2017年7月23日 (日)

うんこ漢字ドリルに触発される人たち

日本も堂々と人前でうんこを口にできる時代が来た。
いや食べるのではない
世界中をみてもうんこを堂々と口にできる国は他にないのではないか。
もうこれは文化的先進国だ。

テレビ東京の「WBS」では大江麻理子アナがニュースの生放送で堂々とうんこを口にしている。
食べたのではない

このドリルに言及する時、人は誰でも堂々とうんこを口にできるのだ。
何度もいうが食べるのではない



「日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学*年生」は文響社が2017年3月に発売した漢字ドリル。
すべての設問に「うんこ」が入っている。
教科書で教える漢字を収録しているので、すなわち学習指導要領対応ということになる。
別に学習指導要領で「子ども達に身近なうんこをモチーフにした教材を作りなさい」と言っているのではない。

■対象:小学1~6年生
■学年ごとに1冊、全6冊
■価格:各1,058円


このドリルの存在を初めて知ったのは山手線の車内広告だった。
ひと目見た瞬間「うまいことやったなぁ」と感心した。

小学生用の教材を作っている版元の編集者ならば、誰もが「やられた」とほぞを噛んだはずだ。
噛まなかった編集者がいたとしたら、残業ばかりしてヒット商品の一つも出さない者に違いない。


幼児から小学生は「うんこ」とか「おなら」といった言葉が大好き。

たった今まで仏頂面をしていた子どもに向かって「うんこ!」と叫んだ途端に笑い始める。
幼児の場合、笑いが止まらなくなる。

もし、電車の中で泣きじゃくる子どもに手を焼いているお母さんがいたら、駆け寄って「うんこ!」と叫んだらきっと泣き止む。
「うんこ!うんこ!」と連呼したら大爆笑だ。

子どもは楽しい
お母さん大助かり
乗客にっこり

一躍車内のヒーロー
になるか、次の駅で降ろされるかのどちらかだろう。



●「うんこ」と「おなら」児童教育書籍

2013年10月23日
白泉社がtupera tuperaの「うんこしりとり」発売

2016年4月27日
白泉社がtupera tuperaの「おならしりとり」発売

2017年3月18日
「日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学*年生」6冊同時発売

2017年5月
うんこ先生の顔出しボードがイベントで登場。以後、主要書店の児童書コーナーで見られるようになった



2017年6月7日
「うんこ ノート Dot Grid Notebook: 日本一楽しいノート」発売

2017年7月27日
水王舎が「まいにちおならで漢字ドリル 小学3年生」発売



失礼ながら文響社の名を、うんこ漢字ドリルに際して初めて聞いた。
きっと小回りのきく、風通しのよい版元なのだろう。

大手版元では、編集者が「うんこを例文にした漢字ドリル」の企画書を持って行くと、部長から「今日は帰っていいよ」と言われるだろう。

うんこの1文字を改変したおかしなドリルが出ないことを祈るばかりだ。

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2017年3月23日 (木)

該当をカクトウと読む「カクトウ男」

サワキ君はいけ好かない人だ
そして髪が長い
知識は確かで信頼されており、そのクールな人となりが女性に人気である。
だが日本語が苦手で、言っていることがわかりづらい。


その日、僕らは集まって資料を評価していた。
資料は皆で作ったものだが、司会者を務めるサワキ君が、それを読み上げている。

概ね、人は自分以外の人が考えたことに関心がない。
自分が評価されることや、キーマンとして扱われるか否かには関心があるのだが、他人が作った資料。その資料の先にいる人々には興味がないのだ。
従って、誰からもつっこまれることなく、サワキ君が淡々と読み進めている。


「このケースは、非常事態にかくとうします」
一瞬、僕の目の前の空気が動揺した。
誰も感じていない震度1の地震を、自分だけが捉えたような感覚だ

格闘?
非常事態が格闘するのか?
するわけないよね。

彼が読み上げている資料の項番を追う。
そこには「該当」とあった。


確かに、該のつくり「亥」が核ミサイルの「核」と同じだ。
サワキ君はいつの頃からか「該」はカクと読むものと思い込んだのだろう。
入社試験に入念な漢字テストがない限り、企業には「漢字が読めない社員」が大量に入ってくる。


プレゼンの場合、プレゼンテーションのパワポは自分で作るので、自分が読めない幹事は使わない。
「カクトウ」と入力して「該当」を出そうとしてもATOKは応えてくれないので、そこで諦めるはずだ。

