2018年2月12日 (月)

下関海響マラソンの自分土産は「山口フィギュアみやげ」

セブンイレブンがJR西日本の駅で展開する土産店「おみやげ街道」
その下関店の店先に置いてあったのは「山口フィギュアみやげ」
メーカーの「KENELEPHANT」はフィギュア大手「海洋堂」と組んで、全国のフィギュア土産を商品化している。


「山口」は2017年9月1日に出たばかり。
下関海響マラソンを走りに来た旅ランナーが、たくさん回していったことだろう。

アソート(全8種)
■萩反射炉(萩市に残存。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ)
■SL「やまぐち」号と篠目駅(山口市)
■錦帯橋(岩国市)
■下関のふく(ふぐ)
■金魚ちょうちん(柳井市の郷土玩具)
■伊藤博文(現在の光市生まれ)
■吉田松陰(萩市生まれ)
■高杉晋作(萩市生まれ)


1回400円とガチャポンとしては高価な部類ゆえ「回すのは2回まで」と最初に決める。
ガチャポンを回す時の鉄則がある。
①回す前に予算を決める
②どれを出すかをイメージして念じる

1997年にガチャポンコレクターの道に入って以来、幾多の苦い「ダブりまくり」経験を経て①の鉄則にたどり着いた。
②については、おまじないに過ぎない。
UFOキャッチャーであれば「自力」の要素が入るのでイメージが大切だが、ガチャポンはほぼ「他力本願」
希に次に出る(落ちる)カプセルの中身が見えることがあるが、それは販売機の在庫が残り少なくなっている時に限られる。


さて、何を出そう?
今が旬の「世界遺産」絡みで萩反射炉か
「ヒルカメレオン*」のような不気味な肌合いに惹かれる
*仮面ライダーでブラック将軍が変身する怪人
あとは、子どもの頃何度か行った「錦帯橋」だ。

1回め:下関のふく
2回め:伊藤博文

事前に狙っていたイメージとは違っていたが、よく考えてみれば「下関に来た記念」なのだから「下関のふく」がど真ん中ではないか。
これは「喜ぶところ」だ。
1895年、下関で下関条約(日清戦争の講和条約)の交渉に臨んだのが日本の全権大使伊藤博文。
それに、
金運がよくなるかも知れないし・・
(1963~1984まで1,000円札の肖像画が伊藤博文だった)

買い物を終えて4番バスのりばに戻ると、2人のおばあちゃんがベンチに座ってバスを待っていた。
バス発車の20分前に来ればよいということだ。
ただし、マラソン当日はどうだかわからない。

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2018年2月11日 (日)

下関発宇部行きサンデンバスに1時間前から並ぶ理由

下関海響マラソンから一夜明けた下関市は「晴れ」
昨日のレースとほぼ同じ天候だ。
過去30年の天候データから導かれた「天気出現率」では、11月上旬の下関市は「晴れ」確率の高い日がつづく。


下関海響マラソンは11月の第1日曜に開催されるので、開催日は
1日から7日の間。
この間の天気出現率は「晴れ」が最低でも「60%」
その最低が11月5日、つまり今回の開催日。
従って、下関海響マラソンは「晴れ」に恵まれる確率が高いレースと言うことになる。

ランナーにとって、天候は重要なファクター。
「レースが雪や雨だと燃える」というランナーは知人にはいない。
難コースにも関わらず、下関海響マラソンの人気が右肩上がりなのは「この時期の好天」が少なからず影響しているだろう。



「もう行くんか?早すぎやせんか?」
カズ兄ちゃんが驚いている。
下関駅から宇部空港へ行く高速バスの発車時刻まで、まだ1時間以上ある。
それでも、早めに行きたい理由は、このバスが予約できないためだ。
このバスを逃すと、予約しているANA696便に間に合わない。
JRでも行けなくはないのだが、最寄駅「草江」から空港までは、重い荷物を抱えて歩くにはちょっと遠い。

