2009年6月12日 (金)

小学校英語授業の歴史

 小学校の英語授業はまだ、必修にはなっていない。

 もうずいぶん前から「小学校で英語が始まった」というニュースを、メディアが報じているが、実際はまだである。

 小学校英語の取り組みは 1992年度に遡る。
 この年から、限られた「実験校」で、実践研究が始まった。

 実際に、全国の小学校が 授業で取り組むには、その根拠になる「学習指導要領」に盛り込まれる必要がある。
 初めて、指導要領に、それらしいことが謳われたのは 2002年に施行された指導要領だった。

 2002年4月
 小学校でも英語学習が始まった・・・
 とメディアがとりあげたが、中学校のように「英語」の時間があるのではなく、新指導要領によって生まれた「総合的な学習の時間」の中で、国際理解に関する学習の一環として行われたのである。

 成績に影響するわけではないので、あわてて教材を買ったり、英会話塾にいかせる必要はなかったのだが、これを機に子供向け英語市場ができあがった。

 どのような内容の授業をするかを研究する団体として、2000年1月に「小学校英語教育学会 JETS」が発足。
 JETS(the Japan association of English Teaching in elementary Schools)
 小学校、大学などから広く会員を募り、定期的に研究会をもちながら進めてきた。
 2009年現在も、定期的な活動が続いている。

 2011年度に施行される新指導要領では、いよいよ、外国語が盛り込まれる。
 まだ、2年先のことである。

 ものごとを長期的な視点で決めた時、その施行までの間にも、世の中は流れている。
 施行を悠長に待ってはいられないという時、行政では「前倒し」が行われるが、教育界ではそれを「移行措置」という。

 移行措置とは、新しい学習指導要領の施行を先取りして、新たに盛り込まれる内容を 1~2年前から試行すること。
 今回は、2011年の新指導要領施行を前に、2009年度から、その移行措置が実施される。

 2009年3月
 文部科学省が公立小学校に外国語活動の教材として「英語ノート」を配布した。
 今さら言うまでもなく、外国語と言えば英語。
 この配布により、外国語活動は事実上、英語に限定された。

 2009年4月
 移行措置として、小学5年生以上で英語活動が必修となった。
事実上、2009年度が小学校英語授業元年となる。

 2009年6月
 文部科学省が発表したところによると、2009年度、公立小学校で外国語活動を計画した学校は の98.7%。
 特別な事情がある学校が 1.3% あったということであり、実際は 100%だ。

 小学5年生といえば 11歳。
 「英語は逆から学べ」などの著書がある 脳機能学者の苫米地英人は、母国語の習得が止まるクリティカル・エイジは13歳までと著書に記している。

 2015年頃には、あたかもネイティブかのような英語で歌うロックンローラーが、多数、日本に出現していることだろう。



|

2009年2月27日 (金)

みんな非常識

 内勤のスズキさんは、トイレに行く途中の廊下で、ゴミをひろった。
トイレの洗面台の下に、ゴミ箱があるのを知っていたからだ。

ゴミ箱には、漫画雑誌が捨ててあった。
スズキさんの職場では、雑誌を捨てる場所が決まっている。

「誰だよ、こんな所に雑誌を捨てて 非常識じゃないか!」

きっと、若手の社員が捨てたのだろう。
スズキさんは、若い奴らはモラルが低いと嘆いた。

 さて、そういうスズキさんは、最近ちょっと風邪気味で、席に戻ると
こほん、こほんと2度、咳をした。
真向かいに座っている部下のサトウさんは、顔をしかめた。
職場では「咳が出る時は、マスクをしましょう」と通達が回っていた。
彼女は声なき声で、つぶやいた。

「なによ、咳をするなら、マスクをしてよ 非常識じゃないの!」

 そういうサトウさんは、今朝、職場に来る道すがら、メールを打ちながら歩いていた。
歩道は狭く、後ろには、渋滞ができていたが、サトウさんは、後ろに目がついていない。
真後ろを歩いていたタナカさんは、携帯ではメールをしない人だった。
彼は、心でつぶやいた。

「なんだよ、メールするなら、邪魔にならない所でやれよ 非常識じゃないか!」

 そういうタナカさんは、週末に家の近くをジョギングしていた。
最近、体重が70kgを超えてしまったのだ。
走っているうちに口の中につばが溜まった。
タナカさんは、走りながら、道路につばを吐いた。
ちょうど、そのそばを散歩をしていたサノさんは思った。

「まっ汚い、唾を吐くなんて最低! 非常識じゃないの!」

 そういうサノさんは、スーパーの買い物でドーナッツを買った。
4個138円、いつものお気に入りだ。
レジに並んだサノさんは、レジ前のエンド・コーナーで
3個98円の大福をみつけて、気が変わった。
大福をカゴに入れ、ドーナッツをその場所に置いた。
それを見た、レジ係の店員サイトウさんは思った。

「なにそれ 元の場所に戻しなさいよ 非常識じゃないの!」

 そういうサイトウさんは、スーパーに出勤する途中、タバコを吸いながら歩いてきた。
サイトウさんの住む町には、歩きタバコ規制条例はないので、違法ではない。
サイトウさんの家族では 「家の中ではタバコは吸わない」という取り決めがあって、いつも外で歩きながら吸っていた。
それを見ていた、サラリーマンのイノウエさんは、ぼそっとつぶやいた。

「歩きタバコかよ 非常識だろっ」

 そういうイノウエさんは、会社に着く前にコンビニで買った「週刊コミック」を、トイレに持ち込んで読んでいた。
読み終えたイノウエさんは、トイレ内にあるトイレットペーパーを置く棚に置いていこうかと思った。
だが、思い直して、持って出た。
トイレの洗面台の下に、ゴミ箱があるのを知っていたからだ。

|

2009年1月15日 (木)

週末は寒いなか、センター試験です。

 1月17日(土) 18日(日)の2日間 センター試験が行われる。

 センター試験は国公立を中心とした大学入学試験。
 例年、1月の第3土日に行われている。
 入学試験は一大イベント。受験生は学校を休んで受けてもよさそうだが、試験は土日の休日に行われる。
 電車やバスが混まない。学生のアルバイトなどスタッフが確保しやすい。
 といった事由によると拝察する。

