2017年1月29日 (日)

旅の終わりに聴いたBABYMETAL

市役所職員の「ひとつ先を読む仕事」に感動する一方、民間金融機関はそうはいかなかった。

「勤務先の住所が違います
この郵便番号で出てくる住所に対して3文字欠けています」

いやいや、郵便住所データは日本郵便のデータを元に民間のデータベース会社が作ったものですから、それと一致しているかが証憑となるとは思えないですよ。
それに自宅ならばまだしも、勤務先の住所ですよね・・


「漢字が旧字です。免許証と違います」

いやそれは、戸籍謄本と合わせるようにとあなたが言ったんですよ。


「この印鑑は無効です」

書類つくる前に言ってくださいよ・・
下書き段階で見せましたよね?


幾度も差戻しがあり、手続きは数ヶ月に及んだ。
不備だということついても、それが、法律の求めなのか、その企業の内規なのかが不明であり、不信感を募らせた。

ただ、こういう時、ユーザーは弱い。
先方に「規程」を盾にとられたら、それを覆す術がない。
文句を言っても始まらないので、言われた通りにやり直す。
「急がば回れ」
母がよく僕に言い聞かせた言葉だ。
いちいちもめているより、従った方が速い。


ただ、納得がいかなかったのは、向こうで放置している期間があることだ。
相手は企業のプロだから、粛々と手続きを進めてくれていると信頼して待っている。
しかし、一向に処理が終わったという連絡がない。

どうなっているんだろう?
念のために電話をいれると、そこで初めて
「いや、こちらからお電話しなければと思っていました」
といって、不備・差戻しの話しが出る。
そんなことが、何度もつづく。


仕事は役所の方が速くて親切。
民間は、相手によって速さも丁寧さもまちまちなのかも知れない。


いずれにせよ、相続における戸籍の運用は「過度に厳格」ではないか。
両親が共に世を去り、相続手続きをする大半の日本人が、この壁に当たるだろう。
しかし、その声は国会に届かない。

なぜならば、両親は1組しかいない。
両親亡き後の手続きは1度きり。

ようやくコツをつかんだ時には終わっていて、それを「次」に活かす機会はない。
「次」がないものを声高に叫ぶ人は少ない。
戸籍の煩雑さを解消したところで、いったい誰がどれだけ幸せになるか、想像ができない。



期せずして旅に出ることになった
後片付けは長引いたが、その旅がようやく終わった
秋の未明、姉からの電話で始まったことは事実として認識しているが、未だにキツネにつままれた気分である。

旅の終わり掛け、ようやくウォークマンをつけて鳴らしたのはBABYMETAL。
それ以外の辛気くさい歌を聴く気にはなれなかった。

おわり

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2017年1月28日 (土)

戸籍制度に泣かされる

戸籍はその人が生まれてから現在に至るまでの記録。

戸籍は誰と誰の間に生まれたかで始まる。
結婚では家族の戸籍から「除籍」され、新たな戸籍に「入籍」する。
人は何処から来て、何処へ行くのか?
(原典:我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか)
という問いかけは、19世紀のフランス画家ゴーギャンの言葉だが、
あなたはいつ何処で、誰と誰から生まれ、いつ死んだのかを把握するのが戸籍である。

転居の届けは「住民票」の移動であり、戸籍を移す義務はない。
たとえば、佐賀県から長崎県に転居しても、戸籍は佐賀県に置いたままでよい。

「本籍地」は、戸籍に記載された地名。
その戸籍事務をおこなう市町村になる。
必ずしも「生まれた場所」「住んでいる場所」でなくてよい。
従って、好きな場所、思い入れのある場所に戸籍を置くことができる。
日本では「皇居」が人気の本籍地である。


戸籍謄本には生まれた場所が書かれている。
企業・組織の人事採用では、出生地による差別につながるとして、戸籍謄本の提出を求めるのは禁止されている。

だが、2017年1月に公表された労働組合団体「連合」の調査によると、人事採用選考の過程で戸籍謄本の提出を求めていた組織(企業や自治体)が2割近くあった。


戸籍はその人の属性を特定したい人にとって、便利な情報制度ということになる。
それが、適正に運用されている分には、国民生活にとってメリットもある。
ただ、運用が過度に厳格な場合「戸籍は面倒くさい制度だ」という感想を持つ人が多いだろう。


