2018年10月 6日 (土)

初めて亡くした親、最後に亡くす親 それぞれなんと呼ぶか

母との思い出

最近、ともだちの町田君のお父さんが亡くなった。
父上の具合が悪いことは知らなかったので、町田君にどれくらいの覚悟があったのかはわからない。

そこに自分が父を亡くした時の気持ちを重ねてみる。
父と母、亡くなった時、どちらが堪えたかというと、父の方だった。
それは、僕が「お父さんっ子」だったという噺ではなく、ただ、初めて亡くした肉親だったからだ。


肉親が亡くなること
その亡骸に接すること
初めての時というのは、前もって想像がつかないだけに、重く心に刻まれるのだと思う。

そういえば、日本には「初めて親を亡くすこと」に相当する言葉が無い。
無いならば作り出すのが、僕のライフワークの1つだから考えてみた。

「初」「親」「送る」といったキーワードを組み合わせて、できないだろうか。
「初盆」のように漢字2文字、音が4つだと語呂がいい。

日本人が仏教徒ばかりならば、初めて親が浄土に還るを略して「初浄」(はつじょう)などはどうかと思うのだが、聞いた人がおかしな意味にとりそうだ。


二度めに亡くす親は「完葬」
基本的には親は2人なので、二度亡くした時、あなたは誰かの子どもではない「大人」になる。
自分が戸籍の筆頭になるということは、無意識のうちに、人を大人にさせていくのだと思う。

ただ、二度めなので「初浄」のように、ずしりと来ない。
一度、経験済みのことは、その感情も想像できるので、脳は既定路線のように流してしまおうとするのだ。


じっくりと悲しむことができないのが「完葬」
数年が経ってみて「完葬」の親、僕の場合、母親を失った感慨が、どこか薄っぺらい。


ただ思い出は、圧倒的に母が多い。
それは、夕方の時間帯の想い出だ。
親と過ごしたのは高校生までだったので、父が居ない家の中で母と過ごした時間帯は、大半が夕方。
僕が学校から帰り、公務員だった父が、世の中のサラリーマンと比べれば早い時間帯に帰って来るまでの間。

母を想う時、いつも、うなぎの寝床のように狭く細長い台所で夕飯をつくる母の姿が思い浮かぶ。
いつも、厳しかった母も、そこでは温和な顔だった。

時々、夕飯のおかずになるハムやちくわの端っこをくれた。
そのせいか、今もハムの端っこ、ねじられてギザギザになった所を食べる時、幸せな気持ちになる。

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2018年9月16日 (日)

散髪屋の10分トークでこの夏を総括する

床屋にはだいたい6週間で行くことにしている。
ちょっと後ろが伸びてきたなと想う頃が、ちょうどその頃だからだ。
だが、今日はいつもより1週多い7週間
つくばマラソンまでの残り週数を計算すると、一週遅らせるとちょうどよいタイミングになるからだ。
マラソン前は直前に散髪すると風邪を引くリスクがあるので、いつも2週か3週前に短くする。


仕事帰りの夕方、駅前にある格安カットの店は空いていた。
日中の時間は「サービスタイム」
さらに安いため、無職の人たちや学生は皆、早めに訪れる。
仕事帰りで行く頃には、ちょうど「サービスタイム」の客が仕上げに入っている頃で、ほとんど待たずに席に着くことができる。


その店は都内に数店舗を構えるチェーン店だが、美容師はずっと前からいるおばちゃん達だ。
チェーン店というと、そのまま「こだわりのラーメン屋」で通用するんじゃないか?というがたいがいいおやじというイメージだが、ここはすべておばちゃん、とてもアットホームだ。

以前、沢口靖子を30歳若くしたような美容師がいたことがあるが、僕はその人が苦手だった。
散髪というのはハサミやバリカンを当てることを容認する行為なので、できればリラックスして臨みたいが、その人が当たるととても緊張したのだ。
ある時「これくらいでいいですか?」と沢口に確認を求められ、もうちょっと切ってもらっていいですか?と丁重にお願いしたところ「はっ、けっこう短いですよ」と反論されて、要望を取り下げたことがあった。


