2009年6月12日 (金)

小学校英語授業の歴史

 小学校の英語授業はまだ、必修にはなっていない。

 もうずいぶん前から「小学校で英語が始まった」というニュースを、メディアが報じているが、実際はまだである。

 小学校英語の取り組みは 1992年度に遡る。
 この年から、限られた「実験校」で、実践研究が始まった。

 実際に、全国の小学校が 授業で取り組むには、その根拠になる「学習指導要領」に盛り込まれる必要がある。
 初めて、指導要領に、それらしいことが謳われたのは 2002年に施行された指導要領だった。

 2002年4月
 小学校でも英語学習が始まった・・・
 とメディアがとりあげたが、中学校のように「英語」の時間があるのではなく、新指導要領によって生まれた「総合的な学習の時間」の中で、国際理解に関する学習の一環として行われたのである。

 成績に影響するわけではないので、あわてて教材を買ったり、英会話塾にいかせる必要はなかったのだが、これを機に子供向け英語市場ができあがった。

 どのような内容の授業をするかを研究する団体として、2000年1月に「小学校英語教育学会 JETS」が発足。
 JETS(the Japan association of English Teaching in elementary Schools)
 小学校、大学などから広く会員を募り、定期的に研究会をもちながら進めてきた。
 2009年現在も、定期的な活動が続いている。

 2011年度に施行される新指導要領では、いよいよ、外国語が盛り込まれる。
 まだ、2年先のことである。

 ものごとを長期的な視点で決めた時、その施行までの間にも、世の中は流れている。
 施行を悠長に待ってはいられないという時、行政では「前倒し」が行われるが、教育界ではそれを「移行措置」という。

 移行措置とは、新しい学習指導要領の施行を先取りして、新たに盛り込まれる内容を 1~2年前から試行すること。
 今回は、2011年の新指導要領施行を前に、2009年度から、その移行措置が実施される。

 2009年3月
 文部科学省が公立小学校に外国語活動の教材として「英語ノート」を配布した。
 今さら言うまでもなく、外国語と言えば英語。
 この配布により、外国語活動は事実上、英語に限定された。

 2009年4月
 移行措置として、小学5年生以上で英語活動が必修となった。
事実上、2009年度が小学校英語授業元年となる。

 2009年6月
 文部科学省が発表したところによると、2009年度、公立小学校で外国語活動を計画した学校は の98.7%。
 特別な事情がある学校が 1.3% あったということであり、実際は 100%だ。

 小学5年生といえば 11歳。
 「英語は逆から学べ」などの著書がある 脳機能学者の苫米地英人は、母国語の習得が止まるクリティカル・エイジは13歳までと著書に記している。

 2015年頃には、あたかもネイティブかのような英語で歌うロックンローラーが、多数、日本に出現していることだろう。



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2009年2月27日 (金)

みんな非常識

 内勤のスズキさんは、トイレに行く途中の廊下で、ゴミをひろった。
トイレの洗面台の下に、ゴミ箱があるのを知っていたからだ。

ゴミ箱には、漫画雑誌が捨ててあった。
スズキさんの職場では、雑誌を捨てる場所が決まっている。

「誰だよ、こんな所に雑誌を捨てて 非常識じゃないか!」

きっと、若手の社員が捨てたのだろう。
スズキさんは、若い奴らはモラルが低いと嘆いた。

 さて、そういうスズキさんは、最近ちょっと風邪気味で、席に戻ると
こほん、こほんと2度、咳をした。
真向かいに座っている部下のサトウさんは、顔をしかめた。
職場では「咳が出る時は、マスクをしましょう」と通達が回っていた。
彼女は声なき声で、つぶやいた。

「なによ、咳をするなら、マスクをしてよ 非常識じゃないの!」

 そういうサトウさんは、今朝、職場に来る道すがら、メールを打ちながら歩いていた。
歩道は狭く、後ろには、渋滞ができていたが、サトウさんは、後ろに目がついていない。
真後ろを歩いていたタナカさんは、携帯ではメールをしない人だった。
彼は、心でつぶやいた。

