2008年5月20日 (火)

ワンダオープンカーコレクション

 「糖類0」と宣伝しているワンダゼロマックスは、本当に甘い。

 実際に飲んでみたら、テレビCMで「え゛~っ」と俳優が驚くのが、決して大袈裟ではないというのがわかる。

 その甘いワンダゼロマックスに、プルバックカーのMR-Sがついているという情報をキャッチした。これは、甘いうえに美味しすぎる話だ。

 巡回すること4日め。ついにファミマで発見。MR-Sはその場にあるだけ全部買おうと思っていた。缶コーヒーとしても買っておいて悪くないうえに、こんな貴重なミニカーだから、MR-S仲間に分けるなど、いくらでも使い道はある。

Mrs_wonda1  どこが、貴重かというと、MR-Sは1999年に発売され、2007年に製造中止になったのだが、市販されたミニカーやグッズのほとんどが「前期型」仕様なのである。

 マイナーチェンジ後、フロントフェンダーにフォグランプがはまっている仕様のグッズは、既に絶版になっているラジコンしか存在しない。

Mrs_wonda2  お店にあったMR-Sは2つ。倉庫にまだ在庫がないかと言いそうになったが、それは自粛して二つゲット。

 カラー青のみなので、一つは、赤に塗ることにする。

Mrs_wonda3 プラモデル塗装用のマスキングテープで、ヘッドライト、エアインテーク、フロントガラスなどをマスキングしていく。マスキングテープは大きめに貼って、プラモデル用のNTカッターで切り取っていく。

 つづいて、タミヤカラーではなく、トヨタ純正 MR-S赤のタッチペンで、塗る。Mrs_wonda4 

この時、机が汚れないよう、白い紙を敷いていたのだが、デジカメ画像のピントが安定することがわかった。瓢箪から駒であった。

Mrs_wonda5

しばらく置いて塗装が乾いてから、ピンセットを使い、マスキングを剥がしていく。前後のMR-Sエンブレムは、塗り直しが効かないだけに、マスキングテープの威力は絶大だった。赤がはみ出した所は、銀と黒のマーカーで塗って境界線を整える。

Mrs_wonda6 多少の塗りむらはご愛敬。さすが、純正カラーだけあって、それなりに見映えがする仕上がりになった。世界に1台、後期ファイナル仕様赤のミニカー誕生である。

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2007年5月21日 (月)

MR-Sウェブの閉鎖

 4月4日、いつものようにYahoo!でMR-Sを検索。
 一番上に出るトヨタMR-Sのウェブページをクリック。

 今日もせめてファイナルの写真を見て、うっとりしようかなと思っていた。
 すると出てきたのは
「ページがみつかりません」

 ばっさり消してしまっている。
 企業のウェブページでは「このページは現在ありません」というメッセージはよく見るが、跡形もなくなり、ブラウザーがエラーを返すというのは珍しい。
 一応トヨタである。
 個人が運営するウェブページとはちょっとわけが違うでしょ。

 辛うじて1枚か2枚、写真をコピーしていたが、それだけ。
 もう何も見ることができない。

 突然消すことで、ユーザーの飢餓感を煽ろうという訳ではないだろう。
もう買えないのだから。
 クルマがもう売っていないのに、ウェブページがあるのはけしからん!というクレーム対策だろうか。それならばもうちょっと消し方と言うものがあろう。
 不可解な消し方だった。

 MR-Sは7月末、特別仕様車の生産終了というアナウンスがされていたが、順調に売り切ったため、どうやらそこまで工場の稼動は続かないようだ。
 恐らく5月末には生産ラインが解消されて、6月中にはオーナーの手に渡り、トヨタの仕事を終える。

 発売当時、160万円程度で買えたミッドシップ、オープンカー。
 ファイナルは特別仕様で特別価格とはいえ240万円。
 あれだけの豪華装備ならば、それも高くない。

 晩年、月に一桁しか売れなかったホンダNSXや三菱GTOに比べれば、そこそこに売れていたMR-S。
 トヨタの懐の深さの象徴だったこのクルマを惜しむトヨタ関係者は少なくなのではないか。ミッドシップが大好きでこの会社に就職した人たちに、もう一度、心躍る機会を!