 出題はすべてマークシート方式。
 記述式の問題はない。
 2006年より英語にリスニング試験が導入された。
 かつて「ヒヤリング」と言っていた頃の一斉放送によるものではなく、この試験にはICプレーヤーとイヤホンが使われる。
 ICプレーヤーなどの備品は持ち帰ることができる。

 リスニングは配点が50点もあり、とても比重が大きい。
 大学を目指すお子さんがいるならば、この50点のために早い時期からネイティブ・スピーカーの英語を聞き取る力をつけるとよい。
 その手段は 海外留学、駅前留学、英会話教材 と様々だが、如何せん費用がかさむ。
 その点、苫米地英人が発表しているサブリミナルを駆使した方法ならば、費用は 3,000円しかかからない。
*「英語は逆から学べ」

 1979年に始まった「共通一次」が1989年に終了した後、「共通一次」に対して「新しいテスト」という意味で「新テスト」とも呼ばれていた。
 1990年(平成2年)1月に始まり、2009年は記念すべき20回め。
 記念大会として全国各地で盛大な式典が行われる・・ ことはない。
 20回ともなれば、新しくもないので「新テスト」と呼ばれることもなくなっている。

 【 共通一次との違い 】
1,国公私立を問わず全ての大学が対象
2,どの教科、科目の結果を利用するかは各大学の自由。
3,傾斜配点が認められている。

 傾斜配点とは、ある教科の得点に一定の係数を掛けること。
 山形大学工学部は1997年度入試より、センター試験の国語(200点満点)について現代文(100点満点)だけを得点対象として 2倍で計上する傾斜配点を開始。
 しかし、コンピューター・プログラムを変更し忘れたため、現代文は 1倍で計算されていた。

 それが2001年度入試が終わったところで発覚する。
 その発端は、この年に始まった「成績開示制度」
 これを利用した山形大の受験者が、2倍にするなら偶数になるはずの国語の点数が、奇数になっていることを指摘。
 調査したところ、プログラムの改訂忘れが判明した。

 このミスは 1997年から2001年まで 5年間続いた。
 ミスがなければ合格していたのは 5年間で428人。
 大学から当該者への入学の打診に対する返答は「入学する」61、「保留」171、「入学しない」196
(*山形大学まとめ 2001年6月3日現在の数字)

 年度別の回答は不明だが、1997年に被害に遭った94人は、発覚した2001年の春には卒業を迎え社会に出た年齢。
 何を今さら、そのやるせない気持ちを思うと、あまりに忍びない出来事だった。
 一方、ミスがなければ不合格だった 428人は、自分がそうだったかはわからず仕舞いとしても、得体の知れぬ気味悪さを感じたに違いない。

 なお成績開示は、出願時に別途800円を支払うことで受けられる。

 その昔、会場に生徒を引率に来た先生は、こう言って生徒を笑わせた。
「今日、試験問題について情報がはいった」
 まじかよ?と息を呑む生徒
「教科書に載っていることしか出題されないそうだ」・・

 ちなみに現在の試験では、教科書に載っていない時事問題や英単語も出題される。

|

2008年11月22日 (土)

漢字の読み間違いが直らない理由

 さて今日は、漢字読みの質問です。

 「上意下達」 読めますか?

 改行を 10行いれるので、5秒間 考えてください。

答えは

「じょういかたつ」

 恥ずかしながら、これまで
 「じょういげたつ」
と読んでいました。

 ATOKで変換したら
「上位下立つ」
なんだか怪しげなニュアンスの、変換結果が出ました。

 あれ、おかしいな
「じょういげだつ」 なのかな? なんだか宗教みたいだな  ^^;)
と思いつつ変換すると
上意下達
<<じょういかたつの誤読>>

赤い部分の表示はATOKの機能です。
ATOK先生 たすかります。

 それはないだろう?という漢字読みを他人がしていると
いつも笑っていたが、もう人のことは言えない。

 この間、知人が 「嘱託社員」を「ぞくたくしゃいん」と読んでいた。
同僚の誰かが教えてあげればよいのだが、誰も教えない。

 「あいつは人の意見に耳を貸さない」
 「プライドが高いから、指摘するとすねる」
 「なにか屁理屈を言って反論してきそうだ」

 このような評価をされている人には、周りは言いづらい。

 この場合、教えてあげない周りが悪いのではなく、
「俺に意見するなよ」オーラを出している本人が悪い。
 それなのに、こういう話をすると、
「教えてあげないあなたにも責任がある」
と諫める人が少なくない。

 このような言い間違いが直らないのは、"打ってみない" からだ。
 日頃、よく目にする言葉を自分でコンピューターに向かって打ったことがないのだ。
 "ぞくたく"と打てば、 俗多久 と変換される。
 "ぞくたくしゃいん"ならば、 俗多久社員 だ。
 一度打てば、自分が間違えていることに気づく。

 メールコミュニケーションでは、相手から来た文面をそのまま引用できる。
 相手のいうことに対して 「了解しました」で流すだけの思考をしていると、自分で打ってみることがない。

 読み間違いは、漢字を知らないことが恥ずかしいのではない。
 長い人生で、その言葉を使わず、誰からも指摘されずに生きてきた、うすっぺらい人生が恥ずかしい。



|

2007年2月 1日 (木)

CAIアレルギー

 【 しーえーあい 】 Computer Assisted Instruction
 「キャイ」「カイ」とは読まない。1980年代は「CIA」(米国、中央情報局)と言いまちがうオヤジが後を絶たなかった。

 コンピューターを使った教育。
 大人の実務修得から子供の教科学習まで、様々な分野で使われている。
 2000年代に入ってから、履修者が教育コンテンツで学ぶ学習方法として e-learning という言葉が登場した。
 e-learningとCAIは同意語。ビジネスの現場では、e-learningが使われており、CAIという言葉は聞かない。

 e-learningは、比較的内容が平易な、初期の研修に向いており、いちいち、講師を調達しなくて済むというメリットがある。
 CD-ROMで提供されることが多く、Webページ上でも提供されている。
 ただし、日々の業務で使うマニュアルには e-learning は向かない。内容が起承転結になっており、知りたいことだけを即座に知るには不便なのである。

