2017年6月27日 (火)

「思い」という言葉のブームが定着した経緯

2009年12月27日
自民党 谷垣禎一総裁
国民新党の亀井静香が天皇陛下に向かって「権力の象徴であった江戸城にお住まいになるのはお立場上ふさわしくない。京都か広島にお住まいになってはどうか」と提言したのを受けて、テレビ番組で発言。

「陛下はちょっと行ってくる、とおっしゃって東京に行ったままになっているが、京都にお帰りになっていただきたいという思いはある」

これは、かつて天皇陛下は「僥倖」として江戸に発たれたのであり、正式な遷都ではないという論に立脚した「思い」である。
現実に「東京は日本の首都ではない」誰もが東京が首都だと思っているが、それは「事実上の首都」である。

いずれにせよ「思い」という言葉をオブラート役に、ずいぶん「重い」ことを話すものだ。



2010年3月9日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍普天間基地移設問題について

「命のかかわる話であればあるほど、当然、政府として首相として意思決定には覚悟をもって臨むべきだ。それが進退だとかどうだとかいう野党の思いに必ずしも乗る必要はない」

ついに他人の考えまで勝手に「思い」化してしまっている。
「思い」ブームは過ぎ「思い」が国民の言葉として定着したのである。


2010年5月4日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍基地について

「すべてを県外にということは、なかなか現実問題として難しいということに直面をしております。ぜひ、沖縄の皆様方にも、またご負担をお願いをしなければならないなと、その思いで、今日もまいった次第でもございます」

ここでは前言撤回の自己弁護として「思い」が使われているが、元々持っていた思いとは真逆の「思い」になっている。このようにものごとを曖昧にしたい時の常套句になったことがわかる。


僕はいつか「思い」という言葉への揺り戻しが起こると考えていた。
自分がそうであるように、この言葉への違和感がやがて、社会全体に広がると思っていたのだ。
しかし、現実は違っていた。


2011年3月
東日本大震災が起きた
人々はあまりにも残酷な現実に対して、婉曲に優しく考えを伝える必要に迫られた。

「思い」はその中核を成す言葉として必要になった。
もう誰も「思い」という言葉の危うさを論うことはできなくなった。

そして現在に至る。
だが、違和感は続いている。
本当の真実の前には、それに最もふさわしい言葉があるはずだ。

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2017年6月26日 (月)

僕がもの言う時、書く時に使いたくない言葉

2009年、民主党の鳩山由紀夫が総理大臣になった。
直近に小沢一郎が党首をおろされていて、たまたま党首になったところに政権が取れたものだから、期せずして行政の最高責任者となった。

彼の口癖が「思い」
このような便利な言葉は伝染力が強い。
メディア露出度が高い総理大臣が使ったものだから、加速度的に日本に蔓延した。


立派なことを言いながら、それを「個人的意見」だと予防線を張り、立場としての責任を曖昧にする時に使う狡猾なことば。
それが「思い」

行動がまちがっている人が、言動で自己を正当化する時に多用する。


「思い」を口にする人の特徴は次の3つ。
■自己顕示欲が強い
■責任感が乏しい
■言葉が軽い


「思い」は2009年から無責任な人たちの間で急速に広まった。
以下はその記録だ。


2009年10月14日
鳩山首相
過去最高44兆円の国債発行に当たり

「赤字国債は本来なら発行すべきではないが、税収の落ち込み具合を勘案する必要がある。赤字国債は発行したくないという基本的な思いはある」

自分は「思い」を思っているぞ、まともな感覚の持ち主だぞ。と自己防衛しているのだが、その後の体たらくをみれば「思い」を口にする人の危うさが際立つ。



2010年1月23日
東京都江戸川区で7歳の男児が親から暴行を受けて死亡した事件を受けて

男児が通う学校長
「もっと注意深くしていればという思いがある」

文科相
「教育現場に、感度が低いという思いがある」

この2人は自己防衛していない。
だがその責任を曖昧にする(言葉の強さを和らげる)ために「思い」を使っている。

「もっと注意深くしていればと思う」
「感度が低いと思う」
と言えばよいことだ。

「牛丼並盛りです」を「牛丼並盛りになります」と言うように「思い」を婉曲表現として使っている。

「思い」を口にする人は、自分の言葉を持たない。
「思い」ブームが始まり、こんなシリアスな場面ですら「思い」で自己防衛してしまうことに慄然とした。

つづく

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2017年5月14日 (日)

母が居なくなって初めての母の日に母を想う

5月14日(日)は「母の日」
普段は照れくさくて伝えられていない気持ちを伝えてみては?