他人の資料を読む場合に限り「漢字を読む力」が試される。
ただ、たいていの社員は、人前で他人が作った資料を読み上げる機会はないので、漢字を読めないことがばれることはない。


作った資料を共有フォルダーに置くことを「格納しました」というのは「格納男」だが、該当を「カクトウ」と読む「カクトウ男」は1人ではない。
年齢的には30代から50代まで幅広く存在している。



ある日、コヤナギさんが100人の聴衆を前に、演台に足っていた。
研修の講師を務めているのである。
30分間の講義が終わり、その定着度合いをはかる小テストが配られた。

これは違反行為に該当するか、しないか?
二者択一の問題が5つ。

5分の解答時間が与えられた後、コヤナギさんがスクリーンに投影しながら答え合わせをしていく。


「問1、はいこれは違反行為にカクトウします」

え゛
さっきまで眠気と格闘していたのが、一気に醒める。

「問2、これは違反行為にカクトウしません」

どうやら、いいまつがいではない。
本気モードだ
しかし、この大人数が聞いている前で講師が「漢字読めない男」では洒落にならない。

「問3、これは違反行為にカクトウします。ちょっと易しかったですかね」

だったら、易しい漢字も読んで欲しい

「問4、これは違反行為にカクトウしません」

僕は首を動かさず、視線だけを泳がせ当たりの反応を覗う。
だが、動揺した空気は微塵もない。
漢字の読み間違いは指摘しない。これが大人のたしなみということなのだろう。


ついに、最後まで「カクトウしました」と自信を持って言い切り、コヤナギさんは壇上から降りていった。
誰もがそんな彼に拍手を送る。
世間の風は暖かい。
日本はいい国だと思う。


「ちょっと、早口だったかな」
舞台の袖で、コヤナギさんがスタッフの男に問いかけている。
「いやいや、ばっちりですよ」
そのスタッフも、カクトウ男なのかも知れない。

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2017年3月22日 (水)

実施をジッチと読むジッチ男

ヤマイさんは気難しい人だ
そして話しが長い
同じことを手を変え品を変えて話す
そして、悲しいくらいに話しの中身がない


その日、僕らは集まって改善案を話し合っていた。
独自のアイデアを持っている人というのはそう多くない。
司会者は手詰まりになり、さっきからだんまりを決めているヤマイさんに水を向けた。

どうですか?ヤマイさん

ヤマイ
「僕ですかぁ・・・(2秒沈黙)
まぁぶっちゃけて言うと、僕なんか素人ですから、あんまり改善とかされちゃうと、やることなくなっちゃうんですよね。ここだけの話し」

どこだけの話しだ!
と心で突っ込んだ。

彼の話はいつもこう。
他人の意見をまとめ、焼き直し、さも自分の意見であるかのように言う。
しかし、他人も意見を言わない時は、真似しようがなくなり、得意のぶっちゃけが出る。

みんなもホントはそうだよね。
小難しい顔してるけどさ。
本音で生きるオレの株でも買わないかという塩梅だ。



そんなヤマイさんの言葉で、前からずっと気になっていることがあった。

「せっかくいい案を作っても、ジッチできるのかというのがあるよね」

実地?
実地って"する"とか"できる"といった類いのものじゃないよね。
実値でもないし。
ATOKではこの2つしか候補がないぞ。

恐らくヤマイさんの脳裏にある言葉に漢字を当てるならば、それは「実施」なのだろう。

彼の口からもう何度もジッチを聞いているが、誰かが「ヤマイさんそれはじっしだよ」と正すことはない。

世間の風は暖かい
"いいまつがい"は指摘しない。
それが「大人の対応」というものらしい。


あまりにも自信を持って「ジッチ」と言い平気な顔をされると、こちらが不安になる。
もしかして、僕が知らないだけ?
しこうとせこう(施行と施工)のように、用例によっては「じっち」とも読むのだろうか。
いや、そんなことはない。


そしてこの「ジッチ男」は1人ではない。
年齢的には30代から50代まで幅広く分布している。

日本の一部地域では、学校でジッチと教えているのか?
あるいは「イとエが言えない栃木県民」みたいに、ある地方では「し」が発音しづらく「ち」と言ってしまう民族がいるのか。


気にはなるが、特にしらべるほどのテーマでもない。
ずっと放置してきたある日

「ジッチ女」が現れた。

その席には件のヤマイさんもとなりに座っている。
これはいい機会だ。

すみません、ちょっと気になるんですけど
(あくまで丁重に切り出す)
それはジッシではないんですか?

