2017年7月17日 (月)

ホタル少年団に入れなかった(後編)

話しがアンモナイトに逸れてしまった。
「ホタル少年団」の話しに戻そう。


別に「ホタル・ラブ」(なんか怪しい)な少年ではなかったし、蚊に刺されながら掃除なんてしたくない。
それでも、その秘密結社(ではない)に入りたかった。
非日常な世界に憧れたからだ。
それに「選ばれし勇者たち」みたいで、かっこよかった
(ヨシヒコか)


だが、僕は「ホタル少年団」に入れなかった。
「ファーストミットを買って欲しい」と言って、その熱き思いと意義を母に訴えた時のような記憶がないので、その理由は家族の反対ではないと思う。

恐らく「小学5.6年生」と「中学生」といった年齢制限があったのだろう。



「ホタル少年団」に入れなかった僕は、年に一度の「ホタル祭り」で夜の1人歩きを経験する。
町の名士や衆議院議員が挨拶した後は「誰やそれ?」と容赦なく突っ込まれそうな、テレビでは見たことのない演歌歌手が、誰もが知っている森進一の歌を歌う。
(半分、想像です^^;)


井上陽水のご両親とは違って
「これで、好きなものでも食べておいで」
と臨時のおこずかいを持たせてくれるような親ではなかったので、喧噪を見て聞いて楽しめばそれが贅沢。
少年団の連中は、その任務へと向かい、僕は1人家に帰るだけ。
ほんの少しだけ、何かやり残したような気持ちになって、再び2kmの家路についた。


事件はそこで起きる。
歩き初めて1kmが過ぎると、住戸も途絶え、田んぼに挟まれた県道の一本道。
ふと気づくと、10mほど後方に怪しい人影。

一度振り返り、チラ見すると年配のおじさんの様子
だが、怖くてガン見できない。
ひたひたと一定の距離を保ち、僕の後ろを着いてくる。

日頃、経験のない夜のひとり道
街灯もなく、滅多に車も通らず、あたりは真っ暗
世の中にまだ「誘拐」という犯罪が割に合わないと知れ渡る前の時代。
つい最近も、児童が誘拐された事件をテレビで言っていた。


僕は生涯の中でなんどか、意味不明な行動を取っている


狙われたぁ
それやから狙われたやないね~

突然、大声を上げると、泣きながら一目散に走り出した。
当時、GPSを持っていたら「1km5分台」くらいのペースだったと思う。

おじさんは着いてこなかった
後日、近所のおじさんが「突然、走り出して驚いた。怖い思いをさせたかも知れない。悪いことをした」と詫びてきたのを母から聞いた。


いったい「狙われた」ことを誰のせいにしたかったのか、未だによくわからない。
その日、泣きじゃくりながら帰宅した僕を迎えた母が、なんと言ってなだめたのか。
もう尋ねることができない。

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2017年7月16日 (日)

ホタル少年団に入れなかった(中編)

しつけが厳しい家に育った僕は(と言ってもこれが標準だと思うが)夕方の5時までには帰宅しなければならなかった。
その町には書道や珠算、絵画教室もあったが、学習塾はなかった。
従って、塾に行くために夕方から外出するような子どもは居ない。

近所の仲間と野球をやって、5時になったら家に帰る。
「僕はどうして親が決めたルールに従うのだろう」
と、疑念を感じたことはなかった。

それが、年に一度「ほたる祭り」の日に限り、夜間外出が許される。
盆地の町には似つかわしくない「越境入学」をしていた僕は、川を越えた隣り町からお祭り会場の広場までの2kmを歩いて会場に向かった。



越境で通っていた小学校には「ホタル少年団」という組織があった。
夏が近づき、ホタル・シーズン前になると、その秘密結社は結成される。
というのは嘘で、学校で公募される。

全校集会で「今年もホタル少年団を結成します。希望者は担任の先生に申し出るように」
といったふうに周知される。

その任務はというと、実はよく知らない。
(入ってないので)
ただ、仄聞によれば、ホタルの生態を観察したり、ホタルが生息する川べりを掃除していたようだ。



このホタルが現れる川は、今でもゲンジボタルが生息することで有名だ。
「町の南側を流れている」と先に書いたが、その後、川を渡った南側に「道の駅」などが整備されたため、今では町の真ん中を流れていることになる。