相続手続きで厄介なのは「出生」から「死亡による除籍」まで、個人の戸籍をすべて揃えて提出しなければ証憑とならないということである。

たとえば、故人が結婚などによって戸籍を移っていると、そのすべてが必要。
戸籍が複数に分かれる場合、たいていは異なる市町村にまたがるので、除籍された役所だけでは用が足りない。

今回の手続きでは、実際に足を運んだ「佐世保市」
それ以前に戸籍があった、2つの市町村には郵送で戸籍謄本を依頼した。

それが円滑に進んだのは、プロ意識が高い「役所」の皆さんのおかげだ。
彼らがしてくれた「ひとつ先を読む仕事」に驚かされた。


「**さんは、昭和++年まで△△市に戸籍がありましたから、その分は△△市に依頼してください」
え゛~そうなんですか・・
困った顔をする僕に対して、次の言葉がかかる。

「依頼は郵送でできます。こちらにわからないことがあったら尋ねてください」
そう言って、その△△市役所の住所、問合せ電話番号をプリントしたコピーを1枚が手渡された。

戸籍は過去に遡って3市町村にまたがっていたことがわかるのだが、つづいて依頼した△△市からは、戸籍謄本が入った返信封筒に「□□市の住所、問合せ電話番号のメモが入っていた。

レスポンスも速かった。
往復の郵送を差し引くと処理日は「0日」
恐らく届いた封筒を開封したその手で手続きをして、投函してくれたのだろう。
そう思わせるほどの「速さ」だった。

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2017年1月19日 (木)

「お役所」のイメージは、すっかり変わっていた

父が逝き、母が逝き、僕は「誰かの子ども」ではなくなった。
日本は法治国家であり、法律に基づく数多くのルールで社会は成り立っている。
人はある時は法によって守られるが、ある時は法によって、雁字搦めに縛られる。

親が居なくなった後には、様々な手続きが存在する。
その中でも、最もややこしいのは相続である。


土地家屋の相続は法務局。
相談するには事前の予約が必要だった。
僕ら姉弟は約束の時間より5分早く、窓口へ行く。
すると、職員は既に待ち構えていた。

職員は僕らから最低限の要件を聞き出すと、必要な書類はこれとこれですと早口でまくし立てた。
「説明は以上です。お引き取りを」
と顔に書いてある。
もう少しいろいろと聞きたかったが、とても居づらくて、その場を辞した。

日頃は、聞いてもいないのに余計なことをたくさん話され、煩わされることが多い。ある意味、それはとても新鮮な経験だった。

アマチュアはものごを複雑にする
プロこそがものごとをシンプルにできる

その職員こそがプロなのだ。
あまりに愛想がないと言うだけで。

今回の様々な手続きでは、市役所、社会保険事務所、法務局といくつかの公的機関にお世話になったが、この唯一の例外を除いては、皆、とても親身であった。


それは、ちょっとした驚きでもあった。
「お役所」という言葉は、公務員がルールや前例にのみ頼り、融通が利かないことを揶揄する言葉として、日本中に定着している。
お役所と言えば、12時から13時の間は、完全にサービスが止まり、態度は横柄。住民の苦悩には耳も貸さず、血の通わない人たち。
ざっとこういうイメージがあったのではないか。


だが、それはもう過去のことになったようだ。
少なくとも今回、接した佐世保市職員の皆さんの印象は、違っていた。
メールで質問をしてから訪問すると、待ち構えていて応対してくれた。


住民課に着いた途端、職員から用件を聞かれて、書類を書き始めた。
2日続けて行くと
「あら、昨日も来とらしたですよね」
と声をかけてくれた。
実際には、5日続けて行くことになるのだが・・


窓口で要件を言って、係員がしらべるのを待っている間。
手持ちぶさたに窓の外を眺めていると、新卒らしき初々しい女の子がやってきて「ご用件、お聞きしていますか?」と尋ねてくれた。
えぇ、大丈夫ですよ
と即答したのだが、こんなに親切にされることは日頃ないので、涙腺がもろくなった(笑)


