2009年7月 5日 (日)

ポルトガルが出ないW杯なんて・・・

2009年6月6日、ポルトガルは、アルバニアを破り勝ち点を9としたが、同じ日、グループ首位のデンマークは勝ち点を16に伸ばした。
これで、ポルトガルの1位通過は絶望的となった。

欧州予選は、9組の1位 9チームが、まず出場権を獲得。
つづいて、全9組の2位のうち、勝ち点が多い上位8チームがプレーオフに進む。
2位に入らなければ、W杯出場はノーチャンスだ。

2位は13点のハンガリー。
ポルトガルは、2位のハンガリーと消化試合数が並び、勝ち点差は「4」の3位。

予選は2009年9月に再開される。ポルトガルは残り4試合。

9月5日
 away デンマーク

9月9日
 away ハンガリー

10月10日
 HOME ハンガリー

10月14日
 HOME マルタ

 残り4試合というのに、首位のチームとのawayを1試合、2位のチームとの直接対決が2試合と、厳しいカードばかりが残った。
 デンマークには、ホームで負けている。
 当面の敵ハンガリーと2試合残しているということは、考えようによっては、直接たたける幸運が残っているとも言える。
 いずれにせよ、徳俵から半分足が出て、朝青龍にのど輪で押されているような状況には違いない。

 もしも、ポルトガルが W杯に出場できないということになれば、2010年の南アフリカでは、全盛期を迎えたクリスチアーノ・ロナウドを見ることはできない。

 デコにとって、2010年は33歳。
 これが、最後のW杯になる可能性もある。
 デコのW杯が 2006年ドイツのたった一度きりなんて、あってはならないことだ。

 FIFAランキング30位台の国が、楽々予選を通過する中、10位前後の国が出られないとなれば、大会の興味は薄れる。
 そうなればW杯は、サッカーが強い国の大会ではなく、6大陸対抗 親善試合だ。

 残り4試合、なにか新しい試みが必要だ。
 チェルシーを追われたスコラーリが戻ってきてくれれば・・
と思っていたが、ウズベキスタンのクラブチーム「FCブニョドコル」の監督に就任してしまった。

 遠いアジアにいるデコファンは、ただ、サッカーの神様に祈るしかないのである。



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2009年6月28日 (日)

デコが10をつけた!

6月6日
away アルバニア ○1-2

アルメイダの先制ゴール。
2分後に追いつかれたが、90分にブルーノ・アウベスのゴールで勝利。
勝ち点を9に伸ばした。

デコは右サイドMFで出場。
前回の試合では、いつもの「20」ではなく「16」をつけたデコ。
なんと、この試合では「10」をつけていた。
16は中途半端な番号であり、なぜ変更??と思ったが、10は悪くない。
「10」はデコが2003-04シーズン、FCポルト在籍時につけていた番号。
フットボールでは「ゲームメーカー」に与えられるユニフォームナンバーである。
「10」は単なる役割を意味する番号ではなく、衆目の一致するリーダーを意味する。
FCバルセロナであれば、2007-08まではロナウジーニョ。2008-09はメッシである。

ブラジル人でポルトガル代表に入ったデコに対しては、フィーゴを始めとして快く思っていない人がいる。
そのデコがポルトガルで初めて背負う「10」
カルロス・ケイロス監督は、ここに来て、瀕死のチームのリーダーとして、デコを指名したと言うことだろうか。

 Carlos Queiroz
 ポルトガル代表監督
 国籍:ポルトガル

1953年3月1日
南アフリカの上にある、モザンビーク共和国生まれ

1989年
U-20ポルトガル代表を指揮して、FIFAワールドユース選手権優勝(主力選手:フィーゴ、ピント)

1991年
U-20ポルトガル代表を指揮して、FIFAワールドユース選手権連覇

1993年
ポルトガル表監督就任(1度目)

1994年
W杯出場を逃し、ポルトガル代表監督を解任された。

1996年
Jリーグ 名古屋グランパス監督

2003-04
レアル・マドリー監督
リーガ シーズン4位に終わり、1シーズンで解任された。

2004-05
マンチェスター・ユナイテッドのアシスタント・コーチに2度めの就任。
4シーズン務めた。

2008-09
ポルトガル代表監督に2度目の就任

 現役プロフットボール選手の履歴は、母国モザンビークのみで終えている。
 ポルトガル国籍を取得して、指導者活動に入った。
 ケイロスは、かつての代表の柱フィーゴと懇意にしている。

 フィーゴが快く思っておらず、プラティニUEFA会長が「ポルトガルの中心」~2008/7 談話~というデコを、ケイロスがどう処するのかが2008年7月時点の注目ポイントだった。
 1年が経った今「10」をつけたという事実には、少なからずほっとしている。



W杯2010 ポルトガル代表

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2009年6月21日 (日)

デコに敬意を!

5月30日
FAカップ決勝 ウェンブリースタジアム<中立地>
エバートン 1-2 チェルシー
エバートンがホーム扱いのため、チェルシーは、黄色い3rdユニフォームを着用。
ヒディンクは予定通り、この試合を最後にチェルシーを去ることになり、なんとか1冠を得て、花道を飾った。

デコは一度もFAカップに出場することなく、シーズンを終えた。
FAカップは世界中のフットボールで、最も伝統のあるカップ戦。
このまま、退団することになれば、残念なことだ。

FAカップ決勝を前にして、デコは英紙サンに対して、代理人がインテルとの交渉を始めたことを明かしたと報じられた。
普段ならば、クラブが最終戦を残している段階で、このようなことを言うデコではない。
実際にデコがそう語ったとしたら、それはそれで、デコの心中を察するに余りある。

2008-09シーズンは、大好きなバルセロナを追われた後、夢だったというプレミアリーグで、輝けるキャリアの継続を目論んだシーズンだった。

8月のスタートは移籍早々にゴールを決めるなどして、プレミアリーグの月間MVP。
その頃のチェルシーのサッカーは、まさに足下のパスをワンタッチできれいにつないでいく、まるでバルセロナのようなサッカー。
そして、パスの要にはいつもデコがいた。
デコがいない試合は、素人目にもリズムが崩れるのがわかった。
誰もが、グラウンドに居ないデコの姿を探しているかのように見えた。

当時、ある古参のチームメイトはデコの移籍金が安かったことを「お買い得だった」と評していた。失礼な言い方をするやつだとは思ったが、そんな些細な言葉尻をとる気にならぬほど、デコの未来は光に満ちていた。

ところが、スコラーリが解任されると、成績不振の責任がデコにあるかのような論調になった。
プレーヤーは結果がすべて。
だから、デコが悪く言われることもあるだろう。
だが、悪いことばかりではなかったはずだ。

デコで勝った試合があった。
デコの姿勢にヒントがあった。
デコのアイデアを皆が見て学んだ。

このままクラブを去ることになった時、デコが運んで来たものについて、敬意をもった態度で言及してくれることを希望する。



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2009年6月14日 (日)

着ることのない新ユニフォーム

5月10日
プレミアリーグ away アーセナル ○4-1
4位のアーセナルを敵地で破り、CL本戦出場権を引き寄せた。
CLの敗戦から数日、チームは崩れることなく、いい試合をファンに見せた。
デコはベンチ入りしていない。

5月17日
プレミアリーグ home ブラックバーン ○2-0
ドログバがゴール前で、自分でシュートを打たずにアネルカにアシスト。
アネルカは、これで得点王争いの相手 ロナウドに並んだ。
デコはベンチ入りしていない。

なにかいつもと印象が違うと思ったら、この試合で 2009-10 の1stユニフォームをお披露目していた。
新ユニフォームは、襟のないハーフジップ。
フットボールクラブのユニフォームにファスナーというのは見たことがない。
ただ、ファスナーを開けている選手は一人もいないので、本当にファスナーなのかは確認できなかった。
アディダスの新機軸として、来期のユニフォームではいくつかのクラブで採用されるのだろう。
だが、どうやら、この新ユニフォームを買うことはなさそうだ。

この試合も J sports Plusが生中継。
年間を通して、チェルシーのプレミアリーグ戦は J sports4局のいずれかが生中継した。毎週、全10試合の中から4~5試合の放送なので、チェルシーには力を入れていると言うことだ。
一方、J sportsは、チェルシーのCL戦はほとんど生中継しなかった。
2009-10シーズン、チェルシーを観るならば、プレミアはJ sports。CLはスカパーということになる。

ただし、来期、J sportsを観る必要はなくなりそうである。

5月24日
プレミアリーグ最終節 away サンダーランド ○3-2
イングランドの二部リーグであるリーグ・チャンピオンシップ(24チーム)への降格がかかるクラブは同時試合開始。
サンダーランドのサポーターは、目の前の勝利よりも、降格ライバルチームの動向が流れるラジオに集中している。

クリスチアーノ・ロナウドはCL決勝に備えるため、最終節を欠場。
18ゴール程度での得点王には興味がないようだ。
47分、アネルカが19点めとなる1ゴールをあげて単独得点王となることが決まった。
チェルシーのチームはここにきて、仲良くまとまっているように見える。

away戦ということもあってか、前節に披露したニューモデルではなく、2008-09モデルの1stユニフォームを着用。
サッカーショップは、これから今シーズンの在庫を掃かなければならない。
どのクラブも、ユニフォーム販売ページには sale の文字が躍り始めた。
ニューモデルだとかにこだわりがない人たちにとって、安ければそれはそれでいいのだろう。

デコはベンチ入りしていない。
実況の中で、現地では「来期デコもカルバーリョも帰ってくるだろうと報道された」と紹介があった。
この時は、それならそれもいいと思ったが、後々の2人の言葉を聞けば、決してこのリーグ、このクラブの居心地はよくなかったようだ。



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2009年6月 7日 (日)

キーパーが2人いるチームは強い

さて、チェルシー対バルセロナの準決勝第2戦。
この試合は、キーパーが片方のゴールエリアに2人いると、なかなか手強いと言うことを、初めて学ぶゲームとなった。

それは、90分を終えて配色濃厚だったバルセロナが、93分に追いつき、形勢を逆転した直後に起きた。

バルセロナのゴールエリアには「1」番をつけたキーパーと「9」番をつけたキーパーがいて、チェルシーの「1」番は自らのエリアを留守にして、フィールドプレーヤーとなってゲームに参加していた。

グラウンド上にいたキーパーは確かに2人なのだが、2人ともバルセロナのゴールを守っていた。これは手強かった。
美しいフットボールのクラブ、バルセロナが、また新たなフットボールの扉を開いた瞬間だった。

メディアが大きく取り上げていたジェラール・ピケの手にボールが当たったハンドは、不可抗力と言えなくはない。
しかし、終盤、あと数秒守り切れば勝ち抜けという場面で「9」番のキーパーが見せた、手にボールを当ててシュートをブロックした行為は、本能的とはいえ、明らかなファウル。
あれをハンドにしないということは、来期のチャンピオンズリーグでは
「フィールドプレーヤー10人も、ゴールエリアでは手を使って良い」というルールになるのだろう。
サッカーは2010-11シーズンから、新たな展開を迎えることになる。

ニュースでは「絶対PK」と確信をもって伝えられているピケのハンドよりも、前半でマルダが倒されたシーンに笑った。

エリアの中で倒されたマルダ。
これはスルーだな・・と思ったら
ファウル。しかも外からのFK
ドリフのコントかと思った・・・

PKの笛を吹き損ねた「お返し」にアウベスに、累積3枚めのイエローを出したり、何もしていないアビダルに一発レッドを出したり・・・
よく、こんな挙動不審者が、CL準決勝の笛をまかされたものだ。

いずれにせよ、勝った方が勝ちということだけだ。
どんな「手」を使ってでも、勝ったのはバルセロナ。
事実、チェルシーは自らのプレーで決勝点を奪えなかったし、イニエスタは自らの技術でゴールをねじ込んだ。
チェルシーが判定に泣いたことは事実だが、バルセロナが勝ったことが史実だ。

アスリートは相手を打ち負かす努力をする。
そして、一度戦いが終われば、競い合った相手を尊重するのが一流。
そこで、相手の価値を否定するのは二流。
試合が終われば、相手は讃えるためにある。

かつて、決勝で負けた相手バルセロナに対して、散々ぶーたれたアーセナルのベンゲルとアンリのような、相手を貶める発言がなかったのは、とてもよいことだった。



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2009年5月31日 (日)

先攻チェルシー : 後攻バルセロナ

朝起きてUEFAのウェブサイトをチェック

1-1
え゛ まけとるやん

初戦の戦術がぴたりとはまり、流れからみてチェルシーの勝ちは動かないと予想していた。

有料放送の J sports Plus には、ケーブルテレビ代とは別にオプションでお金を払っているのだが、CL準決勝は二日遅れの放送。
フジテレビは翌日に放送する。お金を払わないで見られる地上波よりも遅い、有料テレビがあるとは思わなかった。勉強不足だった。

CLの放映権は、来シーズンもスカパーが押さえており、J sports Plus で Live が見られるのは、プレミアリーグと国内カップ戦。そして、スカパーが売ってくれるCLグループリーグの数試合ということになるだろう。
そこで、CL準決勝第2戦。二日後の放送を待つまでもなく、勝ち抜けは楽勝とみて、冒頭のUEFAチェックとなったわけだ。

試合経過を見ると、90+3分に イニエスタのゴールで追いつかれている。
この試合をリアルタイムで見ていたチェルシーファンの胸中を思うと、胸が痛む。
イニエスタは、正義が勝ったと内心は思っても、それを吹聴することはないだろう。なぜならば、勝者は何も語る必要がないからだ。勝った方が強いというだけのことである。

デコはベンチ入りもせず。
デコの今シーズンは、もうとっくに終わっていたのだ。
最後に試合に出たのは、4月11日。それも、大勢が決した後の途中出場だった。

チェルシーでの新たな挑戦。
月間MVPでスタートダッシュした8月。
栄光のシーズンになるはずだったのに。

2011年のCWCでは、再び日本に帰ってきてほしい。
それには 2010-11 のCLで、どこかのクラブで勝つ必要がある。
プレミアに残るのか。イタリアになるのか。あるいはポルトか。
デコを必要とするクラブに行って欲しい。

終わったことに、なにを言っても始まらない。
審判を巡る問題は、過去にも言われていた。
根本的に解決されないのは、解決する権限を持った団体、ここでいうならばUEFAに解決できない原因があるのだ。

ヒディンクはメディアに対して「UEFAが決勝を2年つづけてプレミア勢どうしにしたくなかったのは明らか」と述べた。

カンプノウでは、ボジングワがアンリを倒したが、PKは与えられなかった。
審判がPKをとらないとわかると、ロンドンではバルセロナの選手がやりたい放題。審判はそれをすべて見逃した。
先制攻撃:チェルシー 後攻:バルセロナ 
両チームの選手は、ずる賢いインターフェア(邪魔)合戦に終始したのだ。
だが、それは選手が悪いのではない。
そう仕向けたのは主審。
主審にそう仕向けた人が、またその上にいるのかも知れないが、そんなことは表には出ない。

判定に不満を述べるのはいつも敗者。
勝てばいいのだ。
勝てば、ファンは目をつぶる。何をしてもすぐ忘れる。

サッカーの試合では、グラウンドにはキーパーが2人いる。
普通の試合では、それぞれのゴールエリアに1人ずつのキーパーがいて、それぞれのゴールを守る。

手を使って守るキーパーに対して、足技を競うからサッカーはおもしろい。

だが、この試合ではちょっと違うものを見ることができた。

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2009年5月24日 (日)

イニエスタが言う正義

 CL準決勝第1戦の後、バルセロナのイニエスタがメディアにおもしろいことを語っている。

「正義が認められ、僕らがファイナルに進出できることを願っている」

 アンリがペナルティエリア内で引っ張られて倒されたシーンや、チェルシーの選手が接触プレーで蹴りを入れたように見えるシーンを言っているのだろう。
 エトー、シャビなど数人のバルセロナの選手が、判定に不満を述べている。

 一方、チェルシーの選手は、ノルウェー人のエブレベ主審に対して不満を述べていない。
 それは、試合結果が自分たちにとって満足いくものだったからだ。
 結果について不満を述べるのは常に敗者。
 勝者は何も話す必要がない。粛々と次の課題に向かうだけだ。
 勝者にとっては、沈黙が金なのである。

 41分、マルケスがボールを外に出そうとしてマルダの前を遮ったシーン。
 だが、なかなかボールが出て行かず、結果的に足をかけてマルダを倒した。
 明らかにファウル。
 だが、審判は笛を吹かなかった。なぜならば、そこがペナルティエリア内だったからだ。

 2006年W杯準決勝フランス対ポルトガル戦、アンリが狡猾な倒れ込みで得たPKの1点で勝った。
 あれ以来、審判は極力、先制の1点につながるPKを与えない。
 それが決勝点になった場合、大変醜いからだ。

 プレミアリーグでは、限りなくファウルに近いグレーゾーンの接触に対して、笛を吹いて試合を止めることはない。止めないことで、自らの力でゴールをもぎ取る意識を喚起する。
 それが、リーガとの大きな違いだ。
 プレミアでは、大げさに倒れる「確信犯ファウル」で試合に勝とうという、さもしいフットボール選手は排除される。
 決勝の1点になるPKをもらえなかった。相手が守備的だった。足を蹴られたと嘆き、それが正義だと強弁するメンタリティに勝利はない。

 このイニエスタ発言に対して、チェルシーのバラックは
「イニエスタはすばらしい選手であり、そのようなことを言うべきではない」
と評した。
 いつまでもお子様のイニエスタに対して、オトナになりなさいというたしなめである。

5月2日
プレミアリーグ フラム home ○3-1
ドログバ、アネルカが互いのパス交換で1ゴールずつを決めた。
アネルカは、得点王争いで、クリスチアーノ・ロナウドに迫りつつある。
デコは、この試合もベンチ入りしていない。

 いよいよ、翌週のミッドウィークはバルセロナとの準決勝第二戦。
 初戦awayを引き分けに持ち込んでいる。順当にいけば、チェルシーの勝ち抜けは動かないと、この時は考えていた。



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2009年5月17日 (日)

ライカールトとグラディオラの違い

4月18日
FAカップベスト4 準決勝 アーセナル (中立地 ウェンブリースタジアム)○2-1
開始早々あっさりと自陣を崩されて先制されたが、逆転勝利。
FAカップ決勝進出。
5月30日の決勝が、チームの今期最終戦、そしてヒディンク監督が指揮をとる最終戦となる。

このアーセナル戦の当初開催予定は 4月8日。
両チーム共にCLで勝ち進んでいるため、順延された。

デコは4月16日の練習でハムストリングを傷めたということでベンチ入りしていない。
こう何度も同じ箇所を故障すると、監督としても戦力として計算を立てる方が難しいだろう。

4月22日 (水)
プレミアリーグ エバートン home △0-0
デコはベンチ入りしていない。
試合後の会見で、ヒディンクは「ほかの2つのタイトルに集中する」と述べた。
プレミアリーグ、事実上の終戦である。

このエバートン戦も チェルシーがFAカップで勝ち進んでいるため延期されていた。

4月25日
プレミアリーグ ウェストハム away ○1-0
デコはベンチ入りしていない。
ボジングワが久々に出場。
UEFA CL、FAカップに集中することにしたヒディンク監督は、ドログバ、バラックをベンチに温存した。

4月28日
CL2008-09準決勝第1戦 バルセロナ away カンプノウ △0-0
デコ、カルバーリョはベンチ入りしていない。
シーズン当初、デコがCLでバルサとあたり、カンプノウに凱旋するシーンが夢だった。
そこで、存在感を見せつければ、グラディオラの礼儀をわきまえぬ姿勢に対して、ささやかな恩返しができる。
だが、ベンチ入りすらかなわないこの現実。
初夏の爽やかな季節が訪れているというのに、デコの周りには秋風が吹いているかのようだ。

Jスポーツプラスは、この試合を二日遅れで放送した。
地上波のフジテレビが一日遅れで放送したので、地上波よりも遅かったことになる。
有料放送が、無料放送よりも遅いとは・・
これでは、いったいどんな価値のためにお金を払っているのかがわからない。

チェルシーは引いて守りドローを手に入れた・・・
というニュースを、試合を見るより前に、webニュースで読んだ。
だが、二日後にこの目で見た試合は、さほどに自陣に籠城しているようには映らなかった。
バルセロナのパスが一方的につながり、チェルシーはほとんど、ボールを保有できなかった。
それは、劣勢だったのであり、専守防衛だったのではない。

グラディオラは、審判の不当な判定、チェルシーの守備的姿勢を非難した。

前監督ライカールトと、現監督のグラディオラ。
その違いは、終わったことに文句を言うかどうかだ。

「判定に不満を述べるのは、いつも敗者」
ライカールトの名言である。

一方、2人の共通点、すなわち、バルセロナのポリシーは、常に攻めること。
CWC2006では、バルセロナの応援スタンドに座り、その美しいサッカーが、勝ちにつながらないことに涙した。
時は流れ、バルセロナを敵に回し、その攻撃姿勢に尊敬と怖さを感じる。

今期、チェルシーは敵地に強く、ホームでもろい。
その理由は、対戦相手がスタンフォードブリッジでは、この日のチェルシー以上に、自陣に籠城するためだ。
バルセロナが攻めて来るならば、それは、チェルシーにとっていつもの away ゲーム。
壮絶な点の取り合いになるだろう。
第2戦は、かつて、スタンフォードで ロナウジーニョが一人時間差を決めた、あの試合のような名勝負を見たい。



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2009年5月10日 (日)

ベンチを温め続けるデコ

4月4日
プレミアリーグ31節 ニューカッスル away  ○2-0
後半、相手のクリアミスから先制。
2点めはツェフのロング・キックから2タッチでゴール。
デコは、ウォーミングアップすることもなく、終始ベンチで暖を取っていた。

ニューカッスルは、アラン・シアラーがこの日から指揮を執った。
テレビカメラはヒマさえあれば、シアラーを捕らえている。
アブラモビッチは、ロシアに帰っているのか、一度も映らなかった。

4月8日
CL2008-09ベスト8第1戦 リバプール  away  ○3-1
前半5分で先制された時は、1-1の引き分けがベスト・リゾルトと思われたが、まさかの大勝。
コーナーキックをゾーンで守るリバプールの陣形を、イバノビッチが一人で2度破った。
デコはベンチ2列め、ベレッチの隣りで座っている。
ベンチが暖まるばかりで、デコ自身に体を温める指示が出ることはなかった。

この試合、J sports Plusでは当日夜に録画放送。
なぜ、生中継ではないのか、少し不思議には思ったが、当日夜であれば、未明の生放送を録画して、ネタバレブロックデーを1日過ごしたのと同じこと。
この次の試合は生でやってくれるのだろうと考えていた。

4月11日
プレミアリーグ ボルトン home  ○4-3
4-0とリードした66分に、ランパードに替わりデコが登場。
その後、立て続けに3点を奪われた。
いずれもカウンターのロングボールが、たまたま決まっただけ。デコのせいではない。

解説者は画面に映るデコを見ながら、来期は残れるんですかねぇ。移籍するにしてもどうなんですかねぇと心配している。
余計なお世話である。
まだまだ、こんなところで終わるデコではない。

4月14日
CL2008-09 ベスト8第2戦 リバプール home  △4-4
J sports Plusは、この試合も当日夜の録画放送。
なぜ生で放送しないのか、だんだんと「?」マークが大きくなってきた。

awayで2点のリードをとれば、普通ならば安全圏。
ところが、いきなり2点を先制される。
主審お得意の「2点めならばPK」の登場だ。
先制点はそのまま、それが決勝点になる恐れがあるので、審判はまずPKを取らない。
これは、2006年W杯、アンリが得た確信犯PK以来の潮流だ。
ところが、どちらかの点が入った途端、当たり前のようにPKを取り始める。

ただ、このPKが決まって 0-2 になってもまだ、2戦合計 3-3 away ゴール数が上回るチェルシーの勝ちは変わらない。
もしこれが、リバプールに勝ちが転がる3点めだったら、審判はPKを取っていないだろう。
サッカーは勝負のあやに合わせて審判が、どちらを勝ちにするかを決めるスポーツなのだ。
なんと、つまらないスポーツか。

ヒディンクは、0-2となったところで、カルーをアネルカに交替。
この用兵が的中。
守勢に回りつつあったチームが攻撃姿勢に転じた。
あと1点取られれば敗退という窮地に幾度となく陥ったが、その都度、反攻に転じた。
デコが出ていないとはいえ、今シーズン最もおもしろいゲームだった。
ただし、ホームで撃ち合いながらも引き分けどまりという結果が、ヒディンクに「このチームは、勝ちきれない」という検討材料を与えたのかも知れない。

2試合合計7-5  1勝1分けでベスト4進出。
デコはベンチには居るのだが、温めただけ。
次戦はいよいよ因縁のバルサ。
だが、チームはよくまとまっており、デコの出場はおぼつかない。
カンプノウではプレーさせてあげたい。
もし、それをデコが望んでいるのならば・・・



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2009年5月 3日 (日)

世界を驚かせてやろうぜ

 ワールドカップ第19回大会は、2010年6月に 南アフリカで開催される予定である。
 前回ドイツ大会から前回優勝国の予選免除特権がなくなり、前回 2006年ドイツ大会優勝のイタリアも、欧州予選を戦っている。
 開催国の南アフリカだけが予選を免除されるが、南アフリカ代表チームは、アフリカ選手権予選として、W杯アフリカ2次予選4組に参加する。

 過去すべての大会において、開催国は決勝トーナメントに進んでいる。
 開催国が所属するA組は、相対的に弱い国が集められて、なんとか開催国が長く大会にとどまれるように応援する。
 今回は、アジアからA組に入る国があるだろう。

 大会ポスターのアフリカ大陸の図柄には、FCバルセロナのサミュエル・エトーの顔が描かれている。
 FCバルセロナは、かつて、北米、アジアにマーケティングの重点を置いていたが、現在はアフリカにも力を入れている。
 2007-08オフには、グラディオラが新監督就任の会見で「ロナウジーニョ、デコ、エトーは戦力外」と言った。
 アフリカで開催される大会の顔であるエトーを、バルセロナが追い出すわけがない。
 恐らく、グラディオラは原稿を読み間違えたのだろう。
 あるいは、言うだけ言わないと気が済まないと思っていて、メディアに向けて干すことで、エトーに初心に返れというメッセージを送ったのかも知れない。
 エトーは数シーズン不調だったが、今シーズンは心機一転、リーガ得点王レースの先頭を走っている。

2004年5月15日、FIFA理事会
2010年大会の開催地を、モロッコ、エジプト、南アフリカの候補三国から、南アフリカに決定。

2007年11月25日、各大陸 予選組合せ抽選会
● 1組 ポルトガル、スウェーデン、デンマーク、ハンガリー、アルバニア、マルタ
● 2組 ギリシャ、イスラエル、スイス、モルドバ、ラトビア、ルクセンブルク
● 3組 チェコ、ポーランド、北アイルランド、スロバキア、スロベニア、サンマリノ
● 4組 ドイツ、ロシア、フィンランド、ウェールズ、アゼルバイジャン、リヒテンシュタイン
● 5組 スペイン、トルコ、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルメニア、エストニア
● 6組 クロアチア、イングランド、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、アンドラ
● 7組 フランス、ルーマニア、セルビア、リトアニア、オーストリア、フェロー諸島
● 8組 イタリア、ブルガリア、アイルランド、キプロス、グルジア、モンテネグロ
● 9組 オランダ、スコットランド、ノルウェー、マケドニア、アイスランド
*一番左が第一シード、その次が第二シード
 シードとは、組合せ決定時に、実績のあるチームが同じ組に固まらないためのもの。予選が始まればシードの特権はない。

2008年9月3日、各大陸予選開幕

2010年6月、開幕

 ポルトガルが参加する欧州予選からの、大会出場枠は 13。
 欧州は32分の13で 40% を占める。欧州のレベルの高さから言えば、60%あってもおかしくない。
 欧州予選には、52の国と地域が参加、9組に分かれて戦う。

 まず、各グループ1位の9チームは、自動的に出場権を獲得する。
 つづいて、各グループ2位のうち、成績がよい8チームでプレーオフ。
そのうち4チームが出場権を獲得する。

 つまり、グループ3位ではノーチャンス。
 そして今、ポルトガルはその3位なのである。

3月28日
W杯2010欧州予選 HOME スウェーデン△0-0
勝ち点6 スウェーデンと共に、首位で並ぶデンマーク、ハンガリーと 勝ち点4差の3位。
故障勝ちでプレミアリーグを休んでいたデコは、この試合に62分から出場。
驚いたことに、背番号「16」をつけていた。

予選は残り5試合。
もはや、W杯出場は 黄色を通り越して赤信号だ。
ポルトガルが出ないということは、デコもクリスチアーノ・ロナウドも、2010年の夏をリゾート地または、自宅で過ごすことを意味する。
そんな、つまらない大会は1試合たりとも、見る気がしない。ましてやデコにとって、W杯出場は2度目にして、恐らく最後の機会でもある。

 ポルトガルに赤信号が灯った同日、ホームで 1-0 の勝利を得た日本はアフリカ大会出場に王手をかけた。
 W杯とは、この程度で行けるものなのか。
 アジア予選と欧州予選、いったい、どれだけ緩さが違うのか。

 アジア枠の4.5は 半分以下の2で十分だ。
 「世界を驚かせてやろうぜ」
 と監督が言っている国は「なんで、こんなチームが予選を通ったんだろう?」と、逆の意味で世界を驚かせるかも知れない。



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2009年4月26日 (日)

デコとヒディンクの価値観

3月7日
FAカップ6回戦準々決勝ベスト8 コベントリー (away)○2-0
デコはベンチ入りせず。
ポルトガル代表仲間、デコに20番を譲ってくれたパウロ・フェレイラが、十字靱帯損傷で今期絶望と報じられた。
8月31日以来、故障で離脱していたエッシェンが後半から出場。
リカルド・カルバーリョがベンチ入り。シーズン大詰めに向けて、ベストメンバーが揃いつつある。

3月10日
CL2008-09ベスト16 第2戦ユベントス (away)△2-2
ベスト8進出決定。
デコはベンチ入りしなかった。
試合前に会見したヒディンクは「リアクションサッカーはしない。動くサッカーが好きだ」と語っていた。
かつてバルセロナにいた時のデコが「僕らはリアクションサッカーをした覚えはないよ」と言ったことがある。
メディアから、モウリーニョ監督率いるチェルシーとバルセロナのプレースタイルが似ているのでは?と問われた時のことだ。
デコとヒディンクの価値観は、同じ方向を向いている。
ただ、デコの足が言うことを聞いていない。

3月15日
プレミアリーグ29節 マンチェスター・シティ(HOME)○1-0
デコ久々のスタメン。
一度ペナルティエリア内への決定的なパスを打った。
ところが、前半40分には、早くもベレッチと交替。
まさか、デコのプレーが不甲斐ないとでも言うのか?
デコは観衆に向かって拍手をしてラインをまたぐ。
実況アナウンサーは、故障でもない限り鼻っ柱を折るような交替はよくない。プライドを利用しなければと話す。
結局、後に負傷だが軽傷であると報じられた。
そして、ここからデコは長い長いお休みに入ってしまう。
ヒディンク就任からプレミアリーグは 4戦4勝。

3月21日
プレミアリーグ トットナム(away)●0-1
ヒディンク監督就任後、初黒星。
デコはベンチ入りしていない。
マンUが連敗。差を詰めるチャンスの週だったが、逆にリバプールに抜かれて、3位に落ちた。

2週つづけて、ミッドウィークに試合がない。
故障中のデコにとって、日程だけが救いだ。
翌週は、インターナショナルマッチデーでプレミアはお休み。
ポルトガルは、ホームにスウェーデンを迎える。
グループ3位に低迷しているポルトガル、そろそろエンジンをかけなければならない。



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2009年4月19日 (日)

ヒディンクマジックの歴史

 フース・ヒディンク Guus Hiddink
 サッカー指導者 ロシア代表監督-チェルシー監督兼務
 打つ手がことごとく当たることから、メディアはその用兵を「ヒディンクマジック」と言う。

1946年
11月8日、NETHERLANDSで生まれる。

1967年
オランダのフットボール一部リーグ「エールディビジ」でプロデビュー

1982年
15年で現役引退

1987-88
オランダのクラブ「PSV」監督
チャンピオンズカップ~現在のUEFA CLで優勝

1998年
オランダ代表監督 W杯フランス大会ベスト4

2001-02
大韓民国代表監督
W杯 極東アジア大会ベスト4

2005-06
6月、オーストラリア代表監督
ドイツW杯 ベスト16

2006-07
7月、ロシア代表監督就任

2007-08
6月、ロシアはユーロ2008でベスト4

2008-09
2月、ロシア代表監督と兼務でチェルシー監督就任。
2月21日、初采配のプレミアリーグ アストン・ヴィラ戦は勝利で飾った。

恐らくヒディンクは、チェルシーに1つから3つのタイトルをもたらしたうえ、5月末でクラブを去る。
そして来年、2010年には南アフリカで、ロシアをベスト4以内に導くだろう。

2月28日
プレミアリーグ27節 ウィガン (home) ○2-1
ロスタイムにランパードの決勝ゴールで勝ちを拾う。
これで、リバプールを抜き、2位に上がった。
デコはベンチ入りせず。

3月3日
プレミアリーグ28節 ポーツマス (away) ○1-0
ヒディンク就任以来、チェルシーは勝ち続けているが、試合消化が1試合少ないマンチェスター・ユナイテッドとの差は、7点差からまったく縮まっていない。
デコは依然として、ベンチ入りしていない。
英紙には、シーズンオフ放出予定と書かれ始めた。
その一つは、ユヴェントスが、ネドベドの後釜として、670万ユーロのオファーを出すと報じている。

レギュラーとして迎えられるならば、イタリアも修行の一環としてよいかも知れない。
ただ、デコの夢であった、バルセロナ、プレミアリーグ、そして心の故郷、FCポルト。
活躍の場は、その中に与えられることを望む。

Jリーグもあるけど・・

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2009年4月12日 (日)

干されなかったデコ

2月14日 (土)
FAカップ 5回戦 ワトフォード(away)○3-1
ヒディンクはまだ着任していない。
この試合は1試合限定で、スキンヘッドのレイ・ウィルキンス コーチが指揮を執った。ドログバ、アネルカが揃ってスタメン。これか今期、ウェストブロムウィッチ戦につづいて2度め。マンシェンがトップチーム初出場。

デコはベンチに入っていたが出場せず。
後半先制されたが、アネルカの3ゴールで逆転勝ち。

観客席でヒディンク監督とアブラモビッチオーナーが並んで観戦。
ヒディンクはアネルカの3点めに拍手を3回した以外は、にこりともしなかった。
テレビカメラが狙っているのを承知のうえ、クールさを装っているように見えた。