レース終了後、その日のうちに東京に帰ったランナーが300人強いたはずだが、帰りのバスに乗れるだろうか?とドキドキしたのではないか。
サンデン交通が、宇部発、下関発ともに予約制にしてくれたら、旅ランナーのストレスは軽減され、安心して大会に臨めると思う。



荷物を抱え、親戚に見送られ、二晩お世話になった家から出発。
月曜の朝9:30、下関駅に隣接する商業施設は閑散としている。
皆、どこかの事務所で働いている時間帯だ。

昨日のうちに確認しておいたバス停(空港行き4番乗り場)へ行くと、まだ誰も並んでいない。
ランナーらしき人もあたりに見当たらない。
まだ並ばなくても大丈夫と踏んで、一昨日下見しておいた下関駅構内の土産店をのぞく。



山口伝統の銘菓「豆子郎」は下関駅には売っておらず、宇部空港で売っていることを調査済み。
ここでは会社用に「豆外郎」そして、自分用に「うに」の瓶詰めを買う。

「うに」好きなのは母の遺伝だろう。
下関といえば「ふぐ」が有名だが、自家用やお土産にするならば「うに」
アルコール漬けになった「うに」は苦手という人もいるが、水うにだろうが瓶詰めだろうが「うに」はすべからく美味い。
下関で育った母は無類のうに好きで、回転寿司に行くと最初から最後まで、店じゅうのうにを食べ尽くすのではないかと思うほど、そればかり食べていた。
(少し盛ってます)


瓶詰めのうにがあると、その日起きたいいことも悪いことも全部忘れるくらいに、ご飯が美味い。
大切にちびちびと食べたが、それでもあっという間になくなってしまった。
この次、下関に来た時は2本買わねばならない。


代金を支払った後「これ両替してください」と千円札をこまめてもらう。
昨日から目を付けていたガチャガチャを回すためだ。

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2018年1月31日 (水)

マラソン人生初、とんかつとビールの打ち上げ

シャワーを浴びて一息ついたところで、カズ兄ちゃんに墓参りに連れてってもらう。
母はそこにいないが、おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃんに無事、下関海響マラソンを走らせてもらったこと、そして、去年母が浄土に還ったことを報告したかった。

関門橋を見下ろす高台にある霊園に秋の夕暮れが迫っている。
この前ここに来たのは8年前、その時は母と2人だった。

帰路はみもすそ川公園へ下りて関門橋の方から帰ってもらうことをリクエストする。
暖かかった秋の一日を支えたお日様は、惜しまれながら響灘の方へと動座しようとしていたが、まだ十分に昼と呼べる明るさだ。
展示されている大砲の向こうには狭い関門海峡。
すぐ目の前には門司の市街地。
響灘の方から来た巨大な赤煉瓦のようなコンテナを5階建てのビルの高さほどに積んだ貨物船が、瀬戸内海の方へと慎重に進んでいく。
その船がうまくフレームに入ったところでシャッターを切ろうと、Vサインをつくる3姉妹にデジカメを向けるお父さん。

ここは、どこにでもあるありきたりな休日午後の観光地であり、ついさっきまで、道路を封鎖してマラソンが行われていたことを覗わせる手がかりは残っていない。
数時間前、自分がその中にいて、ここを二度走って行ったことがもはや懐かしい。

レース中は撮れなかった関門橋に向け、慎重にじっくりと時間をかけてシャッターを切った。




「コーヒーでも飲むか?」
はい、いただきます
別におごってもらうと決めていたわけではないが「コーヒー」に反応した。
ここ一週間、マラソン前のカフェイン断ちをしていた。
昨日、日本茶を淹れてくれたカズ兄ちゃんに、明日のレースまでは飲めないと辞したところ
「ランナーっちゅうのは、難しいことをするのぉ」
と笑われていた。

