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2005年10月 3日 (月)

NPBがつまらない理由

 日本のプロ野球「NPB」がつまらないのは敗者の美学が成り立たないからではないだろうか。

 スポーツには勝者があり、敗者がある。かつて2002年の日韓W杯において、審判がいくつもの相手のゴールを取り消して勝ち進んだ国があった。負けた国スペインのメディアや選手は激怒したが、DFのプジョル(バルセロナ)は「微妙な場面で正確な判定は難しい。審判はW杯レベルだったと信じている」と言うことができた。心の中は裏腹でも、いずれ歴史がどう判断するのかはその時点ではわからないし、自分の判断とは反対に転ぶことがあるかも知れないのだ。こういう時、負けた側は辛うじて「大人の発言」をすることができる。

 2004-05のCLでチェルシーに敗れたフランク・ライカールトもそういう1人。初戦に微妙な判定で敗れたホセ・モウリーニョは、試合後、「審判とライカールトが密談していた。」と発言した。 だが、同様に微妙な判定で第2戦を敗れたライカールトは 「審判の判定に文句を言うのは、往々にして負けたほうの側だ。」と述べた。つまり何を言っても負け惜しみの範疇に過ぎない、負け惜しみを言うくらいならば、もっと素晴らしいプレーをすればよかったのだ!ということを賢者は口にするのである。

 セリーグのセーブ王、岩瀬(中日)は投球中にモーションを止める。「一連の動作で投球を完了しない」 つまり、モーションを止めるのは不正投球だと野球規則に書いてある。最優秀防御率の三浦(横浜)もそう。今年、優秀な成績を挙げた多くの投手に共通するのは、不正投球をしているということである。

 投手にモーションを止められても、打者に圧倒的な技術があれば、それを打ち返すことは可能だ。また、投手はモーションを止めなくても、いい投球はできる。悔しかったら自分達のチームもモーションを止めたらいい。・・・ここまでならばまだ、負け惜しみの範疇であり、百歩譲って、賢者は負けを認められる。

 だが、NPBがスゴイのは「来年から厳しく(違反を)とる」と言っていることだ。

 アマチュア球界から「プロがルールを守ってくれないと球児に示しがつかない」とクレームがついたことが、来期、ルールを厳格に適用することにしたきっかけらしい。

 サッカーでシェフチェンコだけハンドし放題だったり、テニスでシャラポワだけは、2回で相手コートに返せばよい・・ そんな不公平はあり得ない。今あるルールを誰にも公平に適用することでスポーツも、社会も成り立っている。

 投球動作は止めた者勝ちです。悔しかったらもっと練習して打ち返しなさい。でも、ルール違反だということはわかっているので、来年からは駄目にします。

 なぜ、悪いとわかった時点で正せないのか。

 フェラーリが勝てないようにF1のレギュレーションを変更したり、ホームラン打者が少ないチームが使用球をシーズン途中から低反発球に変えたり、こうしたスポーツの枠を超えた虚々実々の駆け引きも、スポーツ・ファンは楽しむ度量をもっている。

 NPBはそれを見越したうえで 「ルール違反もスポーツだ。」「勝つためには何をしてもいい。」 ということを教えたいのだろうか。

 実社会でルールを守らぬ横着者にやるせない思いをしている人々が、スポーツの世界に求めているものは、こういうルール無視の戦いではない。

 改革は夢のような秘訣の実行ではなく、小さい改善の積み重ね。一つ一つの姿勢の甘さに、もうこの集団には未来がないことが見えてしまう。

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