2018年12月13日 (木)

参考になりましたは禁句だと思う

参考になりましたは禁句だと思う
もしも、言ってもいいとしたら、それは目上の人から目下の人。教える側から教えを乞う側という場合だ。



あなたは営業マンで、パワーポイントの資料をパソコンに入れて、売り込み先の企業にプレゼンにやってきた。
最も嫌われる「我が社の沿革」から入ったりせず、相手が知りたいこと、期待していることを、相手の立場で考え、起承転結でまとめてきた。
プレゼンは終始和やかなムードで進み、渾身一滴の決め台詞で締めた。

決まった

そう思った時、相手のお偉いさんがすっくと立って一言言った。

「いいねぇ。参考にさせていただきますよ」



あなたは社内の経営会議で、事例発表を命じられた。
過去一年間取り組んできた業務改善が、徐々に実を結んで来ており、それが経営陣の目に留まったのだ。
エライ人が嫌う、不必要なアニメーションは使わず「社内プレゼンの本」で研究した、シンプルな構成でまとめた。
発表中、経営陣は誰もが熱心で、珍しく居眠りしている人も、持ち込んだパソコンで内職している人も、スマホでメールしている人もいない。

一年間頑張ってきてよかった
充実のフィナーレで終わろうとした時、社長が書類に目を落としながら言った。

「ご苦労さん。参考にするよ」



あなたは部下から業務手順についてアドバイスを求められ、時間をとって説明することにした。
いつも使っている手順書に、ヒントやポイント、参考資料を盛り込んだスライドショーをまとめた。
部下は一つ一つの言葉に頷き、時折「スゴイですねぇ」「さすがだなぁ」という合いの手を入れてくる。
最後に激励の言葉で締めた。

部下は感激してうるんだ瞳でこう言った。

「参考にします」

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2018年12月12日 (水)

参考という言葉の響き

参考という言葉と出会ったのは、中学の時に買った参考書だった。
子供の頃から学習塾には一度も通ったことがなく、勉強というのは教科書と辞書とノートでするものだと思っていた。
といってもそれは中間試験と期末試験の前日のみ
年6回、日数にして15日程度行われる試験前日、いわゆる「一夜漬け」の15日だけのことだが。


高校受験が近くなった時、そろそろ日頃から勉強する必要に迫られて、いわゆる教材を買うことになった。
かと言って、僕が住んでいた上五島には教材の訪問販売員は回ってこなかったので、書店で売っているものから選ぶ。
そこには教科書ガイドがあったが、それはおいといて「参考書」と「問題集」があった。

春先になると書店業界は「学参シーズン」を迎える。時期でいうと2月頃から始まり、3月には本格的になり、4月の第1週末をピークに、4月いっぱいまで続く。
学参シーズンに売れるのは参考書、問題集だけではない。教科書ガイドもあるし、学校が指定または推薦する「英和」「和英」「国語」「古語」といった辞典もある。

僕がよく行く書店も、この時期はいつもよりも売り場を広げ、各版元が知恵を絞った最新版の「学参」が並んだ。



「参考書」は教科書の内容に図版や、試験に出るポイントという視点による角度を変えた説明などが載っている。教科書を理解する「参考」になる書ということだ。
「問題集」というやつは、ひたすら「おいこら、解いてみろ」と言うだけで、愛想が悪い。僕は一度開いただけで嫌いになった。

大抵の子どもたちはそうして「参考」という言葉を、自らのものにしていったのだと思う。
「参考」になるものはよきものであり「参考」にすることは悪いことではない。
「参考」は決してネガティブな意味合いを含まないし、響きも悪くない。
それが大抵の人が築き上げたこの言葉への印象と言えるだろう。

つづき

→参考になりましたは禁句だと思う

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2018年9月29日 (土)

生まれて初めて見るシンメトリーな自分の顔

クレオパトラの顔は完全なシンメトリーだったらしい
親戚のおじさんが言っていたのならば、ちょっとは信憑性もあるが、知らない人が書いた本で読んだので、本当かどうかはわからない