みもすそ川から少し長府に向かって走ったところの海沿いに喫茶店があったことを、走っている時は気づかなかった。
「ケーキもあるで」
コーヒーに加えて、ここ一ヶ月ほど続けていた「ケーキ断ち」もここで解禁。
子どもの頃は、素うどん一杯おごると言われても断っていた僕が、年齢を重ねて柔軟な姿勢の大人になったと思ってくれただろうか。


帰宅すると、お楽しみのとんかつタイム
肉を買い、パン粉を付けて油で揚げる。
油の温度管理は慎重を要し、その後の処理も面倒な、この手間のかかる料理が出る食卓は、家族が一堂に集う、幸せの象徴だ。

とんかつとビールの打ち上げ
マラソンを始めて以来、もっとも幸せな宴
だが、マラソンの話題はそこそこ。
宴の主題は政治・経済、そしてこれからの日本についてだった。
数ある親戚のなかで、この類いの話題ができる、この家に来ることを僕はとても楽しみにしている。


打ち上げを終え、22時には客間の床に就く
こと下関海響マラソンというレースについて、言うことはない。
結果には満足してないけれど、もう少し何とかなったかなと言うことでもない。
ベストを尽くしたし、一所懸命頑張った。
今は安堵感が強い

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2018年1月30日 (火)

下関海響マラソンオリジナルのマスキングテープは売り切れ

なんとか、ふく鍋を残さずたいらげた。
あとは歩いて家まで帰るだけだ。
これまでに出た全てのマラソンは「交通機関で帰る」ものだったが、歩いて帰れるというのは、なんとも気楽なものだ。

まだ陽は高く、急ぐこともない
海峡ゆめ広場を散策することにする。

イベント会場には、制限時間までのカウントダウンを叫ぶDJの声が響いている。
並べられたテーブルでは、ランナーとその家族がふく鍋や、家から持ってきた食料を囲んでいる。
記念撮影ブースには長蛇の列ができている。
晴れているマラソンは、これがいい。

ランナーは少々雨が降っても仕方ないと思っているが、主催者、イベント出展者、応援に来た人達は、雨が降ったらがっかりぽん。
こんな日だけは、地球温暖化に目くじらを立てるのも一休み。
暖冬歓迎である。


確か、下関海響マラソンオリジナルのマスキングテープがあると聞いていた。
売り場を探し当てると既に完売。
そこで、下関の魅力を絵柄にしたマスキングテープが売られていたので、そちらを買う。
それでもうやることはなくなってしまった。
少し名残惜しいが、長居したからといって、楽しいことが待っているわけでもない。

フィニッシャーズタオルをしっかりと首に巻き付け、ナンバーカードが隠れるようにして歩き出した。

家の鍵を持っているわけではないので、一応、親戚に電話を入れておく。
ランナー向けの美味しい夕飯をつくってくれたカズ兄ちゃんの奥さんが出た。
もう皆、帰宅しているという
今から帰ります。10分くらい・・いや、ちょっと足も痛いのでまぁそれくらいで
「ごゆっくり、待ってます」
互いに電話を切った。


市民会館のそばには大型バスが並んでいる。
マラソンを走るツアーでもあるのだろうか。
バスのそばを通り抜けようという時
「おつかれさま!」
外国人ランナーから声を掛けられた。

今朝、僕の寒い!という独り言に反応されたのもここだった。
ナンバーカードを付けて、手ぶらで歩いている人というのは、どこか無防備で、人の警戒を解くのかも知れない。


「おぉ、おつかれさん」
帰宅すると、カズ兄ちゃんが仕事場でパソコンに向かっているところだった。
しばし、戦績報告で話し込もうと思ったが
「つかれたやろ?風呂はいれや。なにシャワーでええんか?じゃ、浴びといで」
と勧められる。

給水所では、ちょっとゆっくり走って端から端まで探したんですけど、見つからなかったです
というと、皆も「おかしいねぇ、まだ来んね~」と言っていたらしい。
恐らく、僕の通過時間が、皆さんの休憩にはまってしまったのだろう。

