2016年10月 5日 (水)

あれから7年、格納男が提示する新たな技術

「共有フォルダーに格納しました」と言う格納男を俎上に載せたのは2010年11月だった。
あれから7年
時は流れて、今や「共有フォルダー」は企業において欠かせないツールとなった。

2010年当時は、まだそんなもの使わなくたって、それほど困らないよ。
それにそこに「格納」されたモノは、大半が2度と日の目を見ないゴミだらけじゃないか。要らないぽんと思っていた。

だが、この7年で状況が変わった。
それは、セキュリティ対策だ。

かつて、仕事になくてはならないツールとして誰もがひれ伏したツール「メール」
それが今や、企業や組織攻撃ツールの主役である。

「メールに添付して送る」ということほど危ういことはない。
それでもまだ、8割くらいのサラリーマンは何の疑問もなくメールに添付して送っているはずだ。
そもそもそういう人には「営業秘密」という概念がない。



「営業秘密」とは、不正競争防止法で保護が企図される企業活動の源泉となる重要情報。
「不正競争防止法」1993年の改正で規定された法律用語。
顧客名簿(個人情報)、設計図、マニュアルなどがこれに当たる。


営業秘密の定義
1.秘密として管理されている
2.事業活動に有用
3.公然と知られていない
この3つをすべて満たすもの


企業ではよく「秘密情報」という曖昧な言葉が使われるが、秘密情報は法律用語ではない。企業が独自に守るべき情報を規定する時に使われる用語だ。


営業秘密と企業秘密の関係は営業秘密<企業秘密。
企業秘密の方が範囲が広い。
そのうち、不正競争防止法上の要件(上記:営業秘密の定義)を満たすものが営業秘密である。

2014年7月に発覚したベネッセ事案の裁判において、被告は持ち出した個人情報が「十分に秘密として管理されておらず、営業秘密に当たらない」と主張している。



秘密を秘密として管理しているか?
管理していなければ、持ち出されても、裁判で不利になることもあるのだ。

秘密を秘密として管理する場所としての「共有フォルダー」
社員どうしのファイルのやりとりを、危険な「メール経由」にさせないための「共有フォルダー」

しかし、その情報にたどり着くまでの不安定さは7年前と、何ら変わっていない。
そこで、格納男から1つの技術が提示された。

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2016年9月18日 (日)

早口が来ている

僕はその日、プレゼンのスピーカーだった。
音が出るアレではない。話し手、説明者である。

2000年代に入ってから5年ほど、IT業者の営業は皆、早口だった。
カンファレンスでは、営業担当者がパワーポイントを投影しながら、そのスライドには書いていないことを機関銃のように話していた。

書いていないことを喋られるとわからないな。。
彼らの説明を聞きながら、そう感じていた。

しかも、書いていないことを話すということは、その部分はスピーカーのフリーハンド。
その場で考えたアドリブ、その人の思い入れ、知識のひけらかし。
何様でもない平凡なサラリーマンの「どや顔」を見ながら聞く、増幅された言葉は不快だ。

気がつくと機関銃のように話す時代は終わっていた。
代わりに訪れたのは「ゆっくり話した方がいい」伝説の時代である。
それは2016年に入ってからも続いていた。



今回、プレゼンの準備をしている時、仲間に向かって僕はこう提案した。

分量は多いし、時間は限られている。ある程度、早口で話しても「お、わかっているな」という印象を与えられるんじゃないかな?

すると異口同音に「早口はだめですよ」「何言ってるのかわからないって言われます」という反応が返ってきた。
しかし、こうした「早口NG伝説信奉者」の方が、いつもは僕よりも早口だったりするのである。



僕は早口の方がよいとは言わないが、一概に早口がダメだとは思っていない。
「早口がダメ」なのは「話が下手」な人の場合である。
「話が上手い」人の早口は、決して悪くない。

ここで「話が上手い・下手」と言ったが、これは技巧の問題ではない。
確かに話の途中に「え~」「あのぉ」といった口癖を挟むのはダメだが、話の上手・下手を分けているものは違う。


話が上手ということは、こういうことだ。

1.語彙が豊富(脳内に聞き手の琴線に触れる表現が詰まっている)
2.話の内容に精通している(いわゆるその道のプロ)
3.身の丈で生きている(自らを大きく見せようとしない)


語彙が貧困な人の話は感動ポイントがない。
人は予想外の言葉に、突き動かされる。
「費用対効果とかの検証が可能です」
などと腐った言葉をいくつも並べられると興ざめする。