衣料品メーカーから届いたメルマガにあった「母の日」というキーワードに脳が反応した

この実世界に「母」という存在がいなくなってから迎える初めての「母の日」
直接言葉や品物でなにかを伝える相手はもう居ない。


試しに自分のメールソフトを「母の日」で検索してみた
出てきたのは数年前、親戚と交わした「母の日」にまつまるやりとり。
そして、今年届いた「母の日」ギフトを訴求するメルマガが3通

過去に届いた「母の日」メルマガが大量にヒットすると想定していたのだが、1通もなし。
恐らく「母の日」という件名を見た途端、中も見ず削除したのだと思う。
別にメルマガを削除したのが悪いとは思わないが、それくらいに「母の日」というキーワードに反応する気持ちがなかったことはわかる。



さだまさしが以前「生さだ」で「親孝行したい時には親はなしと言うけれど、親孝行は生きている時にするのではなく、親が元気な時にするものだ」と語っていた。

会話ができない状態になってから、語りかけても、あまり多くは伝わらない。
寝たきりになってからでは、美味しいものを食べたり、散歩に連れ出すことさえままならない。
いつか一度、僕がマラソンを走る姿を見せたかった。
だから「佐世保ハウステンボスマラソン」を企画して、実現に向けて動いたのだが、それは夢となった。



「親孝行したい時には親はなし」
誰に言われたかは忘れた、いつのまにか心に刻まれた言葉
恐らく、この言葉が言われ始めた時代は、脇目も振らずに一生懸命働いて、ある程度の年齢になり、心にゆとりが持てるようになった時、親はもう他界していた。という慚愧の念を言ったのだと思う。

現代の「親孝行事情」は少し違っているだろう

自分がどうだったのかは、よくわからない。
なにせ親元を離れてから数十年が経っている
反省をしようと思えば、いくらでもできる
だが、カンタンに反省で総括できるほど単純じゃない
そんなことをしたら、過去の僕が怒るだろう

今さら反省しても、もう母はいない
だから「意味がない」のかというと、それは違う

母はもう居ない
実世界には。
でも、僕は生きて母を想う

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2017年4月20日 (木)

しらべる17周年

2017年4月20日
しらべるは、おかげさまで17周年を迎えました。
いつも見てくださっている方、ありがとうございます。
お名前も存じあげませんが、心より感謝しています。


しらべるは2000年4月の開設から毎日更新を続けているので、6229日連続更新です。ここでいう「更新」とは既存記事の更新ではなく、新規記事の追加のことを言っています。
もちろん、既存記事の更新もしていますが、必ず1日1つ以上、新規記事を追加することをもって「連続更新」と謳っています。



しらべるにとって、この1年は未曾有の事態が訪れました。
それは「しらべる」を置いているニフティホームページサービスが終了したのです。
2016年1月の段階で「9月終了」が周知され、実際には2ヶ月延長されて11月に終了となりました。

しらべるでは当初予定ギリギリの9月に新URLへの移行作業をおこないました。


そこで、想定外の事態が起きました。
2016年1月の周知時点でニフティ側からは「新URLへのリダイレクト設定」を行うことがアナウンスされていました。
それならば、アドレスが変わっても、ユーザーが離れることはありません。

検索エンジンからは「全くのおニューサイト」と見なされるので、検索順位が大幅に下がることはどうしようもありませんが、とりあえず、既存ユーザーに迷惑がかからないことだけは「不幸中の幸い」

念のため、その時点で「しらべるは数千ページあるのだが、本当にリダイレクトは大丈夫でしょうか」と問い合わせたところ、ニフティ側から「ご安心ください」というご回答がありました。


そこで、ご安心した僕がバカでした


実際、蓋をあけてみると「リダイレクト」は「トップページへのリダイレクト」だったのです。
たとえばこういうことです。

ユーザーが検索ページ経由でしらべるの「仮面ライダー年表」を選んでくださったとします。
しかし、そこには「URLが変わりました」の案内
そして、数秒待ってリダイレクトされる先は「仮面ライダー年表」のページではなく「しらべるのトップページ」なのです。

