2009年6月24日 (水)

タイトルが長い、静岡の新しいマラソン大会

 マラソンは人びとを健康にする。
 そして、マラソンは主催者に利益をもたらす。

 2008年に始まった徳島県の「とくしまマラソン」山口県の「下関海響マラソン」はいずれも、たくさんの参加者を集め、地域に大きな経済効果をもたらした。

 現在も、奈良県、京都府が新たなマラソンを計画中であるとメディアが伝えており、それ以外の地方公共団体も、虎視眈々と新たな「町興し財源」を狙っている。

 そして、また一つ2009年に新マラソンが誕生する。

 2009年11月1日
 富士山静岡空港開港記念第1回しまだ大井川マラソンinリバティ

 ながい・・

 まるで火曜サスペンスである。

 「富士山静岡空港」は、2009年6月4日に開港した、静岡県初めての空港。
 「しまだ」は静岡市から南西25kmほどの位置にある島田市。マラソンコースは複数の市町にまたがっているが、スタートとゴール地点は島田市にある。
 「大井川」は、静岡県を流れる一級河川。
 一級河川とは、国防と経済の観点からみて、特に重要な河川。
 最後の「リバティ」は、大井川の河川敷に設けられた片道22km のマラソン用コース。島田市、藤枝市、大井川町の三市町にまたがっている。
 河川敷のマラソンコースといえば、荒川がある。荒川市民マラソンは、今年3月に第12回を迎えた人気大会。7時間制限マラソンの先駆けでもある。

●第1回:2009年11月1日
●制限時間:7時間
●定員:6,000人
●エントリー方法:先着順
●参加費:5,000円

 コースは島田市役所を出発。
 大井川沿いの「リバティ」を往復して、島田市陸上競技場にゴールする。
 空港からは、ほど違いが、隣接した道路は走らない。
 始点、終点は違うが、往復コースと言える。

 「私が辞めれば、木を切ってくれるでしょう」
 こんな奇異な辞任談話を読んだのは、2009年3月のこと。
 石川嘉延 静岡県知事の辞任会見談話である。

 辞任したら、木を切る??
 事情を知らない者からすれば、意味不明だった。

 簡単にいうと、こういうことだ。
 静岡空港近隣の敷地に、航空法の制限を超える立木があった。
 これを切らなければ、開港できない。
 だが、立木の所有者は伐採に応じない。
 県知事と所有者が話し合い「知事が辞めるなら木を切ってもいい」ということで、話がついた。
 すなわち、県知事がその職と開港を引き替えにしたということだ。

 さて、本題のマラソン。
 既にエントリー受付が始まっている。

 7月~8月には、セカンドウインドACが、この大会と連動したランニングクリニックを、札幌、福岡、沖縄で開催する。
 クリニック参加者が、富士山静岡空港を利用して本大会に出場すると、1万円の交通費補助が出る。
 今や、マラソンは「旅」
 開港間もない新空港に降り立ち、記念すべき第1回大会を走る。
 そんな「第1回マニア」が、少なからず居ることだろう。

 9月11日がエントリー締切設定日。ただし、先着6,000人を超えた時点で締切となる。
 東京から日帰りできる距離でもあり、前日受付が強制されなければ、定員を集めるのは難しくないだろう。

*大会ホームページには、受付とナンバーカード交付についての記述は、見あたらない。



マラソンを走りながら書いたブログ一覧

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2009年5月 4日 (月)

2009湘南国際マラソン 受付始まる

5月1日、早くも11月の秋マラソン「湘南国際」の募集が始まった。

湘南国際マラソンは、過去4度走ったマラソンの中で、唯一途中関門で止められて、完走できなかったレースだ。
だから、再挑戦したい。
でも、しない。

その理由は「江ノ島ゴールではなくなったこと」「3月から11月開催に移ったこと」である。

違うコースで完走しても、壁を越えたことにはならない。
失敗時と同条件で乗り越えなければ、達成の喜びには浸れない。

11月に走るには、夏から走り始めなければならない。
「春マラソン」ならば、正月に走り始めて、走り終えた頃に花見が待っている。
運営面からみても、東京マラソン落選組を拾える3月開催のほうが、ランナーを集めやすい。
東京を落選する人は20万人を超える。
「荒川」や「かすみがうら」と時期が重なることは、たいした問題ではない。

その湘南国際マラソンから、2009年 第4回大会のパンフレットが届いた。
「まだくるのか・・」
自分の場合、第1回に走ったが、その後、第2回、第3回を走っていない。
それでも第4回のお知らせはやってきた。
よほど、商売熱心なのか、それとも定員を満たすことに不安を感じているのか。

今回の告知はわかりやすい。
パンフレットとは別に「今大会の特徴」がまとめた紙が入っている。
今大会の特徴は、そのまま、湘南にとって初の試みでもある。

1.事前受付なし。ナンバーカード事前送付
2.完走メダル贈呈
3.スタート位置が会場に近くなった
4.ナイキが特別協賛になった

1は大変よい。参加者の大半が神奈川県民とはいえ、マラソンのために2度も大磯まで行くのはしんどい。
2は東京マラソンへの追随。真似るならば、メダルだけではなく、タオルも配ってもらいたい。
3はよくわからない。どうでもいいと思う。
4は主催者が嬉しいだろう。僕が出た第1回はニューバランスだった。

西湘バイパスが台風で崩落たために30kmレースとなった第2回では、折り返し点は江ノ島からかなり離れていたが、今回は江ノ島のすぐそば。
走るコースは第1回とほぼ同じだが、スタート/ゴール地点がコース西端のため、印象は大きく異なる。

 湘南の象徴 江ノ島に集まり、江ノ島にゴールして帰る。それがしたい。
記念品はTシャツではなく、地元調達の蛤でもいい。
2010年の第5回記念大会だけでいいから、ゴールを江ノ島にしてもらいたい。

■2009湘南国際マラソン
定員 12000人
会場 大磯プリンスホテル
制限時間 6時間
参加費 8000円

5月 1日 エントリー受付開始 先着順
7月31日 エントリー受付終了
8月28日 ボランティア応募〆切 先着2400名募集
11月 8日 9:00レーススタート

リタイアブログ「湘南に風は吹かず」

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2009年4月22日 (水)

花と東京マラソンと日比谷公園

ある時、僕は、東京マラソン2007のボランティア説明会に出ていた。
ボランティア・リーダーが、担当拠点ごとにボランティアを集めて、仕事の内容を説明する。
僕が参加した「新宿出発地点フルマラソンランナーの荷物受付」班の隣では、ゴールゲート班の説明が行われていた。

「ゴールした後、女性だけに、花束を渡します」

メダルだけでもびっくりだが、花束までとは、大盤振る舞いだ。
そこで、僕は思った。
どうやって、男女を見分けるのだろうか?
ランナーは、目深に帽子をかぶり、CW-Xなどのロングタイツをはくと、男女の見分けがつかない。
ゴールしたランナーに向かって
「すみません、女性ですか?」
と確認するのは、難しそうだ。

答えはすぐに説明された。

「女性は、ゼッケンの数字の前に F がついていますから、F がついている人に渡してください」

その場がざわめき、安堵した空気が流れた。

この花束について、東京マラソンを開催にこぎつけるまでの実質的な責任者、遠藤雅彦は著書「東京マラソン」で、次のように書いている。

(以下引用)
シカゴマラソンのフィニッシュ会場には、花束を売っているブースがあります。
~中略~
東京マラソンのフィニッシュ会場で花束を売るブースを出しても、たぶんあまり売れないでしょう。そこで、まず配ろうと考えました。マラソンを完走した人には花束を贈るという習慣が根付くまで、何回かは配る必要があると思ったのです。
(引用おわり)

なかなか美しい話だ。
ところで、東京には100年前にも、似たような話があった。
かつて、日本初の公園「日比谷公園」を作った時のことだ。

1900年頃、日比谷公園の設計者である本多静六は、公園の設計図に門を書かなかった。
すると、市会で猛烈な反対を受けた。
「なぜ各門に門を設けないのか、夜間に花や木を盗まれてしまう」

これに対して、本多は反論する。
「公園の花が盗まれないくらいに国民の道徳が進まねば日本は亡国だ。公園は公徳心を養う教育機関の一つになるのだ。私は公園にたくさん花を植えて、国民が花に飽きて盗む気が起こらないくらいにするのだ」

今となっては、公園に門がないのは当たり前。
公園に花を盗みに行く人はいない。
だが、歴史が始まる前の価値観は違っていた。

さて、東京マラソンの花束の話に戻る。
結論から言うと、ゴールした女性ランナーへの花束は、第1回限りとなっている。
第2回、第3回では配られていない。
だからと言って、花束を買って贈る習慣が根付いたわけでもない。
第3回のゴール地点には、花束を売っているブースは見あたらなかった。

遠藤雅彦は、第1回を限りに、東京マラソンの担当から外れている。

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2009年4月16日 (木)

メダルとタオルとバナナ

東京マラソンを走りながら書いた 【 17 】

あぁあ、終わっちゃったよ

呆気ない終わり。
余力を残した低調なレースにため息が出た。
ランナーの職業病、ラップの時計を止めるのも忘れた。

しばらく歩いてから時計を止める。
走行距離 43.62km

Dsc06100
スタートラインまでの465mを差し引いても、960m余分に走っている。
一番の要因は、常にハイタッチをするために、左端を走り交差点を大回りしていたこと。次に前のランナー・・ではなく、ウォーカーを抜くのに、蛇行して走ったことがあげられる。

ゴール後は、ランナーがベルトコンベアーに乗っているような流れ作業。
手順が洗練されている。

まず、チップを靴から外してくれる。
東京マラソンでは結束タグでチップを靴紐に結わえる。
この方法は初めて見た。
これまでに出たマラソン大会では、靴紐を一旦アイレットから外してチップを通すため、外す時も靴紐をかなり解かなければならない。
今後は、この結束タグ方式が他の大会でも標準となっていくだろう。

外したチップを手渡されて、それと引き替えに完走メダルがもらえる。
ボランティアが一人一人のランナーの首にかけてくれる。
メダルをかけてもらうなんて、生涯で初めての経験だ。

おめでとうございます
ありがとう

土砂降りの雨のなか、そこかしこで、同じ会話が繰り返される。

続いて、特大のスポーツタオル。
これが、今大会もらった物の中では一番嬉しかった。
ランナーは我先にと受け取り、びしょ濡れになった髪を拭いている。
東京マラソンを開催にこぎつけるまでの実質的な責任者、遠藤雅彦は著書「東京マラソン」で、第1回では、タオルはコストが高くつくため、配れなかったと書いていた。
それだけに、タオルがもらえるなんて、思っても見なかった。
その代わり、第1回では、女性限定で配っていた花束は見かけなかった。第2回に出場したランナーによると、第2回でも花束はなかったそうだ。

バナナ、みかん、東京の水ペットボトル
とにかく、腹が減っている。バナナをすぐに剥く。
隣りで頬張っていたおじさんに「あまり食べ物なかったですよね?」と水を向けると、そうだっけという顔で笑っていた。

雨は小降りになっている。
久光製薬の社員がエアサロンパスを配っている。
傍らで椅子をタオルで拭いて、今ここでどうぞと勧めてくれる。
「今やっておけば、明日が違いますよ」
それは、的を射ている。
ミニボトルを1缶使い切ったお陰で、翌日の筋肉痛は驚くほど軽いものだった。

荷物受け取りは迅速。
第一回で、散々待たせた反省を元に、改善されていた。

ビッグサイト屋内の広いホールが、着替え場所に用意されている。
これで、3回のうち2回が雨にたたられた東京マラソン。この会場をゴールに選んだことが功を奏している。
ただ、マラソンの後は、晴れた空の元、芝生に寝ころびたい。

着替えたところで、ゴールに4万個のおにぎりが用意されているという話を思い出した。
4度めの正直。今日こそはおにぎりにありつきたい。
だが、それらしき姿はどこにもなかった。

3月23日
快晴
なんだよこれ 空につっこむ。

そして、今日も風が強い。
それにしても昨日のレース。
参考にならなかった。
あれくらいの調整ならば、どれくらいのタイムが出るという相関が見えない。
しかしながら、また一つマラソンを知った。
いくら脚力があっても、腹が減ったら走れない。
そういうマラソンもあるのだ。

来年のレース「長野を走る」と決めていた気持ちが少し揺れていた。

ユニフォームと靴を洗う。
マラソン用品を元の位置に戻す。
日常へ戻る。
祭りの季節が終わった。

ハイタッチ数 700人
走りながら撮った写真 20枚
ゴールまでに聴いた音楽 84曲
食べ物をいただいた私設エイド 5人
路上に捨てたゴミ 0

やっぱり、いつかまた走りたい。
ここを超える楽しいコースはないのではないか。
その前に、次の挑戦が待っている。

【 おわり 】

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2009年4月14日 (火)

足がほんとに痛いと思うけど、がんばれ!

東京マラソンを走りながら書いた 【 16 】

あと2kmの看板の脇を通過。
ボランティア・スタッフから声がかかる。
「がんばれ! あと3km!」
おいおい、違うだろ
名探偵コナンの声で、つっこんでしまった。

残り2kmといえば、いつものマラソンならば、嬉しい知らせ。
だが、中盤に寝ていたような今日のマラソンでは、複雑な気分に包まれる。

実際に、雷門から銀座へ戻る際、日本橋交差点の左折では 「ここで、寝よう」と思った。
これだけ意識が低下していても、走れるのだから、目をつぶっても走れると思えたのだ。
この試みが成功すれば 「睡眠完走法」として、マラソン学会に発表できる・・
目を閉じようとして、すんでの所で思いとどまった。
直前に、私設エイドで、チョコをもらっていたおかげだ。
あそこで、目を閉じていたら、突然ばったりと倒れ込んで、周りの人をびっくりさせただろう。

「大丈夫か?」
駆け寄るボランティア。
いやいや、すみません。大丈夫です、ちょっと寝ながら走ろうと思って・・・
きっと、走り疲れて、おかしくなったと思われただろう。

去年、かすみがうらを走った時のような、ゴールの遠さを感じない。
かすみがうらは最後の最後まで、どこがゴールなのか、わからなかった。
後でコース図を見ると、ゴールまで700mの地点が、残り3kmぐらいに感じていた。
かつて、福岡国際を平和台で見て、競技場でのゴールに憧れていた。
かすみがうらのゴールは、その競技場なのだが、作りが小さくて、直前まで気づかない。
いつかは、巨大な競技場のゲートをくぐって、トラックに飛び込みたい。

ガイドブックには「40kmを過ぎると、もうアップダウンもない。ゴールを目指すだけ」と書いてあった。
よし、これで終わった。あとは、ゴールするだけだ・・
大嘘だった。
首都高速湾岸線を立体交差するため、りんかい線「国際展示場」駅のところでもう一度登り坂。
それで本当に坂は終わり。あとはフラットな道。
ここにきて、雨脚が強くなり、前が見づらい。
この雨の中、傘も差さず応援してくれる沿道の皆さんがいる。
こんなに雨が降っているのに、なぜ?

応援は、叫びに変わっている。
「完走できるぞ!」
あの、制限時間まで、あと1時間あるんですけど・・
きっと、マラソンを走ったことはない方なのだろう。

「足がほんとに痛いと思うけど、がんばれ!」
彼もランナーで、マラソン終盤の激痛を乗り越えたのか。
終盤のこの位置に陣取って、その具体的な応援。
可笑しくなって、気持ちが軽くなった。

皆、気持ちが一つなのだ。
応援の皆さんも、僕らと一緒に走っているんだ。

できるだけ、ゆりかもめの高架下を走り、雨をしのぐ。

ゆりかもめと別れを告げ、東京ビッグサイト前を左折。
そこにも、土砂降りのなか、沿道はすずなりの人。

ずっとコースの左端を走ってきた。
ここは、左端には人がいない。
隊列からぽつんと一人離れて、残りわずかとなったコース上にいる。

少しでもタイムを詰めようと、そこそこにペースを上げる。
ゴール間際のラストスパートが、突然死につながることは、何度も本で読み、いくつかの大会では主催者から注意が喚起されていた。
全力疾走したところで、得られる目標は、もう残っていない。

東京ビッグサイト東の交差点を右折すると、そこはゴール・ロード
テレビ局だろうか。誰かにインタビューしている音声が聞こえる。
まだ3時過ぎというのに、夕闇迫るスタンド前を駆け抜ける。

過去2回は、テレビで見ていたゴールの映像。
カメラはいつもゴール側からの絵をとらえている。
逆から見る映像に、特に感慨はなかった。

次回は4月16日

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2009年4月13日 (月)

4度めのZARD「負けないで」

東京マラソンを走りながら書いた 【 15 】

35kmで聴こうと思っていたロッキーのテーマ。
これだけ体力が残っている35kmも珍しい。

私設エイドで、なにやら暖かいものを配っている。
このあたりの人は皆歩いていて、立ち止まり暖を取っている。
暖かくて、美味しそうなのだが、さすがに走りながらでは、飲めそうにない。
残念だが、横目で見送る。

翌日、バラエティ番組で、この私設エイドが取り上げられていた。
みそ汁と、おにぎり1500個を振る舞ったらしい。
個人で1,500とはすごい数だが、もちろん、6時間ランナーには遠い夢である。

入船橋の信号を右折すると、道路は上り坂。
最大の難関とされている佃大橋だ。
レース前は、どんなに辛い坂になるだろうと考えていたのだが、違った。

私設チョコで復活したため、ここに来て、足が元気なのである。
佃大橋の上りは、全員歩いていた。
極端に言っているのではなく、実際に走っている人が、僕以外に一人もいない。
そこを、ちょいとごめんよと声をかけながら、縫うように走っていく。
本来、上り坂は、生理的イーブンを期するため、ペースを落とすもの。
しかし、ここに来て、絶好調の足は、平地よりもペースを上げて進んでいった。

今回は、ほとんど鳴っていた音楽を覚えていない。
それでも、いつも心に響く歌がある。
88曲中、63番めにいれた
「負けないで」ZARD
この歌だけは、いつも、特別な思いで聴く。
前奏が鳴ると、朦朧としていた意識が戻ってくる。

♪負けないで、もう少し、最後まで走り抜けて♪
♪負けないで、ほらそこに、ゴールは近づいてる♪

ランナーのために作ったとしか思えない。
自宅でパソコンに向かっている時、この曲を聴くと、レース終盤の苦しい呼吸のなか、歯を食いしばって走り続けた記憶がよみがえる。
今回は、34km地点で鳴るように入れたが、次回はもう少し後ろ。39kmあたりに入れよう。
入り船橋の手前で、沿道からもロッキーのテーマが聞こえてきた。
ランナーから苦笑いが漏れる。
確かにぞろぞろ歩いている姿に、この曲は似合っていない。

佃大橋の真ん中で36km
37km、朝潮大橋
春海橋を左折
豊洲二丁目の信号をゆるやかに右カーブ
応援は、まばらになることはあっても、途切れることがない。
元々人口は多くない地域。地元の人は総出してるんじゃないか。
臨海地域の応援が薄いという風評を知って、わざわざここに駆けつけたと見て取れる人もいる。

Dsc06099

東雲橋を渡ると39km
そこを過ぎると、雲がさらに厚みを増した。
応援に来ていた学生が「おいおい、真っ暗になっちゃったよ」と空につっこんでいる。

東雲一丁目を右折すると40km。
40kmのタイムは、予定より15分遅れ。
終盤に足が残っていたため、この5kmラップは、予定より1分速い。



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2009年4月11日 (土)

マラソンの応援で力をもらうということ

東京マラソンを走りながら書いた 【 14 】

歌舞伎座を過ぎ、築地四丁目の交差点に向かう道。
銀座に繰り出した買い物客は、静かに僕らマラソン・ランナーを見守っている。

そこに人はたくさんいるのに、静かだ。
皆さん、それじゃ、つまんないでしょ?
どうです?ハイタッチでもしましょうよ。
今日、家に帰ってから、お茶の間で「走ってる人とハイタッチしてきたよ」って言えるし、参加した気がするでしょ。
なんたって今日は「東京が一つになる日」ですから。

沿道いっぱいに左に寄り、こちらから大きく手を振りかぶる。
すると、そのうちの一人がハイタッチに応える。
すると、その連れのおばちゃんの手が出る。
その2m先のおばちゃん、その旦那のおじちゃんも。

エイドでハイタッチ・ラインをつくってくれたボランティアのおかげで、レース後に試算したハイタッチ人数は 700人。
ハイタッチをしようと待ちかまえてくれた人が 600人。
その気はなかったのに、こちらが迫ったのが 100人。

たくさんの力をもらった・・

そう、書くと思っているかも知れないが、本当のところはよくわからない。
応援を受けると嬉しい。
ハイタッチをすると楽しい。
だけど、それによって、元気もりもり、脚力がんがん・・
ということはない。
応援がなければ、あそこでつぶれていた。
なんてこともない。
そもそもそんな柔では、6時間も歩かずに、走れない。

一つ言えることは、応援もハイタッチもない道を、6時間も走ることは難しいということだ。
そんな道には、給水所がないし、5cmのバナナすら出ない。
信号で止められたり、自転車にぶつかったりもする。路上の段差に常に神経をとがらせなければならない。

ランナーのためにしつらえたコースがあり、信号はすべて青。
2.5km毎に水を配ってくれる人、バナナを配る人がいる。
沿道で、声援を送ってくれる見知らぬ大勢の人がいる。
そんな特別待遇が、参加費の高い大会でも1万円、安ければ5,000円で受けられるのである。

ゴルフが趣味でも、コースに応援のギャラリーはいない。
ナイスパットを決めても、4人が「ナイスイン」と言ってくれるだけ。
国体や日本選手権という場で、声援を受けるのは一部のアスリート。

素人が、見知らぬ大勢の人から応援を受ける、唯一のスポーツ。
それがマラソンなのである。

築地4丁目を左折すると35km
予定していたタイムからは、16分遅れ。
この時点で、昨年のかすみがうらマラソンより、タイムが悪くなることがわかった。

いよいよ、ここからが自分のマラソン
35kmまでは東京の名所と、大観衆がつくってくれる。
ここから先の 7.195kmは自分でつくる。

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2009年4月10日 (金)

銀座での復活

東京マラソンを走りながら書いた 【 13 】

32km
日本橋を過ぎて、再び銀座の中央通りに戻る。
時刻はまだ 13:40
いつもの日曜日ならば、まだまだこれからという時間帯だが、雲は厚さを増し、二度めの銀座は、夕闇の街に変わっていた。
ここまで来れば、ゴールまでの道のりは頭にある。
銀座和光から築地までの道は、庭のようなものだ。

マラソンも終盤にはいると、応援の趣向が変わってくる。
そのメッセージに、より具体性が増してくる。
私設エイドも増えるのだが、プラカードも増える。

「楽しんで!」
楽しんでと言われて、あ、そうだったと思い出す。
レース前は、かなり楽しめると自信があったのだ。
だが、楽しむというのは、楽しむ力があってこそ。
たとえ東京だろうが、下関海響だろうが、力がないマラソンは苦しい。
今日の僕には、まだ楽しむだけの力がなかった。

「明日は仕事だ」
マラソンは日曜日なので、当然、翌日は月曜日。
お休みを取っていない人は、いつものように早起きをして、筋肉痛の足をひきずり、仕事へと向かう。
それにしても、きつい一言だ。

「ナイスラン」
いや、すみません。こんなへぼな走りして・・

こうして、プラカードにつっこみ、一頻り考える。
世の中にはプラカードを作ったことがある人と、そうでない人がいる。
一見簡単なことのようだが、段ボールを切って、マジックで書くだけでも、それ相応の手間暇がかかる。
それをカバンに入れて、電車に乗ってくるのだ。荷物はかなりかさばる。
普通の人ならば、思い立っても、やっぱりやめておく。
それを、突き抜けて、こうして掲げられたプラカード。
一つ一つ大切に、すべてを読み、評論しながら走った。

ハイタッチは続けている。
すると、ハイタッチ待ちで並んでいる手の中に、チョコレートや飴が握られている。
素手 素手 素手 チョコ 素手 飴・・
これは、新しいスタイルだ。
ちょっと面食らった。
ハイタッチをしていると、突然チョコが出てくる。そのままハイタッチしようとすると、チョコを払い落としてしまいそうで、思わず手を引っ込める。

「もらってくれない・・」
と嘆いている女性の声が聞こえた。
まぁ、まぁと友達が慰めている。

34km
銀座四丁目を左折
時刻は14時。
この時、突如、体に力が戻ったのがわかった。
チョコレートと飴が効いたのだ。
脳が防衛機制を解き、体にエネルギーの使用許可を出した。

歌舞伎座の前は、黒山の人だかり。
その中に、歌舞伎のコスプレで応援しているそ~さんがいる。
大見得を切って、おまかせあれ~っとでも言っているかと思ったら、あの格好でふつーに立っているのが可笑しい。
挨拶をして、再び走り始めた。

次回は4月11日



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2009年4月 8日 (水)

東京マラソンは走りづらい。

東京マラソンを走りながら書いた 【 12 】

ここで、東京マラソンで、一番嬉しかった出来事を書こう。
それは、後半のエイドにあった。

僕ら6時間前後のランナーが30kmを過ぎる頃、大半のエイドは、規模が縮小されている。
エイドに詰めている水色のジャンパーを着たボランティアのうち、半数は手が空いている。
そんなエイドにさしかかった時だ。
にこにことこちらを見ながら、ハイタッチを待つ、水色の隊列が見えた。
手が空いたメンバーが、ハイタッチしながら、応援の声をかけてくれる。
迷わず、近寄った。
まるでホームランを打ったバッターがベンチに凱旋したかのように、20人ほどの隊列に、タッチしていく。
一人一人の笑顔がなんと、愛くるしいことか。
一人一人に「ありがとう」「ありがとう」と声をかけていく。
なぜだかわからないが、どこでも、女の子の列が先に並び、その後に男の子の列が並んでいる。

水を渡しているスタッフも、コップを渡しながら、必死に声をかけてくれる。
「いけ」
「がんばれ」
それで、いいんだ。
こんな時、ていねいな言葉遣いは要らない。
気合いのこもった言葉が、心に響く。

ランナーに気合いを注入しながら、ペットボトルからコップに水を注いでいる兄ちゃんがいた。
「がんばれ、チェルシー・・おっ、デコ いけ~」
嬉しかった。

今回のレースでは、5人の方が「チェルシーがんばれ」と声をかけてくれた。
31km過ぎで飴を配っていた女性が「あ、チェルシー・・の人、がんばって」と言ってくれたのが、可笑しくて心に残った。

いくつかのエイドでは、一刻も早く紙コップを片付けたいのだろう。
ランナーが続々と来る合間を縫って、ほうきでコップを掃いている青年がいた。
できれば、すべてのランナーが通過してからの方がいいと思った。
遅いランナーは特に疲れていて、目の前のボランティア一人よけるのも、大変なのだ。

31km
浜町中の橋の交差点を今度は左折。
コースレイアウトが頭に入っていないので、なぜここを右折なのか。その先はどのように道が続くのかがわからない。
後で地図を見ると、茅場町から築地までの4kmは、長方形の3.5辺をなぞるように、四角く走っている。
初めての市街地コースを走る時、コース像がつかめないことは、精神的な負担が大きい。特に疲弊したレース終盤では、なおさら。
次に新たな市街地レースを走る時は、コース図を穴が空くまで見ておかねばなるまい。

東京マラソンは走りづらい。
銀座から雷門、再び銀座へと戻る、この区画を走っていて、それは確信に変わっていた。
もっと正確に言うならば、5時間半以上のタイムで、なおかつ、歩かずに走り続けるランナーにとって、東京マラソンは最高に走りづらい。
なぜならば、見たこともないような大量の人が一斉に、歩いているからだ。

かすみがうらマラソンでも、終盤はたくさんの人が歩いていたが、走るコースには困らなかった。
東京マラソンは、かなりコース幅が広いのだが、半端ではない人数が歩いて、コースを埋めている。まさに、縫うように走らざるを得なかった。

さらに、歩くマナーも悪い。
突然、立ち止まる。
コース上でストレッチをする。
歩いていたかと思うと、後ろも確認せずに走り出す。
コース脇に寄る時に、後ろも見ず、斜めに歩く。
初マラソン・ランナーが多い所以だろう。

ゴルフ場に行けば、やれ、ラインを踏むな。足をひきずって歩くな。
人がアドレスに入ったら、動くな。
打ったら、ボールまで クラブを3本持って走れ・・
と散々、先輩からマナー教育を受ける。
どんなスポーツでも、ルールとマナーは先輩や指導者から、更新の素人へと伝わっていく。

そこをいくと、市民マラソンは、そもそもスポーツなのか、イベントなのかが曖昧だ。
「僕はオリンピックに出るわけじゃない。マラソンを楽しんでいるだけだ」
そういうランナーは多い。
ただ、せっかくスポーツの場に顔を出しているのだから、その競技に先達から受け継がれてきた、ルールやマナーにどっぷりと浸かってみるのはどうだろう。

東京マラソンというスポーツは、まだわずか3回。
ルールとマナーは、未だ、発展途上である。

次回は4月10日



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2009年4月 7日 (火)

神田川でチョコレート

東京マラソンを走りながら書いた 【 11 】

27km
このあたりで、人形焼き 1万個を配る。
毎回恒例、あんこ抜きの人形焼き。いずれ、荒川のシャーベットのように、名物給食としてかぞえられるだろう。
それにしても、3万人が走るというのに、あまりに少ないではないか。
荒川のシャーベットは、最後の一人まで行き届くよう、用意されている。
老舗の業者一社に依頼していて、一度に3万個を用意するのは難しい。。
といった理由なのだろうが、そこはなんとかして、最後の一人まで、口に入ることを望む。

僕が27km地点を1万位以内で通過するわけはなく、人形焼きは最初から諦めていた。
狙うは、ゴールにある4万個のおにぎり。

マラソンのエイドで、一度おにぎりが食べたい。
そう思うきっかけは、初マラソンの荒川にある。
前日受付で受け取った広告チラシによれば、レース当日、金芽米のおにぎりがふるまわれると書いてあった。
きっと、マラソンを走りながら食べる、おにぎりは格別美味いに違いない。
だが、レース当日は風速20mの逆風。
おにぎりどころではなかった。

完走した翌日、新聞紙上に、こんな記事が載った。
「金芽米のおにぎりがランナーに配られ、応援の人たちにもふるまわれました」

すっかり、その存在すら忘れていた金芽米。
速いランナーが食べてしまったならば、諦めもつく。それを、応援の人が食べてしまったと聞いてショックを受けた。
楽しみにしていたのに・・・
食べ物の恨みはしつこい。

次の年の湘南国際では、おにぎりはみつけられなかった。
その次は「施設エイドが充実」が謳い文句の「かすみがうら」
もちろん「私設」と書くのが正しいのだが、なぜか、主催者の資料には「施設エイド」と書かれている。
ここでも 「かすみがうらマラソンコミュニティ」の仲間から、おにぎり発見の報告はあったが、やはり、僕が通過する頃は、売り切れた後だった。
4度めの正直。3万人に対して、4万個のおにりぎり。
今日こそは、おにぎりにありつけそうだ。

28km~30kmもタイムは8分台後半。
お腹がへこんでくるのがわかる。
「お腹と背中が・・くっつくぞっ」
思わず、NHKお母さんといっしょの歌を口ずさんだ。

雷門から銀座への戻り。
ここにきて、チョコレートや飴を差し出している人が増えた。
ここは、積極的にもらっていかなければ・・
とにかく、何か食べなきゃ

30km
30kmの通過タイムは予定より、9分遅れ。

神田川のほとりで、チョコレートをもらった。
一度もらうと、次は何がもらえるのか、気になって仕方がない。
ほとんどの私設エイドでは、食べものをトレーに入れている。
トレーをのぞき込むまでは、何が入っているかわからない。
しげしげとのぞき込んでおいて、やっぱり要らないというのは失礼だろう。
遠目からみて、チョコレートだったら迷わず近づいて行って、1つもらう。
できれば、ピーナッツやアーモンドが入っていない方が嬉しい。
ピーナッツが、歯に詰まるのだ。

チョコレートかと思って近づいたら、飴ということもある。
それでも1つもらう。
飴を噛んでしまう僕は、口に入れた 3秒後には、もう飴をかみ始めている。

封を切ったゴミはポーチに入れる。
すると、私設エイドの先には、必ずボランティアスタッフが、ゴミ袋を構えていてくれるのだ。
「ほら、今もらった飴の袋、ここで捨てていきなよ」
今回、ボランティアスタッフの気遣いで、これが2番めに嬉しかった。

次回は4月8日



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2009年4月 6日 (月)

空腹で失速した理由

東京マラソンを走りながら書いた 【 10 】

レース直後、給水は不可欠だが、すぐ何かを食べなければ、体が壊れるというわけではない。
食べ物は、ゴール後ではなく、走っている最中に欲しい。

さらに言うならば、ゴール後に配った3万本を差し引いても、バナナはまだ3万本ある。
3万人に対して1カ所で配ったのならば、1人あたり1本は行き渡る計算になる。
それが、なぜ バナナは 5cm だったのか?
推察するに、バナナを2カ所で配ったのではないか。
2カ所に置けば、速いランナーが2カ所で取った場合、遅いランナーには行き渡らない。
第一回大会では、人形焼きを2カ所で配り、一部の速いランナーにしか行き渡らなかったことがあった。
今回、給食エイドは4カ所と周知されていたが、そのうち一カ所には何もなく、空っぽになったバットだけが積まれていた。

だが、空腹で失速したのは、大会主催者のせいではない。
自分のせいだ。
その伏線は、6週間前に変えたレーシングシューズにあった。

新しいマラソンシューズ

今回新調した靴「ソーティスーパーマジック」は、大手スポーツチェーン店頭POPには「サブ3向け」と書いてある。
靴を買いに行った日のことだ。
スーパーフィートをカットする作業の間に、レースに持参するサプリを調達した。
過去3年、毎回持参しているのは「ベスパプロ」と「パワーバー(Gel)」を3つ。
レース直前に「ベスパ」を摂り、脂肪優先使用を体に指令する。
レースが始まってからは、3度に分けて「パワーバー」を摂る。
これまで、レース中に空腹を感じたことはなく、今回も前例を踏襲つもりでいた。
パワーバーの味を選んでいた僕に、別の店員さんが声をかけてきた。

「こういうのも出てますよ」
彼が、僕に示したのは「VESPA HYPER」

ベスパはレースで、脂質を先に使い、糖質を後半に温存するためのサプリメント。
練習では、脂肪を優先的に使っても、練習後の食事で脂肪から充填されてしまう。
「VAAM」や「ベスパ」を常用しても、ダイエット効果はない。
あるのは、体が目を覚ますのが速いと言う効果程度だ。

だが、限られた時間内で最大限のエネルギー源を確保したいマラソンでは、グリコーゲンをセーブして、脂肪を先に使うベスパが有効だ。

■レース前30分に飲む。
■レース途中に飲んでも、かまわない。
■VESPA はドーピングには当たらない。

VESPA HYPERは、VESPA Proの水分を減らして小型化した。
この小ささは、ポーチにいろいろな物を入れて走る、素人ランナーには魅力だ。
成分は、プロポリスを使うVESPA Proと同じ。
VESPA Proにはついている、りんご味がついていない。
VESPA Proは、80mlで735円なのに対して、VESPA HYPERは9gで630円。

「これを3つ、入れて行くという手もありますよ」
そうか、その手があるのか。
もう、すっかりベスパ・マジックにはまっていた。
そして、レース当日、空腹で失速するまで6週間、その論理の破綻に気づかなかった。

VESPAは、元々体内にある脂肪を利用するための飲料であり、新たな栄養を供給しない。
マラソンを5時間以上かけて走る素人ランナーは、栄養を外部から摂り、空腹を補う必要がある。
この理屈は後で考えてみれば、簡単なことだが・・

東京マラソンを一回、棒に振ったが、お陰で貴重な経験をした。

27km
腹で息をして、失速の理由がわかると、気持ちが切り替わる。

道が細くなり、前方に雷門が見えた。
ほとんどのランナーが、立ち止まり、カメラを出している。

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次回は4月7日

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2009年4月 4日 (土)

マラソンは、腹で息をする

東京マラソンを走りながら書いた 【 9 】

25kmの通過は予定より、4分遅れ。

歩きたい

もう、すっかり、レースを投げ出していた。
目標タイムに、こだわる気持ちがもてない。
かと言って、収容バスや、制限時間という、せっぱ詰まった戦いもない。
「目標タイム」という、なんとでもなる基準が外れてしまうと、自分を支える柱がなくなった。

東京マラソンは応援が多いから、楽しいだろう。
都心の道路を走るのは、気持ちがいいだろう。

そんな、気持ちはとうの昔にない。
どんな、マラソンも辛いものなのだ。
いったい、なんのために練習をして、マラソンをやっているのか。
今日を終えて、再び、走り出せるというのか。
マラソンを続ける理由はあるのか。

しかし、最後の一線があった。
それは去年、かすみがうらマラソンで手に入れた勲章。
死にものぐるいで勝ち取った 「一度も歩かずに、完走」
それをここで、止めてしまったら、もう何もかもが終わりだ。
自分を認められなくなる。

初マラソンでさえ、27kmまでは走り続けたというのに、今日はまだ25kmじゃないか。
そんなことが許されるわけがない。

そこで、丹田呼吸を入れた。

▼3拍吸う
   ↓
▼6拍で吐く
   ↓
▼吐き終えた時、丹田(へそ下5cmあたり)に、30%ほど息が残っていると考える。
   ↓
▼繰り返す。

 本来の丹田呼吸は、5秒吸って、10秒吐くという、もう少し長いパターン。
 だが、走行中はそれでは苦しいので、3回吸って6回吐くパターンにする。
 ずっと、丹田呼吸で走るわけではない。

 上り坂を終えて、息が上がった時、苦しいなと感じた時に、丹田呼吸をする。
 丹田に手を当てて「ここだよ」と自分に言い聞かせると、イメージがしやすい。
 お腹を押さえていると、応援の人が心配そうに見つめるが、それは勘弁してもらう。

 1月の大阪国際女子マラソンで優勝した渋井陽子が「腹で息をするのを、忘れなかったのがよかった」
と言っていた、あれである。

丹田に手を当てたことで、はっと気づいた。
極端にお腹が凹んでいる・・・
マラソン前、あらゆる嗜好品を断ち、減量に努めた。
それにしても、こんなには、腹はへこんでいなかった。
そこで、この無気力の正体に思い当たった。

その手前、22.3km、今日初めての給食エイドが見えてきた時だ。
すかさず駆け寄り、バナナを目指す。
すると、バットに入っていたバナナは長さ5cm程度のもの。

そうか、食べやすく小さくカットしてくれたんだな。
皮も剥いてあるし。
あれを、2~3切れ、手渡してくれるんだろう。

手を出すと、バナナを1切れ手渡された。

えっ?これだけ?
せめて2切れじゃないの?