 CAIという言葉は、主に学校教育、生涯教育の現場で用いられている。

 1992年施行の学習指導要領により、1995年(平成7年)までにすべての小・中・高校にパソコンが入った。それらのパソコンのOSは大半がMS-DOSであり、活用されぬうちに古びてしまった。

 2002年施行の学習指導要領で、ほとんどの教科にコンピューターとインターネットの利用を規定した。

 簡単に言うと、ハードが先に入り、ソフトは10年後に入ったのである。

 10年間、コンピュータールームに集められた、モノ言わぬ機械を、教科指導の先生方はどのように見ていただろうか。

 その10年に、文部省が言わなければいけなかったことがある。
「コンピューターは教科学習の理解を補完する道具です。決して先生の代わりになって教える機械ではありません。コンピューターには教材(ソフト)が必要です。ただし、それをコンピューターのプログラミングができない一般の先生が作ることは無理です。教材業者がつくる出来合いのソフトの中から、あなたの指導を補完できると思うソフトを選ぶ目を養ってください。その購入費用は国が面倒をみます」

 日本では「教育は人間がやるもの、機械に教育を任せられない」という勘違いをした教師が多く、CAIは遅れている。欧米では25年前にそういう時期を終え、今は「テクノロジーは教育をよりよくするための手段・道具」という健全な認識が育っている。

 教諭(学校の先生)は授業目的であれば、ソフトをコピーすることが著作権法で認められている。しかし著作者の利益を侵害するような複製は認められない。(著作権法第35条等)



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月25日 (木)

日本でコンピューターの教育利用が進まない理由

 学習指導要領の改訂により、2002年度から、教科指導にインターネットとパソコンの利用が始まった。
 だが、日本では、教師にコンピューターやインターネットで教材作りをする下地がない。

 米国では、同じテーマで調査、研究した情報をWebページにまとめて、情報交換するプロジェクトが進んでいる。
 米国で、こうしたコンピューターの教育利用が進んでいるのには理由がある。

 米国には日本のような「指導要領」「検定教科書」がない。
 教師は昔からタイプライターやワープロを使い、自作の教材を作っていた。
 キーボード配列に慣れており、コンピューターを活用する下地がある。
 また、コンピューターを教科指導に利用することへの制限もない。

 日本では、2002年4月施行の新指導要領や、2000年からのミレニアム・プロジェクトにより、ようやくインターネットやコンピューター利用の規制がなくなったが、それを教材作りに活かす下地がない。

 教材は検定を通った教科書を使わなければならない。学校でおこなうテストも業者テストを購入して使っている。なかには、著作権の利用範囲を超えて、複製するケースもある。先生が自作教材で教えるという余地はほとんどない。

 一方、時間的な制約もある。
 学校行事、教育委員会の行事、生徒指導、部活指導、日々起こる問題。
 日本の先生の就業時間には、コンピューターを利用した教材作りに取り組む時間は残されていない。

 そして、コンピューターの教育利用を阻む最も大きな要因は、日本の教育におけるコンピューター・アレルギー=CAIアレルギーである。

 次回2月1日につづく

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年1月18日 (木)

2002年の教育改革

 2002年の学習指導要領改訂で、最もニュースになったのは「学校五日制」だったが、指導内容については、次の2つが目玉である。

■総合的な学習の時間
 2001年度までの指導内容を削減して、教師が自由な創意工夫で指導するために設けられた授業時間枠。
 子供達は「総合学習」「総合」と呼んでいる。
 文部科学省のガイドラインはなく、自由に教諭が指導内容を組み立ててよい。個々の教諭の真価が問われる。

 ジーコ監督の下、自由を与えられた選手たちには、自ら考えて行動する高い能力が必要であったように「総合」は教諭に高い資質を要求している。

■教育へのパソコン、インターネットの利用
 ほぼすべての教科指導内容に「パソコン」「インターネット」の文言が入った。
 当時、想定された使い方は次のようなもの。

・ 世界中のデータベースを使う。
・ 国内外の学校と絵、写真、E-mailを交換する。
・ 気象観測や生態観測など、同じテーマで調査、研究した情報をウェブページにまとめ、情報交換する。~アメリカではこのプロジェクトが進んでいた。

 また、指導要領施行に先立ち、移行措置的な意味合いで、文部科学省情報課による「ミレニアム・プロジェクト」が進行していた。

・2000年~2005年の6年計画。
・従来のコンピュータ教育の目標は、コンピュータ教室を作り「コンピュータの使い方」を学ぶものだったが、当プロジェクトでは、一般教室にコンピューターとプロジェクターを設置して、インターネットを一般の授業に取り入れるとした。

 これまでは「12時間で教えるべき内容を10時間で教えて "落ちこぼし" を出していた」のを「8時間でわかるようにして、2時間は調べ学習や体験活動に充てる」のを目指す。

 ただし、指導要領施行前から、問題点も多々、指摘されていた。

1、1995年までに入れたパソコンが、既に古くなっている。

2、インターネットを授業で使うには、コンピュータールームに20本程度の高速回線が必要だが、財源がない。
*1998年11月、郵政省は予算300億で、全国1,000校に無料でインターネット接続すると発表していた。「ほとんどの学校のパソコンは死んでいるも同然。このままではますますアメリカに引き離される」ための措置。

3、依然として、使い方を指導できる教師が少ない。

4、教師にコンピュータやインターネットで教材作りをする下地がない。

 次回、1月25日につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月11日 (木)

北川正恭氏

 【 きたがわ まさやす 】 早稲田大学教授
 マニフェストということばを普及させた先駆者。民主党がそれを取り入れた。
 2004年に三重県知事を退任。現在は政治学者の立場から、マニフェストを前提とした民主主義の実現をめざす。

