2019年5月16日 (木)

平成最後の歌合戦II

「平成最後の歌合戦」は平成発売の曲を発売順に歌ってきたが、ここで互いに「平成エピソード曲」コーナー
僕は「ダンスホール」尾崎豊
1992年(平成4年)に亡くなった彼は、平成に入ってからは、オリジナルのラストアルバムとなった「誕生」をリリースしたのみ
「ダンスホール」はデビュー前に書いた昭和の曲だが、生涯最後となったライブの最後に歌った曲
仲野君は1989年リリースの「デイドリームビリーバー」タイマーズ(忌野清志郎)
「平成の間、ずっとセブンイレブンのCMに使われてきた」というのがエピソード。そう言われてみればそうだ。


2004年
「栄光の架橋」ゆず
NHKがアテネ五輪のテーマソングとして使用した曲
この曲を精一杯声を出して歌うと、腹の中に溜まっていたものが出て行ってすっきりする


2004年
「Everybody needs somebody」LOVE PSYCHEDELICO
天才麻生哲朗原作の名作映画「ホテルビーナス」の主題歌
今秋「初デリコ」を控えているので、デリコと出会った曲を入れた


2006年
「Progress」スガシカオ
シンコペーションが複雑でテクニカルな曲
NHK「プロフェッショナル」を毎週見ていたら覚えてしまった


2007年
「CHE.R.RY」YUI
平成といえばYUIもお付き合いしておかなければならない。
平成で僕が最もCDを買った音楽家である
彼女がデビューして「」がテレビから流れてきた時に一目惚れした。いや「一聴き惚れ」か


2008年
「Missing」ELLEGARDEN
僕がこの曲を聴いた時には既に彼らは2008年からの「活動休止中」その姿はYou Tubeでしか見たことがない
2018年に「THE BOYS ARE BACK IN TOWN TOUR 2018」を行ったが、そのチケット倍率は大変なものだったという


2010年
「空が白くてさ」羊毛とおはな
平成の時代、最も癒やしを求めた曲
彼女はもうこの世にいない
ぜひ、平成の最後に歌いたかったが、LIVE DAMには入っていなかった


2014年
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」BABYMETAL
平成25年にデビューした3人組。海外での知名度に比べると、日本での認知度は低い。ぜひ東京五輪2020の閉会式に出て欲しい。
YUIMETAL(水野由結)脱退はとても残念だった


2015年
「東京VICTORY」サザンオールスターズ
「昭和の代表的ロックバンド」は平成でも、その圧倒的実力はミスチル以外を寄せ付けなかった


今回、歌い忘れたがDreams come true「未来予想図II」は1989年(平成元年)リリース


いわゆる大御所と言われる音楽家は一通り「Google先生」に尋ねてみて、井上陽水には「少年時代」1990年があった。つい最近の曲のような印象があるが、もう30年。名曲は古びない

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2019年5月15日 (水)

平成最後の歌合戦

平成最後の金曜日
仲野君と僕は平成最後の歌合戦に臨んでいた
レギュレーションは「平成発売の曲」
例外として1曲だけは昭和発売でも平成で歌われたエピソードがあればよいことにした。

「曲名 リリース」で検索すると「Google先生」が発売年を教えてくれる。時々、再発売などの年を回答するのはご愛敬だ
それぞれ20曲ずつを持ち寄り、せっかくなので、年代順に歌っていくことにする。

1989年
「約束の橋」佐野元春
この曲が平成の皮切りだったとは意外だ
ずいぶん昔の曲という印象だったので、てっきり昭和の曲かと思っていた。
ALL FLOWERS IN TIMEのライブ映像・演奏音源、唄だけ抜きという元春ファンにとって夢のようなカラオケ
このライブに行った僕らは、いつもならばこの曲はラストに歌う

1991年
「何も言えなくて夏」J-WALK
訳ありで脱退した中村耕一は今もソロ活動をしているが、ソロとしてのヒットは記録していない

1992年
「糸」中島みゆき
10年紀毎にナンバー1ヒットを飛ばす中島みゆき、1990年代の代表曲。八代亜紀にスルメをあぶりながら「十八番を1つ歌って」と言われたらこの曲を歌うだろう。

1994年
「雨のち晴れ」Mr.children
1992年(平成4年)デビューのミスチルはまさに「平成を代表するミュージシャン」彼らのヒットソングを挙げていくと、いかに平成がミスチルの時代だったかがわかる