大会前の報道によれば、ドールが、栄養価の高いラカタンバナナを6万本提供すると伝わっていた。
それを読んで、十分食べられるという安心感があった。
2007年の第一回大会ではバナナが足りなくなったことが、大きく取り上げられた。
まさか、そんなことが再現されるとは思えない。

残念ながら、それは再現された。
今大会では、バナナはゴールしたランナーに1本ずつ配られた。
だが、ゴールしてからは、一息ついてからゆっくりと自分で好きなものが食べられる。
事実、ビッグサイトのコンビニ「ファミリーマート」のおにぎり、サンドイッチの棚は、空っぽだった。

次回は4月6日

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2009年4月 2日 (木)

(謎)の銀座での失速

東京マラソンを走りながら書いた 【 8 】

予定していた20kmの通過タイムから、およそ2分遅れている。
どこで遅れたのか、見当がつかない。

今日、二度目の日比谷公園を過ぎるとコースは右折して、そこは21km地点。
ここからは、いよいよ銀座をめざす。
日比谷~品川~日比谷の折り返しは、なんとなくもの悲しい空気が流れていただけに、迫り来る繁華街 銀座に心が躍る。

ペニンシュラホテルを左にみて、正面には新幹線のガードが見える。
そこに、右手から矢印のように鋭利な姿が現れた。
おぉ、500系だ!
500系とは、JR西日本が開発した流線型の造形が美しい新幹線車両。
税法上、試作車扱いにするため、16両×9編成しか作られていない。

1997年3月にデビューして以来、その9編成すべてが東京-博多間の「のぞみ」に使われてきた。
東海道では異彩を放つグレーのボディ。
まるで、戦闘機が線路を走っているような、異様な形状。
鉄ちゃん、鉄子、その子供に 絶大な支持を受けている車両だ。

だが2007年7月、さらに速い N700系車両が登場して以来、窓際においやられ、現在「のぞみ」運用は一日2本。
500系と遭遇することは、大変にレアなのである。

東京駅が近いため、徐行する500系。
時速 8kmで走る僕。
しばらくは、その美しいフォルムを見上げながら走る。
よっぽど、カメラを取り出そうかと思ったが、その気力はなぜか沸いてこない。

銀座インズの上に作られた無料の高速道路「東京高速道路」をくぐると、一気に人が増えた。
歩道には鈴なりの人。心なしか、女性が多い。

和光、三越がある銀座四丁目の交差点を左折。
ここは、写真を撮ろうと思っていたポイントだったが、どうにもカメラを出す気力がない。
ウォークマンからは、銀座で聴こうと入れてきた遊佐未森「地図をください」が、予定通りに聞こえている。
何もかも、予定通りのはずなのに、何かが狂い始めている。
ただ、その正体に、気づかない。

一度、経験を積んだ今ならば、どう対処すればよいかが想像できる。
だが、経験のないことは、想像ができなかった。

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巨人が日本一になるとパレードをする銀座中央通り。
その1km強の直線が、全然、楽しめなかった。
確か、銀座を過ぎれば日本橋、そこでは佐野元春「約束の橋」を聴くはずなのだが、なかなかピアノの前奏がかからない。順番を入れ間違えたのだろうか。

21kmから24kmまで、急激にペースが落ちた。
それまで刻んできたラップよりも、1分以上遅い。
訳のわからぬまま、レースは続いていく。

日本橋を右折すると、茅場町で左折、そしてまた浜町中の橋の信号を左折。
頭の中に入っていた日本橋から雷門までの道のりは、ほぼ直線だった。
いったい、今どこを走っているのか、頭が混乱する。
雷門はどこだ。
雷門が待ち遠しい。
雷門に行けば、何かが変わる、自分の位置を取り戻せる。
その一心で走り続ける。

24→25km区間で7分台があった以外は、軒並み8分台の後半。
計画では、35km過ぎて、失速した自分に許していたペース。
14kmも早く、失速が訪れてしまった。

次回は4月4日

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2009年4月 1日 (水)

ゴミを捨てるエコマラソン

東京マラソンを走りながら書いた 【 7 】

品川折り返し
できるだけ、応援のそばを走ろうと思い、大回りする。
背中に追い風を感じているわけでもないのに、体がエアポケットに入ったように軽い。

15→16kmは向かい風のため、8分4秒だったが、
折り返した 16→17kmは、6分56秒。

空は曇っている。
体調は悪くない。足は鈍っていない。
だが、得たいの知れない重苦しさがあった。
それは、街のもつ空気なのか。
あるいは、何らかの不調が体に忍び寄っているのか。

再び、日比谷公園が近づいた頃、対向車線に「収容」と書いたはとバスがやってきた。
東京マラソンのコースは、東京の見所を巡っているので、その日、はとバスは商売あがったり。
そこで、大会車両として、はとバスが採用されている。
窓越しに見える、DNFランナーがうつむいて見える。
「こわい~」
思わず、声に出た。

2年前、僕はあのバスに乗った。
湘南国際31.3km関門から、ゴールまでの10km。
自分の足で走ることなく、バスで走った。

「これから、10km先まで行くんですけど、バスがいいですか?それとも走りますか?」
と言われれば、世の中の大半の人はバスを選ぶ。
ランナーでさえ、日常生活で、その二者択一の場面を迎えたならば、バスに惹かれる。

だが、レースの開催時間中、ゴールまで走りたい時に、強制的に乗せられるバス。
その無念は、経験した者でなければわからない。
まだ、人影もまばらなバスの席にゆったりと座り、彼らは、自分に起きていることが、まだ受け入れられないでいるだろう。
車窓越しに、先を行くランナーを見やる。
苦しそうに走るランナーが、どれだけ羨ましく感じることか。

この先、制限時間の厳しいレースでは、再び、バスとの競争もあるだろう。
だが、バスから逃げるスリルがあるレースのほうが、マラソンは楽しい。
この日のレースは、退屈だった。

後で思い返した時、この18km~20kmあたりのことを、思い出せない。
この時は、特に疑問を持たずに走り続ける。
道路の左手に見えていたはずの東京タワーも、一度も目に入らなかった。

20kmを過ぎる。
収容バスが通り過ぎた後の道路は、道路封鎖解除に向けて、片付けが始まっている。
エイドにはすべて立ち寄る。
水だけのエイドでは、ボランティアのユニフォームが水色。
アミノバリューがあるエイドでは、オレンジ。
コップの色だけではなく、ユニフォームの色まで違うのは初めて見た。
6時間台で走るランナーが通る頃、すべてのエイドは紙コップのゴミ山を走る。

マラソンでは、一切ゴミを捨てない。
もちろん、つばを吐いたりはしない。

「東京マラソングリーンプロジェクト」に賛同して、緑の靴紐や、リストバンドをはめてはみたものの、ゴミは投げ放題。そんなランナーのどこがエコなのか。

いつか、どこかのマラソン会場で「紙コップが一つも落ちていなかった」というニュースを聴きたい。
簡単なことだ。
そうしようと、決めるだけだから。

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2009年3月31日 (火)

このトイレに行った人は失格

東京マラソンを走りながら書いた 【 6 】

スタートして14kmを過ぎても、相変わらず、トイレに並んでいる人が多い。
この日、コース上のトイレは360基と発表されていた。
ボランティアが、トイレの列を仕切っている。
パイロンが立てられ、複数器のトイレに対して、フォーク並び。
列の先頭の人が、空いたトイレに駆け込んでいく。
とても統制がとれていて、見ていて安心感があった。

トイレを出た人は、パイロンで仕切られた順路を通って、コースに復帰してくる。
まるで、F1のピットインのようだ。

ルールに照らして言うならば、これらのトイレに行った人は、全員失格である。

マラソンのルールでは、コースに復帰する時は、コースを離れた場所から、ゴールに近づかない位置より戻らなければならない。
この設営では、コースを外れた場所から、20mほどゴールに近い位置から戻っており、コースの短縮にあたる。
トイレは歩道上に設営されており、百歩譲っても「トイレもコース上です」という解釈は成り立たない。

私設エイドを利用して失格になるのは、陸連登録者。
一般ランナーが沿道応援者からチョコをもらっても、失格は適用されない。
だが、コースアウトについては、陸連登録者だけに厳しく、一般には甘くと言う慣例はない。
整然としたトイレさばきは見事だが、コースのショートカットを容認するという、事前了解はあったのだろうか。

ただ、ほとんど小うるさいルールのない「走るだけのスポーツ」マラソンにあって、唯一と言っていいルールが、コースのショートカット。
人はどんなスポーツをする時も、まず、ルールを勉強する。
スポーツマンとして、これくらいは知っておいても、よいと思う。

この日、沿道に繰り出した応援者は、主催者発表によると136万人。
イベントを含めて195万人。

沿道応援者数
第1回 2007 138万人
第2回 2008 166万人
第3回 2009 136万人

朝のうち雨が残った第1回、お昼過ぎから雨に変わった今回が少ない。
このような人数は、もちろん、一人一人数えたわけではない。
集計方法は非公開。
複数の計測ポイントを設定して、そこでかぞえた人数を元に算出している。
主催者は、実数と大きな開きはないとしている。

東京マラソンを取り扱った出版物には、35kmからゴールまでの臨海地帯は、応援が少ないと書いてある。
だが、実際に走ってみて、最も応援が少なかったのは、12km地点の東京タワーを過ぎたあたりから、15kmまでの3kmだった。
対向車線の品川から戻ってくるランナーの列には、そこそこに応援がいるのだが、品川に向かう列の応援はまばら。

35km過ぎの臨海地帯も、人は少ないのだが、一人一人の応援が熱い。
それと比べると、ここはほとんど声もかからず、ちょっとお休みの区間だった。
いつか、このマラソンを応援に来ることがあれば、12km~15kmに陣取って、気の利いたことをしたい。

15kmの通過タイムは 2:14
依然として、予定していたタイムとの差異は 0分。
天候は曇り。
強い日差しもなく、走りやすい気温。
今、吹いているこの向かい風は、品川を折り返せば、追い風に変わるだろう。
まだこの時は、なに一つ不安のない、快適なレースが続いていた。

つづく



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2009年3月30日 (月)

松村を追い抜く

東京マラソンを走りながら書いた 【 5 】

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7kmを過ぎると、竹橋、気象庁と皇居ランナーにはおなじみの場所。
大手門から祝田橋までの皇居大手門前には、再びたくさんの応援が出ている。

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東京五輪招致委員会、スポンサーなどがスティックバルーンを配ったようで、至る所でその空気が炸裂するような音に迎えられる。
2008年3月に日本陸連が、新聞社による小旗配布を禁止。
理由は、選手が危険だから。
その翌月の長野マラソンから、小旗は姿を消した。

しかし、2009年1月に箱根駅伝を蒲田駅に応援に行った時は、讀賣新聞が小旗を配っていた。
この日も、新聞社ではなかったようだが、ちらほらと小旗も見えていた。

9kmを過ぎ、祝田橋を90度左折。
そこで、観客から「まつむら~」の声がかかる。
すぐ前方に松村がいた。
その右手にはハンディカムを持ち、ナンバーカードをつけたランナーが、松村を撮りながら走っている。
翌朝のスポーツ紙によると、東京MXテレビのクルーだった。
さすがに松村よりは僕のほうが速く、その左手を追い抜いていく。
すると左斜め前を走っていたランナーが突然立ち止まったかと思うと、僕の目の前を横切った。
「あっ、すみません」
謝った男性もMXテレビのクルー。
フジテレビのガードランナーは「Official TV」と書いたピンクのビブスをつけていたが、MXテレビのクルーはナンバーカードをつけていた。

よりよい絵を撮ることが仕事なので、マラソンが前を向いて走る人たちの競技だということは、辞書にないのだろう。

「今日は去年よりペース、速いですね」
松村がカメラに向かって話しながら、走っている。
テレビ番組「走る男2」の森脇健児は、根っからのアスリートゆえに、スタッフが舌を巻くほど、喋りながら走る。
テレビカメラと共に走る男は、喋る宿命を背負わされて大変だなぁと思っていた。
僕はこれまで、レースを走りながら、ランナーと喋ったことは一度もない。ど素人ランナーには、そんな余裕はないのである。

前方をみやると、人の流れが変だ。
右に走っている人と、左に走っている人がいる。
こんな入り組んだコースではないはずなのに。急遽コースが変わったのか?
しばらく走ると、それが品川を折り返してきた対向車線のランナーだとわかった。

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10km通過タイムは1時間36分。
予定していたタイムと±0分。
ぴたりと予定通りだが、もうとっくに先頭集団は銀座の彼方へと消えていた。
10kmレースは右車線へ分岐して、日比谷公園でゴール。
ここで、ぐっと人が少なくなると聞いていたが、実際には、そうでもない。

10kmから品川の折り返しまでは、天気予報どおりの向かい風。
心が弱くなるほどの風ではないが、予定ペースの 7:30 が守れない。

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11.7km御成門の交差点を通過すると、右手に東京タワーが現れた。
ボランティアや知人に頼んで記念撮影するランナーが多い。
ただ、その気持ちはわからない。
プロカメラマンが、東京タワーを背景に捕らえた構図で、疾走する絵を押さえてくれたら、2100円を出してでも買う。
だが、立ち止まり、ピースでにっこりという写真ならば、いつでも撮れる。

14km
一人のランナーが路上で倒れ、たくさんの人が取り囲んでいる。AEDの警告メッセージが聞こえていた。
戻ってこいよ。
無事を祈り、目を背けて走り過ぎる。
この後、さきほど抜いてきたランナーが、同じくここでAED施術を受けたことは、夕方のニュースで知った。
この日、コース上でAED施術を受けたのは二人だった。

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2009年3月28日 (土)

4度のマラソンで、一度もトイレに行かない理由

東京マラソンを走りながら書いた 【 4 】

1km
最初の1km、まったく走りにくいということはない。
東京マラソンの解説記事には「初めの2~3kmは混雑していて、思うようなペースで走れない」と書いてあるものが多い。
それは、間違いだ。
同時間帯を申告したランナーが、全員「走っている」時に、走り辛さは発生しない。東京マラソンが本格的に走りづらいのは、まだまだこの先のことだった。

新都心歩道橋下をなだらかに右に回り込む。
圧倒的な高揚感だ。
朝9時過ぎだというのに、沿道には人、人、人
この応援の列がゴールまで続くのかと思ったが、実際にはそうではなかった。
恐らく、新宿のデパートが開く前に、ちょっと早く来てマラソンを見ようという人たちで、ごった返していたのだろう。

1kmのラップタイムは 6:37
事前のレース計画では、最初の3kmまでは 8:00。
いきなり、やらかしてしまっているのだが、この時、ペース確認さえしていなかった。

山手線のガードをくぐり、アルタの一本裏、歌舞伎町を進む。
なんていうのは、今、ガイドブックを見ているからわかるのであって、新宿に土地勘がない者にとっては、ただ、人が多い街を走っていたという印象しかない。

ここでの応援者層は、いわゆる一般買い物客。
大声で独自のメッセージを叫ぶ者もなく、穏やかな歓声と拍手に包まれている。
そこで、こちらから手をあげてハイタッチを求める。
初めから決めていたわけではないが、この日のレースでは終始、コースの左端を走り、沿道の応援の皆さんとハイタッチを続けた。

2kmのラップは 7:45
ここで手に持って走っていたミニボトルの水を飲む。
この習慣は2度目のマラソン「湘南国際」から続けている。
マラソンはどの大会も、5km過ぎからエイドが始まり、そこからはほぼ2.5kmごとに設置される。
つまり、スタートの待ち時間、ロスタイム、5kmという、最初のエイドまでが、最も給水できない時間が長いのだ。
初マラソンの「荒川」では、ここでのどが渇いた。
それ以来、100mlほどのミニボトルに水を入れて持参している。
今回は、明治LG21というヨーグルトのボトルを利用した。

3km 7:20
4km 7:26
5km 7:26

 高低図では、2.5kmから一気に下っているように見えたが、実際には3kmを過ぎたあたりが最も下っていた。
 それにしても、日頃練習で走っているような「坂」ではなく、至ってなだらかなもの。 事前に練習してきた「下りの走り方」が役立つほどのことではなかった。
 ラップタイムでペース確認さえすれば、下りを意識した走りなど必要ない。

5km
予定スプリットタイム 0:59
実際のタイム 0:57:13
ロスタイムを20分みておいた分、少し速いが、ここまでは予定通り。

初めてのエイド
オレンジ色のコップがあれば、それはアミノバリュー。
白いコップならば水。
マラソンでは、スポーツドリンクがあれば、そちら。
なければ水。
とにかく、すべてのエイドに寄り、小分けに飲んでいく。
一度にたくさん飲むと、トイレに行きたくなるかも知れないからだ。
今回も含めて4度のマラソンで、まだ一度も途中でトイレに行ったことはない。
手に持っていたLG21のボトルをここで、ゴミ箱に投棄する。

右手に市ヶ谷の外濠を見ながら走る。
このレースで、土佐礼子が転倒した場所だ。
その先には東京ドームがあるのだが、電車で来る時、カーナビを見ながら車で来る時とは、全く土地勘が変わってしまう。

6km
飯田橋の交差点を大きく右折。
左端を走っているので、気がつくと周りに誰もいなかった。
いわゆるオーバーラン。
ゴール時点でフォアアスリートの走行距離は43.62km。
整列地点からスタートラインまでの465mを差し引いても、960mを余分に走っていたことになる。
およそ1km、時間に換算すれば7分前後。
制限時間のきついレースでは致命傷になるオーバーランだ。
ただし、オーバーランの理由は交差点だけではなかった。

7km
道路右手では、楽しみにしていたYMCAの応援。
大音量で秀樹の歌が流れてくる。
もちろん、YMCAをやるつもりだったのだが、通過する間では「わーいえむしえっ」のサビにならず、参加できなかった。

次回掲載は、3月30日



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2009年3月27日 (金)

距離表示の看板を探さなくて済む時計

東京マラソンを走りながら書いた 【 3 】

なるほど、Kブロックは最後尾と案内に書かれていたが、実際には、Jブロックと並行入場なんだ・・
と思っていたら、あるボランティアが今度は「そこで止めて」とがなっている。

その間も、Kブロックのランナーが大挙して合流。
すると、大会係員が、J流れとK流れの間にロープを張った。
なんだ。この先でKブロックは堰き止めていたのか・・
しかし、それは勘違い。
Kブロックのランナーも、そのまま、スタートラインへ向かって歩いている。
やがて、道路はロープを隔て、JブロックとKブロックが半々で並ぶかっこうになった。
後から、Kブロックのランナーと情報交換したところ、Jブロック最後尾よりも3分~4分、ロスタイムが少ないKブロック・ランナーがいた。

あとで考えてみれば、これは妥当な策だ。
6時間以内のタイムを申告したJブロックのランナーと比べて、Kブロックのランナーはほとんどが初マラソン。
途中の関門、ゴールの時間制限との戦いが続く。
しかし、並び順は、遅いタイムを申告したランナーのほうが後ろ。
より、厳しい戦いを強いられる。
僕も初マラソンの時は、少しでもロスタイムが少なくて済むよう、前から走らせてくれればいいのにと、恨み節の一つも言いたい心境だった。

角を曲がるのは一度だけ。最初の角を左折すると、そこはもう都庁正面。スタート地点のストレート。
その最終コーナーで、ゴミを回収していた。
これは大助かり。すかさず、ポンチョを脱いで「これ、いいですか?」と手渡すと、にっこり笑って「はい」と受け取ってくれた。
海外のマラソンでは、自宅から持ってきた使い旧しのジャケットでスタートまでの暖を取り、主催者がそれをスタート地点で回収して、チャリティに回すサービスがある。
湘南では有料のジャンパーを買った人だけ回収して、あとで返してくれるサービスがあった。
いずれにせよ、この位置のゴミ回収は 大いに助かった。

0km
Jブロック最後尾からスタートラインまでは 465.01m。
1kmは優に超えるだろうと思っていたのだが、思いの外、スタートラインは近かった。
石原都知事が立っているスタート台は、スタートラインより10mほど前方にある。
ぴ ぴ ぴ ぴ  ぴ・・
一斉にチップの信号を、コンピューターが拾う。

Dsc06090

9:28
ロスタイムは 18分34秒。
これが、Jブロック最後尾のデータ。

帰宅後、フジテレビの映像で確認したところ、9:30時点、つまりスタート20分後、まだ最終コーナーまで、ぎっしりとランナーで埋まっていた。
最後尾の推定ロスタイムは、25分ほどあったのではないか。

ロスタイムの推移
第1回 2007 19分 目視
第2回 2008 20分 仄聞
第3回 2009 25分 予測

今回は定員を 5,000人増やしたこと。
多くのランナーが、都知事の写真を撮ったり、テレビカメラ前で立ち止まったりしたこと。
これらの要因で、最長のロスタイムとなった。
フジテレビと日テレは、第1回 2007年大会のロスタイムを「30分」と報じている。2局で足並みが揃っているので、何かの発表資料の数字なのかも知れない。
当日はボランティアとして、スタートライン上で見ていたのだから、19分で間違いない。
すべてのランナーがスタートし終わった後、大きなゴミを拾いながら、1つめの信号までを走った。
いつかは、ここをもっと遠くまで走ろう。
そう、ボランティア仲間のサトウさんと話したものだ。
サトウさんは、その後、東京マラソンを走っただろうか。

スタートラインをまたいだところで、フォアアスリートの[lap]ボタンを押す。
あとは、1km毎に自動的にラップを記録してくれる。
過去3回のマラソンでは1km毎に自分で[lap]ボタンを押す必要があった。

いつもならば、ボタンを押すために、1kmごとの距離表示を見落とさないよう、余計な注意を払わなければならない。
走ることが目的なのに、あたかも、ラップをとることが目的のようになってしまう。

そして、マラソン大会の運営は、あまり几帳面なものではない。
距離表示の看板がない。風で倒れていたということは、日常茶飯事。
今回の東京マラソンも、1km、2kmの看板は見つけられなかった。

また、過去に出た3つの大会では、最低1カ所は看板の場所が大きくずれていた。
看板が100mもずれていると、ある区間は 1,100mで、次の区間は 900mといびつなラップになる。
距離表示を信じてラップタイムを計っていると、体感スピードと比べて大きく差異が出る。
ただでさえ、思考力が落ちているのに、輪を掛けて頭が混乱するのである。

その点、看板をみつけなくて済むのは、とても助かった。
フォア・アスリートでは、常に現在のペースが表示される。
通常のスポーツ・ウォッチでは、1kmごとのラップ計測時しか、ペースを確認できないが、フォアアスリートでは、ちょっと遅いかな?と思ったらリアルタイムで確認できる。
また、しばらく、タイムを確認し忘れていても、前回ラップがずっと表示されている。
通常のスポーツ・ウォッチでは、数秒で前回ラップが消えてしまうので、慌てて確認しなければならない。

今回は、時計で楽できる分を、シャッターを押す手間に回す。
ささやかなお遊びとして、マラソンでは初めてデジカメを持参した。

つづく

amazon フォア・アスリートの販売ページ


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2009年3月26日 (木)

号砲 Kブロックの合流

東京マラソンを走りながら書いた 【 2 】

3月22日
7:20
大江戸線「都庁前」
コンコースで着替える人、壮行会よろしく万歳三唱するグループ。
券売機に足をかけて、ストレッチをする若い女性。
警備員が「構内では待ち合わせ、着替えはできません。ただちに移動してください」とメガホンでがなっているが、一向に動く気配がない。
ここが暖かくて便利という事前の情報、経験があったのだろう。
自分の都合を優先するマナーは、ランナー圏外だ。

Dsc06080

7:30
会場入りは、号砲の100分前。
これは、過去もっとも早く会場入りした湘南国際の時の60分前より、さらに早い。
主催者が決めたスケジュールが、やたらと早いのだ。
号砲の40分前、8:30には荷物預かりが終了してしまう。
これは、スタートとゴール地点が異なることと、10kmレースが併催されるためだ。
同時スタートの10kmレース、そのトップが日比谷公園のゴールに着く前に、荷物を着けようとするから、こんなに早くなる。
10kmレースと、マラソンの荷物預かり〆切に、時間差をつければよいと思う。

荷物を持ったまま、ミールサービス会場にはいる。
アミノバリュー、スポーツバーを受け取る。
まだ、朝ご飯を食べて2時間も経っていないので、バーはカバンにしまう。
まさか、この日のレース展開など、夢にも思わない。このバーを食べておけばよかったのである。

2年前、ボランティアで6時に来た時は、ウォームアップで走っている人が多かったが、8時を過ぎると、走る隙間はどこにもない。

着替えスペースをみつけて、スポーツシートを敷き、準備にはいる。
1.ブリーズライトを貼る
2.ウェストポーチをつける
3.ヘッドホンをセラポアテープで耳に貼る
書き出したチェック表にレを入れながら、ひとつずつ進めていく。
最後は100円ショップで買ってきたポンチョを羽織って準備完了。

こうして、荷物を預けるところまでは、余裕があったが、トイレ行列に30分かかり、整列は〆切の8時45分ぎりぎりになった。

8:45
歩道にいたJブロックランナーの大半は、ロープが張ってあるところから、ヨコ入りしていく。
自分も初マラソンの時は一秒でもロスタイムが惜しく、あのようなことをしていた。
今回は「関門との戦い」はさすがにないはずなので、指定の位置まで回り込む。
そこはJブロックの最後尾だった。
それでも、この後にはスロープに待機しているKブロックがいる。

最後尾からスタートして、ロスタイムをこの目で見届けようと思っていたが、思いの外、第1関門がきついことがわかり、やめた。
もしも、ロスタイムが30分かかった場合、予定のイーブンペースでは、5.6kmの第1関門で止められてしまう。

9:00
ウォークマンのスイッチを入れて、HOLDモードに切り替える。
用意してきた90曲のセットリスト。
東京タワーでは「東京タワー」角松敏生、日本橋では「約束の橋」佐野元春・・というように、距離とポイントに応じた音楽が流れる。
1曲めは「双頭の鷲の下に」

運動会の入場行進で流れる定番マーチ
「ただいまより、4年生男子による玉転がしです」
というアナウンスが聞こえてきそうだ。

Dsc06087

9:05
黄色いジャンパーを着たボランティアの方にシャッターをお願いして、記念撮影。
にっこり笑って「がんばってください!」と言っていただく。

100円ショップのポンチョは大正解。
寒さを感じなくて済む。あとはスタート地点で脱いで、最初のエイドにあるゴミ箱までは、手に持って走る算段でいる。

9:10
フォアアスリートの時計画面で 9:10を目視して、スタートボタンを押す。
過去の経験では「湘南」「かすみがうら」では、スタートの合図が聞こえなかった。
今回も、Jブロックでは、合図は聞こえない。
フォアアスリートはGPSから時刻を受信しているので、時計は信頼できる。
今回は、合図に頼らず、時刻で計時を開始した。

すると数秒遅れて、空にどん、どーんと花火が鳴る音。
第一回は、空砲でもビル街の窓ガラスが割れるということで、石原都知事のピストルだけだったが、その後、方針が変わったようだ。

Dsc06088

号砲からしばらく経って、ようやくJブロックも動き始めた。
しばらく行くと、左手にスロープがあり、Kブロックのランナーが並んでいるのが見えた。Kブロックは最後尾のブロック。整列時間に間に合わなかったランナーも、このブロックに並ぶことになっている。
僕らが、通り過ぎた後に合流するんだな・・
そう思った時だ。

「はい、行ってください」
ボランティアが言うが早いか、Kブロックの合流が始まった。

つづく

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2009年3月25日 (水)

風男

東京マラソンを走りながら書いた 【 1 】

3月18日
レース当日の天気予報は「曇り一時雨 降水確率50% 最高気温16度」
数人の同僚が「がんばってね、ちょっと雨らしいけど、寒くはなさそうだね」と声をかけてくれる。
「僕は晴れ男だから、雨は僕の辞書にないよ」
そう言いかけて、やめておく。
でも実際、雨が降るなんて、これっぽっちも思っていない。

ただ、ボランティアで参加した2007年の第一回は、土砂降りだった。
選手の荷物をトラックに積み込みながら、パンツまでびしょ濡れになった。
まさか、東京マラソン限定雨男なのか・・

3月20日
予報は「晴れ後雨 降水確率50% 最高気温16度」
東京マラソンEXPOへ。
EXPOに行くのは、第1回につづいて2度め。
その時は東京ドーム。
ボランティア直前説明会に行ったついでだが、まるで自分が走るかのような高揚感があった。
そして、今回はランナー受付で行く。
東京ドーム開催と、今回のビッグサイト開催を比べると、東京ドームのほうが活気があった。
ビッグサイトはレイアウト上、順路どおりにブースを1つずつクリアして、次へ進む。
一斉に、たくさんの情報が目に飛び込んでくる東京ドームと比べて、ここは気分が昂ぶらない。
10分もそこにいると、大きなイベントに来ているということを、忘れてしまった。

これまでは、商業のために、事前に足を運ばせるのは反対であると、ずっと書いてきた。ただ、マラソン会場に設営されたテントブースと、このEXPOは明らかに違う。
どこが違うかというと、
屋根がある・・・
それから、出展企業の意気込みが違う。
朝の開場と同時に、パワー全開。
イベントとして、統制がとれているのである。

それが、レース会場での屋外テントの場合、気の緩みがありあり。
湘南国際2007の時などは、大半のブースが開場後に準備をしていた。

15億円の費用がかかる東京マラソンの場合、参加費以外から12億円を調達しなければならない。
お金がある人に、お金を落とさせるイベントは、必要であると宗旨替えした。

ナンバーカード引き替えでは
「おめでとうございます!」
と言って、用品一式を渡してくれた。
思わずにっこり、ありがとう。

第一回大会では記録証に入れる言葉として「Congratulations」ではなく「We made it together」が使われた。
完走には「おめでとう」を使わなかったのに、当選しておめでとうというユーモアが嬉しかった。

3月21日
かかとのテーピングに使う「伸縮」テープと、朝食のとんかつを買い出しに出かける。
明日の予報は雨だが、今日は快晴。
晴れた空を見あげて、お天道様に、
200万人近い人が、応援に繰り出そうってのに、雨って訳にはいかないでしょ?ね、そう思うでしょ?
とツッコミを入れる。

21日18時
天気予報をチェック
3時間ごとの予報がすべて「曇り 降水量0mm」に変わった。
ほぉらね。
やっぱり、晴れるでしょ。
明日は応援とボランティアの皆さんのために、晴れると信じている。

それよりも、気になったのは風向きの予報。
南南西10m。この時期、風は北西と相場が決まっているのに、珍しい。
その向きだと、日比谷から品川に向かう道、雷門から銀座へのもどり道が逆風になる。
ただ、2006荒川で25mの逆風と3時間戦った経験が、どんな風も怖いとは思わせない。

つづく

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2009年3月22日 (日)

余裕を持って完走とは、どういうことを言うのか?