2月21日(土)
プレミアリーグ26節 アストン・ヴィラ(away)○1-0
ヴィラ・パークでは、1998-99シーズン以来の勝利。
ヴィラを抜いて3位に上がった。
フース・ヒディンク監督が初采配、初>勝利。

デコはベンチスタート。55分にカルーと交代して出場した。

ヒディンクが、デコをどう処するか気がかりだった。
スコラーリ一派として、冷や飯を食うのではないか・・・
スタメン落ちにはがっかりしたが、ラインでボールを持って待っているデコが映った時、
「あっデコだ」
と叫んでしまった。
デコはよく走り、プレーの精度も上々。
ただし仲間が、デコ・アイデアを忘れてしまったようで、デコのパスがころころと無人のグラウンドを抜けていくシーンが数回あった。
90分には見事な左サイドからの進入で、決定的なセンタリングを入れた。
輝きを取り戻したデコ。
いよいよCL決戦。これからのシーズンが楽しみだ。

2月24日
デコがハムストリングの故障で2~3日の休養が必要と、公式ホームページで発表。

2月25日
CL2008-09 決勝トーナメント
ベスト16 第1戦ユベントス(HOME)○1-0
12分ドログバがゴール。
デコはベンチ入りしなかった。
CLの場に、優勝請負人デコの姿がないのは、寂しくて仕方がない。



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2009年4月 5日 (日)

デコの言論

2月7日
プレミアリーグ25節 ハルシティ(home)△0-0
ツェフ欠場。
冬の移籍で入団したばかりのクァレスマが初先発。
クァレスマはいくつかの創造的なプレーを見せた。
50分、デコはベンチでチュッパチャプスを舐めている。
スペインにいるうちに、スペインの飴「チュッパチャプス」のファンになったのだろうか。
飴を舐めていたかと思うと、72分にバラックに代わって出場。
しかし、デコがトップ下で攻撃を組み立てるシーンは見られず、後半は得点の予感がしなかった。

ホームでの痛い引き分け。
これで、首位と7点差の4位。プレミアリーグ優勝は遠のいた。

2月9日
チェルシーが公式サイトで、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の解任を発表。
デコは「驚いた。もう少し、チャンスが与えられるべきだった」と率直に語る。
それは誰もが心に思っていること。
だが、明日は我が身、もの言えば唇寂しと、口をつぐむ人が多い。
デコは、そこが違う。

いずれにせよ、この先、デコは使ってもらえるのか。デコファンが愕然とするニュースだった。

2月11日
チェルシーが公式サイトで、フース・ヒディンクの監督就任を発表。
現役ロシア代表監督であり、クラブチームとの兼務になる。

2月11日
インターナショナルAマッチデー ポルトガル 1-0 フィンランド
home ポルトガルのファロで開催。
デコはフル出場。ロナウドがPKを決めた。

同じ日、日本代表はホームでオーストラリアと対戦して引き分け。
前半、まだ足が動いていた時の松井のパスの冴え。
遠藤の正確なミドルシュートは優れていた。
一方では、相変わらずシュートを大きくふかす高校生みたいなプレーヤーが、選ばれていて落胆した。

翌日、2月12日の読売新聞朝刊
解説委員の李国秀は「岡田監督が指揮する限り、これ以上は望めない」と一刀両断。
2月12日夕刊では、記者が署名記事で「岡田監督の練習は、単調で工夫に欠ける」と批判した。
アイデアマンの名監督の後任ゆえ、大抵の人は見劣りする。
しかし、その大抵の人の中でも、この現監督に対して、読売グループは我慢できないという姿勢を打ち出した。

大手新聞社が、公然と批判した。
次は、大手を振って、ブロガーとファンがつづく。
これから、岡田に対する風当たりは、遠慮のないものになっていくだろう。
一般の書き手にとって、大手メディアの論調は後ろ盾になるのだ。

それまで、言いたいことも言わず、黙っておいて、読売が書いたから、さぁ僕もと言うのは、書き手としてはしたない行為である。
デコがそうであるように、誰もが思っているからではなく、自分が思っていることを言うのが、言論だ。



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2009年3月29日 (日)

デコ チェルシー時代唯一のフィギュア

1月24日
FAカップ4回戦 Ipswich (home)○3-1
デコは出場していない。

1月28日
プレミアリーグ23節 ミドルスブラ(home)○2-0
久々にデコがベンチ入り。
80分頃、1-0の場面でウォーミングアップ。
2-0となった直後の81分に、マルーダに替わって出場。

この試合は、当初の予定になかったため、ノーチェックだった。
webに試合結果が出ているのを見て、初めて試合があったことを知った。
デコがグラウンドに入った瞬間、かすかにブーイングが聞こえた。
これから先のCLで、その存在感を見せつけて、鼻をあかして欲しい。

2月1日
プレミアリーグ24節 リバプール(away)●0-2
awayの試合だが、1stユニフォームを着る。
ランパードが足の裏を見せたタックルが危険とみなされ、レッドカードで退場。
後日、マイク・ライリー主審は映像を確認して過ちを認め、次戦以降の出場停止は取り消された。
しかし、試合結果は変わらない。
この誤審はチェルシーに大きな影響を与えた。

デコは69分から出場。
ランパードの退場で一人少ない状況のため、デコが前線へパスを出す機会は一度きり。
終了間際に、2失点して敗戦。

2月2日
冬の移籍市場最終日
インテルから、MFのクァレスマを獲得。
ユニフォームナンバー18
ポルトガル国籍だが、2006W杯、2008ユーロには出ておらず、デコとの絡みはない。

2月にはいって、4か月前に予約しておいた「コリンシアン・プロスターズ チェルシー デコ」が届いた。

■商品名:コリンシアン・プロスターズ チェルシー 2008-09 シングルブリスター  デコ(ホーム)
■実勢価格:997円
■発売:2009年2月
■予約開始:2008年10月

 案の定、過去のコリンシアンと同じ型を使っており、同じ顔。
 「あんた、誰」と言いたくなるほど、顔がデコとは似ていない。
 過去に発売された、バルセロナ、ポルトガル代表モデルと違って、チェルシーモデルでは、ひげをうっすらと塗っている。
 だが、顔が違うのだから、無駄な努力である。

 この商品の特筆すべきところは、パッケージが開けづらいことだった。
 写真でフィギュアの右側に映っているのは、厚紙でできたペラのカード。
 キャプションは何もない。
 このカードを取り出すだけで、2分かかった。

 デコがチェルシー所属となって初めてのフィギュア。
 そして、チェルシー時代、唯一のフィギュアになりそうだ。

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2009年3月15日 (日)

スコラーリ 最後のダンス

 デコにとって、辛い1月がやってきた。
 もしかすると、デコにとって2009年は年運が悪いのかも知れない。

1月11日
プレミアリーグ21節 マンチェスター・ユナイテッド(away) ●0-3
今年の初戦はホームで引き分け。第2戦は惨敗となった。
デコは前半で交代した。

調子が上がらないチームのあおりを受け、開幕当初は神様のようにあがめられたデコに対して、ファンの心ない声が上がり始める。
「デコはスコラーリのペットだ」
デコがフル出場を続けていることに対する雑言である。
デコはこれに対して、毅然と言う。
「自分が起用されるのは、数多くのタイトルを獲得してきた実績があるからだ」

言われてみれば、その通りだが、臆面もなく、率直な言葉を選ぶところがデコらしい。
何かとねたみや恨みの多い、現代社会において、デコのように生きられたら、どんなにいいだろう。

1月15日
FAカップ3回戦再試合 サウスエンド(away) ○4-1
FAカップは再試合となった場合、前回とは逆のホームで開催される。

わずか中1日でプレミアリーグを控えているため、デコとドログバは招集されなかった。
3部のチームに対して、スタメンは ほぼベストメンバー。
いかに、FAカップを重要視しているかがうかがえる。

先制はサウスエンド。
ここ数試合の課題となっているCKからの失点。
その後、チェルシーが一方的に攻め続け、前半ロスタイムにバラックのゴールで追いつく。
白い息を吐くバラック。
8か月前のユーロでは、顔も見たくないと思った彼の気合いが、今は頼もしい。

解説者はこの日のスタメンは、デコとドログバが評価されていない現れだと言い放つ。
独自の取材に裏打ちされてでもいるのか、自信満々だ。
それが真実か、それともデコ温存か、二日後のスタメンが楽しみだ。

1月17日
プレミアリーグ22節 ストーク・シティ (home)○2-1
FAカップから中一日の試合。
awayで戦ったストーク・シティとの初戦は2-0で勝っている。
だからと言ってホームでは楽勝・・ といかないのがサッカー。
去年応援していたバルセロナもそうだった。

格下のチームでも、自らのホームでは、がちがちに引いて守ることはできない。
もしそれをやれば、地元ファンの前で、僕たち弱いんで、仕方ないですぅ~と言っているようなもの。
プライドにかけても、前に出て攻める。
しかし、そこに、ほころびができ、チェルシーは得点が容易になる。
チェルシーがシーズン当初、away戦の連勝を重ねた理由はそれだ。

一方、格下のチームを、ホームに迎えた場合は、様相が変わる。
相手はびびって、徹底的に引いて守る。
カウンターに専念し、数少ないチャンスを待つ。
デコが嫌いな「リアクション・サッカー」だ。

デコはバルセロナ在席時、
「バルサのプレースタイルは、モウリーニョのスタイルと似ているのでは?」
と言われ「僕らはあんなリアクション・サッカーをした覚えはない」と言いはなった。

この試合、デコとドログバはベンチにも入っていない。
まさかデコは干されたのか・・
ベストの選択と思われたチェルシー入り。
8月は月間MVPも取りいち早くチームになじんだ。
それが、こんなにも暗転するものか。
このままシーズンを棒に振るのか。
愕然として試合にはいっていくと、アナウンサーが「デコは足の負傷があるようです」と紹介。
ほっと胸をなで下ろす。

引いて守るチームを相手にすれば、どんなチームでも、1点めをとることは難しい。
そして、後半早々、リアクション・カウンターから失点。
試合はそのまま、 0-1 で終わりそうになっていた。

「あぁ、もう帰り始めましたよ」
帰宅し始めたチェルシーサポーターをカメラが何度か捕らえた後の87分。

ベレッチがヘッドで同点ゴール。
これでも十分と思ったが、ロスタイムには、ランパードがゴール前のこぼれ球を逆転ゴール。
狂喜乱舞するスコラーリとランパードが抱き合う。
これが、スコラーリ最後のダンスとなった。

次週 3/22 はお休み。 次回掲載は 3/29

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2009年3月 8日 (日)

デコとFAカップ

 明けて2009年1月3日FAカップ3回戦 サウスエンド(home) △1-1

 FAカップは英国サッカー協会が主催する、イングランドとウェールズのフットボールクラブによるカップ戦。

 FA=英国サッカー協会は1863年創設。
 サッカー協会として最も歴史が古い。
 その創設と共に、国内リーグの「プレミアシップ」~1992年からはプレミアリーグ~が始まった。
 その8年後、1871年に始まったのが FAカップ。
 これも、フットボールのカップ戦としては最も歴史が長い。

 最多優勝:11回のマンチェスター・ユナイテッド
 対戦方式:1試合きりのノックアウト制。引き分けの場合は1試合に限り再試合。再試合が引き分けの場合は、延長戦、PK戦へと進み、決着をつける。

 直近3シーズンの優勝クラブ ( )内数字は優勝回数

2005-06
第125回大会 リバプール (7)

2006-07
第126回大会 チェルシー(4)

2007-08
第127回大会 731クラブが参加 ポーツマス(2)

 そして、2008-09シーズンは、第128回大会
 FAカップと同様の大会は、日本では「天皇杯」
 スペインでは「国王杯」=コパデルレイ
 相互に、どちらが上とか下という格付けはない。

 ただ、バルセロナがコパデルレイに出場させていた選手と、チェルシーがFAカップに出場させている選手の層を見比べてみると、感じる違いがある。
 FAカップは、英国のクラブチームにとって、とても大切な大会のようだ。

 年を明けて始まる、FAカップ3回戦から、プレミアリーグのクラブが登場する。
 テレビ中継も1月3日より、Jスポーツが一部の試合の中継を始める。

 試合終了間際に追いつかれたため、規程により、再試合が 1月15日(木)に組み入れられた。

 デコにとっては、出場すれば 初めてのFAカップ。
 だが、その初戦は、ベンチにも姿は無し。
 テレビ中継もなし。

 結局、この後も、デコはFAカップに縁がない日がつづくのだった。

*デコブログは、毎週日曜日に連載しています。

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2009年3月 1日 (日)

コーナーキックの度に神に祈る日々

 12月28日
 プレミアリーグ19節 フラム △2-2 (away)
 Jスポーツ2が生放送。

 2008年の最終戦。
 中一日 49時間での連戦となる。
 この試合は、チェルシー史上 トップリーグでの3000試合め。

 故障で長期離脱していたリカルド・カルバーリョがようやくの復帰。
 デコはフル出場。
 前半は0-1 後半ランパードの2得点で逆転したが、89分にCKからの失点で引き分けた。
 このプレーから、チェルシーファンは、相手CKの度に、神に祈る日々が始まり、それは、スコラーリが解任される少し前まで続いた。

 1879年設立のフラムは、ロンドンに本拠を置くクラブのひとつ。
 22,000人収容のクレイブン・コテージは、チェルシーの本拠地である、スタンフォード・ブリッジにほど近い。

 2002-03シーズンからの2シーズン、稲本潤一が在籍したことで、その名前だけは日本のメディアに、頻度高く登場していた。
 稲本が2004-05シーズンから、ウェストブロムウィッチに移籍してからは、再び、なじみのないクラブになっている。

 「フルハム」と表記されることもあるが 「フラム」表記のほうが圧倒的に多い。

 Googleのヒットページ数
 フラム  261,000
 フルハム 72,600

1stユニフォームカラー:白 +黒のワンポイント
チェルシーは、awayのクレイブン・コテージでは、青い 1st ユニフォームを着用する。

国内タイトルを含めて、主要なタイトルをまだ一度も獲得していない。

 プレミアリーグは、18-20位の3チームが、2部リーグへ降格する。
 前年の2007-08シーズンは17位。
 ぎりぎりで、降格を逃れた。

 バルセロナで居場所を失い、新監督グラディオラには、メディアに向けて「戦力外」と言われた。
 ユーロでは、戦いの最中にスコラーリのチェルシー監督就任が発表されて歯車が狂い、意外なほど早い敗退。
 そのスコラーリの元に駆けつけたチェルシーでは、圧倒的な存在感を見せつけ、8月は月間MVP。
 その後は、大きな活躍がなく、徐々に注目されなくなっていく。

 デコの周囲がそれでもまだ静かだったのは、この時までだった。
 来る、2009年はデコが輝きを取り戻せるか、そのまま失うのか、剣が峰の年になる。



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2009年2月22日 (日)

デコパンツに20のマーキングを入れた

12月26日
プレミアリーグ18節 ウェストブロムウィッチと今シーズン2度目の対戦。(home) ○2-0

去年まで見ていたリーガ は、19節まで違うチームと対戦し、また同じ順番で、残りの19節を戦っていた。
プレミアリーグは、そういった法則性はないようである。

テリーは前節の退場で、3試合出場停止。
今シーズン初めて、先発メンバーで前線1列めにドログバ・アネルカ・コールを並べた。
結局、スコラーリ監督がドログバ・アネルカの二人を先発で同時起用したのは、この1試合だけとなった。
デコは79分から途中出場。
73分、Bruntがバラックの襟をつかむ。怒ったバラックが小突いたら、バラックにイエローが出た。
審判難は相変わらず、続いている。

 -・-・-・- -・-・-・- -・-・-・-

 マラソンのレースは、いつもデコのユニフォームで走る。
 ユニフォームは毎年違うものを着ているが、パンツは1枚きり。
 2005-06の赤パンツ。およそ 5,000円

 レースだけではもったいないので、夏場は部屋着にした。
 すると、このパンツは、風呂上がりの普段着に絶好の品だとわかった。
 見た目も悪くないし、なにより薄くて軽い。

 デコが移籍したので、2009年の東京マラソンはチェルシー2008-09homeで走る。
 まさか、上はチェルシー、パンツはバルサというわけにはいかないので、パンツも買い揃える。

 だが、日本のネットショップでは、マーキングを選択できない。
 国内では、パンツのマーキングは無理。
 そう諦めていたのだが、試しにサッカーショップ加茂で聞いてみた。
 すると、翌日返事が来て、取り寄せができるという。
 ナイキとアディダスでは、事情がちょっと違うのかも知れない。

 本体 5,250円
 マーキング 525円 ~数字1つが262.5円
 合計 5,775円

 これならば、前から見ても「20」の数字が確認できる。
 「湘南」と「かすみがうら」では、通り過ぎた後、背中の「DECO」を見て、
 「おっ、デコ! がんばれ!」
 と声をかけてくれた人がいた。

 日本最多 150万人もの人が沿道に繰り出す東京マラソン、果たして、一人でもこの「20」を見て、
 「おっ、デコ」
 とリアクションしてくれるだろうか。今からとても、楽しみである。



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2009年2月15日 (日)

チェルシーを覆い始めた審判の影

 2008年も押し迫ったクリスマス前。
 スペインならば、そろそろ、クリスマスの準備に余念がない頃だが、プレミアリーグはまだまだ続く。

12月22日
プレミアリーグ第17節 エバートン(away) △0-0
セカンド黒・長袖ユニ、今日は素手のデコは、87分にブリッジと交代。

34分テリー

43分ランパード

コール

67分バラック


 チェルシーの選手が次々にカードをもらう。
 主審は、ルイス・フェリペ・スコラーリが「彼はスキではない」というフィル・ダウト。

 FKに対する「壁が近い」と抗議したバラックに対して、ダウトは歩測を始める。
 キッカーと壁に必要な間隔は9.12m。
 ダウトは意図的に歩幅を小さくして、10歩を稼いだように見えた。そして、天高く届けとばかりのイエローカード。

 フェリペは「これが笑わずにいられるか」と言わんばかりの大笑い。
 ダウト演じる「審判お手本ショウ」に、4度、つき合わされてしまった。
 これで、アウェイ戦の連勝が止まった。

 ホーム無敗、アウェイ連勝・・
 調子がいい時は、なんでもなかった記録だが、一度、坂道を転げ始めると、もう止まらない。
 初めは、柳に風で済んでいた審判運の悪さが、節を重ねるごと、チェルシーに深刻なダメージを与えていく。


 Everton
 英国リバプールを本拠地とするプレミアリーグフットボールクラブ。

■ホームスタジアム:グッティンソン・パーク(40,000人)
■1stユニフォームカラー:青
■リーグ優勝9回(プレミアリーグに変わってからの優勝はない)
 FAカップも優勝5回と、そこそこに強いクラブ。

1892年、設立
2001-02、ウェイン・ルーニーが入団して、3シーズン在籍
2007-08、ビッグ4に次いでの5位に入った。

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2009年2月 8日 (日)

CL ようやく2位通過

12月9日
CL2008-09グループリーグ第6節 (home) ○2-1
長袖に手袋、小文字でdecoとネームが入るCL仕様ユニフォーム。
デコはただ一人12km台を走りフル出場。
40分、デコが蹴ったFKを、カルーがナイストラップして先制ゴール。
グループ2位通過を決めた。

 プレミアリーグからの出場4チームでは、アーセナルとチェルシーが2位通過。
3節でローマに勝った時点では、最終節を迎えてチェルシーが勝ち抜けを決めていないことを想像できなかった。2位通過となると、ベスト16では home→awayの順番で試合をすることになる。引き分け以上が高い確率で計算できる homeを第2戦で戦うほうが有利だ。一抹の不安がよぎる。

 この試合は、12月12日に3日遅れで第一回放送。
 とても三日間、結果を知らずに待つことはできなかった。

12月14日
プレミアリーグ第16節 ウェストハム (home) △1-1
デコは長袖に黒手袋。
現地16時キックオフで、日本時間は深夜1時からの生放送。
シーズン当初は早い時間帯の試合が多かったのだが、ここにきて、大半の試合が日付をまたいでからの開始になっている。

West Ham United
英国のロンドンを本拠地とするクラブ。
国内リーグ優勝は3度あるが、プレミアリーグとなってからの優勝は一度もない。

■ホームスタジアム:アプトン・パーク(35,647人)
■1stユニフォームカラー:水色×臙脂
■エンブレムのお城は、ブーリン・グラウンド城

1895年
設立

1964年
FAカップ初優勝

2005-06
プレミアリーグ昇格1シーズンめ

2007-08
プレミアリーグ10位

2008-09
9月、3節終了後、ジャンフランコ・ゾラが監督就任。



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2009年2月 1日 (日)

一度だけ、日本に来たボルトン

12月6日(土)
プレミアリーグ15節 ボルトン(away) ○2-0
アウェイ戦11連勝はプレミアリーグ新記録。

気温は5度。
デコは長袖。ボルトンの1stが「白」なので、青の1stユニフォーム。
今日はいつもの黒い手袋をしていない。

この試合、2点めはデコ。
21分にジャンピングボレーを左隅に決めた。
生放送ではゴールは一瞬のできごと。
咄嗟には誰が決めたかわからない。

ただ、デコファンならばわかる。
目に残った残像。
倒れざまに足を振り抜いたシルエット。
着地の柔らかさ。
それはまさにデコだった。
地面に落ち、ゴールを見やる姿勢をみて、W杯初ゴールの時を思い出した。

故障からの復帰後、エポックメイキングな活躍がなかったデコ。
このゴールは再び、シーズン開幕当初のスペシャルなデコの再来を予感させた。

 BOLTON WANDERERS
 FAカップを制したことはあるが、国内トップリーグ(現在はプレミアリーグ)は一度も制していない、そこそこに強いクラブ。

■ホームスタジアム:リーボック・スタジアム(27,879人)
 スタジアム名に、スポーツメーカー Reebokの名前を冠している。

■ボルトンの歴史

1874年
設立

1922-1923
FAカップ初優勝

1996年
リーボック・スタジアムへ移転

2001-02
西沢明訓が入団。西沢はプレミアリーグに出場することなく半年で退団した。
ちなみに、日本人初のプレミアリーグ出場は稲本潤一。
2002-03シーズンにフラムに入団して、出場している。

2004-05
オフシーズンの7月にジャパンツアーで来日。
その同時期にマンチェスター・ユナイテッドやFCバルセロナなど、複数の欧州クラブが来日していた。
ボルトンのジャパンツアーはこの一度きり。その後来日していない。

2005-06
8月、中田英寿が入団。1シーズン在籍して現役引退。
中田が現役選手としてプレーした、最後のクラブとなった。

 英国ウォルヴァーハンプトンのウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズも同じ"ワンダラーズ"を名乗っている。

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2009年1月25日 (日)

スコラーリのジャンパーとデコのグローブ

 7月にデコの移籍が決まった時、FCバルセロナのミッドフィルジャケットに別れを告げた。CWCでデコが優勝を逃した 2006年12月に買ったもの。選手用のネイビーブルーのやつが欲しかったが、結局それは市販されなかったので、ナイキのホリデーシーズンモデルを買った。このジャケットでは、2度の冬を越したが、高い防寒性能のおかげで、寒さとは無縁の2年間だった。

 さて12月に入り、そろそろ寒さも厳しくなってきている。
 新たな冬の防寒具を手に入れなければならない。

 そこで日曜日の試合、スコラーリがベンチで着ていたコートが暖かそうだったので、それを買うことにした。

 品名:チェルシー2008-09スタジアムジャケットプレミアリーグモデル
 2008-09シーズン、チェルシーの選手とスタッフがプレミアリーグ戦のベンチで着用する防寒具。

■製造:アディダス
■カラー: 黒 青いパイプライン
■実売価格:13,545円
■フードは取り外すことができる。
■背中に大きなスポーツパフォーマンスロゴが入っている。

 防寒性能は十分。真冬でも、シャツの上にこれを着るだけで暖かい。
 ファスナー沿いにマジックテープが付いているので、ファスナーを上げなくても前を開け閉めできる。
 襟は折れない仕様だが、折り曲げて着ることができ、そうすれば顎に当たらない。ナイキのミッドフィルジャケットは襟がまったく折れなかった。
 袖丈が長い。ナイキのミッドフィルジャケットのような手首を袖を束ねるマジックテープは付いていない。
 着丈も長い。
 ただし、胴囲は小さめなので、腹が出ている人は着づらい。
 胴囲に合わせてサイズを上げると、手が全然出なくなる。
 防寒具としての完成度が高い。
 値段は手頃で、ナイキのミッドフィルジャケットよりも 1,000円安い。

 UCL(UEFA Champions League)モデルも平行して販売されている。
 プレミアリーグモデルはチームエンブレムがカラーだが、こちらは単色。
 パイプラインなし。背中のスポーツパフォーマンスロゴが小さい。
 黄色のワンポイントがデザインされている。

 冬場に入ってから、デコが手袋をはめてプレーしているのが気になっていた。
 手の甲にアディダス・スポーツパフォーマンスロゴが付いた黒いグローブ。
 サッカーショップ加茂で尋ねてみると、競技用として売られていたのが「Predator field glove」
 アディダス・プレデターブランドのフットボール・グローブ。

■ゴールキーパー以外のフィールドプレーヤー用
■手のひらには、スローインでボールをグリップするための滑り止めが付いている。
■実勢価格:3,045円(2008年冬モデル)

 テレビで見ていると黒い軍手のように見えるが、このグローブはごつい。
 店員さんに「これ、キーパー用じゃないですよね?」と確認してしまった。
 日々使っていると、通勤の防寒には十分。
 ただし、細かい指先のタッチがつかめないため、靴のひもを結び直す、財布からカードを出すなどの手作業は難しい。クルマの運転にも不向きだった。



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2009年1月18日 (日)

倒れなくなったデコ

11月26日(水)
CL2008-09グループリーグ第5節 ボルドー (away) △1-1
デコは前節のローマ戦(away)でイエローカード2枚をもらっており出場停止。
この試合の結果、グループ 2位に落ちた。
ランパードが2枚のイエローカードを受け、最終節に出場できなくなった。

最終節を残して依然として勝ち抜けが決まっていない。1位通過も危うい。
3節にホームでローマを破った時点では、楽勝の1位通過を確信した。
まかさこういう展開になるとは思わなかった。

この試合の模様はCL戦としては久々に放送されたが、日本では2日遅れの放送。
とても、2日間ネタバレ対策をして待つ気にはなれなかった。

11月30日(日)
プレミアリーグ14節アーセナル (home) ●1-2
オウンゴールで先制したが、オフサイド誤審により同点に追いつかれた。
テリーのイエローカードで流れが変わり、直後に逆転される。

デコは長袖+グローブ。
前半は解説者から「(バルサの時のように)遊ばなくなった」と散々言われる。
そういえばデコは倒れなくなった。
「俺だって倒れずにやれるんだ」
という強い意志をその雄志に感じる。
後半は凡ミスが増え、パスは精度を欠く。
テレビ画面からでも集中力が切れたのが見て取れ、80分に19歳のストフと交替した。

アーセナルはチェルシーと同じく、ロンドンに本拠地を置くクラブ。
ホームグラウンド:ハイバリー エミレーツ・スタジアム(エミレーツはUAEの航空会社)

【  アーセナルの歴史  】
1886年
ロイヤル・アーセナル創立

1913年
本拠地をハイバリーに移転 アーセナルに改名

1992年
ハイバリー・スタジアムからアーセナル・スタジアムに改称。

1996-97
アーセン・ベンゲル監督就任1年め

1999-00
アンリ加入1年め

2000-01
FAカップ優勝 プレミアリーグ優勝

2002-03
オフシーズン、FCバルセロナのカンテラからセスク・ファブレガスを獲得。
この引き抜きについては、未だにバルセロニスタがぶーたれている。

2003-04
22勝16分無敗でプレミアリーグ優勝

2004-05
11節まで49試合無敗記録を続けた。
FAカップ優勝

2005-06
アーセナル・スタジアム(通称ハイバリー 38,548人)を使用するラストシーズン。
その記念にユニフォームにゴールドのナンバーをつけ 「HIGHBURY」「1913-2006」の文字が入った。
CL初のベスト4入り、初の決勝進出、準決勝まで10試合連続無失点を続けた。

5月7日、最終節に勝ちリーグ4位。
5月17日、CL決勝 FCバルセロナ2対1アーセナル
ベンゲルは自らの手腕を棚に上げて、いつまでも「オフサイド誤審で負けた」と言い続け、実にみっともなかった。

5月19日、バルセロナ移籍と思われていた契約切れのアンリと、来期より新たな4年契約を結ぶ。

2006-07
エミレーツ・スタジアム使用1年め。
9月、U-19日本代表FW伊藤翔(中京大中京)が入団テストに合格
シーズン終了後、アンリがバルセロナへ移籍
アンリは前年に移籍していれば移籍金ゼロだったが、契約途中のためアーセナルに巨額の移籍金が転がり込んだ。

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2009年1月11日 (日)

昔は強かったニューカッスル

11月19日(水)
親善試合 ブラジル6-2ポルトガル (away)
デコ、クリスチアーノ・ロナウドも出場したが大敗。
62分、デコのパスからシマン・サブローサが2点目を決めた。

今、デコがいるチームの中で唯一憂鬱なのがポルトガル代表チーム。
2010年W杯予選の調子は一向に上がらない。
スコラーリが去った後のチームはこれから先まとまっていくのだろうか。
デコにとって恐らくアフリカ大会は、W杯出場最後の機会。
ここで出場を逃すようなことがないことを祈る。

11月22日(土)
プレミアリーグ13節 ニューカッスル (home)△1-1
一度はチェルシーが決勝点をゴールに入れたが、判定はオフサイド。
リプレイで見るとどちらとも言えるもので、試合を行方を決めた大きな判定だった。
デコはフル出場。

J sports 2での生中継は今期二度め。
CLはチェルシーのカードがなかなか放送されないが、プレミアリーグはここまで全戦が生中継されている。ありがたいことだ。

 Newcastle United Football Club
 英国北部最大の都市ニューカッスル・アポン・タイン(略称ニューカッスル)を本拠地とするクラブ。

■ホームスタジアム:セント・ジェイムズ・パーク(52200人)
■1stユニフォームカラー:白×黒縦縞
■国内リーグ優勝4回、UEFAカップ優勝1回(1968-69)  昔は強かったクラブ。

■ニューカッスルの歴史
1881年
設立

1904-05
国内リーグ初優勝

1926-27
国内リーグ4度め(現時点では最後)の優勝

1968-69
UEFAカップ優勝

2007-08
プレミアリーグ12位



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2009年1月 4日 (日)

ドログバを大事な試合に出すリスク

11月12日(水)
カーリングカップ4回戦 バーンリー(home) ● 1-1(PK4-5)
これでカーリングカップ敗退。
4冠のうち一番どうでもいいタイトルがまず消えた。
カーリングカップの模様は、11月に入ってからJスポーツが1月より放送すると発表した。
ドログバがゴールを奪った直後バーンリーサポーターからコインを投げつけられ、それを投げ返した。ドログバは国内3試合出場停止となった。
何事も原因をつくったほうが悪い。
だが、相手を貶めるために挑発する悪者が世の中にはいる。
前シーズンのCL決勝では、ドログバのビンタが敗退の遠因となった。
審判が制御しているグラウンド上では、どちらが悪いかではなく、手を出した方が悪いことになる。挑発の言葉は確認しづらいが、暴力は誰が見ても明らか。

頭に血が上り、それが行動に表れてしまうドログバを、重要な試合に出すのはリスクが高い。冬の移籍市場で売っておいた方が賢明だろう。

11月15日(土)
プレミアリーグ12節 ウェストブロムウィッチ (away) ○3-0
デコ半袖ユニ+長袖アンダー+黒手袋でフル出場
ツェフは怪我のために欠場。
68分、故障上がりのバラックが出場。
これで今シーズンのaway戦は7連勝となった。

 West Bromwich Albion Football Club 略称WBA
 英国ウェストミッドランズ州のウェストブロムウィッチ市を本拠地とするクラブ。
 FAカップで5回優勝しており、一部リーグ優勝も1回ある。

■ホームスタジアム:ザ・ホーソンズ(28,000人)
■1stユニフォームカラー:白×紺 縦縞
■ユニフォームメーカー:UMBRO(2008-09)
■チームエンブレムは山査子の木にツグミがとまっている。

1878年
設立
1919-20
一部リーグでクラブ史上一度きりの優勝。
2004-05
稲本潤一が入団。2シーズン在籍した。
2007-08
チャンピオンシップ(2部リーグ)で優勝し、プレミアリーグ昇格を決めた。
2008-09
プレミアリーグ昇格1シーズンめ

 メディア、ウェブサイトによって「ウェストブロムウィッチ」「ウェストブロミッチ」「ウェストブロミッジ」と表記が分かれる。
■Googleにおけるキーワード別ヒット数(2008年11月現在)
 ウェストブロムウィッチ 61,400
 ウェストブロミッチ 4,800
 ウェストブロミッジ 3,800



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2008年12月28日 (日)

プレミアリーグで優勝経験があるクラブは4つ

11月1日(土)
プレミアリーグ11節 サンダーランド (home) ○5-0
デコはCLローマ戦以来4戦連続のフル出場。
強い雨の中の試合、受けたボールをワンタッチではたくことを徹底していた。
ボールを持っていない時は、パスの出しどころを指示。
前半で大差がついたため、後半は無理なタックルをせず安全なプレーに終始した。

 Sunderland
 英国北端タイン・ウェアのサンダーランド市を本拠地とするクラブ。
 最後のリーグ優勝が73シーズン前の1935-36シーズンだが、それまでには 6度優勝している「昔は強かったクラブ」

■ホームスタジアム:スタジアム・オブ・ライト(48,300人)
■1stユニフォームカラー:白×赤縦縞

1879年
設立
1891-92
国内一部リーグ初優勝
2006-07
ロイ・キーン監督就任1年め。2部リーグで優勝してプレミアリーグ昇格を勝ち取った。
2007-08
プレミアリーグに昇格して1年め。勝ち点39で15位(プレミアリーグは全20クラブ)

11月4日(火)
CL2008-09グループリーグ第4節 ローマ (away) ●0-1
デコ イエローカード2枚で退場

11月10日(日)
プレミアリーグ12節 ブラックバーン (away) ○2-0
水たまりとなったグラウンドでの試合。大きな仕事はできなかった。
92分にパウロ・フェレイラと交代。デコに20番を譲ってくれたフェレイラは、このところほとんどスタメンの機会が無くなっている。

 Blackburn Rovers
 英国北部ランカシャー州ブラックバーンを本拠地とするクラブ。
 リーグ優勝歴が3度あり、ほどほどに強いクラブ。

■ホームスタジアム:イーウッド・パーク(31,400人)
■1stユニフォームカラー:白×青

1875年
設立
1911-1912
国内リーグ初優勝
1994-95
プレミアリーグ優勝
2007-08
プレミアリーグ7位
2008-09
ポール・インスが監督に就任。UEFA監督免許を持たず特例で認可された。
ただ12月16日、成績不振のため解任されており、チェルシーとの対戦はこの一度きりとなった。