使わせてもらっている客間に戻り、1つ1つ「マラソン装備」を解いていく。
マグフローゲーターを外し、レース中激痛が続いていた右くるぶしのソックスを下ろした時、衝撃が走った。
痛かったその場所には、ピップエレキバンが食い込んでいたのだ。
エレキバンが外れないよう上から貼ったセラポアテープを剥がすと、くっきりと丸く陥没していた。
そのクレーターを指で押さえると、確かに痛い。

エレキバンは固い所に貼ってはいけない
そんなこと誰も教えてくれない。
また1つ「マラソンの知恵」が増えた
だが、代償はあまりに大きかった。


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2018年1月19日 (金)

インスタ映えしない「ふく鍋」を食べながら想うこと

生まれて初めて「ふぐ」を見たのは、上五島に引っ越してすぐの頃だ。
通学で海辺を歩いていると、すぐそこに無数の彼らが泳いでいた。
釣り糸を垂れると、餌がなくても彼らは針にかかる
釣り上げられるとはぶーたれたようにぷーっと膨らむ
でも食べられない(周りの学友がそう言っていた)
友達の誰もが、ふぐが針にかかると即座に海に投げ返していた。

食べられるのは五島で言う「かっとっぽ」ハコフグだ。
時々、通学路にある魚屋のいけすで泳いでいた。
とても美味しいという噂で値段も高いらしいが、四角張ったこの妙な顔をみて、食べられる代物だとは思えなかった。
それが今、さかなクンが被っている帽子のモデル。
なんだか、一度食べたくなってきた・・


ふぐは釣りの邪魔者

その記憶が脳に沈んでいるせいで、僕のなかでふぐのバリューはとても低い
大人になって、親友が「ふぐ!ふぐ!」と言っている気持ちがわからない。
だから、今ここで「ふく鍋」に並ぶ価値を見いだすために、自問自答する。

着替える必要はないし、荷物を受け取る必要もない
こんなレースができるのはココだけだ
せっかくだから、もう少しマラソンイベントの空気に名残を惜しむのも悪くない

インスタはやっていないが、下関海響マラソンらしい「ふく鍋」の写真を一枚押さえて、ブログに載せるのもいい。

それに、いったいこの行列を何分待てば「ふく鍋」にたどり着けるのかも知りたい。
子どもの頃から統計が大好きだった。
目の前に課題を見つけると、なんでもデータを取りたがるのが僕の悪い癖。


待つこと15分、僕のふく鍋ができた。
プラ丼と割り箸を受け取り、キョロキョロとあたりを見回して座れる所を探したが、依然としてそばには座れる場所がない。さすがに箸の食べ物を立ち食いというのは落ち着かない。
平坦な場所はどこもぎっしり人で埋まっていたが、アーチ橋の上にちょうど1人分座れるスペースを見つけ、地べたに腰掛ける。さすがにレース後のべた座りはきついが、勾配がついているので、なんとかカラダを支えることができる。




多いな・・

容器いっぱいに浸された汁
十分な量がある
レース中、5kmごとにジェルを摂っていたため、レースを終えた今、空腹感は皆無。
さらにここで、夕飯が「とんかつ」であることを思い出した。
しまった・・
しかし、今さらふく鍋に並んだことを後悔しても遅い

汁を一のみ
ふく鍋を食べたことがないので、これが及第点なのかはわからない
箸で具をさらうとふくがかかった。
おぉ、入ってるじゃん!
(当たり前だろっ)

浜辺で漁師が、たった今水揚げしたばかりのふぐを鍋にした(しないと思うけど)けれど、調味料を切らしていて、素材の味だけで勝負しましたという一品。
そして、あつあつ
もしも、今日のレースが最高気温6度の中で行われていたならば、あちこちからランナーの「しみる~」「生き返るぅ」「ふく鍋サイコ~」という叫びが聞かれたことだろう。


できれば、29.1kmの長州出島でスルーした「菊川そうめん」をここで出して欲しい。
「ふく鍋」と「菊川そうめん」を並べて食べたら幸せな気分になりそうだ。
「ふく鍋」に「菊川そうめん」を入れたりして・・