東京マラソンを完走したい 【 26 】

今日は第三回東京マラソン。
今頃、コース上のどこかを走っているでしょう。

初めてのマラソンの目標は「歩いてでも、制限時間:7時間 以内に完走」
二度めのマラソンは「制限時間:5時間40分 以内に完走」
三度めのマラソンは「歩かずに完走 *制限時間:6時間」

柔道選手 YAWARAちゃんは、まず金メダルという完走があり、つづいて
「谷でも金」
「ママでも金」
と付加価値をつけていった。

僕の場合は、修飾を取り去っていく完走。

カーボローディング
テーピング
リズム感を出すための音楽
ポーチに入れたサプリメント

まだまだ、僕のマラソンには、側面支援が多い。
いつか、マラソンの道を終える時、最後のレースでは、何もない素うどんのような完走をしたい。

さて今回、東京マラソンでめざすのは「余裕をもって完走 *制限時間:7時間」

「余裕をもって」とはいうのは、目標としては曖昧である。
その具体的な答えは、タイム設定にある。

「1km毎のラップタイムの最大差を1分以内にする」
これが、今回の目標。

昨年の「かすみがうらマラソン」 1km毎のラップタイム
ベスト   6'50"06
ワースト 10'32"41
最大差は、3分43秒あった。

マラソンの本には、どれにも「理想はイーブンペース」と書いてある。
だが、素人には無理だ。
初めの1kmと終わりの1kmが、同じペースで走れるわけがない。

と、これまでは頑なに「イーブンペース」論を拒否してきた。
だが、ここにきて「楽に完走する」「余裕をもって完走する」とは、イーブンペースのことを言うのだと気づいた。

そこで、レース前半のペースを見直す。
過去のレースでは「いけるところまでいこう」と考え、前半には 1km7分のペース設定をしてきた。そして、実際のレースでは、6分台で走っていた。
これをやめて、ベストラップを 7分30秒に設定する。
初めに、貯金を作らないというプランだ。

東京マラソンは、新宿の都庁から、日比谷公園まで、なだらかに下る。
マラソン雑誌には「ここでオーバーペースにならないように注意」と書いてある。
そうは言うものの、下りをゆっくり走るというのは、難しい。
無理にブレーキをかければ、膝に疲れが溜まる。
重力に任せれば、足はどんどん前へ進んでいく。
今回の練習走行では、いつも「下り」をどう走るかを研究していた。
そして、一つの結論を得た。
本に書いてあったことではない。自分で実践して出した結論。
それが、正しいか、否か。レースで答えが出る。

息が整うまでの 3kmは 8分0秒。
そして、15kmまで 7分30秒でいく。
そこから、35kmまで 7分45秒。
そして、ゴールまでは 8分30秒。
これで、最大差は 1分。
ネットタイムは 5時間30分となる。

3年前、まだ、一歩も走っていなかった時
「東京をマラソンを完走したい」
と言って、走り出した。

人は経験しなければ、本当のことは語れない。
次は、路上からのブログで、お会いしましょう。

東京マラソンを完走したい 【 おわり 】

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2009年3月21日 (土)

マラソンではなぜ、おばあちゃんパワーが効くのか?

東京マラソンを完走したい 【 25 】

東京マラソンまで、あと14日

体調はいま一つだが、ここでタイムを出して自信を得たい。
その一心でタイム・トライアルへ。
設定タイムは、
最初の3kmを 6分45秒
そこから、8kmまで 6分30秒
ラストの2kmは上げて、6分20秒
これで、目標の 1時間5分25秒になる。

初めの3kmまでにスピードが出過ぎて、5kmあたりから苦しくなった。
ところが、7km地点で復活する。

おばあちゃんパワーだ。

二人連れで、散歩していたおばあちゃんと目があった。
思わず、にっこりしてしまう。
すると、霞が晴れるように、元気が出た。

かすみがうらマラソンの時も、そうだった。
かなりの田舎道を走る「かすみがうら」
軒先には、おばあちゃんが椅子を出して、応援してくれている。
自分では、もう走れないし、速くも歩けないけれど、私の分もがんばってね。
そんな、メッセージが届くのである。

これが、おじいさんではどうかというと、
・・・ 考えたことがない

おばあちゃんパワーで復活。ラスト1kmは左足がいっぱいだったが、5:58のベストラップで上がる。
タイムは 1時間2分20秒。
目標タイムを2分クリアした。
このタイムをマラソン完走タイムの公式
10kmタイム×5.5-28分
にあてはめると、5時間14分

過去3回この公式をあてはめた場合の誤差を加味すると
5時間28分となり、ぴたりと目標タイムと重なった。

あと7日
毎回、レース前一週間のこの日は、LSD散歩と決めている。
雲ひとつなく晴れ渡った空のもと、多摩川沿いを歩く。
野球、サッカー、テニス、ゴルフ、スポーツに興じる人々は幸せそうだ。
そして、多摩リバー50の路上には、ジョギング、ウォーキング、サイクリングの面々。
この中には、来週の今頃、同じ路上を走っている仲間もいることだろう。

去年は、花見の人で賑わう中を、4月の「かすみがうらマラソン」に向けて走っていた。
今年は、レースを終えた翌週が、東京の桜開花予想日。
第4回からは、再び2月に戻ってしまう「東京マラソン」
その唯一、3月開催のレースに当たって幸運だ。

この日で、走行距離が前年レース時を超え、過去最高となった。
左足かかとの湿布は続いているものの、一点の曇りもない準備ができた。

次回は3月22日

ど素人!マラソン講座

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2009年3月20日 (金)

マラソンの完走タイム予想の公式

東京マラソンを完走したい 【 24 】

 3年前、荒川市民マラソンの直前は、15日間走れなかった。
 今回は、それよりも早く復帰したい。

 DVD「走る男」を見ながら、ステップ運動の日が続く。

 3年前は、13cmの高さだったが、その後、新聞を積み足して、20cmのものを使っている。
 前回は1回あたり 20分で、ほぼ毎日やっていたが、今回は 20分×3セットを週4回。

 "ぴっ ぴっ"と音が鳴るカシオのスポーツ時計は電池が切れていた。
 発信音が鳴ると、動きにリズムができてよいのだが、今回は発信音なし。

 これまでやったことがなかった、体のケアにも踏み込んだ。
 痛みがある左かかとに湿布。8時と20時の一日二回付け替える。

 新たに、左右脚力のバランスをよくするために、ランジを取り入れた。
 「正しく歩いて東京マラソン完走」の著者 園原健弘が書いた「ウォーキング100のコツ」によると、足を前後に広げるランジを行うと、左右で踏み出し幅が違う。
 踏み出し幅が狭い時、踏み出した足の逆足が、運動能力が劣る足。
 痛みが出る時、どちらか片方の足に偏っていたとしたら、左右のバランスを整えるとよい。

 東京マラソンまで、あと15日
 左足かかとの痛みは、ずいぶん和らいできた。
 中9日で、再び、走り始める。

 走り始めてすぐかかと左が痛くなったが、そのまま走りつづけると、1kmほどで痛みは消えた。
 雲一つなく晴れた空が気持ちよくて、ついついハイペース。
 レースペースは 7分30秒/kmなのだが、すべてを6分台で走った。
 ベストラップは6:12 瞬間4:50に入れた。

 ガーミン・フォアアスリートは、その瞬間のペースが確認できるのがよい。
 一般的なスポーツウォッチでは、1kmごとにラップをとって初めて、ペースの変化に気づく。
 はじめは、探検RUNを楽しくするために買ったGPS時計だったが、もはやこれは、レースに欠かせないツールだ。

 150cm緑の靴ひもの初使用。
 これまでの140cmのひもでは、8つめのアイレットを試すことができなかった。
 終端の8つめまで、シューレース~靴ひも~ を通すと、靴は抜ける感じがなくなる。
 7つめのアイレットでは、抜ける感じをなくすために、きつく締めなければならず、それで足が痛くなるのが悩みだった。
 「緑の靴ひも」を探したおかげで、150cmのひもに替えることができた。
 この10cmの差は、とてつもなく大きい。

 あと14日
 エクセルで作っている「マラソン記録」ブック
 その練習計画欄には、次のように書いていた。

 あと2週間
 10km走 タイムトライアル
 1時間5分25秒をクリア

 マラソンの完走タイム予想の公式
 10kmのタイム×5.5-28分
 これに当てはめると、今回は 10kmを1時間5分25秒以内で、走っておく必要がある。

 毎回、レース2週前に、タイムトライアルを入れる。
 若干の誤差はあるものの、この公式はほぼ正確。
 2007年に湘南国際で DNF ~途中関門で競技停止~ 扱いとなった時も、ぴたりと当たっていた。

 再び走り初めて二日め。
 いったんは、今大会のタイムトライアルは無しにしようと決めた。
 故障がぶり返しては、元も子もない。
 だが、決めた後の気持ち悪さが消えない。

 トレーニングウェアに着替えると、脳は
 「やっぱり、やりなさい」
 と指令してきた。

次回は3月21日

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2009年3月19日 (木)

マラソン故障時の代替運動 ステップ運動

東京マラソンを完走したい 【 23 】

東京マラソンまで、あと29日

バスで遠くの町まで乗って、そこからの帰宅ラン。
8kmあたりで左かかとから、痛みの信号が出てペース落とす。
自宅まではあと2km。
バスで帰ろうかと考えたが、1km9分台ジョグでなんとか戻ってきた。

あと28日
おっかなびっくり、とにかく体を動かしてみる。
60分のLSD。
ここまでの走行距離は1ヶ月半で150km。
体のいうとおりに走っていると8分弱のペース。
今は体が新しいレベルに対応中なのだ。
時間を与えれば、きっとよくなると、自分に言い聞かせる。

あと25日
最後の通勤RUN
ここからは走行距離を落としていく。
左足のかかとの痛みは、いっこうに引く気配がない。

あと23日
ここで計画を変更する。
不安なままで本番を迎えたくない。
左かかとが完治するまで、道路を走らずにステップ運動に切り替える。

代替運動としてステップ運動を選択するのは、初マラソンの2006年に続いて二度目のこと。

「賢く走るフルマラソン」田中宏暁 著
によれば、ステップ運動をしていれば脚力は落ちない。
レース間近に故障したランナーが、ステップ運動だけで、レース当日まで一切走らず、本番ではサブ4を達成した事例が紹介されている。

2006年に故障した時は、15日間一切走らずステップ運動に専念。
そして、再び、走り始めた時には、むしろタイムが上がっていた。

 ステップ運動の方法
■「1、2」で台に上がり「3、4」で降りる。「5」で足踏み。これを繰り返す。
 こうすれば、昇る足が交互になる。

■運動靴を履いてもよいし、裸足でもよい。
 外履きの靴を使う場合、床に段ボールを敷く。
 フローリングの床では足音がうるさい。床に段ボールを敷くとよい。

■"ぴっぴっ"と発信音が出るスポーツ用時計があると、体にリズムができて、運動効果が上がる。スピードは毎分110のペースで十分。

■連続しておこなう必要はない。
 20分の場合、10分×2セットでもよいし、20分×1セットでもよい。

■脚のどこかが痛い時は、痛い側の手を家具に添えると、脚への負担が和らぐ。

 踏み台
■高さは13cmあれば十分
■新聞紙を束ねてガムテープで留めてつくる。
■コンビから「ステップウェル」という商品が発売されている。

 利点
■室内なので、運動着に着替えず、どんな格好でもできる。
■室内なので、安全。時間を選ばない。
■音楽を聞いたり、映画を見ながらできる。
■1ヶ月もすると慣れてきて、メールや本を読みながらできる。

 果たして、今回の代替運動は吉と出るか、凶と出るか。

次回は3月20日

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2009年3月17日 (火)

東京マラソンの緑の靴ひもは短すぎる

東京マラソンを完走したい 【 22 】

東京マラソンまで、ちょうど1か月前となった 2月22日
都内主要道路の電光掲示板に「3月22日東京マラソン交通規制あり」というメッセージが表示され始めた。

そして、この日、事務局からメール便で届いた参加案内の中に「緑の靴ひも」が入っていた。
「東京マラソングリーンプロジェクト」の靴ひもである。

Green_shoe

これは、東京都が取り組む、環境負荷軽減の取り組み。
ごみの埋め立て地「海の森」に、日比谷公園の5倍、88haの公園を作り、都内に海風を通すというプロジェクト。
「海の森」は、2016年東京五輪が開催された場合、競技会場の一つになる。

2008年の第二回大会では、完走者に対して「緑の靴ひも」を配った。
2009年の第三回大会では、事前に配布して、この靴ひもで走りましょう!と呼びかける。

さっそく、送られてきた 120cmの「緑の靴ひも」をソーティスーパーマジックに通してみた。
ところが、短か過ぎた。アイレット~靴ひもを通す穴~ が、2つも余ってしまう。
ソーティスーパーマジックに、元々付いている靴ひもは、140cm。
これでも、8つめのアイレットまでは届かず、1つ余る。
終端のアイレットに通すには、150cmは必要だとわかった。

事務局が配布した 120cmの靴ひもが使えるのは、靴のサイズが23cm~25cm程度のランナーに限られるだろう。

ネットショップで「緑の靴ひも」を探したところ、SUNSTONEのウェブサイトで、緑の靴ひも 150cm を販売していた。
商品367円+送料472円

石目平のひもは、ほどけにくい。
150cmという長さは、サイズ27cmのソーティスーパーマジックを、終端8つめのアイレットで締めるのに、ジャストサイズだった。

事務局から送られてきた靴ひもは、アシックス製。
東京マラソンEXPO会場では、アシックスがグリーンプロジェクトのリストバンドを販売する。
いつも、レースではヘアバンドを使うので、これも緑で揃えようと、アシックスのサイトで探してみた。
白のヘアバンドはあったが、緑はない。

「緑のヘアバンドはありませんか?」
アシックスに尋ねたところ、次のような回答を得た。
「東京マラソングリーンプロジェクトは東京マラソン事務局がやっているものなので、緑のヘアバンドを作る予定はありません」
まぁ、ものの言い方には、個人差があるということだ。

ヘアバンドをつけて走っているランナーはあまり、見かけない。
だが、帽子をかぶるのが嫌な場合、流れ落ちてくる汗がネックになる。
その点、ヘアバンドをつければ、汗を手でぬぐう手間が省ける。

ただ、6時間も外を走るので、陽がさしていなくても、くっきりと日焼けの跡がつく。
それから、写真に映った時の、見栄えに難がある。
ゴール間際や、プロカメラマンが構えている写真ポイントでは、外してウェストポーチのベルトやRUNパンに挟むとよい。

緑のヘアバンドは、香川県のオーキッド リストバンド・ファクトリーで手に入れた。
東京マラソングリーンプロジェクトの靴ひもと色が合うのは「フレッシュグリーン」
商品650円 送料、銀行振込手数料を合わせると、およそ1200円。

返す返すも、ネットは便利である。

次回は3月19日

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2009年3月16日 (月)

マラソンには、フォアアスリートが欠かせない!

東京マラソンを完走したい 【 21 】

東京マラソンまで、あと37日。
左足かかとの痛みは、消えない。

ここで、いま一度、道具の見直しをする。
過去3回のマラソンでは、ファイテン五本指靴下を履いた。
果たしてチタンパワーは効いたのか、それはわからない。
そもそも、42kmも走る時に、チタンパワーの靴下が有効なのかが、わからない。
そして、この靴下は厚い。ゆえに暑い。

5本指は譲れないが、もう少し薄手の靴下を試したい。
そこで、ネットで検索したところ、マラソン用品と言えば、やはりアシックス。
薄手の5本指靴下があった。
靴ならば、試し履きなしでは買えないが、靴下には不要。
それに、メンズの靴下は大半が 25~27cm。
ネットで調達する。

全国の街角に、ランニング専門店があるわけではないので、インターネットの存在は本当に助かる。

あと32日
通勤RUNを走り終えて、まだ左かかと痛い。
薬局で湿布を買ってきて、湿布を始める。
結局、この習慣は、レース前まで続けることになった。

あと30日
ガーミン・トレーニングセンターのソフトをアップデート。
フォアアスリートのデータが、Googleアースに表示できるようになった。
空から見る、この二ヶ月の奇跡。
その地図をみているうちに、まだ塗りつぶされていない街へと、出かけたくなった。

フォアアスリートを使っての、初めてのマラソンシーズン。
GPSで走った距離、道筋、ラップタイム、ペースまで、何でもわかる魔法の時計。
今年、走ることがあまり苦にならないのは、この時計のおかげ。

「走る男」森脇健児が番組で使っていたのと同じ、フォアアスリート205。
上位機種「フォアアスリート305」は心拍センサー付き。オプションで自転車とジム内走行に対応する。
その分、2万円ほど高い。
既に心拍計を持っているし、ジムと自転車はやらないので、205に決めた。

後続の新製品「フォアアスリート405」は、洗練されたデザインがセールス・ポイント。
普段着でもつけられるということだが、GPS時計をふだん使う意味がわからない。
しかも、205/305と比べて情報量が少ないので、レース本番には向かない。

 フォアアスリート205
■2007年7月発売
■メーカー提示価格:39,900円
■実勢価格:31,920円

 自動的にラップタイムをとってくれるので、1kmごとにラップボタンを押さずに済む。
 「1km7分ペース」のように設定しておくと、速い・遅いでアラームが鳴る。
 立ち止まると、計時が一時停止する。停止はするが、ラップは途切れないので、信号ロスタイムを含まないラップタイムが計測できる。
 歩行者信号が「赤」なのに、平気で走っていくランナーが多いが、あぁいう横着をしなくて済む。

 ナビとして使うこともでき、緯度経度を入力しておくと、目的地の方角を画面が指示してくれる。
 ただ、さすがに、道路案内は出ない。

 電源は、内蔵しているリチウムイオン充電池に充電。
 充電時間は、3時間程度と速い。
 連続使用は、カタログ数値で10時間。ほぼ間違いない。

 走ってきたデータは、クレードルに乗せ、USBケーブルを介して、パソコンへ転送。
 そのデータを、Googleアースに表示できる。

 フォアアスリートは、ガーミンが製造販売する「フォアランナー」の日本語版。
 英語版である「フォアランナー」はヤフオクで1万円ほど安く売られている。

Amazon の「フォアアスリート205」販売ページ
GARMIN ForeAthlete205(日本版) 送料無料

次回は、3月17日

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2009年3月14日 (土)

マラソンと、アクティブレストと、散髪

東京マラソンを完走したい 【 20 】

ソーティスーパーマジックで走った翌日、右足甲に違和感が出た。
靴を替えて間もないので、ここはムリせず、ジョギングを休む。

「自分に寛容になること。焦らないこと。体は時間が与えられれば、徐々に新しいレベルに適応できる」
マラソンにおける座右の銘。John Bingham のことば。
どこかが痛い時は、この言葉を読み返し、体の対応力を信じて、時を待つ。

勇気をもって休むことを、アクティブレストという人がいるが、それは間違い。
アクティブレスト=行動的な休養であり、積極的に休むという意味ではない。
アクティブレストとは、疲労時に積極的に体を動かして、疲労をとること。

一日休んで、ジョギングを再開。
すると、今度は鼻水が止まらなくなった。
これは、靴のせいではなく、散髪のせい。

マラソン準備期ということもあり、スポーツマンらしく、昭和30年代のような、刈り上げにしてもらった。
これが、いけなかった。
髪がないと寒いのだ。

マラソン前の散髪は、レース前5週間以上を開けたほうがよい。
そうすれば、寒さに頭が慣れるし、体調を崩した場合の、マージンがとれる。

言えることは、レース直前は、短く髪を切ってはいけない。
髪は体温を保つ働きをしている。
短く刈った髪で、寒い冬に走ると風邪を引いてしまう。

▼レース5週間前に散髪する。
      ↓
▼散髪後2週間、外を走る時は、帽子を被る。
      ↓
▼レースを迎える。
      ↓
▼レースが終わってから、好きなように散髪する。

東京マラソンまで、あと39日
ふだん、歩いている時でさえ、左足のかかとが痛い。

体重は、レース当日の減量目標まで +2kg
机に座って仕事をしている時も、右ふくらはぎから叫びが聞こえる。
新しい負荷に体が対応しようとしているのだろう。

レース前半の目標ペースである 7分30秒/kmを、コンスタントに刻み、なんとか 10kmが走れた。
足はあちこちから信号を出していたが、これは、いずれも痛みではなく負荷だ。
この時は、そう考えていた。

次回は3月16日

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2009年3月12日 (木)

新しいマラソンシューズ ソーティスーパーマジック

東京マラソンを完走したい 【 19 】

 新しい靴を買うことに決めた。
 そこで、試しに、手持ちのレーシングシューズ、ナイキ ストリーク・ベンジェンスで10km走ってみた。
 走り終えて、特に違和感はない。
 足が痛くなることもない。
 これならば、いけそうな気がした。

 新しいマラソン・シューズの条件は3つ。
1,アウトソールが黒い
2,メーカーはアシックス
3,軽量でアスリート向け

 ほとんどの運動靴は、アウトソールが白い。
 白い靴をジャケット&スラックスで履くと、小学校の先生みたいに見える。
 通勤RUNの日、会社に履いていくために、アウトソールは黒くなければならない。

 アシックスはマラソン用品のナンバー1メーカー。
 どのモデルを選んでも、マラソン用としては、信頼がおける。

 ネットで検索して、3つの条件にはまったのは1点だけ。
 ASICS SORTIE SUPERMAGIC

 さっそく、行きつけのランニングショップで取り置きしてもらい、駆けつける。
 これまで、ニューヨーク2110、2130と2代、使ってきたカスタムメイドのインソール「スーパーフィート」は、新しい靴用に、新調しようと思っていた。
 だが、このお店は良心的である。
 「少し、カットすれば入りますよ」
 そう言ってくれたので、その分の出費が助かった。

 このモデルのインソールは、アウトソールに張り付いている。
 剥がすのに15分ほどかかる靴もあるらしいが、この靴は割と簡単に剥がすことができた。
 その日、履いてきた2130からスーパーフィートを取り出し、カットして入れてもらう。
 これでもう、2130には戻れない。

 2008年6月1日発売
 2009年2月の購入価格は、14,175円。
 新製品でも2割引が当たり前のスポーツシューズの中で、珍しく値を崩さず、販売されている。

 サイズは、アシックス NEWYORK GTシリーズとほぼ同じか、少し小さめ。
 ナイキが27.5cmの場合、27.0cmというように1サイズ落とすのは、変わらない。

 ノーマル(2E相当)、スリム(E相当)、ワイド(3E相当)の3種類がある。
 これは、いつも通り、ノーマル。
 まだ、靴をよく知らない頃、幅が広ければ広いほどいいと思っていた。
 4Eの靴を履くと、いつも、疲れるのが不思議だった。

 前後、左右ともに、中で余る靴は、履いてはいけない。
 それに気づいたのは、靴コレクターとなって、50足目の靴を買った頃だった。

Ssm1

 帰宅して秤で量ってみる。
 およそ150g。これまで履いていた2130の半分以下。
 格段に軽い。

 この時、東京マラソンまで、あと6週間。
 左足に違和感が出たのは、ソーティスーパーマジックで走り始めた翌日だった。

次回は3月14日

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2009年3月11日 (水)

マラソン靴の常識を覆す新理論

東京マラソンを完走したい 【 18 】

 東京マラソンが6週間後に迫った時、靴を替えることにした。
 靴はランナーの生命線。
 それをレース前のこの時期に替えるという行動は、それまでの自分の辞書にはなかった。

 そのきっかけとなったのが、競歩選手 園原健弘が書いた
「正しく“歩いて”東京マラソン完走」単行本 - 2008年11月
 園原健弘は2005年から2008年の間に4冊の著書を出版している。

 マラソンの途に入った時、真っ先に靴を買いに行った。
 カタチから入る男だからだ。
 「ランナーズ」や「クリール」で研究して、田中宏暁教授が監修しているブルックスの靴に決めた。
 フォアフット着地を促す靴だ。

 だが、大手ランニングショップに行くと反対された。
 「マラソンを5時間以上で走る方ならば、ちょっとクッションが足りないかも知れません」
 売ってくれないというわけではないが、その時、こちらには反論できる材料がない。プロにそう言われると弱い。
 出直して、もう一度研究。

 二度めの買い出しでは、店員さんと僕の考えがぴたりと一致した。
 アシックスのニューヨークシリーズである。
 雑誌では「マラソン用シューズ売上ナンバー1商品」と謳われており、寄らば大樹の陰。無難な選択である。

 初マラソンと2度めは、ニューヨーク2110(2005年モデル)
 3度めは、ニューヨーク2130(2007年モデル)
 そして、4度めのマラソンとなる、東京マラソンも2130で走るつもりでいた。

 だが自分もいつかは、ジョギング寄りではなく、レース寄りの靴を履いて走りたい。
 それは、さらに走力を上げたうえで、5度めのマラソンでと考えていた。
 ただ、日々の走りで、いま一つしっくり来ない、重苦しいイメージがこの靴にはあった。

 そんな時、読んだのが「正しく“歩いて”東京マラソン完走」
 まさか、このタイトルを見た時は、この本で靴への考え方が変わるとは思っても見ない。

 そこには、およそ、次のようなことが書いてあった。

(意味を損なわぬよう、要約して引用)
 初心者には重くて厚底の靴。
 トップアスリートには軽くて薄底という、商品構成ができあがっている。
 だが、厚底のほうがバランスが悪く、ひざや腰の歪みが助長される。
 私は、初心者にも薄底の靴を勧めている。
(引用、終わり)

 およそ4ページに渡って展開されている、靴についての筆者の持論に膝を打った。
 マラソン、ジョギング、ウォーキング、テーピング。その類の本を100冊以上読んできたが、靴について、この論理を展開しているのは、園原だけだ。

 これは、ぜひ試してみたい。
 だが、5度めのマラソンは来春。まだ1年もある。
 幸い間近に迫った東京マラソンならば、制限時間が7時間と長い。走力にも余裕があり、少々冒険ができる。
 やるならば、今だ。

 思い立ったが吉日。
 すぐ靴の選考に入った。

次回は3月12日

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2009年3月 7日 (土)

皇居RUNは終わっている

東京マラソンを完走したい 【 17 】

仲間と、皇居RUNである。

水曜日の皇居は大渋滞だと噂にきいた。
週の中日ということで、週に一度のノー残業デーに好適な曜日なのだろう。
ゆえに、水曜日を外して企画する。

2月後半から、雨の街になった東京は、冷たい雨の夜がつづいていた。
ただ、その日は朝から雨があがり、日が落ちてもなお暖かい。
日頃の行いのよさを、喜ぶ気持ちが半分。
人出が多くなければいいが、という不安な気持ちが半分。

残念ながら、悪い予感がみごとに当たった。
19時を回った皇居外周道路
推定ランナー数: 1000人

マラソンレース当日、スタートして1kmあたり並の渋滞だ。
これだけ人がいると、逆走する人も、ちらほら。
「皇居は左周り」という規則があるわけではないが、ランナーは正面から来る逆走者と、行き違うことに慣れていない。
流れに沿って走っている人は、ストレスが溜まる。

着替え場所に選んだ「稲荷湯」も、めちゃ混み。
このところ、雨がつづいていたこと。東京マラソンが間近に迫っているためか、今日は特別混んでいるのだという。

脱衣場が混むのは織り込み済みとしても、参ったのは、靴が仕舞えなかったこと。
下足箱があるのだが、一般客が靴を入れられなくなるので、ランナーの皆さんは入れないでと言われた。
仕方なく、そこらに脱ぎ散らかし。
入り口には、ほとんど見分けが付かないような、ランニング・シューズが 100足並んだ。

誰かと一緒に走るということは、難しい。
仲間といっても、都合よく、1km7分台でのんびり走る仲間だけが、周囲に集まるわけではない。
1km5分台の人、6分台の人、ペースは千差万別だ。
1周めは 5km 30分強で、なんとか着いていったが、2周めは先に行ってもらった。
他のメンバーは、2周めは 5km 25分で走ったと、後で聞いた。

ペースの違う人と集って走る企画は、単なるレクレーションであり、マラソンに向けた調整ではない。
ただでさえ、寒い夜に走り、風呂で湯冷めして家路につくなど、常軌を逸している。
レースを控えた、この時期に企画したことが、間違っていた。

数十人のランニング・チームで走りに来た人たち。
老若女性ランナー。
それらの人が、快適かつ、安心して走れる皇居に集まる気持ちはよくわかる。
だが、それ以外の人はどうか。

女性だけで走る人が、安心して走りたい!
皇居はそういう場所になった。
それ以外の人にとっては、渋滞の皇居で走るという企画が、もう終わっていると感じた。

次回は3月11日

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2009年3月 4日 (水)

東京マラソン 170万人のうちの3万人

東京マラソンを完走したい 【 16 】

 第3回東京マラソンまで、あと18日。

 TOKYO BIG MARATHON FESTA
 東京の都心でおこなう、市民がたくさん参加するマラソン。
 世界中でもっとも多い落選者を出す市民スポーツ大会でもある。

 第1回は 5万人
 第2回は10万人
 第3回は20万人

 世知辛いこの世の中にあって、参加費1万円を払いたくてうずうずしている人を20万人も断るなど、ずいぶん贅沢な話だ。

 2007年2月、第一回のテレビ中継と新聞報道を見た素人は、5つのことで驚いた。

1,走っている人が多い 25,000人
2,42kmも走るのに、皆、笑っている ~しかも当日スタート地点は雨~
3,マラソンで落選がある ~走りたくても、走れない人がいる~
4,完走率が高い 97%
5,参加費が高い 1万円

 僕は、この時点でマラソンを走った経験があったので、上の5つでは驚かなかったが、次のことに驚いた。

 沿道の応援 138万人
 イベント込み 178万人

 沿道の応援まで発表するマラソンが、他にあるのかを調べてはいないが、他を圧倒する、驚異的な数字だ。
 そして、その数は第二回大会ではさらに増えている。

 沿道の応援 166万人
 イベント込み 226万人

 仮に 2009年3月22日の第三回も、同じ数字だとした場合、
 3万人のランナーを 166万人が応援することになる。
 ランナー 1人あたり、55.3人。

 ・・ 電卓たたいたら、意外としょぼい・・

 さて、その第3回東京マラソンに、
 2度めの応募で、初めて当選通知をいただいた。
 東京マラソンを知る人は、口々にそれを「すごいね」と言ってくれる。
 競争率が高いことが、浸透しつつあるのだ。
 23万人の中での 3万人。倍率およそ 7.7倍

 ・・・ いまひとつ、超難関というインパクトがない・・

 踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃソンソン
 というが、僕は踊ることは嫌いである。
 人はそれぞれなのだ。
 でも目の前で、阿波踊りが始まると、やはり、見る阿呆には回れない。

 3月22日に路上を走る阿呆たちは、
 23万人の中から7.6倍で選ばれた 3万人でもあるが、
 その日、東京マラソンコース上にいる 170万人のうちの 3万人でもある。

 見る阿呆 166万人
 ボランティア1万人
 走る阿呆   3万人

 第1回はボランティア。第2回は見る阿呆。そして、今回は走る番。

 その路上での気持ちは、どんなものなのか。
 日が近づくに連れて、段々とわからなくなっている。

 抽象度が下がるほど、人は目の前のことが、見えづらくなるのである。

 次回は3月7日

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2009年2月28日 (土)

東京マラソン全書籍を読んだ感想

東京マラソンを完走したい 【 15 】

 東京マラソンが書名にはいった書籍は、これまでに5点でている。
 そのすべてを読んだ。


【 発売順 】

2007年2月
「東京市民マラソンアイコンマップ」ダイヤモンド社

 5km毎にランナーの目線でコース解説しているのが他にない試み。
 他の書籍・雑誌では、ノースアップ(北が上)になった地図が多いが、この本は違う。
 東京都で行われる荒川市民マラソンなども掲載している。


2007年8月
「東京マラソン完全ガイド」ダイヤモンド社

 複数ポイントで応援するルートが載っている。
 コース紹介に応援者の視点が入っているのが特徴。
 コースは変わっていないので内容は古びていない。


2008年2月
「東京マラソン」遠藤雅彦 ベースボール・マガジン社

 東京マラソン事務局 事務次長が語る「東京マラソン」の誕生から第1回の舞台裏。東京マラソンの背景を知る入門書。
 トレーニング方法や、コース紹介を目的としていない読み物。
 走る前、応援に行く前に読んでおけば、楽しみが倍加する。


2008年2月
「東京マラソンの舞台裏」川端康生 枻出版社

 創生期に関わった人物へのインタビューを収録。
 交通規制、イベントについてのデータが詳しい。
 ランナーは出走前に背景を読んでおくと、レースへの思いが深まる。


2008年8月
「谷川真理 監修 東京マラソンの走り方」

 コースガイドは簡潔なもの。トレーニングのポイントが手短にまとめてある。
 対象はサブ4ランナー。


2008年11月
正しく“歩いて”東京マラソン完走-競歩の選手が書いた初めてのマラソンの本-」園原健弘 小学館

 珍しく、ど素人寄りに書いてある。
 この本に書いてある靴の選び方理論は、他では見たことがない斬新なもの。
 靴にうるさい人は、そこだけでも読む価値がある。


2008年12月
東京マラソン完走ガイド-レース直前!トレーニング法+完全コースガイド-」山と渓谷社

 コースの地図がこれでもかというほど詳しい。
 コンビニやビル、橋の名前まで載っている。
 ランナー、応援者ともに、コースガイドブックとしては、もっとも役に立つ。


[ 東京マラソンを完走したい ]
 次回は 3月4日に掲載します。

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2009年2月25日 (水)

五輪女子マラソンで補欠が走らなかった理由

東京マラソンを完走したい 【 14 】

 8月17日
 夏季五輪 女子マラソン 日本時間8:30 start
 福士、Qちゃんが出ない今、最後の砦は野口みずき。
 しかし、黄金の一年を託した野口みずきは、故障のために欠場。
 中村友利香は13位。土佐礼子は外反母趾の故障悪化を押して出走しており、レース途中で棄権した。

 野口みずきが欠場を発表した時、補欠が走るものと思っていた。
 こういう時のために、Qちゃんが補欠に入っていれば・・そう思った。
 ところが、日本陸連は補欠選手を用意していなかった。
 これについては、新聞、テレビが触れているのを見聞きしたことがない。

 ランニングマガジン「クリール」によれば、およそ、次のように書いてある。

 日本人が五輪に賭ける期待から言って、補欠を走らせるのは現実的ではない

 日本陸連に知り合いがいないので、いったいそれが、どういう「現実」なのか、わからない。
 補欠で走った選手が好成績を収めなかった時、メディアにたたかれるという意味なのか?
 補欠で準備するのを、実業団のチームが嫌うということなのか・・

 福士、Qちゃん、野口、そのうち誰かが、金メダルを取ってくれるだろう。
 そう願って明けた黄金の一年は、すっかり丸坊主に終わってしまった。

 8月17日
 女子マラソンが散々な結果に終わったその日、第1回「下関海響マラソン」が定員に達し、当初予定よりも1ヶ月以上早くエントリーを締め切った。

 山口県下関市で、2008年から始まるマラソン。
 新下関水族館「海響館」にも使われている「海響」と、関門海峡の「海峡」をかけたネーミング。
 海峡というものの、福岡県の門司側には渡らない。

【 下関海響マラソンの概要 】

■制限時間:6時間
■定員:5000人
■エントリー方法:先着順
■スタート/ゴール地点:海峡メッセ下関

■コース:海峡メッセ下関を始点・終点として、関門海峡を縫うように周回するコース。
■最寄り駅:下関(海峡メッセ下関まで徒歩)
■開催時期:11月中旬の日曜日に開催
■防府読売(防府市、12月、第39回)、くすのきカントリー(宇部市、3月、第4回)に次いで山口県3つめのマラソン大会。
 *開催回数は2008年