【 北川氏の略歴 】
1944
三重県生まれ。

1967年
早稲田大学第一商学部卒。
大日本印刷入社。

1972年
三重県議初当選。

1983年
衆議院議員初当選。

1990年
文部政務次官

1995年
三重県知事初当選。
県知事時代の改革内容は「行政を変える」村尾信尚 講談社 2004年8月~に詳しい。

2003年
2期を終え三重県知事を辞す。
早稲田大学大学院公共経営研究科教授就任。
 8月14日、三重県多度町の三重ごみ固形燃料RDF(Refuse Derived Fuel)発電所でタンクが爆発。消火に当たっていた消防士2人が亡くなる。

2004年
 1月27日、三重県知事在任中に手がけた「三重ごみ固形燃料発電所」爆発事故の件で三重県議会に参考人招致。

 三重県知事当時、他項目に渡る県庁改革を進め、知事としては浅野史郎氏(2006年に宮城県知事を退任)に次いで一目置かれた。

「父から子へ伝えるもの」KKベストセラーズ 2002年
 の中で「学校五日制を最初に仕掛けたのは私だった」と本人が語っている。
 ゆとり教育は日本を衰退させるだろう。その責任についても検証されることを待ちたい。

 田中康夫は長野県知事当時の著書「脱ダメ日本宣言」でこう書いている。
(以下引用)
 田原さんの「サンデープロジェクト」に出るときも、1人で荷物を持っていく。日曜日なのにカバン持ちの職員を3人も出勤させちゃう三重県のような財政的余裕はないから。東京駅で驚かれるの。知事が両手に荷物下げて1人で歩いてるって(笑)。

1月18日につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

学校週5日制(週休二日制)

 2002年度よりすべての土曜日が休みとなり学校週5日制が始まった。
 2006年度で5年度が経過する。

 その目的は教諭(=学校の先生)の週休二日の実施、ゆとりある教育の2つ。
 学習指導要領は法律の性格は持つが、法律ではないので、私立校は実施しなかった。そのため、ますます公立と私立の学力格差が広がることを、2000年頃から教育関係者は認識していた。

■導入スケジュール
1992年度2学期~ 第2土曜日が休みになった。
1995年度1学期~ 第4土曜日も休みになった。
2002年度1学期~ 2002年4月13日より土曜日はすべて休みになる。第三土曜日にあたる20日が新制度初の適用日。

 以下は、しらべるが 2003年1月に書いた記事原文である。

◆なぜこどもに「ゆとり」が必要なのか。教諭は土日、日月のように休みを振り分ければ週休二日にすることは可能。そもそも教職にある公務員を民間並に週休二日にする方がおかしい。週休二日移行後、教諭の夏休みを取り上げたが、元通り、夏休みにゆっくり休ませればよい。
 次世代を担う子供達をさらにぬるま湯につける方策は、日本の将来に大きな禍根を残す。2002年の学校五日制実施を認めた当時の文部大臣と、学校五日制を手がけたと自認する北川正恭の責任は計り知れない。

 当時、北川氏は公職(三重県知事)にあったので、敬称をつけていない。
 張本人である北川氏は、学校五日制見直しが提起されている2006年現在、この件について、なにかコミットしているだろうか。

 1月11日につづく

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年12月30日 (土)

2006年 しらべるが選ぶ5大ニュース

1、朝鮮民主主義共和国核兵器開発
2、小泉退任 安倍内閣誕生
3、教育基本法改正
4、FCバルセロナ、CL優勝
5、FCバルセロナ、CWC決勝で敗戦

 ニュースバリューは低いが、後に効いてくるのが、1947年の施行以来初めて、59年ぶりとなる教育基本法の改正だろう。
 何が変わるのかが、わかりにくい法律改正。

「消費税、いまの5%が10%になります」
「飲酒運転の罰金が50万円になります」
 と一言で言い切れるものがない。

 実際には、次回の学習指導要領改訂で、カタチとなるだろう。

 「学習指導要領」は、学校の授業の指針となる教育課程の国の基準。法的性格を持つ。
 およそ10年に1度、改訂される。改訂された後、順次小学校、中学校、高校の教科書が改訂される。

【 現在の学習指導要領 】

■小学校・中学校2002年度、高校2003年度より施行。

■学校週5日制が完全実施(それ以前は第2、第4土曜日が休み)。

■教科書内容は3割削減され、授業時間数も削減された。

■「総合的な学習の時間」創設

■ほとんどの教科の指導内容にパソコンとインターネットの利用が盛り込まれる。

次回1月4日につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月29日 (金)

西南学院大学の歴史

 西南学院大学は、福岡市早良区百道にあるミッション系共学の私立大学。

 YAHOO!ドームの所在地でもある百道(ももち)の地名は、藤崎にある刑務所に縁がある。その昔、百道の海岸線には松林があった。脱獄を試みた囚人は、その松林を縫うようにして追ってから逃げた。その通り道が、百通りもあったという逸話が名前の由来。

 西南学院大学は、九州の私立大学では最も入学試験時の偏差値が高い。

【 西南学院大学の歴史 】
1916年
 5月11日、創立

1954年
ランキンチャペル完成

2001年
文学部社会福祉学科設立。

2003年
志願者数14,576人(1993年は18,562人)
偏差値57.5~52.5(1993年は60.0~57.5)
*週刊東洋経済2003年5月24日号より

2004年
 1月、インターナショナルハウス完成(汀寮となり)
 3月、法科大学院棟完成(旧西南高校跡)
 4月、法科大学院開設。社会福祉学科、児童教育学科が人間科学部となる。
 9月、西南クロスプラザ完成

2005年
 3月、新大学院棟(旧西南高校跡)完成

2006年
4月、文学部国際文化学科が国際文化学部となる。
5月、ドージャー記念館・大学博物館開館(旧:西南高校講堂)
5月11日、90周年
法科大学院から新司法試験を4名が受験し、2名が合格。
12月14日、村上隆太学長退任

2007年
4月、学外連携施設オープン(旧西南高校跡)

 関東では「西南の役」と西南学院大学を混同して、鹿児島の大学だと思っている人がいる。
 お坊ちゃん大学と言われ、関東では「九州の青山」という表現を聞くことがある。誉めているつもりなのだろうか。関東で西南が無名であるように、福岡では青山と言ってもイメージが浮かぶ人はいない。