静岡マラソンの「静岡おでん」といい、名物の食事をエイドで出すことには賛同できない。
僕らはマラソン競技に来ているのであって、ピクニックに来ているのではない。
レース中、おでんやそうめんに5分も10分も並ぶ。それがスポーツだとは思えない。

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2018年1月18日 (木)

マラソン二大炊き出し「ふく鍋」に並ぶ

フィニッシュエリアを出る。
前回の東京マラソンでは、日比谷公園まで20分ほど歩かなければならなかったが、今日はもう何もすることがない。
いつもならば、しばらく後続のランナーがゴールするのを眺めてから手荷物を受け取り、最低限の着替えを済ませる。
足にエアーサロンパスを吹いたり、持参した魚肉ソーセージをかじったり。
ウィンドブレーカーを羽織ったら、最寄りの駅へ向かう。
この間、およそ1時間。
終わったばかりのレースの余韻に浸りながら浸る疲労感
楽しみとまでは言わないが、悪くないルーチンだ。


今日はカラダ1つ
それにウェストポーチ
走り終えた今、ポーチに残っているのはスマホ(関門橋を1枚撮ろうと思ったが、あまりその意義がないと気づき止めた)
ウォークマン(今もイヤホンから「レース後」の音楽が続いている)
そして現金。
レース後に何か買い物ができるよう、5千円札を4つ折りにして入れて来た。
42.195kmを走った汗がにじんだか、少ししんなりしている。


道路を渡ってイベント会場の「海峡ゆめ広場」へ
まず、目の前のテントで配っていたヨーグルトをもらう。
※選手限定
ということだったが「ほら、イチロウとケイコの分、あとお父さん」
ランナーの奥さんが手に抱えたヨーグルトを分配している。
そこは「まず、お父さんおつかれさま!」じゃないのか。
思わず、苦笑い

キョロキョロとあたりを見回して座れる所を探したが、特に椅子が出ているわけではなく、植え込みの縁といった座れる所は、皆、ランナーとその友達、家族によって埋め尽くされている。
その多くはスマホをのぞき込むか、プラ丼容器を抱えている。

ふく鍋だな・・
向かいのテントでは、いくつかの大鍋からおばちゃんが、それらしき汁ものをプラ丼によそっている。
そして、そのテントからは人間の腸のように幾重にも折り返された長蛇の列が伸びている。

下関海響マラソン名物、完走後のお楽しみは炊き出しのふく鍋。
能登和倉万葉の里マラソン(石川県)で振る舞われる「能登マ丼」と並んで「マラソン二大炊き出し」だと思っている。

やはり、ここは参戦しなければならんだろう。
どれくらい並んで、ありつけたかというデータを取るのも一興だ。


早々に立ち食いでヨーグルトを片付ける。
完走証やペットボトルなどを持ちながらこんな芸当ができるのも、エコバッグのおかげだ。

最後尾と思しきランナーの背後を見つけて
ふく鍋の列に並ぶ
「ふく」というのは下関特有の呼び方
これが、どうにも馴染めない
子どもの頃から河豚は「ふぐ」と呼んで育った
といっても、呼ぶほど目にしたわけではない。
自宅の食卓に上ったことは一度もないし、きっとこれからもないだろう。

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2018年1月17日 (水)

完走証係のおばちゃんに、思わず熊本出身と名乗る

最後の信号を左折するとすぐにゴールアーチ
かと思っていたが、意外と距離がある
このあたりもなかなかいい
目標タイムが迫っているランナーは焦るだろうが、苦しかった一日に名残を惜しむにはほどよい距離だ。