すると「ジッチ女」
え゛そうですか?ジッシ、ジッシ・・
確かにそうですよね。
すぐに誤りを認めた。

隣りにいたジッチ男
うんうん、もっともだと言わんばかりに頷いている。
いったい、なにがうんうんなのか

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2016年2月23日 (火)

5分でわかるシュレディンガーの猫

「シュレディンガーの猫」は正式に言うと「シュレディンガーの猫のパラドックス」です。
以下は「シュレディンガーの猫」と表記します。


「シュレディンガーの猫」は、オーストリアの物理学者「シュレディンガー」が1935年に提唱した学説です。

それは、量子論のうち「コペンハーゲン解釈」への反論として提唱されたものです。


まずはじめに「コペンハーゲン解釈」を簡単に説明します。

■コペンハーゲン解釈
1927年、物理学者が集まって出した量子論の解釈。

その主張の要旨
■万物は観測した時点で存在する。観測されなければ存在しない。
■万物は"重ね合わせの状態"にある。

ちなみに、集まった場所がコペンハーゲンというわけではなく、中心となった学者ニールス・ボーアが「量子論を確立したのはデンマークである」という主張に因み、デンマークの首都「コペンハーゲン」を冠して命名しました。

コペンハーゲン解釈に沿って考えると、宇宙は心を持っていて、人の心を読み取ってその願いを実現してくれる。ということになります。

今、ここを読んでいる方の中でも賛否が分かれると思います。


シュレディンガーはこの「コペンハーゲン解釈」に齟齬あり!として反論しました。

たとえば、こういう実験をした場合どうか?と問うたのです。

鉛の箱に放射性物質と猫を入れる。
放射性物質から放射線が出た場合、猫が死ぬ。

さて、箱を開ける前に猫の生死が決まっているのか?箱を開けたときに生死が決まるのか?という問いかけです。


シュレディンガーは言いました。
「猫が半分生き、半分死んでいると言うことはあり得ない。箱を開けるまで、猫は死んでいるとも、いないとも言える"重ね合わせの状態"にあるとするコペンハーゲン解釈は誤り」


2012年には、東大の古澤明教授が「「シュレディンガーの猫のパラドックス」が解けた!」という著書で、シュレディンガーの論説に反論しています。

古澤明教授は、1996年に世界で初めて「量子テレポーテーション」に成功した量子光学のトップランナーです。

テレポーテーションと言っても、SF映画や「ドラえもん」のような、物の瞬間移動ではなく「光と鏡で作りだした量子に電圧をかけて、もう一対の量子を作る」ことです。

今、世界じゅうで開発競争が行われている量子コンピューターにも活用される技術として、期待されます。


人が言ったことや、ネットに書いてあることを本物であると錯覚するのが現代の高度情報化社会の悪いクセ。
自分の目で見るまでは本物ではない。
それは、量子論コペンハーゲン解釈につながる考え方であり、シュレディンガーの猫のパラドックスとは真逆にあるものです。

いかがですか?
「シュレディンガーの猫」がそれとなく、おわかりいただけたでしょうか。

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2015年5月25日 (月)

子を思う親の愛情

教育ママと呼ばれても、けっこう家庭円満なこの18年間とMr.childrenが歌ったのはもう15年前のこと。


教育に熱心なママ=教育ママは死語になった。


教育パパと言うことばは当時からなかった。


パパは、子どもがわんぱくでもいい、たくましく育って欲しいと願ってやりながら、キャンプでハムを厚く切ってやるような懐の深さが求められていたのだ。




子どもは人生の中で最も言うことを聞かない人類。


最も迷惑を受ける人類と言ってもいい。


いけすかない上司や、身勝手な部下に囲まれたとしても、一人あたりから受ける迷惑は数が知れている。


子供から受ける迷惑は質量ともに、群を抜いている。


それでも、親としての愛情はそれを凌駕して深い。


どれだけ言うことを聞かない子どもでも、可愛い。


ぶちギレて手を上げることがあっても、それは一時的なもの。


親から父となる。親から母となれば、やがて、手を上げたことや声を張り上げたことすら恥じる日が来る。


それほど、子どもは愛おしい。


親は子育てから、赦すことを学ぶ。


自分とは違う価値観を受け入れることを学ぶ。



大人どうしの社会において、子どもの居ない人は見ていてすぐにわかる。



すぐに切れる


身勝手


少女のようなノリで喋る


子どものような言葉で喋る


オカマのような態度を取る


だらだらと雑談する


有給休暇を取ることは基本的人権だと思っている



我慢を知らない。






もちろん、子どもが居る人の中にも、嫌なやつはいる。


だが、その人が家に帰れば人の親だと想像し、その人を頼って生きている人が居ることに思いを馳せると、怒りもすーっと引いていく。



だが、子どもが居ない嫌なやつには、それもない。


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2015年5月23日 (土)