僕がユーザーだったら
「え~ここから探せって言うの?」
「なめてるの?」と思います。
当然、すぐに検索エンジンに直帰して、他のサイトへ行くことでしょう。



従って、9月以降、しらべるのPVは激減しました。
人気の度合いを測る目安に「しらべる」というキーワードで当サイト「しらべる」が何番めに表示されるかというのがあります。
去年9月以前はずっと1番めでした。
一時期4番めまで戻していたのですが、数日前ぱったりと出てこなくなりました。

16年かけて積み上げた検索エンジンに対しての「実績」はリセットされてしまいましたが、コンテンツはなに一つ変わっていません。
検索結果が同じところへ戻るのは16年後かも知れませんが、ライフワークとして続けて行きます。


これからも「しらべる」と「しらべるが行く」をよろしくお願い申しあげます。
時々思い出して、読みに来てくださいね。

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2017年4月15日 (土)

デブ・ちび・ハゲが好きな男はいない

数年に一度
監査の役割が回ってくる。

監査員が2人一組となり、他の組織を訪問して監査する。
監査員はたくさんいるので、相棒が誰になるかは発表を見てのお楽しみだ。

発表されると、まず2人でミーティングする。
互いは初対面のことが多いので、まずは自己紹介し合い、コミュニケーションをとるわけだ。

そこで、役割分担を決める。
役割は「リーダー」と「サブリーダー」
監査実務の大半はリーダーがおこなう。

まず先方組織の担当者に電話を入れて挨拶。
メールにて日程を複数候補出すから、そちらで日時を選んだうえ、監査を行う場所の確保をして欲しいということを伝える。

それから、監査シナリオを作る。
先方組織の資料を取り寄せて分析
当日、どのようなことを質問するかを決めていく。


シナリオができたら、相棒と二度めの打合せ
シナリオを読み合わせて、抜け漏れがないか、他にアイデアはないかといった意見を聞く。


そして、監査当日
進行はリーダーが行う
サブリーダーは議事録を取る。
議事録は正式書類ではないので、カタチだけだ。


監査終了後も報告書作成や指導内容のツメはリーダーの仕事。
従って、サブリーダーにほとんど、見せ場はない。



さて、迎えた監査員シフト発表の日
事務局から知らせのメールが届く
リストは添付ファイルになっている

相棒が気のいい人だったら、しばし、楽しい時が過ごせる。
相棒がすてきな女性だったら、さらに言うことはない。

ファイルを開いたら・・

ウチダ イチロウ

おいおい、なんでそうなるんだよ
思わず声が出た。
過去にウチダという男と接点はないが、人づてに
「デブ・ちび・ハゲの三拍子が揃い、近寄ると加齢臭がきつい。おまけにピント外れで要領を得ない。責任を背負うようなことがないよう、いつも他人の発言に神経をとがらせている食わせ物」と聞いたことがある。

「○○専」とか言って、デブ・ちび・ハゲが好きな女性は希にいるらしいが、デブ・ちび・ハゲが好きな男というのは聞いたことがない。



しかし、立ち止まっては居られない。
嫌なことは先送りしたくない性分だ。
すぐ、電話して役割分担を打診する

リーダーとサブリーダー、どっちをやりますか?
僕はどちらでもいいですよ。

「いやぁ経験が浅くて勝手がわからないからなぁ」

自ら楽な方を選んだと言われたくないのか、煮え切らない。
噂通りだ・・
それに確か僕より年下のはずだが、いきなりのため口
むっとするのをこらえて

じゃ僕がリーダーやります。日程の候補は・・

いつもは、相棒の監査員と行う2度の打合せ
今回は0回でとっとと終えようと思っている。

あ、すみません
不愉快な人を思い出させて・・・

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2017年4月 8日 (土)

いじめ対象の三拍子「よそ者」「お調子者」「小心者」

母の愛は絶対だった。

いつも僕を無条件で支持してくれた。

今こうして毎朝、その写真に向かい、手を合わせる時。
祈りを終えて、目を開けると父と母の目を見る。

今日も一日、見守っていて
そう呼びかける

それは、昔まだ僕がとても小さかった頃、時期にして2年ほどの習慣だ。
当時、生まれて初めての転校を経験し、五島列島にある1学年2クラスの小学校に通っていた。

僕の通うクラスには「ター坊」と呼ばれるリーダーがいた。
幼少の頃から大好きだったフォーリーブスの「ター坊」こと、青山孝はとてもクールで優しい好青年だったが、こちらのター坊は違った。