「今日あたり寒いくらいですね」
散髪の席に着くと僕はいつも、目をつぶっているのだが、おばちゃんは付属サービスでもあるかのように、世間話を振ってくる。

そうですね
寝たふりをするのは大人げないので、さらに話題が膨らまぬよう、最低限の回答をする。

「ついこないだまで、あんなに暑かったんですけどね」
だいたいは、ここで会話は終わり、散髪が終わるまでのおよそ10分間、粛々と作業が進められる。
だが、今日は違った。

「今年は蚊が少なかったですね」
そうですね
「暑いのはいやだけど、蚊に刺されないのは助かりましたよ」
確かにそうですね
僕は目を閉じたまま、口元にアルカイックスマイルを浮かべて、敵意はないことを表明する。

「セミもあまり鳴かなかったですよね」
・・・
ここで答えに窮した
いや、セミは鳴いていただろう?
僕は確かに、おざなりな相づちは打っているが、事実と異なることを言葉にできない。
正直者だから。

そうですか?
つい、疑問形を使ってしまった。
メールで相手の返事が欲しい時に使う常套手段である「疑問形」を、もっとも使ってはいけない場面で繰り出してしまった。

「そういえば、必死に鳴いてましたよね」
いや、セミはいつものセミで、鳴き声が必死だと、僕はこの夏、一度も想わなかった。

今年は家の前で力尽きて、ひっくり返ってるセミを、何度も見ましたね
つい、ネタを振ってしまった。

「あまり生きられないのにね」
そうですね

でも、ひっくり返っていても、ちょっとつついてやると慌てて反転して飛び立っていくんですよね。短い一生だから、そうしてあとひと頑張りだぞって、2回セミを励ましたんですけど、なんか、ちょっといいことした気分でした。

と言いそうになったが、今度はおばちゃんがスルーしそうなので、やめておいた。

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2018年9月11日 (火)

NOLTYカレンダーC211は天皇退位と元号の変更にどう対応したのか

今年もC211が届いた
届いたと言っても、水回り修繕業者のチラシのようにむこうから勝手に届いたのではなく、昨日Amazonに注文して届いたのだ。


C211を使い始めたのは2004年。
2019年版は16年めになる。
2013年にフリクションを使うようになってからは、気軽にスケジュールを書き留めるメモとして「計画を立てる」ことを生活の柱としている僕にとって欠かせないツールになった。

2018年は新たに「V・ファーレン長崎」「レノファ山口」を応援するという「計画」が始まり、これでJ1 34試合、J2 42試合、合わせて75の「計画」が加わった。



早速、2019年版を開封する。
まずは、恒例の「変更点チェック」
2018年版は「週番号表示」が追加されたが、2019年版については変更点は見つからなかった。


つづいて、興味津々の「改元」対応チェック

【1月】
「平成31年 亥年」と表示されている

【2月】
特にチェックポイントなし
2020年からは、ここに天皇誕生日が加わる

【3月】
特にチェックポイントなし
いよいよ、4月
めくるのに、どきどきする

【4月】
一見何の変哲も無い4月のカレンダー
よくみても、やはり変わりは無い。
当然だが、4月29日は昭和の日と記載されている

報道によると
「4月30日 今上天皇退位」であり、政府は4月27日~5月6日を「10連休」とする検討に入った」とされていた。
この法案は2018年秋の臨時国会に提出されるので、現時点では未定。従って、カレンダーに記載はない。

【5月】
元号表記がなくなり「亥年」と表示が変わった
それ以外はなにも変わらない

【6月~11月】
特にチェックポイントなし

【12月】
12月23日の欄に「天皇誕生日」の記載はなく、祝日を示す網掛けもない。現時点では「天皇誕生日ではなくなること」だけが確定しており、その後のこの日の扱いは未定。