そして、こうした手続きを複雑にする「あの制度」について、困った問題がもちあがった時にこそ、彼らのそうしたプロ意識は最大限に発揮されるのだった。

その制度とは「戸籍制度」である。

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2017年1月17日 (火)

毎日、新聞に載る訃報をウォッチする人たち

葬儀を終えた週が明けてから、手続きに回っている。

「障がい者手帳」を返却する。
これは窓口を訪れて「母が亡くなったので返却します」と言って手渡す。
とても簡単に済む。


つづいて、税金
「相続税」の支払い期限は死後10ヶ月以内。と決まっているが、相続税がかかるのはかなりの資産がある場合。


「賃貸料」があれば、債権者に対して名義変更手続きをとるが、これは該当がない。

「公共料金」電気・ガス・水道・電話・NHKなどが故人名義だった場合、契約の名義変更、引き落とし銀行口座の変更をする。

これらは故人の銀行口座が使われているが、金融機関に対して「口座の封鎖猶予」を電話で依頼する。
公共料金引き落とし以外に、福祉医療費など入金の受け入れもその口座になっている。

今回、新聞に載る「訃報」を日々、ウォッチしている人がとても多いことに驚いた。地方では前日に亡くなった方の名前を1県分載せても数行で収まる。
それを毎日、確認している人がいるのだ。

金融機関の人たちもその1人で「新聞に訃報が載ると、即座に口座が止まる」という風説を流す人もいるが、現実にはそう簡単に止まらない。
「口座の封鎖猶予」を依頼するのは、実際に口座が封鎖されてからでよさそうだ。

封鎖猶予されて、いろいろな手続きが済み、入金も収まり、お金の動きがなくなった時点で、銀行を訪ねて相続手続きをおこなう。
この際「相続合意書」が必要である。


「健康保険書」は"病院の支払い終了後、返却"と聞いていたので、支払いが終わるまで保管していたが、病院の支払い窓口によると「返却は不要」とのことだった。
健保からは申請により、葬儀費用が支給される。


「生命保険」は保険会社に連絡を取る。
先方からはかかってこないと思った方がよい。
保険会社の相談窓口に連絡して、手続き方法を尋ねると、後日、担当代理店から書類が手配される。



「年金」
共済年金受給者は、共済年金事務所に相談。
サラリーマンは社会保険事務所に相談。
それ以外(国民年金のみ)は役所に相談。

遺族年金を新たにもらう場合は申請が必要だが、遺族年金は「妻」と「18歳未満の子ども」がもらうものであり、今回は該当しない。

「年金受給権者死亡届」
受け取りの停止を申請する。
提出し忘れて(故人の代わりに)年金を受け取っていると、発覚した時全額返済を求められる。


「葬祭費用」
黙っていても、葬祭業者が集金に来る(笑)

「公営火葬費用」
は火葬場で渡された書類を持って地方自治体に支払う。



とりあえず、主立った手続きはここまで。
種類が多いし、人によって有り無しが違うため、「Google先生」一発回答というわけにもいかない。
ただ、実際に大変だったのは、ここから先だった。

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2016年12月27日 (火)

しらべるが選ぶ2016年の5大ニュース

しらべるが選ぶ2016年の5大ニュース

公私を混ぜて2016年の5大ニュースを選ぶならば、1位は母の死であり、2位はニフティによる@homepage閉鎖である。

母の死は僕と遺族にとっての限定的な問題であり、ニフティの件も被害者が限られる。
イギリスがEUから離脱しても、トランプが大統領選で勝っても僕がその日にやることは変わらない。
だが、この2つの出来事は生活を一変させるものだった。

人の死は誰にも止められないが、民間会社のサービスについては、提供者がいかに利用者を想っているかで対処は違ったものになる。
ニフティという会社にとても共感を抱いていただけに、残念な出来事だった。

それでは"一般的"なニュースからしらべるが選ぶ2016年の5大ニュースへ。



第5位
2016/7/22
ポケモンGO日本配信開始

「初めてスマホでゲームをした」
8月以降、そんな人の話をたくさん聞いた。
スマホが世に出て、契約数でガラケーを逆転したのは2014年9月。
(出荷ベースの逆転は2013年1~3月期)

スマホ普及当初、画面とにらめっこしている若者を見て「彼らには、そんなにたくさんメールが来るのだろうか?」と羨んでいたが、それは皆ゲームをしているのだと若者から教わった。