その川が右に90度曲がったところで、隣り町との境。
僕はその境の外、土手のそばに住んでいた。
川が曲がるということは、大雨の時には土手が切れる恐れがある。
僕が住んでいた場所は、昔はよく水につかったと聞いた。

だから、大雨が降って水面が上がると怖かった。
一度だけ、水面が土手の際まで上がった時などは、生きた心地がしなかった。


そして、その川を受け止める土手で僕はよくアンモナイトの化石を拾った。
掘るのではない。拾うのである。
川べりの土手には、よくアンモナイトが転がっていた。
一度に全部拾い尽くしたと思っていても、数日後にはまた落ちている。

誰かがアンモナイトを撒いているとは思えないし、不思議だったが、見つける度に拾って帰り、秘密基地に埋めているせんぺいの缶缶(山口ではこう言う)にため込んでいた。

大人になって、ふと気づいた時にはその缶缶は持っていなかったので、きっとアンモナイトに飽きて、どこかに捨てたのだろう。

数年後、佐世保玉屋で開かれていた化石展でその場所で出土(拾っただけだと思う)したというアンモナイトが展示されていた。

つづく

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2017年7月15日 (土)

ホタル少年団に入れなかった(前編)

年配の人は、夏がくれば思い出すのは遙かな尾瀬らしいが
僕は夏がくれば「ホタル少年団」に入れなかったことを思い出す。

現在「ホタル少年団」をGoogle先生に尋ねると、茨城県の小学校を教えてくれるが、そこではないっぺ。
(奥茨城村弁)


こどもの頃、住んでいた山口県の盆地の町はホタルで有名だった
ホタルしか有名ではなかった
平成の大合併で「町」が消滅した今もそれは変わらない。

今も年に一度「るるぶ山口」で確認するのだが、その町について掲載されている情報は「道の駅」とホタル博物館(そんな名前だったと思う)だ。

昔から田んぼはたくさんあったが、当時は「農産物のブランド化」という概念はなかった。
養蚕とか織物とか、あるいは木工品といった特色のある産業もない。
社会科見学で訪れたのは「北九州工業地帯」だった。
「若戸大橋」に上れて嬉しかった記憶しかない。
(なぜか、吊り橋が大好きだった)


今でこそ「るるぶ」に載るような観光施設があるが、昔はそれもなかった。
「たった2つ」という言い方もできるが、2つも載っているという見方もある。
「るるぶ」に載っているのは、旅で行きたい「観光スポット」
そのスポットが一つもなくて「るるぶ」に何も情報が載っていない町や村は、日本じゅうにたくさんあるのだ。



その町の南側を流れる川には夏になるとホタルが現れた。
と言っても「よい子は5時を過ぎては遊んではいけません」という町なので(世の中もそうだったと思う)ホタルを目撃する機会はほとんどなかった。

それが年に一度、ホタルを目撃できる日が訪れる。
「ほたる祭り」だ。


町の中心にあるスーパーマーケットのとなりに広場があり(日頃は空き地だったと思う)そこに特設ステージをつくって、祭りは行われる。
広場には「ヨーヨー釣り」や「金魚すくい」といった夜店も並ぶ。

特に花火が上がるわけではない
(たぶん町にはそんな予算がなかったのだと思う)
司会者が町の名士を紹介して、挨拶する。
つづいて「衆議院議員」だという来賓の先生が挨拶する。


総選挙のポスターで見て、その顔は知っていたので「有名人を見た」ことが嬉しかった。
なにせ、その町で有名人など見たことがない。
芸能人が押しかけ、ポラロイド写真にサインするような超能力者が経営する四次元パーラーはないし、ここでしか食べられないような★★★(星みっつ)のグルメ店もない(たぶん)

僕はこの町に10年ほど住んでいたが、ここで見た有名人はこの議員だけだ。
(名前は克明に覚えているが割愛)

つづく

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2017年6月27日 (火)

「思い」という言葉のブームが定着した経緯

2009年12月27日
自民党 谷垣禎一総裁
国民新党の亀井静香が天皇陛下に向かって「権力の象徴であった江戸城にお住まいになるのはお立場上ふさわしくない。京都か広島にお住まいになってはどうか」と提言したのを受けて、テレビ番組で発言。