確定している情報だけを粛々と反映したというカレンダー。
よくよく考えれば、至極当然の対応。
これから先、国会で決まることは、僕等がかき込めばいいのである。


ちなみに、2019年祝日が土曜とかぶるのは11月23日勤労感謝の日、ただ1日のみ。
2017年は4回、2018年は2回あった。
暦通りのサラリーマンと、よい子の皆さんは「休みを損して」嘆く回数が最少で済むことになる。

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2018年9月10日 (月)

NOLTYカレンダーC211は天皇退位と元号の変更にどう対応したのか

来年のことを言うと鬼が笑うらしいが、僕は8月の半ばを過ぎると早くも来年のことが気になって仕方がない。
僕が4ヶ月も先の呑み会の日程を決めようと言い出すので、かつて、友達は「motoさん気が早いよ」「まだそんな先のことはわからないよ」と難色を示したものだ。
しかし、最近はそれにも慣れたようで気軽に相談に応じてくれるようになった。
ずいぶん先の計画を立てるのには理由がある。
僕の1年は8月の旅(里帰りとも言う)で区切られていて、この旅が終わると、1年先の計画へと暦モードが切り替わるのだ。
そして、この時期「そろそろかな」とチェックを始めるツールが2つ。
「ほぼ日手帳」と「C211」だ。
「カレンダー業界に配慮して・・」
日本のメディアはよく、こんな言い回しをする。
祝日が改訂される場合などに多い。
カレンダー業界は「1年半前くらいからカレンダーの印刷に入る」らしく、それまでに日程や名称が確定していないと「間に合わない」という論調だ。
カレンダー業界って偉いんだなぁ
と想う子ども達もいるだろう。
かつて「堅い業種」として「銀行」や「公務員」が人気だったように、数年後、カレンダー業界は就職希望職種のトップクラスに位置するに違いない。
2019年のカレンダーは、カレンダー業界、そしてカレンダーファンにとっては未曾有の年になる。
今上天皇の生前退位により「元号が変わることが事前に確定」しているという「現代カレンダー業界」が成立して以降、初めての年である。
しかも、その新元号は「改元一ヶ月前」公表が想定されている。
「カレンダー業界に配慮して・・」
1年半はおろか、半年前に発表することもない。
果たして、僕が愛用している卓上カレンダー「C211」は、どのような対応をするのだろう?
7月末に確認したところ「2019年版」の取扱は既に始まっていたが、納期は9月中旬とされていた。
9月に入って確認したところ、Amazon在庫では既に入荷していたので、例年どおり「2セット」注文した。
つづく

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2018年7月25日 (水)

駅で足を踏まれる被害者の会

全国の「駅で足を踏まれる被害者の会」の皆さん、こんにちは
その後、毎日のように足をふまれているでしょうか。


を書いてから早くも4年が過ぎようとしています。
僕の記憶ロジックに問題があるのかも知れませんが、それを書いたのは、つい昨日のことのような気がします。


あれからもずっと、定期的に駅の雑踏で足を踏まれ続けているのですが、いつも「ここで波風を立てたら負けだ」と言い聞かせて、耐えてきました。

最寄り駅には「暴力は犯罪です」という貼り紙があり、それは返って、駅で暴力沙汰が多いことの反証と言えます。

どこ、見て歩いてんだよっ!