よく見ると多くの若者が玉を下に落とすパズルのようなものをしている。
それって2000年代はじめ「PDA」が出た頃に標準でついていたソフトじゃないか。
確かにおもしろいとは想うけれど、そんなにみんなでやらなくても。
そう想いながら、スマホでゲームをする人たちとは一線を引いてきた。


ところがポケモンGOは、その既成概念を覆してくれた。
これならば、歩き回るので健康にもいい。
同じゲームをしている人たちとの共感も生まれる。
最近めっきり会話が減っていた親子、夫婦たちに、このゲームが会話の機会を提供した。
ポケモンボールが少なくなって、つい買ってしまった人もいるだろうが、大半の人は無料で使えているという点で、かつて社会問題になった射倖性を煽る要因もない。

公園を憩いの場にしていた人とその管理者にとっては受難の1年だったと想うが、世代や異なる立場の垣根を取り払う方法論を提示したポケモンGOの意義は大きい。


第4位
2016/7/11 
ユーロ2016でポルトガルが初優勝

2006年にポルトガル代表チーム応援をし始めて以来、待ちに待った瞬間だった。
いや、正直にいうと、とうに諦めていた。

フィーゴ、デコ、ロナルドを擁したW杯2016
デコが全盛を迎えていたユーロ2008
そしてデコが不遇の最期を迎えたW杯2010

デコが居なくなった時点で、もう応援する動機付けはないはずだったが、それでもロナルドがいる間はと想い、応援を続けてきた。

ロナルドがいる時代に栄光を築いたのはよかった。
ポルトガルは1960年代に突如、強豪として国際舞台に現れ、20年ほど雌伏の時を超えて1990年代に復活した。

ロナルドが代表を務めるのは、W杯2018を経て、恐らくユーロ2020までと見る。
次世代のエースアタッカーのタレントはレナト・サンチェスがいるが、デコに代わるゲームメーカーは6年間不在が続いている。

再び表舞台から消える時代を迎えるのか?
ロナルド、レナトに次ぐ第三のスターが彗星のごとく現れるのか。
しばらくは応援を続けたい。

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2016年12月26日 (月)

2015年の主なできごとを思い出せますか?

2015年はどんな年だったか思い出せますか?
ご自身にとって冠婚葬祭や仕事についての節目となる出来事があれば、それがエポックとして記憶されていると思います。
ところが、世の中の出来事で何があったかを思い出せるでしょうか。
熊本の震災は今年ですよ。


2015年主なニュース(しらべる記事)

2015/1/3  第91回箱根駅伝 青山学院大学が総合優勝 10時間49分27秒、 2位に10分50秒の大差
2015/1/11  樋渡啓祐前武雄市長が立候補した佐賀県知事選投票 樋渡啓祐落選
2015/1/28  スカイマーク民事再生法申請
2015/3/7  首都高速 中央環状線開通(大橋JCT~大井JCT間が開通)
2015/3/14  北陸新幹線東京-金沢間開通
2015/3/15  第1回横浜マラソン開催
2015/4/29  安倍首相日本人で初めて米上下院総会で演説
2015/4/29  東北新幹線架線切れのため4時間半不通
2015/5/17  大阪都の賛否を問う住民投票 否決
2015/6/17  公職選挙法改正案成立 選挙権年齢が18歳に引き下げられる
2015/7/3  史上初、セリーグ全球団借金状態となる
2015/8/15  70回目の終戦記念日
2015/9/19  安全保障関連法 成立
2015/10/2  ヤクルト14年ぶりリーグ優勝
2015/11/14  パリで同時テロが起きる
2015/12/18  STAR WARS エピソード7 日本公開


どうでしょうか。
大きな節目といえる出来事は「選挙権18歳に引き下げ」の可決
そして連日メディアが大量報道したのは「安全保障関連法」
戦後70年という節目の年でした。
特に無風の年というほどでもなく、大きな出来事の数としてこれは「標準」と言えるでしょう。


一方2016年はどうでしょう。
2016年主なニュース(しらべる記事)

