題じゃないか。1つはAudio&Video roomにして・・・

徐々に客席が埋まってきた
男性比率は思ったより高い。7割、いや8割くらいか
そして、スキンヘッドにした人が結構多いな
(ライブの間ずっと帽子をかぶってる人もけっこういた)

僕は帽子を鞄に仕舞いこみ、スマホの電源を切って、時計を見る。
19:01 だが、まだ始まらない

LOVE PSYCHEDELICO Premium Acoustic Live“TWO OF US" Tour 2019

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2019年9月27日 (金)

7ヵ月前にわかっていたLOVE PSYCHEDELICO

何度か抽選に漏れたLOVE PSYCHEDELICOのライブ「当選の通知」が届いたのは2019年2月1日。
それから7ヶ月半。生涯でチケットをとってから当日までが、これほど長かったことはない。
それは「計画」「本番」「振り返り」でイベントは3度楽しむ僕にとっては、このうえない幸運。

早くからスケジュールが確定していたので、法改正により今年度より始まった「計画年休」はライブの翌日を1日とっておいた。
しかし、翌日が休みだからといって、思う存分羽を伸ばせるほど現代社会は単純じゃない。

日頃、身の回りで起こる様々なできごと。いやなやつ。そして直近に控えている仕事、マラソン・・
脳内には常にそれらのイメージがうろうろしていて、隙あらば、僕を bad image に引き釣り込もうとする。

僕はできるだけいいイメージで生きていけるよう、様々な書籍やアドバイザーに師事して、自分が幸福を感じる力をもっと高めていけるよう努力している。
そのメソッドの1つが音楽だ。

「音楽は力、今君はそれを手にしている」
と言ったのは1990年代、TDKカセットテープのCMに登場した佐野さんだった。
音楽は力。音楽には力がある。でも、それを"意識的に意識する"人はそう多くない。
僕らの世代において、多くの人々は人生のある一定期間、音楽から離れている時期があり、そのまま戻ってこない人もいる。

「音楽から離れる」というのは、日常生活で全く音楽を聴かないということではなく、貸しレコード屋に通ったり、お気に入りアーティストのライブに足を運んだり、今ならばパソコンや音楽プレーヤーでお気に入りのセットリストを作ったりして楽しむようなことを忘れていることを指す。

僕はあるきっかけがあり、ここに戻って来た。
ちょうど、その頃に出会ったのがLOVE PSYCHEDELICOだった。
(その話しは前回)


2019年9月24日(火)
Premium Acoustic Live “TWO OF US" Tour 2019
EX THEATER ROPPONGI
全席指定 \6,500(税込)

EX THEATER ROPPONGI
六本木ヒルズの向かいにあるこの会場に来るのはこれが2度め。
初めて来たのは、ちょうど1年前の遊佐未森「Mimori Yusa 30th Anniversary Concert “P E A C H T R E E”



「こっちだよ」
いつもの歌合戦仲間、仲野君が一階から入ろうとしたので、僕が二階へ上がる階段を指さす。
初めて来た人は誰もが、同じことをやるだろう。

開場の18時まであと10分だが、まだ入場の整列もできていない。
確かに全席指定なので、開場前に来る必要はない。
聖子ちゃんのように「ツアーグッズは開場の2時間前発売です」ということもない。
「ムダに早く来る」人が少ないということか
入口のドアの側にいると、ちょうど黒服の兄さんが出てきて、期せずして最前列になった。
だからと言って、特になにかいいことがあるわけじゃない。
ペットボトルを一番最初にもらえたこと、トイレが一番乗りだったことくらいだ。

つづく

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2019年9月19日 (木)

生涯初デリコの予習

生涯「初デリコ」が来週に迫ってきたので、僕は今回も予習して臨むことにした。

計画を立てるということは「あなたにとっての幸せを10個挙げてください」と言われたら遅くとも三番目あたりに挙げるほど、自分を機嫌良くさせることを自覚している。

世の中の音楽ファンの中には「情報遮断」「ネタバレ防止」で当日のドキドキを楽しむことを第一義に据える人もいるが、僕は違う。
「予習」で楽しみ
「本番」を楽しみ
「書いて」楽しむ