その荒々しい気性で、細かい暴力を繰り返し、完全にクラスを掌握していた。
そして、彼の扇動により、その週のターゲットが決まり、クラス男子ほぼ全員参加の「村八分」が行われることがルーチンになっている。

「よそ者」「お調子者」「小心者」
いじめ対象三拍子が揃っている僕は、ヘビーローテーションの代表となり、俎上に上がっていた。
まだ、BABYMETALは生まれていなくて「イジメ、ダメ、ゼッタイ」と歌ってくれなかった。
そもそも、また「イジメ」という言葉をテレビや新聞で見聞きすることもない頃。

村八分ウィークに入ると、僕は毎朝、玄関を出る時に母の目を見た。
いつもならば「行ってきます」と言ったきり、飛び出していくのだが、その時は、玄関から母の姿が見通せないと、母が出てくるまで三和土(たたき)で待った。

母はいつも、その空気を察して、家事の手を止めて顔を出し、僕の目をじっと見た。
「どうしたの、何かあったの」とか「学校に行きたくないの?」などとは、一言も言わない。
時間にして、ほんの1~2秒のことだが、僕はその目力に願を掛けるようにして、一歩目を踏み出した。

今も母は僕の目を見る。
なにも言わない。
それでいいのだ。見守ってくれていると思えるだけでいい。

あの時、話しかけられて、慰めの言葉をもらっていたら、僕はもっと弱い人間に育っていただろう。

あの日も、今も、強い目力で見つめる母の愛は変わっていない。

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2017年4月 1日 (土)

人は利害の絡むことに口をつぐみ、絡まないことに懸念を表明する

その日は朝から調子の狂う一日だった。

朝には寄り合いが入っていた。
ただでさえ好きではない「会議」が、一日のはじまりに入っているとは、なんと不幸なことか。
不幸中の幸いは、自称いい大学を出たキーマンが熱弁を振るうのを黙って聞いていればよいということだ。
ときどき「うんうん」と頷いてやれば、彼はいい気分になってさらに独演してくれる。

話が佳境に入るころ彼は言った。
「このままでは、ルールのきじゃくせいを突かれないとは限りません」

もちろん誰も目を白黒させたりはしない。
「しかし、ルールの変更はもろはのやいばでもあります」

いや、全然違うだろおまえ、もしかしてバカ?
と口に出したりはしない。
いい大学を出た人に対して、世の中のあらゆる組織は「漢字の書き取り」を免除しているのだろう。
キーマンがこの先、漢字も読めないヤツとして笑われようが、周囲の課題ではない。



お昼過ぎ、街に出た。
東京はお昼どきも電車が混んでいる。
そこは、ホームドアがない駅
発車のベルは鳴り終わっているが、次から次に人が乗ってくる。
「駆け込み乗車はご遠慮ください」
駅員が苛立った口調でアナウンスを入れる。

すると「駆け込み乗車はダメだから」と言って、歩き込み乗車するおばさん2人。
車内に居た乗客はそのおばさんのせいで、いつまで経っても出発できない。
お構いなしでドアを締めて思い知らせてやればいいのに・・・
誰もが思っているが、もちろん口には出さない。

ホームの係員もそんなおばさんが乗り終わるまで、ドアを締めようとはしない。



駅を降りた商店街には数年前、監視カメラがついた。
その落成の日には「祝!監視カメラ設置」のくす玉が割られた。
頭のはげた商店会の会長さんが祝意を述べる。
それを聞いたライターは「監視カメラを祝うなんて世も終わりだ」と書いた。

その記事を読んだ地元の人は、特に何も言わない。
特に言及するほど関心がないのかも知れないし、今さら何か言ってももう遅いということは明白だ。


その数年後、ライターが商店街のはずれで事故に遭った。
自転車で走行中、自動車にひき逃げされたのだ。
深夜だったこともあり目撃者は現れなかった。
近くに監視カメラがあれば、犯人の車が特定されたかも知れない。
商店街のカメラに映っていた自動車は、いずれも塗装の成分が異なっていた。
「街灯もない道で監視カメラもないなんて」
ライターは行政の怠慢を声高に叫んだ。

だが、警察関係者はライターが、真っ黒いコートを羽織り、無灯火の自転車でスマホを操作しながら道路の真ん中を走行。そして一方通行を逆行していたことについて、もちろん口に出さなかった。