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2007年5月14日 (月)

テリー伊藤とMR-S

 MR-S後継車はわけのわからないスペシャリティカーになってしまう。
 ミッドシップでもないし、値段も高い。デザインも普通のセダンになりそうだ。
 愕然として読み進めた「ベストカー」の巻末にはテリー伊藤の「お笑い自動車研究所」という記事があった。

(以下引用)
こんなクルマはこの先、もう発売されることはない。
もしこの先トヨタがオープンカーを作るとしても、それはメタルトップだろう・・
(中略)
トヨタはMR-Sを作ることによって「こんなに儲からない車は作ってられない」と気づいてしまった。
(引用おわり)

 中面の記事に符合したテリー伊藤の言葉には、説得力があった。
 そしてテリー伊藤はこうも書いている。

 このクルマはおそらく、古くなればなるほど価値が出てくるだろう。いまこのクルマを買った人は、20年、30年、いやその人が亡くなるまでハイウェイスターになれる。
(中略)
買った方がいい。

 そして先の言葉に続いている。
 「買う」「買う」と言い続けるだけだった徳大寺有恒と違い、実際に一定期間オーナーだったテリー伊藤の言葉にはMR-Sへの深い愛情がこもっている。
 これですっかりテリーファンになった。

 MR-Sファンで転売市場をにらんで買う人はほとんどいないだろう。
 MR2の人気車種は、中古市場にほとんど出てこない。

 ハイウェイスターというのは歌でしか聴いたことがなくて、いったいどういう人なのかイメージがつかないが、スポーツカーファンから少なからず尊敬の眼で見られるだろうと想像がつく。

 でも、もうMR-Sは売っていない。
 もちろん中古はそこそこに市場に出回っている。
 だが20年、30年と大事に乗り続けるならば、新車で買い、慣らし運転、バッテリーや消耗品のメンテナンス、すべてを自分でやっていきたい。

 その権利を最後に手にしたのは、V EDITION・FINAL VERSION を手にすることができた1000人。
 ぜひ、末永くそこらを走り回って、スポーツカーファンの目を楽しませて欲しい。

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2007年5月 7日 (月)

MR-S後継は乗用車

 MR-Sファイナルバージョンは、11月20日に発表されて1月9日に発売された。
 1月末でベース車の販売が終わり、それ以降はファイナルバージョンだけの販売となった。

 2000年には年間5500台を販売した(MR-Sとしての年間最高記録)が、2006年はほぼ1000台。
 ファイナルバージョンは1年間で売る台数を、3か月で売り切ったことになる。

 ここ数年、自動車雑誌の新車スクープ記事では、MR-Sの後継車はハイブリッド化を軸に確実に進んでいると報じられてきた。
 「決定的瞬間捕獲」
 といったタイトルで、マスキングされたMR-Sらしきベース車がニュブルリンクをテスト走行する写真がカー雑誌に掲載された。
 そのワイドボディはそのまま発売しても、間違いなく日本一かっこいいクルマになったはず。

 ファイナルの売り切れでMR-Sは終ってしまうが、後継で魅力的な車が出るならば、それを待つということで諦めもつく。
 タイムリーなことに、ちょうど発売中だった「ベストカー」にMR-S後継車の情報が載った。よしこの記事を読んでMR-Sを諦めようと思い、購入した。

 入門用スポーツは変わらず!
 しかしまったく別のクルマに
(ベストカー2007/4/26号見出し)

 オープンカーであるということが変わらないだけ。
 ミッドシップではなく、かといってハイブリッドでもない。
 4人乗れるかも知れない。
 価格は280万円ほど・・
 これでは大衆車だ。

 以前、MR-S後継車情報としてハードトップの4シーターのイラストデザインがベストカーに紹介されたことがあったが、どうやらその路線。
 スポーツカーではなく乗用車だ。
(記事にはスペシャリティカーと書いてある)

 愕然とした。
 そしてそれに追い打ちをかける記事が巻末にあった。

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2007年4月30日 (月)

最後の一枚

 2007年、MR-Sが新車販売を終える時がきた。

 1月9日 V EDITION・FINAL VERSION 発売(特別仕様車 限定千台)
 海外では既に販売終了しているが、日本国内においてもこの千台が売れると、販売終了する。
 1月末、ベース車の生産終了

