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2006年10月 7日 (土)

松井巨人移籍せず

 一年前の今日「松井 巨人移籍」という記事を書いた。

 ヤンキースとの3年契約が終わり、松井が次の契約をどの球団と結ぶのかが注目されていた。実際にはヤンキースと何年契約を結ぶのかというところにメディアは焦点を当てていた。
 どのメディアも、報知新聞も「松井巨人移籍」とは書かなかった。
 結果を正確に予測していたのだろう。

 だが、スポーツ界の移籍情報は、政界のポスト争いとは趣が違う。移籍話しには遊びがあっていい。移籍情報を誤報しても購読者は目くじらを立てない。
 情報そのものが "ネタ" なのだから、1%でも可能性ある限り「松井巨人移籍」と書いてもよさそうだ。
 巨人ファンならば、嘘でもその新聞は買う。
 どんな嘘が書いてあるのかだけでも興味がある。

 それほど、巨人には松井が必要なのだ。

 巨人は2002年の日本シリーズで西武を4勝0敗と完膚なきまでに叩きのめして勝った。西武球団創設以来、1980年代、巨人は西武にまったく歯が立たなかった。1994年に10・8を制した長嶋巨人が初の一矢を報い、2002年は就任1年めの原巨人が完勝。
 第4戦、代走鈴木が浅いレフト前ヒットで二塁から生還。いったいどこまで速いのか?という快走に、かつて クロマティの緩慢プレーの隙をつかれた借りを返したと、巨人ファンは溜飲を下げた。

 そのシーズン50本塁打を打った松井は、日本シリーズの完勝後、巨人を去った。
 「裏切り者と言われるかもしれないけれど」
 記者会見で松井が語った言葉に、センチメンタルに肩入れしたコメントが紙面を埋めた。
 権利だから堂々としてよい。松井にその一言を言わせた方が悪いという論調。辟易した。

 どう考えても、裏切り者以外の何者でもない。
 それほどファンも讀賣新聞社も松井に命運を賭けてきたのだ。松井好みの施策をうつ讀賣新聞社の姿は健気だった。

 一家の大黒柱の父ちゃんが「俺には夢があるから一人で米国に行く」と言ったら、家族も親戚も一斉に裏切り者と叫ぶだろう。
 松井にFA権があるように、父ちゃんには基本的人権がある。権利の行使は裏切りではないという定義が通るならば、世の中はずいぶんと違ったものになるだろう。

 巨人には松井が必要だった。
 それは松井という戦力が必要なのではない。
 巨人を去った松井というピースが、元のパズルにはまることが必要なのだ。

 松井は最後のワンピースだった。2005年オフまでは。
 そのピースが埋まらない巨人パズルは迷走を続ける。
 ただ、このまま永久に優勝しないようではファンは困る。

 まず55を誰かにつけさせる。
 讀賣新聞の松井コラムを中止する。
 ムードを壊しているメジャー行きたい病の選手は不要。

 巨人は松井が出て行くまで、駒田の例外を除けば
 来るものは拒まず、去るものは追わず
 という堂々とした球団だった。

 強い球団は誇りに満ちている。
 野球は個人技の総和ではない。心にくすぶるものを取り除かねば勝てない。
 坂本に55を与え、サード二岡をチームリーダーに据える。

 2007年は誇りを取り戻した巨人を見たい。

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