 2007-08シーズン終了時点で、プレミアリーグ(1992-93~)の優勝歴があるのは、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、チェルシーとこのブラックバーンの4クラブのみ。ビッグ4の一つリバプールはプレミアリーグに変わってからは優勝していない。

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2008年12月21日 (日)

無敗記録など屁の突っ張りにもならんですよ

10月26日(日)
プレミアリーグ9節 リバプール

デコはフル出場した。
復帰後3試合目だが、依然として体調はいま一つ、攻守ともに無理をしているように見えた。
パスもシュートもほんの少しずつポイントがずれていた。

前半開始早々、味方DFに当たりコースが変わったボールがゴールインして失点。
あとはリバプールに守りきられてしまい、ホーム無敗の連続試合数が86で止まった。

ホームでの負けはよくないが、ここで記録が途切れたことは悪いことではない。
「無敗記録更新中だからポイント2倍」
といったルールはないので、もしもキン肉マンが実在すれば「無敗記録など屁の突っ張りにもならんですよ」と言うだろう。

欲しいのは記録ではなくタイトル。
この時期に止まってよかった。
これで記録の呪縛を逃れ、次からは伸び伸びと戦うことができるだろう。
・・とこの時は考えていた。

10月29日(水)
プレミアリーグ10節 ハル・シティ (away) ○3-0
ハル・シティは今シーズン初めてプレミアリーグに昇格してきたクラブ。
実力的には下位クラブのはずなのだが、6節には awayのエミレーツでアーセナルを破り、前節終了時点で勝ち点20の3位。
6勝2分1敗と、まるでビッグクラブのような戦績を納めている。

J sports ESPN での生中継は第3節に次いで二度目。
アウェイだが、1stユニフォームを着用。
デコはフル出場。これでアウェイ戦は3連続完封勝利となった。

 Hull city

■本拠地:英国ヨークシャーのキングストン・アポン・ハル
■ホームスタジアム:KCスタジアム(25,400人)
■1stユニフォームカラー:黄×黒の縦縞
■愛称:タイガース

【 ハル・シティの歴史 】
1904年 設立
2007-08シーズン チャンピオン・シップ(英国の2部リーグ)で3位。プレーオフを勝ち上がり、初めて1部リーグ(プレミアリーグ)に昇格。

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2008年12月14日 (日)

リバプールFCの歴史

2002-03
ミラン・バロシュが移籍入団。

Milan Baros
FW 国籍:チェコ 身長183cm、184cmと雑誌により2通りの表記有り。
1981年10月28日、チェコ生まれ。
出身地はオストラバ(WeSD)、バラサケ・メルジチ(WSM)と雑誌により2通りの表記がある。

1998-99 バニク・オストラバ(チェコ)入団 4シーズン在籍
2001-02 リバプールへ移籍
2002-03 リバプールでプレミアシップ・シーズン9得点。
2003-04 9月、ブラックバーン戦で足首を負傷。
復帰後もウリエ監督が起用せず、プレミアシップ・シーズン出場13試合1得点に終わる。
ユーロ2004、チェコ代表で準決勝進出(ベスト4)
5得点で大会得点王。チェコは大会を通して最も魅力的なサッカーをした。
2005-06 8月、プレミアリーグのアストン・ビラへ移籍。
2006-07 1月、冬の移籍市場でリーグ1のリヨンに移籍。
2007-08 プレミアリーグのポーツマスに移籍
6月、ユーロ2008出場 ポルトガル戦では、攻撃を牽引する大活躍を見せた。

2003-04
シーズン終了後、オーウェンがCL優勝を目指してレアル・マドリー(リーガ・エスパニョーラ)に移籍。UEFAカップを制したベニテス監督が就任。

2004-05
ユニフォーム・スポンサー:カールスバーグ(ビール)
ヘイゼルの悲劇から20年ぶりにCLでユベントスと対戦(準々決勝、2戦通算2-1で勝利)。
CL決勝、トルコのイスタンブールでACミランと対戦。
前半を0-3で折り返す。
後半15分までに3点とって追いつく。
延長前後半まで120分を戦い引き分け。
PK戦3-2(第5キッカーは余り)
キャラガーがGKデュデクに「(21年前の)グロベラーを真似しては?」と提案。
これを実行したヂュデクは即興の奇妙な動きを見せ、笑いを誘うと同時に相手のシュートを3本止めた。

CLには優勝したものの、プレミアシップは5位に終わり、前年優勝クラブがCL出場権を取れない初めてのケースとなった。

2005-06
7月13日、特別待遇でCL予選に出場。
翌シーズンより、CL優勝クラブには自動的に本戦出場権が与えられるようルールが替わった。
12月15日、FIFAクラブワールドチャンピオンシップ(第1回CWC)出場。決勝で敗れた。
5月13日、FAカップ7度めの優勝 0-2から追いつき、延長後のPK戦でレイナがシュートを3本止めた。このクラブ得意のパターンである。

2006-07
CL決勝トーナメントベスト16、当時デコがいたバルセロナと対戦。
カンプノウで2-1で勝利。アンフィールドでは0-1で敗れたがアウェイゴール数2-1で勝ち抜け。
5月23日、CL決勝 2年連続でACミランと対戦。1-2で敗れた。

2007-08
CL準決勝でチェルシーに敗れる。



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2008年12月 7日 (日)

フロントをチェックアウトするジェラード

10月22日(水)
CL2008-09グループリーグ3節 ローマ (home) ○1-0
勝ち点7で単独首位。デコフル出場。
この試合はJスポーツ4局ともにテレビ放送なし。
CLの興味はこの時点では、いつA組1位通過を決めるかに移っている。

10月26日(日)
プレミアリーグ9節 リバプール (home) ●0-1
ビッグ4との対戦その2
今期マンUとの第1戦は引き分けている。
チェルシーはビッグ4との対戦カード3つの第1戦をいずれもホームで戦う。

リバプールはビートルズでお馴染みの街リバプールに本拠地を置くクラブ。
ホームユニフォームが赤なので、愛称は浦和と同じレッズ。
CLでは一流のクラブだが、英国内リーグでは長らく優勝していない。

1892年
クラブ設立

1983-84
チャンピオンズカップ(現在のCL)4度目の優勝。PK戦となりGKグロベラーがトリッキーな動きでシュートを止めた。

1984-85
ユベントスとのチャンピオンズカップ決勝戦前にファンが暴動を起こし死者を出した。
この事件は「ヘイゼルの悲劇」と呼ばれている。

1997年
スティーブン・ジェラードが入団

Steven Gerrard
1980年5月30日、イングランド生まれ。
1997年、リバプールと契約
1998年11月、プロ試合初出場
2000年5月、英国代表として試合初出場
2001-02シーズン、CL1次グループリーグでは得点の半数に絡む活躍。攻撃の起点としての地位を確立。
2002年、W杯予選は出場したが、本選は怪我のため不出場。
2003-04、リバプールのキャプテンに就任。
2004年9月左足骨折、全治2か月と診断される。

2005年2月、FIFAオールスタースマトラ沖地震慈善マッチに欧州選抜で出場。
得点なし ゼッケン6(いつもつけている8番はバルセロナのジュリがつけた)
この日仕事で泊まったバルセロナのホテルに、出場選手たちも泊まっていた。翌朝フロントに降りるとチェックアウトしていく大男をみた。

「いかにも追っかけです」という風情の日本人女性が、彼にサインを求めていた。
サインをゲットして、余裕の表情を見せるその女性に名前を尋ねて、その男がジェラードだという人だと知った。
まさか、3ヶ月後にテレビで食い入るように見る選手になるとは、その時思っても見なかった。

2005年5月25日、CL決勝戦 0-3から追いつく1点めをヘッドで決め、3点めのPKを得た。
CLベスト8の段階のインタビューで「チームが優勝を狙える補強をしてくれることが残留の条件」と答えていたが、CL優勝直後は「出て行く理由はない」と答えていた。

7月5日、一端退団を表明したが、翌日撤回。結局残留した。

2006年6月10日、W杯グループリーグ第1戦イングランド対パラグアイ戦でW杯初出場。
同 6月15日、対トリニダード・トバゴ戦でW杯初ゴール



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2008年11月30日 (日)

サッカーパンツには、マーキングがつけられない

ミドルスブラ(away) ○5-0
現地時間 12:45
J sports Plusの実況アナウンサーは「ランチタイムキックオフ」と言っていた。
日本時間は 20:45 まさに日本市場を見据えた試合時間だ。
さすがイギリス。
試合当日になって、放送がドタキャンされる国とは大違い。

ミドルスブラの 1stユニフォームは赤のため、チェルシーは awayながら 1st(青)を着用。
GKツェフはお休み。
この日は、解説のため息もなく、ゲームは快適そのもの。
面白いようにワンタッチでパスが通る。

そしていよいよお待ちかね。
72分、0-5の状況で ランパードに替わりデコが出場。
プレミアリーグは3節休んだ。
大差がついていたこともあり、怪我明けのプレーは慎重そのもの。
タックルもランニングも無理をせず、恐る恐るのプレーに見えた。

今シーズンのデコマーキング 1stユニフォームは早々に入手したが、チェルシー×デコグッズはまだそれだけ。
そろそろ、何か欲しい。
チェルシー公式ショップを定期的にのぞいているのだが、なかなかデコの出物がない。
未だに、イタリアに帰った元ストライカーの人形を売っている。

すると一般のウェブページで、新作情報をみつけた。
デコ(チェルシー/08-09/HOME)フィギュア シングルブリスター
コリンシアン・プロスターズ
2009年2月発売

開幕から半年遅れの登場ということになる。
日本では考えられない。
借金を抱えたどこかのビッグクラブならば、真っ先にグッズを作るだろう。

公式ショップは日本語表示があるのだが、どこかのアジア法人に任せているらしく、日本語がおかしい。
品揃えもイギリスの公式ショップとは違う。
イギリスのショップでは、1stパンツでもマーキングが選べるのだが、アジア店ではサイズしか選べない。

 デコがバルセロナにいた2005-06シーズン。当時、ファンの間で賛否両論だった赤パンツを買った(赤パンツは1シーズン限りだった) この時、いくつかのショップで探したところ、どこもマーキング・サービスをやっていなかった。

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2008年11月23日 (日)

サッカー解説者のため息

 「この2年間の失敗はロナウジーニョ」
 10月10日、スペインのスポーツ紙「マルカ」にジョン・ラポルタのコメントが載っていた。
 現職のバルセロナ会長が、ロナウジーニョを残留させたことは失敗だったと語っている。

 8月には監督就任会見でグラディオラが「ロナウジーニョ、デコ、エトーは戦力外」と発言して、多くの人を驚かせた。

 アフリカ市場を重視するクラブ方針からして、2010W杯の広告塔であるエトーを売れるはずがないのに、エトーの名を口にしたのは不思議だった。
 シーズンが始まって3ヶ月、戦力外のエトーがリーガの得点王を独走している。

 この発言で足元を見られ、デコは破格の安値でチェルシーが買い取った。
 デコはこのことについて何も語っていないが
「実のところ、グラディオラのことはよく知らない」とだけ語っている。

 ジョン・ラポルタは2年前にロナウジーニョを売っておくべきだったという。
 結果論でいえば、その通りだ。さぞかし高値で売れただろう。
 だが、2年前といえば 2005-06 シーズンを終えたばかり。
 リーガとCLの2冠を取った直後のオフに、チームの柱をあなたは売る勇気があったとでもいうのか。
 敬意にあふれたサッカー界において、敬意のかけらもない人物である。

 FCバルセロナはリーガ、CL共に快調に勝ち続けている。
 絶好調のバルサとチェルシーが当たるのが、今からとても待ち遠しい。

 10月18日(土)
 8節 ミドルスブラ
 国際Aマッチが2試合つづいたので、2週間ぶりのプレミアリーグ。
 いよいよ、デコが帰ってくる。
 デコを見るためにCS放送に入ったのだ。また、今週からデコが見られる。

 ただ、心の底にうっすらと 前節アストン・ヴィラ戦の憂鬱が残っていた。
 デコを欠いているものの、試合は2-0で快勝。なんの問題もない。
 問題は解説の金子達仁。
 杉山茂樹はデコに好意的な原稿を書いてくれるが、金子が編集した書籍ではデコについてのコメントがとてもあっさりしている。
 前シーズンまでは BS、CSに入っていなかったので、放送で声を聞いたこともない。果たしてどのような解説をするのだろうか。

 「ういー」
 「ふうっーん」

 away のアストン・ヴィラがチャンスをつぶす度に漏らすため息。
 これが、恋人のため息を間近に聞いているようで、落ち着かない。
 ・・・と、女だったら思うかも知れないが、男なので、ただ気持ちが悪い。
 10月初旬というのに、体が冷えて、毛布にくるまりたくなった。

 今週もまたアレを聞かされるのか。
 英語の実況に切り替えようか。
 英語は聞き取れないが・・・

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2008年11月16日 (日)

デコにとっての絶対に負けられない戦い

10月1日(水)
CL2008-09グループリーグ2節 CFR (away) △0-0
怪我で欠場が続いているデコは招集されていない。後半、ドログバが負傷退場。
この試合は、今期プレミアリーグ、CLを通じて初めてテレビ中継がなかった。

10月5日(日)
プレミアリーグ7節 アストン・ヴィラ  (home)○2-0

 アストン・ヴィラはバーミンガムを本拠地とするクラブ。
 UEFA CLを1度制している割と強いチームだ。

 この割と強いの尺度だが、以下の通りである。

「かなり強い」 =CLの常連 一部リーグ優勝争いの常連
「割と強い」 =CL優勝経験あり
「そこそこ強い」 =一部リーグ優勝経験あり

■ホームスタジアム:ヴィラ・パーク(42,600人)
■1stユニフォームカラー:臙脂
■愛称:ライオンズ
■チームスローガン:準備を怠るな!

【 アストン・ヴィラの歴史 】
1874年
設立

1893-94
国内リーグ初優勝

1981-82
欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFA CL)優勝

前シーズン2007-08は、プレミアリーグ6位

 依然として、デコはベンチにも入っていない。
 これで本拠地スタンフォードブリッジでの無敗記録を86となった。

 ここからは、週末、ミッドウィークの国際Aマッチ2連戦。

10月11日(土)
W杯2010欧州予選3節 away スウェーデン-ポルトガル △0-0

10月15日(水)
W杯2010欧州予選4節 HOME アルバニア △0-0
デコはまだ復帰していない。
ホームでの引き分けは予定外だ。痛い。
読売新聞夕刊では「デコ不在響く」という小見出しが出た。
デコに親身な読売グループ。ありがたいことだ。

4節終了時点で勝ち点5でグループ3位。
ただ、1位とはまだ2点差。
大きく抜け出したチームがいないのが救いだ。

5節以降は3月に再開。
残り6戦 それこそ、絶対に負けられない戦いがつづく。
なにせ、2010年夏デコは33歳になる。
デコにとっては2度めながら、最後のワールドカップになるかも知れないからだ。



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2008年11月 9日 (日)

リーグカップとカーリングカップ

9月22日
チェルシーはデコの負傷について、太もも上部の故障で、約2週間戦列を離れると発表した。重傷ではなくひと安心。

9月24日(水)
今シーズン初めてのカーリングカップ

 カーリングカップ=リーグカップ
 Football League Cup
 イングランドのフットボールクラブによるカップ戦である。

 参加クラブはフットボールリーグのクラブとプレミアリーグのクラブ。
 プレミアリーグのクラブは3回戦から出場する。

 競技方法はトーナメント(=ノックアウト)
 通常、トーナメントの大会はホーム&アウェイでおこなわれるが、リーグカップはどちらかの本拠地で1試合だけで勝敗を決する。

 第1回大会:1960年
 決勝戦会場:ウェンブリー・スタジアム(ロンドン)
 メディアによりリーグカップ、または冠スポンサーの名称で呼ばれる。
 現在のスポンサーが「カーリング」なので、今はカーリング・カップと呼ばれる。

 英国にはもう一つのカップ戦、FAカップがあり、イングランド+ウェールズのクラブが参加する。
 こちらのリーグカップには、ウェールズのクラブは参加しない。

 この試合、日本ではテレビ中継されなかった。
 3回戦 ポーツマス (AWAY) ○4-0
 チェルシーは今期初めて、サードの黄色いユニフォームを着用。
 故障中のデコは、当然ながら出場していない。

9月27日(土)
プレミアリーグ6節 ストーク・シティ (AWAY) ○2-0

 Stoke city
 ストーク市を本拠地とするクラブ。
 プレミアリーグの20クラブ中、もっとも歴史が古い。
 英国フットボールクラブ全体に広げると、ノッツカウンティに次いで2番目に歴史が古い。
 ホームスタジアム:ブリタニア・スタジアム(28,383人)

 1stユニフォームカラー:白×<font color=red>赤</font>の縦縞。
 チェルシーの1stカラーの青とかぶらないため、チェルシーはアウェイながら、1stユニフォームを着用した。

 1984-85シーズンで二部に降格して以来、24シーズンぶりに一部リーグ(現在はプレミアリーグ)に復帰。2008-09がその1シーズンめとなる。

 試合では 36分、今シーズン、スコラーリ、デコと共に加入したボジングワ(国籍:ポルトガル)が移籍後初ゴールをあげた。

 この試合は今期初めて、J sports 2で生放送。
 デコは前節に続いて欠場。放送ではデコ欠場についてなにも触れなかった。



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2008年11月 2日 (日)

デコ故障

リーガ(スペイン)の場合、ビッグクラブが2つしかない。
(レアル・マドリー、バルセロナ)
この2チームのことはビッグ2とは言わない。
だが、その対戦は「伝統の対戦」という意味で「クラシコ」と呼ばれる。

一方、プレミアリーグには、クラシコに相当する戦いがない。
ゆえに、この4チームが対戦する6通りの組み合わせ
(4×3)÷(2×1)=6
の試合は、単なる「ビッグ4の対決」である。

デコにとって初体験となる「ビッグ4の対決」
その初戦はマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)
3チーム中、もっとも難敵である。

この試合も J sports Plus が生中継。
日本時間 日曜日の20:45試合開始という、日本のファンにはこたえられない時間帯に始まる。
試合前、ウォームアップするデコが映し出されている。

日本から8時間、遠く欧州のはずれで行われているデコの試合が生で見られる。
まさに至福の瞬間。

9月21日(日)
プレミアリーグ5節 マンチェスター・ユナイテッド (HOME) △1-1

ところが、先発メンバーにデコの名前がない。
今期初欠場。
放送では「試合直前に負傷」と紹介されただけで、詳しい情報はその後ももたらされなかった。
試合には代わりにバラックが先発出場。
マンU側はクリスチアーノ・ロナウドが怪我から復帰して、ベンチに座っている。

開始早々の10分でカルバーリョが怪我で退く。
先制されたチェルシーは明らかに違和感があった。
開幕以来、CLを含めて5試合。
これでもかというほど、パスをつないでいたチームが、まったく姿を変えている。
ワンタッチパスがない。
皆が、受けたボールをどこに出すかを迷っている。
左サイドからの攻撃は皆無。チェルシーが攻め上がる度に、がら空きの左サイドが映っている。
無理な中央突破を狙って、狭いところへボールを入れる繰り返し。
足下のドリブル、あるいは猛スピードで切り込める選手がいない限り、そのコースは無理だ。
チェルシーにはメッシやエトーがいない。

チェルシーは、デコがいなかったからと言って、がたがたになるようなチームではない。
だが、一流の彼らといえども、突然「出られない」と言われると戸惑ってしまう。
心の準備、お互いの確認というものが必要だ。

巨人でいえば、先発予定の上原が試合前に怪我をして、急遽、二軍から上がってきていたオビスポが先発したけれど、阿部がうまくリードできない・・
というようなものだ( なんだ、それは・・)

終盤、ロナウドが出場したが、幸い、彼の活躍を見ずに済んだ。
チェルシー戦以外では、大いに魅力あるプレーを見たい。

残り10分、セットプレーでようやく追いつき、スタンフォード・ブリッジでのホーム無敗記録を継続した。
急遽デコ、カルバーリョを欠き、慌てふためいた中での引き分け。
これは大いなる成果だ。
シーズンが終わる頃、この勝ち点1が大きな意味を持つだろう。



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2008年10月26日 (日)

CL2008-09開幕

プレミアリーグが開幕してから一ヶ月。
つづいて、もう一つのビッグ・タイトルであるUEFA CL 2008-09 が開幕

前シーズンのプレミアリーグ(国内リーグ)で2位だったチェルシーは、CLではグループリーグからの出場権を得ている。
一方、旧所属クラブ FCバルセロナは前シーズンのリーガで3位だったため、8月に予備予選を戦い、勝ち上がってグループリーグの出場権を得た。

チェルシーが入ったのはA組
チェルシー、ローマ、CFR、ボルドー

チェルシーにとっての焦点は、 1位通過できるかどうかに絞られる。
1位通過すれば、2月に始まる決勝トーナメントベスト16のホーム&アウェーを、第1戦 アウェー、第2戦 ホームの順番で戦える。
これはどんなクラブにとっても、戦い方が明確であり、楽な順番だ。

アウェーは負けて元々、引き分けて御の字、勝てば儲けもの。
どのような結果が出ても、ダメージがない。
アウェー戦の結果に応じて、地に足をつけてホームの戦い方を選ぶことができる。

一方ホームは勝って当然、引き分けで御の字、負ければ地獄
ダメージを受けたあげく、残っているのがアウェー戦では勝ち目はない。

ましてやホームのスタンフォード・ブリッジでは、100%に近い確率で引き分け以上が望めるチェルシー。この順番で戦うことは勝ったも同然。
グループリーグで確実に1位通過しておけば、ベスト16の戦い方には余裕が持てる。
死力を尽くした戦いは、ベスト8から決勝までの3戦(5試合)ということになる。

9月16日(火)
グループリーグ1節 ボルドー (HOME) ○4-0
52分にCLでは今期初めてのイエローカードをもらう。
60分でバラックと交代。
ここまで、フル出場をつづけてきたデコ。ここで、今期初の途中交代。
サイドライン上では、バラックとハグ。
バラックに頭をぽんぽんと叩かれて、苦笑い。

この試合は、J sports Plusが生中継した。
ここまで、プレミアリーグ、CLともに、チェルシー戦は 100%生放送されている。1節10試合で、放送されるカードは4~5試合。それでも毎試合見られるのは、ありがたいことだ。

プレミアだけでなくCLでも、チェルシー戦は漏れなく中継されるのではないか?
この日の生中継をもってそう期待したのだったが、2節CFR(away)、3節ローマ(home)は、生中継はおろか、後日の中継すらなかった。

プレミアリーグには強豪クラブが4つあり、ビッグ4と呼ばれている。
(マンチェスター・ユナイテッド、チェルシー、アーセナル、リバプール)

チェルシーがこの仲間に加わったのは 2004-05シーズン。意外と最近のことだ。
ホセ・モウリーニョ( 2008-09シーズンはセリエA インテルの監督)が監督に就任した2シーズンめ。
50シーズンぶり2度めの国内リーグ優勝を果たした。
(プレミアリーグになってからは初めての優勝)
リバプールはイングランド国内リーグがプレミアリーグに改変されてからは、まだ一度も優勝していない。

このビッグ4同士の対決は「ビッグ4の対決」と呼ばれている。
そのまんまである。
ミッドウィークでCLを戦った終末、今期最初のビッグマッチが待っている。

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2008年10月19日 (日)

ロビーニョの教訓

9月13日(土)
プレミアリーグ4節 マンチェスター・シティ (AWAY) ○3-1

マンチェスター・シティ
MANCHEATER CITY
英国北部の街、マンチェスター市を本拠地とするクラブ。

ホームスタジアム:シティ・オブ・マンチェスター(48,000人)
チームスローガン:Pride in Battle(エンブレムに書いてある)

1880年、設立
2006-07シーズン、前のタイ首相 タクシンが会長に就任。
2007-08シーズン、プレミアリーグ9位
シーズンオフ、FCバルセロナに対して、ACミランよりも好条件でロナウジーニョの獲得を申し出たが、ロナウジーニョはACミランを選んだ。
ロナウジーニョは後に「かつて、サンシーロ(ACミラン本拠地)のファンは、敵(バルセロナの選手)として乗り込んできた自分を歓迎してくれた」ことを、ミランを選んだ理由に挙げている。
それ以前に、とてもビッグ・クラブとは言えないシティでは、自分の格に見合わないと思ったのだろう。

2008-09シーズンに入って2週間過ぎた9月1日、タクシンがアブダビ・ユナイテッド・グループにクラブを売却。
新経営者は巨額の投資をして、ビッグ4(マンU、チェルシー、アーセナル、リバプール)に割り込む意欲を表明した。

そして、この第4節チェルシー戦において、移籍期間終了間際、レアル・マドリー(リーガ)からシティに移籍したロビーニョ(ブラジル代表)がプレミアリーグ初出場。
ロビーニョはスコラーリ監督が獲得を望んでいたFW。
フットボール・メディアはそろって、チェルシーの獲得が決定事項のように報じていた。

何らかの理由で直前になって、シティに鞍替えしたロビーニョ。
スコラーリとは因縁の仲になるかと思われていたが、そこは要領がよく、入場と同時にスコラーリに駆け寄り、こびを売っていた。
すり寄られては、スコラーリも殴り倒すわけにはいかず、複雑な笑顔で抱きしめていた。

「怖い相手から逃げてはいけない。むしろ、すり寄らなければならない」
という教訓を世界中のフットボールファンが得たことだろう。

そのロビーニョ、ゲームでは早々にFKを直接決める先制ゴール。
一気にファンの心をつかんだが、その後はスペインでしか通用しない無駄な動きばかりで、簡単にボールをとられていた。

それにしても、プレミアリーグの試合は展開が早い。
どこかの国の代表のように、いちいちボールを足下で止める選手は皆無。
そして、外にけり出して、試合が止まることが少ない。
審判は少々のファウルはすべて流す。余計に試合が止まらない。
見ているほうは、息もつかせぬ展開が楽しいが、やっている方はこれで1年、体がもつのだろうか?と心配になる。

デコはこの試合もフル出場。
なかなか休めない。
逆転して、リードしてからは後ろに下がり気味の位置でプレー。
しゃかりきに走り回ることはないが、彼が中継するパスは、どれも冴えていた。

70分にドログバが今期初出場。
76分のピンチ、抜け出した相手選手をテリーが手で止め、レッドカードで退場。
次節、マンチェスター・ユナイテッド戦は出場停止
・・になるはずだったが、FAの委員会でこの裁定は誤りだったといって、取り消された。

柔軟というか、何でもありか?というか、イギリスのサッカーはおもしろい。



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2008年10月12日 (日)

ポルトガル新監督カルロス・ケイロスとデコ

9月6日(土)
今週はプレミアリーグはお休み。
W杯2010南アフリカ大会の欧州予選が開幕。
欧州予選は53チーム。9組に分かれて戦う。
各組の1位が出場権獲得。
各2位の成績上位8チームがプレーオフに進む。

ポルトガルは2007年11月25日の抽選会で 第1シード 欧州予選1組に入った。
1組:ポルトガル、スウェーデン、デンマーク、ハンガリー、アルバニア、マルタ

ポルトガルは3大会連続史上4度めの出場を目指す。
今でこそベスト4に入る強豪国だが、出場回数は日本代表と同じ3回なのである。
出場すればデコは2度めの出場。32歳10か月で本大会を迎える。

予選開幕戦、ポルトガルはAWAYでマルタと対戦。4-0で勝利。
監督がチェルシー監督に就任したスコラーリから、カルロス・ケイロスに交替して初めての試合。

カルロス・ケイロス
Carlos Queiroz
国籍:ポルトガル

■略歴
1953年
3月1日、モザンビーク生まれ
1989年
U-20ポルトガル代表を指揮して、FIFAワールドユース選手権優勝(主力選手:フィーゴ、ピント)
1991年
U-20ポルトガル代表を指揮して、FIFAワールドユース選手権連覇
1993年
ポルトガル表監督就任(1度目)
1994年
W杯出場を逃し、ポルトガル表監督を解任された。
1996年
Jリーグ 名古屋グランパス監督
2003-04
レアル・マドリー監督 リーガシーズン4位に終わり1シーズンで解任された。
2004-05
マンチェスター・ユナイテッドアシスタント・コーチに2度めの就任(4シーズン務めた)
2008-09
ポルトガル代表監督就任

 現役のプロフットボール生活は母国のみ。
 ポルトガル国籍を取得して、サッカー指導者活動に入った。

 かつての代表の柱フィーゴと懇意にしている彼が、現在の「ポルトガルの中心(2008/7 プラティニUEFA会長談)」デコをどう処するか、少々心配でもあった。

 だが、そこはプラティニ会長が「ユーロ2008で最も印象に残った選手」と評したデコ。
 新監督からも無事招集されて、フル出場した。

つづいて4日後の9月10日(水)
予選第二戦はホームでありながら、デンマークに2-3の逆転負け。
デコは2点めのPKを蹴って、ゴールを決めている。

9月11日
8月のプレミアリーグベストプレーヤーに選ばれる。
日本でいうところの「月間MVP」だ。
好調なスタートを切った8月。
しかしその吉報が届いた9月、デコに思わぬアクシデントが待っていた。

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2008年10月 5日 (日)

退路を断った男ドスサントス

8月31日
プレミアリーグ3節 トットナム (HOME) △1-1
Live J sports ESPN が生中継

 TOTTENHAM HOTSPUR
 チェルシーと同じく、ロンドンに本拠地を置くクラブ。
 日本メディアの表記は、トットナム、トッテナムと2通りに分かれている。

■ホームスタジアム:ホワイトハート・レーン(36257人)
■1stユニフォームカラー:白
■チームスローガン:挑戦しなければ達成はできない
 チーム名のホットスパーは「荒くれ者」の意味。

【 トットナムの歴史 】
1882年
設立

1900-1901
FAカップ初優勝

1950-1951
リーグ初優勝

1960-1961
リーグ2度めの優勝
(現時点で、優勝はこの 2回)

1971-1972
UEFAカップ初優勝

2007-08
10月、ヨル監督解任 ファン・デラモス監督就任
5月、プレミアリーグシーズン11位
6月、MFジオバンニ・ドスサントス(19歳1か月)、MFルカ・モドリッチ(22歳9か月)獲得
7月、ロビー・キーンがリバプールへ移籍
9月、ベルバトフがマンUへ移籍

シーズン前、2番めに楽しみにしていたカードがトットナム。
バルセロナでチームメイトだった ジオバンニ・ドスサントスが
この夏、移籍したのがトットナム。

ドスサントスと電話で話したわけではないから、本当のことは
わからないが、メディアが伝えているインタビューを聞く限り
バルセロナに未練はなさそうだ。
その証拠に、バルセロナが提案した「ローン移籍」を拒否して
完全移籍を選んでいる。

ドスサントスは、1989年5月11日、メキシコ生まれ。
2002年、FCバルセロナと契約(2008-09まで)して、家族ともどもバルセロナへ移住。
2005年、FIFA  U17世界選手権ペルー大会にメキシコ代表で出場、優勝。

2007-08シーズン前の7月、選手採用担当のチキは
「エトーロナウジーニョ、ヤヤ、ドスサントスの誰か一人が二重国籍を取れなかった場合、ドスサントスをレンタル移籍させる」とメディアに話した。
結局、ロナウジーニョが二重国籍を取り、そして干されたこともあって、出場機会を得た。
だが、さらに若いFWボージャンと比べるとプレー内容はいまひとつ。
終盤はあまり出番が得られなかった。

デコとドスサントス、ソシオ公開練習でみていると、同じロンド
で、時にはじゃれ合いながら、楽しそうにボールを蹴っていた。

その二人が、敵味方に分かれて初めての対戦。
勝ち負けよりも、ドスサントスの近況をテレビで確認できることが
嬉しい。
ドスサントスも元気でやっているだろうか。

さて、ゲームは デコのCKをベレッチが決めて先制。
ベレッチは前シーズン、デコよりもひと足早く、バルセロナを出てチェルシーにやってきた。
その二人の連携で先制。
さい先がいいにもほどがあるってやつだ。

しかし、前半終了間際、ランパードがチャージしたボールが相手にわたり同点。
後半はそのまま膠着して、ホームでありながらの、もったいない引き分けとなった。

デコは、友達のドスサントスにタックルして、プレミアリーグに来て初めてのイエローカードを受けた。



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2008年9月28日 (日)

デコ 久しぶりにFKを決める

8月24日(日)
プレミアリーグ2節 ウィガン(away) ○1-0

■ウィガン
ホームタウン:ウィガン市
ホームスタジアム:JJBスタジアム(25,000人)
1stユニフォーム:青×白の縦縞
愛称:ラティックス
メインスポンサー:JJBスポーツ(英国の大手スポーツ・チェーン店)
設立:1897年

 2005-06シーズンにプレミアリーグに昇格。
 最近2シーズンの成績は、17位、14位と芳しくない。

開幕戦につづいて、J sports Plusが生中継。
デコはこの試合もフル出場。
初めての黒いセカンドユニフォームを身につけている。

前半4分、ペナルティエリア外 正面からやや右
デコが蹴ったFKは、直接左上隅にゴール。

これ以前にデコがFKを直接決めたのがいつだった記憶がない。
それくらいご無沙汰しているので、まさか入るとは思っていない。
ゴールした瞬間、喜ぶのが1秒遅れてしまった。

これが決勝点。
試合後、ウィガンの監督はこう言った。
「デコはやはり特別な存在だった」

1-0とリードしてからの84分、幾度か自陣で危ない場面があった。
それでも、GKツェフが守っていると、失点の予感がしなかった。

 この日、アンドリー・シェフチェンコのACミランへの移籍(復帰)が発表された。
 この時点では移籍市場閉鎖まで1週間。
 チェルシーはレアル・マドリーからロビーニョ(国籍:ブラジル)を獲得すると報道されている。
 チェルシーには、デコのPKエリア内へのパスに走り込む選手がいない。
 バルセロナであれば、メッシがそのタイプ。
 ロビーニョ入団は、攻撃パターンの多様化が期待できる。

8月28日
UEFA CL2008-09 組み合わせ抽選
チェルシーはローマ、ボルドー、CFRとA組にはいった。
デコにとって因縁の相手はない。

年内のCLグループリーグは、あまりどきどきすることなく終わりそうだ。



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2008年9月21日 (日)

ポーツマスといえば

 JsportsPlusに加入して、カレンダーに印をつけて待っていた 8月17日(日)21:24 となった。

 スタメンが発表される。
 そこにデコの名前があることで、ひと安心。
 全身青のユニフォームが似合っている。
 バラックの名前もある。
 果たして、デコとバラックはどのような関係にあるのか?