幸町を出発した僕は再びこの町に帰ってきた
朝8時半には下関駅のほうからくぐったゲートを反対側からくぐれば、このレースが終わる

あぁ終わりなんだ

前のレース、皇居前にゴールした時もそう思った
ゴールラインの向こうにへたり込みたい、というほど疲弊していない。
余力がある
体が無理をしなくなっているのか

終盤に余力があり、ネガティブスプリットを刻むことは悪くない
むしろ、そうしなければならない
だが、十分力を発揮したという実感がない

昔は後半、歯を食いしばって走ったものだ。
ペース配分が下手だったといえばそれまでだが、力を出し尽くしていたことは確かだ。
ゴールした後は一歩も動けない、大の字になりたいな、そう考えながら走っていた。


レース終盤だけでなく、もっと早い仕掛けで走ってもいいんじゃないか。
そう思うことがある
だが、これでいいのだ
もう無理をする歳じゃない
無理をして数分早くゴールすることと、体を壊すリスクを引換にはできない
今はそう納得している



ゴールラインを超え、いつものように時計を止める
共に走った仲間と手を取り合っている人をかき分けながら進む。
下関海響マラソンでは、ゴールなど数カ所の写真を公式サイトで後日公開している。
ゴールの記念はそちらで手に入れて、オールスポーツからは他の撮影ポイントの写真を買うという棲み分けができるのはいいことだ。

フィニッシュ後の順路はすぐ右に引き込む
そこでフィニッシャーズタオル、完走メダルをかけてもらい、エコバッグを受け取る。
SHIMONOSEKI KAIKYO MARATHONと書かれた青いバッグは完走賞などを入れて帰るために、今大会初めて配られたもの。
僕のように家から手ぶらで来て、そのまま帰るランナーにとっては、ありがたさこの上ない。


テントでは、今走って来たばかりのデータが載った完走証が発行される。
このサービスを行う大会は他にもいくつかある。
A4サイズのものが多いが、下関海響マラソンはB5サイズ。
これくらいの大きさがちょうどいい。

「熊本から来られたの?」
僕の帽子とナンバーカードのくまモンを見て、係のおばちゃん。
いえ、東京からです。
「じゃ、熊本出身なんだ?」
そうです

違うけど、ここはそう答えたほうが丸く収まると思ったので、咄嗟にそう応えた。

完走証はSHIMONOSEKI KAIKYO MARATHONのオリジナルクリアファイルに入れてくれた。
海峡ゆめタワー、関門橋、Vサインを掲げるカッケルン、そして海と青空のイラストがあしらわれていて「完走おめでとう!」の言葉も添えられている。
大切に使おうと思う。

エコバッグといい、なかなか気が利いている。
大会主催者が、参加者を思い、参加者の笑顔を想い、打合せを繰り返している映像が思い浮かぶ。



完走証のテントを抜けた先がフィニッシュドリンク
この順番もいい
ペットボトルをもらって、まず一口
10時頃は暑いと感じたが、それ以降、汗が流れるような暑さは感じなかった。
レースコンディションとしては95点というところ。
マラソン13回で雨天レースが2回しかない晴れ男ぶりが自慢だが、今日はベスト3に入る好条件だった。

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2018年1月16日 (火)

マラソンコースを5歳児と走る

市民会館を右に曲がる
ランナーは曲がり角を曲がるとき、そこに人がたくさん見ていると、つい加速してしまう習性を持っている。
ここからは「海峡ゆめ広場」をコの字型にぐるりと左に回り込んでゴールへ向かう。


目標タイムはとっくに過ぎているし、誰かが見ているわけでもない。
そんなに速く走る意味はないのだが、勝手に足が前を急ぐ。
もちろん、カラダに力が残っていなければ、そんなこともできないわけで、まだ「足が残っていた」ことになる。
誰よりも速く走る
この時、撮られていたオールスポーツの写真に写った僕は、なかなかのフォームで走っている。
フォームだけならばこの1枚を買いたかったくらいだ。
できれば、ウィニングランのハイタッチでもしたいところだが、いかにも応えてくれそうな人達は見つからない。