要はシンメトリー「左右対称」な顔は美しいということのようだ
確かに新聞記事に載った「書類送検された元アイドル」の顔は見事にシンメトリーだ


その日、僕は電子手続きのために写真を必要としていた
ひと昔前ならば、近所のセルフ証明写真の販売機までクルマを走らせる必要があったが、今はデジタルカメラで撮り、パソコンに転送して、トリミング、ダウンサイジングを行うことで、先方が指定するピクセル、ファイルサイズの写真を自作できる

スマホで撮ると平坦な顔がさらにべったりしてしまうので、一眼レフのレリーズモードをリモコンにして自撮り
ケーブルをつないでパソコンに転送する
画像編集ソフトを立ちあげて、今撮ったばかりの十数枚の写真を見比べる
そこで、僕は愕然とする

顔が歪んでいる

それも左と左で歪みが違う
こんな顔だったかな
急いで洗面所に行って映してみる
あれ?歪んでないぞ
左右もそれほど違わない
よくよく、注意してみれば確かに違うけれど、ぼんやり見ている分にはわからない

気を取り直してもう一度、一眼レフで撮り直す
しかし、できあがった(現像してないけど)写真はさっきと同じ
左右が異なり、歪みも違っている

以前、新聞の取材を受けた時、カメラマンが左、正面、右とテストしたあとで「左からがいいですね」と言って、インタビューを受けている間、左ばかり撮り続けていた。
人の顔は左と右は違うものなのだと、その時知った。

歪んだ写真をしばらく見ていて、僕はある実験を思い立ち、早速とりかかる

まず顔の中心線から左だけをトリミングする
そしてその「左」を180度反転させて、本来「右」の顔がある位置に置く
継ぎ目がわからないよう微調整してできあがり
生まれて初めて見る「シンメトリーな自分」だ

ほぅ、こうなるのかぁ

だからと言って、元が元なので、いきなり福山雅治になったりはしない
ただ、本物の僕、一眼レフが撮った本当の僕と比べると、鏡の中にいる僕がみた僕、僕が作り出した僕によく似ている

あまりに合成がうまく行ったが、もちろん、それを手続きに使ったりはしない
だって、ほくろの位置、シミの数、髪の毛一本一本まですべて左右対称じゃ、バレバレである

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2018年8月15日 (水)

モデル図を統一すれば

企業論文が大詰めを迎えていたある日
会社に残って論文に取り組んでいた時、携帯電話が鳴った。
割と遅い時間だったが、それは家族や親戚ではなく衆議院の職員だった。

それが本題ではないので割愛するが、結論として僕にはその瞬間から「衆議院の委員会に参考人招致される」という使命が加わった。

企業論文に加えて国会対策
できれば、違う時期に分けて欲しい
だが、方や〆切が、方や開催日が決まっていて動かせない。
両方ともギブアップもお断りもせずに完遂するには、さらに時間を削って「W準備」をするしかない。


帰宅して、国会資料を作り始める。
一から設計していては間に合わないのは一目瞭然
当時、インターネットは存在していたものの、現在のように様々な文献が見つかりはしなかった。
参考資料1つ探すにも、図書館に行く必要があり、それは週末の休みに限られる。

そんな時、脳裏に浮かんだのが「MIND-SA」のテキストにあった「費用対効果図」だ。
費用対効果を図示することは、営業や企画のサラリーマンならば、一度はやったことがあると思うが、その大半は「この図はどうやって見ればいいのか?」というお粗末なものだ。
僕もそれまで、自分は唸っても他人を唸らせるような「費用対効果図」が描けたことはない。

ところが「MIND-SA」に収録されたその図に僕は唸った。
「プラス」と「マイナス」の費用と効果を1つに納めた、その図はどんな素人がつくるものよりわかりやすかった。


この(委員会招致された)テーマに参加するすべての人に「費用対効果」を表す時は、これをモデル図として使うことを義務づける!