【 下関海響マラソン 時系列の記録 】
2008年
6月23日、エントリー受付開始
8月17日、5,000人到達 エントリー締切
9月30日、エントリー締切(当初予定日)
10月8日、日本陸連公認コースに認定された。
 コース設定のルール→マラソンのルール

11月16日、第1回大会開催予定。
定員:5,000人(先着順)
参加費:5,000円

8月24日
五輪男子マラソン 大崎悟史 欠場 尾方剛13位 佐藤敦之76位

 次回は2月28日に掲載します。



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2009年2月21日 (土)

走る男 沖縄にゴール

東京マラソンを完走したい 【 13 】

 4月27日
 徳島県
 第1回とくしまマラソン開催
 徳島県で初めてのマラソン大会が開催された。
 こうして、着々と「マラソンのない県」はなくなっていく。

 2008年末現在、マラソンを開催していない県は、群馬県、奈良県、佐賀県、長崎県の4つ。

 「マラソンを開催していない都道府県」というキーワードで、検索すると、長崎県のホームページがヒットする。
 そこには、マラソンを開催して欲しいという住民の声に対する、県知事と県民スポーツ課長の回答が寄せられている。

 長崎県は、都道府県メルマガ登録数第1位。
 webを通じた、住民との交流は先端を行く県だ。
 住民の声に直接、県知事が答えるなんて、簡単そうだが、やっている県は少ない。

 そのページで、課長が挙げているネックの一つに
「道幅が狭い道路が多く、交通規制をかけるに当たって、県警・道路管理者の許可が取りにくいこと」がある。

 長崎市だけで言えば、海に山が迫る地形であり、平地が少ないことはわかる。
 だが、長崎県は広い。
 それに、交通規制をした場合、規制を受ける交通量が知れている。それは、政令市の比ではない。

 全47都道府県のうち、43都道府県が、こうした諸々の課題を、既にクリアしている。
 道路が狭いが理由では 「私たちは縦割り」です。と自慢しているようなものだ。

 長崎でマラソンが開催されないのは、課長もやんわりと触れている「県民の盛り上がり」の無さに尽きるだろう。
 まず、走っている人がいない。
 友達の誰に聞いても、走る習慣がない。
 マラソンの話をもちかけても、食いつかれたためしがない。

 マラソンを開催した地域が、軒並み収支を黒字にして、いい思いをしている。
 長崎県だって、やりたくて仕方がないはずだ。
 故郷の長崎には、ぜひ一つマラソンが欲しい。

 5月22日(木)
 湘南国際マラソンが、開催時期変更を発表。
 第3回大会を11月16日に開催することを発表し、同日からエントリー受付を開始した。

 5月28日(水)
 北海道マラソンがエントリー締切を延期。
 2008年8月31日(日)開催の2008北海道マラソン(制限時間 4時間)は、6月6日までエントリー受付を延長した。
 定員の5,700人に到達しなかったための措置。

 7月22日
 第3回東京マラソン2009 エントリー受付開始。
 今回は、2度めの申込み。
 未出走の関東春マラソンは「東京」と「長野」しか残っていない。
 制限時間 5時間の長野を走れる走力は、まだない。
 「東京」に当たらなかった時は、二度めの荒川を走ろうと決めた。

 8月3日
 「走る男」森脇健児が、頸椎椎間板ヘルニアを患う。
 ロケに穴を開けるわけにはいかないということで、急遽、代走駅伝を企画。
 ホームページでの呼びかけに対して、即座に43人の「代走、走る男」が参集して、船橋~横浜みなとみらい間55kmのたすきをつないだ。
 2008年3月に北海道洞爺湖を出発。
 1年近くをかけて、日本縦断してきた走る男は、明日2月22日16時頃、沖縄守礼の門にゴールする。



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2009年2月18日 (水)

永遠に納得できない、Qちゃんとカズ

東京マラソンを完走したい 【 12 】

 第二回東京マラソンの翌日、2008年2月18日(月)
 4月開催のかすみがうらマラソンは、この日がエントリー締切日だった。
 しかし、定員には達していたが、2月29日まで延長した。
 東京マラソンで納得がいかなかったランナーが、一週間ほど休んで、よし、かすみがうらで再挑戦だ!
 そういう人が、いたに違いない。

 3月9日
 愛知県
 名古屋国際女子マラソン 初マラソンの中村友梨香が優勝。
 中村は五輪代表に選ばれた。
 Qちゃん、高橋尚子は驚くほど早い段階で遅れ、2度めの五輪出場は叶わなかった。

 こうなれば、返す返すも 2004年アテネにQちゃんを選びたかった。
 1998年、フランスW杯でカズを外した岡田。
 2004年、アテネ五輪女子マラソンでQちゃんを外した日本陸連。
 この2つの選考は、永遠に納得できない。

 カズがフランスW杯に出ても、W杯で優勝できた可能性はない。
 ただ、Jリーグの1stスター、カズが出るだけで、時代の区切りがついていた。

 一方、アテネのQちゃんには、金メダルの可能性もあった。
 野口みずきを除く2選手と比較して、Qちゃんが遜色があるとは思えず、選考手順も不透明だった。

 福士の当てが外れ、Qちゃんも失速。
 こうして「黄金の一年」の予感は、結局、前回優勝の野口みずき一人に託すことになった。

 Qちゃん失速の3日後、ひっそりと北海道を走り始めた男がいた。
 「走る男」森脇健児だ。

 3月12日(水)
 北海道洞爺湖を出発。
 テレビ番組「走る男」の収録が始まった。
 第7回放送から、この番組に気づいて見始めたので、北海道編は後にDVDで見た。

 森脇健児がこの番組に賭ける緊張感、一途さが伝わってきて、たまらない。
 親戚や古くからの熱心なファンにしてみれば、涙なしには見られないだろう。

 3月15日
 神奈川県
 第2回「湘南国際マラソン」が、コース破損を理由に、大磯スタート/ゴールの 30kmレースで行われた。
 第1回は、湘南のシンボル江ノ島をスタート/ゴールにした魅力的なコース。
 それが、たったの1回で諸事情により変更された。
 湘南は、これを最後に春から晩秋の11月開催に変更され、2008年は3月と11月の年2回開催となった。

 前年、第3関門で停められ、DNFとなったこの大会に、再度挑むため、東京マラソンに応募しなかった。
 だが、マラソンだけを走ると決めているので、30kmと聞いた時は愕然とした。
 そこに、残されていた選択肢。つまり、未出走の関東地区の春マラソンが、かすみがうらだった。

 4月20日
 茨城県
 第18回 かすみがうらマラソン開催。史上最多の参加者を集めた。

 かすみがうらマラソンを走りながら書いた記録は、こちらをお読みください。
    ↓

歩かず完走ブログ「かすみがうらを走る!」

 次回は、2月21日

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2009年2月11日 (水)

休憩して完走する芸人マラソン大会

東京マラソンを完走したい 【 11 】

 東京マラソン2008の2週間前である。

 2008年2月3日
 別大毎日マラソンで、マラソン初出場の足立知弥が優勝。
 夏季五輪代表の有力候補となった。
 集団から一気に抜け出した終盤の走りは、なかなか見事なもので、男子マラソンにもわずかな希望の光が灯った。

 同日、第42回青梅マラソンが降雪のために中止。
 中止は、1996年の第30回大会以来2度目。
 雪でマラソンが中止になることには、さほど驚かなかったが、ランナーに参加費が戻ってこないことには、どえらい驚いた。

 2008年2月17日 晴れ
 東京マラソン2008(第二回)開催。

 テレビ放送は、フジテレビと日テレの輪番制なので、今回は日テレの当番。
 第一回のフジテレビは、エリートランナーがゴールしたところで、お昼前に放送を終えたが、日テレは、一般ランナーの制限時間 16:10を過ぎたところまで、生中継。
 市民マラソンを7時間に渡って、全国に生中継した初めての日となった。
 「箱根駅伝」 「24時間テレビ」 と、走る番組のカンバンを持つ日テレ。この局の「走り」への意欲は、並ではない。

 さて、蓋を開けてみれば、番組づくりは、局アナと芸人のマラソン大会だった。
 ただ、走るのが誰であろうが、そのこと自体はとやかく言うことではない。

 賛同できないのは、
 救護所で長時間休憩をとって、再び走り出し、それでも完走してしまう芸人。
 マラソンなんて、こんなものです。
 視聴者の一定数がそう思ったかも知れない。

 マラソンはスポーツであり、レース中に膝を傷めるのは美談ではない。
 マッサージを受けて、リフレッシュしたら、さぁ走りましょって
 それじゃ、温泉卓球だ。

 マラソンは、挑戦は自由だが、スタートラインに立つからには、十分な準備を要求する。
 どこまで準備をすればいいのか?
 実際に無事、走り終えてみて、それは適度な準備だったか?
 次は、どの程度の目標を設定するか。
 考えて、行動に移して、また考える。
 マラソンに限らず、スポーツとはそういうもの。

 外は寒いし、仕事は忙しくて、十分な走り込みもしていませんけど、完走したから、すごいでしょ。
 というものではない。

 芸人マラソン大会にした日テレを受けて、
 第3回当番のフジテレビは、何時間放送するのか。
 どのような番組作りをするのか。
 2月10日現在、フジテレビは一切、情報を公開していない。

 録画しておいて、後日、じっくり検証したい。

つづく

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2009年2月 4日 (水)

黄金の一年 第一走者 福士加代子

東京マラソンを完走したい 【 10 】

 2008年正月
 この年は、日本のマラソンが「黄金の一年」となる予感をもって明けていた。
 2000年、2004年と五輪女子マラソンは日本が二連覇中。
 そして、この夏の五輪では、野口みずき、高橋尚子、福士加代子という豪華な役者が揃う。

 2008年1月15日
「第11回荒川市民マラソン」 が、大会史上で初めて、締め切り日よりも早く5日前にエントリー受付を終了した。
 東京マラソン2008の抽選に漏れた「東京マラソン落選組」が、荒川に流れたのである。
 なにせ、史上初である。
 荒川が早く締めるとは、誰も夢にも思わない。
 この大会でマラソン・デビューを期していた知人は、結局、いまだにマラソン・デビューしていない。

 さて「黄金の一年」のトップランナーは福士加代子である。
 中距離では国内敵なしの福士が、満を持して 五輪代表枠を賭けて、大阪国際でマラソン・デビューを飾る。

 福士は、4か月前の2007年9月に発売された「ワコール CW-X 柔流」の宣伝に起用されている。
 その広告はランニング雑誌に毎号載っており、市民ランナーの間では、もうすっかりマラソンランナーとして、認知されている。
 残念ながら、レース結果はふるわなかったが、今の日本マラソン界には一人もいない、圧倒的スピードで飛び出すレースに感動した。
 ぜひとも、2012年の五輪までには、マラソンに戻ってきて欲しい。

 「ワコール CW-X 柔流」は、肩胛骨と骨盤の動きを整え、上半身を使える走りをサポートする肌着。

 CW-X 【 しーだぶりゅーえっくす 】は、ワコールが発売するスポーツ用ウェア。
 そのまま何も上につけないでよいものと、下着が発売されている。
 アウターとして履けるショーツは、およそ 8,000円。ロングタイツは1万円より。

 股関節周辺の筋肉を幅広くサポートし、股関節を安定させる。
 おしり、下腹部の筋肉をサポートし、腰部を安定させて、脚の動きをより軽くする。
 といった機能をもっている。
 直接肌につける仕様ではなく、この下にサポーターなどを履くことを前提としている。
 インナーショーツは、およそ 5,000円。
 下着なので、このショーツだけでは表は走れない。
 サポート感がほどよく、窮屈ではない。
 腰に疲れがあっても、それが和らいで感じる。
 ほどよい前傾姿勢が自然にとれる。ボクサータイプだが、履いているとビキニタイプに感じるくらい足にはかからない。

 福士の走りに感動したので「柔流」を買った。
 肩の可動範囲が広がることで、腕振りが大きくなる・・ と宣伝している。
 腕の振りには自信がないので、その効果に期待した。

 結論を先に書くと、"腕振り効果"はよくわからない。
 ただ、レースは気温が低い日だったので、暖かくて助かったのだけは確か。
 背中や腰にテーピングする手間も省ける。

 ステッチデザインを見ると、肩胛骨が穴から飛び出てはまるような印象を受けるが、実際にはそのような装着感はない。
 全身がぎゅっと引き締められる感じがする。
 柔流を着ることで腕が振れると言うよりは、着ていることで腕振りの意識が持てる。
 レースでは柔流の上に、半袖または長袖シャツを1枚着る。

 夏場のランニングでは、この一枚だけでも外が走れるデザイン。
 デザインの良さ、温度調節ができるファスナー付きという観点から、ハーフジップ・タイプを選んでおくとよい。

 競合商品として、同時期にアシックスから「肩バランスアップシャツ」が発売された。
 その違いを以下に挙げておく。

■柔流は骨盤の旋回バランスをとることも配慮しているが、肩バランスアップシャツにはその機能はない。

■肩バランスアップシャツの方が締め付け感が強い。
 アシックス肩バランスアップシャツの方が、より鍛えることに特化している。

■柔流には半袖、ノースリーブの2種類がある。
 半袖(商品名:ハーフジップ)は胸元がファスナーで開けられる。
 肩バランスアップシャツは半袖のみ。

■肩バランスアップシャツはプレーンなデザイン。単独で着ても違和感が小さい。

■柔流が実勢価格で、およそ100円高い。

つづく



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2009年1月28日 (水)

皇居近くの銭湯といえばバン・ドゥーシュ

東京マラソンを完走したい 【 9 】

 僕がマラソン人生を始めた2006年初頭、すでに皇居はランナーのメッカと言われていた。
 第1回東京マラソンが開催される1年前、2006年2月に皇居を走った。

 当時は皇居RUNについての情報は乏しく、一周が何キロなのかということさえ、わからない。
 腕時計型のGPSを買うのは、その2年後。
 まずは、1kmごとのラップ計測ポイントがどこなのかを把握する必要がある。

 そこでまず、クルマで下見に行った。
 皇居の正面玄関と思われる当たりで、クルマのトリップメーターをリセットして、スタートする。

 →2006年12月13日 皇居と日比谷公園

 つづいて、走った後の着替え場所をネットで探す。
 2007年、第一回東京マラソン後に、いくつかのシャワー付き施設ができたが、当時は銭湯が3つだった。
 そのうちの一つ、皇居外周道路にもっとも近い「バン・ドゥーシュ」に決める。

銭湯:バン・ドゥーシュ
住所:千代田区麹町1-5-4
定休:日曜

 日曜日が休みなので、走るのは土曜日に決める。
 土曜日の午後、銭湯が開く時間を見計らってでかける。
 クルマをコインパーキングに停めて、バン・ドゥーシュへ。

 営業は16時からだが、すでに入り口は開いていた。
 開店前でも、走りに行くための着替えならば入れてくれるのである。

▼400円を払って入る
  ↓
▼脱衣場で走る格好に着替える
  ↓
▼荷物はロッカーに入れる
 ロッカーには鍵がついているが、ロッカーが開いていない時は脱衣かごを使う。
 この日は、すでにロッカーは空きがなかった。
  ↓
▼番台のおばちゃんに「走ってきます」と声をかけて、外へ出る

 バン・ドゥーシュから皇居までは、徒歩5分程度。
 半蔵門の交差点で皇居外周に出る。
 そこから、皇居RUNが始まる。

 竹橋から代官町ICにかけては、登りになるが、さほどつらいものではない。
 一転して、千鳥が淵から半蔵門にかけての下りは、お堀を見下ろす絶景に、かなりの高揚感を感じた。

 銭湯のロッカーは満杯だったが、皇居外周には、ほとんど人が走っていない。
 1km7分程度で走っていて、1kmにつき、5人に抜かれる程度。
 コース上は、快適な走りやすさだ。

 ・・というのは、2006年2月の話。
 現在がどうなのかは、2009年3月に走って、報告する。

 半蔵門で走り終え、皇居外周を外れて、バン・ドゥーシュへ戻る。
   ↓
▼番台のおばちゃんに「ただいま」と言って、再び銭湯へ。
 靴箱には鍵がついている。
   ↓
▼水道でアイシング 体を洗ってからお風呂に入る。
 お風呂は狭い。街の銭湯の中でも、狭いほうである。
 タオルは400円で売っていた。
   ↓
▼着替えて、帰る

 風呂上がりにくつろぐスペースは無い。
 風呂を上がった後、男女での待ち合わせは出口のベンチで。
 ただし屋外なので冬はちょっと寒い。

 皇居近隣に、シャワー付きの施設が増えたというが、それらはいずれも会員制。
 2~3年に一度の「たまには皇居ランナー」には、敷居が高い。
 2009年3月に皇居を走りに行く際は、秋葉原の銭湯「稲荷湯」の利用を予定している。



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2009年1月21日 (水)

びっくりたまげた東京マラソン

東京マラソンを完走したい 【 8 】

 第一回東京マラソンの反響は大きかった。

 テレビ中継を見た素人は、次の点にびっくりした。
「人が多い」
「抽選で落ちて、走りたくても走れない人がいる」
 マラソンを走るのに抽選がある。ということが普通では考えられない。
 しかも、落選者は 51,648人である。
 参加費は1万円なので、5億円の売上げを「要りません」と断ったのだ。
 資金繰りにあえぐ経営者の皆さんから見れば、羨ましいことこの上ない。

 沿道で応援した人は、雨の中を走っているランナーが嬉しそうに笑っているのに、びびった。
 42kmも走るのだ。
 10mでもムリ!
 という人が多いのに、42kmである。
 しかも、この雨の中を走ることの、どこがそんなに楽しいのか。

 翌日の朝刊を見た素人は「完走率」に驚いた。
 26,058人が受付をして 25,130人が完走。 96.44%。
 完走できなかったランナーは およそ900人。
 市民マラソン事情を知っていた人ならば、7時間という制限時間に鑑みて、さほど驚かない。
 ただ当日の雨天と極度の冷え込み、素人が大挙してエントリーしているであろうことを考えれば、90%程度かと予測していた。
 だが、出場者は思いの外、きちんと練習をしてきたのだった。

 3万人規模が走った日本初の市民マラソン。
 いったい何万人がびっくりしたかはわからない。
 ただ、その後確実にそこらを走っている人の姿は増えた。

 さて、ボランティアとして現場を見て、大いに士気が高揚したのだったが、1か月後の湘南国際マラソンは完走できなかった。
 第三関門の制限時間にあと3分届かず、記録は「DNF」

 翌シーズンは湘南国際マラソンに再戦を挑むという課題ができた。
 第二回東京マラソンは11か月前の時点で見送ることを決めた。
 「東京マラソンを完走したい」は2年後の目標に棚上げされた。

 東京マラソンが終わって一月半。
 もうすっかりボランティアに出かけたことも忘れていた 2007年4月3日
東京マラソンボランティアセンターより、一通のメール便が届いた。

 なんだろう?
 何かもらえるのだろうか・・
 封書から出てきたのは、ハガキの大きさ二つ折りの感謝状。
 Thank you 12,670
 それによるとボランティア参加者は 12,670人とあった。
 不遜な期待をしたのが、少し恥ずかしかった。

 2007年6月、第二回東京マラソンのエントリー受付が始まる。
 第一回のボランティアに出場優先枠を設けるかは当初「予定なし」となっていたが、ウェブサイトで優先枠なしと明記された。
 第一回で落選した人にも優先枠はない。
 第一回に出場した人も落選した人も、第二回で初めて応募する人も一律に抽選の対象となる。

 8月には二度に渡り、2007年のボランティア従事者を対象に、ボランティア・リーダーの募集が行われた。
 無料ならば応募するところだが、費用がかかるとのことで見送った。

 ボランティアは 9月3日から募集開始。募集定員は前年より 2千人増えて12,000人。
 こちらは抽選ではなく先着順。
 募集開始からおよそ1か月後の 10月1日に締め切られた。

 10月5日、抽選結果の発表が始まる。
 定員より2,500人多い27,500人を当選とした。

 明けて 2008年
 大会2週間前の 2月3日、マラソンコース脇の歩道を使ったウォーキング大会を開催。
 午前 7:30スタートで、ゴール制限時間は16時(8時間30分)

 2月14~16日、東京ビッグサイトで選手受付 (2007年は東京ドームだった)
 受付したのは 27,386人。
 27,500人に一次当選通知を出し、11月12日には二次当選を出して、この人数。
 まさか当たるとは思わずに申し込んだけれど、お金は払わなかったというお調子者が、ずいぶんといたことになる。

[ 東京マラソンを完走したい ]
は東京マラソン2009開催まで、毎週水曜に連載する予定です。



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2009年1月14日 (水)

優勝ランナーより有名な2位ランナー

東京マラソンを完走したい 【 7 】

 東京マラソン第一回女子の優勝者は誰でしょう?

 この問いには、マラソンファンでも正解できる人は少ないだろう。

 女子優勝:新谷仁美  (国籍:日本、所属:豊田自動織機)
 優勝した新谷は当時18歳で、初マラソン初優勝。
 2時間31分1秒は初マラソンとしては立派でも、世界選手権選考レースとしては低調なタイム。
 新谷はその後も大きな活躍がなく印象が薄い。

 女子2位には谷川真理がはいった。
 タイムは新谷から遅れること18分の2時間49分。
 谷川はエリートの招待選手ではなく、ゲストランナー。
 調子はいま一つだったが、終わってみたら2位でびっくりした。こんなタイムで2位でいいのかと思った・・
 とその著書で語っている。

 谷川真理は元はと言えば普通のOLだった。
 その経歴は いわゆる、陸上エリートではないが、独自の努力でトップアスリートの仲間入りした。
 そしてまた、エリートランナーをリタイアした後は、市民ランナーに戻り、走るライフスタイルを提案し続けている。

 谷川が説く "骨盤を前後に動かす" 練習方法は、素人にもとてもわかりやすい。
 1962年生まれと言うことは、現在46歳。
 年齢を感じさせない風貌は、多くの女性ランナーのモデルになっていることだろう。

■谷川真理の略歴

1962年
10月27日、福岡県生まれ

1991年
東京国際女子マラソンでマラソン初優勝

1994年
パリマラソン優勝 現役時代の自己ベスト2時間27分55秒

1998年
初めての著書「谷川真理のランニング・フィットネス」学研 発売

2000年
1月16日、第一回谷川真理ハーフマラソン開催
以降、毎年1月に開催。

2007年
2月、第一回東京マラソンに 一般ランナーとして参加して女子2位に入った。
この大会はアシックスがメインスポンサー。
ナイキ・ランニングの広告塔的な存在の谷川はテレビに映ることもなく、彼女が 2位に入ったことはテレビを見ていてもわからなかった。

2008年
2月、第二回東京マラソン10kmの部女子2位
8月18日「東京マラソンの走り方」コスミック出版 コースガイド、トレーニングのポイント、最低限のことがまとめてある。

2009年
1月11日、第10回谷川真理ハーフマラソン開催

東京マラソン2009への出場については、谷川真理のホームページにも記述が無く、わからなかった。



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2009年1月 7日 (水)

ケニアから来た日本語を操る実力者

東京マラソンを完走したい 【 6 】

第一回東京マラソン2007 結果

■申込者数:77,521人
■当選者数:25,873人

■受付者数:26,058人
■完走者数:25,130(完走率96.4%)

■天候:雨のち曇り

■ボランティアスタッフ:およそ1万人
■沿道の応援:138万人(それとは別にイベント参加者40万人)
■テレビ中継:CXが生中継 9:00-11:50 平均視聴率:23.6%

 男子優勝:ダニエル・ジェンガ(国籍:ケニア、所属:ヤクルト陸上部)
 ダニエル・ジェンガは 2002年のシカゴマラソンで出した 2時間6分16秒の自己ベストがピークの成績。
 この大会の優勝タイム2時間9分45秒は、5年前のベストタイムから3分30秒遅い。

 ケニアは赤道上にある東アフリカの国。
 自然が豊かで野生動物が多く生息する。
 政情は不安定で、外務省海外安全ホームページによると、
 2004年11月現在、北部に渡航の是非を検討、南部に十分注意の勧告が発出されていた。 2008年12月現在も、多くの地域で「渡航の延期をお勧めします。」「渡航の是非を検討してください。」が発出されている。

■英語表記:KENYA
■人口:3,030万人(2004年)
■面積:58.26万平方km国土は日本の約1.5倍
■北をエチオピアと接する。インド洋にも少しだけ面している。
■1920年に英国領となり、1963年12月12日に独立。アフリカ大陸34番目の独立国。
■国旗:ヨコ黒・えび茶・緑地、中央に盾と槍をデザイン。
■宗教:プロテスタント、ローマカトリック、部族の宗教など
■公用語:スワヒリ語・英語
■通貨:ケニアシリング
■首都:ナイロビ(ナイロビは"冷たい水"の意味)

 20004年の東京国際、2007年の東京と優勝経験を持つダニエル・ジェンガだが、ケニア代表としては一度も五輪に出場できない。
 それだけ強力な選手がケニアには多いということだ。

 整った設備と指導環境。安心して暮らせる豊かな街。
 すらすらと日本語でインタビューの受け答えをするアフリカ出身選手はこれからも増えるだろう。
 サッカーがそうであるように、陸上も国籍取得による日本代表入りを受け入れるとよい。
 この大会は2007年夏、世界陸上選手権大阪大会の代表選考レースだったが、優勝タイムが低調だったことで、代表内定者は出なかった。

ど素人!マラソン講座

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2008年12月31日 (水)

誇りと記念品が残るボランティア

東京マラソンを完走したい 【 5 】

2006年
 10月31日
 参加費払込締切

 11月15日
 追加当選通知メールを発信

 12月
 公式スポンサーアシックスが東京マラソンモデルのシューズ、ウェアなどを発売。

  1月
 ボランティア説明会

2007年
 1月、数回に分けてボランティア事前説明会。
 2月16日、17日 東京ドームで選手受付(当日受付無し)
 17日 東京ドームでボランティア直前説明会

 EXPOでにぎわうドームのグラウンドを尻目に、スタッフは階上のコンコースに集合。
 当日の割り当てが発表される。
 完走者全員にメダルが配られること、そのうち女性には花束が手渡されること。
 予想外の手厚いご褒美を聞き、ますますランナーが羨ましくなる。

 ふと疑問がわいた。
 どうやって女性と男性を見分けるのだろうか。
 同じようなランナーズウェア、目深にかぶったキャップ。
 女性なのに渡しそびれたり、男性に渡したり・・
 「私、女なのに・・」
 「おれ、男だけどいいの?」
 そんなやりとりを想像していたら、それを察したかのようなリーダーの話で謎はすぐ解けた。
 「女性はゼッケンナンバー(正式用語はユニフォームナンバー)の前に F がついています」

 ボランティアスタッフには、ユニフォームとしてキャップ、ポンチョが支給される。
 黄色いポンチョは外を着て歩けないが、グレー地に TOKYO MARATHON 2007 とネーム入りの大会記念キャップは今も愛用している。
 思い出と誇り、そしてこうして証となる記念品が残る。
 数あるボランティア活動の中でも、ちょっとおいしいプロジェクト。
 マラソン話の花が咲く時、走るのは無理という人も、このボランティア体験を話すと、それならやってみたいと言う。

 TOKYO BIG MARATHON FESTA 2007
 2007年2月18日(日)第一回東京マラソン
 第一回から2万5千人を走らせたマラソンは世界で初めてとなった。
 10kmの部を加えると3万人。
 3万人が走る市民大会は国内初。

 スタート地点の天候は雨。
 スタート時のロスタイムは、最後尾で19分。
 スタートライン前で最終ランナーがラインをまたいだ時、手元のデジタル時計は 9:29を表示していた。この数字は主催者の読み通りといえる。

 3万人ものランナーが、20分以内にスタートラインを通過できた理由は、片側3車線(中央分離帯あり)合計6車線という広い道幅にある。
 道幅が3分の1程度の荒川市民マラソンでは、例年その半分の16,000人が通過するのに20分を要している。
 2008年第二回大会、ニッテレの中継アナウンサーは「去年のロスタイムは30分」と言っていた。
 10分早く出発する車いすランナーの号砲からカウントしたのかも知れない。

[ 東京マラソンを完走したい ]
は東京マラソン2009開催まで、毎週水曜に連載する予定です。

ど素人!マラソン講座

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2008年12月24日 (水)

落選をメールで知らされるという気分

東京マラソンを完走したい 【 4 】

 2006年3月31日
 石原都知事が会見して開催概要を発表した。

 4月10日
 開催要項正式決定。

 2006年4月12日
 参加資格について、エントリーセンターに確認した。
 過去のマラソン経験、持ちタイムが要項に含まれていたからだ。
 回答は「現時点では自己申告か、証明が必要かは未定」

 4月下旬に発売されたクリール 2006年6月号誌上では「証明不要」と書かれていた。
 そして、実際の受付では証明は不要で、持ちタイムは自己申告だった。

 4月14日
 公式サイト 
http://www.tokyo42195.org/ オープン

 5月
 アシックスが公式スポンサー契約締結を発表。

 2006年6月
 インターネットと郵便振替で、第一回東京マラソンの受付が始まった。

【 東京マラソンの概要 】
■参加資格:6時間40分以内で完走できる男女
■制限時間:7時間
■参加費:10,000円(+手数料500円)
■募集定員:25,000人

 8月18日
 申込受付締切。
 定員の3倍、およそ77,000人がエントリーした。
 主宰者は「10月上旬、抽選結果を本人にe-mail通知する」としている。申込み以後メールアドレスが不通になった人は、電話問合せにも対応する。

 10月6日
 申込者に結果通知。
 届いたのは落選通知のメール。
 試験の合否発表は文書、学校の掲示板、電話などで行われる。
 メールで当落を知らされるのは、生涯初。
 結婚を楽しみにしていた婚約者から突然「やっぱり別れます」とメールで言われたら、きっとこんな気分になるのだろう。

 10月24日
 インターネット経由申込者全員にボランティア募集のお知らせ、青梅マラソン参加の呼びかけをメール送信。

 記念すべき第一回、ランナーとしての参加はかなわなかったが、ボランティアとしてその場にいることに意義がある。
 スポーツ大会のボランティアというものを一度経験してみたい。
 そして、あわよくば第二回の抽選で有利になるかもしれない。そう考えてボランティアにエントリーした。

[ 東京マラソンを完走したい ]
は東京マラソン2009開催まで、毎週水曜に連載する予定です。

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2008年12月17日 (水)

うつ病に効果があるマラソン

東京マラソンを完走したい 【 3 】

 マラソンに備えながら「東京マラソンを完走したい」という小説を書いた。
 ある版元の新人賞に応募したが、一次選考にもひっかからなかった。

 その2ヶ月後、荒川市民マラソンを完走した。
 復路では大会史上最悪といえる、猛烈な逆風が吹いたが、制限時間の7時間ぎりぎりで完走した。
 完走と言っても走ったのは27kmまで。
 それでも完走は完走。
 心に広がる充実感はその後、1年間続いた。

 「えっ、マラソンって あの40キロのやつ?」
 「自分はぜったいムリ!」

 マラソンを完走したと誰かに話せば、おおかたの人から尊敬の言葉を送られる。
 日本国民の大半がマラソンに親しみと畏敬の念を抱いている。
 ルート2がいくつかは忘れても、円周率の 3.14 とマラソンの 42.195kmは知っている。
 読売新聞社の調査では、毎年好きな見るスポーツのベスト5にはいっている。
 トライアスロンのレースに出たと言っても、頭に「?」マークが浮かぶ人が多いが、マラソンに出たといえば「えっ、あの42kmの?」という承認を伴うまなざしが返ってくる。

 そして、他人からそうであるように、自分でも自分を尊敬できるようになる。
 その苦しさを知っているのは自分であり、成し遂げたことの価値を一番わかっているのも自分だからだ。

 自分に自信が持てない。
 誰かに認めて欲しい。
 共依存に悩んでいる。
 うつ病が長い。

 そういう人たちにマラソンは有効だ。

 モノを買うと幸せを感じる。
 だが、手にした途端に急速に冷めていく。

 お菓子やアイスを食べれば幸せを感じる。
 だが、食べているそばから、もうそれは薄れている。

 それらの幸せは、いずれも一過性のもの。

 他人からの承認は心の支えになる。
 だが、いつか慣れてしまい、ありがたみを忘れてしまう。
 そして、いつ相手から途絶えるかわからない。

 マラソン完走の幸せは長続きする。
 それは自分で自分を承認したからだ。



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2008年12月10日 (水)

一生に二度の「走るマラソン」

東京マラソンを完走したい 【 2 】

 2005年11月、「40才からのフルマラソン完走」梅方久仁子 技術評論社 2005年11月 という本を手に取ったことから、見るマラソン人生が、走るマラソン人生に替わった。

 その本に、7時間制限の荒川市民マラソンならば、1km10分で歩いても完走できるといった主旨のことが書いてあった。

 7時間制限のマラソンがこの世にある。
 歩いても完走?

 これは衝撃だった。
 昨今、乱発される言葉でいえば「目からうろこ」
であるが、コンタクトレンズを経験した者にとって、どうもこの言い回しは気味が悪くてしかたない。

 「歩いてでも完走」
 一生に一度、見るマラソンを、自分で走るマラソンにする。
 そう決めた。

 荒川市民マラソンに向けて、まずはウォーキングを始めて1ヶ月。
 ランニング月刊誌「ランナーズ」に東京マラソンの記事が載った。

 2005年12月12日、第一回開催日を正式決定
 2007年2月18日(日)
 制限時間7時間 定員3万人

 前身の東京国際マラソンは 2月の第 2日曜に行われていたが、2007年はその日が建国記念日と重なり、十分な警備態勢がとれないため、第 3日曜開催となった。
 そのように、メディアは報じていた。

 青梅マラソンという名前は聞いたことはあったが、あおうめマラソン?かと思っていた。
 (読みは おうめ)
 マラソンというから 42.195kmを走る大会かというと、30kmレースであることもここで調べてみて知った。

 大会事務局の責任者、遠藤雅彦が2008年2月の著書「東京マラソン」ベースボール・マガジン社~で次のように書いている。

(以下要約)
 東京マラソンは二月の二週、青梅は三週の開催予定だった。東京の翌週では青梅に影響が出る。青梅が先ならば両方走ることができる。そこで話し合いの末、青梅が第一週、東京が第三週となった。<br/>
(要約おわり)

 開催が発表されたのは、第一回までまだ14ヶ月も前である。
 十分に準備時間があった。
 これだ。
 これに出たい。
 2006年に荒川を走り、2007年、記念すべき第1回東京マラソンで 「走るマラソン」人生に有終の美を飾ろう。
 すぐさま 一生に一度の目標を、一生に二度に修正した。

[ 東京マラソンを完走したい ]
は東京マラソン2009開催まで、毎週水曜に連載する予定です。

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2008年12月 3日 (水)

東京マラソン抽選の憶測

東京マラソンを完走したい 【 1 】

 東京マラソンのエントリーは、第1回から第3回までいずれも抽選となった。
 抽選は今回まで3大会いずれも無作為で行われている。
 だが、その内実について様々な憶測がネット上に書き込まれている。

 テレビ局のアナウンサー、スポンサー関係者は抽選していないのでは?
 外国からの参加者は有利ではないか?
 陸連登録者は有利ではないか?