数週間前に傷めた膝は、涼しい顔をしてこの42.195kmを乗り切ってくれた。
僕のこの足には、足を向けて寝られない。
いや、そのものが足か・・
対策として急遽投入した「パテックス機能性サポーターハイグレードモデル膝用」のおかげもあるだろう。

コース左側の舗道寄りが広く空いている
もっと、みんな観衆のそばを走ればいいようなものだが、なぜだか空いているので、その空間を加速する。
すると交差点の手前で前を往くランナーに走路を塞がれた。

ランナーは5歳児だ
その左にママも走っている
その右手、2mほどの所にはナンバーカードをつけたパパランナーだ

親子ランかっ

マラソン人生12年
子どもにコース上を伴走させる親を初めて見た。
こういう時、親に向かって「マラソン競技の在り方」について諭すと角が立つので、あぶないよ~と子どもにひらがなで注意を呼びかける
すると、パパランナーが「あぶないんだって~」と注意を促す
ママが子どもの手を引き、舗道に上げる
コース上がクリアされたので、信号を左折する


そのすぐ先にはもう次の左折信号が見えている。
短かった700mほどのウィニングラン
あの角を曲がると、そこにはゴールアーチが待っている。
この86m、ランナーに見えている世界はそれぞれに違っているはずだ。

目標タイムが目前ならば、あれまだゴールじゃないのかという戸惑い
6時間の制限時間に駆け込むランナーも同じだろう
その中間にいる、僕のようなランナーにしてみれば、肉屋のおばちゃんが包む前に秤に乗っけてくれた豚コマみたいなもの
ビルの日陰になった86mは、このコースに名残を惜しむ「おまけ」だ。

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2018年1月15日 (月)

ペンギン君が教えてくれた「止まる勇気」

こんな、へなちょこ走りを見られたらかっこ悪いと思う反面、どこかで見ていてくれるかも知れないという期待は持っている。
往路の第6給水では会えなかっただけに、一度くらいは親戚の応援というのを受けてみたい。

ランナーは42.195kmという距離を走ることで疲弊していく。
だから、周りも見えないくらい意識レベルも低いのだろうと思うかもしれないが、そうではない。
むしろ、生命維持機能を最大限に発揮するがために、ランナーの意識は研ぎ澄まされていく。

いつもは、誰も沿道に知人がいないレースばかりだが、東京マラソンに限っては知人が応援に来る。
そこでは、100万人を超えるというあの大観衆の中から、知人の姿をしっかり見つけることができる。

第2突堤を過ぎると、その先は東大和町
どこで親戚に見られてもいいように、ここでなんとかしようと、一度コース左端に寄り立ち止まる。
慎重に屈伸を一度

これは、板橋Cityマラソンで終盤、足が痛くて歩きそうになったという話しをしたところ、マラソン仲間のペンギン君が教えてくれた。
「motoさん、足が痛くなったら無理せず、一度止まって屈伸入れたら、また足が動きますよ」

これまで「歩いたら、完走と言わない」と頑なに止まることや歩くことを排除してきた僕に、彼が「止まる勇気」を教えてくれた。


「リセット屈伸」を入れてから、少しは足が前に出るようになった。
だが、自分の足ではない、誰かの足を借りて走っているような違和感は消えていない。

この時、彦島大橋を過ぎたあたりからなのだが、これまで経験したことのない感覚を味わっていた。
着地した足で地面を押していく
その足がくるりと回転して、勢い余って甲が地面に付いてしまうようなイメージだ。
そのせいで思い切り、前へ推進力を得るのが怖く、慎重に足を裁いている。
これは、ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%のカーボンの反発力が成せる業かも知れない。
このイメージはゴール直前まで消えなかった。