1995年
「ロビンソン」スピッツ
スピッツが歌う曲は「100m先から聴いてもわかる」
かつて1980年代のQUEENもそう言われていた。
QUEENの場合「over produce」と揶揄された、その「創りこみ」によるが、スピッツの場合、ボーカル草野マサムネの声である。彼が歌えば美空ひばりも加山雄三もスピッツになると思う
仲野君がこれを歌う間に、僕は持ち込みの「ふっくらあじフライ」にソースをかけて、一気にたいらげる

1998年
「終わりなき旅」Mr.children
この曲を歌うといつも「キーが低すぎて苦労する」という話しを友達にしたところ「ほとんどの人は高い声が出ないので、大抵の曲はデフォルトで原曲よりキーが落としてある。予約時に"原曲キーで予約"にするといい」と教えてもらった
すると確かに歌いやすくなった。この数年間はなんだったんだろうと思う

2000年
「TUNAMI」サザンオールスターズ
仲野君が「事情により歌わなくなった曲です」とMCを入れて唄い始める。確かに数年前のライブでは演ってなかった。心痛めた人たちの心情を思い歌い控えるのは、その歌い手の考え方だから、僕がとやかく言う余地はない。ただ、彼らがこの名曲を歌わないことを誰1人、望んではいないと思う。

2001年
「Best friend」Kiroro
キーが高すぎたので、途中で止めた^^;)
歌い終えると、龍角散のど飴を2粒、口に放り込む。こうすれば、5分後に自分の番が戻ってくるまでには、また声が出るようになっている。結局、平成の時代では「独りカラオケ」を実行しなかった。令和の時代には1度、経験してみたいと思っている。

2002年
「天体観測」BUMP OF CHICKEN
耳こぴしていただけだったので、全く歌えなかった
バンプはかなり歌い込みが必要だ

2002年
「流星群」鬼束ちひろ
この曲のCメロを歌えるとそれは気持ちいいが、大抵そこにたどり着く前に喉が終わってしまう。途中を少しズルして休んだら、なんとか歌いきることができた。

つづく

 

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2019年5月 9日 (木)

映画「ボヘミアンラプソディ」と実際のQUEENの歴史(3)

★ご注意
この文章は映画内容の「ネタバレ」オンパレードです

1983年10月、ブライアン・メイが初のソロ活動でミニLP「STAR FLEET PROJECT」を発表
1983年はQUEEN結成以来、初の活動休止年となった

1984年2月27日、13th album「THE WORKS」発売

映画のつづきに戻る
フレディとメアリーの別れ、フレディが主催する狂気のパーティと続くシーンは、僕がこの映画に期待していたものとはかけ離れていた。
給仕の役で「ジム・ハットン」が登場する。あぁここで出るのか・・ジム・ハットンの自伝でフレディとの生活を読んだのは、フレディが他界してずいぶん経った後だったが、それからも長い年月が過ぎており、1983年、2人の出会いがどのようなものだったかは忘れてしまった。

この辺りから、映画の筋はフレディの性的傾向に絞られていく。ダイバーシティ&インクルージョンは2019年の現代においては、一大テーマだが、フレディが居た1990年代初頭には、ほとんど語られないことだった。
現代の時代背景や問題提起を「QUEEN」を題材にして映し出さなくてもいいだろう。

フレディがソロ活動について3人に切り出すリビング・ルームでのシーン。フレディは1人ずつ「君は僕がいなければ、この程度の人間に過ぎなかった」となじるのだが、その内容がそれぞれの経歴を的確に揶揄していて微笑ましい。
ただ、先に書いているように最初にソロ活動をしたのは1981年のロジャー、1983年のブライアンであり、いきなりフレディが「家族を裏切った」わけではない。
ロジャーは第6作の「世界に捧ぐ」に、ボーカル、ギター、ベース、ドラムをすべて自演した曲「Sheer heart attack」を入れており、当時「QUEENの和が乱れるのでは?」と心配したのは、むしろロジャーの方だった。

ソロ・レコーディングで音作りに苦しむフレディ
ここからはリアル。これこそフレディの美しき物語だ。
映画には日本語字幕が付き、それはBGMの歌詞にも振られている。このシーンにこの曲をもってきた意図が汲めてよい。

この当時の史実は次の通り
1985年5月、フレディのソロファーストアルバム「MR.BAD GUY」発売
1985年5月8日~、QUEEN日本公演(3都市5公演)
1988年10月、フレディのソロセカンドアルバム「BARCELONA」発売