一粒で2度美味しいのはアーモンドグリコだが、僕にとって「ライブ」「マラソン」「旅」といったイベントは「3度美味しい」のである。


2019年9月24日(火)
Premium Acoustic Live “TWO OF US" Tour 2019

予習によると、このツアーは、KUMIとNAOKIが2人きりで演奏するアコースティックライブツアーらしい。
「初デリコ」なので、ロックバンドのLOVE PSYCHEDELICOでよかったのだが、映像を見るかぎり、この趣向はとても特別なもので、予習をして一気に動悸が激しくなった。


【 時系列の記録 】

2018年12月4日
ツアー情報リリース

2019年5月26日
初日 横浜ランドマークホール

2019年7月23日~24日
大阪サンケイホールブリーゼ

2019年9月24日~25日
東京 EX THEATER ROPPONGI

2019年9月29日
最終公演 静岡 アクトシティ浜松 中ホール


始まりは「数会場でやってみよう」ということだったらしいが、スケジュールが出て来た時には「全国20公演になっていた」とNAOKIが語っている・・
と馴れ馴れしく呼ぶほど、僕はまだよく彼を知らない。
それではKUMIの方はよく知っているかと言われると自信が無い。
SuperflyとKUMIの写真を並べてどっちですか?と聞かれたら間違えるかも知れない。

とにかく、これまで「音」しか聴いていなかったから。
初めて「LOVE PSYCHEDELICO」の存在を知ったのは2004年。
銀座の映画館でみた「ホテルビーナス」
劇中でアクセントとして突如流れる「Everybody needs somebody」にすっかり参ってしまい、すぐにすべての音源を集めた。


そして、近年「1度は見ておきたい」アーティストとしてライブ告知が出る度にチケットに応募したものの、これが連戦連敗。
東京マラソンに「4分の2」の確率で当たっている僕が「初デリコ」にたどり着くまでに2度空くじを引いた。


アコースティックスタジオライブ「“TWO OF US”Acoustic Session Recording at VICTOR STUDIO 302」が公式サイトとライブ会場で販売されており、そのセトリをパソコンで作り、この間の週末は「デリコ合宿」を張った。
これで、さぁ歌えと言われたらムリだとしても「なんか、知らない曲だなぁ」と宙を眺めることはなさそうだ。

 

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2019年8月 2日 (金)

令和に平和を歌う

関東に長梅雨が居座っていた七月の週末
僕らは三ヶ月に一度の歌合戦に臨んでいた。
前回は四月末、お題は「平成最後の歌合戦」
平成の30年を年代を追って、歌っていくという趣向。
さすがに30年分の名曲となると、かなりの分量があり、規定の3時間では歌いきれなかった。


さて、今回のお題は「令和に平和を歌う」
いいですね、レイワとヘイワ言われてみれば語感が似てますね。
2週間前に僕がお題を提案すると、仲野君はすぐに賛同してくれた。
「すぐに選挙区に入ります」
ではなくて
「すぐに選曲に入ります」
と仲野君は言った。
一方、僕はお題を決めたものの、平和の歌をほとんど思いつかなかったので「選曲と言ってもなぁ」と思っていたが、仲野君は本気だった。


歌合戦の一週間前、一応、僕も選曲に入る。
まず初めにパソコンのx-アプリを開いて「平和」で曲目を検索する。
見つかったのは1曲だけ。
「平和の鐘が鳴る」SAS
つづいて「戦争」で検索。
「戦争を知らない子どもたち」ジローズ
2曲ではちょっとカッコがつかないので、ここは「Google先生」に頼ると、20曲程度が見つかった。
日本では、思ったほど「平和」は歌われていないのかな・・
その中から、パソコンに入っていた5曲を選択
「hey和」ゆず
「タガタメ」Mr.children
「島唄」The Boom
「ピースとハイライト」SAS
「青空」THE BLUE HEARTS

