高橋尚子の姿勢
マラソン人気を築いたのは瀬古
今のブームを築いたのは高橋尚子である。
1972年
5月6日、岐阜市生まれ。
1994年
大阪学院大学卒。小出義雄監督に師事 リクルート入社。入部歓迎会で裸の体じゅうにアルミ箔を巻いて「オバケのQ太郎」を歌ったことから「Qちゃん」のニックネームがつく。 1997年
小出監督と共に積水化学に移籍
1998年
アジア大会 2時間21分47秒(日本最高)で優勝
2000年
3月、名古屋国際マラソンで優勝、五輪代表権獲得。
9月24日、シドニー五輪女子マラソン「金」メダル
陸上女子全体でも初めての金メダル。ゼッケン「2338」、タイム2時間23分14秒(五輪記録を16年ぶりに更新)リディア・シモンをサングラスを投げた後のスパートで振り切った。
10月27日、国民栄誉賞受賞が決まり30日受賞。
2001年
2月10日、著書「風になった日」幻冬舎 発表
2月18日、青梅マラソン 1時間41分57秒(日本最高)で優勝
*青梅は男女共に30kmレース
4月2日、日本陸連がプロ資格を承認。
9月30日、ベルリンマラソン 世界最高記録
ゼッケン「F9」 タイム2時間19分46秒。
ペースメーカー2人、ガードランナー3人を付けた。
翌週のシカゴマラソンに2週連続出場を志願したが陸連に却下され、そのレースでキャサリン・ヌデレバ(ケニア)~高橋と同い年~が2時間18分47秒を出し記録更新。
(現在、女子マラソンの世界最高は2003年4月13日、ポーラ・ラドクリフ(英国)が出した2時間15分25秒)
2002年
9月29日、ベルリンマラソン優勝 ゼッケン「F3」 タイム2時間21分49秒。ペースメーカーはつけなかった。
11月、肋骨疲労骨折。
2003年
11月16日、東京国際女子マラソン出場、2位に終わり、結果的にアテネ五輪代表を逃す。
2004年
3月15日、アテネ五輪代表3人枠から漏れる。
2005年
5月末でスカイネットアジア航空との契約が切れ、新たにファイテンと契約。RAKUWAネックブームの発端となる。
6月、小出監督の元を離れチームQを結成。
11月20日、東京国際マラソン優勝
2006年
11月19日、東京国際マラソン出場 このレースで勝てば2007年の世界選手権に出場できる。またそこで勝てば、2008年の夏季五輪に出場できる。
「もう勝ち負け(という動機付け)では走れない」
そう語る高橋の生きる姿勢は、現代人にとっての多くのヒントを含んでいる。
2004年アテネでは野口みずきが金メダルを獲得したことで、高橋を外したことの是非は有耶無耶になった。
高橋にはぜひ2008年五輪で金メダルをとってもらいたい。
その時は陸連の皆さんが、何らかの責任を果たしてくれるだろう。
今のブームを築いたのは高橋尚子である。
1972年
5月6日、岐阜市生まれ。
1994年
大阪学院大学卒。小出義雄監督に師事 リクルート入社。入部歓迎会で裸の体じゅうにアルミ箔を巻いて「オバケのQ太郎」を歌ったことから「Qちゃん」のニックネームがつく。 1997年
小出監督と共に積水化学に移籍
1998年
アジア大会 2時間21分47秒(日本最高)で優勝
2000年
3月、名古屋国際マラソンで優勝、五輪代表権獲得。
9月24日、シドニー五輪女子マラソン「金」メダル
陸上女子全体でも初めての金メダル。ゼッケン「2338」、タイム2時間23分14秒(五輪記録を16年ぶりに更新)リディア・シモンをサングラスを投げた後のスパートで振り切った。
10月27日、国民栄誉賞受賞が決まり30日受賞。
2001年
2月10日、著書「風になった日」幻冬舎 発表
2月18日、青梅マラソン 1時間41分57秒(日本最高)で優勝
*青梅は男女共に30kmレース
4月2日、日本陸連がプロ資格を承認。
9月30日、ベルリンマラソン 世界最高記録
ゼッケン「F9」 タイム2時間19分46秒。
ペースメーカー2人、ガードランナー3人を付けた。
翌週のシカゴマラソンに2週連続出場を志願したが陸連に却下され、そのレースでキャサリン・ヌデレバ(ケニア)~高橋と同い年~が2時間18分47秒を出し記録更新。
(現在、女子マラソンの世界最高は2003年4月13日、ポーラ・ラドクリフ(英国)が出した2時間15分25秒)
2002年
9月29日、ベルリンマラソン優勝 ゼッケン「F3」 タイム2時間21分49秒。ペースメーカーはつけなかった。
11月、肋骨疲労骨折。
2003年
11月16日、東京国際女子マラソン出場、2位に終わり、結果的にアテネ五輪代表を逃す。
2004年
3月15日、アテネ五輪代表3人枠から漏れる。
2005年
5月末でスカイネットアジア航空との契約が切れ、新たにファイテンと契約。RAKUWAネックブームの発端となる。
6月、小出監督の元を離れチームQを結成。
11月20日、東京国際マラソン優勝
2006年
11月19日、東京国際マラソン出場 このレースで勝てば2007年の世界選手権に出場できる。またそこで勝てば、2008年の夏季五輪に出場できる。
「もう勝ち負け(という動機付け)では走れない」
そう語る高橋の生きる姿勢は、現代人にとっての多くのヒントを含んでいる。
2004年アテネでは野口みずきが金メダルを獲得したことで、高橋を外したことの是非は有耶無耶になった。
高橋にはぜひ2008年五輪で金メダルをとってもらいたい。
その時は陸連の皆さんが、何らかの責任を果たしてくれるだろう。
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