アマチュアはものごを複雑にする
プロこそがものごとをシンプルにできる
アマチュアの話は要点以外の部分が長い。
プレゼンは「結・起承転結」で行くべきところが「起承転転転転転」となっていて、結論がよくわからない。


自分(の会社)を現実より大きく見せようとすると、やたらと「●●商事さんも採用しています」といった「他の人が使っているんだから、お前も使え」といった文脈が増える。
そんなことは、会社のホームページに書いてあるので、既にわかっている。
「聞き手(お客さん)は自分たちのことを知らないだろうから、教えなければいけない」という見識は、ネット社会においては過去の遺物だ。



2時間という限られた時間に通常の2倍にあたる400ページの台本を詰め込んだ「シン・ゴジラ」を観て、多くの人が痛快に感じている。
それは「話が上手」なポイントがしっかりとシナリオに練り込まれているからだ。
相変わらず思考停止した一部の人たちが「台詞が多くて説明口調だ」と非難している。


2016年「早口」が来ている。
話が上手な人は、遠慮なく早口で話せばよい。
話し終えたあと、納得した聞き手がたたずむ会場に訪れるのは「沈黙」である。

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2016年9月 4日 (日)

サラリーマンの後輩からの手紙 #1

motoさん、お元気ですか?
社会に出てからはや4け月が立ちました。
入社前、motoさんから教わった「3年は死ぬまで働け」を肝に命じてばんがっています。
しかし、僕が頑張れば頑張るほど、先輩との間に壁が深まるような気がしています。
僕にとって、会社では観るものすべてが斬新で、興味旺盛です。
先輩のプレゼントのテクニックなどは目から衣です。
だからついつい、しつこく質問してしまうのですが、それをディスられることが多いのです。
あまりやる気を全面に出すのも、諸刃の刃ですね。
しかし、一方では、不満文士のような先輩も少なくないです。
自分の実力はこんなものではない、あいつにあげあしをとられているのだ。
あいつは影では汚いことをやっているから、いつか内部告白してやる!
このように、自分のことは棚に乗せて、なんでも人に責任転換しているのです。
すばらしい先輩もいれば、そうでもない人もいる。
まさに会社は玉石混合ですね。
自分は、悪い先輩を対岸の石として、努力していきます。
これからも、ご指導をお願い申し上げます。

念のために、添削しておきますと
正しくは、以下の通りです(笑)

motoさん、お元気ですか?
社会に出てからはや4か月が経ちました。
入社前、motoさんから教わった「3年は死ぬ気で働け」を肝に銘じて頑張っています。
しかし、僕が頑張れば頑張るほど、先輩との間に溝が深まるような気がしています。
僕にとって、会社では見るものすべてが新鮮で、興味津々です。
先輩のプレゼンのテクニックなどは目から鱗です。
だからついつい、しつこく質問してしまうのですが、それを煙たがられることが多いのです。
あまりやる気を全面に出すのも、諸刃の剣ですね。
しかし、一方では、不満分子のような先輩も少なくないです。
自分の実力はこんなものではない、あいつに足を引っ張られているのだ。
あいつは陰では汚いことをやっているから、いつか内部告発してやる!
このように、自分のことは棚に上げて、なんでも人に責任転嫁しているのです。
すばらしい先輩もいれば、そうでもない人もいる。
まさに会社は玉石混淆ですね。
自分は、悪い先輩を他山の石として、努力していきます。
これからも、ご指導をお願い申しあげます。

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2016年8月21日 (日)

「女性が輝く社会」主義の行く末

現代は「女性が輝く社会」を目指すと言われているわけだが、この言葉、あるいはその風潮を女性はどう捕らえているのだろうか。
そのとらえ方は2つに分かれると推測する。

【A】よし出番が来た。これからは要職あるいは魅力のある位置に就く好機が訪れるだろうから頑張ろう!
このような「肯定派」

【B】意味がわからん。男だって女だって輝く人は輝くし、そうじゃない人は違うだろう!という「懐疑派」


「懐疑派」の人も実際に「あなたを課長にします」とか「あなたが長年、希望していた**会議の座長をお願いしたい」と言われたら、それが「女性だから」優先的に回って来たのだなとわかっていても、美味しい話ならば受けるだろう。

