2006年3月14日 (火)

マラソンの退廃

 腕立て伏せを全員で千回やってから「さぁ腕相撲世界一決定戦です」
 70分間0-0ということにして「さぁ20分間、ここから バルサ 対 チェルシー の真剣勝負です」
 そんな競技が、もしあったら馬鹿馬鹿しく見る気がしない。

 女子マラソンで記録を狙うランナーが雇い、予定した時間配分通りに先導する男性ランナー。
ペースメーカーは初めはそうだった。

 その後、男子マラソンでも30kmまでを一定のペースで先導するランナーとして採用された。

 2006年の東京国際マラソン以降、日本国内のレースでも堂々と30kmまで先導するようになった。

 東京国際では30km手前で誰かが前に出ようとすると、ペースメーカーがそれを手で制するというシーンもあった。

 勝負の楽しみがまるでない。
 マラソン観戦は2時間を超す緊張感の持続、スリルが醍醐味。

 毎度こんな趣向でやるならば、初めの90分間テレビを見る必要はない。次のレース観戦からは
DVDレコーダーで追っかけ再生することにしよう。





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2006年1月14日 (土)

LSD

 Long Slow Distance ゆっくりとした速さで長い時間行うトレーニング

 5km、10km走といった距離を決めて任意の速さを求める練習ばかりでは飽きてしまう。距離を決めた練習では「決まったコース」を走らねばならない。決まったコースとはいつものコースであり、1週間もすれば飽きてくる。

 YAHOO!マップで近所の地図を二万一千分の一でプリントして、マジックを握り走り出す。一段階詳細なサイズは八千分の一だが、これでは端から端まで1.25kmしかなく60分のLSDには範囲が狭すぎる。

 後から同じ道をクルマで測るために進入禁止の道には入らない。信号や人通りが多い大通りを避けて一本裏の閑静な道を選んで進む。街灯があるところまで走って、街灯の下で歩きながら場所を確認する。

 どうもイメージした通りのコース取りができない。この先に大通りが見えてくる。そうしたら左に折れて周回しようとプランニングしているのに、いつまでも大通りは見えてこない。その代わりに意図しない隣町の商店街に出た。カドにみずほ銀行がある。ここで戻ってはまだ早い。もう少し奥深く入れば国道に出るはずだ。結局思い描いたコースとは違う道を走ることになる。あとでわかるようにと電柱の番地を控えるのだが、手元の地図に番地が載っていない。番地表記は八千分の一地図までだ。そうこうするうちに再び商店街に出た。どこだ?見たことがないようなあるような。一周している・・・
 LSDで距離と速さを絡めるのはやめた。

 LSDでは「ちょっとこっちに行ってみよう」「30分過ぎたからそろそろ家に向かって走るか」といった探索の楽しみを追うのがよい。

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2006年1月 4日 (水)

東京に雨が降らなかった理由

 2005年12月4日から2006年1月1日のあいだ、東京には雨が降らなかった。
 僕は晴れ男である。
 その僕がウォーキングを始めたのだ。

 「長崎は今日も雨だった」という歌があるが、長崎ハウステンボスはオープン、グランドオープン、10周年と記念イベントの日はことごとく雨にたたられてきた。
 だが、係留飛行ルフティのオープニングイベントは、僕がセレモニーに出席したため、雲一つ無い快晴となり、青い空にベンディクセンデザインの黄色い気球が映えた。

moto「実は僕、晴れ男なんですよ」
会長「え、そうなの。僕もそうなんだ」
社長「いや、実は僕もそうなんです」

 ここはお客さんに花を持たせてくれればいいのに、ちょっとがっかりした。気球に乗ろうと行列に並んで見守っていたお客さんは、まさか大の大人3人が晴れ男を主張しあっているとは思わなかっただろう。

 東京の雨は天皇杯が終わるのを待って翌日にほどよいお湿りをもたらした。
 その日、行われた箱根駅伝では天候の変化により4区と5区の選手の服装が一変するのを見ることができた。僕は当然、練習を休んでそれを観察していた。

 大都会 東京を沿道の応援を受けて走る。
 スポーツ好きな人ならば、誰もが一度体験してみたいシーンではないだろうか。

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