人は利害の絡むことには口をつぐみ、何も言わない。
利害の絡まないこと、その相手にだけ、懸念を表明する。

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2017年1月29日 (日)

旅の終わりに聴いたBABYMETAL

市役所職員の「ひとつ先を読む仕事」に感動する一方、民間金融機関はそうはいかなかった。

「勤務先の住所が違います
この郵便番号で出てくる住所に対して3文字欠けています」

いやいや、郵便住所データは日本郵便のデータを元に民間のデータベース会社が作ったものですから、それと一致しているかが証憑となるとは思えないですよ。
それに自宅ならばまだしも、勤務先の住所ですよね・・


「漢字が旧字です。免許証と違います」

いやそれは、戸籍謄本と合わせるようにとあなたが言ったんですよ。


「この印鑑は無効です」

書類つくる前に言ってくださいよ・・
下書き段階で見せましたよね?


幾度も差戻しがあり、手続きは数ヶ月に及んだ。
不備だということついても、それが、法律の求めなのか、その企業の内規なのかが不明であり、不信感を募らせた。

ただ、こういう時、ユーザーは弱い。
先方に「規程」を盾にとられたら、それを覆す術がない。
文句を言っても始まらないので、言われた通りにやり直す。
「急がば回れ」
母がよく僕に言い聞かせた言葉だ。
いちいちもめているより、従った方が速い。


ただ、納得がいかなかったのは、向こうで放置している期間があることだ。
相手は企業のプロだから、粛々と手続きを進めてくれていると信頼して待っている。
しかし、一向に処理が終わったという連絡がない。

どうなっているんだろう?
念のために電話をいれると、そこで初めて
「いや、こちらからお電話しなければと思っていました」
といって、不備・差戻しの話しが出る。
そんなことが、何度もつづく。


仕事は役所の方が速くて親切。
民間は、相手によって速さも丁寧さもまちまちなのかも知れない。


いずれにせよ、相続における戸籍の運用は「過度に厳格」ではないか。
両親が共に世を去り、相続手続きをする大半の日本人が、この壁に当たるだろう。
しかし、その声は国会に届かない。

なぜならば、両親は1組しかいない。
両親亡き後の手続きは1度きり。

ようやくコツをつかんだ時には終わっていて、それを「次」に活かす機会はない。
「次」がないものを声高に叫ぶ人は少ない。
戸籍の煩雑さを解消したところで、いったい誰がどれだけ幸せになるか、想像ができない。



期せずして旅に出ることになった
後片付けは長引いたが、その旅がようやく終わった
秋の未明、姉からの電話で始まったことは事実として認識しているが、未だにキツネにつままれた気分である。

旅の終わり掛け、ようやくウォークマンをつけて鳴らしたのはBABYMETAL。
それ以外の辛気くさい歌を聴く気にはなれなかった。

おわり

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2017年1月28日 (土)

戸籍制度に泣かされる

戸籍はその人が生まれてから現在に至るまでの記録。

戸籍は誰と誰の間に生まれたかで始まる。
結婚では家族の戸籍から「除籍」され、新たな戸籍に「入籍」する。
人は何処から来て、何処へ行くのか?
(原典:我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか)
という問いかけは、19世紀のフランス画家ゴーギャンの言葉だが、
あなたはいつ何処で、誰と誰から生まれ、いつ死んだのかを把握するのが戸籍である。

転居の届けは「住民票」の移動であり、戸籍を移す義務はない。
たとえば、佐賀県から長崎県に転居しても、戸籍は佐賀県に置いたままでよい。

「本籍地」は、戸籍に記載された地名。
その戸籍事務をおこなう市町村になる。
必ずしも「生まれた場所」「住んでいる場所」でなくてよい。
従って、好きな場所、思い入れのある場所に戸籍を置くことができる。
日本では「皇居」が人気の本籍地である。


戸籍謄本には生まれた場所が書かれている。
企業・組織の人事採用では、出生地による差別につながるとして、戸籍謄本の提出を求めるのは禁止されている。

だが、2017年1月に公表された労働組合団体「連合」の調査によると、人事採用選考の過程で戸籍謄本の提出を求めていた組織(企業や自治体)が2割近くあった。


戸籍はその人の属性を特定したい人にとって、便利な情報制度ということになる。
それが、適正に運用されている分には、国民生活にとってメリットもある。
ただ、運用が過度に厳格な場合「戸籍は面倒くさい制度だ」という感想を持つ人が多いだろう。