こどもが親の愛を受け取る 子供のおもちゃ博物館

デジタルカメラが普及し始めたのは1995年のことだ。

1991年にはソニーがデジカメの試作機である「マビカ」を発表していたが、市販しなかった。
新しモノでソニーモノ好きのファンたちは、市販しないという方針に対して「まびかっ」と突っこんだ。

1995年3月10日
カシオが世界初の市販デジカメ「QV-10」きゅーぶいてん
を発売。
25万画素という今となっては冗談のような低画質だったが、ここから世界中の人々が「写真撮影と共に暮らす生活」が始まったのである。

2001年、日本国内出荷台数で、デジカメの出荷台数が銀塩フィルムカメラを逆転した。
2002年には、国内、国外合算でも逆転
 デジカメ 2,450万台
 フィルムカメラ 2,360万台

デジカメを造ったのは日本
国別世界シェアは日本製品が1位。


ゆえに日本人は世界で最も早く「写真撮影と共に暮らす生活」に移行したのである。
1995年以降の子育て世代と、それ以前の子育て世代では"子供の写真枚数"が格段に違う。

それは被写体が子供の写真に限らない。
子供と共にみた景色
子供がつくった工作
子供の友達

銀塩フィルムカメラの場合、フィルム購入にお金がかかった。
デジカメはメモリーを使い回すので、そこにランニングコストがかからない。

銀塩フィルムカメラの場合、現像プリントにお金がかかった。
現像代は400円程度、プリントは1枚35円(1980年代)
デジカメはパソコンやスマホで見る限り、そこにお金がかからない。



子供と共にみた景色
というのは富士山とかシンデレラ城といった名所に限らない。
一緒に遊んだ公園の遊具、キャッチボールをした場所なども撮っておけた。


子供が作った工作
幼稚園で造って持ち帰って来る工作
家にあるブロックで造った独創的なロボット
折り紙
父の日、母の日の手作りプレゼント+手紙付き


子供の友達
遊びに来た友だち
発表会で「撮っておいて」と頼まれた他のクラスの友だち
フィルム時代であれば、たまえちゃんのパパじゃないのだから、他人の子供を撮るなんて、考えもしなかった。


子供の記念品はとても貴重だ。
その品をおもちゃ屋で見た時の輝く瞳
共に集めたゲームキャラのグッズ
一緒に見に行ったヒーローショーの変身グッズ

だが、子供が成長すれば見向きもされなくなる。
段ボールに放り込まれていた品々は、住宅事情によりやがて捨てられる。
そして、子供がやがてその子供を育てる年齢にさしかかる20年後
デジカメの写真から、子供の頃わくわくしたおもちゃの写真が登場する

あぁこれ欲しかったんだ
買ってくれた時は嬉しかったなぁ
でも、すぐ壊れて動かなくなったよね
いつ捨てたんだろう
あの頃は、捨てられても気づかなかったんだろう
記念に1つくらいとっておけばよかったな


すると、そこにあなたが登場する
「これのことか?」


それは燃えないゴミの日に捨てられるゴミの中から、あなたが救出してガラクタ箱の底にそっと眠らせておいたグッズ。
20年の時を超えて、親の愛が子供に届く瞬間だ。
子供は子供を育てないと、親の愛がわからない。

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2013年3月26日 (火)

なぜ大学の卒業式に出なければならないのか?

なぜ大学の卒業式に出なければならないのか?