 これらは、どこまでいっても憶測の域を出ない。
 本当にそうであっても、主催者が「その通りです」と認めることはないからだ。
 そして、いずれも、それがどうした?ということである。

 まず、テレビ局やスポンサー枠があったとしても何ら不思議ではない。
 彼らが制作費や広告費を出して大会をもり立てているのだから、一定の出場枠が与えられることは至極当然だ。

 このような商業主義的な特権を不公平だと非難する人がいる。
 だが、そういう人がこの世の中のすべてのルールを守っている聖人というわけではないだろう。
 そういう人は、車を運転すれば横断歩道で歩行者に道を譲り、歩行者の時は信号を必ず守っているだろうか。
 それらは「法律」である。
 法律さえ守っていない人が、法に触れない商業的慣習を批判するのは筋が通らない。

 国外参加者が有利であっても不思議ではない。
 出場者が多国にまたがれば、それだけ海外から東京という町が注目される。
 2016年夏季五輪の選考レースに有利という中期の視点だけでなく、長い目でみて東京の競争力アップにつながるのだ。
 政治学者がよく「都市の国際競争力」という言葉を使う。
 それは簡単にいえば、人と金を集める力。

 「東京だけが儲かっても、僕らには関係ない」
 他の都道府県の人はそう思うかも知れない。
 ただ、現行の日本の制度では、東京が集めたお金が回り回って、地方交付税や補助金で東京以外の都道府県にあてがわれている。
 東京の競争力は事実上、日本の競争力とも言えるのだ。

 外国から来る人は必ず前泊する。大半が当日泊もする。
 東京にお金が落ちる。
 これは、関東以外に住んでいるランナーにも言える。
 より多くの遠距離参加者がいれば、人が長い距離を動くほどに、金が動く。
 そういう視点でいえば
 「地方の人のほうが有利だ」
 という疑念が出てもよいくらいだが、それはなぜか聞かない。

 陸連登録者が有利でもおかしくない。
 そもそも、東京マラソンに応募した人のそのまた一部の人を除いては、どうすれば「陸連」に「登録」されるのかさえわからないだろう。
 陸連に友達はいないので、その風土は計り知れない。
 ただ、どんな組織にも内輪の特権はつきもの。
 そもそも、日本人は内輪の特権が大好き。

 陸連登録者の特別扱いを非難する人も、政治家が
 「あなたを仕事が楽で年収2000万円の大会社に就職させてあげます」
といえば、ごろごろごろと喉を鳴らすだろう。
 友達が**自動車に勤めていて、クルマが2割引で買えるといえば、その特典に預かるだろう。

 「判定に不満を言うのは常に敗者」
 は前FCバルセロナ監督 フランク・ライカールトのことば。
 抽選に不満をいうのは、常に落選者。

 落ちても文句は言わない。
 落ちたら荒川にすぐ申し込めばいい。

 別に東京マラソンは、2009年で終わりではない。
 そうして、11月7日の抽選発表を待っていた。

[ 東京マラソンを完走したい ]
は東京マラソン2009開催まで、毎週水曜に連載する予定です。

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2008年11月27日 (木)

荒川市民マラソン エントリー締切

 11月26日、荒川市民マラソンが、エントリー受付を締めきった。
 締め切り日の12月26日まで、あとちょうど 1ヶ月を残している。
 レース開催日の2009年3月15日から逆算すれば、109日も前である。

 前回2008年大会は、締切日 1月21日に対して、6日速い 1月15日に締め切った。
 (レース開催日の 61日前)
 それが荒川マラソン 11回めにして初の「締切日前の締切」だった。

 しらべるでは、もっと早い 11月7日の締切を予想していた。
 その日は東京マラソンの抽選結果発表日。
 東京マラソンの応募者のうち、およそ20万人に対して落選のお知らせが届く。
 一方、荒川市民マラソンの定員は 15,000人。
 東京落選の乗り換え組が一斉に、荒川にエントリーして、即日締切・・
 という予測は外れた。

 その要因を分析すると、20万人が皆、東京の人ではないということだろう。
 人気の高いマラソン大会は、全国各地から参加者を集めている。
 2008年4月の「第18回かすみがうらマラソン」も全都道府県から一人以上の参加者を集めていた。

 ましてや、テレビ中継があり、大応援団を得る東京マラソン。
 数年前は、素人が「マラソンといえばホノルル」と短絡的に考えていたものが、今やマラソンといえば東京なのである。

 後から考えてみれば、簡単なことである。
 それでも 「東京を落選したうえに、荒川のエントリーを逃したら、目も当てられない」という脅迫観念が、即日札止めを予測させた。

 東京マラソンの抽選発表の翌日から、いつ荒川市民マラソンがエントリーを締めきるのかに注目していた。
 すると、荒川市民マラソン公式ホームページでは、エントリー人数の経過を公表し始めた。
 11月11日、公表初日の人数は 6,380人
 拍子抜けするほど、少なかった。
 まだ定員まで9,000人も届かない。

 翌日から土日を除く平日、【 速報 】 がつづく。
 そして 11月21日(金)12,549人の発表を最後に、25日(月)は速報なし。
 26日には、締切が告知された。
 エントリー人数は公表されなかった。

 恐らく定員の 15,000人に対して 低く見積もっても 10%増しで受け付けたと推察するが、水増し率は公表しづらいのだろう。

 2008年は 61日前
 2009年は109日前 ・・・
 この調子でいくと、年々締切が早くなり、ついには荒川市民マラソンも「抽選」という日が来るかも知れない。
 日本人が健康になることが、喜ばしい。



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2008年11月19日 (水)

ランナーズハイは実在しない。

 ランナーズハイ
 走っているとある時点から気持ちよくなり、どこまでも走れそうな陶酔感を味わうこと。

 走り始めて5分~15分ほどで味わえる人もいると書いている書物がある。
 ランニング関連の文献には、脳内エンドルフィンが分泌されることが原因と書いてある。

 だが「こないだ、ランナーズハイになってさぁ~」と目を輝かせて語る人を見たことがない。

 日頃のジョギング、3度のマラソン出場で、まだ一度も経験がない。
 初マラソンの折り返し点で「どこまでも走れそう」な気持ちになったことがある。
 お、ついに来たか これがそうなのか・・・
 と思ったが、後で振り返ると錯覚だった。
 その時、強い追い風が吹いていたのだ。

 洗車をしている時、いつまでも洗車できそうな気がしたことがある。
 本来、洗車は嫌いだ。自分と同じくらい丁寧にやってくれる人がいたら、頼みたい。
 嫌いだが、いざ始めてみると、車がどんどんキレイになっていく。
 その快感を追求したくなる。
 洗車~ズハイ。
 だが、走ることはもっと嫌いなのか、ランナーズハイのほうはなかなかお目にかかれない。

 ランナーズハイは、宝くじの1等、宿便、視聴率の調査機と同じくらい実在が怪しい。
 宝くじの1等が当たったことを人に喋るとたかられるかも知れないし、身に危険が及ぶかも知れない。
 宿便は、出るとそれは嬉しいだろうが、人に言うと、引かれてしまう。
 視聴率の調査機が家にあることは、秘密にしなければいけない(のだと思う、きっと)

 それと比べて、ランナーズハイは誰に隠すこともない。
 ねたまれることもないし、引かれるものでもない。

 「佐藤さんちのイチロウちゃん、こないだランナーズハイになったそうよ」
 「まぁ、汚らわしい。町内の恥ね」
 などと、後ろ指はさされない。
 それなのに、「おらぁ、ランナーズハイになったづ」という人を知らない。

 ランナーが集まるミクシィのコミュニティで
 「あなたはランナーズハイを経験したことがありますか?」
 というアンケートをとるとしよう。
 だが、質問の前提となるランナーズハイの定義が曖昧だ。

 「気持ちよくなる」ことがランナーズハイと定義すると、ランナーは全員経験者になってしまう。
 どの程度気持ちがよいのか?
 どれくらい走れば、ランナーズハイと認定されるのか?
 「5km以上を走行して、その後2時間以上走り続けられると認識した状態」
 といった定義を日本陸連がしてくれるだろうか? ・・・するはずがない。

 恐らく、"ランナーズハイ経験者"がいうその状態とは、生涯で経験したことがないような陶酔感が訪れて、戸惑うことをいうのだろう。
 そういう体験者は、世の中に少しはいるのかも知れないが、ランナーのごくごく一部だろう。
 (しらべるの予想:3%)

 それでも、誰でも走ればランナーズハイ。
 朝食を抜くのは体に悪いというのと同じくらい、なんの根拠も示さず当然のこととして、今日も語られている。

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2008年11月 5日 (水)

転ばぬ先の荒川市民マラソン2009

 あと二日

 2009年3月22日に開催される東京マラソン2009の抽選結果が、11月7日から応募者へメールで届く。
  3万人に当選メール。
 20万人に落選メール。

 その東京マラソンの一週間前に開催されるのが「第12回荒川市民マラソン2009」
 関東の春マラソンは、荒川、東京、そして4月のかすみがうらの3つ。
 湘南国際が11月に移動したため、東京マラソン落選者の代替レースは2つになった。

 前回の「第11回荒川市民マラソン2008」は、大会史上初めて、エントリー締切前に定員を大幅に超えて、早期に締め切った。
 「まさか荒川を走れないなんてことはあるまい」
と高をくくっていたランナーは唖然とした。

 今回の締切は 2008年12月26日(金)
 例年より1ヶ月も早い。
 だが、その締切までエントリーを受け付けているとは思えない。

 東京の落選者が20万人
 荒川の定員は15,000人

 東京の代替レースに荒川を予定している人が多い。
 11月7日に荒川が定員をオーバーしてもおかしくない。
 過去の例にならえば、東京の1次発表当選者で、参加費を振り込まなかった人数分、2次当選者が出るだろう。
 だが、2次発表があるであろう12月上旬には、荒川の扉は閉じられているはず。

 荒川を走るならば、東京の2次で当たることは考えず、エントリーを終えておくのが手堅い策。7日にメールが届く前に、あらかじめいくつかの備えをしておくとよい。

 荒川のエントリーは10月1日に始まっている。
 ランネットでコンビニ支払いを選択してエントリーした場合、支払い期限は2ヶ月後。
 【 例 】11月5日申し込み→ 12月5日入金締め切り日
 *エントリーは入金先着順で締め切られるので、エントリーを確定するにはお金を払わなければならない。

・ランネットの会員登録を済ませておく。
 クレジットカードの登録も済ませておくとよい。

・エントリーも済ませておく (コンビニ支払いを選択)
 そうすれば、あとは東京落選の報に接したら一目散に、コンビニに走るだけだ。

 転ばぬ先の杖である。

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2008年10月29日 (水)

高橋尚子引退にびびる谷川真理

 2008年10月末
 高橋尚子(36歳)が現役引退を発表した。

 2000年のシドニー五輪で金メダルをとったことが、現役のピークとなった。
 だが、彼女の功績は日本陸上初の五輪金メダルもさることながら、その後の「マラソンブーム」そのものだ。

 日本人が健康になれば、ぼけ老人が減る。
 本人もよりよい人生を送ることができるし、こどもや孫も嬉しい。
 健康になれば医療費が下がる。
 老人医療にかかる健康保険負担が減る。

 高橋尚子が火を付けたジョギングブームで走り始めた人が、10年から20年後に老人医療費の使い手になる頃、その効果が大きく現れる。

 金メダルの感動をありがとう

 などという気持ちの悪い台詞は要らない。
 Qちゃん!日本人を健康に、キレイにしてくれてありがとう!

 テレビ局やスポンサーのために、勝てないとわかっているレースでさえも
 「体調がいい」
 と言わざるを得なかった時は、さぞつらかっただろう。

 野球選手が首に巻いて「数珠か!」
 とつっこまれていた RAKUWAネックをランナー必須アイテムにしたのは、Qちゃんの功績。
 ファイテンはこれからも、末永くQちゃんを支援してもらいたい。

 ひとつだけ、恨み節を言うならば、2004年アテネ五輪の不透明な選考。
 Qちゃんは墓場までもっていくのかも知れないが、この時、日本陸連が高橋陣営に、どのような意向を伝えていたのかを知りたい。

 「これからはジョガー高橋尚子として、50歳、60歳になっても走りたい」
 心より、その言葉を喜びたい。

 日本じゅうのレースに出て、一人でも多くの人が「歩き」「走り」始めることに力を添えてほしい。

 彼女の言葉をきいて、いまその位置にいる谷川真理が一番びびっているだろう。

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2008年10月22日 (水)

下関海響マラソン なぜ全市町村でマラソンを開催しないのか?

 2008年11月16日(日)
 第1回下関海響マラソンが行われる。

 海響というネーミングは関門「海峡」に係っている。
 関門海峡は、下関市と門司区に挟まれた海峡。
 だが、この大会は山口県下関市内を走るマラソン(42.195km)であり、門司側には渡らない。

 海峡を海響と言い換える呼称は、2001年4月にオープンした新しい下関水族館「海響館」に始まる。
 以前の水族館は関門橋よりも小月寄りだったが、海響館は下関市内寄りにある。

 1956年11月29日にオープンした下関水族館は、くじらの形をした展示館が懐かしい。
 マルハの本社があり、捕鯨の母港だった下関を象徴していた。
 その下関水族館が2000年12月3日に閉園。
 4ヶ月後の2001年4月1日に海響館がオープンした。

 下関海響マラソンは、海響館よりもさらに市内寄り、JR下関駅にほど近い「海響メッセ下関」~山口県下関市豊前田町3丁目3~がスタート・ゴール地点。

 全国47都道府県には、いまだにマラソンを開催していない県があるが、山口県はこのマラソンが3つめ。
 防府読売(防府市、12月、第39回)、くすのきカントリー(宇部市、3月、第4回)が既に行われている。
 (*開催回数は2008年のもの)

■制限時間:6時間
■定員:5000人
■エントリー方法:先着順
■参加費:5,000円

2008年
6月23日、エントリー受付開始
8月17日、5,000人到達 エントリー締切
10月8日、日本陸連公認コースに認定された。
11月16日、第1回大会開催予定。

 8月17日、野口みづきが欠場して惨敗に終わったマラソンの日。
 当初〆切より43日早く定員に達して、エントリーを締め切った。

 2008年に始まった大会では「とくしまマラソン」も好調に人を集めている。
  3,000人の定員を 5,000人に変更。それでも定員を超え、抽選により800人を落選させた。

 とくしまマラソンの経済効果は、2億5,300万円
 県と徳島市の支出合計が 4,400万円だったので、2億円の儲けである。
(徳島経済研究所調査)

 下関市も同様に、この大会での黒字を計上することだろう。
 地方経済が疲弊していると耳がたこになるほど聞かされる昨今、なぜ、全市町村がマラソン開催に踏み切らないかが不思議である。



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2008年10月15日 (水)

第12回荒川市民マラソン2009 締切予想

 荒川市民マラソン2009のエントリー受付が10月に入って始まっている。

 荒川市民マラソンは荒川河川敷のジョギング、サイクリングコース(日本陸連公認コース)で行われる市民マラソン。

 板橋レクスタンドを出発して、荒川沿いに南東に走り、荒川大橋で折り返して北西に走って板橋レクスタンドに戻る1ウェイ折り返し。

 復路は例年、強い向かい風に見舞われる。
 僕が出場した2006年大会は近所を走る武蔵野線が止まる(JRは風速25m以上で運転を見合わせる)ほどの強風が復路21kmの行く手を阻んだ。

 2007年に東京マラソンが始まる9年前の1998年に始まり、2009年は第12回を数える。
 クルマが走る道路ではないため、制限時間は7時間。
 今でこそ東京マラソンが7時間で、ど素人ランナーの受け皿となっているが、マラソンブームのはるか前から、その受け皿となっていた人気のある大会だ。

 2009から東京マラソンが2月から3月に引っ越してきたため、15日荒川、22日東京と2週つづけて都内で市民マラソンが開催されることになった。

 荒川といっても地方の人にはなじみがない。
 あぁ、そういう名前の川があるんだなというくらいだ。
 1級河川・荒川は、元はといえば川ではない。

 元々は隅田川。
 その隅田川の川幅が狭く、よく氾濫したために、放水路が開削された。
 赤水門から海までの放水路が完成して、水が流されたのが1924年。

 周囲は東京都の住宅街となっていて、川沿いにはジョギングコースを始め、スポーツ施設や緑地が整備されている。

 そんな地元市民憩いの場所を年に一度、よそ者のランナーが大挙押しかけて、賑やかすのが荒川市民マラソン。
 ゆえに、ランナーは「お邪魔します。よろしくお願いします」の心を持って臨むとよい。

 一足早くエントリーを締め切った東京マラソンは23万人の応募者を集めた。抽選結果は11月中旬に発表されて、20万人が路頭に迷う。
 じゃなくて、走るレースに迷う。

 その受け皿の第一候補が荒川市民マラソン。
 例年、荒川市民マラソンのエントリーは先着順で、1月末頃に締め切っていた。
 ところが、2008年の第11回大会は初めて、応募者が締め切り前に定員を超えたために、早期に募集を打ち切った。
 「締め切りまでに申し込めばいいよ」
とゆっくり構えていたランナーの中には、結局、走れなかった人がいた。

 11月中旬に20万人に落選メールが届く。
 荒川市民マラソンの枠は1万5,000人。
 もしかすると、落選メールをみたその足で(手で)申し込まなければ、荒川市民マラソンも走れないということになるかも知れない。

 荒川市民マラソンの参加費は、2008年大会の5,000円から千円アップして6,000円。
 原油の高騰で記念品のTシャツ代が上がったのか、警備員を2割増員するのか知れないが、この際、少々値上げしても大丈夫。

 関東の7時間レースは荒川と東京だけ。背に腹は変えられないど素人ランナーは、もう少しふっかけてもきっと払うことだろう。



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2008年10月 6日 (月)

東京マラソン20万人落選

東京マラソン2009の応募者数が発表された。

 発表前、しらべるでは、以下のように予想していた。

回数 1 2 3
開催日 2007/2/18 2008/2/17 2009/3/22
募集定員 25,000 25,000 30,000
応募者数 77,521 130,062 132,000
当選者数 25,873 27,500 32,000
落選者数 51,648 102,562 100,000

落選者数の予測は、前回同様およそ10万人
定員が5,000人増える分を、応募者数が吸収して、落選者数は変わらない。
そう踏んでいた。

その理由としては、第二回大会をニッテレが「芸能人マラソン大会」にしてしまったことで、ランナーには「飽き」が生まれると考えたからだ。

そして、発表された数字はこうなった。

回数 1 2 3
開催日 2007/2/18 2008/2/17 2009/3/22
募集定員 25,000 25,000 30,000
応募者数 77,521 130,062 226,378
当選者数 25,873 27,500 32,000
落選者数 51,648 102,562 194,378

落選者は昨年の2倍。
20万人に迫る。

このことは、世界中をこう驚かせるだろう。
日本人は「働き蜂」かと思っていたが、今や「健康オタク」なのか?

確かに、町を歩いていると、走っている人が目立つようになった。
だが、それは東京の話だ。

先日、品川→博多→佐世保→山口 と旅をした際、会った人に必ずした質問がある。
「この町に、ランニングブーム来てますか?」

結論をいうと、博多にほんの少しきていたが、それ以外の町には、走るブームはきていなかった。

では、いったい去年よりもさらに10万人も増えた応募者は、どういう人たちなのか?

1,日頃走っていて、いつか応募しようと思っていた人
2,テレビで見て触発された素人
3,過去に出場して、つづけて出たいと思った人

前年比70%増という、大きな数字の動きからして、新しい市場が開拓されたと考える。
ならば、2の人が大変多いという推論が立つ。
これらの人たちは、11月に当選通知を受けてから、本格的に走り出す人が多いだろう。

経験から言って、7時間制限のマラソンは、準備期間が3ヶ月あれば完走できる。

この推論が正しいかどうかは、大会が終わった後の記録集で、6時間台でゴールした人の比率が上がったことで、わかるはずだ。

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2008年10月 1日 (水)

苦労人 森脇健児

 おじさんと森脇さんが抱き合う。
 お兄さんに森脇さんが声をかける。

 見ていてなんだかよくわからない。

 それはそうだ。
 その伏線となるドラマは、TVKでは、代走した日の夜に放送された。

 ひとしきり、握手や抱擁が終わると、僕らは海辺に移動して
エンディングの映像を撮る。

 森脇さんが感謝のことばを述べる。
 僕らは笑顔でそれに聞き入る。

 散歩していた、みなとみらいの観光客が携帯カメラでそれを撮る。

 ここで森脇さんが話した内容は、即座に「走る男」ホームページに書き込まれていた。
 そして、それについて、閲覧者からの賛否両論のコメントがついていた。

 僕ら代走「走る男」にしか共有できない空気がある。
 僕らはそれを心にそっとしまい込んで、その喧騒をやり過ごす。

 日は落ちて、横浜の海辺に帳が降りた。
 ひとしきり、互いの労をねぎらい合った後、僕らは荷物が置いてある「走る男」のマイクロバスに戻る。

 自分の荷物をピックアップして、コンビニの陰に隠れて着替え。
 デコのユニフォームを大切にたたんで、仕舞う。
 mizunoのロゴが入ったシャツに着替えて、バスのところに戻ると、即興の記念撮影&サイン会が始まっていた。

 僕も1枚だけ写真を撮る。
 デコと撮った時と同じように、左手を伸ばしてカメラをこちらにかざし、顔を寄せてぱちり。
 周りでみていた「走る男」たちが、あっと驚いて、シャッター押すのに と言ってくれた。

 「確認してくださいね!」
 え?
 「確認してくださいね!」
 ちゃんと撮れているか、確認してくださいね。という森脇さんの言葉。
 それは新鮮だった。

 島田歌穂と2ショットを撮った時は、まだ銀塩カメラの時代だった。
 デコと撮った時、世界のデコはさすがに、そんなことは言わなかった。
 その場で映像が確認できるデジカメの時代だからいえる言葉。
 だが、著名人から、そんな台詞を聞くとは予想外だった。

 名残は尽きない。
 熱い森脇ファンと森脇さんの交流は、いつ終わるともわからない。
 僕と、僕の前走者は、ここらでお暇することにした。

 黙って帰るのは大人げないので、周りに気づかれぬよう、そっと番組スタッフに近寄って、断っていく。
 「ありがとうございました。帰ります」

 そして、5歩ほど背を向けて歩いた時、背後から大きな声が追ってきた。
 「あ、ありがとうございます」
 森脇さんが、追いかけて歩み寄ってくる。
 あ、みんなのじゃまをしてしまったなと思いつつ、
 ありがとうございます!
 と応えて、今日2度め、そして、今度は別れの握手。

 ありがとうございました!
 お疲れ様でした!

 森脇さんと代走「走る男」達に見送られて、横浜の駅を目指して歩き始めた。

 なんて、律儀な人なんですかねぇ・・
 ほんとですね。
 僕らは、そんなふうに、今日一日と森脇さんの人柄を振り返りながら帰途についた。

 苦労人
 人想い
 この日、森脇さんと直に会った印象はこれに尽きた。
 恐らく、芸能界の厳しい競争のなかでもまれて、大変な苦労をされているのだろう。
 そう想わずには、いられなかった。

 森脇さんの「走る男」の旅は、今もつづいている。
 ゴール予定は、来年2月、沖縄首里城。

 10月からは、半年ぶりにネットする放送局が1つ増える。
 福岡のTVQ
 これまで、もっとも西でも神戸のサンテレビだったので、ほっとした。
 それでも、中国、四国、九州、沖縄
 まだまだ足りない。

 これから、各地テレビ局の皆さんに、この番組の噂が目にとまるよう、できることをしたい。



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2008年9月24日 (水)

たすき、再び「走る男」へ戻る

 ランドマークタワーを横目に見て、隊列は海を目指す。
 この先にあるのはヨットの帆を張った形をした高級ホテル。
 森脇健児さんは、ティールームで待っているのだろうか?

 最後の横断歩道を渡り、僕ら代走「走る男」はホテルの敷地内へ入っていく。
 森脇さんはどこだ?
 ホテルのガラス越しに中をのぞきこむ。
 向こう側からもこちらを見て笑っている。

 あ、いた
 と思ったら、別人だった。

 さらに舗道を進むと、前方のベンチにたたずむ男性が一人。
 そうか、立っているのもきついんだな。
 皆が速度をゆるめて、駆け寄った。

 知らないおじさんだった。

 テレビ局スタッフの先導があるわけでもなく、カメラも回っていないようだ。
 代走「走る男」は舗道を左に折れて、右に折れる。
 もう海が目の前に迫ってきた。

 「あ、いた!」
 先頭を走っていた走る男の一人が見つける。
 歩道橋から見下ろしたところに、水色のシャツを着た男が一人、こちらに向けて手を振っている。

 「けんじ」「けんじ」
 誰からとなく、けんじコールが始まる。

 ふつー、逆だろ

 僕が、誰にも聞こえないよう小声でつっこむ。
 ふつーは走っている人に向かって、応援者がコールするものだ。

 大勢の男が走っていて、一人の男が応援している。
 妙な場面設定である。
 けんじコールを連呼しながら、43人の男たちが階段を駆け下りる。

 日曜日のみなとみらいの海辺。
 暑かった一日をしめくくる、気持ちのいい浜風で涼んでいた人々に、この「走る男」はどう映っているだろうか。

 階段の麓まで森脇さんが歩み寄る。
 ゴール
 たすきが代走「走る男」から、再び「走る男」森脇健児さんの手に戻った。

 一人一人が握手に歩み寄る。
 一人一人の手を大事に握り返す「走る男」

 僕は止め忘れていた、ガーミンフォアアスリートのSTOPボタンを押した。
 テレビでおなじみのあの、ぐにゃりとした電子音を立てて、半日の位置と時を刻んだGPSが鼓動を止めた。

10月1日につづく
(次回で、代走「走る男」編は最終回です)



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2008年9月17日 (水)

走る男の財産

どうして、デコのユニフォームなんですか?
「家の近所では着て歩けないんで、こういう
機会しか着れないんで ぜーぜー」

"ぜーぜー" は実際には、悟られぬよう声に出していない。

放送の「走る男」を見ていると、森脇さんは
実によくしゃべっている。
もちろん、しゃべっているところを選んで
放送しているのであって、四六時中喋って
いては走れないだろう。

そう思って、尋ねてみた。
森脇さんって、走りながらよくあれだけ喋べれますよね?

「そうなんですよ。カメラ回してたら、
ほんとよく喋るな~ってくらい、ずっと喋ってますからね」

・・・
ほんとに喋っているらしい。

ただこの時は、喋りながらでも走れるだけの
体力がある人なのだろうと考えていた。

交差点を1つ超える。
幸い、信号は青。
停まらずに前に進む。

少し会話をした後、Oさんの自転車は、後方
に下がって伴走している。

放送の「走る男」を見ていると、伴走は割と
短い距離で終わっている。
長くても5km程度。
映像に変化をつけるために、短く区切っている
のだろう。

陽は完全にビル街の向こうに落ちた。
集合してから、5時間が過ぎている。
お昼には「一人5kmくらい走らせてくれないかな」
と考えていたが、今、その考えはまったくない。

前方に、代走「走る男」仲間を乗せたマイクロバス
が見えてきた。
次のランナーが手を振って、待っている。

ほどよい距離だ。
長く走ることに、意味はなかったと知った。

この場に来ようと決めたこと
代走「走る男」の仲間になったこと
森脇さんの長い旅である「走る男」の一人になれたこと。

心に築いた財産は、日にちが経つにつれて
大きく感じられた。

最後のランナーがみなとみらいの橋を越えた。
デコの追っかけで何度も訪れたこの街に、
今日は「走る男」の仲間たちと降り立った。

午前の部、船橋からお台場までのランナー達は
バスを降りた後、JRを乗り継いでここまでやって
きていた。

最後の区間は 43人の「走る男」が、全員で走る。



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2008年9月13日 (土)

地面に落ちたたすき

アスリート「走る男」から、奪うようにたすき
を受け取ると、猛然と走り出した。

すると、すぐに、たすきがするすると地面に落ちた。

肩からかけたたすきがこんなに簡単に落ちるとは
予想外だ。

狼狽しながら、たすきを拾っていると、自転車
で追いついてきた、番組ADのOさんが
「それ、引っ張るんですよ」
と教えてくれた。

そう言われて、たすきを見ると、結び目があり
そこからぎゅっと引くと、肩から「たすきがけ」
の位置にぴたりと決まった。

Oさんは、この炎天下、自転車に乗り、ハンディカム
を回して55kmを走っている。
いったい、どんな体力をしているのか・・・
この激務は、労働基準法に、ひっかからないのか

それにしても、なんだか変だ。
どうにも、走りがおかしい。
少しペースを落として、走りを分析してみる。

すると、走り方が高校の頃、つまり素人の走り
になっていることがわかった。

素人ランナーが、ぴょんぴょん跳ねる、あの走り方。
まるで短距離レースの延長線上に42kmがある
かのような走り方。

その証拠に、いつもはぴくりとも動かないメガネが
上下に激しく動いている。
これではいけない。
陽はずいぶん西へ傾いたが、それでもまだ
気温35度の余韻で暑い。

そこで、水を飲むことにした。
わずか、1km走なのに給水をとる変なやつ
というギャグのつもりだったが、ここはマジで
喉が渇いた。

マラソンレース本番で使うアシックスのウェスト
ポーチに入れてきた 180ml のペットボトル。
一気に半分飲んだ。

隣には、ハンディカムを構えたOさんが併走
している。
しめた。この絵は使ってもらえるかもしれない。

テレビ番組は、ふたを開けるまでわからない。
二日がかりで取材を受けて、完全にカットされた
経験が、そう思わせる。

走りながら、水を飲んだのは僕だけだろう。
この絵だけは、使ってもらえるかもしれない。

そして、その予想は当たり
放送では、きちんと使ってもらえていた。
いい絵を押さえてくれてありがとう、Oさん。

水を飲むと、落ち着いた。
そうだ、たんでんに力を込めればいいんだ。
下腹にぐいっと力を込めると、足が地に着いた。
そうして、100mも走ると、いつものど素人マラソン
ランナーの走りが戻ってきた。

Oさんは、カメラを回しながら、話しかけてくる。
いつも、誰かと走ったことはないし、走りながら
しゃべるなんて体力は、僕にはない。

そう思っていたら、やっぱりそうだった。



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2008年9月10日 (水)

炎のたすきリレー

「デ~コ、デ~コ、デ~コ、デ~コ、デ~コ」
代走「走る男」仲間のデココールが5回鳴り響いた。

バスは補助席までつかう満席。
補助席をたたんで、通路を開けてもらい、狭い
通路を低い姿勢で進む。

「じゃ、行ってきます」
デココールしてくれた、代走「走る男」(+走る女)
に手を振ってバスを降りる。

国道脇の歩道に立つと、ランナーはまず、
最初に短いインタビューを受ける。
放送では、この部分が使われていた。

インタビュアーがカメラを回している場合、
視線はその人に向けると、話しやすい。
人と話しているのに、カメラに視線を送ると
話の内容と、表情がよそ行きになってしまう。

つづいて、スタッフの女性が携帯カメラで撮影

このカメラが、やたらと 近い・・
ランナーは皆、「あれは近すぎるよな」と
こぼしていた。

相手はずいぶん年下で、女性と言うよりは
女の子。
実生活において、女の子から、こんな距離で
「写真、撮らせて」
と言われたことはない。

老眼で近くの本にピントが合わないような
感じで、思わず、目が泳ぐ。

写真を撮り終えると、前走のアスリート系
「走る男」がやってきた。

いざ、ここに立ってみると、おちゃらけな気分
はどこかへいき、体育会系モード。
リードをとるのは、不謹慎な気がしてやめた。

たすきを受け取る。
「がんばって」
アスリート系「走る男」が声をかけてくれる。

なんと答えたかも覚えていない。
ただ、たすきを受け取り、肩からかけると
箱根駅伝で前の大学を獲物のように追う
ランナーとなって、一気にスパートした。

この時の僕は、完全に舞い上がっていた・・・



不定期でつづく


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2008年9月 6日 (土)

たすきリレーでリード

「いやぁ、きつかったぁ~」
安堵の様子を浮かべる、素人「走る男」

周囲の玄人「走る男」の間に、よかったなぁ
というあったかい空気が生まれている。

「アドバイスどおり、初めはゆっくりはいりましたよ」
へぇ、そうなの。そういう人のアドバイスを
素直に聞き入れるところがすばらしいね。

聞く耳をもつ人は、いい顔をしている。
聞く耳を持たぬ人の顔は、険悪か辛気くさい
かのどちらかだ。
彼のように、助言に素直でありたいと思う。

いよいよ、代走駅伝「走る男」も終盤
僕の前を走るランナーの出番が迫る。

手元のフォアアスリート(GPS)で確認すると、
ゴールの横浜まで、もうあまり距離が残って
いない。
まだ走っていないランナーの数で割ると、
一人あたり1kmあまり。
どれくらい走らせてもらえるのか、
500m程度で「はい、そこまで!」と言われはしないか?
気が気でない。

ところで、あなたは、たすきをかけて走った
ことがあるだろうか?
駅伝の選手でない限り、たすきリレーの経験
はないだろう。

たすきリレーの駅伝なんて、一生に一度かも
しれない。そう思うと、何か変わったことを
したくなるのが、僕の悪い癖だ。

そこで、とっさに思いついた一興を、前走者に
提案した。
「僕、たすきリレーの時に、リードとりますから
追いかけてくださいね」
「了解」

いつも、近所の川沿いを走っているという
アスリート系の前走者は、余興にあっけなく
快諾して、出陣していった。

いよいよ、その次は僕の出番。
より、レース本番の空気を醸し出そうと、
準備にはいる。

両手にはレース手袋
ひざには、テーピング
腰にウェストポーチ
ポーチには100mlの給水ボトルが入っている。

わずか1kmを走るためには、まったく必要の
ない装備。
カタチから入る男の面目躍如・・
というか、ただのお調子者だ。

さすがに、鼻孔を開くテープを貼るのは、
もったいないからやめた。

バスが停まった。
バスはランナーを先回りして走り、リレー地点
に停車して、後続のランナーを降ろす。

「はい、次はmotoさん。お願いします」
番組スタッフに促され、席を立つ。



不定期でつづく


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2008年9月 3日 (水)

もりわきけんじ?あぁオリンピック選手ね

「走る男」というテレビ番組を、知人に説明
する時のトークはこうだ。

「タレントの森脇健児が、北海道から沖縄まで、
1年かけて走っているんだけど、それを放送
する30分番組
 でもまだ10局しかネットしていなくて、西は
神戸までだから、あまり知られていないけどね・・ 」

するといつも、このような会話になる。

知人「えっ、今も ずっと走ってるの?」
moto「いや、走っては、いったん自宅がある京都に帰って、また戻ってきて続きを走るんだ」

知人「神戸から西に行ったら、放送してないから、誰もわからないんじゃないの?」
moto「するどい指摘だね」

知人「もりわきけんじ? あぁ、あのオリンピック選手ね」
moto「いや、それは森末慎二」

実は僕も同じ勘違いをしていた。
初めの頃は
「オリンピック選手の森脇健児が・・」
とやっていた。

同じバスには栃木県の巻で登場した方がいたが
その回の放送は、テレビ神奈川では、代走日の
夜だったため、知らなかった。

「走る男」ウェブサイトで有名な方がいたのだが
ウェブサイトはあまり見ていなかったので、
知らなかった。

「濃いファン」という言い方があるが、この日
までの自分は、その逆をいく「薄いファン」
だったのだ。

だが、そんな自分にもできることがある。
それは
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
と元気よく声をかけて、送り出し、出迎えること。

このバスの旅が終わるまで、できるだけ大きな
声を出し続けた。

自己紹介は、走る順名簿に沿ってリレーされている。
終わりがけ、ようやく僕の順番が回ってきた。

「団体行動が苦手なのですが、今日は思い切って
参加してみました」
ずっと、そう言おうと考えていた。

だが、このバスの雰囲気に、そういう斜に構
えたコトバが似合わない。
とっさに口をついて出た言葉は、全然、考えて
いない原稿だった。

「森脇さんが近くにきたら、伴走したいと思って
いましたが、今日は代走ができてよかったです。
ぜひ、僕が走りに行く時は デココールで送り
出してください」

マラソンレースを走る時のユニフォーム
マーキング「20」 デコ
今日は、この4月にかすみがうらマラソンを
完走した時に着た 2004-05 HOME ユニ。
2005年6月の来日時、初めてデコからもらった
サインを背負っている。

先に「駅伝」を終えてきた、件の素人「走る男」
がバスに帰ってきた。


不定期でつづく


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2008年8月27日 (水)

森脇健児の熱いファン、寒いファン?