「なんだよ、メールするなら、邪魔にならない所でやれよ 非常識じゃないか!」

 そういうタナカさんは、週末に家の近くをジョギングしていた。
最近、体重が70kgを超えてしまったのだ。
走っているうちに口の中につばが溜まった。
タナカさんは、走りながら、道路につばを吐いた。
ちょうど、そのそばを散歩をしていたサノさんは思った。

「まっ汚い、唾を吐くなんて最低! 非常識じゃないの!」

 そういうサノさんは、スーパーの買い物でドーナッツを買った。
4個138円、いつものお気に入りだ。
レジに並んだサノさんは、レジ前のエンド・コーナーで
3個98円の大福をみつけて、気が変わった。
大福をカゴに入れ、ドーナッツをその場所に置いた。
それを見た、レジ係の店員サイトウさんは思った。

「なにそれ 元の場所に戻しなさいよ 非常識じゃないの!」

 そういうサイトウさんは、スーパーに出勤する途中、タバコを吸いながら歩いてきた。
サイトウさんの住む町には、歩きタバコ規制条例はないので、違法ではない。
サイトウさんの家族では 「家の中ではタバコは吸わない」という取り決めがあって、いつも外で歩きながら吸っていた。
それを見ていた、サラリーマンのイノウエさんは、ぼそっとつぶやいた。

「歩きタバコかよ 非常識だろっ」

 そういうイノウエさんは、会社に着く前にコンビニで買った「週刊コミック」を、トイレに持ち込んで読んでいた。
読み終えたイノウエさんは、トイレ内にあるトイレットペーパーを置く棚に置いていこうかと思った。
だが、思い直して、持って出た。
トイレの洗面台の下に、ゴミ箱があるのを知っていたからだ。

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2009年1月15日 (木)

週末は寒いなか、センター試験です。

 1月17日(土) 18日(日)の2日間 センター試験が行われる。

 センター試験は国公立を中心とした大学入学試験。
 例年、1月の第3土日に行われている。
 入学試験は一大イベント。受験生は学校を休んで受けてもよさそうだが、試験は土日の休日に行われる。
 電車やバスが混まない。学生のアルバイトなどスタッフが確保しやすい。
 といった事由によると拝察する。

 出題はすべてマークシート方式。
 記述式の問題はない。
 2006年より英語にリスニング試験が導入された。
 かつて「ヒヤリング」と言っていた頃の一斉放送によるものではなく、この試験にはICプレーヤーとイヤホンが使われる。
 ICプレーヤーなどの備品は持ち帰ることができる。

 リスニングは配点が50点もあり、とても比重が大きい。
 大学を目指すお子さんがいるならば、この50点のために早い時期からネイティブ・スピーカーの英語を聞き取る力をつけるとよい。
 その手段は 海外留学、駅前留学、英会話教材 と様々だが、如何せん費用がかさむ。
 その点、苫米地英人が発表しているサブリミナルを駆使した方法ならば、費用は 3,000円しかかからない。
*「英語は逆から学べ」

 1979年に始まった「共通一次」が1989年に終了した後、「共通一次」に対して「新しいテスト」という意味で「新テスト」とも呼ばれていた。
 1990年(平成2年)1月に始まり、2009年は記念すべき20回め。
 記念大会として全国各地で盛大な式典が行われる・・ ことはない。
 20回ともなれば、新しくもないので「新テスト」と呼ばれることもなくなっている。

 【 共通一次との違い 】
1,国公私立を問わず全ての大学が対象
2,どの教科、科目の結果を利用するかは各大学の自由。
3,傾斜配点が認められている。

 傾斜配点とは、ある教科の得点に一定の係数を掛けること。
 山形大学工学部は1997年度入試より、センター試験の国語(200点満点)について現代文(100点満点)だけを得点対象として 2倍で計上する傾斜配点を開始。
 しかし、コンピューター・プログラムを変更し忘れたため、現代文は 1倍で計算されていた。