2016/1/1 日本国連安保理非常任理事国入り(2年間)
2016/1/1 マイナンバー利用開始
2016/1/10 デヴィッド・ボウイ逝去
2016/1/24 琴奨菊 日本出身力士10年ぶりの優勝
2016/2/26 国勢調査速報値 初めて人口が減少に転じる
2016/3/26 北海道新幹線開業
2016/4/1 電力小売り完全自由化
2016/4/2 BABYMETALがロンドンSSEアリーナ・ウェンブリーで、日本人アーティスト初の単独公演
2016/4/14 平成28年熊本地震発生
2016/5/28 G8サミット(三重県伊勢志摩)
2016/6/13 舛添要一が都知事辞任届け
2016/6/15 イチローの日米通算安打が4257本となる(NPB1278、MLB2979)従前の"記録保持者"ピート・ローズはこの喧騒について「日本では今に高校生の安打数も数えるんじゃないか」と述べた
2016/6/19 選挙権年齢が18歳に引き下げられる
2016/6/23 英国欧州連合離脱是非を問う国民投票 離脱が過半数となる
2016/7/10 第24回参議院議員選挙
2016/7/11 ユーロポルトガル初優勝→ユーロ2016 ポルトガル優勝の軌跡
2016/7/13 天皇陛下が「生前退位」の意向を宮内庁関係者に示したとNHKが報道
2016/7/16 トルコでクーデターの試みが発生
2016/7/22 ポケモンGO日本配信開始
2016/7/31 東京都知事選挙 小池百合子当選
2016/8/5 リオ五輪開幕
2016/8/11 初めての山の日
2016/10/3 ノーベル生理学・医学賞 大隅良典東京工業大栄誉教授 細胞内でタンパク質を分解し再利用する「オートファジー(自食作用)」の仕組みを解明した功績
2016/11/7 豊洲新市場開場当初予定日
2016/11/8 アメリカ大統領選挙 トランプ候補勝利
2016/12/15 ロシアプーチン大統領山口県訪問

今年も恒例により、この中から「しらべるが選ぶ5大ニュース」を選んでいきたいと思います。

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2016年12月15日 (木)

納骨の手伝いを石材店に頼まなければならない理由

墓・仏壇関連
■墓・納骨堂を決める
■仏壇を買う(四十九日までに用意しておく)

この2つも最初に親が亡くなった時に終わっている。
基本的に墓に次男の家族は入れない。
もちろん、嫁いで除籍された子どもも入れない。
父親が長男の場合、先祖代々の墓に入ればよいが、そうでない場合、墓を新設しなければならない。
これは「前回」父が亡くなって初めて知った。

幸いなことに、何度めかの抽選で市民霊園が当選していたので既に墓はある。
仏壇も「前回」買った。
今回することと言えば、石材店に「字彫り」を依頼することだ。


石材店に電話をして「墓の番号」「死亡年月日」「俗名」「戒名」を伝える。
直接行けない場合、FAXで送るよう求められる。
値段を確認して発注する。



たいていの場合、墓を建立した時の石材店に頼む。
そうしないと、微妙に字体が違ってしまうし、そもそもあいみつをとる類いのものではない。
この世界に、カカクコムは存在しないのだ。

発注時には、納骨日のお手伝いも依頼する。
四十九日法要の日程は初七日法要の後に、寺から提案される。
納骨は寺にお墓がある場合、四十九日法要その日。
お墓を寺ではない場所に建立している場合、翌日である。


遺族の誰かが遠方から帰省して臨む場合、法要を土曜。納骨を日曜にする。
檀那寺でない場合、寺に難色を示されるが、だからと言ってできないものはできない。
なんとか頼み込むしかない。
寺離れが進む昨今、寺側としても「非檀家」も貴重な収入源。
そう邪険にはできないのである。

土曜に四十九日法要。
その後、出席してくれた親戚を「お斎」でもてなす。
そして、翌日遺族だけで「納骨」という流れになる。



石材店の話に戻る。
「納骨」は重い墓石をずらしたり、持ち上げたりする。
そして墓の中に入って骨壺を置く。
墓の入り口はそれほど広くはない。
そこに巧みに滑り込む。
お相撲さんのような体型の人には、至難の業だ。
昔は、小学生くらいの子どもがその任に当たったと母から聞いたことがある。