 このニュースに気付くのが遅れた。
 ただ、年間千台売れるかどうかのMR-Sだけに高をくくっていた。
 まだ3か月、まだまだ売れていないだろう。

 とりあえず、カタログをもらい、気のない商談でもしようかと近くのネッツを訪れる。
 自宅から一番近いネッツ、買うならばココでと決めている。
 この店では以前、MR-Sを試乗したこともある。
 「シーケンシャルを」と言っておいたのに、用意されていたのはMT。
 それよりもショックだったのは、ディーラーの社員が助手席に乗り込んだことだ。
 幌を上げて、見知らぬ男性と狭い車内に二人きりというのは、あまり愉快ではなかった。

 「今日はどういったご用ですか?」
 クルマをおりるとすぐ、店員が声をかけてくる。
 一旦店内に入ると、向こうからは声をかけてこないネッツ。
 だが、入り口ではしっかり対応してくる。
 入り口でも店内でも無関心を装うディーラーもあるが、これにはがっかりする。
 その日に買うわけではないとしても、やる気がないように映る空かした態度は消費者として不満だ。

 MR-Sなんですけど
 そう言うと若い兄ちゃんの表情が曇った。
 「確か・・」
 嫌な予感は当たっていて、先週最後の一台が売れたという。
 カタログも皺が入った最後の1枚。

 1年で千台がやっとのクルマが3ヶ月で千台売れる。
 いかにこのクルマを密かに欲しかった人が多いかを知った。
 マラソン完走に気を取られていた頃、最後の一台が売れていった・・

 しかし、そんな悠長なことは言っていられない。

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2007年4月23日 (月)

MR-Sの歴史

 1999年に発売されてから3年弱。
 2002年8月2日、MR-Sはマイナーチェンジされた。
 価格帯は178~225万。少しだけ値上がりしたがまだまだ安い。

 MR-Sファンの中には1999年を初期型、2002年以降は後期型と呼ぶ人が多い。
 初期型と後期型は前から見て一目でわかる。
 初期型にはないフロントグリルのフォグランプが、後期型には標準で付いている。
 ギアは5速から6速になった。
 2002年の月間平均販売台数は178台(ロードスターは245台)。

 「まちがいだらけのクルマ選び」の徳大寺さんはMR2、MR-Sを絶賛している。
 これだけの楽しいクルマがこの価格帯で買えるのは日本だけだ。その言葉に恋心は募っていった。
 購入を検討しているといつも書いていたが、結局買わなかったようだ。
 テリー伊藤は実際に買って鎌倉を走っていたと「ベストカー」に寄稿している。

 横浜スタジアムのリリーフカーには、助手席を改造したMR-Sが使われている(2007シーズンも使用されている)
 2002年マイナーチェンジの後期型は、玩具のラジコンが発売されている。
 既にメーカー在庫はなく、ネットでも見つからない。


2003年
 6月、ロッテブラックブラックガムのスッキリドライブキャンペーン賞品として黒を基調としたオリジナルデザインのMR-Sが1台製作された。
 2003年の月間平均販売台数は145台(マツダロードスターは127台)。
日本以外での2003年、年間販売実績3,000台。価格273万円。

 2004年2月3日、剛性アップのための改良を施し、重量が30kg増えて1,020kg(6SMT)となる。1トンを超えたため重量税が37,800円から56,700円(初めの3年分の総額)に上がった。Bエディション廃止。
 2004年5月1日、ネッツ、ビスタが合併。Netz取扱車種となる。
12月、ZERO CROWN のCMにボディ黒、左運転席のMR-Sが登場。

2005年
米国での販売終了。日本国内の販売も終了するとベストカー2004年12月26日発売号は書いている。

MR-Sのコレクターアイテム

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2007年4月16日 (月)

MR-S発売

 1999年10月12日、MR-S発売(取扱店 ネッツ、ビスタ)
 MR-Sの登場によりMR2が姿を消した。
 1999年カーオブザイヤーの選考対象車。1位のヴィッツが獲得した518点に対してMR-Sは60点だった。
 価格は168~198万円。ホンダのFRスポーツカーS2000が338万円だから、かなり安い。
 ボディ7色×シート3色が自由に組み合わせられるのはかなり良心的。
 クルマ好きが本当に愛せるクルマを手に入れたい。そういう気持ちに応えるトヨタの姿勢だ。
 幌は手動開閉式、運転席に乗ったまま簡単に開閉できる。幌についている後部の窓はガラス。当時これがビニル製で評判が悪かったロードスターの欠点に、トヨタはしっかり対応した。
 これほどまでにメーカーの良心、懐の深さが体現された車種があるだろうか。
 それは500万円以上を出せばあるのかも知れないが、200万円という価格帯ではこの先もう無いのかも知れない。