それは、歳を取ってから出ておけばよかったと思うからである。

学校には入学式と卒業式が付きもの。
大概の人はその両方に出席する。

大学の卒業式が高校までの卒業式と違うのは、個人の出番がないところである。
よほどのマンモス高校でない限り、卒業証書は1人ずつ手渡される。

スズキイチロウ!
以下同文

最近では以下同文も言わない高校もある。
それでも、1人に1度、壇上に上がる晴れ舞台がある。

ところが、大学にはそれがない。
数千人規模の卒業生に1人ずつ、証書を手渡していたら陽が暮れてしまう。
なかには、キャンパス内のホールや体育館では収容できない学校もある。
卒業生が1万人を数えるようなマンモス大学では、日本武道館を借りて2デイズ。
まるで矢沢永吉だ。

その他大勢にまみれた卒業式にいったい、どんな価値があるのか。
そう問われたら、わかりませんと答える。
価値があるのか?と疑問を持つような人は、既に価値がないと値踏みしている。
そういうひねた人に認めさせるほどのたいした価値は想像できない。

部活に入っていた人ならば、下級生がお祝いをしてくれる。
胴上げをしてくれるかも知れないし、花吹雪をかけてくれるかも知れない。
祝おうという人がいるのに、そんなの意味ないよとトンズラするのは、自ら人付き合いを難しくする。
恐らく、そのような人は社会に出ても、人間関係に大いに苦しむはずだ。

大学の卒業式を回想する。
その日既に、遠くにある会社で新人研修が始まっていたため欠席した。
会社側は、どうぞ休んで行ってください。旅費は出ないけど。と言っていた。
数人を除いて、同期生達は会社を休んで、それぞれの卒業式に出た。

お金がないから仕方ない。
それ以上は考えなかった。
そして、長い年月を経た今、思う。
決して安くない航空券代金も、親に頼めば貸してくれただろう。
しかし、なにも考えず、ただその日を見送った。
それが、今思い出せるすべてだ。

出席していないので、映像が浮かばない。
卒業式で脳内を検索すると、会場となった体育館の外観が浮かぶだけ。
学長の挨拶もない。
お祝いの笑顔もない。
あるのは、後に実家に届いていた卒業証書とアルバム。でも写真は1枚も映っていない。

部活の後輩たちがお金を出してあつらえたという記念品もない。
行き場のない記念品を、後輩のスナオ君がせしめて喜んでいたと後で聞いた。
かように、卒業式にはろくな記憶がない。

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2013年3月22日 (金)

浪人する君へ

浪人とは高校を卒業した受験生をいう。

高校受験をリトライする場合、中学浪人。
ドラフト指名を断って、来年の指名を末場合、野球浪人。
公務員試験を受けたものの受からず、リトライする場合就職浪人。
斯様に浪人という言葉は多様に使われているが、浪人と言えば大学をめざす受験生のことだ。

浪人は大学に入った時、同級生よりも1歳年上だ。
わずか1歳の違いだが、どこか大人の風格が漂う。
そこらの舞い上がってちゃらちゃらした御仁とは、一目見て違う。

それは1歳年寄りだからではない。
一年間、大きなプレッシャーと戦い続けてきたため、精神力が鍛えられているのだ。
浪人した一年後、志望校に入れる保証はない。
現役で受かっていた滑り止め校すら、受からない恐れすらある。

そうした重圧がかかるなか、自ら計画を立てて実行し、結果を出すという経験をした浪人。
達成により得た自信も大きい。
成功した浪人は胸を張っていい。
その自信が風格となり、他者を圧倒する空気を醸し出すのだ。

場面を就活に移して見よう。
大学新卒の段階で、重圧がかかるなか、自ら計画を立てて実行し、結果を出すという経験をしているのは「浪人」経験者だけ。

企業の人事部は、採用の選考で浪人履歴をマイナス評価しない。
かといってプラス評価もしない。
その人に備わった力を客観的に見極めるのだ。

浪人したからプラスなのではない。
浪人を立派にやり遂げ、身につけた力がプラスなのだ。

4月~5月は、体力作りだ。
学費は親が出してくれるだろうが、少しは遊ぶ金も欲しい。
その活動資金を集中的なアルバイトでつくる。

6月からは、情報収集と計画。
そして、読書。
浪人ノウハウ本
予備校有名講師によるハウツー本
政経をとるならば実用書
歴史をとるならば歴史小説
現代国語をとるならば、随筆
読書は嘘をつかないが、ゲームは大いに君に嘘をついてくれるはずだ。

7月から10月のセンター出願までは、修験者のようにこもり勉強。

大学は楽しい。
どこからどうみても楽しい。
それは行ってみなければわからない。
行っていない人には、何も言えない。
この1年は大学に夢を馳せ、目の前の不安が見えなくなるくらい、
計画、実践、評価、見直しを繰り返すのだ。

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2012年12月14日 (金)

山中伸弥教授の著書を高校生大学生に読んで欲しい

2012年しらべるが選ぶ5大ニュース

その2
山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞受賞

山中伸弥教授は、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を創り出した科学者。
1962年9月4日、大阪府生まれ
著作「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」では、大阪弁を使った軽妙な語りがわかりやすい。