いずれにしても女性にとってみれば「女性が輝く社会」が目標に掲げられている時勢は、決して悪い状況ではない"はず"である。



一方、男から見て「女性が輝く社会」は2通りのとらえ方に分かれると推測する。

【C】これまで女性に機会が宛がわれていなかったのがおかしい。「女性は優秀」であり「女性が輝く社会」は自然な姿だ。
このような「肯定派」

【D】女性だからと言って、無理矢理「輝かせる」必要はない。機会均等にすることで、輝ける力量のある人は輝く。力量のない人まで持ち上げるのは「機会過剰」だという「懐疑派」


男女ともに「懐疑派」の視点はほぼ同じだ。

「懐疑派」は、無理矢理輝かせた女性の被害者になることがある。
要職に就く。人の上に立つ。それぞれ求められる力量はまるで違う。

それぞれに応じた人間の「タイプ」があり、長い間「男社会」だった日本では、男についてはこの「タイプ」別人選が熟成され、機能している。
だが女性にポストを渡す経験が浅いため、まだ人選が混乱している。

「要職に就く」にはアイデアとリーダーシップが必要だが、そうではない女性が就いていることがある。
「人の上に立つ」には、度量が必要だが、それがない女性が就いていることがある。


この状況は「男」にとっての「学歴」に似ている。
日本において、かつて「高学歴者が輝く社会」が標榜された時代はない。
それは言うまでもなく、日本社会が元々そういう社会だからだ。

東京大学を出ているから、ある程度の年齢になるとポストが与えられる。
それまで、リーダーシップもとらず、人望もなかった人がである。

もしかすると、その人は人の面倒を見るのは苦手で、自分の仕事のことだけを考えて生きていたい人だったかも知れない。
だが、これが日本のシステムだから仕方ない。
「女性が輝く社会」主義も、その轍を踏むかも知れない。


「女性が輝く社会」は女性にとって、決して悪い状況ではない"はず"
だが【A】タイプで「輝かされて」しまった人は、幸せだろうか。
人生がひと区切りついた時、自分には何も身についていない、ただ時代に踊らされただけだったと気づくのは哀れだ。

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2016年8月17日 (水)

基本線とはどんな線だ?

いつも大変お世話になります。
先日ご提案いただいた計画(案)についてですが、
基本線では原案どおりで、よいと思います。
よろしくお願い申しあげます。


取引先のサトウさんからこんなメールが届く。
僕は計画にご賛同いただいたと思い、感謝のメールを返す。


早々にご検討いただき、ありがとうございました。
それでは、次回打合せの際、詳細について詰めさせていただきたいと思います。


ご丁寧にサトウさんからは、それに対して返信が届く。
ただひとこと「よろしくお願い申しあげます」と書いてあった。
そんな一言は余計だ・・
メールは基本的に1往復でよい。

いいですか?
いいですよ!

本来、これで終わり。

これに対して

ありがとう
どういたしまして

とやっていたら、1往復で済むメールが2往復になる。
読むのに30秒、書くのに30秒としても「1分」がムダになる。


さて、打合せの日がやってきた。
「原案どおりに進めたいと思います」と口火を切ると、出席者が頷いている。
サトウさんもうんうんと頷いている。口が開いているのが気になるが、それは彼のクセなのだろう。


ところが、会議も半ば、詳細な運用体制に話しが及んだところで、サトウさんが手を挙げた。

そもそも、ウチにはそんな人がいませんよ。

え゛

会議室の時が止まる。
出席者の数人は「またか」という顔をしている。
進行している僕は、開いた口がふさがらない。
実際に口を開けたりはしないで、目を見開いて「なんで?」という表情をつくる。


サトウさんは、何事もなかったかのように、自社の内情を訴え、その計画の履行が現実的に不可能かを話す。
結果的に、その計画は次回までに見直すことが決まり、散会となった。


基本線って、どんな線なんだよ!?

サトウさんの胸ぐらを捕まえて聞くことはできない。
なぜならば、彼はそうやって長年生きて来たからだ。


自らの言葉が言質とならぬよう、あとで責任が及ばぬよう。
言葉の中に、振り幅の大きい表現を織り込む。
もちろん、何事もなければ、それらは単なる「余計な形容詞」に過ぎない。
頭が整理されていない人ほど、話し言葉に形容詞が多い。
文字数をたくさん言わないと、考えていないことがばれるから、お好み焼きのタネに多めに水を入れるように、質感のない言葉を肉づける。


しかし、何も考えていなかったので気づかなかったことに、後で気づくことが多い。
前言を撤回すると「撤回して混乱させた責任」が発生する。
そこで「基本線では」と言った、後出しで言い直せる形容詞を織り込んでおく。