十人の人が「十人十色」のプロットを立てるから「議論」はわかりづらい。
わかりづらい話しに「傾聴」している時間は、本来なくてもよいものだ。
モデル図を統一すれば、参加者は「共通理解」にかかる時間をカットできる。

それが僕が風呂に入っていて思いついた提案だった。

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2018年7月12日 (木)

神対応とつっけんどん

このシャツ、襟のところがくたびれているんだけど、買い換えていいかなぁ?

「誰が見るのよ」

中年サラリーマンの豊田さんと奥さんとの会話です。
自分に見えているから、気分が引き締まらない
などと豊田さんは食い下がるのですが、相手にされません。

こういう時、豊田さんは、ただ無言で引き下がるか、虫の居所が悪ければ「なんだ、その態度は!」などと、ものごとをややこしくする一言を言ってしまい、後悔することになります。

無言で引き下がった時、彼は思います。
なんだ、あの・・
冷たい?
いや違うな
暴虐的?
ちょっと行き過ぎか^^;)
そうだ、つっけんどんだ

でも、それを最近、言葉にしたことはないなと気づきます。
死語なのか?
試しにパソコンで打って見る
「突っ慳貪」
へぇ、こんなふうに書くのか

広辞苑 第七版 にも載っていました。

つっ‐けんどん【突慳貪】
とげとげしく不親切に物を言ったり、したりするさま。「―な応対」

確かに今も存在する現役の言葉でした。



南原君は職場では「言葉遣いが悪い」と評判の若者です。
自分のことを「オレ」と呼びます。
日本の「社会」では、就活の学生ですら、自分のことを「僕」ではなく「私」と呼称するよう指導されます。
だから、こいつはいったいどういう教育を受けて来たのだ?と周囲の人は呆れているのです。

年長者が若者に向かって「オレだったらこうするね」などと言うのは許容されるとしても、若輩者の南原君が先輩たちに向かって「オレはこう思うんですよね」などと言っている光景は異様です。

はじめのうちは「なにが起こっているのだろう?」という「違和感」から始まり、それはすぐに「どん引き」に変わりました。

昨今、日本の社会では、そういう人の陰口を言い合うような風潮が影を潜めており、素知らぬ顔でスルーしてあげる「神対応」風な風潮にシフトしています。

誰も注意しないし、誰も気に留めていない。
一見、それはノープロブレムのようですが、人の深層心理はそうではありません。


やがて、彼に対する周囲の態度が1人、また1人と変わっていきました。
南原君が話しかけても、目を合わそうとせず、必要最小限の受け答えで済ませようと努める。
彼が言っていることに問題があっても、それを指摘すると面倒になるので「はい、はい」と流していく。

そう「突っ慳貪」の登場です。
「突っ慳貪」な態度をとる人が「ひどい」人なのではない。
とられる側に深い病巣があるということを周囲は実例をもって知るのでした。

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2018年7月 6日 (金)

世界が滅亡してからも遅くないかも知れないね。

僕より3つ年上の豊田さんは仲間内では新しモノ好きで知られている。
Kindleを最初に買ったのも豊田さんだし、AIスピーカーを買ったのもそうだった。
変わったところでは、ダニが死滅する?という触れ込みの通販商品も買ったらしい。

仲間は何か新しいモノの購入を検討し始めると、豊田さんに意見を求める。


「豊田さん、Amazon Echoがセールをやってるんですけど、どうですか?」
新人のマリちゃんが尋ねる。

「それはスマホを質に入れてでも買ったほうがいいよ」
と豊田さん

「いやだ、豊田さん」

どうも、マリちゃんが誤解しているようなので
「"しち"に入れるって意味、わかってる?」
とフォロウすると、やはり20代には伝わっていなかった。


豊田さんが若い人たちからも頼られるのは、彼の歯切れがいいからだ。
質問に対して答えが速い、短い、的確。
ふつーの年寄りは(というか世の中の大半の人は)質問に対しての答えがとろい。
言葉数がやたらと多いし、同じことを少しずつ言葉を換えて何度も繰り返す人もいる。
質問とはまったく違うことこを答える人もいる。
「わからない」ならば「ごめん、わからない」と言えばいいのに、わからない言い訳を延々と述べる人も少なくない。