これに以下2曲を加えて9曲体制で臨むことにした。
「国のための準備」佐野元春(LIVE DAMなし)
「あの人の手紙」かぐや姫
きっと、仲野君もこの程度の曲数だろう。
あとの余った時間では、最近のお気に入りを歌いたい。


迎えた「令和に平和を歌う」当日
仲野君の「選曲に入ります」は僕の想像を超えていた。
イムジン河、イマジン、the cruel war、 明日なき世界、Heal the world
僕が知っていたのはジョンレノンのイマジンくらいだ。
どうやら洋楽の長い歴史の中には、平和・反戦を歌った曲が多いらしい。
吉田拓郎の「夏休み」が戦争をモチーフにした歌だと初めて知った。


終始「平和」をテーマに歌い続ける仲野君。
一方で僕は早々に「お気に入り」タイムへ移行。
「優しいあの子」スピッツ
「マリーゴールド」「君はロックを聴かない」あいみょん
レイワに因んで歌おうと思っていた「レイナ」佐野元春は、LIVE DAMのリストに入っていなかった。

そして、終盤は9月に初めて行くLOVE PSYCHEDELICOの予習タイム。
KUMIの歌は実にシンコペーションが難しい。
最後に歌った「A DAY FOR YOU」は歌詞を追っていくと、期せずして今日の「平和」というテーマによく馴染む曲だった。
次はいつか「愛」について、歌ってみたいと思った。

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2019年5月16日 (木)

平成最後の歌合戦II

「平成最後の歌合戦」は平成発売の曲を発売順に歌ってきたが、ここで互いに「平成エピソード曲」コーナー
僕は「ダンスホール」尾崎豊
1992年(平成4年)に亡くなった彼は、平成に入ってからは、オリジナルのラストアルバムとなった「誕生」をリリースしたのみ
「ダンスホール」はデビュー前に書いた昭和の曲だが、生涯最後となったライブの最後に歌った曲
仲野君は1989年リリースの「デイドリームビリーバー」タイマーズ(忌野清志郎)
「平成の間、ずっとセブンイレブンのCMに使われてきた」というのがエピソード。そう言われてみればそうだ。


2004年
「栄光の架橋」ゆず
NHKがアテネ五輪のテーマソングとして使用した曲
この曲を精一杯声を出して歌うと、腹の中に溜まっていたものが出て行ってすっきりする


2004年
「Everybody needs somebody」LOVE PSYCHEDELICO
天才麻生哲朗原作の名作映画「ホテルビーナス」の主題歌
今秋「初デリコ」を控えているので、デリコと出会った曲を入れた


2006年
「Progress」スガシカオ
シンコペーションが複雑でテクニカルな曲
NHK「プロフェッショナル」を毎週見ていたら覚えてしまった


2007年
「CHE.R.RY」YUI
平成といえばYUIもお付き合いしておかなければならない。
平成で僕が最もCDを買った音楽家である
彼女がデビューして「」がテレビから流れてきた時に一目惚れした。いや「一聴き惚れ」か


2008年
「Missing」ELLEGARDEN
僕がこの曲を聴いた時には既に彼らは2008年からの「活動休止中」その姿はYou Tubeでしか見たことがない
2018年に「THE BOYS ARE BACK IN TOWN TOUR 2018」を行ったが、そのチケット倍率は大変なものだったという


2010年
「空が白くてさ」羊毛とおはな
平成の時代、最も癒やしを求めた曲
彼女はもうこの世にいない
ぜひ、平成の最後に歌いたかったが、LIVE DAMには入っていなかった


2014年
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」BABYMETAL
平成25年にデビューした3人組。海外での知名度に比べると、日本での認知度は低い。ぜひ東京五輪2020の閉会式に出て欲しい。
YUIMETAL(水野由結)脱退はとても残念だった