 チューリップの財津和雄、ミーシャの出身校。
 以前、卒業生の蓬莱という選手が西武に在籍したが、知る人は少ないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月30日 (土)

コンピューターを使わないですべきこと

 帰りがけには「それ印刷できないの?」とよく言われた。
 始めのうちは「じゃ、会社に戻って印刷して送ります」とやっていたが、そのうちバッテリーで動くプリンターも買って、持ち歩いた。
 今ならば「メールに添付して送ります」と言って、その場でモバイル環境から送ってしまうこともできるだろう。

 1990年代初頭、そんな僕に対する同僚の評価は
「パソコンで仕事をする変なやつ」
というものが大勢だった。
 転勤してくる社員を迎えるとき、多くのサラリーマンはその社員の風評を前勤務地の知人に取材する。
 motoってどんな人?
「パソコンとか電子手帳とか使う、変わった人だよ」
 こんなふうに言われるわけだ。

 それでも、ぜひ使いたいから指南してほしいと教えを乞う人はいた。

 2006年1月10日の記事で、僕が指南して、使いこなした人たちについて書いた。
 だがある時、僕の紹介でパソコンを買った一人が
「motoに騙された」
と喧伝していることを、人づてに聞いた。

 どうやら、パソコンを買えば、僕と同じような仕事ができると思ったらしい。
 僕の自作資料をまるごともらえると思ったのかも知れない。
 当時、最も高機能なノートパソコン1台が50万円はした。50万円も出したのだから、夢のような成果が得られるはずだと考える気持ちはわかる。

 インターネットやメールが付いてくる1997年以降のパソコンはテレビと同じ。
 それ以前のパソコンは、頭の中に設計図がない人には猫に小判。

 使いこなしていた人は、パソコンにたどり着く手前で、頭の中の設計図が爆発していたのだ。

 コンピューターを使うことで、できることがある。
 コンピューターを使わないとできないことがある。

 ただし、18歳以下の子ども達には
 コンピューターを使わないで、すべきことがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月29日 (金)

ノートパソコンと営業マン

 1990年代初頭
 ノートパソコンで説明する営業マン。

 数年後、外資系生保の営業マンがやっているのを見るまで、自分以外にそういう人を見たことがなかった。確かその生保会社ではソフトのコピー、改変を防ぐために外部媒体を挿しこむことができない特別仕様のノートパソコンを営業マンにもたせていた。

 当時、僕の任務は担当していた商品の新規取引先開拓。
 自作した資料は、マクロを組んだ Lotus1-2-3のブックによる経営シミュレーション。
 一通り商品を説明した後、おもむろにカバンからノートパソコンを取り出して開く。
 「じゃ、ちょっとシミュレーションをお見せしましょう」
 こういうと、相手の顔色が変わるのが面白かった。

 なかには「あ、コンセントいいですか?」と電源の心配をしてくれる人もいた。ノートパソコンを肉眼で見るのが初めてという人も多く、コンピューターがバッテリーで動くという想像力が働かないのである。

 レジュームしてあるので、起動は割りと早い。
 こういうときのために、ハードディスク内臓&レジューム付のパソコンが発売されるのを待っていた。発売と同時に予約して買った。

 「ここの事務所は6坪くらいですか?」
 そう言ってあたりを見回す演出を入れながらセルに「6」と入力する。電話回線はえ~っと9本ですね。それと、さしつかえなければ営業社員は?

 初対面では普通は聞けないような情報が、楽々と手に入る。
 こちらが初年度、そして次の画面が5年後になります。
 初年度はイニシャルコスト分があるのでとんとんですね・・

 数字は話し半分なのは、大人ならばわかっていること。
 利益が5年で2000万円です!
 と言われて「じゃ、契約!」というようなお気楽な人はいない。

 大切なのは、経営に紐づく数値項目の把握、論理的思考を僕がしているということのアピール。

社長さん「これ、**(会社名)さんで作ったの?」
moto「いえ、自分で。会社はコンピューター買ってくれませんから」

9月30日に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月28日 (木)

子どもにパソコンは要らない

 2002年に施行された今の学習指導要領では、大半の教科でコンピューター、インターネットの利用、そして、児童にコンピューターリテラシーを身につけさせることが盛り込まれた。

 だが、子どもにパソコンは必要ない。
 必要だとしても大学生からだ。

 いまの40歳以上の人で、大学当時、ノートパソコンを持っていた人はいない。なぜかというと発売されていないから。日本初のノートパソコン、東芝「
ダイナブック」が出たのは1989年のこと。これは2006年度に39歳の人が、大学4年生を迎えていた年だ。

 希にシャープx6800などのデスクトップパソコンを持っている人がいたが、ベーシックでプログラムを書くか、ゲームをして遊んでいただけ。
 大学には電算機が入り始めていたが、学校で触っていた人はほとんどいない。
 インターネットの全身であるパソコン通信が産声をあげていたものの軌道に乗る前。携帯電話の登場はさらにその後だ。

 では、今の40歳代の人は、気の利いたウェブサイトを作ったり、洗練されたコンピューター・システムを設計できないかというと、そんなことはない。

 コンピューターに必要なのは 心の設計図。

 トレーダーの藤巻健史さんが「
カンブリア宮殿」で聴衆の質問に答え、こう言うシーンがあった。

質問者「高校生の息子にデイトレードをさせていますが、どうですか?」
藤巻「その年代は森羅万象を学ぶとき、株取引をさせる時ではない」

 コンピューターに必要なのは、書きためた頭のなかの設計図。
 システムノートでは、どうにもできないアイデアが頭からはち切れて、爆発しなければ、使いこなすことはできない。

 僕は1990年にノートパソコンに自分で作ったシミュレーションを入れて、飛び込みセールスをしていた。周囲にはそんな人は誰もいなかった。

 9月29日につづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月17日 (木)

