佐野さんの切符を岩田屋で買う
当時は貸しレコード屋ができる前。アルバムを手に入れるためには2,500円を出さねばならず、一枚一枚のレコードはとても貴重だった。
先輩に頼まれた「HEARTBEAT」をテクニクスのDD(direct drive)プレーヤーに乗せる。針を落とすと始まったのは「ガラスのジェネレーション」
五十嵐浩晃かと思った。
聴きやすい曲だな、僕の分も録音しておこう。
すべてはこの曲から始まった。
それから3ヶ月、貸しレコード屋ができたので、デビューアルバム「BACK TO THE STREET」も録音して毎日のように聞いていたある日。
シティ情報ふくおかに佐野元春コンサート「ハートランドへようこそ」の告知が出た。
コンサートというものに行ったことがない。一度行ってみよう。チケットは7月最後の日曜日発売。プレイガイドという所に行けば買えるらしい。
8月の最初の日曜日、僕は岩田屋デパートのプレイガイドにでかけた。
「佐野元春のチケットなんですけど」
お店が開店してから数時間、お昼時。カウンターは閑散としている。
要請を受けて妖精のようなお姉さんがB4サイズの座席表を出してくれた。いくつかの席がラインマーカーでピンクに塗ってある。それがこのプレイガイドで取り扱う席であり、その上から×がついている席はもう売れたのだという。
前から7列め、ほぼ中央の場所が2席残っていた。
その半年後、佐野元春2度目の福岡入りのときは、チケット発売日の開店1時間前から並んで、前から14列めだった。ここの半年が今で言うならば"ブレイク"の端境だったのだろう。
1982年
5月、3rd album「SOMEDAY」リリース。
1983年
1月、著書「Scratch」CBS・ソニー出版 発表。
4月「NO DAMAGE」発表。NYへ出発。
1984年
4月、初の12inch single「TONIGHT」
5月、4th album「VISITORS」
6月、伊藤銀次ハートランドを脱退。
「VISITORS」は当時、酷評を受けたことになっている。
売上が伸びなかったのは「SOMEDAY」までについていたファンが離れたのだと理解されている。
「ニューヨークのヒップポップを日本に持ち込んだ第一人者」と持ち上げられるのは、後世の話。
当の佐野さんが「ビジターズを初めて聴いた時どう思った?」と気にしていたくらいだから、酷評は切実だったのだろう。
だが、当時はパソコン通信もない時代。
元春ファンの友達は周囲にいないし、日常で元春の話ができる場所は無い。誰がどこで何を言っていようが聞こえてこない。
僕は都久志会館の夜を境に、この人にずっと着いていこうと決めていた。
井上陽水→QUEEN、5年区切りで遷移してきたアイドルがその日、佐野さんに代わった。
ビジターズは確かに僕が大好きな「HEARTBEAT」とは全然違ったが、佐野さんの楽曲であることに変わりなく、血液が沸騰しそうなくらいかっこよかった。
「佐野さんがたとえ、クラシックや演歌に転向しても、楽しんで聴けたと思いますよ」
と言ったら佐野さんはきょとんとしていた。
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