これは彼の「計算」ではない。
もはや「習慣」なのだ。


意味のない形容詞を並べる人から時間を奪われないためには、その場で聞き返す必要がある。

「基本線では原案どおりでよい」とのことですが、何か障害になること、懸念されていることがあおりでしたら、お聞かせくださいませ。
それを踏まえて準備をして次回打合せに臨みたいと思います。
皆様の貴重な時間を無駄にしないため、ぜひお聞かせください。

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2016年7月29日 (金)

えいやあ

「えいやあではダメですよ」
経営コンサルティングにやってきたサトウ氏が、僕らに向かって言う。

えいやあって何ですか?

とは誰も聞かない。
僕らは真摯な紳士の集団だからだ。
聞かなくても、およそのニュアンスはわかるし、そもそも、たいした意味じゃないことは、サトウさんのここまでの話しっぷりを見ていればわかる。


「えいやあ」という言葉を初めて聞いたのは20年ほど前。
それはシステム部に所属するタナカさんの口癖だった。

「あとはえいやあでやるしかないですね」
というのが、彼の決まり文句。
そこまで理詰めで来たのに、最後に彼がその台詞を言うと、吉本のコントで全員がゆるくズッコケるような空気が流れた。
彼ひとりが笑っていて、あとの誰もが「またか」という途方に暮れた呆れ顔を並べていた。


えいやあの意味を「しらべる」ではこう定義している。

「およその目算で」という意味の擬態語
「およその目算でことを進める」という趣旨を表す時に使われる。


現在、タナカさんは既に60歳を超えた人。
これまでに知っている「えいやあ」という言葉の使い手は、全員60代以上だ。
僕の経験でいえば、1956年以前生まれで、コンピューターシステムの仕事に携わったことがある人ということになる。



経営コンサルティングにやってきたサトウ氏の話は続いている。
「からすのゴンベじゃないけどね」
からすのゴンベ??
今度のは本当に、心からわからない。
思わずそれってどういう意味なんですか?と聞きたくなったが、思いとどまった。
あとでネットでしらべれば、わかるだろう。

しかし、Google先生も「からすのゴンベ」はご存じないようだ。
「権兵衛が種まきゃ烏がほじくる」だと「無駄骨のたとえ」という回答があった。
(コトバンク)


そんな含蓄のある言葉だったら、もう少し丁寧に教えてくれればよかったのに。
「えいやあ」とか「からすのゴンベ」とか、一定の年代にしかわからない言葉を使い、1時間あれば済むような内容を「じっくり2時間は話したい」などと言って、僕らの時間を奪う。

この年寄りの暇つぶしみたいなコンサルを断れないのかな?
そんなことばかり考えていたこともあって、年寄りゴンベのコンサルはさっぱり頭に入らなかった。
僕があの人の年齢になった時、あぁはなりたくないものだ。

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2016年6月10日 (金)

「ツッコミどころ満載」と言う男

あなたの職場に、日常会話のなかで「ツッコミどころ満載」というフレーズを使う人がいるでしょうか。
恐らく、そんなに居ないはずです。
とても少ないはずです。

でも、少ないながらも確実にいるのです。

今日は、その人がバカだという話であります。
恐らく、生きがいやライフワークもなく、バラエティ番組を見て馬鹿笑いするくらいしか楽しみがない暮らしを送っているのでしょう。
だからこそ、そういう下世話なところから言葉を拾ってきて、職場に持ち込んで使う下品さに気づかないのです。



仕事をしていて、サトウさんからこう言われたことがあります。
「この提案書はツッコミどころ満載だからね」
でもサトウさんはそれを僕に向かって言ったのではなく、同席していた同僚のスズキさんに向かって言ったのです。


その意味するところは「この提案書は実情に合っていなくて、私から見れば、指摘して直させたいところが多い」ということです。
それを、へらへら笑いながら「ツッコミどころ満載」と言い放ったわけです。


これがテレビゲームの中だったら、波動砲(あるのか)をお見舞いしてやるところですが、ここはリアルな社会なので、下手なことはできません。
むっとしたものの、その言葉には一切反論しませんでした。
無視です。
スルーです。