汗もかけば、泥にまみれる。
これら一連の作業は礼服を着た遺族には無理。
もし、手伝いを頼まない場合、ジャージでお坊さんを迎えて納骨をしなければならない。

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2016年12月 5日 (月)

「2人めの親が亡くなった時の手続き」始まる

両親のうち1人が亡くなった後、子どもにとって手続きはそれほど大変ではない。
その理由は片親が残っており、手続きの主体は親がおこなうからだ。
役所への死亡にまつわる届け出、相続。
そういったものは基本的に親がおこなう。
子どもはそれをサポートする立場である。

ところが、2人めの親が亡くなった時、その手続きはなかなか大変なものになる。
それは「今回」やってみてわかった。
ある程度詳しくなったものの、もうこの知識を使う機会は残っていない。

よくいうことだが「ものごとは慣れた頃には終わっている」のである。
そこで、自分のための備忘録としてではなく、いつかこれを読む誰かお一人の参考になればと思い、書き残しておこうと思う。


まずはじめに、候補となるものを書き出してみた。


死亡届は臨終後、火葬前に提出を終えている。
(斎場側が代行してくれた)
この届けが出ていないと「火葬」「埋葬」許可がおりない。

死亡届により「戸籍からの除籍」「住民税の抹消」が連動して行われるので、役所への手続きは不要。


亡くなったのが世帯主の場合 →役所
■世帯主変更届 14日以内

■姓を旧姓に変えたい場合は 復氏届け
戸籍も旧姓当時の籍に戻る

■そのままの姓を名乗りたい場合は 分籍届

各種サービス →各会社
■クレジットカード 解約届け
■勤務先身分証明書 会社へ返却


ここまでの項目は今回、該当しないので手続きがない。
運転免許証は、そもそも返却が不要である。


母はクレジットカードを持ったことがないし「ビデオレンタル」のような会員証もない。
現代社会であれば一人あたり数十枚の「カード」を保有しているのが当たり前だが、昔の人はカードを持っていない。
その部分の手間は軽減された。

クレジットカードを1つ1つ解約することを考えると途方に暮れる。
年会費無料だからと、カードを増やすのは戒めたい。

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2016年12月 4日 (日)

四ケ町は日本一

市役所が開くのは火曜日
三連休の残り二日はその準備に充てる。
佐世保には葬儀を執り行うために帰ってきたけれど、だからといって蟄居しなければいけないという法はない。

親戚に送る香典返しを選びに四ケ町へ出た。
四ケ町(よんかちょう)は佐世保の求心力であるアーケード商店街。
「サンプラザ(旧称:三ケ町)」から「四ケ町」につづく直線アーケードの長さ 1.2km は日本一。
ちなみに直線商店街日本一は、東京戸越銀座の1.6km。
戸越銀座は道幅が狭いので、とても混雑しているが、片側1車線対面通行の道路幅がある四ケ町も、日本の西端の町にしてはよく賑わっている方だ。


地元が発信する公式情報を元にしたガイドブックには「さるくシティ4○3」という名称で紹介されている。
四ケ町の「4」サンプラザの「3」では○は何かというと「玉屋」だという。
地元の人は誰もそんな呼称は知らない。
時折、メディアが使っているようだが、あまりにアホらしいので聞こえないふりをしている。


■四ケ町の歴史

1966年
アーケード完成
この頃、白十字パーラーが佐世保最古の銘菓「ぽると」を売り始める。

1997年
大塔ジャスコ(現在はイオン)オープン。
これ以降、佐世保市南部に郊外型店舗が整備されて、四ケ町の客足が落ち始めた。
四ヶ町、佐世保玉屋、三ヶ町商店街に「さるくシティ4○3」という愛称がついた。

1998年
「YOSAKOIさせぼ祭り」が始まる。島瀬公園がメイン会場の1つとなる。

2005年
ワイワイ貿易が島瀬公園ヨコの雑居ビルに移転した。

2006年
育文堂が 蜂の家 の隣りに移転。くまざわ書店が開店。

2012年5月
長崎県初出店「餃子の王将」ができた。

2013年1月
60周年セール開催

2013年2月
佐世保港商業施設(五番街)開発計画の敷地が申請時より1.4倍に拡大されたことにより、四ケ町が「シャッター通り」になることを懸念するチラシが撒かれた。