「陛下はちょっと行ってくる、とおっしゃって東京に行ったままになっているが、京都にお帰りになっていただきたいという思いはある」

これは、かつて天皇陛下は「僥倖」として江戸に発たれたのであり、正式な遷都ではないという論に立脚した「思い」である。
現実に「東京は日本の首都ではない」誰もが東京が首都だと思っているが、それは「事実上の首都」である。

いずれにせよ「思い」という言葉をオブラート役に、ずいぶん「重い」ことを話すものだ。



2010年3月9日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍普天間基地移設問題について

「命のかかわる話であればあるほど、当然、政府として首相として意思決定には覚悟をもって臨むべきだ。それが進退だとかどうだとかいう野党の思いに必ずしも乗る必要はない」

ついに他人の考えまで勝手に「思い」化してしまっている。
「思い」ブームは過ぎ「思い」が国民の言葉として定着したのである。


2010年5月4日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍基地について

「すべてを県外にということは、なかなか現実問題として難しいということに直面をしております。ぜひ、沖縄の皆様方にも、またご負担をお願いをしなければならないなと、その思いで、今日もまいった次第でもございます」

ここでは前言撤回の自己弁護として「思い」が使われているが、元々持っていた思いとは真逆の「思い」になっている。このようにものごとを曖昧にしたい時の常套句になったことがわかる。


僕はいつか「思い」という言葉への揺り戻しが起こると考えていた。
自分がそうであるように、この言葉への違和感がやがて、社会全体に広がると思っていたのだ。
しかし、現実は違っていた。


2011年3月
東日本大震災が起きた
人々はあまりにも残酷な現実に対して、婉曲に優しく考えを伝える必要に迫られた。

「思い」はその中核を成す言葉として必要になった。
もう誰も「思い」という言葉の危うさを論うことはできなくなった。

そして現在に至る。
だが、違和感は続いている。
本当の真実の前には、それに最もふさわしい言葉があるはずだ。

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2017年6月26日 (月)

僕がもの言う時、書く時に使いたくない言葉

2009年、民主党の鳩山由紀夫が総理大臣になった。
直近に小沢一郎が党首をおろされていて、たまたま党首になったところに政権が取れたものだから、期せずして行政の最高責任者となった。

彼の口癖が「思い」
このような便利な言葉は伝染力が強い。
メディア露出度が高い総理大臣が使ったものだから、加速度的に日本に蔓延した。


立派なことを言いながら、それを「個人的意見」だと予防線を張り、立場としての責任を曖昧にする時に使う狡猾なことば。
それが「思い」

行動がまちがっている人が、言動で自己を正当化する時に多用する。


「思い」を口にする人の特徴は次の3つ。
■自己顕示欲が強い
■責任感が乏しい
■言葉が軽い


「思い」は2009年から無責任な人たちの間で急速に広まった。
以下はその記録だ。


2009年10月14日
鳩山首相
過去最高44兆円の国債発行に当たり

「赤字国債は本来なら発行すべきではないが、税収の落ち込み具合を勘案する必要がある。赤字国債は発行したくないという基本的な思いはある」

自分は「思い」を思っているぞ、まともな感覚の持ち主だぞ。と自己防衛しているのだが、その後の体たらくをみれば「思い」を口にする人の危うさが際立つ。



2010年1月23日
東京都江戸川区で7歳の男児が親から暴行を受けて死亡した事件を受けて

男児が通う学校長
「もっと注意深くしていればという思いがある」

文科相
「教育現場に、感度が低いという思いがある」

この2人は自己防衛していない。
だがその責任を曖昧にする(言葉の強さを和らげる)ために「思い」を使っている。

「もっと注意深くしていればと思う」
「感度が低いと思う」
と言えばよいことだ。

「牛丼並盛りです」を「牛丼並盛りになります」と言うように「思い」を婉曲表現として使っている。

「思い」を口にする人は、自分の言葉を持たない。
「思い」ブームが始まり、こんなシリアスな場面ですら「思い」で自己防衛してしまうことに慄然とした。

つづく

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2017年5月14日 (日)

母が居なくなって初めての母の日に母を想う

5月14日(日)は「母の日」
普段は照れくさくて伝えられていない気持ちを伝えてみては?