 対戦相手はポーツマス。  PORTSMOUTH
 ポーツマスといえば猫ひろし。

 歴史の授業で習った「ポーツマス条約」のポーツマスは、米国ニューハンプシャー州ポーツマス。
 そこで、1905年に結んだ日露戦争の講和条約がポーツマス条約。

 こちらのポーツマスは、英国の南端、イギリス海峡に面するハンプシャー州ポーツマス市。
 米国のポーツマスには、州の名前に「ニュー」がつく。

 猫ひろしのネタ「ポーツマス」は、歴史の授業で習う「ポーツマス条約」が日本人に知られていることを当て込み、英米に多くある地名の「ポーツマス」を、深い意味はなく連呼しているのだと、しらべるでは推察している。

 ポーツマスの概要
ホームスタジアム:フラットン・パーク(20,101人)
1stユニフォームカラー:
■紺

  ポーツマスの歴史
1898年 設立
1938-39 FAカップ優勝
1948-49 リーグ優勝
1949-50 リーグ2連覇 国内一部リーグ(現在の呼称はプレミアリーグ)の優勝はこの2連覇時の2回のみ。
2001-02 川口能活(GK)が、横浜マリノスから移籍入団(2002-03シーズン終了まで在籍)
2007-08 FAカップ2度目の優勝 プレミアリーグは勝ち点57で8位。

 20チーム中8位なので、決して楽な相手ではないのだろうが、特段、今期注目のチームというわけでもない。
 オフシーズン、有名な選手の獲得はない。

 試合前の配置表のとおり、バラックがデコより後ろでプレーしている。
 開始早々、倒れたバラックの手を引いて起こすデコ。友好的に笑顔で接している。

 二人の笑顔をみて安心した。
 ユーロ2008準々決勝 ポルトガル-ドイツ
 バラックがパウロ・フェレイラを押して決めたドイツの決勝点。
 そんなことを、いつまでも根に持っているよりも、未来の目標に向かい、笑顔で手を取り合うほうが健全に決まっている。
 デコが、あの時、どう思ったかはわからないが、クールなデコはそんなことを引きずってはいないだろう。

 チーム今シーズンのCK(ゴールに向かって左側)はデコが蹴った。
 12分、デコ-バラック-Jコールとつないで先制点
 26分、デコとバラックがシュートでかぶり、こぼれ球をアネルカが決めて2点め。
 バラックがデコの頭を、笑いながらぽんぽんと叩いている。
 微笑ましい。
 89分、ペナルティエリア外からのミドルシュート。
 GKがかすかに弾いたが、ボールは右上隅ぎりぎりに飛び込んだ。
 チームメイトに抱きつかれて、祝福されるデコ。

 デビュー戦でのゴールは、ポルトガル代表デビュー戦 A gol que mudou tudo の時と同じ。

 新しいチームに入った時、たとえFWではなくとも、ゴールという結果が、周囲の評価を落ち着かせるために、大きい意味をもつ。

 デコはそう考え、積極的に"点も"取りに行ったのだろう。
 プレシーズンでもなかったデコ・ゴールをここで決めた。

 デコの夢だったプレミアリーグでの戦い。
 その初戦は、フル出場、初ゴール。

 前シーズンからいるチェルシーの各選手にとっては、新参者のデコ。
 まだ、全幅の信頼を得たというわけではない。
 ただ、これからスタメン起用が続いても、不協和音が出ないだけの、力を見せつけることはできた。

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2008年9月14日 (日)

プレミアリーグ2008-09開幕

 プレミアリーグは、1888年に創設されたイングランドのプロフットボール一部リーグ。
 1992-93 シーズンから1部リーグをこう呼ぶようになった。

正式名称:バークレーカードFAプレミアリーグ
20チームがホームアウェイで各チーム38試合を行う。

チャンピオン、2位が Uefa CLグループリーグから出場。
3位、4位が Uefa CL予選3回戦から出場。
5位がUEFAカップに出場。

下位3チームが2部に自動降格。
2部:リーグ・チャンピオンシップ(24チーム)1位、2位、3~6位プレーオフの勝者が1部へ昇格。


 日本人初のプレミアリーグ"出場"は、稲本潤一(フルハム在籍時)。
 2005-06シーズンで引退した中田英寿の現役最後のクラブは、プレミアリーグのボルトンだった。

 2004-05シーズンは、ホセ・モウリーニョが就任したチェルシーが 50年ぶりに優勝。
 2005-06は、チェルシーが2連覇、
 2006-07は、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)が優勝。

 前シーズン 2007-08は、最終節までマンUとチェルシーが争い、マンUが2連覇。
 Uefa CLでも、この2チームが決勝を戦い、マンUが優勝した。


 プレミアリーグは欧州各国のリーグ戦のなかでは、割と早い時期に始まり、早く終わる。
 2005-06シーズンは、5月7日に最終節を開催。
 欧州で38節を戦うリーグとしては最も早くスケジュールを消化し、W杯(ドイツ大会)の準備態勢に入った。

 去年までデコ(FCバルセロナ)がいたリーガ(スペイン)と比べると、始まりが2週間早い。


8月17日(日)
プレミアリーグ2008-09開幕戦
チェルシーは、スタンフォード・ブリッジでのホームゲームで、一年のスタートを切る。

 試合開始は、グリニッジ標準時 13:30
 通常時 -9、サマータイム時は -8の時差がある日本時間では、21:30。
 この試合は、JsportsPlusが 21:24から生中継する。

 リーガの場合、スペインの現地時間で 20:45、21:45 の試合開始が多く、日本時間は 翌日の明け方、3:45、4:45。 早起きして見るか、録画しておいて、その日一日「ネタバレ被害」から逃れる努力をして、夜に見るというどちらか。

 英国は「寒い」ということで、デーゲームが多い。
 土曜、日曜の21時、22時台から、欧州サッカーの生中継が見られるとは、まさにこの世の天国だ。

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2008年9月 7日 (日)

ナマでデコを見る

 プレミアリーグは「Jスポーツ」が配信する。

 Jスポーツは、スカパー!、ケーブルテレビ経由で番組を供給するスポーツ専門放送局。
 Jsports1、Jsports2、JsportsPlus、JsportsESPN の4つのチャンネルがある。
 2008-09シーズンのプレミアリーグは、J2、Plusで放送する。


スカパーの番組セットの中に、Jスポーツの番組が含まれている。
ケーブルテレビ局の視聴コースの中に、Jスポーツの番組が含まれている。チャンネル毎に申し込むこともできる。
 東急沿線のケーブルテレビイッツコムでは、アルファにJsports1、Jsports2が含まれる。JsportsPlusは単独で追加できる。


 生中継は主に、Jスポーツプラスで放送される。
 ケーブルテレビ経由で選局する場合、
 ほぼ全試合、チェルシーの生中継を見るには、Jsports2、JsportsESPNに加入したうえで、JsportsPlusも加入する必要がある。

 放送カードは2週間前をメドに発表されている。
 2007-08シーズンは、35試合を放送した。


 スカパー!は、1節あたり4~5試合を放送すると発表している。
 1節は10試合。放送されない試合が5~6試合ある。
 カードはその都度、事前に発表される。

 チェルシーの試合が全試合見られる保証はない。
 2007-08シーズン実績では、9割以上の週でチェルシー戦が放送された。

 スカパー!月額費用:3,600円(欧州サッカーセット)+410円(基本料金)


 NHK BS-1も2007年11月12日からプレミアリーグの放送を開始した。
 NHKが現在取得しているプレミアリーグの放映権は 2009-10シーズンまで。

 放送する試合数:1節あたり2~3試合
 月額費用:945円
← *1か月あたりの地上波契約との差額 (4,580-2,690)/2

 
BS-1は生放送が少ない。
 BS-1だけで、プレミアリーグを押さえるのは、ムリがある。


 Jスポーツ、スカパーは、上記の料金で、
欧州チャンピオンズリーグ(UEFA CL)も見ることができる。BS-1では、CLを見ることはできない。


 2008-09シーズンは初めて、Jスポーツの全チャンネルが見られるように準備した。
 これでほぼ全試合、ナマでデコを追うことができそうだ。



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2008年8月31日 (日)

プレシーズンからレギュラーのデコ

 7月29日の親善試合を終えて、チェルシーは
オーナーの母国ロシアへ移動。

8月1日
ロシア鉄道カップ
ロコモティフ・モスクワ戦 フル出場 1(PK4-5)1で敗退

8月3日
ロシア鉄道カップ
ACミラン戦 後半から試合終了まで出場 5-0で勝利(後半2-0)

 プレシーズンマッチ5試合を終了。
 通算成績は4勝1敗
 90分を戦った中での敗戦はなし。

 デコは
 フル出場 2
 途中までの出場 2
 途中からの出場 1

 5試合すべてに起用されている。
 プレシーズンで控え扱いされた前シーズン
とは雲泥の差だ。
 スコラーリは「デコを使う」という明確な
メッセージをチームに示している。
 チェルシーという選択は、デコにとってと
ても幸せなものになりそうだ。

 リーガ(スペイン)は8月の最終週に開幕
するため、プレシーズンツアーを終えてから
3週間の空きがあった。
 プレミアリーグ(イングランド)は、8月
中旬と開幕が早い。ツアーを終えたこの時点
で、開幕までもう2週間を切っている。

8月4日
 デコがつけていたFCバルセロナの20番は、
ダニエウ・アウベスがつけることが発表された。

 ぜひともアウベスが活躍してレギュラーを
取り、CL決勝の舞台で新旧20番がピッチに居
並ぶところを見たい。

 いよいよプレミアリーグ開幕。
 優勝請負人デコが臨む
 デコにとって初めてのプレミア制覇
 チェルシーにとって初めてのCL制覇

 デコに故障がないことをサッカーの神様に
祈る。



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2008年8月24日 (日)

マレーシアまで来たデコ

7月1日
 ユーロ決勝の翌日
 入団会見でデコのチェルシー生活がスタート。
 まだ、この時点では背番号は発表されなかった。

7月5日
チェルシー2008-09モデル1stユニフォームが
日本のショップに入荷。
デコにとって、チェルシーで初めてのユニフォーム
当然、事前予約しておいた。

 デコの背番号も決まっていないが、この時点
ではアディダスのマーキング仕様もわからない。

 マークの仕様は変わったばかりということで、
変わらないだろうというのが店員さんの見込み。
 仕様が変わらないかを確認してもらったうえ
で取り寄せてもらうことにする。

 数字が2桁か1桁かがわからないので、とり
あえず、現在の仕様で 2桁の料金を支払う。

7月17日
この日、チェルシーの公式サイトでプレシーズン
キャンプが始まった模様が伝えられる。
そのトップにあったのは、なんと胸に19の番号
がついたジャージを着るデコの写真。

これからは、デコの日を毎月19日にしなければ・・
と気持ちを切り替えた数時間後のこと。
チェルシー公式サイトで、デコの背番号が20
に決まったことが発表され、チェルシー公式
ショップで、デコのユニフォームが20のマー
キングで販売開始された。

7月23日
プレシーズン初戦 広州での親善試合 GUANGZHOU 戦に先発して62分まで出場。4-0で勝利。

7月26日
親善試合 Chengdu 戦 フル出場 7-0で勝利。

7月29日
親善試合 マレーシア選抜戦 先発して64分まで出場 2-0で勝利。

 スコラーリ監督はデコを使い続けている。
 懸案のバラックは、まだ合流していない。
 コンディションが悪いということになって
いるが、ユーロに出ていたのはバラックだけ
ではない。

 そんなことよりも、マレーシアといえば極東。
 日本まであと少しの場所。
 デコも日本に寄りたかっただろうし、僕らも
デコに会いたい。

 チェルシーはまだ日本ツアーを行っていない。
 ウェブサイトも日本語版はない。
 公式ショップも他国のショップが、おかしな
日本語に翻訳したものがあるだけ。

 ぜひとも、チェルシーに日本に目を向けてもらいたいところだ。
 これから、対策を考えなければならない。



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2008年8月17日 (日)

FCバルセロナ 2008年6月~8月

オフシーズン 5月
エジミウソンが退団、ビジャレアルへ移籍。
ザンブロッタが退団、ACミランへ移籍。

5月27日、セビージャからセイドゥ・ケイタ(国籍:マリ)を獲得
バルセロナにとって6人めのアフリカ人選手。ただしそれはトップチームの話であり、カンテラには多数のアフリカ人選手を抱えている。アフリカとの関わりを重要視しているのだろう。そういう観点からすれば、2010年W杯の「顔」であるエトーを手元に置いておきたいはずだ。

5月27日、アーセナルのMFフレブと基本合意に達した。フレブはインテルへの移籍が有力視されていた。

5月28日、マンチェスター・ユナイテッドからジェラール・ピケを獲得

5月28日
WOWOWでリーガ総集編が放送された。デコは映像の端々に映ってはいたが、トピックス、解説陣からはデコのデの字も出なかった。
WOWOW解説陣にとって、デコは過去の人であり、彼が不調だったことの影響すら語る意味もないと考えたようだ。

5月30日、ジオバンニ・ドスサントスが退団、トットナムへ移籍すると報じられた。
バルセロナからのレンタル移籍の申し出を断っての完全移籍。グラディオラやイニエスタが、出て行く側には「それなりの理由がある」と言っているが、出て行く側にも、声にしない言い分があるのだろう。
クロアチア代表の主軸ルカ・モドリッチも獲得したトットナムは、チェルシーにとって手強い相手になりそうだが、ドスサントスの活躍を祈る。

6月7日~6月29日
ユーロ2008
5月28日に確定したメンバーに、バルセロナから8人が入った。
ポルトガルデコ
フランス:アンリ、アビダル、テュラム
スペインプジョルシャビイニエスタ
イタリア:ザンブロッタ

7月1日
デコのチェルシー移籍が発表された。

7月14日
プレシーズンキャンプ初日の会見。
バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ新監督は「ロナウジーニョ、デコ、エトーは戦力として計算していない」と発言したことについて弁明。
「3選手の価値を下げるような印象を与えたのであれば、この場を借りて謝罪したい」と述べたが「だれもが彼らの今後に関するクラブの意図に気づいていたと思う」と付け加えた。

 みんなが思っていたのだから、僕が言ったことだけ、問題視しないでよという本音が見え隠れする。
 新監督は、前監督のライカールトとは、役職者としての心構えが180度違うようだ。

 メディアの街角インタビューで「日本の政治は誰がやっても同じだよ」と答える人がいる。
 だが、それを総理大臣が「日本の政治は誰がやっても同じです」とコメントしてしまっては、品がない。その発言によって存在価値を否定される人が少なくない。

 特別な立場にいる人は、誰かを貶めることにつながる「それを言っちゃおしまい」な発言は慎まなければならない。

7月16日
ロナウジーニョACミラン移籍が発表された。

7月31日~8月6日
FCBアメリカツアー2008

 これで3年つづけてきたバルセロナ記事はお終いです。
 バルセロナ・ファンの皆さん、おつきあいいただきありがとうございました。
 2009年5月には、CL決勝戦でお会いできることを夢見ています。



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2008年8月10日 (日)

FCバルセロナ2008年5月

4月29日
CL準決勝第2戦マンチェスターユナイテッド(away)●0-1
1月27日リーガ21節ビルバオ(away)スコア△1-1 以来、3か月ぶりに水色のセカンドユニフォームを着用。ここまでこのユニフォームではすべて勝ちか引き分け。一度も負けていない縁起のいいユニフォーム。バルセロナはこの日のために温存しておいたのか。

失点はゴール前でザンブロッタのパスがスコールズに渡り、美しいミドルシュートを打たれてしまった。
これまで、開幕前にFCBarcelona on tour Japanを組んだシーズンは、必ずリーガUEFA CLのタイトルを手にしてきた。今シーズンそのジンクスは消えた。

CL敗退により、12月の来日はなくなった。リーガ2位を確保しなければ、夏の来日の可能性もない。ただツアーが組まれたとしても過去日本ツアーは隔年であり、順番から行くと2008年夏の来日見込みは薄い。前回、日本でデコと会えたのは2006年12月のこと。次はいつになるのか不透明になった。
デコはフル出場。2本シュートを外した。試合後のインタビューでは「来期は栄光を取り戻したい」と残留への意欲が滲む発言をしたが、これがバルセロナでCL最後の試合となった。

5月4日
リーガ35節バレンシア(カンプノウ)○6-0
カンプノウでバレンシアに勝ったのは7年ぶり。いかに苦手にしてきたかがわかる。
2007-08シーズンは内紛でずたずたになったバレンシアだが、2008-09は再び、結束してバルセロナを苦しめることだろう。
ビジャレアルも勝ち、2位との4点差はそのまま。レアル・マドリーの優勝が決まった。

デコは先発出場 25分に警告を受け累積5枚となり、次節クラシコが出場停止となる。78分グジョンセンと交替。エトーも累積5枚目の警告を受けた。
この警告が故意であるとして、後のイニエスタ発言につながっていく。

5月7日
リーガ36節クラシコ(away)●1-4
3位以下が確定し、予選免除のCL出場枠を失った。
フランク・ライカールトが築いたバルセロナの黄金時代が終わった。

リーガの風習に習い、優勝決定の翌節、相手チーム選手が優勝チームの入場時にビクトリーロードをつくる。今シーズンはその役割をバルセロナが担うことになった。
デコとエトーは前節で累積警告5回となり出場停止。

5月8日
クラシコ敗戦の翌日、フランク・ライカールト解任。後任はバルサB監督グラディオラと発表された。

5月11日
リーガ37節マジョルカ(カンプノウ)●2-3
試合前、5位セビージャとは6点差。セビージャに勝ち点で並ばれる可能性があるが、直接対決で1勝1分のため、5位に落ちてCL予選出場権を失うことはない。マジョルカは6位と3点差の7位。6位までに与えられるUEFAカップ出場権がかかっている。

ライカールトのカンプノウでの最終戦は、UEFAカップ出場に望みをつなぐマジョルカの戦意が上回り、後半ロスタイムでの逆転負け。
敗戦によりアトレティコ・マドリーと64点で並んだが、直接対決が○3-0、●2-4でバルセロナが上位の3位を維持。

この試合前、デコは胃腸炎のため自宅療養と発表されていたが、先発出場。
カンプノウのバルセロニスタから、デコにブーイングが浴びせられ、これがデコ移籍の大きな要素となった。
デコは前半だけで退き、後半からはボージャンが入った。これがバルセロナで最後の出場試合となった。

5月15日
デコが記者会見で「イングランドかイタリアのクラブへ移籍する」と明言した。

イニエスタは、マジョルカ戦でデコにブーイングが起きたことについて「仲間として残念に思っているが、観客がそうするには常に正当な理由がある」と会見で話した。

イニエスタは、これまでもデコに対して辛辣なコメントを繰り返してきた。
バルセロナ生え抜き選手として、クラブとカタルーニャの意向を代弁しているつもりなのだろう。同様の態度は、やはり生え抜きの新監督によっても、後日繰り返されることになった。



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2008年8月 3日 (日)

FCバルセロナ 2008年4月

4月1日(火)
CL 2007-08ベスト8第1戦 シャルケ04(away)○1-0
デコは故障した当初、この試合で復帰する見通しだったが、回復が十分ではないとして招集されなかった。

4月6日
リーガ31節ヘタフェ(カンプノウ)△0-0
デコは復帰せず。2位に戻る。レアル・マドリーとは7点差
讀賣新聞朝刊に「ロナウジーニョが今期絶望」と報じられた。

4月9日(水)
CL 2007-08ベスト8第2戦 シャルケ04(カンプノウ)ベスト4進出を決める。

4月12日(土)
リーガ32節レクレアティーボ(away)△2-2
この日、ロナウジーニョのACミランへの移籍が報道された。デコは依然として、故障中として召集されていない。

4月19日(土)
リーガ33節エスパニョール(カンプノウ)△0-0
首位マドリーとの勝ち点差11の3位。この試合以降、選手の口から一斉に「リーガは難しくなった」というコメントが出始めた。まだチャンピオンズリーグで勝ち残っており、そちらに集中するからよろしくというメッセージ。このように、各選手が口をそろえて発言を転換するのは、まるでクラブから、そう話すように指示が出ているかのようだ。

4月23日(サンジョルディ
CL準決勝第1戦マンチェスター・ユナイテッド(カンプノウ)△0-0
クリスチアーノ・ロナウドが、開始早々のPKを外してくれて命拾い。
デコは先発出場して1カ月ぶりの復帰。球捌き、被ファウルにいつものデコぶりを見せた。77分にアンリと交代。メインスタンドのファンは立ち上がり拍手を送った。アンリとは軽く手を合わせただけ。

 この時期に発売されていたワールドサッカーダイジェストは「ロナウジーニョデコの移籍はもはやアンタッチャブルではない」と書いている。
 スペインのフットボールジャーナリストは、ロナウジーニョの一派としてデコの放出は確実という書き方をしている。

4月26日(土)
リーガ34節デポルティーボ(away)●0-2
後半12分ヤヤに替わり出場。43分警告を受ける。
3rd オレンジ ユニフォームを着用する最後の試合。
焦点はリーガ優勝から2位確保に移った。3位で終わると8月にCL予選を戦う必要が生じ、プロモーションツアーに出られなくなる(実際には予定通りアメリカツアーが組まれた)
2位ビジャレアルとは4点差。直接対決では8節27節いずれも敗れており、勝ち点で1点上回る必要がある。残り試合の対戦カードを比較すると、バルセロナの2位確保は大変難しくなっている。

残り4節の相手
●ビジャレアル 65点
Hヘタフェ 15
Aレクレアティーボ 16
Hエスパニョール  9
Aデポルティーボ  7

○バルセロナ 61点
Hバレンシア 13
Aレアル・マドリー  1
Hマジョルカ 10
Aムルシア 19
*右端数字は34節終了時の順位



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2008年7月27日 (日)

心の幹が強い男

 7月17日に背番号20が発表されたデコ。
 やれやれひと安心、これで後は開幕を待つばかり。
とニュース・チェックの緊張を解いたところに、デコが喋り始めた。

7月18日、ランパードに残留して欲しい
7月19日、ドログバに残留して欲しい

 移籍・退団の噂が報道されているチェルシーの主力2人へのラブコールだ。
 いずれも「2008-09シーズンのCLで、チェルシーが初優勝するためには・・」というテーマと紐付けている。
 以前からチェルシーにいる選手からの、この二人の去就についての見解は報道されていない。

 ランパード(イギリス国籍)は 2000-01シーズンオフにウェストハムから移籍してきて、ここまで、チェルシーで7シーズンを過ごした。報道によると、本人は前チェルシー監督のモウリーニョが監督に就任したインテル(イタリア セリエA)への移籍を希望しているようだ。契約はあと1年。今すぐ移籍するとチェルシーには移籍金が入る。来年の夏には契約が切れるため、移籍金なしで自由に移籍することができる。
 掲示板で見る限り、ランプスという愛称で親しまれており、ファンはチームの顔として接しているようだ。

 ドログバはチェルシーのエース・ストライカー。
 2008年5月のCL決勝では、終了間際に相手選手にビンタをはって退場。ドログバ不在のために、お鉢がまわってきたテリーが、優勝を決めるPKを外すという展開につながった。
 あのビンタがなければ、今頃デコが着ているユニフォームは違う色だったかも知れない。

 ドログバが退団した場合、エトーやロビーニョを獲得するという報道がされている。
 デコとエトーはバルセロナで4シーズンを共にした。変わり者と言われるが、男気のある選手で、デコは好意的に評している。
 ただ、怪我をしやすく試合出場が少ない。
 バルサがクラブ世界一を取りに来たCWC2006の時も、彼は怪我による長期離脱中で、チームにいなかった。
 エトーを獲るよりもドログバが残ったほうが、プラスだろう。

 チームの主力が出て行けば、チーム力が落ちないわけがない。
 だが、それに取って代わる選手が入団すれば、相対的にチーム力は上がるかも知れない。
 何がチームにとってプラスなのかは、そのシーズンが終わり、結果が出なければわからない。
 この時期、選手個々が抱く移籍の意図に、いちいちコミットすることは、実りが多くない。

 場合によっては「一選手のくせに僭越だ」という印象を、首脳陣やファンに与えかねない。
 「そんなの関係ない」と口にチャックを決め込むのが一般選手だ。

 だがデコは言う。
 誤解や軋轢を怖れず、信じる言葉を公に発する。

 人によっては「新参者が監督気取りかよ」と言うだろう。
 だが、それこそデコにとっては「そんなの関係ない」のだ。

 人間としての軸がぶれないデコ。
 体の軸がぶれないことを「体幹が強い」と言う。世の中は今、体幹ブームだ。
 デコは世界中のフットボール選手のなかで、最も「心の幹が強い選手」と言えるだろう。



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2008年7月20日 (日)

デコ チェルシーでの背番号決まる

 「チェルシーのユニフォームが入荷しております。近いうちにご来店くださいませ」
 留守電にショップからの伝言が入っていた。

 7月5日、大手スポーツ量販店にチェルシー2008-09のユニフォームが入荷した。
 新シーズンのユニフォームはいつものチェルシーデザインと大差はないが、白い襟がついている。
 もしも襟がなかったら、街で着ていると「日本代表ファンかっ」とつっこまれそうだ。

 チェルシー2008-09シーズンの1stユニフォーム。
 デコにとって、チェルシー1年めのHOMEユニフォーム。
 もちろん、即ゲット。

Uni_200809_1st_f

■ メーカー:アディダス
■生産国:タイ



Uni_200809_1st_ura

■裾の内側に CHELSEA FOOTBALL CLUB 1905 のネームが入っている。


■裾にクライマクールのロゴが入っている。
 クライマクールは体をクールに保つ機能の名称。

Uni_200809_1st_horo
■ホログラムの入ったアディダスの立体ワッペン

 adidasのユニフォームは、ナイキと比べると、格段に偽物対策が施されている。

■費用
 半袖ユニフォーム 9,975円
 マーキング(デコ)4,158円
 マークの内訳 ネーム315×4 ( D E C O ) 数字1,449円×2 ( 2 0 )

 背番号と書体が確定し次第、取り寄せてもらうことにして、ユニフォームを持ち帰る。
 そして、待つこと10日あまり。
 7月17日、チェルシー公式サイトでデコの背番号が20であると発表された。

 前シーズン20をつけていたのは、ポルトガル代表の同僚であるパウロ・フェレイラ。
 もしかしたら、デコはフェレイラの番号を奪うことを嫌い、他の番号に甘んじるのではないかという不安があった。

 その予感が当たったかと思ったのが、7月16日付けの公式サイト。
 新シーズンに向けてのキャンプ初日。アップをしているデコのジャージには「19」
 19は前シーズンの空き番号だ。

 やはり、そうか。
 まぁ、こういうところがデコらしいな。

 そう思うのも、つかの間、ポルトガル代表の仲間、フェレイラと番号を交換し、20をつけるから、ショップで買ってね。というお知らせが掲載された。
「喜んで番号を交換するよ」というフェレイラの談話も載っている。
 これには、ほっとした。

 親の転勤で泣く泣く、引っ越した転校生の気分
 転職したサラリーマンが、新しい会社に出社した気分

 フェレイラやカルバーリョといったポルトガル仲間は、フォロウしてくれるだろうか。
 数年前に移籍してきて、今やチームの顔と言われている英国人は、話しかけてくれるだろうか。
 プレミアの荒くれ者が後ろからタックルしてきて、怪我をしないだろうか。
 ファンは暖かい声援を送ってくれるだろうか。

 デコのことなのに、我が身に起こるできごとのように、心配である。

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2008年7月13日 (日)

これもサッカーだよ~ん

 「判定に文句をいうのはいつも敗者」

 前バルセロナ監督 フランク・ライカールトの言葉だ。
 今日は、敗者として、大いに文句を言います。

 ユーロ2008観戦が終わった。
 全31試合。生と録画で初めから終わりまで見た。
 4年前のユーロ2004の時は、イタリア・リーグが「セリエA」で、スペインが「リーガ・エスパニョーラ」であることしか知らなかったので、当然 1試合も見ていないし「ユーロ」そのものを知らなかった。

 日本代表がW杯に出るようになってから、3度のW杯を見て、今回初めてユーロを見た。
 今回初めてユーロを見て、よくメディアとブロガーが言う「ユーロは、W杯よりレベルが高い」という論評が本当だとわかった。

 アジアが出ていないので、専守防衛の試合がない。
 足下でボールが止まらない選手もいない。
 アフリカが出ていないので、ドイツの上を行く、空中アスレチックサッカーを見なくて済む。

 ユーロ2004で、どのようなプレーをした国が優勝したかは風評しか知らないが、ユーロ2008は、それと比べれば「サッカーとは攻撃しあうスポーツだ」という志の監督と選手が多かったのだろう。

 今回、ポルトガルにとって、優勝はさほど難しい目標とは思えなかった。
 ただ、唯一歯車がかみ合わなかった試合に、その日だけ、歯車が2度かみ合ったチームと当たってしまったのが不幸だった。
 それだけの悪い状況でさえ、スコアは2-2だったが、注意力の低い審判が「これもサッカーだよ~ん」とバラックが奪った反則ゴールを無効にしなかったため、万事休した。

 決勝戦後、ドイツのGKレーマンはロゼッティ主審の判定に不満を漏らしていた。(Goal.com より)
「ロゼッティはとても傲慢な振る舞いだった」
「ポドルスキに対する頭突きでシルバを退場にすることもなかった」

 ポドルスキが「ほれほれ、ここに頭突きしてみな」とシルバに頭を突き出して挑発する映像を見て、下品な選手だと思っていたら、挑発に乗ったシルバを退場させなかったと、がっかりしている人がいた。
 しかも、このシーンは直接ゴールとは関係がない。

 そんなレーマンでも、きっとバラックの確信犯ゴールには「それもサッカーだよ~ん」と言うのだろう。

 いきつく結論はこうだ。
 サッカーは、レフェリーが裁くスポーツの一つに過ぎない。
 審判批判は、次の試合までの暇つぶしにはなるが、それ自体は、いかなる事実も変更しない。
 やり直しのきかない大会、テレビ朝日的に言えば「絶対負けられない戦い」だろうが、お構いなし。
 サッカーの試合は4人の審判の8つの目で決まる。VTRも、視聴者も、観客も何も決められない。

「審判が裁くスポーツでは、VTRやコンピューターなどの補助的判断材料を導入しなければならない」という法律ができない限り、判定にぶーたれることは意味を持たない。自らが心の健康を害するだけだ。

 サッカーを見続けるならば、この問題へのこだわりを忘れなければならない。

 敗因となったバラック・ゴールの反則シーンがリプレイされている時のこと。
アナウンサー「バラックがパウロ・フェレイラを」
解説奥寺さん「ちょっとね ^^;)」
アナウンサー「押したように見えましたが」
解説奥寺さん「ちょっとね ^^;)」

 あの日、バラック・ゴールに「これもサッカーだよ~ん」という寛容な姿勢を見せ、ご満悦だった奥寺さん。決勝戦後、日本のスタジオで、その表情が沈んでいるように見えた。



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2008年7月 6日 (日)

デコ チェルシー移籍決定!

