2017年4月14日 (金)

サクラいいとこ取り

♪花びらが散ったあとのサクラがとても冷たくされるように
と歌ったのは風「ささやかなこの人生」だったが、僕はその歌詞にあまり感情が移入できない。

サクラは年中、僕の友達

花びらが散った後は、ありがとう
新緑の頃は、サクラが緑の葉をつけるのもいいね
夏になれば、暑いけど辛抱だぞ
秋になれば、元気かい
冬になれば、今が力を溜める時だね
そして節分が過ぎて、年度が替わる頃から満開に向かうまでは、その状況に応じて・・

いつもサクラに声をかける
だから、花びらが散った後、冷たくされるサクラがあると思えないし、そういう人がいるとも思えない。
あの頃のフォークソングは、まぁだいたいそんな感じというライティングでよかったのだろう。



通勤の桜並木は、下の方から葉桜に変わった。
サクラは根に近い方から咲き始め、サクラの木としての満開が数日。
それからまた、根に近い方から花びらが落ち、下から上へと緑のグラデーションが移動していく。

咲き始めの頃、道路の真ん中に出てスマホをかざし、クラクションを鳴らされていたサラリーマンはもう居ない。


舗道は一面、サクラの花びら
そこを雨が襲い、雑踏が重なり、美しかったサクラは見る方もない。

近所のラーメン屋のオヤジが言う

今年も憂鬱な季節がきたな
これから掃除の毎日だよ
入居しているのは賃貸マンションの一階
マンションには清掃業者が入っているが、来るのは週2回に過ぎない。

残りの日は、近所の商店主が手の空いた時に、掃除している。
泥にめりこんだ花びらは、一つずつ手で拾う。

花の芯の部分が厄介なんだよな・・
通りすがりの人はいいよな。
サクラを見て写真撮って

せめて、たなには昼はウチで食ってくれりゃいいんだけどさ
「サクラいいとこ取り」とはこのことだよ

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2017年4月 9日 (日)

電話口で言葉が多すぎる人 ばか丁寧の対処法

現代人はとても忙しい

1980年代にコンピューター、1990年代にインターネットが登場したことにより、人が人生において処理する情報は10倍になった(想像)

やらなければいけないことが山ほどあり、1つのことに充てられる時間は限られている。
現代は「ばか丁寧にはやっていられない時代」だ。


それでも、ばか丁寧な人は実在する。
時代の流れを読めないのだ。

自らが丁寧で完璧な仕事をする社会人であることに酔い、それがどれだけ相手の時間を奪っているかに思いが及んでいない。

五十歩譲って、それがメールならばまだいい。
ばか丁寧に書いてある文面から、必要なものだけを抽出して、あとは読み飛ばせばよい。
速読の技術を身につけているので、そこはさほど苦にならない。
(できれば結論だけを買いて欲しいが)

問題なのは、電話だ。
電話口で相手が喋っている以上、同じ尺の時間をこちらもつき合わなければならない。
相手が「バカ丁寧」な仕上げに費やす時間、こちらはなにも創造性のない、なにも利点のない時間を奪われる。



「他に何か疑問に思われる点はありませんでしょうか?」

ないです

「それでは、これにてご案内終了ということでよろしいですね」

はぁ・・

「また、何かございましたら、わたくしサ・ト・ウがお受けしましたので、何なりと気づきの際にご遠慮なく、ご連絡くださいませ」

はぁ・・

「それではお忙しいなか、貴重なお時間をいただきありがとうございました」

・・

「今後とも弊社をよろしくお願い申しあげます」

・・

「失礼いたします」


こういう時、しびれを切らして電話を切るのは人の道に反する。
そこは、暖かい世間の一員を演じなければならない。

相手の「ばか丁寧」の波状攻撃に対して、いちいち応えてはいけない。
なにか一つ、質問に質問を返せば、そこはねずみ算式に時間が増幅するだけだからだ。

とにかくひたすら「はい」
はいは1回だけ。
同じ「はい」でも0.2秒ではなく、0.1秒で言う。
それ以上、なにも言ってはいけない。

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2017年1月27日 (金)