代走「走る男」は一人あたり、1.5kmを走り、
たすきをつないでいく。

テレビ放送(第21回)で、代走「走る男」が
たすきをリレーするシーンの傍らに映っていた
グレーのマイクロバスに、待機中「走る男」
たちが乗っている。

午後の部が始まり、1時間を過ぎた頃
バスの中では、有志の音頭取りで、自己紹介
が始まっていた。

番組を見始めたきっかけ
自身の走歴
きょう参加した理由
そして、森脇健児さんへの思い

森脇さんには、息の長いファンがついている。
ずっと彼を応援してきた人の語りは熱い。
僕には、森脇さんへの熱い思いがない。

僕らはよく
「佐野元春のファンは熱い」
といった言い回しを使う。

思い入れが深く、レアな情報までくまなく
チェックしている。
ただし、ファンだからと言って、無条件に
礼賛するわけではなく、一家言ある。
熱いファン像はそういうもの。

しかし、冷えたファン、寒いファンというのが、
いるかというと、それも違う。

ファンという概念に
熱い、寒い
長い、短い
そうした格差を冠するのは、なじまない。

ファンはファン
ここでいえば、森脇健児というキーワードで
出会った仲間。家族のようなもの。
その家族のなかで、差別化を図ろうとする
意図には賛成できない。

得てしてメディアはそのような構図を仕組む。
僕はそれには乗らない。
あるいは、見て見ぬふりをする。

午後の部が出発する前、番組スタッフより
森脇さんが、今日のゴール地点に駆けつける
ために新幹線に乗ったと知らされた。

会えることはもちろん嬉しいが、今日こうして
代走に参加できただけで十分であり、その
知らせにも特別な感慨はなかった。

不定期で続く



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2008年8月20日 (水)

一度も走ったことがない男

「僕、走ったことがないんですよ」
サトウさん(仮名)がいう。
そのコトバが嘘でないことはすぐわかった。

日頃、走っている人とそうでない人を見分ける
ポイント。それは靴。

マラソン・ランニングをしている人の靴は
ランニング・カテゴリーまたは、マラソン
専用シューズ。
メーカーは圧倒的にアシックスが多い。
マラソン用品では、アシックスがもっとも
よく売れている。
東京マラソンのメインスポンサーもアシックスだ。

テニス、クロストレーニングの靴を履いている
人もいるが、これは「その他のスポーツの人」
さすがにバスケット・シューズの人はいない。

そして、サトウさんの足下を見やると、彼は
ごく普通のスニーカーを履いていた。

「めちゃくちゃ不安です」
そりゃそうだろう。
マラソン・ランナーにとっては寝ていても
走れそうな1km。
だが、素人にとっての1kmは長い。

僕がマラソンに向けて 1ヶ月のウォーキング
を経て、初めて走った時は 50m でやめたく
なった。

素人は「走り方」がわからないのだ。
素人が走り出すと、小学校の時、50m走に出た
時と同じフォームで走り出す。
これでは、誰だって 42km は走れない。

ゴルフをやっていた頃、他人からしたり顔で
レクチャーされるのは、実に嫌なものだった。

だが、走ったこともない人が、いきなり1km
走るのは無謀だ。
しかも今日は炎天下。テレビカメラも回る。

そこで、お節介を承知のうえ、2つのアドバイス
を送ることにした。

マラソンど素人の僕が言うことである。
周りのマラソン・アスリートに聞こえたら
恥ずかしい。
小声でそっとささやいた。

「まっすぐ立った状態から、前に体を倒して
いくでしょ。我慢しきれなくなって、片足を
出すよね。その繰返しで走るといいよ」

「今日は1kmだから、初めの100mは これでもか
ってくらい、遅くはいるといいよ。それで調子
がつかめてから、ペースを上げたらいいよ」



不定期でつづく


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2008年8月16日 (土)

レインボウブリッジを走る男

あぁココを渡るというイベントがあったのか・・
これから始まる代走「走る男」の段取りで頭
がいっぱいで、そこにレインボウブリッジが
あることを忘れていた。

東京マラソンでも、コースに組み入れること
が検討されたレインボウブリッジ。結局はその
高低差のためにタイムが悪くなることを嫌い
コースから外された。
そのために、東京マラソンは新宿~日比谷~
品川~銀座~浅草と沿道の大声援に励まされ
つつも、ゴール間際の一番つらい所を寂しい
豊洲あたりからお台場に入ってくる。
現コースにしても、終盤に橋の上り下りが続き
決して楽ではない。

レインボウブリッジが高いといっても、高さ
は100mに満たない。
今となっては、レインボウブリッジを外した
その理由も怪しいものだ。

バスはランナーを追い越して、たすきリレー
地点で待機する。
次に走るランナーだけがバスを降り、走り出す
前のインタビューを受ける。そして、スタッフ
が携帯のカメラで写真を撮る。
インタビュー映像がどれだけ使われるかは、
まだ放送されていないため不明だが、携帯で
撮った写真はすぐさま「走る男」ウェブサイト
にアップロードされていく。
放送は3週間先でも、情報はリアルタイムで
番組を応援しているファンの元へ届く。
そして「走る男」森脇健児さんも、この模様
をWebで追っていた。

代走「走る男」とマイクロバスは一路、南西
に進路をとり横浜を目指す。
名簿順で走る順番が読み上げられ、出番の目安
がわかると心に余裕ができた。

バスの中はほどよくエアコンが効いていて快適
そのもの。走る格好をしてバスに乗っていると
かつてマラソンで収容車に乗せられた苦い思
いがよぎるが、今日は晴れ舞台を待つバス。
気分はこの天気よりも晴れている。

「走る男」は次々に1.5km~2kmの距離を終えて
バスに帰ってくる。その額、首筋に猛烈に汗
が噴き出しているのが見える。
「あぁあ、もう終わっちゃったよ」
と軽口をたたく者はいない。
たかが1km、どんな悪条件でも走れないわけ
がない。そんな自信に溢れる「走る男」たち。
「うわっ暑そう」
「やばいね」
などとそれでも余裕の表情。

ただ一人、そこに例外がいた。

不定期で続く

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2008年8月13日 (水)

代走「走る男」たち、出発

午前の部は新船橋~お台場の国際展示場まで。
その21人に何やら紙が配られている。
紙は夕方のゴール地点、横浜みなとみらいの地図。
ここで一旦解散して、夕方に自力で集合して
もらうらしい。

午後の部の僕らはゆっくり起きて、お昼に
やってきた。だが、午前の人は、朝早く集まり
お昼に一旦解散。そしてまた、夕方に自力集合。
まる一日仕事で大変だったと思う。

初めにまず、テレビ局のスタッフ、ランニング
マガジン「クリール」編集部の方からのブリ
ーフィングを聞く。
「今日はごらんの通り、走るには適さない天候
です。決して無理をしないでください」

確かに暑い。まさに炎天下。ほとんどの地面が
舗装されている東京は、熱の逃げ場がない。

テレビで見慣れている「走る男」のフラッグが
登場する。森脇さんがその日の走りを止める
場所にそっと置くフラッグのオブジェ。
これは皆が一度はさわってみたい。
「はい、どうぞ」たちまちリレーが始まる。
W杯のワールドカップ、CLのビッグイアーよろしく
すべての「走る男」の手をフラッグが渡り歩く。
カメラで写真を撮る者あり、材質を確かめる
者あり、さすがに口づけをする人はいなかった。

午後の部最初の二人は、午前の部から回って
きた方。午前は距離が不足して、二人の「走る男」
に出番が回ってこなかった。

拍手で送り出したスターターを、ハンディカム
片手にディレクター OさんがMTBで追う。
Oさんは今日の全行程55kmをMTBで走る。
この炎天下、ただ走るだけでもきついのに、
ハンディカムで絵を押さえ「走る男」に話し
かけなければならない。
いったい、どういう体力をしているのだろうか・・

出番待ちの「走る男」を乗せたマイクロバスも
第一走者の後から少し遅れて、お台場を出発。
そこでガーミンフォアアスリートの start
ボタンを押した。

この時一人を除いて、ランナーの関心事は
「いったい自分は何km走らせてもらえるのか?」
ゴールの横浜まではおよそ30kmだという。
そして今バスに乗っているのが22人。
単純に計算すれば一人あたり1km~1.5km
日頃から走り込んでいる「走る男」たちに
とってみれば、あまりに短い。お日様は南の
空から照りつけているものの、まさに朝飯前
の距離である。

「二人伴走という形で2倍走らせて欲しい」
現にこんな希望が出発前に「走る男」から
出ていた。

お台場の中で、二番手のランナーに交代。
ようやく「走る男」たちの脳内で、段取りが
理解され始めていた頃、眼前にレインボウ
ブリッジが迫ってきた。



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2008年8月 9日 (土)

最終ランナー 行方不明!

集合の12:30より10分前に着くと、既に
14人が集まっていた。
「走る男ご一行」様といった旗が立っている
わけではないが、30度を超える暑い日に、
ランニングウェアの男が14人も いれば、
これは違うと思う方が難しい。

「もしかして、走る男ですか?」
尋ねるとみんなが、にこにこと笑って
「そうです」「こんちは!」
次々に声をかけてくれた。

これには、驚いた。
たいがいネットのオフというのは、はじめの
うちは皆手探りで 反応が薄いもの。
しかも今日は、互いに初対面。
コミュニティみたいに、前もって会話してもいない。
(まぁこれはオフじゃないけど)

森脇さんを囲む人たちには、この時点で既に
「いい人モード」が共有されていた。
僕も出遅れぬよう「こんちはっ」と大きく返事。

つづいて現れたのは、CW-Xに身を包んだいかにも
アスリートな女性。
午前の部は二人、午後の部は紅一点の「走る女」
いきなり、準備運動・・
僕はこの4ヶ月走っていないのは当然として、
アキレス腱伸ばしすら1回もやっていない。

「走る女」はつづいてハイドレーションパックに
水を詰め始めた。走りながらチューブで給水できる、
ウルトラやトレイルの装備。 気合いが入りまくっている。

そこに「てっちゃんです~」と男性が現れる。
皆が「おぉ」と歓声をあげる。
見るからに芸人さんみたいなので、とりあえず、僕もあげる。

だけど、誰だかわからない。
そばにいた人に「すみません、誰ですか?」
ときくと栃木の回で伴走を した方らしい。

「走る男」は10局のオンエアタイミングが
まちまちなので、30日(水)にテレ玉で登場
したらしいが、テレビ神奈川では 代走した当日
夜の放送だった。

そのてっちゃんが
「進行が遅れていて30分押しているから、今飲み物もってきます」
とアナウンス。これで僕はてっきりテレビ局
の人だと思いこんだ。
やがていかにも放送局の人という感じの女性
が飲み物を抱えてきたので この人もスタッフ
だろうと思ったら、栃木のいちご農家の娘さんだった。
(その夜の放送を見てわかった)

いただいた飲み物を飲み、近くにいた人と歓談
していると、午前の部のランナーが国際展示場駅
に姿をみせた・・
と思ったら、スタッフのバスと、そこらを
ジョギングしていた おじさんだった。

アンカーのランナーがいない!
そう。先導車がつくわけではないので、たすき
をかけたランナーがいなくなってしまったのだ。

バスから降りてきた午前の部の21人、午後の
部の22人で、手分けをしてあたりを捜そう
としたら、皆の背後から最終ランナーが登場。

42人とスタッフが、列をつくりハイタッチで迎える。
これで代走「午前の部」が終了した。

不定期でつづく

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2008年8月 6日 (水)

代走 走る男

 その日はバルセロナ旅行仲間との蒲田オフ
 ただ、1通のメールを待っていた。

 テレビ番組「走る男」代走の当選通知。
 深夜24時までに連絡がなければ、落選。
 連絡はおそらくメールあるいは、携帯にかかってくるだろう。

 「走る男」はタレント森脇健児が、自らの足で北海道洞爺湖から沖縄首里城までの2,500kmを1年をかけて走るドキュメンタリー。
 生中継ではないが、ほぼ同時進行で毎週放送されている。
 ただし、8月1日現在でUHF10局だけの放送にとどまっており、この日蒲田に集まったメンバーに 「走る男って知ってる?」
と尋ねても、誰も知らなかった。

 放送では森脇が「ぜひ伴走に来て欲しい」 と呼びかけており、公式サイトでは次回の出発日時、場所が公開されている。
 だが、東北編ではなかなか反応がなく、番組が始まってから2ヶ月、6月に入ってから、ようやくぽつりぽつりと伴走者が現れるようになった。

 収録は平日が主なので、東京に入ってきた時は会社を休んで、駆けつけるつもりだった。
 テレ玉(埼玉)千葉テレビ(千葉)TVK(神奈川)が放送している首都圏東京では、恐らく相当な人数が伴走することだろう。

 マラソン出場を始めて3年が過ぎたが、これまで誰かと一緒に走ったことは1度しかない。もちろんレースはいつも一人で、音楽を聴きながら走っている。

 「誰かとペースを合わせる」という作業は苦手だ。
 会社に入り立ての頃は「マイペース男」というニックネームがつき、そう言われると嬉しかった。
 バイクのツーリングも、初めの頃は2台で行ったが、いつも相手とはぐれてしまうので、やがて一人で行くようになった。

 ましてや、喋りながら走るのはきつい。
 レース本番では、チームでだべりながら走っている団体に出くわすが「僕たち余裕です」と自慢されているようで、感じが悪い。
 どうせ、こっちは人と話す余裕はありませんよ。

 さて、その森脇健児が7月末に首を痛めたという。
 公式サイトで第一報を読んだ時は、しばらく放送を休止して、ゴールを先延ばしするのだろうと考えたが、放送業界はそうもいかないようだ。

 二日後には「代走募集!」の告知が出た。
 新船橋~横浜 区間の代走者を探しているという。
 募集期間はわずか1日。発表はその日じゅうに通知。連絡がない場合は落選。

 「伴走」は想定していたが「代走」は予想外だ。
 代走といえば鈴木尚広(巨人)のように、人一倍速く走る人がやるものだが、この代走は「一人1km程度をゆっくり走る」とあり、間口が広い。

 代走日は三日後だが、日曜日なので問題ない。
 9:30 新船橋駅集合 というのも、マラソンレース当日に比べれば、余裕のあるスケジュールだ。
 すぐに、メッセージを添えて応募のメールを送った。

 トイ道楽で仮面ライダーをチェックして、予備が欲しかった滝のHGをゲット。

 餃子の街蒲田でも、特に炒め物がうまい「イ尓女子」(ニイの漢字が出ない) 6人で行ってたらふく食べて、一人2,500円。
 いつ行ってもこの安さと美味さに驚く。店はいつも満席だ。

 美味しいものを食べて、仲間のガンダムの話に耳を傾けている最中に、マラソンのことを思い出すほど器用ではない。携帯はカバンにしまったままで、代走のことはすっかり忘れていた。

 ほかの5人と別れたあと、メールをチェックする。
 - 着信2通 -
 お、きたのか?
 だが、1つは「ヤフオクの評価が上がりました」というお知らせ。
 あとの1つはメルマガだった。

 やっぱりな
 何となく、今回は落選の予感が頭から離れなかった。
 なにせ、番組が放送されている大都市圏だ。放送されていなくて、伴走者すら現れなかった県とは事情が違う。

 「日頃走っている経験者を歓迎します」
と募集要項にあったが、東京マラソンだけでも25,000人が走るのである。
 「マラソン経験3回」程度のキャリアは珍しくなかったのだろう。

 電車を降りて、改札でSuicaをタッチすると残額が200円しかない。
 新船橋までの交通費は往復2,000円なので、それをチャージしておこうと思っていたが、その必要もなくなったので、とりあえず半分の1,000円にした。

 家に帰ると知らせが届いていた。
8/3 12:30
りんかい線 国際展示場のロータリー

→つづき

ど素人!マラソン講座

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2008年7月23日 (水)

東京マラソン2009落選者数予想

 2008年7月22日、東京マラソン2009(2009年3月22日開催)のエントリー受付が始まった。

第1回(2007年)
参加費:10,000円
募集定員:25,000人
申込者数:77,521
 およそ、52,000人が落選

第2回(2008年)
参加費:10,000円
募集定員:25,000人
申込者数:130,062人
 およそ、105,000人が落選

第3回(2009年)
参加費:10,000円
募集定員:30,000人
申込者数: ?

 第2回までと、第3回の変更点
1.開催月が2月から3月になった。
2.募集定員が5,000人増えた。
3.過去の落選者を優遇当選させるかについて、アンケートが行われた。
(以前、mixiのコミュニティでおこなった分析では、抽選において過去履歴は参照していないことが推察されている)

 東京マラソンは、日本中で開催されるあらゆるマラソン大会と異質である。
 異質にさせる要因は2つ。
(1)全国ネットのテレビ中継がある。
(2)100万人規模の沿道応援がある。

 エリートランナーが走るとはいえ、市民(も走る)マラソンが全国ネットでテレビ放送されるのは東京だけ。
 沿道の応援人数も桁が違う。
 つまり、東京は「見られる」「目立つ」大会なのである。ここが他のレースにはない要素だ。

 見られるということは、見られたい人、目立ちたい人を引き寄せる。
 日頃、走る習慣がなくても、一度出てみたいと思う人が現れる。
 とりあえず応募して、当選したら走りだそうという人も現れる。

 大都市圏(=大市場)を抱えていると、一度軌道に乗ったものは好転を続ける。
 参加費が2万円になろうが、5万人の大会になろうが、エントリーが募集定員を切ることは難しいだろう。
 地方都市の人は「東京だから、何をやってもうまくいくんだよ」とねたむかも知れない。もちろん、それも一理ある。
 だが、祭りには少々のことは目をつぶって力を貸すという風土があって、初めてできることでもある。

 もし、コース沿道の各商店街が、東京マラソン反対の決議をしていたら、7時間制限で、コースを変えずに 3度続けることはできない。
 軸がぶれない推進力と、それを容認する人々がいて初めて、魅力のあるプロジェクトは実現する。

 多くの目に見られて、認められる東京マラソンは、今回もまた10万人を超える落選者を出すと、しらべるでは予想している。

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2008年6月 7日 (土)

江ノ島に戻れなかった湘南国際マラソン

 第3回湘南国際マラソンのエントリー受付が 2008年5月22日に始まった。

 湘南国際マラソンは2007年3月に第1回が行われた。
 神奈川県で開催されるマラソンは、以前から多摩川フルマラソンがあり、2つめのマラソンとしてスタート。
 スタート/ゴール地点は江ノ島。
 西湘バイパスで折り返す1ウェイコース。
 コースの一部は箱根駅伝のコースとも重なっている。

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 湘南と言えば、サザンオールスターズ(2008年8月で活動休止)
 湘南とは、鎌倉から南の海辺の地域を言う。
 稲村ヶ崎から江ノ島、片瀬海岸あたりの一帯。
 湘南という地名はない。江ノ島にある港には、湘南港という名がついている。
 湘南の最寄り駅は、小田急線「片瀬江ノ島」、江ノ島電鉄「江ノ島」、湘南モノレール「湘南江の島」

1664年
大磯の「鴫立庵」に湘南発祥の石碑が建立された。

1994年
自動車の湘南ナンバーができた。海岸沿いでは藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市。全部で7市4町が対象。

2003年
平成の大合併で「湘南市」構想があったが、実現しなかった。

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 湘南海岸の国道はいつも渋滞している。
 その国道を独占して走り、湘南のシンボル江ノ島でゴールする。
 地元の人に限らず、魅力的なコースだ。

 ところが、2008年3月に開催された第2回大会では 3つの変更があった。

1.距離を30kmに短縮。
 台風による 西湘バイパスの道路陥没が理由とされた。

2.スタート/ゴールは江ノ島ではなく、大磯プリンスホテルに変更。
 「より大規模な大会にするため」という理由が公表された。

3.ナンバーカードが郵送に変わり、前日受付がなくなった。

 3はとてもよいことだが、1,2はとても残念な変更だった。

 さて、5月に発表された 第3回大会の要項では、3つの変更があった。

1.距離を 42.195kmに変更。
 西湘バイパスが復旧したため。

2.3月開催を 11月開催に変更。(2008年11月16日開催)

3.ナンバーカード郵送を廃止。前日受付が復活。

 スタート/ゴール地点については変更がなく、大磯での開催。
 江ノ島に戻ることはなかった。

 江ノ島には救急車が入れない。というのが表向きの理由。
 ゴール直後にランナーが倒れた場合、救急病院への搬送が難しく、リスクが大きいと言うことだ。

 江ノ島につながる江ノ島大橋は、対面通行だが2車線ある。それとは別に舗道がある。
 救急車を入れる必要が生じた時、コースを 1車線規制して、救急車を通せないことはない。
 「救急車が通ります。左側に寄ってください」
 そう言われて、道を空けないようなランナーはいない。
 また、江ノ島にはヘリポートもある。

 第2回の開催地が大磯に変更された本当の理由と、今回も江ノ島に戻らなかった理由は同じだろう。
 もちろん、より大きな大会にするためというものではない。

 開催月を3月から11月に変更した理由は、5月26日の記者会見で河野太郎実行委員長が、次のように述べた。
 「3月開催だと、近隣の大会と日付が近くなる。ランナーからの要望もあった」

 近隣の大会とは、東京マラソンと荒川市民マラソンのことである。
 東京マラソンは2008年までは2月開催だったが、2009年からは3月開催となる。
 荒川市民マラソンと、湘南国際マラソンは、この2年つづけて同日開催だった。

 2009年 3月15日 荒川市民 湘南国際
 2009年 3月22日 東京

 こうしてみれば、確かに日程が密集しているように見える。
 だが、東京マラソンは出たくても、滅多なことでは当たらないレースだ。
 東京マラソンは抽選で落選するものと想定すれば、関東で春に走れるマラソンの選択肢は、3月の荒川と4月のかすみがうらの2つだけということになった。

 ナンバーカードの郵送廃止は、時代の流れに逆行している。
 前日受付にする理由は、地元に金を落とすため。
 ランナーに対して、レース当日だけでなく、前日にも現地入りを義務づければ、それだけお金がおちる。
 遠方からの参加者は宿泊せざるを得ない。

 関東の市民マラソンでは、東京、荒川も受付を要する。
 かすみがうらだけが、郵送方式を採用しており、現地入りは当日の1度で済む。

 事前にナンバーカードが届くと、自宅でゆっくりと準備することができる。
 荒川市民マラソンには、当日受付があるため、現地入りは1度で済むが、当日その場で受け取るのは慌ただしい。

 参加者の希望ではなく、主催者の都合で決める大会には賛同できない。
 それでも、東京マラソン効果で生まれたマラソンブームの折、9,000人というエントリー枠は、いっぱいになるのだろう。

 江ノ島にゴールできたのは、第1回だけになった。
 第1回の完走者だけが、その誇り高き思い出を語り継ぐことになりそうだ。



ど素人!マラソン講座
素人が制限時間5時間以上のレースを完走するための情報集です。

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2008年5月23日 (金)

かすみがうらを走った

時計は16時を回っている。
制限時間は6時間。ここから後は、完走扱いにはならない。
いったい、どれくらいの完走率になったのだろうか。

東京マラソンは 97.8%(2008年大会実績)という完走率が、一般人を驚かせた。
2万5千人が走って、完走できない人がわずか 2%しかいない。
これには「え~っ、走れない~ 絶対、ムリぃ~」と言っている人も、軽くショックを受ける。
なんだか、自分がとてつもなく、運動能力が低いように思えるのだ。
人は内心、もっと低い完走率を期待している。
走れないのは、皆、同じだと思いたい。

後半、僕の周りで歩いていた人たちは、恐らく皆完走できていないはずだ。
男女ランキングの数値から推計すると、完走者:8,836人(男7571/女1265)
参加者は9,733人なので、完走率は90.78%。

東京マラソンより 7ポイント低いのは、制限時間が1時間違うからだ。
素人が目指す初マラソンとして、かすみがうらの6時間はぎりぎりの線だろう。
2008年11月に開催される、第3回湘南国際マラソンは、第1回の制限時間から20分延ばして、6時間制限となっている。

荷物預かり所の手前にある、自販機に目を留める。
まだ、飲み足りない。
ウェストポーチに 500円玉が入っているのを思い出した。
練習時、万が一のバス代に使おうと、いつもポーチに入れている。
いわば、お守り代わりの500円玉。レース中に使い道はないのだが、縁起を担いで入れたままにしておいた。

「ジョージア VINTAGE LABEL」と「アミノバリュー」
自販機で2本買いするなんて、人生で初めてではないか?
「VINTAGE LABEL」は甘くなく、苦さが心地よい。
あまりに美味かったので、後日何度か飲んだが、いずれも甘く、この時の味にはならなかった。

露店前の椅子は満席で、ランナーが食べ物にかぶりついている。
チョコで少ししのいだというのもあるが、腹は減っているし、食べたい気持ちもある。
だが、満腹になれば、一気に安全な日常に戻ってしまう。もう少しこの飢餓の余韻に浸っていたかった。

荷物預かり所は人影もまばら。
荷物はもう残り少なくなっていて、ナンバーカードを示すと10秒で出てきた。
テニスコートのスタンドに陣取って着替える。

腰を落ち着けると、心に安堵感が広がり始めた。
陽が翳り、空気は冷たいが、疲労が心地よい。
ゴールしたら、コミュニティ「かすみがうらマラソン」のトップ写真用にゲートを撮ろうと思っていたが、思い出したのは帰りの「ひたち」が駅を離れた後だった。

完走すると不機嫌があらわになる。
痛い、疲れた、歩けない
次々に悪態をつきたくなる。
それは完走したからこそ、できること。
今は足の疲れさえ心地よい。その傷みが栄誉を思い出させてくれるからだ。

完走して乗る、帰りの電車は格別。
特急の指定席を奮発していたから、ことはなおさら。
去年は藤沢からの帰りの電車で、小さくなっていた。

これで、半年食べなかったアイスも、控えていた冷たい飲み物も飲み放題。
あぁよかった
牛久を過ぎた頃、実感がわいてきた。

一年前の惨めさを思えば、まさに雲泥の差。
去年は走りを止められた時、息も切れていなかった。
「ひたち」はあっという間に上野に着いた。

胃袋の下が凹んでいる。
レース前のVESPA、ここ一週間のカーボローディング、すべてうまくいった。
5日前に腹をこわした影響の有無はわからない。

曇りの天候に恵まれた。
雨が汗と混じって目に入ったのは辛かったが、雨はほどよく体温を下げ、そして、すぐにあがってくれた。

炎天下で 10kmを走った練習の時よりも、汗はかかなかった。
「30kmからが本当のマラソン。それまではジョギング」
そう言いつづけたのも、功を奏した。
ただ、42kmを走りきるスタミナはまだなかった。

「マラソンというのは自信で走るものだから、やっていないと、どうしても怖くなってしまう。その不安を取り除くのはやはり練習しかない。」
瀬古利彦 「東京マラソン完全ガイド」ダイヤモンド社 2007年8月

最後の10kmを怖がらず、ペースを守るための負荷を体に強いることができた。
これは過去2度の経験で目安ができたこともあるが、やはり、ここ4か月の準備が自信となった。

家に着く頃、猛烈に腹が減ってきた。

「かすみがうらを走る」 おわり



「かすみがうらを走る」もくじ

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2008年5月22日 (木)

戦った 粘った 負けなかった 走りきった

こぢんまりとした競技場は、エントランスというものもなく、呆気ないほどあっさりと場内につながっていた。

競技場に入った後はトラック4分の1周でゴールだと知っていた。どうせならば、トラックを1周半くらい走らせて欲しい。
拍手を受けながらのトラック1周は苦にならないが、競技場がなかなか見えてこないのは苦しい。
公道部分をカットして、トラックに回してもらいたい。
電光掲示を見た。目標タイムにロスタイム分を足した時間が表示されていた。
グロスタイムの目標を、ネットタイムでクリアする。それにわずか1分遅れた。結局、あの靴を脱いだ分だけ届かなかったことになる。
でも今日は「歩かずに完走」をするレース。それができれば後はどうでもいい。

やっと終われる。
この時考えていたことは、ただ一点。
42kmも走ってきたのに、達成感や歓喜のポーズもない。
all sports 撮影の写真では、35kmのりりしい表情とは打って変わり、情けない表情で時計を止める自分が映っている。

特別な感慨はなく、この時にどの曲が鳴っていたかも覚えていない。
大の字にひっくり返りたいところだが、まずは体のためにも大量に給水したい。

水をもらうには、その手前でチップを返却して、引き替えにTシャツを受け取る必要がある。
この順番、逆にして欲しい。
せめて、まず水だけは飲ませてほしい。
そう思ったら、芝に尻を付いて座り込んでいた。

ボランティアの兄ちゃんが声をかけてくれる
膝をついて、靴のチャンピオンチップを外し、再び靴紐を結んでくれた。
「もうしばらくゆっくりしますか?」
この機会を逃したら、手助けはしてもらえない。
手を引っ張ってもらえますか?
彼の手助けで立ち上がる。

記念品のTシャツのサイズは事前申告制。
ナンバーカードの隅っこに「M」と書いてある。
Mサイズのテントはどこだ?と探しながらの歩きは千鳥足。まっすぐ歩くことが難しい。
さっきまでこの足で走っていたことが信じられない。

チャンピオンチップと引き替えで、受け取ったTシャツは青。
去年、湘南ではもらえなかったTシャツ、今年は手にできた。
3度のマラソンでTシャツが2枚になった。

ようやく給水にたどりつく。
立て続けにアミノバリューを2杯もらい、バリケードに寄りかかって、ゆっくりと飲む。
それからバナナ。
もう走り終えたので、バナナでも何でもどんと来いだ。
憔悴して貪るように食べる様子に、おばちゃんがこちらを見てにこにこ笑っている。

この屈託のなさは、おばちゃんならでは。
これから家まで帰るのが大変だよね おばちゃんの会話が聞こえる。
「家まで帰れますか?」
大きな声で呼びかけてくれた。面目ないですという顔をして頷く。

バナナの隣に「チョコ」の字が見える。
そういえば、甘いものが欲しい。キットカットが2種類。その場で封を切って2つとも食べた。美味い。

チョコの隣には、完走証のテント
係の女性が、ナンバーカードを視認するや、4桁の数字を打ち込み実行キー一発。
プリンターから2秒もたたずに出力される。
「はやっ!」
完走証の即日発行は、かすみがうら自慢のサービスだ。

場内では、ゴールする選手を讃えているのか、しきりにマイクで何やら、がなり立てているが、何を言っているのかは全く耳に入らない。

ナンバーカードの安全ピンを外し、2005年にカンプノウで買ったユニフォームをゼッケンから解放する。
そういえば、レース直前に、デコからファンクラブのみんなへお返事のカードが届いたのだった。あれは、レースを前にした不安な時期に勇気になったなと思い返す。

完走証を握りしめ、千鳥足で歩き始めた。



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2008年5月19日 (月)

ロナウジーニョとバナナのステップ 40km→42km

40→41km
目標ゴールタイムにセットしておいた「In this country」が流れてきた。
曲を選ぶ時は、その場面、この曲で自分にこのような感情を呼び起こさせようという意図を描いている。

この曲はかつて、CXがF1中継のエンディングで流していた曲。
長かったマラソンのゴール
やり遂げたランナー(自分)
暮れていく空
やり遂げた充実感と、終わってしまったことへのかすかな寂しさ

こうして書いてみると、いかに自己満足でマラソンと取り組んでいるかがよくわかる。

40km過ぎの地点で、この曲がかかるということは、目標タイムに及ばなかったことを意味している。
だが、今考えることは、走りきることだけ。
沿道の応援者はほぼ皆無の後半だったが、ここにきて、声援が飛ぶようになってきた。
20代のグループが、通り過ぎるランナーをおもしろおかしく茶化しているのが見える。

僕の番がきた。
「お、バルセロナ がんばれバルセロナ。ACミランに出すぞ!」
ロナウジーニョの移籍に引っかけて、へろへろに走っている僕をやじってくれた。
思わず苦笑い。そして、とても嬉しい。

通り過ぎてから、彼らに向かって「これこれ」と背中を指さす。
「お、デコ、デコ頑張れ!」
一ヶ月後ならば、デコ、インテルか?と言われたかも知れない。

声援に心が暖まったところで、目の前に交差点が迫ってきた。
そのかどを右に曲がれば、そこにはもう競技場の姿が見えているだろうと確信している。

ところが、そこにあったのは延々と続く川沿いの道・・
さらに、ランナーの列は、遠くで左折して川を渡っている。

ウソだろう。ウソだと言って欲しい

この瞬間はこのレース中、一番ショックが大きかった。
もう何も考えられない。
あとでこの時、何を考えたかを想起しても、何も出てこない。
脳は記銘を拒否したようだ。

ようやく橋を渡り、競技場への道へと左折。
すると、いきなり沿道の人が増えた。
いや、沿道ではない。コース上だ。
まさに走路の先に、たくさん人が居るのだ。

コース上におばちゃんが出てきている。
「はい、バナナよ。頑張って」
4月に大学のキャンパスで、新入生を勧誘する応援団を思い出した。
行く手を封鎖して、幼気な一年生を拉致しようとする。
捕まったら最後、入団するまで帰れない。
(今はそんなことないと思うが・・)