反論して、それが建設的な方向に進むわけがないと直感したからです。
そもそも、人の話を真摯な姿勢で聞くような人は「ツッコミどころ満載」などと口に出して言いません。



冒頭で「ツッコミどころ満載」と言う人はバカだと断言しました。
この言葉をいう人は「自分が揚げ足とりの名人である」と自慢しているに等しいからです。


ツッコミ男サトウさんが実際、どういうツッコミをするかというと、自分の知識不足、経験不足で十分な理解ができていないことが多いのです。

または、自分はこれだけ実務に精通している。だからこそ、これだけの問題点に気づくのだと言わんばかりの内容。
それは建設的意見と呼べるものではなく「自慢」「難癖」に近い。

どれもが、いわゆる「思い込み」です。
彼が話し始めるといつも、周囲は「また始まったよ」という顔をして黙り込みます。


自分が学んでいない、経験していない、あるいは自分には情報が入って来ていない。
そんなことは世の中にたくさんあります。

自分の知識、考えは未熟かも知れない
だから日々、すべてのことから学ぶのだ!

そういう心構えで生きている人は、ツッコミどころが「満載」にはならないものです。

では、そういう心構えで生きていない人はどうか?
その大半は「物言えば唇寒し」という処世術を会得しているのです。

1.ツッコンでみたところ、自分が浅はかでバカがばれる。
2.ツッコンでみたらビンゴ(当を得ていた)が、相手が気分を害して人間関係が壊れる。

瞬時にその2つを恐れるのが普通の人。
人前で、誰かのあげあしを取って喜色満面にしている人を、周りは「バカじゃないの?」と思っています。
でも、そういう人は「アブナイ人」なので、関わり合いにならぬよう、誰もがスルーするのです。


だから「ツッコミどころ満載」を言う人は、人々の話題に上りません。
あれ?あいつのことを誰も「ひどいヤツだ」と言わないな?
と思うかも知れませんが、それは誰もがバカを避けているだけなのです。

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2016年6月 3日 (金)

会社で切れるイヤなやつにカモにされない鉄則

会社にイヤなやつがいて、
今日、会社でイヤなことがあった。

そういう一日はとても沈んだ気持ちで帰路につくことになる。
はぁっとため息をつき、空を見上げると、まだ空が明るい。

あぁ日が長くなったな。
そういえば夏至が近い
この爽快感は、いまだけのサービス期間のようなものだ。



イヤなヤツがいると言うと、訳知り顔のバカが「それは、君の姿を映しているんだよ」などとたわけたことを言うことがある。
確かに、抽象度を上げていけば、人は感じ方が変わってくるし、ものごとが好転して見えることもある。

だが、イヤなやつはやはりイヤなやつだ。
物理的にそこにいるという事実は動かせない。


できれば、機嫌良く働きたい。
イヤなヤツと、関わり合いなく。

どうしたもんじゃろの~
と小橋常子のように考えていて、気づいたことがある。

サラリーマンは知っている人にしか切れない

これは、同じ社内の話しである。
消費者として、製造元にクレームを付けるという場合はこの限りではない。


「イヤなやつは、知っている人にしか切れない」
ということに気づいた。

素性を知らない人は、どこまで文句を言っていいのかが読めない。
知っている人ならば「これくらい言っても怒らない」とわかっている。
立場上、自分のほうが強いので、相手は反論できないということがわかる。
従って、切れても大丈夫とわかる。

だから、立場が弱い人は他人から切れられやすい。
中でも「いい人」は切れられやすい。

イヤなやつは「こいつならば、俺が切れても、逆ギレはない」
「あとで待ち伏せされてナイフで刺される」とか、そういう危ない人ではないということを、読んでいる。
そういう「いい人」ならば「いやぁ、ちょっときつく言っちゃったなぁ」と笑って取り繕えば、なんとでもなると高をくくっている。



危ないヤツには、危なくて、切れられない。
何をされるかわからないし、陰で何を言われるかわからない。
そういう相手には、薄気味悪くて、下手に切れることができないのだ。

イヤなヤツは「素性を知っていて」「いい人」に対して切れる。
だから、そういうヤツにカモにされたくない場合、電話では冷徹に話す。面と向かっては目を合わさない。話しかけられたら、完全に無視するということが効果的である。


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2016年6月 1日 (水)

会議を禁止したい

会議をしている人は多い
日本中の会社で、今日も会議は行われているだろう。

「会議」と聞いてどんな印象を抱くかで、その人の属性がある程度わかると思う。

「めんどくさい」
「できれば、出たくない」

そう思った人は「決める人」「変える人」なのだと思う。
新たなルールを決める、方法論を決める。
決めて、現状を変える。

「変人」という言葉は日本では「悪口」と思われているが、その内容によって解釈は違う。
「変人」には「変える人」「変わった人」「変な人」の3領域がある。
現状を変える人ならば、それは決して悪口ではなく、むしろ褒め言葉だ。