2015年
「東京VICTORY」サザンオールスターズ
「昭和の代表的ロックバンド」は平成でも、その圧倒的実力はミスチル以外を寄せ付けなかった


今回、歌い忘れたがDreams come true「未来予想図II」は1989年(平成元年)リリース


いわゆる大御所と言われる音楽家は一通り「Google先生」に尋ねてみて、井上陽水には「少年時代」1990年があった。つい最近の曲のような印象があるが、もう30年。名曲は古びない

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2019年5月15日 (水)

平成最後の歌合戦

平成最後の金曜日
仲野君と僕は平成最後の歌合戦に臨んでいた
レギュレーションは「平成発売の曲」
例外として1曲だけは昭和発売でも平成で歌われたエピソードがあればよいことにした。

「曲名 リリース」で検索すると「Google先生」が発売年を教えてくれる。時々、再発売などの年を回答するのはご愛敬だ
それぞれ20曲ずつを持ち寄り、せっかくなので、年代順に歌っていくことにする。

1989年
「約束の橋」佐野元春
この曲が平成の皮切りだったとは意外だ
ずいぶん昔の曲という印象だったので、てっきり昭和の曲かと思っていた。
ALL FLOWERS IN TIMEのライブ映像・演奏音源、唄だけ抜きという元春ファンにとって夢のようなカラオケ
このライブに行った僕らは、いつもならばこの曲はラストに歌う

1991年
「何も言えなくて夏」J-WALK
訳ありで脱退した中村耕一は今もソロ活動をしているが、ソロとしてのヒットは記録していない

1992年
「糸」中島みゆき
10年紀毎にナンバー1ヒットを飛ばす中島みゆき、1990年代の代表曲。八代亜紀にスルメをあぶりながら「十八番を1つ歌って」と言われたらこの曲を歌うだろう。

1994年
「雨のち晴れ」Mr.children
1992年(平成4年)デビューのミスチルはまさに「平成を代表するミュージシャン」彼らのヒットソングを挙げていくと、いかに平成がミスチルの時代だったかがわかる

1995年
「ロビンソン」スピッツ
スピッツが歌う曲は「100m先から聴いてもわかる」
かつて1980年代のQUEENもそう言われていた。
QUEENの場合「over produce」と揶揄された、その「創りこみ」によるが、スピッツの場合、ボーカル草野マサムネの声である。彼が歌えば美空ひばりも加山雄三もスピッツになると思う
仲野君がこれを歌う間に、僕は持ち込みの「ふっくらあじフライ」にソースをかけて、一気にたいらげる

1998年
「終わりなき旅」Mr.children
この曲を歌うといつも「キーが低すぎて苦労する」という話しを友達にしたところ「ほとんどの人は高い声が出ないので、大抵の曲はデフォルトで原曲よりキーが落としてある。予約時に"原曲キーで予約"にするといい」と教えてもらった
すると確かに歌いやすくなった。この数年間はなんだったんだろうと思う

2000年
「TUNAMI」サザンオールスターズ
仲野君が「事情により歌わなくなった曲です」とMCを入れて唄い始める。確かに数年前のライブでは演ってなかった。心痛めた人たちの心情を思い歌い控えるのは、その歌い手の考え方だから、僕がとやかく言う余地はない。ただ、彼らがこの名曲を歌わないことを誰1人、望んではいないと思う。

2001年
「Best friend」Kiroro
キーが高すぎたので、途中で止めた^^;)
歌い終えると、龍角散のど飴を2粒、口に放り込む。こうすれば、5分後に自分の番が戻ってくるまでには、また声が出るようになっている。結局、平成の時代では「独りカラオケ」を実行しなかった。令和の時代には1度、経験してみたいと思っている。

2002年
「天体観測」BUMP OF CHICKEN
耳こぴしていただけだったので、全く歌えなかった
バンプはかなり歌い込みが必要だ

2002年
「流星群」鬼束ちひろ
この曲のCメロを歌えるとそれは気持ちいいが、大抵そこにたどり着く前に喉が終わってしまう。途中を少しズルして休んだら、なんとか歌いきることができた。

つづく

 

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2019年5月 9日 (木)

映画「ボヘミアンラプソディ」と実際のQUEENの歴史(3)