 デコのチェルシー入りが決まった。
 おめでとうデコ!
 30歳11か月で、ビッグクラブからの誘いがあることは、すばらしいことだ。

 発表はユーロ決勝翌日の7月1日。
 ユーロのまっただ中に発表してしまったスコラーリの一件は、ポルトガルファンに義理を欠いたが、デコはサッカー界に義理を欠かなかった。
 この義理堅さは、まさにニックネームの一つ「ハポネス(日本人)」

 スコラーリとデコ、この二人は2008-09シーズンは新天地へ旅立つことがわかっていたが、まさか同じクラブに移るとは思っていなかった。

 さて早速、デコのチェルシー入りを受け、次にデコと会える機会を整理してみよう。


●過去の来日
デコはこれまでに過去4回来日している。

■【 初来日 】
2004年 FCBarcelona on tour Japan2004
ユーロ2004終了後、FCバルセロナへの移籍が決まってすぐツアーに参加。テレビ番組には出演したが、負傷のため試合には出場しなかった。

■【 2度め 】
2005年6月 FCBarcelona on tour Japan2005
このツアーは試合チケット発売後に、ロナウジーニョが来日をキャンセル。
デコ日本初試合
横浜戦後半ではデコがロナウジーニョの位置に入り、珍しい「左サイドのラインで張って待つ」デコが見られた。

■【 3度目 】
2005年7月 プレシーズンマッチ
前月にロナウジーニョが来日しなかったため、その埋め合わせという名目で、急遽同一オフシーズン2度めのツアーが組まれた。

2005-06オフシーズンは、米国ツアーのため、日本ツアーは組まれなかった。

■【 4度目 】
2006年12月 CWC2006
初めて真剣勝負での来日。デコは大会MVPを獲得したが、決勝で敗れ、大きな宿題が残った。

2006-07シーズンオフ、FCバルセロナは日本ツアーを催行したが、デコは来日直前、私用のために参加をキャンセル。ファンをがっかりさせた。
FCBarcelona on tour Japan2007


 チェルシーは2007-08シーズンオフにアジアツアーを行うが、日本には来ない。これは来年のアジアツアーに期待するしかない。


 CWCとしての来日は当分ない。
 2008年12月に来日するのは、マンチェスター・ユナイテッド。ドログバのビンタ・レッドカードで、不得手なお鉢が回ってきたテリーがPKを外し、あと一歩でCL2007-08の優勝はその手をすり抜けた。
 CWC2009~2010は、日本ではなくUAE開催となるため、CLでチェルシーが勝っても、来日することはない。
 その次の日本開催は2011年。3年も先の話だ。


 クラブで可能性がないとなると、ポルトガル代表はどうか。
 可能性があるとすれば、日本代表が親善試合でポルトガルを招聘することだが、欧州のビッグクラブにいるロナウドやデコはオフシーズンも忙しい。もし、試合が組まれてもデコは来ないかも知れない。

 だが、どうしても来なければいけない大会がある。
 それはW杯。
 W杯2010が代替地開催となった場合、日本もその候補に入っている。そういうお鉢はどんどん回ってきてもらいたいのだが、現実には可能性はほぼ0%。32か国の代表とサポーターが南アフリカに行くことは動かし難い。

 結局、きょうの話の結論は、デコと会うには、ロンドンに出かけるしかないということである。

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2008年6月29日 (日)

ユーロのネタバレとデコの移籍先(ネタバレ無し)

 ユーロ2008も、31試合中30試合が終わり、決勝を残すのみ。
 このところ、録画しておいた試合を、翌晩に見る日が続いた。

 ユーロの試合結果は見たくないけれど、デコの移籍情報はチェックしたい。
毎日がネタバレ対策に神経を使う一ヶ月だった。

 「ネタバレ」という言葉は、2005年にミクシィが飛躍的に会員を伸ばした頃から、日常的に聞くようになった。
 1980年にはネタバレという言葉はなかった。
 1990年代に、パソコン通信が普及し始めてから、本、ドラマ、映画の結末をネット上に書く場合は、タイトルに工夫をするよう求められた。
 1995年以降、これにコンサート・ツアーのセットリストが加わった。

 佐野元春が全国10都市でコンサート・ツアーを行うとする。
 最初の会場に行った人が、ネット上に「アンコールでサムデイをやってくれました」などと書いてしまうと、残りの9会場に行く人は、一気に興ざめしてしまう。
 ネットワークのコミュニティがこの世に登場する前は「身近に佐野さんのことを話す相手がいなくて」というのが悩みだった。
 だが、ネットワークの登場で、全国に話し相手ができた。
 ファン同士でしかわからない、レアな話題を共有することはとても楽しい。だが、話し相手がいるがゆえの新たな問題、ネタバレが登場したのである。

 結果を知りたくない人がいる一方で、結果を知っていれば、それについて熱く語りたいというのも人情。
 そこで、ネットワークの住人は「ネタバレあり」「ネタバレなし」でトピックを分けた。佐野元春公式サイトを立ち上げた「元春HP」の場合、ネタバレコミュニティを別につくった。

 2000年代に入りブログが始まり、2005年からミクシィで日記が普及すると、人々はタイトルに「ネタバレあり」を宣言する工夫を始めた。
 もちろん、仲間にメールを送る場合も、同様である。

 こうして、インターネット、夕刊紙、情報の遮断に細心の注意を払ってきたが、結局のところ、デコはユーロが終わるまで去就を明らかにしないと決めていたようだ。

 憶測報道を総合すると、デコの行き先はチェルシーで決まりと思われる。
 チェルシーから誰が出て行き、デコ以外に誰が入ってくるかも興味深い。

 FCバルセロナのグラディオラ新監督は、会見で「ロナウジーニョ、エトー、デコの3人は戦力として計算していない」と述べた。
 100年を超える歴史で、まだ 2度しか欧州CLを制していないクラブが、そのうち 1度の主力となった 3人に送る言葉としては、少々品がないと思うが、そう言わせるだけの不満が、彼にはあるのだろう。

 できることならば、ロナウジーニョ、エトー、デコが3人揃ってチェルシーに移り、2008-09CL決勝でバルセロナと相対するのを見たい。
 生え抜きのグラディオラが、外様の3人を排して作り上げる、統制のとれたバルセロナは、かなり手強いだろう。

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2008年6月22日 (日)

デコのユーロ2008終戦

 デコのユーロ2008が終わった。
 スコラーリ、デコの優勝請負人コンビは、ポルトガル協会が掲げたベスト4入りという目標を達成できなかった。
 大会を2連敗、ドイツ戦で終えるのは、2006W杯とまったく同じ。

 不思議なほど、代表戦は過去の戦績(相性)に左右される。
 ポルトガルが相性の悪い、ドイツ、イタリア、フランス、ギリシア。このいずれかと当たれば、負ける可能性は高い。フランスとギリシアはグループリーグで消えたが、ドイツとイタリアは、それぞれのグループ2位で辛うじて残った。そして、順風満帆で進んでいたポルトガルが、ドイツに負けた。
 ベスト16で負けようが、決勝で負けようが、負けは負け。ポルトガルは前回の準優勝国であり、ベスト4だからよくやりましたというレベルで語られるチームではない。

 2006年W杯、ポルトガル 直接の敗因はアンリ(フランス)のPK狙いの倒れ込み。
 今回はバラック(ドイツ)の反則ヘディング・シュート。偶然当たったのではなく、明らかに両手で押している。
 アンリの場合、狡猾だが悪ではない。バラックは悪だ。
 バラックは試合後「我々のプレーは勝利にふさわしかった」と語ったが、あなたのプレーはそうではない。

 今シーズン、因縁のアンリと同じ釜のメシを食ったデコは、来シーズン、バラックと同じチームになるかも知れない。ゲームメーカー同士で、腹に一物あれば、ロッカールームは盛り上がらない。そこをスコラーリが考えるだろう。

 ドイツはグループリーグでの不調が嘘のように、よく好機をつくっていた。
 1点差のロスタイムに、呑気にラウンジでたばこに火を付けている監督が、ベンチ入り禁止だったことも勝因かも知れない。
 監督がベンチに戻った途端、選手が動かなくなったら洒落にならないだろう。

 ポルトガルは4試合を戦い、デコは3試合に出場した(温存1)

 2006W杯でのデコは怪我、出場停止、温存が1試合ずつあり、7試合中4試合の出場に止まった。
 W杯直前の2005-06シーズンは、FCバルセロナがリーガ、CLの2冠を達成。シーズンを通してフル稼働したデコはとても疲れていた。
 一方、2007-08シーズン、デコは故障勝ちであったこと、シーズン当初から控え扱いを受けたことで、出場試合が激減。デコはユーロ前「あまり試合に出ていないお陰で状態はいい。本当はもっと試合に出たかったが」と語っている。
 コンディションはとてもよかった。

 2006W杯ではイラン戦でイエローカードをもらい、メキシコ戦は大事をとり欠場。
(メキシコ戦でグループリーグが終了し、警告は清算された)
 オランダ戦で一度に2枚のイエローカードをもらい退場。次のイングランド戦が出場停止。
 一方、今回のユーロでは警告ゼロ。
 前回の反省をふまえ、ファウルをもらわぬよう慎重なプレーぶりだった。審判にもその姿勢が理解され、ボールにいったタックルをファウルに取られるようなことが一度もなかった。

 デコのプレーはよかったが、ポルトガルは負けた。

 チェルシーがスコラーリ監督就任を発表したのが、水をさしたかも知れない。
 リカルドは神懸かり的なスーパーセーブがなく、ドイツ戦でも目の前のボールを止められなかった。
 シモンはゴールにこだわり、ぎこちなかった。友達にゴールを決めることを約束しているかに見えた。
 ロナウドをもってしても、新球ユーロ・パスを手名付けることはできなかった。
 2006W杯のロナウジーニョがそうだったように「●●の大会」という呼び声は外れるものだということを、立証してしまった。
 ボジングワ、ぺぺは目を見張る能力を見せた。2010年W杯では期待できる。
 デコの裏で動くゲームメーカー、モウチーニョは風貌と身のこなしはデコそっくりだったが、輝きのあるパスは出せなかった。
 永遠の課題であるCFは、またも永遠の課題として残った。

 チームのデコ依存症は依然として変わっていない。ポルトガルの次なる勝利のために、デコが重要とは言わないが、いないよりもいた方がいいことは自明だろう。
 だが、ブラジル人スコラーリが去ったチームで「外国人」デコが、どのように処遇されるかは不透明だ。

 デコには2010年W杯(32歳)、そして2012ユーロ(34歳)にも出て欲しい。
 優勝請負人デコが、まだ手にしていないタイトル、W杯、ユーロ、CWC を諦めないで欲しい。

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2008年6月15日 (日)

ポルトガル A組1位通過

ポルトガルが好調なスタートを切っている。プレーはいつもながらの機転と技術が組み合わされたもの。だが、今回特筆に値するのは、他国と比べて格段にフェアなプレーぶり。結果如何を問わず、後にこれは高く評価されるだろう。

ユーロ2008が開幕して1週間。

わずか1週間なのだが、開幕戦のことはもう遠い昔のことのように感じる。

人は歳を取ると、時間の流れが速く感じるようになる。
これは、日常に起こる出来事が、経験済みのものごとばかりで、難なくかたづけられるからだ。

デコファンになったのは 2005年2月、FIFAオールスタースマトラ沖地震慈善マッチの日に、デコと出会って以来なので、ユーロは初体験。
このためにWOWOWに入ったので、連日深夜から明け方にサッカーを見るという暮らしも初めて。
新鮮な日々が続くと、人は時間の流れが遅くなるということを実感している。

さて、我らがデコのいるポルトガル。
グループリーグ3試合のうち、1試合を残したところで、グループリーグ1位通過を決めてしまった。
2006年のW杯ドイツ大会も、1試合を残して勝ち抜けを決めたが、今回がその時と違うのは、1位通過を決めたということだ。

2006年のW杯、グループリーグ第3戦メキシコ戦、スコラーリ監督は、故障上がりのデコを休ませたが、さほどメンバーを落とさなかった。
これは、まだグループ2位の可能性があり、2位になった場合、ベスト16の対戦相手がアルゼンチンになる可能性が高かったからだ。

その点、今回は1位通過を決めている。
A組1位は 6月19日20:45(日本時間20日 3:45)マッチ25 に進み、B組2位と対戦する。
ちなみに、TBSはこの試合を放送しない。
マッチ25の勝者が進む、準決勝も放送しない。
TBSだけでユーロを見ていたら、ポルトガル戦を見られるのは決勝だけだった。
WOWOWに入ってよかった。

今大会からルールが変わり、グループリーグから準々決勝に進んだチームのイエローカードは清算されない。
第3戦で1枚もらった場合、準々決勝に持ち越されて、そこで1枚もらうと、準決勝が出場停止になる。
ただし、新ルールにより、準々決勝までに1枚もらっていたイエローカードはそこで清算されて、準決勝には持ち越さない。

前回までのルールでは、準決勝までにイエローカードを1枚もらっていて、準決勝で2枚めを受けると決勝が出場停止となる。
万が一、デコロナウドが決勝に出られないということになれば、サッカー界全体にとって大きな損失だ。
というのは、デコファンの立場だが、決勝をベストメンバーで戦えるようにするという、このルール変更を考えた人は素晴らしい。

「ちょっと考えれば、誰でもわかるよ」
ということを、誰も考えないから、長い年月、不都合が営々と続く。
こうした、ちょっとした工夫で、誰もが幸せになれるルール変更、仕事の進め方は、身の回りにたくさん眠っている。それを掘り起こして、実現できるかは組織のリーダー次第なのだ。

前回までは、イエローカードはグループリーグに置いていけた。
だが、このユーロでは準々決勝まで、イエローカード貯金が続く。
ゆえに、グループリーグ第3戦を調整モードで戦えることは、より大きな意味を持つ。

今晩(日本時間16日 3:45)のスイス戦
スコラーリ監督がどの程度、メンバーを落として戦うかが興味深い。

さて、そのルイス・フェリペ・スコラーリ監督が7月1日より、チェルシーFC監督に就任すると発表された。
チェルシーとしては、チーム作りで遅れをとらないために、少しでも早く発表したかったのだろう。
それが、ポルトガルのグループリーグ1位通過決定と同時というタイミングになった。

元々、スコラーリ監督とポルトガルの契約は、2008年のユーロ終了まで。
2006年のW杯終了後に2年延長した。退任は既定路線と言えば、その通りだ。
ただ、ポルトガルファンとしては、あと2年続けて、2010年W杯の優勝を花道にしてほしかった。

ブラジル人デコにポルトガル国籍取得を勧めたのは、ポルトガル人のホセ・モウリーニョだが、デコを代表で起用しつづけたのは、ブラジル人のスコラーリ。

デコがポルトガル代表入りした時は、外国人の代表入りに反対する人たちがいた。
デコの後には、同じくブラジル人のぺぺも代表入りして活躍している。
ポルトガル・サポーターには、今更、外国人不要論を持ち出す人はいないだろうが、スコラーリが代表を去ることで、何が起こるかわからない。

ただ、どんな思惑も、スポーツ選手はそのプレーですべてを払拭することができる。
力を示すことができる。
そこが、サラリーマンとは違うところだ。

ユーロ2008が始まって2試合で、デコを見る目は大きく変わっただろう。
いや、変わったというよりは、戻ったという表現が近い。
現所属クラブ。次の所属クラブ。それぞれが、裏返しの感想を持ったはずだ。

現所属クラブは「これで、高く売れる」「でも、ちょっと惜しかったな」

次の所属クラブは「これで、値段上がっちゃうなぁ」「でも、何としてでも欲しくなった」

デコの次なる戦いは、 6/25 準決勝(ポルトガル-B組2位)
当初、予想の相手はポーランドだったが、クロアチアの好調により、準決勝の相手と予想していたドイツが順当なところとなっている。ただし、ポーランド、オーストリアにも可能性はある。オーストリアがB組2位となり、開催国の面目を保つならば、ポルトガルはスイス、オーストリアと共催国2連戦となる。


第一主催国のA組に入ったため、決勝トーナメントの3試合はいずれも HOME 扱い。
1stの赤いユニフォームを着る。

その前に、グループリーグ第3戦スイス戦では、これまで通りの正々堂々、クリーンな戦いで、スイス人とメディアのサポートも手に入れたい。

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2008年6月 8日 (日)

ユーロ2008ポルトガル優勝と詰める男

今日、デコ2度目のユーロが始まる。

ユーロとはフットボールの欧州選手権。
ユーロは4年に1度、W杯と2年ずらして開催される。

1960年にフランスサッカー協会会長アンリ・ドロネーが発案。
第1回「ヨーロッパ・ネイションズカップ」という名前で開催された。
1968年に今の「ユーロ」に名称が変わった。

この数週間、民法を見ていると、しきりにWOWOWのCMが入るので、ユーロという単語は相当に浸透したはずだ。
CMやメディアの報道では「ユーロは世界最高クラスの戦術」と表現されている。
これは、アジアやアフリカも出場するW杯に比べて、欧州の戦術は洗練されているということを意味している。

スポーツ大会では、準決勝や準々決勝で優勝候補同士が対戦すると「事実上の決勝」と表現するメディアがある。
それと同じだ。
ブロガーは「ユーロはW杯よりレベルが高い」と言い切ることができるが、メディアの場合は件の表現になる。

いずれにせよ、欧州のメディアが言うのならばわかるが、日本のメディアが自らそれを言うのは自虐的だ。

2003年当時、デコはポルトガルのフットボールリーグ「スーペルリーガ」のFCポルトに在籍していた。
1997-98シーズンより、ブラジルからポルトガルに渡り、居住5年が経過していたデコは、ジョゼ・モウリーニョ監督(当時FCポルトの監督、2008-09シーズンからはセリエAインテルの監督)のすすめでポルトガル国籍を取得。

2003年3月には、ブラジル人フェリペ・スコラーリが監督をつとめるポルトガル代表に招集された。
他国籍選手に国籍取得させて、ポルトガル代表に迎えるのは、デコが4人め。
この手を使うのが初めてというわけではなかったが、地元メディア、フィーゴをはじめとするベテラン選手は反対の意思表示をした。
ただ決して、批判はデコに対してのものではなく、ポルトガルサッカー協会の手法に対してだった。

そして、代表初出場の親善試合、ホームでのブラジル戦。
デコが決勝ゴールをあげて、ポルトガルは37年ぶりにブラジルを破った。
ブラジル人監督と、ブラジル人デコによる、ポルトガルの進撃がここから始まった。

2008年5月現在、FIFA国別ランキング9位。
今でこそ、ポルトガルは強豪国の一つと思われているが、2002年にアジアで行われたワールドカップまでは、長い低迷が続いていた。

W杯出場は以外と少なく過去4回。1966,1986,2002,2006
2006は初めての2大会連続出場だった。
ブラジルコンビが代表入りしてからは、ユーロ2004で準優勝、W杯2006でベスト4 とまずまずの結果を残している。

今回のユーロ2008では、キャプテンはヌノ・ゴメス、副キャプテンはクリスチアーノ・ロナウド。
「外国人」のデコはキャプテンには選ばれない。

前回のユーロ2004で代表デビューしたロナウド。
W杯2006ドイツ大会で、一躍人気者になった。
この間終わった2007-08シーズンでは、所属クラブのマンチェスター・ユナイテッドでCL優勝。12月には初めて、巡業ではなく公式戦(CWC2008)で来日する。
今大会は「ロナウドの大会」になると、メディアは期待を寄せている。
だが、2006年W杯、リーガとCLの2冠を制して望んだロナウジーニョが不調だったように、疲れているロナウドに多くは望めない。ただ、ロナウドには疲れていても蹴ることができるフリーキックがある。

ユーロ2004では、ゴール前のフリーキックは、フィーゴとデコが蹴っていた。しかし、どれも上に吹かしてしまい、得点の期待は持てなかった。
2006W杯より、その場面はロナウドの独壇場となっている。

デコは「1年間たっぷりと休養が取れたお陰で、コンディションがいい」とメディアに語っている。ニュースで伝えられていたのは「故障による欠場」だったが、実際には、出たくても出してもらえなかったようだ。

カラダの切れがいい時のデコは、相手から徹底的にマークされる。派手さはないが、球を隠すようなドリブルは、相手のファウルを誘う。ミドルシュートも多用するので、相手は後ろからのファウルで止めざるを得ない。ゆえに、デコは圧倒的に被ファウル数が多い。

被ファウル王のデコがもらったFKを、ロナウドが蹴る。揺れて落ちる球をキャッチできるGKは希で、弾いた球にシマンが詰める。このパターンがポルトガルならではの得点源。
しかし、2006W杯準決勝フランス戦、先日の親善試合グルジア戦。いずれも詰め損なっていた。
ポルトガル勝利のポイントは、この「詰める男」である。

ポルトガルが入ったA組は、共催国のひとつスイスの組。
B組にはもうひとつの共催国、オーストリアが入った。
A組は決して楽ではないが、グループリーグを勝ち抜けた場合、準々決勝、準決勝で当たる可能性がある難敵はドイツ、ポーランド。
特に分が悪いイタリア、フランス、そして天敵ギリシアとは決勝まで当たらない。

準決勝までにポーランド、ドイツを破り、決勝の相手がオランダだった時、ポルトガルとブラジルコンビのユーロ初優勝が見えてくる。

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2008年6月 1日 (日)

FCバルセロナ 2008年3月

3月1日(土)
リーガ26節アトレティコ(away)●2-4
デコ、ヤヤはCLに備えて休養。マドリーとは5点差となっている。

3月4日
CL 2007-08ベスト16第二戦 セルティック(カンプノウ)○1-0
デコフル出場。何度かシュートを打ったが、ゴールは決まらなかった。

3月5日
レアル・マドリーがCLベスト16でローマに敗れた。
これでマドリーはリーガに専念できる。バルセロナはCLとリーガ、そして国王杯。依然として三冠の可能性を残しているが、後で考えてみれば、三兎を追わなければならないということになった。

3月9日
リーガ27節ビジャレアル(カンプノウ)●1-2
今シーズン、カンプノウでの敗戦はクラシコに次いで2度め。
マドリーとは 8点差に広がった(残り11戦)この3位チームからの敗戦が、CL本戦出場権(2位以内)を逃すきっかけとなった。
デコはウォーミングアップ中に右足のふくらはぎに痛みを覚え、出場しなかった。

3月16日
リーガ28節アルメリア(away)△2-2
後半47分サンチェスが出場。デコは出場していない。
メンバーを落とし、リーガは捨てたのかと思われる陣容で戦った。

3月17日
クラブがデコの離脱(右足ふくらはぎの故障)を発表。

 試合後、アンリがメディアにコメントしている。
「最初に僕がこのチームに来た時は、サムエル、ロニー、グディ、チャビ、プジー、皆僕を助けてくれたね」
 何の変哲もないコメント。デコとは何の関係もない。
 だが、このコメントこそが、デコとアンリの関係を象徴している。
 アンリが入団して以来、デコとアンリは互いについて語ったことがない。
 デコ out -アンリ in という交代場面でも、目を合わさず、にこりともせずハイタッチをするだけ。ハグはしない。

3月19日
国王杯準決勝第2戦 バレンシア(away)●2-3
これで国王杯敗退が決まった。
今シーズン、監督交代、主要3選手を干すなど、混乱がつづいたバレンシア。
この後、決勝戦に勝ち、国王杯を手にした。
結果的には、国王杯、CLとバルサを準決勝で破ったクラブがカップを手にした。
身びいきで言えば、バルサが準優勝とも言える。

3月23日
リーガ29節バジャドリード(カンプノウ)○4-1
86分ボージャンに替わり、ペドロ・ロドリゲスが出場。
レアル・マドリーがホームでバレンシアに敗れ4点差に縮まる。

3月26日
親善試合 ポルトガル1-2ギリシア
スコラーリ監督が就任して以来、ユーロ2004で2度、そしてこの試合と、ギリシアに3度めの敗戦。
デコは怪我のため、招集されていない。

代表戦では、不思議なほどに相性が結果に結びつく。
ポルトガルが、オランダ、イングランドに強いように、ギリシアはポルトガルに負けない。
ユーロ本戦では、ギリシアが相性の悪い国と当たり、敗退することを祈るしかない。

3月29日
リーガ30節ベティ(away)●2-3
ビジャレアルに抜かれて、3位に転落した。
だが、この時点ではまだ、バルセロニスタはリーガ、CL2冠の夢を捨ててはいない。



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2008年5月25日 (日)

デコ、マンUへ移籍

 2004年7月22日発売「ワールドサッカーダイジェスト 2004年8月5日号」には、デコがポルトからバルセロナへ移籍したニュースが載っている。

刊行形態:月二回第1・3木曜刊
版元:日本スポーツ企画出版社
価格:570円

記事名:ビッグクラブの理想と妥協のシナリオ BARCELONA
内容:入団発表時のラポルタ会長との2ショット写真を掲載。
「引く手あまたのファンタジスタの獲得に成功」とキャプションがつく。
 ただし、デコの影響力の大きさを予測した記述は皆無だった。

 前回移籍の年もユーロ開催年。
 移籍決定はユーロ終了後の7月だった。

 それに倣えば、今回もデコの移籍先が判明するのは、ユーロ終了後の7月となるだろう。
 チームが一丸となって戦っている時は、個人の話題を先行させない。それがデコの流儀。

 移籍先を予測しよう。
 最有力候補はマンチェスター・ユナイテッド
 理由は2つ
・CLに勝ち、12月にCWCで来日する。
・デコが望むプレミアのトップクラブである。

 デコはタイトルにこだわる男だ。
 代表ではまだ「W杯」「ユーロ」のタイトルを獲得していない。
 クラブチームでは「CWC」を獲得していない。
 特に、2006年12月、決勝まで進んで涙をのんだCWCには、強い執念があるはずだ。

 あとは、マンUが彼を必要とするかにかかる。
 デコは「自分を必要とするクラブ」であることにも、こだわる。
 CL決勝後、さっそくクリスチアーノ・ロナウドの移籍報道が出ている。ただし、ロナウドはメディアに残留を明言した。ロナウド、デコ、ナニのポルトガル・トリオが並ぶ2列めが、毎週見られるとなると、ポルトガル・ファンはこたえられない。もしも、ロナウドが移籍すれば、戦術面で、よりデコの必要性が高まる。

 デコ、現在の契約は、2005年6月16日に更新したもの。
 FCバルセロナと2009-10シーズン終了までの契約。残りは2年。
 2008年8月で31歳を迎える年齢からして、さほど高い移籍金にはならないだろう。

 第二の移籍候補はインテル
 理由は2つ
・デコが先日、移籍候補は「プレミアかイタリア」と語っている。
・ポルト在籍時の監督 ホセ・モウリーニョが、インテルの監督に
就任するとメディアが報じている。

 先日、雑誌インタビューで、ユーロ2008の展望を聞かれたモウリーニョは、デコについて「欲しがらない監督はいないMF」と語り、依然として高い評価を与えている。
 2003-04シーズン終了時、ポルトでCL優勝を果たし、チェルシーへ移籍したモウリーニョは、デコも連れて行くつもりだった。
 しかし、デコは憧れのクラブであるバルセロナとの交渉を求め、バルセロナが応じた。

 当時、バルセロナの監督フランク・ライカールトの第一声が「デコ?(獲得できるなんて)信じられない」だったのが、いかに急転直下のどんでん返しだったかを物語っていた。

 モウリーニョがインテル監督となれば、デコがこだわる「自分を必要とするクラブ」の条件を最大限に満たすことになる。

 ただし、インテル移籍の場合、いくつかの憂慮がある。
・これから、イタリア語を覚えるのが大変
・来シーズンにCLで優勝して、CWCに参戦できるのは2009年12月

 そして、攻撃的なプレミアリーグに憧れるデコが、守備的なセリエAのスタイルを望んでいるとは思えない。

 ということで、デコの移籍先はマンチェスター・ユナイテッドである。
 結論は7月に出るだろう。

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2008年5月18日 (日)

デコ移籍の第一報

シーズンをなぞってきたが、ここで臨時ニュースです。
というか、デコの移籍が確実となった。

クラシコ前の試合でデコは5枚めのイエローカードをもらい、次節であるクラシコに出場停止となった。
このことが、意図的にクラシコを避けたとしてファンの不興を買った。

リーガでは、リーガ優勝が決まった次節の試合、
優勝チームの入場時に、相手チームがビクトリーロードをつくるという風習がある。

レアル・マドリーが優勝を決めた翌節は、FCバルセロナとのクラシコ。
デコはこれを嫌ってわざと、出場停止になるよう、ファウルを犯したというのがファンの言い分。推察は自由だが、邪推に過ぎない。

37節カンプノウでのマジョルカ戦
先発したデコに対して、地元ファンはブーイングを浴びせた。

デコは会見で、そうした意図はなかった、あり得ないと否定した。
だが、そういう誤解を受けた状況は受け入れられないと言う。

もちろん、ファンに嫌われたから移籍するという、単純な話ではない。
デコに対するクラブ上層部の姿勢は、決して好ましいものではないのだろう。

日本の掲示板を見ていると「クラシコに出たくない選手は要らない」という書き込みがあった。
書き手はデコと直接話したのだろうか。
まさか、スペインの報道を鵜呑みにして、断定するなんてことはあり得ないだろうから、よほどデコに近い人なのだろう。
だが、デコ本人は会見で、それを認めていない。

FCバルセロナは、今後もリーガでは最も好きなクラブであり続ける。
それは、デコにとっても、デコファンにとっても同じ。それだけ、魅力的なフットボールをするからだ。

だが、デコファンは、次はデコが移籍したクラブのファンになる。
そのクラブの勝ちを応援し、そのクラブのユニフォームにデコをマーキングをして買う。

デコはプレミア(イギリス)か、セリエA(イタリア)で移籍先を探すという。
ぜひとも、日本ツアーを催行するクラブにして欲しい。
あるいはNHK・BSで放送されるプレミアのクラブにして欲しい。
CLで優勝してCWCで来日するクラブにして欲しい。

そして、欲を言えば、クラブ公用語が英語であるプレミアリーグにして欲しい。
フットボール選手は、クラブ帯同時、その国の言葉で話すことが義務づけられる。
母国語がポルトガル語(=ブラジル語)のデコは、バルセロナではスペイン語を話していた。
直接お土産を渡した時は 「グラシアス」と言っていた。

今から、イタリア語を覚えるのは、デコも デコファンも大変だ。

英語ならば、昔取った杵柄。
イタリア語の単語カードを作らなくて済む。

5月21日はCL決勝 共にプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドとチェルシーの戦いが控えている。

デコがクラブチームで獲得していない唯一のビッグタイトルは、2006年に逃したCWC。彼は絶対にこれをとりに来る。21日に決まるビッグイアーの行方は、そのままデコの行方を左右するだろう。

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2008年5月11日 (日)

FCバルセロナ 2008年2月

2月3日
リーガ22節オサスナ(カンプノウ)○1-0
デコは先発出場して、82分シャビと交代。

2月5日
スポルト(マドリー寄りスポーツ紙)が
「ユベントスがデコに関心を寄せている」と記載。
スポルトが何を書いても、バルセロナの選手にとっては痛くもかゆくもない。
それは巨人選手の悪口を中日スポーツが書くようなもの。
ただ、巨人選手について報知新聞が書いたら、確証が高いのと同様、バルセロナの選手にとっては、ムンドデポルティーボに書かれたら終わり。
前シーズンオフにつづき、今シーズンオフもムンドから目が離せそうにない。

2月9日
リーガ23節セビージャ(away)△1-1
ボージャンがスペイン代表に初招集されたため欠場。
ボージャンの欠場がニュースとしてとりあげられるようになった。
デコは怪我のため召集されていない。
マドリーとの勝ち点差は8点差に広がった。
セビージャのユニは白。バルセロナは1stユニフォームを着用。

2月16日
リーガ24節サラゴサ(away)○2-1
怪我で前節を欠場したデコがフル出場。
マドリーがawayで破れて、5点差に縮まった。
サラゴサのユニは白。バルセロナは2週続けてawayで1stユニフォームを着用。

2月20日 20:45 CET 日本時間 21日 4:45
CLベスト16第一戦 セルティック(away)○3-2
デコは先発出場 66分シャビと交代。
ベスト16第一戦8試合のうち、awayで勝ったのはバルセロナだけだった。

2月24日(日)
リーガ25節レバンテ(カンプノウ)○5-1
デコは休養のため招集されず。
マドリーがホームでヘタフェに破れた。
ロッベンのゴールがオフサイドと判定されたというのに、マドリーの選手は集まって喜んでいた。そこにヘタフェがカウンター攻撃で決勝ゴールを決めた。
2週間前に9点あった差は、一気に2点差。
しかも、マドリーは失態でのホーム敗戦。
バルセロニスタが、やはり風はカタルーニャに向けて吹いていると再確認する週末となった。

2月27日
国王杯準決勝第1戦 バレンシア(カンプノウ)△1-1
バルセロナは2月を終えて、依然として CL、リーガ、国王杯 主要3冠の可能性を残している。



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2008年5月 4日 (日)

バルセロナの2008年1月

2008年 1月 2日 サッカーは夏を除く3シーズンにやるスポーツ。
スペインにはクリスマス休暇はあるが、お正月休みはなく、1年は国王杯で明ける。
冬を外した3シーズンで戦う日本の天皇杯は、正月が決勝だが、スペインはまだベスト32
ベスト32 第2戦 アルコヤーノ(カンプノウ)△2-2
CWCの来日時、その陽気さで株を上げたサンティ・エスケーロが2ゴール。ベスト16進出を決めた。

1月6日
リーガ18節マジョルカ○2-0(away)
水色のセカンドユニフォームで海を渡ったバルセロナは、珍しくaway戦で勝利。
デコはまだ左足内転筋に軽い故障があり、出場していない。

1月9日
国王杯ベスト16第1戦セビージャ△1-1(away)
デコは招集されず。awayだが、バルセロナは1stユニフォームを着用。

1月12日
リーガ19節(折り返し最終戦)ムルシア(カンプノウ)○4-0
折り返しでリーガ1位にいることを「冬のチャンピオン」と言う。それ自体には何の権威もない。前シーズンは、冬のチャンピオンだったバルセロナ、今年は首位レアル・マドリーとは7点差の2位。シーズンを半分残した時点でのこの位置は悪くない。バルセロニスタには、まだチームへの信頼と心の余裕があった。

1月16日
国王杯ベスト16セビージャ第二戦(カンプノウ)△0-0
クラシコ以降、内転筋を故障してチームを離れていたデコが、およそ2カ月ぶりにこの試合から復帰。
68分からドスサントスに替わって出場した。
本拠地を渋いゲームで乗り切ったバルセロナは、国王杯ベスト8に駒を進めた。

■ベスト8の組合せ
バルセロナ-ビジャレアル
ラシン・サンタンデール-アスレティック・ビルバオ
ヘタフェ-マジョルカ
アトレティコ・マドリ-対バレンシア
リーガ首位を行くレアル・マドリーは既に姿を消している。

1月18日
カタルーニャ代表戦で負傷した二番手のGK ジョルケラの穴を埋めるため、セルタから今シーズン終了までの期限付きでGKホセ・マヌエル・ピントを獲得。
これがバルセロナにとって冬の移籍唯一の選手異動。

1月20日
リーガ20節ラシン(カンプノウ)○1-0
デコはフル出場。後半40分に警告を受けた。
FWはボージャン、グジョンセン、アンリが先発している。

1月23日
国王杯ベスト8第1戦ビジャレアル(away)△0-0

1月27日
リーガ21節アスレティック・ビルバオ(away)△1-1
水色のセカンドでバスクに乗り込んだバルセロナ。デコが先発してフル出場したが、勝ち点3はとれず。
マドリーはホームで、今シーズン上位につけているビジャレアルを破り、勝ち点をバルセロナと 9点差に広げた。(この時点での今シーズン最大差)

1月30日
国王杯ベスト8 第2戦ビジャレアル(カンプノウ)○1-0
2年連続のベスト4 進出を決めた。前シーズンはベスト4(準決勝)でヘタフェに敗れている。



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2008年4月27日 (日)

デコのクラシコ

2007年11月27日
CL5節リヨン(away)△2-2
水色のセカンドユニで敵地に乗り込んだバルセロナは、1試合を残してグループリーグ1位通過を決めた。
昨年はチェルシーに次いで2位通過したために、決勝トーナメントではいきなり難敵リバプールと当たることになった。
優勝候補とも言われたリヨンだったが、その不甲斐なさには拍子抜けした。
バルセロナもよそのことは言えないが、リヨンの不調により、この後のくじ運に恵まれることになった。
試合の終盤、
ライカールトがリヨンの悪質なファウルに抗議して、監督就任後初めての退席処分となる。

12月1日
リーガ14節エスパニョール(away)△1-1
同じバルセロナ市内のクラブ、モンジュイックの丘にあるオリンピックスタジアムを本拠地とするエスパニョールは、サッカーファンにもほとんど知られていない。
彼の地を訪れた時、ガイドブックでバルセロナ市には2つのリーガクラブがあるということを予習していたが、同行したサッカー通でエスパニョールを知っている人は皆無。
「ガセネタじゃないの?」とまで言われた。
ただし、バルセロナにとっては難敵。モンジュイックでの引き分けは上出来と言える。

12月9日
リーガ15節デポルティーボ(カンプノウ)○2-1
0-1から逆転勝利。エトーが先発出場で3か月ぶりに復帰。
そして、後半開始からデコが2か月ぶりに復帰した。後にも2か月を休むデコは、4か月も休んだことになる。

12月12日
CL6節シュツットガルト(カンプノウ)○3-1
5節リヨン戦でライカールトが退席処分となったため、ヨハン・ニースケンスが指揮を代行。

12月15日
リーガ16節バレンシア(away)○3-0
メッシが左足負傷。メッシはこのまま故障がちな選手で終わってしまうのではないか。
デコは後半20分ヤヤに替わって途中出場。後半45分に警告を受ける。

12月21日
CLベスト16組合せ抽選会
当たる可能性があるのはスペインのクラブを除く、グループリーグ2位のチーム。抽選の結果、相手はセルティック。
バルセロニスタはこの結果を、中村俊輔、そしてセルティックの営業担当者と共に大いに喜んだ。

12月23日(日)
リーガ17節はクラシコ(カンプノウ)●0-1
直接対決に敗れ、レアル・マドリーとの勝ち点差は 7。
後半13分、デコはクラシコ初出場となるドスサントスに替えられた。
後半37分にはシャビに替えて、ボージャンもクラシコ初出場。