 それが2001年度入試が終わったところで発覚する。
 その発端は、この年に始まった「成績開示制度」
 これを利用した山形大の受験者が、2倍にするなら偶数になるはずの国語の点数が、奇数になっていることを指摘。
 調査したところ、プログラムの改訂忘れが判明した。

 このミスは 1997年から2001年まで 5年間続いた。
 ミスがなければ合格していたのは 5年間で428人。
 大学から当該者への入学の打診に対する返答は「入学する」61、「保留」171、「入学しない」196
(*山形大学まとめ 2001年6月3日現在の数字)

 年度別の回答は不明だが、1997年に被害に遭った94人は、発覚した2001年の春には卒業を迎え社会に出た年齢。
 何を今さら、そのやるせない気持ちを思うと、あまりに忍びない出来事だった。
 一方、ミスがなければ不合格だった 428人は、自分がそうだったかはわからず仕舞いとしても、得体の知れぬ気味悪さを感じたに違いない。

 なお成績開示は、出願時に別途800円を支払うことで受けられる。

 その昔、会場に生徒を引率に来た先生は、こう言って生徒を笑わせた。
「今日、試験問題について情報がはいった」
 まじかよ?と息を呑む生徒
「教科書に載っていることしか出題されないそうだ」・・

 ちなみに現在の試験では、教科書に載っていない時事問題や英単語も出題される。

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2008年11月22日 (土)

漢字の読み間違いが直らない理由

 さて今日は、漢字読みの質問です。

 「上意下達」 読めますか?

 改行を 10行いれるので、5秒間 考えてください。

答えは

「じょういかたつ」

 恥ずかしながら、これまで
 「じょういげたつ」
と読んでいました。

 ATOKで変換したら
「上位下立つ」
なんだか怪しげなニュアンスの、変換結果が出ました。

 あれ、おかしいな
「じょういげだつ」 なのかな? なんだか宗教みたいだな  ^^;)
と思いつつ変換すると
上意下達
<<じょういかたつの誤読>>

赤い部分の表示はATOKの機能です。
ATOK先生 たすかります。

 それはないだろう?という漢字読みを他人がしていると
いつも笑っていたが、もう人のことは言えない。

 この間、知人が 「嘱託社員」を「ぞくたくしゃいん」と読んでいた。
同僚の誰かが教えてあげればよいのだが、誰も教えない。

 「あいつは人の意見に耳を貸さない」
 「プライドが高いから、指摘するとすねる」
 「なにか屁理屈を言って反論してきそうだ」

 このような評価をされている人には、周りは言いづらい。

 この場合、教えてあげない周りが悪いのではなく、
「俺に意見するなよ」オーラを出している本人が悪い。
 それなのに、こういう話をすると、
「教えてあげないあなたにも責任がある」
と諫める人が少なくない。

 このような言い間違いが直らないのは、"打ってみない" からだ。
 日頃、よく目にする言葉を自分でコンピューターに向かって打ったことがないのだ。
 "ぞくたく"と打てば、 俗多久 と変換される。
 "ぞくたくしゃいん"ならば、 俗多久社員 だ。
 一度打てば、自分が間違えていることに気づく。

 メールコミュニケーションでは、相手から来た文面をそのまま引用できる。
 相手のいうことに対して 「了解しました」で流すだけの思考をしていると、自分で打ってみることがない。

 読み間違いは、漢字を知らないことが恥ずかしいのではない。
 長い人生で、その言葉を使わず、誰からも指摘されずに生きてきた、うすっぺらい人生が恥ずかしい。



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2007年2月 1日 (木)

CAIアレルギー

 【 しーえーあい 】 Computer Assisted Instruction
 「キャイ」「カイ」とは読まない。1980年代は「CIA」(米国、中央情報局)と言いまちがうオヤジが後を絶たなかった。