おばちゃん達は軽快なステップを踏んで、このランナーの次はあのランナーと、次々にバナナを勧めていく。
ランナーも快く、それを受け取っている。

残りは 1kmを切っている。もう給食は要らない。
今食べたところで、ゴールまでの糧にはならない。空腹を満たすのはゴールしてからでも遅くない。

おばちゃんとおばちゃんの隙間を見定めて、突破を試みたが、バナナを差し出す手が、にゅっと伸びてきた。

「すみません」と片手をあげて、素通りする。
背後で「あんた、無理じいして渡しちゃいかんよ」とツッコミが聞こえた。

41→42km
どこかに42kmの看板があったのかも知れないが、目にはいらなかった。
右折して、競技場に入る。
いや、右折だったと思う。記憶は曖昧。

子どもの頃からずっと、マラソンで公道から競技場に入るシーンに憧れていた。
できればスタンド下の薄暗い通路を通りたかった。
姿を現した瞬間に、静まりかえったスタンドから地鳴りのような拍手が欲しかった。

5月22日につづく

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2008年5月17日 (土)

自転車が飛び出してこない平和な道 38km→40km

38→39km

コースは田舎道を後にして、片側1車線(対面通行)の道路へと交差点を左折する。
交差点の内側より、さらに内側の歩道をショートカットしていくランナーたち。
あれは正確に言えば失格ではないのか。
係員はほとんど立っていないので、そんなの関係ねぇとばかりに、皆が最短距離を行く。

交差点を曲がって、死角だった景色が広がるのは初体験。
荒川、湘南は一本道の往復コース。交差点や死角がなかった。
ただここで、遙か彼方までつづくランナーの列をみて、愕然とする。

見通しがよいのは、ランナーにとっては良くない。
湘南(第1回)では折り返してすぐ、遙か彼方にゴール地点の江ノ島が見えた。
マラソン雑誌のプレビューでは「折り返してすぐ、江ノ島が見えて、ゴールが近づいてくるのが勇気になる」と書いてあったが、とんでもない。
これから、あんなに遠くまで走るのかと思ったら、気絶しそうだったので、すぐ江ノ島から目をそらした。

金メダルを賭けて競うアスリートのレースならば、先を行くランナーの姿を捕らえやすい直線は勇気になるだろう。
だが、素人にとっては、見たくないものだらけ。
遙か彼方には、スタート直後の2km地点で登った陸橋が見える。
もしかして、これからまたあれを渡るのか・・ぞっとした。
結局、帰りのコースは違っていて、陸橋は渡らずに済んだ。

東京マラソンを走ったランナーは、終盤に続く橋の上り下りがきついと言う。
その気持ちがよくわかる。
記録が出やすいよう、レインボーブリッジを外したのだが、あれだけ勝負どころでアップダウンが続けば記録どころではない。
コースにレインボーブリッジを入れて、観光マラソンに特化するか、ゴールをお台場ではなく陸つづきの平地にして高低差をなくした方がよいと思う。

39→40km
後でデータと照合すると、ここではYUIの「Tokyo」が鳴っていたのだが、まったく記憶にない。
レース直前にリリースされた新譜(I loved yesterday)についていたDVDで、この歌で声を詰まらせていたYUI。
その感動が、レースでは停滞した心を揺さぶってくれるのでは?と期待して入れてきた。

しかし、85曲を聴いて、この曲には励まされたというのは、ほとんど無い。
かと言って、どんな曲でもよいというわけではない。
昨年は、制限時間ぎりぎりの疾走中、さだまさし「案山子」がかかって、がくっと力が抜けた。
音楽も、小説も、その人間性も好きな同郷の先輩だが、今回のセットリストには1曲も入れなかった。
できれば、母の日向けの歌を作った後に、マラソン用の曲も作ってもらいたいものだ。

レースは高速道路に似ている。
一部の例外を除いては、レースでは自転車もクルマも人も飛び出してこない。
前方の歩行者信号が赤になることもない。
同じ方向に走る人と抜いたり、抜かれたり、並んだりの繰返し。
路面もひどい凸凹や傾きはなく、安心して走ることができる。

日頃のジョギングは自転車とクルマとの戦いだ。
免許制度のない自転車ライダーには、ランナー(歩行者)を優先するという認識はない。
交差点では徐行しないし、すれ違いざまにもスピードを落とさない。

免許制度があるクルマもひどい。
道路交通法では、横断歩道ではクルマが一時停止して、歩行者を通すと決まっている。
だが、横断歩道でクルマが停まるのを見たことがない。

交差点では、クルマ側に一時停止の標識が出ていて、ランナー側が徐行の時でも、クルマは滅多に停まらない。
それは、違反だろう。
非番のお巡りさんに変身して、切符を切りたくなる。

ランナーになって以来、クルマを運転する時は、歩行者、自転車、そして特にランナーに対して道を譲るようになった。

口を開けて走ったせいで、喉がからからに渇いてきた。
まずい。このままでは、脱水症状になりそうだ。給水所がこんなにも待ち遠しい。

陽ざしも強さを増している。
口の開きを半分にして、必死モードをがんばりモードに落とす。

手が汗をかいてきたので、手袋をはずしウェストポーチのベルトにはさむ。
ポーチにはさんでおいた書類留めクリップが役立つ。
本来、このクリップはブレスサーモ用に持ってきた。

暑くなってきたら外そうと思っていたブレスサーモは、結局一度も外さなかった。
なかなか上がらない気温をにらみながら、レースの1週間前にミズノの直販サイトから取り寄せた。1,890円。
これはいい買い物をした。
来年以降も3月、4月のレースでは欠かせない。

着ているユニフォームは半袖だが、実質長袖で最後まで、走りきることになる。
4月というのは、暖かい月だとずっと思っていた。
まさか、4月下旬のレースをこんな重装備で走るとは、思っていなかった。

40kmのスプリット
目標 5時間21分
実測 5時間37分

35kmで、5分だった借金は、ここでは6分。
心のどこかで怖がっていた「35kmの壁」が、立ちはだかることはなかった。
マラソンの書籍、雑誌にはよく「35kmには壁があり、突然からだに力がはいらなくなる」と書いてある。

5時間台で走るランナーには、そもそもその壁がないのか。
それとも、直前のカーボローディングや、レース当日の栄養補給策がうまくいったのか。それはまだ、わからない。
二度三度、歩かずに完走をした時に、わかってくるだろう。

まだ3回のマラソンだが、レース後にふり返ってみて、わかったことがある。
それは、体は自分が思っているよりも、力があると言うことだ。
初マラソン、二度目、そして今回。経験としての事実が積み重なるにつれて、それがはっきりしてきた。

初マラソンの時は、マラソン雑誌に書いてある「膝を傷めて、走れなくなった話」に怯えて、早々に歩き始めた。
二度目の時は、足がつって、もうこのまま走れなくなるのかと、途方に暮れた。

だが、三度目の今回、怖れていたのは、自分が走り通せるか、頑張りきれるのか、ということ。
体についての懸念ではなかった。



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2008年5月16日 (金)

37kmのヤングマン 35→38km

35→36km
36kmの看板が"38"に見えた。
見間違えだということはよくわかっていた。
でも本当に38だったらいいなと、看板をじっと見た。

レースの2週間前に、眠りながら走る夢をみた。
目が覚めたらマラソンを走っていたという夢をみて、目が覚めたのである。
眠っているうちに走って、レースが残り5kmになっていたら、どんなに楽だろう。
睡眠学習法があるくらいだから、睡眠走行法も編み出せないのだろうか・・
その日一日、考えていたが、この短期間では開発は難しかった。

歩きたい。
この地点で撮影された写真を見ると、自分以外は皆歩いている。

「俺は今日ここに走りに来たんだ。歩きに来たんじゃない」
そう心で叫んで前へ進む。

荒川の時は僕が歩く側にいた。
その時、どんなに速く歩いても、ゆっくり走る人にはかなわないことを知った。
歩いたほうが楽で速いということはあり得ない。
やはり走ったほうが速いのである。
ただ、その速度差はほとんどない。

道いっぱいに広がってだべりながら歩いている集団を追い抜いていくと、その会話をしばらくの間聞くことになる。
「なんだ、この人走ってるのか」という感じで、皆がこっちを見る。

マラソンでは初めの10kmは、仲間で参加したランナーがわいわいと喋っている。
それが半ばを過ぎる頃には静かになる。
だが、ここかすみがうらでは、チームで歩いているランナーがところどころにいて、賑やかだった。

36kmに到達。もうペース表は見ない。
予定では、ここから先は 1km8分45秒ペースでゴールまで行くことになっている。
この1kmのラップは 8分41秒。
前半は皆が走っているので、ペースメーカーを見つけられた。
後半は走っている人はさらに速いし、歩いている人はさらに遅い。ペースメーカーは見つからなかった。

36→37km
去年の秋からアイスを断った。
本来ならば3月の湘南国際が終わるまでだったが、出場レースをかすみがうらに鞍替えしたので、アイス断ちは 1カ月延びた。
ランニングが趣味なのではなく、マラソンが趣味なので、30kmレースに変わってしまった湘南国際は走れない。
湘南に照準を絞っていたため、東京マラソンは応募もしなかった。
一度走った荒川、復路のあの猛風は勘弁して欲しい。
そこで、見つけたのが、かすみがうらだった。

その間も、コンビニでアイスのチェックは欠かさない。
あ、新製品出てるな。これマラソン終わるまで、売ってるかな・・
日常的に買っている時は、変わり映えしないアイス商品群に愛想が尽きていたが、半年も買わないと、どれも魅力的に映る。

練習では「アイス」「アイス」と連呼すると、楽しく走ることができた。
ここで、それをやってみたが、あまり心に響かないので、すぐにやめた。

スポーツ写真サイト Allspotrsで撮影された自分の写真には、陽射しの影が映っている。
カメラが待っていたので、周囲のランナーから離れて、ピンでファインダーに収まる位置を取る。これもマラソン3回めの知恵だ。これは、いい写真が撮れたなと感じた。

このようなスポーツ写真を専門に撮影する業者があることは、マラソンを走って初めて知った。
大会終了後、3日ほど過ぎるとウェブサイトに写真が掲載される。
自分のナンバーで検索すると、自分の写真が出てくる。
だが、今回はナンバー検索で出てきたのは1枚きり。
あの自信のあるショットがない。

おかしいな、確かもっと撮ってもらったはずなのだが・・
すると「ナンバーなし」のページにあった。
自分のフォームは自分ではわからないもので、右手を前に巻き込むように振っていた。それでナンバーが隠れていたのだ。

走りながら、驚いていたことがある。
それは37kmも走ってきたのに、下を向かず、息もあがらず、まっすぐ前を見て走っている自分。
写真でも、前を見据えた覇気の残る表情が捕らえられていた。

37→38km
37km地点で聴こうと思っていれた「ヤングマン」が鳴っている。
35kmの壁というのは本当だろうか?
残り5kmあたりを、自分はどんな気持ちで走っているだろうか?
そして、ヤングマンを聴いて楽しい気持ちになるだろうか。

友達に勧められた「ヤングマン」は、聴いてみて楽しかった。
85曲のうち10曲ほどは、友達に「マラソン向きの曲、何かない?」と言って、教えてもらった。
みてくれ、これが僕のマラソンだ!
何度も、そう叫んで走る。

左側に 37.5kmのエイドが見えてくる。
すると右側で 5歳くらいの坊主がハイタッチを待っている。
そっちに行きたかったが、もうその力は残っていない。
ごめんな心で言って、エイドで水とバナナをもらう。

どこのエイドもそうだが、スポーツドリンク(アミノバリュー)と水の区別がつかなかった。
水とスポーツドリンクのコップのデザインが似ているのだ。
水は無地の白。アミノバリューはオレンジというふうに、わかりやすくするとよい。

そして、大半のエイドは水しかなかった。
速いランナーが通り過ぎた時点で、スポーツドリンクが終わってしまったのだろう。

スポーツドリンクが必要なのは、速いランナーだけではない。
「参加者が昨年比150%になったので読み違えました」
というのが、理由に使われるのだろうが、今年しか走らない人にとっては不運というしかない。

飲んだ後の紙コップは歩幅を合わせ、ゴミ箱に落としていく。
だが、風に煽られた紙コップはゴミ箱の外に着地した。
ゴミを1つも落とさないというのは、初マラソンからの約束ごと。
ここに来て、拾い直しに戻る力は残っていない。
ごめんなさいと言い残して、先を急ぐ。

ここまでは、整然と呼吸して口を閉じてきた。
淡々とした顔で走り、応援の声にはにこにこと笑顔で応えた。

だが、もうここらで口を開けて、力を振り絞ってもいいんじゃないか。
辛さを顔に出してもいいんじゃないか?そう考えた。

そして、ここから口を開けて必死の形相に切り替える。
てくてくと負荷をかけずにいくことが安全なのだが、それでは時間がかかる。
とにかく一刻も早く、この苦しさから逃れたかった。



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2008年5月15日 (木)

かすみがうら名物私設エイド 30→35km

30→31km
「30kmまでは練習。30kmからが本当のマラソン」
そう心に唱えつづけてきた。
ここまで、目標タイムとの誤差は0分。
後から思えば、測ったように順調な展開なのだが、この時はそうは思っていない。

30kmを超えたからといって、さぁいよいよ始まるぞ!という張り切りモードの気持ちは全くない。
そんな晴れやかな気持ちは、どこにも残っていない。

31→32km
31.3kmは去年、湘南で止められた第三関門の距離。
時計を見ると、今日もその時のタイムとまったく同じ。
どういうことだ?去年と比べれば、格段に走りこんできたというのに・・・

レースが終わって、考えてみた。
湘南では第一、第二関門を突破するために、前半から速いペースで走らなければならなかったし、第三関門前では全力で走った。
もし、あのまま第三関門を突破しても、制限時間内(第一回湘南は5時間40分)で、残る 11kmを走るのは無理だったかも知れない。

今年は行く手を遮る者はない。
自分がこの足を止めさえしなければ、ゴールにたどり着ける。
30kmを過ぎ、ここからがマラソン。まさに自分との戦い。

右足がつりそうになる。これは、去年も折り返してすぐに起きた。
あの時は大変なことになったと慌てたが、しばらく走っているうちに治っていた。
一度経験すると、やり過ごしてよいということがわかる。
痛みを忘れるまで、足を使わずにやり過ごす。
この後に左足、左ふくらはぎと順番に同じことがあった。
ありがたいことに今年も最後まで膝に痛みが出なかった。
丈夫に生んでくれた母への感謝を走りながら、口にした。

32→33km
呼吸は安定し、常に前を見て走っている。
我ながらやるものだ。
去年の湘南はとにかく暑く、ずっと下を向いて走っていた。

レース1週間前、最後の日曜日はいつも長時間のウォーキングをする。
今年は2時間半、多摩川沿いを歩いたが、途中で眠くなった。
きょう眠くならないのは、本番の緊張感もさることながら、音楽を聴いていることが効いている。

30km過ぎには「かすみがうら名物施設エイド(大会資料には施設と書いてある)が並ぶ」と聞いていた。
ずらりと居並ぶ温泉街のお土産屋さんのような光景が思い浮かぶ。

ここはその厚意に甘えることもマラソンのうちと思い、いつもよりパワージェルを1つ減らしてきた。
目指すのはおにぎり。
荒川市民マラソンでは、楽しみにしていた金芽米のおにぎりは、速いランナーと応援の人たちが食べてしまっていた。
今日こそは、マラソンでおにぎりが食べたい。

だが、行けども行けども私設エイドの隊列は見えてこない。
3か所ほど確かに私設エイドはあった。
おにぎりは見つけられなかった。もう予定していた食べ物が売り切れてしまい、撤収した後だったのかも知れない。
22.5kmで3つめのパワージェルを摂ってから、もう1時間半、給食していない。
何か食べなくてはと、バナナとビスケットを手にした。

33→34km
はるか前方にFCバルセロナのユニフォームを着たランナーがいる。
同輩と会うのは、3度目のマラソンにして初めてのこと。
ユニフォームの上には、13というナンバーのビブスを羽織っている。
歩いたり走ったりをくり返していて、辛そうだ。

ついに横に並んだ時、これこれと背中の20を指さし、合図を送る。
僕の背中に追走してくれるかと思ったが、足音は続かなかった。

沿道の男の子が、がんばれ~と叫んでハイタッチを求めている。
笑顔で手を合わせ「ありがとう」
去年のマラソンでは知らなかった言葉だ。
この1年で30万回のありがとうを言った。
ありがとうと言っている時、時間は緩やかに優しく過ぎていくことを知った。
今日ここに集ったランナーが一人一回ありがとうを言えば、1万回のありがとうがこの地に木霊する。それを言われた1万人の心が暖かくなる。

34→35km
左手、田んぼの向こうにかすみがうらが見えている。
景色を見ていると言うことは脳が活きているということ。
練習や準備の成果は、こうした最後まで気は確かだったところに現れていた。
最後のスタミナ切れがないよう、エイドごとに何か食べるようにする。
35kmエイドにはパンがあった。去年湘南で大量に余っていたパンを思い出した。
一つ手にして走りながら食べる。だが、むせにむせた。
やはり、パンは何か飲みながら食べるものだ。パンはもうやめておこう。

30kmを過ぎた頃から、辺りは歩いている人ばかりになっていた。
コースのまん中を歩いている人も多い。
歩いているかと思うと、走り出す人もいる。
これは調子が狂う。

右を抜けようか、左を抜けようか、追い抜くために少しだけペースを上げなくてはと考えている時、いきなりその相手が走り始める。

クルマを運転している時を思い浮かべて欲しい。
左側にクルマが1台路駐している。停車灯はつけていない。
少し右に膨らんでまさに抜こうとした時、発進のウィンカーも出さず、いきなりそのクルマが走り始める。

「おい、ウィンカー出せ。後ろ見ろ!」
まさに、それと同じ。ランナーには、歩いている時、走っている人への気配りができる人、できない人がいる。
気配りができるランナーにもたくさん出合った。
そういう人は、歩いていて、走りだそうとした時、僕が追い抜こうとすると、発進を待ってくれていた。

35kmのスプリット
目標 4時間37分
実測 4時間52分

30kmで、0になった貯金は、5分の借金に転じた。
頭の中では、万が一、走り続けられなくなった場合のタイムの暗算をしている。
1km10分で歩いたら・・ 15分で歩いたら
その時のために作っておいた「安全圏ペース表」は、ペースブレスレットと共に、預けた手荷物の中。
簡単なかけ算だが、計算力は小学2年生レベルまで低下していて、正しい答えが求められない。
「わっ、このまま1km10分ペースだと、完走できない」

頭の中が真っ白になったが、500mほど走ってから、計算違いだと気づいた。
ただ、呑気に歩いていられる場合じゃないことに変わりない。残り7.2kmを1km10分かかると72分。ゴール予測は5時間54分。制限時間まで6分しか余裕が残らない。

今日の誓いは「走りつづけること」だが、走り続けなければ、最低限の目標だったはずの完走すら難しくなっている。



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2008年5月13日 (火)

身近な福祉とマラソン 25→30km

25→26km
今日もまた、膝に痛みが出ないことをありがたく思う。
もうひとつありがたいと思っているのは、音楽が安定的に供給されていることだ。
ヘッドホンはコードがばたつかないよう、ゼッケンの裏を通して、ゼッケンの上1か所でクリップ留め。両耳はセラポアテープをイアーレシーバーの上に貼り固定している。

6時間のマラソンの間、ずっと音楽が聴けるのは、技術の進歩のお陰だ。

■ウォークマンとメディアの歴史
 1979年 7月1日 カセットテープ
 1984年 11月10日 CD
 1992年 11月1日 MD
 1999年 12月21日 メモリースティック
 2000年6月10日 ネットワークウォークマン。100円ライター並の大きさになる。
 2004年7月1日 HDD(20GB)内臓ネットワークウォークマン。

 今回は6時間85曲のセットリストを持ってきた。
 もし、20年前にマラソンを始めていたら、カセットウォークマン+120分テープのカセットを5本。
 2時間ごとにテープを替えなければならない。
 さらに、乾電池も交換しなければならない。
 もし、そんな人がいたら、まるでドリフのギャグである。

 もし10年前にマラソンを始めていたら、本体は小さくなったが、バッテリーは予備電池が必要だろう。
 2年前、マラソンを始めた年は、音楽プレーヤーの容量が128MBだったため、およそ4時間分の曲しか入らず、それをオートリピートにして2度聴いた。

26→27km
25→26kmの1kmは10分16秒、がくんとペースが落ちた。
ところが、26→27kmは5分56秒・・・
いくらなんでも、30kmを過ぎて、5分台はあり得ない。
恐らく、26kmの距離表示がずれていたのだろう。

距離表示の看板は、前半ではボランティアが手で持っていたが、後半はほぼすべてが標識や看板などに結わえ付けてあった。
足下を見れば、道路には正確な距離表示があったのだが、それは後でミクシィの「かすみがうらマラソン」のコミュニティで読んで知った。

左手には、遙か彼方まで田んぼが広がる。その向こうにかすみがうらが見える。曇り空。
かすみがうらは、走っても走っても動かず、荒涼として広い。
あれは湖と言うより、もう海だな。

テレビドラマ「マラソン」では、このあたりで主人公はかすみがうら沿いを疾走している。
だが、実際のコースには、かすみがうら沿いを走る所はない。
湖に沿って走れば、爽快な気持ちかも知れないが、かなりの風を受けるはずだ。
景色をとるか、無風をとるかと言われたら、迷わず後者。
テレビで見たあの風景の中を走りたいと思って来たランナーも、後半のこのあたりでは、そんな景色のことはすっかり忘れていただろう。

27→28km
右足の薬指が痛む。
去年のレースでも同じ場所が痛くなった。これは靴下の問題かと思っていた。
レースで履く靴下は、裏返して丹念に毛玉を取り除いてきた。
それでも今年もまた痛みは起きた。
一度、経験したことは頭で納得できるので、怖さがない。

レース後にインソールについた指位置の跡をみると、薬指が靴に当たっていることがわかった。
靴コレクターを長くやってきて、常に50足を在庫している。
靴を買う時には、入念に足の指が靴に当たらないかをチェックする。
それなのに、こともあろうか、マラソンを走る靴で、指が靴に当たっているとは思わなかった。
次に新しいマラソンシューズを買う時は、ソール形状の違う靴を買うことにしよう。

28→29km
27→28の1kmは、エイドがあったこともあり、9分22秒。
25→30の5km区間、目標ラップは 1km8分。1分以上も遅い。

ここで、ヨムマラソンを思い出した。
直前に教えてもらったマラソン実録本。結果的に、この本を読んでいたことで、高い意識を保つことができた。
疲れていても、約束のタイムを守るために粘る。
過去のマラソンならば、自分はこの程度だろう。これ以上がんばると、どこかに故障が起きて、走れなくなるかも知れない。それでも元も子もない。
そう考えて、なすがままにペースを落としていただろう。

だが、自分には完走とDNF、成功と失敗、それぞれ1度ずつの経験がある。
まだいける。体はもってくれる。
いくか、いかないか。あとは気持ちの問題だ。
自分との約束を守らなければ。

下半身にムリはさせられないが、必死に手を振って、上半身を捻る。
そして、この1kmは7分34秒。このレース最後の7分台となった。

29→30km
いよいよ区切りの30kmがきた。
だが、ここで気合いが入るほど、もう元気ではない。
時おり、盲人ランナーと伴走者を追い抜くようになった。

1991年に始まったかすみがうらマラソンの正式名称は
「かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソンかすみがうら大会」
身近な福祉をテーマとしており、1995年の第5回記念大会から盲人の部を併設している。

盲人ランナーの頑張りもさることながら、伴走者の圧倒的な体力と知力に敬服する。
伴走とは、相手のペースに合わせて走るだけかと思っていた。

前方の路面に凹凸があれば、ロープを引き寄せる。
前を走るランナーとの距離を測って、コース取りを変え
「今31kmの看板みえましたよ」「ちょっと、上げましょうか?」と声をかける。
なんという心の強さだろう。

いつの日か、マラソンを余裕で走れるようになったら、
・カメラを持って走りたい
・音楽無しで走りたい
・パワージェルを持たずに走りたい
・テーピング無しで走りたい
 いくつかの夢がある。だが、それはなんと凡庸な夢であったか。
 僕があの伴走者の強さを手に入れることはできないだろう。

30kmのスプリット
目標 3時間54分
実測 3時間54分

25kmで、2分あった貯金が ついに 0分になった。



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2008年5月12日 (月)

2本の線の上を走る 20→25km

20→21km
左足が右足にぶつかり始めた。これは、練習では一度もなかったことだ。
これまで、ウォーキングでフォームを固めてきた。
練習ではいつも2本の線の上を走る。
左右の足が、平行する2本の線をトレースするように走る。

マラソン指南書には「1本の線の上を走るとよい」とする説と「2本の線の上を走るとよい」とするものがある。
一般的な素人は1冊の本を読み、そこに書いてあることを信じる。
だが、こうして2冊の本を読めば、正反対のことが書いてあるのが現実だ。

ただ「1本の線の上」説には、その根拠が書いていない。
「朝食は大切だ。朝食を抜くと体調が壊れる」と書いておきながら、その根拠を示した本を1冊も読んだことがない。
それに似ている。

「2本の線の上」説を唱える福岡大学 田中教授は、1本の線を走ると、体に余分な捻りが発生し、それは無駄な動きだと書いている。
2本の線の上を走ることには、もう一つメリットがある。
それは、両足が離れていて接触しないので、転倒のリスクがないということだ。
だが今日は疲れてきて、まさに足がもつれ始めている。
転倒しないよう、足運びを慎重にする。

21→22km
21kmを過ぎて少し走った頃、ぴっぴっとチャンピオンチップがセンサーを踏んだ音がする。
そうか、ここが折り返し点なんだな。と気づく。

右手前方にテレビドラマ「マラソン」で見た折り返し地点の下りヘアピンカーブが見えてきた。
ずっと、ここを走るのが楽しみだった。
バイクに乗っていた時の習性で、峠のヘアピンカーブにさしかかると、心が躍るのである。

ドラマではヘアピンカーブのところに折り返しのコーンが立っていた。
ドラマは創作であり、実際のコースとは違う点が多い。ここもその一つだ。

すると、ここで靴に石が入った。
練習でも時々、靴に石が入る。だが、その時の石は1mm程度の小石で、走っているうちにインソールの溝に収まってしまう。
だが、今日の石は史上最大と言っていい。
かかとを刺す痛みが違う。
靴を脱いで石を出すか?このまま我慢するか?という選択を迫られる。
靴は紐を結び直すと、なぜか、またすぐほどけやすくなる。
できれば、靴は脱がずに済ませたい。

22→23km
石をやりすごそうと、アウトソールの左右をとんとんと地面にぶつけてみたが、石はさらに中央に寄ってきた。
これではとてもあと半分を走れない。
仕方なく 22kmの看板を過ぎたところで靴を脱ぐ。
靴を逆さにして出てきたのは、2mm×10mmくらいの長方形の石。
この石の映像をずっと忘れないだろうと思った。

寸暇を惜しんで走り出したのだが、まだなにか入っている。
10秒も経たずに二度目のストップ。
こんなことを何度もやってはいられない。

これきりにしなければという苛立ちで、靴を民家のトタンに思い切りガンガンと叩きつけた。
大きな音は、家主を何事かと驚かせたかも知れない。

品のないことをしてしまった。きつく締めすぎぬよう、慎重に靴紐をむすぶ。
二度靴を脱いだことでのロスタイムは、46秒64。

ドラマ「マラソン」では主人公が転倒した細い林道に入ってきた。
路面が濡れ、足ももつれている。
これまでジョギングでも転んだことはない。ここで転んでは洒落にならない。

22.5kmのエイドを前に、最後のパワージェルを取り出す。
3つめはアップル。
走りながらメモを取ったわけではないのに、どの味の順番で摂ったかは克明に覚えている。
今回聴いた音楽85曲のうち、後で聞いたことを覚えていない曲が17曲あった。全体の20%だ。

人は聴覚よりも味覚の記憶力がよいのかも知れない。

これこそ、学会に発表しなければと思い、知人に打ち明けたところ
「単にパワージェルの方が、数が少なかったからでは?」
とつっこまれた。

23→24km
20-25km区間 自分との約束は7分45秒。だが、この1kmは8分1秒。
タイムを粘らなければならない。
下半身はもう終わっているが、まだ上半身が残っている。上は疲れてない。
このために腕立て伏せ千回、腹筋二千回をしたじゃないか。
ここからは腕を振る番だ。30kmからのマラソン本番までは、まだあるぞ。
そう言い聞かせる。

後で思うに、日頃から腕を振るフォームで練習していないから、まず足が終わってしまうのだろう。

24→25km
エイドの近く、距離表示の近くにラジカセが置いてあり、音楽が流れている。
音楽は魂を揺り起こす。
眠気を覚まし、正気を保つのに役立つ。
音のない世界で孤独に走っているランナーにしてみれば、このラジカセから流れる音楽が心を覚醒させてくれるだろう。それにしても、同じような小型ステレオラジカセ。同じような置き方。
走っている時は、地元の方の気配りだと思っていたが、主催者が置いているのかも知れない。

25kmのスプリット
目標 3時間15分
実測 3時間13分

20kmで、3分あった貯金は1分減って あと2分。思いの外がんばっている。
ただ、それは後からくつろいでタイムを振り返って思うこと。この時はもう、時間の把握まで、頭が回らなくなっている。

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2008年5月 6日 (火)

ランナーが抱く妄想、描く夢 16→20km

16→17km
上り坂は足を使わぬよう、上半身で進む。
練習ではこの数倍の急勾配を走り、上り坂何するものぞと思っていた。だが、その長さが違う。16km走って来た後、だらだらと 1kmつづく上りはさすがにこたえた。
6kmから15kmまで7分ペースを刻んできたが、この1kmは30秒を余分に要した。
ふり返ってみれば、この「最後の難所」で心がぐったりしてしまった。

コースは右折して山道へ。
このレース唯一の関門17km地点が見えてくる。
制限時間は2時間15分。
手元の時計では、2時間9分37秒
5分20秒の余裕をもって通過した。

ロスタイムの読みで 8分の貯金があった割には、タイムは速くない。自分はまだ、こんなものだったのか。

未経験者は、レース前に夢を見る。
1km7分ペースを思い描いているが、レース日になると、羽根が生えたようなペースで楽々走れるのではないか。
いや、素人が世界記録を出してしまったら、どうなるだろう・・・
ここまで妄想できるのは、ちょっと異常か、ある意味で才能かも知れない。

17→18km
時計は第一関門の制限時間、12時17分を指している。
ここで、雨が落ちてきた。
最初は2、3滴。次第に強くなりメガネが水滴で埋まる。
レースはいつもメガネをかけて走る。
マラソン指南書には、サングラスをかけると紫外線対策になり、レースに集中できると書いてある。
だが、近視のランナーにとって、サングラスは夢でしかない。
サングラスをかけるために、コンタクトレンズを入れるという手はあるが、さらに疲労が増幅しそうで、気が進まない。
メガネはナイキのフレーム。なんのストッパーもつけていないのに、まったく揺れることがない。これにUVカットレンズを入れている。

右の靴底にガムでも踏んだような異物感がきた。
直径3cmはありそうなしこりを感じる。
靴の裏を確認したい。いや、走っているうちに自然と剥がれ落ちるかも知れない。
地面に靴底をなすりつけるような動きを2度3度。だが、故障しては元も子もないので、すぐやめる。
そのまま、1kmほど我慢したが、たまらず右端に寄り、ガードレールに手を添えてアウトソールを見る。
だが、靴底には何もなかった・・

荒川、湘南はアシックスニューヨーク2110(2005年秋モデル)で走った。
アートスポーツで「目標はとにかく完走」と告げたら、これを勧められた。だが下調べで、心はこの靴に決まっていた。
「マラソンシューズ売れ行きナンバー1」
右も左もわからぬうちは、この謳い文句に従っておくのが無難だ。

今回は2007年秋モデルのニューヨーク2130
会社でも履けるオールブラック。スラックスに運動靴を履くと、中学校の先生になってしまうところだが、ミッドソール、アウトソールまで黒い靴ならば、違和感が薄い。
ブラックは、2006年の2120までは数量限定カラーだったが、2130から定番カラーとなった。

レース後に確認すると、2130のアウトソール(靴底)の溝は、大きめに切ってある。小石を噛まないためなのかも知れない。

18→19km
道路は右へ左へと蛇行している。
コース取りをアウトインアウトに変更する。
こうすれば最短距離となり、少しでも体力を温存できる。
ただ、ほとんどのランナーは路側やセンターラインに沿って、道なりに走っている。そんな中、一人アウトインアウトで走るのは勇気が要る。
極力、他のランナーを煩わせないよう、後方確認に気を配った。

雨はいったんあがったが、再び緩やかに降り続き、路面も濡れて完全なウェットレース。
F1ならばピットインして、レインタイヤに履き替えるところだ。
レースで雨走行は初体験。足を滑らせないよう気を配ることは、足に負担がかかりそうだ。できれば、路面は乾いて欲しい。

ここは周回コースの東端。折り返し点を過ぎる 14時45分頃には雨はあがった。この一帯だけが雨だったようだ。
サブスリー、サブ4ランナー達は、雨に遭っていないかも知れない。
完走証に記された天候は「晴」 これは、スタート/ゴール地点のもの。
確かに土浦の競技場は行きも帰りも晴れていた。だから間違いではない。だが、実際のコース上は 35kmまでずっと曇っていた。

公式記録「晴れ 9.8度」は来年、ランナーが検討する時には、魅力的なデータだ。
素人のうちは「晴れ」を喜ぶし、アスリートは、ほどよく低い気温を喜ぶだろう。公式記録はこのように作られているのだと知った。

39番めに入れてきた QUEENの「'39」がヘッドホンで鳴っている。
QUEENのファーストアルバムから数えて39番めに収録されている、2039年を歌った曲。
今日のセットリストは全85曲だから、そろそろ折り返しが近づいている。

昔のCDはパソコン・ハードディスク時代を想定していない。
'39 はフェードアウトの終わりがけに、次曲 SWEET LADY のイントロが入っている。

19→20km
生活道路にはいると、軒先に椅子を並べて応援してくれる老婆が目につく。
おじいちゃんはどうしたのだろうか。
そして、なぜか椅子は全員の分はなくて、3人の老婆の横に一人おばちゃんが立っているというパターンが多い。
ぱちぱちぱちとしなびた拍手に、頑張れ~という声援。微笑ましくて嬉しい。

時折、郷里にいる母親に似た老婆がいた。
僕が似ているなぁとしげしげと見ていると、むこうもきょとんとした顔でこちらを見ている。

節目の20kmを迎える。
だが、30kmからがマラソン、それまではジョギング。再び、そう言い聞かせる。そうやって「まだ半分来てないのか..」そんな弱気を追い出す。