 2000年8月、商品ラインにVエディションを追加。
 世界初のシーケンシャル5速マニュアルモデルを追加。
 シーケンシャルMT(Manual Transmission)は左足でクラッチ操作をしなくて済むMT。ギアボックスの[+][-]でギアを上下する。
 ハンドルにもボタンがついていてシフトチェンジができる。当時この技術はアルテッツァ、ハリアーにも搭載された。
 F1マシンに搭載されていた手元でのギアチェンジには憧れた。
 クラッチ操作は要らないがAT車ではなく、ギアチェンジをしなければ走らない。

 今は三菱、マツダも同様の機構を搭載している。そちらはATとの切り替えがボタン一つでできる。
 街乗りではオートマチック、気合を入れたい時はMTとして乗れるマツダや三菱の機構のほうが優れている。
 ハンドルにスイッチがついているため、カーブでハンドルを切っている時はボタンが押しづらい。 直線ではハンドルのスイッチ、カーブでは左手でギアを操作することになる。
 それでも、この機構がついていることが大切なのだ。

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2007年4月 9日 (月)

2代目MR2

 1984年春に発売されたMR2は1989年にフルモデルチェンジする。
 ターボ245馬力2000ccと、自然吸気170馬力2000ccの2タイプ。

 動力性能が高すぎてブレーキが効かない、スピンする危険なクルマと批判された。
 だが、そういう批判は乗っていない人が言っていること。
 この車を好きで乗っている人にはまったく関係ない。ブレーキが効かないのであれば、スピードを出さなければよいし、早めのブレーキを心がければよいだけのことだ。自らの運転技術を超えた運転をすれば痛い目にあう。それは一度やってみなければわからない。

 AE86に乗っていたとき、小雨の朝交差点でスピンして危うく歩道につっこみそうになった。でも間一髪でクルマはスピンを終えて被害は無し。結局、自らの乱暴な運転はその後も続いた。一度大きな事故をやらかさないと、わからない人がいるということだ。

 MR2の新モデルに買い換えたいという気持ちが起こらなかった理由は、そのかっこ悪さだ。
 デザインに切れも優雅さもない。
 SV3そのままで出た初代MR2も、今見ればかっこいいとは言えないが、見たことがないデザインという驚きがあった。

 そして1990年、ホンダからNSXが出た。
 980万円という価格のため、購入対象とは思えなかったが、そのかっこよさには参った。このクルマがかっこ悪いと評論する記事も見たが、それは主観の問題。
 NSXをかっこ悪いと評価する人がいる割りに、MR2をかっこ悪いという人はあまりきかなかったのが不思議だ。出る杭は打たれるという気がした。
 NSXはかなりの予約を受けたが、バブルが弾けてかなりのキャンセルを受けたという評判があった。だが、ホンダ社員ではないので真相はわからない。

 1995年10月、東京モーターショーでトヨタからMRJ(4人乗りオープンカー)が発表される。
 デザイン的にはMR-Sに近い。
 このMRJが2009年に発売されると言われる、MR-S後継車の下敷きと言えるかも知れない。
 MRJは市販されることなく、1997年10月、東京モーターショーでMR-Sが発表される。
 そして2年後の秋、ついにMR-Sが発売された。

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2007年3月30日 (金)

ミッドシップとは?

 ミッドシップとは何か?
 後輪の車軸の前にエンジンを置き、後輪を駆動する自動車の通称。

 F1の車はミッドシップ。市販しているフェラーリもミッドシップ。
 重心が車の中央にあるため旋回性がよく、曲がるのが楽しい。
 エンジンが後ろにあるため、ラジエーターへの空気吸入孔がボディの横(ドアの後ろあたり)にある。

 2007年3月現在、日本メーカーにミッドシップ車はない。三菱「i」はカタログにはリアミッドシップと書いてあるが、エンジンは車軸の上にあり、ディーラー社員は「後輪駆動」と呼んでいる。
 唯一のミッドシップ車だった トヨタMR-Sは2007年1月より発売した「ファイナルバージョン」が完売し、販売が終了した。あとは受注分を7月まで作り、そこで生産が終る。