ムリして会社に行くことで、他人の人生を台無しにする人たち

ごほ、ごほ
「もうぼろぼろです」
周囲に泣きを入れながら、羊さんは仕事をしている。

羊さんはこの三日間、ずっと咳をしている。
かなり、体調は悪そうだが、会社は休まない。
上司は先日来のインフルエンザ流行を受けて「周囲に迷惑がかかるので、ムリをせずに休んでください」と周知しているのだが、自分だけは関係ないと思う人なのだろう。

そういう人は、とても多い
咳をしているのにマスクをしていない人もいる。
こちらが嫌な顔をすると
「大丈夫、これは違うの。キレイな咳だから」と言う。
いったい、どこの世界にキレイな咳があるというのか。


羊さんはマスクをつけており、それで一定の責任は果たしている。
(でも時々、外しているが)
周囲にいる同僚からすれば、彼女は菌をまき散らす加害者なのだが、彼女はむしろ、自分は病原菌の被害者なのだというスタンスをとっている。

彼女には想像力が絶対的に不足している。


向かいの席にすわっているサトウさんは、羊さんが咳をする度に気が気ではない。
サトウさんには高校受験を控えた息子さんがいる。
三年間、第一志望校に合格するために、一生懸命頑張ってきた息子には、その夢を叶えて欲しい。

実力以上とは言わないまでも、せめて準備してきた力を十分に発揮して欲しい。
それが体調を崩したために、8割や6割の力で終わってしまうのは悲しい。

もしも、自分が媒介して息子に風邪を発症させたら、どういうことになるのか。
息子は夢破れて、高校ではおかしな方向にデビューするかも知れない。
そこから先も、めざしている道に進めず、望んでいる会社にも入れないかも知れない。

そうなると、生涯獲得賃金で1億円、いや2億円という損失を被ることになる。

だからと言って、その結果が出るこれから先、30年後、40年後。
自分と羊さんはとうに定年退職した後。

「あの時、あなたがムリして会社に来たことで、息子の人生は台無しになった。生涯賃金の差額1億円を賠償して欲しい」

はい、わかりました
ということはない。

羊さんとの縁はとっくに切れているだろうし、もしも、連絡がついたとしても、そもそも立証ができない。

厚労省が「感染被害」について、DNA鑑定を組み込んだ立証と、罰則、補償に関する法律を作らない限り、羊さんのような想像力を欠いた「自分は病気をおして頑張っている悲劇のヒロイン」のような勘違いをする人は居なくならない。

サトウさんは、極力、羊さんが席に居る時は、その咳を避けて、席を外すことを心がけるのだった。

ごほ、ごほ

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2017年1月15日 (日)

「寿命カメラ」は、顔の老け具合を数値化するツールだった。

さてiPhoneアプリ「寿命カメラ」の話に戻ろう。
インカメラに切り替えて自撮り
[決定]をタップすると「分析中・・・」と表示された。
固唾を呑んで見守る。
病院で重大な検査を受けて、宣告を待つ患者のような気分だ。
グラフが右端で止まったのを見計らって[結果を見る]をタップ
すると・・

「顔の検出失敗」
\^^)オイオイ

何が悪いのかはわからないが、スマホを少し顔から離して2枚目を撮影。
今度は数値が表示されたが、その数値を見て愕然とした。

「残リノ寿命年数ハ・・・」
とても書けない

書くと、その事実を引き寄せるような気がして縁起が悪い。
とにかく、平均寿命にも平均余命にも遠く届かない。

何かの間違いだろ?
意外な宣告に、冷静さを失っている。
もう一度、やり直しだ。
すると2度めの分析で「2年」だけ余命が伸びた。
でも、たったの2年だ。

スマホを凝視していると、動悸が高まってくる。
そんなはずはない。
これまでに受けた「霊視」では、前世で悪い行いをしたという話は聞いていないし、先祖も、そして僕自身もそんなに悪いことはしていないはずだ。
目黒区のインド人の「寿命予知」にも満たない。



縁起でもない・・
速攻でアプリを削除したくなったが、ここで我に返った。
あたかも「霊視」の如き画面づくりに冷静さを失っていたが、よく考えてみれば、これは「顔年齢判定カメラ」ではないか。