★ご注意
この文章は映画内容の「ネタバレ」オンパレードです

1983年10月、ブライアン・メイが初のソロ活動でミニLP「STAR FLEET PROJECT」を発表
1983年はQUEEN結成以来、初の活動休止年となった

1984年2月27日、13th album「THE WORKS」発売

映画のつづきに戻る
フレディとメアリーの別れ、フレディが主催する狂気のパーティと続くシーンは、僕がこの映画に期待していたものとはかけ離れていた。
給仕の役で「ジム・ハットン」が登場する。あぁここで出るのか・・ジム・ハットンの自伝でフレディとの生活を読んだのは、フレディが他界してずいぶん経った後だったが、それからも長い年月が過ぎており、1983年、2人の出会いがどのようなものだったかは忘れてしまった。

この辺りから、映画の筋はフレディの性的傾向に絞られていく。ダイバーシティ&インクルージョンは2019年の現代においては、一大テーマだが、フレディが居た1990年代初頭には、ほとんど語られないことだった。
現代の時代背景や問題提起を「QUEEN」を題材にして映し出さなくてもいいだろう。

フレディがソロ活動について3人に切り出すリビング・ルームでのシーン。フレディは1人ずつ「君は僕がいなければ、この程度の人間に過ぎなかった」となじるのだが、その内容がそれぞれの経歴を的確に揶揄していて微笑ましい。
ただ、先に書いているように最初にソロ活動をしたのは1981年のロジャー、1983年のブライアンであり、いきなりフレディが「家族を裏切った」わけではない。
ロジャーは第6作の「世界に捧ぐ」に、ボーカル、ギター、ベース、ドラムをすべて自演した曲「Sheer heart attack」を入れており、当時「QUEENの和が乱れるのでは?」と心配したのは、むしろロジャーの方だった。

ソロ・レコーディングで音作りに苦しむフレディ
ここからはリアル。これこそフレディの美しき物語だ。
映画には日本語字幕が付き、それはBGMの歌詞にも振られている。このシーンにこの曲をもってきた意図が汲めてよい。

この当時の史実は次の通り
1985年5月、フレディのソロファーストアルバム「MR.BAD GUY」発売
1985年5月8日~、QUEEN日本公演(3都市5公演)
1988年10月、フレディのソロセカンドアルバム「BARCELONA」発売

映画ではソロ活動に疲れたフレディが「母船」QUEENへの復帰を3人に懇願、エイズを告白する。ここからは「ライブエイド」という大団円に向けた「音楽ドラマ」
こうなるのを待っていた。

1985年7月13日、ライブエイド
この日に合わせて完璧に仕上げてきたフレディと聴衆の掛け合い。メンバー、ローディが「信じられない」「お手上げだね」と顔を見合わせる。涙無しでは見られない。
この映画は役者がQUEENを演じているわけだが、ブライアン・メイだけは、彼がタイムマシンで若返って演じているようだった。ステージでの表情、首の傾げ方、言葉遣い、声、身のこなし、全て完璧だ。
*映画雑誌で見る限り、役者本人はブライアン・メイにあまり似ていない

エンドロールは「Don't stop me」に合わせてフレディの実写映像。そこで終わってくれてよかったのだが、どうしても米国のエンタメは最後を「Show must go on」で重たくしなければ気が済まなかったようだ。

最後に映画の終演からQUEENの終焉に至る史実を加筆しておこう。
1986年5月21日、14th album「A KIND OF MAGIC」発売
同年8月9日、英国ネブワース・パークでの演奏がクィーン4人による最後のコンサートとなった
同年12月、15th album「LIVE MAGIC」発売

1989年5月22日、16th album「THE MIRACLE」発売
フレディの意向ですぐ「INNUENDO」にとりかかる

1991年2月4日、17th album「INNUENDO」発売
1991年11月23日、フレディがエイズにかかっていることをマスコミに公表
その翌日11月24日、フレディがジム・ハットンらに看取られ逝去