映画ではソロ活動に疲れたフレディが「母船」QUEENへの復帰を3人に懇願、エイズを告白する。ここからは「ライブエイド」という大団円に向けた「音楽ドラマ」
こうなるのを待っていた。

1985年7月13日、ライブエイド
この日に合わせて完璧に仕上げてきたフレディと聴衆の掛け合い。メンバー、ローディが「信じられない」「お手上げだね」と顔を見合わせる。涙無しでは見られない。
この映画は役者がQUEENを演じているわけだが、ブライアン・メイだけは、彼がタイムマシンで若返って演じているようだった。ステージでの表情、首の傾げ方、言葉遣い、声、身のこなし、全て完璧だ。
*映画雑誌で見る限り、役者本人はブライアン・メイにあまり似ていない

エンドロールは「Don't stop me」に合わせてフレディの実写映像。そこで終わってくれてよかったのだが、どうしても米国のエンタメは最後を「Show must go on」で重たくしなければ気が済まなかったようだ。

最後に映画の終演からQUEENの終焉に至る史実を加筆しておこう。
1986年5月21日、14th album「A KIND OF MAGIC」発売
同年8月9日、英国ネブワース・パークでの演奏がクィーン4人による最後のコンサートとなった
同年12月、15th album「LIVE MAGIC」発売

1989年5月22日、16th album「THE MIRACLE」発売
フレディの意向ですぐ「INNUENDO」にとりかかる

1991年2月4日、17th album「INNUENDO」発売
1991年11月23日、フレディがエイズにかかっていることをマスコミに公表
その翌日11月24日、フレディがジム・ハットンらに看取られ逝去

1992年
4月20日、フレディ・マーキュリー追悼エイズ啓蒙コンサートがウェンブリー・スタジアムでおこなわれる

1995年、last album「MADE IN HEAVEN」発売
フレディの生前収録済みのボーカルを活用、フレディが「参加」するQUEEN最後のアルバムとなった

2004年2月9日、ベストアルバム「クィーン・ジュエルズ(CCCD)」発売。オリコン初登場1位となる
「Born to love you」がキムタク主演ドラマ「プライド」の主題歌に使われたため多数のマスコミに取り上げられた。
リアルタイムQUEENファン以外の一般大衆にQUEENが「肯定的存在」として受け容れられたのは、これ以降である。

1970年代まで、QUEENはQUEENファンだけのものだったし、1980年代はロックファンのものだった。
ほぼ誰もが貶さない対象としてQUEENが扱われるようになったのは、2000年代以降である。

おわり

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2019年5月 4日 (土)

映画「ボヘミアンラプソディ」と実際のQUEENの歴史(2)

★ご注意
この文章は映画内容の「ネタバレ」オンパレードです

史実では1971年6月、フレディ・マーキュリーの発案でバンド名を「クィーン」とした。
トライデントスタジオと契約したのは1972年11月。その後翌年5月までファーストアルバムのレコーディング

1973年7月6日、1st single「Keep yourself alive」邦題「炎のロックンロール」発売
同年7月13日、1st album「QUEEN」邦題「戦慄の王女」発売と続く
1974年3月8日、2nd album「QUEEN II」(邦題同)発売
10月11日、シングル「Killer QUEEN」発売。英国最高位2位
11月1日、3rd album「SHEER HEART ATTACK」(邦題同)発売

1975年4月19日、日本武道館公演
日本での初ツアーは7都市8公演

映画では「QUEEN」から「SHEER HEART ATTACK」までの描写は無し。
なにより「日本から火が付いたQUEEN人気」というプロセスにまったく触れていないのが残念だ。米国(20世紀フォックス)のエンタメなので仕方ない。

映画序盤、本物とよく似ているのはブライアン役だけだったが、だんだんフレディ、ジョンが似てくる。
アルバム「オペラ座の夜」からのシングルカットを論議している場面、ロジャーとブライアンが互いの「I'm in love with my car」「Sweet lady」をけなし合うのが愉快だ。

「ボヘミアンラプソディ」のメイキングでは、ギターパートの音録りをしているブライアンに、フレディが「魂を込めて」「もっとロックしろ」と声を掛けブライアンが「わかった」と応じるのだが、続きのギタープレイ映像は無し。これは「音楽映画」ではないということなのだろう。ブライアン・メイのファンとしては、その先を見たかった。