 コンピューターを使った教育。
 大人の実務修得から子供の教科学習まで、様々な分野で使われている。
 2000年代に入ってから、履修者が教育コンテンツで学ぶ学習方法として e-learning という言葉が登場した。
 e-learningとCAIは同意語。ビジネスの現場では、e-learningが使われており、CAIという言葉は聞かない。

 e-learningは、比較的内容が平易な、初期の研修に向いており、いちいち、講師を調達しなくて済むというメリットがある。
 CD-ROMで提供されることが多く、Webページ上でも提供されている。
 ただし、日々の業務で使うマニュアルには e-learning は向かない。内容が起承転結になっており、知りたいことだけを即座に知るには不便なのである。

 CAIという言葉は、主に学校教育、生涯教育の現場で用いられている。

 1992年施行の学習指導要領により、1995年(平成7年)までにすべての小・中・高校にパソコンが入った。それらのパソコンのOSは大半がMS-DOSであり、活用されぬうちに古びてしまった。

 2002年施行の学習指導要領で、ほとんどの教科にコンピューターとインターネットの利用を規定した。

 簡単に言うと、ハードが先に入り、ソフトは10年後に入ったのである。

 10年間、コンピュータールームに集められた、モノ言わぬ機械を、教科指導の先生方はどのように見ていただろうか。

 その10年に、文部省が言わなければいけなかったことがある。
「コンピューターは教科学習の理解を補完する道具です。決して先生の代わりになって教える機械ではありません。コンピューターには教材(ソフト)が必要です。ただし、それをコンピューターのプログラミングができない一般の先生が作ることは無理です。教材業者がつくる出来合いのソフトの中から、あなたの指導を補完できると思うソフトを選ぶ目を養ってください。その購入費用は国が面倒をみます」

 日本では「教育は人間がやるもの、機械に教育を任せられない」という勘違いをした教師が多く、CAIは遅れている。欧米では25年前にそういう時期を終え、今は「テクノロジーは教育をよりよくするための手段・道具」という健全な認識が育っている。

 教諭(学校の先生)は授業目的であれば、ソフトをコピーすることが著作権法で認められている。しかし著作者の利益を侵害するような複製は認められない。(著作権法第35条等)



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2007年1月25日 (木)

日本でコンピューターの教育利用が進まない理由

 学習指導要領の改訂により、2002年度から、教科指導にインターネットとパソコンの利用が始まった。
 だが、日本では、教師にコンピューターやインターネットで教材作りをする下地がない。

 米国では、同じテーマで調査、研究した情報をWebページにまとめて、情報交換するプロジェクトが進んでいる。
 米国で、こうしたコンピューターの教育利用が進んでいるのには理由がある。

 米国には日本のような「指導要領」「検定教科書」がない。
 教師は昔からタイプライターやワープロを使い、自作の教材を作っていた。
 キーボード配列に慣れており、コンピューターを活用する下地がある。
 また、コンピューターを教科指導に利用することへの制限もない。

 日本では、2002年4月施行の新指導要領や、2000年からのミレニアム・プロジェクトにより、ようやくインターネットやコンピューター利用の規制がなくなったが、それを教材作りに活かす下地がない。

 教材は検定を通った教科書を使わなければならない。学校でおこなうテストも業者テストを購入して使っている。なかには、著作権の利用範囲を超えて、複製するケースもある。先生が自作教材で教えるという余地はほとんどない。

 一方、時間的な制約もある。
 学校行事、教育委員会の行事、生徒指導、部活指導、日々起こる問題。
 日本の先生の就業時間には、コンピューターを利用した教材作りに取り組む時間は残されていない。

 そして、コンピューターの教育利用を阻む最も大きな要因は、日本の教育におけるコンピューター・アレルギー=CAIアレルギーである。

 次回2月1日につづく

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2007年1月18日 (木)