いちゃもんの1つでも言おうと、振り返ったら、強面のお兄さんだった・・
ということがあるかも知れません。
そうでなくても、相手が「なんだよ?文句あるのか?」と応戦の表情を見せたら、売り言葉に買い言葉。何が起きるかわかりません。
特にこんな暑い夏には。


だからいつも、足を踏まれると1秒だけ動作を止め、背中で「え゛」「なんで?」という意思を示していました。
しかし、そんなことをしたからと言って、なんにもなりません。
それによって後ろから「すみません」の小声でも聞こえてくるかと耳を澄ますのですが、そこにはただ雑踏があるだけ。

ある時、僕の足を踏んだベルトの上に贅肉がはみ出しているおじさんが、改札を抜けると僕の右脇をすり抜けて追い抜いていきました。
そして、雑踏の向こうに見えなくなるかと思ったら振り返りました。
そして、すぐに「なんだ・・」という顔をして、前を向いて歩いて行きました。

どうやら、おじさんも足を踏まれたようです。
今し方、自分が踏んだ自覚があるから、踏んだ相手が報復で踏んだと思った様子。
しかし、遠くにいる僕の姿を見て「なんだ、違ったか」という複雑な表情だったのでしょう。

僕も他人の足を踏んでしまった時、後ろから踏み返されたことがありました。
相手は30代頃の女性でした。きっと、こんな静かなバトルが今日も都会のあちこで行われているのでしょう。


さて、ここからが現在の話しです。
最近、足を踏まれたら、振り返ることにしました。
でも、言葉では何も言いません。

「あれぇ、どうしたのかなぁ?今足を踏まれたような気がするけど、いったいどちらの方が、そんなに急いでいるんだろう?」
とコナン君の声で読むとぴったりの風情で、ゆっくり振り返るのです。

これまで3回やってみましたが、1回めは「無視」2回めは小声で「・・・」(ほぼ聞こえない)そして3回め、後ろを歩いていた40代頃の男性が「すみません」とはっきり聞こえる声で謝罪を述べられました。


だから「今日はいい一日だったなぁ、るんるん」と清々しい気持ちになるようなことはありませんが、悪い気はしないものです。

日本人が悪いなと思ったら、見ず知らずの人にも謝る。
「日本人って、雑踏で足を踏んだら、誤るんだぜ?incredible!」
と海外のSNSで話題になるような日が訪れることを願います。

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2018年7月14日 (土)

驚異の定年退職スピーチ(2)

花束とか持って電車に乗れませんから。だからと言って他に何も要りませんよ。お忙しい皆さんの時間をいただけるだけで、十分ありがたいことですから。

人の生き方の基本は「謙虚」と位置づけるサトウさん。
総務担当のタナカさんに対して、絶対になにも受け取らないぞという強い意志を見せた。
それに折れて花束や「間に合わせのメッセージ」といった趣向もなし。
記念品もなしかというと、それはさすがにスズキ部長が認めず「図書券を買って用意しておけ」ということになり、こっそりと田中さんがポケットに忍ばせている。


皆さん、おはようございます。
お忙しいなか、お時間をいただきありがとうございます。
今日でサトウさんが定年を迎えられます・・

スズキ部長が朝礼の口火を切る
人の言葉というのは、文字に書き起こすと、だいたい文法的にどこかおかしいもので、見るに堪えないのだが、空気を伝ってくる言葉に対して、そこまで神経質に聞いている人はいない。

だいたい、なんでお前が「お忙しいなか」とか言うんだよ。
それは、集まってもらっているオレの台詞だろ
スズキさんが用意している話しの尺よりも、長尺と思われる部長の話しが終わり、サトウさんの番がきた。
さぁ、サトウさん「構想10年」渾身のスピーチが始まる。



皆さん、今日は貴重なお時間を奪って申し訳ありません。
ご紹介いただいた通り、本日で失礼しますので、ご挨拶申しあげます。

私は常日頃から同じ会社に勤める者どうしは「家族」だと思ってきました。
従って、家族である皆さんがこれからも長くこの会社で勤められることをお祈りします。

ただ、日頃から同じ場所にいると、返って言いづらいことというのは少なくないものです。
恐らく、誰もが思っているのだろうけど、言いだしにくい。
こんなことを言ったら、調和を乱す輩と思われはしないか。