参考までに、映画に描かれていない史実は次のとおり

1975年10月31日、シングル「Bohemian Rhapsody」発売
初の英国シングルチャート1位
同年12月3日、4th album「A NIGHT AT THE OPERA」邦題「オペラ座の夜」発売。初の英国アルバムチャート1位

1976年12月10日、5th album 「A DAY AT THE RACES」邦題「華麗なるレース」発売

1977年10月7日、シングル「We are the chanmpions / We will rock you」発売
同年10月28日、6th album「NEWS OF THE WORLD」邦題「世界に捧ぐ」発売
ジャケットには雑誌「Astounding SCIENCE FICTION」1953年10月号表紙、ケリー・フリースの絵を元に書き起こしたデザインが使われた。

1978年11月10日、7th album「JAZZ」(邦題同じ) 発売
「Bicycle race」にちなんだ自転車に乗った女性達のヌードポスター付。

1979年6月22日、8枚めで初のライブアルバム「LIVE KILLERS」(邦題同じ)発売。初回プレスはオレンジ、緑各1枚のカラーディスクだった(当時はレコード盤)

1980年6月、9th album「THE GAME」邦題同じ 発売
米国では唯一のチャートナンバー1アルバムとなった。
同年12月8日、10th album「FLASH GORDON」(同名映画のオリジナル・サウンドトラック)発売

1981年4月、メンバー初のソロ活動 ロジャー・テイラーが 1st album「FUN IN SPACE」を発表

1982年4月23日、12th album「HOT SPACE」発売
10月19日~九電記念体育館2日間を皮切りに5都市6公演。
このツアーで僕は生涯で一度きりのQUEENを見ることができた
クイーン九電記念体育館公演1982年10月19日~20日

つづく

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2019年5月 3日 (金)

映画「ボヘミアンラプソディ」と実際のQUEENの歴史(1)

QUEENをリアルタイムで追いかけていた僕は、映画「ボヘミアンラプソディ」に対して、無意識のうちに距離を置いていた。

QUEENを題材にして映画を撮れば、それはいいものができるに決まっている。熱々のご飯にこだわりの醤油と朝とれ玉子でつくる玉子ご飯に、分厚いフレームのメガネをかけたお笑い芸人が「絶対美味いやつやん」とツッコムのと同じくらいに。
なにも騒ぐほどのことじゃない

2018年11月、映画「ボヘミアンラプソディ」が日本でも封切られると、友達から観に行きませんか?と誘いを受けた。誰かから映画に誘われるということ自体、とても珍しいことだが、やんわりと受け流した。
すぐに観に行ったという姉からは「すごくよかった。映画館で観るといいよ」とメールを受け取った。
「趣味は映画」という人10人と会う機会があり、全員に「最近のお勧めは?」と尋ねると、そのうち9人が「ボヘミアンラプソディ」と答えた。
5人めを過ぎた頃からは、もう答えが読めてしまい、自分が予知能力者になったような気がした。

世の中の喧噪をよそに、僕は動かなかった。
封切り直後に「事実とは違う創作であり、時代考証もむちゃくちゃ」というレビューを読んだせいかも知れない。
QUEENの事実をエンターテインメント風にねじ曲げるのは興ざめだ。

記録的なロングランを続けていた映画の公開が終わったことは「3度めを見て来た」という姉からのメールで知った。
それならば、しばらくすればパッケージが出るだろう(発売は4月17日)
「三度の飯よりQUEENが好き」と公言し「佐世保北高のフレディ・マーキュリー」を自称していた僕は、そもそも、これを避けて通るつもりはなかったのだ。

令和元年となった初日、満を持してブルーレイディスクをDIGAにセットした。

★ご注意
ここから「ネタバレ」オンパレードです

映画の幕開けは「ライブエイド」の準備風景
そこに本物のブライアン・メイが現場のおじさんとしてカメオ出演していたような気がする。

すぐに時代はデビュー前に切り替わり「Doing all right」が流れてくる

この曲は1973年7月13日発売の1stアルバム「QUEEN」邦題「戦慄の王女」B面に収録されている。

ドラムがロジャー・テイラーでギターがブライアン・メイであることはすぐに分かるが、ベースを弾いているボーカルがわからない。
ステージ背景には「SMILE」というバンド名がセットされている。
そうだ・・始めは別のボーカルだったんだ。フォーリーブスの永田英二のように。その後に青山孝が入って一番人気になったのだった。
名はなんと言ったっけな。
メイとロジャーが「ティム」と呼んでいる
そうだティム・スタッフェルだ
その名前はミュージックライフのQUEEN特集を買って、一言一句を見逃さぬように読んで知った。