豊田さんは瞬時に答える。
そして言葉はワンフレーズ

彼の「質に入れてでも」が出ればそれは「即ゲット」を意味する。
彼が「世界が滅亡してからでも、遅くないかも知れないね」と言えばくそのような一品と言うことになる。


そんな豊田さん、最近の自慢はようやく乗り換えたスマホ。
電話しか使わないから、これでいい。いや、これがいい。
と頑なにガラケー派を貫いていたのだが、同年代の仲間から「代えなきゃえんがちょ」と説得されたらしい。


「moto君、最近ラインを始めてねぇ」

語尾が下がっていたがそれはスルー^^;)
ライン(古館読みで)をやっていない僕は「相手がいていいなぁ」と感心する。
ラインが世に出てしばらくした頃、一度はラインをやってみたくて、同じく「ラインに乗り遅れた」知人を見つけ、2人で始めたことがあった。
結果的に僕らのラインは2往復で終わった。
日頃から話していない人同士にラインは必要ないということがわかったからだ。


せっかくのご自慢にお付き合いして、ラインの画面を見せてもらう。
相手からのメッセージが画面の左側から吹き出し表示されて、豊田さんのメッセージが右側から吹き出す。
それが時系列で上から下へ向かっている。


ラインをやっていない僕には、羨ましくもないし、便利そうでもない。
それでもご満悦の豊田さんに寄り添い「いいですねぇ」と合理的社交辞令は飛ばしておいた。

でも、それはSMSですよとは言わなかった。

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2018年5月31日 (木)

考えている夢を見た

考えている夢を見た
夢の中でだ
考えてみると、これは生まれて初めてなのではないか?

想像してみてください
あなたにはあるだろうか?
夢の中で考えている夢をみたことが


恐らく、僕は夢の中にいた
それが夢の中だったと言うことに
数時間が経ってから気づいた

なぜならば、僕はずっと考えていたからだ
あぁでもない、こうでもないと考えているから「僕は起きているのだろう」と思っていた。
だが、どうやら違う
僕には起きていたという確証がない
その夢とは、こんな内容だ


僕は、あるお金持ちの家を訪問している
その日からその家の2人兄弟の家庭教師を務める
男の子は2人とも小学生
お兄ちゃんは、きっと私立中のお受験でもするのだろう
下の子はまだ小さい。メインはお兄ちゃんのようだ。

お母さんが品のいい調度品が整った客間にケーキと飲み物を運んでくる。
人心を混乱させるような派手さはなく、金持ちのおごりなど微塵も無く、とても感じのいい人だ。
子どもたちはケーキが来たからと言って、取り乱すこともない。

その日は子どもとの挨拶を終えてお暇するはずだったが、そこへ父親が帰宅した。
話しはここから、複雑になる。


「あぁ君がそうか」
父親は腰を下ろすや否や、僕を値踏みするような質問をいくつか投げかけてきた。
それは「禅問答」に近いもので、友好的な人間関係を築こうと思う者ならば口にしないような、挑発的な内容だ。
「いったい、君はどれほどの人物なんだ?」
ということを確認したいらしい。


はじめのうち冷静に応えていた僕は、しばらくして、ふとあることに気がついた。
自分が「自分を評価してもらおう」と最大限に脳を回転させて「気に入ってもらおう」としていることに。

「結果を出してもらわないといけなんだけど、ホントに大丈夫なの?」
父親の言葉が僕のトリガーに手をかけ、思い切り引いた。


僕はこの傍若無人な輩の言葉に耐えなければならないのか?
ここに来る役割を与えられているということは、僕もそれなりの属性(わかりやすく言えば「いい大学」)により選ばれているのだろう。
僕は口火を切る。


このお話はなかったことにしましょう。
結果を出せと言われましても、さぁこれから関係を築いていこうかという時に、結果は出せません。それは後々のことです。
それよりも、今は「私がお子さんのために全力を尽くそう」という動機付けを持って、お任せいただいた仕事に当たれるか?否か。
その出発点に立っているのですから、互いの共感を醸成するための会話こそが、この場に相応しいのではないでしょうか