だから、私は最後にいただいたこの時間で、私が日頃思っていたけれど、私も、誰も言わなかったことを1つ申しあげたいと思います。


ウォシュレットで尻を浮かすのはやめましょう

サトウさんの耳に確かに、全員から「すぅーっ」と血が引く音が聞こえた。
世界中の「びみょー」という言葉は、この時サトウさんのためにあった。
世界中の「?」マークが、お忙しい中、サトウさんの聴衆たちの頭上に集まった。


個室に入ると、それはもう高い確率で便座に水滴が飛び散っています。
恐らく、何らかの理由でお尻が浮いてしまうのだと思います。

ここで、田中さんが必死で笑いをこらえているのが視界に入った。


私は初めのうちは「なんだよ、部屋を出て行く時は後ろを振り向いて、汚れていないか確認すればいいのに」と思っていました。

そして、そのまま座るわけにもいかないので、掃除をしていました。
ところが、おかげで金運がよくなり、お金に困らなくなったのです。

私はそのうち、水滴が飛び散っていると「よっしゃ」とガッツポーズをするようになっていました。
ますます、金運が上がっていくからです。

皆さんのおかげです。ありがとうございました。
ただ、ここに来なくなると、金運がおちるのでは?と心配です
(ここで、ようやく、かすかに笑いがとれた)

もしかすると、掃除のアルバイトでひょっこりお邪魔しているかも知れませんので、その節はよろしくお願い申しあげます。

皆さんのご健康とご発展を心よりお祈りしています。
お忙しいなか、お時間をいただき、ありがとうございました。

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2018年7月13日 (金)

驚異の定年退職スピーチ(1)

サトウさんが定年退職をむかえる日がやってきた
ということは、その日がサトウさん60歳の誕生日
大半の民間企業がそうであるように、サトウさんの職場も満60歳を迎えた日が定年と決まっている。
雇用延長制度を選択しないサトウさんはこの日が最後の出社となる。

彼の職場では朝礼は行われていないが、その日は特別に朝礼が招集され、その場で挨拶の時間が設けらることになった。


サトウさんはこの日この時のために、ずっとスピーチを考えていた。
記憶が定かではないが、始めは50歳を過ぎたころだったと思う。

それまで数多くの先輩を見送り、そのお別れスピーチを聴いてきた。
そして、その大半は紋切り型の話だった。

皆さんに大変お世話になった。
皆さんのおかげです。
このご恩は一生忘れません。

本当か?
いつも、サトウさんは心の底で突っ込んでいた
本当にお世話になった人は、既に退職した先輩たちじゃないのか?
今ここにいる部下や後輩たちには、むしろ世話をしたのじゃないのか?
年下の上司にはけっこう虐められたんじゃないのか?
だいたい、このメンツのどこにどう世話になれるというのか


もちろん、そこはぶっちゃける場でもなければ、捨て台詞の最後っ屁をかます場ではない。
日本には「立つ鳥跡を濁さず」という言い伝えがある。
誰もが心にあろうがなかろうが、感謝の気持ちを述べて去って行く。
それが「予定調和」というものだ。


だが、サトウさんは先輩の話を聞く度に「自分はちょっと違うことを言いたい」と考えていた。
かと言って、跡を濁すような話しをするのは本意ではない。
それでいて、どこかユーモラスで、聴衆に一撃はいるようなスピーチ。


基本的にはそこにいる人たちへの「感謝」がベースになる。
ただ、心にもない歯が浮きそうな感謝を述べて偽善者になる必要はない。
そうだ。本当に世話になった人を見つけ出して、そのエピソードで感謝を述べればいい。


話しの柱が決まったのは3年前。
それから、時折思い出して、ネタ帳に書き留めてきた。


そして、いよいよサトウさん定年退職の日
9時からの朝礼前、珍しくネクタイにスーツのサトウさんがスズキ部長と談笑している。
いつもならば、この時間、忙しそうにメールを読んでいるスズキ部長だが、さすがにサトウさん最終日とあって、ホスピタリティを見せているのだ。