それを検証すべく、他の被験者でも試してみることにした。
だからと言って「平均余命を撮らせてください」と街角に立ったら、すぐに警察に通報されてしまう。

こんな時は「Google先生」
画像検索で「英会話に長けた女優M」を呼び出し「寿命カメラ」で撮影。

「残リノ寿命年数ハ・・・38」
その女優の年齢に足し算すると、70台半ば。

つづいて「20歳前後のロックボーカリストN」で実験。
「残リノ寿命年数ハ・・・56」
やはり70台半ば。

やはり「加齢判定カメラ」なのだ。
法令線、目の隈、肌の色、髪の量?
そうした加齢を判定する要因に対して加点方式で集計した数値を「余命」としているのだろう。


僕は、それでもまだ食い下がる。
今度はメガネをかけて撮ると、さらに数値が伸びて平均余命と並んだ。
このアプリは「顔が老けている」度合いを可視化している。
「寿命カメラ」と言われると、毛嫌いする人が多いと思うが、アンチエイジングに燃える人には、タダで使える有効なツールである。

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2017年1月14日 (土)

平均寿命=現在の年齢+平均余命 ではない

app storeでキーワード検索をタップすると「トレンド検索」という推奨候補が表示される。
そのなかに「寿命カメラ」という文字が見えた。


いったい、どのようなギミックなのだろうと興味がわく。
iPhoneには「方位磁石」から「睡眠データ分析」「金属探知機」まで、いったいどんなセンサーがその小さな筐体にはいっているのだ?と驚いてしまうようなアプリが揃っている。
まるで魔法の箱である。


百聞は一見にしかず。
「寿命カメラ」をダウンロードして「開く」
このアプリはインカメラで自撮りすると、自分の顔の上に「残リノ寿命年数ハ・・・20」のように余命が表示される。

「寿命カメラ」というアプリ名だが、表示されるのは「余命」である。
平均寿命と平均余命は定義が異なる。

平均寿命=現在の年齢+平均余命
と考えている人もいるが、それも違う。


■平均寿命
0歳児が平均であと何年生きられるかを表した数値。

日本女性は1985年から世界一を続けている。
2011年には「世界一を香港に明け渡した」という報道があったが、香港は国ではない。

日本人 平均寿命の推移

1965 67.7 72.9
1975 71.8 77.0
1985 74.9 80.8
2000 77.7 84.6
2002 78.32 85.23
2003 78.36 85.33
2004 78.64 85.59
2005 78.53 85.49
2006 79.00 85.81
2010 79.64 86.39
2015 80.79 87.05



■平均余命
ある年齢の人が、平均してあと何年生きられるかの期待値。
厚労省が年次で「簡易生命表」として発表している。

50歳日本人 平均余命の推移

2009 31.51 37.70
2011 31.39 37.32
2015 32.39 38.13

2015年の例でいうと、日本人50歳女性の平均余命は 38.13年。
すなわち、平均として88.13歳まで生きることが期待される。

2015年の女性「平均寿命」が87.05歳なので、50歳の方が 0歳児よりも1.08年長生きということになる。

つづく

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2017年1月13日 (金)

占い師は「あなたはいくつで死にます」とは言ってくれない

占い師は「あなたはいくつで死にます」とは言ってくれない。
(自分の寿命を質問している人がいるかどうかはわからないが...)

占いは「統計」と「霊視」に分かれる。
暦、手相、占星術などは「統計」
特殊な能力で未来をみるのが「霊視」

人がいくつで死ぬかについては、その人の健康状態、生活環境、遺伝情報など、フィジカルな要因が多く「統計」で予測するのは難しい。
一方、優秀な霊視能力者であれば、その人が何年後の世界にいるか、いないか。
あるいは、その人の葬儀の映像がどの時代に当たるかなどの情報により、目星を付けることはできるだろう。

わかる人もいれば、わからない人もいる。
(わからない占い師の方が圧倒的に多い)
ただ業界標準として、寿命については言わないことになっているようだ。


歳をとると「自分はいくつまで生きるだろう?」と考える。
日本人の平均寿命が発表されたというニュースがあれば、思わず確認する。
アナウンサーは、男性は80歳を超えたあたりだと言っている。