 ミッドシップ車終了を記念してトヨタはMEGA WEBでミッドシップスポーツヒストリー展を開催中。(2007/3/20~2007/6/17)
 F1に参戦しているもう一つの日本メーカーであるホンダはビート、NSXを製造中止して以来、ミッドシップ車を作っていない。

 MR-Sはトヨタ製、「ミッドシップ」「オープン」「2シーター」スポーツカー。
 MR2の後継車。先に発売されていたホンダS2000、マツダロードスターの対抗車種。

 MR-Sがいよいよ残り1000台で製造終了すると聞いた。
 終了の予定は 7月とトヨタのホームページに書いてある。
 1000台といえば、この車の年間販売台数に近い数だけに、まだまだ大丈夫だろうと高をくくっていた。
 ところが3月下旬の日曜日、近くのネッツに行くと
「この間、最後の1台が終わりました」
 という。カタログも最後の1枚だった。

 つづきは4月2日

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2007年1月 1日 (月)

TRUENOが最初の友達

 初めて手に入れたクルマはトレノと言った。
 トヨタスプリンタートレノの1983年型。
 トヨタでは、カローラにツインカムエンジンを載せるとレビン、スプリンターに載せるとトレノと呼んでいた。

 このクルマが型式のAE86にちなんで「ハチロク」と呼ばれるようになったのは1990年代に入ってからである。発売当時、そう呼ぶ人はいなかった。

 GT APEX 白・黒ツートーンに9年乗った。
 流線型のスタイリング、リトラクタブルヘッドランプ、デジタルメーター・・スポーツカーに憧れて育った者にはたまらないポイントが揃っていた。

 出会いは友達が持っていたトレノの助手席に乗った時。
 当時、ナナハンキラーの愛称でおなじみ、RZ350という俊足のバイクに乗っていた僕は、クルマの加速に驚いたことはなかったが、いきなり友達が加速した時には、心臓が飛び出るかと思った。

 その1年後、MR2にも未練があったが、やはり4人乗れるのでトレノを選択。180万円だった。
 確かその頃、運輸省がスポイラーを認可して、スポーツパッケージ(フロント・サイド・リア)が設定されていたのでつけた。

 夜になると、メータークラスタ組み込みのスイッチで、ライトを出すのが楽しかった。
 ウィンカーバーを引いてパッシングすると、リトラクタブル・ランプが開きざまに光って、すぐ閉まるのがいかしている。
 スイッチ周りのロータリー式のつまみでメーターのイルミネーション照度が変えられるのもよい。
 ワイパー系の操作もクラスタ組み込みのため、ふつうのクルマにはハンドル左側にあるバーがない。

 車重940キロというのは、今思えば軽い。
 2006年現在、2シーターのMR-Sでさえ1000キロある。なぜ20年も前のクルマの方が軽いのかが不思議である。

 九州自動車道に乗ると、デジタル・スピードメーターが「180」を表示するのに、さほど時間はかからなかった。
 一方、あわや追突という場面でも、気がついたら間一髪止まっている・・実によく走りよく止まるクルマだった。

 故障もほとんどなし。
 晩年マフラーが劣化したこと、リアハッチの裏がさびたことくらい。
 水温はデジタル表示され、いつも中央のコマでぴたりと止まっていた。冷却水が漏れて、半分から上にいったことがあったがそれも一度きり。

 9年車検を通した1か月後、突然GTOを買うことになったため、売ることになったが、全然飽きの来ない、最後の日まで新鮮なクルマだった。
 自動車販売会社の知人は「久しぶりに、こんな状態のいい86を見た」と言ってくれた。オークション出品を頼み、2度目の出品で27万円で売れ、手許には24万円が入った。直前の車検で21万円がかかっていたので、残ったのは3万円だった。

 1990年代終わり頃から「頭文字D」にトレノが出てくるらしく、右ドアに「藤原とうふ店(自家用)」と書いたトレノグッズが出回るようになった。
 その人気のお陰で、Mテックから43分の1トレノのミニカーが発売されたので買った。
 乗っている頃はグッズもプラモも何も持たなかったが、後にこうして色々と出るのは嬉しい。
 手放した8年後、ヤフオクで当時のカタログを1000円で手に入れた。
 この文章に書いた「メータークラスタ」という言葉はそこから拾った。右開きのカタログというのが、今となってはおもしろい。

 あけましておめでとうございます。今年も「しらべるが行く」を よろしくお願い申し上げます。



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