デコがバルセロナに来て以来、デコが出場したクラシコはこれで2勝2分2敗。
カンプノウでは初黒星となった。

12月29日
親善試合 カタルーニャ代表 1-1 バスク代表(サン・マメス)
スペインは州自治政府のゆるやかな連合国家。
今も各州代表は、イングランドと同様、国ではなく地域代表としてのW杯参加権を求めている。
バルセロナからはボージャン、バルデス、ジョルケラ、プジョル、シャビ、クロサスの6人が招集された。ジョルケラが負傷退場、急遽、冬の移籍市場でGKピントを補強することになった。

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2008年4月20日 (日)

ベティスの歴史とエピソード

 セビージャ市には、セビージャのライバル「レアル・ベティ」があり、その対戦はアンダルシア・ダービーまたはセビージャ・ダービーと呼ばれている。

 REAL BETIS BALOMPIEReal Betis Balompie
 レアル ベティス バロンピエ

■本拠地スタジアム:マヌエル・ルイス・デ・ロペイラ Manuel Ruiz de Lopera
 (収容人員 52,500人 1929年落成)

■ホーム・ユニフォーム:白×緑 縦縞

■チーム愛称:ベティス(アンダルシア弁により s を発音しないため、ベティと聞こえる)日本ではベティスと表記される。

■レアル・ベティス・ファンの愛称:ベティコ

■チーム名の由来:古代のアンダルシア地方の名称 Betica(ベティカ)

■会長:Manuel Ruiz de Lopera(マヌエル ルイス デ ロペラ)
 ドン マヌエルと呼ばれる彼は幼き頃は苦労人。現在の実業家としての地位を一代で築き上げた。

●ベティコの合言葉
viva el lfp_betis manque pierda
(ビバ エル ベティス マンケ ピエルダ)
「例え負けても、ビバ エル ベティス」の意

 ただし、スペイン語で正しく言うと、
viva el lfp_betis aunque pierda
(ビバ エル ベティス アウンケ ピエルダ)
 アンダルシア弁では、アウンケがマンケという発音になる。

■レアル・ベティの歴史

1907年
設立

1934-35
リーガ優勝(この1回だけ)

1976-77
フランコの死後、総統杯から国王杯に再び改称されたコパデルレイで大会初優勝。

2000-01
ホアキン・サンチェス・ロドリゲス(国籍:スペイン 右MF)がカンテラから昇格。

2004-05
リーガシーズン4位 16勝14分8敗
6月、コパデルレイ2度目の優勝

2005-06
8月13日、スーパーカップでFCバルセロナと対戦
0-3(home)、2-1(away)、二戦通算成績でFCバルセロナが優勝。

9月13日、CL初出場。
グループリーグ1節ホームでリバプールと対戦。
11月1日、CLグループリーグ4節 ホームでチェルシーを1-0で破る。
このシーズン、ここまでプレミアリーグ、CL共に無敗だったチェルシーに初黒星をつけた。

2006-07
8月26日、バレンシア戦で開幕。
そのバレンシアへのホアキン移籍交渉が決着せず、オリベイラの移籍も未定のままシーズンが始まる。
6月、ルイス・フェルナンデス監督解任。
6月17日、最終節で辛うじて2部降格を逃れる。16位 勝ち点40 8勝16分14敗

 このセビージャの2大クラブについては「富裕層のセビージャ、庶民層のベティ」と書いているサッカー資料が多い。
 同じ州のリーガクラブ同士の対戦(ダービー)は数多いが、その中でもアンダルシア・ダービーは穏健とは対極にある対戦といえる。



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2008年4月13日 (日)

セビージャ新潟に来る

 セビージャは 2006-07シーズン開幕前のイベント
 UEFAスーパーカップ(モナコ モンテカルロ開催)でFCバルセロナを3-0で破り初優勝した。
 日本のスーパーカップは、子供から大人まで広く指示される人気のアイスだが、UEFAのスーパーカップは全然スーパーではない。

 あぶれ者同士の親善試合「UEFAカップ」と選ばれし勇者「UEFAチャンピオンズリーグ」の勝者を 1戦限りで戦わせ、それにスーパーカップを冠してしまうところが支離滅裂。
 プロ野球日本シリーズの勝者と、二軍のジュニア日本選手権の勝者を戦わせて「真の日本一決定戦」と冠しているのに等しい。

 もちろん、それを真に受けている欧州フットボールファンがいるわけがなく、皆さん、なんちゃって公式戦風のオープン戦と捉えている。

 バルセロナにとっては、クラブワールドカップを含むタイトル総なめを狙っていたシーズンの冒頭。
 この時点では痛くもかゆくもない敗戦だったが、結局、このシーズンに狙っていた、CWC、CL、リーガの3タイトルをいずれも逃してしまった。

 2006-07シーズンの5月16日、セビージャは2年連続であぶれ者同士の親善試合 UEFAカップの決勝に進む。
 結果は、2-2からのPK戦で、同じスペイン同士、バルセロナ市のエスパニョールを破り、二連覇。

 6月17日には、リーガ最終節をわずかに優勝の可能性を残して迎える。
 しかし、ホームでビジャレアルに敗れて3位。

 6月23日、スペイン国王杯決勝:セビージャ1-0ヘタフェ
 セビージャはこのシーズン、UEFAスーパーカップ、国王杯の2タイトルを獲得。

 シーズン前に日本遠征したリーガ・クラブは好成績を残すというジンクスがある。
 と、しらべるは主張する。
 セビージャは、2006-07シーズン前、日本遠征を行っていた。

 2006年8月4日、新潟でアルビレックス新潟と対戦し6-0で勝利。
 スペインからの飛行機にたまたま乗り合わせた、ベティコの友達は、堪能なスペイン語でたくさん話したらしいが、最後までベティスファンであることは隠したという。
 当時在籍していたサビオラは不参加。メディアの露出も無いに等しく、よほどのリーガファンでもない限り、来たことさえ知られていない。

■バルセロナのプレシーズン遠征とシーズンの成績
 2004-05 日本遠征 → リーガ優勝
 2005-06 日本遠征 → リーガ、CL優勝
 2006-07 米国遠征 → 無冠
 2007-08 日本遠征 → ??



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2008年4月 6日 (日)

セビージャとUEFAカップ

 アンダルシアの二大クラブを挙げるならばセビージャとレアル・ベティス
 両クラブ共に、アンダルシア州の州都セビージャ市に本拠を置いている。

 ここ数シーズンはUEFA杯や国王杯を制したセビージャの露出度が高い。

 SEVILLA FUTBOL CLUB
 セビージャ

■本拠地スタジアム:ラモン・サンチェス・ピスファン
 (45,500人収容)

■ホーム・ユニフォーム:白+赤の1本縦ライン

■セビージャの歴史
1905年設立

1939-40
スペイン内戦後再開した最初のスペイン国王杯(この時は総統杯)で優勝。

1945-46
リーガ優勝(この一度きり)

2004-05
設立100周年
リーガ成績6位 17勝9分12敗
セルヒオ・ラモスがインターネット投票のリーガ新人王に選出された。

2005-06
7月、バプティスタがレアル・マドリーへ移籍。
8月、FCバルセロナからサビオラ(愛称コネッホ=うさぎ)がレンタル移籍。
8月31日、セルヒオ・ラモス(スペイン代表)が"違約金が支払われたら契約を解除できるという契約"を盾にレアル・マドリーへ移籍。

移籍期限最終日にセルヒオ・ラモスをレアル・マドリーに獲られたことで、9月30日までリーガ所属選手に限り獲得を認められる。
イビカ・ドラグティノビッチ(セルビア・モンテネグロ代表)獲得。

5月10日、UEFAカップ初優勝
決勝:セビージャ4-0ミドルスブラ(プレミアリーグ)

 UEFAカップとは、UEFA CL(欧州チャンピオンズリーグ)に出場できなかった次点のチームが中心となっておこなうカップ戦。

 1971-72シーズンに第1回開催。
 決勝戦は UEFA CL と同様、中立地で1試合だけで行われる(1997-98より)

 出場資格は、以下のように決められる。
■国内リーグで UEFA CL 出場チームに次ぐ順位のチーム
■各国内カップ戦の優勝チーム
■国内リーグ優勝チームが自動的に UEFA CL の出場権を得られない国の優勝チーム。
■ UEFA CL のグループリーグで( UEFA CL の決勝リーグに進めなかった)3位の8チーム

 国別の UEFA CL 出場枠が UEFA CL 予選結果によって変動するので、それによって UEFAカップ出場枠も変動する。

 かつて、小野伸二がフェイエノールト(エールディビジ=オランダプロリーグ)所属時に優勝したのが、このUEFAカップ。

 UEFA CL をNPBのクライマックスシリーズ~日本シリーズに例えるならば、UEFAカップはセリーグとパリーグの4位チームに、クライマックスで負けたチームを混ぜて行う大会のようなもの。

 元々、競っているステータスがないので、ご都合主義と非難も受けない。
 「あぶれ者同士、親善試合で盛り上がりましょうよ。それで客が来たらクラブが儲かるし。選手もやらないよりはましだから」ということである。

 今シーズンはもうその可能性はないが、もしFCバルセロナがUEFAカップに出場するような事態になれば、デコは怪我をしないよう出場を辞退してもらいたい。



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2008年3月30日 (日)

アンダルシアといえば

 今週はひきつづき、アンダルシアについて。

人口:7,403,968 人

州都:セビージャ
 当時のイスラム王 Abu Ya Qub Yusuf が当時イスビリヤと呼ばれていた現在のセビージャを州都にしたと伝えられている。

気候:冬は温暖だが、夏は焼けるように暑い。
 2003年の夏には、最高気温56度を記録した。

公用語 Castellano(カステジャーノ)
 ただし、実際に話されているのはAndaluz(アンダルス)と呼ばれるアンダルシア弁。

祝日:2月28日 el dia de Andalucia アンダルシアの日
 ただし、特に特別な行事はない。

 アンダルシアと言えば・・

オペラ劇「カルメン」
 1845年にフランスの作家プロスペル メリメが発表した小説。
 1873-1874年にジョルジョ ビゼーによりオペラ化。
 セビージャのタバコ工場を舞台に、そこで働くジプシー女性カルメンに恋をした兵士ドン ホセが最終的には嫉妬に狂い、闘牛士に恋をした彼女を刺し殺すという物語。
 舞台になったタバコ工場は現在セビージャ大学の本部、文学部、法学部の校舎として使われている。

フェリア
 アンダルシア各地で時期をずらして行われるお祭り。その中でもセビージャのフェリアが最も有名。
 セビージャのフェリアは一週間続き、会場にはカセタと呼ばれるテント郡が立ち並ぶ。殆どが、個人や企業の持ち物で入場規制をしている為、招待状や知合いのツテが無いと入れない。観光客は数少ない公共のカセタに行くか、遠目にカセタの群れを眺めるしかない。このカセタの中で飲んで、食べて、踊って、楽しむセビージャ人にとっては欠かせない祭りだが、観光客からは排他的な祭りと否定的な意見も上がっている。

セマナサンタ(聖週間)
 日本で聖週間と呼ばれるカトリック信者には欠かせない1週間の宗教行事。毎年春先に行われ、各教会ごとに、イエスキリスト、聖母の像を担ぎ街を練り歩く。イエスキリストの受難を分かち合う為、裸足で像を担ぐ信者や、聖母像に涙する信者も少なくない。

ひまわり畑
 5月後半から6月にかけてひまわりで満開となるアンダルシア。その後は刈り取られ、油やピパ(ひまわりの種に塩をまぶしたもの。ビールのお供やサッカー観戦には欠かかせない一品)となる。 ひまわり畑に感動する日本人観光客にスペイン人は“なぜに日本人はひまわりがこうも好きなのか?”と疑問を持っている。

ハモン(生ハム)
 ウエルバのハブーゴ村のハモンが有名。
 レコンキスタ時代、キリスト教勢力は豚肉を食さないイスラム教徒に対して、ハモンを食べさせ服従を迫ったと言う説がある。
 (日本で言う、隠れキリシタンに対して行われた踏み絵と同様)

グアダルキビル川
 俳優の故天本英世氏は愛するアンダルシアのグアダルキビル川に自分の骨を撒いて欲しいと言い残しこの世を去った。
 グアダルキビル川とはアルメリア、コルドバ、セビージャ、カディス、ウエルバを通り、657キロメートルの長さを持つ川。セビージャを流れるグアダルキビル川はカヌーの練習場として有名だが水質はかなり悪い。グアダルキビル(guadalquivir)の語源は、アラビア語のal-wadi al-kabir(大河)から来ている。

アランブラの想い出
 日本ではアルハンブラとなるがスペイン語でHを発音しない為アランブラが正しい発音。1896年、フランシスコ タレラが作曲。彼が訪れた時のアランブラ宮殿のイメージを曲に綴っている。

コロンブスが大航海の旅に出たのは、アンダルシアの港町カディス市の港。

「アンダルシアに憧れて」は真島昌利が1989年にヒットさせた歌。アンダルシア州の観光都市グラナダが歌詞に出てくるが、風光明媚なアンダルシアの風景を賛美した歌と言うわけではない。

CANAL SUR(カナル スル)
 アンダルシアの地方テレビ局
 スポーツコーナーではアンダルシアのチームを成績上位順から紹介し、各チームのサッカーファンに対して波風立てないよう、言動などもかなり気を使っている。
 スペインでは、日本のアニメが大人気で、クレヨンしんちゃん、ドラえもん、バカボンやキテレツ君などが放送される。
 なかでも、ドラえもんは週に何度も放送されるほどである。
 アンダルシアを訪ねるならば、ドラえもんグッズを持って行くとよいだろう。


 そして最後に、フットボールについて
 リーガ2005-06シーズン、プリメーラ・ディビシオン(1部リーグ)には、アンダルシアの4チームが在籍していた。
 Real Betis Balompie
 Sevilla Futbol club
 Cadiz club de futbol
 Malaga club de futbol

 このうち、カディスとマラガは2006-07シーズンから降格して、現在はセグンダ・ディビシオン(2部)に在籍している。



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2008年3月23日 (日)

アンダルシアの語源

 ユーロ出場を決めた時、ポルトガルにデコはいなかった。
 10月から故障しているためだ。
 当然、FCバルセロナもデコ抜きで戦っている。

11月24日
リーガ13節レクレアティーボ(カンプノウ)○3-0

 レクレアティーボは、1898年に英国人が設立したスペイン最古のフットボールクラブ。
 REAL CLUB RECREATIVO DE HUELVA
 日本の文献では「レクレアティーボ」「ウエルバ」と表記が分かれる。
 LFPのウェブサイトでは Recreativo と表記されている。
 本拠地スタジアム:ヌエボ・コロンビーノ(収容人員20,200人)
 ホームユニフォーム:白×紺 縦縞
 2006-07シーズンからプリメーラ・ディビシオン(日本のメディアは「一部リーグ」と表記している)に昇格して今シーズンは2シーズンめ。

 アンダルシア州 ウエルバに本拠を置く。
 プリメーラで戦うアンダルシアのチームはセビージャ、レアル・ベティ、レクレアティーボの3つになった。

 Comunidad Autonoma de Andalucia
 アンダルシアといえば「アンダルシアに憧れて」で「グラナダの歌が聞こえた」と歌われているスペイン南部の州。
 セビージャ、マラガ、グラナダ、コルドバ、カディス、ウエルバ、アルメリア、ハエンの8つの県から構成される。海岸線が美しい風光明媚な観光地が多い。

 アンダルシアという名称の由来については様々な説がある。
 アンダルシア州在住のデコファンクラブ・メンバーに5説を挙げてもらった。

【 説1 】
Al-Andalus (アル アンダルス)と呼ばれていた当時のアンダルシアは多くの下級階層のゲルマン人達が到着して居ついた。土地の無い彼等が居ついた土地と言う意味。
■アル アンダルスはゲルマン語“Landolose”(土地なし)から派生した言葉。

【 説2 】
Betica(古代のアンダルシアの名称)を支配した西ゴード人達が現在のアンダルシアの土地をくじ引きで分け合った。
■アンダルシアはゲルマン語Landohlauts{Lando(土地)hlauts(くじ)}から派生した言葉。

【 説3 】
アンダルシアはバンダル族(西ゴード人によりイベリア半島を追い出されアフリカに渡った)の国と言う意味。

【 説4 】
アンダルシアはアラビア文学やポエムの中で使われていた“パラダイス”と言う意味。

【 説5 】
アンダルシアは広大な耕地の意味。
現在のバスク語の元であるビヤスカ語“Landa-luziak"から派生した言葉。landaは平らな土地、luziakは広範囲の意味。

 上記のように諸説があるが、公に認知された定義はない。
 アンダルシアの意味は・・と紹介している文献があるとすれば、それは諸説の一つを紹介しているに過ぎない。

 アンダルシア地方の小学校では「アフリカ大陸から渡って来たイスラム教徒達がアンダルシアに着いた時、まるでパラダイスのようであったことから、Al-Andalus (アラビア語でパラダイス)と呼ばれ始めた」と教えているところが多い。



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2008年3月16日 (日)

ユーロ2008まであと80日

 ユーロ2008まで80日あまりとなっている。
 ポルトガルはアンドラーデの欠場が濃厚であるとUEFA EURO のウェブサイトが伝えている。
 ポルトガルは多士済々のサッカー王国。そんなの関係ない。

 ただし、デコ、C・ロナウドいずれか1枚が欠けるようなことがあれば、つまらないチームになってしまう。
 くわえて、マニシェ、ミゲルのいずれかが欠けるようなことがあれば、戦力的に苦しい。
 この4枚がそろい、フィーゴが復帰するようなことがなく、スコラーリ監督が体をこわさずにベンチに座っていれば、6月はバラ色の毎日が訪れそうだ。

■グループリーグ

6月7日 20:45(日本時間 8日 3:45)
ポルトガル対トルコ 開催地:ジュネーブ

6月11日 18:00(日本時間 12日 1:00)
チェコ対ポルトガル 開催地:ジュネーブ

6月15日 20:45(日本時間 16日 3:45)
スイス対ポルトガル 開催地:バーゼル

■決勝トーナメント

ポルトガルは、グループA1位ならばマッチ25、グループA2位ならばマッチ26へ進む

6月19日 20:45(日本時間 20日 3:45)
マッチ25 準々決勝 グループA1位 対 グループB2位 開催地:バーゼル

6月20日 20:45(日本時間 21日 3:45)
マッチ26 準々決勝 グループB1位 対 グループA2位 開催地:ウィーン

6月25日 20:45(日本時間 26日 3:45)
準決勝 マッチ25勝者 対 マッチ26勝者 開催地:バーゼル

6月29日 20:45(日本時間 30日 3:45)
決勝 開催地:ウィーン

 決勝まで戦った場合、全6試合。
 デコは 2006W杯では怪我、温存、出場停止で3試合を欠場したが、今度は全部出てほしい。

 前回のユーロ2004同様、全試合をWOWWOWが生中継する。
 そして同じく前回同様、9試合を地上波TBSが放送する。

 ポルトガルの全試合を観たければWOWWOW、いくつかの試合を諦めるならばTBS。
 ポルトガル・ファンにとって、この選択は悩ましい。





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2008年3月 9日 (日)

ポルトガルと1stユニフォーム

 ユーロ2004、ポルトガルは16チームによるグループリーグを勝ち上がり、ベスト8へ駒を進めている。

6月24日 ベスト8
ポルトガル2(PK6-5)2イングランド
MFは左からロナウド、デコ、フィーゴ
27分ルーニーが負傷退場
1点ビハインドのポルトガルは攻撃選手を増やし、デコを右サイドバックに下げる布陣で83分同点に追いつく。
85分、デコが警告を受ける。
延長で1点ずつを取り合いPK戦へ。
デコ
○ シモン
× ルイ・コスタ
クリスチアーノ・ロナウド
○ マニシェ
○ ポスチガ
○ リカルド(GK)
 デコが代表公式戦のPK戦で蹴ったのはこの一度きり。リカルドは1本めにベッカムのPKを止め、最後は自らが蹴って勝利を決めた。


6月30日 ベスト4
ポルトガル2-1オランダ
MFは左からロナウド、デコ、フィーゴ
26分デコのコーナーキックをロナウドがヘッドで合わせ先制
58分ショートコーナーからマニシェが2点め。


 ユーロ2004から2年後のW杯2006、ポルトガルはベスト16でオランダと対戦。イエローカード16枚が出た乱戦を制する。ベスト8ではイングランドと対戦。0-0からのPK戦、リカルドのセーブで勝ち上がった。
 ユーロ2008、オランダは出場するが、予選敗退のためイングランドは出場しない。


7月3日
ルイ・コスタが代表からの引退を公表。


7月4日 決勝
ポルトガル0-1ギリシア
MFは左からロナウド、デコ、フィーゴ
57分ギリシアが先制。デコにマークを二人つけるという相手の長所を消すことに徹したギリシアのリアクション・サッカーが、スペクタクルな攻撃サッカーを封じた。

 ポルトガルは全試合で赤の 1stユニフォームを着用した。
 2年後のW杯2006でも、ポルトガルは全試合でワインレッドの 1stユニフォームを着用している。
 ユーロ2004準優勝、W杯2006ベスト4、好成績とはいえ、あと一歩何かが足りないポルトガル。ユーロ2008では意外と 2ndユニフォームに幸運が潜んでいるかも知れない。





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2008年3月 2日 (日)

クリスチアーノ・ロナウド

 ユーロ2004で世界の檜舞台に初めて立ったクリスチアーノ・ロナウド Cristiano Ronaldo は、サイドからドリブルで切り込む典型的ウィング。
 ドリブルの楽しさを魅せる世界最高のファンタジスタだ。

1985年2月5日、ポルトガル マデイラ島生まれ。ポルトガル語(=ブラジル語)ではロナウドの発音は「ホナウド」
1996年、11歳でポルトガル・スーペルリーガの3大クラブの一つスポルティング・リスボンと契約。

2002-03
スーペルリーガ リスボンに昇格 25試合出場3得点
U17欧州選手権出場(ポルトガル代表
オフにプレミアリーグ マンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)に移籍(移籍金23億円)
入れ違いでレアル・マドリーへ移籍したベッカムの7番を引き継いだ。

2003-04
8月20日、親善試合カザフスタン戦 ポルトガルA代表デビュー
マンU1年目29試合4得点 右MFの定位置確保
6月、ユーロ2004ポルトガル代表 背番号17
8月、アテネ五輪出場 グループリーグで敗退。

2004-05
11月発売「サッカーダイジェスト2004ファンタジスタ50」で50人中21番目で紹介される。
6月、レアル・マドリーが獲得交渉、デコが移籍を見合わすようアドバイスしたとマルカ(マドリー寄りスポーツ紙)が報じた。
7月、マンUのアジアツアーで来日。

2005-06
XEROXコピー機のCMに出演。
9月7日、父の訃報を聞いた後、W杯欧州予選 ポルトガル対ロシア戦出場。
10月19日、暴行容疑で逮捕されるが、容疑は晴れてすぐ保釈された。
6月11日、W杯ポルトガル代表 アンゴラ戦でW杯初出場。
6月17日、イラン戦 フィーゴが得たPKを決めW杯ゴール。
7月1日、イングランド戦、PK戦5人めのキッカーとしてゴール成功、勝利を決める。この試合でルーニーが金球を踏みつけたことをアピールして退場に追い込んだことで、英国メディアから非難を受ける。
W杯後、レアル・マドリーへの移籍を検討するが翻意して残留。

2006-07
プレミアリーグ・プロ選手協会の年間優秀選手、若手最優秀選手、ベストイレブンに選出される。マンUがプレミアリーグ優勝。
7月、マンUのアジアツアーで来日。

2007-08
バロンドール選考ではカカに次ぐ次点となった。

 このシーズンで国内リーグ(プレミア)、CL、ユーロ2008のうち2つを獲れば、ホナウドのバロンドールは動かない。
 デコがバロンドールを獲るには国内(リーガ)、CL、ユーロ2008のトリプルが必要だ。

 デコにとって最後のユーロを、キャリアの頂上を迎えているホナウドと共に戦うのは心強い。
 一方、敵と味方に分かれて戦う唯一の機会、CLでの対戦も見たい。

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2008年2月24日 (日)

ユーロ2004グループリーグ突破

2004年5月18日
 スコラーリ監督が 23人のメンバーを発表。
 規律違反に問われ、2003年9月からチームを追放されていたマニシェが代表に復帰した。
 マニシェはロッカールームでのやりとりをメディアに喋ったことを咎められていた。

5月23日
リーガ2003-04最終節 この後レアル・マドリーのフィーゴがシーズンを終えてチームに合流。

5月26日
FCポルトUEFA CL決勝に出場して優勝。
 この後デコ、マニシェ、リカルド・カルバーリョがチームに合流。

5月30日
フランスカップ決勝にパリ・サンジェルマンのパウレタが出場。この後チームに合流。

 こうして、各クラブでの戦いを終えたレギュラー・メンバーが合宿所に揃った時、既に本戦2週間前を切っていた。

6月12日 開幕戦 A組1節
ポルトガル1-2ギリシア
 後半開始からデコクリスチアーノ・ロナウドユーロ初出場

 ルイス・フェリペ・スコラーリ監督は試合後の会見で「家の窓に国旗を飾って、これまで以上にチームをサポートして欲しい」と呼びかけた。
 翌日ポルトガルの国中の家の窓に国旗が飾られた。

 監督がチームの士気を高めることに努める一方、ベテラン二人はその反対の行動に出る。
 フィーゴ、ルイ・コスタがまたもデコの国籍取得について不快感をメディアに語る。
 しかし、お子ちゃまフィーゴとは違い、賢明で大人のデコは沈黙を守り、内紛には至らなかった。

6月16日 A組2節
ロシア0-2ポルトガル
 MF中央の先発は 10番ルイ・コスタではなく 20番デコ。
 左からシモン、デコ、フィーゴと並んだ。78分フィーゴに替えてロナウドが出場。
 DFはギリシア戦に先発したキャプテンのフェルナンド・コウト、パウロ・フェレイラ、ルイ・ジョルジュをベンチに下げ、ミゲル、ヌーノ・バレンテ、リカルド・カルバーリョを先発させた。
 7分、デコのパスをマニシェが決めて先制。マニシェはマンオブザマッチに選ばれた。

6月20日 A組3節
ポルトガル1-0スペイン
 決勝トーナメントへ勝ち進むには、難敵スペインを相手に勝ち点3が必要な状況で試合開始。
 先発MFは初めてロナウド、デコ、フィーゴが並んだ。
 後半からFWパウレタに替えてヌーノ・ゴメスが出場。
 57分フィーゴのパスをゴメスが決めて決勝点。
 ギリシアに次いでA組2位となり、決勝トーナメントへの進出を決めた。
 スペインはグループリーグでの敗退となった。

ユーロ2008全試合ハイビジョン生中継 WOWWOW公式サイト

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2008年2月17日 (日)

地獄から天国 薄氷を踏むユーロ2008出場

 ユーロ2008最終予選も残すところあと2戦。

 11月17日
 ポルトガルはホームにアルメニアを迎える。デコは怪我のため欠場している。
 1-0 で辛勝。順当で貴重な勝ち点3を確保した。

 11月21日
 ユーロ予選は、いよいよ最終戦。
 残り1枠を争っている3位フィンランドとホームで直接対決。
 ポルトガルは引き分け以上で出場権を得ることができる。

 この大事な試合に、スコラーリ監督はいない(10月13日以降、ベンチ入り禁止処分を受けている)
 ピッチの監督デコもいない。
 結果は0-0の引き分け。
 これ以上ないという薄氷を踏む思いの出場権獲得となった。

 出ると出ないとでは天国と地獄。
 特に2008年に31歳を迎えるデコのように、年齢的にここが最後のチャンスとなる場合、絶望の淵は深い。
 12月2日に行われた組合せ抽選会では、ポルトガルはグループA(スイス チェコ ポルトガル トルコ)に入った。
 各組の2位までが勝ち抜けとなる。
 ちょっと前まで絶望の淵にいたポルトガルは一転して、天国にたどり着いた。

 ユーロ2008の模様はWOWWOWが放送する予定。
 2008年6月7日の開幕戦から、6月29日の決勝戦まで、全31試合を生中継・ハイビジョン放送。
 ユーロ2004の時は、地上波TBSも9試合を中継しているが、現時点では地上波が放送するかはわからない。とりあえず、ユーロに向けてWOWWOWに入る準備が必要だろう。

 ユーロ2004、ポルトガルは自国開催のため、ホスト枠で予選を戦わず出場した。
 監督はルイス・フェリペ・スコラーリ。2002年W杯にブラジル監督として優勝。その後、ポルトガル代表監督となって2年が過ぎていた。

 スコラーリの誘いでブラジル代表歴のなかったブラジルFCポルトデコポルトガル代表入りして出場した。
 そして、クリスチアーノ・ロナウドも2004でユーロにデビューした。

 1985年2月5日生まれのロナウドとデコは 7年6か月歳が離れているが、ユーロそしてポルトガル代表デビューは同期なのである。

ユーロ2008を全戦放送する WOWOW公式サイト

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2008年2月10日 (日)

怪我勝ちなデコとアウェイで勝てない病

 10月20日
 リーガ8節ビジャレアル戦(away)●1-3

 ボージャンがクラブ史上の最年少ゴールを記録。
 デコは71分、左足を傷め途中交代。全治5週間の診断と発表された。

 2006年ワールドカップの疲れを残して以来、デコはすっかり「故障がちな選手」になってしまった。
 後からそのシーズンを回想した時に、何度怪我したか、いつからいつまで休んだかを思い出せなくなっている。

 10月23日
CLグループリーグ3節レンジャーズ戦(away)△0-0
 デコのポジションには本来FWのグジョンセンが入った。
 2005-06は一度も着用せず、2006-07はシーズン終盤のCLリバプール第2戦で初めて来た3rdユニフォームを今シーズンは早くも着用。
 オレンジユニの在庫が残っているのだろうか。

 10月28日
 リーガ9節アルメリア(カンプノウ)○2-0

 11月1日
 リーガ10節バジャドリード(away)△1-1

 11月4日
 リーガ11節レアル・ベティス(カンプノウ)○3-0
 MFはシャビイニエスタ、ヤヤが並ぶ。

 11月7日
 CL4節レンジャーズ(カンプノウ)○2-0

 11月8日
 FIFPro(国際プロフットボール選手協会)が選出する2006-07シーズンの世界ベスト11。デコは候補に入っていたが、選出からは漏れた。

 11月10日
 リーガ12節ヘタフェ(away)●0-2
 3rdオレンジユニを着用。
 11月13日
 国王杯ベスト32第1戦 アルコヤーノ(away)○3-0
 3rdオレンジユニを着用。

 これでもかというほどオレンジユニを着続けるバルサは、リーガにおいて「アウェイで勝てない病」に陥っていた。
 それでもさほど悪い戦績ではないのだが、前シーズンより、スペクタクルなスペインのチームを脱して、結果だけにこだわる統制されたチームに生まれ変わった首都のライバルチームが手堅く勝ち点を拾うため、バルサの面々はいつも浮かない顔をして、メディアの会見に臨まなければならないのだった。

 そして、2008年デコ最後のユーロ出場がかかる、国際Aマッチデーがやってきた。





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2008年2月 3日 (日)

選手獲得と移籍市場

 プロ野球では、NPBからMLBに無尽蔵に選手が流れていく。
 これは、MLB側に国籍の制限がないためだ。

 海外移籍に歯止めをかけようというつもりなのか、NPBは2008年シーズンオフから、国内移籍7年、海外移籍9年というようなFAの段階的取得を導入する見通し。

 【 例1 】サトウ選手
 ドラフト会議では選択権がないため「12球団OKです!」と明るく振る舞って、某不人気球団にはいる。
 7年でFAを取得すると、すかさずメディア露出度が高い球団に移籍する。  4年後に、隠していたMLBへの憧れが押さえきれなくなったとMLBカミングアウトして、MLBへ移籍する。
 【 例2 】スズキ選手
 ドラフト会議では選択権がないため「将来はメジャーが夢です」と言いつつ、某球団にはいる。
 9年でFAを使い、MLBに移籍する。

 日本に引き留める年数が、9年か11年かの違い。
 姑息さは否めない。

 野球とサッカーでは、プロ管理団体の基本姿勢が違う。
 野球はタイトル(優勝)と絡まなければ客は来ないと考え、
 サッカーは勝てない時も客を呼ぶには、どうすればよいかを考える。

 限られた球団数という保護された経営環境の野球
 一部、二部、三部・・と弱肉強食環境のサッカー
 ここに、選手獲得と移籍市場の根本的な質の違いがある。


 NPB選手はMLBから引く手あまただが、Jリーグ選手は欧州からの引き合いが少ない。
 欧州サッカーでは日本国籍は非EU圏国籍。
 欧州クラブは、商業的な理由だけで日本国籍選手を獲得するわけにはいかない。
 非EU圏枠に潜り込むには、欧州選手と同等ではなく、欧州選手以上のレベルが求められる。

 現実的には、欧州レベル以上の技量を乞われているのは、中村と松井の二人。
 あとの "欧州組" は高年俸の南米選手を獲得できない中小クラブが、欧州レベル並の技量、手頃な値段、商業効果を秤にかけて獲得しているといえる。

 非EU圏という括りができたきっかけは「ボスマン裁定」にある。
 書籍、雑誌によっては「ボスマン判決」と表記されることもある。

 ボスマン判決は、フットボール選手にとってEU圏内の移籍が自由化される後ろ盾となった判決。

 1990年、ベルギーリーグ RFCリエージュ所属のジャンマルク・ボスマンが自由移籍を求めて訴訟を起こす。
 1995年12月、EU司法裁判所は次の決定をした。
クラブは保有権(パス)を盾に移籍金を請求することはできない。
EU圏のクラブはEU圏選手については国籍による選手枠の制限を設けてはいけない。

 この判決により、
 EU圏の国内リーグでは、外国人枠が撤廃され、クラブは国籍が違うEU圏の選手を何人抱えてもよくなった。
 選手は契約期間が終了した後、EU圏のどのクラブとも自由に交渉できる。
 ただし、アジア、南米、アフリカなど非EU圏の選手については制限枠がある。
(試合の登録・出場3人まで)。

 デコを例に取ると、デコはFCバルセロナと2009-10シーズン終了までの契約を結んでいる。
 契約が満了した2010年6月までにクラブが契約延長を求めず、デコが他クラブに移籍した場合、FCバルセロナは移籍金を請求することはできない。

 もし、FCバルセロナ側に契約延長の意志がなく、幾ばくかの移籍金を手にしたいと考えるならば、契約満了以前、たとえば2008-09シーズン終了時(2009年6月)に、他クラブと移籍交渉をまとめる必要がある。

 デコの移籍金(=契約解除違約金)はおよそ100億円に設定されている。
 しかし、この設定金額が満額支払われることは希で、大概は2つのクラブ間の話し合いで金額は決められる。