靖国神社参拝メモ

 2005年夏、靖国神社を訪れた時のメモ

最寄り駅:JR市ヶ谷
入場に料金はかからない。
駐車場:九段坂上の交差点にある。30分毎200円
  収容台数が多いので回転が速い。

一般参拝者がお賽銭を入れて参拝するのは「拝殿」。2005年10月、小泉総理はここに参拝した。
昇殿参拝は個人、団体の受付がある。

おみくじ1回100円
献花1本500円

遊就館1階ロビーは無料で入れて売店がある。いろいろな土産物が売られているが、手頃でわかりやすい靖国グッズは靖国神社と名入れされたごく普通のボールペンくらい。

 本殿右奥、靖国偕行文庫の建物に無料休憩所がある。
 至ところに大きな木陰があり涼しい。
 人々はベンチに座り休んでいる。
 自販機は標準小売価格と同じ値段であり、観光地価格ではない。
 沿道脇には売店が少しあり靖国せんべい、靖国宮饅頭が売られている。

| | トラックバック (0)

2006年8月16日 (水)

総理の靖国神社参拝にクレームが付く理由

 総理の靖国神社参拝にクレームが付く理由

「A級戦犯を神として祀っている神社を総理大臣が参拝することは戦争への反省が感じられない」
という考え方があるから。

 小泉純一郎は批判に対して「日本のために戦い、犠牲になった先人を敬い参拝することは国民として当然」という視点で切り返している。

 その言葉に反論の隙はない。
 だが、クレームを付けている人達が問題にしているのは、参拝している神社にA級戦犯が祀られていること。
 小泉は最後の参拝の所感では、自ら合祀について触れたものの、「自分はA級戦犯の人達だけのために参っているのではない」として、合祀の是非には言及しなかった。


 A級戦犯が
戦没者と一緒に祀られていることを「合祀」という。
 A級戦犯を別の場所に祀ることを「分祀」という。

 
靖国神社が合祀をやめて分祀にすればよい。という落としどころを主張する人達がいる。そうすれば総理大臣が参拝しても外交問題にはならないだろう。

 だが、戦後靖国神社は宗教法人となって解体を免れた経緯があり、今も宗教法人。憲法の保護により宗教法人に政治家は介入できない。元総理大臣の中曽根康弘は「靖国神社は自ら分祀を選択せよ」と今月讀賣新聞に意見を発表している。

 一方、靖国神社の存立を承認する考えの人には、分祀では意味がないという意見がある。
 そもそも「A級戦犯」はいないという意見もある。

 憲法と法律で統治されている日本では、その枠組みのなかで解決方法を見いだすしかない。
 "靖国神社総理参拝"というテーマでは、ボールを持つべきは宗教法人靖国神社以外にあり得ない。

 「クレームが怖いから何もするな」という矛先の向け方は間違っている。
 本質をきちんと勉強して考えようと言う姿勢を持たなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月15日 (火)

終戦記念日

終戦記念日~  8月15日。2006年は61回目の終戦記念日を迎える。

年月   できごと
1943,9  イタリアが降伏
1944,5  ヒトラー自殺直後、ドイツが降伏
1945,7  米・英・中が日本に民主化、無条件降伏を求めポツダム宣言発表
1945,8,6  ポツダム宣言を日本が黙殺したため、米国、広島に原爆投下
1945,8,8  ソ連、対日本宣戦布告
1945,8,9  米国、長崎に原爆投下。ソ連、満州・朝鮮に侵入
1945,8,14  日本、ポツダム宣言受諾決定、無条件降伏
1945,8,15  正午より天皇がラジオ放送で国民に敗戦を知らせる(玉音放送)
1945,9,2  ミズーリ号艦上で降伏文書に署名
2006,8,15  61回目の終戦記念日

| | トラックバック (0)

2006年8月14日 (月)

靖国神社

 靖国神社~ 日露戦争、日中戦争、第二次世界大戦などの戦没者246万人が神としてまつられている神社

1869年
東京九段に東京招魂社ができる。
1879年
明治天皇が靖国神社と命名し改称。
1978年
東条英機 元首相ら第二次世界大戦の主要戦争犯罪人14人が合祀された。
1985年
8月15日、中曽根康弘が総理大臣として初めて公式参拝。(戦後40年の終戦記念日)中曽根康弘は翌年以降、総理現職中は参拝しなかった。
2000年
8月15日、石原慎太郎が現役都知事として初めて公人として参拝。
2001年
8月13日、小泉純一郎が公私を明らかにせず参拝。
2004年
4月7日、福岡地裁 亀岡清長裁判長は小泉首相の靖国神社参拝を「憲法で禁止されている宗教活動に当たる」と指摘。
2005年
 9月30日、大阪高裁は小泉首相の靖国参拝が「宗教的活動に当たる」と指摘。

 さてなぜ、一国の総理が参拝する度に隣国からクレームがつくのだろうか。

 8月16日につづく

| | トラックバック (0)

2006年8月12日 (土)

佐世保北高校と村上龍

 「69」は村上龍が母校佐世保北高校で実際に起きたできごとを題材にして書いた私小説。

 物語は佐世保北高のOBには痛快だが、そのほかの佐世保の高校OBは読まない方がよいかも知れない。

 太田莉菜主演で2004年7月に映画が公開された。
 映画公開直後、佐世保北高では映画を真似たと思われる落書き事件が二度起こった。2004年8月に訪れたところ、校内に部外者が立ち入らぬよう"バリケード"が設置されていた。

 映画は村上龍がメガホンをとらなかったことが功を奏して、原作の味を忠実に再現した好作品。
 シャイな村上龍本人が作ったならば、こういうわかりやすい痛快さは出なかっただろう。

 60年代生まれの人にとって反則とも言えるギャグが後半にあり、笑いすぎて頭がおかしくなりそうな作品となっている。
 ロケは佐世保でも行われているが、校舎は佐世保北高ではなく静岡県の学校が使われた。校章は似ているが微妙に違う。

 原作「69」は 1987年に初刷が出版され、2004年4月、新装版「69」が出版された。新装版の村上龍によるあとがきは大きな示唆に富んでいる。

 「69」では取り上げていないが、村上龍在校時、佐世保北高校では卒業式粉砕の企てがあり、実際に卒業できない者がでた。当時の教師は首謀者の一人として村上を恨みつづけている。当時のOBには村上を裏切り者と評する者が多い。
 新装版のあとがきで村上は「自分はそんなことに意味はない」から止めたと書いている。客観性を持っていた村上は止まり、それをもたぬ者は止まれなかったのだろう。

101945_22

 2004年夏、佐世保市島瀬公園ヨコの美術館では「69」で使われたセットや地元ポップアーティスト?の作品展が行われた。ブラボーサセボ+69のロゴ入り黄色のTシャツが800円で販売されていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月11日 (金)

わだつみとは?