とここまで考えて、僕はその内容の添削を始める。
いや、ここで感情的になるのはどうか。
冷静で謙虚な言葉を選ぼう
そうして、あといくつかの回答パターンを検討する

あるいは、この場をやり過ごしてから、お断りの電話を入れればよいのではないか。

「急な論文の課題が出て、お役に立てなくなりました。中途半端な気持ちではご期待に添えそうにありませんから、ご辞退申しあげます」
理由はこんなところでいいだろう・・

いや、ここは思うところを伝えることが、互いのためではないか。それが、今の僕に与えられた修行なのではないか。


こんなふうに、考えに考え抜く途中で、このストーリーは終わっていた。すぐに目が覚めたわけではなく、ただそこで終わった。
だから、きっと明け方、眠りが浅くなった時間帯にみていた夢なのだろう。

夢でも修行するなんて、ご苦労様です。

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2018年4月20日 (金)

しらべる18周年

2018年4月20日
しらべるは、おかげさまで18周年を迎えました。
いつも見てくださっている方、ありがとうございます。
何処のどなたかは存じませんが、心より感謝しています。


しらべるは2000年4月の開設から毎日更新を続けているので、6594日連続更新です。
ここでいう「更新」とは既存記事の更新ではなく、新規記事の追加のことです。
既存記事の更新もしていますが、1日1つ以上、記事を追加することをもって「連続更新」と謳っています。


今お読みいただいているこのブログ「しらべるが行く」は「しらべる」から遅れること2000日で始めたので、今日で4594日連続更新。
これは連続更新というよりは「連載」といったほうがいいかも知れません。


恐らく毎日ウェブページを更新するとか、ブログを書くという奇特な人はあまりいないと思います。
私がしらべる限り、6594日連続更新というサイトは他にありませんので、これは日本記録、いや世界記録といっていいのかなと思っています。

では世界記録ならばギネスに認定されているのか?ということになるかと思いますが、認定はされていません。
「ギネス認定」を受けるには申請して、審査を受けなければならない。
その申請をしていないからです。


申請くらいすればいいじゃないか?と思うかも知れませんが、それには手続きが大変そうなのです。
かなり手間暇がかかります。
現在は日々「ホームページ」と「ブログ」の記事を書くことで精一杯なので、そこまでは手が回りません。
数年後、時間ができた時にはよくしらべてチャレンジしたいと思っています。


2016年9月に「しらべる」を置いているプロバイダー都合による「URL変更」があり、PV(ページビュー)が激減。
それから1年半、依然として検索での順位は上がってきません。
お手数をおかけしますが「お気に入り」への登録をお願いします。

これからも「しらべる」と「しらべるが行く」をよろしくお願い申しあげます。
時々思い出して、読みに来てくださいね。

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2018年4月 1日 (日)

フェイクニュース規制法施行

4月1日
フェイクニュース規制法が施行される。
これで、大手メディアが世論を操作する時代が終焉する。
日本の未来にとって、節目となる法律だ。


かつて「フェイクニュース」という言葉に、胡散臭い印象をもつ国民が多かった。
それは、多くの国民にとって「新聞に書いてあることは正しい」「テレビが言っていたから本当」という過去の常識が前提となっていたからだ。

だが時代は変わった。
今や放送免許を受けて放送しているテレビ
馴染みの深い大手新聞がフェイクニュースを流す時代


法規制の対象は明らかなねつ造=フェイクニュースに留まらない。

ネットのウェブページに表示されるニュース見だし「トリック」も対象だ。
それらの記事は「誰かがこう言っているけど、いかがなものか」という懸念の論調をとっている。
それが事実に反していれば、つまり「フェイクニュース」だと判明した途端、一切の報道をやめる。
あとは自然と忘れ去られるのを待つ。
「誤報」ではないので、責任を問われることはない。


これらの懸念を提示して「限りなく黒に近い」印象を与える手法は「トリックニュース」と定義される。
SNSでは「Trick or treat!」の決め台詞にかけて「HARO(ハロウィンの略)」と呼ばれてきた。