「なるほど男性は80歳を少し超えているのだな。だとすれば、自分は運動もしているし、持病もないから、ひいき目に見ても平均値が当てはまるとして80歳。するとあと**年か。そう考えると意外と短いものだな」
一般的な人の場合、こんな具合である。


ところが、10数年前「目黒区のインド人」に寿命を宣告されてしまった。
「あなたは**歳くらいまで生きます」
その数値は、当時の平均寿命の少し手前だった。

そのインド人は自称「ヒーラー」
一般的に言えば、占い師
「統計」ではなく「霊視」の方だ。

僕は寿命を教えて欲しいとは一言も言っていないが、その目黒区のインド人にとっては、それも提供する「情報セット」の1つなのだ。
まさか、そんなことを言われるとは思わないので、予め「寿命についてはわかっても言わないで」と釘を刺すこともできなかった。


聞いてしまった情報は、しっかりと耳に残る。
以後、寿命について考える時のデフォルト(初期値)になってしまった。
そこから、どれくらい先に延ばせるかの攻防である。


だからと言って、日々、寿命のことを考えて暮らしているわけではない。
「目の前の一分に集中する」
を座右の銘としているので、その場、その場にベストを尽くす。
そう簡単ではないが、そう決めているので、いつもそこに戻ることができる。

だが2016年末、寿命について考える出来事が起きた。
それは、iPhoneのapp storeでアプリを探そうとした時だった。

つづく

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2016年12月20日 (火)

「大人の迷子たち」の岩崎俊一さん三回忌

あなたは、何人の命日を記憶していますか?
家族、愛した人
あるいは有名人、慕っていたアイドル
恐らく、親の命日ならば「暗記」しているでしょう。
有名人、アイドルならば、手帖やカレンダーに書いてあって思い出すのではないでしょうか。
死んでから1年たった日は「一周忌」といいます。
2年たった日は「三回忌」です。
仏教では「奇数」で表記する習わしがあるため「2周忌」とは言わないのです。
2度めの命日は3回忌(=2周忌)
3度めならば3周忌(=4回忌)です。
命日の呼び方である 「周忌」と「回忌」の違いは
回忌=周忌+1
回忌はかぞえ年です。
さて、ここまで「命日」と書いてきましたが、これは一般的な呼称であり、厳密にいうと違います。
命日とは「亡くなった同じ日」
月忌と呼ぶ宗派もあります。
12月20日に亡くなった場合、毎月20日が「命日」です。
一般的に「命日」と呼ばれているのは「祥月命日」
一周忌以降の 亡くなった月日を言います。
2014年12月20日に亡くなった場合、2015年以降の毎年12月20日が「祥月命日」です。
命日についての言葉は他に
「初月命日」または「初命日」
亡くなった1ヶ月後の同じ日。
2014年12月20日に亡くなった場合、2015年1月20日
亡くなったその日は「逝去日」または「没年月日」
死後の手続き書類には「死亡年月日」と書いてあることが多いです。
今日はコピーライター岩崎俊一さん2度めの祥月命日
三回忌
ジョン・レノンの祥月命日に「Starting Over」を聴くことはなくても、岩崎俊一さんのその日には「SALUS」に連載されていたエッセイを集めた書籍「大人の迷子たち」を本棚から取り出して、何ページかめくっています。
寿命について触れたくだりがいくつかあり、この時彼は何をどう考えていたのだろう。僕らがそうであるように、日々誰ともいえない見えない敵と戦い続けていたのだろうかと思いを馳せる。
岩崎俊一さんは今恐らく天道からご家族そして、迷える平成の人々をお見守りになっていることでしょう。

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2016年12月14日 (水)

電車の中で足を組む黒タイツの女

大雪を過ぎると、東京にも本格的な寒気が訪れる。
冬場の東京はここからぐっと雨が少なくなる。
だからと言って、寒さだけは逃れられない。

遅く始まりやたらと変則だった台風がおちつき、寒暖差の乱高下が人々の体力を奪ったところだ。
風邪を引いている人がとても多い。
咳をしている人、鼻をすすっている人をあちこちで見かける。
それは通勤の電車もご多分に漏れない。