わだつみ
【 海神 】
【 綿津見 】
 海の神。海。

 「きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」(岩波文庫)
は戦没学徒兵の手記を集めた書物。
 1949年10月20日初刷。
 兵士が命果てる直前に語られた家族、恋人への手紙が掲載されている。

 刊行に際して公募で採用された書名「きけ わだつみのこえ」から「わだつみ」という言葉が知られるようになり、現在は反戦を象徴する言葉となっている。
「わだつみ」という言葉の定義は冒頭に書いたものであり、言葉そのものに反戦の意味合いはない。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 9日 (水)

長崎の原爆

 アメリカが日本に落とした2発めの原子爆弾。
 1945年8月9日投下

1945年8月2日
原爆投下実行命令 第一目標広島、第二目標小倉、第三目標長崎
8月6日
広島にウラニウム爆弾「リトルボーイ」投下。
8月9日
作戦進行が遅れ小倉の有視界が確保できず長崎に変更。長崎も有視界確保できていなかったが、燃料の都合で原爆を沖縄基地に持ち帰ることもできず、海に捨てるよりはどこかに落とそうという判断で10時58分、プルトニウム爆弾「ファットマン」投下。11時2分着弾。
*参考文献「精霊流し」さだまさし 幻冬舎 2001年9月10日刊

 8月9日は「長崎平和の日」として追悼式典が行われる。2006年は投下後61年にあたる。

 「長崎よみがえる原爆写真」NHK取材班 NHK出版 1995年8月30日初刷 に被災当時の写真が掲載されている。世界で唯一被爆した国に生まれたことを実感する。

 長崎市に原爆資料館がある。
 1996年に全面改装された。それ以前はガラスショーケースに資料が並んでいるだけだった。それはそれで冷酷な現実を客観的に伝えていた。
 改装後は地形模型での被爆当日のシミュレーションや、長崎投下原爆「ファットマン」の裁断模型の展示など、より視覚的な工夫が凝らされている。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月28日 (金)

本好きな小学生が増えたのか

 「全国の図書館での児童1人当たりの年間貸出冊数が過去最高を
記録した」と毎日新聞が書いている。

 2004年度、18.7冊
 7月21日、文部科学省 社会教育調査中間報告
 同調査は3年ごとに実施

(以下、引用)
 本好き小学生の増加について、同省生涯学習政策局調査企画課は「活字離れが指摘される中で、総合的な学習や理科、社会の授業で与えられた課題に本を使って調べる学習に加え朝の読書、図書館との連携など学校現場の取り組みが功を奏しているのではないか」と分析している。
(毎日新聞) - 7月21日
(引用終わり)

 2002年に施行された学習指導要領により「総合的な学習の時
間」が始まった。
 子ども達は課題を与えられると、学校の図書館や街の図書館、
本屋さんに走り、資料を集める。
 子ども達が本と接する機会が増えたという点では、国の取組みが
功を奏しているという分析は正しい。

 だが、この記事が「本好きの小学生の増加」という書き出しなのは
おかしい。
 図書館の貸し出しが増えるということは、必ずしも「本好き小学
生の増加」を意味しない。
 本好き小学生が増加というには、
「全国10万人の小学生に聞きました。あなたは本が好きですか?」
というアンケートを経るべきだ。

 また、図書館の貸し出しが増えたということについていえば、
本屋で買わずに、図書館で借りる人が増えたのではないか。

 図書館には一部のコミックや雑誌も置いてある。雑誌について
は、前号以前のバックナンバーを借りることができる。さすがに
「少年ジャンプ」は置いていないが「コロコロコミック」やアニメ
専門誌などは置いてある。

 当然 18.7冊にはそれもカウントされている。

 この記事では、小学生の貸出冊数 18.7冊について
「国民1人当たり年間貸出冊数(4.5冊)の4倍強という多さだ」
とも紹介している。

 自分の財布で本が買える大人と、そうでない子供を比べて 4.5倍。
これをもって「小学生は本が好き」という論調にまとめられたこの記事
には、学ぶことが多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

地球がもし100人の地球村だったら

 地球の人口を100人と見立てて比率をわかりやすくした表現方法。

 地球が100人の地球村だったら、70人は字が読めない、50人が栄養失調・・のようにいう。

 これは、ずいぶん昔からある表現方法で、今から22年前の
1984年、村上龍のエッセイ「アメリカンテクノロジー」に紹介
されている。

 2001年12月にこの表現方法をテーマにした単行本が出版され
ベストセラーとなった。
 
「世界がもし100人の村だったら」 ダグラス・スミス マガジンハウス 2001年12月11日初刷

 比率がわかりやすく、新たな問題点を認識するのに都合がよい。

 ただ、この表現方法で指摘されることの大半は南北問題。

 こうして指摘された貧困に接して感慨を持つだけでなく、想像力
を働かせてみよう。
 その想像力とは、自分がその立場だったらどうだろうか、今の
自分にできることは何だろうか。

 他人のためにできること、そして、自分のためにできることは何だろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

西南学院大学

 西南学院大学は東京では誰も知らない。
 九州、とりわけ福岡では割と有名で、とりあえず九州では最も難関の私立なので、「西南」であることを言うと、「お、西南」と言われたりする。
 それは東京でいう上智くらいの「お、」である。

 西南を知る人はよく「九州の青山」という言い方をする。
 「なにわのイチロー」とか「佐賀のペレ」というのと同じようなものだ。
 そのこころは「お坊ちゃん」学校ということらしい。確かに「イモ九」と言われる九州大学(九州で最も難関の大学・国立)よりはもてる。短期的には