ペース表を取り出す。
予備のペース表も、メンディングテープで濡れ防止加工をしておいた。
ここまでやるか?という準備が役に立った。

20kmのスプリット
目標 2時間35分
実測 2時間32分

この5km区間には、16→17kmに「最後の難所」があった。
15kmで 守っていた 6分の貯金は、3分使ってしまい、残り3分となっている。

5月12日につづく



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2008年5月 5日 (月)

「チャイルド」と「負けないで」 12→16km

12→13km
松浦雅也の「チャイルド」が聞こえてきた。
はるか昔にみた伊丹十三映画「スウィートホーム」の主題歌。1989年作品。
歌うのはPSY・Sのチャカ。
発売当初はCDシングルが出て、「スウィートホーム」のサウンドトラックに収録された。

サウンドトラック「スウィートホーム」
松浦雅也 商品コード 32DH5188 1989年1月21日発売。3,200円。
2002年秋、楽天に出店しているショップで1,500円で売られていた。
このCDに収録されている「チャイルド」は音量レベルが低い。
他のCDの楽曲に続けて聴くと、この曲だけ音量を上げなければならない(ノーマライズ処理をしても、やはり音が小さい)

レース中、ウォークマンのボリュームは「18」で固定している。
これ以上大きくすると、自分の足音や周囲の音が聞き取りづらくなるし、これ以上小さいと、曲が聞こえない。
レース後に、コミュニティで「音楽を聴いていて、視覚障害者が近づいているのに気づかない人がいた」という指摘を読んだ。
思わず、自分は大丈夫だったろうかとヒヤリとした。

2000年代に発売された音楽CDはどれも、音量レベルが上がっており、90年代、80年代のCD楽曲と続けて聞くと、後者は音が聞き取りづらい。
レース中、その曲だけ音が小さいと、心に響かない。
「チャイルド」は特にその中でも音が小さかったが、2004年発売のPSY・S「GOLDEN☆BEST」に収録されたものは少しましになった。レースではそちらの音源を使っている。

「どうして、楽しい時は 短いのだろう」とチャカが歌う。
1年間かけて、準備してきたマラソン。それもあと4時間ほどで終わってしまう。
「まだ、あと4時間」ではなく、「もう、あと4時間」
そういうふうに考えれば、少しはこの苦しさも紛れるかな。いや、そう考えていたい。

13→14km
右手からおばちゃんの「頑張れ」という大きな声がかかる。
ランナーは静寂の中を走っている。
こういう時声に出す応援、拍手、太鼓、音楽。とにかく「音」が嬉しい。

先頭から最後尾まで、すべてのランナーが通過し終えるまでには、少なくとも 30分はかかるだろう。
「がんばって」とずっと言い続けるのも大変なことだ。
「がんばって」と言った次には「がんばってください」と交互に声をかけてくれるおばちゃんがいた。
「ください」は大変だから、いいですよ。ランナーは丁寧な言い方より、ちょっと乱暴なくらいのほうが嬉しいですよと言ってあげたかった。

14kmの看板は見落としてしまい、ラップボタンを押せなかった。
かすみがうらコミュニティの書き込みで「看板が外れていた」と書かれていたが、この14kmがそうだったのかも知れない。

14→15km
ZARD「負けないで」が聞こえてきた。
この曲は、初マラソンから3回連続でセットリストに入れている。
荒川の強風の中「ゴールは近づいている」の歌詞に強烈に励まされた。
この曲だけは、マラソンに音楽を連れて行く限り、聴き続けるだろう。
そういう心の支えなので、今回は 17km手前、35kmあたりに2回入れた。

ただ、さすがに半分にも満たないこの位置で「ゴールは近づいてないぞ」とZARDにつっこんでいた。

15kmエイド手前で2つめのパワージェル。
今度取り出したのは、トロピカルフルーツ味。
一度絞り出すように吸い、さらに二つ折りにして絞り出す。
1つ260円だったからもったいないというわけではなく、とにかくエネルギー切れが怖い。

「マラソンには35kmの壁がある」
と大抵のマラソン書籍に書いてある。ところが、まだその経験がない。
初マラソンは27kmからずっと歩いていたし、二度めは31kmでバスに収容された。
自分の足で走って迎える35kmに、いったいどんな壁があるというのか。
怖れていても始まらない。そんな壁が現れないよう、いろいろと準備をしてきたのだ。

再び、ペース表を取り出し、15kmのスプリットタイムを確認。

15kmのスプリット
目標 2時間00分
実測 1時間54分

10kmで 6分あった貯金は、この5km 一切使っていない。
「30kmまではジョギング、そこからが今日のマラソン」
そう念じる心に、少し余裕が生まれていた。

15→16km
15km過ぎまでは一旦下り。
そして、16kmからは1km近い上り。2km地点とこの上りがこのレースの難所。
あとはフラットで走りやすいと大会パンフレットに書いてあった。
主催者が言うように、全体的にはフラットととるか、それとも、二度も長い上りがあるととるか。
レースに臨んでいる以上、前向きにならなければ走れない。当然、前者の考え方をしている。
ただ、唯一の関門(17km地点)がその難所の先に設けてあるというのは、意地が悪い。ど素人ランナーにとっては辛い。



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2008年5月 1日 (木)

私設エイド初体験 8km→12km

8→9km
天気予報では終日東北東の風。
コース図で確認したところ、折り返しまでは向かい風または横風。
折り返してからは追い風または横風となる。

体力がある前半が向かい風、疲れが出るところで追い風というのはありがたい。
いずれにせよ強い時間帯でも風速は4(m/s)。
2006年荒川で体験した 20m/sを超える風に比べれば、風のうちじゃない。

今日はパステルピンク、パステルブルーのシャツにCW-Xという出で立ちで、小ぎれいにまとめた女性が目につく。

中には「雪山登山か?」とつっこみたくなるような厚着のランナーもいる。
レースで汗を出して、ボクシングの試合にでも出るのだろうか。

ウェストポーチを背面につけている人が相変わらず多い。
お尻の上に荷物があって、よく走れるものだ。
初マラソンの時は「前につけたほうが、走りやすいですよ」と教えたくて仕方なかったが、3度目となると、他人のことはどうでもよくなった。

コスプレもちらほらと見かける。
タイガーマスク、アフロヘア、ピカチュウ・・・
この日見たベストコスプレは、コンプリートなメイドの女性。
しばらく見ていたかったが、とにかく速い。
あっという間に置いていかれ、見えなくなった。
皆に見せるために、わざと最後尾からスタートしているのではなかろうか。

9→10km
スタート地点では「5時間30分以内で走る人」プラカードの後ろに並んだ。
6時間制限のレースなので、後ろにはほとんど人はいなかったはずだ。
それなのに、これでもかというほど沢山のランナーに抜かれる。
走力のある人はゆっくり来て、号砲が鳴った時にはまだトイレの列に並んでいるのだろう。
自分も走力をつけて、一度そういうレースをしてみたいものだ。

そういえば、これまでのレースでは、後ろを振り返ったことがないことに気づいた。
そう思うと、無性に後ろを振り返ってみたくなる。
そこには、ランナーの長い列が続いているだろうか。
それとも、これだけ抜かれたのだから、もう誰もいないかも知れない。
怖いもの見たさだ。
だが、どちらかというと、縁起をかつぐ方だ。
ここで、後ろを振り返ると、何かよくないことが起きるような気がする。新しいことにはリスクが伴う。
振り返るのはやめた。

手袋に差し込んだペース表を取り出し、10kmの目標スプリットタイムを確認。

10kmのスプリット
目標 1時間25分
実測 1時間19分

スタートラインで8分あった貯金は、6分に減っていた。

10→11km
12.5kmだけは 2.5kmごとのエイドがない。
給水できないこの 5kmは辛抱のしどころ。
と思って走っていたら、私設エイドで飲み物を配っていたのでいただくことにする。

私設エイド初体験。
おじさんが紙コップに濃い味の烏龍茶を注いでいる。
マラソン中に宇烏龍茶というのは新鮮だった。

友人はかつてかすみがうらの私設エイドでお酒を振る舞われ、千鳥足で走ったという。
ただでさえ千鳥足の自分には、レース中の飲酒など考えられない。
速いランナーの力は底知れないものだ。

あれがウーロンハイだったら大変なことになるだろうと考えていたら、お礼の言葉を言い忘れた。
11kmあたりでお茶を出してくれたおじさん、ありがとう。

11→12km
徐々にコースの左右は人家が途絶え初め、それと同時に応援の人もまばらになる。
すると突然、後ろからきた大会車両が追い抜いていった。
こんなことが三度あった。

パイロンで区割りしているわけでもなく、空いているところを縫うように走る。
一度は真後ろにつかれて、ふり返った。

荒川と湘南ではこんなことはなかった。初めてのことに驚く。
今思えば、湘南国際マラソンのコースはとても統制がとれており、走っていて安心感があった。
ずっと片側2車線以上の道路ということもあるだろうが、箱根駅伝のコースでもあり、警備が手慣れているのかも知れない。

すべての沿道を警備やスタッフで埋め尽くすのは大変なことであり、過重になるほどに、それは費用に跳ね返る。これがほどよい市民マラソンなのだ。

■関東春大会の参加費比較(2008年大会)
 かすみがうら 3,700円
 荒川 5,000円
 湘南 7,000円 *1
 東京 10,000円

*1 湘南は30kmレースだったが、2007年のフルマラソン時と同じ参加費

5月5日につづく



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2008年4月29日 (火)

1つめのパワージェル 3km→8km

3→4km
小さい女の子が道路左から走って飛び出してきた。
見た目にはゆっくり走っているように見えるマラソンランナー。彼女の目には渡れると思ったのだろう。全速力で走っているが、コースの右端を走っている僕にはぶつかりそうになった。
これが、散歩の途中ならば通してあげるのだが、こちら、ただいま競技中の身。悪いけど左手で止まるように制した。

17km関門までは、いわゆる車道。そこから先は生活道路。まだ、このあたりでは、警備員による統制がとれており、走りやすい。

交差点を曲がるのが夢だった。
テレビで見るマラソンは公道を縫うようにコースがとられていて交差点が多い。
だが、荒川は河川敷で、行ってこいの一本道。湘南も海辺の国道を行ってこいの一本道で、共に交差点がない。
今回は周回コース。同じところは二度と走らない。初めて曲がる交差点。一つめはおっ交差点と思ったが、2つめからはなんの感想も持たなかった。

4→5km
5kmポイントを前にペース表を探す。だが、走りながらではなかなか見つからない。ここから先、ペースの把握は欠かせない。
一度も歩かないという誓いがあるので、歩くわけにはいかない。仕方なく歩くような速度に落とす。
まず、ヘッドホンプラグを抜き、ポーチを腰から外す。それでようやく見つけた。5km→10kmも変わらず、ノルマは1km7分。
毎回ポーチから出していてはレースにならない。ペース表はポーチには戻さず、手袋の甲に押し込んだ。

5→6km
このあたりは10マイルとの併走コース。ジャージを着た中学生ボランティアが「→10マイル」「フル←」それぞれのプラカードを持ち、センターライン上に立つ。
伏し目がちな少年、頑張ってくださいと声をかけてくれる少女、3人くらいで集まりだべっていて、所定の持ち場に戻るよう注意されるワル坊主たち。
恐らく、学校をあげてマラソンにかり出され、月曜日はお休みというパターンなのだろう。

おらが町にマラソンがあるということが素晴らしい。
2万人のランナーが走る姿を目の当たりにする。それを支えるスタッフ、ボランティアに名を連ねる。そうした経験は、誰もが少年時代に味わえるものではない。
彼らはまだ、その意味がわからないかも知れないが、心の隅にしっかりとした財産が残るはずだ。

6→7km
6kmまではまだ一度も7分を切っていない。
いつもレース本番では知らず知らずのうちに、ペースが上がってしまう。ゆっくり走っているのに、ラップタイムがそこそこにいい。
なんだ、自分はこんなに速くなっていたのか?と錯覚する。それで、去年は失敗した。
今年は、必要以上にラップを上げまいと誓ってきた。

だが、いつまでも悠長ではいられない。ここらで粘らなければ、このままのんびりペースから、体が抜けられなくなりそうだ。
さらに、悪夢の関門にひっかかる可能性さえある。このレースの関門は17km、2時間15分の1つのみ。
万が一そこに間に合わないことになれば、レースが4時間も早く終わってしまう。
1年前、さほど疲れていない体で乗る帰りの電車は、とても切ないものだった。
今回は、そんなことは許されない。

前を行くランナーの中からペースメーカーを見つけて、追走を試みる。
やはり、目がいくのは同じサッカーユニフォームを着たランナー。
前方にいたクロアチア10番のユニフォームを着たランナーに着く。ただ、クロアチアの10番が誰だったかは思い出せない。僕が背負っているデコ以上に、マニアックな選択であることは間違いない。
この1kmは 6分50秒。初めて6分台に入れた。

7→8km
7.5kmのエイドが近づいてきた。この日1つめのパワージェルの出番。
3種類の味から手に触れたものをポーチから引き抜く。1つめは梅フレーバー。
パワージェル(パワーバー)は1983年にアメリカで生まれた製品。日本ではネスレジャパンが販売する。
梅フレーバーは日本独自の製品。私設エイドには梅干しが置いてあったが、梅干しを食べる習慣がないので、マラソンに梅というのはぴんと来ない。
今シーズン、日本では5つの味が販売されているが、国により種類が違う。他国ではキャラメル、ラテ、チョコレートなどがある。
マラソンも3度目。そろそろ、給食を持って走るのは卒業したいところだが、パワージェルは美味い。どうやら次のレースも止められそうにない。
摂りおえると、そのゴミを握ってエイドまで走る。口の中をすっきりさせるための水が待ち遠しい。

エイドに寄ったこの1kmのタイムは30秒落ち。
なぜだかわからないが、この大会のエイドはタイムロスが大きい。コースの左右にテーブルがあるエイドもあり、右往左往するランナーがコースを塞ぐこともあった。
エイドあたりの投げ散らかされた紙コップの数は、荒川、湘南に比べて格段に多い。
経験した3つの大会では、エイドのマナーは最も悪かった。
エイドのゴミ箱はポリバケツではなく、段ボールで作った口の小さいもので、かなりスピードを落とさないと正確に投げ入れるのが難しかった。

風は東北東 向かい風が吹き始めていた。

5月1日につづく

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2008年4月28日 (月)

はやらない心 スタート→2km

5時間30分以内のプラカードの後ろに並ぶ。位置についた時ペースブレスレットを忘れたことに気付いた。
「まぁいいや」と口について出たが、実はそういうわけにはいかない。
レース中盤は意識がもうろうとして、暗算能力が落ちる。普通の計算ができなくなる。
その時すぐ、ウェストポーチに予備を持ってきたことを思い出した。ポーチをまさぐると、確かにはいっている。
転ばぬ先の杖。この過剰とも思える準備が、完走に大きく役立った。

ヘリコプターが上空を何度も旋回している。プロペラの風を切る音で、とても距離が近いことがわかる。墜ちたら大変なことだ。大会は中止になるだろうか。いや難を逃れた人だけで走るのだろうか。

→スタートライン
去年の湘南国際では号砲が聞こえなかった。
スタートラインから最後尾までは数百メートルあり、ピストルの音が聞こえることはない。号砲が鳴ればわかるのだが、スタートの合図で号砲を打ちますという事前の説明は、過去3つの大会で一度も見たことはない。
今年も聞こえないものと思い、時計が10時を指すと同時にストップウォッチをスタートさせる。
今回、号砲は聞こえたが、僕らはまだ一歩も動けない。5~6歩進んだと思うと止まる。しばらくはその繰り返し。流れるようなウォーキングが始まると、並んでいた5時間30分プラカードから、スタートラインまでの距離は、思いの外短かった。
スタートラインでラップボタンを押す。6分39秒 ロスタイムを15分みてペース計画を立てているので、ここで8分の貯金ができた。今日はこの貯金を大切にしたい。

0→1km
マラソンは年に1度と決めている。1年間ずっとこの日のために備えてきたわけではないが、ここで失敗すれば、再チャレンジは1年後。去年、湘南で完走に失敗しているだけに、2年連続の失敗は許されない。

初マラソンで完走した時、それは日々の大きな自信になった。自分は特別な誇りを手に入れたという実感が、日々の暮らしに横たわっていた。
二年め、湘南の31.3kmで止められてからは、下を向いて暮らす日が続いた。そして、何かを変えなければと言う強い気持ちが生まれた。よい結果からも、悪い結果からも学ぶことはできる。ただ、今年はよい結果が欲しい。完走という勝ち星を先行させたい。

走り出してしばらくして、気分が乗っていないのに気付く。競技場から公道に出てもまだ、今日走るのか、これから本当に走るのかと考えている。高揚感がない。
「レースは30kmから。それまではジョギング」*
という瀬古利彦の言葉を胸にしまっていたからかも知れない。
*「マラソンの神髄」瀬古利彦

いきなりの陸橋。練習でやった通り、腕だけで足を使わずに進む。
今日の出で立ちは半袖のシャツと短パン。
初マラソン、3月の荒川は後半に寒くなった。
その反省をふまえ、二度目のマラソン3月の湘南は長袖にしたが、炎天下のもと暑くて仕方なかった。
そして今回は1か月遅い4月の大会。迷わず半袖を選んだ。だが、ここにきて過去のレースでは気温があまり上がっていないことを知った。

 2005 晴 17度(最高気温)
 2006 曇  8度
 2007 晴 14度
そして、ここ一週間、土浦の天気予報。当日は曇り、予想気温は16度と出ている。
そこで残り1週間になって、アームウォーマーを用立てることにした。ミズノのブレスサーモをB&Dに買いに行くと、春先のこの時期はもうブレスサーモは置いていないという。結局、ミズノの直営ネットショップで取り寄せた。アームウォーマーならば、暑くなれば外すことができる。
両腕に装着してスタート。お陰で去年のようにスタート地点で寒さに震えずに済んだ。

1→2km
マラソン大会はどこも、第一給水所(エイド)は5km過ぎから。
スタートから5kmは給水できない。そこから先は2.5kmから3kmごとに給水所があるので、脱水することはない。
だが、第一給水所まではスタート前の待ち時間、ロスタイム、5kmの所用時間で、1時間近く給水できないことになる。
そこで、2度めのマラソンからは、1回分の給水をポーチに入れている。
2.5kmで飲もうと思っていたが、1km過ぎで早くも喉が渇く。給水は喉が渇いた時では遅い。乾く前に飲むのだ。そうマラソンの本に書いてある。
処方箋薬局でくれる飲み薬のミニボトルに入れてきたダカラを飲む。
顎を空に向け、最後の一滴まで大切にする。飲み終えたボトルは、またウェストポーチにしまう。
レース当日まで治らなかった腹具合が読めない。
途中でトイレに駆け込むということがありませんように。祈ると言うよりは、体を信じて忘れるしかない。

2→3km
右端を走っていると、子どもが2人ハイタッチの構えをして待っていてくれる。さっそく今日初めのハイタッチ。
これが勇気になる。今日も一人でも多くの人とハイタッチをしたい。
去年の湘南「ハイタッチ無料でできます」というプラカードを作って応援してくれた若者の団体を思い出す。
一度もマラソンを沿道で応援したことはないが、応援する時は、彼らに学びたい。



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2008年4月26日 (土)

ひたち7号

以前、東京駅で成田エクスプレスのホームがわからず、駅の端から端までダッシュしたことがあった。
都会の駅は難しい。
ひたち7号は満席。ランナーの姿が多い。
隣の男性(推定年齢40歳)もその風情。ずっと文庫本を読んでいる。
いつもは電車には本を持ち込むが、今日は少しでも脳を休ませるために本は無し。だが、こうしてブログ用のメモを書いているのはどうなのか・・

4号車がグリーン、指定が1-3.5 グリーン車が指定の端っこではない。
自由席からはみ出してくる客の緩衝として5号車を置き、グリーンの静寂を守っているのだろう。
そういえば女性専用車両というのは、最近報道されないが、今も続いているのだろうか。専用車があるのも善し悪しで、女性が専用車両以外に乗った時、周囲の視線が刺さるのではないだろうかと思う。
電車は荒川の橋を超えた。グリーンのセンターラインでわかる。3人が朝のジョギングしていた。

松戸を出ると雲が厚くなってきた。大会関係者や応援の皆さんには悪いのだが、正直なところほっとする。
レースの体験を2度3度と積むほどに不安は薄らぐが、緊張は増すようだ。
こうした緊張をほぐすため「自信カード」をつくっておいた。
練習での10kmタイム、予想タイム、腕立て伏せ・腹筋の回数を書き出してある。
カードをみて自信を確認する。 「大丈夫だ」「絶対いける」
松戸から乗ってきたランナーもいる。
「そこ3のAですよね?」
どうやら空いている席に座っていた先客がいた様子
「いや、私飛び乗っちゃったから」
そそくさと席を立ち、去っていくおばちゃん。そこは言い方違うよ。まず「ごめんなさい」でしょ・・
と思いかけて、すぐ忘れる。
怒りは痛みにつながる。かつて「腰痛は怒りである」という本を読んだだけで、長年の椎間板ヘルニアが治ったことがある。
マラソンの前は風のように自然体でいなければならない。

8:50 土浦に到着。初めて踏む土浦の地。
駅のトイレは数珠つなぎのランナーたち。
総勢2万人だけに、場違いな人の波が駅から会場に向かって伸びている。横断歩道ごとに警察官が出て、懸命に交通整理をしているが、信号もないところを渡って、車を急停車させるランナーたち。
「地獄に堕ちたらいいのに」
とは思わずに、いやぁランナーならば、もう少しマナーをよくすればいいのにと思う。

9:20 レース前のお約束、ベスパ(735円) 毎回続けている。
脂肪から先に使い、グリコーゲンを温存するスペシャル・ドリンク。
同様の製品はVAAMが元祖だが、こちらの方がよいと店員さんに勧められた。

メイン会場は見るからに混乱している。
人数ならば、東京マラソンのほうが多かったのだが、それと比べて明らかにここは浮き足立っている。
レース前の必須アイテムは意外にもレジャーシート。雑誌の付録についていた小振りなもの。これ1枚あれば、どこでも座って準備ができる。
荷物を預ける場所がわからない。同じように荷物を持ってきょろきょろしているランナーが大勢いる。
ボランティアのユニフォームを着たおばちゃんに尋ねてみたが「わからない」
それはそうだ。ボランティアには、持ち場の教育しか行われていない。持ち場以外の情報は何も持っていないのだ。
東京マラソン・ボランティアで荷物預かりに配置された時も、これらの荷物トラックがどのように並んでいるのか、わからなかった。ランナーからの「自分はどっちへ行けばいいの?」という質問に、まったく答えられなかった。

同じように迷っている人並に混じっていると、荷物預かり場所(テニスコートだと後でわかった)に着いた。入口でビニル袋を受け取り、荷物を詰めてナンバーカード毎に区画された列に並ぶ。
「確か100円要るんだよな」
隣にいた2人組の声で、チャリティで100円をお願いしますと説明書にあったのを思い出した。デイパックの外ポケットに入れておいた100円玉を取り出す。
2人組はなかなか財布が出てこないようで「このシステム、間違ってないか?」と笑っている。

ウォークマンには85曲 6時間分の「かすみがうら」セットリストを入れてきた。マラソンも3度めとなると、走りに向く曲、向かない曲がわかる。
いつかは、余裕の走力を手に入れて、音楽に頼らずに走りたい。
でも今はまだその時ではない。音楽のない6時間は、クールな脳を維持するには、あまりに長い。
スタート10分前、9:50にスイッチを入れて、誤作動防止の HOLDに切り替える。目標タイムが守れれば、82曲めでゴールすることになっている。

4月28日に続く



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2008年4月25日 (金)

マラソン前夜の準備

かすみがうらマラソンは前日受付がない。
一般的なマラソン大会が前日や当日に受付で配る「ナンバーカード(またの名をゼッケン)」「チャンピオンチップ」が事前に自宅に届く。
「プログラム」はレース当日朝。
「参加賞」はレース直後。

前日に遠くまで出かけずに済むのは助かる。
読みかけの「ヨムマラソン」を読み終える。
ミクシィのコミュニティで教えてもらったこの本は、思いの外、得るところが多かった。
貯金を早計に使わないこと。
自分で決めたタイムに対して粘り通すこと。
そういう考え方をしたことはなかった。それまでは、タイムの目安をブレスレットに入れたところで、自分が本当に最後まで走れるのかさえ、半信半疑なのだ。

読み終えると、あまりにヒマで小一時間ほどうとうとする。
「昼寝をすると夜中に眠れないのはどういう訳だ?」
と歌う井上陽水「東へ西へ」が頭をよぎり、すぐ打ち消す。

風呂上がり、ファイテンパワーテープを30枚ほど貼った後、腰と足にテーピング。
テープはすべてキネシオテープ(バトルウィン社の呼び名はセラポアテープ)を使う。
テーピング(伸縮)テープでもよいのだが、素人が使うにはキネシオのほうが安心感がある。
初マラソン前にアートスポーツの店員さんから
「テープは貼れるだけ貼ったほうがいいですよ」
と言われて以来、その言いつけを守っている。
だが、いつかはテープの力を借りずに走ってみたい。

人間の眠りは90分が1サイクル。睡眠時間が90分の倍数ならば、すっきりと目覚める。
7時間30分(450分)とれれば十分だが、9時間(540分)睡眠をとることができた。

ここ1週間、土浦の天気予報は「晴時々曇り」から「曇り」に替わっている。
予想最高気温 16度
降水予想確率 40%

瀬古利彦の著書「マラソンの神髄」に、レースに集中するのは当日の朝からでよい。とあった。その言葉を手帖に書き留め、この1週間、気持ちがはやらぬよう気をつけてきた。
そこで、腹をこわしてしまい、その回復に専念した。今もまだ明日の体調がどうなるのかはわからない。ただ、気温がさほど上がらない天気予報だけが救いだ。
4/20(日)
いよいよレースの朝、東京はどんよりと曇っている。
ランナーにとって、曇りは歓迎だ。
バイクに乗っていた時、ゴルフをやっていた頃、曇り空を見上げて雨になるなよと願っていた。
今は、晴れなければいいと願っている。

上野駅には30分前に着いた。
8:00のひたち7号の指定席をえきねっと(JR東日本のWEB)で買っておいた。
マラソンの日、乗換の駅では時間があれば、必ずトイレに入る。
レース会場に近づくほどに、トイレに並ぶ時間が延びる。空いている駅で済ませておけば、ぎりぎりで焦ることがない。

トイレはとてもきれいだった。
トイレが汚れていると、いつも掃除してから出る。
去年のレース時には、この習慣はなかった。
上野駅のトイレは、どこにもこするところが無かった。

11番ホームには 7:49発 常磐線 勝田行きが入線している。
この電車は 8:59 に土浦着。ひたち7号は途中で追い越して、9分早く着く。

発車のベルが鳴る。
在来線にはランナーがたくさん乗っている。上野までほとんどランナーを見かけなかったので、ほっとする。皆もこの時間帯に出かけるんだ。
ランナー4人組がこっちを見て怪訝そうにしている。なんだろう。FCバルセロナのジャケットを見て「あれは何処で手に入れたんだろう」と言っているのだろうか。
在来線がホームから滑り出していく。
さぁ次はひたちの入線を待つばかり。
ところが表示板は、ひたち7号ではなく 8:05次の土浦行きを表示した。隣の10番ホームの表示は「回送」
 慌てて駅員さんに、ひたちは何処からですか?と聞くと、呆れ顔

「ひたちは16番17番ですよ」



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2008年4月24日 (木)

歩かずに完走する

4/18(金)
東京は雨
朝から強い風が吹き、ビニル傘はひっくり返って骨が曲がり、ゴミ箱行きとなってしまう。
土浦の天気は正午現在、強雨。
大会関係者は雨の中。
ランナーは屋根のある場所でそれぞれの暮らし。

かすみがうらマラソンまであと二日。
ランナーが伺い知れぬ時にも、着々と雨の中、大会の準備が続く。

レース2日前というのは、こんなにどんよりとした気分だっただろうか。
過去2レースの1日前は、前日受付があったので、よく覚えている。
だが、2日前のことは思い出せない。

4/19(土)
10:00 明日の今頃は走っているのか
10:45 といえば、4kmを過ぎて5kmの給水地点へ向かう頃。ほんの少し下り坂。
コース地図と高低差、自分の予定ペースを見比べて、本番を空想する。
明日の天候は曇り、薄日が差す程度か。

それにしてもお腹がぐるぐる鳴っている。
前日というのに、トイレに行く頻度が落ちない。
レース中にトイレに駆け込んだことは一度もない。
5日前にお腹が痛くなった。

Qちゃんのことがあった後だけに、もしかして電解質異常か?
と青ざめたが、ネットの文献でしらべると、どうやらそうではない。
単に腹をこわしただけのようだ。
今夜はもう、オレンジジュースもやめておこう。
2.5km給水ボトルにダカラを詰めて、外に出しておく
冷えていると走っている時にお腹に響いてはいけない。

自転車で商店街に、レース朝のおかずを買いに行く。
もう10年以上、朝食は食べていない。
だが、レース日は昼食が食べられない。この日だけは朝を食べる。

目覚めるとまず、脳を起こすスイッチとしてコーヒーを飲む。
コーヒーには利尿効果がある(おしっこが近くなる)ので 100ccのみ。
献立は炭水化物を抑えるため、ご飯少なめ。タンパク質も抑えるため、納豆は摂らない。おかずは脂肪を摂るために揚げ物。

一週間前からのカーボローディングメニュー、レース朝の献立。
これらは福岡大学 田中教授「賢く走るフルマラソン」で学んでいる。
新たにマラソンを目指す素人ランナーにとっては、これはもう課題図書と言ってもいい。
もう5回読んでいるが、今回のレース前にも1度読み返した。

いつもは自転車に乗ることはないが、前日は体力温存のために、歩くことさえ控える。
いつもの肉屋で脂身たっぷりのとんかつを買うことにこだわっていたが、まだ揚がっていない。仕方なく鶏の唐揚げとコロッケにする。
今回のレース結果がよければ、来年の今頃は唐揚げとコロッケを探しているだろう。
帰り道のコンビニでアイスを1つ調達。

春マラソンに備えて半年前からアイスを絶っている。
走り込みでは「アイス、アイス」と連呼して走ることもあった。
明日のレースでは、またどこかで、アイス、アイスと連呼して脳を覚ます。そのための前日調達だ。
アイスと袂を分かったこの半年の間に、原材料値上がりのために、スーパーカップは126円に値上がりしていた。

買い物から戻ると「持ち物チェックリスト」に沿って荷物をデイパックに詰める。
100円ショップで買ってきた仕分け袋が3つ。
「レース直前ポーチ」
「レース後用品ポーチ」
「レース後着替えポーチ」これは、そのままレースで着たウェアの収納袋に替わる。

エクセルで作ったペース表をペースブレスレットにセットする。
これがレースを乗り切る命綱。
「ペース表」と「安全圏表」の2つ。
ペース表は5km毎のスプリットタイムの目安。
今回は距離表示が1km毎なのが、ありがたい。1km表示ならば、遅くとも10分に一度はペースをチェックできる。距離表示が5km毎のレースでは、ペースが大きく落ちていることに気づくのが遅れる。素人ランナーにとっては、取り返しのつかないことになる。

安全圏表は、初マラソン荒川の時に考えた。
「35km地点 *時間*分ならば、あと12分/kmで歩いても間に合う」
という目安表。
ただし、今回のマラソンのテーマは完走ではない。

一度も歩かずに完走することだ。

4/25につづく



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2008年4月22日 (火)

かすみがうらを走る!

「かすみがうらを走る」もくじ

 今年 2月18日「かすみがうらマラソン」について、こう書いた。

 荒川は6日早く締め切ったというのに、かすみがうらは11日伸ばしたということは、参加者数が伸びていないのだと想像できる。

 3月に行われた荒川市民マラソンは、大会史上初めて、締め切り日よりも 6日早くエントリーを締め切った。それだけ参加者が多かったのだ。
 関東の春マラソンが盛況なのは「東京マラソン効果」
 東京マラソンは、2008年2月の第二回大会では 10万人の落選者(申し込んでも走れない人が10万人)を出した。この数字は、申請すればギネスブックに載るだろう。
 東京マラソンが掘り起こしたランナー人口を、荒川市民マラソンが吸収した。

 一方、その1カ月後、2月18日(月)~東京マラソンの翌日~に締め切られるかすみがうらマラソンは、〆切を早めるどころか、11日間延長した。
 かすみがうら=茨城県土浦 といえば、東京からは遠い。
 その距離のために、荒川のようには、東京のランナーを動員できないのだろうかと考えた。

 ところが、予想と事実は違っていた。
 2008年4月20日(日)に開催された「第18回かすみがうらマラソン」には11,354人がエントリーした。
 
しらべるが掲載する数字は 42.195km競技のみ

 過去最高は、11年前 1997年の8,798人なので、2,556人塗り替えて史上最多人数。
 前年比では 3,955人(53.4%)増となった。
 前年比 150% は、まさに激増と言える数字である。

 東京マラソンを観戦したランナー、東京マラソンで記録更新が成らなかったランナーが、2月18日(月)に大挙エントリーしたため、これはいける!と思って締切を延ばしたのだろう。

 関東の市民マラソンでは最も歴史が古いかすみがうら。
 一人負けを食らうことなく、東京、荒川と三大関東春マラソンとして肩を並べたことになる。

 かすみがうらが記録を更新したのは、東京マラソン効果だけではない。
 今回は、2007年秋に放送されたテレビドラマ「マラソン」~TBS系列~による知名度アップがあった。

 ドラマは前回17回大会の翌日、4月16日に市民ランナーが参加してロケが行われた。
 一度は腹痛に倒れた主人公が再び走り出し、かすみがうらの湖畔を疾走する。
 広大なかすみがうらの真横を風を受けて走る、その光景に憧れて「ここを走ってみたい」と思った人が少なくない。


 3月31日からランナーにナンバーカードチャンピオンチップが届き始めた。
 かすみがうらはこれらが事前送付のため、前日受付、当日受付といった受付そのものがない。
 ただし、欲を言えば、当日配布のプログラムも事前送付にしてもらいたかった。
 受け取り時間が14:00までなので、4時間を超えるランナーはレース後にゆっくりと受け取ることができない。

 ナンバーカードは1枚。これがありがたい。
 ナンバーカード2枚の場合、背中にも1枚つけなければならない。
 それでは、ユニフォームのデコ20の数字が隠れてしまう。

 かすみがうら、つくば、荒川、東京、湘南、長野、大町の7つのマラソン大会を調べたところ、1枚を採用しているのは、かすみがうらと東京だけだった。

 マラソン大会はナンバーカードでWEBを検索すると、個人名が特定できる。
 ランナーは個人情報を体に貼って走っているようなものだ。
 ランナーが走る時、その視線が捉えているのは、前を走る人の背中だ。
 最近はデジカメを持って走るランナーも多く、ネット上にはナンバーカードが写った写真が出回っている。

 前面はランナー識別のために必要だろうが、背面は不要だ。
 湘南国際では前後に2枚ナンバーカードを付けて、途中リタイア者からはナンバーカードを1枚回収する。それが2枚の理由では、なんとも世知辛い。

4月24日(木)につづく

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2008年4月19日 (土)