 移籍先クラブ「20億円でどう?」
 移籍元クラブ「25億円ならいいよ」

 といった、駆け引きが行われるのである。
 選手によっては、契約期間途中での移籍の拒否権を契約に盛り込んでいる。
 ただ現実的には、自分を売ろうと思ったクラブに居続けるよりは、乞われて新天地を求めたほうが健全と考え、移籍を承諾するケースが多い。

 RFEFは「プリメーラ・ディビシオン(リーガ一部)では、スペイン国籍選手を最低限*人以上出場させる」というルール改正を検討しており、今後、スペイン国籍取得者が増えるだろう。

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2008年1月27日 (日)

非EU圏選手枠

 9月22日
 リーガ4節セビージャ(カンプノウ)○2-1
 デコはフル出場し、86分に今期3枚めとなるイエローカードを受ける。

 9月26日
 リーガ5節サラゴサ(カンプノウ)○4-1
 デコは先発出場したが、73分にドスサントスと交代した。
 デコ、イニエスタ、シャビに次ぐMF4番手の地位をドスサントスが固めつつある。

 9月29日
 リーガ6節レバンテ(away)○4-1
 デコフル出場し、4点めとなるメッシのゴールをアシストする。
 故障していたカルレス・プジョルが後半から今期初出場。一方、このゲームでヤヤ・トゥーレ負傷した。

 10月2日
 CLグループリーグ2節シュツットガルト(away)○2-0
 今期通算3度め、CL初のセカンド水色ユニ着用も、勝利を納める。不運のオレンジ伝説の二の舞は踏まなかった。

 10月7日
 リーガ7節アトレティコ・マドリーカンプノウ)○3-0
 デコフル出場。そして16分に先制ゴール。今期公式戦の初ゴールであり、本当に久しぶりのデコゴール。61分には4枚めのイエローカードを受けた。

 10月17日
 エトーがスペイン市民権を獲得。
 今期に入ってロナウジーニョ、ドスサントス、エトーが立て続けに二重国籍を獲得したことで、この時点で非EU枠を使うのはヤヤ・トゥーレ1人だけとなった。


 非EU圏枠とは、EU以外の国籍を持つ選手の登録枠。

 「二重国籍」とは、外国から来た選手が、その土地の市民権を取得した状態を言う。

 出身国籍でA代表経験がある場合、引き続き出身国の代表として出場できるが、新たに市民権を得た国の代表には入れない。代表経験がなかった場合は、召集された場合に、本人が選択することになる。

 デコはブラジル出身で、ポルトガル国籍を取得し、ポルトガル代表として出場している。
 ブラジルは非EU圏だが、ポルトガルはEU圏なので、非EU圏枠は使わなくて済む。

 二重国籍となり新たに市民権を得た場合、その国のプロサッカーリーグに国内選手として登録できる。
 リーガには、非EU圏選手は出場3人、登録4人までというルールがある。
 それまで非EU圏枠を使っていた選手がある日、市民権を得て非EU圏枠の制限から外れることで、クラブは新たな非EU圏選手を獲得できるというメリットがある。

 選手本人にもいくつかのメリットがある。
 ひとつは、出場登録される確率が上がり、出場機会増につながる。
 もうひとつは、クラブから見て触手を伸ばしやすい選手ということになり、移籍市場での価値が上がるというものだ。

 ロナウジーニョはブラジルとスペインの二重国籍。代表はブラジル、リーガではスペイン国内選手。
 リオネル・メッシはアルゼンチンとスペインの二重国籍。代表はアルゼンチン、リーガではスペイン国内選手。
 サミュエル・エトーはカメルーンとスペインの二重国籍。代表はカメルーン、リーガではスペイン国内選手となる。

 バルセロナの主力フォワードがそうであるように、欧州サッカーでは、非EU圏国籍選手の戦力比重が大きい。



WOWOW公式サイト
WOWWOWでリーガ2007-08ユーロ2008 を見ることができる。

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2008年1月20日 (日)

奇妙なシーズンの気配

 9月5日
 カタルーニャ杯準決勝 ジローナ○3-2
 後半の45分間、16歳のイスラエル人 FWガイ・アスリンがトップチームの試合に初出場した。いずれ、この事実は何度もスポーツ記事に書かれることだろう。

 9月9日
 国際Aマッチデー ユーロ予選
 ポルトガルはホームに、グループ首位のポーランドを迎える。
 デコはフル出場。
 アウェイではポーランドに敗れている。
 グループ1位通過のためには勝って勝ち点3が必要だったが、2-2の引き分けにとどまった。

 9月11日
 カタルーニャ杯決勝 ヒムナスティック・タラゴナ●1-2

 カタルーニャ杯はスペインカタルーニャ地方に属するサッカークラブのナンバー1を決めるカップ戦

 2002-03、2003-04、2004-05は3年連続でFCバルセロナが優勝。

 2005-06は、2006-07シーズンにはいった9月5日に行われ、エスパニョールがバルセロナに1-0で勝ち優勝。

 2006-07は、6月開催。バルセロナがエスパニョールを破り優勝。1シーズンに2度決勝が行われた。

 そして今回 2007-08シーズンは9月開催。ヒムナスティックが2-1でバルセロナを破り優勝した。


 9月12日
 国際Aマッチデー ユーロ予選
 ポルトガルは2週つづけてホームで戦う。
 オシム監督の母国セルビアモンテネグロと1-1。
 デコはスタメン出場して、77分に交代。
 ホーム2連戦で勝ち点6を得て、首位に立つという目論見は大きく外れた。
 現時点ではグループ2位だが、3位ではユーロ本戦に出場できない。
 まさか、デコ最後のユーロが予選敗退・・ファンに悪夢の予感がよぎる。

 9月16日
 リーガ3節オサスナ(away)△0-0
 水色セカンドユニフォームのお披露目となったこの試合。開幕戦につづいてアウェイ2戦連続引き分けに終わる。
 デコはフル出場、31分に警告を受けた。
 ドスサントスとアンリがリーガ先発で出場した。

 9月19日
 CLグループリーグ1節リヨン(カンプノウ)○3-0
 デコフル出場
 88分ドスサントスCL初出場
 89分ボージャンCL初出場(史上最年少)

 強豪インテルを相手に5-0で圧勝したガンペール杯
 格下相手に落としたカタルーニャ杯
 勝ちを拾えないリーガ、アウェイ戦

 そして、もっとも難敵と思われたリヨン相手の快勝。
 まるで2つの別のチームが戦っているよう。
 バルサの2007-08 はつかみ所のない、奇妙なシーズンになりそうな気配がしてきた。

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2008年1月13日 (日)

2つの栄冠

 ユーロはW杯から遅れること30年、W杯スウェーデン大会でブラジルが初優勝した2年後の 1960年(昭和35年)に始まった。
 第1回は「ヨーロッパ・ネイションズカップ」という名前で開催。
 開催国フランス、ソビエト連邦が優勝。
 第3回から現在の通称ユーロに変わった。

 2000年 第12回
 ベルギーとオランダで初めての共同開催。フランスが優勝。

 2004年 第13回
 ポルトガルで開催
 2002年W杯、開催国操作による不運な判定に泣いたあと、2003年1月、ポルトガルはW杯優勝監督ルイス・フェリペ・スコラーリを招聘。そのブラジル人監督の誘いでブラジル人デコは母国ブラジル代表を諦め、ポルトガル代表入り。デコはユーロ2004で国際舞台に登場した。

 2004年6月12日
 ユーロの開幕戦はA組主催国の試合が組まれる。
 ポルトガル1対2ギリシア
 後半開始からエースのMFルイコスタに替わりデコがユーロ初出場。同じく後半開始からクリスチアーノ・ロナウドも出場。この時デコ26歳、ロナウド19歳。デコがはロナウドより7.5歳年上だが、国際舞台では同期デビューである。
 第2戦以降はルイコスタに替わり、全戦デコがレギュラーでトップ下に入った。

 予選リーググループAは、1位ポルトガル、2位ギリシア。
 6月19日のブルガリア対デンマーク戦は、ゴール裏が岩肌のスタジアム ブラガ・ムニシパルで開催されている。

 決勝はA組から勝ち上がった2チームの対戦となる。
 7月4日、決勝 ポルトガル0対1ギリシア
 デコはその系譜ににユーロ制覇の一行を書き損ねた。

 そして今年2008年 第14回ユーロは2度めの共催。オーストリアスイスで行われる。

 今年31歳を迎えるデコはこれが最後のユーロになるかも知れない。
 クラブチームでの栄光は残すところ、CWC制覇のみ。
 「優勝請負人」デコが乞われて入ったポルトガルという代表チームで獲得すべき栄光は2つ。
 2008ユーロ、2010W杯だ。

 だが2007年9月、ポルトガルはまだユーロ本戦出場が危ぶまれる位置にいた。





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2008年1月 6日 (日)

久々の賛辞

 9月2日(日)FCバルセロナはナイキとのスポンサー契約を5年延長(2017-18シーズンまで)
 デコはアンブロとの契約を打ち切ると言われていたが、今シーズンも依然としてアンブロのスパイクを履き続けている。このことがナイキの不興を買っているのではないかと推察する。
 ナイキが編集したビデオ、2冠達成の2005-06シーズン名場面集にデコの姿がなかったことは、何かの嫌がらせなのか?とデコ本人が2005-06のシーズンオフに語っていた。

 9月2日、リーガ2節ビルバオ(カンプノウ)○3-1
 デコはリーガ今期初スタメン。26分に今期2枚めの警告を受け、66分イニエスタと交代。
 この試合でドスサントスがリーガ公式戦に初出場した。

 「デコは今最高の状態を取り戻しつつある。ビルバオ戦ではチームにリズムをもたらした。彼は誰もが持ち得ないような特別なものをチームにもたらすことができる重要な選手だ」

 かつて、デコ獲得の報に接したライカールトは
 「デコ? 信じられない!」
 と最大級の喜びを表現してくれた。

 試合後に出された、監督のこの賛辞は、いつもの位置にまだデコがとどまっていることを久々に確認させてくれる嬉しいプレゼントとなった。

 この後リーガは2週間の休み。インターナショナルAマッチデーにはいる。
 この一週間、欧州出身選手にとってはW杯と同じくらい重要な決戦。ユーロ2008予選が大詰めを迎える。
 EUROはUEFAが主催する欧州選手権。欧州のサッカー代表チームナンバー1を決める大会。

4年に1度、W杯と2年ずらして開催。
 W杯後、その年から翌年にかけて予選。W杯の翌々年(2年後)各国のリーグ戦が終わった後、初夏に本大会を開催。
開催国は予選免除(W杯と同様)。
前回優勝国の予選免除はない。





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2007年12月30日 (日)

奇妙なシーズンの幕開け

 エトーの負傷には、その要因があった。
 8月7日に横浜で試合を行ったわずか2週間後、エトーは今度はカメルーン代表として来日。
 大分で日本代表と対戦。日本2-0カメルーン
 時差ぼけは、東に向かい時間を遡る移動の方がきつい。CWCで試合の3日まえに日本入りしたリバプール、FCバルセロナがいずれも決勝で敗れたのは、コンディションに大きな要因があった。
 ACミランはその悪しき前例に学び、試合の7日前(決勝の10日前)に来日することで、勝利につなげた。

 8月22日、この日のカメルーンは驚くほど調子が悪かった。
 エトーにはほとんど決定的なボールが供給されず、むしろ中盤まで下がって守備に回る時間が長かった。
 エトーの矢のようなゴールが日本ゴールに突き刺さると思っていたバルサ・ファンと中津江村の皆さんは拍子抜けした。

 前日の8月21日にはフランス代表の親善試合でテュラムも負傷している。
 アンリを入れたらエトー、アビダルを入れたらテュラム・・
 補強した分だけ謀ったように怪我をする。
 奇妙なシーズンの幕開けだった。

 8月30日、CL2007-08 組合抽選会
 入ったのはグループE。リヨン(フランス)シュツットガルト(ドイツ)レンジャーズ(スコットランド)
 前シーズンはチェルシーと同組に入ったことで、あわやグループリーグ敗退の危機に面したことが、ベスト16での惨敗につながった。
 涙のCWC決勝の雪辱を信じていたファンは、大きな失望を味わった。
 今年も強敵リヨンには苦戦するだろう。ファンとしても身の引き締まる思いの組合せとなった。

 8月31日、リーガの移籍期間終了
 デコ放出?が気が気ではなかったシーズンオフに終止符が打たれた。
 まさかデコファンがこんな不安なオフを過ごす日が来るとは想像していなかった。
 これで、ようやく今シーズンを楽しめる心境に入っていける。

 2007年も1年間、毎週日曜日のデコログを読んでいただきありがとうございました。
 また2008年も日曜日はデコログがつづきます。
 デコファンの皆さん、よいお年を!





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2007年12月23日 (日)

リーガ2007-08開幕

 8月19日、デコは右足大腿二頭筋に違和感を覚え練習を休む。
 (2か月後、10月に傷めたのは左足)

 だが、その3日後、欠場と思われていたユーロ2008予選
 アルメニア対ポルトガル戦にはフル出場した。
 アウェイで1-1の引き分け。ここで手堅く得た1ポイントは最後に大きなモノを言った。

 8月26日
 リーガ2007-08開幕戦 1節ラシン(away)

スタメン
GK:バルデス
DF:ザンブロッタ、テュラム、オレゲール、アビダル
MF:ヤヤ、シャビ、イニエスタ
FW:エトー、メッシ、ロナウジーニョ

 開幕時点で非EU圏国籍枠を使うのはロナウジーニョエトー、ヤヤ・トゥーレ
 WOWWOW予定されていた生中継は、放映権を持つスペインの業者とのトラブルにより放送中止となった。

 デコはベンチ入りしたがスタメンを外れ、ラシンに退場選手が出て一人多くなった直後の後半24分ヤヤに替わり出場。
 46分には早速今期1枚目の警告を受けた。

 過去3シーズン、アウェーでのラシン戦は
 2005-06 △2-2
 2006-07 ○3-0
 2007-08 △0-0
 早くもここで、前期に比べて2点を落としたことになる。

 8月29日
 第42回ヨハン・ガンペール杯。FCバルセロナを創設したスイス人にちなむカップ戦。カンプノウに欧州の人気クラブを招く。今年はフィーゴのいるインテル。
 例年リーガ開幕戦の直前に行われるが、今回は開幕翌週のミッドウィークに開催。
 ポスターには顔写真がなかったデコだが、試合にはフル出場。後半24分のシュートはクロスバーに当たった。試合は5-0で勝ったが、エトーが全治3か月の負傷。

 バルサの最前列(FW)のポジションは3人。
 ロナウジーニョ、エトー、メッシにアンリ・・いったい誰を外すのか?
というメディアとファンによるスタメン騒動は、このエトーの怪我であっさり片が付いてしまった。





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2007年12月16日 (日)

イニエスタ事件

 「今日プレーできなくても別の日がある。選手は現状を受け入れることを知らなければならない」
 イニエスタはデコへの諫言を、メディアに向けてしゃべった。

 イニエスタはFCバルセロナのカンテラ出身の生え抜き選手。
 身長170cm。身長170cmのシャビ、身長177cmのデコと中盤に並ぶ時、バルサ公式サイトは「ちびっこトリオ」と記述する。

 2002-03シーズン、FCバルセロナトップチームデビュー。
 2005-06シーズンの12月、シャビが故障してから出場機会を得る。
 縦への高速な突破で相手に驚異を与え、エトーロナウジーニョら攻撃陣へのマークを緩めさせる働きをした。

 2006年W杯ドイツ大会にスペイン代表で出場(ユニフォームナンバー13)
 彼をレギュラーとして起用しなかったのは、ジーコが松井を外したのと同じくらいに愚かなことだった。
 2006-07シーズンにレギュラー扱いの選手となり、2007-08シーズンはユニフォームナンバーが24から8に変わり、最も起用されるMFとなっている。

 デコは2006-07シーズン当初の雑誌インタビューで
「イニエスタと組む試合では自分は下がり気味だが、シャビと組む試合は前に出られるのでやりやすい」
とコメントしている。
 また、2007-08シーズン秋の雑誌インタビューでは、カンテラ出身選手のメンタリティがチームの柱となっていると発言したが、イニエスタの名前は挙げなかった。

 1984年5月11日、スペイン生まれのイニエスタ
 1977年8月27日、ブラジル生まれのデコ
 その年齢差7歳。

 いくら生え抜きのレギュラーとはいえ、7つ年下の若者に諫められては、どんな大人でもメンツが立たないというものだ。
 イニエスタ発言はデコファンから見れば、余計な一言だが、イニエスタファンから見れば、チームのために必要な一言だったのかも知れない。

 このイニエスタ事件から学ぶことは、直接言えないようなことは、間接的に言うべきではない。ということである。
 この発言により、デコがバルサのユニフォームで開幕を迎えられるのか?が怪しくなった。
 いつもならば、ネットのニュースに「デコ」の文字を探すのだが、開幕までの2週間は「デコ」の文字がないことを祈りつつ、ニュースサイトを恐る恐る開く日々となった。




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2007年12月 9日 (日)

私は続けます。

 チームがアジアにいる8月1日、ムンドのトップは、ユニフォームのコオロギ鍋にキスをする丸刈りデコの写真が飾っている。見出しは
 YO SIGO
 私は続けます
 バルサに忠誠を誓うという健気なアピールだ。

 日本での試合を終えたバルサ一行は、翌8月8日の早朝に離日。
次なる目的地香港へ移動した。

 アジアツアーの最後は8月10日、FCバルセロナ対ミッション・ヒルズ・インビターションⅩⅠ戦(香港スタジアム)

 2006年のツアーはアメリカ。2007年はアジア。
 そして来年2007-2008のオフシーズンにはユーロと五輪が控えている。2006年の失敗に鑑みるならば、ツアーをせず休養に充てると思われる。
 もしそれでもバルサが何処かへ巡業に出るならば、そこは、バルサが最も拡大の必要性を感じている市場だろう。

 バルセロナに戻ったチームに、8月13日デコは半月ぶりに合流した。
 直後の公式インタビューでデコは
「2010年まで契約が残っている。今は誰からもオファーをもちかけられていない」
と答えた。
 2009-10まであと3シーズン。2010オフにはW杯(南アフリカ大会)が控え、それが終わる頃デコは33歳を迎えている。

 8月15日、日本人が墓参りをして、旧友と旧交を温めていた頃、お盆がないスペインではこのオフ、もっとも熱い舌戦があった。
 まず15日、デコがメディアに対して
 「チームに居場所がないならば、移籍先を探す」
 と発言したと報道された。
 だが、インタビュー内容全般をみれば「移籍する気は毛頭ない」といういつものデコ節であり、遠く日本からみていて何ら不安はなかった。

 ところが16日、イニエスタが反論した。





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2007年12月 2日 (日)

デコはドコ?

 ソシオ公開練習が終わり、選手がホテルに戻ってくる。
 ホテル前には今日もそこそこの人数のバルセロニスタが詰めかけた。
 いつも尊大な態度のアンリも淡々とサインに応じ、この来日直後に移籍したCLの英雄ベレッチは怪しげな足取りで空を見つめて歩き、誰にもサインせずホテルに入っていった。

 8か月前、僕らにサインしてくれたデコはバスに乗っていない。
 だが、おとなしく家で悲しみに暮れているわけにはいかない。

 僕はデビッド君の想像似顔絵を描き、その上に
「Donde esta Deco?」デコはどこだい?
  と書いたプラカードを選手一行に掲げたが、ロナウジーニョに「なんだそれは?」と戸惑いの表情を浮かべさせただけの成果にとどまった。
 去年の冬には「でこすけ」を見て選手は指を指して笑い、コーチはサムアップしてくれたが「デビッド君」への反応は薄かった。

 バスを降りて端から端のファンにサインペンを走らせていたライカールトが、僕の手前でサインをやめて引き上げた。このことで、ライカールトとデコの間に何か確執があるのでは?という新たな疑問が浮上した。
そんなわけはない。

 8月7日
 FCバルセロナ対横浜Fマリノス(日産スタジアム

 8か月前、エマージェンシーシートを体に巻き、寒さをしのいだ冬から一転、水色セカンドや07-08ホームなど、皆が半袖のユニフォームをまとい僕らは席に着いた。

 試合はエトーが出した、まるでデコのような縦パスをドスサントスが決め1-0で勝利。
 過去2度の親善試合は引き分け。
 2005年6月12日 △3-3
 2005年7月30日 △1-1
 3度めの正直でようやく、マリノスに勝利した。

来日メンバー
GK:ビクトール・バルデス、ジョルケラ、オイエル
DF:ベレッチ、ザンブロッタ、シウビーニョ、テュラム、アビダル、オレゲール、オルモ、マルク・バリエンテ
MF:モッタ、シャビ、イニエスタ、トゥーレ・ヤヤ、クロサス、サストレ、ディマス
FW:エトー、ロナウジーニョ、アンリ、エスケーロ、ドス・サントス、マキシ・ロペス、ボージャン





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2007年11月25日 (日)

デビッド君誕生

 「残念なお知らせです。デコは8月4日に第4子 David君誕生のため、北京からサンパウロへ移動しました」

 あっと驚く情報とはこのことだ。
 デコファンにとっては、自民党と民主党の連立成立!に等しいニュースバリューだ。
 まさか、そうくるとは思わなかった。

 デコは8月5日のFCバルセロナ対北京国安(北京フェングタイ・スタジアム)以降のアジアツアーをキャンセル。およそ半月の間クラブを離れることになった。

 これから出産に立ち会うというのならば、まだわかる。
 公式戦ではないとはいえ、たくさんのファンが待っている。
 デコ本人も8か月ぶりの日本行きを楽しみにしていたはずだ。
 秋葉原ショッピング用に、大好きな電気製品を紙に書き出していたかも知れない。

 この日のためにチケットを買った人。
 会社を休んで、遠くから飛行機で駆けつけ東京に滞在した人。
 2007-08のデコのマーキングユニフォームを新調した人。
 もしこの後、デコが移籍でもしようものならば、もう会えないかも知れない。
 CWC涙の敗戦がお別れとなったら、哀しい。
 皆、途方に暮れた。

 8月6日、来日したその日にソシオ限定公開練習を日産スタジアムで実施。

 この日の練習鑑賞は、WOWWOWでチケット・プレゼントがあった。そのチケットをオークションで38,000円で落札した人がいるという(あるサッカーショップの店員さんの話)
 ソシオになれば、2万円足らずで会員特典が享受できて、もちろん練習は鑑賞できる。情報を知らないということは何とも勿体無いことだ。


祝!ポルトガル代表 ユーロ2008出場権獲得!



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2007年11月18日 (日)

とっておきの情報

 FCバルセロナの選手たちがどこのホテルに泊まるのか。
 いつどこで練習するのか。
 大まかな情報はFCバルセロナの公式ウェブサイトに掲載される。

 初めはなんと良識的というか、無防備というか、さすがスペイン人は日本人とは考え方が違うと思ったものだ。

 だが、何度か追っかけをしているうちに、この情報があてにならないことがわかってきた。
 ウェブサイトの情報に沿って競技場で待ちかまえていたら、その日は練習が中止になったり、書いてあった場所とは別のところで練習したり、練習は中止だと聞いていたのに、中止じゃなかったり。

 携帯電話が普及して、情報の伝達は速くなったが、情報が速くて多い分、精度は落ちている。
 信頼できる仲間、信頼できる情報源をいかに確保できるかが鍵になる。

 今回のツアーでは、仲間の活躍により新たな情報獲得方法を編み出した。
 もちろん、仲間との財産なので公の場で書くことはできない。

 以前、パソコン通信時代のCUGには、そのような情報を書くことにためらいはなかった。
 だが、インターネット以降は、CUGに情報を得るためだけに入ってくる人が増えた。
 グループに入ってきたものの、自己紹介もしない。書込もしない。当然、なんの活動にも参加しない。だが、そこに書いてある情報は獲得できる。
 そうなってくると、CUGのなかでもさらに情報の開示方法を工夫しなければならなくなる。
 幸い、デコファンクラブには、他のCUGと比べてそのようなメンバーが少ない。

 2006年の来日時は、インターネットの掲示板で選手の行動についての情報が書かれていたが、2007年は見受けなかった。

 結局、宿泊ホテルの正確な情報が入ったのは来日の2日前。
 ちょうどその頃、自称「関係者」という方とメールのやりとりをしたが、こちらが情報をつかんでいると話すと「そんなはずはない。今回は我々関係者でさえ、一部しか知らされていない」とのことだった。
 ところで、ホテルは何処ですか?という質問が来たが、もちろん応えなかった。

 情報を獲得した仲間が、その情報をファンクラブのコミュニティ「でこむ」に書こうとした、まさにその時、別の仲間からにわかには信じられぬ書き込みが入ってきた。

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2007年11月11日 (日)

もう大丈夫、デコ

 7月26日
 2007-08プレシーズン初の親善試合
 ダンディー・ユナイテッド(スコットランド)○1-0
 デコはスタメンを外れて、後半から出場。紅白戦でのサブ扱いがそのまま試合にも適用された。
 こうなると少々ことは穏やかではないが、それでも、ライカールトは、シーズン中デコを休ませるケースを想定してテストをしているのだろうと推察した。

 7月29日
 親善試合 ハーツ・オブ・ミドロシアン(スコットランド)○3-1
 初めて水色のセカンドユニフォームを着たこの試合も、デコは後半からの出場となった。
 親善試合の場合、レギュラーは前半に先発。顔見せを終えて後半に交代することが多い。
 それが「レギュラー扱い」というものだ。実際に出場する時間は同じでも、どちらに扱われるかは大きな違いだ。

 チームはスコットランドキャンプを打ち上げて北京へ移動。
 いよいよデコがアジア入りした。

 この夏のツアー概要は4月初旬に明らかになった。
 カテゴリー1のチケットは8,400円。決して安い値段ではないが、去年のCWCが3万円だったのに比べれば、タダのようなもの。
 日本でのスケジュールは、8月7日横浜Fマリノスとの1試合のみ。

 日本と並び、アメリカ、中国市場の売り上げ拡大を目指すバルサが、中国に時間を割くために日本の滞在日数を減らすことは寂しいことだ。

 それでもデコはやってくる。
 この1か月間、デコが移籍しはしないかと、Webのニュースボタンを恐る恐る押していた。
 だが、デコはもう北京まで来ている。ここまで来ればもう大丈夫。

 僕らファンクラブは試合に着ていくユニフォーム確保、そして追っかけのためのホテル情報収集に集中することにした。

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2007年11月 8日 (木)

フットメザ

 ブラジルにはテーブルでするサッカーがある。

 「昼は努力しろ、夜は夢を見ろ」
 はデコのお父さんのコトバだが、ブラジルのサッカー少年は昼は外で球を蹴り、夜はテーブルで戦略を学ぶ。

 テーブルボタンサッカー。日本での愛称は「フットメザ」
 試合開始前、プラスチックのボード上に選手に見立てた「ボタン」を配置。
 バルセロナの布陣で行くならば、4-3-3でボタンを並べる。

「フィッシャー」というスティックでボタンを弾き、
 フェルトでできている「ボール」を蹴ってゴールを狙う。

 日本では、ブラジルテーブルサッカー協会(CBFM)の承認を受けた Futmesa Japan が普及活動をおこなっている。
 2007年2月25日以来、川崎市の国際交流センターで競技イベントを開催しており、11月の大会に行ってきた。


公式戦用のテーブルで競技中
服装も靴も特別なものではない。写真のようにサッカー選手のユニフォームを着る必要はないが、着るとやはり気分は盛り上がる。


こちらは一回り小さいテーブル。練習や遊技で使う。



指でフィッシャーを弾き、ボタンを前方にあるボールに当てて転がす。

 プレーの感覚は子供のころ遊んでいた指で球を弾く野球ゲームに似ている。
 ただ、戦略性はビリヤードのもの。
 エポック社のサッカーゲームでは、ボールは地面を行くが、フットメザの上級者が打つシュートはドライブがかかり、宙を舞う。

 会場には多数の来場者、メディアの取材が入っていた。
 これから、どのように普及していくか注目したい。


Futmesa Japan のウェブサイト

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2007年11月 4日 (日)

控え扱いのデコ

 6月26日
 モナコからコートジボワール代表MFトゥーレ・ヤヤを獲得。4年契約 ユニフォームナンバー24

 6月29日
 リヨンからDFエリック・アビダルを獲得。4年契約 ユニフォームナンバー22

 7月10日
 リーガ開幕直前にビッグクラブをカンプノウに招く親善試合「ジョアン・ガンペール杯」
 ジョアン・ガンペールはFCバルセロナを創設した人物。
 今年の公式パンフレットに登場したのはエトー、ロナウジーニョ、アンリ、メッシの4人。デコはそこに入らなかった。

 7月11日
 サラゴサからDFガブリエル・ミリート(アルゼンチン代表)を獲得。4年契約 ユニフォームナンバー12(後に3に変更)

 2007年7月23日
 バルサはスコットランドのセントアンドリュースで合宿開始。
 昨年のプレシーズンキャンプでは、ドイツW杯出場選手は参加を免除された。
 デコは今年はもちろん初めから参加する。

 2006-07シーズン、バルサMF3人のレギュラーはデコ、イニエスタ、シャビ。
 この時点では、ビッグネームのMFトゥーレ・ヤヤを獲得しても、デコにはなんの影響もないと考えられた。

 だが7月25日、スコットランド合宿初の紅白戦
 デコが入ったのは控えチーム。
 レギュラー組のMFはシャビ、イニエスタ、トゥーレ・ヤヤだった。

 6月中旬の「2ヵ月後ここにいるかはわからない」という発言。
 外されたジョアン・ガンペール杯パンフレット。
 そしてキャンプでの控え扱い。
 いったいデコの周囲に何が起こっていたのだろうか。

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2007年10月28日 (日)

因縁のアンリ

 2006年7月5日
 ワールドカップ準決勝 デコのポルトガルはアリアンツ・アレナフランスと対戦。

 前半29分、ペナルティ・エリア内でフランスのアンリとカルバーリョが競り合う。
 アンリはこぼれ球を拾うより、尻餅をついたカルバーリョの足にひっかかることを選択。
 主審ラリオンダさんはこれをPKと判断。
 33分、ジダンが決めてフランス先制。リカルドは読み切って(キッカーからみて)左に飛び、かすかにボールに触れたがゴール。

 このせこい1点が決勝点となり、デコとポルトガルのワールドカップ優勝がなくなった。
 36分にはペナルティ・エリア内でクリスチアーノ・ロナウドが押されたが、主審ラリオンダ(国籍:ウルグアイ)さんはPKをとらなかった。

 この一件以来、デコファンはアンリを快く思っていない。
 2006-07シーズンではCL決勝でバルサと当たり、審判のせいで負けたとぶーたれたアンリ。
 勝者のバルサに敬意を表さなかったアンリ。
 そして、その2ヵ月後、今度はせこいプレーでポルトガル優勝の芽を摘んだ。

 デコファンにとってみれば、アンリは腹が立つ奴だ。
 デコはフランスに負けた後、こう語っている。
「決勝進出が夢だったのでチームは悲しんでいる。フランスはブラジル戦で素晴らしいプレーをしたので今日の試合が厳しくなることはわかっていた。
 足りなかったのはディフェンスを突破してゴールを決めることだけだった。フランスは我々より強かったわけではない。フランスは得点を決めた後、後に下がって守り、アンリを使ったカウンター攻撃を狙うだけだった」

 自らも驚くような跳躍力でダイブしてファウルをもらうことが多々あるデコ。
 アンリのせこい姿勢について、なにも言及していない。
 だが、そのせこい1点のお陰で「守りのチームフランス」の勝ちは決まった。

 それから1年後の2007年6月25日、FCバルセロナはティエリ・アンリ(8月で30歳)との4年契約を発表。

 デコにとって波瀾万丈のシーズンオフが開幕した。

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2007年10月21日 (日)

ポルトガル語圏のMVP

 リーガ最終節でFCバルセロナがシーズン2位となり、デコは所属クラブのレギュラーシーズン5連覇が成らなかった。
 "優勝請負人"デコにとっては、情けない終盤の失速は仲間への大きな失望として、心に広がっていたのだろう。

 無冠に終わった翌日の6月18日
 デコはイベロアメリカ・コミュニティー賞を受賞した。
 「イベリア半島のスペイン、ポルトガルの言語や文化が及んだ中南米地域出身のスポーツ選手として最も輝いたプレーヤー」に贈られるという賞。

 ポルトガル語人口は世界でおよそ2億3千万人。

 ポルトガル語を使う国と地域。
ポルトガル
ブラジル

ポルトガルから独立した5か国
アンゴラ
カボ・ベルデ
ギニア・ビサウ
サントメ・プリンシペ
モザンビーク

東ティモール
マカオ
ゴア


 ポルトガル語圏の各国は1996年に「ポルトガル語諸国共同体(CPLP)」を設立し、政治外交で協調している。


 デコはブラジル生まれなので母国語はポルトガル語。デコはクラブ帯同時はスペイン語を話すが、プライベートではポルトガル語を話す。

 同一国家であれば、連帯意識も生まれようかと思うが、かつて統治と被統治関係にあった皆さんの中から一人に賞をあげますよというのは、ありがたいのだろうか。
 そして実績だけで言えば、プレミアを制したマンチェスター・ユナイテッドのC・ロナウドのほうが上をいったと思う。そこは、プレー以外のなにかが評価されたのかも知れないが、なにせ、聞いたこともない賞の選考理由の裏事情までは、遠くアジアの果てまで伝わってこない。

*参考文献「図と表で整理するブラジル・ポルトガル語文法」田所清克/伊藤奈希砂 国際語学社 2006年2月

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2007年10月14日 (日)

僕たちの合意

2007年5月3日 「ワールドサッカーマガジン2007年5月17日号」
デコの辛口ランサメント(第8回)
 デコは重ねてバルサに残りたい気持ちを強調。ポルトガル代表の仲間がバルセロナに遊びにきて、バルサからオファーを受けている話をしたことに触れている。
 ポルトガル代表仲間がクラブに一人でもいれば、何かと心強い。
 ファンとしてはできれば、クリスチアーノ・ロナウドにバルサに来てほしいところ。ただ結局、シーズンオフ、ポルトガル代表選手の移籍加入は一人もなかった。デコはさぞがっかりしたことだろう。シーズンオフ、一連の「デコ騒動」発言の一因はここにもあったのではないだろうか。

2007年6月7日
「ワールドサッカーマガジン2007年6月21日号」
デコの辛口ランサメント(第9回)

2007年7月5日
「ワールドサッカーマガジン2007年7月19日号」
デコの辛口ランサメント(最終回)
 この最終回では6月22日時点のコメントが掲載されている。
 日本での敗戦を境に自信を失った。2か月後(つまり8月のシーズン開幕の頃)どうなっているかわからない。移籍もあり得ると語る。
 確かに最後まで"辛口"な連載だった。