1992年
4月20日、フレディ・マーキュリー追悼エイズ啓蒙コンサートがウェンブリー・スタジアムでおこなわれる

1995年、last album「MADE IN HEAVEN」発売
フレディの生前収録済みのボーカルを活用、フレディが「参加」するQUEEN最後のアルバムとなった

2004年2月9日、ベストアルバム「クィーン・ジュエルズ(CCCD)」発売。オリコン初登場1位となる
「Born to love you」がキムタク主演ドラマ「プライド」の主題歌に使われたため多数のマスコミに取り上げられた。
リアルタイムQUEENファン以外の一般大衆にQUEENが「肯定的存在」として受け容れられたのは、これ以降である。

1970年代まで、QUEENはQUEENファンだけのものだったし、1980年代はロックファンのものだった。
ほぼ誰もが貶さない対象としてQUEENが扱われるようになったのは、2000年代以降である。

おわり

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2019年5月 4日 (土)

映画「ボヘミアンラプソディ」と実際のQUEENの歴史(2)

★ご注意
この文章は映画内容の「ネタバレ」オンパレードです

史実では1971年6月、フレディ・マーキュリーの発案でバンド名を「クィーン」とした。
トライデントスタジオと契約したのは1972年11月。その後翌年5月までファーストアルバムのレコーディング

1973年7月6日、1st single「Keep yourself alive」邦題「炎のロックンロール」発売
同年7月13日、1st album「QUEEN」邦題「戦慄の王女」発売と続く
1974年3月8日、2nd album「QUEEN II」(邦題同)発売
10月11日、シングル「Killer QUEEN」発売。英国最高位2位
11月1日、3rd album「SHEER HEART ATTACK」(邦題同)発売

1975年4月19日、日本武道館公演
日本での初ツアーは7都市8公演

映画では「QUEEN」から「SHEER HEART ATTACK」までの描写は無し。
なにより「日本から火が付いたQUEEN人気」というプロセスにまったく触れていないのが残念だ。米国(20世紀フォックス)のエンタメなので仕方ない。

映画序盤、本物とよく似ているのはブライアン役だけだったが、だんだんフレディ、ジョンが似てくる。
アルバム「オペラ座の夜」からのシングルカットを論議している場面、ロジャーとブライアンが互いの「I'm in love with my car」「Sweet lady」をけなし合うのが愉快だ。

「ボヘミアンラプソディ」のメイキングでは、ギターパートの音録りをしているブライアンに、フレディが「魂を込めて」「もっとロックしろ」と声を掛けブライアンが「わかった」と応じるのだが、続きのギタープレイ映像は無し。これは「音楽映画」ではないということなのだろう。ブライアン・メイのファンとしては、その先を見たかった。


参考までに、映画に描かれていない史実は次のとおり

1975年10月31日、シングル「Bohemian Rhapsody」発売
初の英国シングルチャート1位
同年12月3日、4th album「A NIGHT AT THE OPERA」邦題「オペラ座の夜」発売。初の英国アルバムチャート1位

1976年12月10日、5th album 「A DAY AT THE RACES」邦題「華麗なるレース」発売

1977年10月7日、シングル「We are the chanmpions / We will rock you」発売
同年10月28日、6th album「NEWS OF THE WORLD」邦題「世界に捧ぐ」発売
ジャケットには雑誌「Astounding SCIENCE FICTION」1953年10月号表紙、ケリー・フリースの絵を元に書き起こしたデザインが使われた。

1978年11月10日、7th album「JAZZ」(邦題同じ) 発売
「Bicycle race」にちなんだ自転車に乗った女性達のヌードポスター付。

1979年6月22日、8枚めで初のライブアルバム「LIVE KILLERS」(邦題同じ)発売。初回プレスはオレンジ、緑各1枚のカラーディスクだった(当時はレコード盤)

1980年6月、9th album「THE GAME」邦題同じ 発売
米国では唯一のチャートナンバー1アルバムとなった。
同年12月8日、10th album「FLASH GORDON」(同名映画のオリジナル・サウンドトラック)発売

