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2005年12月27日 (火)

一期一会

 今から随分前の話しですが、僕は一度だけ横浜の中華街に行ったことがあります。
 横浜に住んでいたいとこが福岡から訪ねて来た僕にごちそうしてくれたのでした。
 何を食べたかも覚えてないのですが、席が円卓だったことと、いとこの子どもがまだ小さかったことを覚えています。

 大好きだったそのいとこは、誰もが名前を知っている会社に勤めその会社ではとても人気がありました。

 彼は僕が東京に来てしばらくして、若くして亡くなりました。
 それでもこうしていつまでも覚えています。

 彼が癌の手術が成功して入院していると聞き、仕事を終えて病院に会いに行きました。げっそりと痩せた彼に奥さんが付き添っていました。僕は「何か元気付けることを言うお見舞いの人」を演じなければいけないと思っていました。
 もう十数年前、中華街に連れて行ってもらったこと、今度は僕がご馳走しますよ!と畳み掛ける僕に、今ひとつの反応の二人。
僕は思わず
 「もう、治ったんだよね!」
と、妙に張り切った口調で言いました。だから、また行きましょうという意味で。
 その時の、目を白黒させて顔を見合わせる二人・・
そのシーンをコマ落しで思い出せます。

 あ、やっちゃったかな・・
 と思ったものの「え、まだやばいの?」と言うわけにもいかず病室を辞しました。癌の患者が常に再発の可能性と戦っていることを、きちんと認識したのは、この数年後でした。

 お通夜の斎場では、500個用意した会葬お礼がなくなってしまい、親戚の僕らは自分がもらっていた分を一旦返して使ってもらいました。

 この夏にそのいとこのお父さんが亡くなりました。
 つまり逆縁状態だったわけです。
 お線香をあげに行った時、いとこの話がでました。
 いとこは僕の母校の先輩ですが、長男を懐かしむ年老いたおばちゃんの口から意外な言葉が出たのです。

 「ゆうた(仮名)は高校では友達ができんかったって言ってたわ。
あの学校は進学の指導はするけど、人としての指導をしてくれんとよね」

 いとこのお通夜の席では、親戚から「motoちゃんはなんの悩みもなかごと、見えるね」と言われて苦笑いしました。よく言うよまったくと思ったのでしたが、亡くなったいとこも人生の中で何度かそんな思いをしながら、深い目で受け止めていたのかも知れません。

 「一期一会」という言葉は、目の前にいる人とは一生に一度今日しか会えないかもしれない。だから、悔いのない関係を築こうという意味だと教わったことがあります。
 今日出会う人、去っていく人、そして去った人の分だけ、また新たな出会いがあるでしょう。

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