会社帰りの最寄り駅。
とても混んでいる電車を1本見送り、次の電車を列の先頭で待つ。
すると次に来た電車ではちょうど、ロングシートの端の席が空いたところだった。

端の席をゲットできるのは、とても嬉しい。
それは、他人との接点が2分の1で済むからだ。
左に橋本環奈、右に菅野美穂が座っていたら、真ん中でもいいが、滅多にそういう機会はない。
たいていはマナーの悪い隣人にココロ傷めることになる。



隣に座っているのはベージュのコート、黒いタイツの女。
視界の端にとらえた情報だけなので、それ以上のことはわからないが、恐らく20代後半から30代前半あたりだろう。

僕は早速、Kindleを取り出して村上春樹を読み始める。
すると、次の駅で2人の男が乗ってきて、僕と黒タイツの女の前に立った。
そして、次の駅では女の前にいた男が降りた。

事件は電車が発車して間もなく起きた


突然、黒タイツの女が足を組んだ。
右足を上にして。
恐らく骨盤がずれていて、足を組まないと体のバランスが整わないのだろう。
彼女に限らず、現代人は大なり小なり、体のあちこちが歪んでいる。
その程度によっては、椅子に深く腰掛けられない人や、足を組まないと落ち着かない人がいる。

黒タイツの女の斜め前には、サラリーマン
僕の目は点になっていたが、彼も恐らく同じだろう。
彼女はその次の駅で降りて行った。
たとえ1駅たりとも、足を組まずにはいられなかったのだ。


これから、お年頃を迎える女性は「電車で足を組む女」になってはいけない。
なんで?
と言われるかも知れない。
なんでだろう?
あなたは、どう思いますか。

僕の考えとしては、そこが「公共」の場だからです。
物理的に「通行の邪魔」ということもあるのですが、それ以上によくないのは、周りの人々に与える「不快感」です。


不快感を感じた人はどうなるでしょうか。
1.他山の石として積極的に受け容れる
2.気持ちが暗くなる
3.他人がしているのだから、次は自分もしようと思う。

すべての人が1ならばよいのですが、大半の人は2か3でしょう。
こうしたことにより、次第に「日本は感じの悪い国」に変わっていくのです。

電車を待つホームで整列しないのは、どこの国の人でしょうか。
電車のなかで周囲に不快感を与える行動をとるのは、どこの国の人でしょうか。

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2016年12月13日 (火)

エースニット帽 asics XAC121 とのお別れ

ニット帽が僥倖に出たと思われる旅先まで、乗換案内でしらべると往復で旅費は3,000円を超えることがわかった。
我がニット帽asicsXAC121は、1円も払わずに既に1,500円の旅をしてしまったのだろうか。


このasicsXAC121は僕にとって、生涯初のニット帽。
それまで、あぁいうものをかぶっていいのは、学生だけだと思い込んでいた。
なぜ学生かというと、ニット帽といえばスキー、スキーといえば学生という連想である。
学生時代にニット帽を買うことができなかった僕にとって、もう一生縁のない代物。
それなのに、ニット帽に手を出したのはマラソンを始めて5年、冬場のRUNが体にこたえるようになったからだ。


そこで、研究に研究を重ねて選んだ乾坤一擲?のニット帽。
それがXAC121だ。


このニット帽は、asicsがNASAのために開発した温度調整素材「アウトラスト」が使われている。
パラフィンワックスが入ったマイクロカプセルが、ファイバーに組み込まれたり、生地にコーティングされており体感温度を一定に調整する。

いわゆる"暑くならない"ランニング用ハイテクニット帽だ。


繊維の中のマイクロカプセルが快適な温度に保つため、走り始めは少し寒くても、走り始めると暑くも寒くもない。
吸汗、湿気放出機能があるので、蒸れにくい。

ただし、10km、15kmと走っていると、さすがにその汗を生地が吸ってしまい不快になる。
だが、それを回避できるニット帽はまだない。


はじめのうち、デザインが地味すぎることが難点だと思っていたが、長年使っているうちに、それはむしろ長所となった。
どんな時にでも、気軽にかぶっていける。
合わせる服を選ばない。
その後、3つのニット帽を買い足して、ニット帽4個体制となった今も、もっとも多用するエースニット帽だ。