第2突堤から第1突堤へ
コースは至って平坦、少しずつ足の隅々にまで酸素が行き渡り始めている。

あと1km
東大和町に帰ってきた。
さっきより、沿道の観衆がまばらになった。
下関駅のガード沿いだが繁華街ではないため、人口が少ないのだろうか。
1人のランナーが倒れて、沿道の人が介護している
救急車の到着を待っているようだ
下関海響マラソンは過去9回大会では、1人も心肺停止となったランナーが出ていない。
6万人に1人の割合で心肺停止が起きているマラソンでは、希有な状況と言える。
(東京マラソンを走っていてとなりを走っていた芸能人が心肺停止になったのを見たことがある)
東京マラソンのような比較的楽なコースで毎年のように心肺停止者が出る一方、タフな下関海響マラソンのコースで出ていないというのは不自然な印象がある。

恐らくそれは、コースの難易度ではなく、きちんとした練習をしていない人、走るべきではない状態の人が出ているかどうかに関わる問題なのだろう。


シーモールパレス前の信号を過ぎると、そこからは繁華街
ここからぐっと観衆が増えた。
ここに来てほとんどのランナーが、走っている。
スピードが乗ってくる
マラソンでは終盤のラストスパートは危険なため、してはいけないという注意喚起をするレースもあるくらいだが、最後に観衆が多い「ウィニングラン」が用意されているコースでは、するなという方が殺生だ。

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2018年1月13日 (土)

丁寧な言葉づかいで話す下関の女子高生

彦島トンネルを抜けると、そこは下関だった
のは当たり前だが、そこにはバケツと柄杓を持った高校生のボランティアが待ち構えていた。
「お水かけませんか~」
さっきから、数カ所で見かけていた彼女たちは、ランナー達に足に水を掛けて冷やすことを勧めている。


マラソン人生よりも、靴コレクター人生の方が長い僕は、靴を濡らすという行為に抵抗があるというのもあるが、足に水をかけることで、予期せぬ変調が起きそうで、水は掛けないようにしている。
それでも、つい「じゃ僕も」といって、女の子から柄杓を受け取りそうになる。
それほど、彼女たちの熱意は無垢で真摯。
まっすぐにランナーの心を打つ。


この日の模様を収録したテレビ番組をKRY山口放送が制作し、後日、東京MXでも放送された。
その中でこの柄杓娘の1人がインタビューに答えている。

どうしてそんなに熱心に応援するのですか?という問いに対して彼女は
「ランナーの皆さんが一生懸命頑張っていらっしゃるので、私たちも一生懸命応援しようと思うんです」

僕は山口県に育ったことが誇らしかった。
どうだ!
聞いたか、高校生にしてこの丁寧な言葉遣い

そんな心根が、難攻不落のコースを耐え抜いてきたランナーの心に浸みる。



彦島道路に別れを告げると、人が住んでいる町並みに戻る。
閑散としていた彦島道路の区間と一転して、一気に沿道の応援が増える。
子どもが手でメガホンをつくって叫んでいる
どうして、あんなに必死になれるのだろう
走っている僕が思ってしまうくらい、彼は忘我の境地にいる
ハイタッチをしてくれる男の子と手を合わせた。
彦島の子ども達が、今も心に残っている。



彦島トンネルを下りをいただいて、ベストラップの快走をしてきたばかりだが、行く先には関彦橋(かんげんきょう)が待っていることを思い出した。
これが、このレースまさに最後の難関。
さっきまで、ちょっと調子に乗ってしまったが、ここは気を引き締めて、同じ人が走っているとは思えないくらい劇的にペースを落とす。

橋の頂点を過ぎる
さぁこれでもう、このコース上に上りは1つもない
下りはまた、ダッシュでいくか・・
そう思ったが、足が言うことを聞かない
まるで、累積警告2枚で出場停止を食らったサッカー選手
足に酸素が戻らない。


橋を降りたところで、今度はぐるりと左に回って第2突堤へ向かう。
この先には、親戚一同が出勤していたはずの第6給水があるが、既に撤収されている。
第6給水のコース反対側には第16給水があるが、第6給水のボランティアは、ランナーが通り過ぎたらお役御免。第16給水へ回ることはないと聞いている。
こんな、へなちょこ走りを見られたらかっこ悪い。

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