2013年11月29日
佐世保港商業施設「五番街」オープン
四ケ町がさびれると危惧されたが、3年経った今、表面的にはそれほど変化はないように見える。
でも本当のことはわからない。


四ケ町の特徴は道の真ん中に休憩用のテーブルと椅子があることだ。
アーケード(屋根)があるので、雨の日も座ってくつろげる。
「誰があんな所に座るのだ?」と思うのだが、そこで休んでいる人がけっこういて、よその町から来た人は珍しがっていた。

今でこそ、老人の多い町の商店街には、至るところに椅子が置かれるようになった。四ケ町はその先駆けを30年、いやもっと前からやっていたのだ。


「マラソン講座」では、この四ケ町を駆け抜ける「佐世保ハウステンボスマラソン」を提唱している。
提唱から1年後、現実に「ハウステンボスマラソン(長崎国際マラソン)」は開催されたがそれは有料道路を2往復するという、まったく佐世保らしさのないコースだった。
その発展形として佐世保の町とハウステンボスをつなぐマラソンを実現したかったのだが、ハウステンボスマラソンが1回きりで失敗に終わったため、その道筋が途絶えてしまった。
マラソン(42.195km)でアーケード商店街を走るコースは未だにない。
直線アーケード日本一の「サンプラザ」「四ケ町」でぜひ、マラソンをやってもらいたい。

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2016年12月 3日 (土)

お斎でご輪番さんに褒められる

お斎の会場は親戚が経営している鮮魚の店。
なにを食べても美味しいので、芸能人の来訪が多い店である。
その親戚を前に「ささやかではございますが・・」というのは、なんだかおかしいのでいつも「・・といいたいところですが、今日も****(店名)の美味しい食事をしばしお楽しみください」と挨拶し、親戚一堂にっこり。というのがお約束だ。
遠くから来る親戚も、この店の料理を楽しみにしており、この料理は遠路を旅する動機付けの一つになっている。


しかし、僕はイカやタコ、エビカニの甲殻類、そして貝類が食べられない。
その原因は、中学一年生に遡る。
当時住んでいた五島列島であわびにあたり、顔がエレファントマンみたいに腫れ上がったのだ。
学校の洗面所で鏡をのぞきこむ。
左側半分だけがいびつに腫れ上がり、自分でも凝視できないほどだ。

あぁ、このままこの顔だったら、放生会(博多です)の見世物小屋で「蛇女」と共演するくらいしか就職先はないな・・とは思わなかったが、少なくとも、女の子にもてるとか、そういう道は閉ざされたなと暗澹たる気持ちになった。
幸い、腫れは数日で引いたのだが、その後ぱったりと、甲殻類が食べられなくなった。

その話は、この親戚の前でも何回かしていると思うのだが、その都度、皆が真剣に聞いてくれるので「あれ?まだ話してないのかな、まぁいいや。聞いてるから」と思いながら話している。


お斎の長いテーブルは右と左の2グループに分かれ、2つの話題が同時進行している。
その真ん中にいるのがご輪番さんと僕。
どちらの話題にも、満遍なく耳を傾けるダブル・ポジティブ・リスニングという高度な技を駆使していたら、ご輪番さんが口を開いた。

「今日の挨拶ですが、こんなスマートな日本語を使う人がいるのかと驚きました」
司会者が式次第を誤り、導師が退場しないまま僕が話した遺族代表挨拶を指している。

「浄土に還るとさらりと言われたけれど、ふつうの人ならば天国に行くとか言うものです」
周囲の人は二手に分かれて盛り上がっている最中なので、この話を聞いていた人はほとんど居ない。
とても晴れがましい気持ちにさせていただいた。
それでよかったと思う。

司会者が次第を誤ったのか、それとも、それが場の空気を読んだものだったのか、いずれにせよ、そのおかげでご輪番さんからありがたいお褒めの言葉を頂戴した。
僕は、喪主という仕事をきちんとやり遂げたという確信を持つことができた。
司会者にお礼状は書かなかったけれど。


遠くから来た親戚の帰り旅を考え、2時間弱でお開き
それぞれが最寄りの交通機関にて、それぞれの場所へ帰っていった。
二日間を休むと、その翌週から大変な手続きが待ち構えていた。

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