ティムが脱退したところにフレディ・マーキュリーが現れ、次の瞬間、一瞬でジョン・ディーコンが入っているぞ。
実際には、ベース探しはかなり難航したはずだ。

「SMILE」は1968年、メイ、ロジャーとティム・スタッフェルで結成。1969年に解散。
その後、ロジャーとフレディが出会い、メイと3人でバンドを結成。
1970年、7人目のベーシストとしてジョン・ディーコンが参加してメンバーが固定された

次のシーンではもうトライデントと契約して米国ツアー
しかも演奏しているのは「Fat bottomed girls」
この曲は1978年11月10日発売の7th album「JAZZ」に収録された曲。
\^^)オイオイ
思わず液晶テレビに向けて一度めのツッコミを入れた

つづく

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2019年3月30日 (土)

牛だって殺したことがある?イルカ

「なごり雪」
そして、イルカといえば、これを聴かないと「金返せ」と数人が言いそうなヒット曲
僕は双眼鏡を取りだし、厳しい眼差しでのぞき込み、イルカがどんな表情で歌っているのか確認する。

でも「4Kテレビとか絶対買わないでください」と言うイルカに配慮して、すぐに鞄に仕舞う。

目を閉じてみる
ずいぶん長い間、EP盤、カセット、PCM、CD、パソコンと時代の流れに沿ったデバイスで聴き継いで来た曲が、今目の前で、同じ空気の振動できこえている


そして、夫である神部和夫さんと巡業?した時に生まれたことを紹介して最後の曲へ
「いつか冷たい雨が」

この曲は「イルカライブ」のエンディングに収録されていて、僕はこの曲を聴いてイルカの大ファンになった。

♪牛だって殺したことがありま~すぅ

あれ?この曲ってそういうワイルドなテイストだったっけ
「中野で生まれ育った」と言っていたけど、実家は畜産農家だったのか?
でも、確かにそう聞こえたよな・・

この謎は翌日カラオケで、この曲を歌って解けた。
正しくは「虫だって殺したことたありま~すぅ」である
曲の前半に「牛や鳥やお魚も人間のためにあるのよ」という歌詞があったため「牛だって殺したことがある」と聞こえたのだ

イルカが牛を絞めるところを想像してしまった、私を許してください^^;)

ここでイルカが袖に下がり本編が終了
時計を確認すると、係員が告げた終演時刻まで、さほど時間がない。恐らくアンコールはそれほど長いものではないのだろう。
一口だけ水を飲み、すぐにアンコールの拍手に参加する。


ステージに照明が戻り、イルカと太田裕美が再登場
ずいぶんカジュアルな服装にお色直ししている
太田裕美がパンジーを履いているかは確認できなかった\^^)オイオイ

2人で歌う今日3曲めは「翼をください」
オリジナルはイルカがシュリークスの一員として歌手デビューした1971年「赤い鳥」がシングル発売した。

アンコールは1曲限り
歌い終えると、割とあっさり、2人は仲良く袖に消えた
これでいい。
名残惜しくないわけではないが、だらだらとステージに居残る演出は見飽きている。これくらい、あっさりしていていいのだ。
一期一会
これきりかも知れないし、また会いに来るかも知れない
もう心はここに残さないので、僕らは明日もまた、違う自分を探しに行く

20:35終演
グッズ売り場に開演前よりも多くの人が群がっているのを尻目に、まだ寒さ厳しい二月の中野へと飛び出した。

おわり

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2019年3月29日 (金)

イルカのソロタイム

イルカ、再登場


この日、2曲目のジョイント
「Walking in a winter wonderland」
かつてエルビス・プレスリーやロッド・スチュワートなどが歌っていたクリスマスソング・スタンダード