2002年の教育改革

 2002年の学習指導要領改訂で、最もニュースになったのは「学校五日制」だったが、指導内容については、次の2つが目玉である。

■総合的な学習の時間
 2001年度までの指導内容を削減して、教師が自由な創意工夫で指導するために設けられた授業時間枠。
 子供達は「総合学習」「総合」と呼んでいる。
 文部科学省のガイドラインはなく、自由に教諭が指導内容を組み立ててよい。個々の教諭の真価が問われる。

 ジーコ監督の下、自由を与えられた選手たちには、自ら考えて行動する高い能力が必要であったように「総合」は教諭に高い資質を要求している。

■教育へのパソコン、インターネットの利用
 ほぼすべての教科指導内容に「パソコン」「インターネット」の文言が入った。
 当時、想定された使い方は次のようなもの。

・ 世界中のデータベースを使う。
・ 国内外の学校と絵、写真、E-mailを交換する。
・ 気象観測や生態観測など、同じテーマで調査、研究した情報をウェブページにまとめ、情報交換する。~アメリカではこのプロジェクトが進んでいた。

 また、指導要領施行に先立ち、移行措置的な意味合いで、文部科学省情報課による「ミレニアム・プロジェクト」が進行していた。

・2000年~2005年の6年計画。
・従来のコンピュータ教育の目標は、コンピュータ教室を作り「コンピュータの使い方」を学ぶものだったが、当プロジェクトでは、一般教室にコンピューターとプロジェクターを設置して、インターネットを一般の授業に取り入れるとした。

 これまでは「12時間で教えるべき内容を10時間で教えて "落ちこぼし" を出していた」のを「8時間でわかるようにして、2時間は調べ学習や体験活動に充てる」のを目指す。

 ただし、指導要領施行前から、問題点も多々、指摘されていた。

1、1995年までに入れたパソコンが、既に古くなっている。

2、インターネットを授業で使うには、コンピュータールームに20本程度の高速回線が必要だが、財源がない。
*1998年11月、郵政省は予算300億で、全国1,000校に無料でインターネット接続すると発表していた。「ほとんどの学校のパソコンは死んでいるも同然。このままではますますアメリカに引き離される」ための措置。

3、依然として、使い方を指導できる教師が少ない。

4、教師にコンピュータやインターネットで教材作りをする下地がない。

 次回、1月25日につづく

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2007年1月11日 (木)

北川正恭氏

 【 きたがわ まさやす 】 早稲田大学教授
 マニフェストということばを普及させた先駆者。民主党がそれを取り入れた。
 2004年に三重県知事を退任。現在は政治学者の立場から、マニフェストを前提とした民主主義の実現をめざす。

【 北川氏の略歴 】
1944
三重県生まれ。

1967年
早稲田大学第一商学部卒。
大日本印刷入社。

1972年
三重県議初当選。

1983年
衆議院議員初当選。

1990年
文部政務次官

1995年
三重県知事初当選。
県知事時代の改革内容は「行政を変える」村尾信尚 講談社 2004年8月~に詳しい。

2003年
2期を終え三重県知事を辞す。
早稲田大学大学院公共経営研究科教授就任。
 8月14日、三重県多度町の三重ごみ固形燃料RDF(Refuse Derived Fuel)発電所でタンクが爆発。消火に当たっていた消防士2人が亡くなる。

2004年
 1月27日、三重県知事在任中に手がけた「三重ごみ固形燃料発電所」爆発事故の件で三重県議会に参考人招致。

 三重県知事当時、他項目に渡る県庁改革を進め、知事としては浅野史郎氏(2006年に宮城県知事を退任)に次いで一目置かれた。

「父から子へ伝えるもの」KKベストセラーズ 2002年
 の中で「学校五日制を最初に仕掛けたのは私だった」と本人が語っている。
 ゆとり教育は日本を衰退させるだろう。その責任についても検証されることを待ちたい。