 偏差値は東京でいうと青山、明治と同じときどき上、上智より下あたり。だが、東京で西南というと
「あぁ、鹿児島の大学ですね」
と自信満々に言われたりする。

 せめて有名人の一人でもいれば、居酒屋のネタくらいにはなるのだが、チューリップの財津カズオの名前を出しても
「お~」がとれないので、
「ちょー厳しい~」
と自らボケなければならない。

*今日は創立記念日ですよ。OBの皆さん!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年3月25日 (土)

岩月謙二理論

 【 いわつき けんじ 】 理学博士。早稲田大学-筑波大学大学院-テキサス工科大(研究員)-香川大学講師-同助教授-同教授。

1955年
山形県で生まれる。
早稲田大学卒。筑波大学大学院修了。
1992年
 3月「男と女のラブゲーム」発表。タイトルと相反して内容はほとんど論文である。(当時は香川大学講師)
1999年
 9月30日、ストックホルム・シンドロームについて書いた「娘の結婚運は父親で決まる」NHK出版
2000年
12月「自分にウソをついて何になる」ドリームクエスト 世界で初めて心の感度について書いた。
2003年
 1月20日 「なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか」講談社
 5月20日 「娘は男親のどこを見ているか」講談社
 6月24日 「母を恋して太る人、彼を愛してやせる人 3日後日記でダイエットに成功する!」マキノ出版
2004年
 5月10日、自ら"集大成ともいうべき内容"という「なぜ、女は恋や仕事に臆病になってしまうのか -なぜか心が満たされないあなたへ79のヒント」小学館
12月7日、相談者の女性にわいせつ行為をした容疑で逮捕。
かつて「育てなおしは誤解と批判を受けるのでやめた」と著書に記していた。
2006年
 3月23日、高松地裁は懲役2年の判決を言い渡す。

 岩月謙二の理論に触れることは有意義である。
 有罪判決により、彼の論理は人々の共感を得られなくなるだろう。
 だが、是々非々で勉強する価値のあることを彼は書いてきた。
 自ら2004年の著書を集大成と言った。この作品一つだけをとっても、彼の足跡は大きい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 2日 (金)

子どもにコンピューターは要らない

 コンピューターを使いこなす知識・能力を「コンピューター・リテラシー」という。

 パソコンの普及に伴い、この能力をどう教えていくかが学校教育の大きな課題・・・ と言われていたのは20年前だ。

 教育現場が口だけで何もできないうちに家庭にはパソコンが普及し、今や学校でリテラシーを育てる必要はなくなった。

 それと20年前、決定的に間違っていたのは、コンピューターを子どもに使わせる必要があると考えていたことだ。

 18歳までにやることは「脳」の構築であり、コンピューターを使う必要はない。使わない方がよい。

 先日、ある中学校の「技術」2学期期末試験の問題を見る機会があったが、コンピューターやネットワークについての設問は、まったくの素人知識で出題されていた。

 定期試験問題は個々の先生が作ってよいのだが、恐らくこの問題は出題した先生の狭い知識の世界で作られている。教科書にこんなことが書いてあるわけがないし、それでは検定を通らない。

 こんなでたらめを出題されても、親は内申を悪くしたくないので、学校に文句を言わないのだろう。

 大変なのは、自分より"使いこなせる"子供を指導しなければならない教師の方。最近では背に腹は代えられず、ボランティア指導者を父兄から募る地域・小学校が増えている。賢明な判断である。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月11日 (金)

手話は世界共通か?

 手話は世界共通ではない。

 手話 【 signlanguage 】 耳が不自由な人が主に使う会話方法。 手・指・頭・上体の動きや、表情・視線・口型などによって表現する。

 「これ」「は」「鉛筆」「です」のように声に出すことば(音声言語)の文法を置き換えたものではなく、独自の文法で成り立っている。
 日本ではろう者の児童教育において、手話が言葉として公式に認められていない。法律的な標準化、普及の後ろ盾もない。

 国と地域によって手話は違う。日本国内でも手話の方言と言えるような違いがある。またお年寄りことばと若者ことばが違うように世代による違いもある。
 音声言語(声に出すことば)に準拠しているかというとそうでもなく、ほぼ同じ英語を使うイギリスとアメリカの手話は全く違う。

 
国際手話も策定されているが、それが世界じゅうで使われるにはまだ時間がかかるだろう。

 手話通訳ボランティアの団体がある。パーティ会場に手話を必要とする参加者がある場合、本人の希望を聞いて事前にアサインしておく。ボランティアと言っても有料のことがあるのだが、それは黙っておいたほうがいいだろう。簡単な挨拶程度ならば、図書館から手話の本を借りてきて1時間程度で覚えることができる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月30日 (金)

反省会

 1970年代の小学校では毎日、1日の終わりに学級ごと
に開かれていたミーティング。反省会。

 いじめっ子、弱い者をつるし上げる場として存在した。
 原告役と被告役はほとんど固定していて、教諭は中立ではなく
原告の主張を全面的に受け入れて被告を裁く位置にいた。

 被告側からしてみれば「またかよ」「そんなことどうでもいい
じゃん」と思うようなことを毎日のように告発される、鬱陶しい
時間帯であった。

 現在は「帰りの会」などと呼ばれている。先生が明日の予定を
言い、生徒が各係りからのお知らせなどを言う場である。
 いじめっ子の告発などは「帰りの会」では言わず、先生に直接
言いに行くことになっている。

 いじめっ子を公開の場で告発できた時代がよかったのかという
と決してそうではない。当時、告発していたのは、せいぜい、
「moto君がスカートをめくりました。いけないと思います」とか
「moto君が掃除のとき、ふざけて金魚ばちをゆすって金魚を驚か
せたのはよくないと思います。」といった程度で、とても巨悪に
迫ったものではなかった。

 いつの時代も本当に怖い者を告発できる勇者はそんなにはいな
いのである。巨悪に迫れば迫るほど、僕らは巨悪から遠のいてい
くってわけ。だって巨悪は強いんだもん!江木俊夫ならこう言う
だろう。(誰もわからんって・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)