衣料品メーカーから届いたメルマガにあった「母の日」というキーワードに脳が反応した

この実世界に「母」という存在がいなくなってから迎える初めての「母の日」
直接言葉や品物でなにかを伝える相手はもう居ない。


試しに自分のメールソフトを「母の日」で検索してみた
出てきたのは数年前、親戚と交わした「母の日」にまつまるやりとり。
そして、今年届いた「母の日」ギフトを訴求するメルマガが3通

過去に届いた「母の日」メルマガが大量にヒットすると想定していたのだが、1通もなし。
恐らく「母の日」という件名を見た途端、中も見ず削除したのだと思う。
別にメルマガを削除したのが悪いとは思わないが、それくらいに「母の日」というキーワードに反応する気持ちがなかったことはわかる。



さだまさしが以前「生さだ」で「親孝行したい時には親はなしと言うけれど、親孝行は生きている時にするのではなく、親が元気な時にするものだ」と語っていた。

会話ができない状態になってから、語りかけても、あまり多くは伝わらない。
寝たきりになってからでは、美味しいものを食べたり、散歩に連れ出すことさえままならない。
いつか一度、僕がマラソンを走る姿を見せたかった。
だから「佐世保ハウステンボスマラソン」を企画して、実現に向けて動いたのだが、それは夢となった。



「親孝行したい時には親はなし」
誰に言われたかは忘れた、いつのまにか心に刻まれた言葉
恐らく、この言葉が言われ始めた時代は、脇目も振らずに一生懸命働いて、ある程度の年齢になり、心にゆとりが持てるようになった時、親はもう他界していた。という慚愧の念を言ったのだと思う。

現代の「親孝行事情」は少し違っているだろう

自分がどうだったのかは、よくわからない。
なにせ親元を離れてから数十年が経っている
反省をしようと思えば、いくらでもできる
だが、カンタンに反省で総括できるほど単純じゃない
そんなことをしたら、過去の僕が怒るだろう

今さら反省しても、もう母はいない
だから「意味がない」のかというと、それは違う

母はもう居ない
実世界には。
でも、僕は生きて母を想う

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2017年4月20日 (木)

しらべる17周年

2017年4月20日
しらべるは、おかげさまで17周年を迎えました。
いつも見てくださっている方、ありがとうございます。
お名前も存じあげませんが、心より感謝しています。


しらべるは2000年4月の開設から毎日更新を続けているので、6229日連続更新です。ここでいう「更新」とは既存記事の更新ではなく、新規記事の追加のことを言っています。
もちろん、既存記事の更新もしていますが、必ず1日1つ以上、新規記事を追加することをもって「連続更新」と謳っています。



しらべるにとって、この1年は未曾有の事態が訪れました。
それは「しらべる」を置いているニフティホームページサービスが終了したのです。
2016年1月の段階で「9月終了」が周知され、実際には2ヶ月延長されて11月に終了となりました。

しらべるでは当初予定ギリギリの9月に新URLへの移行作業をおこないました。


そこで、想定外の事態が起きました。
2016年1月の周知時点でニフティ側からは「新URLへのリダイレクト設定」を行うことがアナウンスされていました。
それならば、アドレスが変わっても、ユーザーが離れることはありません。

検索エンジンからは「全くのおニューサイト」と見なされるので、検索順位が大幅に下がることはどうしようもありませんが、とりあえず、既存ユーザーに迷惑がかからないことだけは「不幸中の幸い」

念のため、その時点で「しらべるは数千ページあるのだが、本当にリダイレクトは大丈夫でしょうか」と問い合わせたところ、ニフティ側から「ご安心ください」というご回答がありました。


そこで、ご安心した僕がバカでした


実際、蓋をあけてみると「リダイレクト」は「トップページへのリダイレクト」だったのです。
たとえばこういうことです。

ユーザーが検索ページ経由でしらべるの「仮面ライダー年表」を選んでくださったとします。
しかし、そこには「URLが変わりました」の案内
そして、数秒待ってリダイレクトされる先は「仮面ライダー年表」のページではなく「しらべるのトップページ」なのです。

僕がユーザーだったら
「え~ここから探せって言うの?」
「なめてるの?」と思います。
当然、すぐに検索エンジンに直帰して、他のサイトへ行くことでしょう。



従って、9月以降、しらべるのPVは激減しました。
人気の度合いを測る目安に「しらべる」というキーワードで当サイト「しらべる」が何番めに表示されるかというのがあります。
去年9月以前はずっと1番めでした。
一時期4番めまで戻していたのですが、数日前ぱったりと出てこなくなりました。

