そばアレルギーの笑い話(最終回)
1990年代半ばには、そばアレルギーの存在がぼちぼちと認知され始めていた。
とりわけ、僕が啓蒙活動をしたので、同僚の間でそれは形式知となっていた。
名古屋では冬になると、三河や北陸にカニを食べに行くことが多い。
エビカニを始め 魚介類もアレルギーの僕は、必然的にその都度 魚介類アレルギーについても説明しなければならない。
宴会料理では締めに「茶そば」が出ることもよくあり、そこでまた「そばアレルギー」のネタを振る。
職場ではすっかり「そばアレルギーのmotoさん」として有名になった。
そんな時、職場旅行の行き先が岩手だった。
旅程表によると初日のお昼は「わんこそば」
だがそこは、幹事も心得たもの
「motoくん、ちゃんと別のものを用意しておいたからね!」
僕としては一食を失うことよりも、そのネタの方が美味しいので、わんこそばをすする同僚を尻目に、お茶をすするというシチュエーションを逃したのは、少し残念だった。
そして、わんこそば当日
いかにも観光客相手に商売してますというお土産センター。その二階の座敷、何列にも並んだ折りたたみテーブル。他にもいくつかの団体がはいり、店内はごった返している。
すし詰めの席に座った僕の前にもわんこそば。
僕の手は動き始めない。
目ざとく見つけた幹事が
「あっ 店員さん!そばダメな人の分を頼んでおいたんだけど」
あぁ、あっちですよ
白い頭巾を巻いた小太りのおばちゃんが指を指す。
2列となりに僕の特別料理がしつらえてあるようだ。
テーブルをまたぐわけにもいかず、壁際に随分遠回りして、僕は特別な席にたどり着いた。
エビフライ定食だった
moto「あのぉ、僕エビもダメなんですけど・・」
店員「はあっ?」
一番たくさん食べたのは50代のおばちゃんで131杯
きゃぁそんなに食べてないわよ!と盛り上がるなか
目の前にはエビフライとごはん。
僕はぼんやりと、わんこそばに入れるかやくが盛られた鉢を見ていた。
2002年よりそばを含む食品はアレルギー表示が義務付けられた。
2006年現在、なんとなく聞いたことはあるという人が大半になった。
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