1987年
3月、神戸大学医学部卒業
髪型と切れ上がった眼差しが表すように体育会の人である。
神戸のラグビー部は多くの偉人を輩出している。

卒業後、一度は医者の道に進んだが挫折。
研究の道にルートを変えた。

2007年
ヒトiPS細胞の作製に成功したことを発表。

2010年
4月、京都大学iPS細胞研究所長就任

2012年3月11日
第1回京都マラソン出場。
完走して1,000万円の寄付金を集めた。

2012年10月8日
ノーベル医学・生理学賞受賞
英国ジョン・ガードン博士との共同受賞。

外国の研究者と比較すれば、決して潤沢な支援を受けていたわけではないが、ノーベル賞受賞時にはオールジャパンの支援に謝辞を繰り返した。
受賞を機に官民を挙げてのチーム山中支援態勢ができあがり、それを支持する世論が日本国内でできあがった。

2012年10月10日
山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」発売
内容は、幼少の頃からノーベル賞受賞前までの年表。
聞き語りだが、一人称で書かれており著書と呼べる。
この本を読めば、人類の歴史を塗り替える偉業が、偶然の連続で成り立っていることがわかる。
努力した者にだけ訪れる偶然。
初めから諦めている人には訪れない偶然。
現在の高校生、大学生に購読を勧めたい。
*同書はKindle版も発売されている。

2012年12月8日
ノーベル賞受賞記念講演で、次のように述べた。
「iPS細胞は、創薬や再生医療の可能性を持つ。残りの人生をかけて、私はiPS細胞を使って病気に苦しむ患者さんを助けたい」

世の中で一番長生きして欲しいのは実の親だが、その次に長生きして欲しい"人財"である。

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2012年10月20日 (土)

11年間、棚に根付いていた普遍的な本

2001年に買った時、いつか読む日が来るだろうと思って棚に立てた。
そのまま11年が過ぎ、ようやく棚から抜いた。

11年放っておいても情報が古びたり、内容が色あせたりすることはない。
きっとそれはいつ読んでも、新しい価値を提示してくれる。
そう確信があったのは、その本が「教科書」だからだ。

その本は「新しい教科書を作る会」による「市販本 新しい歴史教科書」

「新しい教科書を作る会」は西尾幹二・電気通信大学教授が主宰する会。
1997年西尾教授と数人の作家たちにより発足した。
1997年度、歴史教科書に一斉に取り上げられた「従軍慰安婦問題」の削除を求め「新たな歴史教科書を作り歴史教育を立て直す」と宣言。
教科書検定を経て、学校での採択10%を目指した。

また、各地方自治体に対して教科書採択が教師主導ではなく、本来の教育委員会主導で行われるよう求めた。
学校の教科書採択は各学校の当番となった先生が見本を閲覧して合議。それが当該採択地域の決定となる慣例がある。

学校で使う「教科書」は2001年4月3日に検定合格。
検定意見がついた歴史137項目、公民99項目を修正したことで合格となった。
4月25日、和田春樹東大名誉教授らが事実に関する部分だけでも51箇所の誤りがあると指摘、修正を求める声明を発表した。

そして、同年6月10日「市販本 新しい歴史教科書」が店頭で発売された。

作る会が編集した2002年度以降用の中学歴史、公民の教科書を扶桑社が書店ルートで流通させたのである。
教科書は市販されないので、書店で買える教科書というのは斬新だった。
また、近代史の歴史認識が従来の教科書とは一線を画す編集内容のため話題になった。

社会に出てからの時間が長ければ長いほど、人は教育と学習から遠ざかる。
国は「リカレント教育」という言葉をつくって、社会人が学校に戻って学び、再び社会で活かすことを提唱したが、日本企業にそのような文化はなく、根付かなかった。
というよりも、誰も知らなかった。


さて、11年もの間、棚に根付いていた市販本の教科書。
横に検定教科書を置き、引き比べたわけではないが、認識が検定教科書と違っていることはわかる。
それを、ある人々は「歴史の直視」と呼んでいるのだろう。
どう視るかは個々に違うので、他人から直視しろと言われる筋合いではないが、なるほどと思うことはあった。

なかなか速読というわけにもいかず、2日を要した。
学生の頃、1年かけて学ぶこの教科書を2日で斜め読みする機転があれば、人生は今とは違っていただろう。

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