1981年4月、メンバー初のソロ活動 ロジャー・テイラーが 1st album「FUN IN SPACE」を発表

1982年4月23日、12th album「HOT SPACE」発売
10月19日~九電記念体育館2日間を皮切りに5都市6公演。
このツアーで僕は生涯で一度きりのQUEENを見ることができた
クイーン九電記念体育館公演1982年10月19日~20日

つづく

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2019年5月 3日 (金)

映画「ボヘミアンラプソディ」と実際のQUEENの歴史(1)

QUEENをリアルタイムで追いかけていた僕は、映画「ボヘミアンラプソディ」に対して、無意識のうちに距離を置いていた。

QUEENを題材にして映画を撮れば、それはいいものができるに決まっている。熱々のご飯にこだわりの醤油と朝とれ玉子でつくる玉子ご飯に、分厚いフレームのメガネをかけたお笑い芸人が「絶対美味いやつやん」とツッコムのと同じくらいに。
なにも騒ぐほどのことじゃない

2018年11月、映画「ボヘミアンラプソディ」が日本でも封切られると、友達から観に行きませんか?と誘いを受けた。誰かから映画に誘われるということ自体、とても珍しいことだが、やんわりと受け流した。
すぐに観に行ったという姉からは「すごくよかった。映画館で観るといいよ」とメールを受け取った。
「趣味は映画」という人10人と会う機会があり、全員に「最近のお勧めは?」と尋ねると、そのうち9人が「ボヘミアンラプソディ」と答えた。
5人めを過ぎた頃からは、もう答えが読めてしまい、自分が予知能力者になったような気がした。

世の中の喧噪をよそに、僕は動かなかった。
封切り直後に「事実とは違う創作であり、時代考証もむちゃくちゃ」というレビューを読んだせいかも知れない。
QUEENの事実をエンターテインメント風にねじ曲げるのは興ざめだ。

記録的なロングランを続けていた映画の公開が終わったことは「3度めを見て来た」という姉からのメールで知った。
それならば、しばらくすればパッケージが出るだろう(発売は4月17日)
「三度の飯よりQUEENが好き」と公言し「佐世保北高のフレディ・マーキュリー」を自称していた僕は、そもそも、これを避けて通るつもりはなかったのだ。

令和元年となった初日、満を持してブルーレイディスクをDIGAにセットした。

★ご注意
ここから「ネタバレ」オンパレードです

映画の幕開けは「ライブエイド」の準備風景
そこに本物のブライアン・メイが現場のおじさんとしてカメオ出演していたような気がする。

すぐに時代はデビュー前に切り替わり「Doing all right」が流れてくる

この曲は1973年7月13日発売の1stアルバム「QUEEN」邦題「戦慄の王女」B面に収録されている。

ドラムがロジャー・テイラーでギターがブライアン・メイであることはすぐに分かるが、ベースを弾いているボーカルがわからない。
ステージ背景には「SMILE」というバンド名がセットされている。
そうだ・・始めは別のボーカルだったんだ。フォーリーブスの永田英二のように。その後に青山孝が入って一番人気になったのだった。
名はなんと言ったっけな。
メイとロジャーが「ティム」と呼んでいる
そうだティム・スタッフェルだ
その名前はミュージックライフのQUEEN特集を買って、一言一句を見逃さぬように読んで知った。

ティムが脱退したところにフレディ・マーキュリーが現れ、次の瞬間、一瞬でジョン・ディーコンが入っているぞ。
実際には、ベース探しはかなり難航したはずだ。

「SMILE」は1968年、メイ、ロジャーとティム・スタッフェルで結成。1969年に解散。
その後、ロジャーとフレディが出会い、メイと3人でバンドを結成。
1970年、7人目のベーシストとしてジョン・ディーコンが参加してメンバーが固定された

次のシーンではもうトライデントと契約して米国ツアー
しかも演奏しているのは「Fat bottomed girls」
この曲は1978年11月10日発売の7th album「JAZZ」に収録された曲。
\^^)オイオイ
思わず液晶テレビに向けて一度めのツッコミを入れた

つづく

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