花束は用意されていない。
つづく

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2018年2月 9日 (金)

近所の子の間で、自転車を買ってもらったのは最後だった。

近所の子の間で、自転車を買ってもらったのは最後だった。
小学2年生の頃のことだ。

自転車はおよそ大半の子どもが親から買い与えられる備品。
昔は「初めて買ってもらう大物」の座にあったが、今はテレビゲームなど多様化していることだろう。


僕が住む田舎の盆地でも、小学校に上がると友達は皆、自転車に乗り始めた。
ある日曜日。
親友のおさる君が、僕の家の前の溝に自転車で突っ込んだ。それを高校生が助け起こしている。
近所の高校生から、買ったばかりの自転車で特訓を受けているらしい。
普通のこどもは自転車に補助車を付ける。
そしてバランス確保能力が高まったところで、補助車を外して「乗れるようになる」のだ。
だが、おさる君は違った。
買っていきなり、補助車を付けず練習をしている。

僕はショックを受けた。
補助車をつけずに練習する果敢な姿勢に嫉妬したわけではない。
なぜならば、彼の身体能力(当時は運動神経と言った)は折り紙付き。
鉄棒、野球、徒競走、彼は何でもすぐに誰よりも上手くやってのけた。


そうか、おさる君もついに買ったのか
おさる君は僕より1学年下で、本来ならば、年上の僕の方が早く買ってもらえてもおかしくない。
だが、所属する家庭が違う。

父は厳格で、母は倹約
その時点で、親から「大きなモノ」を買ってもらったということは記憶がない。
野球のグローブは買ってもらっていたが、王貞治に憧れて夢に見るほど欲しかったファーストミットは結局、買ってもらえなかった。
姉もまだ自転車を持っていなかったが、親にねだっているのを見たことがない。
従って、僕も感情に訴えてまで「自転車が欲しい」とは言わなかった。

ただ、それとなく「二年二組で、持っていないのは僕だけなんよ」ということは伝えていた。
そして、ついに親友のおさる君に自転車が来た。
その日、僕は母に「おさる君、今日自転車の練習してたよ」と話した。


どれくらい経っただろうか
ある日の夕方、誰かがウチを訪ねてきて、母が連れ立って外へ出て行った。
しばらくすると、母が戻ってきて表に出るよう僕に言う。

なんだろう?
と想って表に出ると、見知らぬおじさんのヨコに一台の白い軽トラック。
荷台にはロープで固定された、フレームが青い自転車が乗せられていた。

そのとき、母が僕になんと言ったか
台詞を覚えていない
「来たよ」だったかな

いわゆる、サプライズだ
その場に父もいた気がする
父は教諭なので、会社勤めと比べれば帰宅が早かったのだ。


近所の子の間で、自転車を買ってもらったのは最後だった。

今でも、このことを誇りに思っている。
僕は親のしつけにより、我慢を覚えた。

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2017年12月29日 (金)

AIスピーカーでつなぐ「会話ロボット」の未来

「会話ロボット」市場が普及前夜に入っている。

「会話ロボット」とは
「会話」ができて「カラダが動く」ロボット
(しらべるの定義)


2017年12月に発売された「KIROBO mini」は手足が動く小型会話ロボット
この商品は「持ち歩き」を前提としている。

■メーカー:トヨタ自動車
■価格:39,800円+税
■販売:トヨタディーラー

維持費として「スマホアプリKIROBO mini」利用料が350円/月
また、屋外ではWi-Fiではなく通常回線(4Gなど)を使う場面がある。
通信量は「通常3GB」(トヨタのウェブサイト)なので、3GB以上のパケット契約が必要となる。

「会話ロボット」と会話しているところを他人に見られたい人は滅多にいない。
屋外利用は「車載」に限られるだろう。

・能動的に話しかけてくる
・ユーザーの言葉を学習し対話する
この2点において「会話ロボット」として最先端にある。


AIスピーカーは「会話ロボット」ではない。
だが、カラダが動くもの珍しさは早晩、慣れてしまう。
共に暮らしていく「相棒」になるかは「会話」がどれだけ磨かれていくかにかかる。