16年かけて積み上げた検索エンジンに対しての「実績」はリセットされてしまいましたが、コンテンツはなに一つ変わっていません。
検索結果が同じところへ戻るのは16年後かも知れませんが、ライフワークとして続けて行きます。


これからも「しらべる」と「しらべるが行く」をよろしくお願い申しあげます。
時々思い出して、読みに来てくださいね。

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2017年4月15日 (土)

デブ・ちび・ハゲが好きな男はいない

数年に一度
監査の役割が回ってくる。

監査員が2人一組となり、他の組織を訪問して監査する。
監査員はたくさんいるので、相棒が誰になるかは発表を見てのお楽しみだ。

発表されると、まず2人でミーティングする。
互いは初対面のことが多いので、まずは自己紹介し合い、コミュニケーションをとるわけだ。

そこで、役割分担を決める。
役割は「リーダー」と「サブリーダー」
監査実務の大半はリーダーがおこなう。

まず先方組織の担当者に電話を入れて挨拶。
メールにて日程を複数候補出すから、そちらで日時を選んだうえ、監査を行う場所の確保をして欲しいということを伝える。

それから、監査シナリオを作る。
先方組織の資料を取り寄せて分析
当日、どのようなことを質問するかを決めていく。


シナリオができたら、相棒と二度めの打合せ
シナリオを読み合わせて、抜け漏れがないか、他にアイデアはないかといった意見を聞く。


そして、監査当日
進行はリーダーが行う
サブリーダーは議事録を取る。
議事録は正式書類ではないので、カタチだけだ。


監査終了後も報告書作成や指導内容のツメはリーダーの仕事。
従って、サブリーダーにほとんど、見せ場はない。



さて、迎えた監査員シフト発表の日
事務局から知らせのメールが届く
リストは添付ファイルになっている

相棒が気のいい人だったら、しばし、楽しい時が過ごせる。
相棒がすてきな女性だったら、さらに言うことはない。

ファイルを開いたら・・

ウチダ イチロウ

おいおい、なんでそうなるんだよ
思わず声が出た。
過去にウチダという男と接点はないが、人づてに
「デブ・ちび・ハゲの三拍子が揃い、近寄ると加齢臭がきつい。おまけにピント外れで要領を得ない。責任を背負うようなことがないよう、いつも他人の発言に神経をとがらせている食わせ物」と聞いたことがある。

「○○専」とか言って、デブ・ちび・ハゲが好きな女性は希にいるらしいが、デブ・ちび・ハゲが好きな男というのは聞いたことがない。



しかし、立ち止まっては居られない。
嫌なことは先送りしたくない性分だ。
すぐ、電話して役割分担を打診する

リーダーとサブリーダー、どっちをやりますか?
僕はどちらでもいいですよ。

「いやぁ経験が浅くて勝手がわからないからなぁ」

自ら楽な方を選んだと言われたくないのか、煮え切らない。
噂通りだ・・
それに確か僕より年下のはずだが、いきなりのため口
むっとするのをこらえて

じゃ僕がリーダーやります。日程の候補は・・

いつもは、相棒の監査員と行う2度の打合せ
今回は0回でとっとと終えようと思っている。

あ、すみません
不愉快な人を思い出させて・・・

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2017年4月 8日 (土)

いじめ対象の三拍子「よそ者」「お調子者」「小心者」

母の愛は絶対だった。

いつも僕を無条件で支持してくれた。

今こうして毎朝、その写真に向かい、手を合わせる時。
祈りを終えて、目を開けると父と母の目を見る。

今日も一日、見守っていて
そう呼びかける

それは、昔まだ僕がとても小さかった頃、時期にして2年ほどの習慣だ。
当時、生まれて初めての転校を経験し、五島列島にある1学年2クラスの小学校に通っていた。

僕の通うクラスには「ター坊」と呼ばれるリーダーがいた。
幼少の頃から大好きだったフォーリーブスの「ター坊」こと、青山孝はとてもクールで優しい好青年だったが、こちらのター坊は違った。

その荒々しい気性で、細かい暴力を繰り返し、完全にクラスを掌握していた。
そして、彼の扇動により、その週のターゲットが決まり、クラス男子ほぼ全員参加の「村八分」が行われることがルーチンになっている。