これまで政権を揺さぶることすらあった「フェイクニュース」「トリックニュース」を伝える側は「表現の自由」「知る権利」を盾に取ってきたが、それによって特定の人たちが権利を侵害されていることは、古くから問題視されていた。

だが、そうした声を上げることは大変な労力を要するし、その声自体がメディアに無視されてきたため、声なき声の域を出ることはなかった。


その流れを変えたのは「あの人」の発言からだった。
オセロの終盤のように、あっという間に情勢は逆転した。
誰もが暗いニュースによって、国民から笑顔が失われている時代を内心は憂えていたからだ。

それを機に「フェイク」「トリック」を連発する発信元に対する「見ない」「読まない」「買わない」「選挙で入れない」運動が広がっていった。


従って、フェイクニュース規制法は、その流れを追認したに過ぎない。
日本はまたひとつ、階段を上った。

2018年4月1日

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2018年2月14日 (水)

お先にドロンします

サトウさんは家路に就こうとして、パソコンを閉じて、カバンを持った。
まだ定刻の17:30を過ぎたばかりで、周りの席の人は皆、仕事をしていた。
好景気による人手不足で、誰もが忙しく、たまたま早く終われたと言えども、サトウさんは少し気が引けていた。

「お先にドロンします」

スズキさん(40台女性)
「おつかれさまでした(笑)」
上町くん(30台男性)
「おつかれさまです(笑)」
新人のマリちゃん
「・・・?」

3者3様の反応
だが、3分の2の確率でギャグが滑らずに済んだことで、サトウさんは救われた思いがした。
後ろの列で背を向けている派遣社員のヤマダさんも、振り向きこそしないものの、このやりとりを好印象を持って見てくれているような気がした。


幸せな気持ちでタイムカードに手を伸ばそうとしたところで、サトウさんはメガネを間違えたことに気づく。
このまま帰ろうかとも思ったが、やはり、見づらいので戻ることにした。


自分の机に戻ってきたサトウさんに声がかかる

スズキさん(40台女性)
「おはようございます(笑)」
上町くん(30台男性)
「早いですね(笑)」
新人のマリちゃん
「・・・?」

「いや、ちょっとメガネを間違えてね」
サトウさんが言い訳すると、上町君が食いついてきた。
「サトウさんって、いくつもメガネ持っているんですか?」

明らかにデザインが違うメガネを使い分けているので、周りもそれは認識していると思っていたのだが、それは違うようだ。
確かに、自分だって、となりのスズキさんが昨日と同じ服装で出社していても気づかないし、髪型を変えたってわからないだろう。
人は人にそれほど、関心を持っていないと言うことだ。


「うん、通勤の時は遠くが見えるメガネ。パソコンをする時は、近くに焦点が合うよう度数を下げたメガネ」

上町君「やっぱり、メガネは使い分けた方がいいんですかねぇ」

そこで説明する。
遠くが見えるメガネだと、すぐ近くのパソコンだと・・
ここでまた、彼のギャグの虫がうずいた
わずか0.2秒、海馬が過去の記憶から聞きおぼえのあるフレーズを呼び出す

見えすぎちゃって、困るのぉ~

スズキさん(40台女性)
爆笑
上町くん(30台男性)
失笑
新人のマリちゃん
「・・・?」

この元ネタって何だっけ?
と言いかけたが、仕事を終わった人が、勤務中の皆さんを雑談でひっぱるのは not cool

それじゃ、再びドロンします

場の空気が和むのを背中に感じながら、事務所を後にしたサトウさんは、帰りの電車で「見えすぎちゃって、困るのぉ~」を検索することにした。
(1980年~1990年代マスプロアンテナのCMだった)


インターネットがない時代ならば
「え~、これってなんだっけ?」と誰かが悩むと「最近、物忘れがひどくて」と周りが応じ、その場に誰もわかる人がいないと「あの人だったら、わかるかも」と「詳しそうな人」に電話をかけて聞いたりしていた。

今は、記憶の不備を嘆くことなく、新たなる思考に集中できる。
時代はポジティブだ。

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