現状を変えるには「アイデア」が必要だ。
発想が浮かばない人は、なにも変えることができない。
だから「みんなで話し合う」「合意を形成する」などと言って、会議を開き、他人のアイデアを聞くしかないのである。

狡猾な人になると、他人に言わせておいて「僕もその線で考えていた」などと言って「いただいて」しまう。いわゆる、後出しじゃんけんである。


自分でアイデアが湯水のように沸き、どんどん現状を打破して、革新を起こそうという人にとって「他人」ほど邪魔なものはない。
「会議」など開かずに、自分が決めて、それを公布できれば、どんなに楽だろう。

しかし、組織は1人でやっているわけではない。
自分の独創で独走するには「独裁者」の立場が必要になる。
(ここでいう独裁者とは、ひとりで決裁できる者)


新たなルール・方法に沿って、手を動かすのは大勢の「他人」だ。
自分は独裁者の権限を持っていない。
従って、自分の発想による革新をしたければ「他人」を説得しなければならない。
そのためには、仕方なく「会議」(打ち合わせ)ということになるのである。



今日も会議室はいっぱい。
会議室がとれなかった人々が、そこらのミーティングスペースで会議をしている。
そういう皆さんの顔は、とても平和でのんきだ。

お昼にラーメンを食べ終わり「茶行く?」と行って入った喫茶店でコーヒーを待っている時のような顔をしている。
緊張感のかけらも感じられない。

今、その脳に計測機械を入れたら、稼働率は「7%」くらいではないか。
もちろん、それはフルパワーを100%とした場合の数字だ。

「脳の97%は使っていないと」いう言説に拠れば、0.21%ということになる。
そんな低い稼働率で人々を遊ばせる「会議」は禁止したい。
もし、僕が「独裁者」ならば。


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2016年5月30日 (月)

企業には知られていないルールが多すぎて、それで切れる人が少なくない

岐阜の温泉でえらい目に遭って以来、佐藤さんは扇風機の風が苦手になった。
ほんの少し当たるだけならばよいのだが、数分間にわたり風を受け続けると、動悸が激しくなってきて、とてもその風に耐えられなくなる。

だが、幸いなことにと言うか、当然というか彼の家には扇風機はない。
会社にも、そして彼が通う地下鉄桜通線にも扇風機はない。
あるのはエアコンだけだ。
だから「扇風機恐怖症」が彼に何らかの実害を突きつけると言うことは皆無だった。



佐藤さんの会社ではビル管理会社が電力を緻密に計算しており、パソコンの台数、エレベーター、電灯数まできちんと管理されている。
それによって、年間の計画を立て、必要最低限の電力をいかに安く調達するかという分析に回している。

従って、個人が家電品を持ち込むこと、使用することは禁止されている。
ただし、禁止されていると言っても、総務部が決めたビル管理ルールであり、それに違反したからと言って懲戒の対象になるわけでもないし、ボーナスの評価にも影響しない。



そもそも、そういうルールがあることを知らない人のほうが多いくらいだ。
企業にはさまざまなルールがある。
就業規則、出張規程、セキュリティ規定、ビル管理規則、コンプライアンス規定・・・
だがそれらは、どこかに見に行かなければ見られないものが多い。
いちいち紙で配るのは、就業規則くらいのものだ。
従って、一度や二度、周知したくらいでは、ほとんどの人が目にしない。
そんなルールがあるということすら知らない人が多い。

そして、ルールを知らない人はそれが「ルール違反だ」と指摘されると「そんなルールは聞いていない」
「どこに書いてあるのか」そして「いつ周知したのか」と畳みかけてくる。

つまり「オレ様にルールができたことをきちんと伝えたのか?あぁ?」と言ってくるのである。
さらに悪質になると「そんなルール守っていたら、仕事にならんだろう?オレ様に仕事をするなって言うんだな?」と来る。

バカは死ななきゃ治らない



佐藤さんは、家電は禁止だということをバカ造に伝える気にはならなかった。
彼の反論が瞬時にイメージできたからだ。
だからといって気を遣うことはない。

「その風が僕に当たらないようにしてくれないか?」
若造はひとこと「はぁ」と言ってスイッチを切った。
これでいいんだろ?と言わんばかりに。


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