太田裕美が袖に消えようとする


イルカが「裕美ちゃん、まだ帰らないでね」と声をかける
太田裕美は「え、そうだっけ?」と言って引き返そうとする


イルカが「いやいや、まだお家に帰らないでねって意味だから」というと「また段取り間違えたかと思った」と照れ笑いして、太田裕美、今度こそ袖へ消える



ここからはイルカソロタイム


「まあるいいのち」
聴衆にも合唱を求める
皆、声が繊細でキレイだ
ウィーン少年合唱団かと思った


まぁ率直に言えば、声が小さいということである
誰1人立ち上がらないのは、皆が分別ある十分な(十分過ぎる?)大人だから。
そして、あまり大きい声で歌うのは恥ずかしい、周りにも迷惑だしというところも大人の分別なのだろう。
従って、あまり盛り上がりはない。
ただ、大半の人が盛り上がりたくて来ている訳じゃないだろうから、これでいい



「サラダの国から来た娘」
この歌が聴けて嬉しい
僕がイルカの音楽ファンになったきっかけは「なごり雪」のヒットだが、イルカのファンになったきっかけはLP「イルカライブ」
「春」に続いてA面の4曲めに入っていたこの曲で、僕はその人柄に魅せられた


ライブアルバムに収録されたこの曲では、曲の途中で「終わった」と勘違いした客が拍手をしてしまい、場内が笑いに起きる。
歌い終えたイルカは「二度拍手をしていただきまして・・ライブ(アルバムの収録)だからねぇ・・あとでちょっと来てもらおうかな」と語り、場内が暖かい空気に包まれる。



「海岸通」


イルカは、スタンドに固定されたギターについて話す
「歳をとると、けっこう重くて・・」
これは他の歌い手では見たことがない、ひと目見てイルカとわかる。



私は生まれも育ちも中野でして、まだ中野ブロードウェイもなくて、中野サンプラザも取り壊されるということで、こうしてここで歌えるのも不思議な縁だなぁ


そう語った後、結婚、子育て、介護、死と巡り会ってきた人生を織り込んだ「人生フルコース」を歌う。

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2019年3月28日 (木)

太田裕美 ソロの部

♪ねぇ友達ならきいてくださる?

ピアノに座った(ピアノの椅子ですよ)
太田裕美が歌い出したのは「赤いハイヒール」
「木綿のハンカチーフ」大ヒットの次作で1976年6月に発売された。
その次作「最後の一葉」(1976年9月)までのシングル三作は、太田裕美が最も世間から絶賛を受けた時期といえる
当時、初めて聴く「イントロなしでいきなり唄い始める曲」に僕は衝撃を受けた
曲の入りとしては、この翌年1977年に発売されるQUEEN「We will rock you」で受けた衝撃にも匹敵する

ここでMCを入れた後、2曲続ける
「袋小路」
「雨だれ」
「袋小路」は3枚めのアルバム「心が風邪をひいた日」(1975年)に収録されている曲でシングルではない。
「雨だれ」は1974年、シングル発売された太田裕美のデビュー曲
デビューから1977年までは、すべての楽曲を松本隆/筒美京平が手がけていた。

ここで長めのMC
全体的に音楽:MCではMC比率が高い
がつがつと音楽を聴かせるコンサートというよりは、ファンミーティングのような空気だ
彼女がいつもこの比率でやっているのかはわからないが、僕はこれがいい

つづいて「NHK」がらみで2曲
「恋のうた」
NHK連続テレビ小説「ひよっこ」終盤、みね子(有村架純)の恋が始まったところで挿入された劇中歌
この曲は amazon music などで配信されている。
彼女は「甘い恋」の歌い手としてオファーを受けたことの喜びを話す
「金平糖」
2011年12月~2012年1月「NHKみんなのうた」で放送された曲

そして、太田裕美「ソロの部」の大団円へ
「私のコンサートに来て、この曲を聴けなかったら金返せって感じですよね?」
そう言って「木綿のハンカチーフ」

そして最後に「さらばシベリア鉄道」
松本隆作詞、大瀧詠一作曲
大瀧詠一ファンにとっては、太田裕美が歌っていた印象が薄いのだが、はじめに歌ったのは太田裕美。
1980年11月に発売された。
1981年、大瀧詠一が一世を風靡した名盤「A LONG VACATION」に収録された。
♪君は近視、眼差しを読み取れない
翌日、You Tubeで見直していて、こんな歌詞だったことを初めて知った。ずっと「君は厳しい眼差しを・・」と思っていた・・

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2019年3月27日 (水)

「あの素晴しい愛をもう一度」

開演時間から過ぎること二分
客電が落ちる

以前から気にしていたことだがATOKでは「きゃくでん」で変換すると「客殿」が唯一の候補であり「客電」とは変換されない。
広辞苑七版には載っており「劇場で、客席の照明。」とある。
ということで、今、単語登録した。