 田中康夫は長野県知事当時の著書「脱ダメ日本宣言」でこう書いている。
(以下引用)
 田原さんの「サンデープロジェクト」に出るときも、1人で荷物を持っていく。日曜日なのにカバン持ちの職員を3人も出勤させちゃう三重県のような財政的余裕はないから。東京駅で驚かれるの。知事が両手に荷物下げて1人で歩いてるって(笑)。

1月18日につづく

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2007年1月 4日 (木)

学校週5日制(週休二日制)

 2002年度よりすべての土曜日が休みとなり学校週5日制が始まった。
 2006年度で5年度が経過する。

 その目的は教諭(=学校の先生)の週休二日の実施、ゆとりある教育の2つ。
 学習指導要領は法律の性格は持つが、法律ではないので、私立校は実施しなかった。そのため、ますます公立と私立の学力格差が広がることを、2000年頃から教育関係者は認識していた。

■導入スケジュール
1992年度2学期~ 第2土曜日が休みになった。
1995年度1学期~ 第4土曜日も休みになった。
2002年度1学期~ 2002年4月13日より土曜日はすべて休みになる。第三土曜日にあたる20日が新制度初の適用日。

 以下は、しらべるが 2003年1月に書いた記事原文である。

◆なぜこどもに「ゆとり」が必要なのか。教諭は土日、日月のように休みを振り分ければ週休二日にすることは可能。そもそも教職にある公務員を民間並に週休二日にする方がおかしい。週休二日移行後、教諭の夏休みを取り上げたが、元通り、夏休みにゆっくり休ませればよい。
 次世代を担う子供達をさらにぬるま湯につける方策は、日本の将来に大きな禍根を残す。2002年の学校五日制実施を認めた当時の文部大臣と、学校五日制を手がけたと自認する北川正恭の責任は計り知れない。

 当時、北川氏は公職(三重県知事)にあったので、敬称をつけていない。
 張本人である北川氏は、学校五日制見直しが提起されている2006年現在、この件について、なにかコミットしているだろうか。

 1月11日につづく

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2006年12月29日 (金)

西南学院大学の歴史

 西南学院大学は、福岡市早良区百道にあるミッション系共学の私立大学。

 YAHOO!ドームの所在地でもある百道(ももち)の地名は、藤崎にある刑務所に縁がある。その昔、百道の海岸線には松林があった。脱獄を試みた囚人は、その松林を縫うようにして追ってから逃げた。その通り道が、百通りもあったという逸話が名前の由来。

 西南学院大学は、九州の私立大学では最も入学試験時の偏差値が高い。

【 西南学院大学の歴史 】
1916年
 5月11日、創立

1954年
ランキンチャペル完成

2001年
文学部社会福祉学科設立。

2003年
志願者数14,576人(1993年は18,562人)
偏差値57.5~52.5(1993年は60.0~57.5)
*週刊東洋経済2003年5月24日号より

2004年
 1月、インターナショナルハウス完成(汀寮となり)
 3月、法科大学院棟完成(旧西南高校跡)
 4月、法科大学院開設。社会福祉学科、児童教育学科が人間科学部となる。
 9月、西南クロスプラザ完成

2005年
 3月、新大学院棟(旧西南高校跡)完成

2006年
4月、文学部国際文化学科が国際文化学部となる。
5月、ドージャー記念館・大学博物館開館(旧:西南高校講堂)
5月11日、90周年
法科大学院から新司法試験を4名が受験し、2名が合格。
12月14日、村上隆太学長退任

2007年
4月、学外連携施設オープン(旧西南高校跡)

 関東では「西南の役」と西南学院大学を混同して、鹿児島の大学だと思っている人がいる。
 お坊ちゃん大学と言われ、関東では「九州の青山」という表現を聞くことがある。誉めているつもりなのだろうか。関東で西南が無名であるように、福岡では青山と言ってもイメージが浮かぶ人はいない。

 チューリップの財津和雄、ミーシャの出身校。
 以前、卒業生の蓬莱という選手が西武に在籍したが、知る人は少ないだろう。

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