 遠いアジアの端っこで発売される雑誌とはいえ、かなり辛らつな発言をするものだ。
(原典はスペインでも発売されているのかも知れないし)
 こういう思い切りのよいところもデコの魅力だが、ファンとしては
 おいおい、デコ大丈夫か?
 と心配になる。

 ただ、デコファンクラブは、デコがフットボールに関わる間、その属性がどこにあっても応援を続けるという合意で集まっている。8月に青いユニフォームを着ていれば、一斉に英会話の本を買ってくるだけのことだ。

 そして、一ヵ月後、デコが日本にやってくる。
 CWCで敗れ、怒りと悲しみの帰国をしてから8ヶ月。この間はあっという間だった。
 ただ、気がかりなのは、デコの移籍情報。
 もし移籍するにせよ、8月の来日の後に決めてほしい。メンバーは皆そう願っていた。

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2007年10月 7日 (日)

カンペオン・デコ

 デコ2冊めの自伝「CAMPEON DECO」」をネット通販で買うと、およそ6,000円。
 前作は4,300円で買えた。それでも十分高く感じていたので、この値段には二の足を踏んだ。


書名:CAMPEON DECO
著者:SERGIO ALVES(デコのマネージャー 1966年生まれ)とFRANCESC AGUILAR
大きさ:30cm×22.6cm
発行元:MUNDO DEPORTIVO
ページ数:オールカラーで100ページ
言語:スペイン語

 幼少の写真は前回の自伝「DECO O PRECO DA GLORIA」と同じだが、モノクロではなくカラーになった。
 「DECO O PRECO DA GLORIA」は2003年出版ということもあってFCポルト時代までだが、FCバルセロナポルトガル代表の写真を多数収録。ポルトガル代表での写真は、W杯のジダンとのマッチアップの写真から始まり、W杯後のブラジルとの親善試合までを収録している。

■内容
 1章 EL BARCA, UN REGALO DE DIOS(バルサ、神の贈り物)
 2章 MI INFANCIA(少年時代)
 3章 LOS INCIOS EN PORTUGAL(ポルトガルでの初期)
 4章 PORTO,UN GRAN PASO EN MI CARRERA(ポルト、キャリアにおける大きな通過点)
 5章 LA COPA DE LA UEFA CON EL PORTO(UEFA カップ優勝:FCポルト)
 6章 LA PRIMERA CAMPIONS CON EL PORTO(CL優勝:FCポルト)
 7章 LA PRIMERA LIGA CON EL BARCA(リーガ優勝:バルセロナ)
 8章 MI SEGUNDA LIGA BLAUGRANA(リーガ2連覇:バルセロナ)
 9章 LA PRIMERA CAMPIONS CON EL BARCA(CL優勝:バルセロナ)
10章 OTRAS COPAS,OTROS LOGROS(その他の優勝杯や成果)
11章 LA SELECAO DE PORTUGAL(ポルトガル代表)
12章 MIS CAMPANEROS,MIS AMIGOS(私の仲間や友人)
13章 MIS ENTRENADORES(私の監督たち)

 もちろん、原書に和訳はなく、ファンクラブメンバーNACさんが翻訳してくれたものだ。

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2007年9月30日 (日)

律儀な日本人?デコ

2007年3月1日
「ワールドサッカーマガジン2007年3月15日号」
 デコの辛口ランサメント(第6回)
 恩を感じている3人の監督について語る。そして最後は自身の現役引退後について触れている。
 デコのニックネームの一つ、スペイン語で「ハポネス(日本人)」は、彼のルックスが日本人に似ているという意味だが、かつての恩を忘れない律儀な姿勢は、日本人を思わせる。

2007年4月4日
「フットボリスタ4月4日号」
記事名:デコの率直な言葉に耳を傾けろ!
内容:スポーツ紙「ムンド・デポルティーボ」に掲載されたデコ記事をまとめている。

2007年4月5日
「ワールドサッカーキング2007年4月19日号」
 久しぶりのデコ単独インタビュー
 CL2006-07で敗退した時の気持ちや、今後のリーガ2006-07について語っている。
 CWCではロナウジーニョに次いで露出度が高かったデコだが、年が明けるとさっぱり。
 単独インタビュー記事もこの一度きりにとどまった。

2007年4月5日
「ワールドサッカーマガジン2007年4月19日号」
 デコの辛口ランサメント(第7回)
 メディアの変わり身の速さに皮肉を並べている。

 2007年4月23日はサンジョルディ
 この日、デコ2冊めの自伝「CAMPEON DECO」」が発売された。
 前回同様、この自伝も日本国内では発売されていないし、当然日本語訳版もない。
 前回は洋書店に個別注文をして手に入れたが、今回は日本の洋書輸入サイトのメニューに入っていた。ただ送料がとても高く、ファンは二の足を踏んだ。

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2007年9月23日 (日)

デコと英語圏

 CWCでの来日直前、2006年12月7日は
「ワールドサッカーマガジン2006年12月21日号」の発売日。
 デコの辛口ランサメントは第3回。
 デコはFIFAクラブワールドカップ2006への意気込みを語る。そして、日ごろの対戦相手の中から絶対勝ちたいチーム2つとして意外なチーム名を挙げている。

 2006年12月7日発売「ワールドサッカーキング2006年12月21日号」には、デコ単独インタビューが載った。
 デコは日本の印象について訊かれて、いつも「東京が大好きだ」とみんなに言っていると答え、日本で何か買いたいものがあるの?という問いに「電気製品だね。何か新製品があったら、ぜひ買いに行きたい」と答えている。
 後に一部ファンが問題視していた、決勝二日前の秋葉原ショッピングでは、新しい発見があっただろうか?

 年が明けて2007年1月4日「ワールドサッカーマガジン2007年1月18日号」はデコの辛口ランサメント第4回。
 この頃、Webニュースではプレミアリーグ移籍希望を口にしたと伝えられていたが、本誌では「ここで引退したい」と本人が語っている。
 本人の署名記事で本人が語る。これが一番堅い。
 かつて、中田英寿が始めたのがこのスタイルだった。

 2007年2月1日「ワールドサッカーマガジン2007年2月15日号」
 デコの辛口ランサメント(第5回)
 プレミア・リーグに惹かれる気持ち、ポルトガルの注目選手3人について語っている。
 辛口というよりは、包み隠す部分のない、誤解を恐れぬ本音のことばが並ぶ。

 サッカー選手は所属するクラブチームの国語を話す。
 クラブチームの一員として行動する時は、その国の言葉で話すという習慣が根付いている。
 かつて中田英寿がイタリア語を流暢に話すのを、日本人は驚嘆のまなざしで見ていたが、サッカー界ではあれが当たり前。頑として母国語しか話さない野球選手を見慣れているので、奇異に映ったのである。

 日本人にとってスペイン語を話すのは至難の業だが、義務教育で習ってきた英語ならば、少しはなんとかなる。デコファンとしては、デコが英語圏に移籍して、英語で会話できるようになれば、随分助かる。デコがもし移籍することがあるならば、そこはプレミアリーグであって欲しい。
 だが、モウリーニョ解任の今、デコがプレミアに行く可能性は、さらに低くなったといえる。

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2007年9月16日 (日)

ユニフォーム全員サービス

 2006年11月2日
「ワールドサッカーマガジン2006年11月16日号」
デコの辛口ランサメント(第2回)
 デコが10月18日が自分にとっての記念日であることや "初体験"について語る。
 これまで何処にも出ていなかった本人記事ならではの情報が並ぶ。

 2006年11月
月刊誌「スポルティーバ1月号」
 「戦士達の実像」というデコ記事が掲載される。
 背中の芸者タトゥー(刺青)はジャシアラ夫人との別居中に彫ったこと。
 日本は大好きな国で、CWCで12月に行くことが楽しみであることをコメントしている。
 後で思えば、このタトゥーが2007年夏の来日キャンセルにつながっていると思える。

 2006年11月30日
「FCB OFFICIAL vol.1」
著者:鹿野淳
版元:扶桑社
価格:2,500円
 日本では初めて出版されたFCバルセロナオフィシャルブック。初版には特大こおろぎ鍋エンブレム付き。
 デコのインタビューも掲載されている。

 2006年12月
「FCバルセロナinJAPAN」
 宝島社から出たムック。バルサ来日直後の速報本。
 読者全員頒布企画として、CWCで選手が着用したユニフォームを断裁してカードにするというサービスがある。もちろんすぐに応募した。
 残念ながらバルサが敗れたため、この本は部数が伸びなかったかも知れない。
 誌面は「キー・オブ・バルサ特別な男デコ」という見開き2ページのデコ記事が掲載されたほか、全編にデコ写真満載。これは数ヵ月後の嬉しいできごとにつながっていた。

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2007年9月 9日 (日)

デコに自由を与えよ!

 毎年、8月半ばを過ぎると書店やコンビニのスポーツコーナーには欧州サッカーの選手名鑑が並ぶ。
 欧州には26か国にプロサッカーリーグがある。
 欧州でプロリーグがある国の一覧はこちら

 名鑑はその一部分を掲載する。
 メインはスペイン、イギリス、イタリア、ドイツ。
 フランス、オランダ、ポルトガル、そして中村俊輔がいるスコットランドまでがそこそこに紹介される。

 だが、8月を過ぎても9月を過ぎても今年は名鑑を買わずにいた。
 それは2006年10月23日に発売される「バルセロナ&リーガ・エスパニョーラ 06/07パーフェクトブック」を待っていたからだ。

刊行形態:ムック
版元:英知出版
価格:1500円
内容:ムンドデポルティーボによる選手名鑑の日本語版。2005-06シーズンに続いて2年連続の発売。今年は日本唯一のリーガ専門誌となった。デコインタビューが2ページ掲載された。

 リーガ専門名鑑はこの本だけ。バルセロナ寄りのスポーツ紙ムンドが製作しているので、バルセロナの特集記事が多い。2年つづけて名鑑はこれを買った。
 欧州サッカーで興味があるのはリーガだけ。
 リーガ専門誌はリーガファンがたくさん買ってくれるものと思っていた。
 だが、リーガだけを見るという人は少なかったのだろうか。採算に合わなかったようで、2007-08シーズンは発売が予定されていない。

2006年11月1日
「ワールドサッカーダイジェストエクストラvol.43 2006年12月号」
 4頁に渡ってデコについての論説が載った。
 内容は2006-07シーズン、デコが不調の理由を分析。デコに自由を与えよと結んでいる。

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2007年9月 2日 (日)

デコの辛口ランサメント

 デコの辛口ランサメントはデコ本人が語る記事。

 ワールドサッカーマガジンは月2回(第1/3木曜)刊行だが、第一木曜発売分で毎月1回、合計10回連載された。

 対話形式のインタビューではない。
 デコの話しを聞き手が口述形式でまとめたようだ。

 「ブラウグラナのご意見番」というキャッチコピー、「辛口」というタイトルがデコに対するこの雑誌の見解をよく表している。

 一般的に、日本ではふつーに話せば「辛口」
 その言葉に感情がこもると「吠える」ことになる。
 メディアによると、石原慎太郎都知事は、年中吠えていることになっているが、本当に記者会見で「わお~」「がぁ~」と吠えているのだろうか。

 デコもよく会見の模様を伝えるメディアによって、吠えさせられている。
 彼は正直な男だ。
 曲がったことが嫌いだ。
 それをそのままメディアに話してしまうことがある。

 だが、たいていの人は皆、耳障りのよい言葉を待っている。
 耳障りのよい言葉をいう人の周りに穏やかな調和ができる。

 デコファンはそういう調和を求めてはいない。
 真っ当なことは、そのまま発言するデコにますます共感を覚えるのである。
 10代の頃から聖人君子のコメントを言うよう訓練されたエリート・スポーツ選手なんて、つまらない。

 「辛口ランサメント」は2006年10月5日発売の10月19日号から始まった。
 デコ初めての雑誌連載記事。見開き2頁。いつも以上に乱暴な口調のデココラムだ。

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2007年8月26日 (日)

不安で長いオフ

 6月9日
 リーガ37節エスパニョール(カンプノウ)△2-2
 バルサの逆転優勝はサラゴサにかかっていた。そのサラゴサがレアル・マドリーと引き分けてくれた。だが、バルサも本拠地で引き分けてしまった。前シーズンはアトレティコに苦杯をなめたが、今シーズンの鬼門はエスパニョールとなった。
 レアル・マドリーは先に引き分けで試合を終えていた。そこに、バルサが引き分けた一報がはいると、首脳陣は優勝が決まったかのようにはしゃいだ。それを見た最終節の対戦相手、マジョルカの選手はかちんと来た。マジョルカにはバルサからレンタル移籍しているマキシ・ロペスもいる。最終戦、マジョルカの奮起に一縷の望みがかけられた。

 6月17日
 リーガ最終節(38節)ジムナスティック(away)○5-1
 バルサはアンラッキー・オレンジを着て5ゴールを決めた。
 だが、マジョルカは先制したものの逆転され、マドリーと引き分けることができなかった。
 バルサはレアル・マドリーと勝ち点76点で並んだが、直接対戦成績が1分け1敗のため、三連覇を逃す。
 デコはFCポルト在籍時から続けていた国内リーグ連覇が4で止まった。

 そして南アフリカで開催された親善試合 マメロディ・サンダウンズ戦が今シーズン最後の試合。
 恐らくこれがバルサ最後の試合になると思われたエスケーロが決勝ゴールを挙げ、2-1で勝利。

 ポルトガル代表にはカップ戦もなく、W杯があった前シーズンと比べれば、デコはゆったりしたオフを迎える。
 2006-07を通して振り返ってみると、12月に日テレがイチ押しでデコを扱った以外には、デコのトピックスが少ないシーズンだった。

 優勝を逃した6月、デコはその心境を「ワールドサッカーマガジン」の月一連載「辛口ランサメント」最終回に寄せている。
 この発言は不安で長いシーズンオフの口火となった。

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2007年8月19日 (日)

デコ坊主

 5月10日
 コパ・デル・レイ準決勝2ndレグ ヘタフェ(アノエタ)●0-4
 今期獲得をめざしたタイトルとしては、CWC、CL、リーガに次いで4番目に重要なタイトルも敗退が決まった。

 5月13日
 リーガ34節ベティス(カンプノウ)△1-1
 勝ち点66でレアル・マドリーと並ぶ。今期の直接対戦成績が1分け1敗のため2位に落ち、自力優勝が消える。
 本拠地での引き分けは大きな失態だったが、レアル・マドリーも戦力が整っているわけではなく、まだ十分なチャンスがあると思われた。

 5月20日
 リーガ35節アトレティコ・マドリー(ビセンテ・カルデロン)○6-0
 この試合は勝ち点0もやむなしと考えられていた。2005-06、2006-07と2シーズン続けてホームでも勝てなかった苦手のアトレティコをアウェイで破ったことは、バルサの底力を実証した。結局はリーガがバルサに転がり込むことを予感させる勝利。

 5月23日
 デコが坊主頭で練習に現れた。日本ならば全員から「お初」攻撃をうけるところだ。ここであと2~3人が坊主頭で続けば、チームの結束はさらに強まり、優勝の確率はぐんと上がってくる。だが、おそろいのTシャツを着ることには抵抗のない面々も、お揃いの坊主頭になってまで、チームの空気を変えようとする者はもう現れなかった。デコの男気はチームに伝搬しなかった。ここが最後のチャンスだった。デコにつづく坊主が一人もいなかった時点で、勝負はついていた。
 5月26日
 リーガ36節ヘタフェ(カンプノウ)○1-0
 アウェイでは伸び伸びと攻撃的なバルサだが、ホームでは渋い試合が続く。またも命からがらの勝ち点3をひろう。

 6月5日
 カタルーニャ杯決勝 エスパニョール(ノバ・クレウ・アルタ・スタジアム) 試合スコア1-1 PK戦5-4でバルサが優勝。
 最終決戦前、落としたメンバーどうしでの接戦。トップメンバーどうしで戦えば、圧倒的な差をつけてくれるものとバルセロニスタは信じていた。

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2007年8月12日 (日)

最後の冠

 3月10日のリーガ26節は今年2度めのクラシコ(カンプノウ)
 リーガエスパニョーラ・プリメーラ(一部)は20クラブチーム。対戦は19カード。それをホームとアウェイ1試合ずつで38節=38試合。特定のチームとのリーグ戦での対戦は、年間にわずか2試合しかない。
 NPBならば「伝統の一戦」巨人対阪神は年間20試合以上行われるが、こちらの伝統の一戦=クラシコはわずか2試合。
 今年、敵地ベルナベウではバルサは敗れている。となれば本拠地カンプノウでのこの試合は勝利が求められるところだが、3-3の引き分け。
 それも3度リードされて、3度追いつくという綱渡りのもの。ゴールはすべてメッシ。怪我の多いこの選手は2006-07シーズン、試合に出られないということでチームの足を引っ張った。試合に出て足を引っ張るグジョンセンのような選手と違い、批判にさらされることがないが、メッシがいればCWCだって勝っていただろう。

 3月18日リーガ27節レクレアティーボ(away)はエトーが2ゴールを決めて圧勝。この日は敵地だが1stユニセフ を着用している。

 国際Aマッチデーをはさみ、2週間空いた4月1日リーガ28節デポルティーボ(カンプノウ)は2-1で順当な勝利。だが格下相手に地元での慎重な戦いは続く。

 4月7日リーガ29節サラゴサaway)は1stを着用させてもらったものの0-1の敗戦。サラゴサは6月9日にはマドリーに対してベルナベウで引き分けてくれた。

 4月22日リーガ31節ビジャレアル(away)は1stを着て0-2で敗戦。敵地で星を拾えない日々が続く。

 4月24日親善試合 アルアハリ(エジプト カイロ)4-0で勝利。今季2度めのサードユニ着用。バルサがアフリカ市場に力を入れているのは明らか。カンテラには多数のカメルーン人がいる。その観点からエトー放出はあり得ないことはこの時点でわかっていた。

 4月29日32節レバンテ(カンプノウ)に勝利。

 5月5日33節レアル・ソシエダaway)1stを着て2-0の勝利。勝ち点65で単独首位を守る。シーズン当初から守り続けた首位。CWC、CLとビッグタイトル2つを失ったが、このリーガというタイトルだけはバルサが防衛するのだとバルセロニスタの誰もが信じていた。

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2007年8月 5日 (日)

遅すぎたラッキー・イエロー

 監督や選手は慎重に悲観的なコメントを述べていたが、バルセロニスタが奇跡を祈って迎えた3月6日CLベスト16第2戦リバプール(アンフィールド)
 カンプノウでは強く、ホームでは弱いというバレンシア監督時代のベニテス監督のジンクスを地で行き、リバプールは狙い通り0-1の敗戦。
 2戦合計2-2だが、アウェイゴールルールによりバルサの敗退が決まった。

 アウェイゴール・ルールはホーム&アウェイ方式の競技で、勝ち・引き分け、合計得点までが並んだ場合、アウェイ戦でのゴール数を2倍で計算する方法。
 ホーム&アウェイのノックアウトでは、勝ち、引き分け数だけでなく、合計得点数までが並んでしまうことが少なくない。そこで、得点が難しいと考えられている敵地でのゴール(アウェイゴール)が多い方を勝ちとするルールができた。
 このルールにより、本来積極的に攻めるホームで消極的になったり、本来慎重に守るアウェイで積極的になったりと、戦術に与える影響が大きい。
 バルサはまさにこのパターンにはまるチームで、敵地では思いも掛けぬ快勝を果たすが、その一方、カンプノウでは渋い結果が多い。

 この日のバルサは驚いたことに、サードユニを持ち出した。
 蛍光イエローは前シーズンのCL決勝トーナメント、敵地でチェルシー、ACミランを破ったラッキー・ユニフォーム。
 サードユニフォーム着用は2005-06シーズンには1度もなく、2年ぶり。慣例によりバルサは当シーズンのセカンドユニフォームを次年度のサードユニフォームとして使う。前々シーズン、バルサは沼色のサードユニでチェルシーに敗れている。
 お台場FCBOTIGAの兄ちゃんが「肝心な試合は全然勝てていない」といったあの沼色を着た試合だ。

 前シーズンにCLを制したクラブはユニフォーム・ナンバーを金色にする。アーセナルのようにCLは制していなくても、スタジアムの変更という節目を記念して「金」にするクラブもある。 
 さらにバルサユニには、シーズン途中からクラブ史上初の「胸ロゴ」ユニセフロゴが入っている。

 この夜、アンフィールドに現れたバルサメンバーは、蛍光イエロー+ユニセフロゴ+金文字のユニフォーム・ナンバー。
 このユニフォームがFCBOTIGAで売られたのかは知らないが、黄色地に金文字が映えて、コレでもかと言うほど派手な仕上がりだった。だが、試合の結果は日本での敗戦につづく2つめの逸冠となる悲しいものだった。

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2007年7月29日 (日)

信頼に値する男

 1月28日、リーガ20節セルタ(カンプノウ)ではサビオラが起用に応えて2得点、3-1の勝利。バルサは日本後遺症を癒しつつあった。あとはエトー、メッシの復帰を経て、CL2連覇へのビクトリーロードが待っている。

 1月31日、ミッドウィークのスペイン国王杯準々決勝第1戦サラゴサは、カンプノウで0-1の敗戦。ただ、一ヶ月後の2月28日には敵地の第2戦2-1でサラゴサを下し準決勝進出を決めた。昨年は2冠達成で2冠Tシャツが売られたが、今年は3冠Tシャツを買わなければならない。

 2月4日には、待ちに待ったエトーが復帰。リーガ21節オサスナ(away)△0-0
 後半40分デコに替わりエトーが出場した。

 その1週間後にはあと1枚のFWメッシが復帰。2月11日、リーガ22節ラシン(カンプノウ)○2-0
 67分からメッシが出場。ただし、エトーは出場しなかった。

 エトーやライカールトと個人的な友達ではないので、誰がなにを言ったかはわからない。ただ、火のないところに煙は立たずというから、恐らくエトーとライカールトの間には、何らかの行き違いがあったのだろう。

 一生懸命ゆえに、冷静に語った言葉でも、その思いが強い分、周囲には強い感情を伴った言葉だと受け取られる。
 レアル・マドリーを嫌い、バルサを愛し、カメルーンやアフリカの子ども達を大切に思うエトーという人間がそこにいるだけだ。
 エトーはなにもおかしなことを言っていない。そう信じるに値する男だ。

 バルサは何もおかしくなかったが、勝負運には完全に見放された。
 敵地のバレンシア戦を落として迎えた2月21日CLベスト16第1戦リバプール。
 その対戦相手も、カラオケのトラブルでゴルフクラブで殴ったとかいう、バルサの上をいく内紛を抱えた状態でカンプノウへやってきた。

 ゴール前で、たまたまボールが相手に転がれば、相手に点が入る。
 バルサは1-2で敗れた。

 2月25日、リーガ24節ビルバオ(カンプノウ)
 エトーが先発出場。累積警告5枚で今期初めてデコは出場停止という試合は3-0で勝利。

 3月3日、リーガ25節 アンダルシア州に乗り込んで、優勝争いの相手セビージャに1-2の敗戦。本拠地、敵地に関わらずオレンジユニを着なくなっていたバルサだが、敵地で1stユニを着ても、今年のセビージャは強かった。



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2007年7月22日 (日)

冬のチャンピオン

 バルサは日本にやってきて、そして負けた。
 少年ファンが泣き崩れ、選手は自信を失った。

12月21日
スペイン帰国第1戦はリーガ16節アトレティコ・マドリーカンプノウ
年内最終戦
 昨年、バルサはこの本拠地でのアトレティコ戦で敗れている。
 失意の帰国、相性最悪の相手。最悪の結果が予想される中、1-1の引き分けは不幸中の幸いと言えた。

 明けて2008年の第1戦
 初戦は1月7日、リーガ17節ヘタフェaway
 この時点で十分、アンラッキーカラーとなっていたオレンジのユニを着て1-1の引き分け。

 2008年の初勝利は1月10日、ミッドウィークに行われるスペイン国王杯アラベス第1戦(away)
 awayだが1stユニフォームを着ることができたバルサは、サビオラの2ゴールで2-0。

 1月14日、モンジュイックに(市内だから)バスで移動したバルサ。リーガ18節エスパニョールaway)戦を1-3で落とす。バルサは折り返しの37節ホームでもエスパニョールに引き分け、それが優勝を逸することにつながった。前シーズンの鬼門はアトレティコだったが、今シーズンはその役回りがエスパニョールだった。

 1月17日、スペイン国王杯 アラベス(カンプノウ) ○3-0 サビオラが3ゴール

 このサビオラの活躍はサビオラファンに火をつけた。
 サビオラファンならずとも、グジョンセンよりはリーガでもサビオラを見たいと思わせた。
 そのルックスのせいなのか、なぜか根強い人気を持ち、うさぎ(コネッホ)という愛称で呼ばれるフォワードをライカールト監督は起用しない。
 出番があったとしても、控え選手中心のメンバーで戦う国王杯や親善試合ばかり。
 彼が起用されない本当の理由は、ライカールト本人にしかわからない。
 何も知らない人は好きなことを言う。だが、ライカールトはメディアに向かって本当のことを言うわけにはいかない。
 ものごとの選択には必ず合理的な理由があるということ。それを信じるのがファンというものだ。
 いずれにせよ、移籍先にレアル・マドリーを選んだサビオラの選択は尊敬に値しない。
 1月21日、本来ならば折り返し前の最終戦を意味するリーガ19節。
 リーガのプリメラ・ディビシオン(一部リーグのこと)には20クラブがあり、対戦チームは1クラブあたり19。ホーム&アウェイで1試合ずつ戦うので、リーガは年間38節となっている。
 今シーズン昇格してきたジムナスティックカンプノウに迎えたバルサは3-0で勝利。最終38節はアウェイで5-0だから、慎重な戦いだったといえる。

 そして、折り返し前に残っていたのは1月24日(水)リーガ15節レアル・ベティスaway
 この試合は12月17日に組まれていたが、バルサが日本に行っていたため延期されていた。

 前半19節を終えた時点でリーガ1位だったクラブのことを、日本のメディアは「冬のチャンピオン」と表記する。
 6月末に首位だった巨人を「梅雨の優勝チーム」と言っているようなもので、誰も喜んでいない。
 ただ、この時点では「冬のチャンピオン」バルサが、そのままリーガチャンピオンになることをバルセロニスタの誰もが確信していた。

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2007年7月15日 (日)

気が緩んでいた人たち

10月18日
CLグループリーグ3節 チェルシー(away)0-1
 セカンドのオレンジを着て戦ったバルサは、ここで今シーズン初めての敗戦。
 オレンジユニに違和感が漂い始める。

10月22日
リーガ7節クラシコ(ベルナベウ)0-2
 スペイン伝統の一戦「クラシコ」は互いに1stユニフォームで戦う。
 去年は敵地で3-0と快勝して、一気に波に乗ったが今年はそうはいかなかった。

10月25日 コパデルレイ1回戦(ベスト32)第1戦 バダローナ(away)○2-1
バダローナは Segunda Division Bに所属するバルセロナ近郊のクラブ。
 この試合がオレンジユニフォームの初勝利。

10月31日
CLグループリーグ4節 チェルシー(camp nou)△2-2

11月12日
リーガ10節サラゴサ(camp nou)○3-1
 メッシ左足指骨折。全治3か月の診断。事実上、この試合がCWC、CL、リーガという3大ビッグタイトルを総逃しするポイントとなった。

11月24日
マルケスがスペイン国籍取得。非EU圏国籍外国人はエトーロナウジーニョの二人となり、枠が一つ空いた。

11月28日
バロンドール発表
 リーガ、CL制覇まではバルサ全員が横一線。ただし、バルサメンバーでは最高成績であるワールドカップのベスト4。デコにも十分チャンスがあると思っていたが次点にさえ入らなかった。2007年は無理として、最後のチャンスはユーロ2008が開催される2008年。リーガ、CL、ユーロを3つ取れば、当然デコがバロンドールだろう。
12月5日
CLグループリーグ最終6節ブレーメン(カンプノウ)○2-0
 A組2位で決勝トーナメント進出。最終節で辛うじて決勝トーナメント進出を決めたバルサ。3位ブレーメンとは僅か1ポイント差だった。

12月9日
リーガ14節レアル・ソシエダカンプノウ)○1-0

 14節を終えたバルサは日本にやって来る。
 エトー、メッシという最前列のレギュラー3人のうち2人を欠きながらも、CLを勝ち抜き、リーガは首位。
 選手もファンもCWCの勝利を確信するというより、完全に気が緩んでいた。

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2007年7月 8日 (日)

休まない男

 6月から7月にかけ、13人のバルサメンバーが各国代表としてワールドカップを戦い、ほとんど休む間もなく米国ツアーを行った。
 バルサが中国、日本と共に力を注いでいる市場が米国。
 2005年はアジア、2006年は米国、2007年はまたアジアそしてアフリカを巡業する。

 リーガはバレンシア対レアル・ベティス戦で土曜日に開幕したが、直前にUEFAスーパーカップを戦ったバルサとセビージャの絡む2つのカードは月曜開催となった。

 開幕戦メンバーはバルデス、ザンブロッタ、マルケス、プジョール、ジオ、デコ、モッタ(→55分エジミウソン)、イニエスタ、メッシ、ジュリ(→74分グジョンセン)、エトー
 ロナウジーニョは怪我で召集されなかった。

 バルサは再びCLとリーガのダブル!を達成すべく、リーガ要員とCL要員をローテーションで使い分けた。
 だが、唯一例外となり両方に出ずっぱりの選手がいた。

 9月12日(火)
 CLグループリーグ第1節 レフスキ(camp nou) ○5-0
 バルサの歴史で初めて、胸に組織ロゴが入ったユニフォームを着用。
 格下の相手に圧勝した試合ではあるが、この試合もその選手は先発した。

 9月17日(日)
 リーガ3節 ラシン(away) ○3-0
 リーガで初めてユニセフロゴ入り1stユニフォームを着用。
 日本プロ野球に慣れていると、ホームではホーム、ビジターではビジターのユニフォームを着るものだと思いこんでいる。
 だが、リーガでは相手クラブのホームユニフォーム色との兼ね合いで、話し合いにより、アウェイでも1st(ホーム)ユニフォームを着ることが多い。
 快勝した格下相手の遠征試合。やはりその選手は出た。

 9月21日
 日本では、FCバルセロナに特化したSNS「エル・クレ」がオープン。しかしミクシィには遠く及ばず、半年後には開店休業となった。

 9月24日(日)
 リーガ4節 バレンシア(camp nou) △1-1
 今期初めてリーガ首位となる。

 9月27日
 CLグループリーグ2節 ブレーメン(away) △1-1
 今シーズン公式戦で初めてオレンジのセカンドユニフォーム(ユニセフロゴ入り)を着用。
 この試合でエトーが右ひざを負傷。
 敗色濃厚の89分。デコががら空きのゴール前に通した魔法のようなパスをメッシが詰めてゴール。辛うじて勝ち点1を確保。ブレーメンに勝ち点3を与えなかった。結果的にこのデコのパスが決勝トーナメント進出の分水嶺となった。

 10月15日
 リーガ6節セビージャ(camp nou) ○3-1
 デコが今季初めてベンチ観戦。しばしの休養をとった時、シーズンは開幕して1か月半を過ぎていた。

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2007年7月 1日 (日)

胸ロゴスポンサーの意図

 2006年7月14日
 FCバルセロナはユニセフとの提携、5年契約を発表。
 これにより早晩、バルサのユニフォームにロゴが入ることになった。バルサは世界中のクラブで唯一、100年の歴史の中で胸にスポンサーロゴを入れたことがない。ソシオという会員組織の会費収入、その他の商業収入でクラブ運営を賄ってきたからだ。
 ただ、FCバルセロナは巨額の累積赤字を抱えており、この伝統を捨てなければならない日がくると、評論家とバルセロニスタは書いていた。
 だが、ラポルタ会長政権以降の改革が功を奏し、財務状況は改善した。

 そこで、バルサはお金をもらって胸にスポンサーロゴを入れるのではなく、お金を払ってロゴを入れるという予想外の結論を出した。
 一フットボールクラブでありながら、カタルーニャ文化を世界に伝える大使としての役割を自認するマーケティング戦略の一環である。

「新生FCバルセロナのマネジメント」2005年7月講演

 だが新シーズンのユニフォームは既に発売されている。
 ユニセフロゴ入りのオーセンティック・ユニフォームが市場に並んだのは10月以降。長袖も当初はユニセフロゴなしのものが売られていた。

 バルセロニスタは二者択一をした。
・伝統のロゴ無しユニフォームを買い、ユニセフロゴが入る5年間はユニフォームを買わない。あるいは来年のことは来年また考える。
・ロゴにこだわらず、そこにあるものを買う。

 ユニセフとの提携から二日後の7月16日には日本の「楽天」と楽天と業務提携を発表。日本語ウェブサイトの運営、クレジットカードの発行などを行う。
 楽天スタッフが翻訳してくれることにより、日本のファンはFCバルセロナが発信する情報を迅速に収集することができるようになった。
 バルサ公式サイトはまずカタラン(カタルーニャ語)で情報が更新される。その後、スペイン語、英語、日本語、中国語のそれぞれのサイトが更新される。
 2005-06シーズンまでは、日本人はバルサ公式サイトで1~2か月前の最新情報を見ていなければならなかった。

 そして、9月25日には楽天との提携事業第2弾バルサカード(VISA提携クレジットカード)の受付が始まる。楽天の利益の大半は金融で生まれている。楽天がバルサと提携する最大の狙いはこのクレジットカード会員の獲得であろう。このカードに申し込むとニ冠記念キーホルダーがおまけについてきた。
 券面デザインは「コオロギナベロゴ」と「スター選手6人」の2タイプ。
 デコも無事6人の一人として登場している。6月にデコのブログで、ナイキが編集した2005-06の名場面集にデコが登場しないことが書かれていた。デコが券面に登場するかはデコファンクラブにとっては大きな関心事だった。

 並び順は
 後列 デコ   ロニー エトー
 前列 プジョル メッシ シャビ
 国外選手、生え抜き選手のバランスで成り立つバルサらしい人選と配列だ。
 全員が胸にユニセフロゴが入っていない(右腕のLFPバッジは付いている)2006-07シーズン1stユニフォームを身につけている。



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2007年6月24日 (日)

ユニフォーム別成績

 2006-07シーズン、FCバルセロナのユニフォーム別成績をまとめた。
 
FCバルセロナ ユニフォーム別成績 2006-07

 ユニフォーム別の成績を記録するようになったのは2005-06シーズンから。きっかけはデコファンになってすぐ、あるサッカーショップの店員が言った言葉からだった。
「沼色のユニって全然勝ててないんですよね。また着てるんだもん」

 数週間前、バルサは沼色のサードユニを着てチェルシーに敗れていた。
 ロナウジーニョの一人時間差シュート