相続手続きで厄介なのは「出生」から「死亡による除籍」まで、個人の戸籍をすべて揃えて提出しなければ証憑とならないということである。

たとえば、故人が結婚などによって戸籍を移っていると、そのすべてが必要。
戸籍が複数に分かれる場合、たいていは異なる市町村にまたがるので、除籍された役所だけでは用が足りない。

今回の手続きでは、実際に足を運んだ「佐世保市」
それ以前に戸籍があった、2つの市町村には郵送で戸籍謄本を依頼した。

それが円滑に進んだのは、プロ意識が高い「役所」の皆さんのおかげだ。
彼らがしてくれた「ひとつ先を読む仕事」に驚かされた。


「**さんは、昭和++年まで△△市に戸籍がありましたから、その分は△△市に依頼してください」
え゛~そうなんですか・・
困った顔をする僕に対して、次の言葉がかかる。

「依頼は郵送でできます。こちらにわからないことがあったら尋ねてください」
そう言って、その△△市役所の住所、問合せ電話番号をプリントしたコピーを1枚が手渡された。

戸籍は過去に遡って3市町村にまたがっていたことがわかるのだが、つづいて依頼した△△市からは、戸籍謄本が入った返信封筒に「□□市の住所、問合せ電話番号のメモが入っていた。

レスポンスも速かった。
往復の郵送を差し引くと処理日は「0日」
恐らく届いた封筒を開封したその手で手続きをして、投函してくれたのだろう。
そう思わせるほどの「速さ」だった。

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2017年1月19日 (木)

「お役所」のイメージは、すっかり変わっていた

父が逝き、母が逝き、僕は「誰かの子ども」ではなくなった。
日本は法治国家であり、法律に基づく数多くのルールで社会は成り立っている。
人はある時は法によって守られるが、ある時は法によって、雁字搦めに縛られる。

親が居なくなった後には、様々な手続きが存在する。
その中でも、最もややこしいのは相続である。


土地家屋の相続は法務局。
相談するには事前の予約が必要だった。
僕ら姉弟は約束の時間より5分早く、窓口へ行く。
すると、職員は既に待ち構えていた。

職員は僕らから最低限の要件を聞き出すと、必要な書類はこれとこれですと早口でまくし立てた。
「説明は以上です。お引き取りを」
と顔に書いてある。
もう少しいろいろと聞きたかったが、とても居づらくて、その場を辞した。

日頃は、聞いてもいないのに余計なことをたくさん話され、煩わされることが多い。ある意味、それはとても新鮮な経験だった。

アマチュアはものごを複雑にする
プロこそがものごとをシンプルにできる

その職員こそがプロなのだ。
あまりに愛想がないと言うだけで。

今回の様々な手続きでは、市役所、社会保険事務所、法務局といくつかの公的機関にお世話になったが、この唯一の例外を除いては、皆、とても親身であった。


それは、ちょっとした驚きでもあった。
「お役所」という言葉は、公務員がルールや前例にのみ頼り、融通が利かないことを揶揄する言葉として、日本中に定着している。
お役所と言えば、12時から13時の間は、完全にサービスが止まり、態度は横柄。住民の苦悩には耳も貸さず、血の通わない人たち。
ざっとこういうイメージがあったのではないか。


だが、それはもう過去のことになったようだ。
少なくとも今回、接した佐世保市職員の皆さんの印象は、違っていた。
メールで質問をしてから訪問すると、待ち構えていて応対してくれた。


住民課に着いた途端、職員から用件を聞かれて、書類を書き始めた。
2日続けて行くと
「あら、昨日も来とらしたですよね」
と声をかけてくれた。
実際には、5日続けて行くことになるのだが・・


窓口で要件を言って、係員がしらべるのを待っている間。
手持ちぶさたに窓の外を眺めていると、新卒らしき初々しい女の子がやってきて「ご用件、お聞きしていますか?」と尋ねてくれた。
えぇ、大丈夫ですよ
と即答したのだが、こんなに親切にされることは日頃ないので、涙腺がもろくなった(笑)


そして、こうした手続きを複雑にする「あの制度」について、困った問題がもちあがった時にこそ、彼らのそうしたプロ意識は最大限に発揮されるのだった。

その制度とは「戸籍制度」である。

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