こうして振り返ると、名残惜しくなって来るのだが、そのために3,000円の出費は痛い。
だからと言って、その消息を確かめないわけにはいかない。
なにせ、この5年間、ずっと共に冬を過ごしてきた相棒なのだ。


となりの県の電鉄会社に電話をかけた時、そこで君が見つかることを確信していた。
しかし、君はそこにもいなかった。

意外を通り越して、想定外だった。
もしそこにいると言われたら「送ってください」と泣きつく予定だった。
しかし、それもかなわない。

君が満員電車の乗客に踏みつけられて、どこかの線路上に蹴り出されたりしていないことを祈る。

そして、誰かがひろって「ラッキー」と言わなくてもいいから、使ってくれていればと願う。

それは、若者がかぶっているニット帽に憧れていた老人かも知れないし、かつての僕がそうであったように、防寒具も買えず、寒さに凍える苦学生かも知れない。

おわり

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2016年12月12日 (月)

ニット帽を尋ねて3時間

僕はKindleをカバンに仕舞い、ホームに降りた。
Kindleは電源を切らなくても、そのうちスリープに入ってくれる。
買ってすぐの頃は、何ヶ月か充電することもなかったため、いったいどんな魔法の電池が仕込まれているのかと思っていたが、最近では、ほぼ期待通りに充電が切れてしまうようになった。
電源オフにしなくても、その読み終えた位置は本体、そしてクラウドに記憶される。仮に次にパソコンのKindleアプリで開くと「あなたはこの機械で何時何分に何ページまで読んだけれど、その位置に移動するか?」と聞いてくれる。


便利な世の中になったものだ
改札に向かう下り階段へとホームを歩いていた時、頭が風を感じた。
しまった、ニット帽がない
そうか、膝に置いたのを忘れていて、そのまま立ち上がってしまったんだ。


再び、電車に駆け寄った
まだ駅員さんからの「駆け込み乗車はご遠慮ください」のコールはかかっていない。
今ならば電車に乗ることはできる。
一駅先まで行く間にニット帽を確保して、次の駅から折り返すか?


しかし、その時、過去の経験が想起された。
数年前、冬物の手袋を左手だけ置き忘れたことがあった。
その時は、気づいた時にはもう電車は走り出していた。

鉄道会社に問い合わせると、その手袋は終着駅で拾得されていた。
恐らく、すべての乗客からスルーされて、終点に着いた電車をチェックしていた車掌が見つけたのだろう。

だが、終着駅はとても遠かった。
そこまで行くために片道50分、往復100分
もちろん運賃も往復分必要だ。

送ってもらえないのですか?と尋ねると「1週間後には、本社の忘れモノセンターに集約される」のだという。
それは片道30分の場所にあり、1週間後、そのセンターに手袋を迎えに行ったのだった。

また、取りに行けばいいか。
もし、どうしても必要ならば


この★から■までの間、わずか3秒ほど。
僕は、ニット帽を乗せた電車を見送ると、駅のホームに貼られていたダイヤ表から列車番号を控えた。
「40A」や「915F」のような、そのダイヤにユニーク(唯一無二)に振られた番号である。

問い合わせる相手は鉄道会社の社員なので、この番号を言えば、話が早くなる。
その推察は当たっていて、問い合わせた忘れモノセンターでの話は速かった。

それはダイヤモンドを5つちりばめたニット帽ですか?それとも大手服飾チェーン店で売っている980円のニット帽ですか?」

そんな回答を期待していたが、予想外にもニット帽は拾得されていなかった。

そして、オペレーターは続ける。
その電車は、引き続き相互乗り入れしている電鉄会社のダイヤになっています。
あとは、そちらの可能性が・・・

その相互乗り入れ先はとなりの県、終点までは片道1時間半はかかる。
ニット帽を尋ねて3時間・・・

つづく

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