まず始めにバックミュージシャンが現れて演奏を始める
そこに、連れ添って銀座に買い物に来た女友達のような2人組
イルカと太田裕美が腕を組み、ちょこまかと小走りで登場
2人のコミカルな動作に会場の氷は一気に溶ける
一気に温度が上がったが、観客の誰かが立ち上がることはない
(これは最後までそうだった)

前の人が立ったら、後ろの人が見えないじゃない
そんな、一般社会の常識がここでは適用されている
お陰で体力を消耗せずに、およそ2時間を過ごすことができた
40年来ようやく見ることができた待望の勇姿
しかも2人同時だ
僕からは後ろ頭しか見えていないが、会場が笑顔に包まれているのがわかる

「あの素晴しい愛をもう一度」
北山修(作詞)加藤和彦(作曲)が1971年に発売し、長らく歌い継がれているフォークソングの名曲。
オープニングは2人で歌う。
遡ること数十年
大学二年生の学園祭
部活動対抗「のど自慢」に出場した時、一回戦の課題曲がこの曲だった。
チームは先輩のカズさんと同級のモコちゃんと僕
直前に舞台の袖で、高音と低音の担当を決めるというにわか仕立てのコーラスだったが、二回戦へ進むことができた
二回戦はソロを任された僕が西松一博の「シーボニアランチ」を熱唱
しかし、ここで敗退
僕の歌唱力を買って、選んでくれた仲間に合わせる顔が無い
そして、自分の評価を決めるのは自分ではないということを初めて知った苦い想い出だ。
なんで、あんな曲選んだのかな
全国的には無名に近い、博多のミュージシャンがアルバムに入れている、カラオケもない曲(カラオケテープは自分で作った)
観客も審査員も、そして、部活の仲間の頭上にも「?」マークが浮かんでいるのがみえた・・


そんなことを考えていたら、曲が終わりがけにさしかかっていた

いかん、目の前の一分に集中しよう

ここでイルカが袖に消える

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2019年3月21日 (木)

一目でわかるイルカポジション

「イルカ&太田裕美~青春のメモリー~ジョイント」
開演まであと15分
ステージに緞帳は下りておらず、ステージの設営が見て取れる。
中央にグランドピアノ
その脇にスタンドマイク
こちらは「太田裕美エリア」か
ピアノの右側に、もう一本のスタンドマイク
そこにはギターが斜めに固定されている
そこは間違いない「イルカ・ポジション」だ

「20時40分です」
客の質問に係員が答えている
恐らくそれは終演の時間なのだろう
コンサートにおいて終演の時間を質問できること、係員がそれに正直に答えることを初めて知った。
今度、どこかで聞いてみようとは思わないけれど。

イルカは一昨年「45周年」を終え、太田裕美は今年が「45周年」
自分もその大半をファンとして過ごしてきての初対面。しかも2人同時。しかし、気持ちが高まらない。
恐らく、なにか他のことで頭がいっぱいなのだ
ただ、せっかくの機会
目の前の一分に集中しよう
幸せなひと時を過ごそう

となりには背の高い同年代の男性がやって来て座った
この人が前の席でなくてよかった
背は高いけれど太っていなくて、贅肉が肘掛けを乗り越えて熱気と共に迫ってくる恐れがないことに安堵した。
彼がマスクをしているのは、予防だろうか、あるいは風邪、または花粉症か。
僕は今、ここで絶対に風邪をひけないタイミングなのだが、コンサートというのは逃げるわけにはいかない。
かと言って、予防のためにマスクをつけるのも何か違う気がする。
ひととおり客席が埋まってきた
前に座ったのは白髪の女性2人組
座高が低いので、視界を遮られずに済みそうだ。
それぞれ別々にやって来て「久しぶり」と言い合っている
1人は会場特典のイルカ直筆サインのカードを見ている。
グッズ販売コーナーでは、イルカがツアーグッズを持ち込んでいたが、太田裕美は市販のCDのみで特別なものなかった。
この年齢になると男性2人で連れ添ってどこかへ出かけるというのは、どこか気恥ずかしさがある。
それに比べると、女性は絵になる。
どうだ、文句あるか?
と言われても、なにも文句が無い
歳をとるに連れて、友達が増えていくかに見える女性は無敵だ。
羨ましい。いや、ずるいとさえ思う。
そして、この後、ステージ上でも、そんな2人組を見ることになるのだった。

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