「よそ者」「お調子者」「小心者」
いじめ対象三拍子が揃っている僕は、ヘビーローテーションの代表となり、俎上に上がっていた。
まだ、BABYMETALは生まれていなくて「イジメ、ダメ、ゼッタイ」と歌ってくれなかった。
そもそも、また「イジメ」という言葉をテレビや新聞で見聞きすることもない頃。

村八分ウィークに入ると、僕は毎朝、玄関を出る時に母の目を見た。
いつもならば「行ってきます」と言ったきり、飛び出していくのだが、その時は、玄関から母の姿が見通せないと、母が出てくるまで三和土(たたき)で待った。

母はいつも、その空気を察して、家事の手を止めて顔を出し、僕の目をじっと見た。
「どうしたの、何かあったの」とか「学校に行きたくないの?」などとは、一言も言わない。
時間にして、ほんの1~2秒のことだが、僕はその目力に願を掛けるようにして、一歩目を踏み出した。

今も母は僕の目を見る。
なにも言わない。
それでいいのだ。見守ってくれていると思えるだけでいい。

あの時、話しかけられて、慰めの言葉をもらっていたら、僕はもっと弱い人間に育っていただろう。

あの日も、今も、強い目力で見つめる母の愛は変わっていない。

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2017年4月 1日 (土)

人は利害の絡むことに口をつぐみ、絡まないことに懸念を表明する

その日は朝から調子の狂う一日だった。

朝には寄り合いが入っていた。
ただでさえ好きではない「会議」が、一日のはじまりに入っているとは、なんと不幸なことか。
不幸中の幸いは、自称いい大学を出たキーマンが熱弁を振るうのを黙って聞いていればよいということだ。
ときどき「うんうん」と頷いてやれば、彼はいい気分になってさらに独演してくれる。

話が佳境に入るころ彼は言った。
「このままでは、ルールのきじゃくせいを突かれないとは限りません」

もちろん誰も目を白黒させたりはしない。
「しかし、ルールの変更はもろはのやいばでもあります」

いや、全然違うだろおまえ、もしかしてバカ?
と口に出したりはしない。
いい大学を出た人に対して、世の中のあらゆる組織は「漢字の書き取り」を免除しているのだろう。
キーマンがこの先、漢字も読めないヤツとして笑われようが、周囲の課題ではない。



お昼過ぎ、街に出た。
東京はお昼どきも電車が混んでいる。
そこは、ホームドアがない駅
発車のベルは鳴り終わっているが、次から次に人が乗ってくる。
「駆け込み乗車はご遠慮ください」
駅員が苛立った口調でアナウンスを入れる。

すると「駆け込み乗車はダメだから」と言って、歩き込み乗車するおばさん2人。
車内に居た乗客はそのおばさんのせいで、いつまで経っても出発できない。
お構いなしでドアを締めて思い知らせてやればいいのに・・・
誰もが思っているが、もちろん口には出さない。

ホームの係員もそんなおばさんが乗り終わるまで、ドアを締めようとはしない。



駅を降りた商店街には数年前、監視カメラがついた。
その落成の日には「祝!監視カメラ設置」のくす玉が割られた。
頭のはげた商店会の会長さんが祝意を述べる。
それを聞いたライターは「監視カメラを祝うなんて世も終わりだ」と書いた。

その記事を読んだ地元の人は、特に何も言わない。
特に言及するほど関心がないのかも知れないし、今さら何か言ってももう遅いということは明白だ。


その数年後、ライターが商店街のはずれで事故に遭った。
自転車で走行中、自動車にひき逃げされたのだ。
深夜だったこともあり目撃者は現れなかった。
近くに監視カメラがあれば、犯人の車が特定されたかも知れない。
商店街のカメラに映っていた自動車は、いずれも塗装の成分が異なっていた。
「街灯もない道で監視カメラもないなんて」
ライターは行政の怠慢を声高に叫んだ。

だが、警察関係者はライターが、真っ黒いコートを羽織り、無灯火の自転車でスマホを操作しながら道路の真ん中を走行。そして一方通行を逆行していたことについて、もちろん口に出さなかった。


人は利害の絡むことには口をつぐみ、何も言わない。
利害の絡まないこと、その相手にだけ、懸念を表明する。

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