AIスピーカーの会話は、お粗末な限り。
できることといえば
・定型の対話
・定型機能の音声指示
所詮「スピーカー」なのである。


一方、AIスピーカーには2つの利点がある。
①「充電式」のロボットは維持が面倒だが、AIスピーカーはコンセントにつなぎっぱなしなのでメンテナンスフリー
②ロボットに比べて格段に価格が安い。
Amazon Echo Dotの場合6,000円程度。
家庭の無線LAN(Wi-Fi)を利用する限り、月額の負担増もない。


拙い会話でも、ないよりはいい。
音楽再生は便利このうえない。
AIスピーカーの楽しさは、そのコストを上回っている。
本格的な「会話ロボット」が登場するまでのつなぎとして、君は欠かせない。

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2017年12月26日 (火)

「手のひら返し」は今や日本人のお家芸

しらべるが選ぶ2017年の5大ニュース

今年も5大ニュースを選ぶ時期がやってきた


それが確かならば、この1年は危うさと背中合わせながらも奇跡の1年だった。
つまり、結果的に平穏な1年だったということだ。
現実から目を背けることはできないが、慣れるしかない。
人は緊張したまま1年を過ごすことはできない。



第5位
白鳳 汚い

12月20日
日馬富士の暴行事案に関連して、横綱審議会は相撲協会に対して「白鳳にも厳重注意」を進言した。
それは、暴行があったとされる「現場に居合わせた責任を問うべき」というものだ。


「Google先生」に「白鳳 汚い」というキーワードで問いかけると、4,860件の記事がヒットした。
ルールの範囲内で荒技を使い、勝利を重ねる「実力主義」の横綱。
その手法に憤る人が少なくない。


かつて、プロレスラーアントニオ猪木は「実力主義」を掲げていた。
英語で言い換えたのが「ストロングスタイル」だ。
まだ昭和まっただ中、プロレスが週3回ゴールデン枠でテレビ放送されていた時代のことだ。
猪木が掲げる「実力主義」の対極として俎上に挙げたのはジャイアント馬場。


当時、興業格闘技は日本人と外国人が戦うものと相場が決まっていて、日本人同士の対決はマッチメイクされなかった。
馬場と直接対決することが叶わない猪木は「戦えば俺が上」ということを「実力主義」という言葉で暗喩していた。

猪木は荒技も使った。
反則技は5秒間続けないと負けにならないプロレスで、1秒で打ち終わる(反則の)ナックルパンチを打つことは「汚い」
猪木の日本プロレス時代、新日本プロレス旗揚げ後を一貫して電波に乗せたテレビ朝日(旧NET)はそれを「ナックルパート」と呼んで誤魔化した。

汚い手も使って勝つ日本人
それを誤魔化す放送局
暴力に魅せられるファン

試合の勝ち負けや技量と言った本筋とは別に「ショーとしてのドラマがある」プロレスでは、その構図がやり玉に挙がることはなかった。
所詮、ショービジネスなのだから。


相撲協会のエライ人が白鳳の汚さに言及を始めている。
何を今さらだ。
相手が不祥事で弱ったところで「実は前から思っていました」とやるのは汚い。

言うならば、もっと前から言え
猫だまし連発の時に厳重注意しろ


「手のひら返し」は今や日本人のお家芸
権威・立場のある人が言及する
それをメディアが伝える
すると「裏が取れた」とばかりに、名もなき大衆が後を追う

日頃は「長いものには巻かれ」ておいて、いざ「長くなくなる」と「実は前から思っていました」と手のひらを返す。
名誉毀損で訴えられるリスクがなくなったら、一気呵成に行く。
それは下品であり、自らを貶める。
自戒しなければならない。

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